2020-07-14 21:14:22 更新

[北方鎮守府壊滅より、十日後]

〈南西諸島海域統括鎮守府近海沖〉


艦娘が、六人。化け物が、一人。


海原で出会ったその瞬間に、艦娘たちは件の敵が目の前にいることに驚愕した。白い髪、灰色の肌、赤い瞳、深海棲艦でありながら男の体、黒い軍服、艤装無し、しかし敵意あり。伝令を受けてからたった三日後に、その化け物と出会ってしまった。


一方化け物は、ようやく出会えた敵に胸を躍らせていた。海の天気は変わりやすく、ここ三日間は視界がなくなるほどの嵐に巻き込まれた。怪我こそしなかったが完全に方角を見失い、さらに島も見当たらなかったためにずっと歩き通しだった。海は広く、孤独を感じるのは十分だった。地球という星で完全に迷子になってしまったのだと半ば諦めていたところに、見覚えのある連中が現れた。



「「「「「「…………」」」」」」

「……………」



なんとなく、艦娘側が自分のことを知っていることを悟った。化け物は当然目の前の艦娘の名前など知らないが、相手が自分を知っていることを少しだけ嬉しく思った。孤独から解放されたようで、例えるならアイスの当たりを引いたような気分だった。



「初めまして、黒軍服さん」

「………そう呼ばれているのか」

「ええ。あなたに名前があるなら聞かせて欲しいかも」

「………あるにはあるが、あまり意味はない」

「それもそうね。だってあなた、ここで死ぬんだもの」

「威勢がいいな。実力が伴っていればいいのだが」


旗艦のlowaは挑発的だった。それもそのはずである。彼女の練度は100を超え、姉妹艦ではないにしても姉妹同然に慕っている同練度の艦娘が仲間にいるのだ。Colorado、Gotland、Jervis、最上の五人も、数々の戦いに身を投じ、そして生き残ってきた歴戦の猛者だ。ここまで来ると周辺海域では負け知らずで、大規模作戦でも大きな功績を残してきた。間違いなく黒軍服にとっても今まで一番強い艦娘と言えるだろう。


黒軍服はその挑発が確かな結果の元に成立していることを雰囲気で見抜いた。楽しみでありながら、心地よい緊張も感じていた。笑顔が自然と溢れ、しかし見られまいと口元を押さえる。


「さて、なら早速」

「ちょっと待って」

「え?」

「どうせならあなたについてもっと教えて欲しいわ。そうね……北方鎮守府をやったのはあなたなの?」

「え、あ、そうだ」

「ふうん……どういうトリックかしら?たった一人で鎮守府を壊滅させるなんて」

「トリックというか、まあ普通に……」

「正面からやり合ったの?」

「まあ、そうだな」

「なるほど、相当の実力のようね。じゃあ次はあなたの服についてなんだけど」

「ちょ、ちょっと待て!」

「なに?」

「今から戦うんだろ?そんな流暢に話してないで、さっさと始めないか?」

「何よ、お喋りは嫌い?私は、結構好きなんだけど」

「え?いや別に嫌いじゃ…」

「ああごめんね、lowaってなんか変なところがあって……」

「最上、変ってなによ。言葉が通じるなら話してみようとは思わない?」

「向こうも困ってるじゃないか、ねえ?」

「う、うん……まあ構わんが……」


黒軍服は酷く困惑していた。敵ながらあまりにもフレンドリーな接し方に、拍子抜けというか、戦意を削ぐような対応に動揺するのは当然だった。


「私も気になるわ。あなたのその服、まるで軍服みたい。他の深海棲艦とは明らかに違うわ」

「ちょ、Gotland!」

「………まあ、名残だ」

「名残?まあは軍人だったとか?」

「そうだ、な」

「深海棲艦にそんな軍人とかそういう役職があるの?」

「聞いたことがないわ」

「ん〜、そこはノーコメントで」

「なによ、言ったら恥ずかしいこと?」

「いや……多分お前たちは信じないだろうから」

「え?なになに、そんなすごい話なの?」

「実は宇宙人とか?」

「み、みんな…」

「………実は、元人間なんだ、私は」


素っ頓狂な顔をして、全員が固まった。そして途端に苦笑いを作った。


「いや……いくら助かりたいからってその嘘はよくないと思う……」

「もう少しマシな命乞いはないの?」

「ユニークな答えを期待してました」

「ええっ、信じてくれないのか!?お、お前たちが聞きたいって言ったんだろ!?」

「うん、ちょっと後悔してる」

「引くわ」

「くっ………なんでだ……ホントのことなのに…」

「もし仮に貴方が人間だったして、どうして私たちと戦うの?普通なら艦娘の味方になると思うのだけど」

「それは……不可抗力だ」

「そんなはぐらかし方は通用しないわよ。人間だなんて嘘なんでしょ?」

「もういい……。なあ、それよりそろそろ……」

「あ、ごめんなさい。そうね、始めましょうか」



敵同士で普通の会話をしてしまった。南西諸島海域統括鎮守府の艦娘たちはその風土のせいかフレンドリーな性格の艦娘が多い。外国籍の艦娘もいるからだろう。しかし黒軍服にとってはあまりにも奇異な出来事だった。


