2017-05-15 00:55:03 更新

概要

新米艦娘綾波と小さな鎮守府の小さな物語。ほぼ独自設定です。軍事とかの知識はほとんどないのでツッコミどころ満載です。忌憚のないご意見・ツッコミなど待ってます。


前書き

ものすごく間が空きましたが、2章です。
続き物なので、1章から読んでいただけないと設定等がわからないと思われます。
よろしければそちらからどうぞ。
一章:http://sstokosokuho.com/ss/read/245
(アカウントが分かれているのはアカウントを忘れてしまったからです)

番外編については忘れてください(アカウント忘れたので消すこともできない)

ご意見・感想等頂けると小躍りします。

……それにしても自分の書いた文章ってホント小学生の読書感想文だなぁとしみじみ思います。
書き溜めた分がほぼなくなったので、できるだけ頑張りますが毎日更新は難しくなります。

時系列的には2章は1章の最終話より少し前から始まっています。(書き忘れてました)

ちなみにTwitterは@TsukamuraChiakiです。
滅多に呟きませんが少し艦これ関係の下手な絵があります。

評価と応援ありがとうございます!
もうこのSSはもうあなたの為に書きます。でも文章力がダメダメなので期待はしないでくださいね。


>待ってました!第二章!
>第一章を復習しながら更新を待っています!

コメントありがとうございます! 2年も間が空いた割にあまり良いものは書けないので恐縮ですが、頑張ります。


>過去話となるともしかして吹雪の出番が!?
>イラストも文も大好きというかすっかりファンです
>どちらも楽しみにしています!

>夕立は凄く頑張ったっぽい!!

ありがとうございます! ファンとか言われると逆に絵もSSも私の落書きみたいなのでいいのかと恐縮です。気楽に暇つぶし程度に御覧ください。
一応、綾波を主軸に置いた物語なので、他のキャラは割りと浅く書かれます。もっと構成力があれば軸をブレさせず上手く描写できるかもしれませんが……


>遂に戦闘開始!更新待ってます!

更新遅れちゃってごめんなさい。できるだ頑張りますので、読み続けて頂けると嬉しいです。


[chapter01: 祝い事 ]


「お祝いがしたいね!」

 そう切り出したのは白露だった。

 艦娘兵舎談話室。思い思いの行動をしていた四人の艦娘たちは、白露に目を向ける。


「どうした急に」

 紙の書皮をつけた恋愛小説を片手に木曾はやや驚いてみせた。


「そうやな。鎮守府の存続が決まったし、何かしたいとこやな」

 と、楽しくもないテレビを漫然と見ていた黒潮。


「お祝い……どんなことをするんですか?」

 給湯室から全員分の茶を煎れてきた綾波も話に加わる。


「出かけるとかは無理だし、任務とかあるから大掛かりなことはできないよね」

 白露は口元に手を当てて何をしようか思案する。


「あ、お祝いと言えば提督の誕生日が近いクマ」

 小物の載った雑誌を長机に置いて球磨がぽんと手を叩いた。

 

「なるほど。主題はそちらにしよう。提督に何か贈り物と、会を催すか」

 ふむ、と木曾は頷く。


「でも司令官への贈り物って何が良いんでしょう? 身につけるものとかですか?」

 綾波の疑問に、慌てたのは球磨。

「提督の身につけるものなんて恐れ多いクマ! 見合った物なんて全員のお金出しあっても……だいたい制服と短剣の一式でいくらすると思ってるクマ!」


「良い物を着てるとは思ってたけど、そんなに高いんですか?」


「だいたい家一軒クマ」

 球磨がうつむきながら指を一本立てて言う。


「え?」


「指定の制服一式で家が一軒建つくらいの額クマ。それも提督の自腹という規則クマ」

 絶句だった。

 艦娘達は金銭感覚が良いとは言えないが、それが文字通り桁外れであることは想像に容易かった。


「そ……それに見合うのはちょっと無理やな……食べる物くらいがええんやろか」

「そうだね、そうしよう」

 黒潮と白露が顔を見合わせる。


「待て。提督の外食は原則的には料亭など一流の店で食べる規則があったはずだ。相当の物で無いと食べてもらえるかもわからないぞ」

 木曾の一言に、あ……と口ごもる。だが球磨の瞳がキラリと光った。


「いい考えかも知れないクマ。料亭に行くのは会食の時くらいで提督の普段の食事は妖精さん達と同じ食堂、忙しいときは即席栄養食なんか食べてるクマ」

 球磨の情報はいつも身近にいる秘書艦ならではだ。


「ということは、きちんとした食材での食事は滅多に?」

 球磨はコクリと頷く。


「決定だな」

 木曾が不敵な笑みを浮かべた。水を差すように手を上げて黒潮が発言する。

「料理は誰がするんや? 艦娘全員カレーなんかは作れるように兵学校で習うけど最低限程度やし、他の料理は自信ないで」

 大体カレーは毎週金曜日に必ず食べるんやしと黒潮は付け足した。


「綾波、少しはお料理できますよ」

 いつどこで覚えたのかは思い出せないが、基本的な家庭料理の作り方は知っていた。


「料理班旗艦を命じるクマ!」

「はい! ……ってあれ?」

 球磨が綾波を勢い良く指差し、綾波もつい普段の癖で無帽敬礼と共に拝命してしまう。


「食材調達はどうします? お金はともかく、このご時世でいい食材が簡単に手に入るとは思えないですよ」

 白露の質問だが、球磨は既に考えがあった。

「木曾、確か中央に知り合いの艦娘がいたはずだクマ」

「ああ、同期の軽巡がいるが。なるほど、中央の兵站を利用するわけか。少なくとも情報はありそうだ」


 球磨が軽く頷き全員に目配せをすると、球磨の周囲に艦娘たちが集合する。


「球磨、木曾は食材調達班。綾波以下駆逐隊は調理方法、献立など情報収集を任ずるクマ。駆逐隊の旗艦は綾波。

 作戦決行は2週間後ヒトロクマルマル。お互い密に連絡を取り、連携を重んじるクマ。決して忘れてはいけないのは、当作戦は隠密作戦であるクマ。

 提督に決して気取られてはならないクマ。繰り返すクマ。提督に決して気取られてはならないクマ。

 では各自、行動開始クマ!」


「はっ!」


 球磨の号令と共に、艦娘達は強い眼差しで敬礼した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter02: 料理 ]


 艦娘兵舎には厨房がある。ただし、艦娘の食事量から考えると設備は十分とは言えず、滅多に使われることのないものだ。

 そんな厨房に並べられた食材や調理器具。綾波たちは食材を手に取り、または眺めている。


「焼結体包丁ですか……鉄の包丁がよかったんですが」

 金属とは違った鈍い輝きを放つ包丁を手に取って不満そうに呟く。


「いまどき金属は難しいで。国内の金属はほとんど艦娘に使われとるらしいし。その分、数は用意したんやで」

 黒潮がそのうち一本を軽く指で摘んで少し力を入れると、刃の真ん中からパキリと折れた。 

 焼結体はとても固く、もろい。艦娘が力を間違ってしまうと飴細工の様に折れてしまう。


 ないものねだりはしても仕方ないとは思いつつも、浅いため息が漏れた。


「それにしても食材よくこんなに集められましたね。どれも良い物ばかりです」

 豊富に取り揃えられた希少な食材たち。量こそは艦娘が食べるには少ないものの、考えていた献立には十分すぎる種類と質だった。


「木曾が頑張ってくれたクマ。意外とどういうものがおいしいとか知識が豊富だったクマ。料理はあまりできないのに」


「料理はできへんけど、美味しいもの知ってるって……実は木曾さんって良いところのお嬢様とかやないか?」

 まさか、と黒潮は自分の想像を否定する。


「木曾が? ……想像できないクマ」

 球磨は華やかな服を着た木曾を想像してみるが、全く印象と合わない。


「人間の頃からあんな感じだったとは思えないし、あるかもしれませんね」

 そう言いつつ綾波も微塵もあるとは思っていなかった。

 はたと周囲を見回すと、木曾の影は厨房にはない。


「そういえば球磨さんと木曾さん一緒かと思ったんですけど……」


「先日の大破が堪えてるみたいクマ。球磨もちょっと辛いクマー……まぁすぐに来ると思うクマ」

 数日前の出撃で、木曾たちは敵艦隊から手痛い損害を受けていた。

 重巡を中心とした敵が出没し、出撃した艦隊は一定の成果を上げたものの、それ以上に損害が大きく、撤退を余儀なくされていた。 


「少し前から急にこの海域の敵が増えてきましたよね」


「戦力が足りないよね。数か質、あるいは両方を増強する必要があるよ」


 潜水空母姫を撃破して以来、徐々に敵艦が増えていっているのを感じていた。

 輸送や警備を主任務としていたこの鎮守府には打撃力のある敵艦の相手は荷が勝っている。

 現状が厳しいことを改めて認識した艦娘たちは、揃って難しい顔をした。


「昨日までにできる下ごしらえは終わってるので、一気に終わらせてしまいましょう!」

 調理班旗艦を命じられた綾波は何とか空気を変えようと声を上げる。


「白露さんと黒潮さんは野菜を切ってください。こっちと……これもお願いします」


「了解」

 黒潮は綾波に命令されるのが抵抗あるのかやや不愉快そうに、白露は特に気にした様子もなく返事をした。


 勢い良く扉が開いた。

 慌てて何かを食べて来たのか、口を拭いながら木曾がズンズンと厨房に入ってきた。

 木曾は如何にもと言った感じで袖捲りをする仕草をしながら辺りを見回す。


「おっ、丁度はじまったところか。オレは何をすれば良い?」


「ではお米をお願いできますか」


 綾波の指示に、よしっと掛け声がかけるがすぐに木曾の動きが止まる。


「……提督はどのくらい食べるんだ? 一升もあれば足りるのか?」


「そんなには要らないとは思いますけど……昔炊いていたのは確か3合くらいだったと思います……あれ? それって一人分だったかな?」

 綾波はなんとなくの感覚では他にもっと誰かがいたような気がしていた。

 だがその感覚を追えば追うほど蜃気楼のように記憶は遠くなる。


「3合だな。わかった」

 木曾の返事で綾波はハッと我に返る。

「あ……えと、優しく砥いでくださいね。小米ができちゃうとベチャっとしちゃいますから」


「2年ほど前に炊いたことがある。多分大丈夫だ」

 一抹の不安を覚える言葉だったが、木曾の手つきそのものは問題ないようだ。


「……と、あれ?」

 ふと気づくと近くにいたはずの球磨がいない。

 よく見ると奥に球磨が引っ込んでいた。


 球磨はニヤリと綾波を見ると手に経木で包まれた何かを持って来る。


「実は和牛を手に入れてきたクマ!」

 包装を解くと、1kgほどの肉の塊が姿を現す。


「和牛ですか? よくまだ生産されてましたね……でもこのお肉、サシがないですよ?」

 綾波の和牛の印象とは違い、霜降りが無くほぼ赤身で構成された牛肉。

 首を捻りながら訝しげに突付く。


「この牛肉は和牛の中でも幻の希少種、無角牛の肉クマ。最高品質の赤身が特徴で大きく切って焼くのに適してるクマ。提督は男の人だからきっと気に入るクマ」

 球磨の自慢で綾波には何だか凄い牛肉とは伝わった。

 綾波にはこのような大きな肉を調理した記憶はない。


「どのくらいにすれば良いんでしょう……三等分くらいに分けて最後に焼いてみましょうか」

「あ、そういえば白露さんたちは順調かな」

 綾波は野菜を頼んでおいた二人に目をやった。


「ふふふ……この時を待っていた……」

 包丁を手に取った白露は口角を歪ませる。黒潮を怪しく輝く眼前に捉え――

「父の仇! 覚悟!」

 頭上まで高く上げた包丁を疾走らせる。


「白露さん!?」

 綾波が止めようとする間もなく、凶刃は黒潮の米噛みめがけ一気に振り下される。

 刃が頭に当たるゴッと言う鈍い音と共に、黒潮はもんどり打って床に床に転がる。


 倒れた黒潮は白露を信じられないと言った目で見上げながら、ゆっくりと唇を動かす。

「まさか……あのときの子供か……ウチも焼きが回ったもんやな……」

 その言葉を最後に、黒潮の体が痙攣し、弛緩する。

 

 綾波は突然の出来事に言葉を失うが、やがて、

「白露さん、刃物で遊ばないでください。黒潮さんもふざけてないで」

大きなため息をついて、黒潮を睨む。


「なんやノリ悪いな。だれも怪我とかせぇへんで」

 むっくりと何事もなかったように黒潮は起き上がるとおどけてみせる。


「違います。ほら、欠けちゃったじゃないですか。焼結体だから欠けやすいんですよ」

 白露の持っていた包丁は切っ先がなくなっていた。


「もう……こんなので大丈夫なんだろうか……」

 綾波は不安を覚えながら作業を進める。


 ボヤを起こしたり一部の食材を無駄にしてしまいながら、提督の料理がかろうじて完成した。

 時刻はすでに20時を回っていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter03: 饗応 ]


 提督執務室。窓の外はすっかり暗くなり、蛍光灯が微かな雑音と共に昼間の様な光を放っている。

 眉間に皺を寄せ、海域図やその他様々な資料を睨みつけている提督がいた。


 新たな艦娘補充の要請を出してはいるが、現在建造中でしばらくは戦力の増強は望めない。にもかからわず、軍令部の命令は輸送航路の維持。


「無理な戦闘が続けばいずれは艦の修復も間に合わなくなり、押しつぶされるな……それよりも今は乗員確保か」

 艦娘の乗員も先の戦闘で多くの死傷者が出ていた。訓練に時間が必要な乗員こそ、むしろ切迫した状況だった。


「それと綾波だ」

 整備の報告では綾波の回収に使われた吹雪の組織が、一部吸収されないまま重要組織と癒着しており、摘出も困難な状況になっていた。

 

「この状況では出撃を控えさせることもできん。組織は活動していないということだが……活動し始めたらどうなる……? 

 中央ならば……大将閣下ならばどうする……? あの方ならば……待てよ。それもひとつか」

 提督の頭には一つの発想が浮かんだ。


 突然、執務室の扉がノックされる。「失礼するクマ」と球磨の声聞こえる。

「どうした? 入れ」

 提督が入室を促すと、球磨が扉を開き、敬礼をした。

 

「何か問題か? 今は待機中のはずだが」

 資料を睨んだまま提督は球磨の発言を待つ。


「少し時間を貰いたいクマ。提督、夕食は食べたクマ?」


「おぉ、もうそんな時間か。すっかり忘れていたな」

 懐から懐中時計を取り出して時間を確認すると、やっと顔を上げて軽く首を回した。


「やっぱり。丁度よかったクマ」

 まだ提督は夕食を食べていないであろうことは普段の習慣から予測していた。

 球磨はうん、と小さく頷いて手を叩くと、執務室の外で待っていた綾波が台車を押して姿を現す。


「なんだなんだ? 食事を用意してくれたのか?」


 木曾が机を運び込み、黒潮が椅子を置いて提督に座るように促した。


「提督はこちらへどうぞー」

 白露が楽しそうに先導しようとする。艦娘たちの表情も明るい。


 提督は執務室で食事の用意をしていることに抵抗を覚えたが、その顔を見て口を挟むのはやめることにした。


 席についた提督の前に、煮物や生野菜、小鉢など、宴会料理よりも家庭料理に近い物が並べられた。


「提督、お誕生日おめでとうございます!」


 艦娘たちは共に声を揃えて、一斉に拍手する。


「すっかり忘れていたよ。ありがとう。だがこの歳になって誕生日を祝われるとは……」

 口ではこう言っているが、提督の顔は軽くほころぶ。


「お料理が冷めないうちにどうぞ」

「ああ、そうだな。ではいただこう」


 提督は箸を手に取り、煮物を口に運んでみる。

 決して上手とはいえない料理だった。ごく普通の家庭料理と言った技量の料理。

 だが丁寧に処理をして作られていることは感じられた。

 そして、記憶とは多少の違いがあるものの、昔食べたことのある、懐かしい味だった。

 じんわりと、温かい感覚が広がる。笑みがこぼれる。


「美味いな。本当に美味い」

 提督の言葉が嘘でないことは、表情が物語っていた。


 艦娘たちは手を取り合ってはしゃぐ。


 提督が料理を箸でつかむ度に、艦娘たちは自分が皮を剥いただの、自分が味付けをしただのを主張する。

 それを一つ一つ聞きながら、頷きながら食事を進める。


 並べられた皿が空になろうとする頃、提督は腹だけでなく満たされた気持ちになっていた。


「ありがとう。上手かった。こんな食事は久しぶりだ」

 満腹になった提督は箸を置いて、艦娘たちを労う。


 素直に艦娘たちは嬉しそうにする。そして全員が目配せをすると、

「先付と椀物に喜んで頂いたみたいで良かったです。では次を出しますね」


「は?」

 提督は自分の耳を疑う。


「あ、次は向付と鉢肴です」

 綾波の言葉は聞き間違えでなかったことを気づかせる。


「は? ……いやいやいや、食事もでているじゃないか」


「いえ、ご飯と一緒のほうが良いかなーと思いまして、順番をちょっと変えました」

 確かに出された物は家庭料理的でご飯と合うものばかりではあったが、量が先付や椀物とは言えないものだった。


「あ、ああ、そうか……なるほど」

 提督は艦娘基準で食事を作られていたことに気づいた。もちろん、少ない量にはなっていたが、基準が多すぎたのだ。

 綾波が何を言っているのか咀嚼している間に、次の料理が机に並べられてしまう。


 艦娘たちは提督を純粋で嬉しそうな目で見つめる。

 今更もう満腹だから食べられないという勇気は提督にはなかった。


 提督の男気が試される戦いが始まるのだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter04: 中央鎮守府 ]


「演習……ですか?」

 綾波が提督に質問する。

 提督の誕生日から数日が経過していた。

 提督執務室、ここに艦娘たちが呼び出されていた。


「そうだ。大将閣下のはからいで実戦形式の小演習を行わせて頂けることになった」

「中央の艦隊が相手か! アリだな!」

 木曾が待ってましたとばかりに目を輝かせる。


「日取りは一週間後。それに合わせ出立する。こう考えると艦娘の演習は動く人員が比較的少ないために準備期間が少なくて済むのが利点だな。

 演習は木曾、黒潮、綾波で行う。白露と球磨は俺たちが不在の間、通常任務に当たってくれ」


「えー……お留守番ですか」

 白露は如何にも不満そうな声を上げる。


「以前の状況ならば全艦連れて行けたんだがこの状況だ。我慢してくれ」

 鎮守府の状況に余裕がないことは白露も理解している。提督の言葉に渋々といった様子で承服した。


「綾波は演習は初めてだったな。中央の艦娘の動きをよく見て、作戦に活かしてくれ」


「了解しました」


 と言ったやり取りも1週間前。提督を載せた木曾、綾波、黒潮の3艦は演習日の早朝に中央の鎮守府軍港に到着した。


 中央の鎮守府軍港はあらゆる設備が最新式。土地の広さは綾波たちの母港よりやや大きい程度だが、閉鎖した施設などもなく全てが稼働していた。更に大きく違う点は通常艦船の軍港も隣接しており、まさに海軍根拠地、『鎮守府』だった。

 艦娘たちが母港としている多くの軍港は正式には泊地、あるいは基地である。しかし、彼女たちは自分たちの根拠地として基地や泊地を『鎮守府』と呼称することが慣例となっていた。


「すごい……人がたくさんいます!」

 乙体に接続したままの綾波はその光景に声を弾ませる。


「施設が稼働していればそれだけ多くの兵員が必要だ。更にその兵たちを生活を支える民間を含めた多くの人間いるからな」

 木曾の艦橋から提督が答える。

 綾波にとって、それだけ多くの人間が行き来する様を見るのは初めてだった。


「さて、まずは演習準備だ。総員、急いでかかれ!」

 艦と港に橋がかけられると、既に港に用意されていた様々な設備を中央の作業員たちが運び込む。その正確で素早い動きは訓練と経験が為せる技。暇な時分であればそれを見ているだけで退屈しないほどだった。


「さすが中央の妖精さんたち……」

「うむ、これならば予定より早く作業は終わりそうだ」

 提督は懐中時計を見ながら満足気に言う。


「ふむ。俺は上陸する。木曾、黒潮は接続解除し待機。俺が不在の間、任せたぞ」


「了解しました。提督はどちらへ?」


 綾波の質問に提督は呆れた様子で答える。


「何を言っているんだ。綾波、お前も俺と来るんだ。大将閣下にご挨拶に伺うぞ」


「えぇ!? 綾波が大将閣下にですか!?」

 予期していなかった提督の言葉に綾波は驚嘆する。


「当然だろう。遅くはなったが新造艦が挨拶もしないつもりだったのか?」


「いえ、そうではなくて、綾波なんかがお会いするとか……大将閣下って、あの大将閣下ですよね?」

 綾波は恐る恐るといった様子で尋ねる。


「海軍大将は3人いるが、艦娘と会う、閣下をつける相手なんてあのお方以外いないだろう……」


 大将閣下。大きな作戦では常勝無敗。偶発的な戦闘に於いても勝率九割を誇る艦娘司令長官であり、中央鎮守府長官である。

「は……はい! 急いで準備します!」

 寝耳に水の話にわたわたを慌てて提督の元へ駆け出した。


 提督と綾波の二人は港から庁舎に向かって並んで歩く。

 多少の居心地の悪さを綾波は覚える。初めて歩く場所だからという理由ではない。

「何か……視線を感じます。綾波、服装の乱れはないでしょうか」

 襟や前髪に乱れは無いか触って確かめてみるが、特に異常はなかった。


「いつも通りだ。何かあれば注意してる。将校然として胸を張って歩いていればいい。吹雪の組織で改修した艦娘ということが広まっているんだろう。野次馬精神だ」

 中央の鎮守府がみっともないとため息混じりに提督は呟く。


「そうなんでしょうか……」

 綾波は刺さる視線にどこか悪感情が混じっているような感覚を覚えていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter05: 挨拶 ]


 中央鎮守府の庁舎に入ると豪華な洋装が目に入る。本物の骨董品、新しくとも良い職人が作ったと思われる装飾品。海外からの来賓なども訪れる玄関はまるで宮殿の様に贅を尽くしたものだった。

 綾波たちが訪れる前からしっかりと背筋を伸ばした人間が仕切った長机の向こう側に座っている。受付だろうと綾波は理解し、その前で立ち止まるが提督は気にせず昇降機の方へ進んでいく。

 

「あれ? 受付とかいいんですか?」

 小走りで追いかける綾波の質問に提督は、はははと笑う。


「先に人を送って受付は済ませてある。割りと偉いんだぞ俺は」


 昇降機の前には先客がいた。綾波と同じくらいの年齢に見える少女。小動物の様な純粋そうな顔、肩辺りでざっくり切りそろえられた髪と、異様に短い一つ繋ぎの白い水兵服が目に留まる。軍施設に不似合いな少女は一目で艦娘だとわかった。


