2017-11-19 16:18:30 更新

概要

何でもありな方のみお読みいただけると幸甚です。
故事の矛盾は矛が盾の表面を貫いて止まるだけだと思うんです。


前書き


・女性蔑視のつもりでは書いておりません
・現実とフィクションの区別はつけていきたいです。これはフィクションです。
・描写が拙いのは筆者が二十代前だからですので不手際が御座いましたらお申し付けください。
・悟り云々の話が出てきますが作中では全くのでっち上げですので、本気で悟りたい方は調べた所ではチベット仏教(多分)の中観帰謬論証派(多分)が良いのではないかと思います。


「キミ、ノルマ達成を三回も逃してるよね。我が社も経営が苦しくてね、今度の会議でリストラする事になったよ」

「えっ、あぁ...そうですか...。長々とお世話になりました」

「全くだよ、少しでも役に立てば良かったのに、金の無駄だった」

今生の終わりを報せる解雇通知だったかもしれないが、ここに居るよりかは生きた心地がした。

自分の机を雑破に片付けて自動ドアを出た時に、コンクリートからの照り返しと強烈な日射が私の鎮静した気持ちを(どうにかなるか)とポジティブにした。

帰路は心なしかいつもより街道めいていて、街路樹の万葉の隙間から木漏れ日が煌めいていて、コツコツと猫背の私はなんだか俄に元気づいている。私の生まれた月は七月で、その所為だと考えているが夏が来てはいつも気分が乱高下してそれを合図に学生の頃は長期休暇の予定を夢想したものだった。

家々の隙間を横目にすれば、白い猫が欠伸をして通る人々を眺めるやら小人が忙しなく往来するやらで、私の女時なんて取るに足らないものかとフォークシンガーみたいな事を体現している。

(久し振りに妖怪見たなぁ...)

家の前まで来てからふと上目で人影を捉えた。

身長は小学生で帽子を被って半袖のシャツに半ズボン。今時珍しい格好かもしれない。

その人影はまじまじと自宅を凝視しているので「ウチに何か用かい?」と尋ねた。

サッとこちらを向いた子供の顔は名状しがたい気持ち悪さを強烈に印象付けた。見覚えがあるのは当然の事、何を隠そう私のうら若い時分の面持ちそのものだった。

子供はニッコリとして「もう夏休みだよ!」と言うと何処へともなく去って行った。

夏休みもくそも有るものか。私は社会人なのだから。

幻を振り払うように蝉がけたたましく鳴いた。

ネクタイの縛りを解いて、何もかもから逃れた開放感と社会からの蔑みの予感に虚脱感を持って、重々しい頭を揺らがせてインスタントラーメンに使う湯を沸かしだした。

家にこもった熱気を出すために開いた窓からは熱風が舞い込んで来て、執拗な自然の力にやんぬるかなと工夫を放棄した。

出来上がったラーメンを啜りながらテレビをつけるとバラエティと化したニュース番組が夏のオシャレ特集を報じていて、世間の商魂逞しさは枯れないんだと思った。

程々に満たされた腹を横たえて通帳を開いてみたが、所詮はブラック勤の給金、桁がおかしい。

突然携帯電話が鳴った。発信先は母のようだ。

「もしもし?」

「あー、良かった繋がった!アンタ会社やめたってね?」

「何で知ってるの?」

「何でってアンタ留守電で言ってたじゃない」

「いやそんな事はやってないぞ?」

「あっそう?まあ良いや、それよりコッチに帰ってきて手伝いでもしなさい!」

「路銀がバカにならないから難しいよ」

「迎えに行かせるから大丈夫よ。明日にはそっちに行くと思うから準備して待ってなさいよ」

そう言い残すとブツリと切ってしまった。

留守電なんて本当にした覚えは無かったけど、神経質に考えれば「本当に?」と訊かれれば痕跡が有ってもそれすら偽造かと疑ってしまう。確かな事なんて一つだって無いんだと思う。

然は然として、迎えが来ると言っていた。これから推察するに見ず知らずの人間の可能性が高い。失礼しちゃいけないと病の強迫観念が急き立てるので、早々にキャリーバッグに荷物を詰めて準備した。

夜中、あのもう一人の自分が麦藁帽子を被って話しかけて来る夢を見た。疲労困憊の精神が異常を警告しているのかもしれない。

明朝に携帯のアラームが鳴って心臓が止まるかと思った。生物として仕方ないのかもしれないけど、アラームをいくら快く、大好きな音楽にしてもその音が大嫌いになるのがオチで、それだから必要無い時は目覚ましはかけない主義だった。

のそのそと寝床から這い出て顔を洗って嗚咽交じりにうがいをする。昔は痰なんて出なかったのに。

テレビを点けると「後継者不足深刻化!人口減少社会に歯止めをかけるには!?」と銘打ってその道の専門家ではなく、どこぞの大学教授が高説を垂れていた。

技術を継承したいという欲求は一体全体どこから来るのか私には得心しかねた。というのも技術が消えるのが困るのならノウハウをネットに上げればそれで十分なわけで、なにも国内の人間でなければならない道理など無いからであった。

焼いたトーストに目玉焼きを乗せて頬張っているとチャイムが鳴ったので、ぺぷシで口内をスッキリさせて対応した。

鉄扉を開けると歳が見目三十中頃のいかにも闊達そうな女性が片足に自重を委ねて立っていた。

「貴方が○○君?」

「あ、はい。もしかしてお迎えの方ですか?」

「そうだよ〜。電話で聞いたでしょ?」

「すみません、こんなに早く来られるとは思ってなくて。今準備しますので少々お待ちいただけますか?」

「いいよいいよ、ゆっくり準備しなよ〜」

バタバタと家中に引っ込んでバッグを引ったくって私服を釦を掛け違えたまんまに残りのトーストを飲み込んだ。こういう時に「上がって待ってて」なんて言えたら童貞やってない。

