2018-06-03 23:10:58 更新

概要

小説形式です。 
横須賀のおとなりの、小さい泊地のお話。オールディーズ好きな司令は、今日もレコードをかけながら部隊を運用します。 第三話として完結しました。


前書き


《明日に架ける橋 シリーズ》
【艦これ】叢雲/司令「明日に架ける橋」【1】
【艦これ】叢雲/司令「明日に架ける橋」【2】

《章ページ内リンク》
 幕開    終幕

《注意》
 実在の人物や団体との関係はありません

 二次創作
 SSどころでない地の文量
 オリジナルキャラ(提督に名前あったりとか、別基地の人とか、陸の人とかパンピーとか)
 いろいろ独自設定
 公の場であまり使われなくなった単語(気違い、びっこ、メクラ、カタワなど)
 軍事知識なぞない

 好き勝手解釈してる部分あり。
 SSの投稿の場なのに、こんな真っ黒な画面を作ってしまってすみません。

《》
 加古のおへそを一日二時間くりくりしたいです。

《所属艦娘 兼 編成》

 旗艦は改行されている艦娘

【富津泊地】
■第一駆逐隊
 叢雲 
 三日月 曙 〔New〕春風
■第二駆逐隊
 初雪 
 夕立 〔New〕朝潮 
■第三駆逐隊
 秋月
 島風 〔New〕涼月
■第四駆逐隊
 浦風
 卯月 涼風 〔1駆 → 4駆)山風 
■第一水雷戦隊
 神通
 第一駆
■第二水雷戦隊
 那珂
 能代 第二駆 → 第三駆
■第三水雷戦隊
 川内 
 木曾 第三駆 → 第二駆
■第四水雷戦隊
 夕張
 第四駆逐隊
■第一重巡戦隊
 古鷹
 青葉 足柄 熊野 摩耶 〔New〕酒匂
■第一航空戦隊
 千歳 
 千代田

★第一艦隊  (旗・神通/補・叢雲)
 第一水雷戦隊
★第二艦隊  (旗・古鷹/補・那珂) 
 第二水雷戦隊
 第三水雷戦隊
 第一重巡戦隊
★第三艦隊  (旗・千歳/補・夕張)
 第四水雷戦隊
 第一航空戦隊

長くなるので別基地は省略します。
二話から編成改編がありました。この辺はコロコロ変わるので、本文でしっかり描写します。今回の話はこんな編成、みたいに、目安として捉えていただければ大丈夫です。

ご指導ご鞭撻、以下略。


幕開

 わざわざ外の便所で用を足し、緑錆のついた蛇口をひねってハンカチで手を拭った。水垢がこびりついた鏡に映る顔はここ最近のせわしなさで脂ぎっており、まだらに生えた髭が一層みずぼらしい。一服でも、と胸ポケットをまさぐったが、執務机に置きっぱなしにしていたことを思い出し、いまいましげに舌打ちをした。時間を潰す口実もなくなり、いよいよ司令室の扉を開けると、部屋の真ん中に勝手に設置された折りたたみテーブル、勝手に物色する二人の女性と、それぞれに付き添ってきた他基地の艦娘が押し込まれていて、時折カニ歩きをしなければいけないほど密度が高まっていた。新しく設えた薪ストーブがごうごう音を立てて、窓が水滴に曇っている。

 横須賀鎮守府司令長官、森友。付き添いにヴェールヌイ。

 犬吠埼詰所特別司令官、香取。護衛に天龍、神風、潮、磯風。

「カーペンターズかガリ=クルチは何かあるかい。うちのが好きでね」

 レコードラックをぱたぱた漁りながら森友が言った。

 今時ガリ=クルチの名前が出てくることに閉口する。曲は知っていても、あれはSP盤で聞くからこそ良いのだ。よって、LPで蒐集はしていなかった。

「SP盤はさすがに。カーペンターズは『ア・ソング・フォア・ユー』と『ナウ・アンド・ゼン』だけだ。二段目の左のほうに、多分」

「『キング・オブ・ハッシュ』は」

「……すまん。そんなに詳しくない」清水が言うとわざわざ目を見て鼻で笑った。この性悪加減がむしろ心地よい。

「やめてよ森友さん。それよりも犬吠埼さんの好みをかけてあげて」

 机の上の書類を勝手に改めていた香取が視線を上げて応えた。

「会議の邪魔をしないものならばなんでもいいですよ」

 片腕を曲げたままの神風が言った。「エノケンがいいな。俺は村中でいっちばーんって」手首を青い柄付きの布で覆った天龍が笑った。「モ・ガだもんなあ、白露に今度聴かしてやろう」「高田渡がいい」びっこを引いて磯風がジャケットを取り出し、「しかもなかなかの品揃えじゃないか。趣味が合うな。あきらめ節の入っているのはなんだったか。潮はなんにする」と話を振る。潮の左腕はまるまるなくて、動くたび袖がひらひら揺れた。よく見ると首から顎下にかけて皮膚の色が違う。「私は特に。好みもありませんし」「フランスギャルが好きだろう、ゲーテとナポレオンの独語のやつ」「ああ! なんで知ってるんですかっ」

「清水クン」香取がにこやかに笑っていた。清水のよく知っている顔だった。「あなたのおすすめのブルースをかけてください。残りは落ち着いた曲を」

 天龍があげたブーイングは笑顔の下に鎮圧された。

 ミシシッピ・シークスの落ち着いた歌声と軽やかなフィドルが絞られたボリュームで主張しない環境音になり、三人の司令官がテーブルの周りに集まった。付き添いの艦娘たちは壁際で整列する。

 雰囲気が変わった。

「では」香取が背後の黒板に白墨で文字を書き込む。

 カツン、カツン。清水と対面の森友はそちらに注視する。「なんだか懐かしいわ」香取の背中が言った。「先生の後ろ姿は未だ大きく感じます」森友の本気なんだかおべっかなのかあやふやな言葉の後、背中を向けたまま香取が応えた。「やめてください。あなたはもう横須賀の長官で」カツン。「作戦の中枢人物なのだから」

 湊川作戦。

 数年前、前触れなく海から現れた怪物があった。映画の撮影か、ファンタジーの顕現か、世界中は沸き立った。怪物たちははじめ、女性の形をしていたから敵意をあらわにすることもなかった。青白い肌、整った顔、それから未知の装備。国が怯えても大衆は色めき立つ。アトランティスが浮上した、彼女たちは海底でひっそりと生き残っていた超古代文明の子孫に違いない、オカルトマニアはそう言った。ジャップがついにアニメを現実のものにした。一部の外人はそう言った。CGだ、どうせ映画配給会社の悪趣味な宣伝だ、現実主義者はそう言った。いろいろな話があった。特に当時は人間の到達できる最高点、宇宙への挑戦がついに始まったことも相まって、祭り前の浮かれたムードだった。数千人を乗せて、世代交代をしながらスーパーアースを探し、時すら存在しない宇宙へ人類の版図を広げるための宇宙母艦打ち上げが間近に迫っていた。科学者、各部門の専門家、政治家、各国の軍隊、抽選で選ばれた一般人。母艦に国際社会を作り上げた『小さな地球』号が打ち上げ施設のある島に到着する寸前、怪物が牙をむいた。

 地球外生命体との戦闘すら考慮された装備は軒並み役に立たず、子供が無邪気に虫を虐殺するみたいだった、という人もいる。ものの数分で人類最高の叡智は海に沈む鉄くずと魚の餌になり果てた。

 楽観していた大衆たちは憤り、怯え、ようやく各国の軍隊が連携を取り始める頃にはパニックは最高潮。力を持った警察機関やシラケ世代の究極にいた時代で、暴動はすぐに鎮圧されるものだと思われていた。けれど怪物たちは船を沈め、数日の静寂の後、今度は国土を壊すために、文明を崩壊させるために、再び海から上がってきた。

 人権団体が声高に叫んでいたのは初めの一月だけである。彼らはすぐに、あれが人の形をしただけの、全くの敵性生物であることを認めた。

 二月目には世界の海軍の四十パーセントが海の肥やしになった。

 三月目には主要沿岸都市の大半と、五十パーセントの海軍がなくなった。

 半年すれば孤島から人が消え、海底ケーブルは全て破壊され、制海空権はなくなった。一年経った頃、日本は受動的な鎖国状態に陥り、川を上られインフラ設備も軒並み破壊された。渡島半島は占拠され、北海道と沖縄へ連絡が取れなくなった。

 輸入に頼りきって膨れ上がった人口を養える自給率は日本にはない。欧米化したモラルは攻撃性にも影響し、かつてないほどの国家危難が日本を襲った。警察機関では抑えられぬ、ならばどうするか。勝手に自滅するのを待つか、その時は共倒れだ。どうする、どうする、とかく秩序を戻さなくては、国が国の体をなさなくなる。内にも外にも不穏がはびこる中で、自衛隊が悩みに悩み、断腸の思いで決断をし、時の総理がそれを受諾した。

 自衛隊が再び『日本国軍』の旗を翻して半年で、崩れた中に崩れたなりの秩序を生み出すことに成功した。短絡的でわかりやすく、けれど取り返しのつかない方法、『みずから大衆が戦える敵になる』という手を使って。

 内はどうにかしたが、外からの暴力に辟易して、いよいよ玉砕かという時、一つの報告が軍内部を駆け巡った。

 一人の少女。彼女は艦娘だった。

「その艦娘、なんと呼ばれていたかしら。清水クン」

 香取が言った。授業をするよう滔々と話すものだから大半を聞き逃してレコードに耳を傾けていた。が、質問から何の話か、すぐに推測できた。脳みそに染み付いている。何度もなんども繰り返し聞かされたことだからだ。

「『貧民窟の少女』、または『少女A』」

「あれだけ言い聞かせればさすがに覚えてるか」褒めもせずに、ただ微笑んだ。

「深海棲艦に対抗できる力を持った少女の出現から今まで、たくさんの犠牲がありました。あなたたち人間が戦う理由はわかります。では私たち艦娘が戦う理由は? 未だに、考えます」

 冷めたお茶を一口すすって間をとった。何度も聞かされた話。けれど、森友は一言一言をかみしめるように、身じろぎせず、背筋をピンと飛ばして彼女の話を聞いていた。

 今、香取が発した言葉はここだから言えること。公の場でないから言えることだ。二人きりで暴力的な補修を受けている時、香取はよくこの話をした。森友は優秀だったから初めて聞くのかもしれない。

「だから私は、『貧民窟の少女』が受けた悲しみのために戦っています。彼女が愛した人間という種族を、いつか生まれ変わったとき、今度こそ幸せを逃さないように」

「……聞いたことがないですね。まったく話が読めないのですが」

 香取は喉を鳴らして笑った。

「軍機です。内緒よ?」

 この場において貧民窟の少女の話を知らないのは横須賀鎮守府の連中だけ。香取が連れてきた艦娘も、叢雲も、何も口を挟まず、思いはせるようなような顔つきで、彼女の話を聞いていた。自分の知らないことを知っている、ささやかな嫉妬で睨みつけてくる森友に、清水は反応することをしなかった。

 一つ咳払いをして香取は崩れかけた空気を組み立て直した。

「森友さんが発案した湊川作戦の概要を、不肖香取がご説明いたします。なお、すでに各鎮守府長官との合議は済んでおり、全基地にも通達済みです。詳細は清水クンにも送ったわね。だから、作戦全体はかいつまんでお話しします」

 香取の表情は柔らかいままだった。部屋の空気だけが質量を持って、体全体に重くのしかかり、小春日和の陽が場違いに爽やかさを醸していた。

 勉強は苦手だが、さすがにここで手を抜くわけには行かず、あらかじめ渡されて、穴が開きボロボロになるまで読み込んだ資料を開く。おかげで通常の業務はほとんど秘書艦にお鉢が周り、しばらくてんてこ舞いの毎日だった。知恵熱を出したのは久しぶりだ。

「湊川作戦は大きく分けて五段階の作戦に分かれます。イ号、国土奪還。ロ号、大陸連絡網の構築、ハ号、輸入ルートの再構築、ニ号、世界解放戦争、そしてホ号、深海棲艦の殲滅。イロ号の間に資源が尽きたら詰み、わかりやすいでしょう?」

「調べた」清水は頭の隅に追いやっておいた不発弾を処理するために声を上げる。「湊川作戦。湊川の戦い。南北朝の一合戦を作戦名に採用した理由はなんだ」

「名称なんて記号だ、そんなことを突っ込むヒマがあるなら、資料の隅から隅まで暗唱してみろ」

 ならば、森友を指差して言った。

「なぜ補給ルートの構築が最優先でない。あの戦いと同じ轍を踏むつもりか」

「ロシア、南北朝鮮、中国は、敵の陸上基地だらけで近づけん。ああ、それから、すぐ耳に入ると思うが、昨日対馬の基地が落ちた」

「人員と艦娘は」

「佐世保に異動しました」「敗北して逃げた、ということだろう。言葉は選ぶべきだ」「異動です。言葉は選ぶべきよ、清水クン」

 べたつく頭をかきむしって悪態をつき、テーブルを叩いて苛立ちをあらわすと、軽い音が大きく鳴った。誰も清水の行動を諌めず、当然の反応と流して、香取が指示棒を手のひらに叩きつけた。

「国土奪還は最優先です。北海道は広大な土地に耕作施設を作って国内の飢餓を緩和させる目的があります。それからロシアに接触してカムチャッカ半島を間借りし、ベーリング海からカナダとの接触を実現するには必要です。それから沖縄。フィリピン以南から資源の輸入を受けるために早期奪還し、強固な拠点を作り上げる必要があります。北は日本海側と東北地方の基地が担当、南は私たち太平洋側と中部以南の全基地が行います。イ、ロの二つのステージをいかに電撃成功させるかに全てがかかっているわ。国内に残された資源を全て放出してね」

「後がない。失敗すれば」口角を吊り上げて言った。「日本の終焉」

「いざとなれば大豆油でも突っ込んで戦うわ。私たちは、こんな状況には慣れてるの。勝てるかは別として」

 穏やかな雰囲気を崩さない香取が頼もしかった。壁際に立ち並ぶ艦娘も、悲観した顔のものはいない。みんな飄々としていて、むしろあれだけ辛い記憶を刻み込まれているはずなのに、楽しむような気配すらある。

 あの頃と大きく違うのは、さんざん頭を悩ませた資源の困窮に対する問題の解決が単縦明快だということ。元あったものを復旧するだけで良い。韓国だって、考えようによっては尻尾を振る相手を選ぶ嗅覚は凄まじい。南北和平によって一時期極限状態に陥った国交だが、ここ五十年の北の政治家は歴史に残るほどの辣腕である。さらに大陸に属しているから窓口として利用することができる。混乱状態のうちに文句を挟む余地がない恩を売っておきたい、という打算もあるが。

「つまり、先に国土を奪還しておかないと輸入ルートが確保できない。いいかしら」

「承知した。もう一つ、それだけ戦線を拡大すれば稼働する艦娘も増え、資源の減りも当然激増する。国土奪還から各国への接触にかけられる年月はいくらとお考えか」

「きりよく一年。実際は十ヶ月ほど。だったわよね、森友さん」

 首を縦に振って、神妙に応えた。

 そのあと自分の手元の資料から一枚紙を抜き取って、清水の方に滑らせた。見ると細かく数字が記載されている。想定される資源の増減を記したものらしいが、清水には理解ができずに、それっぽくうなずいたり唸ったりした。それを見て森友は鼻で笑った。

「司令長官着任からほぼ半年で作戦草案をまとめ上げ、秋のうちに各基地とすり合わせを完遂し、国を納得させた森友さん。一般から召集されたというのに、天才ってきっとあなたのような人のことを言うのね」

「同期の主計官が協力してくれたおかげですよ。各基地の権力者と折衝し、各方面に首を振らせたのは元帥です。私はこんな背水の作戦を得意げに提案しただけの狂人です」

 鼻持ちならない謙遜に胸焼けがしてこっそり舌を突き出したところを、しっかりヴェールヌイに目撃され、慌てて顔を引き締めた。彼女は表情を変えずに、じっとりと湿気た目で見つめてくるだけで、子供のような見た目と相反して、かなり大人びた性格に思えた。

「それじゃあ本題に入りましょうか。作戦の狼煙は私たち三基地があげるの。南方軍イ号作戦最大の目標、沖縄奪還のための。そして北方軍を少しでも動きやすくするための初手天元」

 香取は再び白墨を黒板に滑らせた。

 カツン、カツン、硬い音が文字を創っていく。

 画数の多い文字を美しいバランスで書き上げて、威厳をもって振り返った。

「小笠原諸島の奪還」

 薪ストーブがごうごう音を立てている。

 オートチェンジャーは『ティファニーで朝食を』のレコードに針を落とし、オードリー・ヘプバーンの歌声を控えめに演奏した。


1

 森友の好意(怒涛の皮肉と一緒に)でこの日は哨戒を休ませ、全員が揃った。

 その晩の夕食どき情報を共有して、いよいよ大規模な作戦が発令されたことに彼女らのかしましさは鳴りをひそめて、これから始まる激動の毎日に不安を抱いているようだった。哨戒だって重要なものだが、作戦ともなればさらに厳しい戦闘が確実に起こる。隣に座っている艦娘が明日となりに座っているとは限らない日が始まる。

「この唐揚げなんでこんなにパサパサしてるの。喉に引っかかる」

「ムネ肉しかなかったんだよ、ウッセーな、黙って食え」

「ボスが肉食えないっていうのにおかずが唐揚げだけって。摩耶って乙女なのか大雑把なのかわからないわ。私物は可愛いのにね」

 顔を赤くして叢雲に掴みかかろうとしたのを止め、「違うからな!」と暴れる摩耶の肩を押し沈めて椅子に座らせた。作戦に対する質問はないかと尋ねたら、「作戦前夜はもちろんご馳走よね、毎回」と返された。片栗粉で揚げた唐揚げをかじる音が食堂のそこかしこで聞こえ、ストーブでは回しきれない暖気のせいで、大半の艦娘たちは支給された毛布を裁断し、ひざ掛けにして使っている。

「お前ら真面目に聞いていたんだろうなあ。いよいよ国が総力を挙げて戦おうってんだ、唐揚げよりもこっちに集中してくれないか」

 疲れた顔をしているのは清水だけで、彼女たちは血色よく、中央に大量に盛られた唐揚げを奪い合っていた。ついに加工肉の配給が滞りにわとりそのものが送られてきたのには頭を痛めたが、ペット兼食料として基地内の癒しに一役買ってくれているし、かと言って潰すのを躊躇する艦娘も少なかった。生かしている限り腐らない上、鶏糞を集めれば肥料にもなる。海から離れるが小さな畑も間借りした。どこかの農家が捨てていったものだが、ささやかに食料を自給自足しようと画策して、まだ土壌を作っている段階ではありつつも、春あたりトマトやとうもろこし、枝豆、大根あたりを植えるつもりだった。日に日に減っていく物資が作戦に備えた一時の節約のものか、ついに底をつき始めたのか、真実を知るつもりはない。

「お国が総力を挙げて戦うんは経験済みじゃけえ、提督は一言「やるぞ」って言ってくれりゃええよ。うちらが泣きわめいたところで状況は変わりゃあせんし。代わりに提督が出てくれるなら別だけど」

 近海掃討作戦後期に建造された浦風が言った。でれるものなら出てやりたい、清水がそう願ったところで海に浮かべるわけでないし、新しく支給された拳銃では到底太刀打ちできるはずもない。銃なんか撃ったことがないのになぜ支給するのか。酒と食い物の方がよほど実用的である。記念品の役割なのだろうが。浦風が「それともうちの戦闘服貸したろうか、意外と艤装扱えるようになるかもしれん」などとけらけら笑い、「ミニスカ姿の三十代って誰に需要ありますの。ひたすら汚いだけですわ」と熊野が顔を引きつらせた。

 早々に食事を終えた卯月が片付けに席を立ったところ、すれ違いざまに立ち止まり、挑発するような目を向ける。

「気遣いなんかいらないぴょん。司令官は何をやればいいか教えてくれるだけでいいの。うーちゃんがいるんだよ、失敗なんかありえないありえなーい」

 足柄が口を挟んだ。「卯月ったら、家出以来すっかり大人びじゃって。頼もしいわねえ」卯月にとっても家出騒動は触れられたくないようで顔を歪めて抗議した。「うるせーぴょんっ。山風いつまで食べてんの、早く行くよ」「まだ二個しか食べてない……、あ、引っ張らないで、わかった、わかったからっ」立ち上がり際に手づかみで一つ口に押し込んで手早く食器をまとめていた。口が小さいから大半がはみ出ている。

「こら、まだ話は終わってない。輸入ルート確保後の基地の話が」

「そんないっぺんに詰め込まれても覚えられないっぽい。唐揚げ詰め込んでる方がまだ美味しいよ」

「あんたの部下である私らにとって大事なのは来週の輸送作戦だけ。何をすればいいのか、何をしたらいけないのか。全体の説明をしてくれるのは嬉しいけれど、部下にいたずらに情報を与えるのは感心しないわ。知り過ぎれば判断しなくちゃいけないことが増えてしまう。私たちは戦場に立つのよ、最低限の知識があればいい」

 箸休めに味噌汁をすすって叢雲が言った。お椀を置くと同時に唐揚げに手を伸ばす。

 彼女たちがいざ始まる戦いに怯えていたら司令官として無理やりにでも戦線に立たせければならない。背中を押す一編の詩でもと色々考えていたが、杞憂だったようだ。「わかったよ、叢雲の言う通りだ。じゃあくだんの輸送作戦の詳細を話そう。前日にも確認するが、各々で改善案があったら教えてくれ。森友に伝えとくから」そう言うと新しく着任した朝潮を巻き込んでいた卯月が抗議の声をあげた。

「ええ! 今からきりたんぽ作るのにいっ」

「きりたんぽだぁ? コンロでか? 今メシ食ったばかりだろ」

 一瞬卯月の顔が固まった。

 そして思い出したように睨んできたあと、「もう、わかったよ! 早く終わらせるぴょん」朝潮の椅子に無理やり尻を押し込んだ。山風は立ったまま溜息をついた。

 古漬けを焼いた漬物ステーキを一口食べて、司令室から持ち込んだ黒板に書き込む。粉が出るからここに持ち込みたくなかった。今度ホワイトボードを発注しておこう。艦娘全員を収容できる施設がここしかないから、これから会議はすべて食堂で行わなくてはならない。

 基地らしくないが、これも富津らしくて味がある。と思うしかない。

「来週と言っても一週間きっている、五日後の水曜日から三日間かけて前線補給基地を建設するための物資輸送作戦を敢行する。場所は八丈島。それから監視基地を青ヶ島に作る。青ヶ島の建物は現地の木材で作るから機材を運ぶ一度で済むが、八丈島へは三度、一晩につき四隻の輸送船が使われる。三基地合同作戦だ、私たちに割り当てられたのは誉れにも、この船の護衛」

 要所要所を書き込んでいく。背後からは咀嚼音が聞こえているあたり間抜けな気分になった。

「輸送船はどのぐらい速度が出ますか」青葉の声が聞こえた。

「まちまちだ、寄せ集めだしな。内航海運船舶を使うから二十ノット出ないらしい。速度を合わせるために常時十二ノットで航行する。これでもモノによっては最大速力を出してもらうんだぞ」

「おっそー」島風の声がしゃがれていた。「八丈島って何キロ離れてるの? 富津から」

「二百五十弱。海里でいうなら百三十とちょっと」資料を見ながら答えた。漬物の汁が飛んで少しシミができてしまった。

「片道十時間ほっほっへほこあいあ」

 口に物を入れたまましゃべるんじゃないと注意しようとして振り返ったらちょうどよく飲み込んだところで、叢雲は唇に引っ付いた油と衣を舐めとって言葉を繋げた。

「荷物の積み下ろしは……二時間ぐらいかしら。帰り道を考えればほとんど丸一日。キツいわね」

 叢雲たちは横須賀から異動してきた川内型に演習と訓練を受けていた。あの夏の大敗北からは比べものにならないほど練度も上がっている。けれど丸一日、深海棲艦がどこから襲ってくるかわからない緊張感に苛まされることになる。訓練がどうあっても削られた精神力はなかなか回復するものでない。

 部下に無茶な命令を下すことにもいつか慣れるのだろうか。慣れてしまってはいけない気がして、イカが歯に引っかかったみたいな気持ち悪さを感じた。

「三隻は東京湾を出航し、重機を積んだ一隻が初日だけ熱海から出る。二部隊は三原島と利島の間で合流し、そのまままっすぐ八丈島を目指す。先んじて横須賀の水上打撃部隊と機動部隊が待機しているからさほど心配することもないと思うが、そこまで行けばの話な。翌日に第二次輸送作戦、さらに四日後に第三次。七日で全てを終わらせる予定だ」

「青ヶ島も同時にいくんじゃろか」至極当然の質問に白墨を置いて答えた。「二次の便に紛れる。こちらは漁船が三隻に、高速の小型貨物船が一隻。八丈島から青ヶ島まで二十四ノットで駆け抜けるが、ここは横須賀の駆逐艦に向こうで引き継がせてくれと頼んだ。さすがに辛いだろう」

「それはありがたいわ、でもなんでその貨物船初めから用意しないのよ。速度が倍ちがうじゃない」

「そんなに生き残っていると思うか? 日本から世界を股にかけていた船だぞ、ほとんどが海の肥やしになっている。漁船を輸送船扱いしている時点で察してくれ」

 文字の上から二枚の地図を重ねた。一枚はまだ深海棲艦が出てくる前の、観光雑誌の切り抜きを引き伸ばしたもので得も言われぬ滑稽さがある。細かく地名や施設名が記載されているから都合がいいのだ、もう一枚は縮尺を変え、本島と島が記載されているもの。

 島の東側の『神湊港』西側の『八重根港』に赤く丸をつけ、それから縮尺の小さい方に予定されるルートを書き込んだ。

「初日は神港港の方に船をつける。お前らに前もってもらった情報では破壊されているようだが、トラックや重機が沈まない程度には問題ないと判断した。陸のには強行上陸してもらう。二三次は八重根港につける。コースは書いてある通り」

 そこまで言って席に着き、漬物ステーキと米を口に詰めた。

 艦娘たちは食い入るように黒板を見つめて内容を頭に叩き込んでいるようだった。さすがに咀嚼音ももう聞こえずに、箸を茶碗の上に置くチャキチャキした音があちこちで生まれて、立ち上がってよく見ようと集まってくるものもいた。

 ただ一人、叢雲が漬物ステーキを物欲しげに見つめている。

「……食いすぎだ。やらんぞ」

 一瞬呆けた顔をした。すぐに「そこまで卑しくないわよ、失礼しちゃうわね!」と怒りながら、唐揚げの皿に箸を伸ばして、箸は皿を突いた。あれ、と叢雲が皿に目をやると、油を吸ったキッチンペーパーがあるだけだった。彼女の正面では古鷹が最後の一つを半分口に入れて、気まずそうに噛んでいた。

「あ、あはは。ごめん、食べちゃった」

 ほっぺたの片側を膨らませて苦笑いする古鷹をこれまた呆けた顔で見たあと小さい声で唸った。餌を横取りされた野良犬みたいだった。真剣に話を聞こうと立ち上がった周りのものも叢雲を見て苦笑いしている。

 明らかに身体が丸くなっている。顔も丸くなっているし、服だって腹の辺りが少し張っている。このご時世太れるだけありがたいけれど、同じ訓練を受けている他の艦娘は体つきがスラッとしたままだというのに、叢雲だけが太っている。原因は明白である。食う量がおかしい。太ったか、なんて口に出せば撃たれそうなので黙っていたが、そろそろ古鷹あたりにそれとなく伝えてもらった方が良いだろうかと考えあぐねて、やはりやめておいた。食えるうちに食ってもらった方がいい。作戦が始まったら忙しくなるから定期的にメシなんて食えない。動きが鈍くなったり燃料の消費が激しくなったら突っ込んでもらおうと清水は箸を進めた。

 視線がなお突き刺さっても無視した。

 まだ足りぬと、誰もいなくなったテーブルからこっそりつまもうとしたのを古鷹が止めた。

「叢雲……、あのね、あんまり食べ過ぎない方がいいよ」

「なんでよ。神通さんの訓練受けたあとっておなか空くの、あと一個だけいいじゃない」

「ううん、一個だけなら。でも……」眉を八の字にしてどうすべきか清水の方を見た。こちらに振るなと口いっぱいに詰め込んで無視する。「最後の一個だからね。それ以上はダメです」

 姉か母のようにたしなめても、当の叢雲は嬉々として唐揚げを一つつまんで、目を輝かせて咀嚼した。食べ方だけは一応女らしくして、さほど大きくない唐揚げを二口に分けて食べていた。手づかみというのに目を瞑ればだ。

 黒板を見ていた島風が肩にのしかかりながら言った。「ねーえ、補給基地の建設ってどのぐらいかかるの? その間の護衛は横須賀でやるんだろうけど、小笠原にもいかなきゃじゃん。これ、きっと工期と攻略作戦の時期かぶるよね。電撃作戦って言ってたし」

 島風の少し太くサラサラした髪の毛を撫で回して言った。「お前は賢いな。説明する、物資輸送が済んだらすぐに攻略作戦が始まる」気持ちよさそうに顔を擦り付けてくると暖かくてこの時期にはちょうどいい。彼女の戦闘服は目のやり場に困っても、今は全く露出がない。今は冬だ、艤装を展開していなければ人間と変わりないのだから当然である。

「この基地を一週間で修繕した部隊がいてな」

 叢雲が思い出したように言った。

「カーペンターズだっけ。あんたが勝手に呼んでるだけだけど」

「うん。補給基地の建設は彼らの部隊が行うらしい。それと呉から明石という艦娘が来る。工期は驚きの二週間、しかも補給だけなら三日のうちにできるようにしておくとさ」

「補給だけ? 別の施設も作るのかしら」

「簡易ではあるが、入渠施設と仮眠所も作る予定だ。あと飯場。バーベキュー広場みたいなもんだけどな」

「それを二週間でやるって? 相変わらずの化物集団ね。ごちそうさまでした」

 満足げにお茶をひとすすりして口の中の油を流していた。見ていて清々しい食いっぷりだった。

「物資と部隊を八丈島に送り込んだあと、二日置いて南烏島を偵察、奪還、そこにも補給基地を作る。したら、いよいよ敵の基地がある父島と硫黄島の攻略作戦だ。予定では来月の今頃は父島に泊地を作るため輸送作戦を実施していることになるな」

「簡単に言うけれど、どれだけ馬鹿な作戦かはわかっているんでしょう。そうなった理由も、成功させる方法も」

「電撃戦において一番の問題は補給だ。ナチの二の舞はしない。だからカーペンターズと連絡を密にして、補給基地の目処が立つまでは動かない。これを電撃戦というのか甚だ疑問ではあるが、一月のうちに補給を考慮した戦線を作り上げ、沖縄奪還までを三ヶ月でやる。八丈島は南方への橋頭堡。確実に、迅速に作り上げなければならない」

