2023-07-13 18:14:55 更新

概要


そこには何も無い。

そこには何も無い。

そこには何も無い────────けれど、君が居てくれた。


おかしい。イチャラブを書こうと思ってたらなんか違うの出来上がってたんだが⋯?といった作品です。形式は描写込み。


前書き










そこには赤しかない。

海原の渡る洋上、微かに漂うのは鉄火の香り。気色悪い手触りと消えない不快感が身体を駆け、視界を滲ませていく。



「死に損ないか、俺は?」



喧嘩腰か、あるいは強気なだけの見せかけか。既に使い物にならない脚を無理矢理にでも前へと歩かせ、口内に滴る血を吐き捨てた。


此処は地上に作られた地獄。人々が築いた建築物は崩れ、四方に転がるのは''中身の失せた''亡骸のみ。ある者は極高温の炎に焼かれ、ある者は屈強な鉄骨の下敷きとして生を終えている。


紛れもなく、認識するまでもなくこの場は人々の悲鳴が響き渡っていた。しかし、今は。それすらも途絶え尽き、揺らめく炎の音ばかりを知らせて止まない。



「⋯こんなんで防げる訳がない、ってのに」



現場に集まるは烏合の衆と喩えても相違なく。最新鋭の武器を手に取り、一丁前にミサイルまで配備してもこの有様であるのが何よりも証拠として裏付けている。同時にこれは残酷に、人の手では敵わぬ未知と対峙していたという事実も示していた。


現代の海戦は進歩がない。いくら高性能な軍艦とて、最新鋭の技術が備わった潜水艦とてこの大きな海原では蟻程度の存在でしかない。あの異形の型を取ったバケモノ────深海棲艦にとって、人の築いた知恵と技術なんぞ行き遅れに等しいのだから。



「⋯⋯はは。笑っちまうよな、ほんと」



片脚は折れている。両腕、肋骨、加えて背中には酷く爛れた感触の波。絶えずに襲い来る激痛に眉を顰め、一層のこと死んでしまった方が楽なんじゃないかと思考が過ぎる。

同期と呼べた友、教官、顔見知った整備員まで。最早、己と会話ができる人間は一人として存在していない。転換すれば、俺はこうして生き残ってしまった。彼らと同じように襲撃の直後で息絶えれば黄泉へと共に行けただろうに─────



「っあ⋯⋯もう、すぐか⋯?」



息も絶え絶えになって、肺に空気を送ることすら辛い。こんな怪我で生き残るのは希望的観測に近しく、恐らくは俺も数十分後には物言わぬ死体と化すと予想した。否、そうなる必要がある。


皆が死に、たった一人で生き残るなんて幸運なことがあってはならないのだ。運が良かった、たまたま生き残った、そんな幸運は今となっては必要も無い。ここで朽ち果て、既に旅立った者たちの元へと向かう。唯一、ぐちゃぐちゃに絡まった思考で願うのはこれだけだ。



「⋯が⋯⋯ぁ⋯し、ぬ⋯のか⋯」



歩を進める片足が瓦礫の屑山に引っかかる。受け身なんて高等な回避は死に際の身体では無理なこと。真正面から倒れ、伏せ、身体を硬く歪な傾きに放り捨てた。

もう意識を手放す寸前が近い。身体が、視界が段々と生命力を落としていく。死は急速に迫るものだとはよく言ったが、果たしてこれは遅いのか早いのか。などと、俺の脳はとうに生を捨ててどうでも良いことを考える。