ハンケチをポケットに突っ込んで、歯を磨いて自分の偏差値低めの顔面を見てモテようなんて高望みはしないから、不快感を与えないように注意しよう。

玄関に再び向かうと、女性はこの炎天下で日陰とは言え待たせた私を咎める素ぶりすら見せずに爽やかに笑顔を作ってみせた。縁遠い人種だと畏怖した。

「お待たせしました」

「準備出来たの?」

「はい」

「それじゃあマイカーにどうぞ」そういった彼女の顔はどことはなく得意げな気がした。

助手席におずおずと乗り込んで「よろしくお願いします」と一言添えた。

運転席を見ると猫が一匹我が物顔で乗っていて、こっちを睨めると慣れた様子で毛繕いを始めた。

「ごめんね〜、うちの猫なんだよこの子。さ、後ろに行こうねー?」

猫は軽々と持ち上げられて後ろの席へ追いやられた。

エンジンがかかって、発車した。何かこういう時って話さなきゃ印象が悪いと雑誌で読んだ覚えがあるから、取り敢えず疑問をふってみた。

「ウチの母とどういったご関係なんですか?」

「ん〜?アタシ?」

「はい」

「アタシが直接じゃなくって、元婚約者がいてその人が貴方の同級生だったとか聞いたんだけど、E君って知ってる?」

「はい、努力家だった記憶がありますよ」

「そうかもね〜」

「元って事は今は違うんですか?」不謹慎なんて無かった。

「ああ、地元って田舎じゃん?」

「そうですね」

「だから山での事故とか多いわけよ。この間だって近くの79歳のおじちゃんが山で滑落して亡くなっちゃったし。あの人もそれ」

「それは、ご愁傷様です」

「アハハ、人はいずれ死ぬしそれが早かっただけだよ。それにアタシもこの歳でなあなあに結婚しかけてたからさ、きっと罰が当たったんだよ」

私の心底に浅ましい下心が嬉々とした。理性でそれを説伏する。自分はこんな人に釣り合えるわけないだろ。

「罰だなんて、田舎だと肩身が狭かったり結婚しろって圧力が強いですしね。放っておけばいいのに」

「そういう貴方は彼女の一人でも居ないの?」

「お恥ずかしい話、そんな余裕が無くって、趣味に使う時間もありませんでしたし」自尊心が疼く

「そっかぁ。ま、それじゃあこれからだね!」

「え?」

「ん?」

「どういう意味ですか?」

「いや、会社辞めちゃったんでしょ?」

「ええ、まあ」

「それで地元に帰るんじゃないの?」

「いや、一時帰省のつもりだったんですが...」

「そういう話だって貴方のお母様が言ってたよ?」

「あ〜、思いつきで行動する人なのでそう言ったのかもしれないです...」

「そっか。まあ、どっちでも兎に角生活習慣は変わるだろうから気にしないでいいでしょ」

「そうですね」

会話が無くなって話題を探るが、ずっと小間使いだった為か世情から流行まで空っきしになっていた。雑誌には続きがあって「あまり喋り過ぎるのもNG☆」ともあった。だから喋らない事にした。

バックミラーを見ると後部座席に香箱を作って猫がこちらを見ている。

車窓の景色は移ろって行きそれを目で追っていると普段使わなかた筋肉が酷使されて、それを止めると眠くなってきた。

船を漕いでいると運転していた彼女が「眠かったら寝ても良いよ」と駄目押しの一手を打ったからもう辛抱ならなかった。

浮世離れして一人、情けなく無念無想の世界で休んでいると肩を小突かれた感触がして、うつらうつら目を開けると睡魔を一掃してしまう程の衝撃が海馬に確と光景を焼き付けた。女性にここまで接近されたのはいつ以来だろうか。今曲げている首を起こせばきっとおでこが付いてしまって、私の暗澹とした人生に鮮やかな桃色の甘美を刻む事になる。

喉元で「んんっ」と咳払いをした。息なんてかけたら贖罪の仕様が無い。

彼女は事もなげに私が起きたことを確認すると「着いたよ」と目を目的地に向け、車内から上体を抜き出して歩き出した。そこには私の実家が有って、玄関で彼女と母が親しげに謝辞と感謝と謙遜を交わしているのが小音で聞こえて、慌てて自分の荷物を取って下車した。

挙動不審に御礼を重ねると笑ってヒラヒラと手を振り、再び車に乗って去って行ってしまった。ナンバープレートを見失うまで惚けていると背後からエッジの効いた声が飛んできてあれこれ訊いたり命じたりするものだから、なんだか淫夢から覚めた心持ちになって、溜息交じりにそれをこなした。

暫く用を済ました頃に、窓際に腰掛けて一息つくと周囲の状況がありありと見えて来た。

屋根の支えの木に括り付けられた風鈴がチリンと鳴って、蝉の声が殷々と遠近に芭蕉式に染み入って、苔の生えた古く大きな木が庭に影を落とし、よく見れば入り組んだ小枝の隙間に小鳥が戯れているのだった。強い風がどうと吹いてきて瑞々しい山々を撫で付けると、葉が堪らず表裏をチラチラ変えて濃い緑と若葉色を交互させる。清涼な薫風が家中に吹き渡って古びた神棚の幣をカサカサと鳴らして、私の胸元をすり抜けて消えた。

台所で何か煮ていた母が笊に真っ白な素麺を乗せて床を低く踏み鳴らしてやってきた。素麺の上には点々と透明な氷が乗っけてあり、事情に絡まった私と真反対だと変な被害妄想を繰り広げた。

