2018-07-09 04:39:37 更新

概要

九十九集めを、現代語を使って分かりやすく翻訳しました。


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↑現代語訳無し


…。

…。

…。



春の門出に引き継がれても。

夏の雨を凌いでも。

秋の小道で踏み鳴らしても。

冬の寒さを受け止めても。


やがて人はソレを捨てる。

百年経てば妖怪へと変わる、と言う信仰によって。

(付喪神信仰。それは、物を百年使い続けると、その物品は妖怪に変化してしまう。と言う概念である。そうなる前に物を捨てる、つまり、九十九年…つくも年に物を捨てる。そうして妖怪になり損ねた半妖はいつしか、付喪神と呼ばれるようになっていた。)


百年、経つ事を喜び、主の為に腹を開いても。(箪笥の開く様子)

鬼のような雷雨から、主を守り抜いても。(傘をさし、身を守る様子)

夜の酒に浮かれ、足が疎かな主に踏まれても。(千鳥足の主人に踏まれる下駄)

行く銀世界に、肩の雪を落としても。(蓑が雪を肩に積もらせ、それが落ちる様子)


箪笥だろうと、傘であろうと、下駄であろうと、蓑であろうと。

取り手を直され、穴を塞がれ、鼻緒を直され、繕われ。

それほど大事にされた物であっても、やがては捨てられる。


九十九年の思いは重なり、九十九の縁が重なり。

縁は円、輪と成し間に和、話を語る。

(縁とは円のような形を走らせて輪を作る。そうした中に和(信頼や友情)が生まれ、一つの物語と成す。)


九十九集いて、縁と成す。


…。

…。

…。


唐傘「嫁ぎ者は二十になった。相も変わらず夜になれば椀が飛び交い腕を振るわれ。「嫁ぐとは女の耐え仕事」。家柄家形の繁栄を、長男以外は道具のように扱われる。江戸はそうよ、逃げ出す者の多い事。畑を耕しささやかな飯を食らう彼方へと歩き出す。女はほとほと困り果て、遂にその時が来たのじゃ」


(嫁は二十歳になった。相変わらず夜になると、関白亭主に椀を投げつけられたり、頬を叩かれたり。「嫁ぐ事とは、女が生きる為に生涯耐える事である」とはよく言ったものだ。家柄や家系の繁栄を継ぐのは長男であり、それ以下はまるで物のようにぞんざいに扱われる。特に江戸は、政略結婚のような恋愛とは程遠い縁談が多く、夜逃げを起こす者も少なからず居た。逃げた先で、畑を耕して米や野菜を育てるような自給自足の生活を望む者も。女は関白亭主に呆れかえり、遂に夜逃げを起こす決心をしたのであった。)


桐「親方様や。(酒を)注ぎましょう」


「うむ」


唐傘「女は草履に足を通し、ふと戸を開くと雨の匂い。終わり頃の五月雨は強く、この先この先は全て暗い。末は漆黒、振り返ればほのかな灯。女は迷った。逃げ出すべきか、それともこのまま余生を過ごすか。戻れば暖かい部屋と飯がある。歩き出せば何も無い」


(女は草履を履いて戸を開く。すると雨の匂いが鼻をかすめた。六月の終わり頃、梅雨の真っただ中の雨は強く、まるで自分の行く末には闇が広がっているのを想像させるかのようであった。闇か、それとも後ろの灯篭の中で揺れる暖かな灯か。女は迷った。逃げ出すか、それともこのまま人生を耐え忍んで生きていくか。戻れば昨日と同じ、暖かい部屋と暖かい飯がある。だが、歩き出せばそれらを捨てる事に他ならない。)


桐「夜伽中(「毎晩聞いている物語」の最中に)失礼致します。明朝より振袖の売り(の予約)が参ります。今晩はお早めに」


「何を言う。これからが面白いのだ。客は神だと言うが、買う神が居なければ金は入らぬ。厚かましい神など待たせておけ。(この話の女性が)三十路になるまで寝るつもりは無い」


桐「…承りました」


唐傘「続けるぞ。女は今こそ決断じゃ。迷いに迷って半刻過ぎる少し前、間もなく亭主の戻る頃。一度、雷光。一度、雷鳴。最後にぐっと唇を噛みしめる。そして…」


(続き。女は今こそ決断をする時だ。迷ったまま一時間近く経つ。もう少しで亭主が家へと帰って来る頃だ。雷光が一度、そして雷鳴が一度。それに気圧されるかのように、最後に強く唇を噛みしめる。そして…)


唐傘「女は、私を差して走り出したのじゃ」


「ふむふむ。そして、そして」


桐「それでは、お先に失礼致します」


「うむ。良い夜を。唐傘、待たせるな。早くせい」


唐傘「じゅるじゅると、草履に染み込む雨の音。ぐらぐらと、遮る光と、遮ぐ音。小門を飛び出し、大通りを避けて路地を進む。進み、進んで。早じまいをする商店なぞ目もくれず。だが、そこに立っていた男は見逃す事は無かったのじゃ。「お花!お花ではないか!」「ああ!あなた!」なんと、亭主が店の前で何かを買うていた。このまま逃げるか、それとも連れ戻されるのか。女の目の回るような焦燥が、手から私へと流れ込む」


(びちゃびちゃと、草履に染み込んだ雨の音。ガラガラと雷鳴が…目の前が真っ白になるような雷光、そしてまた、鼓膜が張り裂けんばかりの雷鳴。大きな門ではなく、小さな門から走り出した彼女は、そのまま大通りを避けて路地ばかりを進んでいく。進んで進んで…。早じまいしようと客を追い払おうとする店などには目もくれずに。だが、そこで品定めをしていた男は見逃さなかった。亭主「お花…!お花ではないか!」嫁「ああ!あなた!」。なんと、店の前で何かを選んでいたのは自分の亭主であった。このまま逃げられるのか?それとも連れ戻されるのか?彼女の目の回るような焦燥が、想いとなって手から傘(語り部)へと流れ込んでくる。)


