2019-02-13 03:22:41 更新

概要

ピクシブでも投稿したものです。
事故で目覚めなくなってしまった拓海を見る、里奈の話です。
里奈視点なので、拓海視点に続きます。


前書き

アイドルが事故に遭う描写
過度な年齢操作(23歳から25歳です)
引退をする描写
など、人によっては多くの地雷を含む作品です。


 ふと、そういえば最近泣いていないなと、そう思った。たったそれだけの事だったが、アタシにとっては、とてもとても大きな事であった。


 「たくみんへ。今日のお仕事はほんっとーに大変だったぽよ! ロケ中に急に雨がめっさ降ってきたり、スタッフさんが突然倒れちゃったりさあ。でも、全部乗り切って、なんとかスケジュールどうりにこなしたよん」


 そんな文字列をつらつらと綴るアタシの手元は薄暗く、最後には持っていたボールペンの先端からインクがにじみ出てしまった。こんな事をしたかった訳では無いのに、どうにも現実というのは上手くいかない。それでも最後まで書き切って、アタシは白い机の上にペンを置いた。乱雑に置いてしまったそれは、ころころと転がって、机の下に

落ちてゆく。しまった、そう思った頃にはもう時すでに遅し、ペンはベッドの下に入り込んで、その姿を確認できなくなってしまった。

あーあ、やっちゃった。それだけ呟いてアタシはゆっくりと立ち上がって、床にコロコロしちゃったお転婆なペンちゃんを取るためにしゃがみ込んだ。


 体勢を伏せてペンを探していると、床に落ちている、普段は意識しないものまでも、嫌なほど視界に入ってくる。

__例えば、未だ長いままである、たくみんの髪の毛、とか。

はっとして反射的に顔を上げてしまうと、その髪の毛の上に、対照的に昔より短くなったアタシの髪が、はらりと重なって、当然ながら音も無く落ちた。薄暗い電気に反射して、きらりと一瞬光ったアタシの髪の毛が、少しだけ目に眩しい。


 ボールペンを見つけて、ベッドの下に潜り込んでしまったそれを、ようやく手に取る事が出来たのは、それから二分後の事だった。




 向井拓海という一人のアイドルは、二十五歳で活動休止する。

 事の発端はアタシ、藤本里奈が二十三歳の時の、いつもよりももめちゃくちゃに寒い、そんな冬の年の話だ。


 それは、たくみんがアイドルを続ける事が嫌になったとか、普通の女の子になりたいな、とか、そういう彼女の精神的な理由というよりも、もっと単純で、残酷な__ただの、不幸としか言えない事故によるものだった。

 ツーリング中の交通事故だと、アタシはそう聞いている。それを教えてくれたのは、かつての炎陣のメンバーの一人で、今でも時折一緒にいる、あっきーからだった。

 たくみんが事故にあった時、アタシは何をしていたかといえば、それは頭が良くないアタシでも鮮明に覚えていて、確か__アタシみたいなギャルちゃんのための化粧品メーカーのCM撮影をしていた。一通りの撮影を終えて、自分、よく頑張った! と、一人でスマートフォンをいじっていると、きらきらに着せ替えたSNSのアプリで、あっきーからものすごい数の連絡が来ていた事に気づいたのだ。


「里奈、拓海が、拓海が大変であります!」

ようやくアタシと連絡がとれて、切羽詰まっていたあっきーの言葉を聞いて、なになに? どったの、といつも通りの調子でいられたのは、彼女が次の言葉をなぞるまでの事だった。


 たくみんが、事故に遭ったという言葉は、アタシにとっては深く、重く突き刺さる言葉だった。はく、と言葉にならない空気がアタシの口から出た。イヤホンを着けて電話に出たから、スマートフォンが床に落ちなかった事だけが救いだった。

 撮影は終わって、後は帰って金曜日にテレビでやっている映画でも見ながら、炬燵でごろごろしよっかなあなんてぼんやり考えていたアタシの週末は、精神的な終末は、ある日突然訪れた。訪れてしまった。


 タクシーをかっ飛ばして、レッスンと現場経験で鍛えた身体もぜいぜいと息を切らしながら、彼女が運ばれたという病院にまで行った。いつもタクシーに乗る時は、運転手のおっちゃんと、にこにこしながら他愛の無い話すのに、その日のアタシは一言も話す事が出来なかった。おっちゃんも、そんなアタシの空気を汲んでくれたのか、必要以上に会話をする事は無かった。飲み込んだ唾の音がいつも以上に五月蠅くて、通り過ぎていく街頭が頭にこびりついて離れなかった。

