2024-01-13 22:57:22 更新

概要

糸守災害を取材していたジャーナリストにもたらされた、「スケッチを描いた高校生」の存在。瀧に会い、三葉を見つけ出した彼の下した結論は…


前書き

「君の名は。」ロスに襲われている皆さん、こん○○は。
小説書き、というほどの肩書があるわけではないのですが、ここ最近、2次創作にもはまってまして…
で、もし、あのストーリーを解析・取材するジャーナリストが現れたとしたら…という視点で今回は書いてみました。

さて、このストーリーを読んでいただくと「映画と違う」部分があることにお気づきでしょう。
これについては、あとがきで詳しく説明させていただきます。
基本はジャーナリスト・黒田の視点を第三者が見るという体裁をとっていますので、難しくは感じないはずです。

もちろん、これらすべては、当方の頭の中の構想が具現化したものであり、実際のストーリーとは乖離している部分が多く描かれています。
それらも踏まえて読んでいただけると光栄です。
構想は、約2か月。5月GW直後に一気に書き上げて、一応の完成を見ました。それもこれも、君縄ロスのおかげ?
9月に一応最終推敲を行いました。
版管理:
2017/5/11 初版(プロトタイプ/23,638字) UP。
2017/5/16 初版2刷(推敲・文追加/24,339字) UP。
2017/6/8  初版3刷(ほぼ完成版/24,974字) UP。
2017/9/11 確定版(25,332字) UP。
2021/2/16 3点リーダーなど、文法上の不備修正を行う。25,618字
2024/1/13 細部の未修正個所を再度修正。26,076字。


"一年が経つのってホントに早くなったなぁ"

地元の神社で初詣を済ませた帰路、黒田は心の中で思っていた。

もう2017年。21世紀になってから考えても17年目。平成の御世で考えても29年にもなる。

ついこの間まで20世紀で、昭和だと思っていたのに…

黒田の述懐は止まらない。

だらだらと歩く参拝客と歩調が合わず、黒田は苦笑する。一糸乱れぬ通勤風景とは違った空気。この、まったりとした雰囲気こそ、日本の正月である。


正月3が日はさすがに仕事のことを考えなくてよかった黒田にとって、過ぎ去った一年を総括し、新たなる一年に向けた目標を立てる絶好の機会でもあった。

年末年始も開けているカフェに立ち寄った黒田は、いつものようにカプチーノを頼み、そしていつものように窓際のカウンターに腰掛け、そして、どっしりとしたシステム手帳を開けて一年を回顧し始める。ジャーナリストとして、いまだ引っかかるところがあの天災に残っていたからでもある。ページは、まさにそこでぴたりと止まった。


2016年10月24日   飛騨・ラーメン店「吉野」訪問

「昨日、いや、21日か、ちょっと変わった一団が東京から来たんですよ」

ラーメン店の店主からそんな電話をもらったのは23日の夕方だった。

何度も被災地に赴くうちに、付近の飲食店があまりにも少なく、ここくらいしか食べるところがなかった、というのが実際なのだが、ここの店主とは、いろいろと昵懇になっていた。

細いまなざしで、相も変わらずのポーカーフェイスで電話をしてきているんだろうな、と思いながら、黒田は電話を受ける。

「ほほう。それで?」

まあ彼とて、自分に電話をしてくるくらいだからよほどの発見でもあったんだろうな、と彼に次の句を継がせる。

「それが、凄いスケッチを描いてきたんですよ。その高校生が」

"ん?コウコウセイ?スケッチ?"

頭の中に次から次に疑問符が浮かびまくる。21日といえば金曜日。東京の高校生がどんなスケッチを?

「話がよくわからんなぁ、マスター。ちょっと落ち着いて最初から話してもらえんかな?」

「ああ、そうだった。でも、俺だって、あそこまでうまくかけたスケッチを見たことないものだから、つい……」

そう思いなおすと、整理の終わった店主は、立て板に水のごとくに説明を始める。


15時過ぎに来たのは男子高校生二人と大学生の女性という3人組。小旅行という感じではあったが、何かを探しているような雰囲気があった。そのうちのひとりが、隕石が落ちる前の糸守の風景スケッチを取り出したのを俺の嫁が見つけて、俺に見せた。あまりにもうまくかけていたばかりか、色でもつければ写真にでもなるかと思ったくらいの精密さ度合いだった。

「ああ、糸守や、懐かしいな」

と言ったとたん、その絵を描いた本人が、「そうだ、糸守町、なんで思い出せなかったんだろう、この近くですよね」と言い出したのだ。

まるで今でもその町がこの状態でそこにあるかのように言っている彼に「知らないのか」と言ってその場所に案内する。

そこは糸守高校の跡地。

彼は連れと一緒に車を降りたと思ったら、校庭の端まで一気に駆け出していく。

「復興庁」の「KEEP OUT」の規制線など、彼にとっては、低いハードルにしか見えなかったのだろう、やすやすと飛び越える。

変わり果てた糸守を見て言葉のないスケッチの彼。

「こ、ここだったんですか……」

絞り出すように声を出す彼。

「でも、なんでここまで細かく書けたんだよ、おじさんが特定できるほどに」

もう一人の男子がそう聞く。

「ここを探しに来たわけだから、見たように書けるのは確かに妙よね」

連れの大学生らしい女性もそういう。

「そ、それなんだけど……」

申し訳なさそうに、スケッチの彼が切り出す。

「実は夢の中でここに住んでた女の子と入れ替わっているような体験をしたんで、これが書けたんだ」

「えぇぇ?」

二人の声が人っ子一人いない町中にこだまする。


「……ってはなしなんだよ」

途中で相槌を打ちながら15分くらいは相手がしゃべり続けている。彼って、こんなにしゃべり好きだったんだ、いや、彼をしゃべらせてしまうほど強烈な体験をしたんだ……黒田は彼の話に傾倒していた。

「それから?」

「ああ、彼らを図書館まで送ったよ。それから、泊まる宿も世話した」

「まあ、よくあるデジャブってレベルの話じゃないか?」

そう言いかけて、黒田はふとした疑問が沸き起こる。この高校生がスケッチを描いたのは被災してから3年後のことだ。店主の話では、写真や被災前の糸守の画像などは一度も参考にしなかったという。そもそも「被災した場所である」とはこの瞬間まで思いもつかなかったそうだ。ただ、その"入れ替わっていたという記憶"だけで書き切ったというのだ。

「となると、その彼と入れ替わっていた"相手"とやらを知りたいね。彼からはその後?」

「次の日、「ご神体に行きたい」と言ったんで、途中までは送っていったけど、それきりさ」

「なるほどね」

下手に個人情報をまさぐるのも気が引けた。多分、店主はその彼の携帯の番号くらいはまだ保持しているだろう。ただそれでも「3年後に書けるスケッチ」がもたらす疑問に黒田はジャーナリストの本分を見出そうとしていた。

新幹線に乗り、ラーメン店「吉野」に向かったのは、電話を受けた翌日の10月24日だった。


たまたま客が黒田一人だったこともあって、店主夫妻にさっそく取材を敢行する。

「初めて見た時の印象から、お願いできますか」

いろいろと最近はうるさいので、まず、録音の許可を取ることから取材は始まる。次にICレコーダーを準備する。言い間違いや言葉の綾などを確実に理解するためには、会話そのものを記録しないといけないからでもある。

黒田の問いかけに、店主は答える。

「本当に写真を見て書いたのか、と思ったくらい正確でしたよ。特に糸守小学校の特徴ある校舎なんか、見事に再現してましたからね」

横から店主の妻も口を出す。

「私が最初に見たんだけど、ほんと、鳥肌が立ったわよ」

その声は、まるで今でもそのスケッチとやらが目の前にあって、驚きと喜びを同時に表現しているかのような口調だった。

「なるほど」

黒田は一呼吸置く。まずスケッチそのものは「嘘」ではないことはわかった。

「でも、"今年"見たんでしょう?被災した後に、そんなスケッチを書くなんて、土台無理な話だと思うんですけど……」

黒田には、まだその事実を受け入れられないでいる。彼らが、あえてスケッチを頼りに糸守を探しに来ていることが理解できないでいた。

「でも、俺たちが見たのは、在りし日の糸守だ。それは間違いない」

小バカにされたと思ったのか、店主はやや機嫌を損ねたような口調で返す。

「でも、やっぱり不思議だったから、次の日、あの子を麓まで送るときに、いろいろ聞いたさ」

その話は電話口ではしていなかった。新しい事実が知れるのか?黒田は、少し体を起こして身構える。

「自己紹介もしてたっけな」

ごそごそと携帯をまさぐる店主。名前を覚えていなかったのだろう。

「ああ、これだ。立花 瀧」

名前がわかる。これは願ってもない幸運だった。高校生の立花瀧は、都内に居ても100人足らず。しらみつぶしに当たっていっても、いずれはぶつかる。あとは、そんな手法ではなく、もっとクレバーなやり方はないものか?黒田は少しだけ模索しようとする。あ、そうだ、携帯番号……といおうとした刹那、