死ぬ時ぐらいは張り詰めても仕方がない。反省会であれば存在するかも分からない死後の世界に行ってでも遅くはないだろう。


そうして、俺は。死に最も近いとされる基地の中央にて意識を手放し──────────







『───────これは''生きる呪い''だよ』







────妙に耳へと馴染む声を最後に、自我は暗転した。














────────

────










人類が海の支配権を奪われて早くも十年。栄華を誇った大国の海軍は尽く殲滅され、日本も同様に海原にて異形の生物に駆逐されていった。


それは海の化け物、地球の怒り──────深海より現れるもの、名は深海棲艦と呼ばれている。


奴らには通常兵器は効かない。砲弾も、魚雷も、核弾頭ですら人では敵わん超常的な生物。軍艦よりも遥かに小さく、人間程度の背丈ながらあの生物らは何回りも巨大な鉄の塊を容易く砕く。もはや、人が作り上げた従来の軍艦や潜水艦は的でしかなかった。






「⋯ですが、その際に人類の希望となる存在が突如として現れました。なんの前触れもなく、突然に。それが私たち''艦娘''です」



教室内に凛々しく響いた声色が語るのは現代の歴史に至ること。未知の敵、深海棲艦の出現から艦娘と呼ばれる存在が現れるまで──────────それらが満遍なく記載された教本を片手に、彼女は教鞭を振るっていた。


生徒らの多くは駆逐艦や軽巡、見渡せば艦種問わず鹿島の授業に耳を傾けている。一部の艦娘は居眠りを決め込んだりもしていたが、言葉だけでも生々しい歴史にはただ目を伏せることは叶わなかったらしい。



「ねぇ、先生。暁たちがここに来てから深海棲艦と戦うまで⋯えっと、国の人達は何もしなかったの?」



唐突な疑問。机で熱心に教科書へと目を通していた暁がふとして質問を投げかければ、鹿島は一瞬だけ口を噤んで言葉を選ぶ。

確かに暁が問う疑問はご尤もだ。深海棲艦と呼ばれる生物が現れてから艦娘がこの地に出現したのは同時期では無いし、仮に艦娘が現れたとしてすんなりと海軍自体が見知らぬ存在を受け入れるわけもない。


見た目は女性、しかし中身は軍艦の記憶を保持した存在。なんて得体の知れないものがいきなり人類の味方をしますよ、と言っても信じられないのも道理だ。



「暁ちゃんの疑問にお答えしますと、少なくとも日本側は幾度か反転攻勢を試みていたようです。私たちが現れて半年⋯深海棲艦と戦うまでにはなりますが」

「へぇ~⋯でもあいつらには普通の武器が効かないのよね?だったら反撃も難しいんじゃないかしら」



彼女の言う通り、深海棲艦に従来の火力は意味を為さない。たとえ何千という砲弾の雨を降らせても、何百本というミサイルを打ち込んでも。精々与えられるのは小破程度の損壊で、継戦能力を削ぐまでには至らなかった。これは歴史が、事実がその証左として刻まれている。



「教科書の右ページを見てもらえると分かり易いですね。ここには私たちが深海棲艦と本格的に対峙するまでの歴史が書かれています。特に⋯そうですね、皆さんに覚えてほしいのはこちらです」



一斉に皆がページの右へと視線を移す。そこには文字の羅列は勿論のこと、当時の戦地らしき写真が白黒のまま映っている。

これは決してカラーでの撮影が困難だったからでは無い。色を限定せねばならない程、この場の悲惨さが並々ならぬものだったからだ。




「これは正式に⋯軍人、もとい艦娘として私たちが配属される一週間前に実行されたものです。当時の海軍大将が立案した反攻作戦''隼''、その現場の写真と説明が載っています」

「⋯あまり見たくは無いものだね」




暁の隣で静かに半ページを読み終えた響は徐ろに口を開き、微かな声色で感想を漏らす。それはこの教室内にいる誰もが思っただろうことを代弁し、一層に歴史の重要性を無言で語っていく。




「説明にもある通り、こちらの作戦は云わば''玉砕覚悟''のものでした。強硬派と呼ばれる⋯皆さんの知るところの艦娘否定派に当たる方が立案し、祖国を守って大勢の方が亡くなっています」