 ようやくたどり着いたその病室で、たくみんは、静かに息をしていた。アタシが泣いたのは、恐らくその時が最初で最後だ。それが、たくみんが生きていた事への感謝からなのか、それとも、目を覚ましていないという絶望から来た涙なのかは、馬鹿なアタシには未だに分かっていない。


 たくみんの症状は、傷は深いものの、命に別状は無いものらしかった。ただ、アタシは彼女の頭に巻かれている痛々しい包帯の事で、頭が一杯になっていた。

 

アタシよりも先に病室に来ていたなっつとりょーちゃと、それからあっきー。こうして炎陣のメンバーが揃うのは二十歳を過ぎて、それぞれに人気アイドルとしての道を歩み始めてからは随分と珍しい事で、少し懐かしい気持ちになる。__それが、こんな時でなければ、もっと良かったのに。そんな事を思いながら、暗い雰囲気を払拭するように、アタシは、皆に言葉を掛けた。


「も、もおー! 皆暗いカンジ? ほら、たくみんはこうしてちゃんとここにいるんだからさ、今は、一秒でもたくみんが元気になる事を祈ろーじゃん? ね、それがいいよ!」

そうして、暗い顔をしている皆の肩を、痛くならないように叩くと、皆が我に返ったように顔を上げて、ようやくアタシの事を視界に映すようになった。


「里奈・・・・・・」

誰よりも暗い顔をしていたなっつがそう声を上げたのを皮切りに、ずっと黙ったままだったりょーちゃも、あっきーも言葉を零すようになり、アタシはそれに一安心して、ぴしりと固くて、ちょっぴり痛い口角を上げた。そんな事、今まで生きてきて初めて経験した事だった。




 たくみんは事故から何日__正確には二週間__たっても目を覚ます事は無かった。傷は回復していくのに、意識だけが、目覚める事は無い。治っていく身体の物理的な傷と反比例して、たくみんの頬が、だんだんとうっすらと細くなっていくのが、定期的に病院に通っていたアタシは痛い位に細やかに分かった。 


「たっくみん、これじゃ、めちゃねぼすけぽよ~。アタシの事怒れないしい」


 たくみんに投げかけた言葉は誰にも届かずに宙に溶けて消えていった。彼女の寝起きは、割と良い方だ。家に泊まって、何度か寝起きを供にした事があるけれど、その時はアタシが声を掛けたら、直ぐに目覚めてくれた。それが、今では全くといって良いほど反応が無い。意識がないんだから当たり前と言えば当たり前なんだけど。


「・・・・・・あ、たくみん、雪ぽよ。何気、今年初じゃない?」


特に意味は無く、個室の窓をぼんやりと見ていたら、はらはらと、白い雪が重たい雲から地面へと落ちていく。いつもより寒かったけど、降るのは初めてだなー、積もるかなあ、積もったら雪合戦をしようかなあ、なんてくだらない事を考えていたら、ふと、アタシが思い描いていた情景には、当たり前のようにたくみんがいる事に気づいた。

少し前までは当たり前に考えていたアタシの日常が、こんな風にばらばらに砕けてしまうとは、今までに考えたことも無かった。だって、仕方が無いことだ。十八歳でアイドルにスカウトされて、今日の二十三歳まで、アタシはずっと、たくみんと一緒に活動してきたのだ。喧嘩をしたことも、ユニット存続の危機に遭遇したり、たくみんと一週間口を聞かなかった事もある。

 __でも、そんな全ての危機を、五年間、二人で乗り切ってきたのだ。そう、二人でだ。二人でノーティーギャルズとして、ここまでアタシ達はやってきた。互いにソロで活動する事も、炎陣のように二人以上のユニットで世間と戦ってきた事もあるけれど、それでも、アタシの隣にはいつもたくみんが居た。


