私は、あの子が嫌いです。
完璧な女の子なんていなくて
優越があれば劣等があって。
一人の天才に苛まれる、一人の姉としての独白。毒吐く。
私は、あの子が嫌いです。
あの子の利発そうな目が嫌いです。自分の将来に対しての不安も、自分の存在に関する不信も持たず、綺羅綺羅と利発そうに輝いているあの子の目が嫌いです。
あの子の楽しそうな声が嫌いです。自分に対する自信と、仲間に対する信頼が滲み出るような、はきはきと楽しそうに発せられるあの子の声が嫌いです。
あの子の優しい性格が嫌いです。自分が幸運の女神に愛されているという自負と、自分は周りの人に愛されているという自覚を持った、あの子の優しい性格が嫌いです。
あの子のたおやかな手が、淑やかな髪が、おぼろげな瞳が、細やかな脚が、艶やかな肩が、儚げな立ち姿が、嫌いです。
私は、自分の妹が。
瑞鶴が、大嫌いです。
私があの子よりも少しでも後に生まれていたら。
もしも私があの子の航路を追いかける側の存在であればと。
もしも私が妹であればと、願わない日は1日とて有りませんでした。
優秀な妹を持つ不出来な姉の心境というのは、余りにも苦しく、余りにも辛いものなのです。
あの子が姉であれば。不出来な妹と、優秀な姉であればどんなに良かったかと。そう願わない日は1日とてありませんでした。
嗚呼、せめてあの子との出会い方が、姉と妹ではなく、友人としてであったのなら、先輩と後輩であったのならば。
そうであったならば、どんなに良かったことでしょう。
そうであったのなら、私だってあの子のことを真っ直ぐに、真っ当に愛せたかもしれませんのに。
私の中でのあの子の存在が段々と大きくなって行くにつれて、私の中での劣等感も沸々と、静かに、しかし確実に。
大きくなって行くのでした。
しかし、あの子に私が好きかと問えば。
あの子は胸を張って、瞳を上げて、優しく微笑んで。
愛していると。
理想の姉だと、声を上げる事でしょう。
そして、私があの子が好きかと問われれば。
私も、愛していると答えるのでしょう。
自分の本心から発せられる悲鳴からは耳を塞ぎ、自分にまた嘘を吐いて。
自慢の妹だと、声を上げるのでしょう。
あの子が被弾し傷付いた私に大丈夫と微笑みかける度に、私の心はじわじわと、しかしはっきりと黒くくすんでいくのでした。
あの子が私に微笑む度に、あの子が私に話しかける度に、あの子が私と関わる度に。
私の小さな自尊心は傷付き、膿んで行くのです。
あゝ、せめてあの子も不幸であれば。
不幸な戦艦の姉妹のように。
二人して不幸であれば、私達の関係は、健全とはいい難い関係にはなったのでしょうがーー。
取り分け問題もなく進展したのでしょう。
お互いがお互いを慰め合うような関係が
お互いがお互いに依存する様な関係が
お互いがお互いを許しあう様な関係が作れたのでしょう。
そして、ここで二人して幸福であればと言えないのは。
二人して幸せであればと思うことさえ出来ないのが、私の弱く、臆病で、情けない所の表れなのでしょう。
何故ならーー
己の不幸を受け入れてしまった時、その体を安穏と母の様に包む不幸と言うのは、あまりにも甘美で、あまりにも楽なのですから!
そうして不幸という微温湯に浸かり続けた私には、幸福であるということは恐怖であり、忌避する事と成ってしまっているのです。
自分の怠惰も、自分の不得手も、自分の失敗も、自分の劣等も、自分の弱さも、自分の慢心も、自分の傲慢も、自分の所為ではないと。
私は不幸だから。と。
そう甘えて、縋って生きていく事に慣れてしまった私には、幸福であるという事が。
自分の怠惰も、自分の不得手も、自分の失敗も、自分の劣等も、自分の弱さも、自分の慢心も、自分の傲慢も。
全て自分の所為であるという事実を。
全て自分の所為であるという現実を突きつけられる幸福というのは、弱い私にとっては耐え難い恐怖となっているのです。
結局を申せば、私はあの子が嫌いなのではなく。
妹という、あの子を鏡として見えてくる本当の私が。
矮小無価値で無意味な、この体に、その現実に見合わぬほどに肥大化した自意識に囚われた本当の私が、嫌いで嫌いで。
どうしようも無いほどに嫌いなのでしょう。
その私への悪意を。
その自分への嫌悪を、私はあの子に良いように転嫁して、良いように押し付けて。
何とか、私の肥大化した自意識を、自尊心を、守ろうとしているのでしょう。
それを理解して居ながら。
それをはっきりと知覚して居ながら私は。
あの子のために、私の尊大な自尊心を。私の肥大化した劣等感を、自尊心を。
そんなものを守るために、あの子に向けて内心で、呪詛の言葉を吐き連ねているのです。
いっそ、あの子を殺せば。
そう思った事は、一度や二度では有りませんでした。
ここで私があの子を庇わなければ、ここで私が機械の不調と偽り艦載機を飛ばさなければ。
不幸の所為にして事故を起こせば
些細な間違えのふりをしてあの子に衝突すれば、演習で本物の魚雷を打てば、寝ているあの子の顔へ自分の拳を、何度も握りしめた冷たく研ぎ澄まされた刃物を振り下ろす事ができればとーーー!
しかし、弱く、臆病で、情けない私には、そのような事をする勇気さえ、有りませんでした。
彼女を受け入れる器量も、彼女を拒絶する勇気もない私は。
どんなに情けなく、どんなに矮小な事でしょう。
私が死ねば。
次に思うのは、当然こういった逃避でした。
敵へ果敢に突撃し、仲間を守って死ぬことに憧れました。
最期くらい、大嫌いなあの子を守って死のうと、そう考えることもありました。
幸いにも私の仕事は、私の不運と相まって、死に場所に困ることはありませんでした。
自分の構える弓の先には死があり、自分の経つ水面の下にさえ死が或りました。
しかし臆病な私は、自分の命を捨てて逃避する程の。
あの子から、そして自分から逃避するためだけの本当に小さな勇気さえも、どこにも持ち合わせては居ませんでした。
こうして私の黒い、余りにも黒い感情は。
吐け口も逃げ場もなく。
ひたすらに私の心の中へ、溜まっていく事でしょう。
誰にも悟られぬままに、濃度を増して行くのでしょう。
そうして私は、この心の中に溜り、澱み、煮詰められた悪意を隠し、今日もあの子へ微笑むのでしょう。あの子へ語りかけるのでしょう。
七十幾年前と同じ様に、あの子の横へと並び続けるのでしょう。
そして私は、七十幾年前と同じ様に、あの子の前で沈むのでしょう。
あの子の優しい涙を体に受けながら、あの子の眼前で。
そして私は水底へと沈みながら。
不幸の微温湯ではなく、冷たくて塩辛い海の涙の中へ浸かりながら、今際の際にそっと、安堵するのでしょう。
やっとこの子から、愛おしくて大嫌いな妹から、解放されると。
やっとこの子を、か弱くて矮小な私から解放してあげられると。
やっと私は、矮小無価値で尊大な自分から、解放してもらえると。
今際の際にそう思い、冷たく滞った海の底に身を横たえるのでしょう。
七十幾年か前と、同じ様に。
その時に、少しでも誰かが私の事を記憶に留めて下さったなら。
私を失い哀しむあの子を誰かが慰め、あの子のそばで、私のために一滴でも涙して下さったのなら。
其れだけで、私は満足です。
翔鶴
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