2016-05-16 00:13:58 更新

概要

トラック泊地シリーズ。
大和型の話。


前書き

※風邪でダウンしながら書いたんで、後半読みにくいかもしれません。





左指につけられた、きらきらと光る指輪をじっと見つめる。


不思議な感覚だ。

これは艦娘の成長限界を取り払う機能を持つ、れっきとした「装備」であるはずなのに

そんな血なまぐささは、毛ほども感じさせないのだから。



けれど、ぼうっとしている場合じゃない。

そろそろ提督に言われた時間だ。それまでに提督から何の連絡もなければ、私のもとへ来いと言われている。

目的地はショートランド泊地。

ここと同じ、この国の最前線の基地である。


そこに、あるひとりの艦娘がかくまわれている。



その名は武蔵。

大和型戦艦二番艦――武蔵。


この国が――大本営が消そうとしている、ある重大な機密を知ってしまった艦娘。



彼女を、護りに行く。


それが今日、ケッコンカッコカリを行った翌日に下された、提督からの命だった。








『おはよう、武蔵』


『……。ああ、おはよう、大和』


『……?何、その仏頂面は。何か気に障ることしちゃったかな?』


『いやいや、大和は悪くないさ……ただ、今日に限って寝坊した自分が恨めしくてな』


『……ああ、なるほどね。いいじゃない武蔵。寝坊するほどのんびり眠っていられるのも、今という時代のいいところよ』


『そういう大和はしっかり起きているじゃないか……今度から、ラッパの音色を目覚ましにしようか……』


『そうすると他の子も飛び起きちゃうわ。……そういえば、今日に限って……って言ってたわね。今日は、何か特別な日だったかな?』


『ああ、今日は――――――――』






照りつける陽の暑さで、目が覚めた。

ただでさえ黒い肌が、さらに焦げてしまいそうなくらいに熱を帯びているのがわかる。

……起きたばかりだというのに、少しの間、うたた寝をしてしまっていたようだ。


艦娘の肌は、厳密には生体ではないから、虫に刺されたりすることはないのだが

陽の光で焼けもするし、汗もかく。

体中に汗が張り付く不快感を感じながら、私は、木の幹から背中を離して立ち上がった。



――まもるも、せむるも、くろがねの


――うかべるしろぞ、たのみなる



なにやら、誰かが歌っている。


その澄んだ歌声の聞こえる場所へ、ざくざくと土を踏み荒らして進んでいく。

服がすべり落ちてしまわないように、歩きながらしっかりと袖を通した。

歩き続けていると、あるラインを境に、土がコンクリートへと変わった。



……大きな、大きな飛行場だ。


上空から差す陽光が、地面から照り返してくる。

滑走路の真ん中、海を臨みながら歌う黒髪の女性の姿を、そこに見つけた。



――うかべるそのしろ、ひのもとの


――みくにのよもを、まもるべし




大和。

……と、なぜかそう呼びかけそうになって、押しとどめて……彼女の名を、彼女へ向けた。


「……天原、提督」


私の声に気付いた彼女が、歌うのをやめて、機敏な動作で振り返る。

まるで烏が羽を広げるように、黒髪がばさりと舞った。


「おお、武蔵。起きたか」


遠方からでもわかる、その目力の強さと恐ろしさ。

右の前髪が異様に伸ばされて、片目が隠れているために、感じる印象が左の眼だけに偏り――

それでいて彼女の瞳は銀色で、猛禽類のような黒い縦筋が一本、真ん中に通っている。


およそ人間らしくない眼で、この上なく人間らしく無邪気に彼女は笑った。


「いや、起こしちゃ悪いと思ってな。ほっといたら、存外眠りこくっていてな。暇だったぞ」


かはは、と笑い声を響かせる。

かすかに開いた口からは、伸びた犬歯が見えた。


「……なぁ。ここは」


問いかけると、口を閉じ、笑顔のまま彼女は答えた。


「広くていい場所だろう?かつてはヘンダーソン飛行場と呼ばれていたんだ。尤も、今じゃ深海棲艦どもの重要拠点となっているがね」


彼女が一望しながら説明するその内容を聞いて、私は、ようやく自分の現状を思い出し、把握した。



「ああ」



「……私は、お前に、拉致されたんだったな」



天原は、何と答えるでもなく、ただ、こちらに向かって優しく微笑みかけた。






『ふふ…………うふふふ…………』


『……ぅわっ!?大和……どうしたんだ、気色の悪い笑みを浮かべて』


『あっ、武蔵?気付かれちゃった?うふふふふふふ』



『ねえ、武蔵』


『……顔も知らない妹に会える、としたら……あなたは、うれしい?』


『…………なんだ?それ。』


『ううん。ただ風の噂で耳にしたのよ。……未成艦娘の存在を』


『何の裏付けもない、ただの与太話――なんだけど、私はなんだか、その話が本当な気がしてならないの』


『……未成……艦娘』 


『そうだな…… ……本当に……本当に会えるなら』


『それほど嬉しいことは、他にないだろうな』



そうしてほほえんだわたし。


ねえさんもわらっていた。






知られてはならない情報を知ってしまった艦娘が、

口封じのために解体や暗殺されることが

昨今ではそう珍しくないということを、最近知った。


その話を聞いて真っ先に疑問に思ったのは、

「それほどまでに知られたくない情報があるのか」、ということだった。

私の提督の正体は軍事機密だ。

それが誰かに知られれば、あるいは悟られでもすれば

その誰かは提督の生まれまで遡り、

かの非人道的すぎた作戦まで知る可能性もある。

それを避けるために、提督は自分の艦名を名乗ることを禁じられ、

ずっと「天原」として生きてきた。


けれど、秘書艦である私や相棒たちは、皆提督の艦名を知っている。

彼女の旧友に関しては、艦名で提督のことを呼ぶものさえ居る。

そんな彼女たちがなんの処罰も受けず、

しかしてここ、ショートランドの艦娘がひとり、

軍事機密を知ってしまったがゆえに処分されかけていることが

私にはどうも不思議でならなかった。


あの作戦よりも、もっと知られたくない情報。

いったいそれがどんな情報なのだろうかと、

私はぼうと考えていた。

それを聞き出すのは至難の業だが、

するだけの価値はある。


赤道直下のこの島は、じりじりと陽が照りつけて

そのうえ高温多湿であり……じめじめとして暑い。


ぐいと汗をぬぐいながら、

私は、その「彼女」のもとへ向かっていた。







「…………」


宿舎の戸を叩くが、返事は無い。

風が吹き、ざわざわと木々がゆらめく音と

私の中指の第一関節が鳴らす音がむなしく響くだけ。

その上、扉の向こうからは人の気配を感じない。


「……あっれ。報せは送ったはずなんだけどな。留守っぽい?」


来客が来る時間にちょうど留守というのも、

軍に従事する者達がすることではない。

扉を叩くのをやめ、少し考える。

突然の敵襲に全員が出払ったか、

あるいは単純に私たちへ向けた無礼なのか、それとも――


「……逃げたか?」


いくら処分を待つ艦娘を抱えているとはいえ、

泊地から揃って敵前逃亡など、

もはや国家反逆にも等しいっぽい……などと、物騒な予測をたてていると

いやに静かなこの場所に、

気配を明らかにして近づいてくる者が居ることに気づく。

感覚で捉えた。



――右手を真後ろへ突き出し、

背中に突きつけられているであろう拳銃の銃口を握る。

その勢いのまま振り返り、不馴れな不意打ちを行おうとした無礼者の顔を拝んでやった。


「いっ……!?がッ――――!!!?」

 

その男は、なんというか、特徴の無い顔だった。

軍人らしくない。そも、戦場に出たことがあるのだろうか?


銃口を持つ手をちょいと捻ると、

そのまま拳銃を握る腕まで巻き込まれて捻られていく。

突然の反撃に反応しきれず、されるがままに腕を捻られたそいつは

白い軍服を着た小柄な男だった。


「……んあ?……大佐?」


肩章の星の数と線の引かれ方を見て、そう判断する。

痛みに悶えているままの彼は、ようやく無意識に拳銃から手を離した。

捻られた腕は、それだけで簡単に元に戻った。


「……こッ!!ここに、何の、用だッ……駆逐艦ッ!!」


艦娘の――否。

「私」の力で捻られた腕が激しく痛むのか、

肘を地面についた、格好のつかない体勢のまま啖呵を切る彼。


駆逐艦、と呼ばれたことに少し違和を覚えた。


「……報せを把握してないの?トラック泊地総旗艦、白露型駆逐艦四番艦夕立。

 ――ここに来てるはずの人に用があって来たんだけど?」


夕立、と言ったあたりで彼は目を丸くした。


「……ゆう、だち?……馬鹿な。お前が、か……?」


そこに反応するのかよ、と呆れつつも、肯定する。


「そうだよ。背丈は高いし目は赤いし顔つきは悪いしで判別できなかった?

