2016-08-30 23:04:37 更新

概要

二年前の戦線で親友〝大井〟を喪った〝北上〟はそれ以降戦いから遠ざかり、艦娘として堕落した日々を過ごしていた。しかし提督の強い意向によって、嫌々ながらも新人たちの教官を務めることになりーー


前書き

現在、とあるアンケートを取っているのでお時間がよろしければTwitterの@Me_and_Kuboまで飛んで、お答えいただきたく思います。何卒よろしくお願いいたします。

※設定に対する個人的な解釈や改変があります。お気を付けください。
※提督や鎮守府内のお店の店員は話の都合上、オリジナルキャラとなっております。

 コメント等、お気軽に何でもいいのでお待ちしております。趣味全開ですが、なにとぞ、よろしくお願いします。


プロローグ


 洗剤の匂いが、コードネーム“北上”の鼻先で薫った。ふわりと、優しい香りが少女を包む。何百何千と鼻先を漂った、コードネーム“大井”が好んで使いたがる、お気に入りの洗剤の匂いだ。潮の香りや硝煙に紛れ意識が朦朧としていながらも、北上にとってその匂いを探り当てることは訳のない話であった。

 大井に抱きしめられながら、北上は少女の言葉を聞いた。


「煙草、吸い過ぎちゃダメですからね。私がいなくてもちゃんと朝起きて訓練に出て、髪をセットするんですよ」


 北上の頭を抱きしめる大井の腕に、一層の力がこもる。


「――ヤダ」


 頭部から血を流し、失神寸前の状況においてなお、北上は言葉を捻り出した。


「そんなこと言わないでさ、大井っちも一緒に還るんだから」


 弱々しい北上の言葉に、大井は首を横に振った。


「私は戦場(ここ)に残ります。私が一番残りの弾薬や破損状況を見ても、殿(しんがり)に向いていますから」


「やだ!」


 北上が、大井の胸元で叫んだ。


「こんなの絶対におかしいって! 大井っちが残るならあたしも――」


「旗艦は私です。指示に従ってください」


 大井の一括が、北上の頬をぴしゃりと叩く。


「それに、死ぬと決まったわけじゃありませんから」


 胸元から北上を離し、大井が微笑む。


「いつか絶対に戻ってきますから、待っていてくださいね」


 北上から目線を離し、大井が他の仲間たちに軽く頭を下げる。


「北上さんの事、よろしくお願いします」


 北上の腕から、大井の身体がするりと抜ける。

 踵を返し、大井が海上を滑る。その足取りは軽く、後ろ姿は大きかった。

 その姿を見ると同時に、北上の意識が黒く塗りつぶされる。意識が途切れる直前に、北上は最愛の友を呼んだ。


「――智(とも)ちゃん」


 これが後に“極大戦線”と呼ばれる大規模戦闘の、一人の犠牲と引き換えに得た幕切れであった。



第一章 コードネーム北上


「……夢か」


 少女――北上は誰に言うでもなく呟いた。その声にはいつもの気だるさに加え、ひと匙程度の憎々しさが混ざっている。滲んだ汗のせいで前髪が額にべったりと張り付いているため、寝起きは最悪だ。お気に入りの中庭で大好きな昼寝を満喫したというのに、気分は憂鬱として晴れない。なぜ今、あの光景を思い出したのだろうか。

 はあ、と溜め息を放つ。底抜けに落ち込んだ気分を、今はどうにかして霧散させたい思いで一杯だった。


「吸っちゃおうかな」


 流石に憩いの共用スペースで喫煙することには、些かの抵抗が拭えない。緩慢な動きで腰を上げる。よいしょと言いながら膝を伸ばし、うんと伸びる。木々の隙間を縫って差し込む陽光が、少女の目を細めさせる。伸びと日光も相まり、北上は目じりに涙を浮かべた。


「北上さん!」


 そんな少女の背中を、快活な声が叩いた。未だ覚醒しきっていない頭を、北上は捻る。この声には聞き覚えがある。同期として、何度も聴いた声だ。


「青葉」


 青葉型一番艦、重巡洋艦の青葉である。相も変わらず快活そうな短いポニーテールと、走りやすそうなキュロットが様になっていた。黒のニーソックスに包まれた健康的な脚を弾むように躍らせ、北上の元へ近づく。


「北上さん、またお昼寝ですか?」


「別にサボってたわけじゃないよ」


 いけしゃあしゃあと、北上は答える。「掃除はちゃんと済ませたし、花の水やりだって終わった。あたしは然るべき業務を全うして、寝てたんだから」


「いや、そうじゃなくてですね……」


 青葉は恐る恐る、苦笑を浮かべながら尋ねる。


「演習とか出撃とかは、されないのかなーって」


「しないよ」


 即答だった。常に穏やかなテンポを崩さない北上であったが、その時ばかりは瞬く間に否定した。


「あたしはもう、金輪際艤装着けるつもりないんだよねえ。着けてまで守りたいものもないし」


 そうですかと、青葉が引き下がる。元より期待していた解が来ないことはわかっていたようで、あっさりと言及を諦めた。


「で、なんの用なのさ」


 北上はぼんやりと頭脳の引き出しを探る。青葉と何かしらの約束を交わした覚えもない。元よりさして親しい間柄でもなく、顔を合わせれば適当に挨拶をするような仲だ。そんな自分に一体何用であろうか。

 気を取り直した青葉が、すっと背筋を伸ばす。


「司令官がお呼びだそうですよ」


「提督があ?」


 北上は露骨に表情を歪めた。顔の中心部に皺を集め、見るからに嫌そうな雰囲気を滲ませる。ここ最近顔を合わせていなかった――否、意図的に避けていた男の顔が嫌でも思い起こされた。常に薄い笑みをたたえた顔と何を考えているのかわからない奥行の深さを持った言動は、好きではないし苦手だった。故に、呼び出されても会いに行きたくないのが正直な気持ちである。


「煙草はちゃんと喫煙スペースで吸ったし、お酒だって酒保から一滴も盗んでないんだから、怒られる謂れなんてないんだよねえ。お酒勝手に飲んだのは五か月前に大淀さんからこっぴどく叱られて以来懲りたってば」


「多分そういうことじゃないと思うんですけど……」


 なんとも言えないような顔で、青葉が口の端を引き攣らせる。


「情報によると、新しい艦が進水したみたいですよ」


 メモ帳を捲りながら最近の出来事を確かめる青葉を見て、北上はなお一層首を傾げる。新入りがやって来た事と自分の呼び出しが、一体どこでどうつながるのだろうか。


「それ、本当にあたしと関係あるの?」


「最近の目立ったトピックスはその位ですし、実際司令官の元へ行って確かめるのが吉ですね」


「えええええええええ」


 あからさまに辟易した北上の肩を叩きながら、青葉がニコニコと笑みを作る。


「何か面白い事が出てきたら、是非青葉に教えてくださいね」


 他人事だと思って暢気に構える青葉に、北上は舌打ちを堪えて応えた。


「じゃあ今度、鳳翔さんとこで一杯ね」


「お安いご用ですとも!」



第二章 松崎城酔(まつざきじょうすい)


 松崎城酔――北上が所属する鎮守府の提督である。糸を張ったように目を細め、常に薄い笑みを貼り付けている男だ。加えて前髪は左だけ妙に長く、左目を覆い隠しており、病的に白い顔色も相まってさながら海上をうごめく幽鬼のような風貌である。年齢は一応三十五との事らしいが、北上はその数値を一切信じていない。

 北上は正直この男のことを苦手としており、できる限り接触したいと思わないものの、渋々足を向けた。薄暗い部屋の中で、とりあえず敬礼する。別に手の平が汚れているわけではないが、念のために肘を前に出し、手首を多少捻り手の平を内側へ巻き込む。


「やっほー。まっちゃん久しぶりだねえ」


 敢えて砕けるような口調で、男の名を呼ぶ。

 提督専用の椅子で深く腰掛けていた男が、窘めるような音吐で応えた。


「北上さん、その呼び方はおやめなさい」


 男にしては、少し高い声である。


「はいはい」


「はいは一回です」


「……はあああああああい」


 反抗的――いや、従う気を一切見せない北上に対して松崎は肩を竦め、緩やかに息を吐いた。本来なら上官に対しての態度を質し、厳しく指導されてしかる場面である。だが松崎は、一切触れる気はなかったようだ。軽く手を振り、北上の敬礼を解かせる。少女は姿勢を楽にさせた。

 傍らで控える秘書官の大淀に目配せをした後、松崎が話し始める。


「最近はどうです? 桜は散ってしまいましたがまだ四月ですし、お昼寝には絶好の暖かさだと思いますけど」


「だよねえ。中庭で横になって寝るときほど、幸せを実感できることも中々ないよ」


 のらりくらりと応えながら、少女は松崎の表情を具(つぶさ)に観察する。しかし松崎の顔には変化が現れず、じりじりと互いの心的距離感を図りながら、頬が焦げるような様子見が部屋に充満しはじめた。


「私も先日、旧友からいい酒を贈ってもらいましてね。少し遅いですが、お花見ならぬ青葉見なんてものを皆でしてみたいと思っていまして……まあ、青葉見なら青葉さんをここに呼んで宴会も言葉遊びじみて一興かなと思うわけなんですよ」


「で?」


 松崎の世間話を、北上はばっさりと切り落とした。


「そんなつまらない話をするためにわざわざここまであたしを呼んだわけ?」


 松崎が苦々しい笑みを浮かべる。


「結構頑張って、話のネタを探したつもりだったんですけどね……」


「だから言ったじゃないですか」


 大淀が呆れたように、しかし労わるように話す。「早いところ、本題に移った方がいい気がしますよ」


 大淀に励まされ立ち直りつつある松崎を見て、北上は露骨に苛立った。ただでさえ悪夢にうなされて起きた身なのだ。茶番の極みを見せつけられ、北上の臨界点は近い。いつもならもう少し鷹揚になれたのかもしれないが、この時ばかりは別である。


「じゃあ、そろそろ用件に触れましょうか」


 先程までの落ち込んでいた様子から一転し、松崎はけろりと宣言した。この異常なまでの切り替えの早さが、好きになれない大きな理由の一つなのかもしれない。温度差が激しいために、着いて行くのが非常に面倒くさいのだ。


「ひょっとしたらもうご存知かもしれませんけど……」


 そばで控える大淀からバインダーを受け取り、松崎が言葉を続ける。


「本日付で、何人か新しい艦がここに着任することになりました」


 青葉の言っていたことは、どうやら正しかったようだ。しかしなぜ自分にそのことを伝えるのか、北上は理解できずにいる。


「へえ、そりゃよかったじゃん。オメデトウ」


「他人事みたいなリアクションをされてしまっては困ります」


 松崎が大淀へ、目で合図を送る。軽く顎を引いた大淀が、バインダーを北上によこした。


「辞令です」


「辞令なんて仰々しい言い方しちゃってさあー、一体どんな……」


 ざっと目を通した北上の顔が、苦悶に歪む。明らかな拒絶。あからさまな嫌悪だった。


「コードネーム北上。あなたには新入りたちの教育係を担っていただきます」



第三章 辞令発動


「ヤダ。マジ無理」


 北上は刹那に拒んだ。


「残念ですが」


 手を組みながら、松崎はいつもと変わらない笑顔で北上に付き付ける。「あなたの意志は聞いていません。これは命令です」


「そもそも――」


 北上は口を開く。


「今だって何もしてないわけじゃないんだからさ。現にこうして“特殊後方支援課”の一員として庭の手入れとか掃除とか、身を粉にして働いてるんだよねえ」


”特殊後方支援課”とは前線で戦闘することを旨とせず、鎮守府内の雑務や整備充実のために働く“元”艦娘たちの総称である。一身上の都合や前線での戦闘が困難になるほどの深手を負った艦娘たちは、艦娘としてではなく一般的な職員として仕事に従事するのが、この鎮守府における退役者への扱いだ。主な例として“居酒屋鳳翔”で料理や酒類を提供する“鳳翔”をはじめ中央食堂など、鎮守府内で働くスタッフはみな元艦娘である。


「北上さん、あなたは前線を引いて久しい身とはいえ立派な艦娘であり、当時の主力でした。ですので、そのノウハウを是非我々や鎮守府のために活かしていただきたいと思う次第なのです」


 松崎のいかにも真っ当な言葉を聞きながら、北上は口の端を下げる。


「香取さんだっているじゃん。別にわざわざあたしを抜擢する理由なんて」


「香取さんは現在、他の鎮守府に出向中ですので」


「そもそも暇が……」


 徐々に言い訳が苦しくなってきた北上を見て、松崎が満足げに頷いた。


「そんなこともあろうかと、こんなものを用意してみました。二枚目の書類をどうぞ」


 促されるまま、北上は紙を捲る。それと同時に、「うげ」と声を漏らす。


 起床、勤務、就寝のみならず、自分の行動全てを事細かに纏められていた。行動の端から端まで、どんな艦娘とすれ違ったかすら記載されおり、挙句の果てには中央の食堂で頼んだ料理をどんな順番で食したのかも書かれていた。


「北上さんの観察日記です」


 にこりと微笑む松崎に、北上は背中の産毛が総毛立つような錯覚に襲われた。


「この資料からも分かるように、北上さんには合計三時間ほどの余裕があると私は分析しているんですよ。ですので、その時間を新人の教育に割いていただければと」


 いや、おかしいだろこれ。

 喉元まで出かかった言葉を、北上はかろうじて呑み込んだ。

 常に行動を一緒にしている艦娘は、かつての大井以外存在しない。そのような中で、ここまで詳しく自分のすべてを握られているということに戦慄を隠せなかった。こう見えて北上だって基礎的な訓練はすべて修了した身である。例え監視カメラであっても自分が監視されているのであれば、それを遅かれ早かれ察知することはできたはずだ。それを全く悟らせないままここまでの情報を手に入れた手管に、少女はただただ戦(おのの)いた。


「それでもなおこの相談を聞き入れていただけないのなら、あなたを“解体”することすら辞さない姿勢だということをお伝えしておきましょう」


 解体――艦娘たちが所有している艤装を剥奪し、一般的な民間人の階級へ落とすことを意味する単語だ。その際に船の名を冠したコードネームも奪われ、本名や“元”の肩書が付きまとう生活を余儀なくされる。


「まあもっとも」


 変わらない顔で松崎は続ける。「北上さんの場合、艦娘から完全に退いて民間人に戻ったとしても帰る場所があるのかは甚だ疑問に思いますがね」


 北上はぐっと、己の下唇を噛んだ。

 民間人が艦娘になる際、避けて通れない通過儀礼じみた行為が一つ存在する。

 それは、薬の投与だ。

 その薬を服用すると身体の老化が極限にまで鈍化し、艦娘として瑞々しい体で長く戦える。そのような状態で一般の世間に溶け込めることは不可能に近いだろう。特に軽巡や駆逐艦等の若々しい容姿のまま、何年も生きれば周囲が怖がって敬遠することは目に見えている。比較的存在が公に認められつつある現在においても艦娘は恐怖の存在であり、人類と敵対する深海棲艦たちと本質的には同じだ。艦娘たちが外で生きることはあまりに息苦しく、鎮守府に入った時点で死に場所が決まっていると言っても過言ではなかった。

 何も言えなくなった北上に対し、松崎が畳み掛ける。


「勿論、指導員としての手当ては厚くさせていただく所存です。何なら、特別な階級や権限も一部ではありますが考慮いたしますとも」


 なぜそこまでの厚遇を提示するのかは全くもって謎であったものの、その提案を受け入れる以外の選択肢が存在しないことは検証の余地もなかった。

 太平洋を跨ぎかねないほどの長い溜め息の末、少女は答える。


「まあ、前向きに検討するかねえ」


「北上さんならそう言ってくださると信じていました」


 松崎の当たり障りない言葉に「嘘つけ」と言ってやりたい気持ちを押さえながら、北上は頷く。


「一応訊いておきたいんだけどさ」


 思い出したように、北上が訪ねる。「指導するのはどの艦種なの? やっぱり軽巡?」


 松崎は満面の笑みで応える。


「駆逐艦ですよ」


 北上の表情が、ぐにゃりと歪んだ。



第四章 北上の憂鬱


「北上さん、相当不満そうな顔していましたね」


 退室した北上を思い起こしながら、大淀が口を開く。先の北上が見せた顔は、明らかに嫌々従わざるを得ない者の顔だったことは、誰の目から見ても明らかだ。それ程までに口の両端を下げ、眉間に皺を寄せていた。


「でしょうね」


 松崎は至って淡白に答える。「多分私も同じ立場なら嫌だと思います。よりにもよって、北上さんが億劫がっている駆逐艦なら尚更だと思います」


「ではなぜ」


「理由は幾つかあります」


 雑務や装備開発のために要する書類へ印を押しながら、松崎は軽い調子で話し始めた。


「我々鎮守府の財源をご存知ですか?」


「国費からです」


 この男は自分のことを馬鹿にしているのだろうか。そんな想いが、鎌首をもたげる。


「大正解です。私のお給料も当たり前ですが国――もっと明確に表現するなら国民の皆様から集めている血税を割いてまでいただいているものですし、皆さんのお給料は勿論の事ながら鎮守府内の整備や研究開発もちょっと大きな声では言えない程の額が注ぎ込まれています」


 当たり前と言えば当たり前の話である。人類共通の敵である深海棲艦は攻撃対象を差別せず、加えて日本は島国だ。外敵から本土を踏み荒らされない事と同程度に、輸出入の安全性確保は死活問題なのである。故に国家は大枚叩いてまで艦娘や鎮守府に公費を注ぎ、国防力の向上に重点を置いているのである。むしろ艦娘たちの存在を今更否定しようと躍起になる輩たちはありもしない情報に踊らされて唆された能のない羊か、日本国民ではない可能性が極めて高いと言ってもいい。


「で、北上さんはああ見えて結構高給取りなんですよ。何せ抜群の雷装がありますから、それに伴った手当が付いているんですよね。ここ二年くらい艤装を着けていませんけど」


 艦娘の給与体系には幾つかの基準があり、それに則った額が振り込まれている。例えば艦種によっても手当の幅が違うため、同じ一年目であっても駆逐艦と戦艦では給料に開きが存在する事は言うまでもないだろう。それ程までに厚遇する艦種には、それに見合った危険度やハードワークがちらついているのだから。


「おまけに彼女には相当な実績もありますからね。大きな声では言えないんですが三年目の”赤城”さん以上の稼ぎがあります。正規空母より稼ぐ軽巡は、他の鎮守府でも前代未聞らしいです」


 それは勿論大淀だって知っている。なにせ艦娘たちの給与計算は大淀を始め、彼女の指揮する元艦娘たちで行っているのだ。知らないはずがない。


「その事を先日お上から厳しく追及されたんですよ。”ただの雑用がどうしてここまで厚遇されるのだ”とね。ですが私としては”極大戦線”で目一杯働いていただいた事もあるんで、然るべき給料はお出ししたいんです。私としても嫌がる北上さんに無理矢理令状を押し付けるのは、心が痛んで仕方ありません」


 どうしてこの男は涼しい顔で息をするかのように、心にもない嘘を吐けるのだろうか。大淀は心底感心しながらも松崎の言葉を待つ。


「そんな中、前線に絶対出たがらない北上さんををどうにかギリギリの妥協点を狙ってみました。教育係として後輩を教育すればその後輩たちが活躍し、長期的なスパンにはなりますけど国のためにも繋がりますからね」


「はあ」


 大淀は一応納得の意思を示す。強引極まりないが、北上を教育係にさせることは上層部を納得させる口実でもあるのだろう。


「ではなぜ駆逐艦と組み合わせたんですか? 球磨型姉妹末っ子の”木曽”や阿賀野型の教育係でも良かった気がするんですけど」


「あ、そこは私の趣味です」


松崎がけろりと答えた。「四苦八苦する北上さんが、なんとなく見て見たかったので」


こいつクソ野郎だな。


勿論言葉にしないながらも、大淀は確信した。


第五章 少女不知火


 少女――コードネーム“不知火”は浮足立っていた。今日は栄えある艦娘としての初日であり、自分をはじめとする新人数名に指導員がつく日なのだ。これから始まる生活に、心の昂ぶりが抑えきれない。そんな彼女の心を映し出したかのごとく、四月の空は澄み切った青。幸先最高、晴天ナリ。

 さらにその指導員がかの“北上”ともなれば、興奮もなお一層高まるというものである。何せここの北上は二年前の“極大戦線”においても圧倒的な雷装をもって、多くの敵を葬ったと言われている。装備で魚雷を持つ駆逐艦として、北上の存在はまさにスーパースターにも匹敵する。雲の上や高嶺の花であり、同時に駆逐艦たちが焦がれる活躍を有す存在なのである。勿論不知火自身が自分の艦種に不満を持っているわけではない。しかし多くの武勲を挙げて周囲から評価を得ている艦娘に対して、不知火はなんとも言い難い憧れに駆られていた。


 ――いつかは、自分も!


