屍山の慟哭
1944年春、戦局が好転する兆しを見せている中で小さな火ぶたが切って落とされた。それは戦争全体から見れば小さな火でしかなく、やがてその火が多くの命を焼き払っても、やはり小さな火でしかなかった。
テーマは「戦争と艦これ」です。
まだ未熟者ゆえ、是非とも皆様のご指導ご鞭撻をお待ちしております。
※一部は史実を参考にしましたがフィクションです。
※良い概要がありましたら是非ご教授いただけますと幸いです。
※文字数の関係上、一先ず完結という形になりましたので、誤字脱字を含む修正を除き、新しい話はこちらでは更新いたしません。
《こちら司令部、第一次攻撃隊の損害は!?》
彼女はその時、潮風の中にいた。
「未帰還三機、損害は軽微!」
ここは北方海域、キス島南西約百五十海里の鉄と油の香り漂う戦場。冷たい彼女らの仕事場。薄暗い墓場。
《こちら摩耶、水偵が敵艦隊に接触! まもなく砲戦距離に入る!》
彼女の名前は瑞鶴。正規空母として新たに艦隊に配属されたばかりの新兵だ。
《第一戦隊全艦に告ぎます。敵は我が方の航空機の攻撃により瓦解寸前です。各個射程に入り次第攻撃を開始し、これを撃滅してください!》
瑞鶴はまだ知らない。自分が戦争をしているということを。
《了解! 戦艦榛名、砲撃開始します!》
《川内水雷戦隊、吶喊します!》
この戦闘が始まりにも満たないということを。
「くっ、第二次攻撃隊、発艦準備急いで!」
地獄の苦痛をいうものを。
噂によると、鎮守府は二種類に分けられるらしい。食事が楽しい鎮守府とそうでない鎮守府、この二つだそうだ。後者は特に「ブラック鎮守府」と呼ばれ、曰く大破しても進軍を強要されるらしい。曰く実力のない新人は配給品だけ剥がされて捨てられるらしい。曰くドックと戦場を往復し続けることになるらしい。
噂の出処は誰も知らない。しかし、艦娘と呼ばれる少女たちはみなどこかでこの噂を耳にしていた。そのため、新人の艦娘たちは期待よりも不安を抱えながら配属先の鎮守府に訪れる。
さて、その噂を信じるならば、ここは「ブラック鎮守府」ではないように思われる。
今は夕食時の夜七時半。食堂は十ほどの艦娘で賑わい、今日の戦果を自慢し合っている。ある者は戦艦に痛手を負わせたと、またある者は魚雷攻撃を華麗に躱したと、各々戦場に身を置きながらも現状を楽しんでいるように見える。
ところが、その中に一人だけ浮かない顔をしている女性がいた。航空母艦の艦娘『瑞鶴』である。
「初めての戦闘はどうだった、瑞鶴?」
お通夜のような顔をしている瑞鶴に声をかけたのは、白銀色の長い髪をなびかせた、淑やかな女性だった。彼女の姉妹艦に当たる正規空母の艦娘『翔鶴』だ。
「もう最悪よ!」
お盆に鯵の塩焼きと味噌汁、そしてまだうっすらと湯気の立ち上るご飯を乗せた翔鶴は瑞鶴の隣に座った。
「どのくらい酷かったかっていうと、もう二度と出撃したくないくらいね」
「あれは最初だけよ。それに、艦載機の発着艦だけだからまだ楽だったでしょ?」
「そういう問題じゃないの。延々と歯ごたえのない敵を叩くだけの作業が楽しいはずないでしょ」
「それで、疲れて食事も喉を通らないってわけかしら」
翔鶴の視線の先には、箸一つつけられていない、冷え切った夕食があった。瑞鶴は姉の視線に気づくと、ため息をついてから言った。
「……翔鶴姉、食べる?」
「結構よ。大盛りで頼んだから」
翔鶴はニッコリと笑いながら答え、ご飯がと盛られた茶碗を手に取った。
「だから、それは瑞鶴がちゃんと食べてね」
姉に促され嫌々ながら箸を取った時、小柄な女性が食堂に入ってきた。辺りを見回して瑞鶴の姿を認めると、手を振りながらおーいと大きな声を上げた。一身に注目を集めた女性は、そのままつかつかと瑞鶴の横まで歩いてきた。瑞鶴は箸を戻し、嫌そうな顔をしていることがばれないように伏せていた。
「瑞鶴よ、提督から連絡じゃぞ」
「なんでしょうか」
「食事が済み次第、司令執務室に出頭するようにとのことじゃ」
変わった口調の女性はそれだけ言うとさっさと食堂を出ていってしまった。
ざわざわとにわかに騒ぎ始める食堂。その中央で瑞鶴は大きなため息をついた。
「食事、食べ終わらなくても良いかな……」
「ダメよ、私も一緒に行ってあげるから、ね?」
苦笑いを浮かべながら、翔鶴は静かに食べ始めた。釣られて口にご飯を運んだ瑞鶴だったが、味がなく飲み込むだけで精一杯だった。横で美味しそうに食べる姉が、少しだけ羨ましかった。
食事が終わり、瑞鶴は翔鶴と共に司令執務室の前まで来た。来たのはいいが、肝心の瑞鶴は気が乗らないようだ。なかなか扉に手を伸ばそうとしない。
「もう瑞鶴ったら、一航戦の先輩に笑われちゃうわよ」
見かねた翔鶴が扉を四回ノックすると「入れ」と中から男の声で返事が来た。
「五航戦翔鶴、瑞鶴入ります!」
瑞鶴の手を引いて、翔鶴は部屋へ入っていった。瑞鶴にとって二回目となる司令執務室は、相変わらずこざっぱりしていた。青いテーブルクロスのかかった机、小さな白い本棚、家具らしい家具はそれくらいしか置いていない。前と変わったところがあるとすれば、机の上に山積みされている書類の量が増えたくらいだ。
執務室には瑞鶴と翔鶴の他に二つの人影があった。一つは執務卓の向こう側で書類と格闘していた。もう一つは窓際で夜の暗い海を眺めていた。まず口を開いたのは後者だった。
「……翔鶴君、君を呼んだ覚えはないが?」
窓の横に立つ男は振り返りながら言った。カーキ色の軍服を身に纏った彼は中肉中背、容姿もこれといった特徴のない、強いて言うならば若干鼻の低い平たい顔をした、印象に残らないタイプの人間だった。唯一目立ちそうなところといえば、大きな軍刀を腰から下げているくらいか。そして、この男こそが瑞鶴の嫌う男、この鎮守府の最高指揮官である葛木だった。
「私は瑞鶴の付き添いです。まだここに配属されてから間もないですから」
「そうか、ご苦労だった。下がってよろしい」
「はっ!」
要件だけ済ませると翔鶴はあっという間に帰ってしまった。去り際に小声で「頑張って」とだけ残して。瑞鶴は引き留めたい衝動に駆られて一瞬手を伸ばしたが、すぐに引っ込めた。
翔鶴は扉の前で腰を折り礼をし、部屋を出ていった。扉が閉められた音だけが部屋に響く。数分に感じられるほど長い数秒のち、葛木が口を開いた。
「さて、瑞鶴君。まずはお疲れ様」
置いて行かれた瑞鶴は横を向いたまま反応しない。
「……どうやら嫌われてしまったみたいだな」
葛木はやれやれといったように首を横に振った。
「それでは続きは優秀な秘書に頼もうか」
「Jawohl!」
返事は、執務卓の椅子に座る少女から返ってきた。
白い軍服に赤い縁の眼鏡をかけた少女は伊号第八潜水艦、通称『はち』。この北方鎮守府の主力艦隊旗艦を務めている。葛木の秘書としても働いており、自他共に認める彼の相棒だ。
少女は持っていたペンを机に置くと、引出しから『正規空母訓練計画』と書かれた書類を取り出し、さっと目を通した。視線を瑞鶴に向けると、微笑みながら尋ねる。
「それでは瑞鶴さん、五十時間連続実戦訓練は如何でしたか?」
「如何、とはどういうことかしら」
「そのままの意味です。思ったことを言ってもらって構いません」
そうですか、と小さく呟くと大きく深呼吸をし、鋭い眼光で提督を睨みながら口を開いた。
「最悪」
想像していたよりも悪い反応だったのか、少女の顔が曇る。葛木は話を聞いているのか聞いていないのか、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「文字通り、時間と資源の無駄よ。実戦演習ならここに来る前に何度もやったし、今更やる必要があったとは思えない」
瑞鶴はぎゅっと拳を握りしめた。徐々に語尾に力が入っていく。
「そんなことよりも、目の前で餓えている友軍がいるのに何故助けに行かないのよ!」
瑞鶴が苛ついていたのは訓練による疲労からなどではなかった。苦しむ戦友を見殺しにするかのような所業に対する義憤。それが瑞鶴の怒りの源だった。
「あんなに大規模な長時間演習をやる余裕があるのに……。あなたたちはそれでも栄えある“皇国”軍人なの!?」
少女はちらりと葛木を一瞥すると、持っていた計画書を机に置き、別の書類を取り出して見ながら答えた。
「キス島奪還及び包囲下にある陸軍部隊、海軍陸戦隊の収容については大本営が決定を下します」
「今もあの島では兵が飢えて死んでいるのよ! あなた達は、それでも何も思わないの!?」
瑞鶴は竹を割ったような闊達とした性格が鎮守府のメンバーに好かれていた。誰にでも優しく、誰にでも好まれる最古参の翔鶴が姉であることもあり、新参者でありながら艦隊に打ち解けていた。
そんな瑞鶴の持つ一面が、愛国者としての彼女であった。瑞鶴にとって、死地にある友軍を前にして足踏みばかりしている現状は、キス島の兵士たち、そして何より御国への裏切りであるようにしか思えなかったのだ。
「つい最近まで内地にいたならば、我が軍は南方戦線の維持で手一杯だということはご存知ですよね、瑞鶴さん」と、眼鏡をかけ直しながら少女が静かに言った。
「一個戦隊の実戦演習を行う程度の物資しか、余力がないのもわかってください」
祖国を取り巻く厳しい情勢を、瑞鶴は百も承知だった。しかし、それでも瑞鶴は誇り高き軍人として、一人の愛国者として、同胞の身を案ずる気持ちを抑えきれなかった。
「私なんかに使うよりも貯めて、一日でも早く救出に向かうべきだと言っているの!」
埒のあかない平行線になりかけた議論を止めに入ったのは、二人の上官だった。
「大本営はアルフォンシーノ方面からの撤退も視野に入れて作戦を練っている」
二人の視線が葛木の背中に集まった。彼は窓の向こうの黒い何かを眺めながら、淡々と続けた。
「キス島への救助も遠からず行われるだろう。今はそのための準備として君に訓練を施した」そして瑞鶴の方に振り返って言った。
「これでいいかね、瑞鶴君」
「……それで納得すると思っているの?」
軽蔑の眼差しで葛木を睨みつける。しかし、肝心の彼は全く意に介さないかのように返した。
「それでは言葉を変えよう。上官命令に従え、“正規空母”瑞鶴」
「……ッ」
「それでも軍人か」と言った手前、上官命令を使われては何も言い返せない。唇を噛み締めながら踵を打ち付け敬礼をし、できる限りの嫌味を以って返した。
「了解しました、“特務の”陸軍少将閣下」
途端、少女が机を思い切り叩き身を乗り出して怒鳴る。
「瑞鶴さん! 言っていいことと悪いことが」
怒号をかき消すように、バタンと扉が勢い良く閉められた。
「やれやれ、とことん嫌われたものだ」
苦笑いを浮かべながら、葛木は机に腰掛けた。
「暫くは要注意ですね。翔鶴さんと摩耶さんに声をかけておきます」
少女は机に突っ伏す。幾つかの書類がくしゃりと音を立てて折れた。
「そこまでしなくても大丈夫だろ」
「甘いです。部下に殺された上官は星の数ほどいると、教えてくれたのはどなたでしたっけ?」
葛木は笑いながら「好きにしろ」と言うと窓を開けた。肌を刺すような氷点下の夜風が吹き込む。ここは一年中氷に覆われる最北の海であり、吹き荒れる暴風雪雨に荒波と、この極寒の地での越冬に二人は苦労させられた。その一方で、その悪天候は敵の行動にも制限をかけており、この海での大規模な戦闘は未経験だった。これからは天候が回復し、自然の脅威ではなく、実際の敵と戦わなければならない。葛木はその重圧をひしひしと感じ取っていた。
「うーん」と少女が大きく伸びをした。
「はっちゃん、少し眠くなっちゃった」
葛木は窓を閉めると、机に腰を掛けながらズボンのポケットから懐中時計を取り出した。時間を確認すると少女に尋ねた。
「もうすぐ八時半だが、そろそろ上がるか?」
「んーん、ちょっとだけ寝たら続きやらないと」
机に顔を沈めたままもう一度伸び。少女はなかなかに疲れているようだ。というのも当然のことで、将官の仕事は、階級が上がれば上がるほど戦闘以外の面が本番である。この男は腐っても少将。本来の仕事の量は半端ではない。となれば、サポート役である彼女の負担も比例して重くなる。当然だが、彼もそれを重々承知している。
迷惑かけるな、と聞こえないように呟いた。一方の秘書は机に伏したまま、葛木の軍服の裾をクイクイと引っ張った。
「てーとくー、もっとこっちきてー」
葛木は手を伸ばして柔らかな金髪の上に手を置くと、娘を愛でるようにゆっくりと撫でた。
戦の波浪吹き荒れる海を、穏やかな夜が過ぎていった。
“深海棲艦”、それは世界戦争の真っただ中に突如としてあらわれた人類共通の敵であり、また、味方でもあった。
深海棲艦の出現が確認された時、世界は既に血みどろの戦争をしていた。
中央大陸の西部に位置する欧州地域では、政変により誕生した全体主義国家である“帝国”が覇権を求め隣国を次々と侵略、“帝国”と北西海峡を跨いで浮かぶ島国である“連合王国”と、中央大陸の半分以上を支配下におさめる“共和国”を残し、欧州地域全土を含む大陸西部の殆どをその支配下に置いた。
“連合王国”は世界各所に持つ植民地や、西海を挟んだ新大陸にある“合衆国”と連携して“帝国”と開戦。“帝国”に蹂躙された国家の亡命政府や“共和国”も加わり、これらの国や政府で『連合国』を形成した。
一方の“帝国”は、自らと同様に植民地を持っていない国家であり経済圏が小さく、新たな市場を海外に求めている“皇国”と同盟を締結。『枢軸国』として、両国はその傀儡国家たちと共に手を結んだ。
大陸歴1939年に始まった、人類が二回目に経験することとなる世界戦争は当初枢軸国有利で推移し、1942年には枢軸国の最盛期を迎える。対する連合国は無尽蔵の国力を活かすため敗北を重ねながらも耐え忍び、枢軸国の息が切れ始める1943年中の大反攻を予定していた。
まさにその矢先、『彼女ら』は現れた。
1943年の3月に西海で初めて公式に存在が確認された深海棲艦は、それからわずか数週間のうちに世界中の海洋で発見されるようになり、同年4月30日、人類に対し無差別攻撃を開始した。
人間サイズでありながら軍艦と同等の戦闘力を持つ深海棲艦に対して有効な攻撃方法を持っていなかった人類に抵抗の術はなく、母なる海は瞬く間に人の手から零れ落ちた。
島国である“連合王国”、西の新大陸にある“合衆国”、中央大陸の中央に位置する“共和国”、これら連合国を結んでいた海が深海棲艦によって切り離されたため、漁夫の利を得た形になった“帝国”は、海軍力が貧弱で外洋艦隊を持っていなかったこともあり、外海を切り捨て内海の防衛に絞ることでいち早く体勢を立て直し、再び攻勢の準備に取り掛かっていた。
“連合王国”は、本島が小さな島でありながらも世界中の植民地の力で経済を維持する海洋国家であった。海を失った彼らに戦う力はもはやなく、北西海峡に深海棲艦が居座ることで“帝国”からの侵攻が起きないことを祈りつつ、戦陣から姿を消した。
国の両岸を大洋に挟まれた“合衆国”は、元の経済力が大きいためなんとか枢軸国との戦争を継続しつつ深海棲艦との戦いに力を注ごうとしていたが、有効な手段を見いだせないまま時間と命と金が水底に沈んでいった。
“共和国”は、北海に面している以外は概ね大陸国家であるため深海棲艦の影響は小さく、また1943年の年明けに“帝国”の一個軍30万を包囲殲滅する大戦果を挙げたことから、経済的に余裕のある“合衆国”からの支援が停止したこと、連合国が事実上解体したことを勘定に入れても、“帝国”との戦争継続に問題はなかった。
そして、“皇国”は中央大陸東端に浮かぶ島国であるため、深海棲艦の出現により“連合王国”同様、国家存亡の危機に晒されていた。ところが、“皇国”は1943年の末に世界で初めて対深海棲艦戦術兵器の開発に成功。少数ながら直ちに実戦投入され、本土近海まで押し寄せていた深海棲艦を食い止めることに成功した。
この時、満身創痍ながらもなんとか僅かな海を取り返した“皇国”には、連合国との戦争勝利に一縷の望みが生まれていた。
“皇国”の主な戦争相手は、大陸東部に散在する中小の軍閥、大陸南東部及び南東島嶼にある“連合王国”の植民地、そして極東洋を8000㎞挟んだ“合衆国”だ。イデオロギー対立もあって政治的に険悪で、過去には軍事的衝突を繰り返していた“共和国”とも隣接しているが、現在は不可侵条約を締結しているため戦端は開かれていない。
列強諸国に食い物にされ軍閥化した大陸の幾つかの抵抗勢力、継戦を放棄した本国から取り残され独立運動の火消に躍起な“連合王国”植民地、どれも精強な“皇国”軍の相手ではなく、海上輸送ルートの確保さえなされれば突き崩すのは容易である。
そして、残った“合衆国”こそが、“皇国”にとり最大の敵国だった。
戦前は資源の多くを“合衆国”に依存していた“皇国”だが、国内経済の行き詰まりから武力を背景に海外の市場を獲得しようとしたところ“合衆国”が猛反発。資源の禁輸によって両国間での通商が停止し、“皇国”は戦争によって活路を見出すか、海外の権益と面子を捨てて“合衆国”に縋るか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまった。
列強の一角を自任していた“皇国”は、当然のことながら開戦を決意。1941年冬、手続上の不手際から奇襲を仕掛けることになった“皇国”の圧勝で両国の戦争は幕を開けた。
“皇国”は開戦の百年ほど前から金科玉条として温めてきた『北守南進』に則り、南西諸島海域や南方海域などの資源地帯に向けて進撃を開始。この地域は支配していた宗主国が星の裏側にある欧州諸国であってろくな戦力が配備されていなかったこともあり、“皇国”軍はこれといった抵抗を受けずに資源地帯を確保していった。
それを後押しするかのように、中央大陸西部で破竹の進撃を続ける“帝国”との戦争を第一に考えていた“合衆国”は『西海第一・極東洋防衛』の方針に則り、極東洋での戦闘は機が熟すまで防衛に徹するとしていたため、“皇国”は“合衆国”との戦闘でも優位に立っていた。これらの好条件が重なった“皇国”は想定した以上の速度で進撃した。やがて、分不相応な版図の拡大は戦略性の欠如と相まって、海上護衛の軽視といった形で後に首を絞めることとなる。
快進撃に湧く“皇国”だったが、主導権を握っていた時間は極めて短かった。1942年6月の海戦で大敗北を喫して以降、“皇国”は守勢に回ることを余儀なくされたからだ。
そして翌1943年夏、西海よりも三カ月ほど遅れて、極東洋でも深海棲艦の大規模な攻勢が始まった。
それまでのごく小規模な攻勢を跳ね除けていたことから、深海棲艦の脅威をかなり過小評価していた“皇国”は致命的打撃を受け、秋が訪れるまでに“皇国”海軍は戦闘艦のみならず輸送船をも含めた全艦艇の約七割を損耗した。
だが、より大きな被害をこうむったのは“合衆国”だった。理由は単純明快。“合衆国”の方が“皇国”よりも、保有している艦艇の数が桁違いに多かったからだ。
両国とも戦線を縮小し南方及び南東海域から手を引きつつあったが、制海権の簒奪者である深海棲艦との戦闘に耐えうる新兵器の開発で先行した“皇国”が巻き返しを図れる可能性が出てきた。
言うまでもないが、既存の兵器で太刀打ちできなかった深海棲艦に勝てる兵器を擁した“皇国”軍に、既存の兵器しか持たない“合衆国”が勝てるはずがないからだ。さらに、もしも極東洋での巻き返しが現実になれば、深海棲艦のおかげで、以前脅威となっていた“合衆国”潜水艦による通商破壊の恐れが消えたことで、海上輸送が安定し陸軍の作戦も円滑化する。
「もしかしたら、何もかにも勝てるかもしれない」そんな甘い見通しが大本営に蔓延しつつあった。
久方ぶりの日光が差し込む司令室。机の前では眼鏡の少女が新聞を広げていた。
「大本営陸軍部発表、北方海域キス島支援のため精鋭歩兵第八師団による上陸作戦を決定! 提督、これ本当ですか?」
「あぁそれな、嘘だよ」
ぬるくなりかけのコーヒーを啜る葛木の口から帰ってきたのは、目の覚めるような厳しい現実だった。
「一個師団規模の上陸作戦をやろうとしたら揚陸に三日かかる。軍需品まで含めたら五日だ。十五万トンにも及ぶ船舶を、あのキス島沖合に五日間待機させられると思うか?」
深海棲艦の取り囲む島に、単純計算で一万トンクラスの大型輸送船十五隻を五日も停泊させる。まさしく自殺行為だ。
「戦意高揚のためだろうが、もう少しばれにくい嘘をつくべきだな」
そもそもそんな大規模な輸送船団をここに割けるほどの余裕もないしな、と付け加えると机に腰を掛け、まだ半分ほど中身の入ったカップを横に置いた。
「キス島近海の制海権を取りに行くってことじゃないんですか?」
「南は輸送ルートの確保で手一杯、本土近海にも敵潜水艦がうようよしている。とても援軍は期待できないな」
うーんと首を傾げた少女は、手元の書類を一瞥してから顔を上げ尋ねた。
「現有戦力で攻め落とすのは?」
「そんなこと俺が許さん」
即答。彼我の戦力差を正確に認識することは指揮官にとって不可欠な能力である。彼はそれをよく知っていた。
「だけど、参謀総長からこんなの来てますよ」
ひらひらと小さな顔の横で揺らす電文は、キス島救援作戦決行の催促だった。
「戦力増強の単語がなければ握りつぶせ。もしくは兵力不足を盾にして先延ばしだ」
上司の固い意志を聞いた少女はあどけない笑顔を浮かべると、手を伸ばしてコーヒーカップを取った。
「おいおい飲みかけだぞ。新しく淹れたらどうだ?」
「はっちゃんはこれが良いんですー」
ほんのりと頬を染める少女の手元には、首都から送られてきたもう一通の文書が無造作に置かれていた。『キス島沖海戦図上演習』という題だった。
『発、軍令部総長。宛、北方艦隊司令』
『国情を鑑みるに、現状を超える戦力を北方艦隊に割くことは不可能である。よって、キス島沖海戦は北方艦隊のみで決行されなければならない』
『キス島近辺の海域に存在すると予想される敵戦力は戦艦三、巡洋艦十七、駆逐艦三十九の計五十九。それに対し、戦闘に耐えうる味方戦力は戦艦二、空母二、巡洋艦四、駆逐艦九、潜水艦一の計十八隻である』
『キス島を包囲している敵艦隊との戦闘が行われた場合、敵戦力のうち、巡洋艦六、駆逐艦十一の撃沈が期待できる。一方、味方戦力への被害は巡洋艦一、潜水艦一沈没、戦艦二、空母二、巡洋艦一、駆逐艦五大破戦闘不能、巡洋艦二、駆逐艦四中破となった』
『一時的なキス島の解囲には成功したものの、キス島周辺の残存敵戦力を駆逐し制海権の確保を行うことは困難極まりなく、また敵の増援の可能性も否定できない』
『以上のことから本図上演習では、キス島沖での決戦による制海権の奪取は不可能であると結論付ける』
北方海域に浮かぶキス島。この島は新大陸の“合衆国”北部州西岸から連なるアリューシャン列島の西に浮かぶ島である。1942年夏、中部極東洋で大規模な作戦が実行され、その陽動として実施された北方海域作戦において、海軍陸戦隊と陸軍が共同で進出し占領。しかし1943年の深海棲艦発現で本土から孤立、救援を求めていた。
先述の通り四方を海に囲まれた“皇国”も深海棲艦の影響は大きく、海軍は著しく損耗しており、ちっぽけな北の島の救援どころの話ではなかった。そこで名乗りを上げたのが陸軍である。
敗戦を重ねるも対深海棲艦対策として予算の大部分を獲得する海軍に激しい対抗心を燃やす陸軍は、北方海域の深海棲艦が活発でないことや、同海域の制空権が失われていないことを理由とし、独自のキス島支援作戦を敢行した。ここで陸軍の威厳を見せつけ、海軍の怠慢を証明することで予算を取り返すという、戦略性を度外視した政策的な作戦であった。
作戦は空輸によって行われ、まずは臨時編成のキス島守備隊3000名を派遣。続いて物資や砲火器を輸送し、残存兵と協同でキス島を要塞化する計画であった。
作戦は順調に推移し、新聞は久方ぶりの戦果を祝うように騒ぎ立てた。
『皇国陸軍 キス島に守備隊を輸送』『深海棲艦の海に楔を打ち込んだ陸軍』『すごいぞ陸軍! どうした海軍?』
そして、陸軍の目論見は最悪の形で失敗した。キス島守備隊を派遣し終え、第二段階の物資輸送に移ろうとしたその矢先、深海棲艦の活動が突如として活発化したのだ。特にアリューシャン列島最東部のダッチハーバーにいると思われていた『北方棲姫』がアダック島まで進出していたことは戦局に大きな影響を与えた。食糧弾薬を満載した輸送機は敵航空機によりことごとく撃墜され、空輸能力に甚大な損害を受けた陸軍は守備隊をキス島に残したまま作戦の中止を決定した。
やがて、陸軍によって面目を潰されていた海軍がここぞとばかりに反撃を始めた。
『陸軍守備隊キス島に孤立!』『無茶な作戦 兵の命は木の葉の如く』『海軍 陸軍の尻拭いを渋々ながら受諾』
新聞の見出しを飾る無責任な軍高官の発言は、“皇国”陸海軍の不仲を語るに有り余る証左だった。
瑞鶴がこのニュースと出会ったのは、内地で着任する鎮守府を探している時だった。国家の最終兵器である艦娘には、特別に配属先の希望を出すことが許されていたのだ。もっとも、必ずしも『希望』通りになるわけではないが。
北方鎮守府については、最初は姉である翔鶴の配属先だったことから気にかけていたのだが、ニュースを耳にし、味方を見捨て尻尾を巻いて逃げてきた陸軍に対する怒りが、そして自分こそがキス島に置いて行かれた友軍将兵を救うのだという決意が、彼女を北端の鎮守府へ誘った。
彼女は陸軍が嫌いだった。憲兵は支配地域で威張り散らし、大陸方面軍は皇帝陛下の裁可なしに大陸で戦争を始め、揚句の果てには大陸内部では良からぬ実験をしているとの噂もある。しかも、深海棲艦という未曽有の危機に際し、自分たちだけが利する戦車や重爆撃機のために海軍から予算を奪おうとする。艦娘たる瑞鶴の目には、自分勝手極まりない集団にしか映らなかった。
故に、陸軍出身の葛木を嫌うのも当然と言えば当然であった。おまけにこの提督は、部下であるはずのキス島守備隊の救出作戦を練ろうとする素振りさえ見せない。瑞鶴にとって葛木は、仲良しの秘書艦と司令室にこもってデスクワークに励んでいるだけの腑抜け上司でしかなかった。
着任初日、翔鶴に、なぜ陸軍出身の彼が海軍で提督という重役を担っているのか尋ねた。翔鶴の答えはこうだった。
「深海棲艦との戦いで艦隊指揮官が足りなくなったからだとよく言われているけど、本人に直接聞かないと本当のところはわからないわね」
翔鶴は、この艦隊の最古参メンバーの一人だ。彼女に知らないことを知っている可能性のある人物といえば唯一、秘書艦を務める伊8しかいない。しかし、瑞鶴は葛木同様この秘書艦のことも嫌っていた。
着任から一か月が経過した今も、二人との仲は険悪だった。
僅かに白波立つ海、季節外れの霧が水面を覆い尽くす。
この日、瑞鶴は第二哨戒隊の旗艦として、重巡洋艦『摩耶』と駆逐艦三隻を率いてキス島西方距離約600㎞、北方鎮守府から南東70㎞の海域を南に向けて航行していた。
艦隊は瑞鶴を中心に輪形陣。先頭に駆逐艦『朝潮』、左右をそれぞれ駆逐艦『霞』『満潮』で囲い、後方には重巡洋艦『摩耶』という布陣だ。
天気晴朗、風、南西に向き微弱。であったが、つい十分ほど前から発生している靄のせいで視界は徐々に悪化していた。
艦隊の上空には直掩の『零式艦上戦闘機52型』六機が警戒を行っている。艦上偵察機である『彩雲』はすでに持ち味の長い脚を活かして哨戒任務に就いていた。さらに『零式艦上戦闘爆撃機62型』をいつでも発艦出来るよう臨戦態勢で待機していた。なお、索敵にはやはり足が長く複座である艦攻を用いることが多いが、瑞鶴は爆撃機の運用を得意とし好んでいるため攻撃機を持っていなかった。その代わりとして、最新鋭の偵察機である『彩雲』が配備されているのだ。
ちなみに、瑞鶴は翔鶴型航空母艦の二番艦であるため基本的な戦力は翔鶴と同じであるが、姉の方は第一次改装を終えているため艦載機の運用可能数等で勝っている。具体的な数字を挙げれば、運用可能な艦載機数は翔鶴が八十四機、瑞鶴が七十五機といった具合だ。
このように、まだ着任してから日が浅い瑞鶴は、特に練度の面では同僚かつ良き姉である翔鶴に大きく水をあけられている。それでも瑞鶴は自分一人が戦況に与える影響の大きさをよく知っていた。
七十五機の艦載機ということは、ちょっとした陸上航空基地よりも強大な航空戦力であると言って良い。幌莚で北方海域を担当している第十二航空艦隊の常用定数が百七十二機であることからも、たった一人で七十五機が運用できることの重要性が分かるだろう。瑞鶴はひけらかすことはしないが、自分自身の実力を高く評価していた。それは勿論、過大評価ではなかった。
ルーティンワークの哨戒任務をこなす艦隊に緊張が走ったのは午後一時過ぎ、定時連絡を終えた直後、戦闘配食の握飯を摩耶が食べ終わった時だった。
上空哨戒中の彩雲が、雲の合間から霧に紛れて南下する敵艦隊を発見したのだ。接触予想時刻は五分後、艦隊は直ちに迎撃態勢をとる。
「……敵水雷戦隊計六隻、方位40度。先頭駆逐艦、間もなく砲戦距離20000です。摩耶さん、準備出来てる?」
彩雲の警報を受けてすぐさま第一次攻撃隊の発艦を終えた瑞鶴は、後ろに続く重巡洋艦に声をかけた。
《おう、捕捉したぜ! いつでも行ける!》
無線越しの声でわかる男勝りな性格の重巡洋艦は、水偵を打ち出し自慢の20㎝連装砲に徹甲弾を装填していた。駆逐艦は魚雷発射管の最終点検を終え、摩耶の後方に下がって単縦陣を組み突入の時を待っていた。
「了解」瑞鶴はゆっくりと深呼吸をし、後続艦に告げた。
「それじゃあ、始めましょう」
《ちょ、ちょっと待てよ》摩耶が慌てて問い質す。
《提督に一報入れた方が良いんじゃねえか。この近辺での戦闘なんて久しぶりだぜ?》
「その必要はないわよ。この程度なら私たちだけで対処できるって」
葛木とその秘書は、哨戒中の戦闘をほとんど許可しない。敵がこちらを未発見で、突入すれば一方的に殲滅できるような時だとしても、燃料や練度の不足を理由に攻撃を厳に禁じるよう指示する。
冗談ではないと瑞鶴は日々思っていた。倒せる敵を目の前にして、なぜ背中を向けなければならないのか。こんなのは慎重な艦隊運用などではない。臆病風に吹かれただけだ。
「あの艦隊をここで逃せば、後のキス島救出作戦の障害となるかもしれないし」
《その時に倒せばいいだろ》
一方、摩耶の脳裏には秘書艦から告げられた言葉がよみがえっていた。「瑞鶴さんが提督の指示に従わないようなことがあったら、実力行使でも構いません。止めてください」と少女は言っていた。瑞鶴のことをまだひよっこで、命令違反をする度胸などないと考えていた摩耶が自分の認識の誤りに気付いた時にはもう遅かった。
「戦いの道必ず勝たば、主、戦うこと無かれと曰うも、必ず戦いて可なり」と言うと、瑞鶴はさらに「これは独断専行で許された範囲の行為よ」と続けた。
《勝てる時には命令を無視してでも戦って勝てってか》
「ええ、その通り」
《ならまずは命令を仰いだらどうなんだ?》
瑞鶴の表情が僅かに曇る。瑞鶴と同様に気の強い摩耶ならば、戦闘となるのは歓迎するだろうと高をくくっていたのだ。
「この艦隊では旗艦である私が最先任です」と高圧的に言い切った。これ以上の言い争いは無駄だと判断したのだ。そして瑞鶴には確信があった。いざ戦闘が始まってしまえば、摩耶はのめり込むだろうと。
でもよ、と言い澱む摩耶を突き放すかのように告げた。
「敵駆逐艦、砲戦距離に入りました。第一次攻撃隊は砲撃開始と共に、後続艦に対して突入します」
有無を言わせない頑なな態度にイラつきながら、摩耶は舌打ちを一つすると吐き捨てるように言った。
《私情を戦場に持ち込むんじゃねえよ、クソが!》
横目で瑞鶴を追い越しながら前に出ると、持っていた20㎝連装砲を前方に構える。
《征くぞ、攻撃開始!》
水面が削られ飛沫と砲煙が舞う。轟音と共に放たれた砲弾は高速で飛翔し、やがて水平線の彼方で巨大な水柱を立てる。初弾は、駆逐艦を夾叉した。
「敵艦隊、進路を南に変更。弾着修正、やや右!」瑞鶴の叫び声が響く。
《わかってる!》
続いて放たれた第二撃。二つの赤い火の玉は、尾を帯びることもなく弧を描きながら空を舞い、敵駆逐艦に吸い込まれていった。
咄嗟に撃ち返そうと回頭する深海棲艦であったが、どこからの攻撃かわからず混乱していた。そして、先頭のイ級駆逐艦が土手っ腹に直撃弾を食らった直後、北から回り込んできた瑞鶴航空隊が攻撃目標を視野に捉えた。250kg爆弾を抱えた零戦62型の編隊が、敵艦隊目がけて高度1000から緩降下を開始する。
摩耶の奇襲的な砲撃により混乱した深海棲艦は、時速550㎞を超える高速で突入してくる零戦に気づくのが遅すぎた。旗艦のホ級軽巡が警報を発した時には、艦隊が回避運動を始めた時には、緑色の機体は各個爆弾を投下していた。『投下』、厳密にはこの表現は正しくないかもしれない。ただ一つ言えることは、時速680㎞にも達する爆弾の突進に、ホ級軽巡は悲鳴を上げる間もなかっただろう。
攻撃開始からわずか数分で旗艦を失った深海棲艦は混乱状態に陥り、各自バラバラの行動をとり始めた。この機を逃す手はない。瑞鶴は迷わず駆逐戦隊に命令を下す。
「敵艦隊の陣形が崩れた。今よ! 駆逐戦隊、全艦突撃!」
《了解! 朝潮以下駆逐戦隊三隻、突撃します!》
待っていましたと言わんばかりに高速の駆逐艦が飛び出した。瑞鶴の後方から抜け出した駆逐戦隊はどんどん加速し、30ノットで敵艦隊に向けて突進する。その上空を、瑞鶴の第二次攻撃隊『九九式艦上爆撃機』二十一機が追い越して行った。
海面を滑るように駆け抜ける三隻。摩耶の20㎝砲弾が生み出す水柱を目指し、脇目も逸らさずひたすらに進む、進む、進む! 距離18000。まだ撃たない。慌てふためく敵艦からまだ発見されていないからだ。朝潮はさらに距離を詰める。目指すは決戦距離5000!
