2018-03-19 14:22:49 更新

概要

航空戦艦になっての奮闘もむなしく「解体」の二文字を突き付けられた戦艦「日向」。
崖っぷちに立たされた彼女と、それぞれの思いを持って決戦に挑む仲間達。
最強VSガラクタの奮戦の軌跡。『完結』


前書き

上「立ち上る雲-航空戦艦物語-」


中「立ち上る雲-雷雲戦隊奮戦記-」←イマココ

下「立ち上る雲-海軍演習血戦記-」



【新章】かけらをあつめて



 じゃあ、今日から『日向様』。


 はぁ?


 決めました。今日から『日向様』です。


 私は、伊勢のようにはなれないよ。


 私は『日向様』に『伊勢様』を重ねている訳ではありません。


 …。


 私は…いや、この初霜は日向様に一生お仕えする所存でございます。


 おいおい…。


 この身に変えても、お守り致します。


 わかった。わかったよ…『初霜』。


 これで私たちは、


 死ぬまで戦える。









「初霜と日向がケンカぁ?」


 重巡洋艦「加古」は読んでいた文庫本から顔を上げると、かけていた読書用のメガネを手の中に握りこんだ。

 消灯前の巡洋艦寮のひと部屋。二畳半しかない『医療』の狭い自室に、三人の艦娘が寿司詰め状態で顔を突き合わしていた。狭いベッドの上で加古が膝を抱え、駆逐艦「江風」がベッドの残りのスペースに身を広げる。行き場のない軽巡洋艦「神通」は床の上に座り込んで、ベッドに肘をついていた。


「マジだって。あの初霜が、旦那の背中に「殺すぞっ!」って…」


「言ってないです。「日向っ!」て大声で。でもすごい剣幕でした」


 二人は興奮冷めやらぬといった様子で、先ほど廊下で盗み見した様子を話し続けた。

 事の起こりは特別出撃で休憩がずれ込んだ神通に、江風が誘いの声をかけた所からであった。神通は船渠に戻る前に資料室に寄って行くと言い、その帰りに日向と初霜の一連の騒動に立ち会ったのだ。


 日向の背中に詰め寄る初霜。

 二人の言い争いと、日向の激昂。

 走り去る初霜とすれ違ったが、彼女はこちらに気付く様子もなく涙をぬぐいながら廊下の角に消えていった。


 加古は二人の話の大よそを把握すると、大して興味もなさそうに再び読みかけの本に視線を落とした。


「まあ二人もいい歳だし、ずっと姉妹仲良くって訳にも行かないんじゃない?」


 その言葉に江風が目を細める。神通も寝そべっていた頭をゆっくりと持ちあげた。


「姉妹?伊勢型の日向(旦那)と初春型の初霜が?」


 訝しげに語る江風にならって、隣の神通も興味深そうな視線を加古へ向けた。少女は本から視線を上げずに答えた。


「あの二人は艦娘になる前からの血縁なんだよ」


 二人は目を丸くする。

降って湧いたその事実は、すっかり盛り上がったていた二人にとって絶好の燃料であった。


「とても気づきませんでした…」


「はえー、にてねー姉妹(きょうだい)」


 各々の感想を述べる二人に対して、加古は「若いねぇ」と小さくため息をついた。


「意地っ張りで信念を曲げない所なんかそっくりだと思うがね」


 もともと初霜と日向は横須賀の中ではかなり古参な船である。二人の仲の良さを普段から目にしている者達でも、二人が実の姉妹だと知る者は少なかったはずだ。


「二人とも示し合わせる事も無く艦娘になって、偶然同じ鎮守府に配属になったんだ。着任して半年間お互いを知らなかってんだから傑作だよ」


 淡々と語る加古の言葉に、江風は不機嫌そうに眉をハの次に歪めた。わざとらしく手のひらを天井へ向ける。


「あれが姉妹ねぇ?姉と妹で「日向様」ってか?」


 からかうようなその口調に、加古は活字を追う目をわずかに細めた。


「それこそお前たちが首を突っ込むような問題じゃないと思うけどね。そこら辺の事情は初霜本人に聞きな」


「だから初霜さんあんなに気を落としらっしゃったのですね」


 黙って話を聞いていた神通のふとした呟きに、江風も加古も言葉を止めた。

 しばしの沈黙を生んだのが自分の一言だと気が付くと、神通は少し驚いたように身をすくめた。


「落ち込んでた?初霜がか?」


 神通は肩を縮めたまま、首だけ大きく頷いた。


「ええ。日向さんに「初霜っ!」って拒絶されたとき、何か…そう、裏切られたような沈んだ眼をしていました。次の瞬間、堰を切ったように泣き出してしまって」


「言っとくが、二人を仲直りさせようなんて考えるなよ」


 二人とも加古へ視線を向ける。江風は首をかしげて難色を示した。


「なンでさ?みんなでパーッと騒げば旦那の機嫌だって良くなるさ」


「さっきから首突っ込むなっつってんだろ!あんなに仲の良かった二人の問題なんだ。藪から棒につつくとお姉ちゃんのカミナリが落ちるよ」


 加古に一括され、江風は大げさに肩を落とした。納得いかないのか、いじけたように唇を尖らせる。


「まあ、旦那は怒ると怖そうだけどさ」


「旦那。そう、旦那もね」


 一瞬加古の瞳が泳ぎ、何事もなかったかのようにまた活字を追い始める。


「…姉御、様子が変だぜ?」


「いいから、余計な口出しするんじゃないよ!」


 加古は無理矢理話を打ち切り、結局その日はお開きとなった。









 私達は姉妹である事を捨てたんだ。


 私達は「日向様」と「初霜」になったんだ。


 伊勢が居なくなったあの日。雨が降りやまなかったあの日。みんな死んだあの日。私達は「対等」になったんだ。血の繋がりを捨て、命を賭して戦う為に。


 でも、それでも。


 もし貴女が私を呼んだ時。その時はいつでも、私は貴女の「お姉ちゃん」に戻るから。



 だから…『私を呼んで』



「お姉ちゃん、か…」


 日向は中庭のベンチでひとりごちた。


 結局司令室での別れから初霜には会っていない。会いたくもなかったが、何より会えなかった。胃を痛めながら食堂に顔を出してみた事もあったが、いつものウェイトレスの姿はない。伊良湖曰く「なんか辞めて大変困っている」との事。会話中に厳しすぎる視線を向けられていた為、大方の事情は察しているようだ。


 私はと言えば、観艦式までの残り少ない時間をただ無為に過ごしていた。演習を諦めている訳でも、解体を受け入れている訳でもない。


 ただ、初霜の事ばかり考えていた。


「離れてみて大事さがわかる」なんて稚拙な事を言うつもりもないが、初霜の事にふと考えが及ぶと何をする気にもならなくなってしまうのだった。あの日以来初霜に会えない事もそれに拍車をかけているのだろう。

 せめて初霜が私の側を離れ、誰かと仲良くやっているのなら気もまぎれる。しかし、以前付き合っていた誰もが初霜の姿を見ていないというのだから謎だ。


 今でも目を瞑るとあの足音が聞こえてくる気がする。

 私の後に続く、あの足音が。


 ほら、今日もまた…。


 脳裏に響く土を踏む音。幻の中の足音は、徐々に私に近づいてくる。パキンと木の枝を踏んだ時に、やっと幻でないと気が付いた。


「浮かない顔だねぇ、大将」


「…加古か」


 目を開けると見慣れた寝癖頭が目の前にあった。

 ベンチに寄りかかって空を見上げるその眼前に、覗き込むように首を伸ばしている。以前誰かにこんなことをされたような気がするが、うまく思い出せなかった。


「初霜にフられたんだって?」


「フったんだ。勘違いするな」


 加古は背もたれに手をついて、日向の隣に腰を下ろした。


「側にいないのは変わらんさ」


「…ふん」


「何をしに来たんだ」とは聞かなかった。邪険にするような間柄でも無かったし、気は立っていたが本心ではきっと誰かと話がしたかったのであろう。


 そのまま二人は何も言わずにいた。

 声の代わりに波の音だけが聞こえる。日向は再び目をつむり空を仰いだ。


「観艦式の、演習はどうすんの?」


 沈黙に耐え兼ねたかのように加古が切り出す。隣に座る日向は目をつむったまま答えた。


「…どこまで聞いている?」


 驚くべき事ではなかった。

 丁嵐に大隊旗艦を言い渡された後、鎮守府全体に大演習の詳細が告知されたのだ。演目の時間や当日のスケジュール。そして各大隊旗艦の名も。


「どこまでって、旦那が航空戦艦の【お披露目】をするって」


 今年の大一番に航空戦艦が見世物にされるのは周知の事実であった。


「…そうか」


 日向は軽く息を吐いて目を開けた。広がる青い空は、忌々しいほどに高く澄み切っていた。その横顔を不安そうに見つめる加古が、小さな声でぼそりと呟いた。


「あたしを、つれていっちゃあくれないかい?」


「なんだと」


 驚いて頭を上げると、加古のまっすぐな瞳と目があった。


「艦隊が決まってないんだろ。あたしを重巡の枠に入れておくれよ」


 艦隊旗艦は提督の指名によって決定するが、艦隊編成は旗艦の自由に任されている。榛名と金剛の部隊に限っては、その類では無いようだが。


 加古は胸をたたき懇願するが、向けられた瞳の奥は言い様の無い不安に揺れている。自分を奮い立たせてはいるが、声の端が無意識に震えるのを隠せているとはとても言えないありさまであった。日向は首を横に振った。


「…だめだ。お前は「医療」が長い。昔の勘が戻っているわけでもないだろう」


 無理を推した出撃は甚大な事故につながりかねない。何より加古の様子を見るに、自分に自信があって出撃を望んでいるとはとても思えなかった。


「ただの【お披露目】じゃないんだな。勝たなきゃならない【勝負】なんだな」


 加古の瞳の色が変わった。日向はそれに気づかぬふりをして続けた。


「【決戦】だ」


 言葉の重みに、深い沈黙が広がる。その中で加古は日向が直接語らぬ何かに気付いたようだった。


「初霜には?」


「言える訳がない」


 即答する日向に、加古は苦笑した。


「たまには甘えなよ」


「初霜にはいい薬さ。あいつは「いい気」になってるんだ。私の悩みも苦しみも、全部ひっくるめて肩代わりすれば、私が自由に飛べると思っているんだ」


 日向が笑う。

 二人は気付いていなかった。


 重く、自らの生き死にの話をした後でさえ、初霜の名を口にすると自然に頬が綻んでいる事に。二人は気付く事はない。

 おそらく、永遠に。


「初霜は、本当に旦那が戦艦の新時代を切り開くと信じてるよ」


 加古の声に沿うように、一陣の風が舞い上がった。


「…」


 揺れる夏草を眺めながら、日向は再び目をつむった。


 風に乗ってこすれる葉の音に、過去の自分を想起させる。色褪せ、風化した過去。愚かで稚拙で未熟で、純粋で強かった自分。



『よく聞け初霜』


『はいっ!』


『この鎮守府で戦艦の新時代を築き上げる』


『私と、お前でだ!』



「旦那、初霜は…」


 日向は目をつむったまま手を挙げた。加古の言葉を遮るように伸ばしたそれを、小さく左右に振る。


「わかってる」


 ずっとあの少女といたのだ。

 そこまで、もうろくしちゃあいない。

 しかし…。


「わかっているさ…」


 吹きすさんでいた風は、いつの間にか降り注ぐ光の中に溶けている。凪いだ風と焦げた大地が、迫り来る夏の日を感じさせた。




「重巡の枠が決まったらあたしに教えてください。そいつから力ずくでもぎ取ってやりますから」

 

加古はそう言って医療の仕事に戻って行った。


 加古が所属する「医療」は軍が所有する緊急医療チームの事である。正式名称「軍事医療情報技師第二部隊」。医療は直接負傷者を助けに出撃する現場部隊であり、負傷者の搬送やとっさの応急処置を担当する。大がかりな手術や特殊な薬品を扱うものが第一部隊。彼らは「医師」と呼ばれる。艦娘の健康管理や維持は第三部隊の仕事で、彼らは「医事」と呼ばれている。

 医療は軍医部隊の中でも最も行動的で、戦線を離れたが体力を持て余している元艦娘が務める事が多い。千歳は医師の所属だが、チームの命令で動いている訳ではなく、「技師」と呼ばれる艤装管理者達と艦娘とをつなぐ仲介役を主な仕事としている。


 対して日向は仕事が無かった。

 いや、演習大隊旗艦というこれ以上ない大役があるのだが、緊急出撃から帰投した今、早急に対応を求められる任務などは負っていなかった。


「腹減ったな…」

 

 だらしなくおっぴろげた腹をなでる。

 最近ずっとこの繰り返しだ。

 昼間の間は陽向でぼうと過ごし、朝なのか昼なのかよくわからない食事をとりながら、一日のスケジュールを考える。

 ぼんやりと演習の事を考えながら食堂へ向かう。

 元初霜の職場だが、今彼女がいない事がわかっている。だからむしろ他の場所よりも偶然出会う事が無くて気が楽だった。


 時間はちょうど12時を回ったところだ。モーニングは終わっているが、昼食にはまだ早い。観艦式前で忙しい鎮守府なら人は少ない時間だ。


 暖簾をくぐると、早速給仕をしていた伊良湖にじろりとねめつけられる。それを軽くかわしてカウンターへ。中で調理を担当していたのは日向の思いもしない人物であった。

 割烹着を来た大柄な少女が、カレーの大鍋を覗き込んでいる。その背中に向け、カウンターに肘を置いて声をかけた。


「比叡」


「なっ!」


 熱心にカレーと向き合っていた女性は、日向の声に気付くと大仰な動作で振り返る。割烹着に包まれていても目立つ長い脚。スポーツ選手のような研ぎ澄まされたスタイルを持つ彼女の名は「比叡」。高速戦艦姉妹の次女。榛名の姉にあたる艦娘だ。

 彼女は全身割烹着姿の恋女房スタイル(命名江風)で、ご自慢のツンツン髪は丁寧に三角巾で包まれていた。


「出やがりましたね、日向コノヤロー!」


 比叡は日向に向き直るなり、手に持っていたおたまを勢いよく突き付けてきた。飛び散ったカレーが周囲に散乱する。


「貴女にふるまうカレーは無いわ!帰りなさい!この鉄クズ」


 早々な物言いに、日向は腹が立つどころか困惑の色を見せる。それでも、彼女がどうやら自分を嫌っているという事だけはわかった。


 鉄クズ、鉄クズね。榛名に言われ慣れてるからな、もう憤りを感じる事も無いさ。何(なん)にもね…。


 日向は冷静な頭で努めて紳士的に口を開いた。


「食い殺すぞ雑魚…」


「ヒエッ…」


 一瞬にして比叡の顔が青ざめる。

 ぷるぷる震えるおたまの先をかろうじで抑えて、気を取り直したように、フッとニヒルに笑った。


「な・ん・てー。ビビる訳無いじゃん、ビビる訳無いじゃん、ビビる訳無いじゃーん。バーカ!アホ!死ね!帰れ、帰りなさい!シッシッ!」


「お姉様うるせぇ」


「げぇっ!榛名」


 気が付けば、自分の隣にトレーを持った榛名が並んでいた。

 比叡は榛名の顔を見ると、すぐさま口撃の照準を自分の妹艦に定めた。


「何しに来たのよあんたっ!」


「何しにって…、そりゃあアンタの不味いカレー食べに来たのよ」


 比叡は怒りにまかせて持っていたおたまを激しく上下させた。


「不味くないもん、不味くないもん、不味くないもーん。そんな事言う榛名は霧島の作るよくわからないヌードルでも食べて一生おなか壊してろバァーカ!」


「ハラワタ食い散らかすぞ豚が…」


「ヒエエッ…」


 青ざめた比叡がおたまを抱きしめながらぶるぶると震えている。


 なるほど。

 どうやら金剛型の二番艦は、妹である三番艦とは似て非なる性格の持ち主の様である。


「あら、大隊演習旗艦殿。早退組は暇でいいわね」


 一通り遊んで満足したのか、榛名が思い出したかのように日向に矛先を向ける。普段ならすぐカッとなる日向であったが、先ほどのやり取りを見ていたせいか頭は驚くほど冷静であった。


「暇なのはお互い様だろう。大隊演習〝副〟艦殿」


「ぐぎ」


 榛名が奥歯を噛み締める。

 彼女の事だから「自分がお姉様の上に立つなんて~」などと言い出すかと思ったが、どうやら演習の『副艦』に任命されたのが腹に据えかねているらしい。敵とはいえ相手方の『旗艦』相手に大きく出れないのも彼女の苛立ちに拍車をかけていた。


 珍しく榛名を言い負かした快感に浸っていると、突如どこか懐かしい方向から声をかけられた。


「鉄クズっぽい。鉄クズひゅうがっぽい!」


 ぎりぎりと日向の顔面が歪む。声のした方―榛名の足もと―を見ると、初めて見るちんちくりんが榛名の背中にしがみついて顔を覗かせていた。


 長い金髪を左右に跳ねた髪型。血のように真っ赤な瞳が、興味深そうに日向を見上げていた。


「なんだ、その無駄に躾の行き届いた犬コロは」


 榛名は日向の声には答えず、さっさとカレーを受け取って踵を返した。


「行くわよ、夕立」


「むぎー、ハルナ待つっぽいー」


 夕立と呼ばれた少女はカレーを受け取って足早に榛名の背中を追う。まるで左右に振られる尻尾でも見えそうなその後ろ姿は、どこかあの初霜を思わせた。


「ぽい」


 榛名がテーブルに着いたあたりで、犬の足が止まる。そして、ふいと日向の方を振り返った。ルビーのような赤い瞳に、金色の髪がかかる。まるで宝石のように美しい少女だった。


 べー。


 日向に見せつけるように舌を出す。いや、実際見せつけているんだろう。日向が軽くにらみを利かせると、速足に榛名の下へ帰って行った。


 前言撤回。

 初霜の方が100倍可愛い。




 日向は比叡から脅し取るようにカレーを奪い取ると、スプーンを取って海の見える窓際の席に陣取った。カレーを一杯すくって口へ。なるほど不味い。

 まず水っぽくて味が薄い。匂いはカレーなのだが、嫌にさらさらしていて味が無い。それにしては異様にスパイシーで、舌の先がひりひりと痺れた。

自分の後ろからは「このカレー不味いっぽい」「黙って食べなさい」などと、短いやりとりが聞こえる。


 日向は昼食を楽しむことを諦め、食堂の大型スクリーンに目を向けた。出撃中の艦隊を映し出すそれは、特別出撃が終わった今は表で行われている観艦式のオープニングセレモニーの練習を映し出していた。

 単縦陣で航行する艦隊達が画面いっぱいに映し出される。艦隊は右に左にたくみに舵を取り、尾を引く航跡と缶に搭載したライトで海面にさまざまな紋様を描き出す。


(この視点だと一見ばらばらな艦隊が、絶妙なバランスで列を維持しているのがわかる。逆に紋様は美しく整っているように見えても、各艦隊をごとに左右のわずかなブレや主機の回転数の違いでとっさの行動に遅れが出ているものもある)


「この食堂から指揮が取れれば、艦隊運動の幅も広がりそうだな」


 何の深い考えもなく、ただ口をついて出た言葉。意味も意図も意思も無く、頭に思ったまま、口をつくまま、垂れ流すまま。


「この食堂から指揮が取れれば、艦隊運動の幅も広がりそうだな」


 その言葉、その意味。


「この食堂から指揮が取れれば、艦隊運動の幅も広がりそうだな」


 艦隊運動と、隊列。


「この食堂から指揮が取れれば」


「この食堂から」


 これは、まるで…。


「榛名の陣」


「艦載機運用特化(キャリアー)」


「次世代の艦娘の戦い方」


「瑞雲」


「遠近良し!」


「イージスシステム」


「「索敵」「情報処理」「攻撃」の三つの要素」


 そして…。


「中飛車」


 息をのむ。

 全てが今、繋がった。







【終章】きずな


「以上のシフトで当日は警戒に当たる。気合い入れてけ「医療」!観艦式当日は35℃の猛暑だぞ!駆逐艦ばったばった倒れるからな!」


 班長が鉄製の足場を歩きながら、大声を響かせる。コーンコーンという足音を頭上に聞きながら、ほかのメンバーは設備準備や当日の出し物である「医療スペシャルドリンク」の調整にいそしんでいた。

 

 医療で前線を張る加古は当日の制服の準備をしながら、倉庫中央に張り出してあるスケジュール表を覗き込んだ。


「ちぇ、あたしはドリンクの配布係と、陸での【哨戒】か。少しは遊べるかと思ったが今年は気合入ってんなぁ」


 倉庫の冷たい床に座り込んで、リュックの中に応急処置セットや栄養ドリンク、塗り薬などを詰め込む。表に大きな赤字で「医療」と書かれたリュックサックは、彼女たちの制服であった。当日はこれを背負って【哨戒】に向かう。もちろん敵艦を偵察するのではなく、イベントの中で体調がすぐれない人やけが人を探すのだ。


 愚痴を吐きながら準備を進める加古の背中でシャッター音が響く。加古はわざと気づかないフリをして、黙々と作業を続けた。


「ハァ~イ、かっこ」


 しびれを切らしてカメラの主が声をかけてくる。小豆色の髪をポニーテールでまとめた、活発そうな少女である。少女は加古の正面に回ると、作業中の加古の顔を再びファインダーに収めた。


「なんだよ青葉。お前は観艦式の宣伝部長だろうが、こんな所で油売ってねぇで仕事しろ」


 重巡洋艦「青葉」ば青葉型の1番艦。改古鷹型とも呼べる彼女は加古が普段からよく付き合っている艦娘(ふね)の一人だ。

 彼女の所属は「情報管理課」。直接戦闘には参加せずに共有情報の伝達や、戦果集計報告を仕事としている。さらに全重巡洋艦に配布されている「重巡だより」の執筆者でもある。

 いつもスクープを求めて走り回っている彼女は今、観艦式の新情報集めでてんてこ舞いなはずだ。


「またまた~、とぼけちゃって。今日は逃がしませんからね」


 よくわからない事を言いながら仕事中の顔を撮られる。薄暗い倉庫の中だからか、フラッシュが異様にまぶしかった。


「うるっさいなぁ、あたしこれから搬送訓練あるんだから、衣笠にも言っといて、今日忙しいから!」


「ほえ?本当にご存じないんですか?観艦式の公開演習。日向隊の面子が発表されたのですよ?」


 ぴくりと加古の肩が跳ねる。まさか、旦那に直談判までしたのがバレたか。医療に籍を置くアタシが前線に戻りたがってるなんて記事にされれば、最高に居心地が悪い。つーか旦那結論早すぎだろ!ちったあ考えろよ!地味に悲しいよ!