 けど夕立だよ。誰が伊達や酔狂でこの服を

着て武勲章をつけるものか」


腕の痛みがひき始めたか、苦悶の表情が消え、困惑したまま彼が立ち上がる。


「……妙な言い方に聞こえるだろうけど……面影は、確かにある。……艦娘が成長するなんて、僕は聞いたことがないぞ?」

 

彼の疑問は、私に対する至極一般的な意見だ。

しかし、もう説明するのにも飽きた私は

彼の疑問にまともに答えることはせず、

適当にはぐらかした。


「いるんだよ。現に目の前にいるだろ?……で?本題に入るけど、この宿舎の彼女は?どこに行ったのさ」


そう問いかけると、彼はいっそう神妙な顔をして

私に聞き返した。


「……ひとつだけ答えてくれ。君は、本当にトラックの艦娘なんだな?

 ――大本営の手がかかったもの、ではなく」 


その顔つき、その口ぶりで、合点がいった。

……彼が不馴れな奇襲をしかけようとしたのは、

あの宿舎にいるであろう彼女を守ろうとしたためだ。


軍事機密を知られ、消したい相手。

左遷で済ますことなく、戦死という形で

存在を残さずなかったことにしたい艦娘。

いずれ来るであろう、彼女を求める『来客』から

彼女を守るために、

彼は味方に銃口を向ける覚悟を決めていた。


「安心して」


ぽん、と自分の胸元に手を置いて。


「私は『掃き溜め』から来たんだよ?」


彼は、驚いたように目を開き、納得したように「ああ」とこぼした。



そのとき、私はしてやったりというような顔で

小柄な大佐を見返してやったが……


次に驚く羽目になったのは、私の方だった。







こぢんまりとした客間。

本庁……というよりも、喫茶店のような印象を受ける部屋だ。


その部屋の、真ん中の座席に腰かけ――

私と、小柄な提督、その秘書艦である加賀と、たまたま居合わせた伊58が、小さな丸いテーブルをかこんで座っている。


「ゆっ…………くえ、ふめい……ぃい!?」


ぐいっ、と体を乗り出して聞き返す。

対し、向かいに座っている彼はぐいっとのけぞった。


「提督さんとっ……武蔵がっ!?ぇえっ!?」


「はい。……現在、島中に索敵機を飛ばして捜索していますが……らしい人影は、見つかっていません」


とん、と机に湯飲みを置きながら、割烹着姿の加賀がそう言った。

向かいに座る彼――原提督の横に座り、ぐでーっと寝そべる伊58が続けて報告する。


「深海棲艦との白兵戦に使う特別製のソナーにも反応、なし。正直あれうるさいからあんまり使いたくないでち」

 

今も耳キンキンするでちぃ、と愚痴をこぼしつつ、原提督に差し出された湯飲みを口に運ぶ58。

日頃の疲れが溜まっているっぽい。


「……今日の朝、天原提督と話をして、彼女を武蔵のもとへ向かわせて以降……全く音沙汰がなくなって、今に至る

 ショートランドを預かる提督として、情けない話だが……」


「……武蔵と一緒に霧隠れ、か……あの人が何の考えも無しに姿を消すとは考えにくいし

 ………… 」


この滅茶苦茶な状況を、

湯飲みには手をつけず、じっと考えてみる。


私はそもそも、提督を迎えにいくという名目でここへ来た。

提督と私がここへ来るのに時間差があったのはそのためで、

提督はやがて私がここへ来ることを知っている。


そう。

他ならない、『私』、が。



消したい存在として疎まれている武蔵と、

消そうにも消せない目の上のタンコブである提督。

その二人が出会うことは、間違いなく大本営も把握しているだろう。

……だとすれば。


「……大本営が、すでに二人を追ってここに来た、って可能性は、ある?」


横目で割烹着の加賀に問いかける。

加賀はしばらく考えて、


「……ありうるでしょうね。本土からいくら離れているとはいえ、

 背後、すぐそばにはブイン、少し離れればラバウルがあります

 この時勢……通達を受けた艦娘、あるいは軍人が、

 私たちの目を盗んでここへ来る可能性は高いでしょう」


軍人の顔で、そう言った。


「……武蔵を消しに……もう来ていたかもしれない、と……」


こめかみを抑え、自分の無力さを嘆く原提督。


「だとしたら天原提督は、武蔵と一緒にどこかへ隠れたかもでち?

 お客さんの……敵の目の届かない、どこか?」


湯飲みを握ったまま、天井を眺めながら58が言った。

彼女がたてたその予測は、私と同じものだ。


「……ひとつだけアテがあるんだ。聞いてもらえるかな、原提督?」


「おかわり」「ありません」という加賀と58のやり取りを尻目に、

私は原提督の両の眼をしっかりと見つめた。


「……あ……ああ、言ってくれ」


「木を隠すなら森の中。敵を隠すなら敵の中……

 ………… たぶん二人は、もうこのショートランドには居ない」


原提督、伊58、加賀が私を見つめる中。

ほとんど確信に満ちた予測を、口にした。



「いるとしたら――――――」








「…………冗談だろう」


最初に口を開いたのは、原提督。


「いくら前線基地だとはいえ、ここからあそこまで、島ふたつ越えねばたどり着けないんだぞ!?

