2021-10-30 16:59:44 更新

1

「君のことは好きじゃない。」

僕はいつものように素直なことを言い放っていた。相手は高校で僕が最初に打ち解けた(男3)だ。同じテニス部ということもあり話す機会は多かった。にもかかわらず、高校入学から2か月たった今でも話す話題は変わらない。具体的には、テストの話、テニス部の先輩の話、学校の先生の話、ネットで話題のニュースの話などだ。もちろん僕から話題を振ることもあった。自分の話題を押し付けると一方通行になるだろうと思い、最初は彼のことを知ろうと努めた。彼の小さい頃の話、彼の趣味などに加え、彼の好みのタイプをも聞き出そうとした。しかし彼は自分のことを話したがらなかった。彼の回答はいつも、「普通だよ」「面白くないよ」といったものだ。「趣味を探すことが趣味」など冗談を交えてごまかそうとしたこともあった。聞き返してくることも多かったため、僕は彼が答えやすくなるように何事も隠さずに答えた。が、話はここから続かなかった。

僕は入学して一か月のころにはクラスの人とはほとんどと、部活の人とは全員と話せるぐらいに高校に馴染んでいた。女子からの評価も上がっているのだろう。その証拠に女子同士の会話に僕の名前が登場することがしばしばあった。といっても彼女は今もいないのだが。

それから、いろいろな人と話していると(男3)の中学時代の同級生を発見した。全員と話せるといっても、一番話していたのは変わらず(男3)だったので、その子に(男3)の話を聞いてみた。ここまでなにも僕に話してくれないのはただものじゃないに違いない。なにか知られたくないことがあるのか、ひょっとしたら前科持ちなのかそんな期待を膨らませていた。が、返答は真逆だった。本当に彼は普通だった。趣味らしき趣味もなかったし、恋愛の話も全くなかった。ずっと僕は彼が自分のことを話したくないだけだと思っていたが、実際のところ違っていた。彼は本当のことを答えていたのだ。彼の隠された部分に期待していた僕は、おいしそうと思って買ってきたクリームパンを実際に食べてみると真ん中の一部にしかクリームが入っていなかったような、そんな失望を感じた。それと同時に彼との絶交を決意した。

「そうなんだ…」

彼は少し悲しそうにそう言った後、テニスの練習に行った。僕はいつもの彼の笑顔からは想像もできないような悲しい表情に多少の気まずさを感じたため、彼の姿が見えなくなってから僕も部活に行った。

その日の部活はいつも通りだった。僕と(男3)が口を利かなかったこと以外は。

「(男3)、集合だぞ!」

彼は集中していなかったらしい。その証拠に実戦では、彼には珍しくミスを連発していた。練習の合間を見ると何か悩み事をしているかのように見えた。もっとも、僕にはなんのことか明確だったのだが。そのまま部活は終わった。入学して以来ほぼ毎日(男3)と下校していたため、久しぶりに一人で帰る。一度靴を取りに校舎に戻った。靴ひもを結びながら横にある花壇をぼんやり眺めた。時期を早くして枯れてしまったキンセンカが夕日のスポットライトを浴びていた。

それから数日が経過した。僕はいつも通りの生活を送っていた。周りの友達は彼のことを気にせずに会話をしてくれた。というか彼は彼で僕以外の子と関わっていたので、周りが僕たちの関係がなくなったことに気づかなかったといわれても何もおかしくない。かくいう僕自身も(男3)のことを気にしていなかった。とは言っても部活が同じである以上目に入る機会は多々ある。距離をとっていたのと、彼が練習に一生懸命だったのもあり、話すこともなかったし気まずくなることもなかった。しかし、1人でいる時間は明らかに増えた。練習はランニングなど、この時期は1人でするメニューが多いので気にすることではなかったが。僕が1人で休憩していると、テニス部の先輩である(女2)が話しかけてきた。自分で言うのもなんだが、僕のルックスは悪くなかったので女の子から喋りかけられることは少なくなかった。しかし、女性の先輩から話しかけられたのは初めてだ。

