【艦これ】武蔵「相棒と呼んでくれ」
解体された艦娘は普通の少女に戻る。
『普通の』少女に戻る。
初SSです。
地の文含みます。
彼女たちが『普通の』少女になったら。
そんなことを考えて書いてみます。
楽しんでもらえたなら、幸いです。
カチカチ。
日も未だ昇らぬ夜明け前。
薄暗い室内にマウスをクリックする音だけが
静かに響いていた。
「頼む……」
ディスプレイに浮かび上がるブラウザ、
そこに表示された数字を操作しながら、
彼は心の底から祈った。
燃料4000 鋼材6000
弾薬6000ボーキサイト2000
開発資材20
戦艦レシピ。俗にそう称される数値が、
正しく入力されているか。二度、いや、
三度確認してからカーソルを移動させる。
建造開始。
あとはもう、そのタブを押し込むだけ。
大きく深呼吸をする。なにが欲しいか、
などといった雑念を振り払う。
日傘をさした少女の姿が脳裏を掠めたが、
見なかったことにする。
「……よし」
意を決した彼は音高くマウスを押し込んだ。
08:00:00
「……よし!よしッ!!」
表示された時間を見て小さく歓声を上げる。
即座に高速建造と表示されたタブを操作。
画面を動き回っていた愛らしい二頭身の
キャラクターがフェードアウトし、
代わりに表れたキャラクターが火炎放射を
開始する。どういう原理かわからないが、
カウントダウンの残り時間が見る間に
なくなり、大きな艦船のシェルエットを
背景に建造完了の文字がポップアップする。
「……お願い、大和来て……」
もう、何度目の祈りか。
両の指に足の指を折ってなお足りないほどの
負けを、いよいよ雪ぐことが出来るか。
震える指先でアイコンをクリックすると――
『……フッ、随分待たせたようだな……。
大和型戦艦二番艦、武蔵。参る!』
表れた、いつぞやの秋以来よくよく見知った
顔を前にして、彼は崩れ落ちた。
「で。武蔵が2隻になっちゃったの?」
「悪かったな……」
昼の喧騒をどこか遠くに聞きながら、
今朝の顛末、『艦これ』の通称で知られる
インターネットブラウザゲーム、
『艦隊これくしょん』内での出来事を、
心底面白そうに笑う友人に、ゼミの机に
突っ伏したまま悪態をつく。
「……うわ。ほんとに2隻いる」
いつの間にか横に来ていたらしい友人は、
デスクトップのマウスを奪い、作業中の
表計算ソフトを最小化するとインターネットを
立ち上げる。一応共有物だが、事実上の
私物なのでIDやpassは入力されたままに
なっている。
「そんなに出ないものかなぁ」
「……雪風提督のお前には分かるまい」
「幸運の女神のキスを感じちゃいます?」
にぃと口角をつり上げ、わざとらしく並びのいい
小振りな前歯を見せつけて笑う友人ーー
測定結果や試薬の反応待ちといっ
た空き時間を潰すのに艦これを勧めてきた
張本人のモノマネにがっくりと肩を落とした。
「……次に資材が貯まったら俺の代わりに
お前が回してくれないか?」
「それはダメ。だって、君が四苦八苦してるのを
隣で眺めるが僕の楽しみなんだもん」
「鬼か貴様ッ!?」
「それでどうするの?育てるの?」
「……いや、お前に見せようと思って
置いといただけだから。解体するよ」
『艦これ』は基本無料のゲームだが、
保有できるキャラクターの数に上限がある。
課金をすれば解消するが、
いくら最高位のレアリティでも
同じキャラクターをダブらせるよりは、
違うものを揃えたい。
支援とかで運用したらいいのに勿体ない、
との言葉にやや後ろ髪を引かれつつも、
返してもらったマウスを操作する。
「それにしても大和にこだわるねぇ」
「そりゃ、戦艦っていったら大和だろ」
戦艦大和。とあるアニメのお陰かはたまた
別の要因か。軍艦なんて他に知らなくても、
これだけなら老若男女問わず誰もが
知っているであろう日本の船。
彼もまた、幼い頃に世界最大最強と謳われた
その名に心をときめかせた一人だった。
「大和が欲しくて始めたようなもんだし」
というより大和以外知らなかった。
今では分かるが最初は駆逐艦や巡洋艦なんて
