2016-09-01 14:52:15 更新

概要

オリジナルです。兄妹の物語。更新ペースは相当遅いと思います。定期的に更新したいなという希望的観測


五月。某日。午前八時前。

東向きのこの部屋には、晴れた朝にはカーテンの隙間を縫って朝日が差し込む。

それは設計者の意図なのか(そうだとしたら抗議電話モノだが)、もしくは単なる偶然なのか、正確に俺の顔面を直撃する。

「眩しい……」

睡魔と相まって、これはかなりキツい。

昨日__というか、日付は変わっていたので昨晩が正しいか。寝たのは三時過ぎだった記憶がある。

突き刺さる朝日を避けるように、寝返りをうつ。__だが、そんな俺に惰眠を貪らせまいと言うように、布団を叩く影。

「朝だよー。起きてる?」

そんな声に続き、もう一度優しく叩かれた。

「んー……」

「ほら、起きて? 私、遅刻しちゃうよ」

「ああ、はいはい。今起きるよ」

ほぼ毎朝とはいえ、起こしに来てくれるその気遣いを無下にはできない。ベッドから引き剥がすように、体を起こす。

「おはよ、お兄ちゃん」

その影__我が妹は、笑顔を向けてくる。

「おはよう、風凪(ふうな)」



俺の名前は宮古翔(みやこしょう)。小説家をしている。そして妹は風凪。

__突然だが、俺と風凪に血縁関係は無い。元々、我が家庭はかなり裕福だった。昔はこの辺り一帯を治める領主の家系だったらしい。

そんな典型的な、“伝統あるお金持ちの家”で子供がする事、される事は何か想像がつくだろう。

学校の範囲を遥かに超えた勉強、柔道や剣道などの武道、琴などの日本楽器、その他子供が知らないような名前の習い事を複数。

遊び盛りの小学生。多くの人が、うんざりする内容だろう。当然、例に漏れず俺も。根が真面目じゃなかったんだ。そんな俺は、中学に上がる前後から反抗を始めた。まあ、スケールの大きい事はしていない。言葉を無視したりしたくらいで、あとは、猛反対された小説家を志したのもこの頃だったか。

そこで俺を見限った両親が、新たに家族に引き入れたのが風凪だったのだ。孤児院から引き抜いた、最悪の言い方をすれば人身売買だが。

だが誤解が生じた。前述した通り、習い事で塗り潰される日々は苦痛でしかない。当時の風凪は五歳。しかも、連れて来られたその日から笑顔で習い事を押し付けられる。愛情も何もあったものじゃないその扱いに、風凪が混乱するのは必然と言えた。

そんな風凪が自由に過ごす(というか見放された)俺を見たら、何を思うかは想像がつく。俺と違って反抗する性格ではなかったが、だからと言って不満を持たない訳ではない。中学卒業と同時に家を出た俺に、風凪はついて来てしまったのだ。「私は愛情を知りたい」と両親に言い放って。

今から八年前の出来事だ。それから今日まで、二人暮らしを続けている。

__そして風凪は、今年から地元の高校に通う。





翔が起きたのを確認すると、風凪は鞄を手に出掛ける準備を終える。

「じゃあ、行ってきます」

「ああ、いってらっしゃい」

寝起きにも関わらず、翔は必ず見送りに来てくれる。当たり前の行為なのかもしれないが、風凪にはこれをしてくれる人は翔しかいなかったのだ。__翔の実家暮らしの頃から。自然と頬が緩むのを感じて、風凪は慌てて戻す。



自宅__ごく普通のマンションを出た風凪は、徒歩で高校に向かう。

急坂を下り、駅前に出ると踏み切りを渡りそこで止まる。

目の前で電車が止まり、人を吐き出し、吸い込み、そして電車は視界から消える。

同校の生徒が通学路を埋めるのを邪魔にならない場所でぼんやり眺めていると、その集団から一人が飛び出し、風凪目掛けて一直線。

「ふーふー、おはよ!」

「お、おはよう」

この勢いとハイテンションには、毎朝困惑する風凪。だが、入学一ヶ月で唯一できた友人。同じクラスで席が前後になっただけだが、何故か馬が合い、学校生活のほとんどの時間をこの友人と過ごしている。人付き合いが得意でない風凪にとっては、翔に次ぐ大切な存在。