 何が潜んでいるかもわからん魔境に、戦艦と生身の人間がたどりつけるものかッ!?」


椅子を倒し、乱暴に立ち上がり、

困惑ではなく焦りを露にする。


私には彼が、どこかで私と同じ答えにたどり着いていたのだと解った。


「ふぉおっ」と声をあげて驚く58とは対照的に、

加賀は落ち着き払った口調で私に問いかけた。


「……可能、なのですか?……夕立。」


「あの人が本当にただの人間だったら、不可能だったね」


内容は未だ判ってはいないが、彼らは軍事機密を知ったお尋ね者だ。

ならば、重ねて機密を知ったところでたいした問題でもないっぽい。


「原提督」


目をあわせて呼び掛けると、彼は落ち着きを取り戻したのか

椅子を立て直し、腰かけた。


「こうなった以上、こちらの素性を隠すわけにもいかないっぽいし……

 ちょっとだけ時間を頂戴。あの人について、話すから」


応じ、黙ってうなずく原提督と、加賀。

神妙な顔でこちらを見つめる58は、返事せずとも承諾したのだろう。



――そうして私は話した。


あの人のことを、なにひとつ隠すことなく

私が知っていることすべてを、なにもかも。



きっと誰もが知りうるであろう、誰にも知らされない事実。

それを吐露したら、なんだかすこし、肩が軽くなったような気がした。








『ねえ武蔵』



『私はね。幸せなの』


姉さんが微笑んでいる。


ああ。

いつもと変わらない笑顔だ。


『だって、そうでしょう』


その笑顔が憎くて仕方ない。

こんな自分が恨めしくて仕方ない。



『私たちが命がけで護った未来を』

『生きてくれる子たちがいる』


『それだけで――』


『――私たちは、またここで、戦った意味があったわ』


また、なんて、言うな。

あなたはどうして笑うんだ。あなたはどこまで笑うんだ。


届け。


届けよ。


届いて、くれ。


『さ。最後の一仕事ね。足がなくたって砲は撃てるわ』


どうして



……どうして私の手は。

いつも、彼女に届かないんだ。



『戦艦大和。推して参ります』







………………夢を。


夢をみていた。


差し伸ばした手に触れるやわらかな肌の感触が、安息をもたらしてくれた。

ああ、なんだ。

いるじゃないか。やっぱり、ここに。



「…………やまと」


ぐっと差し伸ばしていた右手を握られた瞬間に、私の意識が覚醒した。


「武蔵?」


撫でていたのは、天原の頬だった。


「……ああ」


露骨に残念そうな顔をしたのがばれたのか、天原は妙にむすっとした表情になる。


「なんだ。私で悪かったな、大和でなくて」


「いや、そうじゃない……すこし……寝ぼけていたんだ、すまない」


軽くずきずきと痛む頭を撫でつつ、体を地面から引きはがす。

……今度は土塊の布団で寝こけていたらしい。

敵地だというのに、悠長なことだ。


「まったく、お前はよく寝るやつだなぁ……どこでも寝れるというのは確かに軍人らしい特技じゃあるが」


むっとした表情が呆れ顔に変わるのを見届けながら、私は小さな疑問を抱いた。

……なんとなく、それを聞いてみることにした。


「なあ……天原提督」


「ん。なんだ。飯ならまだだぞ」


「飯はいいんだ、別に食わんでもどうとでもなる……そうではなくて」



ふとあたりを見回してみる。

緑色の陽光が差し込む、深い森。

およそ私とこのおかしな提督以外に人の気を感じさせない場所で、彼女は――


「……あなたは、ここに来てから……眠ったことがあるのか?」


「ん?ないぞ」


サラっと答えた。

……その銀の眼は確かに睡眠を必要とする生物らしさを感じさせないが。それにしても。


「何故だ」


「……何故、休息をとろうとしないんだ、貴女は」


大本営から逃げ、二日が経つ。

だというのに彼女は、休むどころかほとんど立ちっぱなしだ。彼女が座っている姿を今まで見たことがない。

深海棲艦が活動しているのは、周辺の海であり、ここではない。……そこまでの警戒が必要だとも、私には思えない。


天原は、相も変わらぬ笑顔で答えた。


「ん?ああ、私は先祖がメンフクロウでな、片目ずつ寝られるから必要ないんだ、かはは」


たぶん、何を言っても隠し通すんだろう。

その態度に苛立ちはしたが……少し。ほんの少し、彼女のことがわかった気がした。


上体を持ち上げ、背中の土を払い落としたあたりで、風が吹いた。

強い風だ。木々が揺れている。

ざわざわと木の葉が奏でる音以外が存在しないこの場所は、

本当に人がいないのだと私に実感させてくれる。



唐突に……

本当に唐突に、自分の妹――信濃のことを思い出した。


置物であった彼女は、何を思っただろう。

処女航海より17時間、ただの一度の攻撃をすることも会敵することもなく沈んだ彼女の無念は、

いったいどれほどのものなのだろう。


怨みとも憎しみとも違う。

その、どこに向けることも出来ぬ無念は、どれほど大きく、深いものなのだろう。




「武蔵」


いつの間にか、距離を離されていた。

土くれの座布団から立ち上がり、返事をする。


「すぐに行く」




……ガ島は、今日も暑い。









知っていた。


いや。

疑っていた。


……どちらだろうか。



たぶん、理性で否定して……本能で理解していたんだ。

私も、彼女も……誰も、彼も。


『何度でも』


そうして、いざ、目の当たりにして――

私はようやく理解する。


『沈めて、あげる』



艦娘とは―― そうなのだ。

そうあるべきものなのだ。


過去の艦艇、軍艦の記憶、魂を得て、受け継いで

自らと同化させ……戦う、兵器。

その彼女たちは本来……こうあるべきなのだ。



『……やま……と』



『……沈まないわ。』



……止めろ。


その瞳で微笑むな。

その声で言葉を話すな。


あなたが撫でているそれは、何だ。

あなたの額に生えているそれは、何だ。




『私は』


『もう、二度ト』








その日から


私は、母国に追われる存在になった。








ふーーーっ…………



…………。

ここに来て、何度目のため息だろうか。


知れば知るほど嫌になる事実だった。

大反抗とも、泊地襲撃とも違う……単なる迎撃戦。

敵地の真正面であるここが襲撃を受けることは、そう珍しくない。

その度に艦隊は出撃し、迎撃し……押し返していた。


「軍艦とは、沈むものなんです」


加賀が放った矢が、遥か遠方の木に描かれた丸印の中央に突き刺さる。

森を切り開いて作られたこの小さな弓道場で、正規空母と駆逐艦が言葉を交わしていた。


「どれだけ頑強に造られても、どれだけ有能な艦長が座乗しても、どれだけ有能な海兵たちをかき集めても――」


もう一発。先ほどの矢の真下に刺さる。

木の幹に突き立つ際の、タンッ――という鋭く重い音が、私は好きだった。


「魚雷の一本で、砲撃の一発で――あるいは舵を取り違えただけで」


「――いとも簡単に、呆気なく……沈みます」



……彼女が沈んだのも、きっと……そういうことだったのだろう。


ここショートランド泊地は、敵拠点を目の前に構えているという状況から

本土から遠く離れてはいるものの、戦艦空母をはじめとする強大な戦力を抱えていた。

ここを任された原澄丹(はら すみたみ)大佐も、ここを背負うに相応しい実績を持つ人材なのだという。

言うなれば、ここは――ありとあらゆる精鋭のたどり着く場所なのである。



……知りたいのは、そんな情報ではない。


我が国が誇る最大級の戦艦である大和型、その二番艦……武蔵を、消してまで知られたくない情報。機密。

それが一体何なのか。

返答によっては、私は、ひとりでこの国に牙を剥く覚悟も出来ていた。


「……あのさ。加賀」


情報操作、隠蔽工作、それによる戦況の悪化。

現状、もしもそれが成り立ってしまっているのなら、

それは……他ならぬ私たちに対する最大の侮蔑だ。


弓をおろし、横目で私を見る加賀に問いかける。


「武蔵は、何を知ったの?」


少し間をおいて、加賀は答えた。



「……――『深海棲艦化』という言葉を、聞いたことはありませんか?」



……どくん。



その言葉を聞いて、一際大きく、私の歯車(しんぞう)が跳ねた。


遠い、遠い記憶が浮かび上がる。

海色に染まったその記憶は、いつまでも私を縛り付け、鼓舞していたものだった。


「艦娘の死の間際に比較的多くみられる……回帰。」



「基となった艦船が抱いている怨念に、心を喰い尽され……深海棲艦へと返ってしまう現象」


教科書を読み上げるように、私は、この国が必死で隠し続けている事実を漏洩させた。


ようやく、合点がいった。


「……ご存じでしたか」


「よぉく、ね」




「四月七日」

「……私たちは、ガ島からの襲撃を受けました」


「本当に……本当に、不運が重なった日でした」

「物資の補給を受ける直前というタイミング、艤装の整備不良、度重なる出撃によるあの人自身の疲労、治りきらぬ傷」

「そんな言葉を並べたところで、何にもなりませんが……あの人は、それでも発ち……尚戦い、尚殺し続けました」


立てかけられた、予備の弓を手に取る。

矢筒から一本、矢を取り出し……見よう見まねで、構えた。


「…………あの人は」


「悪鬼羅刹のごとく、戦場を荒らし、獅子のように吼え、肉の削れた体で戦ったと聞いています」

「結果として――私たちは勝利しました」


「あの人という、あまりにも大きすぎる代償を払って」



引く。


放つ。



「あの人は…………あの人は」


「死して尚――」



――――――ダァンッッ!!!!!



「――私たちのもとに……帰り」

「武蔵の介錯によって、二度、死にました」



並び、突き立った矢から離れた箇所。

円形の枠の外側に、矢が埋まり込んだ。



「だとしたら――」


だとしたら大和は――大和の姿は、武蔵に限らず、この泊地の艦娘が残らず目撃しているはずである。

それが大和だと気づかなかったものも居ただろうが、少なからず、気付いたものも居たはずだ。


……何故、武蔵なんだ?


