2021-06-16 00:09:22 更新

概要

 巨人のいなくなった世界をぼく(アルミン)は生きている。和平交渉は進まず神経をすり減らす毎日だが、ぼくはアニと結婚した。幸せもつかの間、深い葛藤にぶつかったぼくだった。エレン、見ていてくれるだろうか…夢の先を見つめて生きていく大人のお話。


 エレン、明日はミカサとジャンの結婚式だよ。

 君は、少なくとも10年は引きずって欲しいといっていたけれど、今年で9年だ。ミカサはジャンのプロポーズを受け入れた。

 君は許すことができるかい?君は自分の命を終える前にジャンと道で会って「ミカサは渡さねえ」と言ったそうだね。ジャンから聞いたよ。そしてその後涙を流したことも。

君がそれほどミカサを愛していたことはみんなに驚きをもって受け止められた。ミカサが君を好きでたまらないことは誰の目からも明らかだったけれど、君はうるさそうに見えることもあったから。でもぼくはわかっていたよ、君とミカサが誰にも入り込めないほどの深い絆で結ばれていることを。

 だからミカサの口からジャンと結婚すると聞かされたときはびっくりした。まさかミカサが本当にジャンを受け入れるとはね。


先月、イエーガー派過激派の化学兵器によるテロを未然に防ぐことができた。彼らは海を渡り各地に潜伏し、着々と準備を進めていた。目的は恐怖で世界を支配し、自分たちの安全を確保しようとすることだった。マーレとエルディアの安全保障体制が機能していて、事前に情報をキャッチすることができたのだ。拠点としている場所は全て抑え、テロリスト全員を拘束することができた。これはヒィズルの協力によるところも大きい。アズマビトはいくつかのイエーガー派とも陰のパイプがあるようだ。思想とは関係なく経済的利害でどことでも繋がれるアズマビトは本当にすごいと思う。天と地の戦いをもっても、エルディアだけに肩入れしているわけではないと各国に思わせることのできる手腕は見習わなければならない。キヨミさんをおばあちゃんだなんてとても言えない。まだまだ精力的だ。今のところ信用できる人だけれど、ぼくらも足元をすくわれないようにしなければならないだろう。弱みを見せるわけにはいかない。緊張するよ。


イエーガー穏健派とは対話を重ねてきたが、ぼくらが地ならしを止めたことを主権侵害である敵対行為だったとみなす者は依然多い。当然だろう。地ならしの威力を目の当たりにしたのだ。理不尽な暴力に対抗できるだけの武力を持たなくてはと考えるのは想像に難くない。そして、ぼくらはあの戦いでエルディアの仲間を何人も殺したのだ。その記憶がある者からは憎しみと懐疑の眼差しを向けられる。


そうした場面は他にもある。多くの国が集まる和平条約締結に向けた会議の席でのことだ。ぼくらパラディ出身のエルディア人使節団員に対して、強烈に怒りを向けてくる人物がいた。エレンがレベリオを襲撃したとき会場にいて生き残った中東のある国の大使だった。襲撃当時外交官になったばかりだったというその女性は僕らを激しく糾弾した。「何年たってもあの時の怒りは収まることはない。あなたたちはエレン・イエーガーとともにレベリオを破壊し、私たちの仲間を無差別に殺した。何を正義を気取ってこの席にいるのだ。私たちはあなたたちを決して許すことはできない」と。

会議の場は凍り付いた。公には、大量殺人を犯したエレン・イエーガーを、同胞であったぼくたちが世界を救うために討ち取ったことになっていたから。そうしたナラティヴがそれぞれの国にとって都合がよかったから受け入れられていたが、そこからこぼれ落ちる人々の怒りや痛みは確かにあるのだった。そしてそれはほとんどの人がわかっていることで、彼女に同調する意見こそ出なかったが、「そうだよな、こいつら正義を装ってはいるけれど、大罪人であることには変わりない」という空気がしばらく場を流れる。ぼくたちに対する嫌悪と冷笑の入り混じった冷ややかな空気。ぼくは何も言わずにその時間が通り過ぎるのを待つ。


記憶から消し去ることができない怒りと痛み…。実はぼくにもある。ぼくがアニと結婚したことは報告したね。アニは外交の一線を退き、ぼくらは現在マーレの海岸沿いの家に3人家族で暮らしている。娘も2歳になった。ヒストリアの3人目の子どもと同い年だ。ヒストリアは4人目を身ごもりながら公務をこなしている。あれだけ落ち着き、難しい判断も自信をもって行えるのは、夫君の存在が大きいからだ。夫君はヒストリアを支え、彼女が自身を肯定するのを助けている。家族の愛に恵まれなかった彼女が、当時の兵団の都合のいい相手の子どもを産ませられそうになることから逃れるために選んだ相手のように見えたのに、とてもいい人だ。働き者で、葛藤のない穏やかな笑みをいつも湛えている。やはりヒストリアは人を見る目があるということだろう。

