2018-09-30 22:21:22 更新

概要

初挑戦ジャンルだったけど難しいね。
何でもありな方のみ御笑覧くださると幸甚です。


前書き

カップ麺が出来るまでに読むと丁度良いぞ(大嘘)


喉が灼ける程に甘い匂いを纏って生きる人類が現れた。流行り廃りと同じく突然出でた異物は多くの人々に受け入れられるまでに歴史の多分に漏れず長い時間を費やさなければならなかった。

そんな新人類は言いようでは弱く、もう一方から見るなら繊細な生き物らしく飲み水は自然の清い湧き水しか受け付けず、食べ物は一定の美味なものでなければ臓器がそもそも養分を吸収しようとしない、極め付けは何か一つ、宝石を身に付けていなければ太陽の熱で死んでしまう等々という有様だ。

人々は怒った。贅沢の権化だからだ。人種の差別をしないために皮を被ってはいたがそれが逆さに作用して益々ヒトから離れたように思われる。

命の重さと人々の怒りが均衡を図りかねているある日、私が初めて会った新人類は鳩尾から激情が勃興し毛穴の一々が体温を手放したかと思われる程にゾッとさせられて美しく、それと同時に劣情を焚きつけるには有り余る淫靡さを中性的な躰からどことなく漂わせていた。

すれ違うだけの瞬間を帰ってからも反芻せずにはいられずに礼儀に殺されそうになりながら自慰に溺れた。

私(死に価値なんて無いと思っていたのに)

白昼夢の倦怠が首筋から脳にかけて生気を搾り尽くす寸前で止まったまま、一夜を明す羽目になった。


明快な意識を持てないままふらふらと布団から起き上がり肩書きの童貞ニートを提げて気儘に朝食を済ませた。スマホ片手に口を動かしていると昨日の残滓が再燃して目眩を起こしそうになる。

冷水で顔を洗って気付けをした後再度ブルーライトの海へ目を投じた。まとめサイトやイラスト投稿サイト、生放送にまで行脚してどうにか注意を逸らしながら丁度三時間経った頃、付けっ放しのテレビから偶然際やかに聞こえたニュースに注目した。内容は新人類課と呼ばれるこの度新設された厚生労働省管轄下の団体が補助金を横領して捕まったらしい。珍しくはない。インターネット生放送番組が従来のテレビを圧倒して、やる気をなくしたコメンテーターが再三新人類に向かって有る事無い事お喋りするのはここ最近増えた事だった。

不意に手元の携帯通知が鳴る。確認するとメールへの通知だった。不審感がこみ上げる。普段は数少ない話し相手の親友は皆一様に一つのアプリに統合しているからだ。

一応ネット回線を遮断してメールを開くと態々丁寧に題名の書いてある本文は私の人生に一石を投じた鮮やかな切っ掛けだった。内容を掻い摘むとある新人類との適正が認められた為に交流という名目の拘束を同意するか否かと訊くものだ。

適性とは新人類が交わっても拒絶反応が起こらないとか有事の際は血液を提供しても問題ないという新人類本位の政策の一つで、大義名分としては同意の意思表示の上友人になってその相手にも補助が支給されるという宝籤ともペットとも揶揄されているくせものだ。何故ペットかといえば時には体質が急変するのを防ぐ為、行動が制限される事もあるからだ。

差出人は目の前で頭を下げているお偉いさんの部下らしくて知っていても見たくなかった真実を暴露された被害妄想に陥った。元々期待もしてないけれど。

兎も角、同意するかは自由であってあくまで対等だという体裁は整っている。拒絶の選択は私の頭になかった。根拠が性欲だったとしても。

早速Wi-Fiに繋げて同意を示すと後日顔合わせをすると返信があり、場所と時間とが少し誇張してあった。素早く携帯で目覚ましと行き先をそれぞれ組み合わせて音信不通の両親にメッセージで事の次第を簡潔に伝えた。自分の顔が少し強張ったのがありありと感じられる。淡水魚が海水魚から産まれた苦しみとでも言えるだろうか、そんな奇跡は無論普通では無いけれど、それでも私をコウノトリが運んでくれた訳ではない以上はそう思って自分をなんとか慰めるばかりだ。

私(宝籤に当たったら人が変わるって言うし...一寸は優しく阿ってくれるかな?)

ぼうっとしていると返信の音で虚を突かれて変な声音を漏らした。画面を素早く開くと一言「分かった」と句読点も顔文字も無い素的に寂しい返事だった。分かってた。そうだよね。無理もない。

気をとりなおして新人類についての近々の記事を読んで少しでも気に入られるように情報を集めだした。気に入ってくれたならこの雁字搦めから抜け出せるだろうから。

それから約二時間程の間ネットの情報を収集したが纏めようとすると少し混乱を生むくらいに、今に始まった事でもないが矛盾した意見や玉石混交の極論尽くの匿名意見はどれもめぼしい確かさを持ったものが少なかった。もしかすると誰も何一つ分かってなどいないのかもしれない。

暫く情報を元に様々な妄想を繰り広げてみて何かした気になるとなんだか満足してしまい、結局好みの友人になる工夫は微塵もしないまま時間を豪快に空費した。少し長めの前髪を切れば幾分か良く見えただろうに。

のそりと立ち上がって猫顔負けの伸びをすると縮こまっていた首元の血流が改善されたのか気分は上り調子になってくる。メールを見返して一応詐欺の線も疑ったがそれらしい形跡も無く国のホームページから新人類支援団体の項目に飛び、見本まで調べたがまたしても不自然は見当たらず、口角が持ち上がって悦に入っている自分に輪をかけて満足感が湧いた。ワクワクが抑えきれなくて締め切ったカーテンに隠れた窓を開けると微風が地面から立ち昇る熱気を連れて髪を隈なく梳き、青空によく似合う初夏を思わせた。

夕方、生活費をATMで引き出してきて帰りにちょっとお高めのアイスを買って堪能していると不意に携帯が着信を報せた。知らない番号に怖気付きながらも応答するとなぜか保険会社からの電話で加入の勧誘をしつこく推してきた。粗雑にあしらって事なきを得たがその後も宝石商や宗教団体、果てはボランティアまでも売買なり援助なりを求めて頻りに低頭姿勢で存在意義を捲し立ててきた。

端的におかしいと愚鈍な頭でも察知できる。手早くネットの住人達に英知を借りると諧謔混じりに個人情報が漏らされるのが通例だと教示賜った。幾ら国の役人だろうが上辺だけの守秘義務なのだ。頭を下げていたお偉いさんの薄まった髪が思い起こされる。

追加の奇怪な着信音に心臓を乱れさせつつ泣き目で拒否して電源を切った。

私(もう電話になんて出ていられる訳がない)

煤けた布団に包まって安心感を得る為にテレビを大きめの音で流して眠りについた。




翌朝、新聞配達員のバイクが動止の際に起こすスタンドの上げ下げとブレーキの音で目が覚めた。時計はまだ朝五時を図り終えた所だ。もぞもぞと寝床から這い出て普段であれば絶対にお目にかからないニュースを散漫に見ているとインターホンが鳴った。

私(新聞はとってなかったはずだけど?)

玄関の覗き窓から来訪者を窺うとスーツとアタッシュケースを片手に持った見目二十代後半の長髪の女性が立っている。おずおずとチェーンロックを掛けたまま鉄扉を開けると丁寧な口調でまだ寝惚けた耳に要件を流し込んできた。

女性「早朝から申し訳ありません。初めまして、わたくし昨日メールにて御連絡致しました新人類課の者です」

私「あ、はあ...」

女性「この度失礼でしょうが身元確認をさせていただいたところ、保護者様から、その、推薦を渋るような様子であるとお聞きしましたので支援に支障が無い程度に支援が必要であると我々は判断しました」

私「ええっと、つまりは?」

女性「有り体に言えばお見合いの様な形になるかと思いますので、TPOに申し分ない状態に成っていただきます。予算としましては最大百六十万円程をご用意しておりますが宜しいでしょうか?」

私「あ、えっと、はい」

女性「それでは御同行願えますか?」

社交辞令満載の女性職員は嫌な顔などおくびにも出さず、それが何処と無く無機質で気持ち悪いと思った。適当な服に着替えて身嗜みを整えた。今から整えに行くのに変な話ではあるが。

家の前には不審な黒い車が一台停まっていて運転席からは先刻の女性が顔を出してこちらを観察していた。いつもより手間取りながら鍵を閉めて助手席は怖くて消去法で後部座席に乗り込む。移動範囲がとてつもなく狭い自分がそこから外れるだけで不安が募ってくる。体感で二十分くらい俯いていると足の竦む思いがする美容室の駐車場に止まった。益々ギクシャクしていると運転席から「行きましょう」と促されて退路を断たれた。店員にどうしますかと訊かれたが見当など付く筈もなく震えた声で「お任せで」と言った辺りで記憶は曖昧になっている。毛先を遊ばせるってなんだよ。

気息奄々でどうにか生還したと安堵していた矢先、今度は有無を言わさずスーツを一式仕立てられ、領収証をチラ見して怖気を震った。

とうとう避けてた物に捕まった気分で革靴の感触を確かめていると最後に行き着いたのは飛び石のあるお高そうな料亭の一室へ連れられた。襖を女中が開けると今日一番の気分の悪さを催した。一本の木から作られたらしい机の片側に忘れもしない両親の顔が有った。

女性「大事な会ですので保護者様にも御足労いただきました。相手は間もなく到着するそうですからそちらへお座り下さい」

そう言って手先を両親の横へ向ける。拍動が早まって背中に弱気を注入されたように腰が曲がってしまう。涙目になって耳鳴り混じりに自分が幾度も謝っているのが聴こえる。心配する女性と冷徹な視線の両親を無視するように努めて小声で「一寸トイレに行ってきます」と言い残して廊下へ翻った。後悔の念を便座に吐き出して冷たくなった唇を震わせていると外からあの女性の声が聞こえる。安否を確認しているようだ。煩わせてはいけないと立ち上がって個室を出て手洗い場の鏡を見ると見掛け倒しの私がいるのが何か滑稽で仕方ない。部屋へ戻る道程で女性に謝罪されたがそれもなんだか奇妙で苦虫を噛み潰したみたいな掠れた笑いでやり過ごして、地を動かすつもりで親の近場に座って出来るだけ動かないように心掛けた。少しの間女性と世間話をしていたが私の手前明るい反応がし辛いのかよそよそしい合槌が多かった印象を受けた。案の定会話は直ぐに終わって静まり返る。萎えた膂力で支えきれる重量の空気ではない。

鹿威しが三回鳴った頃合いでわざとらしく父親が腕時計を打ち眺めて「そろそろ仕事に戻らないと」と言った直後、足音が二つ、廊下を早い歩調で駆け抜けて襖を強く開け放った。

?「遅れ馳せて申し訳御座いません。出立の準備に梃子摺りました」

低くて優しい声を発したのは高身長の初老の紳士で年齢を定かにさせない上品さを兼ねている。もう一人は見かけ十一歳くらいの子供で髪を馬の尾結びにして紳士とお揃いの紺色のチョッキを着ていた。

女性「丁度両方揃いましたようですのでもう少しお付き合い頂けませんか?」

紳士「矢張りお待たせしてしまったようですね。お詫びに事足りるかは分かりかねますがお近づきの印にどうぞ」

細長い紙袋の中身はどうやらワインらしい。

私父「そんな、申し訳ない。事を急いてしまって恥ずかしい限りです」

座り直した父を確認して女性が一つ咳払いをした。

女性「それでは改めて。この度は御多忙な中御集り頂けました事を大変有難く思います。さて、事前に申し伝えさせていただいた通り、昨今突然現れだした俗に新人類と呼ばれる方々ですがそれに纏わる諸説が世間を賑わしておりますのは既知の事と拝察致します。

そこで我々政府としましては法の下の平等且つ人命を尊重し、生存権を適用するべきだと事態を厳粛に受け止めて支援策を打ち出しました。その一環がこの友好共存政策です。砕いた言い方ではパートナー協力となりますがこれに選ばれました双方の同意を得た上で有事の際に血液を提供する他、御子をもうける中での適性、一般の人間間交友における情報収集等々を目的として共に生活をしていただく訳ですが今回は少し違いが生じてしまっています」

私父「違い、ですか?」

女性「はい。現在新人類と諸適合性のある一般人の人数は非常に少なく、その中でも異例な遺伝子を持つ新人類が誕生致しました。それが今回いらっしゃっておりますこの少年です」

私(少年!?ずっと女の子だとばかり...)

女性「遺伝子の特徴は明かせませんが利用しようと思えば歯が一本数億はくだらない価値を有する程の物です。

それだけに相性の良い人を探し当てるのに骨を折りました」

私父「少々、少々お待ちください。御言葉ですが愚息はその、普通の人間から生まれた落ちこぼれです。何かの間違いではないのでしょうか?」

女性「近年の科学力はもうブラックボックスを産む程に進歩が顕著です。万が一間違うにしてもその責任を考えれば精査を重ねるのが良識のある大人と言えるのではないでしょうか」

私父「...悪意で言ったわけではありませんでした。失礼」

言い負かされる父は肩肘張ってはいたものの面持ちは自らのこれまでの歩みを否定されて悲痛を含んでいたように見えた。

女性「そういった訳で不便でしょうが今後の研究にも御協力願えればと国は考えています」

紳士「今までもそうして来ましたのに今更手のひらを返す事はありません」

少年「...」

女性「つきましてはお二人には同棲していただければこれ以上に有難い事は無いのですが...如何でしょう?」

紳士「いやぁ、嬉しい限りです!

