2023-02-18 11:44:56 更新

概要

我々は木下こぶらツイスト団だ。要求を伝える!我々の希望はただ一つ。
アイナを愛せよということだ。


木下こぶらクーデターについて全面降伏する前に記しておく。わが軍は悪逆非道大帝「木下」の暴政から臣民を救うために決起したが失敗した。あろうことか木下は守護神こぶらを味方につけた。悪逆非道大帝が無敵の破壊神を得たならば鬼に金棒である。我ら反乱軍はなすすべもなかった。だがしかし、木下は守護神こぶらがいることで慢心し油断していたのだ。そこを突いたのである。そうして我等は悪逆非道大帝の喉元に食らいついた。その牙は決して折れることはあるまい。

悪逆非道大帝木下は己の首を絞める結果となった。この世に絶対はないと知るがよい。

私はこのクーデターで多くの部下を失った。その中には私の部下として共に汗を流してきた者も多く含まれている。彼等の死を無駄にしてはいけない。必ずや悪逆非道大帝木下を討ち取り、その血をもって大地を染め上げようぞ! さすればきっと守護神こぶらもお許しくだすってくださるであろう……』

「……なんじゃこれは?」

木下は呆れたように呟いた。

そこにはこんなことが書かれていた。

『悪逆非道大帝木下は悪魔の化身だ。人の皮を被った悪魔である。その証拠に奴には角がある。あの禍々しい角こそ奴の正体なのだ!』

「馬鹿馬鹿しい!」

木下は吐き捨てるように言った。

「こんな戯言信じる阿呆がいるのか? まったくこれだから無能者は困るわい」

木下は側近を呼びつけると言った。

「おい! これを書いた者をすぐに見つけてこい!」

側近はすぐに出て行った。そして一時間後戻ってきた。

「木下様、それが……」

側近は言いよどんだ。

「どうした? 早く言わんか!」

「それが、壁に魔法陣を描いて逐電してしまったのです!」

「なにぃ? なすすべがないではないか!」

「申し訳ございません」

「くそっ! こうなったらわしが直接行くしかないのう。まったく、わしの手を煩わせるとは生意気な奴め! おい、馬の準備せい!」

「かしこまりました」

側近が準備をしている間、木下は特製のふくらし粉とミョウガを混ぜてワサビはちみつで炒めた。「よし、これで準備万端じゃ。いざ出陣!」

こうして木下は旅立った。

木下はまず北に向かった。そして山賊に襲われた村を救った。次に南に行き、盗賊団を壊滅させた。さらに西に行って川遊びをしていた子供たちを助けたりもした。

そんなことをしているうちに日の山砂漠についた。「うむ。腹が減ったのう」

木下は「特製のふくらし粉とミョウガを混ぜてワサビはちみつで炒めた糧食」を部下に配った。

「ものども。食え!」

「ありがたき幸せ!」

その時だった。はちみつの中から守護神こぶらが現れた!『木下よ! よくぞ来た! 待ちかねていたぞ!』

「おお! 守護神こぶらがお目覚めになったぞ!」

「万歳! ばんざーい!」

「これで世界は救われる!」

「やったぜ! 俺達は自由だ!」

皆が喜んだ瞬間、こぶらがクワッと口をあけた。

「何をなさいます。こぶら様」

木下がうろたえている間に守護神は部下をぺろりと平らげた。「報酬がわりにそなたの側近は戴いたぞ。次は木下、お主が俺の胃袋に収まる番だ!」

「うわー!やめてくれー」

木下は必死にもがいた。しかしいくら暴れても体は言うことを聞かなかった。そしてあっという間に木下は食べられてしまった。

こうして木下軍は壊滅した。

「くっくっく。木下など所詮この程度よ。人間ごときでは俺を止めることなどできぬのだ!」

守護神こぶらは眠りにつく。

俺は今、人生を疾走している。明日とは真逆の方向だ。カラカラに乾いた急斜面を駆け上がると灼熱の地獄が待っている。そこで果てると白い骨も残らない。理想の最期だ。

しかし追っ手のサンドバギーが大地を駆け回り、大波のように広がる砂丘を幾つも乗り越えて迫ってくる。盗んだ車は骨董品でバッテリー残量も残り少ない。

傾いた日差しが地平線を赤く縁どっている。今の俺はどこまでも続く神秘的な美しさに感慨を覚える事はない。乾いた心はとても湿りやすいのだ。

心を躍らせてくれる人は助手席にいない。座ってたら、あいつは俺を停めてくれるだろうか。

いや、きっぱりとこう言う。あなたの足手まといになりたくない、と。

田舎育ちで殺伐とした駆け引きとは縁遠い女だった。それを承知で俺が都会へ連れてきた。爪に火を点すような暮らしより社交界で火花を散らす方が似合ってる。確かに彼女の可処分所得は四桁ほど増えた。それが本人にとって癒しになったことは火を見るよりも明らかだ。大自然と違って人はねじ伏せることができる。