よそよそと艤装を構える艦娘たち。ここで堂々と迎え撃つつもりであったが、どうもさっきの会話の後ではそんな気にはなれなかった。


「さ、行くわよ!」

「了解!」

「ok!」

「了解!」

「わかった」

「ok!」

「お、おお……うん、よし来い!」



直後、火球が黒軍服の視界一杯に広がった。爆炎は意識の外側からなんの躊躇もなく攻撃を開始し、正面からモロに喰らった身体は衝撃に耐えられず後方数メートルに吹っ飛ばされた。


「ぐおっ!?」


黒軍服が自信を抱いていた絶対の防御力。しかしlowaたちの火力はそれを上回った。全身に激痛が走り、燃え盛るような暑さと痺れ、そして何より息ができなかった。


「(ば、馬鹿なっ!?この威力は……!)」

「あら直撃」

「堂々と受けたね」


黒軍服は被弾箇所を見た。灰色の身体にえぐられたような欠損箇所をいくつもある。特に肺のあたりが酷い。その他の箇所も皮が剥がれて肉が見えている。血が止めどなく溢れ、ついに絶叫したと同時に大量に吐血した。


六人が一斉に砲撃をしたのだ。無論、普通の深海棲艦ならそれでやられるだろうが、黒軍服は北方鎮守府の艦娘相手には無傷でいられた。しかしこれはどうだ。向こうはおそらく全力ではないのだろう。なのに黒軍服はいとも簡単に瀕死寸前だ。


「(れ、練度の差か……!?いや、兵装か!)」

「ねえ、本当にあなた、北方鎮守府を壊滅させたの?」

「ん……?ねえ見て、こいつ再生してるわ!」

「本当だ。こんな能力があるのか……」

「なるほど、これがこいつの強みですか」


欠損箇所が元に戻っていく。植物の成長を高速で見ているかのような再生。しかし体力までは回復しない。身体の機能が戻るだけでエネルギーは失ったら戻らない。


「くっ……!」



ドォンドォンドォン!!!



「うわっ!」

「う、撃ってきた!」

「どこに艤装を隠し持っていたんだ!」

「みんな、散開!」

「了解」

「でもかなりダメージは受けてるはず」


倒れ込んだ体勢からの砲撃は威嚇程度にしかならない。直撃は当然なく、六人は素早く距離を取った。


「当たってたらヤバかったかも……です」

「しかし急に艤装が現れたような気がする」

「私もそう思います。どういう原理なんでしょう」

「でも、もう油断しないわ」

「そうね、ケリをつけましょう」

「ええ」


Coloradoはゆっくりと砲身を動かし、照準を這いつくばる黒軍服に向けた。ダメージのせいで素早く動くことはできない。動いても避けられないだろう。最後のせめてもの抵抗として、砲口が火を吹いた瞬間に艤装で身を守った。


そこから先の記憶は、黒軍服にはない。













[同時刻]

〈○△鎮守府 執務室〉


黒い軍服の深海棲艦の話は、未だ冷めぬ話題としてもちきりだった。人面犬とか、花子さんといった都市伝説よりも信じがたい話だからだ。そもそも、たった一人で一つの鎮守府を壊滅させる戦力とは、どれほどのものなのか。本当に勝てる艦娘はいないのか。他の鎮守府なら結果は違っていたのか。黒い軍服ということは、新種の深海棲艦なのか。


