『Wherever_you_are』
いろはが本気で八幡を落とすお話。
軽い気持ちで見てください。
タイトル変更。
『Wherever_you_are』
お話の元になった曲名に変更。
加筆修正してたけど、あんまりするところ無かった。
誤字脱字は随時修正していきます。
矛盾している箇所も同様です。
オリキャラは一応です。
ことことと、風が窓を叩いていた。
海が近く、周りに高い建物がないせいか、吹き付ける風は勢いを殺されることなく、窓に強く吹きつけている。
強い音につられて思わず窓の方を見やる。外はすでに茜色に染められており、運動部の連中もいない。視線は時計へ向けられる。一六時四五分。……一七時ーーーもう五時か。
視線を小説に落とす。続きを読もうと思い、次のページを捲ろうとしたが、体が痛いので止めた。
半分くらい読んだ小説に栞を挟み、長方形の机の上に置き、大きく伸びをする。体が伸びきると骨がボキポキと鳴った。骨が鳴るとなんだが気持ちいいよな。理由は分かんないけど。
温くなったマックスコーヒーを一気に飲み干す。練乳と砂糖の甘ったるさがよりいっそう際立つ。口の中に残る強烈な甘みに癒されながら、俺は小説を鞄にしまう。
その行動を見てか、雪ノ下雪乃も小説に栞を挟み、余っていた紅茶をゆっくり飲み干した。
ぽちぽちと携帯をいじっていた由比ヶ浜結衣は欠伸を噛み殺していた。
小説を閉じながら、雪ノ下は言う。
「今日はここまでにしましょうか」
「そうだな」
「そだねー」
三者三様の言葉を口にし、鞄からマフラーを取り出し首に巻き、椅子から立ち上がる。いつもの時間に、いつものように、今日も依頼はなく、部活は終わりを告げる。
俺は「お疲れさん」と一言呟いてから、かつんかつんと音を立てるヒーターの電源を切る。
二人が出るのを確認してから電気を消し、雪ノ下から受け取った鍵で部室に鍵をかける。
一気に暗くなった部室から離れると、その先も暗闇が続いている。
俺の目の前で雪ノ下に抱きつく由比ヶ浜。抗議の意思が若干あったようだが、雪ノ下は結局それを口にすることはなかった。諦めたかのように笑いながら、仲良く談笑する二人を眺め、廊下を歩き、昇降口から出た。
日は既に沈みかけていて、校舎から漏れてくる明かりが頼りなく灯っている。
「じゃ俺鍵返してくるわ」
右手で持っていた鍵を掌でクルクルと遊びながら俺は言った。その言葉に雪ノ下が返事を返す。
「お願いするわ」
肩にかかっていた髪を払いながら、雪ノ下は言った。
「次は冬休み明けだね、ゆきのん、ヒッキー」
「そうね」
「そうだな」
「バイバイ、ヒッキー」
「さよなら」
由比ヶ浜が手をひらひらと胸の前で振り、雪ノ下はなにもせず言う。
「おう、じゃあな」
軽く言葉を交わす。
この瞬間が何となくだが、すごく嬉しく感じる。
二人は俺から離れていく。いつまでも見ているわけには行かないので、さっさと職員室に向かう。
戸を開き、平塚先生を見つけて鍵を返す。
「うむ、確かに受け取ったぞ」
「じゃあ、俺はこれで」
「比企谷」
名前を呼ばれ、振り返っていた体を再び先生に向ける。
「明日から冬休みだからといってあんまりだらけすぎるなよ」
いやだなー。そんな事しませんよー。
「君のことだ、明日から冬休みだと浮かれて不規則な生活を行うだろう。まあ君も学生だ。夜遊びもしたい年頃だというのも理解している」
そう言って先生は少しだけ笑う。
「だから、ほどほどに楽しめ」
「うす」
「じゃあ、三学期でな」
頭を下げ、職員室から出て駐輪場を目指す。
吹き付けてくる風は先程と変わらず冷たく、帰るのが億劫になる。俺はそっと鞄を背負い直す。その際に崩れたマフラーの襟元を正す。
駐輪場に着き、俺の自転車が止められている場所へさらに歩いていく。下を向いて歩いていたら人影が見えた。その影を追い、ゆっくり視線を上げると、
「遅いですよー先輩、それじゃレッツゴー」
そこには一色いろはがいた。
右腕を上げ、元気良く言う一色。
約束なんてしていないはずだか、なんでここにいるの? 生徒会の仕事はどうしたの? まさかサボったの? それでいいの生徒会長? 俺はそんなことの為にお前に尽力したんじゃないぞ。
「ねえなんで当たり前のように俺の自転車に乗ってるの? 頭が可哀想な子なの?」
「せんぱーい、可愛い後輩にそんなこと言ったら嫌われますよー?」
外人のようにやれやれと両手でジェスチャーする一色。
いや、こいつに嫌われるのは別に構わないんだけど。
「邪魔だからどいてくれ」
そう言って一色を自転車からどかす。
「むー、」
一色は頬を膨らます。相変わらずあざとい奴だ。これが俺以外の男子だったら光の速度で恋に落ちていただろう。だが、数多の経験から俺はこの後輩が危険だと理解していたので、恋に落ちずにいる。
さっきの警告で降りなかった一色を無理矢理降ろして、鍵を外し、自転車に乗る。俺が漕ぎ始めようとしたら自転車が急に重みを増した。振り返ると一色が後部座席みたいな所を両手でがっしりにぎっていた。
その行動に俺は呆れた声を出す。
「……お前なあ」
「先輩はなにが不満なんですかー。こんなに可愛い後輩が懐いてるっていうのにー」
「お前だからだよ。さっさとその手離せ」
「……俺は、本物が欲しい」
その言葉を聞いて、俺の動きが硬直した。
このクソガキ。
「おい」
睨もうと思って振り返ると満面の笑顔の一色が、
「せーんぱい、乗せてくださーい♪」
と、リズム良く言ってきた。くそ、可愛いのがすげームカつく。
「はぁ、もういいよ。乗れよ」
「ありがとうございます!」
改めて一色を後ろに乗せ自転車を漕いでいく。
……。
ちょっと待って。仮にもこいつは生徒会長だ。そんな奴が二人乗りしてて良いのか? しかも男とだ。警察に見つかったらどうしよう。その時は一色を生贄にすればいいか。
だが、時間帯的にも残っている生徒と言えば殆どいない。実際校門まで来ても誰にも会わなかった。
杞憂だったな。
ペダルを強く踏むたびに、ギシギシと音が鳴る。この自転車も二年近く乗ってるからな。寿命かな?
「……先輩」
「んー?」
「お腹すいてませんか?」
「いや、減ってねーけど」
「そうですか」
「……腹減ってるのか?」
「せんぱーい、そんなこと女の子に言っちゃダメですよー?」
「え、ダメなの?」
「ダメに決まってるじゃないですかー」
他愛の無い会話が続く。
後ろで生徒会の不満を口にしている一色に適当な返事を返しながらぐんぐん進んでいく。恐らく、後ろの一色の表情はコロコロと変化しているだろう。声音でそのことがなんとなくわかった。
信号に引っかかる。
「……飯……どこかで食ってくか……?」
何故か、そんなことを呟いてしまった。
後ろへ振り向くと、俺の発言に一色は少し両目を見開いていた。なんだよ、そこまで驚くことかよ。
「わたしになにする気ですか?」
こらこらいろはす。真面目な声音でそんなこと言うな。警察に捕まっちゃうだろうが。
「なにもしねえよ。なんでそうなるんだよ」
「だって先輩がご飯に誘ってくるなんて……気持ち悪いじゃないですか?」
「あのなー、俺だって飯ぐらい誘うっつーの。ただ誘う相手がいないだけで」
「今悲しいことが聞こえましたよ?」
「気にすんな。気にしたら負けだ」
「なにに負けるんですか……?」
信号が青に変わる。
再びペダルを漕ぎ始める。
「どうすんだ? 食わねーならこのまま帰るけど」
「……、」
一色は黙ってしまった。考えているのだろう。
……確かに俺は一色の言う通り、他人を飯に誘ったことがない。誘う相手がいないのも事実だが、知らない奴と気を使ったりしながら飯を食ってもあんまり美味くないだろう。
これが戸塚なら最高だなー。戸塚なら迷わず誘う。すぐに誘うね。もう光の速度で誘うね。
……なんで俺は、一色を誘ったんだ?
