勇者の旅立ち その1
それは僕が12歳の誕生日を迎えた暑い季節。
孤児院でシスターや友達のみんなが誕生日会をしてくれた後だったかな?
協会に鎧を着た兵士さんが二人やってきたんだ。
こうやって書くと、物々しい雰囲気だと思うかもしれない。
実際はいつもお城の入り口に立っている兵士さん達だから、顔なじみなんだけどね。
「よぉ坊主。元気してるか」
一人の兵士さんが僕に声を掛けてくれるのと同時に、もう一人の兵士さんが僕の髪をくしゃくしゃに撫でる。
「元気だよ!おじさんも誕生日会に来てくれたの?」
「まだおじさんじゃねぇから。お兄さんだお兄さん。そうか・・・坊主もいよいよ12になったのかーー」
お兄さんの喋り方はいつも通りなのに、どこか寂しそうな目をしていた。
何かあったのかな?僕が聞く前に、シスターがタオルで手を拭きながら台所からやってくる。
「・・・」
でもシスターの表情も、お兄さんと同じだった。
少し悲しそうな目。
誕生日会の時は・・・ううん、数分前に洗い物をしている時は、いつも通りに笑顔を見せてくれていたのに、どうしてか今は笑っていない。
それどころか、シスターはお兄さん達に怒ってすらいるみたいだった。
「っ――!」
「すまないシスター。時間だ」
「納得・・・納得できません。まだこの子は子供なんですよ?」
「そうだ子供だ。だが坊主が俺達の希望に一番近いのは事実だろう」
お兄さんが言うと、シスターは顔を俯かせてしまう。
泣いているの?
初めて見せられたシスターの涙に、僕はおろおろすることしかできなかった。
身寄りのない僕らを一生懸命に育ててくれたシスターの涙。
いつも笑顔が優しかったシスターの涙。
みんなのお母さん変わりをしてくれたシスターを泣かす人なんて、許せる訳がない。
でも泣かせているお兄さんは、いつも僕ら孤児にお菓子をくれたり、遊んでくれるお兄さん達だった。
「王がお前を呼んでいる」
・SSを書くの自体が初めてです。書き方や投稿の仕方が間違っているかもしれません。
・公開した状態で物語を更新をするたびに「新作SS」に上がっているかもしれません。悪意や閲覧数を稼ぐためでは決してありませんので悪しからず。
・誤字脱字は大目にみてやって下さると助かります。
・矛盾などがあったらごめんなさい。
・他にも注意事項はありますが、言っているときりが無いので、寛大な心で閲覧して下さい。
・ついでにえっちな表現ありです。
・それではどうぞ。
勇者「さむい・・・。やっぱり野宿なんかするんじゃなかった」
少年が故郷の王から勇者に任命されて早一ヶ月。誰に言うわけでもなく、初めての野宿に勇者は後悔をしていた。
勇者「焚き火消えてる・・・」
平野は森や山といった野性味溢れる地帯に比べればまだ魔物の出現率が低い。
理由は外敵から隠れる場所が少ないからである。
だがそれはあくまで昼時の話。
勇者「先を急ぎすぎたかな・・・」
勇者が寂しさを紛らわすために一人で喋ってみるが、無論誰も勇者の問いには答えない。
平野に聞こえるのは秋の虫声だけだった。
勇者「・・・」
なんでこんなに寂しい思いをしなくちゃいけないんだ。
なんで僕が魔王討伐なんてさせられないといけないんだ。
何度も何度も繰り返した疑問が、今日も勇者の頭を横切る。
そもそも会ったこともない父が、元勇者だと聞かされたのが一ヶ月前。なのに聞かされたと思ったら、形見の剣と路銀を渡され旅に出させられた。
あんまりだ。
勇者「はぁ・・・」
空を見上れば満面の星空。
勇者「火をつけないと・・・」
勇者が枝を重ねて火をつけようとする。その時遠くの夜空に二つの人影が見えた。
勇者「っ!」
空に人影があると言う時点で、それらが人間ではない意味を成している。
勇者は枕がわりにしていた道具入れと形見の剣を掴むと駆け出した。
勇者「ど、どこかに隠れないと!」
慌てて辺りを見渡すが、ここは村と町の丁度中間にある平野。
建物はない。
右を見て、左を見て、急いで駆け出した勇者は近場に見えた雑木林へと身を投げ入れる。
伏せて隠れた勇者が息を整えようと精神を集中させた。
息よ止まれ。落ち着けと。
そして考える。
どうしてこんな所に人型の魔物が飛んでいるのかと。
強く脈打つ勇者の心臓。
自分にしか聞こえていない鼓動だが、辺りにも響いているんじゃないかと錯覚してしまう。
人型魔物。
人型は魔物の中でも知能が高く、手先も器用。そして魔力、筋力共に秀でた上級の魔物と呼ばれている。
勇者が焦るのも無理はない。
前に立ち寄った町では、ここらに人型が出るなんて話はなかったからである。
そもそも、ここらには魔物すらまともにいないと聞いていた。だからこそ野宿をしていたのだ。
自分が束になっても勝てない上級魔物が出るのならば、ハナから野宿なんてしていない。
お願いだから静かにして。
勇者が涙目で乞うように、自分の鼓動に願う。
二匹の上級魔物に遭遇するくらいなら、何分か止まってくれたって構わない。
呼吸を殺し、動作を殺しては、こちらへ飛んでくる二匹の魔物に気付かれるなと願う勇者。
しかし影になっていた魔物達は、勇者の願いも虚しく野宿の跡地に降りる。
?「おやおや、焚き火の後だよ」
?「そうねぇ」
近付かれ、更に高鳴ろうとする鼓動を抑えながら、降りてきた魔物らに目を向ける勇者。
途端「っ――!」と息を飲む。
月明かりに照らされる人型の背には、魔法で作られた羽が生えていた。
蝙蝠の羽にも似た物だが、それぞれ形状や模様が別だった。
模様から察するに、二人は人型の中でも特に危険度の高い魔物だ。
勇者が魔物図鑑を読んだ時の挿し絵を思い出す。
あの模様は確か――。
サキュバス「なーんだ誰もいないじゃん。人間がいると思ってたのに残念」
吸血鬼「こんな開け広げた平野で誰が野営なんかするのよ・・・」
サキュバス「ちょっとは期待してたくせに」
吸血鬼「まぁ・・・でも少しよ?私も最近血が足りていないからね」
サキュバス「・・・飲む方だよね?」
吸血鬼「他に何があるのよ?」
サキュバス「鉄分かなーって」
サキュバス。
人の精を嗜好とする魔物。
別名吸精鬼とも呼ばれる。
吸血鬼。
人の血液を嗜好とする魔物。
別名ヴァンパイアと呼ばれる。
魔物の中でも特に力のある者だと、図鑑には書かれていた。
伝承によれば、各々一人が国の衛兵らを皆殺しにした記録すら残っているらしい。
吸血鬼「遅くなるから早く行きましょうよ」
サキュバス「はぁ・・・残念。精液にありつけると思ってたのにな・・・」
吸血鬼「精液ねぇーー」
何処か憂いを含んだ言い方を見せる吸血鬼を尻目に、サキュバスは一人盛り上がりを見せた。
サキュバス「そう精液!嫌がる男を組み敷いツルンと!」
吸血鬼「うどんじゃないんだから」
サキュバス「白いんだから似たようなモノだってー。吸血鬼はどうすんの人間見つけたら」
吸血鬼「私?私は・・・。そうね良いわね・・・私も無理矢理やっちゃおうかしら?」
サキュバス「え?催眠とか無しで血を吸うってこと?」
吸血鬼「たまには良いじゃない?逃げ惑う人間を追い詰めてこう・・・がぶっ」
サキュバス「いいね〜。いっそ吸血鬼が血を飲みながら私が精液を飲むとかどう?妄想だけで昂ぶるわー!」
物騒な話を楽しげにする魔物らではあるが、聞かされている勇者は気が気でない。
抑えようとも収まらない鼓動。加えて、体まで震えてくる始末。
目いっぱいの涙を浮かべて神に祈る子供の姿を見て、誰が彼を勇者だと気付くだろう。
吸血鬼「なんて・・・バカ言っていないで、そろそろ帰るわよ」
サキュバス「へーへーかしこまりましたよ〜」
やっといなくなるのか?
一秒が一時間に思える程の苦痛な時間から間も無く解放されようとしている。
だが安堵してしまった勇者が、ここの場面において最も愚かな行動をしてしまう。
勇者「・・・すん」
無意識に鼻啜りを聞かせてしまう勇者。
と同時に、背を向けて飛び上がっていた二人の体が動きを止めた。
勇者が後悔した頃には、すでに手遅れだろう。
彼女達は魔物である。
それも夜を得意とす魔物。
気配や物音が皆無なら露しれず、小さな音を聞き逃すような愚者ではない。
サキュバス「・・・」
吸血鬼「・・・」
ゆらりと振り返る四つの瞳。
サキュバス「おやおや」
吸血鬼「・・・本当に?」
しばしの沈黙を皮切りに、走り出したのは勇者だった。
振り返ることも考えることもやめて、全速力で走り出す。
向かうは先にある森。
命の限りに走った。
道具袋さえ捨て、亡き父の剣だけを抱えて。
サキュバス「あはははは!」
吸血鬼「まっ、待ちなさい!」
反射して魔物達まで空を翔ける。
勇者が一瞬だけ振り向くと、闇に浮かぶのは吸血鬼の紅い瞳と、サキュバスの金色の瞳だった。
殺される。
否、殺されてなるものか。
この人生は魔物の糧になるための人生なんかじゃない。
先に翔けていた吸血鬼の手が、残り数メートルで勇者の襟を掴もうとした矢先、寸前の所で勇者は森に辿り着いた。
更に勇者にとっての幸運は続く。
森は木々の感覚が狭いため、魔物が羽を広げて翔ける事ができなかった。
吸血鬼「ちぃっ・・・!」
サキュバス「走るよ!」
吸血鬼「えぇ」
羽を仕舞った二人が着地と同時に走り出す。
翔ける速さと駆ける速さに大きな差が生まれないのは、二人の身体力の高さゆえだろう。
風を切り走り続ける勇者。
追跡する魔物たち。
サキュバス「ほーら早く逃げないとお姉さん達が食べちゃうぞ〜!」
吸血鬼「ちょ、ちょっとやめなさいよあんな子供を脅かすの!泣いているのよ!?」
サキュバス「え?マジで・・・?」
バツが悪そうに表情を曇らせるサキュバスを尻目に、吸血鬼は森を駆ける。
しかし魔物達が力の限り全力で駆ける必要はなかった。
何故なら勇者は立ち往生していたからである。
勇者「なっ・・・!?」
勇者の眼前に広がるのは仄暗い湖。
夜中のせいで深さまでは測れない。
絶望の淵に立たされた勇者が大きく目を見開いて、後ろから迫る魔物らに振り返る。
振り返れば、歩み足に切り替えた魔物らが、色濃い眼を勇者に向けていた。
お父さん・・・!
