2016-02-07 00:37:16 更新

概要

いろはすSS巨編!!三年になった八幡のオリジナル展開って感じでやっています。
→今回はもう長くなったってもんじゃないよ!黎明篇と野望篇、二つに分ける意味なかったな!


シリーズものなので、初めての方は↓からどうぞ。


一色いろは・被害者の会 ~黎明篇~




※※※※※※※※※※※※


~前回までのあらすじ~


一色いろは帝政のもと仮初の繁栄を享受する総武高校。


その支配の中、デモクラシーの御旗を掲げ、八幡・戸部・副会長は『一色いろは・被害者の会』を結成した。



来る生徒総会、職場見学会の存否を賭けて激しく争う八幡と一色。


八幡の策謀により序盤を優位に進めるも、反撃に転じた一色の前に被害者の会は為す術もなく崩れ去ってしまう。


最終決戦の日まであとわずか。八幡の最後の奇策は、果たして一色に届くのか!?



消えぬ想いを内に秘め、身を尽くすのは誰がために。


あの日捧げた誓いを胸に―― 今、被害者の会が暗躍する!



前回 一色いろは・被害者の会4~策謀篇(中間)~




※※※※※※※※※※※※




時は来た! ……それだけだ。


生徒総会、当日――その日はあっけなくやって来た。



年に二度行われる生徒会主導のビッグイベント。本日五限以降は、もっぱら生徒総会に充てられる。


昼休み、俺も生徒会メンバーの一員として、会場であるところの体育館で設営作業に従事する。


いつぞや行った小体育館での作業よりもスケールが大きいが、助っ人も多いため作業は早い。


生徒会と縁の深いサッカー部や、テニス部、その他多数の生徒の力も借りて、全校生徒分の椅子が手早く並べられていく。



壇上では一色が会計くんと共に中央の演台でマイクをポフポフと叩いて、入念なテストを行っている。


そのすぐ脇に設置された役員席には副会長が座っており、緊張した面持ちで会場の俺に視線を向けてきた。



……今回の作戦は、壇上にいる副会長の立ち回り如何に懸かっている。


こうした一種、お祭りのようなイベントは流れが読みづらく予断を許さない。


副会長は理性的な男なので、作戦の主旨は完全に理解してくれたのだが、不測の事態に臨機応変に対処できるかといえば、そこは少し怪しい。


しかし、その分いろいろな状況をシミュレートしてきたのだ。……これまで積み重ねてきた布石もある。きっと上手くやってくれるだろう。


俺は小さく頷いて副会長に応える。


隣りに座っていた書記ちゃんは、そんな俺達のやりとりに何かを察したのか、少し表情を固くする。


先日のやり取りから察するに、彼女は多分こちらの邪魔はしてこないだろう。


しかし、俺たちについては何かやらかすと見ているのか、先程から心配そうな顔を浮かべている。


安心させるためにクールに、にへらっと笑って見せると、ビクッと肩を跳ねさせて、怯えた様子で目を逸らしてしまう。



……軽く死にたくなったが、舞台から視線を下ろすと、サッカー部員と共に設営を手伝っていた戸部の姿が視界に映る。


向こうもこちらに気付いたのか、視線が合うとバチリと目配せをしてきた。


俺と戸部の役割は、副会長に比べれば簡単なものだ。


……ただ、今回もちょっと一緒に泥を被ってもらうことになっている。まあしかし、そこは戸部だから、どうでもいいだろう。


OK。軽く死んでこい。


俺は腰の辺りで小さく構え、ぐっとサムズアップをしてみせた。


それを受けて、戸部は鼻の下を指でこすると、コクリと頷いて応える。


わぁ……アホっぽいなー、あいつ……


なんか悪いことしてる気分になってきた……


……などと、そんな高度な心理戦に興じている内に、生徒たちがぞろぞろと体育館に入って来た。


席が全て埋まると、間もなく五限を告げるチャイムが鳴る。


そして、ついに生徒総会が始まった。





※※※※※※※※※※※※※



『こんにちはー!生徒会長の一色いろはですっ☆それでは皆さんお待ちかね……生徒総会、始めますよー!』


パチパチパチ……と会場から大きな拍手が響き、一角からは、ふざけた男子達がウオオオオと野太い声で囃し立てる。


そういやこんなノリだったっけ……


去年、一昨年と、多くを寝て過ごしていたため記憶も曖昧にしか残っていない。


『それでは、まずは各種報告です……!退屈な話が続きますけど、みなさん寝ないでくださいねー♪……それでは副会長、お願いします』


挨拶を終えると、一色は早々に進行をバトンタッチし、副会長が代わりに演台に立つ。


『えー、まずは各クラブ活動の実績と、予算について発表します。手元のプリントを見ながら聞いてください……』


総会の前半は、こういうつまらない話が延々と続いていく。


嫌な役回りをさらっと副会長に任せる辺り、実に一色らしいと言えるのだが……


ふと役員席を見やると、席についた一色が、落ち着きなく会場の生徒たちにチラチラ視線を寄越している。


何をキョロキョロしてんだあいつは……


どうにも気になってしまい、一色の方を凝視していると、やがて視線がかち合ってしまう。


「……!」


「……」


……おそらく俺の姿を探していたのだろう。


しばらく遠間で睨み合っていると、やがてぷいっと自分から視線を逸らしてしまう。


も、もう!本当になんなの、あの子……失礼しちゃうわ……!


……などと思ったりもしたが、落ち着かない理由も分からなくはない。


予算報告会での前科もあるし、先日あれだけ大言壮語を吐いておきながら、結局これまで何もアクションを起こしていないのだ。


今日、この場で何かやらかすのではないかと警戒しているのだろう。


半分正解ではあるのだが、今日ばかりは俺を見ててもしょうがないんだよなぁ……


それに今からそんなにピリピリしていたのでは、とても身がもたないだろう。


こちらが狙う機会は、ほんの一瞬だ。



戦に最も重要なもの……それは兵力などではない。士気でもない。兵站でもなければ金でもない。


――肝心なのは”勝機”である。ソースは右手に寄生したあーや。


今思うに、あれは割とハマり役だったのは認めざるをえない。放映前はいろいろ悪く言って本当に申し訳なかったと思う。



……とまあそんなこんなで、一色のキョドりっぷりに内心ほくそ笑みつつも、総会は滞り無く進行されていく。


依然、館内には副会長の呑気な声が響いている。


去年の各クラブの成績。


予算報告会を基に調整された、正式な予算の公表。


生徒会の活動実績と予定の報告。


年間行事の案内や、校則の変更点、新サービスの紹介などなど、全くもってつまらない話のオンパレードである。


開始時の勢いはどこへやら、会場の生徒たちは早くも船を漕ぎ出している。


生徒だけでなく、壇上にいる生徒会長までうつらうつらと体を揺らし始める始末。やる気あんのか。


も、もうちょっと、いろいろ警戒した方がいいと思うのだけれど……


それにあの子ったら、こんな衆人環視の中でヨダレを垂らしたりしないかしら……と、むしろこちらがハラハラしてしまう。


一色の首が眠気でカクリと落ちる度に、こちらもビクリと肩が跳ねる。


ハラハラヤキモキしながら、警戒に張り詰めた時を過ごしていると、やっとこ退屈な時間は終りを迎える。



『……以上で報告は終わりです。……さて、お待たせしました。いよいよこれから審議の時間に入ります!四枚目のプリントを見てください』


ベラベラと紙を持ち替える音が、館内に響く。


船を漕いでいた者も矢庭に目を覚まし、ざわざわと話し声があちこちから立ち昇る。


会場の空気が変わった。


いよいよ生徒総会のメインイベントが始まる。


『このプリントは投票用紙も兼ねています。これからの話を聞いて、賛成・反対どちらかに丸をつけて、後ほど提出してください』


配布されたプリントには、いくつもの議案が列挙されており、今回の目玉でもある職場見学会は、一番最後に配置されている。


『それでは、ここからは生徒会長に進行をお願いします』


副会長に振られると、さっきまで舟を漕いでいた一色も覚醒したのか、再び演台に向かう。


美味しいとこだけ持って行くという、いつもの配役である。


しかし一色は副会長にも警戒しているようで、怪訝な顔を向けつつ、マイクを受け取り演台に立つ。


『そ、それでは、お待たせしましたー!皆さんお待ちかねの審議タイムでーす!』


パチパチパチ……と会場から大きな拍手が響き、一角からは、ふざけた男子達がウオオオオと野太い声で囃し立てる。


「よっ会長っ!」


「いろはすー!」


なんなのあいつら……親衛隊とかそういうのなの……?


趣味を疑っちゃうな……


ともあれ、にわかに活気づく場内。


例年、総会の審議タイムは大いに盛り上がり、それが伝統のようになっている。


生徒や各クラブから持ち寄られた様々な要望。それを生徒会で取りまとめ、本日この場で次々と決議していくのだ。


投票で過半数を超えた議案は、再び生徒会のチェックを経て学校側に提出される。


全てが全て叶うわけではないが、身近な規則や制度の改善案が主だったものなので、生徒たちも俄然熱が入る。



『まず最初の審議はー、合宿所の使用条件の緩和……ですね。文化部だって同好会だって、もっと気軽に合宿所を使いたい!……という要望がありました。保護者と顧問の同意があれば使用していいんじゃないかと!』


「そうだー!」


一色の演説に、どこかのお調子者が会場から同意の声を上げる。


それはどうやら当の発案者による掛け声だったらしく、後に続いて周りからどっと笑いが起こる。


『ありがとうございます!その熱い想いにお応えして、生徒会で新案をまとめました!内容は事前にお配りした資料の通りです!……それでは皆さん、お手元のフリップに賛否を書き込んでくださいっ!』


待ってましたとばかりに、皆わいわいと騒ぎながらプリントに賛否を書き込んでいく。


『わたしも使ったこと有りますけどー、あそこってお風呂が広くてキレイになったんですよねー!これはもう賛成するしか無いでしょうっ♪』


「いいぞ会長!」


「一色屋っ!」


皆が賛否を書き込む中、壇上の演台からどんどん口を挟む一色に、会場からも大向うのように掛け声を合わせる奴が出てくる。


初っ端からそんな調子で、次々と議案が俎上に載せられる。


シャワー室と更衣室の開放、クラブ設立条件の緩和、学校販売で扱っているパンのメニュー充実……去年から引き継がれた案件もあれば、この半年で新たに付け加えられた要望もある。


基本的に一色はゆるゆるビッチなので、規制の緩和には寛容だ。


案件が緩い方向に行くものであれば、演台から積極的に私見を挟んで生徒たちを緩和に煽り立てる。


そんな一色のスタンスは、当然、生徒たちにとっても心地よいはずで、会場は大盛り上がりを見せている。


あいつは、こういうノリの良いキャラを演じることも出来る……というよりもそれが素に近いのかもしれない。


大多数の生徒の心を、一色は短い時間で着実に掴んでいく。




……この展開は想定内である。きっとこんな感じになると思っていた。


場が一色と一体になっているのは、これからやることを考えれば好都合……引き続き、この調子で頑張ってもらいたい。


しかし、このまま一色の独擅場……というのもあまりよろしくない。


副会長は、役員席に置かれた自分のマイクを手に席を立つ。


『えーと、ちょっと待って!シャワー室と更衣室の解放のことなんだけど……これは昔に盗品や紛失が多かったから、今みたいな制度になったっていうのは知っておいてね!』


『カールドライヤーの持ち込み自由化……?誰だよこれリストに入れたの……こんなのどれだけ賛成集めても絶対通らないからねっ!基本的にコンセント周りは不許可!』


打ち合わせ通り、ちょいちょいと横槍を入れる。


緩和に寛容な一色に対し、副会長は保守的なスタンスで口を挟んでいこうというのだ。


……なかなかいいぞ……副会長……


しかし例のアホっぽい喋り方じゃないということは、なんか本人、素でやっているような気もしますが……


とまれ、壇上からのマイクパフォーマンスを一色だけに独占させてはいけない……という指令はきちんと履行されている。


被害者の会にとっても、上々の滑り出しと言えよう。


「はぁーー!?あーし、アレないと髪まとまらないんですけどー!」


すごく聞き覚えのある野次が耳に入ってくる。


あーしさん……あなた何してんの……三年生にもなって……


まあでも、積極的にご参加いただいているようで何よりですよね……



……こうして、副会長の参戦により、総会は更なる盛り上がりを見せる。


『パンのメニュー充実なんだけど、これは別紙にも書いてある通り、現行の組み合わせだから安く出来ているところがあります。メニューを増やした場合は他のパンの金額に上乗せされることもあるから、そこはみんなよく考えて投票してね!』


エーーとか、イヤーーなどといった声が場内から上がる。


そして副会長から水を差される度に、会場だけでなく一色も顔を渋くする。


警戒している……というのもあるのだろう。


元々勘の良い奴だ。副会長の介入に何かを察したのか、一色は主導権を握らせまいと反撃を開始してきた。


『ま、待ってくださいよー!ってことは、不人気メニュー減らしたら値段上がらないってこともあるんですよね!?』


『ん……ふむ……それはそうかもしれないな……』


『だったら、まだ議論の余地は有りますよねー?』


『んーー、これそもそも学校の作った資料が不十分なんだよな……』


ついには壇上で議論を始めてしまい、不規則な展開に生徒からどっと笑いが起こる。


「会長正論っ!」


「おーい!値上げにならないようにしてくれよー!」


「副会長マジメ過ぎっ!」


基本的に会場は一色の味方である。


副会長は、時に生徒達からブーイングを浴びたりもしたが、一色とは対象的なキャラが生徒たちに印象付けられ、総会を盛り上げるひとつの華として、徐々に受け入れられていく。


「マヨタマッ」


先日の放送室の一件で、妙なニックネームまで付けられているようだ。


後からどっと笑いが起こる。


……少々ピエロっぽい役回りにもなってしまっているが……まあ、しかしこれも全く問題ないだろう。


そうして二人が壇上で掛けあう中、書記ちゃんも、時折挙手して口を挟んでいく。


書記という役割上、俯瞰して物事を見ることが出来るのだろう。まったく違う極を示して議論に新しい風を吹き込む。


『ここで言い争っても仕方ないですね……組み合わせが重要っていうなら、追加したいパンと、廃止したいパン……要望を別の場で集めてみるっていうのはどうでしょう……?』


「その通りだー!」


「いいぞー!書記たーん!!」


かつての予算報告会で誠実な対応をしていたためか、いつの間にか好感を集めていたらしい。


クラブの部長格を中心に形成された、書記ちゃんのファン達が会場から支持の声を飛ばす。


書記ちゃんは見る間に顔を赤く染め、照れ照れと縮こまってしまう。


そして声を上げた男を、副会長と一色が壇上から二人してギロリと睨みつける。


……いや、副会長はわかるけど、なんで一色さんまで……嫉妬かな?


『どのみちメニューの反映があるとしても二学期からだから、まだ時間はあるよ。次の生徒会だよりで意見を集めてみようか。……値上げはみんな嫌みたいだから、それまでに生徒会からいくつか試算済みのパッケージを提示できるようにしておくよ』


会計クンも主に予算の面から意見を差し込んでいく。


隙のない提案にパチパチと会場から支持の拍手が起こり、それを受けた一色も会長としてひとまずの決定をその場で下す。


『では、パンのメニュー充実については、次回生徒会だよりで案を出します!その後、別途投票ということで……皆さん、それでいいですかー!?』


一際大きく拍手が起こり、次の審議に移っていく。


……それにしても、こんなに盛り上がるものなのか……と少し感心してしまう。


騒がしかったり、真面目だったり、可愛かったり、冷静だったり……


壇上で彼らが醸し出す妙に温かな空気は、傍目にも親しみやすく、思わず外野から合いの手を入れたくなってしまう。


記憶はおぼろだが、去年や一昨年よりも更に盛り上がっているように思えた。


去年の会長……めぐり先輩はあれで一つのカリスマ性を持つ人だった。


めぐめぐめぐりん☆めぐりッシュパワーとも称される(俺に)癒し系スキルを武器に、生徒会をめぐりッシュに牽引してきた一代の傑物である。


何を言っているのか我ながらよく分からないが、とにかく素敵な人だったのだ。


一色にもそれなりの雰囲気はあるし、そこそこ有能なところもあるのだが、会長の資質を個人として比較すると…… 正直なところ、めぐり先輩には大きく見劣りすると言わざるをえない。


あざといですし…… アホですし…… いい加減なところもあるし…… がめついですし…… あと、あざといですし……


しかし、こうも思う。


“個人”として比べなければどうだろうか。


あの壇上を……まるごと引っくるめて「一色いろは」と定義すれば……


触れ合った人達を、自分の都合で巻き込んで、好き勝手に場を引っ掻き回し、ドタバタと騒がしくも、それぞれの個性を引き出して、成すべき事業を成していく。


めぐり先輩も周りの力を引き出すタイプの長だったが、そんな視点で見てみれば、決して見劣りしないのではないだろうか?


