2020-04-29 01:04:43 更新

前書き

さあさ 寄ってらっしゃい見てらっしゃい
ここにご覧遊ばす御話は
一切全てが真か分からぬ
一切合切うつつやも分からぬ
それでも良いなら聞こえにおいで
それでも良いなら話されにおいで

さあさ お話致す御話は
ある探偵殿のお話じゃ
艦の力をその身に宿し
人の心をその身に宿した
故にそれは誰より脆く
故にそれはひたすら強い

ただの 人間の話でござぁい…




序の幕



ぱらりぱらりと鳴る、広告のラッパの音。


がやりがやりと騒ぎ立てる男ども。きゃっきゃと姦しく話を盛り上げる女ども。


そしてただ五月蝿く騒ぐその世迷供を通り抜ける人力の車と、髭の蓄えた紳士達。


いつもの様に、その都は時間を過ごしてゆきます。



ここは帝都。



人も情報も犯罪も。何もかもが全てがごった返す、この世界の坩堝と言って良い程の場所。


ここには、様々な人生と事情、情事や因果。

そして悩みが詰まっております。


その悩みを解決するために、探偵業といふものが栄えたと言うのは当然の事でございましょう。


そしてこの探偵業にあたって。風の噂にて、ひどく有能なる探偵事務所があると聞きました。


大通りを少し抜け、路地裏へ。

その路地裏を曲がった先にその建物は御座います。


古びた建物、それは探偵事務所で御座います。

よく御覧になりますと看板も掛けてありましょう。


其処に、その高名なる探偵様がいらっしゃいます。

曰く、解決ならざる事件無し。

曰く、怪傑ながらの能力を持つ。

女性ながらにして、途轍もなく高き評価をお受けになっている探偵さまです。


その建物に今日も依頼人が入ってお行きになります。今日も今日とて、繁盛であります。



「失礼する」



そう、呼び鈴を鳴らした、依頼人と思われる青年は、そのまま無作法にも建物に入り、思わず絶句致します。


何と、探偵さまと思われる軍服を着られたそのお方は、机の上にて居眠りをされていたのです。


戸締りもせず、職務も行わずに、ただただ惰眠を貪り食っていたのです。



「こいつは、何と言う昼行灯だ。

所詮噂は噂だと言う事か」



と、身なりの良いその訪問者が一人ごちると、その御方は眼を覚ましました。


そして悪怯れる様子もなく眼を擦り、身嗜みを整え、そしてようやく、礼を尽くします。



「ハハ、これは失礼。見苦しい所をお見せしてしまいました。



その御方…都中に響く名声を持つ探偵さまは。

机の横の帽子掛に掛けてあった軍帽を被ると、また改めて体勢と体裁を取り繕います。



「非礼を御許し下さい。自分の名はあきつ丸。この探偵事務所の所長をしている者です。

以後、御見知りおきの程を」




そして自己の紹介を致しますと、にひるに微笑みました。




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「はあ、山の奥より砲声が…で、ありますか」



早速探偵さまは依頼の方をお聞きになられます。



そして聞いた話によりますと、この青年はさる富豪の一人息子。今では、厭世家と成りそのまま命を自ら絶った父に変わり指導者として働いてるのだと。



そうして忙殺されていた、そんなある日の事。



自らの私有地である広大なる御庭からなんと、物々しい鉄と火薬の音が聞こえたのだと。


それも、拳銃などより圧倒的に重々しく、過剰な程に大きな音が。


流石に不審に思い、使用人や警護の者に見に行かせるも成果は無し。ええいと思い、自らが行っても同様だと言うのです。



「故に、それについての捜査を貴女へお頼み申し上げたい」



そう、依頼人さまはおっしゃいました。

その傍にあるケエスの中身を見せながら。

…その、札束の山を見せながら。


そして更に、驚くべき一言。



「こちらは前金。

報酬の方は、解決の後改めて送らせて頂きます」



「…はは、これはこれは。

随分と気前の良い事でありますな」



「その理由は、聞かないで頂けるとありがたい」



元々受けようと思っていた所にその莫大な報酬。当然探偵さまにそれを断る理由はありません。



「ええ、ええ。委細承知致しました。依頼を受けましょう。では早速、そちらへ赴かせて頂きましても宜しいでしょうか?」