唐傘「「お花、何処へ行こうと言うのだ!」「お許しを!お許しを!」嘆くような言葉に、雨は囁く。「お花よ…これを…」亭主が何かを呟いた。手の中で光る何か。腰に差した二つの刀がキチリと音を鳴らす。見る間もなく、恐れ慄き、女はまたも走り出す。「お花!お花!!」後ろから叫ぶ言葉には耳もくれず。…だが、私は見たのじゃ。亭主の手で光り輝いていた玉は、かんざしの装飾であった。振り返り様、刀は鳴る。何も恐れる事は無い。亭主の優しさの溢れる姿であった。それを後目に逃げ出して…。…二人の悲しさは、次々と私に積もるばかりなり…」


(亭主「お花!どこへ行こうというのだ!?」嫁「お許しを…!お許しを!!」。嘆き、そして懇願するような言葉は雨に溶ける。亭主「お花…これを…」。亭主が何かを呟いた。そして見せる手のひらの上では何かがキラリと輝いた。同時に太刀と脇差がカチャリと音を鳴らす。それを見た彼女は恐れ、そして慄いて走り出す。亭主「お花!お花!!」後ろから呼び止める亭主の言葉に耳も貸さず。…だが、私は見たのだ。亭主の手の中で光っていたのは、かんざしの玉装飾であった。そもそも、急に振り返り、そして動作をすれば、刀は揺れて当たって音を出す。本当ならば何も恐れる事など無い。亭主の優しさの溢れる姿であったのだ。それを後目に逃げ出した彼女。…二人の悲しみは、次々と雪のように私の傘へと積るばかりであった。)


「ふむ…。ふむ…」


唐傘「…続き、逃げた雨の彼方歌」


(一、逃げた雨の奏でる次の曲。二、雨の中を逃げ出して、その先の物語)


「よろしい、続けよ」


…。

…。

…。


江戸時代。古物商の「九十九屋」と言う店があった。

そこはどんな訳があろうと何も聞かずに九十九文(一文=約32円)で引き取ると言う、質屋の体をしておった。(およそ3200円で一律買い取り)

だが、事実。その店は(質屋の癖に)何も売らない。曰く、買い専門であり、売られた箪笥や唐傘、下駄や蓑はどうなったかなど、誰一人として知る者は居なかったと言う。

売らなければ物は積まれるばかり。掃き溜めのような内を予期して塵を売ろうと入ってみるが、その実がらんどうのようにこざっぱりしているそうな。

(普通、質屋は買い取った物を店の中に保管しており、どんなボロばかりがあるのだろう?と入ってみると、予想と違って非常にこざっぱりとしていた。)

周りからは案外重宝がられている。何故ならば、本当ならば売る事など許されぬ、所謂「曰く品」を売れるから。

九十九年使い続けた、一子相伝の仏壇だろうと。途切れた一家の入った墓石だろうと。そこはなんでも買い取る。

そんな物ばかりの店を、低級の神ばかり集めた「八百万屋」とは、誰が言ったか言い得て妙。

(八百万、とは、神や妖怪がどれだけこの世界に存在しているか、を簡単に例えた言葉である。米一粒に神様が7人宿っている…なんて謂れもよく聞く。)


今日も、男は一人で店番をしている。竹が焦げた煙管を吹かしながら、桜花道待ちぼうけ。


…。

…。

…。


注釈


江戸、と言うよりは古代の日本で栄えた付喪神信仰。本気で全員が信仰していたか?と言えば嘘である。勿論、物が妖怪になる瞬間を見た者は居ないし、実際の所「もったいないお化け」のような、子供への戒めとして語られていたと言う節もある。

だが、現在では科学で理屈のつく物であっても、当時はそうはいかない。人魂やら幽霊やら、そう言ったものをひっくるめて「妖怪」だとか、「鬼」と呼んでいた。現在でも「妖怪リモコン隠し」や「妖怪抜け毛隠し」など、後々驚かされるような低級な事象でさえ、鬼の仕業と呼んでいた可能性は高い。


(当時の人に会った事などないので、一部推測やソースは無い。)


…。

…。

…。


「買わぬ」


客「なんだと!?」


「これはいかにも見る目は古い振袖だ。だが、あくまで見てくれのみよ。保管が悪く、虫に食われて焼けただけ。十年は越えても…ふむ、二十は行っていない。これはただのクズだ。こんな物を買い取るもの好きが居る訳も無し」


(これはいかにも見た目は由緒のありそうな振袖だ。だが、それは見た目だけ。保管が悪くて虫に食われたり、日に焼けたりしてしまっただけだ。十年…いや、二十年物くらいだろう。こんなものはただのクズだ。こんな物を買うような物好きがどこに居る?)