恥ずかしながらこの子と二人暮らしでしたので寂しい思いをさせているのではないかと心配だったのです。私さん、どうかお願いします!」

私「え、あ、いやその、その子の意見もあるでしょう。私なんかが一緒なんて嫌だろうし」

紳士「そんな事ありましょうか、なあ?」

少年はこちらを真っ直ぐに見つめて微光で艶めいた髪を揺らして頷いた。

紳士「この子もこう言っております、是非とも!」

ただ話し合ってある程度の約束を交わしてあわよくば美女とお近づきになれるかもしれないと欲張りについて来たのに予想だにしない展開に当惑を隠せないでいる。

私父「おい、何とか言ったらどうなんだ」

静かな口調で激しているのを頻繁に責めを受けて来た経験から察する。

私「えっと、じゃあこちらこそ宜しくお願いします」

私父・母「「宜しくお願い致します」」

眉を顰めて切々と頭を下げる両親を横目に女性が仕上げにかかった。

女性「御二方、そして保護者様共々、我々の都合に合わせていただいて大変有難く思います。雑事は出来るだけこちらで済ませますので、先ずは親睦を深めて頂きたく心ばかりのお礼にはなりますがお食事を用意しておりますので宜しければお楽しみください」

紳士「それは良い。是非私君の事も訊いてみたかったのです。なにせこれからは家族も同然の仲になるのですから。

あっ、そうです!どうでしょう、部屋をそれぞれ子供は子供、大人は大人で分けてみては。話が通じる方が良いと思ったのですが」

私父「はい、そう致しましょう。最近若い者の考えは追いつき難くて」

紳士さんの意見で部屋を襖で仕切り、それぞれの空間が出来上がり、料理も次々と別々に運ばれてき始めた。

私(正直コミュ障だからずっと食べてれば話さないで済むのは助かる)

隣室の襖の稀な開閉があると大人しい笑い声と溌剌とした笑い声が潮の干満と同じで多く流れ込んだりこもりがちな性質を持ったりして私の耳は程よく賑わいを感じた。雑音に紛れられている心地がしている。暫く耳をそばだてる事に徹していると対面の陶器の澄んだ高温が不意に止まったのが分かり、半眼状態の目を開けてそちらを見ると少年がこちらを注視しているのが認められた。

私(何か話したいのかもしれないけど最近の子供の流行を知らないし...)

少年「不遇、じゃないですか?」

初耳の台詞は不思議な声音をしていた。

私「え?」

少年「こんな事に利用されてるこの状況についてです」

私「利用されてるっていうのはもしかしてあの女性に?」

少年「ううん。それもだけど僕の叔父さんにもだよ。さっき同じ家に住もうって誘われた時渋ってたでしょ?」

私「叔父さんって...あの紳士的な人?」

少年「はい」

私「ああ、確かに。でも私にとってもとっても良い話だったから利用はされてないつもりだよ」

少年「お兄さんに嫌がる権利は無さげにも見えました」

私「奇遇だね、私もだよ。君にもあまり無いみたい」

少年「だって断ったら叔父さんの貰えるお金が減るらしいから。そしたら皆んな僕が悪いと思うでしょ?」

私「補助金とか支援金の話?」

少年「はい、そんなところです。この宝石だって安くないのにってお父さんが起こった事が何回かありました」

少年は小さな指先でチョーカーに埋め込まれた琥珀を撫でた。

私「別段自腹で買った訳じゃないでしょ?」

少年「お父さんは犯罪者だったんです。いっつもお母さんを傷付けてたから」

私「...えっと、そっか。じゃあそれを買ってくれたのはお母さん?」

少年「はい。産まれたのその日に僕が他人と違うって事が分かって慌ててお店で必死に相性の良いのを選んで買ったらしいです」

私「え!?安静にしてなきゃ駄目なんじゃないの?」

少年「病院の下階に新人類専用のお店が構えてあったんです。他にもそういう人が増えてたらしいから。後はカタログから選りすぐって医者が持ってくる形です」

私「ああ、成る程ね。じゃあ初めてのお誕生日プレゼントなんだ?」

少年「はい。それから幾日も経たない内に新人類の特徴が災いして段々周りの人が怖くなって来ました」

私「食べ物も確か良い者じゃないと駄目なんだっけ?」

少年「飲み物もです。普通の学校に一応は行ってみたりもしたんですが給食から何から特別だったので友達の不興を買ったらしくて...」

私「...それって友達なの?」

少年「先生がそう言ってました。それである日叔父さんが偶々家に来て環境が良くないって」

私「まあそうだね。可哀想だけど良かったね?」

少年「お兄さんは違うでしょ?何故僕と似てるんですか?」

回答を哀願する目は一層美しさを増す。

私「回りくどい御世辞まで出来るのか」

少年「そんなんじゃないです、ただ本当に...」

私「ごめんごめん、年下に自虐ネタを振る悪い人の真似だよ。多分だけど私がずっと我儘をしたからだと思う。理解に苦しむけど働いてないと人間じゃないんだって」

口の端が笑みを作って空気を和らげようとする。言葉に詰まったのか静けさが少し訪れて遣り切れない気持ちが目線を下げた。

少年「それじゃあ僕とお揃いですね」

かけられた言葉は慣れない優しさを含んでいて混乱する。思わず少年を見ると朗らに笑っていてその端麗な表情にときめきを覚えずにはいられなかった。

少年「叔父さんも旅行に良く行ってますし家事は家政婦さんに任せっきりです。だけど叔父さんは普通の人です。

でもお兄さんは大人なのに働いてないから人間じゃない、僕も新人類の内輪でも更に奇異だから普通じゃない」

私「ッハハハハハ、確かに。人外同士の巡り合わせだ」

暗雲の隙間から爽やかな青空が覗いた様な清々しさで腹を抱えた。表情筋が突然の大仕事に追いつけないらしくて軽く痙攣し始めたがそれでも笑みは長引いた。

丁度保護者達もお開きがあったらしく、襖が開いて少し酔った中年達が仲良く別れの挨拶を済ませて私父は私母に、紳士は職員の女性に支えられて玄関へと導かれて行く。

私「君はどうやってここへ?」

少年「タクシーで来ましたので帰りもそうだと思います。あの...お兄さんはいつから家にいらっしゃるんですか?」

私「あ、そうか。そっちの家じゃないと不便だよね。こっちの家に来られても困るけど」

そこへ紳士を早々とタクシーに乗せた女性がやって来て説明を始めた。

女性「私さんのお荷物は既に引越しの手配をしましたので今頃はもう運び込まれている最中かと。なので今日の今から少年さんと同居していただけます」

私(勝手に入ったのか!?紙媒体じゃなくて良かった...)「それじゃあそうします」

女性「では紳士さんと同乗してください。研究などの詳細に関しては後日改めてお伝えします」

私「分かりました」

少年「お姉さん、また今度会いましょう」

女性「はい、また今度」

ピカピカの靴を履いて戸を開けて外へ出ると早くも空が満遍なく茜色に焼けていた。少年は待ちきれない様で早足で料亭の門の側に停まっているタクシーの前まで歩いて、くるりとこちらを向き手を振って早く早くと急かす。その動作に呼応して首の琥珀もチラチラと夕陽を浴びて煌めいている。

私も胸元辺りで手を振り返してタクシーへ向かう。新しい生活が待っているという期待に心臓の右左心室房諸共に躍起になって移動速度を微量ながら高めた。

行き先を知らずにタクシーに揺られて暫く紳士と雑談を交えて情報を引き出されたりしながらも徐々に町の中心部から離れている。軈て少年も紳士も居眠りをしてしまって十五分経った頃、大きな一軒家の前に止まった。運転手が「着きましたよ」と一言掛けるが私以外は寝てしまっていて下車する気配が無い。一応運転手に料金を訊くと先に貰っていると言ったのでホッとして二人を起こしにかかる。

先に起きたのは紳士の方で少し動きが鈍かったが車を降りると家の玄関へ歩いて行くとインターホンを押した。すると玄関の電気が点けられて中から三十代前半くらいの女性が出てきて紳士に恭しく頭を下げた。それを紳士が手で制してこちらを指差すと私にも一礼をしてこちらへやって来た。

女性「初めまして。紳士家で家政婦として雇っていただいてもらっている者です」

私「あ、どうも」

家政婦「少年さんはわたくしが運びますので先ずは家の中へお入りください」

私「分かりました、お願いします」

そう言い残して通常より少し大きな和風の家の紳士の元へ歩を進めた。

家に上がり灯りがちらほらと点いて全容が順に明らかになると先導する紳士さんがついでに私君用の部屋が有る、とどこどこまでも続きそうな入り組んだ廊下の奥を指差して言った。そちらへ不安と連れ立って進んで行くとドアが二つ有って迷った結果端から開けて行くと片方は物置きでもう一方に段ボールの積まれている自分の為にあてがわれた部屋だとわかった。荷物と言ってもほんの二、三箱程度の量に収まっているのでしがない身分が顕現している気がして自尊心を保つ為に手当たり次第に開けて元の住処と大凡同位置に配備し始めた。

その約五分後にドアがノックされて紳士さんが来訪した。取り敢えず中に入れたもののこれといった話題はこちらに持ち合わせていなかったので相手の持参した用向きを片付ける方向へ水を向ける。

私「それで、何か用事が有ったんじゃないんですか?」

紳士「ああ、そうだったね。実は私君は正直なところこんないい加減な親面をした人間と生活するのは嫌なんじゃないかって思ってたんだ。だってそうでしょ?勝手に兄弟の子供を引き取ったかと思えば国からの補助金で人目につかない方が少年にも都合が良いだろうなんて尤もらしい理由を付けてこんな家に住む様になった。少年の為のお金で一緒に旅行にだって行けてしまうし食事だって一級品をなし崩しで一緒に食べられる。

他方、私君はと言えば真反対の境遇だったじゃないか」

私「ええ、確かにそうでした」

紳士「だからそれを聞いたとき一寸だけ罪滅ぼしが出来るんじゃないかって内心が卑怯めいた安心を覚えたんだよ。何もなかったらきっとワタシも本来はそんな環境で生きたんだろうから」

私「成る程」

紳士「情けない話、少年も友達が少ないのは本当だし遊びに連れて行っても特別感が薄いのか楽しませてやれない。

だからその意味でもワタシの事は嫌っても吝かではないからあの子だけはどうか大事にしてやって欲しいんだ」

そういうと紳士さんは厳かな面持ちでこちらに頭を下げた。

私「困ります、頭を上げてください!第一嫌ってなんかいませんよ」

紳士「そうか、良かった」

私「それにしても、なんだか本当の親子みたいでしたよ。料亭で少年も私に似てるって言ってくれたんです。

私が思うに紳士さんの感じている負い目は杞憂に終わるのではないでしょうか?」

紳士「どうしてそう思うんだい?」

私「幸運に恵まれた紳士さんがいなければ少年は幸運の種を持っていても芽吹く前に枯れてしまう環境に居たと聞きました。それを丹念に世話して萌芽する迄に至らしめたのは紛れもなく紳士さんです。その見返りには充分適切なものじゃないですか?」

紳士「そういう私君なんかの税で賄われていたとしても?」

私「構造は人が作ったもので割り振ったのも紳士さんじゃありません。幾ら清貧だったとしても責める相手を誤るほど落魄れたならそれはその浅慮がまた別問題として持ち上がるだけですし、何より私はニートするくらいにはリッチでしたよ」

紳士「そう言ってもらえると助かるよ。こんな話すべきじゃなかったのに、寝る前に済まなかったね」

私「いえ、子供の成れの果ては大人だと再確認できたので良い時間でした」

紳士さんが遠い部屋に消え入っていく背中はとても廓寥としていて名曲のワンシーンかと思われた。




朝、見慣れない天井に吃驚した頭が理解しようと状況を記憶から整理し始めてなんとも言えず気持ちが悪い目覚めとなった。現代人らしく携帯を起動して時間を確かめると八時五十分になっており、常人に強いられる目覚めとは似ても似つかない代物だったが酷い時には午前中の間寝ていた経験から早起きの自己認定を厭わない。

部屋を出て洗面台を探して無駄に広々とした家中をゾンビやキョンシーよろしくのそのそ彷徨っていると家政婦さんにバッタリ出会って目的地を尋ねると指を屈伸と左右を織り合わせて教えてくれた。人気が無いとたかをくくって手を伸ばしながら猫背で歩いていたのを見られたのも後でいい思い出になるはずだ。

顔を微温湯で数回洗って鏡を覗いたがどうも伊達男にはなっていないようだ。

顔を和毛のタオルで拭って居間を求めて再び朧朧な覚えの道を歩き出した。

何部屋目かの戸や襖を開けた時、漸く居間を発見してそこに有ったソファに腰掛けて辺りを見渡したが誰かいた気配が微かに残るだけで矢張り住人が居らずどことはなしに寂しさがあった。そこへ軽快な足音が聞こえてそちらを傾注すると引戸が滑って向こうには髪を下ろした格好の少年が半袖のシャツを着て失せ物を探し当てた表情を浮かべた。

少年「ここに居たんですね。家政婦さんに聞いた話だと洗面台に向かったらしいから見に行ったら居なかったし」

私「いやぁ、こんなに広大な建物を探検しない訳にはいかないと思って」

少年「意外と積極的なんですね」

私「探検しないという選択を慎んだから消極的とも言えない?」

少年「安い推しの強いチラシみたいですね。ところで朝御飯食べましたか?」

私「普段は二食だからお昼まで我慢しようかと目論んでる」

少年「冷蔵庫に残りが有ったはずだから食べたらどうですか?勿体無い」

私「そんならそうしようかな。因みに訊くんだけど冷蔵庫はいずこ?」

少年「探検しないんですね」

私「腹が減っては戦がですね...」

少年「不戦敗は格好悪いですよ。案内します」

私「なんか昨日より厳しくない?」

少年「愛の鞭です」

少年は踵を返して見返り加減に「付いて来てください」と促した。それにハーメルンの笛吹き男に出て来る児のようにひ弱な体を操って後に続く。歩行に伴って振れる少年の黒髪に合わせて視線が動く。異常な典雅さに明らかな耽溺が身の内に巣食っているのが分かる。髪のみではなく顔の造形も可憐さを前面に押し出しつつどこか霊ぶような一面も兼ねている。モデルになどなれば凡ゆる賞を総なめに出来るのは間違いなしだ。