「そう仰ると思い、あちらの通りの方に足を用意しております。では、行きましょうか」




そう言い、足早に事務所内を後にする依頼人さまの姿の後ろ姿を、あきつ丸どのは不思議な心持ちでじっとお見つめになりました。



…暫くの後、くすりと微笑みながら指をお鳴らしになりますと、ごく小さい艦載機が窓を閉め、事務所の端に乱雑に置かれている軍刀と一つの黒々しい鞄を探偵さまの手元に送りました。


これが彼女の身支度なのです。



そして最後に、大ぶりな黒い外套を羽織りますと、ぼそりと一言、独りごちました。



「やれやれ、退屈は無さそうでありますな」



そうして、事務所の中に動く物は居なくなりました。



その艦であり、人である探偵さまは。


今日も今日とて、しがらみを、依頼を、その懊悩を。それら全てを解決する為、煩雑たるその帝都へと歩みを進めました。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




第壱幕





さて。


その屋敷に着くまでは省略致します。

力車に揺らされる御依頼者さまや探偵さまを詳らかに描写していても仕様が無い故。



さてさて。


探偵さまは依頼人宅を一目見ますとほぅ、と嘆息をつきました。


その嘆息は疲労によるものでも嘆きでも無く、単純に目の前の豪奢な邸宅に関心してのもの。


目の前にした者の心を奪う程の美しさ。

いやはや、正に天晴な豪邸でございます。



あきつ丸さまはその感動をこう言い表しました。



「一廻りするだけで日が暮れそうですな」





閑話休題。




探偵さまのご要請もあり、早速件の裏庭へ赴く事と相成りました依頼者様と、彼のボディ・ガードとを含めた御一行。


根が脚を絡め、葉が眼を隠す雑木林をえんやこらえんやこらと超えていきまして、夕暮れ時には何とか轟音がしたという場へ到着しました。



「此処でその砲音が聞こえたと言うのですな?」



「えぇ。正確にはそれに似た音、ですがね。

…しかし、既にお聞かせした通り、ここには何も残っちゃあいません」



「ほう」



「はっきり言いまして、無駄足です」



「無駄足とは…また奇な事をおっしゃりますなぁ。流石は名門の御子息様であります」



「…」




あからさまに皮肉られて、依頼人さまはその端整なお顔の眉をおひそめになります。




「…流石、帝都きっての奇人殿は言う事が違います。無駄足なんてものは無いと?」



「ええ。この世にある行動は全てに意を内包しています。無駄なんて物はこの世に無いのです」



「はは、まるで宗教ですな」



「それで結構。理解できぬを蔑むは人の常でありますからな」




その様な言葉をお交わしになりながらも、探偵さまは持参なさった鞄より何かを取り出します。



それは、丸められている巻物と…



「…走馬灯?」



そう、そのお取り出しなされたもう一つ。それは正に走馬灯そのものでありました。


訝しむボディ・ガードと依頼人さまを我関せずとばかりに、探偵さまはその走馬灯と巻物を手に両の眼をお閉じになりました。



すると、なんと!次の瞬間!

そこに小さき艦載機が現れたのです!



一行がざわめき、驚きますが、探偵さまはそちらへの反応は行いません。


さて、驚きが冷めやらぬ内にその機体は何処へやらに飛んでいってしまいます。



すると又、探偵さまは目を閉じ、黙想。そうしますと再びそこには模型のような艦載機が。



そして又々目を閉じ…



…と、こうして八回程その行動を繰り返しました後。あきつ丸さまは帰投を提案なさいました。



気づけば周りはすっかり暗くなっております。

それを断る必要も無論有りませんので、御一行は帰路に着く事に成りました。



「では、お互い足元にお気を付けて」



あきつ丸さまは、そのような、童にでも言う様な事を戯れに仰りながらその手の走馬灯を照らしました。


眩い程に照らすその青白い光は、まるで死出の灯火そのもの。見たものの背中をぞくつかせる様な代物であります。






「…失礼。」



「おや?如何なさいましたか、御子息殿」




帰路の途中。依頼者さまは徐にあきつ丸さまへ近づくと、些か青褪めた顔で彼女へ話しかけました。




「先程の行為は一体…何かの魔術ですか?