だが、距離7000で敵艦隊が駆逐戦隊に気が付いた。敵艦隊は艦砲射撃を開始する。彼方で一瞬煌めいた発砲炎を、朝潮は見逃さなかった。
「避弾運動開始! 各個砲撃を許可します!」
朝潮が無線も使わずに叫んだ。その声は前方100に着弾した砲弾で掻き消されたが、後続の満潮、霞は朝潮の転舵にすぐさま反応し、それぞれ左右に散開していった。
対空回避運動を取りながらの艦砲射撃など、仮に統率の取れた艦隊のものであってもそう当たるものではない。朝潮の読みは正しく、深海棲艦は闇雲に撃っているに等しい状態だった。
ジグザグ航行をしながら、威嚇程度に12.7㎝連装砲を撃ち返しながら、朝潮はまだ距離を詰める。頭上では相変わらず摩耶の20㎝砲弾が飛び交っていた。自慢の快足を飛ばし、じわりじわりと接近し、ようやく距離5000に敵艦隊を収めた。
「魚雷戦用意!」
掛け声とともに三艦が結集し、一列に隊を組む。左手の四連装魚雷発射管を構え、速度を落とし狙いを定める。右前方距離5000。訓練で繰り返した必中距離だ。
「攻撃、始めッ!」
480㎏の炸薬を搭載した小魚は一斉に放たれた。航跡のない酸素魚雷が扇状に敵駆逐艦に忍び寄っていく。
「回頭! 全速離脱急げ!」
駆逐艦としての任務は果たした。あとは速やかに敵砲撃射程圏から抜け出し、安全を確保するだけだ。三隻は回れ右をすると、来た道を戻るべく再び全速力で水面を駆け出した。
三隻とは逆方向に雷速40ノットで航走する十二本の魚雷は、見えない足跡を残しながら敵艦隊を襲った。
朝潮がちらりと振り返った時、20㎝砲弾とは別の水柱が数本立ったことを確認した。魚雷命中である。
《魚雷、計五本が駆逐艦三に命中。一艦は大破……いえ轟沈確実、二艦も被害甚大! 良い感じじゃない!》
「ありがとうございます!」
朝潮は小さくガッツポーズをとり、満潮と霞の方を向いた。二人は態度こそいつも通りの冷たいままであったが、その表情には喜びの色が見て取れた。
その頃、摩耶のアウトレンジ攻撃はまだ続いていた。敵駆逐艦の主砲は最大射程16000の5インチ砲。距離20000から一方的に撃ち続ける摩耶には一片の不安もなかった。その証拠に、戦闘開始直前は訝っていた彼女が、今は戦闘の高揚に酔いしれている。瑞鶴の読みも的中していたのだ。
「敵残存勢力は煙幕を展開し逃走を開始。追撃戦に移るわ!」
戦闘開始から二十分ほどが経過し、勝敗が明らかになった頃、瑞鶴が無線で全員に通達した。この言葉に反発する者は誰もいなかった。当然である。勝ち戦は、それも圧倒的な勝利というものは堪えがたい快感そのものなのだ。敵に壊滅的な打撃を与え、味方への被害はない。これで敵艦隊を殲滅さえすればまさしく完全勝利である。
この状況において、追撃を決めた瑞鶴の判断は必ずしも間違ったものではなかった。ただし、この評価を下すには一つの条件が付く。その条件を知る余地は、彼女たちにはなかった。否、知る機会を彼女が捨ててしまったのだ。このことに気が付くのは、そう遠くない先のことである。
この時、13時27分。瑞鶴率いる第二哨戒隊は、後退する敵艦隊追撃のため、基準哨戒線『C』を超えて東方敵勢力下の海へと侵攻を開始した。
同時刻、葛木とその秘書艦はいつもの司令執務室にいた。だが、二人は部屋の真ん中に置いた大きな机を挟み、渋い顔をしながら卓上の海図と幾つかの資料を睨んでいた。窓の外に映る空は、一面鈍色の雲に覆われていた。
「提督、上の人たちをなんとかできませんか?」
「無理だな。俺たちではどうしようもない」
「だけど、もしもの時に責任を取るのは私たちなんですよ」
「俺たちに出来るのはただ従うか、もしくはそうだな、事故に見せかけ密かに葬り去るかってところか」
不穏な単語に少女の表情がさらに暗くなる。
二人の頭痛の種は“上の人たち”だった。これは比喩的な意味ではなく、物理的な意味で“上”にいる者を指していた。というのも、鎮守府本部の屋上では現在、新型電探の試験運用が行われているのだ。
「戦力増強にはなるかもしれませんけど、どうせ初期不良満載の実験機ですよ」
「そんなことは百も承知さ。だから俺たちに出来るのはその後始末だけってことになる」
ため息をついた葛木が海図の上に指を置いた。
「ここが我々の現在地だ」
指の下には小さな島があった。そしてその島を中心に二つの円が書かれている。葛木はその円のうち、内側に書かれているものを指でなぞりながら言った。
「これが既存の電探による索敵範囲」
次に外側の円をなぞる。
「こっちが新型電探の索敵範囲」
外側の円は半径が内側のものの倍近くあった。
「現在の電探の索敵距離は約19㎞だ。これが35㎞になるというのなら願ったりかなったりだ」
北方鎮守府は、“皇国”本土から北東に2200㎞の位置ある名もなき無人島に急造させた臨時の前線基地である。そして北方鎮守府と本土との間にある幌莚島には、北部海域における本土防衛の切り札である、重巡洋艦『那智』率いる第五艦隊が控えている。
また、北方鎮守府から東南東に600㎞程行くと問題のキス島があり、これらアリューシャン列島を東進すると新大陸に着くため、現状で最も合衆国に近い“皇国”軍基地でもある。しかし、旧式の電信一つと補給物資の輸送船以外に外部との連絡手段が存在しないため、葛木はこの島を『第二のキス島』と自嘲していた。
北方艦隊最大の懸案事項は、深海棲艦が南を迂回して本土及び幌莚島との補給線を絶ち、本当に第二のキス島とされることだった。
それを防ぐためには鎮守府南方の警戒を厳にしなくてはならないのだが、“皇国”の燃料事情は予断を許さないものであり、さらに陸軍出身の葛木に後ろ盾がないことも災いし、一度の出撃に際して一艦辺りに支給される燃料は300から400㎞分程度。戦闘を含めた作戦行動可能範囲は単純計算でおよそ100㎞強という非常に短いものになっている。また、数が少ない北方艦隊は南方に戦力を割けば割くほど鎮守府正面への防御が甘くなり、根拠地そのものを損失しかねないというジレンマを抱えていた。
よって、南に広がる長大な哨戒線を、通常艦船を持たない北方艦隊だけで維持するのは不可能であると、葛木とその秘書艦は結論付けた。そこで代わりに考案されたのが航空機と電探による索敵だ。
哨戒隊の旗艦に航空機の運用可能な艦を据え、艦隊の索敵範囲を底上げする一方で、鎮守府防衛として少数の予備艦隊を待機させつつ、索敵自体は陸上電探で行うというものだ。
『北方棲姫』がダッチハーバーに戻ったことにより、北方の深海棲艦の活動が沈静化したこともあってこの方式でなんとかやってきた北方艦隊にとり、実験機とはいえ強力な新型電探の配備が鎮守部の安全保障に大きく資するものであることに疑いはなかった。
「はっちゃんだってそれくらいわかりますけど……」
少女がおずおずと口を開く。珍しく歯切れの悪い、奥歯に物が挟まったような言い方だった。
「使用電力の問題で今まで使っていた電探が使用不能、って点が落ち着きません」
少女の言葉を聞き、葛木も思わず左手で頭を抱えてしまった。
二人の頭を悩ませる問題は全てそこに集約された。実は、手続上の不備から新型電探用の発電機とその燃料が届けられておらず、既存のものか新型か、片方の電探を起動するためには片方の電探の使用を中止するしかないのだ。
そして話をややこしくしているのが、新型電探の配備を推進しているのが聯合艦隊司令長官の立花大将であることだった。背後にいるのがあまりの大物であり、そして仲が悪いはずの陸軍軍人である葛木に対する善意であったため、葛木に電探配備への拒否権は事実上なく、本土から来た海軍技術研究所の人間が鎮守府の目である既存の電探『タキ1号』の電源を落とし、使えるかどうかもわからない新型の『二号二型電波探信儀』、通称22号電探の起動実験を行うのを、指をくわえて見ているしかなかった。
「なるべく短時間で終わらせるように言ってある。いざという時のため、利根率いる第一哨戒隊も今日は鎮守府正面に配置した」
葛木は海図の上に三つの駒を置いた。一つは北方鎮守府の上に、一つは鎮守府の東30㎞の位置に、そしてもう一つは鎮守府南東70㎞、キス島西方500㎞の所に。
出来ることはやった、上司の言葉を疑う秘書艦ではなかったが、それでも少女の不安は消えなかった。それを表情から感じ取った葛木もまた、最悪の事態のことについて考えを巡らせていた。
「今日の予備隊は翔鶴達だったな」
「翔鶴さん、阿武隈さん、望月さんの三艦です」
北方艦隊最強の航空母艦『翔鶴』。葛木の頭を過った最悪のシナリオ、敵戦艦部隊による鎮守府強襲に対する切り札としては十分すぎる戦力だ。
最悪の状況における理想的な展開としては、まず第一哨戒隊の利根が接近する敵艦隊をいち早く発見し、すぐさま翔鶴の攻撃隊が先制攻撃を加える。鎮守府随一の実力を誇る翔鶴ならば、制空権の確保とその後の敵艦隊への攻撃は両立させられるだろう。続いて第一哨戒隊を主攻とし後方から突入させ、混乱に乗じて助攻の予備隊を投入し挟撃する。
このように、現在持てる航空、水上の全戦力を投入すれば例え戦艦を中心とした水上打撃艦隊だろうと撃退は十分に可能であるのだ。
それに、いざとなったら入渠中の戦艦『榛名』と軽巡洋艦『川内』を、高速修復剤を使って強引に戦線復帰させることも可能である。非番ではあるが優秀な駆逐艦『不知火』もいる。備えは万全とは言えずとも最善であることは間違いない。
少女も同じ事を考えていた。これといった落ち度は見当たらない。しかし、不吉な予感はとどまることを知らず、嫌な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
僅かな沈黙。その張り詰めた空気に耐えきれなかったかのように、ジリリリと電話が鳴った。二人は一瞬目を合わせると、少女が頷いて受話器を取った。
「はい、私です。はい、はい……はい。わかりました」
本日一番の暗い声で返事をして受話器を持ったまま、少女が悲痛な面持ちで葛木に告げた。
「第一哨戒隊から入電です。一三三〇現在、濃霧の発生により視界僅少。目視による索敵は非常に困難なり、だそうです」
葛木も本日一番の大きなため息をつきながら立ち上がると秘書艦に命じた。
「はち、第二種戦闘態勢だ。翔鶴達を作戦室に集めろ」
「了解しました!」
受話器を一度置き、電話室にかけ直した。少女が幾つかの指示を下している横で、葛木は自責の念に駆られていた。
幌莚島で待機中の気象観測設備と観測士は、海軍を脅してでも輸送させるべきだったな。葛木は後悔を敢えて言葉にせず飲み込んだ。愚痴っても状況は何一つ好転しないからだ。葛木は負わなくてはならなくなるかもしれない責任の重さを想像し身震いした。
そして致命的なまでの物的、人的資源不足に僅かな頭痛を覚えながら部屋のカーテンを閉めた。ほんの僅かながら差し込んでいた日光の代わりに警報が鳴り響き、誰かが慌ただしく廊下を駆けていった。サイレンと軍靴の音、この鎮守府にも戦争の前奏曲が流れ始めていた。
薄い灰色に染まった洋上で、第一哨戒隊旗艦、重巡洋艦『利根』は戸惑っていた。
この艦隊に配属された時、五月頃から濃い霧が出始めるという話は聞いていたが、今はまだ四月だ。時期としては少々早い。嫌な汗が背中を流れる感覚を覚えた。
いや、正確には霧の時期が早いことが問題なのではない。これほどの濃霧の中での艦隊行動が、利根にとって初体験であることが問題なのだ。近づきすぎれば衝突の危険があり、離れすぎれば艦隊からはぐれてしまう危険もある。そしてなにより、与えられた哨戒任務の達成はほとんど不可能であるに等しい。
「この一大事に……」
利根は己の準備不足と未熟さを呪い、下唇を噛みしめながら鎮守府からの返信を待った。ため息をついたが、白い吐息は霧に混ざってすぐに消えた。
この海域は極東洋の最北にあるため、言うまでもないが一年を通して気温が低い。九月から五月までの間の最低気温が氷点下まで下がるおかげで、日によっては五月であろうと雪が降る。しかもこれらは陸上で観測されたものであり、海上の状態はさらに悪いものになる。特にこの海は冬になると大シケになるのだ。艦艇、航空機ともにろくな行動がとれない日などザラである。そして、海が落ち着く夏には先述の通り霧が出るため、一年を通して艦隊行動に不向きな海域であった。
物思いにふけっていると、前方を低速で航行している戦艦『霧島』が不安そうに尋ねた。
「利根さん、提督はなんと?」
その声は大きくなかったが、距離が近く波が静かなのもあり、無線を介さずに聞き取れた。
「うむ、返事はまだじゃ。向こうも大慌てじゃろうな」
他人事のように振る舞ったが、状況は限りなく最悪である。
最新の電探配備のためにそれまで使っていた電探が使えず、霧のため利根の射出した水上偵察機は殆ど役に立たない。まるで坂道を転がり落ちるかのような具合である。冗談にしても笑えない。
「さて、これからどうなるかのう……」
利根は考える。旗艦として、下された命令をすぐさま実行するためには予め自らも下される命令を予想する必要があるからだ。
軍隊の命令と言うものは、いくら格式ばっていようとも所詮人間が下すものに過ぎない。他の命令と異なる重みを与えているのは、部下や同僚、国民そして敵の命を扱うという重い『責任』だ。軍人と市民の違いはこれに尽きる。そして、さまざまな要素が複雑に絡み合った中での決断の『迅速性』である。こちらは凡人と天才の差異となる。
要は、重責を背負いながら素早い判断を求められる困難をこなせるから、将校というものは数少ないエリートとされているのだ。
逆に言えば、先述の通り凡人であろうと、ある程度の教養と知識さえあれば、時間をかけて幾重にも絡まった糸をほどいていけば、歴史の教科書に載るような軍人と同じ決断を下すことが出来る。
利根は自分の頭脳が特段優れているとは思っていない。しかし、第一哨戒隊旗艦という責任を軽いと感じたことはない。故に彼女は常に考える。次の一手は何か、それが最善手なのか、他に選択肢はないのか、その結果はどうなるのか。上の命令と自らの予想とが合致すれば部下への伝達もスムーズになり、作戦行動が極めて円滑になる。
利根は少々幼い容姿や言動に反し、責任感の適切な使い方が出来るという点において、前線指揮官としての素質は他の重巡洋艦と比較しても抜きん出ていた。
利根は乳白色の空を仰いだ。二時間前に撃ち出した『零式水上偵察機』は霧が晴れるまで上空待機することにしたが、この霧が今日中に晴れることはまずないだろう。となると、考えられる選択肢は三つだ。
一つ目は、遭遇戦に留意しつつ現状の海域で哨戒を続ける。二つ目は、霧の出ていない海域まで移動して哨戒を再開する。三つ目は、鎮守府に帰投し翔鶴ら予備隊と合流する。以上三つはそれぞれ利点を持っているが、他に比べて決定的なアドバンテージを持っている選択肢はない。どれが選択されてもおかしくはないだろう。
考え事に意識を取られて小さな横波にバランスを崩しかけた時、利根の頭に一つの疑問が生じた。そして、鎮守府から連絡が来たのはそれと同時だった。
《こちら司令部、第一哨戒隊、聞こえているか?》
「こちら第一哨戒隊旗艦『利根』。感度良好、指示を送れなのじゃ」
《現在の天候を鑑み、第一哨戒隊は『G』哨戒線を放棄、『M』哨戒線まで後退せよ》
「『M』哨戒線じゃな? 了解じゃ!」
正面に顔を上げ、首だけこちらを向けていた霧島に目配せをした。霧島は眼鏡を深くかけ直すと無線を通じて後続の随伴艦に命じた。
《全艦回頭右60度! 僚艦との接触に注意し、艦幅を広く取れ!》
輪形陣のままゆっくりと艦隊が向きを変え始める。『M』哨戒線は現在の『G』哨戒線から西に70㎞、鎮守府から見ると東に15㎞の位置にある、所謂最終防衛線だ。
利根はこの意味を瞬時に理解した。
「提督よ、技研の連中をどう言いくるめたのじゃ?」
《なに、物わかりのいい連中だったよ。権威と銃口で二段構えの戦法さ。実に物わかりが良い》
「ふふふ、軍法会議ものじゃな。それどころか、陸と海の喧嘩に巻き込まれるかもしれんぞ」
《そりゃあ良い。生きてこの島を出られるというわけか。願ったり叶ったりだ》
上司の軽口に思わず口角を上げてしまう。しかし、すぐに真面目な顔つきに戻すと、数秒前に頭を過った疑問をぶつけてみた。
「ところで、瑞鶴のやつらの海域はどうなっておるのじゃ? まあ哨戒線、いや、防衛線の縮小ということはあやつらも下げるのじゃろうけど」
《それについてだがな……》
答える葛木の声はすこぶる暗かった。利根には何があったのか皆目見当がつかなかった。わかったのは、何かがあったということだけだった。葛木は、一呼吸置いてから続けた。
《第二哨戒隊との連絡は、一三〇〇の定時連絡以降、途絶している》
北方鎮守府は、その立派な名称とは裏腹に、実状は地方の港町に毛が生えた程度の設備しかなかった。
島の南東部にちょこんとあるこの小さな鎮守府は、正門をくぐるとまず右手に衛兵所があり、正面には営庭がある。営庭を囲むように右から施設要員兵舎、鎮守府本部、艦娘用兵舎が一棟ずつ建てられている。他にも倉庫や浴室、酒保や炊事所などの一般的な施設や、艦娘用の修理ドックや工廠などがある。しかし、南方作戦を担当している鎮守府と違い、工廠は兵器の修繕を行う程度のものしかなく、新規開発は出来ない。
これら建造物のさらに向こうには海が広がっており、海岸には港湾施設がある。とは言っても、大型輸送船ならば一隻、小型輸送船ならば二隻がようやく入港できる程度の大きさしかない。しかも、荷揚げ用のクレーンが一基しかないため、この鎮守府への輸送は一度に一隻が限度であった。なおこの湾港部には、鎮守府本部とは別に、艦隊指揮を行うための艦隊司令部庁舎もあった。
島の北西部には飛行場がある。厳密には、先述の通り物資輸送が困難なため未完成で、飛行場予定地と呼ぶのが正しい。完成はないだろうという見通しから、今のところは陸上演習場として使われている。
立ち並ぶ建物は三階建ての本部を除き全て二階建て以下で、その多くは木造建築である。港湾施設、特に艦隊司令部庁舎はさすがに煉瓦や鉄筋コンクリートを用いているが、物資のない鎮守府でその割合は知れたものであった。
施設のある地域を除けば、島には手つかずの北の孤島の自然が残されており、鎮守府というよりは田舎の学校といった趣すらあった。総兵員は千人に満たない。
この小さくお粗末な鎮守府に配属された者の多くは軍に入ったことを後悔し、人事担当者を心底恨む。北方鎮守府に初めて着任した艦娘の一人が、不幸艦で名高い翔鶴であったことも合わせて考えればなおさらかもしれない。御多分に漏れず、駆逐艦『不知火』もその一人だった。
不知火は駆逐艦という艦種ながら、戦艦顔負けの鋭い眼光から一部では“氷の女王”と言われている。優秀な彼女が北方鎮守府に配属となったのは、彼女のドスの効いた視線に上官が耐えられなくなって左遷されたからだ、との噂すらあるほどだ。武器を持った時の冷淡無情な振る舞いも、彼女の冷たい印象を強めている。不知火は、一種の諦観を以て自らへの評価を受け入れていた。
そんな不知火も、流石に北方鎮守府に着任した当初は思うところがあったが、今ではこれまでにないほど満足している。現在の上官である葛木との馬が合ったからだ。不知火にとって葛木は、海軍に入って初めて出会った、尊敬に値する上官であった。
そして不知火が葛木から受けた今日の命令は、休息だった。
北方鎮守府において、唯一といってもいい戦力である艦娘の休息は一大重要事項であった。何せ寡兵に喘いでいるのだから、ただでさえ少ない戦力を遊ばせるわけにはいかない。だが、使いすり減らしてしまっては元も子もない。十分な休息を与えなければ、兵はいざという時に仕事が出来なくなってしまう。
よって、北方鎮守府は戦力を三つに分け、西方と南方の哨戒に二つの艦隊を配置。残った一つは予備隊とし、二日ごとにローテーションすることにした。予備隊はさらに二つに分け、一つは緊急時に備え臨戦態勢で待機、もう一つは完全休養とし、一日おきに交代するという形を取った。
これが良策なのか拙策なのかはまだわからない。北の海が冬を終えて落ち着きを取り戻したばかりであり、葛木が艦娘の消耗を恐れて消極的な艦隊運用をしているため、未だに本格的な戦闘状態には突入していないからだ。
かくいうわけで、本日非番となった不知火は暇を持て余していた。通例として非番の艦娘は入渠ドックで修理を行っていたが、不知火は損害を全く受けていなかったため辞退した。そして休暇の返上と前線勤務を志願した。電探の件について知っていたからだ。だが葛木は首を縦に振らなかった。不知火の上官は「休むことも仕事だ。必要な時に万全でいるように」とだけ言って彼女を追い返した。やむなく兵舎に戻った不知火は、三段ベッドの一番下に横たわった。
本来ならばここの兵舎は一部屋で三名が共同生活を送れるようになっているが、艦娘の数が絶対的に足りていないため、北方鎮守府においては艦娘に限り一人一部屋という破格の対応となった。共同生活が当たり前の軍隊において、今で言うプライバシーなどという概念は存在しないも同然なのだが、艦娘が女性であることから、葛木の配慮によって当面の間は一人一部屋の使用を許可された。しかしそれは同時に、当面の間は戦力増強がないことも意味していた。
不知火は枕元にあった本を拾い上げパラパラとページをめくった。内容はあまり覚えていない。最後に読んだのが十日以上前では続きを読んでいるとは言えないだろう。
本を放り投げて枕に顔を埋める。葛木からの命令は「休め」だった。一方で鎮守府は今、舵取りを間違えれば全滅すらもあり得る危機的状況にある。不知火の内心は、時間を浪費するもどかしさと、僅かな嫉妬でかき乱されていた。顔を横に向け壁を見据える。眼前に浮かんだのは今朝の司令執務室での光景だ。葛木に休養の返上を申し出た時、葛木がそれを断った時、隣にいたのは秘書艦の伊8だった。思い返せば、着任時に初めて葛木と会った時もそうだった。記憶にある限り、あの二人はほとんど一緒に行動していた。
「司令、不知火ではご不満ですか……?」
ぼそりと呟くと数秒間を置いてから再び枕に顔を埋めた。口から零れた言葉の意味を思い返して恥ずかしくなったのだ。髪の色と同じ桃色に頬を染め、足をバタバタさせる様は“氷の女王”とはかけ離れていた。
鎮守府中にサイレンの音が鳴り響いたのはちょうどその時だった。不意を突かれた不知火は自分が寝ていた場所を忘れて飛び起き、勢いよく後頭部をぶつけた。倒れこむようにベッドから抜け出す。拵えたばかりのこぶをさすり、相部屋でなかったことに感謝しつつ起き上がると急ぎ部屋を駆けだした。階段を駆け下り、兵舎を飛び出す。向かうは湾港にある艦隊司令部の作戦室。作戦ブリーフィングはここで行われる。
営庭を走り抜ける最中、幾人かの陸軍兵とすれ違った。確か先日来たばかりの高角砲兵だったかしら、もっと他に持ってくるべきものがあったでしょうに、などと横目で見ていたら思わぬ人物とぶつかった。予備隊として待機しているはずの軽巡洋艦『阿武隈』だった。
「あなた、こんなところで何をしているの?」
阿武隈は転んで地面に座り込んでいたが、低い威圧感のある声を聞くとハッとして立ち上がった。誰に言われるでもなく、踵を打ち付けて背筋をピンと伸ばし、気ヲ着ケの姿勢を取っている。
「え、ええと、部屋に私物を取りに行っていたら、サ、サイレンが鳴りまして」
「敬語はいらないわ。そんなことよりも……」
キッと阿武隈を睨み付ける。持ち場を離れる必要があるほどその私物は重要だったのか問い詰めようとしたが、涙目の阿武隈と、何度聞いても耳障りなサイレンの音で我に返る。
「港へ急ぎましょう。出撃準備を整えることが最優先です」
二人の少女は並んで駆け出した。
1900ポンドの炸薬弾の雨が鎮守府に降り注いだのは、不知火が作戦室の扉を開けたまさにその時だった。
戦いの開幕を告げる音色は、声にならない悲鳴と、それを飲み込む爆発音と、建物と命が崩れていく音から成る、悪魔の歌声の如き三重奏だった。
◇
「ふざけるな!」
野太い叫び声が部屋に響く。四十をとうに超え、丸々と太ったこの男はミシミシと音を立てんばかりの力で受話器を握りながら、廊下まで聞こえるほどの怒声を張り上げていた。
「四航戦は絶対に渡すな! そうだ、機動部隊なしでやれというなら俺は動かん! 今回の作戦は第五艦隊抜きでやってもらう。長官にそう伝えろ。良いな!?」
男は既に十五分以上電話に向かって叫び続けていた。第五艦隊司令長官曽根崎中将は苛立っていた。近々行われる作戦での使用兵力について、かれこれ数カ月にも渡って聯合艦隊との折衝が続いている。
実は、艦娘の数が足りないのは葛木だけではなかった。むしろ、この第五艦隊と比べれば北方艦隊の艦娘戦力は恵まれたものであると言えるだろう。まずこの艦隊には戦艦がいない。空母もいない。そして艦娘の頭数が互角となれば、両艦隊が対決すればその結果は火を見るよりも明らかである。
しかし、第五艦隊は北方艦隊と違い、艦隊の運営においては有利な点があった。それは非艦娘戦力、つまり通常艦船の存在だ。深海棲艦の脅威から逃れた栗田丸や赤城丸などの特設巡洋艦、何よりも哨戒用の特設監視艇五十四隻があった。漁船などを改装して造られた機銃程度しか持たぬ低速軽武装の特設監視艇は、「敵を見つける」ために海に出て、敵を見つけたら「沈められるまで正確な情報を報告する」という捨て身の、特攻と呼んでも差し支えないような任務に従事するための舟艇だった。だが、彼らの献身のおかげで第五艦隊は貴重な艦娘を哨戒に割く必要がなく、安心して主戦力を温存しておけるのだった。
「なに、航空戦力の不足だと? 赤城や加賀を抱え込んでいてまだ欲しいというか! ならば良かろう、代わりに大和と武蔵を寄こせ。空母で片付けるつもりなら戦艦はいらんだろ! いいか、俺が存分に使ってやるから明日までに話をつけとけ! わかったな!?」
たっぷりと脂肪の乗った顔を真っ赤にしながら、曽根崎は受話器を叩きつけるようにして電話を切った。興奮しすぎたせいか、部下の赤垣大佐が嬉しそうな顔をして部屋に入っているのにも、今の今まで気が付かなかった。
「失礼します、長官」
「なんだ」
部下の薄ら笑いが気に障ったのか、年相応の広さになった額の汗をハンカチで拭く曽根崎の態度はつっけんどんだった。だが赤垣は特段気にはかけない。開戦以来の付き合いになる上官のこういう態度に慣れ切っていたのだ。笑顔のまま赤垣は脇に抱えていた書類を取り出した。
「興味深い電文が届きました」
「どこからだ。海軍省か、それとも大本営か。どちらにせよ俺の意志はもう伝えてある。言うことなぞない」
厳しい口調を崩さない曽根崎はまだ怒りが収まっていない様子だった。対照的に、赤垣は角ばった顔ににやりと笑みを浮かべながら答えた。
「北方鎮守府からです」
その言葉を聞いた瞬間、曽根崎は見た目からは想像もできないほどの速さで赤垣から書類をひったくった。顔の近くまで持っていき、端から端まで電文を読む。三周ほどしたところで視線を上げ、ニコニコしている部下に尋ねた。
「途中で途切れているが」
「おそらくは電信機の故障でしょう」
「他の通信手段は」
「あそこにはこの幌莚との通信可能な電信機は一つしかありません。本土へは皆無です」
「すぐに修理する可能性は」
「零ではありませんが、限りなく低いです。あの電信機は旧型で部品の融通が利かず、代替機を要請していました。それに、平文で打っていることも併せて考えますと、送信中に非常事態が発生した可能性が高いと思われます。そうですね、例えば、司令部施設ごと攻撃を受けたとか……。電信機を置いている司令部は」
「木造だったか。確かにな」
いつの間にか冷静さを取り戻した曽根崎は机の上に置かれていた紙巻煙草を取り出し咥えた。すぐさま赤垣がマッチを取り出し、上官の煙草に火をつける。副官の大事な仕事の一つである。曽根崎は書類を机に放り、紫煙を吐き出しながら再び尋ねた。
「こいつはどこまで回っている」
「これを受信し、私に直接報告したのは“南征派”の牧少尉ですので、この存在を知っているのは長官と私、そして彼だけです」
煙草を灰皿に押し付けた曽根崎の顔には、部下のものが伝染したかのような笑顔が浮かんでいた。
「長官」
「ああ、何も言わなくていい参謀長。万事任せる。その代わり上手くやれ。いいな」
「はっ、お任せください!」
薄暗い部屋の中を地鳴りのような低い音がこだまする。自然によらない地響き、人ならざるモノが産み出す地震、それらによって天井からぶら下がる裸電球がゆらゆらと揺れていた。現在、葛木と北方艦隊予備隊の面々は艦隊司令部庁舎地下室の電探指揮所を仮の司令部として用いている。本部施設は既に倒壊していた。
突然の襲撃により、皆が混乱していた。少なくない数の死傷者も出ている。それまでどこか遠いものであったはずの戦場、そのあまりにも唐突な出現に多くの者が戸惑っていた。
しかし、兵たちが慌てふためく中にあって、この部屋にいる者は冷静であることを強いられていた。鎮守府のトップ、そして深海棲艦に対抗しうる唯一の戦力が浮ついてしまっては、鎮守府全体の士気崩壊につながりかねないからだ。翔鶴は立ったまま祈るように瞑想していた。阿武隈は椅子の上で肩を震わせながら体育座りをしていた。望月は涙目になりながら椅子の背もたれを抱きかかえるように座っていた。葛木は、秘書艦が次々と新たな情報を書き込む海図にかじりついていた。
艦砲射撃が始まってからもうすぐで一時間になろうとしている。まるで走馬灯が見えるかのような長い一瞬を積み重ねた、しかし振り返ってしまえばあっという間の時間だった。地上では未だに万雷がまだ鳴り止む様子はない。破壊の宴となっている地上と対照的に、部屋には沈痛な空気が流れていた。あまりに激しい砲撃に、出撃どころか外に出ることすらも危険とされたからだ。
扉が勢いよく叩かれた。と、思ったら返事もないうちに、扉を叩くのと同じくらいの勢いで扉が開かれた。若い兵隊が汗だくになりながら入ってくる。頬が僅かに煤けていた。
「報告! 倒壊した入渠ドックの火災は今も拡大であり、消火は絶望的! 砲撃が続く限り復旧作業の見通しはつきません! なお、救助された艦娘二名ですが、現在第六防空壕内にて応急処置を実施中。両名とも重傷なれど命に別状はないとのことです!」
葛木が振り返りながら返事をした。
「ご苦労、柴田一等兵。直ちに原隊に復帰せよ」
「はっ!」
柴田と呼ばれた兵は敬礼をすると回れ右をして部屋を出ていった。
もう数え切れないほどついたため息をもう一つした葛木は、秘書艦の方に向き直り改めて現状の報告を求めた。少女は頷くと小さく息を吸ってから口を開いた。
「一三四二より始まった敵の艦砲射撃によって鎮守府本部、入渠ドック等の主要施設が倒壊若しくは火災により使用不能。また大型電信機が本部の倒壊に巻き込まれ破損したため、第五艦隊との通信が途絶しました。なお、艦隊間通信は私の甲種無線機を代用しこれを実行中。人員の損害は集計中なのでまだこれからも増えますが、差し当たり、現在までのところ死者は三十八名、重傷者は戦艦『榛名』、軽巡洋艦『川内』を含め五十二、あ、いえ五十四名、行方不明者は十一名となっています」
「艦隊の状況は」
「第一哨戒隊は敵の状況不明瞭のため帰投せずに基準哨戒線『G』西方5㎞付近で待機。第二哨戒隊との連絡は未だ回復せず。予備隊は戦艦『榛名』、軽巡洋艦『川内』、駆逐艦『不知火』を除き戦闘可能状態でここに待機中です」
ふむ、と漏らすと制帽の置かれている海図台の方を向き、再び尋ねた。
「敵の情報は」