「……」


そこまで考えて、ふと思う。もしかしたら、それが――


改めて壇上を見ると、それはたいそう眩く感じられ、濁ってしまった俺の目には正視に耐えない。


先だってのスピーチ時にも同様の感慨に耽けていたのを思い出す。


……まだその姿は象られていない。


それでもいつか、


……いつかきっと知ることが出来るだろう。



そして、それには俺が成すべきことを成さなければいけない。


決意を新たに、拳を軽く握りしめる。



『はいっ、三列目のそこの人!助っ人さーん、マイク持って行ってあげてくださーい!』


見やると、一色が会場からも意見を募りはじめた。それをネタに、やいのやいのと、またも何か壇上でやりあっている。


あいつめ……副会長とは抗争中なのを、すっかり忘れているのではないだろうか。


時折、会場からの愉快な合いの手に咲くような笑顔を浮かべ、時にはからからと明け透けに笑う。


真剣な顔で議題の修正を考えこんだり、ある時には、底意地の悪い笑顔を向けて、副会長に妥協を迫る。


女子の反感を買わないギリギリのラインであざとく振るまい、男子の支持を得ては交渉を有利に進める時もある。


途中、余計な口を挟んで場が荒れることもあったが、審議は概ね順調に消化されていく。



そしていよいよ最後のお題。


恒例行事・職場見学会の存否についての審議が始まった。



前の方に座っていた戸部が振り返り、俺はそれに頷いて返す。


次に壇上に目配せをすると、副会長も察したのか、小さく顎を引いた。


――作戦開始である。






※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


『さて!それでは、いよいよ最後の審議……職場見学会存続の是非についてです!前の全校集会でもお伝えしましたけど……皆さん、考えて頂けたでしょうかー?』


パチパチパチ……と会場から一層大きな拍手が響き、一角からは、ふざけた男子達がウオオオオと野太い声で囃し立てる。


もうええっちゅうねん。



……さて、ここから副会長にアクションを起こしてもらう手筈になっている。


正確には、ある方向に話題を誘導してもらいたい。


その為に、マイクパフォーマンスをこれまで一色に独占させなかったのだ。


急に横から口を出しては不自然極まりない。副会長自身が場に馴染んで貰う必要があり、そしてそれは想定以上に上手く行った。


今や演台の前に二人並び立っているのが常態で、副会長に至っては大助花子における大助のような存在感を誇示している。



……しかし事ここに来て、頼みの副会長はさっきからモジモジと落ち着かないご様子だ。


何やら頭の中で言葉を組み立てている真っ最中のようである。


その副会長の様子の変化に、一色も再び警戒心を高めたのか、会場にいる俺たち二人にもチラチラと不審な顔を寄越して牽制する。


……うーん、だ、大丈夫かな副会長……嫌な予感が……


『場の空気を見るに……結果はもう決を採るまでもなく決まってるような気がしますねぇ♪』


一色のおどけた調子に、会場が小さく沸いた。


さっきからの俺達の雰囲気に何かを察しているのだろう。一色は先んじて手を打ってくる。


暗に、廃止派の圧倒的優勢を会場に印象づけたのだ。


まだ考えが定まっていない者も多いだろうが、人は勝ち馬に乗りたがる性質がある。


小細工とはいえ、そんな中間層に対して有効な手だと言えるだろう。


『そ、そーいう言い方をすると、みんな自由にものを考えられなくなっちゃうだろ!?それに、フタを開けるまで結果は分からないんだぞ!』


あわあわと取り乱した副会長の素のツッコミに、またも会場が沸く。


どちらが優勢かなど、当然生徒たちにも既に分かりきっていることなのだ。


加えて、壇上の一色と副会長……どっちが廃止派で、どっちが存続派なのか……というのも、今のやりとりでだいたい察しが付いたのだろう。


「よっ会長ッ!」


「もう早くやっちゃおうぜー!」


「一色屋ッ!」


掛け声の多くは、依然、一色を支持したものが多い。


逆に、敗北が約束された副会長にはからかうような声が飛んでいる。


……これは、先程までの副会長の保守的な振る舞いと、本人の性格が効いているのだろうが……


「副会長マジメッ!」


「マヨタマッ!」


すっかり道化じみたポジションになっており、副会長もヤジを受けてカクリと肩を落とす。


しかし、この状況この空気……決して悪い地合いではない……


期せぬ副産物と言えるだろう。


依然として、全てはこちらの掌の上である……


『皆さんも、早く終わらせてしまいたいようですねぇー……まあこの案件、資料は前に渡していますから、みなさん十分に考えて貰えたはずですよねー?』


一色の問いに、会場も景気よく拍手で応える。


頃合いや良し……


―― 今しかないぞ、副会長……しかけろっ!


強く目で訴えると、それを受けて副会長がこくりと頷く。


しかし、その隣にいた一色は、俺達の無言のやり取りに何かを察知したのか、突然、思わぬ行動に出た。


『……なあ、会ちょ……』


『そ、それでですねっ!』


マイクで何か発言しようとした副会長を遮るように、一色は一歩前に立つ。


『そ、それでですねー……投票に入ろうと思うんですけどもっ!この職場見学会……なんせもう云十年も行われている行事です。他のに比べるとヘビーというか、大ごとというか……とにかく大変重要な議案なんですよねー!』


『……か、会長?』


『なのでー、決を採る前に、もっと皆さんの意見を知っておきたいなーと生徒会では考えました』


他の案件では、好きなように一方的に私見を挟んでいた一色が、今回に限ってそんなことを言い出す。


こんな提案は台本にも無かったのだろう。副会長だけでなく他のメンバーも、一色に驚きの目を向けている。


こちらとしてもまったく予期せぬ事態だ。


あいつめ……一体何を考えてるんだ……?


会場からも、どよめきが起こる中、前方に座っていた戸部が慌てた様子でこちらに振り返る。


それを手で制して、ひとまず状況を見守ることにする。


『わたしの知ってるところだとー、先生方だけでなく生徒の皆さんも、廃止を支持する人が大多数だとお聞きしました……でも存続を支持する人だっているはずなんですよねー』


まさか……あいつ……


このあと一色が何を言うか、副会長も予想がついたのか、顔が見る間に強張っていく。


かくいう俺も動揺を隠せない。額にじとりと汗が滲む。


『この審議に限っては特に慎重に考えたいと思っています!参考までにー職場見学会の存続に賛成という方がいたら、この場で手を挙げてもらえないでしょうかー!』


顔を片手で覆う。


……やってくれたな……


フェアではない。こんな言い方で手を挙げる奴などいない。


一つも挙がらないのが普通ではないだろうか。


なんとなく存続を支持している生徒も少数とはいえ居るはずだ。


しかし、この雰囲気で意志を示すのはハードルがあまりにも高い……まるで晒し者のようになってしまうだろう。




……そして手を挙げない行為が、ひとつの動機付けとなり、この後の投票にも影響を与える。


いつぞやの話ではないが、一度行動して示したことを、人はそう簡単には覆したりしない。


断固たる突っ張り力が生まれてしまうのだ。


顧問の話によれば、現在の廃止・存続の構成比は8:2となっているらしい……


しかし、この一色の問いかけにより、さらに廃止の数は上乗せされるだろう。


生徒総会というイベントは、こうしてワイワイ賛否を投じる形式なのもあってか、秘密投票の原則がいまいち希薄なところがある。


くわえて、元々廃止派が圧倒的な多数ということもあり、今更誰もそのことで一色を咎めようとはしない。


この辺りもあいつは計算しているのだろう。


……咄嗟のことだろうに、人間心理をよく理解をした、実に有効な戦術を思いついたものだ。


これで廃止派の勝利は決定的で、もはや逆転の目は一切……無い。







……だが、これで、いい。


――当初から、この形に持って行きたかったのだ。






それを副会長の誘導なしに、自ら場を作ってくれるとは……


『どうですかー?いらっしゃいませんかー?』


一色の声が館内に響く。


当然、こんな空気の中、挙手する者など一人もいない。


『恥ずかしがらずにビシッと手を挙げてくださいねー!』


一色が煽るさまを、あんぐりと口を開けて眺める副会長。


肩透かしを食ったと思っているのだろうが、一色も、ある意味追い詰められた心理状態にあったと思われる。


度々挙動不審な動きを見せる副会長に疑念を抱き、それがプレッシャーとなって、このような策に打って出たのだろう。


完勝に拘る慎重さが出てしまったのだ。


一色がここまで追い込まれたのは副会長の功績が大きい。間違いなく今日のMVPだろう。


……そして、あとの仕事は簡単だ。子供でも出来る。



心底驚いた様子の副会長がこちらに視線を向けてくる、それに俺はひとつコクリと頷いてみせた。


そして、一色の要請通り、恥ずかしがらずに、ズビシと手を挙げる。


こんなに高らかに手を挙げるのは、小学生の低学年時、授業参観に親が訪れて以来である。




静まりかえる会場。


そんな中で一人手を挙げる俺に、奇異の視線が集まるのが見て取れる。


「……あいつ誰だっけ?」


「プフッ!……めっちゃピンって手挙げてるよ」


ヒソヒソと、そんな陰口がどこからか聞こえる。


こっちも悪目立ちなどしたくないのだが、そんなものより優先すべきことが世の中には幾つもあるのだ。


「おーっ!マジメだっ!感動した!」


温まっている場内からは、大きく囃し立てるような掛け声も上がり、その周辺からどっと笑いが起こる。


大した悪気がないのは分かるが、少しイラッと来てしまう。あとであいつの名前を調べて、絶許リストに加えておかないと……


そんな衆人環視の羞恥プレイであったが、少なくとも外観上は我関せずとばかりに、まっすぐに手を上げ続ける。


『……』


そんな中、言葉をつまらせた一色の視線と、俺の視線がガッチリとかち合う。


……しかし今度はどちらも顔を逸らさない。


怯えたような、泣きだしそうな……いろいろと詰まらせた表情を浮かべる一色。


それでも視線を逸らさない。




やがて、前でマゴマゴしていた戸部が、南無三と目を閉じながら、俺に続いて手を挙げる。


「ひゅーう!」


「何それ、戸部!真面目かー!?」


「とべっち……?」


「戸部ー、あんた何手ェあげてんのー……マジウケルんだけど」


近くに居た級友たちや三浦からも囃し立てられる。


その様子に一色がちらりと戸部に視線をよこすが、それも一瞬の事で、再び俺に視線を戻す。


あ、あれ……おかしいな……?


……いや、見てあげて……戸部のことも見てあげて……


っていうか、あの子、やっぱり戸部の扱いちょっと酷くないですかね……?




ともあれ、全校生徒の中、手を挙げているのはたった二人だ。嫌でも周りはこちらを見てくる。


……その目は決して好意的なものではない。


人は少数であること嫌う。人は少数であることを憐れむ。時には蔑み、嘲笑い、おかしなことに少数を恥じ入ることさえある。


といっても、そう大層なことではない。これはいつもの、慣れ親しんだ俺の世界である。


そして、それを徹底的に突き付けてやろうと言うのだ。




しかしそんな中、俺の前方に座っていた戸塚と川崎が、何かを察してくれたのか、おそるおそるといった体で小さく手を挙げた。


これには一色も動揺したのか、やっと俺から視線を外して、驚いた顔を二人に向ける。


続いて材木座も勢いよく挙手をする。


そして俺に顔を向けると、煎餅ぐらいなら破壊できそうな勢いでバチコーンとウィンクをかましてきたのだが、それは無視した。


遠くを見れば、一年の席にも一人手を挙げている生徒がいる。


誰かはよく分からないが、目立ちたがりな奴が居たものである。


いきりやがって……ああいう手合を小町に近づけるわけにはいかない。絶対にだ。




そして、ここからでは見えないが、後ろの席はどうだろうか?


彼女は手を挙げているのだろうか?


……いや、そんな事はどうでもいい。


今、どんな思いで俺を見ているのだろう。


晒し者のようになっている俺を見て、心を痛めている……のだとしたら少し困ってしまう。


……だけど多分、大丈夫だろう。


また馬鹿なことをやっていると呆れながら……きっと、ほくそ笑んでいるに違いないのだ。





なんにせよ、笑ってしまうほど少ない俺の同調者達。


しかし都合のいいことに、手を挙げた面々はいずれも一色とは知己がある。


俺と戸部の二人だけより、ずっと効果があるだろう。


何も言っていないのに協力してくれた連中には、後で何らかの謝意を伝えねばなるまい。


『……』


一色は言葉を失い、呆然とこちらを眺めている。


やがて俺達の他にも、何名かがチラホラと手を挙げたようだ。


本当に真面目に存続を支持していた生徒達なのかもしれない。


……しかし一色は呆けたような視線を、再び俺に向けたまま外さない。


やがて一色の様子のおかしさに、会場から不穏な空気が立ち込める。


それを察してか、急いで副会長がマイクを代わり、明るい声を上げる。


『……あ、はい!手を降ろしていただいて結構ですよー、有難うございました、参考になりました!』


随分長い間挙げていた気がする。


ため息をつきながら腕を下ろすと、周りから向けられていた奇異な視線も、パラパラと外されていく。


隣であんぐりと口を開けてこちらを見ていた氏名不詳の女子(可愛い)も、急いで視線を逸らす。


なんか、いっつもこの子に見られてる気がするんだが……


やっぱり俺のこと好きなんだろうな……困る……




『やはりこういうのは良くなかったですね……代わってお詫びします』


副会長は誰にともなく曖昧に謝罪すると、呆然とした一色を席に座らせ、この場を引き継ぐ。


『それでは早速投票しましょう、お手元のプリントに賛否を書き込んでください!さっき手を挙げなかった人も、ここでは正直に書いてねー!』


副会長の最後の調子に、会場が小さく湧く。


少し冷めてしまった会場だが、投票が始まるとやがて賑わいを取り戻し、和気あいあいと皆で賛否を書き込んでいく。


そして、この審議が終われば、生徒総会の演目は全て終了だ。


『それでは、これにて生徒総会を終了します。皆さん、お疲れ様でしたー!』


副会長の締めにパチパチパチ……と会場から大きな拍手が響き、一角からは、ふざけた男子達がウオオオオと野太い声で囃し立てる。


……あの人達も、本当になんだったんでしょうね……変な人多いな……この学校……


『書き終えた人から、後ろの投票箱に紙を入れて退場してください。六限終了まで時間はありますので、まだ埋めていない方も、ゆっくり考えて頂いて結構ですよー』


副会長の案内の声が響く中、すっかり弛緩する場の雰囲気。


早々に投票箱に走る者。しばらく席に居座って駄弁り続ける者、真面目に投票用紙を見返して内容を上からチェックしている者……


皆、思い思いに過ごしている。


「八幡……あれで良かったのかな……?」


だらしなく椅子にもたれていると、ちょこちょこと走り寄って来た戸塚に声をかけられる。


「おう、でも……そっちこそ良かったのか?後でからかわれるぞ」


「そんなの何でもないよ。とりあえず八幡に合わせたんだけど……迷惑じゃないなら良かった……」


「いや、驚いたけど助かったわ……俺と戸部だけじゃ……弱かったかもしれん」


少し思い上がっていたのかもしれない。


俺の見る限り、戸塚と川崎の二人の挙手が決定打になったように思えた。


二人して壇上を見やると、撤収作業に皆が動き始めているにも関わらず、一色は相変わらず呆けた様子で役員席に座り込んでいる。


「……弱いってことは、なかったんじゃないかな?」


戸塚がポツリと漏らす。


ん……?それはどういうことだろうか……?