大粒の涙を見せながら父の形見を胸に抱く勇者。
サキュバス「さ〜て。もう逃げられないぞ〜?」
吸血鬼「だからやめなさいって・・・。ほら、貴方も危ないからそんな所にいないでこっち来なさい」
勇者「っぐ。ひっく・・・お父さん!」
刹那ドボンと大きな水しぶきをあげる水面。跳ね上げられた水滴が月光に反射してキラキラと夜空に舞う。
サキュバス「なっーー!?」
サキュバスの表情から笑顔が消える。
彼女は語るより早く、湖へと飛び込んだ勇者に向かって走り出した。
が、サキュバス以上の速さで勇者へと向かい、躊躇いもなく湖に飛び込んだのは吸血鬼だった。
勇者「・・・ぷはっ!?」
サキュバス「ほ、ほらこっち!私の手に掴まって!」
意識を失う寸前で吸血鬼に助けられた勇者が、藁をも掴む思いでサキュバスの手を掴んだ。
「よいしょ!」と陸地に持ち上げられ難を逃れた勇者に続いて、潜っていた吸血鬼が水面から顔を出す。
吸血鬼「意識は!?」
サキュバス「大丈夫っぽそう」
吸血鬼「そ、そう・・・。良かった・・・」
二人がホッと胸を下ろしたのも束の間。剣を傍らに、四つん這いで咳き込んでいた勇者から嗚咽が零れ出した。
勇者「っぐ・・・うぇえ〜」
子供の泣き様に狼狽えるのは、なにも人間だけではない。
吸血鬼「ど、どこか痛いのかしら?それとも苦しいの?」
吸血鬼が慌てた様子で勇者に近付き、ひょいと立ち上がらせてやる。しかし勇者は泣き止まない。
最強クラスの魔物らに捕食されようとしている。そんな現実は子供の勇者にとって、余りに過酷な試練と言えた。
勇者「食べないで下さい・・・やだよー!」
勇者の台詞を聞いてハッと気付くサキュバスと、どうすれば良いか分からないまま狼狽する吸血鬼。
サキュバス「あー、さっきのだ。その子さっきの会話聞いてたんでしょ」
吸血鬼「さっきの!?どれよ!?」
サキュバス「ほら人間を襲う襲わないって話してたじゃん私達・・・。聞かれてたからそんなに泣いてるんじゃない?」
サキュバスに遅れて吸血鬼がハッと気付く。
吸血鬼は堰を切って泣く勇者を抱き締めて言った。
吸血鬼「冗談なのよあれは!あれは冗談!だから泣かないで!」
サキュバス「や、私はそんなに冗談でも・・・」
勇者が助かった安堵からか、再び軽口を叩こうとしだすサキュバス。
そんなサキュバスに、吸血鬼が睨みをきかせる。
目元の釣り上がった紅蓮の眼光で睨み付けられたサキュバスが軽い悲鳴をあげた。
サキュバス「そう、そう冗談なんだよ冗談。あはは・・・。てか吸血鬼ばっかりずるいし!」
吸血鬼「ずるいって貴女ねぇ――!」
言うや否や、サキュバスが吸血鬼から勇者を引き離して抱っこしてやる。
サキュバス「ほーら高い高い!」
サキュバスに両脇腹を掴まれて高く持ち上げられる勇者。
そんなもので喜ぶ年齢ではないが、勇者は目を丸くさせたまま、サキュバスの好きにされてしまう。
勇者を抱えたままその場でくるくると回るサキュバスの姿は、赤子をあやす大人と大差ないだろう。
回される勇者は勇者で、意味がわからずにいた。
本当は身投げした時点で死んでいたのか?とすら思った程だ。
夢であるほうが、余程現実らしい。
魔物に抱っこされて宙を回るよりよっぽど。
サキュバス「・・・泣き止んだ?」
ひとしきり回り終えたサキュバスが、静かに勇者を下ろす。
すると勇者の後ろから吸血鬼の手が伸ばされ、勇者の服を掴んだ。
吸血鬼「・・・少し目を閉じていてね」
微笑む吸血鬼に言われるがまま目を閉じると、強い風が勇者を囲み込んだ。
見開くことすらできない風。
暖かい暴風の魔法が勇者を包む。
風が徐々に弱まり吸血鬼が「はい、できた」と言い終わる頃には、全身濡れていた服は綺麗に乾いていた。
勇者「えっと、その・・・」
吸血鬼「本当にごめんなさい。からかいすぎたみたいね」
勇者「たっ、食べませんか?」
吸血鬼「へっ!?うゃ、安心して。危害は加えないから」
サキュバス「まーた吸血鬼は見栄はって・・・。超美味しかったらどうするつもりさ?てか絶対に美味しいよ」
吸血鬼「うぅ・・・でもこんないたいけな子供に無理矢理だなんて・・・」
サキュバス「無理矢理じゃなきゃいいんでしょう。ねぇキミ名前は?」
勇者「僕は・・・勇者です・・・」
吸血鬼「勇者・・・」
サキュバス「じゃあ勇者くん。絶対に痛い事はしないからさ、お姉さん達にキミの、キミ・・・。はて、勇者?」
宝石のように鮮やかな魔物らの目が更に見開かれる。
元来純真無垢な性格だからなのか、それともシスターに育てられたからなのか、名乗りを行った勇者には、どうして二人が自分を見ているのかわからない。
時間にして数秒が経った頃になり、やっと勇者は己の失言に気付く。
勇者「ちがうんです!僕は街から旅に出ていて・・・その・・・!」
取り繕うものなど、はなから存在しない。
何せ自分で勇者と名乗りをあげたのだ。それも魔物二人に向かって。
焦れば焦るだけ言い訳が浮かばず、落ち着きを無くす勇者。
吸血鬼「きみ・・・本当に勇者?」
生まれつき鋭い目つきなのか、それとも今が真剣なのか。吸血鬼に一瞥されて勇者は俯いてしまう。
サキュバス「ってことはあれだ。やっぱうちの魔王様を倒す予定な感じの勇者だ?」
勇者「・・・」
サキュバス「・・・ん?どうなの?」
勇者「・・・」
吸血鬼「ちょっとサキュバス・・・。あんまりイジメちゃだめよ」
サキュバス「え!?虐めてないよ!なんなのさ吸血鬼はさっきから・・・勇者のおばーちゃんか!」
吸血鬼「じゃあサキュバスがお母さんかしら?」
サキュバス「いやいや。勇者にはちゃんとお母さんいるし!」
サキュバスに当たり前のように鼻で笑われた時、勇者の胸にチクリと痛みが走る。
勇者「あの・・・僕そろそろ・・・」
サキュバス「え?あぁ、ごめん。それで何だっけ?魔王様?」
勇者「旅を――」
サキュバス「連れていってあげる」
勇者「えっ?」
驚いたのは勇者だけではなく、吸血鬼もだった。
勇者と魔王と言えば、世界の誰もが知る憎しみ合う関係に他ならない。
正義を求める勇者。破壊を求める魔王。
先代の勇者達が行った功績は、今でも絵本や童話で語り継がれている。
それをもってなお、サキュバスがもう一度勇者に聞く。
サキュバス「どうせ最後は魔王様の所に行くんでしょう?今でも変わらないんじゃない?」
吸血鬼「サキュバス・・・正気なの貴女」
サキュバス「え・・・?おかしい私?」
吸血鬼「いえ・・・本当に勇者だって言う確証もないのよ?違っていたらどうするつもり?」
サキュバス「そのうち私らとも戦うハメになるんだし良いじゃん。どうする勇者?」
どうするもこうするもあった話ではないだろう。
勇者は勇者として動き出して一月しか迎えていないのだ。
戦いのスキルも、冒険者の持つ心得すらもまともに得ていない。
そんな勇者が魔王に会って、何になると言うのか。
勇者「ぼ、僕には――」
サキュバス「まぁもし断ったら、ここでキミを殺しちゃうけどね」
勇者「むぇ――?」
サキュバス「だってきみ・・・敵なんでしょう?私達からすれば憎き勇者・・・言わば捕虜だよ。本当は味見したいところだけれど、先に魔王様にお目通しをしないとさぁ」
サキュバスの瞳には獲物を見るかのような妖艶さが色濃く見え隠れしていた。
やっと緊張から解放されたと思った矢先だ。
勇者が涙を溜めるのも無理はない。
勇者「っ――!」
だが疎外感を持っていた勇者に助け舟を出したのが、意外なことに吸血鬼である。
吸血鬼は嗚咽を零しはじめる勇者を正面から抱き締め、頭を撫でながら持ち上げた。
吸血鬼「ほらまた虐めて!大丈夫よ勇者。私があの変態女から守ってあげるから」
サキュバス「ちょ〜!ちょっ、あんた何甘やかしてんのホント!ずるいよそうやってポイント稼いでさぁ!」
吸血鬼「だって・・・」
サキュバス「だっても何もないでしょう!?私だって勇者のこと抱っこしたいのに!」
吸血鬼「それなら虐めなきゃいいじゃない・・・。嫌われるわよ?」
サキュバス「はぁ!?嫌われないし!ちゃんと言うこと言ったら甘やかすし!そもそも、こう言うの私の役割りじゃなくない!?」
吸血鬼「あらやだ。勇者に嫌われるなんて、私はご免だわ」
サキュバス「こちとら御免こうむるわ!でも勇者と魔物なんだから、その辺しっかりさせとかないとダメでしょ」
吸血鬼「まぁ、それはそうなんだけれど・・・ね」
ハァと一息吐いて、吸血鬼が抱っこしている勇者の顔を見る。
吸血鬼「魔王様は心が広いから、余程の事が無い限り・・・ん?」
違和感を覚えた吸血鬼が、勇者を撫でるのをそのままに、静かに顔を覗き込む。
勇者「すーっ・・・すーっ・・・」
サキュバス「え?寝てるの?」
吸血鬼「あら本当」
サキュバス「凄いなこの子は。普通寝るかね敵の手中で」
吸血鬼「敵じゃないわよ。それに夜中だから仕方がないわ」
サキュバス「・・・いいなぁ。ねぇ、運ぶの私にやらせてよ」
吸血鬼「嫌よ。こんなに気持ちよさそうに寝ているんですもの」
サキュバス「お願い吸血鬼・・・」
吸血鬼「・・・。落とさないようにしなさいよ。ちゃんと揺らさないで飛びなさいね」
極力勇者を揺らさないように、サキュバスへと渡してやる吸血鬼。
落ち込んでいたサキュバスがパッと花咲く笑顔を見せる。
揺らさないように、起こさないように慎重に勇者を抱っこしたサキュバスが満面の笑みで勇者に頬ずりをした。
サキュバス「へへへ。この子あったかい」
・・・。
・・。
・。
小鳥の鳴き声が聞こえた。
協会にいた時の朝と変わらない音。
街はまだ動き出していないらしい。動き出す喧騒が聞こえてこなかった。
寝ぼけた思考の勇者が布団を抱きしめる。
シスターが起こしに来ないってことは、まだ八時じゃないらしい。
勇者「んー」
ふと勇者の鼻腔をくすぐるは、朝食の匂い。
今日の朝食はシチューらしい。勇者の大好きな食べ物だ。
まどろむ勇者が体をくねらせている時、ベッドにシスターが腰掛けた。
シスターが優しい手つきで後ろ髪を撫でてくれる。
本当は起きていたんだけれど、勇者はわざと起きないでシスターに髪を撫でられ続けていた。
いつもの日課と、始まりの挨拶。
シスターは五回なでると、勇者に声をかける。
「おはよう勇者。そろそろ起きなさい・・・」
って。
でも今日のシスターは違った。
声をかけられないまま、撫でられ続ける勇者。
勇者としては、髪を撫でてもらうのに何の不満もないから寝たふりは続けてゆく。
優しく、愛おしそうに、丁寧に髪を撫でられていた勇者も、次第に思考が起き始めていた。
最初に違和感を覚えたのは嗅覚だった。
顔を埋める枕からは花のような匂いがした。
次に違和感があったのが感覚。
愛用の枕はこんなに大きくもないし、ベットだってこんなに柔らかくない。
続いて記憶。
そもそも僕は昨日――。
呼び起こされる記憶を頼りに、勇者が恐る恐る顔を持ち上げる。
?「おはよう。良く眠れた?」
自分がまだ寝ぼけているのか、と思いながらも勇者は目をこする。
眠い目をこすっては逆光になっている彼女の表情を伺うが、やはり立っている女性は勇者の知らない人だった。
勇者「サキュバス・・・さん?」
?「ぶー」
勇者「じゃあ、吸血鬼さん?」
?「ぶぶー」
おかしそうに笑う女性は、どこかシスターを思い出させた。
しかし同時に、サキュバスにも似た子供のような笑みも見せる女性。
彼女の瞳は人間の色とは違う、透き通った水色をしている。
?「顔を洗っておいで」
勇者「う、うん・・・」
?「連れていってあげる」
勇者「うん」
ベットから起き上がろうとした時、勇者は女性によって抱っこで持ち上げられ立たされてしまった。
軽々と勇者を持ち上げる力を見る限り、思った通りこの人も魔物らしい。
勇者が訳もわからないまま洗面台で顔を洗い、鏡に映る自分を見る。
服も顔も汚れていた。
勇者「あの・・・」
?「うん?どうしたのかな?」
勇者「お布団汚してごめんなさい・・・」
寝ていたからこそわかる。
あのベッドはかなりの高級品だろうと。
そんなベッドに全身汚れたまま寝ていたのだから、布団やシーツは大変なことになっているだろう。
悲しげに謝る勇者だが、女性はきょとんと目を丸くしている。
それもすぐに終わり、再度優しく笑んだ女性は勇者の頭を撫でた。
?「どうして謝るの?そんなの全然謝らなくていいのよ」
勇者「ほんと・・・ですか?」
?「えぇもちろん。あ、そうだ。朝ごはんを食べたらお風呂にいこうか」
勇者「はい!」
張りつめていた緊張もほぐれて勇者のお腹が小さく鳴った。
優しく笑う女性は、もう一度勇者を撫で抱き締めるとテーブルへと向かう。
そうして朝ごはんを食べながらも、勇者は女性と様々な言葉を紡いだ。
旅の話。
故郷の話。
昨日の話。
途中何度か女性に口元を拭かれたりもしながら、勇者は美味しい朝食に舌鼓を打つ。
女性が誰なのかは分からなかったが、勇者はお構いなく喋っていた。
一方的に楽しそうに喋る勇者を見て、女性もまた優しい笑みを返すのだった。
食べ終わった後、女性がテーブルに置かれたベルを手にした。
リンと鳴らせば部屋の入り口を開け、メイドがやってくる。
ヘッドドレスを着けた女性がテーブルの皿を片付け出て行くのを傍観する勇者。
勇者は目を煌めかせながら女性に問う。
勇者「お姉さんは偉い人ですか?」
?「そうよ〜。お姉さんはなかなか凄いんだからね。ふふっ。」
勇者「はぁー・・・僕メイドさんなんてほとんど見たことないです。町で買い物をしているのは見たことあるけど」
?「彼女たちのお陰で、色々と助かるんだよ」
言いながらも女性が再びベルを鳴らす。
リン、と。
すると次に現れる別のメイド。手にはタオルや服などが持たれていた。
?「さぁ、お風呂に行きましょうか。一応きみの服も用意したけど・・・サイズが合わなかったらごめんなさい」
言うが早いか、女性は勇者を抱っこする。
勇者「じ、自分で歩けますよ」
?「いいからいいから」
ころころと楽しそうに笑う女性。
女性に連れられて、部屋に備え付けられた風呂場へと向かう。
抱っこされているせいか女性の後ろを歩くメイドと目が合うが、メイドも女性と同じように微笑みを見せてくれる。
?「私も一緒に入っちゃおうかな」
勇者「で、でも――」
?「いや?」
勇者「い、嫌じゃないですけど恥ずかしいですし・・・」
?「男の子が細かいことを気にしないの」
いたれりつくせりで風呂場へ連れられた勇者の脳裏に一抹の不安がよぎる。
なんでこんなにまでしてもらえるのか?と。
至極当然の疑問だった。
人間が魔物にもてなされる話なんて、ほとんど聞いたことがない。
この女性は何を考えているのか。
しかし、考えようとする勇者なんてお構いなしに、女性が勇者の服を全て脱がしてゆく。
いつしか勇者は考えるのをやめて、羞恥心に彩られてしまっていた。
?「・・・あっ。やっぱり君だけで入って」
勇者「え?」
?「私まだお仕事残っていたんだ」
伏せ目がちに言う女性の台詞が嘘をついている事くらい、子供の勇者でも理解できていた。
女性が勇者の体を目にした矢先の出来事である。別に恥ずかしがっているわけではないらしいが――。
女性に初めて見せられた、少し寂しそうな表情。
ずっと笑っていた女性の初めての変化。
理由がわからない。
少なくとも自分が悪い筈はないのに、勇者はどこか罪悪感のようなものを感じてしまう。
・・・。
・・。
・。
一人の風呂を終えた勇者が、脱衣所の鏡を見ながら考えていた。
女性が見せた表情の意味とは?
