人のカタチ、海のカタチ
なぜ、どうして、誰か教えて。
どうしてこんなことになってしまったのか。
夜の海は静かだった。雲に月が隠れ、暗黒の空と漆黒の水平線が溶け合い、どこまでも闇が続いているようだった。白い肌、白い髪をした少女は薄れゆく意識の中で当てもない問いにぶつかった。
駆逐棲姫、それが少女の名であった。本名なのか? それは誰にもわからない。彼女について確かなことは、少女が深海棲艦と呼ばれる勢力に属していて、深海棲艦が人間と戦争をしていて、人間側の呼称が駆逐棲姫であり、今は人間の下で活動しているというだけだ。
少女は秋の海戦で大きく損傷し、意識を失い漂流しているところを遠征中の艦娘に保護された。気が付くと、そこは陸の上の粗末な小屋だった。屋根と床はあるが壁はない。スコールが起これば雨漏りする。目覚めてから二日後、建物と呼ぶに憚れるこのぼろ小屋で、少女は痛む体に鞭を打って将軍の前に連れていかれた。
立派な髭を蓄えた彼が言うにはこうだ。君は深海棲艦だが我々の言葉を解するようだ。足が無いことも勘定に入れて、君は海上での労務に就いてもらう。
ロウムとは何だろう。少女は首をかしげるばかりだった。自分は戦いに敗れ、あとは水底に沈むだけのはずだ。それがどういうことか、雑な仕事ではあったが治療がされていて、痛みはあるが体は動かせる。カイジョウ、つまり海に戻れるのだろうか。私は何をしているのだろうか、何をしなくてはならないのだろうか。様々な疑問が頭を過ったが、その時は疲労のためか、いつの間にか意識を手放してしまった。心地よい風に包まれながら、少女は過去を夢に見た。
翌朝、少女は荒々しく起こされた。叩き起こされたと言った方が適切な表現かもしれない。
数人の男性が少女を引きずりながらトラックに押し込んだ。抵抗を試みた少女は違和感を覚えた。身体が軽い。いや、力が入らない。違和感の原因は、艤装が外されていたことだった。これでもう艦娘と渡り合った時のような力は出せない。駆逐棲姫は文字通りただの少女になった。
トラックはジャングルの中を進み、昼前には海岸へ出た。そのまま海岸線の道を進み、日が一番高いところに到着した頃、港に到着した。
港には数隻の駆逐イ級が係留されていた。みな一様に口を縛られ、背中には太いワイヤーを打ち込まれていた。鉄線の先には一昔前の輸送船と思しき船舶が繋がれていた。
少女はそれを興味深く眺めていたが、トラックは港で一番高い建物の前で止まると、少女の脇にいた二人の人間が少女を再び引きずりながら建物へと連行していった。足がない少女は腕を抱えられて廊下を引きずり回された。それは初めての経験であり、かつて感じたことのないほど屈辱的だった。
やがて立派な一室に着いた。まだ完治していない傷に加えて、全身に擦り傷を負った少女は、後ろ手に縛られて銃を突きつけられた。そのまま数分が経った。部屋の扉が開き、誰かが入ってきた。黒い服を着た若い将軍だった。昨日あった人よりもずっと若い。だが襟についている星の数はこの人の方が多い。とっても偉い人だということは駆逐棲姫にも理解できた。男は少女の前に来ると帽子も取らずに早口で捲し立てた。
君が新しい捕虜だね。君の仕事は単純明快。駆逐イ級四隻を率いて東部オリョール海での海上輸送を指揮してもらう。というのも、君たち棲鬼や棲姫でないと我々の言葉が通じんのだよ。君は指揮官として捕虜労役に就くこと。いいね。
男はそれだけ言うと足早に去って行った。
そこから先の記憶は曖昧である。
地下室のようなところに連れていかれたのだけはうっすらと覚えている。そこで確か艤装を取り付けられた。武装は全て取り外されていた。砲の代わりに積まれていたのは、後でわかったことだが、爆薬だった。逃走を図ったイ級が、隊列を離れたところで吹き飛んだのだ。少女が捕虜労役に就いてから三日目のことだった。今からちょうど二カ月前の話である。
少女は今、脱走を図り木端微塵になったあのイ級の気持ちが理解できるようになっていた。死よりも辛いことがあるとすれば、あの冷たい海の底より苦しいところがあるとすれば、あの気が狂いそうになる戦場よりも身が張り裂けそうになる場所があるとすれば、それは少女らのいるところだろうと確信していた。
