辞めたい#2【艦これ小説】
着任後から一年間が経ったある日、提督は鎮守府近くの病院の病室に居た。誰かに階段から突き落とされた結果、骨折してしまったのだ。 犯人は依然として見つかっていないものの、艦娘の誰かというのは明らか。といっても一年間もの間、前任のせいもあり、艦娘達から酷い風評被害を受け、無視や陰口、暴力等が日常的に行われていたのでいつかこうなるとは提督も分かっては居た。これまで落ちぶれていた艦娘達の為に尽力してきた提督だったが、ついにこの事件がきっかけで愛想を尽かしてしまう。
こちらは前作の続編となりますので、読む際には前作からお願いします。
シリアス多めです。
——工廠にて、明石と一緒に、明日の暇な時間帯に間宮のアイスを食べに行く約束をしてから、執務室に戻る。
やはり今日は、《《何かが》》違う気がする。
食堂では吹雪と、それまですれ違った時の挨拶程度の関係でしかなかった夕立と話し、関係が良い方向へ進展させることが出来た。
そして工廠に行けば、それまで何ヶ月もの時間をかけても、何も進まなかった妖精さんとの関係も、話せてはいないものの、筆談という形で初めてコミュニケーションを取ることが出来た。
『なんとかして、妖精さんとの関係を持ちたい』という俺の我儘に、着任当時からずっと今まで、あの大和とも関係が険悪だった頃。鎮守府内でたった一人だけ、俺に偏見も、哀れみも、何一つ抱いてる態度も見せず、親身に付き合ってくれていた艦娘の明石。しかし、一緒に居た時間の割には俺との関係は微妙なもので、会話もあくまで事務的な内容で済ませていたが、今日は意外にもたまたま持っていた間宮券がきっかけで、なんと明日。一緒に間宮のアイスを食べる約束までしてしまった。
——俺の中でそれまで停滞していた《《色んな人》》との関係の時間の針が、今日だけで明らかに良い方向へ大きく動き出している気がする。
「……」
なんだか、不思議な気持ちだ。
今こうして鎮守府の廊下を歩いているが、これほどまでにリラックスしていることが、すごく不思議に思えてしまう。
当時の鎮守府内に蔓延していた、あの互いを僻みあっていた険悪な空気。
正直になれなくて、目の前にすると互いに違う行動を取ってしまい、どんどんと気まずくなっていく関係。
永遠の曇天模様の空のように、重く、何処かどんよりとした雰囲気。
様々なものが、俺の心身を蝕んでいった。|鎮守府《そこで》歩いているだけで、ましてや居るだけでも、常に誰かに監視されているようで、心身ともに滅入り、腹痛も、頭痛もままならないという、体調にも影響を及ぼすような状態まで至っていたのだというのに。
(……晴れてる)
ふと外を見てみれば、今にも泣きそうで曇天だったあの空もすっかり快晴だった。心なしか、今日は気分が良い。体も心も軽く、踏み出す足もちゃんと地にしっかりと踏めているような気がする。当時みたく、地に足が付いてない、フワフワとした気持ち悪い感覚は一切ない、
それに、あの頃は余裕が無かったのか、周りの声や音にまで鈍感になっていた。いや、鈍感になっていたのではなく、意図的に聴覚をボイコットしていたのかもしれない。どこからでも、いつ俺へ艦娘たちから陰口を吐かれているか分からない環境で、一々それを聞き傷付くのも疲れていた。しかし今、心に幾分か余裕が出来たのか、聴き心地が良い小鳥の囀る声が、窓の向こう側から聞こえてくるのを感じ取ることが出来ている。なんだかそれだけでも嬉しくて、つい口許が緩む。
(……しまった)
ただ、独りでに俺が廊下を歩きながら笑っているところを見られると、恥ずかしいし、気持ち悪がられるかもしれないので、直ぐ様表情を戻した。
——思えば、ただひたすらに。一年もの間、俺と艦娘たちは色んな所で《《すれ違っていた》》。その結果、徐々に取り返しのつかないところまで悪化してしまったんだなと、しみじみと感慨に耽る。
どちらにも非があった。しかし、俺が思うにこちら側の方が罪が重いのかもしれない。提督という立場でありながら、先に艦娘たちのメンタルケアではなく、先ず鎮守府の復興を目指したことが主因なのではなかったのかと。お蔭で現在、施設自体は万全とは言えずとも、運営が滞りなく進行できるほどに回復している。しかし、それだけに注力していた結果、艦娘への人事を怠ってしまったことで、ここまでの状況に至ったのだ。
……きっと、艦娘たちは、俺に本心でぶつかってきて欲しいと思っていたのだろう。だが俺はその心を無碍にし、自己の勝手な主観で艦娘たちの理想の提督像を思い描き、それに演じ切って接してしまった。結果、誰もそんな胡散臭い司令官のことを——俺のことを信用せず、弾劾されてしまうまでに至った。
実際、彼女たちも最初の一ヶ月は態度は依然として悪かったが、それでも暴力はしてはこず、陰口さえ吐いてきてさえいなかった。恐らく、着任して一ヶ月間は俺のことを見定めていたのだろう。自分たちを率いることになった次期提督が、前任よりもどれほどの『器』を持っていて、どれほどの誠意を持って、自分たちと接してくれるのかを。しかし、着任して一ヶ月間の俺への評価は『期待外れで信用出来ない。且つ、得体の知れない大本営の犬』となってしまった。だからあれほどの弾劾が行われた。二度と前任のようなことを横行させないよう、俺がいち早く辞めるようにと。たとえ提督相手だとしても、危害を加えてでも、妹たちを、姉たちを、仲間たちをみんなで守ろうとした。またあの前任の時のような、独裁者に支配されない為に。
「……」
なんとも言えない気持ちになる。
こうして考えてみればみるほど、自分が犯してきた失敗を嫌というほど発見してしまう。また、何故今となって、これほど冷静に自分を分析出来るようになっているんだと苛立ちを覚えてしまう。
当時からこれくらい冷静に思考して行動すれば、こんなことにはならなかったのに。
「──っ! あ、あの!」
「……ん?」
と、そんな時。黙考しながら歩いていると、不意に声がかけられた。声がした方を見れば、そこには──前から歩いてきたのか、川内がこちらに敬礼していた。今日は確か午前中から昼にかけて遠征してて、この後はもうずっと非番だった筈だ。多分、これから軽巡寮に向かうところなのだろう。
「あ、あの、……こ、こんにちはッ!」
「え。あ、えっと。ああ。こ、こんにちは……」
少し覚束なく、それでいて妙に気迫に溢れていたが、それでも挨拶をしてくれたので、こちらも随分はっきりとしない挨拶を咄嗟に返す。
「あ、ははは……」
「……」
そこで今の気まずい空気をどうにか変えたいと、明るく努める川内に、何も話題もなく、特に何もいうことがない俺。またそれが更に気まずい思いを加速させる。
「……」
「……」
そしてついには、二人とも黙ってしまった。それに、目を合わせるのも気恥ずかしくなり、互いに目を逸らしてしまう始末。例えいくら初心なカップルでも、まだ会話は続くと思うし、まだ顔を合わせているだろう。それに、これからは妖精さんに認めてもらうために、ある意味で今まで被っていたものを破り捨て、『提督を辞める』ことを実践していかなければならない。深呼吸しろ。自分の、ありのままで接するんだ。提督という仮面も被らずに、嘘偽りのない、西野 真之という一人の男として。それに、川内は当時、俺のことを無視していただけで、別にそれほど気まずい関係ではない。気まずいことには変わりないが、それでも暴力や嫌がらせをやられた艦娘と話すよりかは全然ハードルが低い。実質初対面で話すが、上手く話せるだろうか不安なのだが。
「え、と。川内」
「あっ、は、はい!」
どうにかして会話を成立させなければ。と、この気まずい雰囲気をずっととは流石に耐えられなくなった俺は、何も話題を考えずに話を進める。
「その……」
「……」
「……あー」
「……!」
「——そ、その。最近は……どうだ?」
うん。駄目だ。もう何も思いつかない。聞かれた相手にとって一番返答に困るであろう質問をしてしまった。なんだよ最近はどうだって。
しかも、こうして二人で話す分では初対面なのに、自己紹介というか、社交辞令も無し。