あのような物、見た事が有りません」



「それは残念。少し前ならば海へと行けば幾らでも見る事が出来ましたのに」



「巫山戯無いで頂きたい。

…あれは一体何なのですか」




探偵さまはその問いを受けますと、顎に手を置き、ほんの数秒程思案をお巡らせします。



そして、こうお答えになりました。




「一つ明かしますと。

実は自分、人間では無いのであります」と。



それを聴くと依頼人さまはうんざりとした様子で離れて行ってしまいます。




(巫山戯た女め。

人を食ったような態度ばかり取りやがる)



(……だが…)




御依頼人さまは、青白い光で照らされているあきつ丸さまの姿をまじまじとご覧に成りました。



(…格好が綺麗すぎる。)



ボディ・ガードや自分を見ますと、雑木林を通る際の苦労が偲ばれる様なそれ相応の格好。


土と葉の緑で汚れ、枝でほつれて破けた服。そんな、見窄らしい格好をしております。



ですが、探偵さまのお服にそのような後は御座いません。身幅の広い外套を羽織っているのにも関わらず。



(それだけじゃない、奴は此処に着いた時も息切れ一つ起こしていなかった。)



(…人間では無い、というのが真であるなら)




と、依頼人どのはそこまで考えますと、それを打ち払いますように頭を横にお振りに成ります。


馬鹿々々しく血迷った考えに、その様な事はあり得ないと正気付いたのでありましょう。




(…だが、こいつなら……)





−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





山より降り、何とか自らの事務所へと戻って来たあきつ丸さまは、夜更けの帝都で愕然と致します。



…何を隠しましょう。

事務所が滅茶苦茶に成っていたのです。



空き巣でありましょうか?そうであるならば金品を奪っていくでしょう。それに、ここまで徹底した破壊をする理由は無い筈。



であるなら、これは怨みを持つ者の犯行。


…或いは。この事件に関わるな、という警告。




探偵さまは、目の前の現実を受け止め、そして一言、こうお呟きになりました。






「糞ッ!」




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



第弐幕




「夕餉のご準備が出来ました」



そう、部屋へと男が恭しく入っていきました。


その視線の先には探偵さまがいらっしゃいました。あきつ丸さまは一枚の写真をお取りになり、それをしみじみと眺めております。



「おや、ありがとうございます。

良い香いでありますなぁ」



優雅にお話しをします、その最中にも。あきつ丸さまは古びた写真から目を離しませんでした。余程、肝要たる物でありましょうか。



「…もしやしますと、その写真は探偵さまの追う事件の重要資料なのですか?」



好奇心の蠢きに負け、衝動的に男は尋ねてしまいます。そうしますと。


く、はは。

ただ屈託のない笑いがその場を包みます。



「いえいえ、そう言った訳では、とても。

以前にこの旅館に来た時。共に居た恋人の写真を見て、郷愁に浸っていたのでありますよ」



そう、そう。

今、彼女がいらっしゃるのは、とある宿舎。なにしろ、事務所が惨憺たる有様故。



「こ、これはこれは。…いや、しかし。私はこの旅館に長い事勤めておりますが、探偵さまを見かけた事は一度もありませぬが。いつの話で御座いましょうか」


そう、そう。この男は店の主人。

今彼女がいらっしゃる宿舎にて商売を営む。



閑話休題、致しましょう。


そういったご質問に、うんと唸るように思案をなされた後、こうお答えになりました。



「申し訳ない。もう、可成り前の事。

確かな日付は、とてもとても」



さて。


再び、部屋には静寂が戻りました。

旅館の者である男は去り、部屋にはあきつ丸さま一人。


夜闇へ染みるような蟋蟀の音をバック・グラウンド・ミュウジックに、またその写真をうっとりと眺めていました。今や輩と居ない、彼方を想い。



(可成り、前か。いいや、まるで昨日の事のようだ。そうだ。自分の時間はあの刻から動いてはいないのだ)