少年「ここですよ」

その声でハッとして視界を広げると灰色にちかい銀色の冷蔵庫が備え付けてあった。中を見ると容器に小分けしてある食材と作り置きの物が散見できる。

少年「サラダとか入ってませんか?」

私「え〜っと...これかな?」

容器を一つ取り出して蓋を開けると見慣れた野菜と見慣れない野菜が綯交ぜてある。

私「えっ、なにこれ。なんか野菜が紫っぽいよ?」

少年「そういう野菜ですよ。カブの一種です」

私「この赤いのは?」

少年「ラディッシュです。知らないんですか?」

私「ちょっとお上品アレルギー出そう...。食べるにしたっていつもはトウモロコシとツナ缶とキャベツかレタスのやつだったから」

少年「他にも色々あると思うんで適当に食べちゃってください」

言われて片端から物色したが何れも絶対にお目にかかれないような食品が勢揃いしていて途中から手が震える。

箸も食器も無駄に装飾や素材が豪奢で口に付けるのが躊躇われるばかりの逸品が多い。

私「食べにくい...」

少年「慣れて下さい」

味は言うまでもなく美味い。ただ少年に見られながらの食事という駄目押しの一手で完全に疲労に達する行為となっていた。

私「御馳走様でした」

少年「食べ終わったら食器は適当に台所に置いておいてください」

私「いや、せめて洗い物くらいは」

少年「割るかもしれませんよ?」

なんて事を言うんだこの子。

私「置いときます」

少年「あの...美味しかったですか?」

私「うん。文句無しに」

少年「良かった。家政婦さんのごはんは外れが無いんですよ」

私「あの、差し支えなかったらでいいんだけど今の水準より質を落としたら体を壊して死に至るって本当の事?」

少年「...。はい。乳飲児の頃からそうでした。一般的だと母親からの受乳が発育的に望ましいんですよね?」

私「うん。そう見聞した」

少年「僕はそれを受け付けなかったそうです。母としてはとても気落ちしたらしいですが断行しようものなら胃から荒れて次点で食道が爛れて行きます。最終的には原因不明なのですが純白になった心臓を吐き出すのだそうです。血は鮮紅なままに」

想像した瞬間美しいと思った。弱々しく終盤の残り少ない拍動を熟しながら口内の赤みの奥からゆっくりと白い心臓が登ってくる。唇の隅から血が一筋垂れて目は...潤んでいるのだろうか。

少年「だから水も水道からは飲めません」

少年は片腕の肘をもう片方の手の平で掴んで目を流していた。恐らくは罪悪感から来るものだろう。

私「へぇ。不便だったりする?」

少年「いえ、便利ですよ。お陰で過剰に融通が効くんです、旅行先とか」

私の幼少期の鏡写しかと思うほど嘘を吐くときの仕草が似ていた。

私「そうか。ところで紳士さんは?」

少年「今は私さんと僕の同居に差し当たって注意事項とか法律適用の為の書類を役場で整えてると思います」

私「それ私が行かなくて良かったの...?」

少年「多分大丈夫です。それよりもこの後なにか予定ありますか?」

私「いや無い。強いて言うなら無限の展開が望めるぞ!」

少年「ポジティブですね〜」

私「こういう生活長いと自己肯定スキルが段違いになるんだよ」

少年「誰でしたっけ、そう、ディオゲネスという人でした。賢者のみが自由人にして卑劣な人間は奴隷なり、とかなんとか」

私「どこで読んだのそれ...」

少年「叔父さんが持ってた本に出て来ました」

私(高い所に置いとかないからそうなっちゃうんだよ紳士さん)「まあでもそれって褒めてくれてるって事だよね!」

少年「よっ、賢者!石の上には留まらないっ!」

私「三年留まってたら意思が堅いのは分かる。それで、何か言いかけだったよね」

少年「はい、実は居間のテレビでゲームでもしようかと」

私「いいね、腕がなる。乗った!」

少年は剛強だった。惜しげなく私を打ち負かして不敵に歪む口元は支配者の才の片鱗なのかもしれない。

大敗を喫して落胆していると居間の引き戸がカラリと開いて家政婦さんが現れた。家政婦さんは数秒状況を観察し、どちらが負け犬か察した様子で「お昼ご飯はどうしますか?」と私から目を背けて訊ねたのに少年は闊達に「食べます」と答えた。時計を確かめると丁度十一時五十分を長針短針が協力して指している。少年と共にゲームの電源を切って食卓で待っていると玄関がキュルキュル音を立てて「只今帰ったよ」と紳士さんの声が飛んで来た。私は席を立って玄関へ赴き「お疲れ様です」と少し緊張して迎えた。

紳士「なんだ、態々ありがとう。そんなに気を使ってくれなくても良いんだよ?」

私「いえ、これくらいはしないと悪いですし」

紳士「んー、誰に悪いのか本を正せばやっぱりワタシじゃない気がするよ。だからこの話は保留しておこう、他に話したい事もある」

紳士さんはそう言うと居間へと向かった。良くも悪くも今に生きるを体現している人だという印象が深まった。

一寸立ち尽くして再び食卓に着いた頃に昼食の素麺が透明な氷を乗せられて出てきた。各々疎らに手を合わせていただきますと笊に向かって箸を伸ばした。見慣れた光景だからと油断した私の舌に広がった味は未知の美味で舌を巻くのは必定だった。夢中になっていると周囲の音が妙に静かでしまったと思い顔をあげたら周囲は相好を崩してしていて面映ゆいことこの上ない。

私「あの...見ないで貰えると延命になります」

紳士「ごめんごめん、新鮮な反応だったものでね」

少年「見事な吸引力でしたよ、さっきまで虫の息だったのに」

私「お恨み申します」

紳士「それはそうと、皆んな食べながらで良いから聞いて欲しい。知っての通りさっき書類を片付けてきた。そこでいくつか条件を満たして生活していかなくちゃいけない」

私「どんな条件ですか?」

紳士「前提としては先ず少年の血液サンプル等の提供により環境の変化で体にどれだけの反応が起こるかを調べるそうだ。次に模範的な行動に努めること。そしてここからが本題だが場合によっては少年の身柄を奪取される危険が及ぶかもしれない。これは前から有ったリスクだが私君が加わった事によりそれが高まっている。謂わば鍵と錠が揃った状態になっている。だから誰かは明かせないが監視が付くそうだ。後は再確認になるがもし少年に何かあったら場合は私君が援助しなければならない。以上が条件だった」

私「大して変わらない気はしましたけどもっと厳しくなる、なんて事は有るんですか?」

紳士「基本的には無いはずだよ。さ、話は終わったんだからどんどん食べて」

私「いただきます」

遠慮しようにも抗いがたい物を目前に止まれる訳もなく少年と競うように貪った。

昼餉の後の優雅な時間...とは行かなかった。なんでも少年はホームスクールの態勢を取っているらしいのだが肝心の紳士さんが午前の雑事で呆気なく文字のまま忙殺されてしまったようで、代わりに家政婦さんにも加勢を求めて私が手伝う羽目になった。侵攻は困難だった。作者の気持ちを答える設問で偶々作者本人の人柄に関するドキュメンタリー番組の記憶がフラッシュバックしてこんなにお堅い文章は書いていても中身との差異が広過ぎて易しい難問と化すやら、流れで書き殴っていた漢字の書き順を必死に思い出す内にその文字自体を書けなくなるという波乱に加え少年の疑問に対する考え方で甲論乙駁する展開を迎え、全てを見兼ねた家政婦さんの快刀乱麻で漸く丸く収まった。

私「お、終わった...。なんで習ってないような教科まであるの?おかしいよ」

少年「勉強量が増えてるんですよ。学校から急に言われた時は落胆しました」

私「勉強やっぱり嫌い?」

少年「知らぬが仏ならそれが最上じゃないですか」

草臥れて天井を見上げたり首を回したりする姿はいつになく年相応な気がしてどこか笑えてくる。

私「そういえば疑問なんですけど知らぬが仏って知ったら基督になるんですか?」

家政婦「え?」

少年「また珍妙な事言いますね」

家政婦「そこは神のみぞ知る、と言ったところじゃないですか?」

私「上手い事言いますね...」

家政婦さんは意外にも茶目っ気のある人らしい。

時計を見るといつのまにかきっかり三時になっていて少年と私の優等生振りに畏敬を隠せない。家政婦さんがスックと立って「おやつにしましょう」と言って冷蔵庫へと歩いて行き、なにかゴソゴソと取り出して来た。

家政婦「今日はチョコレートです。飲み物はオレンジジュースにしてみました」

案の定、出されたチョコレートは私の知る板チョコなどではなく何か四角く上に波のような模様が入った代物だ。

私「いつも思うんですけどこれってどうやって買ってるんですか?」

家政婦「基本的には新人類専用のオンラインショップで取り寄せていますが極稀に気に入った取引先が見つかることがあります。その場合は年単位の契約で安く売ってもらったりしています」

絶句する。私の知る買い物は遠く及ばないちっぽけな物のように感じた。しおらしくおやつを口に運ぶと香りが格別で濃やかな味が元気付けてくれる妄想さえ誘う。

私「オイシイ、オイシイ...」

少年「大丈夫ですか?」

家政婦「お気に召したなら私さんも買ってみますか?」

私「お戯れを」

家政婦「推測ですが、私さんにも補助金は出ますよね?」

私「あっ、確かに」

前の生活が根付いた為かその発想は案外だった。

私「すると買える可能性は有る訳だな!」

少年「どうせならチョコレート以外の物がいいんじゃないですか?」

何だこれ、夢が広がる。

私「某美味棒十本買っちゃう!」

家政婦「...いいんじゃないですか?」

私「そこは止めてくださいよ」

少年「美味棒?」

私「そう、駄菓子の。もしかして食べれないやつ?」

家政婦「はい」

私「そっか。それは勿体ない」

少年「まさか家政婦さんまで知ってる感じですかこれ」

疎外感が少年を襲うのは避けられない。

私「そりゃあ有名だもの。う〜む、何とかならないものか...」

家政婦「良ければ類似のものでも構わなければ作りますよ?」

少年「本当に!?」

私「作れるの!?」

家政婦「確か作れたはずです。今度試してみますので出来上がったらお出ししましょう」

安価を高価で再現する非常に高尚な料理が予定された。正直楽しみにしている。

夕方、生垣で囲まれた庭を臨める縁側で少し早い風鈴を結わえつけていると紳士さんが回復したらしく高身長を活かして手伝ってくれた。

紳士「夏支度にはまだ早いんじゃないかな?」

私「私的理由だけどこれをするから夏が来る気がしてるんです」

紳士「成る程。ということはこれを怠ると秋がるのかな?」

私「そういう事でもないんです。どちらかというとこの手前の空気で止まってしまって待ち惚けになります」

紳士「私君は夏が好きなんだね」

私「はい。出来れば常夏の国で生きたいくらいには」

紳士「理由を訊いても?」

私「絶望に立ち会っていても夏には燦々と陽光は降り頻りますから暗所で悩む事が少なくなります。だから皆んな大らかになるのが好きです。遊びに没頭する大切さを自然と学べる自然が活き活きとするから好きです。郷愁の種を気遣ったかのように知らずの内に撒いてくれるから好きです。笑顔が其処彼処から溢れてしまうから好きです。他の三季には無い盲目的に恋をしなければならない気持ちにさせられるから好きです。入道雲を見上げても好奇の目に晒されないから好きです。暑さに茹だる体をだらけさせていても怒られないから好きです。これらの事を述べる様に爪痕を残して私の傷が疎癒ゆ頃合いを見計らってまた心傷を付けて去っていくいじましくも愛おしい性格を想起させるそんな夏が大好きなんです」

紳士「そこまで想っているのに常夏にならないのは悲恋だね」

私「未練がましいだけですよ」

二人でクスクスと笑った。紳士さんの白黒な髭がうねって南京玉すだれみたいだった。


夕食を終えて自室に戻ると月光が窓に模られて布団の上に差し込んでいた。電気を点けずに横になって少しの間月を見詰めていると不意にドアがノックされた。返事を一つ返してドアを開けると少年が湯上り加減の髪質をさせて立っていた。

私「いらっしゃい、どうぞ」

少年「お邪魔します」

電気を点ける。

私「どうしたんだ?」

少年「いえ、少し。ほんの一阿摩羅くらい一寸、今日のお昼に叔父さんが条件を諳んじた際、お兄さんに翳りがあったように見受けたので理由が知りたくて」

自覚は無かったがそんな顔をしてしまったらしい。

私「そう?心当たりが無いから確たる事は言いかねるけど多分君を競って奪取したがる状況は君にとって不愉快だろうなと哀れんだんじゃないかな?」

少年「じゃあ世界平和がお好みですか?」

私「まあね。でももっと良いのは周囲の人間に危険が及ばない事かな」

少年「...。知ってますか?」

私「知らないよ」

少年「新人類は悉くある習性を持っているんです。興奮した時、身の危険を感じた時、自分の機嫌が悪い時に強烈に甘い香りを放つんです」

嗅いだ事がある。道すがらすれ違った新人類からだった。

私「その訳は?」

少年「偉い人は諸説紛々としているようですけど僕が知った話では争いを避ける為だそうです」

私「相手に落ち着いてもらう為か?」

少年「大方そうらしいです。でもこの説が有力に成らないのには理由が有って新人類同士だと鎮静化に向かうんですが普通の人が嗅ぐと逆効果になるんです。興奮してしまう」

私「何だそれ」

少年「ハナから一般人なんて眼中に無くて新人類だけの輪を重んじた特徴という事です」

私「だけど適正がある私も興奮したけどそれは?」

少年「友人適正が有ったとしても精々効果が薄れる程度です。恐らくですが直で嗅いでいたら遜色は出ませんよ」

私「紳士さんや家政婦さんも漏れなくか?」

少年「はい。ですから世界平和を御所望のお兄さんにこういうのもなんですが、交渉の席にこちらが細胞レベルでついていません」

暗に世界平和なんて不可能だと、我々にしか実現出来ないと言っている少年の瞳は直上の光の所為で前髪の影を濃くして尚一層黒々と私の動向を凝視している。

私「それでも、相手の心中に土足で踏み入って友好を求める他にやり方を知らない」

少年「きっとこの先この特徴の所為で事件が多発する事になったとしても争わずにいられますか?」

私「生憎、私は社会派じゃないからそこは無関心。でも出来るなら君とだけは険悪に喧嘩はしたくないと思う」

少年「そう、ですか」

風呂の熱がまだ頬にふふまれているのか少年は少し紅潮する。

身内を敵に回したくないのも分かるし、かといって一生管理され続けるなんて嫌なのも理解できる。溝は思った以上に淵だ。

私「さ、もう寝ないと。結論、今を楽しんで問題は後回しに、勝ったら兜は脱ぎ捨てろ」

少年「プハっ、何ですかそのキリギリス」

笑み曲ぐ少年は曇りなく透明で浜辺の波みたいに何度も心を抱き寄せてくる。

私(少しの戯けでこの対価は癖になる)