客「この九十九屋はちげぇってのかい!?ええ!?」


「残り物には福来る。百年大事に使われ、妖へと変わるのを恐れて捨てられる、言わば「使える道具」の専門だ。クズに興味などなし」(妖怪や付喪神専門。もしくは、同じように大事に使われ、付喪神信仰から泣く泣く捨てられるような道具のみの質屋)


客「おい!この振袖は越後谷様から譲り頂いた、大変に価値のある…」


「その価値をクズにしたのはお前だろう。着られた跡も無し、大事にされた跡も無し。そんなのは振袖とは言わず、ただの布。クズだクズ」


客「なっ…!こ、このやっ…!」


「帰れ帰れ。こっちは今忙しい。そうだな…そう、煙管の雲の形を見るのに忙しい」(キセル(タバコ)の煙は、意外と面白い形を作ってくれる)


客「てめぇ!!」


「おっ。蛙にも見える…いや、これは兎か…」


客「良い死に方が出来ねぇな!阿呆くせぇ!帰るぞ!」


「おーおー。帰れ帰れ…。(戸を力強く閉められる)おい。戸ぐらい静かに閉められねぇのか」


桐「…」


「…そんなんじゃ、買われた物も良い心地しねぇだろうよ」


桐「…親方様」


「おう、桐。丁重に門前払いしたから塩を撒け」


桐「親方様、良いのですか?虫食い穴は二つだけ、日焼けはあっても目立たない。卸せば幾何か(少なくとも百文は超える)になろうでしょう…?」


「おい、滅多な事言うな。うちをなんだと思ってる」


桐「質屋でしょう」


「質…いや、確かにそうか。表にも書いてあるな…」


桐「目利きをし、安く仕入れ高く売る。質とは…」


「良い。言うな。知っている。そうではなく、ここは九十九屋だ」


桐「…」


「ただただ、無念を買う店よ」


桐「…良いのですか?」


「何が」


桐「「飯食らい、世は金無しに、生きぬ道」。そう銘の付く物にございます」(人は飯を食べる、世の中は金無しに、生きられない道である)


「一日に二食。夕餉(夕飯)にささやかに酒に酔い、朝日昇るまで眠り続ける。ただそれだけ満たしていると言うのに、これ以上金が必要か?」


桐「越後の大黒様への献上をお忘れでは…?」(土地の賃貸。大黒屋と言う地主が居る(独自設定))


「…ああ、うっかり忘れておった…。そうだそうだ。店を出すのも、只(無料)じゃない」


桐「…私は(「アレ」をするのは)嫌にございます」


「…何を言う。ほれ、私が生きるのに必要だ。今晩とは言わぬから「あれ」を頼みたい」


桐「…はぁ。承りました」


「それで良い。あとは…どうだ、煙管の雲遊びでもせぬか?」


桐「なら、唐傘にでも頼めばよろしいでしょうに」


「お前が良いのだ。桐」


桐「…はぁ。お相手致します」


…。

…。

…。


「どうだ、これは間違いなく蟷螂だ。うむ」


桐「こおろぎ…」


「…おおっ。確かに、いや。まごう事なく、こおろぎであったな…」


桐「これで五度目にございます」


「何を何を。次だ次」


桐「はぁ…。うん?」


「む?」


桐「はて、唐傘が起きたようにございます。一度仕舞にして、昼に致しましょう」


「うむ。楽しみにしている」


桐「では、失礼致します…」


…。

…。

…。


桐「唐傘、七草粥はどうでしょう」


唐傘「正直…飽きたのじゃ…。七日続けて粥のみとは…主も頭を抱えるじゃろう…」


桐「ではたくあんと…」


唐傘「桐よ…。お主、箪笥(の付喪神)じゃろうに何故好みが分からぬ…。いや、好みと言ふよりは、生きる事をじゃ…」


桐「何を申します…」


唐傘「人は私らと違い、食わねば生きていけぬ。それも、漬物ばかりではなく、魚や煮物を…言えば鶏も食わねば生きられぬのじゃ」


桐「晩に魚を…と思っておりましたが…」


唐傘「…に、してもじゃ。…まあ、魚…ええと、なんじゃ?」


桐「何か適当に…。目の前の堀で採れるどじょうでもと…」


唐傘「どじょうは旬ではない。夏でなければ」


桐「小ぶりで食しやすい事かと。むしろ、親方様は喜々とするでしょう」


唐傘「…「おお!この時期にどじょうとは!なんと珍しい!こう言う旬の外れた魚は一体どんな味がするのだろう。いや、興が湧く」…言いかねんの」


桐「でしょう。ですから、昼は七草と漬物にでもしましょう」


唐傘「うむ。そうしよう」


…。

…。

…。


唐傘「味噌も入れるか」


桐「ええ、入れましょう。ことことと音が鳴りましたら昼になります」


唐傘「主様を呼んでくれな」


桐「今」


「…ほう、ほう」


桐「…親方様。まだ雲遊びを…」


「桐。来客だ。茶を持て」


客「どうも」


桐「ああ、これは失礼を…。ただ今」


客「…あの障子の向こうの女子は主人のコレ、ですか?」


「何を言う。女子どころか、見てくれは三十路よ。それに嫁などでは断じてない。して、ほれ、早く見せてくれぬか?」


客「ええ。こちらの壺です」


「ほぉ…。ほぉ…」


客「…長らく続きましたが、江戸に入って店が変わるとは…。悲しい限りですな。三つで九十九。お譲りしたく願います」


「峠の茶屋から、(人気が出たので)大通りの茶屋へ。何が悲しいものか」


客「いえ、つづらは大きくなればなるほど、欲にまみれる。子は私の為だと言い張るが…。いかがでしょうか。心中は存じません」


(いえ、舌切り雀の話にあるように、つづら(店)は大きくなればなるほど欲深くなってしまう。息子は親孝行だと言い張るけども…。どうでしょう。その心の中までは読めません)


「大きくなれど、心は相伝すれば良い。味も、もてなしも忘れなければ繁盛するだろう」


(大きくなろうとも、その心(和)を受け継げば良い。味も、そしてもてなしの心も忘れなければ、きっと江戸でも繁盛するだろう)