突拍子もなく聞かれた川内は、案の定困った表情で「え……さ、最近ですかっ?」と聞き返してくる。これはもう押し切るしかない。心を落ち着かせる。
「……そうだ。その……俺が復帰してからもう半月だ。なにか、困ったこととかはあるか? 後は、何か要望があれば聞いておきたいんだけど」
「——!」
その時、彼女が何に驚いたのかは知らないが、明らかにその目を瞠目させた。しかし、「あ、その。す、すみません! 今考えますねっ」と、瞬時に表情を真剣なものへと変えて、少しの間考えてくれた。そして何か見つかったのか、それまで逸らしていた目をこちらに向けてくる。
「えっと……その、特に困ったこととかは今のところありません」
「そうか。それで、要望とかはあるか?」
「要望、ですか。そうですね——」
うーん。と、唸りながらまた一生懸命に考えてくれる。川内は本当に根が優しいのだろう。みんなからの人望も厚いと大和経由での噂で耳にしているが、こうして一言、二言話すだけで何故皆から慕われているのかが分かってしまう。
(……勿体ないな)
だからこそ、こんな素晴らしい部下と一年もの間、いざこざで余り接せられなかったことが悔やまれる。今更後悔しても遅いが。
少し心を沈ませていると、川内が「あ!」と、何か思い付いたようだった。
「その、要望のことなんですけど」
「あ、ああ……」
「出来れば演習場を利用できるようにして欲しいのですが……」
「演習場、か」
そういえば、ここからそう遠くないところにその施設はあった。本来は艦娘同士で実戦形式の演習をするために利用される施設だったのだが、しかし、前任が来て以来、そこは殆ど使われなくなってしまったようで、随分と廃れていた。当時、鎮守府の復興は着々と進ませていたが、一人だけで廃れている広い演習場を利用できるまでに回復させるのには、流石に無理があったため断念していたのだ。
「はい。演習場があれば、私たちの後輩も育成出来、後輩に教えることによって、私たち自身も多くの経験を積めると思うんです。それに提督も知っていると思いますが、年々敵が強くなっていっている気がするんです……」
「ああ。トラック泊地の新島提督から、良く作戦の立案に意見を求められていた次いでに、そのような報告は受けていた。なんでも、『鬼』と『姫』という知能を持った深海棲艦が現れてきているらしい」
「……! やっぱり」
「やっぱり、っていうのは」
「その、最近の深海棲艦。なんだか変なんですよ。妙に統率が取れているというか……以前より明らかに戦い辛くなってるんです」
「……なるほど」
川内のこの情報。すごく助かる。深海棲艦のことについては、日々戦い合ってる艦娘たちの方が俺ら人間より知っている。統率されているように見えた。戦い辛くなっている。この情報だけで、今の俺にとって値千金のものだ。
その時にはすっかり、今までの気まずさと気恥ずかしさからくるパッとしなかった雰囲気は消えて、二人の間には重い空気が流れていた。
「……取り敢えず、川内の要望の件はわかった。尚更、演習場を利用できるようにしないとな。このままだと、まだ経験の浅い艦娘たちが初陣で大破、轟沈してしまう可能性が高い。幸い、ここにはトラック泊地に次ぐ練度を誇る艦娘が多く在籍している。育成面においては問題ないと思う。近日中に演習場の利用できるように急ごう。対策も講じておく」
「っ! はい! ありがとうございます!」
川内にも普段からの戦いの中での一抹の不安があったのだろう。まだ経験の浅い艦娘たちが果たして初陣で無事に帰ってこられるかという不安が。今はまだ大丈夫だが、もし数が足りていない状況で、普段から鎮守府で待機している艦娘たちがもしいきなり、演習場が使えてないまま。そして、充分の経験を積ませてないまま、戦場に放り出されてしまったら……その結末は簡単に予想出来る。その為にも、先ずは演習場を復興させる。当面の目標ができたな。それに、川内にも礼を言わないといけない。
「川内。その、ありがとう」
「……えっ?」
俺からの礼が意外だったのか、当の本人は驚いた様子だ。
「川内の意見と情報がなかったら、俺はこれからもこの問題を先送りにしていたと思う」
「……っ! そ、そんな。私はただ」
「それでも、礼を言わせてくれ。川内がもしこの場で意見を言ってくれなければ、これからもこの重大な問題を楽観視していた可能性があったんだ。だけど、川内の鬼気迫る意見で、俺の『演習場はまだ先送りで良いだろう』というそのバカみたいな価値観も捨てることが出来た。だから川内。本当にありがとう」
「——」
「……それに、ほぼ初対面で、自己紹介も社交辞令とかも無しに、いきなり変な質問とかしても、答えてくれようと努力してくれただろ? その、艦娘とは余り接して来なかったから、接し方が良く分からなかったんだ。だから変、じゃないかと不安で……」
目の前で礼をしたり、一人で勝手に自信を無くして騒がしく捲し立ててくる俺の顔を、それまでボーッと見つめて来ていた川内の顔が——破顔する。
「ぷっ、ふふ!」
「え?」
「——……ふふふ!」
「あ、あの? 川内?」
いきなり笑われたことに戸惑っていると、川内が涙を滲ませながら「いっ、いえっ。あ、ああ! 違うんです……こ、これはですねっ」と、フォローする様に言って、少し深呼吸をして心を落ち着かせた後、次には微笑みながらこう言ってきた。
「あの。すみません急に笑っちゃって。でも、その。……今までの自分が、馬鹿みたいに思えて来ちゃって」
「……?」
「ああ! いえ。実は私、今話してみるまで……提督のことを怖がってたんです」
「……怖かった?」
「……はい」
「そう、だったのか」
確かに、俺のことを嫌いになっていた奴もいれば、怖がっていた奴もいたと思う。川内は意外にも、俺ことを嫌いになっていたのではなくて、怖がっていたのか。当時は遠巻きに見ていて、神通、那珂とは違い、素直で元気な性格だったことは分かってはいたのだが、だからこそ素直なことが災いして、俺への悪評を周りの人から聞き、それを信じ切り、嫌いになっていると思っていたのだが、どうやら違かったらしい。
「でも今提督と話してみると、想像していた提督像とはかけ離れていて。意外と、表情に出る人だなぁとか。あとは話していて分かったのですが、なんというか提督は……不器用でお人好しな人ですよね」
「……不器用で、お人好し」
褒められているのか、褒められていないのかよく分からない微妙なラインを突いてきたな。
「だって会話が途切れてしまった時、なんとかして会話を続けさせようと頑張ってくれてましたから」
バレていた。
「それで『最近どう?』って不器用に聞かれるもんですから……そこからですかねっ。無意識の内に提督への恐怖心が和らいでいて、素で反応してしまった時もありましたから」
「あ、ああ。そうなのか」
「はいっ……でもこれで、なんだかスッキリしました。今まで提督とは気まずい関係のままでしたから」
「そうか。それは……良かった。でも実は俺もなんだけど……」
「はい?」
「……今日は川内と話せて嬉しかった」
「ふふ。それは良かったです」
「ああ」
そこで示し合わせたように、二人で柔らかい笑顔を向けあった。ちゃんと自然に笑えているだろうか。すこし不安に思う要素はあれど、俺はこの状況に感動さえ覚えていた。正直、気を抜いてしまうと涙を流してしまうほどに、今この艦娘と笑い合えてる瞬間を——とても嬉しく思えているのだ。一年前だったら有り得ない状況だった。しかし今、現実になっている。これを嬉しいと言えず、何と言えば良いのか。
「……あと、提督」
「ん? どうした」
「……これまで、提督のことを無視してきてしまって……っ、本当にすみませんでした!」
「……」
「周りの意見に流されて、ただ皆の仲間外れになりたくないって……ただそれだけが理由で、あなたのことをとても沢山傷付けてしまいました。しかも私だけでなく、皆からも無視されてて、いつも哀しげに、引き攣った笑顔を見せる提督を見かける度、この奥が。胸が……痛くて、痛くて」
「……そうか」