「提督はどうお考えなのですか」

「え?」


執務を手伝っていた鹿島は、のんびりと新聞に目を通していた黒崎にそう尋ねた。少し考えるように天を見上げると、黒崎はまた視線を新聞に戻して答えた。


「個人的には新種の深海棲艦説を推すかな。合理的で最も現実的な回答だと思うね。年々何体かは新種が現れていたし、可能性は高いと思う」

「確かにそうですね。ですが、新種といってもそこまで戦力が高くなるものなのでしょうか」

「うーん、まだまだ深海棲艦の生態は未知の部分が大きいからなぁ。でもほら、突然変異とかなら」

「なるほど。我々艦娘も突然変異をして、パパッと強くなればいいんですけどね」

「それは難しいと思うけど………技術部は毎日研究と改良を重ねている。その内画期的な発明があるかもね」

「ですね」


会話が途切れた。ふと鹿島に目を向けると、物足りなさそうな表情をしていた。この部屋にいる時、彼女はいつもこの顔だ。その椅子に座るべきはお前ではない、ここにいて欲しい人間はお前じゃないという目で、私を見てくる。皮肉なことに、最も戦績のない艦娘である鹿島が、最も提督と関わることが多い。戦場独特の緊張で誤魔化すことはできない。寂しい気持ちが止めどなく溢れていた。鹿島は、そんな顔をしていた。


黒崎はふと、この艦娘にならもう一つの、どうしようもない仮説を述べてもいいかもしれないと思った。この冷淡な顔を少しでも変えることができるなら、或いは。



「なあ鹿島くん」

「なんでしょう」

「さっきの話、実は僕の自論があるんだけど、聞く?」

「………ええ。聞きましょう」


含みのある言い方で、鹿島を挑発すると彼女は手を止めてこちらを見た。


「黒い軍服というのは、まるで単なる外見的特徴だけに留まっているけれど、しかし僕はここにこそ話の肝があると思うんだ」

「と言うと?」

「うん。確かに深海棲艦は姫級を中心に服のようなものを着ていることは明らかになっているけど、軍服という形式的なものは初めてだ。しかも初の男型。突然変異にしたってぶっ飛んだ変わりようだ」

「…………そうですね。でも、突然変異は予測できないものでしょう?ルールも法則も当てはまらない」

「そう。でも深海棲艦が現在の拮抗状態で突然変異を起こさなくちゃならない危機的状況に置かれていると考えられるかな?」

「………」

「そもそも突然変異とは、環境に対応するためだとか、遺伝子の異常だとかで起きるものだ。ちなみに新種の深海棲艦はどちらかと言えば系列の派生や進化に当てはまる。で、この突然変異がどっちなのかって話になるんだけど」

「環境に対応というのは……うーん、少し可能性は低い気がしますね。それほど大きな変化はなかったはずですし」

「となると遺伝子の異常だ」

「そうですね。でも、未知の生物の遺伝子なんて、我々じゃ予測不可能ですし……」

「…………ここからぶっ飛ぶ仮説を立てた」

「え?」

「軍服、男型。これは外的影響の賜物だと考えられる。しかし遺伝子の外的影響だ。交配、遺伝子操作と言ってもいい。つまり深海棲艦はなんらかの要素を身体に取り込んで、その形に変化した」

「…………」

「軍服と、男型だ。そんなもの当てはまるのは人間だけだ」

「………」

「つまりその深海棲艦が、軍服と男型の要素を持った人間を取り込んだ」

「……」

「軍服を着た、男。軍人さ」

「…」

「そういえば、まだ死体が見つかってない殉職した軍人が、いた気がするよね」



彼は、どこにいったんだろうね?













[12時間後]

〈同鎮守府 艦娘寮 会議室〉


「じゃああれか、死んだ宮本提督が深海棲艦となって蘇って、北方を滅ぼしたってのか?」


御伽話より信憑性の低い内容に、真っ先に噛み付いたのは天龍だ。



会議室、消灯されてもなお蝋燭をつけて、鹿島は黒崎の仮説を幾人かの艦娘を呼んで伝えた。既に眠っている駆逐艦などを除いた、艦隊の中でもかなりベテランを揃えた。


「て、提督が、生きて……」

「落ち着いて!大井っち、大丈夫だよ」

「その反応も無理はありません。私もそれを聞いた時、震えが止まりませんでした」

「いや、まず有り得るのでしょうか。人間が深海棲艦に、或いは深海棲艦が人間になることなど」

「信じられないデース!SFやfantasyじゃあるまいし、ありえないネー!」

「大体、艦娘が台頭する前は人間が実際に戦っていたんだろ?なら、その時に殉職した人たちのかもしれない」

「いやそもそも深海棲艦と人間は全く別の生き物だ。それを繋げるなんて無理があるよ」

「黒崎提督はそう言って私たちを動揺させるつもりなのでしょう。無理矢理宮本提督の話題に繋げて、謂わば言いがかりですよ」

「だな。信じられねぇよ、マジで」



艦娘全体の意見は当然否定的だった。轟沈した艦娘が深海棲艦として再利用される、という都市伝説が一時期流行ったが、それも科学的、統計的にありえないとされたこともあり、人間の深海化はさらに信憑性に欠けるものだ。