彼女らの捕虜労役はただの輸送ではない。港と港の間を、それこそ輓馬のように、物資を満載した旧式の輸送船を牽引しながらピストン運行することが仕事だった。休息は監督の特設巡視船二隻の交代を縫って行われる僅かな燃料補給の時、それと天候不良で巡視船が出航できない時のみ。あとは昼も夜もなかった。奴隷的苦役、その権化ともいうべき扱いに耐えきれず、この二カ月間で二隻は脱走を図り、一隻は疲労困憊のため、計三隻のイ級が水面に消えていった。その都度新しい、哀れなイ級が補充された。
かのような過酷な環境の中にあって、この少女が未だに日付感覚や時間間隔に異常をきたしていないのは奇跡を呼ぶほかなかった。僅かな休憩のみでは癒えるはずの傷も癒えず、海水のためか傷が化膿しないのがせめてもの救いといったところ。傍から見ても満身創痍、がりがりに痩せた体は掴めば崩れてしまいそうなほどで、ぎょろりとした紫色の目は瞳孔が開き切っていた。
見かねた港の人間が、あの若い将軍に掛け合ってくれていたのを、駆逐棲姫は偶然耳にした。本当は聞こえるはずのない、あの部屋での二人の会話が夢枕で繰り広げられるのを、少女はどこか遠くで聞いていた。
提督、いくらなんでもあれは酷過ぎます。今にも死んでしまいそうです。せめて夜間だけでも休ませてやってください。
では君に聞くが、あの作業を君は艦娘にやらせろと言いたいのかね。艦娘の自殺という前代未聞の大事件を起こしたほどの重労働を。
違います。ですが、今の深海棲艦に課せられている労務は常軌を逸しています。あの自殺した艦娘よりも働かせられているではありませんか。
当然だ。あれは人ではないからな。捕虜の取り扱いに関する国際条約の対象は人間だ。海から生まれた怪物である深海棲艦は含まれんよ。形式上は捕虜ということにしているが、陸で砲を牽引する馬や伝書鳩と同じようなものなんだよ、あれは。私が直接見たわけじゃないがね、見た目こそ人だが中身はまるで違うそうだ。
そういう問題ではありません!
そういう問題なんだよ! 次の作戦までに必要な物資はあとどれほどだ? その次の作戦に必要な物資は? さらにその次の分は? まるで足りていない! それもこれも君たち兵站部のせいではないか! 君たちの尻ぬぐいのためにあれは酷使されているんだ! 労わりたいと思うなら気合を入れ直したらどうなんだね!
そこまでおっしゃられるのであれば、兵站部を代表して言わせていただきます。物資輸送の遅れは当方の責任のみにあらず! 大規模作戦を控えながらも燃料弾薬の倹約令を守らない艦隊司令部にもあります!
ほう、言うではないか。それで、責任を取って捕虜を休めさせろというのか。逆ではないのかね。遅れを取り戻すために労役を増やせというのが筋ではないのか。
兵站部が立てた計画の遅れの原因は、ひとえに輸送船団の航行速度低下にあります。お分かりでしょう、彼女らを痛めつけすぎたせいで効率が下がっているのです! あなたが計画の遅れを取り戻せとおっしゃるのならば、まずはこの現実と向き合ってからにしてください! そうでなければこちらも計画の立てようがありません!
そうか、それでは艦隊司令官として答えよう。捕虜労役の効率低下についてはただのサボタージュと判断している。以後、予定時刻に間に合わせられないようであれば躊躇なく射殺せよ。随時新たな捕虜を補充する。
それでは解決になりません! 第一、替えの利かない棲姫級である駆逐棲姫を失えば、船団の統率が出来ません。効率は落ちるどころか、輸送そのものが困難になります!
話は最後まで聞きたまえ。駆逐棲姫については高速修復剤の使用許可を上に求める。認可が下り次第伝えよう。あとは好きにすると良い。
許可が下りるまでにどのくらいかかりそうですか。
さあな、通常だと二日といったところだが、捕虜の深海棲艦に使うなんてのは先例がない。おそらく一、二週間くらいではないかな。
それでは駆逐棲姫が先にくたばってしまいます!