「いただきます」と低く呟くと「どうぞ」と返ってくる。

黒檀製の箸で一掬いして、つゆに浸して息を深く吐く。口に含んで舌先にじわりと味がするが、それをまだ味わわないうちから啜った。

出汁の香りが口いっぱいに広がって余分な空気を鼻から抜けば、懐かしい感覚が干からびた脳内から発掘されてくる。

思わず鼻で「ん“んー」と感嘆を漏らすとこちらを見る母が豪快に笑った。

「どうせインスタントしか食うてなかったんじゃろ?」

「うん」

「ちゃんと食べないかん言うてんのに、ほんにまったく」

「出来たらやってるよ」

「やらんからでけへんねん」

私は軽口に怒るのが常人の考えなのだろうなという機械じみた発想が、湧いたのにふと悲しくなった。

腹を満たした私はさっきの御礼という大義名分を引っさげて、名前と住所をちゃっかり聞き出して寂れた自転車で漕ぎ出した。

(へぇ、Lって言うのかあの人...)

文明から遠い私の実家、でもそれが心の拠り所で、老いていく老人達は今日も元気に町の小さな病院で不良みたいに駄弁っているに違いない。砂利道と坂道をガタガタのチャリでガタガタ行くのがなんだか爽快で、道すがらの川のせせらぎがバカに優しく聴こえて、もうとにかく視界が半分潤んでしまって危なかった。

夏だというのにこの鳥肌。原因は前にネットで見かけた好きな音楽を聴いて鳥肌が立つのと一緒だと思う。

とかこんな感動は15分も経てば都会の便宜を田舎にもと懇願せざるを得ない長距離移動が、運動不足の私のか弱い心臓を鞭打つ。

汗だくになって何とか聞き出した場所まで辿り着いた。

(デカい!和式!門!)

田舎の金持ちの定番だけど、しかし土地が安いというのは本当らしく、ここら一帯の家は大抵都会と比べると大きいのだった。

不自然なインターホンを震えて二度ほど連打してしまって穴を掘って埋まりたい気分で待っていると、「はぁい!」とあの声がしてLが出てきた。

汗を流したと見えて髪は烏の濡れ羽色に瞳はカフェオレの様な茶色、日焼けの跡がしっかりと見えるようなタンクトップ一枚の薄着は流石に童貞を殺しにかかってきた。

「あのー、先程はありがとうございました。これ、つまらないものですがどうぞ」

社交辞令は上司に仕込まれた芸の一つで、自慢の逸品だった。紙袋を手渡す時に触れた肌の柔らかさが目前と相俟って情欲を激しく催した。

「わぁ、ホントにもらって良いの?コレ」

「ええ、お口に合うか分かりませんが」

中身は土産に母に買ってきた菓子だが、どちらに渡すかなんぞ決まっている。選べるんなら断然こっち。

「嬉しい〜。あ、そうだ、一緒に食べない?」

「いえ、御礼の伺ったのにそれでは..」

「予定でもあるの?」

「いえ」

「じゃあ大丈夫だね?」

「はい」

異性の家は時代を問わない冒険の舞台だと思う。財宝があるのか凶悪な魔物が巣食うのかはたまた神秘の体験をもたらすのか。少年のようにそれを楽しめれば訳ないのだが、生まれた時分が早かっただけでこのありさまだ。

「ちょっとここで待っててね」

そう言い残して彼女は去って行ってしまった。案内されるがまま付いてきた部屋には畳敷きの個室で、木造りの少し彫り物の施された机が一脚置いてあってなんだか高価そうな壺と掛け軸が一段高いところに置いてあった。

「お茶とコーヒーどっちが良い?」

奥まった所から声が飛んでくる。

「お茶⤴︎でお願いしますっ」

声が裏返った。穴を掘りたい。どうせなら若返れよ。

軽やかな足音が近づいてきてお盆にさっきの菓子と渋い鼠色の湯のみと可愛らしいマグカップが仲良く収まっていた。

「これどっちが良い?」

「あ、バニラの方が良いです」

「良かった、実はチョコ味が好きなんだよ」

口許を若気させるLは私見だけど無垢さが残っていて、田舎の風紀にすっかり流されたんだと思われる無防備加減が彼女いない歴=年齢の私の理性を焼き尽くさんばかりに抉ってくる。

「そんなに緊張しなくっても、ここはアタシしか住んでないから足とか崩していいよ?」

「こんな広い所に?」

「うん、二人の予定で先走って買っちゃってねぇ〜」アハハ

「ああ、成る程」気まずいかも。

「それじゃ、いただきます」

「ど、どうぞ?」

「なんで訊いてる感じなの?」クスクス

「いやぁ、あげちゃったものだから持ち主面するのもおかしいかと」

「あぁ、しっかりしてるんだねぇ」

「まだ癖が抜けなくって」アハハ

染み込んだ見えない色が私の習性を象っているのかと思うと憎さよりも虚しさが募ってくる。

「そうだ、お母様から聞いたんだけど縄爺って知ってるんでしょ?」

縄爺というのは私が幼子の頃からお爺さんのイメージが強い人だった。縄爺というのは無論渾名で、その昔ここらで一番の豪族の娘をふらふらと流浪してきて誑かした挙句に娶って、ヒモとして悠々自適に暮らして村人をドン引きさせた武勇伝をもつ伝説の古やりてジジイである。それをもじってヒモ転じて縄で縄爺。

