2018-07-31 19:42:10 更新

概要

深海棲艦に人類が敗れてからちょうど二十回目の終戦記念日、何でも屋『岸辺商店』の看板娘、岸辺みゆの元に不思議な依頼が舞い込む。
それは「週一回、ある男の恋人のフリをしてほしい」というものだった――


前書き

お久しぶりです。がっくらです。
ひと夏のはーとふるなssにする予定です。
更新は例によって不定期です。


 

プロローグ

 突き抜けるような青空だった。


 どこまでも、どこまでも平和で、飛行機雲のひとつもない空。


 初夏の日差しが揺らぐ古港の縁に腰を掛け、灼けた潮風を浴びながら黒い三つ編みの少女はひとり、そんな空に思いを馳せていた。


 「自分はどこから来たのだろうか」と――。









 今から二十年前の六月一日、ひとつの戦争が終わった。 


 深海より出でし謎の生命体『深海棲艦』との十年にわたる戦いは、日本の敗北によって幕を閉じた。

 

 本土に上陸してきた彼女らの姿は二パターンに分かれていた。所謂『姫』級もしくは非武装市民の人型と、それ以外のイロハ……と呼ばれているクリーチャー型の『艦』。前者は陸に深海街(Deep Town)を形成し、それ以外はそのまま海に住んでいる。


 彼女らの目的は日本を滅ぼすことではなかった。実際、彼女らは日本に上陸してきた後も人間を理由なく殺すことはなかったし、現地の治安を大きく乱すようなこともしなかった。要求も『艦娘の解体』『本土の各鎮守府、警備府、及び泊地周辺の土地の割譲』のみであった。あくまでも『自分たちの住める土地』が欲しかっただけだったのだ。



 それから二十年。彼女らの戦勝側とは思えないような謙虚で友好的な態度は続き、日本と深海棲艦との隔たりはかなり緩和されてきている。深海街には人間が流入し、商売を始め、それにより経済も回復の兆しを見せていた。生まれ育ちが深海街の人間は『Deep Town Baby』と呼ばれ、深海棲艦と人間が混ざり合う、日本とはまた違った文化がそこに芽生え始めようとしていた――。


 


 

裸足の季節


 終戦記念日の深海街は、どの店も驚くほど閑散としている。それはこの街唯一の何でも屋であり、占領前からの老舗である『岸辺商店』も例外ではなかった。

 

 「お客さん、誰か来ましたー?」


 開けっ放しの出入り口から汗だくの上半身だけをひょっこり覗かせて、岸辺みゆは店の奥に問いかけた。


 「残念ながら誰も」


 少しのラグの後、従業員伊丹は気だるそうに返事しながら、Tシャツに短パン姿という気の抜けた姿でカウンターに出てきた。白のタンクトップにつなぎの上を腰に巻いているみゆの姿を認めると、軽くあきれたように寝け眼ぼをガシガシと擦りながら「みゆちゃん、つなぎくらいちゃんと着なよ……」


 「伊丹さんは店内にいるからそんなこと言えるんですよ」


 みゆは伊丹の言葉を気にも留めず、小さなエントランスの椅子に体を投げ出すように座ると、夏の日差しを全て吸収して少し焼けたような黒く長い三つ編みをどこか鬱陶しそうに弄りだした。少し汗ばんだ、まだ焼けていないすらりとしたうなじがおもむろに露になる。


 そもそも、とみゆは胸元をパタパタさせながら不服そうに唇を尖らせた。

 

 「伊丹さんだって同じような格好じゃないですか。むしろつなぎを穿いてる分、私のほうが偉いまであると思いますけど」


 「俺は昼休憩だからいいの……てかみゆちゃん、仕事ほっぽり出してどこいってたのさ」


 「そこの港に」


 「港?……ああ、呉ね。もう何もないだろうに、もの好きだねぇ」

 

 「――終戦記念日だったんで、久しぶりに行こうかと」


 そっか、と伊丹は呟き、ポケットから取り出したタバコに火を点けた。


 「もう二十年も前、か。戦争が終わったのも、おやっさんがみゆちゃんを育て始めたのも」


 

 みゆはしばしの沈黙を伊丹への返答とし、伊丹も少しばつが悪そうに口をつぐみ、タバコをふかした。普段は聴こえない蝉の声が遠くで響き、二人の間を満たしていく。


 みゆは汗で張り付いた前髪指先でいじくり回しながら、自分の出生について考えていた。養父の岸辺歩曰く、自分は終戦の日に妻がどこからか拾ってきたのだ、と。二年前に岸辺歩が他界する際に零した「本当の両親を見つけてあげられなくてすまない」という言葉が、この日はやけにみゆの心を抉るのだった。