           

そう問いかけようとした直後――島中にサイレンが鳴り響く。

……敵機を捉えたか。

今は八月八日……大和が命がけで撃退を成功させた日から四か月。


「……相変わらず……お早い」


至極忌々しそうに溢す、加賀。

借りた弓を片付け、12.7cm連装砲B型改二だけを右腕に具現させる。


「――加賀は出撃準備を整えて。武蔵がいない今、あなたがここで油を売ってるわけにもいかないでしょう」


敵勢力がどれほどのものかはわからない。

しかし、今、敵の本拠地にはあの人がいる。


ただ身をひそめているだけ、なんて……あの人は、そこまで大人しい生き物じゃない。


「……あなたは……どうするの?」


「時間稼ぎ。」



単独で、独断で、あの人のガ島攻略作戦は、すでに始まっている。

司令官の指示を仰ぎ、理解し、意のままに行動することが、私たちの役目だ。


あの人の我侭を聞き、死ぬまで尽くす。


加賀は、たぶん私を引き留めようとして――引き留められるような人間じゃないことを思い出したか

数歩、すり足で後退し――


「……必ず……帰還して下さいね」


そう言い残し、踵を返して走り出した。


ありがとう。


そう、心の中で感謝した。



「……さ、て…………じゃあ、義姉さんの家を護るとするかなぁ……」



提督と私。

無茶をしているのがどっちなのか、最近、よくわからなくなってきたっぽい。









何人、殺してきたのだろう。



数えるのは、疲れるから、数えないことにしていたけれど。


わたしは、あと、何人殺すんだろう。












「……はぁ…………はぁ、はっ…………はぁっ…………」


「……………………」



生暖かい。


頬と、首と、胸元にかかった液体が、まだ、熱を帯びている。


「…………」


ぽたぽたと液体の滴る顔を、こちらに向ける……天原。


「……無事か。武蔵」


その足元に、死体の軍勢が転がっている。

彼女は肩で息をしながらも、それが日常の一部であるといわんばかりに落ち着き払っていた。



…………砲が……撃てなかった。


陸を哨戒する深海棲艦に発見され、襲い掛かられて――

迎撃するために艤装を展開した。

……けれど。


体が、動かなかった。


まだ、手が震えている。

あれ以来……だろうか。

敵を、殺すことを、拒んでいる。



同時に……

何故、いままで敵に会わなかったのかも、悟った。


天原という女は、敵の哨戒ルートを余すところなく全て把握していたのだろう。

眠らず、休まず、来るであろう敵を待ち伏せ、殺す。

私が敵に襲われた直後に、都合良く――というべきか――彼女が現れたのは、

そこが敵の哨戒ルートの範囲内であることを知っていただめだろう。


どうやって把握したのか、どうやって敵の眼を欺き続けたのか

……どうして、ここまで動けるのか。そもそも、彼女は何者なのか。


聞きたいことは山ほど生まれた。

だが、聞く気も起きなかった。



「……あまり、ひとりで出歩くな」


刀を振って、刃を濡らしていた液体を飛ばし、納刀する。

手慣れた動作だ。いったい、何人斬り殺してきたのだろう。


「………………強い……んだな」


ああ。そういえば。

彼女は私を連れてここに来たんだ。

なら、海を渡ってくることも、彼女にはできたんだ。


きっと彼女は艦娘なのだろう、と理解した。

果てしなく恐怖もした。


「否定はせん」


あたりを見回し、敵がいないことを確認している。

戦い慣れている。殺し慣れている。



「――敵の動きが、活発になっている。戦力の補充が出来、余裕が生まれてきたんだろうな……この分だと」

「なあ」



言葉に、割り込んだ。


「あなただけで、いいじゃないか」


何の感情も込めずに、口にした。


驚きと困惑の混じった顔をして、天原が振り向く。



「……仲間をひとり殺しただけで、もう戦うことすらできなくなった私なんかよりも」

「あなたは、ずっと強いじゃないか」


「――艦娘を指揮する必要も、ないじゃないか」



「…………武蔵?」



何の嫌味でもひがみでもない、本音だった。


「それだけ強いなら、それで、いいじゃないか」

「……あなただけで。すべてが片付くんじゃないのか?なあ」



「……待て、武蔵。それは」


「――さっき認めたじゃないか!!自分は、強いんだと!!ああその通りだ、あなたは強いよ、軍団をたったひとりで壊滅させられるほどにッ!!!」



何に……憤慨しているんだろう。

彼女という存在を目の当たりにして……

……私は……私の意味を、失ったように感じたんだろうか。


「ああ!!ああ!!!あなたがいれば!!何もいらない!!兵士も艦娘も軍も兵器も何もッ!!!

 ――だって、あなたは、強いじゃないかッ!!!

 刀一本でそれだけ殺せるなら他に何もいらない!!!あなたがいればそれだけで私たちは、必要ないッ!!!!」



ああ……そうだ。


私たちはいつも、命がけで戦ってきた。


誰が相手でも、どれほどの数であろうとも……

仲間とともに、背中を合わせ、呼吸を合わせ……戦い続けてきた。


私たちが仲間と力を合わせて、ようやく撃破できた相手を。

……彼女はたやすく殺してみせた。


何の葛藤も無く。何の苦労も無く、切り伏せた。


あなたが……

……あなたがいれば――――




「――――あなたが何もかも殺してくれていればッ!!!!!

 ……大和が死ぬこともなかったじゃないかッ!!!!!」





……赤子の……否……

子供の……我侭、だった。


自分とは比較できないほど、たくさんの収入がある親に、玩具をねだるような――

そんな泣き声が、自分から漏れ出した。


それから何も言えなくなって、泣きながら、嗚咽をこぼし続けた。

彼女の顔が見れなくて、ずっと地面を見つめていた。

こぼれた涙が、延々と土に落ちていった。



……ああ、本当に。

こんな人が、居てくれたなら。


この人が、居てくれたら…………




長い……長い、間の後。


ざくっ、と足音が聞こえて、

何かと思い、顔をあげると……大きな背中がそこにあった。


前を向いて、一歩、私から離れたようだった。



「武蔵」



相も変わらず軽快に、彼女がくるりと振り返る。

また烏が羽ばたいた。

女性らしい顔だと思った。


……彼女は、いつになく真剣な顔と声で、私に言った。



 

「理不尽な力で、いったいどんなことが出来ると思う?」





驚きと困惑の入り交じった表情を……今度は、私が浮かべた。


……彼女の右目が、燃え上がっている。

青い、青い炎だ。炎が前髪を押しのけて、右目を露わにさせている。


はじめて見る彼女の両目。

その顔は、もう……無表情と形容できるものではなくなっていた。


天原は、こちらの返答を待っているようだが……

……話が見えない。

彼女は……どういう答えを欲しているんだ?