「ええ、でもあの人一世紀はゆうに超えてますよね?」

「らしいね〜。最近は呆けてきたらしいけど症状は軽度で、健常者と遜色無いらしいよ」

「業が深すぎて成仏出来てないのかもしれませんね...」

「あははは、確かに!あり得るかも」

やったぜウケた。

「まあ何年生きてても惜しくない人ですからね。何気に人気は高いんですよ何故か」

「そうなんだ、今度話してみようかな」

それから良い感じに(主観)雑談をしながらすっかり居座ってしまって、二時間も話し込んでいた。

「もういい時間なんでそろそろお暇させてもらいますね」

「そう?お菓子美味しかったよ。ありがとう」

「お気に召して良かったです」

それから玄関まで見送ってもらって自転車に乗った時に、帰り道の苦労と今までの僥倖を胸にペダルに力を込めた。

帰り際、来しなにも目に留まった交通安全を願ってか事故犠牲者の成仏を願ってか定かではないがお地蔵が一体、道端のひっそりと立っている。効きづらいブレーキを握して補助に靴底を擦り擦り、地蔵像の前に停まった。

用事が無いのは自覚しているが、(昔こんなの有ったかな?)という疑問がどうにも晴れない。一先ず手を合わせて「黒地蔵」という単語を連想しつつ、冷ややかな石造りのボディをペタペタ調べた。

「何か御用かな?」

名状しがたい妙音で投げかけられた質問は、人っ子一人通らないこの辺鄙な道で私以外には地蔵しかいない状況から質問を返した。

「お地蔵さん?」

「はいはい」

「喋ってるね?」

「喋りもしますよ。無断でお触りになるんだもの」

「ごめんなさい」

「些細な事ですよ」

「お地蔵さんは妖ですか?」

「ふふ、それもおかしな言い回しですが。はい、正しく」

「昔は居ませんでしたよね?」

「居ましたよ。この姿ではなかっただけで」

「何故お地蔵さんなんです?もっといいのがあったでしょうに」

「僕はもうすぐ入道の最終段階なんですよ。入道ってのは読んで字が如く何かの道に入って行くんですよ。そうして妖はやがて大きな意味で変化するんです」

「例えば?」

「成ろうと思ったものに成るんです。僕だったら見ての通りお地蔵様です」

「悟りってのは誰もがそう簡単に開けないんじゃないの?」

「それは人の基準でしょ?僕らは果物は熟れたら落ちてくる事に重力が働いていても、重力の仕組みは全く無知です。だのにそれを解明せずにそれを見ている。在るが儘を見ているんです」

「道筋を考えるから悟れないと?」

「それも違います。道は一つではありません。僕らは最短で悟るなんて事はせずに時間をかけられる。だから人の基準は本当に無意味なんです」

「つまりどういう事だ?」

「杓子定規に悟るも大雑把に悟るも自由、かな?」

「そんなあやふやで良いのか?」

「僕らは良いと思いますよ?」

「そうか...。まあ、それじゃ私はもう行くよ、邪魔したね」

「ええ、ではまた」

そう言ってサドルを軋ませて自転車に跨った時には、もう地蔵は巧妙になりすましていた。

自宅に着くなり居間に倒れこんで麦茶を蒸された体内に流し込んで水冷を図る。

視界がぼやけてたった数時間の間に起こった事を思い出すと、その映像が胡乱に目に映って夢か現かの境が定まらない。宝籤は夢を買う。そんな事が出来るなら今私は目一杯買ったのかもしれない。

妖怪の類は昔から時偶見ていたが、波瀾万丈な物語など起きずにいつしか馬齢を重ねている内に文字通り、私の目から忙殺されてしまった。大人になったのだと思う。

汗が冷える余地も無く、夏は娑婆に厳然と在った。

疲労感が瞼を沈めて行き、ぐっすりと寝込んでしまった。今日は何度眠っただろうか。


暗闇に意識があって、そよ風が顔を掠めると段々とその風が吹かないうちは暑いのだと覚るって堪らず目を開けた。居間の畳の上で雑魚寝していたかに思ったが、いつの間にかタオルケットが一枚、私に被せてあって扇風機の首振りがそよ風の正体であった。窓を見つけて外界を眺めるともう仄暗く、夕刻になっていた。体を捻って辺りを詮索するが、誰も居ないようでどことはなく空虚な、野っ原に取り残されたような心地になって深呼吸をして起き上がった。

台所に行って見渡すが、矢張り無人で晩御飯の支度をと冷蔵庫の中の有り合わせで炒飯を作って淋しく食べていると突然玄関がガラリと開いて、無骨な調子で「ただいま」と母の声がした。

しかし驚いたのはその後に続いた若々しい「お邪魔します」という幼さを残した声だった。

口に運びかけの匙を静止して母の後続をまんじりと見た。上がり込んで来たのは中学三年生くらいの女の子で、やや茶色がかった髪を馬の尾結びにして私を見つけるなり会釈をして戸惑ったのか立ち竦んでしまった。

私は会釈を返して匙を置き、台所に向かった母を追った。

「ちょっと、あれは誰?」

「あー、アンタを態々呼んだのはあの子の遊び相手になればと思って」

「いやいや!、

パティピーポーで

ピッチピチの

プラダを着た悪魔を見て育っちゃったような

ペットとの自撮り写真あげちゃう習性の

ポップカルチャー塗れの女子女子してるにょしょうなんて相手に出来るわけないじゃん!?」

「何言ってんの?頭とち狂ったんちゃうか?」

「現代人はすぐキレるって聞いた事あるし...」

「ほんなら都会で野垂れ死ぬか?」

「ぐぬぬ...」

「出来るやろ?」

「で、出来らぁ!」

こうなりゃヤケクソだ、私の根底にある大人ぢからを御覧じろ。

「それはそうとあの子は何故またウチに来てるの?」

「山村留学で一回はこの辺に来てたらしいんだけど、なんかご両親が気に入っちゃったらしくてなんでも海外から引っ越してきたらしいよ?」

「外人、だと...。日本語も危ういのに...」

「大丈夫よ、Vちゃん日本語ペラッペラだから」

(くっ、鎮まれ!俺の自尊心!。名前はVっていうのか、矢張り外人風だな)

