2016-10-23 03:31:53 更新

概要

いろはすSSです。三年になった八幡のオリジナル展開です。 / 夏休み編もいよいよ終盤。八幡達のとある夏の日をグダグダ書いてるよ!今回は強引に後半にまとめてしまったぜ!のんびり読んでね!しおりを使うんだよ!




シリーズものなので、初めての方は↓からどうぞ。


一色いろは・被害者の会 ~黎明篇~





※※※※※※※※※※※※


~前回までのあらすじ~



馬上の民に国境線は無い。いろはす・ハーン率いる総武高校はただ星図のみに依って城市を次々と陥落させていく。


野放図に伸びていく版図。肥大化し続ける帝国。


その喉元に匕首を突き付けるべく、八幡・戸部・副会長の三人は『一色いろは・被害者の会』を結成する。



――夏休み。


短期バイトを終えた八幡。だが歴史は彼にわずかな休息すら与えなかった。


一色と小町、運命に導かれ邂逅を果たす二人。


難攻不落を誇った八幡の居城は、小町の裏切りによってあえなく敵の侵入を許してしまう。


荒らされる部屋。掘り起こされる黒歴史。謂れ無き中傷。主人の顔を忘却する猫。


そして水面下で動く副会長と書記ちゃんの確執……


数々の苦難が、八幡の前に容赦なく立ちふさがる。



立て、同志よ……!友愛の為に……!


奮え、同志よ……!願いを胸に……!


艱難辛苦をものともせずに―― 今、被害者の会が暗躍する!




前回 一色いろは・被害者の会6~飛翔篇(前半)~





※※※※※※※※※※※※



誕生会から何日かが過ぎた。


ほどなく夏期講習の後期課程も始まり、予備校の教室には辛気臭い顔をした受講生達の顔が並んでいる。



夏は受験の天王山とも言う。


なかなか皆も煮詰まっているらしく、前期に比べて一層目が濁っているのも然もありなんと思われる。


……だがこの分野に関して、俺は同世代でも卓越している自信がある。


勉強の方はともかく、雰囲気の暗さや目の腐り具合に関しては負ける気がしない。この夏で更にリードを広げたまである。


さて、じゃあ年季の違いをこわっぱ共に見せつけてやりましょうかねぇ……


ひとつ気合を入れると、クールが売りの一流のハンターが一瞬でハゲ散らかす程の禍々しいオーラを発散させる。



……そうしてライバル達を終始、陰惨さで圧倒しつつ、午前から入っていた二コマを消化すると本日の教課はここまでである。


ふぅ、今日も充実した一日だったなー……



うーんと伸びをすると、隣に座っていた川崎と目が合う。


こいつは少し強面ではあるが、端正かつ落ち着いた容姿をしている。クールビューティーと評しても過分ではあるまい。


ところがどうしたことか、今日は知恵熱でも出たのか若干頬が紅潮している。


そして、これは講義の終盤からだったが、そわそわと身体を揺らして全く落ち着きがないのだ。


ちらちらとこちらを窺っていた川崎だが、ふと視線がぶつかると慌てた様子で俯いてしまう。




この反応が何を意味するのか、分からない俺ではない。




……可哀想に、おそらく日々のストレスで神経が参っているのだろう。


まあ、こいつって毎日真面目に勉強してそうだもんな……


こういう時は人間、独りになりたいものだ。


教材をまとめ終え、机を指でとんと叩くと川崎はひゃあと顔をあげる。


「おう川崎」


「あ!あのっ!よ、良かったら、ここ、これからおひ……」


「俺、このあと用があってよ、今日は先帰らせてもらうわ」


「あ、そ、そう……なんだ」


「……なんか言いかけたか?」


「いや、別に」


「じゃあな」


「うん」


……などと、まるで友人同士のような心温まる会話を終えると、ぴっと手刀を切って別れを告げる。


教室を出る間際、もう一度川崎の方を見やると、頭を抱えてしんどそうに項垂れていた。


あー……ありゃ相当具合が悪かったんだろうなぁ……


本当はお昼に少し付き合ってもらって、休憩してから予備校を出ようと思っていたが、判断に間違いはなかったようだ。


以前あの子にも驚かれたことがあるが、こう見えて俺は割と気遣いが出来るタイプの人間なのである。



……あいつの弟とも、今日このあと顔を合わせることになるだろう。


会ったら姉ちゃんを労ってやるように言っておくかな……


こんな自然に気遣えて、しかもその後のフォローまで思い浮かぶとは、我ながら大した進歩である。


得も言えぬ充実感と達成感を抱きつつ、リズム良く階段を駆け下りる。



なお、他の受講生がラフな格好で講内を行き交う中、俺が本日身に纏っているのは学校の制服である。


別に予備校に着ていく服が無いというわけではない。


今日は生徒会の登校日ということになっており、学校に赴く所用があるのだ。




二学期からは行事も目白押しで生徒会は一層忙しくなる。


本日集まる目的は、休み明けからの行事の確認と、スケジュール決めということになっているらしい。


ぶっちゃけ、こんなのサボってしまっても何ら問題は無いが、欠席すると一色があとでグダグダ五月蝿いのと、今日はちょっとした約束があったのと、あと一色がグダグダ五月蝿いから仕方なく登校するというだけの話だ。



コインロッカーに預けていたザックを取り出すと駐輪場に向かう。


しっかり背負い直して愛車に跨がれば、目指すは総武高校である。




※※※※※※※※※



えっちらおっちらと炎天下のもとペダルを漕ぐ。


陽炎が立つほどの暑さと、重荷を背負っての長い道のりに軽く後悔しかけたが、心頭滅却すること三十分……ようやく目的地に辿り着く。



夏休みに学校を訪れるのは、俺のような人種にとってはごく稀なことだ。


見慣れたはずの校舎は、夏の佇まいの中にあってどこか余所余所しく目に映る。



そんな他人行儀な雰囲気に気圧された訳ではないが、さっさと中に入るのが何となく躊躇われ、俺は少し寄り道してサッカー部の様子をちらりと覗いた。


見やると、二年の小童共がグラウンドをいっぱいに使って練習に励んでいる。



……そこには当然、葉山も戸部もおらず、見知った部員やマネージャーも居ない。見知ったと言っても、俺が知ってるだけで向こうは全然知らないんですけどね!



それはさておき、全国大会とは縁がない我が校の体育会系クラブは、今や完全に二年生が主体となっており、世代交代はすっかり完了しているようだ。


一学期中、ほんのちょっとばかり気に掛けていたサッカー部だが、こうなるともはや完全に別物である。


やがて文化祭が終われば、文系クラブからも三年生は姿を消していくのだろう。


「諸行無常……か」


などと、超格好良い独り言がポロンとまろび出たのは、少し感傷的になったからかもしれない。


部活動だけではない、生徒会も秋になれば三年生は引退する。


俺が彼、彼女らと一緒の時を過ごすのは、実のところもうあと二ヶ月ほどしか残されていないのだ。



―― 俺みたいな奴でも、何かあいつらにしてやれる事があるんじゃないか――?



柄にもなくそんな事を考えたのは、これまたいつもの自己満足なのかもしれない。


だが、普段とは趣の違う学舎。サッカー部の練習風景。……これらの光景を見て、ふと、そんな事に思い至ったのだ。


さすが俺……なんと高潔な魂だろうか……



普段誰もしてくれないので、ここぞとばかりに心中で自らを褒めそやしていると、気付けば生徒会室が見えてくる。


ちょっと寄り道したせいか、約束の時間を少し過ぎてしまっていた。


中では既にミーティングが始まっているらしい。


熱い議論が交わされているのか、扉の向こうからは活気のある声がここまで漏れ聞こえていた。


うむ……元気があって大変結構なことである。会議ってのはこうでなくてはいけない。


……慣れ合いで生み出されるものなど、たかが知れている。


いつかの俺の教えを忠実に守り、激しく自論を戦わせているのだろう。


よし……俺もメンバーの一員として、いつもの様にぼっち独特の視点から、世の中を少し斜に構えつつも、鋭く本質を突いた意見をクールかつセクシーに打ち出していく方向で頑張っちゃおうっかな!


みんなおはよう!遅刻してゴッミ~~ン☆


などと軽い感じで、ドアを開けようとしたその時――




「だから!それじゃ他の行事がおろそかになっちゃうじゃないですかっ!」




ひ、ひいっ!?


突然、中から怒声とも取れる大きな声が上がり、俺はドアからバッと手を離してしまう。


今の声は女子のものだが、一色とは少し違う……とすると書記ちゃんだろうか……?



やだ、怖い……


いや生徒会で一色の次に怖いのはあの子のような気もするが……



それにしたって珍しいことがあるものだ。書記ちゃんがあんなに声を荒げるなんて……


一瞬の沈黙の後、続いてわいのわいのと声が続き、再び喧々諤々といった会議の様相がドア越しに伝わってくる。


聞き慣れない声も数多く、中には十人ぐらい詰めているのではないかと推察される。


……今日は大志人脈であるところの、一年生メンバーも数多く参加しているのだろう。


「……」


俺はそのまま一歩二歩とドアから遠ざかった。



……うん、なんかアレだな……


……今日はもう俺、いらないんじゃね?



「騏驎も老いては駑馬に劣る……か」


などと、超格好良い独り言がポロンとまろび出たのは、どうでも良くなったからかもしれない。


よく考えたら、三年生といってもそんな大層なことを教えてやれる訳ではない。だいたい一つや二つの歳の差で、そんなに能力差があるはずがないのだ。


社会に出てしばらく経てば、一つや二つどころか五つや六つも歳下の上司に、


「あのさぁ!分かんないことあったら自分から聞こうよ!ねぇ!ガキじゃねぇんだからさ!」とか、


「スケジュールは理想論じゃねぇんだよ!お前は幾つになったら仕事のボリューム覚えられんだろうなぁ!」とか、


「ゆっるいスケジュール立てやがって……!ランニングコストの意味わかる?おめーが息吸って吐いてるだけで金かかってんの!こんなもん一ヶ月でやれ一ヶ月で!」


……などと罵られては、胃腸を擦り減らす毎日が続くに決まっているのだ。


結局スケジュールはキツめに立てれば良いのか、緩めに立てれば良いのかよく分からないし、とにかく絶対に働きたくない。




それに俺ってば、既に遅刻してるしね……悪びれずに途中参加というのも規律が乱れる元となりかねない。


そんなに焦らなくたって二学期もあるわけですし、書記ちゃん怖いですし、知らない子がいっぱい居るみたいですし、書記ちゃん怖いですし……



俺はこう見えて、自分さえ良ければ他人のことなど割とどうでも良いタイプだ。


生徒会も少しは気にかかるが、もっとも可愛いのは何を置いても我が身である。


そして可愛いが正義であるならば、この場合、サボり=正義もまた真であると言えよう。



完璧な理論をここに打ち立てると、そのままスタスタと奥にある被害者の会の教室に向かう。


コンコンと形ばかりのノックをして扉に手をかけると、鍵はかかっていないようでスルスルと抵抗なく開かれた。


中では戸部が一人机に向かって、肘をつきながら中で何やら書き物をしている。



なんでこいつ、ここに居るのん?


……などとも思ったが、戸部はやがて俺に気付くとニッカと笑って威勢よく挨拶をしてくる。


「おっ!ヒキタニくん、ちょり~~~~~~~」


戸部の超デカい声量に、俺は口の前に指を立てて訴える。


とべっち、しー!しー!


「……っす……どったの? もしかしてヒキタニくんもサボり?」


「いや、お前もサボってんなら気遣えよ……」


こいつ……自分さえ良ければそれで良いのだろうか……? 相変わらず最低なヤツである。


身勝手極まる同志に憤慨しつつも定位置に腰掛けると、ふと、長机の上に目が留まってしまう。


というのも、そこには所狭しと問題集が広げられているからだ。


……信じられないことだが、戸部はどうやらここで受験勉強をしていたようである。


「おぉ……ついにお前も本格稼働か……」


参考書を一冊手に取ると、ふんわりと頁の腹が膨れ上がっている。


戸部の汗とか涙とか涎……つまり戸部汁が染み込み、そして乾いた結果であろう。かなり使い込まれているのが見て取れる。


「ああ、それね!いやー、めぐり先輩に勧められたやり方でさー、この参考書とか今三周目やってんの!」


「へぇ……」


戸部曰く。


取り敢えずよくわからんままに参考書の解説を読み漁り、よくわからんままにひたすら問題を解き進め、よくわからんままに答え合わせをしつつも、ひとまず一冊最後まで完走してしまう。


そうして一通り終えたら、また最初から解き進めて、一定の正答率になるまで延々と繰り返す……というやり方らしい。


繰り返せば基礎が身につくだろうし、問題にも慣れる。何より全体の網羅に繋がるのが大きい。


「読書百遍~」などとも言うし、意外と合理性のあるやり方だとは思うが……それにしても、またえっらい力技だな……


「最初はチンプンカンプンだったんだけどさー……最近ようやっとコツっぽいのが掴めた感じ? それに参考書は隼人くんのチョイスだし……これはイケるっしょ!」


戸部は襟足を掻き上げると、自信満々の顔でズビシッとサムズアップを決める。


脇においてあった他教科の参考書を見やると、同様にフワッフワに膨れていて、ただならぬ努力の跡が窺える。


短期バイトからそう日も経っていないのに、これだけの量をこなしたというのだろうか……?


やはり元体育会系の本気は侮れないものがあるな……


「銚子でもさー、みーんな勉強してたべ?……焦っちゃったっつうか、刺激受けたっつうか、いい加減、俺も尻から火ィ噴いたって感じ?」


言って、戸部は照れた様子で鼻の下をゴシゴシ指でこする。


何こいつ怖い……もしかして戸部の偽物なんじゃ……?


あと、尻から火噴いてどうすんだ。カートマンかよこいつ……



……そんな俺の動揺など気にも留めず、戸部は笑顔のまま俺の足元にあるザックをちょいちょいと指差す。


「それより『H2』の続き、持って来てくれたんでしょ?早く早く!」


わんこであれば尻尾でも振り出しそうな勢いである。


「おう、待ってろ」


そう、今日は互いにコミック本を貸し借りする約束をしていたのである。


ステイ!と戸部を制して、ザックから不朽の名作『H2』の後半部を取り出し机の上に積んでいくと、戸部も持参したコミック本をどっかと机に乗せる。


弾みで参考書がバサバサと床に落ちてしまうが無視である。


「いやー、これ実際ハマるっしょ!噂に違わぬ面白さっての!?やっべーわぁー……もう二、三周読んだわー……っべー……」


「まあ早く読めるからな、あだち御大の漫画は……」


しかし参考書にコミックにと周回プレイに忙しい奴だ。反復の呪いにでもかかっているのだろうか。


「あー、俺も甲子園目指してたら、こんな三角関係経験できてたんかなー……こう、複雑に入り組んだ痴情のもつれっての?」


なに言ってだこいつ。


「そんなもん、別に野球部じゃなくてもあるだろが……」


「あー、そういやヒキタニくんもそんな感じ……」


「……」


「……」


気まずい空気が流れ、しばらく互いに押し黙る。


途中で言葉を切った戸部だが、分かりやすく顔に後悔を貼り付けていた。


間もなく、片手を上げてペコリと頭を下げる。


「ごめん、これネタにしたらダメなやつだわ……」


「べ、別に……そんなんじゃねぇし……」


とはいえ、こちらとしてもあまり楽しい話ではない。


こういう時は、誰か適当な奴を犠牲にするのが上策である。


「……まあ、そんなもん、やる奴はどこに居てもやるんじゃねぇの。……ほら、葉山とか」


「あー……隼人くん。隼人くんもなぁー……」


誤魔化し気味に葉山の話題を振ってみるが、戸部はそちらにも何か思うところがあったのか、頬を付き、柄にもなく遠い目で外を見る。


「隼人くんも、あれで苦労してっからなー……」


葉山隼人……


あれも大概面倒な性格をしており、またいつ面倒事に巻き込まれてもおかしくない、攻守ともに面倒な男である。


これまで懸想されたのも一色や三浦といった面倒な女子だけではあるまい。


いつかダブルデートをした時も、折本と仲なんちゃらさんを相手に前半は実にこなれた振る舞いをしていたものだ。


おそらく場数を踏んでいるのだろう。


俺の知らないところでも、他に浮いた話の五つや六つぐらいは余裕であるに違いない。


うん、なんていうかアレだな……死なないかなあいつ……


「ヒキタニくんにだけは言われたくねーだろーなぁ……」


などと訳の分からない事を宣う戸部だったが、いつものウザい表情に戻るとぺっチーンと指を鳴らす。


「ま、とにかく現実は厳しいって事だべ?」


「……そんなとこだろ、一途が一番」


「それな!」


適当極まりないオチをつけると、互いにコミックを交換する。


戸部は断じて友人などではないが、こうして貸し借りが行える関係というのは悪くない。


出費を抑えられるし、ギブアンドテイクというある種のルール下でトレードが行われるのも、気負いがなくて心情的に楽である。


また、こうして借りた本を読めば、戸部がいかにしてこのウザい性格を形成したか、その一端が垣間見れるかもしれない。


あだち充の伝説的名作『ラフ』のページを早速パラパラと捲くる。


ふむ……このバタフライで泳いでる坊主頭……なんとなく雰囲気が戸部っぽいな……



……などと思いながら、ちらりと視線を向けると戸部も勉強をほっぽり出して『H2』の続きを読み耽っている。


うーん……やっぱここってあまり勉強に適した場所じゃないような……




※※※※※※※※※※※※※※



そんなこんなで、どうしようもない無駄な時間を戸部と二人して過ごしていると、やがてチャイムが鳴り響く。


夏休みなのにチャイムが鳴るのは、今時分、中等部では夏期講習が行われているからだ。


……こうしてサボってはいるが、腐っても生徒会の一員である。自然と年間行事が頭に叩きこまれているのだ。余計なこと頭に入れたくないんだけどなぁ……



普段であれば、ちょうど昼休み終了を告げる頃合いだが、俺達にもそれが一区切りの合図となった。


戸部はぱたんとコミックを閉じて、うーんと背筋を伸ばす。


「俺ちょっとジュース買ってくるわ、ついでに生徒会の様子もちょろっと覗いてくるべ」


言って、俺に「ん!」と手を差し出してくる。


なんのつもりだ、このロン毛。


「ほら、ジュース、ヒキタニくんのも買ってきてやんよ。……マッカンでいいんでしょ?」


やだ……とべっち優しい……


その何気ない気遣いに、胸がキュンとときめいてしまう。


一瞬恐喝かと思い、懐に忍ばせていたWASABIを取り出そうとした自分が心底恥ずかしい。……もうバカバカ!八幡のアホ!ゴミ!寄生虫!舌形動物!