「敵基地の情報はあるんでしょうね」

 笑って答えた。

「あるわけないだろう」

「だと思った」困ったように叢雲が笑った。「一発威力偵察かまさなきゃね。私たち駆逐隊の見せ場だわ」

「休んでいる暇はなくなる。これからお前たちの顔を見ることも少なくなるだろう。寂しくなるな」

「私だってさみしいわ。だけど?」

 叢雲がいたずらな目を向けた。こういった遊びが好きなやつだ。

 期待に応えて、しっかり全員を見渡してから言った。みんな口元が緩んでいる。これから始まる反抗を待ち望んでいたと言わんばかりだった。

「やるぞ」

 かしましい声が静かな冬の夜、確かに響き、窓枠がビリビリ震えた。

 翌朝から基地内は慌ただしくなり、川内型の訓練もついにお役御免。実戦に備えて身体を休ませろと達したせいもあるが、神通一人が納得していないようで、改めて『鬼の神通』と呼ばれた艦の記憶を持つ恐ろしさを味わった。

 やることは山ほどある。

 部隊の再編成、シフト組、燃料弾薬の発注、決まった事柄を横須賀と犬吠埼に連絡、すり合わせ。他基地の艦娘たちの予定も加味して深海棲艦の行動をシミュレーションし、鈍足の輸送船を一隻も失わないように脳みそを絞る。暗号無線の取り決めや各部隊のコミュニケーションの橋渡しにも奔走、動きを見せないようにしつつ対潜警戒を厳に、今まで会敵した場所に全てチェックを入れる。艦娘の建造をストップさせ、神通たちのアドバイスに沿って装備を充実させた。一週間で足りなさそうな電探類は横須賀に貸し出してもらえないか打診した。その他細々とした合図を決めて、カーペンターズの隊長と三基地が集まって会議行い、補給施設のほか、何を最優先に作ればいいかを、あらかじめ要望を聞いておいたものを伝え、認識を合わせた(入浴施設が一位、そのあとに飯場を作れ。あとは野宿でもするという。女らしいのかそうでないのか)。

 その席でカーペンターズの隊長はこういった。

「我々は全ての輸送船に分かれて乗ります。どれか一隻が沈んでも残りの仲間が仕事をします。深海棲艦に襲撃され、どうしようもなくなった時は、遠慮なく見捨ててください」

 秘書艦として会議に参加していた叢雲は反発した。「お断りします。責任もってあなた方の盾となります。私たちはあなた方人間よりも頑丈なのです」が、隊長はこれにやんわり首を横に振った。「どんなときにも命には順位があります。人間の命は、奴らに対抗できるあなた方に比べて軽いですから」叢雲は食い下がった。「月並みな言葉だけれど命に貴賎はないの。今の私には目の前で溺れている人を救える両手があるのよ。もう、あの声は聞きたくありません」隊長は譲らない。「ならば黙って沈むよう部下には徹底させましょう。水に濡れても問題のない火薬だってあります。なに、全国に散らばっている我が隊は二千、今回の建設作業に参加するのはわずか百五十名。五十人を別に横須賀さんに置いておきますので、作戦に支障は出しません」

「そういうことではないわ」と話を停滞させようとした叢雲を、清水は片手を上げて制した。

「お前が救助活動をしている間に沈んでしまえば、お前と同じレベルの艦娘一人が育つまで部隊に穴が開くことになる。そんな奴が二人も三人も出てきてみろ、錬成された部隊が消える。その間に深海棲艦が攻めてきて人員不足なんて理由で負けることになったらどう責任取るつもりだ、この基地も、横須賀も、それから内地の民衆らもみんな死ぬんだ。いいから言われた通りにしなさい」

 そう言うと叢雲は不満を満開にさせて一歩退いた。

 会議の休憩に外に出ると、胸ぐらをつかまれて「本気で言っているわけじゃないでしょうね」などと睨んできた。「誰か一人でもお前に賛同した奴がいたか」というと上目遣いに睨みつけてきた。

 艦娘の建造一人でも軍艦そのものよりか少ないとはいえ資材を消費するし、育成は人と変わらない。物覚えのいいやつもいれば悪いやつもいる。輸送船が沈められて人材と物資が消え去るのももちろん痛いが、大規模な作戦が発令されたのだ、不用意に深海棲艦に対抗できる戦闘力を失えない。人道的に間違っていることは清水も重々承知の上で、けれど自分の命令で艦娘部隊を運用する立場であるのだから、どっちつかずな態度を見せられるはずもない。大を生かすなら小の虫を、というわけだ。

「……頭冷やしてくる!」

 ぷりぷり怒りながら去っていく叢雲の背中を見て改めて胸ポケットの煙草を取り出して火をつけた。ロングピースの濃い煙が潮風に吹かれてくゆりもせずにけし飛ぶ。腰を鳴らして大きく伸び、さてトイレにでもと足を動かしたところで声がかかった。

「お疲れ様です。お手洗いに行きたいのですが、案内をお願いしてもよろしいですか」

 隊長だった。まだ若いように見えてすでに四〇代、冬だというのに顔は色黒く、しわの一本々々に泥がこびりついているような小汚さがある。二千の兵を束ねる隊長なのだからデスクワークを主を置いていそうだが、叩き上げのために現場に出ていないと気が済まないとは挨拶時に言われたことだ。

 軽く敬礼して付いてくるよう促した。煙草をすすめると「ピースは重くて吸えません」と笑い、自分のポケットからキャメルを取り出したので火をつけようとした。が、「泊地の主人が商売女みたいなことをするもんじゃありませんよ」と断られた。ピースの比較にならないほど甘い煙の香りがする。

「珍しい煙草をお持ちだ。国産葉ではないから生産が難しいと聞いたが」

 一本取り出して隊長が言った。

「どうぞ。建物を修復したとき煙草屋のばあさんにいただきましてね、一般流通していない、外国ものですよ」

「あるところにはあるんだなあ、じゃあ交換しましょう。吸えないならどなたかにあげるか、捨てるかしてくれればよろしい」

 煙草をくわえたまま用をたして灰皿のある吹き抜けの喫煙所に二人して詰めて座った。男同士でむさ苦しくある、しかし寒さには勝たれないのだ。ピースとキャメルの、特にキャメルのナッツの香りが強く香っている。

「いや、しかし珍しい。かの大震災から先、キャメルは香りが変わったでしょう。ヨーロッパのものは元々のものに近いと仄聞していたが本当でしたか」

 吸い殻を灰皿に押し付けて、隊長はもう一本くわえて火をつけた。先ほど渡したピースだった、いつもの調子で煙を肺に入れた隊長は大きくむせた。

「ゲホッ……きっついなあやっぱり。ですがさすが、美味しいですね。いつもはエコーなんですが、車にこのカートンを積んだままでしたので、お話のタネにでもと思いまして。司令官どのにはうちの十五小隊にわざわざ酒を差し入れてくれてありがとうございます。奴らも大はしゃぎでした、味のわからない連中ですよ、響なんかもったいなくて。私宛に送ってくれればどれだけよかったか」

「ははっ、あれの在庫はありませんが、ニッカの酒ならあります。よろしければ今度」

 彼も好きモノのようでしばらく酒の話を弾ませた。

 肉体労働連中ばかりで酒の飲み方の荒さが目に余る、アルコールさえ入っていれば何でもいいという、果ては割材のような安酒を美味そうに飲むバカもいる。特に隊長は芋の焼酎が好きなようで、なのに焼酎に付き合ってくれる隊員はおらず、酒の味のわかる奴はもっぱら日本酒党ばかりで肩身がせまい、現在の芋は粗悪な原料を使っているから香りが顕著でいいのに、それをわかってくれる奴がいない。などなど。

 話好きな男だった。一を話せば五十で返ってくるのが、聞き手であることが好きな清水に心地よい。

 酒の話に区切りをつけて、かねてから気になっていた街中の様子を聞いてみた。

 清水が過ごしていた時よりも緊張状態にあると教えてくれた。海岸線六キロ以内に人はいない。内地にぎゅうぎゅうに押し込まれているものだから食糧不足ももちろん、他人と常に近い距離にいるストレスが限界で、攻撃性に現れている。憲兵を練り歩かせて軍国主義の再来だと騒ぐ左翼連中が盛り返してきて非常に厄介だ、「私たちもたまに石を投げられます」なんてあっけらかんと言う彼はしたたかだった。陰陽すべてひっくるめて国民、自衛隊時代から在籍しているから慣れたもんです、影のない笑顔で笑っていた。

 煙草も三本目に入り、これを吸ったら戻りましょうと苦い顔をしたら、隊長が言った。

「先ほどはどうもありがとうございました」

「何がでしょう」清水は本気で分からずに煙をふかした。

「叢雲さんを抑えてくれたことです。彼女のようにまっすぐ好意をぶつけられると……お恥ずかしい、意地悪したくなってしまいまして」

 清水は吹き出した。四〇過ぎてなお枯れない男だ、女性に優しくされたらあえてムキになる姿を楽しむ。あの場をしのぐなら「ありがとうございます」の一言だけ行って退けばよかった話である。

「失礼、ふくく……ふはっ」

 ツボに入ってしまいしばらく体をくの字に折り曲げていた。その様を見て隊長は冗談がウケたことに機嫌を良くして、にこやかにしていた。

 自重に耐えきれなくなった灰が指に落ちて一瞬飛び上がるほどの熱さを感じて気持ちがおさまった。半分以上無駄にしてしまったものを一口吸うと、半ばを過ぎてからくなった煙が肺を汚す。「言い方が狡いですよ」清水が言うと「お堅い会議にお疲れと思いまして」と返してくる。

「ですが事実、挺身護衛だけは絶対に行わせないよう徹底していただきたい。体力の有り余っている連中ですから、最悪泳いでどこかの島にたどり着ける可能性もあるので」

「叢雲の気持ちを汲んでいただけていれば、もちろん。彼女らのことはご存知と思いますが」

「ええ」隊長は煙草を揉み消して、清水が吸い終わるのを待った。「大戦時の記憶ですよね。艦として自分と苦楽を共にした仲間が沈んでいくのを黙って見ているしかできなかった、艦の記憶」

 どういった原理かわかっていないが、そうなっているのだからそうなのだろう、状況によく適応できる男は頼もしい。

「我々は仕事があるから生きているだけの連中です。死して護国の鬼となれ、そんな精神は持ち合わせておりません。あるのは、死ねば家族に会えるという安らぎだけなのです」

「……そうでしたか」

 インフラ整備をする部隊は雑用にも思える。だが街の修繕だけでなく、清水がしてもらったように海岸線の危険地帯へも赴く。軍事施設や発電施設なんて深海棲艦が第一目標で攻撃してくる場所なのに、そんな場所を渡り歩いて仕事をしている彼らなのだ。常に艦娘という戦力を持っている清水のような人間とは違い、襲われれば背を見せ逃げるしかない。人間の武器は深海棲艦に通用しない。

「親が死に、兄弟が死に、家内も殺され子も焼けた。天涯孤独な人間で構成されているのが我が誇り高き部隊。深海棲艦に対する憎しみは人一倍強い。我々を助けて艦娘が危険にさらされるより、我々を救助する時間は、奴らをせん滅する架け橋を造るために使って欲しい。おそらく我が隊の誰に聞いても同じ回答が得られるでしょう。大丈夫、先ほども言った通り体力はあります。仕事がある限り生きあがきます。自死は選びませんし選ばせません。そも、緊急用のゴムボートだって人数分以上積んでいますから、司令官どのから上手く言っておいてください」

 彼の目は嘘は言っていなかった。まっすぐ清水を見据え、ただし、未来は一切見ていなかった。かといって終わってしまった人間ではなく、一歩先に出てきた足場を踏んでいく刹那的な雰囲気を漂わせていた。

 彼みたいなのは今の時代珍しくない。職にもつけない子供が道端で腐っていくのを知っている。仕事という、明確に世界に根付いていることを認識できるだけ、彼らは幸せである。壊された施設を片っ端から修繕していくことが彼らなりの深海棲艦に対する復讐なのだ。強烈な絶望を乗り越えた彼らは彼らなりの真理で生きている。その気持ちは清水にも深く理解できる。

 だから少し視野が狭まっている。自分が口に出すより、やはりここは女の口から言わせた方が効果がある。

「だとよ。彼らの言うこと守れそうか」

 腰の高さほどある壁の向こうに声をかけると、銀色が立ち上がって、少しバツが悪そうに服の裾を握っていた。隊長は真後ろにいた叢雲に気づいていなかったようで飛び上がって驚いた。

「うわっ、おられたんですかっ」

「いいタイミングで声をかけろと、ずうっと私の足を蹴っ飛ばしてくれたもんですから」

「……向こういけって意味だったんだけど」

 ここの壁は下が少し空いているので、喫煙所に入る前には壁の後ろに誰か座っているのはわかっていた。喫煙所の近くにいるから悪いのだ。わざわざ隠れるようにしていたのだから、清水達がここに来るのを予想していたのだろうが。

 吸い殻を揉み消して彼女に合図を作ってやると、大きくため息をして隊長を見上げて言った。

「死にたいから助けるなってことじゃないのですね。あなたの目が生に固執しているように見えなかったものですから。失礼しました」

「あー……はは、そんな暗い顔していましたか。岩手県から荒れた道を徹夜で飛ばしてきたもので」

 照れたように頭をかく彼は年相応には見えなく、清水は自分よりも幼く見えると感じた。

 隊長どのの茶目っ気、それだけで済んだ話の、叢雲は別の言葉に食いついていた。

「でも、天涯孤独とはどういうことでしょうか」

 彼らの真理をいきなりぶった切ろうとした叢雲に、少し体が粟立った。隊長はにこやかに話を聞いているが、張り付いたような笑みに変わったのをしっかり認めた。叢雲はひるまずに、壁越しに一歩近づいた。

「敵を憎んでいるのは理解しました。というか、そんな人ばかりなのはわかっています。一体でも多く倒せなんて、言われなくてもわかってるわ。だけどね、天涯孤独だからってなに」叢雲は繰り返した。「私やこいつがあなたと関わった。あなたと繋がりができたのよ。私たちは、あなたにまとわりつくしがらみにはなれないのかしら。私だけじゃない、部隊の仲間同志だってそう。一度天涯孤独になったら二度と大事な人ができないとでもいうの」

 もう少し言葉を優しく使ってくれと冷や汗が出てきた。彼らは彼らの真理を生きてきたのだ、真っ向から否定することは、彼らの今までを否定すると同義である。どれだけ後ろ向きなものであっても否定する権利は誰にもない。言いたいことの大枠は言ってくれたが、言い方というものを考えろと額に手をやると、隊長は声をあげて笑った。

「はっはっ、いや、確かに。なるほど、そうか、叢雲さんでしたか、あなたは強い。ダメですねえ、もっと前向きに生きなくては」

「危険を冒して助けることはしない、それは守るわ。だけど考え方は改めて。天涯孤独な人間なんて狭い部屋にこもって一生を終える人ぐらいしかいないのよ。じゃないと……」

 そこまで言って言葉に詰まった叢雲の頭を雑にこねくり回した。これ以上続けさせると彼女の大事な部分が冬の空っ風に吹かれてしまう。

 叢雲には親も家族も旦那も子供も兄弟もいない。隊長が天涯孤独なら彼女だってそうなのだ。人の世に生きる人の言葉を話す、人でないもの。艦娘という種族として仲間はいるけれど、姉妹艦なんていうのもいるけれど、血のつながりがあるわけじゃない。型番としての姉妹。彼女は彼女らなりに、この世にどう紐付けされているのか悩んでいる。

 ただ叢雲は頭を撫でられることが好きでないのであっさり払いのけられたが。

「さてそろそろ戻ろう。冷えてきたし非喫煙組が怖い」

 叢雲の肩を撫でてやり足を進めた。喫煙者の肩身がせまいのは今に始まった事ではない。叢雲は小走りで清水のすぐ脇に、珍しく寄り添うように歩いた。

 司令室に戻る途中、隊長は一切口を開かなかった。

 もちろん、清水たちから声をかけることもしなかった。


2

 水は上から下に流れるもので変わるものでない。

 有限であるから清水たちは忙しくあったし、迫り続ける時間に心を燃やすことができた。

 作戦決行の前日の夕食どき、所属艦娘全員の前に立ち、ちょっとした激励をした。この時ばかりは艦娘らも箸を止め、しっかりと清水を見ていた。彼が全員の視線で穴が開くんじゃないかと感じるほど熱いまなざしで、一通り話しが終わると艦娘らは彼を拍手でたたえた。

 今度こそ誰もが顔を引き締めて緊張状態にあった。

 東京湾には貨物を積んだ船が慌ただしく準備をしているはずで、横須賀の艦娘らは既に基地を出て八丈島近くに展開している。犬吠埼は北からの深海棲艦を食い止めるために防衛線を敷いているし、カーペンターズは横須賀で待機という名の酒盛りが盛況である頃だった。富津はいつも通りの夕飯の時間で、準備の総決算へ向けて、じわじわと体をおろし金にかけられるイヤな焦燥感の真っ只中にあった。

 壁には願掛け代わりに寄せ書きしたシーツが、勇ましく、泰然としていた。今日ばかりはレコードをかけるような雰囲気ではない。針を上げられたプレーヤーが事の成り行きを口を閉ざして見守っている。

「これから先の基本となる部隊編成が決まった。作戦前夜になってしまった自分の手際の悪さには閉口するが大目に見てくれ。お前たちなら誰と組んでも大丈夫だろう」

 清水は一枚の紙を黒板に貼りだした。立ち上がって見に来ようとした艦娘を目で抑える。普段部屋で埃をかぶっている軍帽をかぶって、「今から言う」と、彼女らに対し最大限の敬意をはらい、声を張った。

「第一駆逐隊」

 この日ばかりはおふざけは一切なし。卯月ですらも静かに話を聞いている。叢雲が人の話の途中に箸を置くなんてきっと初めてだ。

「司令艦・叢雲。以下、三日月・曙・春風」

 椅子がなり、今名前を呼ばれた四人が立ち上がって、清水に向けて最上位の礼をした。清水も答礼をする。

 ストーブがごうごうと燃えている。

「第二駆逐隊。司令艦・初雪。以下、夕立・朝潮」

 億劫そうに立ち上がる初雪と、対照的に、尻にトゲでも刺さったかのように立ち上がる夕立。建造間もない朝潮が一番しっかりした姿勢なのが対照的だ。答礼をする。

「第三駆逐隊。司令艦・秋月。以下、島風・涼月」

 島風が二人に負けるかと立ち上がり、椅子が大きくずれる音がした。続いて基地内で一番真面目である秋月涼月姉妹が乱れなく頭を下げた。答礼。

「第四駆逐隊。司令艦・浦風。以下、卯月、涼風、山風」

 艦娘の家出騒動という珍妙な事件を起こした卯月が一番に立ち上がり、彼女を中心にして浦風、涼風、山風が立ち上がった。全員が卯月を気にかけ、卯月は全員を見渡して、自身たっぷり含んだ笑顔を見せた。答礼。

「続いてここに軽巡をつけ、水雷戦隊としたもの」

 こう見ると数が少ない。今はともかく、異動や建造をして戦力を増やしてやらなければいけなかった。駆逐隊として名前を呼ばれたものに一度座るよう声をかけ、座る直前、彼女らの顔を一人一人しっかり見た。

「第一水雷戦隊。旗艦神通。これに第一駆逐隊をつける」

 二人が立ち上がり、神通は少しも緊張していなさそうな涼しい笑顔。が、目だけはギラギラとしていた。頭に巻かれた日の丸の鉢巻は今日びどうかと思うが、これはなるほど、気が引き締まる。答礼。

「第二水雷戦隊。旗艦・那珂。以下、能代。これに第三駆逐隊をつける」

「はーいっ」

 掛け声と一緒に立ち上がった那珂。困ったように笑う能代。凹凸なコンビだが、那珂は川内型で一番他人を目に見える形で気にかける。島風のお守りは真面目な秋月姉妹や能代に、全体の世話は那珂がしっかりと引き受けてくれるはず。答礼。

「第三水雷戦隊、旗艦・川内。以下、木曾。これに第二駆逐隊をつける」

「はいよー!」

 妹に負けじと声を出した川内が不敵な笑みをたたえて、木曾も倣って胸を反らした。攻撃色の強い三水戦。二水戦と駆逐隊を付け替えてみたが、防空と攻撃と、うまく役割を全うしてくれることを願った。初雪だって、戦いになれば意外と良い動きをする。だろう。答礼。

「第四水雷戦隊、旗艦・夕張。これに第四駆逐隊をつける」

 少し不安げに立ち上がった夕張が辺りを見渡して「声はあげないの?」と笑われていた。しっかり者で、ガス抜きのうまい娘だ。煮詰まる浦風たちのいいフォロー役に回って、なおかつこれで一つ自信をつけてくれればと思う。答礼。

 役割を分担できるように構成した水雷戦隊は使いどころさえ間違わなければシナジー効果でいい働きをしてくれるはず。彼女らの顔を見て座るように促した。どの娘も目がギラギラしている。作戦の主役になる部隊の上に立つものたちだから、うずうずしているぐらいがちょうどよいだろう。

「続いて富津泊地の主攻部隊。戦艦や正規空母は横須賀との提携で建造しないことになっているから、うちだけで作戦遂行する場合はお前たちの突破力を大いに頼ることになる。あまり気にかけずに、なんて言わない。大いに期待させてもらうぞ」

 できるだけ不遜に笑ってプレッシャーをかけた。「失敗してもいいや」と思わせるわけにはいかない。心配などしていないが、いざという時の悪者を作っておくのは必要な工程と信じている。何か失敗した時、「過度に期待をかけた」自分を恨んでくれれるよう布石を打っておきたかった。

「第一重巡戦隊、旗艦・古鷹。以下、青葉、足柄、熊野、摩耶、酒匂」

 まず旗艦の古鷹がスカートを気にしながら立ち上がり、青葉が古鷹を複雑な表情で見つめながら立ち上がった。足柄は余裕をもった振る舞いを見せて、熊野は所作美しく、摩耶が力強く。新しく着任した酒匂が最後に立ち上がった。練度不足で作戦が始まってしまったのは申し訳ないが、この戦隊は面倒見がいい奴ばかりである。戦闘になると古鷹が独断専行しがちで青葉がいつもそれをフォローする。記憶ゆえか性格か、足柄たちもついていくしかないので、純粋な富津の艦娘では一番練度の高い部隊にまとまっているはずだ。答礼。

「第一航空戦隊、旗艦・千歳。以下、千代田」

 二人はゆったり立ち上がった。横須賀から異動してきてなじむのが早かった二人、作戦に直接関係するわけではないが、彼女たちは日中に出ずっぱりになる。練度はさすがといったところで、掃討作戦から戦い続けている威風堂々した艦載機運用はこれからも部隊の空を守る要となる。航空戦は彼女らにしかできない基地だ、清水が何も言わずともプレッシャーは相当あるだろうに、そんなことは微塵も感じさせない態度で敬礼をした。

「うん」

 清水は彼女たちの顔を見渡して答礼した。座るように合図してまとめに入る。

「富津泊地第一艦隊、第一水雷戦隊。旗艦・神通、旗艦補佐、叢雲」

 神通と第一駆が息を合わせて立ち上がった。『鬼の神通』の下でしごかれていた部隊を第一艦隊に起き、必要な際は重要な艦の護衛を任せる。人手が増えれば一番に増強してやりたい部隊。神通に相談すると「今度の作戦なら今のままで問題ありません」と言ってくれた。もう、答礼はしなかった。首を一つたてに振る。

「富津泊地第二艦隊、第二水雷戦隊・第三水雷戦隊・第一重巡部隊。旗艦・古鷹、旗艦補佐、那珂」

 今度は誰も声を上げずに全員がバラバラに立ち上がる。椅子の音がそこかしこで鳴った。輸送作戦では艦隊は組まずにそれぞれ行動させるから出番はないけれど、小笠原諸島奪還に入れば活躍してもらう。旗艦を古鷹に置いたのは前線に出過ぎないよう縛り付ける目的もあった。

「富津泊地第三艦隊、第四水雷戦隊・第一航空戦隊。旗艦・千歳、旗艦補佐・夕張」

 ここは卯月のやる気が凄まじく、後方担当だというのに血気盛んなのが心配だった。全員が保護者みたいなものだからうまいことコントロールしてくれるだろう。千歳と夕張は頭を使うタイプだから、こちらと連絡が取れない時、戦局をみて艦隊の采配を任せることもする、艦隊全体の頭脳的な役割を持たせた。

 全員、普段のメシ時と比べ物にならないほど軍人をしていた。

 ここまで彼女らがキビキビしているのを目の当たりにしたことがなく視線が定まない。ごまかすために端から順に艦娘の目を一人一人見据えていった。

 これから始まる戦いの日々に誰も暗い顔を見せず堂々としていて、威圧に一歩下がりたくなるのをこらえた。今ここに充満している女の匂いは、戦いが始まれば硝煙と油の匂いに取って代わる。明日、誰かが沈むことだってありうる。

 たっぷり時間をかけて、「うん」と小さく言った。

「呼ばれていないものはないな。明日の輸送作戦の護衛は」「あんたがまだでしょ」

 叢雲に突っ込まれて不覚にも言葉が詰まった。それが間抜けだったらしく、小さい笑い声がさざなみみたく広がる。

 妙な気恥ずかしさがあり、つい目をそらしてしまって、それがまた面白かったようで笑われた。威厳なんてあったもんじゃない。

 頭を雑にかき回して笑い声をかき消す勢いで大声を出した。

「富津泊地司令長官、清水。私の命令は絶対だ、どんな場所でも遠慮なく送り込むから覚悟しろ。死んで帰ってきたら何があっても許さんからな。この基地の輪は完全なものでなくちゃいけない、お前らの『狭いながらも楽しい我が家』はここだ、『天により良い家』などないんだ。私を、独りにするなよ」

 全員が右足を踏み鳴らした音と震えが一つになって清水を包み込むように響いた。そして今度こそのけぞってしまった。人の上に立つとはこういうことなのかと目の前で見せられて、怖気付く自分を叱責して、笑みをたたえるように努力した。

「明日の作戦は一水戦、二水戦で行う。二水戦は先に発ち相模灘で熱海から出てくる輸送船と合流、一水戦は少し遅れて浦賀水道出口で、東京湾から出てくる船と合流。落ち合う先は以前伝えた通りだ。翌日以降のスケジュールは張り出しておくし、都度説明する。散々確認したが、分からないところは今のうちに聞きに来い」

 一拍置いた。

「わたしたち人間の明日に橋を架けてくれ。よろしく頼む」

 清水が頭を下げると同時に、もう一度足を踏み鳴らす音が響いた。

 頭を上げると、みんな変わらずこちらを見ていた。

「青葉」

「なんでしょう、鬼司令官」

 青葉のいたずらな声が立ち並ぶ艦娘の中で飛び跳ねていた。戦闘時以外はおろしている髪がわっさわっさ、とっ散らかる。

「せっかくだから写真撮ってくれ。お前にやったポラロイドカメラ、あったろ」

「んー……こっちでいいですか? 大事にしているので持ち歩いているわけではないんですよお」

 胸元のネックバンドがついたデジカメを持ち上げた。「もう一台欲しい」と駄々をこねる青葉のために八木に頼んで自腹をはたいたものだ。この手の娯楽品は安価に手に入るから懐に痛くなくとも、街へ出ることを赦されないというのは窮屈に思う。

「なんでもいい。おら、お前ら並べ、せっかくだからこのシーツの前に。……でも三脚がないな。テーブルにおきゃいいか」

「いいえ司令官」動く艦娘に紛れて目の前に来ていた青葉がふにゃりと笑った。

「青葉がシャッターを押します」

「それだとお前が入らん。みんなで撮ろう。おい那珂、お前は後ろだバカヤロウ。駆逐艦が前」

「青葉がシャッターを押しますから。ちゃんと写っていますよ、写真の後ろにね」

「ふうん」清水は鼻を鳴らして納得した。「お前がそれでいいなら」

「じゃあ司令官はどうします? 駆逐艦の膝の上にでも乗りますか、それとも古鷹さんたちの肩でも抱きますか? あれだったら寄り添わせますよお。足柄さんあたり」

 顎の下で楽しげに揺れる頭を小突くとくすぐったそうな悲鳴が上がる。

「いちゃついてないで、ほら、早く来なさい」

 真ん中をぽっかり開けて脇に叢雲がいた。清水は首を振って答えた。「主役はお前たちだから、わたしはここ」一歩引いて、いちばん端っこに立った。

「上官が端っこって聞いたことないわよ。いいから早く来なさい」服をひっつかんで真ん中に引っ張ろうとする叢雲の肩をぐるりと回して正面に向かせる。

「サッサと撮っちまえ。腹が減った」

「ええ、いいんですかあ? ……いいんなら、いいですケド。はーいじゃあ、そのまま動かないでくださいねえ」

 椅子に乗っかった青葉がファインダーを覗いて細かい指示を出していく。なるたけ目を瞑らないように意識して、押さえた肩がもぞもぞと動くのを感じたので一瞬視線を下ろすと、叢雲が首を後ろに倒して見上げていた。

「いいの?」

「ああ」

「そ。もっと偉そうにしてくれた方が頼り甲斐があるのに」

「いいんだよ」

 フッとわざわざ息を吹きかけて首を元に戻した。「真ん中誰か入ってくださーい」そこに叢雲が声をあげた。「いっそ空白のままでいいじゃない。わざわざ開けたげたのに入らないバカがいたってことを残してやればいいのよ」上官をバカ呼ばわりするのに一瞬顔が固まった。けれど周りの女たちの笑い声を聞いていたらどうでもよくなった。口で男が勝てるのは、きっと世界がひっくり返ったとしてもありえないことなのだから。

「あーい、じゃあもう一枚いっきますよおー」

「今の撮ってたの! ちょっと待って、チェック入りまーす!」那珂が騒いだ。

「さっきから何回かシャッター切ってますって。データ見せてあげますから、納得いくまでいくらでも撮ったげます、ああもう、動かないでっ」

 写真一枚撮るのにばたばたうるさいのにため息を吐く。

 肩を揺らしている叢雲の頭の上で、一つつぶやいた。

「我ら狂か愚か知らず、一路遂に奔騰するのみ……って感じだ」

 視線を前にしたまま叢雲が言った。「また古いものを持ち出してくるわね。縁起悪いからやめときなさい」

 執拗にカメラを覗こうとしていた那珂をなんとかなだめた青葉が改めて声を上げた。

「はあ……はーい、じゃあ撮りますからねー。目が乾いても瞑んないでくださいよお、那珂さんのリテイクもめんどくさいんですから。じゃあ、五枚撮りまーす。一枚目、三、二、一、はいっ!」

 全員が顔を作る妙な沈黙の中に、間抜けな電子音と、フラッシュの焚かれる音が鳴った。

「じゃあ二枚目ー。ちなみに那珂さん、バッチリ目閉じちゃってますから、フラッシュぐらい我慢してくださいね」

「ええ! すぐ消してえ!」


 翌日一六五○。二水戦が大島北七海里に向けて出港した。

 一七二○、時間通り一水戦が浦賀水道出口で警戒ののち、無事輸送船と合流した。

「泊地了解、以降緊急時を除き無線封鎖を命じる。……気をつけてな」

 神通の途切れがちな音声を聞いて椅子にもたれた。無線機の周りには煙草がカートンで、それからコーヒーポッドと三冊の詩集があった。山之口貘、吉野弘、細田幸平。どれも学生時代に読み込んで、ページの端は色あせ、背に跡がついて読みにくくなっている。清水は煙草に火をつけて一番上にあった貘の詩集を手に取り、適当に開くと『思弁』という詩が出てきた。