 __向井拓海という人間が、居たのだ。




 興味が無くてあまり見ることの無い、お堅いニュース番組でも、たくみんが遭遇した事故の事は何度も扱われた。今をときめくアイドルが事故に遭う、なんてのはお茶の間の一時の話題にはぴったりだったようで、たくみんの事件は、それはそれは世間を賑わせた・・・・・・らしい。というのも、アタシはそれを知らないからだ。プロデューサーから告げられたのは、自宅謹慎。アタシはそれに反対したけど、このままアタシが仕事を続けていても好機の目に曝されて辛いのはアタシだと、そう告げられて、残念な事にアタシはそれに反論するだけの立派な知識を持ち合わせていなかった。


「で、アタシは病院にも行けないカンジ~? プロデューサー、アタシたくみんに会いに行きたいぽよ」

そう言ってごねてみてもプロデューサーは眉間に皺を寄せてうんうんと唸りながら頭を掻くだけだった。


「そんな事言われてもよ。マスコミに質問攻めにあって嫌な思いをするのは俺じゃ無くて間違いなくお前だぜ。それでもいいなら止めはしないけどよ。・・・・・・だが、今は間違いなく拓海の為に止めておくべきだ」

強い眼光に睨まれるように見つめられて、思わずいつもは笑い飛ばせるような事でも息を詰めてしまった。


「・・・・・・りょーかい」

今は辛くても、いつかきっと、たくみんは目を覚まして、元通りの日常が返ってくると、その時は本気でそう思っていた。




 向井拓海は、アタシにとっての生きる事の象徴だった__と二年経った今なら言う事が出来るだろう。

 今まで、決して死にたくて生きてきた訳じゃ無いけど、たくみん程熱心に生きていたわけでも無いアタシは、たくみんという存在がただ眩しかった事があった。どんな輪の中にいても、中心に行ける彼女の事を、普段は決して言わないけれど、少しだけうらやましく思う事があった。こんな感情は、アタシがアイドルになってから、始めて知ったものだ。今までは人の順位とか、嫉妬とか? そんな事、考えた事無かったのに、たくみんと出会ってから、アタシの知らない感情を知った。たくみんと出会ってから汚い感情と、それ以上にきらきらした日々を知る事を出来た。アタシはそれが、酷く気に入っていた。


 だから、たくみんが二年経っても一向に目を覚まさない事とか、どんどん、世間からたくみんの事が忘れ去られて行く感覚が、どうにも許せなかった。これは、十八歳のアタシでは持てない感情、二十五歳の今だから想える事だ。


 たくみんとアタシがMCをやっていた番組は、たくみんの入院に伴って別のアイドルと交代してしまったし、何時の間にか、向井拓海のたの字のお茶の間で流れることは無くなってしまった。それが悔しかった。テッペンなんて興味無いぽよ、なんて、ずっと思っていたつもりだったけど、結局の所、アタシもただの醜い感情を持ったアイドルに過ぎないんだ、と、自分自身の事を嫌いになった日もあった。

 でも、それでも、ずっと、病院で眠るたくみんの事は、天地がひっくり返っても嫌いになれる訳が無くて、アタシは今日も、彼女の病室に来ている。


 今日、たくみんが事故に遭ってから、きっちり二年の月日を待って、アイドル、向井拓海の引退が、正式に発表された。

 アタシは最後まで嫌だと言ったけど、プロデューサーのあんな、疲れ切った顔を見てまで駄々を捏ねられるほど、アタシはお子ちゃまでは無くなってしまった。

家族の希望もあったらしい。プロデューサーが、事務所で電話をしているのを聞いた。


 たくみんは、時代に取り残されてしまった、らしい。そりゃあ、事故に遭う前も、前時代的なヤンキースタイルを揶揄される事は沢山あったけど、それとこれとじゃ話が違う。

たくみんは、ポテトの小さな食べかすのように、味噌汁の茶碗にへばりついて最後まで飲まれる事の無かった具のように、取り残される人間になってしまった。


 アタシは馬鹿だから、それをどうしても理解する事ができなかった。だって、たくみんは、どんな姿であってもずっとアタシの親友だし、その事実に変わりは無いのに、アタシだけ世間から変わる事を求められるのを、どうしても納得したくなかった。


 今日の、本人不在の活動休止会見には、アタシも同席した。ずっと、世間から腫れ物のように扱われていた事ぐらいは流石に理解できて、それでも、この瞬間、たくみんの事を考えてくれている人が沢山居るんだな、とそう考えることだけが、アタシを支えてくれた。引退にしなかったのは、せめてもの希望だった。