 それでも露骨にアクションを返せば青葉の思うつぼだ。加古は深く息を吐きながら肩の力を抜き、何事もない風を装って言葉を返した。


「ふーん、それで?」


 努めて冷静、クール、一切の動揺無く、冷静沈着。さすがあの姉、この妹。

 必死に無表情を装う加古の努力をよそに、青葉は何でも無い様に言い放った。


「重巡枠ですよ、アナタ」


青葉は加古の胸に指を突き立てて、にっこりと笑った







「まてまてまてまてまてまてまてまてぇ!」


 加古は大声を張り上げながら、いつもの桟橋に走りこんできた。加古と江風が将棋をし、神通のつたない訓練の一部始終を見守ってきたあの桟橋だ。ついでに言えば、日向が何気なく足を運び続けたベンチもこの側にある。


 そこに「全員」が集まっていた。

 紙に名を書かれた、全員が。


 加古は桟橋に駆け込むと、先に来ていた者の背中をつかみぜーぜーと肩で息をした。その手には紙切れが握られている。紙には「公開演習艦隊割」と銘打たれ、その第一に日向の名前が達筆で綴られている。その次、次点に続く「副艦」に名を連ねるのは間違いなく加古の名前である。


 加古は呼吸を整えようともせず、かすれた声で話し始めた。


「あたしは、確かに、艦隊に加わりたいと言った。言ったよ!だがな、なぜここに神通の名前があるんだ!こいつはまだ戦えるような体じゃない。あたしは反対だ!」


 加古が掴んだ手をぐいと寄せる。先に桟橋に立っていた神通は、加古に服を引かれてわたわたとのけぞった。


「わ、私が志願したのです。演習の出撃割を見て、日向さんにお声掛けしたのです」


 加古は神通の肩をつかんで無理矢理自分の方へ体を向かせた。両肩を支え、その瞳を覗き込む。


「どういうつもりだよ!自分がどういう状態か、わかって無い訳じゃないだろう!?」


 神通はおびえることなく、まっすぐに加古の視線を受け止めた。その輝きにむしろ加古の方がたじろぐ。

 決意と意志を備えた眼差し。戦士の瞳。


「私が、【川内型】だからです」


「…なんだって?」


 加古の疑問には日向が答えた。


「…川内の為に戦うか」


 日向の呟きに、神通は無言でうなずいた。


「出撃割?って、相手側の?川内が入ってるのか」


 川内はかつて軽巡一と謳われたトップエース。五十鈴に最強の名を譲っても、今回の演習に選ばれて不思議ではない。しかし…。


「川内は、先の攻勢作戦で負傷してたはずじゃ…。間違いないぜ、曳航したのはあたしの班だったはずだ」


「直前まで「医師」にかかってバケツ被って、後から演習に参加するそうです」


 バケツ、つまり高速修復剤は艦娘の切り札である。緑色の粘性のある液体であるそれは、艦娘の筋肉を司る強化細胞に反応し、急激な心身代謝を促して傷の修復を早める。分類上は薬品として扱われるが、医療や医師の管轄ではなく、技師達の立会いのもと「装備」として使用される決まりがあった。

 肉体に対する負担が大きすぎるバケツの使用を軍医達は推奨していない。つまりはそういう事だ。外傷の連続的な修復は内臓に多大なダメージを与え、度を越えた連続使用がショック死を起こす事例も上がっている。

 諸刃の剣。しかし、その即効性から戦果を求める艦娘の間では使用の申請が後を絶たなかった。


「そんなん無茶だ、危険すぎるぜ」


「だから無茶しているんです!」


 神通は怒気を強めて言った。


「私がこんな体になって、那珂も攻勢作戦(この時期)に動ける状態に無い!かつて軽巡に川内型ありと謳われた栄誉や誇りは、現在姉さんの無茶の下に成り立っているのです」


「しかし軽巡には今「長良の天才様」が」


 日向の言葉に、神通は力強く頷いた。


「軽巡の強さも誇りも、そんなもの必要ありません。しかしそんな言葉に素直に納得する姉(ひと)じゃありません。自分の命を燃やしてでも、この演習で軽巡最強の勝ち名乗りを上げるつもりなんです。その働き、灯滅せんとして光を増す。そうしたくありません」


 両手を握り締め、グローブが軋んだ音を立てる。決意と熱が、静かに全身に広がる。これが、あの気弱な神通の背中なのか。


「姉さんを止める為なら。この神通、また鬼にも成りましょう」


 彼女の意志は強く。そして清い。


「で、その長良のお嬢様もご一緒ってわけか」


 突然話題を振られた名取は、びくりと肩をすくめて後ずさった。

 軽巡洋艦「名取」も、紙に名を書かれた一人。表舞台に出る事を避ける彼女には、この場は実に不釣合いだ。

 てっきり紙に名を書かれた事に萎縮しているかと思ったが、その瞳には戸惑いこそあれ、この人選を拒む気持ちは無い様だった。


「私も…か、変わりたかったんです!その、神通さんが、あんなに辛い思いをなさっていたのに…その、こうやって立ち上がって、それで、私も。あ、あの、別にその、大それた事を考えている訳じゃないんですけど、で、でも…!」


「ンが~っ!もう、まどろっこしいなぁアンタは!」


 名取の横に並んでいた江風が突然その腕を取った。目を丸くする名取を無視して強引にその手を引き、強く背中を押す。桟橋の真ん中に投げ出された名取は、全員の視線を受けてごくりとつばを飲み込んだ。


「私…、お役に立ちたい。戦って、勝ちたいんです。皆と、自分のために。だから日向さんに…」


 助けを乞う様に日向を見上げる。それを受けて日向は優しく目を細めた。


「お前が一番最初に私の所に来たんだ。「自分を勝たせてくれ」ってな。こんなずうずうしいお嬢様だとは思わなかったよ」


 日向に肩に手を置かれ、名取は少し恥ずかしそうに頬を染めた。

 そんな名取の様子を見て満足げにしている江風に、加古が声をかけた。


「江の字、お前も存外付き合いがいいな」 


「アタシも旦那に声かけさせてもらったンさ。この江風様やられっぱなしは気に食わんのよ。あの榛名ってのには一発くれてやらンと気が収まらねぇ!」


 バシンと手のひらを叩く。熱意と敵意に燃える江風の瞳は、この中の誰よりも力に満ちていた。

 この中で唯一、こいつは具体的な勝利のヴィジョンを原動力にしている。その矛先が自分より何倍も巨大な戦艦であるという事にも怯まずに、自らの意思でこの部隊に志願した。


「あたしだけじゃなかったんだな」


 小さくもらした独り言。それを聞き流してくれるほど、ここに集まった面子は甘くは無い。


「その調子じゃ姉御も旦那に声かけてたンで?」


「しまった」と加古の顔が引きつる。


「いや、まあ…いいじゃねぇかそんな事」


「私達には「口出すな」とか言っておいて、やっぱりお二人が心配だったんですね」


 隣立った神通が、小さく笑みを隠す。そこに名取が続いた。


「加古さんが来るの、分かってたら、もっと簡単にお膳立てできたね」


 二人の心配?お膳立て?


「おい、お前ら何の…」


 気がついて、加古は言葉を止めた。 

 皆で日向に声をかけたもうひとつの理由。四人で日向を囲んで、演習艦隊を組ませる。

 艦隊は全部で6隻。加古、江風、神通、名取、そして日向。


 つまりあと一人、日向は誰かを選ばなくてはならないのだ。


 かけがえの無い、誰かを。





 公開された「公開演習艦隊割」に綴られた名前は5名。旗艦「日向」、副艦「加古」、雷撃艦「神通」、砲撃艦「名取」、水雷駆逐艦「江風」。

 観艦式の公開演習での編成は艦娘6隻と決められている。これは、艦隊戦において最も効率がいい「六艦編隊」に基づいた、訓練としてのルールである。


 皆が持つ紙には最後の6隻目が空欄になっている。その最後の行を指先でなぞり、加古は間延びした声を上げた。


「んでー、最後の一人はどうするんで?どうやら駆逐艦が足りて無いようですが?」


「ぐ」


 日向が顔をしかめる。


「はー、どっかにいい駆逐艦はいないかねぇ。律儀で義理堅くてさぁ、信頼できるチビはいないもんかね?」


「ぐぐ」


「日向さんと仲がいい方などはいらっしゃらないのでしょうか?」


「ぐぐぐ」


「か、可愛い子がいいなぁ」


「名取、お前まで…」


 全員の視線が桟橋の先端に立つ日向に注がれる。押し迫るプレッシャーに押され、日向が大きくため息をついた。肩を落とし、人差し指を立てて額を押さえた。


「わかったよ」


 その一言で全員の表情が花開く。渋く目元を捻じ曲げているのは日向唯一人だ。


「言っておくが、私から呼べた義理では無いというのは全員承知という事でいいな!それをわかった上で私に「やれ」と言っているんだな!」


 日向の念押しに、その場にいた全員が沸く。

「はやくやれー」だの「ちゃんとごめんなさいしてください」だの「会いたいくせに」だの言いたい放題言いやがって。貴様らこの為に志願したんじゃなかろうな!


 日向は全身の力を抜いて、大きく、大きく息をつく。空気の変化を感じたか、騒ぎ立てていた全員も口をつぐむ。しんと静まり返った桟橋の上で、自分の心臓の音だけが嫌なくらい大きく聞こえた。


 今から呼ぶぞ、お前の名を。どこにいても、どれだけ遠くにいても、お前の耳に届くように。お前は、どこにいたってきっとこの声を聞いてくれる。それを聞いてお前がここに来てくれるかはわからないが…、いや。


 再度肺の中の空気を入れ替える。冷たい空気に反して、全身はこれでもかと熱く煮えたぎっていた。


 信じるぞ!私たちの絆が疑いに陰る事など無い事を。来る。絶対に来る。来い、私の所に。来い、来い、来い、来い来い来い来い来い来いこいこいこいこい、こおおおおおおおいっ!



「はつしもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 話は変わるが、この日観測された津波は4mを記録した。荒れる大波は近海を哨戒していた駆逐隊を転覆させ、医療の緊急出動を要した。観測隊記録に長く謎として残ったこの大津波。その最大の疑問点は、津波が海の中のとある1点から360度全方位に広がるように発生したという点である。ついで、この津波と共に謎の怒声を聞いたというものもいるが関係性は不明である。

 以上の例を見て、此度の津波は深海棲艦の新兵器の可能性もあると見て警戒を高めている。


 今後長く鎮守府七不思議として名を連ねる事になる日向の「雄たけび」は、発声から20秒以上続いた。この雄たけびを最も近くで聞いていた5隻の艦娘は、その間まるでハリケーンに立ち向かうかのごとく桟橋にしがみついていなければならなかった。


 嵐が止んだとき、桟橋の上には空を見つめる日向と、膝を突いて肩で息をする5隻の艦娘達がいた。各々がよろよろと立ち上がり、周りを見回す。あたり一帯はまるで周囲の生物が全て死滅してしまったかの如く静寂に包まれていた。


「…来ませんね」


 30秒ほどして、誰かがそう言った。

 皆が胸の奥底に可能性を感じつつ、決して言葉にはしなかった事。鎮守府から誰かが来る気配、それがまるで無い。小さな足音も、まだ届かない。


 加古は恐る恐る日向を見上げた。日向は目を瞑って何かを考えていた。その胸中は、加古にはとても計り知れない。

 「何か」が起こってほしかった。この静寂を崩す「何か」が。加古の心の底のこのわだかまりを崩す「何か」が。


 そして「何か」は、底から現れた。

 心の底ではなく、皆が立つ桟橋の底から。


 ざばぁっ、と海の中から白い手が飛び出した。


 その細腕は、桟橋の木片をがっしと掴み、その全身を海底から露にした。黒い塊は桟橋の上を転がると、日向の足元でぶるぶると体を震わせた。


「ひゅうがさ、げっほおえ、初霜はここに」


 初霜だった。


「初霜!なぜ海の中に!?」


「げっほげほ、いや、日向様が桟橋に向かわれるようでしたので。身近でお守りするならやはり海の下かと」


「天晴れ初霜。見上げた根性よ!」


「ツッこめよ」


 全員の総意を加古が代弁した。








「初霜」


「日向様」


「初霜!」


「日向様!」


「はつしもぉ!」


「ひゅうがさまっ!」


 日向が膝を突き、強く初霜を抱きしめる。初霜も両腕を回して日向の服を握り締めた。


「ずっと、私のそばにいてくれたのだな」


「勿論です。日向様が「目障りだ」と仰られたので、普段は目につかない方が良いかと思ったのです」


「初霜、お前というやつは…」


 ますます腕に力をこめる日向に反し、初霜は小さく制して体を離した。一歩後ずさり、日向を見上げる。


「日向様、大隊演習旗艦の任、おめでとうございます」


 鋭く踵をそろえる。


「お伝えするのが遅れて、申し訳ございません」


 日向は立ち上がり、まっすぐに初霜の言葉を受け止める。そして、意思も感情も全てを押さえ込んで言った。


「旗艦として駆逐艦「初霜」に命ずる」


 ピンと張った空気が二人を包む。ゆっくりと深呼吸して続けた。


「お前は私の盾であれ。ずっとそばで、私を守れ」


「その言葉、心よりお待ちしておりました」


「そして…」


 日向の腰が折れる。大隊旗艦はなりを潜め、今度は戦艦日向として向かい合う。


「ごめん」


 深く頭を下げた。

 初霜は、何も言わなかった。

 しばらくの間、ただそうしていた。異様な空気であったが、居心地は悪くなかった。

 日向が顔を上げたとき、その表情は再び艦隊旗艦のそれに戻っていた。


「今度は、私がお前の刃になる。お前の敵は、私が切る」


 揺るがぬ決意は、刀のように鋭く強い。


「永久に私と共にあれ。刀折れ、この膝を折る事になろうとも。死血の荒波を掻き分けて死線を共にあれ。お前の魂を私に分けてくれ。私と一緒に、死んでくれ」


 初霜はゆっくりと首を横にふった。


「永久に貴女を御守り致します。刀折れれば刃となり、膝をつけば貴女の足になりましょう。私の死血を踏みしめて死線を越えてください。私の命を糧にして。私の分まで生きてください」


 揺るがぬ決意は、盾のように固く重い。


「それが私の、いや…」


 言葉を切る。

 駆逐艦ではなく、姉妹としての言葉。その、本当の決意。


「妹を守る。姉としての初霜の誓いです」


 この日、艦娘史上初の航空戦艦部隊が誕生した。最後に名を連ねた駆逐艦は「絆」の中に、自分の闘いを見出した。


 救済と成長と、意地と悲しみと、誇りと絆の艦隊。

「雷雲戦隊」と、彼女達はそう呼ばれた。






【おまけ】おねえちゃん


江「きれいに収まったとこ悪いんだけどさ、ちょっとアタシの耳がおかしい」


加「どうしたい江の字?風邪でもひいたか」


江「二人は姉妹。ンで、旦那が姉」


日「いや、私が妹だ」


江「…お前ら身長差いくつ?」


日&初「「39cm」」


江「ハモるな」


加「歳の差は?」


初「初霜が2つお姉さんなのです」


江「あ、この話題やめよ。何を聞いても地雷だわ」


初「初霜は千歳さんと同い年なのです」


江「やめろっつってんだろうがよおおっ!」


 しばらくの間、「初霜さん」呼びが流行った。






【外伝壱】歪誠歪笑


 閉め切った部屋の中に、外の喧噪がすきま風の様に入り込んでくる。大勢の足音、ざわめき、人々の小さなつぶやき。それらが大きなうねりになって、周囲を色めき立たせていた。


 今日から観艦式が始まる。


 横須賀の司令官「丁嵐誠一」は、思考に入り込んでくる雑音が煩わしくてカーテンを閉めた。窓の外は祭りの準備の艦娘達でごった返している。あるものは出店を立て、あるものはチラシを配り、またあるものは始まる前の出し物に列を作っている。他の鎮守府の艦娘も集まり、今の鎮守府は普段の10倍近い人口密度に膨れ上がっていた。

 その様に丁嵐は忌々しげに舌を打つ。

 お祭りは好きだ。華やかで騒がしくて、あたりがキラキラと輝いている。低俗で喧しくても、この日特有の空気に沸き立つ艦娘達を眺めるのが好きだった。

 護国の責を背負う彼女たちがその戒めを忘れ、まるで年相応の少女のようにふるまうのを見ているのが好きだった。

 もちろん、頭を悩ませる小五月蠅い官僚どもがいなければの話だが。


 閉じたカーテンの隙間から、潜水艦たちが楽しそうに走り回っているのが見える。それに対し、わずかに目を細めた。


「鼠が紛れ込んでるのね…」


 呟きながら、部屋の隅で時を刻む巨大な柱時計に目を向けた。時刻は朝の八時。当初の予定時刻だが、先方から少々遅れると連絡を受けている。


 改めて部屋の中を見回す。この会合をセッティングする前に、部屋のチェックはすべて完了していた。

 壁紙は2日前にすべて張り替えている。薄いピンクを基調とした壁紙に、ロココをイメージした花のデザインが散りばめられている。テーブルとチェアはいつものお気に入りの物であるが、今日に合わせて革の張り替えを行っている。部屋に合わせた特注の装飾は、丁嵐の専属であり軍外のデザイナーに特別に発注していた。


 部屋の模様替えをした際に出てきた盗聴器は4つ。花瓶の裏と窓サッシの奥、執務机の足とソファーの中。もちろん丁嵐が設置したものではない。

 外部の者がこの部屋に侵入したのか、しかしそれにしては設置場所が安直な気がする。まるで、部屋に立ち寄ったついでにアタシの目を盗んでちょいと置いていったような…。

 だとすれば身内。いや、攻勢作戦の際に派遣されたものの中にスパイがいたと考えるのが自然だ。

 あの時派遣されたのは対空用の駆逐艦と偵察用の潜水艦。所属は舞鶴のはずだが、所属を偽るのはやつらの常套手段だ鵜呑みにはできない。

 盗聴器は今もそのままにしてある。偽りの情報を流す事もできるし、回収しに来たスパイを締め上げる事もできる。そして何より自分は絶対にボロを出さないという自信があった。


 机に置かれた電話が鳴る。取ったのは秘書艦の古鷹だった。


「こちら司令室。はい…はい、わかりました」


 短く答えて受話器を置く。そして、合図するように丁嵐に視線を向けた。


「松崎城酔少将がいらっしゃいました」



 東と西の将官の面会。

 これの意味する所。それは観艦式へ向けた懇談会等とはほど遠い、派閥間の熾烈な正面衝突に他ならなかった。


「大島派」と「敷島派」に代表される兵器開発部門の二分化。


 科学的新開発を謳い、前衛的で危険な実験を繰り返す「大島派」。筆頭の大島信康博士は、深海棲艦の装甲を転用した「特装」を初めとする数々の前衛的な試みを繰り返してきた。中には深海棲艦の肉体を生身の人間に移植するような、非道徳的研究に携わっていたという噂すら存在する。


 反する「敷島派」の筆頭、敷島月雄技術大佐。彼は古き日本軍の再現と進化に執着し、日本刀などの旧世代兵器を現代兵器として再現する試みを続けてきた。その結果生まれた「深滅兵装」の一部は伊勢型や天龍型の基礎武装として一定の成果を上げている。


 二つの派閥は競い合うようにして互いを高めている訳だが、予算や設備には当然の如く限りがある。必然的に二つの派閥は攻撃的になり、兵器開発部にとどまらぬ軍の二大派閥と化した。

 派閥のシンパは多けれど、表立って派閥を代表するものは少ない。誰だっていらぬ危険は冒したくないものだ。現在派閥に属する将官はたった二人。それが大島派の松崎と敷島派の丁嵐であった。


 丁嵐ははじかれたように壁から背を離し、部屋を出る。それに古鷹も続いた。内線は一階の管理室からかかってきている。つまりもう正面入り口までやってきているという事だ。

 駆け足で階段を下り、一階への踊り場で足を止めた。階段の下から見上げる人影。軍服に身を包んだ長身の男。呉の提督「松崎城酔」。


 階段の下にひょろりと背の高い男が立っていた。礼式用の軍服を身にまとい、長い前髪から右の瞳だけで丁嵐を見上げていた。

松崎は丁嵐と目が合うと、似合わない軍帽の下に蛇のような薄ら笑いを浮かべた。開いているのかわからない細い目から覗く妖しい瞳は、心の中を覗き込まれそうなほど深く虚ろに濁っている。そして、顔半分を覆う灰のように白い髪。それはまるで…。


