2017-07-30 10:17:39 更新

概要

外伝的小説「Another Side:Earthbound」を未読の状態でチャレンジしてみました。宮水俊樹(外伝とは旧姓も違う)の半生記と、「あの日」のドキュメントがメインになっています。


前書き

「あの日」から10年。
記念番組に出演するために自宅を出る元糸守町町長 宮水俊樹。道中であの日の出来事や、二葉との思い出が去来する。
<読者の皆様へ>
1.外伝的小説「君の名は。 Another Side:Earthbound」は未読状態で作成しております。まずはこの点をご了承ください。
2.作品中、年代表示がありますが、一部整合性を要求される点(三葉/四葉の生年)以外につきましては、記述は適当です。
3.俊樹が政界に打って出るための設定としてのパトロン表記があります(おそらくすべての設定にない登場人物)。
4.一部セリフや情景描写として、『小説 君の名は。』を参考にいたしました。
5.当方のSS処女作であります。でありますので、至らない点等ございましたらどしどしご指摘いただきますよう、お願いいたします。
6.フィクションの道中に起こっている、フィクションであり、実際の団体・会社等は一切関係ありません。役名は「宮水トシキ(カタカナ)」ですが、漢字俊樹で本作は統一しています。


迎えのタクシーが玄関先に横づけにされる。

今は亡き糸守町の町章の入ったジャンバーを一年ぶりに携え、私・宮水俊樹は、車中の人となる。毎年恒例行事のようになってしまっている彗星災害を振り返る特別番組に今年もまた駆り出されるのだった。

今年の担当は尾張放送。高山地方での災害だけに、毎年地方局が製作し、それを全国ネットで流すのだ。ただ、司会進行は、東京のキー局からベテランの方が呼び寄せられているらしい。

今の私は、災害支援特別法の庇護の下、千葉の片田舎でなんとか暮らしている。家長である一葉は数年前に病死しており、宮水の姓を名乗ってはいたが、別の世帯という認識と、町長であったということから、少しだけ特別待遇を託っていた。ほかの人々に比べて手厚い手当と、少しばかりの恩給もあったので、毎日の生活には不自由しない。


タクシーの中で、思い出すのは、あの日のことだ。そう。毎年この日が来ると、どうしても思い出さなくてはならないのだ。

私は、早朝の高速をひた走る後部座席で、一人目をつぶり、あの日のことを思い出そうとする。





2013年10月4日 午後3時28分

町長選挙が目前に迫っている中で、今日は宮水神社の秋例祭。票固めもできるいい機会、と思っていたが、「お祭りはお祭りで楽しんだ方がいいですけに」という一番の支持者・・・土建屋の・・・もう忘れてしまったが…の助言もあって、今日は一日雑務に追われていた。

そこへ三葉が町長室に入ってきた。私の仕事に関心のないはずの三葉が、血相を変えて飛び込んできた、という表現が近いか。

「お父さん、聞いて」

挨拶もそこそこに今まで何のおねだりもしたことのない…まあ、それ以前に私が家を出てしまったのだが…三葉が、鬼気迫る表情でこう言い放った。

「あの彗星が割れて、この町に落ちるの、何百人が死ぬかもしれないんよ…」

「はぁ?」

私はその荒唐無稽な話を、それも唐突に実の娘から聞くとは思いもよらなかった。確かに今の糸守湖は隕石湖だといわれている。しかし、今世間をにぎわしている彗星が割れる?この町に落ちる?そんなことを聞かされた方としては、そのすべてが信じがたいばかりでなく、ここまで断定的に語れる目の前の存在が、正直忌々しかった。

「・・・何を言っているんだ、お前は?」

そんな"面白い"ことを聞かされて、まともに返答できるわけがない。

「だからっ!念のために町民を避難させないと---」

どうやら私に指図をしたいらしい。たしかにもし災害の可能性があるならそれもいいだろう。だが空振りに終わったら…実の娘に踊らされて、世間を騒がせたのが私ということになれば、面目丸つぶれだ。確実に選挙に影を落とす。

「すこし黙れっ」

私は三葉を一喝する。びくつく三葉。

私自身も落ち着くために少し深い息をする。ふと外を見ると、初秋のうららかさだけが漂っている。

「……彗星が二つに割れてこの町に落ちる?五百人以上が死ぬかもしれないだと?」

いまだに信じがたく思っている私。三葉を見ると、その目はなぜか自信に満ち溢れている。まるで何でも知っているかのように。

「信じられない話だっていうのは分かるよ、でも、ちゃんと根拠だって……」

家を出て数年。たしかに宮水の敷居をあれ以降またいでいない。後ろめたさからではない。今でも感じる二葉の匂い、二葉の面影・・・すべてを引き継いでいる娘・三葉と四葉の存在が私を遠ざけているのだ。会えば愛おしさから抱きしめたくなる。父親としてふるまっていなかった過去を詫びもしたい。きつく当たるのは、父親としての威厳を周囲に見せつけたいからであり、いじめているわけではないのだ、と…

だが、今目の前にいる三葉は、少し何かが違う。

「よくもそんな戯れ言を俺の前で!」

口をふさぐために少し声を荒げた。根拠だって?そんなもの、どこから出てきたというんだ…

「妄言は宮水の血筋か」

私はつぶやく。

そう言いながら、私は二葉が、何度となく妙なことを口走っていたのを思い返す。だが、それと今の三葉のもの言いとつながっているとはこのとき考えもしなかった。何しろ三葉の話が常軌を逸していたからだ。

「三葉、本気で言っているなら、お前は病気だ」

三葉が断定的に言うのなら、こちらも三葉を病気扱いしないと収まらない。三葉も返す言葉がない。自信が揺らぐさまが私にもわかった。

「車を出してやるから、市内の病院で医者に診てもらえ。その後でなら、もう一度話を聞いてやる」

受話器を持ちダイヤルをしているさなかに女とは思えない大股で迫ってくる三葉。

「バカにしやがって!!」

気が付くと、胸ぐらをつかまれていて殺気立っている三葉の形相に恐れをなしている自分がいる。こんな怒りを前面に出した三葉を私は知らない。いや、こんなことをするのは三葉ではない…

我を忘れていた三葉が正気に戻り、ようやく三葉の手が離れる。だが、直前の男勝りの行動は、目の前の女性が三葉のようで三葉でない別人、いや男が乗り移ったようにしか感じられなかった。

「・・・三葉・・・いや、お前は、誰だ?」

ようやく私もここまでしか言えなかった。三葉ならざるものになってしまっている三葉。後ずさりしながら町長室を後にする三葉を黙って見送るしかできなかった。


車は、間もなく東京駅、というところまでやってきていた。

私はごそごそとカバンの中をあさり、番組ディレクターが郵送してきた書類に一通り目を通す。

ふと車の中から人ごみに渦巻く首都の喧騒ぶりを目の当たりにする。

1000万都市・東京。そこであの天体ショーを何の気なく見ていた人たちがほとんどだろう。そして私もよもや、自分の町にあんなものが降ってくるなどとはみじんも感じなかった。だが、あの時の三葉は、何かを知っているかのようなそぶりだった。