客「そうだと良いのですが」


「そうだな…。強いて言えば多売に薄利(安値で、客を多く寄せ集めろ)。客はまるで神のようにもてなすものよ」


桐「…先ほど神に塩を撒いたばかりでは?」


「うむ。あれは神は神でも悪鬼の類よ。茶が入ったか。そこに置いておけ」


桐「承りました」


「で、だ。三つで九十九など、新たな門出を祝うには足りんだろう。一つで九十九。手配も入れて、三つで三百だ」(約10000円…だが、九十九屋は「全部で1200円」が当たり前だったので、その三倍…と考えてもちょっと安すぎる)


客「ややや…!そんな大層な物では…!」


「良いのだ良いのだ。私とて興が湧く。持って行ってくれぬか」


客「…そ、それでは…」


「うむ。よろしい」


客「…有難う御座います」


「礼は要らぬ。宝を譲る心こそ、礼をするべきだろう。有難う」


…。

…。

…。


桐「…して、七草粥のお味は…」


「ふむ。美味い。だが、飽きたな」


唐傘「ほれみぃ」


「まあ…明日からは豪華な飯になる。お前たちも楽しみにしておけ」


桐「…今度は何を買ったのですか?」


「壺だ。壺」


桐「壺?」


唐傘「なんじゃ。百年も使われた壺か?それとも、私のように米寿か?」


「驚くな。峠の茶屋が、味を買われて(スカウトされて)江戸に店を出すそうでな。…「いくつ」(何歳)と思う?」


桐「峠の茶屋…。はて、齢五十も行けば良いのですか?」


唐傘「主様の事じゃ。それこそ百は行くじゃろう」


「…鎌倉から続く茶屋よ」(年代は1600年代中盤か終盤。鎌倉幕府の終わりが1333年なので、少なく見積もっても300年間)


桐「なんと…!」


唐傘「か、鎌倉とは…!?か、鎌倉の幕府か!?」


「そうだ。今こそ名のある東海道に店を構え、富士を背にする峠茶屋「紅楼」よ」


唐傘「…それは驚きじゃ。声も出ん」


「先見の明だな。飛脚や山伏の心着く山道で、団子、茶漬けを主にしておった」


桐「…それが、壺、ですか?」


「流石に初代は割れておろう。この壺共は二代目よ。…誰だったかあれは…。ああ、後醍醐の頃からの物だ」(やはり、少なくとも200~300年近く経っている)


唐傘「ほぉ…」


「後の二つは…まあ、九十九こそあれ、それ程古い物ではない。織田の頃よ」(100年以下)


桐「はぁ。…では、何故買い取りを…?」


「ふはは。それぞれ何が入った壺か…桐、想像してみよ」


桐「…大方、味噌。でしょうか」


「鋭い。そうだ。それぞれ味噌、醤油、海苔が入っていた」


唐傘「海苔?」


「うむ。「炙り漬け」と銘打ってな。この壺に海苔を入れ醤油でふつふつと煮た物よ。茶屋はこれを飯に乗せ、「茶漬け」として売っていた」(海苔の佃煮茶漬け)


唐傘「…なんじゃなんじゃ。美味そうじゃのう」


「一番の古株は味噌よ。これも味噌を保管するに留まらず、少なくなれば山菜を入れて漬け込み炙って、汁の具にしていた」


(一番の歳よりはこの味噌の壺だ。外の面に焼き跡があるのを見るに、味噌が底をついた時、より旨味が出るように残った味噌に山菜を入れて漬け込んで、軽く焦げ目の付くぐらいに炙った後、味噌ごとだし汁に溶かして味噌汁にしていたのだろう。)


桐「…ああ。合点がいきました」


「…そう。九十九の間の「味」が染みついている「壺」だ」


唐傘「ふむ!つまりはそれを現…」


「はぁ?何を言うか。これで飯を炊くのだ」


桐・唐傘「は?」


「うむ。七草のみでは腹も膨れぬ。桐、この壺に水と米を入れ雑炊にしてみよ。気が変わったからな。すぐに食ふ事にする」


桐「…具は」


「無しだ」


桐「無し…?」


「うむ。炊けば分かる」


桐「…はぁ。承りました」


唐傘「どうだかのぉ…。塩も入れんのか?」


「塩も要らん」


桐「…親方様。中はつるりと綺麗に洗われておりますが?」


「それでも。だ」


桐「…はぁ」


…。

…。

…。


「ふはは…!やはり、思った通りよ」


唐傘「こ…これは…?」


桐「…先に。私は具も味付けも何もしておりません。ただ、水と米のみにございます…」


「うむうむ!九十九の間に染み込んだ味噌の味だ!どれだけ綺麗に落としても、壺は味を忘れておらん!」(土鍋も高火力で同じものばかり作ってると、その香りが染みついて水に溶けだす…らしい)


唐傘「ほぉ…。つまり、醤油や海苔の壺も、同じく水と米のみで…」


「ああ。美味い雑炊になるだろう。いや、今更だが粥か」


桐「…して、味わった後は…」


「漬け込むも良し。だ」


(野菜を漬け込んだりするの「も」良いだろう)


唐傘「…も?」


「…唐傘。言わんとて分かるだろう。現界の事よ。桐、茶を持て」


桐「承りました…」


…。

…。

…。


注釈


付喪神や妖怪への変化には、それ相応の技術が居る。それは思いの増幅であり、長年だろうと数年だろうと、心臓に近い位置でそれぞれの想いを込められて育てられた物品は、すべからく変化する。のだが、この壺の場合は、自分を「壺として全うする」と言う、持ち主との強い絆があり、百年経っても割れる事は無かった。その役目が終わった今、安全かつ、主人の楽しめるように擬人化する事を「現界」と呼んでいる。


…。

…。

…。


「…唐傘よ。何故九十九屋は損を承知で古道具を買う」


唐傘「…話を聞くため。じゃろう」


(現界させて、その九十九年もの間に物品が見てきた光景を物語として聞く為…。だろう?)


