2016-12-29 23:13:31 更新

概要

これは老提督率いるロートル艦隊と、ある一人の陸軍艦の物語。


前書き

どうも、がっくらでございます。実質二作目であります。時間が取れない中ではありますが、三人称の練習もかねて書こうと思います。更新は不定期です……。


プロローグ


「君に、人を殺す覚悟はあるか?」


 軍服を着た男の問いに、肌の白い少女は答えることができなかった。まだ幼さの残る手には銃が握られていたが、それは男には向けられていなかった。

 男は少女の前にかがみこむと、その銃をひょいと取り上げた。そして、語りかけるように話し始めた。


「これは、ろくすっぽな覚悟じゃ撃っても当らない。君がへたくそなのは、その覚悟が足りないからだ。私の言っていることがわかるか?」


少女は少し考え込んだ後、「よくわからない」と返事をした。屈託のない表情に男はやや顔をしかめたが、すぐに元の厳しい顔つきに戻って、言った。


「それでもこれを撃ちたいか?」


「うん!」


「……ならば軍に入ってみるか?私が特訓してやるぞ」


 男は半ば冗談交じりで言った。だが、少女は「はいるー!」と二つ返事で了解した。まあ、少し厳しくすればすぐ止めるだろうと思っていた男だったが、予想に反して彼女は黙々と特訓をこなしていった。そして三年がたち、少女は男の課したすべての訓練を終えた。

 男も人の努力を無駄にするような人物ではなかった。三年間耐え抜いた少女の陸軍学校入学を認めるとともに、その後のすべての学費を払った。男は長年海軍に勤めており、徹底した財産管理も相まってかなりの量の貯蓄があった。それを男が切り崩したのはこれが最初で最後だった。


 一年経ち、少女は陸軍の士官となった。配属先は軍の艦娘研究施設だった。


『艦娘』とは、旧帝国海軍の艦船をモチーフにした『艤装』と呼ばれる兵器ユニットを装着した兵士の総称である。日本で開発されたこの技術は、対象者への衝撃を緩和するとともに、対深海棲艦攻撃能力を付加させることが出来る。航続距離は短いが、海上航行能力もある。ただ、この技術は誰にでも適用できるものではない。適性のある女性のみがこの技術の真価を発揮することができた。

艦娘の適性があるとされるものは決して多いわけではない。まして陸軍の中ではなろうとする者が少なく、素質があっても訓練の中で消えてしまうことが多々あった。そして極めつけに、陸軍の艦娘技術は海軍とは比べ物にならないほど未熟だった。

それでも少女は艦娘になることを選んだ。月日が経ち、疎遠になってしまった男と再開することを夢見て……。




ロートル


 私はまだ戦える。

 空母『加賀』は誰ともなく、そう呟いた。

 

 たちの悪い夢だと思いたかった。私が何をしたのか。何が悪かったのか。理由を問えば、ただ単純に相性が悪かったのだと自問自答する。

 

 彼女には異動命令が出ていた。彼女自身が何か問題を起こしたわけでもなければ、練度が低いわけでもなかった。むしろ練度自体は高く、数々の戦場で功績を立てていたベテランの艦娘だった。しかし、昨日まで所属していた鎮守府に異動してからというものの、彼女はそれまでの活躍が嘘のように戦果を挙げられなくなった。加賀と提督では戦術が正反対だったのだ。そして、他の艦娘達との価値観の違いも災いして彼女はますます孤立し、結果として『タダ飯喰らいのロートル』の烙印を押される事となった。



 我ながら酷い話だ。と加賀は思った。つい一年前までは誰もが畏敬の念を込めた眼差しを向けていたのに、今では侮蔑の色をした冷ややかな瞳がこちらを覗くだけだった。誰も口にはしなかったが、皆『さっさと消えろ』とでも思っていたのだろう。加賀にとって今回の異動は、そんな『声』に負けたように思えて仕方なかった。なんといっても異動先の鎮守府がその『声』の総意であり、全てだった。

 

 そこに送られるという事は事実上の戦力外通告であった。

 


 