 綾波たちはその艦娘と会釈をして一緒に昇降機に乗り込む。


「15階を」

 提督が頼むと、その艦娘は操作盤の15階を押した。少女は18階へ向かうようだ。

 昇降機の扉が閉まり動き始めるとちょっとした重さを下腹に感じる。


「綾波ちゃんですよね! 雪風は雪風です!」

 突然振り返った艦娘は、元気な声で妙な名乗りを上げる。

 目を丸くした綾波だったが、ハッと気づく。


「綾波を知っているんですか?」

 自分が知られているということは、綾波に少しの不気味さと、むず痒いような優越感を感じさせる。

 しかし、それも雪風の次の言葉までだった。 


「はい! 吹雪さんを死なせて、吹雪さんの組織を奪ったっていう娘ですよね!」

 吹雪を死なせた娘。

 自覚はしていたものの、はっきりとそう言われたのは初めてだった。

 そして、道中で感じた悪感情を含んだ視線の意味も同時に理解した。

 綾波は言葉を失う。


「夕立は面白そうな娘だって言ってたけど、なんだかそんなにでもないですね!」

 雪風は恐らく、思ったことをそのまま言う性質なのだろうとは理解したが、先程の言葉と相まって綾波に嫌な感情を与える。


 昇降機が止まると扉が開いた。15階に着いたのだ。

 提督に背中を押され、半ば放心していた綾波は昇降口前広場に出る。


 すっかりと消沈し肩を落とした綾波に、

「気にするな」

 と、提督は言う。しかし、綾波にそんなことはできなかった。

 手をぎゅっと握って力を込めた後、開いた手の平で柔らかい両頬を叩く。

 気持ちを切り替えようと顔を上げた。


 そして失念していた目的を思い出す。大将閣下にご挨拶をするのだった。

 緊張で手にじっとりと汗を掻く。


「行くぞ」

 提督は歩きだしてしまった。綾波はその背中を追う。


「緊張しても仕様がないぞ。普通にしていれば良い」


「でも大将閣下って、『人類の希望』とか『皇国の神剣』とか言われる人ですよね」

 自分で口に出して余計に恐れ多くなる綾波。


「まぁ……面白いとこでは『生きている伝説』とか『最も新しい神話』とか色々言われてるな。各新聞社などが自分の所の二つ名で呼ばせたいと競っているらしい。

 本人曰く、艦娘を見ると能力が数値で見えるらしいぞ。何かの比喩なのだろうが。次に元帥府に入られるのはあの方だと呼ばれ高い」

 綾波は提督の面白そうに話す顔を見て、尊敬の念や憧れがあるのだろうと感じた。

 

「と、ここだ」

 提督が立ち止まった部屋には『鎮守府長官執務室』と書いてある。

 扉一枚隔てた先に、大将閣下がいる。


 綾波は早鐘のように打つ心臓を、乾いた喉の奥に押し込める。


「失礼します」

 提督が名乗りを上げて、入室の許可を貰う。ゆっくりと扉が開く。

 目に入ったものは絢爛たる執務室。置かれた品物一つ一つが本物の輝きを持っている。何故か子供が書いたような掛け軸も混じってはいるが、恐らくは艦娘からの贈呈品だろう。

 そして部屋を見据えるように奥に置かれた机の向こうに座っている将校服の男。大将閣下だ。


 提督がご機嫌を伺うように丁寧な挨拶をする。綾波も知りうる限りの丁寧な挨拶をする。


 綾波は、ここからの記憶がぼんやりとしている。

 気がつくと提督と執務室の外にいた。

 緊張のあまり、全てが霞がかったようで思い出せない。


「あ……綾波、何か失礼なこといってなかったでしょうか!?」

 一言二言は言葉を交わした気がするが、全く覚えていなかった。


「問題はなかったよ。声が裏返ったりはしていたが。緊張や恐怖は力にもなるが、制御できなければそれは自分を殺す。戦場に立つものとして覚えておいてくれ」

 提督の声を聞くと、複雑に絡まりピンと張った緊張の糸が解きほぐされていく感覚がする。安心のあまり腰からへたり込みそうになるが、力の入らない足腰を抑えて立ち居を直す。


「それじゃあ戻ろう。演習がある。こちらが本番だからな」


 綾波は提督の言葉で中央の鎮守府に来た理由を思い出した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter06: 演習準備 ]


 綾波乙体中枢室。いつもとは違う様々な機材が接続されていた。

 演習では当然ながら実弾を用いてお互いに破壊しあうわけにはいかない。そこで疑似神経装置と呼ばれる特殊な機械を用いる。艦娘の神経情報を元に、中央集積演算機によって弾道・物理演算を行い、砲撃などがどのように飛来し、損傷を与えるのかを高精度に解析する。そして情報を艦娘の神経へ情報として送る機能を持っている。

 実戦では深海棲艦により電子機器が使用不能になるため、演習のみで使用される装置である。


「綾波、聞こえるか?」

 通常回線による提督の声が綾波に届く。

「はい。大丈夫です。通常回線、問題ありません」

 通信以外の基本的な接続なども問題がないことを確認していく。


「よし、では神経情報介入試験を行う。これから疑似神経装置を使って被弾情報を送る。艦娘にとってはかなり不快な感覚らしい。演習では被弾しないように心がけろ」

 通信の向こうで提督が何か指示をする。


「わひゃぁ!」

 綾波は右脇腹辺りの妙な刺激を感じる。


「どうした? 変な声を出して」

 提督の呆れたような声が聞こえた。

「何か上手く言えないですけど、すっごい気持ち悪い感じです!」

 

「ふむ。錯誤自壊は? よし、問題ないな」

 通信から様々な声の報告などが聞こえてくる。


「次は大破判定だ。神経を強制切断すると艤装の暴走や神経への過剰負荷がかかるため、一時的に妨害情報を出して操作不能にする。行くぞ」


「ふひゅうううぅぅぅ……」

 またも受けたことのない刺激に声が漏れる。


「いちいち声は出さなくていい。どうだ? 主砲の旋回はできるか?」

 少し笑ったような提督の質問に、綾波は主砲の旋回をしようとしてみる。


「主砲、旋回できません!」

 妙な刺激が邪魔をして全く力が入らない。


「良し、問題はなさそうだ。試験は終了。一旦接続を解除し、定刻まで待機。そうだな……食堂で食事を摂り英気を養っておけ」

 通信回線が切断される。


 綾波はとりあえず神経接続を解除し、提督の言ったとおりに木曾や黒潮たちと食堂に向かうことにした。



 食堂に着いた綾波たちは艦娘の身分証を提示し、食事を受け取って席についた。艦娘の軍務中の食堂での食事は将校たちとは違い、経費のため自分たちの懐は痛まない。激務での持続性に関わるため、積極的に多くの食事を摂ることが推奨されている。


「そういえば、今日の演習の相手ってどんな艦隊なんですか?」

 綾波は木曾と黒潮に向かって質問を投げかける。


「駆逐隊が相手だ」

「こっちは3隻とはいえ軽巡含めた艦隊なのに、舐められてるで。中央の艦隊やから勝てるかもわからんのが悔しいけど……」


「それは仕方ないっぽい。輸送が主任務の艦隊と最前線で敵殲滅が主任務の艦隊じゃ水雷戦の練度違うっぽい」


 三人の答えを聞いて、綾波は感心する。

「なるほど。やっぱり中央って凄いんですね……あれ? 三人?」


 二人に質問したはずなのに、三人から答えが返ってくる。

 横を見ると、以前に一度会った夕立がちょこんと座っていた。


「夕立さん!?」

 声を揃えて綾波、黒潮、木曾が驚く。


「今日はよろしくね」

 手をひらひらを振りながら夕立が挨拶をしてくる。


「あ、はい、よろしくお願いします」

 色々と疑問はあったが、綾波はとりあえず挨拶をすることにした。


「ちょっと待ち! 駆逐隊って夕立さんたちの駆逐隊なん!?」

 黒潮ががたっと席を立って叫ぶ。


「いや、違うはずだ……? 夕立が間違っているんだろう……」

 木曾も状況が飲み込めず慌てている。


「あ、提督さんに演習やりたいって言ったら、良いよって。だから今日予定してた娘たちはお休みっぽい。あとあたし単艦で相手するから」

 夕立が言う提督さんとは大将閣下のことだ。


「一対三って……だいぶこちらが有利ですね」

 綾波はのほほんと答える。木曾はうつむいて何かブツブツと考え事を始める。黒潮はまだ席に座らず口を開けたままだ。


「じゃ、また後でね」

 夕立はそれだけ言うと駆けていってしまった。呆然とした三人が取り残される。


「……なんだか、凄い勢いでしたね。でも駆逐隊一隻相手なら楽になりましたね」

 綾波がぼんやり言うと、木曾と黒潮がため息をついて頭を振る。


「こんなんも知らんのか。中央の夕立って言ったら『三駆逐』の一隻やで……」

 黒潮は言うが綾波にはピンと来ない。

「『三駆逐』……?」


「最も優秀な駆逐艦三隻をそう呼んでる。今の『狂犬』夕立、『鬼才』雪風、『孤高』島風だ。正直、今日の演習の勝ちはなくなったな」

 普段は自分の腕に自信のある木曾が明確に負けを意識している。それほどの相手なのだと綾波は理解した。


「『鬼才』に比べればまだ戦い易い相手だが……勝つとなるとな」

 木曾の言葉に綾波は引っかかる。『鬼才』と言う二つ名を持つ駆逐艦の名前を今日聞いていたことを思い出す。


「雪風さんには先程会いました。なんか、凄い艦娘って感じはしなかったですけど……」

 綾波は雪風を思い出すと、少し嫌な気持ちになった。


「だから『鬼才』なんや。艦娘としての完成形と言われてる。良くも悪くも才能を武器にしてるんや。で、そのせいで唯一艦になれてないらしいで。見てるものが違いすぎるんやと」

 黒潮は手を開いてお手上げを表現する。


「何だか……このあとの演習、どうなってしまうんでしょう……?」

 

 一抹の不安を抱えたまま、食事を終えた綾波たちは自分たちの艦に戻っていった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter07: 演習 ]


 三隻の艦隊と、中央の鎮守府がほぼ向かい合った形で海上の配置されている。両者の距離はおよそ一万メートル。演習の様子は複数の回転翼航空機によって監視室へ中継されている。

 いよいよ小演習が始まろうとしていた。


「木曾、黒潮、綾波は警邏中に敵はぐれ駆逐艦と遭遇した想定だ。夕立は艦隊から孤立した際に敵艦隊と遭遇したと想定する。15:00を持って状況を開始する。5分前。時刻合わせ。三、二……今」


 提督の時刻合わせなどは乙体に内蔵された水晶振動子時計があるため必要がない。念のための確認程度のものだ。


 木曾が最後の作戦確認を行う。

「いくら狂犬と言えど、三対一では手数が違う。ましてや俺の七門の主砲は射程でも差がある。開始位置が近いが、これを活かして近づけないように付かず離れずで戦うぞ。狂犬の得意とする肉薄しての戦いは絶対に忌避すること」


「了解です」

「了解や」

 もう間もなく開始する。綾波の緊張が頂点に達する。鋼の体に意識をやっている為分からないが、恐らく心臓の鼓動は相当なものだろう。


 時間。


「状況開始」

 提督の声が聞こえると同時に両者が戦闘運動に入る。

 既にお互いがお互いの射程内。開幕と同時に砲撃が開始された。空砲の為、着弾の飛沫などは見えない。疑似神経装置から送られてくる弾道解析情報が頼りだ。

 何度かの斉射はお互い様子見。ある程度の距離に近づいてからが本番になる。


 夕立は確実に距離を詰めようと回避運動を織り交ぜながら近づいてくる。綾波たちはそこから拒否するように砲弾を盾に一定の距離を保とうとする。

 だが距離を保とうと意識するあまりに船尾方向を向けられない。後方は主砲が少なく、散布する砲弾が減るためだ。

 極力横方向へ動き、近づこうとする夕立を砲撃で牽制する。


「嘘やろ!?」

 黒潮の叫びが響く。


「なんで砲撃の前にすでに避けてるんや!?」

 夕立は綾波たちが撃つより前にその散布域から離脱する運動を行っている。着弾時には既に夕立はそこにいない。運良く砲弾に引っかかる可能性さえない。

 反面、綾波たちは夕立の砲撃によって少しずつ被弾判定を受け、損傷が重なっていく。


「わたしたちの砲口を全部把握してるってことですか!?」


「わからない! わからないがこちらの砲撃が読まれていることは確かだ!」

 夕立はこちらが撃つつもりがないときには回避せず接近運動を行い、砲撃を行うときには丁度散布域から避けるように運動する。両者の距離はじわりじわりと詰まってきていた。


「散布域を広げるぞ! 回避しきれない範囲にばらまく!」

 木曾の作戦に黒潮、綾波の二隻は即対応。夕立の回避が困難な範囲に砲撃を行う。


 夕立の動きが変化した。


 散布域の中にも関わらず艦隊に向け直進進路を取る。

 広い範囲に砲弾を撒けば、それだけ密度も減る。夕立は避ける必要は無くなったと判断したのだ。


「密度が薄いとは言え、直進すれば砲弾に確実に当たるぞ! 次弾装填急げ! 絶好の機会だ!」


 夕立に確実に着弾する軌道の砲弾。舷側装甲などではなく、砲塔、魚雷発射管、艦橋構造物がある中央部分へ当たるものだ。

 だが夕立は対空機銃を自身に当たると思われる砲弾へ集中。


「……弾着ありません!」

 回避されたのでも、運良く命中しなかったのでもない。弾着自体がなかった。


 空中で砲弾が迎撃されていた。


「音速の2倍以上で飛ぶ12cmの弾頭を狙って迎撃!? もう無茶苦茶やん!」


 密度が薄くなってから行ったことから夕立と言えど、迎撃できるのは多くないとは予想できた。だがそもそもそのようなことができること自体が異常だった。


 綾波たちの装填中に前進一杯で一気に距離を詰めた夕立からの砲撃。


「な、なんでウチの回避先に向けて撃って……被弾判定! ダメや、機関大破。後頼むで!」

 回避方向まで完全に読まれた上での狙い済ませたかのような砲撃は黒潮の重要機関部を的確に貫いたと判定される。


「黒潮さんが!」

 焦る綾波。

 驚いたのもつかの間。夕立の砲口が木曾を捉える。


「もう次弾が装填されたのか!? クソっ! 小口径主砲など!」

 木曾は回避と同時に舷側装甲で防ぐように運動する。損傷はあるものの、巡洋艦の舷側装甲は小口径主砲では簡単には抜けない。


 だが、それも囮。木曾がどのように動くかをまるで見てきたかのように、魚雷が進路の先へ現れる。


「大破判定だ……! 艦体が2つに折れた!」

 直撃した魚雷は木曾の装甲を貫き、爆発で致命的損傷を与えたと疑似神経装置は伝えた。


 残されたのは綾波のみ。またたく間に二隻の先輩艦がやられた。すぐに自分も撃破されるだろうと思っていた綾波だったが、夕立の動きが一瞬止まった。


 綾波は嫌な空気を感じ取る。


 空気が重い。艦体に触れる海水が苦い。


 面と向かっている夕立からの重圧が更に増したような気がする。


 演習とわかっていながらも恐怖さえ覚える。


「痛っ!」

 背中にズキリと痛みが走る。耐え難いほどの痛み。


「こんなときにどうして……!」

 とにかく回避運動を取ろうと思った綾波だったが、何故かそっちに回避してはいけないような感覚に襲われる。


 無理な挙動とはわかっていながらも、予定と違った回避運動を敢行する。瞬間、回避する予定だった位置に弾着判定。


「か……回避できた……? 痛っ……!」

 痛みが増してくる。演習に集中できないほどに。だが、痛みの中で夕立の回避運動の隙を見つける。


「ここっ!」

 その瞬間、背中を走る痛みがふっと消えた。

 我に返った綾波は自分が何もいない方向へ砲撃していることに気づく。


 しかし直後、その地点に飛び込む様に夕立が入った。まさに散布域の只中。


 弾着判定。夕立の砲弾迎撃と回避技術によってほとんど無意味化されたものの、わずかながら艦橋構造物に損傷を与えたと判定される。


「あたった!? ……ひゃぁぁぁ!」

 

 喜んだ瞬間、不快な刺激と共に自分に大破判定が出された。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter08: 叱責 ]


 見事に完敗。演習の結果は惨憺たるものだった。

 勝てはしないものの、もう少しまともな戦いになるだろうと考えていた綾波だったが、蓋を開けて出てきたものに溜息をつく。

 誘導員の指示に従って着港し、接続を解除するとすぐに中央鎮守府の兵員たちによる撤収の用意が始まった。


 甲板に出た綾波が他の艦を見るとやはり木曾と黒潮も足取りがやや重そうにみえる。

 とは言え、相手は最も優秀な駆逐艦の一隻。仕方がなかったと自分を慰めた。


 綾波たち3人が上陸すると先に上陸していた夕立が満面の笑顔で綾波に寄ってきた。

「最後のあれ、狙ってたの? だとしたら何か動きがチグハグだったっぽい! でも完全に意表を突かれたよ!」


 最後のとは恐らく背が痛みに襲われたときの回避と反撃についてなのだろう。

 綾波が答えをうまく言葉にできずにいると、


「あ、夕立、提督さんに報告してこないといけないっぽい。後で夕立の部屋に来て話そうよ。帰るは明日でしょ?」

 夕立はじゃあねと言うと綾波の返事も聞かず、そのまま駆け去ってしまった。


 綾波たちが母港へ出立するのは明日の予定。演習の記録がまとまるのは少しかかる。それまでの間は確かに待機時間となる。夕立の誘いは綾波にも興味があった。

 だがその前に重要な仕事がある。



「なんだその体たらくは?」


 提督からの叱咤である。


 集合した三人は、提督の待つ監視室に来ていた。

「一対三の状況。巡洋艦もいる。その状況で相手はほとんど損傷なしだ」


「しかし、狂犬相手では……!」

 木曾が反論しようとするが、提督は首を振る。


「本当に歯が立たないのか? 戦術は十分に効果的だったのか? 狂犬という名前に圧されていたんじゃないか? 警戒するのは良い。だがそれで消極的になってはいなかったか?」

 木曾は思い当たる部分があり押し黙ってしまう。


「よく考えろ。例えば三隻が同時に肉薄しての水雷戦を仕掛けても同じ結果だったか? 例えば綾波を捨て駒に回避を強要することはできなかったか?」


「そんなん、後からならなんとでも言えるやん……」

 黒潮が不満そうに呟く。提督はそれを聞いて怒るでもなく頷く。


「その通りだ。後からなら言える。だが実戦だったならば全滅で終わりだ。後は無い。演習だからこそ、後から思いを巡らすことができる。何が悪かったか。何が足りなかったか。練度は違えど同じ艦娘だ。お前たちに勝てない道理はない」


 提督はそれだけ言うと、手元にあった帽子をかぶり直した。

「俺はこの後、大将閣下と会議をさせていただく事になっている。お前たちは自由に行動して良い……どうした、綾波?」

 提督は綾波が小さく手を上げたのを見て発言を促す。


「夕立さんに後で部屋に呼ばれたのですが」

 先程の夕立の誘いを相談してみた。提督は不思議そうな顔をした後、ふむ、と呟く。


「せっかくの招待だ。行って来い。何か得るものがあるかもしれないしな。艦娘の兵舎はあの建物だ。失礼のないようにな」

 提督はそのまま退室した。


 許可を得たことで、綾波は兵舎の方を見てからそちらの方へ駆け出していった。


 部屋に残された木曾と黒潮。

「クソっ!」

 不甲斐ない自分に苛立ちを隠せない木曾。


 黒潮は口を尖らせて俯いていた。




 艦娘兵舎だと言われた建物に到着した綾波。

「これが兵舎……?」

 見上げるほど高い建物に気圧される。


「なんだか今日は緊張してばっかりな気が……」

 硝子の自動扉をくぐると、屋内の様子は高級な行楽地の宿泊施設さながら。まるで自分たちの兵舎とは違っていた。

 綾波は口を開けたままキョロキョロとしていると、女性が話しかけて来た。どうやら彼女は兵舎の受付で綾波を通すように言付かっていたらしい。

 昇降機の前まで綾波を案内すると、身分証を操作盤にかざして扉を開けた。

 綾波が昇降機に乗り込むと、扉が閉まるまで、深くお辞儀をしていた。


「……なんか綾波、場違いなところに来ちゃったような」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter09: 兵舎 ]


 目的の階に自動で運ばれた綾波は、昇降機から降りても迷うことはなかった。

 昇降機前の広場には3つしか扉がなかったためだ。それぞれの扉に夕立、雪風、島風の札がかかっている。

 大きな兵舎から考えると扉が3つということに違和感を覚える。

「これ以外の部屋に行くにはどうやっていくのかな……」


 ともあれ、目的の部屋は夕立の部屋。頭に浮かんだ疑問を他所に、呼び鈴を鳴らしてみる。


 物音の後に開いた扉から現れたのは夕立ではなかった。

 現れた人物の鮮やかな髪色や瞳の色から艦娘であることはすぐに理解できた。


「特型駆逐艦、綾波と申します。夕立さんはいらっしゃいますか?」

 綾波が頭を下げて挨拶をすると、艦娘も同様に頭を下げ、綾波を部屋に招き入れる。


 扉の先には廊下があり、綾波はその廊下に面した一つの部屋へ案内された。机が一つにそれを囲むように柔らかそうな寝椅子が並んでいる。見るからに居住のためではない部屋。綾波は談話室かなと思った。

 案内してきた艦娘は部屋から出て入り口の方へ戻ってしまい、その横に置いてあった椅子に腰掛ける。


「入り口の椅子が好きなのかな……?」

 変わった人だけど、それを言ったら艦娘は皆どこか変だと思い当たり、それ以上は気にしないことにした。


 談話室の寝椅子に腰掛けて良いものか思案し、立っていても何か変だろうと考え遠慮がちに座った。

「うわ、ふっかふか」

 座ってみると柔らかく腰を包むその寝椅子は恐らく相当高級なものだろうと気づく。


 場違い感にそわそわしながら、所在なげに部屋を見回して待つこと数分、夕立が部屋に現れた。


「お邪魔してます」

 綾波はペコリを頭を下げる。


「もう、あっちに通してくれてよかったのに。綾波ちゃん、いらっしゃい。こっちこっち」

 夕立が楽しそうな手招きしてくる。状況がよくわからない綾波は素直に夕立に従う。


 廊下の突き当りの部屋まで案内された。扉が開かれ、目に入ったのは広い部屋。家具などが並んでいて、多少の仕切りなどはあるものの、大きく分けて一つの部屋。大きなテレビや音響装置、食事用の机や本棚、洋琴まである。横を見るとそれほど大きいとは言えないが、庭までついていた。

 綾波は驚きのあまり逆に落ち着いて、なるほど、だからこの階には三部屋しかなかったのかと逆に納得する。


「あ、この辺に座って。お茶とお菓子もってきてー」

 座るように促したのは綾波に対して。茶を要求したのは入り口にいた艦娘に対してだ。椅子に座っていた彼女は立ち上がって深く礼をする。


「あの人が夕立さんの相部屋の方ですか? 入り口が落ち着くんでしょうか……?」

 綾波の言葉に、夕立はきょとんとしたあと、大きな声であははと笑う。

「違うよ! ここは夕立の一人部屋だし、あの子は護衛兼雑用。お仕事お仕事。綾波ちゃん面白い!」


 身の回りの世話をする艦娘という発想自体が綾波にはなかった。綾波の兵舎では全部自分でやることが規則だったからだ。それにあまりにも部屋が広く、整いすぎているので一人部屋というのは考えの外に追いやっていた。


「何だか凄すぎて信じられないくらいです。お付きの艦娘がいたりとか、このお部屋も……」


 綾波のつぶやきに夕立は頷きながら答える。

「夕立もホントはこんなに良いお部屋は要らないっぽい。でも、逆にすごく気に入ってる。こんな部屋を与えてくれたっていうことは、提督さんが夕立のことを大事に思ってくれてるってことだから。だから、この部屋は夕立の誇り」

 そう答えた夕立の顔には自信と充足感が感じられた。


「でも夕立さんくらい強かったら、当然って感じもしちゃいます。三駆逐とかすごいです」


「あはは、夕立はまだまだ全然っぽい。それにちょっと前までは『負け犬』夕立って呼ばれてたっぽい。狂犬みたいな怖い呼ばれ方されたのは割りと最近だったよ」

 笑いながら言っている夕立は謙遜をしているようには見えない。

 綾波はおかしいと感じる。艦隊で行動する艦娘は敗北したとしても、余程のことが無い限り一艦の所為にされたりすることはない。長く『負け犬』などと呼ばれていたのには何か理由があったはずだ。


「綾波ちゃん、気になるーって顔してる。んー……んじゃ、夕立の方から話そうか。面白い話じゃないと思うけど」


 そして夕立は『狂犬』が生まれる切っ掛けとなった『負け犬』の話を始めた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter10: 夕立 ]


 夕立は変わらない顔で話し始めた。まるで日常の雑談でもするかのように。


「まだ新米だった頃かな。うん、大体綾波ちゃんと同じくらいの頃っぽい。出撃や遠征とかの任務も慣れてきたくらいの頃。新米艦としては小器用に色々できた方だったんだよ。夕立、才能あるっぽいとか考えたくらい。