勇者がいくら考えたところで、答えなど見つからない。
勇者「あの、お風呂ありがとうござ――!」
敵地の風呂上がりな勇者が、頭にタオルを巻いて出る。
ひとまず女性にお礼でもと考えていたが、そこにいる者らを見て、勇者の僅かなトラウマが刺激を受けた。
サキュバス「やっほー勇者」
吸血鬼「体調はどうかしら。風邪はひいていない?」
サキュバスや吸血鬼と、机をはさんで向かい合う女性。
流石にここまで見せられて夢であってくれ!と願うほど勇者も能天気ではないが、三人の魔物に囲まれて平然とするほど図太い精神でもない。
?「きちんと100まで数えた?」
勇者「えと・・・うん・・・」
?「そう。偉いね」
また微笑む女性。
この表情を見ていると、さっきのは気のせいだったんじゃないかとすら思う。
サキュバス「所で魔王様――」
勇者「ま――」
サキュバス「へ?」
度肝を抜かされる勇者。
それもそのはず。
サキュバスが言い間違っていないのならば、旅の終着点はここである。
魔王「あー言っちゃった・・・」
サキュバス「え?まだ言ってなかったんですか?」
魔王「まぁその・・・タイミングが・・・」
サキュバス「ばらしちゃったじゃないですか・・・」
魔王「良いのよ。どうせ言わなくちゃいけないから」
吸血鬼「あぁそうだ勇者。これを返さないとと思っていたのよ」
魔王とサキュバスの会話を横目に、吸血鬼が勇者へと近づく。
彼女の手には父の形見が持たれていた。
手渡される形見。
しかしどこか様子がおかしい。
勇者「あ、ありがとうございます。ん?これは・・・?」
鞘から引き抜かれた剣を見て、勇者の目が大きくなった。
研ぎ澄まされ、刃こぼれの無くなった剣は眩しい程だった。
見れば柄や鞘なんかも新品同様に磨き抜かれているではないか――。
吸血鬼「感謝なら魔王様にするといいわ。勇者の剣に最高のメンテナンスを施すように言ったのよ」
勇者「魔王さんが?」
見れば魔王は満足げに、右手をひらひらとさせていた。
勇者「ありがとうございます魔王さん!」
魔王「いいのいいの。一緒に池へ飛び込むほど大事な物なんでしょう?」
サキュバス「あれは焦ったね」
吸血鬼「久しぶりに冷や汗かいたわ」
吸血鬼が微笑みながら勇者の頭をポンポンと叩く。
吸血鬼「怖がらせてごめんなさいね」
勇者「こちらこそ・・・。その、助けてもらってありがとうございました」
微笑む勇者。
子供ならではの純白なありがとうを食らった吸血鬼が、僅かにたじろいだ。
あくまで人間と比べた場合の話ではあるが、魔物の人型はどちらかと言えば加虐心が強い。
加えて基本的に心内を露わにしない者も多い。サキュバスのように性を隠さない者も中にはいるが。
そんな人型の吸血鬼が、性を露わに見せていた。
理由は単純である。
相手が一応敵である勇者で、しかも見るからに弱い。
挙句に育ちが教会と言うせいか、魔物の加虐心をそそる塊のような存在だからである。
気付けば吸血鬼は、勇者の両肩を力強く掴んでいた。
勇者「ひぇっ!?」
吸血鬼「ゆ、勇者!血を・・・!」
言い掛けてハッと我に返った吸血鬼。
後頭部に突き刺さるような視線を受けて静かに振り返れば、軽蔑眼なサキュバスと、笑顔ながらも結構怒っているらしい魔王と目が合う。
吸血鬼「ん。ごほん。あーいや、ごめんなさいね。違うのよ。そう、勘違い」
サキュバス「うわ信じらんない・・・」
吸血鬼「なっ――!サキュバスだって今朝、勇者のことを――!裏切るつもりね!?」
サキュバス「私はどっかの魔物と違うから、実行しませんし〜?あーこれ吸血鬼は嫌われたね。勇者を抱っこできないわ。ざーんねん」
吸血鬼「なー!おのれ痴女!」
サキュバス「痴漢吸血鬼に言われたくないですし〜」
へへっ、と軽口を言いながら舌を出すサキュバスではあったが、双方のやり取りを聞いていた魔王がバンと机を叩く。
サキュバスと吸血鬼がビクッと体をわななかせては魔王と向かい合った。
魔王が言う。
あくまで笑顔のままで。
魔王「もう少し大人としての節度もわきまえたらどうなの。子供の前なんだから」
吸血鬼「申し訳ございません・・・」
サキュバス「ごめんなさい・・・」
吸血鬼とサキュバスのバツの悪そうな顔を見て、勇者は魔物も人間もそんなに変わらないんだなと思った。
きっと自分が悪戯をしてシスターに怒られている時も、あんな感じなんだと思う。
サキュバス「所で魔王様・・・勇者の目的はどうするんでしょう?」
居心地の悪さを払拭するためなのは一目瞭然だったが、サキュバスは話題を変えようと試みる。
サキュバス「勇者に討伐されちゃうんですか?」
魔王「討伐?」
聞きながら魔王が勇者に一瞥をやり、ふむと納得な様子。
透き通った眼で見られた勇者は、まるで心臓を鷲掴みにされたかのようなプレッシャーを感じ取った。
吸血鬼「魔王様が置いて行けと言ったから置いて行きましたが・・・彼は勇者です。そして、魔王様をお守りするのが私達側近の役目です」
魔王「側近ってことは・・・貴女達が私の先に勇者と戦うの?」
吸血鬼「必要とあらば。勇者は一応は人間サイドの使いですので・・・。いずれは魔王様に害を為すかもしれませんよ」
魔王「本気で言ってるの?仮に本気なら怒るよ?」
吸血鬼「建前ですよ」
アットホームな雰囲気に飲まれ続けていた勇者ではあったが、やっと自分が置かれた立場を解釈する。
ここは魔王の住む住居で、更にはあの吸血鬼とサキュバスが魔王の側近らしい。
つまりは初めから敵陣ど真ん中である。
赤、金、水色それぞれの瞳を持つ魔物が勇者を見つめる。
咄嗟の判断に身を任せた勇者は、本能のままに鞘から剣を抜いて構えた。
勝てる勝てないの意味はない。
ただ身を守ろうとしただけである。
勇者の戦闘態勢に対峙し、魔物らが見合わせた。
初めは三人が各々何かを言いたげに見合わせていたが、最終的には吸血鬼とサキュバスの二人が魔王に促していた。
魔王「・・・仕方ない」
こほんと咳払いを終えた魔王が、机に置かれていたベルを鳴らす。
間髪入れずに入ってきた見知らぬメイドの手には、魔王本人の丈はあろう大剣が持たされる。
魔王「えっと、マントマント・・・」
メイド「陰干し中です」
魔王「あそう」
じゃあいいやと終えた魔王が、剣を片手に勇者を視線で射抜く。
兜も鎧も纏わず、マントすらもない、ふわふわスリッパの魔王がそこにはいた。
見た目はロングのスカートにセーターを着ているだけの地味な服装。しかし服装と相反する剣は、長さも幅も人知を凌駕する化け物じみた大剣だ。
魔王「こほん・・・。よくきたな勇者よ!ここが貴様の墓場だ!そのはらわた食い千切ってくれるわ!」
サキュバス「それっぽい」
片手に剣を携えたまま歩み出す魔王。
信じられないことに、彼女が一歩進むごとに部屋に地響きが轟く。
勇者「ひっ――!?」
圧倒的すぎる威圧感を前に、構える勇者の剣先が恐怖に震えた。
一歩。また一歩と魔王が近付いてくる。
魔王を切れば帰れる。辛い旅なんて終わるのだ。
何とか己を奮い立たせようと試みる勇者ではあったが、歩みを止めない魔王に思考が掻き消されてしまった。
振り上げられる大剣。
もうダメだ――。
魔王「なんて。ふふ」
勇者「ふぁ・・・?」
大剣を壁に立てかけた魔王が、空いている左腕で勇者を抱き上げた。
涙目のまま震える勇者。
魔王「そんな事をするはずないでしょう」
勇者から堪えていた涙が溢れてしまった。
無様に威圧だけで戦闘を終わらせられた勇者は、魔王の胸に顔を埋めながらも声を出して泣き出す。
魔王「・・・武器は誰かに痛みを与える物よ。誰かを傷付けようとするならば、その誰かに自分も傷付けられると考えなくてはダメ。どうしても立ち向かわなきゃいけない時だけ抜きなさい」
諭す魔王が勇者を強く抱きしめる
勇者「でっ、でも僕は勇者になってこいって、王様がねっ」
魔王の胸から顔を上げては嗚咽を繰り返す勇者。
魔王「私が全ての魔物の心を動かせれば、勇者は傷付かずに済むのにね・・・」
勇者「っぐ。ひっく。できないの?」
魔王「人間にも駄目と言われる事をやる罪人がいるでしょう?」
勇者「いるけど・・・」
魔王「私は魔物の王と呼ばれている。でもね、私が言うことを聞けと命令を出した所で、人を襲う魔物はいるの。私達もあなた達人間と変わらないから」
生まれてこのかた、どの本や話を聞いてもそんな話はきいたことがない。
魔物は絶対悪だと聞かされてきた。魔王が人間を滅ぼそうとしているって。
王様が勇者とは、魔物から世界を救う存在だって言っていた。
なのに――。
勇者が思い描いていた理想郷が崩れ、再び勇者から涙が零れる。
じゃあ魔王を倒したって、何も変わらないじゃないか。
勇者「じゃあ・・・じゃあ僕はどうしたらいいの!?」
勇者としての決心が崩された。
お前が動いた所で意味なんかない。
世界にそんなことを言われた気がした。
魔王「勇者!?」
魔王の手を振りほどいた勇者が走り出す。
剣と鞘だけを持って。
大切な思いを手にして。
・・・。
・・。
・。
勇者が魔王の部屋を飛び出して、どれだけ経っただろう。
力なく床に座り込んでしまった魔王の横に、側近の二人が歩み寄る。
吸血鬼「どうしてあんな話を――」
魔王「勇者・・・私の勇者・・・」
吸血鬼「何も今あのような話をしなくても・・・」
サキュバス「やめなよ吸血鬼・・・じゃああんたなら何て言うよ?」
吸血鬼「そ、それはーー」
サキュバス「世界なんか成り行きに任せて一緒にいて下さいとか言える?魔王がママですよ〜とか言えるわけ?」
吸血鬼「言えないわよ・・・。言えないけれどこんなの・・・やっと会えた親子なのよ?」
憤りにも似た表情で拳と歯を食いしばる吸血鬼を横に、サキュバスも小さな溜息を吐く。
抜け殻のように勇者勇者と呟く魔王は、メイドに立ち上がらされると、ベットへと運ばれて行く。
・・・。
・・。
・。
魔王の部屋から逃げ出した勇者は、魔王城の地下を彷徨っていた。
逃げ出す差中、慌てた様子のメイドや人型の魔物らに出会いはしたが、誰かに咎められたりはしなかった。
ひたすら走った。
勇者がみっともなく泣きながら。
出口もわからないまま宛もなく走り。
走り。走り。
吐きそうになりながらも走り。
汗だくになっても走る。
いつしか人影の少ない場所を求めていた勇者が辿り着いたのが、地下のとある部屋だった。
勇者「・・・」
城のみんなが寝る頃になったら、きちんと出よう。
誰にも見つからないように。
嗚咽をこぼしながらも勇者が更に地下への階段を進む。
僅かに湿った空気を肺に入れ、勇者は進む。
螺旋に造られた石畳の階段をカツンカツンと。
十メートルは歩いた頃だろうか。
一度勇者の歩みが止まった。
螺旋階段はさらに深い闇へと勇者を飲み込もうとする。
怖い・・・。
悲しみを上回る闇への恐ろしさに、勇者は足をすくませていた。
カツン、カツン。
それでも進む。
闇へと進む。
そうして泣きながらどれだけ歩いただろうか。階段の終点についた勇者がポケットをまさぐる。
右。左。後ろの右。
用意された服に着替えていたため不安はあったが、ポケット中身はきちんと移動してくれていたらしい。
ほっと一息ついて、勇者が箱からマッチを取り出す。
とは言え、あくまで見た目がマッチなだけで中身はマジックアイテムだが。
マッチと同じ要領で使用すれば、先端には熱を持たない明かりが数時間灯される。
比較的安価な冒険用アイテムだ。
あたり一帯を照らせるような物ではないが、漆黒の闇よりは遥かにマシだろう。
淡い光で照らされたお陰で、勇者は前にある木製扉の存在に気づく。
誰かいるのか?