 高速道路を自家用車で一時間ほど走ったあたりで、空が徐々にどす黒い雲に覆われていった。まるで神様が墨汁を零したようだ、と加賀は思い、それと同時に自分の気持ちが暗く淀んでいることに気づいた。以前の私ならば仲間が死んでもこんな気持ちにはならなかった。つまりそれは私の心がこの一年間でかなり消耗したということにほかならないのだ——。

 

 車内はクーラーをつけているため涼しかったが、時折感じる湿気に加賀は眉をひそめた。元の鎮守府を出た時はそうでもなかったのだが、異動先の鎮守府に近づくにつれて、より湿気が増している。雲もより厚く、より黒く染まり、まるで真夜中のような暗さを辺りに湛えていた。降り始めるのは時間の問題だろうと加賀は思った。すると、雨はそれに応えるかのようにフロントガラスに一滴、また一滴と音を立てて降り始めた。雨粒と暗闇は瞬く間に加賀の視界を奪った。加賀は慌ててワイパーを動かし、ライトを点け、最低限の視界を確保した。ボディを叩く音が、加賀には自分を『役立たず』と責めている声に聞こえて仕方なかった。違う、私は役立たずじゃない。ましてロートルでもない。悪いのは私じゃない。



私はまだ戦える——。




 そう、確か私がまだ新米だったころにも、こんなことを言っていた気がする。結局、昔から私は本質的なところは変わっていないのだ。弱いのに、意地っ張り。

 英雄と呼ばれようと、ロートルと呼ばれようと、いつだって脆い自分が常に心の中にいた。昔は良かった。それを隠しきれるような強い覚悟があったから。でも今は違う。そんなものなど、とうに剥がれ落ちてしまっていた。残ったのは、自分のちっぽけなプライド、いや、ただの意地だけだった。


――雨は嫌いだ。私の弱い部分だけを洗い出してしまうから。


 パーキングエリアに車を止め、加賀は泣いた。声を殺す必要などなかった。涙を拭く必要もなかった。雨が全てを掻き消してくれたから。


 雨は、止みそうになかった。



 五分ほどたって、加賀は車内へと入った。横に結っていた髪をほどき、疲れきった顔でシートにもたれかかった。右の窓を横目で見やると、自分の顔がぼんやりと映っている。我ながらひどい顔だ、と加賀は思った。軽くしていたメイクはすべて流れ落ち、まぶたは赤く腫れ、頬も引きつっている。軽くため息をつくと窓は一瞬白く曇ったが、すぐにそそくさと引いていった。

 加賀はまだ水滴の残る右手を、窓の中の自分に伸ばした。もちろん触ることはできない。窓に爪の当たる音が車内に響く。その間もずっと、加賀は自分を見つめていた。

 


 加賀はふと思った。窓に映っている、この暗い瞳の、ぐちゃぐちゃに濡れた自分こそ、ずっと隠してきた自分自身なのだ、と。そう思うと途端に虚しくなり、寒気がした。加賀は目をそらすと、じっとりと湿った脚を抱えてうずくまった。顎を膝の上に乗せ直し、スニーカーを片手でそっと脱がす。靴下も一緒に脱げたが、加賀は気にしなかった。脱ぎ終わると、加賀は両腕で膝をさらにきつく抱いた。そして、焦点の定まらない眼を足元に落とした。

 

 しばらくして、加賀は自分が濡れたままだということに気づいた。助手席に置いていたバッグから無地のタオルを取り出して、頭を少し乱暴に拭きだした。あらかた水分を拭き取ると、さっと四肢を拭った。ぼさぼさになった髪を櫛ですくと、シートを倒し、あおむけに寝転んだ。服は濡れたままだったが、今の加賀にとっては着替えることすら億劫だった。

 外はいまだ暗く、雨粒は小粒から大粒へと変わっていた。加賀の耳に入る音は、雨がアスファルトをたたく音からボンネットをたたく音になり、時折入り混じる遠雷に加賀は身を竦めた。怖いわけではないが、つい、体が反応してしまうのだった。

