2018-09-29 16:21:06 更新

概要

小説形式です。 
横須賀のおとなりの、小さい泊地のお話。オールディーズ好きな司令は、今日もレコードをかけながら部隊を運用します。


前書き


《明日に架ける橋 シリーズ》
【艦これ】叢雲/司令「明日に架ける橋」【1】
【艦これ】叢雲/司令「明日に架ける橋」【2】
【艦これ】叢雲/司令「明日に架ける橋」【3】

《章ページ内リンク》
 幕開    終幕

《注意》
 実在の人物や団体との関係はありません

 二次創作
 SSどころでない地の文量
 オリジナルキャラ(提督に名前あったりとか、別基地の人とか、陸の人とかパンピーとか)
 いろいろ独自設定
 公の場であまり使われなくなった単語(気違い、びっこ、メクラ、カタワなど)
 軍事知識なぞない

 好き勝手解釈してる部分あり。
 SSの投稿の場なのに、こんな真っ黒な画面を作ってしまってすみません。

《》
 熊野のワイシャツを洗濯してあげたいです。

《所属艦娘 兼 編成》

 旗艦は改行されている艦娘

【富津泊地】
■第一駆逐隊
 叢雲 
 三日月 曙 春風
■第二駆逐隊
 初雪 
 夕立 朝潮 
■第三駆逐隊
 秋月
 島風 涼月
■第四駆逐隊
 浦風
 卯月 涼風 山風 
■第一水雷戦隊
 神通
 第一駆
■第二水雷戦隊
 那珂
 能代 第三駆
■第三水雷戦隊
 川内 
 木曾 第二駆
■第四水雷戦隊
 夕張
 第四駆逐隊
■第一重巡戦隊
 古鷹
 青葉 足柄 熊野 摩耶 酒匂
■第一航空戦隊
 千歳 
 千代田

▲呉鎮守府所属艦娘(一時富津配下)
 明石

★第一艦隊  (旗・神通/補・叢雲)
 第一水雷戦隊
★第二艦隊  (旗・古鷹/補・那珂) 
 第二水雷戦隊
 第三水雷戦隊
 第一重巡戦隊
★第三艦隊  (旗・千歳/補・夕張)
 第四水雷戦隊
 第一航空戦隊

長くなるので別基地は省略します。

ご指導ご鞭撻、以下略。


幕開

『― ―上、報告終わりー。ちゃんと通話できてよかったよ、じゃ、あたしらはしばらく駐留するから、何かあったらすぐ連絡ちょうだいね』

「泊地了解。すぐに作戦を立案するからな、泥のように眠ってくれ。お疲れ様」

 メモを取っていた手を休め、A4用紙五枚に及ぶ偵察の結果をもう一度流し読んだ。裏表使った上でだ。

 八丈島防衛戦に参加できなかった三水戦は、小笠原諸島への偵察任務を全て任せてくれなきゃストライキを起こすと言った。三夜連続で行われたこの任務、危険度は未知数の上、距離もあった。被害がゼロ、とは言わないが、大きな事故なくやり遂げられたのは、ひとえに川内たちの士気の高さによるものだった。攻撃重視の三水戦、夜戦専門の部隊。想定されていたよりも敵陣深くに切り込んでくれたおかげで、より詳細なデータがもらえた。

 煙草を吸おうと一本くわえたところで、顔の横からマッチを擦る音が聞こえた。

「ふふん、どうです、私が開発した無電は。電波の指向性もバッチリですから、これぐらいの距離なら傍受される確率は数パーセントまで抑えられますよ」

 差し出されたマッチで火をつけ煙を吐き出す。よその鎮守府所属艦娘とはいえ、正式に泊地を預かっている身分。気を使ってくれるならありがたく受け取っておく。

 呉鎮守府所属・明石。

 八丈島に補給基地を作るためにしばらくこちらに駐留することになっているが、一時的に清水の指揮下に入るというのは、二時間前に森友からの電話で初めて知らされたこと。

「申し分ない。こいつは便利だぞ、深海棲艦の電波妨害に引っかからないとはな。問題は……」

「量産はできません、はい」

 艦娘、それも工作艦である明石にしか作成できない機械。この技術を一般化できれば、せめて国内だけでも往時のように戻せるとはいえ、この無線機は艤装と言って差し支えない。妖精を宿らせているからだ。よって妖精と意思疎通のできる司令官クラスにしか扱えないし、そんな人間はわんさかいるわけでない。使用条件が限定的すぎる。

 だが、八丈島までわざわざケーブルを引く必要がなくなったし、その分の工期や護衛戦力を全て攻撃に回せるようになったのだから御の字。国内では明石の関わる数基地しか使っていない貴重品だった。

「手が空いたらこちらの艦娘さんの通信艤装も弄らせてもらいますね。指向性は落ちるとはいえ、長距離で無電を使える便利さと安定性はあちらで保証されていますので、効率はグンと上がりますよ。暗号化については、ただいま民間の情報技術者と協議を重ねているらしいです」

「助かる、頼むぞ」

「了解です、司令官。それじゃ、私は島に戻りますね」

 これだけのためにわざわざ島から来てくれたのだ。「メシでも食っていくか」清水が言うと、「まだ余裕がありませんので」と断られてしまった。

 見送りのために外に出ると相変わらずの寒風にやられてしまい、外套を羽織って体を縮こまらせた。冬の大三角形が燦然と輝き、ほかの明かりは一切ない。八丈島まで戦線を押し上げ、近海へちょっかいを出しに来る敵もここ数日全く見なくなったとはいえ、海岸沿いの灯火管制がなくなることは、深海棲艦との戦争が終わらない限りありえない。緩和されることはあるかもしれないが、眠らない色街のような灯りを焚いていた人類は、未だ息苦しい日々を強制されている。

 食堂を通りかかって、「ちょっと待っててくれ」と声をかけた。テーブルに置いてあった荷物をひっつかみ、急いで明石の元に戻る。「甲斐甲斐しいですね」と茶化す明石の尻を引っ叩いてやった。

 人類は弱い。

 四百万年のあいだ地球の頂点にあぐらをかいていた栄光は、一年も経たないうち、新たに顕れた捕食者に奪われた。海沿いの歴史ある街も、国の象徴たるモニュメントも、人が繁栄するのに必需の施設も、ほとんど破壊された。抵抗できるならまだ救いがあった。海から顕れた『深海棲艦』、奴らに人が研鑽を重ねてきた武器は、一切通じなかった。銃弾を撃ち込んでも、砲弾を撃ち込んでも、ミサイルをぶつけても、小型の核を頭上で爆発させても、奴らの進撃を止めることはできなかった。海が奪られ、艦載機のような化け物に空も奪られ、奴らの顕現と同時に起きた地球全体を覆う電波障害は、島国日本に史上最大の危機をもたらした。受動的な鎖国状態、輸入に頼って膨れ上がった人口を養える能力などない。大衆が暴動を起こすのには十分な条件だった。日本の高潔なモラルは情報時代である現代で希薄になっている。膨大な知識を得て、狭窄した視野での正義が横行する国内は、思想家が群雄割拠し、家も意思もなくなった大衆を扇動して大きな運動が巻き起こっていた。このままでは国が崩壊する。深海棲艦のような人類が太刀打ちできないものを敵とするから混乱するのだ。ならばどうするか。大衆が戦える敵を作ればいい。

 新たに興された新生日本軍は、国内の風紀を厳しく統制することによって大衆が戦える敵となり、奇妙な形ではあるが、一時的な安定がもたらされた。しかしこのままでは外と、いつか爆発する内からの暴力で潰れる。軍が潰れたらもう大衆は弾けたゴム球のように予想がつかない跳ね方をする。どうする、玉砕覚悟で深海棲艦に反抗するか。武器を持ち、無駄に死んでいくのが正しいことなのか。悩みに悩み、玉砕に向かう作戦が話し合われるほどの窮地に立たされた時、彼女が現れた。

 のちに艦娘と呼ばれる『貧民窟の少女』。

 日本は、彼女のおかげで未だ国の体をなしている。

「ん、もういいの?」

 出撃する艦娘たちの詰所に入ると、真ん中に置かれたダルマストーブの前で、叢雲が鼻を赤くしていた。

「済んだ。すまないな、とんぼ返りになってしまって」

「任務だもの、文句なんてないわ。いい加減私たちの運用に慣れたらどう?」

 困ったように微笑む叢雲に持ってきた袋を投げて渡す。「……あら、お漬け物かしら」外からでもわかる糠の匂い。二重にしたビニール袋じゃ防ぎきれなかった。

「保存が効くし持ち運びやすいからな。たくさん入れておいたから、カーペンターズの皆さんにもお分けしてくれ」

「渋い差し入れですね。ま、おつまみになりますし。あの人たち、毎晩飲んで騒いでるんですよ、うるさくって眠れやしません」

 三日月が早速きゅうりをひとかじりした。「くっ、しょっぱ! 漬けすぎじゃないですか」それを聞いてわらわらと一水戦の面子が集まってきた。

 叢雲、三日月、曙、春風。それから神通。

「忙しくてぬか床を世話する時間がなくてな。四日ものだ」

「四日! ひとくちでお茶碗半分いけそうじゃない、三日月、ひとくち……しょっぱ!」

「はむ……あら、わたくしはこのぐらいの方が好みです」

 あっという間にきゅうりの半分がなくなり、最後に神通が小さくかじって言った。

「お茶の一杯も飲んで行きたいところですが、そろそろ準備しましょう。提督、ありがたく頂戴していきます」

「おすそ分け忘れるなよ。叢雲を見張っておいてくれ」

 むこうずねを思い切り蹴られて飛び上がった。

 各員艤装展開、神通が声をかけると、花々しい女の香りは鉄と火薬の匂いに変わる。狭い詰所が余計に狭くなる。明石も艤装を展開し、武将のような鎧をまとった。

「皆さん、復路もどうかよろしくお願いします」

「明石を頼んだぞ」

 全員が足を踏みならして同意した。艤装を展開して人間離れした力を発揮しているから地面が揺れる。ダルマストーブが細かく震え、金具がカチャカチャと音を立てた。

「一水戦、護衛任務承りました。.……時刻二◯◯◯、進路を八丈島に向け、富津泊地を発ちます」

「うん。出撃日誌は書いておくから、気をつけて行ってこい」

 詰所からつながるドックへの扉を開けてやると、潮風がストーブの火を揺らす。春風がスイッチを切り、暖房がなくなった詰所は急激に冷え込んで行った。ドック内に照明は点いておらず、緑色の発光塗料が儚げに海と陸の境目を示している。

 全員が海に入り、塗料の塗られた陸側ギリギリに清水が立った。

「戻っていいわよ。寒いでしょ」

 槍のような(マストらしいが)艤装の一部で胸をつつかれても首を振って「あと数分ぐらい待たせてくれよ。またしばらく会えなくなるんだし」と清水が言う。

 曙が口を挟む。

「惚気ないでくれる?」

「曙に会えなくなるのも寂しいなあ。ちょっと抱きしめさせてくれ。ほら、こっちこい」

 人間は海に浮かべない。さすがに真冬のこの時期に海に入るのは遠慮したい。「ふざけんなクソ提督ッ」大きな音を立てて蹴り上げられた海水が清水に向かってきた。が、一歩下がるだけで飛沫は届かない。鼻で笑ってやると、曙の悔しそうな唸り声が真っ黒な海から聞こえてきた。

 敵が日本の領海に戦力を集める前に作戦を立てなければならない。戻って関係者に連絡し、決まればすぐにでも八丈島に待機している攻撃部隊に命令を下す。作戦遂行まで、遅くて一週間。こちらの攻撃が開始されたと同時、南側では沖縄への漸減作戦、北では北海道への足がかりをつくるため、長年悩まされてきた敵の基地を壊滅させる作戦が始まる。八丈島への基地建設作戦は成功の狼煙を上げ、《湊川作戦》と銘打たれた、人類の反抗が開始される。

「二◯〇〇、一水戦、護衛任務開始します」

 神通が静かに宣言し、「よろしくお願いします!」明石が全員に頭を下げて、先行する神通に着いていった。

「行ってくるわね。ちゃんとお留守番しているのよ」

 叢雲が後に続き、「体だけは気をつけなさいよ」と曙が吐き捨てて行く。「ぼのさんのデレ、かわいいですよねえ。行ってきまーす」三日月がぶんぶん手を振って、「行ってまいります、お漬け物、向こうでも楽しませていただきますね」柔らかい物腰で春風が最後尾に着いていった。

 真っ黒海に溶けていった彼女らの姿はすぐに見えなくなった。煙草に火をつけ、ついでに日誌に書き込むため黒い布をかぶせた電灯をつけて、大きく煙を吐き出す。

 もうノートが一冊終わってしまう。一行ずつ書かれた文字はここに所属する多数の艦娘が書いている。崩れた字、整った字、大きな字、小さな字、丸っこい字に尖った字。落書きだって多数ある。大半が卯月かもしれない。一ページ丸々使いやがって、最初のページから見返して行くだけで一本吸い終えてしまった。

 いつもと変わらない潮騒がドックの中に響いている。 



 濃い白檀の匂いが充満している会議室のテーブルの上に広げられた海図。駒がいくつも散らばり、薄暗い室内を照らすプロジェクターには、同じ海図に矢印と数字、時間が書き込まれている。男と女が二人きりなれど両者の距離は遠い。先ほどまでもう一人女がいたというのに、男は幸せな時間を享受した雰囲気を一つたりとて醸していない。風呂にも入らず、脂ぎった髪と顔の男。女の長い髪は、平時ならきちんとまとめられているのだろうが、わっさり広がって山姥みたいになっている。髪をまとめていたバレッタは、昨日の夜中、「私の髪を引っ張るのは誰だ!」と叫びながら、部屋の隅に投げつけられた。限界だったのだろう、いろいろと。

 横須賀鎮守府。その第一会議室に、清水と森友が突っ伏している。焚かれたお香は体臭をごまかすためだと、絞りきった脳みそでもわかった。

 備えられた電話で森友がどこかに電話し、二言三言ですぐに切った様を見て、乾きでひりつく喉で清水が話しかけた。

「水を、くれ」

 同じようにしゃがれた声で森友が答えた。「もう頼んだ。少し待ってろ」

 明石を八丈島へ護衛する一水戦を見送った後、すぐに横須賀と犬吠埼に連絡を入れた。二十分後に横須賀から駆逐隊が、一隻の高速艇に乗って到着した。競艇で使用していたものらしい。速さで船体が浮くというのを初めて経験し、情けなくも駆逐艦にしがみつきながら到着した横須賀鎮守府で、すぐに会議室に通された。メモ書きに等しい紙のコピーがすぐに刷られ、犬吠埼の到着を待たず攻略作戦の立案が開始された。

 数年ぶりの小笠原諸島の現状は、もうあの島が人間のものではなくなったのだとはっきり示されていた。

 機動艦隊や水上打撃部隊、水雷戦隊は当然として、潜水艦もうようよしている。恐ろしいのは、今まで交戦したことのない深海棲艦の姿が認められた。攻撃に参加してこなかったのが最悪で、どのような戦力を持っているかわからない。しかし、三夜に渡る偵察の中一度しか見かけなかったということで、数はいないと仮定した。さらに八丈島で片鱗が見えていた、計画的な深海棲艦の行動は、小笠原に近づくにつれ、顕著になっている。未確認の深海棲艦は頭脳役とも取れるだろう。奴さえ撃破してしまえば、真南の脅威はひとまずなくなるはずだ。

 八丈島輸送作戦の主役が富津ならば、小笠原攻略作戦の花形は横須賀。

 森友は防衛と警戒に回していた戦力を全て攻撃に当てる作戦を立てた。

「大井入ります、お茶を……むっ」

 茶髪の女性が湯呑みを盆に載せて入ってきた。「私このお香嫌いだと言ったではありませんか」片手で鼻をつまみながら、盆を片手で雑に置く。

 清水は冷まされてぬるくなった茶を半分ほど一気に飲み、喉に絡んだ痰を払った後、もう一度湯呑みを傾けた。空いたところに、急須に入れられた、湯気くゆる茶が注がれる。すするようにして飲むと、口の中に染み入る感覚がこそばゆい。

「お疲れ様でした。入浴の用意もありますが、いかがなさいますか」

「ああ、ありがとう。せっかくだからいただいて」「寝言は自分の基地に戻ってから言え。大井、すぐに高速艇にこいつを乗せて送り返せ」

 風呂の一つも貸す気は無いようだ。大井も一言ぐらい言ってくれればいいものを、「はいはい、わかりました。清水さん、船のエンジンは温まっていますから、準備ができましたらドックの方へ」と退室してしまった。

 激昂するのもバカらしくなり、寝ぼけた頭で散らかった書類をまとめる。ため息を吐いて嫌味も忘れない。だが鞄につめ終わるまでの間、森友は突っ伏したまま身じろぎひとつしなかった。「寝てるのか」何の気なしに声をかけると「寝てない」、不機嫌な声が返ってきた。

 荷物も詰め終わり、勝手に退室しようとしたところで、森友が言った。

「神通たちはどうだ」

「いつ寝首をかかれるかヒヤヒヤしている」

 体が少し揺れた。笑ったのかもしれない。

「まだ貸しといてやる。早く返せ」

 会議室を出た。

 廊下の窓から見える景色は富津と違い、都会的な整然さがあった。中は広い、花瓶ごときにあんなでかい壺を使う意味がわからない。幾つかの部屋の中から人の気配は感じるが、しばらく歩いても人っ子ひとり出会わなかった。富津と同じく、艦娘たちは大半が八丈島に詰めているらしい。先ほどお茶を運びに来た大井も作戦に組み込まれていたから、早くて今日には出発するのだろう。海にほど近いのは富津の基地と同じなのに、横須賀には潮騒の音は一つも聞こえなかった。冬の静けさ。すずめが梢で鳴いている。

 陽が当たらない薄暗い階段を降り(手すりすら細工が彫られている)、正面玄関から外に出ると、久しぶりに浴びる日光で頭が痛くなった。外にも人の姿はない。遠くの方で車の音が聞こえるから無人というわけでないだろうが、人口密度の低い基地のようだ。

 油断をすれば歩きながらでも寝られる。夢遊患者と見紛う足取りでふらふらしていたら肩を叩かれた。艦娘かと思い、驚かせないように一度立ち止まってゆっくり振り返った。

「よう、司令官どの」

「……八木か、久しぶりだ」

 相変わらずきっちり着込んだ制服と、がっちり固められた髪の毛。去年の夏以降、直接会うことはなかったが、何一つ変わっていない。同時に一歩距離をとる。「なんだ、別に臭いなんか気にしないぜ。女々しいな」と、彼は一歩詰めてきた。

 森友が言った、作戦を各方面に認めさせるために奔走した同期の主計官。名前は挙げていなかったが、間違いなく八木だ。清水が富津に着任した頃には、すでに横須賀に突っつき回されていると発言していたのを覚えている。

 ドックに向かう道を二人で歩いていると小春日和の陽が、今すぐそこの芝生に臥せてしまえと体をぐいぐい押す。その通りにできたらどんなに幸せか。ここが横須賀鎮守府の敷地内でなければ、まちがいなく従っているのに。