思い出しながら、ふとした疑問にとらわれる。

「妄言は宮水の血筋か」

自分で言っておきながら、あれは本当に妄言だったのか、誰かに言わされていたのではないか…ではその「言わせている」人間はだれなのか…

「お客さん、着きましたよ、お客さん!!」

私が我に返ったのは、ドライバーの二回目の怒鳴り声だった。


一年ぶりの新幹線のグリーン車。

政府の世話になっている身の上で、こうした贅沢な車両に乗ることも番組に呼ばれないと不可能である。10時過ぎの西向きの新幹線は、さすがに空いている。半分程度が席を埋めた状態で列車は静かに動き出す。

「今日も、新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございます・・・」

機械音声がいつもの口上を述べる。私は、再び資料に目を通し始める。

「もし、あれが仕組まれたものだとしたら…」

三葉の言葉を何度も反芻していくうちに、一つの答えらしきものが浮かび上がってくる。

それは、そもそも私と二葉がなぜこの地で出会ったのか、というところから始まっているかもしれない!

私は記憶の糸を手繰り寄せる。


1991年9月 飛騨・糸守

大学でも名の知れた民俗学の研究者として名を馳せていた30代。

私は、飛騨地方の風習や方言などを一つのライフワークにしていた。合掌造りの白川郷は、確かに世界遺産にふさわしい風景を作り出しているが、飛騨地方そのものが脚光を浴びることは「ディスカバージャパン」が声高に言われていた80年代ですらそこまでのブームにはなっていなかった。

そしてたどり着いたのが、人口1500人ほどの小さな集落・糸守町だった。田舎町独特の封建的な空気と町での立ち位置が先祖代々決まってくるような土地柄。ほかの道に進むことを許さない前時代的な雰囲気の中で、私は、取材し、この町の隠された魅力にも触れていく。

秋のある日。五穀豊穣を祈って踊られるとされる宮水神社の奉納の舞い。そこで舞っている若い方の巫女に私は心奪われてしまう。それが二葉だった。

隣で舞っている年かさの巫女…のちの義理の母に当たる一葉に比べると、その切れはやや劣っていたが、初々しさもあったのか、私にはその幼さがいとおしかった。

舞いが終わり、口噛み酒の神事も食い入るように見つめている。このころになると、さすがに観客もまばらになり、むしろ見続けている方が奇異の目で見られるほどである。


それらが終わり、舞台袖に巫女たちは下がっていく。

まるで出待ちをするアイドルの追っかけのように、私は二人の後を追った。

彼女たちは社務所に引き上げていく。どうやら神事の後の打ち上げでも催されるのか、しばらくたっても彼女たちは出てこなかった。

普段の私なら、ここで何も行動を起こさない。とっくの昔に宿舎に戻っているところだ。明日の仕事のことで頭がいっぱいなこともある。だが、このときは完全にあの巫女さんと…という妄想にも似た感情だけが私を取り巻いていた。

彼女が出てきたのは夜も更けたころ。やや夜風が身に沁みてきて、さすがに帰ろうとした時だった。

「あ、こんばんわ」

二葉が声をかけてくる。

「こ、こ、こんばんわ」

声が心なしか震えている。

「あの舞い、お珍しかったですか?」

どうやら、舞いの方の興味からここにいると思っているらしかった。

「え、あ、はい、なかなか幻想的で荘厳で…よかったですっ」

子どものように難しい単語を並べて称賛したつもりだったのだが…

「そうですか、よかったですわ」

平静を装う二葉。だが、彼女も少し紅潮しているように見えた。

「あ、あのぅ・・・」少し歩んでいた二葉が、私の問いかけで足を止める。

「し、失礼ですが、心に決めた方とかは、おられるんですか?」

今にして思えば、よくこんなぶしつけな質問を、初対面であるにもかかわらず、臆面もなくすらすら言えたものだと我ながら感心する。

「え、いえ…好いた方とかは今のところおりませんけど…」

嘘だ、とその時思った。こんな美貌を町の若い衆が放っておくはずがない。

「でも、うれしいですわ、こんなこと聞いてくれたの、貴方が初めてですから…」

後で町のものに聞いたところでは、しきたりが厳しいので、宮水家に女子が生まれた場合は、よその町から婿養子を取るのが一種の決まりごとのようになっていたようなのだ。年頃の娘なのに、二葉のことを腫れ物に触るかのように扱っていたらしかった。なので、彼女の言葉に嘘はなかったのだ。

二人が話しているそばに、後ろから一葉が姿を見せる。

「おゃ、これは、この間の学者さんではないですか。今度はどのようなご用件で。」

二葉が留守の間に私は一葉にだけ話を聞いていたのだった。「今を去ること200年前…」の口上やら組紐のいわれとか。

「あ、いゃ、その、つまり…」

しどろもどろになっている私を尻目に二葉が答える。

「この人、私のこと、好きになってしまわれたみたいで…」

先ほど赤らめた顔をさらに赤くしながら、ちょっと人ごとのように言う。

「ほっほっほ。これは面白い。いや、人が人を好きになるのは神様のお導きでもあるでな」

先輩巫女のいう言葉には説得力がある。たしかに神事の最中に恋が芽生える。これすなわち神のおぼしめしではないのか…?

「まあ、こんな夜更けではなんですから、また日を改めて、ということで、どうですかな?」

確かに立ち話でこんな込み入った話をするのもおかしい。一目惚れしてしまったことだけは相手に伝わったので、その日はそれで別れた。


1992年3月

胸をキューピットに撃ち抜かれた感触。一目惚れというのはこれくらいのインパクトのあるものなのだろうか…

秋に知り合い、何度かデートも重ねていくうちに、町中が我々の仲でもちきりになる。たった1500人程度の町の中では、○○さんがおならをした、でもニュースになって町中を駆け巡るくらいの勢いである。それが宮水家の長女との恋の噂となれば、広まらないわけがない。

だが、私には一つの懸念材料があった。私が宮水家に嫁ぐ…婿養子を迫られたのだ。これも、長男でなかったことが幸いしたとはいえ、私の両親がなかなか首を縦に振らなかった。お互いの親と顔合わせが終わっている段階だったが、いまだに結納には至っていなかった。

「このまま、俺たち、大丈夫かな…」

バス停のある広場でベンチに座りながら、二葉に問いかける。

「え?そんなこと心配しとってのぉ?大丈夫やよ、きっとうまく行くやよ」

二葉は付き合い始めてから一気に格好を崩した。今まで男付き合いもなかったこともあってか、私の魅力が半端なかったのか、ともかく「俺色」に染まってくれている。あっけらかんとした表情もすごく素敵だ。