淡々と鹿島が説明を続ける中で、やはり。歴史という生々しい真実に目を向けた暁は息を飲み、説明へと目を通していく。

その傍らで横目に様子を伺っていた響が小声で問いかけるも、彼女はじっと態度を変えることはなく。




「だって、こうして暁たちが過ごせるのは守ってくれた人たちのおかげだから」




そんな大人じみた───────否、成長した彼女の姿を目にし、響は閉口して教科書へと意識を移した。暁も成長したんだ、なんて心の中で独りごちて。




「そして、記載のある通り隼作戦は失敗に。深海棲艦に取り囲まれた基地は跡形もなく破壊されて、生存者は─────」






と、鹿島が言いかけたタイミングで授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。どっと襲う疲れ、四五分の内容とは思えない濃さに教室の艦娘らは溜まった息を吐き、静けさから一転して喧騒を取り戻す。

メリハリはきちんと。それがこの鎮守府を統括する提督の言葉とあって、自然と授業態度は良い傾向に傾く。鹿島はこうした雰囲気を肌で感じ、教鞭を取った甲斐があると。何ヶ所かを転々としつつ練習巡洋艦の役目を果たしてきた身としては、こう真面目に授業を聞いてくれる姿勢はとても嬉しかった。




「はいっ、皆さん。明日の一時間目はお待ちかねの現代文になりますから、ちゃーんと宿題は忘れずに!それでは号令を──────────」




先程の雰囲気から打って変わって明るい口調で室内全体を鹿島が見渡し、今日の授業を終える号令を促す。


しかし、その声は遮られた。けたたましい警報の音と共に。それが鳴った意味を知らない艦娘はいない、少なくともこの鎮守府ではこの警報が何を意味するか皆が理解している。




『遠方に軽巡旗艦の水雷戦隊を確認しました。直ちに巡回班はドックにて艦装を終え迎撃してください。繰り返します──────』




凡そ数十キロの地点に敵艦隊が認められた際の警報。声色に緊張感を乗せて放送を流すのは鎮守府にて秘書艦を務める重雷装巡洋艦の大井だった。

巡回班──────言うなれば鎮守府近海の警戒に当たる艦隊。主に日替わりで決められたメンバーに出撃の命が下りたことで、一段と辺りが騒がしくなった。




「今日の当番には暁が含まれていたね。早く向かうといい」

「そ、そうね!⋯あ、でも授業の後に美味しいデザートを食べに行くって⋯」

「それは出撃して無事に戻った後だ。私のことは気にせず行ってきてほしい」



総勢百名を越える大所帯の鎮守府は戦力の集中する場に他ならず。普段は深海棲艦とて近付きすらしないものの、今日に限って運悪く近海で偵察機が発見していた。

暁としては先約の響との約束を反故にしたくはない。けれど、そんな我儘を突き通すほどに駄々をこねる子供でもなく、響への謝罪を告げて駆け足になって教室を後にする。




「⋯近海に入り込むなんて珍しいね。それも今日というのは⋯少し残念だ」




艦娘は容姿も異なれば性格も異なる。幼さを残した子もいれば、凛と大人びた子もいるとまさに十人十色。響の場合であるならば、見た目の少女らしい姿とは裏腹に内面は成熟している面がある。

だが、姉との約束が少し伸びてしまった。それは仕方の無いこと、そう割り切っていても何故今日になって深海棲艦が近海に来たのかと小言を吐きたくもなるものだ。誰だって、楽しみにしていた予定が伸びるのは嫌なものだから。




「元気を出してください、響ちゃん。きっと暁ちゃんなら無事に戻って来ますから」

「⋯うん、そうだね。今は暁が無事に戻ってくれることを願ってる」




そうしたしょんぼり風味な子を見て無視ができないのは誰しも同じ、鹿島とて同じく気持ちに寄り添うことができる。そっと近寄り、帽子の上から頭を撫で。ぎゅっと響が服の裾を掴んできたことで、自身の行動が余計でないことを確信する。