「最近(男3)と話してないね。何かあったの?」

彼女は僕たちの関係の悪化(僕は悪化とは思っていないが)に気づいていたのだ。僕はその一言に衝撃を受けた。一瞬、ここまで誰からもその話題降られなかったことに案外自分のことなんて誰も気にしていないんだなぁということに気づきがっかりしたが、その思いは1秒もしないうちに、彼女は僕のことをちゃんと見てくれたという嬉しい気持ちに変わった。すると、彼女の美しさも相まってかちょっとだけ返答するのに緊張した。

「喧嘩…というと違いますかね。とにかく色々あってここ2週間ぐらい話していません。疎遠になったって感覚に近いと思ってください。」

僕は何とか平然を装って答えた。が、さすがは先輩。1年長く生きているだけある。僕の心中はお察しのようだった。

「私で良ければ話を聞くわ。もし良かったら部活終わったら一緒に帰らない?僕くんが私と同じ道で登校してるの知ってるし。」

先輩は僕の登校ルートまで知っているのか。なんて洞察力だろう。もしかしたら世話好きなのかもしれない。断る理由もなかった僕はもちろん承諾した。

「それじゃ、練習行ってくるから。僕くんも頑張ってね!」

「はい!先輩も頑張ってください!」

そう言って彼女はコートへ向かった。僕は帰ることを楽しみに練習をいつもの2倍ぐらい頑張った。

部活が終わり約束の時間になったので、僕は集合場所である東門に向かった。

「ごめーん、お待たせー!」

僕が着いてから2分後ぐらいに声がした。振り返ると、時間がなかったのかテニスウェアの先輩がいた。

「急がせちゃってすみません。」

てっきり制服で来ると思い込んでいた僕はなかなか先輩と目を合わせられなかったが、彼女が何も気にしていないように一緒に帰ろうと声をかけてくれたおかげで僕も緊張せずに会話することができた。

「それで、何があったの?」

そうだ、僕はこのために一緒に帰ることになったのだ。しかし先輩と一緒に帰ることということが嬉しすぎたためか舞い上がってしまい、返答を全く考えていなかった。もっともらしい嘘を用意していなかった僕は素直に言うことにした。

「絶交したんです。僕から。」

「なんでそんなことしたの?」

「僕の思ったことを言ったそれまでです。」

しばらく沈黙の時間があってから先輩は言った。

「それで、僕くんはよかったの?」

「いいかどうかなんてわかりません。でも、そうするように決めたんです。」

僕は続けていった。

「その選択を正解にするためにあの日から僕は(男3)のことを気にしないようにしていました。」

僕は(女2)先輩になら何でも話していい、むしろ僕の話を聞いてほしいと思い、ついつい口が滑ってしまった。

「何かありそうね。よかったらそうなった経緯を聞かせてくれない?」

僕はこんな後輩一人の話に付き合ってもらうなんてと先輩に申し訳なく思ったが、ここまで来て話さないほうがいけないと思い、過去を打ち明けることにした。

「話長くなりそうなので、店でも入りません?」

「ちょうど今日は外で食べていこうとしていたからいいわよ。ファミレスでもいい?」

「もちろんです。ありがとうございます。」

「いいよ全然。じゃあ今日は僕くんにおごってもらおうかしら。」

「当然です!」

僕が先輩にしてあげられたことは何もなかったため、その一言はむしろ助かった。もしかしたら先輩は僕の気持ちを察したのかもしれない。そういってファミレスに入り注文を終えた後、僕は過去を話し始めた。先輩は熱心に、相槌を打ちながら僕の話を聞いてくれた。

2

小学校3年生の国語の時間。

例年ならもっと涼しいはずだが、今年は温暖化の影響もあってか気温が高い。ただでさえ暑い教室に、クラスメイトの汗が蒸発して湿度も上がっていた。独特の臭いと蒸し暑さが我々の集中力を奪っていった。先生の音読途中ではあったが、みんなの様子を見て僕は挙手をした。先生は一度音読をやめて、僕のほうを見た。

