男「俺を見るな」
「俺をーーみるな」
雨が降り出した。
この地域ではごくまれの、大雨である。
雨は作物に恵みを与えるだけでなく、汚れを洗い流したりもする。
当然、人の汚れをも流す。
その男は、小太り、子供並みの身長、極め付きにはカツラを被っているんじゃないかと言われるほどのハゲ、という酷い外見であった。
彼は運動部に入っていた。彼の存在は入部当初から目立っていた。否、正しくは彼の頭だが。
雨は人の汚れをも流す。偽りの髪も。
だから彼は本当の自分ーー本当の頭皮を見せてしまった。
雨に濡れ、ほんの慰めしか無い髪が一つになる。そしてーー肌色の大地が姿を現した。
周囲の視線が矢となりーー当然私もだがーー彼に突き刺さる。
そして、どこからか雨の音と混じり、くすくすと笑い声が上がり、そして、それは雨にも負けない、大きなそれとなった。
その瞬間、雨をかき消すような、大声が人々の笑い声を遮った。
ーー俺を。
「俺を見るな!」
しかし、そんな彼の切実な願いも届かず、一層人々の注目を集め、彼にとっては羞恥な行動となってしまった。
雨は、人をも癒す力をもある。鎮魂歌の雨だ。
すると、嗄れた声が聴こえた。顧問だろうか。
1人の老体は人ではなく、まさしくゾウガメのような姿をしていた。
もう一匹いた。あれは狸である。否、間違えた。あの老体は人であった。
やっと戻れる。そう、彼が思っていた。しかし、神の悪戯が、始まった。
雲が切れ、青空が見えた。そして日の光が射し、虹が出た。その光が彼の頭を照らし、彼の頭の上にも虹が出来た。
そして笑い声が上がった。
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そして、時は過ぎ、彼は大学生となった。彼は独身である。合コンに明け暮れる日々であった。
目の前に好みの女性が座る。彼はとても緊張した。軽く自己紹介をし、彼女にアピールをした。
しかし、お忘れかも知れないが、彼は薄毛なのである。当然、無視された。だが、彼は諦めなかった。必死にアピールした。
しかし、彼女と周りの女性たちが云った。
「何あいつ?気持ち悪い」
彼は人目を憚らず、大声で泣き叫びながら逃げた。
人が、怖い。
女が、怖い。
リア充が、憎い。
とぼとぼ歩いていると、駅前で、高校の元クラスメートの女の子に出会った。
「な、懐かしいね!」
「そ、そうだね…最近どう?」
そんな他愛も無い会話をしているうちに、彼はチャンスだと思った。
「あ、そ、そうだ。い、今から、しょ、食事でも、い、一緒にど、どどう?」
一斉一遇のチャンスだと思った。
これを逃さない訳がない。
彼女が口を開こうとした時、ある男が現れた。
「おーい!www待ったかーwwww!…誰だよお前w」
「あ、この人は高校の同級生で…って行っちゃった」
「そんな事よりwww早く行こうぜww」
「ま、待ってよーw」
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ーー彼はまたもや逃げ出した。
まあ、これは仕方ないのかも知れない。あの男は明らかに彼女の彼氏だ。
ふと、顔を上げるとスクラッチを売っていた。
半ばやけくそに買ってみた。外れた。一つも合ってない。
ーーはあ。
今日で何回めの溜息だろう。
どうして俺はデブなのだろう。
どうして俺はチビなのだろう。
どうして俺はハゲなのだろう。
自問自答を繰り返す。
ーーダメだ。気分が悪い。
彼は気持ちを吹っ切る為に大声をあげて走り出した。
雨が降る。異様な男が奇声をあげながら、大通りを走り抜ける。毛も抜けながら。
しかし、彼は立ち止まった。否、立ち止まるしかなかった。
彼は通報された。そこの君ィ、と警官が声をかける。
ーーこれまでか。
彼は泣いた。咽び鳴いた。
なんとか事情聴取だけで済み、彼は解放された。しかし、その顔には疲れが見える。
都会は田舎者への待遇が厳しい。
彼はその容姿から散々に言われた。
後ろ指を指される。罵声や嘲笑が聴こえる。
やはり自分には合ってないのだ。
ーーそうだ、帰ろう。地元に、帰ろう。
自分にはまだ帰る場所があるのだ。
そして、彼は駅へと急いだ。
ー了ー
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