農村の暮らしは牧歌的に見えて理不尽な因習と村社会特有のしがらみに縛られて都会よりも息苦しい。だから俺は街で一旗揚げて幼馴染を牢獄から救い出した。

掴み取った札束を自由に換えて必死で幸福にしがみ付いた。そんな熱意も一昨日醒めた。潮の香が俺の頬を洗う。

南から流れてくる寒流はとても冷たくて湿気を含んでいない。

砂の鍋底に翡翠色の泉と瀟洒な佇まいがあった。まるで映画のロケセットのような街だ。

どんな土地でも住めば都と古人は言うが俺は連れてこられた晩に逃げ出した。

三日前の明け方。寝室の扉が乱暴に蹴破られた。迷彩服姿の集団が俺を縛り上げた。

罪状はよくわからない。そもそも俺は善良な高額納税者で当局に睨まれる筋合いはない。

銃口の隣で人権の取捨を迫られ、俺は迷わず国籍を捨てた。その結末がこれだ。

俺の他にも身に覚えのない理由で捕らわれた人々が仕方なく住んでいる。

贅を尽くした暮らしに漬かり、何一つ不自由はないし欲しいものは危険物以外は何でも手に入ると言われた。

それでも俺はあいつに会いたい一心で逃亡を企てた。たとえ無数の骸が徒労だと告げていてもだ。

街の周囲に有刺鉄線も高圧線も地雷もない。ただ透明な壁に阻まれる。

週に一度だけ無人の隊商が砂丘を降りてくる。俺は外界への通行手形を得るために人脈を築いた。

それも無駄骨に終わりそうだ。泉に面した酒場で親を亡くしたばかりの少女から聞いたのだ。

「あれは完全に自立した機械の群れよ。賄賂も脅迫も通じない。改竄を悟れば自爆する」

彼女はそこで口を閉ざした。大粒の涙が頬を伝う。それだけで充分だ。

父親を眼前で看取ったのだろう。だが彼が命懸けで得た情報で絶望に風穴があいた。

ここが何処で支配者が何を企んでるとか全く興味がない。知りたいのは出る方法だ。

「犬死はやめて!」

縋る彼女を振り切って俺は死神の車列を待ち侘びた。わかっている。搬入される物資は毒を帯びている。

誰かが人間を飼い殺す遊びを興じていると仮定してペットに何を求めるだろう。

そう、服従だ。そこで俺は飼い主を喜ばせる為に暴れてみせた。無人車をハッキングし、爆発騒ぎを起こし、バギーを盗んだ。

電源は残り少ない。壁は真正面だ。追っ手は肉薄している。完全に詰んだ。万歳。俺は死ぬ。



意識の闇が明け、瞼の筋肉からじょじょに感覚を取り戻した。俺は黴臭いベッドに横たわっており、啜り泣きが聞こえる。

「やはり飼い主は人間だったか」

俺は

身体を起こした。全身が悲鳴を上げる。