「お、おう、悪いな」


狼狽えてしまい、わたわたとポケットから小銭入れを取り出したその時、突如、前の扉がガラリと開かれる。


「……あれ、開いてる?」


といって現れたるは我らが首魁、生徒会長・一色いろはその人である。ノックしろノック。


怪訝な顔を浮かべていた一色だったが、俺たちが居ることに気付くと、見る間に怒気で頬を膨らませる。


「あー!なんでこんなとこに居るんですかー!」


「ひぃぃっ!?」


「は、はわわ……!」


などと可愛い声を上げて椅子からずり落ち、ザザムシのごとく床に蠢く俺たちを一色はじろりと睨めつける。


「もう!二人共来てたんなら、生徒会に顔出してくださいよー!」


「……いやー、なんつーかさぁー、俺なんて居てもしょうがないかなーって突然思っちゃってさ……終わりの方で顔出す予定だったんだけど……」


「左に同じくだ」


行きしなはそれなりにやる気があったんですけどねぇ……


この、ちょっとした事で急に気力が萎んでしまい、直前でバックレる現象に何か名前を付けたい。


……が、それはともかく、俺達の弁明に納得行かないのか、むぅと一色は口を尖らせる。


「むぅ……戸部先輩は確かに居てもしょうがないですけど、先輩には居て欲しかったです……」


一瞬、戸部の瞳が切なげに揺れたが、それはどうでもいい。


「……なんだよ、なんかあったのか?」


「そういや終わるの早くね?まだ一時間も経ってないっしょ」


一色は自分の定位置……俺の斜向かいにトスンと腰を落ち着けると、はぁ、と一つ大きな息をつく。


「んー……ちょっと場が荒れちゃって……今日は話にならないから、続きは後日ってことになっちゃったんですよ……」


「場が荒れたって……そういや、大きい声上げてたな」


「ああ、聞こえてました? そうなんです……なーんか副会長と書記ちゃんが言い争いを始めちゃって……」


「言い争い……?」


……聞けば、今日は集まった生徒会メンバー達と、当初の予定通り二学期のスケジュールを組んでいたのだが、副会長の案に書記ちゃんが異議を唱えたのが事の発端らしい。


先に述べたように、二学期は行事がてんこ盛りである。


文化祭の準備の合間にも、大小様々な行事が平行して行われ、その直後には体育祭の準備も始めなければならない。


そんな過密なスケジュールをこなすため、副会長が例のごとく人員のやりくりについてのアイディアを出した。


ところが、その提案は文化祭以外の行事をやや軽んじるところがあったのか、書記ちゃんがそこに軽く噛み付いてしまう。


どちらが正論であったかはともかく、副会長にしてみれば面白くなかったに違いない。


彼も軽く言い返したところ、あとは売り言葉に買い言葉……喧嘩に発展するよくあるパティーンに嵌り込んだという訳だ。


しょうもない言い合いは、やがて周りをも巻き込んで、一色含む他のメンバー達も相当熱くなってしまったらしい。



……結局、会議は踊りに踊り、場は荒れに荒れ果ててしまい、一色の裁量により結論を得ぬまま会議は強制中断と相なった。


生徒会室は現在も険悪なムードが漂っており、一色は逃げるように、ここ被害者の会本部に足を運んだとのこと。


「はぁ……もうわたしが心安らげるのは、先輩の居るこの教室以外にないですよ……チラ」


などとウザい目線をくれる一色だが、加害者が癒やしを覚えちゃう被害者の会ってどうなんでしょうねぇ……


改めて当同好会が形骸化してることを認識し、ため息のような空気が口から漏れる。



説明を終えると、一色は自分の頬を机にべたっと引っ付けて突っ伏してしまう。


そうしているとクールダウンになるのだろうか、まるで冷を取る猫のようである。


弾みで机に置いていた戸部の参考書がバサバサと床に落ちてしまうが、気にする素振りも見せずにダラけている。


まあ、こいつもこれでなかなか苦労しているのかもしれない。



……それにしても、行きがけに聞こえたあの怒声……やはり書記ちゃんのものだったのか。しかも相手は副会長……


「はぁー……まーだ仲直りしてなかったんかよー、あの二人……」


戸部はいつかの一色のように「へっ」と賢しらけに笑うと、行儀悪く足を机の上に載せる。


こいつも当然のごとく、二人の不仲には気付いていたようだ。


「激しくやり合ってくれるのはいいんですけどねー……でも今日で会議が決まらなかったのは誤算でした……めんどくさいなー……」


……割と深刻な事態だと思うのだが、二人は思いの他余裕があるようで、それぞれ苦笑など浮かべている。


まあ喧嘩するほど仲が良い……なんて話もある。


先日、一色が言ったように、親密だからこそぶつかり合うことだってあるのだろう。


しかしあんな呑気で、平和的で、穏やかな二人がここまで引き摺るというのは、ちょっとマズイような気がするのだが……


「あ……、それ……」


独り考え込んでいると、一色は俺が手に持っていた小銭入れに気付いたらしい。


机に頬をつけたまま、にやっと悪戯げに笑う。


そして、冷やかすようにこちらに腕を伸ばしてきた。


やっぱり何か余裕あんな、こいつ……


その手を鬱陶しげに払いつつ、俺はさっきから頭に浮かんでいた疑問を口にする。


「誕生会から結構経ってるだろ……ほっといて大丈夫なのかよ」


「ま……こういうのはさー、なるようにしかならんでしょ!」


戸部は両手を頭の後ろに組んで、あっけらかんと言い放つ。


うーむ……戸部のこの態度も、ある種、二人への信頼の表れといえるのだろうが……


「あーあ……今日はなるはやで会議終わらせて、みんなでカフェ行きたかったんですけどね、カフェ」


「それ、駅の近いところに新しく出来たやつっしょ?俺も目付けてたんだけどさー、野郎だけじゃ行きにくくてさー」


「なんか店長がコーヒーで有名な人らしいんですけどー、スイーツも気合入ってて超美味しいんですって!今朝チバテレでやってました」


「マジで!?それアガるわー!海老名さん誘ったら来てくれっかなー……?」


「はぁ……まあ、玉砕してみたら良いんじゃないですかー、知らないですけど」


……あ、あれ? さっきの話それでおしまい?


突如カフェトークを始めるリア充共についていけず、キョロキョロと無言で二人の顔を追う。


あと玉砕したらダメだと思うのだけれど……


「ねぇ先輩!これから、そこのカフェ行ってみませ……って、どうしたんですか?さっきからキョロキョロ……」


そんな俺に、一色は話を中断して、小首を傾げてみせる。


「い、いや……いいのかよ、副会長と書記ちゃん……このままじゃまずいんじゃねぇの」


「はぁ……まあ、さすがに二学期までには仲直りして欲しいですけどねー」


一色はむくりと身体を起こして応じてくれるが、顔つきは相変わらず呑気そのもので、こちらが期待する反応ではない。


戸部にしても、依然脳天気な、いつものバカ面をこちらに向けている。


いまいち深刻さが伝わっていないようで、もどかしい気持ちになってしまう。


「……どうしたいの?ヒキタニくんは」


「だからよ、こっちで何かしてやった方が良いんじゃねぇの」


言うと、二人は面食らった表情を浮かべたのち、ばっと俺から顔を背け、窓の外に視線を移す。


え……? 何、この反応……


「お、おい、どうしたんだよ……」


怪訝な顔を向けるも、二人はさっきから顔ごと俺から目を逸らしていて、表情が窺えない。


戸部に至っては時折プルプルと肩を震わせていて、なんだろう、すごく……殴り……たい……


「あー、おっかし……」


一色は目尻を指で拭うと、一転、真面目な顔つきになり、例の探るような視線を俺に向ける。


「……なんだよ」


「なんでもないですよー!じゃあ、今日はその辺のこと、これから話し合いましょうか!」


言うと一色はちょいちょいと親指で自らの背後を指す。


目を向けると、黒板には「一色いろは・被害者の会」の三箇条がデカデカと書かれている。



一、一色いろはの被害者を救済する。

一、一色いろはによる被害を今以上に拡大させない。

一、一色いろはには、魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教える方向で。



ふーむ……今回はどれにも該当しない感じだが……


「ほら、二学期になっても仲直りしないようなら、生徒会的にも困っちゃうじゃないですか?そうなるとー、わたしはまたいっぱい人に迷惑かけちゃうと思うんですよねー♪」


「まあ、そうだな」


「……それだと、被害者の会としては困っちゃいますよね?」


言って、一色はきゃるん☆と上目遣いでこちらを見やる。


「……まあ、そうだな」


加害者からの、しかも半ば脅迫のような体裁であるが……


一方で、それはどこか、俺に「動く理由」を与えているようでもある。


「……」


「……」


腹の内を探り合うように、互いに視線を交わしていると、戸部がペチーンと頬を叩いた。


「まあしゃーねーべ!そいじゃ一肌脱いでやりますか!」


言って、ワッシャワッシャと襟足を掻き上げる。髪切れ、髪。


「それじゃあ作戦会議の方なんですけど、カフェで計画を建てましょう、カフェで!」


っていうか君、そこに行きたいだけなんじゃ……


「でも、副会長と書記ちゃんどうすんの…… まだ学校にいるっしょや?」


「あー……二人には秘密で行わないとまずいですよねー……うーん、どうしよっかなぁ……」


一色が顎に指を当てて考え込んでいると、コンコンと扉がノックされる。


ゆっくり開かれた扉の方に目を向けると、現れたるは噂の副会長である。


「……あれ?開いてる……」


そして俺たちが中にいるのに気付くと、ぼそっと何やら小さな声で呟いた。


「なんだ、グロッキーとワルサーも来ていたのか……」


「え?」


「副会長……今なんて……?」


なんか今、不本意かつ不穏な呟きが聞こえたんだけど……


「あ、や、何でもないんだ。それより学校に来てたのなら生徒会に参加してくれよ!お前らだって生徒会メンバーなんだからさぁ……」


副会長はゴホンと何やら誤魔化し気味に咳払いすると、俺たち二人を恨めしげに睨む。


「やー、ゴメンゴメン、でも今日は真面目な話し合いだったんでしょ?何か気後れしちゃってさー」


「左に同じくだ」


「……なんか、わたしの時と微妙に言ってること違うんですけど……」


などとマージョ……ではなく一色さんがジト目を向けておられますが、ともあれ、俺達の言に副会長は少し顔を俯かせる。


「……や、まぁ……、今日は参加してもあまり実りはなかったかもしれないけどさ……」


書記ちゃんと喧嘩した事を言っているのだろう。副会長はバツが悪そうにポリポリと頬を掻く。


「それより、会長までこんなところに居てどうしたんだよ?書記……とか大志も、まだ話あるみたいだったけど」


「あ、えーっとぉー……、実は今日はこの後、生徒会のみんなでカフェに行こうって話してたんですよー!副会長も当然行きますよね?」


「えっ?あの、みんなって、その……“みんな”か?」


「はいっ“みんな”です!」


一色が養殖感満載の笑みで答えると、副会長はぎょっと肩を跳ねさせる。


当然“みんな”の中には書記ちゃんが含まれていることを、言外に含ませている。


さすがに喧嘩の直後にそんな気分になれる訳がない。


参加への躊躇いからか、副会長は落ち着かない様子で目を逸らす。


「あー……いや、俺は実はこのあと用があったりするんだよな……今日は悪いけどパスさせてもらうよ」


「えー!そうなんですかー?まあ、無理にお誘いはしませんけど……次は絶対に来てくださいよねー!」


「わ、分かったよ、ごめんな会長。……じゃあ、お前らもまたな」


副会長はそう答えると、ぴっと手を上げて、そそくさと身を翻す。


「お、おい、副会長、お前に貸す本も持ってきたんだが……」


と声を掛けるのだが、副会長の耳には入らなかったらしい。


手と足が同時に出ている割に、動きは妙に俊敏で、シャッシャッと大変気持ち悪い挙動で外に出て行ってしまう。


「……」


あいつ……だいぶ分かりやすく狼狽えてたな……


そうして副会長が去ったのを確認すると、一色はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「……ふっ、チョロいもんですね……」


「お、お前……」


小細工とはいえ、よく咄嗟に思いつくものだ……


感心半分呆れ半分で小悪魔な後輩を眺めていると、突如扉がガラガラッと開かれた。


現れたるは、生徒会のマスコット的存在……書記ちゃんである。


何の気無しにドアに手をかけたのだろう。「あ、あれ?開いてる……ど、どうしよどうしよ」と目を泳がせている様も大変可愛らしい。でもノックはちゃんとしようね!


「あっ、いろはちゃん、ここに居たんだ……それに先輩達も……来てたなら参加してくだされば良かったのに……」


むぅ……と一色ほど露骨ではないにしろ、恨みがましい目を向けられる。


本日何度目ともしれない詰問であるが、この子にこんな目で見られると些か肩身が狭くなる


「いやー、書記ちゃんごめん!……でもさー、俺達が居て先輩風吹かしてたらさー、下の奴らの風通し悪くなるっしょ?ちょっと遠慮が合ってさー」


「左に同じくだ」


こつんと頭を叩きながら、戸部と二人して「てへへ☆」と爽やかな弁明を行う。


「……」


一色が何故か冷たい視線を向けているが無視である。


「ふふっ、大丈夫ですよ……お二人のことは誰も先輩とは思ってないですから」


そう言って、書記ちゃんは口元を手で抑えながら可笑しそうに肩を揺らす。


たいへん可愛らしい仕草に、俺と戸部もほっこりと頬を緩ませる。


でも、なんか酷いこと言ってないかな……この子……


「それでいろはちゃん……次の会議の日程なんだけど……」


「うん、また来週辺り……夏休み終わるまでに、もう一回やっときたいよねー」


「その件で、ちょっと相談があるんだけど……」


「うん、この後“みんな”で新しく出来たカフェに行って打ち合わせしようって話になっててー、書記ちゃんも、もちろん来るよね?」


「えっ!?あ……“みんな”っていうのは……“みんな”のこと……だよね?」


「うん、こういうのは当然“みんな”で話し合わないと!」


「あー……そ、その……実は私このあと用があって、ちょっと参加できないかなーって……」


「え、そうなんだー、あそこのお店のスイーツ……書記ちゃんと食べたかったんだけどなー!」


「ごめんね、次は必ず付き合うから……」


「むぅ……仕方ないなぁ……」


こいつ……


さっき副会長に使ったのとまったく同じ手を……


「じゃあいろはちゃん、またね……お二人も今日は失礼します!」


書記ちゃんはペコリンと頭を下げると、慌てた様子で出口に向かう。


しかし、前をよく確認していなかったのか、丁度入ってくるところの会計くんとぶつかってしまう。


「あたっ」


「わ、わっ!?すみませ……あ、会計さん……」


わたわたとキョドりまくっている書記ちゃんに、会計くんは優しく微笑む


「えーと、もう話済んだのかな?だったら早めに……」


「あ、その件なんですけど、買い出しは明日ってことでいいですか?ちょっと私、今日は用があって……」


「ああ、僕はそれでいいけど……」


「それじゃ今日はお先に失礼しますっ、あとで連絡しますので……!」


などと何やら話を交わすと、書記ちゃんは逃げるように外に駆け出していく。


その背中に四人してさいならーと手を振って見送ると、会計クンもつかつかと中に入ってくる。


そして、俺の方にチラリと目を向けた。


その表情は、どこか呆れたような……あるいは残念そうな色が含まれている。


「……えーと……また悪巧み?」


「いや、今日は俺じゃねぇよ」


出会い頭に、全くもって失礼な会計くんである。


こっちこっちと一色の方を指差すと、当の本人は悪びれる様子もなく、じっと会計くんの方に目を向けて意味深げにニヤニヤと微笑んでいる。


会計くんはそれに苦笑して返すと、近くから椅子を引いて俺の隣に腰掛けた。


はてさて、一体なんのことやら……などと思いもしたが、一色はぽんと手を打つと皆の顔を見渡した。


「ま、なんとか目論見通りにいきましたね……じゃあ、ここのみんなでカフェに行くってことで!」


「……いろはすって、いつか背中刺されんじゃねーかなぁ……」


ブルブルと震えながら戸部が小さな声で漏らす。


全くの同感である。






※※※※※※※※※※※※※※※


二人を体よく追い返したのち、大志とも合流すると、やって来たのは駅近くに出来た新しい店である。


中に入ると、いわゆる今時のお洒落なカフェで、北欧風のモダンな調度品が並べられている。


日差しがドギツい外界と隔絶するかのように、間接照明は足元を優しく照らし、店内は柔らかく、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