少年は丁寧にお辞儀をして部屋を去って行った。大きく深呼吸をして消灯し布団に潜り込むと仄かにこの家のシャンプーが鼻を掠めた。




骨伝いに口内付近で砂を噛み締めたような音がして目を覚ました。歯軋りらしい。心的疲労などこの生活には無いように思われるが案外無意識に感じるものがあるのかもしれない。寝床を後にして洗面台で顔を洗っていると突如ガタン!と物音がして次いで皿がけたたましく割れたような音がする。

タオルを面皮に滑らせて急ぎ台所へ駆けた。

目的地には全員が揃っていて少年がこちらを見、紳士さんの背後に家政婦さんが立っていて二人は食器棚付近を剣幕と怖気を併せた面持ちで注目している。私も流されてそちらを見る。皿の断片に人間の足、腹には包丁、首は下がっていて顔立ちは如何様か判じかねる。

私「あの、これどうしたんですか?」

語気弱々しく尋ねる。

紳士「昨日の今日のようだ。勝手口から刃物を持って威勢よく入ってきて暴れたもんだから、対処した結果返り討ちになった」

これは、正当な防衛権利に収まっているのか。紛れもなく重罪ではないのか。原罪意識と憲法を分けて考えろ。

私「とりあえズ、警察を呼びましょ、ね?」

生者の首が賛同を示したので慣れない電話をかけた。住所解答が覚束なくて途中から紳士さんに代わってもらってからハッとして少年を見ると時間と共にたち尽くして状況を傍観している。

私「少年、別室へ行こう」

少年「...。」

私「死を忌避する訳ではないけどもう充分に観察したろうから後は自分の中で分析しなくちゃいけない。でないと衝撃的な出来事だけで終わってしまう」

少年「...そうですね」

少年の視線は粘着質に亡骸へと焦点を合わせて離れないらしく手だけこちらへ向けて「連れて行って」と拙く求めた。強めに手を引いて居間へ来て引き戸を締め切って少年を椅子に掛けさせて私も相席した。

言葉が萬あれどどれも口に出来ずにきまり悪がっていると矢庭に少年が伸ばした両手で私の鼻から口を覆ってしまった。

少年「嗅がないでください」

((昨日の今日のようだ))

先刻の記憶が反響する。

しかし困った事には息が続かない。口先の手が小刻みに震えているのに。

苦渋の決断で声を潜めて事情を話して少年を取り残す。責めてもの心配に戸板一枚を挟んでの会話ならなんとかできるだろうと室外から引き戸に凭れかかった。暫くそのままに背中に意識を集めて対処に追われるちゃんとした大人達の忙しない様子を伺っていると椅子が床板と擦れあって珍妙な音がする。密かで落ち着いた雰囲気の足音が近づいてきて、戸に細やかな振動が走った。

少年「知りませんでした。人って断末魔も上げずに、遺言や辞世の句も無く死ねるんですね」

そういえばそうだった。したのは物音だけでそこに終生の気配など漂っていなかった。

私「誕生はああも喧しいのにね」

少年「僕も運命が違ったらああなっていたんでしょうね」

私「自己投影してしまうのは理解出来るけど運良くそうはならなかった。それが巻き戻らない事実だよ」

少年「ではあの暴漢は運が悪かっただけですか?」

私「生きてる人間が一番怖いと怖いもの知らずがよく言ってるからあれはあれで運が良かったのかも」

少年「何故身命賭してまで犯行に及んだとお考えですか?」

私「正直に?」

少年「はい、ありのままに」

私「主観的な条件から答えるなら君を狙ったんだと思う」

少年「自画自賛ですが僕もそう思います。死際に僕を鋭く見ていましたから」

私「...どうか自責しないで欲しい。治安が少し悪かっただけだよ」

少年「後悔なんてしませんよ。挑んでもなかったですから」

チャイムが鳴り、玄関をこじ開けて真澄の空の朝に起きたやけにさっぱりした凶事の報せを受けた警察が漸く駆け付けて事情をあれこれ調べて回った。それぞれの身分を察すると偉そうに動いていた奴が偉そうな奴を呼んで簡素に形式張った調査をした後「詳しい事は後日に」と残して遺体を連れて蜻蛉返りした。

目まぐるしさは無事であったようになりを潜めて異常に跡形も無く片付けられた室内で朝食となった。少年は自室で食べるからと言ってお盆に一人前乗っけて去ってしまうと気まずく沈黙は齎された。

紳士「少し、昔話をしようか」

怪しげな思い出話が開花する。

紳士「少年がまだ両親と暮らしていた頃にね、家庭内暴力が有ったみたいなんだ。ワタシが偶然強引に押し入った部屋は蕩けてしまうくらい甘い匂いが、丁度先刻のここの約二十倍は濃く満ちていて思わず鼻をつまんだのを覚えている。異常に攻撃的な兄を余所目に窓を開けて発生源を探ったらぐったりしたあの子が居た。呼びかけてみたもののそういう無反応で無色の耳栓でもしている風に声量を上げても微動だにしなくて、ワタシは取り乱しつつもあの子を抱えて病院へ走ったよ。

それから随分と回復した頃、ベッドの上でこちらを真っ直ぐに見据えて「これで何とかなりますか?」と尋ねたんだ。これというのは琥珀だったよ。治療費を気にしての事だったんだろうけれどあの時は男泣きした。

それ以来少年は自分を騙し続けて一度だってあの匂いを出すなんてことは無かったのに、今度の事は堪えたみたいだね。

慰めたらいいんだろうけどどうにも親密になれないワタシがいる。だから恥を忍んで私君、少年を頼めるかな?」

荷が勝っている。少年を慰める?救うだけなら誰だって出来るけれど脚力を付けて自立させるなら導かないといけないんだ。正道には希望が有ってそれをどれ程の人間が切望しては頓挫したか無知ではいられない筈だろうに、一体この私のどこに可能性を秘めた要素が感じられたのか。

私「紳士さん、好きな物に対して努力しちゃ駄目ですよ、そんな見返りを期待されたら、最後には対等に話せなくなります」

我ながらよく口が回る。尤もらしい口実で行動さえしないでこんなに他人を貶めてどうにか逃れようとしている。

紳士「......そうだね。そうかもしれない。ちょっと行ってくるよ」

紳士さんは席を立って少年の部屋へと赴いた。

鼓動に合わせて箸が揺れている。

家政婦「汚れ役だとは思いませんでしたよ」

温い心膜に煮え立つ優しい台詞が降りかかって魚類に倣って火傷も自然に感じられる。

家政婦「あれは誰しもが抱えられる担当ではありませんでしたし、世間では肉親の務めがセオリーだとされていますよ」

私「少年はきっと私が口説けばマシになるのは火を見るよりも明らかに目に見えていました。だのにそれを拒んだのは責任を持ちたくないどころかあんなもの放っておけば立ち直ると画策し、剰え嫌われる可能性を暇ついでに潰しました。これが二心や謀略や少年の放つ匂いの所為だったとして、どれでも私が責め苦を受けて然るべきなのは事実です。良心や贔屓目があるならどうぞ罵ってください」

家政婦「無児でありながら親心に加えて蛇の狡智。好意から潔白で在りたい一心とは裏腹に撒き餌を前に食いつかずにはいられないもどかしさの表れですね。標準的な人心だと思いますが行き過ぎれば毒になりかねません。わたくしからはお気を付けて、としか今は言えません」

嘗てここまで意にそぐわない事をした覚えは無いが九分九厘無意識下に近い行動だったのは確かだ。粘ついた見えない柵がいつのまにか築かれて縢るのが追いつかない様になってしまうのかもしれないと怖気を震った。


午後になり、自問自答にもいい加減な区切りを付けて自室でまだ続きの残ったライトノベルを読みこなしていた。王道を行く展開にヒロインが数人のハーレムを構築して余生なんかもバッチリ安泰な主人公に幼い頃から憧れがあって、今でもそういう話を選り好んで性懲りも無く愛してやまない。病みつきだ。

章を跨ぐ所へ栞を挟んでトイレへ立つと少年と鉢合わせして思わず挙動不審者に成り下がる。少年は静かに髪の毛先を摘んでみたり体の重心を頻繁に変えてきまり悪げに話しだした。

少年「えっと、お兄さんが叔父さんを説得したって家政婦さんに聞きました。お陰で、その、距離が縮まったというか今までこんなに相対さなかったから意外な白状も聞けましたし、だから少しだけ心地よかったです」

私「仕向けただけで説得はしてないよ。まあ、人間関係が上手くいった時は嬉しいよね」

少年「はい。例えるなら飼猫から愛猫への中途に差し掛かった、みたいな」

私「台無しだよ」

少年「何でも小綺麗に解釈してたらこうもなってなかったですよ」

私「それもそうかもね。何がともあれ都合が良い展開だったんなら幸いだよ」

少年「それで僕としては御礼を何か出来ればと思ったんですが希望に添いたいのでご意見を」

私「御礼なんていいのに。功績は君にしか見えていないから私が被るのはどうかと思う。私がやったのではなく御膳立ては世間がやった。だからあれだよ、全部世間が悪い」

少年「本当に何か欲しい物無いんですか?大枚はたくのも視野に入れて良いんですよ?」

私(大金で買えるものでも...いや、値踏みしないのも反って失礼か?)「一つ教えておくと上機嫌な時はとびっきりお洒落して好きな曲を聴きながら調子はどうだい?って分け隔て無くスマイルやってれば美人に限っては充分違法労働になるんだよ」

少年「そんな映画みたいな人間今日日生存してないですよ」

私「ま、気が向いたらそれで良いから有れば御礼として受け取るよ」

少年「分かりました、ではまたの機会に」

笑みを残して早足で去る少年を自信が過ぎるとは思わなかった。所謂体育館裏や屋上に含有している浪漫など手中にあると客観的に知った上での発言だ。ある種の神聖さをその言動に内包しているから羨む方が業苦する程に皎潔に見える。

瑩然とした残像を反芻しながら部屋に戻って再び本の上に視線を滑らせて起承転結に反応して一喜一憂していると家の電話が聞き覚えの無い音で居住者を呼んだのが聞こえた。バタバタと雄々しい足音が移動して止まった拍子に電話が鳴りを潜めた。どうやら紳士さんが出たらしい。十分くらい話した後で会話は終わり、家には予感めいた受け身が誰もから風口も無く吹き出して犇いている。ドアが開いた音が聞こえたが私の見える現象は無く、消去法だと家政婦さんか少年の部屋に審判が下されるのだと思う。

静けさに対しての警戒が緩み、二冊目を手にとって開こうとすると自室に来客があった。客は少年で手に装置と言っても外れなしの器具を持っている。

私「どうしたんだ?」

少年「今電話がありました。発信元は新人類課のあの人です」

私「あの女の人?」

少年「はい。恐らく警察から情報が行ったのでしょうが今朝の件で血液提供をしなくちゃならなくなりました」

私「そっか、その器具はその為の?」

少年「はい、劣化しない機能もあるらしいですよ。それで、その対象にはお兄さんも入っているらしいので持ってきました」

私「手数かけたね、ありがとう。でも見たところ二本あるけどそれは?」

少年「実は僕も一緒にしようかと思いまして」

私「一緒に?」

少年「はい。針って他人に刺されるより自分で刺す方が痛いじゃないですか。だから、血の採り合いをしませんか?」

魔性の誘いは絶対的な権能で了承を得る為に小首を傾げて私の退路を鎖した。

少年を部屋に招き入れてぎこちなくドアを閉める。とても静かに。互いに向き合って座り密封された袋を少年が開けて銀色の針先を眺めた後私の腕に指先を這わせ浮き出ている血管を興味深そうに調べる。

少年「じゃあまず僕がやってみせるので見ててください」

そう言うと目星を親指の先につけてゆっくりと針を刺し込んできた。鋭い痛みが腕から伝って来るのにどこかこの時間が悠揚と落ちる砂時計を見るように遅いか早いかが分からなくなる。じっくり腕に埋まっていく針よりも少年の真剣な顔に釘付けになって逆上せそうで危うい。注射器に私の血が雪崩込んで少年が反射的に強張ってビクッと震え上がった。それを嘲るようににやけると気付いた少年が居住まいを正して報復に針を悪戯に動かした。

すっかり注射器の胴に血が詰まったのを少年が確かめてウエットティッシュを傷口に当てながら針を抜き「さ、次はお兄さんの番ですよ」と半袖を捲って軽く引き締まった淡い白蛇を思わせる腕をこちらへ突き出した。私は少年の腕を矯めたり回したりして支脈主脈を索って針を恐々打ち込んだ。少年は痛みからか目を眇めて腕に力がこもる。私は焦らないようにゆっくりと針を進めてやっと針全体が皮下に隠れたのを見て吸血を始めた。注射器には私の物より赫々とした生き血が流れ込み、それを拝む私は茫然とした。万端になるまでの間、この腥く奢侈な時間が五感に烈しく刻まれるのは天然な事だった。