「おっと、口が滑ってしまったな。今のはなかったことに」

店主も録音されていることを知っている。相手に未承諾で携帯番号などを教えることでトラブルに巻き込まれたくない、という思いが先にあったのだろう。おそらく所属している高校とかも聞いて知っているはずだ。名前の暴露でも罪悪感にとらわれていてもおかしくない。

「で、どんなことを話されたんですか?」

まあ、名前が知れただけでも一歩前進だ。気をとりなおして取材を続ける。

「ああ、まずは、この町に住んでいる女の子--同い年の高校生らしいのだが、その子と、精神と肉体が入れ替わるということがたびたび起こったらしい。それも不定期に。でも一か月近くそう言った入れ替わりが続いていたのに10月初めにピタッとその現象がなくなってしまった。最初はせいせいしていたのだが、入れ替わらなくなったことで不安に襲われたんだそうだ。何かトラブルでも発生してたんじゃないか、ってね」

手元の湯のみの茶を一すすりしてから、店主は続ける。

「それで彼女を探す旅をしようと思い立ったそうだ。そこが飛騨だってことは写真展か何かで見たらしく、後は、自分の記憶の中にある映像をスケッチにしたということだったらしい。ネットには画像もあるだろうに、っていうと、彼は「飛騨地方というだけで場所がわからないのに探せませんよ」というんだけど。描くよりも探す方が簡単だろうにって言ってやると「いや、なんかぼくにはこれを書かなくてはならないという義務感のようなものがわいてきて……」と言って言葉を詰まらせてしまったんだよ」

被災する前の糸守の風景は、確かに風情を漂わせる、山間の集落然としたたたずまいだった。都会の喧騒とは隔絶された田舎町。それゆえ、自然と共存共栄する人々の営みも豊かに見えたはずである。ところが隕石が落下して町は一瞬にして廃墟とがれきに埋め尽くされる。2016年の初頭、遂に政府は、3回も隕石が落下したこの地に人が住むことを禁じる政令をだし、復興は絶望視されている。

何が彼をそこまで追い詰め、行動させたのか…黒田は、ますます事の"真相"が知りたくなってきていた。

「で、その入れ替わっていた、相手の名前って、御存じないですか?」

二つのピースのうちの一つ。これがわかれば、この事態はほぼ解決する。勢い込んで黒田は店主に聞く。

「いやぁ、実は、その子……瀧くんだっけか、俺が聞きそびれてしまっていたよ。こんなことなら聞いとけばよかったよな」


取材を終え、ラーメンを食べて、その代金とは別に取材費を置いて店から出る。

黒田の中には、いまだに信じられない感情が渦巻いていた。だいたいにおいて、精神と肉体が入れ替わるなんて言うことが現実に起こっていた、ということに驚く。そんなことは、SFドラマか、映画の中の出来事でしかないと思っていた。

それだけでも十分すごいことなのに、この瀧とかいう高校生は、入れ替わっていた相手の住んでいた場所を、記憶していた情報だけでスケッチに描き起こせたのである。彼をそこまで駆り立てたものは何だったのか?

東京に戻る新幹線の中で、黒田は取材の方法を考える。当然、東京の高校生の「立花瀧」を見つけるのが先決だ。首都圏各地から通学している生徒もいるだろうから、高校に直接アタックするほかはない。見つかったら順次当たっていき、飛騨に行ったことがあるのか、どうかを聞く。

だが、一人でやる仕事量としては限界がある。そもそも高校が一人の生徒の存在を簡単に認めたりするものだろうか。個人情報がうるさく言われている昨今、捜査機関でもない一介のジャーナリストが、できる仕事なのだろうか?

「ウーム……」

黒田は、自宅に帰ってからも、何とはなしに"もっといい方法ってないものだろうか?"と考える。もちろん、足で稼ぐことを否定するわけではない。だが、いつ果てるともわからない一人の「立花瀧」を探す行程を考えた時、せっかくの対象がもっと素早く、ピンポイントで見つからないだろうか……黒田は無い知恵を絞って眠れぬ夜を過ごした。


翌日、黒田は、週刊誌の編集長にあっていた。

「……ほほう。なんとはなく概略はわかったよ」

黒田の話を聞いていたのは「週刊サプライズ」の編集長の大貫だった。

「なかなか面白そうな話じゃないか」

『事実に基づいた驚きを提供する』。そんなコンセプトの週刊誌だったが、大貫のノリノリな姿は久しぶりに見た。

「その、入れ替わりっていう部分だよな、君が疑念を抱いているってところは……」

大貫も、黒田が抱いている不思議現象に興味を示していた。

「その通りです。実際の絵も存在してましたし、何より、その高校生のバイタリティーに少し惹かれる部分があるんです」

「というと?」

「描くことの方が難しいし、時間もかかるはずです。でも彼は、その入れ替わっていた女の子の住んでいる場所に行きたい一心で、描ききったのです。そこに感動したし、彼らがそれほど思いを募らせていたことが気になっているんです」

黒田は偽らざる気持ちを吐露した。

「話をもとに戻すけど、男の側の名前しかわかっていない、のが現状なんだね?」

大貫が聞く。

「ハイ」

「所属も学年もわからない……」

「そうなんです」

黒田は半ば、泣き出しそうな声でつぶやく。

「まあ、苗字も名前もわかっているのが不幸中の幸いか。しらみつぶしに探すのでも時間がかかるしなぁ。まあ、ここはうちの会社を使って人探しでもしてみますか」

大貫が素早い"回答"を導き出す。

「どうするんです?」

そんなことができるのか?! 神の声のような大貫の話に、黒田は前のめりになる。

「ほら、うちの会社でモニターとか出演者募集とかかけているサイトがあるだろ?ここに『立花瀧くんを探しています』って掲載するんだよ。虚実入り乱れてやってくるかもだが、ひとまずそれである程度は手間が省ける。なにより向うからやってきてくれるというのが実に良い。そこで目指す立花瀧くんに会えなかったら、また別の手段を考えればいい。まずはこれで行こうか」

ほほう、とうなづく黒田。

「あのシステムがあれば、SNSでも広がってくれるだろうし、意外と集まるかもですね」

道筋を提案されて、黒田にも、安どの思いが去来する。

「よっしゃ。とりあえずうちの案件になったからね。あとは文章の方、よろしくお願いしますよ」

大貫の右手が黒田の前に付きだされる。"契約成立"を示すサインだった。

「ありがとうございます」

両の手で大貫の右手を握る黒田。久しぶりにジャーナリストの血が騒ぎ始めていた。


2016年11月3日 よもやの再会

大貫の良いところは、有言実行、即断即決にあった。

話をもっていったのが10月25日。その日の夕方にはサイトに「立花瀧くんを探しています」という項目が立ち上がり、・東京の高校生 ・身分証(学生証)持参 ・取材に際して謝礼進呈 といった項目が羅列される。謝礼は、恐らく雑誌のノベルティーグッズかなんかだろうが、そこまでやらないと集まらない、と判断してのことだろう。また取材する内容もここでは明かしていなかったから、興味本位で誘引するという効果も狙ったものと思われる。

翌日から、早速のようにサイトには「立花です」という書き込みが散見される。最終的に10月末で打ち切ったのだが153人もの立花瀧が立候補してきた。

「うはぁ、多いですね」

黒田は嘆息した。

「でも考えてみ?この153人……全員が全員立花瀧ではないだろうけど、仮に半分が正解だったとして、この70人強を一人で、サイトも使わずに集めるって、一週間足らずでできると思う?」

大貫が正論を言う。黒田が自分の足で見つけようとしても一週間で10人見つかればいい方。ただ条件に該当する立花瀧は一人しかいない。すべて自分の足で探そうと思ったら、空振り三振の山を築いていることは明白だった。


文化の日。この日に、立花瀧153人を集めた、取材と称した"一人の立花瀧"を見つける会がスタートした。

場所は、休日の、「サプライズ」を出版している会社の会議室。まずは本当に「立花瀧」かどうかを身分証でチェックする。持参していなかったり、「高校生」でなかったり、で意外に除外者が出てくる。「立花龍」だと間違って来てしまっていたものも数名いた。