戸部の言うように、確かに野郎だけで訪れるには少し敷居が高いかもしれない。



……しかし、女子を一人擁しているだけで、こうした場所でも物怖じせずに入れるのだから不思議なものだ。


ズンズンと先を進む一色の後を「いろはす~」とばかりに、男四人がゾロゾロと付き従い、奥まったところのソファ席に向かう。


早速、一色がソファの中央にぽふんと座ると、戸部と大志が従者のごとく両脇に侍る。


その向かいの少し固めのソファに、俺と会計くんはよいしょと並んで腰掛けた。


「……と、いう訳でー『副会長と書記ちゃんの仲直り☆ドキドキ大作戦』始めますよーー!」


ケーキセット五つを手早く注文すると、だばぁとソファに沈みながら一色が声を上げる。


威勢のいい掛け声とは裏腹にだらけきっているので、テンションはもちろん上がらない。


残る四名もやる気なさげに「お、おう……」と手を挙げて応じた。


「……で、どうすんだよ。実際のところ……」


「まあ適当にだべりながらやりましょうよ、焦らない焦らない」


早速を水を向けるも、軽くあしらわれてしまう。


この子本当にカフェに行きたかっただけなんじゃ……


「実際困るんじゃねぇの……今日だって纏まらなかったわけだろ」


いまいち一色には期待できないので、隣の大志に目線を寄越す。


「まあ、そうなんっすよねぇ……」


大志はコースターに置かれたアイスコーヒーに顔を近づけると、ずっと小さな音を立ててストローを啜る。


「お兄さんの誕生会の時から険悪だったっすもんね……二学期は予定いっぱいなんで、引き摺られるとちょっとまずいかもしんないっす」


「二人はうちの要ですからねー」


ブラブラと足を揺らして一色も適当に相槌を打つ。


相変わらず緊張感がないものの、言っていることに間違いはない。



……あの二人は生徒会に無くてはならない存在である。


一色は大上段から偉そうに指示するだけだし、会計くんは裏方に回ることが多く、あまり表立って事を進めたり折衝に動いたりするタイプではない。


中間管理職的なポジションにいるこの二人こそが、実質的に生徒会を執り仕切っているといっても過言ではないのだ。


その二人が仲違いとなれば、二学期からの活動が難航してしまうのは火を見るより明らかである。


「でもさー、ぶっちゃけ……これ痴話喧嘩っしょ?」


「多分そうじゃないかと…… だったらほっとくしか無いっすよねぇ……」


戸部がぶっちゃけると、大志もそう思っていたのか苦笑して応じる。


それまで姿勢正しく座っていたが、生意気に肩をすくめると一色同様だらしなくソファにもたれかかってしまった。


「夫婦喧嘩は犬も食わないって言いますもんねー、……ケーキ早くこないかな……」


「俺も腹減っちゃったっす……ケーキだけじゃ足んないから他に何か頼もうかな……ところで会長、ここのコーヒーめっちゃ旨いっすよ!」


一色は「ほんと?」と身を起こすと、自らもアイスコーヒーに口を付けて何やら神妙に頷いている。


……かような感じで、せっかく大志が話に加わっても、いまいち緊迫感が出てこない。


「おいおい……そんなんで良いのかよ……」


「んー、そもそも言い出しっぺなんですから、先輩から意見出してくださいよー」


……という一色の言に、大志と会計くんは少し目を見開いて俺の方に顔を向ける。


「意外……これって比企谷の発議なのか……?」


「い、いや、俺は別に……」


「お兄さん、やさしー……」


などとニヤケ面で抜かす大志の頭をかち割ってやろうとも思ったが、そこは紳士な俺のこと。


殺意の衝動をぐっと堪えて、小瓶に入れられたシロップを大志のコーヒーにだばだばと注ぎ込むに留める。


「わっ!?ちょ、ちょっと!サイゼのノリはやめて欲しいっす!」


――説明しよう!


上級サイゼリアン(※サイゼにとにかく行きまくる人のこと)である俺は、店内にある調味料を過剰なまでに使いまくる習性があるのだ!説明いらねぇなこれ。


大志はうわーと悲しげな顔でシロップ過剰なコーヒーを眺めると、おっかな半分といった面持ちでストローを啜る。


そして目をパチクリと開かせた。


「あ、でも、このシロップ手作りなんすかね……?あんなに入れたのに、ダダ甘じゃなくて……これはこれで美味しいっす!」


「ほんとに!?大志くん、ちょっと頂戴」


言って、一色は自分のストローを大志のコーヒーに突っ込むと、ちゅうちゅう吸い込んでいく。


「ほんとだ……これってもしかしてシロップだけでも美味しいんじゃない?」


「きっとこだわりがあるんっすよ! ……俺、ちょっと舐めてみよっと」


などと顔を近づけて、わいのきゃいのとはしゃいでいる。


……こうして見ていると、二人はなんだか初々しいカップルに見えなくもない。


「……」


話はすっかり脱線し、おまけに疎外感のようなものまで覚えてしまい、はぁと思わず溜息が漏れる。


そうこうしている内に残りの品もやってきて、種類の異なるケーキがそれぞれ卓の上に置かれていく。


一色は喜色満面の面持ちで、ぽむと手を合わせると、さっそくフォークで切り分けて口に運ぶ。「んー!」と幸せそうな顔に、思わずこちらも和んでしまうがそうではない。


心をONIにしてギロリと睨みつけると、一色は咀嚼しながらバツの悪そうな顔をする。


「コホン……でも本当に先輩、何かアイディア無いですか?いつもみたいに斜め下のバカみたいなやつでいいんですけど……」


情けないことに、そう言われると困ってしまうのだ……


ただでさえアイディアは貧困なのに、その上色恋沙汰となれば専門外も良いところだ。あと今バカって言ったかこいつ。


「ま、言うてヒキタニくん策士だし、なんかあんでしょー?」


こいつの期待は一体何処から出てくるのか知らないが……


まあ、なんとか無理くりにでも捻りだしてみよう。


とにかく仲直りするということは、何かしらイベントが有って、どちらかの好感度がアップすればいいのだろう(ギャルゲ脳)


「たとえば……戸部が書記ちゃんにいやらしく絡んでるところを、副会長に助けさせるっていうのはどうだ(暴力で)」


「お兄さん……すごく……昭和っす……」


何だとこいつ。


呆れ顔の大志だが、古ければ悪いという道理は無い。この手の方法は百年経っても有効に決まってるのに……こいつあだち充を読んでねぇのかよ。


それはそれとして、一色もフォークを唇に当てながら所感を述べる。


「んー……、どうでしょうね?そのシチュはときめかない事もないですけど、今さらそんなことして意味あるのかなーって」


「む……」


……確かにあの二人の場合、そういう段はとっくに通り過ぎているのかもしれない。


好感度を高めるという発想がそもそも間違いということか……


「いや、ヒキタニくん、それ以前の問題だから……」


などと訳の分からないことを言う戸部を無視して、大志がぺちーんと指を鳴らす。


「いっその事、戸部先輩を書記さんに告白させて、そんで副会長さんを焦らせるっていう作戦はどうっすかね?」


「なるほど……先輩のよりマシな発想かも!」


一色もそれある!とばかりにぽんと手を打つ。


ふむ、考えたな大志め……好感度が既にMAXというのであれば、必要なのはどちらかの踏ん切りだ。


効果は副会長への心理的プレッシャーに留まらない。


当然、書記ちゃんは戸部を一秒で振るだろうから、その行為自体、彼女の方から踏み込む動機になり得るのだ。


「……よし、じゃあそれで行くか。まずは演技プランから固めていこう」


「なんか決断早くない!?」


さっそく台本作成に着手し始めた俺たちを、戸部は鬼気迫る顔で制止する。


「いやいや、ほら、おかしいっしょ? なんか俺がカマセになるの前提になってね!?」


「大丈夫っす!戸部先輩なら出来るっすよ!」


「いや、出来るとか、出来ないとかそういう話じゃねーし……俺の尊厳とか人権とか、あるっしょ?そういうの」


「えー……自分の事と生徒会……どっちが大事なんですかー?」


「いやいやいや、そういう話でもねーから!だいたい何で俺なん?」


「……つってもお前、カマセになるぐらいしか存在意義無いだろうが」


「どんだけ馬鹿にしてんの!?」


戸部は泣き散らしながら、必死の形相で拒絶の意を示す。


うーむ……なんてワガママな奴なんだ……


「いや、まあ実際のとこ、どうなのよ……? それしかないってんなら、やっけどさ……嘘告白」


言って、戸部はじろりと俺の方を睨んでくる。


……その視線の意味が分からない訳もなく、こちらもモゴモゴと口籠ってしまう。


「……まあ、あれだ、冗談だ」


「冗談みたいなことすっからなー……ヒキタニくんって……」


普段と少し雰囲気が異なっていたのか、そんな俺達のやり取りを一色と大志は胡乱げな目で眺めている。


「何の話してるんですかー?」


「あ、や、いろはすは良いから良いから」


と手を振って遮る戸部に、俺も首を振って同調すると、一色はますます面白くなさそうな顔をする。


「むぅ……」


……などと膨れているが、一色のことはどうでもよろしい。


さて、一体どんな方法を取ればあの二人は仲直りできるのだろう……?


仕切り直しとばかりに、再びあーでもないこーでもないと一色や大志と意見を交わしていると、すっと横から意見が差し込まれる。


「……戸部はどうしたら良いと思う?何かアイディアはないのか」


さっきから黙ってケーキを食べていた会計くんが、フォークを置いて戸部の方に視線を向ける。


「へっ、俺!?」


突然水を向けられ、たじろいた様子の戸部であったが、コホンと咳払いすると居住まいを正し、手はろくろを回し始めた。


「んーー、まあ、こういうのって、要はコミュニケーション不足なわけよ」


「はぁ……そうかもですねー」


「なんつーか、話し合いが足りないわけ。……わかる?」


「言い直しただけじゃねぇか」


「だ、大事な部分だから!まあだからさー、二人に必要なのは『話し合う機会』ってやつなの。あと俺らが出来ることってなんもないの、オーケー?」


戸部はぴっと俺を指差すと、ウィンクをして言葉を続ける(ウザい)


「だから俺らでさー、なんかいろいろやって二人っきりのシチュを作っちゃえば、もうそれで良いんじゃね?」


言い終えると、どう?どう?と皆の顔色を窺うように、キョロキョロと見渡す。


俺としてはただただウザいだけだったが、一色と大志はウムウムと神妙な顔で頷いている。


「なんか……戸部先輩にしてはマトモっす……」


「そうですね、珍しい……地震とか起きないと良いんですけど……」


「おっ、これリスペクト!?いよいよ俺の時代来ちゃったかな……マジっべー……」


思わぬ好評価に気を良くする戸部だが、二人は決してリスペクトしている訳ではないと思うの……


……とは言え、それは賛同には違いなく、一色も大志も我が意を得たりと戸部を盛りたてる。


「戸部先輩、良いこと言ったついでに、このケーキちょっとくださいよ」


「何がついでかわかんねーけど、いいべいいべ、好きなだけ持ってって、持ってって!……あ、俺もいろはすのちょっと欲しいんだけど……」


「仕方ないですねー……ほんのちょっとだけですよ」


などと言い交わし、一色と戸部は互いのケーキをフォークでほじくり返している。


……こうして見ると、二人はなんだかこなれたカップルに見えなくもない。


先ほどの大志とのやり取りにも同様の感想を抱いたが、彼らと一色の組み合わせは妙に収まりが良い。


少なくとも、俺なんぞよりよっぽどウマが合っているのだろう。



――逆に言えば、俺にはさっきの戸部の意見がなんとも物足りず、いまいち腑に落ちないところがある。


隣の会計くんはどうだろうか?


この場をざっくり区分けすると、彼はどちらかといえば俺にタイプが近い気がする。


チラリと傍らに目を向けると、それに応えた訳ではないのだろうが、会計くんがポツリと疑問を口にする。


「ちょっと分からないな……話合いって言うけど、それで上手くいく保証なんてあるのか……?」


……概ね、俺が抱いたものと同じ感想である。


「え?あ、やー、まあ、保証って言われると、そんなの無いんだけどさー……」


「比企谷や大志のやり方が良いとは僕も思わないけど……それだと当たるも八卦、当たらぬも八卦って感じじゃないか?」


会計くんに言われると、戸部だけでなく大志もうーんと首を捻る。


「うーん……会計さんのいうことも分かるんすけど……でも、こればっかりは二人の問題っすからねぇ……」


「それな!……むしろ、それ以上は外野が手を出すべきじゃねーっつーか、なんつーか、二人の自主性に賭ける?みたいな?」


「確実性はないよね……終わりが早くなるだけかもしれないよ」


会計くんがそう返すと、ちょっと怖い言い方なのもあってか、二人は言葉を失ってしまう。


「うぅ……」


彼の論旨はいつもながら明快だ。


機会だけを与えるのは結局博打でしかない、というのだ。


……話し合いが必要と彼らは言うが、そうやって、どれだけ互いに分かり合えるというのだろう。



百の言葉を交わしたとして、伝わるのは果たして何割程度なのか。


たとえどんなに誠実に、正確に言葉を尽くしたところで、人は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かないのだ。


そうでなくても、伝えることを辛いと思う気持ちは、きっと誰にだってある。


あるいは言葉に出来ない事にこそ、本当に伝えたい想いが隠れているのかもしれないではないか。



そんな感じでいろいろあって、俺は言葉というものを、話し合って理解を深める……ということを、あまり信用していない。


……機会を与えるだけではきっと足りない。


外野から介入する以上は、何か他にも手を打つべきではないか……そう思えてならないのだ。



あれやこれやと話し合う皆を余所目に、独り思いを張り巡らせる。


……しかし、今回はいかんせんピースが少なすぎる。


めぐり先輩は誉めてくれたが、「結果のイメージ」など持つことは出来ない。


仮説は輪郭さえ象られないままに、浮かんだ端からポロポロと崩れていく。




そもそも、今回俺はどうしてあの二人のことを、こんなに気に掛けているのか……



……こちらの答えは、すぐに思い浮かぶ。


メンバー達に冷やかされてまで介入しようとしているのは、もちろん俺が優しいからではない。


去年の冬の自分たちと、今のあの二人を重ねて見ているからだ。




上辺を取り繕い、しかし内心では激しく焦燥し、すべてを失ってしまうのではないかと見当違いな迷走を続けた。


あの状況を打破するきっかけとなったのは確か……


「……」


と、顔を上げると、当の一色がじっとこちらに例の視線を向けていて、遠間にもかかわらず思わずのけぞってしまう。


「な、なんだよ」


「いえ……何考えてんのかなーって」


言って、一色はしれっと目線を逸らす。


見透かされているみたいで、本当に座りが悪い。視線が外されたことに思わず安堵してしまう。


「ま、まあ、せめて喧嘩の原因でも分かればなって思ったんだけどよ……」


「えっ!?先輩、分かんないんですか?」


「あ?」


なんだこいつ……知ってるなら先に言えっつうの。


と、そう思ったのは俺だけでは無いようで、他の三人も少し驚いた顔で一色の方に目を向ける。


「なんだ、書記ちゃんからその辺の理由は聞いてたのか?」


「いえ、直接聞いてはいないですけど……でも、分かりますよ」


え、聞いてないの……?


一転、皆は猜疑の目を向けるが、一色はあっけらかんと言い放つ。


「そんなの聞かなくても分かりますって! 言うなれば……女の勘ってやつですかね」


で、出たー!


当たった時だけ取り沙汰されるから過大評価されがちな事実上の思考停止ワード~!