戦艦以外の艦種があるなど思いもしなかった。
「武蔵じゃダメなの?」
「ダメって訳じゃないけどさ――」
改装のページで装備品を外し終え、
工厰へ飛ぶ。解体のアイコンをから
リストを確認し、武蔵を選択。
燃料35弾薬50鋼材100ボーキサイト10。
使用した資材に見合わない還元率に
ややショックを受けるが、
そのまま、解体するをクリックする。
カーンカーン。
独特の金属音を音をたてながら
武蔵はゆっくりと消えていく
「――ビジュアルが苦手で。やっぱり
女の子は清楚で可憐な方がいいでしょ」
ガキン。
「……は?」
突然の聞きなれない異音に周囲を見回す。
すると目の前のパソコンからざりざりと、
耳障りな音が小さく、だが少しずつ大きく
鳴り始めた。フリーズしたディスプレイが
ブロックノイズで歪み、明滅する。
「え、なに?エラー?それともウイルス……」
思い付く可能性を列挙し、冷静に対処
しようとする。とりあえずソフトリセットを
かけようと手を伸ばした瞬間、暗転していた
画面から光が溢れた。
「うわッ!?」
視界が塗り潰され上下の感覚が喪失する。
背中と腹部に圧迫感。なにかに当たったのか。
それよりなにが起きたのか。兎に角、
白く焼き付いた世界が元に戻るのを待つ。
「……うそ」
友人の息を飲む声。徐々に回復する視界に
浮かび上がるのは見慣れたゼミ室の輪郭。
背中の圧迫感と天井がやけに高く見えるのは
仰向けに倒れているからか。
……いや、そんなことはどうでもいい。
目の前の腹部を圧迫しているものに目を向ける。
浅黒く焼けた肌。その豊満な体躯を申し訳程度に
被うさらしがやけに白く見える。
「嘘だろ……」
鋭利なまでに整った顔を飾るメタルフレームの
眼鏡は、その奥に輝く紅色の凶暴性を
欠片も隠せていない。
「……随分な言いぐさだったな」
形のいい唇から艶のあるハスキーな声がもれる。
にっこりといい笑顔を向けられるが、
マウントをとられ、緩やかに振りかぶられる
拳の方に注意が行ってしまい、
ひきつった笑みし返せない。
「……えぇっと……その、ごめんなさい?」
「大和型二番艦、清楚で、可憐で、ない、方ッ!
武蔵ッ!参るッ!!」
痛快な打撃音をどこか遠くに聞きながら、
彼は意識を手放した。
彼女を最初に目にしたのは、
いつのことだっただろう。
SNSで友人たちが楽しそうに
話題にしているのを見て、
勧められるがままにゲームを始めて。
中破進撃はだめ。大破したら夜戦に行くな。
開発と建造は早朝にでやれ。etc...
はじめはあまりに膨大な量の情報に辟易した。
しかも、真偽が定かでない未検証の事象、
オカルトの類もさも当たり前のことのように
語られて仰天した。
それでも、それが楽しかった。
友人と攻略を話し合い考察する。
過去からの情報を集めたり、
勘でルートを割り出したり、
何もかも手探りで進めていく感覚。
積み重ねた失敗と、ほんの少しの成功。
気づいた時にはすっかりのめりこんでいた。
だから、はじめて彼女を目にしたときは、
本当にうれしかった。
それだけは、忘れられない。
「……それで。これはどういう状況なんだ?」
目を覚ました彼は、手渡された氷嚢を
頬に押し当て顔をしかめた。三人寄ればというが
二人でも十分かしましい。時計を見やれば
一時間近く気を失っていたらしく、その間に
ずいぶん打ち解けた友人と白髪の女性
――自称・武蔵に目を向ける。
「どうもこうも。こういう状況だよ」
・彼女は『艦これ』の武蔵であった可能性が高い
・彼女には第2次大戦中の戦艦武蔵としての
断片的な記憶と、今朝建造されてから
今までの記憶がある
・解体されて意識が遠のく中、不愉快な声が
聞こえて、声の主を殴りたいと心底願った。
殴った。
・気づいたら『ここ』にいた
・カステラとハンバーガー
手渡されたメモに目を走らせ、頭を抱える。
眠っている間に聞き出したという情報は、
端的に彼女はゲームの画面から
抜け出してきたと、そう記している。
一笑するにも徒労感を覚える内容だが、
彼女の実在性については身をもって
痛感してしまったため疑いようがない。