疑問が浮かぶ。俺が一色を? あり得ないだろう。あいつは俺を便利な道具にしか見ていない。確かに顔は可愛い部類に入るだろう。だがその性格は壊滅的に悪い。猫被りとも違う。なんて言うだろうなあれは。
……あざとい……うん、あざといだな。
結論が出た。
一色いろははあざといのだ。嘘泣きもするし、ワガママも言う。そのうえイケメンが好き。いや、これは違うな。葉山が好きであってイケメンが好きということではない。
あいつが葉山の何に惚れたのか知らない。
そもそもあいつの中ではもう終わった恋なのかも知れない。
そんな中、一色が声を発した。
「今日は……いいです。また今度誘ってください」
「……そうか」
「あ、ここまでて良いですよー」
「おう」
「よっと」
一色が両手を広げて自転車から飛び降りると、そのままくるりと右回転、両手を後ろに組んで俺の顔を見る。なんだよ、なんかついてるか俺の顔に。
「……そういえばわたし、先輩の連絡先知りませんね?」
「あぁ、そうだな」
一色がごそごそと鞄からスマートフォンを取り出し、腕を伸ばすと、
「だから連絡先交換しませんか?」
と首を傾げながら言ってきた。
……あざとい。
だが、その言葉に一番驚いたのは、その行動をとった一色自身だろう。一色は一瞬だけ目を見開くと軽くうつむいてしまっている。なんとなく断りにくので、言う通りにする。
「別にいいけど」
そう言って、ポケットからスマートフォンを取り出し、一色に渡す。
「……え、わたしが入れるんですか?」
「いや、別に人に見られて困るモノとか入ってないし。お前俺にスマホ渡さねーだろ」
「そんなことはないですけど……まあいいか」
一色はすごい速さで打ち込んでいく。こいつといい由比ヶ浜といいなんでこんなに文字入力するの早いの? 何か特別な訓練でも受けてきたの?
「はい、送信と」
「おい待て、なにを送信した?」
「これで大丈夫ですよー先輩」
「無視しないでくれる? なにを送信したの?」
「じゃあわたしはこれで」
「……、」
一色は再び振り向いて帰っていく。帰ってきたスマートフォンを見ると登録したばっかの一色からメールが届いていた。
画面をタッチしメールを開け、中身を確認する。
『明日、一○時に千葉駅前まで来てください』
なんだこのメールは?
首を傾げながら、俺はスマートフォンをポケットにしまい、小さくなった一色から視線を外し、俺は右折してそのまま家に帰った。
***
先輩と別れた後、どこにも寄らず真っ直ぐ家に帰ったわたしは、すぐに部屋に引きこもった。
……だめ、すごい恥ずかしい……。
顔が熱い。葉山先輩に告白した時と同じだ。
あの時のような強い胸の締めつけ。
人を好きになるのは初めてじゃない。今までだってたくさん好きになって、でも告白までしたのは葉山先輩が初めてで、今のわたしは……少しおかしい。というか先輩の事なんて好きじゃ……ない。……ない……はず……。
「いろはー!!」
その声に少し驚いた。
一階のリビングからお母さんの声が家全体に響いた。ドアを開け、返事を返す。
「なにー?」
「あんた今日何食べたい?」
すぐ返事が返ってきた。
「なに作れるのー?」
「野菜炒めともやし炒めと秋刀魚……かな……?」
もやし炒めって毎週出てくるなー。
「……さんまが良いなー」
「秋刀魚ね」
ガチャ、とリビングのドアが閉まる。
もう、人の気も知らないで。
***
お風呂上がりのわたしを出迎えてくれたのはお父さんとお母さんだった。髪をバスタオルで拭きながらリビングの時計を見る。九時か。お父さん今日は連絡なしに飲んで帰ってきたから、お母さんが怒ってるのか。納得した。
横でガミガミ文句を言うお母さんに怯えるお父さんを見ながら、冷蔵庫からコーラを取り出し、コップに入れて一口飲む。ん、美味しい。お風呂上がりのコーラってすごく美味しく感じるよね。……わたしだけかな。まあいいや。
助けを求めてるお父さんにウィンクして、リビングを出る。階段を上がる。お母さんの怒声は変わらない。近所迷惑にならなきゃいいけど。
部屋に戻ってテープルにコップを置き、そのままベットに倒れこんだ。
外との関係を遮断するように最近好きになったバンドの曲をスマートフォンで流す。その歌はバラードで優しい歌。ラブソングなんて普段はあんまり聴かないけど、このバンドの歌はなんでかわかんないけど、すごく好きだ。歌詞の半分くらいは英語で分かんないし、照れ臭くないし。まあ調べたらでてくるけど、そこまでする気はない。
他の曲も好きだけど、わたしには少し激しすぎる。
はぁ……、それよりも生徒会の仕事がこんなに忙しいなんて思わなかったなー。あ、髪の毛乾かさなくちゃ……伸びたな……髪の毛。そろそろ切ろうかな。
……。
明日は……先輩と……デート……? 違うな。なんだろ、遊び? ……これも違う。どれが正解だろう。ま、いいや。
スマホを取って勝手に送り付けたメールを見る。
何でこんなメール送ったんだろう……。だってわたしが先輩にって……どう考えてもおかしい。こんなのわたしじゃない。
葉山先輩にフラれてからのわたしは、なんだかおかしい。葉山先輩からすぐに先輩に切り替えられるほど安っぽい恋だったの? 違う。そんなの違う。わたしは本気で葉山先輩が好きだった。でも葉山先輩はわたしを受け入れてくれなかった。
「本物が欲しい」と先輩は言った。その言葉に確かに心動かされた。あの言葉を聞いてわたしは告白すると決めた。好きになった理由は分からない。気づいたら好きになってた。告白するきっかけをくれたのは先輩だ。それは間違いない、
もう、何がなんだか分からない。
わたしには……分からない。
……。
あ、明日の何着て行こう。
ベットからもそもそと出る。クローゼットを開き、服を確認する。
……先輩ってどんな服装が好きなんだろ……。結衣先輩のことはいつもビッチビッチ言ってるからギャル系じゃなくて清楚系が好きなのかも……。
あ、じゃあこの服が良いかも……。
手に取ったのは白のコートとチェックのスカート。うん、これならきっと……。
違うから違うから。
そこで先輩は出てこなくていいから。腐った目を見せないでいいから。早く消えて。わたしがおかしくなるから。
……。
……明日の事で、先輩に電話しとこ。
***
その日の夜、風呂上がりにソファーに寝転がって小説の続きを読んでいた俺は不意に鳴り響いた電子音に少し驚いた。
億劫だったが体を起こし、読みかけの小説をテーブルに置き、スマートフォンを手に取る。
……電話? 俺に? しかも一色からかよ。
画面をスライドする。
『あ、先輩、今大丈夫ですか?』
「大丈夫だぞ。どうした?」
『明日のことなんですけど』
明日? ……あぁ、あのメールの事か。
「それがどうしたんだ?」
『大丈夫かなって』
「まぁ別に予定なかったから大丈夫だけど」
『そうですか、良かったです。じゃあ、明日遅れずに来てくださいね、先輩』
「分かった」
『それじゃあ、おやすみなさい』
「あぁ」
通話を切り、スマートフォンをテーブルに置く。
一色は明日のこと本気だったのか。電話がなかったら行ってなかった。危ない危ない。
読みかけの小説を手に取り、読もうとしたが、どうにも読む気がなくなった。俺は三分の一まで読んだ小説に栞を挟み、テーブルの上に投げ捨てる。スマートフォンを拾ってソファーから立ち上がり、風呂上りの親父とすれ違い部屋に戻った。
階段を上っていると愛猫のカマクラとすれ違った。こいつ俺には懐かないんだよな。別にいいけど。
部屋に戻った俺は明日の準備を始めた。
急な約束事だし、まずは財布の中身でも確認しておくか。……五◯◯◯円か。これだけあれば……まあ足りるだろう。足りなかったら銀行で下ろしたら……何で俺あいつにおごる前提で話進めてるの? 頭おかしくなったの? バカなの?