第一関門を通過した瀧達には、いくつかの簡単な質問に答えていくアンケートが渡される。その中の「ここ一年以内に旅行をしたことがありますか」という項目だけを黒田たちは注視する。そこに丸をしたものが別室に通され、2次に回る。そこで×を入れたものは、別の取材目的、ということで、編集員が適当な話題をレクチャーして終了、という段取りではじいていく。

結果、旅行をした立花瀧で残ったのは47人。だんだん正解が近くなっていく。


黒田はその47人を一瞥する。ところがその中に見知った顔を見つけて驚愕する。

「あ、あの時の!」



2016年9月5日 月曜日。

週刊誌の遊軍として所属している黒田。遊軍とは、どこにあるかわからない記事のネタを常に探すことが目的の部隊である。それゆえ、目星をつけたら、そこに向かって取材を進める。それからアポを取り、必要ならカメラマンを連れて商材などを写真に収める。「これからのトレンドはこれだ!」というような、読者を誘導するような内容やら、「行列必至の超旨いお店」なんて言うグルメ取材も得意としていた。

今日も今日とて、朝早くから出勤の必要のなかった黒田は、9時前に自宅を出る。

朝の通勤ラッシュがひと段落したJRは、それでもかなりの乗客を乗せてひた走る。週の初めの月曜日は、いわば"ネタ探し"の日でもあり、週刊誌に載せるべき鮮度の高い情報を見つけられるかどうかの一番の勝負の日でもあった。

ふぅとため息をつきつつ、まずはスマフォでニュースをチェックしながら周りの乗客にも気を配る。はやりの色は?髪型は? 寄稿している「サプライズ」は一般週刊誌ではあるが、読者層は中高年ばかりとは言えない。さりげなくファッションの小ネタもいれないと間が持たない可能性だってある。とにかく周りのものすべてがネタになる、と思っていないと、見つかる原石も見つからない。

電車が新宿に差し掛かった時、一人の高校生に目が留まった。

"あ、あれって、神宮高校の制服じゃ……"

制服に詳しくなったのも、実は取材のせいだ。芸能人までもがデザインを始めている制服に興味を示した編集長が直々に、都内高校の制服を取材せよ、という企画を立ち上げてくれて、仕事にあぶれていた黒田が抜擢されたのだった。

いまどきの高校生って、時間観念もいい加減で、あきらかに遅刻している時間帯でも普通に電車に乗っていたりする。だから、気に留まらないはずなのだが、彼を見ているとどうも様子がおかしい。

とにかくそわそわしている。一番驚いたのは、自分が降りるべき駅である新宿を、何度も電車の案内図やらで確認している姿である。

これが春先の光景なら、分からないでもない。黒田本人も、高校は私立だったので、電車で通学していたから、身に覚えはある。

"転校生、なのかなぁ"

そのあまりの挙動不審ぶりに、黒田はそう結論付けるしか仕方がなかった。だが、着古されている感じにも見える制服がその思考を否定に持ち込む。

気になるとどうしても追及したくなる。ジャーナリストの本性が、むくむくと勃興する。


神宮高校の最寄り駅、新宿で彼は何とか下車する。黒田も内心ほっとしながらも、少し遅れてホームに降り立つ。

しばらくは彼の後ろについて歩いていたのだが、まったく逆方向に歩いていっていることに気が付く。

「あ、きみ!!」

「え?」

スマフォを片手に彼は、少しかわいらしげな声を上げる。

「その出口からは高校には行けないよ」

「ええ、そうなんですかぁ」

他人事のような返答に黒田はいぶかりながらも、黒田は高校生に話しかけた。

「まあ、駅から出られればどうにかなるけど、この方角じゃぁすごく遠回りだよ」

「で、でも……」

少し顔を赤らめる少年。むしろ黒田が困らせているかのように映ってしまっている。周りの人々も、彼らを怪訝そうに眺めては通りすぎる。

「まあ、とりあえず、付いてきなさい。出口までは案内してあげるから」

回りの空気を察した黒田は、自ら招いてしまった厄災を振り払うかのように、その高校生に言う。

「あ、ありがとうございます」

ぺこりとかわいらしくお辞儀をする高校生。いまどきの奴にしては礼儀正しいし、何より物腰が女っぽい。

"俗に言う、男の娘ってやつかなぁ"

ぼんやりと思い浮かんだ言葉が更なるひらめきを生み出す。それで記事作ればいいじゃん!

にんまりとする黒田の後をその高校生は少し速足で後を追う。 新宿駅南口までは誘導する黒田。

「ここから出れば、後はわかるよな」

当然の様に道は知っているはず、と思っていた黒田だったが、意外な言葉が彼からもたらされる。

「そ、それが……ここに来るのも初めてで……」

うはっ、完全に女的な口調でしゃべっている。でも声は男なのだ。その違和感がどうしてもぬぐえない。

「は、初めてって?転校生かい?」

確実にハズレな質問をしてしまった、と黒田は思いつつも、結局自分を納得させる意味もあってその高校生に尋ねる。

「いゃ、そういうわけではないと思うんやけど……」

とうとう彼から訛りも出始めている。どうにもよくわからない。それにさっきの答えだ。YesでもNoでもないあいまいな返事。いったい彼?彼女?に何が起こっているのか。黒田自身も混乱し始めていた。

「んーーー」

頭を掻きながら黒田は言う。

「君の事情はよくわからんが、ここから先は自分でたどり着くこと。スマフォの地図もあるし、それくらい使えるだろ?」

黒田はもう関わりたくないと思いつつ、吐き捨てるようにその高校生に言い放った。

「あ、ありがとうございましたぁ」

深々と頭を垂れる高校生に黒田は気が付いていなかった。


その時の彼がいるではないか!!

黒田は、まるで初恋の人に巡り合ったかのような、胸の高まりを覚える。2か月ほど前の、少しインパクトに残った事柄だったので、黒田ははっきりと覚えている。あの時の彼が目の前にいる。心臓が変な動悸を奏でている。

そして何よりも、この高校生が女的な口調でしゃべっていたことがありありと思い出されたのだ。彼に女の子の精神が入っていたとしたら、しゃべり方が女の子のそれと似通るのは当然の話。まさか、私の目の前で、そんなことが起こっていたとは!

だが、今の時点で彼が本命だとわかっても、進めている企画をふっとばしてまで彼に直撃するのは場を読まなさ過ぎる。平静を装い、雑誌社の企画した取材に乗っかる。


そして、アンケートが回収される。神宮高校2年の「立花瀧」の用紙には、'2016.10.21に飛騨に旅行(親・学校には内緒)'と、正直に書かれていた。内容も''知り合いを探しに"と書かれている。 これで完全に裏が取れた。黒田はさらに確信を深める。


「本日は貴重なお時間を戴きましてありがとうございました。些少ではありますが、お納めください」

47人に配られたのはコンビニなどで使えるプリペイドカードだった。へぇ、これくらいの取材費は編集長権限で出るんだぁ、太っ腹だなあ……と思って配布されている様子を見ていた黒田だったが、

「あ、神宮高校の立花さんには、まだ続きがありますのでその場でお待ちいただけますか?」

の声が編集長からかけられる。ぎょっとする瀧。周りの同じ「立花瀧」の視線を一身に浴びる瀧は恥ずかしいのか、顔を赤らめてしまっていた。


46人の立花瀧が退出し、広々とした部屋には、黒田と大貫、そして黒田が探し求めていた立花瀧の3人しかいない。

「どうも初めまして」

黒田は右手を差し出す。なんだ、という感じの瀧の素振り。それでも少しの間ののち、瀧は黒田と握手する。このとき、黒田は、自分で言った"初めまして"に素直に反応していない瀧の素振りに不審を感じていた。

(そうだよ、よくよく考えたら、俺たち初対面じゃないじゃん!)