なるほど。彼女もまた、罪悪感という苦しさと葛藤してきたようだ。元々の根底にあった彼女の心優しさが、人一倍俺への罪悪感や自身のはっきりとしないところが、彼女自身を傷付けていたのだろう。
「私っ……そのどうしたら、良いんでしょうか。どう詫びれば——」
「——もう良いよ。詫びたじゃないか。今さっき。だから、もう良い」
だから、もう良いんだ。
だけども、それじゃあ意味がない。
「え? で、でもっ」
「でも許した訳じゃない」
「っ……」
そこで明らかに表情を沈ませる川内。そう、許した訳じゃない。これは簡単に許してはいけないものだ。ここでもし許してしまえば、互いにとってメリットがない。ただ有耶無耶で終わり、納得の行かないままで終わってしまう。だから——
「だけど、許していこうとも思う」
「——!」
そう。猶予を与えるのだ。
「だから川内も、今まで提督としての責務を全う出来ていなかった俺のことを許してくれなくても良い。本当に、本当に申し訳なかった。ただ、許そうする努力はしてくれないだろうか」
「……?」
そして自分から、自分がギリギリ達成できそうな目標を禊として打ち立てる。
「俺はこれから、この鎮守府を艦娘たちが生きて帰ってきたいと思える、そんなところにしたいと思っている。施設面だけでなく、精神的にも支柱となれるような、そんな鎮守府を。だからこれからはその目標へ向かって、精一杯気張るつもりだ。その目標を達成出来てからでいい。その時には俺のことを初めて、許してはくれないだろうか」
「提督……」
これによって、自身の向上というメリットにもなるし、俺が鎮守府を良い方へ変えることによって、川内側にもメリットがあるはずだ。こういう話で、どちらか一方が許すだけでは、互いの心にしこりを残すことになる。だからこそ、こうして良い落とし所を見つけることで、互いを許し合えることが出来るのだ。
さて、返答はどうだろうか。
静寂が廊下を包み込む。川内のそれに対しての返答まで間、たったの10秒程度。しかし、俺からしたら1分にも思えてしまう。それほどまでに緊張していた。
「……わかりました! では提督も約束です!」
「っ! ああ!」
「私はまだ中堅で燻っていますが、最終的にはこの鎮守府内で最強の軽巡になる目標があります! もしその目標が達成された暁には……これまでの非礼を許してくれませんか!」
「……勿論だ。約束しよう」
「はい!」
これによって、互いが納得する形で、罪を清算できるだろう。
「じゃあ川内。これからもよろしく」
「はい! 提督こそ皆との関係修復、頑張ってください!」
「……ありがとう」
こうして川内との出会いを経て、その他にも道中様々な艦娘たちとすれ違った。流石に川内のようとまでは行かないが、一人一人不器用なりに頑張って一言二言交わしてから、別れていった。まだ依然として気まずい関係にあるが、中にはたどたどしくも、全員が確りと敬礼をしてくれた。食堂での一連の会話を見ていてくれたようだ。そこで以前よりかは親しみやすくなったのだろう。
やはり一ヶ月前までの一年もの間、居ない者として扱われていたので、一部の艦娘を除いて、誰も挨拶なんてしてはくれなかったので、未だ少々慣れない。最近やっと、艦娘からの『敬意』に慣れ始めたところだ。
そういえば、そろそろ遠征から名取たちが帰ってくる頃だな。
物資は潤沢にあるが、ここは出撃よりかは遠征任務につく艦娘が多い。それはなぜかといえば、物資が潤沢なのは横須賀鎮守府に限っての話であるからだ。他の鎮守府——例えば稼働範囲が広い呉鎮守府やトラック泊地は、戦闘が多いため常に物資が不足している。なので実際には、全体的に物資に余裕があるわけではないのが現状である。その状況を解決するため、横須賀鎮守府は大本営の次に権限を持つ鎮守府なので、ある程度の無理は効く。それを利用して、俺が着任して初めに実践したのが、『物資支援体制』である。場所的に横須賀鎮守府は前線から遠い理由で、戦闘はそれほど多くはない。その為、必然的に物資には余裕が出来る。それを使わずに腐らせるのは勿体ないと、日々戦ってくれている全国の鎮守府へ物資を提供し、物資面で全体的にバランスよくサポートする体制を権限で作り上げた。
他にも、権限で作り上げたものといえば、『トレード制度』というのもあった。大本営からはなぜか反対されたが、当時の他鎮守府の提督たちの多くが賛同してくれたお蔭で作れた制度だ。簡単に説明すると、横須賀鎮守府の経験豊富な艦娘と他の鎮守府の経験が浅い艦娘をトレードし、それによって他鎮守府にとっては経験豊富な艦娘という即戦力が確保できるメリットがあり、一方横須賀鎮守府は前線より後方に位置しているので、強敵との戦闘機会が少なく、雑魚との会敵が多い傾向にあり、そこで経験の浅い艦娘をじっくりと熟練艦の指導を元に育成できるというメリットがあった。互いにwin-winな関係性を、トレードし合った鎮守府同士で結べるので、鎮守府間の良好な関係を繋げる役目も果たせる。概ね、全国の提督から好評の制度だ。
そう。俺はこれまで、横須賀鎮守府の提督として失敗続きだったのだが、全てが失敗に終わったというわけではない。上記の二つの制度を作り上げたし、最初は全国の鎮守府に監査を入れ、どの鎮守府が健在で、どの鎮守府が厳しい状況にあるかを調べ上げ、なぜ厳しい状況にあるのかも把握し、それぞれの解決に、他の提督と話し合い、努めたこともあった。当時の俺は、確かに鎮守府内では信用を得られなかった。胡散臭さ満載の笑顔を振りまき、例え無視されても、暴言を吐かれても、陰口を叩かれても、暴力をされたって何も言わなかったという、上官もクソもへったくれもない、まさにただの提督擬きだった。接し方が分からなかったのもあるが、やはり一番は、心のどこかで、俺の醜いエゴからなる艦娘への勝手な同情や哀れみを押し付けてしまっていたのは確かだ。それは最近気づけたことだが、幾ら外面では『救いたい』と取り繕っていても、心の奥底ではいつも下に見てしまっていた。同等の関係性を持とうともせず、『救ってやろう』と無意識な傲慢で思ってしまっていたのだ。そんなことを思っている俺を、当時の艦娘たちは見抜けないはずがないだろう。だから拒絶し、弾劾したんだ。なんだろう。ここ数日で、自分の心が分かってきてる気がする。
その話は置いといてだ。一方で鎮守府外の俺への評価は一定以上あるのは確かなのだ。当時の鎮守府間の状況を良くしたいという俺の誠意が行動で示されたこともあってか、全国のほとんどの鎮守府では俺のことを信用してくれている。なんでも、横須賀鎮守府の前任より横須賀鎮守府の提督らしいと好評らしい。全国中の基地に配属されているだろう士官学校時代の同僚や先輩たちからたまに電話をする度に、よくそのような話は聞いていた。聞いた時は本当かと信用出来なかったが、今にして思えば、心に余裕が出来た結果でもあると思うが、信用してみようとは思えるような嬉しい話である。
だが、今提督らしいことは一つも出来ていない。
運営らしい運営も、演習も、作戦指揮でさえまだ出来ていない。このままもし、大海戦が起こってしまえば、指揮系統に綻びが生じて、多くの犠牲を出すことになってしまう。
今日は大和以外の艦娘と交流することができ、妖精さんとは筆談だが対話できた。あとは、『提督』としての使命を全うするだけなのだが。
俺はそんなことを思いながら、執務室に到着し、扉を開くと
「……大井、北上」
「……」
「……」
そこには大井と北上が待っていた。
◆ ◆ ◆
——提督が工廠で、明石との用事を終え、執務室に戻ろうとしてる時、食堂では大井、北上が、端の席に座り、何やら真剣な顔で話し合っていた様子だった。
「あら?」
現在の時刻は1300。昼食を食べにくる艦娘たちがピークの時間帯はとっくに過ぎており、殆どの者は寮へ待機しに戻ったり、遠征や警戒任務に出向く為にドックへ向かったりと、今は比較的人が疎らになっている状況だ。
そんな中、食堂を取り仕切っている艦娘——間宮は厨房から姿を現し、片付けをしている途中で、窓際の端っこで話すそんな二人の艦娘のことが目に入ったのだ。
(何を話しているのかしら?)