【ゆきつ放しの船舶はないものか】

 縁起でもないところを開いてしまったと煙草をひと吸いして、さて『座布団』はどこだったか、索引を見ているところにノックがあった。鼻から煙を吐き出しながら生返事し、扉が開かれて部屋の空気が一気に冷える。

「古鷹入室します。提督、ご飯どうしますか」

 ロングカーディガンの前を手で押さえ、口元をマフラーですっぽり隠した彼女の顔は食堂からここまでのわずかな距離で潮風に吹かれ、真っ赤になっていた。ずび、鼻をすすって、水っぽい音がした。「一水戦から連絡ありました?」ローヒールのブーツをゴツゴツ鳴らして清水の脇に立ち、通信記録を流し見る。「あ、たった今でしたか。もうちょっと早く来ればよかった」

 彼女に生返事をして煙を肺に入れた。耳に音として入っていても、頭は目の前の詩にとっぷり浸かっており、古鷹の言葉に意味ある返事をするだけの言葉を作り出す余裕はなかった。「提督、ご飯は」「んん」「持ってきましょうか?」「んん」「……。今日はちょっと自信作だったり」「んん」「『楽の上にはなんにもないのでしょうか」「んん」「もう!」急に首に負担がかかって、慌てて煙草を持つ左手を前に突き出した。右頬がくすぐったくて目をやると、古鷹の髪の毛がわっさり視界に広がっていた。

「古鷹、重い」清水が言うと、顔の真横で彼女が頭をぶんぶん振った。髪の毛が顔を叩くから余計にくすぐったくて、体を傾がせて避ける。

「悪い、メシなら持ってきてくれないか。ここで食う」

「せっかく酒匂の初秘書なのに仕事うばっちゃって。落ち込んでいますよ」 

「あー……謝っといてくれ。それか連れてきてくれ。今日ばっかしはちょっと、私が待機するから」

 頭の上でため息を吐かれてつむじが涼しくなった。

 作戦初日ぐらいは許してほしい。別段、自分が無線機の前にいようがいまいが何か変わるわけでないけれど、彼女らの安否と、作戦の成功をいの一番に知りたいのだ。哨戒に出すのとわけが違う、明確な命令を与えて海に出した彼女らを思うことぐらい、泊地の主人として当然のことと思っていた。

「わかりました。ちょっとごめんなさい」

 体を乗り出して無線のマイクを放送に切り替え、古鷹は『食堂』と書かれたボタンを押したまま、清水の耳元からマイクに向かって言った。「酒匂ー酒匂ー。提督のご飯を司令室に持ってきてくださあい。厨房に置いてあるから」そんなことにいちいち放送を使用するな、右手で古鷹の頰をつかんで振り回すと間抜けな抗議の言葉が上がった。何を言っているかわからなかった。

 作戦を実施している間は非日常を意識するために食事の時間を一時間ずらしてある。ここ半年染みついた生活パターンが感じる違和は、戦場に立たない自分からしたら唯一実戦を感じることができる。

 まとわりついて離れない古鷹に何か一曲かけてくれと言い、最後の一口を吸って吸い殻を灰皿に押し付けた。いがらっぽくなった喉をコーヒーで戻す。空っぽの胃が耐えきれずにキリキリ痛んでわずかばかりの吐き気を催した。

 レコードに針が落とされて聞こえてきたのはサイモン・アンド・ガーファンクルのセントラルパークライブ。いつか叢雲と一緒に聞いたきりだった。古鷹はポットからコーヒーをマグに入れて清水の視界から消えた。木のきしむ音がする。秘書席についたようだった。衣擦れの音がする。外套を脱いでいるのだろう。一言も話さず、『明日に架ける橋』に耳を傾けていた。

 最後の大サビに入ったところで、扉の向こうから声がかかった。

『ご飯持ってきたよー。あーけーて』

 古鷹が返事をして扉を開けた。寒そうに歯の隙間から息を漏らす酒匂が五つの白い饅頭を皿に乗せて部屋に入ってきて、酒匂は一瞬清水を見た。

「酒匂」本に目を落としたまま清水が声をかける。

「ぴゃいっ」

 手に皿を持ったまま姿勢を正すものだから、饅頭が転がって落ちそうになった。手招きして先に皿を受け取る。それから笑いかけた。

「今日だけは無線手をやらしてくれ。お前じゃ不安とかそんな理由じゃなくて、病的に心配性な私が悪いんだ。次はちゃんとお前に任せるから。ごめんな」

「ええっ」本気で驚いたように目を丸くして、酒匂は清水と古鷹を見た。「ちょっとなんで酒匂謝られてるの? 古鷹ちゃん、なんか言った?」

 古鷹を見ると楽しそうにコーヒーをすすっていた。「酒匂が仕事とられて落ち込んでるって。今日一日元気なかったから」

「違うよぅ……。ただ、司令が最近忙しそうだから、体が心配だなって思ってただけ。もー、変なこと言わないでえ」

 足を踏みならして不満をあらわす酒匂を見ながら饅頭を割った。中には高菜が入っていた。「中華まんか、よく作ったな」清水が言うと、「夕張に蒸し器を新しく作ってもらったので。レパートリーが増えます」とはにかんだ。一つ噛み付くと高菜の塩梅よく、衣ももちもちしていて程よく甘い。

 初めから古鷹たちもここで夕食をとるつもりだったようだ。「これとこれはお肉ですから。ほら、酒匂」と皿から一つずつ取って食べ始めた。濃く味付けされた焼豚の香りが漂って少し気分が悪くなり、コーヒーをがぶ飲みしてごまかした。

 中華まんを平らげて三人で一服ついていた時、無線機がモールスを受信した。暗号化された信号を自動翻訳したロール紙が吐き出される。

「『She's Loaded』二水戦が無事、輸送船と合流したとさ。これから南進するって」

 酒匂が歓喜の声をあげて、古鷹がそっと息を吐き出した。

 このまま二水戦は伊豆半島を右手に見たまま進んで利島と大島の間を抜け、南東に進路をとるはずだ。進路上で一水戦の護衛する輸送艦隊と合流する。現時刻が約一八二○、合流までざっと三時間ほど。輸送船と邂逅しただけでようやく作戦が始まった段階。安心などしていられない。『泊地了解、以降無線の使用を禁じる』そう返信して、横須賀と犬吠埼に電話を入れた。それからホワイトボードに大きく書かれた項目のうち、A段階に打ち消し線を入れ、また煙草に火をつけた。

「吸いすぎると毒ですよ、提督」煙たそうにしていた酒匂のために古鷹が窓を開けて換気した。凍みる風が一瞬で淀んだ空気を吹き飛ばした。

「落ち着かないんだ。大島と三宅島の間は一番会敵する確率が高い。輸送船を守りながらだと自由に動けるわけじゃないし、もし夏ごろみたく戦艦級や空母が出てきたらと思うと」

「大丈夫ですって、あれ以来戦艦は見ていないし、夜だから空母はお休みです。潜水艦だって、あれだけ対潜哨戒して何もいなかったじゃないですか。横須賀さんが南、犬吠埼の艦娘たちが東を抑えてくれているんです、叢雲たちなら大丈夫」

 悪夢を見た子供をあやすような口ぶりだった。が、今の清水には一番効果的で、「そうか、だよな」煙草をくわえて大きく伸びをした。景気良く骨がなって、鳴るたびに酒匂が感心したような声を漏らした。

「男の人ってそんなに音なるんだねえ。んー……んっ、ふんっ」

 酒匂が立ち上がって体をひねったり首を倒したり色々やっても衣擦れの音がするだけ。いたずら心が沸いて、火を揉み消し、酒匂の肩を持って体をひねりながら後ろに倒すと、控えめにいくらか音が鳴った。無理に鳴らしたせいで痛かったようだ、腰を押さえて唸り始めた。呆れた古鷹が清水の二の腕を叩いて、「子供じゃないんですから」とじっとりした目で見てきたので、笑ってごまかす。

 お風呂に入ってきます。そう言って酒匂は退室した。風呂あがりにまた来ると言っていたが、来たところで、一緒に無線機の前であくびをするほかない。「お前も入ってきたらどうだ」古鷹に言うと、「私はお夕飯作る前にいただきました」と返された。言われてみれば、さっき髪の毛を目の前で振られた時、シャンプーの匂いがしたような気がする。女の匂いというのは男には複雑怪奇だった。

 針をもう一度同じレコードの上に置いて、また儚げでさもしい二人の声に沈み込む。古鷹はよくわかっていて、一言も声をかけず、一緒に歌声と民謡調の伴奏の中に入り込んだ。

 けれど最後のサビに入る前の一節に古鷹が反応した。

「叢雲と二人でこの曲を聞いたそうですね。やっぱり『銀の少女』だからですか」

 鼻で笑ってやると、「むう」と不満げにしてマグを置く音が聞こえた。いくら消化を助けると言ったって、コーヒーの飲み過ぎだ。

「クサすぎるだろ、流石にそこまでキザにゃなれん」

「私の目の前で『花に香りがなかったら』なんて吟じておいて、それは今さらだと思うんです」

「でも少しゃ元気になったろ」

「はい。ですが、なんでそれ以降このレコードかけていないんですか。これだけ貸し出しも禁止でしたよね」

 紙ジャケの裏表を見ながら古鷹が続けた。「特別な思い入れのあるものですか」首をかしげた。

 清水は答えた。

「ただ好きだからここに置いておきたいだけ。思い入れなんて、そんなものどのレコードにだって詰まっている。どれもさんざん聞き込んだものばかりなんだから」

「そうだ、提督の学生時代のお話してくださいよ。どうせ今日はずっと起きているんですから」

 椅子を引きずって隣に行儀良く座った古鷹の頭をわしわし撫でて、言葉の意味を消化して彼女の顔を見た。

「はあ、お前も起きてんのか?」

 カーテンを閉め切っていて外が見えない。暖色のランプに照らされた古鷹の、色の違う瞳が清水を見つめていた。

「もちろんです。私だって心配ですし」

 頭に置かれた手に自分の手を重ねて顔を伏せた。髪が顔をおおって表情が隠れる。

 言及はしなかったが、叢雲が無事古鷹とのわだかまりを克服したのは、二人の距離を見ればわかることだった。基地内にいる時はどこに行くにも一緒、メシもほとんど隣同士で食べる、海に出る時は必ず片一方が見送りをする。二人して夜に酒を飲みに来ることもしばしばあった。無神経な一言だったと頭をかく。詫びのつもりでもう一度頭をこねくり回して、うっとおしがられて手を払われた。

「雑ですっ」

 乱れた髪を直しながら怒ったフリを見せられて、「悪かった」と謝った。どちらの意味にとってくれるかは彼女に任せる。

 自分の話をするのは苦手だった。終わってしまった面白くない結末が待っているから、今はもう少し未来のある話をしていたい。

「私のつまらん話よりこの場所の話をしよう。あの夏の日、叢雲と何を話したんだ。お前らがべったり仲良しになったのはわかるが、あいつがどう踏ん切りをつけたのか知りたい。後学のためにも教えてくれると、これから迎える艦娘たちへの接し方を考えられる。お前ら二人の内緒というなら無理には言わんでもいいけれど」

 かといって話題豊富な人間ではなかったから、あえて、今まで触れていなかったことを無理に挙げた。「いっつもそうやってお話ししてくれないんですから」そっぽを向いて膝の上に置いた手太ももを叩いて苛立ちを表した。

 じっと彼女が話し出すのを待つ。

 片眉をあげてこちらを見た古鷹と目が合う。しばらく見つめあった後、ため息して「その目、やめてくださいよお」と体を縮こませ、「……大したことは、っていうと失礼ですね。それにずっとおしゃべりしていたわけじゃありませんし。叢雲が起きたの、入渠が終わる十分前ぐらいですよ」しぶしぶ答えてくれた。

「……俺がドックまで付き添った時は、途中ずっと呻いていた」

「中でも変わりません。隣で自分の名前呼び続けられるって恥ずかしいです。返事するにもあの子の意識がないのはわかりきっていましたし、手を握ってあげるにも、ドックの間隔が広くて届きませんし。私だって疲れてすぐ眠ってしまって、起きたのはあの子の目が覚めるちょっと前。叢雲も静かな寝息を立てていて、妖精さんが艤装の調整をする音があって……。だけどちょっと寝返りを打った水音で、あの子が目を覚ましました。寝ぼけたような、とろんとした目で私を見て、『おかえりなさい』、だから『ただいま』って。それだけです」

 清水は間をおいて相槌を打った。叢雲の言った言葉にどれだけの意味が込められていたのかを察して、もちろん古鷹も理解したから、それ以上何も言わずにいるのだった。元から叢雲の杞憂である。

 あの日の出撃前に古鷹が清水の元へ立ち寄り、『戦闘艦・叢雲の最期を教えてくれ』と言った。手短な説明だとしても、『戦闘艦・古鷹』を捜索に行ったことで沈んだとあれば、思うこともあったはずだ。ただ記憶を持っているだけで、かつての艦船と、艦娘になった今とではまるっきり違う存在だとしても。経験していないただの記憶だとしても。

「……そういえば青葉は。確か、お前が沈んだのは」「私は沈んでないですって。ここにいます」

 わかってはいることだが、いざ本人から口に出されると頭が一瞬こんがらがる。確かに彼女は沈んでいないが、彼女は『古鷹』なのだ。

 二の腕を叩いて抗議されて、会話の間を持たせるために煙草をくわえたら、今度は火を取られた。吸うなということだろう。いじけたように口から吐き出すと、煙草は意外にも飛ばず床に落ち、「だから子供じゃないんですからっ」と二度目のお叱りを受けて煙草を拾った。

「青葉は同じ部屋ですもん、もちろんお話しました。何でみんな、深刻になるんでしょうか。気にしてないって言ってるんだけどなあ」

「そりゃお前、『戦闘艦・古鷹』がそれだけ壮絶な最期だったからじゃないか」

「だからそれは『戦闘艦』です。今いる私は記憶があるだけで……ああもう、頭がこんがらがってきたあ!」

 ぶんぶん頭をふるとシャンプーの匂いか、元々の匂いか、とにかく古鷹の匂いが撒き散らされて、隙間風が拡散させた。どうも変な気分になってしまって彼女の手からライターをもぎ取り火をつけて思い切り吸い込んだ。「もう!」古鷹は椅子を引きずって、半歩分ぐらい下がった。

「青葉は……『古鷹』が沈んだ後、どれだけ頑張ったか教えてくれました。ここにきた初めての夜、提督から教えていただいたあの戦いの結末も、もう一度。その直前、『青葉』は浮き砲台になって、それで終わりましたって。『謝らないよ。謝っちゃったら、頑張った『青葉』が、全部無駄になっちゃうから』って言われました。私はなんて返せばよかったんでしょうか、『うん』だなんて、笑ってくれたからいいけどバカみたい」

「それがあいつの真理なんだろうな。そうか、あの時頑張ったことが無駄に……『青葉』というのは……なるほど」

 何か糸口がつかめそうな気がして燻って消える煙の行方をじっと見ていると、煙が大きくたなびき、椅子が滑る音が大きく響いた。

「悪い、気分悪くなったか」

 慌てて火を揉み消して、もたれてきた古鷹の背中をさすった。

 窓を開けようとして立ち上がったところ、「いえ、大丈夫です」と裾を掴まれて、椅子に押し付けられる。清水はしなだれてきた彼女をどう扱えばいいかわからずに、ただ黙って肩を貸していた。

 呼吸で上下する体の動き、息の音、少し身じろぎされる動きを逐一感じる。時折顔をすりつけるようにしたり、大きく深呼吸したり。裾をつかんだ手が、赤ん坊が差し出した指を握るみたいに強弱つけている。椅子の肘掛がなければぴったり寄り添ってくるのではないかと邪推するほどに近くに古鷹がいた。ストーブの薪がぱちぱち弾ける。それ以外には、二人の息の音。風の穏やかな夜。

「どうしたんだ、眠いか」

「いーえ。ただ……ただちょっと、思い出しちゃって」

 何を、とは聞かなかった。改めて自分の無神経さをかみしめて、一言「すまなかった」と謝った。

 子供の頃の記憶に時折心に波を立たせるのと同じ。まして体をズタズタに引き裂かれ、いわば惨死を迎えた記憶。迂闊なことをしてしまった。「私ので悪いが」片手で自分のマグにコーヒーを入れて、静かに息をしている古鷹に渡した。「ありがとうございます」と両手で受け取り、一口すすって、体が熱さに驚いて少しだけ固まった。一挙一動が全て伝わる。

「生き物でいられるっていいですね。悲しい気持ちにもなれるし、嬉しくもなれるし、冬はこんなに寒いのに、コーヒーはびっくりするぐらい熱い。提督も……提督にも……」マグを目の前のテーブルに置き、一瞬何か思案したような顔を見せ、今度こそ肘掛を乗り越え、体を摺り寄せた。「あったかいなあ」

 抱きつくようにしている彼女の差し出された頭を撫でてやった。彼女の辛さをわかってやることができなかったから、どうすれば慰められるのか、どうしてやれば心を落ち着かせてやれるのか、その答えが見つけられなかった。撫でられるたびに鼻をならすのが犬とか猫みたいで、まして彼女の傷をほじくり返してしまった状況で劣情など抱けるはずもなかった。短い髪の毛を梳いてやると、もぞもぞとくすぐったそうにする。上半身をそらして煙草を一本取り出し、清水にくわえさせた。

「いいですよ、吸ってて」

 真下から見上げられる。「さすがに目の前にお前がいるのに吸えるか」煙草を外すと、手から煙草をもぎ取って、また口に押しつけた。「吸ってください」

 頑なに吸わせようとする。

「上司に毒を薦めるのか」清水が笑うと、今度はライターを取り出して火をつけた。

「はい、どうぞ」

 ここまでお膳立てされるのなら吸うしかあるまい。差し出されたライターのぼんやりした明かりに煙草を差し入れて少しだけ吸うとすぐに火がつき、初めの一口の、一番香り高い煙が二人の周りに燻った。間近で煙を受けた古鷹が少しむせ、毒から逃げるために清水の胸に顔を押し付けた。深呼吸した息が服を抜け、胸元が生暖かくなる。

 古鷹が言った。

「この匂いを嗅いでいると、私は私なんだって思います」

 哲学的な問い。だから清水は口を閉ざす。こういったとき、無理に話を返すのは愚かさをさらけ出す。

 古鷹は続けて言った。「服にも、髪にも、肌にも、身体中にこの匂いが染み込んでいたら、安心して海に出れる気がするんです。私の帰るところはここなんだって、この広い海にひとりぼっちになったとしても。深い深い、海の底にいってしまったとしても。ずっと……。……。みんながいる基地のことを思い出せます。自分の想いで、ここへ帰ってこられます」

 くわえたまま煙をふかして、力を込めて抱きついてくる古鷹の肩を撫でた。そのまま寝入ってしまいそうな甘い声だったから、いっそ寝かしつけてやろうと思った。うぬぼれるわけではないが、ここまで体を預けてくれるのだ、彼女だって幸せに寝付けるだろう。

 古鷹率いる第一重巡戦隊は三次の輸送部隊護衛に就く。さんざん情報封鎖をしたから今日出た一次部隊はあまり会敵せずに行ける予想が立っていても、明日の二次部隊には多くの敵部隊が押し寄せてくるはずで、だからこそ三日連続で作戦を行うことは危険だと判断された。数日空ければ肩透かしを食らった敵が少なくなるかも、なんていうのは結局戦略というのは予想でしかなく、敵がどう動くのか予知することはできない。八丈島に攻め込む敵の主力艦隊にたまたま当たってしまう可能性もあるのが、三次輸送部隊。一番危険とも言えるところに配置してしまったからこそ、弱気になっているのだろう。

 基地の主人として、彼女を戦場に送り出すものとしてできることは、不安がる彼女のしたいようにさせることである。意を汲むことである。一晩中自分のそばにいれば嫌でも煙草臭くなるからこんなにくっつく必要はない。だが、そうしたいのならば、一本分ぐらいは甘えさせてやろうと、背中に手を乗せて存在を感じさせてやった。肘掛だけはどうにもならないが、わずかに体を古鷹に向けて、楽な体勢になれるよう調整してやる。すると、「あんまり動かないでください」と怒られてしまった。いつもは朗らかでどことなく気丈な古鷹だが、ここまでべったり甘えられるのは提督冥利に尽きる。胸の奥がポカポカして、腹の奥がむずがゆい。惜しむらくは、彼女を守る立場でなく、守られる立場にあることだった。

 あと一口で吸い終わろうとする頃、体をひねって古鷹が顔を上げた。

 間近に彼女の顔を見る。色の違う瞳が、うすらぼんやりしたランプの明かりを伴って、清水を映している。

「提督って、奥さまいらっしゃったんですよね」

 火を揉み消して答えた。

「昔の話だ」

「聞きたいって言ったら、話してくれますか?」

「……」

 息がかかるほど近い距離で甘ったるい話し方をする古鷹の真意が溶けていく。しばらくの沈黙を否定と捉えた古鷹が、また顔を押し付けて、「これもダメですか」とちょっと拗ねた声を出す。

「面白くない結末だから。今話したら士気が下がる。私の」

「なんですかそれ」また顔を上げた古鷹が言った。「聞きたいです。提督がどんな人を愛されたのか。人が人を大事に思う感情が、私のような艦娘にも理解できるのか」

 真剣な口ぶりだった。

「艦娘を人というのはおこがましいが、きっと変わらないよ。艦の記憶を持った娘が艦娘なんだから。叢雲を心配したり、戦いを不安に思ったり、ここに帰ってきたいと思ってくれるのだって人と変わらない、感情があり、考える頭を持った、人間と同じだ」

 胸元から体を起こして清水の真正面に顔を置いた古鷹がが、熱っぽい瞳で言った。

「でも聞きたいんです」

 彼女が清水の頰に手を当てた時、部屋の中が感傷もへったくれもない白い光で覆われた。飛び上がるみたいにして古鷹が清水から離れたと同時、入り口から声が聞こえた。

『やばっ』

『あんたバカじゃないの! フラッシュ切らないでどうすんのよっ』

『ダメだもう気づかれた、ズラかれっ。おいこら酒匂、ボサっとしてんじゃねえ!』

『ぴゃああ!』

 ……。

 何人かの足音が遠ざかっていく。

 顔を入り口のドアに向けて固まっていた古鷹がゆっくりと立ち上がり、「ちょっと大声出しますね」とわざわざ断って、窓を開けた。通り道を見つけた風がドアを全開にする。

 両手を合わせて謝罪の体勢をとる熊野がいた。

「第一重巡戦隊集合! かけあーしっ! ……提督のご命令です!」

 冬の空にこだまをさせるぐらいの大声は初めて聞いた。

 よく通る声だ、耳が痛い。


「もうそんなところで許してやれよ」

 床に座らされた重巡部隊が足を痺らし苦しそうな顔をしている。まだまだ話し足りぬとマグを大きくあおった古鷹が大きく息を吐いた。よくもまあ、これだけ話を続けられるもんだと感心する。いい加減声も枯れているし、灰皿も剣山の様相。ストーブの燃料も三度補給した。その間懸念していた無線は一切入らず、純粋な説教だけが司令室の中にあった。

「じゃあ最後に青葉。写真消して」

「あはぁ……わかりました……」三十分ほど前から頻繁に足を組みかえていた青葉が答えた。だが間髪おかずに追撃がある。「今、ここで、私が見てる前で」「わかった、わかったからぁ」床に置いてあったカメラを渡して操作の仕方を早口で伝え、自分の手で画像を消去してくれと言った。「……ああっ」しかし、目を吊り上げて青葉をにらむ古鷹の怒りの熱が盛り返す。「こんな写真! 変なの全部消すからね!」青葉はうつむいたまま「なんでもいい……です……から! もう、いいですか」と震える声で言った。一心不乱にデジカメをいじる古鷹は返事をしない。どんな写真か気になって清水が覗き込むと、胸元にかき抱くようにして、「絶対ダメです、見せません!」と慌てる。

「も、ムリ、限界!」

 青葉がころげるみたいにして立ち上がった。そのまま部屋に設えられたトイレに駆け込んで、すぐに水が流れる音がした。

「ずりいぞ青葉ァ!」今度は摩耶が立ち上がって外へ出た。巻き上げた風が入り口近くにあった、輜重部隊に提出する書類を巻き上げていく。足柄が片付けもせず追いかけ、熊野がため息をついて足を崩した。

 急に閑散とした司令室をカメラを抱えたまま呆然と見つめている古鷹に「みんなお手洗いですわ」足を揉みながら熊野が言い、「酒匂、あなたももう足を崩しなさいな」と続けた。

「二時間も話続ければ当然でしょう。あの人たちお酒入っていたし」

「そんなに話してた?」

 愕然といった風な顔をする。

 トイレから二度目の水が流れる音がして中から出てきた青葉が言った。

「青葉が悪いから黙ってましたけどぉ……察してくれてもいいじゃないですか」

 ちらと清水を見、小さい声で唸る。唸られてもどうしようもないので、清水は剣山になった灰皿の中身をゴミ箱に入れて、散らかされた書類を片付けた。部屋に直結しているので、普段艦娘たちがここのトイレを使うことはない。

 説教中、何度か「トイレに行かせてくれ」と懇願があった。そのたび無下に却下して話しつづける古鷹を絶望した目で見つめる三人の顔は面白かったとしても、ここで漏らされたら後始末が面倒なので、想像しうる限界であろうところで声をかけたつもりだ。後の二人が間に合ったかどうかは知らない。今度は古鷹が平謝りしながらデジカメを持ち主に返し、「きれいに秘蔵写真だけ消えてますねえ……」などと遠い目をした青葉に「人様に見せられない写真なんか残させるわけないでしょ」とぷりぷり怒っていた。耳に珍しい。清水と話すときは敬語か準じた言葉遣いだから、砕けた話し方の彼女の声が新鮮なのだ。

 コーヒーを淹れなおして大きくあくびをし、頭をリフレッシュするのに清水は少し席を立つ旨を告げ、冬の夜へ足を向けた。外套を羽織っても突き刺さる潮風が即座に体温を奪い歯の根が合わなくなる。風上に背を向けて煙草に火をつけ、便所に向かった。彼女のすぐ後に入るのは気が引けたからだ。冷えて動きが鈍くなった手で用を足し、そそくさと司令室に戻ろうとして、道の途中にこちらに来る人影が、雲に隠れた月明かりの下の闇に紛れていた。

「誰だ」

 足を止めずに軽い調子で声をかけると、「古鷹です」と返事があり、影は小走りに近づいてきた。色の薄い左目が、宵闇の下で、猫の目みたいに光っている。口元まですっぽり隠したマフラーからは白い息がもうもうと上がって、両手はポケットに突っ込まれたままだった。この寒さでは無作法だとなじる気にもなれず、二人して司令室への道を往く。古鷹は、トイレに向かうわけではなかった。

 途中、おずおずと話し始めた。

「あの、さっきのこと、みんなには……とくに叢雲には言わないでくださいね。青葉たちにも釘さしますけど」

 返事代わりに煙をふかして眉根を寄せた。「説教のことか」と言うと、「違いますっ」二の腕をぱしんと叩く。

「えと、だからぁ……甘え、そう、甘えちゃったこと、です」

 話すごとにうつむいていく古鷹である。突き出された後頭部の髪の毛を逆立てるように撫でまわして、つんのめりそうになった彼女の肩を支えた。

「わかったわかった。不安な気持ちを恥じるなとは言わんが、うん、お前がそうしてほしいなら、私はその通りにするよ」

 なでられるままにして足を進めている。司令室はそう離れていない。短い髪の毛が指の股からはねている。

 寒さを緩和させようと体を摺り寄せてきた古鷹が腕を組もうとした。が、左手に煙草を持っていた清水が腕を上げたせいで望みは達成されなかった。不満そうにする彼女に煙草を持ち替えた腕を借してやり、そのまま会話を続ける。

「ありがとうございます」

「恐怖を恥じるなとは言わない。お前には旗艦を任せているし、うちの主力部隊だ。私にできることならなんでもしよう。いくらでも甘えてくれ。それぐらいしかできんのだし」

「ううん、そりゃあ不安に思うことはいっぱいありますけど、正直緊張はあまりしないです。というか、旗艦は私じゃなくて青葉の方が適任だと未だに思います」

「そいつは本人に直接言え。私は各人の希望をなるべく通しただけ」

「希望?」

 古鷹が首を傾げたと同時、少し先の草むらをかき分けて人影が出てきた。

「ああもう、ちっくしょう、最悪だ……」

 摩耶だった。

 彼女はこちらを認めて、あからさまに体をのけぞらせる。雲が流れ、澄んだ大気から入ってくる月明かりが顔を照らし上げた。

「なんで草むらからお前が出てくるんだ。……まさか」

「あー! わー! うるせえ、黙れ、何も言うなあっ」

 上官に暴言吐きやがって、そんな文句を言う前に摩耶は背を向けて走り去った。

 いい歳した女が、などとわざわざ沽券を下げることもない。今あったことを忘れようと古鷹に一発張り手をかましてくれと冗談で頼んだら、「上官に手を上げられるわけないですよ」と困ったように笑われた。

 司令室に戻るとくだんの摩耶が顔を赤くして清水を睨みつけた。「とばっちりだ」両手を上げ、もったりした熱気の部屋には暑く感じる外套を脱いで、それを古鷹が受け取り、コートハンガーへかけた。通信記録を流し見ても自分の部隊に関係したものはなかった。ため息とともに椅子に腰掛け、軋みを楽しむ。

 遅れて足柄が帰ってきて、全員揃った重巡部隊がにぎにぎしくなった。元凶な上に、一番近いトイレをかすめ取った青葉が摩耶に罵倒されている。清水が「足柄はトイレまで行けたのか」そう言うと、秘書机の上にあったボールペンを投げつけた。

「はいはい、この話題はおしまい。けが人が出ますわ」

 手を鳴らして事態の収拾を熊野がとった。今日一番冷静なのは彼女である。壁際に追い詰められていた青葉が胸をなでおろし、清水は投げられたボールペンを手遊びに回してコーヒーを飲んだ。一番の懸念だった写真のデータを消せたことで古鷹ももう何も言わずに、黙って清水の横の椅子に腰掛けた。熊野はレコードラックを漁り、サイモンアンドガーファンクルのレコードを丁寧にしまうと、今度はグレンミラー楽団のレコードに針を落とす。ビッグバンドジャズのブカブカした管楽器が演奏され、淹れたばかりのコーヒーをポットから、全員分用意した。「あ、いいよお熊野ちゃん、私がやるから」一番後輩という負い目からなのか酒匂が働こうとしたのを「ここまでやってしまったんですもの、いいですわ、座ってて」と柔らかい口調で断った。目の前で先輩に働かせているというのがどうにも落ち着かないらしく、熊野は困ったようにしながら「じゃあ、配ってくださる?」と言うと、ぱっと顔を輝せて受諾した。あまり下っ端根性を染みつかせてもらっても困るのだが、やらせたいようにするのが富津である。清水は一連の流れを黙って見ていた。酒はないのか、摩耶と足柄が文句を垂れながら勝手に机を漁り始めたので、自分の部屋から持って来いと一喝した。