「いや、でもなぁ…」

自分の川上という姓にはそれほど愛着があるというわけではない。だが、私の下に来てくれる二葉が川上姓を名乗ってくれたら、どんなに素晴らしいことか…

「あ、もしかして、苗字のことで悩んどるんじゃないかね?」

心の中を見透かしたような発言。ドキッとする。

「そんなことは大したことやないって。二人でいたらいいんだから、これ以上の幸せは考えられんて」

そう言われてみればそうだ。名前は、せいぜい他人と区別するために付けられた符号でしかない。名前などというものが発明されるよりずっと大昔は、お互いを呼ばなくても心と心が通じ合えていればそれで幸せだった。それを気付かせてくれる二葉。

「二葉っっ」

感情の表現がうまくできずに私は二葉を抱きしめる。壊れてしまわんばかりにぎゅうぎゅうと締め上げるかのように。

「あ、痛いって、痛いってばぁ」

声を上げる二葉。だが、その顔は、うれし涙でくしゃくしゃになっていた。


1993年4月

難航していた両親の説得がようやくうまく行き、遂に私は、『宮水俊樹』として、新たな一歩を踏み出した。

だが、それは、苦難の連続でもあった。

まず、すでに他界していた一葉の夫がこなしていた神事の一切を男である私が引き継いだのだ。女系家族である宮水家では、男性は下働きも同然の待遇だった。朝/昼/夕のお務めはもちろん、掃除/掃き清め/町民の祈祷や様々なお祓いなどにも出向き、ほぼ一日フル稼働といった状況だった。

その間女性たちはというと、組紐を作り、それを土産物屋に卸したり、社務所脇の物品販売所でお守りとして売り上げることで日々の生業としていた。冬場は、雪のせいもあって外に出向くことは少なくなるものの、何をするのにも雪との戦いになってしまう。特に年末年始の頃にドカ雪が降ってしまうと、初詣参拝の準備(要するに雪かき)に一苦労となる。

当然、町の男衆も黙ってみているわけではない。神事以外のことでは陰になり日向になり、いろいろと黙って手伝いしてくれてもいる。その中に、私と同い年の水野という男がいた。彼こそ、後に私が町の政治に関わるきっかけを作ってくれた人であり、この人と知り合っていなければ、あの奇跡も起こりえなかったかもしれない。

上昇志向の強かった水野は、ことあるごとに私にこういっていた。

「こんなド田舎の神職なんて、高が知れてますよ。それでなくても婿養子でしょ?せっかく田舎町に来たんだったら、そこの長になって世の中動かした方がいいに決まってるじゃないですか」

私は目の前の神事だの雑務で完全に自分を見失っていた。だから、たまに聞く水野の激励とも逃避せよという悪魔のささやきともとれる言葉を本人から聞いたり、思い返すことで、神職を続けていこうとする信念が揺らぐ。

だが、それでも踏みとどまっていられたのは、二葉の存在があるからである。疲れている時でも、彼女の顔を見ると、気持ちが晴れやかになる。今までの苦労は何だったのか、とさえ思える。「二人でなら何とかなる」あの夜、二人で交わした熱すぎる抱擁が、その顔を、そのしぐさを、その後姿を見るだけで思い起こされてしまう。


1994年8月

町はビッグニュースに沸き返っていた。

水野が県議会議員に初当選したのだった。糸守町という弱小の自治体から県議が出る。それだけでもすごいことだった。水野に、そんな資金力はなかったはずなのだが、当時の何とか大臣の秘書をしていたことが、経歴にもプラスになり、県とその省庁とのパイプが太くなることを好感してか、寄付と思しき資金がどっとなだれ込んだのが要因とされた。

私はといえば相変わらず、神事に振り回される毎日の連続だった。ただ、昔に比べて慣れが出てきて、スピードが上がったり、端折ったりすることも覚えた。一葉も、「逃げ出すんじゃないかと毎日不安やったは」と当時を振り返っていたが、人間、慣れというものは恐ろしい。

このころになってようやく、二葉とまともに愛し合うようになっていく。別に行為そのものを制限されていたわけではなかったが、やや幼く見えた二葉を大人としてみていなかったせいもあるかもしれない。だが、新婚生活も終わりをつげ2年目に入っているのに「そろそろ孫の一人でも作らんにゃ」という義母の無言の圧力にも後押しされる形になった。


1996年1月

毎年のように水野は宮水家に出入りしていた。正月、盆暮れ、秋祭り。イベントごとには必ずと言っていいほど顔を出していた。

その日は彼が我が家に来た日だったので、強烈に覚えている。

ひと通りのもてなしも済ませ、「今年もよろしくお願いします」と型通りの挨拶をしているさなか。

帰り際にお茶を二葉が持ってきた。

「いつも主人がお世話になっております。」

深々と頭を下げ、立ち上がったその時だった。

うっと口を押さえたかと思うと小走りに台所までかけていく妻。「どうしましたか?」水野がいぶかる。

私は少し遅れて台所に向かう。つわり特有の、あの吐き気を催しているのだった。

一通りの発作が収まった二葉が私を見つめてこういう。

「あなた・・・できちゃった・・・」

その瞳からは、苦痛と喜びがないまぜになった涙が一筋、二筋流れている。

その様子を見ていた一葉も駆け寄ってくる。

「おお、これはおめでたやな。でかしたぞ、俊樹!!」

60過ぎとはいえいまだ現役の巫女として宮水神社に君臨する女帝のような手が私の背中でぴしゃりと音を立てる。

このときはそれほどうれしさというものはこみあげてこなかった。宮水の血を絶やすことはまかりならんっっ、とまで一葉に言われていたこともあり、子どもを作ることは一種の義務のようなものだと思っていた。だからなのかもしれないが、ほかの夫婦が手を取り合って喜ぶような風景は、自分の中にはとてもではないが想像もできなかった。せいぜい安堵した程度しか感情は沸き起こらなかった。

帰り支度をしていた水野が、台所に立ち寄ってくる。

「おお、これはこれは。そういうことでしたか。いやあ、これはめでたいっっ」

慌てて祝儀を取り出そうとする水野を「まあまあ」と押さえて、「詳しくわかりましたら報告しますで」と送り出した。

医者に連れていくと、間違いなく妊娠しており、3カ月ということらしかった。

その言葉を聞いて私は「あの秋祭りの日か…」と思いを新たにする。あの日、二人はことのほか熱く燃えた。私の中にも何かがほとばしるような感覚にとらわれ、それは二葉も同じようなものだったらしい。二人の愛の結晶、というと何か使い古された呪文のようだが、ここに結びついた命の尊さにダイアモンドのような輝きを見出さずにはいられなかった。


1996年8月

待ち望んだ日がやってきた。二葉が入院していた病院から生まれた、という報告が入ったのだった。

病院の世話や看病は、一葉が主にやっていた。夫である私は「神に仕えるもの、おろそかにしてはならん」と一葉にいわれて、付き添いはおろか、差し入れで病室に入ろうとするとすぐに追い出されるという始末である。