「やー、最近暑いよねー。衣替えってまだだっけ?」

「六月からだと思うけど……。今から暑かったら、夏が大変じゃないかな」

「それはそうだけどさぁ、暑いものは暑いじゃん。ふーふーは暑いの平気なの?」

「私も苦手だけど……今はまだ大丈夫」

「へー。さすがはふーふー」

「何が……?」

「ま、何でもいいじゃん」

そんな取り留めのない会話をしながら、狭く急な石段を下っていく。そうすると、目の前に高校が待ち構える。

神奈川県立、時立高校。真面目で落ち着いた校風を持つ。最大の特徴は、交通量の多い駅に挟まれながらも、田舎な雰囲気を残す事。

校舎こそ建て替えられたばかりで新しいが、学校の裏には田んぼが広がり、その奥には単線四両の電車が三十分に一本通るだけ。夏には蛙の大合唱と蝉時雨が降り注ぎ、冬には木枯らしが吹き抜ける。聞いた話だと、道路をカブトムシが歩くとか。繰り返すが、一つ隣の駅は深夜でもネオンが消えない。だが高校の周りでは、灯りが消える。

『都会の田舎』。合格発表に付き添ってくれた翔は、そう表現していた。

「ちょっと何にも無さすぎるよねー」

と友人は言うが、騒がしい雰囲気が苦手な風凪にとっては、落ち着けて嬉しい。

まだあまり見慣れない校舎を眺めながら、

「楽しい毎日が送れるといいな」

風凪が思う事はそれだった。





風凪が出てすぐ、用意された朝食を食べて片付けると自室へ戻ってパソコンを立ち上げタイピング開始。

俺が書くのは、ライトノベルと呼ばれるジャンル。定義が不安定で確立していないが、まあ、“そんな感じ”の小説だと思ってくれればいい。

デビューは三年ちょっと前。中学卒業直前だ。今ではありがたい事に、固定のファンが増え安定した収入を得ている。金持ちではないが貧乏でもない、若干低い中流家庭といった具合か。二人暮らしだし、風凪に窮屈な思いをせずに養えているから、及第点といった所だろう。

俺の日中は、ほとんどがこの執筆と知識吸収のための読書で埋まる。朝早く出勤し夜遅くに帰宅する会社員の方々は尊敬する存在だが、彼らから見たら相当羨ましい生活なのかもしれない。だが、俺は一年間365日、一日も休みを作らないようにしている。休日祝日、お盆休み、年末年始や旅行中でもそうだ。例え風邪を引いても、頭と指が動くなら一時間から二時間は書く。これは俺が自分に課したノルマだ。

風凪は感心感嘆していたが、別に誇れる事ではない。好きな事だから頑張れる。それだけの事だ。





その日の放課後、掃除当番である風凪は、ゴミ捨ての段階になって友人がソワソワしている事に気付いた。

「どうかしたの?」

「ごめんふーふー!」

すると友人は、手を合わせて頭を下げた。

「今日この後バイトなの! で、時間がかなりヤバい!」

「そうなんだ……。分かった。やっておくから、先に行っていいよ」

「マジ? サンキューふーふー! 今度何か奢るね!」

「大丈夫だよ……。それにしても、もうバイト始めたんだね」

「そりゃだって、中学でできなかったんだし、やりたくなるでしょ!」

「うーんでも私、やってないから……」

「ふーふー、割と忙しいもんね__っとヤバッ。アタシ行くね。ふーふーホントありがと!」

「うん、頑張ってね」

慌ただしく廊下を走っていく友人を見送りながら、

「いいなぁ……。やりたい事がハッキリしていて行動に移せるなんて」

風凪はボンヤリ呟く。それからゴミ袋の口を結び、

「っしょっと……」

持ち上げた所で、

「宮古さん、おれが代わりに行くよ」

男子生徒の一人が、横から袋を掴んだ。

「え? でも、当番は私なのに……」

「いいからいいから」

「あ……」

男子生徒は半ば強引にゴミ袋を受け取ると、そのまま歩いて行ってしまった。

余談だが、そこそこ容姿にも恵まれている風凪は、性格も相まって男子の人気が非常に高い。だがそれ故の競争率の高さと、普段一緒にいる友人の影響でアプローチはほとんど無い。

そして、

「成り行きで押し付けちゃった……。どうしよう、お礼も言えなかった……」

その性格上、気付く事もなく感謝も二の次である。





午後四時。俺は適度に進めた原稿を保存し立ち上がる。進行具合は、正直あまり芳しくない。俺は昔から夜型人間で、日中は読書したり動画閲覧したりゲームしたりで気持ちがブレがちなのだ。