その時彼女は不思議に思ったと同時に、気になってしまった。しかし、片付けもしないといけないので、片手間ではあるが、耳を少し傾けながら手を動かすことした。
「——そろそろ、決心は着いた? 大井っち」
「……は、はい」
決心? とはなんだろうか。そんな疑問を、今の会話から感じた。
「じゃあそろそろ執務室に行こっかー」
「き、北上さん」
「んー?」
「……北上さんは、その。行くのが怖くないのですか?」
「……」
「あ、いえ、すみません。でも——」
「——怖いよ。そりゃ」
「!」
「そんなの……怖いに、決まってるじゃん?」
そこで北上は、にへらとしたいつもの笑顔を大井に見せる。だがそれは、何処か引き攣ったような、無理してるような、笑顔と呼べるかさえ微妙な表情だった。大井はそんな彼女の反応から、色々なことを察することができた。
一見して、今執務室に行こうと促す北上の方が、大井より行動力があり、どんなに提督との関係が気まずくても、執務室というアウェイな場所に行こうとする勇気があると思うだろう。しかし、それは少し違ったのだ。
——北上も、大井と同じくらいに不安なのだ。普段から飄々としてて、何を考えてるか読めない。しかし己の芯が確りとしており、有事の際には最適な判断を下すことのできる冷静さもあり、性格の方もふざけてるように見えるが根は優しく、艦隊の多くの艦娘たちからも頼りにされている。そんな彼女のことを、大井は尊敬していた。勝手に憧憬とさえ思っていた。自分にはないものを持っている。戦いにおいても、その他のことにおいても、全てのことで周囲の人から人望を集める北上を。
だが、大井はつい先ほどの会話から、自分と同じように不安であることも察することが出来、また普段から憧れていて、その背中を追いかけていた北上も、自分と同じ立場の艦娘であることを再認識出来た。
「私ね……提督に、物凄く酷いことを、したんだ。大井っちはまだ、提督のことをガン無視してただけだったけど、私はその先のことをしてしまった。あの時の私は『人間』という存在そのものが嫌いで。特にその中でも、軍人という人種に物凄く憎しみを抱いてたの」
「……!」
知らなかった。いや、知り得なかったの方が正しいのか。北上さんはこのことをひた隠していた。多分私を、皆を不安にさせないように。
「……最初は堪えてたの。でもね……いつしか、あの軍服を着た人間を見ただけで、とても嫌悪感を感じるようになった。特に近くを通りかかったり、すれ違ったりした時は、それはもう吐きそうになったりとか、酷い頭痛に見舞われたとかしてさ……」
「……」
そう言って、途中で北上さんはそんな重く捉えないで欲しいと私のことを気にかけたのか、《《いつものように》》ははは……、と笑顔を向けてくれた。しかし、見るからに無理して笑っている感じが否めなかった。その笑顔を見るととても心苦しくなる。
(そういえば──)
そういえば。当時、北上さんと出会う時、度々なのだが、体調が如何にも優れているように見えない時があった。昨日までは気さくに、飄々として元気そうに駆逐の子たちと鬱陶しがりながらも、いつも通りに話していたのに、次の日に出会った時、まるで別人のように顔色が真っ青になってた時があったのだ。もしかしたら、提督とすれ違った日に限り、そういう症状が出ていたのかもしれない。あの時もきっとそうだったのだろう。
「……もうそんなことにも嫌になってきて、こんな不甲斐ない自分に腹が立っても来てた、ある日。私はその日、気晴らしに遠征でもしようとドックのほうに移動してたんだけど、前から提督が歩いてきたの。でもやっぱりその時は吐き気を催したりとかして、とてもキツかったんだけど、いつも通り愛想笑いをしながら通り過ぎようとした。でも、酷い顔色の私を見て、提督が『……お、おい。大丈夫か』と、心配してくれて。だけど、突然肩に手を置いてきたもんだから…………気付いたらさ。咄嗟に提督のことを……ッ、殴り飛ばしちゃってたの」
「──!」
「その時は……訳がわからなかった。朦朧としてる中で、目の前には、私に思い切り殴り飛ばされて、その拍子に壁にぶつかって、全身を強打してしまって。痛みで|蹲る《うずくま》提督と。周囲には殴ってしまった時の拍子に飛び散った血痕。何も、分からなかった。自分がその時、どんな表情をしてるのかさえ、分からなかったんだ……」
……彼女も彼女なりに、これまでも、自分がしてきたように時には迷い、時には葛藤し、時には苦しみながらも、向き合ってきたのだ。見るからにとても辛そうに話している北上さん。
私は依然として、北上さんの過去の話へ瞠目して、黙っている中、北上さんは話し続けた。
「その後、私は提督から脇目も振らずに逃げちゃった……大井っちもその時のこと覚えてるでしょ? 私がアホみたいに息を切らして、血相を変えて部屋に入ってきた時あったじゃん?」
「あ……」
確かに、あの時のことは覚えている。その日は私と北上さんは珍しく別行動をしてて、部屋でゆっくりとしていた。14時を回った頃、突然廊下の方から騒がしい足音が聞こえてきた。その時、突然扉を開いて、慌ただしく入ってきたのは北上さんだった。「き、北上さん。ど、どうしたんですか!?」と、顔色がすごく悪く、様子も変だった北上さんに、私はその場で咄嗟に聞いたが、北上さんは自身のベッドに震えて蹲ったまま、結局翌朝まで喋ってくれなかった。私もあの時は辛かったし、何より北上さんがとても辛くしていたのだから、覚えていない訳がない。
「……あの時の私は、多分あの場から早く逃げたかったの。当時は嫌い、というよりは怖かったに近かったけど、殴ってしまった後の罪悪感とか、何も関係の無い提督への色々な思いとかもごちゃ混ぜになって……飛び散ってたあの血痕を見て、益々怖さに震えたよ。——でも、その時一番思ったのはね」
そこで北上さんは感慨深げに、それまで俯いていた顔を、こちらに向けてきた。その目は何処か憂いがあり、今にも泣き出しそうに揺れている。
「あの時、一瞬だけでも私が私で無くなってたことが一番怖くて。本当に、怖くて。怖くて……怖くて、仕方なかった」
「……」
「だからまた提督と出会ったら、また手を出してしまわないか。また《《知らない私》》が中から出てきてしまうんじゃないかって……すごく不安で、怖いんだよねー」
「……そう、なんですね」
思わず心配げな顔をしてしまう私に、北上さんは微笑む。
「ごめんね大井っち。今話すべきかは迷ったんだけど、でも、不安がってる大井見てたら、なんだか話したくなっちゃって」
多分、今その話をしたのは、私よりも北上さんの方が提督と会うのがすごく気まずいことを知らせたかったのだろう。私は提督とは、一切合切不干渉という対応を取っていた。そう考えれば、失礼ながら、北上さんの方が提督へしでかしたことの業が深いと思いざるを得ない。私よりも、北上さんの方が今、執務室に行くことへのある種の恐怖を感じているのだ。
そんな北上さんに、私は努めて、明るく応えた。
「……いえ。今、私は嬉しいんです」
「え? どうして?」
「北上さんが、私に。そのような言いづらいことを。勇気を持って話してくれたからです」
「……大井っち」
「話の軽さ、重さなをて関係ありません。もし、また……一人で困っているのであれば、これからはどんな話でも、いつでも私に溢して下さい。話し相手くらいにはなれますから」
そんな言葉に、北上さんも優しく微笑んでくれた。
「……もうっ、大井っちは。普段は人間関係のことについては凄く不器用なのに、こういうときは無駄に器用なんだからなぁ」
「ふふ。北上さんのことは長年一緒にいる訳ですから、殆どのことがお見通しですよ」
「はぁ……まあいいや——」
「ふふ——」
私と北上さん。今までも、そしてこれからも。どんな困難が降りかかろうと、私は北上さんと一緒に、何度でも乗り越えていくことでしょう。穏やか海も、荒々しい海も。何処へ行こうとも、一緒ですよ北上さん。それに、今行こうとしてる所だって。
「では、行きましょう北上さん」
「……うんっ。行こっか、大井っち」
提督が待っている執務室へ。謝罪を兼ねて、直接会って話し合ってみたい。一体どのような目的があって、どのような信念を持ち、そしてどのように今後、この鎮守府を導いていくか。私自らのこの目で確かめてみたい。提督としての器がどの程度あるのかを。
「……くす」
——そんな大井の思惑など露知らず、二人の最終的には微笑ましく締めくくった会話に耳を立てて聞いていた間宮も、思わず静かに、微笑んでいた。
——横須賀鎮守府 執務室
「——……大井、北上」
何故、二人がここに居るんだ。
工廠から執務室に戻って、その扉を開けてみれば、そこには軽巡である北上と大井が居た。この二人とはあまり関わりがない反面、正直、何故ここに居るのかが予想できなかった。
それに少し緩和したとは言え、まだ多くの艦娘たちの近くに行くと鼓動が早くなり、動悸も乱れてしまう。
しかし、そんなことも落ち落ち言ってられない。それでは、折角話に来てくれた二人に失礼だ。深呼吸して落ち着いて行こう。