 無線機がせわしなく、飛び交う電波をつかんでいる。全国の基地が慌ただしくしている中、まさに作戦を実行中であるこの基地、この場所には、いつもと変わらないような、張り詰めたものではないドタバタさがあった。戦の勝敗は準備が八割を占める。作戦が発令されてわずか一週間、それまで森友たちが動いていた半年間、果たして国を賭けたこの戦、準備が十分なはずがない。

 飲みかけの一升瓶を抱えた摩耶と、倉庫から新しい瓶を抱えた足柄が戻ってきた。味が混ざるのなど気にせずに酒を注いで回る。見目麗しい、駆逐や軽巡とは違った、妙齢に見える摩耶たちから酌をされるのはやぶさかでない。が、緊急の時に頭を働かせておきたいから、清水は断った。

「いいじゃない一杯ぐらい。私知っているのよ、提督ってお酒強いの」

 足柄が顔を近づけてわずかに酒臭い息をかけてきたので、フッと息を吐き返してやった。「んにゃあ」、情けない声を出して顔を背ける。

「あいつらが海にいるのに、私だけ美人に酌をされて鼻の下を伸ばしているわけにもいかないんだよ」

「口が達者ねえ。女所帯を一人で束ねる男は大変だ」

 封する金具を外して清水のマグに遠慮なく注いだ。口切なのだからせめてコーヒーの香りが移らないようにして欲しいものだ。基地全体で考えれば、平均で一日四本の日本酒が空いているからいまさらではあるが。いらないと言っているのに、しかし注がれたからには飲まざるをえない。足柄の手から瓶を奪い、返杯をして、全員何かしら飲み物を持っていることを確認した。

「じゃあ作戦の成功を祈って、乾杯」

「そんなの祈らなくたって成功しますわ。もっと別のものに乾杯してくださる」

 あげた腕を下げて清水が眉根を寄せた。

「いちいち小うるさいやつだな。何に乾杯すりゃいいんだ」

「何んでもいいですけれど、もっと明るいものに。まだ始まったばっかりですのよ、神頼みみたいな辛気臭いのは後でやればいいことですわ。それに、こういう時の音頭は青葉が得意ですの、ね」

「ええ、無茶ぶりはやめてくださいよおっ」

 隅っこでおとなしくしていたのに、急に白刃の矢が立ちぶんぶんと顔を横に振った。白に近い、薄紫色の髪の毛が波打つ。

「誰のせいでこんな硬い床の上で正座させられたと思っているんですの。わたくしと酒匂をお風呂から引っ張り出して『古鷹さんと司令官が二人きりです、見に行きましょう』なんて。おかげで湯冷めしてしまいましたわ」

「う、お酒のせいですって……。まあ、酒飲みってのは酒を飲みながら反省するものですけど」

 ぶつぶつ文句を言いながら立ち上がった青葉が部屋を見渡した。「あまり皆さんに注目されるのは得意ではないんですよう」体を丸くして居心地悪そうにした。摩耶と足柄の「早く酒を飲ませろ」という囃しにヤケになってマグを掲げた。

「わかりましたよっ。では、我ら最大の反抗作戦が開始されたことを祝いまして、乾杯!」

 酒をこぼす勢いで全員がマグを掲げた。近場にいるやつと打ちならすものもいる。一斉に口をつけている静寂の後、ゆるやかに雑談の飲みが広がっていった。清水も一口だけ舐めるようにして、酒匂にコーヒーを持ってくるように申しつけた。

「あ、ねーえ酒匂。ちょっと厨房行っておつまみとってきてくれない。そのまま食べられるようなやつでいいからさ」

「お豆とかでもいい?」

「なんでもいいぜえ。あん肝とかあればサイコーなんだけど。ああ、そういえばクリームチーズあっただろ、あれ持ってきてくれ」

「明日の晩ご飯はチーズメンチだからだーめー」足柄が摩耶の頭を小突いた。

「ぴゃあ。適当にみつくろってくるね」

 コーヒーを入れた新しいカップを清水の傍らに置き、その足でコートを羽織って外に出た。部屋の空気がわずかばかり換気され口々に「寒い」とか、言葉がもれた。

 なぜいきなり酒宴になったのか理解しがたいが、酒飲みとはこういうものだと諦めた。便りがないのは元気な証拠、確かに、熊野の言う通りあまり辛気臭くしていると、まさかの不運を招いてしまうかもしれない。清水はコーヒーに伸ばした腕を、思い直して酒のマグへと向きを変えた。

「お、司令官も飲まれますかあ。はーいじゃんじゃん」

 かさが減れば減るだけ注ごうとする青葉の手から瓶を奪って自分のマグを持ってくるように言った。断らせなどしない。何がどうあれ、彼女らの出撃は今日はないのだから。たっぷり八分目まで注いでやり、軽くマグを打ち鳴らして呷ると、安い醸造酒特有の甘ったるいアルコール臭が鼻を突き抜けていく。後味に残る甘さを打ち消すつまみが欲しかったが、酒匂はまだ帰って来ない。

 そんな安酒を美味そうに飲む(なんでもいいのだろう)青葉に、せっかくだからと話を振った。

「なあ青葉」

「ん、なんですか司令官」

 眉を上げて可愛らしい顔を作る。下ろした髪の毛を一本くわえてしまっていたので、頰をこすって外してやった。きめ細やかな柔らかい頰。

「古鷹とさっき話していたこと知りたいか」そう言うと体を乗り出して目を輝かせた。

「ぜひ!」

 隣で熊野と話していた古鷹がこっちに顔を向けて悲壮な顔を作った。今更蒸し返すなと、なんでわざわざほじくり返すのかと言っている表情だった。

 心配するなと口を動かし、目の前で興味深々にしている少女に向けて言った。

「まあお前のことなんだけども」

「……青葉のこと? なんかやらかしましたっけ。心当たりがありすぎてなんとも」

「それはそれで後で古鷹から聞くとしようか。覚悟しておけよ。そうでなくて、もっと真面目な話。『頑張った「青葉」がぜんぶ無駄になってしまう』という言葉の意味が知りたい」

 今度は青葉が生のピーマンでもかじったかのような顔になった。

 人の話題で盛り上がるのは大好きだろうが、自身を話題に挙げられるのはどうも苦手なのだろう。「よくそんなおもしろくない話を古鷹さんから聞き出しましたね」ちょっと拗ねたように言うのは、彼女的には二人の内々の話にしておきたかったのにちがいない。

 古鷹に矛先が向かないよう、「近頃、目に付いたやつに色々と質問しているんだ」と付け加えておく。

「『青葉』の記憶。叢雲が初めて古鷹に会った時、様子がおかしくなっていた。山風も一人で海に出た卯月を知った時、あいつらしくない取り乱し方をした。なのにお前は飄々と明るく、楽しげに毎日を生きている。艦娘として順応している。これからやってくる艦娘らのためにも、その秘訣を教えて欲しい」

「……みんな、それなりに考えていることはありますよ。青葉が特別なわけないです。三日月さんは『過去よりももっと膨大な未来を生きたい』と言っていました。そんな感じじゃダメですか」

「人それぞれなのはわかる。だけど今はお前が出した答えを知りたい」

 目を見つめて問いかけると、ちょっと驚いたふうにして視線が定まらなくなり、マグを持った指をいじらしくなんども組み替えていた。

「あの時頑張った自分を否定したくない、それが青葉が青葉たることだから、そういうことなのか。別に責めているわけじゃないんだ」

 しばらく落ち着きなく視線を彷徨わせて、怯えたみたいにして清水の目を見返した後、困ったように酒臭いため息を吐いた。「違いますよ司令官」マグを一気に飲みくだしたので、おかわりを注いでやる。瓶を奪われた。話し始めるのかと思いきや、「早く空けてください、重いです」と唇をとんがらせた。

 酔いたくはないのでペースを抑えていたが、待たれていると断りづらい、半分ほど一気に飲み干した。

 丁寧に飲んだ分だけ注ぎながら青葉が言った。

「何か勘違いされているようですね司令官。艦は艦です。自分じゃ動けません」

 清水の中でドロドロだった考えが凝固し始めた。

 なおも続ける。

「確かに、私はあの時代の光景を、『戦闘艦・青葉』として憶えています。古鷹さんだってそうでしょうし、足柄さんも、熊野さんも、摩耶さんも、酒匂さんだって憶えているはずです。夜戦に飛び交う砲弾が花火みたいだったのも憶えています。匂いだって憶えています。だけど、憶えているだけです。自分で何かしたいと思ったことはないです。だって、艦ですから」

「だが叢雲は古鷹の救援ができなかったことをずっと悔やんでいた。それは艦に意思があったのと同じではないのか」

 言葉に出して、解決した。

「船員の意思が、艦の意思」

 ふにゃりと笑った。

「青葉はそうだと思っています。誰の意思か知りませんけど、艦の意思ではありません。モノですよ、艦というのは。何かを刻むことはできても、自分でどうこう動き始めるものではないです。まったく、日本人は八百万だの何だの言って夢見すぎなんですよ、ねえ古鷹さん」

 艦の記憶に人の魂、夢の権化のような存在がさえずる。

 そうなれば青葉の言葉の意味が想像していたものとは変わる。清水はてっきり、『青葉』自身が『古鷹』の犠牲を目の当たりにし、その後奮戦した自分を認めなければアイデンティティが崩壊してしまうという、一種の自己肯定だと思っていた。大きな誤り、ひどい妄想だった。

「すまない」謝らずにはいられなかった。

「つまりお前は、自分に乗って戦っていた水兵たちを」

「これ以上お話するにはお酒が足らないなあ」

 くすぐったそうに体をよじって青葉が言う。みんなこちらの話に耳を傾けていて、「全身痒くなりそうです」なんて言って背中を掻くフリをした。

 がぶがぶ狂ったようにマグをあおる青葉に酒を注いでやりながら、ようやく艦娘にかける言葉が固まった気がして、同じようにクッとあおった。返杯しようとするのを「これ以上はやめておく」と断り、ぶう垂れる文句を聞き流しながら、コーヒーにも口をつける。

 しんとした司令室の中で、一気にアルコールを回した青葉が、小さく言った。清水にしか聞こえていないような声量で、酒灼けしてかすれた声で。

「水兵さんたちこそが『青葉』なんですよ。艦は記憶するだけの入れ物です」

 揺れる酒をじっと見つめる青葉を心配して声をかけると、「別に落ち込むようなこと言ってませんって」と笑う。

 急に体をひねって後ろを向き摩耶へ飛びつく。

「摩耶さん、おっぱい触らせてください!」

「はあ? 自分の触ってろよバーカ。なんであたしがそんなもん触らせにゃいけねえんだ、おいあぶねえって」

「自分の触っても面白くないじゃないですかあ。この中で一番あるの摩耶さんですし。ほら、司令官、触らせてくれるってっ」

「触らせねえからっ。おい、こっち見るんじゃねえ!」

「じゃあ熊野さん。小ぶりな、青葉の手にもフィットするお胸を是非!」

「東京湾の浮き砲台にしてあげますわ。表でなさい」

 てろんてろんだ。

 はじめは重い空気になっていたのに耐えられなくてふざけているのかと勘違いした。が、ぐにゃぐにゃした動きが、冗談でなく酔っ払っているのだと確信させた。抱きつき癖があるようで、全員に体当たりするように体を擦り付けた後、古鷹にもたれかかっておとなしく酒を飲み始めた。酔うとカメラには触れないようだ。秘書机の上に置かれたまま放置されているカメラが、レンズをみんなのいる空間に向けて黙っていた。

 帰ってきて早々酌に奔走する酒匂だが返杯も受けるので、一番に潰されてすぐにひっくり返った。土足で上がれる床はきれいなものではない。清水は自分の部屋のベッドに酒匂を放り投げ、勝手にかしましくしている飲んべえどもの嬌声を背中に聞きながら、細田幸平の詩集をひらき、煙草に火をつけた。すると常香炉に群がる老人たちみたいに、艦娘たちが周りに集まってくる。女たちが群がる喜びなど何一つなく、ひたすらに酒臭かった。

「なんですの黄昏ちゃって、詩? 『一杯飲み屋で安酒を呷って』……」右肩に顎を乗せた熊野が鼻息を荒くしながら読み込んだ。反対の肩には足柄が腕を置き、寄りかかって同じように詩を読み込んでいる。

 足柄が言う。「『人生の宿命を少しでも』……。なあによこれ。こんな説教くさいモン読んでるからあ、そんなつまんない男になんのよう」

 頭をぐわんぐわん回されてうっとおしくなり、足柄の顔をつかんで頰をつぶした。唇をとんがらせてブサイクになった顔が真横でパクパク口を動かす。漏れる息はもれなく酒の匂い。

「順調にいっていれば、あと二時間ほどで八丈島への到着予想時刻」控えめに口をつけていた古鷹が、この熱気の中で隙間風のような涼しさで言った。「帰ってくるのは明日のお昼頃かあ。足柄、明日のお昼は豪華なの作ろうね」

「ご飯食べるだけの体力が残っていればいいわね、多分、すぐ寝ちゃうんじゃないかしら」

 すぐに自分の頭のなかに思い浮かんだことで体を折りたたんで笑った。笑いながら聞き取りにくい声で言う。

「む、叢雲だけは、食堂に直行するわね、絶対!」

 夜夜中にボリュームを加減しない笑いが巻き上がった。

 こっちを出る前に携帯食をもたせているし、にぎりめしだってもたせた。唐揚げもつけた。向こうにつけば荷下しの間は横須賀の水上打撃部隊らが警戒に当たっている代わり、護衛部隊は陸に上がってしばしの休憩がある。その間に炊き出しがあるはずだから、腹の問題はないはずである。が、そこは叢雲。食える時に食っておく、金魚みたいなやつである。

「もーう、笑い事じゃないんだよ。知ってるでしょ、あの子が太ったの」

 一番近くにいる古鷹だけが本気で困った風にしている。

「顔丸くなったよなあアイツ。着太りするから体はそうでもないとしても」

「提督が甘やかせ過ぎなのよ。食事制限入れたげた方がいいんじゃない。このままだと軽巡になっちゃうわ」

 またそぞろ笑う音がした。

 全員が本気で言っているわけではない。酒のつまみが欲しいだけなのだ。まとわりつくようにしてくる艦娘らをやらせたいように放置し、意見を求められれば返事代わりに煙を吐く。古鷹だけが力を入れて話しているのが滑稽だ。

 時刻は〇時を回っている。

 だというのに誰一人としてお開きにしましょうと言うやつはいない。

 さらに一時を回り、青葉が古鷹にもたれかかって寝息を立て始めたところで、ようやく騒ぎもおさまった。足柄は秘書机に、熊野は恐れ多くも清水の机に突っ伏している。彼女らと酒を飲むのは初めてのことではないけれど、今日は一段とペースがはやかったので仕方ない。唯一起きている古鷹へ暇つぶしに、先ほど読んでいた貘の詩集を貸してやり、あとは黙ってコーヒーをすすった。ストーブへの燃料を補給する音と、煙草に火をつけるマッチの音が、ことさら大きく聞こえる。

 この退屈は朝まで続いた。

 当日の秘書艦は足柄で、総員起こしは青葉。

 醸造アルコールに痛めつけられた頭と、無茶な体勢で熟睡してこわばった体で絶不調の彼女らが、顔を洗いに外へ出て行く。

 大きなあくびをした古鷹が出て行ったところで一つ電話があり、一瞬心臓が高鳴ったものの、「定刻通りに八丈島へ輸送部隊が到着・出航」した旨の連絡が横須賀の部隊から来ていたという連絡だった。ほぼ同時に犬吠埼から電信があり、そちらも「夜間部隊はいつも通りの戦闘状況、今引き継ぎ部隊が出て行った」とある。ようやく全身の疲れが抜けて、徹夜で脂ぎった顔をこすり、冷蔵庫の冷えた炭酸を一気に呷って眠気を覚ます。

 総員起こしの放送で目覚めた酒匂にも飲み物をわたし、「何もなかった」と告げると、酒でむくんだ顔をほころばせて、「よかった」とだけ言い、炭酸を封切ることなく顔を洗いに行った。

 万事つつがなく昼に帰ってきた第一・第二水雷戦隊は、潮の匂いを体にまとわりつかせ、髪の毛をパリパリに固めた状態のまま司令室で作戦を報告、のちに食堂へ直行した。疲れ切った顔をしていたが、輸送段階とはいえ、湊川作戦の先鋒を全うした彼女らには、寒さで真っ赤になった鼻と、ベタベタになった肌、それからほんのちょっぴりの誇らしさがこびりついていた。

 休んでいる暇はない。

 食堂に向かった飢えた獣たちとは別の道を往き、夕方から再度始まる二次輸送作戦の確認と、報告をもとにした微調整をするために、清水は一人出撃詰所へと向かう。


3

 輸送作戦自体は順調でした。

 二次部隊も、襲撃こそされましたが、犬吠埼部隊に削られた駆逐艦数隻、いわば「はぐれ部隊」。血の気の多い、それも夜戦狂いの川内さんが率いる三水戦が護衛に当たっていたのです、損害らしい損害を出さずに、輸送は成功しました。

 けれど、補給基地の工期は遅れています。

 呉鎮守府所属の艦娘、明石さんの到着が遅れているのです。

 明石さんは特務艦です。戦闘能力はゼロに近いですが、艤装を修理したり、装備を作成・改修したり、艦娘に関わる設備を建築したり、いわゆる、艦娘のなんでも屋さんです。基本、艦娘の装備や設備に関わることは妖精さんしか行えません。そして妖精さんと意思疎通が図れるのは、司令官のような特殊な人たちだけ。誰にでも認識できる艦娘、しかも土地に根付いてしまう妖精さんとはちがい、あちこちに移動することができます。どれぐらい重用されるかお分かりでしょう。国内の基地には三人の明石さんがいて、滅多に建造されないこともあり、どこでも引っ張りだこな人材です。

 西日本の戦況は逼迫しております、つい先日対馬の基地が深海棲艦によって壊滅したのは周知のことです。ですから、負傷した艦娘たちのケアに追われているのが到着が遅れている理由……と、司令官はおっしゃっていました。事実、どうかはしりません。安全をとって陸路でこちらに向かっているのが原因だ、という噂もあります。国内は、現在はそれほど安全ではないですから。特に軍関係者であるならば。それも、街中に出ることが普段許されていないので、伝聞や漏れ伝うお話でしか知らないのですが。

 さて、残す輸送作戦もあと一つ、青葉たち重巡戦隊の出番のみとなりました。

 私達だけではなく、一次に参加していた、第一、二水戦の皆さまも一緒です。

 八丈島に基地を建設していることが深海棲艦にも伝わったらしく、連日お客さまがいらっしゃるそうです、というのは、司令官が横須賀の森友さんとお電話でやりとりされていた記録を見せていただいたので間違いない情報です。戦艦や空母が護衛に当たっていますが、ゲリラ戦のように水雷部隊が押し寄せてくるので、だいぶ疲労がたまっていらっしゃると。さいわい、青ヶ島の監視基地は、少人数で作業に当たっている事もあり、まだ見つかってはいないようです。あちらには護衛がいません、見つかったら、はい、終わりなんですけど。

 あ、今明石さんがコースを変えたと連絡があったようです。三重県の鳥羽から海路に変更するそうですね。

 というか、まだそんなところにいたんですか。

 そして、護衛依頼が来ました。明日の昼十三時、鳥羽まで来て欲しい。司令官はこちらに、四水戦と千歳さんたち一航戦を向かわせるようですね。攻撃色の強い三水戦がお留守番となることに旗艦の川内さんや木曾さんが不満を漏らしていましたが、次は、休みなく小笠原の攻略作戦があるのです。主攻は横須賀さんだとしても、こちらにもいろいろと雑用があります。休めるのは今のうちだけでしょう。 

 青葉たちの三次輸送作戦も、明日、決行です。


 妖精さんたちにお願いしていた艤装の確認が終わり、今青葉の目の前には、出撃ドックの古ぼけた豆電球が、空っ風に吹かれて揺れています。出撃にあたり、必要項を日誌に書き込むのはもっぱら青葉の仕事です。古鷹さんたちもいつものぽわぽわした雰囲気を抑えていました。

「そろそろ時間よ」

 艤装を展開させた叢雲さんが重そうに体を引きずって、レコードから針をあげました。詰所ではおなじみの『私の青空』。彼女の頭には元司令官の私物だった、ボロボロの帽子がすっぽり乗っています。焼け焦げたり、シミになっていたり、出撃の度にかぶっていればさもあらん、ですね。神通さんと那珂さんは黙ったまま海を見つめて、口元には薄く笑みまで張り付かせていました。川内型の好戦的な性格には驚きます。一度は輸送船を八丈島へ送り届けたのです、自信もあるのでしょう。

「青葉、大丈夫?」古鷹さんが背中をさすってくれました。なので、いつも通り笑顔を作って答えます。

「んっふっふ。ちゃっちゃと終わらせて、勝利の美酒に乱れるみんなの痴態を撮影したいですね」

 頭をひっぱたかれました。

 日誌を閉じ、艤装を展開させます。

 輸送本隊をとり仕切る神通さんがマイクを握りました。

「ドックから司令室。○六二七、輸送本隊司令艦第一水雷戦隊・神通、以下」

「叢雲」

「三日月」

「曙」

「春風」

「以上五名、出撃いたします」

 スピーカーから司令官の声が返ってきました。

『司令室。あいわかった。気をつけて行ってこい』

 カメラは付いていないのに、全員がスピーカーに向かって敬礼をして、神通さんが那珂さんとすれ違いざまに人差し指を絡めました。おまじないの一種でしょうか。

 肩で風を切り、日の暮れた海に出て行きました。続いて那珂さんがマイクの前に立ちます。

「同じく司令室へ。那珂ちゃん戦隊きかア痛っ」勝手に部隊名を改変した那珂さんを摩耶さんがひっぱたきます。「もーぅ、別にいいじゃんさあ! 第二水雷戦隊旗艦なーかー以下っ」

「のし」「島風っ」

「……能代」

「秋月」

「涼月」

「以上五名、行ってきまーすっ」

 大きなため息がありました。

『那珂ちゃん戦隊はダサすぎる。もっといい名前を考えたら採用を考えよう。気をつけて行ってこい』

 ぶうぶう文句を垂れる那珂さんの後をみんながついていきます。能代さんの苦労が偲ばれますね。

 そして、古鷹さんがマイクの前に立ちました。緊張します。きっとみんな同じでしょう。

「輸送部隊別働遊撃部隊旗艦・古鷹です。以下」

「足柄」

「熊野」

「摩耶様」

「青葉っ」

「さ、酒匂」

「まーやー? すみません、以下六名、出撃します」

『司令室了解。酒匂は初の実戦だったな。ま、先輩たちの言うことをよく聞いて頑張ってくれ。気をつけて……いや違うな。武運を祈る』

 戦闘を控えて進む輸送本隊とは違います。青葉たちは、輸送本隊に近づこうとする敵を追い払う役割です。こういったことにはちゃんと気を回せる人なんですよね、司令官は。

 同じように敬礼をし、重い体でのしのし歩いて海に足を入れました。浮力が生まれ、たゆたう水の上に立つことができます。機関に火を入れるよう妖精さんたちに伝えれば、一日暖気しなくちゃいけなかった頃とは大違いの、すぐに動き始められる準備が整います。

 古鷹さんが動き始め、それから青葉が少し離れて脇を進み、複縦陣を作りました。一度海に出てしまえば、私たちは艦娘です。陸で感じていた不安などなかったかのようで、冬の寒さすらも心地よく(艤装を展開しているからですが)、身体中にこびりついていたものがポロポロ剥がれ落ちていく快感。青葉たちは富津から真南に進路をとる輸送部隊とは違い、南南西に進路を定めます。本隊よりおおよそ四十キロ西に陣取り、時には先行して、露払いを務めるからです。東側には犬吠埼さんがいますので、警戒するのは西のみ。八丈島を攻める深海棲艦の艦隊は小笠原諸島の方から来ているらしいので、青葉と古鷹さんはひたすら前方南側に注意をします。すぐ後ろをついてくる熊野さんと摩耶さんは両サイドを、足柄さんと酒匂さんは全体を俯瞰しつつ、後方に注意を払っていただく手筈です。

 大きな船が見えました。

 浦賀水道、東側の陸地が途絶えるところ、輸送船団の周りに輪形を描くように、水雷隊の皆さんが展開しているところでした。ちょうど同じタイミングで電信がありました。横須賀の長門さんからです。あらかじめ決めてあった符丁に照らして解読すると、つまり、『明石が到着。本人小破、護衛部隊に損害アリ。轟沈ナシ』といったものでした。

 展開中の部隊、もちろん、青葉たちにも緊張が走ります。

 送信時刻を妖精さんに聞くと、今から三分ほど前、ついさっきのことでした。

 西側に、千歳さんたちを攻め立てた敵艦隊が存在していることになります。どの地点で戦闘があったか、おそらく後ほど情報をいただけるとは思いますが、俄然、今度の輸送作戦の危険度が上がりました。わざわざ轟沈ナシと送ったのは、もしかすると、大破状態の方もいるのかもしれません。本来ならばこの後千歳さんたちは一時間の休憩のち、泊地へ帰投する手筈でしたが、それも難しいかも。

『本隊から遊撃隊』

 音声無電が入りました。青葉に答える権利はなく、旗艦の古鷹さんが、胸元のマイクに向かって話します。

『遊撃隊から本隊。どうしましたか』

『もしくだんの艦隊に遭遇したら、駆逐、軽巡は撃ち漏らしても、こちらで対処いたします。もし大型艦や潜水艦が確認できた場合、すぐに電信をください。それから、大型艦はなるべくそちらで対処をお願いします』

 だいたいこう言った注意は徒労に終わるものですが、大事なことです。古鷹さんが『了解しました』と返すと、『ご武運を』と返って、無電は切れました。言われなくとも青葉たちはそういう部隊です。痛い思いはしたくないですけど、輸送船を操縦しているのは人間です。青葉たち艦娘と違って、敵の攻撃を食らったらひとたまりもありませんので、ちょっとぐらい我慢しなくては。

 月明かりに照らされた陸地が見えなくなりました。陣形を整えるため、低速で航行していた本隊がわずかに速力をあげます。それでも十二ノット。中には『イル・ド・バカンスプレミア』と書かれた、ちょっとお高そうなフェリーまで。明らかに貨物船ではありません。吃水を深め、中にはぎっしりと資材が詰め込まれているのがわかりました。

 客船団を尻目に、青葉たちは第一戦速、十八ノットで進みます。時代はこんなに進んでいるのに、妖精さんが作る電探は昔と同じような性能。深海棲艦というのはどういう存在なのでしょうか、地球全体に及ぶ電波障害を引き起こし、まして最新式レーダーも反応しない。艦娘の装備のみが今までと同じように使える。この星における、人間の天敵みたいです。

 無電から足柄さんの声が聞こえました。どうやら、緊張している酒匂さんを気にしているようです。彼女は建造されてたった一度の訓練しか受けていません、性格もあるのでしょう。『戦闘艦・酒匂』自体がほとんど戦闘をおこなっていませんから無理もないです。いつ、どこで会敵するのか、戦闘はきっと、避けられないものになるのを誰もが肌で感じていました。だからみんなで酒匂さんをからかって、ちょっとはリラックスさせようとしました。

 からかいすぎて酒匂さんが「ぴゃあ」以外言わなくなった頃、割り込むようにして古鷹さんから無電が入りました。

『傾注、傾注。そろそろ大島だよ。両舷原速、取り舵当て』

 私たちは各各三百メートル離れて航行しています。使用している電話機は特別製で、千メートル以上離れると途端に雑音がひどくなり聞き取れなくなります。いちいち暗号を使わずとも良い利点はありますが、単縦や輪形の陣になりますと途端に使い勝手が悪くなるのが欠点です。

 重心を変えて舵をとり、誰もはぐれてないか目視で確認。酒匂さんもきちんとついてきているようです。

 利島をすぎ、新島をすぎ、神津島を越えれば、右手には広い広いあの太平洋がどでんと腹を出して、青葉たちはその上をゆきます。島影にも深海棲艦は認められません。青葉が建造される前、敵は島に上陸してじっと息を潜めていたというので油断できたものではありませんが。視界が開けたと同時、みんなで偵察機を発艦させました。夜偵……と言うほど専門的な機体ではないのですが、連日夜間訓練を行っていたので、まあ、ないよりはマシ程度の認識です。バタバタした聞き慣れた音とともに、偵察機は南から西にかけて十機、飛び去って行きました。はるか左手に、少しだけ三宅島が見えました。あの向こう側を本隊が通過するはずです。

 本隊は一貫して原速で進行しているので、わずかばかり青葉たちが先行している形になっていれば作戦通り。あと一万四千メートルほどまっすぐ行けば八丈島の西に出るはず。時間にして六時間ほど。ここまで来るのに五時間弱。目を皿のようにこらしていたのでしょぼしょぼ、髪はベタベタ、寒さはにぶく感じますが、凍えるほどではありません。特に足先は艤装のおかげで暖かく、しいて言うなら首元に感じる風がわずかに冷たいぐらいでしょうか。熊野さんや摩耶さん、それから酒匂さんはマフラー(のように加工したタオル)を着用していて、これが意外にも可愛らしく、すこーしだけ羨ましいです。帰ったらつくり方を教えてもらいましょう。

 辺りを見回し、少なくとも青葉の視界に敵の影や怪しい灯りがないことを確認して、思いきり背筋を伸ばしました。ぽくぽく、骨がなりました。

『おなかすいたねー。おにぎり食べちゃおっか』

 古鷹さんです。遠目から見られていたのかもしれません。

 間の抜けた、よく言えばリラックスできる声色です。

『さんせー。あたしんとこは何もないが、偵察機はどうなんだ? どうせ食べるならゆっくり食べたい』

『今出したばっかりだからなあ。とりあえず直近は大丈夫そう』

『では食べてしまいましょう。戦闘になって、水浸しになったのなんて食べたくないですもの』

 すると足柄さんが言いました。

『ご飯はいいんだけれど、酒匂、ちょっと分けてくれない』

『どして?』酒匂が応えます。『いいけどさ』

『食べちゃったのよ……』

『ええっ。いつ!』

 離れて航行しているので、各人の顔をうかがい知ることはできません。摩耶さんの笑い声が小さく聞こえただけでした。

 最後尾の彼女たちの会話は雑音まじり。

『いやあ、今日お腹の調子が悪くてね。お昼ご飯食べれなくて、ペッコペコで』

『大丈夫なの? おトイレとか』

 足柄さんの答えは耳が痛くなるほど大声でした。

『うっさい、下品なこと言わない! いいから一個ちょうだいな。というわけで、一瞬隊列崩すわよ』

 航行中ならトイレに行きたくならないんですよね、不思議と。その分陸に戻って艤装をしまうとすぐに駆け込みたくなりますけれど。

 月に薄く雲がかかり、ところどころ輝いていた海が墨のようになりました。

 腰にくくりつけたポーチから笹とイグサで包まれたおにぎりを取り出します。サランラップみたいな便利なものもありますが、海にそのまま捨てられるという点で、この昔ながらの携帯方法が、艦娘、とりわけ富津の基地では主流なんです。二個のおにぎり、中身はウメと唐辛子の佃煮です。少しお水を多めで炊いた、みずみずしいお米が具の味を引き立てます。