 もう、耐えきれなかった。加賀の全身がカタカタと震えだし、奥歯の鳴る音が鼓膜を支配した。雨音はさらに鋭くなり、加賀の胸を貫いた。自分が何なのか、わからなくなっていった。精神が崩壊するとはこういうことなのか、と加賀は思った。いやだ、まだ壊れたくない。私はまだ戦える。私はまだ戦える――


「私はほんとうに戦える……?」


 加賀は糸で引き寄せられたかのように体を起こすと、シートを戻し、まだ震える手でエンジンをかけた。そして、裸足でアクセルを踏み、パーキングエリアを後にした。

 ホテルに着き、加賀は引き寄せられるように浴室へと向かった。加賀は「私は戦える」という言葉をうわごとのように繰り返しながら、シャワーを浴び続けた。


 シャワーでは、加賀の弱い部分を洗い流すことはできなかった。



艦隊


 その日は雨が降っていた。時刻は午後二時だったが、空には夜が訪れており、家々はみな明かりを灯していた。海岸にそびえ立つ鎮守府も例外ではなく、ふもとの施設たちをぼんやりと浮かび上がらせている。それらの明かりの中の一つ、執務室の中では、ある老人と少女がせわしなくペンを動かしていた。

 その二人はすべてが対極的だった。老人は浅黒い肌であるのに対し、少女の方はおしろいを塗ったような白色。前者が白い軍服を着ていて白髪なら、後者は帽子、髪、制服に至るまで、すべてが黒。さらに出身の軍までもが違うこの二人はしかし、『提督』と『秘書艦』という鎮守府のトップとも言える立場についていた。


「そういえば」と老人が口を開く。「そろそろだったかな。新しい艦娘が着任するのは」


「予定では明後日であります、提督殿」と少女。


「そうか、明後日か……。確か、『加賀』といったか、その艦娘は。艦種は?」


「我が鎮守府初の正規空母でありますな。どうやら開戦以来のベテランのようであります」と少女は手元の書類を老人――提督――に渡しながら答えた。


 提督は書類を受け取り、左手でこめかみを掻きながら目を通し始めた。


「フーム。その割にはあまり戦果を挙げていない様だが」


「他の資料によれば」と腰を上げながら少女は答えた。「加賀は本来艦戦の扱いに長けていて、制空任務で戦果を挙げてきたようであります。それが急に対地・対艦戦闘ばかりさせられるようになり、結果、まったく活躍できなくなったようでありますな」


「誰も指摘はしなかったのか?」


「指摘も何も、そこの艦娘は素行が悪いことで有名であります。にもかかわらず、提督殿は新人。大方、気に入らなかった艦娘達が右も左もわからない提督に入れ知恵でもしたのでありましょうな」


 少女は立ち上がりながらそう答えると、「お茶を注いでくるであります」と呟いて隣の給湯室へと消えた。提督は書類から目を離さずにゆったりと椅子に腰かけている。室内には窓にあたる雨音のみが満ちていた。提督が眠気に誘われてあくびをすると、同じタイミングでお盆を持った少女が執務室に戻ってきた。