「深海棲艦…」


 古鷹が思わず呟いた。男の笑みはますます深く、おぞましく歪む。

 不快、不安。まるで世界中の負の感情を寄せ集めたような幽鬼の表情(かお)は、嘘みたいに白々しくその「笑み」の中に収まっていた。青白い唇から息がこぼれる。


「お久しぶりです。丁嵐少将」


 男の声は、身を凍らせるほどに冷たい。深海の底から囁いてくるようなその響きに、古鷹はつばを飲み込んだ。

 丁嵐の口が小さく動く、唇を濡らしてまくしたてた。


「キャー!ホントに城君!?やだやだやだもう、KA・WA・I・I!」


 階段を駆け下りて松崎の横に立つ。両手をつかんでぶんぶんと上下に振ると、松崎は苦しそうに肩をすくめた。


「じょ、城君はやめてくださいよ丁嵐少将。私ももう学生では無いんですから」


 松崎がたじろぐ。自分より長身の大男にこうも振り回されては当然の反応と言えるが。


「も~、相変わらずお固いんだから。前みたいに誠って呼んで呼んで呼んで(ぷりぷり)」


「誠さん(はぁと)」


「イヤん!もうっ、色男!アタシの部屋にいらしてちょうだい。城君の為にケーキつくってるのよ。甘いの好きでしょ?今日は逃がさないからねっ!」


 こうして血で血を洗う論争の幕は、大男の黄色い声により開かれた。








 丁嵐に連れられ、松崎とお付きの巡洋艦「大淀」は長い廊下を歩いていた。外の喧騒に比べ、建物の中はとても静かだ。人の気配もなく、ただ自分たちの足音だけが響く。


「皆出払っちゃってるのよ。なにせこのお祭り騒ぎでしょ。貴方たちも後で見ていってちょうだいね」


 丁嵐が歩きながら、後ろに続く二人に告げる。松崎はしらじらしいほどの笑みでそれに返した。


「ええ、ぜひそうさせて頂きます」


 大淀は自分の大将の肝の太さに呆れつつ、スカートの上から太ももに固定した銃の感触を確認した。しかし、ボディチェックもされないとは意外だった。


 横須賀の丁嵐誠一。

 話ではかなり大胆かつ狡猾な男だと聞いている。敷島派の筆頭将官でありながら、去年の観艦式での対立派閥に関する左官暗殺の疑いがかけられている。事件の顛末としては当時の将官が殺人教唆で連行されているが、その後釜に座った丁嵐こそが真の首謀者だというのが上の考えだ。


「どうぞ、入ってちょうだい」


 ひときわ大きな扉を潜ると、眼前に広がる光景に大淀は絶句した。


(うっわ…)


 扉の上に「司令室」と書かれたその部屋は、大淀の見慣れている司令室とは似ても似つかぬ代物であった。

 壁一面に花柄の壁紙。部屋の一角には高級そうなソファーにガラス張りのテーブルが置かれている。今回の会談用に準備されたと思われるテーブルとチェアーは、一目でそれとわかるほどのヴィンテージ物。壁際のシェルフにも凝った装飾が施されており、そこに並ぶティーセットの照り返しを受けてまるで宝石箱の様に輝いている。窓際のバー、並ぶワイン。風になびくカーテンですら高級品に思えてくる。部屋の隅の柱時計が、それを肯定するかのごとく物々しく鳴いた。


「この部屋も相変わらずですねぇ」


 松崎が漏らす。その言葉に、ここまでずっと押し黙っていた古鷹が口を開いた。


「松崎少将は、丁嵐提督とお知り合いなのですか?」


 松崎は一瞬丁嵐の方へ目を向けるが、丁嵐は小さく笑ってシェルフのティーカップを選んでいる。それを肯定と受け取ったのか、松崎は古鷹に向き直り話し始めた。


「ええ。私が元陸軍(おかもの)だというのは伺っていますか?私が海軍(うみ)に来た時に、誠さんの下にお世話になっていたのです」


「3ヶ月くらいの間だけどね。その後は、ねぇ?」


 カップを両手に丁嵐が微笑みかける。松崎もそれに頷いて返した。


「それはお互いに」


 視線を合わせ、微笑みあう。

 二人の間に漂う雰囲気は旧友か、まさに戦友と言った感じだ。自分の提督にそんな相手がいるなんて、互いの秘書艦すらも知らない事であった。

 

「懐かしいわねぇ。もう5年になるかしら」


 ティーカップを取り出して、テーブルに並べ始める。


「8年になります」


「ごめんなさい、座って。ほら、古鷹も」


 丁嵐が思い出したかのように用意されたテーブルへ一堂を促す。松崎が最初に腰を下ろし、その隣に大淀が座った。最後までカップを並べるのを手伝っていた古鷹も、丁嵐にせかされて大淀の向かいに座った。


「城君は紅茶かしら、それとも珈琲?」


「珈琲でお願いします」


「お嬢さんは?」


「え、ああ、では同じものを」


 自分の事を言われたのだと気付き、大淀が背筋を伸ばす。その様を見て丁嵐は小さく微笑んだ。


「こちら私の秘書艦をして頂いています、大淀さんです」


 松崎に紹介され、大淀は頭を下げた。


「呉鎮守府、秘書艦の大淀です」


「ふふ、かわいらしいお嬢さんね。城君は迷惑かけてない?」


 その問いかけに、大淀は即答した。


「提督はいつもめちゃくちゃな事ばかり仰るので気が休まりません」


「そんな事は無いでしょう」


 松崎の抗議を無視して、大淀はすました様に顔を背ける。呉の提督を勤める松崎であるが、その破天荒な作戦と、ひと癖もふた癖もある艦娘達は海軍内において提督本人の名前よりよほど有名なのであった。

 丁嵐は気苦労の多そうなメガネの秘書艦と、その向かいで退屈そうに話を聞いている自分の秘書艦とを見比べた。


「このコは古鷹。アタシの秘書艦。怖がらなくても噛み付いたりしないわ」


 古鷹が小さく頭を下げる。

 そんなやり取りをしている間に、丁嵐はシェルフの下からドリッパーと真っ黒な瓶を取り出した。瓶は不透明で中が見えないが、流れ落ちる砂のような音からどうやら砕いた珈琲豆のようだった。


「古鷹もたまには珈琲にする?」


「頂きます」


 そう言って古鷹がサーバーとドリッパーの合わせ目を手で押さえた。布製のフィルターに粉を入れようとしていた丁嵐が、それを見て苦笑する。


「アタシにも格好つけさせてよ」


「いえ、提督はいつも豆をこぼされるので…」


「恥ずかしいじゃない、もう」


 古鷹の抑えたフィルターの中に丁嵐が砕いた豆を注いでいく。

 提督と秘書艦の微笑ましい光景。そう見える。この二人が、軍人(身内)殺しの反逆者であるという事実に目を瞑れば。

 大淀は出かかった舌打ちを噛み殺して、苦々しくその光景を見つめていた。

 異様、異質、悪質で醜悪。吐き気がする茶番。何もかもまやかしだ。この部屋も、このお茶会も、丁嵐(この男)も、そして…。


 古鷹(この女)。


(今目の前にいるコイツが軍人殺しの実行犯。丁嵐が黒かろうが白かろうが、コイツが直接手を下したのは紛れもない事実)


「冷めないうちにどうぞ」


 松崎と大淀、そして古鷹の前にカップが置かれる。最後に自分のカップを持って丁嵐が席に着いた。

 コーヒーを淹れる所はもちろんチェック済みだ。怪しい動きは無かった。私たちのコーヒーにだけ何かを入れるようなしぐさも、ここから見る分には問題なかったはずだ。しかし、カップそのものに細工がされていた可能性などはわからない。

 大淀が思案していると、テーブルの中央にふわりと一枚のハンカチが置かれた。レースがひらひらと喧しい男物とは思えないハンカチ。取り出した本人の丁嵐は、それを薄く広げた。

 彼の指がハンカチの上に置かれ、ゆっくりと離れる。ハンカチの上に残ったのは砂糖で形作られた「妖精さん」の人形だった。


「か、可愛い。高価(たか)そう…」


 大淀の素直な意見がこぼれる。それに丁嵐は困ったように笑った。


「大したものじゃないのよ。鎮守府(うち)で作ったものなんだから」


「しょ、少将がご自分で作られたのですか!?」


 小さく手を振ってそれを否定する。


「まさか、妖精達が作ってるのよ。シュガードールって、アタシが元々こういうのが好きだったからかしらね。妖精(あのコ)達がマネして量産するようになったのよ。お蔭で今時の軟な軍人にはウケが良くて助かるわ」


 そう言いながら砂糖人形を並べていき、話し終わる頃にはずらりと20体ほどの妖精がテーブルの上でポーズをとっていた。人形の服装はひとつひとつに違いがあり、ディフォルメのきいた表情や動きはとってもキュートだ。

 大淀はまるでショーケースの中の宝石を眺めるように、キラキラと目を輝かせた。


「あの妖精にこんな繊細な作業をさせるなんて…」


「妖精達は好き勝手やってるだけよ。彼女たちは「技術の神様」なんだから、「芸術の神様」にもなれるとアタシは思ってるわ」


 そう語る丁嵐の表情からは妖精達への慈しみが感じられる。軍が利用している妖精に対し、あくまでも神聖なものとして扱うその精神は軍人としては特異な物だといえる。反して、正面に座っていた松崎はあくまで現実的だった。


「妖精さんの制御ですか…。誠さんは根っからの「提督」ですねぇ」


「何よそれ、嫌味のつもり?」


 鎮守府の「作業」を行う技術者たち。その実動隊とも呼べるのが「妖精」である。身長10cm程度の人型のそれは、人外の生物であり、人知の及ばぬ「上位」の存在であると定義されている。記録では深海棲艦よりずっと昔から地球上に存在していたとされる「神」の片鱗である。

 妖精たちは人外の技を用いて、「創造」と「制御」を行う。深海棲艦という敵性生物が現れた時に、真っ先に人間が目をつけたのが妖精であった。妖精の技術力を使って深海棲艦と戦わせようとしたのだ。しかしその計画は失敗に終わる事になる。妖精たちは人間の命令を聞く事が無い。彼女たちは自らの能力を自らの望むように使うだけだ。それが兵器製造であれ、飛行機の操縦であれ、彼らは人間の命令に従って動く事は無かった。


 その代りとして「仲介役」が作られた。人間と妖精の中間の存在。すなわち「艦娘」と呼ばれる人間兵器。人間と上位の存在とを掛け合わせたハイブリット。その完成の為に表に出せぬ裏の実験が何度も繰り返された。軍部の二大派閥のどちらもが技術者達の系統を源流とするのは、つまるところこういう理由が大きい。

「妖精の制御」こそが今の海軍の最終目標であった。

 もちろんこれは、とびきりなスピリチュアル思考を持つ「大島派」の意見であるという事だけはつけ加えておく。


「いやあ、可愛いらしいですねえ」


 並べられた妖精をつまみあげて松崎がつぶやく。そして言葉とは裏腹に、何の惜しげもなくそれをコーヒーの中に放り込んだ。人形が熱に溶け、カップの中で体が二つに砕ける。その姿が完全に溶けきる前に、松崎は新たな人形をつまみあげて、折り重なるように投下した。


「ちょ、提督…」


 大淀の制止も聞かず、松崎は次々と人形をコーヒーに溶かしていく。10秒もしないうちにテーブルの上を彩っていた妖精たちは、黒い泥水に浮かぶ泡粒へと代わってしまった。溶けきらなかった砂糖の塊がコーヒーの上に白い幕として浮かんでいた。それを美味そうに喉に流し込む。


「こんの男…」


 眉をしかめる大淀に対し、丁嵐は気に留めた様子もなくコーヒーに口をつけていた。


「いいのよ、とっておいても仕方がないんだもの」


 丁嵐の柔らかい物腰に、大淀はなんだか萎縮してしまう。これでは本当にティーパーティーにお邪魔したみたいだ。熾烈な派閥争いとは何だったのか、これは本気で楽しまないともったいない気がしてきた。


 目の前に置かれたコーヒーに視線を落とす。漂ってくる香ばしい匂いは、大淀の下手な疑心暗鬼を溶かすのに十分な魅力を携えていた。そっと口をつけ、少量を口に含む。


「おいしい…」


 ほっと芳醇なため息をついて、全身の緊張が解けた。カップを両手で包み込む。暑い夏の日だというのに、暖かくやさしいコーヒーの味が全身に染み渡った。


「これはいい、とてもよい豆ですね」


(提督の飲んでいるそれは、少将の淹れてくださったものとは一切何の関係性も無い汚水と化している気がするのですがそれは)


 何か言いたげな大淀を無視して、松崎は窓の外へ視線を向けた。

 夏の濃い日差しの下で、少女達の活気のいい声が響いてくる。観艦式の開始はまでもう一時間ほどだ。準備は大詰め、おのずと活を入れる声にも力が入る。


「横須賀の観艦式は良いですねぇ。元気があって、皆さん働かれている姿もイキイキしてらっしゃいます」


 松崎の言葉を受けて、大淀もカップを置いて視線を外に移した。古鷹も両手を膝の上に置いて耳を澄ませる。丁嵐は唯一人、窓に背を向けてカップに口をつけていた。


「こんな時期に観艦式だなんて、呑気なものよ。ついこの間まで身を張って出撃してたっていうのに」


 丁嵐が不満げに言った。カップの底にたまった砂糖を器用にスプーンですくいながら、松崎が話をあわせた。


「北ですね、横須賀の金剛さんが敵旗艦を沈められたとか」


「彼女は護国の英雄よ。ただの小娘でも、ましてや兵器でもない。それが式典の場で称えられることさえ無く、あまつさえ宴の見世物にされるなんて」


「不愉快だわ」と毒づく。


 此度の作戦で金剛がたてた武勲は「敵補給隊殲滅」と「敵旗艦轟沈」、どちらも作戦に大きく食い込む大武功だ。しかし当の金剛に大本営からの通達等は無く、丁嵐(提督)に届いた書状はと言えば「大隊演習に金剛を使え」だ。まったく彼奴らの正気を疑う。

 

「他の艦娘(こ)だってそう。防衛の荷を背負わされながら、無知なる大衆を演じさせられる屈辱。ハラワタが煮えくりかえるわ」


 苛立ちを隠そうともしないその声に、松崎は冷静に答えた。


「兵器には兵器の矜持があります。命を懸けて戦わされ、例え道具の様に捨てられようとも。自分達の行いが未来をほんの少しでも動かす「力」になれると信じられれば、守りたい「誰か」の為に戦えるのですよ」


 言いながら、松崎は黙々と舌の上で砂糖を転がしている。その姿をちらと覗き見て、丁嵐は呆れたように笑った。


「城君が言うと重みが違うわね」


「影として生きてきた私が失ったものなど、たかが知れています」


「でも」と松崎が顔を上げた。

 命を懸けて戦わされ、道具のように捨てられた男。矜持を全うしたその表情(かお)は、しかし厚い笑みの仮面に覆われていた。


「彼女達はまだ若い。死を覚悟して海(ここ)へ来た私達と同じ目線で考えろと言う方が難しいでしょう。でも無理をしてでも艦娘を増やし、戦わなくてはならないのもまた事実。その為に観艦式(これ)は必要です。彼女達はきっと重苦しい勲章を渡されるより、仲間内で褒め称え合い笑い合う方がよほど心の支えになるでしょうからね」


 松崎は視線をそらして、それきり話を打ち切った。


 お嬢様がたのご機嫌取りをして、おててつないで死線に送り込む。天才科学者達が何年も研鑚を繰り返して導き出したこの大正解。反吐が出るようなその計算式の符号の中に「提督」(私達)は含まれている。


 外からは少女達の楽しそうな声が聞こえてくる。

 アタシはこの後彼女達に「この前の攻勢作戦で大勢死傷者が出たけど、今日はそんな事も忘れて盛り上がりましょう。イェーイ!みんな明日死ぬかもしれないけ・ど・ネ☆」と演説をしにいかなければならないのだ。


 実に気が重い。

 「妖精たちの制御」と言う言葉の意味。こんなにも間近に自分の行動と直結しているのか。初めて実感したわ、クソが。









「古鷹、ケーキを取ってきて頂戴」


 コーヒーのおかわりを注ぎながら丁嵐が古鷹に命じた。古鷹は小さく頷くと、丁嵐の後ろを抜けて隣の部屋に消えていく。大淀がチラと覗いた部屋の中は、どうやら業務外の私室の様である。

 丁嵐は全員分のカップを満たすと、元いた椅子へ腰を下ろす。カップを傾けながら扉が完全に閉じたのを確認すると、タイミングを計ったかのように口を開いた。


「瓦谷の刑が確定したのね」


「ご存知でしたか」


 神妙な面持ちで語る丁嵐に、松崎は表情を動かさずに答えた。


「途中経過は知らされてたわ、書類でだけどね。でも結局裁判には一度も顔を出させてもらえなかった」


 深い息を吐く丁嵐の横顔を、大淀は小さくのぞき見る。


 瓦谷永世(かわらやえいせい)はかつての東の少将。去年の観艦式で西の左官殺しを古鷹に命じたとして、「表向き」の罪を問われた人物である。彼は事件当日にこの横須賀鎮守府との通話記録が残っており、それこそが古鷹に殺人を指示した証拠だとして憲兵が捜査に乗り出したのだ。その後、彼のデスクから兵器開発科の派閥外秘資料や深海棲艦研究の兵器転用指示書などが見つかり、彼はスパイ容疑で身柄を拘束された。その後も、事前に古鷹に指示を与えていたと思われる通話の録音やデータのやり取りが見つかり、裁判はとんとん拍子に進んでいる。彼は今、着実に執行に向かっている状態だ。


「当事者のあなたが座って結果を待つだけなんて、不服でしょうねぇ?」


 おかわりのコーヒーの中に追加の砂糖を溶かしながら、松崎が問うた。


 丁嵐は事件当日は基地指令として観艦式の切り盛りを行っていた。しかし事件そのものとの関係性は認められず、罪には問われる事は無かった。西側も「敷島派」の筆頭将官である瓦谷の首根っこを掴んだ今、真実はともかく騒ぎを無駄に大きくしたくはない。下手に丁嵐に騒がれて、瓦谷に逃げられるくらいならと彼を放置したのである。せいぜい責任をとらされての左遷、誰しもがそう思っていた。


「あの事件の後「少将」になったアタシに、言える権利が無いのはわかってるけどね」


 事件当時「大佐」であった丁嵐は、大方の予想に反して事件直後に「少将」へと昇格した。もちろん敷島派、ひいては東の思惑である。筆頭将官である瓦谷を失った敷島派が、将官に穴を開けるのを嫌がったのだ。これは西も予想外の事であった。が、丁嵐は急場の付け焼き刃であり、彼が脅威になるとはこのころ大島派の誰も考えはもしなかった。


 そして現在に至る。

 丁嵐は昇格後、陸軍とのコネクションを使い東の艦娘開発の増強を図りはじめた。海の妖精にばかり目を向けていた海軍を出し抜くかのごとく陸戦兵器の増強、そして現代兵器を基にした新たな深滅兵装の開発に着手した。技術者を源流とする敷島派は着々とその勢力を伸ばし、新兵器の開発に難航する大島派の大きく先を行くことになる。

 丁嵐は、今や瓦谷を大きく凌ぐ東の参謀長となっていた。


「誠さんには最近不振な事などは起こっていませんか?」


「アタシに?心配してくれてるのかしら?」


 驚いたというより、松崎を皮肉ったような笑みを丁嵐は向ける。松崎ももちろん笑みを持ってそれに返した。


「ええ、もちろん。瓦谷の執行まではまだ時間がありますからね。派閥の者もこれから本腰を入れて動いてくると思います。誠さんは同じ東の将官とはいえ、彼らがどんな「細工」をしてくるかわかりませんからねぇ」


「そうね……ろく、でもないものね、何処もかしこも」


「…」


 ピアスの穴を引っかきながら考え込む丁嵐は、しばしの沈黙の後に「あ」と小さく声を上げた。


「攻勢作戦の折に横須賀(うち)に来た娘達が怪しいわね」


「怪しい?」


 丁嵐はうなずく。そして大きな背中を丸めて、わざとらしく声を潜めて言った。


「だって舞鶴の控え艦娘達よ。舞鶴は怪しいわ、提督クラスですら所属を明かさないやつらばっかりだしね。大淀ちゃんも気をつけなさいよ。舞鶴の潜水艦よ」


 わっと両手の指を立てて大淀を襲うフリをする。話をふられた大淀は、コミカルな丁嵐の動きに苦笑して小さく肩をすくめた。


「舞鶴は駆逐艦の所属も多いですからね、急な入れ替わりがあっても隠蔽が容易、というのもありますね」


 うんうんと丁嵐がうなる。「舞鶴は怖いわー、うんうん」と一人で納得したように相槌を繰り返す。


「お待たせしました」


 そこへ隣の部屋から古鷹がお盆を持って帰ってきた。

 手に持ったプレートに並んでいたのは、小さなカップケーキのような蒸し菓子である。小皿に取り分けられたそれを各人の前に並べていく。その所在は、まるで先代から仕える老年の召使いのように洗礼されていた。


「おお、プディングですね」


 松崎が目の前に置かれたケーキを見て声を色めかせる。

 全員の前に置かれたのは、お椀をひっくり返したような山形の蒸しケーキである。「プディング」という名称は蒸し料理全般に使われる名称であり、今目の前にあるものは一般に口にする所謂「カスタードプリン」とは大きく異なる。


「簡単なものでごめんなさいね」


 フォークを指先でつまみながら丁嵐が破顔する。

 どうやら丁嵐のお手製であるらしいケーキを大淀はまじまじと見つめた。ふんわりと蒸しあがった生地から、ココアを焦がしたような香りが漂ってくる。地味でコーティングなどはされていない簡素なケーキ。だが頂点に鎮座した生クリームが、ケーキ全体を引き締め、かなり「それっぽく」見せていた。


「遠慮なさらないで、どーぞ」


 大淀が勧められてフォークを手に取る。先端で表面をつつくと、あっさりと生地が破けて中のチョコレートが顔を出した。表面を崩しつつ、柔らかなチョコレートにそれを浸す。最後にわずかにクリームの白を添えて、フォークの上に積み重なった甘美な断層をまとめて口の中に放り込んだ。

 口の中に広がる甘みで、自然に頬が緩む。


(「ダイエットは明日から」ンッン~名言だな、これは)

 

 ひと噛みするたび、重なった甘さの層が凝縮されていく。生地そのものはしっとりとしていてクセが無く、濃いチョコレートの甘さが生地の食感を引き立てている。生クリームは見た目ほど甘くなく、生地とチョコレートの濃縮された甘みにやわらかな調和をもたらしていた。

 

「ふう」

 

 コーヒーを飲んで息をつく。妖精のシュガードールが無くなって残念!と思っていたが、ブラックは正解。口をすっきりさせて再びケーキと向き合う。フォークの先にクリームを乗せ、それだけをただ口に運ぶ。


(あれ…)


 甘い。甘いぞ。チョコレートと一緒に食べたときは濃厚なチョコに惑わされてあまり甘みを感じないが、クリームはクリームで甘い。つまり…。


(表面の生地とクリームを…っと)


 フォークで器用にクリームと生地の表面をすくい口へ。生地そのものの優しい甘みを、クリームがしっかりと支えている。チョコレートがないと生地のふわふわな噛み心地も味わえてより甘さを噛み締められる。

 でも、でもやはりチョコだ!

