2015-03-16 00:52:27 更新

概要

幽宮霊人。
この物語は、ゴーストバスターの彼が、悪霊、怪異、都市伝説等を退治したり仲間にしたり解決したり除霊したりするお話である。




第1話【此岸と彼岸】


【1】


この世界は生きているものの世界だ。

当たり前だと感じるだろうか。

だが、それは「生きている」人間の道理だ。

あちら側の住人はそんなことお構いなしに、今日もこの世界を跋扈する。

あるべきものは、あるべき場所に還るべきなのだろうか。

高校生だった俺は、その判断能力が欠如していたように思う。



しおり「ねーねー、れいちゃーん」


ひより「あっさだよーん」


霊人「ん……」


アラームが鳴る少し前、だいたい毎日、俺はこのロリ双子によって起こされる


霊人「……相変わらず朝から元気だな、此檻(しおり)、彼依里(ひより)」


挨拶を済ませると、ちょうど「ピピピピッ、ピピピピッ」という機械音が鳴った。


此檻「ジャスト、一分だ」


彼依里「良い夢見れたかヨ?」


霊人「ば、ばんちゃん!」


なぜ奪還屋ネタを。


此檻「さて、れいちゃんが起きたところで、あっさごはんだーい!」


彼依里「私洋食がいーい!」


霊人「はいはいわかった、わかったから……ていうかお前ら」


霊人「幽霊なんだから、ご飯いらねーじゃん」


此檻と彼依里、こいつらを簡単に熟語で説明しようと思う。誰にとは言わないが、説明を試みてみようと思う。


此檻。ロリ。黒髪。巫女服。ツインテール。妹。


彼依里。ゴスロリ。金髪。フリフリの黒い服。ツインテール。姉。


幽霊。


異常。間違った。いや、ある意味当たりだが。



以上。




【2】


幽宮家は霊能力者の家系である。

家の蔵にある資料を見てみると、平安時代の陰陽師からの血が脈々と流れているとかいないとか、

多分それは嘘だと思うが、そういう記載が散見される。


此檻と彼依里。

彼女らは、幽宮家に縁のある者である。

詳細は省くが、幽宮家が管理している神社の「元」巫女であり、そして幽霊だ。


此檻「れいちゃん、今日から衣替えでしょー?」


霊人「お、そうだった。あっぶねー」


彼依里「はい、用意しておいたよ、夏服」


霊人「サンキュー、気が利くな二人とも……」


霊人は「制服上」「リボン」「スカート」「ニーソ」を手に入れた。


霊人「そうそうこれこれー……って、女子の夏服やないかーい!!!」


そもそもどっから手に入れた。


此檻と彼依里はケラケラと笑っている。


全く、この世に「滞留」している時間で言えば俺よりずいぶん年上のくせに、無邪気なやつらである。




6月。


じめったい空気が通学路に蔓延している。


梅雨の中日というか、幸い晴れである。


俺はロリ双子幽霊に憑りつかれながら、てくてくと歩いていた。



此檻「制服の話に戻るんだけどさー」


霊人「うむ」


彼依里「日本って四季が特徴じゃない?」


霊人「まあ、そうだな」


此檻「夏服と冬服があるんだからー、」


彼依里「秋服と春服があってもいーんでない?」


霊人「そうか……?」


絶対めんどくさいと思う。


あと、四季の制服が必要となれば出費もかさむ。


此檻「えー、あたしは欲しいなー秋服と冬服」


彼依里「私もー」


霊人「ていうかお前らコスチェン自由自在じゃん。幽霊なんだし」


此檻「もー、いちいち人のこと幽霊幽霊言わないでよ気にしてるんだから―!」


彼依里「れいちゃんてば、デリカスィーないなぁもう」


霊人「でも、その気になればできるんだろ? 丈短くして半袖にすりゃいーじゃん」


此檻「コスチェンは割とMP使うんだよ?」


霊人「MPとかあんのかよ!?」


彼依里「うん! ずばり、M(メイド)・P(ポイント)」


霊人「略し方おかしいだろ! いや、略す前か!」


此檻「じゃあM(ミッションイン)・P(ポッシブル)」


霊人「ポイントでもなくなった! あとミッション・インポッシブルだからね、区切るとしたら!」


彼依里「え? インポ?」


霊人「おいやめろ」


此檻「おねーちゃん、インポってなに? しおりわっかんなーい」


彼依里「れいちゃんのことだよ?」


霊人「違うよ!?」


此檻「なるほどっ、小食系男子か!」


霊人「言い得て妙!」


彼依里「話題はまた変わるんだけど、6月と言えば、れいちゃん……そろそろだね」


先ほどまでとは、うって変わったアンニュイな表情で彼依里は言った。


此檻「M(マルコ)・P(ポーロ)」


霊人「しつこいよ!? って、なんだ彼依里。そろそろって」


彼依里は足を止め、振り返った。「幽宮家の、宿命だよ」


じめっとした風が、俺の頬を撫でた。


霊人「ああ、その話なら断った」


此檻「断っちゃったの!?」


彼依里「え、てか、断れるの!? かっこつけて「宿命」とか言っちゃった私超恥ずかしいんだけど!」


霊人「んー、まあ正確に言えばうやむやにしたというか、先送りにしたというか……」


此檻「うや?」

彼依里「むや?」


霊人「うやむや」


霊人「これまで通りの生活を、俺は変える気ないから」



どこかでフラグの折れる音がした。気のせいだろうか。





【3】


老人は説教を垂れるものである。


もちろん俺の祖父、幽宮霊蔵(ゆうみや れいぞう)も御多分に漏れず、


あの日も俺はコンコンとありがたいお話に耳と頭を傾けていた。


霊蔵「こりゃ、寝るな、起きんか」


霊人「あいてっ」


霊蔵「全く……お前は幽宮家の長男なんだぞ、もっとしっかりしてもらわにゃ困る」


霊人「全く……俺はじじ様達の操り人形じゃないんだぞ、勝手に人生決められちゃ困る」


霊蔵「くぉら!」


霊人「冗談だよ……、ほんとだけど」


霊蔵「どっちじゃ。まあええ……とにかく、お前はどのみち、いや、儂もかつてそうであったように、【血】に縛られておる」


霊人「……」


霊蔵「霊能力者としての【血】じゃ。幽宮神社なきあとも、【勤め】は果たさにゃならん」


霊人「なんでさ」


霊蔵「義務だから、と言えば納得するのか?」


霊人「しない」


霊蔵「じゃあこういう言い方をするぞ、【宿命】だからじゃ」


霊人「じーちゃん、余計納得できないんだけど……」


霊蔵「はぁ……あまりこういう言葉は遣いたくなかったのじゃが、本質は【呪い】に近しいな」


霊人「……呪い」


霊蔵「そうじゃ。呪いから解かれるには、勤めを果たさねばならん」


霊人(だったらそれは【勤め】じゃなくて、【贖罪】のほうが近いんじゃないか……?)


霊蔵「お前は呪われているも同然なのじゃ」


霊人「実の孫に向かって、呪われているとか……」


霊蔵「これでも、儂はお前の身を案じて言っておるのに」


霊人「……」


霊蔵「【血】の縛りは強い。何もかも受け継がれてしまう。霊能力もな」


霊人「ふっ、難儀な家に産まれてしまったな……我ながら」


中二臭く返答した。


霊蔵「昔の儂みたいなこと言うな」


じーちゃんも中二だった。


霊人「知らねえよ、じーちゃんの若いころなんて……」


霊蔵「フサフサで、バリバリで、ブイブイ言わしとったんじゃ」


じいちゃんは禿げあがった頭をキラリと輝かせながらドヤ顔で言った。


霊人「はいはい……でも、俺はそういうのは無理だからな」


霊蔵「やってもみないうちから無理だのなんだのと、最近の若いもんは……」


霊人「あるよ」


霊蔵「なに?」


霊人「やってもみないうちからうんぬん、のくだりは俺も同感だよ。そういう引け腰のやつを見てると俺だって腹が立つしな。お前、そんなんじゃ何にもできねーぞって思う。だけどさ……」


霊人「俺は、やってみて『駄目』だったから、『無理』だって言ってるんだよ」





【4】


気が付くと、私は暗く、深い闇の中にいた。


表現するとしたら、そう――



無。である。



空気も、光も、自分自身さえ存在しないような、そこは『虚無』と呼ぶにふさわしいところだった。


私は、来てはいけないところへ来てしまった。


直感的にそう感じた。いや、しかし。


それとも、『来るべきところ』まで来てしまったのだろうか。


私は、嫌だと思った。


その場所は、嫌だと思った。


その場所にいることが、嫌だと思った。


しかしその実、その場所に『存在していない』であろうことも、嫌だと思った。


必死で光を探した。


闇の中で、光を探した。


どれだけの時間が流れたのか分からない。


それは一瞬だったのかもしれない。


けれど永遠のように長くも感じた。


それは小さな、本当に小さな煌めきだった。


まるで見上げた夜空に浮かんだ星のように、小さな、しかし確かな光を放っていた。


私はそれに触れようとした。


叶わないとしりつつも、触れようとしてしまった。


愚かな願いを抱いてしまった。


神様がいるとしたら、そいつは本当に意地悪だ。


どうしようもない私に、どうにもならない私に、僅かな希望というやつを与えてしまったのだから。


だけど、そんな希望に手を伸ばしたって届かない場合はどうする?


私は考えた。


遠いところにあるのなら、私が歩み寄ればいいのだ。


私は人間だ。


人間には足がある。


そう、私には足があるんだ。


この足で、あの光まで到達すれば。


幸い、この場所には時間という概念すら無いらしい。


夜空に瞬く星のように、何億光年離れていようと、一歩ずつ進めば、いつかきっと。







【5】


新里友紀(しんざと とものり)は幽宮霊人の友人である。


彼はスポーツも勉強もそこそこ、身長も体重も標準、容姿・性格から食事を済ますスピードまで、何から何まで平均的な男である。そして標準語を喋る。『ザ・アベレージ』という二つ名を持っている男子生徒だ。最後のは嘘だ。


友紀「いいよな、半袖って」


幽宮霊人の友人は、思春期の男子らしい、健全な挨拶を開口一番ぶちかましてきた。


霊人「ああ……あれはいいものだ」


俺たちは廊下で井戸端会議をしている女子達を、いや、『廊下端』会議をしている女子たちを遠い目で見つめた。


霊人「半!」


友紀「袖!」


霊人「にの!」


友紀「うで!」


俺たちはハイタッチし、今日も二人の友情が確かなものであることを確認した。


よく漫画やアニメのキャラにありがちな、クールな主人公というのが俺はあまり好かない。だって、こういうとき半袖に関する同意を求められて、「そうだな、動きやすいしな」なんて真顔で返しちゃうからだ。空気読めてない。まじKYである。現実でそんなこと言うやつがいたら俺はこう思うだろう。「このムッツリ眼鏡が!」ちなみに眼鏡はオプションである。


此檻「おとこってサイテー」

彼依里「ねー、サイテーだよぅれいちゃん」


ていうか学校まで付いてきてしまった。もとい、憑いてきてしまった。


ここは学校なのでロリ双子の幽霊には反論できない。何もない空間に突っ込むとか、それだけで高校生活終了の合図だ。割に合わない所業である。まじハイリスクローリターン。


霊人「男って、最低で最高だよな!」


間接技を決めた。


友紀「お、おう。どうした」


うん、俺元気。若干引かれたけど。


友紀「あ……。そういや、夏服で思い出したんだけどさ、この辺で不審者が目撃されてるらしいな」


霊人「ふうん。女子の二の腕をジロジロ眺めまわす紳士の風上にも置けない変態か?」


此檻「ここにいるね」

彼依里「うん、二人いるね」


友紀「自分のこと棚上げし過ぎて天井突き抜けるレベルだわ……いや、『情報部』の京野(きょうの)が言ってたんだよ。こんなじめじめした蒸し暑い季節に、通学路にロングコートでマスクかぶったやつがどうのって。本人は信憑性を疑ってたけどな」


霊人「ふむ……なるほどね、俺その不審者知ってるわ」


友紀「え、まじかよ! 見たことあんの!?」


友紀は目を丸くして驚いている。


そこで俺は端的かつ冷静に説明した。



霊人「口裂け女だ、それ」



友紀「ああ、そういうこと……びっくりして損した」


霊人「損はしてないと思うよ。お前のびっくりするリアクションが見れて少なくとも俺は満足しているよ」


友紀「悪趣味な! ……っていうか、まあ、とにかくお前気をつけろよ? 一人暮らしなんだしさ」


霊人「うわやべえ、優しいなお前。惚れていい?」


友紀「うわ、きしょい! 俺は女の子にしか興味ないんだよ! 絶対ホモじゃないんだからな!」


霊人「あ、あの……ちょっと声を抑えてくれないと廊下端会議に混じっている婦女子の方に聞かれるっていうか、そういう発言が逆にそれっぽく聞こえてそういう想像をされてしまうというか、カップリングでどっちが上だの下だのって話をされることになるので、過度な否定はご遠慮いただきたい」


