2016-06-20 00:01:50 更新

概要

いろはすSS。三年になった八幡のオリジナル展開です。 / みんなお待たせ~!え?特に待ってないって?マジかよ!そんな訳で前回に引き続き夏休み編。八幡達のある長い一日をだらっと書くよ!のんびり読んでね!


シリーズものなので、初めての方は↓からどうぞ。


一色いろは・被害者の会 ~黎明篇~



※※※※※※※※※※※※


~前回までのあらすじ~


七つの海を制した一色いろは王朝。貴族たちの艶やかな暮らし、豪奢な衣装……総武高校は永遠の繁栄を約束されたかに見えた


そんな中、労働者達の過酷極まる実態を暴くべく八幡・戸部・副会長は『一色いろは・被害者の会』を結成する。



――夏休み。


城廻めぐりの紹介で、銚子のホテルで短期バイトに励む生徒会メンバー。


だがホワイトであった筈の職場は、一色のワガママと出しゃばりのためブラック職場と化してしまう。



過酷な日々に耐え忍び、突如振りかかる大役をもなんとかこなし、下僕達は結束を一層強固なものにする。


そして最終日、反逆を決意した八幡の手により、ついに一色は海の藻屑へと消えるのであった……




前回 一色いろは・被害者の会5~風雲篇(後半)~




※※※※※※※※※※※※



哲学だか論理学だかに「二律背反」という用語がある。


小難しい言葉だが、自分なりに解説を試みてみよう。



……例えば根源たる神、造物主はこの世界に存在するのか? という問いを立てたとする。


そしてこの問いにつき、まず「造物主は居ない」と仮定して論を進めてみよう。


すると当然、ではこの世界はどうやって造られたのか?……という疑問に行き着く。


無から有は生まれない。結果には必ず原因となる事象があるはずで、ビッグバンでも何でもいいが、とにかく造物主的なものは存在したはずだ。


よって、この仮定は間違えていることになる。



では今度は逆に「造物主は居る」と仮定してみよう。


その場合、造物主も結果である以上、その造物主を造った原因たる造物主が居るはずである。


……と考えると、当然、その造物主の造物主のそのまた造物主がいるはずで、そのままどんどん遡ってキリがない。


これでは論が成り立たず、よって、この仮定もまた誤りということになってしまう。



なんたること……一体造物主は居るのか、居ないのか?


どちらの論も成り立たないではないか。



……かように命題に対して、それぞれ根拠を持ちつつも両立し得ない、矛盾した推論を立てられることがある。


いろいろ抜けていたり、他にも尾ひれ羽ひれがついているのだろうが、とにかく何かそんな感じのことをアンチノミー……「二律背反」というのだそうだ。


偉い哲学者の話によれば、学問や人間の理性では捉えられない命題がこの世界にはある……という話にまで行き着いたりするらしく、なんとも大仰なことである。



そんな壮大かつ難しいテーマではあるが、この考えを敷衍すると、ぼっちという存在に対してもぐっと理解が深まる。


例えば、ぼっちは幸せか?という問いを立てたとする。


そしてまず「ぼっちは不幸」だと仮定して論を進めてみよう。


……考えるまでもなく、ぼっちは独りなので、そもそも不幸を比べるべき対象が居ない。


不幸などというものは総じて相対的なもので、比較する対象がなければ当然不幸も存在しない。


よってこの仮定は間違えていると言える。



では、逆に「ぼっちは幸福」だと仮定してみよう。


御存知の通り、幸せは歩いて来ないというのが定説だ。


だからして、こちらから歩いて出向かなければならない訳だが、ぼっちとは総じて物臭で出不精なものである。


……当然、幸福を手にすることは叶わず、この仮定もまた誤りと認めざるをえない。




――畢竟、


ぼっちの幸不幸とは造物主の存在同様、人間の理性や学問では証明できない類のものであり、よってぼっち=造物主と結論付けることができる。


Q.E.D. 証明終了。



有象無象の者どもよ、ぼっちを崇めよ……!




※※※※※※※※※



……などと宇宙的哲学に耽っているのは、短期バイトも終わってすぐあとのこと。


今日も今日とて暑い日差しが容赦なく肌を刺し、止めどなく流れる汗でTシャツが身体にへばりつく。


暑さのせいでアスファルトからは陽炎が立ち上っており、むせ返るような空気の中ペダルを漕ぐ足にもイマイチ力が入らない。


だが世の中には艱難辛苦をものともせずに自転車を漕がねばならない時がある。


その大たる理由を一つ挙げるなら……



―― そう、マッカンのストックがゼロになっていたのだ。



昨日、疲労困憊でバイトから戻った俺を待っていたのは、無常にもマッカンの空箱だった。


銚子出立前には買い置きしたものがまだ数本残っていたはず……おそらく俺が留守の間に小町が飲んでしまったのだと思われる。


しかし、このような理由で最愛の妹を責める訳にもいかず、昨日は枕を涙で濡らしつつ床に就いたのだ。



と言っても、俺とてここでメソメソ泣き寝入りして終わるような不甲斐無い兄ではない。


せめて責任とはなんたるものかを小町に教え込もうと、今朝方マッカンを買うように厳しく申し付けようとしたところ、直前になってやっぱり可哀想になり、せめてお兄ちゃんと一緒に買いに行かないか?と誘ったところ……


「うーん……面倒だからやめとくよ!」


……などと小町ちゃんたら今日はツン期だったようで、仕方なく自転車を漕いで独り海浜幕張を目指しているというのが、ここまでの経緯だ。


妹デートの道は斯くも険しく困難なのである。



兄の威厳は露とおち、露と消えにし我が身かな、銚子のことも 夢のまた夢……


などと一句を読んでいると、悲しい身の上から一転天下人気分に浸ってしまい、身体の奥底からペダルを漕ぐ力が漲ってくる。


だいたい一人で自転車を漕いでいる男の子など、内心このような事を考えているものだ。すっごい楽しいよ!




……ただ、マッカンを買うのに、わざわざ海浜幕張まで出向くのは大層なこととお思いの方もいるかもしれない。


なるほど、ぼっちとは基本的に出不精なので極力家を出たくないのはある。それは真理だ。


しかしせっかく家を出るのだから、マッカンの購入だけではもったいないこと火の如し……と考えるのもまたぼっちである。


貴重な外出時間をまとめ買いに充てようと思い至るのは極々自然なことなのだ。



そんな訳で、第一の目的地である電機店まで自転車を走らせると、受験勉強の息抜きに必要なゲームソフトやらメモリーカードを買い入れる。


続く足でイオンモールに吶喊(とっかん)すると、やはり息抜きに必要な書籍諸々をたらたらと買い入れる。


得も言えぬ充実感と共に品をまとめてザックに放り込むと、次なるブツを求めて更に愛車を走らせる。


京葉線を越えたらば、目指すはアウトレットモールだ。



※※※※※※※※※※※※※※※



間もなく目的地に辿り着くと、人ゴミを嫌って駅から少し離れた新棟の駐輪場に自転車を止める。


早速足を踏み入れると、眼前に広がるのは人の波、波、波である。


「うげ……」


もうすっかり昼も近くなっており、今の時期この辺りはイベントが多いこともあってか、モール内は人でごった返している。


なんてことだ……普段放課後に立ち寄る際などは、ちょっと心配になるほど閑散としているのに……


若干思惑が外れてしまい、内心ウンザリしつつも案内板の前に立つ。


さっさとミッションを終えてしまおうと、俺は目的のブツを取扱っていそうな店を探した。


……が、ショップブランドだけ示されても、実際に何が売っているのかさっぱり分からない。


なんだよコーチって……元祖「幕張の防波堤」小林コーチがプロデュースしてるブランドなのかな……?


あの濃ゆい顔が一瞬脳裏にチラついたが、多分全然違うな。


店の種類を示すアイコンが、いまいち直感に響かないのは非リア故の悲しさか。


結局、手当たり次第にそれっぽい店に入るしか無いようで、たいへん面倒くさいことである。




……と、まあこんな具合に、困惑するのは分かりきっているのに、俺がこの微妙なおシャレ空間に足を運んだのには理由がある。


何を隠そう、新しい財布を買い求めるためなのだ。


――先日、小生意気な後輩をハンマー投げの要領で海に投擲した俺だったが、その後、怒りのアフガンと化した一色の大反抗に遭い、理不尽にもずぶ濡れにされてしまったのだ


俺自身は濡れる気など毛頭なかったため、財布をポケットに入れっぱなしにしていたのがまずかった。


ただでさえ表面の状態が悪い財布だった為、海水に浸したのが致命傷となり、とても使える代物では無くなってしまったのである。


……まったく、酷い後輩がいたものだ……訴訟も検討せねばなるまい。


財布などイオンモールで適当なのを仕入れても良かったのだが、バイトで懐も暖かくなり、若干気も大きくなっている。


自分へのご褒美にちょっと良いのを買おうって思ったワケ!




そんな訳で、人ゴミの隙間を縫ってNINJAの如くスッスッと歩いていると、ふと前方に見知った背中が視界に入り、あっと口だけ開いてしまう。


決して見紛うことはない……あの後ろ姿は戸塚彩加だ。


認識した瞬間、邪魔でしか無かった群衆は途端に色褪せて、書き割りのような背景へとその姿を変える。


まるで世界が俺と戸塚だけになったような……




―― こんなところで逢えるなんて。



一言で表すなら、そう、運命。





きっと何処にいても、俺は必ず見つけ出す。そう確信した。


途端に弾み出す胸を抑え、声が上擦らないよう、その後ろ姿に呼びかける。


「とつコポォ」


だが、言いかけた言葉はぐっと喉に詰まる。代わりになんか変な息が漏れた。


向こうから歩いて来た、営業の途中にふらっと立ち寄った風のOL(可愛い)が、奇異な視線を向けながら、俺を避けるように微妙に進路を変えて通り過ぎていく。



……軽く死にたくなったが、呼び止められなかったのは深い理由がある。


戸塚のその横に、女性と思しき人物が駆け寄っているところだったのだ。


麦わら帽子のせいで女性の表情は窺えないが、戸塚はそちらを向くとふわっと表情を綻ばせる。


そして親しげに二言三言会話を交わすと、やがて二人は仲睦まじく、肩を並べてエスカレーターを登って行ってしまった。


しばらく何も考えられず、機械的に何歩か足を進めたのち、その場に立ち尽くす。



……そっか、まあそうだよな。一体何を勘違いしていたのだろう……?




当たり前のことを俺は失念していた。


顔立ちや立ち振舞いこそ比類なき可愛さを誇っているが、戸塚は……男なんだ。


テニス部主将という責務がそうさせたのか、以前にあった内気さも鳴りを潜め、最近はどこか頼り甲斐のようなものも出てきた。


一学期にあった最後の大会にしても、個人戦でシード権のある選手を相手に予想外の奮闘を見せ、どのゲームも一つとして楽に取らせることなく最後まで食い下がったのだ。


結果こそ二回戦敗退だったが、総武校代表としての意地を見せた一戦だった。


純粋で、ひたむきで……俺なんかを相手にしているのだ。性格だって悪い訳がない。




そんな戸塚だ。女子にしても魅力的に思う者は多いはず。


……むしろ今まで、このような話が無いことこそおかしかったのだ。



ただ、あの笑顔……すっかり気を許したような……


時折、俺に見せてくれたあの表情を、見知らぬ人間にも浮かべていた事実に、胸が締め付けられるように痛くなる。




打ちひしがれた心に鞭打つよう、俺はぱんと頬を叩いて無理やり理性を奮い立たせる。


気付かれなくて良かった。


俺みたいな知り合いがいるとあの女性に知られたら……戸塚は決して良く思われないだろう。


だから、そう……これで良かったんだ……




二人と鉢合わせる事が無いよう、俺は進路を変えて反対側の階段の方に歩を進めた。


そして二階に上がろうとすると、またも見知った背中を視界が捉える。


むーふーと熱気を漂わせながら、熊のような大男がヒィハァ言いながら階段を登っているのだ。


……真夏にあって全身ロングコートに身を包むような馬鹿を、俺は一人しか知らない。いや、もう知人っていうか恥人なんですけど……


「……むふん!?」


その男、材木座義輝は、踊り場まで登ると急に機敏な動作でこちらを振り向く。


うお!……っぶねぇ……!


即座に身を隠し、息を殺して影から様子を見守っていると、材木座は首を傾げて一人ブツブツと呟いている。


「ふむ、おかしいな……我の結界に“同種”が確かに侵入したと思ったのだが……? まあ、灼熱の時空ゆえ感度が落ちておるのやもボフウ!」


何がボフウだ、化物め……


しかしあいつ……色んな意味で、一体何処に行こうとしているんだろう……?


粗相粗相と呻きながら材木座が二階に上がっていくのを見届けると、俺はようやっと“絶”を解き、独りごちる。


「なんであいつまで、ここに居るんだ……?」


……この棟には、どうも良くない風が吹いているようだ……


まだろくに見回っていないが、一旦新棟を出て隣のB-SITEまで退避しよう。


道を変えるのなら今なんだ……!



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



知人を避けて隣の棟に足を運ぶも、混雑しているのは同じだった。


人を掻き分け適当に数店巡るも、これといった財布は見つけられない。と言うより財布自体まるで見つけられない。


なんで俺……こんなところに来ちゃったんだろ……?



ブランドが集まるアウトレットモールの――


その空気を吸うだけで、僕は高く跳べると思っていたのかなぁ……



すっかり気疲れしてしまった俺は、暫しの休息を取ることにした。


階段脇に設置された出店でフルーツジュースを買い入れると、木製のベンチによいしょと腰かける。


そして、まるで親しみを感じない人の群れに目を向けた。



銚子と違い、やはり千葉市は大都会だけあって不快指数が高い。ヒートアイランド効果に、人ゴミも相まって空気がじめっとしている。


……人間関係はこんなにドライだっていうのにな。



人が多く集まれば集まるほど、そこには出会いや交流が数多く生まれる。……これは当然のことだろう。


日々生まれ、そして消費されていく膨大な量のコミュニケーション。


それは人や物が集約することで得られる豊かさの一つ……あるいは都市に期待される機能の最たるものなのかもしれない。


だが、その傍らで……孤独や無関心もどこかで増大しているのではないだろうか?


利便性を追求するその一方で“生き辛さ”を抱える者が、今日もどこかで生まれている。


それはきっと俺だけの話ではないはずなのだ。




そこに目的が、理想が、規範があるのなら、その枠から必ずはみ出す者が現れるのは世の常だ。


交流の裏には排他があり、勝者の影には常に敗者が居て、あちらが立てばこちらが立たない。


負の面は決して消えたりしない。隠れているだけで、それは確かに存在するのだ。


熱力学第一法則のようなものが都市、あるいは社会にも働いていて、常に対応した矛盾が消えること無く、今こうしてる間にも肥大化し続けているのかもしれない。



そして増大した闇を、いつか直視せざるを得なくなる。


その閾値を越えた時、社会に何が起き、人は一体どんな顔をするのだろう……?




……今朝方もチバテレのニュース番組で、千葉市内の水田に軽自動車が突っ込んだという痛ましい報道を目にしたところだ。


出穂を前に車を突っ込まれ、えんれぇことしてぐれたっぺ!と憤慨する田主の姿を思い出す。


利便性の追求……その強欲の果て、不快指数は跳ね上がり、人間関係は冷えきり、そして食糧危機まで予見される始末……


「これもまた、大都会のひずみが産んだ悲劇なのかもしれないな……」


小さく呟くと、ストローに口をつけジュボッ!ジュボボリッ!と音を立てて啜る。なにこのジュース超旨いんだけど……


そうして、一人静かに都市部の闇について切り込みつつも、ジューシィなフルーツジュースに舌鼓を打っていると、前方にまたも見知った顔を発見してしまい、思わず口に含んでいたものを吹き出してしまう。


「ぶえぇっほっ!ぶぇっほ!ガハ!……ンゴ」


いきなり咳き込む俺を、隣のベンチに座って休憩していたOL(可愛い)が怪訝な顔つきでこちらを見ている。いやブレイク中、本当に申し訳ない。


若干取り乱してしまったが、その姿を決して見紛うことはない。




前を歩いているのは、誰あらぬ、一色いろは・生徒会長その人である。




だるっそうに歩いていた一色だったが、むせ返る俺を見ると「あっ」と肩を跳ね上げる。


そして、一瞬不審者でも見るような目を向けてきたが、やがて俺だと気付いたのか、きゃー♪と女の子走りでこちらに駆け寄ってきた。


バイトが終わって昨日の今日に、しかもこんなところで会ってしまうとは……いつもながら脅威のエンカウント率である。


だが、幸い距離はまだ十分に開いている。


俺は立ち上がると、くあぁ……と欠伸の振りをして、いかにも見ていませんよーという体裁を保ちつつ、素早く身を翻す。


「あー!待ってくださいよ先輩!わたしですよ、わたし!」


などと叫んでいるようだが無視である。


去り際にジュースの殻をゴミ箱に放り込むと、一色とは反対方向にズンズンと歩を進めた。



……が、数歩も歩かない内に、これまたウンザリするほど見慣れた顔が視界に入る。


目の前の、少し離れたところを独りテクテクとだるっそうに歩いているのは、我が最愛の妹・小町ではないか。


何故こんなところにいるのだろう……? 今朝は俺の誘いをすげなく断ったというのに……!


……っていうか、なんで今日みんなここに集まってるの?


俺抜きで、何か招集でもかかってるのかな……?