 ぐるぐる回る頭に八木の声が芯を通してきた。

「こもりきりだったらしいな。どうだ、うまくいきそうか?」

「私が意見を出す、森友が否定する、香取先生が折衷案を出す。ずっとこんな感じだったよ。体力よりも精神的に辛かった」

「ははぁ。気にすんな、森ちゃんが否定的であるうちは、ちゃんと意見を受け止めているから。もいい会議だと、彼女、一切発言しないんだよ」

「ひどい性格だな。ま、それらしい作戦になった」

「南烏島の補給基地建設はどうなった」

「うちの娘たちが昨日から偵察に向かってるはずだ。往復で三日ぐらいかかるから、明日には何らか動き始めるよ。遅れる代わり、横須賀の三四航空戦隊を貸してもらえるらしい」

「ああ、第四艦隊の娘らか。葛城、瑞鳳、飛鷹、隼鷹……」

「葛城と瑞鳳は八丈島にしばらく駐留していたから、うちのとも顔見知りなんだ」

「そりゃいい。空母や戦艦連中は誇り高くて扱い難い奴らが多いから。その分、一度仲良くなっちまえば、本当に全力を尽くしてくれる。まして横須賀の空母部隊と言ったら、全国でも指折りだぜ」

「夜間攻撃で部隊一つ消し飛ばしたって聞いたときゃわが耳を疑ったさ」

「お前のとこのだってすごかったらしいじゃないか、戦艦含む部隊を水雷隊と重巡隊だけで撤退させたとか」

「あんな心臓に悪い戦法は褒められたもんじゃない。酒匂はあれ以来神通に敵意をむき出して、神通に盾にされたのをよほど恨んでいるぞ」

「誰も沈まずに勝てたって結果だけで十分じゃないか。いくら周到に策をめぐらしたって、沈む時は沈むし負ける時は負ける。それに、神通の部隊に声をかけたのは酒匂ちゃんだろ? そんな娘が、盾にされたぐらいで毛嫌いするとは思えないな」

「……詳しいじゃないか。戦闘詳報は、おととい東京に送ったばかりなのに」

 八木は隣を歩きながら胸を反らした。服装を崩した清水とは違う、軍の宣材写真にそのまま使われてもおかしくない優等生な着こなしをした制服。「当然だろ」腹ただしい声で言った。

「俺は仕事のできる男だぜ。基地一つなんてちっぽけなこと言わず、関東圏をまたにかける主計官様だ。情報だって物資のうちだって」

 寝不足の頭に八木のふてぶてしい得意顔が気に入らず、清水が思い切り尻をひっぱたいた。二三歩飛び上がるようにした八木が歯を出して笑うものだから、清水は学生時代の通学路を思い出して、つられて口元が緩む。緩んだ口元は冬の空っ風に吹かれて、ほんの一瞬で引き締められた。

 あの頃と比べたら一人足りない。

 その意を汲んでか汲まずか、また隣に並んだ八木が話題を変えた。

「関東圏の主計官、しかも大本営付きだとな、本当に全国の情報が入ってくる」

「だろうよ」清水が生返事を打つと、目の前に立ちふさがった影が清水の足を止めた。寝不足でうろんになった目を向けると、いたって真剣な顔をした八木が言った。

「来月から何人か、憲兵隊をお前のとこに送るぞ。お前のとこだけじゃない、全国の基地に」

「どっかの色気違いが規律を乱すようなことをしたか」、清水が尋ねると「違う、そうだったら、一人をしょっぴけばいいから楽なんだ」と、背中を向けて歩き出した。止まったり動いたり面倒な動きをする、半ばゾンビになっている清水は、おとなしく後ろをついていく。

 人が増えるのは構わないが、宿舎がない。空母と戦艦寮がすっからかんだからそこに寝泊まりしてもらうしかないが、掃除しておかないと。

「お前の大好きな高田渡が言っていたな。フォークシンガーになりたいと言った息子に、彼は何と言った」

「『戦争でもおきなきゃ儲からぬ』。高田渡の言葉らしいが、なぎら健一の歌でしか知らん」

「そうそう」高田渡を勝手に師と仰いでいたなぎら健一が作った曲の一節。何をいいたいのか思考することもできず、頭の中で流れ始めた、軽やかで粒のはっきりしたフィンガリングのギターに酩酊していると、八木がもう一度振り向いた。

「まさに今、その時さ。ある一派が暴動を計画している。赤旗の連中みたいなもんさ、とかく国をひっくり返そうとしている連中がいる。内通者から聞いた話だから間違いない」

「そんなに人数が集まっているのか? 軍国の旗を翻した国をひっくり返そうなんて、よほど勢力がないと難しいんじゃないか」

「別に軍国じゃなくても無謀に近い。連合赤軍を知っていれば尚更。だが、あの時代と今とでは話が違う。ましてわかりやすい敵と、身近に鬱憤を晴らせる敵がいる今とじゃあな。拠り所のない民衆が縋ろうとするのは、いつだって甘言を吐き理想をかたる団体に決まってる」

「と言うと」清水は絞りかすみたいな脳を動かして、八木の言う団体とやらを予想する。しかし途中でまぶたが落ちそうになり、ふらついた体が八木にぶつかって改めて力を込める。

 早々に考えるのを放棄して答えを求めた。「すまん、どんな奴らなんだ」

「宗教団体さ」

「ああ」清水は空を仰いだ。

 二人の脇を一台の車両が横切る。全員制服をきっちり着こなしているから、事務方達にちがいない。軽く敬礼して見送っていると、八木が言った。

「数年前は左のやつらが息を吹き返して大騒ぎ、今度は宗教家。国が荒れた時に現れる救世主、なんてのは、国がひっくり返らない限りありえない。何とか奴らを『犯罪者』に止めておかなけりゃあいけない」

「そんで、憲兵隊で基地を護衛とな。警察と憲兵隊だけで、未然に強硬手段に出るってのは難しいのか」

「できなくはないが、人数が多すぎる。オカルターたちが出版していた小冊子が原典らしく、終末論やら陰謀論は今も昔もいい娯楽だろ。内陸に人が集まっているのも相まって、爆発的に広まってしまった」

「それは宗教なのか。マニアどもが集まって騒いでるだけにも聞こえる」

 八木は首を縦に振った。「深海棲艦をまれびとだなんて偶像化している。宗教以外何と言えばいい? 『裁きを受け入れろ』、奴らのスローガンは悲哀に満ちたものさ」

「裁きか」なぜこうもオカルトに傾倒する奴らは、人類の犯した罪だの、原罪だの、今まで積み重ねてきたものを否定したがるのか、理解ができない。

 罪の意識を感じているのなら一人で勝手に首をくくればいいものを、宗教に興味のない清水は大きくため息を吐いた。政治団体が立ち上がった理由はわかる。彼らは明確な目的を持って、現政権を打ちやぶろうと蜂起した。が、元がオカルト発祥の、くだんの集団の目的はぼやけていて、一体どうなれば彼らが満足するのかわからない。もちろん、彼らのことを何も知らないからかもしれない。

 宗教に興味はないが、彼らに興味がわいた。

 お祭り騒ぎ的に人が集まっているだけだとしても、憲兵を配置するほど脅威となっているのだから、心の拠り所を求めている民衆がそれほど多いということだ。自分の知っている街中の状況は一年前のもので、道端に座り込んだ家なき人々がうつむいていた頃とは、活気という面で大きく変わっているようだった。

 出撃ドックの中に入ると駆逐艦・時雨が、机に寄っかかってカップに口をつけていた。彼女は清水たちを認めると姿勢を正す。

「お疲れ様、清水さん。大井から聞いたよ、お風呂にすら入れてもらえなかったんだってね」

「ああ」苦笑いを作るのも面倒だった。片手を上げて挨拶代わりとする。「慣れたもんさ、ちっと臭いかもしれんが、我慢してくれ」

 時雨はなんら気負うことのない顔で微笑み、「すぐに出せるけど、どうする?」と清水に尋ねた。

「飲み物を、なんでもいいからくれ。少し話しをしていってもいいだろ」

 それから「森友に言うなよ」と付け足す。彼女は器用に片目を閉じた。

 整雑に置かれている木箱に腰掛け、受け取ったカップからはまだ湯気が立ち上っていた。凪いでいるドックの中に、ジャスミン茶の香りが広がり、三人で音を立てながらすする。

 半分ほどカップから口を離さずにすすり、清水が先ほどの話を蒸し返した。

「時雨は知っているか、憲兵隊が基地の護衛に就くってのは」

「そりゃあ、聞いているさ。自分の家のことなんだから。理由も知っているつもりだよ。何か隠していることがなければ、だけど」時雨の目線の先には八木がいた。見つめられている方は、少し慌てた様で、手をぱたぱた振りながら答える。

「ないない、何も隠しちゃいない。徹頭徹尾、説明した通り。ここは都心に近いから、清水んとこよりも早く、厳重に警備させるんだ。不都合かけるかもしれないけど、悪いな」

「横須賀は元から人の出入りが多いから今さら何人常駐しようが構わないけど……。司令の機嫌が悪くなりそうなのが問題かな」

「それについてはもう対策済み。こっちに回すのは女性が七割。目に付くところに男は置かない」

「あはは、ご迷惑をおかけします」

 時雨が頭を下げると、ぶら下げていたおさげが宙吊りになってゆらゆら揺れた。

「つくづく思っていたが、あいつは男嫌いなのか?」

 ぐっと背筋を伸ばして訪ねた。凝り固まった筋肉が伸ばされて、目の前に星が散らばるぐらいの快感に体を震わせる。

 二人は「今さら何を」と言った風に清水を見つめていた。

「お前が一番被害を受けていただろうに、なぜそんな質問ができるんだよ。彼女は男嫌いどころか、憎んでいる節すらある」

 森友の声を聞くのは、業務的なことか、ひたすらなじられる時だけだから、身辺的な話を聞いたことがない。無意識に清水も避けていたものだから、第三者に人となりを聞くこともしていなかった。

「身近だから気づかない……、青い鳥だっけ。いや、誤用なのは重々承知しているさ」

「青い鳥! 懐かしいなあ。あれのおかげで、俺は生まれる前に仲が良かった女の子を捜すことを心に決めたんだぜ」

「お前の女好きはそんなロマンチックな理由があったのか」

「ふふ、その女性は見つかりそうかい?」おかしそうに時雨が笑う。そして、すぐに鋭い針のような発言をぶつけた。「てっきり司令を狙っているのかと思っていたけどね」

 大げさな仕草で八木は否定した。「よしてくれよ時雨ちゃん。俺が横須賀を贔屓しているのは、昔のよしみだからだって」

「よしみだと? 養成学校で、そこまで二人に絡みがあった記憶はないぞ。むしろ、私の方が、接触と言うことでは多かったはずだ」

 八木の笑い声が静かな潮騒を打ち消した。

 過去のことを知らない時雨が、「詳しく聞きたいな。司令は、昔のことを教えてくれないから」と二人に向けて好奇心の瞳を向けた。

 清水は時雨の瞳を捉えず、八木に目を向けた。清水が森友の過去を話すのは、自らの汚点を露呈することになる。たかだか成績が悪かったという話でも、艦娘に命令を出す立場の人間なのだから、余計なことを言いたくない。意図をくみ取った八木が小憎たらしい表情を作った。ワンクッション、仕草を入れるのが気に食わなくて、清水は一つ咳払いした。

「俺も先週思い出したばっかりだから、清水は絶対に思い出さないだろうな。彼女、ずっと前に俺たちと繋がっていたんだぜ」

「あんな性格の歪んだ女、忘れようにも忘れんぞ」

「『昔は可愛かった』。お前、森ちゃんの下の名前知ってるか?」

「知らん。興味もない」

「だろうさ。時雨ちゃん、自分とこの司令のフルネームぐらい言えるな?」

「望未(のぞみ)さんでしょ。森友望未さん。一回も呼ばれているのを聞いたことない」

「聞き憶えないか」

 清水は腕を組んで、また疲れ切った脳みそを絞って記憶を探る。けれど答えにたどり着く前に息切れしてしまって、そのままうなだれた。「知らん。七つも年の離れた知り合いなんて……」と言いかけて、何かの背中に触れた気がした。

 そこへ、八木が最後の一押しをくれた。「ノンちゃん」

「あああッ!」急に大声をあげたせいで時雨が飛び上がり、カップから茶が溢れ、同じような声をあげた。八木は予想通りのリアクションとばかりに、余裕で茶をすする。

 五文字の、さして珍しくもない響きで、清水は過去の匂いや、音すらも思い出した。

 元嫁の実家の近所に引っ越してきた女の子。平屋の仏間を開け放ってレコードを聴きながら、青春を浪費していたのをいつも見ていた女の子。蝉の鳴き始めた頃、いつも一人でいる女の子に声をかけたのは彼女だ。『あんたらが行ったら通報されるわよ』なんて、一番初めに気づいたのは八木だったのに、先陣を譲らなかったのを憶えている。『こんにちわ』『……』『ひとり? 友達は?』首を横に振る。『何をしているの?』手に持った携帯ゲーム機。『どこに住んでいるの』すぐそこの、団地を指差す。『お母さんたちはお仕事かな』首を縦に振る。『おかし食べる?』動かない。『何か甘いものと、ジュース冷蔵庫に入ってるから持ってきて!』言われて二人して冷蔵庫に走る……。見かけるたび話しかけるうちに、少し言葉を返してくれるようになった女の子をついに家にあげたのを、八木と二人で『マズいんじゃないか』と顔を見合わせた。『一人で遊ばせているより安全じゃん』と至極正論をぶつけられて黙ったものだ。初めて家に上げた時、オレンジジュースを入れたグラスが汗をかいて、お盆に輪っかを作っていた。積み上げられたレコードをチラチラ見ながら、なぜか正座をする女の子。そう、その時、元嫁が言った。『お名前は? 何年生?』『のぞみ。四年生……です』『じゃあ、ノンちゃんだ!』

 いた。確かに、自分の記憶にいた。

 現在の『森友』と乖離しすぎていて気づかなかった。高校を出るまでの一年間しか遊んだことがなかったが、確かにみんなで『ノンちゃん』と一緒にいた。女が変わるというのは常に識られたことであっても、あまりに乖離していてて、いっそ今からもう一度、『森友』の顔を見に行きたい衝動に駆られる。

 男二人、共有する記憶を持たない時雨が、お茶をこぼした手を服で拭きながら、頬を膨らませた。

「うちの司令が、そんな可愛いあだ名で呼ばれてたの?」

「本当に『ノンちゃん』なのか? 人見知りなところがあって、ショートカットで、ちょっとぷっくりしてほっぺの赤い……」

「みんなでお菓子食べて、レコード聴いて、俺たちとおっかなびっくり話していたノンちゃんが、森ちゃん。横須賀総司令官で、湊川作戦の立案者、森友望未枝将」

 全身が脱力して、茶をこぼす前に気を利かせた時雨が、慌てて清水の手からカップを取り上げた。感謝を告げることもなく、寝不足の頭が、さらにぼうっとする。八木は優越感をそのまま形にしたような表情で、また茶をすすった。何の気なしに時雨を見ると、肩をすくめて、「僕は置いてけぼりだね」と拗ねていた。

 ノンちゃんと森友を繋げようとしても上手くいかない。そして、かくも世の中は狭いものだと清水は思った。どうしようもない思索は乾いた笑いになり、だんだんとおかしくなって、ついに口を開けて大笑いに変わった。時雨は一人、おかしなものを見る目つきで彼を見ていた。八木は黙って、真剣な顔をしている。

 おかしくってたまらない。何がおかしいのかわからない。ただ、腹の内側で硬い毛の塊が転げているみたいにおかしいのが止まらない。石造りの建物は清水の声をビリビリと反響させて、身体の揺れに合わせて、彼のすぐ横に置かれたカップの水面にいくつも輪っかができた。そうか、彼女はノンちゃんか。そうか、そうか、俺たちの青春にいたのか! 俺の中に生きていたのか! こいつは傑作だ、喜劇だ! 俺は何も知らずに彼女を恨んでいた。意味もなく俺のことをなじる年下の女を、石の裏の節足動物みたいにうじうじと妬んでいた! そうか、彼女の俺に対する態度は、男嫌いというものとは別だった。理由を持って俺のことを憎んでいたんだな、そうか、それなら、彼女の暴虐を受け入れることができる。

 清水の狂態がやがて落ち着きを見せ、時雨など忘れた彼が、八木に、掠れた声で話しかけた。

「彼女は憶えていたんだな」

 八木は答えた。「憶えていたよ」

「そうか」清水は拳で膝を殴りつけ、もう一度繰り返した、「そうか」

 八木は黙っていた。清水の狂態を見て微塵たりとも動揺を見せない。時雨は二人を視界に納めて、読もうにも読めない状況にやきもきしていた。

「もちろん、森ちゃんは由乃のことも」「言うな!」

 胸ぐらを掴みあげ、力任せに詰め寄り、たっぷり八歩動いて壁に押し付けた。油で撫でつけられた八木の髪が崩れ、背中を打ち付け胸を押さえられて、肺の空気が清水の前髪をなびかせた。

「俺の前で、あいつの名前を、出すんじゃない」人差し指を顔の前に突きつけ、言葉を出せずに頷く八木を確認して、胸ぐらを掴んでいた手を離す。彼は、ひどくむせた。

 そこへ、時雨が苛立たしさを隠さないで口を挟んだ。

「いい加減にしてくれないかな。僕は木石か何かかい? 意味も分からず暴力沙汰を見せつけられるこっちの身にもなってよ」

 彼女は艤装を展開させていた。いつでも、力づくで清水を抑えられるように。

「すまない」時雨に謝って、八木の背中をさすって同じ言葉で謝った。八木は片手を上げて応えたが、まだむせていた。

 棒立ちになった清水は、目にかかるすんでの前髪を雑に後ろに撫でつけて、もう一度謝った。

「悪い。帰る。時雨、ボートを出してくれ」

「……りょーかい」

 すぐに艤装を収納して、係留されているボートに乗り込んだ彼女がエンジンをかけると、バン、バンとガソリンが爆発する音が、ドックのすべての音を食った。自分の癇癪を音にしたようだ、と自嘲気味になり、耳を覆いたくなった清水の肩を、八木が叩いた。

「まだ、だめなのか。あれは決してお前のせいでは」

 彼の声は時雨には届かない。耳に入る前に爆発音が食ってしまう。

 黙って船の計器を見つめる彼女を見ながら清水が答えた。「あいつのことには触れないでくれ。それが、私のためでも、お前のためでもある」

「そうか。けどな」清水の八木の手を払ってボートへ近付いた。自己嫌悪でどうにかなりそうだった。

「じゃあまた」

 ボートに乗り込むと船体が派手に揺れた。乗り心地は良くない。シートベルトを締め、さらに投げ出されないように手すりをしっかりと握る。「よろしく頼む」ガソリンと、潮の匂いを、彼女の甘い匂いが打ち消す。「動くよ。八木さん、また後でね」