 そういえば、とタバコを灰皿でもみ消しながら伊丹が呟く。


 「今日は、おやっさんのかみさんの命日でもあるんだよな」


 ちゃんと拝んだか?と訊く伊丹にみゆはもちろん、と答える。


 「あの人も不思議な人だったなぁ。いつも家空けてるかと思ったら帰ってくるなりみゆちゃん連れてきて、かと思えば終戦ぴったしに死んでしまうんだから……」


 「随分と――」


 身勝手な人ですね――そう言いかけて、あわてて言葉を飲み込む。自分にとっては命の恩人なのだからそんな言い方はないだろう……とみゆは自分を戒めた。と、そのときだった。じっとり湿った空気を切り裂くように店内の電話が鳴った。こちら岸辺商店、とカウンターの伊丹が慣れた手つきで電話を取って対応する。伊丹は二言三言話した後、怪訝な顔をしながらメモを取り、「わかりました、後ほどそちらに」と言って電話を切った。


 「みゆちゃん、仕事だ」


 「え、私ですか?」


 「ああ。この仕事は女のコのみゆちゃんにしかできない」


 「え、なんか怖いんですけど」


 「大丈夫、依頼人はおばあちゃんだったから。俺にもよくわからなかったけど、ある女の子を演じてある男の彼女面してほしいんだと」


 「ぜんぜんわかりませんよ!」


 「詳しい話は現地で、だって。はいこれ住所」


 「そこそこ遠いですね……車使わせてもらいます」


 「オッケー、はい鍵。行ってらっしゃい」


 みゆは鍵を受け取ると、長い三つ編みを翻し颯爽と店を出て行った。

 


 もうすぐ真上に昇りそうな太陽は入道雲に隠れ、地上には肌に纏わりつくような湿っぽさが下りてくる頃合だった。




―――――――――



 深海街を抜けて二十分、入り組んだ路地を彷徨いながらみゆは依頼主の家を血眼になって探していた。ここ一帯は戦前からある平屋が並ぶ住宅地であり、また全てがほぼ同じような出で立ちである為、みゆは一軒一軒表札を確認していかなければならなかった。



 十分ほど経ってようやく『柳』の表札が目に入る。探すだけでもう疲れたよ〇トラッシュ……そんな心の声をグッと呑み込み、みゆは胸ポケットから依頼のメモ書きを取り出した。


 『ある男の彼女のフリをする』


 ……やっぱりよく分からない。内容もだが、依頼主がお婆さんというのも不思議な話だ。もしかしたらこの『男』とお婆さんはグルで、ピチピチの二十歳で美少女(当社比)の私を狙っているのではないか――いやいやまさか、わざわざそんな回りくどい方法で、しかも自分にそんな事する筈ないだろう、と自嘲気味に自分に言い聞かせ、玄関へと向かう。そしていつもの様に顔に営業スマイルを貼り付け、みゆはインターホンを鳴らした。



 数秒のラグの後で、「はーい」という返事。御在宅のようだ。みゆも「岸辺商店でーす!」と、よく通る声で返す。


「どうぞ入ってー!鍵は開いてるからー」


 ノブに手を掛けると、ドアはすんなりと開いた。中に入って屋内を見渡す。依頼主の姿は見えない。


「申し訳ないけど、こっちまで来てくれるかしらー?」


「わかりましたー」


 声は奥の方から聞こえる。脱いだ靴を揃え、みゆは誘われるまま部屋の奥へと進んだ。

 室内はお世辞にも綺麗とは言い難い。所々に散乱したゴミを避けながら、声の主のいる部屋に辿り着く。


「失礼しまーす……」


 そろそろと引き戸を開けると、小さな部屋の窓際に老婆が一人、介護用ベッドに横たわってみゆを見ていた。あどけない、やんちゃな瞳だとみゆは思った。まるで子供がそのまま歳をとったような――そんな瞳だった。


「今日は遠い所にわざわざありがとね。見つけるの大変だったでしょ」


「いえいえそんな、住所はお聞きしていたので」


「そう?それなら良かった」


 そこに座って、と老婆――柳――は顔をくしゃりとさせて言った。みゆは小さな木製の椅子にそっと腰掛けた。


「自己紹介がまだだったねぇ。私は柳アオ、っていうの。よろしくね」


「岸辺商店の岸辺みゆです。よろしくお願いします」


「みゆちゃん、って呼んでいい?」


「お好きにどうぞ。柳さん」


「ありがとう、みゆちゃん」


 呼ばれ慣れてる筈なのだが、柳に呼ばれると不思議なこそばゆさを感じ、みゆは軽く身を悶えさせた。


 それで依頼の事なんだけど、と柳が切り出す。


「この人の恋人役を演じて欲しいの」


 柳はそう言って古びた写真が貼られたメモをみゆに渡した。この男の住所とプロフィール、他にはみゆの演じる恋人の特徴が書かれているようだった。しばらく読み進めていると、え゛、とおおよそ淑女が出してはいけないような声を出してみゆは恐る恐る顔を上げた。