そもそもこの星の広大な海で、人一人の死体が見つからないことは、冷静に考えれば不思議なことではない。海底に沈み、暗闇に隠れれば艦娘とて見つけるのは困難だ。提督の死体が見つかっていないだけで、そこから深海化にもっていくのは無理がある。



「どう思う?長門」

「無論、信じられない話だ。議論する価値もない」

「そうよねー」

「あ、あの……」

「ん?」


一人、その否定派の嵐の中で異を唱える艦娘がいた。工作艦明石だ。


「黒崎提督の肩を持つわけではないのですが、可能性が全く存在しないわけではありません」

「え?そうなのか?」

「そもそもこの世の生物はまだ未知の部分が多く、人間が暴いたのは氷山の一角に過ぎません。細胞内共生説というものを聞いたことがあります。本来は異なる細胞生物が、ある細胞生物に取り込まれることによってその一部となる。つまり、別の生き物同士が混ざり合ったとしても、場合によっては打ち消しあったりどちらかが支配したりすることなく、別の構造になって生きる可能性があるんです。最も、細胞レベルでの話ですので確証はありませんが……」

「じゃああれか、深海棲艦が提督の細胞を取り込んでその形になったってことか?」

「あるいは交配か移植か……。深海棲艦の中に人型が存在しているのは、その元となる生物が人間の生態情報を取り入れて進化したという説もあります。深海棲艦という生き物は全く未知の生き物です。それこそ我々の常識を覆すことがあってもおかしくはないでしょう」


殆どの艦娘は未だ納得できないようだった。しかし可能性を完全に打ち消すことは誰にもできないため、ほんの少しだけ、想像してしまう。


どれだけ不遇な目に遭っても文句一つ言わずただ自分たちのために尽くしてくれた、そして最後には自ら犠牲となって守ってくれたあの人間が、今深海棲艦となり蘇ってしまった。異常な戦力を有し、一つの鎮守府を壊滅させた、おそらく間違いなくこの戦争始まって以来の厄災。もしいつか見えることがあるならば、自分たちは戦うことができるのだろうか。


「………なんにせよ、そいつは敵だ。もし我々の鎮守府を襲うことがあれば、迎え撃つしかない」

「そう、ですね」

「さあ、明日も任務がある艦娘がいるだろう。今日はお開きにしよう」












[同時刻]

〈南西諸島海域統括鎮守府 第二格納庫〉


重い鉄製の扉が開けられた喧しい音で目が覚めた。光が差し込んだと思ったら、すぐに扉は閉められて再び暗黒に包まれる。そして少しして部屋の明かりがつけられると、目の前に艦娘と軍服を着た男がいた。


ここに至るまでの記憶が朧げだ。一体どうしてこんなところにいるのか。しかも柱に鎖で縛り付けられて。ただこの二人が自由であるところを見ると、どうやらこの二人が私を捕らえた者たちであるようだ。


二人の目は、嫌悪は感じなかったがただ不可解なものを不気味に観察するような感じを覚えた。確かに私のような半端な存在は、そんな目で見られて当然だろう。しかしすぐに始末されていないことに、私は疑問を抱いた。こちらから問いかけようとした時、先に向こうが口を開いた。



「声は聞こえるか?目は見えるか?」

「………ああ」

「なるほど、外傷もなし。再生能力があるとは本当らしいな」

「ええ。でも気をつけてね、何をしてくるかわからないわ」

「分かってる。………ここは私の鎮守府の格納庫だ。頑丈なつくりで、中の音はほとんど外に漏れない。風通しは悪いし薄暗いが、誰かを閉じ込めておくにはもってこいだ」

「あなたは…」

「ここの提督をやっているものだ。こっちはIowa。君とは既に面識があるだろう」

「………強烈な攻撃を……いただいた」

「あなたが強いことは何となく分かったわ。でも、私たちの方がほんの少しだけ上だったってことよ」

「君は再生能力のおかげで沈みはしなかったが気絶してしまってな。放置するわけにもいかんし、一応捕虜として捕縛させてもらった」

「なるほど………状況は理解できた」


二人は実に穏やかに話した。混乱している私もはっきりと記憶を取り戻し、捕縛されていながら実に冷静に応答できた。


「さて、これからの君の扱いに関してだが……。実はまだ何も考えていない。意思疎通ができないとばかり思っていたからな、君みたいな深海棲艦は初めてだ。捕まえたのはいいものの、どうしたものやら」