その分深夜にガリガリと進める訳だが……朝寝坊で風凪に迷惑をかける毎日だ。

そしてこの夕方は、仕事は一休み。もう三十分もすれば、風凪が帰ってくる。朝は少し会話するだけしか時間がないので、帰宅後はしっかりと団欒の時間を作る。俺が風凪にしてやれる事なんて、それくらいだからな。

リビングに行き、適当に目立つゴミを拾ってテレビをつける。この時間は、大体がニュースだ。まあ番組はなんでもいい。一種のBGMみたいなものだから。

俺はイスに座ってぼんやりニュースを観ながら、帰りを待つ。風凪におかえりを言える存在になる。当たり前かもしれないが、これって結構大事な事だと俺は思う。愛情が義務に転化されていた風凪には特に、な。





学校を出た風凪は、駅前のスーパーに寄る。夕飯の買い物が主な理由。

「玉ねぎと、ニンジンはまだあったから……ジャガイモと、豚肉かな」

頭の中で献立を組みながら、買い物カゴに食材を入れていく。

精肉コーナーに向かった所で、その値段にやや二の足を踏む風凪。

「__あら風凪ちゃん。今日も買い物? 偉いわねぇ」

後ろからかけられた声に振り向くと、店の服を着た人のよさそうなおばちゃんの姿。

「あ、こんにちは」

「ちょうどよかった。今から割引きシール貼ろうとしていた所だったのよ」

そう言いながら、『30%引き』と書かれたシールを風凪が持つ肉のパックに貼る。

「す、すいません。ありがとうございます……」

「なになに。こんな若くていい子が家庭を支えるんだ。少しくらいサービスしたってバチは当たらないさ!」

ちなみに、これはさほど珍しい光景ではない。平日の午後四時頃。幼子連れの主婦や定年したお年寄りが多い中、十代半ばで制服姿なら、それなりに浮く。それがほぼ毎日なら顔を覚えられるし、風凪はその性格からか大人受けがいい。

「風凪ちゃんは凄く礼儀正しくて丁寧だからねぇ。うちの息子も今高二なんだけど、生意気にも反抗期なの。だから風凪ちゃんみたいな子を見ると、おばさんつい嬉しくて。ホント、息子にも見習って欲しいくらいで__」

「あはは……ありがとうございます」

放っておくと職務放棄しかねない勢いで喋り出したおばさんに、風凪は苦笑いで会釈するとその場をあとにした。





「__ただいま〜」

「おかえり」

風凪が帰宅。俺はリビングでテレビを観ていただけだが、夕飯の材料が入っているであろう袋を手に一度リビングに顔を出す辺り、本当に律儀だ。

「しょっと……。__じゃあ、ちょっと終わらせてくるね」

「ああ、頑張って」

荷物を置いた風凪は、自室に引っ込む。帰宅早々に宿題なりを終わらせるためだ。……風凪は夏休みの宿題を、現実的に不可能なものを除いて八月まで持ち越した事がない。俺からしたら、信じられないんだが。__不可能なもの? 日記とかだな。

その後に、夕飯の準備。もちろん俺も手伝うが、もう腕前は風凪に遠く及ばない。元々家事炊事が好きな性格だったんだろうが、風凪が中学に上がる頃には大部分を担当してくれるようになった。最初は説得を試みたが、「忙しいお兄ちゃんの代わりに、やる事がない私がやる」の一点張りだった。……風凪はああ見えて、揺るぎない気持ちを持っている。あのまっすぐ向けられた視線の前では、説得など無意味なのかもしれないな。

『今夜は夜遅くにかけて、弱い雨が降るでしょう。帰宅が遅くなる場合は、突然の雨に注意して下さい』

いつの間にか切り替わった天気予報を眺めながら、さらに考えを巡らす。

我が実家に引き抜かれただけあって、風凪は元が優秀だ。家事スキルはさっき言った通りだが、勉強も新入生歓迎テスト(命名者の性格の悪さが出ている)では、五科目全てで一桁順位、国語と数学で満点を叩き出した。……進学校だし、決してレベルは低くないんだがな。

そこまで考えて、ふと思う。

優秀な、優秀すぎる妹。こんな場所で、その才能を燻らせていていいのかと思ってしまうほどの優等生だ。

「__お兄ちゃん、お待たせ。宿題終わったよ」

「おう、お疲れ」

「……ちょっと時間かかっちゃった。ごめんね」

「いや、いつもとそんな変わらないよ。気にすんな」

「うん」

だが、風凪は優等生扱いを好まない。期待という名の重圧が怖いのだろう。そしてそれよりも、家族として見てもらいたいのだと思う。生みの親を、愛情すら知らない風凪が欲しいのは、賞賛じゃない。