タンスを開け、中からシャツとネクタイを取り出す。あとはズボンだな……何にしようか。……黒のチノパンでいいか。よし、これで準備は大丈夫だ。
小物なんかは俺持ってないんだよなぁ。付けていくことなんてなかったら。あはは……笑えよ。
時刻は九時半。明日は八時起床。もう少し起きていられる。
重力に従いベットに倒れこむ。
くそ、何で一色の買い物に付き合わなきゃなんねえんだ。せっかくの冬休み初日だってのに。ついてない。
……これが戸塚なら最高なんだけどなー。ほんと何で一色なのかなー。絶対明日は荷物持ちだよ。嫌だよ行きたいないよー。
頭の中で駄々っ子になりながら、カレンダーに眼をやる。明日から冬休み。多分今までと変わらない日を過ごすのだろう。
奉仕部での日々は楽しくないといえば嘘になる。
他の連中がウェイウェイ言いながら遊ぶ気持ちも分からんわけではない。だが、これだけは言える。一色を生徒会長にした代償のように……いや、これまで俺が積み上げてきた不信感のような何かが原因で冷戦状態になった奉仕部を潰さないように、由比ヶ浜と雪ノ下の力を借りて、また元の関係に戻ろうとしたのは俺の意思だ。それだけは本当の感情だ。
きっと、俺の中でなにかが変わり始めたのだろう。
あの『答え』に辿り着くまで紆余曲折はあった。
雪ノ下雪乃の持っていた信念。
由比ヶ浜結衣が求めた関係。
俺が欲した本物。
そして、一色いろはのーーー。
……なに考えてんだ俺……もういいや、寝よ。
***
規則正しく、電子音が鳴り響いていた。
音の発生源は俺のスマートフォンのアラームだ。頭に響く電子音が不快になり、音を止め、無理矢理体を起こし、何故か寝不足の頭を軽く押さえる。
スマートフォンで時刻を確認。時刻は午前八時前。昨日は早く寝たはずなのに、なんでかダルさを感るし、少し寝不足っぽい。
謎の症状と戦いながら寒さに震える体に鞭を打ち、ベッドからいやいや這い出る。
……やはり、と言うべきか。クソ寒い。なんで小町の部屋には暖房機があるのに俺の部屋には暖房機がないのだろう。俺と小町にかけてる愛情の差広過ぎない? 一向に差縮まらないんだけど。ねえ親父?
昨日準備していたシャツと黒のチノパンに着替える。裸になると、その寒さが余計に際立った。脱いだ服を畳み、ベットの上に投げる。スマートフォンとマフラー、ジャケットを手に取り、部屋から出る。
俺を出迎えてくれたのは妹の小町だった。
……え?
……寒気がした。
寝ぼけまなこの小町とすれ違い、一階に下りる。
そして何故か一緒についてくる小町。
もしもし小町さん? 貴女普段こんな時間に起きないでしょう? なんで今日に限って早く起きてくるわけ? 嫌がらせなの? 嫌がらせなんだね? 大事なことだから二回言ったよ俺。さぁ早く部屋に戻って寝なさい。
リビングに入り、吹き付けている強い風の音につられ窓の方を見る。今日は風も強いみたいだ。確か昨日天気予報で今期一番の冷え込みって言ってたな。寒くて風が強いってもう最悪のコンボだよな。
適当に軽く朝食をすませ、歯を磨き、寝ぼけている小町を部屋に追い返して俺は家を出た。
予想通り、今日も風が強くて寒い。
千葉はあまり雪が降らないことでおなじみだか、だからと言って寒くないということには当然ならない。もちろん冬なので寒いし、吹き付ける風も冷たい。というより痛い。
あー、もう無理、帰りたい。
***
冬晴れの休日。
いつものように、千葉駅前は人で活気づいている。
恐らく都内なんかよりは幾分かマシなのだろうが、それでも休日あまり外出しない俺にとっては充分すぎる混雑だ。
いそいそと行動する人を横目に、スマートフォンで時間を確認する。九時三七分。約束の時間は確か一○時だったから、余裕をもって千葉駅前に着いたな。指定された場所へ向かう。
千葉駅前集合と言われればまず間違いなく、ここ東口側でいいはずだ。
辺りを軽く見渡し、一色を探す……が、一色の姿は見えない。当然か。まだ約束の時間じゃないしな。
暇つぶしにスマートフォンで音楽を聴く。
恋愛の歌なんて普段は聴かないが、好きなバンドが歌ってるから聴いてみると、案外いいものだと最近気づいた。
タイトルはなんだったか。
……わかんねえや。
スマートフォンを取り出し、タイトルを確認しようとした俺の右腕が不意に後ろから掴まれた。
驚きで振り返ると、
「先輩遅いですよー」
頬をプクーと膨らませながら、一色は言う。あれおかしいな。今九時半くらいなのになんで一色は『遅い』なんて言ってくるんだろう? 約束の時間間違えたかな? 実は俺まだ夢の中なのかな?
一色は白のコート、チェックのミニスカートから覗く脚は黒タイツに包まれていた。何となくだが、一色ってこんな格好するんだって思ってしまった。
っていうか。
「お前来るの早くねーか?」
「そんなことないですよー」
「そうか?」
「そうです」
ここまで強く肯定されたらなにも言い返せない。常に一人である俺のコミュ力はそんなに高くない。ウェイウェイと騒いでいる戸部あたりならここからさらに話を膨らませることが出来るかもしれないが、俺には無理だ。ぼっちにコミュ力求めんなよ。
さて、これからどうするか。
こういうのは男から行動するものだとドラマや漫画では言われる。よし、俺も参考にしてみよう。
「で、どこ行くんだ? コンビニ?」
「真っ先にコンビニが出てくる先輩の頭はどうなってるんですかー?」
参考にした結果すげー馬鹿にされた。
八幡すごい悲しい。
「どうって言われても」
「こういう時は男がリードするもんですよー」
あれ、俺リード出来てないの?
「お前から誘っといて俺がリードすんのかよ」
俺の横に並び、歩きだす一色の後を少し遅れて追う。
プランが壊れた。さて、どうしようか。女の子と遊ぶなんて経験があんまり……というかほとんどないから、どこに行けば喜ばれ、どこに行ったら引かれるのかが全く分からん。
仕方ない。ここは知り合いの女の子から行動を考えよう。
まず雪ノ下ならどうするか。雪ノ下は確か猫が好きだから猫カフェ行ってパンさん観に行って……あれ、俺あいつが他に何が好きなのかこれ以上知らねーや。
次は由比ヶ浜。あいつはゲーセンとかカラオケとかボーリングとか行ったら喜ぶから今は違うな。
平塚先生はラーメンか……よし次。
……あれ? 俺女子の知り合い少なくない?
そうだ戸塚を忘れていた。戸塚なら……テニスしか分かんねえ……。
「せんぱーい、無視ですかー?」
「え、あぁ……悪い。考えごとしてたわ」
「しっかりしてくださいよー。こんな可愛い後輩と一緒に遊んでるんですから」
「あぁ、そうだな。可愛いかどうかは横に置いといてな」
「先輩ノリ悪い」
「悪いか?」
「悪いですよ。そこは「そうだね、いろはは世界一かわいいよ」とか言うところですよー」
「そんなこと平気で言えんのは葉山みたいな奴だけだ。俺が言っても気持ち悪いだけだろう」
「それもそうですね〜」
このクソガキ……むかつく。
「あ! あそこ入りましょーよ!」
そう言って一色が指差したのは小さな雑貨店。あんな所になにがあるんだよ。入る意味ねえよ。
っと言おうとした時にはすでに一色が動き出していた。一色は止まらない。俺の腕をグイグイ引っ張り雑貨店に向かっていく。俺の動きがあまりに遅い為か、一色は腕を離してくれた。だが休息も束の間で、今度は俺のマフラーを掴み、強引に引っ張りやがった。
「イテテテテ!?」
一色にマフラーを無理矢理引っ張られながら入った雑貨店は別にこれといって珍しいものを売っているわけじゃなく、普通の雑貨店だった。
崩れたマフラーを正し、流れる音楽を聞きながら一色を眺める。
真剣な表情で謎のストラップ? らしき物を吟味している。そういや由比ヶ浜もトラックのストラップ付けてたな。女子はこういう変なストラップが好きなのだろうか。今度小町にたわしのストラップでもプレゼントしてみよう。
俺は俺で近くに置いてあったマグカップを手に取る。……猫か。雪ノ下が喜びそうだな。マグカップを戻す。
ちらほらと辺りを見渡す。
ごくたまに見たこともない商品もあったがそれ以外はやはり普通の雑貨店だ。
周りに俺たち以外の客はいなく、店員も暇そうに欠伸を噛み殺している。
「なに見てるんだ?」
一色に話しかけたら肩を大きくビクっと震わせた。
「うわ、なんだ先輩か。脅かさないでくださいよー」
「いや、どこにも驚く要素ないだろ」
「それでも急に先輩の顔なんか見たらびっくりしますよー」
「ナチュナルに俺の悪口言うのやめようね? 俺の顔が悪いみたいになってるからね?」
「なに言ってるんですかねーこの先輩は」
やれやれと手を広げて言う一色。
こいつ、あざといだけだと思ってたけど、案外腹黒いだけかも。
「わたし、これ買ってきます」
変なストラップを二つ持っていく。
……二つ? 同じストラップを? まぁ良いか。
戻ってきた一色は早速ストラップを携帯に付けた。もう一つは鞄の中にしまう。くるりと一回転して一色は俺は言う。
「次行きましょうか。先輩」
「あぁ」
雑貨店を出て、ふらふらと歩く。寒さに耐えかねたカップル達は腕に抱きつきながら歩いているのが見えた。あれって実際歩きにくいのだろうか。羨ましいというよりはなんだろうな。面倒臭そうだ。取り敢えずリア充死ね。
「で、次どこ行くんだ?」
「え、もう人任せですか? まぁいいですけど……」
口を尖らせる一色。反応からして全然納得してないよね?