まあでも女の勘とかいうやつは、だいたい結果が出尽くした後になってから得意気に開陳されるケースが多い。ソースは小町。


なので、この時点で披露しようという、その度胸だけは評価して良いのかもしれない。


信ぴょう性など欠片もないが、まあ、聞くだけ聞いてやろうじゃないか、チミ……ん?


……などと、見下し感いっぱいの顔を向けると、一色は不機嫌そうに目を細める。


「……何かムカつくんですけど……まあ、でも女性経験が乏しそうな皆さんには難しいかもしれませんねー」


その反撃にピクッと表情を強張らせる男性陣だが、よく訓練された俺達はいろいろ呑み込んで続きを促す。


「か、会長、原因はなんなんっすか?」


「よーするにー、書記ちゃんはバーン!と来て欲しい訳ですよ、バーン!と」


言って、一色は自らの座るソファをバーン!と叩く。


「女子っていうのは、時には……時にはですけど、こう強引に来て欲しい時があるもんなんですよ、分かります!?」


身を乗り出し、熱弁を振るう一色の迫力に押されて皆も「お、おう……」と頷く。


でも「時には」って境目の判断が難しいから、なんか分かり易いサインとか出してくださると楽なんですけどねぇ……こうYES/NO枕みたいな……


「要するに、副会長さんがバーン!と行けば良いってことっすか?」


「書記ちゃんがバーン!と行ったらダメなのかよ……」


「あの二人の場合、割と普段は書記ちゃんがバーン!と行く方じゃないですか?……だから、たまには副会長がバーン!と行ってあげるべきだと思うんですよねー」


「それな!確かに副会長はバーン!といかなきゃダメだわ、バーン!と。……もうほんっと、あいつズリぃわぁ……」


……などと、頭の悪い会話が続くが、調子よく一説ぶっていた一色が、急にしゅんと目を伏せる。


「……それに、バーン!って行くのって結構しんどいですし……押してばっかりだと、やっぱり不安になっちゃうんですよね……」


そして、何故かチラリとこちらを見る。


しかし一色のその言葉には感じ入るものがあったのか、両脇の戸部と大志もウンウンと頷いた。


「あー……それはなんか分かっかも……」


「ちょっとしたことでも、遊びに誘ったりするのって結構パワー要りますもんねぇ」


向こう側のソファで、三人して何やら共感しあっている。今日はほんと仲良いね……君たち……


ただ、こう言ってはなんだが……結構意外である。


こいつらは、あまりそういうのにストレスを感じないタイプとばかり思っていたのだが……内心では、そんなこと考えてたんですねぇ……


暫くしんみりとしていた一色だが、はっと我に返ると再び熱弁を振るう。


「そういう訳でわたしは副会長がバーン!と行ったら良いと思うんですけど、それをするには結局“機会”を作ってあげるぐらいしか出来ないと思うんですよね」


機会ねぇ……


俺には、やっぱりよく分からない。


そもそも一色は、理屈で話していないのだ。


「まあ、どうせ副会長もしょーもないことで、グダグダ悩んでると思うんですけど……ちょっと先輩と似てるところありますから……」


「……あ?」


今なにか聞き捨てならないことを言ったような……


目を向けると、一色は誤魔化すようにポンと手を叩く。


「ってことで、ここは戸部先輩の案でいきましょう!」


「……でもよ、会計くんの言う通り、それで終わっちまうかもしれねぇぞ」


「その時は、その時考えたら良いじゃないですか!」


そ、そんな乱暴な……


「それに、ただ機会を設けるだけじゃないですよ……大事なのは、一にも二にもロケーションです!」


一色は鞄をゴソゴソと探ると、一枚のパンフレットをバーン!と机に広げる。


黒い夜空に色とりどりの鮮やかな花が咲き、その上の部分にはフェスタだの絆だのとポップでゴシックなフォントが踊っている。


千葉市に住む者なら知らないものは居ない。夏のビッグイベント……


「……千葉市民花火大会か……」


来週に開催予定の、別名・幕張ビーチ花火フェスタである。


……例年、夏休みのもっと早い時期に行われるのだが、そんなことはどうでも良い。本当にどうでも良かった。


「では、今回はわたしの仕切りでやらせてもらいますよー」


いや、いつもだいたいお前が仕切ってね?などとも思ったが、その瞳は爛々と楽しげに輝いており、冷やかしも反論も差し挟む余地が無い。


「おぉ!いいんじゃね!?」


「これは絶好のロケっすよ!」


などと両脇の二人が同意を示せば、主導権は完全に一色のものである。


ノートを出して、早速作戦の詳細を詰めていく三人を眺めながら、俺はやれやれ系主人公のように肩をすくめて苦笑を漏らした。


まあ、こちらに案があるわけでもないし……ここは一色さんにお任せするしかないのかな……?



ちらりと隣の会計くんの方を覗くと、俺同様どこか納得していないところがあるのか、その表情は能面のように虚ろだ。


細められたその目が少し眩しげに見えたのは、自分を投影し過ぎているのかもしれない。


「……」


いろいろ呑み込むついでに、自らのコーヒーに口をつける。


美味しいと評判らしいが、すっかり氷が溶けてしまったそれは、少し残念な味がした。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



打ち合わせを終えて店を出ると、外は相変わらず凶悪な日差しが燦々と降り注いでいた。


カフェの場所は駅にほど近く、今日のところはそこで解散という流れになっている。


しかし、今日はまだ私用が残っていて、俺はこの炎天下の中もう一頑張りしなければならないのだが……




駅までの道中、戸部と大志が何やら楽しげに会話するその後を、俺は自転車を押しながらノロノロと続く。


一色はといえば、自転車のカゴに自分の荷物を勝手に放り込むと、ふんふんと鼻歌交じりに俺の隣を歩いていた。


どうも俺のことを荷馬車か何かと思っているらしいですよ……この子……



何がそんなに楽しいのか、一色はニコッ☆とあざとい笑顔を俺に向けると、ご機嫌な様子で話を始める。


「作戦……上手くいくといいですねー」


「つっても、要は二人きりにするだけだからな……そこは、まあ大丈夫なんじゃねーの」


立てた作戦自体は実にシンプルなものだ。


難易度も高くない。おそらく簡単に成功するだろう。


……ただ、肝心の部分は二人の話し合い如何にかかっている……というのは変わらない。


果たしてこれを策といっていいのかどうか……当初に抱いた無責任感は未だに拭えなかった。


そんな不満が態度に出ていたのか、一色はあやすようなトーンで口にする。


「仲間が背中を押してるんだって、あの二人もすぐ気付くでしょうし……心配しなくても、そー悪い結果にはならないですって!」


……などとあくまで楽観的である。


「……大きなお世話ってあんだろ。その辺見透かされて、逆に不愉快になるかもしれんぞ」


押し付けがましい好意は、悪意となんら変わりない。


たとえばフラッシュモブなんかにしても、不愉快だと思う者は結構たくさん居たりするのだ。ネットに書いてあったから間違いない。


「あー……先輩だったらそう思うかもですねー」


「動機も不純だしな。仲直りさせるのも、二人を思ってっつーより生徒会のためみたいになっちゃってるしよ……」


「……それも別に良いと思いますけど」


「お前の場合、単に花火大会に行きたいだけなんじゃねぇの」


「ふふっ、そうかもですね!」


最後は皮肉のつもりだったのだが、一色はさも可笑しそうにクスクスと笑う。


空砲を打たされ、なんとなく面白くない俺を余所目に、一色はあくまで余裕綽々な態度である。


「ほら、わたし達、この前生徒会でボランティアに行ったじゃないですかー?」


「あ?」


咄嗟に頭が回らず、間抜けな声が出てしまう。


も、もう……この子ったら急に話を変えるんだから……


ただ、以前にそんな事を言っていた気がする。


確か銚子バイトの前日のことだ。生徒会メンバーは地域貢献の一環として、養護学校の子供たちと何か催しに参加していたのだったか。


「……それがどうしたよ」


「その時、コンサートで演奏を一緒に聴いたんです。こう子供たちと一緒に手を繋いだりなんかして、さながら聖女のようですよねー」


ハハッワロス。


「で、わたしが相手をした子が、ちょっと暴れる訳ですよ。もう演者の人が始めようとしてるのに、ちっとも落ち着いてくれなくて……」


一色は腕をパタパタと振って当時の様子を再現する。


ふむ、まあ、知的障害を持った子などは確かにそんなことをするのかもしれない……


おかげで普通のコンサート会場に入るのは、他の客に迷惑をかけたり、保護者の方でも遠慮が合ったりしてなかなか難しい。


なので、健常者と共にこうして鑑賞の機会を持つのは、結構有意義な事なのだろう。


「他にも大きい声を出す子が居たりして、こんなんでコンサート成立するのかなーって心配してたんですけど……」


「どうなったんだよ」


「なんか不思議と、どうにかなったんです」


……なんだそりゃ。


「演奏の途中でも暴れたり大声とか出すんで、こっちは気が気じゃなかったんですけどー……演者の人に言わせると、あれは曲調に合わせてるんですって」


「へぇ……」


「だからこっちが思うほど、演奏の邪魔にはならないらしいんです」


「ふーん」


「障害者の子でも、曲の良さってのは分かってるっぽいんですよ!」


……まあ、そういうこともあるのかもしれない。良い話だなー。


「そんで思ったわけです。クラシックって凄いなーって。国境やら、老若男女やら、時代やらそういうのを超えちゃうわけじゃないですか!」


「はぁ」


などとさっきから気のない相槌を打ってはいるが、話自体は分からなくも無い。


特にそういったジャンルを聞く趣味が無い俺でも、テレビやら街頭やらで流れれば、ふと耳に留まることがある。


現代音楽のメロディラインなども、元を辿ればクラシックに行き着く……なんて話もある。


理性や経験、慣習や訓練……そういったものを超えて、どこか本能に訴えるような力を古典音楽は持っていて、だからこそ今も生き続けているのかもしれない。マ○ロスもだいたいそんな話だしな。


……しかし、その手の音楽談義には正直あまり興味が無い。


一体こいつは何だってそんな話を持ちだしたのか……?


「……でも、ああいうクラシックの曲を作った人って、一体誰のために作ってたんでしょうねぇ……?」


「そりゃお前、貴族とか教会とか……まあ、その辺じゃねぇの?」


過去の偉大な作曲家達が残した曲は、クライアントが貴族だったり教会だったり……概ねそうしたパトロンの要請で作られたものだ。


今時のアーティストのように、明確に自己表現として作られたものは余り多くない。


「つまり、元々はそういう人達の為に作られたんですよね?」


「まあ……そういうことになるか……」


「生活の為って人もいたんでしょうね……だったらそれは自分の為ってことになりますし……」


「……何がいいたいの、お前……」


「……聞く側にしてみれば、そんなのどうでもいい訳じゃないですか。……この曲は誰のためとか、誰の依頼だとか……いちいち気にして聴いてませんよね?」


「ふむ……まあ、それもそうかもしれんが……」


「だから、今回のも“わたしの為”で良いんです!」


……そこでようやく話が戻ったらしい。


もの凄い論理展開に、俺は思わず目を見開いてしまう。


「……きっかけなんて、きっと何でも良いと思うんですよ」


そう言って、一色は遠くに目を向ける。その横顔に邪なものは感じられない。




……不意に、生徒総会であったことを思い出す。


あの時のことをざっくり総括するなら、俺は一色が動いた"きっかけ”――つまり動機の不純を突いてみせたと言えるだろう。


みんなのため……などという、あやふやな動機が原因で迷走していた一色を、俺は思いっきり腐してやったのだ。


だから、俺にとって“きっかけ”は決してどうでもいいことなんかではない。むしろ決定的に大事なことだ。




……しかしさっきの言いようだと、彼女はそう結論づけなかったというのだろうか……?


あれから、総会について話が上がったことはない。


きっと、俺とはまったく違う解釈をしているのだろう。




近くにいるようで、やはり俺と一色は全然違う。


多少重なる部分はあっても、根本的に何かが違うのだ。


――そのことを、少し寂しく感じてしまう。




「……まぁ、先輩のそういうところ、わたしは嫌いじゃないですけど」


急にかけられた言葉に、まるで心を見透かされたような気がして、少し狼狽えてしまう。


「は、はぁ?」


「じゃあ先輩っ、また来週です。遅刻しないでくださいよー!」


気付けばもう駅に到着している。


一色はカゴから自分の荷物を取ると、前で待っている戸部の元へ、たったかと走り去ってしまう。


半ば唖然とその姿を見送っていると、会計くんが突然後ろからポンと肩を叩いてきた。


「うん、僕も比企谷のそういうところ嫌いじゃないから」


「いや、何言ってんの……」


ずっと後ろで俺たちのやり取りを聞いていたのだろうか。


謎発言を残し、そのまま横切ろうとする会計クンだが、思うところがあって俺は声をかける。


「……お前はどう思う?」


「良いんじゃないかな、会長楽しそうだし」


いや、そうじゃなくてですね……


「上手くいくと思うか?今回の作戦」


「さあ……? まあ、でも、なんとなく上手くいくんじゃない?……分かんないけど」


彼にしては曖昧な物言いである。もっとピリッとした答えを期待していたのだが……


会計くんは、訝しげに眺める俺に微笑を浮かべると、そのまま前を向き直す。


そして去り際に、小さな声で呟いた。


「……それに……僕は、もうちょっとこのままでも良かったんだけど……」


「……」


聞かなかったことにして、無言で背中を見送る。


やがて電車帰宅組がホームの中に消えていくと、なんだかどっと疲れが出てしまい、自転車のハンドルに覆い被さってしまう。


蝉しぐれを聞きながら、地面を眺めること暫し。ふと隣から影が伸びていることに気付く。


陰の元を見やると、大志がぼうっと俺の横で突っ立っている。


「……お前はバスで帰んのか?」


「そうっす!定期切れちゃってて……お金もったいないんで」


「このあと、なんか予定あんの?」


「いえ、無いっすけど……どしたんすか?」


首を傾げる大志に、俺は自転車の荷台をバンバンと叩いて見せる。


「……だったらちょっと付き合えよ。あとでラーメン奢ってやっから」


何を察したのかは知らないが、大志はにっかと笑うと、いつかの一色のように後輪の車軸に足を乗せ、むんずと両肩を後ろから掴んでくる。


「不肖ながら付き合うっす! ……まったく仕方ないっすねぇ、お兄さんは!」


いやどっちだよ……動機をはっきりさせんかい。


などと思いつつ、ふんぬと力を込めてペダルを踏み込む。


まだまだ小僧とはいえ、やはり毒虫は重たい。加えて戸部に借りた本にも重量があるため、漕ぎ出しは大変である。


しかし一旦スピードに乗ればこちらのものだ。


平坦な国道沿いの道を抜けて、やがて緩やかな下り坂に入ると、普段より更に加速が増していく。マリ◯カートで◯ッパを操っている時の感覚に近い。


「ひょーっ!涼しいっすねぇ!でもちょっとスピード出し過ぎっすよ、怖いっす!」


「アホ、スピード出すから涼しいんだろうが」


大志の泣き言など気にも留めず、ぐんぐんと速度を上げていく。


なんせこの暑さだ。安全と涼しさはトレードオフの関係にある。


あちらが立てばこちらが立たず、美味しいとこ取りは残念ながら望めない。


誰もが喜ぶ結論など、そう都合よく転がっているものではないのだ。




だからこそ、動機は大事であると思う。


決断するとき、迷いがないように。


結果が出たあと、せめて後悔がないように……




……しかし、何もかも、そうして割り切れる問題だとは限らない。




ふと去年のことが脳裏をよぎる。


それは修学旅行であいつに共感してしまった時のこと……


あるいは、いつか帰路を共にして、あの子の想いに触れてしまった時のこと……




並び立てた命題の、そのどちらもが成立しないことだってあるんじゃないか。


あの時と似たような事を、俺は飽きもせずに繰り返しているんじゃないか。


そんな考えが思い浮かんでしまう。


まるで周回プレイだ。戸部を笑うことなど出来やしない。





そんな俺の胸中など露知らず、すぐ後ろから脳天気な声が飛んできた。


「あはは、いやーでもなんか慣れてきました!お兄さん、もっとスピード上げていいっすよ!」


「いやお前は、お巡りみとけよ、お巡り!」


心に浮かんだ何もかもを誤魔化すように、俺はペダルを更に踏み込んでいく。



―― 速度を上げたところで、問題を置き去りに出来る訳でもないのにな。



そんな益体もないことを考えながら。






※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


週が開けると、夏休みもいよいよ終わりが近づいてくる。


残りの日にちを数えると憂鬱になってしまうが、受験生となった今は、去年とはまた別のニュアンスが含まれている。


――そう、勝負の時もまた、刻一刻と近づいているのだ。


「……百九十五……百九十六……百九十七!」


まとまった時間を勉強に充てられる夏休みは、やはり受験生にとってこの上なく貴重である。


夏は入試の天王山、などと言われるが決して誇張ではあるまい。


「……百九十八……百九十九!」


「お兄ちゃんさぁ……」


いかに計画を立て、いかに守り、そして不慮の事態を前に、いかに綻びを立て直すか……


重要なのは、煎じ詰めれば克己心……つまり受験とはセルフ・プロデュース能力を試される場なのだと思う。


敵は誰でもない、いつだって自分自身ということなのだろう。


「……二百!」


振り下ろした刃先をビシっと目の前で止める。


すっかり日課となった木刀の素振り二百回を終えると、ふうと息をついて鞘(※エア)に収める。


……素晴らしい業物である。


すっかり扱いにも慣れてきたし、これを持って街に出かければ、大人世界と子供世界の狭間……ホーリーランドを制することも可能ではないだろうか?