ここまで女性の発言力の高い家だったと今更ながらに思う。日本の神様の筆頭でもある天照大御神も女性だった。その女性が天岩戸にお隠れになった時、日が照らなくなったので、戸を開けさせようとして回りでどんちゃん騒ぎしたのが男性の神々だったことを考えると、我々男性は女性の手のひらの上でもてあそばれているのか、とさえ思う。

産み落とされた瞬間、二葉は、その子が女の子であると知っていたのだろうか、「あなたの名前は、三葉」と迷うことなく命名している。普通は名づけは家族会議やせめて旦那には相談して決めるものだと思っていたから、退院してきて、もう名前が決まっていたことに一瞬あっけにとられた。だが、愛する妻の名付けた名前が、この子にふさわしくないはずがない。自分の次の世代だから三葉。連綿と続く宮水家の伝統というものを感じて、それ以上、名前について疑念を持つことはしなくなっていった。


2001年1月

21世紀が幕を開けた。しかし、伝統としきたりを重んじる宮水神社は、いまだに昭和の、いや、平安の雅に生きている。

水野もあれから宮水家を訪れる回数が増えていく。やれ出産祝いだ、やれお宮参りだ、と口実をつけては家に上がり込んでいくばくかの金を落としていく。そういったポケットマネーでしてくれていることにいつしか恩義を感じるようになっていった。

4歳になった三葉にも「はい、お年玉」と言って6ケタの金額を渡そうとしたから、「いやいや水野さん、それはいくらなんでも」と丁重にお断りした。「でも包んでしもうたし…」簡単には引き下がらない水野。「じゃあ、入園祝いも兼ねて」と、気の早い祝儀までもらってしまったりしていた。

ところが、このあたりになってきて、二葉のようすに変化が現れてくる。

「ねえ、あなた・・・」

寝床でこう語りかけられる時が要注意である。聞くふりをする私。

「もし私がいなくなったりしたらどうするの?」

「そんなこと考えるもんじゃないっ」

何十回目かわからないその質問。私はいい加減答えるのも面倒になっていた。

「でも、いつかはどっちかが先に死ぬわけでしょ?」

実際に彼女が死ぬのはもう少し先だ。だが、彼女はこの時期から、ことさらに死に関して私に問いただしている。

「それはそうだが…なんでそんなことを考えるんだよ」

身体を仰向けから二葉の方に向けてこっちが逆に問いただす。

「私ね、夢を見たの」

なるほど、夢を見たその日の夜にこの問いかけをしてきていたわけか。納得する私。

「その夢ってのがね、どこかで寝たきりになっている人の夢なの」

少しだけ頭が混乱する。人の夢を見るって…この人は何を言っているのだろう?

「毎日毎日、天井を見上げているだけの夢なの。でもなぜかしら、目が開いている、現実みたいって思えるの」

夢は目が醒めればほぼ消えてなくなるはずだ。それがなぜこうもありありと現実に体験したかのように語れるのだ…

「流動食しか食べられないのにその味もなんとはなく覚えていたりね…えへへ、変かな、あたし…」

少しにこやかに話し始める二葉だったが、薄気味悪ささえそこには同居していた。何か病んでいるのではないか…

「わかったわかった。夢の話はまた今度な」

嫌気がさして、二葉に背を向ける私。それでも「あの人、どこが悪いんやろか」などとまだ言っている。こうした行動が少しずつ、そして着実に回数も、症状も悪化の一途をたどりだす。


2004年6月

二葉の症状は、少しずつ、着実に悪くなっていった。

だが、それは日常生活や実際の神事、組紐づくりにまで影響することはなかった。ただ寝ようとするころになると、その妄想というか、夢の中で生活しているかのような言動が出てくるのだった。

それでも、時として私は押し黙らせようと、半ば襲うようにして二葉の体を欲した。妄想と現実のはざまで揺れ動く二葉と体を合わせるとき、まるで妖怪のような、人ならざるものを手込めにしているような感覚にとらわれることすらあった。それでも、現実の快楽には抗えないのか、二葉も私の体をむさぼるように求めることもあった。

そうして、二人目が誕生する。四葉だった。だが、この出産の直後から、二葉の容体は戻ることのない、坂道を転がり落ちるかのように変化を遂げていく。


車窓は以前のスピードよりゆっくりと流れ始めた。名古屋発祥の企業看板がぽつぽつと見え始める。そろそろ名古屋に到着である。

名古屋駅に降り立つと、尾張放送のロゴを貼った、マイクロバス仕様のハイエースが止まっていた。

「宮水さん、今日はよろしくお願いします」

名刺にディレクターと書かれている担当が渡しながらこう声をかける。

「あ、こちらこそ」

短めに返すと、自動ドアが閉まり、車はスタジオに向かい出す。


2007年6月

恐れていたことが本当に起こってしまった。

宮水二葉 永眠。享年36。当時としては特効薬のなかった自己免疫疾患だった。早すぎる死を回りは大いに悼んだ。

だが、私には、世界の終わりが告げられたに等しかった。

「お母さん、いつ病院から帰ってくるん?」

四葉の無邪気な問いかけが、より一層二葉がここにいないことを際立たせてしまう。彼女の言っていた、「私がいなくなったりしたら、どうするの?」 に対する答えを持ち合わせていなかった私にとって、彼女の死は、決してとびらを開けないお隠れになった天照大御神そのものだった。

太陽が失われた私の周りは、たとえ代わりになる太陽たる、三葉と四葉がいたとしても、それは決して私を明るく照らしてはくれない。せいぜい足元が少し照らされる程度だ。私が陰なら二葉は陽だった。二人で一つ。その組み合わせが根底から覆されたのだ。

「救えなかった…」

水野の尽力もあって、方々いろいろな医者を回ったりしたが、そのたびに出てくる診断結果はバラバラで、ようやく病名が判明し、落ち着いたころには、手の施しようもないほど体はむしばまれていた。後悔ばかりが次から次にとあふれ出す。あの時こうしとけば、もっと優しく接していれば…繰り言のように毎日をぶつぶつと自問自答するばかりになっていく。


2008年4月

二葉のいない生活は、完全に私の精神をむしばみ始めていた。その年の1月、水野が「そろそろ町長選じゃけども、どうするね?」と、声を潜めて私に提案してきていることも今更神職にしがみついても先は長くない、と判断するのに十分すぎる選択だった。

毎日が戦争状態。一葉とのいさかいも、手を出すにまでは至らないものの、日に日に激しさを増していく。二葉の欠けた私は、完全に糸の切れたたこのように、どこに向かうともしれない危険な存在に成り下がっていた。