「優等生なら大船に乗ったつもりでいいな!」

「アンタが乗っちゃっちゃあ駄目でしょ」

踵を返して自信満々に元の席にどっかりと腰を落として「まあ、こっちに座んなよ」と手招きする。

「あっ、はい。失礼します」

「礼儀正しいんだね。お名前Vさんだっけ?私は○って言います。どうぞ宜しく」

「年下にも敬語使うんですね?」

「敬語ってのは敬う相手に使う物で、学校で習うように歳下全般に使うと間違いが起こるから気をつけた方がいいよ」

「そうなんですね。本音と建前って難しいです」

「おませさんやなぁ...。」

それから母とVは晩御飯を食べ、お床についた。

夜、午睡をした所為で睡魔は満足そうになりを潜めている。蚊帳を吊った天井を見上げながら自分の一生を想起させ、それらに比べると現状が大衆の幸福像に近づいている気がして、異常な胸騒ぎがする。

(遊ぶって一体何をどうすればそうなるんだろう?)若い子がこんな田舎で楽しめるんだろうか。幼少期は虫を追いかけても魚を追いかけても、蛇に追われても衝撃の連続で精一杯に生きてた気がする。それが歳を重ねる毎に力量が増すから大事が小事になってしまって、隙間に何か埋めたいのにそのピースがどこにあってどう合致するのかは未だに分からないでいる。こんな私がどうVを喜ばせてやれる?

「ぉぅぃ」

(ん?...幻聴か?)

「ぉぅぃ」

違う、山奥のこの家の全開の窓から何かが這い上がってくる。陰影が月に煌々と照されてくっきりとしてくる。

背丈は私の拳程の小人の一行様だ。格好は艶々と髪を結い上げて十二単を着込んだ雌型と烏帽子を被って扇子を持って直衣の雄型がいて、召使いに壁を垂直に登らせる鬼畜貴族共だ。

声を潜めて話す。

「何か用か?」

「本来ならこの様な事は遣いを出しすのじゃが、今夜自ずから赴いたは月天子様の命が下ったためじゃ」

「月天子?」

「月の神格に御座す方じゃ」

「それで?」

「ここらでは夏の盛りに祭りが催されるじゃろう?あれは月天子様と炎帝様の酒宴が起源の祭りじゃ。その折に久方に帰り来たそちを迎える様にと仰せになった。迎えを遣わすからから必ず参るように」

「何でまた私が?」

「麻呂達含め、我々はそちがおらねばここらは神託も受け取れん碌々生臭宮司しかおらん。果ては妖供は蔓延るやら間違って祀り上げるやらで神通力は悉く乱れておる。そこでそちに暫くの間、正しい形へ戻す役目を授けようと思召した御様子じゃ」

「そんな事私は出来ないぞ?」

「何もせずと良い。そちは水紋を起こす役割ゆえただ祭りへ来れば良いのじゃ」

「なんか分からんが覚えてたら行くよ」

「用はそれだけじゃ。では、蚊遣りの香が鼻に付いてかなわん。帰るとしようか」

そういうと扇子を口元に翳して手下の担ぐ駕籠に乗り込むと、「参ろう」と一言発して揺られていった。

(どこもかしこも苦労があるもんだな)


翌朝、眠たくなかったのに寝不足な体を起こして顔を洗う為に洗面所へ向かうとVが既に起きていて、バッタリ鉢合ってしまった。

「おはよう、早いんだね」

「おはようございます。すみません、先に使っちゃって」

「いやいや、こっちこそ寝起き見ちゃってなんか御免」

「ホームステイみたいなものだから仕方ないですよ」

内心役得だと思った。エッセイや雑誌では面白おかしく脚色されていて、実際のところ女性がどういう風に粧し込んでいくのか未知な部分が多かったから。

まあ、私の年代は中学校の校則でおメイクなんて出来なかったんだけど、今は大分違うらしいし。

「あの〜、何か?」

「え?」

「さっきから凄くこちらを見られているので」

「あっ!、ごめん。完全に無意識だった!」

キモいおっさんが凝視するのはキモいに決まってるからね。

「良かった、何か普通と違うことしてるのかもって思いました」

(天使か)

「ご両親が外国の方だとやっぱり気になるんだ?」

「はい、オーバーリアクションって言われたりすると悪い事してる気分になったりしますし」

「あ〜、慣れてないとそう見えるよね」

「あ、あと母は元々こっちの国の人です」

「へぇ、じゃあハーフみたいなもんか」

「はい、読み書きが二カ国分は流石に辛いですけどね」

「英才教育みたいで格好いいじゃん」

なんとなく仲良くなれそうな気がしてきた。

「Vは何かしたい事ってある?」

「ええっと、川遊びとかしてみたいです」

「以外だな。もっとこう、ケーキバイキング!とかショッピング!みたいな事言うかと思った」

「年頃ですからね〜、周りも大体そんな感じですよ。でも両親共に小さい時は自然の中でって教育方針らしいので、どうせならそういう体験がいいかな〜と」

「無理しなくってもいいんだよ?」

「やりたくなったらちゃんと言いますから、今はそれで」

「わかった。じゃあ私が小ちゃい頃に行ってた川でいい?」

「はい、楽しみです!」

気遣いが些か強めなのか、それとも本気なのかよく分からない子だ。女性は内心とは裏腹に表情を操れるという情報が男性誌に書いてあったから疑わずにはいられない。多分嘘だけど。

露草色の瞳がコロコロと動いて少しはにかんだ時は肌色に紅みを帯びてくる所がなんとも愛らしい。茶の入った長髪が昨日とは違ってばらけているせいか少しだけ大人びて見える。

私も顔を洗って気を引き締めた。

朝食は白米、鮭の塩焼き、味噌汁と来客歓迎のきらいは薄い。普通は鮭はあんまり出ない。

Vは気を遣っているのか美味しいとは言っていたが、一日くらいはもっと豪華にすればいいのにと思う。

朝食が済み、直ぐに行くのは女性の身嗜みというのにかける時間を余りに度外視しているか、と気を揉んでいると小走り寄ってきて「さあ、行きましょう!」と声かけがあった。

気を遣ったつもりが遣われた。ノーメイクが光る歳なのに。

舗装の及ばない真砂路を二人ぽっちで歩く。道中の心持ちはドギマギしていた。

(何か話した方が良いんだろうか?)