意図するところが分からず、俺は無言で間を作って先を促す。


「いや、八幡が何をしようとしてたか分からないから、なんともいえないけど……僕も手を挙げてよかったって思ったんだ」


戸塚は壇上の一色に目を向けたまま言う。


なおも怪訝な顔で戸塚を見ていると、こちらを振り返り、少し照れたように笑う。


「八幡だけだったら、もっと、ずっと可哀想だったんじゃないかな……」


「いや、俺はこんなの屁でもねーよ、それに戸部なんかは本当にどうでも良い存在だからな……」


「そういう事じゃないんだけど……うーん、まあ良いか……じゃあねっ、僕行かないと!」


意味深な事を言い残し、戸塚は教室に向かう級友達の方に駆けていく。


「……」


それを見送ると後頭部をがしがしと掻いて、気持ちに区切りをつける。


一色の予期せぬ動きもあったが、結果的には全てこちらの思惑通りに事は進められた。


……そして、これにて作戦の全工程が完了した。残すは後始末のみである。


ずっと座っていたため、立ち上がって体を伸ばすと節々が乾いた音を立てる。




―― 君が考えてる区切りみたいなもの……それは残念ながら君が思うタイミングで終わったりはしないよ。



不意に、いつかの顧問の言葉が頭をよぎる。



―― 消えたりなんかしないからね、人の想いってのは。



……その通りなのかもしれない。


終わっても消えない。失ったと思っても、ずっと残っているような……


そんな想いは確かにある。それを俺はよく知っている。




それでも、思うままにいかないのが常だとしても、人は自らの意志で選ぶべきだ。


それは同時に、何かを失うことを決断するということでもある。


これは俺だけが持つ偏狭な価値観だとは思わない。


誰もがそうやって、時に戸惑い、傷つきながらも、自らの道を選び歩んでいるはずだ。


状況が許さず、選ぶことすら叶わないこともあるだろう。


だとしても、その時何を失うかだけは認識しておきたい。


自覚的であるべきなのだ。


――想いは消えないというのであれば、尚更に。







※※※※※※※※※※※※※※


生徒会メンバーと手伝い要員は体育館に残り、この後部活で使う生徒たちの為に、すばやく撤収作業を行う。


終わりのHRは免除されるので、作業が完了次第、直帰しても良いことになっている。


俺は作業の完了を見届けると、持ち込んでいた鞄を肩にかけ独り体育館を出る。



今日は被害者の会が行われる日だが、なんとなく気分が乗らず、直ちに本部に行く気になれない。


しばらく時間を潰そうと、ベストプレイスに足を運ぶ。


そして定位置に座り込むと、途中で買ったマックスコーヒーを一口煽った。


「ふぅ……」


脳が痺れるほどの甘い快楽に、しばし身を委ねる。


人生は狡っ辛い。だから、せめてコーヒーぐらいは甘くなければ……


「……先輩」


「マッカンならやらんぞ」


「……いえ、それはいらないんですけど……」


首だけ振り返ると、後を追ってきたのか、一色が呆れたような顔をこちらに向けて立っている。


しかしすぐに沈んだ顔に戻ると、とぼとぼとこちらに歩み寄り、俺の隣にペタンと座り込む。


こうして並んで座るのも、随分久しぶりに思えた。


「……」


座ったきり、一言も発しない一色。


珍しいことに話すきっかけが掴めないようだ。


なので千葉の最終紳士と云われる俺から、ジェントルに切り出してやる。


「……まあ、あれだ。今回のは要するに俺からのとっておきの嫌がらせだ……どうだ?嫌な気分だったろ?」


我ながら、内容にジェントルさが欠けているとも思ったが、こちらとしては真摯に対応しているつもりだ。紳士だけに。


「……はい、この上無く嫌な気分になりました……わたし、何が間違ってたんでしょうかね……?まだよく分からないんです……分かるのは間違ってたってことだけで……」


そう言って、膝に顔を埋める。


もはや廃止か、存続か、そんな戦いではないことに、彼女もとっくに気付いているのだろう。


意外なほどに深く落ち込んでいて、自分がしたことながら些か哀れみを覚えてしまう。


「……お前は『みんな』の為にって言ったけどよ、全員に支持されることなんてあり得ねーからな。何やるにしても反対派ってのが出てくるんだよ。そーいうもんだ」


一色は膝に顔を乗せたまま、ちらりとこちらを窺って先を促す。


「んで、今回手を挙げたのは、ほとんどお前の知ってる奴だったからな。まあ、それで堪えちまったんじゃねぇの」


「……そうかも……しれない……です……」


みんなの要望に応えるというのは、裏を返せば少数を封殺するということだ。


そして、そんな少数の恨みと遺恨と蟠りを、後に残すということでもある。


それが目に見えない限りはどうということもない。


しかし可視化されれば、手を下した側にも何がしか堪えるものがあるだろう。


……こいつのやったことは、まんま多数の暴力で強引に物事を決めるというものだ。


多数決が、物事を決める有効な力になるのは確かだ。……しかし動機として持ち出すには、ロジックが幾つか足りない。


「『みんなのため』と『何かやる』の間には、本当はもっといろいろ挟まってんだよ」


「……」


「だから、そういうのを抜きにして、みんなのために頑張るなんて馬鹿げてる……少なくとも俺はそう考える」


「……でも、でも、それって悪いことですか?過程は確かにアレかもしれないですけど、それでも幸せになる人の方が多い訳じゃないですか!」


「弾かれた中に、身内が居たとしても……か?」


「それは……」


「『みんな』なんてその程度のもんでしかねーよ……少なくとも、お前はそう考えたから落ち込んだんだろ」


「……うぅ……」


少数派を軽んじてはいけない。


……耳にタコが出来る程よく使われる言葉で、時には陳腐ささえ漂う……それでも基本は大事だ。


公民の教科書を広げれば、いろいろ理由も書いているが、しかし別にこれは民主主義がどうこうという話に限らないはずだ。


歴史を振り返っても、封建時代の領主でさえ意外な程マイノリティに配慮しているし、戦国大名が無闇にそんなことしたら隣国に内通されて死ぬ。


群れて生きていくようになった人々が、円滑に物事を進めていくための、いわば先人の知恵としての言葉なんだろう。


とりわけ、対象に身内がいる……というのは一番わかり易い喩えなのかもしれない。


「で、でも、今日のあれは……あんなの偽物ですし……皆さん、先輩に乗せられただけで本当の意見じゃないですし……」


「それ言ったら、あの時、手を上げなかった奴らだってお前に乗せられた偽物だらけだろうが」


「むぅ……」


挙手を求めたのが廃止派に対してであれば、また違った風景が見えていただろう。


しかしいずれにせよ、どっちも偽物にすぎない。行動で表現できない者達からは憎まれることになる。


その中に身内がいないと、どうして言えるのだろう。


「進学校だから意味ないって言ってたけどよ……それでも途中で大学やめるような奴だってきっと出てくるぞ」


「……はい……」


「もしかしたら、将来は進学校じゃなくなるかもしれねぇぞ」


「……先輩が大学を辞めちゃったり、先輩のお子さんが将来、進学校じゃなくなったウチの高校に入ってくるかもしれませんもんね……」


……う、うん……でも俺をいちいち例にするのは、妙なリアリティがあるからやめようね……?


「……ま、まあ、身内が良けりゃいいのかって話にもなっちまうから、喩えがアレだけどよ……」


「いえ……分かります……」


言うと、一色は頬をぶうっと膨らませて、恨みがましい視線を向けてくる。


「でも……先輩なんかに諭されると癪……情けない気持ちになります……」


言い直さなくて良いんですよ……一色さん。


それに俺もお前なんかに「なんか」って言われると……凄く……ムカつき……ます……


「……ま、まあ、でもな、それだって俺にはどうでもいいんだ。お前が圧倒的多数で、少数派を笑いながら磨り潰して、その少数の残党に末代まで祟られても、合コンでいじり役に認定した男子をからかい尽くした挙句、後日背中を刺されても……俺の知ったこっちゃない」


「先輩はわたしをなんだと思ってるんでしょうね……」


「磨り潰すのも……知っててやってりゃ、それはそれでいいと思うんだよ……少数も多数もこの際どうでもいいんだ……そうじゃなくて、俺が言いたいのは……」


「……」


「……違うな、俺が知りたいつーか……あのアレだ」


「……」


上手い言葉が見つからず、我ながらもどかしくなってしまう。


……でも、だからこそ行動で示した。


拙い言葉でも、きっと今なら通じるはずなのだ。


黙って続きを待っている一色に、俺も顔を向ける。



「……お前が生徒会でやりたかったことって……こんな事なのか?」



暗に問う。それがお前の“本物”なのかと。


一色の肩がビクリと震えた。


「そ、それは……」


「仮初かもしんねーけどよ、あの中に、ないがしろにしても良い奴はいたか?切り捨てて良い顔はあったか?」


「……それは……」


「……」


「……」


しばらく互いに押し黙る。


既に俺は確信している。必ず伝わったはずだ。


他の事柄ならともかく、それはたったひとつ、俺と彼女が共有してきたもの。


こいつの言う本物が何なのか……まだはっきりとは分からない。そもそも、そんなものはやっぱり妄想で、存在しないのかもしれない。


しかし、分からなくても、幻想だったとしても……


追い求めているという、ただ一点で、俺たちは繋がっていたのだと思う。


過去の一瞬のことかもしれないが、確かに交わったのだ。


だから……伝わらないはずがない。




やがて一色はぼそりと口を開く。


「……先輩は、どうでもいいですけど……他の人は、そうでもないです」


赤く染まった頬をぱんぱんに膨らませて、ちらりとこちらに目を向ける。


思わず吹き出しそうになったのを、後頭部を掻きながら顔を逸らして誤魔化す。


「そうか……」


「そうです。……あ、あと戸部先輩も、どうでもいいです」


「そ、そうか……」


うん……でも、それは言い足さなくても、良かったんじゃないかって、先輩思うの……


「……空回りしてたんですね、わたし……」


一色は前を向き直し、膝に顔を乗せたまま遠くに目を向ける。


「顔も見えない人のために……かっこわる……」


悔しそうにそう漏らす。


海から吹く風が亜麻色の髪を揺らす。顕になった表情は、しかしどこか穏やかだ。


「ねぇ、先輩」


不意に、一色はついと俺の袖を指でつまむ。


「……もう一つ聞いても……いいですか?」


「な、なんだよ」


顔を赤く染めたまま、ちろりと上目遣いでこちらを見てくる。


久しぶりに見る、そのあざとい仕草に不覚にも胸が少し跳ねてしまう。


「……先輩は今回、どうしてわたしなんかに、ここまでしてくれたんですか……?」


「どうしてって、そりゃお前……」


言葉に詰まってしまう。


……その問いに答えるのは、些か面映ゆいものがあった。


俺はつままれた袖を軽く払いのけると、すっくとその場を立ち上がる。


そして一色から顔をそむけるように、校舎に沿って備え付けられた花壇までゆっくり足を運んだ。


「俺はただ、お前が……なんの自覚もなく何かを切り捨てたり……何かを失うようなマネをして欲しくなかっただけだ」


花壇の前にしゃがみ込む。


戯れに、見覚えのある花の茎をちょいちょいと指でつつきながら言葉を繋げた。


「……一旦失っちまったもんは、もう二度と手に入らねぇからな」


「……それって……」


息を呑むような声に続いて、ぱたぱたと一色が走り寄ってくるのを気配で察する。


いや……だから、こっち来んなって……


しかし一色は我関せずとばかりに、ちょこりんと隣にしゃがみ込むと、やにわに俺の顔を覗き込んでくる。


だから……見んといて……


「な、なんでさっきから、こっち向いてくれないんですかー!?」


「う、うるせぇな!……とにかくだ、良かったじゃねぇか。……本当に大切なものを失う前に、それが分かったんだからよ」


「……」


「お前には……まだ、あるんだろうが……そういうの」


「……それについては……まあ、その……どうもです」


顔を背け続けていると、やがて諦めたのか、一色ははぁと息をつく。


さっきの言葉で納得したのか、しなかったのか……


知る由もないが、とりあえず、こっちとしては言うべきことは、あらかた言い尽くした。


本当はもう一つ、伝えたい事があったのだが……あまり重要な事ではない。


あまり良い流れでもないし、これはずっと胸に締まっておくことにしよう。


「あ……先輩、これ見てください」


一色の方でも一区切り付いたのか、俺の肩をちょいちょいと指で叩くと、見覚えのある花を一つ指す。


「これ、アザレアですよね?……わたし、あの後調べたんですよ。花言葉がいっぱいあるんですよねー……」


「お、おう……」


一色の指差す花をしげしげと眺める。


「この白いアザレア、こんな花言葉もあるんですよ。『――あなたに愛されて幸せ』って……」


言って、愛おしそうに白い花びらを撫でる。


険が取れたその表情はいつになく優しげで、顔の近さも相まって、またも胸が高鳴ってしまう。


「ふふ、素敵な花言葉ですよね……『あなた』 ……『みんな』じゃないんだ……」


目を細めて、そんな事をつぶやく。


その姿に、突如、抑え難い衝動に駆られる。


言葉を尽くした筈なのに、狂おしいほど胸に溜まり、吐き出さずにいられない衝動……


「一色……それなんだけどよ、聞いてくれ……」


俺は花弁に触れている一色の、その細くなめらかな指を上からそっと触れる。


おそらく自分の顔は羞恥で赤く染まっていることだろう。それでもなるべく真摯に一色に顔を向ける。


ここで目を逸らしてはいけないのだと思う。


「……え?」


ピクリと強張った指を優しく包むように握ると、ひんやりとした感触が掌に伝わった。


手汗が出そうになるが、意を決して告げる。


「……あんだけ偉そうに言って……俺も何も分かってなかったんだよな……」


「せん……ぱい?」


「戸部や副会長に言われたから……ってわけじゃねぇんだけど……あの、あれだ……」


「えっ……えっ?それって……それって……!」


一色も、俺と同じく頬を真っ赤に染めて、瞳を潤ませている。


この反応からして、こいつも俺の言わんとしていることに、薄々と勘付いているのかもしれない。


しかし、それでも自分から伝えずにはいられなかった。


本当のことを知って欲しい。真実を分かっていて欲しい。


上ずりそうになるのを抑え、なるべく優しい声音で告げる。




「……すまん、この花な……アザレアじゃなかったわ、ゼラニウムだったわ」


「……へ?」



「んでよ、白いゼラニウムの花言葉は確か……『indecision(優柔不断)』だったかな……とにかく、なんかそんな感じの不景気なやつだ」


「……は?」



一色の俺を見る目が、いつの間にか虫を見るそれになっている。


……何なのこの後輩……人が恥を忍んで過ちを認め、しかも懇切丁寧に教えてやっているのに……


ちょっと態度悪くない……?