「俺を探すためにこんなことをしたんですか?」

挨拶もほどほどに、機嫌悪そうに瀧が二人に問いかける。

「いやぁ、実はそうなんだよぉ。でも首都圏1都3県で君を見つけるなんて、いくら名前がわかってたって、土台無理な話だろ?だからネットを使って君を見つけようとしたってわけ。無作法は重々承知。この場で謝らせてもらうよ」

大貫が、大汗をかきながら瀧をなだめる。滑稽なしぐさのようにも見えるが、こういうバカができるところはさすがだな、と黒田は感心してみていた。

「で、俺に聞きたいことって何?」

瀧は早々と本題に入ろうとする。

「まあまあ、そう慌てなさんなって。これからじっくりお話を伺うことにするよ。まずは、あそこで」

大貫が指さしたそこには、古風な喫茶店が閑散とした空気をまき散らしていた。


カランカラン♪

いまどきウェルカムベルがしつらえてある喫茶店なんか絶滅危惧種ものだろう。店自体もいつ閉店してもおかしくないたたずまいだ。

「こう見えて、ここのコーヒーって絶品なんだよ」

大貫が言う。よく見ると、メニューらしきものもない。きょろきょろ探す瀧と黒田に、

「あ、ここってコーヒーだけだから」

と、こともなげに、大貫は二人にそう告げる。

「え、アイスコーヒーもなし?」

喉が渇いていた黒田は、その選択肢すらないことに愕然とする。

「まあそう言いなさんな。一口飲んでみたらびっくりするから」

閑散としている理由もわかったような気がする。コーヒーだけで勝負する選択肢のない店を敬遠しているだけのことだった。

入店時に、不愛想に水だけ置いて行ったマスターが、3杯のコーヒーを恭し気に運んでくる。だが、運んでくる途上から、香りが半端ない。

「まずはブラックで。砂糖ミルクはお好みで。まあ当方推奨はずっとブラックで、だけどね」

大貫がレクチャーする。黒田もコーヒーにはうるさい方だ。そこまでうまいはずが……

黒田は一口飲んで、驚いた。

こんなに透き通ったホットコーヒーを飲んだことがなかったからだ。口に含んだだけで、豆が持つ芳醇な香りが鼻を突き抜け、喉を通る頃には、口腔内にそれが充満する。舌に感じる雑味もなく、ただひたすらに幸せを感じられる一口目だった。

黒田の驚いた様子に大貫も目を細める。瀧もブラックに挑戦するが、さすがに上品過ぎたのか、砂糖とミルクを少し入れている。

「ご満足いただけたようで」

大貫のドヤ顔。でも、イヤミにも感じられない。こういう隠れ家的な店を知っているのがさすがといえばさすがである。

「コーヒーのウンチクはまたの機会に譲るとして、だ」

大貫は、さっと、仕事の顔に立ち戻る。オンオフの使い方は、観ていて学習になるなぁ、と黒田は思う。

「今日、立花瀧くんをお呼びしたのにはわけがあるんだ。詳しくは、取材している黒田さんから聞いてもらおうか」

「え、あ、はい」

黒田は、あまりにコーヒーの味に感じ入っており、自分の世界に入り込んでいたのだった。現実に引き戻される黒田。

「それではここからは、お話を伺いたいと思います。ジャーナリストの黒田です。改めまして、こんにちわ」

「あ、はい、こんにちわ」

瀧も形ばかりの会釈であいさつする。

「で、今日いろいろと仕掛けをして、私の探す立花瀧くんを見つけ出したのにはわけがあります」

黒田は続ける。

「アンケートにも書かれてましたけど、飛騨に行ってましたよね?」

「あ、ハイ。書いた通りで、知り合いを探しに行ったんです」

「ほう。飛騨の、どの町でした? 古川?坂上?」

「いやぁ、それが、そのぉ……」

「どうしました?」

「実はですね……」

瀧がバツが悪そうな態度になっていく。

「なんで飛騨に行ったのか、自分でもよくわからないんですよ」

「はあ?」

黒田も少し驚いたが、大貫は本当に腰を抜かさんばかりに驚きの表情を見せる。

「いや、でも、知り合いに会いに行くって、アンケートにも書いてましたよね?」

大貫が畳みかけるように言う。

「はい、それは、そうなんですが……」

消え入りそうな声で瀧は応じる。

「え?もしかして、その知り合いが誰かもわからなくなってしまったってことなのかな?」

黒田がまさかと思いながらも、瀧に尋ねた。

「はい、実は、その通りでして……」

恥じ入りそうな態度をする瀧。大貫も黒田も困惑の表情を浮かべる。

瀧の言い分をそのまま受け止めるなら、飛騨に行く動機はあったはずなのに、それが何なのかわからなくなった、ということだろう。そのために必死で書き上げたスケッチのことも気にかかる。

「飛騨の町のスケッチって書いたこと、あるよね?」

黒田は、まさかこのことまで忘れたりしていないだろうな、と思いつつも瀧に聞く。

「え、ええ。その場所に住んでいるだれかと入れ替わっているようなことがたびたびあったんで、記憶からだけで書きました」

ほっとする黒田。スケッチのことは忘れていなかった。

「でも、結局行きたかった場所には行けなかったし、探す相手にも会えなかったんです……」

落胆を隠しきれない瀧。だが、黒田からすれば、いくらなんでも、覚えていないことが多すぎることに疑念を抱かざるを得なかった。会いたいと思った相手、行きたいと思っていた場所。彼の口からかなりの情報が得られると思ったのに、全くの肩すかしのままだった。


そして、もう一つの疑問。

「瀧くんだったよね?僕のこと、覚えてない?ほら、2か月ほど前……」

「え?何のことですか?」

とぼけているようにもはぐらかすようにも見えない瀧の表情から、本当に何も知らない・覚えていないことを黒田は瞬時に悟る。

「ほら、遅刻しそうな時間帯に、ぼくとあっただろう?」

それでも食いつくように、瀧に質問を投げかけ続ける黒田。

「いや、ぼくってそんなに遅刻しませんけど……いつですか?」

「ちょっと待って!!」

遅刻なんて、一度したらかなり記憶に残るものだ。そんな一大事を覚えていないなんて!

黒田は、あの強烈な出会いを忘れまいとシステム手帳に書いていた。実際そのあと、瀧のなよなよした姿から「ブーム?男の娘化現象を探る」を寄稿し、一定の反響を呼んでいた。

「あ、これだ。9月5日の月曜日」

動かぬ証拠とばかりに、その日付を黒田は瀧に見せつける。

「え?そう言えば、9月は結構遅刻ばっかしていたって先生に怒られたけど、ぼく自身はそんな記憶ないんですよね……」

「そ、そんな……」

黒田は、又息をのむ。自分がやった行動くらい、覚えているのが普通だ。常習かのごとく遅刻を何度もしているのに本人にはその記憶も認識もないという。

黒田の頭の中に、立花瀧の二面性が組み上げられる。一つは、今目の前にいる立花瀧そのもの。もう一つは、別の人格が乗り移ったか、乗っ取られたかした立花瀧である。後者の立花瀧になると、当然正気の立花瀧ではないから、記憶がすっぽり抜け落ちる。もし、9月5日に黒田が見た、なよなよした瀧がそれなら、その時瀧を"操っていた"のは女性のようにも思えてくる。

だが、今の状況では、それを確かめるすべも、確かな証拠もない。瀧に会えば、かなりの部分がクリアになると考えていた黒田だったが、霧は晴れるどころか、ますます濃さを増しているように思えた。

先に進めない……重苦しい雰囲気が3人を飲みこもうとした刹那。

カランカラン♪

またベルが鳴る。

「……そうなのよ、ここのコーヒーって、最っ高においしんだから」

「へぇ、そうなのかよ」

入ってきたのは大学生のカップル…そして女性は何と奥寺ミキだった。

「あら、瀧くんじゃない。こんなところで逢うとは、奇遇よね」

奥寺は瀧に気がつく。

「あ、先輩。ちわっす」

瀧もその声に反応し、立ち上がり、一応お辞儀をする。

「知り合いかい?」

大貫が瀧に聞く。

「ええ。バイト先の先輩でして」

「ふぅーん」

大貫は「なぁんだ」という顔をしている。だが黒田は、その一言で水を得た魚のように、意気込んで瀧に尋ねた。

「ねえ、瀧くん。もしかして、その先輩って、一緒に飛騨まで行ったのかな?」

何かが動くかも知れない。一縷の望みをかけて黒田は瀧に聞く。

「え、エェそうですけど。本当は自分一人で行くつもりだったんですけど、なぜか先輩と同級生が一緒に行くことになって……」

ラーメン店主の言ったことと符合する。高校生二人と大学生風の女性の3人組。これで少しは事態は好転するか?