ただ、その際は路上の柔道家と草地のレスラーにだけは十分な注意を払わなければならないのは言うまでもない。


「……うん、それは良いんだけど、お兄ちゃんは何やってるの……?」


見やると、最愛の妹がドアの縁に足をかけ、呆れたような顔でこちらを眺めている。


や、やだ……小町ちゃん、ずっと見てたのかしら……?


「何、ちょっとした息抜きだ」


短パンの紐に通していた木刀をすらりと抜いて、刀身のツヤを見せつけるも、依然、小町が俺を見る目は冷たい。


やはり女子にはこうした浪漫は理解できないのかもしれないな……


それにしても戸部に貰ったこの木刀……思いのほか具合が良い。


長さも丁度良く、部屋で振りかぶってもギリギリ天井に当たらないし、振れば振るほどに柄に手が馴染んでいく気もする。


やっべーわこれ……っべー……


「お兄ちゃんって、勉強とかサボらない印象あったんだけど……なんか小町心配になってきたよ……」


「別にサボってねぇけど、心配はたくさんしてくれて構わんぞ」


などと皮肉めいた事を言うのは、小町だけではなく、家族こぞって俺に対して冷た過ぎるからだ。


親父はどうも俺の年齢を覚えていないらしく、この春からは浪人生だと勘違いしている節があるし、母はバイトで俺が長らく家を空けていたことに気付いてもいなかった。


カマクラに至っては、未だに俺を他人と認識していて、あれから家に帰る度に威嚇して出迎える始末である。


……って改めて列挙すると、すげぇなこの家……


受験生抱えた家って、もっとこう気を遣うものじゃないのかな……? 去年は確かそんな感じだったんだけど……


もう!家族もっとやる気だしてよね!


……などと悲憤に悶えていると、そろそろ良い時間である。


木剣をコトリと本棚の脇に置くと、俺はいそいそと身支度を始める。


「あれ、お兄ちゃんどっか行くの?」


「おお、今日は花火大会にちょっとな…… 戸塚と材木座も来るんだが、小町も一緒に行くか?」


「……いや、ほんと大丈夫かなこの人……」


小町が訝しげな顔を向けてくる。


……これで十六年間、兄妹をやっているのだ。何を心配しているのか、すぐに分かってしまう。


「まあそうだよな、じゃあ材木座はハブることにするわ……小町も一緒に行くか?」


「いや、中二さんはどうでも良いんだけど……それに、あたしは学校の友達と行くことになってるもーん」


……ふむ、それは残念。


しかし友達付き合いは大事だ。そちらの方を優先すべきだろう。


シャツを替え、小銭入れに適当に金を突っ込むと、すんすんと何か匂いを嗅いでいる小町を横切って部屋を出る。


ただ、その前に一言注意しておく。


「じゃあ俺先に行くわ。家の鍵はよろしく頼むな…… お前、あんまり遅くなるんじゃねぇぞ」


「それは小町の台詞だよ!お兄ちゃんの方こそ、遅くなっちゃダメだからね!」


「……用が終わったらすぐ帰るって……今日は一色の奴がやる気出しててよ……顔だけは出しとかんと」


「あ、いろはさんも来るんだ」


しまった……


言ってから手で口を塞いでみるも、後の祭りである。


最愛の妹はニヤニヤと底意地の悪い笑みをたたえながら、俺のあとをちょこちょこと付け回す。


「ふーん……じゃあまあ今日ぐらいは、ゆっくり遊んだらいいんじゃない?」


「さっきと言ってることが違うぞ……俺の受験は心配じゃないのかよ……」


「うーーん……よく考えたら、お兄ちゃんは本当にやばかったら小町には言うもんね」


「……言わねーけど」


「言わなくても、顔に出るしねー」


「……」


本格的に鬱陶しくなったので、取り縋る小町の手をしっしと払いつつ、逃げるように玄関に向かう。


「ってわけで、小町はお兄ちゃんのことは全然心配してないから、気兼ねなく楽しんでね!」


心配して欲しいのに……


少し泣きそうになりながらも、サンダルをつっかけドアを開ける。


「頑張ってね!釣果を待ってるよー!」


と楽しげに送り出す小町の後ろでは、カマクラがフシャー!と全力で威嚇して俺を追い出しにかかっている。


ふ、ふえぇ……家族に愛が無いよぉ……




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



などと心温まるホームコメディーをこなし、暮れなずむ街をトボトボと歩き、電車にユラユラ揺られていると、気付けば集合場所の駅である。


「ダァシエィリェス」というアナウンスのあと、多くの客と共にホームに降りる。


既に辺りは人でごった返していて、早くも帰宅したくなったが、芋洗いの中の一個の芋と化した俺にはもはや流れに逆らう気力もない。


流されるまま流されて駅の外を出ると、やがてペッとそこいらに弾き出される。


はっと我に返れば、あたかも暴行された後の人みたいな姿になっており、涙をぬぐいつつ乱れた衣服を元に戻した。


「本当ろくでもねーな……花火大会……」


なんとか空きスペースを確保すると、ゴミのような人の群れを横目に独りごちる。


三十万もの人間が、今日この時間ひと所に集まるのだから、それはまあ大変なことである。


駅は人間製造機の様相を呈しており、今も人がモリモリと産み出されては次々と排出されていく。



ふーむ……あの中に、俺以外のメンバーは居なかったのかな……?


スマホで皆の所在を確かめると、どうも俺が一番早く到着したらしい。ラインのグループの第一声は俺の吹き出しとなっていた。


……という訳で、話相手もおらず、早速手持ち無沙汰になってしまう。


何か暇つぶしは無いものかと辺りをキョロキョロ見渡すと、大型テレビの付いた車両が目に止まった。


ここら一帯は既に交通規制が敷かれており、会場までの車道は本日に限って歩行者に開放されている。


当然、一般車は全く見当たらないが、テレビ会社や救急車などの特別車両は許可を受けているのだろう。



これは暇つぶしに持ってこいですなぁと、大型テレビの映像を見ていると、丁度我らがマリーンズとハム会社の尖兵共がゲームをしているところだった。


こうして千葉市民が花火に興じている間、彼らは遠く札幌の地で戦っているようだ。


「比企谷先輩!」


ぼけーと試合を眺めながら時を過ごしていると、聞き慣れた声が耳に入る。


俺の名前を真っ当に読んでくれる後輩といったら、この世に書記ちゃんしか居ない。


いや、ほんとマジで書記ちゃんしか居ないわ……どうすんだこれ……


瞼に熱いものを感じつつ、声のした方を振り返る。そして、思わず目を見開いた。


書記ちゃんは、藍色をベースに朝顔の柄に彩られた浴衣に身を包み、髪もアップにまとめて、いつもと随分印象が違う。


華やかさや艶やかな雰囲気こそ無いものの、清楚で可憐とも言える素朴な美しさは、大和撫子という評が似つかわしい。


不慣れな下駄に戸惑いながら歩く様子はいかにも可愛らしいが、空けられた首元のラインからは逆に仄かな色気を感じさせる。そのアンバランスさに心が定まらず、思わずドキドキと胸が高鳴ってしまう。


やだ……この子可愛い……


「ちょっと遅刻しちゃいました……駅がすごく混んでて……すみません」


ペコリと頭を下げる書記ちゃんに、俺は手だけで鷹揚に返す。


っていうか、そんなの全然気にしなくて良いんだよなぁ…… こう、待ってる時間も楽しいっていうか、そういうのもまた醍醐味というのだろうか。


世の中には五分や十分遅刻をしても何ら良心の呵責を感じず、一言も詫びることなく偉そうに振る舞う下衆な人種が確かに存在するのである。


そういう輩に比ぶれば、なんと謙虚で慎み深い書記ちゃんだろうか(可愛い)


「……うす。 ……あれだな、浴衣が似合うな、書記ちゃんは」


挨拶がてら浴衣を褒めると、書記ちゃんは照れ照れと居住まいを正す。


「え、えへへ……ありがとうございます。……ていうか、どうして泣いてらっしゃるんでしょうね……」


癒やしが圧倒的に不足している受験生活の中、こうして一輪の花の美しさを目の当たりにすると人は涙してしまうのかもしれない。


そんな俺の泣き顔に書記ちゃんはドン引きしていたが、ふとテレビの方に目を向ける。


「野球をご覧になってたんですか?相手はどこでしょう……」


「ああ、マリーンズとハムだ。エース対決で今日はワクワクさんと大谷が投げ合ってるぞ」


「わぁ、それは負けるわけにはいきませんねぇ……」


生え抜きではないが涌井投手は今やマリーンズに無くてはならない大エースである。


しかも、ルックスについても福◯雅治を膨らませたような甘いマスクをしており、女性ファンからの支持も絶大だ。


書記ちゃんも例に漏れないようで、目を輝かせてモニターに魅入っている。


……野球のルールをどれだけ把握しているのかは怪しいが、こういうミーハーなところまで可愛く見えてしまう辺り、俺も彼女に対して多少の贔屓目があるのかもしれない。


「今のところ、一つの安打も許してないぞ」


「……ええ、でも結構な球数なのに、未だに外の出し入れに苦労してるみたいですね……今日の球審は誰が務めているんでしょう……?」


「……」


う、うん……ごめんね……俺そのレベルで野球見てないから……


っていうか何その質問……怖い……


……などと後輩の観戦レベルに戦慄してしまうが、こういうマニアックなところも可愛く見えてしまう辺り、俺も彼女に対して多少の贔屓目があるのかもしれない。


そうしてゲームを眺めている内に、次の電車が着いたらしく、まもなく出てきた芋のような人の群れから戸塚が飛び出してくる。


「ごめんねー八幡、遅れちゃったよー!混んでるのを計算してなくて……」


はぁはぁと息を荒げて駆け寄ってくる戸塚に、俺も手だけで鷹揚に返す。


っていうか、そんなの全然気にしなくて良いんだよなぁ…… こう、待ってる時間も楽し(以下略)


そして戸塚のやって来た更に後ろに目を向ければ、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見渡す甚平姿のグリズリーが一匹。


のろのろと気怠げな様子で徘徊している材木座だったが、やがてこちらに気付くと、急に走る素振りを見せて、ドッスンドッスンと大地を揺るがしながら駆け寄ってくる。


「はっちまーん!いやぁ、我としたことが遅刻をしてしまうとはな……だが電車がアホほど混んでおったのでやむを得なかったのだハプフン!」


何がハプフンだ。これみよがしに急いでるアピールしやがって……


あと先着二人に比べて、言葉の端々から反省というものが窺えない。


「材木座、お前もう帰ってもいいぞ」


「それにしても混んでおるな……まあ、しかし花火は毎年ネット中継で済ませている身の上……たまには生で見るのも一興というものよ」


……などと凄まじいスルー力を見せる材木座だが、そんなに堂々と悲しいことを言われては、追い返す気も失せてしまう。


「ほむん、しかしまだ会長が来ておらんようだが……?」


「ああ、あと五分待って来なかったら、今日はここで解散して一旦各自帰宅しよう」


「判断、早過ぎないかな!?」


「それ以前に、普通、帰宅という選択肢は出ないと思うんですが……」


などとウダウダ話し合っていると、駅の階段を降りたすぐのところで、一色らしき女子がぼけらーと歩いている。


人の列が途切れるのを待っていたのか、随分のんびりしたご様子だ。


しばらくボケっとその辺を歩いていた一色だが、立ち止まると手鏡を観て髪をちょいちょいと整える。そして再び緩慢に歩き出したかと思えば、また立ち止まって手鏡を見ている。


しばらく皆でその様子を眺めていると、やがてこちらに気付いたのか、急に走る素振りを見せて駆け寄ってくる。


あの子……材木座さんとまったく同じ事をしているわ……


ハァハァとわざとらしく息を切らせる一色を、書記ちゃんと二人、しらっとした顔で出迎える。


「いやー、お待たせしましたー! ちょっと電車が混んでて遅れてたみたいです、わたしが悪いんじゃなくて自治体が悪いんですけどねー」


一色は五分や十分ぐらいの遅刻なら何の呵責もないといった様子で、一言も詫びることなく偉そうに振る舞っている。


その上、自治体批判までしやがったぞこいつ……


「さて、そんじゃ早速参りましょうか!」


おーっと一人手を挙げると、ズンズンと先頭を切って歩き出す……が、急に立ち止まると、くるっとこちらを振り返った。


「……で、どうです?」


言って、自らの袖を指で摘んで、両袖を広げてみせる。


一色はなんかピンクっぽい浴衣着てた。


「お前な、あと五分来るのが遅かったら、みんなで帰ろうって話してたんだぞ……」


「それは比企谷先輩だけですけど……」


「いえいえ、そうじゃなくて、先輩、これですよ、これ!ほっ!」


といって、もう一度同じポーズを取ると、今度はくるりとその場で軽く回ってみせる。


なんだろう……ダブルラリアットかな?


近づいたら引き込まれる気がして、少し離れた場所で首を傾げていると、慌てた様子で戸塚が俺の横に立つ。


「か、可愛い浴衣だね!一色さんにとっても似合ってるよ!ねっ、八幡」


「……お、おう、まあそうな」


しまった、完全に忘れていた……


戸塚はぷくっと頬を膨らませると、一色には見えないように俺の背中をトスンと叩く(可愛い)


一色は一色でむぅと不満気に頬を膨らませていたが、すぐに立ち直ると再び皆を先導していく(逞しく育って欲しい)


「まあ先輩には、そういうの期待してませんしー」


「いや、書記ちゃんにはちゃんと言ったんだぞ」


「比企谷先輩……そのフォローは無いんじゃないかと……」


などと書記さんったら呆れた顔を私に向けておられますが、あれで言い切った感が出来ちゃったんだよなぁ……


……まあ、しかし一色のことはどうでもよろしい。


とりあえず作戦の滑り出しは順調といえるのではないだろうか。


奇妙とも思える組み合わせだが、これでひとまず全員集合を果たしたことになる。



残りの四人……戸部、副会長、会計クンに大志といった面々は、少し時間をずらし、別の場所で集まることになっている。


ここから暫く歩いた海辺の公園が、今年の花火大会の会場である。


二つのグループは、やがて運命に導かれてその地で邂逅を果たす……というのが、今回一色の建てたプランである。


まともに誘っては二人共、互いを意識して花火大会に来ない恐れがあるため、こうして回りくどい方法を採ったという次第だ。



……ただ、それなりに考えられたチーム編成とはいえ、この面子はやはり不自然さが拭えない。


書記ちゃんがその点を不信に思っているのは、明らかである。


事実、さっきから彼女はチラチラと俺や材木座の顔を見ては、いちいち肩をびくっと震わせている。


俺達も彼女が視線を寄越す度にデュフヒ……とにこやかに応じてあげているのだが、それでも不信は晴れないらしい。


……ここは巧みな話術を駆使して、それとなく書記ちゃんにフォローを入れたほうが良いのかもしれないな……


そう決めると、俺はすすっと書記ちゃんの傍らに歩を進め、小さな声で話しかける


「すまんな、書記ちゃん。一色には強引に誘われたんじゃないか?」


「え?いえ、そんなことはないですよ……?私も行きたかったですし、今日は誘って頂けて嬉しいです……」


「いや、実はな……当初はそこの野郎三人だけで花火に行く事になってたんだが、一色が直前になって無理やり俺達に混ざりたいと言い出し……」


言いかけた瞬間、スコーンとくるぶしに固いものが当たり、あまりの痛さにその場で悶絶してしまう。オウフ。


「ぐぉ……!」


蹲っていると、その隙に一色が書記ちゃんの横に立つ。


「聞いてよ書記ちゃん、実はねー、前から二人で花火に行こうって話をしてたんだけどー……先輩ってば急に恥ずかしいって言い出してー、他に人を呼ばないと絶対行かないって駄々こねるんだよねー」


あらあらまあまあ……、この子ったら何抜かしてやがるのかしら……?