「……なんだよその顔は……あとお前、花弁を指で触るんじゃねぇよ、傷んじゃうだろうが」


常識がなくて本当に困ったやつである。


握っていた一色の指を花壇から遠ざけるように、ぺっと遠くに放り投げる。


すると、投げたはずの指がブーメランの様に戻ってくるだけでは飽きたらず、親指と人差し指のつけ根が、縁道と呼ばれる鼻と眉の間を強打した。オウフ。


虎口拳(ここうけん)――


これ、あれや……天内が館長にやられた奴や……


「ぐお……!視力と……思考力が……!」


「……まあ、目は元から腐ってますし、考え方も捻くれ過ぎてますし……今更ですよね」


吐き捨てるように言い放つ。


涙でよく見えないが、一色は仁王の如く屹立しつつ、ハンカチで指のつけ根辺りをゴシゴシ拭いている。


良かった……可視化されてたら、多分うっかり自殺したくなる光景だわこれ……


「……何しやがるお前……本当にデリカシーに欠けたやつだな……」


「そっくりそのまま返したい気分なんですけど……」


あくまで言い張るこの後輩は、依然ジト目で俺を睨めつけていた。


なんだぁ?てめェ……


しかし、ため息を一つ吐くと、ふっと破顔する。


「……でも、優柔不断……ですか……そうなのかも」


うずくまっていたため、低い位置にあった俺の頭を、一色は上から指でそっと触れる。


言葉と行為の意味が分からず怪訝な顔を向けると、先ほどとは打って変わって穏やかな笑みを称えている。


「……それに、さっきのお話は大変参考になりましたので……職場見学会のこと……もう一度、生徒会で話し合ってみます」


「……お、おう……いいんじゃねぇの」


よくわからないので、とりあえず適当に応えると、一色はくるぱと身を翻し校舎に向かって駆け出していく。


しかし去り際に、もう一度こちらを振り返った。


「先輩、まだ終わってないですからっ!」


と、そんなことを言う。


「……なんだあいつ」


ひとりごちるも、思わず苦笑が漏れてしまう。


……結局拙い言葉でしか言い表せなかった。


それでも肝心な部分は伝わったのだと信じたい。


……あいつがこれから、生徒会でどんな話合いをするのかは知らない。


職場見学会の存続も廃止も、もとより俺にはどちらでもいいことだ。


……つまり、これにてミッションは完了である。



もう、おそらく何の心配もいらないのだろう。


俺との対決時に見せたあの立ち回り……一色の能力はもともと高い。


下手な大義に振り回されさえしなければ、この先も、立派に生徒会長とマネージャーを両立してのけるだろう。


もしこの先、本当にやりたいことが、再びあいつの中で生まれたとしても、もう先のような不手際は起こすまい。



この顛末を見届ければ、もう俺がやることは本格的に無くなってしまう。


それにこれだけガチでやり合ってしまったのだ。今後一色が何か頼みごとをするというのも考えにくい。


……だから、おそらく今回のが……俺があいつにしてやれる最後のミッションだったのだ。




マッカンを飲み干すと、立ち上がり、もう一度体を伸ばして節々のこわばりを取り払う。


被害者の会の教室に、私物をいくらか置きっぱなしにしている。


綺麗すっかり家に持って帰られなければ……






※※※※※※※※※※※※※※※




あれから何日かが過ぎ去った。


本日の教課を全て終えると、級友たちは皆めいめいに自分の時間を過ごす。


スマホをいじる者。参考書を開く者。早速部活に赴く者。名残惜しげに会話に興じる者。仲間と遊びの算段を建てる者。


俺はというと、それらを机に突っ伏しながらぼけっと眺めていた。



……あの日以来、俺が被害者の会や生徒会に足を運ぶことはなかった。


そしてそれを咎められることもない。


……というのも、生徒総会のあったその日から、役員メンバーは多忙を極めたからだ。


総会を通った決議の取りまとめと、それに纏わる打ち合わせが連日連夜行われていたようで、副会長から定期的に入ってくる連絡によれば、役員たちは休日出勤までしていたらしい。


生徒会メンバーといっても、俺も戸部も非正規社員のようなもので、あくまでサブ的ポジションだ。


コアなところはよく分からない。居てもかえって足手まとい……そう自主的に判断した俺たちは、片や練習に明け暮れ、片や帰宅に精を出し、それぞれ充実した青春を送っていたと言うわけだ。



そういうわけで今日も同好会はお休みである。


……ならばやることは一つ、帰宅だ。


俺はすっくと席を立ち、鞄を肩にかける。


諸君、私は帰宅が好きだ。


諸君、私は帰宅が大好きだ。


自転車で、電車で、バスで、徒歩で――


まだ日も高い中、舎より出て部活動に勤しむ生徒を横目にグラウンドを通り過ぎる時など絶頂すら覚える


「おわっ!ヒキタニくん!帰っちゃダメっしょ!」


……ん?なんだろう……内心大盛り上がりで一説ぶっていると、横から水を差されてしまう。


戸部がさっきからチョロチョロ視界に入ってたから、さっさと帰ろうと思っていたのだが……


「ほら、今日は例の結果出るべ?だから生徒会室で集まろうって話!……ライン既読になってたっしょ?」


「そうだったな……」


今日は職員会議が行われるらしく、総会での諸々の結果が、本日、生徒会に伝えられるのだ。


誰かに頼まれたのだろう、戸部は律儀に俺を迎えに教室を訪れたという訳だ。


「……じゃ行くか」


「はぁー、やべ、俺もドキドキしてきたわー!っべぇー……べぇー……」


ベーベー言ってる戸部には悪いが、こちらはあまりテンションが上がらない。


しかし顛末だけは知っておきたい気持ちがある。


……それに、いい機会だ。生徒会のメンバーに伝えておきたいこともある。


「ところでお前……今日は部活良いのか?」


道すがらそんな事を聞いてみる。


「今日は休みなんよ、ほら、俺ら昨日試合あったっしょ?」


あったっしょ?って言われても知るかアホ。


一色といい……なんでこいつら知ってる前提で話すんでしょうね……?


「んで……どうだったんだ」


「それがさー聞いて聞いて!なんと見事!一次トーナメントの一回戦勝ち抜いたっしょ!」


「へぇ、すげぇな……」


と言っても、それがどんだけ凄いのかわからないんだけど……


「9年ぶりの快挙!かーー、アガるわー!」


また微妙な数字出しやがって……凄いのかどうかわかんねぇっての。


俺としてはサッカー部の進退など、ワイドショーの視聴率競争と同じぐらいどうでもいい話なんだが、しかし、さすがは葉山率いるチームだけある。


クジ運みたいなのもあるのだろうが、トーナメントに行くにはまずブロック予選を突破しなければいけないはずだ。


ウチみたいな進学校がそこまで辿り着くというだけで、実際、大したことなのだろうと思う。


ともあれ、これでサッカー部の引退はまた伸びたというわけだ……一色もさぞ喜んでいることだろう。


「……俺さー、本当、被害者の会入ってよかったっつうか?……忍者スキル修める事できたし……昨日もおかげで大活躍の巻?みたいな!?」


「そ、そうか……」


これから俺が生徒会で切り出すことを考えると、少し胸が痛む。


「虚と見えて実っつーの?インターセプトとか二桁いったべ、怖いぐらい獲れたわー……」


「そ、そう……」


しかし忍者スキルについてはあまり知りたくないので、あくまで突っ込まないスタンスを貫いた。


……そんなしょうもない話をしている内に、まもなく生徒会室が見えてくる。


ノックしてドアを開けると、既に皆揃っているようだ。


一色などは、俺を見るなりビクリと肩を上げてのお出迎えである。


何をそんなにテンパってるんだろう……


「……う、うす」


「……ど、どうもです……」


若干ぎこちなく、互いに挨拶を交わす。


一色とは、結局あれから一度も顔を合わせていない。



―― まだ終わってないですからっ!



先週、去り側にそう言っていた。しかし、こちらとしてはもう一区切りは付いている。


問いを経て、答えを得た。


本件で、これ以上俺から何か付け足すつもりはない。


そして、今日は折を見て、被害者の会の解散を切り出す腹づもりである。




……一色の近くに座るのは、なんとなく躊躇われ、副会長の隣にヨイショと腰を下ろす。


「職員会議は一時間もすれば終わると思う。根回しじゃないけど、最初からある程度結論は決まってるみたいだから」


「へぇ、そういうもんなのか……」


「顧問の話によれば、合宿所の条件緩和は通るんじゃないかってさ……シャワーの開放は多分ダメだけど……」


賛成多数の決議が、全て通るとは限らない。


さらにここから教師達が話し合って、その中のいくつかが実現されるという流れになっている。


どのような形で取りまとめて学校に提出するかが、生徒会の腕の見せどころ……という事らしい。


「総会の取りまとめ……比企谷先輩にも手伝って欲しかったです……すごく忙しかった……」


副会長と談笑していると、恨みがましい視線を向けながら、書記ちゃんがたん!と俺の前にお茶を置いた。


うん、この子も随分、俺に対して遠慮とか気遣いとか、そういうのが無くなってきましたね……


こなれてきたのかな……嫌だな……怖いな……


……とは言え、お茶とか普通に淹れてくれる辺りすごく可愛い。


俺が猫舌なのを知っていて、ちょっとぬる目に淹れてくれる辺り、途方も無く可愛い。(可愛い)


副会長の一日も早い爆発を祈願しつつ、湯のみに口をつける。


「いや、ほら、俺と戸部は平メンバーだからよ、かえって足引っ張ったりするだろ?」


「戸部先輩はそうかもしれないですけど……、こういうのって比企谷先輩の本領だと思うんですよね……」


過分な評価に少し照れてしまうが、何気に戸部がDisられており、脇で少し泣きそうな顔になっている。


こなれてきたのかな……嫌だな……怖いな……


怖くない女の子が、いよいよ周りに一人もいなくなってきた……


「比企谷、生徒会だよりのコラムなんだけど、君が前号でボツったやつ、今月号に使ってもいいか?」


「ああ、そういや、ここんとこの諍いで流れちゃってたな。あんなもんで良いなら使ってくれて構わんぞ」


会計クンもこなれた様子で、話しかけてくる。


「比企谷は、ああいう自虐系の文章で失笑を買うのが本当に上手いな。ネットでも凄いウケてたし、あれって実話なのか?」


「お、俺の友人の従兄弟の話だ……断じて実体験じゃないからな……」


「コラムだけ手書きってアイディアも使わせてもらうね。読みやすいのが一番だと思ってたけど……そうでもないんだなぁ……」


「お、おう……」


会計くんとは長らく御無沙汰だったのだが、何故かそう感じないのは、思いっきりバトルという形でコミュニケーションをとっていたからかもしれない……


しかしこの雰囲気……


良くない。


どうにも良くない流れである。


同好会の解散を切り出すはずが、部屋に入って五分もしない内に、俺の居場所が実に自然に象られているような気がする。


「俺……明日から来れねーから」などと、とても言い出せない空気で充満しているのだ。


なんなの……このほんわか空間……



先だっての生徒総会を思い出す。四人が壇上で形成していた、あの眩いばかりの空間。


それは生徒会メンバーの人格に依るものが大きいのだろう。


根本的に脳天気で、平和的で、受容性に富んでいる。


俺などという異物も包み込んでしまうような懐の深さが有る。


クリスマスイベントで、当初はギクシャクしていたことを思うと隔世の感である。


そしてこの空気の形成において核となっている人物……それはやはり……


……ちらりと一色の方を見やる。


……が、当の本人は心ここにあらずといった風で、さっきからそわそわモジモジと落ち着きが無い。


さっすがいろはす、たまに褒めてやったのに小物臭半端ないわー……


「おい、トイレなら我慢しないほうが良いぞ」


「ち、違いますよ!緊張してるんです!……あと、それセクハラですからね……」


言って、不機嫌そうにぶうっと頬を膨らませる。


嘘……これセクハラなの……?


じゃあ、俺はこれから尿意をこらえた女子と密室で相対するような場面に遭遇した時、どんな言葉をかければ……


……などと、あまり懸念する必要のないことを懸念していると、苦笑を浮かべた書記ちゃんが教えてくれる。


「……職場見学会のことですよ……会議の結果にハラハラしてるんだと思います」


「……なんじゃそりゃ……廃止は決定されたようなもんじゃないのか?」


「それなんですけど……あの後話し合って、生徒会名義で意見書を添えて提出したんです。安易な廃止は良くないって」


「……なんだよ、結局、お前ら存続でまとまったのか?」


「廃止を支持する人は結局九割ぐらいにまでなってましたから、結果はどうなるか分からないですけど……でも、遅くまで残って、いろはちゃんを中心にみんなで一生懸命考えたんです!」


ぐっとプリティーに拳を握る書記ちゃん。まあこの子の場合、存続を支持してたからな……


それでも一色があそこまでテンパるのは理解できないのだが、ともあれ、そういうことになっていたようである。


「はー……よくやるな、そんなの……会計くんとかそれでいいのか?廃止派だったろうが」


「……まあ、会長の熱意に打たれたといった感じかな……?あと、君にも」


「一色と……俺?……俺は別にどっちでもいいんだが……」


どういうことだろう……と視線をやると、一色は露骨に目を逸らした。


……何なんだ、その反応は……


不審な一色の態度を訝しげに見ていると、ふいに書記ちゃんが芝居がかった調子で口にする。


「『みんなのため』と『何かやる』の間には……いろいろ挟まってるんだぜ……」


なんだろう……それ……聞き覚えあるな……


すごくいいこと言ってるような気がする……


さらに書記ちゃんは胸に手を当てながら、ヅカ女優のような大仰な身振りで続ける。


「みんなのために頑張るなんて馬鹿げてる……少なくとも俺はそう考えるんだぜ……」


「しょ、書記ちゃん……?」


あ、あの……マダモァゼル?


なんなのこの子、ちょっといつもと様子が違うんだけど……嫌だな……怖いな……


「名台詞の数々ですよねっ!私、とても感動しましたっ!」


小芝居が終わったのか、打って変わって、ぱあっと明るい表情を俺に向ける。


ああ、さっきから目を半開きにしていたのは俺の真似のつもりだったんですね……


そうか、そうか……俺の真似か……


「おい、一色……こっち向け」


俺の呼びかけに一色はビクリと肩を跳ね上げたが、明後日を向いたまま、頑としてこちらを振り向かない。


「あの中に、ないがしろにしても良い奴はいたかい……?切り捨てて良い顔は……あったのかい?」


よほど気に入ったのか、書記ちゃんの芝居が再開される。


やだ……なにこれ……恥ずかしい……もうやめて……!やめてぇーっ!


「くぅ~~~……かっけぇ……かっけぇすわ……ヒキタニくん……ププ……」


見やると、戸部がお腹を抱えてプルプルと震えている。


皆も生暖かい視線を俺に向けている。


突如開催された、はちまん羞恥プレイ大祭。


……よし、とにかくまずは一色をしばこう。返す刀で戸部もしばこう。WASSHOI!


席を立つと、つかつかと一色の座る机に歩を進める。


俺の剣幕にやっとこちらを振り向くと、両手をバタバタと振りながら進行を遮ってくる。


「ちょ、ちょっと待って下さい!仕方なかったんですよ、皆さんを説得するにあたって、先輩の言葉を借りるしか無かったんですーー!」


「丸パクリしてどうすんだよ!俺が言ったみたいになっちゃってんじゃねぇか!」


「いやぁ……比企谷も結構熱いこと言うよな……俺も会長から聞いた時は感動で胸が震えたよ」


「君の瞳に……乾杯」


目を半開きにしつつ、虚空に向かって一人演技を続けている書記ちゃん。


……でも、それは絶対に言ってないからね!