黒田は先ほどのカップル二人が座っているテーブルに駆け寄る。

談笑している二人に取り付く中年男性。突然の"攻撃"にびっくりする二人。

「な、な、なんなんですか、いきなり」

狼狽を隠しきれない男子大学生。

「どうしたんですか?私たちに何か用でも?」

奥寺は意外と落ち着き払っている。

「デート中のところ申し訳ない。少しの時間、彼女をお貸しいただけないだろうか?」

もの欲しそうな目で黒田は二人に訴える。

「あ、貴方、さっき瀧くんと……ということは、瀧くんのことで私に聞きたいことがある、そうでしょ?」

たったあれだけの会話で瀧のことで聞きたいことがあると看破できる奥寺という人物にも、黒田は興味を覚えた。

「ええ、実は瀧くんの記憶を補完していただきたく思いまして……」

物欲しそうな目で、黒田は奥寺を見据える。

「そうなんだ。私でよければ、お力になって差し上げるわ、いいでしょ?ちょっとぐらい」

男子大学生に向かって奥寺は言う。

「あ、まあ、そういうことなら……でも手短にお願いしますよ」

男子大学生は意外にあっさり許諾した。


「じゃあ、何から話し始めましょうか?」

奥寺にコーヒーが運ばれてきたころ、大貫は3人分を追加オーダーしていた。

ICレコーダーを準備しながら、黒田は言う。

「では今回の旅行のいきさつから、お願いできますか?」

黒田は、奥寺からの聞き取りを開始した。

「私がこの話を聞いたのは、司君--彼も瀧くんと同級生で、同じバイト先の同僚なんですけど、彼が『瀧がこんなことをしようとしている』と話したのが初めてです。その時はなんとも思わなかったんですけど、"あ、一緒に行ってサポートしてあげようかな"って思ったので、一緒に行きました」

「ふーん、あれでサポート、ねぇ」

瀧は若干不満げなそぶりで、奥寺の発言に疑義を唱える。

「そ、そ、そうだったかしら?」

しどろもどろになる奥寺。彼女も嘘がつけない性格らしい。

「それから?」

「道行く人逢う人、とにかく手あたり次第って感じでしたね」

「僕がね……」

「一生懸命でしたよ」

「ゲームにね……」

「二人して瀧くんをサポートしまくりましたよ」

「何にも役に立ってませんでしたけどね……」

二人の掛け合いを見ていると、本当にこのときの奥寺と司というコンビは、なんの役にも立っていなかった、ただの金魚のフン状態だったと理解できる。

「でも、あのラーメン店では、びっくりしたわよ、ねぇ?」

「ああ、そうだった。ちょっと思い出したよ。あそこでスケッチ見せたら、それ糸守の風景だろって言われたんだった」

瀧の記憶が少し戻ってきている。さっきまではどこに行ったのかすらわからなくなっていたのが、目指す場所は思い出してくれた。

「でもその後の光景って……私、被災地には行ったことなかったから、もう足がすくんじゃって」

「確かあの時俺って、ここに住んでた女の子と入れ替わっているような体験をしたんで、スケッチが書けたんだっていったような気がするんだけど……」

「ああ、そうそう。そんな風に言ってたよ。そんなことってあるのってな感じで司君と二人して驚いてたわね」

二人の話を聞きながら、ラーメン店の店主が黒田に話して聞かせたことと整合性が取れていることを黒田は確認していた。これで裏は取れた。あとは、この立花瀧と入れ替わった女の子にアプローチできれば、物語が完結する!

「そこでなんだけど、その入れ替わっていた女の子の名前って、覚えてます?」

黒田は、ここまで記憶が戻ったんだから名前も思い出してくれるはずだと思っていた。

「いや、それが……どうしても思い出せないんですよ……」

瀧は頭を抱えた。それは、敢えてそのことを避けていた瀧が抱える"心の闇"を、黒田たちが抉り出すかのようだった。聞いてほしくなかった、彼女の名前。また、瀧はあの時の慟哭--ご神体の上で泣き叫んだあの日の記憶が思い出されていく。

どうしようもなくなってすすり泣く瀧を、ただだまってみているだけしかできない黒田たち。

「奥寺さんも、彼女の名前は聞いていないんですか?」

仕方なく、黒田は奥寺に聞く。最後の希望だった。

「ええ、実は、入れ替わっていたことは聞かされましたけど誰と、かまでは、全く……」

「そうですかぁ」

また振出しに戻った。黒田は何かつかみかかった紐を寸でのところで逃したかのような感覚にとらわれていた。


2016年11月15日  行き詰まる

瀧と奥寺という二人だけの証言では物足りないと思った黒田は、二人の周辺の人物にもアタックをかけていく。まずは司。彼からは、奥寺とほぼ同じ証言が得られた。よって収穫はほとんどない。同級生の高木にも話を聞いたが、瀧の人となりが少しわかった程度で進展はない。

奥寺サイドにもアプローチをかける。まずはほかのバイト連中。だが、瀧との仲が深耕していったことにやっかみを言うくらいで、飛騨旅行のことは誰も知らなかったようだ。それはオーナーシェフをはじめとする厨房の従業員も同様だ。

「ただ……」

一人の従業員が、気になることを口走る。

「瀧の行動が、いつもと違って繊細になった時に、奥寺さんと一緒に帰ったりしていたような気がするんですよね」

瀧と奥寺の関係は、単なるバイト先の先輩・後輩の関係だったはずである。いくら女っぽくなったからって、異性と同等に見るには幼すぎる。だいたい、奥寺には彼氏もいる。なのに奥寺は、瀧のことをかなり気にかけている。飛騨までついて行ったのが何よりの証拠である。「いや待てよ、瀧の旅行にかこつけて、奥寺って、同僚と一緒に旅行したかっただけなんじゃないのか?」

黒田にとって、この一週間余りは、瀧の疑問も、入れ替わった相手の手がかりもつかめない、陰鬱な時間を過ごしただけだった。


黒田はまた、大貫のところに顔を出した。今度は二人きりであの喫茶店でコーヒーをたしなんでいる。

どう切り出していいか、黒田は出されたコーヒーをもてあそぶばかりで何も話せない。

「うーん……」

持っていたたばこを一息に吸い込み、灰皿でもみ消して大貫は嘆息する。

「今のところ、手はないって感じなんだね」

「ええ、その通りでして……」

何も言い返せず、コーヒーに目を落としたままで黒田は答える。

「そんなことだろうと思ってたよ。何しろ、黒田さんって、うまく行かないと途端に連絡が途絶えるからね」

そう言うと、さっき吸ったばっかりなのに、新しい煙草に火をつける。

今回の記事は締め切りを設定されていない。仕上がるかどうかは黒田次第なのだ。だが、いつ仕上がるともわからない記事のためにスペースを開けておく判断を編集長もしないといけない。それに、周りの目というものもある。

「要するに誰と入れ替わっていたのか、がわかれば、万事解決なんだろ?」

「はい。そう思いたいんですが……」

黒田は、前に進まなくなっている企画の行く末を案じていた。

「何か不安でもあるのかい?」

「その入れ替わっていた相手--女性が、立花瀧と入れ替わっていたことを覚えているか、どうか。そこが気になるんですよ」

黒田は、一番引っかかっているポイントを大貫に告げる。

「ふーん」

大貫は、くゆらせていたたばこを一吸いしながら嘆息する。

「気にするところが間違ってるわ、黒田さん」

少しニヤッとしつつ、目は笑っていない大貫が言う。

「そこは相手探しの方が重要だろ? 覚えているとかいないとか、今の段階で気にすることじゃないだろうに……」

紙面がうまく埋まっていないイライラを募らせて、大貫は黒田に詰め寄る。行き場のない怒りでもぶつけるように、吸いかけのたばこが灰皿に押し付けられる。

「それは確かに、そうですが……」

黒田もその剣幕に気圧されるように同意するしかなかった。

「見つけないことには話が進まないなら、見つける算段を取るのが先決だろ?もう一回人探しすれば済む問題なんじゃないのかい?」

「え、で、でも、今までとは話が簡単に行かないですよ……」

黒田は、今までそのことを言い出せなかった理由を述べる。キーパーソンが必ずしも東京、いや日本にいるとは限らない。それでなくても、当時高校生は全学年合わせて100人いるかいないか。女性に限っても数十人。それに今回は名前がわからない。瀧が見つかるほど簡単に見つけられると思っていなかった、などなど。

「やりもしないで諦めるところがあるからね、黒田さんは」

黒田の一種言い訳を黙って聞いていた大貫は、又目が笑っていない笑顔でそういう。

「いや、で、でも……」

さらに時間がかかるが、それしかないのか。黒田の想いは、完成に近づくことがそれでできるのか、という思いにとらわれたままだった。

「見つけるための方法がほかにないなら、仕方ないんじゃないの?」

案外簡単に考える大貫らしい結論だった。

「では、もう一度お願いできるんですか?」

「ああ、ちょうどいいじゃないか。3年前のあの出来事を高校生目線で振り返る、てな感じでそちらは記事にしてくれればいい。今回の企画とは別のアプローチで行くっていうのはどうだろうかね?」

さすがは編集長。転んでもただでは起きない着眼点の転換に黒田は目を丸くする。これなら、なんの警戒心も持たずに話をしてくれるだろうし、その結果、見えていなかった事実があぶり出されるかもしれない。何より原稿料が入ってくるという現実も満たしてくれる。

その日の夕刻。またしてもサイトに人材募集の項目が立ち上がる。

     "糸守町出身の18-21歳の方限定/取材にご協力いただけませんか?"