あとはそのファンタジーを信じるか、
ロジカルに、ここにいるのはあくまで
普通の人間で、今朝の建造から解体まで
一連の行動を予測し、パソコンがクラッシュする
システムを事前に走らせた挙句、閃光弾か何かと
共に突入してきた特殊性癖のコスプレ女が
彼女であるとするか、だ。
「……このカステラとハンバーガーって何だ」
選びたくもない二択をひとまず置く。
4つ目の記述の段階で原因の究明を諦めたらしい
友人に倣い、一番あたりさわりなさそうな、
どうでもよさそうなところから
切り出していくことにした。
「ああ、それはだな――」
大仰に武蔵が頷く。
「――食べてみたい物リスト、だ!」
「……食べてみたい物リスト?」
「そうだ!」
おうむ返しの問いかけに武蔵が嬉しそうに
立ち上がり、身振りを伴って口角泡を飛ばす
勢いで語り始めた。
「私の生まれ、長崎には美味いものが数多く
連なると聞く。中でもカステラとハンバーガーは
別格であると。 以前の体であれば望むべくも
なかったが、この体なら話は別だ。
音に聞いた故郷の味……食べてみたい。
そう思うのが人情ではないか?提督よ!」
つまるところ。
どうしてこうなったか、どうすれば解決するか。
現在進行している問題に、武蔵の関心が
まるで向いていないということを知った彼は、
何か言おうとして言葉にならず、
あきらめたように、ただ頷いた。
「……フフフ……怖い」
再びあまり似ていない物まねを披露する友人を
横目に椅子に腰を下ろす。ウエイトプレートを
見えやすい位置に置くと、彼は深く息をついた。
今後どうするかはとにかくとして、
一先ず食べ損ねている昼食をとろう
ということになった。さすがに、いまから
九州まで繰り出すわけにはいかず、校内に
収まっているチェーン店のハンバーガーで
手を打つことになった。
そこまではよかった。
「……これは俺の落ち度だな」
「何かまずかったのか提督よ。まぁ、
安心しろ。この、武蔵がいるのだからな」
キリリとした顔の諸々の元凶に
喉元まで出かかった言葉を飲み下す。
とりあえず、学食に向かうにあたり
そのまま連れ出したのでは連行されること
請け合いであった武蔵の格好を
どうにかするべく、測距儀のようなヘアバンドを
取って髪をおろし、艦首をモチーフにした
首元のパーツや残りの艤装を外させた。
あとはゼミ室にあった彼の白衣を着せて
露出を抑えることには成功したのだが。
「……フフフ。僕、知らなかったよ。衆目を集める
ということが。美女を隣に侍らせるということが
これほどの愉悦を与えてくれるだなんて!
羨ましいか?羨ましいだろう!……フフ。
駄目だ何かに目覚めそう。怖い」
面白コスプレ少女でなくなっても、
美人であるという普遍的価値は
人を惹きつけるということを失念していた。
武蔵を隠すように中心において来たが、おかげで
道中は四方からの視線を浴びたい放題だった。
というより冷静に見直してみると今の服装にも
難があった。そもそも上半身がほぼ裸であるため
白衣には肌の色が薄くにじみ、いっそ暴力的な
双丘に押し上げられて裾はひざ上30㎝以上。
ちょうどスカートに被っているのでぱっと見で
穿いているのかわからないという状態に加え
オーバーニーによる絶対領域まで完備していた。
「……食い終わったら武蔵の服を見に行こう」
「賛成。さすがにこれは僕も堪えるよ……」
「む。まだ服がいるのか?これと元の服、
それだけあれば十分ではないか」
「いや、不十分だからな?……というか、
元の服はさっきダメになったじゃないか」
胸元がきつくてかなわないと嫌がる武蔵を
何とかなだめて、肩に引っ掛けていた上着を
着せたのだが。武蔵が息をした瞬間、
留め具が縫い付けてあった布地ごと吹き飛んだ。
全てが停滞したようにゆるやかに流れる中、
これでもかと躍動した武蔵の胸部装甲が
網膜にフラッシュバックする。
「あれはもともと着ていなかったのだから、
無くてもさらしがあれば問題はあるまい」
「問題あるから言ってるんだよ!
あと、さらしは服じゃないからな!?