ぼくはアニに恋をしていた。これはベルトルトの記憶を受け継いだことがきっかけだった。視察でストヘス区の地下牢に拘束されていたアニの姿を見たとき、一気に記憶が蘇り全身に衝撃が走った。「いた!心配で会いたくて、頭から離そうとしても夢にまで出てきたアニだ。」ぼくは毎日のように地下牢へ通ったのだった。

巨人の力が消滅するための大きな戦いに決着はついたが、その後の和平への取組は難航した。ぼくらに恨みを持ち命を狙う集団は後を絶たず、マーレとエルディアを行き来するのは毎回命がけだった。そんな中で使節団の一員であるアニもぼくを好きでいてくれたことを知り、天にも昇る気持ちになったぼくは、辛さから逃げる意味もあってすぐにプロポーズし、ぼくたちは結婚したのだった。


精神を消耗する毎日だったが、幸せでもあった。しかし、転機は訪れた。

あれは、一去年のことだっただろうか。マーレの自宅の庭で昼食をとっていた時のことだ。抜けるような青空。新緑がまぶしく、帽子無しでこの日差しを浴びるのは子どもによくないなと感じたのだから、確か初夏だった。羽音が近づいてくる気配がして空(くう)を見上げると、大きな蜂がいた。アニは立ち上がると首がすわったばかりの娘を庇うように構え、素早くサラダスプーンで蜂を叩き落した。その反射能力たるや、巨人の能力が消えた影響が微塵も感じられない早業だった。しかし、ぼくはその姿を見て体が硬直した。調査兵団の57回壁外調査でネス班長を叩き落した女型の巨人のしぐさにそっくりだったから。


ぼくらはあの頃、巨人を敵とみなし、人類存続をかけて戦っていた。女型の巨人はその最初で最強の知性巨人だった。ぼくたちはどんなに女型の巨人を恐れ憎んだろう。

女型の巨人がアニであるとの仮説を立てたのはぼくだ。エルヴィン団長の作戦は生け捕りだったが、いざとなったら命を奪うこともやむなしと考えられていた。そう、そうしないと自分たちが殺されるかもしれなかったから。

そのことに気づいてから、ぼくの苦しみは始まった。記憶とはやっかいなものだ。アニに恋し愛しく思う気持ちが確かにある一方、アニを憎み敵として倒さなければならなかった強烈な印象をぬぐうことができない。世界相手に憎しみをぶつけられた交渉の後は、家でアニとの過去に敏感になる。愛情と憎しみの記憶の矛盾でどうしようもなくなる。わかっているさ。あれはぼくと出会うずっと前のこと。子どもだったアニが国に利用され、どうしようもなかったのだ。アニが悪いわけではない。アニが今後敵にまわることはあり得ないし、それを言うなら、ぼくも人殺しだ。超大型巨人になって、マーレの軍港を破壊し港の住宅地を踏みつぶし、罪のない多くの人の命を奪った。そしてぼくらはエレンを倒すためエルディアを発つとき、抵抗してくる人間を協力して殺してきたのではないか。ぼくにアニの罪を責める資格はない……。隣を横切るアニのぬくもりと香りを感じるとき抱きしめたくなるが、全てを口にして責めたてたくもなる。アニはあの時ぼくの仲間を殺したろ?何で今ぼくと平気でいられるんだ。あのことをどう思っているんだ。ぼくは内側から引き裂かれる。そんな時ぼくは視線を反らして思いをかみ殺して沈黙するのだ。


アニはぼくの変化に気付いて悲しそうな目をする。おそらく理由はわかっている。いっそ別れた方が楽になれると感じることもあるよ。アニには仲のいいお父さんもいるし、娘も懐いているしね。ぼくがいなくてもきっと大丈夫だろう。しかし全てを切り捨てて負う傷の方がおそらく大きい。許し合える関係を長い時間をかけて作っていくしかないのだろうね。忌の際には気持ちが整理されているかな。ぼくたちはこうして表面的には何事もないように見えながら、簡単に埋まらざる深い溝を傍らに夫婦として家族として暮らしていく。


ミカサとジャンの話に戻そう。

実はジャンはモテて女の子をとっかえひっかえしていた時期がある。何をやっているんだろうと、不快に思うこともあったよ。今から思えばあれは反動だ。人類のためとか、世界を救うためとか、人のためばかりに力を費やしてきたから。ジャンはもともと自分を捨ててまで理想に尽くすタイプじゃない。沸き上がる感情を大事にし、身近な人と仲良く平和に暮らしていくのが似合う人だ。女の子からちやほや言い寄られるのはさぞや嬉しかったに違いない。でも、ある時気づいたんだ、そんなことは虚しいってことに。

ミカサは君がいなくなってからしばらくは何もしなくなってしまって、ぼくはずいぶん心配した。君の眠る木の傍(そば)でヒストリアが用意してくれた小さな家で静かに暮らしていたんだけれど、髪の毛は伸び放題、筋肉も落ちてやせ細り、いつ会いに行っても身体はおろか顔すらもしばらく洗っていないような状態だった。ヒストリアやキヨミさんが時々は人を送って食事や身の回りの世話をしていたようだったけれど。まるで世捨て人のようだったよ。毎日エレンのことを思って祈りを捧げていたんだろう。そう、あの小さな墓碑も、イエーガー派の聖地にされることを恐れて撤去してしまった。今、在りかはミカサしか知らない。