「先生、暑いので扇風機を付けてください」

先生が理解ある人だったのもあり、5月だったが扇風機をつけてくれた。

去年から一緒のクラスだった人は少し笑みを浮かべた程度だったが、僕のことをあまり知らない人は歓喜の声で先生に礼をいった。

僕自身はじぶんのためにやった感覚しかないが、みんなが喜んでくれるならそれに越したことはない。僕にとってはそういう行為があたりまえのことだったし、感謝の矛先が先生に行こうが僕に来ようがなんとも思わなかった。それもあってか、当時の僕は同学年には優しいほうで、比較的人気もあった。大人に対してはやや反抗的であったがそれさえも僕の人気を後押ししたのかもしれない。先生は音読を再開した。


「記録、30メートル」

外から元気な男子の声が聞こえた。どうやらソフトボール投げをやっているらしい。そういえばもうそろそろ体力テストがある。野球をやっている身として、情けない記録を出すわけにはいかない。今週末にでもこっそり練習しよう。そんなことを考えたのと同時に、外の声が聞こえたため、先生による教科書の音読がようやく終わったことに気が付いた。先生は、声のトーンを一つと言わず三つぐらい上げてこう言った。

「もし皆さんがこの物語の主人公のように一つだけ願いが叶うということがあれば何をお願いしますか。」

クラスのみんなはこれまでの態度とは打って変わって目をキラキラ輝かせていた。僕も例外ではない。その態度の変わりように先生は我々の気持ちを察したのだろう。

「では、決まった人から挙手して発表してみましょう。」

今までの授業の発表の場面では、みんな同じことしか言わないし、不幸にもそれが先生の求めていた答えだったからつまらなかった。同じように感じていたのは自分だけじゃないはずだ。しかしこの問いかけは今までのありきたりなものとは明らかに違うオーラを放っていた。その正体を当時小学生ながらひねくれていた僕は見破っていた。それは、答えが無限個あるまさに自由な問いであるのにも関わらず、何かの願いにはそれを包含してしまう上位互換が存在しているということだ。もちろん素直に発表する人もいた。というか約半分の人はそうだ。彼らは比較的すぐに挙手をし、次々に願いを言っていった。その内容は実にさまざまであった。中には小学生らしく世界征服といった人もいた。先生はどんな意見にも素敵な願いですねといっていた。しかし、僕を含めた数人はつまらなさそうな顔をしてなんとか答えを見つけ出そうと真剣に考えていた。最初に考えることは、現在を最適化することだろう。しかし、それでは一時の幸福で終わってしまう。そこで先延ばしにするべく、将来に保険を作る、ここまでは全員がたどり着くセオリーだ。そこから1歩踏み込む。未来はいずれ訪れるし、自分の力で変えられる。となると、過去を変える方がいいのではないかと考え出す。確かに今までのみんなの意見は大きく分けると、今の悩みの解決、将来の夢の実現、過去の未練の払拭になるということに気が付いた。みんなの意見を脳内でまとめながら今までに出てきた意見の最適解は過去に関する願いだろうと思っていたところに、真剣に考えていた数人の中の一人、(男2)が立ち上がり意見を言った。

「過去を変えると僕たちと会えなくなる可能性がうまれます。それ以外にも今のあたりまえが変わってしまうかもしれません。」

少し自己中心的な考えに不満を覚えたが、彼の言っていることは正しかった。危うく過去に関する願いを発表するところだったので新たな視点をくれたことに心の中で小さく感謝した。僕は今決して不自由を感じているわけではないのだ。というかここにいる人の全員がそうだろう。

過去を変えることにはリスクが伴う。たった一つの願い事をそれに使うのはギャンブルのようでならないのだ。もしこれがふたつの願い事であれば過去を変えつつ現在の関係を維持することは簡単だ。三つなら未来のことも変えられる。そこで、過去、現在、未来を包含する概念を考えた。もちろんそんな願い事をする時のみに使うような適した言葉は辞書を引いても見つからなかったし造語するのはなんかダサい。また、過去、現在、未来以外の概念も生まれるかもしれない。そう考えていくうちにこの問の鍵は数字だと気づいた。概念の数を直接いじることが出来れば全てを包含できる。それに気づいた僕は自分を天才だと思い疑わなかった。そして誰かの発表が終わったあと、自信満々に挙手をした。元々手をまっすぐ伸ばすようなタイプではなかったから当時の先生からしたら僕の思いついたことはわかったかもしれないがそんなことを考える余裕は当然ない。発表したくて仕方ないのだから。