「不発弾を分析したところ、艦砲射撃を実行しているのはル級戦艦であると推測されます。また、裏付けはとれていませんが、見張員が南方に発砲炎と砲声を確認したとのことです。ル級の16インチ砲の最大射程は約38㎞ですので……」
少女は海図の中心に書かれた北方鎮守府の南の海域を大きく赤丸で囲った。
「それと併せて考えると、敵艦隊はこの付近にいると思われます。砲撃の規模から見て戦艦は二隻ないしは三隻、よって随伴艦は三から四程度の水上打撃艦隊かと」
「曖昧だな」
上官の遠慮ない一言に、秘書艦も肩を落とす。少女は眼鏡をかけ直すと目を逸らしながら答えた。
「はい、やはり電探の再起動が間に合わなかったのが痛いですね。タキ1号が間に合っていれば、この丸は半分になったんですが……」
深海棲艦が周到なのか、それとも偶然なのか、艦砲射撃によって真っ先に潰されたのが電探だった。敵の位置が見えない。それは地上で行われている一方的なまでの破壊を目の当たりにした者にとって、真っ暗な森の中に一人放り出される以上の恐怖を感じさせるものだった。
止まぬ砲撃、振動で天井からパラパラと落ちてくる埃、話し声が消えた部屋の中で、見えぬ先行きへの不安がみるみる高まっていくのが肌で感じられた。そんな一同にとどめを刺したのは、またもや扉を勢いよく叩く男だった。
「入れ」葛木は微動だにせず答えた。
「失礼します!」
入ってきたのは先ほどよりも少々年のいった、顎鬚を生やした下士官だった。柴田と同じように、汗びっしょりに濡れている。
「報告します。燃料タンクの火災は消化不能であるとして、現場指揮官はやむを得ず消火活動の中止を下命。爾後は延焼の防止に全力を注ぐとのことです」
葛木の肩がピクリと動いた。
「予備の方はどうなっている」
「はっ。予備の方は鎮守府北の地下にあったため無事ですが、残量は10トン強といったところです」
誰も一言も発しなかった。部屋が葬式会場のような暗く重苦しい空気に包まれる。
葛木はご苦労と一言、つぶやくように言うと、扉が閉まるのを確認してから崩れるようにして椅子にもたれかかった。海図台に置いてあった制帽が音もなく床に落ちる。
「提督!」
秘書艦が慌てて駆け寄る。上司の初めて見せる弱弱しい姿に、阿武隈と望月も驚きの色を隠せない。大丈夫だ、少し疲れただけだから心配するな。葛木はそう言うと背もたれに深く寄りかかり、左手で顔を覆った。大きく深呼吸をする。せめて艦娘の前では見栄を張っていようと思っていたのだが、どうやら化けの皮が剥がれたな。葛木は内心で自嘲していた。だが、残存燃料の10トンという数字が意味していることを考えると、どうしても気が遠くなってしまう。
艦娘の燃料満載積載量は戦艦や空母などの大型艦で50から60トン、重巡洋艦だと20トン台後半、軽巡洋艦なら10トン強、駆逐艦が5トン程度だった。通常はこの満載積載量の二割ほどを毎月消費するのだが、ここから逆算すると18隻を擁する北方鎮守府が一日に消費する燃料の合計は3トン弱となる。無論、これは通常の哨戒任務のみの場合での計算であるから、戦闘を実行した場合にどれほど数字が増えるかはわからない。今待機している予備隊の翔鶴、阿武隈、望月が既に艤装に燃料を搭載していることを勘定に入れても、北方艦隊は三日ほどで燃料が完全に枯渇する計算となる。
燃料不足で動けないのならば、無理に動かず救援を待つのが最善の策である。しかし、北方鎮守府に最も近い根拠地がある幌莚島から救援部隊が出撃したとして、この島まで16ノットで航行したとしても三十七時間かかる。加えて出撃準備や諸々の手続きに半日は要するだろう。つまり、よしんば鎮守府本部が攻撃を受け倒壊する直前に送信した電文が届いていたとしても、北方艦隊は三日分の燃料で以てして、自力で最低でも二日間を稼ぎ出さなければならないのだ。
いや、実際はこんなに甘くはない。なぜならば第五艦隊の救援部隊が戦力として期待できないからだ。本土防衛の任につく第五艦隊が、その全戦力を北方艦隊の救援に向けることはあり得ない。そして第五艦隊は重巡と水雷戦隊から成る比較的小規模な艦隊である。戦艦を含む艦隊に対して、差し向けられるであろう数隻の駆逐艦では背後からの奇襲を仕掛けたとしても厳しい。
となれば、もっとも現実的なものとして考えられるのは、北方艦隊が周囲の敵勢力を完全に排除したのを確認してから、第五艦隊の護衛する輸送船団により燃料や物資、人員の補充を行うことだろう。その場合、北方艦隊は燃料が尽きる前に敵艦隊を撃滅し、足の長い航空機を用いて第五艦隊と連絡をつけることとなる。そこからタンカーに燃料やら弾薬やら物資やらを積み込む時間や、その手配などの手続、移動にかかる時間等々を考慮に入れると、可及的速やかな敵艦隊殲滅が求められる。猛烈な砲撃を受け基地機能の六割以上が停止し、しかも敵の編成どころか正確な位置すらもつかめず、揚句、艦隊の三分の一と連絡が付かない状況で、である。
これまで常に現実と向き合ってきた葛木も、あまりに突然の出来事にやはり頭がついてきていなかった。緊張と脱力と恐怖と絶望とがない交ぜになった、不快な感覚に支配されていた。その感覚から抜け出そうと薄く眼を開くと、指の隙間からぼんやりと人影が見えた。白い弓道着、緋色の袴、長い銀の髪、紅の鉢巻。
「提督」
普段のおっとりしたものとは違う、凛々しい声が葛木を呼んだ。
「どうした、翔鶴」
葛木は顔を上げて応じた。大事な部下の話を聞くため、司令官の葛木少将に戻った。戻ることが出来た。
妹を案じているのかとの予想が外れたのは翔鶴を見据えてすぐさまわかった。彼女の眼は、戦場の兵士の眼だった。
「深海棲艦迎撃についての意見具申があります」
翔鶴の立案した作戦は以下のようなものだった。
手始めに、現在鎮守府東方25㎞の海域で待機している第一哨戒隊を鎮守府南方の海域に移動させる。彼女らの任務は『威力偵察』だ。水上機運用を得意とする利根ならば、敵艦隊に見つかる前に捕捉できるだろう。それだけの技量を持っている。
敵艦隊発見後は速やかに戦艦『霧島』の35.6㎝連装砲で以て長距離射撃を開始。ただし砲撃にあたり、弾着観測は短時間とする。なぜなら敵は戦艦二隻から三隻を擁する強力な水上打撃艦隊であるため、第一哨戒隊だけで迎え撃つのはあまりに荷が重いからだ。そこで、第一哨戒隊は敵艦隊の攻撃を自らの方に指向させたのちは直ちに進路を変更、霧に紛れて敵艦隊の攻撃をやり過ごす。血気盛んな最前線の指揮官が悪用することの多い『威力偵察』だが、今回はまさしく言葉の型にはまった仕事が求められる。
敵艦隊が第一哨戒隊に攻撃を指向したということは、必然的に鎮守府への艦砲射撃は止むこととなる。この隙をついて翔鶴率いる予備隊が出撃。偵察機を敵艦隊のいる南方と、瑞鶴率いる第二哨戒隊が消息を絶った南東の海域に向け発艦させ、同時に敵艦隊との戦闘海域には戦闘機10機と攻撃機12機から成る第一次攻撃隊を向かわせる。制空権を確保し次第、第二次、第三次と波状攻撃を実施し、それと協働して第一哨戒隊も反転し再度戦闘に突入。第二哨戒隊との連絡が回復すれば直ちに瑞鶴の航空隊も攻撃に参加する。こうして優勢な航空戦力と訓練で培ってきた熟練の水上戦力の立体攻撃により、日没までに敵勢力を損耗させ “皇国”海軍のお家芸である夜戦に突入する。これにより、日付が変わるまで徹底的な反復攻撃を実施し全敵戦力を殲滅する。
後ろで聞いていた阿武隈と望月は、まるで希望の光が差し込んだかのように表情が目に見えて明るくなった。一方で、葛木とその秘書艦は翔鶴の具申中、難しい顔を崩すことなく聞いていた。
「如何でしょうか。これが、我々の取りうる最善の策だと思います」
葛木は秘書艦に目配せをした。先に意見を述べろということだった。
「悪くありませんが、投機的過ぎます」
少女が危惧した点は二つ。まず一つは、第一哨戒隊が敵艦隊を発見、捕捉するところだ。もしも敵艦隊が霧の中にいた場合、発見するのが非常に困難となり、索敵を行う第一哨戒隊には戦艦との遭遇戦の可能性だけが残ることとなる。
もう一つは、第一哨戒隊が敵艦隊を引き付ける段階だ。この時、戦力に劣る第一哨戒隊は霧を味方にすることでその差を埋めるとしているが、敵艦隊までもが霧に紛れてしまっては唯一と言って良いこちらの利点である航空機が使えなくなってしまう。まさしく元の木阿弥である。よって第一哨戒隊は「霧を利用しつつも敵艦隊が航空機の運用に適さない海域に近づけさせないよう誘導する」という非常に難しい舵取りを強いられることとなる。
これらの点を考慮に入れると、翔鶴の立てた作戦は堅実を旨とする少女にとって楽観的に過ぎた。
あらかじめこの反論を予想していた翔鶴は、少し困ったような顔をしてみせる。しかし譲る気はなかった。
「では、他に対案が?」
少女は答えなかった。対案などなかったからだ。だからこそ、少女には冒険的過ぎて受け入れがたい翔鶴の作戦を否定しなかったのだ。
二人は落としどころを探っていた。この北方鎮守府の最初期メンバーである二人は互いのことを良く知っていた。だから二人は互いの面子を損なわず、そして最高の効果を発揮できるような修正を行おうとしていた。
「翔鶴」口を挟んだのは葛木だった。
「はい、なんでしょうか」二人が振り返った。
金髪のはちと銀髪の翔鶴、この二人が並ぶとやはり映えるな、などという戯言が頭を過ったのは余裕の表れか。馬鹿な、そんなはずはない。俺は足が震えるのを必死に我慢しているではないか。ではなぜか、感情が一周して俺もとうとうおかしくなってしまったか。……いや、今となっては俺の狂気などは問題ではない。大事なのは、この状況を打破することのみである。葛木は意を決した。あとは粉骨砕身、手を尽くすだけである。
「君の立案した作戦を認可する」
一番驚いたのは当の本人の翔鶴だった。だがすぐに軍人の顔つきに戻り、背筋を伸ばして腰を折り礼をした。
「現状のまま、深海棲艦の活動が沈静化する夜まで待つのも一つだが、それでは士気が持たないし、なにより地上があのざまでは持久戦をするにもこちらが圧倒的に不利だ。となれば行動は早ければ早いほど良い」
一方、金髪の少女は葛木の決断に意外そうな表情を浮かべていた。だが、じっと葛木の顔を見つめ、そして腹の内を見抜いた。この人は、死ぬ気でいる。少女は嬉しくなった。自分たちと死ぬ覚悟でここにいる。同じところに彼も立っている。それを実感できたのが心の底から嬉しかった。
「だが、次の一点は訂正してもらう」
葛木は椅子から立ち上がった。制帽を拾い上げ元あった海図台の上に置き直すと、後ろに手を組み威厳たっぷりに言い放った。
「第二哨戒隊捜索のための索敵機発艦は許可できない」
翔鶴が目を見開きながら強い語調で反論した。
「なぜですか」
「俺は人間しか信用していないからだ」
葛木は、翔鶴が作戦説明に用いた海図の前に立った。そして鎮守府南東へ向かう矢印に赤でバツを付けた。
「幽霊を探している余裕はないし、あてにして作戦を立てることもできない」
翔鶴が詰め寄ろうとした時、その叫び声は轟音と地震により遮られた。至近弾だ。阿武隈と望月は短い悲鳴を上げて頭を手で覆った。バランスを崩した翔鶴は葛木が受け止めた。
部屋の空気はまだビリビリと震えている。地下に造られたこの電探指揮所は長門型の41㎝連装砲の砲弾が直撃しても大丈夫なようになっているはずだが、実際にカタログ通りのスペックを発揮できるかはわからない。
「……と…………て……く!」
おかしなことに、聞きなれた秘書艦の声が遠くから聞こえる。横を向くと、やっぱり少女はすぐ近くにいた。
「て……く! 提督、聞こえていますか!?」
葛木は自分の身体に何が起きたのかをようやく理解した。突然の爆音に鼓膜が痺れて聴力が落ちていたのだ。少女が心配するように、鼓膜が破れたわけではない。
こちらに駆け寄ろうとする秘書艦を手で制し、腕の中で戸惑っていた翔鶴に言った。
「瑞鶴が死んだとは思っちゃいない。摩耶もついているし、なによりこういう時のために訓練をしてきたんだ。本人は嫌がっていたがな」
翔鶴の肩に手を置き少し離す。二人の視線が合った。
「まあ、今はそんなことどうでもいい。とにかく、だ。見つかるかどうかもわからない第二哨戒隊よりも囮となって敵に追われる第一哨戒隊。戦える状態かわからない第二哨戒隊よりも戦っている第一哨戒隊。まずは利根達のために全力を尽くせ。これは優先順位の問題だ。わかるな?」
翔鶴は不服、とまではいかないが納得はしていない顔をしていた。理屈では葛木の言っていることが正しいとわかっていたが、感情はそれを許さない。
葛木もそれを察した。同時に、国家の命運を握るこの艦娘も、元をたどれば一人の女の子に過ぎないのだと、変なところに感心していた。だがここは戦場で、ここにいるのはみな軍人である。感情に惑わされることは許されなかった。
翔鶴の肩に置いた手を離し一歩下がる。そして背筋をピンと伸ばすと、今までとは打って変わった快活な声で言った。軍人の、司令官の声だった。
「秘書艦!」
すでに立っていた二人だけでなく、椅子に座っていた二人も立ち上がると、鞭を打たれたかのように気ヲ着ケの姿勢をとった。
「はい、なんでしょうか司令官」
「以後は翔鶴の立案した作戦に則って深海棲艦の迎撃に当たる。作戦名は……そうだな、なにか良い案はないか」
はい、それでは、と答えた少女は、一秒、二秒俯きながら考え、何かを思いついたように顔を上げ答えた。
「Unternehmen Fallreep」
言い終えてからハッとした顔をした。
「皮肉じゃありませんよ」慌てて訂正しようとする。
だが、当の本人は気にしていないようだ。
「ファルレープ、『舷門』作戦か、悪くない」
葛木は笑みを浮かべながらうんうんと頷いた。そして再び険しい顔をすると、語気を強めて言い放った。
「以後、本作戦はF作戦と呼称する。翔鶴、阿武隈、望月の三名はここに残り詳細な打ち合わせをしておけ。出撃命令をいつ下すかまだわからんが、いつでも出撃できるようにしておくように」
「はっ!」
三人の返事と、特に翔鶴の吹っ切れた表情に満足した葛木は、今度は秘書艦の方に向き直った。
「それからはち、お前には話しておきたいことがあるから後で予備指揮所に来い」
「はっ!」
全員が腹を括ったことを確信した葛木はにっこりとほほ笑み、ポケットから懐中時計を取り出し時間を確認する。間もなく14時50分になるというところだった。航空機が使えるリミットである日没まで、あとおよそ2時間半。時間との勝負が始まった。
技術大尉の田島は地下防空壕の一角にある来賓室で、電気もつけず真っ暗闇の中、一人憤っていた。
ずっと技術畑にいた田島でも、海軍への思い入れは強かった。そのため、聯合艦隊長官立花海軍大将のご厚意を無下にする葛木陸軍少将の態度に、はらわたが煮え返りそうなほどだった。
二号二型電波探信儀、通称22号電探は海軍技術研究所の粋を集めてつくられた最新鋭の電探だった。1943年夏に実験が行われ、大型艦なら35㎞、小型艦なら15㎞先の艦船を探知することが出来た。戦局の変化に伴い改良を重ね、なんと田島が北方鎮守府に持ってきた改五では艦娘に搭載可能なサイズにまで小型されている。同じく艦娘搭載可能な二号一型対空電探、通称21型対空電探と併せて、まさに海軍技研の最高傑作の一つだった。
だがこの22型電探改五は試験段階のものだったため、まずは陸上で試験運用を繰り返して初期不良を一つ一つ潰していき、最終的には艦娘に搭載しての実験し、問題がなければ実用化する見通しだった。これを立花大将は、今次世界大戦の方針を巡って海軍と激しく対立している陸軍の人間である葛木少将に、実験から運用まで全てを委ねようとしていたのだ。すべては“皇国”が生き残るために、である。これほど懐の深い人間は、田島の知る限り他にいなかった。
「深海棲艦を前にして、海だ陸だで争っている場合ではない」
立花大将の言葉に田島は深い感銘を受けた。だから北方鎮守府には万全の態勢で来た。一日でも早くこの電探を実用化するためだ。実際には出足から躓き、幌莚島での不手際で発動機と燃料は後送されることになったが、田島にとってはかえって好都合であった。なぜならば、先述の通りこの22型電探改五は艦娘搭載が可能な電探である。手の空いている艦娘1隻と起動用の燃料さえあれば、一足飛びで艦娘搭載実験に移れるからだ。そのための器具や部品は手元にある。設計図も、駆逐艦搭載であれば頭の中に出来ている。やれと言われれば一日で形にして見せる自信があった。連れてきた部下たちも優秀な者たちばかりだ。自信を通り過ごして確信と言っても良いだろう。
だが葛木少将は戦力の不足を理由に艦娘の提供を拒否した。聯合艦隊の諸艦隊と比べても充実した戦力を持っているにもかかわらず、である。挙げ句の果てには陸上での実験の中止をも命じたのだ。断ろうとしたら後ろに兵を並べ、銃を突きつけてきた。田島は例え殺されても実験を止めるつもりはなかったが、部下にまで強要はできなかった。やむなく命令を受け入れ、その後は彼に銃を向けた若い二等兵に誘導されてこの防空壕に軟禁されている、といった次第だ。
この時、田島は北方鎮守府に何が起きているのか全く気付いていなかった。技術者の性なのか、葛木への恨み辛みを頭の中で積み重ねることに熱中しすぎ、サイレンの音も外から聞こえてくる爆音も、外部からの情報の全てが脳にまで届いていなかったのだ。
だから、先ほどこの部屋に連れてきた二等兵が顔を煤まみれにしながら田島の肩を必死に揺するまでの間、どれだけ田島の名前を呼んでも全く反応がなかった。
「ん、どうかしましたか」
ようやくの反応に呆れ果てながら二等兵は答えた。
「田島技術大尉、葛木司令官がお呼びです。お手数ですがご同行願います」
田島は訝しりながら答えた。
「今更なんの用かね」
「それは直接お尋ねください。あなたの部下たちにも同様の命令が下されています」
つまりは、断れば再び銃口が突きつけられ、それは田島だけではなく部下にも向くということだ。体の良い脅迫だった。
やれやれと重い腰を上げた時、二人の真上で轟音が響いた。それとほとんど同時に鬼の形相をした二等兵に突き飛ばされた田島は、床を勢いよく転がり耳を押さえながらうずくまった。
何が起きたのか、恐る恐る顔を上げてみると、さっきまで立っていた二等兵の姿がなかった。思考を巡らせて、そうだと突き飛ばされたことについて文句を言おうとし辺りを見回すが、人影はない。混乱しながらもう一度目を凝らしてみると、彼らがさきほど立っていたはずのところが2㎡くらいだろうか、四角く5㎝ほど床が盛り上がっていた。盛り上がった部分と元の床の境目からは黒ずんだ液体が僅かに滲み出ている。埃に交じって鉄のような臭いが田島の鼻をついた。
皇都大学を首席で卒業し、海軍技術研究所に入るとすぐにメキメキと頭角を現し、27にして開発班長を任せられた田島ほどの優秀な頭脳を以てしても、戦場という異常な環境を即座に理解することはかなわなかった。
やがて、田島は茫然自失としているところを別の兵に保護された。何が起きたのか、欠片も理解できていなかった。ただ、目の前で何かが起き、人が忽然と姿を消したとしか思っていなかった。
彼は、あの名も知れぬ二等兵は、崩落したコンクリート製の天井板の下敷きとなっていた。ただ一人その死を看取った田島が、それを死だと認識していないため、彼は行方不明者として北方鎮守府第二地下防空壕来賓室で眠ることとなった。だが彼の死は、葛木の秘書艦が持つ帳簿に行方不明者として書き込まれる数字以上の意味を持たなかった。
予備指揮所は、予備というだけあって狭い部屋だった。長い間使われていなかったのか、あちこちに物が積まれ、半ば倉庫として使われているようにも見受けられる。
埃っぽい部屋の中、机を囲む二つの影があった。葛木とその秘書艦だった。
「……以上が俺の考えだ」
少女に話を終えた葛木は、自らが背信にも似た行為をしている自覚があった。それは彼の部下への裏切りであり、そして彼は今、その裏切りに自らの秘書艦を巻き込もうとしている。
「提督は、翔鶴さんを信じていないのですか」
少女はそれを見抜いていた。というよりも、この二人の間に隠し事は存在しえない。少女は葛木に包み隠さずすべて話し、葛木の心のうちは少女が覗くことが出来たからだ。その上で、葛木の返答と意思をわかった上で、尋ねた。
理由は一つ。葛木の言葉を聞きたかったからだ。少女の考える葛木ではなく、少女の目の前にいる葛木から、少女だけに向けて投げられる言葉がほしかった。それは少女にとって、何よりも価値のあるものだった。
「いつも言っているだろう、俺は人しか信じていない」
葛木の真っ直ぐな瞳が、少女の藍色の瞳を捉える。
「戦闘は流れだ。作戦は筋書きだ。どちらも人ではない。俺は彼女たちが作戦を忠実に実行してくれることを信じている。だが、手につける前から成功するものとして考えるのは信頼ではない。何もかもを丸投げしているだけだ」
「もしもの時は、提督一人で責任をお取りになられるおつもりですか」
「それが最高司令官というものだ」
「その時は私もご一緒します」
「そいつは無理だな」
「何故ですか」
「俺が責任と取らざるを得ない状況に陥る時には、お前はもういないからだ」
葛木は大真面目な顔で言った。少女は太陽のような笑みを浮かべて答えた。
「つまり提督は、ずっとはっちゃんの提督でいてくれるんですね」
葛木は数秒の間、鳩が豆鉄砲を食ったかのような、キョトンとした顔をしていた。やがて僅かに照れ笑いを浮かべながら言った。
「そうか、確かにそうかもしれないな」
この時、葛木の小さな笑みの向こうに陰があったのを少女は見逃さなかった。この人は今、人の好意を利用していることに負い目を感じている。
「提督」
「なんだ」
「私と提督の間には公も私もありません。提督は私をみて指示を下してください。私も提督をみてそれに従います」
やれやれと葛木は肩をすくめた。
「お前には敵わないな」
困ったような、嬉しいような。葛木の心中はその半分ずつが同居していた。葛木は、少女の考えていることが何でもわかるわけではなかった。代わりに、少女の言葉を真実として受け止めることでそれに答えていた。
「わかった。お言葉に甘えるとしよう」
その言葉を聞き、少女は満足そうに頷いた。そしてゆっくりとした動きで胸を張り、両手をそのまま真下に垂らし、指を伸ばして並べる。最後にこつんと可愛らしげな音を立てて軍靴の踵を合わせた。秘書艦が気ヲ着ケの姿勢をとったことを確認すると、葛木も同じ姿勢をする。
「“西部アリューシャン列島方面作戦ニ関スル陸海軍中央協定”に基づき、『伊号第八潜水艦』海軍特務中佐、貴官の有する北方艦隊の指揮権を掌握する」
秘書艦は無言で頷くと、腰につけていた短剣を外し、葛木に差し出した。
「お預けいたします、葛木陸軍特務少将」
黒い鞘、金色の石突と輪胴、鮫皮の代わりにセルロイドでできた柄には五弁の桜があしらわれた目貫。海軍の短剣は白い二種軍装に良く映える。海軍軍人の誇りである短剣を受け取った葛木は、その重さに身震いした。
強張った上官を見、少女の良く知る葛木であることを確認した秘書艦は、いつものような笑顔で、愛する上官に最大限の敬意を以て敬礼を捧げた。固い表情を崩さず、短剣を左手に持ち替えて葛木も答礼する。脱帽、室内、礼式によれば挙手の敬礼ではなく腰を折る礼をするところだが、公私の壁を取り払った二人には関係がなかった。悲しいことに、二人は敬礼を捧げる以上の敬意の表し方を知らなかった。
1944年4月15日午後3時5分、北方鎮守府、陸軍側呼称『西部アリューシャン前線要塞』司令官葛木陸軍特務少将は、同要塞に所属する北方艦隊に対する指揮権を発動。この時より、正式にF作戦が始動した。
「現時刻をもって、北方艦隊の編成をF作戦臨戦編成に改定! 以後は第一、第二哨戒隊はそれぞれ第一〇一、第一〇二戦隊、予備隊は第一〇三戦隊と呼称する!」
第一哨戒隊改め第一〇一戦隊は、鎮守府東南東18㎞の海域を南に向けて半速で航行していた。旗艦利根の四機の水上偵察機は既に、鎮守府南方に向けて索敵行動に入っていた。
一五二一、戦隊は濃霧の海域を抜けた。ここから南西方面に向かっては、低い雲が漂っているが霧は薄い。
「よ―し、全艦増速! 進路そのまま、第二戦速!」
《進路そのまま、第二戦速! ヨーソロー!》
一〇一戦隊は速度を上げ目標点に急いだ。頬を横切る風は肌を切り裂くかのように冷たい。
利根は内心で葛木の無茶な注文に毒づきながら、重要な役割を与えられたことを誇りに思っていた。北方艦隊が生きるも死ぬも、まずは利根の索敵如何であるということを良くわかっていた。
利根率いる第一〇一戦隊の任務は、鎮守府南方の海域から艦砲射撃を実行している敵艦隊を捕捉し、これに砲撃を加えて敵を誘引。翔鶴ら第一〇三戦隊の出撃まで時間を稼ぐことだ。翔鶴の立案したものから若干の修正が加えられ、砲撃は比較的近距離から実施されることとなった。その理由は、命中率の低さだ。
無論、一〇一戦隊の任務は陽動に過ぎない。しかし、長距離射撃は極めて命中率が低く、敵プレッシャーを与えられないのではないかという疑問が利根から出されたのだ。
例えば、ある南方海域での戦闘報告では、重巡洋艦の20㎝砲による距離20000からの砲撃の命中率は0.25%であった。これは被弾運動を取りながらの射撃であったために命中率が大きく下がったとされているが、訓練時ですら命中率が3から5%なのだから、長距離砲撃はまず当たらないと考えるべきであり、それでは敵の気を引くどころか、脅威として認識されない危険すらある。今日のこの海のように、視界が悪い上に射程の長い戦艦の砲になれば命中率は下がり、なおさらであると利根は断言した。そのため利根は距離5000まで接近し、一〇一戦隊全艦の砲撃によって敵に切迫した脅威を肌で感じさせ、あわよくば敵戦力の漸減を図るべきだと主張。艦砲射撃に集中しているのであれば敵の警戒も薄いはず。そこをついて一気に接近すれば肉薄も可能であると具申した。
この野心的な提案に、葛木どころか翔鶴すらも尻込みした。短い協議の末、砲戦距離は10000と決定。その代わり水上機が発見されるなどして奇襲性を失った場合は砲撃開始を早め、敵艦隊が一〇一戦隊に攻撃を開始する前に退避する手筈となった。
「全艦に達する、旗艦の利根じゃ。そのままで聞け」
気休めにしかならないが、利根は士気を上げるため簡単な訓示をすることにした。弁舌の才があるわけではないが、利根自身興味があったからだ。コホンと咳払いを一つしてから語り始める。
「本隊はこれより、鎮守府南方より艦砲射撃を実行中の敵水上打撃艦隊を捕捉、これに鉄槌を加える! 敵は戦艦を含む強力な艦隊とみられる。だが吾輩は、我ら北方艦隊の前では赤子同然だと思っておる! 霧に紛れてのこのこと現れ鎮守府に砲撃するなどという、おいたの過ぎた深海棲艦どもに、我が海軍の恐ろしさを教育してやるのじゃ!」
出撃準備を終えた翔鶴ら一〇三戦隊は、床に置かれた通信機にかじりついていた。敵艦隊の発見はまだか、まだかと待ちわびていた。
「提督、一〇一戦隊より報告です。同戦隊は濃霧の海域を抜けたため高速で移動を開始しました。作戦開始時間が早まりそうです」
「状況は順調に推移、といったことろか。あとは敵さんを見つけてさえくれれば、だな」
状況は順調に推移、言ってから気づいた。思わず苦笑してしまう。これのどこが順調なのだと。今日、この時まで思うように事が運んだことなど一度もなかった。電探にしろ、霧にしろ、砲撃にしろ、瑞鶴にしろ、ことあるごとに悪い方に転がった。もうお腹一杯である。そろそろ思い通りに進んでくれても良いだろう。葛木は自棄と言っても良いほどに吹っ切れていた。
そんな葛木を横目に、翔鶴は床に置いていた自分の甲種無線機を背負った。
艦娘が戦場で利用している無線機は二種類ある。一つは少々大型の甲種、もう一つは小型の乙種だ。違いは無線機本体の大きさと、通信距離だ。甲種無線機は非常に重い代わりに艦隊間、根拠地との連絡を行えるほどの長距離通信が可能だ。一方の乙種無線機は小型で軽い反面、通信距離が短く戦術レベルでの利用しか出来ない。また、甲種無線機は単価が高く量産に向かないため、艦隊もしくは戦隊などの旗艦にのみ配備するのが原則となっている。
なので、旗艦が大破することは戦闘継続が不可能であることを意味した。甲種無線機の故障は即ち、大海原での孤立に他ならないからだ。そのため、もしも僚艦が旗艦を庇いきれず大破してしまった場合、直ちに戦闘を中止しその海域から離脱。もっとも近い根拠地に向けて撤退しなければならない。これは軍紀により規定されており、違反した場合は解体処分をも含めた厳しい処罰がなされる。
それほど大切な無線機だが、ここには翔鶴のものともう一つ、葛木の秘書艦のものと、二つがあった。利根からの通信が入るのは後者のものだった。
「提督、はちさんはどちらに?」
「別の任務だ。乙種無線は持たせてあるから何か言いたいことがあれば伝えるぞ」
翔鶴は首を振った。
「いいえ、ただ気になっただけですから」
「何がだ」
「彼女が提督のそばを離れるなんて、珍しいなあと」
葛木は鼻で笑いながら返した。
「気のせいだ。人手不足のここに来たばかりの頃、俺とあいつ、それに君と不知火とで鎮守府本部と艦隊司令部を何度行き来したことか」
翔鶴は苦笑いを浮かべた。彼女もその苦労を知っている一人だからだ。
「それにしても、鎮守府本部と艦隊司令部庁舎、なんであの二つの施設があったんでしょうか? これくらいの規模であれば、鎮守府全体と艦隊とは一元的に管理出来た方が効率的だと思いませんか?」
痛いところを突かれた葛木は黙ってしまった。軍隊という、しかも陸と海の二つもある強大な官僚組織のセクショナリズム、そのしわ寄せを食らったのだという事実は、一介の艦娘である翔鶴には知る必要はないだろうと葛木は思った。翔鶴は聯合艦隊でも戦っていけるほどの実力をつけている。そう遠くない将来、彼女は主戦場の南方戦線へ移動となるだろう。未来の海軍の主力を担うことになる彼女に、妹思いの優しいこの女性に、汚い大人の世界を見てほしくない。ただそれだけだった。
葛木が何か別の話題を振ろうとした時、無線機から呼び出しがあった。
《……こちら一〇一戦隊、司令部、応答せよ!》
「こちら司令部だ。感度良好、どうぞ!」
利根からの通信だ。周囲に緊張感が走る。
《一五三一、水偵二号機より報告、『敵ラシキモノ六隻見ユ、鎮守府ヨリ方位180度、五海里』。繰り返す、敵艦らしき艦影を発見!》
葛木はすぐさま位置を海図に書き込む。鎮守府の真南、五海里、つまり9㎞強。航空機であれば目と鼻の先だ。
興奮しながら翔鶴が尋ねる。
「利根さん、偵察機は発見されましたか!?」
《翔鶴か? 吾輩を誰じゃと思っておる。そのようなへまはしておらん! 安心しろ!》
条件がそろった。やっと、やっと訪れた好機に手が震える。武者震いというやつだ。
「翔鶴、直ちに利根に下令。砲撃開始距離は予定通り10000とする。それと砲撃開始予定時刻を知らせ」
「砲撃開始は予定通り、距離10000から実行してください。あと現在地から砲撃開始点までの距離と所要時間はどのくらいですか?」
《了解。予定砲撃開始点まであと23500、現在の速度を維持すれば、到着まであと……三十五分じゃ!》
翔鶴がこちらを向き頷いた。葛木も無言で頷き返す。
「一〇一戦隊の攻撃は一六一〇とする。一〇一戦隊攻撃開始により敵艦砲射撃の中止を確認次第、一〇三戦隊は速やかに出撃し、敵艦隊に対して致命的な打撃を与えよ!」
真っ青な海の上、どこまでも澄み渡る空の下、一人の女の子が水面に立っていた。
白いシャツと黒いスパッツの上には墨色のブレザーとスカート。空色の髪留めで、鴇色の髪を後ろで短く纏めている。右肩から斜めにたすき掛けした紐の先には12.7㎝連装砲。背負う艤装から延びるアームの先は、右肩の辺りに同じく12.7㎝連装砲、左肩の辺りには61㎝四連装魚雷発射管。そして両腿には対空機銃。