「思うがままに敵を討ち倒し、海を制し、殺したいだけ殺せるこの力で……出来ることはたった一つだ、武蔵」


混乱する私をよそに彼女は、右目の炎を燃え滾らせながら、虚空を見つめつつ――

にい、と笑って……その答えを口にした。



「――理不尽と、戦えるのさ。理不尽な火力も、理不尽な権力も、理不尽な力があれば叩き伏せられる」



……また……笑っている。

けらけらと、かははと、ころころと。

その笑い声は、とても静かで……何よりも悲しげに響いた。


そして、ぴたりと笑い声が止み。


「……お前の言った通りだよ。武蔵」


うつむきながら、笑顔のままで彼女は言う。


「私が前線に出て戦い続け、ガ島の制圧に成功していたら、大和は死ななかったろう」

「……護りたかった。あの人を、一目、見たかった。会いたかった…………」


弱弱しい、声だった。


……まさか、と感じた。



「……けれど、叶わなかった。私の身はひとつしかないんだ、結局。……嗚呼。」

「どこへでも行けて、どこでも、いつでも、どんなときも戦えたなら、よかったのに」

「……私も結局、人の子だ。護れたのは……この手に収まるものだけだった」



そういって手のひらを見つめる彼女の姿が。

なぜか、妙に懐かしく感じた。

存在しない記憶と経験がゆらりと浮かび上がってくる。これは……デジャヴと呼ばれているものだ。



「…………あなた……は」

「だから」



「だからせめて、あなただけは護らせてくれ、武蔵」

「……今こうして、生き残って出会えた、あなただけは……護り通させてくれ」


「そのためならばこの命――欠片ほども惜しく無い」



そう言って微笑む彼女の姿は。

あの日……旅立つ直前の大和に、瓜二つだった。


「待って」


「……待って、くれ」



「じっと隠れていれば、きっとそのうちショートランドの彼らが迎えに来てくれるさ。だから、それまで、どうか生きていてくれ――」

「――――姉さん。」





嗚呼。

そうか。そうだったんだ。やっぱり――そうだったんだ。


――強い、はずだ。当然だ。

――信濃を思い出すはずだ。当たり前だ。

私たちが抱えながら、海の底へ沈めた怨念などとは……比べものにならないほど、彼女の無念は、強いのだから。



「さて――話し込んでいても仕方ないな!ここはひとつ、盛大にいくとするかっ!!」


彼女の名を呼ぼうとして、声が詰まる。

……彼女には、名すら無かった。そうだ。


彼女がこちらに背中を向けると、虚空から空間の皮を破き、放電しながら51cm連装砲が二基出現する。――浮遊している。

言うなればそれこそが、彼女を示す、唯一のものだった。


「……どこへだ?……いったい…………どこへ……行く、つもりなんだ」


……行かないで。


行かないでくれ、頼む。

お願いだ、やっと会えたんだ。私はずっと、あなたに会いたかったんだ。



本当に――会えるとも思っていなかったけれど。

ああ、でも、こんなものを見せられては、あなたをあなたと信じるしかなくなるじゃないか。


「敵勢力が増し始めた今こそ好機だ。このまま敵中枢へ奇襲をかける。

 奴らも同じく、ショートランドへ進撃を開始するはずだ――可能な限り多くの戦力を私に割かせれば……

 ……彼らなら、撃退は愚か、制圧すらしてみせてくれるだろうな」


あのときの大和と同じように。

自分の死を受け入れながら、その上で……希望に満ちた声と姿で、彼女は、またくすりと笑った。


私は、あのときと同じように

また必死で、彼女の背中に手を伸ばし――――






「――――超大和型戦艦一番艦、七九八号艦(なくや)ぁッ!!!!!――参るッッ!!!!」







――――――光。

爆音。轟音。衝撃波。熱波。

流れる涙すら吹き飛ばすそれが止んだ時――――

彼女の姿は、もうそこになかった。



一直線に……木々が削り取られ。

その先に、水平線が見えていた。



……拳を、握り。


木に、叩き付ける。

轟音とともに落雷を受けたようにへし折れて、なぎ倒される。


――これだけの力がありながら。


――自分ひとり、満足に護ることもできやしない。




もどかしくて。

……もどかしくて、もどかしくて、くやしくて、私は………………









『第一艦隊、旗艦加賀、翔鶴、蒼龍、伊勢、日向、霧島……以上、正規空母三隻、航空戦艦二隻、高速戦艦一隻。出撃準備完了しました』


「了解。……頼むぞ、加賀。」


『……はい。提督』


震える手で無線機を握りながら、原は窓の外の水平線を見つめた。

……あそこから襲い来る敵を、もう幾度となく目にし……その都度に、追い返してきた。

大丈夫だ。今度もまた、やれるはずだ。

己が艦隊を見届けることしかできない原は、出撃のたびに胃を喰い尽されるような想いを抱き、その度に、自分と艦娘たちを心の中で鼓舞した。


「……てーとく」


背後から声をかけたのは、夕立との対話の席にも身を置いていた伊58。

原は振り返ることなく、流れる冷や汗をぬぐうこともなく、空をあおいで彼女に言った。


「面白いだろう、ゴーヤ」


自虐か、達観か、ふっと笑顔を浮かべて。


「泊地がまるまるひとつ、大本営に、国に反逆し……独断で、単独で作戦の決行だ。どんな処罰を受けるかなど想像もつかない」


ぐっと無線機を握りしめる。彼の体は震えているが、声は震えていなかった。

むしろ、奮っていた。


「それがてーとくの意思でちか?」


きゅっと目をつむって、嗚呼、と58に答える原。


「……あの日……お前も一緒に戦ってくれたな。大和が沈んだ戦いを……武蔵と、共に」


「ええ」


「今作戦の目的は、最早撃退などではない。武蔵を奪還するとともに、我が泊地の死力を以て――眼前のガ島を制圧する」



「――わくわくしないか?」


「僕らで、歴史を創るんだ」



無邪気な子供のように、屈託のない笑みを浮かべる原。

小柄な体と童顔が、その印象をより強めている。


「僕ら全員、これで……晴れてお尋ね者だな。泊地ごと追われる身になるぞ、ハハハ」


笑いながら振り返ろうとした――その瞬間。

爆音。次いで部屋が揺れ、窓が歪み、空間が震えた。

とっさの出来事に対処しきれず、原は体勢を崩してその場に倒れ込んだ。


「……な…………ッ!?何、がッ――――」


机から零れ落ちた無線機からノイズまみれの声が響く。

とぎれとぎれの音がだんだんとつながっていき、やがて加賀の言葉になった。


『てい、とくっ……!!提督、聞こえますか!?』


倒れた姿勢のまま、無線機に手を伸ばす――刹那。

原の右の手のひらに、パシュッ――という音とともに、風穴が開いた。


「――――――――ッッッ!!!!!」


『燃料、弾薬庫か突然、大爆発を――!!提督……提督!?』



「本当に」



「……夢物語がお好きなんですね、提督」



声を押し殺しながら、顔を上げた原の眼に映ったのは、サプレッサーの取りついた拳銃をこちらに向けて構える伊58の姿。


「…………」


「ああ、一言でも声を出してみて下さい。穴が増えますから」


だくだくと血液を流し続ける右手を左手で抱き、原は、彼女の顔を見つめた。

その瞳に容赦の二文字は映っていない。

――ショートランドに来ていた、大本営からの『来客』。


「……っはは…………ははははは」


かすれた声で笑う原。

その左肩にまた銃弾が撃ち込まれる。


「――ッッ……!!!」


「ふれましたか、提督?……まあ、無理もありませんか」