 そんな思いを胸に、少女は歩く。自分の荷物はすでに寮へ預けているため、身軽に歩くことができる。目指すは、召集のかかっている中庭だ。指導員の北上はそこを集合場所にしているらしく、すでに数名の艦娘たちがぼんやりと立っていた。

 ここで粗相をするわけにはいかない。そのような思いを元に、先手必勝で不知火は大きな声と共に頭を下げる。


「本日配属となりました陽炎型駆逐艦二番艦“不知火”です。ご指導ご鞭撻、よろしくです」


 唐突な体育会系じみた挨拶に、先客である同期たちが一瞬ではあるもののざわめいた。

 九十度に曲げていた腰を戻し、不知火は表情を引き締める。


「北上さんはまだお見えにならないのでしょうか」


 不知火の問いに、一人の少女が首を振った。茶色く毛先がわずかに波打つ程度の癖が目を惹く、愛嬌のある少女だ。


「あと五分くらいなんだけど……来ないね」


「不知火は少々異動に手間取ったものですから、もう皆さんお集まりなのかと……」


 いや、待て。

 言いかけていた言葉を、不知火はふいに閉ざした。


「ひょっとしてこれは、不知火たちを試しているのかもしれませんよ……ええと」


「“睦月”だよ」


 少女――睦月がニコリと笑った。

 不知火の言葉を受け止め、睦月が首を傾げる。そのいちいち小動物じみた所作が幼く、可愛らしい印象だった。


「睦月たちを試すって、どういうこと?」


「不知火はこう推測しています」


 はきはきとした声で少女は続ける。


「きっと北上さんは遠くから不知火たちの行動を窺っているに違いありません。弛んだ気持ちで待っていないか、艦娘として、上司を迎え入れる心構えがすでにあるのかと」


「ええー……」


 睦月はなんとも言えない顔をする。


「不知火たちは今日から艦娘です。艦娘としての規律を守る素養があるのかを、見極めるために敢えてギリギリで来るつもりでしょう」


 不知火は背筋を伸ばす。ただでさえすらりとした背中を、一層伸ばす。背骨に鉄骨でも入っているのではないかと疑いたくなるほどしっかりと“気を付け”の姿勢を固めた。


「ですから、こうして待ちましょう。上司が見ていなくとも、緩んだ気持ちは許されません」


「睦月はそこまでしなくてもいいと思うんだけどなあ」


 呆れ気味に答える睦月に、不知火は「なりません」と切り返す。


「いつどこで試されているのかわかりませんから。睦月さんもほら」


 低い声とスカイブルーの鋭い瞳で促され、睦月は渋々両足を揃えた。


第六章 艦娘たちは紺碧色の夢を見るか



 北上はぼんやりと空を見上げていた。全力で跳べばそのまま重力を忘れて空の彼方まで吸い込まれるのではないだろうか。そう思わせるほどに深く、濃い青だ。潮の匂いも相まって、あの空も海の一部なのではないかと少女は思う。水平線に向かってずっと進めばいつか空と海の境界線が消えて交わるのだと言われたら、信じてしまいかねないほどの蒼である。


「ねえ、北上さん」


 ふいにかかった声で、北上の意識が収斂した。このままぼんやりし続けていたら、自分も蒼に溶けていたかもしれない。なぜか一瞬、本気でそう感じた。


「どうしたのさ、大井っち」


 いつも通りの間延びした声で応える。ちなみに今は演習が終わり、二人とも服は汚れ、汗をかいている。その体に染みるかのように磯の香りが肺を満たし、北上の胸元が呼吸で膨らんだ。


「艦娘になったこと、後悔していますか?」


 あまりに唐突な問いに合わせるかの如く、風が二人の髪を撫でる。

 さっと風が走り抜けた折を見計らって、北上は口を開いた。


「いんや、別に。ぶっちゃけあたしには帰れる場所なんてなかったようなモンだし、大井っちが一緒なら、そこが天国でも地獄でも変わんないよ」


 マイペースに応える北上を見て、大井が「奇遇ですね」と返した。


「私も後悔なんてしていませんし、北上さんが隣にいればどこにだって行けますから」


 迷いなく返した大井に、北上は「にしし」と破顔させる。


「あたしたち、ずっと一緒にいられるかな」


「大丈夫ですよ」


 淀みなく、透き通った意思を大井は放つ。「一緒です、ずっと」


 にこりと笑う大井に、北上はなんとも言い難い焦燥に駆られる。その言葉に、なんの担保や根拠もない。しかし少女には、信じることしか残されていなかった。


「――だよね。大井っちと組めば、無敵だもんね」




 北上は、緩やかに瞼を上げる。今日は松崎から命じられた駆逐艦たち数名が着任する予定の日であり、集合時間まで多少の余裕があったため寝転んで待っていたら眠ってしまったようだ。北上は確信する。自分が悪いのではなく、眠気を誘発させるほどの陽気と寝心地の良い中庭が悪いのだ。


「大井っちがいたら、怒られただろうなあ」


 今はもういない友の名を呼び、北上は身体を起こす。今は、何時だろうか。

 松崎から預かっている書類に寄ればヒトマルマルマル――要するに十時が集合時間らしい。自分が横になったのは九時半程度であるため余裕だろうと驕りつつ、少女は時計を見た。


「……えっ?」


 北上は目を疑う。

 長針が“3”を短針は“11”を指している。

 ヒトヒトヒトゴ、十一時十五分ナリ。



第七章 幻想



 新人艦娘の不知火は唖然とした。一時間以上の遅刻に加え噂に聞いていた北上とは想像できないほど堕落した相手を見て、自分が見ている北上は蜃気楼――或いはタチの悪い白昼夢であることを祈った。しかし現実は常に非情。待ちぼうけを食らった約一時間が戻ることも、眼前の北上が変貌するわけもなかった。

 口の端に着いた唾液をセーラー服の裾で拭いながら、北上はやる気のない声で宣言した。


「提督から色々言われてるかもしれないけど、あたしが北上様だよ。よろしく」


「……それだけ、ですか?」


 不知火が恐る恐る尋ねる。


「他に何か言うことでもある? 別にこのくらいでいいと思うんだけど」


「たくさんあるでしょう」


 不知火は思わず喰い気味に答えた。「艦娘になった動機やこれからの気構え、敬愛する作家や趣味諸々、枚挙に暇(いとま)がないと不知火は思います」


「じゃあそれ、みんなで適当にやっちゃって」


 明らかにあしらうような対応を見て、不知火が青筋を立てた。しかし相手は上司であり一応憧れのスターだ。ここで騒ぎを起こすようなことは、避けた方が賢明である。


「陽炎型駆逐艦二番艦“不知火”です。ご指導ご鞭撻、よろしくです。艦娘になった動機はこの手で国民を守ることにこの上ない誇りを感じ、自分も守る側の人間に立ちたいとの想いで志願いたしました」


 はきはきと述べる不知火とは対照的に、北上のやる気は感じられない。適当に聞き流しながら、自身の髪についている葉を撤去する作業に勤しんでいた。

 不知火の後も艦娘たちの自己紹介はつつがなく終わり、全員の名前が明らかになる。なぜか一人だけ重巡が混じっていないでもなかったが、あえてそこに触れることは避けた。きっと、何かしらの事情があるのだろう。

 全員の自己紹介を聴き終わった北上が、「うん」と顎を引く。


「じゃ、今日は解散。お疲れ様」


「――は?」


 不知火の声が裏返った。驚いているのは不知火だけではない。睦月をはじめとした他の艦娘たちも、声に出さないものの確かな動揺が顔に見て取れた。


「解散だよ、解散」


 聞き間違いではなかったようだ。通常であればここから鎮守府内の案内や各指導員によって考えられたメニューが始まるはずである。それが、ない。


「じゃあねー」


 ひらひらと右手を振って身体を翻す北上に、不知火が必死に追いすがる。他の艦娘たちはどう行動するべきなのかを、判断しかねているようだった。


「こんなの間違っています。せめて北上さんの担当される教育区分や以降のスケジュールを然るべき論理性を元に説明していただかないと」


「予定は未定だよ。そもそもあたしだってやる気ないんだからさ」


「そんな全体の士気に関わることは控えてください! 仮にも貴方は教え子を持ち、これからご指導される立場なんですから!」


 しつこくまとわりつく不知火を端目に、北上は盛大な溜め息をついた。「駆逐艦……ウザい」

 直後に満面な笑みを作り、不知火の元へ向き直る。


「じゃあ折角だから、不知火ちゃんにだけ特別に鎮守府(ここ)での北上様ルールを教えてあげちゃうね」


 不知火は表情を明るくさせる。不真面目な態度をとっていた上司に自分の熱意が通じたのだ。これほど嬉しいこともそうそうない。


「じゃあまず、脚を肩幅程度に開いてみよっか」


「はい!」


 鋭い声で返す。きびきびと、模範的な動きで脚を開く。


「次。両手を後ろで組んで」


「はい!」


 指示通りに動く不知火を見て、北上が「うんうん」とうなずいた。


「そのまま、その姿勢崩しちゃだめだよー」


 言うが早いか、北上は動いた左肩と左足を前に出すような半身になり、両拳を顎のすぐそばまで上げる。前後に揺らめくように動き、重心を右の足から左の足へ。

 不知火が「え」と呟くより早く、北上の腰が左に巻いた。直後、北上の右拳が不知火の左腹部を捉える。渾身のボディブローが、不知火の腹を貫いた。

 ばすんという衝撃音と共に、身体をくの字に折る。あまりの衝撃に、不知火の足は一瞬地面を離れた。


「おごっ……」


 声にならない呻きを漏らしながら、不知火はその場に崩れた。全く警戒していなかった状態での一撃である。投薬によって多少身体が頑丈な艦娘と言えど、耐えきれるものではなかった。沁みるような痛みが腹を掴み、満足に肺を膨らませることすらできない。

 頬を地面につけながら、不知火は辛うじて声を絞り出した。


「し、不知火に落ち度でも」


「態度」


 北上の答えは実に単純だった。


「上官の言うことは絶対。わかった?」


 いかにも億劫そうな口調で話しながら、北上はにこやかな笑みを崩さず他の新入りたちに顔を向ける。あまりに予期していなかった展開を目の当たりにして怯えを通り越し放心する新人たちに、北上は語気を強めて言った。


「今度こそ、解散」


 部屋へ帰ろうとする北上に、呼吸もままなっていない不知火が手を伸ばす。


「待って……ください」


 その声は、北上には届かない。



第八章 薄闇の思惑



北上から痛烈な洗礼を被った不知火は、肩を怒らせながら歩いていた。その剣幕は一年目の新人とは思い難く、先輩格の艦娘たちも思わず廊下の端に寄って道を譲る有り様だ。ずんずんと大股で進み、提督のいる執務室に攻め込んだ。


「不知火です、入ります!」


「そういうのはノックしながら言うものですよ」


執務室には、当たり前と言ってしまえば当たり前だが松崎が構えていた。いつも通りの薄笑いを浮かべて、隣には大淀を従えている。


「まあそろそろ来る頃だとは思っていましたが一応お尋ねしましょう。どうなさいましたか?」


「どうもこうもありません!」


ハスキーな声をのたうち回す。


「なぜ不知火たちにあのようなやる気のない艦娘を当てがったのか、甚だ理解に苦しんでます。納得のできる説明を要求します」


松崎は顎を引いて、「やはりその件でしたか」と呟く。


「その要求には、残念ですがお答えできません」


「なぜです」


不知火の疑問に、松崎はやんわりとした口調で答える。


「多分私がこの場で教師のように懇切丁寧な解説をしたとしても、無駄だからです。ここは論理ではなく、感覚的に掴んで欲しいと思っていますし、そういった指導員を見て自分たちの将来に活かして欲しいとも思っています。不知火さんたちも、ある程度のキャリアを積む一環としていつかは指導員を担っていただきたいと考えていますから、今のうち指導員の立ち振る舞いをしっかり目に焼き付けてくださいね」


「話を適当に丸め込ませないでください」


不知火の厳しい指摘に、松崎は肩を竦める。


「要するに、不知火たちは期待されていないということでしょうか?」


「滅相もない」


松崎は素早く切り返す。「駆逐艦は要です。そこだけは保証します」


「でしたらその保証を裏付けるだけの指導員を不知火たちに充ててください」


「嫌ですし、北上さん以上の適任はいないと考えております」


痺れを切らしかけた不知火の声が、一層低くなる。「いい加減にしてください」


「おお、怖い怖い」


茶化すような松崎の態度が、不知火の一線を崩した。目を大きく見開き、歯をギリギリと食いしばる。

その一瞬を見逃すはずもなく、大淀が動いた。ホルスターから拳銃を引き抜き、迷いのない構えで不知火を狙う。


「不知火さん、落ち着いてください」


大淀が銃を構えながら、いつも通りの声で警告する。


「ここで私が貴女を射殺することは本意ではありませんし、いいことは何一つありません」


「そうですよ」


憤怒の元凶が、いけしゃあしゃあと便乗する。「せっかく新しく入ってくださった仲間と早々にお別れなんて、この上なく寂しいことだと思いませんか?」

不知火が銃を一瞥する。


「その程度で、不知火を殺せるとお思いで?」


「試してみますか?」


大淀が、珍しくニタリと笑った。「今年の新兵は新鮮ですね」


「はいストップ。さすがにこれ以上はまずいでしょう」


にこやかなまま、松崎は人差し指を立てた。


「じゃあ、こういうことでいかがでしょうか」


簡単な前置きを添えて松崎は続ける。


「一ヶ月。とりあえず一ヶ月北上さんを指導員のまま継続して頂きます。そして一ヶ月後に不知火さん含めた新入りの皆さんから意向を伺い、最適な指導員を振らせていただきます」


いかがでしょうか?

底が一切読めない松崎の発言に、不知火は一応尋ねる。


「この場で変更は」


「却下します」


松崎は即答した。「その条件が飲めないのであれば駆逐艦不知火は解体処分とし、ご実家に帰っていただいても構いません」

その一言を切られた瞬間、不知火はぐっと言葉を飲み込んだ。


「ただ貴女の場合、帰ることができるのかは知りませんがね」


不知火の本当の動機や実家の状況を知っていれば、帰ることができないのは明白だった。


「確か実家にはご両親がいらっしゃらないんでしたっけ? 貧しい中必死に努力して警官としてのし上がったご自慢のお兄さんがいらっしゃったことは、こちらも伺っております。ですが汚職を被せられて自殺したお兄さんの名誉を回復させるために国防の職について、妹たちを大学に行かせるために艦娘になるなんてなんと涙ぐましい愛でしょうか」


顔色を一切変えないまま松崎は話す。

ここまで薄っぺらい愛を語れる人間がいるのかと、不知火は場違いで不覚にも感激した。


「さて、どうしますか?」


松崎の問いに、不知火は腹の底から声を出す。


「一ヶ月ですね、わかりました」


不知火は渋々了承する。「ですがもう答えは決まっているので、次の指導員をしっかりと検討つけておいてくださいね」



第九章 居酒屋鳳翔 序



 午後八時。艦娘たちも訓練や任務を終えて各々の憩いを満喫する時間である。鎮守府の外に出ることは原則出来ないものの飲食店をはじめとした施設は充実しており、この時間は疲れを癒したがる艦娘たちで大きな賑わいをみせる。艦娘たちの寮から歩いて数分のところに構える”居酒屋鳳翔”も、その例に漏れず今日も盛況だ。

 北上は擦り戸に手をかけ、少し強めに戸を開けた。カラカラと、日本家屋特有の音と共に戸が開く。それと同時に、出汁の匂いが少女の鼻を優しく撫でた。


「おう北上ちゃん、久し振りやんけ」


 高い声で呼ばれ、北上は首を捻る。カウンター席に座っている、軽空母”龍驤”によるものだ。サンバイザーのような帽子は脱いでおり茶色いツインテールも相まって、中学生くらいにしか見えない。ただし投薬によってそうなっているだけであり、実年齢は見た目以上だ。北上の新人時代の教官であり、歳を重ねてからも先輩後輩としての関係は続き、折を見て一緒に食事もする仲である。

 龍驤の手招きに釣られて、少女は龍驤の隣に腰を下ろす。


「最近はどんな塩梅や? あんじょう良うやれとるん?」


「いつも通りですかねー」


 ビールを注文しながら、北上は答える。


「それにしても北上ちゃん、ずいぶん面白いことに巻き込まれとるんやなあ」


 ヒヒヒと笑う龍驤とは反対に、北上の顔は苦虫を噛み潰したようになる。


「まさか新人育成のお鉢が北上ちゃんに回るとはなあ」


 昼間の出来事を思い出し、北上は表情を一層暗くさせる。既に辞めたい気持ちでいっぱいになり、はあと息を吐いた。


「そんな溜息出したら、幸せが逃げちゃいますよ」


 かかった声に反応し、北上は顔を上げる。居酒屋鳳翔の主にして”最古の空母”と名高い軽空母――”鳳翔”が、おしぼりを差し出していた。それを受け取り、少女は自身の手を拭く。


「鳳翔さんの優しさが、あたしの荒んだ心に沁みるぅ」


 おしぼりに次いで、グラスと瓶が出される。龍驤から好意で注いでもらい、二人は乾杯した。

 お通しをつつきながら、龍驤が尋ねる。


「で、初日はどんな感じやった?」


「ウザかったです」


 即答した。「ぶっちゃけ、もう辞めたいです」


「早っ!」


 龍驤が口を開けて笑う。「そんなに嫌なん?」

 北上はビールで唇を湿らせた。


「嫌と言うか、どう接していいのかわかりませんしね」


 艦娘としての先輩に、少女は漏らす。「もう誰とも組みたくないというか、一緒に居たくないというか」


「じゃあ、ウチとも一緒におりたくないんやな?」


 からかうような龍驤に、北上は「意地悪ですね」と答えた。


「仕事や艦娘としては、もう誰ともいたくないって意味ですよ」


 話の隙間を縫って、小鉢が出される。肉じゃがだ。料理の腕もさることながら、鳳翔は出すタイミングがうまかった。会話を途切らせることなく、滑るように料理を出す。

 糸こんにゃくを口の中に放り込み、北上は一言。「美味しい」


「なら良かった」鳳翔は控えめに微笑む。「今日はちょっと違うお醤油を使っているので、味見の段階では美味しかったんですけど受けが悪かったらどうしようかと思って」


「美味しいですよ」


 芯まで味が染みたじゃがいもを噛みながら答える。「さすが鳳翔さん。最高です」


「褒めてもお酒とお料理くらいしか出ませんからね」


 鳳翔は恥ずかしそうにはにかむ。料理や店主の心遣いもあってか、北上は背中の筋肉が緩むのを覚えた。どうやら自覚はなかったが、気が張っていたらしい。

 安堵の息を吐いた北上に、龍驤は尋ねた。


「で、これからどないするん?」


「何も決めてませんねー」


 実際に北上が教えるのは三日後からだ。まだ時間的な猶予があるとは言え、楽観視できる状況とは言い難い。


「そもそも、どんなことしていいのかも分かんないですし」


「ウチがやったったみたいなことでええんちゃうん?」


 龍驤の提案に、北上は下唇を突き出した。


「まあ基本的な移動法とかを教えてもらいましたけど、もう二年も海に出てないあたしがやってもって感じがあるんですよねえ。できれば艤装着けたくないし」


「海に出てもらわなくとも大丈夫ですよ」


「――ッ!?」


 北上は反射的に振り返る。北上のすぐ後ろに、松崎が立っていた。店の戸が開いた音も気配もなかった中、いつの間にいたのかを全く認知できなかった。北上は時折、この男が実は人間ではく怨霊や亡霊の類なのではないかと思えてならない。