しかしこの二人、全くからかっている色がない辺り、余計に性質が悪い……


戸部に至っては床に寝そべり、悶絶しながらゲラゲラ笑い転げている。こいつは後で殺すにしても、まずは一色に制裁を加えねばなるまい。


そのよく回る口を、有り得えない形に変えてやるぜぇ……


「一色、そこを動くなよ」


「お、おかげで良い意見書が出来たんですよ!職場見学会が存続するかもしれないんですー!」


うん、でも悪いけど俺はあんま興味ないんですね……その辺は……


ポキポキ指を鳴らしつつ近づくと、一色は隅に逃げ出し相変わらず両手をバタバタと振って遮ってくる。


アホっぽくはあるが、なかなか理に適った受けの型……これはうっかりボディタッチも辞さない覚悟で取り押さえねばなるまい……。


……と虎視眈々と獲物を狙っていると、突如ドアがノックされ、返事を待たずに扉がバタコーンと勢い良く開かれる。


「失礼するっす!」


見覚えのある面が、息を切らしながら生徒会室に飛び込んでくる。


「あ、お兄さん!大変っす!今さっき結果が出ましたよ……!」


こいつは……


「……放課後、暇そうにその辺をブラブラ歩いていたから、ちょっと会議室の前まで行ってこっそり先生達の話を盗み聞きするようにお願いしていた川本大志くん……?」


説明的な台詞をありがとう、一色さん。


っていうか早速、大志さんをこき使っておられるようですね……


「川崎大志っす!」


「川辺さんの弟くんじゃーん!……っつーか、今、結果出たって……?」


「はいっ!たしかにこの耳で聞いたっす!職場見学会の存否について……!あと川崎大志っす!」


「山本くん、お話……聞かせてくれる?」


「……川崎……大志っす……」


大志の登場でおふざけムードは一変し、生徒会室に緊張が走る。


皆、彼の発言を一言も聞き漏らすまいと表情を固くした。


そのシリアスさに気圧されてか、大志の顔にも絶望感や悲壮感といったものが浮かんでいる。


名前でいじめるのって本当に良くないと思うの……


そして、一色も改めて緊張がぶり返したのか、ぺたりとその場にある椅子に座り込んでしまう。


「で、大志よ……どうだったんだ?」


「は、はい、それなんですが……廃止に決定したみたいです!満場一致っす!」


「……!」


「え……」


あっさりと言い渡される結果に、空気が固まってしまう。


「いや~、ちょっと面白かったっす。……総会の結果ってああいう風に先生方に取り扱われるんすねぇ……いろいろ興味深かったっていうか……あれ?皆さん、どうしたんっすか……?」


生徒会の事情までは説明を受けていなかったらしい。大志は、皆が落ち込んでいるのを不思議そうな顔で眺めている。


「俺達の意見……伝わらなかったみたいだな……」


「そんな……あんなにみんなで一生懸命……夜遅くまでかかってまとめたのに……」


副会長と書記ちゃんが、悲しげな声を漏らす。


「……仕方ないよ……もともと廃止に積極的だったのは先生達だからね」


「投票だって、廃止が圧倒的多数だべ?……ま、しゃーねっすわ……」


会計くんと戸部も、残念そうではあるが、努めて明るく振る舞う。


「生徒会の皆さんは存続派だったんすね……意見が割れてるって聞いてたんすけど……」


「まあいろいろあってよ、最終的に存続でまとまった……らしい」


「それってお兄さんがまとめたんじゃ……?」


「や、そういうんじゃねぇよ。まあ、いろいろあったんだって……」


「ふーん……」


生徒会の面々を見渡し、何やら思慮深げに考え込んでいる大志。


なんだろう、こいつ……もしかして生徒会に興味があったりするのだろうか……?



……なんとなくだが、大志には奴隷属性があるような気がする。


目を閉じれば、一色の忠実な下僕になる姿が、ありありと目に浮かぶ……



川崎大志……こやつ、俺の後釜に丁度いいのでは……?


これでなかなか情に厚く、俺ほどではないにしろ気配りや気遣いが出来るタイプの人間だ。


実直な性格は、生徒会にうってつけといえるのではないだろうか?


そうだ、そうしよう。


善は急げ、早速俺は一色に打診することにした。本人の承諾なんて後で良いだろう。


「おい、一色……生徒会、まだまだ人員が足りないって言ってたよな……?」


さっきから黙りこくっている一色に声をかける。


……ところが俺の呼びかけに一言も応えず、呆然とした表情で座っている。


「……」


「おい、一色……」


「せんぱい……」


目が合うと、一色の表情がくしゃりと歪んだ。


――この顔は、以前に一度見たことがある。


「ちょ……おまっ!」


気付いた時には駆け出していた。


この泣き顔を誰かに見せてはいけないと――


走り寄ると一色の顔を皆に見えないよう両手で覆い隠す。


……が、抱きしめるわけにもいかない。それは妹専用のコマンドである。


結果、一色の顔の周りで手をアワアワと動かして皆からの視界を遮る。


うん……我ながら一体何やってるんでしょうね……これ……


突如奇妙な動きを始めた俺に、メンバーたちは怪訝な顔を浮かべるも、すぐに一色の様子のおかしさに気付く。


座ったまま涙をポロポロと流し、スカートの裾を両手で握りしめている。


「い、いろはすー!どうしたよ!」


「いろは……ちゃん……?」


まさか一色が泣き出すとは思わなかったのだろう、一同唖然とした顔で眺める。


「おい、お前……何も泣くことねぇだろうが……」


しかし俺も動揺を隠せない。こんなことで泣くようなタマでは絶対にないはずなのだが……


依然、当てどころ無く両手をアワアワと彷徨わせていると、突如立ち上がった一色に、両手首をガッシと掴まれる。


泡を食った俺に、一色は俯いたまま泣き声を漏らす。


「ち、違うんですよ……これは……悔し……くて」


「……まあ、そりゃ悔しいかもしれんが、お前つい最近までバリバリ廃止派だったじゃねえか……そこまで思い入れなんてねーだろ」


「そうじゃ……ないん……です……」


「じゃあなんだってんだ……訳わかんねぇぞ、お前……」


こっちも努めて宥めようとするのだが、いまいち優しい言葉が出てこない。


せめてどこか別の場所に連れて行こうとするも、俺の手首をがっちりホールドしており、頑なにその場を動こうとしない。


……えーと、どうしたらいいんでしょうね……これ……


一色が何故ここまで取り乱すのか、まったく検討がつかない。


助けを求めるべく皆の方を向くと、「お前に任せたぜ……」といった体で、俺たち二人を遠巻きに見守っている。


全くもって頼りにならないメンバー達だと怨嗟の念を送っていると、戸部は持ち込んだポップコーンの袋をパーティー開きにして、皆の前に広げ始めた。


全員、顔をがっちりこちらに固定したまま、大嶺(兄)の立ち上がりを見守るマリーンズファンの如く緊張した面持ちで、やおらに口に詰め込み始める。


完全に観戦モードである。しかし勝率こそ振るわなかったが、兄貴は今季、登板も多くて本当によく頑張ったと思う。


そして戸部……あいつだけはあとで本当に殺さないと……


思うところは多かれど、気持ちを切り替え、目下の事態に対処する。


俺はなんとか一色をなだめるべく、なるべく優しい声音でご機嫌をとる。


「……まあ、あれだ。これから先、こういうのが無いようにしたら良いんじゃねぇの」


「……そうじゃ……ないです」


一色は、ふるふると首を振る。


「えーと、じゃああれだ、ほら先週はああ言ったけどよ、大多数は廃止で喜んでるんだ……それだって決して悪いことじゃねぇんだって……お前の趣味に合わないってだけだろ?」


一色はまたも首をふるふると振る。


他にも適当な言葉で元気づけるものの、一色は俺の手首を掴みながら、まるでそれしか出来ないかのように首を横に振るのみである。


いよいよ為す術がなくなり、文字通りお手上げ状態になってしまう。


そしてついには、一色は涙やら鼻水やらでベチャベチャに濡れた顔を、俺の胸に拭うように押し付けてきた。


ちょ、ちょっと、一色さん……あなた自分のハンカチで拭いて貰えないかしら……


こ、困る……


「……すみません、こんな……つもりじゃ……こんなつもりじゃ……なかったんです……」


困っていると、くぐもりながら発せられた、妙な言葉を耳が拾う。


ん……?こいつ、何を謝るのだろうか……


俺のシャツをハンカチ代わりにしていることかとも思ったが、そんな事に良心の呵責を覚えるようなタマとも思えない。


……だとすると、ますます分からなくなってしまう。


自分が一色に謝られることなど何一つ思い浮かばない。


あるいは、こいつは何か、また変な勘違いをしているのではないだろうか……?


「……なあ、一色……」


その意を問おうと声をかけると、一色は俺の胸から顔を離す。


その顔は涙や鼻水でグシャグシャになっている。


メイクも乱れ、見るも無残な有様だ。


しかし、そんな顔を取り繕おうともせずに、まっすぐに目を向けてくる。


「……わたしは……捨てないです……わたしなら先輩を、切り捨てたり……しないのに……」


「……」


一色の口から出たその言葉に、一瞬、頭が飛んでしまう。


……何を言う……こいつ……


「ばっ……」


反射的に口を開くも、後に続く言葉が出ない。


あの時のことを言っているのだと、すぐに気づいた。


こいつは……


こいつは……先日、俺が口にした「捨てる」という喩えを、俺に重ねていたのか……?


新学期の前に起こったこと―― それを今回の件と紐付けて……


ただ、それにしてもロジックがいくつか足りない。


……こいつにしても、まだ整理がついていなかったのではないか?


消えない想いがあったとして……その残照は、一色の中にもずっと存り続けていたのかもしれない。


情けないことに俺の方もうまく頭が回らない。感情も正しく動いていない気がする。


言葉も思考も千々に乱れて、呆然と一色のしゃくりあげる様子をただただ眺める。


「わたしなら……わたしだったら……離さない……捨てたりなんかしないです……しないのに……」


さっきから、うわ言のように繰り返すのを、なんとかやめさせようと俺は腹から声を絞り出す。


しかし、実際にはかすれるような音しか出てこない。


「……ば、ばっかちげぇよ、お、俺は別に捨てられてねーぞ……ちゃんとあれだ、自分から……」


「先輩……なんて……どうでもいいです……わたしなら離さないって……絶対に離さないって……言って……るんです」


「な、何言ってんの、お前……」


手を振り払おうとするが、一色は渾身の力で俺の手首を握りしめていて、まったく離す素振りを見せない。


「失ったら……二度と……手に入らない……なら、離さなきゃ……いいんです」


いや、そんな事で有言実行されても困るんだが……


すすり泣きつつ、よく分からない論理を展開する一色。


それに、なんでこいつが俺を捨てる、捨てないの話になっているのかも、よく分からない。


いよいよ会話が成立しなくなってきた。


周りに助けを求めるしか無く、懇願するかのように、皆の方に顔を向ける。



「なんか……主旨が変わってきていないか……?止めたほうが良いのかな……」


「もうちょっと見ていましょうよ……そうそう拝見できるものじゃないですし……あっ、皆さんチョコ行き渡りました?」


外野では、副会長と書記ちゃんが呑気な言葉を交わしていた。


……お、お楽しみいただいているようですね……


絶許リストに二人の追加を検討していると、突如、ノックもなしに扉がパターンと開かれる。


「ふぅー疲れたーーー!やっと終わったよー会議……って、あれ……これ何してるの?もしかして修羅場かなぁ?」


現れたるは、生徒会兼、我が同好会の顧問、養護教諭である。


ギャラリーモードに入っていたメンバー達は、わたわたと立ち上がると、顧問に状況を説明する。


「あ、いや、ヒキタニくんがいろはす泣かせたっつうか……痴情のもつれ……みたいな?」


「……会長がお兄さんを捨てないって言ってるんッスけど、お兄さんは自分から捨てるとか、会長が馬鹿とか……なんかそういう感じの話みたいっす!」


「そうなんだー……青春が迸ってるんだねー、むかつくなぁー……爆発したら良いのに……」


けっと吐き捨てるように言い放つと、何処か遠くに目を向ける。


うん、これは婚期が遅れる人の態度ですね……平塚先生もそゆとこあったなー……


あと戸部と大志の雑過ぎる説明……絶対に許さないから……


「まあそれはいいや。職場見学会の存否、君たちも早いとこ知りたいと思ってねー」


「それで来てくれたんですか……でも……」


「職場見学会なんだけど……廃止に決まったよ。いやー、やっぱり生徒の圧倒多数が賛成っていうのが大きかったね……これ以上ない後押しになっちゃったかな……」


「そうですか……」


「……ん?あれ?なんかみんな知ってたって顔だね……」


「あ、や、それは……」


大志が気まずそうに顔を逸らす。


そしてダメ押しでしか無い顧問の話に、再び生徒会室は暗いムードに沈んでしまう。


沈黙する室内に、すんすんと未だ鳴り止まない一色の鼻音だけが、やけに大きく響いている。


「まあでもね、君達が添えた意見書……これに他の先生方がいたく感銘を受けたみたいでねー!やったね!」


「……そうなんですか……」


取り繕うように元気な声を上げる顧問だが、しかしそう言われても、嬉しいはずがない。


結果を伴わなければ意味のお無い類の話なのだ。少なくとも一色にとっては、そういうことになっているらしい。


俺の両手首を掴んだまま、落胆して顔を伏せてしまう。


……い、いい加減、離してくれませんかね……


「うんうん、この意見書は実際いい出来なんだよねー……君達生徒会からこういうのが出てきたってのは本当に喜ばしい……」


顧問の顔は相変わらず明るい。しかし、その空気を読まない態度が、今は少し煩わしく感じられた。


八つ当たりも良いところだが、非難めいた目を向けると顧問と視線がかち合った。


そして、思わぬことを口にしだした。


「そんでね、職場見学会については、中等部に引き継がれることになったんだよね。こういうのは早くにやったほうが良いって意見が前々からあってさー」


「……は?」


「他にもこの形式の見学会を中学でも取り入れようって動きが、市の教育委員からも出てるんだよねー……」


「ちょ、ちょっと、ちょっと待って下さい」


副会長が慌てて話を止めようとするが、顧問はお構いなしに話を続ける。


「そんな訳で資料とかマニュアルとか整理して中等部に引き継げるようにしてー、ついでに教育委員会にも提出できる形にしといて欲しいんだよね。君達自身の準備もあるし、今すぐって話じゃないんだけど」


「準備……?いやいや先生……職場見学会は廃止……なんですよね?」


「うん、廃止はもう決定だよ。……二年後には総武高校からは無くなるからね」


「二年後!?」


皆で声を重ねる。


「そりゃそうだよー!そんな直ぐに廃止できるわけ無いでしょー!もう今年は企業の方も受け入れ準備してくださってるだろうし、保護者の方には来年の行事として報告しちゃってるし」


……なんだか様子がおかしくなってきた。


一色と顔を見合わせた後、俺もたまらず顧問に問いかける。


「……いや、すんません……どれも初耳なんすけど……」


「ん?そうだったかな……」


顧問は周りをぐるりと見渡すと、皆はコクコクと小さく首を縦に振って応える。


「あ……あれ……?これヤバ……あ、いやいや言った!君には確かに言ったよ私!」


青ざめかけた顧問だが、何かを思い出したのかビシッと俺を指差してくる。


ていうか、いまあんた「ヤバ」って……


「いや……まったく何一つ覚えがないんですが……」


顧問は、はぁ……何言ってんのこいつ……?みたいな顔を俺に向けている。


しかし、本当にこちらは何も覚えがないのだ。……ところで何かムカつくなこの人。


「言ったよねぇ、もっと先のことを考えて欲しいって。考えを尽くせって」


「……は?」


「あと、こうも言ったよ、君が考えてる区切りみたいなのは、君が決めたことでしか無いって」


あー、あれね……うんうん言ってたわ。心すっごい揺れ動いた。


なんか、もう最近の俺の中でテーマみたいになってた。


てっきり俺の個人的事情をその慧眼で察した上での、人生の先輩による含蓄のあるアドバイス的なものとずっと思い込んでいたのだが……そっかそっか……あれ職場見学会の話だったんだな。


「消えない想いってのがあるんだよね……職場見学会……無くすには惜しい行事だもん……お付き合いって大事だしね!……でも今回の決議と意見書は良い後押しになったよ……うんうん」


そっかそっか……消えない想いってのは、そういう先生方の行事に対する思い入れとか、企業のパイプの事を指していたんですね……


やだ、八幡ったらうっかり!


さっすが我らが顧問である。とってもリリックでミステリアスでポエミィな形で以前から忠告してくれてたんだね!


っていうか……分かってたまるかあ!一欠片も伝わらんわあああ!


あああああああああああ!


「先生……それはちょっと無理があるんじゃないですか……比企谷先輩、多分あれ怒ってるんじゃないかと思うんですけど……」


「う、うん……目の澱み方が凄いことになってるね……」


ちょ、ちょっと……この顧問……アホなんじゃないかしら……?