とにかく!食ったら服は見に行く!いいな!」
「わ、わかった。提督がそこまで言うなら従おう」
やや強引にではあったが一応の了承を
取り付けたところで、折よくウエイターが
商品を持ってきた。
「まぁ、なんにせよ――。
まずは食べてからにしようよ、ね?」
「ふむ。これがハンバーガーか……。
思っていたより小さいのだな」
バスケットに並べられた商品を眺めながら、
興味深そうに武蔵が手に取った包装紙をつつく。
「それは佐世保バーガーに比べたら
大体のハンバーガーは小さくなるよ」
店舗によっても違うけどね、と友人は
苦笑しながら武蔵が右から左へ
もて余していたバーガーを取り上げ、
包装をといて返す。包み紙に閉じ込められていた
香ばしい香りが湯気と共に一気に立ち上ぼる。
「……い、頂きます」
ごくりと生唾を飲んだ武蔵は恐る恐る
といった風に小さく口をつける。
黙々と咀嚼し、喉が鳴る。
感想はーー聞くまでもなかった。
まるで、宝物を見つけた子供のように
武蔵の顔が華やいだ。
「な、なんだこれは!」
夢中になって残りにかぶり付く。
ファーストフードであるが、他のチェーンに比べ
高級志向である面目躍如か。
国産牛のパティの味はもちろん折り紙付きだが、
そこに新鮮なレタスやスライストマトが
絶え間なく異なる食感をもたらし
食べることを飽きさせない。
さらに挟まれたチーズが濃厚な旨味を舌に広げ、
ベイクされたバンズの風味が鼻腔を駆ける。
まさに彼女の口内は幸せヘブン状態である!」
「……いや、お前は何をいっているんだ」
拳を握りいきなり実況を始めた
友人に突っ込みをいれておく
「だって。あまりにも美味しそうに食べるから。
なにかちょっかい出さないといけない気が」
丸々ひとつ食べ終わり、恍惚とした表情を
浮かべる武蔵を前にして、ビデオ回しとく
べきだったかと、心底悔しがる友人。
その気持ちはなんとなくわかる気もするが。
「ほどほどにしておけよ?」
「大丈夫。相手は選んでるから」
「そうか……って、おい」
我関せずという体で自分のバーガーに
手を付け始める友人。ため息を一つついて
彼も自分の分を手に取った。
「あ……」
そのまま口をつけようとしたところで
視線に気づく。空になった包み紙を
持て余し、所在なさげにしている武蔵。
「それは、その……味が、違うのか?」
武蔵が口にしたのは普通のハンバーガーだった。
彼が手にしているのはトマトソースを
ふんだんに使った別の種類のものだ。
歯切れ悪く窺うように目を泳がせている。
「……一口食べるか?」
「いいのか!?」
「おぅ!?」
勢いよくテーブルに身を乗り出す武蔵に
面食らう。その勢いもだが、嬉しそうに
突き出された顔からは、凛としたたたずまいが
抜け落ち、無邪気な笑みが浮かんでいた。
これが彼女の素顔なのかもしれない。
困ったような、それでいてうれしいような。
苦笑を浮かべながら彼は目を閉じ口を開けて待つ
武蔵にバーガーを近づけて
指ごとかじられた。
「……つ、疲れた」
言うが早いか手にしていた荷物を放り出し、
彼はベッドに腰を落とした。なんとか辿り着いた
彼の部屋、六畳一間の城は、多量の買い物袋に
侵略をうけているが、片付ける気力など
すでに残っていなかった。ほんの12時間前に
出かけたときが、随分前のことのように思える。
「ま、まだだ……この程度でこの武蔵はッ」
「……いいからもう先に風呂入って休め」
玄関先で靴を脱いだままへたり込んでいた武蔵を
浴室に簡単な使い方を説明して押し込む。
むしろよくもったほうだと感心する。
昼食をとったあとは、予定通り服を見に行った。
ただ、嬉々として車を回してきた友人の行動は
予定外で、連れまわされた各店舗で武蔵は