「どうぞ、であります」


 そう言って少女は提督の机に湯呑を置いた。


「お、ほうじ茶とは気が利くじゃないか、あきつ丸」


「さすがにもう覚えたであります」と少女――あきつ丸――は何処か得意げに答えた。自分の机にも湯呑を置いて、あきつ丸は腰を下ろした。


「お茶請けは、まがりせんべいでよかったでありますか?」


 提督は「もちろんだとも。さすがだねぇ」と言いながら、早速手を伸ばしている。あきつ丸は茶をすすりながら、雪のような頬を少しだけ染めていた。

 そこに唐突なノック音が二度響き渡ると、三つ編みを垂らした少女がドアから顔をのぞかせた。


「やっほー提督」


「おお、北上か。どうしたんだい」


 北上は相変わらず頭だけを出したまま、答えた。


「んー?なんとなくいい香りがしたからさ。ちょっと覗いてみただけ」


「……北上殿も、飲むでありますか?」とあきつ丸。


「え、いいの?じゃあ遠慮なく」


 そう言うと北上は目を輝かせて執務室に入ってきた。あきつ丸は再び給湯室に向かい、提督も客人用のテーブルセットに移動する。ソファに座った提督の左隣に北上は座った。


「少し、狭いんじゃないか?」


と提督は口にしたが、当の北上は全く意に介していない。


「いいじゃん提督ぅ。ちょっと寒いから、ちょうどいいよ」


 北上は右腕を提督の左腕に巻きつけ、さらに頭をもたれかけた。しかし提督は全く動じない。もはやこの程度のことは慣れたものだった。茶を一口すすると、柔らかい声色で

「その体勢だと、お茶の一つも飲めんぞ」


「あ、そっか。そうだね……」


 北上は名残惜しそうにその右手を離した。彼女には、左腕が無かった。

 一年前のある海戦で、北上は左腕を失っていた。敵艦載機の攻撃により、左腕の五連装酸素魚雷が誘爆したのだ。装甲の薄い北上の艤装の力ではそれを防ぐことはできず、左腕は一瞬で吹き飛んだ。艦隊は即時撤退して北上を入渠させたものの、無くなったものを復活させることはできなかった。前線で戦うことは無理と判断された北上は、この鎮守府へ異動となったのだ。

 


 この鎮守府は、そういった艦娘たちばかりが集まる場所だ。何かしらが原因で前線を退いた者たちの艦隊なのだ。



「おまたせしました。緑茶であります」


 あきつ丸がお盆を抱えて戻ってくる。


「お、さすがあきつ丸。わかってるねぇ~」


 北上は目を細め、いかにもご満悦といった表情で湯呑を受け取る。まるで給糧艦にでもなった気分だ、とあきつ丸はひそかに思った。どのみち戦闘では役立たずなのだから、これでもいいのだ――とも。もちろん北上はそんなことはつゆ知らず、提督と話し始める。


「そういえば聞いたよー。空母がもう一人来るんだってね」


「ああ。しかもベテランの正規空母だ」


「ほぉー、そりゃまた豪勢だねぇ。どうしてまたこんなトコに」


「それは確か――」


 鋭さを増す雨とは裏腹に、海は凪いでいた。それはまるで、大きな嵐が来ることを暗示しているかのようだった。



その空母、卵好きにつき




 加賀の着任予定日の前日の朝、軽空母「瑞鳳」は厨房で朝食をこしらえていた。

この鎮守府にコックや給糧艦はおらず、代わりに艦娘たちが週替わりで厨房係をしている。今週は瑞鳳の番だ。

 

 彼女は手慣れた様子で目玉焼きを皿に盛り、卵焼きを巻いていた。卵焼きが出来上がると、次はスクランブルエッグ。米は卵かけごはん――瑞鳳は卵料理が大好物で、こと卵焼きに関しては戦艦よりも食べられると自負するほどだった。だからこうして彼女はせっせと全員分の卵焼きを焼いているのだ。戦時中にもかかわらずこれだけ大量の卵を確保できているのは、この鎮守府が本土にあり、なおかつ他の鎮守府や泊地より余裕があるからに他ならなかった。