寄り添い、背後から腕を回す。抱き締められるがままな響に微笑ましさを覚えながら、鹿島はちらりと横顔を覗き込んだ。




「⋯暁ちゃんが戻るまで、お話していましょうか。私で良ければ相手になりますよ」

「⋯⋯宜しく頼むよ。鹿島教官のお話、聞かせてほしい」









──────────

─────









海原に浮かぶ艦隊。黒く、異形に曲がった生物群とその中央で指揮を執っている旗艦が一体。偵察機で確認しても水雷戦隊のみ、戦力は特筆して軽巡ホ級eliteのみが脅威と推定される。

そんな説明をドックにて受けた巡回班の面々の顔付きはどこか張り詰めているようだった。




「⋯おかしい。そもそも近海にEliteが出現するなんて」




艦隊の指揮を執る旗艦、矢矧は怪訝な眼で遠方に目線を送る。それに同意したように後方で続く面々が言葉にせずとも頷き、同感と告げているのだと視線で理解していた。

そもそも、鎮守府近海にはあまり深海棲艦が寄り付かない。今や日本の一柱に数えられる当鎮守府は戦力的にも随一、それは敵側の深海棲艦とて把握していること。故にこそ、この場所を忌避して艦隊を近づけようとはしなかったのに。




「(嫌な予感がするのは気の所為?確かに時々なら深海棲艦も迷い込んでいたけれど、これははぐれって規模でもないし⋯)」

「⋯ねぇ、矢矧さん。あれって何かしら」




嫌な予感は常に的中する。そんな展開を望まない矢矧はどうにか疑問点を洗おうとするも、深く思考の波に浸かっていたらしい。

一声、暁の問い掛ける言葉。それによって意識を浮上させて疑い深い考えを一旦整理しつつ、彼女の問いに耳を傾けた。


あれ、と指を差した方角はまさに敵艦隊と直線的に交わる場所。今も接近しつつあるその姿を認めつつ、じっと目を凝らして暁の指すものを探した。




「⋯なんじゃアレ?瓦礫みたいなん浮いとる?」

「瓦礫⋯もそうだけど。他に何かが⋯」




距離はもう数キロ先。間近と迫った戦闘を前にして、浦風が片手を目頭あたりで水平にして遠くを望む。

見えるのはいくつかの瓦礫らしきもの、鉄屑だったり木の破片だったり。普通なら浮かんでいない物体がそこにある風景が、何よりも違和感と異質さを際立たせている。


が、瞬間。矢矧が同様に目元を細めて視線の向こうを覗いた時──────────状況は一変した。





「──────────ッ!みんな、人が浮かんでいるわ!!」





冷静さを保ちつつも、声を出さずにはいられない。この場において皆に知らせるのは旗艦としての声であり、また一艦娘としての感情が乗った声でもあった。


人が浮かんでいる。その声はハッキリと、鮮明に後続へと届いていた。皆の顔付きが一気に緊張を巡らせ、真剣な眼差しへと変わっていく。これは単なる出撃に非ず、事態は刻一刻と争うものと理解しているからだった。




「聞いてッ!敵は軽巡旗艦が主軸で航空戦力は無いわ!艦載機で先制をお願い!」




ここからは無線を用いての会話だった。謎の技術─────無線といっても良いのか分からない、艦娘のみが使える海上での通信方法。妖精と呼ばれる存在によって自ら無線のスイッチを切り替えられるものは、矢矧の声掛けで一斉にスイッチを切り替えオンにしていく。


会敵まで時間はない。そして、近付くに連れて視認できる人の姿を見ても然り。遠目からでも分かる重傷の様を見せられ、悠々と殲滅する訳にはいかなくなった。

速戦即決、猶予はない。無線でのやり取りに移行を終えた直後、後続の艦娘が放った機体が空を駆けていく。人命を無駄にしてはならない──────矢矧も、また艦隊の子らも。皆が想うのはどうか無事であってほしいという一心のみだった。