ぼくはエルディアでの会議のたびにミカサに会いに行ったが、ジャンはもっと頻繁に訪ねていたようだった。そして、和平交渉の使節団を辞めると言い出した。今では、エルディア・シガンシナの農業ギルドのリーダーだ。

信じられるかい?結婚を決めたというのにミカサとジャンは手をつないだこともないそうだよ。ジャンってばね、「ミカサに合法的に触われたのは、訓練兵の時の格闘訓練だけだ」なんて照れ隠しに言っていたっけ。ジャンはミカサと二人きりになるとエレンの思い出話ばかりをした。時には「あいつ頭に血が上りやすくて、俺はどうやって怒らせようかいつも考えていたんだぞ」などとエレンをからかうような軽口をきき、ミカサの笑みを誘っていたらしい。

ジャンは、ミカサがミカサのままでいることを生涯許してくれるたった一人の男性だった。ジャンも、ミカサの中にエレンがいることを承知でともに生きることを選んだ。ジャンにとっても、エレンといた数年間は代えがたい人生の時期だったのだろう。

実はミカサには、ヒィズルから度々縁談が来ていたらしい。アズマビト家はミカサの血筋が欲しいのだから。しかし、ミカサがぬけ殻のようになってしまい、ミカサの次の世代に望みをかけることでキヨミさんは割り切ったみたいだ。

結婚式前日までに手もつないだことがないカップルに子どもが生まれるのだろうか…?それはこれからのことでわからない。でも、あれだけ女性関係があったジャンが最終的にミカサを選んだこと、そのジャンをミカサが受け入れたのだから、二人の第二の人生はまさにこれから始まりを迎えるといってもいい。


ミカサの花嫁姿はきっときれいだよ。君がいたら嫉妬で青ざめるかもしれないね。…そんな君のリアルなイメージがなくなるまで9年の月日を要したということだろう。


暴力によらない対話による交渉。身の危険を感じることもあるけれど、ぼくにはまだ役割があると感じる。海にたどり着いた後の絶望に比べれば希望がありすぎるくらいさ。対話の場があるんだから。ぼくはぼくの役割を果たす、君がしたように。


自分に人類が救えるとは思わない。でもぼくのできるかぎりのことをして、次の世代に託そう。ミカサはきみのことを忘れることはないだろう。でも安心してくれ。きみを忘れないミカサをみんなで支えていくから。巨人のいない世界はそんなにいいことばかりじゃなかった。でも、ぼくには未来の記憶はないけれど、巨人がいない世界でぼくらの人生が続いていくのが見えるんだよ。エレン、どうかぼくたちをいつまでも見守って欲しい。


後書き

進撃の巨人の卒業(小)論文のつもりで書きました。もう書くこともないでしょう。
進撃の巨人が完結を迎えて、謎に整合性を与えようと頑張っていた知性・教養・論理性に溢れる人は批判の嵐を吹き荒らしていました。なんだ、この終わり方はwwwとね。その方々の考察は面白く、興味をもって読んできましたが、私はそこまでの不満はなく、ああ終わってしまったな、という感じです。ただ、美談になってしまった点が少し不満で、自分なりに書き足してみました。
人の怒りや憎しみ哀しみは、相当な時間とエネルギーを費やさないと癒されないのではないでしょうか。アルミンとアニが恋愛関係になる様子が原作で描かれていましたが、あの二人が穏やかにはとはいかないと感じました。どんな夫婦でもカップルでも、相手に不満を抱いたり時にはいやになったりすることがあるでしょう。それでも折り合いをつけて長い時間をかけて信頼し合う関係を作れる人たちだけが最終的に伴侶となっていける。彼らはそうなれるでしょうか。
私はロマンチックラブイデオロギーには懐疑的なのですが、思い切りロマンチックラブになってしまったかなあ。でも、ミカサとジャンの関係は違いますね。何にせよ、伴侶が見つかるというのは、育ちの中で愛着関係を築けた人にとっては大きな安心感を得られることなのではないかと思うので結婚制度は否定しませんね。ま、結婚でなくてもいいんでしょうけど。登場人物の中で、生涯シングルの人っているかなあ。ピークとか?
進撃の巨人を読み続けて、私の知らなかった知識と結びつけて考える人や登場人物に自分の経験を重ねて本音を語る人と分かり合おうとする体験ができたのはとても楽しかったです。いつまでも続けていたいけど、そろそろ終わりにしなくてはね。みなさん、ありがとう。そして進撃の巨人、作者の諌山さん、担当のバックさん、かかわったたくさんの方々いっぱい楽しみを与えてくれてありがとうございました。拙文を披露させていただいたこの場にも心から感謝します。またどこかで出会えると嬉しいです。


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1: SS好きの名無しさん 2023-12-09 23:33:00 ID: S:Rc7_UN


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