 ちょうど全員分の朝食が出来上がった頃、他の艦娘の面々が食堂に入ってきた。


「よっ、瑞鳳。朝飯は出来たか?」


重巡洋艦「摩耶」は厨房を覗きながらそう問いかけた。



「もちろん!瑞鳳特製の卵焼きに、目玉焼き。それにスクランブルエッグと卵かけご飯!どう?」


と瑞鳳は得意げに応えた。しかし、嬉々とした瑞鳳とは対照的に摩耶の顔は見る見るうちに歪んでいった。


「嘘だろ、全部卵かよ……」


そうぽつりと呟くと、よろよろと近くの席に座り込んだ。他の艦娘たちも、摩耶のその表情ですべてを察した。




 食事を食べ始めた後の皆の表情もやはり似たようなものだった。確かに瑞鳳の卵料理は絶品なのだが、これがあと一週間続くのだと思うとどうしても素直には喜べなかった。

 そんな皆の反応は全く意に介さず、瑞鳳は自分の朝食をあっという間に平らげた。そして向かいの席に座っていた戦艦「伊勢」の顔をチラリと見た。


ばっちり、目が合った。合ってしまった。瑞鳳がそっと口角を吊り上げる。



嫌な予感がした。



 瑞鳳は目にもとまらぬ速さで伊勢の卵焼きを箸で掴み――


「ちょっ」


自分の口に放り込んだ。



「う~ん、やっぱりおいしい!」


 左手を頬に当て、いかにもご満悦そうな顔をする瑞鳳。伊勢は軽く舌打ちをした後、残りのお茶を一気に飲み下した。


いつもこうだ、と伊勢は独りごちる。だが、瑞鳳は提督の前では絶対にこんなことはしなかった。むしろ反吐の出るような甘ったるい声で甘えるのだ。


 伊勢にとって瑞鳳は最も嫌いな艦娘だったが、そのことを表立って出すことは無かった。「あなたが嫌いだ」と言ったところで、瑞鳳は何も変わらない。そう思っていたからだ。


どうして朝からこんな嫌な奴のことを考えているんだろうか……そんな暗い気持ちが伊勢にため息をつかせた。それを「卵焼きを盗られたから落ち込んでいる」と勘違いした摩耶は、そっと自分の卵焼きを伊勢の皿に移した。


「ほらよ。あたしの分やるから、元気出せって」


「あ……ありがと」


軽く伊勢の肩をたたき、慰めるように摩耶は笑いかけた。そんな摩耶の優しさが伊勢は好きだった。多少口は悪いが、その方が付き合いやすかった。



 ここにいるべき艦娘ではない。鎮守府の誰もがそう思っているほどに摩耶は「いい人」だった。



「瑞鳳もほどほどにしときなよー?あんまり目立つようだったら提督に言うからね~」


「なんなら憲兵を呼んでもいいのでありますよ?」


 北上とあきつ丸は瑞鳳に軽く釘を刺す。二人とも瑞鳳にはこれが一番効くと知っていた。


「どっちも勘弁かなぁ……ごちそうさまっ」


自分の不利を悟り、瑞鳳は席を立った。食堂には、何とも言えぬ重い雰囲気が立ち込めていた。



そんな雰囲気に感化されたように北上は肘をつき、ぽつんと零した。




「新人ちゃん、明日から大丈夫かなぁ……」



「明日来る空母のこと?」


「そーそー……杞憂だとは思うけどさ、あんなふうにはなってほしくないよねぇ」


伊勢の問いにどこか間延びした声で返答する北上。しかし、口ではそう言ったものの、その双眸にはどこか不安の色が見え隠れしていた。



「大丈夫だと思うぜ。その空母、開戦以来のベテランって話だしよ」と摩耶。



あきつ丸はその一言に違和感を感じた。そしてその違和感の正体を突き止め、さりげなく摩耶に問いかける。


「……その情報、まだ誰にも言ってないのでありますが?」


「え?だって昨日の青葉の新聞に――」


言い終わらぬうちに摩耶の差し出した新聞をひったくり、一面を凝視した。


そこには『ついに着任か!?大ベテランの正規空母』の見出しが大々的に書かれていた。


「青葉殿……機密は書くなとあれほど……!」


今にも新聞を破り捨てそうな勢いであきつ丸は新聞の端を握りしめていた。もっとも、このようなことは今回が初めてではない。ネタになることならなりふり構わず自作の新聞に載せるのが、重巡洋艦「青葉」という艦娘なのだ。

いくら忠告しても聞かない青葉に、あきつ丸はいい加減憤りを覚えていた。



「そういえば青葉、今朝は食堂にきてないわね?」


「となると、部屋で原稿でも書いてるんじゃないんですかねぇ」


「ちょっと行ってくるであります」


勢いよく立ち上がると、あきつ丸は肩を怒らせて出口へと向かった。



「あんまボコすなよー」


その声にあきつ丸は歩みを止め、首だけを摩耶に向けた。




「だいじょうぶであります。自分、力が弱いので、手加減なしでちょうどいいのでありますよ」




「お……おう」



一瞬だけ摩耶の目には、何か黒いものが見えた……様な気がした。




「では、失礼」と言ってあきつ丸は去って行った。






しばらくすると、青葉の部屋から鎮守府中に絶叫が響いた。そしてその日の夕刊には、反省文が一ページと、この自らの出来事をネタにした記事が一面、そして『加賀』の追加情報が二面ほど載っていたのであった……。