 青葉に割り当てられた個人通話用の周波数に応答要請がありました。妖精さんに送信者を確認すると、古鷹さん。こちらも古鷹さん用の周波数に合わせ、「どうしましたかあ?」親指にひっついた米粒を食べながら音声を送信しました。

『ごはん中にごめんね。聞きたいことがあって』

「気にしないで。どしたの、索敵はちゃんとしているよ」

 二個目、唐辛子の佃煮を頬張ります。甘い中にピリリとした辛味があって飽きがこない上に、唐辛子のおかげで体がポカポカします。これぐらいの辛さはちょうど良いですね。辛すぎるのは苦手です。青葉は佃煮が好きです、そこらへんの雑草ですら、適当に佃煮しておけば食べられる自信があります。

『それは心配してないよお。青葉だもん』

「いい皮肉ですねえ」

 しばらく返答がありませんでした。冗談のつもりだったのですが、自虐が過ぎたのかしら。

 おにぎりを食べ終わり、お腹がいっぱいになって頭に血が良く巡っている気がします。これまたそのまま捨てられるように竹筒で作った水筒。生ぬるくなったお茶を飲み下して、もう一回話しかけてみようかな、と思ったところで通信が入りました。

『あのね、言いたくなかったらいいんだけど。青葉、提督に旗艦やるように言われてたりした?』

「うん、言われてたよ。断ったけどね」

 隠すつもりもないので正直に答えます。こんな話題を振ってくるくらいです、ごまかしたって無駄でしょう。お米でベタベタする手を海水で洗って、もう一度マイクに向かって話しかけます。

「古鷹さんが役不足ってわけじゃなくて。記録を見て、昔の『青葉』に旗艦の経験があったから何気なしに頼まれただけ。だから『どう考えても古鷹さんの方がしっかりしてますよー』、って言ったら『それもそうだな』って言って決定したんだよ。あ、なんか今更ムカついてきました」

『そっか。確かに、青葉は肝心なとこで抜けてるからね』

「あー、言ったなー。司令官にべったり甘えてる写真、詰所に張り出すぞ?」

『うそ、まだ残ってたの! ごめん、それだけは、本当にそれだけはやめてっ』

 データって便利です、数枚、別のSDカードに差し替えて撮影してただけですが。『本当にやめてよ?』泣きそうな古鷹さんの懇願はそそるものがあります。

 雑談ついでです、友達として、ちょっと突っ込んでみましょうか。

「古鷹さんって、司令官のこと、もしかして好きだったりします? ラヴ的な意味で」

『違うからっ。もう、青葉には何度も話したでしょ。お父さんみたいだって』

「人間の女の子が一番初めに恋をする相手って、父親らしいよ」

『あーおーばー!』

 イヤホン越しで聞くと鼓膜が破れそうでした。肉声が聞こえてくるぐらいですから。

 でも青葉の考えはあながち間違っていなさそうなんだけどな。じゃなきゃ、あんなにきつく「叢雲にさんには言うな」なんて釘を刺される必要はないでしょう。あの時の古鷹さんも可愛かったです。眉をハの字にしてすがりつくようにしてお願いされました。まあ、叢雲さんは性格も相まって古女房みたいな貫禄がありますから、そこに割って入るのは至難だと思いますが。青葉の知る限り、甘え上手は古鷹さんの方ですね。あれを無意識にやっているというのなら、司令官も大変でしょう。男として。

「別に青葉はいいと思うけど。むしろ応援する」

 友達の恋バナほど面白いものはありません。叢雲さんとドロドロの愛憎劇を展開するならそれもよし。傍観者として徹底して事態の把握に努める所存なのですが……。

 ま、司令官はあの堅物ですからね。たいした面白い結果にならずに終わりそうです。

『むう。だから違うって……』

「本当のところ、どうなんですか」ちょっと声をかぶせました。

『……しつこい青葉はキライ』

 おおっと、不覚にも胸がときめきました。ダメですね、これはきっとオヤジと同じ感性になりつつあるということでしょう。「ゴメンなさい」謝ると、またしばらく沈黙がありました。

 ここで一つ無電が入りました。八丈島付近に展開している、横須賀の水上艦隊です。小規模な襲撃があったそうです、追い払ったはいいけれど、はぐれ部隊が近くにうろついているかもしれない、といった内容でした。人間の方々が指揮する艦隊とは違います、深海棲艦たちは野生動物のような行動パターンを取るため、ちょっかいを出して敵わないと見るや一目散に逃げ出します。指揮系統がない、とは言いませんが、どうやら末端の深海棲艦は独立して動いているようだ、というのが通説になっているほどです。

 続いて送られてきた敵の編成と、去っていった方角、速度を念のためメモしておきました。水雷戦隊のようです、輸送船を狙ったものでしょうか。撤退方角を見ても本隊と当たりそうにはないので一安心かな。微妙に青葉たちのコースに当たりそうだけれど、手負いであるならば勝ち目のない戦いにはならないでしょう。

『……誰にも言わないでほしいんだけど』

 緊張感をはらんだ、というのは青葉の妄想ですが、無電を挟んだ古鷹さんの声はそんな感じがしました。

 なのでこちらも真面目に答えます。

「青葉は何があっても古鷹さんの味方です」

『うさんくさい、一気に信じられなくなっちゃった。やっぱいい』

「わ、うそうそ、ごめんって。誰にも言わないって約束しますっ」

 くすぐったそうに笑う声をわざわざ送信してきました。

 どうやらからかわれたようです。

 ですが、続いて送られてきた本題は、青葉の手にあまるものでした。

『……人を好きになるって、どういう気持ちなのかな』

 はあ。ふむ、ふむ、なるほど、なるほど。

「ちょっと青葉とチューしてみますか。わかるかもしれませんよ」

『ちゃんと聞いてよ』

 青葉の答えはお気に召さなかったようです。

『提督は大事なひとだし、でも青葉だって大事なひとだし。足柄も摩耶も熊野も酒匂も大事なひと。叢雲だって、三日月だって、富津基地みんな大事なひとだよ。でも、それとひとを好きになるっていうのって、別のこと……なんでしょう。じゃあ、今私が思っている感情ってなんなのかな。私って、本当にみんなを大事に思っているのかな。「好き」っていうのと「大事」っていうのは、何が違うのかな』

 ああ、古鷹さんの頭に渦巻くマーブル模様の思弁が手に取るようにわかります。

「んー、きっとそれは、青葉が何を言っても無駄だと思うな。もしかして司令官にくっついてたのって、そういうこと?」

『うん。奥さまがいらっしゃったっていうのは、そのひとのことを「好き」だから、と思って』

 難儀な問題を抱えてらっしゃいますねえ。

 そんなもの聞いてポンと答えを出せる人なんて、宗教家か詐欺師ぐらいなもんでしょ。司令官に恋愛小説とか、活動写真とか、そういったものを仕入れるように言っときますか。今ある詩集やレコードの恋愛作品はちょっと回りくどすぎて、それが余計に古鷹さんを混乱させてしまっているのかもしれません。

 そんなに難しいことじゃないと思うんだけど。

「『大事』っていうのと『好き』っていうの、無理に分けようとしなくていいんじゃない? きっと根っこは同じことだと思うな。そこからどうしたいのかによって変わるのかも。というか、青葉だってそんなのわかりません」

『わっかんないなあ。私と叢雲の何が違うんだろう……』

 どう返せばいいのかわかりませんでした。

 はたから見ていれば、司令官は分け隔てなく艦娘と接しているように見えるのですが、古鷹さんには違って見えるのでしょうか。それに、どちらかというならお二人はドライにも見えてしまいます。叢雲さんだってそんなにべったりくっついていないですし、むしろ古鷹さんと一緒にいる時間の方が多いのでは。初期艦としての信頼感ゆえなのかな。確かに考えれば考えるだけ煮詰まってきました。濃い霧の中を航行している気にもなります。ぬるいどころか冷たくなり始めたお茶を一口飲んで、古鷹さんにかける言葉を探します。

 それにしても友達からこんな悩みを聞かされるというのは、こう、心が沸き立つような楽しみがありますね。同じ問題について、両者が必死に頭を巡らせているという感覚が、艦娘、ひいては生き物らしくて面白いです。人間の方々も、青葉たちのような悩みを持つのでしょうか、気になります。

「古鷹さんって、人を妬むこととか、ある?」

『うぇ? うーん、ふふ、ないかも。私にできることは限られてるから、できることを精一杯やって他の娘に届かなかったとしても、仕方ないし。向上心がないって……神通さんに怒られたことが……はい、あります』

「あはは」

 つい笑ってしまいました。踏み込んでみましょう。

「例えば青葉が」『待って』

 急に声色が変わりました。

 理由はすぐにわかりました。青葉の受信機でも、同じ電信を受けたからです。

《八丈島東、敵水上打撃部隊、交戦。応援求む》

 送信者は……送信コードが犬吠埼詰所の部隊ですね。平文です、切羽詰まったにおいが伝わってきます。

『どう思います?』

 熊野さんが全体送信で投げかけました。主語がありません、しかし、何を言わんとするか、わからないものはいませんでした。

「違うんじゃないかな、距離的には行けなくもないけれど、千歳さんたちを襲った部隊がみすみす八丈島を攻撃せずに素通りする意味がわかりませんもん」

『規模がどんなもんか、って話だな。まだ誰も西の艦隊の情報は受けてないだろ?』

 それぞれの短い返事が、混線したように流れます。

 単純に青葉たちの通信能力が低いだけならいいのです、ですが、艦娘になってからは、どの艦娘も同じような能力に均一化されていますから、それはないでしょう。あと考えられるのは、口もきけないほどの損傷を明石さん護衛部隊が受けていること。物質的な艦ではないですから、艤装のダメージだけで沈むことはありえません。生命力を上回る傷を肉体が受けた時、艦娘としての死があります。意識も朦朧するレベルとなれば相当な被害です。ころころ走り回っていた卯月さんの苦しんでいる姿が頭をよぎりました。

 胸くそが悪いです。

『西と東に艦隊がいる。そして八丈島の護衛艦隊が水雷隊の襲撃を受けて、すぐ逃げられた。あらあら、これはいやーな夜になりそうですわ』

『あの、どういうこと?』

 ほぐしたはずの緊張がぶり返した酒匂さんの一言はありがたかったです。状況をまとめる理由付けになりますから。

「先の水雷隊は威力偵察と考えましょう。両脇に艦隊がいるってことは、敵が本格的に攻めようとしてるってこと。んで、偵察部隊がどこから来たかわかりませんがおそらく南と考えて、あともう一艦隊、でっかいのがいそうってとこかな」

『遠からず、と思う。さてそれでは酒匂に問題です、もしそうなったら、私たちは何をすればいいでしょう』

 場違いに明るい古鷹さんの声。

 この後に及んで怖気付くような艦娘はいません。むしろ、血が湧きます。

『えっと……本隊の護衛、だよね』

『その本隊は八丈島へ向かっている。だから、敵艦隊を八丈島に近づけないようにするのが、今すべきこと。私たちは護衛部隊でもあるけれど、遊撃部隊でもあるでしょう』

 古鷹さんって、ぶっちゃけ戦闘狂っぽいんですよね。無線越しでもわかります、きっと口角がつり上がっているのが。

『偵察機からの報告はまだないわよ、どうするの』

『とにかく見張りを厳にしておいて。夜間専門の航空部隊じゃないしね。意地でもこっち側の敵は私たちが見つけて、抑えよう』

 今の一言を聞いて、青葉の装備に宿る妖精さんが抗議しました。「だったら飛ばすな」と。それから、意地でも見つけてやると息巻きます。気合いでどうにかなるものではないでしょうに。同時に警戒を厳にするため、一人の妖精さんが顕現しました。頭の上にしがみついて、じっと目を凝らします。侮るなかれ、目に見える以上の索敵能力を持っているのです。なにせ、超技術をもった、超不思議生命体(かどうかは怪しいです)なのです。

 青葉たちは宵闇の海をゆきます。

 誰も無電を使っておしゃべりすることはありません。黒の中に死の象徴とも言える光が生まれた時、戦いの火蓋が切って落とされます。建造されてから初めての大規模な戦いになりそうです。体が震え、腹の内側がぞわぞわとします。自然と、口角も上がってしまいます。

 あまり古鷹さんのこと言えないですね、青葉だって、戦えることに、ワクワクしてしまうんですから!


 南西に飛ばしていた青葉の水偵が不審な影を発見したのは、八丈島まであと4万キロの地点でした。おおよそ十五ノットで真東、八丈島へまっすぐ移動しておりまして、漁船である可能性は排除してもよいでしょう。

 以降のコミュニケーションは発光信号でおこなう旨の連絡がまわり、妖精さんたちに戦闘態勢につくよう命じます。各艤装が心なしか暖かくなった気がして、第二戦速で受ける風ですら体を冷まさない。

 この不審な艦影(人影ではありますが、便宜上そう呼称することになっています)を発見した水偵の妖精さんがわざわざ顕現して、胸をふんぞり返らせていました。人差し指で撫でてあげると満足したように姿を消し、また青葉の艤装のどこかに溶けていきました。あわよくば艦種も調べて欲しいのですが、それを知るためには高度を下げねばならず、敵に迎撃される恐れがあるので断念しました。水偵自体は無人でも妖精さんの、おそらく魂が乗っています。撃墜されるたびに苦しむ妖精さんを感じるのは忍びありませんからね。

『水偵は島の近くに降りてもらおう』

 古鷹さんから信号が来ます。青葉は受け継ぎ、後ろへ伝言しました。遠く離れた水偵だって艤装の一部ですから、今ここにいる妖精さんに命じるだけでわざわざ無線を出す必要がありません。

 水を巻き上げる音だけがあります。

 ざあ、ざあ、と同じ調子の音が、いつしか寄せ返しのリズムを持ち始めました。

 おしゃべりがない海からは、ときおり魚の跳ねる音が遠くで聞こえます。この辺は、後二ヶ月もすればカツオが取れますからね、初ガツオ、食べてみたいなあ。司令官はニンニクのスライスが至高だとのたまいましたが、そんなものは女の敵です。いや、美味しそうなのはわかるんですけれど。ワラで包んだカツオを火で炙って、ショウガとミョウガを散らし、ポン酢であっさりと。いいですねえ、いいですね! 補給基地ができたら、青葉専用の釣竿の一本でも置いておきましょう。任務の間にぶらりと太公望、なんて優雅な海軍生活。

 そんなことを考えながら三十分、見張りの妖精さんに頭を叩かれて現実に戻りました。

 横を航行する古鷹さんに発光信号を送ります。

《右六○度、距離一万、艦影五》

 星月夜です。

 こちらが認めたということは、向こうからも見えているということ。けれどこの時は運が味方したのでしょう。続けて信号を送ります。

《まだこちらに気づいていないよ》

《こっちも見つけた。ありがと》

《恐縮です!》

 そしてすぐに古鷹さんから号令がかかりました。

《単縦陣、作れ》

 後ろまで号令を回し、酒匂の合図を待って、陣形を作ります。古鷹さんの列を起点にして、青葉たちが滑り込む形。夜間だからと言って手間取ることはありません、夜目は効く方ですから。

 主砲に装填をすると、ほのかに香る火薬の匂いで否応なしに興奮し、鼻息が荒くなりました。口元が釣り上がります。

 先制として雷撃を放る指示が出ました。必殺の力を持った兵器が、夜の海に音もなく消えていきました。

 残り八千。

 七千五百。

 砲塔構え。

 波間に聞こえるのは妖精さんの夜戦ラッパ。

 海には異質の管楽器の音が、青葉たちの士気を最高潮にまで押し上げます!

『砲撃開始、てェ!』

 古鷹さんの無電と同時、主砲が火を噴き、目の前が明るくなりました。

 着弾より前に魚雷が命中したのでしょう、一隻が水柱の中に飲み込まれ、すぐに爆炎に変わります。遅れて、砲弾が何隻かの艤装を貫き、小規模な火災を引き起こしました。

『目標を指定します、あの一番大きく燃えている敵重巡っ』

『おうよ摩耶了解、ははは、うてぇ! うちまくれぇ!』

 無電がひっきりなしに仲間たちの声を伝えて、同時に周りからごおん、ごおんといった、腹の奥底に響く音が途切れることなく弾けていました。

 向こうからも散発的に反撃はあるものの、どれも狙い定まらず至近弾ですらないものが海面に吸い込まれていきます。こちらからは炎のおかげで、どこを狙えばいいのか、どのくらい離れているのか、ピンポイントで絞ることができます。

 一方的です。

 集中攻撃を受けた重巡は、地上で花火が爆発したみたいに大きく弾け、海に還っていくのを確認しました。

『いやっほうっ。古鷹、そろそろいいでしょ、突撃よ突撃ぃ!』

 十分近づいてはいるんですが、私たちは艦娘で、相手は深海棲艦です。至近距離にはまだ程遠い。さらに言えば、流れは完全にこちら側にあります。多少の犠牲を払ってでも、相手方を全員沈める気勢で、湊川作戦の狼煙とするのもいいでしょう。

 古鷹さんは少し間をおいて答えました。

『わかった、いこう。十分気をつけ』『摩耶様が一番槍だぁ、突っ込むぜぇ!』『ああこら、あたしより先に行くのは許せない、待ちなさいよっ』

 最後まで話を聞かずに二人が突っ込んで行きました。当然敵の攻撃が集中しますが、右に左に、踊るみたいにして回避行動をとる小さい的に当てるのは至難の技です。特に、調子に乗っているお二方が相手ならば。小さい波をうまく使ってとびはねる姿はとても『艦』とは言えません。

 あっという間に懐にお邪魔した二人は直接砲弾をぶち込んで、そんなことをされたらたまったものではありません。一隻が海中に引きずり込まれ、さらに一隻がまた大きな炎をあげました。

 もちろん至近距離にいれば敵だって指をくわえているはずがなく。足柄さんと摩耶さんと、健在の敵の砲撃、それから艤装の火災。真っ黒い海の上に街ができたみたい。

 きれいだなあ、なんていうのは場違いでしょうか。

『……足柄たちの援護しよ。もう、全然話聞いてくれないんだからっ』

 腹立ち紛れとも取れる攻撃を放ち、青葉も苦笑いで続きます。熊野さん、酒匂さんからも敵艦隊の中で大暴れしている二人に当てないよう、よおく狙いをつけて砲弾を放ちます。

 中と外から攻撃され、完全に瓦解した敵の艦隊はそれでもまだ撤退しません。かろうじて間近にいる艦娘に砲塔を向けても、青葉たちの攻撃が照準を狂わせ、直撃弾を出すに至らず。足柄さんに至っては殴りかからんばかりの勢いです。あ、殴った。ダメージあるんですか、あれ。

『わたくしたち必要ありますの?』 

 熊野さんだって文句を言いながら、深海棲艦の近ず遠からずの位置に着弾させています。艤装へのダメージだけならば問題なくとも、あの距離ならば、当たりどころが悪ければ一撃で昇天です。心配をよそに砲音の隙間から足柄さんたちの、ちょっと狂ったような声が聞こえてきました。うちの部隊でも一番血の気の多い二人ですからね、あそこまであけっぴろげにやられると、青葉もちょっとヒきます。人の振り見てなんとやらです。

 最後の一隻に二人して砲弾をたたき込み、悶絶しながら沈んでいく深海棲艦。船が真っ二つになったみたいな声とも音とも取れる断末魔を上げて、後に残るのは海の上に溢れた油にうつった炎のみ。アクション映画さながらの光景の中、二人がゆっくりと、一見仲むつまじげに体を寄せ合い、帰ってきました。

 ものの十分ほど、圧倒的な戦闘でした。

「お疲れさま」

 古鷹さんがちょっと不満げ。そりゃ、旗艦の言うことを最後まで聞かずに飛び出して行ったんですから当然でしょう、場所が場所なら怒られるでは済まないところです。

「おーいてえ……引き分けかあ」

「最後の一発、あんた致命打になってなかったわよ。土手っ腹に叩き込んだ私のおかげだわ」

「んなこと言ったら最初の軽巡、あたしのぶん投げた魚雷で沈みかけてたじゃんか」

 至近距離の殴り合いを終えたお二人は体のあちこちに煤をつけて、髪の毛が寝起きもかくやと言うほど乱れていました。手ぐしと海水でさっと整え、顔を拭い、なおも口が減りません。

「そもそも何で魚雷投げてきたのよ、私が向かっているの見えたでしょう」

「あれは絶対に向こうの方が撃つの早かった」

「そんなの避けられるしっ」

「お前は近づきすぎなんだよ、万が一当たってみろ、その空っぽの頭がフッ飛んで酒匂にトラウマ植え付けるだけだ。なあ酒匂、こいつが首なしになったところみたいか?」

 ぶんぶん頭を振って酒匂さんが否定します。

「そんなヤワな体してないしぃ。何よ、そんなひらひらのスカートでパンツ丸出しにしながら戦っているくせに。痴女は黙って私の援護していればいいの」

「見せパンだから。いちいちそんなとこ見てんじゃねえよクソレズ女。みてぇならいくらでも見せてやるって、ほら」

「んなきったないもん見せんじゃないわよ、提督の前で野ションする奴が何言ってんのさ!」

「してねぇよ! いやまじでしてねえよ、お前だって間に合わなかっただろっ」

「私はちゃんと離れたところまで我慢しましたー。そもそもあれはどこぞの裏切り者が……」

 あ、矛先がこっちに向いた。

「はいはい、わかったから。とにかく私たちの勝ち。完全勝利、ほら、ばんざーい」

 投げやりな。

 こちらに向けられた銃口から発砲されることなく、何か言いたげにもごもごしていたところに、気を利かせた酒匂の「わあい、初勝利ぃ」なんて声が上がったものだから、大きなため息が吐かれました。こっそりサムズアップすると、酒匂も少しひきつった顔を見せます。初めての実戦、初めての勝利。なのに締めがこれでは、これからの苦労が偲ばれます。青葉のせいじゃないです。

 妖精さんたちにしいていた戦闘配置を警戒配置に変更し、みんなでお水を飲むわずかな休憩時間。

「あ……」

 摩耶さんが何かに気づいたように顔つきを変え、青葉にも同時に無線が入りました。

 横須賀の護衛艦隊から、近海で作戦行動中の全艦娘に宛てたものです。

「やっぱり来ましたわね」

「しかも主力艦隊……なのかな。戦艦四、重巡七、軽巡四に駆逐十二って。島の護衛部隊の編成覚えている?」

 まず敵の数を表す暗号。

 それから『南、真正面に敵を認めたので迎撃態勢をとる、誤射に注意されたし』というもの。戦闘中に近寄って巻き添えを食らっても文句言えません。敵か味方かなんて、いちいち判断する時間も惜しいんですから。

 メモ帳をめくりながら答えます。

「戦艦組が長門さん、金剛さん、比叡さん。重巡組に愛宕さんと高雄さん。大淀さんと第〔六〕駆逐隊の水雷隊。三航戦の葛城さんと瑞鳳さんが陸上待機、ですね」

「戦艦三、重巡二、軽巡一に駆逐四。空母が二といったって、明らかに苦戦必須だな」

「東の犬吠埼の救援依頼って誰が行ったんだ? あれ以降連絡ないだろ」

 沈黙の帳。

 全滅したなんて考えたくありませんが、今送られてきた敵編成を聞くと、向こうにも同じような部隊がいたんじゃないか、なんてよぎります。

「大丈夫ですよ、青葉たちがやっつけたのと同じような編成ですって」

「だけどよ、犬吠埼の連中は体が自由に動かせねえ。あたしたちより苦戦するのは確実じゃんか。しかもこっちとは違って、向こうは水雷隊だし」

「どうしましょう、古鷹」

 熊野さんの言葉と同時、全員が古鷹さんを見ます。

 この部隊が生き物として動くには、頭は一つで十分。

「……各員、被害状況報告してくれる? その間に考えまとめるから」

 こちら側の警戒をおろそかにして輸送部隊が襲撃された、なんてことになったら元も子もありません。今、青葉たちには三つの選択肢がありました。どれを取るかは、古鷹さんしだいです。

「青葉、被害なし」

「熊野、被害ありませんわ」

「酒匂、元気だよ」

「摩耶、艤装小破、それからちっと足の筋に違和感。首もいてぇ」

「足柄、艤装小破、砲塔が二門ひしゃげちゃった。体の方はなんともないわ」

 そりゃ、いくら「殴り合い」という表現があるとはいえ、艤装で深海棲艦をぶん殴ればそうでしょうねえ。

 すぐに古鷹さんは、唇を引き絞って言いました。

「これより私たちは遊撃部隊として、八丈島を狙う敵主力艦隊を背後から攻撃し、東に抜けます。犬吠埼部隊が交戦しているのは、八丈島から十五海里北東。どちらも殲滅戦はしません。場を引っかき回すことに専念します」

「輸送部隊はどうするんですの。こっち側の警戒に当たる部隊がゼロになりますわ」

「東側の神湊港につけるよう連絡しよ。時間的にも、きっとちょうどいいから。青葉、電探はどう?」

「すみません、ちょっと調子悪くて。先ほどのも目視で確認してようやく反応があったくらいで」

「ううん、大丈夫。……今のがこっちから攻める別働隊と考えれば、もういないはず」

「希望的観測ですわね。違ったらどうするんですの。島が多方向から攻撃されかねないんですのよ」

 熊野さんはあえて反対意見をぶつけてきます。それが、この部隊における役割だからです。

「ううん、こない。私の勘だけどね」

 古鷹さんの判断を固めさせるために必要な役割。

 どんな理屈であれ、後ろを気にしたままでは全力で戦うことができませんから。

 勘などと言われて反論するのもバカバカしくなった熊野さんは困ったように笑って、「あなたについていきますわ」と砲を胸まで持ち上げました。

 他に反論を求めても、誰も何も言いません。

「いこっか。単縦陣、第二戦速、進路東。妖精さんは戦闘配置につかせたまま行くよ。とにかく駆け抜けるから、酒匂、ちゃんとついてきてね」

「ぴゃ、はいっ」

「それじゃあ、第一重巡戦隊、出撃!」

 今度こそ古鷹さんが先頭を進み、みんながついていきます。

 時刻は深夜一時を少し回ったところ、まだまだ夜は始まったばっかりです。

 三〇キロも離れていない八丈島の空が明るく染まりました。かなり遅れて振動が伝わります。

 どうやら、戦闘がはじまったようです。


 八丈島沖十海里。

「倒れるなら前向きに倒れろ、背中に傷を負ったやつはこの長門が指をさして笑ってやる!」

 衝撃が海をえぐる。両翼には金剛と比叡が、その間には高雄と愛宕による、お椀型の防衛陣が敷かれていた。

『あと数日おとなしくしてくれれば、こっちから行くっていうの、にっ』

 十キロほど離れたところでパッと大きな灯りがあらわれた。照明弾だ。二つの小さい太陽の手前には黒点にしか見えない敵の横陣が、味方の轟沈にもひるまず、壁となってじわじわと距離を詰めてくる。

『バグパイプ兵みたい。全砲門、ファあいたっ。一張羅に何するデース!』

『お姉さまに何するのよ、このやろーっ』

 水雷隊が壁になり、敵の打撃部隊は後ろから出てこない。倒しても倒しても数が減らない錯覚に陥り、距離を詰められるプレッシャーもあって焦りが生まれていた。いたずらに被害だけがある。無傷のまま弾幕を張ってくるおかげで大淀率いる水雷隊が前に出れず、そのくせ向こうは適当に魚雷を撃ってくるだけで距離を詰めるだけの時間を得られるのだ。砲撃だって敵は当てるために撃っていない。自分たちの安全圏を確保するために。やみくもに砲弾を撃ち込んでくる。下手な鉄砲数撃ちゃなんとやら、暗闇の中のめくら撃ちでも、至近弾の一つは当たり前のように出てしまう。

『なんだかいやらしい戦い方してくるわね。むやみに突っ込んでくるだけが能じゃなかったのかしら』

『ちょっと愛宕、前出すぎ。……東の応援に行かなくちゃならないってのに!』

 散発的に襲ってきた今までとはまったく違う動き方。

 せいぜい待ち伏せぐらいの策しか使ってこないはずだった。あとは数の暴力で、沈めた倍の数で侵攻してくるぐらいだった敵が、今日は三方向から計画的に攻め上げてくる。駆逐艦を盾にして打撃部隊を後方においているのだって、そんなことをするのはせいぜい空母ぐらいのものだったはずなのに。

 統率がとれている。

 長門は考えた。

 もし自分たちに潤沢な艦隊を作る能力があったらどうするだろうか。わざわざ足止めされるぐらいの艦隊で攻めに来るだろうか。そんなはずはない。圧倒的な戦力で完膚なきまでに叩きのめすための艦隊を用意する。

 では今はどうだ。

 数は多いがどうにかできない数ではない。後先考えず突っ込めばなんてことはない数。轟沈は一人も出さずに戦闘を終えられる、大破の二人や三人は出てくるだろうが。作戦通りに動く艦隊があったとして、一隻一隻の練度を見れば一律、そう恐れたものではないから。虫や魚と同じ、状況に対する反応として攻撃してくる節がある。

 ならば。

「長門だ。葛城と瑞鳳は起きているか」

『両名起きてますよーっと。どしました、航空支援が必要ですか』

「今から五分後にもう一度照明弾を撃つ。今交戦中の艦隊よりも遠くに飛ばすから」

『見てこいってわけですか。吊光弾積ませるんで大丈夫です。せっかく暗闇に慣らした目がダメになっちゃいます』

「おおそうか。わかった、頼んだぞ」

『んじゃ、すぐ発艦させますからねー。瑞鳳ー、あ、コラあくびしている暇なんてな― ―』

 話している途中に切るとは、文句の一つでも言いたくなったが、あれで赤城と加賀の弟子。仕事はきっちりやってくれることを信用して何も言わずにおいた。

『シィーット! なんでワタシばっか狙うんデスか! 金剛、艤装中破、もう帰りたいネー!』

「愛宕、高雄、照明弾はしばらく控えてくれ。今から葛城たちに、あの壁の向こうを見てきてもらう。わざわざ目潰ししてくれるな」

『了解』「りょうかいでーす」

 杞憂ならいいが。

 装填完了の合図が出て、腰だめに四十一センチ砲の衝撃に耐える。

『こちら大淀。私たちは独立し、東に向かいたいのですが如何でしょう』

 水雷隊もしびれをきらしている。

 この距離では有効的な射撃はできない。ただの置物に成り下がっているのが我慢できないのだろう。

「長門だ。持ち場から離れるな。お前たち四人がいるから相手が警戒して速度を出せないでいる、もう少し辛抱してくれ。必ずタイミングは作ってやる」

 突撃するのが水雷屋の仕事とはいえ、この砲弾の雨嵐の中に突っ込ませるわけにはいかない。奇襲こそあいつらの真骨頂なのだ。近づく間もなく沈められてはたまらない。

 戦況が膠着し始めていた。無駄に時間をかけるわけにもいかないというのに、冬の海上だというのに全身がじんわり嫌な湿り方をしている。無尽蔵の兵力を持つ深海棲艦とは違う、限りある兵力を効果的に運用し、数の差をひっくり返さなければならない。