再び駅前に戻ってきた俺たちは歓楽街へと続く長い通りを歩く。
この辺りは飲食店や娯楽施設、商業施設が立ち並ぶ千葉のメインストリートだ。休日ともなれば多くの人が行き交う。まあその半分くらいはカップルやリア充共なんだか。
歩き慣れた道の筈なのに、一色が隣にいるだけでどこか違う場所のように見えた。
***
どれだけ歩いても人混みはなくならない。俺たちの間に会話はなく、ただ時間だけが漠然と過ぎていく。
これからどうするんだろう。昼にはまだ早過ぎる。てか腹減ってねえ。
「先輩って普段はどこに行くんですかー?」
隣を歩いていた一色が不意に聞いてきた。
俺が普段行くところ?
さあどこだろう。あまり家から出ないからな俺。図書館? 書店? それ以外ではサイゼ? 基本一人でも行けるとこ以外は行かないな。たまに小町にカラオケやゲーセン連れて行かれるくらいか。
「基本家に居るぞ俺」
「え、引きこもり?」
こらこらいろはす。真面目な声音でそんなこと言うな。みんなに誤解されるだろ?
「違うから。変な勘違いしないでくれる?」
にしし、と笑う一色。何が楽しいんだこいつは。生徒会の仕事で頭がおかしくなったか。いや、頭がおかしいのは元々か。
不意に立ち止まった一色は、体を右斜めーーーつまり俺がいる方向に前のめりに少したおして、俺の方を上目遣いで見てきた。だから、あざといっての。
「じゃあ、わたしが普段どこに行くかーーー分かりますか?」
魔性の笑みを浮かべ一色は問う。
口元に微笑み。目元に色気を纏った一色に一瞬だけ見惚れて目をそらす。反則だろ。なんなの? 俺のこと好きなの? 勘違いしちゃうよ? 俺以外の奴らなら。
「カラオケ……とかか?」
一色はその笑顔のまま答える。
「そうですね、カラオケにも行きます。他には?」
え? まだ続くの?
他には。
「ボーリング?」
「やりなおし」
え、なんで?
こいつは何を期待してんだ。
「……ダーツ……か?」
「行きません」
行かねえのかよ。
「正解は……」
一色は口元に人差し指を立てて、
「秘密です♪」
優しく一色は笑う。
やべえ、何だが可愛く見えてきた。
不思議だ。これも一色の計算のうちなのか? 一色いろは、恐ろしい子……!! これが本当に計算なら俺は世の中の女のほとんどが信じられなくなるぞ。それ程に今の一色は可愛く見えた。本当に危ない子だ。今のは俺以外なら恋に落ちていた。実際俺も今のはやばかった。本当にやばかった。
ぐい、と一色は状態を戻すと、二歩前へ歩き、そのままくるりと右回転。
揺れる髪の毛。爽やかな柑橘系の香り。無駄に眩しい笑顔。
「さて、じゃあ行きましょうか。先輩?」
そう言って、一色は右手を差し出す。
俺はその手をスルーして一色の横に並び歩き出した。
抗議の声を上げる一色。
残念ながらお前の意見も行動も全部却下だ。
そうしないと俺の方がおかしくなるから。
***
歩き慣れたいつもの道の筈なのに、一色が一緒なだけでどうも勝手が違う。二人で遊びに行ったのなら……間違えた。出掛けたのなら、並んで歩くのが自然なのだろうが俺の歩幅が大きいせいか、意識しないと一色を置いていきそうになってしまう。浅く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。普段の歩調よりも緩やかに歩く。
隣でかつかつヒールを鳴らして歩いている一色の顔はどこか嬉しそうに見える。俺の見間違いかもしれないが時々何かを思い出しては微笑んでいるような……そんな感じだった。
悔しいが普通に可愛い。
そうだよな。こうやって普通にやってる方が可愛いのに、なんであんなことしてるんだろうな。
すれ違う人を避けながら進んでいくと信号にひっかかった。
吹き荒ぶ風に一色の髪が激しく揺れる。髪を片手で押さえる。ついでに俺のマフラーも激しく揺れる。
突っ立てるだけじゃクソ寒いな。
視線を右下に落として一色に話しかける。
「で、次はどこに行くんだ?」
「うーん」と悩む一色の方を見るとつややかな唇に指を当てながら考えていた。
悩んでる一色の視線を目で追うと空に繋がった。お前どこ見てるの? 別にいいけど。
「先輩」
トントンと背中を突いてくる一色。
また視線を右下に落とす。
一色は目線だけを俺に向けて言う。
「本当は普段どこに行くんですか?」
ここでまた「家」って言ったら目線だけで殺させそうなので真面目に答える事にした。
「そうだな」
顎に手を考える。
……。
「図書館とか書店だな、たまに古本屋にも行く」
「見事に本関連ばっかですねー」
「本……本かー……」と悩む一色。しばしの間の沈黙。
信号が青に変わる、再び群衆が歩き出す、俺たちも続いて歩き出す。
隣にいるのに、何故かマフラーを引っ張っり、近くに引き寄せて一色は言う。
「じゃあ今度わたしにオススメの小説教えてくださいね♡」
耳元で囁かれる甘い声に、反射的に体を引いてしまった。
一色の顔を見ると、きゃるんとウィンクしていた。
別に可愛くないぞ。可愛くないからね。本当だぞ。
動揺する心を隠すために、わざと距離を置いて答える。
「……じゃあ、今度メール送るわ」
俺を逃さないためか、一色は一気に距離を詰め、俺のジャケットの裾を握る。
「今度じゃくて今日教えてください」
一瞬の間。
一色は変わらず俺を見つめてる。
こんな人混みで立ち止まって何してんだ俺。
歩きながら、俺は返事を返す。
「……なんで?」
「なんでって……先輩絶対にメールしないですよね?」
いやだなー。そんなことないですよー。
「いや決めつけんなよ」
「いーえ、先輩は絶対に送らないです。わたしには分かるんですから」
「……」
「でも、」
隣で空を眺めていた一色がこちらを向きながら、
「そういう知的なのが好きっていうのは少し意外でした。先輩ってもしかして意識高い系ですか?」
「違う。断じて違う」
「じゃあアレですか。わたしの前だからいい格好しようとしてるんですか?」
「なんでそうなるんだよ。俺は単純に本が好きなんだよ。読書家なんだよ」
「読書家……似合わないですねー。先輩はもっとジャンクな方向でお願いします」
と、丁寧に頭を下げる一色。
ほーん、この小娘……。さては俺のことを成績が悪いくせに考えだけは一人前だとか思ってるんじゃないだろうな。成績的には俺だって結構知的派なんですよいろはす?