「たーくみん。二年が経っちゃったよん。流石に寝坊にも限度があるじゃん?」


茶化すように誤魔化して笑って、アタシはバッサリと短く切った髪から覗く項を撫でた。


「今日の現場も、マジで大変だったんだから! まず、志希にゃがとある実験? で爆発が起こってさあ・・・・・・」


 たくみんが眠ってしまって、皮肉なことにアタシには青仕事が増えた。悲劇のアイドル、として、テレビに沢山出て、一人でも多くの人がたくみんの事を忘れないようにって、たくみんの事を沢山沢山話した。

 そうすると、なんでだか皆たくみんの事を心配してくれて、もっとこの瞬間が続けば良いのに、あわよくば、皆の祈りパワーでたくみんの目が覚めれば良いのに、なんて思った。でも、どんどん話していくうちに、周りの皆の目がずっと昔から、いつも向けられていた、「かわいそうなコを見る目」になった事に気づいた時にはもう遅く、アタシはとっくに賞味期限切れのアイドルになってしまっていた。 ずっと、たくみんとアイドルをしていたかった。嫌な事も、叱られた事も全部忘れて、何も知らない十八歳のアタシのまま、ずっとアイドルで居たかった。


 今日、アタシも一緒に引退会見をした。活動休止ではないのは、もう、アイドルにはなれないと思ったからだ。

だから、さっきの話は、殆ど嘘。志希にゃは、アタシがとても声を掛けることが出来ないほどのアイドルになった。

 ずっとがむしゃらになって、頑張ってきたけど、ぷつんと張り詰めた糸が切れてしまったようだった。プロデューサーには「拓海のぶんも、もう少し頑張ってみないか」なんて必死になって言われたけど、アタシの意思はもう変わらなかったし、変えられなかった。


 暫く、泣いてないなと気づいたのは、たくみんが眠っているベッド脇の椅子に座り込んだ時の事だった。


「あんなに感動して、泣ける、なんて言ったのに、りなりな、泣く事、忘れてたっぽい? あはは、うけるー・・・・・・」

 嘘、全然笑えない。たくみんの返事が返ってこないボケなんて今のアタシにとっては意味をなさない。


「・・・・・・なんで、起きないの? りなりなの事、嫌いになっちゃったカンジ? 流石に、傷つくぽよ~」


 どれだけ自虐しても、たくみんの瞳は開かない。いっつも、アタシが少しだけ自己評価が低い事を言うと、背中をばしばしと叩いて、前を見させてくれるのがたくみんだった。


・・・・・・全部、馬鹿馬鹿しい。目覚めないたくみんも、面白ピエロになっちゃったアタシも。



「・・・・・・ああ、もう、たくみんの馬鹿! ばか、ばか、ばか! なんで! どうやったら起きてくれるカンジになるの! ばか、アタシの気持ちも考えてほしい、・・・・・・ぽよ」


病室の前を通った看護師さんがこちらを怪訝そうな顔で見た事も放って、アタシはただ叫んだ。たくみんに対しての、プロデューサーには見せれない、駄々を捏ねる子供のような感情の爆発だ。たくみんの痩けた頬に液体が垂れた事に気がついた時、アタシはようやく、おおよそ二年ぶり位に泣いている事に気がついた。


「・・・・・・ばか、起きてよう」


 届かぬ言葉は、他ならぬたくみんに向けたものだ。たくみんにはアタシと違ってまだアイドルに戻れるチャンスが有るんだから、なんとかして見せて、アタシの心に、まだ止まらないエンジンを掛けてよ。なっつもりょーちゃも、あっきーも、皆たくみんが起きるのを待ってるよ。


それだけ呟いて、アタシは病室を出た。今日、引退会見をしたのは、アタシ自身のケジメのためと、後は、この病室からのケジメのためだ。

 ずっと見ていたけど、もう、しんどくなってしまったのだ。こんな事を考えるなんて、たくみんを傷つける事になるのは分かっている癖に、アタシはもう、なんにも出来ないのだ。


 部屋に残っているのは、眠ったたくみんだけ。

それからのことを、アタシは知らない。





__たくみんが現役で復帰したと、その知らせを、ニュースで見たのは、それから、また一年後の話だ。


後書き

拓海編に続きます。


このSSへの評価

このSSへの応援

このSSへのコメント


このSSへのオススメ


オススメ度を★で指定してください