「うむ。では、何故古道具でなくてはならない?」


唐傘「溜まりに溜まった話は興になる。からかの」


「…うむ。まあ、その通りであるが。…ああ、お前も人世も分かってないな」


唐傘「うん?」


「…道具も米も酢橘も全て同じよ。美味い中身を吸われ食われるが、人は皮を捨ててゆく。皮と身の間が一番に血になると言うのに、苦いと分からず捨ててゆく。良薬は口に苦しとあれど、人は良い思いをしたいが為に、使える分を割り切って捨てるのだ」


唐傘「…」


「お前たちは皮よ。使い使われ九十九年。熟れいに熟れた思いのみが積もっておる。九十九年も見た景色は、源氏の妄想(源氏物語)や平家の終物語(平家物語)よりも面白い。浄瑠璃や噺(落語として成立する前にあったであろう、落語のような物語)よりも人情がある。俺は皮まで食う男でな。古道具の価値を知っているのよ」


唐傘「…古道具と言えば聞こえは良いな。捨てられたのと変わらんわ」


「捨てるなら拾おう。銭も何もかも。無念もだ」(銭まで「買う」)


桐「ええ。捨てられたのですから」


「…桐」


桐「なんです」


「…いや、良い。茶を置け」


桐「はい」


唐傘「…まあ、とは言えその後はどうするのじゃ?夜伽に歩いた道(人生の物語)を語っておるが、その後じゃ」


「うん…?」


唐傘「皮を食らい、血肉に変えた後じゃ。糞となり、またも捨てるのじゃろう?」


「…気になるか?」


唐傘「…なんとなしにの」


「…ふはは!誰が捨てるか。俺が死ぬまで、皆、側で夜伽を続けてもらおうではないか!」


「主が先に逝く道具。これ程(物にとっての喜び)の事は他にあるまいて!」


唐傘「…ああ、まあ。そうとも言えるの。少しばかりズレておるが。一寸、いや、一間ほどか」(30センチ…いや、180センチぐらいか…)


「嫌うな。俺は面白い事が好きなだけだ。誰よりも何よりも。面白可笑しく生きていく」


桐「傾奇者…とでも言いますか」


「それで良い。うつけで良い」


唐傘「…ふむ。では仕舞にしようか」


「うむ。馳走であった」


桐「…はて、この後は」


「店番をして、夕に畳み、夜伽だ」


桐「…承りました」


…。

…。

…。


唐傘「女、三十路。新たなる恋に染まり、私の元で肩を寄せ合ひ。慎ましい暮らしにも慣れ親しんだ頃、ふいに訝しさ残る調子に襲わるる。飯が喉を通らず、次に食うてもまた戻すばかり」


(女は三十路となり、新しい恋に落ち、私(唐傘)の下で肩を寄せ合っている。慎ましい暮らしにも慣れて愛着の沸いた頃、ふいに怪しい気配の残る病気が彼女を襲う。飯が喉を通らず、食べたとしてもまた吐き出してしまう)


「…ほう」


唐傘「あまりの事に男は右往左往。女も何一つ分からずにおる。人里離れた山奥の二人暮らしには、それが何を意図する物か知る良しも無し。だが、遅れて不幸は流れ込む。秋の実りに感謝し、米狩りや栗を拾うておると、そこに黒き点を見つけたのじゃ。男はすぐに理解する。「ややっ。これは正しく疫病ぞ。実り妨げ害を成す。食せば体も朽ち果てん」」


(そんな事を知らない田舎者で身よりも居ない男は右往左往。女の体の何一つも知らなかった。人里離れた山奥での同棲、その症状が何なのかを知る事もできない。だが、さらに不幸が襲い掛かる。稲刈りや栗拾いをしていると、そこに黒い点を見つけてしまった。男はすぐに理解した。「ややっ。これは正しく疫病だ。実りを妨げて害を出す。食べれば体にも不調が出る…」)


桐「…哀れな」


唐傘「次第に冬へと入る。残る米ばかりをかき集め、椀の一つに盛り上ぐる。幸いがあれば、前の秋の豊作に残る米が有った事。冬は越せると胸を撫で下ろす。が、春や夏はいかがなものか。囲炉裏を囲む八畳二部屋はがらんどう。売る物も無ければ金も無い」


(次第に冬に入る。残った良質な米をかき集めて、一杯のお椀に盛る。不幸中の幸いか、去年が豊作だった為、その残りがある程度あった事。冬は越せると胸を撫で下ろす。が、来年の春や夏はどうだろうか。囲炉裏を囲む八畳の二部屋の中には何もない。売る物は一切無く、そして金も無かった)


唐傘「二人は悩みに悩んだ。女の病も、先の飯も。先に霧こそ立ち込めん。先に、霧こそ、立ち込めん」


(二人は悩みに悩んだ。女の病気も、来年の飯も。まるでその先には霧が立ち込めているかのようで…。その先には、霧が立ち込めているかのようで…)


唐傘「…続き、赤子供養」


「…ふむ。一度仕舞じゃ」


桐「…どうされました」


「…興も沿えん(つまらない、むかつく)。大方は分かっておる。「つわり」を病と違えたのだ」


桐「ええ。でしょう」


「が、知らぬは罪よ。続く話が赤子供養とは、あまりに酒が濁る(旨くない)でな」


唐傘「救われぬ(救われないのは)は世の常じゃ」


「…よし。今晩の夜伽は止めだ」


唐傘「さればに候、どうするのじゃ。外は暗くとも、寝るには早い事」


「…桐。時に感情箱(金庫)の中の銭は幾何か?」


桐「一貫文(千文)もありはしません」


「ふむ。それでは二人、どうだ」


桐「…(「アレ」は)嫌にございます」


唐傘「ふむ?何をする気か?」


「なに、ちとばかり盗み入る事よ」


唐傘「なんと!?」


「二十年も前からそうよ。暮らす金をば奪ってきた」


唐傘「…それは私とて断りじゃ」


「ならば寝ていろ。どうせ盗むは俺の金だ」


桐「俺の金。と言えば聞こえは良いですが、越後の大黒様への土地借り金にございましょう…」


「うむ。ならば俺の金だろう。言うて、江戸は針から錐まで、纏める者は金を持ちすぎておる」


(うむ。つまり、俺が払ったんだから、俺の金だろう?そうは言うが、江戸はピンキリで、地主があまりに金を持ちすぎている)