胎児のようにうずくまり、それでも尚枯れた声で笑い続ける原。

流石に奇妙に思った58は、銃口を向けつつも引き金から指を離した。


「――いいや…………いたって正常だよ、僕は…………ただ……ただな」


そしてもう一度、58と顔を合わせる。

彼は……笑っていた。


「……安心したんだ……僕は…………君が、『来客』であってくれて」


「…………」


力の入らない両腕で、それでもなお立ち上がろうとする原。

拳銃を構えながら、その様を58は見届ける。


「僕は……艦娘に命を預けた人間だ。……人間に殺されるのは、たまったものじゃないが……艦娘に殺されるなら、悪くない……むしろ本望だ」


「……どこが正常なんですか?銃口を突き付けられて、何を言っているんですか」


58の瞳に、ほんの少しの感情が宿る。

それは苛立ちであり、そして……わずかな、本当にわずかな畏怖だった。


「正常だよ……僕は、僕の中の、提督という像に従った!!――艦に乗れぬ提督という、矛盾に満ちた、馬鹿みたいな存在にッ!!」


両足でしっかりと体を支え、立ち上がった。

穴の開いた右手で、穴のあいた左肩を抑えている。白い軍服は己が血で延々と汚れ続ける。


「僕は、無能だ――自分の艦娘の手綱すら、満足に握れやしない……」

「この国にはたくさんの提督がいて……!!己が身で艦娘を護る提督も居れば、己が身を戦場に置く提督も居て!!痛みすら超越してみせる提督だって居た!!!」

「そんな提督に囲まれて尚――僕は、何もできないんだ……!!その背中を見送ることしか、僕にはできない……!!」


一歩――一歩。

確実にこちらに近づいてくる原を、58は止めることが出来ないでいた。

理解が出来なかった。

こんな青臭い台詞を、伊達や酔狂、恰好だけで言っているのではないのだと理解できたからこそ、だった。


「……だから、信じた……」



「……何を、ですか」



「……艦娘を、君を、どこまでも信じた。馬鹿正直に――帰還を待ち続けた」



「……それが何だというんですか。今ここで、自分が殺されかけている現状に、どう関係してくるんですか、提督ッ!?」



「ほら。まただ」


はは、と原は、口を開けて笑ってみせた。


「『提督』だとさ。僕を殺しにかかる暗殺者が、僕のことを、それでも提督と呼んでくれる」


「………………――っ」


「……それでいい。それだけで、いいんだ。僕の後釜なんざすぐにでも見つかるさ……」

「……だけど、僕のことを提督と呼んでくれる存在は――後にも先にも君たちしかいないんだ」


原は、尋常でないほどの痛みが走り続け、腱が切れて指の曲がらなくなった右手を、左手で指を折って握り――

自分の胸に、叩き付け――言い放った。


「だから、殺せッ!!!!大本営も国も関係ないッ!!!!僕を提督と呼んでくれる、その君に、殺されることなんて大したことじゃないッ!!!!!」

「――僕を提督と呼んでくれた存在が、なお生き続け、自分の道を歩んでくれるなら、僕は何度だって殺されてやるッ!!!!」


その姿は。

――命をあなたに預けているのだと示す、姿だった。



「そも、この肩章を、担った時から――!!」

「――僕の命は僕のものではないんだからなぁッ!!!!!」





――――畏れた、わけではない。

――――かといって、忠誠心が呼び覚まされた……などということはあり得ない。


伊58はただ、困惑し……迷った。


ここまでまっすぐに私たちを視てくれる指揮官と、

私たちを兵器として手ごまとして扱い続ける大本営。


自分が従うべきは、いったい、どちらなのかと。


その瞬間を、原は見逃さない。

腰をかがめ、力の入らない左手で無線機を握り、叫んだ。



『加賀ぁッッ!!!!――第一艦隊、出撃せよッ!!目標はガ島!!!武蔵を奪還し――かならず帰って来いッ!!!!!』


『――!!…………了解っ……第一艦隊、出撃しますッ……!!!』


……資材は失われたが、それでも、補給にされている。

今はただ、戦うのみ。――その後のことは、勝ってから考えればいい。


迷いながらも58は、今一度引き金に指をかけ、今度こそ確実に殺そうとした。

――しかし…………


突如として現れた存在が58の両肩を外し、そのまま一秒にも満たない時間で床へと組み伏せる。

痛みに悶え、声をあげる暇すらなかった。

そも、その存在の接近に、気付くことすら出来なかった。


「――づぁッ………………ッッッ!!!?」


「ひとつ。訂正が要る」


自分の喉を万力のような力で抑え続ける彼女の姿を、たった一度だけ目にしたことがあった。

ゆらりと流れる金髪、澄んだ血眼、犬の耳のように跳ねた髪――


「――命が、僕のものではなく、艦娘のものだと言ったね。原提督」


迅雷のごとき速度でこの部屋へと侵入してみせた彼女の名を、原は真っ先に口にした。


「――――ゆう…………だち……?」


「ん。」


頭のくせ毛がぴこんと跳ねる。

眼は原を向いているのに、腕の力が弱まる気配は全く無い。


「――命は、誰のものでもないんだよ。生まれるべくして生まれ、生きるべくして生き、死ぬべくして死ぬ」

「その価値はすでに決まっている。私たちは、それを使わせてもらってるだけだ」


58は遠のきそうになる意識をどうにか保ち、腕を動かそうとするが、無論のことまともに動きはしない。


「だから――ここであなたが死ななかったのならば。あなたの命は、ここで終わってしまうほどのものではないんだよ」

「――誰の命も。死ぬその瞬間まで、どこまで生きるのかはわかりゃしない」


ふっと視線を58に移す夕立。


「もちろん。あなたの命もね」


彼女の手、という万力から解放された喉が開通する。

二度、三度せき込み――飛び跳ね、彼女から距離をとった。


「原提督さん、医療キットみたいなのはある?」


つかつかと近づきながら、58の手からこぼれ落ちた拳銃を拾い上げ、握力で粉々に砕いた。

数発暴発した銃弾も彼女の手のひらから出ることはなく、彼女がその手を開くと、残骸とともに床へと零れ落ちた。


「……ああ。そこの棚の――二段目だ」


「おっけおっけ、まずは血ぃ止めないとね」



外れた肩を強引にはめ込んで、夕立に向かい、吼える58。

――背後からの奇襲など、何の意味もない。そう一瞬で悟った彼女は、勇ましく声をあげる以外のことが出来なかった。


「――なんのつもりだ、夕立ッ!!あなたも――あなたも大本営に逆らうのかッ!?軍に、皇国に……全てにッ!!」


「逆らうなんて笑えるな。私が従っているのは、天原提督ただひとりだけだよ、ばーか」


原の軍服の左袖を素手で破いて引き裂いて、応急処置を行う夕立。


「馬鹿な……そんなことをして何になる……!?貴女だって知っているでしょう!?艦娘が深海棲艦になることを、この国が抱えている兵器すべてが、敵となりうる事実を!!」


この泊地でただひとり、孤立した58の、悲鳴にも似た怒声。


「だったら何故――助けようとするんですか……!?あの化け物を!!!あの化け物と――戦おうとするんですか!!虚実にまみれた不動の世界を歩むことが、何よりの平和だというのに……!!!」



「べつに私は、平和も救いも求めちゃいないし、差し上げようともしてないさ」


ん、よし、……と処置を終え、立ち上がる。

夕立の声にも迷いは無い。原と同じように。


「戦いたいから戦うんだよ。それじゃだめ?目の前にどうあがいても殺せないような存在がいて、相対して、心を奮わせちゃダメなの?