血が溜まって同じように処置を済ませると濃霧の掛かった空間は忽ち澄んで二人してサンプルを紳士さんに手渡しに行った。

紳士「すまないね私君まで。これからも時々あるかもしれないから協力してもらえるかな?」

私「はい。これで済むなら安いものですよ」

少年「その歳でお医者さんごっこで得意げになるのはどうかと思います」

私「褒められて伸びるんだよ。伸び代を見て欲しいね」

少年「取らぬ狸の皮算用はしないのが懸命ですよ」

私「それだと目標を掲て生きましょう、なんて馬鹿馬鹿しくなるけど?」

少年「ぐぬぬ、子供相手にムキになって恥ずかしくないんですか?」

私「大人相手に勝ち誇るのも大概だ」

紳士「...それ負けた事になってない?」

私(ぬかった)「な、なってません」

紳士「あっ、そうだ一応これ飲んでおいて」

紳士さんが小さいプラスチックの箱から錠剤を一錠くれた。

紳士「簡単に言えば血液を作る手助けをしてくれるものだよ」

私「いいんですか?」

紳士「寧ろ使えるなら使っておかないとね。支給品なんだよ」

私「使えるなら?」

少年「僕が使えないんです」

私「そんなに粗悪品には見えないけどなぁ」

紳士「血を作る工程がそもそも違うのかもね。大丈夫、少年は食べ物で対応するから」

少年「そうです。聞けばその錠剤なんかより美味しいらしいですし」

私「そうだろうね」

懐かしい感情が蘇ってくる。風邪をひいて休んだ幼い頃、いつもより何倍も優しさを持って接された時の感情が。

私(それが忘れられなくて少し体調を悪く偽ったりもしたっけな。普段からそうであればどんなに良いことか)

夢想序でに嫌なものまで思い出しかかった時に家政婦さんが台所で腕を振るい始めた。立ち込めるいい匂いが口内で味まで想像させる。

紳士「もう夕飯も一緒に作って貰おうか。時間も悪くないし」

紳士さんも我慢出来ないらしい。

少し早めの夕食は全員揃ってのもので面子は気兼ねしなくても良い関係性。一日の締め括りには理想に近接したものだと満足感を久しぶりの感じた気がした。

食後は紳士さんが書斎へ、少年は自室へ、家政婦さんは家事を、そして私はこの度めでたく一番風呂を獲得した為、着替えを持って風呂場へ向かった。ここの風呂は素的に広くてまだ落ち着かないが湯は天然水を沸かしたもので湯船は檜造り、洗髪料は一度使えば翌日は頭を触らずにはいられなくなる事から私はこの風呂を浄化槽と密かに命名したのだった。暫く肉体を湯に浸けていると疲れと共に記憶が浮き彫りになって一つ疑問が湧いた。今朝、あの瞬間紳士さんの後ろに家政婦さんがいた。偶然勝手口の近くに二人が居たんだろうか。騒ぎを聞きつけて様子を伺ったのが私と少年なのは分かる。だけど食器棚はかなり勝手口に近いしおまけにマットが敷いてある。急に逃げようとしたら滑ったりして揉み合いになるのが普通じゃないのか?それも大分押入られた後に。だがどうだ、それどころか反対の壁に凭れながら暴漢は死んでいた。その時紳士さんは微弱だったが震えていて家政婦さんはといえば...顔は厳かだったが怖がるというよりは威嚇に近かった印象だ。何だろうか、こじつけなのは承知の上で可能性があるとすればあれは本当に対処であって成り行きの結果ではなかったのかもしれない。

私(確証も無いのに人を疑うなんて最低だ。考えまで傲慢になったかな)

邪推を振り払って脱衣場で体を拭いていると「うわっ」と声がした。びっくりして声の主を探ると少年の姿が入り口にあった。少年の目は私の裸を止め処なく奔走して時々声にならない声を洩らしては私の表情を併せて考え漸く一言「失礼しました」と謝辞を述べた。前髪の雫が膨らんで目に入った衝撃から正気になって私は素早くタオルを腰に巻いて「気にしなくても、こちらこそ御免ね」と返して場の収拾を図ったが内心は穏やかではない。全身を雑に拭いて服を着て足早にその場を離れた。

この出来事は尋常ではない。これが他の人間だったらありそうな事故に無難な落としどころだったのだろうが私の心に蔵しているのは背徳的な絵図だ。明かりの下で羽毛か何かで恥部を撫でられたような痺れが全身を巡っている。自室に帰った私は胎内の嬰児の様に足を抱えて電気を消し、布団を頭から被って必死に眠りへと向かう努力をした。




夏の暁の頃の青信号の予感めいた寂しさを無人の道路を横切る猫が咥えてどこかへ持って行ってしまったのを見送って私は台所で水を飲んでいた。日中の暑さを想定しつつ冷蔵庫から軽くつまめる物を取り出しているとまだ大人しい耳に硝子の砕破される音と破裂音三回が響んだ。まだ本調子でない足を運んで現場である周辺に着くと少年の個室のドアが開いており家政婦さんが穴の空いた窓に向かって煙の昇っている銃を向けていた。

家政婦「私さん!丁度良かった離れないで下さい!」

普段からは思いもよらない声音で命じられるままに距離を保った。

私「何が有ったんですか、少年は!?」

家政婦「今しがた乗り込んできた奴等の腕の中です。失態でした」

私「奴等って誰ですか!?」

家政婦「身長から言って外国人でしたが正式な軍でもないはずなのに防弾チョッキを着込んでいました。反撃してこないのを見ると狙いは少年だけでまだ私さんが鍵であるとは知らないようですね」

私「えっと、約まり?」

家政婦「人攫い。それも下っ端でしょう。舐められたものですね」

家政婦さんは銃口を下に向けると外へ飛び出して、呆気に取られた私を紳士さんが発見するまでどうしていいのか分かる由もなかった。

紳士「これは...非常に不味い事になったみたいだね」

私「紳士さん、家政婦さんが後を追って行きましたが出所不明の銃を持ったままでした!警察へ報せないと!早く!」

紳士「冷静に。この様な事態の時は警察ではなく新人類課へ言わなくちゃいけない契約だ」

紳士さんは固定電話へ駆けて状況と追って行った家政婦さんの代理人を立てるように要請した。

私「監視する人ってのは家政婦さんだったんですね。納得しました。あの悪漢を成敗したのは家政婦さんでしょう?」

紳士「そうだよ。表向きはワタシになっているけど間違い無く家政婦さんだ。態々監視が付くと説明したのは法律上の体裁を整えて万が一に備えた結果だよ」

私(紳士さんは気付いていないが司法に保険をかけたという事は提案した新人類課は相応の身分を相手取ってるな)「奴等が攫ったのだと家政婦さんが言っていましたけどまさかそれも?」

紳士「いや、確証は無かったよ。でもあの悪漢の件は前触れだった。だから悪化に対応したまででそれが誰なのかまでは分からない」

通報から僅か五分で家の周りには厳戒態勢が敷かれ、代理の家政婦装束の女性が家事をそつなくこなし始めた。

私「あの、家政婦さんは今何をしているんですか?」

家政婦代行「詳しくは言えませんが少年様の身柄確保に血道をあげています」

私「あの銃で撃ちあったりも?」

家政婦代行「事態によってはそれもあり得ます。御心配無く、彼女も訓練は受けています」

訓練を受けたから銃撃戦で死なないのなら戦場に批難は募らない。あまりに冷たく言い放つから私の方が遠慮してしまってこれ以上は訊かない方が良いように感じる。しかし内心は何故かとても穏やかで焦りや不安などは毛ほども湧いては来ず、その原因も不明なまま兎に角少年が無事であれば及第点だと考えている。

*

手持ちの弾倉は四つ。この限界を迎える前になんとしてでも奴等から少年を取り返さなければ今世紀最大の混乱の引き金にわたくしが仕立て上げられてしまう。

思考を巡らす家政婦を余所目に奴等は入り組んだ町並みを巧みに利用して姿をくらましたかと思うと勢いよく一台ので飛び出して加速度的に距離を離していく。すぐさま通信機を取り出して追跡の応援をするように仕向けたが新人類課の人員はこれ以上割けないから現状で工夫を重ねて対処しろと冷たくあしらわれる。

家政婦(やむを得ないですね)

家政婦は辺りを観察して一番安そうな車に目をつけると窓を叩いて開けるように促して適当に金を渡して半ば奪うようにハンドルを取って追跡を開始した。呑気な町角から悲鳴がちらほらと上がり二台の車が機能の全てを搾り出して追い追われ、何を思ったか奴等は漏路の無い元町工場所有の倉庫へシャッターを突き破って逃げ込んだ。

家政婦「さあ、悪いことは言いません。今すぐ少年を解放するなら捕縛するだけで済みますよ」

家政婦の説得が日光の届かない黴くさい倉庫に木霊したが気配のみで誰一人応じようとするものは現れない。一歩一歩奥へ銃口を向けつつ進んで行くと鉄骨に後ろ手を縛られた少年がわざとらしく項垂れていた。

家政婦「聞こえますか少年!!」

少年は呼びかけに呻きで答えたが何かダメージを受けているらしく動作に機微が無いように思える。

家政婦「今助けますからしっかりしてください!」

一瞬戸惑ったが周囲を警戒しつつ少年に駆け寄って手の荒縄を解こうとした時目端で少年の面輪が歪んだのを見逃さなかった。ほぼ反射的に飛び退るとそこへ少年諸共に銃弾が無数に降りかかった。しかし奇妙なことには少年は元の姿のまま微動だにせず出血も認められない。

四方の闇から拍手と訛った低い声が響いてくる。

?「惜しいな、あれを避けるならウチに一人欲しいくらいダ」

家政婦「文字通りに肝が冷えましたよ。まさか拡張現実まで使ってくるとは。誰かは知りませんがボスは相当な素封家ですね」

?「それくらいの価値はある。なんなら今すぐ俺たちがくすねたい程にナ」

家政婦「そうすれば宜しいじゃありませんか」

?「ハッハッハ、冗句きついね。生憎表舞台での裏稼業をしている方が命が一つで済むんでネ」

家政婦「失礼、わたくしたちはまだ朝食を摂っていないんです。少年の体調に悪いので早急にカタをつけます」

?「実にシンプルで結構。穴が増えたら空気までもが美味しくなるだろうサ」

ダダダダダダダダダダダダ

何を思ったか家政婦は敵ではなく倉庫の屋根を弾倉一つ分銃で撃ち抜いた。

?「おい見ろよ、あの女壊れたんじゃないのカ?」

?「可哀想に。墓は無いが早いとこ楽にしてやんないト」

?「一発でナ」

敵は銃を構えて照準を合わせ、暗がりから家政婦目掛けて今まさに引き金を引こうとした時、家政婦の視点は敵を捉えていた。

家政婦「まず一人」

落ち着いた素早い動作で装填した弾丸を躊躇いなく発射した。弾は敵を眉間から後頭部にかけて貫いて彼方へ飛翔する。

?「goddamn!」

?「撃て撃て撃て!」

敵の斉射は標的を射抜く事は無くコンクリートの地面を穿るのみだ。

家政婦「安心しきった人間は誰彼構わず良い的ですね。核シェルターに篭った心持ちなのでしょうが」

次弾がまた一人を戮する。

?「なんでバレてんだ畜生!」

家政婦「生憎メイドではありませんが教えましょうか、お土産です。わたくしが撃ち切った最初の弾倉ですがこれは特別製でしてね、振動機能がついてましてその頻度で敵の位置を探れる生体センサーなんです。加えて天井から射している幾条かの陽光、倉庫の半分を狙ったので残りはもう半分です。これで絞っていけば窮鼠の出来上がりですよね。

さ、降伏しますか?切腹しますか?仲間の為に喪にふくす時間待ちましょう」

?「...」

舌打ちが沈黙を破って敵が悠々とライトを持って現れた。

?「それ以上叫くんじゃねぇ。手中にガキの頭と銃が有る、分かるなナ?」

家政婦「そこでしたか。ん?その服に付いているバッジ...そして何よりその構えは兵士くずれか。しかし実戦には出ていないですね。大方引き抜く時に後々の面倒を避ける為に素行が悪くて身寄りも無いような者が条件だったのでしょうかね」

?「お前も兵士カ?」

家政婦「いいえ。あなた方の動向を見張るだけの人間でした。ですからその銃の出所も見当がつきます。随分長旅をしたようだ」

?「それなら普通なら会えなかった訳か。運命的だナ」

家政婦「もう会わないですよ、二度と」

?「そうだナ」

少年「家政婦さん、逃げてください!」

?「黙ってロ」

居丈高な男の振るった拳が少年の鳩尾を打った。

家政婦「少年!」

?「銃を置いて跪ケ」

家政婦「猫を噛んだつもりか」

?「早くシロ!!!」

家政婦(不味い、少年が匂いを出していますね)「分かった分かった、そう熱くならないでください」

少年「うゥ...」

家政婦はゆっくり銃を地面に置いて遠くへ蹴り、手を頭の後ろに組んでその場へ膝を折った。

?「クッハッハッハ、いい気味だな!?俺の怒りは高くつくぞ女!!!」

家政婦(...そろそろですかね)「痴れ者が、葬られているとも知らずに」

家政婦が言い終わらない内に敵の頭上から甲高い音が無数に聞こえてくる。

?「援軍か!?」

敵は少年を置いたまま頭を抱えて横へ跳んだ。家政婦は素早く銃を取って少年を抱えると敵を一撃で膺懲した。

家政婦「避けると思いましたよ。防弾チョッキを着込むほど慎重で尚且つ元兵士ともなればあの音で逃げない訳が無い。一つ目の弾倉に入っていたのは鏑矢ならぬ鏑弾です。無論当たれば本物と変わりませんが」

そう言い残して家政婦は衣服を裂いて口と鼻を覆い「帰りましょうか」と少年の手を引いた。

*

ガラガラと玄関の開閉音に聞き慣れた「ただ今帰りました」という落ち着いた声を聞いて一目散にそちらへ駆け寄った。下足場には家政婦さんと少年が徐に靴を脱いでいた。

私「お帰りなさい、二人とも無事なようで良かったです」

口調は平然としたものの内心は安堵が満ち満ちていた。

家政婦代行「お帰りなさいませ。準備が整い次第家政婦は報告をされますように」

家政婦「承知しています。そちらは問題ありませんでしたか?」

家政婦代行「はい。お申し付けが無い限りは」

家政婦「皿の枚数は数えましたか?」

家政婦代行「え?」

家政婦「ごく最近二枚ほど割ったんですよ。まさかわたくしの代理が確認を怠りはしませんよね?」

家政婦代行「それは、その...」

家政婦「家の者がもう帰って来ましたよ?どう対応するのですか?」

家政婦代行「申し訳ありませんでした」

家政婦「質が落ちたものですね。これでは監視はおろか潜入すら出来ないでしょう」

私「ちょっと待ってください、代行さんは良くやってくれましたよ?」

居た堪れない家政婦代行を淡そかに庇ってしまうと家政婦さんの眼光が少し鋭くなって私の萎縮を促進した。

家政婦「お見苦しい所をお見せしまして申し訳ありません。ですがこれはこちらの領分ですので口出しは無用のこと」

私「そうですよね」

家政婦「私さん、すみませんが少年さんの身なりを整えて下さいませんか?わたくしは少々込み入った話をしなくてはなりませんので」

有無を言わさない凄みに気圧されて少年の手を引いて居間へ逃げた。

紳士「おおっ!お帰り、大丈夫か?怪我してるところは?」

少年「大丈夫です。家政婦さんがしっかり保護してくれました」

少年は少し俯いて答えている。

紳士「何か体調に変化は?そうだ、朝御飯まだだったろう。何か少しでも食べないと!」

私「冷蔵庫見てきます!」

早足で冷蔵庫の扉を開けて食材の海を漁っているとしっかり密封された袋が出てきて「美味棒」という文字がマジックペンで書かれている。

私(ナイスタイミング!)