うぇーという表情で女子力の低さも露わに歩いていた小町だったが、俺の方を向くと、ぎょっと一瞬ストーカーでも見るかのような顔をする。


しかし、間もなく俺だと気付くと、被っていた麦わら帽子を両手で抑えながら、きゃー♪と満面の笑顔でこちらに駆け寄って来た。


我が妹ながら、実にあざとい仕草で本当もう世界一可愛かった。


反射的に手を振ろうとしたその瞬間、



――ドクン



鼓動が痛いほどに高まり、続いて背筋に悪寒が走る。


一色と小町……その対角線上のちょうど中間に俺は位置している。


このまま突っ立っていると、二人は出逢ってしまうだろう――



良からぬ予感に、カタカタと歯が小さく鳴り始めた。


この邂逅を成立させてはならないと本能が訴えかけている。


二人して最初に俺を見る目つきが不審者に対するものだったことなど些細な問題だ。本当に些細な問題なのである。いやもうほんとマジで。




俺は挙げかけた手を抑えると、ナチュラルに視線を外す。


そして、いかにも「小町なんて気付きもしませんでした☆」という体を装って垂直方向に進路を変更した。


「ちょ、ちょっと!お兄ちゃん、あたしだよ、小町!なんで無視するの!」


などと言っているが無視である。


俺は体重を前に傾けると、全身全霊の力を込めて床を蹴った。


多少の不自然さはあるだろうが、ここは全力ダッシュの一択である。一刻もはやくこの空間から離脱しなければ……!


だが狼狽えるまま、前もよく見ずに駈け出したのがいけなかった。


走りだす矢先に、何か大きな物体に思いっきり体当りしてしまう。


さながらクッパの攻撃をモロに被弾したフォックスの如く、一方的に大きく後ろに弾き飛ばされる。オウフ。


「うおお!?」


なんとか踏みとどまって顔を見上げれば、そこに屹立するのはさっきスルーしたはずのグリズリーである。


「あ、すんません……僕、ぼうっとしてて……」


などと蚊の鳴くような声でボソボソいってる熊さんでしたが、俺だと気付くと見る間に胸を張り。尊大な態度で応じ始めた。


「って、ほむん?貴様八幡ではないか……!いやー我だよ、我!」


「ざ、材木座だと!?お前どうしてここに……!」


材木座の行動範囲はきわめて広域だ。


特に雄の場合だと約1,000平方kmにまで及び、千葉タウン・ベイエリアはほとんどカバーしている計算になる。


アウトレットモール程度なら、いつ何処に出没してもおかしくないのである。


「ご挨拶だな八幡……貴様らしくもなく狼狽えおって、ブワッハッハッハ!」


肩を盛大に揺らして笑いつつ、依然俺の進路を遮る材木座。


「我の“円”は四メートル(っていうかそれが限界)……先だって察知したのはやはり貴様のオーラだったか……!」


などと訳の分からないことを言う材木座を無視して脇を通り過ぎようとするも、その度に巨体をささっと動かして行く手を阻む。


……くそ、こいつ……どこまでも俺の邪魔を……!


「悪いな材木座、俺、ちょっと急いで帰らなきゃなんだ。そこどいてくれ」


「……焦ることは何の役にも立たぬのだぞ、あやまちが増すのみだ」


何枕獏だこいつ、うるせえ早く続刊出せ。


「偉人の言葉を引用すれば、遅れても良いと思っているその態度が気にくわん」


「いやー、しかし半端な出来で発刊されても困るであろう?氏は一個ずつ終わらせると宣言したではないか」


……などと益体も無い獏トークに興じていると、左からは一色が、右からは小町が追いついてしまい、今まさに俺に飛びかからんとしていた。


ひ、ひいぃ……!


「―― せーんぱ……あっ!」


「―― ごみぃー……はッ!?」


が、その瞬間、二人はやっと互いを認識したのか、俺に触れる直前にババッと一歩後ずさる。


一色と小町……決して逢ってはいけない両者がついに出逢ってしまったのだ……



―― その邂逅は決して穏やかなものではなかった。



出逢うや否や、互いに何か相容れぬものを感じ取ったのか、両者共、これまで見たことがないような鋭い視線をぶつけ合う。


二人が発する闘気によって辺りの空気が振動しているのか、ゴゴゴ……と地鳴りのような音が何処からともなく鳴り響き、あれだけ暑かったはずの日差しはすっかり消え失せて、今は身も凍らんばかりの冷気が周囲を充満していた。


……なにこれ、もうほんと早く帰りたい……


「それにしても奇遇であるな、八幡!夏休みだというのに、まさかこのような処で逢おうとは……やはり貴様とは、どこかで決着をつけねばならぬ運命にあるのやも……ほむん、その顔……我がどうしてここにいるか知りたそうであるな?ククク……だが今はまだその儀に非ず!……もっとも?その理由は遠くない将来に明らかになるであろうがなハプフン!」


材木座さんだけが、すっげぇ楽しそうに独りペチャクチャ喋っている。


そして恐ろしいことに、今やこいつがこの場における唯一の癒やし要員となっていた。



だがそんな材木座など目に入らないのか、二人は初めて相まみえた別種の肉食獣のように、互いに警戒の目を向けている。


―― 緊迫の中、先に動いたのは一色だった。


手は腰の後ろに組みながら、うにうにと身を捩りながら擦り寄ってくる。


どうしたのかな……、いろはちゃんはノミでも取って欲しいのかな……?


かと思えば、いつものあざとい上目遣いでこちらを覗き込むと、Tシャツの袖を指で掴んでくいっと下に引いてきた。


引かれるままに頭を下げると、耳に口を寄せて声を潜める。


「……誰ですか、その女……?……先輩をゴミ扱いするなんてちょっと感じ悪いんですけど……」


その声音は常より低く、悪意と敵愾心が多分に含まれている気がする。


う、うん……でも君も、俺のことしょっちゅうゴミ扱いしますよね……?


それに、やはり何か誤解があるようだ。


「いや、あのな……何勘違いしてるか知らねぇが、こいつは俺の……」


だが、言いかける前に、今度は小町が俺の腕をぐいと引っ張って、一色から引き剥がしにかかる。


「やー、すみません!……ちょっと先にこれとお話させてくださいね?」


などと小町は朗らかな声を上げるが、その目は笑っておらず、依然一色に対して警戒感もあらわだ。


小町は一色から少し距離を取ると、俺の腕にしがみついて背伸びをする。そしてやはり耳元でポショポショと囁いてきた。


「お兄ちゃん……誰、この人?彼女とかじゃないと思うけど、なんか騙されてない?……この人すごい作ってる感あって、小町的に超ポイント低いんだけど……」


その声はドスが効きまくっており、我が妹ながらチビりそうになってしまう。


あ、あと、君がそれを言うかな……?


お兄ちゃん、君のあざとさに関しては正直、一色とどっこいどっこいだと思ってるよ……?


「ち、ちげーよ……時々話出るだろ、こいつは俺の……」


はて、俺の……何だろうか?


勢いのまま弁解しようとするも、続きの言葉が出てこない。


後輩というのが妥当なのかもしれないが、そう紹介していいものか迷ってしまう。


やはりこいつはどうにも年下という感じがしないからだ。


かといって友達では絶対にないし……あ、ブラック上司……かな?


ようやっと適切な言葉が頭に浮かぶが、口にする前に一色はまたも俺の腕を取り自分の方に引き寄せる。


今度は小町が手を離さないので、両者から腕を引っ張られる形になってしまった。


「ちょっとさっきから距離近過ぎじゃないですかねぇ……!誰かは知らないけど、先輩に馴れ馴れしくないですかー?」


「そ、そっちこそ、ちょっと引っ付き過ぎじゃないですか?誰かは知りませんけど、これはこっちの身内なんですけど!」


「何ですと……!み、身内気取りなんて……!」


俺を挟んで両側に取り付くと、二人はい~っと歯を剥いて睨み合う。


おっと……こいつは何やら妙な展開になってきましたよ?俺のブラック上司と妹が修羅場すぎる。


「ぬぅ……八幡きさま……爆発しろ!」


などと材木座が血涙を流して何やら呟いているが、それにしてもこいつら……ここまで相性が悪いとは……


一色は外面だけは良く見せようとするタイプなので、初対面の人間にこのような態度を取ることなど通常ありえない。


それは小町も同様で、なんといっても比企谷家が総力を上げて開発した最終コミュニケーション兵器である。


初対面だからこそ、このように敵意丸出しで人と相対するなどあるまじきこと。


うーむ……同族嫌悪……ということなのだろうか……?



だが分析してる場合ではない。この冷戦を一刻も早く収めねばなるまい。


両者とも、俺の腕をぎゅむうと痛いほどに強く握り、互いに敵意をぶつけあう。


で、でも、どうしよう……?こんな時どうすればいいか……わからないの……ゴルバチョフってやっぱ凄かったんだな。




そんな修羅場の中、やがて落ち着きを取り戻したのか、材木座がうぉっほんもるすぁと咳払いをする。


「うぉっさむ!待たれよ、お二人方……!双方が八幡を想う気持ち……我にも痛いほど分かった!」


材木座がむわんと熱気を伴いながらコートをはためかせると、二人は引っ張るのを一旦止めて、怪訝そうな顔を当人に向ける。


「なので我から提案しよう……よいか、そのまま八幡の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい……勝った方を所有者と認めようではないか!」


何言ってんのこいつ馬鹿じゃね?と思いもしたが、これはいわゆるひとつの「大岡裁き」というやつだ。


愛が深ければ手を離すまいという、子供に対する母の執念を試す裁き……と見せかけて真意はその先にある。


両側から引っ張られる子供(キャスト:俺)は堪ったものではない。


たまらず痛い痛いと叫んだところに、哀れと思って先に手を離したほうが、本当の意味で俺を愛している……そのような裁定を行おうと言うのだ。


……材木座にしては気の利いたアイディアではないか。


どちらが本当に俺を大事に想っているのか……今日この場でそれが明らかになるだろう!


よし、ここは見極めさせてもらうか……乗るしか無い!このビッグウェイブに!


――場には再び緊迫した空気が張り詰められる。


「さあ……では参ろうぞ!八幡引っ張りファイト!レディィィィ……ゴォーッ!」


実にいい声で材木座が合図をすると、しかし二人は急に力を抜いて手を離し、俺から一歩離れてしまう。


「……あ、いや、そういうのわたしのポリシーじゃないんで。なんか腕とか汗でベタベタしてますし……」


「はい、そこまで必死こくほどじゃ……むしろ、とっとと妹離れして欲しいっていうか……」


「……」


おおっと意外な展開ですよ、これは……


まさか引っ張り合いすら行われないとは……ふ、ふえぇ……


「まあ……その、なんだ、八幡……生きろ」


「あ、あぁ……なんかすまんな……」


ぽむと肩に手を置く材木座に、俺も軽く頭を下げる。


もう本当ごめんね……ノリノリでやってくれたのに……うちの妹とブラック上司がご迷惑おかけしております。




※※※※※※※※※



……などと、多少の犠牲を伴いつつも無事鎮火したところで、俺は一色と小町を改めて互いに紹介してやる。


すると二人は目を丸くして驚きの声をあげた。


「こ……この人がいろはさん!? で、でも前に『可愛くない小町』って…………あ、ふーん」


「ええっ!?この子が小町ちゃん……? で、でも妹なのに全然顔がちが…………あ、ふーん」


互いに途中で言葉を切って、勝手にそれぞれ得心のいった顔をする。


き、君達は一体なにを納得したんでしょうねぇ……?


特に一色は何か突飛な事を考えている気がする……ちゃ、ちゃんと実妹だよ?もし実妹じゃなかったら今夜あたり危ない。



ともあれ、二人はまじまじと互いに顔を向け合っている。今や警戒心より興味が優っているようだ。


ただ両者の視線から時折値踏みするような火が灯り、傍から見ていて薄ら寒いったら無い。


これはもう早く帰らないと風邪引いちゃいますね……




改めて帰宅の決意を固めていると、品評も一区切り付いたのか、やがて一色がこちらに顔を向ける。


……そして例の如くぶうっと頬を膨らませた。


「先輩、その様子だと今日は偶然ここに来たって感じですね……」


「あ?何のことだよ……」


だが問いには答えず、一色は依然恨めしげに睨みながら「ん!」と片手を差し出してきた。


俺はため息をつくと、仕方なく自分のスマホを一色の掌に乗せる。


すっかり定例のスマホチェックをここで行おうというのだ。


「……へ?」


目を細めて、ぬるくぱぁ……とスマホを弄る一色とは対照的に、小町は目を丸くしてその様子を眺めている。


ふむ……確かにこのやり取りは傍目から見ると異様な光景に映るのかもしれない……


俺は小町を安心させるべく、なるべく優しい声音で抱いているであろう疑問に答えてやった。


「……心配すんな、ちょっと普段の活動履歴や、身辺の情報についての監査を受けているだけだ」


「う、うん……小町が知りたいのは、そうなるまでの経緯の方なんだけど……あんまり突っ込まないでおくね?」


少し顔が引き攣っていたが、物分りが良くて本当によく出来た妹である。


そうこうしていると、やがて一色がむすっとした顔でスマホを俺の眼前に突きつける。


「ラインだけじゃなくてメールもしてたのに……全然見てくれてないじゃないですかー!」


……なるほど、メール画面には『明日11時、アウトレットモールに集合ですので遅れないように♪』などというメッセージが確かに記されている。


だが昨日はマッカンが無かったショックの余り、本当にスマホのチェックを忘れていたのだ。


「わ、わりい……見逃してたんだよ」


「連絡したら二十秒以内に返すのがルールでしたよねぇ!」


……などと普段より調教されている身の上だが、それちょっとハードル高すぎるんだよなぁ……


「とにかく、わたしがこうしてお誘いしてるんですから、時間通り来るのが当たり前じゃないですかー!」


「いや、普通こういうのって、互いに予定の有無を確認し合ったりして決めるもんなんじゃねぇの?……いや、知らんけど」


なんかそのメッセージ、すごい一方的な気がするんだが……


それに凡人なら音符の部分で誤魔化されたかもしれないが、これお出かけの誘いって言うより、命令じゃないかなって八幡思うの……


「……でも先輩、いつも何の予定も無いじゃないですか」


「まぁな」


「だったらこの場合、重要なのは私の都合だけってことになりますよね?」


「……ふむ、それは一理ある……」


「ないない!全く無いよ、お兄ちゃん!? あと、さっきからそれ普通の会話じゃないからね!?」


言って、小町は正気を促すべく、俺の腕をガクガクと上下に揺らす。


そ、そうなのかしら……?論理は通ってたような気がしたのだけれど……


「まあ、返事は滅多にくれないのは知ってますけど、ラインとかずーっと未読だと結構堪えるんですよねー……」


一色が顔を伏せると、小町はいつの間にかその横に立ち、ウンウンと頷いて同調してみせる。


「あーわかるなー……お買い物頼んでもお兄ちゃん確認するのが遅いから、結局小町が買っちゃうんですよね……んで、挙句に返事もなしに、お兄ちゃんまで買い物するからダブっちゃった、なんてことが多々ありまして」


「わー……想像つくなぁ、それ……あ!あと、たまに返事があっても、二文字とかだったり、逆に極端に長かったり……」


「ありますねー……他にも難しい言葉使ったりしますよね!その上、絵文字もスタンプも一切使わないもんだから、なんかいかにも文面が不機嫌って感じで……」


「そうそう、無愛想!送り手のこと一切考えてないんだよね!」


愚痴を吐く一色の傍らで、小町はわかるなーとばかりにコクコク頷き、合いの手を入れていく。


「すいません、兄がご迷惑をおかけして……もうホント我が身の事で手一杯で……歳上なんだからもうちょっと余裕見せて欲しいですよね」


「年甲斐が無いっていうのかなー」


「無いのは年甲斐だけじゃないですよ!友達も無い、予定も無い、性格も捻くれてますし、目も腐ってますし、八幡ですし……」


「おい、後半は単に俺の中傷になってるぞ」


「先輩にあるのはトラウマと黒歴史だけですよね」


「HAHAHAHA!」


やだ……、すっごいディスられてる……


あと急に仲良くなりましたね、君たち……


どうも俺を貶める時だけは気が合うらしく、二人して大いに話が盛り上がる。


俺にスマホは豚に真珠だの、家計の無駄だのと散々な言い様で、時折、米笑が沸き起こっては俺のハートを傷つける。


……だが、仲良きことは美しき哉……啀み合っているよりはずっと良い。……あとはお若い二人に任せて、俺は俺でやるべきことをやろう。


「……まあ、良かったわ。すっかり話もまとまったようだし、俺はもう帰るな」


言って、さっとクールに手を挙げて身を翻す。比企谷八幡はクールに去るぜ……


「ちょ、ちょっとちょっと、むしろ話はこれからですよね!?」


「待ってよ、ごみいちゃん!」


だが立ち去ろうとすると、二人はまたも同時に掴みかかってくる。何このシンクロ率……


それにいちいち二人で突っかかってくるから、すごい鬱陶しい……


「もう、こんな街中で小町とこうして逢えたんだから、もうちょっと一緒したっていいじゃん!」


腕にとりつき、あざとく頬をすり寄せてくる我が妹。


う、うん……普段から、このアベレージで甘えてくれたら、お兄ちゃん嬉しいのだけれど……


「……お前、今朝俺が誘っても面倒がってたじゃねぇか」


「え?あ、やー、あはは……それはなんていうか……お兄ちゃん、女子の心情は波のように移ろいやすいんだよ……?」


などともっともらしい事を言っているが……こいつ、今なんか誤魔化した気が……


目を泳がせて明後日の方を向く小町に、まだそこに居たらしく隣の材木座が顔を向ける。


「……ほむん、しかし良いのではないか妹君よ……? 我らもまだ目的を完遂できておらんのだから、八幡には一旦帰ってもらっても……」


「わっ、わっ、中二さんっ!ダメだって!」


「……ん?」


材木座の言に、小町は慌てた様子でしーしーと口の前に指を立てる。


なんだこいつら……?


