2020-06-27 11:36:51 更新

概要

・ラバウルに転勤した清掃員(♂)の話。
・主人公は清掃員です。提督ではありません。
・艦娘に関して、ゲーム内での性格、言い回しと一致しない場合があります。
・提督って執務で忙しいので清掃員がいたらどうなんだろう。
・提督には見えない、第三者の視点もあっていいかな


前書き

コメディ要素もないし、ラブシーンもない。清掃員のおじさん(おばさん)と☓☓☓なんてフィクションはあるけど、無理があるよね。ただ、純粋に仲良くなってほしいんだ。彼らには。


【第1章・はじまり】

〖第1節・はじまりの朝〗

年度が新しくなると同時に、私の勤務先も変わった。昨年度までは舞鶴に居たのに、今年度から日本を飛び出てラバウルへの異動を命じられた。海軍での勤務を始めて3年、初の人事異動だ。希望は特に出さなかったため、どこに異動になろうとも一向に構わないのだが、先輩が言うには希望を出しても、新人は海外に飛ばされる確率が高いという。


「日本より湿ってるってマジかよ」


現地の容赦ない湿度に文句を垂れながら、作業用のツナギを身にまとう。清掃員にはツナギが支給され、これがいわゆる制服になる。

このツナギ、規格で作られているためか非常に使いづらい。LLのサイズを着ているのだが、胸周りが少しきつく感じる。3Lが欠品らしく、支給まで一ヶ月ほど掛かるそうだ。もっとも、他人より分厚い胸板をもつ私が諸悪の根源であるのは否めないのだが。

支度を済ませ、提督への挨拶へ向かう。清掃員は、原則鎮守府に住み込みで働くことになっている。例にならって私も鎮守府で寝泊まりしているのだが、私室から執務室への道のりがまあ遠い。私に与えられた部屋は艦娘が生活する「生活棟」の端であり、執務室の反対側に位置している。執務室へ向かうにはこの生活棟を経由する必要があるのだが、女性たちの生活圏に土足で踏み入り、蹂躙するのは恐れ多い。そのため一旦外に出て、裏の林を抜けてから玄関口まで歩き、その後で執務室へと向かう。


「そこしか空いてないって、そんなはずねえだろっての…」


提督に頭を下げながら言われた言葉を思い出し、今一度腹を立ててみる。提督の人柄から、抗議しようにもできないのが余計にもどかしくなる。

長靴とゴム手袋、それから手拭いをしまったナイロンの袋をぶら下げ、執務室へと足を進める。

ラバウルとはパプアニューギニアと言う国家の地名らしい。70年ほど昔にはここで多くの日本の軍人が命を散らしたと聞いている。今では戦火を思わせるような雰囲気は皆無だが、今ここに自分が立っていることを考えると、何だかえもいわれぬ気分になる。

と、朝からしんみりした気分になっているところで、執務室に着いた。ノックを3回したのち、提督の声を聞いてから扉を開ける。


「おはようございます、失礼します」

「おはようございます…って、そんな堅苦しくならないでくださいよ。私のほうが年下なんですし」


そうだった。この提督、大学を出てすぐにここに来たらしい。なんでも、在学中から軍隊の研究をして、特に日本海軍の話をさせたら右に出る者がいないと言うほどのマニア、もといオタクである。


「年齢なんて関係ありませんよ。業績のある者が評価される、それでいいんです」


と心からの本音を笑顔付きで聞かせる。


「改めまして、本日からよろしくお願いします」


提督とは以前顔を合わせているのだが、深々と頭を下げ、業務開始の挨拶をする。時間は午前8時30分。今日もちょうどだ。


「はい、よろしくお願いします」


提督はわざわざ椅子から腰を上げ、これまた私と同じくらいに深々と頭を垂れた。ここまでされると気持ち悪い。

もう一度頭を下げ、業務に当たろうと振り向いたとき、扉が勢い良く開かれた。


「おっはよー提督ぅ!元気してっかー?」


名前は知らないが高身長の艦娘が2人、執務室へ入ってきた。


「提督ぅ、失礼しますよ〜?」


どちらも上下は白と黒だが、それぞれ黒のネクタイとリボン、それからなんだか物騒な武器を手にしている。あとやたら胸が大きい。


「天龍さんに龍田さん、おはようございます」


提督が先程と変わらない挨拶をする。艦娘にまで礼儀ただしいとは、いつか食い殺されるのではないかと不安になる。私もとりあえず頭を下げる。すると、ネクタイを緩く締めた方が私の顔を見るなり、