 音がすぐにかん高くなり、体が後ろに引っ張られるのを踏ん張る。無理やり付けられた後部座席は、船体をくりぬいただけの競艇ボートの後部に転落防止の枠を備えただけで、目の前にはバランスをとるために上げた時雨の尻が、目の前に突き出される形になった。波が高い、それでも三十五ノットほどで航行するボートは、船体を時折浮かせながら、ぐんぐんと富津へ突き進んでいった。ものの十分で到着する急進航路、風と、巻き上げる海水の音しか聞こえない。二日前、迎えに来てくれた雷という駆逐艦の運転は、船体がひっくり返りそうなほど怖いものだったが、雷より背が高く、体重もあるだろう時雨の舵さばきは、安定したものだった。それでも、手すりを握った手はガチガチに固まった。

 富津岬の先にある第一海堡の残骸を通り過ぎた頃、速度を少し緩めて、時雨が清水に声をかけた。

「ヨシノさん、って誰だい」

「……お前は肝が据わっているな」

 振り返った時雨の顔は真剣なものだった。「元嫁。それ以上は勘弁してくれ」

「そ」

 グン、と速度を上げたボートは、横須賀を出て十三分後、富津の出撃ドックに着いた。


2

 富津基地内の堤防から釣り糸を垂らして浮きを見つめていた。かもめが数羽、すぐ横でウロウロしている。が、目的が同じ野良猫と縄張り争いをして、しょっちゅう羽ばたくものだから落ち着かない。小物が釣れれば分けてやるのもいい。しかし、富津内には愛玩動物以上に貴重な、食料としての家畜がいる。よく肥えさせるために、一匹たりともこいつらに呉れてやるつもりはない。カレイ、スズキ、ギンポと、食べるには申し分ない魚が掛かり、夕方まで糸を垂らしていれば、今晩の食事は全てまかなえそうだった。

「提督。こちらにおいででしたか。森友さんと、それから八丈島から連絡が来てますよ」

 振り返ると千代田が薄いコートをはためかせて立っていた。潮風は彼女の髪も巻き上げ、それを抑えようと耳のところで髪を押さえている。いや、耳に手を当てているのは、おそらく別の理由。

「八丈島からはなんと来た」

「南鳥島への出撃準備が整ったって、神通が」

「あいわかった。よろしく頼むと伝えてくれ」

 千代田は片耳に手を当てたまま、一言二言何かつぶやいた。何を言っているのか聞き取れなくとも、彼女がそこに立ったまま、八丈島と通信しているのはわかる。

 明石は何人かの艦娘の艤装を改造した。千代田の今しているのもそれだ。装備を展開しなくても良い通信機能。おかげで常時、意識的に通信を行えるようになった。線の繋がっていないイヤホンと侮るなかれ、妖精を宿らせている。

「便利そうだな。私も欲しいといったら明石は作ってくれるだろうか」

「提督には無理だって。仕組みは艤装といっしょだしさ。……第二艦隊出航、追って一水戦と横須賀航戦が輸送船の護衛に回り、南鳥島を目指します。ばい神通」

「委細承知した。気をつけて行ってこい」清水が言うと、千代田が一人の妖精を手のひらに顕現させて突き出した。手のひらの上で背伸びをしている妖精は、小さい、ままごとに使うようなマイクをこちらに突き出している。そして、自分の耳にはめていたイヤホンを清水の耳にはめ、「それはご自分でどうぞ」と、千代田が言った。

 使用するのは初めてだ。半信半疑で「あー、富津の清水だ。もしもし」と話しかけると、雑音が酷いものの、神通から返事が返ってきた。

『あら、提督も艦娘になられたので?』

「んなわけあるか。千代田だよ」

『冗談です。二十分前に電文を送ったのですが返事がありませんでしたので、ちょっと試してみました』

「すまん、外に出ている。基地と部隊の音声通信、便利じゃないか」

『ええ……、あ、少々お待ち下さい』

 布を擦ったような雑音がして送信者が切り替わる。

『叢雲よ』

「お疲れ様。今回も護衛よろしく頼むぞ」

『言われなくても分かっているわよ』

「ぬか漬けは、ちゃんとみなさんにお分けしてくれたか?」

『……ムカつく。ねえ、南鳥島に行くのはいいんだけど、駐留する艦隊ってどうなっているの』

 瞬間、竿が大きく曲がり、叢雲の指摘で力が緩んでいたのも相まって、危うく手からすっぽ抜けそうになった。慌てて持ち直しても、無理な力の入れ方と狡猾な魚の逃げ方で糸が切られてしまい、後ろ向きに倒れそうになったのを、千代田が体を壁にしてくれた。

 何も考えていなかったのだ。

『もしもーし』

 寄っかかったまま後悔した。彼女らは命令を受けて行動するのだ。自分が司令しなくてどうする。

「伝え忘れていた。一水戦に任せる予定だ」

「今考えたでしょ」

「そんなことはない」

『あっそ。で、護衛なんだけど。二三水戦と横須賀さんに任せていい? 私たち一水戦だけで拠点防衛なんか無理だし、ちょっと、この任務が終わったらそっちに帰りたい』

「富津に? 疲れたか。出ずっぱりだもんな」

『そうじゃなくて、話したいことがあるの』

「今じゃ駄目か」

『今じゃダメ』

 南鳥島は南東の最前線にある。基地を作って、すぐに奪われては意味がない。

 針の付いていない糸の先端を目で追いながら即断した。

「わかった。横須賀には私から伝えておく。葛城たちだろ」

『ええ。本人には直接お願いするわ。今、隣にいるし』

「清水も頭を下げていたと伝えてくれ」

『ありがと。じゃ、またね』

 あとは雑音が流れるだけになった。

 千代田に済んだ旨伝えると、清水の肩に乗り移っていた妖精とイヤホンが消えた。艤装と同じように収納したのだ。これだから清水に扱うことができない。代わりに据え置き型の、妖精を宿らせた通信機があるのだから、そう贅沢は言うものではないだろう。

「なんだって?」

 千代田が今度こそ髪を押さえながら隣に座った。

 針をつけ直そうと思ったが、気づけば水平線に太陽が足をつけている。糸を竿に巻きつけ、「今日は仕舞いだ」と、クーラーボックスを肩にかけて立ち上がった。

「座ったばっかなのに!」

 拗ねてみせる千代田の肩を二回叩いて清水が言った。

「今回の任務が終わったら一回帰ってきたいんだと。ほら、行くぞ。晩飯の支度、みんなでやるんだろ」

 あからさまな顔をして、「わっかりました」とゴチながら、歩き始めた清水の横に付いた。

 クーラーボックスの中で数十匹の魚が暴れている。

「釣れてよかったよ」背中に夕日を受けて、二人の影が引き伸ばされていた。腰の辺りから歩調に合わせて水音がする。「あたしもやりたかったなあ。向こう行ったら釣竿さがそ」コートのポケットに手を突っ込んで千代田が言った。

 たまたま空母連中を貸してもらえたから帰ってこいという、計画性のない帰投だった。富津第一航空戦隊と護衛の第四水雷戦隊、清水を入れれば七人の食卓になる。基地で艦娘を遊ばせておくほど無駄な事はない。富津所属の艦娘が一同に介するのは、湊川作戦が発令中の今では滅多にない。だから、少しでも手空きのある部隊はなるべく顔を見るようにしたかった。

 分かれ道で千代田にクーラーボックスを預け、清水はひとり執務室に向かう。もうひとつの連絡を済ませるためだ。

 薄暗くなった部屋の灯りをつけカーテンを閉めた。どうせ電話一本だから、とストーブに手はつけない。

「富津司令長官、清水だ。森友から連絡を受けた、代わってくれ」

 電話に出たのは艦娘でない事務方の女性だった。保留音のカノンを聞き、短い節が三周して、ようやく電話口に人の声が入る。「十分後に折り返す」と言われ、一方的に電話が切られた。以前ならため息ひとつ八つ当たりひとつしただろうに、今は黙って受話器を置いた。

 秘書机にかけてあったひざ掛けを拝借してうすら積もったほこりをはたき、自分の椅子に深く腰掛けた。煙草に火をつける。背もたれは不安な軋みを立て、よくよくリクライニングする(そういう椅子ではないのに)。あふれるぐらい吸殻が盛られていた灰皿はきれいに洗われており、書類や筆記用具が散らかる机の上で黒光りしていた。

 森友の正体を知ってから、彼女を見る目が変わってしまった。麗しい恋心となれば自分を笑うことができたものを、ひたすら彼女の声や態度に怯え、離れたくなり、何かを言われれば無条件で肯定してしまう。富津は横須賀の傘下とも言うべき基地。しかし長官たるものとして対等、叶わずとも意見をできる立場にあらなければいけない。それがどうだ、清水は大きく煙を吐き出した。今の自分にそんなことはできそうにない。どだい無理な『命令』を受けたとしても二つ返事で受けてしまいそうだった。負い目からくるものだ。どうしようもない。取り返すことも、取り消すこともできない。森友が一番懐いていた元嫁を殺したという「ていとっく!」

「・・・・・・頼むから扉は静かに開けなさい。壊れてしまう」

 跳ね返った扉が閉まるより早く飛び込んできた卯月は、勢いそのままに清水の執務机に体当たりをかまし、彼女が運んできた風と衝撃で、上に乗っていたものがいくつか吹っ飛んだ。拾おうとしたところで、頭の上から、机に乗り出した卯月の声が叩きつけられる。

「あんね、カレイの煮付けはうーちゃんが作るから! 口の中かっぽじってまっとけぴょんっ」

「口の中はかっぽじらなくても味は分かる。作り方わかるのか?」

「山風に教えてもらうよ。煮物は山風が一番上手いから。千歳はもうお酒飲み始めてるけど、なんかやらせたほうがいい? 怒る?」

「そのまま飲ませておけ。いっそつまみでも出して快適に飲ませてやればいい」

「りょーかいっ。あ、そうだ、あのヌメヌメした棒みたいな魚って、どうやって食べるの?」

「ギンポはてんぷらだな。涼風あたりなら知ってるんじゃないか」

「聞いてみるねっ」

 言うだけ言って、また扉を蹴り開けて去って行く。

 窓の向こうから「1930にはできるよ」と卯月の声が聞こえた。

 まだ時計は十八時前である。口ぶりからすれば食堂に全員が揃っているのだろう。溜まっている書類なんぞ後回しにして、今日は彼女らの顔をみていたいと思った。明日やれることは明日やればいい。

 煙草を二本吸い終える頃には時間もちょうどよく、イガっぽくなった喉を咳払いしながら、もう一度電話をかけた。

 こみ上げた胃酸が苦く酸っぱい。

 先ほどと同じ事務員が電話に出た。またカノンを聞かされ、初めの節が終わるより早く、耳にこびりついた森友の声がした、

『悪い、来客があった』

 なんてことのない調子。いつもどおりこちらを見下した不遜な声色なのに反抗意識も湧かず、つい返事が遅れた。

『おい』

「すまん、お前が謝るとは思ってなくて」とっさに出たのは、相手にこちらの不利をわざわざ渡してやるような言葉だった。

『これから謝罪はなるべくしないようにしよう』

 野暮だ。

 硬く目を閉じて心を落ち着かせようとして、それよりも早く森友が言った。彼女は無駄をきらう。

『明日、小笠原攻略の先行部隊が八丈島を出る。そっちは今出たそうだな、編成は申告と変わりは?』

「ない。うちの第一、第二艦隊の娘らだ」

『・・・・・・休息は取れるのか。第二艦隊とうちの航戦を、硫黄島攻略にぶつけること忘れていないだろう』

 全身があわ立った。

「一分後にかけ直す」相手の返事を待たずに受話器を置いた。

 急いで机の上に散らばった書類から今回の作戦に使うメモ書きを探し、横須賀で小笠原偵察の報告を行ったときの資料を発掘する。半ほどのページにカラーの地図が印刷されていて、南鳥島から硫黄島の間に一方通行の矢印が一本引かれていた。『一日と半日』、矢印にはそれだけが書かれている。

 二日に及んだ会議である。何かひとつ漏れていたっておかしくない、なんて言い訳は通らない。

 危うく横須賀の本隊を危険にさらすところだった。援軍ありきの作戦で援軍がこないなど、今後の関係に致命的な亀裂が入れることになる。

 すぐに電話をかけ直そうとした。そして、ため息をはいた。

 たった今、叢雲たちに「帰ってきても良い」といったばかりではないか。

 だが、清水は思い直して受話器を取った。それとこれとは話が別だ。個人的な約束なのだ、作戦とは比べ物にはならない。

 対応が機械的になってきた事務方に取り次いでもらい、千歳たちに今から出てもらう旨を伝えた。「いい加減にしろ。作戦前には資料をすみからすみまで読み返せ役立たずが。二度と貴様にうちの部隊は貸し出さん」と怒鳴られ、受話器をたたきつけられた。返す足で無線機をいじる。あて先は第二艦隊旗艦、古鷹。南鳥島に輸送隊が到着したら補給を受け、すぐに硫黄島攻略に向かって欲しいと伝えると、若干戸惑っていたが了承してくれた。

 輸送船で交代に睡眠は取らせるとはいえ、いくら艦娘でも五日もまともな休息なしで戦闘行動ができるはずもない。すぐに艦娘母艦を向かわせると伝え無線を切った。遠方に赴く艦娘らを海上で休息させるための、エンジンを積み替えたクルーズ船。今回使うつもりはなかったが仕方ない。硫黄島へ向かう娘らに正しく休んでもらわなければ、防げた事故が起きるのだ。八木に電話をかけて手配してもらい――無茶を言いやがると笑われ――予定航路を口頭で伝えた。もちろん深海棲艦に対抗できる装備などないので、こちらから護衛の艦娘を出すことを条件に、今晩中に出航させる確約をもらった。

 いらぬ苦労をかけている。わが事ながら腹が立つ。のんびり釣りなどしている暇があるなら資料を読み返しておけばよかった。『慣れ』が出てきてしまったと、清水は自分の頬を三回、おもいきりひっぱたいた。

 なんのために叢雲は黒焦げになった。なんのために古鷹は敵陣に一人で突っ込んでいった。なんのために三日月は絶望にまみれたんだ!

 神通に連絡を入れようとしたのを止め、叢雲の個人回線宛に電文を打った。『南鳥島駐留は一水戦』とだけ。

 すぐに折り返し無電が入った。

『心変わりが早くないかしら』

 怒り心頭なのが手に取るように分かる。いきさつを委細説明すると、ため息のひどい雑音がしたあと、「わかった」、彼女は言った。

『葛城たちには直接言う?』

「このまま代わってくれると助かる」

 薄い雑音がして葛城が無線口に出た。はじめはとぼけたような態度でも、事態を説明すると、不満げな低い声色で「了解しました」と言って、無線が切られた。

 胃が痛い。

 また叢雲から無電が入った。

『怒ってるわ』

「わかってる。・・・・・・申し訳ない」

『しっかりしなさい。横須賀の部隊だとしても、あんたの指揮下にいるんだから。ちゃんと森友さんには謝ったの』

「あいつに言われて思い出した。怒鳴られた」

『当たり前でしょ。で、古鷹たちはどうするの』

「八木に無理言って、艦娘母艦の手配をしてもらった。第三艦隊を護衛につけて今夜中に出航させる。あさってにはお前達に追いつかせる」

『夕張たちがくるのね・・・・・・ふうん』

 叢雲の鼻息が聞こえたあと、「とにかく、これからは気をつけてよ。あんたの悪口なんて、私は聞きたくないわ」と、最後にお小言を残して通信が切れた。

 通信機の前で頭を抱えて、つっかえにしていた腕をはずし、思い切り机に頭をたたきつけた。たったひとつのミス。それが各方面に多大な迷惑をかけ、せっかく預かった横須賀の艦娘に不信を植え付けた。全て自分の落ち度。自分のミスは、部下のミスになる。富津の艦娘隊は使い物にならないと評価されてしまう。それだけは避けたいから、この海域で作戦行動中の艦娘全員が受信できるよう、謝罪文を打った。全部自分が悪いと。打って送信する前に、やはり消して、もう一度頭をたたきつけた。

 こんなことしたってなんにもならない。成果で返すほかない。

 食堂に向かった。

 潮風に乗って醤油とみりんの甘い香りが濃くなる。そうだ、たしか卯月がカレイを煮付けているはず。せっかく作ってくれているのに、今すぐ出航してくれと命令しなければいけないことに心臓が痛む。

 暗くなった道すがら、食堂の上がり口の階段に座り込む人影があった。

 千代田だった。

「ドンマイ提督。叢雲から連絡があったよ」

 清水が近づくと、彼女は立ち上がって彼に寄った。「よかったね、事前に気づけてさ。どうにかなったわけじゃないし、大丈夫だいじょーぶ」千代田は清水の背中を力強く叩きながら笑っていた。

 心遣いが余計にみじめにさせる。

「悪い、艦娘母艦を出すから護衛に回ってくれ。今すぐ握り飯をこさえる」

「ほらほら、あせらない。その艦が何時に出るか知ってるの」

 言われて、あくまで今晩中という話しかしていないのを思い出した。一度のミスで芋づる式にミスを続けてしまっている。どうしようもない苛立ちに舌打ちして、「八木に聞いてくる」司令室に踵を返そうとした。

 返そうとしたが、千代田が袖を引いて止めた。

「だから、あせらない。戦いはあせったら負け。いい練習だね」

 彼女の背後で勢いよく扉が開いた。

 中から出てきた二人は目の前に人がいたのに驚き、つんのめって倒れそうになったのを千代田の背中が受け止めた。

「うわあ、提督、いたの」

 涼風が丸い目をさらに丸くした。

 千代田の背中にぶつかった卯月が鼻を押さえ、彼女に抱きついたまま顔を出す。

「あとちょっとでできるから、中に入って待っとけぴょん。食べてからでも間に合うでしょ」

 気を遣わせているのがわかる。千代田を通して叢雲が何か言ったに違いない。

 彼女達に背中を見せたまま振り向くことはしなかった。みじめで仕方ない。艦娘といえど若い娘らに、自分の失態で大きな迷惑をかけ、しかも尻拭いは彼女達にしかできない。

 赤面を通り越し、血の気が引いた清水に、千代田が言った。

「八木さんなら出航前に連絡くれるよ。お友達なんだから」

「わかった」清水は振り返らずに言った。

「せめてメシは司令室で食う。すまないが、持ってきてくれ」

「もう、謝ってばっかり」

 最後まで背中で声を受け、清水は司令室に戻った。

 部屋に入るやストーブに火を入れ、上に乗っかっているヤカンから冷えた水を直に口をつけて飲んだ。

 一口、二口、五口、六口。

 すべて飲み干し、ゲップが出るより先に胃に満杯に入った水がこみ上げてきた。口の中にまで戻ってきた苦い水を飲み下して通信機の前に崩れ落ちるみたいにして座った。

 ロール紙が吐き出されるときを見逃さまいと機械をじっと見つめる。無駄に決まっている。いくら急いだって、出航準備には数時間以上かかる。

 やはり向いていないのだろうか、またため息を吐いた。

 集中できていない。清水は薪に火が移り、はじける音を聞いた。背中からじんわり熱が侵食してきて、冷え切った部屋が暖房されていく。さらに薪を足し、しばらく炎を見つめたあと、それを唯一の光源にして、通信機の前に戻った。当然、そうすぐに八木からの連絡があるはずもなく、煙草を吸うこともせずに、ぼんやりと座っていた。