陶酔にも悔恨にも、どちらにも近しいその沈黙をただ噛み締めて。ただその古ぼけた一枚の写真をじっとりと眺めておりました。



そうしていたところに。バタバタと騒がしい音が聞こえます。幾つもの足音。それが、旅愁に浸る探偵さまの鼓膜を揺さぶります。



…部屋より、また静寂が失われました。


がらりと、襖が開かれる音。

即ち、戦乱の幕が開かれる音で御座います。


ひ、ふ、み。

三つの足音が、高らかに入って参りました。


見るからに暴漢である出立ちの、その男達は、あきつ丸さまを見かけると、匕首を同時に抜き放ちました。誰がどう見ても、害を成すつもりでしょう。



「これは、これは。

御部屋を間違っておいででありますよ。

宜しければ案内致しましょうか」



戯れには、何も反応が御座いません。ただ三人共々余裕も油断もないままに、むっつりと黙り込むのみ。


しかしてまた。

その硬直は長くはなくありました。



はっ、と。極短い気合と共に三人の中の一人がその凶刃を煌めかせて参ります。


嗚呼、嗚呼!このまま噂の怪人探偵さまは、ロオブまでも赭に染め、斃れてしまうのでしょうか?



…しかし。そうならぬのが彼女が帝都一の探偵である所以でも御座います。



声も立てず凛と軍刀を抜き放ちましたあきつさまは、ひらりと刃をすり抜け、襲ってきた者の背後をお取りになりました。


そうして、切り掛かって来た男、背後にて短刀を構えた男の二人を阿吽の二呼吸で、ずんばらと斬り伏せてしまいました。


否、血は出ていません。

慈悲深く、峰打ちで済ませたのです。



残るは一人。探偵さまのその圧倒たる様子を見ても怯まず勇猛に襲って参ります。

その、刃の右手を突き出して。



(…ほう。やはり、これは)