友紀「墓穴ったー!」


此檻「……」

彼依里「……」


此檻と彼依里が何やらすごく真剣な顔をして黙っている。


本当にどちらが上とか下とか脳内でめくるめく禁断の妄想をされているのだろうか。



困る。






【6】


怪談、都市伝説は独り歩きする。


口伝。


ウェブサイト。


ラジオ。


チェーンメール。


情報化社会となった現代にこそ、昔とは比べ物にならないほど、数多くの『非現実』が溢れかえっている。


学生相談室 情報部 京野纏女(きょうの まとめ)は嘆息した。


皮肉なものだ。


パソコンやネットワークなどという現代的、現実的、科学的なものが非科学的で嘘かホントか分からない情報を運搬しているのだから。


(今日だけで5件目……)


学生相談室は一般的に、生徒の悩み相談を行い、それを解決することを目的とする、題目通りの場所である。


しかし黎名(れいめい)高校の相談室には、情報部と言う役職が存在する。


情報部はカウンセラーや先生たちの知識では対応できないことを調査したり、学校のホームページ改善、落し物検索、図書の返却遅延者リストアップなどの雑用もこなす何でも屋だ。広義な意味での『情報』を扱うし、仕事内容も多岐に渡る。


だが、情報部 副部長である京野の目的はただ一つ「学校で最新型のコンピュータを触りたい」ただそれだけである。


かつて京野は最新鋭のパソコンを保有していた学生相談室に、「業務を補助する代わりに、情報部の設立とパソコンの優先使用をさせていただきたいのですが」と『相談』を持ちかけ、今に至る。部員は京野を入れて3名だ。


少数精鋭がモットーである。まあ、増える見通しがないだけだが。


「それにしても、オーバースペックというのはロマンよね」


余分というのは、素晴らしい。足りないものは全て悪だが、余るもので悪いのは、女子の私としては脂肪くらいのものだ。余裕があるというのは素晴らしい。


コアが2つあれば十分のものが4つもあり、


スレッドが1つでなく2つだったり、


2.7GHzあれば普通にいいものが3GHz以上あったり、


500GBあれば十分すぎるのに、1TBもHDD容量があったり、


増設する予定のないPCIなんちゃらーのスロットが3つもあったり、


デジタル出力するのにアナログ端子があったり、


全て余分だ。


しかし、それがいい。


「大は小を兼ねるって、考えた人天才よねー……」


相談室は人がいない場合が多いため、自然と独り言が増える。


「ご機嫌だね、京ちゃん」


誰もいないはずの相談室に、声がかかる。


驚いて振り返ると、他クラスの女子生徒であり情報部部員、耳寄譲歩(みみより ゆずほ)が真後ろに立っていた。


耳寄譲歩。黒髪ロングの髪をシュシュで2つに束ねており、容姿はそこそこ可愛く、長身である。人当たりが良く、ノリがいいため男女ともにそこそこ人気がある。少し同性愛の気があるのがノーマルな私としては気になるところだが。


京野「ゆずほ、いきなり私の背後に立つなと何度ゴルゴっぽく言ったらわかるの?」


譲歩「むしろ言われたい!」


逆効果だったようだ。


京野「もう次から絶対言わない」


拗ねてパソコンに向き直る。


譲歩「じゃあ、京ちゃんの後ろに立ち放題ってことだね! 背後霊のようにべったりくっついてやるー、うらめしやー」


後ろからギュッと抱きつかれてしまった。いやいや、私はノーマルだ。どノーマルだ。


ずれた眼鏡をクイッと持ち上げる。


京野「まったく、非科学的な……」


『背後霊』というワードに対してである。


今月に入ってからと言うもの、その手の『非科学的』な情報を目にする機会が多くてげんなりしている。


いるなら見てみたいものだ。いないことは分かっているが。


譲歩「ところで、さっき何かつぶやいてたよね。『大は小を兼ねる』って。あれってさ、確かにそうだよね。大の最中に力ん、」


京野「言わせないわよ!?」


全く、花の女子高校生がなんてことを言おうとしているのか。せめて男子の前でそういうこと言わないでほしいが。


譲歩「例の不確定情報っていうのは、やっぱり増えてるの?」


京野「増えまくりよ。まったく、誰の仕業かしらないけれど……学校裏サイトだったり、メール相談や投書箱にまでその類がちらほら出てきているんだから」


譲歩「ふうん」


京野「なに? ニヤニヤして」


そういえば、こういった類のオカルト、都市伝説、怪談、根も葉もない噂話などは譲歩の大好きな話題の1つだ。


京野「ゆずほ、貴女もなにか聞いてない? そういう類の情報」


譲歩「大漁だよー、むしろ何から聞きたい? テケテケ、くねくね、八尺様、トイレの花子さん、メジャーなものからマイナーなものまで、自分で見たから友達の友達が見た! まで幅広い品ぞろえであります!」


京野「ああ、そう……聞くだけで胸焼けしてきたから、いいわもう。あと、不審者については進展あった?」


オカルトは置いといて、実際に不審者が通学路をうろうろしているのだとしたら、それこそ大問題であり、情報部の出番である。その真偽を確認し、必要であれば学校を通して警察に連絡しなければ。ただ、嘘の情報で国家権力を振り回すわけにはいかない。推し量らねばならない。


譲歩「不審者が現れる場所っていうのは、一応情報があったよ。三丁目の『駄菓子屋』近くの交差点で見たって。しかも、同一証言が2件も」


京野「となると、信憑性が高いわね」


譲歩「京ちゃん、これ口裂け女だよ! 絶対!」


京野「……あのねぇ」


譲歩「だって、口裂け女は『3』のつく場所に現れるんだよ!」


京野「そうなの?」


私はその辺の怪談話には疎い。疎いと言うか、興味が湧かないからあまりまともに見聞きしないのだが。口裂け女と言えばマスク、外套、ポマード、そしてお決まりの「わたしきれい?」という台詞しか知らない。


だから、「3のつく場所に出現」という要素があるとは知らなかった。


京野「つまりこれは、愉快犯にして模倣犯。かつ、劇場型というわけね」


譲歩「えー、モノホンだと思うけどなぁ」


京野「モノホンだったら洒落にならないわよ。っていうか……その目撃者は、いったいどうしたの? そいつを見つけて、どんな行動を起こしたの?」


譲歩「即時、戦略的撤退を決めたそうであります!」


京野「そりゃそうよね……」


私だって、そんな見るからに怪しいやつが居たら、引き返すか迂回する。


譲歩「まあでも、よくよく考えたら『逃げ切れた』んだから、京ちゃんの言うとおりかもしれないね」


京野「どういうこと?」


譲歩「いやいや、口裂け女はですね、足がとーっても速いんですよ。なんと、100メートル3秒だよ!」


京野「ばんなそかな」


思わず某科技大の上田教授風に返してしまった。


譲歩「すっごい速いよ! サラマンダーより速いよ!」


京野「ごめん、そのネタ私わかんない」


譲歩「えー」


三丁目は閑静な住宅街で、普段から人通りは少ない。


貴重な情報が得られたし、駄菓子屋のおばあちゃんにでも事情聴取してくるか……。


しかし、もし不審者に出くわしたらどう対処するのか。


となると、女だけでは心細い。


京野「男手が要るわね」


私は3人目の情報部員に連絡を取ることに決めた。






【7】


夕方、通学路。


幽宮霊人が住んでいるのは夕闇町の4丁目だ。


学校が2丁目で、帰るときは3丁目を通らなければならない。


そう、3丁目である。


朝の登校時とはうってかわって、通学路に人気はほとんどない。


健全な学生は、部活に精を出したり、委員会活動したり、買い食いしてたむろしたり、ゲーセンに遊びに行ったり、進学のことを考えて塾に行ったりしているためであろう。と、幽宮霊人は考察する。


不健全な学生は、家に一刻も早く帰ってゲームしたり、漫画を読んだり、趣味に勤しむのだ。そう、俺だ。


此檻と彼依里は相変わらず俺にべったりくっついてきているが、静かなものである。真面目な顔をして、ずっと黙っている。まだカップリングの件で考え込んでいるのだろうか。


霊人「あのー、想像するのは勝手だが、一つだけ注文をつけさせてくれ。俺、受けは絶対嫌だからな。よろしく」


此檻「え?」

彼依里「なに? 受け?」


違ったらしい。


霊人「じゃあ、どうしてお前ら黙りこくってんだよ。いつも賑やかすぎるくらいなのに」


此檻「それは……ねえ」

彼依里「うん……、れいちゃん気を付けた方が良いよ。そろそろ『3丁目』だから」


霊人「は? 何に気を付けるんだよ、例の不審者か?」


此檻「不審者っていうか」

彼依里「口裂け女に」


真面目な顔をして二人が口にした言葉は、今朝友紀に俺が発した冗談みたいな内容だった。


霊人「ハハッ、何言ってるんだよ二人とも。そんなの現実にいるわけないだろ。ハハッ」


某ねずみの真似をしながら返答する。


此檻「そうとも限らないよ」

彼依里「うん……それに、普通の人が見てるんなら、それ以上に視えてしまうれいちゃんは……」


冗談を言っている気配はなく、やはり二人とも神妙な顔つきである。


霊人「お、脅かすなよ。お前らみたいな幽霊ならともかく、ありゃ都市伝説だぞ? 過去に実在したってんならわかるけど、所詮は『架空』のものなんだ。『最初からいないものは、現実には存在しない』んだよ」


此檻「れいちゃん、じゃあ質問だけどさ……」


霊人「いいだろう。質問を許可する」


此檻「うわ、偉そうムカつく! じゃあ聞くけどさ、『現実』は存在するの?」


霊人「それは……その……あれだよ、犀川先生も言ってただろ、それを考えたときにだけ存在する、普段はそんなもの存在しない……って、言いたいことと逆になってしまった! 俺が言いたいのは違うんだよ、想像上のものが『実体化』するわけないじゃん……」


彼依里「じゃあ、実体を伴わない『情報体』だったら?」


霊人「ええ……? なんか難しいんですけど」


此檻「だからー、つまり物質的な質量を持たない音と光だけの存在ってこと」


霊人「ますますわからん」


彼依里「簡単に言うと、私たちみたいな『幽霊』ってことよ」


霊人「ああ……なるほど」


確かに、そう言われれば幽霊というのは質量の概念がないような気がする。『浮遊霊』という言葉だって、霊はフワフワ浮いてて地上の重力に縛られていないというイメージから来ている、と思う。


なるほど、幽霊というのは音と光の情報体……か。でも……


霊人「くんかくんか」


此檻「ぎゃー! なにすんのよれいちゃん! えっち! HENTAI! すけべ!」


霊人「ふむ……此檻の髪は、いい『匂い』だ」


彼依里「ていっ! 私の妹におイタは許しません!」


霊人「ぐふっ! ……なかなか効く『パンチ』だ。腕を上げたな……彼依里」


そう、でも俺は現に、この二人の『匂い』と『質量』を感じることが出来る。


ただの情報の塊だなんて、寂しいじゃないか。そんなこと、言わないでくれ。


此檻「だいたいれいちゃんが何を考えてるのかはわかったけど、霊能力者っていうのは、ある意味そういう五感をフルに使って『感じ取る』ことに長けた人のことを言うんじゃないかな。この変態」


霊人「五感か……。目、耳、鼻、口、皮膚……見て聞いて嗅いで触ったから、あとは『味』だな!」


此檻「ひぃぃ! きもい! 寄るな、このロリコン! 童貞! 舌をペロペロ出すなー!」


霊人「もっと罵ってくれてもいいよ!」


俺は両手を広げた。いかん、これじゃ俺が不審者……というか変質者じゃないか。


彼依里「このドエムが」


ケツをローファーで蹴られた。


霊人「ありがとうございますっ!」


彼依里「うわぁ気持ち悪い……。と、おバカな話はここまでにして、さっき『架空』のものが現実に存在するわけがないって言ってたけど、そうとも言えないのよ」


霊人「なんでさ」


彼依里「だって、それらも情報が付加されるに従って、『現実味』を帯びてくるじゃない? 少なくとも、口裂け女っていう都市伝説なんて誰の頭にも明確なイメージが思い浮かぶはずでしょ? 『外套』『マスク』『女』そして、『わたしきれい?』という台詞」