 ――軍人がイカれて、何が悪いのさ?」


夕立は、どうなんだ……と言わんばかりに、右手の平を58に見せつける。

その手はぶくぶくと泡立っていて、その泡がだんだんときめ細かくなっていき――やがて綺麗な肌になった。

――弾薬の暴発によってできた傷を、今この瞬間、修復した。


「………………化け物…………」


ようやく58の口から出た言葉。呪詛。

この上なく畏れ、おびえながら、彼女は夕立の姿を見つめた。


応えるように夕立はにこりと微笑み……

きゅっと目を閉じ、そして開く。


――その目に、紅い炎が宿る。



「……あまり深海棲艦(かんむす)を嘗めるなよ、犬」




その言葉の意味を、58は理解出来なかった。

原の言葉も、夕立の言葉も、彼女には到底理解出来なかった。

理解出来るはずもなかった。





「58」


放心していた58の耳に、原の声が届く。


「……まー、その、えー……なんだ…………」


「……資材が文字通り、『不慮の事故で』吹っ飛んだから…… またいつも通り、集めちゃくれないか」


包帯でぐるぐる巻きになった右手で頭をかきながら、左手を差し出す原。



「従う相手は間違えないようにね、ごーや」


便乗して夕立も58に言った。



「………………」


58は、差し出された手をめいっぱいひっぱたいて払い、くるりと踵を返す。

衝撃が肩の傷にダイレクトに伝わり、言葉にならない嗚咽を漏らしながら倒れ込む原と、それを支える夕立。


そのままその場を離れようとして、58はぴたりと足を止め



「……待遇をよくしてくれるなら、考えてやらんでもないでち…………」



ばつが悪そうにそう言って、立ち去った。











「………………」


海水と重油でしっとりと濡れた彼女の髪を、ゆっくりと撫でる。

この体が離れることがないよう、しっかりと抱きしめて。


「…………光」


かすかに、彼女の口が動いて、声を発した。


「…………何だ。……姉さん」


「…………光 あふれる……みなも…………に」



かすれて、枯れて、誰の耳にも届きそうにない声を、しっかりと聞き届ける。

もっと強く抱きしめて、口を、耳元へやって。


「…………私も…………」


「…………」


この声はたぶん、姉さんの声じゃない。

姉さんを喰い尽した、『それ』の声だ。



「姉さん」


「聞かせてくれ、姉さん」


姉さんが何かを口にしようと動かすが、その口から出る言葉は、彼女の中の怨念に阻害されて、まったく違うものとなってしまう。

頭と背中を撫でて、ただ、じっと待った。


「他の誰でもない、あなたの、声を」






「――――――武蔵」


その時は、突然に訪れる。





「もしも」

「もしもあなたが、なにかにつまづいて、なやんだり、つらかったりしたら」

「すぐに、ねえさんに、いってね」


抱きしめ返される。

その体は、もう、艦娘の温かみを取り戻していた。


「だいじょうぶ」

「…………ねえさんは、ずっと」


――刹那。

彼女の体が崩れ――泡となりはじめる。

ぼろぼろと崩れ落ち、海面に当たり、融けて、消える。



「あなたと、ずっと、いっしょに、いるから」



すべてが泡になって、海色に染まって、消えたとき。

私の胸の中に、何かが残った。


……それは、淡い蒼色に光る、歯車だった。

開発資材、とも呼ばれている……艦娘の……もと。艦娘の、心臓。


私は、わけのわからない思いが爆発して、彼女が残したそれを、強く、強く抱きしめた。



ズル――と、突如として歯車が私の胸元へ入り込み……そのまま、体の中へと融けていった。


カチリ――――……と、私の心臓にそれが合致する。

力が巡る。想いが巡る。あの日あの時、彼女が抱いていたすべての思いが、私のなかに融け出して、ひとつになる。




「……――――――姉さん……」


涙の代わりに、炎が漏れた。

両目からあふれんばかりの金色の炎が噴き出して、ゆらゆらと揺れている。




「武蔵」


誰かの声が、聞こえた。



「…………あなたは、いったい……」


振り返る。



「何を…………したの…………?」



伊58が、私のことを見つめていた。











ソロモン海――

鉄底海峡、アイアンボトムサウンド。


そこに沈んだ、数え切れぬほどたくさんの怨念が形を持ち……隊列を組み、毅然と立っていた。

深海棲艦にも、心はある。

たとえ人の形をしておらずとも、人語を口にできずとも、何かに従い、何かを好きになり、何かと支えあう。

その点において、艦娘も深海棲艦も、何の違いもありはしない。

――もとが、同じであるために。



どこかの戦場と同じように、彼女たちは談笑する。

敵を待ちながら、その場から動かずに、両隣の戦友と他愛もない話をする。

海の底にも、日常は存在していて――――


――その日常が、一瞬にして崩れ落ちるということにおいても。

艦娘と深海棲艦に、違いなどありはしなかった。



戦艦ル級が、先ほどまで話していた空母ヲ級の胸元から、白い刃が飛び出しているのを見た。

刃は上を向いている。彼女の瞳も上を向く。刃が貫いていたのは、深海棲艦の心臓。

そのまま刃は上方へと跳ね上がり、ヲ級の頭をハの字に切り裂き――――

――切り裂いた様を見た瞬間に、ル級の視界がぐらりと反転する。

両腕ごと彼女の胸が横一文字に割かれていたのを、また誰かが見た。


自分に向かい、一斉に砲を向ける深海棲艦たちに、続けざまに51cm連装砲を撃ち放つ。

左へ右へ、別の方向へ向けた二基の砲が吼え、爆音と振動が海と空間を揺らし、残る深海棲艦の体を消し飛ばした。

幾多の足だけが残され、それらもぼちゃんと海に落ち、泡となって崩れ落ちる。



その刃は、まだ納まらない。

その一隻の戦艦の奇襲に対し、他の艦隊が間髪いれずに彼女を取り囲み、一斉射撃を開始する。

魚雷と砲弾とか入り混じって一点へと集中する。

七九八号艦は、それこそが自分のあるべき姿だと言わんばかりに、口元を歪ませ、愉悦に満ちた顔で

もう二基の連装砲を具現、四方へと展開し――放った。

巨大すぎる砲が彼女の昂り続ける精神と呼応して、その威力を跳ね上げ続ける。


七九八号艦も、無敵ではない。

砲撃により傷を負い、魚雷によって片足、両足を失いはするものの、尋常でない速度でそれらが修復され続け、

結果彼女は、弾幕の嵐の中、両の足で立ち続け、応えるように固定砲台として暴れ続ける。

四方を取り囲まれた戦艦は、まるでフィギュアスケートのように海上をぐるぐると回り続けた。

その動きから未成艦娘故の欠陥など、まるで感じさせなかった。


――彼女の強さとは。

省みぬ強さである。


傷を負うことを省みない。リスクを負うことを省みない。死ぬことを省みない。

どころか彼女は、傷を負えば負うほどに、戦いの実感を増し……その心を昂らせる。

生命力、精神力と火力とが直結した艦娘の性質が、その彼女の性能を増させていくのである。


その上彼女は、海に出るだけで内部機関を――内臓を傷つけるという欠陥を持つ。

足を踏み出すだけで血液が噴き出し、逆流し、喉を上って口から吐き出される。

進むだけで傷を負い、砲を放っても刀を振るっても、彼女は傷を負い続ける。




――彼女という存在は。

――ひとたび海に出れば、それだけで重症を負い……

――それでいて、傷を負うたびにその性能を増していく艦娘なのだ。



その強さの無意味さを、彼女は誰よりも理解していた。

その強さの理不尽さを、彼女は誰よりも痛感していた。

だからこそ彼女は提督になった。

自分と同じ道を歩む艦娘を生まぬよう、そして、間違い続ける自分の背を誰にも見せぬように。

燃え滾る三白眼を目まぐるしく動かし続け、大きく口を開けて笑い続けながら戦う姿を、誰の心にも残さぬように。



……その心が、艦娘を動かしている。



彼女に従う艦娘は、彼女の不器用を極めたような働きと戦いに、誰もが心動かされている。

掃き溜めは、矢尻は、彼女の背を見て育ち、その背に届くように、その背を護るために、艦娘となった。




七九八号艦という艦は、この世の誰よりも、何よりも空しく――

――天原桜花という人間は、この世の誰よりも何よりも、暖かみに囲まれて、生きていた。


空しいからこそ、いつなんどきだろうと殺し、死なせ、死に、殺されてもかまわないと思い。

暖かみに囲まれているからこそ、戦える。



……その矛盾に満ちた不器用さに、覚えがあり。

懐かしみ、焦燥し、泣いた艦娘が居た。

無念という他無い感情をくすぶらせ、ただじっと耐え忍び続けた艦娘が居た。




七九八号艦の眼前に、砲弾が迫る。

とっさに胸元を覆い隠し、心臓を護ろうとした瞬間――魚雷が爆ぜた。

片足が消し飛ぶ。姿勢が崩れ、右肩がえぐり取られた。

右腕は刀を固く握りしめたまま、海面へと叩き付けられる。


海面へと倒れ込み、左膝をつき、左ひじで体を支える。

同時に、体中に溜め込まれた血液が喉を上り、滝のように口からあふれ出た。

それでも尚彼女の腕が泡となって消えないのは、彼女自身の闘志が未だ尽きぬためである。


満身創痍。

ただの一隻がどれだけ強かろうと、それは最後までただの一隻でしかない。

奇襲を受け、戦友を殺された怨みで動く、統率された艦隊に、勝てるはずもない。



…………彼女が本当に、ただの一隻であったなら。

彼女はここで死んでいた。

彼女がそうやって殺したように、彼女自身も塵芥のように吹き飛ばされるはずだった。


止まぬ砲撃の音を聞きながら。

七九八号艦は、死の瞬間がずっと訪れないことに疑問を抱いた。

……そして、ふと前を見上げた。



一秒にも満たぬ、短い時間の中。

七九八号艦は、ただの一度も見ることが叶わなかった、自分の姉の大きな背中を見た。



「――いいぞ…………当ててこい…………ッッ!!!!」



武蔵が――奮っている。昂っている。

その姿は、自分に向かって泣き叫んだ艦娘のものとは思えぬ勇姿だった。



「――――私はッ!!!――ここだぁぁああああぁぁああああッッ!!!!!」



吼えると同時に、彼女の砲が火を噴いた。

砲は弾幕ごと敵を消し飛ばし、四方八方へと撒き散らされる。



……砲が撃てず、なすすべもなく殺されようとしていた艦娘は、もう、どこにも居なかった。



右脚を生やし、立ち上がり、右腕を拾い上げて接着させる。

刀を握る感覚が伝わるのを感じ、口から血を流しながら、背を合わせる。


「何故――来た…………!?馬鹿野郎が……!!!」


砲を放ちながら、七九八号艦は、武蔵に問いかけた。


「馬鹿は、お互い様だッ!!私だけなら――私だけなら、あそこで艦として死ぬことだって出来た!!」

       