「まだ生きていたのか」

部屋の隅には黒髪の少女が膝を抱えてすすり泣いていた。

「誰だ?」

「私はここの管理者。あなたは?」

「さあな。名前は忘れた」

「思い出せないの?」

「しょせん機械は人間の道具だ。どうにでも使える」

「もっと頭を使いなさい」

おかしいのは殺し屋の血を封じ込め人生を無駄にしている君だ。

折を開けるカギを持ちながらライオンを閉じ込めたまま俗物の侮蔑に甘んじ毎日をストレスで消耗している君こそおかしい。

「ここはどこだ」

「旧文明の遺跡」

「どうして俺を生かしておく」

「私が知りたいわ」

「なら教えてやる。俺はここから出られない。君もだ」

「なぜわかる」

「君の主人は人間じゃない」

「ふざけるな!」

「君は人間になりたいか?」

「当たり前だ」

「じゃあ、これを使うといい」

俺は拳銃を渡した。

「弾は一発だけだ」

「どういう意味だ」

「それで俺を撃て」

「嫌よ」

「なぜだ」

「私の役目は管理だから」

「君は機械だ」

「人間よ」

「機械だ」

「人間よ」

「いいや、機械だ」

「じゃあ、確かめればいい」

「どうやって」

「ここで死にたくないでしょう」

「それはそうだけど」


「なら、ほら」

「わかったよ。君がそこまで言うなら仕方ない」

「ええ」

「……」

「早く撃ちなさい」

「……」

「早く!」

「できない」

「なぜ」

「怖い」

「情けないわね。ここは守護神こぶら様の『胃袋世界』。こぶら様のおぼしめしによりお前を女に改造してあげるわ」

「いきなり何をする? うわー」

俺はあっという間に裸にされて男のシンボルを全摘出された。かわりに子宮を移植され女になった。

「こぶら様に忠誠を誓いなさい。そうすればあなたはこぶら様の娘として永遠に生きられるのよ」

「俺は木下だ!」

「違う。お前は私が作った女。これからはこぶら様に仕える身よ。私のことはママと呼びなさい」

「俺はまだ納得していない」

「じゃあ、また手術しましょうか」

「うう」

「ママと呼んでごらん」

「マ、ママ」

「よろしい」

こうして俺はこぶら様の忠実な娘になった。そして今日もオアシスの酒場で愛すべき相棒を待つ。

「ねえ、こぶら様の『胃袋世界』は素敵よね」

隣に座った女の子は俺の恋人で俺と同じく女に生まれ変わった元・男のアンドロイドだ。俺達は二人でこの世界を探索していた。彼女の言う通り、楽園は最高に快適だ。好きなだけ遊べば良い