「よし、じゃあ作るか。今日のメニューは?」

「えへへ。今日は、スーパーのおばさんに豚肉サービスしてもらったの。だから__」

俺は、風凪の気持ちに応えたい。人としてある前に、家族として。兄として。





翔との夕食の準備、及び食事は、風凪にとって一日の大切な時間だ。

学校での出来事や思った事を、好きなように翔に報告する時間。翔は基本相づちを打つだけだが、たまに質問したりしてくれる。つまり聞き流している訳ではないのだ。それが嬉しくて、風凪は饒舌になる。一日の会話の八割は、この数時間かもしれない。

準備、食事、片付けまでを翔と済ませてから、風凪は自室に戻る。

ドアを閉めてから、長く息を吐き出す。今日も沢山喋った。聞いてもらった。__楽しかった。

思わず浮かんだ笑みを抑え、風凪の生活は趣味の時間に入る。

風凪が取り出したのは、スケッチブック。シャーペンを片手に、特に悩むでもなく手を走らせる。

五分ほどで描き上がったのは、翔の小説に登場する主人公。少し考え、横にヒロインを足してみる。

ひとまず満足したのか、次のページに移る。

それから風凪は一時間ほど、スケッチブックに落書きを続けた。そこに描かれたのは、本やアニメのキャラクター。白抜きが多いが、気が向けば背景や小道具も。

「…………」

ライトノベルという、オタク文化の分野で活躍する翔を兄に持つせいか、風凪の興味も専らそっちである。流行のドラマやアーティストよりも、アニメや声優をチェックする。

恥ずかしさがある訳ではないが、悲しいかなオタク文化は、未だ世間一般からの風当たりが強い。変な噂で翔に迷惑をかけたくない。その想いが、今まで風凪の口を閉ざした。例の友人に打ち明けたのもつい先日で、その際、

「ん〜、ギャップ萌え? やるじゃんふーふー!」

という反応に困るコメントをもらった。言いふらしている様子は無いので、ひとまず安心している。

だが、イラストを描く事については、翔を含め誰にも話していない。

その理由は、すこぶる単純。

「……似てないね」

風凪の性格から来る、自信の無さ。

「これでも結構、頑張ってきたんだけどなぁ……」

風凪がちらりと向けた視線の先には、積み重なったスケッチブック。一冊六十枚のそれは、すでに二桁を超えている。

「やっぱり本格的に頑張らないと、駄目なのかなぁ……」

風凪はたった今完成したイラストを眺め、その後天井を仰ぐ。

「……ふぅ」

それから静かに、スケッチブックを閉じた。



翌日、風凪の朝は六時半から始まる。

起床して軽く身だしなみを整え、二人分の弁当を用意しそれから朝食を作る。自分の分は先に食べて、制服に着替える。持ち物のチェックを済ませて、そこで翔を起こしに向かう。

「お兄ちゃん、朝だよ。起ーきーて」

「ああ……おはよう」

深夜まで頑張る翔を少しでも長く休ませようとする気遣い。同時に、昼夜が逆転しない意味もある。

だが、ここには少なからずワガママが存在する。以前、中学時代に昼夜が逆転していた翔は、風凪の出発及び帰宅時間にはいつも就寝中。それが若干不満だった風凪が無理矢理始めたのだ。

「生活リズムはしっかりしないと!」

という理由は、建前だったのかもしれない。

「あー、ははは。そうかもな」

そう言った翔の苦笑も、全てを見抜いた上だったのだろう。

もっとも、あまり感情を表に出さない翔が実際に何を考えているのかは不明だが。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

それでも理由が何であれ、眠い中わざわざ見送りをしてくれる翔がいれば、風凪は満足だった。





風凪が家を出てしばらく後、俺も外出の準備をする。

と言っても遊びに行く訳ではない。今日は担当編集さんと原稿の打ち合わせの日なのだ。

俺は坂道を下って駅に向かうと、電車に乗って都内へ向かう。自宅から編集部までは、徒歩込みで一時間半ほどだ。打ち合わせの長さにもよるが、風凪が帰ってくるまでに戻れない可能性も高い。