 開いたケーキの断面にフォークを突き刺し、すくいあげたチョコレートを口の中のクリームと混ぜ合わせる。


(糖分が、女を狂わせる…)


 気がつけばもうケーキの半分近くを食べ終わってしまっている。大淀はフォークを縦に、開いた断面の生地を上から削り取っていく。それを口に。これを溜飲したらコーヒーで一息ついて次は…。


 フォークを口に含んだまま、大淀が固まった。


 丁嵐、古鷹、松崎までもが柔らかな笑みでコチラを見つめている。硬直する大淀を眺め、楽しそうに丁嵐はカップを傾けた。


「お気に召してくれて嬉しいわ」


 ゆっくりと閉じた唇からフォークを抜き取りつつ、皿の上へ。三人の視線から目を背けつつ、赤くなった顔で下を向いた。

 もぐもぐと口だけを動かし、飲み込もうとした瞬間。カチリと下の歯に何かがぶつかった。硬い、金属のような「何か」だ。


 驚いて顔を上げる。舌先で押し出したそれを、口から出して指先でつまみ出した。

 「あら」丁嵐が声を上げる。大淀の手の中にあったのは、シルバーの硬貨。大淀の口の中、つまりケーキの中に入っていたのだ。50円玉ほどのサイズの銀貨の表面には、髪を上げた婦人の横顔が彫られている。


「ラッキーガールが誕生したわね」


 状況が読めず困惑する大淀に、隣の松崎がケーキをつつきながら説明した。


「プディングの中の6ペンス硬貨は幸運のおまじないなのです」


 山盛りのチョコレートをほおばりながら「あれはクリスマスプディングですがね」とつけたす。大淀は手の中のコインをどうしていいのかわからず、丁嵐に視線をよこした。


「幸せは肌身離さず持っておくものよ」


 丁嵐に促され、大淀はその銀貨を胸ポケットの中にしまいこんだ。ポケットの上から手のひらでそれを押さえ込む。その仕草を見届けて、松崎は皿の上に残ったクリームをすくいとって口に運んだ。


「そろそろお暇しましょうか」


 時計を見れば観艦式の開始までもう時間が無い。席を立った松崎を見て、大淀も急いで残りのケーキを胃に放り込んだ。松崎の敬礼に遅れて、もぐもぐと口を動かしながら大淀も敬礼する。答礼した丁嵐と古鷹は部屋の扉に手をかけて、流れるような動作で二人を見送った。


「この後は?」


「少し観艦式を見ていきます。航空戦艦も見ていきたいですし、後は例のポップコーンも」


「目ざといわね…」


 視線を合わせてニヤリと笑い合う。横須賀のポップコーンは今や提督たちの間ですらその存在を知らぬ者はいないようであった。


「どうも、ご馳走様でした」


 扉の反対側で大淀が頭を下げる。


「大淀ちゃんも、またいらっしゃい。今度は妖精達の砂糖工場を案内するわ」


「はい、是非」


 扉が閉まった後も、大淀はしばらく部屋の外で頭を下げたままだった。


 こうして、熾烈なる派閥間争いはその第一幕を閉じた。








「不公平です」


「どうしました?」


 司令室から戻る途中、階段を下りながら大淀は丁嵐達から別れて初めて言葉を発した。ふくらんだ両の頬は、実に可愛らしく彼女の感情を表している。


「古鷹さんの提督はあんなにカッコ良くて、芸術の素養もあってオシャレで背も高くて料理もお上手で細マッチョなのに、なんで私はこんな「妖怪の親玉」みたいな人の下で働かなきゃいけないんですか」


 大股で階段を下りる大淀に、後ろを歩く松崎は困ったように頬を引っかいた。


「大淀さん、盗聴器があるとはいえそんな練りに練った嫌味を言われても私は困ります」


「だいたい提督には呉の代表という自覚が足りていません!ああいう場ではもっと…」


 階段を降りきった所で大淀の足が止まる。くるりと振り返り、松崎を見上げる。松崎はそれを気に止めることなく、階段を降りて大淀の隣にならんだ。


「盗聴器?」


「気づいていなかったんですか、腑抜けていますねえ」


 やれやれと大淀の胸元を指差す。指の下にはあの6ペンス硬貨の固い感触が触れていた。それを取り出して手のひらに。硬貨の表面には女王か皇帝かと思われる女性の横顔が掘られている。

 いや…。


「これ、丁嵐少将ですか…」


 その横顔にはどこか見覚えがある。それもそのはず、たった今まで共にお茶をしていたのだ。


「あの人も大概趣味が良いですからねぇ、意趣返しのつもりなんでしょう」


「この会話も聞かれている?」


「今更腹の探り合いもないと思いますがね」


 松崎は大淀の手のひらからコインを摘み上げると、それをぽいと口の中に放り込んだ。奥歯の間にそれを挟み、顔を歪ませるほど強く力をこめる。バキバキと金属の表面が破ける音と、プラスチックを引きちぎるくぐもった音が響く。ぺろりと松崎が舌を出す。舌の上に乗っていたのは、細かな導線の束と小さな配電盤の部品を除かせる元硬貨であった。


「では我々は観艦式の観光をして、ゆっくりと呉に帰るとしましょう。お疲れ様です、「丁嵐少将殿」」


 ゴミクズになった硬貨をつまみ上げ、トドメとばかりにそれを側にあった花瓶の中に投げ込む。水がはねる音を最後に、廊下はしんと静まり返った。


「もう話して大丈夫ですよ」


 まだ会話を聞かれているのではないかという大淀の不安を無視して、松崎がそう切り出した。靴の音を響かせながら、大淀はそれでも小さな声で話しはじめた。


「意趣返しという事は、こちらが仕掛けた盗聴器が気づかれてるんですか?」


「まあ十中八九。自分から瓦谷の事を切り出したのは、大方録音を意識しての事じゃないですか」


 古鷹にケーキを取らせに行った瞬間のあの喋り、あれは古鷹にボロを出させないためだったのだろうか。


「それで気が付いたんですね」


「それだけではありません」と松崎は自分の耳たぶを指先でつまんだ。


「丁嵐少将はピアスをしていなかったでしょう?」


「…はい?」


 急な話の方向転換に眉をひそめる。ピアスはして…いなかっただろうか?正直そこまで深く観察してはいなかった。しかしそれが盗聴器と何の関係があるのか。


「丁嵐少将は今日ピアスをしていませんでした。でもピアスの「穴」は開いていました。丁嵐少将のようなお人が、耳に開いた穴をそのままにしているなんて不思議だと思いませんか?」


 どうだろうか。そこまで異常な行為ではないだろうが、ただ確かにあそこまで徹底的にオシャレをする人なら観艦式程度ならピアスをつけたまま、もしくは外すのであれば穴を隠すくらいの事はするかもしれない。そのどちらもされていない、という事は…。


「ピアスをつけていたけど、何かの事情で一時的に外していた?それがヘッドフォンのようなものをつけていた跡だと?」


「それも我々が到着する直前まで」


 ピアスを付け直す暇すらなかったと考えればそういう事になる。直前まで機器のチェックやら何やらでヘッドフォンをつけていたのか、もしくは我々が部屋から出た瞬間に音を拾えるように事前にピアスを外していたのか。


「盗聴器を仕掛けた人物(スパイ)には気付くでしょうか」


 事前に舞鶴を通して忍ばせた呉の潜水艦達。彼女達は松崎直属の隠密特殊部隊である。今もこの観艦式にまぎれて丁嵐を監視しているはずだ。


「気づかれているでしょうねぇ。大淀さんが未熟だから」


 突然の指摘に、苦虫を噛み潰したように眉を歪める。松崎は気にした様子も無く続けた。


「今日、潜水艦という言葉を使うのを避けたでしょう?」


「うぎゆ…」


 逃げ場の無い追求に、大淀は指先でこめかみを押さえた。うまく話をそらしたと思っていたが、いい気になっていたのは自分だけだったようだ。


「大方スパイは潜水艦か駆逐艦かのどちらかに絞っていたんでしょうねぇ。それで彼が潜水艦と切り出したのに、あなたが駆逐艦と返せばおおよそ目処は立ってしまうでしょう」


「申し訳ございません」


 棟の出口が見えてくる。

 大きなガラス戸の外に、楽しそうに走り回る艦娘たちの姿が見えた。


「潜水艦は撤退させるべきですね」


 玄関を降りながらなんとはなしに語る松崎に、大淀は驚いて食い下がった。


「危険すぎますっ!護衛なしでここにいるつもりですか!?」


 ここまでの流れで丁嵐が二人を警戒しているのは目に見えている。潜水艦という搦め手がいたからこそ、二人は敵陣のど真ん中で最低限の安全を確保されていたのだ。それが今ここで潜水艦を撤退させるという事は四面楚歌の状況に自ら身を投じていく事に他ならない。


「危険は承知ですが仕方がありません。潜水艦面子がこの鎮守府にいるという事自体がもうリスクしか孕んでいないという事です。どんな形にしろ今潜水艦達と私の関係を裏付けられるのが一番厄介です。彼女達は軟な拷問で吐くような鍛え方はしていないですからね。開き直って殺される方が面倒です」


 そう言いつつも、その声色には焦りの色は感じられない。ただ着々と次の手、次の次の手を講じるだけだ。

 この会談で丁嵐から得られた情報は少ない。コチラがまいた種は悉くむしりとられ、奴は慎重に尻尾を隠している。潜水艦に仕掛けさせた盗聴器が、むしろ仇になってしまった。

 松崎は思考する。今日の30分ほどの会談。丁嵐との会話。奴が行った細工。


「細工…」



〝「そうね……ろく、でもないものね、何処もかしこも」〟



 一つだけ芽吹いた種が、松崎に次の指示を走らせた。


「ろく、録画…、いや、そうです録音。瓦谷逮捕の際に証拠になった録音声を再度調べ直してください。潜水艦にはすぐさまその作業に取り掛かるようにと」


「了解、しました」


 大淀が早足で駆けていく。松崎はその後でゆっくりと日差しの下を歩いた。


 その姿を、丁嵐は部屋の中から眺めていた。

 足元には踏み砕かれた4つの盗聴器とヘッドフォン。そのひとつを拾い上げて古鷹は自分に向けられた背中に声をかけた。


「潜水艦を追いますか?」


「もう遅いわ。何より松崎の動向が得られなくなった以上、あいつを野放しにしておく方がよほど危険よ」


「では、二人の監視に移行します」


 優秀な秘書艦は濃く色づく影の闇の中に、溶けるように消えた。

 一人部屋の中、丁嵐は外の喧騒を眺めている。


 ふと、表の松崎が司令室を見上げているのに気がついた。

 お互い目が合い、小さく手を振る。



〝「では我々は観艦式の観光をして、ゆっくりと呉に帰るとしましょう」〟



 盗聴器から最後に聞こえた言葉。


 ((ずいぶんと…))


 二人の笑みが、いっそう深く、大きく歪む。


(ずいぶんと下手な嘘をつくじゃない。城君)


(ずいぶんと嘘がお上手なんですねぇ。誠さん)




 時刻は朝の九時。これから長い長い観艦式が始まる。

 暑い日差しの下での少女達の歓声と熱狂、出店の活気、騒がしくも力強い喧騒。誰もが待ち望んだお祭りの日。その中でひっそりと、冷たく、誰かが死ぬのだろうなと、ぼんやりとそんな事を思った。






【外伝弐】因果収束


「こんな所で…諦められるかよ…!」


 重巡洋艦「加古」は額の汗をぬぐいながら、大きく息を吐いた。拭った手のひらは煤で黒く汚れている。迫り来る熱気と焦燥の中、ただひたすら苦しみに耐えていた。立ち込める煙と息苦しさに、むなしくも目頭が濡れる。


「加古、立てるか?」


 寄ってきた日向が崩れ落ちた加古の腕を取る。膝がガクガクと震えていたが、太ももを叩いて無理やりにでも喝を入れ直した。


「へばってなんかられねぇよ。あたしは、雷雲戦隊の副艦「加古様」だぜ…」


 日向の肩をつかんで体を起こす。それと同時に自分の後ろの缶が甲高い悲鳴を上げた。日向の表情が曇る、加古は急いで缶を覗き込んだ。湧き上がる煙に手でとっさに顔をかばう。こんな時に限って缶の不調が続いていた。状況には一刻の猶予もない。


「初霜、コイツはあたしに任せろ。お前は表に出てくれ」


 弱々しく頷いて走って行く初霜を見送り、加古は故障した缶と対峙する。予定の補給隊がかなり遅れていた。あちらの状況も大方把握しているつもりだ。苦しいのはどこも同じだ。


「旦那、瑞雲からの情報は?」


 日向は加古に背を向けたまま小さく首を振る、


「すまん、二人を見失った。ただ、反応自体は依然動かないままだ」


 くそっ!


 初霜が表と合流すれば少しは時間稼ぎになるはずだ。しかし、こちらから動きださなければ結局はじり貧である。こちらに次弾が無いと知れれば奴らは容赦無く雪崩れ込んでくるだろう。そうなる前に、内側だけで決着(ケリ)をつけなければ…。


「姉御っ!」


「加古さんっ!」


 驚いて顔を上げる。遠くから走ってくるのは神通と江風、補給隊の二人。間に合ったのか…。


「遅くなりました!」


 二人がどかんとドラム缶を下す。素早く中を確認して、加古は安堵のため息をついた。


「どこから持ってきた?」


 神通と江風は顔を見合わせて、小さく舌を出す。


「お隣さんの補給から」


「バカ野郎!最高だぜお前ら!」


 ドラム缶の一つは日向が抱える。その背中は、大群が待つ最前線へ。加古は奥歯を噛み締めた。雷雲戦隊はまだ終わらねぇ、ここから快進撃だ!


「はいよー!バターとキャラメル販売再開!押すな押すな押すな!アツアツできたて!ポップコーンは逃げないよ!」


「初霜、表の商品全部さばいていいぞ。できたて直ぐ準備できるから、10分で新品と入れ替えられるように列調整しとけ」


「神通はキャラメルの様子見てくれ、固くなってくるようなら一度火を入れ直す。タネも足していい」


「江の字は売り歩き始めるぞ!準備しとけ」


「おう!」


「さて…と」


 てきぱきと指示を出し、加古は再度ポップコーンの缶と向かい合う。

 現時刻一一○○。観艦式が始まったのは朝10時からだが、皆9時近くから騒ぎ始めるので、実質もう開店から2時間が経過した事になる。


 売り上げは上々。

 オードソックスなバターを先頭に、甘味のキャラメルも延びがいい。そして加古の目の前にあるコイツ。加古はこつんと缶の端を指の背で叩いた。

 コイツの中身は今日の新作チーズ味。ポップコーンのタネと一緒にチーズを溶かして、表面をコーティング。あつあつとろーり、食欲をそそる香りで集客万歳!の予定だったのだが…。


「すげーコゲるぞ、コレ。どうなってんだ」


 缶の底には真っ黒に変色したチーズがカチカチにこびりついている。

 どうなってやがる。初霜が作ってた時と火力は変わってねぇ。使ってる缶も同じ、環境も同じ、材料も同じ…。頭を抱える。焦りと、むせ返るポップコーンの香りで頭がおかしくなりそうだ。


「日向様っ!一度に作る量が多すぎますっ!」


 自分の隣で初霜が声が上がった。今日向が対応しているのは、一番人気のバターである。


「し、しかし、タネの量は予定通りだぞ」


 料理に不慣れな日向は、とりあえず量!という事で一番サイクルの速いバターを延々と作り続けている。分量は全て初霜持参の可愛らしいメモ用紙に綿密に書き綴られているはずだ。

 この二時間延々とバターを作り続けていた旦那が、このタイミングで分量を間違えるなんて事があるだろうか?これは…。


「旦那悪りぃ、ちょっと味見!」


 日向の缶から熱々のポップコーンを拝借し口へ。

 熱っつ、じゃなくて…。

 ゆっくりと噛み締め、味を確かめる。


(やっぱりだ…)


 歯の裏についたバターをなめまわしながら頷いた。

 わずかな違いだが、あたしの舌は騙せねぇぞ。塩辛いぜ、予定より。そして謎の分量の増量。


「旦那、全部の分量を1割ずつ減らして作ってくれ。味が落ちてるぜ、人気NO.1がこれじゃダメだ」


「お、おう」


 旦那が確認しているメモを取り上げて、カウンター裏で素早くそれを書き直す。その際にちらと集客のリストを覗き見た。


(売り上げは時間がたつごとに増えるばかりだ。対応は早いに越したことはねぇ)


「初霜」


 名取と共に表で客をさばいている初霜を呼び寄せる。

 販売に関しては艦隊の皆が兼用しているのがこのポップコーンテントだが、商品の味に関しては初霜が頷いた物しか客には出さないというのが絶対のルールになっていた。


「この炎天下で予定の分量に微妙にズレが出はじめてる。バターは早く溶けちまって塩辛いし、チーズはバターが溶けるのが早いせいでコゲ付いちまう。キャラメルも固まりが悪いかもしれねぇ」


 初霜は目を丸くする。

 商品に関しては事前に鎮守府の施設を借りて念入りなチェックを行っていた。しかし、テントでの販売という当日の状況、そしてこの記録的猛暑がその計算を狂わせた。

 

 加古が指でつかんだポップコーンを初霜の口の中に押し込む。ごくりと喉が動いて、まるで毒でも飲まされたかの様に、その表情がみるみる青ざめた。


「この短時間でこんなに味が変わってしまうなんて。バター補給隊が決死の覚悟で死中に喝を見出してくれたのに。なんて愚か、なんて未熟…」


 がくりと膝をつき、うなだれる。


「駆逐艦如きが給糧艦の真似事をしようとする事が、傲慢なる知恵の林檎だったというのですか…」


 わなわなと両手を震わせ、自らを抱きしめる。小さなその体が、いっそう小さく縮こまって見えた。


「立ちやがれ!初霜!」


 力なくうなだれる初霜を無理矢理立ち上がらせ、ばちんとその頬を叩く。初霜に現実を突き付けてなお、加古の目はまだ死んでいたなかった。


「しおれてんじゃねぇっ!お前が挫けたら全員おしまいなんだぞ!今すぐ全部味見して回れ、チーズはあたしが仕上げるから」


「し、仕上げるって…」


 初霜の瞳に光が蘇る、視線の先の横顔はただまっすぐに、純粋にポップコーンと向き合っていた。


「なめんなよ」


 風が、吹いた。


「あたしは、雷雲戦隊副艦「加古」様だぜ…!」






「姉御、気合い入ってンなー」


「まあ日向さんにああ言われちゃ仕方ないよね…」


 素早く客をさばきながら、江風が漏らす。それに、並び立つ名取も同調した。それは、今から約2時間前の事――――



―以下回想―


「初霜のポップコーンを手伝えだぁ!?」


 灼熱の兆しを見せる日光の下で、加古は大声を張り上げた。

 朝の演習場。普段練習用艦載機が騒がしいこのグラウンドは、今日はテントの鉄骨や資材で足の踏み場もないほど埋め尽くされている。こうしている間にも、イスや長テーブルを持ち込んだ艦娘達が、ぞくぞくと集合してきていた。


 そのど真ん中に雷雲戦隊が集まって座り込んでいる。


「初霜のポップコーンテントの手伝いをしてほしい」


 開口一番日向の頼みに、一番に異を唱えたのは加古であった。


「そもそもあたしらは今日、公開演習に出場するんだろうが。出店なんかに構ってる場合か!?」


「構ってる場合なんだよ。このポップコーンが成功しなければ、そもそも我々は演習に出る事すら出来ないんだからな」


「あんだと?!」


 日向の言葉に加古のみならず、他のメンバーも首をひねる。初霜はそんな中、黙々とテントの組み立てにを続けていた。


「金が無いんだ」


「金だぁ?出場費かなんかか?」


 日向は首を振る。


「いや、弾薬費だ」


 驚愕。いや、唖然と言った方が正しいか。


「あれって自腹だったのか…。魚雷一本3千万とか?」


「いや、魚雷一本2万4千円。酸素魚雷は4万円だ」


「お手頃」


「という訳で稼がにゃならん」


 日向が立ち上がる。何が「という訳で」なのか誰も気付かないうちに、困惑する加古の両肩をつかんで揺さぶった。


「頼むぞ加古、私は料理が不得手だからな。初霜についていけるのはお前しかいない。雷雲戦隊副艦「加古」!職務を果たせ!やり遂げて見せろ!」


「だ、旦那…(グッ)」


―以上回想おわり―



「いや、アタシには何が(グッ…)、なのかもわかンないからね」


「えっちゃんは、めんどくさいの、嫌いだもんね」


 小さく口元を抑える名取に対し、江風は気にいらなそうに目を潜めた。


「お前「えっちゃん」ってな…」


「だって、【江】(え)、でしょう?」


 きょとんとして江風を見つめる。


「そりゃそうだが、なンだかなぁ…」


「おらー、くっちゃべってないで働け―!」


 副艦殿の怒鳴り声は、ぐらついたテントの屋根に反響して喧騒の中に溶けていった。






「行きましょう。一一三○からチーズ開始します!」


「いよぉっし!」


 加古が勢いよく握りこぶしを振り上げた。その目の前の缶からは香ばしいチーズの匂いが立ち上っている。初霜はポップコーンを口に含むと、咀嚼してもう一度大きく頷いた。


「江風さん、外回りの売り子をお願いします。チーズで行きます。加古さんにしっかり作り方を教わってください」


 …あん?あたしの聞き違いか?今チーズって言わなかったか。外売りは店の看板、本来なら一番人気のバターを推すはずだ。


 目を白黒させる加古の肩に、初霜の小さな手が置かれる。自分を見上げるその小さな瞳は、先ほどとはうって変わって熱意に燃えていた。


「おいしいですチーズ。これで行きましょう!」


「お、おうよっ!」


 つられて加古も力が入る。

 初霜は加古の胸にどんと握り拳をぶつけると、満面の笑顔を残して表のカウンターにかけて行った。テントの内側に表の喧騒が入り込んでくる。


「みなさーん!おまたせしました!当テント一押しのチーズ味の販売を開始いたします!暑い時こそ、ポップコーンと冷たいビール!とろーり新味、ぜひご賞味ください!」


「おいおいおい…」


 気恥ずかしくて頬を掻く。しかし、そこまで期待されちゃあしょうがねぇ。


「やってやるぜ!この雷雲戦隊副艦「加古」様がな!」


(気に入ったんだな…)

(気に入ったんですね…)

(気に入ったンだろうなぁ…)

(気に入ったのかな…?)