唐傘「地頭も庄屋も、先見の明につけ込んだのじゃ。人の才を羨むな」


「羨んでなどおらん。違いがあるとすれば奴らの方よ。不正な帳簿に袖の下。いつの世も変わらん。何故奴らの娯楽に貢がねばならん?役人も何もかも、下から上へと必要以上に吸い取るのだ」


(羨ましいと思った事は無い。もしも罪があるならば奴らの方だ。不正な帳簿に賄賂。いつの世も変わらない。何故、奴らの娯楽に貢がなくてはならない?役人も大名も、下から上へと必要以上に持っていく)


桐「それが世の常にございましょう…」


「ならば世直しだ。店で買い取る九十九文でこそ、大方は借金や地主への首回らずに流すのみ。客の先など決まっておる。その後、絞られた」


(ならば世直しだ。店で渡した九十九文だって、ほとんどは借金や地主への返済に充てられている。そうした客の辿る道は決まっている。その先、絞られて捨てられた)


唐傘「…それは違いない。赤子供養の先の先(の話)には夜逃げが待っておる」


「そして、唐傘売りか」


唐傘「…」


「桐。お前とてそうだろう」


桐「…ええ。今とて恨みは消えませぬ」


「…まあ、なに。小判一枚(四千文)盗むだけ。欲に溺れん。唐傘、お前はここに残っていろ、俺と桐、そして他の者とで行って来る」


唐傘「…良いのか?主様として命ずれば、私とてそれは断れんのじゃぞ?」


「嫌なら良い。だが、桐。お前は背負ってでも連れてゆくからな」


桐「…はあ。承りました」


「桐。如来と地蔵、経文も叩き起こせ。今晩は宴だ」


桐「…ええ、あの者らなら喜んで興じるでしょう。承りました」


「…ふむ。興が湧いてきたぞ。そら、妖々と興が湧く」


「堀を進むか、それとも月影に隠るるか。いや、提灯に毒とも楽しかろう」


(堀を進んで侵入するか、それとも月影に隠れて忍び込むか。いや、提灯を消して回るのも楽しいだろう)


唐傘「…主様は、盗みを楽しんでおるのか?」


「うむ。楽しみの一つだ」


唐傘「それに庄屋、地主が怒り狂うたり、よもや足らずと知らぬ者に災厄が…とは考えぬのか?」


(それに行政の一派や、地主が怒り狂ったり…もし勘定が合わない、となって知らない者に被害が及んだら…とは考えないのか?)


「…うん?ふむ、唐傘。何か間違えておるな」


唐傘「何をじゃ」


「俺が狙うのは賄賂よ。白紙に包まれ、箱の下に眠る小判一枚よ」


唐傘「…うん?」


「誰が地主の帳簿に泥を塗るか。そうなれば、確かに農民や商人に害が及ぶ。だが、己の欲にまみれた金を狙う事の何が悪い」(地主と言うだけで儲かるのに、マネーロンダリングして貯め込んだ金など、ほとんど遊郭に消えるのが落ちである)


唐傘「な、ならば先の「俺の金」とは?」


「店を構えるのに、大黒へいくら流したと思う。大通りから外れていると言うのに、足元を見てふんだくる。江戸となってすぐに店を構えた連中以外、皆して渋い顔を迫られる」


唐傘「…ふむ。では、袖の下からいつ盗むのじゃ?名の通り、肌身離さず忍ばせた金じゃぞ?」


「前は眠らせたな。その前は覆面を。その前は…ああ、談合の最中に姿を消して」(談合。お主も悪よのう…と、なんとなく想像のできる姿である)


唐傘「…面妖な」


「お前が言うな」


唐傘「して、悪事を働いて心は痛まぬのか?」


「悪事では無いからな。裏金摘まむだけよ。最も、人が死のうが生きようが金しか見ぬ連中の方が心無し」


(悪事とは考えてないな。奴らの裏金を摘まむだけだ。最も…奴らのように、人が野垂れ死のうが生き永らえようが、自分の金にしか興味の無い連中の方がよっぽど心が無い)


唐傘「…ふむ。一理ある」


「…ふむ。ごとごとと音のする。地蔵やらが起きたか。では…」


「唐傘。少し出てくる」


唐傘「…戻りは?」


「さあな」


唐傘「…結局、何があの人なんじゃ。主様は…?」


(…盗んでみたり、旬じゃない魚を喜んでみたり…。結局、あの人は何なんだ…?)