「……私、元提督の恋人役をするんですか?」


「そのつもりだったのだけど……ダメ?」


「いや、ダメとかではないんですけど……」


 一般人が相手だと思っていたみゆはかなり面食らっていた。かの大戦の『英雄』とも『戦犯』とも言われる呉鎮守府の元提督。そして自分はそんな彼の部下であり恋人だった『北上』という艦娘を演じなければならない。その心労を思うと一気に肩が重くなる。

 乾いた笑みを浮かべながらメモを見返すと、提督のプロフィール欄に名前が書いていなかった。書き忘れだろうか。


「それで、この提督様のお名前は――」


「『提督』って呼んであげて」


 柳は即座に返答した。まるでみゆの質問を予期していたかのように。この一瞬、みゆはまるでのどに釘を刺されたように言葉が詰まり、「……はい」と搾り出すのが精一杯だった。

 柳の説明は続く。


「みゆちゃんのお仕事は毎週土曜日の午前十時から午後一時まで。その人と一緒にお昼ご飯を食べた後、ここに来てそのときの出来事を私に伝えて頂戴」


「えっ、それだけでいいんですか?」


「――それだけ、ねぇ……ま、みゆちゃんのことを考えるとこれくらいが一番ちょうどいいかなって。ご不満?」


「いえいえそんな!ご依頼は全霊をもってしっかりこなすまでです」


「頼もしいわぁ!じゃあさっそく演技指導といきましょう。服はこれ!髪型はこんな感じで」


 あらかじめ用意していたのだろう。柳が取り出した服の入った紙袋と髪型のスケッチを受け取り、みゆは部屋を出た。その背中を見つめる柳は子供のような無邪気な笑顔を浮かべていた。



 数分後、着替え終わったみゆの姿を見た柳は呆気にとられていた。それはみゆの姿が彼女の記憶にある『北上』の姿に瓜二つだったからであった。


「どう……ですかね。てかこの服、脚がすっごいスースーするんですけど……」


 みゆが柄にも無く恥じらうのも無理は無い。オリーブ色のセーラー服に合わせたそのスカートの丈は、一般的な尺度でいえばかなり短いモノ――座るどころか少しでも風が吹けばパンツが見える程――であり、潮風の吹きすさぶ深海街では絶対に着られないような代物である。それを仕事とはいえ見知らぬ男の前で着るのだ。その心境は穏やかではないだろう。


 そんなみゆの内を知ってか知らずか、柳は彼女にメモに有るセリフを読むよう催促する。


「この北上って娘はどんな人なんですか?」


「そうだねぇ……ゆるゆるとしててマイペースで、気まぐれで……って感じかなー」


「なるほどなるほど……」


 やってみます、と言って二回深呼吸をする。そしてメモをちらりと見た後、意を決して口を開いた。


「んぉー?何ー?提督…、もう何なのさぁ、いいけどさぁ」


 ……どんな状況で出るセリフ何だろうか、とみゆは思ったが、聞いたら負けのような気がした為大人しく柳の反応を待つことにした……したのだが、肝心の柳からの反応がない。彼女はまるで魂が口から抜けていってしまったかのように、ただただみゆを見つめていた。


「あのー……柳さん?」


 みゆも流石に心配になってくる。そろそろ救急車でも呼んだ方が良いのではないかと思ってきた頃になってようやく柳がぽつりと零した。


「――すごい」


「え?」


「凄いわみゆちゃん!アナタ天才!?」


 それを皮切りに柳は堰を切ったように捲し立てる。


「もうそっくりってレベルじゃないよ!たったあれだけの情報でこれってもうモノマネ芸人もびっくりだよ!え!え?じゃあこのセリフも読んでくれる?この子の性格はね、基本礼儀正しいけど腹黒で少し辛辣で北上LOVEな娘なんだけど」


 柳はものすごい勢いでセリフを書き散らし、そのメモをみゆに差し出す。みゆは気圧されながらもそれを受け取り、例によって二回深呼吸した後、口を開いた。先程とは違う、凛とした声を意識して。



「フタマルマルマル。ほら、提督の分もちゃんとありますから。え?美味しい…?体が熱くなってきた?そうでしょう?」



 ……だからどんなシチュエーションなの!?みゆは心の中でそう叫ばずにはいられなかった。そんなみゆとは裏腹に、柳はその演技のあまりの素晴らしさに感動していた。どうして見た事も聞いたこともないような人物をここまで完璧に演じきれるのだろうか。彼女は感動を通り越して畏怖すら覚え、それと同時にこう感じ始めていた。この子ならば絶対に上手くこなしてくれる――と。それは願望と言うよりかはむしろ確信に近かった。それほどまでにみゆの演技は柳にとって完璧だったのだ。