「お?お前が新入りの掃除の兄ちゃんか!俺は天龍ってんだ、どうよ、怖いか?」


怖いか?と聴かれても、何とも思わないと言うのが本音だ。実際、いわば少女から砲弾がところ構わず飛ばされることを考えると、怖いなんていう言葉では形容できないのだが。


「怖いというか、カッコイイと思います」


恐らく当たり障りない返答が出来たと思う。


「フフ…そうか、カッコイイか…そうか…」


天龍と名乗る艦娘は私の発言を噛み締め、ニヤリと笑みを浮かべた。


「お前、分かってるじゃねぇか!!なあ、具体的にどのあたりが――」


天龍は再び尋ねたかったようだったが、横にいた龍田にどつかれた。


「天龍ちゃん、そんなにがっついちゃダメでしょう?」


龍田は微笑みながら天龍を諫めるが、彼女の笑みは、何か違うものを感じた。今にもその右手に携えている鎌のようなものが振り落とされるのではないかと見ているこちらがヒヤリとする。


「わ、わかったよ…」


天龍は龍田の笑みに恐怖を覚えたのか、小声でそう返した。


「さて、朝早くにどうしたんですか?」


場が落ち着いたところで、提督が2人に尋ねた。ここからは彼らの話なので、軽く頭を下げて執務室を後にする。まずは正門の掃除からだ。


私のラバウルでの暮らしが、始まった――




〖第2節・掃除の他には〗


自前の装備と、掃除道具一式を両手に携え、正門に辿り着く。正門のそばには憲兵用の小屋があるのだが、今日は空のようだ。おおかた、憲兵は「巡回」と称した酒場巡りでもしているのだろう。上官に知られたら免職の沙汰ではなくなるだろうに、度胸だけは立派な男だ。無論、それだけの余裕があることは喜ぶべきだが。


正門を開き、足元に残った砂埃を竹箒で払う。個人的には水流で流してやりたいのだが、近くに水場がないので出来るだけ遠くまで砂を押しやる。門扉に目をやると、やたらとサビが多い。所によっては大穴が空いている。前任は引継の際何も言っていなかったが、これは明らかな怠慢という他ない。塗装用具、欲を言えば鉄板と溶接機だが、支給してもらえるだろうか。


そんなことを考えながら正門の掃除をしていると、1台のメルセデスが入って来た。型で言うとCLKの初代。20年選手になろうかと思しきモデルだ。ウィンドウが開き、女性が話しかけてくる。


「おはようございます、今日提督にお会いする予定なのですが、どちらへ行けば良いですか?」


そう英語で尋ねられたので、道のりを教えてやる。提督のスケジュールは全くもって知らないため、来客は全て通すようにしている。


「ありがとうございます」


そう彼女は言うと、いやはや女性とは思えないアクセルワークでメルセデスを走らせた。「55」と打たれたリアフォルムが瞬く間に小さくなってゆく。しかしそれとは反対に、オイル混じりの白煙が私を覆う。ガワは手入れされている一方でエンジンに大きなダメージを負っているのはやはり女性的な考えからくるものなのだろうか。いや、今はそんなことに頭を使っている場合じゃない。さっさと正門の掃除を終わらせよう。


ところが、神経質な性格が邪魔をして、一向に正門から離れられない。以前勤めていた鎮守府は隅々まで手入れされていたことで、私の労力はほぼ皆無だった。加えて、私を含む3人交代で回していたから一人当たりの業務量は小さかったはずだ。


「ここも…そこも気になるな」


なんて言いながら、気づけば正門に来てから1時間半も経ってしまっていた。急いで道具をしまい、次の掃除場所となる工廠へ向かう。


これがまた正門から遠い位置にある。鎮守府というのはいわば港であるから、陸よりも海からの往来のほうが多い。陸からの客は、専ら記者か新聞配達の兄ちゃんである。ごく稀に本部(と呼んでいる)から上官と呼ばれる中年男性が複数の車列で来るのだが、年に一度、来るか来ないかだ。もはやここがラバウル近辺の本部と言っても過言ではないだろう。――と先輩から聞かされたことを思い出しながら工廠へ歩を進める。