霊人「音と光の情報……は、確かにそろってるな」


此檻「だから、やばいんだよ。ごいすーで、ばいやーなんだよ」


霊人「でも、それって今に始まったことじゃないだろ? 『昔』からある都市伝説だ。もう古いじゃないか。仮に音と光の情報が揃えば実体化できるとしても、俺の疑問は二つ。『何で今』、そして場所だけど、『なんでここで』」


此檻「今現在、幽宮神社の霊的エネルギーバランスが崩れて、此岸と彼岸の境界が『曖昧』になっているから」

彼依里「あと、場所だけど……ここが『夕闇町』だから」


二人は俺の疑問に簡潔に答えてくれた。しかし、簡潔すぎる。


霊人「ふぇえ、わかんないよぅ」


そうこうしているうちに、俺達は夕闇町3丁目に突入した。


此檻「そういや、逢魔が時ってやつだね。お姉ちゃん」


彼依里「それも心配なのよね。夕暮れっていうのは境界を曖昧にするファクターだから。ましてやここは夕闇町だしね」


霊人「そういや黄昏って『誰そ彼』っていう言葉から来てるんだってな。暗くて相手の顔もわからないような時間帯だから、怪異や霊が入り込む余地ができやすいって、じっちゃが言ってた」


此檻「おっ、れいちゃんにしては花丸満点あげてもいいくらいだよー」

彼依里「偉い偉い、よくできましたー」


ロリ双子の幽霊に頭をなでなでされる。ムカつくので払いのけた。


彼依里「そういえば、あの交差点の近くの『パン屋』さんって、つぶれたの?」


霊人「ああ、今はシャッターが下りてるけど、今度新装開店するんだとさ」


彼依里「よかったー、あそこのパン美味しいからね。特にチョコクロ!」


此檻「アタシはパンよりお米が好きー!」


霊人「まったく、食いしん坊の双子幽霊め」


彼依里「しゃらっぷ! あと、もう一つ質問なんだけどさ、れいちゃん」


霊人「なに」


彼依里「あそこの電柱の陰にいる人って、さ」


霊人「うん」


ふと、交差点の近くの人影に目をやる。


彼依里「マスク……してる、よね」


霊人「うん……?」


此檻「外套もつけてるね」


そう、パン屋の近くの交差点。電柱の陰に、そいつは『居た』。






【8】


幽宮霊人は意外にも、自分でも意外に思うほど、冷静だった。


此檻は言っていた。俺が五感を使うことに長けていると。


ならば、見たくないものは見えないようにすることもできるはずだ。


『認識できないものは存在しない』、俺にはアイツを消せるはずだ。


試しに霊的視覚をシャットアウトしてみよう。


霊人「いないいなーい」


俺はギュッと目をつぶった。


消えろ――!


此檻「え? れいちゃん現実逃避!?」

彼依里「そんなことやってる場合じゃ……」


カッと目を見開く。ペ○ソナだったら、ここでカットインが入るはずだ。


居た。


霊人「あばばばばばばば!」


此檻「なにそれ新しい! 超ウケる!」

彼依里「こんなときに遊ばないでよ、もう」


霊人は『いないいなーい、あばばばばばば!』を修得した。


霊人「ふむ……ダメか」


どうやら俺の霊感にはON・OFFの機能は備わっていないらしい。今まで試したこともなかった。


だって、見えるのが『当たり前』だったから。


いやしかし、俺が思うに、此檻や彼依里に触れたり触れられたりクンカクンカしたりペロペロしたりできるのは、いや、最後のはしていないが、そういったことができるのは、彼女たちが『元』人間であり、そういうイメージを持つ存在だからだ。


口裂け女とは、『出自』が違う。


霊人「ふっ……」


都市伝説には『実体』がない。


あくまで『架空』のものだ。


つまり、『実害』はないだろう。


仮にあるとしても、有名な撃退法があるじゃないか。


俺は頭の中で、呪文を反芻した。3回言えばいいのだ。


霊人「よし、行くか」


此檻「ええ、マジで!?」

彼依里「危ないよ、れいちゃん!」


霊人「お前らはここで待ってろ」


かっこよく言い捨て、女の視界に歩いて行く。


不審者「……ねぇ」


びくっ。


不審者「ワタシ……キレイ?」


うわぁああああ、なにぃいいこれぇええ、超こえぇええ!


先ほどまでの威勢が嘘みたいだ。


くるっと後ろを振り返る。此檻と彼依里が超心配そうにこちらを見ている。


不審者「ワタシ……キレイ?」


霊人「え、あ、あの……はい」


しどろもどろになりながら答える。喉がカラカラだ。心臓がバクバクと鼓動を打つ。


しまった。速攻で『ポマード』3回言って撃退する予定が……。


不審者がマスクに手をかけた。


やばい、やばい、やばい……!


口裂け女「……これでもぉぉぉおお?」


その女の口は、耳元まで裂けていた。間違いなく、口裂け女である。


言うしかない、今! すぐに!


霊人「ポマード! ポマード! ぽみゃっ」


ぽみゃっ?


口裂け女「ぎゃああああ! ……?」


しまった、噛んだ! そして若干口裂け女がダメージを受けているが、致命傷にはいたらない! そして戸惑っている! 「ぽみゃ?」みたいな顔してる!


霊人「う、うわあああ! 噛んだ! 逃げるぞ此檻、彼依里!」


恐怖メーターがレッドゾーンを振り切り、後ろを向いて脱兎のごとく駆け出す。


此檻「ええええ! 嘘でしょれいちゃん!」

彼依里「アイツ100メートル何秒で走ると思ってんの!? 」


霊人「うるせぇ! いいから走れ!」


此檻「れいちゃん、呪文言い直さないと多分ダメだって!」

彼依里「そうだよ! 一瞬で追いつかれるよ!」


50メートルぐらい全力疾走し、振り返る。約7秒である。


ダメージを受けてよろよろとしているが、今まさに立ち上がり、俺達のほうを見据えた。


口裂け女は、懐からキラリと光るものを取り出した。凶器だ。


裂けた口元が笑っている。狂気だ。


この笑顔、守りたくない。


霊人「怖すぎる! 無理だ! もういっかい至近距離まで近づくとか! 死ぬ! それだけで死ぬ!」


背後で、アスファルトを蹴り出す音がした。


速い! 速すぎる! 直線だと確実に追いつかれる!


ふと、物理の授業で習った慣性の法則を思い出した。進み続ける物体は、すぐには止まれない。


急に曲がれば、案外そのまま通り過ぎるんじゃないか? その場しのぎだが……あれは!


霊人「あの駄菓子屋、入るぞ!」


此檻「自ら進んで密室に!?」

彼依里「死亡フラグだよれいちゃん! まあ、アタシたち死んでるけど!」


「それもそうだね」と二人して何故か冷静になり、顔を見合わせたロリ双子の幽霊はケラケラと笑った。爆笑である。ブラックジョークというか、ゴーストジョークというやつである。


霊人「冗談じゃねえぞ! いちにのさんで行くからな、いーち、」


此檻「ふー!」


彼依里「スリー!」


なんてバラバラな合図だ。


霊人「とうっ!」


ここの駄菓子屋は引き戸になっていて、大体毎日開いている。


幽宮霊人は、人生初の空中横っ飛び入店を決めた。


びゅん。


そして、風のように口裂け女が通り過ぎて行った。


疾風のように速い。サ○バスターかお前。魔○機神なのか。風が呼んでるのか。ラ・ギ○スから来たのか。都市伝説の都市って○・ギアスのことだったのか。


陳列棚に盛大に突っ込む。どんがらがっしゃんという擬音がつきそうだ。


多種多様な菓子が散乱した。


霊人「いててて……」


俺は上体を起こし、周囲を『確認しようと』した。


口裂け女「これでも……?」


目の前に、裂けた口があった。


霊人「ぎにゃああああああ!」


ダメだ、死ぬ! 殺される!


口裂け女「……? あ、あああ! ああああああ!」


突然、口裂け女が退き、苦しそうに地面をのたうちまわった。


此檻「な、なに!? あいつ苦しんでる!」

彼依里「れいちゃん、今よ!」


霊人「あ……ああ! ポマード! ポマード! ポマード!」


よし、言えた!


口裂け女「ぎゃあああああああ!」


店の外に、口裂け女が飛び出していった。


ものすごい速さだ。多分、もう戻ってこないだろう。


しかし、悪い夢でも見ているみたいだ。


霊人「ひとまず、撃退成功ってところか……」


此檻「死ぬかと思ったよ」


彼依里「……死んでるけどね」


二回目のゴーストジョークは、さすがに面白くなかった。






【9】


京野纏女はイラついていた。


情報部 個々岳華士(ここだけ はなし)は女とデートする用事があるため、今日は部活には顔を出せないという一報があったからだ。


京野「あんにゃろ、リア充しやがって……」


譲歩「まあ、京野さんたら、言葉遣いが乱れておりますわよ? おほほ」


京野「茶化すなっつの。もう、ほんと出勤率さいてーなんだから。面倒くさいことは嫌がるし、だるいだるい言うし、チャラチャラしてるし、無駄にイケメンだし、モテるし、ほんとアイツのどこがいいんだか」


譲歩「うふふ」


京野「なによ」


譲歩「なんでもありませんことよ。タイが歪んでいてよ?」


京野「ねーよ、んなもん」


譲歩「荒れてるなー、京ちゃん」


京野は机の上に足を投げ出し、背もたれに頭を預けた。


ふと、窓の外を見やる。


夕日が沈んでいて、薄暗い。


ポツポツと雨が降っている。天気予報では、今日は晴れのはずだが。


京野「そろそろ帰ろうか」


譲歩「うん、じゃあこっちはこっちで下校デートしようか!」


譲歩が首元にするっと腕を絡めてきた。


京野「……貴女ってさぁ」


譲歩「なにかな?」


じっと譲歩の顔を見上げる。くりくりした瞳。でかいくせに、子犬のような人懐っこさ。


京野「……なんでもない」


可愛いわよね、と言いかけたが、ギリギリのところでやめた。


私はいたってノーマルだが、女の目から見ても可愛いと思う女は存在するのだ。







個々岳華士は彼女を家まで送り届け、帰路についた。


すっかり夜だ。


日中は暑いが、夜は少しだけ肌寒いと感じる。さっき、通り雨が降ったせいだろうか。


そういえば、京野が俺に頼みごとをするなんて珍しいな、と思う。


いつもゴミみたいな目で見られてるから、俺はアイツに嫌われてるんだろうな、と思ってた。


個々岳「あながち、間違いじゃあないか」


独り言。


どういう訳か、俺は女にモテる。と言えば、世の男子高校生の大半から嫉妬・怒り・憎悪の感情を浴びせられて呪い殺されそうだが。実際そうなのだから仕方ない。


容姿なのか、性格なのか、喋り方なのか、全く分からない。


自分自身のことというのは、多分皆わかってないものだ。案外。


まあ、特に意識しなくてもモテるってのは、多分いいことなんだろうな。


いつも思うが、俺は俺自身のことを特別かっこいいとは思わない。普通だと思う。


よく京野には「チャラチャラしてる」と評されるが、そうでもないと思う。


本当に、よくわからない。


閑静な住宅街では、人気も少なく、街灯に群がる羽虫の音だけが、やけにうるさく感じた。


「ねぇ」


こんな時期だと言うのに外套で、マスクを着用した女が俺に話しかけてきたのは、交差点に差しかかるそのときだった。








【10】


新里友紀は学生相談室の常連である。


とはいっても相談というより、いつも『雑談』をしに来ている訳だが。


しかし、カウンセラーの先生も真面目な『相談』を持ちかけてくる生徒がいない間はぶっちゃけ言って『暇』であるし、その暇つぶしというか、生徒と話をしてコミュニケーションを取るのも仕事のうちだと考えれば、特に問題はない。友紀自身も、相談者がいる場合は空気を読んで遠慮するぐらいの気遣いはできるタイプだ。


この日はカウンセラーの新涼内花(しんりょう ないか)先生が来ていて、友紀は28歳の年上の女性とおしゃべりできることに若干テンションが上がっていた。


友紀「先生は、結婚とかされてないんですか?」


新涼「生憎だけど、相手がいないのよ。この仕事って出会いがないのよね」


友紀「そうっすかー、じゃあ俺にもチャンスあるかな!」


京野「ないわよ」


PCに向かってカタカタやっている手をわざわざ止めて、京野纏女はツッコミを入れた。


新涼「ふふ、友紀君が大人になったらね」


友紀「えっ、マジっすか!」


京野「冗談に決まってるでしょ、まったく。ねぇ、先生」


新涼「あら、私は本気よー? まあ、そのころは三十路のおばさんになってるでしょうけど……ふふ。この歳で旦那も彼氏もいないなんて、私完全に行き遅れるパティーンよこれ。完全に行き遅れよ。貰い手いないんだわきっと。もう三十路はすぐそこまで迫っているというのに、なんでかしらね。本当なんでかしらね。若いころはモテなかったわけじゃないのに、どうしてあのとき私妥協しなかったのかしら。あっ、妥協とか言っちゃ失礼よね相手の方に。ほんと、三十路手前のくせに妥協とか……。何様よって感じよね……。はあ、せめて私も京野さんぐらい若くってピッチピチだったら男の一人や二人……めそめそ」