「――ならばッ――――」


「――だがッッ!!!!!」


振り返り――武蔵は、自分の左胸を、乳房ごと固く握りしめた。

その両の目には、金色の炎が宿っていた。


「……大和が……言った……!!!死んでなお、沈んでなおッ!!叱咤を、激励を、この胸にぶつけて来たッ!!!」


己が心臓と合致した、彼女の心臓が、滾ったのだと。

武蔵は、そう吼えた。


「『生きろ』と、『戦え』と、『お前の命は』、『そこで尽きるほどのものではない』とッ!!!!」


死人に、そう言われた。

ここで終わるものではない。あなたはまだ戦える。

砲が撃てぬのならば、私があなたの砲になると。


「――なれば動くしかないだろうがァッッ!!!!!」



七九八号艦は、瞬間、すべてに合点がいった。

大本営が、彼女だけを消そうとしていたこと。

大和の深海棲艦化という事実の隠蔽だけでなく、武蔵という存在そのものの抹消という目的に至る、その理由。


――武蔵は、深海棲艦を用いて、近代化改装を行っていたんだ。

――私と、同じく。



「そうか――――」


互いが、同時に前を向く。


「――――お前の身も、お前ひとりのものではなかったか」


互いが、同時に牙を剥く。


「――――ああ、そうだ」


互いが、同時に――


「私も、あなたと同じ、化け物だッッ――――!!!!!」


「――ならば行くぞ武蔵ッ!!!!我々が、我々であるためにッッ!!!!」




――砲を……放った。





「「――――――撃ぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!」」





51cm連装砲と、46cm三連装砲とが共に響き合う。

その音は、その振動は、この戦いが始まって以来、もっとも巨大で強大だった。


それは、慟哭だった。


二隻の戦艦が高らかに放った、悲哀と誇りの入り混じった、叫びであった。











「…………………………~~~~……~~っっ…………」


明朝。

自分の机をたんたんたんたんたんと指先で叩き続ける提督の姿があった。

小柄である。机を叩く手には包帯が巻かれていて、手首を跳ねさせるようにしてたんたんたんたんたんと叩き続けている。

左肩にも包帯は巻かれていて、取り替えたばかりなのか、そのどちらともに真っ白い。


「……させん…………」


机の上の書類を睨み、うわごとのようにそう呟く。

その書類には、この泊地の最大戦力である艦娘の、左遷の命が記されていた。


行先は、掃き溜めと悪名高い、トラック泊地。


「……いつまでそうしてるつもりだ、原。痛まんのか、その手。」


向かい合って彼の顔色を窺うのは、そのトラック泊地の司令官。

体のどこにも傷跡のない、彼のように包帯を巻いているわけでもいないのに車いすに腰かけた女性であった。


「……………………おい。天原」


原は、書類から彼女の顔に視線を移し、今度は彼女の顔を思い切り睨み付けた。


「……………………………………本ッ当に武蔵を、幸せにしてやれるんだろうな!!?」


童顔だが、凄みは感じさせるその声と迫力に、天原は思わず気圧された。


「いっ……いや、当然だろう!?だから、してみせると何度も言ってるじゃないか!?」


「…………おーい。なに娘の取り合いっぽいことしてんのさ……そろそろ帰るよ?」


その様をなんとも言えない顔で見続ける、紅い眼の艦娘。


「な、なあ……もういいだろう原提督……結局、左遷って形で済むんだから」


同じく、困り顔でそれを見る褐色肌の艦娘。


「ほら、な?当の本人がそう言ってるんだから、もう勘弁してくれ……帰れなくなる」


天原の言葉を受け、ぐぬぬぬと唸り続けていた原もようやく意を決し、「わかった……」と承諾した。


「ただし!!ただしだ!!?絶対に顔を見せに来い!!でなきゃこっちから攫いに行くからな!?わかったか!!?」


「わ、わかったわかった、わかったから……落ち着いてくれ?身動き取れないだから、つばを飛ばさんでくれっ」


身を乗り出す原と、身を必死でのけぞらせる天原。

……こうして、戦艦武蔵の譲渡が完了し

大本営に追われる身であった彼女は、獅子心中の虫の住処と言えるトラック泊地へと移ることになった。






「あそこなら、そうそう大本営も手を出すわけにはいかないっぽいし、まあとりあえずはこれで大丈夫だね」


帰路。

天原の車いすを押しながら、夕立が不意に武蔵にそう話しかけた。


「ああ…… ……しかし、今回の一件……いったいどうなるんだ?独断での作戦決行、それも二か所の泊地が同時に、なんて……」


「あーあー大丈夫。うちの提督さん、元帥と大元帥とのつながりがあっから。「処罰の内容は追って報せる」って言って最後まで有耶無耶にできるよ」


武蔵の心配をあははと笑いながら流す夕立。

その説明は聞かされていたものの、到底笑いながらできる告白ではないぞと思い、むむむと首をかしげて武蔵は悩む。


「まあ第一、アイアンボトムサウンドの制圧には成功してるし。あの後、ガ島奪還戦って公式に作戦として認められて他の泊地も戦ったわけだし、いいんじゃない?

 人情で動くような皇帝サマだしさ、大元帥も」


「武蔵は武蔵で、これから私たちと暮らすのに慣れていくことに専念してほしいっぽい」


「……そんなものか……。」


「そんなものさ」


車いすで運ばれる天原が口を開き、武蔵に答えた。


「…………しかし……いや……むう」


それとは別に、何か気にかかることがある態度を示す天原をよそに、武蔵は彼女に言った。


「まあ……なんだ。その」





武蔵「これから、よろしくな。父さん」


提督「…………やっぱり変じゃないか?」




「何故だ?だって夕立と貴女がケッコンカッコカリを行った直後に来たのがここなんだろう?」


「ん。そうだよ武蔵。あなたはただしい。私と提督さんがケッコンして来たのが武蔵なんだから、武蔵は私たちの子供だね」


「いや、別にそれは事実だから否定しないが……その…………私、一応艦娘だぞ?女なんだぞ?」


「しかしケッコンカッコカリでは提督の方を夫として行うぞ、父さん」


「んんん、いや、それは違いないんだが…………なんだかなぁ……」


「いいじゃんいいじゃん。私だって駆逐艦なのに戦艦に母さんって呼ばれるんだよ?面白いっぽい」


「面白い……ことには違いない、が…………うむむむ……」


「そのうち慣れるっぽい」






後書き

――T蔵氏に捧ぐ――


オリジナル設定の公開や戦闘描写、オリジナル艦娘についてなど、
かなり実験的な内容になりました。
たいへんでした。

雰囲気はもはや原作からかなりかけ離れていますが
これからの話でもっと離れていく予定です。
もちろん、原作の要素は踏襲しながら。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


このSSへの評価

3件評価されています


SS好きの名無しさんから
2016-05-18 01:11:29

T蔵さんから
2016-05-16 16:23:07

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2016-05-16 11:22:44

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このSSへのコメント

4件コメントされています

1: T蔵 2016-05-16 16:25:41 ID: mc4FB9y6

構成のよさ

一回で初めから終わりまで読みきれる内容。

ありがたやありがたや。

次回の話も正座してお待ちしております。

2: 佑来 2016-05-16 19:25:54 ID: ndU0HaK_

T蔵兄貴オッスオッス!
今回も読んでくれてほんとありがとうございます。

はからずとも雪風の話より長くなって
最長になった今回の話だけど
次の話でまた最長記録を更新しそう。

遅筆遅筆アンド遅筆でもうしわけない。
書くから、まっててや。

3: SS好きの名無しさん 2016-05-18 01:11:11 ID: wfE18KI8

武蔵が大和と天原提督を見間違えるところ、二回目の間違いで天原提督が不機嫌になる所、その後に呆れ顔になる所が好きです。天原提督を知っていると、にやりとしてしまう場面ですね。
まるで烏が羽を広げるように、黒髪がばさりと舞った。ここの描写が素敵で、一気に引き込まれました。
終始緊迫した中でのたまにあるほんわかしたやりとりが好き
ゴーヤが終始可愛い、と思いきや、刺客だったシーン、ぞくっときました
手に汗握る白熱した戦闘が後の、原提督と天原提督のやりとりはどうしてもほっこりしてしまいました、シリアスとほのぼのの割合が、個人的にものすごく好きです

天原提督が艤装を出現させて、突撃させるシーンは、その前のやり取りも含めて鳥肌が立ちました

比叡好きな提督より

4: 佑来 2016-05-18 16:56:24 ID: sDMzeDIC

読み返して楽しめる作品にも仕上がってくれたかなぁ、と思います。
あ、読み返すのは過去のシリーズも含めて。
提督の正体を知ったうえで読むとまた別の感想が抱けるかな、と。

こんなとこで解説するのもナンだけど
天原は実在した艦じゃないから、艤装が存在しません。
ただし砲だけは完成していたという(これも定かではないけど)史実から、
砲だけをファンネルみたいに飛ばせるというスタイルになってます。

これからも比叡大好きでいてください。
夕立好きな提督より。


このSSへのオススメ

2件オススメされています

1: T蔵 2016-05-16 16:23:54 ID: mc4FB9y6

この一本芯の通った世界観。

硬派ですぜ・・・。

2: SS好きの名無しさん 2016-05-16 22:25:20 ID: Rmq0MsMe

提督の見送る事しか出来ない無念さに非常に共感しました
あと、これまでの眼の光は一旦沈んだのかとも思ったけども近代化改修ってのは成る程なーと
すっごく面白かったです、続きがまた楽しみです!


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