(気に入ったのね…)






 暑い日差しの下で飛び回る六人の艦娘達。

 その中において、最も身をすり減らして駆けまわっていた初霜が真っ先に「それ」に気がついた。

 朝から途切れる事の無かった行列にまばらに空間ができ始めている。テントの隙間から海岸を確認し、腕時計に視線を落とす。駆け足でカウンターへ戻ったところで、並んでいた先頭の客から声をかけられた。


「初霜ちゃん、もうすぐ誠ちゃんの演説始まるよ」


「えっ!」


 とっさに息を飲む。

 これから公開演習が始まる。しかしその前に、横須賀の提督である丁嵐誠一から艦娘達に激励の言葉があるのだ。長話が嫌いな男だ、実際の演説は10分にも満たない短いものであるが、早くも号令台の周りに人が集まっている所を見る限り、かなり多くの艦娘がこの瞬間の為に時間を割いているのがわかる。


「え…と、あ、あの…!」


 観艦式が始まってから常に気丈にふるまっていた初霜の表情が焦りに陰る。あまりにも必死なその姿に、日向は少し面白そうに口元を歪めた。


「行ってきな初霜。店は任せとけ。どうせ誠の演説中は客は少ないんだ」


「す、すいません。ちょっと外します。那珂ちゃん待って―!」


 日向の言葉を聞き終わるよりも前に、エプロンを躍らせてテントを飛び出していく。せり出したカウンターから小さく身を乗り出すと、ちょうど丁嵐が建物から出てきた所だった。人山が黄色い歓声に揺れる。


「せーっの、せいちゃーーーーーーん!」


 日差しの下に出てきた丁嵐は、直射日光を気にしながらも汗に濡れた手で長袖をまくっている。似合わないサングラスを外すと、人山の一角に向けて噛み付くかのごとく牙を剥き出した。


「提督とお呼びなさい!こんガキどもっ!」


「きゃーーーーーー!せいちゃんカワイイ!」


 いっそうざわめきが広がる。丁嵐の一挙一動に几帳面なほどに身をよじらせるその光景に、江風は出店のアイスを咥えながら冷めた視線を向けていた。


「なンでああミーハーかね」


 あそこで騒いでいるのは「丁嵐倶楽部」のメンバーだ。通称「誠ちゃんクラブ」と呼ばれるファンクラブの中に、ちゃっかり初霜も籍を置いている。本人曰く「誠さんは尊敬できる方です」との事。丁嵐本人は迷惑がっているようだが、あの甘面と口がうまい性分が幸いして、鎮守府内外問わず人気があるのだ。

 まあ、そんな奴らは大抵が本人と深い関わりの無い浅い間柄だというのは言うまでもないが。



 すっかり人がハケたテントの下で、江風と名取は手持無沙汰になって座り込んでいた。激しい日の光をテントの陰でしのいで、江風が外回りの途中でもらってきた「白露印ソーダアイス」を美味そうにほおばった。

 本日、公開演習に出場する江風と夕立を除く白露型は、皆水着姿でアイスを配り歩いている。その中でも特別姉妹に甘い時雨からアイスをちょろまかしてくるなんて、江風にとっては朝飯前である。


 つまらなそうに丁嵐の演説を聞いている江風の横で、名取は目を輝かせて騒ぐ群衆を眺めている。手に持ったアイスが熱にさらされ、足元に小さな水たまりを作っていた。


「名取はそンなにお祭り好きかよ?」


 声をかけられても、名取の視線は動かない。まばゆい光を携えて、盛り上がる少女達や汗を流すお祭りの列を眺めていた。


「なんだか、新鮮、です。皆で一緒になって、汗かいて笑って盛り上げて。「自分達で作ってる」って、感じ。今までお祭りって、い、五十鈴ちゃんの後ろにくっついて歩くだけのイベント、だったから…」


 姉に手を引かれ、揺れるツインテールを眺めいていた自分を思い出す。

 輝いていた瞳の中に、スッと影がちらついた。瞳の奥に映るのが苛立ちか葛藤かはわからないが、江風には何となくその気持ちがわかるような気がしていた。


「なンか、似てるな。アタシ達」


 名取が目を丸くする。江風もまた、視界の端でいつもその影を追っていた。絶対に届かない、一人ぼっちの背中を。


「姉貴うぜぇだろ」


「ええええええええ!?ウザくないよ!五十鈴ちゃん大好きだよ!」


 否定しながらも、名取は小さく目を伏せる。「姉」を「五十鈴」だと言った覚えはないが、そこに刃を突き立てるほど江風も空気が読めないわけではなかった。


「ただ…。ちょっと、寂しい時があるだけ…」


 そう呟いて、手の中のアイスをくるくると回した。


「届かない手、伝わらない気持ち。それが全てでは無いと心では分かっていても、悔んだり、追いかけたりするのはやめられない物ですね」


 エプロンに手をかけながら、神通が名取の横に腰を下ろす。江風からアイスを受け取ると、その包みを破りながら小さな声で語り始めた。


「私も姉うぜぇですよ」


 二人の視線が、小さく舌を出す神通の横顔に注がれる。


「川内(姉さん)は、いつもいつも私を困らせて。普段は空気を読んで気ばかり回す癖に、最も側にいてほしい時には振り返りもしない…。「うぜぇ」です」


 普段のおしとやかな性格からは想像できない姉妹に対する愚痴は、きっと誰も耳にした事の無い彼女の本音だ。それが聞けた事が名取にはちょっとうれしかった。


「寄り集まって、何の話だい?」


 江風の手の中のアイスを奪い取り、今度は加古が口をはさむ。

 江風と名取の間に身を割り込ませると、歯の間にアイスの包みを咥えて袋を縦に裂いた。


「自分の姉の事です。加古さんはどうですか?」


「あ、バカっ…!」


 江風のとっさの制止は、加古の鋭い視線により抑え込まれる。加古はゆっくり時間をかけてアイスを取り出すと、薄水色の光が日光を反射してキラキラと輝いた。


「自分の姉ねぇ、古鷹の事は…【知らない】んだな、これが」


「知らない…?」


 全員呆然とその言葉を反芻した。

 江風一人が「参った」とばかりに頭を抱えている。


「喋った事も無いのさ、一度もね…」


 軽い雰囲気で話す声の調子とは裏腹に、加古の表情はすぐれない。瞳の色は良く言えば落ち着いていて、悪く言えば無感情であった。虚ろで暗く、深く濁っている。


(かーっ!これだからトーシローは!姉御に古鷹の話はタブーだってんのに…)


「側にいた時間が少なかったわけじゃない。たしかにすぐに秘書艦の職務に就いちまったけど、話す時間ぐらい十分あった」


 血縁とは違う「姉妹」。

 それはわかっている。それは、わかっている。


「私はね、古鷹に名前を呼んでもらった事すらないんだ」



「どういたしました?」


 重く目を伏せる一同に初霜が声をかける。いつものエプロンはいつの間にかピンク色のはっぴへと変わっており、両手には丁嵐の顔がプリントされたうちわを握りしめている。


「はい、話は終わりだ。仕事、仕事」


 そそくさと立ち上がる加古の背中を振り返る事ができる者はいない。事情の呑み込めない初霜だけが、はてと首をかしげていた。

 江風の射る様な視線は神通へ、神通は一瞬目をそらすがすぐに観念したように目を閉じた。


「無配慮でした。精進します」


 名取へ視線を移すと、彼女も似たように萎縮していた。

「姉妹」という言葉は艦娘達にとって特別な意味合いを持つ。血を分けた肉親、そして姉妹艦。その他、戦場において杯を交わした戦友の事を姉妹と表現する場合もある。

そこに秘められた思いは全てが微笑ましい姉妹愛に彩られているとは叶わない。


「さ、じゃあアタシは外回りに戻るわ。ポップコーンを補充して、ぼちぼち公開演習の席を回ろうかね」


 アイスの棒を投げ捨てた江風に「待って」と声がかかる。引きつった声を上げた初霜の後ろで、先に事態を飲み込んでいた加古がこめかみを抑えていた。


「旦那がいねぇ…」


「まさか…、逃げた!?」




 日向は逃げた訳ではなく、正確には走っていた。人ごみをかき分け、携帯電話に耳を押し当てる。

 艦娘に支給されている携帯電話に着信があったのは、丁嵐の演説が始まった直後の事だった。日向は盤面の番号を確認するなり、店をほっぽり出して風を切っていた。


「人が多すぎて判断できんのだ!どこまで来ている!?あー?よく聞こえん!?」


 生憎丁嵐の演説があったので、道を埋め尽くす人の波はかなりまばらだ。かといって日向の巨体でその隙間を縫うのはたやすい事ではない。

日向は演習場を北に抜けて鎮守府の外を目指す。演習場の周りは観艦式の客達でごった返しているが、海から反対側は作業中の工員達が出入りの制限をしているはずだ。まずはそちらへ向かい、合流場所を確認しなくては。


「お前今どこにいる!?正面口か?もう鎮守府に入ったのか?」


『へいへい、今門で止められてまーす。へるぷみー』


 工廠のシャッターの前でぐるりとあたりを見回す。高い壁が設けられた外周の外に一際大きな影が見える。鉄柵の門の間から、大型トラックの運転席に三つ編みの少女の輪郭が揺らめいた。


「きーたーかーみー」


「だーんーなー」


 携帯電話と正面とステレオで声が響く。日向は電話を袖の中へ押し込むと、大股でゲートともめているトラックへ駆け寄った。


「ご苦労様です」


 ゲートに声をかけると、帽子を深くかぶった青年は驚いたように日向に敬礼した。


「お、お疲れ様です。今、身元不明のトラックを検問中です」


「わかりました。私が変わります」


 答礼しゲートを下がらせる。

正確な階級制度で定められている訳では無いのだが、軍人で階級を持つもの以外の工員は、艦娘に比べて立場が弱い、というのがここの暗黙のルールであった。


 トラックの窓から生意気そうな三つ編みが手を振っている。日向はあえて固い口調で問いかけた。


「おい、身元不明の呉鎮守府所属「北上」。お前、外出許可証は持ってないのか?」


「松崎提督(まっちゃん)に見つかったら殺されるよ。こちとら作戦サボって来てんだよ、まったく」


 軽巡洋艦「北上」は目的の相手に出会えて安心したのか、にへらと口元をゆるめて笑った。提督に無断の外出など艦娘としては重大な規則違反だが、これだけの大型トラックで出てきた所を見ると彼女の他にもかなりの協力者がいるとみていいだろう。


「間に合ったんだな」


 日向の表情が引き締まる。対する北上はいやはやと頭を掻いた。


「参るよまったく。空輸できないっていうから、海路と陸路ですっ飛ばしてきたんだから」


 言いながら親指をトラックの荷台に向けた。運転席から荷台を覗けるように、シートの後ろには小さな窓がはめ込まれている。そのプラスチックの板が内側からがたんと揺れた。


「同乗者がいるのか?」


「鍛冶師様がさ、直接旦那に会いたいってさ。サボって来たのよ、二人でね」


 コンコンと窓を叩くと、同じく内側から合図がある。

 それからしばらくして、ガゴンとトラックの荷台が開いた。鉄の扉が鳴く声に遅れて、砂を踏む小さな足音が響く。

 同乗者はトラックの裏側から回り込むと、運転席の脇から日向の正面に躍り出た。


茶がかったセミロングが小さく跳ねる。ベージュのセーラー服を揺らしながら、日向の目の前で靴のかかとを直した。足をそろえて綺麗に敬礼する。


「呉鎮守府所属球磨型「大井」参上しました。ご無沙汰してます、日向さん」


 麗しき北上の「相棒」は、敬礼を崩さぬまま花のように笑った。






 横須賀鎮守府は海に接した巨大な壁の中にその居を構えている。南側と西側は、海とをつなぐ桟橋と連合艦隊用の巨大なドックが壁の中に埋め込まれた構造になっている。陸とつながる北と東には一つづつ入門ゲートがあり、外部からの侵入は厳しい検問を潜り抜ける必要がある。工員や軍人のチェックはもちろん、艦娘の出入りなどは特別厳しい規則がある。

 観艦式である今日は人の出入りが激増する為、各門には通常の3倍近い人数が配置された。壁の内側の騒ぎとは裏腹に、しんと静まり返った独特の緊張がゲートの周辺一帯を支配していた。


 そんな厳重体制のど真ん中に、不審な巨大トラックで乗り付けたのは呉鎮守府所属「北上」と「大井」。圧倒的雷撃火力で名をはせる通称「ハイパーズ」の二人には、水雷屋との二足草鞋であるもう一つの顔があった。


 日向と対峙する大井は一瞬で表情を引き締め、固い地面の上に片膝をついた。


「大隊演習旗艦殿。「神前」における闘艦の場においてこの大井にお声掛け頂いた事、誠光栄の極みにございます」


 すり足の下で砂をこする音が響く。古風に頭を下げるその仕草を、日向は感嘆とした様子で、運転席の北上は辟易とした様子で見降ろしていた。


「此度、お持ちしたのは、『大呉棲斬大井』「魂心」の大業物にございます」


 砂埃を上げて立ち上がると、トラックの荷台に回り込む。「智ちゃん」と声をかけて、北上も運転席から砂の上に降り立った。二人で持ち上げてきたのは、長い辺が一間を超える巨大な木箱であった。

 艦娘二人がかりでなんとか持ち上がるその巨大な箱。外側の木枠すらも、ただの雑木で無い事は想像に容易かった。


 日向の目の前まで持ってきた「それ」を慎重に土の上に立てる。ふたの部分には巨大な半紙が貼られており、『海軍式特二大艦刀』とだけ墨で綴られていた。


「ほい、これが大井っちが仕立てた旦那の刀」


 ぽんと直立した木箱を叩く。その衝撃で大きく傾いた箱を見て、大井は目を見開いた。

 

「き、北上さんっ!」


 ぐらりと巨大な柱が重心を失う。

 大井がとっさに手を添えるが、その重量を載せた風圧はたやすく差し出された手をはじく。北上が青い顔をして耳の横の三つ編みを握りしめ、大井は赤くなった指を引く、スローになった視界の端で、日向は実に自然に木箱に手を添えていた。

 太い指が倒れ込む木枠の外側に食い込む。ミシミシと木目が歪む瞬間までもが見えているようだった。


(瑞雲…)


 頭上からは低く、風を切る音がする。遠くの蝉の声、パキっと鳴る木箱の悲鳴。手の中で崩れていく箱。握りしめる固い感触。その重み。


 おおおおおおおおん、みんみんみーんみーん、ぱきりぱきばきり、ぐん、どうし、ふぅー、おおおおお、やべ、きたかみ…


「北上さんっ!あれほど刀剣は丁寧に扱ってくださいと言ったはずでしょう!?良子ちゃんの馬鹿!深滅兵装レベルの特大刀は自重で建物を破壊したり、人にぶつかって怪我させたりするんですから、細心の注意を払ってください!」


 大井の怒鳴り声を聞いて、急に現実に引き戻された。手の中がぐんと重くなり、思わず膝をつく。北上と大井が言い合いをやめて、同時に日向へ振り返った。


「旦那、無事?」


「怪我はないですか」


 膝を立てて、手の中で重心を支え直す。刀を杖の様に立てて立ち上がると、鞘の先端が少し砂の中に沈んだ。


「眩暈がしただけだ。それより刀が無事でよかった」


 朱に輝く鞘を握り直して呟く。入っていた箱は、無残なまでに粉々に砕け散っていた。こびりついた木片を指で取り除き、改めて鍔に指をかける。かちゃりと切羽の金具が小さく鳴いた。


「前のものよりさらに重いでしょう。空輸は無理だと思ったんです。機体のバランスがとれませんから」


 手の中の重みはふむ、確かに依然振るっていた物より負担がかかるように感じる。抜刀する際は遠心力と重心が腰にかかっている為に大きな違いは無いと思うが、いざこれを振るうとなると一筋縄ではいかなそうだ。

 鞘を滑らせ、わずかに刃文を日の下へ晒す。日光を反射した刀身は、七色を放つガラス細工の如く繊細で美しかった。


「元重ねは1.5センチほどありますが、先重ねは3ミリまで抑えてます。か弱く見えますが、刃で『殴り合ってる』間は刀身が折れるという事は無いでしょう。その分重さが犠牲になっていますが、そこはご自慢の抜刀術でカバーしてください」


「相変わらずいい腕だ」


「二度と海に落とすような粗相の無い様に」


「肝に銘じておくよ」


 肩をすくめる。

 演習で榛名の電探をそぎ落とした刀。あれも大井の手によって打たれた日本刀だ。かつて初霜の紹介により彼女に出会ってから、大井はほぼ専属のような形で、本業では無い鉄を叩き続けてくれているのだ。


「君も良い鎚の音を響かせるようになった。武蔵国の名工を集めても君には劣る。その技も、業も、術(わざ)も、後は次の引き継ぎ手を待つのみという訳だ」


「御冗談を。私もいまだ修行中の身。艦娘としてこれからも精進を続けていかなければなりません。形式上弟子を取ってはいますが、彼女から教わる事もまだまだ多い毎日です」


 呉鎮守府では、正式な師弟制を艦娘達のルールとして取り入れている。艦種も年齢も関係なく、新人がベテランに師事して戦い方や艦娘としての生き方を学ぶのだ。大井と北上にももちろん師匠がおり、彼女達に連なる次の弟子がいるという訳だ。


「『泣き虫アブゥ』が大井っちの指導についてけるとは思えないけどね」


 北上がケタケタと笑う。肩を並べる大井は、ちょっと恥ずかしそうに小さく口元に手を添えた。


「北上はどうなんだ?お前も呉ではもう弟子をとってもいい時分だろう?」


 日向の問いかけに、北上は露骨に眉をひそめた。


「はっ、あたしは弟子なんてまっぴらごめん。ウザいし、うるさいし、一生涯弟子は取らないってお天道様に誓ってんの」


 唾を吐き捨て、毒づく。日向は刀の下緒を帯に括り付けると、鍔の位置を整えながら呟いた。


「それは惜しいな、君なら良い指導者になれると思うのだが…」


「ざっけ!そもそもあたし達がいれば戦争は終わる。もうね、確信があるわけ」


 北上は大声を上げながら、並び立つ大井の肩を抱く。ぐいと茶色いセミロングを抱き寄せ、ニヤリと笑った。


「あたしと大井っちが組めば絶対負けない。絶対に沈まないし、どちらかが欠けるなんて事もありえない。で、深海棲艦(あいつら)は全部倒す!」


 自信満々に拳を握りしめる北上に、大井は少し驚いたのかされるがままで目を丸くしていた。しかし、北上の言葉を反芻するかのように目を瞑ると、瞳の奥に絶えぬ輝きを携えて口をそろえた。


「そうですね。『ハイパーズ』は最強ですから」







「それから、これを初霜先生に」


 別れ際に大井が小ぶりな脇差を取り出して日向に握らせた。白樺の柄と鞘、シンプルで美しい造形の中においてナイフで削ったかのような荒々しい「初霜」の堀文字がやけに目立っていた。