今日が編集部に向かう日だとは伝えてあるが、もし長引くようなら連絡しなければ。

そんな事を考えながら、編集部のあるビルに到着。

受付に名前を告げると、担当さんを呼ぶと言われそのまま奥のブースに通された。本当は色々と手続きが必要なのだが、何度も通う内に省略された。

「__やあ、遅れてすまないね」

五分ほどすると、俺の担当さんが顔を見せた。

「さっそく始めようか」

「はい」

この担当さんは、多くの有名作家を育ててきた凄腕編集さんだ。俺はデビューした時からお世話になっている。俺がこうして生活できているのも、この人の存在あってこそだろう。

その後、お昼を挟んで午後も打ち合わせを続ける。

この人は俺以外にも多くの作家を担当している。その中には、この文庫の看板作品を書く作家もいる。そちらをチェックしつつ、俺達のような中堅作家を手を抜かず打ち合わせをする。そのせいで、この人のスケジュールは多忙を極める。そこで担当される作家は、なるべく編集部へ出向く事が暗黙の了解になっている。

ひとまず風凪の帰宅時間には間に合いそうにないので、メールで連絡を入れて打ち合わせ再開。

「__さっきのメール、風凪ちゃんかい?」

「あ、はい」

この人も、風凪をよく知っている、

まだ俺がデビューしたての、風凪が小学生だった頃、家に置いておく訳にもいかず連れ回していた時期があったのだ。時には学校を休ませてしまった事もあった。なので今では、可能な限りの自由を与えている。まあ、真面目な風凪にはあまり影響が無かったが。

「今年から高校生だったよね? 元気?」

「元気ですよ。今は地元の高校に通ってます」

「へえ。最近会えてないからね。どうかな、今年の忘年会に連れてくるのは」

「伝えておきます」

「僕が担当する女性作家の皆も、たまに会いたいって話をしてるからね」

「そうなんですか?」

「うん。__だから、シッカリ養えるように頑張らないとね」

「勿論ですよ」

俺を信じてついてきてくれたのだ。その無意識の期待を裏切る訳にはいかない。

……そういえば、風凪からの返事が遅いな。授業中でも、休み時間には連絡をくれるのだが。





風凪はケータイの画面を見たまま、固まっていた。

そこにあったのは、『打ち合わせが長引いて、帰るの遅くなりそう』という翔からのメール。酷く簡潔な内容だが、問題はそこではない。風凪が見ているのは、時間。メールが届いた時間は、午後の二時頃。現在は放課後の四時。