その間に少し記憶を辿ってみると、そういえば北上とは一応関わりがあったことを思い出す。
(……確か北上とは一悶着あったな)
とは言っても、北上は当時から俺のことを相当嫌っていた。だから特筆すべき関わりといえば、俺が北上から殴り飛ばされたことだ。しかし、あれはいくら当時の北上の体調を心配したからといって、俺が不用意に彼女の肩に触れてしまったのが原因だ。別にそれについてはもう気にしてはいない。
だが。もし北上がそれについて、罪悪感など色々なことで気にしてしまっているのであれば、その時は誠意を持って接しなければならない。一人の人間として。相手が言わんとしていることを、相手が態度で伝えようとしてることを、受け止める義務がある。
これから何を言われても自然体で受け止めることを決心していると、大井が口火を切った。
「……提督、空いてるお時間は御座いますか?」
時間か……と、腕時計を見て考える。
吹雪は確か16時に、この鎮守府の過去に何があったのか聞きに、執務室に来るはずだ。今は14時。まだ余裕はある。幸い、執務の仕事も大和たちが頑張ってくれたお蔭で今日中に終わらせるのには充分な量まで減らせているし、このまま長い話になったとしても大丈夫だろう。
「……16時までは空いている。北上と大井から俺は用があるなんて珍しいな。……何か《《相談事》》があってここに来たのか?」
この雰囲気は、ただの相談事では終わらなそうな感じだな。
目の前の大井の鋭く冷たい雰囲気に、思わず何かを感じ取った。
「はい。相談事、というよりは積もる話があって、ここに来ました」
「……積もる話か。長くなるのか?」
「それは……提督、次第と言ったところでしょうか」
「……分かった。そこに椅子があるから、腰を掛けてくれ」
「「失礼します」」
さて。これから何を話し合うのか。いや、正確には何を質問され、俺が答えていかなければならないのか。
どちらにしろ、俺はもう『提督』という仮面は被らずに、嘘は吐かないと決めた。質問されるのであらば、どんな質問にも正直に答えるだけだ。
「それで、何を話したいんだ?」
早速、用件に入る。こういう時に回りくどくすると、逆に面倒くさくなる。ど直球に話題へさっさと入った方がスムーズに話が進む筈だ。
◆ ◆ ◆
——横須賀鎮守府 重巡寮
「——ただいま。ってあれ、熊野。今日は非番だっけ?」
「……ああ、鈴谷。いえ、私も午前中に任務を終えて、ここに帰ってきたはかりなの」
重巡寮のある一室。そこに、任務を終えて帰ってきたばかりなのか、鈴谷が扉を開けて入ってきた。
てっきり、部屋には誰もいないと思っていたのか、そこにいた熊野に不思議にそうに問いかけるも、熊野は頬を穏やかに緩ませて応える。
「そっか。じゃあ今日はもうずっとゆったり出来るじゃん」
「……そうですわね。帰ってきたばかりでしょうし、鈴谷はそこに座って休んでいて下さい。今、紅茶煎れますから」
「ありがとう熊野。そうさせてもらうね」
二人にとっては、この時間は久々の二人で揃っての休息の時間だ。鈴谷と熊野はその事は口に出さずとも、意図せずに訪れたこの穏やかで大切な時間を嬉しく思っていた。
熊野に言われたとおりに、側に置いてあった適当なクッションを鈴谷は抱いてから座り込み、熊野の紅茶を待つ。
前までは、前任によって家具が全て売り払われた結果、ベッドだけという無機質な部屋だった。しかし、西野提督がここに来てからというもの、そのような制限も無くなり、鎮守府に要請すれば限りはあるが、家具や娯楽品を発注出来るようになったので、今はもうすっかり前任が来る以前の、いやそれ以上に充実した部屋になっている。
「……」
(……そういえば、提督が復帰してからもう二週間か。それにしたって、以前と同じく遠征と哨戒任務ばかりで、今の状況に変化を与えることも起きてないし。それに、成果報告しようと執務室に行って会ったとしても、相変わらず事務的な会話で終わっちゃうし)
そんな鈴谷は、熊野が紅茶を煎れている後ろ姿をなんとなく眺めながら、逡巡していた。
私が謝りたい相手である提督が二週間前に復帰した。しかし、依然として状況は平行線のままで、何も進展していなかった。廊下ですれ違っても、執務室で話す時も、互いに遠慮しているのか、それとも私がそれ以上に意識してしまっているせいなのかもしれないが、直ぐに会話が終わってしまう。提督も以前のことで、多分物凄く遠慮させてしまっているのが分かる。当時の余計なことを考えて、挙句に一人で暴走して、提督へ酷いことをしてしまった私をぶん殴ってやりたい。
(……それに、あの涙)
当時のそれまで、艦娘に対して一切の反抗のはの字の態度も見せなかった提督が、唯一私だけに見せた本音と表情が、私の脳裏からどうしても離れて消えなかった。
散々陰口を言われて、散々拒否されて、愛想笑いばかり浮かばせていた当時の彼は、見ていて痛々しかったし、何より何故か私自身がイラついていたことを覚えている。
あれは、そう。前任と接していた時の私自身を見ているようだったからだ。
たとえ前任が立案して実行した作戦が失敗し、任務も失敗したとしても、前任からの理不尽な物言いに対して、当時の私が行ったことは『……そうですよねぇ』と、何もかも諦めて取り敢えず浮かべていた、あの醜い愛想笑いだった。それが、あの時の提督と重なって見えて、日々の鬱憤もあり、あの時提督に向かって暴力をしてしまったのだと思う。
今にして思えば、正直あの時の暴力を振るう理由なんて、なんでもよかったのかもしれない。ただあの時の提督を見ていて無性にイラついてしまったのだ。
……そんな因果で、私は暴力してしまったのだろう。悔やんでも悔やみきれない。何故、私はあんなことをしてしまったんだ。
(……このまま、なのかな)
このまま。私はこの鎮守府を守ってくれていたあの人と、何も話せないまま終わってしまうのだろうか。
不安が。失意が。罪悪感が、またあの時のように流れ出してくる。
「——鈴谷。紅茶です」
と、その時熊野が紅茶を持ってきてくれた。
「あ、……ああ。ありがとう熊野」
「いえいえ」
それから、二人して煎れたての紅茶を啜る。少し乱れかけていた心の中を諫めるのに持ってこいだった。
「美味しいよ。紅茶」
「それは良かったですわ。前に金剛さんに教えてもらったことがあったので、その煎れ方を参考にしてみたのです」
なるほど。それは上手い訳である。金剛四姉妹の紅茶好きは艦隊の中でも語り草となる程だ。
「へぇ」と相槌を打ち、また紅茶を口に運んでいると
「——提督のこと、考えてましたか」
「っ!? けほけほッ!」
いきなり私の心を言い当てられてびっくりする。その拍子に、気道の変なところに紅茶が入ってしまい、むせてしまった。
「あ、ああ、すみません鈴谷」
「……いや、良いんだけど別に。というか、凄いね。なんで分かるの」
「なんとなく、そういう顔をしていたからですわ……私も同じような顔しますし」
「あー……その、ごめん」
「何故謝るんです。別に悪いことでは無いわ。実は私も、鈴谷が来るまで、提督のことを考えていましたの」
「……そうだったんだ」
普段通りの熊野だったため、全く分からなかった。
「ええ。私も、多分鈴谷と同じようなことを考えていました。でも結局は答えなんて見つからずに、そう思えば思うほど会って話をしたいと思ってしまうんですわ」
「……うん。分かるよその気持ち」
そう。結局は会って話さなければ、何も進展しない。当たり前のことで、単純なこと。しかし、それが一番難しいというのもまた事実としてある。
「……どうすれば、良いんでしょうね」
「……そうだよねー」
二人して、紅茶を片手に天井を見上げていると
『——れで、何を話したいんだ?』
「……え?」
「……これは、提督の声?」
——不意に、執務室から、館内放送を経由して、鎮守府全体に提督の声が鳴り響いた。
◆ ◆ ◆
「それで、何を話したいんだ?」
——そんな俺からの問いかけに、大井は依然として、こちらの目を確りと捉えながら応える。
「……先ずは謝罪から。提督。今まであなたへ、部下としては最低で、人としても不遜な態度を取ってしまっていました。提督が入院されて数日経ったある時に、金剛さんから、とにかく提督の日記を見るようにと強く言われて、そこで初めてそれまでの全容を知りました……全ては勝手な勘繰りをして、無意識にあなたのことを敵だと決め付け、どうせ軍人だからと思い込んでしまっていた——私自身に、責任があります」
大井はそこまで言った後、次にはその頭を勢いよく下げた。俺は表情には出さずとも、心の中では驚きながら、次の大井の言葉を待つ。
「本当に。申し訳有りませんでした」
はっきりとしたその謝罪の言葉だけで、大井がどれほど強かな女性かを理解することができた。この様子だと、彼女は本当に曲がった事が嫌いなのであろう。ただ真っ直ぐに、正しいと思った道へ進む。それが彼女の信念なのだ。現にこうして、謝罪の言葉を言った後、過剰なまでに十数秒くらい頭を下げ続けている。
そんな彼女の誠意が込もったその姿勢に、素直に感服したと同時に、尊敬の念さえ覚えた。