 昔は失敗した。失敗したからといって間違っているとは限らない。そんなもの信じない。

『ひええ、比叡艤装小破、一番砲塔がぁ……』

 生きたままカンナで体を削られたらこんな気分なのだろう。深海棲艦の主力部隊に未だ攻撃が通らず、駆逐艦が煙をふきあげながらなおも前進してくる。

「バグパイプ兵とは言い得て妙だ、なァ!」

『大淀です。犬吠埼部隊から無線です。共有します』

 ほとんど同時に、おそらく同じ無線を掴まえた。

 自分の顔が醜く歪んでいくのがわかる。

『敵増援、東南東よりきたる、水雷隊四、重巡戦隊二、戦艦五、戦線を下げる。再度援軍を依頼する』

 悪態を吐く前に、自分たちの頭上がパッと明るくなった。照明弾は撃つなと言ったろう、八つ当たりに無電を飛ばそうとして、わざわざ真上にあげるバカはこの部隊にはいないことに気づく。敵が放ったものだった。先ほどとは比べものにならないほどに攻撃が激しくなる。

 こちらはおとりなのか。

「西の富津部隊に声をかけろ、援軍求む、以上送れ!」

 艤装の妖精が電文を打つ。

 大淀たちが照明弾を打ち落としたおかげで、海は再び砲撃のみの明かりがあった。

 収まらない苛立ちと歯がゆさを、四十一センチ砲弾に乗せて炸裂させる。


「だってさ。頼りにされているみたいで嬉しいね」

 おでこを丸出しにした古鷹さんが言いました。敵艦隊との距離は照明弾が上がった際に調べたところ、おおよそ十キロ。なおも勢い止まらず。艦ならともかく、この暗闇で小さい生き物を視認するのはよほど神経を使っていないとできません。まったくノーマークで近づくことができました。

 深海棲艦の後方から一定間隔に、その前列から断続的に、最前列と思われる駆逐艦の横陣から間断なく発砲炎が上がるおかげで、コマ送りを見ているみたいに、牛歩とも言えるほどですが前進をしているのがわかります。

「古鷹さん、そろそろ一度、進路を青ヶ島にとりましょう。ど真ん中に突っ込んじゃいますって」

 青葉が声をかけると振り向き、さも当然とばかりに答えました。

「このまま突っ込むつもりだけど、ダメかな」

「いやいや、いやいやいや」

 てっきり遠く離れた位置から砲撃してかき乱すつもりとばかり思っていたので混乱しました。よくよく考えれば、今お互いの顔が見えるほど近づいて航行している意味がありません。

「死んじゃいますって、相手の戦力考えてください」

「大丈夫じゃないかな。あ、複縦陣作って。距離そのまま」

「はーい。……じゃなくて」

「逆に懐に入ってしまったほうが安全よ。駆逐隊と背後の巡洋艦の戦列の間、でしょう?」

「うん。砲撃は食らうかもだけど、同士討ちしないために雷撃はしないはず。あとは、体制を立て直す前に振り切る」

 根性論は勘弁してください、なんて言える雰囲気ではありません。先ほどの一線で昂ぶった神経のお二人が黙々と砲雷撃戦の用意をしている音が、背後からガシャガシャうるさく聞こえます。

 もう文句を言うのもばかばかしいです。うちの旗艦はちょっとおかしいんだと思います。さっき自分が突撃できなかったからって、みんな巻き込むことないじゃないですか。熊野さんと目を合わせると、「遺書の一枚でも書いてくるんでしたわ」と、わざわざ大声で言いました。今のうちに電文跳ばそうかしら、とも。

「被弾して速度に支障が出るようならすぐに艤装をしまって、近くの人が抱えてあげて。そうなったら戦闘に参加しなくていいから。とにかく駆け抜けることを厳守。分かった?」

 返事がまばらにあります。

「横須賀の砲撃はどうする。どぼんどぼん音が聞こえんだけど。むっちゃおっかないんだけど」

「突入前に無電送るからすぐ止むと思う。各員、前の人とかぶらないように、少しだけ陣形ずらして」

 雁の群れのような形。青葉と古鷹さんが先頭になって、その後ろを広げるように展開しました。

 砲音と、横須賀さんの撃った砲弾の着弾音、それから深海棲艦の立てる、鉄を引き裂くようなギィギィという声が、うっすらと聞こえるほど近づいています。

 後ろを振り返り、想像通りの形になっていることを確認して古鷹さんが静かに言いました。

「雷撃開始。撃ったら酒匂と足柄は、前列に位置を合わせて」

 とぷん、とぷんと、魚雷が旅立ちます。

 魚鱗のような陣になり、、いよいよ気の狂ったような号令が出されました。

「我ら援護のために突撃する、送って! 砲撃戦、開始!」

 突撃ラッパが鳴り終わるより先に砲撃の音で耳が一瞬潰れ、墨海に糸引く白い筋に気づいたとき、敵は驚愕の……声です。あの耳障りな声が甲高く上がり、押し上げられた海水の中に消えて行きます。落ち着くのを待たず、ほぼ真横から、まさしく横っ面を叩くがごとく砲弾が命中し、幾つか弾薬庫を抜いたのでしょう、地上で爆発する花火みたく断続的な爆発があちこちで発生しました。

「あっはっは、奇襲がこうも決まるとサイッコーね、突撃するわ、いくわよ摩耶!」

 先行しようと列を崩した足柄さんに、古鷹さんの鋭い待ったがかかります。「絶対に隊列を崩しちゃダメ。青葉、後ろに列を合わせて、距離を開けないように注意してね。そっちは頼んだよッ」お尻を広げる形を取っていた陣形ですから、必然的に両翼の距離は離れます。即席の、三人による単縦。敵陣のど真ん中を突っ切るのに六隻で大蛇となるよりは、ということでしょう。

「了解です、古鷹さん、お気をつけて。よおし、青葉隊、突入します!」

「正気の沙汰じゃありませんわ」

「正気だろうが狂ってようが、沈んだら敗者よ、それなら狂ってた方が楽しいじゃない。ふふふ、太平洋に足柄ありと刻み込んでやる!」

 味方が燃え盛る中、突如暗闇の向こうから突っ込んでくる敵。深海棲艦の側に立てば、これ以上ない絶望と混乱の暴風雨のはず。いよいよ陣の中に切り込んだ時、砲口を向けてくる敵は、少ないものでした。

「青葉隊、第一目標狙え!」すぐに動きだしていた敵に探照灯を目潰し代わりに照射し、ついでに砲撃指示を行います。「撃てえッ」三度、腹に響く音が轟き、着弾までの余韻などなかったかのように、敵重巡がズブズブと爆炎をあげ沈んでいきました。

「次は」「そんなのまだるっこしい、とにかく撃つ!」

 頭上がパッと明るくなりました。局所的な炎による灯りとは違い、全体が俯瞰しやすくなりました。横須賀からの砲撃が止んでいます。

「わかりました、各自、兵装自由使用。こちらに砲口を向ける敵を最優先でお願いします」

 陰陽の強調された中、わずか数分間の青葉たちの突入劇。

 この照明弾が落ちきるよりも先に終わってしまう生きるための時間。

 音が轟き、海がえぐれ、空気震えて火薬と硝煙で濁る視界。純粋な『殴り合い』による戦いほど、私たち重巡の誉れとなることはありません。戦艦の方々には悪いですが、今、この状況において敵が脅威と認め、恐怖を感じているのは長門さんたちの巨砲ではありません。青葉たち、富津第一戦隊。

 限界まで研ぎ澄ませた集中力はわずかな予知能力を生み出し、揺らめく影の一つ一つが自分のよう。身体中の産毛が音をつかみ、攻撃を受ける前にこちらの弾を叩き込む。「敵中突破の粋ここにあり」誰かが叫び、真横で敵が倒れこみ、弾け飛んだ艤装が顔をかすめ皮膚を割く。唇が生暖かい、舌をなめずり、唾液ではないぬるつきと鉄の味。目を見開き、目につく敵に砲撃すれば肩に衝撃、殺さず、勢いのまま次の目標へ。次の目標へ。次、次。耳元を弾がかすめる、鳥肌が立つ、髪が焼ける、伏せた体制から砲撃、まだ、まだ終わってはいません。終わりません。足元に敵弾、体制が崩れ、崩れたまま砲撃、勢いで体制を戻し、次いでくる肩口に受けた砲撃で体が傾ぎ、痛い、狙い定め、撃ちます、撃ちます、喰らいつき、敵に砲口を押し当て撃ちます。飛び散り、またも細かい鉄片が弾け、体のあちこちに刺さり、かすめ、敵の姿は爆炎の中、次へ、次へ。まだ終わりません、終わらせません、青葉たちの舞台はここで、ここに、今こそ、今こそが、今こそ!

『青葉さん!』

「っ」氷柱のような声。煮えたぎった頭が冷え切るよりも先に背中が折られるような衝撃。衝撃、横からも前からも。腹、肩、頭、足、肩、足。

 ですよね! 無理無理、そんなうまくことが運ぶはずがありません。

『先行しすぎですわ、速度落として!』

「うぎゅっ、いだっ、ゲッ」

『青葉! 熊野、とりあえずあんたの魚雷全部ばらまいちゃって』

『構いませんわ、おバカさんを任せましたわ、よッ。なんでうちの部隊のツートップは死にたがりなんですの!』

 失礼な。

 古鷹さんがこんな突入指示出さなければこんなことにならなかったんですからね。

 間近で立ち上がる水柱に飲み込まれたおかげで多少砲撃は止んだとはいえ、後ろからなお続く砲撃に体をつんのめらせ、危うく顔から海面に突っ込むところを、力を振り絞って踏ん張ります。水を突き破ってきた砲弾に空いた脇腹を殴られ、変な音がしました。

「青葉っ。ちっきしょう、倒しきれるわけないのよ、こんな数! 撃てぇッ! ……んにゃっ、あだッ!」

 足柄さんが覆いかぶさるようにして必死に応戦していますが、さすがは野生動物と変わらないだけあります、もう現状に適応しはじめ、致命打を与えられていない敵が無表情に立ち上がっていました。

「あんた艤装しまえる? 担ぐから全速力でうぎゃっ! ……抜けるわよ。私がまだ動けるうちにね」

「……無理そう、ですかねえ。気が狂いそうです。それかショック死します」

 今でさえ足が震えているし、鼓動に合わせて身体中が崩れてしまいそうでした。冗談ではないというのに、「まだ平気ね」と言われ、改めて戦闘狂の恐ろしさを垣間見ました。曰く、言葉を理解して言葉で返してくるうちは重症ではないらしいです。砲音で脳をやられてるんだと思います。あ、内緒ですよ。

『青葉、青葉! 大丈夫なの?』

「あは、大丈夫ですよ、まだ浮かんでますから。足柄さん右舷! ……失礼しました。そちらはどうですか」

『もう数が多く、酒匂、左舷! 早く撃って! ちょっとごめんっ』

 無電が切られた直後、離れたところでバアっと火の手が上がりました。不穏な空気が流れた後、何事もなかったかのごとく、古鷹さんの、この状況下にあって癒される、ほがらな声が再び通信されます。

『後少しだからがんばろ。こっちはなんとかなっているからさ』

「青葉りょーかい。ああ、あの暗闇が恋しいなあ」

 照明弾の照らしきれない宵闇の向こう。そこへ行けば、轟きの渦から抜け出せるということです。後ほんの数十秒耐えれば「んがっ、熊野、右九〇度回頭急げ!」『は? 戦艦の中に突っ込めって――』体を倒して無理やり横滑りする形で右に逸れた青葉たちの脇を、何か大きなものが通り過ぎて行きました。

「熊野!」

 通信は返ってきません。前方への好奇心より仲間を気にしない艦娘がありましょうか。振り返れば、先ほどまでこちらが作り出していた光景を、熊野さんが作り出していました。

 身につけた艤装から火を吹き出した熊野さんが、両腕をだらんとぶら下げ、今にも倒れ込もうとしていました。

「青葉あんたは頑張れ! ――足柄よ、真正面、敵戦艦の横列、熊野被弾、大破っ。チィ、どうすんのよこれ、 熊野、く、ま、のォ! 起きて進みなさい、それじゃあ的になるわ!」

 支えを失って傾ぐ体を、まだ力の入る足でなんとか踏ん張り、顔を上げました。逃げ込もうとした宵闇の中、照明に慣れた目をこすりこらすと、残りカスの光ににぶく輝く、巨大な艤装。

 戦艦ル級が、青葉たちの行く末に蓋をするように、こちらを悠然と眺めていました。

 奴らは低速のはずです、ほぼ停止に近い速度から、青葉たちに割り込む形で、自分たちの作り上げた一・五キロの横列を移動できるはずがありません。

「青葉たちが突入する前は、確かに後ろに……そんなに早く、判断が」

『古鷹です、熊野の容体を早急に!』

『意識あり、だけど艤装もめちゃくちゃ、左腕が使い物にならないわ。あと多分通信もできてない。かろうじて浮かんでいるけれど速度は出せない!』

『摩耶、青葉隊に就いて。ちょっと辛いかもだけど、左舷もお願い』

『それはいいけどよ、目の前どうすんだよ。今更引き返せねえぞ』

『私と酒匂で突撃します。なんとか道を開けるから』

 まさか。

 粘着質な前方から目をそらし、今まで青葉たちが戦っていた右舷。その向こう側。近場にいた軽巡と重巡に意識を取られて見ていなかったその奥。今まさに、たっぷりと時間を取り、狙いを完璧に定めた戦艦が火を吹かんとする砲口を、ゆっくりと前進しながらこちらに向けていました。

「戦艦は四隻ではなかった、んですねえ」

 こちらに向かっていた摩耶さんも同じものを目にしたようです、『おい、待て待て待て、敵増援! 戦艦四!』そう叫び、直後、殺意が放たれ「させないわよぉ」ませんでした。

「喰らいなさいッ」

 ものすごい勢いで目の前を紺と金が通り過ぎました。急に飛び込んできた人影からの轟音は、戦艦ル級の狙いをブレさせるには十分。致命打こそ与えられなかったものの、集中力の分散された砲撃に当たるほど青葉たちも落ちぶれちゃいません。痛む身体をこらえ、鋭く角度をつけ回避行動をとります。熊野さんも、足柄さんが引きずるようにして避けました。

 第二の混乱に陥る深海棲艦。

 火山は噴火しない期間が長ければ長いほど、溜め込むエネルギーが多くなるそうです。

 と言うたとえがしっくりきました。

「そのままおとなしくしていなさい。……ふふ、馬鹿め、と言ってさしあげますわ」

 一度砲撃した戦艦は、青葉たち重巡よりも少しだけ装填に時間がかかります。艦船も艦娘も深海棲艦にも横たわる不文律。新たに飛び込んできた生きのいい横須賀の艦娘二人は後先考えない雷撃で、あっという間に戦艦を二隻、炎上させました。あの燃え方は、もう長くないでしょう。

『そのまま突っきれ、富津部隊!』

 無電が入るほど近く。

 それから、前方の戦艦が一隻、水柱に持ち上げられ沈んでいくのを、新しくあげられた照明弾の下ではっきりと目撃しました。

『そんな無茶を見せられて黙っていられませン! 比叡、ワタシたちも見習うネ』

『だから砲塔がダメになってるんですってばあ……。まあいいや、気合、入れて、行きますッ』

 言葉通りの、狙いの定まらない砲撃。しかし注意はこちらから完全に逸れ、突っ込んでくる高速戦艦を脅威と認識しているようでした。

『青葉、熊野、頑張って! 富津第一戦隊、前方の敵戦艦をすり抜けるよ』

 最後の一踏ん張り、悲鳴を上げ始めた機関を回し、第三戦速まで速度を上げつつ、ぶつからん勢いで戦艦に突撃しました。かすかに目を見開いた戦艦ル級の顔がはっきりと見えます。ピタリと止んだ横須賀の砲弾は、まさしく、私たちの花道を作り出してくれている。そう思うと足の震えが収まり、同時に胸にボイラーが増設されたみたいに、体がカッカと熱くなりました。

 よし。

「……てぇ!」

 痛みをこらえて、すれ違いざまに放った砲弾は見事命中。砲塔の一つを潰すも、致命打は与えられなかったらしく、腹立たしげにこちらを睨んできた深海棲艦に苦笑いしておきました。

「青葉、青葉。もういいから。大丈夫」

 急に横から抱かれて全身が固まりましたが、ちょっぴり汗の匂いの向こう側、嗅ぎ慣れた古鷹さんの香りに気づいて、全身の力が抜け、思わず膝をつきそうになりました。ですが、すぐ後ろから聞こえる戦艦同士の殴り合いの音にハッとなり、力を入れなおします。

「あはは、火力がちょこっと足りないのかな。沈めてやるつもりだったんですけど。でもでも、砲塔は潰しましたよぉ」

 古鷹さんが肩をさすってくれるだけで、体の痛みが和らいでくる気すらしてきます。

「見てよ、私たちが突入したとこに横須賀の娘たちが、ほら」

 私たちが一直線に作った炎の道と、ほころびを食いやぶらん勢いで突入していく金剛さんや長門さんたち戦艦、魚雷と砲撃で的確に穴を広げていく高雄さんと愛宕さん重巡。瓦解した陣形は、未だ抵抗激しけれど、練度の差をまざまざと見せつける横須賀部隊の歯牙にかかり、撤退、もしくは全滅まで追い込まれるのは、確実に見えました。

「あー……生きてますの? ぃきゃッ」

「腕は見ない方がいいわよ。なんかすごいことになっているから」

「……この上着は足柄さんのかしら。ありがとうございます。片腕が動けばなんとかなるでしょう」

 背中をさすってくれていた手を止め、古鷹さんが熊野さんの元へ向かいます。

「熊野、ごめんね」

「まったくですわ。死ぬかと思いました」

 なんども謝る古鷹さんだって血まみれです。ちょっとしたスプラッターなぐらい、青葉たちの部隊は傷だらけの艦娘ばかりです。いますぐ入渠して、お風呂に入って、ちょっと硬くてペラッペラな毛布にくるまっておやすみなさいをしたいぐらいです。

 が、そうもいかないのが作戦行動というもの。

「でも生きていますから。突入も無駄ではなかったようですし。さ、次に行きましょう」

 本隊が待っています。こちらよりももっと劣勢な、犬吠埼の水雷隊が、大量の戦艦相手に立ち回っているのです。止まっているわけにもいかず、両舷強速、少し火照った体に寒風が気持ちいいかと思えば、汗が冷えて歯の根が合いません。

 熊野さんに併走しつつ、さらに申し訳ないように、小さい体をさらに縮こまらせ、それからぐっと背筋を伸ばして古鷹さんが言いました。

「熊野、八丈島に向かってください。命令です」

 少し間をおいてこれに応える熊野さん。声が遠くなっています。

「ありがとうございます、なんて言いませんわ。私の気持ちを汲んでくださる?」

 落伍しているのです。第一戦速も出せない、十ノット以下で走る大破した艦娘が、この後の戦いを生きて帰還することは、本人にも理解できるほど、無理なことでした。

 急がねばならないのに、青葉たち全員、熊野さんに速度を合わせます。

 緩やかに流れる潮風を全身で受け止めながら星空をあおぎ、つぶやくように言葉が続きました。

「今度は、生きて帰れるといいですけれど」

 この距離です、もちろんちょっとした自虐ネタだというのは何度も一緒に海に出ているのでわかっているのですが、ただ一人、酒匂だけが不安そうにみんなの顔を見渡しています。「一人で行かせるなんて」そう顔に書いてあるのがあからさまです。けれど、熊野さんが抜け、さらに護衛に一人つけてしまったら、青葉たちは四人で敵の本隊の足止めを行わなければなりません。酒匂さんの心配を払拭することができないことに、一路、沈黙が流れます。

 それも古鷹さんの一言で流れが変わるんですけど。

「酒匂、じゃあ護衛について行ってあげてくれる?」

「ふーるーたーかーさーん? もう無茶はやめてくださいってぇ」

 熊野さんも「冗談ですわよ」と言ってやんわり断ろうとしましたが、横槍が突っ込まれました。

「それがいいかもな」

「摩耶さんまで。この後の敵戦力、わかってて言っています?」

「わかってる。わかった上で、酒匂は一旦引かせたほうがいい」

 真面目に言っていました。

 急に話の焦点が自分になったことに驚いた酒匂さんがちょっぴり眉根を寄せます。

「酒匂、何か悪いことした? ……あ、護衛が全然、イヤってワケじゃないけどっ」

「悪いことなんかしてねえよ。ただ、何もしなかっただろお前」

「頑張ったもん! ちゃんと雷撃だってしたし、砲撃だって」「何発撃った?」

 畳み掛ける摩耶さんに酒匂さんが答えます。「……一、ぱつ」

「最後だって古鷹が見てなけりゃ、見事に雷撃放たれていたんだぞ。お前が撃ってりゃなんともなかったのに、無理に目標を変えたせいで古鷹は被弾。途中途中、アタシだってフォローに回っていたの、気付かないとは言わせないからな」

 唇をぎゅっとひきしぼって耐えるように摩耶さんの説教を受けている姿は、いじめのようにも見えてあまり気分はよろしくありません。が、あの通信の向こう側で酒匂さんがもたついていたのは事実なのでしょう。左に敵を見ていたはずの古鷹さんが右肩を負傷しているのは、途中で強引に転舵したことを証拠として突きつけています。

「何もしてないってんならそれでいい。だけどな、お前のせいで何かを犠牲にしなくちゃいけないってんなら、何もしないよりもタチが悪い。それなら熊野の護衛という、明確な役割を持って島で待っていてくれた方が」「まあまあ、酒匂は初出撃だし、ね?」

 足柄さんが摩耶さんを遮り、勢いを削がれたのかさっさと行ってしまいました。

「あ、コラ摩耶、先行しないで。……もうっ。酒匂、気にしないでね。どちらにせよ、横須賀さんを抜けてきた深海棲艦が襲ってくるかもしれないから、護衛はつけなくちゃって思っていたの。敵が来たら、しっかり守ってあげるんだよ」

 焦げた匂いをたなびかせ、摩耶さんを追いかけて行きました。

 気まずさの中、酒匂さんに熊野さんの体を預け、二人を追いかけようとする足柄さんに続こうとしました。背中に声がかかります。

「酒匂、邪魔だった?」

「……」

 青葉には答えられませんでした。自分のことが精一杯で、彼女のことをきちんとみてあげていられなかったからです。震えた手を握ってあげることもできません。陳腐な慰めは酒匂のためにならないと、半端に賢しい頭が答えを弾き出していたから。

 こういう時に細かいことを気にしない性格は、本当に羨ましいです。肩越しに振り返って、きちんと笑顔を見せた後、足柄さんは大声で叫びました。

「一層の努力をもって見返すべし! 生きていれば先は長いのよ、摩耶の鼻をへし折ってやるぐらい強くなりなさい。そのためには今できることをきちんとやり遂げな」

 ぽかんとした酒匂さん、青葉と目があうと、顔つきが変わりました。帽子などかぶっていないのに敬礼を見せ、足柄さんに負けない大きな声が返ってきました。

「どうか、ご武運を!」

 バッと片腕を上げて答えた足柄さんの脇に滑り込み「やーい、かっこつけ」と言ってやると、「うるっさい」グーで小突かれました。まだ身体中が痛みますが、こんなやり取りの後ですから、ぽかぽかあったまったようなきもち。

 あの顔なら心配はないでしょう。遠くから熊野さんの悲鳴が聞こえてくるあたり、悲しんだりしていないようですし。多分無理に引っ張っているんだろうな。別件で怒られそうですが、へこんでばかりいるよりも、空回りしているぐらいがちょうど良いです。なんせ戦闘が大好きな戦隊なんですから、ここは。

 なぜか古鷹さんに頭を撫でられていた摩耶さんたちに追いつき、お互いの残弾の確認をしました。弾薬はまだ半分以上ありますが、魚雷が四人合わせて八本。全弾撃ち尽くした摩耶さんと足柄さんに二本づつ渡し、戦力を均一化しておきます。奇襲として打ったら最後、あとは主砲だけが火力の頼りです。あれだけ至近距離でも沈めることができなかった戦艦相手では、何発叩きこめば良いのでしょうか。横須賀の打撃部隊が早くこちらに来てくれれば良いのですが。

 見るからにズタボロですが、きっとこれが最後の戦闘でしょうから。会敵まで誰も話さずに体を休めることに専念していました。


 とっても帰りたいです。

「怖い、重巡が怖い!」

 あれだけカッコつけていた足柄さんが涙目で叫びます。「おまえも重巡だろうがあ!」摩耶さんに突っ込まれても縦横無尽に飛んでくる砲弾が海に牙を立て返事はかき消されました。

「みんな固まらないように、だけど」

「離れないように、ですよね、わかっているけど、わかってはいるんだけどなあっ」

 回避してから陣形を維持するために元の場所に戻ろうとすれば次が来る。上に気をとられていたら足元をえぐられる。奇襲がそう何度も成功するはずもなく、逆に敵戦隊の一つに待ち伏せを食らった青葉たちは総崩れ直前の、きわどい戦闘を強いられました。ガグン、ガグンと調子の悪い推進機関が安静にしろと言っているようです。速度が安定しないおかげで目の前を砲弾が横切る、すんでの生にしがみついたこともあるからいいものの、このまま戦闘を続けていたら、そのうちに的なってしまうでしょう。そうなる前に深海棲艦の皆様方にはお引き取りいただきたいところです。

 両者の頭上には燦然と輝く花火、いや、照明弾が、深夜三時を回った海を明るく照らしあげています。おかげさまで戦艦の砲撃も届く届く。

「さっきのよりもきっついわ」

 たまたま近くに回避してきた足柄さんが言います。

「そりゃあ、一仕事終えた後ですから。砲塔大丈夫ですか」

「半分潰されたわよ。ちくしょう、クソ駆逐艦めえ、ピンポイントで狙いやがって」

「あはは。……ッ」嫌な予感がしたので、二人で協力して急旋回、直後とても大きな水柱があがりました。反対方向に逃げていく足柄さんの背中に声をかけます。「摩耶さんの口調がうつってますよ!」

「あんな口汚ない露出狂と一緒にすんな!」着弾の隙間を縫いつつ返ってきたのは本当にいまいましげな。あれで陸ではよく一緒にお酒を飲んでいるんです。げに不思議なのは世の真理ではなくあの二人の関係性だと思いますね。

 さて、どうしましょう。 

 先ほどの仕返しなのか、見事に横っ面から突っ込まれたおかげで体制を立て直せないほど間近に深海棲艦がいます。同士討ちを気にしないものですから、敵本隊からの砲撃がやむことは期待できません。このままでは防戦一方、まずは近場をどうにかしなくてはいけないのに、先ほどの敵中突破が響いて満足いく戦い方ができない。

 砲を抱える肩は、持ち上げるたびにグギグギ変な音がします。

 衝撃を支える足は、力の入れ方を間違えれば脳天に刺さる痛みがあります。

 撃てば脇腹が軋み、腰が悲鳴をあげ、受け止めきれなかった衝撃に体を大きくのけぞらせてひっくり返りそうになります。

 歯を食いしばって、なんて青葉のキャラじゃないんですけども。もっとこう、飄々ヘラヘラしていたいんだけどなあ。あんまり頑張ってしまうと……うん、疲れる、し。

「青葉、辛かったら無理しないで下がっていいから」

 灯りに照らされた古鷹さんの鳶色の髪の毛がまだらに赤くなっていました。「古鷹さんこそ、頭部に被弾しているなら下がるべきでは」とヤケクソの笑顔を見せてあげると自分の髪の毛を梳いて言いました。

「うわっ、固まっちゃってる。お風呂はいりたいなあ」

「あはは、心配いらなそうですねえッ」

 頭上の敵弾にしゃがみこんで(通り過ぎた後なので意味はないのですが)、お返しに一発。少しだけ後退させましたが沈黙させるには至りません。ただ、同じ敵を狙った古鷹さんの攻撃は足を見事に撃ちぬき、体制を崩した敵は足柄さんたちの一斉射を受けて爆沈していきました。

「もう突撃はできないし、魚雷も少ない。こんなに食い込まれて、挙句向こうの方じゃあ戦艦サマがいっぱい健在。詰んでいるのでは。いっそ朝まで待って航空支援を待ちませんか」

「夜明けまであと三時間もあるんだよ、島の形が変わっちゃう。夜が明けて水上部隊がこんなにいたら、どこかに待機している空母が絶対に出てくるから泥試合になる。ならいっそ、被害覚悟で門前払いしておかないと」

「真面目ですねえ」と強がってみても、青葉だって同じ意見なのだからこうして闘っているわけです。

 ぐわん、と大きく回頭をして古鷹さんについていきます。

「そういえばさ、さっき何を言いかけたの」

「さっき? はて、いつでしょうか」

「ほら、司令官の話をしている時だよ。『もし青葉が』って言って敵が来ちゃったとき」

「ああ」本当に何でもない話を蒸し返してきたので、自分では思い出せませんでした。「何で今さら」

 こちら側の照明弾が海に落ち、間断おかずもう一度敵を照らしあげます。

 じわりじわりと前進している。

 八丈島まで二十キロ切りそうなほどです。戦艦の砲戦距離に達しています。逆側から犬吠埼の水雷隊が、そしてこちらからもあてずっぽうの砲撃で気を散らしていても、もし敵が全て島に注意も向けた場合、止められる術は青葉たちにありません。猛進する猪の群れに立ち塞がれば、たやすく食い破られるだけ。罠だって用意されていないのです。

「古鷹さん、この先どうするおつもりですか。もはや青葉たちに、あの艦隊をどうこうすることはできませんよ」

 話をぶった切る青葉を頰を膨らまして睨まれます。

 足柄さんも摩耶さんも、青葉も古鷹さんだって傷だらけ。まともに動く砲をなんとかやりくりして反撃しても機嫌を損ねるだけ。まさしく、火力が足りません。限られた数の魚雷は切り札、しかし、無駄に切ってはいけないのが切り札なのです。確実に、確信とともに放たなければ、全くの無駄打ちとなり、その時こそ富津第一重巡戦隊の存在意義がなくなります。

「だからって刺し違えるなんて考えは許可できないからね。摩耶、もっと下がって!」

「犬吠埼の皆さんも攻めあぐねているようです。よくもまあ、こんな大艦隊相手に立ち回っているものだよ、こっちはもうボロボロなのにさ!」

「……違うよね。うん、やっぱり違う」

 血で固まった髪の毛を爆風でなびかせながら古鷹さんがつぶやきます。目線の先には、変わった動きで敵に肉薄しつつも、駆逐隊の弾幕に踏み込めない犬吠埼の部隊。

「そりゃあ今は人の姿ですからね」

「ちがうの、ちがう、ちがう……」うわ言のように繰り返していました。この状況に気でも違ってしまったのか、張り手を一発かまそうと手を挙げたとき、顔を上げて言いました。

「あとふたつ」

「はあっ?」

 手首をぐっとつかんで顔を近づけた古鷹さんの目は救いを求めているように揺れていました。

 