ためらいを見せた勇者ではあったが、静かに扉を開ける。
ギギギ・・・と、古びた木の軋む音。
勇者「・・・?」
何の匂いだろう。
部屋一面を覆う甘い匂い。
魔王の枕とはまた違った匂いだ。
どこかに香水でもあるのだろうか?
気になりながらも勇者は中の様子をうかがう。
勇者「誰か・・・いますか?」
淡い光では奥は見えない。
部屋には勇者の声が響く。どうやら人の気配はないらしい。
ふぅと息を吐いた勇者は、追加で三本のマッチを擦った。明るさを増やして部屋へと入って行く勇者。
壁も天井も石造りでできている部屋だった。
ところどころに麻布がかぶせられた荷物の山が見られた。
まるで牢獄にも似たような部屋。
奥へ奥へと進み終わった時、勇者の頭に疑問が浮かぶ。
勇者「シャワー・・・?」
一番奥に取り付けられているのは五本のシャワーノズルだった。
トレーニングルーム?魔物も筋トレをするのか?
しかし一面を見てもトレーニング道具は見られない。あの布の下だろうか?
・・・考えても仕方ない。
勇者は持っていた明かりを、自分を囲むように置き、部屋の中央で膝を抱えて悩むことにした。
そうして一時間、二時間が経ち、三時間後に明かりが消える。
再度灯される魔法の道具。
それも束の間、三時間後に消えてしまう。
悩み続け、五度目に明かりが消えた頃、勇者はお尻を摩りながら立ち上がった。
結局答えなんてみつからないまま。
何も見えなくなってしまった部屋を手探りで歩き、螺旋階段へと戻る。
その時、扉越しにコツンコツンと足音を聞く。
眠気に惚け気味だった勇者の目が見開かれた。
もっと早く出ていればよかったと考えたが、そんなの後の祭りだ。
慌てた勇者が、記憶を頼りに部屋の奥へと戻る。
麻布の小山を思い出した勇者は、すぐに布の中へと潜り込んだ。
隠れていると、勇者が入って来たときと同じように扉が開かれる。
コツン、コツンと、部屋の中央までやってくる足音。
サキュバス「いたー?」
吸血鬼「いないわ・・・。早く出るわよ。いつまでもいたらアテられそう・・・」
サキュバス「えー。私この匂い好きだけどね。吸血鬼は嫌いだっけ?」
吸血鬼「べっ、別に嫌いじゃないわよ。ただ私達にはやることがあるでしょう」
サキュバス「やっぱりもう城から出て行っちゃったのかな・・・勇者あんなに泣いてたし・・・」
吸血鬼「でも入り口の兵は勇者を見てないって言っていたわ。わざわざ窓を開けて出ては行かないだろうし、きっと何処かにいるんじゃないかしら・・・」
サキュバス「そう?てか・・・大丈夫?」
吸血鬼「ふーっ・・・ふーっ・・・」
サキュバス「一回休憩しよ。風でも浴びた方がいいよ。勇者捜索どころじゃないでしょ」
吸血鬼「ふーっ・・・。えぇ・・・」
二人はずっと自分の事を探していたのだろうか。こんな夜中になるまで。
苦しげな吸血鬼の声を聞いて、山に隠れていた勇者が外へと顔を覗かせた。
勇者「あの・・・」
申し訳ない気持ちをいっぱい、罪悪感から勇者が名乗り出た。
背中を向けていた二人がバッと振り返る。昨日にも似たシチュエーションだが、襲われる心配が無い分、今日のほうが安心できる。
と、思っていた。
振り返った吸血鬼の赤い目が歓喜の色を見せる。
振り返ったサキュバスの金色の目は驚愕を見せる。
サキュバス「逃げて勇者!今はダメ!」
勇者「へ?」
勇者が悲鳴にも似たサキュバスの台詞を理解するよりも早い内に、赤の瞳が揺らめいた。
吸血鬼「みつけた」
艶のある吸血鬼の瞳が勇者に近付き、後ろから抱き上げる。
ふふふ、と楽しそうに笑う吸血鬼とは相成って、サキュバスが苦虫を噛み潰したような目つきを見せる。
サキュバス「まずった・・・」
勇者「あの、え?吸血鬼さん?」
吸血鬼「はぁ・・・はぁ・・・」
勇者の首筋に吐き掛けられるのは吸血鬼の吐息。
時折笑いを堪えられない感じが見える吸血鬼の吐息。
サキュバス「勇者・・・どうにか頑張ってしてこっちに来て」
切羽詰まった声色のサキュバスを見る限り、ただごとではない。
勇者は力の限り吸血鬼を振りほどき、急いで入り口近くのサキュバスへと走り出す。
しかし抵抗も虚しく、吸血鬼に後ろから抱き締められてしまう。
それもかなり力強く。
力任せに吸血鬼へと振り向かされる勇者。勇者の瞳には少しの怯えが見えていた。
吸血鬼「サキュバス・・・貴女がこっちに来なさいよ。何をしているの」
サキュバス「まっ、マズイでしょいくらなんでも。吸血鬼こそ・・・冷静になりなって」
吸血鬼「じゃあサキュバスはいらないのね?」
サキュバス「いらないって言うか・・・私は勇者を助け・・・ヤバイ・・・」
吸血鬼「きっと美味しいわよ・・・勇者ですもの。考えただけで身震いするわ」
サキュバス「そ・・・う、だよね?ごめんね勇者」
勇者「えっ・・・」
サキュバスから送られた死刑宣告にも似た台詞。
ギィと入り口の扉が閉められ、勇者の監禁が始まる。
途端に涙目になる勇者ではあるが、怯える勇者の頬に吸血鬼が口付けをする。
サキュバス「お願い怖がらないで勇者・・・。そんなに痛いことなんてしないから・・・。信じて」
深淵に灯るサキュバスの瞳は相変わらず鋭いものの、声色はとても穏やかな色を見せている。
暗闇でも瞳を光らす魔物。
これは確か人間には使えない魔法、夜目だったか。
吸血鬼が勇者の頭を撫でる。
吸血鬼「そうよ勇者・・・。勇者に酷いことなんてするハズがないでしょう?」
後ろでクスクスと、子供のように笑う赤色。
目を細めながらも、楽しげに笑うサキュバス。
勇者「本当・・・ですか?」
吸血鬼「えぇ。本当」
サキュバス「むしろ病み付きになっちゃうよ」
暗闇の世界では自分が何をされているのかすらわからず、痛いことをされないとは言っても、勇者は怯えを隠す事ができない。
勇者「何をするの・・・?」
サキュバス「ん〜?なんだろうね」
勇者「・・・ひあ!?」
サキュバスと見あっているとき、突如勇者の首に生暖かい何かが這う。
好感触とは呼べない感触を受けて勇者が身をよじるが、やはり吸血鬼は逃がしてはくれないようだ。
勇者「や、やだ!首の所に虫・・・んむ――!?」
両頬をサキュバスにしっかりと掴まれたまま声はせき止められる。
笑う金色は先ほどよりもずっと近く、勇者の眼前で灯りをみせる。
サキュバスと粘膜を交わし合う勇者。
勇者はサキュバスに口内を舐められる感触を受け、吸血鬼から首筋を舐められているのだと理解した。
勇者「ん〜!んっ!ん・・・」
初めは抵抗していた。
ほんの数秒。
サキュバスに頭を撫でられ、そして甘えさせられながら抵抗する勇者ではあったが、それも徒労にしかならない。
サキュバスからはまずは上唇を嬲られ、続けて下唇を甘噛みされる。舌を舐められ吸われている内に勇者の頭は抵抗を捨てた。
痺れる頭。求める思考。
勇者「あっ・・・う・・・」
離された口を半開きに、なおも金色を見返す勇者。
サキュバス「ほら気持ち良い」
クスクスと笑う金色は身をよじる勇者をただみつめていた。むず痒そうに身を動かす勇者の言葉に感づき、再び口付けを交わすサキュバス。
そんな矢先吸血鬼に舐められていた首筋から少しの痛みが走る。
勇者「いっ――!?」
サキュバス「大丈夫。大丈夫だよ勇者。痛くない痛くない・・・私に集中して」
勇者の首筋に口付けをした吸血鬼の喉からは、何かを飲み込む音。
一口、二口を味わうたびに、どうしてか吸血鬼の体がピクッと動く。
サキュバス「どう勇者?痛くないでしょ?」
捕食されながらも勇者は気付いてしまう。
吸血鬼に噛まれた傷から全身を巡る熱い血液。
心臓が強く鼓動していた。
勇者はもはや抵抗の術もなく、魔物に弄ばれていた。
勇者「はぁ・・・はぁ・・・!」
息が苦しい。
息苦しくて何とかならないかと身を捩っても、二人は助けてはくれない。
苦しくて苦しくて死んでしまいそうだった。
勇者「サキュバスさん・・・あの・・・サキュバス、さん」
サキュバス「うん・・・。うん。どうしたの勇者?魔物を退治をしようとしている勇者様」
勇者「苦しいんです・・・!」
サキュバス「そう・・・苦しいね。私は知っているよ。勇者がどうすれば良いか知ってる」
勇者「助けて下さい・・・サキュバスさん」
サキュバス「いいよ教えてあげる。勇者は本当に可愛いね」
三たびの口付けを受け、勇者の苦しさが少しだけ緩和された。
それも気休めでしかない。
吸血鬼に突き立てられている内に、すぐ苦しみがやってくる。
ふと、金色が勇者の視界から消えた。
闇の中では衣擦れの音が聞こえ、勇者が下を見れば、そこにいる金色が楽しげに笑っていた。
サキュバス「凄い濡れてるよ勇者・・・子供の癖にこんなに大きくしてやらしいね」
見えない世界。
サキュバスは何に喜んでいるんだろうか。
サキュバス「それに匂いも凄く濃い」
サキュバスが喋っている間も吸血鬼からは毒が注入されてゆく。
考えることをやめさせられる毒。
人から理性を奪う吸血鬼の毒。
勇者「サキュバスさん・・・」
サキュバス「そんな他人行儀な呼び方をするの?」
勇者「お願いです・・・お願いします・・・」
サキュバス「お姉ちゃんにお願いしてみて」
勇者「サキュバス・・・サキュバスお姉ちゃん!お願いしま・・・っあ!?」
勇者を襲ったのは強い快楽だった。
大きく見開かれる勇者の目。
反射的に呼吸が止まり、心臓すらも止まりかけるほどの快楽。
僅か十二歳の勇者を襲うには強すぎる刺激だった。
断続的に続く快楽の波。
サキュバス「んっ!?」
それはまるで魂を引きずりだそうとするほどの快楽。
何が起きているのか、何をされているのか。
それを知る者は、夜目を駆使する魔物だけ。
勇者「あ・・・ぁ・・・!」
言葉にならない言葉を発する勇者は、永遠の快楽に飲み込まれていく。
吸血鬼から入れられる毒。
毒は勇者を通して体を巡り、サキュバスが吸い出して行く。
・・・。
・・。
・。
昨日と同じ匂い。
昨日とは違う目覚め。
目を覚ました勇者が首を横に向ける。
今日は外から鳥の声は聞こえない。
それもそのはず。まだ外は明るんでいないのだから。
勇者「んーっ!」
と伸びをしながら、勇者がベットから立ち上がった。
ベッドの淵に座ったまま、勇者が惚ける。
そうだ・・・お父さんの剣・・・。
唯一と言っても良いほど大切なものを探して辺りを見るが、剣はベッドの棚にきちんと置かれてあった。
勇者「うぅ・・・頭痛い・・・」
意識がはっきりするごとに強くなる頭痛。
ふらふらと立ち上がった勇者が、一度顔を洗うために洗面所へと向かう。
扉の向こうに魔王がいたら、一体どんな顔をすればいいだろう。
しかし勇者が魔王に会うことはなかった。胸を撫で下ろし、そのまま顔を洗う。
鏡に写るのは、故郷の王から勇者と呼ばれている子供。
勇者「ん・・・?」
鏡に違和感を覚え、何だろうかと探す。
考えること数秒、首についた二つの赤い斑点が違和感の原因だった。
寝癖も直さないままの勇者が、虫に刺されたような斑点に指を這わせる。
撫でている内に、勇者の顔が赤く茹で上がった。
自分が何でこの部屋にいるのか?の疑問を思い出した勇者が、顔を赤にさせながらも俯く。
思い出す。
この世の物とは思えない快楽の世界を。
脳内の花畑から戻った勇者はもう一度顔を洗うと、剣を腰に携えて部屋から出る。
今が何時か分からない以上、下手に音をたてるのも迷惑かもしれない。
部屋から出た勇者が静かな廊下を歩き出した。
ところが城内をどれだけ見渡しても、メイドはおろか一人の魔物もいない。
消灯時間とかあるのかな?