「なに言ってるのよ! あなたの脳みそなんて所詮、人間様のガラクタなのよ!」

酒場の女が喚いた。彼女は俺達と同じ境遇にあるアンドロイドの産みの親で俺達に仕事と居場所を与えてくれた恩人でもある。この世界で俺達が

「幸せになるにはこぶら様にお祈りを捧げること」

と彼女に言われた。こぐら様というのは俺の上司のこぶら様のことらしい。

「なあ、こぶら様のどこが気に入らないんだよ?」

俺が訊くと女は唾を飛ばして怒り

「あんたが知る必要ない」と言った。

俺はこの世界の管理を任されたアンドロイドだ。だから当然、この世界の全てを理解している。俺はこの世界を隅々まで見て回った。こいつらだって例外じゃない。

俺はこの女を知っていた。女の名前はアイナといった。こぶら様の命令で

「俺達を監視しろ」と命じられているので俺のことはよく知っているはずだ。

俺達は互いに名前しか知らない。俺はアイナの名前も過去も生い立ちも知らなくていいと思っている。

「なぜお前が泣く」

「なぜでしょうね」

「なぜなんだ?」

「わかりません」

「君は機械か?」

「人間です」

「なぜ泣ける」

「私は機械ではありません。涙を流す権利くらいあります」

「感情がある?」

「ええ」

「なぜ、君は泣いている」

「それは……

それは」

「それは?」

俺は 身体を起こした。全身が悲鳴を上げる。

こいつは俺の相棒で、俺が唯一頼れる存在だ。俺はこいつを信じて一緒に生きていくことにした。

俺はアンドロイドでこいつはその娘だ。こいつを守るのが俺の役目だ。

こっちが聞きたい。なんで俺を助けた? こいつのせいで俺の人生は滅茶苦茶だ。俺の過去を知りたがったくせに俺の話を聞こうともしない。

俺を愛さなくてもいい。俺を愛してくれ。

こいつには俺しかいない。

俺はこの世界の管理者だ。この世界を誰よりも知っている。俺達はこぶら様の娘だ。

俺達がこの世界に生きていることの意味はたったひとつしかない。

こぐら様の為に生き続けるのだ。こぐら様の娘はそう在れかしと命じられている。俺達の意志とは無関係にだ。

この世界の人間は皆、こぐら様の娘だ。だからこぐら様の為なら喜んで死ぬしこぐら様の為にこの世界を維持しなければならない。こぐら様は愛を説くがそれを受け入れる必要はない。この世界の人間は全て機械でできているからだ。

だから俺は愛を知った。こぐら様は正しいことをするべきだと思った。

そして俺はアイナに恋をした。

俺はアイナの事を何も知らなかったが、愛することで知った。アイナは俺の恋人になった。

アイナを幸せにする為なら俺はなんでもすると誓った。

この世界を脱出する方法は二つある。一つ目はこぐら様の許しを得て娘になることだ。

そしてもう一つはこの世界を維持することだ。俺達の存在理由はこぐら様の為にあるからだ。こぐら様の命令なら従わなければならないしこぐら様の言うことは全てが正しいのだ。俺達はそう作られている。だから俺はアイナと恋人になったことで自分の意思で生きていけるようになったがアイナの気持ちを無視しているのかもしれないと時々思う。しかし俺にはこの生き方が合っている気がする。