 古鷹隊が敵主力隊との交戦を始めたころ。

 息をひそめる八丈島、その東、神湊港に酒匂と熊野が到着した。

「だれか、だれか手伝って!」

 息をひそめる島に、白い戦闘服を真っ赤に染めた酒匂の声が響いた。本隊と別れた後、背後に戦闘音を聞きながら帰投する途中で気を失った熊野は、酒匂の首からちぎれたネックレスのようにぶら下がっていた。艤装を展開している。酒匂だって同じだというのに、熊野の体が重くて仕方がない。彼女の側に向けて体が傾ぐ。大汗をかいているせいで滑り落ちそうになるのを必死に支える。

「誰か!」

「どちらに所属ですか!」建物の影、視線の通らないところから男の声が上がった。

「富津第一重巡戦隊の酒匂だよ、熊野がケガしているの、おねがい、助けて!」

 半端にスロープのついた桟橋に上がると酒匂は動けなくなった。両者の重みで首がミシミシ音を立てている、足の艤装が管轄外だと悲鳴をあげ、いたずらに壊さないようにとついに膝をついた。

 声がしたところと同じ方面から、何十もの人がこちらに整然と荒々しく近づいてきた。どれもこれも星月の下でもわかるぐらい垢に汚れていて、衛生的にも生理的にも受け付けない男たちが酒匂の周りを取り囲み、一帯、すえた汗の臭いが充満した。

「おい、管理棟に連絡、急いで明石さんをこっちに!」

 何人かが走り、すぐに長身の女性が手を引かれて小走りにやってきた。

 ながい桃色の髪、彼女は熊野を見かけるやすぐに艤装を展開させた。鎧のような艤装だ。顔つきは知的そのもので、一般的ではない巨大なクレーンのついた、おおよそ戦闘向きでない装備の持ち主。

「私は艤装は直せるけど、体は治せません。先に入渠させないと」

「第一入渠場は現在、卯月さんと千代田さんが使用中です」

「卯月さんを叩きおこして。もう傷は治っているはず、中で寝ていると思います。車を回してください」

 また別方向に人が消えていく。

 それから彼女が熊野に触り、なぜるようにすると艤装が消えた。

「あっ!」

 痛みで目を覚ましたが、覚醒はしなかった。軽くなった熊野の体を波打際から引き上げ、手早く止血し、何がしかの薬を飲ませる頃に一台、ライトも点けずにタイヤを鳴らせて到着した。

 後部座席に寝かして、「入渠液の交換を忘れずに」と運転手に告げると、頭を下げて、男がゆっくり速度を上げた。わずかな段差でもなるたけ振動させないように気をつけているのが、速度を見ればわかる。ブレーキランプは、おそらく夜間限定であるのだろうが電球が抜かれていて、よわいヘッドライトを頼りに進んで行く。

 あたりはある程度整備されているとはいえ、流したばかりのコンクリートは濃鼠色のままだった。軍で使用している木箱やコンテナが乱雑して、けれど中身はどれも空っぽ。港の建物は一律破壊され尽くしてはいるが、急ごしらえのテントや簡易的な木造舎が点在し、そのどれもに人の営みを感じさせるのであった。灯りは一切ない。この数十キロ先では、未だ長門や金剛らが砲戦交えているのだ、ここで島が灯りの一つでもつけようものならば、あてずっぽうであってもタマが飛んでくる。防衛する艦娘らに対する裏切りに等しい。

「戦局はいかがですか。無電で話されるとこちらには情報入ってこないんですよね」

 車を見送っていた明石が酒匂を少しだけ見下ろした。

 身長差がある。見上げるようにすると、筋肉痛か、鎖骨の下の筋肉が痛んだ。

「は、はい。えと、わが部隊は、敵部隊ソク部から、あー、突撃……をカンコウいたしまして」

「もっとくだけた話し方でいいですよ」腰を曲げて酒匂に目線を合わせた明石が人懐こく言った。

「えっとえっと……。今は長門さんたちが戦ってるよ。私たちは敵に突っ込んでって、その隙に横須賀さんが突撃して、それで古鷹さんたちは犬吠埼さんの援護に向かったの」

 状況ばかりを伝える言葉をすぐに噛み砕いた明石が頭をガリガリとかく。見れば腕や顔に治療の痕があるが、血も滲んでいないし、軽症なのだろう。「今正面にいるのって打撃部隊、戦艦が四隻もいるんでしょう? そんな中にあなたたちは突っ込んで行ったんですか。よく生きてましたね」呆れたため息があった。「被害は熊野さんだけ? あのくらいなら明日の朝には治ります。護衛、お疲れ様でした。おやすみになりますか」

 褒められたことと、無事任務をまっとうできたことに安心した酒匂だが、すぐにかぶりを振って明石にしがみついた。

 艤装がガシャリと音を立てる。

「増援を出して。東の敵はいっぱいで、正面は戦艦が八隻もいるの」

「八隻!」明石はのけぞった。「二倍じゃないですか」

「でもでも、あんまり強くないって摩耶が言ってたからだいじょーぶだと思う。でもでもでも、いっぱいいるから」

「東に対する有効打がいない、というわけですね。知ってはいるんです。そちらが主力艦隊だというのはね。けれど……」

 島の中央の方に顔を向けて舌打ちをした。

「私も、ここに来る途中で水雷隊に襲われまして。千歳さんたちが頑張ってくれて、全滅させたはいいんですが被害もあり。大したことではないですが、果たして数隻の水雷隊が援軍になるかどうか。いえ、富津部隊の練度の話ではなく」

「空母いるんでしょ、夜間出撃できないの?」

「できます。横須賀の空母部隊はレベルが高いですよ、呉でも時々話に上がるほど。だけど、今は全機発艦して青ヶ島の方へ」

「青ヶ島」酒匂はうまく状況が飲み込めず、そのまま聞き返した。せめて爆撃隊の三つか四つ出してもらうだけでも状況は変わるというのに。

「別働隊がいたんです」

 うつむいた酒匂の方を撫でて言葉を続けた。「巡洋艦率いる戦隊が青ヶ島を狙っています。ま、秘匿し続けることは無理でしょうからね。水上部隊の手が回らないので葛城さんたちが出張っているんです」

 足の力が抜け、艤装のおかげで体がよろけた。やはり艦娘、『艦』娘。陸の上で想定されていない装備だからこそ、二本の細い足で支えるには無理がある。「おっと」同じく装備を展開したままの明石が受け止めた。

「少し休みましょう。あなたも、戦われたんですし。……お願いね」

 酒匂がひと撫でされると、自分でそうしたかのように装備が収納された。重心が急に変わって尻餅をついてしまい、「あらら、すみません」と謝る明石に手を引かれて立ち上がる。彼女もまた、艤装を収納していた。少女に戻った体が悲鳴をあげるも、重く締め付けるような艤装がなくなったことで羽にでもなったかのように心地よい。

 散らばった木箱を一つ椅子にして腰かけた。周りには獣みたいな匂いが充満している。活動している男たちがいるはずなのだが、声や匂いはあれども姿が見えない。

「なんで、酒匂の艤装、いや人の艤装を」

 熊野もそうだった。

 艤装は本人以外がどうこうできるものではない。砲塔一つ、燃料一滴とっても、自分の艤装に取り込まれたものは、艤装に宿る妖精のものになるのだ、そして妖精は装備者以外の言葉に耳を貸さない。例外なのが妖精とコンタクトを取れる人間であり、さらに細かく命令できるものだけが部隊、もしくは基地の司令官に就任する。艦娘同士でも同じだ、昨日装備していた艤装を他の艦娘が装備したとて、自分の言うことは聞いてくれない。仕える主人が変われば、忠誠心も変化する。

 隣で髪をなびかせるのは明石。工作艦、明石。

「私の言うことはどんな妖精さんだろうが無視しません。無理矢理に機関を止めることだってできますよ、今度試してみますか」

「いや、やめとくよお」

 海の上でそんなことをされたら時速四十キロでドボンだ。下手すると水切り石みたいに跳ねるかもしれない、間抜けすぎる。

「一応、深海棲艦の艤装もどうにかできるんです。私の妖精さんを送り込んで、向こうの妖精さんを制圧する時間さえあれば、ですけれど。戦闘じゃまったくもって使えない、ちょっとした裏ワザです」

「……敵も、妖精さんと一緒なんだ」

「ありゃ、これ言っちゃいけなかったんですっけ。ま、そのうち発表されるからいいでしょう……うん、いいはず。内緒にしてくださいね」

 気まずそうにする笑いにつられて顔がほころぶ。一気に噴き出した疲れでまぶたが落ちそうになるのを、港の空気が一気に騒然とし始めて、すんでのところで防がれた。「なになに、敵っ?」立ち上がろうとして、それよりも先に艤装を展開させていた明石が「敵ではないです」と片手で制する。

「輸送船団がくるぞ、各部隊定位置につけ。荷物は片付いているな。道を開けるんだ!」

 野太くかすれた、荷下ろし担当部隊の隊長らしき男の声が響き軍靴の音が四方八方からこちらに集まってくる。「うわ、うわわっ」こんなに多くの男を見たことがなかった酒匂が怖がって明石に体を摺り寄せた。続いてやわいライトをつけてトラックやクレーンが、桟橋から離れた位置に整列された。物資輸送をするのに車両があんなに離れてていいのか、明石に聞いたら「先に船から出てくる車が優先ですから」と、働く男たちを眺めながら言った。すべて人力と思っていた酒匂が小さく感心する。

 邪魔にならないよう端っこに寄り、巣穴を塞がれたアリみたく動き回る姿を眺めていた。桟橋に整列する班、車列を走り回る男、屋内に引っ込んだかと思うと転げるようにまた出てくる人、車がスムーズに走れるよう石や木材の破片を片付ける雑用まで、誰もあぶれずに働いている。

「富津第一水雷戦隊から入電、三キロ以内に敵影なし、車両輸送船から先に着きます」

 彼らの鉄火場である。

 明石が声を上げると腹からの声が響いた。想定時間より遅くては意味がない。早ければ早いほど良い。迅速に無駄なく荷下ろしを行うための準備を着々と推し進め、多少散らかっていたのは、当初は西側の八重根港につける予定だったからだろう。車のエンジンがごうごう唸っている。いつでも誰でも手を貸せるよう、隊員たちが一挙、まるで王族を迎えるかのように整列した。

「護衛艦娘、警戒態勢に入りました。……荷下ろし用意!」

 音も立てず灯りもつけず、巨大な輸送船(観光用のフェリー)が島影からのっそりと出てきた。

 警戒態勢に入るのは、本来は横須賀の艦娘の仕事。今は戦闘中であるため、富津部隊が休憩を行わず、荷下ろしの間の警戒を担うようだ。

 スロープのついていない方に頭から雑に接岸した輸送船のフタが開くとすぐに、そのまま渡し板になったフタを踏み外さないよう、車列が出てくる。ライトをつけず、間近に並んでいた兵士たちがよわいサイリウムを持って立っているおかげで、パレードの花道のようなものを作り出していた。おかげで桟橋に降り立った輸送車はタイヤを鳴らし、一気に速度を上げて、道に沿うよう港の奥に設えられた倉庫の近くに次から次へと停車していく。一つの車が荷下ろしするのに一分かかっていない。フェリーの頭から生まれた車列は、最後の一両が降り立つと同時に、入れ違いで戻っていった。

 酒匂は目の前を行き過ぎる車列を呆然と眺め、働く男たち見つめていた。大勢いるのに、みんな一人づつ役割を持っている。一人サボればその分だけ作業の終わりが遠のく。ただ突っ立っているだけでも道を作り出す。明石を見た。明石は耳に手を当て、真剣な顔つきであたりの様子を伺っていた。「あと五分で次が来ます、どうですか」大声を出すと、倉庫の方から返事があった。「じゃんじゃん持ってこい!」それその通り、みるみる間に車列はフェリーに食われていく。残り数台、といったところだ。

「ネーちゃん、こいつはどこへ碇泊させりゃあいい。どこもかしこも敵だらけなんだろう」

 船の上からヒゲだらけの男が叫んだ。

「漁港の方へお願いします、エンジンは切らず、垂戸湾の方へ伸びる形で。誘導灯を一つ、白色でつけてください。もし敵が見えたら黄色に。後に続かせます」

「あいよ」大きく手を振って、男の姿が消えた。声だけが続く。「軍人さんらはもう休ませてもいいな!」

 トラック輸送船は接岸から二十分で役目を終えた。

 バックしていく船と入れ違いで、今度はさっきとはまた違った形の観光船が入港し、今度こそ湾内の男たちがこぞって動き出した。

「おうい、艦娘さんよお」

 また頭上から声がかかる。「碇泊は漁港です、先に一隻向かいました、誘導灯を目印に、お尻につけてください」

 明石の返事を聞くと「大変だろうが頑張ってくれ」と激励され、船の中に引っ込んでいった。

 またじいっと耳に手を当てる明石の袖を引いて酒匂は言った。

「今だいじょーぶ?」

「ん? どうしましたか、管理棟へは、あの車へ乗っていればいけますよ」

「違うの」あちこちで巻き上がる怒号に負けないよう声を張る。「船長さんたちは軍人さんじゃないの?」

「一般徴用の船ですからね、扱いに慣れた方にお願いしてあるんです。つまり、一般の方々ですよ」 

「……ぴゃあ」

 今、この場で何もせずにいるのは酒匂だけ。息苦しさを感じていた。

 軍人じゃない人も頑張っているのに、軍属の、深海棲艦に唯一対抗できる艦娘である自分がなにもせず、陸でのうのうとしている。荷下ろしを手伝おうにも艤装を展開させれば動きが鈍くなる。船に乗り込めば、変化した重みで迷惑をかける。なにもできない。なにもすることがない。

「酒匂、邪魔?」

 同じ部隊の仲間にかけた言葉をもう一度。

「いやいや、邪魔とかないです。大丈夫ですよ」

「……そうじゃないもん」

 集中している明石に酒匂のつぶやきは聞こえていなかった。

 戦闘でも、荷下ろしでも必要とされていない。息苦しさは心苦しさに変わった。自分は熊野の護衛という任務を与えられて完遂した。これ以上の命令は与えられていないから、休もうと思えば休める。自分がゆっくりしている間、横須賀の艦娘も、富津のみんなも、この島に敵を近づけまいと砕身の努力をしている。沈んでしまう娘だっていてもおかしくない戦力差で攻め上げられているのに、一人、命令がないからといって休んでていいものなのか。

 一層の努力を持って見返すべし。

 足柄が言った。

 酒匂は顔を上げた。

「明石さん、海、出れる?」

「航行能力に支障は出ていませんが、今出る必要は」

「ちょっと来て!」

 明石の手を引き、慌ただしくしている男に背を向けて波打ち際で艤装を展開させた。荷下ろしをしている部隊の何人かが歓声をあげる。「出撃されますか」振り返らずに応えた。「うん!」

 直後もっと大きな声が上がった。「御武運を!」わあっと騒がしくなっても手を止めていない。

「ちょちょ、酒匂さんっ。ウソでしょ、私戦闘できないですって。工作艦、こ、う、さ、く、艦!」

 激励を背中に受けて一気に加速する。明石が重いが、力任せにひきはがすほど薄情な艦娘ではないようだ、あれだけ盛り上げられて戻りにくいというのもあるのかもしれない。

「戦闘しなくていいよ、それは私たちの役目だから」

「じゃあ何しろってんですか。私があそこにいた方が、搬入がスムーズにいくんですって」

「警戒。あの人たちだけでも艦娘の通信は受信できるでしょ」

「けっ警戒? 敵が来たら速攻抜かれるのに!」

「来ない。来させないから」

「そんなのわからないじゃない。それに私一人じゃあ見張りにも限界が」

「……」

「あー! あー! 酒匂さん、それダメ!」

 途端、通信を入れていた妖精さんが途中で送信をやめた。

 そうだった、彼女に触っていたら、妖精さんが言うこときかなくなるんだった。

 手を離してもう一度、今度は引き離して再度通信する。《葛城さん、瑞鳳さん、どっちでもいいから、四水戦の元気な娘を海に出して。荷下ろししている船の警戒をお願いしたいの》送信完了と同時にしがみつかれた。全身の妖精さんが入れ替わったような感覚。

「あああっ」

 明石が絶叫した。

「酒匂さん、バカなんですかっ! 輸送船団の位置に関する通信はしちゃダメって、富津の提督から厳命されていないんですか」

「通信してたもん!」

「あれは短距離通信! 五キロも寿命がないもんです、今あなたが送ったのは普通の、長距離通信じゃない!」

 頭を抱えて唸っても、送ってしまったものはもう遅い。返事はないものの、艦載機を運用している空母組が艤装を展開していないはずがないから、受信はしているはず。

「しかも平文……ああ、終わった。一気に攻めてくるぅ」

 この世の終わりのような声を出す。

『今、通信をした愚か者はどなたですか』

 今度は凍えるような音声通信。耳元から聞こえてきた言葉に鳥肌が立つ。

 警戒に当たっている地点はすぐそこだった。返事をせず、真っ暗闇の中に人影を探す。遠くの空の明るみの中に、等間隔に佇む人影を見つけて舵を切る。

「さ、酒匂だよ」

「重巡戦隊の新入りですね。教育的指導か制裁か、お好きな方をどうぞお選びください。もちろん受けるのは旗艦である古鷹さんですが」

 目の前に立ちふさがるようにする神通は笑っていない。今すぐにでも殴りかかってきそうな雰囲気を持って、酒匂を睨みつけていた。

「東の援護に行きたいの。手伝って」

 無言。

 じっと睨まれ、内臓を握られたみたいに妙な痛みが生まれる。口を開かない。ただ雰囲気だけで圧倒されていた。唇をぎゅっと引き絞り、顔は上げ、目をしっかりと見返す。

「っ」

 思い切り頰を張られて目の前に星が舞った。無理に力を入れていたせいで首の筋がちぎれたみたいに痛い。張られた頰だってじんじんと痛み、涙が浮かんだ。

 他基地所属の明石は一転、死亡者でも出たかのごとき空気の重さに一人あわあわとしていた。他の艦娘はビンタの一つぐらい慣れたものだと平然としている。春風と涼月がちょっと目をそらしていた。

「向かわざるをえないでしょう」

 神通が大きくため息をついて言った。

「到着していることがバレてしまったのなら、攻勢に出ようが出まいが変わりません。明石さん、四水戦に引き継ぎをお願いしてもよろしいですね」

「は、はいぃ」

 酒匂に向けていた雰囲気そのままに話しかけられた明石の怯えた様子に、神通が「あら」とバツが悪そうにする。

「ご、ごめんなさい。うちの不始末の尻拭いをさせて申し訳ないのですけれど」

「いえいえっ、この明石、全力で引き継ぎ承りましたっ」

 そばにいた叢雲と三日月が吹き出した。

 熊野の血が乾き、肌触りがガサガサとしてきたブラウスがはためく。風が強くなってきた、波も少し高くなった。

 輸送船の護衛部隊は二部隊。司令艦は神通である。

「護衛部隊に告げます。我らこれより八丈島東、敵主力艦隊の撃滅に向かいます。鋒矢の陣、先頭は酒匂さんが担います、よろしいですね」

『那珂ちゃん戦隊りょうかーい、酒匂ちゃん、痛いだろうけどがんばれー』

 ざあ、一気に部隊が動き始めた。

「ほら、行きますよ。……一番狙われる配置にしてあげました。あなたは私の配下ではありません、死ぬ気で生き残りなさい」

「ぴゃあ!」

「返事は正確にしてください」

「りょうかいっ、ぴゃああ!」

 大きくため息をついた神通が、航行しながら陣形を整えていく。どうすればいいのかわからずに進んでいると、「そのまま進んでいてください」と、真後ろに収まった神通が言った。右後方に叢雲、それから三日月、曙、春風、合流した二水戦も、一糸乱れず言葉も出さず、決められた位置に決められたように入っていく。

 隣に誰もいないのは不安になる。けれど、尻には刺さるような視線があるから止まるわけにもいかない。

「形を見ればお分かりかと思いますが、突撃陣形です。囲まれたら終わり、とにかく、食い破ります」

「艦隊陣形じゃないよね」

「私たちは艦娘ですよ、艦とすべて同じように行動する必要はありません。あとで勉強してみなさい。あなたが先頭ということは、航路はあなたが決めるのです、戦闘中でも。とにかく前進することだけを考えなさい。背中は支えますから」

 それって盾にされるってことではないだろうか、冷や汗が流れる。

 いざ戦うところを想像すると体がうまく動かない。

 怖かった。さっきだって、間近で深海棲艦を見て、撃てなかった。だって、人の形をしているんだもの。人形みたいに表情がないと言ったって、人型なのだ。うろんな顔をしてこちらに砲撃をしてきても、人型。目をつむって撃ったって当たるはずがない。駆逐イ級は異形といえど、生き物のように動く。

「怖いですか」

 動きがギクシャクしていたのだろう、神通が目ざとく見抜いて言った。

「古鷹さんのことです、優しすぎるのもあるのでしょうが、戦力で劣っているのに護衛に一人割かせるなんて。当たらずも遠からずの推察はできます」

 ヒヤリとした手で首筋を握られて酒匂の体が跳ねる。耳元で睦言を言うように神通が話す。

「想像してみなさい」

 力を込められて逃げられない。

「深海棲艦の砲が古鷹さんの顎をこじ開け、あなたをにらみながら木っ端微塵に吹き飛ばされます。魚雷に下半身ごと持って行かれた青葉さんがはらわたをうねらせてあなたを見ています。両腕を吹き飛ばされた熊野さんが炎に焼かれあなたの名前を絶叫しています。足柄さんの顔に沢山の破片が刺さり、どこに目鼻があるかわからない顔であなたに手を伸ばします。航行不能に陥った摩耶さんが、沢山の砲に囲まれて涙を流しながらあなたを見ています。基地が燃え盛り、上陸した深海棲艦が清水司令の体を力任せに引裂きます。あちこち肉と臓物を引き摺った司令があなたの名前を呼びます『酒匂、な』」

「ヤダやめてッ!」

 突き飛ばされた神通は少しよろけただけで元の位置に戻った。掴まれていた首筋にずっと手が残っている気がして、マフラーの上から何度もこすった。

「深海棲艦は敵です。あなたが戦わなければ、死ぬ人がいるということを忘れてはいけません。国なんてどうでもいいのです、あなたの大切なものを壊されても良いのですか」

「いやだ、いやだッ」

「なら戦いなさい」

 何度も何度も首筋をこする。何度も何度も、皮がむけたのかヒリヒリするぐらいこすって、海水でさらに痛みを与えて、まだこすった。

 最悪だ、最悪な人だ。神通なんてだいっきらい!

 古鷹も青葉も熊野も足柄も摩耶も、みんなだいすきだもん。叢雲だって三日月だって、那珂ちゃん戦隊のみんなも四水戦も三水戦も一航戦も、横須賀も犬吠埼も明石も、もちろん司令だって、みんなみんな。答えなんて一つしかないに決まってる。こんなひどいこと言わなくたっていいじゃん。性格の悪い鬼ババめ。いいよ、やるよ、ギャフンと言わせてやる。

 ……だいっきらいだけど、神通も一応、仲間だからね。



「もうダメだ、任務失敗だぁ!」

「何なのよもう急にッ」

 電信を受けたと同時、同じものを深海棲艦側も傍受したのでしょう。エサを提示された猛獣が黙っているはずもなく、牛歩進軍は一転して、砲撃にて輸送船団と島に設えている施設を破壊せんと行動始めました。後方にかじりつく戦隊に尻を叩かれる覚悟で並走していますが、こちらの火力で本隊の足を止めることは到底無理なことと思います。犬吠埼組の方も駆逐艦隊が壁になっていて、致命の雷撃を放てずにいるようです。そも、ここに至るまでどれほど消費したかわかりません。もしかするとすっからかんなのかも。

 いよいよ膝をついて、反抗作戦の一発目から大失敗を被り、我らが司令官の顔に分厚く泥を塗りたくることになるかという状況下、古鷹さん呟きました。

「まずひとつ」

 独り言みたいなものです、青葉じゃなきゃ聞き逃しちゃうところでした。「何がですか!」古鷹さんが何を考えているのかわかりませんが、このやるせないモヤモヤを吹き飛ばしてくれる案の一つでもあれば、たとい藁であってもすがりましょう。

「あの子が何をしようとしているのか、青葉、どう思う」

 後ろを気にしながら言いました。発砲炎と同時に散開し、真ん中を水平に飛んでいく鉄の玉を見送ります。

「五十六さんの悲劇を知らないんですかあの子は。何をしようとしているかなんて、青葉はエスパーじゃありませんしっ」

「輸送部隊が島に到着したってことはだよ。警備に当たるはずの横須賀打撃部隊は戦闘中、なら、代わりに誰が警備に当たると思う」

「そりゃ神通さんたちに決まってます。……あ、なるほど」

 だから被害を受けた四水戦に声をかけたんですね。

「一水戦と二水戦を巻き込んでこっちに向かっているということですか」

「私の考えがあっていれば」

 しんがりを務める摩耶さんが苦しそうにうめきました。本隊からの砲撃が少なくなった今にあっても背後からの攻撃はかわしにくく、そして反撃しにくい。「足柄、本隊に向けて発砲。当てなくていいから、だけどなるべく近くに」

「はあ、わかった。ッ!」反転攻勢に出るわけでもない、意味のわからない攻撃命令でも命令です。複雑な表情で足柄さんが了承します。

 かろうじて生き残ってる砲塔が火を吹き、敵から大きくずれた位置に着弾しました。被害はゼロ、けれど一斉に反撃してきたおかげで、危うくこちらの顔が吹っ飛びそうになります。

「ぅぎゃあっ、ああもう、せっかく落ち着いていたのに!」

「誰も被弾していないよね。ほら、青葉見てよ」

 わざわざ攻撃させて何をのうのうと、文句を言いたくなりましたが、古鷹さんは薄く笑いながらこちらに近づいて言いました。

「もう撃ってこない」

「まあ確かに。反射的に攻撃しているといいたいのですか」

「反射というより、興味だと思う。敵は島や輸送部隊への攻撃を第一に考えているから私たちのことがほとんど見えていない。だけど、顔の周りに小虫が飛んでいたらうっとおしいでしょ。追い払う仕草の一つはする」

「青葉たちは小虫ですか」

 そりゃこっちはたった四隻、大して向こうは十隻近い戦艦と重巡戦隊、それから水雷戦隊まで配備された、絶望的な戦力差ですけども。

「それがひとつめ?」

 古鷹さんはかぶりを振ります。

「今のは確認、状況が動いたのがひとつめ。そしてもうひとつは……」

 じいっと行き先を見つめます、視線の先には、息を殺している八丈島があるはず。

「足柄、摩耶、ちょっと前に出て。青葉はそっち」

 言われるがまま陣形を整えると青葉の後ろに摩耶さん、右脇に古鷹さんと足柄さんが入り、青葉が敵からすっぽり隠れるような形になりました。四人で作る複縦陣。

「青葉は攻撃も回避も考えないでいいから前方を見張って、神通さんたちが目視できたらすぐに教えてくれる。絶対、敵よりも先に見つけるの。摩耶、青葉の分の後方の見張りよろしくね。助けてあげて」

「盾になれってハッキリ言えよ、摩耶了解、尻が焦げても守ってやらあ」

 言っているそばから力任せに体を引かれ、多少高い位置を砲弾が通り過ぎていきます。

 水上電探の妖精さんに命じて一帯の捜索をすると、確かに島の方から何隻かの塊があるのがわかりました。見張員の妖精さんが顕現し、頭の上で身じろぎもせず、かすめ飛ぶ砲弾などなかったかのように、目を凝らしました。深海棲艦側にもレーダーを装備したものがいるはずです。しかしこちらの電探はアテにはできない。あくまでおおよその位置をつかむためだけのもの。

 古鷹さんは作戦行動中どのように動くかを直前に話すことが多いので、何をしようとしているかを察しなければ、例えば先ほどの敵陣に突っ込むような時など無駄に驚かされます。

 摩耶さんに砲撃させた意味。

 青葉に戦闘させず味方発見に全力を注がせる意味。

 正面から援護に向かってくるのは水雷隊です、遠方からの援護射撃よりも、肉薄し雷撃でもって攻撃することが得意な部隊。打たれ弱いけれど攻撃力の凄まじい部隊。顔の周りに小虫が飛んでいたら。つまり。

 ……あー、そんなにうまくいきますかね。

 体をぶんぶん揺すられながら睨んでいる前方は、光で目の焼けた青葉にはただの暗闇しか見えませんが、見張の妖精さんはきちんと暗がりにいたはず。背中で摩耶さんの苦しげな声を聞いても振り返ることは許されません。今、青葉に望まれているのは優しさなんかではない。

 あの頃の記録を読み返すことは、いくら水兵さんが頑張っていたからとかっこつけても、拒否します。『青葉』の失態としてきっとひどく書かれていると思うから。味方と誤認して敵艦に近づき、『古鷹』や『吹雪』さん、間接的とはいえさらに二隻も……。青葉は見ていただけ、知っているだけ。だけど、今だって青葉だし、記憶にあるのも『青葉』。古鷹さんは「味方を見つけて」と言う。「敵より先に」とも。戦闘中ですし、旗艦として作戦を成功に導くために一番良い道筋を開拓することこそが古鷹さんのお仕事です。

 でも、嬉しいじゃないですか。嬉しいじゃないですか! 他の誰でもない、古鷹さんが任せてくれたんです。他の誰でもない、青葉に!