「これも君が?」


 大井は首を振る。


「いいえ、これは伊勢さんからの頼まれ物です」


 ぐんっと日向の上体が揺れる。大井の襟首をつかんで、まるで脅しかけるかの如く手に力を込めた。


「伊勢は呉にいるのか!?」


「いえ、作戦の折に立ち寄っただけだとおっしゃっていました。戦果の話は聞きますが、どこか固定の鎮守府に所属しているという訳ではないようです」


 大井は日向の行動に驚きはしたものの、疑問を持っている様子は無い。掴まれた両手に自分の手を重ね、ゆっくりと諭すように日向を落ち着かせた。


「すまない…」


 熱くなった頭を押さえ、壁を背に寄りかかる。

 伊勢。お前はいったいどこから私達を見ているんだ。困る私や初霜を見て、そんなに楽しいか…。


「初霜先生のお師匠様なんですね」


「…そうらしい」


 曖昧に返答する。


「会った事は無いんだ。私も」


 大井は少し驚いたようだったが、自分の記憶の中の伊勢を思うと、そこまであり得ない話ではないのかとも思った。


「風のような方ですからね。吹いたかと思えば、振り返る視線に映るのはなびく木々ばかり。残す物は、走り去った後の大地に転がる物だけ」


「風来坊とはよく言ったもんだ」


 いつ会えるかはわからない。だがもし一度、たった一度でもいいから相まみえる事があれば、その時は…。


(…お前を切る)


 相容れない定めにほんの少しだけ安堵する。吹きすさぶ風が、火照った全身を心地よく駆け抜けていった。




「では、先生によろしくお伝えください」


 来る時とは違い、助手席に腰かけた大井が窓から日向を見下ろして言った。


「観艦式は見て行かないのか?」


 返事の代わりに曖昧に笑う大井に対し、運転席の北上が返した。


「まっちゃんに見つかる前に呉までトンズラしないといけないんでね。ほんとは初霜センセの屋台だけでもと思ってたんだけどさ。天気も崩れてきそうだし、旦那方の活躍は呉への長旅のお供にさせてもらうよ」


 そう言いながら北上は車上のラジオのつまみをひねった。甲高い雑音に混ざって、波の音がなっているのが聞こえる。それに続いて、昭和感あふれる音質の悪いナレーションが車の中に広がった。


『ジジ…コレヨリ、第24回観艦式「海軍大演習」ヲ開始イタシマス…』






「これより、第24回観艦式「海軍大演習」を開始いたします!!」


 丁嵐が壇上を下りた後、防波堤に沿うように設置された対空砲から空砲が打ち上げられた。ぼんぼんと空中で破裂し、真っ白い煙が広がる。海沿いで波を眺めていた松崎城酔は、忍び寄る影に気付かずに海に向かって煙草をふかしていた。

 影は音も無く背後まで迫り、煙草の灰が落ちるのと同時に松崎の横に立った。


「潜水艦達は全員鎮守府の外まで撤退しました」


「すばらしい」


 松崎は振り向かずに答える。

 くわえ煙草を海へ吐き捨てると、防波堤を背にして石の壁に寄りかかった。大淀はしばし海面に浮かぶ吸殻を見つめていたが、すぐに松崎に視線を戻した。


「よろしいのですか?」


「何の事です?」


 缶のシガレットケースを胸ポケットにしまいつつ、松崎がとぼける。向かい合う大淀は、手を腰に当てて小さくため息をついた。


「丁嵐の事です。彼を野放しにしておくんですか」


「大淀さん、我々は腐っても軍人であり、殺し屋じゃありません」


 あくまで小声で話す大淀に対し、松崎はあっけからんとしている。少しばかし視線を海に向けると、目の前のスペース一歩分歩を進めた。大淀も彼の横についてその後に続く。


「丁嵐の危険性を資料にまとめるのは貴女のお仕事なんですよ。その為には去年の事件から彼の背後関係の全てを暴かなくてはなりません。始末をつけるのはその後です」


「ではポップコーンに並んでいる場合でも無いのでは!?」


 松崎は「君は何を言っているんだ」とでも言いたげに大淀を見返した。その前後に続く長い列はべらべらと機密を漏らす二人などお構いなしに、祭りの熱気に沸き立っている。


「大淀さん。急がば回れ、ですよ」 


 ピンと指を立てて大淀の口を封じる。顔をそらしてそれをはねのけ、大淀は苦言を続けた。


「提督がポップコーン食べたいだけでしょう」


「そうではありません。これは任務の円滑な遂行の為のプロセスです」


 松崎は立てた指を「ちっちっちっ」と左右に揺らす。


「例えばですねぇ、事務中に机の上に熱々のポップコーンを置かれたとします。上からは甘いキャラメルソース。ほんのり香るバターとシナモンを前にして「食べる前に書類仕事を片付けろ」なんて集中できる訳無いじゃないですか」


「具体的すぎるだろ」


 思わず漏れた大淀の舌打ちにも、松崎の笑顔が崩れる事は無かった。




「大淀さんはどうします?」


 長い列を並びぬき、テントの前に立って松崎はそう問いかけた。


「え…、ではバターで」


 てっきり自分で食べる為に並んでいるものだと思っていた大淀は、少し戸惑った後、最も人気があると思われるバターを選んだ。


「私はグランデミルクホイップチョコチップバニラプリンノンシロップホワイトクリームで」


「ないです」


「ではキャラメルを」


 松崎の寒いギャグを聞き流し、大淀は山盛りのポップコーンと向き合う。すれ違う艦の誰も彼もがこの匂いを漂わせているので、実はかなり気になっていたというのは松崎には内緒である。


 2、3粒を手に取り口へ。口に入れた瞬間濃厚なバターの香りが口の中に広がった。ひと噛みするごとに、鼻からバターの匂いが抜けていく。


(おお、バターケチってないわね…)


 バターそのものの塩辛さがあるので、表面の塩味はかなり薄めに抑えてある。しかし口の中で溶ける濃いバターの味が、この炎天下において否応にも大淀の水分を奪っていった。


(これは…)


 周囲を見回す。ポップコーンを美味そうに頬張る駆逐艦達は、みんな揃って小脇に紙のジョッキを抱えている。

 この夏の日差しの中、塩っ辛いポップコーンを頬張りながら身内の演習を観戦する。そんな時欲しくなるもの、それはもちろん…。


「ビールが欲しい…」


(でも…)


 観艦式とはいえ今は職務中。しかも松崎提督が任務を請け負っているさなかで、私は彼の護衛という立場。とても飲酒なぞできる状況ではない。


「お姉さん、ビールかい?」


 突然声をかけられ、びくりと肩が震える。驚いて足元へ視線を移すと、特徴的な赤い髪の少女が、ポップコーンの入った缶を背負って大淀を見上げていた。


「うちのポップコーン買った奴はビール割引だよ。おーい、阿賀野ー!ビールー!」


「はいはーい」


 赤毛の少女が手を振ると、ビールサーバーを背負った軽巡洋艦がこちらへ駆けてくる。ビアガールは大淀の目の前まで来ると、腰につけた紙のジョッキの束をすくい、その一つを大淀に持たせた。


「ちょっ、ちょっと待ってください!」


 今にもビールを注ぎそうになるビアガールに、大淀は待ったをかける。流れるような一連の動作にうっかり自分まで流されてはいけない。


「すみません、お茶もらえますか」


 少女とビアガールの視線が驚愕に見開かれる。「こいつは何を言っているんだ」という、まるで理解しがたいものを目にしたかのようなその表情に、大淀は悲痛の如く叫んだ。


「仕事中なんです!」


「なぜ仕事中だから飲んじゃいけないんだ!?」


「ええっ!」


「呉ではそういうルールなのか…」


「横須賀もです!」


「いや、イタリア艦が来てからうちはワイン二杯まではOKになったんだよ」


「やさしい職場!」


「ほれほれ、ぐいっと」


「ぐえ!待って、まってくらはい!」


 ビールサーバーの蛇口を口の中に突っ込まれながらも、大淀は空しい抵抗を続ける。じたばたと暴れながら逃げ惑うその後ろ姿を眺めながら、松崎は指についたキャラメルを舐めとり、空になったバケットをゴミ箱へ投げ捨てた。


「大淀さんもまだまだ子供ですねぇ」





【外伝参】死拳殺蹴



 バンっ、バンっ。再び会場で空砲が上がる。

 公開演習午前の部の艦娘達が声援を浴びながら次々に海に滑り込んでくる。物々しい武装を背負った少女たちの表情は皆一様に高揚に震えている。あれが武者震いというやつか、と松崎は感心したようにそれを眺めていた。


 松崎は演習場から離れた、建物の日よけの中から海を眺めてた。入口の壁に背をつけ、腕を組んで風を感じている。

 その足元で、セーラー服の少女がぺたりと地面に座り込んでいた。


「ほら大淀さん、公開演習が始まりますよ」


 秘書艦の大淀は松崎の声も聞かず、空のジョッキを恨めしそうに睨み続けている。


「あーんジョッキが空ですよー、困ったよー」


 ゆらゆら揺れながら飲み干したビールを求めて、大淀はこつんと松崎の足に寄りかかった。


「城酔さんの、ビールが…お、おっぱげた」


「大淀さん、大淀さん、お仕事ですよ」


 ゆさゆさと肩を揺らすと、顔を青ざめて重い頭を押さえた。


「お慈悲、お慈悲をください…」


「自覚はあるんですね…」


 やれやれと頭をなでる。辛口な秘書艦殿は、そんな普段の行いなど忘れてしまったかのように、気持ちよさげにごろごろと喉を鳴らした。


「顔を洗ってきてください、演習場の端に手洗い場がありますから」


「にゃーん(猫)」


 のそのそと歩を進める大淀の後ろ姿を、松崎はぼんやりと見守った。


「まったく、デートに来てるんじゃないんですから」


 ため息をつきながら、重心をやや前に。轟音と共に放たれた手刀は、背後から襲い松崎の頬をかすめた。左手でそれをつかみ、素早く振り返る。一瞬の邂逅の後、空中で視線が交差した。


「貴女もそう思うでしょう、古鷹さん」


 ぎっと古鷹が歯を剥き出す。掴まれた腕の引かれる力に逆らわず、肘を松崎の顔面へ。上体を大きくそらしてそれを躱すが、その隙に左手で握られた手刀をつかみ、握力で強引に振りほどいた。


 素早く距離を取り対峙する。松崎は動かない。古鷹は腕を抑えながら、向かい合う「標的」を睨みつけた。


 護衛がいなくなった瞬間の完璧なタイミングだった。奇襲は成功していたはずだ、なのに何故奴の首はつながっている。


 震える右手を胸の前で小さく構え直す。掴まれた右の手は赤く腫れあがっていた。ほんの一瞬握られただけだ、だが力が入らない。骨まで達しているだろうか、そんな考えにまで至るほど先の邂逅は強烈だった。


「私も、貴女と話がしたかったんです」


 松崎は警戒した様子も無く話しかけてくる。無造作に歩み寄ってくる右足を狩るように、素早く足を振り上げた。

 松崎の足に重心が乗り切る前に、眉間を狙ったハイキックが襲う。ちょっと屈むようにしてそれを回避し、松崎はさらに歩を進めた。古鷹は反動に沿って素早く松崎に背を向け、キックのスピードを殺さぬように今度は左の足を背後側へ突き出す。蹴り足は松崎のわき腹をかすめ、松崎はやっと歩みを止めた。

 ぐんと勢いで腰が回る。背中が正面に、振り返った古鷹の眼光が松崎の薄ら笑いを照らし出した。

 蹴り出した左足を素早く引き、上半身を大きく回転させる。それにつられる下半身の筋肉が、ゴムように柔軟な伸縮力を余さず蹴り足に注ぎ込む。右足が垂直に上がり、松崎の鼻先をかすめる。ひっかけた前髪がはらりと宙に舞った。

 左足を地面につけ重心を縦に。激しい横回転の運動エネルギーを全て縦方向に湾曲させる。びきびきと全身が悲鳴を上げるが、力とバランス感覚でそれらを強引に押し込める。連撃のパワーの全てを乗せた渾身のカカトが空間を縦に裂いた。

 松崎が今日初めて後退する。叩きつけられた床には小さなクレーターができていた。


「古鷹さんはぜひ呉にいらっしゃってください。きっと仲のいい友達が沢山できますよ」


 意味不明な事をのたまう松崎を無視して、古鷹は再度構えを作り直した。

 一度両手をだらんと流して右肩を前に、上げた右足を空中で制止させ、フラミンゴの如く片足で安定した。両手は広くフリーにとり、やや重心を下げてメインの右足に「遊び」を持たせる。


「これも、丁嵐少将の命令なのですか?」


 古鷹は答えない。右足をひざから先で素早く打つ。松崎との間にはまだ距離がり、蹴撃が届く事は無い。しかし、ジャブを放つようなその細かい打ち込みに、松崎は初めて構えを取った。

 右手は握り拳の形に、手の甲を下にして腰に沿える。左手はやや体の前に出す。指先は握りきらず、柔らかく手の中に隙間を作った。


「ケンカは本業ではないのですがね」


 構えを取れども軽口は止まらない。本気じゃないのか、それとも本気じゃないと思っているのか…。


 古鷹が足をおろしローを放つ。しかし深くは打ち込まずに、膝を素早く引いてミドルに打ち直した。松崎はガードを揺さぶられ、一瞬体勢を崩す。

 左足に切り替え蹴り上げるが、これもフェイント。そのまま地面に足を付き前へ。大きく右足を「する」がこれも打ち込まず、低くなった体制のまま、無警戒の左の拳を松崎の腹に打ち付けた。

 フェイントにフェイントを重ねる、流れるような連撃。これを続けられると、次第に視覚も聴覚も反射神経ですら信用できなくなる。徹底的にゆさぶり疲弊させ、最後に「折る」。


「艦娘の戦い方ではありませんねぇ」


 古鷹の戦い方は深海棲艦への戦略として軍が教え込んでいるものではなかった。圧倒的物量と火力。先手必勝。奇襲による一撃離脱。海の戦いとはそういうものだ。海では相手に依存しない。事前準備が8割の世界だ。今の古鷹の様に相手の能力を推し量り、裏をかく様な戦い方はしない。そんな事をしている時点で2流なのだ、そんなものは対深海棲艦では必要ない。

 彼女の戦い方は明らかに対人間、対艦娘を想定されていた。


「さすが丁嵐少将の暗殺者ですねぇ」


 ぴくりと、初めて古鷹が松崎の言葉に反応した。


「去年あなたが殺した左官は、元々は私の部下なんです」


 古鷹が目をひそめる。


「私は今回ただ派遣されたわけではありません。私には、「復讐」の理由があるんです。私は事件の「当事者」なんですよ」


「私を捕まえるんですか…」


 初めて古鷹が声を発した。松崎は優しい声でそれに答える。


「安心してください、罰せられるべきは丁嵐少将です。貴女の「類稀なる」境遇は十分に情状酌量の余地がありますよ」


「そう、なのね…」


 古鷹は安心したのか、ため息のような声を漏らす。

 そしておどけたように笑った。お茶会の時ですら見せなかった、少女らしい柔らかな笑みだった。


「お前は殺す」





 長い廊下の中に、風を切る音が連続する。

 古鷹の足技は空間を裂く。松崎の正拳突きは重く鋭い。蹴り足をそらした肘は電撃が走ったように痺れ、拳を受け止めた掌は赤黒く変色していた。

 反動で相手に背を向けても互いにそれは隙にはならず、打ち込んでくる無警戒な拳に喰らい付かんと虎視眈眈と目を光らせている。


 古鷹の左が足元をすくう様に右へ薙ぐ。松崎は軽く足を上げてそれを受け流すが、振り切った足に体重を乗せ、そのまま左足を上から押さえつけた。松崎の懐に潜り込み、その胸に自分の背中を密着させる。この超近距離では得意の鉄拳も最高速度には達しない。

 松崎は両手の親指を突き立て、両側より挟み込んで古鷹の首を狙う。爪の先が首筋に食い込む瞬間に、松崎に体重を任せ軌道をそらした。

 後ろ手で軍服の襟をつかむ。左足を封じながら、右足をはじく様に蹴り上げる。松崎の巨体がふわりと宙に浮いた。

 豪快な一本背負いは頭頂部を下に、受け身不能のまま固い床に叩きつける。頭蓋骨がひしゃげる音が響く前に、松崎の両手が地面を支えていた。掴んだ腕を軸にぐるりと体を回し、拘束を逃れる。受け身を取った隙を古鷹は見逃さなかった。


 駆け寄って右のサッカーボールキック。松崎はこれを紙一重で左に躱す。軸足の左に手を伸ばすが、古鷹はその場でバレエ選手の如く一回転すると、回転の反動を利用して再度右足を蹴り上げた。松崎の顎につま先が刺さる。


 初めてのクリーンヒット。追撃に入りたいが、不安定な左の軸足と遠心力だけで蹴り上げた右。両手を使うにもタメが足りない。軸足のカカトに力をこめ、後方に跳ねる。体勢を立て直して前へ、しかし勢いを取り戻していたのは古鷹だけでは無かった。


 松崎は迫り来る古鷹の顔面に向け、水鉄砲の様に口内の血を噴き出した。右手で顔を覆いそれをかばう。腕を払った時には松崎の姿は視界から消えていた。

 視線を切った腕の先、古鷹の右前に屈みこんでいる。立ち上がるヒザのバネと肩から肘にかけての筋肉の収縮が、上方へ伸びるアッパーを戦艦の大砲へと変えた。

 空気がちりちりと焼けている。かすった頬に血の線が引かれていた。間髪入れずに返しの右が唸る。閃光の如き突きの拳は、古鷹の胸元をかすめ、肘の先をかすめて「ぽこん」と間抜けな音をたてた。古鷹の上体が後方に流れる。


 クリーンヒットはもらっていない。どちらも指の先が「ふれた」だけだ。

 古鷹はだらんと伸びた右腕の骨を、左手の親指で強く押し込んだ。ばぎんとはじける音がして、痛みに歯を食いしばる。ストレートが「ひっかかった」肘が脱臼していた。

 顔を流れる血も止まらない。あのアッパーは頬を切った訳ではなかった。古鷹の出血は耳の中から続いていた。

 鼓膜が破られた。アッパーがかすめた風圧が古鷹の聴覚を奪ったのだ。


 三半規管を崩され、全身のバランス感覚が崩れる。松崎は動かない。やはり本気ではないのか…。


「ふふふ…」


 ふらつく足を支えながら、それでも自然と笑みが漏れた。

 滑稽だった。人の身を捨て、耳障りな正義の為に戦う。使い古された人形。


「これが呉の亡霊か。よくできていますね。普通の人間ならもう30回は死んでいます」


「私は一介の軍人に過ぎませんよ」


 白々しいにもほどがあるその言葉に、古鷹はやはり笑みを抑えて肩を震わせた。


「『旧世代』の敗残兵が」


 閉じたはずの瞳が動揺に揺れる。しかし松崎はすぐさま笑みの仮面をかぶり直した。


「…よく御存じですね」


「艦娘が生まれるずっと昔、対深海棲艦を謳って無謀な強化手術を受けた哀れな兵隊達がいたと聞いた事があります。存在をも消された闇の特殊部隊。その惨めな生き残りが、恥ずかしげもなく将官を気取ってるとは」


 施設の研究員たちが口走っていたのを耳にした事がある。戸籍を消され、存在を抹消され、死を偽装され。「お国の為」と言い聞かされて狂気に下った人形たち。古鷹は笑みの形のまま、口元を吊り上げた。


「貴方は人間じゃない」


「そんな貴女は「人間とは思えない」ですね」


 その一言がもたらすは、驚愕と恐怖。

 コインの表と裏が切り替わるかのように、古鷹の表情が怒りに歪む。噛みしめた唇から、押し寄せる怒りの波を表すかのごとく鮮血が溢れだした。


「私は「艦娘」だっ!「人間」じゃない!」


「「惨めに生き残った」のはお互い様でしょう?【Aの少女】」


 明らかに平静さを失った古鷹に、松崎は追いうちの如くまくし立てる。

 その表情はいつもと変わらぬ柔らかな笑みに包まれている。しかし、今この瞬間だけは彼の仮面の裏側にある残酷な月の輪郭が浮かび上がっているようにも見えた。


「生身の人間でありながら妖精と交流する力を持った「艦娘の祖」。それが貴女だ。全ての艦娘は貴女から生まれた。強化細胞も特殊筋肉も持たず、深海棲艦と渡り合い、それを狩る者」


 松崎の笑みは変わらない。深く、鋭く、深淵を啄む。閉じた瞳は瞼の裏。永遠の闇を見据えている。気が遠くなるほど、長い間。


「【A(はじまり)】の少女」






『アンタは「特別な人間」でも「呪われた人間」でも、ましてや「存在しちゃいけない人間」なんかじゃない』


「私は…人間じゃない」


『アンタは艦娘。特別なんかじゃない、普通の、ごく一般的な、ただの艦娘』


「私は…艦娘」


『アンタの存在はアタシが肯定したげる。アタシの所に来てくれてありがとね「フルタカ」』


「私は、古鷹型一番艦「古鷹」なんだ…」


 朦朧とした頭でうわ言のように繰り返す。自分に向けられた訳でもないそれを、松崎は冷酷に否定した。


「残念ながら、貴女は「人間」です」


「違うっ!」


 弾かれたように古鷹が飛ぶ。2mほどあった二人の距離が一気に縮まった。拳と拳が衝突する。二人とも地に足をつけたまま、高速の拳撃の応酬を繰り返した。


 これまでの戦いが嘘のような素直で稚拙な殴り合い。目尻を濡らしながら怒りを露わにする古鷹に、松崎は細い目をさらに細めた。


(怒りを素直に力に変換できるほど器用では無い様ですね…)


 現に今の古鷹の拳はスピードこそあれ、正確な突きとは程遠い。ただ怒りに任せただけの拳の雨は、これまでの古鷹の動きを見てきた松崎にとってまさに子供のケンカであった。

 