あえて女性にターゲットを絞らなかったのも、先にあげた編集長の意向だろう。当時の高校生すべてにヒアリングをすることで男子目線の意見も取り入れられる、という塩梅なのだろう。

瀧を探す過程で、編集部としてもかなりの持ち出しになっていた手前、今回は本当に見つけ出すための場所としてのサイト利用にして、後の段取りは黒田が全責任を負う形にした。相手とのアポイント、取材過程の経費などなど。今までは黒田も持ち出しばかりだったが、今度は記事にさえできればそこそこの収入は期待ができる。黒田は若干甘く考えていた。

だが、前回の立花瀧捜索の時に比べて出足は低調だった。糸守出身という過去を覆い隠したいと思う人が大半だったのだろうか、一週間でアポの取れたのはわずか3人という状態。その中に、黒田が探す、瀧と入れ替わったと思われる人物は見つからなかった。


2016年11月23日  きっかけ??

糸守の隕石落下災害の取材にかじを切った企画の立案から10日余り。祝日ということもあり、今日はアポイントが3件も入っていた。この日までに黒田があったのは男女合わせて15人。だいぶネタも集まり、特に避難を指示されたあたりの緊迫した状況が黒田の筆致でも描写できるくらいになっていた。

とはいえ"本命"にはまだ巡り合えていない。それがいったい誰なのか?そもそも会えるのだろうか……

二件目の待ち合わせ場所である、西荻窪駅。今回の面接の相手は、二人組だった。相手を待つ黒田。

「すみませーん」

一本目指す電車に乗り遅れたのか、慌てた様子で改札口から出てきたのは今やお年頃になった、20歳の宮水三葉と名取早耶香だった。

「これはこれは、ようこそお越しいただきました」

黒田は、いやな顔一つせず、二人を出迎えた。


3人は、近くの喫茶店に入っていった。

「改めましてこんにちわ。ジャーナリストの黒田です」

名刺を目の前にして、二人は少し、緊張した面持ちでその挨拶を受ける。

「あ、わ、私が宮水三葉で」

「私が名取早耶香です。今日はよろしくお願いします」

黒田の第一印象。それは、美人である方の三葉に男の影が感じられないことにあった。普通大学生くらいの年頃だと化粧や持ち物が派手になっていてもおかしくないのだが、三葉の方は、ほぼすっぴんで少しだけチークが施されている程度。一方の早耶香は、男と会うことを念頭に置いてか、少しだけ着飾り、派手に化粧も決めている。都会生活に順応しているのは明らかに早耶香だと見て取れるし、逆に三葉の方は、人と会う、あるいはインタビューを受けるような服装や身だしなみできていないことが、早耶香を横にすると際立ってしまう。

「実際の糸守の話をしていただく前に……」

黒田はいきなり自分の仮説が正しいかを試すことにした。

「宮水さん、でしたか。今お付き合いしている方とかっていらっしゃいますか?」

黒田は、唐突にプライベートに乗り込んだ。

「え、な、なんなんですか、急に?!」

一気に顔が赤らむ三葉。無理もない。そんなぶしつけな質問が来るとは思ってもいなかっただろう。

「あ、もしかして、それって一目惚れですかぁ」

早耶香が茶化すように黒田に問いかける。

「いや、ちょっと、気になったものですから……」

少し頭をかきながら、"これはビンゴだな"と内心思いつつも三葉の答えを待つ。

「ええ、好きな人はいます。けど、それがどこの誰だかわからなくなってしまって……」

びくっと黒田はする。最初の一言を聞いたとき、"ウワ、又外れたよ、俺って見る目無いなぁ"と思い落胆したのだが、それを補って余りある二言目。

"好きになった人がどこの誰だかわからない"?これってどういうことなのだろう?

質問しておきながら、むしろ、その答えが黒田の頭の中を取り付いて離れない。

「でも、その人が好きになったのって、あの日の前後のことだと思うんですよね……」

「あ、あの日って?」

「エエ。2013年10月4日。糸守に隕石が落ちたその日です」

今度は黒田は本当に立ち上がりそうになった。そんな偶然があるものだろうか?

「そうでしたか。ちょうどその日の話が出てきたので、あの日のことをいろいろと思い出してもらえますか?」

机の上にはICレコーダー。準備に取り掛かる黒田を見ながら二人は目を合わせてうなづく。

「あのぅ、黒田さん、でしたよね?」

早耶香が問いかける。

「なんでしょう」

「今日わたしたちが話したことって、記事になっちゃうんですよね?」

黒田の動きを伺うように、早耶香が聞く。

「ええ。まあ名前とかは伏せてほしければそのようにいたしますけど」

黒田は、なぜか食い気味になっている二人にいぶかりながら、そう答える。

「今まで話されていなかったこととかをもし知っても、記事になさいますか?」

今度は三葉が黒田に聞く。

「え?それって、どういう……」

黒田は、少しドギマギする。今、この二人の女性は何をしようとしているのか?

ふーっと深呼吸ともため息ともとれる息遣いを早耶香がする。

「ええい、こうなったらやけや。三葉、今まで貯めとったこと、ぜんぶ話してまおうや!」

突然訛り全開で早耶香が口火を切る。

「え?どこまで?まさかあの段階から?」

今度は三葉がおびえるような面持ちで早耶香を見る。

「そうでなかったら、あの避難、うまく行けたと思う?そこから話さないとつじつまが合わないって」

早耶香はとにかく話したくてうずうずしている。黙って聞いていた黒田だったが、

「わかりました。まあおいおい三葉さんには聞くとして、早耶香さんの方から、あの日の出来事を話してもらいましょうかね」

と言って、メモを取るべく、ペンを持つ。


早耶香は、今まで週刊誌や新聞記事にもなっていなかったような、様々な情報をリークし始めた。

黒田とて、全町民にヒヤリングしてきたわけではなかったし、どちらかというと隕石が落ちた時のことばかりを追いかけていた。

しかし、死者が出なかったことにはあまりアプローチしてこなかった。ほかの雑誌社はそちらばかりに目を奪われていたし、「サプライズ」内部で別の取材班がその方向性で取材をしていたので、黒田がその視点に立つことがなかったという部分もある。

ところが、早耶香がしゃべる事柄は、偶然をはるかに凌駕する必然を兼ね備えていた。

早耶香は、三葉から「隕石落下が預言された」ことにも言及した。

「最初その話を聞いたときは、この子、どこかおかしくなったんか、と思ったりもしたもんやったよ」

といいつつ、三葉を見る早耶香だったが、その視線の先の顔は少し照れているようにも見えた。

だが、黒田にしてみれば、落下の半日程度前から、彗星の異変、町への落下がわかっていたことに疑問を覚える。

一介の高校生だった当時の二人。なぜ、そんなことが可能になったのか?