互いに適当なことを言い合っているとまた信号にひっかかった。
「とりあえず……今日帰る前に何冊か教えてくださいね」
「……分かった。考えとく」
「はい。考えてください」
それからまたしばらくの間ぶらぶら歩いていたが、一色が映画を観に行きたいと言ってきたので、現在映画館にいます。
休日だけあって映画館も大盛況なご様子。
あちらこちらで子供達が走り回り、親を困らせている。
上映予定と空席状況を眺めていると、一枚のポスターに視線が止まった。それは漫画が原作の映画で、実写化不可能と言われていた映画の一つだ。
確か二年くらい前に一作目が公開されて、俳優たちの完成度の高さ、高速アクションの凄さ、もともとの知名度もかなりあったので売り上げは恐ろしいことになった。
『最強の敵、現る』という煽りと背中合わせの主人公とライバル、二人の伸ばした剣先が交差するポーズが非常にかっこよく見える。
どうやら俺の心はまだ童心のようだ。
DVDが出たら借りよう。
ふらふらしていた一色もあるポスターの前で止まっていた。そこにはアカデミー賞ノミネートとデカデカと煽りが付けられている。
ほーん。一色はこういう映画が好きなのか。
……三部作なのか。なんでハリウッドって映画にこんな大金かけれるんだろうな。しかも何十億、何百億って金かけてしっかり回収してるんだから余計にすごい。回収出来てないのもあるけど。
ポスターを凝視してる一色に話しかける。
「それ見たいのか」
「そうですねー」
声音は少し暗い。
「でも一つ問題が」
そう言って一色の伸ばした指を追うと上映予定と座席状況があった。
なるほど。空いてる席は確かにあるが、かなり遅めの上映になってしまう。八時公開、一◯時半終了はさすがにしんどすぎる。
「どうする?」 と一色に視線だけで尋ねる。
「残念ですが映画はまた今度にしましょうか」
「そうか」
はあ……と少し悲しそうにため息を吐く一色。
両手を後ろに組み、一色は俺の方を見やる。
「また考えなおしですねー」
声音は変わらず暗い。
本当に見たかったんだな。
「先輩はなにか観たいものありましたか?」
「俺も似たようなもんだな」
そう言って、今度は俺が上映予定と座席表を指差す。一色の見たかった映画と似たような状況だ。まあ観る気はないんだけど。
一色はキョロキョロと辺りを見渡す。
「確かこのへんに……」って言いながら、歩く一色。と、その視線が一点で止まった。
立ち止まった一色の後ろに並び、俺もそれを見ると、ボウリングとテニス、ついでに卓球がどうのこうのっていう文字が躍っていた。一時間三◯◯円で遊び放題か。それって安いのかな?
俺が考え込んでいると、一色がくるっと俺の方をを振り返る。
「先輩。テニスやりましょう」
テニスか。
別に悪くない選択だな。寒いことを除いて。でもまあ……運動してたら暑くなるか。
でもここで一つまた問題が起こる。俺はその問題点を見つめながら言う。
「別にいいけど、その靴じゃ厳しくねえか?」
俺の発言に、一色は数秒間目をぱちくりさせてから、自分の足元をしげしげと眺め、今度はその視線のまま俺の方を見る。
驚いたような戸惑ったような表情でほけーと口を開けている姿は、普段のあざとさなど皆無で、改めて一色が年下の女の子であることを思い出させる。
「……な……なに……?」
「いえ、以外に……ちゃんと見てるんだと思いまして……」
「普段と目線の高さ違うんだからそれくらい見てなくても分かるだろ」
言うと、一色はニヤっと笑いながら、俺に一歩近づく。近づかれた分一歩離れようとすると問答無用の左手が俺のマフラーを掴み、強引に引っ張る。ぶつかりそうな体を必死にこらえて、前に倒れないように踏みとどまる。
こいつ……痛いじゃねえか。いや、それより近い。離れろ。
一色はマフラーを手放すと、また体を近づける。
体が触れそうになるので、ちょっと体をのけぞらす。
その行動を見て、またいたずらな笑みを浮かべる一色。
「ほんとですね。いつもより近いです」
視線を逸らす。
近いよいろはす。
怖いよいろはす。
言葉に詰まっていると、「ママ〜、あの人たち何してるの?」「こら、見ちゃいけません!」という会話が聞こえてきて、一色の顔がみるみるうちに赤くなる。なんだお前可愛いな。理性を取り戻すと一色は二歩離れる。
「ま、まぁ靴は借りればいいでしゅ……いいです!」
噛んで言い直した。なんだお前やっぱり可愛いな。
目的の場所へ向かう一色の後を俺は追う。
テニスか。この寒空の下でやるのは少し嫌だが、可愛い後輩のためだ。せいぜい頑張るとしよう。
***
一色が映画を観たいと言ってきたから、映画に行くことになったのだが、俺たちが見たい映画の上映予定がかみ合わなかったので止めた。そしたら一色があるポスターの前でテニスをしようとか言い出したので、今はテニスコートにいる。何故か俺が六◯◯円消費して……。まあ良いけど。
ブーツから運動靴に履き替えた一色がラケットを適当に振っていた。
しばらく一色の行動を眺めていると、真剣な表情に変化した一色が現れた。
ちなみにもう三◯分程テニスをしてるが、ようやく一色が真面目になったようだ。
それを見て俺はボールを数回バウンドさせ、空高くボールを放り投げる。華麗に上空へ放られたボールは数センチの誤差もなく、俺が打ちやすい所へ真っ直ぐ落ちてきた。
全身のバネを使い、右腕を振り被る。
戸塚に褒められた俺の美しいフォームから放たれたサーブは一色が反応出来ない程に速かった。いや、これでもかなり手加減したんだけど、まさか反応出来ないとは思わなかったし……っていうか一色さん? 貴女動く気すらないよね? だってさっきからサーブの時とボール拾いに行く時しか動いてないもん。
トテトテと歩き、ボールを拾ってまたトテトテと歩く一色。一回二回とボールを地面に叩きつけると、一色は高くボールを放り投げた。
経験者のそれと遜色がない程に一色の動作はスムーズだった。
「ーーーてやあ」
気が抜けそうな掛け声が俺の耳に届いた。目を瞑りながら放たれたサーブはコート外に飛んでいった。
俺がしばらくボールを眺めていると、ギシギシという音が聞こえた。振り返ると、一色は数回パチパチと瞬きし、テニスラケットのガット部分に触れ、にぎにぎと指を動かす。
いや違うから。ラケット悪くないから。悪いのはお前のサーブだから。
「おかしいですねー」
「おかしくねえよ。お前なんでサーブ打つ時目瞑ってんの?」
「え、わたし目閉じてますか?」
「閉じてるよ。すげえ閉じてた」
「そんなジロジロと見て……いやらしい。通報しますよ」
「おかしいよね? 明らかに横暴だよね? 俺全然悪くないよね?」
そう確認するが、一色はプイッと顔をそらした。
……。
別に試合をしているわけじゃないので、ポイントとかは数えていない。ただの遊びだし。というよりは一色がルールを知らなかった。説明するのも面倒くさいし、ミスったり、点を決めたりしたら交代というルールにした。ルールは俺。異論は認めん。
再び俺の元へ戻ってきたボールを三回地面に叩きつける。まぁ、相手は女だし、多少手加減しないとフェアじゃないだろ。
「っふ!」
ワンバウンド。
ボールをそのままコート外へかと思ったが、一色が既に先回りしていた。
……え?