      そして、その日が訪れる。

「神社など、続けたところで、なんになるんですか」

口げんかも終盤に差し掛かったころ、私は目の前の老婆にこう問いかける。

「おのれ・・・婿養子が何という・・・」

さすがに神社をだしに使われたのが腹に据えかねたのか、彼女は握ったこぶしを私の体にたたきつけようとする。

「確かに私は今まで不平も言わず、神社のためを思って奉公してまいりました。それもこれも、二葉がいる神社だったからそうしてきたのです。僕が愛したのは二葉です。宮水神社じゃない」

実際、ここ数カ月の神事は、本当におざなりだった。まったくやらない詔もあったし、掃除も掃き清めも適当。いや、二葉がいなくなったからできないのではなく、完全に神社・神職に対する情熱が潰えてしまったのだった。

「ようし分かった。そこまで二葉の想い出とおりたいのならこの家の敷居をまたぐこと相成らん。今すぐ出て行け!」

老婆の剣幕は、私を呪縛から解き放つ呪文のように思えた。それを聞いていた三葉がふすまのそばで泣いていることも知っていたが、もはや私自身のことで精いっぱいで、かまっている余裕は全くなかった。

その日のうちにボストンバッグに私物を軽く詰めて、私は宮水家を後にする。三葉と四葉が見送ってくれていたが、後ろを振り返ることなどできはしなかった。



「尾張放送 JOXY-TV」の看板も誇らしく、瀟洒な建物の前に横付けされる私の乗ったハイエース。自動ドアが開くと、通路でスタッフの何人かが私を出迎えてくれていた。

ここが担当するのは10年目で初めて。大手はやりつくして食傷気味だし、私が「生しか出ません」といった手前、一局しか中継できないと言ったあたりにも影響しているかもしれない。それにもまして、世間は血なまぐさく、目の前の事件・事故・災害に目を奪われがちである。過去を振り返る番組にそれほど需要があるとは思えない。


控室の前には「今年で10年 今明かされる謎の数々 糸守彗星災害特別番組」という大仰なロゴの下に「宮 水  俊 樹 さま」と書かれたA4の紙が貼りつけてある。

タイトルは確かに煽情的だが、私は基本台本通りにしかしゃべらないつもりだ。今更預言されていたことだ、などと発表する方がどうかしている。

「出番までお時間は少々あるのでそれまでお待ちください」

20代後半のフロアスタッフが去り際にそう言ってドアを閉める。私が政界の道を志すのを振り返るには十分すぎる時間だ。


2008年10月

水野の後押しもあって、私は町長選に出馬する。

水野の資金力と組織力は、ほかの有力候補の一角を容易に切り崩し、一人減り二人減りしていく中で、遂に後継者と思しき町長の息子との一騎打ちになっていく。

町長は土木出身であり、いわば公共事業命でここまでのし上がってきた。ところが、パトロンでもあった水野が、私に鞍替えをした途端、突然政界を引退。変わって息子が町長選に出ることになったのだ。

ほかにも数人が現職引退に色気を出して立候補したが、事実上は息子と私の一騎打ち。結果は、数票差で私が勝利した。一進一退の開票速報は、たった1500人/有権者900人程度の町にあっては、珍しい、とニュースにもなった。

このときに水野の代理的な存在として暗躍したのがあの土建屋…そう、勅使河原だった。彼らの組織力あればこそ私は勝利できたのだと今でも思っている。

だが、好事魔多し。私の当選を見届けるかのように水野は突然亡くなってしまう。資金力と公共事業を持ってこれる手腕を失った糸守町は、たちまち財政の危機に直面することになる。


2013年8月

任期満了に伴う町長選挙を2か月後に控え、私は水野の墓にお参りした。

ただの民俗学者で、神主的な立ち位置だった私に政治の面白さを身を持って教えてくれたのは彼だ。彼の存在がなければ、二葉がいなくなった後、政界に打って出るなどという行動自体を思いつかなかっただろう。

町長になったからわかる部分もある。今糸守町はもともとの脆弱な収入源に対する支出の多さにほぼギブアップ状態である。まともな産業は育っておらず、せいぜい農産物収入に税がかけられる程度。土木工事も一巡した向きがあり、壊れた道路の補修くらい。この程度ではお金が回っていかない。

水野の「遺産」は私が数年間、財政のことを気にしなくてもいいくらいの莫大なものがあった。だが、次の期では、それはないばかりか、かなりマイナス要素が満ち溢れている現状がある。それをどう覆い隠しながら町を運営していくのか…その答えを知りたくて水野に知恵を借りに来た、というのもあながち間違っていない。

神職であった私が墓参り…周りから見れば滑稽だが、霊を慰めることに宗旨は関係ない。私は花を手向け墓石に水をかけ、線香に火をつけひたすらに拝んだ。

当然の様に何かが得られる/御託宣が聞こえてくるわけでもなかった。だが、この町長選はなんとしても勝たねばならぬ。その思いは強く残った。


「宮水さぁン。そろそろ本番ですのでよろしくぅぅ」

先ほどのフロアスタッフが扉の外で私を誘う。

私は背広の上から糸守町の町章の入ったジャンバーを羽織り、もたされていた書類を携え、扉を開ける。

廊下を歩きながら、「その時」が来る実感を改めて思い起こしていた。


2013年10月4日 午後6時42分

秋祭り当日。その日は彗星の来訪もあってか、職員一同はどういうわけかほぼ全員が居残っていた。

そこへ、奥の山間から「ドォーン」という爆発音。何の音だ、と思う間もなく停電する。

「停電だ」

庁舎内には、自家発電装置が備えあるので、ほぼ同時に非常灯に切り替わり、庁舎内は薄暗く様相を変える。それと相前後して、地の底から湧き上がるような重苦しいサイレンの音が鳴り響く。

 「こちらは糸守町役場です。変電所で爆発事故が発生しました。さらなる爆発と、山火事の危険性があります。次の地域の人は、いますぐ、糸守高校まで避難してください。門入り地区、坂上地区、宮守地区、親沢地区・・・」