「ではここからは三葉さんにお伺いしましょうか」

黒田は、はやる気持ちを押さえながら、三葉に水を向ける。

「でも、私の記憶って、あの日、カタワレ時にどこかの山の上で誰かにあって、そこから変電所にいって、神社に戻って、そこからひたすら走って、町役場に行ったまでのことしか覚えとらんのよ」

「「えっ?」」

二人が同時に三葉に視線を注ぐ。

黒田はあの日、夕方から落下寸前までの時系列はいろいろな人々にしてきた取材ですべて把握していたつもりだった。ところが「変電所での事故」だけは、今や証拠もなくなっている現状で、なぜ起こったのかは未知のままだった。三葉の口から語られた、変電所に行ったという言葉は、そこで何かを仕掛けたのが三葉であることを示唆していた。これはビッグニュースでもある。

だが、それよりも避難を呼びかけた張本人が、昼間の時点の記憶を全く持っていないことに驚かされる。

「そう言えば、テッシーに自転車借りて、山の方に向かっていってたよね?」

「え?そんなことも?」

三葉は、初めて聞かされる事柄のように、驚いた表情を見せる。

「えぇ、おぼえとらんのぉ???確か町長だったお父さんの説得がうまくいかなかったってしょげてたし」

「そうだったんだ。私、あの時……」

人ごとのようにしか聞こえない三葉の反応に、黒田は少しだけ理解し始めていた。

2013年の10月4日。彗星の破片が町に落ちるその日。三葉は、身体は三葉であっても、精神は別の誰かにのっとられていた、あるいは、入れ替わっていたのではないか、と思い始めていた。あんな災害が起こった日の出来事を曖昧にしか覚えていないばかりか、避難を率先して立案しようとした張本人が、そのことを覚えていないのがそもそもおかしかった。夕方以降のことは覚えている三葉。それは、見事に身体と精神が一致していたから、記憶もつながっていると思われるのだ。

だが、ここで、黒田は、雷のような電撃が全身を駆け巡るのを感じた。


                      「 入 れ 替 わ る 」


今までの取材が走馬灯のようによみがえる。女性が乗り移ったかのような言動の男子高校生。大学生の女性と旅をした目的、そして本人に耐えがたいほど苦痛をもたらした"初恋の人"の存在。もしかして、目の前の女性がその人ではないか?危うくそう結論付けるところだった。

でも、仮に災害が起こった日に入れ替わっていたとするならば、それは2013年10月4日でなくてはならない。つまり3年前。瀧は高校生ではないし、3年ずれている。瀧が体験したとか言う入れ替わりは、今目の前にいる宮水三葉との入れ替わりではない、と考える方が妥当だ。では、瀧は誰と入れ替わり、三葉は誰と入れ替わっていたのか??


当初の入れ替わり部分の取材は袋小路に入っていた様相だったが、この二人組と会うことで2歩も3歩も前進した。なにより、別の誰かと入れ替わっていた、と思われる言質を宮水三葉から得られたのは非常に大きい。相手が立花瀧であれば、ビンゴであるが、今の段階でそう結論付けるわけにはいかなかった。

なにより、ずれている時間が説明つけられない。2016年の立花瀧と2013年の宮水三葉。せいぜい共通点は同い年、というくらいだ。入れ替わったお互いがお互いの名前を知らない。覚えていない以上、二人を引き合わせたところで何かの化学反応が期待できるはずがない。

黒田は、結局、入れ替わりという視点をいったん外し、「糸守彗星災害/被害軽減に尽力した高校生たち」という記事で三葉たちの健闘を称える内容で一本記事を書いた。


「うーん、ちょっとラストの導出が、ねぇ……」

大貫は、草稿に目を通しながら、忌憚なき意見を述べる。

「はい。そこは私も気に入ってません」

黒田も納得がいっていないと自ら表明する。

「でも、今の時点で、この三葉という当時の高校生が未来を予知できたと確認する手段がないんですよ」

めったに泣き言を言わない黒田が、この時は書ききれない理由を大貫に語った。

「まあ、確かにそうなんだけど、そうかといって隕石湖ができた経緯と今回の落下を結びつけるやり方は、なぁ……」

黒田は、彼女たちが避難計画を立案したのは、旧糸守湖が隕石湖であったことと、高校しか逃げ場所がないと判断した、という言質で記事をまとめていた。三葉が、まるで起きる事象がわかっているかのように、避難地区を特定したり、高校が被害範囲の外だったと知っていたことなどは、記事に書き込まなかった。

避難放送に関しても、多くは記述しなかった。周りの大人たちから称賛・理解されていなかった部分が多くあったこともあって、「本当なら彗星が落ちてくる、と言いたかったんですけど信じてもらえない」と思ったからこその変電所火災を利用した、という早耶香の証言を採用した。

何度か読み直している大貫。時々赤ペンを握っては、チェックしたり、何やら書き込んだりしている。

「はい。取り合えずこのあたりはもっともっと推敲したり肉付けしたりして。ここは結論見直し。あとはもうちょっと体裁整えて」

ややぞんざいに原稿を扱う大貫。出来栄えが芳しくないのはその態度からも一目瞭然だった。

黙って原稿を受け取る黒田。これ以上の肉付けも、添削も、やればやるだけ無意味に感じていたのだった。


2016年12月7日 サプライズ発行

久しぶりに腕を振るったはずの原稿は、結局当たり障りのない、数ページのコラム記事に格下げになった。糸守彗星災害自体を3年経ってもいまだに追い続けている雑誌社は多くなく、そもそも死者ゼロであったことに関しての考察や類推による記事はほかの社がやりつくしてしまっていた。

3年前、隕石が落ち、被災する前から独自の動きをしていた高校生がいたことは、黒田の中ではスクープに値するものだった。だが、その行動に至った原因をまとめきれなかった。大貫も、結果的にスクープ的な内容には掲載の許可を出さなかった。

"うちは、真実をもとにした驚きを報じるのが使命だからね。オカルトや霊的なものはお断りだよ"

大貫はそう言ってくぎを刺した。入れ替わり自体が起こっていたとしても、証拠もない事象をさもあるかのようには報道できない。

「彼女たちが主導したのは間違いない。そうなのだが……」

出来上がった本誌を読みながら、黒田は、ベッドの上に寝転がる。

「彼女--宮水三葉は、未来の出来事を知っているだれかと入れ替わっている。それは間違いない。ではそれはだれなのか?立花瀧がその人?そんなはずはないだろう。時空を超えて入れ替わるなんてことが……」

ぶつぶつと独り言を言う黒田。入れ替わるにしても、それこそドラマのように、ぶつかった拍子に、とか言うのなら原因もわかるのだが、仮に三葉と瀧が入れ替わっていたとしても、直接的な原因が何かはわかっていない。そして最も重要なことは「入れ替わっていた時の記憶」がほぼ保持されていないということにある。

A君とBさんの二人の間で入れ替わりが起こっても、「BさんになったA君」「A君になったBさん」の記憶は、お互いの精神がそれを記憶していないとおかしい。ところが、両者とも入れ替わった時の記憶はもっていない。黒田はことの本質に気が付いてしまった。

「記憶してはいけない関係」、記憶が許されないのだとしたら?

過去の事象が未来に影響を及ぼすことは、タイムマシンを扱ったいろいろなドラマや映画では有名なところである。では逆に、未来のことが過去に影響を及ぼすこと--書き替えることってあり得るのだろうか?また、それは可能なのだろうか?

黒田は、ベッドから起き出し、白い紙とペンを用意して書き始める。

「2016年の瀧と、2013年の三葉が入れ替わっていたのが事実だとしたら、当然瀧は2013年の糸守の災害を知っている。もちろん、この時点で死者はゼロだったわけだが、ゼロではない可能性だってあったはずだ。なにも知らないで隕石の直撃を受けていたことだってあり得る。そもそもあの日は確か宮水神社の例大祭。浮かれていた住民の上に隕石が落ちていてもおかしくない」

ペンをトントンと紙に差すように落としながら、黒田は意見をまとめようとする。

「何も手当てをしていなければ大勢が死んでいてもおかしくなかった隕石の落下。これが回避できたのは、三葉の中に入っていた瀧が行動を起こしたから、とするのが妥当だろう。でも、それをどうやって証明する?」

ペンを放り出し、椅子の背もたれに思いきりもたれかかる黒田。またしても行き詰まるのだ。

せめて入れ替わっていた相手の名前を覚えてくれていたら、この謎解きはあっという間に解決する。時間を越えていようがどうしようが、その人の存在は唯一無二。しかし、名前を覚えていないのにお互いがお互いを覚えている、なんてことがありえるのだろうか?