あのひと、みおぼえがあるようなきがする。いったいだれだろう。
『不知火、出る!』
ああ、そうか。あそこにたっているのはわたしだ。
おもいだした。これはあのひのことだ。
なつのさかりのあのひ。わたしはしんへいきのせいのうひかくテストをおこなうためあのうみにいた。
みぎもひだりもわからないわたしはいわれたとおり戦った。しまいかんの陽炎とのもぎ戦闘、かくうえの戦艦、重巡とのえんしゅう。そしてほんたいのたいきゅうりょくしけん。わたしのはなった魚雷のさきには、艤装をはずされた、あわれなきゅうがたの駆逐艦がいた。おなじ艦娘だった。なまえはしらない。だが、ぼろぞうきんのようになりながらうかべるかのじょのなきがおが、あかくそまるみなもとともにしずんでいくさまはいまでもわたしののうりにやきついてはなれない。
『水雷戦隊、出撃します!』
けしきがいっぺんした。こんどはあきのちかづくあのひの夕方。あかぐろく染まるうみのうえ。わたしは駆逐戦隊をひきいて、本土きんかいにしゅつげんした敵艦隊の迎撃をおこなった。ふりな陣形もあいまって、こうぞく艦はつぎつぎと被弾、被雷し落伍していった。
ひとり残されたわたしがあげた戦果は、たんどくとしてはかくかくたるものだった。わたしはくものうえのそんざいだった聯合艦隊司令長官にほめられた。これは勲章ものだともいわれた。しかし、わたしは嬉しくなかった。わたしが撃退したのは戦艦も空母も重巡もいない、ただの水雷戦隊だったのだ。それを私の上官は誇張してほうこくした。しずめた二せきの駆逐艦は巡洋艦に、たいはさせ撃退した軽巡は戦艦として、じょうそうぶに伝えられた。
『はい、期待に応えてみせます』
その日以降、わたしはただの駆逐艦ではいられなくなった。一騎当千のちょうじん兵であることをしいられた。敵艦をしずめて当たり前、被弾しようものなら上官からきあいのいれろと叱責された。まわりの目も厳しくなっていった。
わたしは寝る間もおしんで戦いにあけくれた。戦術書もなんさつもよんだ。経験ほうふな古参兵にはなしを聞いたりもした。それでもわたしのあげられる戦果は、あの日、あの時をのぞけば「ゆうしゅうな駆逐艦」のわくをでないものにとどまった。
『通信が入っています』
秋のおわりのこのひは、わたしの終わりのひといってもよかったかもしれない。大本営からの電文をよみあげたわたしと、それを聞いた上官の表情はいっしゅんで凍り付いた。あのひのわたしの戦果が偽装されたものだと発覚したからだ。上官が大本営にでむいてじじょうを説明した。すべてはわたしの功名心からおこなわれたものであるとされた。わたしは上官の駒として戦い、そしてもじ通り捨て駒にされたのだった。
軍法会議が開かれることになり、わたしにはなるべくおもい罪がくだされることになった。見せしめのためだった。新兵器の艦娘が、“皇国”の最終決戦兵器である艦娘が軍のきりつから逸脱しないように、わたしは上官の罪をかぶることになった。
『不知火です。ご指導、ご鞭撻よろしくです』
幸か不幸か、私の処分には解体の話まで出ていたにも拘らず左遷という形に落ち着いた。陸軍のキス島救援に絡みゴタゴタがあったからだ。私は海軍の間諜として陸軍基地に新設される艦隊に配属されることになった。それが私の始まりの日だった。
『話は聞いている。司令官の葛木だ』
『秘書艦のはちです』
『よろしくお願いします、閣下、中佐』
『ところで早速ですが不知火さん、スパイ活動は構わないのですが、くれぐれもこちらの軍務に支障が出ないようにお願いします』
『……気づかれたからには送り返しますか』
『そう望むなら手続きはしてやる、と言いたいところだがな、あいにく猫の手も借りたいほどの人手不足だ』
『というわけで、不知火さんにはバリバリ働いてもらいますのでそのつもりで!』
『その前に一つ、良いでしょうか』
『なんだ』
『不知火のことを聞いているということは、なぜこの艦隊に配属となったのかもご存じなのですか』
『資料に書かれていた経歴なら目を通してある』
『ならば、なぜ不知火の罪を知っていて受け入れたのですか? 断ることも出来たはずです』
『俺は自分の眼で人を判断する。優秀な人材であれば誰であっても使わせてもらうよ。生憎、えり好みできるほどの立場でもないのでね』
『……重ね重ねよろしくお願いします、提督』
『おいおい、君は知ってるだろう。俺は提督ではなく西部アリューシャン前線要塞、いや北方鎮守府の基地司令官だよ。艦隊への作戦許認可権は持ってるが、作戦や編成に細かい口出しは一切できない。そんなやつは提督とは言わないだろう』
『いえ、不知火にとって閣下は、提督なんです』
懐かしい記憶から目覚めると、そこは医務室のベッドの上だった。
不知火は身体を起こす。わかってはいたが、やはり夢だった。
ぼんやりとする頭に、耳に、徐々に外の音が聞こえてくる。それは痛みに堪えるうめき声、水を求める掠れ声、母の名を、恋人の名を呼ぶしゃくり声、死の淵で必死に踏みとどまる短い呼吸の音。辺りを見回すと、全部で8台あるはずのベッドは全て埋まっており、ベッドとベッドの間も赤と白で染まった人と、人だったもの群れで埋まっていた。
続く頭上からの爆発音、地響きで全てを思い出した。
「あ、不知火さん、気づきましたか!」
白衣を着てマスクをした衛生兵が、横たわる軍服の沼をかき分けながら駆け寄ってくる。
「司令官がお呼びです。目覚めたらすぐに来るようにと」
不知火のブレザーと手袋を手に、やっとの思いでベッドの横までたどり着いた衛生兵の胸ぐらをつかみがら不知火は問い質した。
「なぜもっと早く起こさなかったの」
「か、軽い脳震盪だったとはいえ、休ませてやりたいから決して起こしたりするなと閣下が厳命なさったからです!」
それを聞き、不知火は間の抜けた顔で瞬きを数回繰り返した。少し間をおいてから我に返り、怯える衛生兵から現在の司令部の位置を確認した不知火は、彼の持ち物をひったくり突き飛ばすと一目散に医務室を飛び出していった。途中で何人かを踏みつけた時に漏れ聞こえた苦しみに歪む声に、僅かに良心が傷んだが今は一刻を争う時だと自分に言い聞かせた。
ブレザーに腕を通しながら駆け、狭い医務室を出てすぐに目に入ったのは、廊下にまで溢れかえる怪我人たちだった。医者の手も医療品も不足しているのは一目瞭然。だがそれは不知火の仕事ではない。彼女に出来ることは一つ、深海棲艦と戦いこれを討ち破ること。それこそが彼女自身の存在理由であり、彼らへの最大の慰めになるだろう。そして勝利こそが、勝利だけが、葛木に捧げることのできる唯一のものだと考えていた。
洋上、低く垂れ込める雲の下、第一〇一戦隊は戦闘用意を完了していた。時刻はまさに今、一六一〇になろうとしている。
利根は敵艦隊に対して水平に並んだ横隊、その中央にいた。緊張からか思わず身構える。
「霧島よ、時間じゃ。始めるぞ」
右に布陣する霧島を見る。戦隊の主力で、ただ一人の戦艦は険しい表情を崩さずに頷いた。
《方位1-4-0! 距離10000! 偶数番号艦は戦艦、奇数は随伴艦に照準合わせ!》
利根の水上機からの情報に基づいて霧島が射撃目標を指示する。全艦が射角を再確認。利根も攻撃目標である敵艦隊の陣容を確認する。戦艦二隻を先頭に、随伴艦として軽巡と駆逐艦をそれぞれ2隻ずつ、北向きに複縦陣で配している。
相変わらず敵のル級の主砲は火を噴いている。あやつら深海棲艦の弾薬補給はどうなっておるんじゃ、と雑念が頭を過る。そんなことは暇なときに考えればよい。すぐに頭を切り替えた。
「全艦、砲撃よーい!」
《全艦砲撃用意良し!》
霧島の報告は直ちに返ってきた。みな、今か今かと待ち焦がれていたようだ。かく言う利根もその一人だった。
「第一射は斉発、以降は自由射撃を許可する! 引き際はしっかり見ておくから存分に撃つのじゃ!」
しかし、利根には砲撃以外にも仕事があった。敵艦隊の詳細な動向を確認するのは、水上機が接触している利根にしかできない。距離10000という戦艦決戦距離の半分以下の距離で行われるこの近距離戦、いつ敵艦隊がこちらの位置を捕捉し逆襲してくるかわからない。それが目的とはいえ、漠然と待っていたのではすり潰されてしまう。敵戦艦が北方鎮守府への艦砲射撃を中止し、砲を一〇一戦隊に指向した時点で利根は戦隊に回避運動を下命しなければならない。こちらに与えられた時間は長くて十分、下手したら五分もないかもしれない。となれば、利根は砲撃に現を抜かしているわけにもいかない。不本意ながら、砲撃に参加するのは第三射までと決めていた。
「目標、敵水上打撃艦隊!」
利根はその場でゆっくりと右手を上げる。その手が一杯にまで上がり切る。一呼吸置き、勢いよく振り下ろしながら叫んだ。
「全艦、砲撃開始!!」
一〇一戦隊の、北方艦隊の、反撃の狼煙が上がった。
六隻から一斉に放たれた火の玉は数秒のち、ほとんど全弾同時に着弾した。巨大な水柱がいくつも出来上がる。
全砲塔による一斉射撃である斉発は、弾の散布界が広くなるものの、面積当たりの着弾数は斉射と比べて単純計算で倍になるため、照準さえ合っていれば命中率は高い。その代わり発射速度が遅くなり、弾着観測が困難であるというデメリットもある。さて、今回利根は第一射を斉発としたが、どうやらこの作戦は当たったようだ。
「第一射、左右遠近良し! 命中弾及び至近弾確認! どんどん撃ちまくるのじゃ!」
滑り出しは好調だった。駆逐艦『弥生』の砲弾が敵戦艦に命中、霧島と利根の放った砲弾は軽巡二隻に至近弾となり、それぞれに僅かではあるが損傷を与えた。
一分間に十発の射撃が可能な駆逐艦は早くも第二射を開始した。12.7㎝連装砲の斉射が始まる。霧島も副砲による射撃を開始。敵が情報を掴む前に、一発でも多くの弾をぶち込まねばならない。利根も装填中に水上機からの情報に基づき修正を行い、すぐさま第二射に移った。
腹に響く轟音、頬を通り過ぎる熱風。心地よい高揚感に包まれる利根だったが、楽観視はできない。しかし、敵艦隊が被弾運動を開始したのを確認すると小さく笑みを浮かべた。第一段階は成功したのだ。
一〇一戦隊の第一射が敵艦隊の艦砲射撃と同時だったという幸運もあり、敵艦隊はまだこちらを捕捉できていなかった。降り注ぐ砲弾からひとまず身を守ること、危機に瀕した者の行動は、人も艦娘も深海棲艦も同じだった。
利根は敵艦隊のうち、至近弾を受け動きが鈍くなっているホ級軽巡に狙いをつけた。
距離良し、方位良し……。ホ級がジグザグ航行する僚艦と接触しそうになり減速したのを、利根は見逃さなかった。20㎝連装砲が烈火のごとく火を噴く。放物線を描く音速の砲弾は、ホ級の頭部と上部5インチ砲をもぎ取った。続く爆発。首なしとなった軽巡は、爆炎が消えゆくとともに水面下に沈んでいった。
第三射で軽巡を撃沈した利根は、自らの戦果に酔いしれること無く次の任務に移った。
別方向に射出していた三号機も当海域に到着した。一号機と四号機が来るものも間もなくだ。翔鶴の航空部隊が来るまでの間、上空から万全の体制を築く。
その時、霧島の砲撃が敵戦艦に命中した。ル級戦艦の右手に持っていた砲はひしゃげ、もう使い物にならなくなっていた。
勝機あり、と突入を下したくなる利根だった。しかし彼女は自らの任務から逸脱した行為を良しとしなかった。握り拳に力を込め、グッと我慢する。
それと前後して、敵艦隊に新たな動きがあった。それに利根が気付いたのは、霧島がル級戦艦一隻を中破させてから五分ほどが経過してからだった。
「これは……ええい、司令部、応答せよ! こちら一〇一戦隊旗艦利根!」
利根は無線機を取り出し受話器に怒鳴りつけた。
《こちら司令部、どうした、状況を報告せよ》
「どうしたもこうしたもないぞ、提督!」
上空で旋回中の水上機でもう一度確認する。……間違いない。利根は唾をごくりと飲み込んだ。想定外の出来事だった。
「一六一〇、予定通り我が戦隊は敵艦隊に対して攻撃を開始、擾乱に成功。艦砲射撃を中止させるも、一六二二、敵艦隊に発見、捕捉される」
《作戦通りのようだが、何か問題でも?》
大問題じゃよ、と利根は心中で呟いた。何事も思い通りにはいかない。そんな当たり前のことを今更になって実感していた。
「敵艦隊が撤退を始めただと!?」
葛木は耳を疑った。誰もいない部屋に葛木の声が木霊する。雨霰と降り注いだ砲弾が止み、爆発に掻き消されていたサイレンと足音、火災と倒壊、そして悲鳴が地上を包み込んでいた。
「一応聞いておきたい。敗走ではないのか?」
《こちらが与えた損害は軽巡一撃沈、戦艦一中破に過ぎぬ。明らかに消耗を恐れての後退、戦術的撤退じゃ》
今までに深海棲艦が戦略的、戦術的行動を取ったという話は聞いたことが無い。葛木が知らなかっただけか、それとも深海棲艦が戦法を高度化させたのか。
《追撃するか、しないか。提督、決断を!》
決断は済んでいる。……はずだ。
このF作戦の目的は敵艦隊の撃退ではない、殲滅である。となれば、敵が逃げ腰となっている今こそ好機。今こそ攻撃精神を遺憾なく発揮し、敵を蹂躙する時だ。一〇一戦隊に突撃命令を下すのは今をおいて他にない。
だが葛木の脳裏には一抹の不安がよぎっていた。根拠のない予感、勘とも言える。
俺の決断は正しいのか? これで本当に良いのか?
しかし、葛木の苦悩に答えてくれる少女はいない。幕僚と呼べる将校もいない。今やこの仮設司令室には葛木しかいない。決断を下すのは、葛木ただ一人だ。
冷や汗が頬を伝う。どうする、どうする。頭の中で思考が勢いよく空回りしている。受話器の向こう側からは砲声が聞こえる。今まさに撃ち出されている弾薬とて有限である。しかも間の悪いことに、哨戒中は極力戦闘を避けるよう指示していたため弾薬も満載量を搭載していない。一〇一戦隊の保有弾薬から考えて、夜戦で敵を殲滅するとなれば一撃離脱が限界だった。徒に撃ち続けた結果、決戦の夜を待たずして弾切れなどとなっては笑えない。ぐずぐずしている暇はなかった。
「次の三点を直ちに報告しろ。一つ、敵艦隊の進路。一つ、敵艦隊の速度。一つ、敵艦隊進路上の天候状況。」
《……敵進路1-6-0、速度約20ノット。進路上約15000に層雲、いや濃霧か……ともかく三十分以内に敵艦隊は視認困難な海域に離脱可能じゃ》
だろうな、と心の中で吐き捨てる。敵は霧の中に紛れて攻撃をやり過ごす腹だ。こちらの燃料不足をわかった上でか? ただこの場を逃れたいだけか? それとも他に何か狙いがあってか? わからない、だが悩んでいる時間はない。
「一〇一戦隊は霧島を除き砲撃を中止し現在地で待機。その後距離20000に達せられし時はその距離を保ちつつ追尾。翔鶴の航空隊到着を待て。突入命令はこちらから下す。それから霧島の照準は敵艦隊前方に変更。当たらなくても良い、敵艦隊の前に落とせ。進路を妨害しろ」
《了解じゃ!》
通信を切った葛木は自分の情けなさに嫌気がさした。
葛木に下すことの出来た作戦は三つ。追撃か、撤退か、それ以外か、だ。
この戦闘には次がない。正確には、次があるかわからない。一〇一戦隊が追撃せずに帰還した場合、翔鶴の航空隊の攻撃により痛手を与えることが出来たとしても時間の関係上、まず殲滅には至らない。先にも述べたが、この海域に戦艦部隊の脅威が払拭されていなければ救援の輸送船団は近づこうとしないだろう。再びこの鎮守府にル級の砲弾が降り注がないとも限らない。だからと言って再出撃、とは簡単にいかない。燃料が足りないからだ。もう一度日を改めて索敵を実施し戦力を結集させてこれを粉砕、というのは夢のまた夢なのだ。戦闘は不可能でないにしても、稼働可能艦が駆逐艦数隻などいうこともありえないわけではない。
殲滅が必要とされており、この戦闘が事実上最後の攻撃機会になるかもしれないということから、逆説的に一〇一戦隊を突撃させるしか道はないという結論が導き出される。だが、葛木はこの結論に至りながらも決断には至らなかった。理由は、やはり戦力の損耗だった。
艦娘による戦闘の大原則は『反復出撃可能な状況で行う』だ。艦娘の数には限りがある。一隻でも戦闘不能になった場合はすぐさま帰還し、戦闘可能な状態に修復ないしは再編成を行ってから再出撃しなければならない。過去に大破状態の艦娘がいるにも関わらず、眼前の勝利に目が眩んで艦隊を進撃させた指揮官がいた。幸いにしてその艦娘は帰投出来たが、彼はその作戦終了後に軍法会議にかけられ軍籍を剥奪。数日後に切腹したという。
話を元に戻そう。今追撃を行えば敵艦隊の半分は屠れるだろう。ただしこちらも同等か、それ以上の戦力を失うことは間違いない。もともとF作戦には夜戦という損害覚悟の突撃が予定されていたが、混乱に乗じての夜戦と、規律の取れた組織的撤退中の敵に行う昼戦と、どちらがより大きな損害を被るか、考えるまでもない。
万が一、追撃中に大破航行不能な艦が出てしまった場合、一隻当たり護衛兼曳航に駆逐艦一隻が必要になる。合計六隻の一〇一戦隊から二隻の脱落というのは戦力の三分の一の損失ということだ。もしも二隻以上が大破した場合、戦力と呼べるものは残らない。しかも、脱落するのは十中八九駆逐艦である。夜戦の主力である駆逐艦なのだ。仮に夜戦に持ち込んでも、こちらの損害次第ではこちらがすり減らされてしまいかねない。
しかも北方艦隊には修理ドックの倒壊という致命的障害が横たわっている。仮にここで一〇一戦隊が敵水上打撃艦隊と刺し違えたとして、救援部隊の到着までに深海棲艦が小規模でも艦隊を再編して攻撃を始めた場合、こちらには打つ術がない。
『反復攻撃可能な状態での行動』という原則に反していることに加えて、どう考えても追撃はリスクが高すぎた。
折衷案として葛木が出した苦肉の策が待機、その場で立ち止まることだった。戦力の損耗を避け、かつ敵の確実な殲滅を図ると言えば聞こえは良いが、その実態は葛木の優柔不断から発した命令だった。
“皇国”軍においては、戦場においては遅疑し決断を先延ばしするより指揮官も、誤っていても迅速に指示を出す指揮官の方が優秀だとされていた。その点から見ても葛木は指揮官の器ではなかった。本人も自覚があった。少将という身の丈に合わぬ衣を着せられたこの男は、それでも自らの部下のために仮面を被り自らの戦場に立ち向かった。
「こちら司令部、第一〇三戦隊旗艦翔鶴、応答せよ。……状況が変わった。ああ、敵艦隊が南西方向に撤退を開始した。第一次攻撃隊は発艦したか? まだ出撃したばかり? これからだな、良し。よく聞け、作戦変更だ。第一次攻撃隊には艦爆をありったけ出せ。最短ルートで直行し、一度上空を通過してから正面に回り込み急降下爆撃を仕掛けろ。そうだ、奴らの足を止めるんだ。絶対に霧の中に逃がすな。艦攻主力の第二次攻撃隊は南側を迂回して方向転換した敵艦隊の頭を叩くか、若しくはケツを向けるようなら思いっきり掘ってやれ。第一次攻撃隊の発艦機数が増えるから反復攻撃の数を稼ぐためにも、一〇三戦隊は敵艦隊の視界に入らないところギリギリまで接近せよ。だが間違っても敵に見つかるんじゃないぞ」
幼稚な表現になるが、艦娘は不思議な存在である。
一見したところはひ弱な女性にもかかわらず、艤装を装備すれば銃弾は勿論のこと、艦種によっては砲弾の直撃にすら耐える。武装も、見た目は模型のように精緻で小さいだけなのに、その威力は実物と同様である。そもそも、艦娘が装備する艤装自体の重量も、燃料や弾薬を合わせれば数トンどころの話ではない。戦艦や空母なら七十トンにもなる。“皇国”陸軍主力戦車の重量が十六トンに過ぎないのと比べると、その異常さが際立つだろう。
そんな艦娘の武装を実際に稼働させているのは、妖精と呼ばれる小人のような存在だった。彼女ら、と呼んでいいのかわからないが、妖精たちは時に航空機を操縦し、時に砲を操り、時に魚雷発射管を司る。電探やソナー、爆雷に対空火器まで、艦娘の艤装あるところ妖精ありと言った具合だ。
この海は夕方の空だというのに、霧と雲のせいで暗くなりつつあると感じるのみで、風情の欠片もないものだった。零式水上偵察機、利根一号機は低く垂れる雲の上を南東に向けて飛行していた。
利根の擁する水偵は合計で四機。F作戦で利根に課せられた索敵にかけられる時間の割に機数が少ないが、不確定とはいえ敵の位置は南方、鎮守府から約40㎞以内という程度には情報があったため発艦時の場所から数えて進出距離45㎞と、ある程度あたりをつけて決定された。最大時速367㎞の零式水上偵察機であれば、45㎞の進出距離で95度から160度線の扇形索敵区分は大した範囲ではない。例えば、先日一航戦が南方海域での戦闘を念頭にした演習で行った索敵面積の0.2%ほどに過ぎないからだ。あとは時間との勝負だった。
そして、お目当ての敵艦隊は二号機が発見した。発艦した際の直線上から発見できたというのだから運が良い。直ちに全機結集の指令が下された。予定では利根ら第一〇一戦隊は敵を引き付ける仕事を担うことになっているので、僅かでも敵艦隊の妨害を試み戦隊を支援するためにもエアカバーは厚い方が良い。翔鶴の攻撃隊が到着するまでの短時間のサポートだが、駆逐艦一隻でも失えば大幅な戦力ダウンになる一〇一戦隊にとって、水偵一機すらも無駄にできない戦力だった。
三座であるこの機には操縦士の他に二人の乗員がいる。その一人の妖精が下方を眺めながら小さな顔をしかめる。この辺は特に雲が低くて上空からでは海面の状態が見にくい。その反面、航空機も雲に隠れることが出来るという長所があるのだが。
話を戻すと、この天候条件で二号機が敵艦隊をすぐさま発見できたのは、深海棲艦が艦砲射撃のため雲のない位置にいたからに他ならない。停泊状態で雲の下に隠れられたらまず発見不能であった。
燃料節約のため最大速度は出せないが、一号機は出せる限りの速度で一〇一戦隊の戦場、敵艦隊の上空に向かっていた。景色はどこまで行っても灰色がかっている。
この時、この時点では一号機にも、利根にも、翔鶴にも、伊号第八潜水艦にも、葛木にも、誰にも何の落ち度もなかった。北方艦隊にもたらされていた深海棲艦に関わる情報は、最大六隻で戦術行動を取ること。夜間は積極的な行動が減ること。キス島周辺の敵戦力は戦艦三、巡洋艦十七、駆逐艦三十九の計五十九隻であること。それだけだ。果たして悪いのは大本営か、それとも軍令部か、或いは聯合艦隊か。
利根一号機が後方の雲間から近づく幾つもの影に気づくことはなかった。
一六二〇、利根一号機と利根との連絡は途絶した。そのことに利根が気づくのは、もう少し先のことである。
夕暮れ時の皇都。本来は白塗りの参謀本部を沈む太陽が赤黒く染め上げる。その血塗られた建物の一室で、“皇国”の行く末を決める者たちの不毛な話し合いが行われていた。
「“帝国”は長くは持ちません。長くてあと一年、短ければ年内にも“共和国”に屈伏するでしょう」
欧州方面の地図を背にしながら、飾緒を下げた若い参謀は吐き捨てる。彼の少々過激な発言に会場がざわめく。
彼の前には、陸海軍部定例戦況連絡会議の席には、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。
陸軍側出席者は『参謀総長』浦崎大将、『参謀本部第一作戦部長』原田少将、『参謀部第三部長』後藤少将、『陸軍次官』岡崎中将、『東北軍第一課高級参謀』村松少将。
海軍側出席者の『軍令部総長』高田大将、『軍令部第一作戦部長』橋浦少将、『海軍次官』木村中将、『聯合艦隊参謀長』北澤中将らは、泣く子も黙りそうなほど厳つい顔をしていた。
これほどの大物たちの前で報告を行うなど彼にとっては初めてのことだ。緊張のあまり昨晩からほとんど寝られていない。食事も喉を通らなかった。『陸軍参謀部第五課』の班長とはいえ、一中佐に過ぎない彼は戦々恐々としていた。話す内容が話す内容だったからというのもある。
「“帝国”は長くない」彼の言葉に出席者のほとんどが驚いていた。そして各々が隣の者と会話を始めたせいで、彼は話を再開するタイミングを見いだせずにいた。議長である浦崎大将は咳払いを一つすると、皆に聞こえるような大きな声で言った。
「山中中佐、続けてくれたまえ」
「はっ」と一言短く返事をすると振り向き、指示棒を取り出してから始めた。
「最大の理由は鉄鉱石です。“帝国”は鉄鉱石の殆どを中立である北部欧州地域からの輸入に依存していました。これらの輸送手段は主に海上輸送になります。深海棲艦出現後も、辛うじて制海権を確保できた東海を通る分には問題ありませんでした」
中央大陸北部から、欧州地域中央に位置する“帝国”の北にかけて南西方面に伸びる北欧半島の東側、そこが“帝国”の唯一の海、“帝国”語で「Ostsee」、“皇国”語ではそのまま東海と呼ばれる海である。欧州大陸と北欧半島に囲まれている地中海であることや、水深が浅かったために深海棲艦の侵入が行われなかったと考えられている海域だ。
山中はそこに指示棒でバツを描いた。
「ですが、この海は冬になると凍結します。そうなると輸送船の航行は不可能です。必然的に外海を通らねばなりませんが、ご存知のように“帝国”は外洋艦隊を持たない陸軍国家です。2000㎞にわたる長距離の海上輸送を護衛する力はありませんでした」
北欧大陸の西側の海域を、深海棲艦の真ん前を通過しようとした輸送船団は次々と沈められた。“帝国”も数隻であるが艦娘の実用化に成功していたが、戦争とは数を揃えた者が勝つ。僅かに五隻では話にならない。軍隊歴の長いお歴々にそこまで説明するほど山中は愚かではなかった。
山中は全員がその暗い表情をしているのを確認したのち話を先に進めた。
「よって“帝国”は昨年の冬から今年の春まで間、鉄鉱石の供給の大部分が停止しました。“帝国”の産業は致命的打撃を受け、国内経済の混乱だけではなく、兵器の新造は勿論、昨年夏以降の後退戦で消耗した兵器の修復にも影響が出ました」
“帝国”と“共和国”の国境線は一日ごとに変わっていく。1941年の開戦時からは国境線は東へ東へと進んでいった。今は逆だ。西へ西へと、“帝国”は徐々に追いつめられていた。
「現在の“帝国”の状況では“共和国”軍の夏季攻勢を支えることは困難でしょう。“共和国”がどこを攻めるかにもよりますが、少なくとも“帝国”が開戦以来獲得してきた東部欧州地域は全て失うことになると我々第五課は確信しております。そうなれば、“帝国”の燃料の多くを賄ってきたバトラン湖周辺の資源地帯が脅かされ、ここを失陥すれば、とはいえ防衛は困難ですが、この地域から輸入していた石油約45万トン、さらには同地域で取れるボーキサイト約90万トンを失うことになり、“帝国”の反撃の芽は完全に摘み取られます」
「もういい」
話を遮ったのは海軍次官の木村中将だった。
「“帝国”が負ける。それはわかった。それで、仮に“共和国”が宣戦布告してきた場合、陸軍に勝算はあるのかね」
「それは私からお答えします」
手を上げたのは東北軍の村松少将だ。彼は立ち上がると一同を見回した。
「現在、我が東北軍の骨幹兵力は二個戦車師団を含む十七個師団となっています。それに対して極東“共和国”軍の兵力は確定しているものだけで二十一個狙撃師団、五個狙撃旅団、一個戦車師団、七個戦車旅団、三個自動車旅団、三個騎兵師団です。これらの四割ほどが機械化されており、総人員は八十万、戦車千両ほどと思われます」
山中は唖然とした。ここまで差が開いているのかと、気の遠くなるような思いだった。彼には東北軍参謀の友人がいる。その友人に聞いたところによると、東北軍の兵力は体面上見繕ってあるがその実は弱体そのものであり、築城は遅々として進まず、資材も兵士も訓練も不足しているという。欧州での戦争で飛躍的に近代化を遂げた“共和国”の大群に勝てる見込みは、もはやないと言っても良いだろう。だが、村松少将はそうは言わない。
「これは持久戦に持ち込み時間を稼ぐには十分な数字ですが、こちらから攻勢に出るとなると相当の損害を覚悟せねばなりません」
本当ならば村松少将はこう言いたいはずだ。兵も弾も足りない。もっと予算をつけてくれねば東北軍は“共和国”の赤旗に覆いつくされてしまう、と。しかしそんなことは口が裂けても言えない。それは面子のためだ。“皇国”陸軍最強最精鋭の東北軍、向かうところ敵なしの東北軍、そういう自信と驕りで凝り固められた軍が大陸方面で暴走を始めた東北軍なのだ。だからどんなことがあろうとも、決して「勝てない」「負ける」などとは言わないのだ。
灰皿に堆く積もった吸殻の山の前で新たな煙草に火をつけながら、高田軍令部総長が口を開いた。
「陸軍が“共和国”に勝てようが勝てまいが、我が海軍としては南方の再占領が終わるまでの間、“共和国”に対しては極力戦争の発生を防止してもらいたいところである」
それに反論したのは陸軍参謀本部の作戦参謀原田少将だ。
「何度も申し上げている通り、これ以上東北軍から戦力を抽出することは出来ませんぞ。北清軍も同じです!」
お言葉だが原田少将、と口を挟んだのは軍令部の橋浦少将だった。
「北清軍の肥大化を招いたのは誰かね。旧シン国の分裂した軍閥を片端から敵に回し、補給もままならない泥沼の戦場に足を踏み入れ、徒に国力を弱めたのは誰か。すべて陸軍の身から出た錆ではないのかね?」
橋浦少将の言葉が陸軍の面々の逆鱗に触れかけたのか、陸軍側の何人かは掴みかからん勢いで立ち上がった。
「やめんかッ!」
浦崎大将が一喝する。立ち上がった者は脊髄反射で直立不動の姿勢をとる。
「ここは陸海軍の戦況連絡の場であり会議の場である。責任追及の場ではない。各々言いたいこともあるだろうが、ひとまず抑えて本来の任を果たしてもらおう」
さすがは陸軍参謀総長、凄い威厳だ。山中は一触即発だった雰囲気を一瞬で元の議論の場へと戻した浦崎大将に尊敬の念すら抱いた。山中は気づいていなかったのだ。浦崎はただ、議長である自分の面子を潰されるのを嫌っただけだということを。
浦崎大将が立ったままの原田、後藤、村松少将に席に着くよう命じ、高田軍令部総長の方を見て言った。
「では次は海軍の方からの戦況報告をお願いする」
返事をして立ち上がったのは、聯合艦隊参謀の北澤中将だ。
「ご存知の通り、我が海軍は1943年の深海棲艦出現以降失っていた南方及び南西方面の資源地帯の再占領のための作戦を計画中であります。ですが、まだ詳細は確定していないためこの場での発言は控えさせていただきます。次に聯合艦隊の状態ですが、第一、第二、第六艦隊、第一航空艦隊はそれぞれ横須賀、呉、佐世保、舞鶴において訓練中。第三艦隊は本土東方沖、第四艦隊は南西諸島沖、第五艦隊は北方方面の哨戒、防衛に当たっております」
「北方の、西部アリューシャン前線要塞はどうなっている」陸軍次官の岡崎中将が尋ねた。
「本日の第五艦隊からの通信によりますと、『北部戦線異状なし、報告すべき件なし』とのことです」
◇
翼が風を切る。翔鶴戦闘機隊、その三番隊二番機である彼女、この妖精は愛機の零戦52型と共に、不運にも厚い雲のない空を駆っていた。高度2000、速度は時速400㎞を超えている。後ろを振り向くと、そこには深海棲艦の艦載機が10メートルほどの距離を保ちながらピタリとへばりついていた。
操縦桿を右に振り、右のフットバーを踏み込む。機体もそれにつられて滑り出す。高速での旋回のため、横のGがかかり僅かに顔を歪める。そして今度は左旋回。操縦桿を逆に倒し左のフットバーを踏み込む。しばらくしたらまた右に、左に、左右に急旋回を繰り返す。
振り切ったか? ちらりと振り返る。と同時に火の玉が襲いかかる。慌てて機を右に振った。幸いにして被弾はしていないが、駄目だ、まだ食いついてきてる。畜生!