「どうしよう……」

言い訳をすれば、この二時間はぶっ続けで体育の授業だった。ケータイを見る機会はあるにはあったが、特別必要ないだろうと確認しなかったのだ。

返信をしなかったくらいで翔が怒るとは風凪も思っていない。が、

「ふーふー、今日はバイトも無いし一緒に帰ろ__どしたの?」

「お兄ちゃんからのメール、無視しちゃった……」

風凪の性格上、簡単には受け流せないのだ。

「あーそうなの?」

友人も風凪の性格は把握済みなので、表情ほど深刻ではないだろうと予想。

「とりあえずごめんって言えば?」

「うん、そうする」

頷いた風凪は、翔の番号へコール。

「__あ、お兄ちゃん。ごめんね、メール見てなくて……。返事できなかったの……。__うん。__ありがとう」

内容は聞こえていないが、想像はつく友人が訊く。

「何だって?」

「大丈夫、だって」

「だと思った。前に一回だけ会ったけど、優しそうな人だったもん。__ねえふーふー」

「?」

「今日この後、遊びに行ってもいい?」

「それって……私のうちに?」

「他に無いじゃん。__あ、どうしても無理だっていうなら別に強引に行くつもりはないよ?」

「ううん、平気」

風凪の性格上、こういった言い方をすれば断られる事はない。ただし、それを口にする友人ではない。

「じゃあ行こう! なんだかんだで初だよね〜」



風凪と友人は、普段別れる駅を素通りし坂を登る。

「ふーふー家近いんだし、チャリ使わないの? 持ってるでしょ?」

「この坂、登るの大変で……」

「あー確かに」

友人は納得する。歩くだけでもかなり疲労が溜まるほどの傾斜である。何か理由が無ければ、押して歩く方が得策と言える。

だからこそ物件が安い事を、風凪は知っている。

マンションに到着した風凪は、

「お邪魔しまーす」

ひとまず友人を自室に通すと、リビングにお茶とお菓子を取りに行く。翔の夜食用にと作ったクッキーを発見し、

「…………」

少し悩んでから手に取った。

「お待たせ__」

「おおふーふー!」

自室に戻ると、友人が笑顔で寄ってきた。

「ど、どうしたの?」

「これこれ!」

友人が持っていたのは、スケッチブック。

「そ、それはダメ!」

慌てて取り返そうとするが、友人はどこ吹く風でパラパラとめくる。

「これふーふーが描いたんでしょ? メチャクチャ上手いじゃん」

「そんな事ないよ……。ただの落書きだし……」

奪取を諦めた風凪は、カーペットに腰を下ろす。

「__あ、このキャラ知ってる。お兄さんの小説のヒロインでしょ?」

「うん……」

自分のスケッチブックを見せられるというのは風凪にとって生き地獄のようなものだが、友人は気付かないし風凪もわざわざ言ったりはしない。

「面白いよねー。アタシ本とか全然読んだコトなかったけど、お兄さんの凄く読みやすいもん」

「お兄ちゃんも、それを心がけてるって言ってた」

「へー。やっぱり凄い人なんだね〜」

「……うん。私もそう思う」

自分の人生を変えた兄の存在。友人の言葉は、風凪の憧れそのものだった。





五時になってしまった。

思った以上に打ち合わせが長引いて、こちらに戻ってきた頃には伸び始めた日も沈みかけていた。

間違いなく風凪は帰ってきているだろう。宿題中ならいいんだが。

「ただいま」

玄関のドアを開けると、ある物に目が留まった。

二つ目のローファー。一足しか持っていない風凪では、ありえない光景だ。__つまり、

「あ、おかえり、お兄ちゃん」

「お邪魔してま〜す」

我が家では非常に珍しい、客人という訳だ。

風凪と一緒にわざわざ自室から顔を覗かせた女の子は、風凪の友人だ。入学式の帰り、少しだけ話をした事がある。見た目通り、快活な子だった気がする。

「お久しぶりです! 覚えてます?」

そうウインクで敬礼してくる女の子。……風凪は絶対やらないな。

「ああ、毎日のように風凪から話を聞いてるからね。風凪と仲良くしてくれてありがとう」

「お、お兄ちゃん!」

風凪が何やら抗議したそうな顔をしているが、事実だし仕方ないだろう。

「ほほう? それは知らなかった。ふーふーってばアタシの事好き過ぎでしょ!」

「そ、それは……」

「ま、アタシの事でよければ、いくらでも言いなさいな」

……この子、凄くいい子だな。今のセリフで、風凪への理解がよく分かった。

「一応、俺からも自己紹介しておこうか」

「__小説家の翔さん、ですよね? ペンネームは『大悠(だいゆう)』さん」

「……その通り」

完全に先回りされてしまった。

「お兄さんの同じように、アタシも普段色々聞かされてますからね〜。ふーふーのブラコンっぷりは中々ですよ?」

「……そうか」

大して困る訳でもないが、こうして個人情報が漏洩しているのは少し複雑だな。ペンネームを使っている理由の一つに、“オタク文化を仕事とする兄”という存在を曖昧にするためというのがあったのだが。

「あ、だからってアタシもふーふーも、言いふらしたりはしてませんよ? ふーふーがオタクだって知ったのも、割と最近ですし」

「それは助かるよ」

いい友達を持ったな、風凪。

「じゃあ俺は部屋に戻るよ。ごゆっくり」

かなりいい子のようだが、俺といるより、友達の風凪と一緒に喋りたいだろう。大人しく原稿を進めるとしよう。

「頑張って下さい! ふーふーに進められて、お兄さんの小説読み始めたんです。凄く面白いです!」

背後から掛けられた声。売り上げで何となくの人気は分かるが、こうやってダイレクトに感想を聞ける機会はあまり無い。俺は振り向いて、苦手な笑顔を作った。

「ありがとう」





翔が自室に戻ったのを確認した風凪は、長く息を吐いた。

「どしたのふーふー」

「ちょっと、意外だったから」

「意外って、何が?」

「お兄ちゃんとあんなにコンタクト取るなんて」

翔は社交的とは言えない性格だし、近寄りがたい雰囲気を出していると本人も言っていた。もっとも、風凪も人の事は言えないが。

「そう? 確かにちょっと暗い感じはするけど、クールでいい人じゃん。そもそも、ふーふーが大好きな人に悪い人はいないでしょ」

そう言って友人はクッキーをつまむ。

「うん美味しい。お弁当を自作するくらいだから分かるけど、ふーふー料理得意だよね〜」

「私ができるのは、このくらいだから」

翔の負担を減らす為。風凪の原動力は、殆どがそれである。

「そうは言ってもさ、そんな義務感だけじゃ続かないでしょ。料理に限らず」

「え……」

友人の不意打ちに、風凪は言葉に詰まった。

友人はそんな風凪には気付かないが、続ける。

「アタシはふーふーみたいに真面目じゃないから断言はできないけど、お兄さんの為だけじゃないと思うよ? ふーふーが頑張るの。__きっとふーふー、こういう家事が好きなんじゃない?」