…。

…。

…。


「大黒門はこの角を曲がれば着こうだろう」


桐「…門の前にはやはり提灯持ちがおります。怪しい者がおれば、控えの雇われ武士が駆けつける事でしょう」


(…門の前には、やはり提灯を持った見張りがおります。怪しい者がいれば、であえであえの掛け声で、雇われた刀持ちが駆けつける事でしょう)


経文「してからに、宝庫口に提灯二つばかり。廊下に人影無し」


(だが、宝庫の入口には提灯が二つ飾ってあるだけ。廊下に人影は無い)


如来「控え部屋は談合場所から三つ、離れにおる」


(武士共の控室は、あいつらの密会場所から三つ離れた部屋だろう)


地蔵「如何とす。刻は過ぎ果て大黒は眠りにつき、狙うべきは宝庫のみ」


(さあどうするか。時が過ぎて大黒は眠っているだろう。狙うべきは宝庫のみ)


「だが、宝庫は錠がこれまた二つ」


桐「…以前も蔵開けに会いました。増えてる事では?」


(…以前も蔵を曲者に開けられておりましたから、さらに増えているかも知れません)


「ふむ。まさに鉄の壁」


経文「では…」


「…廊下には人影無しか?」


経文「厠に向こう無ければ」


(厠に誰も向かって無ければ)


「では、堀を越えようぞ」


桐「…親方様。二間もの高さは、忍刀の力添えによって成せた事。今ではそれも叶いません」


(…親方様。この3メートル越えの高さの壁は、以前の仲間であった「忍刀」の力があったからこそ出来た事。彼の居ない今、それも出来ません)


「む。…そうか」


地蔵「…所で、前に話した奴を使うてはどうだ」


「…ああ。奴か。では提灯持ちは越えられよう」


桐「宝庫は…?」


「…なに。小判一枚とあらば、窓より空蝉とでもすれば良い」


(…なに。小判一枚ぐらい、窓から空蝉(擬人化を解いて、本来の「物」へと変化する技)を使えば良い)


桐「空蝉…」


地蔵「我は二尺(60センチ)も。窓は通れん」


桐「私とて物に戻れば箪笥にございます」


如来「仏閣の落ちに連れられた如来像を削れと申すのか?朝日が昇ると違いましょうか?」


(神社仏閣の没落で売り飛ばされた如来像。そんな私を削りますか?朝日が昇る事と違いますか?)


「…決まりだ。中に投げ込まれ小判一枚攫って来い」


経文「…損だ。小判よりも大損だ」


…。

…。

…。


提灯持ち一「奇事あらば語り候え。さればに候…。一条の戻り橋、あるは九条の羅生門に妖怪変化現れて。老若貴賎分かちなく、鬼、一口に食いたりなど…」(琵琶の曲「羅生門」で実際に詠う節)


提灯持ち二「おう。それは羅生門の口上か」


一「うん?いや。渡辺綱に(頼光が肝試しで)鬼退治を命ずるとこよ」


二「ほう。なんだ、妖怪物には詳しいのか?」


一「まあな。例えば浄瑠璃だとか語りだとか、そうだな、大衆の好む話は耳にする」


二「他には無いのか?人っこ一人通らん提灯持ちなんぞ暇で仕方ねぇ」


一「良いぞ。…ああ、見事に沿った話がある」


二「…まさか提灯持ちの話じゃあるめぇな」


一「そうよそうよ。ふと暗がりに光を当ててみると、何やら妖気の混じる霧に包まれてな」


二「おい、やめろ!やめろ。生まれてこの方怖いもんはカミさんだけだが、墓場と一緒よ!話されりゃ怖くなる!」


一「…おぅ」(夜風に震える)


二「…うぅ…!」(生暖かい夜風が肌を撫でる)


一「…春の最中に冷える風か…。ああ、寒い」


二「てめぇが余計な話するからだろうが」


一「お前が話せと言った癖に」


「…寒いだろう寒いだろう」


「竹替えも知らずに捨てられた煙管の煙と心は寒いだろうよ」


(竹替えも(キセルは竹を変えれば一世代使えるとも)知らずに捨てられたキセルの煙、そしてその心は寒い事だろうよ)


桐「まあ…ものの見事に通れました」(提灯持ちを煙に巻いて、堂々と通り過ぎた)


経文「俺の方が寒く出来る。なんせ涙無しで語れない冷世の話だ」


地蔵「興も無し。だが、九十九も使わろうた煙管。竹替え無しとは考えられん」


(経文のお涙頂戴には興味無し。だが、九十九年も使われたキセル…。竹替えもされていないとは考えられないな)


「だから詰まって捨てられた。(二代目か三代目かは知らないが)主人が阿呆では物も悲しむ。さ、進むぞ」


如来「ああ、神も仏も無き世やの…」


…。

…。

…。


如来「…にしても、この煙管がねぇ…」


「溝に落ちておった」


桐「使えると言って持ち帰りましたが、人の口の付いたこれをよくもまぁ…」


「洗えば変わらん。箸と同じよ」


如来「して、何時から姿くらまし(妖怪の使う霧、煙幕)に?」


「吸っておって声を掛けて来た。もう九十九も超えたからとな」


(キセルを吸っていたら、こいつから声を掛けてきた。もう九十九年も超えたからとな)


地蔵「うん?声を聞いたことの無き事。もう喋らぬのか」


「役目を損なわずに使っているからだ。お前らと違いな」


(役目を損なわずに使っている。お前たちと違って、現界させなくても意味がある)


桐「私は腹を毎日の様に開かれますが…」


「勘定箱とはそんなものよ。宿り感情箱とは上手い事を言ったつもりだ」


(勘定箱なんてそんなものだろう。感情(勘定)の宿った箱とは、我ながら上手い事を言ったつもりだ)


経文「おおい。話してる場合か。大黒が厠に歩いてる」


「おお。あれが憎き肥やしだ。醜い音を立てて歩く歩く」


地蔵「どうする。計画倒れだ」


「なに。煙に巻く」


大黒「…ん?はぁぁ…春とは言え夜は冷える。厠が遠い。なんでこんなにも大きく造ったか…。くそっ…大工め…後で覚えていろ」


桐「…腹の大きさと違い、小物にございますね」


如来「ああ。うちの坊主はあんな風にございましたわ。汚い汚い」


地蔵「憎い憎い。家造りに我を井戸に落とした男に似ておる」(家の建設の為に井戸に落とされた)