工廠に着いた。日中は大きな扉が開け放たれているため、中にいるであろうピンク色の髪をした艦娘――明石だったか――を呼ぶ。


「明石さーん!!掃除にきましたー!」


奥の方から、顔に油のスジを付けた明石が、満面の笑みで駆けてくる。


「ハヤマさんおはようございますー!!今日からよろしくお願いしますね」


「よろしくお願いします。失礼します」


そう言って工廠の中へ足を踏み入れ、支度をするのだが、明石が何やら話かけてきた。


「ハヤマさんって、1年間ずっと掃除しかしないんですか?」


「…え?」


思わず明石の顔を見上げてしまった。こんな質問をされたのは、清掃員として働いて以来初めてだったからだ。明石が今度はこう尋ねる。


「いえ、もちろんお掃除の仕事も大変なんでしょうけど、気分転換とか、他の仕事もしたいな、なんて思わないのかなって」


他の仕事か。もとから神経質であるため、私の掃除にはキリがない。あちらを磨けばこちらがくすむ。どこまでも追求できる分野だとは思っているが、確かに、掃除をするだけで良い給料をもらうには恐れ多い。


「今の仕事に充分満足はしているんですが、せっかくなら他の分野にも首を突っ込んでみたいなってのはありますね」


それを伝えた途端、明石は瞳を輝かせた。


「そうですか!今、他の娘たちの改装が立て込んでいて、寝る暇もないんです。そこに先程、提督の奥さんがいらっしゃって、車を直してくれなんて言ってきて」


もしや、と思って尋ねてみる。


「もしかして、それは黒の車体ですか?」


「そうです!確か、ライトが4つ付いていて、後ろにはCLK55って書いてありました」


予感が的中した。


「そうですか。すると、僕にそれを直してほしいってことでしょうか」


「お願い…できませんか…?」


明石は胸の前で手を組み、目を潤わせて私の顔をのぞきこんだ。女性の潤んだ瞳には、男に有無を言わさぬ力がある。それを今、身を以て実感した。


「お任せください。いつまでに直せばいいですか?」


「ありがとうございます!えっと、奥さんは来週の火曜日までに乗れるようにして欲しいと仰ってました」


明石は喜びを全身で表している。来週の火曜日というと、今日が木曜日だから、中4日といったところか。白煙が出ていることから、原因は大体予想がつく。部品が揃えば半日で済むだろう。


「分かりました。業務が終わってから取り掛かることになりますが、工廠は何時まで開けているんですか?」


「今日の夜も、恐らく眠れないので24時間営業ですね」


工場長も大変な仕事だ。艦娘には労働契約が存在しないのだろうか。まあ知ったところでどうにもできないのだが。


「分かりました。終わり次第来ますね」


「よろしくお願いします!」


明石は笑顔で一礼すると、また奥の方へ走って行った。前線で戦う艦娘も、彼女の奮闘あってこその戦果なのだろうと部外者ながらに考えてみる。


ふと左腕の時計に目をやると、針はすでに10時半を指していた。今日の昼は少しずれ込みそうだ。



〖第3節・手入れの格差〗


第二工廠(通称を第二と呼ぶ)へ移る。この鎮守府には工廠が2つ建てられており、一方は先程の艦娘用のもの、もう一方には戦闘機を保管しておくためのもののようだ。明石が毎日使っているあちらとは違い、こちらは大規模な出撃の時のみ使われるため、普段は誰一人として立ち入ることはない。


戦闘機用のゲートはサビに覆われて動かせそうにないため、人が1人出入りできる程の扉に手をかける。ドアノブを捻ってみると、それは乾いた小枝を折ったような軽い音とともに扉からするりと離れた。扉を開けるために最も必要な部品が、文字通り瞬く間に取れてしまう。今一度、扉から離れてそれの上から下まで目線をやると、どうやら全てが錆びて朽ちているらしい。あまりの手入れの怠り具合に、70年前の上官よろしく、目の前の華奢な扉に蹴りを食らわす。