 北上たちの夜は、まだ続く。


第十章 居酒屋鳳翔 破



「お隣、ちょっと失礼しますね」


 軽い挨拶と共に、松崎が北上の左側に座る。それに合わせて鳳翔がグラスと瓶ビールを差し出した。

 当然のように酒を満喫し始める松崎に、北上は口を開いた。


「提督、ちょっと聞きたいことあるんだけどいい?」


「内容次第、と言っておきましょうか」


 ビールを喉に流し込む松崎に対して、北上は冷ややかな目を向ける。


「なんであたしなの? あたし以外の主力なんてたくさんいるんだし、駆逐艦の指導するなら同じ艦種で高錬度な叢雲とか綾波とかの方がいいじゃん」


 北上の意見に対し、松崎は素直に頷く。おでんの大根を頬張ったのちに、さらりと言った。


「私、こう見えて北上さんのこと大好きなんですよ」


「……はあ」


 北上は気のない声を出す。「もう酔った?」


「勘違いされたら困るんですけど」


 言葉の意味が通じ切らなかったことを悟った松崎が慌てて補足する。


「異性としてではなく、貴女自身が持つ考え方やスタンスが私は大好きなんですよ。ある種ドライを突き詰めて、合理性や損得で冷静に考えることができるそのマインドを、少しでも構いませんから後輩たちに伝播すればという想いからです。その発想や考え方は、きっと新人の大きな力になります」


「じゃあさ、面倒だけどテキストみたいなモノ作って他の指導員が当たれば万事解決なんじゃないの?」


 北上の至極もっともな発言に、男は「そこまで単純なことでもないんですよ」と返す。


「少し話が逸れますが、“才能”ってどんなことを指すと思います?」


「何さ提督、藪から棒に……」


 降って沸いた話題に、北上は視線を彷徨わせて考える。


「アレやろ。どうせ一聞いたら十分(わ)かる素質とかそんなもんやろ」


 熱燗をちびちび飲みながら、龍驤が割って入った。「そう考えると北上ちゃんは才能の塊やで。ちょっとマイペースな部分除いたら、ウチが今まで見てきた教え子の中でも最高やわ」


「それも一理あるでしょうね。間違いではないと思います」


 龍驤の話を受けて、北上はそれとなく思っていることを出した。


「環境なんじゃないの? どれだけ磨けば光る原石だって、磨く設備とかそれを構成に認められる制度とか、あとは周囲の理解がないとただの石ころだもんねえ。生ごみだって農作物をする環境があれば肥料としてありがたく思われるけど、それがなきゃ本当にただの臭いゴミだし、そういったものを生まれながらに持つ――作れる素質を才能って言うんじゃないの?」


「北上ちゃん、結構身も蓋もない事考えるねんな。知っとったけど」


 龍驤が苦笑を浮かべる。

 二人の考えを聴いて、松崎は口を開いた。


「お二人のおっしゃることは何一つ間違いではないと、私は思っています」


 ですが――と、その上でさらに言葉を載せる。


「私はそこに“キャラ性”も備わると思います」


 頭上に疑問符を浮かべた二人に、松崎は「さっきの話にもつながりますけど」と話し始めた。


第十一章 居酒屋鳳翔 急



「北上さんが話された環境の話、すごく正論でした。『ド』がつくほどの正論でしたし、返す言葉もありません」


 再びグラスを口に。


「ですけどその解釈や言葉は、発せられる人にとって大きな反感を呼ぶこともあると思います。言い方を変えるなら、北上さんが言ったから納得もできますし、他の人が言ったのならイラッとするかもしれないことなんですよ」


 試しに北上は、島風を思い浮かべる。島風がそのようなことを言っていたのであれば、違和感は両手に余るだろう。松崎の言葉を借りるのであれば、イラッとする。


「ですが北上さんなら、不思議と納得できるんですよね。それと同じで、実際にそのマインドを持った人がキャラ性や確かな説得力を以て教えていただくことに意義を感じるんです」


「確かにせやな」龍驤が深く頷いた。「鳳翔さんがそんなん言ったら、怖すぎるしめっちゃ嫌や」


「私はそんなこと言いませんし思ってもいませんからね……」


 話を聞いていた鳳翔が苦笑する。


「ですのでそういったことを教えることができるのは現段階において北上さん以外いませんし、海に出ての戦い方を教えていただく必要性はないんですよね。そこはほかの指導員補佐にお任せしましょう」


「へえ……」


 北上は煙草を取り出し、咥える。安物のライターで火を点け、吸った。発がん性物質が杯一杯に充満し、酒の力も手伝って浮足立った恍惚が訪れる。


「海、出なくていいんだよね」


 松崎が首肯する。


「どんな方法でもいいワケ?」


「新人が死なない範囲でしたら、なんでも」


「今何でもって言ったよね、提督」


 深く息を吐く。紫煙がゆらゆらと踊り、虚空へ消えた。


「じゃー一応、やってみましょうかねえ」


 煙草を灰皿に押し付け、席を立つ。「御馳走様でした」

 席で勘定を済ませて帰ろうとする北上を、男は呼び止めた。


「私のこと、まだ恨んでますか?」


 北上の足が止まる。振り向かないまま、少女は数秒だけ黙った。


「別に」


 北上は端的に答える。


「アレはしょうがないでしょ。あのときはあれが最善だったってのは一番あたしが理解してるつもりだし、海に出たくないのはあたしの個人的なわがままだからねえ」


 じゃ。と一言告げて、少女は店を出た。

 戸を閉めると、居酒屋内の喧騒が遠くなる。別の世界に出たような錯覚すら覚えた。

 ふうと息を吐き、少女は空を見上げた。


「一応引き受けたはいいけど、何しよっかなあ」


第十二章  龍驤



 退店した北上を見届けて、松崎は小さく息を吐いた。


「お疲れさん。せっかくやで、お酌したるわ」


 龍驤の提案に、松崎は「恐れ多いです」と苦笑する。


「まさか龍驤さんにお酌していただけるなんて、恐悦至極ってヤツでしょうね」


「おべっかなんしても、なんも出したらんぞ。鳳翔さん、アレ頼むわ」


「アレですね、どうぞ」


 鳳翔が徳利を龍驤に渡した。

 ニヤリと笑う龍驤が松崎のお猪口に酒を注ぐ。互いにそれぞれ酌をしあい、控えめな乾杯を交わした。そのピンポイントを狙ったかの如く、タコの刺身が滑り込んできた。

 タコ足特有の歯ごたえを堪能しながら、龍驤が話を切り出す。


「キミも、随分思い切ったこと考えるねんな」


 松崎が苦笑を浮かべる。「それは、皮肉か何かですか?」


 一応褒めとるんやで、と龍驤は言った。


「まああのまま北上ちゃん腐らせるのも個人的にどうかと思っとったし、このまま何もせん現状考えりゃベストではないかも知れへんけどベターの部類やわな」


「恐縮です」


 軽く頭を下げる松崎に、龍驤は軽く手を振って鷹揚に答える。


 熱燗で喉を温めつつ、龍驤は話を振った。


「せっかくやで、四人で話そうや」


「四人?」


「とぼけるなんて、キミも人が悪いねんな」


 龍驤の小さい手から伸びる人差し指が、鳳翔を指す。


「ウチとキミと鳳翔さん」


 次いで、自身の親指を背後に向ける。


「それと大淀さんで四人や」


 松崎のすぐ後ろで控えていた大淀が、珍しく目を見開く。北上が店から出るタイミングでは控えていなかったはずであり、龍驤から知覚されているとはまるで思っていなかったようだ。


「気付いていらっしゃったんですか」


 喫驚する松崎に、「ウチを誰やと思っとるねん」と返す。


「こう見えて元一航戦の龍驤様や。ウチを出し抜こうなんて一万億年早いで」


 龍驤の指先に、炎にも似た青白い光が灯る。その光に呼応して、式神が店の奥から飛んできた。どうやらこの式神で、自分の背後を見張らせていたらしい。


「本当に抜け目のない方ですね」


「キミ相手ならこれくらいでも足りへんで」


 シシシと笑う龍驤につられて、松崎も頬を緩めた。「これは一本取られました」


 松崎の目配せにより、大淀も席に。鳳翔が棚からグラスや瓶を取り出す。いつの間にか店内に人の気配はほとんどなくなっていた。

 枝豆を口の中に入れながら、松崎は尋ねる。「北上さんは最近どうですか?」


 まあまあやな、と龍驤。


「艤装つけとらんってこともあるやろけど、大井ちゃん死んだ直後よりマシかな。ただ艦娘として他人とつるむことができるのかは分からんで」


「相当、落ち着きを見せていますよ」


 鳳翔も補足する。


「店でお話しすることありますが、良くも悪くも昔のことを話さなくなってきていますね。比較的前向きに物事を考えつつある兆候かと」


 二人の報告を聞いて、松崎は満足げに顎を引いた。


「随分と色のいい報告が聞けて、内心安堵しました」


「キミや大淀ちゃんにはなんも話さんのか」


 松崎は顔つきを苦くさせる。「何故か、私には相談してくれないんですよね」


 まあせやろな、と龍驤は頷く。


「北上ちゃんキミのことめっちゃ避けたがっとるしな」


 眉をハの字にさせる松崎を見かねて、鳳翔が助け舟を浮かべた。


「龍驤さん、あまり提督をいじめるのはちょっと」


「でも実際、私よりかつての先輩や師の方が何かと相談しやすいということはあるでしょうね」


「そういう時のためにウチらがおるんやで」


 松崎の背中を、龍驤の幼さが残る手が優しく叩いた。


「念のため言うておくけど、大井ちゃんが死んだのはキミのせいちゃうで。命を軽んじるわけちゃうけど、引きずりすぎるのも問題やでな」


 龍驤は腰を上げる。「ええ時間やし、そろそろお暇しよかな」


 鳳翔に「ご馳走様」と告げて、龍驤が店を去った。


「それなら、私たちもそろそろ店を出ましょうか」


 勘定を済ませ、店の戸に手を掛ける。「また時間があれば、来ます」


「その前に、お会計をしていただかないと」


 松崎は「はて」と首を傾げた。「さっきお出ししませんでしたっけ?」


「提督と大淀さんの分は頂戴しましたよ」鳳翔はにこやかな笑みのまま、伝票を差し出した。


「龍驤さんの分です。龍驤さん、お会計せずに出ちゃったものですから」


 松崎は口の端を痙攣させる。踏み倒すわけにもいかない為伝票を受け取ると、おまけと言わんばかりに少々高価な日本酒を注文していた。どうやら先程鳳翔に対して『アレ』と呼んで注文していたものらしい。そして察するに、最初から龍驤は松崎に奢らせるつもりだったようだ。


「なんと言うか、抜け目がないと言うか強かと言うか」


 財布を取り出しながら、松崎は乾いた笑いを出した。



第十三章 理由


 鎮守府内で生活を営む艦娘たちは、原則外出を禁じられている。その為衣食住のすべてを府内で営むことが義務として発生し、その不自由さを補ってあまりあるほど府内の設備は充実している。昼食の場として賑わう中央食堂も、その一つだ。


「お昼からはどんな訓練なんだろうね、不知火ちゃん!」


 猫のように大きな目とややウェーブがかった髪が特徴的な少女――“睦月”が炒飯を食べながら口を開いた。口の端に着いた米粒のことに言及しようか悩みながら、不知火は適当に話を合わせる。


「午前中は“五十鈴”さんの海上訓練でしたが、昼からは“あの人”ですしね……」


 多少の棘を含んだ物言いに、睦月はなんとも言えない顔をする。


「今日から、北上さんの指導あるしね」


「ちゃんとしたことをしてくれればいいんですけど」


 言いながら、思い起こす。初日に腹へ叩き込まれた一撃を思い出し、不覚にも腹筋が疼いた。あの突きは相手の呼吸を一瞬で麻痺させる、実に見事な一撃だった。たった一撃だったが、その一発で北上がどれほどの実力を持っているのかが想像できる。態度に多少――いや、甚大な難があるとは言え相当な爪を隠し持っていることは明らかだ。


 ――そんな北上さんが、なぜあんな堕落ぶりを。


 悶々と考える不知火をよそに、睦月が長閑に話していた。この娘は艦娘としてより、マスコットとして働いた方がはるかに有用なのではないだろうか。不知火は本気でそう考えた。


「北上さんの訓練ってどんなんだろうねえ」


「多分、まともな内容じゃないでしょう。きっと座禅と称しながら居眠りしたり、発想の訓練と言いながらテレビゲームでもするんでしょう。そうした瞬間執務室に殴りこもうかと、不知火は考えてます」


「不知火ちゃんホント元気だね……」


 呆れ返る睦月に不知火は「当然です」と返す。


「そのために不知火は艦娘になったのです。戦うために、守るためになったんです」


 逆に――


「睦月さんは、どうして艦娘に?」


 全く予想していなかったのだろう。大きい目を一層大きく開き少女は戸惑った。初日の自己紹介で艦娘になった理由を生真面目に語ったのは不知火だけであり、他の少女たちがどのような思惑で艦娘でなったのかはお互いに知らないままだ。


「む、睦月はねえ……」


 はぐらかす笑みで、少女が言葉に詰まる。


「家の事情でお金がなくて、艦娘ならお金もいっぱい入るかなあって。睦月の家、弟妹一杯だし」


 白米を口元に運びながら、不知火は頷いた。「なるほど、そういった理由でしたか」

 艦娘の社会的地位については現段階でも賛否両論激しいが、今のところ一応公務員としての立場についている。時には自らの命を危機に晒して国を守ることもあるため当然の待遇かもしれないが、それをやっかみ屁理屈をこねて足を引っ張りたがる人間も、この世には存在する。


「や、やっぱり不純だよね」


 しゅんとしょげた睦月に、不知火は「なぜです」と尋ねる。


「だってお金のためって、なんと言うかあまり気持ちのいい理由じゃないし……」


「そんなことはないでしょう」


 少女は力強く反論した。


「そのお金で家族を養うのでしょう。でしたら、それは家族を守っている事と同義です。あなたの動機は至って清く、誇っていいものだと不知火は考えます」


 その言葉に唖然としていた睦月だったが、意味を理解した途端に顔をぱっと綻ばせた。


「ありがと、不知火ちゃん!」


「別に」


 不知火の反応は素っ気ない。


「不知火も、同じようなモノですから」


 言い終わると同時に、昼休憩終了のチャイムが響く。片付けを済ませ、所定の場所まで行かねば。


「さて」


 不知火は小さく息を吐き、気を引き締める。「行きましょうか、睦月さ……」


 振り向けば、睦月が凄まじいスピードで残りの昼食をかき込んでいる。どうやら話し過ぎたらしく、全然食べていなかったようだ。


「ちょっと待って! すぐ終わるにゃしい!」


「……はあ。まあいいですけど」


 半眼になりながら、不知火は外を見た。



第十三章 艦娘



「そんなわけで、あたしはみんなに白兵戦とか生きるための基礎とかを教えるよー」


 集合時間通りに来た教官役の北上は、整列の号令をかけるでもなくいつも通りの間延びした声で告げた。教える内容については秘密だったものの、まさか艦娘と大きく離れた領分を指導されるとは思っていなかったらしい。数人の艦娘は、動揺を隠せずにざわめいた。

 そのような中で、不知火は右手を高く揚げる。


「質問です」


 一言添えて、話し始める。


「なぜ不知火たち艦娘が白兵戦を行うのでしょうか? この訓練に対して、何かしらの意義があるものとは思えません」


 そうだそうだと、声に出さないまでも新人たちが首肯で便乗した。

 不知火の反論を受けて、北上は握り拳を胸元まで上げる。しかし何を思ったか、その手を下げた。


「まあ不知火ちゃんの発言も正論だし、今回は腹パンなしにしてあげる」


 一同のほっと息を出す音に、北上は構わず話す。懐から煙草を取り出し、火を点けた。


「あたしたち艦娘――と言うとちょっと世界が小さくなっちゃうんだけど、現在人類すべてにとって最も大きな敵って何? 羽黒ちゃん」


 名指しで呼ばれた羽黒は、大きく肩を跳ね上げる。


「えっと、あの、その……」


 おどおどとしてどこか落ち着かない様子の彼女だが、重巡洋艦としての性能は高く、これからの成長が期待できる少女だ。なぜ駆逐艦の一団に紛れているのかはまるで不明だが、今更移動の手続きも面倒らしく、北上がまとめて面倒を見るようになったそうだ。


「し、深海棲艦……だと思います」


「ご名答。もっと自信持っていいよ」


 紫煙を吐き、補足する。


「詳しくは教科書参照なんだけど、あたしたちの敵は紛れもなく深海棲艦なんだよね。そのための艤装であり、そのための艦娘と言っても過言じゃない」


 正確な年代については諸説あるものの、突如として現れ人間界を蹂躙し始めた化け物たちを人類は便宜上“深海棲艦”と呼称し、深海棲艦の出現からわずかな間を置いて艦娘がこの世に生まれた。


「じゃあ折角だから、対深海棲艦としての艦娘の有用性を誰かに言ってもらおうかな」


 北上は適当に、目が合った少女を見繕った。「じゃあ、磯波ちゃんだっけ? よろしく」


「対深海棲艦としての艦娘は、艤装から出る砲撃等が通常兵器より強力で、効きやすいということが大きな理由だと思います」


 控え目な声から発せられる回答に、北上は頷く。


「まあ、教科書通りの答えをするならそうなんだよね。既存の兵器が効かないわけじゃないんだけど、どんな原理か効きがわるいんだなーこれが」


 加えて――


「ぶっちゃけ、ホンモノの軍艦作ろうって考えると尋常じゃないコストが掛かるんだよね。それなりの一隻作ろうと思ったら何年もかかるし、お金だって多分あたし等が何回人生繰り返しても稼げない額なんだよね」


 携帯灰皿に煙草を押し込み、二本目を咥える。


「翻って、あたしたち艦娘の武器である艤装はなんせ原料がいらない――と言うと語弊があるんだけど、深海棲艦たちの心臓が原料なんだよね。毒を以てなんとやらってやつ」


 考えてみればあまりに猟奇的である。天敵の心臓を加工し、その結果生まれた武器を対抗策として纏っているのだ。このシステムを考えた人間は狂っていると糾弾されても、庇うことはできない。


「で、艤装一つに付き艦種によってばらつきはあれどウン百からウン千万で済んじゃうんだよね。相当お値打ちじゃない?」


 北上の説明に、新人たちは納得の表情を示す。


「だからこれからは既存の兵器を添えつつ、より一層艦娘を使った戦闘が拡大するってのはわかるよね」


「教官、話の流れがあまり見えません」


 不知火の一言に、北上が唸った。


「んー。もうちょっと端的に言うべきだったかなあ」


 腕を組み、鼻から煙を吐く。


「じゃあ、ざっくり質問しようかな」


 良しと頷き、北上は人差し指を立てる。


「外敵と戦うために新しい力を手に入れたとき、一番注意しなければならないことって何?」


 新人たちは顔を見合わせる。羽黒がおずおずと手を挙げた。


「その外敵の反撃……だと思います」


「まあ、それもあるよね」


 北上は柔軟に肯定する。


「でも一番注意しなければならないのは――」


 少女が息を吐く。


「隣人だよ、新人諸君」


 紫煙が風に煽られ、艶めかしく腰をくねらせた。


第十四章 隣人と理想



「隣人?」


 首を捻る睦月に、「そうだよ」と北上は返した。足元の段ボールを開けて、ゴム製の訓練用ナイフとオープンフィンガーグローブを新人に配る。


「みんなもすでに知っていることだとは思うんだけど、現在日本はいろんな国と艤装開発の技術提携してるんだよね。理由は紛れもなく深海棲艦を打倒するためだし、なんとも奇妙な話だけど深海棲艦のおかげで人類がある程度一つにまとまっているって側面もあるんだよねえ」


 深海棲艦様々だよね、と北上は言った。


「じゃあ、その深海棲艦をすべて倒しつくしたらどうなるの? みんな手を取って仲良く暮らしていきましょう。戦争はないし悲しいこともないハッピーエンド? 世界は平和?」


 深々と吐いた煙が、夢のように霞んで消える。「ンなわけないよね」


 北上は肩を揺らす。


「今はまだ机上の空論だけど、艤装の開発資材のエネルギーを石油とかの代替品にできるかもしれないって試みもあるのは知ってる? そうなったら、いろんな利権が絡んで絶対戦争起きるよね。何せ新エネルギーのボナンザだよ」


 北上の正論に、新人たちの顔が暗くなった。


「で、そうなったらあたしたちは絶対戦争に駆り出される。なんせ既存の兵器以上のパワーと抜群のコスパ。こりゃ使わない方がおかしいもん」


 前歯でメンソールのタブレットを噛む。ガリっとした音の後に、少女の口内に透き通る爽快感が駆け抜けた。


「そうなった時さ、艦娘対艦娘も結構現実的になるわけ。で、多分砲撃とか魚雷とかだけにとどまらないってあたしは思うんだよね。互いの装備が使い果たした時に最後に残る身体で、死ぬまで殴り合いするわけ」


「随分、怖い話になってきた気が……」


「でも現実だよ」


 頬の片方を釣り上げる。


「あたしたち艦娘は法律上人間でも兵器でもない、全く新しい存在の“艦娘”だからね。戦争になったら駆り出される確率も高いよ。そうなった時に戦えるように、生き残る確率が高くなるような訓練をしてあげる。あとは一応、対深海棲艦でそれなりに渡り合えるようにすることも目的かな」


 他に質問は?