「僕さん、どうぞ」

「僕のたった一つの願いは、百個の願いを叶えることです!」

一同騒然とした。その発想はなかったと言わんばかりのざわめきだった。今まで素敵な願いですねとばかり言っていた先生が呆れた表情をしていたというのはあとから聞いた話だ。当時の僕は答えのない問題の答えを見つけたという優越感にひたっていた。

僕の発表後、一気に挙手はなくなった。答えのない議論に終止符を打ったのだ。

そのまま数分が経ち、終業のチャイムがなった。チャイムが鳴るとすぐに、僕と同じ野球クラブに所属していた(男1)が話しかけてきた。僕はてっきり、彼がさっきの答えに嫉妬したかと思った。が、彼の放った一言は真逆だった。

「お前って臆病だよな。」

わざとらしく大声で言った。声変わりもしていない癖によく通る声だ。授業が終わってすぐというのもあり、教室に残っていた一同は僕の方を見た。彼は続けて言う。

「お前が待てのサインも出てないのにいっつも初球見逃してるの知ってるぞ。」

なんだその事かと安心したのもつかの間、

「男だったら願いひとつぐらい決めろよ。」

その言葉は僕の核心をついた。そうだ、僕はひとつの願い事を決める勇気がなかっただけだったのだ。でもそんな簡単に認められない。これは奴の負け惜しみだ、そう言い聞かせようと試みたが、その心の声をかき消すように、女の子のグループがこちらをチラチラ見て笑っていた。そこには僕が1年生の頃から好意を寄せていた(女1)もいた。幸い(女1)が笑うことはなかったが、僕には全く興味無いと言わんばかりに黙って俯いていたので複雑な気持ちだった。ここで負けを認めてしまえば今まで積み上げてきた好感度が一気になくなるような気がした。さっきの優越感とは反転、僕は劣等感と羞恥心に苛まれていた。こんな姿を見られたくないとなんとか動揺を隠し、話題を逸らした。

「今日も帰ったらあのゲームやろうぜ。お前のアタッカー上手いんだよなあ。」

しかし、それは悪手だった。

「そういえば、お前いつも後衛で回復キャラしか使わないな。俺を助けてくれることもあるが、どうも自分が死なないような立ち回りをしてるように見えるぞ。ゲームって性格出るんだなー」

少し冗談交じりに話しただけだろうが、僕には効果覿面だ。

僕がみんなに優しくしていたのも本当は嫌われるのが怖かっただけかもしれない。彼が人格否定をするような人じゃないと知りつつも今までの自分の行為を全て否定された気がした。

さっきの蒸し暑さとは裏腹、太陽が雲に隠れたのか日差しはなく、窓から僕を嘲るような痛い風が吹きつけてきた。風速が速くないのが拷問のようにも思えて余計嫌だった。

なんとか(男1)と帰ることには成功したが、その日の下校はただひたすら愛想笑いをすることしかできなかった。放課後一緒にやったゲームも全然楽しくなかったのを覚えている。この時支えになったのはゲームを沢山やることを願いにしていた男子が数人いたことを思い出したことだ。ゲームなんてリアルに余裕にある人がやるもので、楽しくなくなることなんてざらにある。そんなことをひとつの願いに使うなんて愚かな事だ。自分より下の存在を見ると安心した。彼らが自分より下かというのも怪しかったが当時の僕はそう思うしかなかった。


僕の忸怩たる思いは(男1)への復讐の念へと化していた。といっても彼が悪くないというのは当然わかっていた。そこで、決断力のある強い男になると決心した。普通の人なら好きな人にフラれてから経験する感情を僕はこの時点で味わっていた。それぐらい小学3年生にとって友達の持つ意味は大きい。