「殺さないのか?」

「それは考えたけれど、貴方の再生能力の限界まで攻撃を続けるとなると、一体どれだけの弾薬が必要になるか分からないし、何より会話ができる以上は、武力による解決は避けたいのよ」

「しかし、会話でどう分かり合う?」

「それはこれから考える。そうでしょ?」

「ああ。まあなんだ、とりあえずここに見張りはつける予定だ。何かあればすぐにまた痛い目を見ることになるぞ。大人しくしていることをお勧めする。こっちで意見がまとまり次第、また来るよ」

「ふっ……おかしな連中だ。北方鎮守府を滅ぼした深海棲艦だと分かっていて、まるで警戒心がない」

「なに、気が変わってすぐに君を処分するかもしれない。警戒しておくべきはむしろ君の方だよ」

「………」



そう言うと北方提督とIowaは格納庫から去り、暫くして駆逐艦が二人、扉の前で警備を始めた。













[同時刻]

〈北方海域 無人島〉


「おい中枢」


艤装の手入れをしていた中枢棲姫に、重巡棲姫が声をかける。中枢が振り返ると、無表情で彼女を見下ろす顔があった。


「どうしたの?」

「聞きたいことがある。いろんな奴に聞き回ったが、誰も知らないらしくてな」

「なにかしら?」

「ミヤモトはどこに行った」

「………」


通路ですれ違うことも、資源採取にも、食事にも現れない。もうここにいないということを知っていて、中枢はどうにかはぐらかしてきた。「散歩かしら」とか、「寝てるのかしら」とか、「私も見てないわ」とか。


知らぬ存ぜぬを通してきた彼女に対する不信感と、確かにここにいない彼に対する不安は、重巡のその鋭利な質問をさせるには十分だった。


「分からないわ」

「そればっかりだな……。なあ、ここ最近マジであいつの姿を見ねぇ。何も言わずに出てっちまうような間柄だったのか、あたしたちは?」

「彼は本当に何も言わずに出て行ったわ。だから分からない」

「ッ!」



急に物凄い力で胸元を掴まれ、視界が大きく揺れた。重巡の必死で、今にも泣きそうな顔が、息がかかる距離にある。


「じゃあなんで探しにいかないんだよ!?お前が行けって言えば、あたしたちはどこまでだって探しに行ってやるよ!!」

「………」

「最後にあいつを見た日……おかしかったんだ。あたしたちが目覚めたって聞いて来てくれた。でも、あいつは前のあいつじゃなかった。どこか別の奴が身体を乗っ取ってる……っていうか……。なあ、本当はあたしたちが眠ってる間になんかあったんだろ?だからあいつはいなくなっちまったんだよな?」

「………彼はいつかああなる運命だったのよ。私も気付くのが遅かった。私が気づいた時にはもう彼は彼自身から遠ざかっていたのよ」

「……な、なんだよそれ………全然わかんねぇよ…………」

「彼の深海化はすでに大方完了しているの」

「!」

「副作用については考えてなかった。だって私たちと人間は似ている。だからきっとうまくいくと思った。でも彼の人間性がどんどん薄れていって、今じゃ何を考えてるのかも分からない。本人も分かってないのかも…」

「そ、それって……」

「以前にも、一人で出かけていたことがあったわ。その時は帰りが遅かったのだけど、何も聞かなかった。あの時の彼、すごく怖かったから。その時からかしら、ミヤモトの様子がだんだんおかしくなっていったのは。たまに、死人みたいな目で私を見るの。真っ暗で、底なしの闇を持っている目。その時は口も聞かなかったわ。一人でぼーっとしてた。私じゃなくて、別の誰かを見てたようにも思えた」

「そ、そこまで知っててなんで、言わなかったんだよ」

「……」

「あいつに、言ってやればよかったじゃないか」

「……私には助けられないと思った」

「は………?」

「多分今の私たちじゃ、力づくで止めることはできない。だからと言って話して解決する問題でもないの。あれは彼の問題だから、私は何もできない」

「なんだよそれ……自分が深海棲艦にしておいて、無責任すぎるよ……」

「………私もそう思うわ。でもできなかった。彼に拒絶されるのが怖かった。彼を失いたくなかった。彼に避けられたくなかった……」


弱々しい声を聞いて、重巡は手を離す。俯いたまま何も言わない中枢に、なんと声をかけていいのか分からなくなった。



自分たちはいつのまにか、あのミヤモトという人間にすっかり感化されてしまっていたのだ。ほんの実験のつもりで助けた人間は、ほんのささやかな夢のために蘇らせた人間は、もうかけがえのない仲間になっていたのだ。理解した今、皮肉にも彼はそばにいない。