俺は見るもの全てを腐らせる、秘奥義『腐食の魔眼』で顧問を睨みつける。


行き遅れろと、呪いの思念を強く込める。


「わっ、こ、こわ……何怒ってるの……訳分かんないよ……」


訳分かんないのは、あれで職場見学会の説明を事前にしたと言いはる貴女の知覚ニューロンなのだけれど……


皆があんぐりと口を開け、呆れたような視線を浴びせていると、やっと自分の迂闊さを認めたのか、しゅんと項垂れる顧問。


その姿を他所に、副会長と書記ちゃんが話を整理する。


「えーと……つまり、廃止は二年後で……しかも職場見学会自体は中等部や市内の中学に引き継がれる……?」


「なんかそれって廃止とは言えないような……それどころか、スケールが大きくなっているような……」


良くない。


実に良くない流れである。


おかしいな……こんなオチは全く想定していなかったのだけれど……


それに俺が一色に何より伝えたかった部分……価値大暴落だな!


「……先輩!これって……」


見やると一色はキラキラとした顔を、真っ直ぐ俺に向けてくる。


先ほどとは打って変わって、頬は高潮し、喜色満面といった風情である。……正直、直視に耐えない。


「……う……」


「先輩?」


頬に熱が灯るのが分かる。


俺は渾身の力を振り絞って、一色に掴まれていた手をぎゅむりと強引に引き剥がす。


そしてやっと自由になった両手で顔をすっぽり覆い、近くにあった椅子に座り込んだ。


「比企谷……お前、それ何してるんだ……?」


「……恥ずかしいんだろうね」


「でもそんなことしても……ダチョウじゃないんですから……」


視界を閉ざしていると、生徒会役員共の呆れたような声が耳に入る。


……だが俺の事は、もう放っておいて欲しい……


俺が……俺が今までやってきたことは……



―― 俺はただ、お前が……なんの自覚もなく何かを切り捨てたり……何かを失うようなマネをして欲しくなかっただけだ(キリッ


―― 一旦失っちまったもんは、もう二度と手に入らねぇからな(キリッ



うおお……!


花を愛でながら、超絶的にいい事を言っていたというのに全てが台無しである。



「……ま、これで一件落着って感じ?でもさー、総会の時は本当にビビッちゃったわー……話は事前に聞いてたけどさー、ヒキタニくんの空気読まないアレ!」


「一人で手挙げてましたよね!あれは俺もビビったっす!……浮いちゃったりして怖くないんっすかね?ああいうのって……」


「ま、ヒキタニくんってば以前からそういうトコあってさー、聞いて?去年の修学旅行でもさー……」


「私も本当に驚きました。前にいろはちゃんにスピーチをやらせようとした時もそうですけど……あんなにいろいろよくもまあ思いついて……本当に凄いと思います」


「なんか実行力あるんだよね……思いつくまでは仮にあったとしても、普通やらないってことを躊躇なくやるからな……」


「あ、それ今回の生徒会だよりの話だよねぇ!あれ私も笑っちゃってさぁー」


装いも新たに再び開催される、はちまん羞恥プレイ大祭。


ちょっと……君達……うるさい……


……彼らが形成するこのほんわか空間も、彼らののほほんと呑気な会話も、今の俺にはすべてが矢となり矛となり我が身を切り刻んでいくのである。


俺が脇でプルプルしているところなど目に入らないのか、見やると皆はポップコーンやらチョコやらを摘みながら、やいのやいのと会話に花を咲かせている。


どうにも良くない……この空間は……


消毒されるバイ菌の気持ちが、いま本当の意味で分かった気がする。……酷いトイレだ……


独り煩悶していると、さっきから無言だった副会長が、相変わらず呑気な顔でこんなことを言い出した。


「まあでも、今回の生徒会内部の戦い……俺はやって良かったと思うよ。廃止か、存続かは……よくわかんないことになっちゃったけど、でも、結果的にみんなで考えることが出来た」


皆が目を向ける中、書記ちゃんも驚いたような顔で副会長を眺める。


「それに……一番大きかったのは、最後にこの意見書をみんなで纏められたことかな」


言って、先生達に提出した意見書の控えをピラリと掲げる。


「失ったものは、もう二度と手に入らないのかもしれない。同じものには、確かにもう戻らない……今回のだってそうだよな……」


そして優しげな目を、一層に細めて言葉を紡ぐ。


「……でも、こうやって、問いなおすことができたじゃないか」


どこかで聞いたその言葉に、俺は思わずはっと目を向けた。


ただ、その面持ちは、いつかの時のように張り詰めた様子もなく、実に呑気なものである。


思わず苦笑が湧いて出る。


そんな面持ちで、そんなことが言えるのかと。


暫し副会長の顔を凝視してしまう。


「かぁーー、もう、ほんっとそれな!副会長いいこと言うわー!」


意見書の作成には一切関わっていないくせに、戸部がバンバンと肩を叩いて同意する。


「はは、よせよ……でも本当に……俺は、こういうのがしたくて生徒会に入ったんだと思う」


書記ちゃんと同じような事を言っている。


申し合わせた訳でもないのだろうに……似た者同士という事か……


そして副会長は、相も変わらず陰も毒気もない笑顔を俺に向けた。


「………だから、ありがとうな比企谷」


「う……」


「実際、彼なしではこうはならなかっただろうね」


「比企谷先輩さまさまですねっ」


「静ちゃんから聞いてたんだけどさー、本当おもしろい子だよねー」


「……いやぁ、やっぱりお兄さんって凄かったんすね!」


「ヒキタニくんってば、以前からそういうとこあっから……聞いて?去年の林間学校でもさー」


まただ……再び俺は手で顔を覆う。


再三に渡って開催される羞恥プレイ大祭。


やめて……もうやめて……いい加減、この羞恥プレイをやめさせたい。


あとさっきから、やたらと俺の黒歴史を掘っ返している戸部を抹殺したい。


「あの……ちょっとお前ら……うるさいから……」


と非難の声を上げるも、前には一色がずんと立ちはだかり、切なる願いは遮られてしまう。


「先輩、先輩」


傷心に沈む俺の心情など我関せずと、一色は顔を塞いでいる俺の手首を掴んで、無理矢理こじ開けようとしてくる。


不思議なもので、人体というのはどれだけ頑張ってみても、肘から先は横向きにはたいした力を込められない。


必死で抵抗するも、一色ごときに抗えず、徐々に広げられていく。Oh……これがYAWARAか……


やがて隙間から、一色の物言いたげな視線とかち合った。


「……なんだよ」


「先輩……やっぱりわたし、決めました」


「……なにをだよ」


「もう同じ失敗はしません、先輩に心配をおかけするのも心苦しいですし……やっぱり欲しいですから、ずっと欲しいですから」


「あっそ……まあ頑張ればいいんじゃねぇの」


やさぐれた声しか出ないが、一色はそんな俺などお構い無しに言葉を続ける。


「はい、だからわたしは決心したんです!」


う、うん……だから何を……?


そんなやり取りに、俺だけでなく、皆も顔にはてなを浮かべていたが、一色は言うだけ言うと満足気な顔でウムウムと一人頷くだけで、結局、その場で内容が語られることはなかった。



……かくして、この日、ひとつの顛末を迎えることが出来た。


副会長の言うとおり、廃止なのか存続なのか訳がわからないことになってしまったが、世の中そんなものなのかもしれない。白黒はっきり付くほうが珍しいのだ。


取り乱した一色も、決心した一色も、いずれも理由がわからず、曖昧模糊に流されていく。


……それに、もう一つ何か重要なことが有耶無耶になってしまったような……


お、おかしいな……




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




そんなこんなで日も明けて、改めて省みる。


昨日の放課後は実に大変であった。


取り乱す一色に激しく動揺し、顧問の持ってきた巫山戯たオチに心乱され、ほんわか生徒会にただひたすら戦慄し、止めどなく沸き起こる戸部に対する殺意の衝動……そして再び、一色による訳の分からない宣言……


あまりに多くの事が起こり、軽く錯乱してしまったが、しかし、一応の区切りは付いたように思える。


そして区切りが付くと、日常は形を変えて再び動き出す。


サッカー部はトーナメントの二回戦を間近に控え、戸部もいよいよ練習に集中することとなり、今日からしばらく同好会を休む旨が告げられた。


副会長も、当面は存続される職場見学会の準備や、引き継ぎ資料の整理に忙殺されるようで、やはり当分の間、欠席するとのこと。


彼らは律儀に連絡を入れてくるが、もはや『一色いろは・被害者の会』の存在意義はなくなっている。


あの後、俺の睨んだ通り、川崎大志は生徒会に興味を抱いていたようで、俺から薦めるまでもなく自身から生徒会への参加を申し出た。


この早い時期での一年生の参加は生徒会にとっては大変に有難い。大志を軸に今後は一年生たちの協力も視野に入れて活動することができるのだ。


懸念だった人員不足も解消が見込まれる。


……元々、この同好会は生徒会の人員補充のために作られたものだ。


解散するのにちょうどいい契機が訪れたのかもしれない。



行末を考えていると、やがて昼休みを告げるチャイムが鳴る。


いざ昼食といつものように席を立つも、ベストプレイスに行くのが何となく憚られる。


今日あたりは一色が訪れているような気がしたのだ。


そこで解散の話を切り出してもいいのだが……


先日の取り乱した姿を思い出す。


……なんとなくだが二人きりだと、非常に面倒くさいことが起こりそうだ。


みんながいるところで、さくっと解散だけ告げて、返事を待たずにさっさと帰宅するのがベストなやり方だろう。西部劇みたいで超格好いいし。


しかし、それを行うにしても、今日という日はあまりふさわしくない気がする。


なんてったって昨日すっごい外しちゃったからね!


あの壮絶な羞恥プレイは今も記憶に新しい。俺の黒歴史がまた一ページ……



そんなわけで、今あいつに会っても、どの面下げていいのかもわからん。


昨日のことを思い出す程にいたたまれなくなり、結局俺は第二のぼっちプレイス・特別棟の屋上に足を運ぶ。


形ばかりの南京錠を外して扉を開けると、前に広がるのは青い空と水平線。


朝方は鬱鬱たる雨が降りしきっていたのだが、昼が近づくとすっかり晴れ上がったようで雲ひとつ見当たらない。床面も僅かな水たまりを残すのみで、ノーテンピーキャン僕元気といった風情だ。


それにつけても、相変わらずいい眺めである。


遠く霞み行く空を眺めるのと、将来を見据えるのはどこか似ている。


差し当たっては当面の身の振り方を練る必要もあるし、より高所に上がれば更なる俯瞰が可能になり、見据える幅も飛躍的に広がるのではないだろうか。


ぼっちとはつまり孤高のことであり、だからしてぼっちと高所はよく似合う。


完璧な論理を脳内で組み立てた俺は、近くにあった梯子に手をかけ、更なる高みを目指す。


そして校内最高峰に辿り着くと、そこには見知った顔が驚きの顔を浮かべてこちらを眺めている。


「……あ、あんた……なんでここに……!」


川……なんとかさんがアホみたいに口をパクパク開閉しながら俺を指差している。人に向かって指差すんじゃねぇよ。


……しかし、そういえばこの辺って川崎さんのシマなんでしたっけ……?


こいつと初めて会った時というか、初めてこいつを認識した時もここに居た気がする。


確か、職場見学会の調査票をこいつに見られたのだったか。あとパンツも見せていただいたのだったか。


あれから丸一年。あいも変わらず、こんなところでぼっち飯をしているのだろう。まったくもって進歩のない奴で呆れ果ててしまう。


それに何とかと煙は高い所が好きと言うが、こいつもきっとアホみたいな事考えながら、ウキウキ気分で登ったに違いない。


うん、なんでしょうね……親近感が湧いてしまいますね……


それに見知った顔を前に今更ここで引き返すのも、何となく仁義にもとる気がする


「……川崎、俺もここで飯食っていいか?」


「え?あ、いや、いいけど……つーか勝手にしたら……?」


許可を得ると、二人して給水塔を背に座り込み、モソモソと昼食を摂り始める。


勝手にしたらといいつつ、川崎は俺の座る位置にビニールシートを広げて寄越してくれる。これで横漏れ後ろ漏れも安心!


思わぬ好待遇に気を良くし、いい眺めだなーとまるでゴミのような外界を見下ろしていると、さっきから隣でサキサキがキョロキョロと落ち着かない。


……まあその気持ちはわかる。


なんだかんだで色々と交流のある俺達ではあるが、昼食を一緒するほど仲良し小好しとやってきたわけではない。


俺としても、会ったら言っておきたいことがあった……というだけのことだ。


「あんがとな、先週、総会」


「……べ、別に……そんなんじゃないよ……そういうの聞きたいんじゃなくて……」


簡潔に先日の礼を述べるも、すげなく返されてしまう。


……あれおかしいな……ここはお礼いうムードだと思ったんだけど……


やっぱりあれかな……言葉だけでは足りないってことなのかな……


「仕方ねぇな、これで一つ感謝の意ってことで……」


俺は袋からジャンボの手作りサンドイッチを取り出し、川崎の横まで滑らせた。


メインディッシュにと思っていたが、まったく浅ましい奴め……


「いや、別に物品を要求したわけじゃないんだけど……あんたあたしをどういう目で見てるわけ……?」


射抜くような鋭い視線を向けてくる。……やだ怖い……久しぶりに怖い川崎さんだわ……


「……なんだったの?あれって」


「生徒会同士の内紛みたいなもんだ……付きあわせて悪かったな。まあ、でもおかげで上手くいったからよ」


スピーチからこっち、大志だけでなく、川崎もしばしば生徒会を手伝ってくれている。


そのためか、一色とは顔を合わせた時に談笑する程度の仲になっているようだ。


……その川崎が総会では俺に付いて挙手したのだ、一色にとって大きなダメージとなったに違いない。


「なら良いんだけど……あの子結構ショック受けてたみたいだからさ……」


それを心配していたのか……律儀なやつだなぁ……


「それに大志が生徒会に入るとか言ってるし、なんかそこがゴタゴタしてたら心配じゃない?」


あー、そこで弟に繋がるのか……相も変わらぬブラコンっぷり……引くわー……


いい加減、こいつも弟離れする時じゃないですかねぇ……もうほんっと見苦しい。


「それも心配いらねーよ。あいつ結構生徒会の適性あるんじゃねぇかな。……生徒会メンバーの覚えも悪くねぇんだぞ」


昨日も、実に自然に生徒会メンバーに溶け込んでいた。覚えられていないのは名前だけである。


「……そうなんだ……まあ、あんたもいるし、言うほど心配してないんだけど……」


「……あ?」


「あ!……いや、これは違くて……!あんたがいりゃ反面教師っていうか、そういう悪い意味で……安心って思ってるだけ」


……川崎さんは、一体俺をどういう目で見ているんでしょうねぇ……


ただ、誤解があってはいけないところなので、こいつには言っておこう。


「……いや、それなんだが、俺はもう生徒会から手を引こうと思っててよ」


「え?……それまずくない?」


川崎は切れ長の目を大きく見開く。


「……お前、弟を信頼してんのか馬鹿にしてんのかどっちなんだよ」


「いや、そうじゃなくて……その……一色とか、大丈夫なの……?」


「……普通に大丈夫だと思うが?」


……何を言ってるんだろうか……こいつは……


つか、なんでここで一色の話が出てくるのかも、よくわからんし……


訝しげな視線を送ると、川崎はわたわたと手を振りながら返してくる。


「い、いや、よく分かんないんだけど、あんたと一色って……」


川崎が口を開きかけた時、階下からガチャンと扉の開く音がする。何者かが屋上に侵入してきたのだ。


「……!」


「――!」


エマージェンシー!