扉は私の苛立ちの一撃を受け、指で弾かれたドミノのように倒れた。地面とぶつかった時の音から、それはすでに本来の質量を失っているように思わせた。


錆色の扉の感触を作業靴の裏側で確かめながら、工廠へ踏み入る。


光の侵入が許されているのは今しがた蹴飛ばした扉の開口部のみで、奥の方はあらゆる光の波を吸い込んでいると思わせるほどに黒く、暗い。地面から舞い上がった埃は、錆びた粉と絡まりながら光に照らされて、再びゆるやかに落ちていく。嗅覚を突き刺すのはガソリンと漏れ出したオイルのにおいで、嫌いではないが身体には百害あって一利なしの気体だ。瞳孔がこの暗さに熟(こな)れてきたため、照明か窓のスイッチを探すべく壁際に目をやる。


窓の開閉スイッチを探すのには時間を必要としなかった。「開・閉」と記されたボタンを一方に押し込み、窓の開放を試みる。電気が通っており、モーター駆動によって窓の開閉が行われる仕組みらしい。ぎりぎりと鼓膜に重く響く摺動音を鳴らしながら、すべての窓が開け放たれる。


陽の光に照らされた工廠内は、艶を失いかけた叡智と努力の結晶と、風に吹かれて舞い踊る埃で煌めいている。思ったほど高くない天井に組まれている鉄骨には、年季の入った蜘蛛の巣がいくつもあるし、床に目をやれば、戦闘機から滴り落ちたオイルと足跡が残るほど重なった砂埃がえも言われぬ雰囲気を演出している。奥は戦闘機の影になっていて見えないが、蝙蝠や鼠の一家が競走していてもおかしくない。


こんな所に長居しては、ごく一般の日常生活では到底罹りえない感染症が生じそうなので、窓を開けたまま第二工廠を後にする。



第二工廠から場所を移して、目の前には「これでもか」というほど大きな文字で倉庫と書かれた建物が聳えている。倉庫といえども、予備の艤装であったり、艦隊を運営する上で必要な資源程度であるはずだが、ゆっくりと扉を開けて中へ入ってみる。


倉庫の幅は20m、奥行きが30mほどだろうか。大きさからして十分に感じるはずなのだが、中には資源と装備が無造作に置かれていた。先程の第二工廠と違って嗅覚は問題ないが、手入れのされていないであろう現状を目の当たりにして目頭が痛くなってくる。


艤装に手を掛けてみるが、これがびくともしない。力仕事には幾許かの自信があるのだが、1ミリたりとも動かせない。分解すれば何とか持てそうなのだが、勝手に手を付けるのも憚られるため、踏み分けながら奥へと進んでいく。