着せ替え人形もかくやという有様になった。
「美女に貢ぐ感覚が理解できるようになったよ」
馬鹿みたいに解像度の高いカメラを片手に笑顔で
代金支払いの肩代わりまでしてくれた友人には、
感謝すべきか諌めるべきか判断を迷う。
かくしてファッションショーと、ついでに日用品の
買い出しを経て帰り着いたときには、とうに日は
暮れて、時刻は宵のうちにさしかかっていた。
「て、提督よ……普通、こういうものは男が先に
入るものではないのか?」
脱衣室から武蔵の声。どうも、気後れしている
らしく、まだ入っていないようだ。
「……レディファーストが最近の主流なんだ。
反すると俺が白い目で見られることになる」
「そ、そうなのか……まぁ、提督がいうなら
その……わかった」
口から言った出まかせに、するすると衣擦れの
音がし始めたので慌てて退避する。
「……風呂でこれだと寝床は納得しそうにないな」
しばらくの黙考の後、彼はキッチンに向かった。
湿らせたタオルをレンジにかけ、その間に
買い物袋をどけて人一人分のスペースを確保。
出来上がった蒸しタオルで清拭を行うと
ジャージに着替え、押し入れから寝袋を取り出した。
研究が忙しくなった時など、ゼミ室に泊まり込む
こともあるため保有していたが、どう役に立つか
わからないものだ。あとはシーツと掛布団、
枕のカバーを交換して消臭芳香剤を噴霧しておく。
「……これでいいか」
というよりこれ以上他に打つ手が思いつかない。
後は天命に任せる。彼は手早く寝袋を展開すると
その中にもぐりこんで瞳を閉じた。
「……提督よ。貴様、どういうつもりだ?」
それなりに長い時間の後、武蔵が風呂から
あがってきた。声に怒気を帯びているのは
残念ながら気のせいではない。
だから彼は眠っている振りに全力を尽くした。
眠っているのだから怒られても聞こえない
のだ、と。扉一枚向こうで武蔵がシャワーを
浴びていた音も聞いていないのだ、と。
「……しかもこれは提督を床に寝かせておいて
ベッドで寝ろとでもいうのか?……どれだけッ
私にッ恥をかかせるつもりなんだッ!」
気配がすぐ横に来る。なぜか冷気が
伴っている。だが。ここで起きるわけには
いかない。起きればきっと殴られたうえで
寝床を交換される。
「提督よ――狸寝入りはやめて今すぐ
釈明を始めたほうが身のためだぞ?」
反射的に竦みそうな体を何とか踏み止まらせる。
男として、女性を床で眠らせるのは嫌だ。
そこになんら合理性はないが、だからこそ
意固地なまでにダンディズムを貫こうとする。
「そうか。あくまでだんまりを決め込むか。
仕方がない――」
ため息とともに武蔵が動く。
キックか。パンチか。いずれにせよ、
これで翌日まで床で伸びていることができる。
捨て身の無抵抗が成就する
「よいしょっと」
「……はッ!?」
ことはなかった。膝の下と肩に腕が回ったと
思うと下から抱えあげられた。
俗にいうお姫様抱っこ。
格好よさとは正逆の姿でベッドへ連行される。
「それはないだろお前……」
やさしくシーツの上に横たえられ
打ちひしがれた彼は、
「……それは私の台詞だ」
しなだれかかる武蔵に目を見開いた。
「ちょっと待て何をする近い近い近いッ!?」
慌てて逃れようとするが遅い。
腰を腹に据えて足で下半身を挟み込み、
上半身は胸で押し込まれる。
「……今更だな。だいたい、私をここまで
連れてきておいてナニ以外あるのか?」
寝袋から這い出ることが出来なかったため、
ここから形勢の逆転は厳しい。というより、
身じろごうものなら唇同士が触れる位置に
武蔵の顔がある。まともに動くこともできない。
「……なぁ、提督――いや。
あなたは。気付いているだろう?