悶絶する俺を余所目に、一色は書記ちゃんにあらぬことを吹き込んでいる。


「ヘタレな男子って本当だめだよねー……あいたっ!」


なんとか立ち直すと、一色のくるぶしを軽く足で小突いて、嘘八百をやめさせる。


だが一色はむっと眉を釣り上げると、ゲシゲシと下駄の裏で俺のくるぶしを容赦なく蹴り返す。


そうなると、こちらも黙って引き下げるわけにはいかない。


報復とばかりに、再び一色のくるぶしにアウトサイドキックをお見舞いする。


「ふつー女子に暴力とか振るいますかねー!なんか先輩、最近わたしの扱いが雑になってませんかー!?」


「何言ってんの……俺はちゃんと足の外側で優しく蹴ってやってるのに、お前は下駄の角とか容赦なくぶつけてんじゃねぇか。それ超痛いんだけど」


「ぬぅ……爆発しろ、貴様……!むん!むん!」


などといつの間にか材木座まで参戦し、三人してくるぶしをゲシゲシやりながら言い争う。


報復に次ぐ報復。拡大の一途をたどる戦線。のちに言われる『第一次くるぶし大戦』の勃発である。


などと頭の悪いことを考えていると、後ろからクスクスと笑い声が聴こえてくる。


我に返って振り返ると、書記ちゃんが袖で顔を抑えて笑っていた。


「……いいなぁ、仲が良くて……」


などと一見微笑んでいるのだが、どこか陰を感じるのは決して気のせいではないだろう。


一色とバツの悪い顔を互いに見合わせる。


うっかり作戦の主旨を逸脱してしまったぜ……


三人して手を合わせると、俺たちは終戦協定を結ぶ。なぜ材木座まで参戦していたのかはついに不明に終わったが、戦争とはそういうものなのかもしれない。


ともあれ、多少の妥協はやむを得まい。


いろいろ飲み込んで、俺はメンバー構成についての不信を払拭すべく公式見解を出した。


「まあ、書記ちゃん……そういう訳で、本当は俺と戸塚の二人きりで花火に行く予定だったんだが、直前で恥ずかしくなっちまって俺が一色を呼んだんだ」


「……どうして、そんな誰も幸せにならない折衷案を……」


などと渋い評価の書記ちゃんだが、ふとその目に悪戯気な色が浮かぶ。


「……ところでお二人は一体何処まで進んでるんでしょうか?私としてはお邪魔にならないか、それだけが心配でして……」


見た目は笑顔なのだが、どこかサドっ気があるように見えるのは決して気のせいではないだろう。


「いや、ねーから……」


「そうだよ、全然そんなんじゃないよ!?」


二人して手をブンブンと横に振って否定する。


旗色悪しと見た一色は、一旦その場を離れようとする。しかし書記ちゃんはシュビッと素早く手を伸ばすと、一色の浴衣の帯を掴んで捕獲してしまう。


「しょ、書記……ちゃん?」


「でもいろはちゃん……お誕生会のときも先輩の部屋に行ったりしてたよねー?」


言って、酷薄な笑みを浮かべる。


やだ怖いこの子……その内、下克上とかするんじゃないかな……


しかし書記ちゃんだけでなく、その傍らにいる戸塚も興味深げに目を輝かせている。


俺は一色と顔を見合わせると、互いに頷き、二人して弁明を始めた。


真摯に事実を伝えていけば、このしょうもない誤解も氷解していくだろう。


「あのな……部屋に居たって言っても、ほんのちょっとの間だぞ」


「そうですよ、ちょっと首根っこを掴まれて、床に転がされたりしましたけど……」


「えっ!?床に……だ、ダメだよ八幡、そんなことしたら……!」


一色の弁に、戸塚達三人の表情がピシリと固まる。……早速、何か誤解を生んでいる気がする。


戸塚にだけは誤解されたくないのだが、しかし信用を築くにはファクトを地道に積み重ねていくしか無い。


「いや違うんだ、問題なのは転がしたことじゃなくて、むしろトラウマを掘り返されるっつーか、そういう精神的被害の方が大きかったんだ」


「と、トラウマ……一体、あの時部屋で何が行われたんです……?」


「あの時、急に先輩が後ろから乱暴してきたんですよね。痛かったなー……」


「き、貴様、後ろから襲いかかったのか!? 」


お、おかしいな……


ありのままの事実を話しているだけなのだが、三人は見る間に顔を強張らせていく。


「そんで、こいつが好き勝手に振る舞い出して……人の部屋のベッドに飛び込んだりしてよ……」


「それで、こう先輩がわたしを上から組み伏せようとするんです、それから必死で逃げたりしただけですよね」


「いろはちゃん、それってベッドに押し倒されたってことなのかな……」


「あ、や、ほら、楽しかったから!思ったより楽しい感じで、ベッドの上で乱れていたというか……」


「ベッドの上で……乱れ……」


「は、八幡……貴様……高校生の分際でなんともうらやま……けしからんことを……!」


「大人になっちゃったんだね……八幡……」


書記ちゃんは青ざめ、材木座はむせび泣き、戸塚も目尻の涙を拭うと、取り繕ったような笑顔を俺に向けてくる。


なんかどんどん変な方向に話が進んでいるような……


っていうか、一色のフォローがことごとく誤解の元になっているような……


「ち、違うんですよ!それに、なんていうか先輩は臭かったですし!枕とかもすごい臭いましたし!」


「ご、ごめん、いろはちゃん……辛かったよね……私そんな生々しい話になるとは思ってなくて……」


「いやあのな……書記ちゃん……そんな時間ねーからさ……」


「すごく短い間で……あ、そうだ、天井のシミ数えてる間に終わっちゃったし……」


「疾風のごとしか……ドンマイであるぞ、八幡……」


ポンと材木座に肩を叩かれるに至っては、もはや話は修復不可能である。


一体、どうしてこうなってしまったのか……


「おい……一色、お前もう喋らなくて良いから……」


「あ、それに戸部先輩や副会長も居ましたし……」


「なっ……四人でだと!?」


「一色……これ以上はもう喋らん方が……」


「そ、それに最終的には小町ちゃんも入ってきましたし!」


「小町ちゃんまで……は、八幡!……背徳的すぎるよ!」


戸塚にユサユサと揺らされながら、俺は考え込んでしまう。


真実とは、かくも脆く、儚いものなのか……


たとえそれが事実だけの羅列だったとしても、ちょっとしたボタンの掛け違いから、かように見当外れな結果が浮かび上がる事もあるのだ。


……教訓。


とにかく一色に説明させてはダメだということで……


「あと先輩、ずっとわたしのスカートの中をチラチラ覗いてましたよね」


「内容が急にソフトに!?」


もう喋るなよおおおおおおおおおぉぉぉっ!





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



そんなハートウォーミングなグループトークを交わしている内に、気付けば俺たちは会場内に足を踏み入れている。


まだ夕暮れ時といったところで、花火が上がるにはもう少し暗くなるのを待つ必要があるだろう。


しかし日は暮れずとも立ち並んだ夜店は、どれも盛況を博している。


材木座などは腹を空かせていたのか、早速粉物を大量に仕入れては端から舌鼓を打っている。


俺も久々に童心に帰り、戸塚と輪投げで遊んだり、戸塚とソースせんべいの上で愛の言葉を囁き合ったり、戸塚と射的を楽しんではハートを撃ち抜かれたりしていた。


そんな至福の時間を過ごしていると、むーふーとグリズリーの呼吸音が背後から聴こえてくる。


「魔力充填完了……これでいつでも花火を鑑賞できる体勢が整った……」


そ、そう……


材木座はまだ家に帰っていなかったらしく、腹ごしらえを終えると俺達に合流する。


「ほむん、射的か……剣豪将軍を自称する我だが、鉄砲に関しても造形が深いことで知られておる……どれ代わらっしゃい」


と、俺達を押しのけると、材木座は頬をむぎゅうと銃に押し付け射撃を開始する。


足利義輝はその異名や立場からして守旧派的なイメージを連想する向きも多かろう。しかし実際にはキリスト教の布教を許したり、大友氏から鉄砲の秘伝書を貰ったりと、割と先進的な一面を示すエピソードがあったりするのだ。必要ねぇな、この豆知識。


「わーい、やったぜ!景品ゲットだー!」


「いや、待て、そこな子供!それ我の弾!我の弾が当たったから……!店主は見ておったであろう!」


「良かったなボウズ。こいつは中々取るのが難しい景品なんだぜ」


「ポキュン!……いや、だが手柄を配下に譲るのも将たる者の器か……」


などと子供に挟まれてワイワイはしゃぐ材木座はアホ丸出しだったのだが、それを見る戸塚の目はどこか優しげだ。


「……ふふっ、相変わらずだなぁ、材木座くんは」


「ああ、まるで成長していない……」


などと腐してみると、戸塚は笑顔のまま俺の方を振り返った。その目には少しからかうような色が見て取れる。(可愛い)


「それを言ったら、八幡だってたいして変わってないよ」


「む……」


まあ言ってみれば、活動範囲が奉仕部から生徒会に変わっただけで、表面的にはあまり変わっていないのかもしれない……


俺達の関係にしてもそうだ。


思えば去年の夏休みも、この三人で映画を観たり、ゲーセンでプリクラを撮ったり、喫茶店でミニ四駆談義に花を咲かせたりと、それなりに楽しかったようなそうでもないような時を過ごした覚えがある。


一学期の間も、放課後に寄り道してサイゼでだべったり、休日には服を買いに行ったり、模試を前に勉強会を催してみたり……


今もこうして夏祭りを共に過ごしている。


戸塚と材木座、今日はどちらか一方が来てくれれば良いと考えていたのだが、俺の誘いに両名は一も二もなく快諾してくれた。


片やクラスは代わり、片や体育の時間に顔を合わせることもなくなったが、依然、肩肘張らずに付き合える気楽な間柄と言える。


……だからだろうか、戸塚はこんな話を振ってきた。


「僕らが今もこうして遊べてるのって、もしかしたら一色さんのお陰なのかなぁ……生徒会の仕事、多かったもんね」


「い、いや、それはどうだろう……?」


あれは単に、君らがこき使われているだけのような……


疑義を呈すると、戸塚は俺の顔を覗き込んで目を細めた。


「……一色さん、可愛いよね」


「戸塚の方が可愛いさ」


「なんていうのかな、親しみやすいっていうか、とっつきやすいっていうか……構ってあげたくなっちゃう子だよね」


スルーされたことに少なからぬショックを受けたが、まあ、戸塚の弁も分からなくはない。


生徒総会からこっち、微妙にその向きを変えてはいるが「構われたい・愛されたい」という欲求は依然健在である。


それを少しも憚らずに前面に表しているのも相変わらずだ。


まんまと乗せられるのは面白くないが、放置すれば、それはそれでこちらのストレスになってしまう。


なんとも、お得な性格である。


「戸塚氏……あれはそんな無邪気なものではないぞ」


さっきからずっと聞いていたのか、材木座はそう口を挟むとポンと最後の弾を打つ。


勢いよく射出されたコルクの弾は、棚に当たって跳ね返り、材木座の瞼と眼鏡の間にすぽっと綺麗に挟まった。


それを見て、脇にいた子供らだけでなく、店主までもがプギャーと指差して笑う。


「あれは言うなれば魔性の女よ……全ては計算のもと行われていると我は見る。……まあ、大したものと言えなくもないがな」


そのまま話を続ける材木座も大したものだが……ただ、その言は的を射ているような気がする。


「八幡よ……あれはやめておけ……到底貴様の手に負えるものではない……」


「そ、そうかな……?僕はお似合いだと思うけどなぁ……」


「あの冷酷さと打算深さに八幡が絡み取られ、奴隷のように扱き使われるのは目に見えておるではないか」


「でも八幡は優しいから……お願いされて嬉しいとこもあるんじゃないかな?奴隷みたいに扱き使われるのだって、まんざらじゃないと思うなぁ」


そうして論を戦わせる二人だが、奴隷にように扱き使われる、という点において異論がないのは何故なんだぜ……?


「それに……あの女史、少しアホなところがあろうもん」


「う、うん……そうだね……。ちょっとアホなところ……あるかな?」


そしてアホという点でも見解の一致を見せた。


俺もそこは同意だったので、ウンウンと傍らで頷く。


……などと益体もない話に興じていると、いつの間にか後輩二人の姿が無いことに気付く。


「ところで……あいつら何処行ったんだ……?」


「さっきまで一緒だと思ったんだけど……ちょっと僕達だけではしゃぎ過ぎちゃったかな……」


キョロキョロと辺りを見渡すが、二人の姿は見当たらない。


射的をするまでは、確かその辺に居たのだが……


「……はぐれるとマズイのではないか?あの眼鏡っ娘と副会長を会わせるのが、本日のメインイベントなのであろう?」


戸塚と材木座、この二人には今回の概要はざっくりとだけ伝えてある。


「そう遠くにゃ行ってねぇだろ。ちょっと探してくるから、この辺で待っててくれ」


「あっ、じゃあ僕は二人にラインしておくね!」


「頼む」


二人から離れると、辺りを見渡しながら奥の方に歩いて行く。


夜店は松の砂防林に沿ってずらりと立ち並んでいるが、これまた随分とスペースを広く取っている。


ただでさえだだっ広い公園だ、更に今日は人がウジャウジャとゴミのようである。この中から二人を探し当てるのは至難の業だ。


……さて、一体どうしたものか……


早くも途方に暮れていると、さっきからスマホがひっきりなしにブリブリ震えている。


取り出して画面を覗くと、一色と戸塚がラインで会話しているようだ。


『一色さん いまどこに居るのかな?』


『角煮バーガー屋の前に並んでま~す☆』


『八幡が迎えに行ってるから そのまま待っててね!』


『了解ですっ(≧∇≦)b』


……という事らしい。


俺も『そこ動くな』と一言送ると、一色がいる方向にテクテクと歩を進めた。


一色と戸塚の会話はなおも続いているようで、ブッとスマホが一つ震える。


『書記ちゃんも一緒だよね?』


戸塚としては、念のためと思ったのだろう。


だが、メッセージにはすぐに既読の印がつくものの、一色からの返事がなかなか来ない。


間もなく、電話のアイコンがデカデカと画面を踊る。……発信元は一色だ。


すごい嫌な予感がしつつもラインを通話に切り替えて、スマホを耳に当てる。


「……どうした」


『やっば…………あっ、せんぱ~いヤバいんです~!いつの間にか書記ちゃんがいなくなっちゃったんですよ~!』


などと何故か俺に直接伝えてくる一色だが、最初の第一声が素の声だったので不安に拍車がかかってしまう。


……つーか、何を今更取り繕っとんだ、こいつ……


『さっきまで一緒に並んでたんですけど……戸塚先輩とラインやってる間に……何処行っちゃったんだろ……?』


「分かった。書記ちゃん探しながらそっち向かうからよ、お前はあんま動くんじゃねぇぞ」


『お願いします!わたしも角煮バーガー食べ終わったら、すぐ探しま――』


途中で通話を切って、スマホをポケットに仕舞う。


……何が角煮バーガーだ……


なーんか今回の件……あいつは妙に余裕ぶっこいてるんだよなぁ……



しかし、そろそろ副会長達のグループも会場にやって来る頃合いだ。


時間の余裕はあまり無いはずで、早く探しあてた方がいいだろう。


もう、書記ちゃんったら一体何処に行ってしまったのかしら……?