 そんな中でさ。強い相手とぶつかったんだ。今思うと、あんな敵って思っちゃうけど。すごい砲撃戦になって、敵の主砲で砲塔を抜かれちゃったんだ。弾薬庫に誘爆して大爆発。それが初めての大破だった。

 ……あんまり痛くて戦闘中なのにとっさに強制切断しちゃった」


 そう言うと、夕立は苦笑した。

 戦闘中に強制切断。艦隊全てを危険にさらす絶対に忌避しなければならない行為。たとえ艦体がバラバラになったとしても。


「いきなり中枢室の自分の体に意識が戻ってくるんだけど、切断時の痙攣でうつ伏せに倒れた所為で溺れ死ぬかと思った。強制切断するとね、神経がほんとにダメになるっぽい。1週間は指一本動かせないし、首から下は何も感じなくなるんだよ。だから自分の出した血溜まりに顔を付けたまま動けなくて」



「綾波ちゃんは初出撃で大破炎上したのに、戦闘後も切断しなかったんでしょ? ちょっと凄いと思う」


 そう言った夕立は、素直に感心しているような表情だ。



「艦内は妖精さんたちが艦娘が逃げたって大混乱してて、皆甲板で銃座についたりして必死だったっぽい。しばらくしたら砲撃の音も止んで、戦闘が終わったっぽいのがわかったんだけど、誰も来てくれないんだ。当然だよね。戦闘中にいきなり艦が止まったら敵からしたら良い的でしかないんだから。妖精さん達からすれば自分たちを見捨てた艦娘ってことなんだし」



「でも別に体が動かなくなったことは辛かったけど大したことなかったっぽい。……この後に比べれば」


 夕立は一息いれて、当時を思い出してか、微かに目が曇る。


「曳航されていることが艦の揺れとかでわかって、これで母港に帰れる。やっと助けてもらえるって思ったんだけど、港に着いても誰も来る気配がなかったんだ。結局、誰か来たのは翌日の朝くらい。喉が乾いててお腹も空いてたからこれで助かったって。うつ伏せだったから来たのは誰かわからなかったけど、多分重巡以上の艦娘っぽい。夕立を簡単に運んでたから。足を掴んでうつ伏せのまま運ばれて兵舎まで。舗装された港も段差もお構いなし。兵舎に着いたときは服はボロボロだし瞼とか頬とか鼻とか無かったっぽい。顔はすぐ再生したけど。それで物置にポーイって。

 提督さんが兵舎に運ぶようにって命令してくれたっぽい。それで嫌々運んでくれたのかも。

 その後も体が動かないからご飯とトイレの世話をしてもらうしかないんだけど、世話に来た皆の目をよく覚えてる。あの目。存在を否定するような……今も夢に見るよ」


 夕立はの視界には綾波は入っていない。もっと遠くの過去を見ている。恐らくはその夕立の言う他の艦娘の目を思い出しているのだろう。その瞳には恐怖の色さえ伺える。


「艦隊で戦闘中に強制切断したら、周りは守らないといけないし、そもそも自分だって沈められるかもしれないって状況だから。そりゃ信用できなくなるし、心証は最低になるよね。

 体が少し動く様になって、ゆっくり這うくらいはできるようになるとね、ご飯は入り口に置かれるんだ。這っていくしかないんだけど、ご飯に近づいた頃になると誰か来て、抱えて寝てた位置に戻してくれるの。トイレとかもさ、自分で行けないどころか、体の感覚ないからわからないんだけど、物置を汚すなって凄い怒られるんだよ。徹底してるよね。

 すっごい悪いことをしたんだって夕立でもわかったよ。朝から晩まで一生分は『もうしません、ごめんなさい』って泣きながら言い続けてた。もちろんそれで許してもらえるわけないんだけど。

 そのときに誓ったんだ。もう絶対、逃げないって。自分が痛い方がずっと楽だってわかったから。あの皆の目が忘れられない。

 復帰してからの出撃任務はもう相手に向かって行く戦い方にして、損傷とかが逆に嬉しかったくらい。気がついたら狂犬とか呼ばれるようになってた。こんな負け犬に機会を与えてくれた提督さんには感謝してる」


――夕立の話は終わった。戦闘中に強制切断。艦娘として最大の禁忌を犯した夕立。故に『負け犬』だったのだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter11: 目標 ]


 夕立の話は確かに面白い話とは言い難かった。綾波には身近な話でもあり、そして遠い現実から乖離した話にも思えた。話の途中で運ばれてきた紅茶と焼菓子も手を付けられていない。

 綾波は思う。おそらく夕立の様なことをする艦娘がいたら恐らく自分も軽蔑してしまうだろうと。そしてそれを払拭しようと遮二無二努力した夕立がこれほど強い理由も理解した。

 

 夕立は話し終えて、綾波の様子を観察する。

「あ、食べて食べて。遠慮しなくていいよ」

 菓子に手を付けていない綾波に促しながら、夕立も一つ手に取り口に運ぶ。綾波も真似をするかのように一つ。

 紅茶も菓子も綾波が食べたことがないような味がする。良い風味とサクサクとした心地よい歯ざわり。貴重な砂糖がふんだんに使われた甘さ。先程の話の重さなど吹き飛んでしまうかのようだった。

 それにも関わらず、菓子を口に運んだ夕立は眉をひそめた。


「これ美味しくないね。下げて代わり持ってきて」

 綾波としては特に不満は無かったので、夕立の反応に目を丸くする。


「え? 勿体無くないですか?」


「あはは、大丈夫。たぶん下の子たちが食べるっぽい」


 夕立は綾波の反応に手をひらひらさせて答える。

 下の子というのは恐らく兵舎の下の階、つまり夕立よりも下の待遇の艦娘たちだろう。


「……そんなことより演習のときのこと」

 夕立は少し身を乗り出すように綾波に話しかけた。


「最後の方の攻防。あれだけ違和感があるっぽい。どう考えてもそれ以外と動き方が違ったよね?」

 夕立の質問の意図はわかる。しかし綾波にはさっぱりわからないことだった。


「なんだか急に背中が痛くなって、なんとなく動いたって感じです……」

 綾波は思い出しながら正しく説明しようとするが、うまく言葉にはできない。


「うーん……? あのときだけなんか綾波ちゃんじゃなかったっぽい。雪風とか……吹雪さんを相手にしている感じ。偶然とかそういうのじゃない、何かに確信があったっていうのか……新米艦ができるものじゃないと思うんだよね」

 夕立は顎に手を当てて思案している。当の綾波も何が起こったのかよくわからなかった。


「間宮さんか、明石さんに聞いてみようかな。何かわかるかも。あれを綾波ちゃんがきちんとできるなら、多分綾波ちゃんすごく強くなれるよ」

 自分よりも遥かに強い艦娘に認められたような気がして、綾波は気を良くする。現に部屋に招待するほどなので、興味を持てる存在であるということが、綾波には嬉しかった。


「ええ。綾波はもっと強くなって吹雪さんの代わりになりたいんです!」


 夕立は綾波の発言にきょとんとした後、大きく笑った。

「うんうん、綾波ちゃんならなれるよ。頑張ってね! 綾波ちゃん面白い!」


 その夕立の言葉には、ふざけているような調子が混じっていた。綾波はそのことが馬鹿にされているような気がしてムっとする。

「冗談じゃないです。本気で吹雪さんのようになりたいと思っているんです!」


 やや強い口調で不快感を表出させる。それを受けて夕立は笑いを止め、真剣になる。


「ふーん……吹雪さんに? 綾波ちゃんが? それ本気で言っているとしたら、全然面白くないよ?」

 先程までとは違って低い声の調子だ。目は綾波をじっと見据えている。明確に雰囲気が変わった。世間話をしている夕立ではない。気迫に綾波は圧されそうになる。


「あ……綾波は本気です」

 綾波は負けまいと言葉を繰り返す。それは自分を奮い立たせるためでもあった。


「どうやって? 吹雪さんに勝つのは私の目標だったんだよ? 他の娘達だってそう。夕立に手も足も出ないような綾波ちゃんが? 本当にできるとでも思ってるの!?」

 夕立は笑みを浮かべた。非常に攻撃的な笑い。薄く輝いている赤い瞳。下腹から寒くなるような存在感。演習のときにも感じた重圧。まさに狂犬のそれだった。


「やってみなよ、見ててあげるからさぁ!」


 綾波は目の前の一人の少女の形をした何かに完全に呑まれた。歯を合わせることさえ忘れ、視線をそらすことさえできなくなった。言葉などはもはや出てこなかった。


「……もう帰っていいよ。お菓子は持って帰っていいよ」

 ふっと夕立は興味をなくしたように冷たく吐き捨てる。


 重圧が無くなった綾波は立ち上がり、逃げるように部屋から飛び出した。


 慌てて昇降機を操作して、すぐに乗り込む。


 悔しかった。遥か高みから強くなれるよと言われていただけだったことが。それに喜んでしまったことが。要らない菓子を与えようという施しの対象にされたことが。


 そして気迫に圧されて、目標を口にも出せなくなったことが。


 あまりの悔しさに涙さえこぼれていた。


 強くなりたい。夕立に勝てるくらいに。吹雪のようになるために。


 その気持ちが綾波を焦がしていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter12: 起点 ]


 中央鎮守府の一室に位置する技術開発局。ここに夕立が訪れていた。


「装備とかじゃないから造船部の明石さんより技開の間宮さんっぽいかなって」


「そうですね。こっちの管轄だと思いますけど、何でしょうねー。検査が必要かも知れませんね」

 力になれずごめんなさいと、間宮はにこやかに答えた。


「ふーん……間宮さんでもわからないんだ。まいいや。それじゃまた」

 疑問が氷解しなかったにも関わらず特に気にした様子もなく部屋を去っていった。

 間宮は夕立を扉が閉まるまで笑顔で見送る。


 しばらくすると、間宮は演習の記録を広げて真剣に悩み始める。

「綾波ちゃん……ここでの動き……何か改修した組織に面白い変化が? いえ、本人の素質? やはり詳細な検査が必要? まだはっきりとは……」

 ブツブツと口元に手を当てて呟いていたが、やがてふっと顔を上げた。


「……あぁそうです、状況を作ってみましょう」

 くすくすと笑いながら、部屋を出ていった。




 綾波達の鎮守府の提督執務室。

 演習から帰還した提督を深く頭を下げて球磨が出迎えた。


「提督、おかえりなさいクマ」


「俺が不在の間、何か問題は? ああ、緊急のものだけで良い。それ以外は報告書を」

 提督は足早に机に向かいながら球磨に答える。すぐにでも演習中に貯まった仕事を片付けたいのだろう。


「特にはないクマ。演習は残念だったクマ……中央相手じゃ仕方ないクマ」

 既に演習の結果、それに関する資料などは届いている。球磨は提督が気落ちしているかもしれないと声を掛けた。

 しかし提督は満足気な笑いを浮かべた。


「いや、予想していた以上に大成功だ」

 そう言いながら、上着を脱いで椅子に腰を落とす。球磨は提督の言葉の意味がわからず頭上に疑問符を浮かべていた。


「それと球磨。もう話は行っていると思うが、中央から艦娘をお借りすることになった。大将閣下から大元帥陛下へ奏上して頂けることになっている。一時的な戦力の増強だ」


「クマ。新造艦ができるまでの繋ぎクマね」

 現在、重巡を中心とした新たな艦娘を建造中であり、この鎮守府へ送られることとなっている。新造艦が着任するまでの短期間、戦力の空白期間を埋める処置だった。


「そこで少し早いが、お前を信用してこれを渡す。使い方はわかるな?」

 提督が机から取り出したのは回転式弾倉拳銃。提督が普段から持ち歩いている物と同じ物だ。


「これは艦娘の筋肉にも突き刺さる特殊な弾頭を使用している。着弾すると強力な神経毒で艦娘を短い時間無力化できる。人間には当てるな。呼吸も心臓も止まって死ぬ。気をつけて使え。だが使うとなったら迷うな。腿か腹などの骨が少なく筋肉の多い場所を狙え」


「了解したクマ」

 球磨は拳銃を受け取る。艦娘にとって拳銃の重量などなんでもないが、その拳銃はズシリと重く感じられた。提督の信用と責任の重さだ。

 信頼される恍惚と、身が引き締まる重圧を感じた。



 一方、艦娘兵舎。艦隊を編成できない白露は当然ろくな任務もなく、その日は待機だった。

 通常任務を行えない焦燥感もあり、間もなく帰還する三人を心待ちにしていた。


 兵舎入り口付近で物音。手に持っていた軍広報誌を置いて急いで向かう。


「おっかえーり……?」

 出迎えた白露は挨拶の途中で動きが止まった。


「只今帰還しました」

 玄関をくぐった三人の表情はそれぞれ三様ではあったが決して明るいものではなかった。白露は帰ってきた三人に掛ける言葉を失念し、呆けたまま見送ってしまった。

 ハッと気づいて、背中を追いながら訪ねる。もちろん白露も演習の内容は知っている。しかし他の鎮守府と合同とは言えあくまで訓練。ましてや中央に大敗したとしてもそれほど気になるとは思えなかった。


「惨敗だ。全く勝負にさえならなかった」

 木曾が歯噛みしながら答える。木曾が苛ついているのは誰が見てもわかった。


「知ってるけど。相手は狂犬だったんでしょ? じゃそんなに気にしなくても」

 白露はあっけらかんと言うが、それを聞いた木曾は白露を強く睨みつけ怒鳴りつける。


「そんな考え方だから俺は……!」

 何かを言いかけて止める。むしろ木曾の方から感情が高ぶってしまったことを謝ってきた。黒潮の方を見ると暗い表情をしている。

 白露はその様子から察した。恐らくは提督に「失望した」など、それに類することを言われたのだろうと。家族以上に一緒に苦楽をともにしている仲間だからすぐに気づくことができた。


「……次は勝ちます」

 綾波は何かを反芻するかのように呟いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter13: 秘書艦 ]


 提督執務室の秘書艦の机。普段は球磨が座っており、提督の業務の手伝いなどをしている机。

 その日はその席に、綾波が座っていた。


「綾波で大丈夫でしょうか」

 不安そうな視線を提督に向けて確認をする。


「球磨と黒潮が改造処置を受ける数日間だけだ。木曾は事務仕事に向いていないと球磨から助言されてな。そうなると白露か綾波になるわけだが、何事も経験だ」


 書類に向かったままの提督の言葉に、綾波は「はぁ」と気のない返事をした。


「定常的な書類などは任せたり、書類に関係する資料を添付してもらっていたが、綾波はわからないだろう。全てこちらに寄越してくれていい。それと、秘書艦は俺の行動を監視報告する義務があるが、先日までの球磨の日報を参考にしてくれ」


「司令官の監視」

 綾波は滅相もないと心胆が冷える思いで球磨の日報に目を通して見るが、その日の提督が“何時に昼食”“何時から何時まで机で書類仕事”などが記録されている簡単なものだった。


「俺が何か問題行動をしていないかを上が把握するためだな。何か起こらない限りは特に使われることもない。他の記録などと照らし合わせた時に食い違いが無いかを確認するものだ。まぁ秘書艦に反抗的な艦娘を採用する司令もいないから形骸的なものだがな。何かあったときに上が全く把握してませんでしたでは面倒になることもあるから、言い訳のためにだ」


「大人の事情とかいうやつですね」

 なんとなく呟いた綾波に提督は苦笑する。


「それと艦娘の統括をして俺の指示を伝える役割もあるが、そちらは木曾に頼んである。綾波は待機中だと思ってのんびりしていれば良い」


 提督に言われてしばらくは、提督の仕事をする様子を眺めていた。それはそれで楽しいものではあったが、あまりじろじろと見るのも失礼かと思い視線を外す。そうなると机に座っていても外の物音や提督の書類をめくったり電子端末などを打鍵する音を聞くくらいしかなかった。

 

 退屈まぎれに袖机の引き出しを開けてみる。一段目は事務用品などが収納されていた。二段目と三段目はおそらく球磨が暇なときに口に運ぶための菓子などが満載されており、なんとなく秘書艦の仕事が伺えた。


 綾波はふと気になって提督に話しかける。

「司令官、ちょっとよろしいですか?」


「ちょっと待て……よし、何だ?」

 キリの良い所まで書類を確認した提督が綾波に目を向ける。


「今度来る予定の中央の艦娘ってどなたなのでしょうか?」


「ああそうか。この間決まったのだが、まだ話していなかったな。高速戦艦と正規空母だ。吹雪が現役時代に旗艦を務めていた艦隊の一員でもある。第五遊撃部隊。聞いたことがあるだろう?」


「ということはまさか金剛型の金剛さんと、一航戦加賀さん、五航戦の瑞鶴さんですか?」

 綾波は信じられないといった様子で聞き返す。その大きな反応に満足したかのように提督は笑う。


「来るのは金剛と加賀だな」


「兵学校時代に習いました。あの二隻ですか……」

 執務室のどこともない中空を眺めて感嘆の溜息を付きながら呟いた。


「しかし、重巡をお願いしたんだが色々あってな……加賀は志願だが、金剛の方が、な……」

 提督は綾波とは正反対に眉間に皺を寄せている。問題がまた増えたと言いたそうな表情だ。


「何があったんですか?」

 綾波は戦艦が来て何が問題なのかがわからず聞き返した。


「あ、いや、大したことじゃない。艦娘としてはとても優秀な特殊適合体でもあるし、高速戦艦は装甲巡洋艦とも言われる快速を武器にしている。お前たちとも相性は悪くない」


 提督は軽く笑顔で金剛の印象を良くしようとするが、綾波には提督の表情が頭に残ってしまった。気にはなったが提督が話す必要性を感じていないことを聞き出そうとする気もなかった。


「それはそうと、吹雪さんの過去の話を聞く度に思うんですけど、吹雪さんって現役時代は戦艦だったとかないですよね」

 綾波は話を変えようと別の話題に転化しようとする。


「あー……言いたいことはわかる。紛れもなく駆逐艦だ」

 提督は綾波の言いたいことを察して深く頷く。


「でも戦艦と空母二隻がいる艦隊の旗艦って、生存率も旗艦能力もどう考えてもおかしいですよね」


「経緯までは詳しくは知らないが、艦隊の艦娘の満場一致で吹雪になったそうだ。俺もおかしいと思う」


「吹雪さんの話って冗談みたいな実話が多すぎますね」


 綾波は目標の高さを噛みしめて、そして決意を新たにした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter14: 派遣 ]


 鎮守府軍港。中央から派遣されてきた大型艦と護衛の駆逐隊がゆっくりと港へ進入してきた。

 整列し、敬礼をした提督と艦娘たち。入港してきた艦の乗組員たちはそれを見つけると甲板上で敬礼を返す。


「戦艦と正規空母ってすごい大きいですねぇー」

 綾波は見上げながら驚嘆する。


「中央からの派遣だ。大将閣下に恥をかかせることにもなる。決して失礼のないようにな」


 予定通りの淀みない着港作業。艦に橋がかけられると艦娘が橋の上に現れた。

 高速戦艦から現れた艦娘は、かすかに西洋の雰囲気を感じる端正な目鼻立ちだが、独特の巫女の様な制服が不思議と調和していた。色素のやや薄めの瞳や髪は人間の頃の形質なのか、艦娘に転換しての変異なのかも見た目では判然としない。

 正規空母の艦娘は対象的に日本的な顔立ち。横で縛った黒髪と弓道着の様な制服。動作や表情が何故か機械的な冷たさを感じさせる。

 高速戦艦の艦娘は金剛、正規空母の艦娘は加賀という名前だということは、二人の顔を見たことがない綾波でも知っていた。

 対照的と言っていいこの二人は、橋を歩く振る舞いも対照的だった。片や金剛は顔と足の運びで苛立ちを全面に表現しており、加賀は全くの無表情とだった。


 加賀と金剛は駆逐隊の艦娘を待ってから、揃って綾波たちの前までゆっくりと歩き、目の前で停まって敬礼を行う。近くに来ると、加賀と金剛の体躯は綾波より一回りも大きいことがわかる。綾波は子供と言うのに適当な外見であるが、二人はまさに大人の女性だった。

「航空母艦、加賀です。少佐……いえ、今は中佐だったわね。お久しぶりです」

 加賀の挨拶だが、その言葉に感情の抑揚のようなものは感じられない。


「金剛デス」

 打って変わって、金剛は私は不機嫌であると伝えるような物言いだ。


 護衛の駆逐隊の四人もそれぞれが思い思いの挨拶を行った。


「ひさしぶりだな。私がこの鎮守府の提督だ。獅子奮迅の活躍をする君たちの様な艦娘に来てもらえて非常に嬉しい。短い間ではあるが、よろしく頼む」


 どうやら提督と二人は面識程度はあるようだった。言葉遣いがやや距離を置いていることからも、親しくはない程度であることは察することができた。


 提督は球磨に兵舎へ案内するように命じる。球磨が先導するようにあるきだすと、派遣されてきた六人の艦娘たちは従うように後に着いた。

 すれ違いざま、その全員が綾波の品定めをするかのようにじろりと一瞥していく。少なくとも綾波に良い感情を持っていないことは、察せられた。


 吹雪が死ぬ原因を作った綾波に対して、吹雪の組織を貰った綾波に対して、良い感情を持っていないのは中央へ演習に行ったときに身にしみて理解していた。

 中央の艦娘が声が届かないであろう距離まで離れてから綾波は呟く。

「金剛さんや加賀さんが不機嫌なのも綾波の所為ですよね」


「それもあるかもしれないが、加賀は元々感情が薄い艦娘だ。感情を司る脳神経の一部が艦載機運用能力に転化しているらしくてな。苛立ちを隠して無表情なわけじゃないはずだ。金剛に関しては大将閣下への依存が強すぎるきらいがあるんだ。長く中央を離れる任務が不服なのだろう」


 提督の言っていることは事実かもしれないが、やはり綾波が嫌われているのが大きな理由であるのは確かだった。


「そういえば、護衛の駆逐隊も借りるんやな。空母と戦艦の印象が強すぎて考えてなかったわ」

 黒潮が誰に言うでもなく、一人話す。


「それは水雷戦隊が足りないのに空母と戦艦だけいてもどうにもならないだろう。この後、全員集めて編成を伝える」

 提督が黒潮の独り言を拾う。借りた六隻を艦隊としてそのまま使うということでないならば、艦隊の再編成を意味する。水雷部隊だけ入れ替えて運用するのは空母と戦艦に負荷がかかりすぎるためだ。


「全員集めてって、艦娘11人と提督が執務室は狭いんじゃないか? 入れなくはないが……」

 木曾が至極真っ当な疑問を浮かべる。確かに人数的にも厳しい上に、戦艦と空母の艦娘の体躯や艤装を考えると相当に狭くなる。艤装解除してからであれば問題ないかもしれないなどと綾波は考えていると、

「作戦室を使う。そのための作戦室だろう?」

 提督の答えに全員が気の抜けたような「あー」という声を出す。


 普段は執務室でこと足りるために、広い作戦室はなんのためにあるのかわからない程だったため、艦娘全員の頭から完全に抜けていた。


「やれやれ……とりあえず解散。追って球磨から招集をかけさせる。14:00前後は待機しておけ」


 提督の指示を聞いて、全員解散した。


「再編成……」

 自室に戻った綾波は呟いた。


 綾波は考える。もう頭には中央の艦娘とのことなどはない。望むことが叶うならば、より実戦経験を積めるような編成が良いと。静かに祈り、そして、球磨からの招集がかかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter15: 会議 ]


 幾つか並行に並べられた長机。綾波たちが作戦室を訪れたときには既に中央の艦娘六人がいた。彼女達は右側の席に陣取っていたので、綾波たちは左側の席につく。

 中央からの駆逐隊は四人。綾波と同型艦であることを示す同じ意匠の制服。ではあるのだが、どことなく綾波よりも垢抜けて見える。瞳や髪の色素が実に独特で並んでいるだけで色鮮やかだ。