どこからともなく防災無線が落ち着き払った口調で避難を呼びかけている。

「何事だ」

私が確認する。

「詳しいことはわかりませんが…変電所で何か起こったみたいです」

「そうか」

それだけ言うと、職員たちに号令する。

「まずは住人の安全が第一だ。現場の確認が先決だ。危機管理担当!!」

呼ばれて二人の若い職員が起立する。

「君たちはすぐさま現状を確認すること、山火事が発生しているのならそれも含めて報告すること。急げっ」

「はいっっ」

二人がその場から駆け足で出て行く。

「ほかのものは、関係各所に連絡だ。国道管理事務所、JR、NTT、中電…考えられる連絡先に通報するんだ。」

だが、町のすべてを知り尽くしている私には腑に落ちない点があった。変電所の爆発でなんで町の北側が避難しないといけないんだ…


午後7時15分

大方の職員は、町のあちこちからかかってくる停電の状況を問い合わせる対応に追われていた。

「こんな田舎でテロなわけ、あらすけ! …で、中電はなんといっとる?」

イライラを募らせて歩き回る私。

「今、詳細を確認中、とのことです」

「全く・・・」

吐き捨てるように私は言う。

椅子に座ると、次の指示を出す。

「それから、この放送を早く止めさせろ。耳障りでしょうがない。」

そうこうしているうちに電話が鳴る。危機管理担当からだった。

「もしもし。ああ、私だ。…それで…フム、では変電所は燃えているが山火事は起こっていないんだな?確かか?よし、分かった」

ほっと胸をなでおろす。ここ最近雨が降っていなかったので山火事にでもなれば山林の焼失は避けられない。

「町長!今、高山のセンサ局から…」

それは防災無線の発信場所を知らせる情報だった。

「高校だと…」

私の脳裏に、数時間前の三葉の”妄言”が甦った。変電所を爆破し、避難放送を捏造してまで町民を巻き込みたいのか…怒りの感情がこみ上げてきたが冷静なもう一人の私が指摘する。そこまであいつを動かせたものはいったい何なのだ…


午後7時20分ごろ。

高校の放送室で放送していた女子高校生は確保されたという報が入った。私は町内放送担当に訂正放送をさせた。

 「こちらは糸守町役場です。ただいま、事故状況を確認しています。町民の皆さまは、慌てず、その場で待機して、指示をお待ちください。繰り返します・・・」

とりあえず、ただの爆発事故で済みそうな気配はしている。だが、秋祭りの日になぜ…三葉が首謀者と信じて疑っていなかった私は、はらわたが煮える思いを隠すかのように、ふぅーっと息を吐き、ネクタイを緩めた。だが、このとき、外の景色を一顧だにしなかった私は、重大な異変を感じ取れずにいた。


午後7時25分

ひとまず事態は収拾に向かっていた。とはいえ、非常用電源が持つのはせいぜい今日いっぱい。明日から電気のない生活が待っていると思うとそれはそれで不自由なものになるな。だいたい町の機能はどうなる?そんな思いが去来していた。町長室に入って事態を見守る。

そこへ一葉と四葉がやってくる。

「なんや事故やて聞いたが」

一葉が客用ソファーに座りながら聞く。

「ああ、それなら心配いりません。すぐに収まるでしょう」

「ほんとうかなあ、なんかもっと大きなことの予兆のような気がして、心配やよ」

四葉が不安を口にする。

「そんなことは無いって、間違いな…」

そう言いかけて、私は息をのんだ。


ついさっきまで流れていた防災無線。変電所とはかなり離れた地区の住民に避難を呼びかけていた。私はあわてて町の地図を見る。門入り、親沢、坂上、宮守・・・何度も流れていたので無意識にペンがそれらの地区を囲っていく。そして導き出された結論は、宮水神社を中心にした同心円状の地区たちであった。

汗が流れる。この地区に何が起ころうとしているのか?


午後7時40分

「お父さん!」

そう言って現れたのは、三葉だった。だが、その姿は、ぼろぼろという表現がふさわしかった。

髪は汗と土でドロドロになり、足には無数の擦り傷。制服は破れてしまっているところもあった。

「三葉、お前まで、また・・・」

この落とし前をどうつけてくれる!!そういいたかった。事態は収拾に向かっているが、目の前の女性こそ”首謀者”に違いなかった。

だが、次の瞬間、目をぱっちりと見開き、無言で迫ってくる三葉に私は気圧された。


「あれを見て」

外を見るように言う三葉。そこには二つに割れた彗星の一つが赤く変色しながら落下していく様子がうかがえた。

「三葉、お前、も、もしかして…」

"お前はこのことを知っていたのか…"という驚愕の気持ちから出た言葉だった。

「そうとわかったら早く動いて。もう時間はないの。急いでっっ」

その言葉にもはや目の前の三葉を責めたり褒めたりする余裕はなかった。私は弾かれるように町長室を飛び出し、駆け出していた。


7時42分

「ウワーめっちゃきれい」

「幻想的よね」

役場の一室では連絡すべきところにし終えて、外を見る余裕のできた職員たちがつかの間の天体ショーを楽しんでいる。

そこへ私が入っていく。息を切らしつつ、少し神妙な面持ちで。

「みんな、落ち着いて聞いてほしい。今からあの彗星の一つがこの町に落ちる」

一瞬の静寂。次の瞬間、嘲笑とも取れる爆笑が部屋に充満する。

「黙れっっ」

人生の中で一番の大声を張り上げる私。場は一瞬凍りつく。

「ああ、笑いたければ笑えばいい、だが、事が起こってからでは遅いんだぞ。もしこれが空振りにでもなったら、俺は町長を辞めたっていい。選挙戦から降りてもいいくらいだ。それくらいの覚悟がなけりゃ、町長なんてやってられないんだよ」

真剣に聞いてくれている。今までいい仲間だと思っていたが、このときほど一体感を感じたことは無かった。

「糸守湖は隕石湖だ。だから万が一のことを考えて行動しようとしているんだ。それを分かってくれたら、もう俺は何も言わない。みんながベストを尽くしてこの事態に対応してくれ。よろしく頼む」

自然にこうべを垂れた。次の瞬間、又各所に連絡を入れる職員たちに目頭が熱くなった。

 直後、防災無線はまた新たなメッセージを発信し始めた。いつもとは違い切迫した口調で。


 「こちらは糸守町役場です。割れた彗星のかけらがこの町に落ちる可能性があります。糸守湖は隕石湖です。落ちてくる可能性はかなり高いとみられています。全町民の方は、いますぐ糸守高校まで避難してください。万が一の避難訓練ですが、必ず高校まで避難をしてください」


午後8時15分

糸守高校はちょっとしたパニックに見舞われていた。

避難を促す放送から30分余り。変電所火災に伴う”偽”の避難指示放送もあって、それを真に受けた住人が少なからずいたとは言うものの、「待機せよ」という訂正放送が事態を複雑化していた。それでも、避難対象地区に居る人々は、三々五々高校に集まってくる。

ただ、1500人の町民の内の400名強。全員の避難が完了したかどうかの確認に時間が取れず、結果的にすべての対象地区の住民の避難が終わったと知らされたのは落下数分前だった。昔ながらの隣組が機能していたことは、大きなポイントだったとはいえ、町民全員を収容できるほど、建物の規模が大きいわけではない。鉄筋コンクリート2階建て。昔は近隣の町からも通っていたこともあって、規模はそこそこだったわけだが、一部の住人が早々と体育館に避難している以外は、校庭でどうしたらいいものか、と立ちすくむ人々が大半だった。