 そう尋ねる北上に、新人は首を横に振る。質問がないと判断したのか、北上はにやりと笑う。


「じゃあ、早速演習開始ね。あたしを倒してごらんよ」


 宣言と同時に、手榴弾を投げた。

 一同の顔が、さっと青くなる。


第十五章 乱戦


「みんな逃げてッ!」


 最初に動いたのは、意外にも羽黒だった。転がった手榴弾に対し、腹這いになるよう覆い被さる。直後、空気が抜けるような音と共に手榴弾から放射状に水が噴出した。勿論訓練用であるため実物ではない。しかしその水に当たった人間は訓練中は死者として動けなくなり、羽黒は死んだと同じ扱いになる。


「早速一人死んだよー」


 なんでもない事のように北上は告げる。ゆらりと、次の得物に目を向けた。


「にゃしっ……!?」


 睦月だ。ナイフをどう持っていいのかもわからぬまま握り締め、肩を跳ねさせる。狙うなら奴だ。そう確信し、北上はナイフを右手に持って距離を詰めた。

 睦月がとりあえず右手でナイフを突き出す。その一閃を左手で受け流し、睦月の右手を掴む。

 ナイフの柄頭で睦月の左わき腹を軽く打ち、怯ませる。右手の力が緩くなったことを確かめ、一瞬で睦月のナイフを弾き飛ばした。睦月が飛ばされたナイフを目で追う中、北上は少女の右腕を捻りあげ盾にする。これで残りの四人は、迂闊に攻め込めなくなった。

 睦月を盾にしながら残る四人に目線を送る。次の狙いを定め、足の裏で押し出すように睦月を蹴る。「にゃにゃにゃにゃ」と声をあげた睦月は、狙い通り磯波の元へ。まさか自分の所に来ると思っていなかった磯波は顔色を変え、睦月を受け止める。その瞬間を逃さず、北上は二人の身体を撫でるようにナイフを滑らせる。


「あと三人だねー」


 のんびりと構える北上に、不知火が迫る。睦月が落としたナイフなのだろう、左右両手にナイフを握っていた。


「お、随分攻撃的じゃん」


 頬を釣り上げ、身体を半身に。右足と右肩を相手に向けるよう構え、フェンシングのそれともいえる姿勢をとった。急所である心臓を遠ざけ、相手から見た身体の面積を可能な限り絞るためだ。これによって、攻撃する部位をある程度限定できる。


「――っし!」


 不知火が突く。迷いのない、殺意を収斂させた心地良い一突きだ。膝を曲げてかわしながら、北上は悟った。

 不知火は、他の新人とは一味違う。

 流石教官に生意気な態度をとるだけあって、新人にしてはいい筋を持っている。判断を下した北上は早かった。ナイフを捨てる。その挙動に、不知火があからさまな動揺を見せた。


「ギッタギタに、してあげましょうかねえ!」


 左から来た不知火の横薙ぎを掴む。右足を大きく一歩踏み込み、間合いに深く入り込んだ。

 不知火がナイフを逆手に持ち替えるより早く、腰を落として身体を沈める。自身の右肩を不知火の水月に押し当て、両脚を一気に引き伸ばした。一瞬でため込んだエネルギーと体重移動により、身体そのものが一つの拳になったかのような威力を込めて不知火に激突する。


「ごほっ」


 あまりの衝撃に、不知火の踵が浮いた。身体中から息を絞り出して吹き飛ぶ。ごろごろと転がり、動かなくなった。


「あと二人だよー」


 残る二人は“白露”と“朧”である。


「朧、行きます!」


 見た目に反して凛々しい声で、朧が飛び出す。ショートボブの茶髪が揺れた。

 振り下ろした右手を掴み、一気に引き寄せる。その拍子に朧の重心は前へ。大きく体勢を損ねた瞬間を見計らい、朧の右肘を曲げて腕を制御する。自分で自分の腹を刺すよう何度もコントロールし、朧を戦線から引きずりおろした。


「朧ちゃん戦死ー」


 残るは白露のみだ。どうしようかと視線を彷徨わせた白露だったが、先の北上と同じ体勢になる。フェンシングにも似た構えをとり、じっと北上を見据えた。


「新しいことを取り入れる。いい心がけだねえ」


 でもね――


「これならどーよ」


 腰を折り曲げ、北上は適当に砂を掴む。そしてそれを、躊躇いなく白露に投げた。


「え!? ちょっ……」


 全く予想していなかったのだろう。砂が目に入った白露は泡を食らい、戦闘どころではなくなる。その隙を掻い摘んで、北上は白露を刺殺した。


「使えるモノは何でも使わないとね。これ戦争の常識だから」


 得意気に語り、首を巡らす。「全員死んだってことで今日の演習は……」


 否。まだ重いダメージを受けながら死んでいない少女がいる。


「そんなんで……不知火は沈まないわ」


 荒い呼吸で不知火が立つ。その姿勢に、北上は不覚にも口笛を吹いた。


第十六章 ダンス・ウィズ・ナイフ


「やるじゃん。そのやる気だけは、買ってあげる」


 一本のみのナイフに切り替えた不知火が駆ける。にやりと笑い、北上は構えた。


「その姿勢、嫌いじゃないんだよねえ」


 不知火の刺突を受け流す。それと同時に肘で相手の得物を弾く。本来ならディスアームされて終わるはずが、不知火はそのナイフを空中で掴んだ。驚くべき集中力と、反射速度だ。


「やるじゃん」


 北上が漏らす。空気を切るように振られるナイフを絡め取り、北上は武装を奪う。そのナイフで、不知火の眉間を狙う。

 北上のヴィジョンでは、自分の一発は完全に不知火の眉間を捉えていた。しかし今はどうだろうか。先の北上がしたように右手で不知火が受け流す。あろうことか受け流した余韻の右手で北上の右手を掴み、武器を掠め取った。


「まさか……ッ」


 ――この一瞬で、あたしの技術を奪った!?

 認めた瞬間、北上は自身の毛穴が全て開く感覚に襲われた。


「すごい集中力じゃん!」


 不知火の一撃をかわし、武装解除。零れ落ちるナイフを取って、不知火に差し向ける。そのナイフを不知火は受け流し、掠めとった。

 突く。

 取る。

 薙ぐ。

 奪う。

 斬る。

 弾く。

 掴む。

 振る。

 躱す。

 捩じる。

 全ての行為が一本のナイフを軸にして繰り広げられる。傍から見れば演武やパフォーマンスのようにナイフが舞い、それぞれがターン制のごとく攻撃と防御を繰り返しているように見えるが本人たちは大真面目だ。互いに武器を奪い合い、攻め合う。

 一本のナイフが十の行動を生み、千の行動分岐を枝分ける。万の要素が絡み、億の未来をほのめかす。

 北上は、久々に高揚した。


「なかなか、楽しませてくれるじゃん……!」


 意識を研ぎ澄ませる。眼前の敵を倒すための手段を、北上は自分のすべてを使って検索した。

 不知火の右手首を掴む。神経が密集して通る地点を、全力で指圧した。

 相手の顔が苦痛で歪む。その拍子にナイフが零れ落ち、不知火の意識が一瞬逸れた。


「隙だらけだよ!」


 浅い右ジャブを一つ。頬に一発喰らった少女は迫り来る情報の対処を決めかねるようで、大きくよろめいた。

 北上は左手を大きく右へ。ぐいと引っ張られ、不知火の無防備な背が晒される。背後から組みつき、一瞬で寝技に持ち込んだ。寝技に対する知識は持ち合わせていなかったのだろう。不知火はもがくだけで、地面を強く叩く。ギブアップの合図である。

 あれほど熾烈な攻防を繰り広げkたナイフ格闘は、驚くほど味気のない終わりだった。

 拘束から解かれ肩で息をする不知火を見ながら、北上は何でもないように言った。


「まあ、課題は山ほどってヤツだねこりゃ」


第十七章 既知との遭遇


 その日、北上は眠ることができなかった。初めて新人たちに演習を施し、通り一遍倒した日の夜である。

 布団にくるまりながら、北上はあさっての方向を見る。部屋の壁には、目立った汚れも飾りもない。あそこまで体を動かしたのは、いったいいつ振りだろうか。きっと、二年近くはやっていない。精々、軽い運動が関の山だ。

 三十回目の寝返りを境に、少女は上半身を起こした。


「散歩、しよっかな」


 現在は夜十一時。

 スウェット姿のまま適当なスリッパを引っ掛け、煙草のセットをポケットへ。

 勿論、携帯灰皿も忘れない。






 寮を出て三分。北上は早々に自分の軽率な思い付きを自省した。

 その理由はただ一つ。


「北上さんじゃないですか、奇遇ですね」


 宿舎の曲がり角で提督――松崎城酔と鉢合わせたのである。相も変わらない病的に白い肌と左側だけやけに長い前髪のせいで幽霊かと一瞬考えたものの、幸か不幸か自分が何度も見た男である。いつもの畏まった服と違って部屋着だったため、一瞬本当に誰か分からなかった。第一印象では人当たりがよく見える笑みを貼り付け、松崎は尋ねる。


「お散歩ですか?」


 ばったり遭遇してしまった手前逃げることも気が引けるため、北上は一応応えることにした。


「まあ、そんなところかねえ」


 ならよかった。そう呟き、男は一層深い笑みを作る。


「ちょっとお話ししませんか? 折角ですし、腰を降ろして」


 ついでと言わんばかりに、下げていたビニール袋を揚げる。「ちょうどお酒がありますし、個々は一杯どうでしょう。後輩から貰ったんです、今日届きまして」


「悪いけど」


 北上は悪びれることなく断った。「ほら、グラスないし」


「ありますよ、二つ」


 ほらと言いながら、松崎は袋から二つのグラスを取り出す。その周到振りに、北上は諸々を通り越して呆れ返った。

 ――こいつ、元からあたしを捕まえて話をさせるつもりだったか。

 さしずめ教習の話だろう。


「随分、気が利く後輩だね。誰かさんとは大違い」


 皮肉とも取れる北上の言葉に、松崎は「そりゃそうでしょう」と真っ向から肯定した。


「なにせ、私の後輩ですから」


第十八章 琥珀色の月明り


「まさかグラスが二つもあるだなんて、本当に偶然はなかなかに侮れませんね。後輩には後日礼をしなければ」


 驚きの白々しさで話す松崎に、北上は冷ややかな目を向ける。掌に収まる小さなグラスに酒を注ぎ、素朴にグラスを合わせる。カチ、と軽い音が芝生に落ちた。

 ウィスキーか。

 琥珀色の液体を見ながら、北上は「さて」と悩む。何せ酒は精々ビールと日本酒、あとは府内のバーに気まぐれで適当なものを飲むくらいしかしない。どのウィスキーがどんな味がする、又は大手メーカーごとのこだわり等も一切知らない。松崎も似たようなものなのだろう、特に何か言うでもなく、すっと口をつけた。

 それに倣い、少女も琥珀で唇を濡らす。

 喉の奥がわずかに締まるような、強いアルコールだった。それと同時にどこか懐かしい、木の匂いがした。カッターナイフで鉛筆を削った際に顔を覗かせる、温かみのある木の薫りである。鼻の奥で、匂いがふわりと花開く。


「いいですね、これ。私も詳しくないんですが、美味しいってことだけはわかりますよ」


 悦に入っている松崎を、北上は見上げる。


「こんなにおいしいお酒が飲めるなんて、皆さんが頑張って海を守ってくださるおかげです」


「……あ、そ」


 この男は、どこまでが本気でどこまでが嘘なのだろうか。もしかしたら端から端まで全て嘘で、その嘘をついている松崎も虚像なのかもしれない。嘘をついている状況が嘘であるため真実の言葉はそこにも存在しないまま、伽藍堂のような言葉は叩けばきっと軽い音だ。

 実のない考えを巡らせ、北上は思考を切った。ポケットから煙草を一本。火を点け、煙を肺に泳がせる。吐かれた煙が広がり、霞んで消えた。


「訓練初日ですけど、随分やりたい放題だったと聞きます」


 やっぱりそれか。

 そう思い、少々強く息を吐く。先の煙とは違い、苛立ちにも似た何かが煙の中に紛れる。


「あたしはなんでもやっていいって聞いたんだけど?」


「別にお説教したいわけじゃありませんよ」


 松崎が慌てて手を振る。その手が煙に当たり、白が乱れる。


「ただ、雑感と言いますか感想を聞きたくて」


 琥珀で舌を温め、男は話す。「だって北上さん、今日の夕方来るよう通達したのに来なかったじゃないですか」


「そうだっけ? すっかり忘れてた」


 勿論嘘だ。知っていながら、わざと応じなかったのだ。松崎もその位見通しているのだろう、特に咎めるわけではなさそうだ。


「みなさん、どうでした?」


「それなり」


 少女の答えは端的だ。


「羽黒ちゃんは真っ先に自分から身を挺した行いは正直驚いたかなー。磯波ちゃんは自分に自信持つべきだし睦月ちゃんは全体的に訓練もっと積ませた方がいい。朧ちゃんと白露ちゃんはいい筋してるかな。欲しいのは実戦経験だね」


「不知火さんはどうです?」


 松崎の急かすような問いに、北上は黙る。二本目を取り出し、着火した。


「なんと言うか、怖かった」


「怖い?」


 北上さんが怖がる?

 そのような響きを含んだ音吐だった。北上は黙って首肯する。


「貪欲だし、吸収力が尋常じゃなかったねえ。ありゃまるでスポンジだよ」


「そうですか。それは何より」


 満足げに頷く松崎に、北上は言葉を向ける。


「本当にこんなんでいいの? 多分ずっとこんな調子だよ、あたし」


「構いません」


 松崎は右手を高く揚げ、グラスを月にかざす。琥珀の海を月光が貫くさまは、どこか官能的だ。


「にわか知識で恐縮なんですが、ウィスキーは本来蒸留酒で無色透明なんです。それが樽に入ることで醸造され、独特の色と香りを出すんです。北上さんは所謂樽であり、あの新人たちはまだ何にも染まっていない蒸留酒の卵。これからいっそ全力で、北上さんの色や香りをつけていただきたいとすら思っています」


 何かを言いたげな顔をした後、少女は肩を揺らした。「ま、あたしに頼んだこと後悔しないようにね」


 その言葉を境に、二人の間に沈黙がおりる。二本目も吸い終わった北上は、気まずさを逸らすために三本目を取り出した。本来なら早々に帰ってもよかったのだが、どうにも間を逃したらしく雰囲気的に帰りづらい。

 なんでこんなことになっちゃったかなあと思いながら、三本目を咥えた。



第十九章 紫煙の果てで渦巻く夢は



「私にも、一本いただけませんか?」


 意外な申し出に、北上は一瞬反応が遅れる。別にそこまで高級な品でもない為、一本渡す。ライターを差し出した北上の右手を、松崎はやんわりと断った。


「私には、これがありますので」


 そう言って懐に手を伸ばす。取り出したのは、ジッポライターだ。過剰な装飾が施されており、髑髏の飾りが盛大な自己主張を放っている。所々剥げていたり傷だらけになっているせいか、ジッポそのものが一つの亡霊なのではないかと思わされる。

 お世辞にもいいセンスをしているとは言い難いそのデザインに、北上は一周回って感心した。「そのデザイン、すごいね」


「私の趣味じゃないんですけどね」


 苦笑しながら、松崎は火を点ける。吸うと同時に、男は眉根に皺を寄せた。「苦いですね」


「煙草なんだからさ、当たり前じゃん」


 この男は馬鹿なのではないだろうか。煙草の箱をポケットへ入れながら、北上は一瞬本気で考えた。

 軽く咳き込みながら、松崎は笑う。「如何せん久しぶりでして」


 二人で紫煙をくゆらせながら、何をするでもなくぼんやりする。

 三分ほどそうしていただろうか、沈黙を破ったのは意外にも北上だった。


「ねえ提督」


「“まっちゃん”で構いませんよ」


 口の中で煙を蒸かすだけの松崎が、穏やかな声で言う。「今は、仕事の時間じゃありませんし」


 本当にいいのか数秒だけ探り、口を開く。「まっちゃん」


「なんです」


 煙草の先端から揺れる煙を目で追いながら、北上は尋ねた。


「まっちゃんはさ、後悔したことってある?」


「後悔、ですか」


 人差し指と中指で挟んでいる煙草を揺らし、男は答える。


「ありますよ。星の数より多くの後悔をしてきましたし、海より深く嘆くこともありました」


「へえ」


 北上は素直に驚いた。「まっちゃんでも、後悔することあったんだね」


「私だって“一応”人の子です」


 それに――


「最善の選択が、後悔のない道とは限りません」


 そう言って深く息を吐く男は、どこか遠くを見ているような気がした。揺らめく煙の中で儚く渦巻いた幻を目で追うような、ここではないどこかを見ている。


「人間とは、後悔をする生き物です」


 ぽつりと、松崎が漏らす。


「振り返り、自分が刻んだ足跡を見ては嘆きます。あの時ああしていれば、こうしていればと考えます」


 松崎は煙を吐く。吸い方を思い出したのだろうか、先程の醜態より些か様になっている。


「新しく一歩踏み出そうとした足に、後悔は絡み付いてきます。その誘惑に負けて深い闇の底で後悔に苛まれるとき、皮肉な話ですが私たちはどこか救われた気になってしまいます。後悔したから許してくれる、許されて然るべきなのではないかと思うんですよね」


 男はウィスキーを少し飲む。


「でも、それじゃ駄目だと思うんです。後悔の魔の手から逃れるには、その手が追いつけないほど大きく、深く前へ踏み込むしかないんだって思います」


 だから――

 松崎は付け足す。


「私は前を向いて、走り続けることにしました。過去を忘れて、無かったことにするなんて都合のいいことは言いません。たとえそれがどれだけの罪と傷を生むことになっても、私は進むと決めました」