「○さんは」

口火を切るV

「○さんは私にどうあって欲しいですか?」

「それは...えっと自由にあれば良いんじゃないかな?」

「大人びてるって言ってましたよね?という事は子供の枠を超えちゃったって事ですよね?」

「いや、それは社交辞令みたいなもんで...」

「ふーん、じゃあ私がすっごく○さんの事大っ嫌いって言ったら嬉しいですか?」

「ん〜、嬉しかないけど好かれるマスクでもないからねぇ。そう望むならそうするといいよ」

「じゃあ私が無邪気じゃなくても気になりませんか?」

「皆が言うからこうしてるのに!ってのは自分なりのポーズをとった後に攻撃を受ける事が分かって臆病風に吹かれた奴だよ」

「○さんは違うんですか?」

「自縄自縛の自覚が有れば然して障害でもないよ」

「じゃあ...○さんの前では自由にしますね?」

そう言って振り向いたVの額には猛暑に追い立てられて汗が一滴、眦近くまで伝っていて、白い整った歯が嬉しさを浮かべていた。私はこのうらうらとした日和に、こんな所に彼女がいるのはどこか揺蕩う夢のようなものでリアリティは壊滅せしめられた気がしてならなかった。

川についてもどこか心を落っことしてしまって魚影を追うにも蜘蛛の巣を破るにしても、もう病的に上の空だった。

純白のシャツのあどけなさを残した物言う花が狂い咲いて、飛沫を立てて華奢な四肢を遊ばせている。しきりに揺れる髪の毛先に平衡感覚はいつしか失われていく。茹だった頭を冷ます為に瀕死の理性を振り絞って川底へ突っ込んだ。

「え!?大丈夫ですか!?」

慌てて駆け寄ってた彼女に腕を引かれて、冷めた頭で紳士的に振る舞った。

「ああ、大丈夫大丈夫。私もなんだか遊びたくなってね」

「フフフッ、ハハハハハ。○さんって意外と子供っぽいことするんですね」

「大人の枠を超えちゃったかな?」

「それでも良いじゃないですか!あっ、これは社交辞令ですよ?」

「手厳しいなぁ」

目を細めて肩を震わす無邪気な子供。もう子供じゃないのかもしれないけれど。

も一度頭っから水面に浸かって、今度は石を裏返してヤゴを採ったり魚の追い込み方を伝授してみたりして遊んだ。偶に感嘆を漏らされると途端に恥ずかしくなってしまう。

ずぶ濡れになって見様見真似で次々と会得していくVを見て天才なんだと思った。

水中運動は成体でありながら怠けたひ弱な体には苦痛らしく、やがて膝が震えるほどの疲労がいつのまにか溜まっていった。Vはそれを見て「帰りましょう」と言った。

ヘロヘロの木偶になった足を無理に運ぼうとしたが、千鳥足が関の山で結局家までVの肩を借りた。互いに濡れ衣だったから体温がしっかりと伝わってくる。

「ほら、しっかりしてくださいよー。お爺ちゃん?」クスクス

「いやあ、随分と歳とっちまっただぁ」戯けてみせる。

家に着くと母が様子を見て「だらしない」と酷評した後Vと私に風呂に入って着替えるように命じた。

「一緒に入ります?」なんてVが揶揄った。

田舎でもなんでも一線は有る。流石にこれは大人びていなしたが、しかし順番を待つ間床に投げ打っているこの体が、もしも倦怠感ではなく高ぶっていたら間違いなど容易く起こったかもしれないと夢想してゾッとした。

タオルで髪を拭いながら「上がりましたよ〜」と声がかかったので、ヨタヨタと風呂へ這った。

湯船に沈んで「あ”あ”ぁ〜」と何もかもが吐き出した。

三度沈みかけて、咳交じりに風呂を出るとVは西瓜を食んでいた。

「食べます?」

「うん、食べる食べる」

赫々として所々先端が粒状になった果肉を齧ると、空腹も手伝ってえもいわれない甘味が口に広がった。

(美味い!)

横目でVを見ると同感なようで、西瓜の切り身は全く皮しか残らなかった。朝の鮭とおそろ。ごめんね鮭。

それからテレビを見ていたがものの2分で眠りこけてしまって、気付いたら夕べになっていてVに謝らなければと探したが、私より疲れたのかちゃんと寝床で寝ていた。

母が私の寝起きに気付いて、訊いてもないのにVの話した感想を告げた。

「Vちゃん、楽しかったって言っとったよ〜」

「そう、それは良かった」

「今度は花火とかしてみたいって言ってたよ」

「手持ちなら最寄りの商店で買って来ればいいかな」

「どうせなら一緒に買ってきなさいよ」

「面倒じゃない?それ」

「買い物が楽しいのは世界共通ってテレビでやっとったから行ってきや」

「左様ならVが起きたらそうするかな」

仲良くなったのは良いが、あの日中の心象が煙草がどんどん吸いしろを灰塵にするように私の胸中を焼いては葛藤を増やした。


チリチリ焼ける

何故か年の差、何故か性別、何故か良い所、何故か身分、何故か道徳。

チリチリ焼ける


「やっぱり一人で行ってくるよ」

「え?そう?」

我楽多のチャリンコを漕ぎ出して、ギアを三回軽くした。

最寄り、と言ってもこの田舎の事だから超ホワイト営業時間ですっごく遠いのは必然で、間に合わせる為に筋肉痛の太腿をいぢめた。

もう客足は絶え絶えになっていたが何とか間に合って、店員に花火の在り処を尋ねたら無駄話に交えて教えてくれた。

(げ、五百円とかすんのか...)

