大好きだった ただ それだけの事。ー2ー
[chapter.2 歪(ひずみ)]
柚月と山崎が体の関係をもつまでに大して時間はかからなかった。
お互いしか居ない。
この事が二人の距離を一気に縮めた。
「ごめん、大丈夫?子供できちゃったら…ごめん。でも、できたら俺、大事にするよ。」
と真剣な顔で話す山崎に柚月はもう何も隠す必要はないと思った。
「山崎さん…あのね、私…子供…できない体なんだ…」
「え!?そうなの?じゃあ、できたら奇跡の子供だね!」
山崎はとても前向きだった。
柚月の子供ができない体というコンプレックスをこれもいとも簡単に受け入れたのだ。柚月は本当に嬉しかった。
「山崎さん…山崎さんは私が守るからね。」
全て受け入れてくれたせめてものお返しをしたかったのだ。
それから柚月は毎日山崎に弁当を作って持って行った。
「山崎さん!今日はね、おやつもあるんだよ〜。」
工場では苗字で呼ぶものの、二人きりの時は下の名前「竜也(たつや)」と呼ぶようになっていた。竜也は恥ずかしいからと言い、職場の人達には秘密の付き合いだった。
柚月は少しでも受け入れてくれた竜也の【自慢の彼女】になりたくてメイクを研究したり、ダイエットをしたり、綺麗になろうと努力をした。
竜也に
「綺麗になったね。」
そう言われると柚月は少しでも喜んで欲しくて努力を重ねた。
竜也は仕事が終わると毎日柚月に電話をしていた。そしてその電話が鳴る度に二人でデートをしていた。毎日、食事を共にしたり、竜也の家へ行ったり、ラブホテルへ行ったり。
柚月は二人の仲が深くなっていくのを感じていた。
ただ、竜也が仕事が休みの日だけは会う事ができなかった。竜也は友人が多く、休みになると友人と遊びに行っていた。
しかし、竜也は元嫁に仕送りを続けていて金が無かった。
その為、竜也と居る時の支出は全て柚月が出していた。
それでも竜也と居られる事が柚月にとってはとても嬉しい事だった。
二人きりになると、互いに違う人格に変わる事もあった。それでも竜也は柚月の他の人格も優しく受け入れた。
『こんな人、他にはいない。』
受け入れるどころか信じる人すらいなかったのだから。
竜也が仕事の日は毎晩会い、体を重ねていた。避妊は一切していなかったが、子供ができることは無かった。
柚月の不妊は初潮が来ない事から発覚していた。竜也との子供を望む柚月は婦人科へ通った。しかし、医師から告げられたのは
「自然での妊娠は99%無理」
という事実だった。柚月は何度も何度も泣いた。それでも1%にかけて婦人科へ通い、できる限りの治療を受けた。
そんなある日、柚月は体調が優れなかった。竜也からの電話を受け、会いに行くも体を重ねる気にはなれなかった。
「竜也、今日は体調悪いから…ごめん。」
と柚月が言うと
「俺、毎日抱き合いたいよ。一日でも早く子供ができるように…って思ってた。柚月の事を愛してるから抱きたいと思うんだよ…」
とうなだれて竜也が言った。
「今日はごめん…」
柚月は申し訳無さそうに答えた。
すると竜也は溜め息混じりに
「俺だけだったのかな…」
と呟いた。
柚月はそんな事ないと否定したが、竜也はしばらく落ち込んだままだった。そんな思いを竜也にさせてしまっているという罪悪感から柚月は言った。
「さっきはごめんね、私、大丈夫だから…しようか?」
竜也はとても喜んだ。
柚月の心に小さなほころびが生じた。
それから何ヶ月もそんな日々を過ごした。
ただ、体調不良でセックスを断ると一度断った時と同様の事を繰り返していた。
その度、柚月の心のほころびは拡がっていった。
『ヤれない私はいらない?』
頭の片隅でよぎっては、そんなハズはないと自分に言い聞かせる様になっていった。
ある日
「ねぇ柚月。明日、俺休みじゃん?休みの日なかなか会えないから、たまにはドライブ行かない?」
竜也から初めての休日の誘いだった。
もちろん柚月はとても喜んだ。
「行く!嬉しい!どこに行くの?」
「それは明日になってのお楽しみだよー」
初めての【ちゃんとした】デートに柚月の中の不安が少し和らいだ。
翌日、柚月は弁当を作って、たくさんのお菓子を持って、子供のようにはしゃいでいた。
待ち合わせの場所へ行くと竜也はもう待っていた。竜也の車に乗り込むと柚月はある事に気付いた。
竜也が仕事の服を着ていたのだ。