スロットルの出力を上げる。ブースト計はいっぱいだ。左フットバーを踏みながら操縦桿を目一杯引き込み機首を上げる。風を受けて機体が左斜めに上昇を始めた。急旋回の連続で落ちていた速度がさらに落ちる。
敵機はまだ離れない。いいぞ、そのままついてこい。上昇を続け、そのまま宙返り。降下を始めるが、敵機はまだ気が付いていない。零戦の旋回性能の恐ろしさを。
彼女の愛機である零戦は、抜群の舵の効きを活かして小さな半径で旋回する。低速であることもそれを助けた。旋回半径が小さければどうなるか。大回りしている敵機が、まるで押し出されるように自機の前に現れるのだ。三周目を終える頃には、無防備な敵機の背中が丸見えになる。見事に、そしてあっけなく形勢逆転である。
敵機が照準器の中に映る。黒い牙のような、気持ちの悪い姿をした化け物。これでお終いだ! 見越し角を考慮に入れ、やや敵機前方に照準を合わせて機銃の引き金を引く。機首の銃口から7.7㎜弾が飛び出し、敵機の背中にいくつもの弾痕を拵えた。目標は煙を噴きながらぐらりと機首を下げ、ヨロヨロと降下していく。零戦の緑色の機体が追い越したあと、それは中空で爆発し粉々に散っていった。
敵機撃墜! しかし喜んでいる暇はなかった。周囲を見渡すと、前方の母艦である翔鶴に向けて上空一時方向からは爆撃機の、後方五時からは雷撃機の編隊が迫っていた。翔鶴の背後を突くような攻撃であり、随伴艦も前に出て対空戦闘を行っている。艦娘たちは背後の敵に気が付いていない。
辺りを探してみても、迎撃に上がった味方機はその半数以上が既に撃墜されていた。残るは自分を含めて五機ほど。航空機搭載の三式空一号無線機粗悪なつくりのため雑音を流すばかりで役に立たない。乱戦となってしまったあとの味方同士での意思疎通など不可能だ。
自分がやるしかない。意を決して操縦桿を手元に引き込む。速度を上げ、敵爆撃機に向け上昇を開始する。
やがて敵爆撃機は一機、二機とダイブを始めた。急降下爆撃を仕掛けるつもりだ。そして最後の三機目が降下を開始した時、彼女の零戦が追い付いた。機を左に回転させながら、背面飛行になったところで降下を始める。こうすることで速度を殺さずに降下することが出来る。すると、突如現れ背後から迫るゼロに驚いたのか、機銃を数発撃っただけで三機の爆撃機はコースを外れ散開した。
これであとは雷撃機、そう思った瞬間、背中から衝撃が走った。
背後に敵戦闘機! 爆撃機の妨害に気を取られて周囲の警戒が薄くなっていたか!
機を起こしながら被弾箇所を確認する。五体は満足、機体には、見えるところだと右主翼に二つ……主翼に二つ!? 20㎜機銃には被弾していないようだが、燃料タンクが火災を起こしたら一巻の終わりだ。
しかしそれは杞憂だった。この52型には防弾燃料タンクと炭素ガスの自動消火装置がつけられている。被弾しても、搭乗員が脱出するまでの時間を稼ぐことくらいはできる。
だが、彼女はそれをしなかった。水平飛行に戻ったあとも、機体を左右に滑らせ、後ろにへばりつく敵の攻撃をかわしながら全速で前に走った。無論、全てをかわすことなど出来ない。瞬く間に彼女の愛機は穴が増えていく。こうなっては防弾も自動消火も意味をなさない。しかしそれでも彼女は走った。その目には、はるか彼方に見える黒い点、魚雷を積んだ敵攻撃機しか映っていなかった。
まだ飛べる、まだ走れる。徐々に点が大きくなる。もはや機体から炎が上がっていることすらも気づかない。もう少し、あとちょっとだ、頑張れ! しかし愛機は耐え切れなかった。ガクンと右側に傾く。
くそ、まだだ、まだ落ちるな! 必死に操縦桿を引き起こし、機体を元に戻そうとする。だが左手が動かない。左肩が撃ち抜かれていたのだ。こなくそと右手と足で無理やり操縦桿を引く。だが高度も速度も落ちるばかり。後ろの敵機も見切りをつけて反転していった。
畜生、畜生、畜生! 何度やっても駄目だった。海面が目の前に迫っていた。だが、彼女の目には相変わらず敵機しか見えていない。もうあと少しで絶好の射撃位置だというのに……。動け、動け!
その時、ほんの小さな奇跡が起きた。
相棒の絶叫に心動かされたのか、彼女の愛機が機首を上げたのだ。射線上には敵雷撃機が突っ込んでくる、どんぴしゃりだ。彼女は金切り声を上げながら20㎜機関銃の引き金を引いた。揺れる機体、必殺の20㎜弾が次々と飛び出し、薬莢がばらばらと水面に落ちる。
しかし、彼女の生涯最後の奇跡はもう終わっていた。僅かな時間に放たれた20㎜弾は全弾が目標を捉えること無く飛翔し、やがて遠いどこかの海面に落ちた。
虚しい抵抗は数秒で終わり、海面に水柱が立った。こうして彼女とその愛機である零式艦上戦闘機52型は海に没した。
その数分後、二人の死を嘲笑うかのように爆発音が響き渡った。彼女たちの努力はその甲斐なく、撃ち漏らした雷撃機の魚雷が翔鶴を中破へと誘った。
「損害報告を」
椅子に座る葛木は足を組みながら、後ろに立つ人影に尋ねた。
「第一〇一戦隊の損害は駆逐艦二大破、戦艦、駆逐艦一中破、重巡一小破。一〇三戦隊は空母一、駆逐艦一中破です。このままでは嬲り殺しなので、敵航空攻撃の終了と同時に両戦隊は東方に退避させました。また翔鶴が飛行甲板を損傷し艦載機の着艦が困難なため、生き残った翔鶴機は北の演習場……失礼しました、飛行場予定地に着陸するよう指示しました。海面に不時着したり、体当たりされるよりはマシかと」
答えたのは秘書艦のはち、ではなかった。
「ご苦労、不知火」
「恐縮です」
「しかし、こっ酷くやられたものだ」
葛木は深く腰掛けたまま天井を仰いだ。
「なあ不知火、この海域に空母がいたのは偶然なのか? それとも……」
葛木の目は、今までに見たことが無いほどに鋭いものだった。
1943年の夏の終わり、秋が始まる頃、キス島の深海棲艦による包囲が頑強なものとなった。この時、北方海域には一隻のヲ級航空母艦がいた。南方から増援として現れたとされている。一見するとどれも同じに見える深海棲艦だが、細部の特徴が南方で目撃されたものと一致したのだ。
このヲ級の艦載機により、輸送機に甚大な被害を受けた陸軍はキス島を事実上放棄した。そのため、陸軍の間ではちょっとしたお尋ね者になっている。
ところが、このヲ級は今年に入ってからは南方や南西海域での発見が相次いでいるため、北の海から引き揚げたものだと海軍は判断していた。だから北方鎮守府には『北方海域キス島方面には敵航空戦力なし』と報告されていたのだ。
勿論、陸軍はそんなこと知らない。葛木には、これがたまたまなのか、それとも海軍の謀略なのか、判断しかねていた。
「偶然、だと思われます」
その辺の事情を良く知っている不知火は、苦虫を噛み潰したような顔をしながらこう返すので精いっぱいだった。
「いや、君にあたっても仕方ないな。すまん」
彼も気が付いていた。例え敵空母機動艦隊がいることが隠蔽されていたのだとしても、偶然だったとしても、状況は何も変わらないと。
深海棲艦が付近に空母ヲ級を含む機動部隊を配していることが判明したのは一六三五。利根の水上機一機と通信が途絶していることから確認のため別の機を回したところ、雲の間を大量の航空機が一〇一戦隊目がけて飛翔していたのだ。慌てて利根は輪形陣を組み対空戦闘用意の報を発した。
敵の大編隊が視界に入った時、利根は翔鶴の戦闘機隊に一縷の望みをかけていた。敵艦隊が逃げ込もうとしている先を除いて、こちらの上空には航空機の妨げになるような雲がない。まともにやりあっても、一〇一戦隊の防空火力ではとても損害を抑えることは期待できない。だが、最精鋭の翔鶴戦闘機隊がエアカバーにあたってくれれば話は別だ。利根は翔鶴に打った緊急電が間に合っていることだけを祈っていた。
しかし、既に回り始めていた歯車を止めることは出来なかった。折悪しくも、ちょうど利根が対空戦闘始めの令を下す直前、第一次攻撃隊の九九艦爆二十四機と護衛の零戦六機が彼女らの上空に姿を現したのだ。
その後は目を覆いたくなるような惨劇だった。
敵機などいないと思いこんでいた第一次攻撃隊は、対空警戒を怠り敵機の発見が遅れた。ろくな装備もないまま、利根たちは必至の対空戦闘を行ったが結果は火を見るより明らかだった。頼みの綱の翔鶴戦闘機隊も、たったの六機で艦爆隊の護衛をしながら艦隊防空を行えるほど超人的な働きは出来ない。
さらに、一〇一戦隊が追い込んだ敵水上打撃艦隊までもが反転、お返しだと言わんばかりの攻撃を仕掛けてきた。対空戦闘だけならばまだしも、対艦戦闘まで強いられては勝ち目はない。利根はたまらず撤退許可を求めた。
深海棲艦の反転攻勢はそれだけにとどまらなかった。こちらの第一次攻撃隊の進路から位置を割り出したのか、急遽戦闘機を差し向けた翔鶴の元に敵の第二次攻撃隊が差し迫ったのだ。二十四機の戦闘機を二分した翔鶴に、四十機の大編隊が襲い掛かった。
このように、F作戦は『優勢な航空戦力』という前提条件が崩壊したため根底から破綻。むしろそっくりそのまま返されたと言って良い。文字通り、完全な失敗となった。損害は聞いての通りである。
決定的だったのは、鎮守府への爆撃だった。あざけるかのような数機での爆撃だったため損害こそなかったものの、北方艦隊と鎮守府の精神的支柱であった翔鶴の敗北が印象づけられたことは計り知れないダメージとなった。
モラルブレイク、士気崩壊の危機に瀕した葛木の取った策はありふれた、そしてあまり好ましくないものだった。不知火と数名の士官から成る督戦隊を編成したのだ。彼女の白い手袋に赤い染みがついているのはそのせいだ。
それにしても。涼しい顔をした不知火が重い口を開いた。
「海軍が嫌がらせで届けてくれた高角砲部隊を心強く思う時が来るとは思いもしませんでした」
彼女の冗談に葛木は全くだと笑いながら返した。
「ところで、博士の様子はどうだ」
残された戦力はあと僅か。部下の士気は背中に銃を突きつけ、或いは見せしめを行うことで辛うじて維持できているに過ぎない。それでも彼の表情には落胆の色は見えない。頼もしい限りだが、どこか危なげなさ、脆さを感じさせる、強がりのようにも見える。不知火は気が付いているのだろうか。あの少女なら気が付いただろうか。
「順調のようです。日付が変わる前には何としても動かせるようにしてくれるみたいです」
「そうか」
よっこらしょ、と腰を上げ無線機の前に立つ。状況の変化を伝えるためだ。受話器を取り、周波数を合わせ……。
《……ぶ…………せ……こ…………ず…………》
それは、全くの偶然だった。
雑音に交じって誰かの声が聞こえる。ヘッドホンを耳に押し付ける。
急に固まる上司に驚き、何事かと近づいてきた不知火も傍耳を立てる。
《…………た……け……ざい…………ち……は…………う……》
「こ、これは!?」
狼狽する不知火。
「しっ!」
葛木は人差し指を口元に当てて不知火を制する。
「ですが!」
「黙って聞け!」
思わず怒鳴り声を上げてしまった。彼も冷静ではいたが驚いてはいたのだ。そう、この声の主こそ本日のイレギュラー第一号に他ならない。
《こ……ら第………哨戒……旗艦『瑞鶴』。司令……応……よ》
時計の針を戻そう。
1944年4月15日、つまり本日。時刻は一三二七。瑞鶴は独断で戦闘を開始。司令部に指示を仰ぐことなく戦果の拡大を図り、第二哨戒隊は定められた哨戒ラインを超えて東進した。
それから約三十分後、第二哨戒隊は追撃していた敵水雷戦隊残存勢力を完全に撃滅した。ところが戦闘の終了間際から天候が急速に悪化。航空機の使用が困難になった。
目的を達成した第二哨戒隊は北方鎮守府への帰還を始めたが、立ち込める濃霧の中、新たな敵水雷戦隊と鉢合わせてしまう。
霧の中でまともな電探を持たない両艦隊は、音のする方へ盲撃ちするしかない。少なくともこちらの損害は増えていくが敵に与えた損害はわからない。
僅か十五分ほどの短い戦闘の間に瑞鶴と駆逐艦『朝潮』が被弾、通信機が故障する事態に陥った。次いで駆逐艦『霞』が小破。さらに朝潮が被雷し大破した時点でさすがの瑞鶴も戦闘中止を下令。第二哨戒隊は南東方向に急速避退した。
一五一〇、瑞鶴は決断を迫られる。根拠地である北方鎮守府から離れすぎたため、先ほど戦闘を行った海域を迂回しては、帰投するまでに燃料が尽きることが判明したのだ。とは言っても、大破した朝潮を引き連れて敵艦隊の横をすり抜けようというのもリスクが高い。別の艦隊に迎えに来てもらえば良い話だが、霧の中での戦闘で破損した無線機はうんともすんとも言わない。
そこで瑞鶴が目を付けたのは、北方鎮守府とキス島のおよそ中間に位置するアツタ島だった。ここなら残りの燃料でもぎりぎり到達することが可能だった。
この島にもキス島同様“皇国”陸海軍の兵士が進出していたが、キス島が包囲される直前に慌てて撤退が行われたため、その時に放棄した物資や機材が山積みされているはずだ。ここで無線機を修理し、救援を要請することにした。
無謀な戦線拡大で叱責されることは目に見えていたが、敵艦六隻撃沈、水雷戦隊殲滅という戦果は北方艦隊最大と言えるだろう。私は結果を出したのだから悪くない。瑞鶴はそう思いこむことにした。少々引っかかるのは、姉である翔鶴に心配をかけたことだけだった。
《……というのが、第二哨戒隊の行動のすべてです》
瑞鶴は悪びれもせず言い切った。事情を聞いた葛木は、受話器の向こう側に聞こえるほど大きなため息をついた。不知火に至っては怒りを通り過ごして呆れかえっている。
葛木は一呼吸置き、目を瞑りながら尋ねる。
「君は……自分がどれだけ勝手な行動をしたのか理解しているのか?」
《戦場における進退は、状況によって適切な判断が必要です。しかし、千差万別、刻一刻と変化し続ける戦場に置いて常に指揮官の指示を待つような態度は時機を失することにつながり、状況に応じた適切な対応が困難になります。よって、私は独断で以て最善の対応を、つまり敵艦隊の撃滅を図りました》
抑揚のない、まさに棒読みだった。
《って感じでどう? 一応教科書通りの解答のつもりだったんだけど》
途端砕けた口調になる。素が出るということは瑞鶴には相当の自信があるということだ。彼女の勝手な判断が、挙げた戦果で帳消しにできるという自信が。
「御託は良い。それよりも、だ」
《そう、そんなことよりも聞かなくちゃいけないことがあるんだけど》
葛木の言葉を、瑞鶴は強い口調で遮る。葛木は無線越しだったが、この口調を前にも聞いた覚えがあった。いつのことだったか……。
《陸軍はアツタ島からの撤退に成功。2650人全員を救出。これが陸軍の公式発表だったわよね》
そうだ、思い出した、あの時だ。
「そういう風に聞いている」
彼女がここに着任してすぐ、五十時間連続訓練の後、翔鶴に伴われて執務室に来た時だ。
《なら、なんでここにアツタ島守備隊の生き残りがいるのよ!?》
あの時と全く同じだ。戦友を蔑ろにされた時に見せた、あの口調だ。
《アツタ島守備隊の生き残りだと?》
瑞鶴は二つの意味で怒っていた。一つは、北の孤島で奮闘する勇士を見捨てた陸軍上層部に対して。もう一つは、それを把握すらしていない自らの上官に対して。
彼女は今、アツタ島守備隊司令部にいる。司令部というよりも、詰所といった趣だ。半地下の三角兵舎にはストーブが一つと木で出来た椅子が八つに長机が二つ。壁には小さな神棚と黒い時計が一つ。それと瑞鶴の甲種無線機が一つ。それだけだった。
下士官一六名が住むことになっているこの広い兵舎には瑞鶴の他にもう一人だけ、やつれた男の姿があった。瑞鶴の向かいの椅子に座り俯いたまま、じっとなにかを考えているようだ。祈るように合わせた手は小刻みに震えている。
「ええ、私も驚いたわ。まさかこの島で友軍と合流できるなんて」
アツタ島で陸軍部隊と合流したこと。これは瑞鶴にとって、第二哨戒隊にとってまさに僥倖だった。
艦娘は技術屋ではない。一部の艦娘はメカニックに精通しているがあくまでもごく一部であり、基本的には艤装という武器を用いるだけである。故に、アツタ島に寄ったとして無線機の故障を自分たちで修理できる自信も保証もどこにもなかったのだ。
一方で、陸軍部隊となれば様々な者がいる。銃を扱う者、砲を扱う者、車両に乗る者、治療を行う者、そして無線を扱う者。機械の整備に長けた者がいても不思議ではなく、実際にアツタ島にはそういった兵が残されていた。
《それで、守備隊の指揮官は誰だ》
「川田中尉よ。代わる? 少将殿」
皮肉たっぷりに言うと、葛木の無言を肯定と受け取り、ヘッドセットを無線機の上に置いた。
「中尉、北方艦隊司令官からお話があるそうです」
「わかりました」
川田はよろよろと立ち上がり、瑞鶴の前まで覚束ない足取りで歩いてきた。ほんの数メートルを歩くのにこの有様である。兵たちの苦労を思い、瑞鶴は胸を苦しさで締め上げられるようだった。
「アツタ島守備隊隊長の川田中尉です」
《西部アリューシャン前線要塞司令官、葛木少将だ。君に聞きたいことがあるのだが、まずは……》
葛木の言わんとしていることを察した川田は瑞鶴の方を向き視線で合図した。当の彼女は少し驚いたように目をぱちくりしていたが、やがて意図を理解し外套を羽織ると部屋を出ていった。
屋外はやはりと言うべきか、雲と霧に隠れていた日が沈んだことによって肌を刺すような冷たさとなっていた。艤装を外した艦娘はただの若い女性に過ぎない。先の司令官が使っていたというぶかぶかの将校用外套の前を閉め、瑞鶴は雪と泥の混じった道を歩き始めた。
本土から見捨てられた島。キス島と違い、この島には人がいないということになっている。彼らは、“皇国”では幽霊となっているのだろうか。しかし、陸軍は全員生還したと発表した。家族をどう誤魔化したのだろうか。考えれば考えるほど、陸軍の無責任に腹が立ってくる。ぎゅっと握った両の拳に力が入る。上が無能でも死ぬのは現地の兵なのだ。
それでも、彼らはまだ幸運だ。彼らは死すらも掻き消されるところだった。そこに偶然とはいえ、瑞鶴が、海軍が居合わせた。彼女はこの哀れな兵たちを何とかして救わねばならぬと確信していた。勇者の命は何者にも勝る。補給もなく厳しい冬の間、単独でしのぎ切った彼らの努力を無駄にはしない。瑞鶴の胸中には新たな決意が燃え滾っていた。
瑞鶴はじんわりと湿った手のひらを開いた。強く握り過ぎて爪が食い込んでいた。爪の痕を親指でなぞっていると、道端に座り込んでいる一人の兵を見つけた。
立ち止まり敬礼をする瑞鶴だったが、兵はぽかんと口を開けて中空を眺めながらピクリとも動かない。夜の闇に飲み込まれたかのように、瞳の光が消え失せていた。
瑞鶴は、悔しさと恥ずかしさと義憤から、唇を血が滲むほど強く噛んだ。彼に何もしなかった陸軍上層部が憎い。しかし今、同じように何もできない自分も憎かった。
一言、「ごめんなさい」と残して瑞鶴は元来た道を戻っていった。
寒さと飢えに苦しんできたからだろう、この島の将兵はみな彼のように精気の抜けたような顔をしている。頬も痩せこけ、骨と皮ばかりだ。
それでも、幸いにして部隊の指揮統制は崩壊していないようだ。川田中尉がしっかり手綱を握っているのだろう。一刻も早くこの島の戦友たちを助けなければ。キス島と違い警戒が薄いとはいえ、この島も深海棲艦の包囲下にあるため撤退は容易にはいかないだろう。だが、この島の惨状を見てしまってはそんなことを言っていられない。万難を排し、何としても救援部隊をこの島へ……。そのためには、まずは理論武装してあの頭の固い司令官と腰巾着の潜水艦を説き伏せる。何にしてもまずはそれからだ。
私ひとりじゃ分が悪い。翔鶴姉にも手伝ってもらわなきゃ、そんなことを考えながら瑞鶴は夜道になりつつある小道を歩いた。
「今日も星どころか、月すら見えなそう……」
瑞鶴は澱んだ空を見上げながら呟いた。風が彼女の黒髪を撫でる。時刻は17時25分。彼女の戦友たちが喧噪を望んだ、静かな夜が始まろうとしている。
―川田中尉、君の話をまとめるとこういうことか。君たち三木挺身隊300名は一〇〇式輸送機に分乗して敵包囲下のキス島に移動中、敵空母艦載機の攻撃を受け壊滅。若干の輸送機がアツタ島に不時着したはいいものの、既に進行中だった海軍主導のアツタ島撤退作戦の予定人員数から溢れてしまったため、守備隊と入れ替わり島に残ることになり、潜水艦による救出を約束されたまま今に至る。
―はい、閣下。
―なるほど。陸軍が空輸能力に致命的大損害を受けた作戦が、他ならぬ君たちの輸送作戦だったわけか。
―その通りです。
―ふむ。となると大本営発表と異なるのは、アツタ島撤退作戦を実行中には既にキス島は現在のような強固な包囲下に置かれていたこと、それをわかった上で無謀にも挺身隊を増援に送り無残にも壊滅させたこと、その生き残りがまだアツタ島にいること、この三点くらいか。
―はい。『本来の』アツタ島守備隊2600余名は間違いなく本土に撤退しました。空輸作戦の失敗後、三木挺身隊には解散命令が出され我々三木挺身隊の生き残りはアツタ島守備隊に組み込まれました。もっとも、海軍は輸送能力の限界から我々のアツタ島守備隊編入を認めませんでしたが。
―アツタ島に残されてから半年ほど、その間の食糧はどうしたんだ。
―我々の乗ってきた一〇〇輸の半分はキス島への物資輸送が目的でしたから、アツタ島守備隊が撤退した時に残したものを合わせればそれなりの量がありました。
―なるほど、よくわかった。ところで川田中尉、君はいつから部隊の指揮を執っているんだ?
