通行人「日本人の時間厳守主義の前には世界平和など瑣末な問題」
通行人無双のSSです。
ヤーさん、怪人、悪人、宇宙人、怨霊、いろいろなものが行く手を阻む。
そう、僕たちが通行人である限り。
でも、ごめんなさい。
急いでるんで、無双させていただきます。
相良義男は寝坊癖のある男だった。
これまでに転職を4回繰り返している。いずれも、自身の悪癖により会社に迷惑をかけ、社内にいるのがいたたまれなくなったが故の自主退職だ。
30代にして5社目の会社というのは、やはり多い方なのではないか。
今度こそは、という思いで入社した会社で、油断した頃に悪癖が露呈する。
その5社目の会社において、営業としてある程度の実績を上げ、社内や顧客から一定の評価を得るようになった矢先。
問題の朝は突如としてやってきた。
出社する夢をみて、直感的にやばいと思って飛び起きた。アラームを見る。
「7時10分」
思わず声に出す。
自分はまだ夢を見ているのだろうか。
いや、これは紛れもなく現実だ。
窓の外を眺める。快晴だった。
8月上旬の、うだるような暑さの、某日であった。
「うぉおおおおお!」
自分の発した奇声により、本当の意味で頭が起き、我に返る。
やばい、やばい、やばい、やばい。
会社の出勤時間は8時。
いつも6時に起きて支度をし、6時40分には近場の24時間営業のファーストフード店のテラス席でコーヒーを飲みながら軽食を取り、新聞にざっと目を通し、7時10分には徒歩5分の駅に向けて出発する。7時20分発の電車に乗り、7時40分には会社に着く。自席には7時45分には着席し、8時までの朝礼の間にパソコンのメールに目を通す。余裕を持った行動を心がける、社会人にふさわしい優雅な日々だった。
「ぬぁあああああああ!」
寝巻きを脱ぎ散らかし、スーツをちぎれんばかりの勢いで着込み、片足飛びでぴょんぴょんと跳ねながら靴下を履く自分に、そのかつての優雅さは見る影もない。脳の一部が客観的に、極めて冷静に自己観察をしていた。こんな状況なのに。
「7時15分!」
5分で着替えることができた。僥倖だ。人間、やればできる。そう、やればできるのだ。どんな状況でも諦めずに頑張れば、道は開ける。
「あ、髭剃ってない!」
洗面所へ急行する。
出社時間に間に合わせるのもそうだが、身なりをきちんとしているのも社会人としての常識だ。
「にゃああああああ!」
奇声を発しながら、シェービングクリームを肌に塗りつけ、カミソリで手早くことを済ませる。
その間、頭の中で数を数えていた。またも、だいたい5分が経過したであろう。
「7時19分!」
腕時計に目をやり、慌ただしく計算する。
家からファーストフード店まで2分。それから駅まで5分。つまり計7分。しかしこの時点で7時20分の電車には間に合わない。だけど駅には26分には着く。一本遅れた電車の発車時間が7時30分。会社まで20分。到着7時50分。
「よし、いける! 神は俺を見捨ててはいない!」
ダッシュで玄関に向かい、靴を履く。
とんだ騒動に巻き込まれることになるのは、わずか数分後のことだった。
「わはははー、車よー、お菓子になっちゃえー」
デスボのような低い声を響かせて、怪人としか形容のできない生命体は、手からビームのようなものを出すと、それを車に命中させた。
すると、あろうことか車がお菓子の車になってしまった。怪人が車にむさぼりつく。車内からは搭乗者が発狂寸前の様子で悲鳴をあげながら逃げ去っていった。
「チョッコレート、チョッコーレート、ちょっちょっといいよねー」
奇妙なフレーズを歌いながら怪人が、おそらくはチョコレートになってしまったのであろう黒塗りのセダンをぺろっと平らげる。
唖然とした面持ちで、相良義男は怪人を眺めた。
あまりに非現実的な事態に、頭が時間のことを一瞬忘れた。
「ギブミーチョコレート!」
こちらのことなどお構いなく、怪人は車を次々とチョコレートに変えると、進路を駅方向に向かいながらそれらを平らげていった。
ぽかんとした面持ちでそれを見つめていた相良は、6分が経過した時計を見て現実に戻される。
あと4分で電車!
そして同時に気づく。怪人は今、車をチョコレートに変えていた。
車は、乗り物だ。
そして、電車もまた、「乗り物」だ。
「はぅあっ!!!」
時間とかの問題じゃない。
乗り遅れるとかじゃない。
そもそも移動手段自体が消失してしまう!