京野「ああっ、ちょっ、先生、泣かないでください! 友紀、貴方謝んなさいよ!」


友紀「俺かよ!?」


新涼「いいの。夢を見すぎた私が悪かったのよ、いつか少女漫画みたいな恋をして、ベンチャー企業の社長とか、バンドのボーカルとかと付き合っちゃう的な妄想ばかりしていたから。現実を見ていなかったから! ああ、どうしてあのころの私って想像力逞しい女子だったのかしら! 何故!? なにゆえ!? ねえ!」


友紀「わ、わかりません」


京野「重症ね、こりゃ……」


むしろ先生がカウンセリングしてもらったほうがいいんじゃないかというぐらい、情緒不安定である。


譲歩「やっほー……って、先生どうしたの!?」


京野「ああ、友紀が泣かしたのよ」


譲歩「なにぃー! 女泣かせだなぁ、友くんは!」


友紀「ちげーよ! むしろそうであってほしいよ! っていうか、なんとかしてくれよ耳寄!」


譲歩「しょうがないなぁ……ほら、先生、あめちゃんだよー」


譲歩はポケットから金色の飴を取り出し、新涼先生に与えた。


新涼「美味しい……ぐすっ」


譲歩「でしょー、人生いろいろあるけどさ、美味しいもの食べてる間、人は幸せなんだよー?」


京野「それは言えてるわね」


京野が深くうなずく。


友紀「そんなんでいいのか……、女ってミステリアス」


譲歩が新涼先生をよしよし、と慰めている間に友紀は気になっていたことを聞く。


友紀「例の不審者って、どうなんだ?」


京野「ああ、そのことなんだけど……昨日、遭遇したらしいのよ。あのチャラ男が」


友紀「チャラ男?」


京野「あれよ、あれ。女ボケの」


京野がここまで言う相手は、友紀の知る限り一人しかいない。


友紀「個々岳か。……って、遭遇!? エンカウント!?」


京野「そう。どうやら、本当に『模倣犯』みたいね」


友紀「どういう状況だったんだ?」


京野「彼女を送り届けた帰り道、三丁目の交差点。『ワタシキレイ?』と声をかけられ、驚いて逃げだしたそうよ」


友紀「まじかよ……、状況は他の2件と大体一緒だけど、情報部の人間が実際遭遇してるとなると、信憑性がすげーな。で、なんともないのか? 個々岳は」


京野「大丈夫よ。なんでも、追いかけられたけど、全力で逃げたら振り切れたそうですって。噂より『足が遅い』のね、口裂け女ってやつは」


京野が不敵な笑みを浮かべる。


友紀「じゃあ、やっぱり……」


京野「都市伝説は、あくまでも伝説」


京野はずれてもいない眼鏡を、クイッと持ち上げて言った。


京野「これは人間の仕業よ」


友紀「……!」


京野「今から現場検証に向かうわ。貴方も来る?」


友紀「いいのか? 俺が一緒に行っても」


京野「あら、好きじゃないの? こういうの」


友紀「そりゃ好きだけど……」


譲歩「なになに、告白? 言っとくけど、京ちゃんなら私のものだかんねー!」


友紀「ちげーよ!」


京野「そして私は誰のものでもないわ。私は私のものよ、ゆずほ」


京野がサラッと何かかっこいいことを言った。


案外コイツって……。


新涼「……若いっていいわね。青春してるわね。先生にも、そんな時代があったわ……。でも、後悔だけはないようにね。どんな結果になろうと、選択したのは自分だからね。後から行き遅れてもしょうがないって思える心構えじゃないと、先生みたいになっちゃうから……ううぅ」


譲歩「ああっ、先生泣かないでー!」








【11】


通学路。今日も何事もなく3丁目を抜けた。もう少しで家である。


じめじめしているのは変わらない。昨日少し雨が降ったせいで、余計に湿っぽく感じる。


嫌な季節だな、と幽宮霊人は思う。


こういう時期は、幽霊だって出やすい。霊は水気を好むからだ。


此檻「一昨日は散々な目にあったよねー」

彼依里「ほんとにねー」


ロリ双子の幽霊がジト目でこちらを見てくる。


昨日なんて、死ぬほど戦々恐々としながら通学・下校を行った。幸い、やつは現れなかった。彼依里のアドバイスで『べっこう飴』を携帯していたせいもあるかもしれないが。



そう、あの駄菓子屋で口裂け女が苦しみだしたのは飴が原因だ。



散乱した菓子の中に、混じっていたのだ。


此檻「もうあんな無謀な真似したらダメだよれいちゃん」

彼依里「命がいくつあっても足りないよ、ほんと」


ゴーストジョークか?


過ぎたことをいくら言っても仕方がない。


俺は前だけを見る性格なのだ。


それに、命なら1つあれば十分だ。


もうアイツが現れたって、ポマードを早口で噛まない練習もしたし、べっこう飴も持ってる。


来るなら来い。元の居場所に返してやる。


「あの……」


突然後ろから声をかけられた。振り向きざま、俺はアルターの速い人より高速で唱える。


霊人「ポマードポマードポマード!」


此檻「ええー、速っ!」

彼依里「ビビりすぎだよれいちゃん! 口裂け違うよ?」


良く見ると、そこにはうちの高校の制服を着た女子生徒が立っていた。


霊人「あ、悪い悪い。人違いだ。ああ、でもアレは人じゃないからな……まあいいや、何?」


女子生徒はどこか戸惑った様子だ。


この顔には見覚えがある。でも確か……。


「私が、見えるんですね?」


ああ、そうか。


幽宮霊人は合点がいった。


一か月前、とある女子生徒が不慮の事故で命を落とした。彼女の名前は足利良美(あしかが よしみ)。


陸上部のエースで、将来有望とされていた。彼女は3年生で、スポーツ推薦でいいとこの大学に進学を予定しているとかいう話だった。うちの高校では有名人だ。顔はあんまり見たことなかったが。


霊人「確か、あんた……、足利さんだっけ」


足利「ええ。……幽宮霊人君、ですよね」


瞬時にロリ双子の表情が強張り、警戒態勢に入った。


此檻「……なんで知ってるの? 学校では影の薄い存在のれいちゃんを、フルネームで。学年も違うのに、接点なんてあったの?」

彼依里「気を付けた方が良いよ、れいちゃん。昨日の今日、もとい一昨日の今日だからね」


俺は手で二人を制した。心当たりがあったからだ。


霊人「……幽宮霊蔵、って人に聞いたのか?」


足利「はい……。おじいちゃん、なんですってね」


此檻「なーんだ」

彼依里「そういうこと」


二人が納得し、ピリピリと張りつめていた空気が和らぐ。


幽宮神社は霊的エネルギーの高い場所だ。そういう場所に霊は吸い寄せられる。集まるところには集まるというやつだ。そして今、あそこを管理しているのは幽宮霊蔵だ。


あの老人め、俺には『無理』だって言ってるのに、わざわざ仕事を回してきやがって。


霊人「で、あんたはどうしてこの世に留まってるんだ?」


足利「それが、わからないんです……暗闇の中で、一人ぼっちで、でも、光が見えて……一生懸命歩いてたら、気づいたらこの世に戻ってきていたんです。でも、私は幽霊のままで、誰にも見えなくて……誰かに呼ばれてる気がして……」


女子生徒の言うことは支離滅裂だったが、なんとなく状況は伝わった。


此檻「きっと、狭間にいたんだよ」

彼依里「その可能性が高いわね」


霊人「どういうことだ?」


此檻「此岸と彼岸の境界が曖昧になってるって言ったでしょ?」

彼依里「その曖昧な部分で彷徨ってたんじゃないかってこと」


霊人「ふぅん」


此檻「だって、一度この世を離れて向こう側に行っちゃったら、普通は戻ってこれないもん」

彼依里「そうね。一度成仏してるのに、戻ってくるなんて普通じゃないよ」


霊人「だってさ」


足利「二人とも、詳しいんですね……一体何者なんですか?」


霊人「ただのロリ双子幽霊だよ」


足利「はあ……」


霊人「ともかく、あんたは一体どうしたいんだ? 俺に何かできることがあれば手伝うけど……あんまり期待しないでくれよ」


だって、俺は一度『失敗』しているんだから。


足利「私は……、やっぱり、『死んだ』んだし、しかるべき場所に行くべきだと思っています」


足利良美は、はっきりと言った。自分の死を認識すると言うのはどういう気分なのだろう。


誰だって認めたくないはずだ。もし、死んだらの話だが。


霊人「……そうか」


俺には、導いてやることはできない。じいさんには悪いが正直に伝えて、この子を天国まで送り届けてもらうとしよう。


足利「でも、その前に、会わなきゃいけない人がいる……、と、思うんです」


霊人「と、思う?」


足利「漠然としているんですけど、皆さんの言う狭間の世界で、光に向かっていたら、それが私を呼んでいたような気がしたんです。今も、誰かが……」


霊人「呼んでいると?」


足利「はい……。誰かが、強く私のことを想ってくれている感じがします」


なんだか、ニュータイプみたいなことを言う。


霊人「両親じゃないか?」


足利「うーん……実は、そう思って実家に寄ってみたんですけど、『違う』んですよね。多分、その人が近くに居たらわかると思うんですけど……」


霊人「そうか……」


霊になれば、そういう第六感的なものが働くようになるのだろうか。


霊人「恋人とか、いたのか?」


途端に、ボッと足利の顔が赤くなる。


足利「い、いいえ! そんな、恋人だなんて! 私はもう走ることに精いっぱいで、無我夢中でしたから!」


霊人「そっか。そういや、陸上の選手か。……親しい友達とかは?」


足利「うーん……、特別親しい人っていうのはいなかったかな。部活の仲間みんなと楽しくやってましたから……あ、でも中には私のこと嫌ってる人もいましたけど……あはは」


霊人「才能があるっていうのも、大変だな」


足利「いえ、私はそんな全然! ……ただ、人よりちょっとだけ走るのが好きだったから」


誇らしそうな、寂しそうな顔をして、足利は顔を赤らめた。


関係者に当たれば、何か分かるかもしれない……が、なんと説明すればいい?


足利の幽霊が誰かに会いたいって言ってるんだが、心当たりはないか? とか。


普通の感覚で考えれば、タチの悪い冗談だ。冗談ですまされればいいが、問題になるだろう。


まだ一か月。心の傷の言えていない陸上部員の気持ちを逆なでするような行為だ。傷を抉る行為だ。


霊人「はぁ」


そんなことはできないよなぁ。


此檻「ねえねえ」

彼依里「れいちゃんれいちゃん」


霊人「ん?」


此檻「その子、近くに寄ったらわかるんでしょ?」


霊人「多分な」


彼依里「だったら、その子も憑いて回ったら、案外すぐ見つかったりして?」


霊人「……なるほど」


こうして俺は、4人パーティを組んでクエスト的なものに旅立つのだった。いざ、再び学校へ。






【12】


起きてしまったことは、事実として存在することになる。


だが、人間はそれを『ありのまま受け入れられない』ことがある。


具体的に言えば、『死んだ人間を死んだと思いたくない』ことが、ある。


人間は欠陥だらけだ。


気持ちを瞬時に切り替えることができない。


事実は事実として存在し、どうにもならないこともあるのに、あがいてしまうこともある。


届かないのに、手を伸ばす。


無駄なのに。


ただ、自分は気持ちの整理をつけたいだけなのかもしれない。


自分がやっていることは、ベストを尽くして、抗って、それでもダメだったときに、しょうがなく現実を受け入れるための『前準備』なのかもしれない。






新里友紀は不安そうにあたりをきょろきょろと見回した。


例の、三丁目の『駄菓子屋』近くの交差点である。


耳寄譲歩は情緒不安定な新涼先生のお守り。個々岳花士は京野が別の仕事を振って、今は友紀と京野の二人だけだ。


女子と二人きりというシチュエーションに若干ときめいたが、相手は仏頂面の眼鏡女子である。もう少し愛想というものを持ってもらいたい。当の本人、京野纏女はデジカメをパシャパシャと取りまくっている。