その袋と水を持って蜻蛉返りする。

少年「あっ」

私「どう?食べれそう?」

少年「ふふっ、食べた事無いんですってば」

仄かに顔が綻んだのを見て大人二人が胸をなでおろす。

少年は開封した袋から一本取り出して緊張しつつも食べ始めた。

少年「んん!確かにこれは美味棒ですね!」

推測だが本物はもっとチープな味だと思う。

紳士「それを食べ終わったら一旦お風呂に入って来なさい。少しは気楽になるだろうから」

少年は頷いて答えた。

紳士「私君、多分もうすぐ新人類課のあの女性が来るから話をしなくちゃいけない。一緒に聞いてもらっても良いかな?」

私「はい」

暫く経ち、少年が入浴に行った直後に噂をすれば影がさしてインターホンが鳴った後、マイクから女性の声がした。女性が居間へ上がってくると話が終わったのか家政婦さんがお茶をいれて自然と話が始まった。

女性「コホン、では始めさせていただきます。今回の一件は先日に続き少年さんを狙った犯行でした。ですが今回の事は表沙汰にはならず、しかし法的に処理が成されなくてはなりません。ところが裁判は開かれるこちはまず無いでしょう。と言うのも国も尻尾を切りたいのです。これがどういう意味かお分かりですか?」

私「犯人の形跡を辿ったら行き着いた先が国だったんですよね?」

女性「その通りです。覚えておられるでしょうがつい三日乃至四日前に新人類課で支援金横領が有りました。犯人は課の長です。勿論直ぐに代替わりしたのですが元課長は職務の中で独自の人脈を築いており、その書類の一端に書かれてあったのがこれです」

紳士「未来生存模様会?」

女性「はい。お話しする通り現代の技術というのは最早自制などしていません」

私「それはちょっと行き過ぎなんじゃ」

女性「いえ、技術というのは広く流布される物ではなく開発から実験を経てまずは資金繰りの為に顧客を獲得するんです。それが世界中で起きている」

家政婦「成る程、それでサウじやエジぷとからの密売武器が」

女性「お気付きでしたか。そうです。新人類は世界中に居て研究の名目で黙殺されてきた事象が数多くあります」

家政婦「それに迫害の風潮は未だとどまる所を知らずにいますから人心は根のない草木も同然ですね」

女性「そしてある日一つの研究結果が秘密裏に波紋を呼びました。不死を願う富者が我先にそれに飛びついて現状を招いています」

紳士「その研究結果というのは一体」


女性「特定の遺伝子を持つ新人類は宇宙空間でも生存が可能である、だそうです」


紳士「まさかそんな、それが少年だと?!」

女性「はい。そしてその生体を抵抗無く移植するには鍵とも言える友人適性の有る人物の血が不可欠です」

私「それが私ですね。だから血液検査」

女性「そうです。今まで極秘扱いでしたがやむを得ない状況ですので苦渋の決断です。まさか刺客を向けるまでに欲しているのは予想外でしたが」

家政婦「詰まりあの兵士くずれの雇い主は新人類課元課長で裁判する側は面子を保ちたくて庇い、だからといってこの一件を触れ回られては一大事。それが思いがけない書類から後ろ盾をチラ見せられて今度は封殺に追われている、とこんな具合ですか」

女性「その通りです」

紳士「だとするなら気にする事は一つだけ。支援は切られるか否かです」

女性「国の財産として守ろうという少数意見から今回は家政婦さんの行動を許可しましたが、次に何かあれば長い長い会議の最中に終幕を迎える事になるかと」

私「逃げ隠れする場所や手立ては?」

家政婦「人間は数でこそ蟻より遥かに少ないですがカメラやドローンや衛星などの所謂目は認知を超える事でしょう」


嗚呼、こうなのだ。学生の頃から見限った世界の御衣勝ちな有様は実に巧みに思想を脳髄に染み込ませてその私腹を肥やしていたのに、上には上がいて一握りの強者が大勢の強者を従える。まるで原始から進歩が無くて横の物を縦にもせず普天の下から率土の浜まで全部全部見たくもないシーンばかり描いているから私は一室にそっと一生を置いたんだ。


紳士「そんな...。その元課長は犯罪者ではないんですか!?」

家政婦「権力者ですよ」

紳士「万策尽きた、のですか?」

女性「遺憾ではありますが」

家政婦・紳士・女性・私「......」

撃鉄を起こせ。

脳内に狼煙が上がる。

鯘れた闘志に落ち滾る火炎を点けて鬼畜供の咳唾を払え。不敬を赦さず虎落る発想すら抱かせるものか。觳觫も歔欷も命乞いも少年との日々に変えられる価値など皆無。降魔の利剣をその首で味わわせてやる他、この忿怒を鎮める術が何処にあろうか。

私「家政婦さん、新人類課の武器を盗み出す事は可能ですか?」

家政婦「...それは、答えかねます」

私「理由は雇われているから、ですよね?」

家政婦「はい」

私「ではどうでしょう。辞めて頂けませんか?」

女性(!)

紳士「私君、何を言うんだ」

私「少年を守る為です。無論駄目とは言わせませんよ?売ったのはそちらですから。何より空蝉状態の団体になんの力も無いでしょうし」

家政婦「...宜しいでしょうか?」

女性「......。曲がりなりにも人間をやっているつもりです。目を瞑る事もあるでしょう」

家政婦「御英断です。では僭越ながら言わせて貰うなら『無事に』と言う意味でならほぼ不可能ですが手段を問わなければ住み込める甘さです」

私「では辞職又はクビの後有りっ丈貰っていきます。給料は口座凍結が無い限り私が出します」

家政婦「良いでしょう。あ、代行も連れて行きましょう。丁度怠慢を鞫む口実も有りますし」

女性(えぇ...)

紳士「私君、目的地はあるのかな?」

私「はい。家政婦さん、先程密売武器と仰っていましたよね」

家政婦「はい」

私「その購入者は恐らく元課長の隠れ蓑に成った組織が絡んでいる筈です。それを辿れば元課長が見えてくるでしょうから後は資料も併せて人質として利用し、誘き出してこの国の警察が捕らえればどうです?」

紳士「一躍暗部を壊滅させた評判が立つ!」

私「各国も邪魔者を切れて大喜びでしょうし一時的だったとしても脅威は去るはずです。場所は元課長の本拠地です」

家政婦「作戦は把握しました。聞きましたね、代行」

家政婦さんが呼びかけた戸が空いて少年を止めるように肩に手を置いた代行さんが顔をのぞかせた。

紳士「少年、聴いてたのか...」

代行「悪いのは少年さんじゃないです!自分の注意不足で!」

家政婦「まったく、ミスをするなとは言わないけど後始末が出来ないようでは底が知れますね」

代行「じ、自分が全力で警護しますので!」

家政婦「言質はこれで良いですかね。さて早速武器を取って来て貰いましょうか、わたくしは辞表に組織の調査と忙しいですから」

代行「え?」

巧妙な手口に小慣れた感も相俟って家政婦さんの加虐は隠匿された魅惑を放っていた。

少年「良いんですか?僕を引き渡せば解決するんですよ?」

私「一寸の妥協で情けなく生きて文句を垂れるくらいならいっそ死んだ方が生きてると言える。

言わなくても分かるだろうけど降って湧いたラッキーを上手に手に入れるのも大事なんだよ」

紳士「私君も少年も長くお世話になってる家政婦さんも大切な家族なんだ。確かに変わってて異端で歪かもしれないけど赤心で生きてるだけで正解だと思えるワタシの自慢のみんななんだよ。」

家政婦「少年さん、あうさわに言うのではなく純粋に大事に思っているのに熱火を子に払うような真似は起こり得ません。それは愛情の深さの成せる事でもあり、それを受けるに値する少年さんもそれだけ素晴らしい人物だと言うことなんです。引き渡しなんて絶対にされません」

少年「知ってたんですか?ディオゲネス」

家政婦「人並みには」

女性「それでは貴嬢貴丈の皆様、ご多幸を」

こうして一世一代の背水の陣の火蓋が切って落とされた。


女性が家から隊員を連れて帰って行ったのを見届けて家政婦さんの「十分後に出ます」との一言で解散して静まり返った家の中には緊と空気が張り詰めて各々部屋でルーティンやもしもに備えて遺書を書いたりしていた。私はといえばパソコンと携帯電話の履歴とファイル削除して終わり。編み笠一蓋とまではいかないものの足軽で手軽で身軽な我が身が少しばかり情けなくなっていた頃部屋のドアがノックされた。音は軽やか。

私「はい」

少年「どうも」

私「いらっしゃい」

少年「すみません。何だか部屋に居づらくって」

私「分かるよ。何であんなに覚悟が重いんだろうね」

少年「大人って事なんでしょうかね」

私「そうかも」

少年「あっ、良かったらこれどうぞ」

少年は美味棒の袋を差し出した。

私「良いの?」

少年「はい、お兄さん欲しそうだったから」

顔に出てたか。

私「でも少年の為に作ったんだから悪い気が...」

少年「うーん、それじゃあ半分こしましょう」

この一手がいつも私を惑溺させる。何気ない軽口なんだろうけど背骨の重みが倍になった心地がする。

唐突に少年が美味棒を咥えてその口唇の数ミリ先を手折ってこちらへ差し出した。硬直した私を見て「すみません、嫌でしたか?」と不安げに尋ねる少年へ向けて手を放たないように他の部位へ意識を一旦集中させて利き腕を避けて左手で受け取って食べた。豊かな麦に似た香りがしたかと思うと歯応え十二分な生地が力まずとも砕けて咀嚼しても歯の溝に詰まらずに喉を通ってしまった。

私「やっぱり本物より美味しいよ、これ」

少年「そうですか。手料理は難しそうですもんね」

難易度の方向性が奇抜過ぎる。

二本目をいただくか迷っているとまたも部屋のドアがノックされて代行さんが「時間です」と呼びかけた。

リビングには私と少年を除いて全員が集まっていた。

家政婦「それでは作戦を」

代行「はい。まずは二チームに分かれて行動します。はじめに自分と紳士さんが武器庫を襲撃後、それを持って直接元課長の本拠地で合流と奇襲を果たします。場所は既に家政婦さんに伝えてありますので道に問題は無いかと思われます」

私「私達は何を?」

代行「少年の守護と奇襲後の交渉をお願いします。二人が家政婦さんの手元にあった方が安全ですから」

家政婦「因みに隠れ蓑はタックスヘイブン圏内の実在しない企業が一枚噛んでいた銀行でした。輸送ルートは航路で暴徒の侵入は空路です。そして本拠地が人口の少ない離島でした」

代行「大体こういう作戦でしたが如何でしょう?」

私「十分過ぎます」

家政婦「では車を二台用意しましたので先にわたくし達が出ます」

私「分かりました。少年、行こうか」

少年「はい」

紳士さんと代行さんに背を向けて車へ乗り込んで離島へ出発した。

*

代行「それでは自分達も行きましょう」

紳士「お互い無事に遂行しよう」

戸締りを済ませて車へ乗り、新人類課を目指して進行した。

紳士「あの、訊いても良いかな?」

代行「何でしょう?」

紳士「君は別に新人類課を辞めた訳でもどうしようもない事情を抱えている訳でもないのに手伝うには余りにも無益じゃないかな?」

代行「そう思われますか?」

紳士「若いから尚更ね」

代行「ええっと、もうこの際だから話してしまうとしましょうか。紳士さんは新人類課がそもそも創設されるきっかけは何だったか覚えておいでですか?」

紳士「それは新人類が産まれる確率が突然変異と思われる理由で高くなったから、じゃないのかな?」

代行「それは後付けです。本当は警察の他に武力を持った体裁上は新しい保険を促進して尚且つ今まで溜まりに溜まった治験を合法的に済ませて新薬を売り捌き、国力を回復する計画だったんです。

因みに何故下っ端がここまで知っているかと言えばそれを数多くの同僚から自分にだけ喋った家政婦さんのお陰です」

紳士「成る程、起死回生の策だっただけに多大な金が動かせているのか。だけど武力を持つ理由は?」

代行「確証も無くて家政婦さんが言っていた事だけですけど、意図的に戦争を起こして一稼ぎする計画に加担してその支援をする為だそうです」

紳士「...。荒唐無稽、と言ってしまえば良いんだろうけどね。なかなかどうして現状が疑心暗鬼を生んで妙な信憑性で現実感を醸し出している」

代行「そういう訳で自分らとしては出兵はしたくないけど情報は掴んでいたい。都合のいい事にはこの一連の事件が上手く二手に分けてくれました」

紳士「では別段そのひと稼ぎを止めたいなんて事でもないんだね?」

代行「自分らが稼ぐなと制したら困る人間も出ます」

紳士「被害者を助ける義理が無いのは分かったよ」

代行「一つ、託言がましい事を宣うと助けたとて統治する術や領土や、でなければ自治する能力をもった人間をどうして用意出来ますか?生きる為に仕方無いんだと死んだように生きる事を良しとする人間を自分らはどうやって飼えば報われるでしょう?