着任


「本日付で着任しました、正規空母加賀です」


「ようこそわが艦隊へ。君の着任を歓迎するよ」


 加賀は執務室にて着任の報告をしていた。その眼に生気は無く、提督への敬礼もひどく緩慢なものだった。

ぼおっと提督を眺め回して、その視線がある一点に留まる。


「……失礼ですが、提督。ボタンが外れていますが」


 加賀は何でもない事のようにそう指摘した。表情には出さなかったが、彼女はひそかに落胆していた。こんな所にいる艦娘たちをまとめ上げているからどれほどすごい提督なのかと思っていれば、軍服のボタンもかけ忘れるようなただの老人だったとは。


「はははっ、これはみっともないものを見せてしまったな。申し訳ない」


 提督はいそいそとボタンをかけ、「私ももう年だな……」


「では提督、失礼します」


 加賀はそう平淡に言うと、提督の返事も待たずに執務室を後にした。


 執務室に一人取り残された提督は客人用のソファに座り、淹れていたほうじ茶をすすった。加賀のために淹れておいたものだった。

 

 一息ついて、提督は考え始める。果たして加賀はこの鎮守府に居場所を見つけられるのだろうか。先ほどの態度を見る限り、やる気は見られなかった。よほどここが嫌なのか、それとも――誰かが着任するたびに毎回こんなことを思っているが、いつも杞憂で終わっていた。ましてや彼女はベテランだ。人間関係云々については一番慣れているだろう……。


「新しくお淹れしましょうか?提督殿」


 ちらりと隣を見やると、いつの間にかあきつ丸が座っていた。おお、すまない、と提督は言い、手に持っていた湯呑――中身はほとんど残っていなかった――をあきつ丸に手渡し、ぐったりと座りこんだ。


「なんだか、感じの悪い艦娘でありますな」


ほうじ茶を受け取った湯呑に注ぎながら、あきつ丸はそう零した。


「見ていたのか?」


「給湯室からこっそりと……」


 提督は呆れたように右手を顔に載せた。


「青葉じゃないのだから全く……しかしまあそう言ってやるなあきつ丸。世の中にはいろんな人がいる。君はそれをよく知っているだろうに」


「それはそうでありますが……ああいうタイプは、正直言って好きではありません」


 淹れ終わったほうじ茶をテーブルに置き、あきつ丸はまた提督の隣に座りなおした。


「ああいうのは得てして理屈っぽい人ばかりであります。おまけに自分が正しいと信じて疑わないから、余計たちが悪いのでありますよ」


「ふーむ、データには『人望があり、激情家』と書いてあったんだがなぁ……」


「それ絶対外面でありますよ。ここじゃそんなものすぐにはがされるのであります」


 あきつ丸はそう言って自嘲気味に鼻を鳴らした。あきつ丸本人がそうであったように、この鎮守府では仮面などすぐに叩き割られるのだ。始めは必死に抵抗するのだが、そのうち着けているのが馬鹿らしくなってくる。ただ唯一、瑞鳳だけは裏表が激しかった。仮面を割っても割っても鱗のように下から生えてくる。多重人格者だといわれてもおかしくないほど、コロコロと変わっていくのだ。


「そうなのか……さて、私は執務の続きをするよ。お茶をありがとう、あきつ丸」


 妙に納得した面持でそう言うと、提督は自身の机へと戻った。あきつ丸は書類の量を見て自分が手伝うまでもないと察したのだろう。空の湯呑を持って給湯室へと消えていった。


 提督はふと振り向き、背後の窓に広がる風景を眺めた。梅雨に入ってからというものの空が晴れることはただの一日も無く、外はまるで極夜のように薄暗かった。ぼんやりと埠頭に並ぶ七本の電燈の中、一本だけ今にも消えそうな切れかけの電燈が点滅していた。提督の目には、その一本だけが嫌に焼き付いていた。