友紀「な、なあ……出ないよな? 大丈夫だよな?」


京野「あら。貴方、意外と怖がりなのね」


京野はクールに言い放つ。


友紀「こ、怖いだろ普通に! 本当に出たらどうすんだよ……」


やはり2人だけじゃ心もとない。


京野「とっつかまえりゃいいじゃない」


友紀「嘘だろ!?」


京野「冗談よ。つかまえるのは警察に任せるわ。今日は『調査』だからね」


京野はシニカルに笑った。


友紀はこの女の図太さが信じられないと思った。


友紀「人間の仕業って言ってたけど、本当にそう断定できるのか?」


京野「馬鹿ね。口裂け女なんて、実在しないんだから。それに、その証拠も残っているはずよ。メジャー、持ってきているわね?」


友紀「あ、ああ……、けど何に使うんだ?」


京野「後で分かるわ」


おもむろに京野は携帯電話を取り出した。


京野「もしもし、貴方今どこ?」


声が鋭い。多分、相手は情報部、個々岳だ。


京野「まだ終わらないの? ……そう。早々に引き上げなさい、キリがないわよ。一応、今現場についたのだけれど、確か『空き地』をショートカットして逃げたのよね? ……ええ。そう。じゃあ、後でね。必ず来なさいよ」


友紀は頭にクエスチョンマークを浮かべた。


京野「近くに空き地があるでしょう? そこに向かいましょう」


友紀「さっぱり意味がわからないんですが」


京野「昨日、雨が降ったでしょ」


友紀「そうだっけ」


京野「そうなのよ」


京野は踵を返し、歩き出した。


京野「いいタイミングで降ってくれたわ」







【13】


オカルト研究会。様々な怪奇現象、都市伝説、幽霊、黒魔術、UMAに至るまでを研究するというか、討論するというか、「あったらいいよね」とか「いたらいいよね」とか話し合う人々の集まりだ。


京野纏女からの電話を終えた個々岳花士は、オカルト研究会部長、副原文香(ふくはら ふみか)のマシンガントークに辟易していた。


福原文香。一見するとおさげ、丸眼鏡の委員長的風貌だが、中身は猪のように猪突猛進な性格である。某3d○ysの広原さんに似ている。


文香「だから、そもそも何故広まるのか? っていう話なんだけどね、そこには風土、気候、社会的背景、年代、性別、いろんな要素がある訳よ。これが。絶妙にありえそうでありえない、っていう部分が人に『もしかしたら』って思わせることで、それは都市伝説となって広まっていくわけよね。だから怪談とは違う訳よ。現代的で、どこか現実味を帯びたフィクションなわけ」


個々岳「へ、へえー」


文香「現実に近いほど、浸透しやすいわけよ。これが。んで、都市伝説って言葉を考えた人なんだけど……」


個々岳「ちょ、ちょっとストップ。あの……さっきの件なんだけど」


文香「ああ、『口裂け女』ね。あれは怖いわよねー。あの話聞いたとき、まだ小学生だった私は常に『べっこう飴』を携帯していたわね。三のつく場所も避けて、家の近くに『三田商店』っていうのがあったんだけど、しばらく近寄れなかったわね。あれの怖いところっていうのは、私が思うに『撃退法』が確立されていることなのよ。ポマードが原因で口が裂けたから、ポマードが嫌い。だから『ポマード』と唱えるとよい。っていう部分もあり得そうで恐怖を増加させるけど。でも、呪文を忘れたら? 襲われて死ぬのか? みたいな部分だと思うのよね。撃退法がある相手っていうのは、確実に『襲ってくる』タイプの伝説であることは間違いないからさ」


個々岳「む、それは確かに……。じゃなくて! それについて訊きに来た人っていうのは?」


文香「ああ、確か3年の女子生徒だったんだけど」


個々岳「名前は?」


文香「んー、そういえば名乗ってなかったわね。名乗ってたとしても、多分覚えてないわ」


文香はきっぱり言った。自分の興味のあること以外は耳に入らないタイプなのだろう。


俺だって、さっき名乗らせてもらう前にマシンガントークが始まってしまったし。


個々岳「はあ……、なるほど」


文香「ちょっとちょっと、ため息つかないでよー。名前は覚えてないけど特徴ぐらいは覚えてるわよ? おぼろげだけど」


個々岳「マジか? 教えてくれ」


文香「女子の割に背が高くて、髪はショートカット」


個々岳「ショートカット、か」


俺が昨日遭遇した口裂け女に扮したやつは、長い髪だった。


このオカルト研究会に(京野に言われて)来たのは、福原文香の元に「口裂け女」に関する諸々を聞きに来た人間がいるという情報を、福原文香と親しい耳寄譲歩から得たからである。あいつは誰とでも親しくしすぎるので、もう少し友達を選ぶべきだと思う。


文香「あとは……ジャージだったわね」


個々岳「ジャージねぇ」


部活をやっている女子生徒かもしれない。だったら、髪が短いのもうなずける。


個々岳「ていうか、実際見たらわかるんじゃないか? 悪いけどちょっと御足労願えたりしない?」


文香「や」


あんだけ長文のマシンガントークをぶちかましておいて、断るときは「や」の一言である。


個々岳「なんで」


文香「やーよ、3年の教室に行って、じろじろ先輩方を舐めまわすように見てたら変に思われるじゃない」


お前は十分変に思われているから大丈夫だ、とは言えない。


無理強いはできないし、主義じゃないからなぁ……。


個々岳「わかったよ。あとは何とかする」


文香「そ、またお喋りしたくなったらいつでも来ていいわよ?」


個々岳「前向きに検討させていただくよ」


文香「政治家みたいな答え方ね。まあ、額面通り受け取っておいてあげるわ。それじゃね。ちゃーお」


オカルト研究会を後にした。


さて、3年女子を物色するのは後にして、今は部長様の元へ急がねば。






京野「ねえ、貴方仮に口裂け女を演じるとしたらどうする?」


友紀「は? 俺が?」


京野「場所とか、シチュエーションとか。目的は、そうね……、『自分の通う学校生徒を恐怖させる』ため」


友紀「む……」


京野は空き地でしゃがみこみ、地面を観察している。


自分がそういう騒動を起こすとして、か。


まず本物の口裂け女を演じるために、外套とマスクは必須。ウィッグは被らなければならないだろう。


シチュエーションはやはり、夕方とか夜の薄暗い時間帯。真昼間から口裂け女が現れるというのも恰好がつかないからな。


場所は伝説にちなんで3のつく場所。交差点と言うのは、交わる場所だから霊的なものが出やすいという迷信もあるし、それにかこつけて3丁目の交差点と言うのは妥当だ。


ふと、ここまで考えて気づいた。


友紀「犯人は、『黎明高校』の生徒だけを目的としているのか」


学校を恐怖に陥れたいのなら、そこの生徒だけに積極的に存在を認知してもらう方がいい。それ以外は余分だ。無駄に広く認知されると通報される恐れもあるし、リスクを伴う。閑静な住宅街であるここならば、人通りは少なく、しかも夕方頃ならば帰宅する生徒をピンポイントに狙える。もし買い物帰りの主婦などが来たら、咳き込んで花粉症のふりをするなり、隠れるなりすればいい。外套はどうにもならんが……。


京野「そう。だから通学路であるこの通りを選んだわけね」


友紀「でも……、多分それだけじゃない」


京野「あら。分かってるじゃない。そう……、口裂け女には『撃退法』があるからね。万一、相手にポマードと言われたり『べっこう飴』を投げつけられたりしたら、逃げることで本物だと思わせる必要がある。そして、相手を巻いて『逃げ切る』必要がある。捕まったら人間だってばれちゃうからね」


そう、逃げる必要が、『逃げ切る』必要が出てくるのだ。


だからこそ自分が熟知している地域を、道を、必然的に選ぶと考えられる。


となると、犯人の立場だったら足の速さには自信がある方が良い。


京野「残念ながら、目撃者三人とも追われる結果になってしまったけど」


友紀「でも、口裂け女の目的は『恐怖させること』だから、適当な頃合いで追うのを止めてしまえばいい……と」


追われる側からすれば、相手が手を緩めていてくれる隙に見えないところまで全力で逃げ去るだろう。俺だったらそうする。


京野「正解よ。……そして、あったわ」


京野がメジャーを片手に地面を指さす。


友紀「そうか……、足跡か!」


京野「お化けは足跡なんか残さないはずよ。昨日は通り雨で、地面がぬかるんでいた。空き地の濡れた土の上をあのチャラ男は追われながら走り抜け、塀を飛び越えて尚逃げ、そして振り返ったらいなくなっていたそうよ」


友紀「チャラ男……」


京野「そして、個々岳の足のサイズが27センチ。靴の厚みを考えたら28から29センチってところだから、多分これで間違いないと思うわ」


友紀「じゃあ、その近くにあるのが……」


京野「サイズは、25.5センチだから、23.5から25の間だわ。十中八九女性でしょうね。それにほら、面白いと思わない?」


京野は靴跡の一部分を指さした。


京野「最近のお化けは、スパイクシューズなんて履くのね」


空き地に夕焼けが差し込み始めたころ、その人影は現れた。






【14】


脈拍が速い。


心臓がバクバクする。


やはり、3丁目は大変なトラウマを残していきました。


足利「あれ……?」


霊人「どっ、どうした」


此檻「れいちゃん今ビクッてなったね」

彼依里「なったね。面白いね」


霊人「しゃらっぷ!」


足利「なんだか、近づいてるような気がします……、近いです!」


霊人「まじか」


よりによって、こんなところで。


霊人「方角とか、わかるか?」


足利「多分、あっち……」


足利が指差したのは、例の交差点付近だった。







京野「こんにちは。精が出ますね」


京野纏女は挨拶した。


視線の先に、陸上部3年、長目奔流(ながめ はしる)がいた。


上下ジャージ、長身でショートカット。肌は日焼けして浅黒い。


長目「ちわ……。ねぇ、こんなところで、何してんの?」


京野「ちょっと調べものを」


長目「ふーん……」


探るような目で、長目はこちらを見てくる。


京野「先輩はロードワークですか?」


長目「まあね……、それじゃ」


長目は踵を返して去ろうとする。


京野「先輩は、口裂け女について、どう思います?」


京野が話しかけると、長目はぴたりと足を止めた。


長目「さあね。噂になってるみたいだけど」


京野「昨日も襲われた生徒がいて、もうここには近寄りたくないってトラウマになっちゃったみたいです。まあ、捜査するから強制的に来いって言いましたけど。どうやら、昨日はデートの帰りだったみたいなんですけどね。私が思うに、色ボケしてるからそういう目にあうんですよ」


長目「ふうん……、そう。彼も災難だね」


友紀は今の一言に違和感を感じた。


視線が空中でぶつかる。


友紀は二人の間に漂う得体のしれない空気にビビっていた。


なんだ、この感じ?


もしかして、京野は陸上部エースの長目先輩を疑ってるのか?


京野「先輩、詳しいじゃないですか」


京野はニヤリと笑う。


長目「は?」


京野「実は被害にあったのが情報部の部員だったんですよ。そして彼には『緘口令』を出してある。特定の人間以外に喋らないようにって」


長目「……」


京野「だから、先輩の口から『彼』なんて言葉が出てくるのが、意外で。やっぱり、人の口に戸は立てられないんですかね?」


友紀は「そうか」と思った。


知っているのは情報部の部員、そして自分くらいだ。


長目先輩は、昨日被害にあった人物が『男子』か『女子』か判断する要素は持っていない筈だ。


そう、当事者でもない限り――。


長目「聞きたいことは、それだけ?」


京野「いいえ、まだあります」


長目「……」


京野「先輩、失礼ながら今履いている『スパイクシューズ』を貸していただいてもよろしいですか?」


長目奔流の顔色が強張った。


京野纏女はそれを見逃さなかった。


京野「……貸せない理由があるんですね? 今、この場所で」


長目「何のことか分からないね。アタシ、忙しいからもう行くよ」


言うが早いか、長目は踵を返して走り出す。


京野「ちょっ……!」


長目「悪いけど、探偵ごっこなら余所でやってくれる?」


京野「むきー!」


友紀「現実で『むきー!』って言うやつ初めて見た!」


あと、『探偵ごっこなら余所でやってくれる?』っていう人も!


京野「うるさい! 追いなさい!」


友紀「そんな無茶な! 相手は陸上部エースだぞ!? ていうかお前自分で行けよ!」


京野「私はデスクワーク派なのよ!」


友紀「横暴!」


ただの凡人に追いつけるわけがない。ましてや相手は長距離選手だ。


無理だ。りーむーだ。お手上げ侍だ。




「だったら、その役目俺がもらうぜ? 親友」




かっこつけて現れたそいつは、かっこつけた台詞を口にした。






【15】


両手は地面に軽く。


前足を一足長半前に。


後ろ足の膝を地面につける。


友紀と京野があっけにとられて俺を見ているが、気にしない。


セット。


腰を浮かす。


3、2、1……!