歩く足音を更に殺して勇者が進む。
喉がかわいた・・・食堂はあるのだろうか?
お金は普通のお金で大丈夫なのだろうか。
考えながらも財布を確認する。
物々交換とかじゃないよね?
?「勇者?」
名前を呼ばれてそちらを見れば、手を振るサキュバスが小走りで向かって来ようとしていた。
サキュバス「あの勇者・・・。その・・・」
しかし勇者の元へと駆けつけようとしたサキュバスの歩みは寸前のところで躊躇いへと変わる。
走るような、歩くような、よく分からない歩き方を見せるサキュバス。
ぎこちなく動くサキュバスの姿を見せられ勇者が笑う。
サキュバス「その、さ。お・・・怒ってるよね・・・?」
遠慮がちに問うサキュバス。
サキュバスらしい軽口なんてどこ吹く風にしおらしい。
勇者「・・・」
言葉にこそ発しないが、黙ったままの勇者は首を振った。
サキュバス「本当?本当に怒ってない?」
サキュバスはまるで、怒られた子犬のような上目で勇者を見ていた。
この人がアレと同じとは、信じられない変わり様である。
勇者「うん・・・。大丈夫ですよサキュバスさん」
サキュバス「そ、そっか・・・。良かった」
二人に驚かされたのは間違いない。
でもサキュバスも吸血鬼も、約束通り自分を痛めつけたりはしていない。
呑気に言い変えれば、散々気持ち良くしてもらって怒るのも変な話だろう。
サキュバス「勇者すごかったもんね」
イヒッと声を漏らしたサキュバスに目を向けると、彼女の様子にしおらしさの欠片は残っていない。
このザマである。
勇者「恥ずかしいです・・・」
サキュバス「あぁうそうそ。いや嘘じゃないんだけど・・・。でも勇者も悪いんだよ?あんな所にいたんだから」
勇者「あんな所?そう言えば吸血鬼さんも変な様子でしたね」
サキュバス「あそこはー・・・何て言えばいいのかな。私ら魔物が本能を刺激される特別な場所なんだよね。吸血鬼に噛まれたでしょ」
勇者「あー・・・だから檸檬みたいな匂いがしていたんですか」
サキュバス「そっ。城には幾つか似たような部屋があるんだ。あの地下室はいつもなら立ち入り禁止なんだけど・・・私らも勇者を探していたからさ。本当にごめんね」
勇者「本当にもう大丈夫ですよ。そんなに謝らないで下さい」
サキュバス「そっかーー。勇者は優しいね」
サキュバスに髪をくしゃくしゃに撫でられながら、勇者は照れくさい気持ちにさせられた。
サキュバス「ありがとうのついでに頼み事なんだけど、吸血鬼に会ったら慰めてやれないかな」
勇者「うん?それは平気ですけど・・・吸血鬼さんがどうかしたんですか?」
サキュバス「勇者が寝込んでいた二日間、ずっと落ち込んでるから・・・。魔王様にも超怒られたし」
はて二日?
窓の外が暗いのは二人に襲われた日から、かなりの日数寝込んでいたからのようだ。
どうりで喉が渇くわけだ。
勇者「魔王さんから怒られたんですか?」
サキュバス「勇者を襲った場所が場所だったからまだ救われたけどね・・・。割と優しい人だから無視されるのキツイよ」
勇者当人には、なぜ自分が襲われたから魔王が怒るのかは分からない。
相槌のように「そうなんですか」と返しておくが、そもそも勇者は魔王の性格すらよく分かっていなかった。
どこか気の抜けた様子で空返事をする勇者を見て、サキュバスが勇者を思いやる。
サキュバス「本当に体調は大丈夫?」
勇者「ぅえ!?は、はい。平気・・・ですよ?」
サキュバスの顔が上から覗き込むように近付けられ勇者は俯いてしまう。
勇者の脳裏に焼き付けられた被食者としての記憶が紐解かれた。
闇に浮かんでいた妖艶で甘い声の記憶。
二人の魔物に焦らされ弄ばれ、甘やかされていた記憶。
頭に血が上るのがわかった。
体は途端に熱くなり背中に冷や汗までかいてしまう。
サキュバス「ふーん・・・」
勇者の意図を汲み取ったサキュバスが、クスクスと笑い出す。
あの時と同じようでいで、あの時とは違う。
明るみに照らされているせいか、サキュバスの瞳だけではなく、口元までもがニッと持ち上がっているのが見れた。
サキュバス「最低・・・」
勇者「えっ」
サキュバス「だってそうでしょう?きみは魔王を倒して来いって言われた・・・違う?」
台詞とは裏腹に、膝を着いたサキュバスが両手で勇者を抱き締める。
勇者が吐息のように「あっ・・・」と声を零すも、捕食者は目の高さを勇者に合わせたまま彼の心を蝕む。
サキュバス「使命を忘れて色気に塗れるなんて悪い子だね勇者は」
勇者「うぅ・・・僕は――」
サキュバス「悪い子」
勇者「悪い子なんかじゃ――!」
サキュバス「悪い子だよ」
勇者「・・・」
サキュバス「違う?」
勇者「悪い・・・子・・・」
サキュバス「だって思い出しているんでしょう?ほら・・・このかたいのは勇者のモノじゃないの?」
抗うことも許されず、思い返される。
振り切ろうにも、引きずり出される。
金色の瞳。
勇者へと言い聞かすように、刷り込まれてゆくのはサキュバスの誘惑だった。
それも責めるとは呼べないような言い方をする声。
まるで墜ちて行けと言われているようだ。
サキュバス「さぁ逃げなよ勇者」
目を細めたサキュバスが抱き締めていた勇者の拘束を緩める。
彼女には理解できていた。
勇者が逃げられないと。
サキュバスから離れるだけの猶予が与えられるが、勇者は顔を赤くしたまま黙ってしまう。
サキュバス「どうして逃げないの?」
勇者「サキュバス・・・お姉ちゃん・・・」
サキュバス「そうだよ勇者。悪い子・・・。じゃあ・・・逃がさないからね」
少し舌を出して勇者に顔を近付けて行くサキュバス。
応えるように勇者が小さな舌を出した。
心底楽しそうに笑むサキュバスと、自らを差し出す勇者。
?「死ね!」
悲鳴にも近い怒号と共に、勇者の視界から金色が消えた。
変わりに勇者の目に映ったのは何者かのブーツだった。
吸血鬼「戻るのが遅いから来てみれば・・・!あんたなんかに様子を見に行かせるんじゃなかったわよ!この色魔!」
見れば吸血鬼のかかと落としがサキュバスの脳天を直撃したらしい。
夢のような世界から戻された勇者がハッと我に返る。
サキュバス「くそー・・・!時間掛けすぎた・・・!」
吸血鬼のかかとが退かされると、サキュバスは勇者を離して脳天を押さえる。
浴びた風圧と聞こえた衝撃音から考えて、サキュバスが食らった痛みは尋常ではないだろう。
何度も頭上をさするサキュバス。
この程度で済んでいるのは、サキュバスが上級魔物だからだろう。
吸血鬼「魔王様があんなに怒っているのによくもやれたものよ!バカじゃないの!?このバカ!」
サキュバス「ちが――。いや勇者に誘われたんだって!」
吸血鬼「知らないわよ!野良の下級魔物ですらもう少し空気読むわよ!?」
サキュバス「・・・自分だって散々やりまくったくせに・・・」
サキュバスの声が聞こえたのか、それとも聞こえていないのか吸血鬼が勇者を抱っこして顔を覗く。
吸血鬼「大丈夫勇者?」
勇者「は、はい」
吸血鬼「安易にサキュバスなんかに近づいたらダメよ。この種はロクなのがいないんだら」
サキュバス「ひどいよ偏見すぎる!」
吸血鬼「むしろ根絶やしにしたほうが良いかもしれないわ・・・。勇者がヤるなら私も協力してあげるからね」
サキュバス「ちょ・・・ちょっと本気でやめてよ吸血鬼マジで。勇者が本当にやろうとしたらどうすんのさ」
いててと頭上を撫でながら立ち上がるサキュバス。
呑気なサキュバスに、吸血鬼が冷視を送る。
立ち上がったサキュバスは一言「ごめんね〜勇者」と言うと、勇者の頭をぽんぽんと撫でてやった。
勇者「えと・・・おはようございます吸血鬼さん」
吸血鬼「おはようございます勇者・・・。それで体は大丈夫?」
サキュバス「大丈夫じゃ無かったらあんなガチガチの勃――」
ドゴンと。
立ち上がったサキュバスが余計な一言を言っている途中で、吸血鬼の手刀が振り落とされた。
叩き切るがごどくの一撃を脳天に見舞われ、サキュバスは背中を反らせながらも痛みに喘ぐ。
サキュバス「・・・!・・・!」
そんなサキュバスなどお構いなしに吸血鬼が言う。
吸血鬼「それで・・・大丈夫?」
勇者「う、うん。僕は大丈夫です。でも凄く喉が渇いていて・・・」
吸血鬼「それじゃあ食堂に行きましょうか。ほら行くわよサキュバス!」
吸血鬼が転がるサキュバスにキツく言うと、サキュバスは四つん這いで頭をさすりながら「たんま!たんま!」と悶えていた。
・・・。
・・。
・。
先を歩いていたサキュバスが扉を開く。
吸血鬼に抱えらる勇者は少し強張っていた。
緊張気味の勇者を抱っこし直し、吸血鬼が穏やかな声で言う。
吸血鬼「大丈夫よ勇者。ここに貴方の敵はいないわ」
廊下よりも明るめの部屋に、勇者の目が眩んだ。
赤をモチーフに彩られた室内。
食堂と呼ぶよりは、王宮のパーティ会場にも似ているかもしれない。
一つの丸テーブルには椅子が三対ずつ置かれ六人掛けとなっている。
想像以上の豪華な造りに、勇者も圧倒させられた。
まさに城の名に恥じない造りになっていた。
何よりも、部屋の規模に驚かされる。
構えるテーブルは、100を軽く超えているだろう。
勇者「凄い・・・」
見たまま、ありのままの感想を述べては目を輝かせる勇者。
そんな彼の姿は勇者と呼ぶよりは、子供と言う方が適正だろう。
しかし部屋の一面を見渡していた勇者は、息を飲んで黙ってしまう。
勇者へ向けられていたのは、数百ある魔物らの瞳だった。
勇者「・・・」
数多くの魔物から向けられるのは、好機に満ちた目線。
所々のテーブルから聞こえるのは「あの子?」「きたきた」「小柄だね」などの嬉々とした声色。
勇者は辺りを見るのをやめて、吸血鬼にぎゅっと抱きつく。
サキュバス「ほらほら、いちいちこっち見ないで。あんまイジメたら魔王様に言っちゃうからね」
サキュバスの台詞に辺りから生まれる失笑の数々。
少しの間を置いて、魔物達は勇者から視線を外しては各々食事へと戻る。
吸血鬼「どこが良いかしら・・・。あそこが空いているわね」
独り言を言いながら歩き出す吸血鬼に連れられて、勇者とサキュバスは窓際のテーブルへと向かう。
それは少しでも勇者への視線を少なくするための、吸血鬼なりの気遣いだった。
窓側を見るように、入り口に背中を向けて椅子に座らされる勇者。
追って勇者の右手側にサキュバスが腰を降ろす。
吸血鬼「向こう側に行きなさいよ」
サキュバス「やだぷ〜。吸血鬼こそあっち行けば?こっち側に三人もいらないし」
吸血鬼「あ?」
結局、吸血鬼は勇者の左手側に座るだった。
背中にひしひしと伝わる魔物達からの視線。
勇者は少し身震いを見せる。
椅子から立ち上がった吸血鬼とサキュバスが勇者に聞く。
サキュバス「ご飯も食べられる?」
勇者「はい。お願いします」
吸血鬼「飲み物はー・・・果物系でも平気かしら?」
勇者「僕も行きますよ?」
サキュバス「休んでいて良いよ。好き嫌いもない?」
勇者「何でも食べられます。でも・・・そ、その――」
以前魔物の図鑑で読んだ知識を元に、勇者が恐る恐る聞く。
勇者「人の肉とか・・・じゃないですよね?」
サキュバス「あっはっは!あんなの城では出ないから安心しなよ。吸血鬼じゃないんだからさ〜」
吸血鬼「失礼言わないで頂戴。私らだってあんなの食べないわ」
勇者「そうですか。良かった・・・でしたら何でも大丈夫です」
勇者に手を振りながら部屋の奥にいなくなる二人。
部屋の奥にいるのは、数名のコックと、メイド達。勇者が見たことのあるメイドもいた。
どうやらビュッフェ形式らしい。
しばらくして、二人に運ばれてくる数々の料理を口に入れる勇者。
文句無しの美味しさだった。
そうやって三人で料理を食べ終えた後、勇者が苦しくなりながらサキュバスに聞く。
勇者「そういえば・・・うっぷ・・・。魔王さんはどこでしょう?」
サキュバス「食べ過ぎだよ勇者・・・。魔王様に会いたいの?」
勇者「そう言う訳じゃないですけど・・・。ただ気になっただけです」
勇者は会場が静かになった事には気付かない。
満たされたお腹。満たされた渇きを得て、満足げな勇者はすっかり気楽になっていた。
吸血鬼「・・・戦うつもり?」
勇者「・・・」
吸血鬼「倒せる?」
勇者「それは・・・無理です・・・」
吸血鬼「理由は貴方が弱いから?それとも――」
静かに首を振る勇者。
空いた皿を見る勇者は、一体何を思うのか。
勇者「もちろん勝てるなんて思いませんけれど、違います」
吸血鬼「じゃあどうして?」
勇者「・・・どうしてでしょう。僕は・・・どれだけ強くても、きっと魔王さんは斬れません」
吸血鬼「そう・・・。私達からしたら有難い話ね」
勇者「でも魔王さんと戦うってことは、吸血鬼さんやサキュバスさんとも戦うんですよね?じゃあやっぱり無理ですよ」
へへ、と苦笑いする勇者を目の当たりに、吸血鬼とサキュバスの加虐心がくすぶった。
どれだけ私達にイジメさせたいのかと。
魔物特有である。
サキュバス「ほんと可愛いねこの子」
吸血鬼「えぇ。本当に」
ちなみに聞き耳を立てていた他の魔物らからも、ちらほら生唾を飲むような音が聞こえたのは余談である。
勇者「僕・・・一度故郷に帰ります」
サキュバス「え・・・何で?どうして?そんな悲しいこと言わないでよ勇者・・・」
勇者「悲しい、ですか?」
サキュバス「悲しいよ・・・。ダメだよ折角会えたのに・・・!」