彼女はやがて、その下げ続けていた頭をゆっくりと上げて、また俺と目をしっかりと合わせてきた。しかし、その表情は先ほどの確りとした、厳粛のようなものではなく、眉を少し下げて、何処か心の中に憂いの色が垣間見えるものだった。少々躊躇をした空気のまま、彼女は奥底から、過ちを自ら絞り出すように、その言葉を続けた。
「……私が見えているところでも、そして私が知らないところでも。皆からいくら煙たがられ、多くの言われようのない偏見や理不尽を一身に受け続けていたのにも関わらず、提督はこの鎮守府を……私たちが帰る場所を、大本営の圧力や他鎮守府からの疑念から、守り続けて下さってたんですよね。私は……いえ、私たちはそんなことも露知らずに、提督に対してお礼も言わず、ずっとあなたの尊厳を否定するような対応を続けてしまっていました。もし、あなたが当時、前任が行ったことを揉み消したい大本営の圧力などから、私たちを守って下さらなければ、今頃犯罪者として仕立て上げられ、世間から厳しい目で見られていたことでしょう。本当に、様々なことでご迷惑を掛けてしまっていました」
「……大井」
……本当に、あの一年間にも及ぶ量を付けた日記を、隅々まで見られていたのだろう。約350枚後半のページを。
確かに大井の言う通り、なんとかして問題を起こしてしまった前任の事を揉み消したい大本営は、俺を横須賀鎮守府に着任させ、傀儡として上から圧力をかけて上手く操ろうとしていた。大方、それで当時所属していた前任による悪行を受けた被害者であり、証言者になりえる艦娘たちを口封じのために、強制的に解体なり、無理な出撃などをさせて轟沈させ、証拠の隠滅をしたかったのだろう。
だがそれを察知することが出来た当時の俺は、元帥に頼み込み、後ろ盾になって貰ったおかげで、大本営の圧力から屈することもなく、艦娘たちの意思を尊重し、自分なりに鎮守府を復興させようと頑張れたのだ。
……結果としては大失敗。全く、艦娘たちとは分かり合えなかったのだが。
しかし、艦娘たちの尊厳や自由を守ることは出来た。
確か俺が正式に元帥との関係を明かす前まで、大本営は俺と元帥が義理の親子関係ということを知らなかったみたいだ。だから士官学校から妖精さんが見えない体質の、如何にも無能そうなポっと出の俺を、傀儡として横須賀鎮守府に着任させてしまったんだろう。やはり、俺がこうしてまだ、一応提督としてやれているのも、元帥のお蔭という面が非常に大きい。
お義父さん、ありがとう。
俺がそう逡巡していることは知らずに、大井は言葉を紡ぐ。
「ましてや、今も世界が深海による影響で大変で、それに対抗しうる力を所有しているにも関わらずに、目的も見失い、軍艦である誇りと認識も欠けていた私は……まるで駄々をこねていた子供のようなものです。私は今すぐ解体命令を出されても、別に何も異論はありません。私はそれほどのことを犯してしまいました。最後に本当に、本当に申し訳有りませんでした」
そう言って、また大井は頭を下げる。
隣に座る北上も、先程からの彼女の謝罪の姿勢に瞠目しているほどだ。しかし、これが彼女なりの最大限の謝罪なのだろう。どれだけ謝罪してもし足りないと、彼女の態度から滲み出ているようだ。
大井は命令違反、命令放棄、無視という軍規違反を犯している。なるほど、確かに解体命令ものだ。本人もそんな命令を出されても仕方無しと言っている。
「……分かった」
「……」
「大井からの確りとした謝罪は受け入れる他ない。これまでの大井がしてきた数々の命令違反や無視などは水に流そう」
「……ありがとうございます」
「だがここは軍だ。相応の処分を行うこととする。それで、早速この件についての処分なのだが」
「……はい」
普通ならここまでのことをした部下の処分は軍法会議もので、そこで正式に解体命令が下されることだろう。しかしだ。
——しかし、それは出来ない。
「所属している横須賀鎮守府第三艦隊から暫くの間除名とし、今後結成予定の304教育艦隊の教育艦への異動とする。先に言っておくが北上、お前もだ」
「「……え?」」
俺の決定に、二人はどうやら何か言いたいことがあるらしい。
「何だ。不服なことでもあるのか」
「い、いえ、あの。私は、解体処分ではないのですか?」
「いやいや、提督殴り飛ばした私はともかく、大井の処分は妥当だと思うけどね……でも、何で私を解体しないの? 私は犯罪を犯したんだよ?」
北上もその意見に肯定して頷いている。
北上も、どうやら俺を殴り飛ばしてしまったことを謝罪したくて、今日はここにきたのだろう。
「……二人とも、今の戦況は把握出来ているのか?」
「はい。ここ二年間はトラック泊地を最前線として、安定した戦線維持に成功しています」
「……それに。全体的に艦娘の練度も上がってきたから、敗北数も轟沈数でさえ、0に抑えることが出来ているっていう話も聞いてる」
大井と北上はそれぞれの観点からそう述べる。
「つまり二人が言いたいことは、戦況的には均衡状態だが、こちらに分があると考えている、でいいんだな?」
「「はい」」
「……しかし、最近戦ってみて何か違和感を感じなかったか? そう、例えばの話だが——妙に深海棲艦たちの統率が取れているとか」
「「——」」
それに対して、彼女たちは一様に瞠目させる。
俺がここに復帰して、早二週間は経過しているが、これまで大井と北上には高い練度的にも遠洋へと出向き、タンカー船の航路哨戒の任務につかせていたはずだ。勿論、太平洋の奥に入り込めば入り込むほど、深海側の強さも上がってくる。この二週間はずっとそれなりの強さの深海棲艦と戦ってきた彼女たちの記憶の中に、少なからず何かの心当たりがあったらしい。
でなければ、こうして目の前で、分かりやすく目を見開くなんてことはしないと思う。
思えば、俺はもうここから素で話してしまっていた。普段から見せることのない、俺のありのままの姿勢で。しかし何故だろう。なんだか、いつもより口が回る。別人になったまでとは行かずとも、明らかに前の俺と今の俺は違う気がした。
「……何故、お前らを解体処分にしないのか。別にこれは俺の個人的な感情で解体しない訳じゃない。まあ、お前らのこれまでの境遇に憐んで決めたこと、ではあるのかもしれない。別にそこに、そういう訳ではないという偽善は吐かない。だけど分かって欲しいのは、他にも明確な理由があるから、お前らを解体しないんだ」
「……つまり、戦力低下をしないために」
俺の言葉から察せた北上が、未だに先程のことが引っかかっているのか、顔を神妙なものにさせながら、そう言ってきた。
「ああ。ここ二年で全国の、いや世界中の艦娘たちが強くなっている。三年前の低練度の艦娘たちで挑んだ結果、多くの犠牲を出して辛勝した『第二次太平洋海戦』の頃とは、明らかに成長を遂げて、一年前から轟沈数も0に抑えることが出来ている。だけどそれは、敵も同じなんだ。それに、今まで人間が手付かずだった海の資源も、あいつらは潤沢に確保出来ている手前もある。あと、最前線であるトラック泊地の新島提督を始め、多くの鎮守府の提督とは常に情報交換をしているんだが、その都度必ず議題に上がるものが二つある。一つ目は、敵の統率力が上がってきていること。そして二つ目は、年々個々の強さも上がってきていることも最近じゃ言われるようになった」
特に近頃、提督の間で注意しているのが、『flagship』と呼称される特異体の存在である。トラック泊地の新島提督が既に二度、三度戦ったことがあり、全て勝利を収めているが、それまでの深海棲艦を凌駕するその圧倒的な防御力と火力に、とても手を焼いたそうだ。世界でも有数の練度を誇る、あの新島提督率いる『第一太平洋艦隊』が手を焼いたほどなのだ。そんな存在が、もし他の海域に出現したら、被害がどれほどのものになるのか想像に容易い。
トラック泊地以外に、日本であれば呉鎮守府や函館鎮守府、そしてここ横須賀鎮守府の近海に現れたとしても、総合力的には対応出来るとは思うが。例えばそれほどの地力が無い鎮守府や警備府、泊地や、未だに艦娘という対抗策を所有出来ていない近くの諸国などに現れた時、多大な被害が必ず出てしまうことだろう。
まだ『flagship』のことは機密扱いだが、危険性の面も考慮して、艦娘には伝えておくように言われているので近々集会の時に注意喚起しておこうと思っていたのだが、早いに越したことはない。ここで明かしても問題無いだろう。
「——近頃、『flagship』と呼ばれる特異体が、最前線で現れたようだ。その強さや練度は、この鎮守府で所属している艦娘に例えるなら、大和や武蔵、翔鶴、赤城さん程。いやそれ以上もあり得るかもしれない」
「「……っ」」
分かりやすくするために、この鎮守府で指折りの練度を誇る艦娘と例えると、『flagship』の特異体の実力の凄さが分かったようで、二人は間も無く静かに息を呑んだようだ。
「他にも『elite』という一段階下の特異体も各海域で現れてきているという報告も全国の幾つかの鎮守府から寄せられている。だから、いつこの均衡状態が崩壊してもおかしくない時に、お前らを解体処分なんて出来ない。それに大井、北上」