入り口から最も奥の方まで来た。ネズミが動いているのか、何やら物音が耳に入って来る。


「ん――――。んーーーー。」


右耳の感覚を頼りに音のする方へ向かっていくと、どうやら音の主は人だった。


「あの、大丈夫ですか?」


暗くてよく見えないのだが、声の方に向かって声をかける。


「あと5分…寝かせて…」


「こんなところで寝てる場合じゃないですよ!起きてください!」


近くにあった鉄板に指の関節を当てて鳴らす。


「こんな所にいると死にますよ、早く外に出ないと」


「―じゃあさ、手、引っ張ってよ」


暗闇の中から腕らしいものが伸びてくる。それを掴み、衝撃を与えないようにしてこちら側へ引く。


「んあ……」


暗闇からのろのろと姿を現したのは、艦娘であるようだった。声を掛けようと口を開いたが、声帯が震えるより前に私の身体は床に叩きつけられた。


「がは―ッ!!」


「んん…って、アンタ誰だよ!!」


突如として張り詰めた声に尋ねられる。まぶたを開いて何者かを確認したいが、閉じた瞼を容易に貫通した閃光が虹彩を焼く。


「本日付けで、清掃員をしております、ハヤマです!眩しいので、消してもらえませんか!」


「え…?清掃、員?」


光源から目を反らすように目を開いたが、閉じきった瞳孔が一向に戻ろうとしない。


数十秒ほど経ってから、視界がもとに戻ってきた。埃のついた背中をはたきながら立ち上がり、艦娘の方へ目をやる。


「どうしよう、初対面の人にやらかしたよぉ...」


そこには、壁に向かって丸くなり、うなだれいる艦娘がいた。


「あの、大丈夫、ですか?」


「全然、大丈夫じゃないですよぉ...」


張り倒しておいて、潤んだ目を向けられると責めるに責められず、居心地が悪い。


「ごめんなさい。一旦、外に出ましょうか」


彼女に伴って倉庫の外へ出る。陽の光が体を柔らかく照らしてくれる。


「先程はすみませんでした。私、重巡の古鷹です。私、寝ぼけていたみたいで、あんな口調になってしまって...」


寝ぼけているだけでこんなにも口調に違いが出るものかと疑問に思うが、心のうちに留めてこちらも挨拶を返す。


「気にしないでください。私、ハヤマと申します。よろしくお願いします」


今になって彼女の顔を見てみると茶髪のショートカットの中に光を放つものが見えている。


「あ、この左目、気になりますか?」


気にならないはずがない。虹彩異常という言葉では片付けられなさそうな色のちがいようである。


「気になります。どうしたんですか」


「実はこれ、探照灯っていって、懐中電灯みたいな役割なんですよ。実は前、全然知らない娘を照らしちゃって、大変なことになったんですよ、えへへ」


『大変なこと』を具体的に聴きたいが、適当な相槌をうつ。


「そうなんですか、それは大変でしたね」


「ホントですよ。だからあれ以来、夜はあまり好きじゃないんですけど、暗いところに居るとやっぱり使ってしまうんですよね」


古鷹は左目に軽く手を添えながらそう語る。


「ところで、どうしてこの中で寝ていたんですか」


「それはですね…えっと確か…」


古鷹はどこを見るでもなく視線を遠くにやり、脳内で記憶を探っているようだった。


「あ、そうです、夜戦が終わって帰投したんですよ。寝ようと思って部屋に戻ったんですけど、加古が皆さんと呑んでいたみたいで、めちゃくちゃに散らかってて…」


「寝れるスペースなんて無かったと」


「寝るどころか、足の踏み場もありませんでしたよ。もう面倒になっちゃって、ここで寝てました」


「提督には報告しないんですか」


「提督は何でも自由にやらせようって言ってるので、あまり私達の問題に首を突っ込みたくないみたいです」


鎮守府を預かり、その頂点に立つ者が艦娘間の問題の解決に取り組まないのは、提督が取るべき態度とは到底思えない。


「突っ込みたくないって、そこやらなくなったら何が残るんでしょう」


少しハリを持った私の声に、古鷹は私と合わせていた目線を下に向け、小声で言った。


「私だけかも知れませんから」


彼女の悲しげな表情は、私の「男」としての感情を刺激した。私は剣を構えて「悪」に果敢に立ち向かうような正義漢ではないが、間違いは正されるべきだ。


「そういえば、今何時ですか?」


「ええと、11時5分前ですかね」


「もうそんな時間ですか!それじゃ、失礼します。ありがとうございました!」


古鷹は、仮面のように無機質な笑顔を見せ、その違和に気味の悪さを感じている私に何も言わせないように、この場から走り去ってしまった。どうやら、私には清掃以外の業務も課されたようだった。


 倉庫の散らかり具合に後ろ髪をひかれながらも、船渠へと足を速めた。おそらくそこの掃除が終われば、私の業務は終わるだろう。

元来、船渠は軍艦が修理を受ける施設らしい。軍艦を直すならば明石の居る工廠が適していると思うのだが、運営陣による棲み分けは理解に苦しむ。


船渠は鎮守府内では「風呂」と称されているらしく、入浴施設とされている。艦娘用に成分を配合した湯の張られた浴槽に浸かることで、被弾による損傷を回復させることができるという。損傷の程度次第では半日は船渠から出てこない艦娘もいると聞いたことがあるが、それほどの間浸かっていて皮膚がふやけることはないのだろうか。大体、仮にも彼女たちの外観はヒトそのものである。


船渠の扉を開け、脱衣所を抜けて浴室へ踏み入れると、そこは梅雨の時期に見かける大きな石の裏側のようになっていた。壁にはカビがびっしりと根を張り、床面の隅の方には深緑の苔が憎たらしく生えている。浴槽は4つあるようだが、そのうちまともなものは手前の1つのみである。辛うじて入渠はできるようになっているものの、これでは効率がこの上なく悪いだろう。


摩擦を全く生じない床に注意しながら、すべての窓を開け放つ。外の新鮮な空気が、中に篭っていた異臭を押し出すように入ってきた。


風の流れが確保できたので、苔やらカビやらを流すために混合栓にホースを差し込む。少し温めのお湯を出し、壁の上端から下端へ向かって汚れを落としていく。固形物を先に落としておくことで、ブラシをかけるときに苦労しなくなる。