「え、仕事?入っちゃったの?」
残念そうな柚月に竜也が言った。
「ん?昨日さ、路線ドライバー頼まれちゃってさ。隣の県の端の方からこっちの方まで行く事になったから、柚月がいたら楽しいだろうなと思って誘ったんだ。フツーにドライブみたいなもんだよ。」
『仕事の暇つぶしー…』
柚月は心の中で呟いた。
違う、違う、違う、違う……
『会いたいと思ってくれたんだ』と
不安を気のせいと半ば無理矢理強く思い込んだ。
弁当とお菓子の入った大きな袋を握りしめて柚月は笑った。
「嬉しいよ!楽しみだねぇ!」
隠れてトラックに乗り換える。
出発してみれば高速に乗り遠くへ走る、本当にドライブみたいなものだった。
道中、道の駅で弁当を食べたり、お菓子を食べながら走った。
柚月はトラックから眺める海に感動していた。夕焼けもいつも見るものより圧倒的に綺麗に感じた。
路線トラックも終盤に差し掛かり、夜の高速を地元へ向かって走る。
和やかな空気の中、竜也が言った。
「眠くなってきちゃった…」
長距離運転だから仕方の無い事だが、柚月にできる事は目の覚めそうなガムやタブレットを差し出す事しかなかった。
「どっかで仮眠とってく?」
柚月は心配そうに聞いた。
「いや、そんな時間は無いからさ…」
そう答える竜也に
「何か目が覚めるような…手伝える事、無いかなぁ。無い…よねぇ。」
申し訳無さそうに柚月は言った。
すると
「あるよ。目が覚めそうな、柚月にできる事。」
「?」
キョトンとしている柚月に
「俺の舐めて」
「え…?」
「眠たいなー。柚月に舐めて貰ったら目が覚めると思うんだ。」
柚月は躊躇した。
『何を、言ってるんだろう。
…あぁ、でも私に出来る事は
それしかないんだ…』
柚月は笑顔で頷いた。
咥えたまま、涙を堪えていた。
何の涙だか柚月はわからなかった。
それでも頭を押さえられていた為、やめることはできなかった。
竜也の見えない角度で柚月は涙を流した。
竜也は何も知らず、所謂『ご満悦』といった表情をしていた。
それが柚月にとってはせめてもの救いだった。自分が苦しくても竜也が笑っていてくれるならそれでいい、そう思った。
仕事も終わり、泊まる事も無く柚月は帰路についた。
原因不明の虚しさと悲しさを胸に眠りについた。
それから休日、何度も路線の日だけは呼ばれるようになり、毎回『行為』を求められた。
ー会っている日で性的関係がない日がないー
その事実が深く胸に刺さっていた。
しかし、断れば機嫌が悪くなる為、断れなかった。
さらに竜也の人格の中には、気性の荒い人格があった。時には竜也の家の机に手脚を縛られ、性的行為を強要される事もあった。
柚月は正直恐かった。
それでも、竜也が柚月の中の人格を受け入れてくれた様に、柚月も受け止めようと思った。
受け入れて貰えた事実は何にも変えられない喜びだったからー…
ある日、柚月はいつものように路線を共に過ごす為に朝早くに家を出て、待ち合わせの場所まで行く為に車を走らせた。
いつも使う道ー
突然、柚月の車がスリップしハンドルをきると横転した。
折れたシャフト、漏れる橙色の液体が柚月の車の流した血だと思った柚月は
「ごめん…ごめんね…」
と泣きながら何度も繰り返した。
いつもの弁当とお菓子の入った大きな袋を握りしめて竜也に電話をした。
「竜也…竜也ぁ…車、横転しちゃった…ごめんね…ごめんね…」
「は!?お前は大丈夫なの!?」
「うん、無傷だよ……こんな状態だから…今日は行けない…ごめん…」
「そっか…会いたかったなー……
なんとかして来れない…よな」
「うん…」
会いたいのに残念という竜也の独り言はしばらく続いた。
柚月が言いづらそうに断り続けると、竜也は渋々わかった、と電話を切った。
柚月の心は震えていた。
心配よりも会いたいを強調する事が、渦巻いていた柚月の中の歪みを広げた。
『私…都合の良いだけの女…?それとも、本当にただ会いたかったって言いたかっただけなの…?
わからない…
わからない…』
「こわいよ…」
柚月が呟くと、違う人格に変わった。
「お前、都合が良いだけに決まってるだろ!」
柚月の中の人格が笑いながら言った。
柚月は独り、深い闇に沈んだ。
ー3へ続くー
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