 拳撃の隙間を縫い、体軸を縦にずらす。標的を逃して大きく軌道が逸れた拳を、手首の上から掴み取った。上から抑え込み、動きを封じる。そのまま、手首の動脈の上に両の親指を突き刺した。


「ああああああっ!」


 悲鳴を上げ、全身の力が抜け落ちる。松崎はすばやく指を半回転させ、手首の骨の内側に爪の先端を引っ掛けて固定した。滝の様に流れる血が、二人の足元に濁った水たまりを作る。急激な失血に古鷹の足ががくがくと震え始めた。

 おえつを漏らしながら脱力してうなだれる。失血死も時間の問題のように思えた。

 古鷹は獣のような唸り声をあげながら、ずるずると松崎のわき腹に噛み付いた。それは死を覚悟した番犬の最後の悪あがきであった。


「貴女は殺しません。丁嵐にとっては貴重な証人になりますから」


 松崎が不気味なほど穏やかな声で告げる。服の上から食いついた獣は、荒い鼻息で返事するだけだ。


「古鷹さん、もうやめましょう」


 掴んでいた手首を解放してやる。重力に従ってだらんと垂れる腕に、松崎の指だけが垂直に突き刺さっていた。


「・・・」


 松崎が指に力を込める。骨の隙間に爪がかかっているのか、指はなかなか抜けない。松崎はため息をついて、古鷹に聞こえるように屈みながら囁いた。


「ふる…」


 戦慄


 わき腹に喰らい付く古鷹のその左目の輝きは、まさに獲物の喉元へ喰らい付いた猛獣のそれであった。

 全身の寒気と共に気づく。自分は今古鷹に両手を「固定」されていた。逃げる事も出来ない。わき腹が熱く熱を持つ。首の裏側から、粘っこい脂汗が噴き出した。

 服の上からでも食い込んだ歯の感触が感じられる。滲み出した唾液に軍服が濡れる。両手を振り払おうとすると、さっきまでの脱力が嘘の様に、古鷹の腕はビクともしない。


 すぐに逃げなければ。


 しかし、思考はそこで止まってしまう。

 明確な「痛み」が無いせいで、「逃げのスイッチ」が入りきらない。だがそれが来てからでは遅いのだと、頭の中は警笛を鳴らし続けている。


 しかし無情にも「それ」は訪れた。

 

 わき腹に僅かな痺れ。傷口から徐々に広がっていく小さな痙攣。それは瞬く間に「痛み」にすり替わった。叫び出したくなるような激痛が脳を支配した。


「うぐっ…」


 両手を僅かに広げるが、親指は動かない。頭を下げて自分も歯を剥き出すが、古鷹を捕まえるにはその長身が災いしていた。わき腹の痛みは全身に広がり、脂汗は血の代わりだと言わんばかりに全身を濡らしていた。

 いや…。


 代わりはいらなかった。


 松崎の口の端から血の筋が垂れる。ぽたりと滴り、古鷹の髪の中に落ちて見えなくなった。その口の中は、もう行き場を失った血液に溢れている。


「ごふ」


 腹の中で風船が破裂した。胃の内容量を超えた血液が、口の端よりみるみる溢れ出す。びちゃびちゃと床を濡らす血の色は、闇を吐きだしたかのように黒く濁っていた。内臓の中に溜まっている古い血は墨のように黒い、そう昔戦友から聞いた事がある。


 ぶるぶると肩が震えだす。思考がまとまらない。死ぬ。死ぬ。死ぬ。これは死ぬ。


「おおよ、ごぽ」


 自分の血で溺れている。鼻孔が大きく広がった。

 ぼきんと音がして松崎の手が離れる。握った拳の中で親指だけが関節とは逆方向にねじ曲がっていた。

 ごつんと古鷹の頭を殴る。古鷹は動かない。松崎の手が再び振り下ろされる。古鷹は動かない。無機質に振り下ろされ続ける握り拳は、バネの壊れた歪な肉の玩具のように、醜悪でおぞましかった。


 これが「戦い」であった。戦いの美学、美しき闘争、行き着く先は「殺す肉」だ。両者は殺し合う肉塊であった。

 松崎は血を吐きながら古鷹の頭を殴り続ける。古鷹はほとんど意識を失いながらも、突き立てた牙を深く食い込ませ続けた。


 ゼンマイの壊れたおもちゃと化した二人を見て、駆け付けた大淀は胃の中の物を全て吐き出した。




 絶叫と苦痛、肉塊と殺意、血だまりと死。

 男は濁流の如き吐血を繰り返し、わき腹に喰らい付いた少女は白目をむいて歯を食いしばっている。あたりを埋め尽くす血だまりの中には、髪の毛がこびりついた頭皮の欠片が至る所に散乱していた。


 地獄絵図と化した廊下の真ん中で、飛び込んできた大淀は声にならぬ悲鳴を上げ続けた。まるで見えない何かに喉をつぶす事をけしかけられているかのよう。ただ一心に、けたたましく、高く、苦しく、永遠に続くかとすら思われる阿鼻叫喚。

 その中を裂く様に、鋭い銃声が響いた。

 ぶ厚い眼鏡の奥の瞳は、止めどなく涙を押し出しながらも、強い意志に後押しされていた。細い指が再度引き金を引く。甲高い銃声に押され、古鷹の肩に二つ目の穴が開いた。ぐらりと上体が崩れ、血だまりに水しぶきが上がった。

 広がった髪に血が染み込んでいく。その様を直視し、大淀は再度逆流する胃液と戦った。銃を握る手は小刻みに震えていた。


 古鷹は血の海に沈みながら、全身を覆う鉄の匂いをかいでいた。薄れゆく意識の中で、死を強く感じる。目を瞑り、ゆっくりと眠りにつく様に、呼吸を止めた。








【外伝拾】血戦航路



 「ようせい」は、いつも汚い所にいる。工場跡とか排水の流れる海とか。ようせいはいつも何かをつくっていて、あたりは耳をふさぎたくなるほどうるさかった。

 村のみんなは妖精の事を「ようせいさん」って呼んで、いつも「ありがとう」ってお祈りしてた。でも、自分から近寄る人はいなかった。妖精はあぶないからって。でもわたしだけは、そうは思わなかった。


 ある日いつもみたいに妖精の工場に行くと、一人の妖精さんがわたしにプレゼントをくれた。掌の上のちいさなそれは、宝石みたいにキラキラ青く光っていた。わたしはそれをペンダントにくっつけて、大事に首から下げていた。パパとママはそれを見て、優しくわたしの頭をなでてくれた。


「それはね、神様からの贈り物なんだよ。だからね、その事は誰にも話しちゃいけないよ」


 私はいいつけを守って、妖精の事は誰にも話さなかった。「村の誰かがチクったんだ」ってパパが言ってた。それがパパの最後の言葉だった。


 パパとママは「どっちがどっちかもわからない」肉の塊になっていた。

 真っ黒な服を着た軍隊がパパとママを穴だらけにした。隣のおばあちゃんも、偶然遊びに来ていたしーちゃんも肉団子にされて何十人もの兵隊に踏み殺された。

 ヘルメットをかぶった兵隊の手が私に触ろうとしたとき、ヘルメットの「中」が風船みたいに膨らんで、「ぼんっ」て小さな音を立てた。ペンダントがあの青白い光を放っていた。

 私が「しね」と思うとそいつは死んだ。「たすけて」って思うともっと死んだ。黒い服の兵隊を20人くらいぶち殺した時、私は急に眠くなってその場に崩れ落ちた。



 その後はずっと施設で暮らした。

 牢屋みたいな「病室」の中で、私は「A」と呼ばれていた。

初めての仕事は「しーちゃん」のママを殺す事だった。「口封じ」なんだと。私はほとんど昏睡状態で、ぼんやりしながらその女を殺した。ヘルメットの内側がどうなっていたのか初めて知った。

 その後は数えてないけど500人くらい殺した。施設の研究員も、そうじゃないヤツも、連れてこられた一般人も、その家族も、男も女も老人も子供も殺した。ついでに深海棲艦も殺した。


 そうこうしているうちに、誰も私を「A」と呼ばなくなっていた。ペンダントは力を失い、ただの石ころになって部屋の隅に転がっていた。研究員達も病室に近づかなくなっていた。話し声だけが、直接脳内に響いてくるみたいにはっきりと聞こえていた。

 私は「用済み」で「危険」だから「病室ごとセメントで固める」んだそうだ。特に悲しくは無かった。


 皆死んだ、私が殺した。

 私は生まれてはいけない「人間」だったんだ。

 存在してはいけない「人間」だったんだ。


 ずっと、そんな事ばかり考えていた。

 何日も食事を口にしていなかったが、痩せ衰えはすれど死ぬ気配は無かった。溶け落ちた左目をもてあそびながら、ただ茫然と窓の外を眺めている日々が続いた。そこからセメントが流れてきて、私の口と鼻を覆ってくれる日を待っていた。


 ある日、病室の外で銃声と悲鳴が鳴りやまない日があった。ひさしぶりの「声」だったけど、もう体が動かなかった。銃声に目をさまし、再び目を瞑る。そんな事を何度か繰り返した。

 何度目かに目を覚ました時、私はベッドの上にいた。やけに派手なカッコをした男が、ベッドの横で椅子に腰かけて寝息を立てていた。

 扉の外で何人もの人がバタバタと走る音がする。窓一枚へだてた先で鳥達が鳴いている。太陽の匂いと、男の寝息。

 

 私は絶望した。

 私はとうとう死ねなかったのだ。


「あああああああああああああああああああああああっ!」


「うわあっ!」


 絶叫に驚いて男が飛び起きた。泣きわめく私に向かい合い、あたふたと手を振り回した。


「ちょっとぉ、どうしたのよ、もう。どこか痛いの?」


 私は男の袖を握りしめながら、頭を振って泣きわめいた。


「早く私を殺してよ!私は存在してちゃいけないの!私みたいな「人間」、いちゃいけないの…!」


 取り乱す私に男はちょっと驚いてるみたいだった。でもそれは本当に「ちょっと」の事で、男はすぐに悲そうな目で私を見た。同情されるのは間に合ってたけど、コイツの瞳の色はもっと別の何かを見ているようだった。男は小さく私の頭を撫でた。


「アンタは…「人間」じゃないわ」


 指先でボロボロになった髪を触る。

 すぐに聞き返したかったが、男の手があんまり温かかったから、しばらく頭の中で男の言葉の意味を考えていた。


「…じゃあ、私は何なの?」


 髪をすいていた男の指が止まる。そして、ナイフみたいにとんがったつけ爪の背で私の頬を撫でた。


「アンタは「艦娘」よ」


「え…?」


 意地悪のつもりだったのだ。自分はやっぱり逃れようのない人間だと、この優しい男の口から言わせたかったのだ。

 驚いて顔を上げる。男の目は真剣そのものだった。


「艦娘は妖精を使役する戦士。アンタの事よ。特別なんかじゃない、アンタは「普通」の「艦娘」なの」


 普通。

 長く縁の無い言葉だった。そんな言葉の枠組みの中に、自分の居場所があるなんて思わなかった。

 化け物の「人間」でも、「艦娘」なら普通。普通の私。


「アンタは「特別な人間」でも「呪われた人間」でも、ましてや「存在しちゃいけない人間」なんかじゃない。ただの艦娘。艦娘ならね、アタシの権限で鎮守府(ここ)に置いていいって事になってる」


 男の腕が強く私の頭を抱く。柔らかな香水の香りは、まるでお母さんに抱かれてるみたいだった。


「アンタの存在はアタシが肯定したげる。アタシの所に来てくれてありがとね「古鷹」」


 私はあの村から「A」になり、そして「古鷹」になった。

 あの人は私に居場所と、艦娘としての人生をくれた。だから私も、この場所を守る為に戦う。

 誠一と、この横須賀の為に。




 懐かしい夢を見た。

 ベッドの上で横になって、ぼんやりと天井を見つめていた。見慣れた部屋、誠一の部屋。

 高い窓と、小さな本棚、木目の目立つ地味なテーブルと、無駄に大きなベッド。あの執務室の持ち主とは思えぬ地味な私室。あの誠一が「アンタが息苦しく無い様に」ってよくわからない気を使った部屋。

 体を起こそうとしたが動かない。気が付かなかったが、全身に細いチューブがつながっていた。ぼんやりと熱を持った頭を揺する。


 松崎はちゃんと殺せだだろうか。

 こんなボロボロの体で、公開演習に間に合うだろうか。

 誠一は怒るだろうか。褒めてはくれないだろう。

 あの眼鏡の女の子は、誠一の邪魔になるだろうか。

 不器用な私の「妹」は。


 整理しきれない情報は整理させるのを嫌がるように、頭の中で反響を続ける。重い、疲れた、ねむし。


「せいいち」


 目を瞑る。

ベッドの香り。

落ち着く香水の香り。

 寝息は穏やかで、深い。





『きまったー!戦艦ビスマルクの主砲が直撃!旗艦ローマが大破!ドイツVSイタリアはドイツ艦隊の圧勝!』


 ラジオから流れる声に眉を顰めながら、丁嵐誠一は出っ張ったつまみを回してボリュームを絞った。甲高い解説の声は、悩みの絶えない頭に頭痛の如く響く。

 窓の外では公開演習が始まり、祭りの盛り上がりは最高潮に達していた。

 深く椅子に腰掛けたまま頭を抱える。


「松崎の様子はどう?」


 顔を上げずに、窓から外を眺めている少女へ問いかける。少女はサッシに肘を乗せ、ぶらぶらと足を遊ばせていた。腕を伸ばして、後ろ手でスクール水着の食い込みを直す。少女は鎮守府指定のスクール水着に身を包んでいた。

 絢爛な部屋の中に、動く影は丁嵐と少女の二人だけであった。


「あのねー」「あのね…」


 少女の口が動く。小さな唇から2重に声が聞こえてきた。


「生きてるよー」「死んだよ…」


「どっちなのよ」


 眉間のしわを深め、丁嵐が問い詰める。少女は気にする様子も無く外を眺めていた。


「どっちかなー」「どっちかな…」


 曖昧な答えが、やはり重なって聞こえる。丁嵐はこの芝居がかった喋り方が、昔から気に食わなかった。


「はぐらかさないでっ!嘘をついてるのは「どっち」!?」


 机に握り拳を叩きつける。散らばった書類やペンが一瞬宙を舞った。


「やだなーセイイチったら、ピリピリすると皺が増えるよー?」


「誰のせいだと思ってんのよ…」


 本格的に熱を持ち始めた額を軽くなでる。手を動かしながら、頭の中を一つづつ整理していった。


「そもそもアンタ「達」には古鷹の監視を任せてたはずでしょ?どうして古鷹の暴走を止められなかったのよ!?」


 目の前の一人の少女への問いかけ。しかし、丁嵐の言葉は常に複数の対象へ向けられている。少女の方も、それに疑問を抱く事は無い。


「でも…、古鷹がいなかったら殺されてたのはセイイチの方だよ…」


 少女の声。しかし、その唇は動いていなかった。


「御託はいいのよ!アタシは職務を全うしろって言ってるのよ!聞いてるの?【伊13号・14号】!」


「クスクス」「ウフフ…」


 少女が窓枠から顔を上げ、その全身を露わにした。

 潜水艦と思しき少女は、真っ黒なショートボブの上に魚雷発射管を模した船首を思わせる帽子をかぶっている。長い前髪の間から、やや切れ長の橙色の瞳が光っていた。


「だってヒトミが、「松崎(アイツ)が欲しい」って言うから。フルタカなら殺せるかと思ってー」


 可愛らしく唇を尖らせる。もちろん、そんな愛らしい仕草にほだされるような丁嵐では無い。


「…欲しい?」


 伊14の言葉に眉を潜めると共に、嫌な予感が頭痛に追い打ちをかける。

 窓枠に手をかける伊14の「背後」から、「全く同じ顔をした」もう一人の少女が丁嵐の前に躍り出た。

 双子の姉である伊13号通称「ヒトミ」は、人差し指を濡れた唇の前へ置き、艶めかしい上目使いで丁嵐を見つめた。


「ヒトミね、松崎(あのひと)のおちんちん欲しいな…」


「はぁ!?」


 丁嵐は目を丸くする。


「ヒトミ!アンタこの前、整備のイケメン君を「奴隷」にしてやったばっかりじゃない!あのコ、壊しちゃったの!?二か月は「もたせろ」ってアタシ言ったわよね!?」


 伊13はとぼけたように首をかしげている。


「壊してないよ…。元気に工廠で働いてるよ…。だけどね、二人で休まず300時間くらいずっと「しこしこ」してたから、おちんちんの蛇口が馬鹿になっちゃったみたいなの…」


 本当に心配しているのか不安そうに表情を曇らせる伊13に対し、丁嵐は机の上に肘をついてがっくりとうなだれた。


「仕事中でも会議中でも街中でもね、ヒトミが「ぴゅっぴゅして」って耳元で言ってあげれば、触らなくてもいーっぱいおもらしできるようになったのよ…。でも「つまみ」の調子が悪くて、おちんちん「くちゅくちゅ」しても「ぺろぺろ」しても全然ぴゅっぴゅ止まらなくなっちゃったの…。いつも泣きながらびぐびぐ痙攣して失神しちゃうから、チトセがもう遊んじゃダメだって…」


「だからー、もっと頑丈なのがほしいよー」


 伊14が同調する。丁嵐はもうどこから咎めればいいのかわからなくなっていた。


「松崎(あいつ)はやめときなさい。火傷じゃすまない、全身焼け爛れるわよ…」


 とりあえず釘を指し、大きく息を吐く。

 潜水艦として優秀な二人を維持するために、新たな性玩具を調達しなければ。丁嵐の頭痛はますますその重みを増していった。


・・・・・・・・・


「松崎の状態は?」


「一応生きてるよー」「命令だから…」


 間延びした声の伊14と、消え入りそうな声の伊13。同時に喋る二人の声を個別に聞き分け、丁嵐はやっと正しい状況を把握した。


 松崎は鎮守府の施設で「生かしてある」。

 いくら丁嵐といえど、他鎮守府(よそ)の将官を殺害して、うやむやに処理するなんて事は出来ない。しかも相手は良くも悪くも「有名人」の呉の亡霊。今更ながら、手荒に処分するなんて事は出来なかった。


 松崎はまだ利用価値がある。その為の準備も整った。古鷹の暴走は予定外だが、結果オーライだ。時間稼ぎはどんな手を使っても必要な事だった。それが「成せた」のは大きい。

 結果生じた新たな問題と言えば…。


「古鷹は演習は棄権ね…」


 公開演習の出撃割を眺めながら呟く。今日の航空戦艦の対戦相手である金剛率いる「横須賀第一大戦隊」。その中に古鷹も名を連ねていた。横須賀の「最強軍団」であるこの部隊に彼女は必要不可欠な存在であった。しかし…。


「あの体じゃ、しばらくは入院」


 松崎との交戦の後に運ばれてきた彼女は酷い有様だった。右肘の炎症、右耳の鼓膜に亀裂、両手首にビー玉大の穴。頭皮に激しい裂傷、頭蓋骨損傷。左肩に銃痕。弾丸は二発とも筋肉を裂き、骨に突き刺さったまま。あごの骨の骨折、それらに伴う大量失血。

 こんな傷にも関わらす死んでいないのは「奇跡」であり、「当然」であった。


 古鷹は艦娘の基礎構造である筋力強化や投薬による痛覚調整こそ「ほどこされていない」ものの、妖精たちの絶対的な加護がある。妖精たちは何があっても絶対に古鷹を守る。それは彼女たちなりの愛情表現であり、古鷹を蝕む「呪い」でもあった。

 だからと言って、無理なものは無理だ。古鷹は今まさに「生きているだけ」の状態であった。


「重巡枠は鳥海に頼みましょう。あのコも戦闘狂だけど、根は優しいからついて行けるかしら」


 呟きながら時計を見る。時刻は14時半を回ろうという所だ。航空戦艦隊はもう準備の最終段階に入っているはずだ。


「仕事よ〝ムーアズ〟。松崎の病室を監視して。怪しい動きがあれば秘書の方を殺していいわ」


「おけー」「おっけ…」


 二人は丁嵐の命令でのみ動く。司令室のドアまで数歩歩くうちに、二人は完全に重なって「一人」になった。ドアノブに手をかけるのはたった一人の少女。部屋の中にいるのは丁嵐を含めた二人だけ。それがムーアズ。死を孕む荒野。「おぞましい二人」。


 司令室のドアを開け、視線をあげる。外には出ずに、目を伏せて数歩後ずさった。体の小さな伊14を押しのけて部屋に入ってきたのは、全身から伸びるチューブを引きづった古鷹であった。


 傷だらけの体に足を引きずり、ぼさぼさの髪の中で両の瞳だけがぎらぎらと血走っていた。

 唖然とする丁嵐には目もくれず、机の隅に潜んでいた妖精を呼び寄せた。それを手の中に抱き、無言で部屋を去る。


「ちょ、ちょっと待ちなさい。古鷹!」


 完全にあっけにとられていた丁嵐が、今にも崩れ落ちそうな背中を呼び止めた。古鷹は振り返る事すらせずに、それに答える。


「すぐに演習準備に入ります」


 絶句。

 この死にぞこないは今なんと言った?