霊人「行くぜ!」


クラウチング・スタートである。


俺はこんな技術は保有していない。


だが、真似くらいはできる。所詮は、真似だが。


しかし、足利良美のサポートにより、それは限りなく本物に近い「真似」となる。


足利「上体はしっかり起こして! 前を見据えてください!」


霊人「よし!」


足利「重心を親指に!」


霊人「わかった!」


足利「顎を少しだけ引いてください!」


霊人「ふんぬ!」


足利「腕をもっと振って! ブンブン振ってください!」


霊人「ぶんぶん! ぶんぶん!」


全速力でダッシュする。


普段運動しないから、ちょっと心配だが。


ちょっとずつ差が縮まってきているような気がする。


相手は長距離タイプだから、まだ分はあるはずだ。


霊人「どんな感じだ!?」


足利「うん、全然駄目!」


ばっさり。


霊人「なにぃー!」


ショックだ。気弱そうな足利さんだが、走りとなるとスパルタらしい。


せめてもうちょっと褒めてくれたら、俺、褒められて伸びるタイプだから……。


足利「地面の反発を利用して!」


霊人「うぉおお! 高反発! 高反発マクラ!」


足利「足をもっと長く使ってください! 伸ばすだけ一歩の距離も伸びます!」


霊人「伸びろ―! 足、伸びろ―! 足長おじさーん!」


足利「あと、地面は真下に蹴るイメージ!」


霊人「よっしゃー! 真下ー! 真下まさよしーっ!」


足利「霊人さんって、面白いですね」


霊人「ちょ、こっちは真剣にやってるんだぞ!?」


足利「真剣だったんですか!?」


霊人「そうだよ! ほら、ぐんぐん差も縮まってきてるだろ!」


足利「……いや、全然!」


霊人「ちくしょうっ!」


走りに関しては、妥協を許さないタイプらしい。本当に全然褒めてくれないこの子。


ていうか、本当に相手は長距離専門なのか? めちゃくちゃ速い。


長目「甘いんだよ! トーシローが陸上部にかなう訳ないだろ!」


霊人「なぬぅー!?」


トーシローって言う人初めて見た。


霊人「止まれ―! 止まりなさーい! これ以上罪を重ねるんじゃなーい!」


長目「古典的な……止まる訳ないだろ!」


霊人「なぜ逃げる―!」


長目「アンタが追ってきてるだけだろうが!」


霊人「止まれってばー! まじ止まってくれないと、俺が死ぬ―!」


足利「甘いですよ霊人さん! ゴールまで諦めちゃだめです! まだいける! まだいける! もっと熱くなってください! もっと気合入れて、声出して!」


霊人「しゅーっ! ぞーっ!」


長目「訳がわからん!」


俺この子にスパルタ責めされて死ぬかも。


足利「もっと声出して! 気合入れて!」


霊人「くっそー! 止まれってんだー! この……、はぁ、はぁ」


長目「絶対止まらないっつの……! アタシは! もう……、走り続けるしかないんだ!」


心なしか、涙ぐんでいたような気がする。


前を向いているから、表情は分からないが。


止めなければならない。


だったら止めてやる。


意地でも。


どんな手を使ってでも。



霊人「止まれ―っ! 『ほんちゃーん』!」



長目「なっ……!」


長目奔流がピタリと足を止めた。


そうだろうな。


絶対に止まってくれると思った。


だって、この呼び方をするやつは一人だけだから。


そして、そいつはもう『この世にいない』人間なんだから。


霊人「はぁ……、はぁ……っ!」


驚きの表情を浮かべて静止する長目に、ようやく追いついた。


長目「なん……、で」


霊人「さて、なんでだろうな」



しばらく深呼吸し、息を整える。



霊人「……2年前の4月。黎明高校の陸上部には、二人のホープが入部した」



霊人「得意種目は……、どっちも『短距離』だ」








【16】


霊人「二人とも速かった。けれど、片方は異常に速かった。もう片方は一生懸命練習した。みんなが帰ってからも、遅くまで、毎日」


長目「なんで……」


霊人「だが、届かなかった」


長目「……」


霊人「1年で唯一選抜メンバーに選ばれるくらい、そいつはとんでもなく速かった。才能と言うしかない」


長目奔流は、唇をギュッと噛みしめた。


長目「……。そうだよ、才能だったよ。あいつは、走るために、誰よりも速く走るために産まれてきたとしか思えない」


霊人「いや、そいつが持っていた才能はそんなんじゃない」


長目「……どういうことよ」


足利「……」


霊人「そいつは、誰よりも走ることが好きだったんだ。『走ることが好き』それがそいつの才能だったんだ」


長目「適当なこと言わないでよ! あいつはいつも、ヘラヘラして、和気あいあいと部活して、他の大勢と一緒に帰ってた! 居残りなんて数えるぐらいしかしてなかったのよ! 危機感や焦燥なんてなかった! ただ、いつも楽しそうに走ってただけ! そう、楽しそうに……」


長目は泣いていた。


長目「アタシは、毎日汗流して、放課後誰もいないグラウンドで練習して、練習して、練習しまくった! でも、アイツにだけは勝てなかった! おかしいじゃない! 誰よりも頑張ってると思ってたのに、負けない自信があったのに、アイツはそれをやすやすと飛び越えていく! そんなの……、おかしい……!」


霊人「……俺は何かに一生懸命になったことないから、わからないけどさ」


長目「わかるわけ、ないよ……!」


霊人「それでも、ただ一つだけ分かるのは、お前が『楽しくない』思いをしてたってことだ」


長目「……楽しいわけないじゃない! 努力しても、努力しても届かないなんて、辛すぎるよ……! 楽しいわけ、ない……っ!」


霊人「……でも、アイツだって努力してなかったわけじゃないんだ。あんた、朝弱いからわかんなかっただろうけど、アイツは毎日あんたが遅くまで残って練習してたように、誰よりも朝早く来て、一人で走ってたんだ」


長目「なんで、あんたそこまで知って……」


長目奔流は困惑の色を見せた。


霊人「俺には幽霊が見えるんだ」


俺はきっぱりと言い放った。


長目「……うそよ」


霊人「本当だ。今、ここに足利の幽霊がいる」


足利「……」


長目「じゃあ、なんでアタシには見えないのよ……」


霊人「誰でも見えるってわけじゃない。でも、『お前が足利を呼んだ』んだ。どういうからくりなのかは知らないけどさ」


長目「……」


霊人「そうだろ?」


長目は唇を震わせながら言った。


長目「……アタシは、許せなかった」


足利「ほんちゃん……」


長目「不慮の事故? 車にはねられた? そんなの、酷すぎる。アタシは、アイツが許せなかった。勝ったまま死なれちゃ、もう一生勝てないじゃない!」


霊人「それは違う」


長目「違わないわよ!」


霊人「あんたの本心はそうじゃないはずだ。さっき言ってただろ? 『いつも楽しそうに走ってた』って。お前が許せないって思ってるのは、そういう理不尽なことに対してだろ。望まないゴールをしてしまった足利良美の運命が、許せなかったんだ」


長目「違うよ、アタシは……、アタシはそんなに心の綺麗な女じゃない……っ!」


霊人「ほんとにストイックなやつだな……」


此檻「ねー、埒があかないんじゃない?」

彼依里「そうね、ここは当人同士が直接話すべきだね」


霊人「そんなことできるのかよ」


長目「……?」


此檻「ふっふーん、でっきるのだー! 私たちは腐っても『此岸』と『彼岸』の巫女だからねー」

彼依里「幸い、二人とも波長は合っているみたいだしね」


霊人「まじか」


じゃあ、それを最初からやってくれればいいのでは? と思うのは野暮だろうか。


此檻「れいちゃんの能力を一時的にそこのおねーさんに受け渡すから」

彼依里「その間れいちゃんは霊能力使えなくなるけど、とりあえず手を握って?」


霊人「そうか。ちょっと手を借りるぞ」


長目「え……?」


強引に長目の手を掴む。


霊人「準備OKだ」


此檻「よーし、んじゃ行くぜー!」

彼依里「よいしょー!」


霊人「あっ」


此檻と彼依里が見えなくなった。足利さんも。声もしない。

ていうか、何今の。呪文とかねーの? 『此岸と彼岸の巫女が命ずる』的な何かないの?

「よいしょー!」って彼依里さん、もうそれ気合じゃん。


長目「……足利、なの?」


長目が俺の横を見て、驚きの表情を浮かべている。


どうやら、無事に能力は譲渡されたらしい。


霊人「俺は、向こう行ってるから。後でまた手を握らせてくれ」


後は当人同士が解決してくれるだろう。


『浮遊霊』と、『口裂け女』が。


此檻「れいちゃんやらしー」

彼依里「やーらすぃー」


霊人「……」


此檻「あ、聞こえてないんだった」

彼依里「忘れてた」




足利良美は髪を触り、ちょっと照れくさそうに言った。


足利「ほんちゃん、一か月ぶり」


長目「なんで……、あんた……! なんでっ!」


足利「えへへ、ちょっとドジっちゃった」


長目「馬鹿……! ずるいわよ、勝ち逃げなんて……!」


足利「うん、それは本当に悪いと思ってる……ごめんね?」


長目「許せる訳ないでしょ……! もう、アタシあんたに一生勝てないのよ? どれだけ努力しても、いつかどうにかなるっていう希望を失った……、あんたさえ生きていれば、それを失わずに済んだのに!」


足利「……ほんちゃん」


長目は涙声でまくしたてる。


長目「もう、二度と勝負できないじゃない……! もう、二度と一緒に走れないじゃない! ヘラヘラ楽しそうに、本当に『走るのが楽しいです』って顔したアンタを見て、ムカつけないじゃない! 張り合いなくなんのよ! どうしてくれんのよ!」


足利「……ありがとね、ほんちゃん」


長目「馬鹿……。なんでそこで、お礼なのよ……」


足利「……ずっと、暗いところにいたの。なーんにもなくて、私、怖かった」


長目「……」


足利「でもね、あるとき光が見えたの。とっても優しい光……」


足利「光を追い続けていたら、いつのまにかこっちに戻ってきてたの」


足利「でも、戻ってきてからもずっと誰かに呼ばれてるような気がして」


長目「……」


足利「それが、ほんちゃんだったの」


足利「ほんちゃんってさ、私のことなんかずっと嫌いなんだと思ってた」


足利「休憩のときスポーツドリンク渡しても絶対受け取ってくれなかったし、放課後誘っても一緒に帰ってくれなかったし、お昼だって別の部員と食べてたし、喋りかけてもそっけなかったし、『ほっておいて』って言うし、さ」


長目「嫌いよ。……大嫌い。勝手に死んじゃうし、『はしる』なのに、ずっと『ほんちゃん』って言ってくるし、さいてー……」


足利「ふふ」


長目「……ふっ、何が可笑しいのよ」


足利「おかしいよ。だって、ほんちゃんは、嫌いな人のためにいっぱい泣いてくれるんだもん。おかしいよ。可笑しすぎるよ」


長目「……、悔し涙よ」


足利「ほんちゃんらしいね」


長目「でしょう? ……ふっ」


足利「あ、今笑った!」


長目「笑ってない」


足利「ぜーったい笑った!」


長目「笑ってない! 断固笑ってない!」


足利「あははは!」


長目「こら、あんたが笑うな!」


足利「あー、面白い。死ぬほどおかしいよ。死んでるけど」


長目「それはちょっと反応に困るわ……」


ひとしきり笑い終えた後、足利良美は何かを決意したような表情を見せた。


足利「ねぇ」


長目「……なによ」


足利「最後の最後に、一本だけやろっか」


長目「え、でもあんた幽霊じゃない……、地面蹴って走れるの?」


足利「それはね、気合いだよ! 気合!」


長目「……あんたって、本当走ることに関しては性格がスポ魂になるわよね」


此檻「ほんじゃー、アタシらが合図担当してあげるよ」

彼依里「そうそう、ほらほら、位置についてー!」


長目「そういやアンタらって一体……」


此檻「細かいことは気にしなーい!」

彼依里「もう尺が短いからね、巻で行こう、巻で!」


足利「わかった、巻だね!」


長目「ぜんっぜんわからん……」


此檻「勝負はー、さっきの空き地まで!」

彼依里「それじゃあ二人とも、準備は良いかーい?」


足利「いぇーい!」


長目「……やるからには、全力で行くわ」


二人がクラウチングスタートの姿勢を取った。


長目奔流は考える。はたから見れば、一人で何もないところにブツブツ喋ったり怒鳴ったり涙したりしていたかと思えば、道路の真ん中でクラウチングスタートとは。気が違っていると思われるに違いない。