―私が隊を掌握したのは今年に入ってすぐです。三木隊長は、搭乗機が空中で爆発したのを確認しました。間違いなく戦死です。敵機から逃れてこの島の東浦飛行場に命からがら着陸できた機は僅かに八機。生存者は七五名で、三木隊長に代わって指揮を執ったのは藤山参謀でした。ですが昨年の暮れに脚気で倒れ、年明けの八日に亡くなりました。私が挺身隊の指揮を執るようになったのはこの日以降です。
―……大変だったようだ。陸軍を代表して謝意を表したい。申し訳ない。そして、ご苦労様でした。
―ありがとうございます。ですがもう苦労することもないでしょう。
―待て、それはいったいどういう意味か。
―手持ちの食糧が底をついて今日で一月です。既に残された部下も二〇名を切っています。彼らも限界が近く、『起きてはならないこと』が起きぬよう戦友の亡骸を谷に破棄しなければならない始末です。もう持ちません。
―馬鹿なことを言うんじゃない。玉砕は許さんぞ。
―最後の最後に現れたのが彼女たちで良かった。そちらの状況も厳しいでしょうが、なんとかあの子たちを助けてやってください。私には本土に妹がいます。瑞鶴さんの笑顔が、あれのとそっくりなんです。彼女のおかげで、この島での辛い生活で忘れていたものを思い出すことが出来ました。もう思い残すことはありません。
―…………油は、燃料はあるか。
―海軍が残していった大発が五杯、燃料もそのままになっています。一〇〇輸のガソリンも抜けば使えるはずです。
―すまない。
―いえ、これも戦争ですから。
摩耶は一人、海を眺めていた。
燃料節約のため艤装を解除したので、瑞鶴同様に彼らから頂戴した外套を羽織っている。カーキ色の将校用外套は、今は亡き持ち主のものと思われる血で斑模様を作っていた。
彼女の脳裏には後悔の二文字が浮かんでいる。
本来ならばちょうど今頃は帰投しているはずの時間である。それだというのに、彼女は鎮守府から遠く離れたアツタ島の砂浜に腰を下ろしながらぼんやりと波音を聞いている。
嗚呼、と悲しげな声を上げると、摩耶は両の手で頭を掻き毟った。
「はちのやつにどやされる……」
一見すると些細な悩みに感じるかもしれない。しかし、摩耶にとっては重大な問題である。北方鎮守府で一番怖いのは司令官の葛木でも“氷の女王”不知火でもなく、秘書艦のはちだからだ。普段の穏やかな性格からは想像が出来ないほど、いやむしろ普段が穏やかだからこそ、はちは怒ると怖かった。
摩耶と利根が北方艦隊所属となってすぐ、二人は行き過ぎた独断専行をやらかしたことがある。ボロボロの姿で帰投した先で待っていたのは、笑顔を浮かべながら山のような演習用魚雷を背に立つ少女の姿だったという。それ以降、北方艦隊ではちの指示に逆らった者はいなかった。あのはねっ返りを除いて。
自分のことを棚に上げて人を批判するのは摩耶の好みではなかったが、彼女は秘書艦から瑞鶴の独断専行を阻止するよう言いつけられていた。その任を果たせなかったことが摩耶の頭痛の種となっていた。
「駆逐艦は被害者だからなあ。瑞鶴とアタシで対潜戦闘訓練か。あいつ、今度はちゃんと魚雷の炸薬抜いてくれっかなあ……」
先のことを考えると頭が重くなってくる。だが、秘書艦に怒られる恐怖は贅沢な恐怖だ。摩耶にはその前にもう二つほど懸案事項がある。
大破した朝潮と、燃料だ。
今、瑞鶴が鎮守府と連絡をとっており、事前の打ち合わせではタンカー一隻と護衛艦隊の出動を要請する手筈になっている。行きは燃料を積んだタンカーを護衛し、帰りは大破した空になったタンカーに朝潮を載せて護衛する。最もこれが効率の良い解決方法だろう。
だがしかし、タンカーを護衛しながらこの島まで来られるのだろうか。摩耶たち第二哨戒隊がやったように、幾つかの戦闘を覚悟すれば霧に紛れて接近することは出来るだろうが、護衛の艦娘も、艦隊所属のタンカーも、備蓄燃料も少ない北方鎮守府に、果たしてアツタ島救援が出来るのだろうか。
この島には、いないはずの兵士がいた。もしかすると、いないはずの兵士が増えただけの話なのではないだろうか。そう考えると今度は胃がキリキリと痛み出す。
摩耶は自分自身が死ぬだけであれば怖くなかった。けれども、それを仲間に強要するのは絶対に許せなかった。
せめて駆逐艦の面々だけは何としても帰投させてやらないと。アタシとあの馬鹿はその責任を取らねばならぬ。
摩耶は、瑞鶴が自分と少し似ていると思っていた。葛木もはちも、その上で瑞鶴の暴走を止める役割を摩耶に任せた。摩耶なら瑞鶴の気持ちがわかるだろうと考えてのことだった。
ところが、これは大きな誤解だった。
確かに、摩耶と瑞鶴は戦闘が好きだった。砲を撃てば血が騒ぐし、航空機が爆弾を投下すればその風切音に戦争音楽を感じる。二人とも戦争に狂っていた。
それでも、二人は決定的に違っていた。戦争に対する思いが違っていたのだ。
摩耶は苦楽を共にした仲間のために戦争をしていた。
瑞鶴は国の誇りと威信のために戦争をしていた。
同じ戦争の中で、二人は全く違うものを見ていた。だから、摩耶が瑞鶴を止めることは始めから不可能だったのかもしれない。
勿論、瑞鶴にとて大切な人はいる。翔鶴というたった一人の、かけがえのない姉妹が。それでも、瑞鶴の翔鶴に対する思いはあくまで個人的な思いであり、軍人という立場に立てば他の軍人たち同様、いや、“皇国”臣民のほとんどと同じように一人の愛国者だった。言うなれば瑞鶴は、公と私、二つの顔を持っていた。それに対して摩耶は、自らの力の全てを自分個人の目的のために使うつもりでいた。私の顔しか持っていなかった。
摩耶と瑞鶴、そのどちらが正しいのかなどというのは愚問である。戦争とは、異なる価値観の衝突に他ならないのだから。
風と空気が冷たいように、水も氷のように冷たかった。どこどこまでも暗い海の中は、心の芯まで凍り付きそうなほどだ。
寒さの原因は温度だけではない。例えば、深度200mの深海には、海面の0.1%の光しか届かない。例え太陽が燦々と輝いていても、そこは一面の闇が広がるばかりだ。漆黒の中で頼りになるのはソナーとコンパスと海図、そして己の勘のみである。
潜水艦というのはこのような環境に何時間も、何日も閉じ込められる。通常ならば気が狂ってしまうような仕事だった。通常の潜水艦であれば乗組員同士の交流があるためまだマシかもしれない。艦娘である少女は、たった一人で深海を漂っている。
この孤独を、この少女が平然とこなしているのはそうあるべく生まれたからだろうか。
いや、そうではない少女は思っていた。私がこうして海の中を漂っていることについて、艦娘であることはきっかけに過ぎない。確かに、始まりは艦娘としての任務だった。祖国のために耐えてきた。しかし今は違う。今こうして闇の中を迷うことなく真っ直ぐに泳いでいるのは、少女の慕う彼ため。光の届かぬ海の中を進む理由はそれで十分だった。
『まさかローレライが実在したとはな』
彼と出会った時、少女は歌っていた。母国の歌だった。
月の綺麗な夜、美しい河の畔で二人は出会った。それが運命でも偶然でも良かった。大事なのは過程ではない、二人が巡り合ったという結果なのだ。
「……Wir sind Kameraden auf See」
海中の少女は、普段の陸上とはまるで違う格好をしていた。
秘書艦として上官に付き添う少女は、士官用の軍帽を被り、白い第二種軍装に銀色の飾緒をつけ、腰には短剣を下げていた。
「Wir sind Kameraden auf See♪」
今や、陸での面影がほとんど残っていなかった。僅かに変わっていないのは、金色の髪と赤い縁の眼鏡、そして瑠璃色の瞳だけだ。
少女は今、白いベレー帽を被り、紺色の水着の上から藍色の軍服を上だけを着込んでいる。下に唯一はいている真っ白のニーソックスとで、上下に対照的なコントラストを成していた。
「Komm’, Lieben, nun gib mir den Abschiedskuß, (愛する人よ、別れのキスをしてください)」
腰のベルトには、バックルを挟んで左右に幾つもの四角いポーチが付けられていた。ベルトは重量を分散するため、Y字型のサスペンダーが繋がれている。
「Sei tapfer und treu, wenn ich scheiden muß! (私が旅立つ時も、勇敢に、そして忠実であってください)」
また、少女はそのベルトの左側に30cmほどの小さな魚雷二本を斜めに刺していた。左手には、やはり一本の魚雷を握っている。
「Und fahren wir heute hinaus, (今、私たちは旅立ち)」
一方の右手には20㎜単装機銃を握り、首からその弾丸ベルトをかけていた。対空用の4連装機銃だったものを分解し、片手で携行出来るようにしたものだ。
「Wir kommen ja wieder nach Haus. (そして必ず戻ってきます)」
背中には小ぶりな無線機を背負っており、腰に下げているフィールドグレーの袋はパンパンに膨らんでいた。
「Wir stehen wie Felsen in Luv und Lee, (潮風の中、巌のように立っている)」
少女は眼鏡の向こうの瞳を閉じた。頭の中では、これから少女が担う重要な任務と、蜂蜜のように甘い一年間の思い出とか交錯している。
「Wir sind Kameraden auf See! (我々は海の戦友!)」
少女は、かつて必死に覚えた歌を口ずさみながら前進していた。一緒に観た映画の挿入歌、あの人から教わった歌、少女にとっての思い出の歌。それが厳めしい軍歌でも、少女にとっては黄金色の響きと確かな温もりを持った歌であった。
深度110m、水中速度3ノット、進路0-9-0。目標海域まで、あとおよそ6.2㎞。水の精霊は狩場へゆっくりと、海中深く歩みを進めていた。
そろそろ話が終わった頃だろうと戻ってきた瑞鶴は、扉をノックして司令部となっている兵舎の中に入った。
「……わかりました、その通りに」
ちょうど終わったところのようだ。川田はヘッドセットを無線機の上に置き、瑞鶴の方を向いて頭を下げた。
「ありがとうございました」
「そんな、やめてください。私はなにも……」
頭を上げた川田の顔には柔らかさがあった。死を覚悟した者の、達観した顔だった。そうとも知らない瑞鶴は無邪気なものだった。アツタ島撤退の目途がついたのだと勘違いしたのだ。
「私は仕事が出来ましたので席を外させていただきます。それと、司令官閣下がお待ちです」
川田はそう言うと、よろめきながら兵舎を出ていった。扉に向かって一度深々と頭を下げた瑞鶴は椅子に座り、無線機のヘッドセットをつけた。
「瑞鶴です」
《君には伝えることが二つある。一つはこちらの状況。もう一つは作戦命令だ》
「こちらの状況」ということはなにかあったのだろうか。いや、私がここにいる時点でなかあったわけだが。翔鶴の身になにかあったのではないかと不安が頭を過る。
《一三四二、北方鎮守府は敵艦隊の攻撃を受け基地施設の七割が機能を停止。保有燃料の九割強を損失、また上級司令部との通信手段も喪失した》
その瞬間、瑞鶴の時間が止まった。
鎮守府に攻撃? 基地施設の七割と保有燃料の九割を損失? 第五艦隊との通信途絶? この男は何を言っているんだろう。
《一五〇五を以て北方艦隊の編成を通常哨戒から深海棲艦迎撃作戦用の臨戦編成に移行。哨戒隊と予備隊はそれぞれ第一〇一から一〇三戦隊と呼称》
臨戦編成に変更? それじゃあ私たちは第二哨戒隊じゃなくて第一〇二戦隊? そんなのは知らない。私はそんなこと聞いていない。
《一六一〇より第一〇一戦隊が敵艦隊への攻撃を開始。その後第一〇三戦隊が出撃し攻撃に参加したが、敵の空母機動艦隊の増援により両戦隊とも損害多数で攻撃は失敗。現在は鎮守府に帰投中だ》
攻撃開始、一〇三戦隊……つまりは予備隊が出撃、両戦隊とも損害多数。止まっていた時が動き出した。瑞鶴は烈火の如く叫んだ。
「翔鶴姉は!? 翔鶴姉は無事なのッ!?」
《報告では中破だそうだ。損害は爆弾三発の命中により飛行甲板大破。魚雷二本の命中により右足推進機軸を損傷、単独航行が困難なため軽巡『阿武隈』が曳航しており、もうじき帰投するところだ》
翔鶴姉が中破、中破……中破!?
「ねえ、高速修復剤の用意は出来てるんでしょうね!?」
《残念だが、敵の艦砲射撃によって入渠ドックは倒壊した。応急処置以上のことは出来ない》
「入渠ドックが使用不能なら、なんでそんな無茶な作戦立てたのよ!」
《翔鶴の被弾は全て、未発見だった敵空母によるものだ。作戦の立案、開始時には考慮されてなった》
焦る瑞鶴の精神を、どこまでも冷静な葛木の言葉が逆撫でする。論理立っていて客観的な葛木が、瑞鶴には他人行儀で冷徹な男に映る。翔鶴が瑞鶴にとって最も大切な人であるだけに、葛木の態度が癪に触って仕方なかった。
《たらればになるが、君がいれば彩雲で先に発見できたかもしれないし、制空権を失うことはなかったと思うが、どうかね》
瑞鶴が抱いていた一抹の不安は、何倍にもなって帰ってきてしまった。もしも自分が鎮守府との連絡を切っていなければ、もしも水雷戦隊を撃滅した時点で通信を入れておけば、こんなことにはならなかったのではないか。
戦果に酔っていたことを抉られ、瑞鶴は何も言い返せなくなってしまった。先ほどまでとは違う、べとつく汗がまとわりつく。
《いや、すまない。嫌味になってしまったな。過ぎたことはどうでも良い。とにかく現状はこんな感じだ。それよりも第一〇二戦隊に命令を下す》
瑞鶴にとってはどうでも良くなかった。瑞鶴にとっては大事な出来事すら「どうでも良い」と言い放つ葛木はまるで超越者のようだった。
彼の言葉に瑞鶴は打ちひしがれていた。自分の勝手が愛する者を傷つけた。その事実が瑞鶴を深く傷つけた。仮に中破したのが翔鶴以外だけであれば、瑞鶴は反省こそすれ、落ち込んだりはしなかっただろう。迷惑をかけたと誤り、償いだとばかりに奮起したことだろう。
だが、翔鶴は被弾し中破した。瑞鶴はまだ小破以上の損害を受けたことが無い。痛かったのだろうか、それとも苦しかったのだろうか。溶けるほど熱かったのか、それとも血潮が凍るほど冷たかったのか、瑞鶴には推し量れない。それが彼女を苦しめた。
《瑞鶴、聞こえているか。応答しろ》
「……はい、聞こえています」
思わず敬語が零れた。罪悪感からの緊張で息がしにくい。唇が小刻みに震えている。相当まいっていることが無線機の向こう側にまでまるわかりだった。
《しっかりしろ。この程度で落ち込んでいる場合ではない》
繰り返しになるが、瑞鶴からしたら「この程度」ではなかった。そう、この時はまだ、瑞鶴にとって「翔鶴の中破」が最大の事件であった。
北方鎮守府の埠頭では、帰投した艦娘たちの収容作業が慌ただしく進められていた。
「大破した駆逐艦が先だ! 担架の用意は出来てるな!?」
「翔鶴は四番バースに接舷させろ。艤装の解除を急げ! ちんたらしてると夜が明けちまうぞ!」
「衛生兵! 衛生兵はどこだ! この娘は出血が酷くて意識も無い、早くしないと死んじまう! 早く、早く!」
埠頭は、日が沈んだにも関わらず手元が見えるほどに明るい。燃料タンクで燃え盛るキャンプファイヤーはまだしばらく勢いを弱めそうにはなかった。しかしそのおかげで、艦隊の収容作業は明かりに事足りなかった。
不知火は仏頂面をオレンジ色に染めながら作業を見ていた。
戦力の半減した一〇一、一〇三両戦隊は海上で再編成を行い、継戦可能な艦娘とそうでない艦娘に分けた。不知火の眼前で艤装の解除と本体の応急手当てが行われているのは、中破ないしは大破した艦から成る集成一〇三戦隊だ。旗艦は、戦隊で唯一無傷の軽巡洋艦『阿武隈』が務めている。
「不知火さん!」
曳航していた翔鶴を応急班に任せた阿武隈が駆け寄ってきた。
「集成一〇三戦隊、只今帰投いたしました!」
「ご苦労様です」
形式通りの敬礼を交わすと、阿武隈は不知火の服に飛び散った赤黒い水玉模様に目をやった。
「ど、どこか怪我でもしたんですか」
「そんなんじゃないわ、気にしないで。それよりも例のモノは?」
「はい、利根さんの指示で一〇一の分も持ってきました。全十基、予備も全て五番バースに置いてあります」
「……それは上々ね」
利根はもう、葛木の下した命令の意図に気づいているようだ。それでも従うということは、自棄になっているのか、それとも自分たちが捨て駒にされているわけではないと葛木を信頼しているのか。おそらく後者だろう。利根はどんな状況に陥っても自ら希望を捨てるほど弱い女性ではない。最後には必ず勝利し、生き延びることを考えているはずだ。
「あ、あの、不知火さん」
「なに?」
「あなたも……戦うんですよね」
何を当たり前なことを、と不知火は思った。今、鎮守府に残された戦力らしい戦力は、帰投したばかりで艤装の整備も燃料弾薬の補給も終わっていない阿武隈と不知火。この二隻だけだ。阿武隈が持ってきた『荷物』を直ちに使えるのは、不知火をおいて他にいない。
「ええ、そうよ」
不知火は目線を逸らしながら答えた。
彼女の最大の戦果が詐称だったことは一部の上級将校しか知らない。解体の話が流れたことで見せしめにする必要が消えたからだ。阿武隈は、不知火を海軍最強の駆逐艦だと信ずる一人であった。
それが故、不知火にとって後ろめたかった。阿武隈から寄せられるであろう期待が、慣れっこといえども辛かった。
「そしたら……はい、これ! 持って行ってください!」
阿武隈は首から下げていたものを取り、不知火に差し出した。
「……お守り?」
「はい! 私の艦名になった阿武隈川のある白河の総鎮守、鹿島神社のお守りです! とってもご利益があるんですよ!」
「もしかして、あなたが昼間言っていた忘れ物って……」
「えっ、何でわかったんですか!? はい、いつもは起きたらすぐ首にかけてるんですけど、今日は寝坊したから慌てちゃって……気が付いたらもうあんな時間でした」
はにかみながら笑みを浮かべる阿武隈からお守りを受け取った不知火は固まってしまった。冷たい態度のせいで友達らしい友達のいなかった不知火は、人から心配されることに慣れていなかった。
「不知火さん、必ず帰ってきてくださいね。沈んだりしたらイヤですよ!」
涙目になる阿武隈。昼間のことといい、彼女はちょっと涙もろいのかもしれない。
不知火は小さく口角を上げると、軽巡にして駆逐艦の不知火と同じくらい小柄な阿武隈の頭を撫でた。
「ちょ、何するんですかっ! あんまり触らないでくださいよ! 私の前髪、崩れやすいんですから!」
「あら、そうなの、ごめんなさい。…………ありがとう」
思いもせぬ形での“氷の女王”のお礼に、阿武隈は目が点になったようだった。不知火がどんな顔をしているのか見ようと恐る恐る顔を上げたが、既に彼女は阿武隈の頭から手を離し近くの兵に命令を飛ばしていた。
「五番バースの荷物を全て工廠へ運ぶわ! くろがねを一輌、大至急用意して!」
葛木は廊下を早歩きで進んでいた。機嫌も比較的良い。その理由は、先ほど情報を整理した結果再確認することとなった、彼の部下たちの優秀さだった。
秘書艦のはちは、利根と葛木の無線を逐一傍受していたらしく、状況を伝えた時には既にこちらの修正を織り込み済みで進路を変更していた。
再び敵を誘引する任についた利根は、うまいこと敵の一団をまとめて予定海域に引き込みつつある。
敵の大編隊にやられた翔鶴は、攻撃を受ける直前に発艦させた第二次攻撃隊の果敢な反撃により、戦艦一隻を含む敵艦三隻を撃沈した。
無論、戦況は苦しい。利根からの最終報告では、敵は二つの艦隊を統合して戦艦一、空母二、軽巡洋艦一、駆逐艦三となった。こちらは戦艦一、重巡洋艦一、軽巡洋艦一、駆逐艦二、潜水艦一。しかも戦艦は中破しており、重巡も小破している。
損傷の少ない第一〇二戦隊と連絡が回復したとはいえ、彼女らのいるアツタ島は北方鎮守府から200㎞以上離れており、瑞鶴と摩耶が最速の34ノットで飛ばしても四時間近くかかる。勿論、燃料の問題からそんな高速航行は出来ないので、これから始まる夜戦にはどうやっても間に合わない。夜間のため瑞鶴の航空隊の運用も不可能だ。
彼は地上へとつながる階段を上りながら、利根と翔鶴に恨まれるかもしれないと思った。それどころか、北方艦隊の皆からの信頼を失うかもしれない。なぜなら彼は、一〇一戦隊と一〇三戦隊の攻撃が失敗することを予め想定していたからだ。さすがに敵空母の存在やここまでの大敗は予想外だったが。
如何に北方艦隊の戦力が優秀だろうと、敵戦艦部隊の殲滅が容易ではないと葛木は考えていた。今日一日で思い通りにいったためしがない。どこかで歯車が狂うだろう。ただの勘だったが、勘は軍人にとって大切な素養だ。彼は自分の直感を信じ、密かに計画に手を加えていた。
変更点は些細なことだった。問題は作戦の一部を変更していたことではない、その変更を隠していたことだ。兵たちに秘密で作戦を変えるような指揮官が信頼されるだろうか。自分だったら否だ。加えて、おそらく自分は今、瑞鶴に心底恨まれているだろう。帰ってきたら殴られるかもしれない。
だがそれでも良い。彼女らが軍属である限り、嫌われ疎まれ信頼を失おうとも命令で補える。しかし命は失ったら取り返せない。艦娘がいかな最終兵器だろうと、命は一つきりなのだから。
葛木は扉を開けて屋外へ出た。付近に転がっていた自転車を起こし乗ると、思い切りへダルをこいで北の方へ向かった。
五分ほどで目的地に着く。奇跡的に砲撃から逃れた小さな施設、工廠だ。もしかしたら、深海棲艦最大の失敗はここを潰せなかったことなのかもしれない。
中に入ると、工廠は外に負けず劣らずの喧噪に包まれていた。葛木は手団扇をしながらしばらく歩き、隅の方で椅子に座りコーヒーを啜っている田島に声をかけた。
「調子はどうか」
「電探の方は、あと艦娘に搭載しての稼働実験のみですが、余裕が無いようであればそのまま実戦でも構いません」
「自信はあるのか?」
「なければ司令官閣下の前で足組みながらふんぞり返ったりしませんよ」
田島は手のひらを上に向けながらおどけてみせた。
「もう一つの方はどうかね」
「私の専門じゃないのでわかりませんが、艦娘と艤装の構造は一通り頭に入ってますんで取り付けだけであれば何とかしてみせます。それ以上を期待されても困りますけどね」
葛木は田島の向かい側に座った。田島が通りかかった兵にお茶を用意させようとしたのを制すと、そうですか、と一言発し一気に自分のコップを空にした。葛木はというと、興味深そうに田島の方を見ていた。それに気づいた田島が口角を上げながら言った。
「閣下、あなたが今、何を考えているか当ててみましょうか」
「ほう、言ってみたまえ」
「なんでこいつは急に従順になったのか。どうですか、当たりでしょう?」
「大したものだ。よくわかったな」
「わかりますよ、みんなそうです。でも私はね、自分の仕事さえさせてくれればなんだって構わないんですよ。勿論、海軍に恩義を感じてはいますがね、あなたが昼間になにをしようと、今こうして思う存分機械弄りが出来る。それで良いんです」
「資材や機材の不足で迷惑をかけたと思うが」
「そういう楽しみ方もあります」
葛木が感謝の言葉と共に頭を下げた時、正面口前に一台の小型乗用車が飛び込んできた。停車した途端、助手席から阿武隈が青い顔をして飛び出てきた。そして運転席の扉を開けて出てきた不知火が工廠の喧噪に負けないほどの声で叫んだ。
「駆逐艦『不知火』、只今到着致しました!」
「け、軽巡洋、艦『阿武隈』です、お世話になり……なります!」
一人体調の悪そうなのがおりますなあ、と田島が呟いた。不知火のやつは運転が荒いからなあ、と葛木が返した。二人は顔を合わせてクスクスと笑い、そして静かに立ち上がった。
「さて、それではもう一仕事してきますか」
「よろしくお願いする」
再び葛木は頭を下げた。時刻は夜の七時。決戦の時は、近い。
月が僅かに顔をのぞかせている。と思ったら次の瞬間には雲に隠れてしまった。
夜の暗黒が頭上に横たわる中、摩耶の声が響き渡った。闇そのものと化した水面の上には、大型発動艇と四つの小さな影が浮かんでいた。
摩耶の指示に従い、小さな影は大発後部の揚錨機につながれていた綱を一斉に手放した。艤装の駆動音が低く唸る。速度を上げ大発を追い抜いていく影たち。沖合まで曳航してくれた大発の船員立ちへ、全ての影が敬礼することを忘れなかった。
そのまま彼女たちは単縦陣を組み、ホルツ湾を北東に、二丈岩を横切って海岸線を這うように進んだ。子ノ日島の北で進路を南東へ変える。サラナ湾を通り、島最東端の旭柳半島の端で進路を西南西に変更。やがて半島から南に突き出る曙岬を過ぎると、暗闇に慣れた目がマサッカル湾の向こう側にある北浜に立つ兵たちを捉えた。
彼らからは見えない。艦娘である彼女たちだから見えている。
或る者が目元を拭った。また或る者は島に敬礼を捧げた。彼女らは湧き出る寂寥の思いを心の奥に閉じ込めて前進した。
夕映半島に聳える観武山が島の人影を覆い隠す。皆が彼らに背を向けた時、山の向こうから乾いた銃声が木霊した。そして小さな爆発音が連続する。誰にも看取られず死んでゆく彼らの代わりに、山が泣いているようだった。
それは、時間にして僅か数十秒のことだった。こうしてアツタ島は、名実ともに無人島となった。
瑞鶴の頭の中では、この短い慟哭がぐるぐると回り続けていた。
彼女は今までに味わったことの無い屈辱感にまみれている。あれほどまでに嫌った陸軍と同じことを自分はしてしまった。彼らを、アツタ島の勇士を、見殺しに、して、しまった。
胃液が逆流しそうになるのを必死に堪える。私は悪くない、悪いのは全てあの男だ。
『第一〇二戦隊はこれよりアツタ島にある全燃料及び必要な被服、医療品、糧秣を接収。燃料の補給が済み次第、直ちに抜錨せよ。目標海域と時間は君たちの出撃直前に伝える。以後は司令部との連絡を密にすること』
葛木の命令は単純明快、「自分たちだけが生き残れ」だった。
彼らは見捨てられた。彼らの上官たちに、そして私たちに。
瑞鶴の弓を握る手に力が入る。違う、私は見捨ててなどいない。私は彼らを忘れない。彼らの献身を、彼らの忠誠を、彼らの死を。
『君の要請した護衛船団の派遣は不可能だ。第一〇二戦隊が単独で彼らを鎮守府まで輸送することも同様だ。わかるか? 彼らを助ける手段はもうない。彼らはもう死んでいるのだ。我々には死人に構っている余裕などない』
違う、彼らは確かに生きていた。他でもない、あんたが見捨てた。あんたが殺したんだ!
『どうやら君は国のために尽くすのと同じ様に、彼らへの義に殉ずる覚悟すらあるようだ。それは結構。だが、軍人として命令に殉ずる覚悟はないのかね?』
違う、私は軍人だ。命令には従う。だが、こんな命令は受け入れられない。皇帝陛下の赤子を無残にも切り捨てるなんて、そんな命令があってたまるか!
『忠勇なる“皇国”海軍所属航空母艦、瑞鶴。既に命令は下された。速やかに作戦行動に入れ。なお、本日一八〇〇を以て第一〇二戦隊の旗艦を摩耶に移譲する。君はそのまま通信士として戦隊の指揮下に入ること。別命あるまであらゆる戦闘行動を禁ずる。いいな?』
私は、私は……あんたを赦さない!
『これは北方艦隊指揮官としての命令である。復唱しろ、瑞鶴!』
瑞鶴は激しい怒りに打ち震えていた。彼女は軍人ではあるが、まだ若かった。理不尽を押し付けられることに慣れていなかった。その点、彼は違った。軍隊は有形無形を問わないあらゆる暴力の渦巻く場所だと知っていた。そして、その魔女の釜の底のような場所に慣れていた。ほとんど染まり切っていた。それが彼の、戦争の中での処世術だった。瑞鶴にはまだ理解しがたい軍隊の常だった。
深海棲艦は夜間の積極行動を好まない、夜は“皇国”軍のもの。そういう認識が当たり前のようになっているのは無理らしからぬことだった。
深海棲艦が初めてこの世界に現れた時の戦力には偏りがあり、戦艦や空母のような小回りの利かない大型艦ばかりだった。やがて時間が経つにつれて今度は巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などの小型艦までもが現れるようになった。深海棲艦は、必要に応じて戦い方を変えていたのだ。
人間がほとんど総崩れになって海から引き揚げていくうちは学ぶことなどなかった。だが艦娘という対抗手段を得て、戦術的戦略的な作戦行動を人間がとりうる段になったことで、深海棲艦もそれらを学び始めた。
正面からの力押しがすべてではない。機動、誘致、拘束、挟撃、制圧、索敵、迂回、欺瞞、奇襲、包囲、多くのことを人間から学んだ。
だから、視界の悪い夜間に戦闘を行わず休養をとることを、“皇国”軍が逆手にとって行動するのであれば、深海棲艦もそれを学び夜間に行動するようになるのは、深海棲艦からすれば当然のことだった。「出来ない」のではない、「考えたことがなかった」だけに過ぎない。進歩するのは人間だけではない。深海棲艦も同じなのだ。
人間は、深海棲艦の最大の教育者であった。
極東洋北方アリューシャン海域、深海棲艦七隻の艦隊は僅か三隻に減耗した敵艦隊を追撃していた。
夜の帳が空を覆い尽くし、月は薄い雲に覆われていた。夜は更けていき、人の定めた暦では新たな一日が始まっていた。
敵艦隊は戦艦と巡洋艦と駆逐艦が一隻ずつ。追尾を振り切ろうとしっちゃかめっちゃかな進路だったが、今はまっすぐ北東0-4-5、速度20ノット、距離は前方20000ヤード。砲撃はしない。なぜなら、このまま進めば二個水雷戦隊が待機している海域だからだ。鎮守府に砲弾の雨を降らせた戦艦も、敵艦隊に決定的打撃を与えた空母も、これから始まる戦闘のお膳立てに過ぎなかった。全ては深海棲艦が初めて行う、本格的な夜戦のための囮だったのだ。そういう意味で、彼女らは完全に目的を果たした。
作戦を成功に導き、傷ついた二つの艦隊を一つに統合させ追撃艦隊とし、その旗艦となったヲ級空母は、無表情のまま状況の変化に気づいた。
僅かばかりだが霧が濃くなっている。このままでは敵を見失うかもしれない。彼女は無言のまま速度を上げた。空母二隻を中心とした輪形陣は、その中央の増速に合わせて速度を上げる。
突如、爆発音と共に水柱が立った。
先頭のト級軽巡洋艦が損傷。被害は軽微だが、どこからの攻撃かわからない。
続いて三番艦ハ級駆逐艦も突然の爆発を起こす。この艦は昼の戦闘で大破していたため、あっけなく沈んでしまった。
旗艦の彼女は艦隊に停止を命じた。敵の魚雷攻撃か。しかし、敵艦隊が反転した様子はない。では敵の伏兵か。霧に紛れて接近してきたのか。それとも敵の新兵器か。
困惑するヲ級。状況を整理している間に、ハ級が沈んだことで穴の開いた艦隊の陣形を作り直すことにした。その指示を出したのと、ほぼ同時だった。ヒュルヒュルという甲高い音が徐々に近づいてくる。そして、先ほどとは比べ物にならないほどの大爆発が起きた。
弾着は艦隊の前方約100ヤード。間違いなく砲撃だった。どこからの砲撃か、などと悩んでいる暇はなかった。次弾が飛翔する音が聞こえる。ヲ級は落ち着いて各艦に散開を命じた。
巨大な黒い柱が幾つも屹立する中で、ヲ級は辺りを見回し再び頭を悩ませる。
この霧の中で、どうやって砲撃をしてきているのか。近距離ならば発砲炎が見えてもおかしくないはずだ。だが、どこにも見えない。それほどまでに遠距離からの砲撃ならば、向こうからこちらが見えないはずだ。だが、砲撃は正確に彼女たちを狙っている。
風を切る音と共に至近弾が彼女に僅かな損傷を与えた時、彼女はまだ迫りくる黒い影に気づいていなかった。
駆逐艦という艦に生まれた宿命、火力の不足をいつも考えていた。
駆逐艦搭載の12.7㎝連装砲の利点は手数が多いこと。それだけ。射程も威力も大型艦のそれには敵わない。
戦艦の35.6㎝砲は駆逐艦を廃艦にするのに四発から五発の命中弾で済む。だがその逆、駆逐艦の12.7㎝砲が戦艦を廃艦にしたというデータは存在しないのだ。
近づかなくては攻撃が出来ない。しかし、近づいても砲弾は敵に致命傷を与えられない。どうすればいいのか、いつも思い悩んでいた。
実は、正解は既に手元にあった。だが満点解答ではなかった。
ただの駆逐艦ならば問題はなかっただろうが、彼女からしたらそれでは足りなかった。一度の出撃で十六発では、求められる赫奕たる戦果を出すためには程遠かった。
あの時は考えても考えても、答えは浮かんでこなかった。
じんわりと汗ばむ手を合わせながら彼女は空を仰いだ。深呼吸を一つすると、黒い空間を白い息が流れていった。
風を切る寒さは感じない。波に揺られる感覚と、心臓の音だけがいやに大きく聞こえる。緊張しているのではない。これは喜びに身体が震えているのだ。その証拠に、普段よりも重いはずの体がこんなにも軽く感じる。
彼女はその場で軽くジャンプした。漆黒の影が水面を舞う様は、まるでイルカが海面を飛ぶようだった。着水時に上がる水飛沫はいつもより三割増しといったところだろうか。しかし、着水後の急速発進、小刻みのジグザグ航行、左右急旋回、動きはいたって滑らかで、踊っているようにすら映った。
仕上げとばかりに、彼女は持てる最大速度を出した。時速32ノット、本来よりも3ノットほど遅いがやむを得ない。それ以上の対価を得たのだから。
彼女の抱えていた悩みは、彼があっさりと解決してみせた。勿論、彼女のために考えたわけではない。現状を打破するために捻りだした案だった。それも理論上は不可能ではないというだけ、実現出来るかどうかはわからない。ぶっつけ本番、彼の嫌いそうなギャンブルそのものだった。
賭けの材料にされる彼女には、悲壮感も絶望感もなかった。あるのは戦場へ向かう高揚感だけ。彼女は今、初めて絶対の自信を持って敵に歩みを進めていた。
彼は言った。絶対的に数が足りない。
彼女は無言で頷いた。
彼は続けた。ならば答えは簡単だ。増やすぞ。
彼女は呆気にとられた。
彼が提示したのは笑ってしまうほど簡単な答え。そう、数が足りないのならば数を増やせばいいのだ。
彼女は右手を伸ばして前に構えた。黒い袖の中から姿を現した華奢な白い腕には、四連装魚雷発射管が装着されている。腕のその先には、鎮守府からの砲撃で慌てふためく敵艦隊の姿があった。
艦数は報告よりも一つ減って六。沈んだのはさしずめ損害の大きかった駆逐艦だろう。内訳は空母二、戦艦一、軽巡一、駆逐二。これを一人で相手取るのは軍艦冥利に尽きると言うものかもしれない。潮風で乾いた唇を舐めると、彼女は自分に言い聞かせるようにゆっくりと無線に語り掛けた。
「こちら重雷装駆逐艦『不知火』、突撃発起点に到達した。これより戦闘を開始する」
真っ黒な衣を身に纏い闇に溶け込んだ彼女は、死神の鎌のようにもたげた腕をそのままに鉄火場へと突っ込んでいった。最北の海戦は、ついに最終局面に突入した。
予期せぬ時間に予定外の場所での爆発と砲撃で幕を開けた夜戦は、彼女たち深海棲艦を大混乱に陥れた。
何処からのものかわからぬ砲撃は未だに続いている。だが、それ以上に姿見えぬ近接魚雷攻撃を仕掛けてくる艦が深海棲艦の精神を揺さぶった。
姿が見えぬため、敵の数も艦種もわからない。ただ、砲撃の合間を縫って接近し、雷撃による一撃離脱を繰り返してくる。その攻撃は文字通り肉薄であり、距離は100を切ることもあった。それでも、それほどの近接戦闘にして、この異常な敵艦の姿形どころか数すらも特定できていないことが、深海棲艦側の狼狽と畏怖を象徴していた。
艦隊で唯一の戦艦となっていたル級は、この時点で敵を概ね見抜いていた。しかし、それを誰にも言えないでいた。彼女自身が自らの推測を信じられないからだ。
彼女は、敵は一隻、それもフットワークの軽さから軽巡あるいは駆逐艦だろうとあたりを付けていた。理由は、雷撃が散発的だからだ。もしも複数の艦隊であるのならば、一斉に攻撃した方が効率的なはずだ。
そしてその予想を頭を振って消そうとする。そんなことはありえない。まず、雷跡が多すぎる。敵が放つ魚雷は航跡の見えにくい酸素魚雷であるが、ル級は雲間から微かに漏れる月明かりと対空機銃の曳光弾の僅かな煌めきから、一度に放たれた魚雷の数を確認した。その数四本。この肉薄雷撃は少なくとも五回以上行われているのだから、艦一隻当たりの携行可能魚雷数を超える計算になる。つまりは単独の行動ではありえない。
そして、彼女が自説を虚妄に過ぎぬと考える理由はこちらが本命なのだが、敵艦隊のど真ん中に、味方の砲弾が降り注ぐ中、小型艦が、たった一人で突入することなど出来るはずがないからだ。自棄の捨て身攻撃でもない限り、このような戦場に放り出されて正気を保っていられるはずがない。幾度にもわたって敵艦隊に肉薄して魚雷を放つなどもってのほかである。
ル級はもう一度頭を振って馬鹿げた妄想を追い払った。目の前の事態を収拾することに全力を注ぐことにする。
陣形は旗艦であるヲ級中心の輪形陣。ル級はその最後尾にいた。陣形を組んで密集することは敵の攻撃の良い的になっているかもしれない。それは否定できない。しかし、散開でもしようものなら敵の肉薄雷撃で各個撃破されることだろう。ル級が推察したように、砲弾の降り注ぐ夜間に一人ぼっちで暗い海に浮かんでいることは精神的にかなりの重圧になる。それは深海棲艦も同じことだった。
至近弾の飛沫を浴びながら、ル級は心なしか砲撃が弱まったことに気づいた。来る!