全員の収容は難しいと判断した私は、ハンドマイクを手にグラウンドに集合している人々に話しかける。

「まだ彗星は到達していませんが、その際強烈な爆風を巻き起こします」

いったん区切って町民の反応を見る。私だって、どうなるのかなんて想像もつかないのだ。

「幸い、糸守高校は耐震化も終わっており頑丈にできています。できる限り建物の中に入って爆風をやり過ごしてください」

そう言うと、タイムリミットまでに、寝たきりや車いすの人々を一階に収納、バリケードも張り、ブルーシートを各々かぶるように言う。多くは広々とした体育館を逃げ場所と定めていたようだった。窓から遠く離れ、毛布や机などで飛散物をやり過ごそうとしていた。


そして、運命の時…

2013年10月4日 午後8時42分。

彗星の大きなかけらは、宮水神社付近に落下。瞬間、ドガガーーーーーーンという、大音響があたり一面に劈く。家は一瞬で崩壊し、車は木の葉のように舞い、木々は次々になぎ倒されては引っこ抜かれて矢のように飛び回る。

回りの風景、街並みそれらを蹂躙していく衝撃波。頑丈なはずの石製の門入橋も見るも無残に破壊され、ありとあらゆるものを飲みこんでいく。

高校は、落下地点から直線距離にして一キロ無い場所。時速300キロとも400キロともいえる爆風が来るのに10数秒。一瞬にして校舎の窓ガラスは一枚残らず割れ、吹き抜ける風は、あちらこちらから飛散物を舞い落としていく。アスファルト、石ころ、ガードレール、ふすま、自転車…史上まれに見る彗星災害はこうして起こり、収束していった。


午後8時45分。

すべてが終わった高校周辺。うめき声がそこかしこで聞こえるものの、重篤なけが人はあまり見受けられなかった。車の中で退避していて横転してしまった住人が10数名いたが、ほとんどのけが人は高校内部で発生していた。割れたガラスや飛んできた木材などでけがをした人たちだ。

消防団に病院関係者が応急処置に入る。けが人の総数は104名。だが、甚大な被害に比べて、人的損失がゼロというところが称賛の的となった。



2023年10月4日 午後7時

「私たちが忘れてはならない災害、というものは、いくつもあると思います。古くは関東大震災、戦後初の都市型震災の阪神・淡路大震災、そして東日本大震災・・・これ以外にも台風の上陸、火山の噴火や地滑りなど、自然災害だけをとっても毎年どれだけの被害と尊い犠牲をもたらしているか、を考えるとき、胸が痛みます・・・」

大手テレビ局の柔和なキャラクターのアナウンサーが番組冒頭の口上を述べている。それを横目に見て、テレビ局のスタジオの袖で出番を待っている私がいる。


「・・・しかしながら、英断と決断で災害から住人を守った立役者、ヒーローとでも申しましょうか、そんな立場の方々がいることもまた事実です。2013年10月4日の、糸守町の彗星落下で本当に奇跡的と言える人命救助に尽力いただきました、この方にご登場いただきたいと思います。元・糸守町町長 宮水 俊樹さんです、どうぞ、お入りください!!」

フロアディレクターの合図で私もスタジオの立ち位置に向かう。スタジオの中にいるスタッフたちが拍手する。

「ようこそおいでいただきました」

「いえ。こちらこそ。」

形ばかりのあいさつをする。どうもカメラが回っている場面では、それを凝視できない。本当に彼らはプロなのだといつも感心する。

「また、今年もこの季節がやってきてしまいました」

「はい。私もこの10年間、いろいろな思いを持って過ごしてきましたが、やはりあの出来事は奇跡的だったなあ、と今でも思いますね」

経った年数が違うだけで、去年もほぼ同じようなセリフで幕を開けたと記憶している。だが、本当の真相は、どうしても話す気にはなれないし、話したところで誰が信じてくれるのだろうか…

「それでは、お座りください」

促されて席に座る。そこにはお決まりの被災した・・・もう私としては見たくもない故郷・糸守町の哀れな姿が映った航空写真が大写しで飾られている。

アナウンサーのしゃべりは、その時の状況を熱心に視聴者に伝えようとしていた。だが、当事者でもない彼のしゃべる言葉に私は一顧だにせず、自分の世界に入り込んでいた。


2007年3月

二葉が病の床に伏して早いもので2年近くがたった。

一進一退を繰り返しつつ、どんどん生気が失われていく。この手の病気に多い経過である。

その日も私は、神事もそこそこに、二葉の見舞いに来ていた。

そこで私は、二葉から、とんでもないことを聞かされる。


「また来てくれたのね…」

蚊が泣くようなか細い声。もう、彼女には声を出す元気も残っていないようだった。

「ああ、俺にとってはお前に死なれては一大事だからな」

もっともっと生きろ、と無理強いするように言った。そうでもいっていないと明日にはこと切れそうだったから。

「でも、もうすぐ、その一大事、とやらは来ますよ」

にこやかにそう返してくる。

「ば、な、何を言ってやがる、縁起でもない」

だが自分の命のことくらい自分が一番よく知っている。もう長くはないと悟っているのだ。

「でもね。今のうちだから言っておこうと思うの」

車いすを用意して、という二葉。どうやら二人きりで話したいらしい。


「ああ、外の空気を吸うのもひさしぶりねぇ」

少しだけ生気が戻ったような二葉に少し安堵する。

「でね。あなた」

「なんだい」

「ちょっと前だけど、寝たきりの人の夢の話を何度もしたの、覚えてる?」

「ああ、覚えてるよ。ちょっとおかしくなっちまったのかな、なんて思ったりしたよ」

「あれってね…本当は夢じゃないの」

「え?夢だって言ってたろ?」

「そう言わないと信じてくれないから。でもあれってね、私別の人の人生を歩んでいたのその時」

もう私には何が何だかわからなくなっていた。別の人の人生を歩む?入れ替わる?そんなことって…

「で、同じ時に私にその人が入り込んでいたの。不思議なんだけど、そんなことがあったのよ」


どうも入れ替わる、という特性自体を宮水家の女性たちは持っているらしかった。実際祖母である一葉も「誰か別の人の人生を歩んどった」と言っていた。ほーん、そんなことが…まあ奇跡と言える部類なのかな…

「でもね。誰と入れ替わるのか、それがよくわからないの」

二葉の言うには、入れ替わる相手は必ず男性で、必ず同い年。そして自身が編んだと思われる組紐を身に付けているらしかった。ただ特定の一個人にではなく、二葉が作った組紐を持っている人に無作為に憑依するらしかった。

「おッかしいでしょ、私が別の男の人になってその人が私の中に入ってくるって…」

「あぁ」

そう言えば…私にも思い当たる節があった。一度だけ、こちらが望んだのに、猛烈に拒絶されたことがあったのを思い出した。たしかに男が男を犯すようなことになるわけだから、無理もないか…