 息が整うのを待って、柳は口を開いた。


「みゆちゃん。私からは何も言うことはない。今週から早速お願いできるかしら」


「……さっきので本当に良かったんですか?」


「ええ。お世辞抜きで本当に完璧だったわ。さっきはごめんなさいね、取り乱しちゃって」


「いえいえ!お役に立てそうで何よりです。じゃあ、私はそろそろ失礼します。衣装、お借りしますね」


「今日はわざわざありがとうねぇ。毎週楽しみにしてるわ」



 柳から代金を受け取って一礼した後、みゆは家を出て帰路についた。日が沈む気配はまだ無かったが、そろそろ夕立が降りだしてもおかしくない頃合だった。






―――――――――



 帰宅途中で頼まれた買い物を終えて辺りが薄暗くなり始める頃に、ようやくみゆは岸辺商店に着いた。というのも、依頼の帰り道で彼女は完全に迷ってしまっていたのだ。どこを見渡しても、どこの角を曲がっても同じような平屋ばかり。道を尋ねようにも今日は終戦記念日。誰も歩いているはずが無かった。なんとか夕食までには帰ってこられたものの、迷宮から脱出するのに二時間ほどかかってしまい、ここに着いた時にはもうヒグラシの声が遠くから聴こえてくるような時間になっていた。


「ただいまー……」


「ああ、おかえりみゆちゃ……っ!?」



 みゆの姿を見た伊丹の顔が固まる。突如、忘れようにも忘れられないあの日の光景が脳内にフラッシュバックし、彼女に重なっていく。




 ――もう会えないはずなのに。





「大井、さん?」





 その名を呟いたのも無意識のうちだった。



「え?」


 聞き覚えの無い名にみゆの顔が歪む。伊丹は我に返り、動揺を誤魔化すように乾いた声で笑った。


「いや、何でもない……ところでどしたのその格好。コスプレ?」


「――えっ?」


 まさかと思い、みゆは恐る恐る、自分の体に目線を落としていく。そして彼女は、買い物先で受けた周りからの視線の理由に今更ながら気づいたのだった。

 顔が茹で上がっていくのが、自分でもわかる。あまりの羞恥に体は震え、口はわななき、全身から力が抜けていく。ついには腰が抜けて、ぺたりと地面にへたり込んでしまう。


 伊丹は顔を背けて、しかし目だけはどうしてもみゆから離せぬまま、ゆっくりと口を開いた。


「まさかその服で買い物行ってきたの?」


 みゆは顔を手で覆ったまま頷く。


「みゆちゃんにそーいう趣味があったとは……来年はコ○ケでも行く?」


「違うんです伊丹さん!これはそーいうんじゃなくて、その、し、仕事というか依頼というか……」


「あー、例のお相手サンの趣味?」


「違っ……いや違わないのかも」


「……そっか。それは街中じゃあんまり着ないほうがいいと思うよ」


「こんな恥ずかしいの、言われなくても着ませんーっ!」



 ――そういうことじゃないんだけどなー……。



 たしかにこんな危ない格好、見ているこっちがヒヤヒヤする。しかし、問題はそこではない。この深海街で、艦娘の格好をすること自体が問題なのだ。いくら友好的とはいえ、元は敵同士。艦娘に仲間を殺された深海棲艦は多い。怨恨はまだ心のどこかに存在しているはずだ。そして、それが二十年そこらで消えるものではないことを伊丹はよくわかっていた。彼自身もまたその怨恨に取り付かれている一人だったから。



「とりあえず着替えてきたら?借り物を汚しちゃ大変でしょ」


「そ、そうですね。じゃあこれ、台所に置いておいてください」


 スカートについた埃を軽くはらいながら、みゆはそそくさと店の奥へと消えていった。



 店内にまた静寂が訪れ、忘れたころに鳴る風鈴がそれをより一層際立たせる。伊丹は先ほどの体験を思い出しながら入り口の方をぼんやり眺め、吸いかけのタバコをふかした。大して旨くもない煙をため息混じりに吐き出しながら独りごちる。





「白、か」





 あんなにやかましかったヒグラシはいつの間にか鳴き止んでいた。




後書き

この話の前日譚も考えてるんですけど、書き出すのは完結してから……ですかね。
本編はまだまだ続きます。


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缶@亀更新さんから
2018-06-16 20:38:56

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2018-05-27 19:34:38

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