──────────

────









その報せ───────幸いにしても吉報とは呼べないものが届いたのは巡回班が出撃して一時間半後になる。





『重傷者を一名発見したわ!急いで医療班を!』





思いもよらない報せによって司令部は一気に緊張感を増し、秘書艦の大井を始め室内には響めきが伝播する。

まさか出撃している先で人が、それも重傷者が発見されるなんて。信じられないといった表情をする者が半分、その上で何があったのかと疑う者が半分。幾度の激戦を越えてきた者たちであれど、今回のものはかなりのイレギュラー。動揺を隠せずにいるのは無理のない事だった。





「⋯急ぎ医療班を派遣。続いて医務室の空きを確保だ」




しかし、そのイレギュラーに支配される司令部の意識を瞬きの内に惹き付ける者が一人。長方形のテーブル、その先端に鎮座する男。頬に入った縦傷に白髪をオールバックにて後ろに流し、老練さを多分に含んだ顔付き。その風貌、雰囲気はまさに歴戦の猛者。

この鎮守府の長であり、左胸に付けられた階級章が何よりの地位を示す男たる軍人──────────佐世保鎮守府の提督を拝命している白峯大将はゆっくりと瞼を開き、冷静かつ周囲とは反して落ち着いた口調で為すべき事項を指示していく。




「慌てるな。戦場では何が起こっても不思議ではない、時にこそ心身の落ち着きは必要なものだ」




その声は、その言葉は新米が勇気づける台詞ではなく。長年の経験と歴が積み上げた重みの含んだものであると、司令部にいる者たちは理解する。

この佐世保鎮守府はかの提督に支えられているのだと。イレギュラーが起ころうとも、不測の事態が発生しようとも冷静さを欠くのは悪手に等しい。言葉の裏ではそのような意味も込められているのは聞くまでもないこと。




「大井、急ぎ医療班の手配を。他の者は一部を除いて箝口令を敷け」

「提督、私は現場に赴いて指揮を執ります。その後は⋯」

「私も向かう。適切な処置を終えて医務室に運んだ後、艦娘の出入りを制限。誰も近付けるな」




普段通りの指示。的確で、冷静な判断が下されるのは毎度のことなれど、秘書艦の大井はその言葉を先取りして急ぎドックへと駆ける。

連携と言うには浅く、だが適切な言葉が見当たらない。あの白峯提督を艦隊の頭脳だとするならば、あの大井は正しく身体。そんな一心同体であると雰囲気を犇々感じ取りながら、司令部で命を受けた者たちは彼女の後に続いて動き出す。




「海上に重傷者。密航であれば偵察機が即座に発見する筈。⋯まさか前触れなく人が浮かんできたとでも言うのか?」




数名しか残らない司令部の中。白峯は腕を組み、己の思考を回していく。

近海で密航者は幾度か発見しようとも、必ず此方の艦隊がその姿を確認し対処していた。今も昔も、この海域で負傷者が出た事案は一件たりともない。更に言えば、当鎮守府が張り巡らせている索敵網にかからないものは一人たりとて居ないはず。─────────実に奇妙で、奇怪で、疑わずにはいられない。熟練された鋭い勘と説明しがたい違和感。白峰の募らせた微かな疑問は、未だに晴れることを知らない。










──────────

──────









「ひぁ⋯っ⋯」



刻は過ぎ陽が落ちる頃。ドックにて響と共に暁の帰還を待っている鹿島が目にしたものは、言葉にし難い生々しい人間の姿だった。

矢矧の背に担がれている人間。身なりからして軍服、それも海軍のものだと推察される。しかし、そんなことは関係ない。──────────否、関係はあるのだが。そんな身元を明かすよりも先に、刻まれてしまうものがある。