不意をついたとはいえ、瞬く間に二人を打倒した探偵さまに一人では敵うはずもありませぬ。しかして男に怯みは無いまま。


それを感じ、探偵さまの所作からも油断などは欠片も御座いません。


脚を引きその右手を水と受け流す如くに払い、取り、ぐるりと。気がつけば男は取り押さえられておりました。奇術にまで練り上げられた流麗なる柔術。お美事。


あ、という間。

結果で言えばその数瞬の狭間の殺陣は、一人の勝利を残しここに終わります。


が、話は終わりません。あきつ丸さまは組み伏せたままの男にお話しになります。未だ、興奮冷めやらぬ瞳孔を爛爛と輝かせて。



「殺しはしませぬ。それと、拷する事も。

何も吐くつもりは無いのでありましょう」



男は何も、答えはしません。血が通う生き人形のように、ただ組み伏せられ。

軍刀の切先を、牽制の為に向けられ。




「故に。貴方の雇い主に伝言を御頼みします」


「ただ一言。

『近日、真相を頂戴しに参ります』と」



生き人形。否、男はそれを聴き初めて人らしい感情を顔に顕します。驚愕、恐怖、疑念を懇々と混ぜた、色の悪い感情を。


それを受けた探偵さまは、にこり。

可憐に微笑みなさいました。



「さあ、早くお帰り頂きたい。折角の夕餉が冷めてしまうではありませんか。

おおっと、そこの伸びてる方も忘れずに。

勝手口まで手伝いましょうか?」



「…結構で御座います」



ぺらぺらと饒舌に舌を巡らすあきつ丸さまとは対照的に、忌々しげに一言吐き捨て、男は帰って往きました。その、雇い主の場所へ。



「いやあ、全く災難でありましたなぁ。店主どのも、お怪我はありませんか」



おずおずと様子を見にきた店主は、そう問われ肩をびくりと震わせます。


無理も御座いません。その圧倒的なまでの武勇はしかし、恐ろしいものでもありましょう。



「も、申し訳もありませぬ。

私も入口にて止めようとしたのですが、その…脅されてしまい、無理矢理。」



「気に病む必要はありませんよ店主どの。

もし下手に逆らって落命でもされたら、そちらの方が余程一大事だ」


こんな下らない依頼より、余程。



そう付け加え、お呟きになりました。



「こんな依頼…と申しますと。もしや、今の暴漢は追ってらっしゃる事件とご関係が?」



「ええ。言うまでもなく、彼等はそこらのゴロツキでは無いでしょうな。にしては、練度が高すぎる故。尤も、襲い方のみは御粗末も良い所でありましたが」



「確かに、この行動は余りにも、その…計画的であるように思えました。頭の悪い強盗には、ああいった事は出来ない筈です」



「正しくその通り。つまりはこれは、黒子として思惑が背後に居る事の証座。自分の事務所も同じ者が命じたものでしょう」



「…もしや、先の…暴漢への伝言といい、探偵さまには事の真相がお判りになってるのですか?」



「ええ。まだ証拠も無いので『推測』の域を出る事は無くありますが、おおまかには」



「おお!して、黒幕は如何に!」



最早好奇心と野次馬根性を隠す素振りも無いまま、眼を輝かせ、身を乗りだして店主は聞きます。


致し方ありますまい。

秘密は、余りにも甘美故。


くく、と含み笑いを浮かべ。



「ええ、それは……」



ちらりと視線を下に降ろし。



「夕餉を食べてから話す事にしましょう」



すっかり冷め、油の固まった汁物を前に。

ひとつ溜息をお吐きになりました。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




第参幕





争乱なる夜が明け、日がその御尊顔をお見せになり。御天道さまが世界を照らします。


今日も今日とて人の多い都。

正午となると、喧騒のピィクでございます。



しかしてその喧騒より少し外れた処に、優美な静けさを持つ一店あり。

そのカフェテリアは大きなものではありません。しかし。いや、故にだからこそ、静謐なる美しさを持つのでしょう。



そこへ尋ねる、黒い外套を羽織る人影有り。

ああ、我らが探偵様で御座います。


からりからりと扉を開かる、空鈴の音。

主人らしき仏頂面の男はむっつりと、その口を閉じたままです。



「どうも。

最近はどういった物が入用でありますか」



「十年前と同じだ」



「ほお。十年前はどのような物が」



「二十年前と同じだ」



「十年後は」



「今と同じだろう」



「注文は、ハットケェキを」



「席へ」



不可思議な会話の後、あきつさまはその店の奥へと招待されます。よく冷えたアイス・コーヒーを喉にこくこくと通しながら、ただ虚空をお見据えに。


底知れぬ、昏さを携えたその眼がその時ばかりは払われたようでした。



おや。そうしているとウェイターが此方へと。その手の盆には、ハットケェキと、小ぶりな容器が。中には琥珀色のシロップが入っております。


ウェイターはそのまま、探偵さまの向かいの椅子に座ってしまいます。ちょこんと。


おや、ちょこん?

まるで小さい子供が座ったかのような擬音。


事実、そうでございました。そのウェイターは年端も行かぬ少女で御座います。



「こんにちはっ、あきつ丸さん。

お久しぶりですね!」



「ええ、ここ最近は貴方達を頼るような事件もなかったので。ああ、ようやく此処のハットケェキが食べれる」



「ふふ。ご贔屓いただき、ありがとうございます!」



そう、爛漫な笑顔を振り撒く少女。ふと、あきつ丸様がその少女が配膳に使った盆を探ると、底の部分にかさりと触れる感触が御座います。


それらを手に取り。迷わずにぺらりとお読みになりまする。シロップを片手間におかけになりながら。




「ここに『頼み事』をしてしたって事は、今回は結構厄介な事件だったんですか?」



「いいえ。下らない、簡単なものでありますよ。ただ、相手の身分が高いので、念の為に証拠を確固たる物にしておこうかと」



「ああ、成る程。あきつ丸さんが危険に身を置いてるようじゃなくて良かったです」



危険じゃあないと。

暴漢に襲われたり、事務所の破壊工作を受けた事を話したら、また目を白黒させるでしょうか?