仮設トイレに列を為す女性達をチラチラと観察しながら通り過ぎる。


ケーリングカー形式の石窯ピッツァ屋にも多くの客が並んでいるので、こちらにも一人一人目を向けながら横切って行く。


しかし、いずれの列にも書記ちゃんの姿は無い。


夜店の隙間や、ゴミ箱の裏にも目を向けるが見つけられない。


徐々に焦りが出始めたが、努めて冷静に振る舞うと、より細かいところにまで捜索の手を広げていく。


向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのに――



などとカリスマ・アーティストに倣って探してみるも、余計迷走した感がある。気付けば夜店の区画から離れてしまい、樹木の立ち並ぶ区画に足を踏み入れていた。


柵のように並んだ木々が、夜店の群から漏れる光を遮っていて、夕闇に佇む人影を思わず見逃しそうになってしまう。


しかし、手に持ったスマホの明かりが顔貌を青く照らしていて、かろうじて、そこに佇んでいるのが書記ちゃんであることに気付いた。


ほっと内心で安堵の息をつく。


書記ちゃんは思いつめた顔で、ぎゅっとスマホを握ったまま固まっている。


どう話しかけようかと一瞬逡巡してしまうが、なるべく自然体の方がよろしかろう。そのまま近づいて声をかける。


「……何やってんの」


「はわっ!」


書記ちゃんはいつものごとく、ぎょっと肩を跳ねさせると、取りこぼしそうになったスマホをあわあわと抱え込む。


ちょ、ちょっと驚き過ぎじゃないですかねぇ……


「ひ、比企谷先輩……」


「おう、なんか一色が探してたぞ」


「す、すみません、友達から連絡があったもので……」


などと見え透いた嘘を付く書記ちゃんだが、そこは紳士な俺のこと。


何でもないような顔を装うと、くいくいと夜店の方を指差す。


「終わったなら一緒に行こうぜ…… 俺も食いたいし、角煮バーガー」


どうでしょう、この気の遣いよう。


ちょっとした嘘なら、あえて騙されてやるのが男の器なんだよなぁ……


千葉の……いや全国の青少年達が手本にすべき振る舞いである。


……だというのに、書記ちゃんはその場を一歩も動かない。そして顔を俯かせて、こんな事を言う。


「……このあと、きっと副会長さんが来るんですよね」


「……!」


「会計さんや、戸部先輩……大志くんもあとから来ることになってるんでしょうか……あ、そっか、それでふた手に分かれたんですね」


「……な、なんだそれ、そんな話合ったのか?」


などとしらばっくれてみたりする。


「いえ、そんな話は聞いてませんけど…… なんとなく分かります」


書記ちゃんは少し悪戯気に笑うと、こちらをチロリと睨む。


その目は「謎をここで終わらせる……!」と言わんばかりで、内心の焦りからかポケットの中では手汗がどっと噴き出ていた。


「どうだかなぁ……俺はそういう安易な手は打たんぞ」


「そうですね……だから今回の作戦を立てたのは、きっと比企谷先輩じゃないです」


書記ちゃんは、一色がよくやるように、うーんと唇に指を当てて考え込んで見せる。


「……なんかすごい大雑把ですし、正攻法というよりは、あまり脳みそ使ってない感じだし……いろはちゃん、じゃなかったら戸部先輩かなぁ……?」


やだ……全部バレてる……


あと、あの二人すっごいDisられてる……


しかし俺も立案には消極的であったものの当事者の一人には違いない。


もはや敗戦は確定的だが、念の為に聞いてみる。


「……なんで分かんの」


「女の勘です」


で、出たー!(※以下略)


ってか、これって本当はそれなりに根拠になる理由も情報もあるんだろうけど、言語化するのが面倒くさいから言ってるだけなんだろうな……


まあ、勘だろうが理詰めだろうが負けは負けである。


これ以上渋る気にもなれず、俺は両手を上げて降参の意を示す。


「まあだいたい、ほとんど……そんな感じだ」


「皆さんに心配をおかけしてるんですよね……? ちょっとバツが悪いです」


そう言ってぺろっと舌を出す書記ちゃんだが、相変わらずその場から動く気配がない。


……話をしたいのだと察して、俺は書記ちゃんの隣に並ぶとその場にしゃがみ込んだ。


「……喧嘩した理由、聞いていいか?」


込み入った話をする時は、目を合わさない方がスムーズに進むことがあるらしい。


電話の方が正直に話せる……みたいな人も多いというが、きっと理屈は同じなのだろう。


「あはは……なんといいますか……」


こうして並んでいると表情は窺えないが、声音だけで照れているのがありありと分かってしまう。


俺とて、いつかこんな局面もあるんじゃないかと、日々脳内でガールズトークのシミュレーションを繰り返していたほどの実力者だ。


可愛い後輩が本気で悩んでいるのなら決して無碍になどしないし、どんな難問だろうと立ち所に解決策を提示する自信もある。


さあ、なんでも言うてみ?と身体を揺らして続きを催促すると、書記ちゃんは訥々と口にしだした。


「この前のバイトの帰りなんですけど……私、副会長さんに告白したんです」


――オウフ。


のっけからストレートをまとも喰らい、身体がよろよろと揺らめく。


お、おかしいな……二人のことだから、もうちょっとソフトな話だと思っていたのに……


「……お、おう……」


「今思えば、我ながら随分テンパってました。……初めてのアルバイトが終わってテンションも上がっちゃってて……ちょっと前のめり過ぎたかなぁって」


やばい、これ……まず間違いなく俺の手に余る案件だわ……


かと言って、もう今更逃げられないし……ど、どないしよ……


早くも暗雲立ち込める「夏休み・はちまん電話相談室」だったが、そんなスタジオの動揺など露知らず、受話器の向こうで書記ちゃんは話を続けていく。


「それでちょっと引かれちゃったんですかね……? その場では返事がいただけなくて……」


「お、おう……」


「……」


「……」


オットセイ戦法で行けるところまで行こうという狙いもあったが、早くも破綻したようだ。


妙な沈黙が辺りを支配する。



……それにしても副会長は一体何を考えているのだろう。


書記ちゃんから告白されるだけでも万死に値するが、さらに返事を保留するなど三族を滅ぼされても文句は言えないところだ。


どっちにしろ副会長は死あるのみなのだが、まあ、しかしあれですね……ほんっと優柔不断な奴ってダメですねぇ……


だいたい女の子に行動させる時点で、俺に言わせれば最低のへなチン野郎なんだよなぁ……


何日も待たせるのもマイナス査定だ。男だったらガツンといかんかい、ガツンと。


何かを棚に上げ、内心で副会長をこき下ろす。


「……で、それが喧嘩の理由か……?」


「それで……これはもう完全に私の逆恨みなんですけど……ちょっとムカっと来ちゃいまして」


ふ、ふーん、そう……なんだ……


「自惚れかも知れないですけど……副会長さんも、私のことをそう憎からず思ってくれているのかなぁ、なんて自負もあったりして……」


「そのはずなんだがなぁ……」


「……だったら……なんで私ばっかり、こんなに頑張らなくちゃいけないのかなぁって思ってしまって……」


……もう答え合わせの必要もないほど明確なのだが、こちらも勉強中の身の上だ。


復習がてら、この子が喜ぶ相槌を打ってみよう。


「たまには副会長の方からバーン!と来てほしいわけだ」


「は、はい……」


「自分だけバーン!と行くのは理不尽だよな。不安になっちまうし」


「そ、それです!そうなんです……!」


「ちょっとしたことでも、遊びに誘ったりするのってパワーが要るもんな」


「ふわぁ……」


……ドンピシャリだな……。


最後の方、もう書記ちゃんちょっと溶けかけてたし……


一色は「直接理由を聞いたわけではない」と言っていたが、恐ろしいほど正確に彼女のことを理解していたことになる。


それならば……もうちょっと続けてみるべきだろう。


「まあ、アホらしいかもしれんけど……もうちょっとだけ、あいつらに乗ってやってくんねぇかな」


「……はい。せっかく、いろはちゃんがセッティングしてくれましたから……」


「すまん」


「ほんとはさっき、自分から副会長さんに言おうと思ってたんですよ。……なんだか居たたまれなくなっちゃって」


言うと、書記ちゃんもその場にしゃがみ込んんだ。


頭の高さが揃うと、彼女は俺の顔を覗き込んでくるので、少したじろいてしまう。


「結局、それも出来なかったんですけど……でも比企谷先輩とお話出来てよかったです」


「……なんだそりゃ」


「なんか一生懸命やってくれてるの、分かりましたから」


「ば、ばっか、何言ってんの、俺は単に二人が仲違いしてたら二学期からの生徒会に支障を来して、ひいては一色の負担になる訳だが、それは自動的にこっちにツケが回ってくることをも意味していて……」


などと、俺はロジカルな弁明に務めるのだが、書記ちゃんはクスクスと笑って真面目に聞いている様子がない。


「比企谷先輩はたまらないですねぇ……いろはちゃんの気持ち、ちょっと分かっちゃうなぁ」


「……ぬぅ……」


恨めしげに睨み返すも、書記ちゃんはまったく堪えた様子もなく、逆にこちらの顔を覗き込んでくる。


み、見んといて……


「本当そういうのやめような……本気にするから」


そういうと、書記ちゃんはまたもクスクスと笑う。


悪戯げなその顔は、少しだけ誰かに似ていて、俺は歯噛みして顔を逸らしてしまう。


そして、逸らした視線の先には、その「誰か」がいた。


巾着を肘に引っ掛け、パタパタと走り寄ってくるのは一色である。


あいつめ……動き回るなと言ったのに……


「あー!二人共こんなとこに居た!」


「いろはちゃん……」


「もう!先輩も見つけたんなら連絡くださいよー!心配したじゃないですかー!」


いきなり表れてはぷりぷり怒っている一色だが、両手に持つのは二つの角煮バーガーである。


言わずもがな俺達の分なんだろう。


はぁはぁと息を切らしながらも、「ん!」と二つを目の前に掲げてみせる。


「これ……二人で……!」


「あ、いろはちゃん……私の分も買ってきてくれたんだ……」


書記ちゃんは立ち上がると、一色の方にトテテと走り寄る。


そして互いに柔らかな笑顔を向け合う。



言葉になどしなくても、書記ちゃんは一色の策を見事に看破し、一色もまた書記ちゃんの悩みを正確に把握していた。


二人が今までどんな言葉を交わし、どんな経験を共有したのか……俺はほんの一部しか知らない。


でも、これはそうして彼女らが積み重ねたことの、ひとつの結果なのだろうと思う。


ふとその姿が、あの子とあいつが睦み合う姿と重なって見えた。


「……」


一つ息をつくと、俺も立ち上がって一色の方に歩み寄る。そしてニヤリと下卑た笑み浮かべた。


「……いいとこ、あんじゃねぇか」


「そ、そりゃ、これぐらいはしますよ……わたしだって」


一色は頬を赤く染めつつ、角煮バーガーをまず書記ちゃんの方に手渡す。


すっかり冷めてしまっているのだろうが、食べてみればきっと温かく感じられるはずだ。


俺にしても、以前から噂されていた角煮バーガーというものに興味が無い訳でもなかった。


夜店の出し物にしては珍しいメニューだし、ちょうど小腹も空いている。どれ、ひとつご相伴に与ろうではないか。


「なんか悪いな、一色。あんがt……」


……と、手を伸ばしたその時、一色は包をベリベリと剥がすと、そのまま角煮バーガーにぱくー!と勢い良くかぶりついた。


「え……?」


「もぐもぐ……ん~~~美味しい~!」


「ほんとだね、角煮とパンがこんなに合うなんて……!」


「前から、ここのバーガー“二人で”食べようっていってたもんね!ふわぁ……まいうー……並んだ甲斐あったなー……」


………………


俺の分、なかった……


「先輩、なにか言いました?」


「いや、何でも……」


まあでもね、そういうのって絶対、出来立てほやほやの方が美味しいし!


あとでホッカホカの買うし!……くそ、絶対負けねぇ。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



そんな思わず涙がこぼれ出そうな人情話の一幕を終えると、戸塚達とも再び合流する。



夜店の区域から離れると、通路を示す三角コーンが立ち並び、その外側には随分前から場所どりをしていたのか、所狭しとレジャーシートが敷かれている。


家族連れやカップル、友人同士など、顔ぶれは様々で、中にはビールを飲んで「ウェーイ」などと騒いでる者もいる。


広大な芝生を埋め尽くす様は、さながら難民キャンプの如しだが、花火が上がるのを待ち構える表情は皆一様に明るい。




俺たちはそれを横目にQWCスタジアムを目指して歩を進めていた。


すでに副会長達のグループも会場入りしているらしく、一色が皆をそれとなく誘導しているのだ。


あとは定められた地点で、白々しく彼らのグループと合流を果たせばミッションは完了である。


うーん、一色が立てただけあって大雑把な作戦だなー……



見やると、一色はスマホの地図アプリを見ながら、現在位置を念入りに確認している。


「先輩、西って左のことですよね?」


「ん? お、おう……左っつーか、今向いてるのが西な」


「方角って時々変わるじゃないですかー?わたし地図見てると、かえって迷っちゃうことあるんですよねー……」


「そ、そうか……」


変わっちゃうんだ……方角……


……などと、心胆寒からしむる会話をしていると、気付けばスタジアム付近である。


何か特別な企画でもあったのか、ここいらは自治体主催の店が多く並んでいるようだ。


子供をターゲットにしているらしく、金魚釣りにヨーヨー釣り、お面屋などなど、昔ながらの夜店の風情に郷愁を誘われてしまう。



ただ、他の皆は合流を前に緊張し始めたのか、店にも目を向けず、徐々に口数が少なくなっている。


そんな様子に、書記ちゃんはちらりと俺に目線を寄越すと、さも可笑しそうにクスリと笑った。


……滑稽だろうと思うが、もう少しお付き合い願いたい。



向こうのグループでも、今頃こんな空気になっているのだろうか……?


……そんな事を思いながらテクテク歩いていると、聞き慣れた声が脇から飛んでくる。


「あー、もう副会長全然ダメ!慎重すぎるわー、遅すぎるわー……」


「ほんっと奥手っすねー副会長さんは……制限時間あと一分っすよ!」


「焦らすなよ!もうちょっとで終わるって……だいたいお前らの板は難易度が低すぎるんだよ……」


誰かと思えば、戸部、副会長、大志のアホ三人が、呑気にカタヌキ遊びに興じている。


ちなみにカタヌキとは、様々な模様が描かれた板状の菓子を画鋲や爪楊枝で繰り抜いて、型を割らずに綺麗にくりぬければ景品や現金が貰えるという、古来より伝わる夜店の定番遊戯である。


っていうか、こいつら全然緊張してませんね……仕事しろ仕事。


「わぁー懐かしい……でもあれって意外に難しいんですよね。わたし景品貰えたことなくって……」


アホたちを咎めるのも忘れ、一色は懐かしげに声をあげる。


ふむ……まあ確かに、こいつはこういうの下手そうだな……


意外に雑なところがあるし、短気だし、チマチマやるのはメイクとスキンケアで十分とか考えてるのだろう。


しかし何を隠そう、俺はこの遊びが得意中の得意である。


……実はカタヌキにはコツがあって、事前に水分を含ませると割れにくくなる性質がある。


故に「水禁止」と張り紙を出す店もあるぐらいなのだが、小学生の時、俺は無限に湧き出る手汗を利用してパーフェクトを連発。祭りの間中、キャッシュバック制度を利用し一人延々と板を買い続け、最後の方は店主に「君……お友達はいないの?」と本気で心配されるほどの実力者だったのだ。