今どこで何をしているのだろう。












[その日の夜]

〈南西諸島海域統括鎮守府 第二格納庫〉


虫の鳴き声が聞こえる。それも夜によく聴く声だ。格納庫の中に潜んでいたのだろうか。暗いここでは常に夜みたいなものだが、それでも虫は時間を教えてくれた。


重々しく扉が開かれた。明かりがつけられ、ここの提督と駆逐艦らしい艦娘が姿を現す。


「夜分遅くにすまないね」

「いや……」

「こっちは駆逐艦の敷波だ」

「敷波です。よろしく」

「ん……どうも」

「さて、Iowaたちから色々と聞いた。君が話したことも含めて、質問がある」

「そうか、こっちにも質問がある」

「ちょうどいいな。まずは私からでいいかな?」

「ああ」


隠すことなどはない。


「君はなぜ単独で行動していた?」

「複数人で行動する必要がない。一人でも支障はなかった。ここに来るまでは」

「君に仲間は?」

「仲間?いや……いない」

「いないってことはないだろう。ほら、出会った深海棲艦はいるだろ?」

「……仲間ではないが、命を救ってくれた」

「ほう………それでそいつらとはいつ別れた?」

「数日前だ」

「何か原因がある?」

「あいつらにはない。あるのは私だけだ」

「……そこを詳しく聞き出すのは野暮だな。すまない、話題を変えよう。君はIowaたちと戦っていた時元人間だと話していたらしいな。本当か?」

「………ああ」

「……となると、かなりすごいことだぞこれは。人間が深海棲艦になってしまうなんて……」

「深海棲艦?はっ、馬鹿馬鹿しい」

「なに?」

「私はそんなもんじゃない。人でも深海棲艦でもない」

「………じゃあ、なんだと言うんだね」

「……化け物」

「………」

「………」

「………」

「………ユニークな回答だ。しかし、今回は深海棲艦として処理させてもらうぞ。それ以外対処の仕様がなくてな」

「なんでもいい……」

「元人間だったら、そう、君の人間だった時の話になるんだが、その軍服は……」

「私はある鎮守府で務めていた軍人だった」

「やはりな。君を見たときずっと気になっていたんだ。色はともあれ形は私のとそっくりだったからな。なあ、なら階級は?どこの鎮守府だったんだ?」

「………それは必要ないだろう」

「え?」

「私の中では既に終わったことだ。そしてこれから始まることはないことだ。私はもう人間じゃないし、こうして立派な人類の敵になってしまった。前のことなどどうでもいい。お前たちが見るべきは目の前の化け物であって、人間の私じゃない」

「………あくまでこれは尋問なんだがね」

「このまま答えなきゃ拷問に変わるってか?」

「……いいだろう。余計な詮索はなしだ。元人間で元軍人、しかし今は深海棲艦。それだけでも大きな発見だ」

「ふん…」

「しかし次は答えてもらうぞ。元人間だったなら何故、人類の敵になった?」

「………」

「正気を失っているわけでもない。人間の性格を十分に残している。こんな姿で人間を名乗るなんてプライドが許さなかったか?この国はそんなに捨てたもんじゃない。しっかり説明すればみんな納得してくれたはずだ。お前が北方を滅ぼした時点でそれは無理になったが……」

「………本能のようなものだ」

「なに?」

「深海棲艦としての本能。人間と艦娘を敵として認識し攻撃する。人間の理性が残っていながら私はこの手で艦娘たちを壊していった……。私の内には凶暴な修羅がいるんだ。私は止めようとしたところで止まらなかった」

「……本意ではなかったと?」

「どうだろうな。あれも私の一部には違いない。今となっては私とあれのどちらが真の己なのかさえ…。たまに、私は最初からこんな化け物だったかもしれないと思う。でなければあの艦娘たちは私を拒むはずがない…」

「おい、何を言っている」

「敵意は常に向けられていたから違和感などなかったが、冷静に考えればおかしな話だったのだ。彼女たちのために尽くした私がこんな姿に果てるとは、元から私が化け物だったなら説明がつく」

「おい、聞いているのか」

「ちょっと、一人でブツブツ言わないでこっち向きなさい」

「………ん?ああ、すまない。とにかく私の意思が働いたかどうかは私も分からない」

「そうか…。この件は慎重に議論した後、大本営に指示を仰ぐつもりだ。最もお前は極刑に処させれるかもしれないが」



二人は格納庫を出て行った。見張りの駆逐艦二人が代わりに入ってきた。何を話していたのか興味があるのだろうが、しかし危険人物に話しかけるわけにはいかないと好奇心を抑えて見つめてくる。