それにさっきの材木座の言い方だと、二人は一緒に申し合わせてここに来たことになってしまうのだが……


どうも何か隠しているようだ。ジロリと睨むと、両名とも慌てた様子で顔を逸らした。



……まあいい。そうだとしても、小さな用事が一つ増えるだけだ。


俺はスマホで最寄りの交番の電話番号を検索すると、少し厳しい口調で小町に告げる。


「……材木座については、帰る前に俺が通報しとくから、お前も用が終わったらさっさと家に帰れよ」


「ちょ!?は、はっちまーーーん!!」


「材木座……じゃあな(意味深)」


「ご、後生だ、それだけはやめてくれ……!何故かは知らぬが、我、ただでさえ今日はもう三回も職務質問に遭っているのだ!」


うん、まあ、お前コート着てるからな……俺が警官でもとりあえず署に連れて行って話聞くわ……


だが小町と一緒にお出かけなど材木座には百年早い。


おそらく何か犯罪的な手法を使ったであろうことは想像に容易いが、その手口についてはやがて司法の場で明らかになるだろう。


そんな訳で早速最寄りの交番にダイヤルしようとすると、材木座がうぉーんと吠えながら俺の動きを阻止すべく腕をつかむ。


結果、腕に取り付く奴がもう一人増えてしまい、人混みの中、四人してガチャガチャ揉み合っていると、ふいに妖精の歌声のような清らかなメロディが俺の鼓膜を優しく撫でつけた。


「小町ちゃー……あれ?八幡、八幡じゃない!」


声の方を見上げると、そこにはエスカレーターを下っている戸塚の姿があった。


そして俺を見るや満面の笑みを浮かべると、もう待ちきれないといった様子で、前の人を抜いて右の列から駆け下りてくる。


後輩と妹には真似の出来ない、本日これまで一番好感度の高い近づき方である。


なんで君達あれが出来ないかなー?


「よう、とづ……か……」


思わず頬が弛みかけるが、しかしさっき新棟で見た戸塚の姿を思いだすと、途端に胸が押しつぶされそうになってしまう。


あの笑顔は、決して俺だけに向けられるものではないのだ……


額に汗が滲むのは、内心の動揺故か。


――ジュクジュクと心の傷跡が膿んでいる。


それは茹だるように熱く腫れ上がり、触れようにも為す術がない。


ただただ顔を伏せて、痛みが通りすぎるのを待つしか無かった。


「小町ちゃん、急にいなくなったからびっくりしちゃったよー」


「てへへ……いやー、すみません、一階にちょっと良い感じの店が見えたので……」


「八幡も来てたんだね!でもそういうことなら、今日はこのまま会場まで一緒に行くんだよね?」


――が、そんな痛みも戸塚の可愛い笑顔を見ていたら二秒で通り過ぎた。汗とか全然掻いてなかったし、心の傷とかも全部気のせいだった。


それにあれかな? 会場っていうのは、結婚式の会場のことかな……?


こっちはまだプロポーズの言葉も決めてないのに……困る……


「と、戸塚さん、しー!しー!」


「あ、あれ……?小町ちゃん、八幡に言ってなかったの?」


などと材木座の時と同じようなやり取りをしている。


なるほど……しかしこれで確定である。さっき新棟で見かけた時、戸塚の横に居たのは小町だったのだ。やだぁ、八幡ったらうっかり!


……おそらく三人して、何か用があってここに来たということなんだろう。


俺には馴染みの深い面々だが、いつの間に、こうして遊ぶ間柄になっていたのか……


そしてなぜ俺はハミられてるのだろうか……


材木座は呼ばれて、俺は呼ばれないって、それちょっと自殺してもおかしくないんですが……やばい、泣いちゃいそう……


「こんにちは、戸塚先輩!」


「あ、一色さんも来てたんだ……フフッ、だったら今日は賑やかになりそうだね……!」


「え!?あ……、あはは……、い、いやそういうつもりじゃないんですけど……」


三人の思惑も図りかねるが、一色は一色でこいつもさっきから随分と様子がおかしい。


戸塚に水を向けられると、途端にキョロキョロと目を泳がせ始める。


そんな一色の様子に、戸塚は小首を傾げていたが、やがてぽんと思いついたように手を叩いた。


「そっか、二人はずっとバイトしてたもんね。今は懐が暖かい時だから一緒にお買い物に来てたのかな……?」


その言葉を受けて、一色は戸塚に驚いた顔を向ける。


「あれ?戸塚先輩、そのこと知ってたんですか?……わたし達、昨日銚子から戻ったばかりなんですけどねぇ……」


「うん、一色さん達がバイトの間、八幡からは日々の様子を綴ったちょっとしたエッセイと、銚子の写真が毎日ラインで送られていたんだよ!」


「戸塚さんにだけは意外にマメだった!?」


「な、なんでそれがわたし達に出来ないんですかー!戸塚先輩のこと好き過ぎでしょ!?」


今明かされる衝撃の事実に、再び二人は俺に食って掛かる。


だが、なにか勘違いがあるようなので、こちらも弁明せねばなるまい。


「ば、ばっか違ぇよ!たまたま初日に戸塚から電話があって、名残惜しくて会話の切り時が分からなくなって……でもせめて楽しい気分で居て欲しかったから、いろいろ工夫した結果そうなっただけだ」


「完全に恋人の境地じゃないですか!」


などと訳の分からないことを言う一色だが、戸塚とのラインでのやりとりは過酷なホテルバイトの中、数少ない癒やしだったのだ。


寝る前に五千字程度のエッセイと、厳選に厳選を重ねた風景写真を毎日こまめに送信している間は疲れも吹き飛んだ。


これからも日々心に想ったことを徒然と書き記し、二人で共有していきたいと考えている。


義務感というわけではなく、足跡を時折振り返るための良き道標として習慣付けていきたいものだ。


「お兄ちゃんは、なぜかこの方向だけは間違えないよね……」


小町は肩を落として呻き、一色も恨めしげな目を向けてくる。


そんな剣呑とした雰囲気にあわあわと狼狽える戸塚だったが(可愛い)、空気を変えようと手をぽむと叩いて皆に提案する。


「あ、あはは……それはともかく、さっきから歩き詰めだから、僕のどが渇いちゃって……みんなでジュースでも飲まない?」


言って、階段のすぐ脇にあるジュースの出店を指差す。


先ほど都市問題を考察しながら啜っていたのは、そこの店のものである。


「よし、戸塚ここは俺に任せろ、今日に限ってはおごってやるぞ。あそこのジュース超旨かったからな」


「いいよ八幡、そんなの悪いよ……せっかくのバイト代、大事に使わないと……」


「いいんだって……そ、それに、その、なんだ、普段からの礼っつーか、生徒会手伝ってくれてる感謝の気持ちっていうか……愛しているっていうか、まあ、なんかそういうアレだ」


遠慮していた戸塚だが、俺も食い下がると、やがてにこっと晴れやかな笑顔を浮かべる。


「八幡……うん、じゃあそういうことなら、ご馳走になっちゃおうっかな!」


「任せろ」


うーむ……戸塚のこの優しさ、慎み深さ、ストイックさ……まったく奢り甲斐があるというものだ。


戸塚があまりに可愛すぎて、この笑顔を見る為なら将来、就職するのも厭わない所存である。


買い支えたい……その笑顔……


「やったー!お兄ちゃん太っ腹!小町はねー、マンゴーっぽいのがいいかなー?いやー剛毅なところがお兄ちゃんのいいところだよね!頼りになるっ!」


「えーとじゃあわたしはー、グァバが良いです!グァバってすっごい美容にいいんですよ!?良かったですね、先輩!」


「……」


うん……でも君達に奢るつもりは無かったんですけどねぇ……この軽薄さ、調子の良さ……エゴイスティックぶり……奢りたくねぇなぁ……


あと君の美容と俺の幸福度に何の関係があるんですかねぇ……?


しかし、二人してギャーギャー追求されるよりはずっと良い。


「八幡……我にはパイナポォを頼む……暑くて死にそうだフゥフゥ……」


内一人は本当に命に関わりそうだし、まあ仕方がない……ジュースぐらい奢ってやろうではないか。


「仕方ねぇな……今日だけだぞ」


もう……本当にしょうがない子達なんだから……


苦笑交じりに息を一つ付くと、後ろのポケットから財布を取り出す。


これまでの財布がダメになったので、今日は中学まで使っていたものを物置からわざわざ引っ張り出してきたのだ。


支払いは俺に任せろーと言わんばかりに、マジックテープを剥がしながら一歩前に出る。


バリバリー!


「きゃー!何やってんですか先輩!」


「お兄ちゃん、やめて!」


お金を取り出そうとすると、一色は頬を両手で覆い、小町は耳を塞いでその場に蹲ってしまう。


全くもって訳が分からないので、俺は一旦財布の口を塞ぐと、再びマジックテープを引き剥がした。


バリバリー!


「きゃー!」


「やめて!」


二人は顔面を蒼白にして腕に取り縋り、俺の手元を自らの身体で覆い隠してしまう。


一体なんだというのだ、こいつら……


「なんだよ、お前ら……さっきからマジで鬱陶しいんだけど……それに、ちょっと騒ぎすぎで、恥ずかしいっつーか……」


見れば先ほどからベンチに座っていた仕事サボってる風のOL(可愛い)も、怪訝な顔で俺たちの騒ぎを眺めている。


「恥ずかしいのは先輩の方ですよ!なんですかその財布!?」


「あとお兄ちゃん、なんで二回やったの!?」


両者とも憤懣やるかたないといった表情である。


「いや、一色、お前のせいで財布がダメになったから、仕方なく子供の頃のを持ってきたんだろうが……」


「むぅ……わたしのせいと言うのは語弊がありますが……と、とにかくそれはもう使用しないようにしてください!」


「あ、あはは……ぼ、僕は良いと思うけどな……ポーターの財布とかはマジックテープのあるし」


「ククク、無様だな……八幡。我も少し恥ずかしくなってしまったぞ。歳相応のアイテムというものがあるのだ、そこを弁えよということ……フウフウ……それにしてもジュースはまだなのか……」


……お前はTPOを弁えたほうが良いけどな。


しかし材木座の言うとおりなのだろう。そういえばネットでそんな情報を見たことがある。


ガセだと思っていたが、女子はマジックテープの財布をビリビリされるのがどうも苦手らしい。


「わかったわかった、もうしないから離れてくれ。金が取り出せねぇだろ」


「先輩……それほんとポイント低いですからね……」


「デートの時にやっちゃだめだよ!?百年の恋も冷めちゃうよ!」


「……悪かったよ」


激おこで詰め寄る二人に、なるべく優しい声音で返す。


ひとまず安心したのか、二人はほっと息をついて俺から一歩遠ざかった。


……と、油断させておいてバリバリー!