それは私の責任ではない。君たちが何とかしたまえ。
汽笛の音が響き目を覚ました。巡視船の出航準備が完了した合図だ。軽いのに重い体を起こす。ゆっくりと海面を進み、荷物である輸送船から垂れ下がっているロープを掴んだ。この日もまた少女たちの一日が始まる。深夜零時三十分、第十六特別輸送船団は静かに任務を開始した。
どうしてこんなことに……。幾たび目かの疑問が浮かび上がっては消えてゆく。
灯火管制が敷かれて明かりを消した船団は、一団を囲む巡視船に従い、真っ暗な闇の中をひたすら真っ直ぐ進んだ。その先にあるのは終わりなき苦痛だと、少女はよく分かっていた。
果てしなく続くあの闇の中へ、このまま溶けていってしまいたい。しかしその願いは叶わないだろう。少女が地獄から解放される日はおそらく来ない。死に瀕してなお、人間は彼女を強引に生き返らせて地獄に放り込むだろう。いつまでも、いつまでも使い続け、その価値が使い潰された時、ようやく少女は死の安息を迎えられるのだ。
どうしてこんなことに……。それは彼女が、少女が、駆逐棲姫が、深海棲艦が人間ではないからだ。人の姿をし、人の言葉を理解し、人と同じ感情を持っていても、それでも彼女らは人ではなかった。では深海棲艦は自らを人間だと思っていたのだろうか。答えは否だ。ならば人間は深海棲艦を人間扱いしないことに問題はないのか。同じ人間ではないからという理由で、このような不条理は正当化されうるのか。
深海棲艦は海に生まれ海に死ぬ。では何のため生まれ、何のため死ぬのか。どうして戦い、どうしてこんなことになってしまったのか。いくら考えても答えは永遠に見つからないだろう。何故ならば、その答えは人間すらもわからないからだ。
『生きる』という事象は、何物にも解き得ない、究極の問いなのだ。まさしく神のみぞ知るといったところか。そしてその神様とやらに会ったことのある人間は存在しない。つまりは、永久に謎のままなのだ。だからこそ、『生きる』ことの意味を探して生きていくのだ。それは人間も深海棲艦も同じ事のはずだ。あとはそのことに、二つの生物が同じ方向を向いているということに、いつ気が付けるかというだけだった。悲しいことに、このいたいけな少女の生が終わるまでには間に合わないだろう。今はただ、この少女に奇跡の救いが差し伸べられることを祈ることしかできなかった……。
ぼやける視界、それが僅かに明かりを帯びていく。雲間から顔を出した月が宵闇色に染まる水面を照らしていった。見上げるとそこには、大きな、大きな満月があった。まるで少女に微笑みかけているようだった。
嗚呼、月が……つきが、きれい。
その光は、少女が最後に見た希望の光だった。手を伸ばしても決して届くことのない、少女の絶望を遠くから見つめるだけの、暖かくも残酷な光だった。
お題の使い方ってこれであってるのかな。
まずはこれを読んで気を悪くされた方がいらっしゃいましたら本当にごめんなさい。前書きに書いておこうかとも思いましたが、読み始める前からネガティブなこと書かれたら誰だって読む気失せちゃうんじゃないかなあと思いまして……。これも言い訳ですね。重ね重ねお見苦しいところをお見せして申し訳ないです。
あまり気持ちの良いお話ではないのですが、こういうお話書きたかったんです。順を追って説明すると、「オリョクルはブラック鎮守府の代名詞」と聞いたので、「じゃあ艦娘にやらせなければ良いんじゃね?」となり、「ちょうどいくらでも湧いてくる深海棲艦がいるじゃないか」という感じでぼんやりと想像していたところにこのお題があったので、ついつい飛びついてしまいました。どこを取っても二番煎じどころの話じゃないでしょうけど。
始まりから終わりまで山なし落ちなし意味なし、自己満足の塊みたいな作品になってしまいましたが、忌憚なきご意見をお待ちしております。
※5月1日誤字の修正をしました。
随筆というかエッセイというか。
設定や情景が浮かびやすく、かつ物語が滑らかに展開されていったんで読んでて飽きはこなかったです。
敵か味方か、人間か艦娘か深海棲艦か、詳しくは知りませんがどちらも不幸は存在する世界は続いている。そういう考えが浮かぶ作品でした。