「早く運んで!処置が遅れると手遅れになるッ!すぐに治療室へ!」

「⋯これは、あまり。見てはいけないものかもしれない」




矢矧の焦りと響の独り言。その二つに同意しながら、鹿島は驚きに顔を染める。それは人であって、けれど残酷さが隠さずに晒されている様。


頭部から血を流し、腕はだらりと垂れ下がり。生きているのか死んでいるのか一目で分からない位に、その人の負傷は凄惨すぎる。

炎に焼かれただろう背中の傷が痛々しく、今もなお皮膚を削って身を食い尽くさんと。普段の出撃にて負傷や損傷に慣れっ子だと思っていた数分前の自分は盲目だったと、ゆっくり息を飲んで担架に乗せられる人姿を見続けた。




「こんな、まさか⋯人が⋯?」

「そうみたいだ。⋯ただ、私もこういう事態は初めてだから⋯ね」




鹿島たちは不運だと言えるかもしれない。ただ暁の帰りを待っていただけで、戦場の傷という人間が被害にあったものを見るのだから。

艦娘の負傷は入渠で治る。大きな怪我────────四肢の一部が欠けたとて、長時間浸かれば元通りになるケースがほとんだ。故に、艦娘ではなく人の重傷が鮮烈に眼を釘付けにして止まない。これは見るべきものであって、これこそが歴史で負った人間の傷なんだと。




「⋯鹿島さん、響⋯⋯」

「暁、君⋯は無事みたいだ。良かったよ」




間もなくして歩み寄ってくる影、目尻を下げた暁の姿を見てそっと二人は寄り添う。普段の明るいレディーの面影は微かに、今は表情全体が哀に変わって痛いくらいに感情を共有できる。