「てや!」
「なに!?」
一色は流れる動作で俺のサーブをあっさり返しやがった。おかしい。確かに一色が反応出来るようにさっきよりも弱く打ったが、今のは間違いなく経験者じゃないと返せない位難しいところに打ったはずだ。だが一色は難なく返した。導き出される答えは一つしかない。
こいつ。
「お前経験者か」
「いつ経験者じゃないって言いましたかー?」
ニヤニヤ笑う一色。
ほう、お前がそんなダーティープレイをするなら仕方ない。俺の方もそれ相応のダーティーで返すしかないな。
ボールを一色に渡す。
「ところで先輩」
「あ?」
「雪ノ下先輩と結衣先輩どっちか好きなんですかー?」
「なっ!?」
「もらったー!!」
いつの間にか手から離れていたボールを思い切り打つ一色。
動揺を誘ったつもりらしいが残念だったな。
俺にそんなモノはきかん。
「あめーよ」
左方向へーーーつまり一色とは反対側へ打ち返す。
「なにー!?」
二回連続のダーティープレイだ。
「お前がそんなプレイをするなら、俺も仕返さないとな」
「お、大人気ないですよ先輩!」
「お前がいうな」
とは言え、確かにそうだな。よく見たら一色はミニスカートだ。あまり強く打ち返すのは控えた方が良いだろう。
空高くボールを放り、重力に従い落ちてきたところを俺は打ったーーーが、やはり一色は先回りして打ち返してくる。
俺も応戦、ラリーが続く。
見れば、真剣な表情の一色がいた。
俺がコーナーへ打ち返すと、先回りした一色がそれを両手で強く打ち返す。
ワンバウンド。また打ち返す。
見上げるとニヤッと笑った一色の顔が視界に入った。一色は下から優しくボールを叩く。気づけば俺は全力疾走していた。ボレーとかできんのかよ。打ち上げてしまったボールを一色が全力で打ち返す。
ちょっ、おま。
体勢を立て直し、なんとか追いついたが、ボールはラケットの下を潜り抜け、柵にぶつかる。
スマッシュまで打てんのかよ。マジの経験者じゃねえか。
げど、
「やったー!!」
そんな喜ばれたたら、何も言い返せない。
休憩中
「先輩ってテニスやってたんですか?」
汗をタオルで拭きながら、一色は俺に問いかけてきた。
「いや、体育の授業でやっただけ」
「そのわりには先輩テニス上手いですね」
「その割は余計だ」
肩で息をする二人。真冬なのに、体は熱い。
全力でやってしまった。くそ、これ明日筋肉痛だな。
つうか腹減ったな。
買ってきたスポーツドリングを一色に手渡す。
小さく頭を下げる一色。
運動するのは嫌いだけど、運動した後に飲む水ってすごい美味く感じるよね。今飲んでるのスポーツドリンクだけど。
……。
正直に言えば、まだ少し戸惑っている自分がいる。
誰かと遊ぶ……という行為が随分久しぶりだからか、隣の一色に違和感しか感じない。
雪ノ下と一緒に買いに行った由比ヶ浜へのプレゼント選びは遊びじゃなかった。
「もしもし先輩? 聞いてますか?」
「わり。聞いてなかった」
「またですか。しっかりしてくださいよー」
「ああ。そうだな」
なんで、こんなにこいつのこと気にしてんだ……俺は。
***
これは女の勘だ。
兄、比企谷八幡が休日に、しかもそれなりの格好をして出て行った。これは女以外に考えられない。
比企谷小町は熱いお茶をすすりながらそう思っていた。
だが、あの鈍感ゴミィちゃんが一体どんなリードをしているのか。気になる。そもそも誰と出かけたのだろう? 雪ノ下雪乃だろうか、由比ヶ浜結衣だろうか、大穴で雪ノ下姉、川崎だろうか。それとも小町がまだ知らない女だろうか。
気になる。
気になって仕方がない。受験勉強もはかどらない。これではまずい。よって、小町は一つの決断を下す。
今まで閉じていた小町の瞳が大きくカッ! と見開かれた。
ニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべながら、小町は携帯で複数人にメールを送る。
比企谷小町、一五歳にして初めて冴え渡る女の勘。
ーーーただし、
『今、兄と一緒ですか?』
ーーー大はずれ。
***
結論を言おう。
何故か負けた。おかしいな。試合はしてなかったはずなのに何故か負けてしまった。気づいたら一色がマッチポイントになってた。
謎だ。本当に謎だ。謎が謎を呼ぶ。真実はいつも一つじゃない。名探偵は嘘つきだ。
俺が必死に考えているのに、一色は横で大きく伸びをしていた。
ふぅ、と短く息を吐くと、
「運動したからお腹空きましたね、先輩」
と俺を見上げながら言ってきた。
だから近い。あとなんだその笑顔は。奢れってことか?
奢るのは構わないが高いのは無理だぞ。コンビニのおにぎりくらいなら奢ってやる。
「そうだな。なんか食いたいモンあるか」
「え? わたしが決めて良いんですか?」
キラキラと目を輝かせる一色。
あ、やばい。
「ごめん、やっぱ前言撤回するわ。ラーメンか牛丼で良いか?」
「……なんでそーなるんですか?」
ゴミを見るような目で言う一色。やめて、その目は。過去のトラウマが蘇っちゃうだろ。
「いや、なんか高いモン奢らされると思ったから」
はー、と腰に手を当て深くため息を吐く一色。なんだよ、一々ムカつくなお前。十分近いのに、さらにグイッと身体を近付ける一色。だから近いって。離れろ。
「せんぱーい、そこはお金がなくても可愛い後輩に選ばせるべきですよー? お金がないならわたしだってそれなりのところ選びますよー」
「……そうか。じゃあ何食べたい?」
「……うーん……なんでもいいですよー?」
結局何でもいいのかよ。その回答が一番困るんだよな。俺の好みに合わせても合わねーだろーし、かといってラーメン屋連れて行っても引かれるかもしんねーし、つーかラーメン屋連れて行って喜んでくれるのは平塚先生位だし……。
……女子を連れて行って引かれない所。ファミレスぐらいしかないよな。
っていうか女子って何が好きなの? パスタ? アボカド? フランス料理? 全然分かんねえよ。
俺が考え込んでいると、不意に袖が引っ張られた。
振り返ると、
「真剣に考えてるところ悪いですけど、本当になんでも良いですよ?」
「……本当に?」
「はい」
「サイゼでも?」
「かまいませんよ?」
「じゃあサイゼで良いか?」
「はい」
なにこの子、こんな自己主張しない子だったっけ? 今までの一色なら……っていうか俺最近の一色しか知らないじゃん。
俺から少し距離をとった一色が、
「でも、」
目の前でくるんと右回転し、上半身を少し倒し、上目遣いで俺を見ながら、
「美味しいご飯に詳しいと女子のポイントは高いですよ。覚えといても損はないんじゃないですか。先輩?」
「……そうだな。覚えとくわ」
あぁ、やっぱり……ーーー。
「はい、覚えて下さい。それで次は美味しいご飯に連れて行って下さいね。先輩」
「……あぁ」
ーーー笑顔が眩しい。
***
サイゼで昼食を終え、今は本屋にいる。
おすすめの本を一色に紹介するためだけに来ました。はい。
「お前普段なに読んでるの?」
「わたしあんまり小説読みません。漫画なら結構読むんですけどねー」
「お、おう。そうか」
読まねえのか。
ということは初心者ってことで良いのか。初心者。初心者か。
そうなると案外純文学や一般文芸なんかよりラノベの方が読みやすいかも。
一色を連れてラノベ売り場へ向かう。
「……漫画?」
「これもちゃんとした小説だよ」
「でも表紙が」
「まあ言いたいことは大体わかる」
やはり、女の子の一色には少しハードルが高いか。
トテトテと歩き、いろいろ吟味する一色。足音がすれば少し周りを見渡す。やっぱり気になるか。
そう思って助け舟を出そうと思ったところで、一色の手が一冊の小説を持ち上げた。
隣に並んで見ると、それは恋愛系のラノベだった。
これは俺も読んでないから面白いのかどうかわかんねえな。
パラパラと捲り、中身を確認する一色。
「それ、気になるのか?」
「……少しだけ」
同じのを見ると、小説の上に『期待の新人現る!!』とデカデカと宣伝されていた。ああ、新人のか。ついでだから俺も一冊手に取り、眺める。
……。
『貴女を愛したことを後悔しません』
表紙を開き、一番最初にその文が飛び込んできた。
……俺もこれ買おうかな。
「一色」
「はい?」
「俺これ買うわ」
「え、面白いんですか?」
「いや、わかんね」
「……じゃあわたしもこれにします」
「そうか」
レジに向けて、俺たちは歩く。
会話はなく、歩調は同じ。
歩くたびに揺れる腕。
指先が軽く触れ合う。
……。
このまま、時間が止まればいいのにって思うのは、我儘なのかな。
***
黄昏。
日が沈みかけていても、千葉駅前は人で活気付いている。駅に向かう人。今まさに駅からやってきた人。人の流れが交差していく。街並みはすっかり夜の顔になっていた。ここからは家族や二○歳以上の時間になる。家族で夕食を食べに。友達と酒を交わしに。色んな人達がこの夜の街を闊歩している。
俺たち二○歳未満の時間は終わりを告げた。
くぁっ、と欠伸が漏れる一色。疲れたのか。まあ朝の一○時からいろいろ回って、テニスやって、飯食って、また回ってって大忙しだったしな。実際俺も疲れた。
歩く速度も遅くなっている一色に合わせる。
「今日はどうでしたか先輩?」
「疲れた」
「疲れたって正直過ぎますよ先輩」
「まぁ……楽しかった……かな」
「そうですね。私も今日は普段とは違って楽しかったです」
「どういう意味で違うのかあんまり聞きたくねえな」
「いえいえ、本当に楽しかったですよ! 幾つかマイナスポイントはありますが」
軽いフォローを入れてくれる一色。……フォローなのか?