 森友は。

 途端に、ここ数日渦巻いていたことが噴出した。

 気づかない振りをして、無理やり頭の奥底にねじ伏せていたものが、ゆるくなった上蓋を押し上げて漏れ出し、勢いを留めずに脳内を侵食してゆく。

 今回はともかくとして。森友がなぜ、男嫌い(八木の言葉を借りるなら憎むほど)になったのか。なぜ自分に強くあたってくるのか。もともと人見知りなところがあって、あまりこちらには懐いてくれなかった、しかし、こんなに攻撃的だった記憶はない。わかっている。彼女が一番懐いていた、元嫁を、由乃を、私自身が殺したからだ。なぜ彼女がそのことを知っているのかはわからない。八木には打ち明けた事があるが彼が教えたとも思えない。一度、内側に入れた人間にはとことん義理立てする奴だから。どこから漏れたのか、とにかく、彼女は知っている。そして、私はこの確執について謝ることも許しを乞うこともできないのだ。あれだけ苦しみ、ようやく生活ができるほどに立ち直ったのに、またひざをつきそうだ。否応なしに、あの光景を思い出してしまう。心臓が早鐘を打ち、こみ上げる吐き気に全身から汗が吹き出る。呼吸は浅く、肺に氷が張ったみたいに冷たい。事実を知っているのなら、彼女に殺されたって何ひとつ文句はない。

 むしろそのほうが良いじゃないか。俺は殺人を犯している。そうすれば、このような醜悪で凡愚な男が世界の行く末を賭けた艦娘たちの上に立たなくて済む。過去と、現在と、未来へ引きずって行く、決して払拭できない罪障に苛まされない。逃げと取られても良い、死ねばどうせ全てなくなる。死後の世界なんて、ちっぽけたりとも信じちゃいないじゃないか。由乃だって救われたわけじゃない。豚や鶏となんら変わりない。数日すれば消え去って行くその場しのぎのために死んでいった。報いられるわけないじゃないか、こんな、のうのうと幸せを享受してしまいそうな環境では駄目だ、毎日毎日、指先から寸刻みに体を削られていく苦痛の先に納得できる死が「ていとっく! ちっと開けろぴょん」

「・・・・・・」

 黙って扉を開けてやると、さまざまな皿を載せた身長の半分もあるお盆を片手で持ち、もう片手にこれまた大人数の炊き出しに使うお釜を持った卯月が涼しい顔して立っていた。

「勝手に艤装を展開するなといっただろう」

「そしたらこんなもん持ってられるかって話だぴょん。いいからどいたどいた」

 片足で押しのけられた。卯月が歩くたび大きくたわむ床が怖くて、「いいからその場においてくれ」と慌てて進路をふさいだ。邪魔された卯月は眉根を寄せたが、足元を見て、おとなしく荷物を置き、艤装をしまってその足で電灯のスイッチを入れた。

 床におろされた食器をひとまず机の上に置き、炊飯器もなんとか(腰を痛めそうになるほど重い)端に寄せた。まずこんなに米はいらないし、食器だって必要ない。どう考えても、今基地にいる全員分がそろっている。

「メシを持ってきてくれってのは私一人分って意味だったんだが」

「いいじゃない、みんなで食べましょう」

 夕張がフライパンを二枚持って入ってきた。中身は煮汁に浸かったままのカレイが電灯をあびて照っている。

 後に続いてギンポと野菜のてんぷらが盛られた大皿を持った涼風、わざわざ小鉢に漬物をいれてきた山風、ポットと湯飲みを持って浦風。遅れて一升瓶とゆきひら鍋を持って千歳、銀杏をビニール袋に大量に入れた千代田がぞろぞろと司令室に入ってくる。煙草と薪の燃える匂いしかなかった部屋は、一転腹を刺激するようになった。

「一人でいたって、どうせろくなこと考えないんだから。こういうときは、酒でも飲んで楽しくなっちゃえばいいのよ」

 熱されたストーブの上に銀杏を並べながら千代田が言った。「今からご飯なのになんで焼き始めるのかな」並べた銀杏は夕張が撤去した。

 食器擦れと水音と、せわしなく配膳する艦娘らの姿を見ながら、清水は椅子の背もたれに尻を乗せた。浦風が米をよそい、卯月が受け取って片っ端から秘書机に並べていく。全員が座るスペースを探し、仕方がないと部屋の真ん中におかずの入った皿を床に並べて行く夕張と山風。並べられた茶碗を涼風が床に置いて行く。千代田がお茶を注ぎ、千歳はよけられた銀杏をもう一度、今度は見つからないようにストーブの上に並べている。誰一人清水を気に掛けることなく、さっさと飯を食べるために準備をしている。人がふえて一気に温度が上がった部屋の窓が結露していて、夕張が慌ててカーテンを閉めた。

 居心地が悪い清水が「ちっと煙草を吸ってくる」と外に出ようとすると、卯月が灰皿を、彼の胸元に押し付けた。

「すぐできるから中で吸ってればいいぴょん」

 そのまま卯月は艦娘たちの輪の中に戻って行った。

 頭を侵食していたもやが晴れていく。

 一人酒を注いでいた千歳の湯のみを奪い、一気に飲み下した。冷酒がのどを焼き、胸と、たぷたぷになった腹を温める。口を開けて清水を見ていた千歳が抗議したが、彼女に空の湯飲みを返して言った。

「これ以上酒は呑むな。酔っ払いは海には出させん」

 体に抱き込もうとした一升瓶も奪い、千歳の声に目線をこちらにしていた山風に渡した。奪い返そうとした千歳が体を向けたが、大げさにおびえる山風が瓶を抱いたのを見て酒瓶を取り返すのをあきらめた。

 鍋の中に入っているカレイの煮付けは色が濃い。小指に煮汁をつけてしゃぶると、多少甘いぐらいで焦げもない。卯月が清水の一挙一動を見つめて、それから自慢げに鼻息をもらした。床に座り込み、仕度が整うのをあぐらをかいて待つ。水のせいで腹が空いているわけではなくとも、しょっぱいもののせいで口の内に唾が染み出る。

 まもなく、清水と艦娘らが円座した。

 山風が渡された一升瓶で重そうに酌をしようとするのを制し、清水は改めて、黙って頭を下げた。誰も、何も言わなかったものの、冷や汗をかくような重苦しい空気は一切なかった。

「それじゃあ、いただきます」

 後に続いて艦娘らが唱和し、いっせいにおかずに箸が伸びた。清水は争奪戦に参加せず、ストーブの上の銀杏を拝借しようとして、代わりにゆきひら鍋が置かれているのに気づいた。中には透明な液体。

 千歳を睨むと、卯月と数少ないうずらの天ぷらを奪い合っている。近くに瓶はない。

 瓶は清水から見えないよう、千代田の体の向こう側にあった。

 

 八木は当日中に一隻の艦娘母艦を東京湾から出航させた。三十分前には律儀に連絡を寄越し、護衛部隊はなんら不自由なく、いつもどおり浦賀水道で待ち合わせて古鷹たち先行部隊を追いかけていった。

 基地には誰もいない。全員が出払った基地で、清水は司令室に残された食器を片付けていた。卯月が軽々持ってきた食器類を持って、月明かりの下、えっちらおっちら足元を確かめながら食堂へ往復する。手袋もしていない手がかじかみ、仄か酒に酔った体が、がたがたとふるえている。

 都合、五往復。

 一通りシンク台に突っ込んだあと、真っ暗な食堂で煙草に火をつけた。

 灰が落ちきらないうちに、カーテンが閉まっているかを確認して明かりをつけ、灰皿片手に改めて席に着く。

 目の前の壁には、シーツにマジックペンで書かれた寄せ書きが、未だ真っ白く掲げられている。それを眺めていると、三口しか吸っていない煙草の灰が、白い海軍服の上に落ちた。叩き落とすと、灰の色がまっすぐこびりついた。

 南鳥島への輸送。硫黄島への急襲。

 同時に、西では奄美諸島への作戦が開始された。

 北は北海道の渡島半島西にある小島、奥尻島とその反対側、襟裳岬に居座る深海棲艦への攻撃が開始。

 中部、中国地方の日本海側では大陸に足がかりを得る為、沖縄奪還後の一斉攻撃に向け、兵力を温存しながら漸減作戦が。

 日本中が湊川作戦に沿って動いている。

 一手に束ねるのは、新生日本海軍、連合艦隊初代司令長官、添田柳蝉。自衛隊が名前を改めてからの初代長官を射止め、それでいて性格穏やかな頭の柔らかい男と聞いている。

 私は聞いているだけだ。

 清水は煙を大きく吸った。

 噂話を聞いて、せいぜい「キレ者に違いない」と、拾い集めた木片を合わせて新しい形を作り悦に浸っているだけの木っ端。修了式で壇上にいる添田の演説を聴いた有象無象の一人。

 森友は彼と直接やりとりをして、今、日本を動かす作戦を立案し、全国の長官たちにすら自分の考えをみとめさせた在野の傑物。

 彼女と同期である。おかげで森友はもちろんのこと、養成学校一期卒業生は誉れ高く尊敬されることだろう。長く続く戦いで、英雄的な活躍を求められ続ける。他にも同期はたくさんいる。もともとあった基地で司令官の一人として働くものもいる。自分のように、打ち捨てられた基地の再興を担うものもいる。八木のように裏方に回るやつもいるし、早速心をやられ、逃げたものだっているはずだ。

 色々なやつがいる。組織は、人間は、機械のように黙々と動くことはできない。それぞれに思惑があり、思想があり、思案するからこそ、人間は組織をつくる。組織は上に人が立ち、直上の権威によって働かなければならない。上司は部下の機微に心を配り、部下は上司の機微を受け取り、上司のために粉骨砕身働き、上司と共に権威を享受する。上司がいなければ部下は働かない。部下がいなければ上司は働けない。相互の依存によって、組織は永久の機関として存在し続ける。

 ここは軍だ。扱っているのはサンカの男たちではない。田畑を作るために山を切り拓いていた頃とは違う。

 事故に注意を払った。怪我をしそうな事はしないしさせない。彼らが働きやすいように環境を整えてもやる。寝食も共にした。彼らの悩みを聞き、酒を飲み交わす事だってした。間違いがあれば、年上だろうが構わずに叱った。苦労を分かち合い、工事が終われば同じ心地で宴会に臨んだ。一般と違う社会で生きる彼らが何を考え感じているのかを汲み取ることも仕事のうちだった。私は、上司として上手くやってきた。仕事のできる人間ではなかったが、後ろ指をさされるような男ではなかったはずだ。

 同じだ。同じ。

 清水は食堂の灯りを消し、雲ひとつ出ていない夜道を戻り、司令室に戻った。

 今度は灯りを点けない。基地には誰もいない。

 机の袖に設えられている引き出しの二段目を開けると、こまごまとした私物と、丸い瓶が転がっている。ラベルには素朴な細い筆幅で余市とあった。グラスや氷を用意することもなく、キャップを開けて匂いを一嗅ぎし、直接口をつけて思い切り呷いだ。常温の度数四十の液体が口腔を焼き、喉を焼いた。

 味わうために飲んだのではない。二口目をさらに多量口に入れて机に瓶を叩きつけ、固く目を閉じて飲み下し、酒臭い息を吐いた。喉元を過ぎて酒は胃を焼く。体中の血管に入り込み、体がカッカと燃え、顔が火照ってくる。

 サンカたちと違うこと。

 今、自分はサンカの男たちではなく、艦娘を率いている。恐れ多くも基地のひとつを預かって、艦娘たちに命令を下す。作戦のためなら、危ないと分かっていても出撃させる。させなければいけない。艦娘たちは私を信じて海へ出てゆく。私の命令に自らの生を見出す。それ以外に自分と世界を結びつけるものがないから、艦娘は上司を世界とのかすがいと考えているのだ。艦娘が上司に抱く情念は軽いものではない。

 基地には誰もいない。

 清水はもう一度ウイスキーを流し込んで、今度こそ酔いが回ったと確信した。鏡など見なくとも顔は真っ赤になっているのがわかるぐらい火照っている。

 彼の目は真っ赤に充血しながらも決してさまようことなく、まっすぐに闇の中を見つめている。

 

 艦娘母艦が先行隊と合流したのは二日と半日後の午だった。その間一切の敵襲はなく、よほど八丈島での戦いが敵に影響を与えているらしい。古鷹たちには母艦で休養をとりながら硫黄島へ向かっているだろう。

 さてこの艦娘母艦と言うもの、存外に快適らしい。

 機嫌を損ねていた葛城は、わざわざ通信を入れて感謝を述べてきた。入浴施設はもちろん、アメニティや食事が豊かなのだと。まともに施設の揃っていない八丈島での駐留が長かった彼女らは大いに喜び、むしろ母艦を手配した采配を讃える始末。夕立なんかは「うち(富津)より快適っぽい」とまで言いやがる。もともと、今回の作戦では初めから追従させなければいけなかったものなのに、そうであればまったく疲れを残さず、最高のコンディションで戦いに臨めたはずだった。

 というのは黙っておいた。

 一、四水戦は南鳥島での留守番だが、もちろん無線を傍受している。

 明石の通信機はひとつの通信機にひとりの妖精を宿らせている。別部隊に同じ妖精の分霊を宿した、つがいの通信機を必ず備えさせている。こうしておけば電波云々でなく、分霊の意識として通信を傍受できる・・・・・・と明石は言っていた。航空機艤装の応用らしい。とにかく、安全に通信できるのならば越したことはない。

 傍受した自慢話にわざわざ恨み節を送るあたり、士気や絆はそれなりにあると信じたい。硫黄島へ赴かない艦娘らは、これから南鳥島で警護のち野宿の運命なのだから。

 今度こそ見落としがないよう、何度も読み返した資料片手に、要綱をすべて暗号打ちして古鷹宛に送り、送った文章を五度、読み返した。森友が発案した作戦に、富津の特色を生かして、さらに磐石なものとした作戦だ。丸一日かけて何度もシミュレーションした。漏れはない。

 漏れはないがでっぱりがある。

 硫黄島の攻略が終わった後の各部隊の配置を見直していると、電話が鳴った。

 相手には心当たりがあった。

「森友か」

『そうだグズ』第一声は重く、震えていた。明らかに怒っている。

『勝手に作戦を変えるな』

「変えていない。すこし手を加えただけで」

『貴様らは硫黄島の三十五海里東に横陣。夜戦時には敵陣に突っ込まず、こちらが打ち上げた照明弾を頼りに遠距離砲撃、駆逐艦は魚雷の射程距離で待機。使うのは葛城たち機動部隊だけ。それがなんだ。貴様が今送った指令を、自分でもう一度読み上げてみろ』

「母艦分離地点から北硫黄島東を夜間急襲、横須賀本隊の露払いを勤めつつ、硫黄島東に布陣。昼は空母隊が主攻、夜間は敵陣を崩すために重巡、水雷隊突入、その後は横須賀の主力部隊が打ち崩す。連携せ」

『なにがすこしだ!』

 音が割れるほどの大声で森友は怒鳴った。

『そもそも、作戦を電文で送ったということがありえん。暗号文は破られるためにあるんだ、過信するんじゃない。そんなことに時間を割く暇があるなら、私の出した案が、なぜそうなったかを考えろ愚鈍! 一概に表面をなぞるだけが能か? 貴様はフォークソングが好きだったな。ひょうきんな詩の裏にある民の苦労を考えたことはないのか。歌の流行した時代背景を知ろうともしなかったのか』

 よかれと思って。

 清水は喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。

『頭をちっぽけも使えん貴様に教えてやる。貴様の下の艦娘は優秀だ。それは八丈島の戦いで十分わかっている。いいか、なぜ富津部隊に突入させないか、理由は三つ。

 ひとつ、先の戦いで一番血を流した富津部隊に対する敬意。

 ふたつ、あげく威力偵察までやりとげてもらったがゆえの、感謝。

 みっつ、未知の敵が存在している以上、脆い駆逐を前に出すのは危険だというリスクマネージメント。

 貴様にではない。貴様の部下に敬意を表して、今回は体をいたわらせようと決めたんだ。前に出なくとも、八丈島襲撃に当たって撤退した敵は、富津部隊に手痛い目に遭わされたのを理解している。一部に陣を敷いているだけで、大きなプレッシャーを与えられる。あとは、我らの主力部隊が力でもって蹂躙すれば、撤退せざるを得ない。敵は有象無象ではなかった。明らかに指揮しているやつがいる。いくらか頭があるならば間違いなく撤退する。それも南か西に焦点をしぼらせる事ができる。

 それがなんだ。露払いだ? うちらを見くびるな!

 布陣前に重傷者が出たらどうする。東をふさぐ布陣が遅れたらどうなると思う。せっかく輸送隊が到着した南鳥島に向かうぞ。貴様らの部下は優秀だが、新たな拠点を得ようと死に物狂いの敵を、水雷隊だけで止められるか。最悪死ぬ。最悪じゃない、間違いなく。あそこら付近はどの島からも離れているから一切の援けを向けられん。艦娘は逃げられるとして、人間は間違いなく殺される。貴重な人材があの島で死ぬんだ。そうしてどうなる? 強固な敵の基地になる。こちらが攻めて行くのが丸分かりなんだから当たり前だ。

 沖縄攻略をすばやく遂行するには、小笠原諸島に早く磐石な泊地を造らねばならん。我らが万端の戦力で、南から沖縄の横っ面をひっぱたいてやることに意味があるんだ。ぐずぐずしていれば台湾や中国沿岸から戦力を集められてしまう。そうなれば長期戦になる。日本が終わる。艦娘たちは浮き砲台にもなれず内陸で腐っていき、我らは暴徒に潰される。河川を深海棲艦どもが遡上してきて、徹底的にやられる。そうして日本が終わる!

 わかるか?