「あ、あほー!アホ、バカ、オタンコナス!療養よ療養!アンタ絶対安静よ馬鹿!」


 背後から古鷹の腕をつかむ。握った腕は、今にも根元から抜けてしまいそうなほどに弱々しく衰弱していた。古鷹は青白く変色した顔を丁嵐に向けた。


「高速修復剤の使用許可を…」


「何言ってんのよばかちん!アンタ重体なのよ、死んじゃうのよ!」


 両肩を抑え込んで無理矢理正面を向かせる。血の気を失った顔の中で、いっそう落ち窪んだ瞳だけが虚ろに丁嵐を見上げた。唇が、まるで震えるように動く。


「艦娘は、重体の時ほど修復剤を使うものです」


 声はかすれ、完全に生気を失われている。それに反して、丁嵐の怒声はますます勢いを増していった。


「そりゃフツーならそうでしょうが、アンタなんかが使ったらショックで死んじゃうわよ!」


「古鷹は、「普通」では無いのですか?」


 死んだ魚のような眼がわずかに動く。丁嵐も負けじとその目と向き合うが、すぐに諦めたように肩を落とした。


「…【命令】よ古鷹。棄権なさい。あなたが出撃(で)なくたって、榛名たちは負けやしないわ」


「お断りします」


「古鷹っ!」


 丁嵐の悲痛な叫びが司令室にこだまする。両肩をつかむ力を強め、枯れ枝のような古鷹を強く揺すった。


「言ってごらん、アタシの命令より大事な物ってのは何?自分の命を懸ける理由は何?」


「誠一…」


「答えなさいっ!」


 古鷹の両手が丁嵐の胸の上に置かれる。小さな手は震え、握られた拳は弱々しく軍服をつかむ。深く顔を下げたまま、今にも泣き出しそうな声で古鷹は懺悔した。


「ごめんなさい。愛してる…」


「…っ」


 弱々しく丁嵐の胸を押して体を離す。そのまま振り返らずに司令室を出て行った。


「ファンクラブに殺されそー」「少女漫画的展開…」


 2重の嫌味も丁嵐には聞こえていなかった。呆然と後ずさりながら、机の上に腰を下ろす。


 いったいなんだってんのよ、どいつもこいつも。


 ふさぎ込みながら、再び出撃割に目を落とす。「雷雲戦隊」。そんな名前だったのね。連なる名前にふと目が留まった。「副艦 加古」。


 大きな、大きなため息。空を仰ぎ、出撃割のボードを机の上に放り出した。


(言わなきゃわっかんねーでしょうが、あのバカ)








 気が付くと闇の中であった。何もない意識の中で、ベッドか何かに寝かされてる事だけは背中の感触で知る事が出来る。全身が重く、傷む。わき腹が一際熱を持っている事に気が付くと、瞬時にあの狂演を思い出した。血だまりの中に沈んでいった少女。

 持ち上がった左手だけが温かく包まれている。頭を振ると体中がきしむ。闇の中で熱を持った全身の痛みだけが、自分の肉体の存在を確かな物としていた。

 薄く目を開け、白い天井の眩しさに再び目を瞑る。浮いた左手が激しく揺れた。


「提督!松崎提督っ!」


 大淀さんの声。ほっと肩を撫でおろす。


「怪我は無いみたいですね」


「よかった、本当に…」


 大淀さんは握った手に力を込める。握られた私の手のひらが水滴に濡れた。

 指にメガネのフレームの感触が触れている。手探りで顎のラインを伝いって、柔らかな頬をなでた。


「どれくらい眠っていましたか?」


「二時間ほどです」


 二時間、航空戦艦はもう演習を開始している。古鷹の襲撃の目的は航空戦艦が海に出るまでの時間稼ぎだったのだろうか。


「う、動かないでください!」


 少し無理して起き上がってみるが、どうやら全身をチューブか何かで吊られているようで、自由に身動きが取れない。勢いよくベッドに戻ると、吊られた器具がガチャンと音を立てた。


「私は目をやられたんですか?」


 薄く目を開けてみるが、視野が狭く世界が暗い。蛍光灯の眩しさは、目の中に針のように突き刺さった。


「医療艦によれば、内臓の損傷が視覚へ影響を及ぼしているそうです。一時的なものではありますが、無理はなさらないようにと」


 医療艦。治療を受けているという事。生きているという事。そこから導き出される答えはひとつ。


「ここは横須賀の治療室ですね。私は丁嵐少将に生かされているという事ですか?」


「そう、言えると思います」


 返答する声はやや沈んでいる。

 ゆっくりと手を下して、大淀さんの手のひらに数度爪を突き立てた。


『拘束サレテイマスカ?』


 手の甲に数回、指の感触が触れる。


『イイエ』


「なるほど…」


 私を葬るのにまだ準備がかかるのか、それとも私にまだ利用価値があると考えているのか。


(死にぞこないましたね)


 大きく息を吸うと、胸の前で束になったドッグタグがじゃらりと音を立てた。


 襲撃された時間から逆算して今は16時程だろう。航空戦艦は今演習の真っ最中だ。あの丁嵐の下で鍛えられた古強者達の死闘を拝めないのは実にもったいない限りだ。そして、ふと思い出した。


「古鷹さんは無事ですか?」


 殺してはいない、と思う。自信は無かった。

 あのような「特異体」に不覚を取るとは私も年を取ったものだ。いや、彼女の異常なまでの執念に気付けなかった時点で、彼女に対する認識が甘かったと言わざるを得ないだろう。


「それが…」


 大淀さんが唾を飲む音が聞こえる。

 重症か意識不明か、正当防衛とはいえ、事実をいくらでも捻じ曲げられる丁嵐の下では厳しい責任追及は免れえない。


「どうやら彼女、公開演習に出撃(で)ているみたいなんです」


 自然に口角が引きつった。

 確かに彼女は「人間」では無さそうだ。立派な「艦娘」。いや、戦艦だってあんなにタフな人はいないだろう。


「大淀さん、潜水艦達から続報は?」


「はい、瓦谷が捕まった時の証拠記録を調べさせたのですが、それが…」


 報告の声が徐々に小さくなる。

 大淀さんの癖。いや、私の秘書艦として働いていくうちに身についた癖だろう。


「証拠として使われた瓦谷の電話記録は実在しません。裁判に使われた音声の「データ」があるだけです」


「そうですか…」


 大方予想通りだ。

 瓦谷はありもしない証拠によって罪を問われた。指示を出したという電話記録はねつ造。録音の実物は「存在しない」のではなく、おそらく「必要なかった」のだろう。


「初めから瓦谷は丁嵐から西への【貢物】だった。古鷹さんの特殊な事情を言い訳に「上官を譲るから、『A』は見逃してくれ」などと持ち掛けたのでしょう」


 もちろん「A(古鷹)』を守る」というのも偽装。本心は丁嵐自身の保身が濃厚だ。


「そして西はまんまと【貢物(それ)】に喰らい付いた。偽の録音データまで準備して。そして丁嵐という最大のガンを見逃がした」


 大淀さんが大きく頷いたのが、風の動きでわかった。


「丁嵐は黒。確定しましたね」


 声に力がこもる。しかし大淀さんには悪いが、私個人として今回の件は気になる部分が多すぎた。


「難しいですねぇ、古鷹さんの様子を見るに限りなく黒には近いんですがねぇ」


「まだそんな事言ってるんですか!間違いなく丁嵐は黒です。彼が去年の佐官殺しの主犯です!」


 厳格な秘書艦様が納得していないのは顔を見なくてもわかる。

 まあ、そう考えるのも当然だ。私だって丁嵐がオール善人のおちゃらけ野郎だとは思っていない。


「状況証拠から見るに、当時の丁嵐大佐が瓦谷少将に罪をかぶせたのは間違いないでしょう」


 自らの昇進と、対立派閥の邪魔者の排除。それを同時に成し得る佐官殺しは丁嵐にとってメリットしかない。餌に瓦谷を使ったのも、派閥間の裏事情に詳しい彼ならむしろ当然の策だと言える。


「丁嵐が黒。これは考えるまでも無いです」


「私だったら古鷹さんは殺しますがね」


「は?」


 私の意見に、大淀さんが頓狂な声を上げた。


「もし私が丁嵐少将の立場なら、実行犯の古鷹さんは事件を言い訳に処分します。私でなくても百人中百人、彼女は邪魔になるでしょう」


 昇進した彼としては、件の佐官殺しはさっさと過去の出来事にしておきたいはずなのだ。なら、汚点の本丸である古鷹さんを側近に据えるなんて言うのは行動が矛盾している。

 事実機会はあったはずだ。なのに丁嵐は周囲の意見に反発し、結果的に周りの反感を買う事をしている。これでは辻褄が合わない。


「古鷹は丁嵐に心酔しています。それを利用するつもりじゃないんですか?」


 大淀さんの指摘はいつも的確で的を得ていた。それを否定するのは、私のようなひねくれ者の仕事だ。


「それなら余計に古鷹さんを処分したがると思いますがね。彼女だったら、丁嵐少将に「死ね」と命じられたら自分で舌を噛み切ると思いますが」


「何が言いたいんですか?」


 これも正論。

 彼女の正論は、いつも正しい答えの道しるべとなる。しかし、その正論を打ち破るのはいつも不条理で意味不明な言葉なのだ。


「私にだってわかりませんよ」



・・・・・・・・・・


 丁嵐の狙いと真意。

 料理しようにも材料の少なすぎる現状に、私も大淀さんも半ばお手上げ状態であった。時間だけが刻一刻と過ぎていく。


 私は光の入らない暗闇の中で、ただ大淀さんの深い呼吸を聞いていた。押しては引く波のような緩やかな波長は、このような状況下において、良くも悪くも私の心を落ち着けてくれた。

 カーテン一枚隔てた先から、雑音の多いラジオの実況が耳に入ってくる。大淀さんの腕時計がカチカチと定刻を刻む音が、そこに一定のリズムを添えていた。

 それら全てをかき消すかのごとく、ガラリと勢いよく扉が開く。大淀さんの呼吸が乱れ、心臓の音がほんのちょっぴりテンポをあげた。

 ベッドの横で靴の固いかかとが鳴る。声を聞かずとも相手は想像がついた。


「思ったより元気そうで安心したわ」


 気遣いの声は軽い。しかしその言葉が誰よりも場違いで、何より無意味なのだとここにいる誰もが知っていた。

 椅子の足が床をこする。私は手を持ちあげて大淀さんを制した。


「大淀さん、銃を収めてください!」


 指先に銃口が触れている。ホルスターから銃を抜く音は聞こえなかった。もしや私が眠っている間、ずっと引き金に指をかけていたのか。

 

「よその将官に銃を向けるなんて、躾がなってないわね松崎」


 真っ黒な銃口を向けられても、丁嵐の声には一ミリの動揺すら感じ取れない。


「どの口がぁ!」


「大淀さんっ!」


 私の叱咤を受けて、銃の部品がこすれる音がした。銃を下したのか、撃鉄を戻したのか。何にしろ大淀さんが落ち着くのを待ってから、私は丁嵐のいる方向に顔を向けた。


「お互いの秘書官が提督を暗殺なんて、笑い話にもなりませんからね」


「お互い、ねぇ?」


 声色が少し低くなる。声の雰囲気から感情が読み取れるかもしれないと、お茶会でそこに注目しなかった事にほんの少しだけ後悔した。


「うちの古鷹がどうしたって?」


「私の傷。医療艦によれば、全治3ヶ月との事です。顎の骨折と視力の著しい低下、内臓破裂多数。私の体を調べれば、古鷹さんが実行犯だというのは簡単に判別がつくでしょう。そこはどう弁明なさいますか?」


 ふっと息が漏れる。鼻で笑ったのか、胸をなでおろしたのか、今の弱った視力ではそれも判断できなかった。


「そんな荒唐無稽な妄言を垂れ流す気違いを収容しておける施設が横須賀(ここ)にはいっぱいあるわ」


 ここまで大がかりな事件を起こしておいて、その声には十分余裕があるように聞こえた。演技かもしれないが、この短時間のやり取りでそれらを判断するのは困難だ。


「貴方にしては随分と強引な方法ですね」


 目が見えない以上、言葉で吐かせるしかない。

 私の言葉選びは軟な上級官僚を追い詰めるには十分な圧力を備えていたはずだ。発言を誤れば殺す。暗にそう言っていた。


「…迂闊な発言は控えさせてもらうわ。「録音」でもされてたらたまったもんじゃないからね」


 丁嵐は揺るがない。

 私にできないと思っている訳では無いだろう。言質を得られなければ殺せまいと高をくくっているのか。それとも目を覚ましてからずっと向けられている「二人分」の視線が、丁嵐の護衛も兼ねているのか。


「では何の用です?」


 素直な疑問で話を繋いた。少なくとも情報提供のサービスに来てくれたわけではなさそうだが。


「観艦式の招待客が「体調を崩された」とあっては責任者として様子を見に来るのは当然でしょう」


 まったくもって白々しい。たぶんだが、彼は今実に不愉快な笑みを私に向けている事だろう。大淀さん、歯ぎしりめっちゃうるさい。


「私はこの後何をすればいいんです?こんな体なので無理は控えたいのですが…」


 丁嵐が少し息を吸った。

 一瞬心臓の音が途切れるが、息を吐くと同時にフラットなテンポを取り戻した。動揺とは言えない、わずかな間。表情は動いただろうか。もしかしたらあえて大きく動揺を顔に出したかもしれない。


「物わかりが早くて助かるわ」


「カンですよ。昔馴染みのカンというやつです」


 理論であった。危険を冒してまで丁嵐がここに来たのは「見定める」為だ。私が働けるような状況なのか、古鷹はやりすぎてはいないか。監視の報告を受けてなお直接足を運んだのは、丁嵐が個人的に私に何かをさせようと画策しているからだ。


 そう考えれば、こうやって彼と軽口をたたいている時点で、彼の目的は達成された事になる。あとに二・三言で彼は病室を去るだろう。情報が欲しい。彼の真意を導き出すヒントが欲しい。


「私は…」


 丁嵐は「悪役慣れ」していた。人に嫌われる事に抵抗も、嫌悪感も持ち合わせていない。挑発するには、彼の本心に踏み込む必要があった。


「私は貴方を軽蔑しています。過剰なまでに艦娘に入れ込み、組織の本質を見失う。貴方の暴走は醜いエゴに過ぎない。提督失格です」


 一息にまくしたてる。

 彼の持つ「安いプライド」に賭けた。こんな大事を動かす背景は、きっと彼自身も笑ってしまうような「安いプライド」に支えられていると思ったからだ。


 ではそれは何か?


 『防衛の荷を背負わされながら、無知なる大衆を演じさせられる屈辱』


 丁嵐の昼の発言から、彼が艦娘の境遇に大きく不満を持っているのは間違いない。しかし、兵器である艦娘を人と同等に扱うなどという夢物語を追いかけるほど愚かではない。見た目ほどロマンチストな男ではないのだ。


 こちらが得た情報は。

『古鷹とA』

『艦娘と丁嵐』

 導き出されるキーワードは…。


「貴方は「うすっぺらい『愛情』」で艦娘に同情しているだけです」


 しん、とあたりが静まりかえった。


 つばを飲み込む音が嫌に大きく聞こえる。

閉じられた視界の先で、空気が歪むのを感じた。丁嵐の立っているはずの空間が、まるでぽっかりと穴が開いたかのように消失した。無言の圧力と「虚無」の存在感。

 後ろの大淀さんが「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

 暴風のような圧力に見下ろされ、無意識に口元が痙攣する。「目が見えなくて良かった」という安堵の笑みであった。


「アタシはアタシなりの答えを見つけただけよ。艦娘(こども)達が血で血を洗うこの時代。提督(おとな)であるアタシ達がやるべきことは何なのか」


 威圧感とは裏腹に、丁嵐の声は落ち着いていた。

 背後で大淀さんの歯がカチカチと鳴っている。どうやら、落ち着いているのは声だけのようだった。


「その為にどれだけの物を犠牲にするつもりですか?」


 私も怯む訳にはいかなかった。せっかく崩した丁嵐の牙城だ。無理矢理にでも顔を笑みの形に整えて、追撃を試みる。

 しかし、丁嵐の圧力はふっと風の様に消えてしまった。背後でガシャンと大淀さんが椅子に崩れ落ちる音が響いた。


 丁嵐は落ち着いていた。いや、「冷めた」というのが正しいのだろう。


「舌戦でアタシをやり込めようなんて舐められたものね。本調子じゃないなら大人しくしてなさい。仕事はもう少し先よ」


 それだけ言い残して背を向ける。

 さすがにその背中に追撃戦を仕掛けられる体力は、もう残っていなかった。


 どっと汗が湧き出してくる。早く包帯を取り変えたかった。

 疲弊した私の横顔を見て、大淀さんが問いかける。その声も疲労の色がにじみ出ていた。


「い、命を削ったかいはありましたか?」


 目を瞑って(元から瞑ってるけれど)少し考える。収穫はあった。頭の中は先ほどまでとはうって変わって見通しが良かった。


「丁嵐少将は黒です」


 言い切る。

 少し驚いたように大淀さんが身を乗り出した。


「彼は自分の目的の為に無関係の他者を貶める人間です。奴は真っ黒です」


 動機はわからないが、行動の筋道は見えた。私の予想が正しければ、航空戦艦の行方を巡って丁嵐と大本営の間で何か「いざこざ」があったのではないか。そしてこの観艦式を通してそれは動き続けている。


 航空戦艦・観艦式・公開演習


 大本営が丁嵐と交わしたやりとりの詳細が知りたい。知りたい。知りたい、が。


「ぐあ…」


 腹部に強い痛みが走る。あわてて大淀さんが私の背中に手を回した。


「松崎少将!ご無理はなさらないでください!」


「お、大淀さん…」


 無理が祟った。もともと起き上れるような状態では無かったのに、度重なるプレッシャーにより全身に限界が来ていた。全身の力が抜けるのがわかる、思考が渦を巻く。手足のしびれ、頭痛、迫り来る嘔吐感、高熱が全身を支配した。


 私は渾身の力を振り絞って、ズボンのポケットに手を伸ばした。中から取り出した紙切れを大淀さんに握らせる。


「こ、これで…私の変わりに…」


「松崎少将!」


 ――――そこで意識を手放した。





・・・・・・・・・・


 大淀はこと切れた松崎を残し、再び観艦式の喧騒と向かい合っていた。その瞳は強き決意に彩られている。

 手には松崎から渡された紙を握りしめている。それは、くたびれた一万円札であった。


『こ、これで…私の代わりに…』


「松崎提督…あなたの想い」


 駆ける。

 ベビーカステラの屋台は演習場の先だ。


「あなたの想い(カステラ食べたい)は必ず届けて見せます!」


(あと、アイスも…)


「はいアイス追加ー!」


 眼鏡の少女は太陽の下で風を切る。

 有能秘書の明日はどっちだ――――――!



 立ち上る雲【外伝】―完―







 おまけ【らいうんせんたい】


「私達、名前はどうしましょうか?」


 食堂で偶然顔を合わせた艦隊一同。せっかくだからテーブルを共にしようと集まった席の真ん中で、神通がそう提案した。全員が顔を合わせる中、最後に席に着いた日向がうんと、頷いた。


「部隊名か」


 日向、初霜、加古、名取、神通、江風。全員をまとめて一部隊とする場合、演習登録の際に名前が必要になる。水雷戦隊やら航空戦隊やら、要するにそういうやつだ。


「相手方は?」


 ジュースのストローを咥えながら、江風がもらす。それに日向が答えた。


「横須賀第一大戦隊だそうだ。御大層な事だな」


 うへ、と加古が舌を出す。

 よく恥ずかしげもなくそんな名前を掲げられるものだ。


「『大日向様艦隊』にしましょう!」


 全員分のお冷を準備していた初霜が、テーブルの外からぐいと身を乗り出す。テーブルの上にべったりと腹をつけ、うつ伏せに寝転がる。その背中をみんなしてぺちぺちと叩いた。


「却下」


 初霜の提案はあっけなく破棄される。「さっさと仕事に戻れ」と頭を押され、初霜は不服そうにエプロンの裾を整えた。全員分の水をくみ終えると、そそくさとカウンターへ帰って行く。皆と合流してから、初霜は再び食堂でのウエイトレスの仕事に戻っていた。


「航空戦艦隊?」


 加古の提案に、江風が唸る。


「もう一声欲しいぜ」


「じゃあ、航空戦隊」


「一航戦か何かかよ?」


「瑞雲艦隊」


「おい」


「採用」


「おいぃ!」


 自分勝手に話し始める一同を落ち着けるように、神通が「ぱん」とグローブに包まれた手を打った。全員が神通の顔を見たのを確認し、彼女はゆっくりと話し始めた。


「では…」


 目を開けて、一同を見回す。


「『雷雲艦隊』で如何でしょう」


 しん、とあたりが静まりかえる。全員が全員、その名前を噛み締め、自分なりの考えを巡らせているようだ。しばしの沈黙の後、名取が手を挙げた。


「水雷+瑞雲?」


 神通はゆっくりとうなずく。


「ですが、それだけではありません。雲を駆り、一撃必殺の水雷を撃ち込む。疾風迅雷を司る雷雲は私たちにふさわしい名前ではないですか?」


「異議なーし」


 江風が間延びした声を上げる。それに同調するように、全員が頷いた。


「決まり…だな」


「日向様艦隊はどうなりましたか?」


 香ばしいカレーのにおいと共に、再び初霜がテーブルを訪れた。手に持ったトレイには全員分のカレーの皿が敷き詰められている。それを手際よくテーブルの端から並べ始めた。


「『雷雲戦隊』だ。身に刻んでおけよ初霜、お前が背負う名だ」


「すばらしい、では今日はお祝いですね。我ら雷雲戦隊に」


 皿を配り終えると、エプロンを外して自分も席に着く。


「おい、初霜。これ…」


 全員が配られたカレーを見て訝しげに眼を細める。その中で日向だけが、やれやれとため息をついた。


「それは、サービスです」


 初霜はそう言いながら、嬉しそうに巨大なちくわ天にかぶりついた。


後書き

「松崎城酔」のキャラクターは『僕と久保』様作、『艦隊これくしょん/木漏れ日の守護者』よりお借りしています。
本編はこ↑こ↓
Pixiv
http://touch.pixiv.net/series.php?id=693268

2016年11月28日投稿