話しているうちにだんだん駅が近づいてきた。
俺たちの歩く速度は変わらなかった。恋人たちのように、別れるのが嫌だとか、俺にはそんな感情は一切なかった。
でも、あの時間を楽しんでいたのは確かだ。
今日一色と遊んでわかったことがある。
俺が思っている以上に一色いろはは素敵な女の子だった。
俺が接しやすいように、少し隙を作り、俺がわからない時は軽く向こうからリードしてくれる。
だから、正直に言えば今日一日遊んでみて一色の印象というのは俺の中で確かな変化を起こしていた。
生徒会長就任後と前では明らかな変化だった。
改札口の前で、一色がくるりと右回転する。
「それじゃあ、今日はありがとうございました。お疲れ様です」
「ああ。気をつけろよ」
別れの挨拶を交わすと、一色はニッと笑い、俺に近づいてきた。
なんだよ? なんかついてるか?
「……ッ!?」
信じられない光景に目を見開いてしまった。
最後に、耳に残った一色の甘い声。
その声が俺の中で何度も往復する。
今度こそ、一色は改札口の向こう側へ消えていく。
放心している俺は、周りの人達からしたら邪魔だっただろう。
ーーーわたし、本気で先輩のこと落としにいきますねーーー。
了
***
あの時の光景を何度も夢見る。
一色いろはの柔らかい唇が俺の頬に触れたあの時の光景。
耳に残った一色の甘い声。
全てが、俺をおかしくした。
視界に映るのは、いつもと変わらない光景。そこに浮かぶあの時の情景。
初めてだった。
初めて、本気で動揺させられた。
雪ノ下や由比ヶ浜とは違う明らかな動揺。頬にキスされただけで、俺の心は確かに揺れている。
駄目だ。元に戻せ。軌道を、方向を修正しろ。さもなくばーーー。
本を読んでいると、すっかり日は暮れていた。
窓の外では茜色に染められた空が見える。
辺りを見渡し、読みかけの本に視線を落とす。三分のニ程読み進められた小説。物語も佳境を迎え、非常に盛り上がっている。正直に言えばこのまま最後まで一気に読んでしまいたい。
だが、今は年末の大掃除中。
俺は寝転んでいたベッドから立ち上がると、テーブルの上に置いていた栞を挟んでベットに投げ、また大掃除の続きを再開する。
危ないところだった。今のがシリーズ物だったら勢いに任せて全巻読破していた。大掃除中で本当に良かった。
でもなー、もう夕方なんだよなー。別に掃除しなくても良いよね?
そう思い、再び辺りを見渡す。部屋には散乱した本の山、中途半端に整頓された机の上。ベッドに投げ捨てられた服。
……うん。これ終われないね。
少なくても本棚と机の整理だけでもしないと駄目だ。
億劫だが、俺は大掃除を再開した。
ふと、小説のタイトルを見て、掃除の手をまた止めてしまった。
俺は無意識にその本を手に取りまたパラパラとページを捲る。
『恥の多い生涯を送ってきました』
その一文に思わず目を留めた。
留めた理由は不明。
理解する必要は不要。
……。
俺は捲るページの手を止め、小説を閉じ、改めてタイトルを確認する。
『人間失格』
ベットから立ち上がり、小説を本棚に戻す。
いかん。また読んでいた。
それから色々あり、一時間くらいで本棚と机の大掃除は終わった。
意気揚々と俺はリビングへ向かう。
今年も残すところ、あと数日。
リビングには誰も居ず、冷え冷えとした空気が広がっていた。暖房の電源を入れ、冷蔵庫から麦茶を取り出し、一気に飲み干す。
乾ききった喉を麗し、俺はソファーに倒れこむ。
冬休みになり、いつもよりも怠惰になった俺は、テーブルの上に置かれていたスマートフォンを手に取る。画面の下に付いている丸いボタンを押し、画面を起動させる。
お気に入り登録してある音楽系のサイトを開き、一ヶ月前から発信されていた情報を確認する。俺の好きなバンドが最新アルバムを引っさげで海外から帰ってくるらしい。
このバンドは最近海外に力を入れていて、歌も全部英語でやっている。今年は六月〜八月まで『ワープド・ツアー』、その後海外フェスを周り、今に至る。
最新アルバムの名前は『Be_the_light』。意味は『その光になれ』であってるはずだ。
二年ぶりのアルバム発売だからか、俺も少し心が躍っていた。
俺が嬉しさという名の感動に浸っていると不意にスマートフォンが機械的な音を鳴らし始めた。
画面に映った文字は一色いろは。
明らかに俺の心臓が強く鼓動していた。
馬鹿馬鹿しい。何を意識してんだ俺は。
頭を二、三回振り、邪念を振り払い、俺は電話に出る。
『あ、先輩!』
「なに? 用がないなら切るぞ」
『ちょ! 待って下さい!! 用ならありますから!!』
「……なんの用だよ」
『先輩、初詣って誰と行くんですか?』
「まだ決まってねえけど」
つうか決まるのかな?
俺的には戸塚と行きたい。戸塚さえいれば何もいらない。これ世界の常識。
『じゃあわたしと行きましょうよ!』
「は?」
『嫌ですか? まあ、行くのはもう決定してますけど』
「なんで決定してんだよ。俺の意見どこいった」
『まあまあいいじゃないですか』
なにがいいんだ一体。
『じゃあ、そういうことでよろしくです』
その言葉を最後に、一色の電話は切れてしまった。
あれ? 俺の意見はどこいった?