 しかし、四人の駆逐艦は席を見ると三人と一人。長い髪をまっすぐに下ろした艦娘の席だけが離れていた。


 綾波たちが入室してすぐに提督が現れた。正面の部屋の奥側に提督と、その脇を固めるように秘書艦である球磨が座った。


「では会議を始める。……と、その前にお互い簡単な自己紹介をしよう。そちらから順に時計回りで」


 提督の図らいで各々が名乗り上げる程度の自己紹介行う。


 加賀、金剛はわかっていたが、駆逐隊はそれぞれ桃色の髪で女の子然とした漣、体育会系と言った雰囲気の朧、気の強そうな曙、おどおどとした潮と言った。


 一通りの自己紹介が終わると会議が始まった。


「……以上が艦隊編成になる」

 提督が手元の紙を読み上げた。艦娘たちの手元にも同じ内容の書類がある。

 第一艦隊の旗艦が球磨、潮、曙、白露、綾波。第二艦隊の旗艦が加賀、金剛、木曾、朧、漣、黒潮となっていた。


「加賀が最も格上の艦娘だが派遣であることと、慣例として第一艦隊の旗艦が秘書艦を務めることになっている。承知してくれ」

 

「問題ありません」

 加賀は無表情のまま抑揚のない声で答える。


「変則的だが第一艦隊の任務は偵察、哨戒だ。主力は第二艦隊になる。第一艦隊が敵艦隊を発見し、大型艦がいた場合は即撤退、第二艦隊が目標を処理する。資材や再生速度などを考慮すると、戦艦や空母は頻繁に出撃できないからな」


 提督は艦隊運用の概要を説明したあと、何か意見は?と付け加えた。


 相変わらず、加賀は無表情、金剛はつまらなそうにしていた。木曾は主力艦隊に編成されたことが嬉しいのか、右手で握りこぶしを作っている。曙は嫌そうな表情で朧、漣にヒソヒソと何か話していた。潮は周囲を上目遣いで伺っている。白露と黒潮はいつもの様子で特に質問などは無さそうだった。

 綾波はというと、やや不満だった。とは言え、新米の自分が主力に組み込まれるというのは自身で考えてみても戦略上難しいのは理解していた。


「ふむ、特に意見は無いようだな」

 提督がそう言いかけたときに、艦娘の一人が、すっと手が上げた。先程不満そうな顔をしていた曙だ。


「この艦隊は嫌。根暗とキチガ……あ、綾波なんかと組めないから!」

 曙は眉を吊り上げて抗議する。

 綾波は曙たちに裏でなんと呼ばれているのか、言いかけた言葉で察した。傷つかないと言えば嘘になるが、既に色々噂されているのは覚悟しており、補助付きだのと色々呼ばれるものだと、逆に可笑しささえこみ上げてきていた。


「編成は決定クマ。それは……」


「待て球磨。話を訊こう。理由は?」

 提督は球磨を静止し、曙に次の言葉を促す。


「あ……と、綾波は新米艦で実力が足りないって聞いてるし、潮は意見言わないから、何考えてんのかわかんないのよ」

 曙は立ち上がって言葉を探しながら理由を述べる。だが本音は恐らく単純に嫌いなやつと組みたくないというところというのは、場の誰もが理解していた。


「新米艦の実力が不足していることは心苦しいが、その足りない戦力を補うために中央から招致した。それは理解しているだろう? 意思疎通に関しては問題だが、仲良しこよしをさせる為に呼んだわけではない。努力してくれ」


 提督は提督の立場で正論を返す。艦娘側からしてみれば背中を預けられる艦娘と組みたいと考えるのは当然ではあった。しかし、嫌いだからという理由だけで編成に異を唱えるのも難しいことだった。


 曙は次の理由を探せずに黙ってしまう。


「わかったら座れ」


 座るように命じられた曙は歯噛みしながら聞こえるように呟く。


「……クソ提督!」


 その一言は、綾波を憤慨させた。提督を謂れのない侮辱するのは許せなかった。勢い立ち上がって抗議をしようと腰を上げる。


「言葉が過ぎるぞ、曙ー!」

 机を叩く音と共に怒鳴り声が響き渡る。


 声の主は横に座っていた木曾だった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter16: 怒号 ]


 顔中に憤怒を漲らせた木曾が今にも飛びかからんばかりの勢いで椅子を蹴る。

 木曾の動きに警戒を示した漣と朧が立ち上がった。


「座れ木曾」

 提督の制止。だが木曾は曙を指差して怒気を撒き散らす。


「こいつは貴様を侮辱したのだぞ! 許して置けるか!」


 丁度曙と木曾の間に席を取っていた潮は両方を止めようとオロオロしながら手を広げている。

 曙は一瞬身を竦めたが、すぐに腰に手を当てて言い返す。


「軽巡だからって調子に乗ってんの? できると思ってんの!? やってみなさいよホラ!」

 曙の挑発は木曾に効果十分だった。


「俺に勝負を挑む馬鹿はお前か。面白い」

 額に青筋を立てた木曾は、手首を回しながらずいと上体を乗り出して曙に歩み寄ろうとする。

 流石に艦娘同士の私闘は厳重注意どころでは済まないと綾波は慌てる。


「ちょっと待って下さい! 不味いですよ!」

 綾波は木曾の袖を掴んで止めようとしたが、振り払われた。


 収まらないことを察した黒潮と白露もすぐに身を守れるように立ち上った。漣と朧は曙を守るかのように横で構える。金剛と加賀に変化は無い。


 一触即発の雰囲気に包まれる。作戦室は冷たい熱気に満たされていた。


 今にもどちらかの手が振り上げられようとした瞬間。


「いい加減にしろ!」


 部屋を震わせるような大声が響く。


 完全に場が静まり返った。


 提督は大きなため息をついて、頭を振った。


「何だ。俺はいつから幼稚園に来てしまったんだ。今の自分たちの状況を見てみろ。それが栄光ある皇国海軍の姿か? 情けない……!」


 心底残念そうに提督は言った。


「木曾! 以前にも言ったはずだ、よく考えろと! 今の行動は考えの上で出たものか!? 怒りに身を任せるなど言語道断だ! 恥を知れ!」


 斬り捨てるかのような叱責に、木曾は体を震わせて目を赤くする。


「そしてお前たちもだ! 大将閣下がこの光景をご覧になられたらさぞ悲しまれるだろう!」


 提督は曙、朧、漣に目をやって叱りつける。三人は大将閣下を出されては消沈せざるを得なかった。


 しばらくの沈黙の後、提督は椅子に座り直し、全員に着席を促した。


「続けるぞ。編成に意見のあるものは? 無ければ補給の体制について……」


 提督の会議の続きを始めた。その後は特に問題なく進み、予定より時間は押したものの終了した。


 加賀が退室間際に提督に話しかけた。

「何故提督が中佐を評価しているのかはわからないけれど、今回はお疲れ様。私が止めようと思っていたのだけれど」


 提督は加賀がどういう意図で話しかけたのか掴めなかったが、一定の評価をしているということは理解できた。

「それはどうも。素直に嬉しいよ」


「艦娘を隔てないのですね。ここの艦娘は幸せかもしれません」

 加賀はそう言うと、部屋を出ていった。


「何か試されたのかな?」

 大将閣下が艦娘を虐げるようなことはないが、艦娘の提督も様々だ。加賀は提督の人柄を見ていたと結論づけた。



 艦娘たちが退室した後の会議室。秘書艦の球磨と提督だけが残っていた。

「お疲れ様クマ。一声で収めるなんてさすが提督クマ」


 球磨はうんうんと頷きながら提督に声を掛けた。


「いや、本当に肝が冷えた。艦娘同士の乱闘になったら命がいくつあっても足りん。本当に止まってくれて助かったよ。球磨もよく堪えたな。暴発してもおかしく無いと思っていた」

 提督が言っているのは球磨に渡した拳銃のことだ。


「提督がなんとかしてくれるって信じているクマ。提督がいなかったら使ってたかもしれないクマ」


「重圧を与えてくるな……期待に添えるよう努力しよう。しかし、わだかまりが消えたわけではない。頭が痛いな」

 提督は苦笑して、球磨と執務室に戻っていった。



 兵舎への帰り際、綾波は提督があのような大声で叱りつけるのを初めて見たと考えながら歩いていた。

 ふと建物の影に目をやると、中央から来ている四人の駆逐艦の艦娘がいた。


 三人が潮を囲んでいる状況だ。


 なにか、良くない雰囲気が漂っていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter17: 疑念 ]


 綾波は自分には関係がないし、簡単に首を突っ込むべきではないと通り過ぎようと、しかし先程の出来事を思い出し、暴力事件でも起これば提督の責任は免れないと立ち止まる。


「綾波どうせ嫌われてるし、気になるのも確かだから……いざとなれば、全力で逃げよう」


 踵を返し、頼りなげな足取りで四人の方へ向かう。

 ある程度近づいたときに、朧が気づき、漣の肩を叩いて綾波の方を指差した。


「何? 漣たちに何か用?」

「あんた吹雪さんの……ウザ」


 あからさまな警戒感を表して、三人とも綾波に体を向ける。


「何を話されているのか気になって」


「ああ、これ? 別に問題とかじゃないから。ただコイツに聞きたいことがあっただけ」

 曙は綾波が行動を不審がっていることを察して、潮を親指で指して説明する。


「はっきり答えないから責めるような形になっちゃってるだけだよ」


 確かに手などは出していないようだ。だが、背中を丸くして手を胸の前で固めている潮は怯えているように見える。


「ねぇ! なんであの時一緒に立たなかったの? 仲間と思ってないとかってこと?」

 恐らくは先程の事件のこと。三人はあのときに座っていた潮が気に召さなかったようだ。


「怯えてますよ。やめてあげてください」

 綾波が強く制止しようとした時、初めて潮が口を開いた。


「あ、あの、大丈夫……ですから。あの曙ちゃん、ごめんね。来て早々に問題起こしちゃ良くないって思って……」


「……最初っからはっきりそう言えばいいのに」


 三人は潮が急に話したことに多少驚いたが、取り敢えず返答を得たことで納得したようだ。返答内容に満足したかは分からないが、つまらなそうな顔をして、「何か勘違いされても嫌だし、行こう」と言って、潮を置いて三人はその場を離れていった。


 当事者全員に問題はないと言われては、綾波にこれ以上何か言うことはなく、ただ見送るしかできなかった。


 綾波は背中を見送った後、ホッと息をついて、潮の方に目をやる。何か言葉をかけようとしたが、潮は軽く頭を下げてから小走りで綾波の横を通り抜けて三人を追っていった。


「お礼くらい言っても良いのに」

 と綾波は独り言ち、要らぬお節介を焼いたのかもしれないと肩を落とした。


 今日の出来事を綾波は反芻していた。不機嫌な金剛。駆逐隊との対立。そして決して仲の良くない第七駆逐隊。明るい前途は想像できなかった。


 軽い溜息をついて、あまり深くは関わらないようにしようと決めたのだった。



 翌朝、朝食を摂りに来た綾波は、ひょんなことから中央の三人と同席することなっていた。

 普通、軍での食事は時間厳守が鉄則だが、艦娘は制限が比較的緩い。艦娘は食事を頻繁に摂ることが推奨されていることと、艦娘の人数が多い鎮守府だと、食事量が多いためにもし時間を揃えてしまうと厨房の調理速度に追いつかなくなるためだ。

 しかし、その日は偶然綾波と曙、漣、朧が艦娘食堂の前でばったり遭遇。不慣れな三人にちょっと案内するつもりで声を掛けて流れで、うっかり同じ席についてしまったのだ。

 一度席についた以上、変に席を離れるというのもお互い言い出せなくなり、そのまま同席する形になった。


 仕方がないと思いながら、気まずさを覚えながら食べ物を頬張る。三人も同様の様子だ。

 

 食事も半ば辺りを過ぎた頃、綾波が息苦しさと軽い好奇心から話かけた。


「漣さんの髪ってきれいな桃色ですよね」

 綾波達の鎮守府に特殊な髪の色の艦娘はいない。ちょっとした興味と、素直にキレイだと思ったために口に出した。


「え?」

 突然話しかけられて、漣は動きを止めた。目立つ髪色である故に恐らく嫌な思い出もあるのか、少し気分を害したように見える。


「あ、いえ、きれいな色だなって」

 綾波は慌てて釈明した。そこに全く嘘はない。


「ふ……ふふーん、噂より中々いい娘じゃん?」

 単純に裏の無さそうな綾波の発言に、漣は気を良くして曙と朧に話しかける。


「あんたチョロすぎでしょ」

「こいつの髪色ってカンタキサンチンとかいう色素らしいよ。カニとか一緒だってさ」

 呆れる曙と、話に乗ってきた朧。


「ちょ! 別にピンクで可愛いでいいっしょ!?」


 艦娘は様々なタンパク質合成系に変化が起こることがある。色素などもその一つだ。艦娘の細胞内でのみ合成されるRNA逆転写阻害酵素などは医療の分野でも注目されている。


「そっちは良いよね。目立たないし。街に行く任務とかもあるでしょ?」

 薄い金髪の朧は綾波に言う。だが綾波は街に出たことなどはない。


「いえ、外に出たことはないです」


「ふーん、いつかあるんじゃない? 艦娘ってバレないのが良いらしいし」

 会話中に、ふと綾波は朧の頬の絆創膏が目に留まる。艦娘の怪我などはすぐに再生される為に、絆創膏を貼るようなことは無いはずだ。


「あ、これ? こうなってるの」

 特に気にした様子も無く、綾波の視線に気づいた朧は顔に貼られた絆創膏をめくって下を見せる。


 その下は黒く硬質な皮膚だった。まるで深海棲艦の外殻のような。


「見た目気持ち悪いから、目かくしね」

 朧は事も笑いながら無げに言う姿に綾波はわずかに圧倒される。

 顔に何かあるのはやはり気になるものだ。それを気にして見せない前向きさに綾波は歓心した。


「昨日のは、ごめん」

 突然、曙が謝罪をしてきた。恐らく作戦室でのことだろう。


「昨日一人で中佐に謝りに言ったらしいよ。可愛いっしょウチの曙」

 曙は漣の言葉に顔を赤くしてそっぽを向く。

 最初の印象と違って、三人はとても気の良い艦娘たちだ。綾波は恐れてしまった自分が馬鹿らしく思えて来ていた。



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[chapter18: 潮 ]


 綾波は不思議だった。漣、朧、曙はこれほど良い娘なのに、なぜ潮だけ仲間外れの様なことをするのか。表面上だけ付き合いが上手い三人なのだろうか。潮に何か問題があるのか。


「そういえば潮さんは?」

 この輪に入っていない潮について、いっそ聞いてしまおうと綾波は考えた。


「あー……アイツね……」

 三人の表情が曇る。明らかに三人はいい印象を持っていないようだ。

 漣は辺りを軽く見回すと、綾波の後ろを指差した。

「いるよ。あそこに」


 振り返ると、少し離れた席に潮が一人座っていた。綾波と視線がぶつかって、潮はすっと目を逸らす。

 潮と目が合ったということは、こちらを見ていたということだ。


「どうしてあんなに離れた席に座ってるんでしょうか……」


「知らない。なんか私達の後ろついてくるんだよね。でも話しかけてもはっきり答えないし」


「分けわかんないよね。キモい」

 朧と曙も、潮の行動について不可解で不快だと示す。よく知らない艦娘とは言え、他人が悪く言われているのを聞くのは綾波には気持ちのよいものではなかった。


「最初はこっちも同じ駆逐隊だし声かけたりしてね。娯楽室のカラオケとかも行こーってなったりしたけど、ニヤニヤ座ってるだけで、勧めても私は良いよって全然歌わないから段々萎えーって」

 漣は綾波の表情から察してすぐに前後の情報を出してきた。


「あとあの仕草。アイツって話しかけると補脳を前に出すでしょ。間に何か挟んで距離置こうとか考えてるんでしょ。あれ気分悪いよね」


「補脳?」

 綾波は知らない単語が出てきたので聞き返す。


「えーと、なんだっけ? 半自律思考型操船支援装置だっけ? 操船時の処理を一部肩代わりしてくれるって装置。それの試作品だったかな。あんまり数作ってないみたいだからあんまり良い物じゃないんだろうけど。あの連装砲みたいな艤装」

 潮の方を見ると、横に置いた連装砲を模した装置が目に入った。綾波は納得して話を進める。


「話しかけてもなんか、ごめんなさいって謝られるしホントわけわかんない」


 綾波は話を聞いてなんとなく理解した。

 恐らくは非常に前向きで外交的な三人と、内向的な潮は拍が合わないのだ。潮としては楽しそうな三人の輪に入りたいのでいつもついて回っている。しかし勢いが違うので、上手く合わせられずにずれが生じてしまうのだろう。


 お互い歩み寄れれば良いのにと、客観的に見れる立場の綾波は考える。


 何かを思い立ったように綾波は席を立つ。潮の前まで行くと、

「一緒にどうですか」

 潮に声をかけた。


 突然話しかけられた潮は目を白黒させて、手をぱたぱたと動かす。

 数秒後に、消え入るような小さな声で返事をして頷いた。


 潮は補脳を持って立ち上がるが、ぱっと綾波はそれを奪いとる。

「ちょっとだけこれ、綾波に預からせてください」


 潮は小さい声で唸り声を上げる。


 勝手なことを言っているし、人の艤装を勝手に奪うなど相当に良くないことだが、どうせ綾波は悪役だと割り切っていた。


 綾波たちの席に座った潮を見ると、かなりの猫背だ。首を大きく突き出し、垂らした前髪の間から上目遣いで状況を見ている。

 なるほど、たしかにあまり良い印象は与えないと綾波も納得した。


「何連れて来てんの……」

 綾波に三人の白い目が向けられる。それを見てますます頭を垂れる潮。だが綾波はその程度は気にしてなかった。演習のときに、もっと嫌な目を多く向けられた経験が生きる形になった。


「潮さん、もっと背筋伸ばしてください。海軍将校として情けないですよ」

 綾波は提督に言われそうな言葉をかけながら、潮の肩をぐっと後ろに引かせた。


「あ……嫌……胸が、目立って恥ずかしい……」

 無理やり肩を引かれた潮は顔だけ伏せて呟いた。


 そう言われて綾波たちの視線が潮の胸に集まる。胸を突き出した格好になってしまい、その双丘の主張は確固たるものだった。

 呆然とした綾波は潮の肩から手を離した。すぐに潮は自分の胸を抱く様に小さく丸くなってしまった。


「あんた大きいと思ってたけど……」


「……それを隠す為に? 今まで? まさか補脳も?」

 潮は耳まで真っ赤にしてコクコクと頷く。


 一瞬の静寂。


 そしてすぐに三人の笑いの渦が巻き起こった。今まで自分たちが潮にひどい誤解をしていたことの馬鹿らしさがたまらなくおかしく思えたのだ。


 本人としては大きな劣等複合感情だったのだろう。それが距離感や自己卑下などに繋がっていた。


「いくつあんの、それ?」

 潮はうーうーと唸っているだけだ。


「ちょっと漣に触らせなさい。良いではないか良いではないかー!」

 手をわきわきとさせて近づく漣に必死で胸を隠そうとする潮。それが更に漣の嗜虐心を煽る形になっていた。


 もはや綾波は蚊帳の外でその光景を見て笑っていた。



 長めの朝食を終えた時、潮も三人も随分と打ち解けたようだった。まだ多少丸い背中の潮だが、前髪という壁の間から覗き込むような表情ではない。三人は元々前向きで気さくなので、既に問題はなくなっていた。


 ちょっとの切っ掛けがあれば良く、逆にその切っ掛けが無ければ溝は深くなる一方だった。


 同じ艦隊になった曙と潮が打ち解けてくれて、更には提督もきっと喜ぶと考えると綾波は満足だった。少し誇張して報告して、提督に褒めてもらおうなどと画策していた。


 食堂から出る時、綾波は潮に声をかけられ「ありがとう」と礼を言われた。今度は軽く頭を下げるだけでなく、言葉で。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter19: 偵察 ]


 見渡す限りの青と白。鮮やかな陽光の元で水が光を反射し、キラキラと輝いて見える。上を見れば雲は多いものの、青い天蓋が広がっている。見事な大海原を五隻の艦隊が白い尾を引いて、進む。


「今回の出撃は何もいないクマ……」

 新編成の第一艦隊が作戦海域に入ってから、ずっと似たような光景だった。


「最近の出撃は必ずと言っていいくらい、敵艦隊と接触していたんですけどね」


 中央の艦娘が来てから既に2週間は過ぎていた。その間に幾度も偵察、索敵の為に出撃し、その度に様々な規模の敵艦隊と遭遇していた。

 敵偵察部隊や、孤立した艦は即時処理、同等以上の規模の相手と遭遇した場合は座標を記録し撤退、鎮守府に電波回線による報告をして第二艦隊に任せる。作戦は至って順調に進んでおり、安全と判断できる海域も少しずつだが増えてきていた。


「もうこの周辺海域の敵があまり残っていないのかもね」

 白露は願望にも似た憶測を口にする。


「予定航路より奥に行くクマ。弾薬も燃料も十分以上に交戦に耐えられるクマ」

 旗艦である球磨の判断。勘が良いのか、実は相当に頭が切れるのか、これまで高水準の艦隊運営力を見せてきた。


「予定外の航路って……大丈夫でしょうか」


「だからって手ぶらで帰るとかありえないから」


 潮の不安げな声を、曙が制する。まだ不安定さはあるものの、潮と他の艦娘たちとの関係も随分改善されてきていた。


「進路変更! 左六点逐次回頭クマ!」

 艦隊は球磨の指示に従って進路を取った。



 進路を変えてから数時間が経過すると、急激に気温が下がり、視界が悪くなってきた。

 だがまだ日の沈む様な時間ではなかった。


「霧が出てきましたね」

 太陽の方向はわかるが、その光の輪郭はぼやけ、艦隊の端同士では艦影の確認も困難な状況になっていた。


「寒気が予測よりも近かったクマ……これじゃ索敵もままならないクマ」


 球磨の偵察機は霧の上から見ているが、海上は霧に覆われ、その役目を十分には果たせてはいない。


「この状況で敵と遭遇したら近距離戦になりますね」


「逆に先に見つけられれば霧に紛れて逃げやすいでしょ」

 全く逆の発想をしている潮と曙。ある意味で良く合っている組み合わせなのかもしれないと綾波は思った。


 時が過ぎる程に、見る間に霧が濃くなっていく。まだ隣の艦は見える程度だが、決して楽観的な状況とは言えなかった。

 艦娘ならばその艤装による通信機能により常にお互いの位置を把握しながら操舵が可能な為、ひどい混戦中などでなければお互いに衝突するなどということはなく、艦体に張り巡らされた感覚神経によって暗礁に乗り上げてしまうなどということもない。その為、霧の中での航行自体はさほど問題ではない。


 綾波は違和感を覚えた。


 背筋がちりちりと、わずかに痛む。演習のときのように。

「痛つつ……っ背中が……」


「綾波ちゃん、攻撃を受けたの!?」

 真剣な声の白露。全艦に緊張が走る。


「あ、いえ何か痛くて……表面じゃなくて奥の方が……」

 あのときはひどい痛みだったが、今回は軽く顔を歪ませる程度だ。


「乙体内部クマ? どこの神経と置き換わってるかわからないけど、大体竜骨辺りで何か故障クマ?」


「いえ、特に故障などはないようです」


 故障などは無いようだが、たしかに痛む。乙体のどこか、神経組織が何か変調しているのかもしれない。


 その痛みと共にざわざわと嫌な感覚が海水面から登ってきた。

 ここにいてはいけない。そう何かに告げられるように。


 瞬間、球磨が叫ぶ。


「敵偵察機クマ! 発見が遅れたクマ!」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter20: 判断 ]


 球磨が発見した偵察機は空に折り重なった雲の中にいた。発見が遅れたと伝えたのは、その位置関係。球磨の偵察機と速度を合わせ後方上空にいたからだ。


「偵察機がいるということは巡洋艦以上がいる……? いつから発見されてますか?」


「最悪、霧の中とは言え大まかな位置は把握されていると見たほうが良いクマ」


 偵察機だけが発見されたとしても艦体の位置はわからないが、わかりにくく迷彩行動をしていたとしても行動半径や方向から大体の位置を割り出すことは可能。長く偵察されていたとしたら、戦術的な霧の中にいる艦体はこちらだけ、相手は既にこちらの位置を特定している可能性さえある。


「敵規模はわからないけど、今までの作戦から考えると敵は単艦から、こちらと同規模以下の偵察目的の艦体と予想するわ。戦闘指示を。先制されても反撃で処理できるし、遭遇戦になっても負けないわ」