 ――彼女はまだ戦えるのだろうか。

 ふと、そう思う提督だった。


確執


 執務室を出た後、長い廊下を歩きながら加賀は考えていた。ここでの暮らし方をどうしようか、と。

 ここに配属されたが最後、もう娑婆には戻れない。自分が轟沈するまでずっと日陰暮らしだ。もはや逃れるすべはない。ならばいっそこのまま壊れるのも一興かもしれない。此処の住人らしく、狂ってやる。英雄である『加賀』は死んだのだ。自分がしたいことを、自分の好きなように――


「あなたが加賀さん?」


 加賀は声のした方へ振り向いた。そこにいた艦娘の顔を見て、加賀はぎょっとした。



「貴方……瑞鳳、なの?」


「久しぶりだね、加賀さん。三年ぶり、かな?」

 

 瑞鳳がそう言い終わると同時に、加賀は瑞鳳の襟首を掴んで思い切り壁に叩きつけた。


「貴方、まだ生き延びてたのね。死になさい」


「怖いなぁ、久しぶりの再会なんだし、もっと喜ぼうよ!」


 にこやかに笑いながら、瑞鳳は首を掴んでいる加賀の右手に手をかけた。

 直後、骨の軋む音。加賀の目が見開かれ、全身から汗が噴きだした。


「私はとっても嬉しいよ?またあの頃みたいな刺激的な日々が戻ってくると思うと」


 手の力をじわじわと強める瑞鳳。しかし加賀はその手を放そうとはしなかった。額に脂汗をにじませながら、瑞鳳の顔を睨みつけている。


「調子に乗るのはそのくらいにしておきなさい。この人殺しが」


「人聞きが悪いなぁ。あれは単にあいつらの実力不足だって――っ!?」


 加賀は瑞鳳の喉に両手をかけ、力を込めた。右手がより軋んだが、かまわずに首を絞めた。

 瑞鳳の顔が苦痛にゆがむ。


「安心して、ここで殺したりはしないわ。貴方には深海棲艦の餌がお似合いよ」


「……あの時、のっ、お仲間さんみたい、に?」


「っ、減らず口を……!」


 唇の端を吊り上げあざ笑う瑞鳳に、加賀は目尻を吊り上げた。

 この女は昔から変わってない。本当に狂っている。自分が楽しめるのなら、なんだってする。ここでまた殺してやってもいいが、それで自分が解体処分になるのはまっぴらごめんだった。


「……かはっ」


 加賀の手から解放され、瑞鳳が倒れ込む。空気を求めてせわしなく喘ぐ瑞鳳に、加賀はしゃがみこんで話しかけた。


「また仲間同士よろしく、瑞鳳」


 彼女にとっての最大限の皮肉を言って加賀は去っていった。雨はいよいよ酷くなり、突風が窓を揺らす。まるで台風が来たような荒れようだった。そんな中、瑞鳳は廊下で一人、壊れたように笑い続けるのだった。


後書き

今は調子がいい気がする。(いい文が書けるとは言っていない)

コメント等頂ければ、作者のモチベが上がるかも……です。


このSSへの評価

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SS好きの名無しさんから
2016-12-28 11:25:42

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缶@提督さんから
2016-08-01 22:42:14

万屋頼さんから
2016-08-01 21:48:13

このSSへのコメント

16件コメントされています

1: 万屋頼 2016-08-01 21:49:33 ID: 4JYZRT1e

前書きで既に面白いです

老提督が、加賀さんが、そして陸軍艦娘が。

どのような活躍をしていくか楽しみです!

2: がっくら 2016-08-01 22:03:47 ID: 7EPew4Kh

万屋頼様>コメントありがとうございます!
そうですね、加賀さんはメインキャラのひとりにしようと思ってます。慣れない文体なんで読みづらいところもあると思いますが、是非、楽しみにしていて下さい!