手持ちのお銭は二千円。笑顔が待ってるかも。

(やっぱり只であんな良い思いをしようなんてあり得ないんだ)

レジに商品を持って行って、野口英世のもっさりヘアを摘んで構えた。順番が回って来たので素早く英世を贄に捧げてその残骸を待っていると「もしかして○君?」と声がした。

最初野口の呪いかと錯誤したが、その声音は女性的だったのでレジ打ち係だと分かった。声の主を見ると眼鏡をかけて制服を着ている印象知的な女性に見えた。

「○君、だよね?」

「えっと、ごめん、どちら様?」

「ああごめん、Oだよ、同級生の」

O?確か学年で一番の秀才だった気がする。

「あの頭の良かったOさん?」

「頭がいいかどうかはわからないけど、そのOだよ!」

「いやぁ、すっかり印象変わってて吃驚したよ」

「あー、髪の毛とか結構弄ったからね」

「短髪だね。たしかずっと髪の毛伸ばしてたのに切っちゃったんだ」

「うん、踏ん切りをつける為に切ったんだ」

「失恋?」デリカシーのないことこの上ない。

「うーん、みたいなものかな。でも最近いいことが有ったからどっこいどっこいかな」

「そうなんだ、良かったね」

「ねぇ、あと10分で閉店だから昔話でもしない?」

「えっ、えっと、あー、うん」

「じゃあちょっと待ってて」

あんなに頭脳明晰だったのに地方勤なんて、世知辛さを見せてくれるなと世間の情け無さに密かに訴えた。私の実像を思い返せばそれよりは良いのかもしれない。

鴉が唖々と鳴き鳴き巣に帰るのを見送って手持ち無沙汰を紛らした。

(そういえば現状って逆ナンみたいじゃない?)なんて誇大妄想をやっていると足音が聞こえて私服に着替えたOが「お待たせ」と手を振った。

私も応えてOの歩調に合わせて自転車を手押した。

「高校卒業以来だっけ?」

「もうそんなになるかぁ...。Oさんはいいとこに就職するもんだと思ってたよ」

「皆んなにそう言われたよ。でも私も本当に馬鹿だったんだよ。真面目腐って夢を語る有名人が居ないってだけで推薦の話も蹴ったんだよ」

「へぇー、意外。そんなの鼻で笑ってるイメージだったよ」

「実際そうだったんだけどやっぱり苦労したくないのはアインシュタインでも一緒だと思う」

「同感」

「○君は今は何してるの?」

「うっ...」悪気が無いだけに刺さる。

「えっ、何か地雷踏んじゃった!?」

「いやいや、事実なんだ。何を隠そうと無職兼子守りです!」

「猛々しいね。子供って事は奥さんが...いるんだ?」

「いや、海外から引っ越して来たハーフの子で両親が忙しいから夏休み期間に預かってるだけだよ。残念ながら妻君は居ない」

「そっか、へぇ、ふんふん。んでその子はどんな子なの?」

「ん〜、大人びてて、元気で、可愛い?って感じかな?」

「という事はまだ子供なんだね?」

「うん。確かじゃないけど見目中二年くらいだよ」

「へぇ...。ところで、○君は奥さんを持つとしたらどんな感じの人がいいの?」

「今はそんなに高望めない立場だから特に考えてないよ」

「そう。その買った花火って今日やるの?」

「そのつもりだけど」

「じゃあ私も一緒にやって良い?」

「良いけど、明日に響くんじゃないのか?」

「大丈夫だよ。いつ辞めたって良かったし」

「それ大丈夫じゃないでしょ!?」

「貯金はあるからそれで当分は大丈夫だよ。人間休まないと動けない作りなんだから」

「...なんか肩の力が昔より抜けてる気がする」

「そう?」

「うん」

カラカラと車輪を鳴らして自宅へと向かっている現状が、またもや幸福に近づいている気がする。こんなに長い夏が有ったろうか。地熱が薄くなったサンダルの底から伝わってきて、いま歩んでいる道の険しさを暗示しているのかもしれない。

二人とも黙りこくって歩いている。ふとOの面持ちが気になった。コミュ障故に人の顔をまじまじと見れないので記憶したくなったのかもしれない。

足元からゆっくりと視線を上げていく。緻密に創られた女体。小さく丸い肩に腕を振る度に見え隠れする脇、ノースリーブである。うなじが有って産毛が細々と生えている。頤、エラ筋、小さな耳とそれに乗っている眼鏡のツル。切れ長の眦に続いた長い幾条もの睫毛、柔そうな頬に小さな口、鼻も細やかで別の空気を吸っているのかと思わせる。