「待てやぁあああああ!!!」
気付いた時には、相良は全速力で怪人を追っていた。
「よこせチョコレート!」
相良が駅に到着したとき、ちょうど逆方向の下り電車がチョコレートになってしまうところだった。
その問題の1番ホームでは、パニックになったサラリーマン、学生などが次々と逃げ出ていく。
「食べ応えありそうだなー」
じゅるじゅるとよだれを垂らしながら、電車のドア部分にかぶりつく。
瞬く間に1車両が食い尽くされてしまった。
冗談じゃない。
相良は身の毛もよだつ思いだった。
まだ2番ホームには上り電車が来ていない。時間にしておそらくあと2分30秒。
ていうかそもそも、来るのか? 緊急事態発生とかで、電車も見合わせるんじゃ……。
相良の頭には、寝坊したという負い目から、なんとしてでも定刻までに出社を果たすというある種の強迫観念にさらされていた。そのため、怪人発生により遅れる連絡を会社に入れるなどという考えは、これっぽっちも浮かばなかった。
ただ、電車にのるためにあの怪人をどうにかしなければならない。
焦燥がつのる。怪人は4車両目に手をつけた。全部で8両編成だから、このわずかな時間にもう半分近くが食われてしまっている。
次の電車が来たとして、この怪人は99%それをチョコに変えてしまうだろう。
どうすればーー
「そこまでだ! 怪人!」
突如として上空から現れた5人の人影は、1番ホームに降り立つと、「ジャッジメントの時間だ!」といった。
まさかの戦隊モノの登場に、俺の心はにわかに浮き足立った。
「ぷぷー、ジャッジメントだなんて今時アリエナイザー! お前らもチョコになっちゃえー!」
怪人が光線を出し、5人がそれを避ける。
「くっ、しょうがない! みんな、変身だ!」
突如、BGMが流れ出す。
5人は一様に携帯のようなものを取り出し、それをプッシュした後、なにか儀式めいたポーズをとった。
「変身!」
なんかこの流れ見たことある。
そう間の抜けた感想を抱いた時、「2番ホームに電車がまいります。線の内側でお待ち下さい」とのアナウンスが聞こえた。
来た! 7時30分発の上り電車だ!
頼むから、怪人倒せなくてもいいから、次の電車が発車するまで戦闘長引かせてくれよ!
「ぐあー!」
レッドがチョコビームをくらい、赤色のチョコが爆誕した。
「きゃー!」
黄色のチョコも後に続いた。
「なにしてんのお前ぇええええ!」
ちょ、戦力減らしてる場合じゃないだろう! なにお約束の負けイベント消化してんの!
頼むよ、もうすぐ電車が来るんだって!
「はやくチョコレート、チョコレート、プリーズ!!!!!」
怪人が赤と黄色に詰め寄る。
どんだけチョコ好きなんだよこの怪人。あと、ベビメタ。
「くっ、だめだ。戦力の減少に加え、このビームは強力すぎる。今の俺たちじゃ太刀打ちできない! グリーン、ピンク、ここは一度引くしかない」
いついかなる時も冷静沈着という感じのブルーがいった。
待て、もっと熱くなれよ。ブルーだから冷静というのは、安易すぎるぞ。熱血なブルーがいたっていいじゃないか!
「でも、こいつを野放しにしたら被害がどんどん拡大する!」
そうだそうだ! ピンクのいうとおりだ!
視界の隅にこちらへ接近する電車を捉えた。
到着のメロディが流れ出す。
「おんや、次の獲物がとうちゃーく」
待て。怪人よ、お前の獲物は電車じゃなくてそこの戦隊モノだろうが。
「ブルー、チャンスだ! 今のうち逃げよう!」
何言ってんだ緑。おいこら緑。チャンスだ、じゃねーよ!
「ああ! いったん戻って体制を立て直すぞ!」
戦隊ものが赤と黄色を抱え、線路に飛び降り、2番ホームへとよじ登る。こちら側の出口から逃げるつもりなのだろう。
もう我慢の限界だった。
自分の中で、なにかが弾ける音を聞いた。
すれちがいざま青の肩をつかむ。「え?」振り返った青の頬に向けて「ドゥーン!」と平手を張った。
「モルスァ」みたいなことを言いながら青が空中でトリプルアクセルを決めた。
「ちょ、おいおい待てって! なにすんのおっさん!」
赤色のチョコをその場におき、近づいてきた緑も「ドゥーン!」と平手をかました。
緑も同様に飛んでいく。「ひでぶっ」
「きゃー!」
悲鳴をあげたピンクの乳を「ドゥドゥーン!」と鷲掴みにする。
完全に変態だった。
「ぎゃー! ヘンターイ!」
思い切り頬を張り飛ばされ、線路を超えて向こう側の1番ホームまで吹っ飛ばされた。
どうやら戦隊もののスーツを着ている時は、力が何倍にもなるらしい。
しかし今の覚醒状態の俺にはどうでもいいことだった。計算通りだ。
電車が到着した。
中の人間が早くも怪人に気づき、車内はパニック状態に陥る。
怪人が手の先を電車に向ける。そこに淡い光が灯る。
「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートはーゴディバー!!!」
それガリクソンやん。と思いながら怪人にタックルをぶちかます。
手から出た光線は上空にそれ、ホームの一部がチョコレートと化す。
「邪魔をするならお前からチョコに……」
マウントポジションを取った。
もはや一刻の猶予もない。ここで怪人をどうにかしなければ発車は見送り、運行停止、素通り、いずれもありうる。
そしてそれは遅刻を意味する!
カッと目を見開き、「あだだだだーだだーだだだ、ずっきゅん!」怪人の顔面にオラオララッシュをぶちかます。
「あだだだだー!」
手をチョキの形に構え、「わだだだだーだだーだだだ、どっきゅん!」怪人の眼球にドッキュンする。
「わだだだだー!」
「ずきゅん!」金的。
「はぅあっ!」
「どきゅん!」みぞおち。
「げぶほっ! も、もうやめ……はっ!」
今なら、もしかしてオラオラですかと問われた承太郎の気持ちがわかる気がした。
「やだやだやだやだ! Never! Never! Never!」
駄目押しのオラオララッシュで、怪人は「プリーズ!!!」と言いながら空の彼方へと飛んで行った。
一件落着、である。
「2番ホームより、電車が発車いたしまーす」
「あ」
Case1:おわり
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