 この任務についてからの記録から曙は敵規模を判断。戦闘体制に移行することを提言する。


「いえ、何か嫌な予感がします……すごく危険な何か。即時撤退を」


 綾波は全くの反対意見だ。あくまで説明できない感覚。それを信じることにした。しかしその言は何の説得力もなかった。


「『何か』って、何だろう?」

 白露は綾波の発言に眉をしかめる。なんの根拠もなしに提言するなど、普通はしない。艦娘の鍛え上げられた感覚や熟練の勘によって発言することはあるが、あくまで綾波は未改造のまだまだ新米の域を出ていない。


 二人の意見を受け、球磨は少し考えた後、旗艦としての命令を下す。


「この座標を記録し、海域から離脱。予定航路に戻るクマ」

 球磨の指示ですぐに艦体は離脱行動に移る。だが当然、命令に従いつつも曙は納得がいかない。


「外様の意見は却下ってわけ?」

 自分たちは中央からの派遣であるから意見が却下されたと感じた曙は棘を立てて愚痴る。球磨はそれを予想していたかのように語調だけは冷静に言葉を返す。


「馬鹿にするなクマ。提督から艦隊を預かる球磨を舐めることは、提督への侮辱にもなるクマ。軍行動に求められることは成功して勲功を上げることではないクマ。失敗しないことクマ。五隻の艦娘の重さと、先の作戦における影響を考えるべきクマ」


 球磨はあくまで状況だけを見て判断していた。綾波や曙の提言は、あくまで材料に過ぎなかった。


 艦隊のが完全な離脱体制に移行した時。


「潮から球磨へ。逆探に感あり。複数の大型艦と思われる反応です。 ……連続周期です!」


 全員が凍りつく。複数の大型艦。それも全体を警戒するための定期周期ではなく、連続周期での反応。それは既に艦隊が補足されていることを意味した。

 

「距離は!?」


「不明です! ですが方向は北北西、敵砲撃射程圏内であると推測されます」


 恐らくは戦艦がいるという反応。しかも砲撃射程圏内。いつ砲弾の雨が降ってもおかしくない。艦隊は予断を許さない状況となっていた。その上、こちらからは敵の位置さえ掴めていない。


「あ、綾波が突撃して敵の遅滞を!」

 綾波は球磨に提言する。全滅よりも一隻。天秤にかければ当たり前の判断だ。しかし、それは確実に一隻は失うということも意味する。


「許可しないクマ。現在既に離脱体制、霧により敵も有視界での観測砲撃は不可能クマ。それに戦艦を含めた敵戦艦は足でこちらに追いつけないクマ。全速でこの海域から離脱するクマ!」


 誰かの突撃を許可したところで、何度か行われるはずの敵の斉射を防ぐことは不可能。球磨は運に身を任せ離脱することに決める。大きな賭けだった。


「艦隊を分散クマ。球磨には白露。曙、潮と綾波は別の進路を取るクマ。合流地点の座標はロの二にするクマ」


 二つに分かれた艦隊は、敵に探知されたまま離脱を試みる。数回の砲撃さえ耐えれば、十分に可能な話だ。

 音よりも速い砲弾が、霧によって視認できない。夜戦と違い砲火さえも見えないために、いつ、どこに砲撃されるのかわからない。戦艦級の大口径砲が直撃した場合、気がついたときには、艦体はただの鉄屑になる可能性さえある。それどころか、たとえ損傷は小さくとも行足が鈍化した艦は、全速離脱する艦隊から落伍し、それだけで死は免れない。


 目を瞑って耳を塞ぎ、首元に押し付けられた刃物が、いつ誰かの気まぐれで差し込まれるかを耐える。艦娘たちは天に運を任せるしかできない状況になっていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter21: 斉射 ]


 二つに分かれた艦隊は全速で乙字運動を行いながら離脱を試みる。視界は霧に包まれ、まるで自分たちの運命のようにその先は見えない。

 通常の大型艦がいる艦隊ならば、警戒艦や遊撃部隊など広い状況に対応する大規模艦隊になるのが普通だが、艦娘と深海棲艦は必ず最大で六隻の編成になる。故に、敵戦艦の射程外まで逃げることができれば、鈍足な戦艦のいる艦隊と高速な水雷戦隊の速度差で戦闘海域から離脱することができる。

 六隻である理由は、艦娘の持つ艤装通信と呼ばれる遠話のような能力の通信先が五人までだからだ。この艤装通信によって艦娘の艦隊は高い即応能力、密な連携能力を発揮する。たとえ大きな艦隊を編成したとしてもそれは烏合の衆。噛み合わない艦隊行動を取ることになり、大規模な戦力の割に合わず、無駄な損害を出すことは必至。それぞれが独立して動く火力支援艦隊や、役割を完全に分けた二艦隊による連合艦隊が精々のところとなる。

 この六隻編成は正六角形の雪の結晶になぞらえて、六花編成あるいは六花の陣などと呼ばれる。


 艦隊が速度を一気に上げ、間もなく全速運動になろうと言うところで、敵艦隊からの最初の弾着が確認された。


「きゃああぁぁ!」


 悲鳴が上がる。誰でもない、綾波自身の声だ。艦娘と言えど怖くない訳がない。声を出さないと耐えられなかった。

 綾波が味わったことのない数の水柱。海面と空気を揺らす凄まじい衝撃波。砲撃を主とした複数の大型艦の斉射は桁が違っていた。


「こっちは無事よ! そっちは!?」


 曙の通信が入る。悲鳴にも似た叫び声だが、しっかりと状況の把握に努めている。中央鎮守府の艦娘である彼女は、綾波とは場数が違う。


「こっちも大丈夫!」

「だ、大丈夫です! ……! 球磨さんと白露さんは!?」


 潮に少し遅れて綾波は返す。

 艤装通信で球磨と白露に対して状況を聞こうとするが、反応は返ってこなかった。


「ま、まだ通信が届かない距離までは離れていないはず……? まさか……!」

 綾波は斉射の後に通信が途絶えた可能性の一つを想像する。状況はそれを肯定するかのように思えた。


「……っ! 黙って進みなさい! 戦闘海域からの離脱が任務よ!」

 曙は否定できなかった。ただ、逃げることしか許されてはいなかった。


「砲撃の弾着角と速度から、あと二斉射で離脱できると思われます!」

 潮の弾着分析。普段から警戒心の強い彼女は、状況を観察し分析する能力に長けていた。


「二斉射……!」


 絶望的な状況ながら、それでも先が少しでも解るというのは希望になった。

 同時に、緊張と恐怖で忘れていた背中の痛みがぶり返す。背骨に幾十もの針が突き刺さるような痛み。


 綾波自身は確認することはできないが、錯誤自壊によって背筋に沿って青紫色に腫れ上がり、一部は皮膚が破れ、じゅくじゅくと血が滲み出ていた。


 だがそんなことにかまけている場合ではない。言ってしまえば痛いだけで、艦の運動そのものには何の影響もない。元々綾波は痛みに対する耐性は強い性質だ。そう自分を奮い立たせ気迫で押さえ込む。


 そして二斉射目。


 周囲に弾着。交叉弾も確認される。かろうじて当たらなかったがその衝撃で艦隊は大きく揺れ、暗車が水面に現れ空転する程だ。装甲がギシギシと鉄の悲鳴を上げる。


「うっくっ……! 綾波、無事です!」


「こっちも無事よ!」

 曙も随分と至近に着弾していたが、なんとか大きな損害はない。


「潮、被弾!」

 敵の砲弾の一つが潮の命中した。潮の脇腹の肉が破裂し、溢れ出る血液の間に桃色の腑が見え隠れする。


「被害は!?」


「大丈夫! だいぶ小口径の副砲だったみたい! 足回りには問題ないです! 速度落とさず行けます!」


 ホッとした曙の雰囲気が通信越しに伝わる。

 もし潮の速度が低下するようならば、見捨てざるを得ない。だが、少し鈍る程度だった場合、曙も綾波も速度合わせてしまっていただろう。

 二斉射目は先程の斉射よりも近い弾着。補正されたことがわかる。最後の斉射は更に近い位置に着弾することも予想できる。行足が鈍れば、更にもう一斉射、二斉射と状況は悪化する。


 そして、間もなく最後の斉射が行われる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter22: 激痛 ]


 あと一度だけという希望と、精度が増す敵の砲撃の絶望。相反する事象の前に、綾波の心は極限に達していた。諦めにも似た感情が去来し、水面を求め足掻くように我武者羅でもあった。

 綾波だけではない。曙と潮も同様だった。


 できることなど何もない。前に前に、それだけだった。


 綾波はふと、吹雪に教わったことを思い出す。


 このような状況になったときに言われたことだ。心が折れそうな時、どうにもならないと思った時にどうすれば良いのか。

 背中の痛みも思考の邪魔をする。ただ思いつくままに、行動に移す。


 綾波は一呼吸ついてから、

「友の屍を乗り越えて」

 歌う。吹雪から教わったのは辛いときに歌えば力が出ると言われたのだ。

 声は震えている。音程も滅茶苦茶だ。


 突然綾波が歌いだしたことに曙と潮は驚く。


「血のわだつみに沈もうと 貴方の守る御国のために」


 確かに歌うと、現実感が薄れこんな状況でも不思議と力が出るようであった。

 しばらく聞いていた二人は綾波の歌に揃えて、同じように歌い始める。


「鳴らせ砲声音高く 真鉄のこの身はその為に」


 歌っているのは軍歌。艦娘たちの軍歌だ。従来の海軍の軍歌は水兵の視点だったので艦娘としては感情移入しにくく、艦娘たちは独自の軍歌を作ったのだ。


 三人で声を揃えて歌うと、更に効果があった。所詮歌などと内心馬鹿にしていた部分もあったが、自分で体験してしまえば吹雪が勧めた理由もよくわかった。


「あぐっ!」

 突然、痛みが増した。苦痛で歌が止まる。耐えきれるような程度のものではなかった。視界がゆがむ。


「こんな状況で……!」

 綾波はモルヒネの注入弁を開放し、痛みを抑えるために血管注入する。体に流し込まれた薬剤は綾波の痛覚を麻痺させ、たちどころに楽になる。


 目の前に意識を戻した綾波は視界に変化が起こったことに気づく。ぼんやりとではあるが、遠くまで見える。


「霧を抜けた……? 見える!」


 直ちに周辺を索敵。北北西の方向を見据える。


 遥か遠くの敵艦隊を目視した。


 潮の言っていた方向よりはわずかに北方向にずれている。海上の要塞の様な大型艦が二隻。それには及ばない程度の大きさの艦が二隻、やや小型の艦が二隻の六隻編成だ。


 発見と同時に、敵艦隊の砲が瞬くのを確認する。


「敵の砲撃を確認! 回避運動を! 弾着までおよそ40秒!」

 この距離ならば取り回しの悪い大口径主砲のみ。長距離砲撃で視認できれば回避は可能だ。


「え? 確認って……どうやって……!?」

 潮は鈍い反応を示す。


「右一点回頭、前進一杯! 急いで下さい!」

 綾波の本気の声に、曙、潮は従ってエンジン機関を安全率を越えて出力する。

 機関の悲鳴と共に一気に船首部が持ち上がる程の加速をする。


 その状態を維持、三隻の艦は大きく前進する。


 39秒後、左後方で大きな爆発が起こった。

 進路を変えず全速のままで進んでいたら恐らくその砲撃の渦中だった。


「弾着を確認……回避……できた……?」

 曙の呆けたような声。

 三隻は機関出力を全速まで戻し、完全な離脱に入る。


「間に合って良かったです……」

 綾波は肩から力が抜け、疲労感と薬の副作用の眠気がどっと押し寄せる。


「……凄い。綾波ちゃんどうやって敵の砲弾に気づいたの!」

 潮は歓喜と共に賞賛の声を上げる。


「霧が薄くなったので……」

 辺りを冷静に見渡すと、まだ艦隊は深い霧の中にいた。最も濃かったときに比べれば薄くなったとは言えるが、それでも100m程度可視範囲が広がった程度だ。

 綾波は確かに敵艦隊を確認し、砲火も見たはずなのにと困惑する。気がつけば、背中の痛みはすっかりと消えていた。


「……幻覚でも見たの? でも砲撃予測も正確じゃない……たぶん霧が対流とかで切れ目ができてたとかでしょ」


 敵艦隊までの直線上に霧が無い一瞬があったとは、にわかには信じがたかった。


「ま、いいでしょ。助かったのは事実だし、理由なんかどうでもいいわ。……綾波、あんたのおかげで助かったわ。……ありがと」


 曙の語尾の方は消え入るようで聞き取ることができなかったが、とにかくは離脱に成功したことを綾波は喜んだ。


「進路を合流地点に向けるわよ」

 曙の指示に従い、綾波と潮は進路を取る。


「合流地点……来るんでしょうか」

 潮はぽつりと呟いた。



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[chapter23: 撤退 ]


 敵主砲の射程距離内から離脱した後は霧に紛れ、駆逐艦の快速を生かして電探の索敵範囲からも離脱。進路偽装の為に更に大きく迂回し、霧から抜けた三隻は完全に敵艦隊を撒いたと判断した。


 水平線に太陽が着いた頃、ようやく綾波たちは合流地点へとたどり着いた。西の空は赤く燃え、東の空にはすでに夜が訪れていた。

 三人は一発の砲弾も、魚雷も撃っていないが、疲労がずしりと体に纏わりついていた。


 淡い期待を寄せながら、周辺を見回してみたが、自分たち以外の艦影はなかった。


「……まだ合流予定時刻までは時間があります。待ちましょう」


「一所に長居するのは危険よ。時間になったら帰還の途に就くわよ」

 綾波はいつまでも待ちたい気持ちではあったが、それが許されないことはわかっていた。曙の挿す釘に了承する。


 夕焼けになってからはあっという間だった。見る間に太陽は姿を隠し、海と空の境界線にぼんやりと夕方の名残だけがまだ燻っている。


 時刻は既に予定時刻を回っていた。


「限界よ。撤退するわ」

 曙はこれ以上は無理と判断。撤退を宣言する。


「そんな……もう少しだけ、あと少しだけ待ちましょう!」

 綾波は食い下がろうとするが、曙は拒否する。


「これ以上は危険だってわかってんの!? せっかく三人だけでも生き残ったのに、全滅したいの!? あたしが……仲間を見捨てるつもりだって……言ってんの……?」

 曙の最後の言葉は震えていた。決断をした曙の辛さと勇気を感じた綾波は、自分が甘えていたことを悟り、現実をじっとりとした苦味と共に受け止める。


「すみませんでした……帰還しましょう……」

 三隻は機関を回し始め、ゆっくりと海上を滑り出した。


「待って! ……南西方向に艦影!」

 潮の言葉に、その方向を見ると、ほんの僅かに空よりも暗い影があった。目を輝かせて、綾波は現れた艦影を凝視した。だが、徐々に期待に膨らませていたその心は沈み始める。


 見たことのない艦影だった。


「敵艦!? 戦闘態勢!」

 三人は素早く向かってくる艦に舷側を向け、丁字有利状況に持ち込もうと戦闘速度に移行する。


「クマー! 三人共無事だったクマ!?」

 聞き慣れた声に綾波たちは拍子を外され、がくりと力が抜けた。潮に至っては機関を空転させてしまった。


 球磨は艦橋構造物がすっかり吹き飛んでおり、そのために見知らぬ艦と誤認したのだ。そのすぐ後ろから白露も姿を現した。


「敵の砲撃の後、通信ができなくなったから、てっきり皆沈んだと思ってたよー!」

 小躍りするように跳ねる白露の声が響く。


「こっちもそちらが通信に応えないので、諦めかけていました」

 ほおっと息を吐きながら、綾波は安堵する。


「やっぱり……艤装通信があの程度の距離で不通になるなんて聞いたこと無いクマ……とりあえず詳細は帰港してからにするクマ! 艦隊、帰還の途に就くクマ! 球磨の後に続けクマー!」


 出撃時と同じように球磨を先頭に整列し、艦隊は進み始めた。


「旗艦の艦橋が無いと、締まらないわね」

 曙の発言に、潮、綾波、白露はくすくすと笑ってしまう。


「クマ!? すごい痛かったし死ぬ思いしたのにひどいクマ!」


 緊張から開放された艦隊は、その生存を喜び称え合うように母港へ帰還していった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter24: 状態 ]


 綾波達の第一艦隊の帰投後、報告を元に主力となる第二艦隊が出撃したが、その周辺海域に情報と合致する敵艦隊は既に存在しなかった。

 霧の近くに展開していた打撃力を持った敵艦隊。目的地は不明だが別の海域への移動中だったのだろうと結論付けられた。


 その日、綾波は提督執務室へ呼び出されていた。綾波たちの分隊が大きな損害、あるいは全滅を免れたのは、綾波が偶然にも霧の隙間から敵艦隊の動きを看破したからだ。

 綾波は提督から何か褒めてもらえるのかもしれないと期待に胸を膨らませ、執務室の扉を叩いた。


 しかし、扉を開けて目に入ったものは決して褒める様な表情ではない提督だった。秘書艦である球磨も提督の執務机の横に立っている。


「来たか。話すことは二つある。良い方と悪い方、どちらから聞く?」


 提督の質問に、少し戸惑いながら、「良い方から」と綾波は答えた。


「では良い方から。お前の第三神経が改造に耐えられるようになった。改造を行う」

 綾波が想像もしていなかったことで、僅かな時間、口をぽかんと開けていたが、胸の前で手のひらを合わせて笑顔を作る。


「本当ですか!? 綾波、まだ先だと思ってました。黒潮さんもついこの間でしたよね」


「最近の出撃頻度と、戦闘の苛烈さもあって、急速に成長している。とはいえ、早すぎるとも思えるが……」

 提督は複雑そうな顔をしているが、綾波としては成長していることは何を於いても喜ばしいことだった。


「改造処置の日取りはいつですか?」

 遠足が待ちきれない子供のように、綾波は提督に尋ねる。


「ああ、今週中に手配しておく。詳しくは決まり次第、球磨から伝えさせる」


 綾波は敬礼をして受け入れると、言葉を反復するように笑みをこぼしながら何度も頷く。


「では悪い方だ」

 提督の声が少し低くなる。綾波は一転、お叱りでも受けるのかと身構えた。


「これが先日の出撃時の報告だ。球磨、綾波に。……何が書いてあるかわかるか?」

 球磨から手渡された幾枚もの報告書。該当する部分は時系列に沿って様々な数値が書き記されている。裏方側の資料であるため、綾波が見てもその数値が多いのか少ないのか、その勘所がさっぱりだった。


「何か異常が見つかったんですか……?」


 綾波としては背の痛み以外に特に問題は無く、必至に撤退戦を思い出してみても何か怒られるようなことに心当たりが見つからなかった。


「何かも何も、全てが異常だ。特に感覚神経系がこの時間、極限まで興奮し続けている。聴音も視覚素子も水中触覚器も全てだ。艦娘が集中すればどれかが瞬間的に極限まで興奮することはある。だがお前は時間的幅を持っているいる上に感覚野全てだ」


「……それが何か問題なんですか?」

 感覚神経が研ぎ澄まされていると言うのは、良いことなのではないかと、綾波は尋ねる。


「機関を一杯で使い続けるとどうなる? 故障し、悪ければ爆発する。そういうことだ。そして痛みを覚えたと報告があったな。どこか故障しているようだと」


「……はい」

 提督の口ぶりから、続けざまに悪い話をされるということは予想できた。自然と眉間と手のひらに力が入る。


「痛覚神経の記録は通常ならば激痛で失神と覚醒を繰り返し、発狂してもおかしくない程だ。お前が苦痛に対して強い耐性を持っていなければ、その時点でモルヒネを投与したとしても戦闘行動の続行は不可能だっただろう」


 撤退戦の痛みは確かに耐えられるようなものではなかった。今後もそれが、それどころか更に酷くなりでもしたら、たしかに戦闘どころではない。


「……どうしてそんなことに? それも感覚神経の異常の所為ですか?」


「違う。改修した際の吹雪の組織に、主要な器官が浸潤されている。お前の元々の組織が冒されていく際に痛みとなって発露しているようだ。本来は移植された組織に健常な組織が冒されるということは無いはずだが……」


 提督の話は綾波が以前聞いた話と食い違う。改修後しばらく経った後の検査の話だ。


「でも吹雪さんの組織は、休眠状態だって話でしたよね」


 綾波の言葉に提督は頷く。


「今も休眠状態だ。接続中に何かの条件で活動を始めるようだ。いや、もしかすると条件など無く、常に爆弾を抱えているということも十分に考えられる。感覚神経の異常もこれが原因だと推測される」


 吹雪の組織、裏返った艦娘の組織によって綾波の乙体は蝕まれつつある。これが進めば綾波も裏返るということは想像に難しくない。

 綾波は俯いて、押し黙る。

 ここでふと、対夕立演習と撤退戦、痛みを覚えたときには良い結果が出ていることを思い出す。


「吹雪さんの組織が生きているなら、その能力も生きていたりはしないですか?」

 綾波としては辻褄が合う。もし吹雪の組織が活動し、その力を借りることができたのだとしたら、あの結果は必然だと思えた。

 だが、提督は首を横に振る。


「もちろん成長した組織は艦娘の能力に密接に関わるが、回避や命中は敵の動きの先読みが必要だ。経験や勘、艦娘の素質などが大きく出る。三駆逐の『鬼才』雪風などは艤装はともかくとして、艦体自体は特殊適合体でもない普通の陽炎型駆逐艦だ」


 提督は否定的だが、綾波は、もしこれを使いこなすことができたとしたら、痛みに耐えることができたとしたら、それは戦力になるのではないかと考えていた。



「綾波、お前に第一艦隊の任を解く。しばらく待機だ。改造処置を待て」


 提督の命令は綾波の想いとは違ったものだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter25: 激昂]


 提督の命令に納得の行かない綾波。今の戦力が少しでも欲しい状況で、待機命令は辻褄が合わない。


「承服しかねます! 綾波、結果も出しているはずです。今、任を解くなんて、そこまで綾波は……!」

 役に立ちませんか。そう言おうとして、それを認めたくない自分が言葉を遮る。提督は綾波の言葉を理解し、だが首を横に振る。


「そういうことではない。様子を見ようと言っているんだ。わからないことが多すぎる」


「僭越ながら! 様子を見ている戦力的余裕は無いはずです。綾波も司令官のお力になれるはずです!」

 提督の戦況判断に間違いがあるとは思ってはいないが、それでも綾波にも譲れない思いがある。艦娘としての自負と、吹雪のようになるという志だ。


「今の戦況は僅かに好転し始めているが、たしかにまだ芳しくない。危険な状況だ。万全と言えないお前を投入することは難しい」


 綾波には提督が何を言っているのか全く理解できなかった。論理的矛盾があると感じた。


「……仰ってる意味がわかりません。危険な状況だから、今はどんな戦力でも投入するのではないのですか? 綾波はこの身がどうなっても覚悟はできています」


 提督の剣となる。その想いが艦娘としての矜持であり、存在意義だった。

 

 その言葉を聞いた提督は視線を落とし、眉間に皺を寄せる。


「お前を死なせたくないんだ。わかってくれ」

 力のない声で、提督は綾波に訴えた。


 綾波の顔はカッと熱くなった。それは好意からでなく、怒りからだ。


「ふざけないでください! 綾波は艦娘で、愛玩動物なんかじゃありません! 皆が命を賭けている中、のうのうと過ごせと言うんですか!」

 勢い、提督の執務机を強く叩いて抗議する。綾波の反応を予想していなかった提督は、驚いて上体を背もたれに仰け反らす。


 綾波には屈辱的だった。自身の存在意義を否定され、まるで力のないただの人間の様に扱われていることが許せなかった。侮辱に対して、目には涙さえ込み上げてくる。


 次の言葉を綾波が言おうとした瞬間、机の横に立っていた球磨が進み出て、提督との間に手を割り込ませ綾波を睨む。


「綾波、二歩、下がれクマ」

 言葉少なに明確に警戒色を示す球磨。まっすぐに綾波を見据えている。


「球磨、大丈夫だ」


「今は綾波に話しているクマ。綾波、下がれクマ。さもなくば制圧するクマ」

 提督の制止も聞かず、球磨は綾波を瞳に捉え続ける。球磨は本気で直ちに綾波を制圧する意思を見せている。


 綾波が本気で抵抗するならば、体格差はあるとは言え安々と抑え込まれることはない。だが綾波には抵抗するつもりはなく、球磨の命令通りに二歩下がった。


 現在の距離がもし綾波が不意に提督に危害を加えようとした時に、球磨が防御できる最低距離なのだろう。綾波が下がったのを確認し、球磨は警戒を解いてまた机の横に下がった。