「きゃー!」


「やめて!」



※※※※※※※※※※※※※



……と、そんなこんなで飲み物一つ買うのに大層難儀なことだが、ジュースを振る舞うと皆は大人しくなり、しばらく無言でジュボジュボとストローに吸い付いている。


それを見渡して一つ。


「……で、お前ら、なんで揃いも揃ってここに居るんだ?」


「……」


皆一様に固まる。


ふむ……一色は本当に何考えてるのかわからんが、小町に戸塚に材木座……この三人はどうも行動を共にしている節がある。


三人はしばらく気まずげに顔を見合わせると、やがて小町がため息を付き、観念した様子で面を上げる。


「はー……もう言っちゃうよ……ほら、今日ってお兄ちゃんの誕生日でしょ?だからプレゼントを選んでたの!……サプライズ的な事をしたかったんだけどなー」


「そういうことだったのか……」


「うむ……三人で協議をしてな……力を結集し、ちょっと良い物を一つ買ってやろう……という運びに相なったのだ。戦力の分散は愚の骨頂であるからな……」


「中二さんは別に呼んでなくて、いつの間にか混ざってたんだけど、まあいっかなーって。三人だと一人あたりの出費抑えられるしね!」


「そ、そういうことだったのか……」


「あ、あはは、ほら、三人だともっと良いものが買えるもんね!でも八幡が来てたから、びっくりしちゃったよ」


悲しい事実や冷徹な打算が混ざっていた気もするが、これで理由がわかった。


今日は八月八日……知る人ぞ知る俺の誕生日なのだ。


俺が出張ってしまったせいで、ちっともサプライズにはならなかったが、何とも面映ゆく、頬をポリポリと掻いてしまう。


「すっかり忘れてたわ……ん、まあ、なんだ、そりゃなんつーか悪かったな……」


「でさ、ケーキとか食べて、ささやかながらお祝いしようと思ってたんだよね! どーせお兄ちゃんのことだから予定なんて無いと思ってたし……でも……」


ちらりと小町が一色の方を見るので、俺も釣られて顔を向ける。


「……で、お前は今日はどうしたんだよ」


水を向けると、一色はほぇっと顔を上げて慌てたように手をぶんぶんと横に振る。


「え、あ、いや……わたしは、その……」


しどろもどろと言いあぐねつつ、一色は誤魔化すように俺の手を取ろうとする。


……が、三人の目がある事に気付くと、はっと手を後ろに差し戻した。


いつもの癖なのだろうが、これは不用意な行動である。


「……ほほう、これは……」


戸塚の隣にいた小町はそれを目ざとく見ていたようで、悪い微笑みを満面に浮かべる。


そして、軽くステップを踏んで一色の隣に立つと、その腕を両手で掴んで身を摺り寄せた。


「いろはさんも誕生会に来たら良いじゃないですか!けってーい!」


「え、えぇ!?あ、や、それは……!」


小町の誘いに何故か狼狽えている一色だが、戸塚と材木座もうんうんと頷いて同調する。


「そうだよね、一色さんも八幡の誕生日をお祝いしたいよね」


「うむ、それに四人いれば更に出費が抑えられよう」


材木座、貴様……


「あ、あー……、その……なんといいますか……」


「なんだ、らしくねぇな……お前こういう時はいつも無遠慮にホイホイ付いてくるだろうが」


「先輩はわたしをどういう目で見てるんでしょうねぇ……」


じとっと湿った目をこちらに向ける一色だが、すぐにもじもじと自らの両手の指を突き合わせる。


「いやー、なんといいますか……先輩は……わたしが来たほうが良いですか?」


「ん……いや、別に無理に来んでも良いけどな……俺、お前の誕生日なんもしてやれんかったし……」


「それはいいんですけども……そういうんじゃなくて……」


「……ほほうほほう……お兄ちゃんは、いろはさんの誕生日を知っているご様子……」


小町はさっきからふくろうのような鳴き声を上げて、興味深げに俺たちのやりとりを眺めている。


我が妹ながらウゼぇ……


しかし依然として一色はモジモジと言い淀んでおり、まったくもってらしくない。


やがて空気は停滞し、ジュースも飲み終えて手持ち無沙汰だったのか、材木座が腕を組みつつ隣の戸塚に問いかける。


「時に戸塚氏、さっき会場と言っていたが……誕生会はどこで行うのだ?途中参加ゆえ、我は聞いておらんのだが」


「あ、ごめん、言ってなかったっけ?八幡のお家でやるんだよ」



――その言葉に、俺と一色の肩がピクリと揺れた。



「一色、今日はもう帰っとけ! お前バイトで疲れて……」


「あ、小町ちゃん、わたしも参加させてね!それでー、言いにくいんだけどー、もう何名か追加させてもらってもいいかな!?」


「はいー!もちのロンですよー!もう何名でも何十名でも!」


「おい、ちょっと待て、追加ってどういうことだ!?」


だが一色は小町の了承を得ると、俺を無視して即座にピーと指笛を鳴らす。


すると階段の陰から戸部が、そしてベンチの下からは副会長が突如ウニウニと這い出てきた。


座ってジュースを飲んでいたOL(可愛い)は飲んでいたものを口から勢い良く噴出すると、泡を食ってその場を退散していく。


悪いことをしたと思ったが、うん、あの人そろそろ仕事に戻ったほうが良いよね……


「いろはすー、どうしたんだよー……俺ちょっとジャージとか見てたんだけど……」


「俺はトイレの最中だったよ……会長、校外での招集は今後控えてくれないか……?」


「……お兄ちゃん、なんか変な人達出てきたんだけど……」


小町の言うことはもっともであるが……


「……って、あれ!?ヒキタニくんじゃーん!ちょりーーーーーーーーッス!」


「やあ比企谷、なんだ、結局来てたのか……? まあ、でも集まった甲斐があったってもんだな」


字義通り、沸いて現れた二人だが、おそらく一色のショッピングに無理矢理付き従わされていたのだろう。


バイト直後で疲れているだろうに、後輩の意のままに連れ回されるなんて……人間こうなったら終わりである。


俺はこの二人を普段から心底蔑んでいたが、そんな胸中が思わず口を突いて出てしまう。


「奴隷コンビも来ていたのか……」


「え?」


「ヒキタニくん、なんか言った?」


「あ、や、何もねぇよ。それよりお前らバイト直後なのに元気だな……」


「いやー!まぁ、本当は今日ぐらいはゆっくり休むつもりだったんだけどさぁ!聞けば、今日はヒキタニくんのバースデーっていろはすが……って、ひ、ひぃぃっ!?」


言いかけた戸部だが、一色が懐からわさびを取り出すと、途端にガタガタと震えだし、やがて頭を抱えて座り込んでしまう。


銚子で植え付けられたWASABI恐怖症である。……心の傷は一日や二日で癒えたりするものではないのだ。


容赦無い一色の制裁に隣でカタカタと震えていた副会長だが、やがて引き攣った笑顔をギギギと俺の方に向ける。


「……い、いや……被害者の会の同志として……お前の誕生日を祝ってやろうと……かいちょ、じゃなくて俺がきかくしてさ、あ、あつまろうってことになったんだ」


「そ、そうか……」


すっごい言わされてる感があったが、ここは意を汲んでやるのが気遣いというものだ。


一色は副会長の言に満足気に頷くと、ぽんと両手をあわせて小町にあざとい笑顔を見せる。


「……と、まあ、こんな感じでー、あと何名か加わっちゃうんだけど……いいかな?」


「へぇー……」


「小町ちゃん?」


「え……?あ、は、はい!もちろん、大歓迎ですよー!」


呆けたような顔をしていた小町だが、我に返るとばっちーんとウィンクをしてサムズアップで応える。


そんな小町のノリに気を良くしたのか、立ち直った戸部も襟足を掻き上げてぺっちーんと指を鳴らす。


「おっ!?妹ちゃんじゃーん!可愛くなっちゃってウェーイ!」


「へ?あ、初めましてー、ウェーイ!」


「い……いや、俺のこと……忘れちゃった?そっか……そうっすよね……」


そっかー……小町ちゃん、戸部のこと覚えてなかったかー……ちょくちょく会ってたのにねー……


失意のあまり、再びその場にうずくまる戸部だったが、まあこいつはどうでもいい。


とにかく、こいつらも俺の誕生日を祝おうと募ってくれたようである。


困ったな……こんな展開になるとは思いもしなかったぞ……


「……じゃあ、お兄ちゃんはもう帰っていいから、いろはさん達を家まで案内してあげてよ」


「なんだよ、お前は帰らねぇの?……それに、俺まだ買い物の途中……」


「はい、それ買わなくていいから!買わなくていいからね、お兄ちゃん!」


びっと鼻先に指を突きつけられる。


「うん、八幡のプレゼントは決定だね」


「ふむ……そのようだな……」


有無を言わせず取り仕切る小町に、隣に居た戸塚と材木座もコクコクと頷く。


何を企んでいるかはモロバレなのだが、なんとなく口にするのは憚られてしまう。


「ってわけで、小町達もすぐ追いつくから、お兄ちゃんは先に帰っててねー!それじゃいろはさん、またあとでー!」


言って、三人はエスカレーターを上がっていってしまう。


振り返れば、昨日まで寝食を共にした見飽きた面子の顔が並んでいた。


「比企谷の妹って可愛いなぁ……とても血が繋がっているとは思えない……」


「お!?まさかのヒキタニくんちのお宅拝見!?俄然盛り上がってきたわー……!これ超レア案件でしょ!?」


「……予定通りとはいかなかったですが……ま、結果オーライですね!それじゃあ先輩の家に行きましょう、れっつごー!」


……などという一色の音頭に、奴隷二人も手を挙げて元気よく応じる。


こ、こいつらが家に来るなんて……絶対に嫌なのに……


嫌だな……怖いな……



※※※※※※※※※※※※※※※※※



さて、異常事態である。


難攻不落の要塞として知られた我が家だが、ついに敵の侵入を許してしまったのだ。


まあ「難攻不落」とか言ってる時点で、内部から陥落してしまうフラグが立っているのだが……なお戦犯は小町の模様。


とにもかくにも、侵略者たちはキョロキョロとそこいらを見渡しては「ほう」とか「へぇ」とか「っべー……」などと呻きながら、俺の後に続く。


木彫りの熊を三人してペタペタ触るに至っては撤去を考えるまであった。いやそんなに珍しく無いだろそれ……


……そんな無礼千万な客達に、紳士たる俺は冷えた麦茶などを給していると、遅れて書記ちゃんと会計くんがやって来る。


いまいち歓迎する気になれないが、やむを得ず玄関口にて出迎える。


「……いらっしゃい」


「お誕生日おめでとうございます、比企谷先輩」


「ごめんね、プレゼント選んでたら遅くなっちゃったよ」


などと、そんな笑顔で言われては家に入れる以外の選択肢はない。


こんな時、どういう顔をしていいか分からず、ドアから顔を半分出してデュフヒ……と優しい笑顔を浮かべて手招きすると、書記ちゃんの肩がビクッと恐怖に揺れた。


……自害して果てようかとも思ったが、気を取り直して両名を二階のリビングまで通してやると、戸部がいつもの様に大袈裟な調子で出迎える。


来場者数の記録が更新され、一層騒がしくなる我が家である。


仕方なく追加人数分の麦茶を注いでいると、ふといつもと様子の違う光景が目に留まった。


「……」


「……」


書記ちゃんが輪から少し遠ざかっていた副会長に無言で会釈し、副会長もそれにコクリと頷いて応えるのだ。


……一見、何気ないやり取り。


だが、妙に硬い表情で互いに挨拶を交わすその姿に違和感を覚えてしまう。


そういや、なんでこの二人……今日はここまで一緒じゃなかったんだろうな……?


生徒会の執行部メンバーはどの面子も仲が良好だが、副会長と書記ちゃんはとりわけ親交が深い。


俺の知る限り、こういった外部での催しの際、常に二人はペアだったはずだが……


何故か引っかかってしまったが、ピンポーンと立て続けに鳴らされたチャイムの方に気を取られてしまう。


……やだ、ま、また誰か来ちゃった……!


「はいはい、どなたですかー」


モニターを見やると、またも見慣れた顔が映しだされている。


押忍!と真正面から挨拶するのは川崎大志で、端にチラチラと映っているのは姉の川なんとかさんである。良かった、心霊現象じゃないみたい……


「どちらさまでしょうかねぇ……?」


『川崎大志っす!今日はお兄さんのご生誕を祝いに来たっすよ!他意はないっす!』


『あ、あんたの妹と一色に頼まれて……』


聞けば、小町は出かける前に料理の下ごしらえをしていたものの、急遽増えた人数分は用意していなかったらしい。


そんな訳で、一色を介して川崎にまでヘルプを頼んでいたとのこと。……俺の頭越しに着々と事を進める、あいつらのネットワークが怖い。


我が家は昆虫とヤンキーの立ち入りは禁止なのだが、手にはスーパーの袋を携えて食材持参でやって来るものだから、こちらも無碍に追い払うわけにはいかない。


勝手に入るように促しつつ、再び玄関まで出迎えると、ちょうど大志がドアを開けたところだった。


「こんにちはっ、お兄さん!プチ沙汰っす!」


ちょりーっす!と靴を脱ぎながら上機嫌な大志だが、こいつの真の目的などお見通しだ。


だからして、俺はひとつ釘を差しておくことにする。


「……いいか?今日の小町との会話は五回までだ。それ以上は強制退去させっから、そのつもりでな……」


「そんな……、昔のファイアーエ○ブレムじゃないんすから……」


「でも制限ある方が燃えるだろ?」


「まあ、確かにヌルいのは……だから新作は正直ちょっと……萎えたっす」


「こいつ……一端の口を利きやがる」


「あんた達、何の話してんの……?」


などとお姉さんが心底呆れたような顔をしているが、とまれかくまれ川崎姉弟を中に招き入れる。


小町や戸塚、材木座も間もなく帰ってくるだろう。


そうなると、学校での俺の全人脈が家に揃い踏みという事になってしまう。


我が家にこれほどの数の知人が訪れるのは、初めてではなかろうか……?


高校の知人で、これまで俺の家に入った奴って言ったら……


ふとお団子頭のあの子の姿が脳裏をよぎった。



――ちょうど去年の今ごろ……わんこを預けに来たんだっけ……?


いや、確かその前にも来ていたのだったか――




記憶を手繰ろうとするも、書記ちゃんの呼び声でそれも中断される。


「それじゃあ比企谷先輩、私は料理の方を準備しますので、キッチンお借りしますね」


「書記ちゃん、あたしも手伝うよ。……あの、エプロン借りるけど……」


「お、おう……好きに使ってくれ、悪いな……」


早速、川崎と書記ちゃんが料理の準備を申し出る。


他人様に自分の家の台所を使われるというのは、なかなか落ち着かないものだ。


至らぬところは無いかしら?と思わなくもないが、小町も受験が終わって、代わりに普段からここいらの整頓をしてくれるようになった。


去年より心なしか綺麗に整っている気もする。


「よし、じゃあ僕も手伝おうかな……」


言って腕まくりをすると、会計くんも準備を買って出てくれる。俺のエプロンを装着すると不慣れな様子で包丁を使い始め、三人でわいのきゃいのとキッチンで盛り上がりだした。


うーん……奇妙な絵だなー……


しかし、この中では言わば穏健派の三人である。


どちらかと言えば内向的で、放っておいてもあまり心配のいらないメンバーだ。



……問題なのは他の連中である。


ふと見やれば、大志は一人リビングのテーブルを前に胡座をかき、ペンを片手に手帳を広げて唸っている。


ひょいと上から覗いてみると、さっきの話を真に受けたのか、小町との会話のネタを箇条書きで纏めていた。これらの候補から会話を五つ厳選しようと言うのだろう。


あ、アホやこいつ……!


ぼふっと思わず吹き出してしまう。


だが、ここまで真っ直ぐな想いを目の当たりにすると、こちらも些か悪いことをしているような気分になってくる。


ここは少しフォローを入れておくか……


「おい、大志……これを参考にしろ。巨人の肩に乗ればいろいろとショートカットできるかもだぞ」


声をかけつつノートPCを取り出すと、お気に入りに登録していたサイトを表示して、大志の前に置いてやる。


「お兄さん……こ、これって……!」


「モテるための指南ブログだ……会話のカテゴリだけでも百以上のテクニックが記されている」


「えーと『モテ男の会話術(102)』これっすね……三百人以上と経験!?誰だか知らないけど、これは期待できそうっす……!」


目を輝かせる大志に、俺もウムと頷いて応える。


……まあこれぐらいの支援をしてやらないとフェアではない。


モテ男(※AV男優)のブログは実践的と評判なのだ。


小町には絶対通じないだろうが、長い目で見ればきっとこいつの将来の財産となるに違いない。


大志はなかなか素直なところがあり、言われるまま真剣な顔でノートPCとにらめっこを始める。


「ところでお兄さんは、どうしてこのサイトをお気に入りに……」


「そんなことはどうでもいいんだ……とにかく、頑張るこったな」


「ありがとうございます!お兄さん!」


よし……これで一人、色んな意味で片付いた。



そうなると懸念すべきは残りの三人……一色と、被害者の会の面々だ。


こいつらは無駄に俺の心を抉ってくる傾向がある。その動向を注意して見守らねばなるまい。


……っていうか、知人が家に遊びに来るって大変なんだな……なんでこんな苦労しなきゃならんのだろう……?


三人は俺の気苦労など我関せずと、テーブル脇にある本棚の中身をチェックしている。


「比企谷の家はさすがに本が多いなぁ……読書一家なのかな?」


「いかにもヒキタニくん家の本棚って感じ……ほら、この本『上司から振られる仕事を1/2に減らす方法』とか……」


「お父さんのかな?さすがだな……」


「こんなのもありますよ……『断れる勇気―――自己啓発の源流「サボラー」の教え』『結局、「厚かましい人」がすべてを手に入れる』『定時退社力』……なんかビジネス書はこんなんばっかですね……」


やだ……家の本を読み上げられるのって恥ずかしい……!


……っていうか、今は親父の存在そのものが恥ずかしい……!


「にゃー」


などと、一人赤面していると、いつになく騒がしいリビングが気になったのか、愛猫カマクラがドアを自らガチョンと開けて入ってくる。


そしてぐるりと辺りを見渡すと「うっさいのう……お前ら……」といった面持ちで、ふすっと鼻を鳴らした。


「……あ、猫だ。先輩猫飼ってたんですねぇ」


「おぉ、カマクラっていうんだよ。超可愛いぞ」


「へぇー……きゃー、カマクラちゃん、おいでおいでー!」


一色はカマクラの歩む先に立ちはだかると、上からその頭を撫でようとする。


しかし、カマクラはその手をすかさず肉球パンチで迎撃すると、顔をしかめて「ふしゃー!」と威嚇する。


「わわっ!なんですかこの猫!?先輩に似たのかな……超愛想悪い……」


「いろはすー、そんな上から撫でると怖がっちゃうべ?」


戸部は手の甲で一色を押しのけると、代わってその場に座り込む。


「こうやってしゃがんで下から手出すの、ほら、ヒキタニくんだって下手に出るとチョロいっしょ?……ほら、おいでおいで~」


「フシャーーーーーッ!!」


「ヒッ!?この猫、まじで人間嫌い!?」


だが戸部の姑息な懐柔策などカマクラには通用しない。今度はグワッと歯を剥いて威嚇する。


二人は引き続き手懐けようと、あれこれ手を尽くすが、カマクラはそれらを尽く肉球パンチで跳ね返してしまう。


うーむ……こいつは決して愛想の良い方ではないが、しかしここまで心を閉ざすとは……


一色と戸部……二人の軽薄な性根を見透かしているのかもしれない。


さすが我が愛猫である。


「……おい、うちの猫ビビらすんじゃねぇ。お前らと違ってデリケートに出来てんだよ。ほらカマクラおいで~」


二人をしっしと虫けらのように追い払うと、安心させるべく俺もカマクラの前に手を差し出す。


「ブギャーーーーーーっ!!」


「……」


しかし、カマクラは全身の毛を逆立ててフルパワーで俺を威嚇する。や、やだ……これは完全に他人を見る目……!


カマクラ……さん?


「飼い主にさえこの態度……ちょっと人嫌いすぎじゃないですか?」


「ははは……ほら、比企谷は長らく家を空けてたから……忘れられちゃったんじゃないか?猫ってちょっとアホなところあるから」


などとフォローを入れる副会長に、カマクラはキッと鋭い視線を投げつける。


その顔は「馬鹿にするな小僧……!」と言わんばかりで、無言の圧力に副会長は思わず一歩後ずさる。


「あ、アホって感じではなさそうだな……目に力がある……!」


驚愕する副会長に、カマクラはコクリと頷いて見せた。


でもそれだと俺のことを覚えていて、なお拒絶したってことになるんだけど……


なぜ俺は飼い猫にまで心を抉られているんだろう……?


「……まあ、先輩の家の猫って感じですよね……」


カマクラは半包囲した俺たちを敵意たっぷりに睨めつけると、やがて悠々と間を通って輪から抜け出していく。


しかも去り際に副会長の足をぎゅむりと踏んづけていった。


「……あまり歓迎されてないみたいだな」


「まあ、気にすんな……知らない奴ばっかで気が立ってるんだよ。昔からああいう性格の猫なん……」


と言い終わらない内に、カマクラは大志の足をフンフン臭うと、そのまま膝の上に飛び乗った。


大志は相手をせずに、依然真剣な顔つきでノートPCとにらめっこをしていたが、やがてカマクラはそこを安住の地と決めたようで、大志の胡座の上でゴロゴロとくつろぎ始める。


「……」


「ヒキタニくん……本当に飼い主……?」


「そのはずなんだが……」


もはや積極的に嫌がらせをしているのではないかとさえ勘ぐってしまう。さすが我が愛猫である。


うわーとドン引きで俺を見ていた一色だったが、やがて気を取り直すとポンと手を叩いて、戸部と副会長に顔を向ける。


「あ、そうだ二人共、今から先輩の部屋見に行きましょうよー!」


「つってもヒキタニくんの部屋、何処にあるかわかんないっしょ?」


「小町ちゃんに、さっきラインで教えてもらったから分かりますよー」


「へぇ……それは興味深いな。よし、じゃあ行ってみるか!」


「行くべ行くべ!はぁー、アガるわー!」


などと三人してガヤガヤ騒ぎながら、勝手にリビングを出て行ってしまう。


「……」


あ、あれ?おかしくない?


……ど、どうして、俺の承諾が必要と思わないのかな、あの人達……


ずっと……目の前に……居た……のに……


あと俺の個人情報の取り扱いに、一切の斟酌が無い小町にも大いに問題があるような気もする……


思うところは多々あれど、ともあれ、勝手に部屋を荒らされては堪らない。俺も慌てて三人の後を追う。


ほんと、なんでこんな苦労しなきゃいけないんだろう……?