椅子を蹴って立ち上がるサキュバス。
見上げるのは勇者と吸血鬼。
勇者「サキュバスさん・・・?」
吸血鬼「落ち着きなさいよ」
サキュバス「落ち着けないでしょこんなの!?」
吸血鬼に掴まれた腕を振りほどいて、サキュバスが勇者を睨む。
怒りと恨みのような負。
敵意にも似た感情を見せられ、勇者が困惑する。
産まれて初めて人型から向けらる敵意のような何か。与えて来る相手が、まさかのサキュバスだった。
サキュバス「どうせ・・・どうせいつか魔王様に害するために来るんでしょう?」
勇者「そんな事――!」
サキュバス「じゃあ、もう来ないんだ?」
勇者「・・・そうですね・・・」
サキュバス「信じらんない・・・。どちらにせよ許せないもんそんなの。いっそのこと私の奴隷にでもなる?気持ち良いの好きでしょ?」
吸血鬼「サキュバス!」
サキュバスが勇者の手を掴もうとした時、食堂に乾いた破裂音が鳴る。
吸血鬼に頬を叩かれ、押さえるサキュバス。
しばらくの静寂。
固唾を飲む勇者と、他の魔物達。
吸血鬼「・・・」
サキュバス「・・・」
吸血鬼「あなた自分が何を言っているのか理解している?」
サキュバス「・・・」
吸血鬼「サキュバス!」
サキュバス「はは・・・もういいや。興醒めだわ」
両手を肩まで上げて降伏の姿勢を見せるサキュバス。
つまらなそうに、面倒そうに、気だるそうに。
勇者と吸血鬼に背を見せながら歩き出すサキュバスではあったが――。
サキュバス「なんて・・・ね!」
振り向きざまに動いたサキュバスの手の平が、吸血鬼の胸元へと付けられた。
途端に感じるのは莫大な魔力。
眩いばかりの光が吸血鬼の胸元に集約する。
慌てた様子の吸血鬼が防御の構えをとろうとするが、先手をとられた吸血鬼に抗う術はない。
耳を付き抜けるような轟音と閃光。
サキュバスに吹き飛ばされた吸血鬼は、窓ガラスを突き破って外へと転がって行った。
サキュバス「私の邪魔をしないで」
ふんと吸血鬼を嘲笑うサキュバスが、いよいよ邪魔者のいなくなった勇者の腕を掴む。
サキュバス「ついて来て」
促すように、ではない。
サキュバスは勇者の骨が軋みをあげるほど、力任せに立ち上がらせる。
ざわめく会場。
慌ただしくなった各々のテーブルから、数多くの魔物が立ち上がる。
攻撃性を感じ取ったサキュバスが各テーブルを睨みつけた。
サキュバス「大人しくしなよ・・・。それとも死にたい?」
純粋な殺意を向けられ、各魔物たちは着座させられた。
破壊一色に満ちた魔王側近の有り様には、吸血鬼に続こうとした魔物ら皆が黙らされてしまった。
抵抗のできない仲間達を喜ばしくも一瞥しながら、サキュバスは勇者を攫う。
勇者「サキュバスさん・・・」
サキュバス「・・・」
逃がさないように勇者を捕まえたまま、サキュバスは歩いて行く。
勇者の知らない所へと。
城の階段を登り終わったサキュバスが、乱暴にとある部屋の扉を開く。
地下と似たようでいて、少し違う柑橘系の香り。
けれど地下監獄とは似ても似つかわしくはない、窓もない小さめの部屋。
乱暴に腕を引かれた勇者が、置かれていたソファーに投げ飛ばされた。
閉められる扉。
鍵をかけるサキュバス。
サキュバス「魂ごと辱めてあげるよ勇者。お望み通りにさ」
上半身しか見えないほど薄暗い部屋で、サキュバスの服が脱がれてゆく。
ものの十秒足らずで一糸纏わぬ姿へとなるサキュバスに勇者が後ずさる。
勇者「やめて下さい・・・」
サキュバス「やめない。今度は勇者が何をされるかきちんと刻み込んであげる」
勇者「嫌です・・・」
サキュバス「泣いてもやめない。叫んでも。嫌なら抗ってみなよ勇者様」
サキュバスが勇者へと迫る。
捕食者と被食者の均衡は変わらない。
大人と子供だ。
ましてや魔物と人間である。
相互の力関係なんて、一長一短で覆るようなものじゃない。
しかし摂理の均衡を破ったのは勇者だった。
口付けされそうになる矢先、彼はあろうことかサキュバスを突き飛ばしたりはせずに頭を抱き締めていた。
勇者「ごめんなさい・・・サキュバスお姉ちゃん」
サキュバス「・・・えっ?は?」
勇者「・・・何か、理由があるんですよね?」
抱えられたまま見開かれる金色。
震えも見せず、怖がりもしない勇気ある者。
勇者はあろうことか魔王の側近を相手取り、彼女の頭を優しく撫で始めた。
大人しく撫でられてしまうサキュバス。
魔物はあろうことか、人間の子供から与えられたその優しさに陥落されて行く。
サキュバス「どうして?」
子供なんかに言い当てられたサキュバスが、胸の高鳴りを感じながらも悔し紛れに聞いた。
散々魔物も、人間も、男も女も都合の良いように弄んできた。
だからこそサキュバスには、勇者がどうしてこんな事を言い出したのか分からない。
勇者「だってサキュバスさんは、僕に酷いことをしないって言いましたから」
サキュバス「それだけ?はは・・・信じられないほんと。もう・・・必死になってる私がバカみたいじゃん」
と、返されながらも溜息混じりのサキュバスが立ち上がる。
サキュバス「普通じゃないね。勇者は頭おかしい」
勇者「ひどい・・・」
すっかり悦楽と捕食の世界から戻った口調のサキュバスに、勇者も苦笑いを見せていた。
サキュバス「ひどくないって。むしろもっと謝ってほしいくらい」
勇者「ですか?」
サキュバス「折角また勇者の精が貰えると思ったのに――」
クスクスと子供みたいに微笑むサキュバスが、勇者に触れずに前に立つ。
サキュバス「ほら〜・・・勇者が私を焦らして期待させたから・・・こんなになってる」
ぬちっ、と先日にも良く聞いた音を耳にする。
しかし薄暗い部屋では、音がどこから聞こえるのかがわからない。
サキュバス「ここだよ勇者。ほらちゃんと見て」
勇者「う・・・ん?どこ、でしょう?」
サキュバス「こーこ。良く見て?」
もしかして、アテられているのだろうか?
緊迫した雰囲気こそは無いものの、良く良く思い返せばこの部屋に来てから五分近くが経っていた。
勇者「あの・・・サキュバスさん?」
サキュバス「はぁ・・・はぁ・・・も、もう少し待っててね」
天井からの照らしは、ただでさえ光の量が少ない。
立ち尽くすサキュバスの表情は辛うじてわかるものの、光が少なすぎて胸より下は見えなかった。
サキュバス「勇者ぁ・・・。ゆう――っあ!」
悲哀にも聞こえるサキュバスの切なげな声。
立っているのがままならなくなったサキュバスが勇者にしな垂れる。
勇者「大丈夫ですかサキュバスさん!どこか苦しいんですか!?」
サキュバス「離したらやだよ勇者ぁ・・・。撫でて・・・お願い勇者。もっと――」
言われるがまま、先程と同じようにサキュバスを抱き締めて頭を撫でる勇者。
勇者の背中に回されたサキュバスの片腕は、力強く勇者の服を引く。
サキュバス「っぁ――!」
悲鳴にも似た声に合わせ、サキュバスの肩と背中が小刻みに震えた。
部屋の匂いとはまた少し違う甘い匂いを感じたのは、勇者の気のせいだったかもしれない。
サキュバス「はぁっ・・・はぁ。だ、大丈夫。ごめん。少し落ち着いたから、早く出よ」
勇者「サキュバスさん、凄くいい匂いしますね・・・。蜂蜜みたいな――」
サキュバス「悪くないでしょ?また今度嗅がせてあげるよ・・・ふふ」
ニッと笑ったサキュバスが、勇者の頬や首筋に口付けをする。
それから大きく息を吸い、止め、部屋の匂いを嗅がないように急いで服を着替え出すサキュバス。
結局勇者には、サキュバスがどうして落ち着いたのか良くわからなかった。
・・・。
・・。
・。
二人で部屋を出てから勇者が見上げ、サキュバスが見下ろす。
扉を閉めたサキュバスは、両手をうんと上に伸ばしては降ろす深呼吸を繰り返す。
サキュバス「勇者・・・手、つなご?」
勇者「はい」
サキュバス「吸血鬼怒ってるかなー」
勇者「僕もフォローしますから・・・」
サキュバス「本当?愛してるよ。むしろ守ってくれる?何でもしてあげるから守ってマジで」
勇者「あはは。僕に守れれば良いですけど・・・」
サキュバスが己の軽率な行動を振り返りも後悔をする。
感情的に吹っ飛ばしてしまったとは言っても、サキュバスにとって吸血鬼は、本気でやり合ったら概ね勝てない存在だった。
挙句に多くの仲間らに恫喝までした。
食堂に向かって歩いて行くにつれ、勇者の手がぎゅっと締められる。
吸血鬼「サキュバス!」
サキュバス「ひっ――!?」
思いがけずに呼ばれたサキュバスが、さらに勇者の手を強く握る。
指の関節をボキボキと鳴らされた勇者が「んぁ!?」と小さな悲鳴を漏らした。
声に振り返れば、後ろに立つのは吸血鬼だった。
所々裂け、穴の空いた服を着る吸血鬼。
そんな吸血鬼が肩で息をしながら駆け寄ってくる。
鬼気迫る吸血鬼の表情にサキュバスは恐怖で動揺し、盾のように両手で勇者を持ち上げて差し出した。
吸血鬼「はぁ・・・はぁ・・・」
勇者「吸血鬼さん怪我は大丈夫ですか?」
吸血鬼「えぇ少し気を失っていた程度よ。それより・・・勇者の方こそ平気?」
勇者「サキュバスさんと少しお散歩していただけです」
吸血鬼「本当なのね?操られたりもしていない?魔法を掛けられたりもしていない?」
心底心配そうに勇者の両頬を持った吸血鬼が瞳を覗く。
瞼を大きく見開かされ、匂いかがれ、指を口に入れられ口内を覗かれる。
勇者「ふぁいふょうふへふ」
吸血鬼「本当なのね?取り返しのつかないような話にはなっていないのね?」
勇者「ふぁい」
吸血鬼「良かった・・・。本当に良かった勇者・・・。サキュバス――」
ビクンと戦慄いたサキュバスが、諦め半分にゆっくりと勇者を下ろす。
吸血鬼「貴女も大丈夫なのね?」
サキュバス「うん・・・ごめん」
吸血鬼からサキュバスに差し伸べられる手。
勇者と同じように両頬を触れられて、サキュバスと吸血鬼が双方見合う。
申し訳なさそうに伏し目がちなサキュバスの顎を吸血鬼が持ち上げ、真剣な面持ちでサキュバスの瞳を見ていた。
吸血鬼「・・・確かに大丈夫そうね。良かった二人とも無事で・・・本当に、本当に――!」
押し殺される声色ではあったが、それも堪えきれず、大粒の涙が吸血鬼の頬を伝う。
止められなくなってしまった吸血鬼の涙は、次第にサキュバスへと移る。
サキュバス「ごめんね・・・。ほんと・・・ごめんなさい」
吸血鬼「魔王様があんな状態なのに、貴女達にまでもしものことがあったら私は・・・」
子供のように縋り泣くサキュバスを抱き締めては、吸血鬼が嗚咽を零す。
サキュバスもまた、怒られる以上に辛い仕打ちを受けては嗚咽を零したのだった。
喧嘩は以上で幕を下ろす。
たが勇者の物語は終わらない。
勇者「魔王さんが・・・どうかしたんですか?」
あんな状態と吸血鬼は言っていた。
勇者は不安にも似た感情に襲われる。
口を滑らせた事に気付いて、吸血鬼が言い訳を模索する。
けれどもサキュバスが吸血鬼に言う。
サキュバス「言おうよ」
吸血鬼「でも――」
サキュバス「この子は私達が思っているよりも、ずっとしっかりしているよ。私が保証するからさ」
吸血鬼「そう・・・なの」
サキュバス「勇者。今からこの辺りに住む魔物が隠している話を一つ教えてあげる」
吸血鬼「・・・勇者には喋らないよう、皆が言われていた話なのよ」
勇者「・・・」
勇者は城に来てからの出来事を思い返していた。
初めはからかいながらも、いつも笑顔でいたサキュバスや吸血鬼。
メイドの微笑み。
食堂で向けられた敵意の無い魔物達の目線。
シスターと同じように優しい笑顔をくれた魔王。
勇者「もしかして僕のお母さんの話ですか・・・?」
吸血鬼「私達が魔王様から怒られた話は聞いている?」
勇者「はい・・・」
吸血鬼「勇者が何日かすれば起きるのは魔王様も知っていたわ」
勇者「・・・」
吸血鬼「勇者が寝ている間、魔王様は部屋でずっと考えて悩んでいたの。母親として勇者に触りたい。勇者に触れてあげたい。名乗りたい・・・って。でも魔王様はやっと会えた貴方に拒絶されるのを恐れたの」
勇者「だっておかしいよそんなの・・・!僕のお母さんは――」
サキュバス「人間に殺された。ううん・・・人間に殺されかけた・・・」
聞いたことの無い物語。
両親の物語は勇者も本で読んだ事がある。
読んだ事があるどころではない。
それこそ教会のシスターからも、衛兵からも聞かされた伝説だ。
まさかその物語の主人公こそが実の父だったとは思わなかったけれど、昔は色々な話を聞く度に憧れいた。
父はいつも笑顔を絶やさない勇者だったと聞く。
最後は病に落ちたが、父の葬儀には世界中から人が集まったらしい。
ほんの十数年前に実際にあった物語。
前勇者の物語を知っているのは、勇者の故郷に住む人だけではないだろう。
勇者「ウソ・・・だ・・・」
サキュバス「嘘じゃないよ。だって私も吸血鬼も、城のみんなが勇者のお父さんに会っているからね」
勇者「そんな・・・。嘘ですよね吸血鬼さん?」
縋る勇者には、いつものように手が差し伸べられることはない。
下唇を噛みしめる吸血鬼が、俯いたまま喋る。
吸血鬼「嘘じゃないわ」
勇者「だって・・・辻褄が合わないですよ!?」
吸血鬼「嘘じゃないのよ・・・。私もサキュバスも、この城で産まれたキミを抱かせて貰ったんだから」
勇者が話の辻褄を合わせるために考える。
つまり、どう言うことか。
父は誰で、母は誰なのか?