本当は私に関わる必要がないことくらい。
どうして私を傍に置く?面倒になることは
わかりきっている。ならば、そのまま捨て置くか
しかるべき場所へ突き出せばよかったではないか。
それを食べるものを与え、着る服を与え、
こうして寝床まで供そうとしている。ならば、
相応の――見返りがあって然るべきではないか」
「……だか、らッ」
下心が一切なかったとは言わない。
淡い期待があったことは確かに事実だ。
現に彼女の感触に、体は素直に反応している。
「嬉しかったよ。こんな。解体されて艤装も、
名前もない――ただの女を。私を『武蔵』として
受け入れてくれて。『提督』として傍にいてくれて」
彼女が寝袋のファフナーを下げ、ゆっくりと体に
手を這わせて来る。呼気が唇を震わせ、
匂いも音も伝わってくる。
「だから、あなたに捧げさせて欲しい……」
瞳の奥底、考えまで見透かせしまえそうな距離。
そのわずかに残った距離をゼロにしようとして
彼女の瞳が確かに、揺らいで見えた。
「……待てって言ってるだろうがああああッ!!」
気づかれないよう静かに曲げておいた膝と
背筋をばねにして彼は一気に腰を突き上げる。
足と肩を両端にした変形のブリッジ。
「な――」
そこから今度は膝の力を抜いて体を落とすと
ベッドのスプリングの反動と腹筋で無理矢理に
上体を引き起こす。
「に――きゃッ!?」
俗にジャックナイフと呼ばれる挙動。
驚愕を置き去りに武蔵の体が引きはがされる。
下から突き上げられた時に、前のめりになる
体を支えようと腕を出したことも災いした。
呆気なく二人の上下が入れ替わる。
「……慣れないことはやるもんじゃないな」
急な運動に早くも痛み始めた腰と周りの
筋肉に彼は顔をしかめた。
何かの本で読んだだけの知識が、
正直成功するとは思っていなかった。
人間その気になればというやつだろうか。
「さて――」
組み敷かれた腕の下、見る間に色を無くし
震えはじめた武蔵に、改めて向き直る。
無言で立ち退くと、半ば脱げ落ちていた
寝袋を床に落とす。それから彼女の横に膝を
置いて、ベッドと背の間に手を入れて転がした。
「……な、なにを」
困惑する武蔵を横に、出来あがったスペースに
彼は背中合わせになるように寝転がった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「彼女から目を離さないであげてね」
視界の隣で友人が小声でささやく。
彼女。武蔵は、服飾店の接客担当に
スタイルを見初められ、あれもこれもと
服をあてがわれて逃げ回っている。
「いや、君は気づいていると思うけど、
一応、ね?彼女、見た目はアダルトだけど
中身はかなり子供っぽい、いや、幼いから。
きちんとフォローしてあげてね?」
昼食の時を思い出す。いや、振り返ると
最初に殴り掛かられたこともだが、確かに
武蔵には所々言動に短絡的な箇所がある。
それを幼い、と称していいかわからないが。
身体に精神が追い付いていない、というのは
どこか腑に落ちるところがあった。
「君を気絶させた後、彼女それはもう取り乱し
ちゃって。落ち着かせるのも大変だったんだよ」
この友人に言わせれば平行の世界を跨いだか、
次元の壁を越えたそうだが。もし自分が
『君はゲームの中のキャラクターで、
解体されてここに来た』と言われるような
別の世界に一人、紛れ込んでしまったら――。
「……やっぱり最後まで面倒見るつもりなんだ」
顔を上げると眼前にあった友人の顔に驚いて
飛び退く。その様子をおかしそうに笑う友人。
「君がそのつもりなら僕も協力するよ。
彼女の境遇には同情しているし興味もある。
それに、こんな面白そうなこと放っておく
手はないからね」
先ほど誰かの内面が幼いと聞いた気がしたが
誰のことだっただろうか。指摘にさてね、
といたずらっぽく舌をだすと、友人は
何食わぬ顔で武蔵のほうへ向かっていった。
「彼女が戻る方法を探し始めるのか。
それとも、ここに居ることを願うのか。
いずれにしても。注意だけはしておいてね
――提督。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カチカチ。
時計の秒針の音が静かに響く。
照明の光度が落ちて薄暗くなった部屋には、
規則正しく呼吸を繰り返す二つの影。
無論、どちらも眠ってはいない。
ただ、時間が過ぎるのを待っていた。
落ち着くために必要な時間が。
「……あのさ……急に怒鳴ったりして悪かった」
時間にして十数分が経った頃。
ぽつりと、呟くように彼が切り出した。
「怒ったわけじゃない。ただ、驚いただけで」
表情は見えないが、背中越しに伝わる体温が