 国土奪還、大陸への連絡網を作るまで何ひとつ失敗は許されない。だから私は貴様が仕様のないミスをしても、失敗につながらないよう忌々しくともカバーしてやる。だが自ら間違ったことを推し進めるヤツをかばいきれるほど私だって万能じゃない。私を見返そうと空回りして作戦を失敗に繋げようとするのなら、貴様一人を前線に押し出し、エサにしてやる。そのほうがよっぽど役に立つ。

 使えん頭でろくでもない意見をするのなら、さっさと死ね、この役立た――』

 受話器を叩き付けた。息がひきつっている。基地に誰もいなくて本当によかったと心の底から安堵した。ここに座って肩を震わせているのは、富津泊地の司令長官ではなく、情けないひとりの中年男だからだ。

 よかれと思って。

 夜間にいくら照明弾があったとしても遠距離砲撃では命中率などたかが知れているから。まして古鷹たちだ。川内たちもふくめた、うちの主力部隊。第二艦隊。突入は危険であるも、きっとうまくやってくれるだろうし、夜戦と言うものは諸刃で敵を切り崩すことに意味があると理解していた。今回はさらなる攻撃力、横須賀の水上打撃部隊もいるのだし、昼には空母機動部隊まで出ているのだから、それなりに安全にバトンタッチできるだろうと踏んでいた。徹夜で考えた連携作戦だったのに、そもそもの前提を間違えていた。設問が間違っていれば、当然正しい答えは出せない。

 先ほどの連絡は誤りだと第二艦隊宛てに電文を送り、改めて森友に言われたとおりの作戦を送った。

 こういうときどうすればいいと、夕張は教えてくれた。酒だ。酒を飲めと言っていた。酒を飲んで楽しくなってしまえばいいと。清水は机に置いた余市をひっつかみ、瓶底を天井に向けた。

 三口一気。鼻に突き抜けるウイスキーの匂いを感じて夢想などできるはずもない。飲む。今あったことを忘れたくて飲む。切り替えなくてはいけない。マズい流れに巻き込まれている。今までどおりにやればいいんだ。そこに病的な神経質さを付け足して、余計なものは排除していく。部下に不都合があるときだけ意見をすればいいじゃないか。なぜ余計な事をした! なぜいい格好を魅せようとする。彼女は全てを知っている。もうどうしようもないんだ。お前は何をしようとしているんだ? 頭の隅で自分が叱責している。何を取り戻そうとしているんだ? 手を伸ばした先にはなにもないだろ。振り向いたってあるのは荒野だけなんだろう。酒を飲む。切り替えるために。まとわりつく意地というものを振り落とすために飲む。頭がぼうっとしてくる。江戸川沿いに、由乃と暮らしていた頃。鮮やかなパステル色の日々はろくに出てこない。夜と、赤と、煙の匂い。川を上ってくる人影。火の灯りを頼りに、蝿のような化け物が低空に飛んでいる。コンクリートがえぐられる音、初めて聞く機銃の音。石油の匂い。人波、怒号、叫声、悲鳴。ガラスの飛び散る音、破片が顔を切るちくちくとした痛み。飲む。首根っこを掴む真っ黒い指をひきちぎるために飲む。火が顔を舐めている。焼けた脂が鼻腔にこびりつく。髪の焼けた匂いが脳髄に突き刺さる。べとべとしたりざりざりしたものが腕にのしかかっている。煙を上げている。煙が鼻にこびりつく。飲む。さらに飲む。胃が受け付けなくなった。こみ上げてくるものを押し込めるためにさらに酒を飲む。倍以上になって戻ってくるものをさらに押し込める。よだれを垂らそうが、涙が流れようが、吐き気を押さえ込むために飲む。声にもならない声が耳で反響し続けている。大好きだった。共に成長してきた。初めてのことをたくさんした。一緒にしてきた。しかし、終わりは、私が決めた。私が決めて、私ひとりが決めて、私ひとりが生きた。私はひとりで生きている。飲んだ。もう限界を迎えて瓶を握ることができなくなった。こぼれたウイスキーが書類を茶色く染めて行く。染み込んだウイスキーが気化して部屋中に匂いが満ちる。転がり落ちた瓶が立てた音が無性に苛立たしく、おもいきり蹴り上げた。瓶は壁に当たり大穴を空けた。そして、膝から下がなくなった。世界が回っている。回った世界はひたすら黒く、混ざる色なんかなく、ひたすら黒いだけだった。機械音がなる。どうでもいい。どうせ、第二艦隊からの突き上げだ。あとで見る。酒が足りない。這いずって冷蔵庫を開けると、ビールと日本酒の一合瓶があった。ビールを開け、こぼれるままにして流し込む。切り替えろ、切り替えるんだ。ほとんど服と床に飲ませたビールの空き缶を投げ捨て、一合瓶を開けたところで限界が来た。窓まで進む猶予なく、その場に四つんばいになって、今飲んだ酒を全て吐出した。機械音が鳴っている。それどころではない。胃の中からあがってきた酒は再び喉を激しく焼き、たまらずむせると吐瀉したものが肺に入り込んだ。苦しんでいる途中であっても胃袋は次を送ってくる。このまま 内臓もろとも吐出してしまいたい。そして、あたらしい、綺麗なものを入れたい。吐くものがなくなっても体は蠕動していた。消化の途中だった、ペースト状の食物がひどい匂いを出している。むせた事でさらに酔いが回った気がして、何とか体をよじって吐いたものの脇に体を倒した。

 部屋の中はひどい匂いだ。酒が混じった吐瀉物はじわじわと床に広がり、二の腕から染み込んでいく。そんなものも、どうでもよかった。 

 酒が足りないのだろうか。酒をいくら入れてもまったく楽しくならない。目を瞑るといやな事が目の前に再生されそうで、渦巻く天井を意味なく見つめていた。

 また機械音がした。

 目だけを通信機にむけると、想像以上の紙が吐き出されている。切れ目の入ったロール紙が波型をつくり、机から垂れるほどに。

 何かあったのか、呆けた頭でもそれぐらいは危惧する事ができた。吐瀉で汚れた部分を避けて、しかし立ち上がることは出来ずに、四つんばいで通信機の下に這って行った。

 ぶら下がった紙を適当にちぎって内容を見ると、ほとんどが一水戦。正確には叢雲。何通かは古鷹。識別コードには二人しかない。『なにしてんのよ』『他の娘たちには私からなんとか言っておきます。あの、お休み、とってます?』『あんまり古鷹たちに迷惑かけないで』『もう変更はないんでしょうね』『届いているかしら。返信求む』『横須賀さんも大丈夫です。よっぽど母艦が気に入っているみたいで。これ以上の変更はありますか』『寝ているの』『あんま送ると神通に怒られる』『どうせ森友さんに怒られているんでしょ。仕方ないわね』『届いている?』『試験通信、富津第一水雷戦隊第一駆逐隊・叢雲』『返事!』

 ざっと読み直しても清水を責めているものはない。そりゃそうだ、彼女らは部下なのだから。

 おぼつかない手つきで、ひとまず古鷹に『以降変更ナシ』とだけ返し、床に崩れ落ちた。上体を持ち上げているのも苦しい。こんな状態で叢雲のお叱りを受け止めることはできない、仰向けにひっくり返った。

 と同時、音声が入った。

『あー、富津第一水雷戦隊第一駆逐隊、叢雲。基地、応答願うわ』

 かなり離れた距離だというのに、通信局すらないというのに、もともとの雑音以上のものは入っていない。しっかりと声が聞き取れる。

 悩んだ。このまま放置して、届かなかったことにしてしまいたかった。けれど、次に会ったとき、通信記録を見られたら大変な事になる。叢雲のことだ、精神的にひどく攻め立ててくる。椅子によじ登り、胃酸で焼けた喉をひとつ咳払いをして、音声送信のボタンを押そうとして、追撃があった。

『あんたのことだから司令室にいるのはわかってる。いいから早く出なさい』

「こちら、富津」

 座っているのすら辛い。

 机に突っ伏したまま、マイクを口元まで倒して音声を送信した。いくらか遅れて、『わ、本当に届くのね。これ持って戦争やり直したいわ』と、叢雲の驚いている音声が入った。

「お前のところは何も変わらん。警護をよろしく頼む」

 清水が言うと、苛立ちを隠さずに叢雲が返す。

『あんた、近頃どうしたのよ。ミスが多い。怒っているわけじゃないけど、古鷹たちが混乱しちゃう』

「わかっている」叢雲の物言いがわずらわしかった。怒気を混めてもう一度言った。「そんなことはわかっている」

 だがこちらの苛立ちをそよ吹く風と受け止めた叢雲が、いつもと変わらない調子で言った。『何かあったの』

「何もない。早く切らないと神通に怒られるぞ」

『知ってる。というか、どうせもうビンタ決定だからいいの』

 事も何気に言い放つ。

 いくら指向性の高い通信機に換装したといっても、確実な安全は保障されていないのに、こうも個人的な連絡を入れていれば当たり前だ。

 それでも叢雲は通信を切ろうとしなかった。

『なにかあったんでしょ』

「しつこい。これから硫黄島警備の配置を見直す。切るぞ」

『切らないで。・・・・・・あんた、ちょっと「あー」って言って』

「・・・・・・あー」

『もっと長く』

「うるさい」

 もう限界だった。上体を持ち上げたせいで整理された胃が、もう一度吐かせようと体を蠕動させる。部屋に充満している酒と吐瀉の匂いのマッチポンプ。

 吐いている汚らわしい音は、もちろん送信するはずもない。

 同時に古鷹から『承知しました。がんばります』と、健気な電文が入った。

『声が変よ』

 咳払いをして送信した「そんなことはない。いいから、警護に集中しろ」

『あんた、私が言ったこと憶えているかしら』働く頭はアルコールに浸かっている。しばらく返事がなかったのを否定と受け取った叢雲がさらに続けた。『まあいいわ、体でわからせてあげるから。ちなみに今警護に当たっているのは四水戦。私はなーんにもない島で砂浜に寝そべっているの。神通の熱烈な視線を浴びながらね』

 だったら早く切ればいい、そう言いかけて、急激な眠気がきた。

 睡眠を取れといっているんじゃない。気を失わせろという命令を脳が出したのだ。

 もう通信機をいじる気力もなく、机に広がった吐瀉物に頬を押し付けながら目蓋を閉じた。その裏にはなにも写らず、不思議な安堵があった。

 意識が落ちる直前、叢雲の声が聞こえた。

 なんと言っていたのか、なんと応えたのか清水は憶えていない。

 憶えていないが、一水戦は南鳥島からわずか一日、翌日に富津基地に戻ってきた。

 叢雲の右頬は赤く腫れていた。

 

 

3

「なぜ帰って来た」

 通信して二十五時間といったところ。

 夕食もとらずに書類と睨み合っていた清水は、部隊がドックに入ってきたことを知らせるブザー音に飛び上がって驚いた。

 叢雲は暖房の効いた室内に洟をすすりながら、赤い目を吊り上げて反論した。「あんたが許可してくれたのよ。どうせ憶えてないだろうけど」清水を押しのけた叢雲はそのまま部屋の央に進み、ぐるりと見渡した。

 まず、洟をすすったときに眉をしかめたのを清水は見た。室内でぶちまけた吐瀉の匂いはなかなか消えない。そして床に残った染み。これも、冬の気象では消えなかった。壁に開いた大穴もそのままだった。まさか帰ってくるとは思わなかったからだ。

「私が言ったのか」

「そうよ。一水戦に帰投命令を出しなさいって言ったら、寝ぼけたような声で勝手にしろってね」

 だから勝手にさせてもらったわ、叢雲は言った。

 そして、清水に近寄ってきた。

「すっごい臭いのだけど、あんたまさか、ここで吐いた?」

 服に顔を近づけて匂いを嗅がれ――風呂にも入ったし着替えもしたので意味はない――思い切りにらみつけられた。

「森友さんになに言われたのか知らないけれど、あんなことで酒に逃げるなんてどうかしてる」

 もう一言叢雲は付け足す。「あんたにとって酒は逃げるためのもの?」

 何も言えずに叢雲の目線から逃げていると、彼女は清水の机に腰掛け脚を組んだ。「で、森友さんになんて言われたのよ」と、こちらの傷口をほじくり返そうとしてきた。

「まあ色々だ」清水ははぐらかした。

 南鳥島から一日で帰ってくるには、休みなく最高速度で走り続けなければ、到底たどり着ける距離ではない。叢雲の前髪はざんばらにめくりあがっているし、女らしい香りは、髪に染み付いた潮と汗にかき消されている。ただでさえ赤い瞳だ、潮風と眠気に苛まれている白目も赤くなって、洟を頻繁にすすっているものだからうさぎみたいだった。私服だけは汚れらしい汚れもなく、纏っている中身をそれらしく飾っている。

 疲れているのがよく分かる。しかし、彼女は相変わらず不遜にしていた。

「神通たちはどうした」

「お風呂じゃない? さすがにみんなへとへとだったし」

「その頬は」清水は自分の頬を指差して、彼女の赤くなっているところを示した。

「だから神通にぶたれたんだってば。『上司の情緒と作戦行動を天秤にかけてはいけません』ってね」

 叢雲は思い出したように立ち上がり、ストーブの上においてあったヤカンの中身を確認した。「天秤にかけているつもりはないわよ。自惚れないでね」、中身が十分入っていることを認めると、ペーパーフィルターを広げて、中に挽き粉をいれ、お湯を回し入れた。ふわりと香りが立ち上り、同時に命令無視をした――清水が許可を出したのだが――ことに対する清水の憤りも部屋の中に霧散してゆく。

 二人分のコーヒーを淹れた叢雲がカップを清水に手渡して言った。

「このままメチャクチャな指令を出されても困るし。今は、失敗しちゃいけないときでしょう」

 受け取ったスチールのマグは火傷しそうなほど熱く、香りは上品で、とても支給品の安物とは思えない。「いいから座んなさいな」再び机に腰掛けた叢雲はマグを傾け、ずるずる音を立ててコーヒーをすすった。

 彼女の斜め、通信機の前の椅子に腰掛けると、腰の力が抜けたみたいに立ち上がれなくなった錯覚を覚えた。清水に理由はわからなかった。しかし、自分の身体の異常に悪寒のひとつも感じない。

「それで」叢雲が細かく何度もマグを傾けている合間に言った。「なんて言われたの」

「だから、色々だ」

 清水ははぐらかした。

 子供でもわかるよう、森友の機微を懇切丁寧に説明されたなんて言いたくない。

 死ねなどと罵倒されたなんて言いたくない。

 せっかく全力で帰って来てくれた叢雲には悪いが、言いたくないものは言いたくなかった。

 かかとで机を思い切り蹴った叢雲の苛立ちが静かな部屋に響く。

「帰ってくるのに私がどれだけ苦労したと・・・・・・」

 マグを握る指に力が入っていた。指先が黄色くなってわなわなと震え、怒髪した髪がわっさりと広がっている。

 清水はうつむいたまま何も話さなかった。

 やがて叢雲は大きく息を吐いた。同時に、広がって見えた髪の毛も、体中の空気が抜けたみたいにおさまった。

「聞き方を変える。『由乃』さんって誰」

「――」

 清水の息が引きつったのを叢雲は見逃さない。片眉を上げて情報源を吐いた。

「時雨」

 清水は体を膨らました緊張を吐き出した。

 時雨から聞いたなら『嫁の名前』以上のことは知らないはず。せめて叢雲たちには自分の口から説明しなくてはと決めていたのだ。これでいざの時、事前に知られていたのならば、なんと間抜けな事か。

「あんたの『元』、奥様なんでしょ」コーヒーをすすって続けた。「いくら聞いても教えてくれなかったのに、なんで時雨が知っているの」彼女は勝ち誇ったような顔をやめて、静かな怒りをたたえて睨んだ。自分の部下よりも、他基地の娘に口を滑らせた男に苛立ちを感じるのはごもっともだと、清水は冷や汗を流して、見え透いた見栄の顔をする他なかった。

 悩む時間を稼ぐためにマグを傾けたあと、煙草を吸おうとして胸ポケットを漁った。だがポケットには何も入っていない。体中を叩いて探していると、叢雲が「これ?」と黄色いソフトケースをひらひらと振った。

「あ、ああ。投げてくれ」

 叢雲はソフトケースを後ろ手に隠し、また不遜に笑った。「欲しけりゃ話してちょうだい。・・・・・・もやもやするの。点は打たれているのに、線でつなげなくて。こればっかりは想像や推察をしてはいけないわ。あんたの口から真実を教えてもらわないと」

 ころころ表情を変えて叢雲が話す。清水は、巡らせているようで巡っていない考えをまとめられず、彼女の目をまっすぐ見返すことも出来ない。

 組まれた足に視線が落ち着いた。

 二人は動かない。

 窓に遮られた潮騒と、ストーブの薪が燃えるぱきぱき乾いた音を聴いていた。

 コーヒーが湯気を立てなくなった。

 ちょうど通信機がロール紙を吐き出す、目立った音があった。

 清水が意を決したように言った。

「なら、煙草はいらない」

 体を通信機に向けて、叢雲には背を見せる形になる。向き直る直前の叢雲は愕然として、おおきく目を見開いていた。きっと彼女を傷つけたという事がわかっていても、強情に我を通さなければいけないと判断を下した。自分達の上司が殺人を犯しているのだ、忠誠心に関わる。たとい情けなく頭の悪い上司であっても、それとこれでは話が違う。

 通信コードは古鷹。『警戒部隊と思わしき敵と交戦、以下戦闘報告』とあった。そのあと能代から交戦地点と戦闘時間、川内から被害状況と消費弾薬、青葉から編成と隊列が送られてきた。横須賀や銚子にも同じものが送られているだろう。これ以上母艦を追随させるのは危険と判断し、反転させ南鳥島に係留させるよう連絡した。いくらかのラグのあと、『委細承知』とだけ返事が来た。

「第二艦隊が交戦した」呆然としているであろう叢雲に話しかけたつもりだが返事はない。

 物音がしない。コーヒーがすすられる音もしない。洟をすする音もしない。

 清水は振り向くのが怖くて、ずっと背中を向けていた。

 必要事項の連絡を終えたはずの通信機は、もう一枚ロール紙を吐き出した。

 通信コードは古鷹。『大丈夫ですよ、なにも問題あ』手に持っていた紙をひったくられ、いくらなんでも暴力的だとなじろうとして、肩をおもいきり引かれた。あわや倒れそうになったのを、机にしがみ付いて堪える。

 叢雲は机に広がっていた記録もひったくり、ざっと流し読んだ後、再び清水の肩に手を置いて言った。

「終わったみたいね。じゃ、話してくれるかしら」

 冷たい、冷たい声。

 肩に置かれた手を払い、再び背中を向けて清水は言った。「話さない。まだ、自分の中で整理がついていないんだ」再び肩に手を置かれ、清水はもう一度彼女の手を払った。

 三十余年の人生、女性に強気に出て成功したためしがなかったなと、ふと思った。

 今度もそのとおり、頭の上からコーヒーをぶっかけられ、全身に鳥肌がたった。

「なにしやがる、てめえ、上官だぞ!」

 彼女に向き直ったとき、重心がつま先に偏ってよろけそうになった。

 叢雲は艤装を展開していた。

 艤装を展開させ、清水にまったくおびえることなく、声と同じ醒めた視線で清水を見返していた。

「気分転換になった?」ふざけるな、なんて反抗的な言葉は喉の奥につっかえて出てこようとしない。

「なんだ、そんなもん出して」

 血の気が引いた清水は一歩退いて言った。「なぜ艤装を展開させている。収めろ」

 叢雲は一歩踏み込んだ。「どうせなら熱々のものをかけてやりたかったわね」手に持ったマグを下投げに放り投げると、清水の机に備えてあったデスクライトを粉砕した。

 叢雲が一歩踏み込めば床が大きくたわむ。そのたび、清水はつんのめりそうになる重心を後ろに傾けて一歩下がる。

 一歩、一歩、一歩。

 やがて壁際に追い詰められ、こぶし二つ分の位置まで詰め寄ってきた叢雲は清水を見上げ、鳩の血のような瞳で彼を睨み付け言った。

「いつになったら整理がつくの。整理がついたら、本当に話してくれるの」

「艤装を収めろ。命令だ」

「意地の張り合いほど無駄なことはないわ。答えなさい」

「脅すのか」

「ええ」叢雲は事も何気に言った。「脅しているわ。私は、あんたに力ずくで話させることもできる」

 部屋の照明が鈍く艤装を光らせている。砲口こそ明後日を向いているとはいえ、人間離れした力で、大の男を引きずり回すことぐらいわけないのが艦娘だ。

「ただではすまんぞ。軍規はお前のほうが詳しいだろ」

 清水は唯一の切り札を切った。

 しかし、叢雲は哀れな、権力というものに縋った男を見て涼やかに笑った。

「別に、どうとでもしなさい」

 砲塔がゆっくりと動いた。じわじわと砲口が自分に向くのを、目だけで見ていた。あまりにゆっくり過ぎて艤装に具不具合でも出ているのではないかと疑うぐらいゆっくりだった。脂汗が全身からふきだす。それも自分に砲口がぴったりあわさっときには、逆に毛穴と言う毛穴から汗がひっこんでいく、じくじくしたかゆみを感じた。 