着弾による水柱がそびえ立つ。着弾は艦隊右側に集中している。ということは、奴は左側か?
轟音と共に砲弾が海面に衝突する。削られた海水は瞬時に空へ駆け上がった。
着弾は三つ。艦隊右前方100ヤード、正面30ヤード、右70ヤード。最後の柱の中から黒い影が飛び出してきたことは、左舷方向を警戒していた深海棲艦たちにとって完全な不意打ちとなった。
そっちか! ル級は舌打ちをしながら左舷に構えていた砲を右に指向する。砲撃によって航跡も音も掻き消された切り裂きジャックを、ル級はなんとか発見した。黒い塊が蠢いているだけにしか見えないが、それでも確信を持って照準を合わせる。向こうも魚雷発射時には減速するだろう、その時を狙って、確実に仕留める。
主砲の仰俯角はゼロ。文字通り零距離射撃だ。砲口が影を追って左右に揺れる。
敵を捕捉しているのはル級だけだった。他の艦はヒステリーを起こしたのかのようにやたらめったら右側に砲撃しているだけ。波が立って良い迷惑だ。あたら敵が小さい分、大きな波で隠れてしまうのだ。
目を凝らして敵の予測進路を見張る。やがて黒い影が波に押し上げられ現れる。予想通りの位置だ。そして、予想外にもその影の中から初めて顔の一部が見えた。ル級の背中に悪寒が走る。
眼が、合ってしまったのだ。敵はこちらを向いていた。いや、『ル級を見て』いた。
氷の槍で心臓を突き刺されたようだった。世界がコマ送りのスローモーションに感じる。その冷たい視線が、彼女を離さない。思考も感情も、全てが恐怖で塗りつぶされてゆく。
ル級は悲鳴に近い叫び声を張り上げながら主砲を放った。
撃ち込まれた砲弾が的を射ることは、叶わなかった。そのうちの一つが敵の頬をかすめて後方の波に突き刺さった。その風圧で被っていた黒いフードが脱げる。
まるで狙いすましたのかのように顔を出した月の光が、モノクロに敵影を映し出した。見開いた双眸、三日月型に歪む唇。そしてル級の目には、桜色の髪の毛がはっきりと映った。
楽しい。不知火は心の底からそう思った。
これまで発射した魚雷は全部で二十四本。それでもまだ八本残っている。撃ち放題、とまではいかないが、一回の夜戦で六回の反復魚雷攻撃を行うなど未だかつて例がないだろう。そしてもうすぐ、七回目が始まる。
《目標、B-5からC-6へ移動中》
無線から阿武隈の声が聞こえてくる。進路変更、南西に? 今更逃げようなんて虫がよすぎるんじゃないかしら。視界の隅に敵艦隊を収めながら、不知火は左腿に装着されている第七魚雷発射管の最終安全装置を解除した。
「こちら不知火、照準点変更、ショート、四番!」
無線に叫ぶのとほぼ同時に、上を向いていた魚雷発射管が正面に角度を変え発射準備の完了を知らせる。
大きく深呼吸を一度する。昂る気持ちを抑え、何も知らずにこちらへ迫ってくる敵艦隊を見据える。前衛の軽巡は左右をしきりに警戒していた。何のために輪形陣を敷いているのかと不知火は半ば呆れながら、文字通り真正面から突入を開始した。
桜の花びらが風に乗って宙を舞うように、不知火は海上を駆った。自らの命を一つの武器として死地に飛び込まんとするその様は、まさに狂奔という他になかった。
距離200、まだだ。距離150、もっと近くに! 距離100、今だ!
不知火は射線が放射線状になるように少しずつ角度をつけて魚雷を放った。四本の魚雷はほとんど雷跡を残さずに直進し、そしてヘ級軽巡に吸い込まれていった。爆発音、次いで水と炎の柱が上がり、ヘ級は火に包まれた。
ガクリと傾くヘ級を見て、不知火は好機が来たのを確信した。
撃ち尽くした左腿の魚雷発射管をパージする。そしてコートの前留めを外し、その内側で肩から下げていた最後の魚雷発射管を右腕に取りつける。
搭載した全ての魚雷を構え、前傾体勢を取り再び敵艦隊に突進を開始した。
ヘ級の身体から上がる火の手に照らされて、敵艦隊の状況がはっきりと不知火の目に飛び込んできた。燃え上がるヘ級の後ろには空母二隻が布陣していた。左右を固める駆逐艦は損傷大きくその場を動こうとしていない。攻撃目標である空母が、ついに丸裸となった瞬間だった。
水面下に半分ほど没したヘ級の横を通り過ぎた時、ようやく敵艦隊が不知火の突撃に気づいた。
もう遅い。輪形陣の内側に潜り込んだ不知火は大きく跳躍して二隻のヲ級の左舷20に付ける。恐れおののく二つの空母を横目に一言、「シズメ」と呟いた。だがその言葉は、二つの爆発音に遮られてヲ級たちに届くことはなかった。
だが、不知火は戦果の余韻に浸る暇はなかった。魚雷発射の直後、左側から殺意のようなものを感じたからだ。咄嗟に後方へ飛び退く。一瞬前にいた海面が削り取られるのと戦艦の発砲音が耳をつんざくのとは同時だった。
首を左に捻り問題の敵戦艦を確認する。その目は怯えながらも戦意の炎が漲っていた。先ほど目があった時には萎縮していたが、何とか立ち直ったらしい。舌打ちを一つし、次弾が飛んでくる前に今度は前方に、被雷し苦しむヲ級の方に飛び込んだ。後方で再び起きた爆発に巻き込まれ、投棄された魚雷発射管が粉々になった。
《支援砲撃、一番! 弾着まであと五秒!》
度重なる爆音に負けず、無線からの阿武隈の慌てた声を不知火が聞き取れたのはさすがとしか言いようがなかった。あるいは偶然の産物かもしれない。どちらにせよ、それは窮地に陥っていた不知火にとってこの上ない朗報だった。
対する深海棲艦も状況を察知し、すぐさまル級の射線から二隻のヲ級が外れる。不知火は一人、敵艦隊の真ん中立ち尽くす。
不知火はいつの間にか脱げていたフードを被り直した。ル級の砲が不知火を捉える。砲口が黒い点になり、2700ポンドのMark8徹甲弾が放たれる、その寸前、ル級と不知火の間に巨大な水柱が立った。ル級の砲撃は、またもや不知火の脇をかすめていった。
敵の視界が遮られた瞬間を逃すこともなく、不知火は全速力で遁走を始めた。進路は着弾が集中している右後方。全兵装を投棄して身軽になったからか、最高速度よりも早くなった気がした。
混乱に乗じて脱出に成功した不知火は安全を確認した後、無線に向かって静かに言った。
「我、危機を脱せり。要塞砲部隊の的確な支援砲撃に感謝する」
無線を一旦切る。そしてすべての魚雷を撃ち尽くしたことを思い出した不知火は再び無線をつなごうとして左腕に微かな痛みを覚えた。見てみると、コートの二の腕の部分が破けていた。白い肌が覗くはずのそこには、赤黒い火傷が姿を現していた。
それを見た不知火は小さく笑顔を浮かべながら冗談交じりに呟いた。
「魚雷を抱えていたら肩ごと持って行かれていたかもしれないわね」
そして、あれだけ正確な砲撃が出来るならもっと緻密な標定射撃でもよかったかもしれないと思った。しかし、観測員が足りないか、とすぐに考えを改め、本来の用件であった無線をつないだ。
「こちら不知火、保有するすべての魚雷を発射した。これより補給予定海域に向かう」
無線の向こうでは阿武隈とはちが了解した旨を伝えてきた。
二時間ほどの戦闘において重雷装駆逐艦『不知火』は、軽巡一撃沈、駆逐艦一大破、空母一、駆逐艦一中破、戦艦一、空母一小破の戦果を上げた。
水飛沫を上げながら、不知火は再び闇の中を駆け出した。蒼い眼にはまだ、闘志の炎が揺蕩っている。
阿武隈はヘッドフォンに手を当て不知火からの返事を待っていた。砲撃の爆音は波の音を掻き消し、爆風が黄金色の髪を揺らす。数秒ごとに発生するマズルフラッシュが彼女の顔を照らし出した。その明かりに比べると、机に置かれたランプから溢れるオレンジ色の明かりはいささか頼りなさげに見える。
《我、危機を脱せり。要塞砲部隊の的確な支援砲撃に感謝する》
不知火からの連絡を受けて、阿武隈は小さなガッツポーズを作った。そして無線で麾下の砲兵たちに指示を下す。
「射撃目標、座標変わらず。引き続き一番を維持!」
目を瞑り敵艦の位置を探る。その頭の後方からは、背負っている艤装の上に取り付けられた22式水上電探の送受信アンテナ二つが顔をのぞかせていた。艦娘は、自らが使用する航空機や電探から与えられる情報の脳内でダイレクトに受け取り処理することが出来る。今、阿武隈の頭の中では敵艦の位置、配置が浮かんでいる。
距離、方位変更未だなし。敵艦隊は軽巡の撃沈で崩れかけている陣形を直そうともしていない。
瞼を開き机の上に置かれた海図に視線を落とす。位置は変わらず、位置は変わらず。声に出さずに繰り返す。先の砲撃は、前後は良かったがほんの僅かに左に逸れた。修正が必要だ。
彼女の後方で巨大なカノン砲が火を噴くのと同時に、卓上に置かれた機器の赤い小さなランプが点灯した。
ランプは全部で八つ。赤い点は一つ置きに増え、合わせて四つが並んだ。阿武隈はそれらのランプの下にあるトグルスイッチを一つずつ親指で上げていった。カチッともパチッとも取れる機械的な音が零れる。
次に、配線が繋がれた、拳銃のような形をしたものを右手に取り、トリガーガードに人差し指を乗せる。左手は床に置かれた装置に取り付けられているハンドルの上に置かれている。これをほんの少しだけ動かして微調整を行う。
「一番、二番、三番……全砲塔、射撃用意良し」
自分に言い聞かせるように呟くと、奥歯を食いしばり思い切り引き金を絞った。
阿武隈の前方で衝撃と砲火と爆風が生じる。火の玉が秒速800m近い高速で視界の外へ飛翔していった。
彼女が操縦しているのはいつもの14㎝単装砲ではなく、35.6㎝連装砲だった。
勿論これらは彼女の艤装ではない。重傷を負って戦線に立つことが出来ない戦艦『榛名』のものだ。
言うまでもないが、軽巡洋艦である阿武隈が戦艦の艤装を普段のように背負い使用することなど出来ない。だが、陸上で固定式の要塞砲として用いるのであれば話は別だ。阿武隈はただ単に砲に必要な角度と方位を与えれば良いだけなのだから。
阿武隈には、田島技術大尉らの用意した陸上固定型35.6㎝連装砲の射撃装置と、22号電探の装備された彼女の艤装、そして四五式十五糎カノン砲、九二式十糎カノン砲、九六式十五糎カノン砲など合計十八門の火砲を装備する臨時の要塞砲大隊が与えられた。
阿武隈に与えられた任務が敵艦隊の『粉砕』であれば、実現は不可能だったに違いない。艦娘として戦ってきた阿武隈が、専門性の極めて高い砲兵部隊を、それも欠員を無理矢理埋め合わせたにわか作りの陸軍砲兵大隊約200人を指揮することなど出来るはずがない。
だが、葛木が彼女に与えた任務は単騎で突入する不知火の『援護』だった。精密な射撃などはなから求められておらず、不知火の突撃に合わせて、突撃直前であれば準備砲撃のショート、突撃の最中であれば不知火に当たらぬように着弾位置を離すロングの二つに分け、さらに大雑把な砲撃位置を、敵艦隊を基準に一番から五番まで設定しただけである。肝心の阿武隈が不慣れな戦艦砲の操作をしていなければならないことも考慮に入れれば妥当な判断だった。
結果として、阿武隈は電探から与えられる情報をもとに敵艦隊の位置、進路を割り出し、不知火からの要請に基づいて砲撃位置の決定を行う。それを麾下の砲兵大隊に指示し、あとは各個で砲撃を行うところまでが任務ということになった。
砲兵たちからしてみれば撃った後のことは給料の外なのだから気楽なものである。数時間前まで主計科や高射砲兵だった彼らは、各砲に数名ずつ配された本職の砲兵の指示に従って気兼ねなく砲を撃ち込めた。
ところが、不知火という密かな英雄のいる海に砲弾を放たねばならない阿武隈にとっては、精神が擦り切れるほどの責任を感じさせる任務だった。普段は自信なさげで頼りなかった阿武隈が、戦闘開始から既に二時間以上、一度も緊張感を切らすことなく砲撃と部隊の指揮とを両立させている様は部下たちを鼓舞した。気楽になったとはいえ、不知火が戦果のないうちに沈んでしまえば自分たちは死ぬしかないという現実もそれを後押しした。
阿武隈は腕時計を一瞥する。
斉射から二十五秒、もうすぐ弾着だ。
砲戦距離は16000。秒速790mで撃ち出された九一式徹甲弾は、空気抵抗や重力の影響を受けて秒速510mにまで減速する。存速逓減率などの細かい計算を除けば、概算だが発砲から弾着まで三十秒と少しということになる。
報告は、水底からもたらされた。僅かに雑音を交えながら、無線で連絡が入る。
《弾着、左右遠近良し》
はちからの連絡を受け、満足そうに頷いた阿武隈は卓上の機器に視線を戻す。先ほどとは逆に消えていた方の赤いランプが点灯した。
《これより不知火さんの補給作業に移ります。阿武隈さん、引き続き擾乱射撃をお願いします》
「了解です! 任せてください!」
阿武隈は、秘書艦として事務作業に奔走する以外の少女を知らない。しかし、そこに一片の不安も感じてはいなかった。提督と不知火、翔鶴らの信頼が篤い。阿武隈にとってはそれだけで十分だった。
通信を終えた阿武隈は時計をもう一度確認した。〇二〇五、補給作業に遅れがなければ日の出までには……。
「これより弾幕の密度を上げます! 不知火さんの補給が終わるまで、私たちで場を持たせます!」
もしも深海棲艦が不知火の弾薬切れに気づいて散開、はちの仕掛けた罠を迂回して射程外に逃げられたら一巻の終わりだ。阿武隈は重さを増した責任感を払いのけるように手早くスイッチを跳ね上げ、再び引き金を引き絞った。
海面に潜望鏡が顔を出す。周囲360度を確認し、海に沈んだ。入れ替わりに白い軍帽が顔を出す。金髪の少女は肩まで浮上したところでもう一度辺りを見回した。
霧が深く視界は極めて悪い。しかし、敵はおそらくいないだろう。上空の九八式水上偵察機は鎮守府からの弾着位置が動いていないことを知らせてきたからだ。
落雷のような砲声はとどまることを知らない。3㎞ほど離れたここにいても恐ろしいくらいなのだから、撃たれている深海棲艦たちはたまったものではないだろう。弾が直接当たらずとも、精神に打撃を与えるには十分だ。
少女は靄の中で天を仰いだ。久方ぶりの戦場。実に半年ぶりだ。やはり海の中よりも上の方が良い。
腰の高さまで浮上し、潜望鏡を腰のベルトに差し込み、肩からかけていた機銃を取り出す。口径が20㎜であるこれは、厳密には『機関銃』ではなく『機関砲』だ。2cm Flakvierling38、いや、単装砲として使おうとしているのだから2cm FlaK38と呼ぶべきか。
銃身を傾け排水し弾倉を外す。中には二十発の20×138mmB弾が装填されていた。潜水艦の艤装であるため防水機能はしっかりしているが、念のため火薬が濡れていないことを確認した少女は弾倉を装着し直した。
護身用としてはいささか心許ない機銃を簡単に整備した少女は、敵艦隊上空を飛んでいた九八式水上偵察機を南東に向けた。敵艦隊を迂回してここに合流しようとしているはずの不知火の現在地を確かめるためだ。しかしどんなに急いでもあと十五分はかかるだろう。先ほどの突撃からの退避の際、こちらと真逆の方に舵を切ってしまったので、ぐるっと外側を大回りすることになる。
少女はふう、と息を吐いた。爆発音と爆発音の間に流れる波の音が心地良かった。初めての弾着観測、それも夜間ということで緊張した部分もあったが、秘書艦の面目躍如といったところだろう。少女は無事任務を果たした。
すぐ近くで水の跳ねる音がした。トビウオでもいるのかしら、と音のした方を向くと、そこには見慣れぬ艦娘が立っていた。
色白で長髪、両手には巨大な連装砲を持っている。全体的に黒っぽい服装をしており、特に目を引くのが青い光を帯びた目……。
脳内の整理が終わるまでに少女がかけた時間は一秒未満だった。
咄嗟に機銃を構える。向こうも気づいたようだ。右手の砲を前に出す。
水飛沫が上がる。二人が引き金に指をかける。
ル級には狙いを定める余裕なんてなかった。少女も同様だった。だが、少女にはその必要があった。コンマ一秒も惜しい。少女の頬を冷や汗が伝う。二つの砲口が相対する。
そして、発砲音が霧の中に響き渡った。マズルフラッシュに照らされて、瞬間、くっきりと二つの影が浮かび上がる。
16インチの大砲の爆音がすべての音を飲み込む。そこから抗うように、小さく乾いた音が漏れてくる。その音は、16インチの砲音が完全に消えても続いた。
爆風で霧が飛ばされ、月明かりに晒された大小二つの影が水面に映った。
影は二つとも立っていた。だが、大きな影は頭部を押さえながら苦しんでいた。
小さな影は少しずつ後退し距離を取っている。そして、その影から横に伸びる棒の先からは、小さな発砲音と発砲炎がしばらく続いた。
ル級は両手で顔を庇っている。16インチの砲弾が放たれるより一瞬早く、少女の2㎝弾がル級の顔面を捉えたのだ。
戦艦の分厚い装甲を貫通させるには、それ相応の強力な火砲が必要になる。不知火の頭を悩ませたように、小口径の砲弾ではまるで歯が立たない。
しかし、例外があった。それは顔、艦船で言うならば艦橋にあたる部分だ。
艦橋は艦船の中枢であり、通常はここから艦長が指示を出すのだが、構造上の問題から防御が薄い。ここならば駆逐艦の主砲でも、対空機銃でも当たり所が良ければ貫通する。そして中にいる艦の要人を殺傷ないしは機器を破壊できれば、船として浮かんでいることは出来ても軍艦として作戦行動を行うことは一時的にだが不可能になる。
これは深海棲艦も同じである。特に、ル級のようにほとんど人と同じ姿形をしているものは、視覚情報を目から取り入れる。そして顔や目といった部分には分厚い装甲板を取り付けることは困難である。もしもそんなことをすれば、トップヘビーになりすぎて通常航行もままならないだろう。
少女がトリガーから指を離したのは、弾倉内の二十発を撃ち切ってからだった。
顔を押さえるル級の指の間からは、黒とも紫ともとれない濁った液体が溢れていた。だが流石は深海棲艦というべきか、頭部の形ははっきりと残っていた。人間ならば脳漿をぶちまけるどころか、首から上がなくなっていただろう。
少女は左手で空になった弾倉を外すと、そのままベルトに付けられたポーチに手を突っ込み、中から新たな弾倉を掴んで装填した。と同時に右手の人差し指が引き金を引き絞る。再び弾が撃ち出され、情け容赦なくル級の顔面を抉る。
一分間に百二十発の弾丸を放つこのFlak30が、二十発の弾倉を撃ち切るのにかかる時間は僅か六秒だ。最初の発砲から十五秒もしないうちに二つ目の弾倉が空になる。少女は機銃を海に放り投げた。そして逆手に両の手でベルトに刺していた二本の魚雷を掴む。それらを抜きながら、勢いそのままにル級に向かって投げつけた。
水面下を航行するはずの魚雷が、勢いよく宙を舞っている様を見た者は少ないだろう。ましてや、海面に着水することなく敵艦に命中する様などは、この少女を除いて誰もいないに違いない。
投擲された魚雷は頭部と腹部に命中し風穴をあけ、ル級から継戦能力を完全に奪った。
うっすらと霧に覆われた真っ暗な海に、ボロボロの黒いコートを羽織った女性が一人佇んでいた。
「あっちはうまくやってるみたいね」
視界の向こうの敵艦隊を憐れみながら、そして腹に響く轟音を楽しみながら不知火は呟いた。
「阿武隈さんも伊達に一水戦旗艦経験者ではないってことですよ」
海面から顔だけ出しながら、はちがゆっくりと近づいてきた。
「お待たせしました」
「何やら一戦あったようですが」
「冷や汗をかかされましたけど、なんとかなりました」
少女は腰の高さまで浮上してきた。投げ捨てたはずの単装対空機銃は肩からかけている。銃床と腰のベルトとがワイヤーで繋がっているため、戦闘後に引き上げたのだ。
少女は「まあともかく」と言いながら、塩水を吸って重くなった青い軍服の腕をゆっくりと持ち上げて敬礼をした。不知火も答礼する。
「不知火さん、単独での任務、ご苦労様です。ですがもう一働きしてもらいますよ」
「望むところです」
敬礼を交わしながら、二人はにっこりと微笑みあった。
不知火は着ていたコートを脱いだ。中にはいつものブレザー姿があった。そして腕、腰、腿に合計六つの魚雷発射管、の土台部分だけがあった。
「あの、不知火さん。発射管はどうしたのですか?」
「撃ち切ったものから順次投棄しました。邪魔ですので」
「全部ですか?」
「ええ」
呆気にとられた少女だったが、すぐに笑顔に戻って答えた。
「好都合です」
そう言って腰に下げていた袋からB5判ほどのサイズの分厚い本を取り出した。『Torpedorohr -Typ93 in Vierlingssätzen-』というタイトルだった。
少女がその本を開くと、四本の筒が一列に並んでゆっくりと本の中から生えてきた。筒は一回り大きな四角い箱のようなものと繋がっており、その箱の反対側からも同じように四本の筒がはみ出ていた。大きさは、長さ50㎝、幅が30㎝ほどだった。
「相変わらず、オカルトじみた艤装ですね」
皮肉、というよりも羨望に近い言い方だった。何度か見たことがあったが、不知火にはやはり納得しがたいところがあるのだろう。こんな便利な艤装は、ずるい。そう言いたげだった。
「軽空母の人たちに近いってよく言われます。このはっちゃんも、遣欧艦娘潜水艦作戦に選ばれたのは伊達ではないってことです」
少女は完全に姿を現した四連装魚雷発射管を不知火に手渡した。
「さ、予備は全部で六基です。どんどん装着しちゃってください」
そう言うと別の本を取り出し、二つ目の魚雷発射管を顕現させた。
不知火も時間に余裕があるわけではないとわかっているので、受け取った発射管を装着し始める。
「はちさん、次発装填装置はついていますか?」
「通常艤装に装着する方にはつけられますが、増設した方には無理でしょう。技研の人たちがしなかったことを、私たちが勝手にするべきではないと思います」
「……そうですね、勝手なことを言いました」
気にしないでください、と少女が言った直後、青白い血管のような筋が霧の海の中から天に向かって伸びていった。そして深夜の暗闇に音のない花火が上がった。打ち上げたのは他でもない、深海棲艦たち。
二人はそれをじっと見ていた。顔が光に照らされて不健康な青色に染まる。
月の横に生まれた小さな光源を見ながら、誰に言うでもなく不知火がぽつりと呟いた。
「信号弾……」
不知火の脳裏にはまず「撤退」の二文字が浮かんだ。だが、密集している艦隊において信号弾を打ち上げる必要などない。猛烈な支援砲撃で連絡も出来ない、とでもいうなら話は別だが。
「南方には機雷を敷設済みです。強引に突破しようとすれば少なからぬ損害が出るでしょう。撤退速度も落ちるはずです」
「本当は嫌いだから使いたくなかったんですけどね」と少女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それに、陸軍の野戦砲はともかく35㎝砲なら射程35000はありますし、不知火さんの追撃も補給してからで十分間に合います」
大勢に変化を与えることはない、そう判断しかけた二人はハッと顔を見合わせる。そして発した言葉は、期せずして同じだった。
「……増援?」
北方鎮守府の仮設司令部は大わらわだった。
幾つも設置された電話は休みなく鳴り続け、床の上を所狭しとコードが這っていた。決して広くはないこの部屋に、現在十人ほどが詰めている。彼らのもとに、北方鎮守府のあらゆる情報が集められていた。部屋は、熱気と怒号に包まれていた。
「はい、こちら司令部」
そう言いながら受話器を取ったのは、翔鶴だった。あちこちを包帯と当て木で固定した姿が痛々しい。だが彼女は、自ら志願してこの任に当たっていた。
「……予備の弾薬は現在演習場から輸送中です。あと二十五分、いえ、二〇分待ってください! はい、引き続きお願いします」
翔鶴は受話器を置くと、すぐにけたたましく鳴り続ける隣の受話器を手に取った。
「はい、司令部! あ、利根さん! 状況はどうですか?」
そんな翔鶴の後ろで、葛木は珍しく声を張り上げていた。怒っているのではない。すぐ近くで砲撃が行われている阿武隈には、そうでもしないと聞こえないのだ。
「はちが敵戦艦と交戦したぞ!? 何をやっていた、阿武隈ァ!!」
《ほ、砲撃の密度を高め過ぎて、何度も立ち上る水柱や波が邪魔をして電探の精度が落ちていたみたいです!》
「みたいです、じゃない! いいか、お前の目が頼りなんだぞ!!」
《はっ、申し訳ありません!》
「それで、敵艦隊の数はどうなっている!? 他にも離脱を図ったやつがいるのか!?」
《それはありません! はちさんが会敵したとの報を受けてから、独断で一分間だけ砲撃を中止し精密な電探索敵を行いました。現在の敵艦隊は空母、駆逐艦二、合計四隻です。間違いありません!》
普段の阿武隈からは想像もできない、自信に満ちた答えだった。
「わかった! 状況に変化があったらすぐに伝えろ! お前の分の回線は開けておく!」
《はっ!》
電話を切り電信室へ伝令を出した葛木に、翔鶴から声がかけられた。
「提督、はちさんから入電です!」
「信号弾の件だな。貸してくれ」
葛木は翔鶴から受話器を受け取った。
「代わったぞ」
《はちです。……提督、これが最後の通信になるかもしれません》
聞きなれた少女の声が、いつになく悲壮感に溢れていた。
「らしくもないな。どうした?」
《……今さっき、敵空母艦載機から接触を受けました》
葛木の表情が凍り付いた。
《敵の旗艦はeliteではなく、flagshipだったようです》
空母艦載機を夜間に発艦させること自体は決して不可能なことではない。だが、着艦となると話は別だ。まず敵に発見されぬよう闇に紛れる母艦を見つけ、暗闇の中で甲板に降りなければならない。
「制御された墜落」と形容される空母への着艦は難易度が高く、陸上滑走路への着陸と比べても事故率が高い。目隠し状態でそのようなことをするのは無謀の一言に尽きる。
周囲に敵がいないのであれば誘導灯を灯すこともできるが、それでも限界がある。そしてなにより、夜間飛行自体が相当に困難なのだ。
“皇国”海軍はこの分野では比較的先駆者の地位を占めていたが、ベテランパイロットの腕に頼っていた節があり、開戦前からの熟練パイロットの喪失が続いた現在では予科練の教官クラスしか夜間発着艦を行うことが出来ない。艦娘に至ってはまだ試験すら行われていないのだ。
それを深海棲艦は、いとも容易く行った。どうやら彼女らは、はなから着艦のことは無視し、艦載機の回収は出来たら幸運程度に考えているらしい。資源や建造期間、人的(と言うのは誤っているかもしれないが)リソースといったものの捉え方が人間とは違うのだろう。
とはいえ、全ての深海棲艦空母が夜間攻撃を行えるわけではない。「無印」「elite」「flagship」、“皇国”海軍の深海棲艦熟練度三類型の中で最も優秀だとされる「flagship」クラスの空母のみが実行可能だとされている。つまりは、当初は「elite」クラスだろうと想定されていた敵空母は、もう一つ上のランクに位置づけられるべき艦だったことになる。
葛木はいつの間にか目を閉じて天を仰いでいた。
「どのくらい持ちそうだ」
《航空機だけなら問題ありません。増援艦隊は数によります》
「大目に見積もっておいた方が良いだろう。二個水雷戦隊に一個重巡戦隊と仮定しようか」
《二十分持てば御の字でしょうね。無傷の不知火さんがいるとはいえ、連戦でしかも魚雷二十四発のみでは望み薄です。空が白んでしまえば先ほどのような奇襲効果も期待できません》
「……いいか、はち。あと四十分、四十分だ。そうすれば朝が来る」
《はっちゃんたちが沈んでも、朝が来てくれれば目的は果たせるんじゃないですか?》
「意地悪を言うな」
《ふふ、ごめんなさいね。それじゃあ生きて帰られたら、ご褒美にシュトーレン、食べたいなあ》
「材料があったらいくらでも作ってやるよ。だから、わかったな」
《約束ですよ》
「ああ、約束だ」
《それじゃ、提督。Viel Glück》
「良い報告を待っているからな。必ず帰ってこい」
受話器を翔鶴に返した葛木は、静かに椅子に座り机の上に置かれた短剣を手に取った。
『朝が来るまで』これが欺瞞に満ちた言葉であることは二人ともわかっていた。朝が来ても、太陽が出るとは限らない。天候不順が正常なこの北の海で、彼の発言は的を射ていなかった。無論、望みはある。敵機に発見されたということは、それだけ霧が薄くなっているということだ。だがそれも、現時点では希望的観測にすぎない。
しかし、退避の指示は出さなかった。どのみちこの作戦には二度目など無い。おそらくこの増援艦隊こそが最後の敵艦隊だろうからだ。確証はない。これも希望的観測だが、見通しが甘かろうとこれが精いっぱいだった。期待に反して空と海が雲と霧に覆われたなら、敵に余力があったのなら、どうあがいても彼と彼の部下は死ぬ運命だったのだろう。戦場にあってそれを否定するほど、彼は若くなかった。
そして何度も繰り返しているように、敵北方方面艦隊に即時再建困難な打撃を加えなければ北方鎮守府が第二のキス島、いや、第二のアツタ島と化す。彼が見捨て、彼女に見捨てさせたあの島に。
「その時はこれで…………」
ふう、と葛木は息を吐いた。俺もらしくなかったな。諦観は祈りと同じく何も生まない。もしもの時はもしもの時に考えればいい。
短剣を机の上に戻し、壁にかけられた時計に目をやった。時刻は既に午前二時半を過ぎている。夜明けはもう、遠くない。
「対空戦闘だ。高射砲と探照灯をありったけ並べろ。対空戦闘の指揮は俺が直接執る。翔鶴、ここで俺の代理として鎮守府全体を統制しろ。それと阿武隈に下命、要塞砲大隊は射撃を中止し退避、急げ!」