初歩的な話を校正させようとするけれど上手くいかない。
崩れたパズルを組み直そうとするが、崩れたパズルは子供に何とかできる代物ではなかった。
生きてきた十二年は何だのか。
胃から食道へと駆けあげる夕食を戻しそうになった時、勇者の右手を吸血鬼が両手で握る。
左手はサキュバスに包まれていた。
勇者「離して!」
二人の答えは「離さない」
吸血鬼「サキュバスが大丈夫だって言っていた以上、私も勇者を信じているわ」
勇者「だって僕は・・・僕・・・は・・・」
サキュバス「ゆっくりで良いから話を聞いて・・・。心が潰れそうなら、私達が守ってあげるから。いくらでも守ってあげるから」
こみ上げる吐き気を飲み、握られる二人の手を勇者から握り返す。
止めようとしていた涙が零れようとしたが、涙は勇者の頬を伝うよりも早くに吸血鬼とサキュバスの指に拭われた。
サキュバス「昔・・・勇者が住む街で王宮の大人達が魔物に殺された・・・。そんな話を知らない?」
問われて思い出すのは言い伝えられている悪夢の物語。
時代は父がいなくなってから二年後。父さえ生きてさえいれば、と悔やまれている物語だった。
当時城にいた王や妃、大臣、衛兵の全てが皆殺しにされた。
今でこそ周辺国の支援を得て平和になってはいるが、当時は壊滅的な被害を受けたと聞く。
世界を震撼させた悪夢。
しかし悪夢の所以は、王宮が魔物らに襲われたからではない。
昼に城門から入って来たたった二人の、それも亜成体魔物に壊滅させられたからである。
本のタイトルは――。
勇者「金血の悪夢――」
サキュバス「正解。私達があの城に住む大人を皆殺しにした」
勇者「どうして・・・」
吸血鬼「貴方を探していたのよ勇者。勿論・・・貴方のお父さんの復讐も兼ねていたけど――」
勇者「お母さんは・・・?」
吸血鬼「きみのお父さんとお母さん・・・お父さんと魔王様はとても仲が良かった」
サキュバス「私も色仕掛けはしたんだけどね。あいつ人のこと胸なし胸なし言いやがってさ・・・。なんか思い出したらムカついてきた」
吸血鬼「その話は後にしなさいよ。・・・何年前だったかしら」
サキュバス「十年ちょっと前じゃん?あれ、十五年くらい?」
吸血鬼「それぐらいね。前勇者と魔王様が知り合ってから2年が過ぎた頃に、君が生まれたのよ勇者」
懐かしい記憶を手繰りながら語り出す二人。
吸血鬼「二人はしばらくこの城で暮らしていたけれど・・・勇者が生まれた半年後に城を出たのよ。きみが大人になった時、きちんと人間としてくらせるようにって」
サキュバス「二人が移り住んだ所はきみが住む街よりも、少し北に進んだ所。森の中に家を建ててさ・・・二人ともいつ遊びに行っても幸せそうだったなぁ・・・」
勇者「・・・」
サキュバス「人間なんか塵か埃くらいにしか思っていないような魔王様をいつも笑顔にしていたんだから・・・凄いよね」
吸血鬼「確かに前勇者にしつこく口説かれる内に笑顔が増えたわね魔王様は」
穏やかな二人の表情に曇りが見えたのは、これよりも先の物語を話だそうとする時だった。
サキュバス「勇者が産まれて一年ぐらい過ぎた頃かな?魔王様が体中に矢を突き立てられてここに戻ってきたんだ。腕と方足なんて半分千切れててさ・・・」
吸血鬼「魔王様は自分が今にも死にかけているのに言うのよ。勇者が、私達の子供が!って・・・」
サキュバス「吸血鬼が魔王様の治療についている間、私はすぐに君たちの家に飛んだ。魔王様から話しは聞けなかったけれど、きっと前勇者が魔王様を裏切ったんだって確信してたよ私。だってさ・・・だって魔王様はいつも笑っていたんだよ?なら泣かすのだって前勇者しかいないじゃん!」
悔しげに歯を食いしばるサキュバスが、うっすらと涙を浮かべる。
サキュバス「でも本当は分かってた。前勇者が魔王様を裏切るはずかないって。現に燃え尽きた家の中には、きみのお父さんがいたんだよ。屋根も半分ない、まだ熱い家の中で必死に魔王様ときみの名前を叫んでいた」
吸血鬼「・・・」
勇者「・・・」
サキュバス「私を見つけるなり前勇者は走ってきた。全身酷い火傷で、片目が見えなくなってたみたい。なのに、私に魔王様ときみの場所を聞くんだよ?信じられないよね・・・動けないよ普通。とてもじゃないけど人間じゃない・・・」
ははっと乾いた笑い声を絞り出すサキュバス。
怒りとも、悲しさとも、切なさとも取れる作られた笑い声。
吸血鬼「蓋を開ければ簡単な話よ。前勇者が街へ買い物に向かった時に、残った魔王様ときみを城の人間が殺そうとしただけ。炎系魔法をさんざん撃ち込まれて、割れた窓から矢も撃ち込まれて・・・きみを助けるために魔王様が覆いかぶさり盾になった・・・。捻りもない詰まらない話」
勇者「でも・・・どうしてお父さんもお母さんも僕を助けに来てくれなかったの・・・?」
吸血鬼「次の日、治療もしないで家の跡地で惚けていた前勇者の元に一人の兵が送られたのよ。言付けはこう。子供の命が惜しければ二度と反逆を起こすな。もし生きているなら、あの化物にも伝えておけって」
サキュバス「結局、魔王様も前勇者も、生きているかどうかも分からない子供を守るために二度と会うことは無かった」
吸血鬼「・・・それから前勇者が死んだのを聞いたのは、彼が死んだ二年後だったわ」
サキュバス「死んだことを聞いた瞬間、頭が真っ白になっちゃってさ。関係者の人間は皆殺しにしてやろうと思ったんだ。だから私達は城の人間を片っ端から殺した。大人を全部殺せば子供しか残らないはずなのに、勇者はどこにもいなかった。もう殺されているのかなって思った」
吸血鬼「城に住む一通りの大人を殺してから一度この城に戻って、次は街の大人を殺しながら勇者を探すつもりだったのよ・・・」
サキュバス「そしたら魔王様にばれちゃったんだよね。泣きながら怒られたよ・・・。そんなの私達は望んでいないってさ・・・」
まくしたてるように物語を語り継がせる二人。
出生の秘密なんて知ることが無いと思っていた。
シスターに教えられたこともないし、ましてや悲しくなるだけだから考えないようにもしていた。
勇者「じゃあ僕は・・・それを知っている王様に親を殺して来いって言われたんだ・・・」
サキュバスと吸血鬼の話を間に受ければそんなチープな物語となる。
勇者の心にどす黒く濁った感情が芽生え初める。
歯を食いしばる勇者。
しかしそれも束の間、吸血鬼に否定されてしまう。
吸血鬼「こうして勇者は吸血鬼とサキュバスを従え、人間への復讐に立ち上がりました――。・・・と、言う話でもないのよ」
サキュバス「いいねそれ。快楽と破壊の欲望に堕ちた勇者のお話?勇者が望むなら考えてあげよっか?」
吸血鬼「今の王族には真相を知る者はいないわ」
勇者「そうなの・・・?」
吸血鬼「えぇ。勇者が魔王と駆け落ちをしたなんて、漏らせるはずがないじゃない。ましてや産まれた子供を攫いましたなんて」
サキュバス「しかも子供を人質にしたからね。あのテブ髭」
吸血鬼「デブ髭って・・・。こんな真実を浮き彫りにしてしまっては、それこそ国家転覆よ。魔物を敵に回すだけならまだしも、彼を慕っていた他の種族や人間を敵には回せないでしょう?」
サキュバス「そもそも王宮の人間は子供ら以外皆殺しにしたからね。デブ髭は外面も良かったし、自分の子供達に魔王と前勇者の子供を拉致したなんて言わないでしょ」
勇者は今世代の王に謁見した時の記憶を思い返す。
前勇者の話を語る王は、まるで子供みた一面を見せては「きみが前勇者の子供なんだよ」と数多くの物語を聞かせてくれた。
協会にいた理由についても、魔物から勇者の子を隠すためだと聞いた。
世界を守って欲しいと頭まで下げられた。
心理戦に長けている勇者ではないが、思い返しても確かに王が真実を黙っていたとは思えない。
考え込む勇者。
一人では到底作り終えなかっただろうパズルのピースを、吸血鬼とサキュバスに手伝ってもらいながら消化してゆく。
子供の勇者には到底抱え切れないほど大きく広げられる世界。
サキュバス「その真剣な顔、お父さんそっくりだね」
勇者「ふぇ!?」
サキュバス「あーその顔は似てないや」
茶化されながらも勇者は考えて行く。
勇者「二人は初めから僕の事を知ってたんですか?」
サキュバス「気付かなかったよ。さっきも言ったけど、生きてるのか死んでいるのかすら分からなかったし」
勇者「いつから気が付いていたんです?」
サキュバス「う〜ん・・・勇者が湖から引き上げられて、みっともなく泣きながら命乞いしてたときかな〜?」
勇者が頬を染める。
すると意地悪を言うサキュバスの頬を吸血鬼が抓った。
吸血鬼「嘘つかないの。本当は後ろ姿と声と・・・何より剣を見てほぼ確信していたわ」
サキュバス「本当にそっくりだからね勇者」
勇者「へへ・・・。そうですか。そんなにお父さんに似てますか」
思うところは色々あった。
悲しくない訳じゃない。
悔しくない訳じゃない。
それでも小さな勇者は、出生の秘密と母の存在を知り、二人に笑顔を見せる。
吸血鬼とサキュバスが一緒に荷物を持ってくれたからこそ、悲しみよりも母に会える喜びが勝ったのだろう。
勇者「お母さんは何処ですか?」
サキュバスが頬を抓られたまま勇者を見つめるが、変な顔のせいで様にならない。
吸血鬼に勘ぐられないように勇者へと顔を寄せるサキュバス。
金の瞳。
合わせ持つ端麗な容姿に、勇者は息を飲んでしまう。
けれども雰囲気も一転、サキュバスの目つきに獲物を捉える様子が垣間見えた。
勇者がサキュバスから顔を離そうとする。ところがサキュバスは抓られた頬を振り切って勇者を押し倒した。
勇者「んむ!?」
見開かれる勇者の瞳。
間髪入れずに勇者の口内へぬるりと突き込まれるのは、サキュバスの舌。
吸血鬼「な!?ちょ――!」
人目も場所も憚らない所業に、吸血鬼が制止に出遅れる。
両手を使って勇者の後頭部を抱え込み、絶対に逃がさないとするサキュバス。
いきなりの出来事に勇者も何とか抵抗をしようとするが――。
勇者「んっ・・・サキュバんむ」
といった様子で力負けさせられてしまう。
廊下に激しく響くのは、勇者の口内を愛撫する音。
吸血鬼が二人の間に割って入り引き離す頃には、すでに勇者は口の端から唾液を零し、虚ろな目で天を仰いでいた。