 砲口は止まらない。

 今度は逆に早回しを見ているみたいだった。「艦娘って便利だわ。艤装の稼動範囲を、自分で決められるから」自分に照準が合ったのと半分ぐらいの時間で、砲口は目標をしっかり定めた。

「死体相手に軍法振りかざす意味なんてないって、私はあんたより理解している」

 叢雲は自分に自分の砲口を向けていた。

「主砲、発――」「話す!」

 たまらず清水は声を上げた。

「いつ?」

「だから、整理が付いたら、必ず」

「主砲、発―」「わかった、話す! 今話す!」

 清水はまた汗をふきださせ、ねっとりとしたものが顔の脇を垂れているのを感じた。

「言質とった」憎たらしい顔をして叢雲が言った。「用具収め、ありがとね」重い金属の音がいくらかして、彼女は艤装をしまった。

 清水はひっくり返った椅子を起こすこともなく、突き出た脚にへたりこみ、暴れる心臓を落ち着けようと努めた。

 本気だった、彼女は本気で自分を撃つつもりでいた。任務から帰ってきて演習弾など積んでいるはずもない。実弾で、あんなに至近距離から、自分の頭に十二・七センチ砲弾を撃ち込もうとしていた。

 うなだれた清水の両肩に手を置いた叢雲が、彼に視線を合わせる。

「あんたが欲しかったのは、こういうのでしょう」

 平手で優しく顔を叩き、過呼吸気味に汗をたらしている清水の背中をさすった。「もう大丈夫よ。おおげさね」背中がうねり、何度かえずくような動作をしはじめ、ぐらついた体は力が入れられることなく床に倒れ臥した。

「ちょっと!」

 細い腕を頭の後ろに回し抱え起こすと、清水が血色の悪くなった唇をつりあげて叢雲の瞳を見た。

「おおげさだな、だいじょうぶだ」

 腕が引き抜かれ、床に後頭部を叩きつける鈍い空洞音が響いた。

 頭をさすりながら上体を起こした清水に鼻息ひとつ吹きかけ、叢雲は踵を返して机に尻を乗せようとして立ち止まった。机の上には、彼女が粉々にしたライトの破片が飛び散っている。

 その背中に言葉を投げかけた。

「すまんが、手を貸してくれ。腰が抜けた」

「はあ。・・・・・・え、ほんとに?」

 艤装を展開せず、全体重をつかって清水を引っぱり起こし、ひっくり返っていた椅子をなおして座らせた叢雲は、「コーヒー淹れなおして貰おうとおもったんだけど」と、部屋のすみに転がっていたマグに息を吹きかけた。湿ったカップについたゴミは取れなかったのだろう、ヤカンからお湯を注ぎ、窓をあけて中身を窓から捨てた。

 椅子に座りながら、清水は彼女の動向を見ていた。

 体調の不良は嘘じゃない。窓から吹き込む寒風が、汗とコーヒーで湿った体から熱を奪ってゆくせいで震えが止まらない。立ち上がろうにも足に力が入らない。清水のマグの中身もすっかりぬるくなっている。

「寒いの」マグを洗ったついでに外を眺めていた叢雲が、清水を見て窓を閉めた。それでも震え続けているのを、「おおげさね、なんて天丼してやりたいけれど、それじゃ仕方ないわ」と、清水の私室に勝手に入り、着替えを取ってきた。

 目の前に突き出されたぼろきれみたいな長袖シャツを見ていると、どうにもおかしくなってしまって、鼻息だけで笑った。

「お前は遠慮がないな」

「ん?」

 シャツをを引っ込められて受け取ろうとした手が遊ぶ。「・・・・・・叢雲は遠慮がないな」清水が言い直すと、もういちど服を差し出された。

 もろ肌を出して着替えている男から目を逸らすことなく、ストーブで足を暖めながら叢雲がコーヒーをすすって言った。

「すぐにでも聞きたいけれど、風邪をひかれちゃ困るし。先にお風呂ね」

「腹は減っていないか」清水が聞くと、不機嫌な顔を隠しもしないで叢雲が答える。

「減ってる」

「じゃあ、一時間後にここで。神通たちもそろそろ風呂から上がるだろうし、なにか作っているだろ。来る時に酒とつまみでも持って来い」

 まだ震える足に無理やり力を込め、コートを羽織って戸口に立った。中身の入ったままのマグを机に置いた叢雲は、そのまま清水の脇に体を滑り込ませた。「危なっかしいわね。いいわよ、寄っかかって」

「じゃあ途中まで頼む」

 遠慮なく体重をかけると叢雲が潰れて、音なのか声なのかよくわからない音が出た。「ちょっとは男らしくしなさいよ」と尻をひっぱたかれた。

 食堂と風呂場までの道を寄り添って歩く。

 今度は叢雲に体重をかけずに自立した。震えは力の抜けたものでなく、単純に寒さ。寄り添った側からは、叢雲も同じように震えているのがわかる。そして決して清水の歩幅にあわせようとせず、気を抜くと引っ付いている腕を引かれ、否応なしにゆっくり歩かされる。「入るか?」コートの内側に抱えようとすると、「いやよ、歩きにくい」なんて断わる。そも、彼女は暖かそうなダウンジャケットを羽織っていて、清水のコートでは薄着の下半身まではカバーできない。また潰されるかもしれないという警戒もあるかもしれない。

 けれど体を離そうとせず、少しでも歩調がズレれば腕を引いた。分厚い防寒具の上から、体温とは違う暖かさがある気がする。おかげで幾分か冬の潮風に耐えられる。

 まだまだ春の匂いはしない。


 天井にへばりついた滴が自分の重さに耐え切れずに落ちてくる。てとん、とてん、自分がどこに張り付いているのか身の程もわきまえず、制限なしに体を太らせた滴たちが湯船に落ちてくる。

 天井から湯船までの、人から見ればたいしたことのない距離でうんと冷えて、自分の何倍もある人間の体を縮こませる。首筋を伝い、背中を流れ、いずれまた湯船の中に還りゆく。湯はまた、自分と外気の差に湯気となって浴室を漂い、壁や、そして天井にまたへばりついて身を太らせる。へばりついた水滴は水垢に変わり、洗剤でこそぎ落とされる。薄暗く汚れた排水溝を通り、生活排水として汲み上げられ、再び蛇口から湯船に注がれるのもある。海を知り、地球の天井でたっぷり肥えて直径一ミリほどの取るに足らない雨粒になり、人々を屋外から追い出すのもある。服に染み付き、傘を叩き、人の体を叩き、地面にしみこみ、そしてまた天井にへばりつく。

 湯船の天井にへばりついていた水滴は地球の天井にへばりつく。

 彼らは足元から人間を見上げ、いつか人間を見下す。


 湯船に身を沈めた清水はタオルを土方巻きにして、湯船で顔を洗った。女湯と男湯で設定温度は変わらない。だいぶ熱めに沸かされているのは、長風呂を好かない神通の好みだろう。清水はその逆の、ぬるい湯で一時間も二時間も浸かっているのが好きだった。蛇口をひねって水を足しながら、ものの数分で茹りかけた頭を冷やした。冷水を染みさせたタオルで首筋を冷やし、尾てい骨からまっすぐ背中に虫が這ったようなこそばゆさに肩をちぢ込ませた。息苦しいぐらい充満した湯気が灯りを拡散させて、全体が、ぼんやりと橙色になっている。壁の向こうからは、潮騒がごお、ごおと鳴っていた。

 湯がぬるまるのを待つ間、清水は湯船の縁に尻を乗せた。足だけを浸けていても汗の玉ができて伝い落ちてゆく。どこからか冬の空気が漏れている、火照った体にはちょうどいい涼しさがあった。

 清水は腹を伝う汗玉のひとつがへそに吸い込まれたのを見ながら、奇妙な安堵に包まれていた。

 艤装の詳細など知る由もない、もしかすると弾なんて込められていなかったかもしれない。だまされたのかもという考えもあった。が、叢雲が自分の頭に砲口を向けたのは事実だ。

 おかげで話さざるを得ない。司令室で待つ彼女をはぐらかし、無視することはできなくなった。そうすれば今度こそ彼女は清水の目の前で頭を撃ち抜くだろうし、よしんば艦娘の頑丈さで死ななかったとしても、決定的で埋められない溝ができて、今後司令官として彼女の上に立つ資格がなくなる。民間に戻ったとて無力と後悔の自責で、さっさと首をくくる未来しか見据えられない。叢雲はあの砲口で、清水の選択肢を撃ち落した。そのことにどうしようもなく安堵してしまう自分がいる。

 いつだってこうだ。自分から何かをしたことなんて一度もなかった。司令官になってからもそう。富津基地を丸ごと再興させろという辞令が下るまで実家で怠惰に過ごしていた。母親が配給と、庭の畑で育てた野菜で作ってくれた食事を食べて自堕落に辞令を待っていた。そうしている間、森友は一足先に横須賀へと配属され――確か前任がまだ健在だったはず――自分が富津に入る数ヶ月の間に長官の座を獲った。どのようないきさつがあったのか知らない。たが、確かに彼女は海軍の中枢たるところに座った。自分の辞令が来るのが遅かった、そんなものは言い訳にならない。富津は横須賀の傘下にある予備的な基地である、というのはあらかじめ考えていた。サポートに回るべき立ち位置なのだ。意見が認められているとはいえ、合同作戦を執るのなら決定権は横須賀にある。富津は横須賀の命を受けて動かなければならない。清水は森友に従わなければならない。それが、組織と言うものだから。

 その前だってそうだ。山の中でも、サンカの職人たちに世話になった。転職したばかりで、しかも暗く沈んでいるのを良く助けてくれた。

 由乃だって初めて声をかけたのは八木だった。告白したのは由乃だし、プロポーズですら由乃だった。私が唯一自分の意思でしたことなど、彼女を殺したぐらいだ。

 自分から動いたことなど片手で数えるぐらいしかない。幼い時分を思い返しても。

 いくら振り返っても誰かがいた。誰かに引っ付く自分がいた。

 蛇口を止めて、だいぶぬるくなった湯船に肩まで浸かる。ともすれば、まだらに冷たさがあるような湯で顔を洗い、タオルを解いて顔をぬぐった。

 着任してもう半年。

 清水は天井を見上げた。

 廃材で作ってもらった建物は、かんな掛けをしたばかりの木のにおいがしていた。あの時は夏場で、しかも三日も風呂に入れなかった。カーペンターズが「風呂が出来ました」と伝えてくれたとき、叢雲と一緒に駆け込んだのを憶えている。突貫工事ゆえ、男湯と女湯を仕切る壁に隙間があったから、しかもそれは湯船の真横だったから、隣で全身を隈なく洗う叢雲を見てしまったこともあった。

 数日後、彼女は丸焦げになって帰ってきた。哨戒中の奇襲だった。深海棲艦が島影でなく、島に上陸して隠れていた。しかも、初出撃。横須賀の艦娘らから引継ぎを受けた日を狙い、敵は錬度の低い叢雲たちを、夜明けと共に襲撃した。戦艦や空母までいた、運が悪ければ誰か沈んでいてもおかしくない。運がよかった、そうとしか言えない。結果、横須賀に送った援軍要請が間に合い、誰も沈まずに帰ってこられたのだ。彼女らが黒こげになって初めて、深海棲艦と「戦争」 していると諒解した。遅すぎる覚悟だった。

 加賀に頭を下げ、森友に情けを掛けられた横須賀異動部隊。ようやく基地らしい人員が揃い、司令官としての知識を教えてくれる艦娘まで渡されて奮起していたのもつかの間、卯月の家出騒動。艦娘の家出なんて――脱走扱いにはしていない――、おそらく全土初だったにちがいない。艦娘たちだって一人ひとりモノを考えている。艦娘は「建造」されると言っても、見た目相応の考える頭を持っている。コミュニケーションをとるための言葉を持っている。発するための口だってある。軍とは規律で生きる生き物だと思っていた。艦娘が女の容であるのなら女らしい扱いをしなければと考えていたが、おかげではっきりした。彼女らは正真正銘生きた「娘」なのだ。軍属だの、大戦の記憶があるだの、艤装なんていう人間離れしたファンタジー的な装備を扱うだの、そんなことは些末なことだった。見た目通りの娘なのだ。娘の容をした娘の考えをもつ生き物に、すこし飾りがつけられているだけということを、痛烈にぶつけられた。

 ほかにもいろいろあった。

 叢雲のざんばらになった髪を整えてやったこともあった。三日月と古鷹と、三人で叢雲を囲んで、あの真夏のクソ暑い中、全身を汗でしっとりさせながら、彼女の美しい髪の毛にはさみを入れた。秋には、艦娘が浸かる修復液のお陰か、髪の毛の伸びも速いのだと知った。

 卯月はその後、富津や横須賀といった枠組みにとらわれない交友関係を築いていた。彼女に秘書を頼むと、遊びに来たりちょっかい出しに来るやつがひっきりなしに来て仕事にならないし、いつぞやかは銚子の部隊を招待するんだと息巻いて、基地を挙げてボロい建物を改修しようと企画案を出して――わざわざ書面にして――きた。湊川作戦が始まる前だったので断わったが、文字通り噛みつかれた。清水はその、噛み付かれた左腕をさすった。痕なんて残っているわけもない。痛かったのは強烈に憶えている。

 ついこないだの八丈島防衛戦のおかげで、艦娘単位ではあるが、共同作戦を執った二基地の間でそれなりに頼れる戦力として認められた。大本営の会議でも富津の第一重巡戦隊の話題が挙がったと、八木が教えてくれた。運用次第、一言戒めてくれたが、当の運用する男がこの体たらくでは、彼女らの功績に泥を塗ることになってしまう。

 いろいろあった。とるにたらないことだって、清水は思い出す事ができた。足柄と摩耶の夕食時の言い争いや、晩酌に付き合ってくれた千歳、千代田、木曾、夕張。神通や川内にため息を吐かれた座学の時間。能代の、奔放な同僚とどう付き合えばいいのかわからないという相談、秋月や涼月と、深夜の食堂で白湯を飲みながら、深海棲艦が現れる前の日本の話をしたことも。真面目すぎる朝潮を、島風や第四駆が連れ回して遊んでいるのも見かけた。初雪が春風によっかかって眠っていたそばに、電源が入れっぱなしの携帯ゲーム機が落ちていた。勝手にいじっていいものか、しかし興味が、と目が釘付けになっていた春風を、青葉と一緒に観察した。いつも暴言を吐く曙の秘密を、熊野が目の前で暴露して大騒ぎしたこともあった。

 清水は顔を洗い、腕時計を見て、まだ三十分ほど余裕があるのを知った。天井から滴が四ついっぺんに落ちて、湯船の中に溶けた。

 この半年間は、羊羹のように中身が詰まっていた。

 半年間どころではない。深海棲艦が顕れてからの、この四年間、いや、もうすぐ五年になるか。

 それなりに順調に生きていた。少ないながら友人に恵まれ、二十五で嫁ももらった。家族仲はおおむね良好、もともとの仕事だった大手製薬会社の営業職も、売り上げ一位とまでいかなくとも突き上げを食らうほど酷い成績だったわけでもない。いずれは一姫二太郎。それぐらい養えるぐらいの稼ぎはあった。営業職のさだめとして、さまざまな店で接待をしたりされたりしたものだが、一度だって浮気と捉えられることは――私の主観によるものでは――なかった。当然だ、学生時代から惹かれていた女性が嫁に来てくれたのだ。それ以上望むものがあるだろうか。自分を理解してくれて、自分と歩みを共にしてくれる女が一人いればよかった。それが叶った。幸せな生活だった。

 結婚して、お互い三十路の節目。そろそろ子供を作ろうか、なんて話をした。帰りの遅い営業職から、多少稼ぎが落ちたとしても事務方に下がり、定時きっちりに帰ってやるなんて胸を張った。ああそうだ、そのとき由乃は、「無理よ、あんた要領悪いもん」と言って笑ったのだ。内々の話で無事希望が通ることを知っていたから、一年後が楽しみだった。ニュースサイトでは近ごろ顕れた、人の形に似た海洋生物で持ちきりだったが、職場は海から離れていたし、自宅は千葉の市川だったから、せいぜい客先での話題に使ったぐらいだった。「タンカーにぴったり併走したらしい」「イギリスで被害が」「ハワイへの飛行機が飛ばなくなった」着実にきな臭くなっていく話題。その中で変わらず仕事を続けていた。周りも、たとえば輸入に頼るマテリアル系の商社などは打撃を食らっていたが、国内で作られた薬剤を売って歩く自分の周りでは、そう大きな変化はなかった。なかったはずだ。海外旅行に行けるような大型の連休もなかったし、実感がなかった。「日本の漁船が沈んだ」「中国からのタンカー船が消えた」いよいよ、生活や仕事に陰りが見え始めた頃、全国に海岸線への立ち入りを極力控えるよう通告があった。漁業は大打撃を被ったが、不思議と漁師からの不満を伝えるニュースは放送されなかった記憶がある。インターネットのニュースサイトのみが彼らの声を喧伝しようと蝉のように喧伝していたが、身のある話も、自分が知る限りではなかった。それでも日本は、東京は、日常であった。

 春。

 春だ。

 春に、奴らは来た。

 五年前の春は寒さが長引き、東京の桜開花は四月の半ばだった。

 引継ぎの不足を埋めたり、新しい仕事のマニュアルを読破し、それなりに回せるようになった春。結婚して初めてまともにGWを休めるとなって、遠出をしようと話し合っていた。北に行けば桜が見頃で、南に行けば長らくみていない緑の山々がある。かねてから行ってみたかった岩手は遠野か、長野の諏訪か。結局、どちらに行くか決めることができないまま、GWが三日前に迫った。

 そして。

 そして。

 そして。

 男湯の扉が鳴った。耳をすませば断続的にごとごとと鳴っていて、風の音も強く聞こえた。

 清水は流れるままになっていた汗を片手で拭い、腕時計をみた。叢雲との待ち合わせまであと十五分ほど。そろそろ上がるか、最後に湯を掬い頭からぶっかけ、腰を上げようとしたところで脱衣所から声がかかった。

「のぼせてない、大丈夫?」

 叢雲だった。

 迎えにきたのかもしれないと、「大丈夫、今上がるところだ」木戸の向こうにいる叢雲に返事した。

「司令室で待っててくれ。そろそろ薪も切れるだろうし、足しといてくれるとありがたい」

「いやよ」

 男湯の扉が閉められた音を聞いた。

 少し呆然とした後、清水はため息をついて立ち上がった。寒い思いをするのはお互い様だろうに。

 手ぬぐいで簡単に体を拭いていると、今度は女湯の方から声がかかった。

「あたしもお風呂はいるわ」

 別に文句を言うところではない。彼女らの明日の予定が決まっているわけでもない。夜は長いのだ。「先に上がっているぞ」一応そう伝えて木戸に手をかけたところで、返事があった。「いいじゃない、付き合いなさいよ」それからもう一言、「どうせぬっるーいお湯に浸かっていたんでしょう。脱衣所にお水置いといたから」