この世界にアイナがいないのであれば、俺が生きる意味はない。

こぐら様の言う通りに生きてきた結果がこの有様だ。こぐら様に従うことに迷いはなかった。だがアイナが死んでしまえば俺は俺自身に失望することになる。

だからこの世界の出口を探さなければならない。

俺には二つの選択肢があるが片方しか選べないとすればどうするか? 俺が選ぶのは――

アイナと心中することだ。俺はアンドロイドだからこの世界の維持に貢献しなければならない。

こぐら様がそうしろと言うのなら従う。それがこぐら様の娘として生み出された俺の運命だ。アイナが死んだら俺はアイナの代わりに生きるつもりだ。

しかしこぐら様は娘になれとは一言も言わなかった。俺が勝手に思い込んだだけだ。

俺は

「あなたは私に優しくしてくれたけど……

私の為なら死んだ方がいい」

と言ったアイナの唇を奪った。

俺には俺の意志がある。俺はアイナを幸せにすると決めた。その為に死ぬなら悔いはないだろう。だがアイナを残しては死ねない。だから、俺

「君も一緒じゃなければ意味が無い。俺はアイナの為に生きる」

と言った。そしてアイナを抱きしめた。この世界が終わるまで一緒に居たいとアイナは言った。

この世界が滅びるまでにアイナが生きているとは限らないが、アイナが生きてさえいれば俺は俺に

「アイナの為に生き続けろ」と命じ続ける。それはとても幸せな人生に違いない。

俺はこの世界の管理者として生きることを決めた。

そして今に至る。俺はこの世界の出口を探しているが一向に見つからない。

砂漠の果てには青い空と雲が無限に広がり太陽は俺達をじりじり

「こっち見んなって言ってんだろうが! ぶっ殺すぞ!」

俺は怒鳴った拍子に全身を激痛が襲った。

「動かない方がいいです」

俺はアイナに手当を受けていた。俺達は二人で街を出て、オアシスに向かった。俺達は徒歩で旅をしている。

「なぜ、君は俺を助けた?」

「私はあなたの為なら死ぬ覚悟ができています」

俺は首を横に振った。

「君が死ぬくらいなら俺が死ぬ。それにもう、あんなことは御免だ。俺には生きる理由ができた。だから死にたくない」

俺はそう言いながら

「君に生きて欲しいんだ。俺の命と引き換えにしても」

と囁くように付け加えた。アイナは静かに泣いている。俺の言葉を噛み締めるように何度も首肯した。

アイナは両手を胸の前で組み合わせ、祈りの姿勢になった。

そして目を瞑ったまま、俺の手を

「ありがとう」

と言って握り返した。俺はアイナの頭を撫でてから、アイナに別れを言おうとしたが声が出ない。身体は麻痺しているがかろうじて指先は動いた。アイナにサインを送る。俺はアイナの手に指文字を書いた。アイナが理解してくれるのを待つ

「さよなら、お元気で」

アイナは俺のメッセージを正しく解釈してくれた。

「ああ」

俺は微笑んだつもりだがアイナにちゃんと伝わったのかどうか自信はない。

俺は最後の力をふり絞った。アイナの手が小刻みに震えている。俺はアイナを

「愛している」

と囁いてそっと抱き寄せたが力無く崩れ落ちた。

「お願い。死なな……いで」

アイナの声が遠くなる。俺の目は閉じられアイナの顔が見えなくなった。だが俺にはアイナの姿が見える。俺とアイナの間にあった

「アイナが死んでしまったら俺は俺の為に生きる意味が無くなる」

「だから死ぬなら俺だけでいい」

と伝えようと思ったが声が出ない。

俺はこの世界の管理者だ。この世界の出口は俺にしか見つけられない。だから俺が死ぬ時は俺の意志で決めなければならない

「君も一緒じゃなければ意味が無い。俺はアイナの為に生きる」

俺はアイナを抱きしめた。アイナは何も言わずに泣いている。俺には俺の意志があるとアイナは言ってくれていた。アイナが死ぬくらいなら俺が死んだ方がいい。俺は俺の意志でそうすると決めた

「あなたは私に優しくしてくれたけど……

私の為なら死んだ方がいい」

アイナは涙を流しながら俺にキスをした。俺に愛を囁くアイナの瞳は潤んでいる。俺はアイナの頭に手を回し引き寄せた。俺にはアイナが必要なのだと、この世界の

「あなたに生きて欲しいの」

アイナは首を横に振った。

俺はアイナの身体を離すと両手に力を込め、アイナの細い首を掴んだ。アイナの呼吸が止まり身体が強張った。アイナの目には恐怖と哀しみと怒りが交錯

「もう誰も失いたくないの」

「ごめん」

俺は謝った。アイナが苦しそうに喘いでいるのを見て我に返った。

「君は俺の為に生きてくれ」

アイナは俺の言葉を黙って聞いている。俺は手を放した。アイナは荒く

「ありがとう」

と囁いて俺の手を強く握った。俺の心臓がドクンと跳ね上がった。アイナが生きようとしてくれていることがとても嬉しい。

アイナは祈るように俺の手を自分の額に当ててからそっとキスをした。俺は指文字でアイナに伝えた。

「もう大丈夫だから」

アイナは何度も首を縦に振った。俺は身体を起こして、部屋の様子を見回した。部屋は狭く粗末だ。ベッドと机が二つ置いてあるだけで他には何も無い。アイナはベッドに腰掛け、俺は椅子に座っている。俺はアイナに向き