そんな事をせずに自らの身位を貶めてまで無駄な事をしないと決めた人達だから専属の家政婦にもなったし、一生逃げ回る事になる可能性があったとしても家政婦さんは助力を惜しまないんだと自分は見ています。そしてその生き方に自分も憧憬の念を灯した。」

紳士「...彼女ももしかすると淡水に棲むのかもしれないね」

代行「え?」

紳士「人間は一種類じゃないんだ。それは容姿要望年齢性別国籍以外に生き方に至るまで呼吸しやすい方とその逆がある。今言った詮方なく勤められる精神の人は海水でそれ以外は淡水。勿論汽水域だって有る。ワタシは時々そう考える事があるんだ。そこに優劣は無く、唯互いを迫害せずに生きれたらそれで良い」

代行「確かに、そうなれたらこうはなっていなかったかもしれませんね。さて、この話は一旦終わりです。紳士さんはここで待っていてください」

車はある建物の裏手に停められて後部座席のドアを全開すると代行は建物の中へと入っていった。

裏手に入ると厳重な格子越しに警備の男が一人で受付と管理を兼ねて退屈そうにだらしなく椅子に座っていた。

代行「ただ今戻りました。先刻退職した家政婦の使用した弾丸、及び武器の記録の為武器庫の鍵を拝借します」

警備の男はゆっくりと腰を上げてのろまな手付きで鍵を渡すと出入りを記す帳簿に金釘流の字で適当に書きつけ始めた。

代行は鍵を使って武器庫へ侵入し、銃火器弾薬等持ち運び用のケース二つとポケットに詰められるだけの武器を詰めてその場へ座ってじっと時を待った。警備は基本、一日に三度武器庫の点検をせねばならず、持ち出しや持ち込みが有った際には追加で同じ過程を踏む。時間も近く人の出入りが有った今、纏めてやってしまいたいと思うのが人心だ。

足音が聞こえ出して警備の男が武器庫の扉を開けた瞬間、電撃によって倒された。素早く扉を閉めて服を奪って一旦受付へ行き、監視カメラを全て操作して元の服で紳士の待つ車へ走った。

代行「お待たせしました、すみませんが車出してもらえますか?」

紳士「了解。凄い手際だね、警報も鳴ってない」

代行「これでも訓練されてましたから。あ、目的地は地図にマークしてありますのでそれ使ってください。ティッシュの箱の横の、それです。

それと今から少し通信入れますのでお静かに願います」

そういうと武器ケースの中から通信機を取り出して周波数と番号を入力した。

*

家から出て一時間は経っただろうかというタイミングで運転していた家政婦さんのポケットから機械音が聞こえ出した。

家政婦「こちら家政婦、合言葉をどうぞ」

代行『秋の鹿は笛に寄る。どうぞ』

家政婦「合言葉確認。要件をどうぞ」

代行『武器を手に入れました。これから合流地点へ向かいます、どうぞ』

家政婦「了解、呉々も注意されたし。これ以降はこの番号は使用できない。オーバー」

家政婦さんは電源を切るなりその通信機を足蹴にして破壊した後道路脇に投げ捨てた。

私「あれ捨てて良いんですか?」

家政婦「仮に拾っても使い方を知らないでしょうし奇跡的に使えたとしても誰かに通じはしないでしょう。

それよりも荷台の携帯電話を取ってくださいませんか」

荷台を除くと随分古めかしい携帯が話し口に消ゴム大の装置を付けた状態で置いてある。

私「どうぞ」

家政婦「有難うございます」

再び片手でハンドルを握ってもう片手で携帯へ番号を打ち込んだ。車内は静まって呼び出し音が三回鳴った後だれか応対したようだった。

?『もしもし、こちら新人類課相談窓口です』

家政婦「代行は預かった。返して欲しくば琵琶湖にずわい蟹を二千杯逃がせ」

そう言った後直ぐに電話を切って本来の折りたたみとは逆に曲げて見事に分断してしまった。

私「なんですか、今の電話は」

家政婦「代行はこの件に関与せずに不幸にも拉致されているという筋書きなので一応それっぽい事を変声機を使ってやりました。あとはあの女性がどうにか処理してくれるはずです」

私「琵琶湖に蟹が放たれるんですか?」

家政婦「それは及び知るところではありません」

よくそんなどうでもいい要求が出来たものだと脱帽する。

車は休む事なく車輪を回し続けていつしか本当は何も起きちゃいなくて無計画な旅行をやっている気分に傾倒しつつあると、海岸沿いの道を抜けてフェリー乗り場から受付を済ませて車ごとフェリーへ乗り込んだ。

家政婦「すみませんが車からは降りないようにお願いします。少しでも目立ちたくないので」

私「分かりました」

少年「あとどのくらいで着きそうですか?」

家政婦「確かではありませんが今日中に済ませなければ今後はどう逃げられるか、また追われるか計り知れないのでそのつもりです」

少年「そうですか」

家政婦「不安ですか?」

少年「護られるのは案外悪くないかもしれません」

虚勢を張る少年は責任感を負った目をしていた。

*

代行「あ、もう大丈夫なので運転変わりますよ」

紳士「そうかい?」

代行「う〜ん...」

紳士「どうかしたの?」

代行「いえ、家政婦さんが新人類課へ脅迫の通告をする手筈ではあったんですが内容を知らないんですよ。なんせ破天荒な方でも有りますから何を引き合いに出したのやら、と気掛かりでして」

紳士「...素人の浅慮だけどきっと釣り合うかそれ以上の何かを要求するんじゃないかな?」

代行「値踏みされる側になって改めて考えさせられるのは自分をどこまで高められて来たかという一点ですね。教育に余念が無いのは良いですけどこういう時は辞めて欲しい限りですよ」

紳士「確かに、自分の値打ちか...。少年や私君なんかはどれ程付けてくれるんだろうね」

紳士は微笑みなら言う。

代行「はてさて、もしも彼らが高価なんだったらそれらに値段を決めて貰うのはそれ以上の値打ちが生まれてしまいませんかね?」

紳士「ううん、だったらワタシは思った以上にずっともっと高級に居る気がして来た」

代行「フフッ、人類平等ってのは嘘っぽいですね。

見えましたよ!離島へ渡る為の船着場が!」

代行と紳士の視界に広がったのは圧力の有った海岸沿いの岩壁から一気に開けたらばんこう万頃の海に少しだけ突き出た乗り降りする為のこじんまりした足場だった。

代行「さ、荷物を纏めてください」

自然に沈静化していた意気も攪てられて代行はアクセルに一層深く足を掛けた。

間も無くして船着場に到着した代行は先ず停まっていた一艘の舟へ近づいて操舵室の扉を特異な拍子でノックした。すると扉は解錠の音と一緒に開いて中から出てきた何処にでも居そうな風体の男が現れ、手を差し出した。代行はその手に拳銃一丁と封筒に入った金を渡して引き換えに舟の鍵を受け取って手早く荷物を積み込み始める。

代行「今からこの舟は自分らの物ですからこれで一気に目的地に行けます。ただ、正直海上警備が無いとは言えないので気を付けて行きましょう」

紳士「まさか代金が銃とはね」

代行「マニアが多いので実銃なんかは言い値で売れる事も多いらしいです。無論弾を入れて売った訳ではないのでご安心を」

紳士「弾丸をこめて引き金を引くのは責任外なのは分かったよ。今想像した被害者だって非現実だ、家族はその点現実でそれに勝る」

代行「段々堂に入って来ましたね」

荷物を運び終えると代行は車に何か細工を施して舟に乗り込んでエンジンをかけた。黒煙が排気口から吹き出て陸地からゆっくりと人間二人が去って行く。

もう米粒大に船着場が縮まってしまった頃合いで車は火柱を上げた後狂った雄牛の様に海へと身を投げた。

*

フェリーのエンジンの駆動音だろうか、ゴウンゴウンと身近な鉄板に響くのに加えてゆったりした波に船ごと揺られて眠くなる。汽笛が三回くらい鳴った辺りで眠りに落ちてしまって目覚めたら車はどこかを走っていて辺りは夕刻になろうかとしていた。

私「すみませんっ!寝てしまって!」

家政婦「構いませんよ。それより隣の少年を起こしてもらえませんか?」

そう言われて少年を見ると不朽の目細しさで肩から流れた手先は私の手に触れていた。小鳥の様な体温を認知してたじろいだが家政婦さんの手前もあるので平静を装って少年に呼びかけた。

少年が目を覚ますと家政婦さんが語り出す。

家政婦「まず船で予想通りといえばそうでしたが下船寸前に一人の客が銃を乱射して取り押さえられました。恐らくですが暗殺するつもりでいたのでしょう。

ですので安全面を配慮してほんの少しだけ遠回しりをして目的地へ向かっています。ですがもう二、三分で着いてしまいますので御準備を」

映画なんかだったら緊張感からのクライマックスだろうが現実だとこうなる。家政婦さんの語る展開に焦りながら私に出来るだけ気を引き締めた。

家政婦「おや、もう先に着いていたみたいですね。私さん、少年、車を降りたら直ぐに装備を整えて下さい。わたくしはもう完了していますので」

車はゆっくりと速度を落としてとある一軒家の前に止まった。

その家の前では紳士さんと代行さんが居て息を切らしている。

代行「御無事でなによりです。こちらが防弾用と一丁づつ銃を渡しておきますね」

私「あの、何があったんですか?」

代行「海上警備十隻と丁々発止とやった挙句やっと着いたら自宅警備が十分だっただけですよ」

家政婦「死体は?」

代行「全てバラしたので今頃海の中です」

家政婦「よろしい、ではこの中で待っているのですね?」

代行「はい」

家政婦「ふむ。少年」

少年「はい?」

家政婦「この結末がどうであれ、責任は大人達のお仕事ですからどうかそのつもりで」

少年「分かってます。全て任せるしかないですから」

家政婦「では代行、わたくしと先陣を切りますよ。皆さんは後から続いてください」

代行「久しぶりに先陣任されました!」

二人は家の玄関に接近するとドアの隙間へ刃物を忍び込ませて鍵を壊し、開けて中へ走り込んだ。

靴を脱がない違和感を引き摺りながら後続すると極普通の生活空間の広がった今に背を向けられたソファに腰掛ける人影が一つあった。

代行「お前が元課長か?」

二つの銃口はその人物を捉えながら目は辺りの警戒を怠っていない。

元課長「はぁ...。元職場の人間気取りの猿共は全員役に立たない奴ばかりで呆れかえっていた矢先に良い話だと思って乗った話が誰かに妨害され始めたかと思えば今度は蜚蠊や蟻の様に詮索するじゃないか。だから渋々口煩くてプライドの高い刺客を雇って解決するかと思ったらあっさり討ち取られてとうとうここまでたどり着いた奴だからどんな逸材かと思えば揃いも揃って靴も脱がない女二人と男が三人、それも一人は血が良かっただけの塵で一人はそれ以下の塵。あとはそのパパとチャカぶん回すだけしか能無しだった人殺しとは...笑えない冗句もあったものだね、えぇ?」

家政婦「随分と余裕だな?」

元課長「そりゃそうだ!なんたって今日永遠の命にも匹敵する至宝が手に入るんだからなぁ!?」

ドンッ!!

家政婦さんの銃が元課長の肩を撃ち抜いた。

家政婦「この状況をもう一回見直した方が身の為だ。命令は三つ、コミュニティの開示、蓄えた武力の開示、その腐った脳にお似合いの地面まで頭を下げて詫びろ」

元課長「あーあ、義手が台無しだ」

元課長の肩に出血は殆ど無く、こちらを振り返ると少年を指差して言った。

元課長「おい、血を寄越せ」

紳士「悪いがそれは出来ない」

元課長「お前には話していない!そこの餓鬼に言ってるんだ!さっさとこの崇高な計画実行の為にその血を捧げろ下郎がっ!」

ダンッ!!

代行さんの銃が元課長の膝を撃った。

代行「勝手に動くんじゃない畜生が」

元課長はよろよろとだがまだ立っている。

元課長「良いのかな?その隣に立ってる塵の親がお前が意固地だったばっかりに死ぬ事になるぞ?」

少年「え?」

家政婦「少年!耳を塞いで!」

家政婦さんの喝破は少年を動かせない。

元課長「その塵の親なぁ、お前との友人適性が息子にあると知って書類を作成した時があったんだがその時相手がお前だと知って情報を抜いておいたんだよ。だからもし今俺が死んだら道連れが居なきゃ寂しいだろ?めでたく役不足だがその塵の親を指名してやった訳なんだ」

ケタケタと元課長は高笑った。

私「少年、別に気にしない。何にも支障なんか無い!」

恨んでも嫌ってもいない親だが苦労をかけたのは確かだ、だがそれも軽率に子をもうけたあいつらが悪くって...

少年「どのくらい、必要なんですか?」

家政婦「少年!!」

元課長「よーしよしよし、良い子だ良い子だ。なぁにほんの体の三分の一程度貰えたら済むんだよ?」

代行「やむを得ない!、家政婦さんここでいっそ!」

家政婦「待てッ!」(もしここで捕らえないと今後の計画が崩壊してしまう!)

少年「...」

私「少年っ!大丈夫だから!」

少年「私さんは親に微塵も恩を感じないと全身でそう思えますか?」

私「ッ、そう思う!」

少年の深い瞳に思わず声が詰まる。私が水晶の様に見透かされたのをこの場の誰もが知った。

少年はのろのろと、しかし確実に元課長の近くへ歩みを進めだした。

少年「血を渡せば助かるんだろ?」

元課長「そう言ってるだろ!物分りの悪い餓鬼だ」

私は少年の肩を力強く掴んで止めた。

少年「痛いです、放して下さい」

私「放す訳が無いだろうが」

語気が荒んで行く。

少年は一瞬痛哭の表情を浮かべて何かを偲んだ後にゆっくりと口を動かした。

少年「私さんは...正直鬱陶しいんですよ」

私「え?」

手は瞬く間に弛緩して少年を自由にしてしまう。

少年「何ですか?丸で同属みたいに接してますけど居候の身で偉そうですね。大人なのに子供と張り合ったりろくに生活だって本当は出来ていなかったんじゃないですか?