 言い切った後、男は気恥ずかしそうに右頬を掻いた。「いい歳した大人が何を。って感じでしょうかね」



第二十章 残された彼方


「いんや、別に」


 少女はのんびりと応える。

 ただ――


「それは、あたしに向けたお説教になるのかねえ?」


 滅相もない。松崎は即答した。「あくまで、私の独り言ですから」


 さて、と男が呟く。


「柄にもなくお喋りが過ぎましたね。ここはひとつ、お酒のせいと言うことで」


「まっちゃんがお喋りなのはいつも通りなんじゃない?」


 そうかもしれませんね、松崎は少し笑った。

 そろそろ帰ろうとベンチから立った少女を、男が呼び止める。


「それはそうと北上さん、あまり煙草は吸い過ぎないことをお勧めしますよ。投薬によって身体機能が向上しているとはいえ、素材は人の身体ですから」


「うるさいなあ」


 なんなら当てつけの代わりとして目の前で美味そうに吸ってやろうか。悪戯心が首をもたげ、北上の右手を急かす。

 ポケットに手を入れた瞬間、少女ははてと首を傾げる。自分は先程、煙草をポケットに入れたはずである。それがなくなっていることを、一瞬理解できずにいた。


「確かに、以前と比べて消費量は落ち着いていますね」


 松崎の言葉につられ、目線を上げる。そこには、箱を開けて満足げに頷きながら煙草の本数を確認している男の顔があった。


「お探し物は、これですか?」


「……いつの間に」


 油断していたわけではない。確かに多少酒が入っていたものの、付け込まれるだけの隙を見せた覚えはなかった。

 にもかかわらず、あっさりと掠め取られている。その事実を、北上は俄(にわか)に信じることができなかった。


「少し、鈍(なま)ったのでは?」


 放り投げられた煙草の箱を受け取り、少女は口の片端を上げた。「かもね」


 じゃ。そう告げて、北上は寮へ帰る。


「久しぶりにいろいろお話できて、楽しかったですよ」


 去りゆく背中に、松崎は声を投げる。少女は言葉を返すことなく、右手をひらりと挙げた。

 少女の背中が見えなくなり、松崎は一人取り残される。


「前を向いて走り続ける、ねえ」


 自身が言った言葉を、緩やかになぞる。


「私にそれができていると思いますか? 皆さん」

 誰に言うでもなく呟き、席を立つ。

 服の内側でぶら下がっていた幾重にも重なるドッグタグが擦れる。ドッグタグたちが、じゃらじゃらと歯ぎしりにも似た笑い声をあげる。

 男の問いに、応えるモノはもういない。


第二十一章 意図



 少女――不知火は嘔吐寸前であった。

 それもそのはず、なにせ新人六名は昼食を終えた早々に10キロのランニングを命じられ、直後にスパーリングという訓練を三周している。現に睦月や磯波は膝から崩れ落ち、全身全霊の呼吸で命をつないでいるような状態だ。朧と白露も意識を保つことに全神経を注いでおり、死屍累々とはこのことだなと不知火は本能的に感じた。


「きょ、教官」


「なにー?」


 羽黒とスパーリングを行いながら、北上は応える。


「こんな訓練、なんの意味があるのでしょう……不知火には、解せません。スパーリングも変な体勢や集団の中に一人まぎれた乱戦の仕方等、疑問が残ります」


「そうさねえー」


 羽黒の突きを受け流し、お返しと言わんばかりに脇腹へ掌底を叩き込む。僅かに膝を曲げた羽黒を見ながら、北上は話す。


「みんなはさ、スパーリングのプロになりたいわけ?」


 ボクシングのステップを踏みながら、目線は羽黒に向けたまま続ける。


「違うでしょ? 少なくともあたしはみんなを演習やスパーリングのプロフェッショナルになってほしいわけじゃないんだよねえ。だから不安定な状態や厳しい体力でどれだけ粘れるかっていう耐性を、今のうちにガンガンあげちゃいなよ」


 それに――


「あたしのこれちゃんと潜り抜けたら、足が棒になろうが腹減って死にかけようが陸じゃ生きて帰れるくらいになれると思うよ」


 羽黒を一本背負いで薙ぎ倒した北上が、自信ありげに締めくくった。


「どんなに苦しくても、辛くても、生きてりゃ大勝利。だからあたしは、勝利に直結できる耐性をプレゼントしてあげる」


 次、不知火ちゃんだよ。そう言って、北上は不知火に手招きを送る。


「強いて言うなら、気に食わない上司を規律内でボコれる絶好のチャンスだと思わない?」


 挑発的な北上の物言いに、不知火は犬歯を覗かせた。


「そうかも、しれませんね……ッ!」


 この後滅茶苦茶投げられた。



第二十二章 大先輩


 三十分後、そこには燃え尽きた灰となった不知火がいた。

 全戦全敗。北上曰く「悪くなかった」とのことではあるものの、一本取れなかった時点で不知火は自分の完敗だと認めていた。今日の訓練はすでに終わりを迎え、少女は一人ベンチでうなだれている。


「というか」


 不知火は一人ごちる。


「あの人、いったいなんなんですか」


 北上は自身も10キロランニングに参加してから、スパー教授を全員分やっているのだ。自分たち以上に疲れているはずだが、多少息を乱す程度で目立った疲労は見当たらなかった。

 反則だ。

 不知火は、素直に感じた。


「不知火たちが、未熟ということでしょうか」


 はあと落ち込む。不真面目な態度や情感と思えぬ気の抜けた雰囲気ばかりに目を向けていたが、仮にも教官でありベテランなのだ。その差をまざまざと見せつけられ、不知火は認識を改めざるを得ない。


「そこの新入りちゃん」


 右から声をかけられ、顔を向ける。そこには茶色いツインテールの少女がいた。見た目は中学生くらいだろうか、人当たりのよさそうな少女だった。

 軽空母――龍驤だ。

 不知火は反射的に立ち、敬礼する。


「不知火に、何かご用でしょうか?」


 畏まった不知火の態度に、龍驤が苦笑しながら手を振った。


「そんなんええねん。ウチ今日、非番やし」


「はあ、そうおっしゃるのなら」


 許可を得たため、不知火は敬礼を解く。


「して、不知火に一体どのような御用が?」


 別に深い用はなかったんやけどな。そう言って、龍驤は不知火をまじまじと見る。


「君が“あの”、不知火ちゃんか」


 なかなかええ面構えやん。龍驤は付け足した。


「ウチは軽空母“龍驤”。まあよろしゅう」


「よろしく、おねがいします」


 軽い自己紹介も済ませ、龍驤は用件を切り出す。


「いんや、まあ鎮守府中でも噂になっとる北上ちゃんの教え子を一目見ようと思ってな」


 にししと笑う龍驤に、不知火が訪ねた。


「不知火たちが、噂になっているんですか?」


「まあ、正確に言うと不知火ちゃんがその噂の九割やろな」


 なんでもない事のように龍驤は付け足す。「だって不知火ちゃんアレやろ。初日に北上ちゃんに食って掛かって腹にパンチくらうなんて噂にならん方がおかしいやん」


 言われてみればその通りである。


「今暇ある?せっかくやし、ちょっと話さへん?」


 龍驤の唐突な申し出に、不知火は「え」と漏らす。何せ今日会ったばかりの大先輩だ。特に親しいわけでもないが、ここで断ることもこれからの立場に関わるだろう。そう考え、少女は顎を引いた。「構いません、今日の訓練は、終わっておりますので」


 そりゃ重畳。短く言い切り、龍驤はニッと笑った。


「ほな、間宮さんの所行こか」




第二十三話 間宮




 甘味処”間宮”は、給糧艦”間宮”が切り盛りを担っている飲食店である。訓練を終えて甘いものを求める少女で常に繁盛しており、味もさることながら和気藹々とした雰囲気が人気の所以と言ってもいい。年頃の少女たちが親しみやすく元気で、それでいて少し落ち着いているのだ。


 白玉を口に運んだ龍驤が、不知火を誘った核心に踏み込む。


「で、北上ちゃんの訓練はどう? なかなかおもろいとは聞いとるけど」


 どう――か。


 漠然とした質問に、不知火は窮する。


「随分、思い描いていた像と違っていました。まさか不知火たち艦娘がダミーとはいえナイフを持ち、格闘の訓練をするとは」


「まあ、普通に考えりゃアホかって思うやろな。ウチもそんな訓練したことないし」


 やはりあの訓練は、北上が発案した完全に独断のオリジナル項目らしい。北上の言っていることに理屈が通っているとはいえ、こんなことをしていていいのかと不安を覚える。


「なんや、随分北上ちゃんを疑うような顔するんやな」


 ニタニタと笑い、龍驤が指摘する。


「いえ、決して疑うなんてことは」


 慌てて取り繕う不知火に、龍驤が緩やかに手を振った。「ええねん別に。何せ前代未聞の取り組みやしな」


 龍驤の柔らかい態度を見て、不知火はホッと胸をなでおろす。


 一分ほどの沈黙を挟んだのちに、龍驤が口を開いた。


「北上ちゃん、しっかりにみんなに教えられとる?」


「正直、あまり」


 不知火は答える。間宮特製のシャーベットを舌の上で溶かす。爽快感が口の中で滑り、蜜柑の味わいが駆け抜けた。


「北上さ――教官はなんと言いますか、説明の際も擬音ばかり使うので不知火たちにとっては意味がわからないことばかりです。なので、ひたすらやって慣れるがコンセプトになっています」


 不知火の指摘に、龍驤は「ひひひ」と笑う。


「まあ北上ちゃんはガチガチの感覚派やでなあ。理論とか論理とかで物事考えるタイプにとっちゃ地獄やろ」


 龍驤の言葉に、不知火は力強く賛同する。「まさしく、地獄です」


「でも北上ちゃんにとっても、タイプの違う教え子育てるんやで大変やろなあ。ウチん時はそんなんなかったけども」


「龍驤さんの時、とは」


 小豆を堪能しながら、龍驤はスプーンを振った。


「北上ちゃんは、ウチの弟子やねん。まあ教えたことなんて海の滑り方くらいしかないんやけども、なかなか珍しいタイプの弟子で楽しかったわ」


 つまりこの少女――龍驤は北上の過去を知る者ということだろう。不知火は腰を浮かせ、尋ねる。


「教官は、どんな人だったんですか? 不知火が噂で聞いていた姿と今があまりにも違うので、少しでもいいから教えていただければ」





第二十四章 過去




「どんな人、ねえ」


 ぼんやりと考え、白玉を口へ。


「まあ、ええ子やったな。今でもやけど」


 思い出すように目線を上へ向けながら、龍驤は続ける。


「アホほど強かったし、海でも陸でも、戦艦クラスさえ演習したがらんくらいや」


 その言葉に、不知火は不覚にも息を呑む。軽巡クラスと戦艦では諸々の条件が絡むため断定はできないものの、戦艦の方が強いと言うのが一般論である。新人どころか、艦娘の存在を認識している民間人ですら知っている常識だ。その基本的な性能差があるにもかかわらず戦艦クラスが演習したがらないとなれば、相当な実力なのだろう。自分が抱いていた姿が虚像ではないと知り、不知火は瞳を輝かせる。


「ではなぜ、今は海にすら出ないくらいに」


「色々あんねん」


 龍驤は端的に言った。「残念やけど、それをウチが教えたることはできんのや。この場で一切合切話すことはできるけど、これはそういうもんちゃうからな」


 これ以上の侵入は許可しないと言わんばかりに、龍驤が強く言い切る。

 そこで初めて、不知火は自分が踏み込み過ぎたことを自覚した。


「すみません、つい」


 頭を下げて詫びる不知火に、龍驤は「ええねん」と返す。


「確かに踏み込み過ぎはアカンけど、無関心すぎるのもアレやでな。そこは追々、自分でちゃんとライン見つけえや」


 穏やかに諭し、龍驤は時間を確認する。「ええ時間やし、そろそろ出よか」


 龍驤が二人分の会計を済ませる。不知火が自分の分は自分で払うと言って聞かなかったが、とりあえず先輩の顔を立たせるという名目で黙らせた。律儀すぎるな、と龍驤は感じた。


 奢ってもらったことで何度も例を述べる不知火に、龍驤は切り出す。


「なんにしろ、北上ちゃんのことは頼むで」


 頼む?

 教えられる側に立っている自分が、一体北上をどうすればいいのだろう。

 そのような疑問が顔に表れていたのだろう、龍驤は不知火に補足する。


「北上ちゃんな、ああ見えて実は結構撃たれ弱いねん。せやから、何かあったらビシッと支えたってや」


「不知火が支える……ですか」


 今一つ実感のない話だ。少女は素直にそう思った。


「まあ、できる範囲で」


「不知火ちゃんなら、そう言ってくれるって信じとったわ」


 満足そうに頷き、龍驤は踵を返す。「ほな、また縁があったら一杯やろうや」


 龍驤の背中を見送りながら、不知火は手を振る。


「支える、ですか」


 自分の手を見ながら、ぼんやりと漏らす。


「不知火に、何かできるんでしょうか」


 少女の言葉が、地面に落ちる。その様を励ますかのように、風が不知火の背を押した。





第二十五章 日向




「北上か、ずいぶん久しぶりじゃないか」


 中央の食堂にてAランチセットのサンドイッチを食べていたら、自身の名を呼ばれた。少女は顔を上げる。ハスキーで落ち着いた雰囲気を思わせるその声の持ち主は、航空戦艦”日向”のものだ。

 三白眼気味で非常に鋭い目つきが特徴の八年目。相当な古参の一人である。彼女自身の目に一切他意はないのだが、日の浅い艦娘は皆一様に怯えている有様だ。


「日向さん」


 女の姿を見て北上は軽く頭を下げる。「確かに、凄くお久しぶりですね」

 息をするかのような自然さで、日向は北上の向かいに座る。Bランチセットの生姜焼きに箸を伸ばし、口を開く。


「風の噂で聞いたぞ。この私を差し置いて面白いことになっているそうじゃないか」


 北上は、顔つきを歪める。


「なんていうか、みんなあたしと顔合わせるたびにその話しますね」


「そりゃそうだ」と、日向は即答した。


「あのお前が他の誰かと関わろうとするなんてな。扶桑は驚きの余り泡吹いて倒れたそうだ」


「あたしに責任言及しないでくださいね、それ」


 半眼になり、北上は言った。


「というか別に、」


 サンドイッチを乱暴にかじり、北上は話す。


「別にあたしだって立候補したわけじゃないんですってば。まっちゃんから仕事振られて、それ拒否したらクビだって言われたから仕方なくですよ」


「なんだ、そうなのか」


 勿体なさそうな声色でつぶやく日向に、北上は補足する。


「まあこの面倒くさい子守も、あたしは一応今月末の試験を境にいい具合に独り立ちさせてあげるんですどねえ」


「ずいぶん早足なスケジュールだな。もっと時間をかけて育ててあげてもいいんじゃないか」


「まっちゃんと期限についての約束はしていないですし、何よりずっとあたしと一緒にいることの方が悪影響なんですよね。新人の頃だからこそ、色んな艦娘の下を転々として広く物事知っている方がいいですって」


「ただ、ウチには師弟制があるからな。お前の師匠は確か龍驤だったか?」


「龍驤さんと球磨姉さんでしたねー。どっちも雰囲気が自分と合いそうっていうアレな理由でしたけど」


 新人の艦娘は最初一ヶ月の基礎的な訓練を終えれば先輩を指名することで師弟関係を結び、そこから一年近くをかけて師から様々な教えを乞う制度が存在する。北上の講習が最初の一ヶ月に割り込んでいるような形であり、本来の予定とは少し異なる時間割だ。そういえばそんな制度もあったなあと、北上はなんとなく思い出した。

 ちなみにこの師弟制、師は原則一人しか選べないがスケジュールや師の役を担う艦娘の返事がよければ何人を師に持ってもいいことになる。向上心のある艦娘を全力で応援する、松崎発案の制度だ。新人の強化を第一に考えている制度であるため、一人のみに定められた師の艦娘に拒否権はほぼ存在しない。新人本位の制度と言ってもよかった。


「そういう日向さんは、師匠誰でしたっけ」


「足柄さんだ」


 マヨネーズと生姜焼きのソースを混ぜ合わせ、出来上がった特製のタレをキャベツに絡める。


「あの人の指導は良かったな。私との性格の相性も最高だったからというのもあるだろうが」


 またこの師弟制、殉職等のやむをえない理由を除いて途中解散は許可されていない。自分の一年やそれ以降の艦娘としてのキャリアも考え、師の選びは慎重に慎重を重ねることとなる。北上のように適当な決め方やそもそも弟子入りしないというのは、かなり稀である。


「もしかしたら、お前に弟子ができるかもな」


 そんなわけありませんよと、北上は即答した。


「万に一つ、億に一つもないですって」


 可能性を徹底的に潰そうとする北上に、日向は「どうだろうな」と言ってみせた。


「今一応新人を教えているということは、お前も体を動かしているということか?」


「そうなりますね」


 マスタード付きの照り焼きサンドを嚥下し、少女は水を啜る。「先日まっちゃんにも言われたんですけど、やっぱり鈍ってましたねー」


「そこでだ」


 ずい、と日向が顔を北上に近付ける。


「勘を取り戻すためにも、私と格闘演習を久しぶりにやってみないか?」


 日向の提案に、北上は「いやあ」と苦笑いを浮かべる。


「流石に勘が鈍ってるあたしじゃ分が悪いですって」


 それに――


「日向さんとやろうってなると、多分に演習じゃ済まなくなっちゃいますから。三年前の死闘みたいに」


 日向も思い出したのだろう。口の片側を釣り上げ、腕を組んだ。


「まあ、そうなるな」




第二十六章 計画




 軽巡――北上は珍しく唸っていた。ボールペンの尻を行儀悪く噛みながら、どうしたもんかと勘案する。

 共用のカフェスペースの一角で様々な書類を広げ、一人悶々と考える。自室では絶対に考える気力もわかず寝てしまう自信があったので、面倒ながらこうして出張った有り様だ。しかし、どうにもうまく考え付くことができない。


「随分、お悩みやん」


 声に引かれ顔を上げる。そこにはかつての師である龍驤が笑っていた。コーヒーカップを北上に渡し、少女の真正面に座る。


「何悩んどるん?」


 龍驤の問いに、北上はどんよりしたテンションで応える。


「今月末――まあ来週の話なんですけど、あたしが教えた新入りたちの試験をするんですよね。で、その試験の内容を考えているんですけどどうにもうまく閃かなくて」


「そんなん、ぱぱっと考えりゃええんちゃうん?」


「まあ、一理あるんですけど……」


 北上は苦い顔を浮かべる。「どうせなら、あたしから離れた後もしっかり色んな気付きをしてくれるような試験になればって感じですかねえ」


 眉の根に皺を寄せて考える北上に、龍驤は「ひひひ」と笑う。


「新入りのこと、大事に思っとるんやな」


「別に、そんなんじゃないですし」


 北上が即座に食って掛かる。「ただ、任されたらそれなりのことしたいですし後になってああだこうだ文句言われるのが面倒なだけですから」


 早口で捲し立て、北上は慌てて龍驤から目を逸らす。珍しい北上の姿を見て、龍驤はニタリと笑う。「ま、そう言うことにしたるわ」


 龍驤は小さい手を北上に差し出す。龍驤の手の平には、飴の包みが一つ転がっている。


「ほれ、頑張る元弟子には飴ちゃんやるわ」


「どーも」


 飴を口に放り込み、転がす。そういえば弟子のときも事あるごとに飴を貰っていたなと、なんとなく思い出す。


「そう言えば」


 北上は、口を開く。「あたしって、どんな弟子でした?」


「どんな弟子、か」


 抽象的な問いに、龍驤は首を傾げる。「なんぞ、つい最近も同じようにふわっとした質問しよった娘がおったなあ」


 数秒ほど考えて、龍驤は飴を口に含んだ。


「まあ、天才肌やったな。今もやけど」


 自身も飴を口に入れ、転がしながら過去の感想を引き出す。


「まあ北上ちゃんは感性タイプで色んなこと吸収するタイプやったで、見とって面白い弟子やったなあ。吸収したことをその演習で咄嗟に使えるのを見せつけられると、教える側の人間としては楽しゅうてつい色んなこと教えてもたわ」


 楽しそうに思い浮かべる龍驤の話を聞き、北上は複雑な顔をする。


「なんや、誰か教え子にも心当たりあるん?」


「まあ、すごく飲み込み早い子なら」


 北上は不知火を連想する。初めて格闘演習した際も、自分のやったことを即座にやり返されたことは記憶に新しい。


「ああいうの見ると、なんか楽しくなってこやん?」


「なりますかねえ」


 龍驤から受け取ったコーヒーを啜り、ぼやく。


「なんていうか、その子の将来が楽しみになってくるやん。一緒におって飽きへんし」


 龍驤の話を聞きながら、本当にそうかと少女は悩む。


「そんなもんですかねえ」


「そんなもんやで」


 龍驤は事もなげに答える。「一緒におると愛着も出てきて、なかなかええもんやで。弟子っちゅうのは」


「じゃあその可愛い弟子から一つお願いということで」


 北上は掬い上げるような声でねだる。「ちゃんと自分で考えるんで、新入りたちに課す試験問題のヒントください」


「アホ」


 龍驤のデコピンが、北上の額を捉える。ぺチンと、軽い音が鳴った。


「そうやって考えるのも、教育者の醍醐味やで」


 先輩風を吹かせながら、龍驤は席を立つ。


「それに、北上ちゃんだけ特別にヒントあげたらフェアちゃうでな」


「なんですか、フェアって」


 こっちの話や。そう言い残し、龍驤は踵を返した。


「まあなんにせよ、教え子がおることをあと一週間楽しんどきいや」


 消える龍驤の背中を見送り、北上は呟く。「そんなこと、言われましてもねえ」


 進まない現実を誤魔化すように、手短にあったコーヒーを口へ。

 茶色い液体は、先程より一層苦く思えた。





第二十七章 考査直前/極意






 マルキュウマルマル、午前九時。一切の隔たりを感じさせないくらいに開けた青空の下で、新人六人は並んでいた。本日ハ晴天、試験日和ナリ。

 六人の顔を一通り眺めてから、北上は口を開く。


「まあ、そんなわけで試験の日が来たわけなんだけど」


 調子どう?