探偵さまはそんな事をふと思い、口元を綻ばせました。その、意地悪な笑みである事!




「それで、どうでしょう。

その、証拠品。不足はありませんか?」



「ふむ、完璧な仕事であります。依頼をしたのはごく最近ですのに、流石」



「えへん。光栄であります!」



探偵さまの口調を真似するように、誇らしげに嬉しげに、少女はそう言います。


くすりと、思わず笑いが。

それを恥ずかしがるように、取り繕うようにしてあきつ丸さまは話題を転換いたします。



「しかし。大体が思った通りの顛末ですな。わざわざ用意して頂いたのが申し訳なくなるくらいには」



「まあまあ、偶にはいいじゃないですか。

ほら。ケェキ、冷めちゃいますよ?」



「おっと、忘れてた。いやあ。ここに来て、此れを楽しまないのは嘘ですな」




狐色にふうわりと焼けたケェキに染み込んだ琥珀の色。蜜の香りと小麦の匂いは、甘く甘く、嗅いだ者を美食へ誘います。


すくり、ナイフで一口小へ切り分けて。

そのまま御口へ。


じわりと染みるシロップに、それを包み込む、卵と小麦のマリアージュ。


おお、その禁忌的なまでの味!

世界が煌めくようにも感じるそれは、嗚呼。

正に幸せの一体系でありましょう。



しばし、舌を楽しみ。甘さに慣れた口を、苦い珈琲が浄化致します。


ようやく一息。

ふと、あきつさまは少女ウェイターに話しかけます。心穏やかに、優しく。




「そちらは、どうです?どうやら、閑古鳥が鳴いてるようでありますが」



「むっ。いつもはもっと繁盛してるんですよ!今日は…その…あれですけど!」



「あはは、冗談、冗談。

しかし、楽しそうで何より。ようやく少しは落ち着く場が出来たようですな」



「…ええ、お陰様で。

きっと、ずっとは居れませんが。それでも」



「その時はその時に、考えればいいのでありますよ。きっと、何とかなるでしょう」



「そうですね。その通りです」



少女はふと、哀しげな眼をして。

憂いを帯びたように、言いにくそうにこう、言いました。




「あきつ丸さんは、まだ…

その、囚われている様に見えます」





沈黙。


ハットケェキは最早空の皿を残すだけ。

氷の溶けた珈琲を啜り、窓から外をお見になります。ああ。その眼は、どこかお昏い。





「そう、でありますなぁ。

きっと。これから先も、であります」



「……すみません」



「謝る必要は毛ほども。

ただ、割り切れない自分が悪いのです」



「…それでも、すみません」




再び無言が続きます。

ただ珈琲を啜る音だけがずず、と。



「湿っぽい空気にしてしまい申し訳ない。

…そろそろ、お暇いたしましょう。店主殿に、実に美味だった事、お伝え願います」



「あ…はい。

またのお越しを、お待ちしてます!」



入り口まで御見送りをしようと、遠慮がちにウェイター少女は後ろを歩きます。

しかし、その顔は、伏せてしまっています。




「…それでは、さようなら」



「あ…」



呼び止めるように出した手は、そのまま所在なく下ろされ。黒い外套はただすり抜けて行ってしまいました。


だから、代わりにその手は口元にやり。

メガホンのように、遠くへ届くように。




「…まるゆは!またあきつ丸さんが来るの、待ってますからねー!」




…かつて、海を潜する艦であった少女は。

そう、いじらしく叫びました。




「…ええ。是非。また行かせて貰います」



探偵さまのその声は、しかし。

都の喧騒に拐われ消えていってしまいました。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




第肆幕









後書き

ただ好きなようにやってるだけのものです。変だとしてもご了承下さい。


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SS好きの名無しさんから
2020-02-21 03:23:10

2019-07-09 05:46:56

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2018-11-05 11:33:09

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2018-11-04 21:17:52

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2018-06-17 10:01:33

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1: SS好きの名無しさん 2018-06-10 09:46:29 ID: xU1wiDmg

すこです

2: SS好きの名無しさん 2020-02-21 03:22:59 ID: S:5Mkzc8

続きを!続きを下さい!


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