お互いの焦燥を溶かしていた。
「……こっちこそ。すまなかった」
武蔵が小さく身じろぐ。冷静になってやろうとした
ことを改めて思う。礼をしたかったのは事実だ。
だが、その行為には保身のための打算が
多分に含まれていたのも事実だった。
「なら、お互いに悪かった、ってことで
この件は終わりだ。いいな?あと、さ」
彼が身を伸ばす。こつんと頭同士がぶつかる。
「――元いた場所に戻れるまでは。最後まで
面倒見るから。だからもう、心配すんな」
びくりと武蔵の体が震える。
それは、彼女が一番欲しかった言葉だった。
「…………いいのか?」
出会ってからこれまで、当たり前のように
隣にいてくれたので聞けなかった。
弱みは見せまいと、武蔵として強気に
振舞っておいて、今更聞くことが怖かった。
「私は――ここにいていいのか?」
そして彼女が聞きそびれていたのなら、
彼も言いそびれていた。
「好きなだけいたらいい」
最初から力になるつもりでいたことを。
面識、と言っていいのかはわからない。
ただ、ゲームとはいえ見知った相手を、
そこから一人抜け落ちてしまった彼女を、
放って置けない。そう思っていたことを。
「……そうか」
背中越しに、こわばっていた彼女の
緊張が解けるのが伝わる。
表情は見えない。いや。見るまでもなかった。
「そうだよ」
肩の力を抜いて苦笑交じりに言う。
ゆっくりと空気が弛緩していく。
どうしてこうなったか、どうすれば解決するか。
正直わからない。それでも身近なところから
一つ一つ向き合っていけばいいと思う。
「大体、俺が解体したせいでこんな目に
遭っているんだから。遠慮はしなくていい」
「――そういえばそうだったな。
私は既に提督に女にされていたのだったな。
なら遠慮なく責任を取ってもらおう」
「……おう。責任取ってやるよ。
初対面で人に殴りかかったポンコツ戦艦」
軽口を叩き笑い合う。思いがすれ違ったり、
かと思えば噛み合ったりする二人だから、
きっと見えてくるものもあるだろう。
確証はないけど。
「じゃあ――」
「ああ――」
二人はどちらからともなく腕を上げて
「「よろしく頼む。相棒」」
拳を打ち付けあった。
「……やっぱり駄目だなこれは」
目の前の箱に見切りをつけて、彼はがくりと
椅子に腰を落とす。キャスター付きのそれは
掛かった力に素直に転がり、彼もまた動くに
任せて滑っていく。学校の代わり映えしない
天井を見るとはなしに仰ぐ。
スポーツ実習でもしているのか、どこか遠く
ランニングの掛け声が聞こえている。
「やぁ。名誉童貞君。パソコンの復旧
目途は立ちそうかい?」
「……ぶっとばされてぇのか。お前は」
そんなぼんやりとした時間をドアごと
破るように、友人がゼミ室に戻ってきた。
ブラックでよかったよね、と確認して
頼んでいたコーヒーを渡される。
「ディスプレイから何から確認したけど、
本体がやられてるみたいだ」
彼は箱、デスクトップパソコンの筺体を
缶底で軽く小突く。
武蔵が現れたパソコン。
昨日はそれどころではなく気付かなかったが、
今朝大学にきて見たところ立ち上がらなかった。
パソコンに関する知識が多少あった彼は復旧を
試みたが、そもそも電源が入らない状態では
トラブルシューティングのしようもない。
「なら教授に言って入れ替え申請出そうか?」
「いや、交換は……今のところ武蔵が来た
原因究明に繋がりそうなものがこれだけだし」
隣にきていた友人が目を瞬かせる。
「どうだろ。現行のパソコンに異世界を
跨がせたり、次元を突き破る容量があると、
僕は思わないけど」
言われるまでもなく彼もそう思ってはいる。
だが、どんな小さなことでも、可能性があるなら
当たってみようと、そう思う。
「彼女がここに来たのは、やっぱり、君の、
愛の力だと僕は思うんだけど。ねぇ名誉童貞君」
「……いますぐぶっとばそうか」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なぜ一緒にいようと思うのか。
冒頭に入らなかった箇所を
夜会話にしようと思ったら
文量がおかしい。
次回、日常に戻ります。
行間作ってくれると読みやすい
こんな感じでしょうか。
期待更新楽しみ
コメントありがとうございます!
頑張って完結目指しますね。
数少ない武蔵ss期待
更新待ってます
説明の仕方が悪かった申し訳ない
文章の1行ごとに改行入れてもらえるとという意味だった
>5さん
武蔵SSはもっと増えるべき。
できるだけ毎日更新予定です。
>6(1)さん
なるほどそういうことでしたか・・・。
基本スマホの画面で打っていて
改行含むと文章作りづらくて(汗)
いったん保留でお願いします。