「「……?」」
「二人は将来的に重雷装艦への改装するかもしれないという改装案が、先日大本営から電文があった」
「……重、雷装艦」
「……なんか、凄そう」
二人はその話を聞いても、あまりパッとしないらしい。
「……要は、これまでより、雷装の口径や数を魔改造させ、より強力な雷撃を繰り出せるようになれる改装、と覚えておけばいい。そういう案が今、検討段階にある。だからこそ、今も高練度だからそうなのだが、これからはもっと貴重な戦力になり得る人材を、はいさようならとするのは、無能がすることだ」
俺もそこまで落ちぶれてはいない。ただ艦娘と上手くコミュニケーションが出来ないだけなんだ。
それにだ。何よりも重要な理由がまだある。
「——それに、二人は既にここの艦娘だ。後輩からは頼りにされ、先輩からは認められて……これからの活躍に期待されている。そんな二人が解体されでもしたら、士気低下など待った無しだ。だから解体なんて持っての他という理由もある」
「「——!」」
「……二人は気付けてないようだが、普段から全く接していない俺でも、今の会話を通して見て分かる。お前らは、精神的にも仲間たちの助けになれるような存在なんだろう……過去の俺も、それになろうと努力はしたが、それに成れるような器じゃなかった。誰も俺のことを疑い、背中を預けられる人間では無いと判断した。けど、お前らにはそれがある。この意味、分かるな」
依然として瞠目している二人に向かい、俺はこう言い切った。
「……お前たちは必要不可欠ということだ。勿論、今後一切、この鎮守府で誰一人とて解体なんて認めない。もし大本営が何かしら言ってきたとしても、戦力低下なんてバカなことやってる場合ではないと一蹴できる。横須賀鎮守府の提督の権限を使えば、それなりに降りかかる火の粉を振り払えることは容易だしな」
つまり、不都合なものはこの権力で取り消して仕舞えば良い。
そんな俺の言い草に、大井が割り込む。
「……で、でも、それって——」
「——権限の濫用にはなるとは思う。しかし、悪用ではないだろう。もう俺は汚職が蔓延ってる老害大本営に屈するのも、変に取り繕うのも辞めた。それが真の提督への道だと思っている」
大井が曲がった事を嫌っているのは分かっている。
俺の屁理屈みたいなことを否定したい気持ちも分かる。
しかし、バカ真面目過ぎる。それでは大本営に渦巻いてしまっている、権力闘争に引けを取ってしまう。当時の俺もそうだったように。元帥の後ろ盾無しじゃとっくにここには居ないし、きっと日本の何処かで憲兵に監視されながら、その後の人生を細々と生きていたことだろう。
実際、俺は大本営の奴らから舐められてしまっているのが現状だ。しかし、これからは横須賀鎮守府の提督らしく、堂々と力を誇示していかなければ、いざと言う時に俺の案が通らない可能性がある。今までの俺のような受け身ではダメだ。もっと、自分自身に自信を持って、自分が置かれている状況を上手く利用していくんだ。
「——それが、あなたの中の『提督』というものですか」
不意に、大井が冷静にそんな問いをしてくる。
「どういうことだ?」
「実は謝罪した後、ある質問に答えて頂きたいと思っていました。それが、私たちがここに来た理由の一つでもありました」
質問。俺の中の『提督』という概念について、ということだろうか。
「もう一度問います。あなたの中の『提督』とはどう言ったものなのでしょうか。提督は何を目指し、私たちを何処へ導こうと言うのですか」
「……提督。私も知りたい。教えて欲しい。私たちは解体しない。それはもうわかったよ。なら、提督はそこまでして私たちを何の為に戦わせるの? 多分、ここの横須賀鎮守府の艦娘たちは、国の為だなんて、そんな漠然とした理由でもう戦えないと思う……何故かと言うと、私たちが護っていた筈だった人間に裏切られたから。深海棲艦と戦って轟沈した方がまだマシな、生き地獄を人間によって体験させられたから。……ねえ、提督。私たちは何を理由に、戦い続けないといけないの?」
——大井は問う。お前にとって『提督』というのはどういう存在なのか。そして、どういう存在であるべきかと。
——北上は問う。自分達は一体何を戦う理由にしたらいいんだと。
二人の質問に、俺は俺なりに考えて結論をだす。『提督』としてではなく、一人間として。西野真之という、一人の男として。
「……俺にとって『提督』は憧れの存在だった。家族は小さい頃に深海の攻撃によって亡くし、独りぼっちだった俺を拾ってくれた親代わりの人が、今の元帥だったんだ」
「……元帥とは、現在大本営では最高位の」
「そう。当時はまだ海上自衛隊の幹部だったけど、急遽、臨時として探りながらも艦娘たちを勇敢に率いて戦っていたらしい。俺が今でも抱いている『提督像』というのは、元帥のように艦娘を大事に育て上げ、良好な上下関係を経て、見事な指揮を振るい、艦隊を勝利へと導く。そういうものだと思っていた。でも俺がいざ実践してみると、お前たちも分かってい通り、そうはなれなかった」
「……」
「理想とする『提督』になるつもりが、今はこの有り様で、どうにかしてこのまま鎮守府を上手い方向へ持っていこうと必死だ。艦娘たちの多くとは、未だに気まずいままで、大事に育て上げるどころか何一つしてあげてもいない。見事な指揮を取る前に、先ず指揮をすることさえも出来ていない。実際、俺はただ元帥に憧れて『提督』になった。一見、別に悪いことではないと思うが、その実、それは憧れ以外の何ものでもなく、ただの空っぽのものだった。理想ばかりを目指して奔走し、策を弄した。しかし結局はダメで、とどのつまり、俺は『提督』になれるような器ではなかったことを、最近になって漸く理解することができた。それはもう今、重々自覚出来ているし、現にこうして取り繕ってるわけでもなく、素に近い態度で話しているしな。今までのように……無意味に背伸びして、空回りとかはしてないだろ?」
そう言われて、二人は気まずそうに顔を俯かせる。それはそうだろう。何せ、当時煙たがってた相手から、こんな返しづらい質問を投げかけられたのだから。
「……大井」
「はい」
「俺はもう『提督』になるつもりはない」
「……え?」
「正直に言おう。俺は元々、妖精さんが見えない体質で、そもそも今こうして純白の制服に身を包むのもおこがましいくらい、提督の適正がないんだ」
「「——っ!」」
突然のカミングアウトに、二人して今日一番の驚いた顔をした。当然だ。提督とは妖精さんが見えない人間がなれるようなものじゃない。否、絶対になれない役職だ。
「……は、はい? どういうこと、ですか? では何故、あなたは今、こうしてこの横須賀鎮守府の提督の座に居るんですか」
「……俺が着任した時の当時の鎮守府の状況を見れば自ずと答えは出る。無能な指揮官を着任させて、無能な指揮をさせることで、あたかも戦場では殉職したかのようにお前らを自然と消すつもりでいた。大本営は本格的にお前らを消そうとしてたんだ。口封じの為にな」
「なんてことを……っ!」
「……! なるほど。それはまた……中々に重い事実だね」
大井は静かに怒気で声を震わせて、北上は衝撃が抑えられないが、努めて話を続けさせようと促してくる。
「……ああ。悪いな北上。人間っていうのは、権力を持ってしまうと、その瞬間からどうしようも無いくらいに屑になってしまう。あいつらも思っているだろうが、艦娘たちも、同じ人間だとは俺も思ってない。だけど、俺が思うに、艦娘は艦娘だ。たとえ人間ではなくとも、俺たちと酷似した感情がある時点で、尊重されるべきだと思っている。ましてや護国の鬼として、俺ら人間に協力して戦ってくれているんだから。だけど、そんな尊重すべきお前たちへ、もうどう取り繕っても、人間がお前らをまたとても惨いやり方で裏切ろうとした事実が残っている……正直、北上が言う通り、もう人間を護るために戦う、なんて理由は捨てた方が良いのかもしれない」
「「……」」
諦観を滲ませた声色が執務室に響いた後、数秒の静寂がその場に訪れた。二人とも、多分今は残酷な現実を突きつけられて、どうしようも無いくらいに人間へ期待することを諦めると同時に憎しみを膨らませているのだろう。
そんな二人の沈みきった表情を依然として見据えながら、次にこの言葉を言い放った。
「——だけど二人には戦い続けて欲しい」
その言葉に対して、二人は未だにその顔を俯かせて反応しない。それでも俺は曲げずに言い続けた。
「……大井、すまないが俺は『提督』にはなれない。器がある訳でもない。才能がある訳でも、なにか特別なことが出来る訳でも無い。だけど、艦娘たちを導けること。いや、それはおこがましいか。それでも、道標くらいにはなれると思う。俺は俺が信じた道を行けるように、艦娘たちが信じた道を行けるためにこれからも努力するつもりだ。悪く言ってしまえば俺は大本営から送られてきた犬、仮初の提督だ。だけどなってしまった限り、俺はそれなりの権力を保持している。それに、俺には元帥閣下の後ろ盾もある。そう言う面においても、全力でお前たちが戦えるようにサポートするし……お前たちの尊厳や自由、そして生命を、人間の醜いエゴから護り切ることを約束する」
