2017-08-15 20:17:16 更新

イギリスとフランスが劣勢に陥ると、日中戦争が長期化していた日本は、イギリスらの植民地がある東南アジアに武力を用いて進行しました。

理由は援蒋ルートを断ち切ると共に石油などの資源を獲得しようとしてするためでした。

1940年の9月にはインドシナに軍を送り込み『日独伊三国同盟』を結び、1941の4月には北方の安全を確保するために『日ソ中立条約』結んだうえでインドシナ南部を制圧した。この動きに合わせて日本は『大東亜共栄圏』の建設を訴えました。

こうした侵略的な動きにはより日米関係は悪化しました。

さすがに、アメリカとは戦争をしたくないので、日米交渉を行いましたが軍部の要求もあって侵攻を止めることは不可能でした。

好き勝手やる日本に対しアメリカは、石油の輸出停止に踏切ました。

それに、イギリスとオランダも同調し『ABCD包囲陣』を発動しました。

戦争に欠かせない石油を断たれた日本は「売ってくれないなら奪えばいい」という強硬論が高まった。そして、1941年12月8日に真珠湾を奇襲して『太平洋戦争』が開戦しました。

短期決戦が十八番の日本は、次々に広大な土地を占拠したが、ミッドウェー海戦で、空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を失い、勝利への坂道を駆け上がっていた日本は坂道から転がり始めました。

その後、ガダルカナル島で敗戦してから、後退を重ね1943年7月にはサイパン島が陥落し日本は、勝利の見通しを失うが、戦争を続けました。

(アメリカに大きな損害を与え講和のさいに優位に立ちたいから)

1945年3月にはアメリカが沖縄に侵攻、戦艦『大和』を特攻させたがアメリカ軍に上陸されます。

同年の7月に『ポツダム宣言』を出しますが、日本はこれを黙殺するとアメリカは「そっちがその気なら考えがある」と広島、長崎に原子爆弾を投下

そして、不可侵協定を結んでいたソ連が満州に侵攻し、ようやく日本はポツダム宣言を受託し降伏しました。

こうして、太平洋戦争は終結し第二次世界大戦も終結しました。


このSSへの評価

このSSへの応援

このSSへのコメント


このSSへのオススメ


オススメ度を★で指定してください