※※※※※※※※※※※※※※※※※


ぼっちにとって、自分の部屋に知人を招き入れるなどというイベントは完全に想定外であり、当然未体験ゾーンである。


……が、そこでどんな事が行われるか、おおよそのところは伝え聞いている。


やれエロ本はないかと怪しい箇所をチェックされたり、


卒業アルバムを暴かれて、過去のトラウマを掘り返されたり、


果ては「なんかお前の部屋って独特の匂いがするよね……」などとデリカシーに欠けたことをずけずけと言われたりして、精神的にダメージを与えられるのだとか……


考えるだにおぞましい、まさに悪魔の所業である。


嫌だ……絶対そんなの経験したくない……



だがこの三人のこと……何かしらクリティカルな攻撃をしてくるに違いない。


内心震えていると、一色が俺の部屋の扉をガチャリと無遠慮に開ける。


そして、一目見て素直な感想を漏らした。


「わぁー……なんか……普通にキチャない部屋ですね」


「ほっとけ」


「まあ男子の部屋ってこんなもんだよ、会長」


「そうなんですかねぇ……ちょっと意外な感じしますけど……へぇ……」


「いやーこんなの全然マシっしょ!俺の部屋とかもっと汚ねーし!……おっ、ヒキタニくんの部屋も本でいっぱいじゃーん」


戸部と副会長の二人は早速本棚の前に立ち、あれこれと物色し始める。


……他人に本棚を見られるのは気恥ずかしい。性格診断されてるみたいで落ち着かないことこの上ない。


「図書館の本もある……こういうのって家柄出るよな。さっきのリビングの子供部屋版って感じ……」


副会長は、蹲踞の姿勢でしゃがみ込むと下列から棚の中身を一つ一つチェックしていく。


彼ったら優しい顔してガッツリ蹂躙していくスタイルなんですよね……


「お前んちはどっちかというと文学って感じだな……ウチは百科事典とか図鑑とか、そういうのが多いんだけど……」


「へぇ……それは羨ましいけどな……でもああいうのって高いんじゃねぇの?」


「ボーナスの後とかさ、親父がしょっちゅう母さんにドヤされてるよ」


ははと呑気に笑う副会長だが、なんとなくその情景を思い浮かべてこちらも苦笑してしまう。


今時珍しいとも思うが、副会長の家は割とアカデミックな家風なのかしら……?


まあしかし本棚の中身に限らず、部屋のあり方一つとっても、家の個性というのは表れる。


思えば、いつか訪れた雪ノ下家にしても、由比ヶ浜家にしても、それぞれの家柄と思しきものが見て取れたものだ。


そして家の特色が、子供の人格や性向に多大な影響を与えても何ら不思議はない。


あるいはその特色のせいで、まったく反対側に突き抜けたりすることもあるのだろう


小町のコミュニケーション能力も、いわば反面教師的に身に付いたものだと思われるが、だとしても、やはりそれは家の影響に違いない。


当然こいつらの性格もそれぞれの家庭で培われたもので、一色などにしても一体どういう家庭で育てば、このような性格になってしまうのか……



ちらりと見ると、一色は四つん這いになってベッドの下に手を入れ、ゴソゴソと何やら捜索している。


……君……人の部屋に来て、一番最初に見るの……そこなんだ……


「あれー、おかしいですねー……絶対この下にえっちぃのがあると踏んだんですけど……」


「お前、もう帰れ」


そのフリフリと揺れる尻を蹴っ飛ばしてやろうとも思ったが、そこは紳士な俺のこと。


ジェントルに首根っこを引っ掴むと、憎悪の視線を投げつけてやる。


「わー、ちょ、ちょっと!冗談ですって、ジャブですよ、軽いジャブ!」


ばたばたと手を振る一色だが、反省の色が窺えない。


それに冗談とジャブは全然違うのだけれど……


ともあれ、ベッドから遠ざけるべく、ペッとそこいらに放り投げると、一色はころんと転がって受け身をとった。


スカートの裾がふわりと揺れたが、しかしパンツは見えない。


「まあ先輩は捻くれてますからね……安易な場所に隠しはしないんでしょうけど……」


「……ったりめぇだ。お前ごときに見つかるほど俺のインビジブルスキルは衰えてねぇよ」


「あるのは否定しないんですね……」


怪訝な顔をする一色に、ふっとクールに微笑んで余裕を見せつける。


だが内心では冷や汗を掻いていた。



……危ないところだった……



例のアレはベッドのフレームとマットの間に挟み込んでおり、床に置いていなかったのが幸いしたのだ。


しかしこいつは勘が良い……しばらく凝視すればきっと気付いてしまっただろう。


内容が生意気なJKに哲学的な調教を施すというものだったため、発見されれば沽券に関わる事態となっていたに相違ない。


……まったくもって油断のならない女である。


一色は、そんなこちらの胸中など歯牙にも掛けず、今度は背後のボックスに目をつける。


ぱぱっと前にしゃがみ込むと、にまぁ☆と悪い笑顔を浮かべた。


「あ、中学の卒アルはっけーん!」


言うや否や、人差し指で上辺を押し当て、スコーンと棚から抜き出すとすぐさまカバーを取り去りペラペラとページを捲っていく。


「ちょ、おま……!」


「あ、これって折本さんだ! 同じクラスだったんですねぇ……」


電光石火の早業に思わず呆気にとられてしまったが、しかし卒アルについては心配無用である。


俺はクラス毎の集合写真以外、一切アルバムには写っていない。つまりトラウマを掘り起こしようがないのである。


……うん、それ自体が何かトラウマのような気もいたしますが……


「ふむふむ……あー、これって小町ちゃんかな……?あと折本さんってこうしてみると目立ってますね、あちこちに写ってる……へぇ、結構可愛く見えますねぇ……」


「……まあ、目立つ方ではあったが……」


「ふむ……まあこれぐらいなら、なんとでもなりますが……」


一体、何をしようっていうのかしら……この子……


急に低い声でそんなことを言うので、内心戦慄していると、一色はころっと一転、楽しげに声を上げる。


「あ、先輩発見!」


なぬ!?個別写真では一切映っていないはずなのだが……一色の指差す写真を俺もどらどらと肩越しに窺う。


「ほら、この人の持ってるバットで顔が隠れちゃってますけど、これって先輩じゃないですか?」


「言われてみれば……そうだ、球技大会の時……この後こいつの打ったファールボールが顔面に直撃したんだっけ……」


「あ、これも先輩ですよ!顔の部分だけブレてるから分かり辛いですけど、なんか猫背ですし……」


「ふむ、言われてみれば……これは確か修学旅行で余所見しながら歩いててちょうど溝にハマる瞬間だったような……このあと俺だけジャージで行動したんだっけ……」


「先輩結構写ってるじゃないですか! ほら、これも、これも……この組体操で崩れたピラミッドの下にいるの、先輩ですよね?」


「おぉ、そうかもしれん……確か、上の段の奴が崩れるときに肘を入れてきたんだよ。全治二ヶ月だったっけ……山本の野郎……絶対に許さない……」


「なんでそんな、ろくでもない体験ばかり……」


本当にねぇ?


目を閉じれば蘇るぜ……あの暗黒の日々、トラウマに塗れた俺の黒歴史が……


しかし、一方で意外と写ってる事にも気付かされる。


どれ一つとしてまともに撮られたものはないが、一色の言うとおり、そこかしこに俺らしき人物の一部が収められているではないか。


俺など誰からも見られていないと思い込んでいたが……


「先輩って悪目立ちするから、結構カメラマンの気を引くとこあると思うんですよ」


「なるほど……」


それにしても……


クスクスと笑いながらアルバムをめくる一色の横顔を覗き込む。


こいつ、よく俺だと分かったな……どれも体の一部しか写ってないのに……


「って、そうじゃねぇよ」


「あいたっ!」


アルバムに見入っている一色を、そのまま後ろから羽交い締めにして押し倒してやろうとも思ったが、そこは紳士な俺のこと。


後頭部にとすっと軽く手刀を打ち付ける。


「何するんですかー!」


「勝手に人のプライベート漁るんじゃねぇよ」


「むぅ……自分が写ってるの気付いてなかったくせに……」


ぶーたれて頭をさする一色からアルバムを奪い返すと、ケースの中に仕舞いこむ。


だが、ボックスに戻す頃には、一色はまたもキョロキョロと部屋を見渡し、次なる獲物を狙っている。


もう本当になんなのこの子……


「もうお前、本当早く出て行けよ……」


「またまたそんなこと言って……こんな可愛い後輩が遊びに来て嬉しいくせに……」


などと俺の訴えを適当に流すと、やがてベッドの方を見てニヤリと意地悪く顔を歪める。


嫌な予感がしたが、こちらが止める間もなく一色はベッドにダイビングする。


「えーい!」


「ちょ、おま……!」


空中でスカートの裾がひらりと揺れたが、やはりパンツは見えなかった。ちっ……!


なんだよこいつさっきから……ふざけんじゃねぇよ!


「あはは、先輩はいつもここで寝てるんですねー」


体重が軽いためか、勢い良く飛び込んだ割に、ベッドは軽く軋んだ音を立てるに留まる。


軽くバウンドしたのち、一色はもぞもぞ蠢いて位置を調整すると、もふっと枕に顔を埋めた。


ひっ、ひぇっ!


「な、何してんのお前……」


「うーん……なんかこう、独特の匂いがしますねー……」


などとデリケートなことをずけずけと口にして、再三に渡り、俺に精神的ダメージを与えてくる。


「有り体に言うと、ちょっと臭いですね」


やめてぇ!こ、言葉は傷つけるんだから!絶対に……もう取り戻せないんだからっ!


……などと心が叫びたがっていたが、ずばりトドメを刺されて、俺のライフはもはやゼロに近い。


いっそこのまま衣服を脱ぎ捨てながらスイマーよろしくベッドに一色ごとダイブして欲望の丈をぶつけてやろうとも思ったが、そこは紳士な俺のこと。


ベッドから引き剥がすべく、その腕を掴みにかかる。


……が、一色はけらけらと笑いながら寝転がって俺の手から巧妙に逃げおおせてしまう。


「ちょ、おま、いい加減にしろって」


「あはは!……はぁー、くさいくさい!」


どうしよう……マジでうぜぇなこの後輩……


あと俺、夜そこで寝るんだけど……そんな寝転がられたら……困る……


厳選された天然の一色成分が寝具に付着していると思うと、このあと夜も眠れなくなってしまうのではなかろうか。うん、いよいよ気持ち悪いな俺。


どうしたものかと困り果てていると、一色はごろんと仰向けになってリラックスし始めた。


「ふぅー……あ、なんか、天井にも染みが有りますね……ひとつ……ふたつ……」


ついには天井の染みを数え始めた一色だが、うん……これも良くないですね……


他所の家でそんな事をしちゃいけないと後で教えてあげないと……


「お前……どんだけ人の部屋でリラックスしてんだよ……まったく、親の顔が見たいわ……」


はすはすしているいろはすを如何ともしがたく、俺は片手で顔を覆って溜息をつく。


すると、一色はぎょっとした様子で半身を上げて手をバタバタと横に振る。


「……親の顔が見たいって……はっ!もしかして口説いてますか!?親公認でお付き合いしようというのは誠実っぽくて正直好感が持てますけど収入が安定しない内はこちらもフォローできる自信がないのでちゃんと就職してから出直してきてくださいごめんなさい」


「今回それ出すの早いな!」


枕を抱えながら、ぺこりんと頭を下げる一色に、こちらも訳の分からないツッコミが口を突いて出てしまう。


それにしてもこいつ……俺がやられて嫌なこと、全部一人でやってのけやがった……


いろはすの侵略することと言ったら、まさに火の如しである。



後頭部をガシガシと掻いて本棚の前の二人に目を向ける。


もはや俺の力だけではどうにもならない。ここは被害者の会同志として、戸部と副会長の助けを乞うしかなさそうだ。


……が、見やると戸部が本棚からコミック本を豪快に鷲掴みして取り出しているところだった。


「うっし、とりあえずこれ借りてこーっと!」


「って、待てお前!何勝手に持っていってんだよ!」


「息抜き息抜き!今日は半分だけ持って帰るからさー、……悪いんだけど、次の生徒会の登校日に残り半分持ってきてくんない?」


言って、戸部はあだち充の最高傑作『H2』を自分のトートバッグに次々と詰め込んでいく。


そ、それは毎夏読み返すのが恒例行事なのに……


「いや……なんで俺がそんなことを……」


「そんかわし、俺、家から『ラフ』と『KATSU』持ってくるべ?」


「む……持ってんのか……?」


「なんかしらねーけど、子供の頃から家に置いてあんだよなー」


……それは正直、魅力的な提案である。


あだち充の作品はどれも似たような話の展開と登場人物の顔が居並んでいるが、いざ読みだすと何故だかどれも面白い。


戸部の挙げたタイトルは、いずれも読破しておきたいものだった。


あと全然関係ないが、あだち充のコミックに限っては、親に頼むと割とホイホイ買ってくれるのはどうしてなんでしょうねぇ……?


「いや待て、それだとお前の漫画を持って帰らないといかんだろ……登校日で貸し借りが終わんねぇだろうが」


「……? 別に終わんなくても良くね?」


「……」


衒いも何も無く、戸部が心底不思議そうに返すので、俺は思わず言葉を失ってしまう。


「……い、いや、そうかもしれんが」


じゃ、よろしくと戸部は手刀を切ると、ホクホク顔で残りの本をカバンに詰め込んでいく。


うーむ……。なぜこの人種はこともなげにそのようなことが言えるのだろうか……? いや、こいつの場合何も考えてないだけなんだろうけど……


「はは、じゃあ俺は、ここからここまで借りていくな」


呆然と立ち尽くしていると、副会長も棚に並んだラノベをわっしと一挙に掴んでシリーズごとカバンに詰め込んでいく。


「お前もかよ……」


「同じ作者の違うシリーズ持ってるから、俺も次の登校日に持ってきてやるよ。それだったらいいだろ?」


「いいけどよ……それ超絶的に面白いんだが、最新巻からもう何年も続き出てないぞ……」


「俺が持ってるシリーズもそうなんだよな……」


何枕獏だよそれ……早く続刊だせよ……


しかし続きが出ないものを、何故俺たちは買い求めてしまうのだろう……?


「ひょんなことで続きが出たりするものさ、……あ、これも借りていくな」


「……もう好きにしてくれ……」


戸部と副会長に大量に書籍を持って行かれて、本棚はあっという間にがらんと寂しくなってしまう。


とほほと肩を落としていると、ベッドの上で足をパタパタさせながら、一色がこちらを興味深げに眺めている。


「なるほど……その手がありましたか……。先輩、私にもなんかオススメの貸してくださいよー」


言って、ちょいちょいと指で「もってこいや」と指図する。


わぁー……偉そうだなこの子……


どうしよう……このまま簀巻にして天日の下に晒してやろうかしら……?


などと完全に三人に振り回されていると、入り口の方から誰かの声が漏れた。


「へぇー……」


そこに立っているのは小町である。


いつの間に帰っていたのか、ドアの縁に手をかけながら、アホの子みたいにぽかんと口を開けている。


「わ、わわっ!?お、お帰りー、小町ちゃん!」


一色は小町に気付くと慌てて居住まいを但し、背すじをピンと伸ばして正座する(ベッドの上で)


ええ、もう手遅れですね……


「戸塚さんの言った通り……ふーん……お兄ちゃんがねぇ……」


「……なんだ、帰ってたのかよ……どっから見てた?」


「お兄ちゃんのDVDが見つからなくて良かったなーって」


う、うん、だいぶ最初の方ですね……それ……


妹のインビジブルスキルに震撼するも、小町は依然ほほうほほうと、部屋の三人と俺の顔を交互に見比べている。


さすがに副会長は良心の呵責があったのか、小町の視線を受けると恥ずかしげに頬を掻いた。


「ああ、ごめん、騒がしかったかな?急に押しかけて迷惑だったよね」


「いえいえそんなことありませんよー!こちらがお礼をいうほどです!」


「……年上ばかりで文句を言いにくいこともあるだろ?その時は俺に言ってくれれば、こっちで注意するから」


副会長の言に、小町はほえーと感心した顔を浮かべると、俺にこそっと耳打ちした。


「……なんかこの人は随分まともなそうな感じだね……」


その言い方だと一色と戸部がまともじゃないみたいなんだけど……


いや、まあ、実際まともじゃないけどな。


「あ、そろそろ兄のバースデーセレモニーが始まりますので、リビングの方に戻ってもらえますか?」


何それ……なんか凄そう……


聞き慣れない言葉に背中が粟立ちそうだったが、手をぱちぱちと叩いて小町が誘導すると、三人はぞろぞろと付き従って俺の部屋を後にする。


何故、小町の言うことは皆して素直に聞くのか……解せぬ……


「……くそ、散らかしやがって……」


暴行・略奪の跡地を見渡して独りごちる。


本の幾つかが棚からこぼれ落ちていて、枕もいつの間にか床に放り出されている。


何より、自分のものではない匂いが部屋の中に混じっており、それが微かに鼻についてしまう。


窓を開けて空気を入れ替えようとも思ったが、しかし何故だかそれも躊躇われた。


「……」


まあ、元々散らかってたしね……多少はね……


俺は冷房のスイッチだけ落とすと、そのまま後ろ手にドアを閉めた。



※※※※※※※※※※※※※※※※


「先輩、お誕生日おめでとうございまーす!」


「お兄ちゃんおめでとー!」


「ウェーイ!」


などと準備を終えると、挨拶もそこそこに宴が始まる。


テーブル中央には大きなホールケーキが鎮座ましまし、その周りには唐揚げやらフライドポテトなどの摘みやすい軽食がサラダを添えて配されている。


短い準備期間の割にはそれらしい形になっており、しかもこれが自分のために用意されたものだと思うと些か面映ゆいものがある。


「はい、先輩!取り急ぎの料理ばかりですが……たーんと召し上がれ!」


などと一色も甲斐甲斐しく料理を皿に盛ってくれるが、君まったく手伝ってないよね……俺と一緒に遊んでただけだよね……


後輩の厚顔無恥ぶりに震撼しつつも、集まった面子を改めて見渡してみる。


向かって左側には一色を始めとする生徒会メンバーが、右側には小町を筆頭に八幡組の面々が並び揃って、わいのわいのとテーブルを囲んで料理に舌鼓を打っている。


ちょうど連結部には大志が居て、両コミュニティの橋渡しをしているようだ。うむ……ご苦労……


この組み合わせで、はたして宴が成立するのかとも心配したが……


川崎に関してはいわずもがな。戸塚にしろ材木座にしろ、勉強の合間にちょくちょく生徒会を手伝ってくれていたので、ここにいるのは皆すっかり顔馴染みの間柄である。


そうなると心配なのはむしろ……ちらりと右隣に目を向ける。


しかし杞憂だったようで、小町は随分と楽しげな様子で、うずうずと身体を上下させている。


「まさかお兄ちゃんなんかの誕生会に、こんなに人が集まるなんて……小町は嬉しいよ……」


「お、おう……」


「すっかり干上がっちゃったと思ったけど、裏できちんと新たな交友を育んでいたんだね……小町が居なくてもお兄ちゃんは育つ……巣立っていく雛を見送る親鳥の心境だなー」


言って、およよと芝居がかった仕草で目尻を拭う。


喜んでくれて何よりだが、ちょっとこの子増長し過ぎじゃないでしょうか……?