 北上は目で尋ねる。

 総勢六名、見た限りでは皆やる気に溢れている。それが昇給や奢りが掛かっているからなのか、それがなくとも真面目なのかは分からない。しかし、士気が高い事だけは容易に察することができた。


「じゃあ最後に、試験前の餞別として小言というかためになる話を一つ」


 軽い前置きを据えて、北上は煙草を咥える。安物のライターで火を点け、煙を肺に送り込む。ふうと息を吐いて、話す。


「ぶっちゃけ、駆逐艦なんて雑魚だよ」


 その一言で、六人は大きくざわめいた。信じられないと言いたげな顔で、北上を見る。

 新人たちの動揺に気付かないふりを続け、少女は話す。


「火力はないし装甲だって薄い、一撃は軽い。それに比べて重巡以上の優秀なことよ」


 つらつらと話す北上に、いくつもの視線が刺さる。


「やっぱり海の主役は空母と戦艦、彼女たちだけいれば大体なんとかなるってえ」


 以降も続く駆逐艦貶しに、不知火が憤怒の形相で食って掛かった。


「教官、それ以上の冒涜は――」


「だからこそ、強いんだよ」


 突如として意見を翻した北上に、不知火は一瞬だけ唖然とする。先程までは散々駆逐艦の脆弱さや戦闘における弱さを述べた癖に、次の瞬間には「強い」と言い始めた。突然の反転に着いて行けないものの北上が持つ雰囲気の変化を感じた新人たちは、慣れたもので即座に背筋を伸ばし、気を付け。

 その様を見届けながら、北上は人差し指を回した。


「群れりゃいい」


 北上は止まらない。


「誰も駆逐艦一隻で戦艦を沈めるなんてラッキーパンチは期待してないんだよねえ。その代わり、群れちまいなよ。駆逐艦は別名“デストロイヤー”、群れたら壊せないことなんてないんだからさ。戦艦だってイケちゃうよ。勝負になんないから、余裕余裕」


 吸いかけの煙草を携帯灰皿に押し込む。


「奇襲上等夜戦歓迎、プライドなんてフリマで売りな。騎士道精神? 武士道仁義?」


 は、と鼻を鳴らす。


「それで生きれる? 見逃してもらえんの? びた一文にもなりゃしないよ」


 北上は、不敵に笑う。


「群れろ、嬲れ、追い掛け回せ。牙を磨いて底に伏せ、相手の不意に抉りこめ。これ戦いの極意なり。小柄を活かせ、良く動け。使えるモノは何でも使い、隠れることを臆するな。それさえできれば、駆逐は無敵」


 北上は止まらない。その舌は、銀鱗の如し。


「冴えた連携は魔の鎖。敵の足を絡め取り、気付けば相手は沼の中。

 堅い信頼は鉄の壁。揺れぬ心に確かな足元、踏み込む一歩に迷いなし。

 積んだ努力は鋼の拳。磨いた一撃闇を裂き、七難八苦を退ける。

 それさえできればみんなは最強、自信を持って戦える」


 一通り言い切った北上は、六人を見る。「返事は?」


『はい!』


 新人たちの声が揃う。


「まあ羽黒ちゃんは重巡なんだけど、本質は同じだからね」


 付け足し、北上は敬礼した。


「それじゃ、諸君の健闘を祈らせてもらおうかねえ」





第二十八章 開始





 試験の会場は、今はもう使われていない廃宿舎の一つだ。三階建てでいくつか部屋もあるようで、それなりに広い。

 不知火は周囲を見渡す。多少埃の匂いがするものの、それ以外は特別不愉快に感じる要素はない。いくつかの机や椅子があり、それ以外にはがらんとしていた。


「なんとも、奇妙な試験ですね」


 少女はぼんやり思い出す。

 開始直前に告げられた試験の内容は、ただ一つ。


 ――三十分間、生き残れ。


 開始数十秒、今のところ特に変わったこともない。強いて言うなら、他の新人五名がどこに行ったのか見当がつかないくらいだろう。なにせオープンフィンガーグローブを着けた直後に目隠しされたままここに連れてこられ、今に至るわけだ。どうやらほかの五人も同じようにランダムな地点に運ばれているらしい。

 警戒心を研ぎ澄ませ、不知火は手短な扉を開ける。古びたドアはギギと呻き、口を開ける。試験開始前に辿った道のりが分からないせいで、どこにどんな部屋があるのかといった構造がまるで把握できないことは思いの外痛手になりそうだ。なにせ、自分が何階にいるのかも判然としない。上に行けばいいのか下に行けばいいのか、そもそもどこへ向かえばいいのかすらわからないのだ。この不安定感は、精神的にもある程度の負担になる。


「生き残れって……」


 不知火は試験の内容を思い出して息を吐く。「なにも敵が攻めてくるわけじゃあるまいし」


 甲高い悲鳴が聞こえたのは、その直後だった。








第二十九章 遁走






「にゃしいいいいいいいいいいいっ!」


 強烈な右ハイキックが、睦月の前髪をかすめた。躱すことができたのは、ほぼ軌跡と言っても差し支えない。それほどにまで速かった。北上の教習を受ける以前であれば、この一撃で沈んでいたことは間違いない。

 飛ぶ鳥すら落としかねない蹴りを放った相手を、睦月はじっと見つめる。

 遭遇した瞬間に強襲してきた天敵は、緩やかに膝を曲げる。


「ごきげんよう、三隈です」


 長いツインテールを優雅に揺らす。育ちのよさそうな顔つきや口調を見事に裏切る、一撃必殺の蹴りである。事実、睦月に三隈の蹴りは予備モーション含め何一つ認知できていなかった。ただ、北上に何百何千と殴られてきたことで感覚的に攻撃の起こりが予見できただけである。


「一撃で沈めるつもりでしたのに……やりますわね」


 す、と三隈は構える。右手右足を前にした、独特の構えだ。

 やる気全開の三隈に反して、睦月の心は根元から綺麗におり曲がっていた。当たり前である。先の回避は所謂偶然、次避けられる保証はない。

 睦月の判断は非常に早かった。戦闘体系の三隈に背く形で身体を翻す。そのまま、一片の躊躇も見せずに駆け出した。


「逃げるが勝ちにゃしいいいいいい」


「あ、ちょ。待ちなさい! 失礼な方ね!」


 睦月に戦意がないことを悟った三隈が大慌てで少女を追いかける。


 命がけの追いかけっこが、今始まった。





第三十章  傍観特等席







 北上と松崎は別室のモニターで、必死の形相で逃げ惑う睦月を眺めている。彼女は今にも漏らさんと言わんばかりの恐怖に煽られた怯えぶりである。

 その様を観察しながら、北上は呟いた。


「ま、そりゃそうなるよねえ」


 麦茶を飲みながら、松崎が「いやはや」と漏らした。


「なんとも、趣のある試験ですね」


 新人六人を収容した旧宿舎には敷き詰めるように監視カメラを張り巡らせ、巨大なモニターで彼女たちの同行を一挙手一投足眺めることができる。さすがにすぐそばで見ることも憚られたが故の思い付きである。

 三階を駆けずり回る二人を見ながら、松崎は北上に尋ねる。


「そう言えばこの試験、どんな意図があって組んだんですか?」


 その言葉を聞き、教官北上は露骨に眉根を寄せた。


「まっちゃん、あたし確か試験申請用の書類に書いた気がするんだけど……」


「北上さんの口から直接お聞きしたいので、とりあえず了承の印鑑だけ押しておきました」


 そんな態度で大丈夫か。そう言ってやりたい気持ちを押さえ、北上は意図を話す。


「まあ、ざっくり言うと咄嗟の判断がどこまでできるかを見たかったかなー」


 軽食として置かれている煎餅を齧りながら、北上は話す。


「多分陸での戦闘になったら全部自分が知ってるようなフィールドで戦えるなんてまずあり得ないし、あったらそれはそれでやばいよねえ。なんせ敵が自分の本拠地近くまで攻め込んできてるってことだから」


 故に――


「不慣れ――初見の場所でもある程度動けるようにしてほしい言ってことと、あとは自分一人でどこまで判断ができるかって部分かねえ、序盤で見たいのは」


 その点――


「睦月ちゃんはまあ及第点なんじゃないかな。心折れたってこともあるけど、無理に戦わず一瞬で逃げることを選んだのは、英断って言っちゃえば英断だしね」


「他には何か、目論見はあるんです?」


 急かすような松崎に、北上は緩やかな態度で応える。「ま、そこは追々」


 リモコンをたぐり寄せ、カメラの映像を変える。


「問題は、この二人かなあ」






第三十一章 羽黒と磯波




 重巡洋艦の新人、羽黒は落ち着きなく視線を彷徨わせる。その隣では磯波が、これまた同じように所在なさげにキョロキョロしていた。開始数十秒と立たないうちに二人は遭遇し、互いに別行動をとることもいささかおかしかったため、一応行動を共にしているような有様だ。その流れも会話による合流ではなく、お互い『なんとなく』のアイコンタクトで混じったようなものである。

 お互いあまり話さない性質のせいか、一ヶ月間同じ訓練を受けてきたにもかかわらず、二人の間には気まずい空気が立ち込める。

 その沈黙を破ろうと、羽黒は果敢に口を開けた。


「し、試験ってどんなことするんでしょうね!?」


 おどおどとしたまま、磯波は眉をハの字にさせる。


「北上先生が言うには三十分間生き残るだけだけど、私もそれしかわかんなくて」


 当たり前である。事実として北上もその条件しか提示していないのだから。


「で、ですよね!三十分間生き残るのが条件ですよね!」


 羽黒はやや引き気味で肯定する。直後に、自分自身の会話能力の低さに激しい落胆を覚えた。

 二人とも黙りきったまま、長い廊下を歩く。


「ほかの皆さんはどこでしょうかね」


 平和そのものを体現したような静寂の中、羽黒はこの間をどうにかしたい一心で話を仕掛ける。しかし悲しいかな、羽黒も磯波も超が付くほどの会話下手なのである。加えて、磯波は極度に会話を避けたがっているような有様だ。

 二人してとぼとぼと歩きながら、羽黒は試験開始の配置を呪った。

 どうして、こんなことになっちゃったんでしょう。







第三十二章 傍観特等席 その二





「こっからかな、この二人は」


 二人のなんとも表現しがたい空気感を見て、北上はさして驚くでもなく呟いた。


「一応お聞きしますが、二人の初期配置が異様に近かった理由をお願いします」


 松崎の質問に、北上は「単純だよ」と答えた。


「二人は意思疎通がヘタクソだからね。だから敢えてすぐに合流できるような配置にしたわけ」


 事実、羽黒と磯波が合流するまでに一分と掛からなかった。ドアひとつ隔てた空間に配置していたのだから、当たり前と言えるだろう。


「こういうのってさ、多分あたしがどれだけ大きな声で沢山言っても無駄だと思うんだよねえ」


 麦茶で唇を濡らし、北上は話し始める。


「羽黒ちゃんにしろ磯波ちゃんにしろ、あまり自分から話しかけるようなタイプじゃないって自覚はあるんだろうね。でも、それじゃ陸も海もままならない。ゆくゆくは艦隊組んで動くわけだしね。コミュニケーションは死活問題だね」


 北上は指揮棒のように人差し指を振る。


「でもそれをあたしが指摘しても、あんまり意味はないのさ。こういった実戦でその状況がいかに不便なのかを各々が自覚して、これじゃ駄目だと発起してこれからの課題に感じてくれたらって思いからかねえ」


「私は海“では”深海棲艦と戦ったことがないので何とも口を挟めませんが、そこはやはり海も陸も同じでしょうか?」


「……?」


 松崎の物言いに、北上は多少の違和感を嗅ぎ取る。その言い方ではまるで、陸地で戦ったことならあるような言い方だった。

 しかし殊更詰め寄る必要も感じなかったため、北上はいつも通りのテンションで回答する。


「やっぱり本質は同じかなあ。連携もそうなんだけど、二人以上で行動するときは必ず意思の疎通が課題になって来るんだよねえ。意思の疎通が上手にできるかどうかで生存率も大幅に変わってくるし、その点この二人にはこれから長い時間をかけて克服してもらいたいテーマって感じ」


「つまりこの試験、課題をたくさん認識させることが目的で合格させるつもりはないんです?」


「いや、一応頑張り次第で合格できるような組み方はしたはずなんだけどねえ」


 視線を上に向けて勘案する北上に、松崎が訪ねる。「確立としてはどのくらいですか?」


「一割五分」


 北上の回答は端的で、容赦がなかった。「みんながちゃんと学習したことを発揮しつつ、抱えている問題をそれぞれ克服てきたらもう少しマシな数字にはなるだろうけどね」


 その考えを聞き、松崎は自身の顎に手を当てた。


「なかなか、意地悪なことを考えられますね」


「まっちゃんほどじゃないよ」


 北上はニタリと笑う。


「だってまっちゃん、同じ立場なら合格させるつもりは一ミリもないんじゃないの?」


「勿論です」


 松崎の返事は早かった。「戦場は、そんなに甘い物じゃないと早くに知っていただきたいですから」





第三十三章 追い込み漁



 一体全体、何故いかなる理由で自分は走っているのだろうか。試験会場として入れられた宿舎の廊下を疾走しながら、朧は必死に考える。『そこに道があるから』といった文学的な回答はなに一つ期待していない。なぜ自分の前を五人の艦娘が走り、三隈に追いかけ回されているのかということについて知りたかった。

 甲高い悲鳴が聞こえて数分した頃であっただろうか、立て続けにさらに二つの声が聞こえた。そこから雪だるま式に阿鼻叫喚が増幅し、五人と合流したかと思われたらなんと朧を素通り。何事かと思い首を傾げていたら鬼の形相で走ってくる三隈を発見し、朧も便乗するように逃走を始めた。これが、朧が知りうる限りの顛末である。

 三隈の迫力もさることながら、「捕まったら殺される」といった旨の発言を繰り返しながら最前線で逃走する睦月の発言が何より恐ろしい。本来なら戦えばいいものの、完全に不意をつかれた形となってしまい、逃げる以外の選択肢を引き出すことができなかったのである。

 六人で不格好逃げ回りながら、開け放たれた部屋の一つに転がり込む。どたどたとお半ば滑稽とも言える走り方で、開けた空間へと逃げ込んだ。

 六人は息を切らせながら、部屋の四隅に目を向ける。

 部屋の中心では、一人の少女が片膝をついていた。両の拳を額に押し付けており、その様はどこか祈りを捧げているようにも思えた。拳とセーラー服の上から腕に縄を巻きつけている、独特の装いだ。


「作戦、大成功ですわ」


 したり顔の三隈が、唯一の出入り口である一つのドアを塞ぎ、施錠する。退路を断たれた。


「準備はよろしくて?」


 構えた三隈に呼応するかのごとく、祈りを捧げている少女が言葉を紡ぎ始めた。


「産んでくれた両親に感謝。

 苦楽を分かち合える姉妹に感謝。

 技を授けてくださった師匠に感謝。

 この場を与えてくれた北上さんに感謝」


 通り一遍奉った少女が、ゆっくりと膝を伸ばす。全体的にスラリとしたシルエットで、ショートの髪が活発な雰囲気を抱かせる女の子だった。


 祈りの少女が、荘厳に構える。


「航空巡洋艦”最上”、出撃するよ!」


「やりますわよ、もがみん!」






第三十四章 傍観特等席その参





「最上型のお二人ですか、いいですねえ」


 煎餅を齧りながら、松崎が珍しくテンションを上げる。


「どんな基準であのお二人にしたんです?」


 松崎の発言に、北上は「最初はあの二人に頼むつもりなかったんだけどねえ」と返す。


「本当なら、日向さんや足柄さんあたりに頼む予定だったんだよね」


 その言葉に、松崎が絶句する。「流石に、それは少々まずいのでは?」


「やっぱりまっちゃんもそう思うかねえ」


 懐からタバコを出した北上であったが、ここが鎮守府内であることを思い出し、渋々取り下げる。代わりに口元寂しさのお供として、煎餅に手を伸ばした。


「日向さん一人対新人六人でもいいかなーとは最初考えたんだけどねえ、冷静に考えると絶対無理だよね」


「多分、皆さん死んでしまいますね」


「比喩じゃなくて、マジで死んじゃうよね。あの人手加減が死ぬほど苦手だろうから、六人全員がグチャグチャのミンチになるのわかってて戦わせるのは忍びなさすぎるし、そんな日向さんの師匠やってた足柄さんってもうお察しだよね。『飢えた狼』の異名通りすごく好戦的だし何より足柄さんはスタイルすごくいいんだよねえ。リーチが勝りすぎてて勝負になんないし」


 羨ましいわー、と少女はぼやく。


「だから数の優位だけじゃ絶対勝てそうにないから却下かなあ」


「で、あのお二人にお願いしたというわけですか」


 他にもいろいろ理由はあるんだけどね。そう言って話そうとした少女の声を、明るい声が遮った。






第三十五章 傍観特等席その肆



「なんか面白そうなことしてるじゃねえか。オレも混ぜろよ!」


 二人は首を後ろへ。眼帯をつけた少女とお淑やかそうな少女の二人組だ。天龍型一番艦と二番艦のコンビである。


「“天龍”さんと“龍田”さんじゃないですか。演習はもう終わったんですか?」


 おうよと応え、天龍はずかずかと部屋の奥へ踏み込む。部屋の隅から椅子を引っ張り出し、松崎の隣に腰を落とした。


「オレを差し置いてこんなに面白そうなことやってやがったのか」


 恨めしそうな音吐で呟く天龍とは裏返ったかのごとく、龍田の声はのんびりしている。


「天龍ちゃん、お邪魔じゃないかしらー?」


「構いません」松崎は穏やかに了承の意を示す。「折角ですし、四人で観ましょうか」


 龍田も腰掛け、四人はモニターをじっと見つめる。その最中、北上は思い出したように「ああ」と漏らす。


「そう言えばこの試験、天龍ちゃんと龍田ちゃんに依頼しようと思ったこともあったんだっけ」


「なんだと!?」


 天龍が勢いよく食いつく。「なんでそのままオレを誘ってくれなかったんだよ北上先輩!」


「だって二人相当強いじゃん」


 北上はあっさり答える。「現時点ではもがみんとくまりんこより強いし、加えて新人達に長物持たせた相手の仕方は時間なくて教えてなかったしねー」


「要は素手で戦い、かつ数の有利でどうにか倒せるくらいの相手があの二人だったと」


 松崎の要約に、北上は首肯で返す。


「でもー」肩を落としている天龍の背中を撫でながら、龍田が北上の答えに疑問を示した。


「それなら、教えてあげた北上さん直々にお相手してあげてもよかったんじゃないかしらー?」


「それも一理あるんだけど、あの六人じゃ絶対あたしに勝てないしねえ。ギリギリ勝てるくらいの相手じゃないと、試験になんないかなって」


「本当にそれだけですかー?」


 龍田のねっとり舐めるような物言いに、天龍が疑問を示す。「どうしたんだよ龍田、それだけって」


「錬度や実力だけが選定の原因なのかと、お聞きしたいんじゃないですかね」


「さすが提督ー、話が早いわあ」


 ふわりと笑む龍田に、北上は「かなわんね」と苦笑を浮かべた。


「他にも理由はいろいろあったんだけど、『素直』な子を選びたかったんだよねえ」


「素直?」頭上に疑問符を浮かべる天龍に、龍田がやんわりと補足を入れる。


「最上ちゃんも三隈ちゃんも、地上で戦うとなったら持ち前の格闘技以外使わないってことよー。不意打ちとか奇襲はしないで、真正面から正々堂々戦うってことだと思うの」


「私もそのように解釈しました」


 松崎も便乗する。


「この試験は趣旨上一応何でもありですから、その何でもありを駆使してやっと倒せる相手があのお二人と」


「そうそう、流石だねえ。先輩で格上、なおかつ搦め手も扱える人だと一ミリの勝ち筋もなくなっちゃうから」


「オレだって新人相手にそんな卑怯なことしねえぞ!」


 食ってかかる天龍に、北上は人差し指でバツを作る。「天龍ちゃんじゃなくて、もう一人の天龍型。裏でやばそうな方の天龍型ね」


「龍田ァ? 龍田がそんな情け無用なこと」


 言いかけ、天龍は沈黙する。どうやら、相棒として思い当たる節が山のようにあるらしかった。この件に関して松崎も一切否定や擁護をしないあたり、周囲が抱く龍田へのイメージ像が伺い知れるだろう。