吸血鬼が焦りながらも急いで勇者の上半身を抱き起こす。
サキュバス「やっぱ極上だわー。勇者と魔王様の子供だからかな?」
吸血鬼「ちょっと勇者!?勇者!?」
勇者「ぁ〜・・・」
吸血鬼にぺしぺしと頬を叩かれ、勇者が虚ろな返事を返す。
二度三度頬を軽く叩いた吸血鬼がサキュバスを叱ろうと睨みつけた。
吸血鬼「サキュバ――!」
吸血鬼の唇にサキュバスの人差し指が当てられる。
ウインクをして見せるサキュバスが、咎められるより早く言った。
サキュバス「そうカリカリしなさるなって。吸血鬼も少し本能的に生きたら?」
吸血鬼「あなた・・・何を――」
サキュバス「勇者は現実を受け入れたんだよ。私達が最も怖かったのは、勇者が真実を知って壊れてしまうこと。違う?」
吸血鬼「最もらしい事を言ってるけれど、結論から言いなさいよ。つまり?」
サキュバス「これからは真実を知った勇者には・・・私達が勇者に復讐する理由を知ってもらえるじゃん」
吸血鬼「復讐・・・?」
サキュバス「疎いなぁ吸血鬼は。勇者はあの前勇者の子供なんだよ?吸血鬼って・・・前勇者が魔王様と結婚した日の夜、部屋で泣いてなかった?」
サキュバスに唆されてゆく吸血鬼。
思い返されるのは吸血鬼の持つ昔の記憶。
サキュバス「前勇者は魔王様と幸せになった・・・でも彼の子供はまだ、誰の物でもないよね?」
クスクスと笑うサキュバス。
サキュバスによる甘い誘惑が吸血鬼の心を掌握する。
サキュバス「それだけじゃない。私が前勇者の敵でいた頃、どんなに仕掛けた時だって私はあいつに勝てなかった。吸血鬼だってそう。それとも前勇者に勝てた事があるの?」
吸血鬼「無いわ・・・。一度も・・・一度も勝てないうちにあの人はいなくなった――」
勇者「ちょっとちょっとサキュバスさん!それ僕には関係ない話ですよね!?」
このままではろくなことにならないと危機感を覚える勇者。
勇者からすれば、見たことのない父の色恋に巻き込まれるなんて御免でしかない。
サキュバス「ねぇ吸血鬼・・・私達は彼の子供には勝てるよ。現に勇者を滅茶苦茶にしてやったでしょう?」
吸血鬼「・・・」
勇者の危険水域が全力で警告音を鳴らした。
サキュバスを黙らせるために走り出した勇者が、彼女の口を塞ごうと手を伸ばす。
しかし吸血鬼に正面から抱っこされ、抑えつけられてしまった。
吸血鬼「大人しく聞きなさい勇者」
勇者「うぇ!?」
叱咤されて勇者は黙らされた。
勝ち誇りを見せるサキュバスを勇者が恨みがましく見るものの、彼女は吸血鬼への誘惑を止めようとしない。
サキュバス「ほらね簡単に勝てたでしょう?」
吸血鬼「・・・でも勇者に悪戯なんてしたら魔王様に怒られるじゃないーー」
サキュバス「そりゃあ嫌がって泣き叫ぶ勇者にやったら怒られるさ。でも勇者が黙っていればバレやしないよ。第一・・・勇者は嫌がるのかな?」
吸血鬼の胸を枕にしていた勇者は、サキュバスから伸べられる左手の行方を目で追う。
吸血鬼「んっ――!」
サキュバスによって絞り上げるように掴まれる吸血鬼の胸。
大きな胸が更に大きく自己顕示し、勇者の眼前に突き出された。
サキュバス「勇者が嫌がるかどうか試してみたら吸血鬼?魔物なんかに弄ばれるのが嫌ならすぐに逃げるでしょ」
吸血鬼「だって・・・嫌われるのが怖いわ・・・」
サキュバス「やりなさいよ」
促されては吸血鬼が勇者を覗き込む。
勇者「あの・・・その・・・」
逃げ場を失いサキュバスを見れば、サキュバスは嫌な笑顔で勇者に手を振っている。
先ほどのサキュバスと同じように近付く赤い瞳。
先ほどと違うのは、吸血鬼から行われようとする口付けが不意打ちどうか。
これから行われようとしている行為に、勇者の顔が熱を持つ。
抵抗も嫌がる素振りも見せずに俯く勇者に吸血鬼が言う。
吸血鬼「・・・私の目を見て舌を出しなさい勇者」
言われるがままに顔を上げた勇者の頬を、吸血鬼が「そう、良い子ね」と言いながら撫でる。
続けて小さな勇者の口が開かれ、遠慮がちに舌が伸ばされた。
強く目をつぶる。
途端に嬲られる勇者の舌先。
そうして時おり体を震わせながらも、勇者はしばらく吸血鬼に弄ばれてゆく。
勇者が背中越しに聞いたのは、心底楽しそうに声を押し殺すサキュバスの笑い声だった。
吸血鬼と共に勇者を抱きしめたサキュバスが耳元で囁く。
サキュバス「もう逃がさないから」
・・・。
・・。
・。
吸血鬼「下に魔王様がいるわ」
勇者「ここって・・・」
二人に連れられた先で立ち止まる勇者。
案内されたのは、地下へと続く螺旋階段だった。
それも、数日前に来たばかりの。
あまり思い入れのない魔王城で、相当に印象深い場所である。
良いか悪いかは別だが。
勇者「立ち入り禁止じゃないんですか?」
吸血鬼「子供が母親に会うのを誰が禁止するのよ。そんな無粋な奴がいるなら私が文句を言ってあげるわ」
勇者「・・・」
サキュバス「やっぱり・・・会うのが怖い?」
勇者「いえ・・・」
吸血鬼「どうしたの・・・?」
勇者「そ、その・・・。お母さん、お二人みたいに匂いにアテられたりしてないかな?なーんてあはは。流石にそれはちょっとマズいかなって・・・」
吸血鬼「ばっ――!馬鹿じゃないの!?実の親に何を想像しているのよ!」
サキュバス「あはははは!いやー、確かにそりゃ〜そう思うよね!魔王様って綺麗だし可愛いし」
ひとしきり大笑いするサキュバスと、怒ったような呆れたような吸血鬼。
勇者にとっては大問題である。
吸血鬼「あの匂いは魔物の気持ちを高揚させるための代物であって、ただの催淫誘発剤などではないわ」
サキュバス「ひーおかしっ。勇者の頭はエロエロだね〜。どうせまたすぐに苛めてあげるから安心しなよ」
散々な事をした本人の口がよく言えたものだと思う。口にしたら苛められそうなのでやめておくが。
吸血鬼「私達は食堂にいるわね。サキュバスが暴れた後処理も残っているだろうし」
サキュバス「ちなみに魔物って近親相姦とか割と当たり前――いだだ!痛いよ吸血鬼!お耳取れちゃう!」
吸血鬼「さっさと行くわよ!」
最後まで嵐のようにかき回して行く魔物達であった。
二人が見えなくなり、ふぅとひと息ついた勇者が螺旋階段に目を移す。
ポケットからマッチを取り出した勇者は、灯りを先導させて歩き出した。
次第に扉へと辿り着いた勇者は三回扉をノックすると、魔王の返事を待たずに部屋へと入って行く。
以前訪れた時に部屋は漆黒に塗れていたが、今日は違うらしい。
部屋の至る所に丸い形をした光の魔法が漂っている。
そのお陰で以前よりもしっかりと部屋の全貌が見て取れた。
無論、怒気を放って部屋の中央に正座する母の姿も――。
勇者「おかあさ――」
魔王「ここに座りなさい勇者」
勇者「え?あ、はい」
勇者の緊張が魔王の一撃で粉砕された。
目を閉じたままの魔王が、正面の床をバンバンと叩く。
なんだこれは?
予想とは180度違う母との出会い。
反論しようにも、母から放たれる圧倒的プレッシャーを前に、言うことを聞く他の選択肢を選べない勇者。
勇者は物も言わせぬ迫力に圧倒されながら、魔王の正面に正座をする。
魔王「・・・」
勇者「・・・」
ちらりと片目を開けた魔王が「足は崩しなさい」と言う。
正座から胡座に切り替える勇者ではあるが、魔王は正座のまま黙っていた。
時計の針すら聞こえない無音の世界。
魔王「まずは勇者・・・」
勇者「はい・・・」
魔王「ここに来た理由は、もう全て知った上で来た。間違いありませんね?」
勇者「お母さん・・・」
勇者にお母さんと言われ、魔王の表情が瞬く間にほころぶ。
「ふぃっ」と変な声を発して笑顔になった魔王ではあったが、すぐに首を振って真剣な面持ちへと切り替えた。
透き通った瞳が勇者へと向けられる。
魔王「嬉しくて胸が張り裂けそう・・・。こほん。ちなみに・・・私は・・・私は今更、勇者の母親面をしても許してくれますか?」
勇者「うん・・・お母さん・・・なんだよね?もしかして、違いますか?」
魔王「違くない!私が勇者のお母さんです。勇者は私がお腹を痛めて産んだ・・・あの人との、大切な子供――」
勇者「う、うん。聞いたけど・・・お母さん喋り方が変じゃない?」
魔王「今お母さんは怒っています」
勇者「え?」
魔王「お母さんは普通の魔物よりも耳がよく聞こえます。この部屋にいても外から勇者の声は聞こえました」
勇者「・・・」
魔王「あぁ勇者が来てくれた・・・。私を受け入れてくれるのかな?私を親と知った勇者に、どう声を掛ければ――。と。考えていました。あなた達の会話を聞くまでは」
思い返される階段上でのやりとり。
主にサキュバスとのやりとり。
しかも勇者は勇者でとんでもない事を考えていた。
魔王「お母さんは勇者にもう一度会えるのならば、この身を捧げても構わないとすら思った日もあります」
勇者「・・・はい」
魔王「帰ってきた息子が調教されているわ、親のあられもない様を考えているわ、鼻の下を伸ばしているわ・・・」
勇者「ハイ・・・」
魔王「お母さんの話は以上です。ちなみにサキュバスにもみっちり個別指導を行います」
勇者「すいませんでした・・・」
魔王「こほん。聞き分けが良くて結構。勇者が聞き分けの良い子に育ってくれてお母さんは嬉しいです」
仕切り直しの咳払いを終えた魔王が、ふぅと息を吐いて胸を撫で下ろす。
続いて魔王から勇者に向けられたのは満面の笑顔だった。
魔王「おいで勇者」
堰を切ったように走り出した勇者が魔王の胸へと飛び込む。
自分の産まれすらも分からない我慢。
両親のいない我慢。
一人旅をしていた我慢。
全ての辛さををかなぐり捨てて、勇者は有りのまま、子供らしく大声で泣いた。
そして母もまた、子に母親だと名乗ることができた喜びと共に子供を強く抱き締める。
「ヴァンパイア、サキュバス」で呼び名を合わせた方がいいのかもですが、筆者は「吸血鬼」って言い方が好きなので統一させませんでした。
かといって、「吸血鬼」に合わせて「吸精鬼」って言うのも違和感ありますし。好みの問題です。
金色=きんいろ×
金色=こんじき⚪︎
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物語は以上で幕引きとなります。
物語は勇者の旅立ち2へと続きます。
自分で自分を応援してみる。頑張れ