「そう、なのかな……」

何となく、友人の指摘を認めたくなかった。兄の為、兄への感謝を込めていたつもりが、自分の為だったのだ。これでは、翔への恩返しができないではないか。

「この絵もそうでしょ? ふーふーの趣味なんだから。本気で上手いと思うけどなー」

「私は、そうは思わないけど……」

いつも通り風凪が否定すると、謙虚なのはふーふーのいい所だよ、と友人は笑う。



「じゃ、そろそろ帰るね」

それから三十分ほど雑談をした後、友人は腰を上げた。

「せっかくだから、ご飯食べて行けば……」

「ちょっと寄るだけのつもりだったし、それはまた改めて。__そ、れ、に、」

友人は意味深に言葉を切ると、

「?」

「お兄さんと二人っきりの夜を、邪魔したくないしね〜」

「な、何も無いから!」

つい反応してしまった風凪に、友人は笑顔で手を振った。

友人を見送り自室に戻った風凪は、まだ勉強をしていなかった事を思い出した。幸い宿題は無かったので別にいいかとも思ったが、

「…………」

翔の執筆に対するモットーを思い出し、ノートを開いた。





タイピングを続けていた俺は、ふとかしましい声が消えている事に気付いた。どうやら友人は帰ったらしい。

「せっかくだし、夕食くらい誘えばよかったかな」

……まあ、俺は邪魔か。会話も雰囲気も盛り上がる気がしない。

そして風凪はといえば、遅れながらも宿題をしているみたいだ。__つまり、夕食の準備も遅れる。

それを待つのかと訊かれれば、そんな事はない。こんな時のために、俺がいるのだ。

俺は殆ど書き上がった原稿を保存し、立ち上がった。



……と、偉そうな事を言ってみたが、料理は最近風凪に任せきりだったせいか、どうもレシピが思いつかない。

風凪のこだわりなのか、我が家には冷凍食品は無い。……それを食卓に出した所で、料理とは呼べないが。風凪に叱られそうだ。

「……さて、どうするかな」

冷蔵庫にはタマネギ、ニンジン、ジャガイモ、レタスがあった。

「これは……」

もうアレを作るしかないな。





数学の予習をしていた風凪は、ふと、鼻腔がくすぐられた。

帰宅してからまだ、台所には立っていない。ならば、

「……!」

風凪は慌てて立ち上がると、自室を飛び出した。

「お、宿題は終わったのか?」

案の定、台所には鍋で何かを煮る翔の姿が。

「今日は、宿題は無いから……」

「そうなのか? じゃあ予習でもしてたのか。偉いな、風凪は」

「いつもの事だし……」

反射的に返事をしてから、そうではない事に風凪は気付く。

「もしかして、お兄ちゃんがご飯作ったの……?」

「まあ、見ての通りだ」

翔は肩をすくめて答えた。

「ルーで申し訳ないけど、一応カレーをな」

「…………」

風凪は言葉を失っていた。せっかく組み立てた献立が無駄になったから、ではない。自分が担当していた家事を、翔にやらせてしまった。

「どうかしたのか? ボーッとして」

「う、ううん、何でもない」

風凪は演技が苦手だ。真面目な性格故に、“騙す”という事ができないのだ。

つまり、

「……そんな気にする事じゃないぞ」

誤魔化してもすぐに看破されてしまう。

「先に作っちゃったのは申し訳なかったけど、今日は友達が来てたんだし、その後に勉強したんだから準備が遅くなっても仕方ないさ。風凪が忙しい時のために、俺がいるんだから」