その音を聞くやいなや、俺達は特に申し合わせたわけでもないのに、ばばっと同時に身を伏せ突然の侵入者を警戒する。


あ、いや、なんでこんなことしてるんでしょうね……俺達……


見やると、同じようなことを考えていたのか、川崎も羞恥に顔を赤く染めて、明後日の方向を向いている。


なんか、どっか似ているところがあるんだよなぁ……できれば他のことで気付きたかったが……


とまれ、屋上に入ってきた人物に目を向けると、それは俺がよく知るところの二人だった。


二人はフェンスの近くまで歩を進めると、少し距離をとって会話を始める。


「……すみません、葉山先輩、こんなところにお呼び立てして……」


「かまわないよ、いろは。……それで用っていうのは一体何なんだ?」


一色と葉山の二人である。


「あれ……一色と……それに去年同じクラスだった……なんて言ったかな?なんかキラキラした……有名な奴……」


川崎にしても知った顔の二人だ。陰から驚愕の顔を向けている。


……っていうか、すげぇなこいつ……学年変わるだけで葉山の名前忘れちゃうんだ……


そんなんだから名前を覚えてもらえないんじゃないですかねぇ……


しかしこの組み合わせ……もしかしたらアレかもしれませんな……


「……告白タイムが拝めるかもしれんぞ」


言いつつ、あまり楽しい気分にはなれない。


「……え、えっ!?あの二人ってそうなの?ってあれ……?」


「うむ、以前に俺はキューピットとして一色を支援していたことがある……」


「……あんた、そんなことまで……」


……などと、呆れた顔を向ける川崎さんですが、キューピットは言い過ぎにしても、葉山をダシにいろいろ利用していたことはある。うん、本当にキューピットは言い過ぎた。


だが俺が今回、あいつのために動いていたのは、ほんのちょっとばかりは葉山との進展を気にかけての事と言えなくもないこともない可能性が無きにしもあらずという言い方もできるのだ。



昨日、決心がどうとか言っていた気もする。タイミング的におそらくこの件を指しているのは間違いないだろう。


……しかし、腑に落ちないところもある。


一色は一度、葉山にこっぴどく振られている。その後も周到に手を打っていたのかもしれないが、ここ最近で、何か大きな進展があったようにも思えない。


ここで再アタックをしたところで、結果はかつてのディスティニーと同じ事にしかならないのではないか?


あまりに無謀だ……


一色よ、余計なことはやめておけ。


今はまだ、自分のプレーの向上のみに専念する時。そんなことをするのは十年早い。


(しかし、一色は精神的に油断が生じているのか? だとしたら、先は長くないぞ)


……なんとなく敗戦ムードを感じ取り、自分の事でもないのにヤキモキとした想いに煩悶してしまう。


「……お話っていうのはサッカー部のことで……本当に、こんな大事な時期に申し訳ないと思うんですけど……」


「……」


「サッカー部……退部させて欲しいんです」


「……!」


……な、なんじゃそりゃ……辞める?サッカー部を……?


さらりと一色の口から出た言葉に、自分でも意外なほど動揺してしまう。思わず伏せるのを忘れ、上から二人の表情を窺う。


「これから二回戦だっていうのに……勝手なのは分かってるんですけど……」


「……そうか……いや、そう言うんじゃないかって思ってたけど……この前の試合も来れなかったみたいだし……生徒会か?」


葉山の言葉に、一色はコクリと頷く。


「……ちょっと生徒会が忙しくなっちゃって……良いですかね?」


一色の退部願い……昨日言っていた決心とは、この事だったのか……


……しかし一体どういうつもりなんだ、あいつ……


「いろはが決めたことだろ?俺が止めることはできないよ」


葉山は一瞬驚いた顔を浮かべただけで、それをあっさり了承してしまう。


その態度に、俺は少し苛立ちを覚えてしまう。


一色が軽く見られている……ほとんど反射的にだが、そう見えてしまったのだ。


気付くと拳を軽く握りこんでおり、手汗が酷いことになっている。


「……本当に、すみません」


「謝らなくていいよ……それより聞いていいか?いろはのそれって……あいつの影響かい?」


「あ、いや!それは関係有るような無いような……でも、多分、そういうんじゃなくて……」


手をバサバサと横に振り、一色は葉山から顔を背ける。


「今後は生徒会一本でやっていこうかなって……結構いろいろやれる事もあるみたいですし……」


「今までも両立して来れたじゃないか……マネージャーは辛かった?」


「そんなことないですよ!サッカー部のマネージャー……やり甲斐は有るんです!せっかくここまでやってきたのに……っていうのもあるんですけど……でも、だからこそ、真剣にやるのなら、どっちもなんて出来ないのかなって思って……」


「……そうか」


「……勉強も、もうちょっと頑張ろうかなーって……生徒会長なのに成績悪かったら、なんか格好つかないですし……大学も国立じゃなくても、そこそこ良い私立に行けたらなーって、ほら!生徒会長やってたら推薦とか有利じゃないですかー?」


「まあ、いろはは勉強あんまりだったからな」


「えへへ……あれも、これもじゃ、きっと何も手に入らないのかなーって……」


てへりこと笑う一色は、呆れるほどにいつもの一色に見える。


そんないつもの一色の言葉に、どういう訳か心が揺れ動いてしまう。


……俺の思っていたのとは、随分と違った画をあいつは描いていたのだ。


サッカー部を捨ててまで、生徒会に思い入れが出来たということなのだろうか……?


しかし、以前に書記ちゃんと見たサッカー部での一色も、それはたいそう魅力的に輝いていた。


あれを捨てるほどのものを生徒会に見出したというのだろうか……?


依然、頭には疑問が絶えず浮かび出て、うっかり会話を聞き逃しそうになる。


「……でもいろは、勉強の方はともかくさ、君がこれからやろうとしていることは……どんなに頑張っても、誰も見てくれないかもしれないよ?」


声音こそ優しいが、葉山が一色を見る目はぞっとするほどに冷たい。


あれは時折、俺に対して見せる……蔑みを含んだ視線だ。それを今、あいつは一色に放っているのだ。


そのことに、少し身震いしてしまう。


「誰も気付いてくれない……誰も評価しない……いろはがやろうとしているのは、そういうものなのかもしれない」


「……」


ところどころ、何を言っているのか分からないところがある。


一色と葉山の関係性は、俺より遥かに深いものだと思う。二人の間でしか通じない言葉というのが有るのだろう。


それでも、この問いは一色に対してふさわしくない気がした。


これではまるで……


「……違うんです……そういうんじゃなくて……いや、そりゃ評価してくれたら、それに越したことはないんですけども……」


「……」


「……」


葉山から放たれる身の竦むような視線を受けて、なおも一色は真っ直ぐな目を向けている。


固唾を呑んで、言葉の続きを待つ。


「葉山先輩が思うより、もっと我侭な理由で……きっと、がっかりするような……訳わからない理由なんですけども……」


「いいよ、聞かせて欲しい」


「……わたしは、知りたいんです」


「――!」


ゴクリと唾を飲み込もうとするが、口の中はカラカラに乾いており、空気の固まりだけが胃に入っていく。


「見て欲しいとか、理解されたいとか、そういうのも欲しいは欲しいんですけど……そうじゃなくて、それよりも」


「……」


「分かっていたいんです……それで、目移りしてたら、見逃しちゃいそうで……それだけは嫌だなーって……」


「……そうか」


一色が何を言っているのか、わからない。


……にも関わらず、胸が早鐘を打つように、激しく揺れ動いている。


鳴り止んでくれと胸を抑えるのだが、まるで自分のものではないようにドクドクと激しく脈打つ。


「……あんた、凄い汗……」


我を忘れて一色の様子を窺っていると、そっと額に触れたものが一瞬何なのか分からず、過剰に体が反応する。


思わず声のした方向をがばっと振り向くと、思ったより近くに川崎の顔があり、その額に鼻を強打してしまう。


「うおっ!」


もんどり打つと弾みで手元に置いていたマックスコーヒーの缶に手が当たり、まだ中身が残ったそれは放物線を描いて階下に落ちてしまう。


まもなく高い音を立てて缶が床面を叩くと、なんとも間の悪いことに、ちょうどコロコロと二人の間に転がっていく。


ま、まずい!


俺は急いで川崎の頭を手で抑え、二人して再び身を伏せる。


気付くと、いつの間にか俺が川崎に覆いかぶさっている形になってしまっている。


川崎はアワアワとした様子で俺を見上げる。こちらも大変恥ずかしいのだが、今はそれどころではない。


「……ん?上に誰か居たのかな……」


そんな葉山の声が聞こえてくる。


まずい流れである。川崎を見やると、顔を真っ赤にして気まずそうに目を逸らしている。


ふとこいつが手に持っているものを見て、額に当たったのがハンカチだったことに初めて気付く。


「あ、や、ゴメン……汗すごい掻いてたから……」


「こっちこそすまん、異常に焦っちまった……」


「それより……この体勢……」


ボソボソと話し合っていると、階下から不穏な声が聞こえる。


「これってマッカン……まさか……!あ、葉山先輩、上見ないでくださいねっ」


そんな一色の声の後に、続いてカツカツと梯子の軋む音がする。


「せんぱーい!そこにいるんですよねー!」


不審に思った一色がどうやら登ってきているようだ。クソッどうしてだ……何故俺だと分かる……!


まずいと顔を上げると、鼻の奥が何やらムズムズとする。


さっき川崎さんとガッチンコしたのがまずかったのか、鼻の奥から鉄の匂いが充満し、さらりと何かが通り過ぎるような感覚を覚える。


鼻血だ。


――いかん、このままだと川崎のシャツに血が垂れてしまう。


俺は鼻血の落下地点を予測し、そこに素早く手を差し入れる。


「うおっっと、危ねぇ……!」


「○□△x□x○x△x○x~~~~~~~!?」


……間一髪である……


なんとか川崎のシャツに染みを作る前に、鼻血を手の甲で受け止めることが出来た。


残った手で急いで鼻をつまむ。


さすが俺だ……この状況判断力、俊敏性、高貴な徳性……余人の及ぶところではない……


何か下では川崎が顔を真っ赤にして、声にならない声を発しているようにも聞こえる。


更に鼻血を受け止めた掌からは、何か幸福を象徴するような感触が走っているような気もする。


「もーー先輩!いつもキモいことしてるなーとは思ってましたけど、今日の出歯亀はあまりにも趣味が……」


……と、そこで一色が、実に素晴らしいタイミングで俺達の居る所まで登ってきた。


見る間に、さっと顔色が引いて、その動きが固まる。


「あ、あ、あの、あの、お二人は……そ、そ、そこで……なな何を……」


「ああ、それなんだが……」


……ふむ


この状況……見ようによっては、俺が川崎に覆いかぶさり、鼻血を垂れ流しながら、胸を揉みしだいているように映るかもしれない。


一色さんがアホみたいに口をパクパクしながら、間の抜けた顔でこちらをご覧になっておられる辺り、彼女にそのような誤解を与えているのは自明の理である。


また川崎にしても同様にアホみたいに口をパクパクしている。


間近にいたこいつの事だ。一色と同じ誤解を抱いているとは思わないが、しかし何か曲解があるのは火を見るより明らかである。


誤解も曲解も一つの答えではある。


なのでそれ以上は解きようがない。問題はそこで終わってしまっているのだから、言い訳は無意味だ。


俺は一色と川崎にそれぞれ視線を寄越すと、鼻を抑えながらすっくと立ち上がる。


促されるように、川崎も胸元を抑えながらのろのろと立ち上がる。


……しかし俺を見る目は肉食獣のように鋭く獰猛である。


梯子に足をかけたままだった一色も、何かを察したのか、トトと走り寄り、川崎の横に並び立つ。


……しかし俺を見る目は獲物を狙う猛禽類のように残忍な光を宿している。


……うん、これマジなやつですね……


「おーい、いろはー!大丈夫なのかー!そっちで何が起こってるんだー!?」


階下から葉山の声がする。


うん、こっちではね……それはもう凄いことがこれから起ころうとしてるんですよ、ええ……


「……まあ、なんだ、言い訳はしねぇよ」


しかし、今回の件で、俺は改めて一つの教訓を得ていた。


言い訳が無意味なら、誤解が解けないのなら、失ったものが二度と手に入らないのなら……


問い直せばいいのだ。


新たな答えを導き出せばいい。


……正しい答えを知るために。


俺は立っている位置から五歩ほど下がると、川崎の前に膝をつき、次は手を床につけた。


腰を伸ばし、顎を背筋に合わせたのちに、深々と頭を下げる。


「……本当に、申し訳ございませんでした」


土下座……それは命への執着の究極形態、つまり命恋(いのちごい)である。


「……」


「……」


正しい答えから逆算すると、採るべき行動はこれしかないと思ったのだが……


――結論から言うと、酷いことになった。


昔、会い始めの頃の川崎さんは、スカートの中を拝見する機会があっても、蹴るでもなく殴るでも無く、大変冷めてらっしゃったのに、今や顔を怒りで赤く染め、言葉にならない言葉を発しながら、俺に乱打を浴びせる始末。


彼女の昔と今……


一体どうして差がついたのか……慢心、環境の違い。


ともあれ、制裁の雨嵐の中、止むことがないと判断した俺はこの区画からの脱出を試みる。オウフ。


何、たいしたことはない。ただの致命傷だ。


「ちょっと先輩!何処に逃げる気ですかー!」


あと、何故か一色が制裁に積極的に加わっていたのも理解に苦しむが、しかし今はそんなことを言っている場合ではない。


暴力系ヒロインという安易なキャラ付けが如何に作品を陳腐にするか警鐘を鳴らす意味でも、ここは退避を最優先するのがよろしかろう。


しかし梯子に手をかけるも、制裁のダメージは如何ともしがたく、握力を失った手がずるりと離れ、半分転げ落ちるように階下に降りる。


「うっ、うう……」


着地をしくじり、膝の痛みにもんどり打っていると、ずっと階下にいた葉山が呆れたような顔で俺を見下している。


「……」


……お、俺を哀れむな! キサマごときに 何が分かる!


という台詞が咄嗟に思い浮かんだが、大変面白い絵面しか思い浮かばないため、やむなく断念する。


「……そうやって、人を変えていく」


依然、あまり格好いい絵面ではなかったが、葉山は俺を見下ろしながらそんなことを言う。


「そして君は……変わらないって訳か……」


「……当たり前だろ、人間がそんな簡単に変わってたまるか」


直ちに立ち上がってそう返す。


……せめて、葉山と同じ高さの目線で。


俺が一色にくだらないと断じた価値観を、おそらく、こいつは未だに奉じているのだろう。


それがどんなに恐ろしい事かと、想像するだに身震いしてしまう。


それでも、俺はこいつを認める訳にはいかない。断じて認めてはいけないのだ。


「どっちだって話だよな」


苦笑する葉山だが、まったく、何も面白く無い。


こいつって家帰ってテレビで漫才とか見るのかな……?


「あっ!葉山先輩、その人捕まえといてください!」


上から一色の声が飛ぶ。見やると梯子に手をかけこちらに向かおうとしている。


その後ろからは川崎がゴキゴキと拳を鳴らしており、追撃戦の構えにあることが窺える。


怖いあの人……ラスボス感半端ない……


俺はすかさず梯子の真下に位置し、ギロリと鋭く睨み上げて二人の行動を牽制する。


しかし葉山は、一色のその言葉を無視すると、身を翻し片手を上げて告げる。


「いろは、退部の件だけど他のマネージャーの子達には俺から上手く言っておくよ。……だから頑張れよ、生徒会」


「……あ、はい……ありがとうございますっ!」


一色は給水塔からペコリとお辞儀して謝意を述べる。


「……って、先輩、そこどいてくれないと、わたし達降りられないんですけども……」


一色のその言葉を無視して、葉山の方を見やると、依然背中を向けたまま俺にも声をかけてくる。


「比企谷、いろはのこと……頼むな」


「……アホか、心配なら鈴でも付けとけ……俺は面倒見ねぇぞ」


そう返すと、葉山は首だけこちらに振り返る。


「……もうひとつ聞いていいか?」


「……なんだよ」


「君が今回動いていたのは……どうしてなんだ?」


応じてやる義理もないのだが、その目には真剣さが孕んでおり、結局、気圧されるまま正直に答える。


「……自己満足だよ。……お前と同じだ」


言うと、葉山は再び前を向き、小さく肩を震わせた。そしてそのまま出口まで歩を進める。


あれは怒ったのか、笑ったのか……いまいち判別がつかない。


なるほど確かに面倒くさい男である。


……あいつとは、また何度か、こうしたやり取りを行うことになるかもしれない……


そんな予感を抱きつつ、後ろ姿を見送っていると、突如、ドアの近くに設置された窓がぱっと赤く染まった。


葉山はぎょっと肩を跳ね上げると、急いでドアを開けて棟内に駆け込んでいく。


尋常ではない気配を察し、葉山に遅れることしばし、俺も後を追うように出口に向かう。


棟内に入り、振り返って内側から窓を見ると、そこには血のような塗料が窓ガラスにぶちまけられている。


あたかも猟奇殺人の現場のような禍々しさに、ぞっと背筋が震える。


……一体何があったのか……。


「ちょっ、海老名!マジであんた自重しないと命落とすし!」


「早く保健室に行こう!いくらなんでも出血が多すぎる!」


ブルブル震えていると、階下からドヤドヤと物騒な話し声が聞こえる。


そっか……これ塗料じゃないんだ……今日は鼻血に縁がある日だなぁ……


それにしても、一体何が海老名さんの琴線に触れたのか……絶対に分かりたくない……


「先輩!何があったんですかー?っ……て、わわっ、な……何ですかこれ!?怖っ!」


まもなく一色が訪れ、俺と同様に窓を見て腰を抜かす。


「――!」


続いて入ってきた川崎に至っては、窓に視線を向けるやいなや、ガクリと膝をついてそのまま昏倒してしまう。


相変わらずのチキンハートである。


……こんなですけどね、根は本当にいい子だと思うんですよ、ええ……


それにしても、屋上に訪れまだ時間にして10分かそこらしか経っていないはずなのに、この惨鼻を極めた有様には戦慄を禁じ得ない。


……これらの後始末は……一体誰がするんでしょうねぇ……?