夜も更けてきた。

黒田は、結局、二人が入れ替わっていた、という結論を封印した。しかし、せっかくここまで引っ張った取材をしたので、ラーメン店で聞いた、瀧の行動については、たまたまスケッチが見つかった、ことも含めて、「あの風景に魅入られて--ある高校生のスケッチ」と題して起稿した。


2023年 秋

「今日10月4日は、あの、彗星落下災害の起こった日です。今日で丸10年の節目を迎えました……」

夜、食事に訪れていた小料理屋で、テレビがそう言いながら、当時の町長だった宮水トシキを映し出していた。

「あれから10年か……」

空に近かった、焼酎の水割りを煽るように飲み干した黒田は、自身も彗星災害にとらわれていた数年間を思い起こしていた。


糸守町に彗星のかけらが落下した、想像を絶する大災害。町の破壊ぶりは尋常ではなく、大量の犠牲者が出ていても不思議ではなかった。

だが、一人として死者は出ず奇跡の避難劇として、もてはやされた。もちろん、ジャーナリストの黒田にしてみても、格好のネタである。


2013年の発災当時から、一か月近くも泊まりこみ、精力的に取材もしていた。この当時は、規制線などもそれほど張られておらず、被災した状況そのものを生で見ることができた。

落下した"爆心地"は恐ろしいまでに深く掘りこまれ、すでにあった糸守湖と合流して、新糸守湖を形成していた。爆弾が落ちたようではあるが、火災は発生せず、焼けただれるような鼻を衝く焦げ臭い感じは一切しない。むしろ常に埃っぽい感じをしているのを思い出す。

「あ、そういえば……」

その熱狂も冷めつつあった3年後の10月を黒田は思い出していた。

ラーメン店店主のタレこみに端を発した、3年後に被災前のスケッチを描けた少年の存在。身体と精神が入れ替わるという信じられない現象が提示されて、黒田も戦慄したが、結局は"そんなこと、あるわけない"で結論付けていたのだった。大スクープを取り逃がしたような感覚も持っていたが、それは知ってはいけないことに深入りしようとしていただけではないのか、と思って納得させていたのだった。

"そう言えば、あの時の瀧くんだっけ。どうしてるかな……"

取材対象のことを特別に記憶することはないはずの黒田は、あの時出会った青年たちに思いをはせていた。


「ありがとうございましたぁ」

引き戸を閉めながら、店員に送り出される黒田。大ヒット企画も打ち出した彼にとって、今このときは至福の時間だった。

夜の街を闊歩する黒田。その目の前から、4人組……カップル2組が近づいてくる。

「よぉーし、もう一軒回るぞぉ―」

「おい、まじかよ?もう4軒回ったぞ、まだ行くのか?」

「ケーキは別腹っていうっしょ?」

「そうやなくて!お前、ダイエットするっていっとったに」

「ああ、あれ?明日から本気出すの」

「はじまった」

「そうそう、それがサヤちんの口癖だったよな」

「えぇ、もうどこにもいかないのぉ」

「あ、カラオケなんか、どうかな?」


その女性の声にビクンとする。聞き覚えのある、少し甘美な響き。慌てて、黒田は、そのグループの後を追う。

何とか見失わず追いつき、息も荒げにグループを見上げる黒田。

きょとんとしている一行--黒田の目の前には立花瀧と立花三葉、勅使河原克彦と勅使河原早耶香がいる。

「あ、あの時のジャーナリストさんだ!」

三葉が黒田を指さす。黒田は、自分を覚えてくれていたことに少しだけ感謝する。

「あ、思い出したよ。なんか俺のこと探してたっけ」

瀧も追随する。

「てか、この人、誰?」

状況を飲みこめない克彦。

「ほら、前にも話したことあったでしょ、糸守のこと聞かれたとか」

早耶香が克彦に説明する。

「いや、皆さん、お揃いで……」

少し息が整っていない黒田だったが、とりあえずあいさつ代わりに話しかける。4人に視線を移そうとして、

「えっっ」

黒田は瀧と三葉に注目する。接点がないはずの二人が手をつないでいる。しかも、結婚指輪を両の手に認めた。

「瀧くん、三葉さん!」

黒田は心を落ち着かせながら、こう問いかける。

「二人が探していた誰かって……」

「ええ!」

三葉が満面の笑みで答える。

「いやあ、あの時は本当にびっくりしましたよ」

頭をかきながら瀧は答える。

このとき、黒田は一瞬にして悟った。二人は、お互いを見つけられたのだ、と。

「何はともあれ、よかったですね」

黒田は、胸に去来したもろもろを封印して、素直に喜んだ。

「あ、これからみんなでカラオケ行くんですけど、黒田さんも、どうですか?」

人懐っこさは相変わらずの瀧が黒田を誘う。

「いや、ここは遠慮しとくよ。またの機会にお誘い頂ければ」

これ以上ない社交辞令で、黒田は誘いを断る。少ししょげる瀧が気の毒だった。

聞けば、10月4日は、こうやって飲み会をしているらしかった。去年から瀧が加わり、2組の夫婦でワイワイやるのが年中行事化しているとのこと。

「それでは、楽しんできます」

「失礼します」

「ちょっと待ってよぉ……」

「あ、あのぅ、俺、ここだけ?」


4人の喧騒を尻目に黒田は夜の街を再び歩き出す。

「会えたんだ、あの二人……」

少しだけ、安堵の気持ちで満たされていく黒田。二人が出会えているからこそ、この世界はなんとはなく平穏なのではないか、とさえ思う。

二人がいつ会えた、とか、入れ替わっていた時はどうだったとか。もう黒田にとっては、どうでもいいことのように思えている。

人の出会いなんてそんなものだ。意中の人と巡り合えず独身を通す人が多くなったことは、自身も独身の黒田が週刊誌に寄稿したこともある。逢えたから彼らは幸せなのだ。逢えなかった不幸を考えなかった彼らのポジティブぶりに圧倒される。

黒田は確信していた。"彼らは、入れ替わっていたんだ"と。それでも糸守と東京。逢えるはずのない二人が、この大都市で再会できる。三葉が東京に移住するという選択肢を取らなければ決して訪れなかったふたりのムスビ。あの隕石災害が二人をムスビつけたのではないか、とさえ思う。


「人生って、不思議なものだなぁ……」

ふと見上げた夜空に、一筋の流れ星が見えたような気が、黒田はした。


後書き

読了いただき、ありがとうございました。
実はわたくし、解析厨、でもありまして、この作品を微に入り細に渡るまで解析・解釈・理解してまいりました。
そのために必要なのは、映像でしかない、とばかりに、気が付けば35回もスクリーンに座る事態に陥ってしまいました。
その結果見出されたのは(あくまで当方の解釈であり、作者の意図するものとは違っているはず)
『「夢を見とるな」と問われてからの瀧の見た(経験・体験)事象すべてが夢の中の出来事』
という結論でした。
すでにご承知の通り、新幹線車内が逆に描かれている/客扱いしない番線にひだが止まる/信号炎管から吐き出される排気ガス/あの特徴的な地形を言い当てられない住民/半袖でラーメンを食する瀧/食堂でかかっている、試合のないはずのプロ野球・・・。
図書館で再度、「夢を見とるな」と言われるまでの事象に変なところが多すぎるのです。
そこで私が考えたのは
「飛騨に行ったのは事実だが別の描写があってもしかるべきだろう」ということでした。詳しく言えば、「糸守町に隕石が落ちたのは事実だが、誰も死んでいない」という歴史が、入れ替わりがあっても無くても「正だ」という考え方に至ったのです。
そもそも我々は、画面上でも、三葉の死を目撃していません。せいぜい、犠牲者名簿に載っていた程度(あの名簿もおかしかったですよね。500人程度の死者なのに分厚かったり、テッシーとサヤちんが隣どおしで並んでいたり…)。でもあの名簿を見るシーンは、まさしく「夢を見とるな」で問われる直前の出来事。この結果、そこまでのすべてのことが夢幻とすると、意外に整合性がついてしまうのです(と、自画自賛してますが、あくまで当方の解析結果ですのであしからず)。

と長々と書いてしまいましたが、当方はこの小説を「糸守町の彗星災害では誰も死んでいない歴史がもし最初っから組まれていたとしたら」、という視点で編纂しています。廃墟の糸守高校のシーンで、セリフも何もかもが違っているのはそのためです。また、瀧はこの小説の主人公と言えるジャーナリストの黒田と会っていますが、その日を入れ替わりの初日とされる2016.9.5としたのも、少しだけ必然として書かせていただきました。

ちなみに、当方がすでに書いた小説・・・「もう一つの2013.10.4」がシーンとしてかぶっています。お気付きでしたでしょうか?2023年10月4日に、こんなドラマが生まれていたとは…考えるだけで面白いではないですか!
今や自宅が簡易シアターのようになってしまっている状況。この作品を知り、観、深掘りし、それこそ監督氏の言った「映画にはまだ、こんな力があるんだと教えられました」を体験したこの11か月間。人生の中ではたった11カ月だが、この濃密な「君縄」に憑りつかれた年月を一生忘れないと誓えるほどに昇華でき、ブログでは解析記事を数十枚描き、そして小説にまで…
本当に新海監督には感謝しかありません。改めて謝辞を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。


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