「うん……」

そう言われても、普段なら原稿を進めている時間だ。そう簡単に気持ちを切り替えられる風凪ではない。

「もう原稿は最終チェックなんだ。締め切りには余裕があるし、大丈夫。それに、な?」

そんな風凪を分かっているからか、翔は意味ありげに風凪を見る。

「計画、頼むぞ」

翔はポンと風凪を頭を撫でると、食器棚へ向かった。

「…………」

風凪は、撫でられた頭をそっと触った。

もうすぐ、だったのか。新生活でバタバタしていて、すっかり忘れていた。

「深く考えるのはふーふーの良い所だけど、もっと楽しく生きようよ!」いつか友人に言われた言葉が、頭をよぎった。

「い、いつくらいになりそう?」

「うーん……。担当さんのオーケー出るまでは繰り返し修正するだろうから、詳しくは分からない……けど、あと一週間くらいかな?」

一週間。

「うん……っ。分かった」

思いがけない朗報にショックも吹き飛んだのか、風凪はご飯をよそうためにしゃもじを手に取った。





改めて、風凪の力を実感してしまった。

自作のカレーを一口食べて、俺はそう思わずにはいられなかった。

不味い、とまでは言わないが、少し前に風凪が作ったカレーとは明らかに違う。煮方、だろうか。それとも下ごしらえか。普段は俺は補佐がメインだから、風凪がどう調理しているかは知らないのだ。同じ材料を使っているのに、雲泥の差だ。

「お兄ちゃん、どうかした?」

スプーンが止まっていた俺を不審に思ったのか、風凪が心配そうに覗き込んできた。

「いや、何でもない。……なあ風凪」

「?」

「普段、どうやって料理してるんだ?」

「へ?」

端折りすぎた。疑問が素朴すぎたせいか、言葉が足りなかった。

「久しぶりに料理してみて思ったが、風凪の料理の方が格段に美味い。特にカレーなんかは同じ材料だし見た目も変わらない。どうしてこんなに差が出るんだ……?」

「そ、そんな。お兄ちゃんのカレーだって美味しいよ? それに、私だって何か特別な事をしてるわけじゃないし……」

そうなのか。それならやはり意識の差か、あるいは好んでいるかどうか、か。

……風凪が料理の補佐をしていた昔が懐かしいな。

「風凪、ちょっとお願いがあるんだが、いいか?」

「う、うん。何……?」

いかん、畏まりすぎたか。余計な緊張感を与えてしまった。

「そんな大した事じゃないんだが、今度、料理を教えて欲しい」

「ほぇ……?」

予想外だったのか、らしからぬ変な声が聞こえた。

「やっぱり料理はできた方がいいし、風凪の味を目指したい」

__負担を減らすため、というのは黙っておいた。

「何だか情けない話だが、また一緒に二人で作ろう」

「…………」

風凪はポカンとしたまま、こちらを見ている。

「駄目か?」

俺の仕事を最優先で考えている風凪だ。その時間を削ってしまうには、やはり抵抗があるのだろうか。

だがしばらくすると、風凪はゆっくりと首を横に振った。

「ううん……。私も、お兄ちゃんと料理がしたい。昔みたいにまた、一緒に」

「よし、じゃあ決まりだな。明日からよろしく頼むぞ」

「うんっ」

「お手柔らかにな、風凪先生」

「もうっ、お兄ちゃん!」

よかった。笑ってくれた。こうやって風凪の笑顔を見る事は、実はあまり多くない。それだけ負担をかけて、余計な気遣いをさせてしまっているからだろう。俺ももっと、しっかりしなくては。兄として、家族として。






翔と他愛もない雑談をしながら片付けをした後、風凪は自室に戻った。

ボフッとベッドに倒れ込むと、

「〜〜〜〜〜〜〜っ!」

脚をバタつかせた。

嬉しかった。翔が、料理に興味を持ってくれた。今までも夕食は一緒に作っていたのだが、翔は食材のカットや後片付けなど、雑務メインだったのだ。仕事を進めたいのを無理に自分に合わせてくれているのではないか、と心のどこかで思っていたのだ。

だがそれも杞憂だった。翔は、また“一緒に”料理がしたいと言ってくれたのだ。嬉しくない訳がない。

「…………」

もちろん、その時間翔は仕事ができなくなる訳だが、今回はあと一週間で書き上がるという。前に担当編集と決めていた締め切りは、まだ二週間以上先だ。つまり、かなり余裕を持って進めている事になる。

「流石はお兄ちゃんだなぁ……」

兄の仕事っぷりに関心した所で、風凪の頭に別の思考がよぎる。

「あと一週間……」

風凪にとって、まもなくやって来るその日は年に数回のビッグイベントである。

頬の緩んだ自分の顔が鏡に写り、慌てて引き締める。

こんな顔は友人には見せられないなと苦笑しながら、風凪はいつになく上機嫌でスケッチブックを開いた。


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2015-12-21 01:48:07

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