下らないことを話していたんだよ、と話しても良かったが、もうどうでもいいことなので、やめた。










[同時刻]

〈北方鎮守府近辺 病院〉


「失礼します」

「どうぞ」


北方提督は聞き慣れた声に返事をして、読んでいた本から視線を移した。扉が開かれ、紙袋を持ったRomaが現れた。


「今日も来てくれたのか。お前も忙しいだろうに」

「いえ、今は出撃命令はなくほとんど警戒任務ばかりですから。これ、近くのお店で買った和菓子です。どうぞ」

「おお、ありがとう。どうも病院の飯は少なくて困る。これじゃあ治るものも治らん」

「そんなわけないでしょう。点滴治療が終わっただけ、ありがたいことですよ」

「確かにな。どれ、早速一つ頂こうかな」

「はい。どうぞ」

「ああ」


きんつばだった。美味い。北方提督は思わず笑みが溢れた。それをみてRomaもまた微笑んだ。


「さて……Roma」

「はい?」

「ここに来たのは、何か話したいことがあってのことだろう?」

「流石です。でも見舞いのつもりでもあるんですよ」

「それは分かってる。さ、何だ」

「黒軍服のことです」

「!」

「奴が現在、南西諸島統括鎮守府に捕縛されているとの情報が入りました」

「それは本当か!?」

「まだ一部の人間にしか知らされていませんが、おそらくは」

「………どこに行ったかと思っていたが、南西諸島とはな……」

「距離にしておよそ日本列島と同じ長さです。奴の根城はあの無人島だと思われていましたが、これは状況が変わってきますね」

「ここまで長距離の移動を行ったということは、やなりあいつはどこかに留まることはせずに各地を転々としているのだろう。故に常に一人で行動している」

「奴の処分はまだ決定していないようですが、今のところ抵抗の様子はないようです」

「降伏したということか?」

「いえ。一度奴と交戦したそうですが、無事に勝利し捕縛したらしいです」

「なるほど」



黒軍服。単身で北方鎮守府を壊滅させた無類の強さを持つ深海棲艦。無人島より現れ、Romaたち精鋭部隊を悉く蹴散らした怪物。未だ得体の知れない者に違いないが、捕縛とはよくやったものだ。


「しかし驚きです。あの黒軍服を倒すとは。やはり南西諸島の艦娘は練度が違うのでしょうか」

「いや………あそこの練度はうちと変わらん」

「は……?では何故……」

「兵装が違うんだ。うちよりずっと優れた強力なやつを、海外から輸入している」

「なるほど……。そのための資金は軍が出しているのですか?」

「………」

「………提督?」

「………あの馬鹿者は」

「え?」

「あの馬鹿者は我が同胞であり友であるが、しかし憎たらしくもあってな。勝つためには手段を選ばぬ貪欲さ……それがあの馬鹿者の悪いところだ」

「ええと、提督は南西諸島統括鎮守府の提督とお知り合いなのですか?」

「ああ。しかしなるほど、奴のところの艦娘なら確かに勝てるかもな。気に食わんが」

「あの、喧嘩でもされたのですか?」

「いや、そんなことはない。だが………奴はその、なんと言ったらいいか……」

「?」

「あいつは、勝つためにはなんでもする男だ。だからそのために、少し黒いことをしていたこともあってな。兵装もそれで手に入れたんだ」

「その黒いこと、とは?」

「それは……」










[3日後]