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



後に「血の昼休み」と語り継がれる事件(通称BL事件)のあった、その日の放課後のこと。


いつもの習性で、俺はついうっかり駐輪場まで足を運んでしまう。


今朝は雨が降っていたため電車で通学したのを、辿り着いてから思い出したのだ。


「アホか俺は……」


と、ひとりごちつつ、戯れに傘の足をベシベシと蹴りながら校門とは逆方向に歩を進める。


ちらりとグラウンドを覗くと、サッカー部は既に練習を開始しており、葉山も戸部も泥だらけになりながらボールを追っている。


負ければ即引退ということだが、次の相手もいわゆる強豪校ではないようで、勝機十分とは戸部の弁。


……まあせいぜい頑張ればいい。サッカー部の進退など俺には死ぬほどどうでも良いことだ。


試合を経る中で、これまで使用していた3-4-3システムの問題が浮き彫りになり、次の試合までにフォーメーションに調整を加えるそうだが果たして間に合うかどうか……などという部内の事情も、心の底からどうでも良かった。


……脇を見れば、相変わらずマネージャー達が声を張っていたり、甲斐甲斐しく働いているが、その中に一色の姿は無い。


今頃はおそらく、生徒会室で職場見学会の準備や引き継ぎに奔走しているのだと思われる。



昼間、たまたま目にした一件……


本当に驚いてしまった。


先日から、一色には心を揺れ動かされてばかりである。


もれなく肉体的苦痛や、精神的外傷を負うような事案が付いて回ったため、その時々はいまいち深刻になれなかったのだが……


ともあれだ。


一色の望むものは、生徒会の付近にあるのではないか……という予感は以前からも漠然と抱いていた。


それでも、まさかサッカー部を退部するとは思わなかった。


またも自分が、けしかけたせいではなかろうか……と思いもしたが、それはさすがに自意識過剰というものだろう。


あるいは次の言葉が無ければ、そう考え、今ごろ懊悩していたかもしれない。


一色はこうも言ったのだ。


――知りたいのだと。


――分かっておきたいのだと。


俺が心中で、幾度と無く叫び、欲したもの。


自分でもあまりにおぞましい気がして、声に出すのも憚られ、ずっと心に秘めていたもの。


そんな言葉を、一色はあの葉山と対峙し、臆すること無く堂々と言い放った。


今思い出しても、心が乱れ、胸は高く脈打ち始める。


知りたいとは何を指すのか、主語が曖昧ではっきりとは分からなかったが……


しかし、向かう先は違うのだとしても、俺が求めるものと種類は似ているのだろうと思う。



……共有するものは一つだけではなかったのだ。


たかがそれだけの事に、心の中で何かが沸き立ってしまう。





正門の前まで戻ると、ちょうど下校ラッシュに鉢合ってしまい、わいのきゃいのと多数の生徒達で賑わっている。


立ち止まって話をしていたり、たらたらと歩んでいる彼らの間を、縫うように進み、さっさと門をくぐってしまう。


道に入ると、再び傘の足をペシンペシンと爪先でリフティングしながら、独り駅を目指した。





……道すがら、改めて考える。


これまで起こったことを、これから起こるであろうことを


そして、一色いろはという人物ついて。





……元々、生徒会長として高い資質があったのだろう。


クリスマスイベントに始まり、


進路相談会、フリーペーパー発刊、バレンタインの手作りチョコ講座、


卒業式、入学式、新入生のリクリエーションに、予算報告会、


関東の生徒会による交流会に……そして生徒総会。



様々な企画に携わっているうちに、一色いろはは生徒会長としての風格のようなものを纏いつつあった。


先の生徒総会、その壇上で好き勝手に振る舞いつつも、役員たちの力を引き出し、生徒たちの心を掴んで、次々と決議を進めていく……


そんな彼女の姿が今も記憶に新しい。


それに纏わる多数派工作で、自分に見せた奸計の数々。


……危うさを見せたり、迷走することもあったが、同時に頼もしさも覚えたものだ。




去年の冬、奉仕部が瓦解の危機にあった時。


こちらの都合など我関せずとばかりに、浅ましくも袖で涙を拭いながら戸を叩いたあの姿を、今は懐かしく思う。


かつて由比ヶ浜がそう評したように、彼女については、今度こそ心配はいらないのだろう。



……被害者の会は最後の役目を終えた。


もはや補助輪は不要のはずだ。


たとえ形は残っても、実質的な意味で、俺と彼女が交わることは、もう二度と無いのだろう。





『責任、とってくださいね』


なんとも甘痒く……しかしずっと、しこりのように残っていた言葉。


それでも、長年仕舞い忘れた荷物を片付けた後のような……


得も言えぬ清々しさと、やり遂げた充足感があった。




そして、今後の彼女の行く末に思いを馳せる。


胸の高鳴りは抑えられない。


沸き立つような……それは期待や希望と言い換えても良い。




彼女はこれから何を選んでいくのだろう。


何を捨て去っていくのだろう。


何を知り、何を分かり、そして何を希うのだろうか。




短いながらも、同じく時を過ごした。


朧気ではあったが、彼女が望む原型のようなものを既に俺は垣間見ている。


それは受容性に富み、


明るく、爛漫で、


誠実で、暖かく、


時に冷静で、打算的で、


それでいて親しみ易く……


……そして、ほんの少しのスパイスが入っていた。



既に俺は確信している。


彼女が生徒会長を続ける限り、象られたものを、いつか知ることが出来るだろう。


遠く離れたところでも、きっと見ることが叶うだろう。


そして、その時、俺は苦笑しながら思い出すに違いないのだ。






ほんの一時の間……


『一色いろは・被害者の会』という、


奇妙な同好会があったことを――


















……そんな風に考えていた時期が、俺にもありました。



「せ~~んぱいっ!」


「……うぉっ!?」


手が滑り、つま先で叩いていた傘が支点を失い、大きく前に蹴りだされる。


低い弧を描いたのち地面に叩きつけられた傘は、拍子にボフッと滑稽な音を立てて開いてしまい、前を歩いていた生徒達を驚かせる。


……フ、フヒ!サーセン!


「……何やってるんですか……先輩……」


慌てて拾いに走り、いそいそと傘を閉じる俺を呆れたように見ているのは、誰あらぬ生徒会長・一色いろはである。


「……いや、お前こそ何で居んだよ……」


ジト目で睨みつけるも、一色は堪えた様子もなく、人差し指を唇に当てて目線を上げる。


その一挙一動の全てがあざとい。


「だって……先輩、被害者の会の教室に居なかったですし……」


「……いや、それお前がここにいる理由になんねぇだろ」


「それで外見たら、先輩がなんか帰ろうとしてましたし……サボりはよくないですよー!」


「いや、それも理由になんねぇからな……」


言いつつ、一色も鞄を肩に掛けており、完全に帰宅体勢である。


いずれにせよ戻る気はないのか、並んで二人、駅を目指して歩き出す。


もう……この子ったら本当に……


「……お前……職場見学会の準備とか引き継ぎ……めっちゃ忙しいって副会長に聞いたんだが……」


「んー……でもわたしって、そういう仕事あんまり向いてないじゃないですかー?今日は穴アケしても問題ないかなーって」


生徒会一本にすると宣言したその日からサボタージュとか……


なんという怠慢……嫌だわ……この子、本当に一体誰に似たのかしら……?


「ったく、初日からお前は本当に……」


「あっ……昼……話、聞いてたんですよね?」


「……お、おう、まあ偶然だけどよ」


「先輩!そういう訳なんでー、これからは生徒会一本で行きますよー!」


「だったら、いきなりサボってんじゃねぇよ」


「……いいんですよ……生徒会長なんですから!……それにあまり上が頑張ってると、下の人の息が詰まるじゃないですかー?」


よくこんなことを真顔で言えるものである。


この厚顔無恥……、バックラーとしての名を恣にしている俺もビックリである。


こいつと一緒にバイトとかしたくねぇなぁ……


「良かったのかよ、サッカー部……」


「……もちろん、悩みましたよ……でも、聞いてたんですよね?真剣にやるなら……やっぱりどっちかを選ばなきゃいけないのかなーって」


「……まあ、いいんだけどよ。ちゃんとお前が知ってて選んだんなら」


「ふふ……そうです。いいんです。それにただサボってるわけじゃないですよ。生徒会活動の事でー、ちょっと先輩にお願いしたいことがあるんですよねー♪」


……さあ、早速来ましたよ……?


以前までの俺なら、ここで一色の脅迫や、恐喝、パワハラ等など、非道な手管の数々に為す術もなく屈していたところだが……


今日からの俺は一味違うのだ。


「……断る」


「……でも、先輩、前にした約束覚えてます?」


「……?」


はて、何の事だったろうか……?訝しげにしていると一色は小悪魔な笑顔を浮かべる。


「わたしが勝ったらー、先輩が一つ何でも言う事聞いてくれるんですよねー?」


あー、なんか合ったな、そういえば……そんなの……


しかし、そうであるならば何の問題もない。


「賭けは俺が勝ったから、それも無しだ。……残念だったな」


クールにびっと手を上げて、一色の前に出る。


今回のバトルは自分でも恐ろしいほどに……徹頭徹尾、俺のターンだった。


小悪魔ビッチに格の違いを知らしめる、まさに圧倒的勝利だったといえよう。


「……は?何言ってるんですか……?」


……だというのに、一色はあたかも俺を干からびた両生類でも見るかような視線を向けている。


な、なんなの、この後輩……


街の人百人に聞いたら九割ぐらいは俺の勝ちって言うと思うんだけど……


「……だって、廃止になったじゃないですか。わたしの勝ちだと思いますけど……」


……なるほど。


そういった、実に表層的な一面だけを切り取って判断している訳だな……


一色は少し頭が可哀想なところがある。


この重層に入り組んだ、複雑なゲームのルールを理解出来なかったとしても無理は無い。


……しかし、ここは俺がきっちり指摘してやったほうが良いだろう。


きっとこいつにとっても、将来の財産になるはずだ。


「……廃止が決まった時、わんわん泣いてたくせに……ありゃ勝者の顔じゃねぇよな」


「……!」


ニヤリと口の端を歪めて指摘してやると、一色の顔がぶうっと膨れる。


わぁっ!言ってやった言ってやった!


「そ、それとこれとは話が違うじゃないですかー!あの時の賭けでは、とにかく廃止になったらわたしの勝ちってことだったじゃないですかっ!」


なんと表面的な理解なのか……


可哀想に、知能が低いのだろう。


「街の人百人に聞いたら九割ぐらいはわたしの勝ちだって言いますよー!」


……な、何を言う、こいつ……!


「お前な……前に教えただろう、少数派を軽んじるもんじゃねぇよ」


「それとこれとも話は別ですし……」


つーんと一色は俺から顔を背ける。


……なんだか、話せば話すほどに距離が離れていくようだ。


「……ま。今回の勝負はノーカンてことでいいんじゃねぇの」


「そ、それだけはダメですっ!」


言って、一色はトテテと走り、いつもの如く俺の袖を掴もうとする。


……が、その指は虚しく空を切る。


「……あ」


半ば、反射的に手を伸ばしたのであろう。しかし生徒総会を節目に、六月からは夏服に移行しており、今日の俺は半袖のシャツ一枚だ。


いつもこいつが摘んできたジャケットは、今ごろクリーニング屋でドライ処理をされていることだろう。


「……」


「……えい」


しかし、一色は少し逡巡したかと思うと、思わぬ行動に出た。


間もなく、ヒヤリと掌に冷たい感触が広がる。


続けて指と指の間に、これまた一色のものであろう冷たい感触が差し込まれていく。


要するに手を繋いできたのだ。


「……」


「……」


しばし互いに沈黙する。


困るわ……こういうの、すごい困る。


これって、アレみたいじゃないですか……


なんていうの……下校デートってやつ?


まあ、こいつにとっては男子と手を繋ぐなぞ、なんでもない行為なんだろうが……


なんだろうが……困るわー……


ちょ、ちょっと一色さん?私恥ずかしいのだけれど……


と、一色の方を見やると、当の本人も耳まで真っ赤に染めて俯いている。


……は、恥ずかしいならやるんじゃねぇよ……


どんな顔を向けていいかわからず、思わず明後日を向いてしまう。


「い、良いんですよ……最近は……お昼も一緒じゃなかったですし……生徒会にも来てくれませんし……だから、これぐらいは問題無いんです……」


一色も明後日を無いたまま、そんな訳のわからないことを言う。


まったく何の理由にもなっていない。


しかし振りほどこうとするも、ぎゅむっと強く握られていて離すつもりはないらしい。


なんだか、周りにいる下校中の生徒にもジロジロと見られている気がする。


……一色にとって、気安い生徒会メンバーはもうすっかり身内なのだろう。


昨日がそうだったように、割りと本性やら醜態やらを明け透けに見せてくるのだが……


……しかし、こんな公衆の面前で、こ、こんな破廉恥な行為に及ぶなんて……!


一色の知名度は高い。良からぬ噂が立ってしまうような気がするのだが……


思わず苦笑が漏れる。


……昨日、さんざん思い知らされている。


こうなったらテコでも離さないのだ……こいつは……


「なんでも一つ言うことを聞いてくれるって言ったじゃないですか……だから……一緒に……一緒に居てくださいよ……」


依然、顔を真っ赤に染め上げたまま、一色はボソボソと口にする。


目を向けると、一色の非難がましい視線とかち合う。


「だいたい先輩が……!」


黙って言葉の続きを待っていると、すぐにまた顔を逸らせてしまう。


「先輩と……」


俯きながら消え入りそうに。


「先輩に……見て欲しいんですから」


いかにも恥ずかし気に再びチラリとこちらを窺う。


一色はもはや首まで真っ赤になっている。


「お、おう……」


「……被害者の会……分かってますよね?」


「おう、わ、分かってるよ」


「週四ですからね。火・水・木・金です」


増えとる。


……それって、月曜しか休みがないんじゃ……あいつらに一体なんて説明したら良いんだ……


「……返事が聞こえないんですけども……」


「了解だ……会長……」


はぁーー……と深い溜息をつく。


……仕方ない。


どうせ俺のことだ。


離れて見守ったところで、すぐに気になって仕方なくなる。


知っておきたい、分かっておきたいと……きっと身悶えるに違いないのだ。


我慢は体に毒だ。


それならば……


「……わわっ!」


握られたよりも強い力で握り返してやると、一色ははっとこちらに顔を向ける。


「……しゃあねぇ。でも、賭けは俺の勝ちだろ……だから……」


――もう少しだけ、一緒に歩いてみよう。


共にいる限り、また傷ついて、傷つけられることもあるだろう。


押し付けて、押し付けられて、


勘違いして、誤解を与えて、


すれ違って、また諍いを起こすのだろう。


そして、いつしか、それも失って、また後悔をするのだろう。


それでも――