「でね。このことお母さんにも話したの」

「そうなんだ」

「実際私って、凄い能力を持っているらしくって、それはお母さまからしても類まれなるものですって」

「ふーん」

「でね、私って、少しだけ、未来が見えるらしいの」

「おいおい…」

少しだけいやな予感がする。

「それってね。私の、じゃなくて、関わった人、みんなの。だから、三葉のことも少しだけわかるし、貴方のことも少しだけ」

「そうなんだ。それは聞きたいなぁ」

何の気なしに水を向ける。

「じゃあ、これ、内緒だよ。あなたはねえ。三葉と一緒に糸守のみんなを守ってくれるの」

「おいおい、そんなのじゃわからないよ」

「アハッ、私にもわかるのはこれくらい。でも少なくとも神社の中にはいないなぁ。なんかのお偉いさんになっているの、かな?」

二葉は、本当は、私が何になっているのか、知っていたのだ。だからわざとぼかして、そんな風に言ったのだ。過去が未来を邪魔しないように。

その時は全く気が付かなかった。一葉の「他人との入れ替わり」も、二葉のこの「未来の予知能力」も、全ては妄想癖がなせる業だ、と思っていた。

「妄想は宮水の血筋か」・・・そうではなかったのだ。もし私が、あの時の三葉をそのまま受け入れていたら…歴史はもっといい方向に変わったのかもしれない。


「・・・という経過をたどって今現在に至っているわけです。もう完全に廃墟が支配する町と言ったところなんですけど、このあたりは元町長としてどうお考えですか?」

番組中だというのに、遠い昔のことを思い出していた。あっと思ったがこういうときの台本である。

「まあ、もともとが資源も産業もない土地柄でしたから、遅かれ早かれ、付近の町と合併でもして生きながらえるしか手はなかったと思いますね。それを主導すべく当方も頑張っていたのですが…まあ、あの隕石到来以降は、もうめちゃくちゃでしたねぇ。」

「その奮闘記は、地元のテレビ局がドキュメンタリーとしてまとめたりもして、かなり好評を博しましたけど」

「実はあの後町長選があったんですけど、あの災害ですべて吹っ飛んでしまいまして。結果的に町議会で復興する2年間の任期延長を戴いたんですが、町から出て行く人が後を絶たなくなりましてね。結局町自体もなくなってしまったわけです」

「そうでした。それでもこれだけの大災害なのに、死者が一人もいない、というのは、なかなかできることではないと思いますよ。」

そうアナウンサーが言うと、フロア中が拍手で埋め尽くされる。


生放送が終わり、打ち上げは丁重にお断りして、用意されているホテルに向かう。

あの日以来、宮水家とは一切の音信を断っている。風の噂では、三葉は、都内で職を見つけてすでに課長クラスにまで昇進したらしいし、意中の人も見つかったと聞く。四葉は、孤軍奮闘大学生として独り暮らしをしているそうだ。ただ、娘たちの節目節目に私が顔を出すことは一度もなかった。

隕石が落ちてからの人生を私は振り返る。最後に町役場を閉めるときに私は並み居る職員にこう訓示した。


 「今まで本当にありがとう。物事は起こってからが勝負だとは感じていたが、ここまでいい仕事を2年近くもしていただき、町民にご理解いただいて町を閉鎖することができたのも皆さんのおかげです。一職員である前に一個人、一人間として物事に当たってくれたことに感謝するしかありません」


不思議と拍手は起こらなかった。だが、生まれ故郷を去らねばならない寂寥感からか、ハンカチで目頭を押さえているものもいた。

町民の最後の一人を送り出した後、私は並み居る中継用のテレビカメラに向かってこういった。


 「糸守町は、確かに消えてなくなりました。でも、この町が残してくれた教訓というものは決して消えません。ことが起こる前に行動する。事前に準備をする。これができて初めて結果が出るのです。皆さんの実生活でもこういったことはあると思います。糸守の悲劇、としてではなく、これを成功例としてとらえていただきたいと思っています」


防災アドバイザー的な地位も被災後数年は役職としていただき現在に至るわけだが、そこに至る経緯の中で、二葉との出会いはやはり特別なものだったといえる。

私はこうして生きていられる。それは二葉がいたからに違いない。二葉が、三葉が、生かしてくれたのに違いない。娘の三葉が、妻の二葉が、私を支えてくれたからこそ、世の中に恥ずかしくない生き方を提示できているのだ。

もし三葉の言葉を真に受けていなかったら…私の人生は暗黒に取り込まれていただろう。けが人だけで済むような軽微な事態ではない。500人もの町民を犠牲にしてしまっていてもおかしくなかったわけだし、それは私にとって背負うべき十字架でもある。生きながら死んでいく。そんな人生もありえたはずだ。

それを回避させた三葉、そして二葉。私にとっての「天照大御神」はやはり彼女たちだったのだ。遠く感じていた絆を今改めて思いなおす。


 「今年も無事終わったよ。ありがとうな、二葉、三葉」


コンビニで買ってきた缶ビールは、開けるときに少しだけ泡をまき散らす。それに苦笑しながら、空にまたたいているはずの星たちに向かって、私は缶を持ち上げて感謝し、一気に飲み干した。


後書き

はい。読了いただきましてありがとうございます。
小説を書く、ということは意外と好きなもので、自身のHPにもコーナーを設けていたほどです。
もともと設定があってこういう具合に話を膨らませる、なんていう二次創作は、今までは読むばっかりでしたが、さすがに『4回』→18回(2017.3.20)→32回(2017.7.25現在)もスクリーンの前に座ってしまったこの映画の、重要キーパーソンでもある、父親であり町長でもある宮水俊樹の人となりを深く掘り下げてみたいと感じたわけです。
もし、あの作品の最終局面で、三葉が赤の他人を説得させなくてはいけないとなった時にどういう結末が考えられたか。身内だから聞いてくれたのか…こういったところも考えようによっては面白い考察もできるところです。ただ、私は「宮水家があの局面で政治の中枢にいた」ことも必然に感じるわけで、そのあたりを、二葉の並外れた能力と少しだけ咬み合わせてみました。
企画『宮水俊樹でSSを』は正直2時間くらい。執筆は正味12時間(途中で保存忘れで消えた5000文字!!の再タイプも含めて)。もう少し練れば、いい結論(特に最終末は、もっと芳醇な読了感を出したかったが、2万字を越えたこともありここで投了)はできたかと思いますが、俊樹にとって二葉無き後の人生はおまけでしかないですからね。
淡々と時系列を追うだけの作品なので、面白味は欠けるかと思いますが、一度お読みいただいてご意見などいただければ、次回作の励みにもなろうというものです。
2017/1/4 タイトルを分かりやすくしました。ていうか、あえての英字表記はなかったかと。
2017/3/20 時間表記を実際の映像に重ね合わせました。結果、かなりギリギリの避難になったので一部表現を書き直しました。
2017/7/30 DVD・BD発売の際の時刻修正が認められたため(隕石発生が落下の1.5時間前)、当ストーリーも、当該時刻(3/20修正版以前の状態にほぼ復帰)に一部変更しました。また、エンディングの大幅加筆を含め、最終チェックも行い加筆・修正してあります(21370字)。


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