経文「あれは駄目だ。煮ても食えない。仏様も救えん男よ」


「皆して言うな。面白い」(もっと言え)


桐「ええ。箪笥の下敷きにでもしたくなります」


「なら、少し遊んで行くか。煙管よ、姿くらましだ」


…。

…。

…。


「経文よ、厳かに。皆も続け」


経文「どうする。般若(心経)か。それとも付喪、夜行の理か」


「述べよ。我ら…」


地蔵「百の年月を数え」


如来「鬼と謳るる力を手に」


経文「夜更けに空を駆け巡り」


桐「行くは回る廻る浮世」


大黒「ぐっ…?な、なんだ…?霧か…?霞か…?」


「百鬼夜行の名の下明けぬ夜の袂にて、無念輪廻爛世常世を、ただ見届けよう」


(百鬼夜行の名の下、開けない夜の下で、無念の詰まった輪廻、ただれて変わらぬ世の中を、ただ見届けよう)


大黒「…っ!」


「地蔵、鳴らせ」


地蔵「ああ、憎い、憎い」(ゴトゴトと足を鳴らす)


大黒「なんだ、なんだこの音は!?何を引きずっている!?金箱か!?」


地蔵「蔓延る無念よ」


「如来、祓い集めよ」


如来「さあさあ、妖魔御参なれ」(ごうごうと妖気が迫る)


大黒「くっ…!曲者か!出会え!出会えええ!!」


桐「それらは叶わぬ夢と散る」


大黒「なっ…!?」


桐「儚くも、無残に煙る、髑髏染め」(儚く、無残に煙の立つ、どくろで染める)


大黒「あ…妖だ…っ!ワシが何をした!?許せ!勘弁してくれぬかっ…!」


桐「残らぬ。残らぬ。残るは心のみ」


大黒「ひぃっ…!」


「桐。仕舞え」


桐「…金に憑かれ我を忘れた男よ。ただ、哀れなり」


大黒「ひいぃぃぃぃぃいっ!!!」


「…」


「おう?なんだ、気絶したか。これからが面白いと言うのに」


桐「仕舞う事も叶わぬとは、箪笥としてどうなのでしょう…」


経文「なんだなんだ。妖気に中てられ気絶とは…。脆い人よ」


地蔵「鍛錬が足らぬ。転じて、気心の無き傍若無人に違いない」


(鍛錬が足りないな。だからか?心の無い、傍若無人に違いないだろう)


如来「…おっ。この狸っ腹は金を持っておりますわ」


「むっ?宝庫に入る間もなくか?」


経文「ああ。経へと戻され、投げ込まれる損をこかずに済んだか」


地蔵「小判三枚に大判も持っておる」


桐「金以外に信用の無い男なのでしょう。哀れな」


「ほぉ…。なんだ、そうかそうか。…興が削がれた」


如来「もうお帰りか?」


「ああ、帰ろう。つまらん。小判一枚持って行くぞ」


…。

…。

…。


唐傘「…む?早い帰りじゃの」


「そら、布団を温めてくれおったのか?」


唐傘「なに。春風がびゅうびゅうと入って来ての」


「なら、茶漬けを持て。それまでは花札にでも興じよう」


桐「…親方様。常々思うのですがあの花札…」


「うん?あれも九十九よ」


桐「通りで…。異様な引きを見せるものですから」


唐傘「茶漬けは如何にする。たくあんでも刻むか?」


「うむ。美味そうだ。頼もう」


桐「…して、時に親方様?」


「なんだ。申せ」


桐「…地蔵、如来、そして経文。随分と(悪鬼のような)念が溜まっているのを感じました」


「うむ。だが、もう少し現世を楽しませようではないか」


桐「悪鬼になる前に、忠告致しました」


「礼を言う。…はあ、確かに、神も仏も無き世だな」


桐「ええ。(それが)人世にございます」


「崇められ(た上で)捨てられた物は特に恨み深い」


桐「人も物も盛者必衰。平家のように、強い無念が仇を生む」


「そうだ。…桐。お前は未だに恨むか?」


桐「ええ。恨みは朽ちませぬ。晴らすまでは陰り続けるのみにございます」


「…そうか」


唐傘「主様。茶漬けが出来たぞ」


「持ってこい。俺は今、煙管に酔うのに忙しい」


…。

…。

…。


注釈


大黒を襲う場面での、それぞれの動き。

経文「付喪夜行経を念じ、それを言い放つ事で、さらに妖気を濃くする」

地蔵「ラップ音を響かせ、大黒の恐怖を煽る」

如来「本来ならば祓う力を持つ如来像が、その力を一時的に止める。それにより、悪鬼悪霊が気配となって場を支配する」

桐「箪笥とは仕舞う事が本質であり、それは中に何かを閉じ込める事に他ならない。脅かしだけならば良いが、本来ならば引きずり込んで殺すような恐ろしい事をしていた」


「経文、述べよ」

「地蔵、鳴らせ」

「如来、祓い集めよ」

「桐、仕舞え」



注釈 その二


「述べよ。我ら…

百の年月を数え

鬼と謳るる力を手に

夜更けに空を駆け巡り

行くは回る廻る浮世


百鬼夜行の名の下明けぬ夜の袂にて、無念輪廻爛世常世を、ただ見届けよう」


百鬼夜行を頭に、それぞれの言葉の意味を唱える経である。

日ノ本楽器を奏でませう!でも登場し、そちらでは年代が変わった事が原因か、少し違う言い回しをしている。

これは「羅心」と呼ばれる陰陽術のような術で使われ、同時に現界を成す際にも語られる、妖怪専用の経である。


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