壁の汚れをあらかた落とし、床の苔を剥がそうとしたとき、ポケットに入れていたケイタイが間抜けなメロディを鳴らした。今少しハリのあるものに変更しようとも思うが、それすらも面倒なのでそのままにしている。ケイタイを開くと、相手は提督だった。


「もしもし、お疲れさまです」


「あぁハヤマさん、お疲れさまです。今どこですか」


「船渠におります」


「ちょうどよかった。今から古鷹を入渠させますので、お願いしますね」


「今から、ですか。どれくらい掛かりますかね」


「どれくらいでしょうねえ。まあ本人に訊けば分かると思いますので、よろしくお願いします」


「あの―」


提督はこちらの反応を待つことなく通話を打ち切った。謙虚なくせに強引な男だと僅かに苛立った。報告用に現状を撮影したうえで、古鷹が来るまでに掃除を進めておこう。


苔を1箇所に集め、窓の外へと放り投げていく。排水口に詰まらせると後始末に苦労するので、土中の生物に処理を任せる。後で土と混ぜることを忘れぬようにメモ書きに残しておく。


汚れが瞬く間に落ちていくのを見ていると、この上なく心の清々しくなるのを感じる。深緑だった壁は少しずつもとの色を取り戻し、疲れを取るのに適した空間を認識させた。


古鷹がいつ来るかは分からないため、船渠の入り口に「清掃中」の表示を立てておいた。扉も閉めてあるし、誰が中にいるか自明であるから入ろうと思うまい。いわゆる「フラグ」を折ることに成功しているはずだ。


壁の掃除を終え、今度は浴槽へと取り掛かる。普段から使われているためか、壁にあったような苔はないものの、水垢が全面を覆っている。これでよく不満が上がらないものだと俄に感心した。


市販の洗浄剤とブラシを使って磨いていく。ブラシの毛先が汚れを掻き出していく様を見るのは、僅かながらに歓びを得られるものだ。頭の中でお気に入りの曲を再生しながら、隈なく磨いていく。


4つの浴槽すべての掃除が終わったところで我に帰ってみると、微かに人の声が聞こえた。入口へ向かうと、丁度古鷹が知らない艦娘を連れて着替えを始めるところだった。


「古鷹さん」


そう呼びかけると、


「ひゃんっ!!」


と素頓狂な声を発した。


後書き

【2019/12/29】
年末にssを書いている自分が悲しいよ。彼女とか彼女とかとデートなんて娯楽を味わってみたいよ。何を書こうかな、次は。
【2019/12/30】
また書きたくなったから書いた。
後書きの使い方間違っている定期。
他作品もよろしく。
【2020/1/19】
あけおめことよらない。
石田衣良の『娼年』を読みました。そんなに長い作品ではないけれど、所々の表現、とりわけ性描写は勉強になりました。(?)
【2020/01/29】
雪が降りませんね、今年は。
艦娘って、曖昧な存在だなあ。
艦これ内の就業規則とか作ってみたいっすね
【2020/2/1】
半端なところでおわってまった。許して。


このSSへの評価

4件評価されています


DELTA ONEさんから
2020-05-21 14:05:12

大鳳可愛いぃさんから
2020-01-02 04:47:36

SS好きの名無しさんから
2019-12-30 22:30:08

SS好きの名無しさんから
2019-12-30 09:42:12

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2020-11-27 02:14:23

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2020-01-02 04:47:37

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2019-12-30 22:30:09

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2019-12-30 09:39:06

このSSへのコメント

2件コメントされています

1: 大鳳可愛いぃ 2020-01-02 04:49:18 ID: S:nlolo7

ええやん(上から目線サーセン)
何時も見てるやつとは違ってるから新鮮
さて、これから私はSSを書かなきゃならない用事があるので
ここらへんにします。
面白かったですよ~!

2: クロード 2020-01-29 20:30:15 ID: S:4A2jv_

大鳳可愛いぃさん
コメントありがとうございます。
返信が遅れてごめんなさい!
頭の中が艦娘色になり次第、チマチマと進めて参りやす。


このSSへのオススメ

1件オススメされています

1: 大鳳可愛いぃ 2020-01-02 04:50:53 ID: S:ZNhs0T

いつもとは違う雰囲気になる、
提督側じゃなくて、第三者視点っていうのが
それを更に面白くしてる、
これは普通のSSとは違ってるから
勉強になる


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