相変わらず砲弾が降り注ぐ中で、旗艦のヲ級は悔しさと自責の念から歯噛みしていた。
軽巡一、駆逐艦一撃沈。駆逐艦二大破。旗艦空母中破。空母一小破。この夜戦で彼女らの被った損害である。
彼女は、ル級に対して単独での戦域離脱を命じていた。ル級に与えた任務は、待機中の二個水雷戦隊の指揮を取りキス島まで撤退すること。そして残存艦隊と合流し戦力を再編、後日改めて敵の本拠地を叩くことだった。
本来ならば艦隊ごと移動するべきだが、どうやら敵はこちらの艦隊を完全に捕捉しているらしい。だが、ル級単艦なら、たった一人なら敵の目をかいくぐって離脱できるかもしれない。彼女は自らが囮となることで、キス島包囲艦隊の再建と敵前線基地の壊滅をル級に託したのである。
だが、その望みももはや絶たれた。
つい先ほど、ル級が退避した北東方向から彼女のものと思われる砲声と、大型艦のものと思しき爆発音が響いた。やられたのだろう。接敵した場合はすぐに連絡を寄こすよう指示してあったにも関わらず、完全に音信不通になったことがその証拠だ。
ヲ級は完全に冷静さを取り戻していた。実際、彼女は鬱陶しい砲撃が北方鎮守府からのものだということを看破するに至っていた。砲撃をしているのが素人だろうということにも気が付いていた。ル級が退避前に残した報告、即ち肉薄雷撃を仕掛けてくる敵艦が駆逐艦一隻だろうという報告も併せて、この夜戦の全体像すらも掴みつつあった。
まずはこの夜戦の始まり、先頭艦二隻の突然の爆発。あれはおそらく潜水艦によるものだったのだろう。砲撃音もなしに爆発が起こったのならば魚雷攻撃しかありえない。それにこの霧に加えて夜間であることを考慮に加えれば、長距離雷撃の可能性は著しく低い。だからこそ、向こうも先刻のように超近距離での肉薄雷撃を挑んできたのだ。となれば潜水艦による攻撃しかありえない。
次に、敵潜水艦の数は一隻。それ以上いるのであれば、護衛艦が大きく損傷しているこの艦隊を相手取るのにあのような駆逐艦の単独突入はいらない。潜水艦だけで戦った方がよほど有利に立ち回れる。
そして三つ目はつい先ほど起きた北東方向での爆発。待ち伏せか偶然か、潜水艦にル級は沈められたのだろう。またル級の損傷は軽微だった。それに敵基地からの砲撃はヲ級たちに集中していた。敵駆逐艦という可能性もあるが、ヲ級の勘がそれを否定した。
戦艦は沈められ、空母も僚艦は中破し艦載機の着艦が困難な状態だ。随伴艦も悉く沈められ、生き残りも満身創痍。そんな彼女たちに残された術は何か。考えるまでもなかった。もはや彼女たちに、生還は望むべくもない。あとはただ、この地獄の夜戦を演出したあの二隻を、刺し違えてでも沈めるだけだ。
ル級が沈められただろう爆発の数分後、敵の砲撃が止んだ一瞬の隙に発艦させた艦爆隊がそろそろ敵基地上空に達する頃合いだ。
夜間にむりやり航空攻撃を行った代償は大きい。まず全体の四分の一近い機が発艦に失敗し水没した。航路を見失わず標的まで辿り着き、戻ってくるのは良くても残りの三分の二程だろう。僚艦のヲ級と併せて残る艦爆は差し引き二十機といったところか。だが艦爆隊や、昼の防空戦で打撃を受けた戦闘機隊と違って艦攻隊はまだ無傷に近い。
彼女の手筈では、初めに艦爆隊が砲撃を黙らせる。その間に艦攻隊を全機発艦させ、水雷戦隊と共にあの狂った駆逐艦と潜水艦を葬り去ることになっている。
仮に戦闘が長引いてしまっても、日が明けてしまえばこちらのものだ。なぜならば、あの雷撃の恐怖は敵が見えないところにある。そうなってしまえば、いくら優秀だとしても敵は駆逐艦一隻と潜水艦一隻である。全滅する覚悟で挑めば叩き潰せない相手ではない。
敵艦二隻を沈めるのに、こちらは空母二隻と戦艦二隻から成る主力艦隊に加えて二個水雷戦隊を生贄しようとしている。馬鹿馬鹿しいと感じるだろうか。だが忘れてはならないことがある。彼女たちは昼の戦いで北方鎮守府に艦砲射撃を加え施設の多くを破壊し、多数の兵を殺傷し、彼女たちと同様の空母と戦艦を含む敵艦隊を壊滅させたのだ。たったの二隻と心中するわけではない。この夜戦が始まる前に追跡していた艦隊を取り逃がしてしまうことになるが、さしたる脅威にはなるまい。たかが三隻、それも損傷した艦を含むと来たら恐るるに足らずだ。
それに、深海棲艦たちの最大の武器である“数”は未だに健在である。例えここでキス島方面艦隊の主戦力と二個水雷戦隊を失っても、人間たちよりは戦力の立て直しは早い。その死は無駄ではなく、次の攻勢の礎となる。
水飛沫を浴びながらそんな自己犠牲に近い考えを抱いていると、偵察に出した艦攻から通信が入った。どうやら目的の二隻を発見したらしい。間もなくして艦爆隊から攻撃開始の報も入る。この時を以て、ヲ級は艦隊間の無線封止を解除した。
《全艦艇ニ告グ。我々ノ死ニ場所ハココデアル。損傷シタ味方ニ構ウナ。射線上ニ友軍ガイテモ躊躇スルナ。戦友ノ屍ヲ踏ミ越エテ、私ニ続ケ!》
叶うなら、もう一度、今度は軍服を脱いであの国に行きたいなあ……。
《敵空母艦載機、左右より散開しつつ接近! 数、掴みで十!》
不知火の悲鳴に近い絶叫で、はちは我に返った。
「機種は!?」
《……敵機高度を落とした! 雷撃機!》
これで第三波攻撃になる。第一、第二波よりは若干規模が小さくなったが、それでも駆逐艦と潜水艦の二隻には過剰攻撃と言っても差し支えないだろう。
《右舷方向の敵機、間もなくそちらの直上を通過します!》
「了解! 迎撃にあたります!」
言うが早いか、はちは思い切り海水を蹴った。
魚雷を抱えた深海棲艦の航空機、その針路上の海面に突如として白いベレー帽と金髪が顔を浮かべる。それは小さな、だが彼らを死に追いやるに十分な銃口を向けていた。
「Feuer!」
引き金を絞る。反動が連続して肩に響き、20㎜の弾丸が敵機に向けて放たれる。
雷撃機は慌てて回避運動を取るが、重たい魚雷を抱えたままではそれもままならない。一機がバランスを崩し海面に突っ込んだ。別の一機は弾丸をまともに受けて炎上、やがて四散し海の藻屑となった。残った三機の雷撃機は、攻撃目標だった不知火を前にして魚雷を投棄し、機体を反転させ母艦に戻っていった。
しかし、少女に喜ぶ暇は与えられない。砲撃音と共に多数の砲弾が少女を挟叉した。
《魚雷全弾回避! はちさんは急速潜航を!》
海上に不知火一人を残すことはやはり気が引けるが、ドン亀と形容される潜水艦が海面に浮いていても射撃練習の的にしかならない。それだけでなく、潜水艦には装甲と呼べるものがない上に、僅かな亀裂すらも水圧は見逃さない。水上戦闘を行うようには出来ていないのだ。はちは直撃弾をもらう前に急いで水中へと没していった。
この六〇分間にはちと不知火が行った戦闘は、あまりに一方的なものであり、およそ戦闘と呼べるものではなかった。
司令部との通信は途絶。支援砲撃も沈黙してしまった。敵艦載機による空襲が行われたのだろう。発砲時のマズルフラッシュは一瞬だが闇夜に自身の位置を照らし出す。敵機が照明弾を撃ち出したならば話はもっと早い。見晴らしのいい高台に据え付けられた火砲は、なすすべもなく撃破されたことだろう。これで援護は望めない。
味方から完全に孤立した二人が相手することとなったのは、十から十二隻程度から成る水雷戦隊と敵空母艦載機だった。
徹底した航空機による照明弾投下を受け、その身を隠す暗闇を失った不知火は、はちと共に接近する敵水雷戦隊に対して先制の魚雷攻撃を行ったが、敵機の妨害もあり思うような効果を発揮することが出来なかった。
攻撃が失敗して以降、不知火は徹底した回避運動に専念した。求められる英雄像に自らを合わせようとしてきた過去がここで活きた形となった。彼女の持てる全てを総動員して逃げ回った時間はしめて四十分、被弾は5inch砲の不発弾が二つと少数の至近弾、被雷はゼロという驚異的な数字を残しつつあった。
一方、はちは引き続き攻撃に回った。身を隠すことの出来る潜水艦であることと、最大の武器が航跡のほとんど残らない酸素魚雷でありやはり隠匿性が高いからだ。不知火が攻撃と注意を引き付け、はちがその隙に敵の頭数を減らすという手筈だ。
しかし、ことはそれほど単純ではない。潜水艦の強みは敵に気づかれないことにある。「いる」ことが判明している潜水艦の脅威などさしたるものではなく、また敵水雷戦隊も対潜陣形を敷いてこれに対応したため、はちは苦しい立ち回りを強いられた。
不幸中の幸いと言うべきか、敵の水雷戦隊は練度が低く、加えて敵艦載機も疲労の色濃く、両者の攻撃は精彩を欠いたため、危機的な状況ではあっても破滅的な状況に陥るまでには至らなかった。
とはいえ、二人の健闘も限界に達しつつあった。
《敵駆逐艦四隻、突っ込んでくる!》
少女は舌打ちした。一番恐れていたことが……。敵が損害を無視して突入してくれば、不知火もただでは済まない。と言うよりも、被弾による誘爆を防ぐために魚雷を全弾投棄した不知火に武装はなく、そもそも抵抗する手段すらない。
今までは航空攻撃が主体だったため、誤爆を防ぐ意味もあって艦隊は距離を取っていたのだけれど、それが失敗した今、憚るものは何もないということか。
はちは予備の本が詰められた腰の袋から数冊を取り出し、自らの近くに浮かべた。
本来、潜水艦の雷撃は敵艦の進路、速度、自艦との方位角、魚雷の速度などの詳細な情報を元に計算され行われる。これらの数字は通常、潜望鏡により目視で観測する。だが、現在は少女の頭上の海面には大量の砲弾が降り注ぎ頭を押さえられている。聴音機も備え付けられてはいるが、真上でこれだけの砲撃が行われていてはまともな聴音は不可能だ。よって、不知火からもたらされる情報だけがはちにとっての情報だった。
そしてそれらを不知火に尋ねるより早く、答えが返ってきた。
《敵横列陣、艦幅およそ100、速度28ノット、方位3-2-5、進路1-8-0!》
そこにもう一つ、報告が付け加えられた。
《敵艦の目標は私ではありません! そっちです!》
少女が気を取られたのは一瞬、魚雷を生成しつつある本を残して離脱を開始した。だが、可潜艦とも言うべきこの時代の潜水艦の水中速力はせいぜい8ノット程度。駆逐艦を振り切ることなど到底不可能だった。
やがて、頭上の砲弾雨が止んだ。代わりに遠くで何かが水面に落ちる音がした。
《敵艦、爆雷の投下を開始!》
無線からの声を掻き消すように、低い爆発音が海中で木霊する。爆雷の爆発音は徐々に数を増し、それでいて着実に近づいてきていた。
まるで爆雷の滝が迫ってくるようだった。この轟音の嵐の中では聴音やソナーは役に立たない。だからこその絨毯爆撃なのだ。
見えない死が少女の精神を圧迫する。呼吸が短いものになり、全身から海水より冷たい汗が噴き出す。
逃げきれない。そんな予感が少女の脳裏に浮かんだ。
眼前に迫った爆雷の雨に、はちは祈ったりしなかった。ただ、死への恐怖と生への願望のみが少女を支配した。
そして、爆発が少女を包み込む。
爆雷は、少女の頭上8mで炸裂した。直撃こそしなかったものの、損害は甚大だった。魚雷を収容している本の多数が破損してしまったため、残された武器は数本の魚雷とFlakのみとなってしまった。
損害を確認したあと、はちは迷わず浮上を開始した。このまま潜航していてはいずれ沈没することは免れ得ない。海の底で圧潰するなど御免だった。
軋む体に鞭を打ち、海水をかき分け、なんとか海面まで達した時、少女はようやく安堵の表情を浮かべた。ヒビの入った眼鏡越しにもはっきりと、朝の蒼空が映った。
「……約束、守りましたよ、提督」
「はちさん!」
緊急浮上してきた金髪の潜水艦を目にして、不知火は思わず叫んでしまった。
叫び声を上げる、ただそれだけで不知火の小さな身体は悲鳴を上げた。敵艦隊が対潜戦闘を開始したあと、猛烈な砲撃を受け不知火自身も被弾が相次ぎ、中破相当の損害を受けていたからだ。
6インチ砲の直撃を受け動かなくなった左腕を庇いながら、不知火は辛うじて出せる最大速度で砲撃を回避していた。
「応答してください、はちさん!」
返事はなかった。仰向けに浮かびながら、少女はじっと空を見ているようだった。
まるで戦うのを諦めたのかのようだった。その後方では、はちの浮上に気が付いた駆逐艦たちが一斉に回頭。とどめを刺さんと真っ直ぐに突撃してきた。
「逃げてください!」
割れんばかりの叫びが寒空の下で響いた。それに答えたのは、深海棲艦の無慈悲な攻撃だった。はちに気を取られたため、不知火は迫りくる魚雷を発見することができなかった。
爆音、爆風、痛みと熱を感じたのち、右足の感覚がなくなった。身体がガクリと右側に傾く。被雷したのだった。
右舷推進機軸損傷、スクリューシャフトが吹き飛んでしまった。右足の推進力を失った不知火は、生きている左舷推進機に引きずられるように大きく右旋回を始めた。直進航行が困難になったため、これではちを助けに行くことも出来ない。好機と見たのか、距離を取って待機していた敵の水雷戦隊全艦が、不知火に向け突入を開始した。
「……はちさんッ!」
《大丈夫ですよ、不知火さん》
ようやくの返事に安心する間もなく、二人を砲弾の雨が包んだ。
「くっ……早く、早く起き上がって、反撃を!」
《……もう大丈夫です、不知火さん》
「何がですか!!」
はちの近くで三つの水柱が立ち上り、無線の向こうから短い悲鳴が混じった。
《……約束ですから》
はちは振り絞るように言った。
《不知火さん、空を見てください》
空を? 言われるまま首を上げると、上空には朝の光を浴びて明るさを取り戻しつつある空が広がっていた。
《『朝が来るまで耐える』っていう提督との約束、ちゃんと守りましたから》
霧に隠されていたオレンジ色の朝日が、その姿を見せ始めた。不知火も今までに見たことの無いくらい、大きく、そして力強い太陽だった。
《だからもう大丈夫です。提督は、約束を破りませんから》
不知火が朝日に目を細めている間にも、敵駆逐艦はしっかりと間合いを詰めていた。
巨大なシャチのような姿の深海棲艦イ級駆逐艦が大口を開け、5インチ砲が狙いを定める。目標は言うまでもなく、無抵抗に浮かぶ潜水艦だ。
「はちさん!!」
絶叫を爆発が覆い隠した。
爆発を起こしたのは……はちではなかった。イ級だった。背中から黒煙を上げ、苦しみもがいていると、再びイ級の背中で爆発が起きた。今度は、はちを包囲せんとしていた他の駆逐艦たちも同様に爆発し出した。
一体何が起きて……。混乱する不知火。連戦で疲労した身体が、攻撃を受け傷ついた身体が、普段の彼女ならすぐに気付くであろう状況の変化を隠していた。
軽快な金星エンジンの音、ダイブブレーキが風を受ける音、250㎏爆弾が空を切る音、“皇国”産爆薬が炸裂する音。
不知火に向け突撃を行おうとしていた水雷戦隊が火の手を上げ始めた辺りでようやく、彼女の耳がそれらを捉え始めた。
南の空を見上げると、緑色に塗装された翼が、払暁の光に照らされて輝いていた。九九式艦上爆撃機、さらに戦爆型の零戦62型が次々と上空から降下して来る。
全てを察した不知火は、内心で安心しながら毒づいた。……遅すぎですよ、瑞鶴さん。
《こちら第二哨戒……じゃなかった、第一〇二戦隊! 二人とも、まだ生きてる!?》
はちと不知火のいる海域から南東70㎞の洋上に、七つの影があった。第一〇二戦隊である。先刻合流した集成一〇一戦隊の面々もいた。
夜間にアツタ島を出港した瑞鶴ら一〇二戦隊は、一路不知火とはちの救援に急いだ。とはいえ、どれだけ急いでも海域到達は夜明けに間に合わない。そして、肝心の二人はそれまで持たないだろう。しかし、ただ一つだけ例外があった。それが瑞鶴の航空隊だった。
摩耶と利根は、第二次攻撃隊の発艦作業に追われる瑞鶴を見ていた。
「あのはねっ返り、すっかり元気そうじゃな」
「戦闘の昂揚感で自分を誤魔化してるんだろ」
利根は鼻で笑い、それはお主のことじゃろう、と言いかけて飲み込んだ。摩耶は気づかずに続けた。
「アツタ島を出てしばらくは声もかけたくないくらいの剣幕だったぜ。陸に帰ってみろ、きっと提督に掴みかかるぞ」
「あの提督ですら嫌われるか。万人に理解されることはさも難しいということかのう」
「全くだ。提督はアタシたちにとって最高の人じゃないが、少なくとも良い人ではあるのにな」
「それは部下としての評価か? それとも……」
「からかうなよ。そんなんじゃないことはお前だってわかってるだろ」
利根は小さく頷いただけだった。
二人の間に沈黙が横たわる。摩耶は話題を変えることにした。
「ともかく、これでやっと帰れるな」
二人は、摩耶がおぶっている、外套と毛布を幾重にも重ねてうずくまる朝潮に目をやった。
「怪我は大したこと無いそうじゃが、艤装を外しておるから体温の低下が心配じゃな」
「早く野戦病院に入れてやらなきゃな。ところで、警戒の方は大丈夫なのか?」
「幸いにも天候は良好。我が水偵の視界を遮るものはなし。安心しろ」
「いつの間にか撃墜されてました、ってのはなしだぜ?」
「ぬかしておれ」
「イ級駆逐二隻、大破。ホ級軽巡一隻撃沈確実!」
元気よくツインテールを揺らしながら、瑞鶴が第一次攻撃隊から伝えられる戦果を高らかに叫んだ。近くにいた霧島や駆逐艦たちが歓声を上げる。振り向きながら、瑞鶴は白い歯を見せながら笑みを浮かべた。
摩耶に「昂揚感で自分を誤魔化している」と評された瑞鶴だったが、その憶測は外れていた。瑞鶴は未だに、はらわたが煮えくり返りそうな程怒っていた。だが、ここではちと不知火を、戦友を見殺しにしたならば、瑞鶴は自らの嫌う男と同類になってしまう。二人を救うことで、自分は上官とは違うということを証明しようとした。
葛木に対する苛立ちを込めて力強く弓を引き絞る。斜め四五度の角度で放たれた弓は光を放ちながら中空で四つに分裂し、やがて航空機の形を成した。
「よし、第二次攻撃隊、全機発艦完了!」
一連の戦闘で瑞鶴に唯一成長したことがあるとするならば、このように感情のコントロールが少しは出来るようになったことだろうか。内心ではマグマのような瞋恚がドロドロと湧き出る中、航空機発艦から誘導、作戦指示まで見事にこなしていた。利根などは、これでようやく一人前か、などと思ったほどだった。
「第一次攻撃隊、全機帰投せよ! 第三次攻撃隊はいつでも発艦可能状態で待機!」
しかし、瑞鶴は大きな過ちを犯していた。
戦争の素顔の一端をようやく目の当たりにしたのに、瑞鶴は目を閉じてしまった。現実から目を背けてしまった。戦争から逃避してしまった。嫌いな人間に矛先を向けることで、自分を正当化していた。
瑞鶴が、ただの女の子ならばそれで良かった。しかし、彼女は軍人であり、本人もそうありたいと望んでいた。であるならば、自らを狂わせる戦争を、ここで理解しておくべきだったのだ。
「第二次攻撃隊へ、敵艦隊は混乱を生じつつも戦闘を継続する模様。なお、少数ながら邀撃機を上げてきたみたい。戦闘機隊、頼んだわよ!」
普段と変わらずに艦載機の戦闘指揮を行いながら、心中奥深くでは、如何に葛木を詰問し弾劾するかばかりを考えていた瑞鶴は、まだ気づいていなかった。
自分が戦争をしているこということに。
そして、それがどれだけの痛みを伴うのかということも……。
すっかり登った太陽に照らされた高台は、凄惨たる有様だった。
転がる死体、焼けた死体、千切れた死体が、土の上に、高射砲陣地跡に、爆発で出来た穴に、壊れた探照灯の上に、いたるところに転がっていた。
吐き気を催すこの死地で、葛木は煙草をふかしながら空を眺めていた。
その横では、翔鶴に膝枕された阿武隈が、満足そうな顔をしながら寝息を立てていた。
1944年4月15日から16日にかけて行われた、通称『北方鎮守府の戦い』は“皇国”軍の勝利という形で終わったが、彼らが被った被害も尋常ではなかった。
鎮守府の基地機能は破壊しつくされ、北方艦隊も空母一、戦艦一、軽巡一、駆逐艦四が大破し、戦艦一、駆逐艦二、潜水艦一が中破するなど甚大な被害を受けた上、残った艦も燃料と弾薬を使い果たしていた。
しかし最も深刻だったのは陸軍の損害で、死者・行方不明者は全体の半数以上になる五五八名に及び、その大半は行方不明者が占めることとなった。
その理由は、戦闘から僅か三日後の4月19日、損害の集計もままならないうちに、北方鎮守府司令長官葛木陸軍特務少将は独断で北方鎮守府の放棄を決定したからだ。砲爆撃を逃れた漁船に生存者を分乗させ、数回に分けて幌莚へ撤退してしまった。
この時、大本営がなぜ撤退を追認したのかは議論が分かれている。一見明らかに継戦が不可能な状態であったからだという者がいれば、負傷者を優先的に帰還させ自らは最後まで残ったからだという者もいる。しかし最有力なのは、葛木少将が数少ない極秘決戦兵器の指揮官だったからという説である。
とにもかくにも、北方鎮守府は五月の頭までには完全に放棄され、同月七日、大本営において北方鎮守府と北方艦隊の解体が決定された。
初めに、最後までご愛読いただきまして本当にありがとうございます。感謝の念に堪えません。また、お気に入りや評価、コメントや応援などで支えてくださったすべての方に厚く御礼申し上げます。本当に支えられました。
さて、あとがきということで幾つか言い訳じみたものを載せることをお許しください。
まず、文章を書くことについて初心者であり、かつ作品も不出来なものになる可能性が十二分にあるという自覚がありながらその旨を冒頭に載せませんでした。これは本文を読む前から読者を不安にさせるようなことをしたくなかったのと、仮に不出来な作品だとしても、自分だけは胸を張って公開したかったという理由があります。
幸いにして暖かいお言葉をいただき安心しているのですが、私自身としてはまだまだ直すべき点が多々ある(冗長なこととか内情の表現がほとんどないこととか情景描写が雑なこととかetc)と思っておりますので、批判やお叱りも遠慮なくお聞かせください。
次に、私の文章構成が至らなかったため字数の関係上、尻切れトンボみたいになってしまいましたが、ご安心くださいと言うべきか、残念ながらと言うべきか、この物語はまだ続きます。
それなりに伏線を張ってるつもりですので、次の後半でそれを回収していくつもりです。モヤモヤされている方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんがもうしばらくお待ちください。
最後に、繰り返しになってしまいますが、このお話を続けられましたのはひとえに、読んでくださる方々がいらっしゃったからであります。今後ともどうかお付き合いいただけましたらこれに勝るものはございません。
追伸
物語の途中ではっちゃんが歌っているドイツの軍歌『Kameraden auf See(海の戦友)』は、調べても歌詞の著作権者についての詳細がわからず、著作権が切れているのかいないのかもはっきりとわからなかったため、youtubeや西洋軍歌蒐集館様などから独語歌詞をお借りしました(翻訳は自身でやりました)。また一部を改変いたしましたが、もしも権利者からの申立てがあった場合は直ちに該当部分の削除・変更を行います。
追伸その二
続編を公開しました。よろしければ是非ご覧ください。(http://sstokosokuho.com/ss/read/4106)
【参考資料】
・ 大井篤著 角川文庫 『海上護衛戦』 2014年11月15日
・ 森史郎著 文春文庫 『暁の珊瑚海』 2009年11月9日
・ 加藤寛一郎著 講談社 『零戦の秘術』 1991年6月18日
・ ジョン・ピムロット著 田川憲二郎訳 河出書房新社 『地図で読む世界の歴史 第二次世界大戦』 2000年1月25日初版発行 2014年12月30日新装版発行
・ 防衛庁防衛研究所戦史研究室著 朝雲新聞社 『戦史叢書 北東方面海軍作戦』
・ 防衛庁防衛研究所戦史研究室著 朝雲新聞社 『戦史叢書 北東方面陸軍作戦~アッツ島の玉砕』
・ イカロス出版株式会社 『MILITARY CLASSICS』 VOL.42~44
・ 株式会社学研パブリッシング 『歴史群像』 No.117・120・121・123・125
・ 歴史群像8月号別冊付録 『艦内神社探訪ガイドブック』 2014年7月5日発売
・ 潮書房光人社 『丸』 2015年6月号 2015年6月1日発行
・ 国防研究会編 織田書店 『戦術問答一千題』 1929年 (著作権保護期間満了 国立国会図書館デジタルコレクションより)
・ 西洋軍歌蒐集館 http://gunka.sakura.ne.jp/mil/kameradenaufsee.htm (独語歌詞の参照及び一部改変)
・ http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/gf-sakusen/yamato-gimon.htm
・ http://military.sakura.ne.jp/
・ http://navgunschl2.sakura.ne.jp/IJN_houki/PDF/T030212_kaigunreishikirei_S2002mod.pdf
・ http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/imperialfleet/sanbouhonbu.htm
・ http://www.geocities.jp/heian_n0/
・ http://ohmura-study.net/740.html
・ http://www52.tok2.com/home/BByamato/index.htm
・ http://www.ac.auone-net.jp/~reliant/Naval-Gun-Data.html
・ http://home.e01.itscom.net/ikasas/radar/jprdf_m2m2.htm#type_22
・ http://senki3.geikyu.com/en_kure1940-1.html
・ http://www17.big.or.jp/~father/aab/kikirui/navy_radar.html#006
・ http://www.symphonic-net.com/france1961/zero_fighter-1.htm
・ http://iwasashougo.com/zero/blg20111107.html
・ http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hirokoku-u/metadata/8576
・ http://www.ms-plus.com/images_item/13000/13773_1.jpg
・ http://www.general-support.co.jp/column/columun18.html
最高に面白いです!ぜひ続きを!
カヤックさん、そう言っていただけますととても励みになります。本当にありがとうございます。
ご期待に添えますよう努力しますので、読みにくい稚拙な文章ですがぜひお付き合いください。
艦娘や深海棲艦といった超生物を扱いながら、スピリチュアルな部分を極力排除しようという描写の「重厚さ」「リアルさ」は本当に感服いたします。
陸出の提督と伊8の二人もよい。この裏ではドロドロに依存しあっているんだろうなぁ、という雰囲気が読み取れて2回ほど吐きました。
更新楽しみにしています。
しらこさん、お褒めの言葉ありがとうございます。やはり評価していただけるととても嬉しいです。さらに精進いたします。
更新ペースは不定期になりそうですが、クオリティを落とさない程度に頑張りたいと思います。
この物語はまだしばらく続きますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
完結お疲れ様です。
ゲームとリアルをすり合わせていく様な現実感のある文章に、いつも楽しませていただきました。
妖精さんの熱すぎる航空戦や不知火の単艦突撃に、阿武隈の援護射撃など、戦闘シーンも油臭さと臨場感に震えながら読んでおりました。(大分勢いで誤魔化されてるんだろうなーと思いつつ)
葛木少将と瑞鶴の決着がつかなかったのは残念だけど、どうやら続きがあるようで楽しみにさせていただきます。第二部ではシュトーレン焼いてる少将が見たいです!マジパンとかから作ってそう。
しらこさん、ありがとうございます。お陰様で完結まで漕ぎ着けることが出来ました。
戦闘シーンは次の話でも濃い目でやっていきたいと思っています。ですが、戦場がガラリと変わる予定ですので、今度は勢いだけでなく文章で魅せられるよう精進いたします!
瑞鶴は提督とわかり合うことができるのか、そして提督は無事シュトーレンを作ることが出来るのか……。乞うご期待です!
解体…極秘兵器の指揮官…どうなるのでしょうか…後編期待してます!
まずは第一部完結、お疲れ様でした。
練りこまれた設定や躍動感ある戦闘描写など、
読めば読むほど、あなたの作品に引き込まれていきました。
第二部以降の展開にも期待しています。
カヤックさん、ありがとうございます。今月中には新しい話を投稿出来たらと考えております。ご期待に添えるよう頑張ります!
アラクネさん、そのような温かいお言葉をいただけると本当に励みになります。ありがとうございます。
これまでよりもさらに良いものを作れるよう最善を尽くしますので、第二部の方も是非ご覧ください。