口では簡単に言えるが、性格はすぐに変わるものではない。そのため、意識的に変えていく必要があった。

「体が先、心は後だ。まずは体を動かせ。」

これは父親の口癖だ。口癖というほど沢山言っていたわけではないが、僕が最も心に残っている言葉には違いなかった。その教訓を思い出し、僕はまず行動を変えていった。

1ヶ月ぐらい経ってからだろうか。その効果は僕にとってプラスの形で表れた。野球では必ずファーストストライクを狙うようになった。また、今まで追いかけていたボール球は相手投手が投げた瞬間から見捨てることが出来た。すると、僕の打率はどんどん上がった。ゲームにおいてでいえば、死を恐れずに積極的に前衛にいった。結構やりこんだのもあってか、校内の男子の間では僕のゲームのうまさが評判になるほどだった。

恋愛においても例外ではない。今までの僕は気になっている子が1人いつつも、他の子達とも平等に接していた。しかし、1番好きなのは(女1)だ。というか(女1)以外の子に好きという感情はわかなかった。そこで、(女1)を特別なものとして見ていき、積極的に話しかけるようにした。話をしていたある日、僕達は公園で遊ぶことが決定した。昔よく遊んでいたあの公園だ。

彼女は砂場で遊ぼうと言ってきた。昔のことを思い出した僕は迷わず賛成した。彼女は楽しそうに山をつくったり、泥団子をつくったりしていた。最初は僕も彼女と一緒に遊んでいたが、何故か全然楽しくなかった。何故かと言ったが、その理由は明白だ。それは、砂場には何も目的がないからだ。文字通りサンドボックスだ。昔はこういうのが好きだったのに性格は好みさえも変えてしまうのかと思いつつ、僕は彼女に登り棒で遊ぶことを提案した。(女1)もその提案に乗ってくれた。僕たちは、どっちが先に上まで登れるかと競争して楽しんだ。

「遅いなー。早く来てよー!」

見上げると、上にある細い金属の棒に腰を置き、足をぶらぶらさせて退屈そうに待っている彼女がいた。

「(女1)、速いな。すぐ行くから待っててくれ。」

基本負けず嫌いの僕だが、この時は楽しさが勝っていたのか全然悪い気がしなかった。

「ハァ…お待たせ。」

息を切らしながら僕は彼女の隣に座った。

「私の勝ちだね。」

「なんでそんなに速いの?」

「昔はよく登り棒やってたんだぁ。ここに座るのが好きでね。ほら見てよ、大人がこんな小さく見えるよ。」

彼女は得意げに言った。こんなに無邪気で楽しそうな彼女の表情は初めて見た。そんな表情を見ると、むしろ負けてよかったと思った。これが俗にいう試合に負けて勝負に勝ったというやつか。よく聞く言葉だが、こんなところで体験するとは意外だった。

こうしてここに座っていると、世界から二人だけが取り残された、いや、二人だけの世界に行ってしまったような気分になる。一生こうしていたかった。彼女はどう思っているのだろうか。気になりはしたが、聞くのさえ億劫になるぐらい心地が良かった。というか彼女の悩み一つないような晴れ渡った表情を見ると、それは聞くべきことではないとわかった。

僕たちの時間に夕方のチャイムが終わりを告げた。

「まだ明るいのにね。チャイム鳴っちゃったから降りよっか。」

「うん。また来ようね。」

彼女は僕の声が耳に届かったかのように登り棒を降り始め、ひとりで何か探し物をしているかのようにどこかへ歩いて行った。実際、風であまり聞こえなかったのかもしれない。少し不思議に思いつつも、僕もここから降りることにした。

「それにしても日が長いな。今日は夏至って言ってたっけ。」

僕はわざと彼女に聞こえるぐらいの声で独り言を言った。彼女はこちらをちらっと振り返ってきたので、どうやらそのまま帰るわけではなさそうだ。登り棒の上では、ずっとぼーっと座っていただけで会話が少なかったことを思い出し、もしかしたら彼女を退屈させてしまったのかもしれないと考えたが杞憂に終わりそうだ。