 球磨がこれだけ警戒を示したのも、綾波が以前、感情的に提督に怪我を負わせた為だ。


 間を置いてしまったためか、球磨の気迫に負けたのか、綾波は先程の気勢を失ってしまう。押しとどめられた言葉は腑の奥まで飲み込まれてしまい、簡単には喉を通して出てはくれなかった。


 しばらく提督と綾波の間に沈黙の時間が流れる。


 溜息をついて、先に口を開いたのは提督だった。

「ともかく、これは決定事項だ。綾波、待機していろ」


 提督の命令に、綾波は復唱もせずに敬礼だけをして「失礼します」と執務室を出ていった。綾波に今できる精一杯の抵抗だった。


 廊下を歩きながら先程のことを思い出し、手のひらは拳になり、足音を強く立ててしまう。

「絶対に今日は司令官が間違ってる! 綾波だって覚悟はあるし、どうなったって……!」


 言いながら、今度は肩を丸めてしずしずと歩き始める。

「でも、司令官が間違ったりなんてしないだろうし……綾波、不味いことを……」


 口から溜息にも似た声を出しながら、頭を抱えて座り込む。


「もう一度言ってみろ!」

 不意に、どこからか怒鳴り声が聞こえてきた。

 この声は木曾だ。出撃から戻ってきていたのだろう。声の方向は艤装換装室、有り体に言えば更衣室の様な部屋だ。

 

 綾波は何事かと声の方向に向かっていくと、そこには加賀と木曾が向かい合っていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter26: 落胆]


 庁舎の外の音が聞こえる。機材などを動かす音、兵たちの声も聞こえてくる。そのくらい、艤装換装室はつかの間の静寂が訪れていた。

 木曾が加賀に向けて怒りの形相で睨みつけている。一方、加賀は冷徹とした眼差しで、身長差から見下ろす形で木曾を半身で見ている。

 木曾は恐らく今回の出撃も損傷が大きかったのだろう。制服が破れていることから、錯誤自壊で身体が爆ぜたと推察できる。艦娘である木曾は傷自体はすぐに再生され、もはやどの程度の損傷だったのかはわからない。

 綾波はその空気の中に進入する気にはなれず、入り口の前でこっそり室内の様子を伺う。


「……もう一度言ってみろ」

 木曾が先程綾波も聞いた台詞を口にする。怒鳴った時よりも声量は小さいが、それゆえに怒りが凝集されているように感じられる。


「貴女には、才能がないと言ったのよ」

 無感情に吐き捨てる加賀。感情が薄いという艦娘故に、その発言にも感情の起伏は読み取れない。

 更に加賀は続けて木曾に辛辣に述べる。


「偵察機と連携しての観測射撃など目も当てられないわ。水雷戦が華ではあるけれど、それならば駆逐艦の方がいい働きをするくらいね」


 綾波は木曾が怒鳴った理由がここで理解できた。木曾の性格であれば黙っていることなどできないだろう。


「俺はこの鎮守府では一番の実力がある。主力の第二艦隊に編成されたのもそれが理由だ!」

 戦闘の練度が低いこの鎮守府だが、その中では木曾が最も戦果が多い艦娘だ。軽巡は木曾と球磨だけだが、戦闘に関しては木曾がわずかに勝ると言える。


「実力、ね……それはただこの鎮守府で貴女の組織が一番成長しているに過ぎないわ。もし貴女と同型艦の球磨が、同じ成長度合いであったのならば、どうかしら」


 加賀の言葉に木曾は返答に窮する。目を泳がせて、思い当たる節でもあるかのように、歯を食いしばった。その様子を見て加賀は溜息をつく。


「自分のことも冷静に見られないようでは、落第点ね。中佐も苦労するわ」


 その言に木曾の眼は怒りが灯る。

「何だと貴様!」

 木曾は勢い良く加賀に掴みかかった。弓道着にも似た制服の襟首を両腕で持ち上げる。今にも殴る勢いに、綾波は慌てて飛び出そうとした。

 次の瞬間、ドンという音と共に壁に叩きつけられていたのは木曾だった。


 加賀は木曾を片腕で2m程度離れた壁に押し飛ばしたのだ。200kgを優に超える体躯が壁に叩きつけられる衝撃は床を伝って綾波の足元まで揺らした。木曾は何が起こったかわからないといった表情のまま、ずるずると体を落とし、床に尻もちをついた。


「気安く触らないで」

 掴まれた襟は破れて上着は乱れている。加賀からしてみれば手で軽く突き放した程度なのだろうが、その体格差から来る質量と筋肉量の差は、まさに子供と大人の差だった。


「威勢がいいのは良いけれど。……実力が伴ってからにして欲しいものね」


 替えの制服に着替えた加賀は、打ちひしがれた木曾を横目に艤装換装室を後にする。


 当然、外で様子を伺っていた綾波とばったり遭遇した。


「貴女……」


「綾波、覗き見するつもりとかはなくて、……」


 目の前の出来事に唖然としていた綾波は、上手い言い訳も浮かぶはずもなくしどろもどろになった。

 その様子を加賀はじっと見て、眼を更に鋭くする。


「あまり私の視界に現れないで。吐気がするわ」


 加賀は綾波に不快感を表明した後、そのまま横を通り抜けていった。

 吹雪と第五遊撃部隊からの付き合いである加賀は、綾波に対して非常に心証が悪い。


 綾波は艦隊から外され、提督と口論をしてしまい、更には罵倒までされるという踏んだり蹴ったり一日に、目が潤んできた。

 はっと、我に返り艤装換装室の木曾を除きみると、先程の姿勢のままだった。


 何か損傷でもしたのかと思い、近づこうとした綾波は、木曾の肩が震えているのを見た。


 演習の時から、第二艦隊の編成会議のとき、そして今。木曾は普段と変わらない振る舞いをしていたが、何一つ平気なことなど無かったのだ。


 綾波には木曾にかける言葉など、見つからなかった。


 静かに、その場を離れていった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter27: 苦悩]


「はぁ……」


 綾波の口から漏れる、重たい溜息。力不足、才能がない。木曾が言われていた言葉だが、その言葉は綾波にも伸し掛かってくる。綾波から見て少し怖いところがあるが頼りになる先輩艦の木曾、あの時ばかりはその肩が小さくみえた。

 艦隊の一員として頑張ってきたつもりだったが、今は任を解かれ、漠然と一日を過ごすしかなかった。


「改造処置って言われても、どうせ出撃できないんだし、意味ないですよ……」


 頭の中の提督に向けて、小さく訴える。撤退戦を良い結果に導いて、褒めてもらえると思っていた少し前の自分が憎いような、羨ましいような、そんな感情を抱いて眉間に皺を寄せる。


「なにそれ、あたしに当てつけ?」

 不意に後ろから声をかけてきたのは、白露だ。心の中で呟いていたつもりだが、どうやら声に出していたらしい。まだ未改造の白露にとって見れば、後輩が改造することになったというのは非常に面白くない知らせだ。


「ごめんなさい、そういうつもりじゃ……!」

 慌てて否定する綾波に、白露は手をひらひらとさせてへらりと笑う。

 白露いつもの明るい笑い顔を見て、綾波は胸を撫で下ろす。


「わかってるわかってる。それよりどうしたの? 悩み? 聞くよ?」


「気づかれてましたか……お前はダメだ、才能ないって言われたら、どうしますか?」

 白露は素直に受け止めてくれる。そう考えた綾波は自分もまっすぐ悩みをぶつけてみることにした。


「うーん……そうだね。頑張る、かな」

 いい加減そうな印象の反面、内実努力家な白露らしい表現だ。


「それでもダメだった場合は?」

 木曾の姿を思い出す。決して木曾は頑張っていないとは思えない。むしろ理想の自分や同型艦で秘書艦の球磨の存在があって、それに対して必死ささえ感じる。


「頑張ってもダメだった場合? 諦めちゃう」

 すとんと落とすようにあっけらかんと白露は答えた。


「え? 諦めちゃうんですか」

 綾波にとっては意外な答えだった。もちろん、正解などない質問で、似たようなことはぐるぐると何度も考えたが、人から言われるとそれはまた別の意味を持っていた。


「うん。もう頑張っても頑張っても最後の血の一滴を絞り出してもダメなら、諦めて別のことで一番になる。だって、それしかできないわけじゃないでしょ? 綾波ちゃんは料理もできるし、白露だって……不器用だけど何かあるよ。艦娘だと戦闘意外で評価されてもってところもあるけどね」


 白露は妙に視野が広いところがある。艦娘という自分たちを俯瞰で見ているというか、別の視点を持っている様な感覚。少し鎮守府にいる他の艦娘と身の置き所が違うと、そう感じた。


「別の……こと」

 綾波は反芻するように呟く。何故か木曾については、それが妙案の様に思えて心に引っかかった。


「大丈夫大丈夫。頑張ればそのうちまた艦隊に入れるよ。改造もあるしね」

 白露は綾波の肩をバンバンと叩きながら笑顔で振る舞う。


「え、えと……?」

 だがどうやら白露は綾波を励ますつもりで、少しずれた回答をしていたらしい。


「それよりほら、今度改造でしょ? 頭を悩ませるなら先ず目先の改造について黒潮さんとか球磨さんに聞いてくればいいんじゃない?」

 考えている暇があるなら、できることからきちんと頑張っていけと白露は言っていると綾波は理解した。


「わかりました。皆さんに話を聞いてきます」

 綾波は気にしないなどということは無理だが、何か動いていた方が紛れるのも確かだと思い、席を立った。


 談話室から綾波の姿が消えて、白露が一人残される。

 無言のまま寝椅子に座り、小さな溜息をつく。


「どうしてあたしの改造はまだなんだろう……」


 白露は小さく呟く。その顔にいつもの笑顔はなかった。



「地獄クマ」

「地獄やな」

「地獄だな」


 皆が口をそろえて言う、改造処置の感想。綾波は先に改造した艦娘達に改造処置について訪ねて回っていた。


「まぁ死ぬことはないから、ちょっと検査に行くつもりで気楽に行くと良いクマ」


 球磨の発言に一層の不安を抱く。


 改修は艦娘の艦体である乙体、改造は艦娘自身である甲体への処理を指す。

 改造処置というのは甲体の第三神経はある程度の成長で限界を迎える為、更に成長が見込めるものへと入れ替えるものだ。感覚神経などの総量は格段に増え、一度に処理できる命令も多くなる。人工筋組織もより大きなものを制御できるようになる。しかし、段階を踏まずにこの上位の第三神経を移植した場合、肉体が作り変えられる負荷に耐えきれず、崩壊してしまう。ある程度の第三神経系が体に出来上がって下地ができてから行われる必要があった。


「不安……」

 定期検診の様な気楽さにはとてもなれなかった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter28: 処置]



 裸同然で、薄い布切れを前後で合わせただけの服を着た綾波は、全身青緑色の服を着た人間たちに導かれて部屋に入る。部屋は眩しい程に白く統一され、中央に向かうように置かれた様々な機械が無機的な様相を演出している。その中心にある金属で作られた寝台がこの場所の目的を雄弁に物語る。ここは手術室だ。

 手術の為に髪をすっかり剃られてしまった頭と、裸に近い身体を晒していることに独特な羞恥を覚える。

 綾波は眠気と呆とした頭のままで、ゆるゆる歩き、手術台に仰向けになった。台には妙な穴が空いており、どうにも寝づらい。周囲を囲むようにいる目だけを露出した人間たちがうつ伏せになれというので、綾波は指示道理にうつ伏せる。

 すると丁度顔と手の位置に穴がピッタリと収まる形になっていた。顔と手を通すと、かなりの太さのある鋼鉄製の手錠の様なものを付けられ、寝台を抱くような姿勢で固定される。うつ伏せだが穴に顔を通しているので、処置をする医師たちの足と機器の一部が見えた。手術をするというよりも何かの工作機械にも見える、鋼線でも切るような巨大な鋏や、鋸のような機器が並んでおり、綾波の背筋に嫌な汗を流させる。


事前に射たれた強い薬物の関係で意識は朦朧としていて、力は抜けて非常に気怠い。

 艦娘は駆逐艦であっても200kg弱、大型艦の艦娘であれば数百kgの体重となるため、その状態でも自力で歩いて手術室に赴くことが規則だった。

 ぼんやりとした意識下で医師は「これからこれを埋め込みます」と言い、丸みを持った三角錐の白い肉質の物を見せてきた。何かの液体に満たされた円筒形の硝子容器に沈んでいる。恐らくはこれがより高度な第三神経節だろう。


「改造処置を行います」


 頭の後ろから声が聞こえてくる。口金を噛まされて、顔までも固定され、下に向いて目線だけが動かせる程度の状態だ。


 キシリ。


 後頭部側の首筋から何かを強く押し付けられた様な痛みが走る。艦娘の薬品への耐性のために完全に麻酔が効くことはなく、鋭い痛みではないが鈍い痛みが脳を刺激する。

 相当に力が入っているのか、首や顔が手術台に押し付けられる。それとともに、医師が力を入れる掛け声も聞こえてくる。

 艦娘の筋繊維は炭素繊維並の強度、骨格は均質圧延鋼板並の硬さの為、それを開くのは相当な労力が要る。しかもその超生物的な再生能力が常に傷の再生を図るために、多少荒くても極力迅速に素早い処置が必要だった。

 後頭部の首筋、小脳の下辺りに第三神経節は存在する。

 無理やり切り口を押し広げられ、工具の様な粗剛な器具で切開される痛みは薬で軽減されているとは言え楽なものではない。腕には力が入り、口金を強く噛みつける。

 そして、もう一つ痛みを強くする要素として、術の際に出る音だ。

 バチリバチリと針金でも切るような音、キシキシと硬いものを削るような耳障りな音。それが自分の身体を傷つけていく音だと理解できる為に、より想像を掻き立てられ痛みが増す。

 顔を伝っていく血が床に血溜まりを作り、その赤い水たまりは時間とともに少しずつ大きくなる。

 うめき声を上げながら、脳に送られてくる痛みの信号に耐え続ける。


 小一時間ほど経った頃、切り口を広げていた器具が取り外された。艦娘は強い再生能力がある上に強靭な身体組織があるために縫合などは行われない。現に器具が取り外された場所から、既にゆっくりと再生が始まっていた。


「処置完了しました」

 その声の主は息が完全に上がっていた。綾波も力を入れて耐え続けていたために、既に消耗していた。

 ほぅと安心した息を漏らして、もう痛みが与えられることはないことに安堵する。


 辛い時間ではあったが、質は違うと言えど大破などに比べれば大した苦痛ではなく、先輩艦たちの言う地獄、というのは少し誂われたのかなと、喉元過ぎた綾波は余裕の笑みさえ浮かべていた。

 これで強化が終わったというのはなんとなく拍子抜けという感覚さえあった。


「では頑張って」


 医師は綾波の肩に手を置いて、そう声をかけてきた。

 処置は終わったので、改造艦としての出撃を期待しているという意味だと綾波は思ったが、そうではなかった。


 妙な違和感を覚えてふと視線を手にやると、左手が小刻みにぶるぶると震えている。寒いとか恐怖とかそうではなく、勝手に動いているという感じだ。


 綾波は何か変だと医師に伝えようとしたが、何かの表示機器を見ている医師以外は退室してしまった。


 異常は手だけでなく、目が勝手にぐりぐりと動き出し、内臓も妙に動いてひどい嘔吐感に襲われる。


 ざわざわと何かが後頭部から伸びてくると感じた。


 直後、最初に震えていた腕の上腕部の筋肉が破裂し、直ぐに再生した。


「あぐっ!」


 視界が歪む。右目が潰れた。

 足がへし折れる。

 内臓に何かあったのか大量に血を吐く。


 そしてそのいずれもが壊れた直後に再生をしていく。


 改造処置そのものなどは比べ物にならない苦痛。

 これは崩壊しているのではなく、身体が作り変えられているのだ。

 一度壊れ、新しく再生し直す。


 痛い、痛い、痛い。

 綾波の脳内はこれだけに支配されていく。


 たすけて、たすけて。


 機械を見ている医師に助けを求めるが、チラリと無表情にこちらを見るだけで、すぐに機械に目を戻す。

 これだけ苦しい思いをしているのに助けてくれないことに、綾波は怒りが湧いてくる。


 口金を強く噛みすぎて歯が割れて、それも鋭い痛みを運ぶ。

 

 皮膚は裂ける。筋肉はちぎれる。骨は砕ける。

 全身が幾度も、手も足も、目も耳も。


 何故こんな苦痛を味わわなければならないのか、どうして綾波がこんな目に。


 何故。なぜ。

 艦娘になった転換処置のときも同じ苦痛を味わったことが脳裏に蘇る。


 くるしい――

 どうして艦娘になったのか。こんな苦しい思いをするためだったのか。


 なんのために艦娘になった……?


 一瞬、綾波は大事なことを思い出した。とても大事な記憶。

 だが津波の様に押し寄せる苦痛が、綾波に考えることをやめさせる。


 なにか、だいじなこと。おもいださせて。

 綾波は欲求しか生み出せなくなっていた。思考などはもはや不可能。脳が焼け付くような容量を越えた痛みは、記憶への接続さえも困難にしていた。


 いたいいたいいたい。くるしい。たすけて。


 綾波の頭はそれのみになり、やがてそれさえも処理できなくなっていった。


 身体の崩壊と再生が繰り返されて二日後、乾いた唇が水を求めて小さく動いた。

 全身は固まった血と、まだ乾ききっていないどろりとした血で染まっていた。


 身体を支配していた痛みはなくなっていた。




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[chapter29: 忿懣]


 脳の芯がまだ痺れたような感覚と、全身に気怠さはあったが綾波の身体そのものはすっかりと落ち着いていた。まるで台風の後の晴天の様に、穏やかで静かなものだった。


 思い出したくもないことだったが、先程までの痛みを思い出そうとしても頭に霞がかかり薄ぼんやりとしか思い出すことができない。壮絶な苦痛に対する自己防衛機能が記憶に鍵をかけ、意識の水底へ沈めてしまった。

 地獄だった。先輩艦達が揃ってそれしか言わないのも、こういうことなのかと妙に納得する。


 軽く身じろぎした綾波は、元の長さまで戻った髪が血を吸って体にべったりとくっついて固まっていることに不快感を覚えた。もう不必要になった全身に施された拘束を外そうとカチャカチャ鳴らしてみるが、自分ではどうにもならないことを確認しただけだった。


 ここでやっと機械の前にいた医師が綾波に気づく。改造処置の時とは違う顔だ。いつの間にか入れ替わっていたらしい。

 医師は手元にあった鍵でひとつひとつ太い鋼鉄製の拘束具を外していく。相当力を込めて噛んでいたらしく、口金などは見事に歯型がついてしまっていた。自分の歯型がくっきりついた鋼鉄は妙な前衛芸術染みていて、何故だか妙に可笑しくなる。


 自由になった綾波は全身が血で汚れていない場所が無いほどで、身動きする度に固まった血がパラパラと落ちる。お風呂に入りたい。


「お……おふろ……はいり……」

 言いかけて、声がかすれて音にならないことに気づく。これだけ血を出したのだから体は脱水状態にもなっている。考えてみると、相当お腹も空いていた。つい先程まで極限状態だったため、そんなことさえ気づかなかった。


 綾波があうあうと全身血まみれの状態で、まるで映画の動く死人の様に動いていると、医師は慣れたものだ。既に手配されていたらしい水と食事が看護師たちの手によって運び込まれた。



「そのときの水がすごく美味しくて」


「そ、壮絶だな……一度は見ておくほうが良いか……」


 軍病院から鎮守府に戻った綾波は提督に改造処置の報告をしていた。簡潔に報告すればよかったのだが、提督が話を聞いてくれるのでつい細かに身振りを交えて話してしまっていた。


「い、嫌です。裸同然ですし、綾波、あんなにみっともない姿見せられません……」


 医師や艦娘補佐官などに自分の汚点を見られるのと、提督に見せるのとでは全く意味合いが違う。


「それでどうだ? 体調は」

 提督の質問に、綾波は手のひらなどを確認して、何も問題ないことを確かめる。


「体重はだいぶ落ちちゃいましたけど、変化などは特に」


 綾波の言うとおり、体は以前と変わらない。改造されたという実感などは全く湧いてこなかった。


「そうか。ご苦労だった。今日はもう休んで良い。ああ、食事はきちんと摂っておくように」


 そう言うと、提督は視線を手元の書類に向けた。綾波は敬礼をしてからもう一度提督の顔を見て退室しようとする。


「ふふっ」

 綾波の顔が綻び、知らずに笑みがこぼれた。何故だか提督の顔を見たら不思議と懐かしさと心が温まるような感覚になった。


「どうした?」


 綾波が不意に笑ったことで驚いた提督が綾波をみる。


「いえ、失礼します」

 もう一度敬礼をしてから綾波は退室していった。


「何か付いていたかな……?」

 提督は眉間に皺を寄せたまま、自分の頬の辺りを撫でた。



 綾波は弾む様な気持ちで廊下を歩く。改造艦といえば、艦娘としては一人前の証。綾波の置かれた状況はあまり良いとは言えないが嬉しいことには変わりない。

 それと改造艦だからか、何かを守りたい、その気持ちがとても強くなっていた。


 浮かれていた。それが油断だった。


「あぅっ!」


 綾波は廊下の曲がり角で何かにぶつかり盛大に尻もちをついた。体重が減っているとは言え、艦娘の綾波を弾き飛ばすほど質量があるものだ。

 何にぶつかったのかと、目を上げるとそこにいたのは金剛だった。


「Hey You……綾波ネ……? 艦娘は左側通行、そんな簡単な軍規も守れないの……?」


 慌てて立ち上がって綾波は深く頭を下げる。艦娘は重量があり、人とぶつかればそれだけで怪我の原因になる上に、場合によっては艤装などの金属を持つため、頭などを強く打てば死に至る場合もある。それ故にどこの鎮守府でも一律に艦娘は左側通行を厳守することになっていた。

 そしてぶつかった相手は金剛だ。綾波はずっと避けてきていた。不機嫌な別の鎮守府の戦艦など触るものではない。ましてや綾波には更に金剛を不機嫌にさせる理由もある。


 だが今回は逃げられなかった。


 金剛は腕を組んで、何も言わずに綾波を見下している。顔は明らかに苛ついているというのが全面に出ていた。

 綾波は自分が悪いことは理解しつつも早く開放して欲しい気持ちでいっぱいだった。


 金剛について、明るく気さくな艦娘だと聞いていたが、目の前の艦娘は同一人物なのか疑うほどに想像とかけ離れている。


「人間にぶつかれば殺してしまうかも知れないネ」


 金剛が言っていることは綾波も重々理解している。完全に悪いのは綾波だ。だが、この場を早く去りたい綾波は、つい気もそぞろな相槌を打ってしまう。


 金剛の眉が、ぴくりと動く。


 しまった、と思ったときには遅かった。


「Fuck yourself!」

 怒号と共に、金剛は綾波の肩をどんと押した。別に速度もつけていない、非常に加減したものだったが、手を出すとは予想していなかった綾波は、そのまま再度尻もちをついた。


「ご、ごめんなさい!」

 綾波は慌てて謝る。これ以上怒らせて、もし暴走などされればただでは済まない。もちろん暴力行為などは規則で禁止はされているが、ある程度の指導などは限定的には許されている。


 しかし、金剛からのこれ以上の追求がない。何事かと思ってゆっくりと綾波は視線を上げて見る。


 金剛の方が狼狽えていた。

 目は泳ぎ、顔を青くして首を横に振る。


「No……違うネ……」

 小さく呟いてそのまま逃げるように去ってしまった。


 残された綾波はぽかんと拍子抜けした顔で金剛の背中を見つめていた。



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[chapter30: 事件]


 綾波は金剛のあの反応が気になっていた。確かに手を出してきたのは驚きだったが、それも普段の不機嫌さを思い起こせば納得が行く。しかし十分に加減をしていたし、転んだ程度で大きく狼狽えてみせるのはどうにも腑に落ちなかった。