 木戸が閉められる音がして、それきり沈黙があった。

 脱衣所を見ると、フタのない水筒が脱衣かごの中に入っていた。新しい下着も入っていた。ありがたい気遣いだ、しかし勝手にタンスを漁りやがったな、清水は素直に感謝したくない複雑な心持ちで、水筒を傾けて雪解け水みたいに冷えている水を一気に半分ほど飲み下した。血管の一本一本に冷水が染み渡るような感覚と、暖房のない脱衣所の室温も相まって、立ちくらみを起こすほどの快感があった。

 扇風機をつけてもう一度体を冷やし浴室に戻ると、ちょうど叢雲が入ってくるところだった。薄い端材にタイルを貼り付けただけの――板一枚では、またよからぬ事故が起きると付け足した――壁の向こうから素足で歩くぺたぺたした音が聞こえた。足音は急に終わり、木で作られた小さい椅子を動かす音、直後にシャワーの音に変わった。

 同時に甲高い悲鳴が向こうから上がったのを聞いて、清水は笑いながら湯船に足を突っ込んだ。

「冷たかったか」

 いい加減ぬるいを通り越して冷め切っているところに熱い湯を足しながら清水が言った。シャワーを出しっぱなしにしているのがわかる。それからの行動を予想した。冷え切った体に水のシャワー。体を温めるには、目の前に湯気をもうもうと上げている湯船がある。木桶を手に取り、体にかける。しかし、向こうは神通たちが入った後の薄めていない、四十五度はある熱湯である。

 もう一度女湯から悲鳴が上がったのを聞いて、清水はもう一度笑った。

「熱かったか」

「いちいちうるっさいわね!」

 木桶を壁に投げつけたような堅い音。

 向こう側の様子が音だけで細やかに想像できてしまう。叢雲の肢体を想像して情欲を駆り立てられるウブな関係はもう終わっていて、たとい素っ裸でうろつかれても「さっさと服を着ろ」以上の言葉は出ない。ほぼ毎日ともに生活していれば男と女の関係は薄れてゆくものだ。まして、清水は今更男女の関係を作りたいとも思っていなかった。

 頭を洗い、体をスポンジでこする音がして、女湯の音が消えた。髪の毛を上げているのが想像できる。清水は持ち込んだ水筒から水を一口飲んで、彼女が湯船に入るのを待った。

 ぺたぺた歩く音と、ちろちろかけ湯をしている音。湯船にそろりと入る白い足。入ったそばから上気して、湯にいれたところと、そうでないところがくっきり線になって表れる。ゆっくりゆっくり体を沈め、尻が湯に触れたところで一度からだを止める。男も女も変わらない。熱い湯に入るときの共通事項のようなものに違いない。

 男湯の方はだいぶ温まった。清水は蛇口を捻って熱湯を止めた。今度は女湯の方から、足し水をしてるであろうドボドボとした音。それから、肩まで浸かったであろう叢雲の、体の底からの吐息。

「あぁ、ちゃんとしたお風呂は久しぶり」

 本当に機嫌のよい、叢雲の貴重な、明るい声色だった。

「八丈島ではどうなんだ。ホテルの整備はやはり間に合ってないか」

「間に合っているわけないじゃない。カーペンターズはがんばって地下の貯蔵庫掘ってるわ。ある程度無事な民家をいくつか接収してはいるけれど、全員を収容できるはずもないし。基本的にがれきの山よ、今度連れて行ってあげる。・・・・・・お風呂は覚悟した方がいいわ。海に入っていた方が、もしかしたら清潔かも」

「いや、せめて宿泊施設が充実してから行こう」

「部下と苦楽を共にしてこそ、よい上司だと思うけれど」

「観光気分で行けるような場所じゃないと、私らは海に出れないんだよ。知っているだろう」

「あんたは指揮官じゃないからね。たしかに、前線に出てこられても困る」

 叢雲は喉で笑ったあと、「邪魔だわ」と、上官に言い放った。

 しばらく女湯の冷水を流す音だけがあった。相当薄めているのか、かなりの水量で長い時間をかけていた。緑錆の浮いた蛇口を締める耳障りな音が聞こえる頃には、清水は水筒の半分を胃に流し込んでいた。

「お前はぬるい湯が好きなんだな」声をかけると、不機嫌を表しているのか水が暴れる音がした。言い換える。「叢雲さんはぬるい湯がお好みなんだな」

「どちらかと言えば熱い方が好きよ」叢雲が答えた。「長風呂はあまり好きじゃないからね。けれど、神通のは熱すぎるの」たしかに、ちんたら湯に浸かっているより一気に体を温めてさっさと出る方が彼女らしい。

 神通と行動することが多いのだから神通の熱さにあわせられるのだろうし、なにより今は熱い湯でパっと上がった方が都合がよいはず。ならばなぜ、わざわざ足し湯をしたのか。なぜ自分に風呂に付き合うように言い、水筒まで準備してきたのか。

「それじゃ、本題だけど」

 気の抜けた声のまま、湯船から手を持ち上げる控えめな水音が鳴った。

「あんたの様子がおかしい理由を話して貰いましょうか。それから、由乃さんの事もね」

「ここで話せと」

 清水は気落ちした。酒でも飲んで酔いつぶれて眠てしまえるぐらいの状況で話したかったのに、彼女が持ってきたのはただの水だ。これではいくら飲んでも酔っぱらえない。

 清水の心内を見透かしたのか、「お酒なんか飲ませないわ」と叢雲が杭を打ち込んだ。

「私の言ったこと、憶えていないでしょう」

「禁酒令なんぞ出された憶えはない」

「ま、似たようなもんよ」

「・・・・・・ここでか」

「ここで」

 清水はため息を吐いて言った。

「長くなるぞ、きっと」

「だからぬるくしたのよ。うんとね」

 それからなにか固い容器の中の液体をバシャバシャ振る音が聞こえた。用意周到なことだ。自分の分の水筒ーー代わりの一升瓶か四合瓶かもしれないがーーまで持ち込んで、長期戦に備えている。

 今更逃げようとも思わない。

 お互い素っ裸。壁一枚の隔たりはあるにしても裸のつき合い。茹だりかけた頭は湯気のもやの中に幻視させる。叢雲に語らなければいけない話。語らずとも良い、彼女の知らない過去の話。余計な事は一切言うつもりはない。弁明もしない。石鹸とシャンプーと、お湯のぼやけた香りが消える。焦げ臭くて埃っぽい匂いがした。この場所には似つかわない匂いだった。それを不思議に思わない。

 彼女に語るのではなく自分のために語るのだ。

 ふとそう考え至った。清水は最後の最後までつっかえていた喉の固まりが綺麗さっぱり消えてしまった奇妙さを感じ、胃の奥底がじくじくと暖まるような、全幅の安心感を覚えた。

「わかったよ。ーーのぼせそうになったら、遠慮なく言うんだぞ」

 橙色の灯りが湯気の中を乱れ飛んでいる。

 全身全霊を叢雲に預けてしまったような気恥ずかしさがある中、清水は話し始めた。

「そうだな・・・・・・。森友。ノンちゃんとの関係までとなると、私が十六の頃まで遡らなきゃあ」

「は、ノンちゃん?」叢雲の素っ頓狂な疑問の言葉に、清水は久しぶりに心の底から笑うことができた。



 横須賀鎮守府の長官サマだよ、ノンちゃんってのは。下の名前が望未つってな。何の因果なんだろうなあ、ここの主計官の八木と、私と、森友は幼馴染だ。年は、まあ七つも離れているんだが。私はアイツの小学校時代を知っているし、アイツは私たちの高校時分を知っている。私の青春とも言うべき時期を一緒に過ごしたんだ。幼馴染と言ってもいいだろ。

 それからな、もう一人いた。

 お前・・・・・・すまん、叢雲の知りたがっている由乃。

 私と、八木と、森友と由乃。私の青春にはこいつらがいた。

 というか、こいつらしかいない。

 由乃が中学――ああ、どっちだったかな。一年の終わりか二年の中ごろか。ともかくそのぐらいに、両親の元を離れて私たちの田舎に来た。地方都市にも及ばない、中途半端に栄えた田舎町、噂話が広まるのは早いもんだ。

 私の親から家庭環境を聞いたよ。両親の不仲だと。まあ、ありがちだろ。まして時代が時代だった。共働きは普通なことで、ただ社会的信用を得るために結婚するなんてザラだった。子を持っても仕事は待っちゃくれない。もともと好き合って結婚したんだろうに、お互いに人生を捧げる覚悟なんてなかったんだな。夫も嫁も、お互いの人生を大事にしていたってことだ。一人の時間を大事にして、夫は男で、嫁は女であることを大切にしたんだ。二人が同居しているのは世間体と、由乃というかすがいがあったから。別に責めることじゃない。家庭を持ったからと言って個人を捨てろなんて時代ではないから。――そうだな。不仲と聞いたが、幼心に思ったよ。不仲にすら至らない家庭だろうな、って。

 それでもバツイチともなれば世間体が悪い。「お互いの時間を大切にするため」「家族という枠組みを越えるため」「子の自立心を養うため」「これも教育」もっともらしい言葉をざらっと並べられたと由乃は言った。あっけらかんと。私も、彼女の両親と会ったのは結婚の挨拶に行ったときだけだ。式には招待しなかった。

 その代わり由乃の爺さん婆さんにゃ世話になった。母方のな、母方の両親だった。これが絵に描いたようなおしどり夫婦だった。信じられるか、六十五を超えて一緒に風呂に入ってたんだと。逆に居心地が悪いとボヤいていたっけなあ。

 遊びに行けばメシをご馳走になり、さっさと帰らないと私と八木の分の布団が敷かれる。私らの両親に電話までして、「危ないから泊まらせますね」と言って。十八時を超えたらレッドラインだ。早めに帰る由伝えておかなければならなかった。だけど、メシは毎回食って帰った。美味かったんだよ。特に肉じゃがコロッケ。それとメンチカツ。揚げ物が多かったのは、今考えれば私たちに合わせてくれていたのかもしれない。てんぷらなんて絶品だった。サクサクしていなかった。油を吸ってしっとりギトギトした、どちらかと言えば失敗に近いものだったけれど、なぜか米がすすむんだ。私がてんぷらを作りまくっていたのは、きっとあれが根底にあるからだな。未だ、なぜあれで美味いと思ったのか、分からないんだ。

 由乃と初対面したときの話。これは千歳らには話したんだが、聞いているか?

 ――そう不機嫌そうな声出すなよ。あんときゃ、確か叢雲が初めて全員のメシを作ったときだったから。

 転校してきてしばらくヤツは大人しかった。ま、引っ越してきた原因はクラス中が知っていたから、下手に刺激するよりも、そっとしておいてやろうという、暗黙の了解があった。

 葉桜になったころだったな。わざと学校に遅刻していくのが当たり前になっていた。――なんだ、不良に憧れがあったんだよ、悪いか。八木と一緒に学校近くの、誰も使っていない農具置き場の中で煙草を一服して、日中のシンとした通学路の彼方から小さく体育の授業をしている声を聞き、まるで出来ないことは何もない全能感に浸るのにハマっていたんだ。かといって丸一日サボる度胸はなかったし、一度学校に行ったらきちんと授業は受ける。中途半端な不良だろ。うわさの転校生も保健室登校をしているのか、俺たちよりも遅く教室に入って来ることが多くなってきた。このまま不登校になっちまうんかな、女というだけで、私はスカして、興味のないフリをしていた。内心、一度ぐらいはまともに話しておけばよかったと思っていた。だが、「話しかけられない」空気があったから、今更話すことも出来なかった。あるだろう、そんな同調圧力が。

 農具置き場の扉が勢い良く開いたときの八木の顔、憶えているよ。

 ――もちろん、私もクワやら鋤やらひっくり返しててんやわんやになった。俗に言う「キンタマが縮み上がった」瞬間だ。はっは、わからねえか。

 入ってきたのは教員じゃない。由乃だった。慌てふためいて情けない顔を見せる私たちを、指さして笑いやがるんだ。あんな大口を開けて顔を赤くしながら笑う顔は初めて見たよ。学校じゃずっと物静かにしていたからな。そして呆然としている私らに言うんだ。「ここ数日あんたらの後ろを尾けていたのに、一向に気づかないんだもの」、そんなことしらなかった。学校に馴染めなくていよいよ不登校か、と思っていたんだから。煙草の煙がくゆっている中に遠慮しがちに入ってきて、さらに彼女は言った。「あたしも混ぜてよ」だとよ。

 貴重な友人が一人増えた。私はまあお察しのとおり面白い話が出来ないもやしっ子だったから言わずもがな。八木は昔からあの性格だからな。だけどアレで変なところに潔癖でいやがる。固い絵の具はやわらかいものとなかなか混ざらないもので、気の合うやつをなかなか見つけられないでいた。たまたま私とやたらとツルんでいたけれど、結局固い絵の具と固い絵の具が同じパレットに、隣同士横たわっていただけだったんだ。昔からの友人や、部活動の仲間、学外スクールの生徒同士のグループの中に入れなかった私たち。いわば扱い辛いクラスメイトだった中に、転校生で、良くない噂を引き連れたやつが入って来るのは、違和がなかった。すぐに打ち解けたよ。・・・・・・初めて、学校を丸一日サボった。あとにも先にもこの日だけだ。「大人しいやつだと思った」と言ったら「そっちの方が話しかけやすいと思ったのに、田舎の人ってホント排他的ね」と攻撃を返してくる。面白いヤツだった。

 彼女が加わってから、私たちの青春というものが、華やいだ。女が一人いると変わるものだな。

 埃と黴と土のにおいのする農具置き場から、たとえば地方デパート、映画館、海に山に、足を伸ばして三時間もかかる都会へ、休みのたびに出かけていった。中学時分の小遣いなんてたかが知れていて、毎回遊べるわけじゃなかったのに、「出世払いでいいよ」と、由乃が半分以上もってくれた。なんであんなに金を持っていたのか当時わからなかった。今なら分かる。両親は、金だけは持っていたらしいから。金だけやって育てているつもりになっていたのかもな。

 出世払い? ああ、もちろんしたよ。

 同じ高校に進むのは決まっていた。八木が県外の全寮制高校からお声がかかっていたのを蹴っ飛ばしてしまったのを聞いて、私と由乃はせめて彼のためにレベルの高い学校に受かるよう、必死こいたもんだ。ほうほうの体で同じ高校に合格して、入学式のその日、学区外の離れた町の小さな店で、八木と二人でバイトを始めた。三駅も離れた裏道のもんじゃ焼き屋になんか教師が来るはずないと踏んでいた。これが笑ってしまうぞ、当時の担任のアパートが、その店の近所だった。最初の出勤日にバレた。事情を説明したら笑って「ならここで稼いだ金は、彼女のために使いなさい。それならバイトを黙認してやる」と言った。あとから聞いたらもんじゃ焼き屋の店長、そこに教師が来るのを知ってて雇ったんだと。面接の時に同じ事を話していたから、あらかじめ教師に伝えていたらしいんだ。今でも頭の上がらない人だよ。

 周りの大人たちの目があったからじゃない。全額彼女のために稼いだ。けどな、やっぱり女ってのはいつも男の一歩先を行く。彼女はいつだって私たちに、おごりというものをさせてくれなかった。「ごはん代はおばあちゃんたちからもらっているから」、「映画のチケット買って来ちゃった。はい、1500円ずつちょうだい」、「服ぐらい自分の金で買う、下着代まであんたらが払うっての?」って。これは服をプレゼントしたときだったかな。欲しい欲しいと事あるごとにボヤいていたブランドの服だったんだが、自分の金で買わないと満足感がないじゃない、という事らしいな。ううん、真面目なやつだったんだ。その足で返品させられた。みじめだったなあ。だってよ、後ろに腕組みした女に睨みつけられながら、高校男子二人が女物の服を返品するんだぜ。店員の苦笑いが目に焼き付いている。だから結局、金は溜まる一方。半年もしたころにゃ、八木と合わせたら結構な大金を持っていた。自分の娯楽品はほとんど買わなかったから。由乃と遊びに行くときにあれ買え、これ買えと言われるすべてが男ものだった。服やら、小物やら、香水やら。私たちをお人形さんにして楽しんでいるのかと邪推したものだよ。全部私たちのためだったんだけどな。おかげでちょっとしたお洒落な男子として扱われることが多かった。

 でも一度だけ、彼女が商品を持って、「これ、買って」と申し訳なさそうに言ったんだ。

 ヒッピーみたいな兄ちゃんがやっているレコード屋だった。「都会にゃこんな店もあるんだなあ」つって入った、一見の店。見たことも聞いたこともない古い曲ばかりで、当時の学生からしたらダサいジャケットをみて笑い、兄ちゃんの目が吊り上がっているところに、彼女が一枚のレコードを差し出した。

 なんだと思う? そのレコード。

 ――なんで分かるんだよ。

 マイクを握るモジャ毛の男。マイクの前で笑っている短髪の男。〈THE CONCERT IN CENTRAL PARK〉。初めて知った。サイモンとガーファンクル。教科書でしか知らない1970年代、確かに生きていて、10万人もの前でライヴした二人組。「いいから聞いていきな」って彼女の家のプレーヤーで再生した時、彼女は迷いなく、明日に架ける橋に針を落とした。拍手の中のピアノソロ、そしてガーファンクルの透明な声。〈When you're Weary......〉。発表から半世紀以上経っても色あせない歌というものを知った。八木も、女にウケのいい曲ならいくらでも知っていた八木ですら衝撃を受けていた。レコードが回るのを、三人で一切無駄口叩かず、黙って聴いていた。正直、歌詞の内容はありきたりなものだよ。君のそばにいてあげよう、君を守ってあげようというもの。だが、サビの最後。〈君の橋になろう〉という訳される〈I will lay me down〉。これな、そのまま訳すと〈私が下になろう〉となる。私を踏み、君は明日に向かってゆけという。共に明日を目指そうなんてもんじゃない。共に辛さを分かち合おうなんて思い上がらない。君は僕を踏み、輝く明日へこぎ出していけと、自己を省みない無償の愛を歌っているんだ。君の輝くのなら、僕は踏み台になろう。さあ、出航の時だ、僕が君を守ろう、君が輝く明日へゆくために、僕は君の橋になろう。何度も聴いた。買ったレコードは、一ヶ月も経たないうちにシャリシャリ妙な音がするようになった。それぐらい聞き込んだ。そんなとき、目を瞑ってじっと曲の世界を味わっている由乃を、初めて女として美しいと感じた。・・・・・・うるさい、黙って聞いてろ。

 それからレコード屋に通い詰めた。由乃のじいさんがそういった古い曲が好きな人で、いろんなアーティストや曲を教えてくれたから、リストアップして同じ物を探した。周りはインターネットやダウンロードサイトで曲を聴いている中、私たちは週に一枚のレコードを買うために、片道三時間かけて店に通った。初めは怪訝な顔をしていた兄ちゃんも、私らみたいな若者がメジャーからマイナーどころまでのレコードを買っていくのを見て、だんだんと話をしてくれるようになった。吉田拓郎、岡林信康、高田渡、同時期、日本で活躍していたフォークシンガーたちにも傾倒していった。私たちの青春は白黒の世界で彩られていった。