「……まあつっても、どいつもこいつも去年からの付き合いなんだけどな」


つまり、裏でも何でもない。


……どの面子も奉仕部が無ければ生まれることさえ無かった縁だ。


「それでも良いよ……無駄じゃなかったってことだもん」


「……ん?」


はて、それは一体どういう意味で言っているのだろう……?


意を問おうと顔を向けるも、話はそこで終わりのようで、小町は改めてテーブルを囲む面々に目を向けている。


……これ以上聞くのは野暮に思えて、小町から視線を外すと斜向かいの材木座と目が合った。


「ククク……八幡、これで貴様もパチンコに行ける年齢になったというわけだな……ちなみに我の誕生日は十一月二十二日だ」


「いや、学生は入店断られるだろ……」


「なに、制服で行かねばバレはせぬ……!それに最近はアニメ台などもすっかり定番になって、射幸心を煽られるではないか……CRガル○ン……是非打ってみたいものよ。ちなみに我の誕生日は十一月二十二日だ」


あら意外。こいつパチンコに興味あったんだ。


といっても材木座の場合、パチンコそのものよりはアニメに釣られたヲタパチンカーの典型って感じだが……


「うーん……ああいうのは収入が無い内は手を出す気にはなれん。それに主夫志望がギャンブルってのも……な」


「ほむん、見上げた堅実さよ……そこまで進路を見据えているとは……年を経て少し地に足が付いたのではないか?」


「ふっ、よせよ……俺なんてまだまだだ」


首を振って応じると、材木座もくくっと小さく肩を揺らしてファンタグ◯ープを啜る。


「どうしてでしょう……ひとつも格好いいとは思えないんですが……」


向かいで書記ちゃんが呆れたような目を向けていたが、その隣りにいた戸部がずずいと俺の視界に割って入る。


「パチンコもいいけどさー、十八つったら免許も取れるっしょ!?早く取りたいわー!ちな、俺の誕生日は八月二十九日だから!」


「わ、お兄ちゃん免許取るの!?だったら小町を鋸山(のこぎりやま)に連れて行ってよ!」


小町がパンパンと俺の膝を叩いて色めき立つ。


うーむ、鋸山か……我が妹ながら渋いチョイスだ。しかし確かに免許が取れたら、あの辺は絶好のドライブコースである。


そんな事もできる年齢になってしまったんだなぁ……


「ま、受験が終わったら……だな」


「えへへ……楽しみだなぁ……」


心底楽しそうに小町が微笑むその反対側で、一色がぷくーとあざとくむくれている。


「せ、先輩、わたしも、わたしも一緒にそれ行きますから!鋸山!」


「いや、お前別に興味ねぇだろ……」


「そんなことないですよ!わたしは実はこう見えて、大仏に造詣が深いんです。大仏ガールなんです!」


なにそれ怖い……っていうか絶対適当言ってるな……


だが日本最大の大仏は何処にあるかと問われれば、それは奈良でもなければ鎌倉でもない。


なんと千葉にあるのです!どでーんと野晒しで置かれているので仏女の皆さんはお見逃しなく!(ステマ)


とは言え、小町ははっきり言って変な娘なのであれだが、普通うら若き女子が好んでいくところではないと思うのだが……地獄とか覗いてみたいのかな?


「まあ、良いけどよ……でも二人一緒はダメだな。どっちか一方ずつなら……まぁ……」


「え!?……それってどういう……」


言うと、一色は見る間に顔を赤く染め、恥ずかしそうに俯いてしまう。


その向こうでは小町がおっ?という面持ちで身を乗り出してくる。


「……い、いや……深い意味はねぇんだけどよ……お前ら二人が一緒ってのはなんか違うだろ……俺が嫌っつーか、困るっつーか……その……」


「それって……それって……」


上目遣いでこちらを見やる一色に、俺は言っていいものかどうか逡巡してしまう。


周りの目もあるし、口に出して言うのはかなりの勇気が必要だ。


そんな俺の気も知らず、小町は脇をちょんちょんと突付いて、先を促してくる。


「いや、小町……これ言っちゃうと、お前も悲しい想いをするんじゃないかなって……」


「……え?」


真剣な目を向けると、小町も面食らったような顔に変わり、途端にうろうろと目を泳がせる。


「ちょ、ちょっと……お兄ちゃん、そんな改まって言わなくても……それに小町は……別に……」


真実はいつだって残酷で、人を傷つけることの方が多いぐらいだ。


一色に告げるのは良い。だが同時にそれは小町を貶める結果になりはしないか。


そんな懸念が俺の頭にもたげるのだ。


「お前ら二人でいるのは……なんか違うんだよ、つまり……なんつーか……」


「……先輩、言ってくださいよ……なんか……モヤモヤしますし……」


「言ってあげて……お兄ちゃん……」


……そうだな。 ここまで口に出して言わないのは、あまりに男らしくない。


小町とは十五年間。……そして一色とも、短いながら濃密な時間を共に過ごしたつもりだ。


そこまでの蓄積があるのだと信じて……


真摯な顔を向ける二人に、俺もコクリと頷いてみせる。


そして、意を決してきっぱりと告げた。



「――ぶっちゃけお前らキャラ被ってるからさ、二人いると二倍あざとくて辛いんだわ。正直、今こうしてる間も一体どうして良いのやら……」


「な、なんですとー!?」


「言っちゃったよこの人!?」


案の定、二人はきしゃー!と歯を剥いて俺に突っかかる。


「そ、それに、あざとくないですし! 素ですし! ナチュラルメイクですし!」


「いろはちゃん、それは素じゃないよ……」


「そうだよ!小町だってお兄ちゃんを愛するが故にいろいろ策をめぐ……気遣いしてあげてるのに、その言い草は酷過ぎ!」


「比企谷の妹なんだよなぁ……」


食って掛かる二人に、ツッコミも入り混じって騒がしい事この上ない。


「あーもう、それだよ、それ……ほんとうるせーな……とにかく卒業してからだ!卒業!今は受験のことしか考えてねぇよ」


などとこちらも声を荒げて言い返していると、小町の隣りにいた戸塚がさっきからチラチラそわそわと落ち着きが無い。


やがて目が合うと、上目遣いで俺の方を窺う。


「……いいなぁ……八幡、免許を取ったら、その時は僕も一緒に行って……良いかな?」


「ああ、当たり前だろ。明日から教習所通うわ」


きっぱり男らしく宣言すると、一色がぶくー!と頬を膨らませて憤慨する。つまりふぐはすである。


「だから、なんでそんなに対応が違うんですかー!」


「もう本当ダメだ……この人……」


最愛の妹もこめかみを抑えて首を振る中、向かいの書記ちゃんが苦笑しながら教えてくれる。


「比企谷先輩……教習所の許可は受験を終えた生徒と、就職志望の生徒にしか降りないですから……あと在学中の運転は禁止です」


「は、八幡、卒業してから!卒業してからの話だからね!?」


そうか……それは残念だ……


夏の思い出の締めくくりとして、戸塚とディスティニーの外周をひたすらグルグル回り倒したかった……


意気消沈していると、やがて息を荒げていた一色も落ち着きを取り戻し、ジロリとこちらを見やる。


「それにしても意外です……先輩って免許取りたい人だったんですねぇ……」


「……なんだよ、そんなおかしいか……?」


「先輩のことですから『あ……免許?面倒クセェ……そんなの持ってたら、体よく扱き使われるのがオチだろうが……絶対に働きたくない』とか言いそうな感じしますけど……」


ふむ、なるほど……さすが八幡検定二級保持者だけあって、俺への理解度がなかなか高い。


あと目が半開きなのは、それ俺の真似のつもりなんでしょうか……?


……しかしまだ甘さが残る。


俺の心の機微を読み取るまでには至らないようだ。


「ばっか、そこまで甘えたことは言わねぇよ。運転は主夫業の必須スキルだし、社会人になってからだと自分の金で教習所に行かなきゃならんだろうが。……取るさ、親の脛が齧れる内にな」


「お見それしました、そこまで考えていたなんて……歳を一つ重ねることで経済観念が付いてきたんですねー」


「ふ、よせよ……俺なんてまだまだだ」


首を振って応じると、一色も薄く微笑んでドクター◯ッパーに口をつける。


「どうしてでしょう……ひとつも格好いいと思えないんですが……」


向かいで書記ちゃんがまたもや呆れたような目をこちらに向けていた。


そ、そんな目で見んといて……


「そっか……でも比企谷先輩だけじゃなく、三年生の皆さんはもうそんな年齢なんですねぇ……一つ違うだけなのに随分大人に見えちゃいます」


「ちなみに書記ちゃん、俺の誕生日は八月二十九日だから……聞いてる?」


「戸塚先輩も免許はお取りになるんですか?」


書記ちゃんが水を向けると、戸塚も顎に指を当てて、うーんと考えこむ(可愛い)


「うん、僕も出来れば在学中にとっておきたいなぁ。でも、教習所って確か学校の近くに二つあったよね……?どっちに行くのが良いのかなぁ?」


「あー……稲毛と勝又っすね、どっちも良い評判、悪い評判あるみたいっすよ」


大志が言うように、総武校の近くには二つの自動車教習所がある。


書記ちゃんが言うところの許可を貰って、卒業前の生徒が社交場も兼ねて通ったりするらしい。


「なんかさー、稲毛の方は変な教官とか厳しい教官多いらしいべ?路上とかも坂が多くて難しいってOB言ってたわー」


「でも坂道は慣れておいた方が良いだろ。免許取った後のことを考えると、こういうのって少々指導が厳しいところに行ったほうが良くないかな?」


「材木座くんはどっちに行くの?」


「うむ、教官が優しい方だ。我のメンタルは豆腐の如く繊細でぷるるんとしておるからな」


「……ちなみに先輩はどっちに行くんですか?」


「授業料が安い方だな。そして親には高い方に通うと嘘をついて、浮いた金を懐に収めるんだ」


「なるほど……勉強になります」


「一色、これのいうこと聞いちゃダメだよ!?」


などとわいのわいのと、みんなして教習所は稲毛が良いか、勝又が良いか、白熱した議論を繰り広げる。


そんな中、副会長と書記ちゃんだけが妙に大人しく、さっきから会話に入ってこない。


先程も不思議に思ったことだが、珍しいことに今も二人は席を離して座っていて、いつものバカップルぶりが窺えないのだ。


そういえば今日は副会長の爆発を一度も祈願してないな……


違和感がいよいよ形を為していく。


二人に怪訝な顔を向けると、やがて副会長が顔を手で覆いながらプルプルと小刻みに震えだした。


こうなると、もう尋常ではない。


「お、おい、副会長どうした……!?気分でも悪いのか?なあ、書記ちゃ……」


副会長の容体のおかしさに、俺は慌てて書記ちゃんの方に顔を向ける。


すると、隣の一色がぽんと俺の背中を叩いて、割りこむように口にする。


「副会長……昨日、城廻先輩の車に乗った後、カーフォビアを罹ってしまったみたいで……車を見たり想像するだけで、ああなってしまうようなんです」


そ、そう……


まあ無理も無い……心の傷は一日や二日で癒えたりするものではないのだ。


「だ、大丈夫だ、比企谷……それよりみんな聞いてくれ……めぐり先輩が通っていた教習所は……勝又だったらしい」


振り絞るような副会長の声に、生徒会メンバーと川崎がひくっと顔を引き攣らせる。


ある者は気を失い、ある者は泣き叫び、ある者は遺書をしたため、ある者は辞世の句を読んだ、昨日の臨死体験が脳裏をよぎる。


そうか……あの人を世に輩出したのは勝又の連中だったか……


皆一様に俯くと、ボソリボソリと口にしだした。


「稲毛ですね」


「稲毛っす」


「稲毛しかないっしょ……」


選択肢など無かったのだ……


突如無言に沈んだ生徒会の面々に、小町達三人は不思議そうに首を傾げるのだった。




※※※※※※※※※※※※※※



ケーキ美味しゅうございました。


唐揚げ、フライドポテト美味しゅうございました。


海苔巻き、サラダ美味しゅうございました。


戸部君、材木座君、いろはちゃん、小町ちゃん、立派な人になってください。



……あれだけあった料理もすっかり平らげられ、誕生会もぼちぼち終焉ムードを漂わせている。


何となく物寂しい気持ちになり、心中で特定の人物に言葉を贈っていると、脇に居た小町が頃合いや良しとばかりに颯爽と立ち上がる。


「さて!宴もたけなわというところですが、ここで本日のメインイベント持ってきちゃいます!……ん~~~、プレゼントタァーイム!イェーイ!」


小町がどんどんぱふぱふ囃し立てると、皆もおー!と柏手で応じつつ、自分の鞄をゴソゴソし出す。


テンションまったく落ちねぇな……こいつら……


「じゃあまず小町たち三人から……どうぞお兄ちゃん!開けちゃって開けちゃって!」


「お、おう」


早速、小町・戸塚・材木座の三人からプレゼントが進呈される。


丁寧に包装紙を剥がそうと思ったが、慣れないために結局アメリカの子供がやるみたいにぐちゃぐちゃになってしまう。


皆それを「うわぁ……」と若干引いた目で見ていたが、ど、どうしたの……?ほら、テンション上げていこうよ!


そうして、なんとかかんとか包を取り去り、箱をパカリと開けると、中から出たるは重厚な作りの財布である。


「おっ」


「あっ」


小さく驚くと、傍らからの声と重なる。


どうしたのかと視線だけで問うと、一色は曖昧に笑いつつ、何故かぷいと他所の方を向いてしまった。


……なんだ、こいつ……?


後輩の謎めいた態度に首を傾げるも、戸塚がはにかみながらプレゼントについて補足してくれるとそちらに目が向いてしまう。


「ハイブランドって訳にはいかなかったけど……大学生になっても使える良いお財布だと思うよ!」


おお、そうなのか……


見やれば、確かにこれまで使っていた財布に比べるとオーラ量が某医大生と旅団ぐらいに違う気がする。


……アウトレットとはいえ、結構値も張ったのではないだろうか?


俺の子供用財布を見かねて選んでくれたのだろうが、長財布を持つのは初めてのことだ。


背伸びしているみたいで、なんとも面映ゆい心持ちである。


「すまんな八幡、我も夏コミを控えておるゆえ……あまり予算を割くわけにはいかなかったのだ」


いや、お前、呼ばれても居ないのに……なんか本当にごめんなさい……


こう見えて、実は器の大きい男なのかもしれない。


たかが材木座ごときに、どんな顔を向けていいか分からず、視線を逸らしてポリポリと頬を掻く。


「……まあ、なんだ……あんがとな、お前ら」


なんとかボソリと口にすると、三人はニヒヒと悪戯げに笑う。


ぬ、ぬぅ……


後頭部をガシガシ掻いて誤魔化していると、お次は川崎姉弟からのプレゼントである。


これまた二人で選んでくれたとのことで、頂いたものはなかなか格好よさ気なトートバッグである。


川崎が選んだとなると、きっとセンスが良いものに違いない。


へぇほぉと分かった素振りで鞄を眺めていると、大志がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、俺に耳打ちする。


……が、特に隠す気もないらしく声量は普通に大きい。


「ぷぷ、聞いてくださいよお兄さん、姉ちゃんったら、これ選ぶのに二時間近く悩ん……ぐへっ!」


言い終えるより早く、姉ちゃんの貫手が大志の横腹に深々と突き刺さった。


そして貫手よりもさらに鋭利な視線を、実の弟に向ける。


「……ぶつよ」


「いや、これもう、ぶってる……から……」


川崎の中では、これは「ぶつ」という範疇に入らないらしい。やだ……この子いつからこんな暴力系になっちゃったのかしら……?