 提督も以前金剛に関しては言葉を濁していた。提督が言わなくても良いと判断した以上、綾波は知らなくても良いことなのだとは思ったが、やはり未知ということはあまり気持ちのよいものではなかった。


 翌日になって、綾波は中央から来て事情を知っていそうな艦娘、潮に尋ねてみることにした。


「どうしたの? 話があるって……」

 潮と綾波はずいぶんと仲が良くなっていた。同型艦の艦娘という共感もあるが、第七駆逐隊とのわだかまりが解ける要因であるため、綾波を高く買っていた。先輩後輩などではない一人の友人として、綾波の状況に於いて得難い関係でもあった。


「金剛さんについてなんですけど」


 綾波が言うと、潮は難色を示す。


「ごめんね、どうしてか訊いていい?」

 潮は自信の無さの表れか、警戒心のためか、とかく謝る言葉をつける。綾波は別に謝らなくていいと言ったことがあったが、謝罪の言葉を重ねられる結果になった。そのため、気にしないようにしたのだった。

 綾波は先日あった出来事を潮に説明すると、潮は心当たりがあるのか、しきりに同調して頷いている。


「これ、言って良いのかわからないけど……綾波ちゃんなら大丈夫かな……」


「そんなにまずいことなんですか……?」


 潮のつぶやきに、綾波は権限のない機密でも聞かされてしまうのかと警戒したが、どうもそういうことではないらしい。


「金剛さんの為にあまり人には言い触らさないで欲しいんだけど、少し前に事件があってね」

 潮がとつとつと話し始めた。そして出た言葉に綾波は驚く。


「暴力事件?」


「そう。駆逐艦の娘を怪我させちゃって。ごめん、潮もよくは知らないんだけど、なんだか司令官を屑呼ばわりしたとかで金剛さんが怒ってね。訂正させようと詰め寄ったらしいんだ。すぐに謝れば良かったんだけど、相手の駆逐艦の娘も気が強い娘で……曙ちゃんみたいな感じかな」


「あー……なるほど」

 綾波は曙の顔を思い浮かべ、なんとなく編成会議であった出来事を思い出した。


「それで売り言葉に買い言葉でまた司令官を侮辱するようなこと言っちゃったらしくて、それで」


 潮は拳を作って振り下ろす仕草をした。金剛がカッとなって殴ったということだろう。


「もちろん金剛さんも加減はしたんだろうけど、駆逐艦と戦艦だし結構ひどかったらしくて。わたしたちは傷はすぐ治るけど、服についた血と艤装の損傷が別の艦娘に見つかって露見したの」


 転んだ綾波を見て金剛が狼狽えたのは、その光景を想起させたからだと推測できる。


「普段は艦娘にあまり制限つけない司令官も、流石にそれは怒っちゃってね。丁度ここの鎮守府で戦力貸して欲しいというのと重なって、こっちで頭を冷やすことになったの。金剛さんはすごく反省してたし、多分今不機嫌なのは自分に対する嫌悪でいっぱいなんだと思う」


 潮の話でずいぶんと合点がいった。何も暴力事件を起こすような艦娘をこの鎮守府に送るなんて、大将閣下も人が悪いと綾波は思う。


「……暴力事件」


 ふと、綾波は思い出す。


「……そういえば綾波、司令官を突き飛ばしたことありました」

 ぽつりと口に出してしまった。


「えっ!?」

 潮はこれでもかというほど目を丸くして、綾波を凝視する。手は身を守るように大きな胸の前で拳を作っている。


 綾波は大将閣下と提督の話の流れがなんとなくわかってしまった。

 暴力事件を起こした艦娘が一人も二人も変わらないだろう、とか綾波の件で目を瞑ってやったからこっちも頼むとか言われたに違いない。


「つまり、原因は綾波……」

 妙なつながりと巡り合わせに、綾波は過去の自分に対する嫌悪感で頭を抱え、唸り声を上げた。


 横の潮は綾波から距離を取るように身を引いて、

「綾波ちゃんって、やっぱり怖い艦娘なんだ……」

 涙目でそう呟いていた。



 提督執務室。提督が映像電話による会議から戻り、荒々しく自分の席についた。球磨は驚きながら、提督を目で追う。

「参謀本部は何を考えている……!」


「どうしたクマ?」

 球磨は提督の勢いに、不安げな表情を向ける。


「大きな作戦が始まる。出撃命令だ」


 決して面白く無さそうな顔で提督はそう告げた。



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[chapter31: 作戦]


 作戦室には中央の艦娘を含めた全ての艦娘、11人が球磨によって招集されていた。部屋の前部に提督が立ち、後ろに貼られた海図を元に作戦の説明を行っている。


「以上が作戦の概要となる。我々に与えられた任務は作戦海域での後方確保だ」


「確保? 作戦海域の真っ只中に布陣するということですね。……変ね」

 加賀が口元に手を当てて作戦次第について疑問を呈する。


「参謀本部からの決定だ。俺も妙だとは思う。だが任務は任務だ。役割をこなせ」


「どうしてここが後方確保になったクマ? 編成的に速力を活かした偵察、遊撃、掃討に向いているはずクマ」


「今回の作戦海域はかなりの範囲だ。何処も手が足りないからここが足でその範囲を網羅しろということだ。特殊適合体の高速戦艦もいれば足りるだろうと」


「高い評価は嬉しいけど、買いかぶり過ぎデス。一隻でなんでもできるならもう戦争は終わってるネ」


「そう言うな。編成は通常どおりで行く。第一艦隊が偵察、第二艦隊が遊撃だ。加賀は泣いてくれ。その能力は活かしきれないと理解して欲しい」


「超長距離での先制爆撃が困難ということですね。了解しました」


「うむ。後方とはいえ相当な敵戦力と遭遇することも当然起こる。しかし維持できなければ主力艦隊が孤立する。火力支援艦隊も大きく迂回することになり、連携に支障が出る。重要な任務だ」


「あの、綾波は……?」


「お前は待機だ。戦力が足りないからといって不確定な状態で出撃させるわけにはいかない。俺は第一艦隊の旗艦である球磨に乗って出撃する」


「偵察艦隊は生存率が……! 装甲のある金剛か加賀に乗るべきだ!」


「新式海兵司令は第一艦隊の旗艦に乗ることになっている。俺が独断で変更などすれば余計な混乱も招く。お前たちはそんなことなど気にせず作戦遂行を考えていればいい。以上、分かれ」


 作戦日時は二週間後。この鎮守府にとって見れば大きな作戦となる。綾波はその作戦に参加できないことを不満に思いながら、作戦室を後にした。



 作戦会議後に執務室に戻った提督は大きなため息をつく。球磨もその理由は理解していた。


「参謀本部の作戦。敵陸上型深海棲艦が島嶼に完全に取り付く前に叩く。重要な作戦だが、どうにも腑に落ちん」

 提督は誰にでも無く呟いた。球磨はその独り言を拾って、話を合わせる。


「ここに来る作戦の割には重要度と難度が高すぎる気がするクマ」


 球磨も提督と同じように溜息を付きながら言う。大きな作戦に参加できることは光栄だが、それは当然自らの命と天秤にかける必要がある。決して肯定的にはなれなかった。


「この作戦、根回しがされているような感覚だ。まるでここが後方確保になることだけは決まっていたような。戦力が全く足りない。せめて綾波がまともならば。いや、待てよ……?」


 提督はふと、突飛な考えに至る。


「参謀本部は後方には敵艦隊がそれほど来ない情報を掴んでいる……?」

 提督は言いかけて、まさかと自分の考えを鼻で笑った。


「大将閣下も出撃される。あの方も流石に頭を抱えているだろうな。今回はどんなことをなされるのか」

 提督は楽しそうに語った。英雄譚を聞く少年の様な顔だ。


「常勝無敗の人類の希望クマ? いつも球磨にはよくわからない編成とか組んだりするクマ」

 球磨は眉間に皺を寄せて手を肩の辺りに上げる。

 

「よくわからないのは俺もだ。何故か最大戦力でない編成をしたりする。『この編成じゃないと逸れるから』などの不可解な言動も多い。それでも勝つのだから間違っていないんだろう。二つの賽子を振って七が出る確率が最も高いが、あの方は十一だけに賭けて、しかも勝つ。まさに別次元だよ」


 饒舌に話す提督が大将閣下に対して本当に憧れを抱いていることは、誰の目から見ても明らかだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter32: 待機]


 港で綾波は一人、水平線に向けて敬礼をしていた。待機を言い渡された綾波は、十隻の艦と提督をじっと見送る。胸にはざわざわとした嫌な気持ちがどんよりと奥底に沈殿していた。


 綾波がいる港は、母港ではない。港というにも不足するようなやくざな揚陸地点と言うべき場所だ。南国に浮かぶそれほど大きくない島の港湾。簡易的な基地施設、物資などが集積されている。今回の作戦のために用意された作戦海域にほど近い臨時の基地である。

 艦体の大きな加賀と金剛は、港の水深が浅く着港条件が満たされないため、沖合に停泊し、上陸用船艇によって艦娘だけが上陸というような手法も取られた。

 軍事施設ではあるが、普段見ているものとは違う植生が非日常感を与える。南方特有の温い潮風がそよそよと吹く。だが、南国の香りというものは全く感じられず、即席の建築部材の匂いと、いつもの鉄と油の匂いが嗅ぎ取れるのみだった。

 皆と一緒に出撃するということになり喜んだ綾波だったが名目上は予備戦力。この簡易基地で待機するという、場所が変わっただけで、本質的には何も変わっていなかった。鮮やかな赤色の大きな花も、今の綾波には色あせて見えた。


 湿った空気と日差しが汗をにじませる。額に張り付いた前髪が鬱陶しい。手で汗を拭ってから、軽くない足取りで基地施設に向かった。


 部屋に戻るとひんやりとした空気が火照った体を包む。強めに設定された冷房が後で涼しすぎるかもと思いつつ、気だるげに身を任せる。

 安普請ながら悪くはない環境だが、綾波は憂鬱な顔で溜息を吐いて、提督の言葉を思い出す。


「一隻だけ基地に残していくわけにも行かない」


 艦娘の命令系統は直属の提督のみ。たとえ元帥大将や大元帥陛下であろうとも、提督の頭越しに命令をすることはできない。艦娘としても、提督の利害などが絡まなければ元より従うつもりもない。

 それ故に提督は極力手元に艦娘を配置する必要があるのだ。作戦海域に近いこの島に綾波が来ているのもそのためだ。


 ただ待つことしかできない。今頃は提督や仲間の艦娘たちや中央の艦娘たちは命がけで戦っているかもしれない。そして帰ってこないかもしれない。孤独に待つ綾波には悪い想像ばかりが浮かび、とても気が気ではなかった。

 提督もこのような気持ちで自分たちの帰りを待っているのかと思うと、出撃したときには必ず帰って笑顔を見せなければと、ぼんやり思うのだった。



 何をするでもなく、普段通りの基本的な生活をする。この場所に敵が来たときのためにいつでも出撃ができるよう基地施設から動けない。一応、提督宛の電話番をしてはいるが、臨時のこの場所にかかってくることなども殆ど無い。いくら見ても中々進まない時計ばかりを見ていた。

 敵が近いはずだが、島の雰囲気がのんびりしているため、それが余計に不快だった。


 突然、電話が鳴った。


 まさか鳴るとは思わなかったが余程緊急の電話なのだろう。作戦行動中の提督の電話がけたたましく騒いでいる。


「はい。特型駆逐艦、綾波です。只今司令官は……」

 綾波は事務的に自分を明かして、要件を訊こうとするが、予想していなかった人物の声が聞こえてきた。


「あら? 中佐さんはもう出撃されてますか……」

 数度しか聞いていない喋り方で、電話越しの変化した声だが、綾波にはすぐにわかった。


「間宮さん……!」

 吹雪の一件で綾波は間宮をよく思っていない。敵と話すかのように身構える。


「あら綾波さん。その後の調子はいかがですか? 良ければ今度検査でも……」


「要件をどうぞ」

 何か雑談でも話しそうな間宮の言葉を途中で遮り、綾波は単刀直入に要件だけ訊こうとする。


「ええ。中佐さんに。ですが困りましたね。もう出撃されてますか。そうなると衛星回線も使えませんね……」


 間宮は本当に困ったという雰囲気だ。わざわざここにかけてくるくらいなのだから急ぎなのだろう。


「戻り次第でよければ伝えますけど」


「戻ってからでは……あぁ、そうです。今は綾波さん、作戦海域近くの基地にいるんですね? 間に合うならば艤装通信で伝えてください」


 綾波は間宮の話を聞きながら思った。綾波は今、涼しい部屋にいる。余程冷房が効いているのだろう。何故ならば背中に伝う汗がとても冷たいのだからと。


「中佐さんの担当される海域に予想よりも大きな敵戦力の存在が確認されました。遊撃部隊を向かわせていますので、指定の座標を回避、接触を避けてください。緊急です。会議で決まったばかりなので、取り急ぎ個人的判断でお伝えしています」


 言いたいことは山ほどあった。しかし、綾波にはしなければならないことができた。


「あ、ありがとうございます!」


 礼もそこそこに勢い良く電話を切った。そして直ぐに艤装通信を試みる。


「……ダメだ、繋がらない!」


 作戦予定どおりならば既に艤装通信の範囲から出ている。深海棲艦の影響範囲で球磨に積載されている衛星回線や電波回線などは使えない。あと数時間早ければ繋がったはずなのにと臍を噛む。


「どうしよう……どうすれば……!」


 小島が多い海域故に、接近に気づかず艦隊が形成不利な状況での戦闘を強要される可能性もある。以前の自分たちの様に上手く撤退できれば良いが、それは運が良かっただけだ。

 綾波は唇に手を当てて考える。何か自分にできることはないか。


 提督の為になにかできることはないか。

 うろうろと部屋の中をうろついて考える。


 顔を上げると、窓の外に自分の船体である乙体が見えた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter33: 放送]


 名ばかりの第一艦隊、その実は偵察部隊である四隻の艦隊が島嶼の間をすり抜け、隈なく周辺の様子を探っている。


「……妙だな」

 提督が口にする。


「伝令艇がいない。それどころかまるで何もない」


 深海棲艦がいる海域は通常の電波などによる通信は使用できなくなる。その為に艦娘の艤装通信を利用した通信のみを行う専門の部隊がある。この部隊は艤装通信の範囲限界まで陣形を広げ、電波回線が使用可能な海域まで陣形の端を伸ばす。そこから一直線にまるで電線と電柱の様に海域の奥まで情報を伝える。状況に応じて作戦行動中の艦娘へ追撃や撤退などの作戦の大綱を伝えることが大きな役割だが、支援艦隊の戦闘地点への誘導などの役割も果たす。

 この通信隊の伝令艇は戦闘艦になれなかった適合者、転換処置により手足が不具な者や五感のいずれかを失ってしまった者などがなる。つまり、艦娘のなりそこないたちだ。


「第二合流地点にいるとか、沈められたクマ?」

 通信艇は戦闘能力を持たない。敵に見つかったら小型船艇の速力で逃げることしかできない。


「戦闘の跡もない。残骸もない。敵艦の砲撃音を聞いた者は? 通信艇を追っていったならば砲撃音が鳴っているはずだ。俺たちの来た方向にはもちろん敵艦は来ていない。それなのに伝令艇は第二合流地点まで下がったと?」


 提督は海図を頭に浮かべて敵味方の動きをなぞってみるが、どれも上手い具合には状況と結びつかなかった。


「何か見落としてるんじゃないかな。とりあえず第二地点に向かいましょう」

 白露が提言する。


「そうだな。何かを判断するには情報が少なすぎる。まずは作戦どおりに行動しよう。全艦、進路を第二合流地点へ」

 提督は腑に落ちないことが多かったが、まずは行動に移すことにした。




 基地にいる綾波は自分の乙体を窓越しに見ながら悩んでいた。

 提督の許可なく乙体と接続することは重大な軍令違反だ。何らかの処罰は免れない。何よりも提督を困らせることになるかもしれない。

 場合によってはもう艦娘でいられなくなるかもしれない。


 最後の出撃。綾波に取っては重い決断だった。提督の指示が聞きたかった。どうすることが正しいのか命令して欲しかった。


 そして綾波は提督の顔と、懐かしく温かい感覚を思い出した。


 綾波はふふっと笑うと、部屋の外へ歩き出した。

 初めから悩む必要などなかったのだ。無事ならば命令違反で綾波が艦娘を止め、そうでなければ提督が命を落とすかもしれない。どうせ会えなくなるのならば、提督が無事であることを願えば良い。

 綾波に取ってはこれ程わかりやすい選択などなかったのだ。


 綾波は施設の放送設備の前に立つと機械を操作して拡声器を起動する。


「緊急指令、駆逐艦、綾波の乗組員は総員ただちに乗艦してください! 繰り返します、緊急指令、駆逐艦、綾波の乗組員は総員ただちに乗艦してください!」


 放送と共に、十数人が乙体に向けて走り出した。

 綾波はやってしまった、もう後戻りはできない。そう思いながら自身のもう一つの体である乙体へ向けて駆け出した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter34: 追跡]


 たった一隻の駆逐艦が巡航速度よりもやや早め、海面を滑ってゆく。ここは既に敵の影響海域である。電子機器は既にその役目を果たしてはいない。もしこの状況下で、小規模だったとしても敵艦隊と近接遭遇すれば命は無いだろう。

 綾波が警備任務で幾度か沈めたことがある敵はぐれ駆逐艦たち。それはまさに今の自分の状況だ。


 燃費など気にしていない。連戦を考えるよりも、先ずは提督と合流し、報告をしなければならない。作戦航路は当然のように主副予備全て頭に叩き込んである。


 綾波は電探が積まれてはいなかったが、昼間であれば問題がない。吹雪の組織も眠っているかのように静かで、自分が不安定なものを艦体に宿していることなど全く感じなかった。


「急がなきゃ……! 予定ではこの辺りに提督たちが来ているはず」


 出港して数時間で提督たちの予定航路まで到達した。高速な駆逐艦であることと、合流可能な地点を目指しまっすぐに最短経路を進んできたからだ。

 ここまでに敵艦隊と遭遇しなかったことは幸運。たった一隻であるということが敵の索敵網にも引っかかりにくくしていたのかもしれない。


 しかし、提督の艦隊の姿はどこにも見えない。島影に隠れてしまっているということも無い。


「いない……そうか、後方が撤退しているから伝令艇に接触できずに、第二合流地点に向かったんだ。司令官が知っている情報だけだと戦線を押し下げるわけには行かないから別航路を取って索敵行動に入っているはず……」


 綾波は自分が学習してきた戦術と提督の性格などを照らし合わせ、提督の行動を予想する。とはいえ、飽くまでも予想。それが正しいという保証はどこにもなく、ただの独りよがりの考えでしか無い。


 だが綾波には今の行動指針はそれしかない。進路を大きく変えて祈るように進む。

 日は傾き始めた。時間が経てばこの行動は全て無駄になるかもしれない。日が暮れでもしたら、艦隊の発見は困難になる。その上、現在は綾波は艤装通信網に入っていない。作戦行動に則っていない艦は、敵艦と見間違えられる場合もある。焦燥感が募る。


 依然、提督は発見できない。時が経っていく。速度高めで強行してきたつけが回ってきた。駆逐艦である綾波は多くの燃料を積めない。まだなくなったりするようなものではないが、速度を維持するならば一旦撤退し基地で補給をしたいところでもある。戦艦や空母などの燃料を分けてもらえる艦隊と違い、単艦ではどうにもならない。

 帰るか、まだとどまるか。敵艦隊に遭遇してしまったらという考えがまた綾波の頭にのしかかる。


 綾波は、進むことを決意する。綾波の意地でもあった。

 更に独断で出撃、偽報で船員まで狩りだした綾波は基地に帰るなどできようはずもなかった。


 太陽が水平線についてしまった。見る間に暗くなっていく。もう少し、まだ少し、そう思う綾波をあざ笑うかのように、夜が訪れた。


 星が空に散って、月が辺りをかろうじて照らしている。月明かりが唯一の希望となって、綾波の心をつなぎとめる。


 提督の行動範囲が絞り込めなかった綾波は、捜索範囲の拡大を決意。やや戦線に近いところまで捜索範囲に含めることに決めた。


 それでも提督は見つからなかった。既に提督は、艦隊は敗走されてしまったのか。それとも危険を察知して既に撤退しているのか。逆に反攻しているのか。綾波には知る由もない。


 思考を巡らせる為に、索敵が甘かった。


 気づけば、こちらに向かってくる数隻の小型艦の艦影が月明かりに照らされている。


「しまった……!」


 急ぎ攻撃体制を整える。速力差の無い状況でこの距離では撤退など不可能。速やかに敵を沈黙させて離脱するのが次善の策と考えた。


 綾波の挙動よりも早く、小型艦から光が見えた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter35: 発見]



 光と共に爆音が届くということはなかった。綾波に届いた光は温度のない冷光。通信の為に使われる発光信号だ。意味をもたせた照明の明滅が、綾波に友軍であると知らせてくる。


ワレ カスミ タレ タレ


 送られた符号によると中央艦隊の霞。思っていたよりも前線の位置に近かったようだ。そうなると他の小型艦も中央の駆逐艦たちだろう。急ぎ綾波も発行信号機に有機発光物質を投入し、信号に応える。敵影響圏内では電子機器は使用できない。その為、有機発光物質の冷光反応で通信を行う。


コチラ アヤナミ


 命令違反でここにいるとは言え、答えなければ攻撃を受ける。素直に名乗り、直ぐにまた捜索に戻ろうとした。

 今度は霞の後ろの艦が信号を送ってきた。


ワレ ユウタチ ツナク


 綾波は驚いた。霞の後ろにいた駆逐艦は夕立だ。そして艤装通信を繋げると送ってきた。演習の際に夕立と艤装通信をできるように固有識別はお互い交換していた。情報の交換をしようということだろう。

 変に疑われるわけにも行かない綾波は、夕立の通信に応える。


「綾波ちゃん、久しぶりこんなところまで来てどうしたの? 展開してるはずの場所からだいぶ離れてるっぽい」


 夕立は綾波を疑っているというよりも、何故ここにいるのかと素直に不思議がっているようだ。


「あ、えと……偵察です。敵艦隊を捜索していたら思ったより深く入ってしまって……」


 綾波は嘘をついた。当然本当のことなど言えるはずもない。


「……偵察? ふーん……あまり離れると艤装通信届かなくなるよ。ここの海域はおかしいっぽい。通信範囲が異様に狭くて、孤立するとすぐ通信できなくるっぽい。戻ったほうが良いよ」


 綾波は艤装通信の範囲が狭くなる海域など聞いたことが無い。夕立の言から察するにそれは歴戦の勇士である中央鎮守府の艦隊でもそうなのだろう。

 はたと、綾波は思い出した。以前の霧の撤退戦の時、大した距離でも無かったのに球磨と通信ができなくなった。そしてそれと似た状況なのかもしれないと思い至る。


 だがその状況は綾波に有利に働く。


「そうなんです。偵察で艦隊から離れたら、通信ができなくなってしまって、合流するにも位置が特定できなくて困っていたんです。そちらでは艦隊がどこに展開しているかわかりませんか?」


「そう言われてもそっちより知ってることなんてないっぽい。西3点方向に展開してないの?」


 夕立の示した方向は艦隊の作戦範囲より少しずれた座標だ。綾波が出撃してから何か状況に変化があったのかもしれない。


「ありがとうございます!」


 綾波は礼を言うと直ぐに艦首を回頭させ、夕立が示した方向へ舵を取る。


「あ、ちょっと! ……もう、通信終わり」


 直ぐに夕立は通信を切った。自分の艦隊の通信に戻ったのだろう。


 綾波は急ぐ。恐らく最後の機会。ここで提督たちを発見できなければ、全ては徒労に終わるだろう。


 その座標はこれまでの捜索と違っていた。

 時刻は21時を回ったほどだろうか。


 僅かに明滅する光。音が聞こえてきた。砲声が奏でる戦闘音楽だ。

 艦隊が、戦闘をしている。


 そして見えた。


 明滅する光だけが頼りだが、提督たちたった四隻の第一艦隊は、恐らく戦艦と思われる敵艦と交戦している。敵随伴艦だけでも規模が上だ。

 艦隊の運動は形勢不利状況と見て、撤退を試みている動きだ。


 見つけたのは綾波。敵艦隊も提督たちも綾波の存在に気づいていない。綾波が攻撃をすれば敵艦隊は混乱し、提督が離脱する可能性は大きく増すだろう。しかし、単艦で仕掛ければどうなるかなど自明だ。