「ウンチクと思ったら、また比企谷先輩の黒歴史でした……」


「一体、どんだけ闇抱えてるんでしょうねぇ……」


後輩たちに憐憫の目を向けられ、少し泣きそうになってしまうが、一方のアホ三人は非常に楽しそうだ。


子供たちが周りに気遣って黙々と作業する中、空気を無視して大盛り上がりしている。


うーん……君たち、あまり子供たちに良い影響を与えていませんね……


「よし、じゃあ、まずは俺からっす!店主さん、鑑定どうぞっ!」


「んー……君のは縁がガタガタだ、荒っぽ過ぎる。……これじゃ何も上げられないねぇ」


「厳しいっす!」


威勢よく名乗り上げた大志だが、店主に首を振られると、くっはー!とその場に崩れ落ちる。


「っしゃぁ!じゃあ次は俺ね!……これ、プラス査定っしょ!?どう?どう?」


「んー……君さぁ……ペットボトルの水で板の強度上げちゃってるよね……おじさん見ちゃったんだよねぇ」


「いや、ちょっ、それは……!」


「まあ見てなくてもバレバレなんだけどね、色変わるから……という訳で景品は無しだ!ったく、この薄汚いロン毛が……」


「最後の罵倒いらなくね!?」


戸部は不正に手を染めたらしく、あっさり見破られて落選である。


しかしなんて姑息な奴だ。最低だなあいつ……


最後に副会長が自信有りげな表情で、店主に繰り抜いたものを渡す。


「じゃあ俺のはどうですか?完璧な仕上がりだと思うんですが……」


「んー……君はまあ、なかなか上手くやってるけど、ここの縁が少し欠けてるね……景品を上げるほどじゃないなぁ。まあ五十円キャッシュバックってとこかな」


ぶっちゃけ合格ラインは、店主の胸先三寸である。


綺麗な仕上がりと思われた副会長のカタヌキも、細部に難癖を付けられ残念賞に終わったようだ。


申し訳程度のキャッシュバックが店主から手渡される。


しかし、それに対して副会長は会心の笑みを浮かべてガッツポーズを取った。


「よっし!これで俺の一人勝ちだな……!さあお前ら、俺の板は二百円だから、約束通り同額ずつ払ってもらうぞ」


「はぁー……無いわぁ……五十円で優勝とか無いわー」


「仕方ないっすねぇ……」


どうやら誰が一番報酬が多いかで賭けをしていたようだ。


ちっと舌を鳴らしつつ、子供たちが見ている前でチャリチャリと金銭のやり取りをする生徒会メンバー。


うーん、これはいよいよ教育上良くないですねぇ……



皆しらっとした顔で三バカ達を眺めていると、やがて彼らも気付いたのか、慌てた様子で取り繕う。


「あっ……これは、ほら、あれだべ!?なんつーか、合流するまでの暇つぶ……あ、いや!そうじゃなくて」


「だ、だって、会長達遅いっすも……はっ!?や、なんでもないっす!」


……などと墓穴まで掘る始末。もうなんかグダグダだな……


しかし、一色はあまり細かいことを気にしてないのか、書記ちゃんの背中をどーんと押して、無理やり副会長の隣に座らせる。


「……そういうことか……」


キング・オブ・ニブチンの名を恣にする副会長だが、さすがに事情を察したのか、はぁと溜息をつく。


「こんな策を弄するのは、さしずめ……」


と言って、副会長はジロリと俺の方を見る。……が、すぐに目線を上に向けて考えなおす素振りを見せた。


「……いや、比企谷にしては雑過ぎるよな……正攻法というよりは、脳みそを全く使ってないこの感じ……会長じゃなければ、戸部が立てた作戦かな?」


うーん……やはり分かっちゃうものなんでしょうか……こういうのって……


「の、脳みそ使ってないって、どーいう意味ですかー!」


「失礼しちゃうわー、無いわぁー……っべー……」


しかも反省の色が全く見られない二人である。脳みそ使え、脳みそ。便利だぞ脳みそ。


「……それでも、私は良いです」


ぎゃーぎゃーと不満をこぼしていた一色と戸部だが、書記ちゃんが呟くと、二人とも口をつぐんで押し黙る。


「この前のお返事……今日聞かせてもらっていいですか……?」


はっきりと書記ちゃんがそう告げると、緊迫感が辺りに張り詰める。


生徒会メンバーだけではない。戸塚に、材木座……そして店主と周りに座っている子供達までも……一同、固唾を飲んで次の言葉を待つ。


「……」


「……」


「いや、ゴメン、さすがにここでは……」


「そ、そうですね……」


で、ですよねー……教育に良くないですもんねー……


さすがにここで真面目な話は出来ないらしい。好奇の視線を背に、両名はそそくさとのれんをくぐって表に出る。


こちらとしても追いかけて出歯亀する訳には行かず、席に座って二人の行く末を見届けることにした。


まあ、そんな詳細を聞いても仕方ないですからね……


遠くで話し合う二人をぼーっと眺めていると、隣で一色がこそっと囁いた。


「わたし達に出来ることは、これで全部ですよね……」


いや、もうちょっと出来ることあったんじゃないですかね……合流してからは、もう雑なんてもんじゃなかったし……


満足気な一色に、呆れた目を向けたその時、会場の方向から大きな声が聞こえてくる。


皆でカウントダウンを唱和しているようだ。


「――五、四、三、二、一ッ!」



間もなく轟音と共に、夜空に大きく一輪の花が咲き上がる。


おぉー……と歓声が沸くやいなや、二発三発、立て続けに大輪が夜空を彩った。


いよいよ花火の打ち上げが始まったのだ。



わぁっと子供たちがカタヌキを捨てて外に身を乗り出す。店主は苦笑しつつ金庫に蓋をすると、自らも外に身体を乗り出した。


「おーー!アガるわー!」


「あはは、綺麗っす!去年は受験で見れなかったからなー……」


「ふむ、なかなかの風情よ……やはり生は良い……去年までの我がまるでアホのようだ……」


今年は大増量で、一万五千発もの花火が打ち上げられるらしい。


それまで夜店を楽しんでいた者たちも、一斉に空を見上げて花火の美しさに見とれている。


あるいは、一色がそうしなければ、俺も花火に見入っていたのかもしれない。



一色は、ぎゅっと俺のシャツの袖を掴んでいる。


その視線は上空には無く、遠くで話をしている副会長と書記ちゃんに向けられていた。


これまでずっと余裕綽々だった一色だが、打って変わって真剣な眼差しをしている。



暗がりにいた二人は花火が上がるたびに、その姿を照らし出す。


明滅する視界の中で、二人の影が小さく揺れた。




――こんな光景を、いつか見たことがある。


あの時は確か……




華やかな空の下、向かい合う副会長と書記ちゃん。


やがて書記ちゃんが、副会長のそばをゆっくりと俯きがちに離れていく。


残された副会長も空を仰ぎ、書記ちゃんとは別の方向へ歩き出す。


「書記ちゃん!」


俺達のいる店の直ぐ側を、書記ちゃんが口元を抑えながら駆け抜けていった。


一色の悲痛な叫びに、花火を見上げていたメンバー達もはっとそちらを振り返る。



これでは……まるで、あの時の再現だ……


思わず隣に目を向けると、一色はちっと悔しそうに舌打ちし、眉を吊り上げてこちらを睨み返してくる


苛烈とも言える光を目に宿し、そして、普段より低い声で呟いた。


「……全然……違いますよ!」


そう言い残して外に飛び出ると、人を掻き分けて書記ちゃんの後を追う。


戸部と大志も頷き合うと、すぐその後に続いた。


「材木座くん、僕達はあっちの方に行こう!」


「ふむ、先回りして出口を封鎖するわけか……御意……!」


戸塚は咄嗟に機転をきかせ、材木座とともに陸側の出口に向かって駈け出す。


「よし、じゃあ俺たちは東の方の出口を抑える!行くぜ、ガキども……!」


「うんっ!」


カタヌキ屋の店主も子供たちを引き連れ、もう一つの出口を抑えに回った。


……う、うん、でも君たちは関係ないと思うのだけれど……


いや、まあ、花火の最中に客なんて来ないだろうから、これで良い……のかな……?



とにもかくにも、店はすっかりもぬけの殻である。


「……」


ぽつねんと、その場に取り残された俺だが、これはきっとそういうことなのだろう。


書記ちゃんのことは、あいつらに任せて大丈夫だ。だから俺がこれから向かうべきは彼女の方ではない。



こんなところまであの時と一緒で、不安が頭をもたげてしまう。


――しかし、さっき一色は「全然違う」と、確かにそう言った。


なら、見届けてみよう。確かめてやろう。


鞄を肩にかけ直すと、俺も店を後にして皆とは逆方向に足を運ぶ。




……きっと俺は、この生徒会というコミュニティが崩壊していく様を見たくないのだと思う。


だから柄にもなく横から口を挟み、僅かばかりとはいえ、こうして世話を焼こうとしている。



しかし一方で、こうも思っている。


――崩れてしまっても、壊れてしまっても構わない。


上辺ではなく、偽りでも無い……そんな彼・彼女らの行く末を、俺は知りたくてしょうがないのだ。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



なんせあの人混みだ。戸部の健脚をもってしても、書記ちゃんを捕まえるのは容易ではあるまい。


……一方の副会長はといえば、簡単に見つけることが出来た。


皆が花火に見入って足を止める中、項垂れながらとぼとぼと歩く後姿はかえって浮いて見えるというものだ。


早足で歩くだけで、どんどん距離が詰まる。


おかげで息も切らさず、落ち着いて声をかけることが出来た。


「……何やってんの……お前……」


とんと肩を叩くと、副会長は緩慢な動きでこちらに振り返る。


「いや、正直なところを言ったらさ……ああなっちゃった」


薄く笑ったつもりなのだろうが、残念ながら失敗していて、少し顔が引き攣っている。


もともと格好を付けるような男ではない。裏表を意識することさえ普段は無いのだろう。


俺とは違う。葉山とも違う。……もちろん、“あいつ”とも全然違う。


この辺りとは全く真逆の人物で……だから時折、眩しさのあまり直視できないことがある。


憔悴している今でさえ、その明け透けな有りように羨望を覚えるほどだ。



……やがて副会長が歩みを止めると、俺も隣りに並んで、なんとなく二人で花火を見上げる。


パラパラと青や緑の光が互いの顔を明るく照らす。……が、あまり見目麗しい絵柄とは言えないので、さっさと話を続けよう。


「……なんで断るのか理解できん」


取り敢えず、外野からの勝手な感想を言ってみる。


実際のところ、あんな良い子はそう転がっているものではない。


「お前とは、気も合ってると思うんだが……」


「自分でもそう思うんだけどさ……でも、だからこそ、いい加減に考えられないっていうか」


……ああ、なるほど。


もうそれだけで腑に落ちてしまう。これから言いたいことも、俺にはなんとなく想像がついた。


副会長は花火に目を向けながら、自分に言い含めるよう口にする。


「単純にあっちは二年生で、こっちは三年。……それに俺は来年、大学生になる……予定だし……」


「……まあ、正味のところ、近くに居れるのは、せいぜいあと半年ってとこか」


「それな。ますます行事や勉強で忙しくなっちゃうし……実際はもっと少ないかも……なんてことを考えちゃって」


つまりは、そういうこと。


糞真面目で馬鹿正直な彼らしい考えだと思う。


――要するに副会長は、先の事を考えてしまったのだ。


詰ることは出来ない。笑うつもりも無い。


真面目に考えれば、その解に行き着くのは自然なことだ。



高校生のカップルというだけで、それはもう脆弱なものだ。一つ歳が違えば尚のことである。


車の免許が取れても、パチンコ屋に入れるようになっても、まだまだ自立には程遠く、立ち位置は環境にたやすく左右される。


……長続きしないのは確定的だ。



あの花火ほどではないにしろ、高校時代など一瞬の出来事で、もっと長い人生がこの先待っている。


今この時期の惚れた腫れたなんて記憶は、それこそ簡単に過去のものになっていくのだろう。



とは言え、それはあくまで大方のケース。例外的とはいえ、どうにかなる道だってある。


「……一緒の大学とか入ったら良いんじゃねぇの」


「同じ大学ってのは……まず無いと思うんだよなぁ……」


「TB大は受けないのか?あそこだったら、会いにくいって事もねーだろ」


頑張れば、総武高まで走っても行ける距離である。


毎年、成績上位一割程度はTB大に行く。副会長もその範囲に入っているはずだ。


「そこも受けるけど、第三志望ぐらいだな。……行きたいのは、利根川のもっともっと上にあるやつ」


……ああ、あんなとこ行きたいの……


副会長が目指すのは茨城にある、あのくっそデカい大学……TU大だ。


我が校のレベルだとTB大の進学実績はそこそこあるが、TU大の方は数えるほどしか無い。


距離や人気の問題もあるが、後者の方がより難関校なのだ。


まあ、副会長の成績ならば、決して無謀ではないのだろうが……


「でもお前……あそこは超田舎だから大学の敷地が広すぎて、毎年構内で数百名単位の遭難者が出たり、学生みんな自転車乗り過ぎるから、朝の道路はそれで渋滞が起こるって話だぞ……」


「ははっ、大袈裟に言われてるんだって。きっと本当はたいしたことないよ。……だいたい今時、日本にそんな処がある訳ないだろ?」


「それもそうだな」


……にしたって、田舎の方にあるのは違いない。


いくら名門大と言えど、せっかくの四年間を地元や東京ではなく、あんな辺鄙な処で過ごしたいだなんて……まったくもって奇特な奴である。


珍しい生き物を見る目で眺めていると、副会長は照れた様子で口にする。


「……俺さ、将来教師になりたいんだ。それでTU大が有利って聞いたんだけど……他にもあの大学のこといろいろ調べてみたら、面白そうな専門研究があったりしてさ……去年から、ずっと行きたいって思ってたんだ。親父の母校ってのもあるんだけど……」


思わず目を見開いてしまう。


なんとまぁ、明確な目的をお持ちのようで…… ますます奇特な奴である。


これだと何処の大学かなんて関係なく疎遠になりそうだな……


「そう考えると……なんかあの子が不憫じゃないか」


「まあ、わからんでもないが……」


あるいは、今が大事なんだと割り切って動くのも手かもしれない。


それだって、決して悪いことではないはずだ。



まあ、でも大概は、グダグダとした終りを為す術なく迎え、ある種、予定調和的に関係が切れるのがお決まりのパターンだ。


情熱的だった始めの勢いはどこかに霧散し、やがて締りの悪い結末を迎える。


それは決して良い思い出なんかじゃない。



そもそも自慢できる恋愛履歴など、さして世に多くあるものではない。


……というよりも九割方は黒歴史なのだ。嘘だと思うなら食事の時間、お母さんにでも聞いてみると良い。



そんな訳で、きっとこいつはアホみたいに真面目に、自分と書記ちゃんとの将来を考えたのだろう。


まったくもって大した奴だ思う。



……だから俺はこいつを少し腐してやろうと思う。ぼっちの矛とはその為にあるのだ。


そんな訳で、俺は副会長に下卑た笑みを向けてやる。


「……秤にかけたわけだ。可哀想に書記ちゃん……」


「嫌な言い方するな……まあでも、そういうことに……なっちゃうのかな」


「俺なら書記ちゃんの方を取るなぁ……」


「……それ、会長に例えて、どうぞ」


「……」


「お前だったら、同じこと言えるか?」


思わぬ反撃である。


下卑た笑いは引っ込みがつかず、そのまま固まってしまう。


「ん……言っとくけど、真面目な質問だぞ、これは……」


分かっとる。


別に返答に窮したのではない。……慎重になっているだけだ。


言葉にすれば、きっと自分を縛ってしまうから。



……でも、いつか直接言わなければいけないことなら、これを機に形にしてみるのも良いかもしれない。


慎重に言葉を選び、副会長の問いに応じる。


「距離とか、会う頻度とか……大事だとは思うけどよ。……俺は、それを理由にしたりは、しないと思う」


あたかも自作の英文を読むかのように、拙く、辿々しく、一々節を切って口にする。


ふと視線を感じて、夜空から目を離すと副会長と目が合った。


今日初めて、まともに目を合わせたかもしれない。


「……じゃあ、比企谷は何を理由にウダウダやってるんだ?」


「だからよ、結局、自分が納得行くかどうか……て問題なんじゃねぇの」


「……何か納得出来ないことがあるのか?」


「なんか完全に俺の話になっちゃってんだけど……」


「いいから答えろよ」


「ある」


きっぱり答えると、副会長はやっと俺から目を逸らし、ふーむと何か考えこむ。


「……そのことを会長は知ってるのか?」


「言ってないけど、察してんじゃねぇかな」


多分、いや絶対に一色は察している。


生徒総会で、職場見学会の廃止が決まった時のこと。


……彼女が泣きじゃくりながら口にした、支離滅裂な言葉の中に、それは確かにあった。


間接的とはいえ、一色が生徒会長になった理由であり、そして俺が今ここにいる理由にも繋がっている。


数少ない、俺達が共有するもの――いや、かつて共有していたものだ。


察していないはずがない。


「何のことか、俺にはさっぱり分かんないけど……そうか……納得、ね……」


言いつつ、副会長は俺に探るような目を向ける。


俺の言葉を、自らの事象に当てはめているのか……


あるいは俺がぼかした「納得出来ない」その理由を思索しているのか……


しばらく考え込んでいた副会長だが、やがて眉を顰めると酷く落ち込んだ表情を浮かべる。


「でも、なんか不憫じゃないか……俺なら会長を取るけどなぁ……」


「……それ、書記ちゃんに例えて、どうぞ」


「……む」


フッ、返答に窮しやがったな、こいつ。


黙り込む副会長に、俺はニヤニヤと見下しながら勝ち誇る。早く敗北が知りたい……



しかし、これでなんとなく当たりは付いた。


行く末を見たくはあったが、残念ながらこの二人の結末は、もうちょっと先にあるようだ。



――納得していないことがあるのだ、こいつにも。



「まあ、お前らさ……そんな結論急がなくても良いんじゃねぇの」


「……結論を急がないからこうなったんだけど……」


……と副会長は言うが、それは表面的な理解であって、本質ではない。


この話……告白の返事なんて、最初からどうでもいいのだ。


もはや答え合わせの必要もないが、復習がてら言葉にしてみよう。


「まあ、お前らって、要はコミュニケーション不足なわけよ」


「……そうなの……かな……」


「つまり話し合いが足りないんだ、分かるか?」


「言い直しただけじゃないか……」


大事なところだからな。


「さっきの進路の話とか……どうせ書記ちゃんとはしてねぇんだろ?」


「……む」


「そういうの話してから、結論つけたって遅くないんじゃねぇの」


「……いや、でもな……もう遅いっていうか、あの子とは終わっちゃったかもしれな……」


副会長が言いかけたその時、突如、俺の顔のすぐ近くを丸い物体が横切った。


背後から飛んできたそれは、見事に副会長の顔面を直撃する。


「あいたっ!」


丸い物体は飛んできたのとほぼ同じ速さで、再び俺の頬を掠めて元の場所に戻っていく。


急襲された副会長も気掛かりだったが、まずは物体の発射元を確認する。


……振り返ると、そこに立っていたのは会計くんだった。


「……そんなとこで何やってんの。花火も見ないで……」


呆れたような顔で、バッチンバッチンとヨーヨーを弾いている。


……いや、君が何やってんの……?


そういやこいつ、今日は全然姿見せなかったんだけど……


「なんかトイレから戻ったら、カタヌキ屋がもぬけの殻だし……あれは比企谷の悪巧み?」


「違ぇよ」


この人……俺を一体どういう目で見てるんでしょうねぇ……?


俺は副会長をこっちこっちと指差しながら説明してやる。


「こいつらの痴情がもつれた結果だ」


「それが何故営業放棄に繋がるのか、よく分からないけど……で、そのもつれはどうなったの?上手く行った?」


言いながら、会計くんはそのままつかつかとこちらに歩み寄る。


俺に質問しているのだと思ったが、そのまま横切ると副会長の前でピタリと止まった。


そして、じっと、二人互いに睨み合う。


「……」


「聞いてるんだけど」