3分ぐらい経ってからだろうか。彼女が僕の方に走ってきた。探し物は終わったのだろうか。両手を後ろにしながら笑顔で近づいてきた。

「これ、あげる。」

彼女は両手に持った2輪の花の1輪を僕に渡してきた。全く花に興味がなかった僕だが、彼女が持っていたものが両方同じ種類だということは何となくわかった。

「ありがとう。どこで拾ってきたの?」

「花壇にあったんだけど、ちょうど2輪だけしおれてたんだ。さっき来た時に見つけて、持って帰ろうと思ったんだ。」

見た感じ無理やり引き抜いたって感じではなさそうだ。確かにしおれてはいたが、彼女の言う通りきれいだった。本来なら公共のものを勝手にとったという罪悪感や背徳感がわくのかもしれないが、しおれた花に同情したのか、いい気分でいた。町を壊してまで敵を倒したヒーローはこんな気持ちなのだろう。

「きれいだね。この花の名前、なんていうの?」

「キンセンカっていうんだよ。ママが教えてくれた。」

「へぇー、詳しいね。大切に保管するよ。」

「うん、私も。」

彼女は満足そうに笑った。僕が花に興味を示したのが嬉しかったのだろうか。彼女の誕生日プレゼントに花を上げた日にはどんな反応をするのだろうか。想像するだけでも楽しい。そのためには冬の花も調べておかないとな。

「じゃあ、帰ろっか。」

「そうだね、こんな時間だし。今日はありがとうね。すごく楽しかった!」

「僕も楽しかったよ。」

「あと、その花なんだけど、帰ったらすぐに水あげしてね。そうすれば、ちょっとは良くなると思うから。」

「水あげ?どうやって?」

「うちについてきてくれたらやってあげるよ。来る?」

「うん!じゃあお願いしようかな。」

「オッケー!まあすぐ終わるけどね。」

そう言って僕達は自転車にまたがった。(女1)の家は知らなかったので、彼女のあとを追いかけることにした。黄色いヘルメットから完全にはみ出しているツインテールは、僕に捕まえてと言うかのように、風になびいていた。長髪が僕に挑発しているのだろうか。彼女の性格のせいか、そんなことも考えてしまった。

「ちょっと速くない?」

女の子だということで完全に舐めていた僕は、彼女の意外な自転車の速さに驚き、ギアをあげて腰を浮かせた。

「はやいー?だって、風が気持ちいいんだもん!」

彼女は楽しそうに言った。いつも面倒くさそうに自転車を乗っていた僕に彼女の無邪気な口調は、改めて日常の楽しさを教えてくれた。

「ここが私の家だよー!」

公園から10分ぐらい自転車を漕いだだろうか。僕達は彼女の家の前に止まった。

「じゃあ、それちょうだい。すぐ終わるからここで待ってて。」

僕が公園で貰ったキンセンカを渡すと、彼女は急いで家に行ってしまった。

彼女の家は外装からも古いとわかるぐらいで、また、家族で住むには十分である広さはなかった。普段の彼女の素振りからは想像できないが、それだけ彼女がこの日常を楽しんでいることを考えると、見下すような気持ちになるどころか少し説教されているような気持ちになった。こういう何気ない日常を楽しめるのは一つのステータスなのかもしれない。

「おまたせー!さっきより元気になったから家に帰ったらすぐ花瓶に生けてあげてね。」

少ししてから彼女が家から出てきた。確かに彼女の持っている花はさっきとは別物のように輝いている。そして、2輪持ったうちの1つを僕に渡した。

「わかった。ありがとう。」

彼女からキンセンカを受け取り、自転車にまたがった。

「じゃあね。」

「うん!これでずっと一緒だね!」

彼女はだいたいこんな意味のことを言った。が、夜も遅いので早く帰ろうとしていた僕はもう自転車を漕ぎ始めていた。正確には立ち漕ぎで速く走っている姿を彼女に見せたかったのかもしれない。それぐらい、暗闇の中で自転車のかごに花を入れ、風を切るように走る姿を我ながらかっこいいいと思っていた。