 足元からぞわぞわとした感覚が登ってくる。そして、綾波の鼓動が大きくなる。


 綾波は艦娘であることに感謝した。恐らく生身であったなら、足がすくんで動けなくなっただろうから。

 綾波は艦娘であることに喜んだ。提督を助けることができるのだから。


 そして綾波は艦娘であることに後悔する。自分はここで死ぬのだから。


「砲撃、用意」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter36: 初弾]


 綾波の戦闘態勢は整った。

 だが、まだ砲撃はしない。攻撃前に艦内放送を流し始めた。


「全乗組員に告げます。これより、綾波は友軍の撤退支援の為、単艦による突撃を決行します。総員退艦してください。繰り返します。総員、退艦してください」


 何も道連れになることはない。綾波はそう考えた。時間は無いが、乗組員に艦を降りるように下命する。しかし乗組員たちは動く気配はなかった。


 それどころか、まるで早く行けと急かすように艦内の壁を一斉に叩き出したのだ。

 綾波は気づいた。仲間を助けたいのは彼らもまた同じなのだ。自分を知る者のために命を賭ける。軍人である彼らはその覚悟ができていた。


「皆さん……」

 一人ではない。その想いが、綾波の小心を支えてくれる。


 綾波は落ち着いて2斉射の後に、突撃。肉薄しての水雷戦を仕掛ける算段を練る。


 夜の暗闇の中、全砲塔を敵艦隊へ向け砲撃を開始する。一斉に砲口が爆音と共に火を吹いた。


 敵艦隊は気づいていない。音よりも速い砲弾に気づく良しもない。

 初弾とは言えこちらの攻撃に回避さえ取っていない敵艦に砲撃を当てることなど容易い。できなければ艦娘とは言えない。


 命中。


 敵の小型艦は眩く炎を上げる。その数秒後に爆音が綾波まで届く。あの艦影は駆逐ロ級か。

 この規模の爆発ならば、轟沈、あるいは戦闘は不可能であることは明白だ。


「まず一隻!」


 不意撃ちに敵の艦隊は混乱している。こちらの戦力を測りかねているのだ。こちらに戦線を向けようと敵艦隊がちぐはぐに回頭を始める。


 未だ好機。


 砲撃後に素早く装填を始めた綾波は、素早く次弾を用意する。

 続けざまに砲撃。


 敵艦に向けまっすぐに向かっていった砲弾は、敵艦を炎上させる。


「良し!」


 混乱した艦隊に対してここまでは想定通り。戦闘はここからだ。

 数隻から敵艦から瞬く光が見える。反撃の砲弾が飛んでくる。


 まだこちらの規模がわかっていないのか、散布は薄く広い。十分に回避可能な砲撃だ。


 綾波は最大戦速で突撃を開始。それと共に提督たちへ通信を送る。


 コチラ アヤナミ テッタイ シエンスル


 直ぐに明滅する光が艦隊から返ってきた。


 ワレ クマ シエン カンシャ ケントウ イノル


 敵艦隊の動きを見ながら、横目に通信を受け取る。

 恐らくこれが、最期の通信。提督の声が聞きたかったと、綾波は思ったが、それはこの状況ではできないことだった。


 敵の砲弾を縫うように、前進する綾波。動きが少しずつ整って来ている。回避が難しくなってきていた。


 綾波の背筋が痛む。幾度か味わった痛み。吹雪の組織からの侵食だ。


「くぅっ!」


 ギシリと背筋の奥に爪を立てられるような感覚。以前よりも深い位置であるような感覚だ。


「……吹雪さん、いくらでもこの体なら差し上げますから、今は、今だけは力を貸してください!」


 痛みの正体がわかっていれば、受け入れることができる。そしてそれが今必要な力になることも知っている。

 綾波は苦痛に抵抗するでもなく、緩やかに甘受した。


 瞬間、夜の闇が晴れた。


 本来ならば肉眼での視野など無いようなもののはずが、まるで夕暮れ時のように薄暗いながらも見渡すことができた。

 そして侵食される不快感などはむしろ強くなったものの、痛みはほとんどが消え失せていた。


 敵の砲撃。

 しかし綾波は回避できた。撃つ前から何故か撃たれることがわかったような気がした。

 敵艦隊全体の動きも把握できる。音が、光が全て解るような気がした。


 中枢室では変調が起きていた。

 甲体に接続している綾波の瞼の下が、薄ぼんやりと光を放ちだす。


 艦娘第三神経の極限興奮における冷光反応。

 この現象が確認された艦娘は極稀だが、それが綾波に起こっていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter37: 夜戦]



 綾波には敵の動きがはっきりと見えていた。敵の規模がわかる。

 戦艦ル級、重巡リ級2、雷巡チ級の四隻。いずれも上位種だ。これに先程撃破した駆逐ロ級2の六隻編成。

 総排水量で比較しても綾波の優に20倍はあるだろう。単艦で挑むなど冗談にもならない。


 その悪い冗句のような光景に綾波は妙な笑いがこみ上げる。夜の闇の中でここまではっきり見えるのは頭がおかしくなってしまったのではないかとさえ思えた。だが綾波は敵艦の向こうの敵艦の動きまで全て見通せていた。何故か負ける気はしなかった。


 機関はとっくに全速を超えている。だがまだ暴走はさせない。まだしばらくの時間を稼ぐ必要がある。


 綾波はギリギリに敵砲弾を見極めながら距離を一気に詰める。速力では綾波がこの戦場で最も上だ。

 同時に敵の弾幕が薄くなる。


 前進したのは敵の射線を敵艦で遮るためだ。小型艦の綾波の距離が近くなればなるほど、敵の砲の仰角は低くなる。そうなれば綾波よりも大きな艦体である敵艦が、敵の射線を遮蔽する。

 敵陣形が乱れ、綾波が敵艦隊の動きを先読みできているから可能だった。


 だが距離が近くなれば回避は物理的に不可能にもなる。薄氷を渡る戦略ではあった。


 四隻の敵艦と対峙しながら局所的に一対一。小口径の主砲ながら綾波の攻撃がほぼ一方的に当たる。

「雷撃は大型艦に……!」


 チ級に砲撃のみで対する。重巡や戦艦の厚い装甲は雷撃でなければ貫けない。


 状況は圧倒的不利。だが距離を詰めたことで、敵艦の主砲がほぼ無力化していた。

 大型艦の主砲はその重量故に砲塔旋回が遅い。更に速力面でも綾波の動きに追いつけていないのだ。


 逆に脅威となるのは副砲群や小型艦だが、小型艦は開幕で無力化、副砲群も夜戦で精度が悪いために綾波を捉えきれていないようだった。


 加熱する機関を人工筋肉を焼きながら無理やり押さえつけて、幾度目かの砲撃。

 チ級が炎上を始めた。致命の命中弾があったようだ。


「あと3つ!」


 戦場を支配しているのは小さな綾波だった。


 しかし綾波の想定外の砲撃が綾波を襲う。見えていなかったわけではない。考えの外にあったのだ。気づいたときには綾波の回避可能範囲は全て砲弾が飛んでくるという予測。逃げ場はない。


 敵副砲弾が甲板に命中し、火災が発生する。


「ぁあっ! 被弾した……っ! 味方ごと撃つなんて!」


 遮蔽にしていたチ級は敵戦艦の主砲弾の一つを受け、大きな破口が開いて轟沈していく。

 綾波は艦内のどこかが破損したのか、胃液と混ざり濁った色の血を吐き出す。


「足回りは大丈夫……他は……! 第二主砲大破……! 魚雷発射管が一番だけ!? ……魚雷が必要なのに……!」


 二番と三番の魚雷発射管はその装備そのものは破損していなかったが、衝撃により人工筋肉が断裂し、綾波の意思では操作不能となっていた。


「まだ、戦えるはずです……!」


 本命とも言える戦艦ル級と重巡リ級二隻がほぼ無傷で綾波の前の立ちふさがる。打撃力も射程もあるこの敵の足止めは撤退支援には必須。綾波自身の士気も落ちてはいなかった。


「砲も撃てるし、魚雷も一番は動く……それに……!」


 綾波は自身の持つ最も火力の大きな武器も想定に入れていた。炸薬を大量に積んだ駆逐艦、それは爆弾そのもの。

 つまり、自身を魚雷と見立てた特攻である。


 そしてそれを実行するだけの感覚と先読みの能力を今は手にしていた。だがまだその時ではない。

 綾波は提督たちが十分に追撃を受けないだけの時間を未だ稼がなかればならない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter38: 雷撃用意]


 甲板の炎上は深刻だった。いつ炸薬に引火してもおかしくない状況であり、更にその光は敵の探照灯を避けても具に綾波の位置を敵に教えてしまうのだ。


 敵の動きがわかったからと言って、避けるには最低限これだけの時間、距離というものがある。ましてや重巡二隻と戦艦の副砲群は40門を超える。敵の砲弾は綾波に対して雨の様に降り注いでいた。


「右2点! 1点! 微速! 一杯!」

 目まぐるしくエンジンテレグラフが矢印を変え、秒単位での操船。もはや機関の負荷など度外視せざるを得なかった。突然の機関の回転数の変更に、鉄が軋む音が聞こえる。最大限の旋回に小さな白波一つでも復元力を失いそうになる。艦に神経が通った艦娘しかできない物理的な限界運動。

 それでも敵砲弾は綾波を少しずつ捉え、いつ致命の一撃を受けるかは時間の問題だった。


 一番と三番主砲のみだが綾波も反撃はしている。確実に命中弾もあるが敵の動きに変化はない。厚い装甲は小口径主砲などでは貫けていないのだ。

 損傷は与えている。そう信じて砲撃を重ねる。だがたった4門。魚雷を奪われた駆逐艦などただ速力のある的に過ぎなかった。


「まだ……! もう少し……!」

 綾波は諦めていなかった。最期の時まで戦い続ける。元よりこの戦闘は遅滞作戦。提督を守ることが目的なのだから。

 戦闘を続ける綾波に呼応するかのように、艦内の状況が変化した。


 乗組員たちが一斉に動き始め、魚雷発射管に取り付いたのだ。


 人工筋肉が断裂し、艦娘が操作できないならば古くからの戦闘の様に人が手で操作すれば良いのだ。もちろんこのような状況の為に手動操作が可能になっている。

 何故それをすぐにしないかは綾波の甲板や内部で起こった状況が示してしまう。


「皆さん! 駄目です!」


 艦娘の操船に乗組員たちがついてこれないのだ。訓練された兵たちでも突然旋回や速度を変える艦に転倒し、あるいは甲板から海上に投げ出される。何かにしがみついていないとまともにその場にいることさえ困難だった。


 綾波の回避運動に人間が海に放り出されるのが見える。ただの海ではない。砲弾の飛び交う海だ。

 回避しきれなかった砲弾が、綾波の甲板に命中する。重要機関には損傷は出なかったが、数人の人間がそこにはいたはずだった。赤い煙のような物を残して消えている。


「そんな……!」


 綾波は体に意識があったのならば唇を血が出るほど強く噛んでいただろう。しかし今は鉄の艦。感情表現すらできない。


 そんな状況でも乗組員たちは全く怯んではいなかった。劣悪な状況で数人が魚雷発射管の砲座にたどり着く。彼らは鋼鉄の装甲を持たず、砲どころかその破片や銃弾が当たれば死ぬというのに。勇敢とはこのようなことかと綾波は目の当たりにする。


 綾波はこの状況を有効に活用するしか無い。艦娘の様な正確な雷撃は期待できない。投射角度を指示し、その状態で固定させる。投射の折を見定める。

 細かく補正しながら艦体運動に合わせての雷撃は不可能だ。雷撃できる状況に回避運動を合わせる。


 機会は一度。


 それ以上はそもそも綾波が致命弾を受け、沈むことになる。


「雷撃用意!」


 敵砲弾が飛来する。これを予測していた。だが十分な回避は行わない。艦橋構造物を犠牲にして、雷撃の角度を合わせる。

 右額から頬にかけてが嫌な音と共に崩れ、眼球が落ちそうになる。この程度は必要経費だと覚悟していた。


 機が整う。ピタリと綾波の想定通りの位置に敵も魚雷発射管の角度も揃う。


「てっ!」


 一音の指示とともに、魚雷が空に押し出された。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter39: 雷撃]


 着水した六本の魚雷。綾波自身の制御下にある一番はまだ発射されていない。綾波の回避行動の慣性に従って僅かに弧を描いたあと、調整装置によって直進を始める。

 目標は戦艦タ級。敵旗艦に多大な損傷を与えれば撤退も視野に入れられる。生きて帰ることができるかもしれない。


「……! 半秒遅い……!」

 綾波の想定より発射された魚雷は僅かに遅かった。指示からそれを受け、操作する間にほんの僅かな時差が生まれた。発射地点では僅かな誤差だが、目標付近ではそれが大きな差に繋がる。


 調整は速度一杯。航続距離が短くなるが、この近距離では問題にならない。夜の闇に紛れた白い雷跡は今の綾波にははっきり見えているが、敵艦からは相当に視認し難いはずだ。敵の動きと運に身を任せるしか無い。

 綾波の制御下にある一番魚雷発射管も魚雷を発射した。先の魚雷と組み合わされば相当に回避がし辛いように角度が調整されている。


「次発装填! 用意!」

 綾波は魚雷の先を確かめる前に、直ぐに指示する。魚雷発射管は装填角度に合わされ、次発装填装置が動き出す。

 もはや次の雷撃の機会はないかもしれない。綾波は限界だった。感覚神経の過負荷は神経を焼き、異常な血流は血管を破裂させていた。瞼や耳孔から血が溢れている。もう同じように戦える時間はほとんど残っていないだろう。


 敵艦の回避運動。先に撃った魚雷はこれにより回避される。駆逐艦の雷撃で戦艦に回避を強要することは本来は雷撃成功に当たる。主砲の旋回や弾道補正をやり直さなければならないからだ。だが今は自艦の生存がかかっている。それでは満足できない。

 後発に綾波が撃った2本の雷跡は戦艦タ級を捉える。鈍重な戦艦では命中は明白。


 敵重巡の一隻の動きが変わった。戦艦タ級と綾波の魚雷の間に入るように突然進路を変えた。


「庇われた!?」


 1本の魚雷は重巡に命中し爆発。激しい水柱と共に重巡の船首喫水部に巨大な破孔が開き真上方向へ亀裂が走る。

 もう1本は重巡をすり抜けるように直進。戦艦タ級に直撃する。


 しかし爆発は起こらなかった。


 不発。

 雷管か炸薬か、とにかく魚雷は命中し、そのまま海底に沈んでいった。


 見放された――


 魚雷も全てが確実に動くわけではない。不発は起こる。それが今日、しかもこの時に。


 綾波は呆然とする。希望が泡となって消える。せめて雷撃が成功しなければ、気持ちは切れなかった。


 友軍の為に単艦突撃し、沈む。かつての大戦での『駆逐艦綾波』の様に沈む。多少の差異はあっても、状況は酷似していた。


 背中が突然突き刺すように痛み、綾波は我を取り戻した。呆けていたのはほんの数瞬。


 そして取り戻した意識で絶望を見る。


 敵艦の砲が向けられる。わかってしまった。周囲は全て着弾予想位置。回避できる場所には必ず砲弾が飛んでくる。もはや幾度もの砲撃を受けた艦体では耐えられない。今の感覚だから、逃げることができないとはっきりわかってしまった。


「司令官は無事かしら……? 綾波、吹雪さんのようにはなれませんでした……」


 綾波はぽつりと呟いた。

 孤独だった。死は覚悟していたが、まさかこのような戦場で果てるとは考えてもいなかった。


 敵艦の動きが妙にゆっくりに見える。


 敵艦から轟音が鳴り響くのが、綾波の耳に届いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[chapter40: 希望]


 轟音が綾波の耳に届く。そんなことは起こり得ない。

 何故なら砲弾は音速を超えているからだ。音が届いたときには自分は被弾していなければならない。


 見れば敵艦たちは激しく揺れ、艦隊運動が大きく乱れていた。


「一体何が……!?」


 水平線の向こう。艦橋が破壊された綾波は視野が狭くなっていて気づかなかった。


 敵艦を揺らしたのは友軍の砲雷撃。探照灯を煌々と照らし、旭日の海軍旗が揺らめくその姿。


ワレ カスミ シキカ ハイレ


 先程遭遇したあの中央の駆逐艦隊、夕立たちの艦隊だ。

 甲板の乗組員たちが歓声を上げる。その艦隊は薄い月明かりの下でもギラギラと目を刺すほどに、美しく大きく見えた。

 霞の指示に従って綾波は夕立を経由して艦隊の艤装通信網に接続する。


「綾波、救援感謝します!」

 どれだけ言葉にしても足りない程だが、それでも言葉を紡ぐ。


「あんた、夕立と雪風に感謝しなさいよ!」

 霞はぶっきらぼうに答える。


「さすが雪風、良い勘してたっぽい! 敵艦、完全に浮足立ってるね」


「こっちはいそうな気がしました!」


「みんなおっそーい! 島風、先に行くよー」

 

 綾波は艦隊に通信を繋げて気づく。夕立だけではない。この艦隊には三駆逐が勢揃いしている。


「島風待ちなさい!」


「ちょっとつまみ食いのつもりだったけど、ほとんど散らかされちゃってるっぽい~。あのまま一緒に着いて来れば良かったー」


「これじゃおやつにもなりませんね!」


 先程まで単艦だったが急に騒がしくなる。

 言ってしまえばたったの駆逐艦四隻が入っただけ。戦艦と片方は中破しているとは言え重巡二隻相手にはまだ戦力不足なはずだ。

 だが中央の主力駆逐艦たちはまるで敵の規模が小さいと不満を言いたげだった。


「ちょっと、何よコイツ、まるっきり新米艦じゃない! ……綾波だっけ、視覚情報は全部あたしに投げなさい!」


「旗艦能力に特化した特殊適合体!」


「え!? 大丈夫なんですか!?」


 艤装通信は基本的に通信する情報量に制限はない。お互いの脳の情報処理能力さえ足りるのならば随時に視覚情報なども共有が可能だ。しかしそれを行えば、自分の視界か送られてきた情報かが混乱しやすく、さらに戦闘時は自己の感覚に集中しているために音声通信程度に留めるのが普通だった。


「新米艦の情報くらい大丈夫よ! いいからさっさとしなさい!」


「あ……了解しました!」


 綾波は視覚情報をそのまま艤装通信に載せる。見たものをそのまま艤装通信に載せるのは送る側は難しくない。


「……!? ちょっと、何? 二隻分!? しかも俯瞰情報まで? 偵察機でもいるの!?」

 霞は送られてきた情報量に戸惑いを見せる。明確に新米艦の情報などではなかった。


「……処理密度制限……っもう、ちょっと指示に雑音入るわよ! あと雪風、意味不明な情報送ってくるの止めなさい! 鬱陶しいのよ!」


 霞から送り返されてきた情報は視覚情報を補強する情報。全ての艦の情報を集積し、各艦にそれぞれ進路や水面状況などを伝え、更にそれを1秒にも満たない時間で更新し続けていた。


 情報の更新と共に、三駆逐たちが動き始めた。敵艦は損傷した綾波などよりも、新しく来た四隻に砲を向ける。


 それぞれ特徴ある運動をし始める。


 夕立は速度一杯で直進を開始。雪風は全速で右に展開。島風も同様に全速で雪風と逆方向に展開する。

 速度の面では一杯の夕立が早いのは解るが、島風は全速でも相当な速力だ。そして動きに違和感を覚える。

 島風はまるでこの速力下でも凪いだ湖でも走っているかのように揺れていない。水面による影響を極限まで減らすことにより推進力の損耗を抑えている。小さな波ひとつ、浪ひとつも全て認識していた。

 隣を航行できるものなどいない、『孤高』の操艦技術。


 敵艦が先ず狙ったのは速度の比較的遅い雪風。綾波が苦しめられた副砲群が同様に一隻に集中した。


 雪風は気づいていないのか、速度も変えず回避運動さえ取っていない。


「危ない――!」


 敵砲弾はそのまま発射。何十にも及ぶ雨のような砲弾が、雪風の周辺全てに降り注ぐ。

 当然のように回避運動もしなかった雪風は散布界の只中。爆発による水柱でその艦影さえも確認できない。


 綾波は愕然とした。三駆逐があまりにもあっけない、そんな被弾の仕方をするとは露とも思わなかった。


 しかし綾波の予想とは違い、水柱から艦首が現れる。ぬうっとそのまま無傷の雪風の艦体が露わになった。


「夕立さん、危ないそうです! 気をつけてください!」


「一番怖い回避する雪風に言われたくないっぽい」


 雪風は砲弾の間を最小限ですり抜けるように回避していた。桁外れの感覚と判断能力。


「これが『鬼才』……」


 同時に夕立の雰囲気が変わった。演習の時に感じた『狂犬』の威圧感。


「さぁ、素敵なパーティーしましょう――」



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[chapter41: 闘志]


 暴力だった。混乱した敵艦隊。戦闘は艦隊規模の差などは関係なかった。独特な運動から行われる島風の雷撃。まるで幻のように敵に捕捉させない雪風。敵艦隊を貫徹するように前進する夕立。そしてそれを統制し、常に状況変化を艤装通信によって伝える霞。

 一隻、また一隻と敵艦が減った。残すは装甲で保っているだけの戦艦タ級のみ。的確な砲撃を受け続け、もはや副砲群も機能していない状態だった。


 綾波はほとんど見ているだけ。その戦果のほとんどは三駆逐によるものだ。むしろ、何かをすることが邪魔になるような気さえしていた。


「綾波ちゃん、何してるの?」

 夕立から通信が入る。


「まだ動けるでしょ? ほら、敵がいるんだから。行くよ!」

 綾波の損傷は小さくない。火災は広がりはしていないものの、未だ消し止められてはいない。機関は度重なる過剰な出力でボロボロ。装甲は幾重にも亀裂が入り、筋組織も傷ついている。感覚神経も焼き付き、限界は既に越えていた。


「綾波は……」

 戦えない。もう限界だ。そう言葉をつなごうとする。


「吹雪さんなら、どうしていると思う!?」

 綾波の言葉を遮る夕立の言葉。


「吹雪さんなら……!」


 その言葉に、綾波は歯を食いしばる。軋む機関を再燃させる。背の吹雪の組織の侵食を受ける。目眩を感じながら敵を見据える。

 綾波の瞼の下が、また光を発し始める。


「綾波、行きます!」

 腹の底から声を上げた。綾波の艦体は前進一杯で敵艦に向かう。


「……!? この感じ、夕立と一緒!?」

「新米艦じゃないの!? 冷光現象!?」

 綾波の変化に霞たちも驚きを隠せない。


「やっぱり、綾波ちゃん面白いっぽい! 夕立も負けてられないっぽい!」

 夕立は軽く笑ったあと、綾波に合わせるように戦艦タ級へ向けて速力を上げる。


 駆逐艦二隻による挟撃。副砲が機能していない戦艦は装甲で耐えるしかない。


「雷撃を集中させなさい! 誘導するわ!」

 霞による雷撃箇所の指示。綾波と夕立は魚雷発射管の開度を狭くし、集中させる。


「よく狙って……てぇえええい!」


 綾波の指示と共に乗組員たちも魚雷を投射した。


 複数本の魚雷が両舷から同時に戦艦タ級に命中。如何に戦艦の装甲と言えど耐えられるものではない。凄まじい衝撃波と共に巨大な戦艦が裂ける。


 しばらくメキメキという内部まで割れるような音が続き、ゆっくりと海面に没していった。


 綾波はしばらくその光景を見ていた。


「大勝利? やっぱり? そうよね、だって速いもん!」

 島風がすっとんきょうに声を上げる。


 蓋を開けてみれば駆逐艦五隻で敵水上打撃部隊を殲滅していた。損害は綾波1隻の損傷のみ。大勝利と言えた。


「相手がそれほど強くなかったからよ! まぁ、頑張った方じゃない?」