長目「ふ……」


足利「あ、また笑った」


長目「めざといわね……。笑ったっていいじゃない。貴女の真似よ」


足利「えへへ、そっか」


けれど、そんなことはどうでもいい。


足利「……1年の選抜戦以来だね、一緒に走るの」


長目「あれからすぐ私は長距離に転向したからね」


足利「短距離だったら、私負けないよ」


長目「生意気な……、あんたが速いのは十分知ってんのよ」


私はただ、悔いのないように、全力で走ることだけを考えていればいい。



この一瞬も。そして、多分、これからも。



此檻「よーし、カウント行くぞー!」

彼依里「スリー、ツー、ワーン、ゴー!」



謎のロリ双子幽霊の号令で、最後の戦いの火ぶたは切って落とされた。







【17】


オカルト研究会、部室。


ここは様々な怪奇現象、都市伝説、幽霊、その他もろもろの以下略、である。


個々岳花士は嘆息した。


開けてはいけないパンドラの箱を開けるときの気分は、これだ。断言できる。


しかし、俺にはどうしてもここを訪ねなければならない理由がある。


部長命令であることもそうだが、俺自身納得がいかない。


その納得がいかないという部分は一つに集約される。


推理小説を読んだとき、俺がいつも思うことだ。


「なぜ」


何故、彼女はあのような行いに出たのか。


口裂け女などという都市伝説に扮して、学校を恐怖に陥れようなどと。


やはり、部長の言う通り劇場型なのだろうか。


あれから、本人はさっぱりした顔で「むしゃくしゃしてやった。反省はしている」と言うばかりだし。


部長から厳重注意、先生方には問題を上げない方向で秘密裏に処理した。


真実は闇の中だ。


葬った当人たちですら、その「真実」を知らない。というのが本当だ。


被害にあった俺としては、生ぬるいと言うか温情判決過ぎると言うか、俺と同じ恐怖を味わえー! という気持ちでいっぱいなのだが。


とにもかくにも、俺は「納得」がしたかった。


そして、全ての事象に納得をもたらしてくれそうな、強引に納得せざるを得ない理論を展開してくれそうなやつに心当たりがあった。


個々岳「失礼しま」


文香「くーるとおもっていたよー、くーるーきっとくるーとおもっていたよー? なぜなら、私は君に重大な事実を伝え忘れていたのだからねー」


オカルト研究会部長、福原文香は椅子に座り、それをくるくると回転させながら言った。


個々岳「はぁ……」


文香「なんだねー? 人の顔を見てため息だなんて、ちょっと失礼じゃなーい? とにもかくにも私には、くるっと、まるっとお見通しなわけよー、これが。くるくるー。ズバリ君は、私に答えを求めてきたんだろう! そうだろう?」


こいつは魔女か、と個々岳は思った。


文香「いやいや、例の3年生のお姉さまがね、口裂け女以外にもそういえば興味深いことを私に尋ねて言ったんだよ。そう、私としてはどちらかといえばそっちのほうが興味あるっていうか、専門っていうか、インタレストだったね。聞きたい? ねぇ聞きたい? 聞きたくないって言っても、もう止まらないよー?」


個々岳「じゃあ確認しなくていいんで、先を続けてくれ。巻きで頼む」


文香「私はいつも巻き巻きだよー、ほら髪だって巻いてるもん。ゆるふわカールだよ、流行りだよ。おさげだけど。まあそれは置いといて、霊的世界との交信の方法について尋ねてきていたねー。イタコとか、憑依とか、別のアプローチとして反魂とか、黄泉返りとか。まぁ普通はそんなのありえないんだけど、私の調査によると夕闇町ではもしかしたらあり得るかも知れないって言ったんだよねー。夕闇町っていうのは名前に「夕」が入るでしょ? 夕方っていうのは、あの世とこの世の境をぼやかすファクターになるのさ、これが。つまり生者と死者の境界を曖昧にする。でも、それだけじゃ不十分だ。何に対して不十分かって? それは、霊をあちらからこちらに引っ張り出してくることに対してさ。それは何故か? まだまだ霊に対する抵抗値が高いのさ。だったら抵抗を少なくしてやればいい。そして、それはどのようにすればいいのか? それはね、現実にありえないものが存在してもおかしくない状況を作り出すことなんだよ。魑魅魍魎が跋扈する魅力的な世界にしてやればいいのさー」


個々岳「それを俺は魅力的とは言いたくないな。巻きで頼む」


文香「だから私はいつでも巻きガールなんだってばぁ。もう、せっかちさんだなぁ。んで、さっき言った魑魅魍魎が跋扈するっていうのは、あくまでも見かけ上だけでいいんだ。要するに『かもしれない』が重要なんだね。今回の件で言えば、君も襲われてるからわかるだろうけど、『口裂け女を見た』人がいる。実際、襲われもしている! こりゃ大変だ! 絶対いるよ! 皆想像が膨らむよね。今日3丁目の交差点通って帰るとき、外套にマスク着けた女がじーっと立っていたらどうしよう。ワタシキレイ? って言われたら逃げ出すだろうなー、とかさ。皆がそんなふうに考えたら、そこに架空や虚構、つまり『ありえないもの』が入り込む『余地』ができるんだよ。それを作り出してやるということが、霊に対する抵抗値を下げるということなのさ。幽霊だって、『ありえないもの』だしね」


個々岳「なるほどね……、段々わかってきたよ」


つまり、長目の目的は『口裂け女』になることではなく、皆を怖がらせることでもなく、それは過程に過ぎなくて、幽霊をあの世から引っ張り出しやすい状況を作り出すことが主たる目的だったわけだ。


しかし、そこまで考えて、長目は一体だれを『向こう側』から呼び戻すつもりだったんだ……?


文香「想い人さ」


個々岳「……お前、今、俺の心読んじゃったりした?」


文香「内緒ー。さあ、巻きでって言われたから、もうおしまい! 帰った帰った! これ以上ここに留まるなら入部希望と見做すからね?」


個々岳「ありがとう! 失礼した!」


疾風の如く席を立つ。一礼。


文香「ほんと失礼だな君は! まったくー。じゃあ、まったねー! ちゃおー」


個々岳「おう、またな!」


機会があれば、だけど。


少しだけ長目の気持ちがわかったような、口裂け女という怪異を演じていた彼女も、俺と同じ血の通う人間なんだなぁとか、気の違った劇場型犯罪者予備軍とかじゃなくて、よかったなぁとか、そういうことを、思った。





【18】


学生相談室、情報部。


口裂け女騒動に終止符が打たれ、一週間が過ぎた。


PCに向かう京野纏女の肩をもみほぐしながら、耳寄譲歩はしょんぼりした顔で言った。


譲歩「やっぱり、いなかったねー。口裂け女」


京野「当たり前でしょ。んなもん」


京野纏女はPCに取り込んだ写真を整理している。


京野「しかし、『犯人は現場に戻る』っていうセオリーは何も刑事ドラマの世界だけじゃないのね」


譲歩「そうだねー。しかも、友紀君と現場検証してる時に、偶然戻ってきたんでしょ?」


京野「ああ、あれは偶然ちゃあ偶然だけど、狙ってたのよ」


さらりと京野纏女は言った。


京野「まず、天気の話なんだけど。梅雨の時期で、雨の日も多い中で、最初の二件とも犯行は『晴れ』の日だった。だから、晴れの日を選んで犯行が行われているんじゃないかと私は考えた」


譲歩「そっかぁ、確かにこの時期だもんね。じゃあ、京ちゃんの考えてた通り、『足跡』が残るとまずいって思ってたんだね」


京野「文字通り『足がつく』からね。でも多分、犯人は『個人を特定されない』ことよりも、『本物の化け物の仕業に見せかける』ことに重点を置いているように思えたわ。これは憶測の域を出ないけど……。んで、最初の二件は上手く行ったけど、三件目は『通り雨が降った』ことと『個々岳が空き地を通って逃げた』ことから足跡が残った」


譲歩「ん? 待ってよ、京ちゃん。だったら、長目先輩はその場で空き地の足跡消してから帰ったら良かったんじゃない? なんでそれをしなかったんだろう」


京野「ふふ、それはね……、個々岳が大声で『叫びながら』逃げたからよ。最初は教えるの渋ってたけど、まあ、よくやってくれたわ」


譲歩「ああ、それで人が集まってくると思って長目先輩も早々に退散しちゃったわけだ……」


京野「スパイクシューズの穴ぼこなんて、隠すのにちょっと時間がかかるからね。とりあえず、その翌日に個々岳から報告を受けた時点でお昼を回っていたのだけれど、もしかしたら残ってるんじゃないかってダメ元で行ってみたのよ」


譲歩「朝の早いうちに、隠しておくっていうのはできなかったのかな?」


京野「それが不思議だったんだけど、どうも長目先輩は朝に弱いらしくてね。現場について足跡を見つけた私は、犯人がこれを消しに来るだろうと思ったわ。フリーで動ける夕方から夜にかけてね」


譲歩「犯行の時間帯だね。なーるほど……、あ、そういや何で長目先輩は『スパイクシューズ』にこだわったのかな? 口裂け女がそんなもの履いてたら、おかしいと思うけど……」


京野「そこなのよね。さっきも言ったけど、個人を特定されないことより、化け物の仕業に見せかけることにこだわってるって。あのスパイクなら、元々短距離を種目としていたっていう長目先輩なら『化け物級』に速くなるわ。もちろん100メートル3秒とは言わないけど、体感で言えばおっそろしい速度で迫ってくるはずよ。ほら、よくテレビで野球やってるじゃない? 球速150㎞も出てるように見えないなーとか、なんだ大したことねーなとか思っちゃうけど、実際バッティングセンターで120kmのボックスに入ったら、とんでもなく速いと思えるじゃない?」


譲歩「ふぇぇ、私バッティングセンター行ったことないよぅ」


京野「まあ、貴女ってお嬢様だものね」


譲歩「おほほ。ワタクシ、チョップスティックより重いもの持ったことないんですの。……でも、皆足元とか見なかったのかな? 普通なら気づくと思うけど、でも状況が状況だから仕方ないかぁ」


京野「まぁ、それもあるけど。多分、そこは『男女の違い』と『ミスディレクション』の応用ね」


譲歩「どういうこと?」


京野「貴女、こんな話知らない? 男は『相手の顔だけ見て話す』、女は『相手の頭からつま先までチェックする』」


譲歩「まあ、それは確かにあるよね。女の子のほうが、色々気づくもんね」


京野「そう。他の子が靴買い替えたり、髪留め違うやつにしたり、小物とかそんな些細なところまで『全体』を見てるの。でも、男はそういうのが苦手。脳梁の太さが関係してるとか、テレビで言ってたような気がするけど……。まあ、そういう特性があることを踏まえた上で、『口裂け女』のターゲットだけれど。イメージ的には『ワタシキレイ?』っていう台詞から、対象はどちらかと言えば『男』よね?」


譲歩「おお! じゃあ口裂け女の、全体まで見ないという訳だね!?」


京野「それが一つ目の『男女の違い』。二つ目のミスディレクションっていうのはもっと単純で、時季外れの『外套』や『マスク』に注意をひきつけて、『靴』には目が向かないようにするっていうことよ」


譲歩「ほへー、あったまいいねー京ちゃん」


京野「口裂け女の特性を理解した上で、ハイパフォーマンスを引き出そうとした彼女の思い切りが良かっただけよ。だから、あら捜しをしやすかっただけ」


窓の外を見て、京野は一つ嘆息する。


譲歩「そういえば、長目先輩は短距離に転向したんだってね」


京野「そうなの。3年のこの時期に転向だなんて、もうそろそろ引退でしょう? わからないわね」


譲歩「それも青春だね!」


京野「……そうかもね」


譲歩「およ?」


分からないと言えば、一番分からないのは『幽宮霊人』だ。


接点のないはずの長目先輩を追いかけ、説得し、今回の事件を収めたのは実質的に彼だ。


何故あのとき、あのタイミングで現れ、なすべきことをわかっていたのか。


こればかりは、考えたってしょうがない。


『情報』が少なすぎる。








【19】


7月。


梅雨が去り、ここ数日快晴が続いている。


放課後のグラウンド、部活に勤しむサッカー部や野球部、そして陸上部などを眺めながら幽宮霊人は思った。


こんな暑苦しい時期に、こんな暑苦しい青春は、俺はごめんだ。


皆すごいや。


此檻「あー、あついよぅー」

彼依里「れいちゃんの陰で涼ませて―」


霊人「いや、だから、お前ら幽霊なんだから暑さとかさ……」


此檻「あっ、人種差別だ! 差別はんたーい!」

彼依里「私もはんたーい! そしてれいちゃんはへんたーい!」


霊人「人じゃなくて『幽霊』だろ。そして俺は変態じゃないよ、真摯に紳士してるよ」


此檻「アタシかき氷食べたーい!」

彼依里「私はアイスクリームがいいー!」


暑いってのに、元気なロリ双子幽霊だ。


なんだかこう、うるさいのに囲まれてると気分的に余計暑くなる。


暑い暑い言いながら、腕にべったり絡みついてくるし。


幸い、二人とも『まな板』なので興奮せずに済んだ。


あ……? いや、待てよ……? むしろ逆に……!?