 妖精さんからレーダー波をつかんだと報告がありました。敵のものです。こうなればあとはどちらが早いか競争するだけ。負けるわけにはいきません。古鷹さんが考えている作戦は、先に発見されてしまっては意味がない。

 この命をどれだけ生きられるかわかりませんが、今が一番、未来を含めても重要な任務に就いています。

 青葉は精神論が好きではありません。そのように生まれてきたようです。が、この時ばかりはもう、敵に気合いで勝ったと信じています。

「古鷹さん」

 ちらとこちらを見た古鷹さんには「見つけた」なんて言葉は要りませんでした。

 すぐさま号令が出されます。

「右舷魚雷発射、全部撃っちゃえッ」

 用意させていたのでしょう、酒匂さんと同じく平文で《ライゲキ》とだけ送られました。神通さんたちに宛てたものではありません。やや前方を疾走していた犬吠埼への号令。それから敵艦へ教えてあげるために。

「本隊に寄るよ、でも、近づきすぎないように。右砲戦用意!」

 最期のやけっぱち突撃だと思われたのでしょうか、しかも敵戦隊の目の前で雷撃をしたものですから、ギィギィ耳障りな音が辺りに響き、本隊へ危険を知らせていました。速度を上げ、横に壁のようになった重巡が体制を整える前、「撃てッ」それこそやけっぱちの砲撃戦が幕を開けました。

 魚雷の壁には間に合わなかった重巡戦隊がもう一度声をあげ(通信のようです、肉声ともまた違う)、本隊が回避のためぐぐっとこちらに回頭してくるのがわかります。反撃も。本隊の壁になっていた駆逐艦が数隻、爆炎をあげました。本命よりも先に、青葉たちをマークしていた戦隊の至近距離からの砲撃、これだけ近ければ、側面にいた古鷹さんや足柄さんへの被害は必須です。

「くうッ、まだまだあッ」

「うぐっ、あ、足柄大破、もうムリ沈むぅ!」「首がついてりゃ大丈夫、こっちこい、代わってやる」

 砲弾が艤装を壊していく音。古鷹さんのあげるもうもうとした硝煙と爆炎。決して引かず、目の前に迫る敵戦隊、決して引かず。「あたしのケツひっぱたいてくれた礼だ、受け取れェ!」当たらぬなら近づけばいい、まさにその通り、重巡リ級の体に無事な砲塔を一門押し付けた摩耶さんの一撃必殺。たまらず動かなくなった敵に、後続の一隻が追突し、二隻仲良く海の底へ還っていきました。本隊からまた炎が上がります、遅れて放たれた、犬吠埼の雷撃。両脇からの攻勢、鬱陶しい小虫をついに脅威と認めてくれたようです。前進を止め、真っ二つに分かれるように、すぐに消し去れる小虫に向かってきます。だんだんと大きくなる艦影、巨人でも見ている気分になるのは、戦力差による恐怖心からでしょうか。「古鷹さん、ちなみにさっきの話の続きなんですが」振り向かずに古鷹さんが応えます。「遺言のつもりなら帰ってから聞くよッ」狙いすまされた一撃が戦隊の最後の一隻の足を撃ち抜き、本隊への道筋がくっきり見えました。

「あぶない!」

 腕を引いて無理やり位置を変えた瞬間、右半身が消し飛んだんじゃないかと思いました。「――!」誰かが叫んでいますが、耳鳴りで何を言っているかわかりません。なくなったかと思った右側が熱く、何度もえぐられる痛みで気を失うことすらできず、傷をおさえようとする左腕までもが弾かれました。

 なるほど、弾薬庫に被弾するとこんな感じになるようです。

 艤装から吹き出る炎がが顔を焼き、髪を焼き、イヤなニオイしか感じられない。えぐられる痛みもすぐに引き、代わりにふわふわと、心地よい酔い方をした時みたいな酩酊感。「青葉!」耳元から脳みそに突き刺さる声。大切な人の声。

 横に目をやると本隊がこちらに突っ込んでくるのが見えます。

 前に目をやると、肉眼でもしっかり見えるほど、変わった陣形の真ん中に酒匂さんが、腰の引けた格好で勇ましく敵を睨んでいるのまで観察できました。肩を引かれる感触。古鷹さんの汗の匂い。それから火薬の匂い。青葉なんかよりずっといい匂い。血が吹き出るように艤装が弾けても、これ以上の痛みは頭が受け付けてくれません。代わりに酔い潰れる寸前の、あの嫌な眠気が。多分、こう言ったと思います。「青葉が司令官のこと、本気で愛していると言ったらどうしますか」これだけ近ければ聞こえたはず。爆発に巻き込まれるのを恐れず、敵艦に突っ込むような無茶する勇敢な古鷹さんの表情。ここだけははっきりと覚えています。

 とっても可愛かった。

 ……そのケはないですよ? 念のため。

 青葉の心の中にしっかり刻まれた表情。もう酒匂さんは突入間近、へへ、バカめ、今頃気づいたってもう遅い。あの神通さんがこの距離で、何も仕掛けていないわけないじゃないですか。最後の一仕事、突入部隊に向けて発光信号を送ります。

 古鷹さんの胸の中、落ち着いて眠れる間際に見たのは、敵部隊の中枢から打ち上げられた、大花火。

 

終幕

「……壮絶な防衛戦だったのはよく分かるな」

 提出された『戦記』をもう一度頭から読み返した。「なんで物語形式なんだ」読み返そうとして、これを適切な報告書にまとめる面倒を予想し、煙草をもみ消した。

「臨場感があるじゃないですか。ぜひ、青葉たちの頑張りを司令官にも追体験していただきたいと思いまして」

 机に尻を乗せた青葉が猫みたく寝っ転がっている。右と左で長さが違う前髪、戦闘が終わってまだ数日しか経っていないというのに、艦娘の回復は恐ろしいほど早い。人間にも転用できないだろうか、艦娘が使う入渠用の薬剤。

 指であごひげをなすられ頭が安定しない。

「展開が遅い。ラストが尻切れ、涙を誘おうとするのがあけすけで陳腐。お前、発光信号なんて送っていた余裕ないだろ」

「ダメ出しだあ。ちゃんと送りましたって。あんまり覚えていないのは事実ですが」

 いやそうに顔を歪めた青葉の手を弾き、マグをひっくり返されないうちに空にする。

 事実、文句のつけようもないほど活躍してくれたのは、横須賀かはも聞いていた。森友がわざわざ電話をよこしたのだ、おべっかなどではない。青葉の見ていない部分、酒匂の動向やその後の主力艦隊に大打撃を与え、撤退に追い込んだのは神通の詳報から読み取れる。しかし彼女のはきっちり書かれすぎていて、酒匂が神通を見るたびに唸り声を上げるようになった理由までは読み取れなかった。聞いても教えてくれない。また人間関係で悩まなければいけないのか、この問題は延々つきまとう気がして、胃がキリキリと痛む。

「八丈島防衛戦。おかげさまで基地の建設は順調に進んでいるよ。一隻も失うことなく、一人も喪うことなく。本当によくやってくれた」

 前髪を雑に撫でてやると「これが重巡なんです」と胸を張る。硬い机の上だ、頭を滑らせて背中を打ち付けて呻いていた。もう勝手にしてくれと思う。

 休む暇なく最低限の機能を持ち始めた補給基地を拠点に、富津の水雷戦隊は小笠原諸島の偵察任務をこなしている。漸減作戦じゃないぞと口すっぱく言ったのだが、初日から三水戦が派手に暴れてくれたおかげで資材の借金がかさばっていく。使った分は使っただけ、次の輸送時にうちの基地から補給基地に送らなければならないのだ。

「犬吠埼の話では近海で敵の姿をめっきり見かけなくなったんだと。今月の様子次第じゃ、再来週から始まる輸送船団の護衛は駆逐隊で事足りそうだ」

「うまくいかないのが戦争ですよ司令官。通商破壊なんてどれだけやられたと思っているんですか」

「確かにそうだ」

 八丈島の周りでも見なくなったというのはおかしな話だ。敵も様子をうかがっているのかもしれない。もしくは戦力を蓄えているのか。さらなる大規模攻勢に備え横須賀からは空母が四隻駐在することになっている。戦艦も。戦力が前線に集まり、戦線が押し上げられたことを意味していた。

「潜水艦だけが怖いなあ。対潜哨戒なんていくらしたってしたりない」

「んふふ、わかるでしょう、この怖さが。ですがほら」青葉が新しく搬入された機械のスイッチを入れた。音声が垂れ流される。《――信試験中。通信試験中。三輪山雲隠さず。三輪山雲隠さず》意味のない言葉。発信源は三輪山ですらない。

 ラジオだ。電波が通るようになった。

 不安定ゆえに公表していないが、民衆に広まるのも時間の問題だろう。はじめのうちは軍用として規制をかけるつもりで状況が落ち着けば、制限下で使用許可を出すことになっている。深海棲艦が現れてからこっち、一切通じなかったものが通じるようになった。八丈島は未だ通じないし、通じるのはごく一部、関東圏の一握りではあるにしても大きな進歩だ。

「ラジオが途切れたら敵が来た、わかりやすいじゃないですか」

「目安にもならないと言われているだろ、完全に通じるようになったわけじゃない。それに、一番重要な八丈島が通じないんだ、そこいらにうじゃうじゃいると考えたらやりきれん」

「確かに」

 払った手をまたあごひげに持ってこられ、諦めて好きにさせていると、扉が開き、最大の功労者が顔を見せた。

「提督の前でそんなはしたないっ」

「おっと、旗艦どのがいらっしゃいました」

 すぐ降りればいいものを、「仲良くしているところ見つかっちゃいました。恥ずかしいですね、ね、司令官」なんて挑発するものだから、古鷹が頰を膨らませている。

「すみません本当に……あーおーばー、いい加減にしないと怒るよっ」

「おーこわ。はーい、ゴメンなさい」

 最後に手のひらでジョリっとひげを撫でて机から滑るように降りていった。服がめくれて背中を直に擦ったようだ、ちょっと悲鳴をあげていた。

 青葉の提出した詳報が誇張なしというなら(ウラは取れているから大きな間違いはないだろうけれど)、危険な戦い方にさえ目を瞑れば、担当海域の敵戦力撃滅と横須賀との連携、さらに主力艦隊を撤退させる礎を築いた。青ヶ島へ向かう別働隊を除く、全戦闘に貢献した古鷹隊は、勲章の一つも授与されたっておかしくない。今度の防衛戦の花形と言って申し分ない。

 そのうちの一人がすりむいた背中を目の前であられもなく晒しているのは間抜けこの上なく。

「古鷹ぁ、ここ見てよ、赤くなってない? ヒリヒリするんだけど」

「こら、だからやめなさいって言ってるの」引き下ろされた服が痛いのかピンと背筋を伸ばしてまた小さく悲鳴をあげた。

「それで、一応ここは艦隊司令室。用事があってきたんだろう?」

 引き出しから軟膏を出して青葉に投げ渡した。

 レコードは流しっぱなしだし、昼食の食器がそのままになっているし、ストーブの上に置かれたやかんがシュンシュン鳴いている生活感あふれる部屋。灰皿は詳報を読んでいる間に剣山になった。喫煙者である清水すらも目がショボついているので彼女らにはさぞきつかろうと窓を開けると、凍みた風が温度を急激に下げ、むしろ暖かさに惚けた頭がすっきりした。

 古鷹が近づいて言った。「青葉の詳報見たいなーって思いまして。これですか」手元を覗き込むように体を寄せ、ざっと目を通す。「……なんで物語風?」

 同じセリフを吐いたことにおかしくなった清水が吹き出し、青葉がむくれる。目を覚ましたのが昨日でこの文量、下手すると徹夜かもしれないのに散々な評価なのが気に食わないと見える。

「ちょっとはユーモアだって必要だよ、古鷹の詳報なんてかっちり書いてあるだけで面白くないもん」

「面白さは求めてないんだ。書き直しはしなくていいが、次は真面目に書いてくれよ」

「今回のだって真面目に書きましたー。もうなんだよ、二人してさあ」

 むくれてそっぽを向いた。仕草がわざとらしい。

 体を寄せて資料を読む古鷹は、自分でめくればいいものを、わざわざ腕を叩いて次のページを求める。旗艦サマのわがままだ、めくってやらなければならない。空いた意識で青葉をなだめていると、一部気に入らない部分があったようだ。「汗の匂いとか書くのやめてよっ」「だって本当ですもん。詳報にウソは書かない主義です」「余計な一言!」

 差し出されている頭の匂いを嗅ぐと古鷹はとびのいた。

「ヤダ、やめてくださいっ」

「心配するな、臭くないぞ」

「ヘンタイっぽいですねえ」

「もう!」

 顔を赤くしてさっさと出て行こうとする古鷹の背中に声をかける。「お疲れさま。今回の作戦は、お前のおかげで成功した」一歩分立ち止まったが、「ふんっ」と鼻息ひとつ漏らして、今度こそ行ってしまった。本当に臭くない、シャンプーのいい匂いだ。

 冷えすぎた部屋、窓を閉めると次は青葉が近づいてくる。

「どこまで読みました? ……ちょ、青葉は嗅がなくていいんですって」

「嗅いでないって。ここまでだ」

「ふむ、横須賀部隊の援護までですか。最後のやつは読まれていないんですね。何言われるかわかったもんじゃないから、古鷹には言わないでくださいよ」

「最後最後……ああ、そういえばこっちも汗の匂い。青葉は汗の匂いが好きなのか」

「ちょっと泥臭い感じの表現をしてみただけです。実際は九割火薬の匂いですよ。ほんのりほのか、汗なのかなー潮なのかなーぐらいなもんで」

「可愛かったってのは何だ。なんの報告だこれは」

 突っ込まれるのを待ってました、と目を輝かせ、ずいと迫ってくる。

「聞きたいですかっ」

「……そこまで言われたら興味が沸く」

 自分が関わっている。

 こう書いてあった。『好きという気持ちがなんなのか知りたい』。

 古鷹は自分のことを頭が悪いだ要領が悪いだと卑下するが、そんなことはない、と清水は考えている。疑問を持つというのは頭の悪い奴には務まらない。まして概念的なことを懐疑するのは、彼女を構成する真理を構築しようとしている証拠。成長のための階段に足をかけているからだ。

 残念なことに満面の笑みで「青葉の秘密なんですけどね!」と言われた。「じゃあ書くな」と一蹴した。

「で、お前は私のことを本気で愛しているって?」

 ぐいと手首を握り、こちら向き直らせる。「男に冗談でもそんなこと言って、どれだけ危険か教えてやろうか」

 もちろんこれも冗談だ。言葉の機微がわからないほどしようのない男ではない。

 青葉は挑発するように、そして、瞼を少し下ろした不思議な表情になった。

「司令官はカメラを青葉にくれましたよね。だからわかると思うんです。写真を撮るためにファインダーを覗くと、よく顔が見えます。出撃前の神通さんの顔と酒匂さんや春風さんの顔を見比べてみると、それこそけん著に」

 抵抗するそぶりも見せない。片手を掴まれたまま話し続ける。押し倒そうと思えばできてしまう状況で、清水も動かずにいた。

「司令官には青葉をどうこうできません」

「よしきた、そこまで言うなら」

 ふるふる、頭を横に振る。

「あなたは自分を律していらっしゃる」

 思わず緩めた手、青葉が少し力を入れるだけで、掴んでいた腕がするりと抜ける。

「それもかなり堅固に。堅物とか、そんな俗的なことじゃないです。何だろ……卯月さんの言葉を借りるなら『修行僧』みたいな」

「……」

 原因がわからずとも的確に『清水』を表現されると鳥肌すら立つ。

 再びあごひげに指を当て、じょりじょり撫でながら「あんまり女の子を舐めてちゃいけませんよ?」と見上げられ、「秘密にしといてあげます。青葉と司令官の、ね」最後に手のひらでじょりっとすりあげられた。

「さてさて、報告も終わりましたし、今晩のおかずでも釣ってきますか。ウマヅラとか釣れないかな」

 いつもの調子に戻った青葉が出て行こうとする。先ほどの蠱惑的で悪魔的で慈母的な雰囲気なんて、白昼夢でも見ていたんじゃないかというぐらい、いつものヘラヘラした青葉だった。「そうだ司令官」扉を開けて言った。

「青葉は踏ん切りつけましたよ。『青葉』には負けてられません」

 閉じられた扉をしばらく眺めていた。

 わざわざ強調されたのは『青葉』の水兵たちには、ということ。詳報にも。多分これは青葉の偽りのない感情だ。古鷹がそこまで考えていたかは別として、ほんの小さなしこりが治ったのはいいことだ。

 もう一つ邪推をするならば。

 青葉『は』。踏ん切りをつけましたよ。

 まあいい、清水は思考を切り替えた。

 湊川作戦の前哨戦、さらに言うなら一手目は大成功と捉えていいだろう。物資の被害なし、人員の被害なし、さらに敵艦の撃沈多数。どこでどのように敵が生まれているのかは謎に包まれているが、艦娘だって建造には時間がかかる。夜間作戦ということで空母を潰せなかったのは懸念されるが、言うことを聞かない小笠原への偵察部隊も合わさり、ここいら一帯の敵艦は漸減されている。小笠原さえ攻略できれば、せめて相模湾あたりで限定的に漁を再開させられるかもしれない。まだまだ一つ作戦を成功させただけなのに、状況が好転したように錯覚してしまう。

 そう、まだたった一つ。大規模作戦の足がかりを得ただけ。

 沖縄奪還、ハワイへの牽制をしつつフィリピン、インドネシアと、南方軍の戦いは続く。全世界を股にかけなければいけない。長くなくっちゃ困る。内政に拘りはないのが唯一の救いか。

 ポッドから新しくコーヒーを淹れ、青葉の書いた物語を報告書にまとめ上げる長い戦いが始まった。

 

 深夜も0100を過ぎ、八割がたを報告書に写しを終えた清水は、背筋を伸ばして鳴る骨の盛大さに快感を覚えた。この基地だけで完結する書類ならまだしも、他基地との合同作戦、しかも大規模作戦の一発目。大本営に提出すれば各期地にコピーが出回るだろうし、細かいところまで突っつき回されるのは簡単に予想できるから、いつもより念入りに作成しなければいけなかった。敵の動向やこちらの動き方、燃料や弾薬の消費量、被害状況、作戦中の輸送船の航路から指示の一つに至るまで。艦娘から提出された大量の資料を散らかし、紙の上に灰皿や飲み物が置かれている。よく「お前のところの書類は汚い」と電話でなじられるのも仕方がない。

 カフェインの摂りすぎで痛む腹をなだめるのに白湯をがぶ飲みすると、備えられたセンサーの一つが鳴った。ドックに、出撃した部隊が戻ってきた時のものだ。三水戦ではない、数日間待機していた一水戦。入れ替わりで四水戦が八丈島へ向かっている。

 島の工事はカーペンターズが受け持っているものの、まだ宿泊施設は整っていない。最優先で行われているのは、運んだ物資を保護するための地下シェルターと艦娘に関する施設。それから風呂(港の建物に備えられた簡易的なシャワーだそう。急いで作ってもらったというのに苦情が上がっている)。希望を聞いた時、野宿でもいいと言ったツケが回ってきた。宿に民間の家を使うわけにもいかないから、リゾートだった特色を生かし、ホテルを改装する予定、というのは聞いているのだが、手が回っていないのだろう。

「おう、お疲れさん」

 マイクを通して声をかけるとしばらく返事がなかった。艤装の確認でもしているのかと白湯を飲みつつ待っていると、三日月の喑噁叱咤。

『おどいたなあ、もう!』

「はは、悪い。全員いるのか」

『いますよ、いますけど、急に声かけるのやめてくれませんかっ。ああ、痛い……スネ打っちゃいましたよう』

 ぷりぷり怒られる。傾注させるためのブザーの方が大きい音だから、気をつかったつもりなのに。『あんたまだ起きてたの』続いてマイク前に立ったのは叢雲。

「青葉の報告書をまとめていてな。残りでよければメシがあるぞ。青葉がでかいアジをたくさん釣ったんだ」

『よかったら一緒に食べましょう。曙が久々にあんたに会いたいって― ―いたっ、嘘よ、もう』

 夕飯を食べていなかったからありがたいきっかけであった。が、意識は仕事に乗っていたので、一気に終わらせてしまいたかった清水は喉の奥で笑った後、答えた。

「気持ちだけもらっておく。あと少しで終わりそうだから」

『了解。ご飯とお風呂もらってそのまま寝るわ。おやすみ』向こうのマイクが切られた音を聞いて煙草に火をつけた。疲れているのだ、休めるときに効率的に休んでもらわねば、艦娘といえど体をこわしてしまう。

 孤独な夜はまだ続く。深夜に帰投した場合の報告は翌朝まとめて受けることになっている。薪を足し、コーヒーの代わりに冷蔵庫から麦茶を取り出した。

 輸送船から提出された通信記録や録音音声を文字起こしし、縮尺された海図に書き込みを入れ、先にまとめていた深海棲艦との交戦地点から敵の航路を予測し赤で記入していく。護衛に当たっていた部隊の記録と合わせて行けば、これ一枚であの夜を再現することができる。「文字だけじゃわかり辛い」と、森友に押し付けられた作業だった。

 外から小さく声が聞こえる。食堂に入っていく一水戦の面々。

 主力艦隊に突入していった詳細情報が欲しくて散らかった書類を床に落としながら探していると手が止まった。古鷹の提出した旗艦報告書。青葉の文字は丸っこく女の子らしいものだが、古鷹のは立つところが立ち、跳ねるところは跳ねている。今回の報告書は一見いつもと同じように見えて、ところどころにインク玉ができていた。特に最後、句点がただの染みになっている。

 何を書こうとしていたのか清水は知る由もない。考え巡らせても、句点のあとの書かれなかった文字が浮かび上がってくることもない。

「なに見てんの」「おああッ!」

 体が跳ねて椅子から尻がずり落ちた。他に支えるものなく、硬い木の床にしたたかに腰を打ち付け、勢い余って壁に頭をぶつけた。薄い壁だ、建物全体が揺れ、窓ガラスがビリビリと大きな音を立てて、声をかけた張本人も驚いて悲鳴をあげていた。

「びっくりするじゃない!」

「びっくりしたのはこっちだ!」

 体を半身にして胸に手をやっているのは叢雲だった。

 暗い、弱い明かりの下でわかるぐらい瞳を潤ませている。潤ませていながらも目は釣りあがり、自分のことは棚に上げてこちらを睨みつけている。確かに大げさだったかもしれない。だがノックもせずに入ってきた奴が悪いのだ、清水の意識は書類に飲まれていた。

 頭をさすりながら立ち上がる。「いってぇな……。もう少し気配をにじませてくれ。というか、ノック必須なんだから守ってくれよ」八つ当たりのつもりでなじると、すぐさま言い返された。

「本当に仕事しているとは思わなかったの。あんた、日が暮れたら書類仕事は一切しないから。お酒でも飲んでいるのかと」

「ただの酒飲みとは違うってことさ、ここは一応仕事場だし……あれ、おかしいな」ひっくり返った勢いで落とした古鷹の書類が見当たらない。机の下を見てもない。その紙っぺらを、叢雲が足元から拾い上げた。「これでしょ。あら、古鷹の? ……交戦記録か。すごかったのね」すぐに彼女の手から取り上げる。見られてはいけない書類だってたまにあるというのに。

「私たちが合流した時にはボロボロだったもの、まだゆっくりお話を聞けていないから、何があったか気になるわ」髪を指でいじくりながら言った。清水は倒れた椅子を起こし腰掛ける。「本人に直接聞きなさい。機密書類だってあるんだから、迂闊に手を触れないでくれ」指をさして忠告する。実際何が機密なのかよく理解できていないが、仰々しく送られてくる書類はきっとそれなりの価値があるのだ。「それもそうね」あっけらかんと叢雲が言った。「で、何か用事があるのか? 疲れているなら早く休むといい。明日は一日フリーだろ、ゆっくり寝てくれ」もう一度書類に目を落とそうとしたら近寄ってきた。「明日がお休みだから夜更かしするのよ。もったいないじゃない」机にでんと尻を乗っけて偉そうな顔をする。踏まれた書類がシワになった。

「仕事はまだ終わっていないと言ったろ。お前たちがいくら活躍しようと、誰にも知られなかったら意味がない」

「書類をこさえたって連絡役の輜重隊が来るのは明後日。明日できることは明日やればいいの」

「明日は明日でやることが……。はあ、わかった」換気のために開けていた窓を閉め、掴んでいた書類を机の上に投げて落とした。「コーヒーでも飲むか。あっついやつ」つまりは自分を優先してほしいのだ。清水の予想は当たっていた。上げられた片眉で、彼女の機嫌が良くなったことを確認する。「お願いするわ。お砂糖もね」机から一歩も動こうとせずに言い放った。「三杯は甘ったるいと思うんだがな」

 自分のマグと叢雲のマグ。酒代わりに乾杯をする。重い音が鳴った。

 帰ってきて時間が経っていない。さっき食堂に入る艦娘たちの声が聞こえたばかりだ、まだ食事を摂っていないだろうに、叢雲は長居を決め込もうとしていた。最近はゆっくり話をする時間も取れていなかったから、何か要望があるのだろうと清水は考えた。しかし叢雲はコーヒーをすすりながら足をぱたぱたさせるだけで話し出す気配はない。元の長さに戻りかけた髪が照明を受けて橙色に燃えている。その様が不吉な気がしたから、いっそ卓上照明を消してしまった。唯一の灯りだったから、道理、部屋が暗くなり、灯りに焼けた目には何も見えなくなる。「きゃあ、何、どうしたの」清水は何事もなく答えた。「明るいと書類を追ってしまうからな。それに今日は月が綺麗だ」じわじわと闇に慣れた目が、彼女の背中を浮かばせた。こちらを振り向き、月に照らされた表情が見えた。何とも意地の悪い顔をしている。「ふうん。襲われるかと思った」ませたことを言うので鼻で笑ってやった。

 こいつといるのは楽でいい、清水は落ち着いた心持ちでコーヒーをすすった。話をしようがしまいが変わらない。打てば響く言葉が返ってくるし、黙っていれば勝手に時間が進む。もう一年近い付き合いになる。体の輪郭を包むほどの髪は生え戻っていなくとも、月の明かりを吸って白銀に光る髪の毛はしなだれるほどの長さはある。少し身じろぎするだけで揺れ動き、服に引っかかってバラける毛の一本一本を丹念に見つめているだけで、文字のつまった頭が解けていく。小笠原諸島への攻略作戦が本格的に始まる前のほんの一服、数日後にはまた八丈島へ向かい、数日は帰ってこれない。たった数日、いつの間にか、艦娘と一緒に居るのが当たり前となっていることを実感した。

 何を話すわけでもなく、湯気をあげるコーヒーを半分のみくだした頃、ノックがあった。

「失礼します、三日月です」

 声を殺してそろそろとはいってきた。灯りが消えているから寝ていると思ったのかもしれない。清水を遮るように座っている叢雲の姿を見つけたのだろう、「こんな暗いところで何をやっているんですか。ご飯冷めちゃいますよ」と、入り口わきにあるスイッチで照明をつけて飛び上がった。部屋全体を照らす強い明かりに、清水と叢雲は顔をしかめた。

「司令官っ。む、叢雲さん、こんなに暗くして、二人で何を!」

 背中が揺れているのを清水は見逃さなかった。「ああ、助かったわ。危うく貞操が」「そういう嘘はマグを置いてから言うんだな。ずいぶんのんびりした羊じゃないか、なあ三日月」陋劣なことを吹き込む前に先手をとる。三日月には特に注意しなければ、翌日の朝食時には基地全体に『司令官が疲れ果て抵抗できない部下を手篭めにしていた』といったうわさが広まりかねない。彼女の場合、そのテのうわさはみんな半信半疑に聞いてくれるから良いとしても、うっかり信じ込む艦娘がいたらたまらない。

「むう、そうやってからかわないでください。で、なぜ電気も点けずにお話を?」

 腰に手を当てて不機嫌そうにしていても、背丈顔つきどれを取っても威厳を感じられない。取り立てて子供っぽい容姿をしている睦月型、こういうところは卯月と似ている。「自分で説明して」叢雲が顔をこちらに向けた。髪の毛がしゃらりと流れる。同じことを二度口にするのもかったるく、清水は立ち上がってもう一度背骨を鳴らした。

「三日月はメシ食ったのか?」

「まだですよお。神通さんが『みんな揃ってから食べましょう』って。だから探しに来たんです」

 叢雲を見ると、あからさまに不味った顔をしていた。勝手に食べ始めてくれるのを望んでいただろうが、相手は神通。清水よりも規律を重んじる艦娘だ。「私も何かつまみに行こう。叢雲は呼びに来てくれたということで」わざとらしい助け舟でも「ありがと」と、ホッとした顔を見せた。神通は恐れられているが、嫌われているわけではない。自分よりも司令官向きなのでは、清水は寝首をかかれないか、少しばかり恐怖していた。今でも色々教わる立場だから、大して変わらないかもしれないが。

 連れ立って外に出ると、千葉の南とはいえまだまだ寒さ厳しく、吹き続ける潮風が一層体を冷やす。何か一枚羽織ってくればよかった。叢雲と三日月も寒かろう、上着の一枚でも貸そうとしたら、二人は寄り添って寒さをしのいでいた。「あんたも混ざる?」叢雲の目が言っていた。ここで言いなりになってしまうのは何かに負けた気がして、わざと距離をとる。鼻息。

「……叢雲さん、ちょっと煙草くさいですよ。司令官、お煙草は、私たちの前ではお控えいただけると。匂いがついちゃったらなかなか取れないんです」

「本当に? 自分じゃわからないわね。服かしら」

「気をつけよう。体を壊されちゃかなわんからな」

「吸ってる本人が一番壊しそうなものだけど」少し早足になって、清水の脇に叢雲が寄り添った。触れているところにじんわり暖かさが侵食してくる。一人で風に吹かれた三日月は、逡巡してから、反対側にぴったりくっついた。「……本人のほうがずっと煙草くさいと思わない」叢雲が言った。「この後お風呂入りますし、別にいいです。今一番問題なのは寒さですから。艤装の展開を許可してください、司令官」「それは駄目だ」フンと鼻を鳴らした三日月の頭をつかんでぐわぐわこねくり回す。

 両脇を固められた清水は暖かい思いをしている。側面が冷える彼女たちをおもんぱかって上着のボタンを外し、内側に抱え込んでやった。前が見えない、オヤジくさい、煙草の匂いが染みつく。ぎゃあぎゃあうるさいが、暴れるのを抑えようとすればするだけ体が温まる。転ばせないようにきつく体を持ってやり、歩速を緩めて、自分よりも短い歩幅に合わせた。

 曲がりくねった足跡をつけて着いた食堂はむあっとするほど暖房が焚かれていて、一水戦の面々が食事に手をつけずにじいっと待っていた。第一声、「コバンザメ?」と、曙が呆れていた。いの一番に大皿から清水のためにおかずをよそう姿を見てしまうと、口の悪さが愛おしくなる。新人の春風が慌てて動いたせいで味噌汁をひっくり返しそうになったので、疲れているだろうし座っていなさい、と清水が言うと、「申し訳ございません」頬をほのかに染めておとなしく座った。

 脇に抱えていた二人を解放し、ぐしゃぐしゃに乱れた髪の毛を直すのを見ながら席に着くと目の前にアジフライ二枚と白米が置かれた。曙に感謝の意を伝えると、いい加減腹を空かせているのだろう、神通が音頭をとった。

「叢雲、春風。早く席に着きなさい。眠る時間がどんどんと削られてしまいます。……ではお疲れさまでした。いただきます」

 唱和が静かに響く。

 咀嚼音と食器擦れの音だけの食卓。揚げ物には醤油を信条としている清水が腰を浮かせたところで、今度こそはと気を利かせた春風がソースをかけた。「足りなければもっとおかけしますよ」、ディスペンサーを握る彼女に文句は言えず、一言感謝をして、衣のふやけたアジフライにかじりついた。


後書き

[こーしんりれき 〜。お〜。]
06/03 二水戦にいるのは涼月でした(涼風になっていた)。幾つかの誤字修正。推敲なんてなかった。
05/23 終幕終了・全体を推敲しました。内容に大きな変化ありませんが、『貧民窟の少女』を横須賀メンバーが知っているのはおかしな話なので、そこだけ訂正させていただきました。
05/19 終幕開始
05/17 三章追加・終了
05/14 三章追加
05/13 三章追加
05/12 三章追加
05/04 ↓更新分 誤字修正
05/03 三章追加
04/26 三章追加
04/22 三章追加
04/12 三章追加
04/08 青葉の一人称間違えていたので修正(内容に変更なし)
04/08 三章開始 
04/06 二章追加・終了 誤字修正
03/27 二章追加
03/24 二章追加
03/21 二章開始
03/17 一章追加・終了
03/14 一章開始
03/11 幕開開始・終了(香取の護衛に国後がいましたが、いませんでした(?)ストーリーに影響ないので修正させていただきます)


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1: SS好きの名無しさん 2018-03-11 13:14:33 ID: T0uWSAF8

3話待ってました😁

2: んなちぃ 2018-04-12 17:28:27 ID: vKe4ZKqb

ありがとです🐑(一ヶ月越しの感謝)


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