艦娘だって人と同じく感情があるのだ。驚き、笑い、楽しむ。喜怒哀楽があるのだから、当然に今の状況でも感情が溢れるのは至極当たり前。





「あのね、見つけた時にはもう⋯ボロボロで、血も吐いてて、すごく痛そうで、だから⋯」

「⋯頑張りましたね、暁ちゃん。辛くて、泣いちゃうくらいに。⋯暁ちゃんは優しい子です」

「そうさ。あの人の怪我⋯誰だって同じ気持ちを抱くよ。もちろん、私も⋯ね」




二人は寄り添うことで暁の感情を受け止める。既に自分たちのできることはなく、暁にとってもただ見守ることしか叶わない。

あの負傷者は急ぎ担架で運ばれていく。今回出撃していた矢矧や浦風、暁たちを含め────心は穏やかではない。




「⋯どうかっ⋯助かりますように…っ!」












──────────

─────










歪む。歪んで曲がって捻れて目覚める。此処は何処でもない、空虚で真っ白な部屋。誰も介入できない部屋の中。


そこには何も無い。そこには何も無い。そこには暗くて何も無い。白いけれど、しかし暗い視界だけが全てになる。
















『人の命は短いもの。けれど、君はまだ''生きる権利''があるんだ』






瞼が開かない。意識が深い沼より上がった重苦しい気分が襲う中、続いて聞こえる訳もない誰かの声で自分自身を保てているのだと理解する。




「⋯目が開かない。いや、今はそんなことはいい。それよりも⋯」

『そう急かさないでよ。⋯まず、君と会話を続けられる時間はそう長くないんだ』




一気に押し寄せる疑問を一片に口に出そうとすれば、まるで俺の行動を先読みしていた口振りで場を制する。不詳、謎の者。声からして女性か、心做しか若く聞こえる気もする。

いくら努めようと瞼は開かない。重く、硬く閉ざされて開こうとしない。まるで目の前にいる何かを見るな、とでも言いだけに視界は黒を映すだけに留まった。




「とりあえず、だ。⋯俺は死んだのか?」

『正確に言うと瀕死かな。だから死んではいないよ』

「⋯その言い回しだと、どうやら俺は死に損ないになったらしいな」





ひとつずつ、俺は心の中の疑問を消化していく。こいつが何者だとか、何故俺の状態を知っているのかとか。諸々の疑問を問う前に浮かんだのが、まさしく。





『俺は死んだのか、ね。まさか初めの質問がそれとは⋯。ねぇ、君は死ぬことに恐怖は無いのかな?』

「無いと言えば嘘になる。だが、俺はあそこで死ぬべきなんだ」

『それは⋯どうして?』

「あの場所で生き残ったのが''俺だけ''だからだ。友が死に、顔見知りが死に、あの隼作戦とかいう玉砕覚悟の馬鹿みたいなもので基地にいた奴らは死んだ。なのに俺だけがのこのこ生き残ってひとり生還しましたーってか。⋯通らんだろ、それは」





吐き捨てるように言い切った。あの作戦、通称は隼作戦と呼ばれるもの。それは視点を変えて捉えれば深海棲艦を一箇所に集め、その瞬間に全火力を持って殲滅する作戦であった。

それは明晰な者なら生贄を捧げる儀式だと気付くもの。大多数は作戦の概要だけを読んで上辺のみを口にしていたが、裏は俺の予想していた通りの作戦だった。生贄───────大規模な設備をわざわざ造り、活きのいい軍人やらを島の基地に集めて魚を釣り上げる。今考えても反吐が出る位な思考回路だ。





「俺はな、軍人である以上は命令に逆らえない。そこで果てろと言われればそうするしかないし、仮に反抗しても憲兵に連行されるだけ。⋯運良く命拾いしたとて、あの生き地獄の有力な生き証人たる俺は消されるだろうな」

『成程ね。つまり君は⋯生きるくらいならみんなと死にたかったと』

「あぁ。⋯それで、見知らぬ奴。さっきお前は瀕死だと俺に告げたが、そもお前は何を経て俺の状態を確認してるんだ。まさか⋯全知全能の神様とでも言うつもりか?」




我ながら可笑しな台詞だと笑いが零れそうになるのを抑え、耳でしか関われない相手へと質問を投げる。死に際の一時、走馬灯とは違った雰囲気は肌を刺すくらいにうねりを持って身体を襲う。自然とここが現実でも、あるいは黄泉とかいう向こう側でないことを脳に理解させている。


嫌な気分だ。何もかもが見透かされている感覚に陥った。死ぬのなら早く死なせてくれ、俺は友の所に行きたい。そう、心の中で幾度も告げる──────────だが、コイツは。





『私は神様でも何でもないし、そして君を死なせる為に来た死神でもない。強いて挙げれば⋯バグで生まれた思念、ってところかな』

「⋯なんだそりゃ。アプリで動いてるわけでもあるまいに」

『⋯ははっ、今は信じずとも構わないよ。ただ、君はいずれ私と再会する。それまでは⋯』








段々と眠気が、抗えない欲求が意識に訴えかける。まだ起きろ、質問は終わってないと奮い立たせる努力を無に帰す真似をする俺の身体が、素直に二度目の死に際を終えようと進む。






「ぁ⋯おま、⋯なに、を⋯⋯」







そして、沈む。深海に沈む、けれど心地好く。あの地獄の場所で感じた痛みなど一滴も残らない。


奴は言った。俺には生きる権利がある、と。


意味が分からない。分かってたまるものか。即死できずに痛みを味わって死んだと思えば奇妙な場所らしき所にいて、よく分からん奴の会話を聞いて。


挙句に答えているのかも分からない回答まで寄越されて、こっちは状況をほとんど把握出来ていないのに────────







──────────それなのに、奴の声は心地好かった。誰よりも優しく寄り添ってくれた母のように、温かかった。











『暫くさようならだよ、''小鳥遊中佐''。⋯⋯どうか君の生に祝福を』












後書き



完結させます。更新は筆が乗った際にはなりますが気長にお待ちいただければと。

評価、コメントお待ちしております。


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2023-07-16 14:39:12

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