当時の僕はなんて愚かだったのだろう。今から思えば、そんな姿はかっこよくもなんともないし、むしろ相手に「こんな遅くまで申し訳なかった」や「私といるの楽しくなかったかな」と思わせかねない。ただ、一緒にいても何をするかわからなかった僕にはそれ以外の選択肢がなかった。だったら帰ると判断するのが僕の性格だからだ。愚かとは言ったが、何回やり直してもその判断は変わらない。しかし、思い返すと多少の後悔が出てきてしまうのも事実だ。まあ、こういう機会でしか思い返すことはないのだが。


それから約一か月が経った。その間はというと、一緒に帰ったり、話す機会が増えたりと今までより仲良くなった感はあったが放課後に遊ぶような大きなイベントはなかった。

「以上が夏休みの宿題です。では、夏休み明けに宿題と命を持って登校してください。元気な皆さんと再会できることを楽しみにしています。」

先生のあいさつが一通り終わったので、僕は一緒に帰ろうと(女1)の方を見た。いつもだったらすぐに目が合うのだが、その日の彼女はうつむいていた。みんながランドセルの片付けを始めたとき、先生は手を挙げて大きな声でこう言った。

「もう一つ、悲しいお知らせがあります。」

この時の感情はいまいち覚えていない。周りの明るい雰囲気と僕の夏休みへの期待は一瞬にして消えた。前を向くと教壇には(女1)が立っていた。僕の悪い予想が当たったみたいだ。

彼女は言葉に詰まりながら今までの感謝を伝えた。僕はショックが大きすぎて彼女が何を言っていたかは覚えていない。ただ、公園で彼女が言っていた言葉が思い返されただけだった。彼女が僕を騙していたとは思えない。僕がそれを打ち明けてくれるような存在になれなかったことを悔やんだ。それだけではない。彼女の転向理由は父親の転勤だ。数ヶ月前からみんなの前であまり笑わなくなったというような彼女の変化でも気づけたし、彼女の家の様子でも気づけた。他にもたくさんあっただろう。それなのに何も声をかけられなかった。もちろん、それを聞いても彼女が答えなかった可能性はある。しかし、多少の自惚れであっても、彼女の公園で魅せた笑顔は、僕を頼っていたものだと信じている。これは、声をかけようか迷っていたわけではない。性格上、迷うぐらいなら声をかけていただろう。僕が鈍感なために気づかなかった。「気づいたらやれ」という言葉があるが、「気づく」というのが僕にとって1番難易度が高い。というか多くの人がそうだろう。その言葉は、怒った大人の常套句に過ぎないのだから。

僕が落胆して座っていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。小さい手でそっと2回。からかいでもなぐさめでもなかった。でも、あたたかい色をしていた。気づいてほしそうな、そんな感じだった。

「一緒に…帰ろ。」

(女1)が手を差し伸べてくれた。肩をたたいていたはずの右手には、僕のランドセルを持っていた。

数か月前の僕ならここで返事ができなかっただろう。辛さで泣きわめいていてもおかしくない。しかし、この場において辛いのは明らかに(女1)だ。その彼女が僕を誘っているのだから、いや違う。あの日から変わったから、僕は悲しい気持ちを振り払って精一杯の笑顔で言った。

「うん!いいよ!」

僕は彼女からランドセルを受け取り、(女1)の右手と僕の左手で手をつないだ。

「私、あのときから僕くんが好きだったんだ。」

僕が何を話そうかと考えていると彼女から話しかけてきた。彼女の言ったあの時とは明白だった。この好きが恋愛感情によるものかはわからなかったが、僕の返す言葉はひとつだった。

「僕は最初から(女1)のことが好きだったよ。」

「好きだった…?」

「いや、今も、そしてこれからもずっと好きだ。」

「ありがとう。私も。」

「こ…」

「それじゃあ、もう引っ越しの準備あるから。その言葉が聞けて良かった。バイバイ」

僕と彼女の声が重なり、僕は思わず引いてしまった。これから公園に行こうと誘おうとしたが、公園というワードは言えなかった。言って断られるほうがつらいかもしれない。彼女が実際、そこまで気遣っていたかはわからないが、ちゃんと理由を言ってくれたので、ある意味救われた。


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