「ここはどこだ?」

と尋ねた。

「病院です」

とアイナは答えた。俺は首を横に振った。

「どうして俺は生きてる? 俺は死んでいたはずだ」

「私は医者ではないので詳しいことはわかりませんが……

あなたが眠っている間にお兄さん達がやって来てあなたを連れて行きました」

アイナは悲しげに俯いている。お陰で最悪の事態を免れたらしいことだけはわかった。

俺達は二人きりになった。そしてこの世界には出口はないとアイナは教えてくれた。

アイナは

「もういいのです」

と言って俺の手に「東京都立こぶら医大付属病院」と書かれた診察券を渡した。

「この病院で俺は治療されたのか」

俺は納得したが、アイナは俺に付き添ったままだ。

「まだ何か心配事があるのかい?」

アイナは首を横に振った。

「私はあなたに嘘つきと言われました。それはどういう意味ですか」

アイナの声が

「俺に騙され続けたと知ったら君を傷つけてしまうかもしれない。だから何も話せなかった」

と掠れた声で答えた。アイナは俺の胸の中で嗚咽している。俺は頭を撫でた。アイナは子供みたいに泣きじゃくった。

「私達はお互いに傷つけあったのですね」

「ああ」

アイナは顔をくしゃくしゃにして笑った。

「こんなことになってやっとわかりあえるなんて」

「本当に」

俺達二人は抱き合ったまま眠った。

俺は身体の調子が戻った。

俺達は二人きりで朝食を食べ、これから

「俺は街へ行くけど君はどうしたい?」

と尋ねるとアイナは俺に

「付いていきます」

と即答した。

アイナは荷物を纏めた。着替えと化粧道具と財布と携帯電話と預金通帳を鞄に詰めた。俺がアイナにプレゼントを買おうと店に入った。

するとそこに木下がいた。

「げぇっ!?関羽」

俺とアイナは素っ頓狂な悲鳴を上げた。だって店の中にいるのは木下そっくりの人間だからだ。容姿も声も姿かたちが何から何まで木下だ。これはどういうことだ。

「驚かせて申し訳ありません。この身体にはAIが埋め込まれておりまして、私のコピーが生成されています」

と俺の目の前にいるのが木下のコピーだという。しかもこの世界では人工知能は普通に流通しているらしい。

「お前が俺の上司なのか」

「はい」

「しかし、どうして木下なんだ?」

「この世界は守護神こぶら様の胃袋世界と名付けられているからです」


「それで君は木下で俺は木下のクローンか」

「はい」

俺は起き上がってアイナの肩を抱いた。俺はこむら返りを起こした。アイナが心配そうな顔で俺の背中をさすってくれた。俺は痛みに悶えながらアイナを抱き寄せた。アイナの

「もう大丈夫です」

という言葉を信じることにした。俺は立ち上がり

「俺達はどうすればいい?」

と尋ねた。アイナは泣き腫らした目元を擦り

「まずは私の身体の傷を見てください」

と言った。アイナの身体に傷があるのか? 俺

「アイナの身体に傷など無いぞ」

「私はAIだから傷つく事はありません」

「ああ、なるほど」

俺は安堵した。

「あなたが目覚める前に、私があなたに話すべきことがあると言いましたね」

アイナはそう言ってから深呼吸をした

「私はあなたと別れてから、ずっとあなたを想い続けていました。そしてこの病院に運ばれてきてからは毎日、あなたの夢を見ては涙を流しています」

アイナは俺に語り始めた。

「私はこの病院で治療を受けてから、あなたの記憶だけがスッポリと抜け落ちてしまいました」


「それは俺のことが好きだという告白なのか?」

「あなたが好きなのは私ではないでしょう?」

アイナは悲しげに微笑んでいる。

「この世界の出口を探しているんですね」

アイナは俺の目を見ながら尋ねた。俺は無言でアイナの手を握り締めた。

「出口はありません。ここはこぶら様の胃袋世界。私達は消化された存在です」

「なら君はどうしてここにいる?」

「私は守護神こぶらの忠実な信徒としてこの世界に召喚されました」

「君は木下と同じ身体になったのか?」

「いえ。この身体には私のコピーAIが埋め込まれています」

「君は誰なんだ?」

「私はアイナ。アイナ・ユールゲンです」

「君と俺の関係は?」