スマートフォンを投げる。
だらけきった体が重たい。いや、これはだらけからきた重さじゃない。きっと、一色の約束のせいだろう。まあ俺は行くとは一言も言ってないんだが。
……。
まだ、動揺している。
俺の心は確かに動揺している。
当たり前の日常が音を立てて崩れてかけて、あの二人に心をさらけ出してなんとか固め、再び送れるようになった当たり前の日常は、少しおかしな形で、また崩れだした。
一色いろは。
あいつとデー……遊んで、その別れ際に行われた行為が俺の心に深く食い込んでいるんだ。
やはり、手遅れになる前に修正しなければいけない。
しかし、あの時間を楽しんでいたのは事実。
「……どうすりゃいいんだよ……」
一人呟いた言葉は誰にも届く事なく、空気に消えた。
***
「いろはー」
「なーにお母さん」
「なにかいい事あった?」
「え!?」
「あったのね」
勘の鋭いお母さんはわたしの心を一瞬で見抜き、ニヤニヤと笑いながら夕食の準備を進めていた。
「別になにもないよ」
「いいじゃない。否定しなくても。ママは嬉しいよ。パパは知らないけど」
その言葉にわたしは少しだけ笑う。お父さんのことはあながち間違ってないからなんとも言えない。
「それで、その比企谷くんとはどこまでいったの?」
麦茶を飲みながら、お母さんが訪ねてくる。あ、これはもう完全にスイッチ入っちゃってる。
「だから違うってば」
「そう言いながらも顔は正直なのよね」
「え!?」
思わず両手で顔を抑える。
「さっきからずっとスマホ見てニヤニヤしてる」
顔がどんどん熱くなる。
やばい、恥ずかしい。
お母さんはまだ笑ってる。
「……」
「いろは」
「……なに」
「ママはちゃんと応援してるからね」
「……うん。ありがと」
二時間後。
お父さんがちゃんと定時に仕事が終わり帰ってきて、数日ぶりに家族三人で晩御飯を食べる事になった。
テーブルの上に無造作に置かれたお父さんのタバコを隅っこに置き、夕食の準備を進める。二人分のお茶を用意する。一つだけ空なのは、お父さんはビールを飲むから。
本日の夕食。
肉じゃが、わかめの味噌汁、ポテトサラダ。
本日のおつまみ。
ししゃも、冷奴。
よくわからない組み合わせ。豆腐っておつまみなの? まあいいや。
『いただきます』
そう言ってご飯を食べる。
いつも通り、味噌汁を一口。
うん。おいしい。
お父さんのグラスにはビールが注がれていく。わたしが見ているとお父さんが「飲んでみるか?」と進めてきた。直後に真横からお母さんの制裁。いつも通りの時間に、いつも通り美味しいご飯、いつも通り楽しい団欒。こうやってみればわたしは案外幸せなんだなと当たり前のことを考えてしまう。
肉じゃがを食べる。うん。やっぱりお母さんのご飯が世界で一番おいしいや。
一色家。食事中ーーー。
「いろは」
ビールを飲みながら、お父さんが声をかけてきた。
「なに?」
「学校、楽しいか?」
「……うん。楽しいよ」
「そうか」
「……」
「生徒会長、頑張れよ」
「うん、がんばるよ。ありがと」
「……」
注がれたビールを一気に飲み干すお父さん。見掛けによらずダイナミック。心なしかお父さんの顔がいつもより優しくみえた。
わたし、この家に、この町に生まれてよかったな。だって毎日が楽しいから。この町にはわたしの好きな友達がいるから。好きな人もこの町にいる。これ以上望むものはなにもない。それほどまでに、わたしの日常は満たされていた。
本当に毎日が楽しい。
当たり前がこんなに嬉しいのって、幸せなんだね、お父さん。
そんな当たり前のことをつい考えてしまう。
自分は本当に恵まれている。
家族がいる。
親しい隣人がいる。
友達がいる。
優しい先輩がいる。
そして、好きな人がいる。
ああ、わたしは本当に幸せだ。
***
俺は自室で寝転びながらアルバムを眺めていた。
このバンドを好きになったのは確か三年くらい前だ。YouTubeで適当に音楽聴きながら受験勉強していた時だ。本当に適当に選んだ曲だった。そしてその曲に一目惚れした。手も止まっていた。スマートフォンの小さな画面を食い入るように観ていた。白黒の画面。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、と基本的な構成のバンド。歌詞は全部英語。当時の俺は必死になってネットで翻訳を探したものだ。今では探さなくてもすぐに出てくるからたった三年でえらく人気になったものだ。
翌日俺は財布片手に音楽ショップへ自転車を飛ばした。その曲が入っているアルバムを購入し、速攻で帰宅。何回聴いただろう。数えられないくらい、俺はそのアルバムを聴きこんだ。
大好きだ。本当に、大好きだ。
多分俺がこれ以上好きになるバンドは現れないだろうなあ。
二年間というのは正直言って長かった。
次のアルバムはいつ出るのだろう、と首を長くして待っていた。やしてようやくその願いが叶う。最新アルバムの発売日も決定した。年明け、一月九日。その日は朝一番で買いに行かなかければならない。
心が踊っている。
海外のライブ映像を、国内のライブをどれ程観たか。
正直に言って今回行われる大規模なアリーナツアーに俺は是が非でも参加したかった。
一人で行く。
その選択は悪くない。いや間違っていない。それこそが正解だ。
だが。
それなのに、俺はどうしてあいつをーーー一色いろはを誘いたいって考えているんだろう。
俺は毒されている。
修正しろ。方向を。これ以上なにも考えるな。
こんな想いは抱いたところでなんの意味もないだろう。そんなこと自分が一番よくわかっているはずだ。
それなのに。
「……、好きなのか……? 俺はあいつが」
そんな呟きは誰にも聞こえない。
誰にも答えはわからない。
俺自身さえもそれは否定しなければならない。
俺はーーー。
『お兄ちゃん!!』
「!?」
バタン!! とドアが勢いよく開かれる。
そこには世界一可愛い妹である小町が立っていた。
「ご飯できたよー!」
「おう。すぐ行くわ」
「うん!」
バタバタと駆けていく妹。
俺はアルバムをベットに置き、自室を出た。
焼きそばうまかった。
***
休みの日というのは、どうしても夜更かししてしまう。
それはもちろん俺も例外ではなく、連日のように朝方まで起きて、昼過ぎに起床。昼食という名の朝食を食べ、軽く受験勉強をして、買ってきた小説を読み漁る。
読んだ小説は全て面白かったが、その中でも特に面白かったのは、ライトノベルの作品だった。ひたすら隠され続けた複数の重大な伏線が一気に回収された。巻数にして二〇巻。一巻から丁寧に紡がれた物語がいよいよ終わるのだと、嫌でも思われた。俺が初めて買ったライトノベルがもうすぐ終わる。それは嬉しさもあれば、悲しさもあり、寂しさもあった。物語が終わってしまえば、続きはもう見れない。完結が待ち遠しいはずなのに、ハッピーエンドがもうすぐそこまで来てるのに、悲しかった。今までバラバラになっていた登場人物がこのたった一巻で総出演した。たった一人の強大な敵のためにだ。やはり、あと数巻で終わってしまうのだろう。
それが悲しい。
そんなセンチメンタルな年の瀬迫る本日12月30日。
俺のスマートフォンに一通のメールが届いていた。俺が好きなバンドの最新ニュースだ。最新アルバム発売まで二週間を切り、ようやく収録曲の題名が公開された。ここまで中身を隠し、焦らされたのは、初めてだと思う。
収録曲は全部で13曲。うち一曲は必ずインストが入る。
その曲名をまじまじと見つめる。
1 Be_TheLight-|introduction
2 Start_Again
3 Believe
4 We_Are
5 Purpose
6 Be_The_Light
7 With_Me
8 12/7/24
9 Voice
10 Pouring_Rain
11 Cry
12 Home
13 Throne
タイトルだけではどんな曲なのか想像もできないが、それでも俺の心は確かに踊っている。いよいよ発売が近づいてきたのだ。これを喜ばない筈がない。その喜びを誰かと分かち合いたいが、そんな友達俺にはいないので、一人でひっそり喜んでおこう。
……いや、あいつは出てこなくていい。
スマートフォンをベッドに置き、二年前に買ったアルバムを手に取り、ベッドに倒れる。赤が基調として使われたアルバム。確かこのアルバムから全部英語の歌詞になったと思う。
そのアーティスト以外にも大量のCDが俺の部屋にはある。基本は洋楽ばかりだが、ごく少数ながら、日本のアーティストもある。中には妹の小町に勧められて買ったアイドルのCDまである。思えば音楽にハマるきっかけを作ってくれたのは、このバンドだ。アニソンは好きだったが、今ではあまり聞かなくなった。このバンドに全て変えられた。嗜好も価値観も全て。次のアルバムにはアリーナツアーの抽選券が付いてくる。なんとしてもそのライブには行きたい。来年三年に進級する俺には受験が控えているが、一日くらい大丈夫だったろう。
一緒に行く相手はいない。
いや、そもそも誰かと一緒に行くつもりはない。
だが、誘いたいと思ってしまっている相手がいる。
瞼を閉じれば、そいつがその裏に焼き付いている。
アルバムを置き、スマートフォンを手に取り、ロックを解除し、一つのアドレス宛に文字を入力する。
……。
なに考えた俺……馬鹿馬鹿しい。
メールを排除し、スマートフォンをベッドに投げつけ、CDを棚に戻して俺は受験勉強を始めた。
***
少しだけ更新。
色々足していきます。
〜〜〜
ただいま。
恥ずかしながら帰ってきました。
時間はかかりますが、少しずつ更新していきます。
It_started_out_as_any_other_story
新たな物語が始まった
Never_tell_yourself
考えるなよ
You_should_be_someone_else
自分以外の誰かになろうだなんて
支援
バンドってワンオクのことかな?
期待!
こんにちは。とても面白かったです。次の作品も期待してます(*^ω^)
きたい
え?終わりですか?
これはなかなか……とてもいい。
ヒールのところのやり取り原作の丸パクリじゃないですかーやだー。
面白かったです!
次も期待してます。
ワープドツアーを知っているという事はキッズかメタラーですかね?
次が楽しみですな
いろはちゃんマジいろはちゃん
やっぱワンオクですかね?wherever you are かな?
それにしても続きが楽しみです!
面白い!
続きが楽しみです
続きが楽しみですなー
支援
待ってました...!!!
久しぶりに来たら更新日が2017年に
なってたので震えました笑
俺ガイルとワンオクどちらも
死ぬほど好きですし、作者さんの
SS自体もサイコーです。
気長に待ってます!!!
続き楽しみですー