 絶妙な沈黙の渦中で、龍田は右頬に自身の手を当てた。柔和な笑みが、一層の深さを増す。


「やだあ、そんなわけないじゃないですかー。私が一番、正々堂々闘いますしー」


 その清々しいまでの白々しさに、松崎すら口を挟むことができずにいた。



第三十六章 大乱闘艦娘シスターズ





 最上の体躯が、弾丸のように跳ねる。対応が遅れた六人の中心めがけて、豪快に切り込んだ。どう動くか決めかねた不知火の胸に、最上の足が迫る。咄嗟に交差させた両腕で受け止め、吹き飛ばされた。ごろごろと転がりながら、器用な受け身で被害を最小限に留める。北上に何千回と投げ飛ばされた賜物である。

 狼狽した新人たちの中で嵐さながらの暴れ振りを、最上は惜しげもなく披露する。鍛え上げた足技で、新人たちを翻弄する。


「三隈を忘れてもらっては困りますわ!」


 最上が乱した空間を、三隈の正確な一撃が抉る。新人たちは、順調に切り崩されつつあった。

 左脚を軸に、最上は横薙ぎに蹴りを振るう。睦月はそれを、最上が右足を上げるより早くしゃがむことでやり過ごす。バットのフルスイングに酷似した音と風が、睦月の頭頂部をかすめた。当たっていたらどうなるかを想像し、冷や汗が吹き出る。


「くまりんこ!」


 最上の合図に、三隈が動く。回避した睦月の頭を狙い、三隈の膝が殺到した。


「にゃしいいい!」


 必死に叫び、身体を捻る。超速の一撃が、空を切った。先程まで睦月の頭があった個所を、三隈の足が通過する。完全にとらえた確信があったらしい三隈は、困惑の表情を見せる。


「一度ならず二度までも……!」


 三隈が露骨に歯噛みする。自身が思い描いた未来像と結果が悉く乖離する。なんなんだこの新人は。三隈の顔が、言外に語る


「だったら――」


 三隈の判断は早かった。早々に睦月を諦め、白露に狙いを変える。


「外堀を埋めてからにしますわ!」


 目にも留まらぬ拳が白露の左頬を貫く。よろめいた白露を素通りし、最上は朧に迫る。最上のハイキックが顔に迫る。両腕を重ねた朧の防御が、身体もろとも床へ叩き付けられる。駆逐艦と重巡以上の性能差を見せつけられるかのごとく、話にならない。

 ねじ伏せられた朧を見た五人の顔に、焦燥が滲む。


 逃げるべきか。

 戦うべきか。

 はたまた降伏すべきか。


 全員の意思がまるで散漫な状況においても、最上と三隈は止まらない。殴り、蹴り、飛ばす。


「一人目、ノックアウトだよ!」


 脚に檄を入れて持ち直そうとする朧の顔に、最上は容赦なく脚をけしかける。

 その時であった。

 最上が唐突に足を畳む。両腕で頭を包む。

 横合いから羽黒が、右腕を豪快に振り回して最上に叩き付ける。最上の身体が、勢い良く吹き飛んだ。しかし最上は羽黒の闖入を察したからこその行動だったのだろう。大した動揺もなく、軽業師も唸る身軽さで着地した。

 次に羽黒はどう出るのか。窺うように間合いを図る最上とは打って変わって、羽黒は大きく息を吸い込んだ。


「みなさん、落ち着いてください!」


 普段大きな声を出さない羽黒が、拡声器を使ったのかと疑いたくなる程声を張る。たったその一言で、混沌の最中に合った室内に正の緊張感が生まれる。ピンと、部屋の空気が張り詰める。


「バラバラだと各個撃破されます! 私と睦月さんと朧さん、不知火さん磯波さん白露さんの二班に分かれてください!」




第三十七章 傍観特等席その伍




「ほお」


 モニター越しに羽黒の動きを目の当たりにし、天龍は僅かに感心の声を漏らす。「あの一年目、やるじゃねえか」


「これはあたしも意外だったなあ」


 北上も同意を示し、頷く。「ぶっちゃけ、あの部屋に六人まとめて入っちゃった時点で勝ち筋なくなったと思ってたんだけどなあ」


「でも、これで少しはわからなくなりましたねえ」


 龍田の見立てに、松崎は「おっしゃる通りです」と乗った。


「混乱した時ほど、単純でわかりやすく、かつ実行難易度が低い命令が求められます。それを確実に発言できた羽黒さんは、結果如何では今日のMVPかもしれませんね」


「散り散りなら絶対勝てねえだろうけど、何人かでまとまって戦えば勝機はあるからな、これ」


 天龍の言葉通り、散らばっていた六人はそれぞれ二班に分かれ結束する。先の羽黒が最上を遠ざけたことも、纏まりやすさを底上げしていた。数秒とかからず、羽黒の指示通りの編成に分かれる。これで六の個体ではなく二の小部隊へと、まるで別の存在に変貌したも同然だった。


「羽黒さんは意外にも、旗艦の素質があるかもしれませんね」


「かもね」


 北上は素直に賛同する。「初めて格闘演習した時も瞬時の判断力は誰よりも優れてたし、後は日頃みんなとどれだけ密な関係を図れるかだね、課題は」


「日頃の関係ほど大事なものもねえからなあ」


 天龍はしみじみと呟く。「演習もだけど、常日頃の関わりで信頼関係をどれだけ構築できるかで作戦中の動きも変わる」


「信頼できない人は仲間って呼びたくないし、背中を任せることも嫌よねえ」


 補足しながら、龍田は天龍にもたれかかる。


「こうしてお互いに心の底からもたれることができれば、理想よねえー」


「そう考えると」


 松崎は、自信満々に切り出した。


「私は常に皆さんからの信頼も厚く、実に理想的な関係を築けているような気がしますね」


 その一言で、部屋の空気が凍りつく。北上や龍田はもちろんのこと、騒がしい天龍ですら黙りこくった。天龍は吹けない口笛を吹いて誤魔化そうと、唇を突き出して息を吐いている。

 一通り下りきったテンションのなかで、松崎はわざとらしく咳を払った。


「私は今、何も言っていませんでした。いいですね?」


「お、おう」


 松崎のいっそ見事な開き直りに動揺する天龍を尻目に、北上は麦茶を啜った。


「あ、試験が動いたね」






第三十八章 二の足






 剃刀だ。三隈の技を、睦月はそう決定付けた。冴え渡る技の切れは鋭く、それでいて速い。


「睦月さんは、三隈さんの攻撃をひたすらかわし続けてください」


 睦月の背後に立つ羽黒が、小声で依頼する。


「にゃしい!?」


 肩を跳ね上げ、睦月が振り向く。


「無理無理! 睦月じゃ絶対無理だって!」


 両手をバタバタと振る睦月に、羽黒は真の通った眼差しで見つめる。


「三隈さん相手に、私や朧さんでは三隈さんの技を見ることすらできませんから、相性が悪すぎるんです。唯一、睦月さんだけがなんとか渡り合えます」


「でも、睦月痛いの嫌だし……」


 二の足を踏む少女の頭を、羽黒が優しく撫でる。


「大丈夫、いざとなれば私が身体を張ってでも守ります」


 それに――


「三隈さんに一太刀浴びせるのは私の役目ですから」


 その言葉を聞き、三隈は首を傾げる。


「随分大仰なフィクションを聞いた気がしますけど」


「事実です」


 羽黒は一歩も引かなかった。カタカタと震える膝を精一杯伸ばし、握り拳を作る。


「三隈さんは、私の一撃で倒します」


 その一言で、三隈が纏う空気が冷えた。顔に僅かな影を落とし、構える。


「いくら三隈でも怒りますよ」


 三隈の気概を、肌で感じる。今までの小手調べを辞めて、本気で沈める気でいる者の目だ。

 生唾を呑み込み、羽黒は尋ねる。


「睦月さん、お願いできますか?」


「にゃし」


 睦月は振り向き、羽黒の膝を強く叩いた。バシン、とヒット音が響く。まさか叩かれると思っていなかったらしい羽黒は、驚きのあまり目じりに涙を一粒たたえる。


「自分だって怖いくせに、痛いの嫌なくせに……」


 呟き、睦月は顔を上げた。


「そのくせ必死に虚勢張るなんて、どれだけ不器用なんだか」


 構える。両手を緩く開き、左を前に。


「そこまでして友達が戦おうとするなら、睦月も一緒に戦うよ」


 浅く息を吸い込み、少女は力強く宣言した。


「いざ、参りますよー!」


「――ッシ!」


 三隈が鋭く息を吐く。それと同時に、爪先を相手の鳩尾に捻じ込むような蹴りを放つ。睦月はそれを、身体の回転だけで躱す。反撃を警戒した三隈が、慌てて脚を引き戻す。


「足技は相性最悪と言った処でしょうか」


 一人ごち、目線を睦月の顔に合わせる。


 睦月は全神経を収斂させる。瞳をせわしなく動かせ、三隈の一挙手一投足にすべてを捧げる。

 直後、三隈の拳が動いたように見えた。睦月はスウェーで距離を取る。

 しかし、当の三隈は何もしていない。むしろ睦月を値踏みするかのように、じっと見るだけだ。


「……なんですの? 今の」


 唐突な行動に当惑しながらも、三隈は姿勢を崩さない。


「あにゃにゃ?」


 行動を起こした張本人の睦月ですら、この間に首を傾げる。

 おかしい、たった今三隈は攻撃を仕掛けたはずだ。それを見越して回避したはずだが、現実には何も起きていない。


「変わった方ですね」


 三隈が、すり足で前へ。

 脚だ。

 睦月は確信する。試験開始早々に仕掛けてきた、右ハイキック。

 直感が電流となり、睦月の身体に指示を出す。膝を曲げてやり過ごす目論見は、またしても外れた。

 三隈は蹴りを放たず、数センチ前へ移動しただけで行動を終えている。


「あの、睦月さん?」


 羽黒が心配げに声をかける。朧も、どこか頼りないものを見る目をしていた。第三者から見たら、そう映ることを咎めることはできない。なにせ攻撃が来るまえから回避しているのだ。睦月が勝手に奇怪な動きをしたと、解釈されてもおかしくない。

 しかし、三隈は新人たちとはまるで正反対の反応を示していた。激しい動きをしていないにもかかわらず、一筋の汗を流す。


「なんで、三隈の未来を知っているんですの……!?」




第三十九章 目醒め




「なんだ? あのチビ」


 モニター越しに睦月の挙動を見ながら、天龍は眉のハの字にして唸った。「なんか急にふざけ始めたな」


「いきなり踊って、三隈ちゃんを困惑させる作戦かしらあ?」


 憶測を述べる二人に、北上は軽く笑って見せた。


「ま、そりゃそう映るよねえ」


 もう少し見てごらんよ。そう付け足し、北上は自身の麦茶を飲む。

 北上の真意を今一つ把握できない中、二人は画面に視線を戻す。

 相も変わらず、睦月は不可解な動きを繰り返すのみである。三隈が距離をつける動作と連動して唐突に後ろへ下がり、首を左右に曲げ、腰を落とし、挙句の果てには小さくジャンプまでする有り様だ。見ようによっては、即興の適当極まりない踊りと言えなくもないだろう。

 五分ほど奇妙な間が続いたのち、天龍が焦れたように口を開く。


「北上先輩、このチビマジでふざけてるだけなんじゃ――」


「あ」


 天龍の言葉を遮り、龍田が短く発音する。


「どうしたんだよ龍田、何かあったか?」


 天龍に促され、龍田は「私な勘違いなのかもしれないんだけどお」と前置きを据えた後に話し始める。


「さっきから三隈ちゃん、一回も攻撃していないんじゃないかしらあ」


「――は?」


 天龍の、間の抜けた音が床に落ちる。


「ンなわけ……」


 呟き、天龍は三隈を穴が開くほど凝視する。

 一分程度見た後で、声を震わせた。


「マジじゃねえか」


 龍田も確信を得たのだろう、右手を口元に当てる。


「これはあくまで可能性の話ですけどお」


 間延びした声で龍田が訊ねる。


「もしかして三隈ちゃんが攻撃できない理由って、あの新入りちゃんにあるんじゃないかしらあ」


 流石鋭いね。

 北上はニヤリと笑った。


「まあ、あの睦月ちゃんが原因だろうね」


「待ってくれよ北上先輩」


 すかさず天龍が割って入る。


「どういうことだよ。なんであのチビが変な踊りすりゃ三隈が攻撃できないことと繋がるんだよ」


「そこは、よおく見てごらんよ」


 北上の提案に納得できない表情を見せたまま、天龍はモニターを見る。

 三隈が距離を詰める。睦月が退いた。直後に頭を下げる。

 そこで何か気付いたのだろう、天龍は目を見開いた。驚きのあまり、腰を浮かせる始末だ。


「おい、これってまさか……」


 天龍の言葉を、龍田が引き継ぐ。


「あの睦月って新入りちゃん、まさか三隈ちゃんの攻撃を予知しているのかしらあ」


 北上の笑みが、一層深くなった。




第四十章 目醒め その弐




「ま、詳しい理由はあたしも全然把握していないんだけどね」


 なんでもない事のように言ってのける北上に天龍が返す。


「じゃあアレか? 龍田が言うように予知なのか? 未来を予知すんのかよ」


「それとはちょっと違うみたいなんだよねえ。そこまでオカルトじゃないよ」


 呑気な声色で、北上は返す。


「予知とは違うんだよ。でもなんとなく感覚的に分かるらしくて、集中力が発揮されている時だと“自分に如何なる害が降りかかるのかを察知できる”んだってさ。ただ、それも感覚頼りだから外すときもあるらしいんだけどね。あくまでも勘だから、どうしても不安定にはなるんだけどね」


「外すことがあるにしてもすげえな、それ」


 感心した天龍が漏らすも、北上の評価は厳しい。


「でもそんな特性があったとしても、使える場面にいなきゃ持ち腐れってやつだよ」


 麦茶の入ったコップをくるくると回しながら、北上は続ける。


「睦月ちゃんは困難から避けたがる傾向が強いからね、今回もてっきり逃げ惑うものかと思ったけどちゃんと一皮むけてくれたみたいで安心したよ。どんな形であれ、眼前の恐怖や苦難に向き合う力が付いたことは、素直に嬉しいよ」


「この構図が出来上がったことで、これからどうなると思います?」


「そうさねえ」


 松崎の質問に、北上は顎に手を当てて考える。


「でも依然として厳しいだろうね。相手は格上だし、羽黒ちゃんの一撃は先のもがみんでどのくらいのモノか割れちゃったから、羽黒ちゃんの攻撃でくまりんこを沈めるのは無理があるかなあ」


 北上は人差し指を後輩二人に向ける。「天龍ちゃんや龍田ちゃんならどうする?」


 天龍は勇ましく話す。


「オレなら強行突破以外ねえな。なんせ世界水準超えてるからな!」


「私は、とりあえず三対一ですから数で押し切りますねえ」


「まっちゃんは?」


「私ですか」


 数秒考え、松崎は口を開く。


「月並みな意見で恐縮ですが、やはり役割が鍵だと思いますよ。睦月さんだけでは制限時間一杯稼ぐなんて無理ですし、やはり何かしらの手段であの二人を戦闘不能の状態に追い込まなければならないんで決定打を叩き込む以外ないでしょうね」


「だろうね」


 北上も概ね同意なのだろう。頷き、煎餅を齧る。


「こっちはどうだろうねえ」


 羽黒率いる三人組から、もう片方の一団に目を向ける。






第四十一章 ブラジリアンキック





 まるで鉞(まさかり)みたいだ

 最上の足技を目の当たりにして、磯波は素直に感心した。磨き抜かれた一撃は相手の防御もろとも押しつぶし、叩き斬る。切れ味と威力のバランスが絶妙に釣り合った、文句のない格闘技だ。


「さあ、もっと僕を楽しませてよ!」


 溌剌(はつらつ)とした、スポーツ少女さながらの表情で最上は磯波に迫る。


「――っや!」


 最上の一喝。頭付近にまで上げていた両手を叩くように下ろし、その反動を利用して右膝を突き上げる。その鋭さは、地から天に突き抜ける稲妻を連想させた。

 ごう。と、迫力が音となって磯波を襲う。

 当たれば悶絶必死。その一撃を退くことなく、寧ろ磯波は一歩前へ踏み込んだ。


「はい!」


 トップスピードに至っていない最上の太ももに自身の左手を添える。最上の攻撃を正面から受け止めるのではなく受け流すような要領で、腰を時計回りに切った。その勢いで左手が腕ごと動き、最上の脚をぐいと動かす。

 一撃必殺の膝が、虚しく空を切った。


「やるじゃん」


 最上が一層楽しげな笑みを浮かべる。「楽しいよ、久しぶりにいきり立っちゃいそうだ!」


 両手を掴みにかかった磯波から離れ、最上は一度体勢を整える。自身から白露と不知火が離れていることを目線で確認し、再び磯波に向かう。

 膝蹴りで右膝を前に。距離が足らずに空を切った膝を捕捉しようとした磯波を嘲笑うかのように、最上は動いた。

 軸足にしていた左足を床に擦る。左足の踵を磯波に向け、自分の腰から上を床と水平になるかといわんばかりに傾けた。

 蹴り上げた勢いをそのままに、右膝を支点に足を大きく回す。相手の上から足の甲を叩きつける、ブラジリアンキックだ。


「えっ……」


 磯波は反応が遅れる。ただの膝蹴りではなかった。目論見と外れた攻撃により、少女は一瞬の躊躇を見せる。しかし北上から何千何万と殴られてきたこともあり、身体だけは動いた。

 両腕を交差させて、最上の脚を受け止める。しかし鉞の印象は伊達ではない。防御姿勢を取った磯波をそのまま押しつぶすかのように、勢いそのままねじ伏せにかかった。

 あまりの威力と重力が一気に増したかのような圧力に、磯波は床に片膝をつく。艦種だけでもこれほど違うのか。その違いを、磯波は身体で思い知った。




第四十二章 旗艦不知火




「その首貰ったよ!」


 右足を引き上げ、改めて体勢を変えることなく右足を真上へ。柔軟な筋肉と弛まぬ努力が生み出した、生粋の化け物である。片膝をついた磯波と必殺の踵を高く掲げる最上の対比は、死刑囚とギロチンの暗喩と言えなくもなかった。

 二度目を受け止めることはできない。磯波が悟った、その時だ。

 横合いから、二つの影が飛び出した。

 一つの影は最上の顔を狙い、もう一つは胸を狙った蹴りを放つ。唐突に放たれた二連撃に対しても、格上は慌てることなく対応する。顔への攻撃を全力で防ぎ、胸への足は甘んじて受けた。しかしヒットの直前に後方へ飛んだのだろう。ゴム毬のように後ろへ飛んで転がり、ダメージらしいダメージを見せないまま軽やかに受け身を取った。


「あれえー、ほとんど無傷!?」


愕然とした様子の白露に、「そうでもありません」と不知火はフォローした。


「磯波さんから最上さんを退けることができただけでも大きな成果と言えるでしょう」


「ま、そりゃそっか」


 素早く立ち直り、白露は笑う。


「これからどうするつもりなの?」


 磯波を立たせながら尋ねる白露に、不知火は淡白に答えた。


「即席ですが役割を振ります。磯波さんは前衛兼壁、ひたすら最上さんの攻撃を受け流してください。白露さんは適時サポート、最上さんが大きな一撃出せないようけん制しつつ、磯波さんの旗色が悪くなったら素早く割り込んで振り出しに戻してください。とどめは不知火がなんとかせしてみせます」