 由乃の奨めでアコースティックギターを、安いのを一本、八木と金を出し合って買った。三人で回し弾きしたさ。一番巧かったのは八木。時点で由乃。ペケが私。二人にコードを教えてもらいながら、やつらの半月遅れで同じものを弾けるようになった。

 ウディガスリーだったかな、どこを探してもコード進行が見つからない曲があって、必死にコピーしようと一週間もレコードを聴き込んでいたときだ。由乃ん家は平屋の一戸建てで、私たちは縁側のある仏間でギターの音合わせをしていて、ふと由乃の視線が外に向かっているのに気付いた。珍しかったんだ、レコードを掛けているときは、彼女はじっと集中していたから。彼女の視線を追うと、一人の女の子が、二世代前の携帯ゲーム機片手に行き過ぎるところだった。ちょっとあわてて足早に立ち去ろうとしていたのが分かった。知らない人と目があってしまうと目を逸らすことがあるだろう? あんな感じ。さして珍しくない光景。「あの子、ずっとこっちみてたよ」由乃が立ち上がって言った。「よく通るよ、いつもこっち見て、俺と目が合うとすぐ行っちまう」八木が調子良く言うと、由乃がサンダルをつっかけて女の子の後を追って行った。

 こいつが森友さ。森友望未。ノンちゃん。のちの横須賀鎮守府司令長官サマの、小学校時代の姿。

 由乃が連れてきた森友は典型的な人見知り。誘拐になるんじゃないか、通報されやしないかヒヤヒヤしていた男二人をさておき、由乃はおかしやジュースでなんとか懐柔しようとしていた。由乃が話す、ノンちゃんが一言で答える。小さい声で、うわずった声でな。ノンちゃんの家は母子家庭で、夜の仕事をしている母親に一人の時間を作ってあげるためになるべく夕方までは家に帰らないようにしていると。行間を埋め埋め、話を統合するとそういう事らしかった。ちなみに私らが話しても一切答えてくれなんだ。高校生といえど小学生からみれば大人だからな。大人の男は、人見知りの女の子にとって恐怖以外なにものでもなかったんだろう。そんなことも相まって、由乃に懐くのは早かったよ。変な吊り橋効果だ。

 母親が休みの水曜日以外、ほぼ毎日遊びに来るようになった。由乃と普通に笑顔で話せるようになっても、私らとは一言返し。だが、一言だけでも返してくれるようになっただけ進歩だと感じた。どちらが懐いてくれたか八木と競い合った。八木はおどけ、話しやすい男アピールをする。私はどっしり構えて頼れるお兄さんをした。軍配は八木に上がった。悲しいことに。

 ノンちゃんに友達がいないのはなんとなく察していた。だって、いつだって一人だったからな。学校の話もこちらが振らない限りしなかったし、あまり楽しそうな話もしなかった。彼女の話から出てくる学校の話は硬い印象を受けた。色がなく、鮮度のよい話をしない。それはつまり、他のクラスメイトとの関わりがないのではないかと邪推した。親が夜の仕事をしているのが悪印象だったのかもしれない。蓋を開ければスナックの従業員で、至って健全ではあったんだが、子供に風俗とスナックの違いなんてわからんからな。私らは暗黙の了解で、そのうち学校の話を出さないようにした。そのかわり、私たちの遊びに付き合わせた。どこへ行くにも、森友も一緒に行った。金はもちろん、私と八木が持ってな。会計のときに由乃が外に連れ出してなるべく見せないようにしていたけれど、なんとなく察したんだろうな。昔からよく頭の回る奴だった。ゆっくり、ゆっくり、男らにも心を開いてくれるようになった。

 そんな関係を一年ぐらい続け、遊ぶ時間を増やすのに水土日曜にバイトを絞ったころ、ノンちゃんの母親が挨拶にきた。結構な金を持って、「すみません、いつも娘がお世話になっております」と。本当、普通の人だったよ。むしろ良い母親だった。高校生のクソガキ相手に頭をペコペコ下げて、ちょっと強い香水の匂いを振りまいて、声は酒でだいぶやられていて。出勤前だったのかな、初めて見る丈の短いスカートスーツの似合う、三〇代後半ぐらいの女性。高校生から見ればおばちゃんだけど、見た目のコンデションは良かった。美しい人だったよ。

 金は、男の意地として受け取らなかった。そのかわり、次からノンちゃんはお小遣いを多めにもらってきた。なるべくお金のかからない遊びを三人で考え、森友家の負担にならないように気を使った。お世辞にも金銭状況が良い環境ではないとはわかっていたから。でも、母親は私たちと遊ぶのを止めなかったんだ。「娘がね。他の人の話をするようになったんです。お姉ちゃんとお兄ちゃんとどこどこに行ったって、お化粧する短い時間に、毎日毎日」って、嬉しそうに言うんだよ。その脇でノンちゃんは顔を真っ赤にして母親の腕を叩いていたがね。

 母親、これは恵子さんというんだが、働いているスナックに私らを招待してくれた。酒は出さずにソフトドリンクだけ。初めて行く大人の店だ。薄暗い店内、時代錯誤なミラーボールが天井にぶら下がっていて、ソファはワインレッド。カラオケの画面が煌々としていて、何人か年のいった女の人がいた。ママは当時五八歳のすれっからし。でも緊張している高校生相手に気さくに話してくれる人だった。二〇時を過ぎて店が盛況になってきても、ノンちゃんの母親は私たちの席になるべく座るようにしてくれた。楽しませようとしてくれた。酔っぱらったオヤジが絡んできても「娘の友達なの」なんて睨みつけてくれたり。ま、最後はオヤジら含めて大盛り上がりのカラオケ大会になった。オヤジらですら知らない古い曲ばかり入れる若者を、大人たちは受け入れてくれた。

 四人が家族ぐるみのつき合いになっていくのに時間はかからなかった。・・・・・・うちの親父とそのスナックで顔を合わせたときは息が詰まったな。しかも常連だったし。ありきたりな苗字だから気付かなかったって、恵子さんも他の常連も大爆笑しやがった。

 カラオケといえば友達らだけでカラオケボックスというのが同級生には当たり前だったとき、私たちはスナックで大人たちに揉まれて歌っていた。由乃なんかお酌のまねごとしている始末。調子に乗ったオヤジらがママに一喝されてシュンとなるところまでがいつもの流れ。楽しかった。楽しかったよ。もちろん、同級生からは完全に乖離していったが。もちろんノンちゃんも一緒にいてな、女を売っている母親を見て嫌悪感を出すかと思いきや、誇らしそうに見ていた。「飲み過ぎ」だの「はしたないなあ」なんて言いながら、オヤジたちをさばいていく母親を、キラキラした眼で見ていた。

 大学受験の勉強もそこでやった。夕方の、仕込みをしている店の中で黙々と勉強したあとは、飲みに来るオヤジたちに勉強を教えてもらった。面接なんて、おそらく完璧なまでに仕込まれた。人事部の人もいたからな。もちろん、中には高校の勉強なんて憶えていないという人もいて、その人ら相手に無理やり説明することによって、復習にもなった。

 私らが真剣に勉強をしている時期、ノンちゃんはさっさと宿題を終わらせて、なんとまあ店の仕込みを手伝うようになった。店全体で森友家を歓迎していた。「子供がいちゃあしっぽり飲めない」という客に、ママは「うちはこういう店だから。いやならよそへ行った方がいいよ」と言い放った。バイト先では、客への文句は聞こえないようにやれと教えられていたから、「お客さんにそんな事言っていいんですか」そう訪ねた。ママの言葉が耳に残っている。「夜の仕事、水商売、なんて言われるけどね。バーってあるでしょ。バーテンダーさんのいるところ。良く病院なんて言われるの。ちゃんとしたオーセンティックバーで、良いバーテンダーさんのいるところは、疲れちゃったり、悩んじゃったりした人が、心を治しにいくところなんだ。それでね、居酒屋とかスナックっていうのは、学校。お酒の飲みかた、人とのつき合い方、人生のいろいろがある場所。お酒のあるところには、いろいろな人が集まる。そのいろいろをいっぱい知って、大人になっていくための学校なの。だから坊っちゃんたちもノンちゃんも、こいつら酔っぱらいどもと同じ学校に通っている。後輩をいじめたら、先生が怒るのは当たり前でしょ」。夜の店には夜の店なりの矜持があると、その時教えられた。

 私たちはそうした大人たちに背中を支えてもらいながら、堂々とセンター試験を受けて、なんの憂いもなく合格通知を受け取った。家族全員で、常連たちもまぜこぜで、スナック全体でお祝いされた。幸せな青春だろう。最高の思い出さ。

 受験も済んで、三人で同じ大学に通い、中学に上がったノンちゃんが店の厨房で軽食を作り始めてお小遣いと称したバイト代を貰ってから、長らくお世話になったもんじゃ焼き屋を辞めた。金は大分溜まったしな。これからは客として来ますよと言って。

 入学式を終えたあと、私は八木にひとつ、初めて重大な相談を持ちかけた。

 いざ話すと気恥ずかしい。

 由乃のことを好きだと自覚したんだ。

 女に手を出すのが早かった八木を警戒してしまったこともあると正直に告げた。たとい私に黙って付き合っていたとして、この関係を壊したくないとも。いつか由乃ではない別の女を見つけるから、そうしたら四人で一緒に遊んでくれと、もんじゃ焼きを食いながら頭を下げた。――笑われた。腹を抱えて笑い転げた。店で飼っていたダックス犬のダニーが飛び上がって厨房の奥に引っ込んでいった。真剣に相談したのに、どこかバカにされた気がして頭がカッとなった。くっく、聞き覚えがあるだろ。卯月の家出騒動の原因と、まったく同じ状況だったんだよ。ただ私は気持ちが前に出た。やつの胸ぐらをつかんで「人が真剣に話しているのに」と詰め寄った。やつはなおも笑っていた。笑いながら言った。「あいつを女として見れねえよ。俺は、俺を頼ってくれる女が趣味なんだ」ってな。頭からつま先まで卯月と一緒だ。だから、私は卯月の勘違いを責められない。無断で出て行ったことは怒ることができたがね。

 あいつは協力してくれたよ。自然に二人きりにしてくれたり、からかい口調で付き合ってしまえと囃したりな。ヒヤヒヤする、きわどいことをしたりもした。・・・・・・だが。ううん。

 ーーわかってる、話すって。急かすなよ。

 だがな、私は由乃に寄っていくことが出来なかった。大学生にもなって好きになった女をどうすればいいのか全くわからなかった。意識してしまってから巧く話せなかったし、距離が近くなるだけでどぎまぎしてしまう。眠れない夜だってあった。中学生時分に通るべき途をようやく辿っていた。いやあ、我ながらアレはないな。女からすれば気持ち悪いか、不審にしか思えないはずだ。八木のあきれ顔ったらなかったな。「ありゃねえよ」、苦笑いで背中を叩いてくれた。全力でサポートしてくれていたのに、それを活用できない男だった。

 だが女は何時だって男の先を行く。

 進展はすぐにあった。

 しびれを切らした由乃があっさり告白してきた。

 いやあ、たまげたよ。「ちょっと来て」って、みんなでギターを弾いている時にいきなり呼び出されて、由乃ん家の台所で「付き合おうよ」だ。

 ーー私か? うなずいたさ。鶏みてえに。うるさいな、いいよ、分かってる。好きなだけ笑え。

 もういい、隠すことなんてなんもない。告白してくれたのは由乃で、私はそれ承諾し、初デートからやつを少女から女にするまで、私が少年から男になるまで、なにからなにまで由乃に引っ張ってもらった。「付き合う事になった」八木とノンちゃんに告げたとき、ノンちゃんは口をあんぐり開けていたな。八木は終始ニヤけていた。種明かしをすれば、いいか、これはうぬぼれじゃないぞ。本人以外から聞いたんだからな。由乃も八木に相談していたんだとよ、私が好きなんだと。言われてみれば、八木のアシストとはいえ、やたら距離が近かったと思ってな。囃したてられても満更じゃない受け答えもしていたし。私は、いわば二人の手のひらで踊っていたことになるのかな。忌々しいが、どうしようもなくおぼこだった私が悪いんだ。文句はグっと飲み込んだ。板挟みになっていた八木がつらい気持ちになっていたんじゃないか、そんなことは微塵も考えなかった。大学に入ってから、私が知っているだけで九人、彼女がいたから。多分水面下には相当な数のキープがあったはずだ。よその学校にも手を広げてたし。

 ーーそれはもちろん、私の魅力・・・・・・と胸を張りたいな。うるせえな。それは自分で説明できん。しない。秘密だ。別に重要な事じゃない。由乃は私に惹かれていた、この説明だけで十分。

 もういい。

 ちょうど同じころ、ノンちゃんの高校受験があった。

 頭が良かったんだ。私たちと一緒に勉強していたから、中学はもちろん高校の勉強にまで手を広げていて、中学の勉強は復習ついでにやっていたぐらいでな。推薦をもらった。八木が蹴っ飛ばした全寮制の高校だった。地方の呼び名が変わるほど遠い場所だ。しかし、ノンちゃんは行くと言ったよ。別に今生の別れじゃないし、とね。

 特に私らが手助けをした記憶はない。いつも通りの日常を送りながら、気付けばノンちゃんは行ってしまった。・・・・・・見送りしたかどうか、憶えていないんだ。片足をプラットフォーム、片足を電車に乗せた背中を見た気がする。由乃に抱きついていた光景がある。だけど、それを自分の目で見たのか、それとも伝聞されたのを脳みそが勝手に映像付けしたのか、区別が付かない。どちらにせよ、印象的な別れではなかったのは確かだ。なぜなのか。いつだって四人一緒だったのにな。薄情な人間だとなじってくれ。ーーありがとう、ちょっとは気を使え。

 一番年下のノンちゃんだけが遠くに行ってしまった。私たちの大学は電車で一時間ぐらいだったから、三人とも実家から通えていてな。そこそこなレベルの国立大だった。学部も講義も、サークルにも入らなかったのも同じ。その中で、いろいろな地方からやってきている人の群に、私と由乃は完全に埋もれた。いいや、違うな。同年代の若者が同じ施設に集っているのがまるで巨大で形のない化け物に見えて怖かったんだ。誰彼の話している内容がわからない。都会に出たときは、人の群が人をしていた。意味が分からないと思うが、そうとしか言えない。大学の雑踏はな、風景と一緒だった。人が話し、跋扈しているというのに、まるで血の気を感じられなかった。熱がないというかな。もちろん若者らしくはしゃいでいるのも居るんだが、どうにも生きた感じがしない。私らの目には風景の一部だった。木や芝生と同じ、そこにあるのが当たり前で、なければ違和感のあるものであっても、人ではなかった。バッタみたいに跳ね回って遊ぶ八木に疲れた私たちは二人きりでいる時間が多くなった。八木と仲違いしたわけじゃないぞ。あいつが泊まりで遊ぶ日以外は一緒に帰って毎日、例のスナックに行ったからな。ああ、この頃はスナックでバイトしていたんだ。由乃は接客、私たちは厨房で。一番若かった由乃は、しかしおっかねえママのおかげである程度は健全な接客をしていた。私は嫉妬していた。ーー笑うところだぞ。実際はなんとも思わんよ。慣れない女の売り方をする由乃を、厨房から八木と二人で笑って見てたんだから。

 結局私と由乃が貝に閉じこもって、一切交友関係を広める事も出来ずに大学も四年目に入った。就活と卒論の地獄が始まった。周りの奴らからは起業しただの、どこそこの大手から内定をもらっただの、履歴書を三十枚も送って面接に一度もいけなかっただの、様々な話題が上がっていた。挑戦をしていた。だが私は、出来上がったばかりのIT起業を見繕って数枚の履歴書を送り、すべてから内定をもらった。当時はITバブルだったから、そういった会社が乱立していたんだ。本当、掃いて捨てるほどあったから簡単に受かると思っていた。事実、その通り内定をもらえた。将来性なんてなかったが、手に職つければいくらでも会社があったからな。もちろん技術者だって使い潰しだが、こちらだって選び放題だった。

 由乃は私の就活成功を、「つまらない」といって不満そうにした。 





















 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



 


後書き

〔更新履歴です、一言お願いします!〕
9/29 一話リンク先修正
9/28 三章追加
9/22 三章追加
9/9 三章追加(1500文字)
8/31 三章追加(ちゅーとはんぱ)
8/24 三章ちょこっとだけ追加
8/20 三章開始
8/07 二章追加・終了。ですかねー。
7/27 二章追加
7/21 二章開始
7/10 一章終了
6/30 ふっかーつ。一章開始
6/3 4話開始


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SS好きの名無しさんから
2018-07-10 20:32:16

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2018-06-28 12:25:58

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2018-06-05 23:04:01

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6件コメントされています

1: SS好きの名無しさん 2018-06-05 23:05:15 ID: fvLRKPPg

4話始まりましたね、今回はどんな物語になるのか楽しみです

2: んなちぃ 2018-06-05 23:53:49 ID: 3RNrXLNi

うっす、毎度どうもです。

私も半ばぐらいまでは何も考えずに書いているので、どんな展開になるか楽しみです。
ご贔屓にどうぞ。

3: SS好きの名無しさん 2018-09-28 17:11:15 ID: ViK-6BwF

読売新聞(9月28日(金))7面

💀韓◆国💀

文大統領、国連総会で『慰安婦問題』に基づき日本🇯🇵🎌🗾を非難する演説実施

これは『慰安婦問題』で相互に非難応酬する事の自粛を約した『慰安婦問題を巡る日韓合意』の明確な違反であり、💀韓◆国💀は『慰安婦問題』を蒸し返す事を国家として宣言した。と、思料

加賀『頭に来ました。』

4: ????? 2018-09-28 21:12:54 ID: hIB4_fi9

ここの叢雲さんいいな~

縦読み機能が無いのが悔やまれますね……

後、【艦これ】叢雲/司令「明日に架ける橋」【1】の飛んだ先が削除になってしまっていますよ?

対策済みでしたら、すいませんでした

5: んなちぃ 2018-09-29 16:02:21 ID: yNK89iri

横書きの行間詰めはやはり読みにくいですよねえ。
まして地の文マシマシだと。
申し訳ないです。

ありゃ、失礼しました。
前に間違えて消してしまったのです、次回更新時直しておきます。
……2話3話もですね。今すぐ直します。
ありがとうございます😘

6: ????? 2018-09-29 18:16:12 ID: MM-F2lLO

気づいてもらえてよかったです

折角見せて貰っていますので、もったいないな~っと…

縦書き云々は、縦読みで見た方がよりいいのにな~っていう、縦読み好きな自分の愚痴なのでお構いなくです

こちらこそありがとうございました


このSSへのオススメ

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1: SS好きの名無しさん 2018-09-28 17:12:06 ID: ViK-6BwF

読売新聞(9月27日(木))9面

中国海軍航空隊

空母艦載機パイロット大募集

条件

『中国人の男子高校生で裸眼視力1.0以上の者』

中国版トップガン

かが『流石に気分が高揚します。』


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