恐れ慄いていると、川崎は頬を赤らめたままついと目を逸し、ぶっきらぼうに言い放つ。


「そ、そんな良いカバンじゃないから。使い潰すつもりで……どうぞ」


「……あ、あんがとよ。そうさせてもらうわ」


ふむ……よさ気な物を貰ってしまった……


こうして鞄を肩に掛け、長財布を手に持っているとなんだかオサレさんになった気分である。


「お!いいじゃんヒキタニくん!猫に小判ってヤツ?」


「それですね!先輩にはもったいない品の数々じゃないですか!」


さっき謎な素振りを見せた一色だが、今は満面の笑みを浮かべて、隣から俺の腕をバンバン叩く。


う、うん……でも、二人のその言い方だと俺には似合ってないってことになっちゃうんだけど……


「次はこちらの番ですね……わたしたち生徒会は各自でプレゼントを用意しました。フッ……質より量で勝負ってことですよ」


えへんと何故か得意気な一色である。


胸を張って言うことではないと思うが、しかし戦は数だよ兄貴!などとも言うし、これはこれでワクワク感があるものだ。


「では私から……比企谷先輩、改めてお誕生日おめでとうございます」


と言って、書記ちゃんがくれたのはPCメガネというやつだ。


「伊達メガネとしても使えるみたいです。きっとお似合いですよ」


見ると、フレームはいかにも洒落ていて、広告代理店の営業マンが掛けていそうなデザインだ(偏見)


なんかこういうの、あいつの誕生日に、あの子と選んだ気がするなー……


そんな前の話でもないのに、無性に懐かしい気分になってしまう。


……が、それはともかく、わざわざ俺のために時間を割いて選んでくれたのだろう。なんと可愛い書記ちゃんだろうか(可愛い)


「僕はこれ……比企谷は本が好きみたいだから、良かったら使ってくれ」


会計くんのプレゼントは、革製のブックカバーである。


中々立派な造りで、かといってデザインも重過ぎず、真白い皮を基調に、縁の部分はカラフルに彩られている。


「おお、これもなんかお洒落だな……二人共あんがとな、早速使わせてもらうわ」


これで机やテーブルの上にうっすら残った飲み物が、本にべちゃっと引っ付いて「あん、もう!」等という惨事も激減するに違いない。


本読み兼マッカリスト(※マッカンを常飲する人のこと)にとってはありがたい一品である。マッカンは粘性高いからな……


「……にしても、二人共気が利いてんな……こういうのって欲しくても、自分じゃなかなか買えねぇからよ……」


「だったら先輩!今そのメガネかけて、ついでにブックカバーも開いてみてくださいよ。フリで良いですから!」


「ん?まあいいけどよ……」


はて、それに何の意味があるのだろう……?


などと疑問に思いつつ、一色に言われるままメガネを装着すると、ソファに腰掛けブックカバーを広げてみせる。


「わ!お兄ちゃん、なんかそれっぽい!」


「比企谷……お前、メガネ似合うな……」


「川崎さんのバッグともよく合ってるね!」


「ほんとっす!お兄さん、なんかキレイめ系男子って感じっす!」


皆、色めき立って、口々に賞賛の声を上げる。


「そ、そうか……?」


ふむ……確かにこの装備で本とか読みながらカフェでコーヒーを飲んでたら、もう何か完全にアレである。


ただでさえ、そこかしこから漏れ出ている俺の気品とか知性とかに、歯止めがかからなくなってしまうのではないだろうか。


いやー……困るわー……


「あはは!い、意識高そうですよ、先輩!」


「……ププ……スタバとかに、こんなんいるべ?」


「ボフウ!八幡、あ、あたかもノマドワーカーのようであるぞ!プークスクス!」


某三人だけが指差してゲラゲラ笑っている。


まあ、こいつらは後で殺そう……そしてその死を通じて人間的に成長しよう……


そんな訳で、すっかり意識高い&キレイめ系男子と化した俺に、副会長も小箱を携えて俺の前に歩み出る。


その表情はにこやかで、いつもながら一切の邪気が感じられない。


……さあ、そろそろ嫌な予感がしてきましたよ……?


「じゃあ俺から。……実際のところ、お前には大分世話になってるからな、遠慮無く受け取ってくれ」


受け取ると、箱は小ぶりだが手にはずしりと重みがある。


目で促してくるので、包を開けてみると、それは魅惑の輝きを放った瓶の列であった。


「こ、これは……!」


「……浦安名物『ほたてしぐれ煮』だよ。前に好きだって言ってただろ?食べ物っていうのはあれかとも思ったけど……」


そ、そう……


ちょ、ちょっと誕生日プレゼントっていうかお中元って感じなのだけれど……


……しかしこういうのも乙なものである。


これで一体ご飯が何杯食えるのか……想像もつかないぜ……


「あんがとな、早速使わせて……?もらうわ、うん」


「ああ、是非ご家族の方で一緒に食してくれ」


と副会長が目配せすると、小町は若干引き攣りつつも謝意を伝える。


「ちょ、ちょっと趣が変わってきたけど、ありがとうございます!両親も喜びます!」


すげぇな……誕生会って……こんなのまで貰えちゃうんだ……


でもこれアウトレットで売ってないよね……?


依然疑問符が頭から離れなかったが、豪勢な贈り物には違いないし、心中で密かに沸き立つものがあるのも事実だった。


続いて、戸部がベーベー言いながら前に出てくる。


「さっすが、副会長っすわー……なかなか粋なプレゼント……やっべー、まじ、っべー……順番間違えちゃったかなー、もう、ほんっと俺のなんて見劣りするわー……気後れしちゃうわー」


いいから早く寄越せ。


……しかし一見、副会長を持ち上げているように見えるが、自分のプレゼントに絶大の自信があるのだろう。


その表情にはどこか余裕が窺えて、俺の苛立ちは募るばかりである。


「ヒキタニくん……これ、俺なりに……かなり気合入れて厳選したから」


といって、急に神妙な顔をすると、どこから出してきたのか、長い棒状の物体を両手でうやうやしく手渡してくる。


うむ、と真ん中を掴んで受け取り、包装を無遠慮にビリビリ剥がすと、そこに表れたのは漆黒にぬらりと煌く木刀である。


えーと……これ……?


「ほんとはもっと長いのが良いと思ったんだけどさぁ、……ヒキタニくんインドア派だし、そんくらいのほうが何かと便利っしょ?」


言って、ずびしとサムズアップを決めてくる。


……何に対してか知らんが気を遣ってるつもりらしい。


すっごいドヤ顔をなさっておられるし……何こいつ……怖い。


「ま、まあ、あんがとよ。早速使わせて……?使わせてもらうわ、はい」


でも、これどうやって使ったら良いのかな……?


いや正直、一目見て鼓動が高まり、さっきから心のトキメキを感じなくもないのだが……


やだ……柄の部分がすっごい手に馴染む……


「……にしても、二人共なかなかアレなチョイスだな……こういうのって自分じゃなかなか買えねぇから……」


「だったら先輩!その木刀を肩に担ぎながら、ほたてしぐれ煮をおかずにご飯を食べてみてくださいよ」


「そ、そうだな」


一色にそう言われ、反射的に返事をしてしまったが……何かな……それに何か意味があるのかな……?


軽く錯乱していると、小町が早速ご飯をお茶碗に盛って、次いで、ほたてしぐれ煮の瓶をパカリと開けて俺の前に置いた。


「はい、お兄ちゃん!」


「……お、おう……こ、こんな感じか?」


言われるままに木刀を肩に担ぎつつ、ほたてしぐれ煮をおかずにご飯を美味しく頂く。


なんだろう……これ……ご飯の蒸気でメガネが曇って何も見えないよぅ……


「なんか凄いっす!それでこそお兄さんっすよ!」


「そういうの……僕とっても八幡らしいって思うな」


「うむ……その訳の分からなさ……!それでこそ八幡よ!」


「なんだか安心しちゃいますねぇ……」


「ジャーナリズム!」


皆口々に歓喜の声を上げる。


そ、そう……みんなやっぱりそう思ってたのね……なんかよく分からないけど……絶対に許さないから……


あとジャーナリズムって言ってるヤツ誰だ。



一段上のステージに登ったと思いきや、あえなく元の場所に引き戻されてしまう。


やっぱり、トータルコーディネートが重要なんだよなぁ……


「あー、おっかし……」


ヒィヒィとひとしきり笑って、目尻を拭っていた一色だったが、気付くと皆の視線は彼女に集まっており、それに気付くとコホンと咳払いして姿勢を正す。


「……いろはすも、用意してるっしょ?」


「当たり前じゃないですか!い、今出しますよう!」


言いながら、自分の鞄をゴソゴソしだす。


……が、その動きがピタリと止まってしまう。


「……?」


一色の不自然な動きに怪訝な顔を向けていると、何故かきっと睨み返されてしまう。


「な……なんだよ……」


さっきから全くもって不可解な動きだが、一色はこちらの問いを無視すると、間もなくテーブルの上にトンと品を載せる。


「……どうぞ、お誕生日おめでとうございます」


そのプレゼントは包装されておらず、包を開けるまでもなく、中身が何か分かってしまう。


「……お、おう。揚げパスタは好物だわ」


「違いますよ!ルームフレグランスです!」


……そう、これは由比ヶ浜の部屋にもあった、揚げパスタ……もといリードディフューザーというやつである。


フレグランスオイルという、要するに良い匂いのする油に木製のスティックを突っ込んでおけば、部屋にフローラルな香りが立ち込めるというものだ。


ファブ○ーズと違って、見た目が大変に格好いい。リア充必携のアイテムである知らんけど。


「いろはちゃん、それ……」


「せ、先輩のお部屋はちょっと臭いましたので! ……ちょうどいいですね、どうぞ」


書記ちゃんが何か言いかけた気がするが、一色は遮るように声を被せると、すすっと俺の方に品を滑らせる。


「お、おう……」


「ほら、お兄ちゃん」


相変わらずコメントに困っていると、小町が咎めるような目つきで俺を睨む。


そして、周りの面々もじっと俺の方を見ていた。


「まあ、なんだ……その、悪いな、使わせてもらうわ……」


言うと、脇に居た小町と戸部が何故かブホッと吹き出して、お腹を抱えている。


な、何、こいつら……殴りたい……


「はい、是非に……先輩はちょっと臭いますから」


いつの間にか、臭いの対象が部屋ではなく俺自身ということになってしまっているし……


ちょっと心が傷つかなくもなかったが、しかし、これまた思わぬオシャレギフトである。


内心、どんな物をもらうのか戦々恐々していたが、思いの外真っ当なお品で反応に困ってしまう。


一色はまだ何か言いたげな顔をしていたが、小町がパンパンと手を叩くと、皆の注意はそちらに向いてしまう。


「さてさて!皆さんありがとうございます!もうすっかり遅くなってしまいましたので、兄も感無量なところで、今日はここでお開きにさせていただきます!」


「小町ちゃん、私たち後片付けも手伝うよ?」


「いえいえいえ!そこまでさせては比企谷家の名折れ……!駅まで送っていきますので、ほら、お兄ちゃん!」


最愛の妹が「くぉらぁ!」みたいな顔を向けるので、やむを得ず、けぷこむと咳払いして続けた。


「お、おう……送って行くわ。きょ、今日は、その、ありがとです……」


言うと、申し訳無さそうな顔をしていた面々の顔は途端に緩み、代わりに生温かな目をじとっとこちらに向ける。


なんだろうな、これ……


本当に……自殺したい……



※※※※※※※※※※※※※※※※※



……と、そんなこんなで、小町は追い立てるように皆を外に出すと、続く足で駅を目指して先導する。


カマクラが二階の窓から傲然と見下ろす中、俺も戸締まりを済ませると、一団を小走りで追いかけて、殿にいる川崎姉弟の横に並んだ。


ただこの姉弟、学区こそ違うが割と近くに住んでいるので、途中で皆より早く別れる運びとなっている。


そんな事情でまだ心残りがあったのか、さっきからそわそわと落ち着かない男が約一名。


「……よし、ここで会話の五回目を使わせてもらうっす!」


うっしと気合を入れると、大志はウィンクを一つ俺に寄越して、先頭にいる小町の側までたったかと走り寄っていく。


……ああ、あいつ数えてたんだ……どうでも良いからすっかり忘れてたわ……


「わっ、大志くん!?……どしたの?」


「あ、あの、比企谷さん!これ遅くなったけど、誕生プレゼントっす!」


などという声が前から聞こえてくる。


うわー……


何故かこっちが恥ずかしくなってしまい、あっちこっちと目が泳いでしまう。


隣を見やると、川崎も同じく思ったのかアウアウと顔を赤らめてその様子を見守っている。



……遠目で見るに、大志のプレゼントは定期なりカードなりを収納するパスケースのようだ。


姉の助言があったのかもしれないが、ほどよく軽い贈り物で、俺などは絶妙なチョイスではないかと思ってしまうのだが……


「あはは……あたしの誕生日って、もう半年近く前なんだけど……」


おどけつつも、渋ってみせる小町だが、ふっと優しく微笑むと、その品を恭しく受けとる。


「……!」


「……ありがとう、大志くん、早速使わせてもらうね!」


「どういたしましてっ!」


小町が受け取ると、大志は下げていた頭をガバッと上げた。その表情は喜色満面といったもので、一見すると微笑ましい光景なのだが……


長年連れ添った兄妹だからこそ、小町の真意が分かってしまう。


それこそ言葉の選び方、声の調子、僅かに強張った表情で、だいたいの考えを察することが出来るのだ。


大志には残念だが……脈なしである。


「こりゃ、空回りだな……」


苦笑して小さく呻くと、脇に居た川崎がきっと俺を睨む。怖っ!ブラコンこっわ!


凄い目で睨まれてガタガタと震えていると、川崎は顔を前に戻して、ため息混じりに呟く。


「……ま、否定はしないけどね。でも何であそこまで出来るのか……あたしには気が知れないなぁ……」


なんだとこいつ……!


小町が貶められている気がして、鬼の形相で睨みつけると、今度は川崎がひっ!?と身を強張らせて顔を逸らす。


うん……何やってるんでしょうね……俺達……


「……それにしても、お前も来るとはなぁ……いいもん貰っちゃって、なんかすまんかったな」


誤魔化すように咳払いをすると、改めて礼を述べる。


すると、川崎はこちらを一瞥もせずに、相変わらずつっけんどんな口調で返してくる。


「まあ、あんたの妹と……あの子に呼ばれたしね」


くいっと顔を上げて、前の方を歩いている一色を顎で指す。


見やると一色は、小町と大志の二人をひゅ~う!ひゅ~う!と小学生のように囃し立てていた。


何やってんの……あの子……


完全にアホの子だったが、そんな一色を見て川崎は苦笑交じりに漏らす。


「頼まれるとちょっと弱い……、結構真面目な子だって知っちゃったからかな……」


「へぇ……」


そんな評を、コイツが口にするとは……思わずその横顔を凝視してしまう。


短期バイトで寝食を共にし、生徒会メンバー共々巻き込まれたことで、それなりに思うところがあったのかもしれない。


彼女に関わると、まあだいたい例外なく大変な目に遭ってしまうのだが、どうしてか終わった後には充実感なり、爽快感が残ったりする。


それは、一色の中にある誠実さという美徳に起因しているのかもしれない。


「たまにアホだけど……」


う、うん……そうね……


続けざまに出た言葉に、俺も異論はなかった。


……やがて小町との会話を終えたのか、大志は歩くピッチを落として、再び俺と川崎の間に帰ってくる。


「……ふぅ……緊張したっす……」


……哀れ大志。


普段から警戒していたはずなのだが、いざ妹の気の無い対応を目の当たりにすると、こんな毒虫にも憐憫の情が湧いてしまう。一寸の虫にも五分の魂って言いますもんね……


思いの外、情が移っているのかもしれない。


はてさて……こんな時一体、なんと声をかければいいのやら……?ちらりと大志を横目で覗く。


しかし、こちらの心配とは裏腹に思いの外明るい表情を浮かべており、しかもこんなことを言いやがる。


「よし……一歩前進っす!」


……は?


「いや……お前……あれは……」


「マイナスって感じでは無かったっす!」


「そりゃそうかもしれんが……」


この辺の機微に対する理解は、我ながら不甲斐ないとは思うが、大志の方が数段上である。


家では多少の世話を焼いたが、元より俺の助言を必要とするレベルではない。……それはこの数ヶ月の付き合いで十分に分かっている。


それでもいくらなんでも、楽観が過ぎるように思えた。恋は盲目ってやつですかねぇ……?


……怪訝な顔を向けると、大志は人好きのする笑顔を真っ直ぐに向けてくる。


俺の思惑など見透かしているようにも思えた。


「分かってないっすね、お兄さん……こういうのが後から効いてくるんす。……だから、これはいわば布石っすよ」


……そ、そうなんっすかね?


目を見開いて驚く俺を一瞥すると、大志はぐいんと顔を夜空に向けた。


「俺はようやく登り始めたばっかりなんす。……この果てしなく遠い男坂を……」


それは打ち切りの文句なのだけれど……


言葉のチョイスはあれだが、しかし俺にはその横顔が大層眩しく感じられ、目を細めて見入ってしまう。



―― こいつもまた、結果を早々に決めつけたりしない。


めぐり先輩とのやり取りを思い出す。


積み上げた……、未だ知りえぬ、その先を見据えているのだろうと感じた。


「……大志、あたし達はここで……」


「うん!それじゃお兄さん、皆さん!今日はここでお別れっす……楽しかったっす!」


「お、おう……ほんと、あんがとな……お前ら……」


「……じゃ、また予備校で」


川崎もボソリと言い残すと、手を振る皆の列から離れ、背中を向けて脇道に逸れていく。


……が、俺は離れかけた大志のその背を呼び止めた。


「……?どうしたんすか?」


はてと、首だけ振り返る大志に、俺は下卑た笑みを見せてやる。


「……また来いよ、呼んでやるから」


最後にそう言うと、大志はニッカと笑ってもう一度大きく手を振った。



……まあ、これぐらいはやってあげてもいいのかもしれない。


あるいは、これもあいつの布石とやらの一環で、俺はまんまと乗せられてしまったのかもしれない。



それでも、どこまでやれるか見てみたい気持ちがあったのだ。


もちろん超えちゃいけないラインというものがあって、それを侵犯したならば、この手を血と罪で染め上げねばならないのだが……


「お兄さん、なんか怖いっすよ!?」


知れずに漏れ出た笑い声は、しっかり届いていたようで、大志は肩をびくりと震わせた。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※



川崎姉弟と別れ、そう幾らも歩かない内に最寄りの駅が見えてくる。


「着いた着いた、あんがとね、妹ちゃーん!」


「急に押しかけて申し訳ない。それに後片付けもしないで……この埋め合わせは、きっとするからね」


「いえいえ、とんでもない!」


……などと、すっかり生徒会メンバーに可愛がられている小町である。


妹の器量ならば当然のこととはいえ、兄である俺としても鼻が高い。


「本当に比企谷先輩の妹とは思えないほど、社交的で、溌剌で、感じも良くて……」


「ギャップがあまりにも大きくて、尚のこと可愛らしく感じるね」


「はいー!よく言われますー!」


……などと、す、すっかり生徒会メンバーに可愛がられている小町である。


妹も調子こいて同調するものだから、兄である俺としては肩身が狭い。


くそ……兄より優れた妹など居ないというのに……!