「りょーかい!」


「はい」


 二人に目配せして作戦が伝わったことを確信し、不知火は「さて」と呟いた。


「徹底的に、追いつめてやるわ」



第四十三章 傍観特等席 その陸






「前衛は磯波さん、随時サポートが白露さんでストライカーが不知火さんですね」


 どう思います? そう尋ねてきた松崎に、北上は首を傾けることで返す。


「それぞれ、課題と向き合った戦い方をしていらっしゃると思いますか?」


「まあ、そうっちゃそうかもねえ」


 マイペースに応えつつ、北上は画面を見る。


「磯波ちゃんは引っ込み思案だからもう少し前に出てほしいって思いがあったし、不知火ちゃんはああ見えてせっかちだからねえ。ちゃんと臨時の編成組んで勝つための手段講じたってのは、いいことなんじゃないかなあ。白露ちゃんは全体的に平均ちょっと上くらいの成績だからそつなくこなせるオールラウンダー的な役割が望ましいよね。そう考えたら、この采配は大満足」


 加えて――


「もがみんは“ムエタイ”の使い手だからね。闇雲につっこんで一人一人首相撲で蹂躙されることと比べたら、隊を組んでじりじり追いつめることを選んだのはいいね」


「なんだよ、首相撲って」


 疑問を挟み込んできた天龍に対し、北上は人差し指を振りながら数秒考える。しかし適切な言葉が浮かばなかったのだろう、天龍に立つよう促した。

 北上は天龍と向き合い、唐突に掴みかかる。自身の両肘を天龍の鎖骨付近に押し当て、両手を組んで天龍の後頭部を押し込む。たったそれだけで、体格で勝っているはずの天龍の上半身があっさり曲がった。


「これが首相撲。相手を押し込んで、体力を消耗させる技術だね」


 言いながら、軽く脚を上げる。


 「このまま相手がアリジゴクみたいにもがいて疲弊を待つもよし、今のあたしみたいに相手の身体に膝をたたき込んでボコボコにするもよし。高度なムエタイの使い手に首相撲で捕まったら相手がミスする以外逃げ道がないし、ムエタイが立ち技系格闘技最強を言われる所以だよね」


 ためしに天龍がどうにか北上から逃れようとするも、じたばたともがいて疲れるだけに終わった。


「これ、鎖骨付近に刺した肘と天龍ちゃんの後頭部を押さえる手が梃子の原理になってるんだよね。だから、戦艦レベルの筋力とか背筋とか持った艦娘じゃないと脱却は無理だろうね」


 天龍を解放し、北上は腰かける。

 疲労を顔に浮かべる天龍が、納得したように顎を引いた。



第四十四章 傍観特等席その柒



「確かに、これは結構効くぜ」


「まあこれは競技化する中で発達したものでもあるんだけどね。本来、ムエタイはもっと凶暴だよ」


「マジか」


 呆然とする天龍に、松崎が話し始める。


「ムエタイは本来、タイが発祥の白兵戦に特化させた格闘技です。そして最上さんのムエタイは競技化が発達する以前の“古式ムエタイ”。人が生み出した、人を壊すための技術と言ってもいいでしょう」


「具体的に言うと、普通のスポーツでは許されていない肘や膝を使った技が多いんだよねえ。そっちの方が人を壊しやすくなるし、まさに白兵戦のために生み出された技術と言ってもいいんじゃないかな」


 ムエタイの強みを聞かされた天龍は、うんと唸る。


「それ、新人たちに勝ち目はあるのか?」


「一応ね」


 あっけらかんと、北上は答える。


「ただ、本人たちが気付けるかはまた別の話なんだけどね」


「そういえばあ」


 龍田が、ふわりと尋ねる。


「艦娘による艦娘のための格闘技ってないんですかあ?」


 その質問に、北上は難しい顔を浮かべる。


「要するに、海の上で、艤装を着けた艦娘同士における格闘技ってこと?」


 首肯する龍田を見て、天龍は呆れた。


「さすがにそれは無茶があるだろ。艤装なしの状態だからなんとか渡り合えるものであって、海に出たら性能差が如実に出ちまう」


「ありますよ」


 あっさりと応える松崎に、天龍はばっと振り向いた。


「マジか」


「まだ構想中ですけどね」


 麦茶を飲み、松崎は続ける。


「艤装を使った格闘技や艤装を効率的に破壊する格闘技など、今考えております。また、それに伴い本来の艤装とは違う装備――まあこれは“特装”と仮称しているんですけど、それらも計画のうちにはあります」


「なんだか、単純な世界じゃなくなってきてんなあ」


 そうだよ。北上は便乗する。


「だからあたしが、こうして雛を仕込んでやってんのさ」



第四十五章 酔八仙の加護その壱




 最上の脚が、ぐんと唸る。その呻きに伴って、脚が鞭のようにしなった。真正面からの対峙はほぼ不可能と学んだ磯波は、身体を引く。最上の右脚に手を添え、身体を回転させることで鉞の脚をやり過ごした。磯波は回転そのまま最上に迫る。


「僕が脚だけしか能がないと思った?」


 脚以外の攻撃手段がないのであれば、脚を使う隙間すら与えないほど密着することは有効だ。しかし、ムエタイには通じない。膝に比肩する武器が、上半身には存在する。

 最上は一歩、右足を前へ。肉薄した磯波の勢いと相乗させるかのように、右肘をフックの要領で振り抜いた。象の牙を彷彿とさせる力強い肉体凶器が、ぐんと少女を襲う。


「磯波さん!」


 磯波を案じる不知火の声が飛ぶ。当たりどころが悪ければ、顎の骨が砕けても不思議ではない。

 巨象の突進かと錯覚する肘に対し、磯波は動いた。

 先の回避と同じように、手を添え回転。勢い余った最上がつんのめるのを右脚で堪える最中、少女は回転しながら足を床に擦った。最上を中心とし、弧を描くように身体を滑らせる。

 磯波は物の見事に、最上の背後を取った。


「もらいました!」


 隙だらけになった最上の後頭部を、磯波は力強く見据える。いくら格闘技を磨いた者といえど、後頭部に強烈な一撃を受ければ相当なダメージになるはずだ。

 ずん、と一歩。腰を反時計回りに巻き込み、右掌底を放つ。攻撃は苦手としていたが、北上の教授によりやり方だけはわかっていた。驚くほどスムーズに体が動く。

 やった。

 磯波が確信した、その瞬間のことだった。

 最上の頭部が消える。正確には右膝を曲げて大きく頭を下げただけであったが、唐突な動きによって磯波には消えたように錯覚した。


「え」


 掌底が空を切る。退くべきか、追撃すべきか。

 迷う磯波の頬を、不知火の一声が力強く叩いた。


「防御を!」


 言われるがまま、掌底で繰り出した手を胸元まで戻す。その動きに一瞬遅れて、左サイドから最上の脚が跳んできた。磯波はぎょっと目を剥く。先の行動は防御に主眼を置いていたわけではない。反撃のために、右脚へ力を溜めていたのだ。それを爆発させ、回避と攻撃を兼ねた一撃が爆ぜる。

 迫る脚に逆らわず、少し腰を落として自身の右前腕部を当てる。右腕で大きな弧を描くように受け流し、磯波は安堵の息を吐く。


「まだまだッ!」


 ハイキックを受け流された最上キックの勢いを活かして方向を転換する。一瞬のうちに背後をとっていた優位性は消えうせ、最上と向き合う形に戻った。

 しかし、それで最上は終わらない。



第四六章 酔八仙の加護その弐



 磯波が少し腰を落としていることを狙い、最上は跳躍する。手を使わずに空中で前転するような、体操選手じみた動きを見せる。ぎょっとするほどのジャンプ力を見せつけ、両膝が磯波の首を挟み込む。


「いっせーのーせっ!」


 最上が背筋をフル稼働。ぐん、と磯波の視界が下へ回った。咄嗟に受け身を取ることができたのは、ひとえに訓練の賜物である。プロレス技よろしく派手に投げ飛ばされ、磯波は床を転がる。

 なんだ今のは。

 磯波は頭上の疑問符を消すことができなかった。

 混乱冷めやらぬ磯波を庇うように前に出た不知火が声をあげる。


「白露さん!」


「はいはーい!」


 白露が飛び出す。

 投げ終わった直後で立ち上がる途中の最上に、白露は一気に迫った。

 しかしさすが先輩格。素早く体勢を立て直した最上は白露の右内腿に向かって力強い蹴りをけしかける。ローキックだ。

 その蹴りを、白露はあっさりかわす――いや、最上の蹴りが放たれる前に白露は脚を上げていた。

 盛大に空振った最上は目を白黒させる。白露の構えと自分の攻撃が見事に被っただけであるが、それでも驚きを打ち消すことはできなかった。

 次はどんな行動が飛び出すのか。注意深く観察する最上とは裏腹に、白露は左足による一本足を継続している。

 そこで何か気付いたのだろう。最上が口の端を引き攣らせる。


「まさかそれって……」


 にやりと、白露は笑った。


「白露型1番艦白露、出ます!」





第四十七章 傍観特等席その捌





 白露の不可思議な構えをモニター越しで見た天龍は、大きく目を見開いて腰を上げた。


「おい先輩これって」


 大人しい龍田ですら、両手で口を隠すほどの始末である。


「酔拳じゃねーか!」


 天龍の声が、モニター室で爆ぜた。

 荒れ狂いそうな天龍と裏腹に、教え込んだ北上は至って涼しい顔をしている。


「そうだね、酔拳だよ」


「『酔拳だよ』じゃねーよ先輩! あんなんやってどうするつもりだよ! 映画映えくらいしか使い道のないナンチャッテ拳法学んだところで――」


 捲し立てる天龍に向かって、北上は一瞥もくれずに裏拳を放った。ぶん、と風切り音が駆ける。

 勿論当てるような真似はせず、目と鼻の先で寸止めさせる。ぴたりと停止した裏拳の風圧で、天龍の前髪が揺れた。


「偉そうな口叩くのは、せめてコレ避けられるくらいになってからにしなよ」


 生唾を飲む天龍を尻目に、松崎が代弁する。


「ですが、確かに天龍さんのおっしゃることも一理あるんじゃないでしょうか。このご時世、酔拳が実用的とは言い難いと思います」


 先の北上の迫力に戦いているのか、天龍は口に出さないながらも首肯で便乗する。


「私も、あまり実用的とはあ」


 龍田の言葉も受けたところで、北上はコップを掴んだ。


「勿論、みんなの意見が的外れって言うつもりは一ミリもないよ」


 寧ろ――


「酔拳なんて時代錯誤だって意見も、すごく的を射ていると思うよ」


「じゃあなんで――」


「普通の筋トレだけしてちゃ飽きるじゃん」


 天龍の言葉を北上が遮る。


「理想としては日向さんみたいな戦艦クラスに並ぶ体格つけて、時間が許せばそこから武道を始めるのがいいかもしれないけどさ、それじゃつまんなくない?」


 北上は続ける。


「本人が自主的に取り組んで、その中で筋肉付けたりバランス感覚つけたりできるのがベストだと思うんだよね。あたしは」


 北上は麦茶を飲む。


「白露ちゃんは特に飽きっぽい性格だったし、どうせなら八種類の戦い方がある酔拳を少しずつ教えつつバランス感覚とかを養ってもらえたらなって取り組みかなあ」


「じゃあ、北上先輩自身も酔拳は非実戦的だって言うのか?」


 天龍の問いに、北上は顔を曇らせる。


「まあ、そうなるっちゃそうだろうねえ」





第四十八章 傍観特等席その玖



 腕組みをし、数秒唸る。


「当たり前だけど、古い技術が新しい技術に勝てるってことは殆どないんだよね。新しいものは古い諸々を振るいにかけて洗練させて、選りすぐりのエッセンスをさらに高度化させるわけだから。その高度化させた技術に時勢の医療やスポーツ科学の最新が乗っかるわけなんだから、まあ古いものが勝てることはほぼ無理。急所への攻撃云々が格闘技とスポーツ格闘技の境界ではあるけど、それをなかったことにしても昔の格闘技が今の新しい格闘技に勝つことは困難だろうね」


 でも――


「最近のモノの本質は、すべからく古いものから拝借したものだからね。要は古いモノは“雑味”が多いんじゃないかなあ。その雑味が、やる人間にとっては案外大事だったりするのよ」


 首を捻る天龍に対し、北上は人差し指を向ける。


「酔拳って言うと、メディアにありがちな予測不可能な動きとかダイナミックな動き――まあこれは“地功拳”って言うんだけどそういうのとか、そういうのが目につくじゃん? 酔拳で本当に大事なのは体感とかバランス感覚とか、そういうもんだとあたしは思うんだよ」


 北上は続ける。


「艦娘として生きる以上、海の上で戦うことは避けられない。如何に艤装をつけて自由に動き回れる状態とは言え、やっぱりバランス感覚とか諸々の要素とは切っても切れない関係にあるんだよ」


 みんなも心当たりあるんじゃない?

 そう問いかける北上の声を皮切りに、天龍や龍田は視線を上へ。どうやら、新入り時代のことを思い出しているようだ。


「まあ、確かに最初のころは海の上で立つことも難しかったなあ」


「あの頃の天龍ちゃん、何度も転んだりヘロヘロになったりですごく可愛かったわあ」


「うるせーよ」


 天龍が耳まで赤くさせてぼやく。


「酔拳って予測不能な動きで攻撃するって部分がなんというかコメディ感あるんだけど、その動きを実現するためには体感やバランス感覚、あと優れた筋肉が不可欠なんだよね。で、それって陸での戦いだけじゃなくて艤装着けた海の上でも通じるから、まあやっても不利益はないかなって判断なんだよね」


「そんなことまで考えてんのか、北上先輩」


 感心する天龍に、北上は人差し指を向ける。


「一応どんな格闘技を習得するのかは、本人の希望を元にある程度沿ったモノを教えたつもりなんだけどね。だから白露ちゃんはスタイルが多彩な酔拳だし攻撃が苦手な磯波ちゃんは防御が目立つ八卦掌――まあ八卦掌って実は攻撃も激しいんだけど。不知火ちゃんはまた別の格闘技なんだよね」


 腕を組んだ天龍が、深く息を吐く。


「いろいろ考えてカリキュラム組まれてんだなあ。新人の頃は全く意識してなかったけど」


 そこで、ふと目線を北上へ向ける。


「その格闘技、全部北上先輩が教えてんのか?」


「そうだよー」


 なんでもないことのように答える北上に、天龍が困惑した表情を見せる。


「なんでそんなに多彩な格闘技を教えられるんだ?」


「そこはまあ、ノリと勢いで」


 しれっと応える北上に対して、天龍は頬をひきつらせた。


「化けモンだろ、この人」


 あの龍田ですら、言葉にしないまでも首肯で天龍を支持した。





第四十九章 三隈の本気





 ぱん、と三隈の腕が動く。どこにどのような攻撃が来るのかを分かっていた睦月は、素早く後退していた。しかし三隈も慣れたもので、先の一撃をフェイクと割り切っている。どうせ避けられる攻撃なら、あえてそこに力点を置いてやる義理はない。むしろその攻撃によって引き出した動きを元に、追いつめてやればいいだけの話だ。

 回避した睦月が至る地点に向けて、三隈が詰める。回避が成功して一瞬気を抜いた隙を狙い、右脚を上げた。槍のような爪先が、睦月の眉間を狙う。


「にゃしい……ッ!」


 じわ、と睦月の額に脂汗が滲む。上半身を全力で捻り、紙一重で蹴りをやり過ごす。しかし完全な回避は叶わず、三隈の足が額を掠めた。ひりひりと、火傷のような痛みが額を横切る。


「今のも避けるんですか」


 三隈が感心したように呟く。

 ボクシングの構えを取った睦月が、悪戯っぽく笑う。


「にゃしし。このまま時間切れまで逃げ切ることもできますねえ」


 睦月の軽口に対し、三隈の顔に黒が落ちた。先程までの落ち着いた顔色とは全く違う、ある種“無”と称しても違和感のない顔だ。


「そこまでコケにされてしまっては、多少大人げないとの誹りを受けようが本気を出させていただきますわ」


「え」


 今までは本を出していなかったのか。そう質すより早く、睦月は即座に両腕を顔に寄せた。その動きに伴い、腰を落とす。

 がり、と三隈の拳が睦月のガードを削った。


 速い。


 先の突きより、何倍も。

 睦月の冷や汗が頬を伝う。

 別に、相手の全てを測った気はなかった。しかし、これほど実力を隠していたのかと思うと、気が遠くなるあまり失神しかけた。

 これが格上。これが先輩。

 自分との差に戦く中、三隈の二の太刀が迫る。その一発を受け流そうと、睦月は反射的に手を伸ばす。伸ばしてから、その動きが失策だったことを思い出した。


「かかりましたわね!」


 三隈が張り切る。

 ぱん、と睦月の右手首を掴み、力強く下げる。これで、睦月は右腕を使いにくくなった。三隈が掴んでいるうちは使えないと表しても過言ではない。

 右肩から対角線上のラインで下された自身の右腕を見ながら、睦月は思考を回す。

 左手だけは抑えられてはならない。三隈の格闘技が如何なるものなのかは分からないものの、それだけは直感的に理解していた。ボクシングスタイルの左手を構え、三隈を見る。

 その瞬間、右肩に強い痛みを感じる。

 殴られた。そう認知するまでに二秒かかった。

 ずきずきと痛む右肩を気にかけながら、全く察することのできない攻撃に敬意を示す。

 今の睦月は、半分ほど拘束されているようなものだ。そのように機動力を制限されていれば、持ち前の感知能力も封殺されていると言ってもいい。

 やられた。

 自分の犯したミスを、睦月は今更ながら呪った。


「あとは、貴女が立てなくなるまでじわじわ殴るだけですわね」


 仄暗い笑みを浮かべる三隈に、朧と羽黒が押し掛けた。さすがにその状態で睦月の拘束を継続させることは難しいと判断したのか、思いの外あっさりと拘束は外れた。引き剥がされた睦月が右肩を押さえ、痛みの具合を確認する。脱臼等はないらしい。戦闘は続けられる。


「どう攻めましょうか」


 睦月が一度捕まったことを受けて、羽黒の掲げたコンセプトに本人が疑問を示し始めた。睦月の回避能力も全能ではない。掴まることを、実証させてしまった。


「あのさ」


 三人で固まる中、朧が口を開いた。


「その避けられる能力ってさ、後ろからの攻撃でもわかるの?」




第五十章 傍観特等席その拾





「ありゃ截拳道(ジークンドー)か」


 ずばり言い当てた天龍を横目に、北上は「鋭いね」と褒めた。


「お察しの通り、くまりんこはまさに截拳道を使ってるね」


 截拳道には、空手や柔道に見られる決まった技や型が存在しない。故に使い手の感覚や柔軟さが問われる格闘技ではあるものの、非常に実用的な格闘技でもある。

 かつての映画スターが編み出した格闘技であり、一時期はコメディアンが適当に作った俗にインチキとも評される格闘技ではあったものの、近年でその認識は大きく改められているのが現状である。


「勝てんのか? 新人」


「一対一なら絶対無理でしょうね」


 北上の代わりに、松崎が口を開いた。


「截拳道は攻撃を繰り返す中で徐々に相手の逃げ道を塞ぐこともできます。まあ詰将棋みたいなものと考えていただければいいんですが、さっきの睦月さんは咄嗟に左手を出していたらもうダメでしたね。左手も三隈さんの片手であっさり制され、顔にガツンと貰っていたことでしょう」


「ホント、睦月ちゃんは鋭いよねえ。普通なら右腕を自由にしたい一心で左手出すんだけど」


 感心したように北上が呟く。


「まっちゃんの言ってることでほぼ間違いないよね。サシじゃ絶対勝てない」


「随分厄介な格闘技だなあ」


 言い終え、天龍は思い至る。


「そういや、截拳道の講師なんて来たことあったか? オレは見たことねえけど」


「三隈さんは艦娘になる前から嗜んでいらっしゃったので、鎮守府が講師を呼んだことはありませんね」


 艦娘が格闘技を取得している経緯は、大きく分けて三つ存在する。

 一つは艦娘になる前から格闘技を習っていたため、今なお一人で鍛錬を続ける者。

 一つは艦娘自身の希望で外から講師を呼び、習う者。

 一つは上記二点のいずれかに当てはまっている艦娘に弟子入りし、習う者。