3: 缶@提督 2016-08-01 22:44:53 ID: eLE9tZy2

新作ですか!楽しく読ませて頂きました。
いつものがっくらさんの文章とはまた違った良さがありますね…何だか上から目線な文になってしまいましたが。
これからの展開が楽しみです。これからも更新、お待ちしております。

4: がっくら 2016-08-02 19:08:10 ID: K67hse_Q

缶@提督様>コメント、オススメ等ありがとうございます!
まだまだ書き始めですが、お楽しみいただけるよう、精一杯書いていきます。

5: T蔵 2016-08-02 21:02:06 ID: aYQbKyr2

あぁああああ!

ちょっと気になるところで終わってるじゃないですかー。

身悶えしそう。

続きおまちしてますよ。ゆっくりと。是からが楽しみです。

6: がっくら 2016-08-03 17:35:24 ID: 1Yg6dYbs

T蔵様>コメントありがとうございます。
時間が取れない中ではありますが、ちょこちょこ更新していきたいと思います!

7: 伊10 2016-08-04 20:09:48 ID: ryRjhp2g

作品の中の様々な情報が能く文章に現れていますね・・・
キャラクターと景観の一体化。言葉に興せばたったこれだけのことですが・・・
今現在同じSSを書いてる私からしてみれば、それはとてもやりにくい作業であることは良く分かります。
素直に尊敬してしまいます、羨ましい・・・w

8: がっくら 2016-08-04 22:45:53 ID: tkqPAupX

伊10様>コメントありがとうございます!
情景描写を事細かに書けるのは三人称の利点ですね。その分、心理描写は難しいですけど…。
確かに時間はとてもかかります。でも、どこか『やりがい』みたいな物を感じるんですよね…どうしようもなく、書くのが好きなんだな、って自分で思いますw

9: T蔵 2016-08-07 11:57:13 ID: OvK--FGW

空母が『 もう 』一人ですかぁ。

先に一人居るのか同じように来るのか。

あきつ丸は空母の様に運用される事が多いですが空母ではないですからねぇ。

どなたになるのでしょう。続きお待ちしております。

10: がっくら 2016-08-07 20:18:53 ID: IzX7EYu9

T蔵様>コメントありがとうございます。
『もう』一人、です。先に一人いますね。のちのち話にも出てくると思います。てか、出しますので……w

11: T蔵 2016-11-14 23:35:37 ID: CLh9QeD2

久しぶりの更新だぁーー!

作者だぁーーー!

囲めぇーーー!!

はい、ありがたいです。

もう一人の空母は瑞鳳だったか。

何やらかしたんだ?あれですか?

卵焼きで提督をコレステロール過多の食生活にして・・・。ひぃ、怖い!

12: がっくら 2016-11-15 15:38:35 ID: s7ZbLsoM

T蔵様>コメントありがとうございます!
長い間お待たせして申し訳ありません。時間もある程度確保できる見込みなので、ちまちま更新していきます、ハイ。瑞鳳が何をやらかしたかは後々のお楽しみということで……

13: T蔵 2016-12-30 10:24:30 ID: FiwFyGGH

瑞鳳が微笑み悪魔だー(驚愕)

加賀と同じ部隊にいて仲間殺しですか・・・・。

一気に重たくなってきてますですね。

面白さの期待度は ↑ 超上昇。

ゆっくり続きおまちしております。

14: がっくら 2016-12-30 10:38:36 ID: HWSYNb2B

T蔵様>コメントありがとうございます!
この鎮守府に送られる時点でまともではないので、多少はね?
自分、筆は早くないので更新はのんびり待っていただければと思いますです、はい。

15: SS好きの名無しさん 2016-12-30 10:47:58 ID: BkgW9xVy

瑞鳳コワッ・・・
(´д`|||)
頑張ってください!

byひまな人

16: がっくら 2016-12-30 12:08:42 ID: HWSYNb2B

ひまな人様>コメントありがとうございます!
此処の瑞鳳はまだまだこんなもんじゃありませんよ(白目)
誰だってワケありですから……ね


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1: 缶@提督 2016-08-01 22:45:49 ID: eLE9tZy2

文才の塊といってもいいかもしれない。
表現が美しいんです。
一度読んでみていただきたい作品ですね。


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