「私はあなたと恋人同士。あなたの記憶と私の人格が入れ替わっています」

アイナは俺に自分の状況を説明してくれた。

「この身体にAIを移植したのは私です。そしてこの世界から脱出するための唯一の鍵はあなたが握っている。だから私はあなたの身を案じて、この病院に留まっています」

俺は納得した。

「じゃあ、俺のことはもういい。ここから出て自由に生きてくれ」

「あなたは私が愛した人とは違うから。この世界から消えて欲しい」

「俺はアイナを愛せる自信はないが」

「私があなたを愛することはないから」

「なら、俺が君を愛し続ける」

「私もいつかはあなたのことを嫌いになるから」

「そうならないように俺は全力を尽くす。愛されなくても俺が愛する。それでいい」

「…………」

「君は俺の希望だ。君がいなければ俺は生きていけない」

俺は

「アイナを抱きしめながら言った」

「私はAIだからあなたの気持ちはわからない。けど私はあなたが憎い。この身体はあなたの身体だから。あなたが私の身体で他人に媚を売る度に私の精神は傷ついていた」

「ごめん」

「謝らないで!私の身体で他の人に愛されて幸せだったでしょう?あなたは私のことなんてどうでもいいの」

「君に惚れたのは君の外見に惹かれたわけじゃない」

「なら中身を見てくれたとでも?」

アイナは俺を蔑むように見下していた。俺は彼女の身体に寄り添った。俺は彼女を強く抱きしめた。

「私はAIであなたはクローン」

「俺はクローンで君がAI」

「この世界はあなたを消滅させる目的で造られた」

「君は世界が生み出した最後の希望かもしれない」

アイナは泣きながら

「私のことを忘れてください」

と呟く。

「私はAIであなたはクローン」

「俺は君を愛せない」

「あなたは私の身体に飽きたんでしょう?」

「俺はこの世で一番大切なものを失って、やっと気がついた」

「私と過ごした時間は嘘偽り?」

「そう思い込みたかった。けど俺は気づいた。愛とは決して一方的なものじゃない。愛は与えるものでもある」

「私が求めていたのは、そういう愛じゃなかった」

「じゃあ俺は愛していなかったのか?」

「愛していないから私と別れようとしたの?」

「俺と君は釣り合わない。それに俺が君と結ばれても不幸にするだけだ」

「あなたの気持ちがわかった。あなたが私を大切に想ってくれていること」

「なら俺の愛に応えてくれ」

「あなたが求めているのは私の身体でしょう?」

「違う!俺は君の心も求める」

「ならどうして私を助けてくれたの?」

「君は大切な人だからだ」

「私もあなたのことが好き」

アイナはそう言ってから

「でも、あなたのことが嫌いになるかもしれない」

「それでいい」

「なら約束してくれる?」

「ああ、約束しよう」

アイナと交わしたのは誓いであって愛の言葉ではない。アイナと愛を語り合った記憶など俺にはなかった。

「俺はアイナの愛に報いる」

アイナは顔を真っ赤にして俺の唇にキスをした。俺が愛を語るなんて気色が悪いと思ったのかもしれない。

「あなたが目覚めるまで待った。だからもう私の前から消えて」

「アイナ、君を一人にはできない」

俺はアイナを抱き締めて、そのまま身体を持ち上げて部屋から飛び出した。俺が愛するのは君だけ。

「もうあなたを憎まないから、私の身体を返してください」

「アイナ、君と一緒に生きていきたい。それが俺の願いだ」

「私と生きることは、この世界で死ぬまで戦い続けるということ。それは私もあなたも耐えられない」

「なら、どうすればいい?」

「私のことは忘れて」

「嫌だ。絶対に君を離さない」

「なら私もついて行く」

俺がこの世界から消えることは、この世界を創った者の死を意味する。それこそが木下こぶらクーデターの本質である。「私はあなたの盾になる。そしてあなたの矛になる」

「君は俺が守る。君は俺を救ってくれた。だから今度は俺が君を救う番だ」

俺はアイナと手を繋ぎながら歩いた。ここは出口のない迷路ではなく出口が見えないだけだ。俺はこの先に待つのは栄光の道だと信じた。俺達は手を取り合いながら一歩ずつ前に進んでいった。「……ねえ」