今日なんか手を触って眠ってたのに起こして、剰え親まで売るなんて最低でしかありません」

血圧が一気に乱高下しているのか営力も自転も絶えた星が土塊になりさがるのに似て精神性を欠いた私は機能不全で音が上手く聞き取れない。開いた口が塞がらずに命の灯は涼風に晒された。

少年「おやつの時なんて僕の食べかけを食べるなんて卑しいにも程がありますよ」

老けて行く精神と望んでも満たされない自壊への飢え。真っ白な脳内に懸命に働きかける。

私がこの世でここまでの仕打ちを受けるに至った経緯は、ええっと。

罪状は史上抜群に爛れて幼稚さと相生した驕逸。余桃の罪。

元課長「いつまで喋ってやがる、早く来い」

元課長は片手でポケットから注射器を取り出して逆手に構えると少年の血管に狙いを定めて少年の到着を待った。

一歩、二歩、三歩と少年は歩みを止めなかった。

紳士「少年!行くな!」

元課長「アぁッハッハッハッハッ!そうだ、俺は尊くてお前らは違う!俺は生き延びてお前達は死に、俺は上層にいてお前らがそれを命を投げ打って奉仕する!実に正しい世界じゃないか!?なぁ、おい、笑えよぉっ?

クックック」

少年「...。何が」

元課長「あ?」

少年「何が尊いんだ」

元課長「世界の悉皆を手中に収めて天の星々までも動かす程の俺の生命だよ」

少年「上層に座すだって?」

元課長「そうさ、俺はもう神にすらなれるんだ!これから軈て世界は偶然を装って戦火を撒き散らして嬰児の安易さで殲滅のボタンを押すだろう!だが俺は生き延びて下々を眺めては悦に入るんだよ!

もうあんな劣等種共と同様の扱いもオサラバだ!」

少年「恐怖から逃げただけじゃないか」

元課長「それ以上無駄口を叩くな」

少年「平等に来る死とその道程に洞察を怠って漏路を必死に探した盲人のくせにたった一人の為にここまでした僕の一族を貶めることなんて出来るはずがない」

元課長「三」

少年「お前はその実お前をも虐げて来た者達の軍門に下るだけの事を大層喜んでいるけどその愉悦は誰から教え込まれた思考かな?」

元課長「二」

少年「己可愛さに僕なんかの血を渇望するお前には幾星霜も辛酸を味わった挙句弑逆をも受け入れた者の勇敢さは測れない」

元課長「一」

少年「僕がやるよ。サヨナラ弱虫」


ズドンッ!!!


元課長の額に穿孔が拵えられた。

ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ、チッ、チッ、チッ、チッ

死体は神経反射の挙動を潜め、少年の指は拍子を取って引き金を引き続けている。

家政婦「少年、もう大丈夫ですよ」

家政婦さんが引き金の引き代に指を挟んで鈍く嫌な音がした。爪が割れて血が溢れて来るのを見つめながら少年の五指を順に解いて銃を代行さんの方へ投げた。

少年の呼気が震えているのが聴こえる。

家政婦さんは少年を抱き寄せつつ手早く衣服を割いて傷口と口を覆いだした。

家政婦「皆さん、ここから一旦離れて下さい。

代行、わたくしに鎮静剤の投与と私さんの御両親の安否を確認。元課長の死体は簡単に隠してデータを集めなさい」

代行「はい」

代行さんが忙しなく動き出す。

私「...。少年?」

家政婦「今はこの場から退避を」

私「私の為に、やったのか?」

紳士「私君、行こう」

紳士さんの半ば強引な誘導に大人しく従うほか術無くして家の外へと退去した。

幕切れはいつだって興醒めだ。

夕羽振るこの島特有の潮騒が事の終わりを素早く洗って扨又来たる日々を白浜の砂一粒と共に運んで来ている。

紳士「他のメンバーを誘れなくなっちゃったね」

玄関先で紳士さんが話題を振った。

私「上手く情報が残ってると良いんですけどね」

素っ気無く答えた。

紳士「どうかな?うちの子は、立派だっただろう?

自慢の息子なんだよ」

私「はい、本当に凄いお子さんですね。一瞬で投身して赤の他人を救ってしまいました」

紳士「そうなんだ。優しくて聡明で自分の家族がが誰かを一瞬で理解できる」

私「...」

紳士「私君は誰かを切り捨てて誰かを助けたんじゃないよ。私君は私君の両親を捨てて少年は少年の兄弟を、家族を守ったんだ。当然その役目はワタシの物だったのにね」

私「私に、迷いが有ったのが愚策でした。どうにも受けた恩だけ着せがましく残してしまっていて捨てられなかった。無償の愛が当然だと思って良かったのに。産んだ責任は私には無いのに。命だって偶々敵意の焦点が合って危ぶまれただけなのに。少年に嫌われたくないのも有ったのかもしれませんけど私自身のけじめが何より甘かったです」

紳士「躾が行き届いてた証拠だろうね」

私「あれほど嫌った思考の枷を最後の最後ではめたのが自分なんて笑い種にもなりませんよ」

紳士「親というのはお互い苦労するね」

紳士さんも私も泣きたい時に笑顔の仮面を付ける性癖らしいが共々扼腕を隠せずにただ明後日の方向を見て無様を自嘲するだけだった。

矢庭に背を向けていた玄関が開いて代行さんが飛び出してきた。

代行「すみません、最後まで付き合いたい気持ちは仰山なんですけどいかんせん琵琶湖にズワイガニが放されたみたいなので一旦戻ります!」

風のように去った代行さんを見送った紳士さんは疑問符を量産した。





後日の創意工夫のなされた世界形態は、私の親は幸いにも対応が早く、一命をとりとめていた。

元課長の部屋に残されていたデータは十二分に確保出来た為ネット上に散布したところ芋づる式に個人が特定されて行き、隠蔽工作敢え無く報道には大々的に取り上げられた。しかし新人類の生態も同時に知れ渡り互いの溝は深まる他無くなり、とうとう小規模な事件を頻発させている。

肝心の少年は平静の体をしているが積年の残渣を消化しきれずにいるようで会話はするもののよそよそしく振舞っている。自然だと思う。

私はといえば病院へ両親の見舞いに行った帰り、心細さから食べもしない菓子類を買い込んで自室へ戻ってから鑑賞しながらもうぼる事を躊躇して消費計画を練っていた。興味の無さから思考がゆたい始めた時、遠退いていた可憐な足音がひたひたと接近してドアが三回ノックされて梁塵が動く程のあの声が呼びかけてきた。

少年「お兄さん」

ドアが開けられる。

少年「やっぱり居るじゃないですか。返事もしないと思ったらお菓子の独り占めですか?」

私「少年...もう大丈夫なのか?」

少年「大丈夫ってなんですか、至って健康優良児ですよ?」

由有り気な功笑が美顔をくすませる。

私「そっか。お菓子は独り占めったって誰も食べやしないんだ。好みの問題で」

少年「あぁ、たしかにお兄さん悪食そうですもんね」

私「失礼な!GOD↑タンとは私のことだ!」

少年「地下アイドルの芸名っぽいイントネーションですけどいずれにせよ神様の舌が大して良くない可能性は否めないですよ?」

私「神様は馬鹿舌だと...?・・・あり得るな」

少年「鰻ゼリーの生みの親が親なら子も子って感じで」

私「手厳しいなぁ」

上辺だけの話の露命はすぐに消えた。

少年「そういえばお兄さん、覚えてます?御礼の件」

私「ん、ああ、覚えてるよ」

少年「それで色々考えたんですがどうにも適切な綾羅が見つからなくて」

私「いやいや、いいんだってば。無理にしなくても」

少年「いえ、僕の探し方が悪かったんですよ」

私「?」

少年「衣服で引き立てられる綺麗さというのは着る者と服の近似値が高いからだと思うんです。でもダイヤモンドの下に雑巾を敷いても引き立てられる事は無い」

少年は一歩部屋へと押し入ってくる。

私「言わずもがなだな」

少年「じゃアどうするのが一番かといえば雑巾を失くしてしまえばいいんです」

更に進歩。

私「加工するには高価過ぎるだろうから応急策としては良いんじゃないか?」

少年「そうですよね。」

自室のドアは少年が後ろ手でガチャリと閉じられた。

馬の尾結びの髪がしばらくして揺れなくなった後、静かに上着の釦を外しだした。

私「ちょっ、ちょっと待て!」

少年の手を掴んで奇行を制止にかかる。

私「なんで服を脱ぎ出すんだ!」

少年「止めないで下さいよ、どうして僕という存在と世間にある衣装が相乗的でなかった幸運を上手く受け取らないんですか?」

私「ッ、違う!私はそんな報酬を望んだ覚えは無いんだ!」

少年「お兄さん、他人の幸福の責任者が居るのは分かるでしょう?最後まで果たして下さいよ」

私「何が、どんな思考がそこまでさせるんだ?」

少年「僕がこうであったなら、殺人犯であってもまだ間近に居られるんです。

僕の生態が幸だったからこうして日々の小競り合いを生んでしまって、こういう性格だったが故にお兄さんを讒してこの手が届かないこんな近くに傷を創ってしまった。

だからこうして、この世の一等お洒落な僕から、寓話の下等な王の姿を、模して晒して慰める」

全て終わったはずなのにこんなにも生粋な贖いを死にぞこなった世界が私が残したのか。少年の胸中に芽吹いたこれを私の手で加療できるなんて考えちゃいない。日待藥に今まで通りお世話になるしか能がない。

私・少年「今を楽しんで問題は後回しに「」勝ったら兜は脱ぎすてろ」

出来ないことは無いんだ、一寸足りないものがあるだけ。

いつのまにか少年の上着釦は全て外されていて肩から滑り落ちた。肉付きは年相応でありながら肋骨が過度に浮き出ていないのは身体構造の問題だろうか。髪を解いて続いて半ズボンが下されて伏し目がちな少年が私の胸に手を置いた。

少年「調子はどうかな?」

気付けば部屋中は別格の甘い匂いが充満して腕で口元を覆ったが間に合う訳もなく脳が融けてその蒸気が口から出ている錯覚を起こすほど熱い。視界は鼓動に合わせて小刻みに収縮を繰り返している。

少年の手は胸から私の手へと移って引かれるままにベッドへ向かった。

理性は棚霧らう様に散り散りになって翡翠の髪状でベッドに描かれた大輪に穴を開けそうな視線でその幽邃さに酔い死んだ。

拍動の音が自分でも聞こえる程に盛んに血が巡って自らもまた裸虫として雲雀骨を晒すと少年は少し驚いて躰を少しくねらせた。

互いに眴し合ってゆっくりと体表を近づけて欲火の随に病的なキスをしてから中今に水音の細鳴りを幾度も縷々響かせた。

全身に啄ばみを受けた後段々と少年の胸から腹、腹から下の崩え込みへと口を這わせて秘部を咥えて嬉戯すると凄艶な声で嘰りつつ少年は孤掌で惣並な天聳った私の秘部を刺激し始めた。

戯る度に斑消える不安と確執。摩擦の多いこの身の上に耀う汗水淋漓とさせて渇仰する事でどうにか滑りを良くさせる。

軈て際殊強い刺激が互いを満たして魁偉な釃ませた私と少年の細枝は酖毒を遽走らせた。

口内には白濁。呑もうにも不可思議な味の所為か今にも詰まりそうになる。少年もまた暫く舌尖で転がして嚬みながら懸命に呑もうとしていた姿は部屋の小窓からの逆光で光彩陸離としていた。

私の興奮はこれで鎮まるかと思いきやこの馥郁の所為で止まる所を知らずに蹙むどころか狂瀾している。

少年はそれに気づくと嫋娜な脚を折り曲げて従容に秋波を送った。私はぞぞ髪立って出来る限りゆっくりと少年の菊門を指で茅花かし始めた。翕如な声で深く指を動かす毎に声に段々と堪らなくなって瀞んだ円らかな穴に巑岏した私のものを少年に跼ると脹らかな髀肉を両手に持って挿し込んだ。稠密な菊門は驟いて少年は慣れない為に小さく吟って眼瞼裂から婚星を枕へ零した。

沈魚落雁閉月羞花。柔靭な矮躯を震わせる少年のこんな姿を見られるこの喜びはもう手放しても無辺量に実覚出来る程だ。

少年「お兄さん、聴こえてますか」

少年のか細い声が聞こえる。

少年「名前を、僕の名前を呼んでください。それで少しはマシになると思うので」

私は少年の耳元に口を近づけて酔眼朦朧ながらに呼んだ。

私「真秀、栗花落 真秀」

途端に締まりが強くなって肉壁の快楽が全身を多巻いて理性は再び肉欲に蠱られた。

少年の皮内を探題う様に去来して摯実に挵ると璆鏘を漏らしつつ頻繁に宛転して攻めているからこちらがかえって危うくなってしまう。

暫く耐えていたが少年の技巧に限界が見え始めた為この時間を惜しみつつ熾盛した享楽を最高潮にするべく腰の快捷を高めて度遍しくする。

そして遂には少年の瑰麗な絶頂に陸続して苛辣な澎湃する白濁を腸内へ沃懸けた。

目の前が二、三秒間チカチカとして一気に全身が脱力し、一双の玉膂にたった一人で横たわった。




目覚めると目の前に少年が裸体で寝ていて恥じ入りながら私の犯した失態が徐々に思い出されて後悔が滲んで来る。無論一花心でやった事では無かったが風儀的に明らかな背徳だ。屋烏の愛がどういうものかは分からないが私の人生で幸福の極致だったと言い切れる体験はこれ以上無い。

阻しい現状も少年を珍なう人間も唯の心恋でどうにか好かれようとする私も全てが一瞬で灰塵に帰す圧倒的な存在が、下笑んで華胥ているこの越階が一層ちわう様に願ってやまない。




後書き

ふえぇ。


このSSへの評価

このSSへの応援

このSSへのコメント


このSSへのオススメ


オススメ度を★で指定してください