駅前のバスが行き交うすぐ側のスペースで、名残惜しげに屯する彼らだったが、失意の俺は少し距離をとってその輪を見守る。


……こうして離れて見てみると、副会長と書記ちゃんが、さっきからまったく会話をしていないことがよく分かる。


お互いすぐ近くにいるので、時折を視線が合ったりするのだが、どちらからともなくスッと目を逸らしてしまうのだ。


やはり今日の二人は、どこかおかしい……



ぼけっとした体を装い、その実、不審げに二人の様子を眺めていると、一色が輪を抜けてこちらに駆け寄ってくる。


そして俺の背中に隠れるような位置に付くと、ぼそっと耳打ちしてきた。


「……先輩どうしたんですか……?不審者みたいな目をなさってましたけど……」


う、うん……怪しくてごめんね……


しかし丁度いいところに来たので、ことのついでに聞いてみる。


「いや、なんか、二人……今日変じゃね?」


俺でも気付いたぐらいだ。こいつが気付いていないはずがない。


主語なり目的語なり、いろいろ省略して聞いてみると、意図するところは通じたらしい。一色は賢しらけに「あぁ」と頷く。


「昨日の帰りぐらいですかね、なんかあったみたいですよ。……先輩、電車で口開けてガーガー寝てたから、その間に喧嘩でもしてたんじゃないですかねー?」


「いや、あんときゃお前の方が先寝てたし……涎ダラダラ垂らしてたじゃねーか」


「……」


「……」


なんとなく気まずくなり、互いに顔を逸らす。


そういえば千葉駅に付いた時、こいつに揺り起こされた気がするな……やだ、寝顔見られちゃった……!?


「じゃ、じゃあ、電車降りた後ぐらいじゃないですかねぇ?」


なんか適当だなこいつ……


「まあ、いつからかってのは置いといて、喧嘩か……なんでそんなことになったんだよ」


「さあ?まあ、色々あるんじゃないですかー?」


……などと、一色はさっきから何ともそっけない。


ともすれば薄情に見えるその態度に、ことさら不安が大きくなってしまう。


「でもよ、海とかじゃ、あんなに仲良かったじゃねぇか」


「仲良いから上手くいかない事ってあるじゃないですか?……他の人には出来ることが、大事に思う人にはかえって出来ない……なんてこともありますし」


「む……」


言わんとしていることはわかる。


いつだったか、海老名さんに似たような指摘を受けたことがある。


何より……そうして悩み、ずっと苦しんだ身ではないか。あの子が勇気を持って一歩を踏み出すまで……


「まあ、ほっときゃいいですよ。……時間が解決することだってあるでしょうし」


言って、遠くを見るように一色は二人の方に目を向ける。


……態度こそ冷たくはあるが、突き放したとまでは感じない。


こうした機微を捉えるのに長けているため動じていないように見えるが、心配していないという訳でもないのだろう。


どこか悠然とした様は、見ようによれば頼り甲斐があると映らなくもない。



……やがて一色はニヤリと笑うと、続いて、意地の悪そうな顔をこちらに向ける。


先程とは打って変わって、その目にはからかうような色が含まれている。


「ふふ……先輩、ずっと気になさってたんですか?優しいじゃないですか」


「アホ、そんなんじゃねぇよ」


思わず顔を背けてしまうが、……本当にそうではないのだ。


いつか一色に対してあの子がとった態度にも感じ入ったことだ。……また、ついぞ先に葉山に指摘されたことでもある。


一見気に掛けてる風な俺の態度は、その実、他者への不信に由来するものだ。



だから、一見冷淡に見える一色の態度こそ、実は優しさで……


一方の俺の心配は、冷たさ故なのだろう。


手の冷たい人間は情が深い……というのは迷信だろうが、表面的な態度がそのまま心中をも表す訳ではない……という含みのある言葉なのかもしれない。



「まあ信用しとくわ。……なんかあったら言え」


言うと、一色はふっと息を付いたのち、例の視線で俺を見てくる。


相変わらずこの視線にだけは慣れることが出来なくて、今度は本当に狼狽えて目を逸らしてしまう。


そ、そんな目で見んといて……


落ち着かず、やってくるバスだの、街頭に群がる昆虫だのに目を向けてやり過ごしていると、やがて一色ははたと思いついたような顔をする。


「……あ、先輩、顔そのままで手だけ出してください! はい、下見ない!」


「な、なんだってんだよ……?」


いきなり挙動不審な後輩だが、言われるままに手を出すと、ぽんと包みのようなものを手渡される。


それは掌よりもずっと小さく、クニクニと握ってみるも、手触りだけでは何なのか全く検討がつかない。


「はやくポケットに仕舞ってください」


「……待てよ、これあれじゃねぇの?……プレゼントは二つもいらんぞ……?」


「もう!小町ちゃんに見られない内に早く……!ちっ……グダグダ言わないで、さっさと入れてくださいよ!」


若干必死ないろはすの迫力に押され、言われるままポケットに仕舞い込む。


あと……君、その舌打ち……


「お、おう、まあなんだ、重ね重ね……悪いな……」


「どーいたしましてっ!」


とりあえず謝意を述べると、一色はこちらを一瞥もせずに、たたっと皆の方に戻っていこうとする。


「お、おい!」


せめてどういう事情なのか聞こうと思ったが、亜麻色の髪がふわりと揺れて、真っ赤に染まった横顔が見えてしまう。


……こちらまで何故だか恥ずかしくなってしまい、続く言葉はモゴモゴと口の中で霧散する。


「一色さん、そろそろ電車の時間みたいだよ」


「じゃ、じゃあ、ここいらでお暇しましょうか!小町ちゃん、今日はありがとっ!」


まもなく電車の時間らしく、一色は忙しなくもその足で皆を引き連れ、駅舎の中に小走りで入っていく。


「……ではな、八幡。名残り惜しかろうが、ここでお別れだ……!」


「またねっ!八幡っ!」


戸塚と材木座も手を振ると、慌ててその後を追っていった。


余韻の形もなく、あとに残されたのは小町と俺の二人きりである。


はぁ、とやや寂しげに息をつく小町に目配せすると、やがてトボトボ歩き始め、肩を並べて帰途に着く。


二人きりになると、ハイテンションだった小町もいつもの声のトーンに戻る。


「……ふぅ……楽しかった……お兄ちゃんの誕生会、きっとこれが最初で最後だよね」


……え?そうなの……?


最初かもしれないけど、最後ってことはないんじゃないかな……? いや自信ないけど……


「あんなに家に人が集まるのは、これで最後ってことだよ……来年はお兄ちゃんも一人暮らしするんだろうし」


「いや、家を出る気はないが……」


「でもさ、1Kとか1DKとか、そんな部屋でさ、大学の仲の良い人とささやかにお祝いする……みたいなのはあると思うんだよね」


「聞いてる……? だから家を出る気はないんだが……」


「出て行っちゃうよ、きっと」


な、なに、さっきから……?お兄ちゃんのこと嫌いなの?と小町の顔を窺うと、思いの外真面目くさった顔をしていたので、俺も目を見開いてしまう。


「今日の集まってくれた人を見てさ……なんかそうなるのかなーって思ったの!」


なんだそりゃ。


「……意味が分からん」


「家遠いと、きっとお兄ちゃん大学サボるし」


「……俺は家が近かろうが遠かろうが、サボる時はサボる男だ」


「とにかく出ていって」


若干胸を張り自信満々で言ったのが、小町が俺を見る目は冷たかった。


なんか何時からか、俺を追い出しにかかるようになったんだよなぁ……ふ、ふえぇ……


「……まあ、お前が週三で通い妻してくれるなら、検討するのも吝かじゃない」


「それも、もういいのかなーって」


なに、小町ちゃん……? 一体俺をどこまで突き落とすつもりなの……?


半ば縋るような視線を向けると、小町はニタァ……とどこぞの誰かのような小悪魔な笑みを浮かべた。


「いろはさんがいるもん、あの人に頼めばいいよね」


「それだけはやめろ、絶対住所を教えるなよ」


それだと順風満帆のキャンバスライフが、悲歌慷慨のいろはすライフになってしまうというのに……!


「もうほんとお兄ちゃんったら捻デレだなー!お礼も満足に言えないし!」


言って、小町はがばっと背中に抱きついてくる。


そしてその体勢のまま、もぞもぞと勝手に俺のポケットに手を突っ込むと、先ほど一色に貰ったプレゼントを掘り返してしまう。


目ざとくも、さっきのやり取りを見ていたのだろう。まったく抜け目のない妹である。


ともあれ、ポケットから出てきたのは包装された小物だ。中身が何かは、まだ俺も確認していない。


「……って、ほら!やっぱり何か貰ってんじゃん!お兄ちゃん、今開けてよ、ほれほれ!」


「……お前が開けりゃいいだろ」


「いくらなんでもそんな失礼なこと出来ないよ!」


かー!もう信じらんねぇなぁ!みたいな顔をしている我が最愛の妹だが、人のポケットの中に手を突っ込むのは、失礼に当たらないのでしょうか……?


ともあれ、結局言われるまま、小町の目の前で包装を慎重に剥がしていく。


例のごとく、ビリビリと不格好に破いてしまったが、それは不慣れなために手が震えただけで、別に緊張していたわけではない。いや、マジで。


たかが包装ごときに苦戦した末、ようやっと現れたのは、小銭入れである。


「あ……、それって……」


片手にすっぽり収まるそれは、チョコ色の本革製でやや細長い造形をしている。


留められたホックボタンを外すと、コイン用のスペースとは別に、蓋裏に小さなポケットが添えられており、カードやらお札を収納できる構造になっているようだ。


ふむ……なんとなく、使い勝手は良さそうだな……


「……そっか……お兄ちゃんの財布ダメにしちゃったのって、いろはさんなんだっけ……?」


「ああ、全てあいつのせいだ」


きっぱり答えてやると、小町はあちゃーという面持ちで、おでこをぺちこーんと叩く。


「これは小町のミスだったなー……なんで事前に確認しなかったんだろ……?」


言ってポカポカと自らの頭を叩く。


……まあ、確かに小町達のプレゼントと若干内容が被ってしまっているが……


「……お兄ちゃん、ここは二台運用だよ!」


「は?」


「今日から長財布と小銭入れの二つをTPOに応じて使い分けるんだよ!……いいね?絶対だよ!」


何それ面倒くさそう……


オサレさんは小銭の膨らみで長財布の形が崩れるのを嫌って、そういう運用をしたりするそうだが、物臭な俺にはあまりにハードルが高い。


ただそれ以前に、頭に浮かぶ疑問があった。


「しかしあいつ……なんだって、その場で渡さなかったんだ……?」


独り言のようにぼそっと呻くと、小町はバツの悪そうな顔で応える。


「あたし達に気を遣ってくれたんだろうなって思う」


「……」


「それに、これはテキトーに言うけどさ……いろはさん、お兄ちゃんとか、あの人達のことを大切に思ってるんじゃないかな。 ……だから、場の雰囲気を壊したくなかったんだよ、きっと」


……なるほど、そう言われると腑に落ちるところはある。


普段は傍若無人で、好き勝手に振る舞う一色だが、時に周りに気遣う一面がある事を俺は知っている。


小町や戸塚……材木座はどうでもいいが、とにかく彼らの想いを無碍にはしたくなかったのだろう。


「それでも、そのプレゼントだけは、どうしても渡したかったんだろうねぇ……」


小町はクスクス笑うと、悪戯げに俺の方を見る。


「気を遣わせちゃったけど……いろはさん、私は気に入っちゃったな! いつでも家に呼んでくれたら良いよ!」


「いや、呼ばねぇけど……」


ポケットの中の小銭入れを軽く握る。


……小町の言うように一色は気を遣ったのだと思う。


しかし、多分あの場でこの小銭入れを渡したところで、場の雰囲気は壊れたりなどしない。


すぐさま、小町がさっきのようなフォローを入れたことだろう。小町でなければ、戸塚が言ったに違いない。材木座は……無理ですね、はい。


ただ、これも俺が小町の性格を知っているから、そうした予測が可能になるというだけのこと。


一色にとっては、未知の中から選んだ行動で、……そして、結果的に小町は一色のことを大層気に入った。


次に二人が会う機会などあるかどうか分からないが、もしあれば、きっと良好な関係を築いていくのだろう。


おそらく打算ではない、反射的な行動……それなのに、こともなげにこんな結果を手に入れてしまうのだ。


それが今の俺には何とも眩く、そして口惜しい。


「……なんか、しょうもないこと考えてそうだなぁ……」


ずっと背中に張り付いていた小町だが、俺の腕を取ると、無理やり自分の手を握らせる。


そうして再び並び立つと、互いに肩をぶつけ合うようにしながら歩く。


「もちろん、他の人も呼んでいいからね。全員もう顔と名前覚えちゃったもんね!」


「いや、だから呼ばねぇっての」


「今日初めて会ったのは、副会長さんに、書記さん、会計さん……うん」


それ全部役職の名前なんだけど……


それにあと一人!お忘れになったままですよ……!別に思い出さなくてもいいけど!


「お兄ちゃんに絡んでくれる人なんて本当に珍しいんだから……大切にしないと、きっと後で辛い思いするよ」


「……」


俺のことを心底案じるように言う。


しかし、そんな優しい妹に、ふと思ったことが口を突いてしまう。


「……お前は、今日は大丈夫だったか?……辛くなかったか?」


……妹だからこそ、他人には聞けないようなデリケートなことも聞けてしまう。


しかし、そんな不躾な兄に、小町は苦笑しつつも答える。


「……正直、辛いとこあったよ……ってか悔しかったかな」


「……」


「なんで、あたしはそこにいないのかなーって……やっぱり悔しかった。今日ばっかりは合格したかったなーって、思っちゃったよ……」


「まあ……そこはすまん」


「……あの人達、きっと小町のこと可愛がってくれただろうし、お兄ちゃんこんなだから、絶対アイドル扱いだよね!? しかもなんの努力もなく、それが手に入るんだよ!?革命的だよね!」


う、うん……そ、そうね……


それだけが狙いって訳じゃないんだろうが、なんだこの妹……


「ってなわけで……悔しいって思ったんだけど、でも、やっぱり嬉しいとも思ってるんだな、これが」


そう言うと、あざとく腕に頬を摺り寄せてくる。


「む……」


「ずっと小町が気にかけてきたお兄ちゃんだからねー。高校最後の年がこんなに賑やかなら、小町もやっぱり幸せだよ。……あ、今の小町的にポイント高い!」


「はいはい、高い高い」


腕の力を抜いて、するすると小町の手から逃れると、そのまま一人スタコラと先を歩く。


……妹だからこそ、素直に口に出せないこともあるのだ。


小町はけらけらと笑いながら追いつくと、俺のシャツの裾を握って、後ろからそっと囁いてくる。


「……でも、どっちも本当だよ、矛盾してるかもだけど」


「……分かってる」



小町の言うとおり、こんな賑やかな誕生会は、俺にとっては最初で最後の体験かもしれない。


……きっと後で思い出すと、辛くなってしまうに違いない。


だから、今日の内にじっくり反芻しておこう。




すっかり日は落ちて、空には星があちこちと控えめに瞬いている。


その星を、今日はいつもより幾分穏やかな気持ちで見上げる。



街灯が照らすせいか、夜空には薄明るい膜が張られているかのようだ。


星の密度は銚子と比べるべくもなく、一面に広がる紺青は昼夜の別さえ曖昧にさせる。


しかし目には映らなくても、そのベールの向こうには、まだ見ぬ星が幾千幾万と控えているに違いない。



無造作に手繰れば、何かしらを掌中に収めることが出来るのかもしれない。


それでもあの時のように、見えないものに当てもなく、必死に手を伸ばすような事はしない。


きっと俺が何か自分の願いや想いを、言葉と形にすることはもうないのだろう。



――聡い子だ。


彼女はそんな俺の胸中を、どこか察している風にも見える。


顔を夜空に向けたまま、ポケットの中のものを軽く握り込んだ。




ならば彼女は今日、どんな想いでその手を伸ばしたのか――




当然ながら星は何も答えない。


正解はきっと、街の光の遥か上……誰にも見えないところで瞬いているのだろう。







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一色いろは・被害者の会6

飛翔篇・前半 【了】



くっそ長い一日だったね!

次回……あんな事やこんな事が……!