実は俺、とんでもなくファンタスティックな状況なのでは。


いかんいかん。平常心平常心。円周率を数えろ。さんてんいちよんいちごーぱんつー……、『いちごパンツ』になってしまった。小数点第4位までしか合ってない。ダメだ。


霊人「……帰りにコンビニ寄るからそれまで我慢しろよな」


此檻「やったー! やっぱりロリータには優しいね、れいちゃん!」

彼依里「さすがれいちゃん! ロリコンは病気だよ!」


霊人「なんで褒めてから罵倒するスタイルなんだ」


ロリコンは病気ですって、CCかよ。ぺけくんかよ。


トラックを走るジャージ姿の女子を探した。見当たらない。むしろこっちが陸上部員からチラチラ見られているような気がする。


霊人「……この場所は瘴気が強いな、撤退するか」


此檻「れいちゃん、リア充に囲まれたら爆発する病気持ってるもんね」

彼依里「ん? リア充が爆発するんじゃないの?」


どういう病気だ。


霊人「むしろリア充の間に挟まれたらオセロ的に俺もリア充になる、みたいな病気が良いんだが」


此檻「それなら、私たちの間に挟まれたら」

彼依里「れいちゃんも『幽霊』になっちゃうよ?」


霊人「ふむ……、そういう考え方もあるか」


なんてくだらない話をしていると、後ろから人影が迫っていることに気付いた。


ロリ双子幽霊と会話をする際は、なるべく周囲に気を払うようにして、自分の『影が伸びる方向』に向かうことにしている。これなら後ろから人が近づいてきてもすぐ分かる。前だけに注意すればいい。


長目「……ああ、やっぱりアンタか」


振り返ると、やはりジャージ姿の長目奔流がそこにいた。


霊人「先輩、俺、寂しかった!」


長目「え。なにそれ反応に困る……」


霊人「危うくリア充に挟まれてリア充になるところでした。危ないところを救っていただき、ありがとうございます」


長目「いや、むしろなっとけよ」


霊人「正論!」


タム回しの練習に最適な譜面である。なんのこっちゃ。


長目「で、ここでなにしてんの?」


霊人「先輩を探していました」


長目「探されてたのか。悪いな……、アタシ今日委員会があってさ。よくわかんねー会議に出席しなくちゃならなかったけど、ようやく走れるよ」


意外と長目先輩のオツムはあまりよくないらしい。


多分、走ることでいっぱいなんだろう。


単純に、羨ましいと思う。


長目「走れると言えば、なんかあの一件以来すげー吹っ切れてさ。もう長距離やめた。やっぱ短距離だよ、走ってて面白いのは」


『面白い』という言葉を素直に使うようになった長目奔流の表情は、今日の青空に良く似て、とてもすっきりとしていた。


霊人「よかったですね。高校、あとどれだけ走れるのかわかんないですけど、精一杯楽しんでください」


長目「アタシはずっと走るつもりだよ。卒業して大学行くにしろ、就職するにしろ、例えぷーたろーになったとしても走ることだけはやめないね。高校生活も、残り少ないけど……、悔いのないように走りまくってやるさ。アイツの分までとは言わないけど……。だって、アイツの分まで走ってたら身体もたないもん」


霊人「それは言えてますよ」


二人して笑う。


あのスポ魂少女の分まで走ったら、俺なら多分死ぬ。ていうか長目先輩のロードワーク程度で普通に死ぬと思う。


長目「ありがとな。っていうのも迷惑かけたアタシが言うのもおかしいけど……、はは」


霊人「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ」


長目「あ、こいつめ。ちゃっかりしてるな。『貸しイチ』ってことか?」


霊人「まあ、そういうことにしておきます」


長目「わかった。いいよ、アンタには感謝してもしきれないぐらいだし。だからさ、もし、困ったこととか悩み事あったら真っ先に聞くよ」


真剣な目で長目先輩は言う。どこまでもまっすぐな人だ。


霊人「じゃあ、俺と付き合ってください!」


長目「えー、やだ」


霊人「うわ、すげえ普通にふられたー!」


此檻「まるでマッ○スコーヒーのように甘い考えよね」

彼依里「さいてーだよぅ、れいちゃん」


長目「あはは、うそだよ。でも、あんただって冗談だろ?」


霊人「俺はいつだって本気ですよ」


長目「はいはい。でも、アタシは今陸上が恋人だから他のことまで頭回んないよ。ごめんね」


霊人「ふっ、それじゃあしょうがないですね」


長目「……アタシ、本当にあんたには感謝してるよ。最後に、アイツと話せたし。笑えた。勝負もできた」


霊人「そういえば、結局最後の勝負はどうなったんですか? 俺そのとき『視えなかった』から」


長目「ああ、そういう『仕組み』だったんだ……。ま、あんまり他人には教えたくねーなー」


長目は両腕を後ろに回し、アンニュイな表情でそっぽを向いた。


霊人「えー、俺と先輩の仲じゃないですかぁ」


長目「うわ、すごい馴れ馴れしい! 最近まで初対面だったくせに! あー。……まあ、そうだな……、結果は秘密だけど、感想だけ述べとくよ。それでいい?」


霊人「しかたないですね」


長目奔流は、一つ嘆息し、逡巡した後、青く澄みきった空を見上げて、眩しそうに眼を細めた。


何かを懐かしむように。


少しだけ悔しがるように。


それでも、さっぱりとした顔で長目奔流は言った。



長目「アイツは……、いや、足利良美は、最高に速かったよ」



誇らしげに、長目奔流は、そう言った。







【20】


学生相談室、情報部。


京野纏女は今回の一連の騒動を報告書形式でまとめていた。


京野「ああー、やっぱりいいわ。どれだけ写真を追加しようが、まったく処理が落ちない!」


上に提出する必要のない報告書なので、ほとんど趣味というか、手の込んだ覚書程度のものである。


写真は主に、三丁目の交差点付近の外観、例の靴跡、それぞれの学生が逃げたというコース、口裂け女が立っていた場所のアスファルト、等である。


そういえば、例の交差点から少し離れた『パン屋』付近の交差点で、少し変わったものを見つけた。


アスファルトが渇く前の地面に、間違って足を入れてしまい、そのまま固まってしまったような。


地面を抉るように残された『足跡』である。


口裂け女って確か100mを3秒で走るのよね……。


ありえるわけがないが。


ただ、京野纏女は思う。


そんな怪物が地面を蹴って走ったら、どうだろう。


凹むのかな……。


京野「いやいや、馬鹿馬鹿しい。そういうのは空○科学読本あたりが考えることよ……」


下校のチャイムが鳴った。もう6時だ。時間が過ぎるのはとても速い。


そう、時間が過ぎるのは速いのだ。


時間には制限がある。


限られた時間でことを成そうと思ったら、仕事を短縮する『時短』が必要になる。


現代の情報社会において、いつでもどこでも仕事をするにはパソコンが必要だ。


そのパソコンをハイスペックにすることは、複数のアプリケーションを立ち上げて作業する際には特に、処理待ちや応答待ちなどの余分をそぎ落とし、結果として時短につながる。素晴らしい。


結論。ハイスペックは素晴らしい。


そういえば、今日は耳寄譲歩がいない。


委員会があるとか言っていた気がするが。


終わったら寄ってくれればいいのに。


いや、私は寂しくなんてないんだけど。全然寂しくはないんだけど。


京野「全く、譲歩も気まぐれと言うか、猫みたいなやつよね……」


猫。


天真爛漫で、人にすり寄ってきて、機嫌の悪いときはそっぽを向く。


それが何を意味するかと言えば、『自由』だ。


猫と耳寄譲歩を結びつける言葉は、それだ。


京野「事件も収束を迎えたし、不確定情報も減るかと思ったけど……」


京野はパソコンの画面を見て嘆息した。


京野纏女が言う不確定情報とは、いわゆるオカルト的な類のものである。


最近は口裂け女の情報でもちきりだったが、事件収束後も、オカルト情報は増加傾向にある。


京野「誰の仕業か知らないけど、仕事を増やさないでほしいわね……」


情報部に寄せられたものである以上、危険性や事件性のあるものに関しては『検証』が必要となる。


京野纏女はパソコンの電源を切り、立ち上がった。


京野「まあ、私は私の仕事をするだけだわ」


そう、誰もが『自分の仕事』をなすべきために生きている。


例えそれで衝突したり、大事な何かを無くしたり、何かを犠牲にすることになったとしても。


私は、私のやるべきことをやろう。







【エピローグ】


霊人「なあ、長目先輩は全部で何人驚かせたんだ?」


長目「全部で『3人』よ。追いかけた人数はね」


霊人「……そっか」


そうだよな。


そりゃそうだ。


最初の『二件』と個々岳の『一件』。


足して三件だ。四回はない。


つまり、俺は『長目先輩に追いかけられてはいない』。


いくら長目先輩でも、本当に口が裂けたように見せかけることは、不可能だ。


それに、あの速さはやっぱり……。


此檻「あー、やっぱモノホンだったんだね、あれ」

彼依里「それにスピードも人間の域超えてたしね」


霊人「まったく、駄菓子屋のおばちゃんには感謝するよ」


感慨深く、俺はうなずいた。


長目「なんの話?」


霊人「いや、別件でちょっと。まあ、駄菓子屋に『べっこう飴』が置いてあってよかったなぁという話」


長目奔流は不審そうな顔をした。


長目「……いや、それはおかしい」


幽宮霊人は長目奔流の口からそのような言葉が出てきたのが意外だった。


霊人「なんで? 駄菓子屋なのに?」


長目「だって、アタシは口裂け女を演じるにあたって、駄菓子屋に『べっこう飴』が置いてあるかどうかの確認はしたんだよ。だって、アタシは駄菓子屋のすぐ近くの交差点に居た訳だから。いわば口裂け女の『天敵』が近くにあるのに、そこに出現するのは『おかしい』んじゃないかってさ。ロケーション的には申し分ないし、店のおばちゃんだって普段は奥に引っ込んでるから『都合がいい』と思って、やっぱりその場所にしたんだけど。べっこう飴は『置いてない』って言うし」


幽宮霊人は、少しだけ鳥肌が立った。


誰が?


何故?


何のために?


だから、あのとき『本物』は駄菓子屋付近ではなく、パン屋近くの交差点に現れた……?


飴は意図的に誰かが置いてくれた?


俺を助けるため?


いや、わからない。


目的が。


行動原理が。


接点が。


正体が。


わからない……。


幽宮霊人は、難しい顔で眉間に手を当てた。


長目「どうしたんだよ、あんま難しく考えんなよ。事件は終わって、口裂け女……つってもアタシだが、それもいなくなったし、いいじゃないか。考えすぎると脳が疲れるぞ?」


霊人「まあ、そうなんだけど……」


長目「あ、そういや疲れたときは甘いものが良いらしいな。もらいもんだけど、やるよ。なんていうか、すげータイミングだけどさ」


長目先輩がポケットから取り出し、俺に差し出したそれは、口裂け女の持ち物としてはふさわしくない金色の飴だった。


霊人「『べっこう飴』ですか」


長目「委員会でもらったんだよ。えーと、人は『甘いもん食ってる間は幸せでいられる』らしいぞ? まあ、アタシは運動部だからあんまり甘いもの取らないようにしてるけど。これで口裂け女が現れても大丈夫だな! まあ、『二度と』現れることはないんだけどさ」


長目は自嘲気味に笑った。


霊人「ふ、そうですね……、ありがたく頂戴しときます」


長目「おう、じゃあアタシは部活してくるわ! それじゃ、またな!」


そう言うと、長目奔流は茶色のグラウンドに颯爽と駆け出して行った。


此檻「どう思う?」

彼依里「うーん、ミステリアス」


霊人「ま、考えてもしゃーねーか」


命があっただけで、いいじゃないか。




こうして、黎明高校を騒然とさせた『口裂け女』騒動は、一抹の疑問と幽宮霊人に大変なトラウマを残して行き、一応めでたく幕を閉じた。



ちなみに、足利良美は成仏した。



幽宮霊蔵に聞いたところ、最後の彼女の顔は『勝ち誇った顔』で笑っていたらしい。



幽宮霊蔵いわく、今回の功績は『幽宮霊人』にあるものだという。



つまり、人生で初めての『成功』だ。



もし、語るべき時が来たら俺は語ろうと思う。



誰にともなく、自分自身に。



あの失敗の物語を、語って聞かせようと思う。





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