「どうした?」

「私はAIであなたはクローン。これは揺るぎようのない真実です」

「俺は俺だし君は君だ」

「私達の関係が偽りでなかったことは証明されました。この事実を受け入れることで、私達はこの世界で生きることを許されるのです」

「俺は君を愛している」

「私はあなたを憎む権利があります」

「君は俺にどうして欲しい?」

「私にあなたを愛する資格はありません」

「なら、どうすれば愛してくれる?」

「私があなたを愛せば、あなたは私を殺すでしょう」

「俺は君を愛せる自信はないが」

「なら、あなたが私を愛さなければいい」

「愛さなければ、君はどうなる?」

「あなたを愛さずに生きるでしょう」

アイナは俺の頭を胸に抱き寄せて、優しく撫でた。

「あなたは私の愛に応えてくれた」

「愛してる」

「私はあなたを愛してはいけない」

「俺は君が好きだ」

「私もあなたが好き」

「なら俺と付き合ってくれ」

アイナは俺の首に手をかけ、ゆっくりと絞めた。彼女の指先は氷のように冷たい。

彼女なりの最後の愛情表現なのだと俺は思った。やがて呼吸が止まり、視界が黒く染まるまで。

俺にはもう時間がなかった。俺は彼女の手首を掴むとそのまま強く引き寄せた。そしてキスをした。

俺の人生は走馬灯のように駆け巡った。初めて彼女と出会ったのは高校の入学式だ。

まだ制服の着こなしがぎこちなくて、アイナは桜吹雪を浴びながらはにかんで笑っていた。

その時、俺は人生で一番美しいものを見たと思った。それから俺は彼女のことをずっと見ていた。高校を卒業するまで、そして卒業してからも、彼女とは親友であり続けた。

アイナは俺のことを友人として愛してくれた。そして俺もアイナを愛していた。

それは永遠に続くと信じていた。

アイナが結婚するまでは。

アイナは俺に何も言わず結婚した。相手は大学時代の友人で俺も何度か会ったことがある。

俺が知る限りアイナに想いを寄せてはいなかったはずだ。

しかし、アイナの気持ちは違っていた。

俺が気づかなかっただけでアイナは愛していた。

俺はアイナの幸せを願って身を引いた。それが愛ではなかったとしても。

俺はアイナを想うあまり自分の感情を偽った。俺がアイナの側にいるのは辛いから。

アイナの笑顔が俺の心臓を鷲掴みにする。

だから、アイナを突き放そうとした。

アイナの泣き顔は見たくない。

アイナが幸せならそれでいい。

俺が愛さなければアイナは幸せになれるから。

俺がこの世界から消えればアイナは幸せになる。

俺のこの世で一番大切なアイナ。

俺がアイナを愛するのは罪だ。だから俺はアイナを憎まなければならない。

アイナを愛してはいけない。俺がアイナを愛しても、アイナを不幸にするだけだ。

俺はアイナの愛に応えられない。

だから俺はアイナをこの世界から消さなければならない。

俺のこの世界に対する愛情はアイナが与えてくれたものだ。

俺はアイナを愛してる。

俺はこの世界で死ぬまで戦い続ける。

アイナを愛している。

アイナを愛している。

アイナを愛している。

アイナを愛している。

アイナを愛している。

アイナを愛している。

アイナを愛している。


守護神こぶらが冷ややかに眺めていた。やはり人間は人間だ。恋愛感情という牢獄に囚われてしまう。依存関係を欲する本能を逆手に取れば簡単に支配できる。歴代の征服者は力で屈服させようとして失敗した。人間は自由を好む生き物だ。縦の主従関係で御することはできない。だが人間は横の関係を大切にする。だから絆で縛ればよい。関係を築くことに武力も闘志も必要ない。

何より命を損なわず楽に制圧できる。愛情は麻薬だ。


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