〈南西諸島統括鎮守府〉


格納庫の扉がゆっくりと重々しく開かれた。ほとんど光が入ってこなかったところを見ると、今は真夜中なのだろう。


「やあ」

「………」


いつも隣にいるはずのIowaとかいう艦娘がいない。今日はここの提督だけらしい。珍しい、というか初めてのことだ。いつもと雰囲気が違う。


「今日は一人だ。艦娘たちに聞かれるわけにはいかないのでね」

「………なんだ」


椅子に腰掛けると、徐にタバコを取り出した。吸うところは初めて見るが、喫煙者なのだろうか。


「………艦娘たちには嫌な顔で見られるからな。コソコソ吸ってるのさ。いるか?」

「いらん…」

「そうか」


火をつけると、うまそうにそれを加えてゆっくり吸った。火の赤い部分が一際大きくなったと思うと、元の大きさに戻り、代わりに灰色の煙が広がった。


「君の今後の処分が決まった」

「!」

「本土、大本営に輸送する。君は研究材料として調べ上げられるだろう。すぐ始末されないだけマシだがな」

「………」

「ショックか?」

「いや。意外だと思った。元帥が決めたのか?」

「元帥にはまだ知られていない。決めたのは研究チームだ。お前を調べることで新たな兵装を作り出せるかもしれないからな」

「何故知らせていないんだ?」

「北方鎮守府を壊滅させたお前を、『使えそうだからまだ殺さないでおこう』とか閣下が言うと思うか?あの人に任せていたらお前はすぐに消されるよ」

「………しかし自分をどう調べたところで、所詮はお前の艦娘に負ける程度の男だ。有益になるとは思えんな。すぐに殺しておいた方がいいぞ」

「確かにな殺すことはすぐにできる。だがそれこそなんの利益もない。どうせならお前の全てを暴いた後の方がいいだろう」



自分の運命が決まった。


誰がこんな結末を予想できただろう。親の顔も知らぬ孤児が軍人になり、深海棲艦になり、最後には兵器の元になる。少なからず抱いていた軍人としての志も、人として平和を望む気持ちも、艦娘に対する慈悲も、あの無人島の連中への情も、結局は無駄になった。何者でもない化け物になった私は、もう何も残っていないのだ。


『おいおい、我ながら諦めが良すぎないか』


………こいつが残っていたか。


『しかし、こんな呆気ない終わり方だとはな。あの艦娘ども、まるでギャグみたいな力だったな』


そうだ。私は負けた。いや勝ったことなどないようなものだ。私は誰の味方にもなれなかったのだから。





いや、何故だ?そう言えば私は、何故負けた?


「………ん?」

「お、どうした」

「少し疑問に思っていたんだが、お前の艦娘は何故あんなに強いんだ?練度の違いか?」


穏やかだった提督の顔が一気に強張った。タバコを口から離し、そして数秒こちらを見たまま硬直すると、タバコを踏み潰して話し始めた。


「そうだな……。冥土の土産に教えといてやろう。どうせすぐにお前とはおさらばすることになるからな」

「あ……?」

「うちの艦娘の強さの秘密を教えてやる」


こちらに歩み寄って、耳元で囁くようにして言った。


「それはな、兵装だ」

「兵装?」

「良い兵装ってのは資源があってもそうそう作り出せるもんじゃない。もはや運と言っても良い。だから多くの資源を使って片っ端から作りまくったのさ。ここは敵が他より強くてなぁ。今でこそ対応できるが、以前は中々苦労したもんだ」

「ここらはそんなに資源豊かだったのか?」

「いやいやいや、他と同じさ。資源は足りないし敵は強い、とんでもない状況さ」

「ならどうやって……」

「"買った"」

「!?」


そんな言葉は、聞き間違いかと思ってしまいたいほど私は動揺させた。自分でも息が詰まるのがわかった。買った、買っただと?


「資源、兵装、艦娘及びその他軍需品の金銭による売買を固く禁ずる。………この職に就いたやつなら誰でも知ってることだ。これは、個人が巨大な軍事力を保有することを防ぐために作られた軍事法で、発覚すれば辞職なんかじゃすまない。下手すりゃ戦犯扱いよ」

「お、お前、何故……」

「勝つために決まってんだろうが。こんなところに就任させられて、艦娘は弱くて戦績もカス。俺としてもここの艦娘にしても困るわけだ。だから俺はズルをした」

「それが軍需品の売買か……」

「ああ。提督っていう仕事は給料はいいがほとんど鎮守府に篭りっきりで、金の使い所が無い。だが偶然、金の亡者みたいな奴がいてな。俺はそいつと契約して、資源の売買を行ったんだ。俺は金を渡す。奴は資源を横流しする」

「だ、誰とやっていたんだ?共犯者は!?」

「落ち着けよ。もうそいつはいない。俺もここまで成長したから満足したしな。共犯者なんて言い方もやめろよな。奴と俺は、互いが利益を得るために、そして戦争のためにやってたんだ」

「………」

「………でも確かに、お前も知ってる奴だ。なら無関係でもないし、うん、教えてやるよ。おまけだおまけ」

「だ、誰なんだ」



提督の顔を見た。口を無理やり歪めたかのような嫌な笑みを浮かべて、その男は驚くべき名前を口にした。







「お前の前任、佐藤中将だよ、宮本階良くん」



後書き

投稿遅れて申し訳ありません。実は最近APEXっていうゲームにハマっててすっかり怠けてました。ゆるして。


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2020-07-18 00:29:48

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