「……それは、本当ですか」
大井は俯かせていた顔を上げて、俺と同じようにその目で見据えてくる。まるで、俺という存在ではなく、俺の本心に問いかけるように。
「……別にこの場で信じろ、というのも無理な話だ。ただ、猶予は与えてくれないか。頼む。別にこれは無謀なことじゃなく、今の俺なら実行出来る自信があるから、この場で言っているんだ。言ってしまえば、これは取引だ。散々裏切られてきた人間から取引しようなんて馬鹿げた話だと思う。だけどもし、その取引——俺がもし、大本営やその他諸々から艦娘一人でも護り切れなかったら、その時は躊躇なく俺を殺してくれても構わない。その後の処理は、元帥と上手く口裏を合わせて、《《病死》》という形にする。そうすれば、撃ち殺した艦娘やそれを止めずに傍観していた艦娘たちが罪に問われることはない。何せ、この鎮守府の防犯カメラは、大本営に監視されているかもしれないと危惧した過去の俺が全て撤去済みだ。その場には証言者という証拠しか残らない。その証言者たち全員が『病死』したと言い張れば、それがその場の意見として世間に具信される。このご時世だ。SNSを使えば、パッと直ぐにその情報は世界中に広がる」
「……」
「もしこの取引を受けるのであれば、その代わりにお前たちには今後も継続して深海と戦い続けてもらう……どうだ」
この取引は、俺に圧倒的に不利な形の取引だ。しかし、なり振り構ってはいられない。これから俺は、大本営ではなく、得体の知れない謎の敵——深海棲艦たちと戦い続けて、勝利を収めていかなければならない。
俺の家族の最後。それは、深海が放った砲弾が着弾し、一瞬のうちに、何も言葉を交わすことなく、目の前で粉々となり、その場に残ったのは、猛々しく燃え上がる炎と、家族だったモノの肉塊と肉片。そして僅かに残った遺品だけ。当時、まだ学生だった頃の俺には残酷過ぎる最後だった。
——二度と、そんな惨すぎる最後を迎えてしまう家族を生み出さないためにも戦い続けて、この国をこの世界を護り続けないとならない。
俺はあの日の夜から、そう誓って、凡人らしく身を粉にして生き抜いてきた。しかしそれは全て過去の産物。今を、これからを生きていかずに、何を護れると言うのか。
……だからこれは俺の目的の為の一つの取引だ。例え俺に不利な条件だとしても、双方が納得しなければそれは取引とはならない。
——それから何十秒、互いの本心を読み合うように、互いの眼を見つめていたのだろうか。とうとうその時が訪れる。
俺を見据えていた目を閉じて、一回嘆息してから、大井はその重い口を開いた。
「……分かりました。取引、成立としましょう」
「……ありがとう」
「ですが一つ付け加えます。もし、私がその取引を反故した場合、その時は私を、あなたの手でも、周囲にいる艦娘の手でも借りて良いので、見せしめに殺して下さい。そうすれば今後、反故される可能性も低くなり、そちらにとっても都合が良いことでしょう。生かすにしろ殺すにしろ、そうなった場合は反乱分子として私は今後、提督以外からも目を付けられ、その内殺されるでしょうしね……これで初めて、対等の取引と言えましょう」
……やはり彼女は曲がった事が嫌いなのだ。別に俺はこのままの不利な条件で良かったのに、妙に義理堅いというか、頑固なところがあるんだな。
そんな彼女の言葉に、俺は「……ああ」と少し頬を緩ませて肯定した。さて、先ずは一つ終わった。後は北上のことについてだ。
「……それで北上。お前たちが戦う理由についてだが——」
「——もういいよ」
「……は? 何言ってるんだ?」
「……だから、もういいって言ってるじゃん」
何を言ってるんだ。それでは説明が付かないじゃないか。先程まで、あれほど嫌いな筈の俺の目を見据えてまで言ってきてたのに。
「どうしてだ?」
素朴な疑問だ。どうして、彼女はここで引き下がるんだ。
小首を傾げる俺へ、北上は「どうしても何も」と、さも当然の理由があるような言い草で理由を述べた。
「……あれほど自分に不利な条件並び立てて、挙げ句には事後処理は万全だから、もし取引を反故したら殺してくれても良いって大井っち相手に言ってしまう時点で、私の中の答えは決まってるよ」
「答え?」
「提督は私にこう言うつもりだったんでしょ。『人間の為でもなく、艦娘に生まれてきたからでもなく、ただ姉妹や仲間たちを護るためだけに戦い続けろ』って。さっきから、妙に提督も提督で、人間に対して余りの言い草だったし……それに、私たちが周囲の子たちからどれだけ大切にされているのかも、私たちより分かってたし。もしかしてって思ってたけど……まさか本当に言いそうな雰囲気だったからさ〜」
「……」
確かに、北上が言った言葉に近いことを言うつもりだった。そんなに俺は言う前から言葉が予想できてしまうほどに、伏線を張ってしまってたか。
「——提督。私は、みんなと生き抜く為に戦うよ。ね、大井っち」
「……北上さんの為に戦います」
「もう、素直じゃないんだからな〜」
「……北上さんが言うのなら、皆さんの為に」
「……ぷふ。ま、それで及第点かな」
「な、なんですか。そんな顔で見ないでください」
「ええ〜? ウリウリ」
「こ、こらっ!」
北上の中で答えが決まったのであるのなら、俺がこれ以上言うのも蛇足というものだろう。それに、目の前で少し戯れあい始めた二人の微笑ましい様子を見て、ふと思う。
——二人がそれぞれの答えを見つけられたのであれば、それで良いか——と。
「……大井、北上」
「あっ……は、はい」
「……はい」
二人にはすまないが、もう少しそうさせたかった反面。少し時間も押している。また寮に戻ったらしてくれ。
「これからも沢山迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」
最後を締めくくる言葉としては少々物足りないが、これくらいが今の俺と彼女たちとの距離感では丁度良い塩梅だろう。
「「はい!」」
二人は敬礼して、執務室を後にする為に扉へと確りとした足取りで歩き出す。
「……」
立ち去っていく彼女たちの華奢ながら、頼もしい後ろ姿を見ながらも、何処か充足感が俺の心の中で湧き出てくる。また一歩。艦娘たちとの距離が縮まれた気がした。
「あ、提督」
すると、何か言い忘れたのか北上が扉を閉める前にひょっこりと顔を出してきた。一体何だろうか。
「——……一応、提督の為にも私は戦い続けてあげるよ。それだけだから。それじゃ」
「……」
瞬時のことで全く理解が追い付いていない。しかし、数秒経った後、俺は先程以上の充足感が湧いて出てきていた。
やっと艦娘の誰かに、一応なのだが認められた嬉しさ。
「……よしっ」
俺はその嬉しさを噛みしめながら、清々しい気持ちで執務へと戻るのだった。
——カチッ
提督が意気揚々と執務を始める中で、執務室内に不自然な音が響いた。
独りでに動く、館内放送のマイクのスイッチがONからOFFへ、ゆっくりと、知らず知らずの内に切り替わっていることを、提督は知らないままでいた。
◇ ◇ ◇
——先程まで数十分もの間、鎮守府内に長く響いていた館内放送は、鎮守府内に居る多くの艦娘たちの耳に届いていた。
そして誰もが、この時の館内放送の内容を忘れないことだろう。提督の元に訪れた大井と北上。執務室にて行われたその三人の会話は、館内放送を通して、全て漏れ出していた。
誰の仕業かは分からない。しかし、その館内放送の件は瞬く間に艦娘内で持ちきりとなった。
主な話題としては二つある。それは
——実は、当時大本営から自分達を消すように圧力があったが、提督が一人だけで、元帥とのコネクションを上手く利用しながら、艦娘たちを守っていたこと。それと、妖精さんが見えない事実と、例え『提督』に足る器じゃなかったという事実があったとしても、自分達の為に裏でここまで頑張ってくれていたこともそうだった。
——そしてもう一つは大井との間に、ある取引をしたこと。それは他から聞いていれば、提督の決意表明にも近かった。
『お前たちの尊厳や自由、そして生命を、人間の醜いエゴから護り切ることを約束する』
表立って言い切った提督のその気概に溢れる言葉に、その時館内放送で聞いていた多くの艦娘たちの胸を打った。ある者は思わず頬を染め、またある者は静かにその言葉を反芻し、そしてまたある者は馬鹿らしいと鼻を鳴らす。
しかしその日から、艦娘たちの胸にある想い生まれていく。
——提督。いや、西野真之という一人の男のその気概を、信用してみよう。と
そしてその同時刻。戦艦寮のとある一室にて、一人の艦娘が館内放送の内容を聞いていたのか、顔に穏やかな微笑を浮かばせていた。側には煎れたての紅茶が置かれている。
彼女は窓から見える海を見渡しながら、静かに呟いた。
「——テートク……近頃、また」
——その艦娘の手元には、『日誌』と記された手帳があった。
ああ〜いいっすね〜
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