視線に気付いたのかOがこちらを振り向くと、漆喰を塗った細工の様な目が私を捉えたのが確信できた。

「何か用?」

「い、いや特には」

「そう、じゃあ早く行こう。花火楽しみ」

歩調が一段早くなって私もそれに合わせた。

「ただいまぁ〜」と間の抜けたいつもの調子で帰宅を告げるとVが駆け寄って来た。

「ああ、○さんお帰りなさい、今実はLさんが...」

「起きたんだね。お出迎えありがとう。Lさんがどうしたって?」

「やっほ〜お邪魔してるよ〜」

「あ、いらしてたんですね」

「○さん、あの方は?」

「初めまして、Oと言います」

「という訳でOだ」

「ご丁寧にどうも。Vです」

「おぉ〜なんだか華やいできたねぇ。Lです。よろしく、Oさん」

「さん付けじゃなくても最年長なんですから」

「○さん、それは流石にデリカシーに欠けるかと」

「そうだよ、謝った方がいいよ」

「分かってないね!こういう事はプラスポイントなの」

「そうなんですか?」

「そうだとも。最近は猫も杓子も皆一様に若いのが良いというけど、少々年増の方が婀娜で味わい深いもんなんだぞ」

「なんかそう堂々と言われると恥ずかしいね///」

「で、でも若い子も良いですよね?Oさん?」

「え?あ、ああうん!やっぱり着れる服の幅とか考えると若くありたいよ。でも○君は年上好きなの?」

「いや、偏った好みは無い。ただ魅力的なものを蔑む風潮には一家言有るってだけだよ。

あ、Lさん。ウチの母どこ行きました?」

「あー、えっと、地元の寄り合いでお酒を召されてその勢いで下呂温泉に向かわれたよ...」

「えぇ...。シーズンオフもいいとこでしょうに...」

「○君のお母さんって確か授業参観の時に一緒になって授業に参加しだした方だったよね?」

「歴史は繰り返すんだよ...。あと黒歴史の墓荒らしはやめてくれさい」

「ごめん、あんまりにも衝撃的だったから」

「それよりも晩御飯どうするんですか?」

「そうだなぁ...。私が作るか。炒飯の炒飯盛り炒飯を添えてが火を噴くぜ」

「心配だから手伝うよ。炒飯以外を作るとしよう」

「そんな、Lさんのお手を煩わせるわけには」

「アハハ、アタシはそんなに偉くないよ」

「じゃあ私も手伝う」

「Oって料理出来る系女史だっけ?」

「こう見えて結構特訓したから平気だと思うよ」

「そうするとVは毒味役かな?」

「なんでですか!」

「料理出来ないでしょ?」

「味噌汁くらいは作れますし?」

「じゃあやっぱりするにしても朝だね」

3人で台所に立つと流石に手狭だった。でも各々が満足げな顔をしていたから今はこれで良いんだと思う。これが二度続けば三度目が来るはずだからそうなる事を願ってやまない。

食卓を囲んでからは色々な話をした。私の記憶が朧げなのをOが繕って、Vの成長期のデリケートな疑問を私が聞いて、Lさんの恋話にVが夢中で聞き入った。

途中からOとLさんにアルコールが入ってグダグダになってきたので、宴も闌だと見限ってお開きにした後、二人を布団に寝かして食器を洗って片付けた。

歯磨きを済ませてもう寝ようかという時にVが「隣で寝て良いですか?」と密やかに言ったのを快諾して少し安心した。甘えられるのはまだ大事な年頃だ。

その夜、夢を見た。また小さな私が出てきて「夏休みって楽しいよね!」と一言だけ残して消えてしまうだけのもの。

もう社会人ではない私は夏休みを与えられるのだろうか?それともそんなものはとうの昔に剥奪されてしまったのだろうか?

分からない。あの期間は夢幻か否か。実証など出来ないのにそれに縋る私が間違っているのかもしれない。

どっちだって良い。今この時だけは喜びに目覚められると保証がついているから。

俎板をコツコツと打つのが聴こえてきて拍動と段々合わさってくる。耳が澄んできて矢庭に体を突っつかれて目を覚ました。

正体はLさん。ギョッとして隣の布団に目を走らせるがもぬけの殻で、キチンと畳まれた布団が私の有様に引き立って余剰がついて清潔に見えた。

「Vちゃんの布団なんか見ちゃって、何かまずいことでもあったの〜?」脂下がる口許が色っぽい。

「お戯れを。教育上よろしくないかと案じただけですよ」

「今時の子はもうこんなの普通じゃないの?」

「旧世代の私はそうでもないんです。失礼、顔を洗いに行きますんで」

そう言い放って速やかに布団に羞恥を畳み込んで、洗面所で梲の上がらないのっぺりとした顔を雪いで、鏡に写りながらタオルに濡れを吸わせた。

居間へ行くとLさんはいつのまにかTVを眺めていて台所ではOとVが談笑まじりに朝食を支度していた。

「あ、○さん起きたんですね。これ私が作ったんですよ!」

Vの指し示した先には小さな鍋があって漂う臭いから察するに昨夜の宣言通り味噌汁のようだ。

「おお、本当に作ったんだな。お父君とお母君に見せられればよかったんだけど」

「両親共きっと無反応ですよ」

「そんなら私がいただくとしますかね」

両親の教育方針の一端が垣間見えた。

「○君、配膳手伝って」

「心得た」

今日の朝ごはんもバカに賑々しくて、先払いを受けたような感傷を負った。

「さて、今日は何をしようか」

「ここにいる全員が暇してる事実が凄まじいね」

「Lさんは仕事とか無いんですか?」

「正味なところやらなくても死ぬまで安泰だよ」

「「「え?」」」

「婚約相手が死んだ時に保険金の幾らかを分割して貰っててね。それに遺言に合切の財産が全部アタシに譲渡するように書いてあったんだよ」

「結婚詐欺...私もやってみようかな...」

「こら、子供がそんな事言うんじゃありません」

「お爺ちゃんが怒った、助けてOさぁ〜ん」

「駄目じゃないですかお爺ちゃん、血圧上がって死にますよ?」

「○お爺ちゃんは短期だからね〜」

「Lさんまで!?誰かー、皆んなが儂をいぢめるんじゃ〜」オイオイ

「お爺ちゃんといえば、縄爺の所に行ってみない?」

「縄爺?」

「Vちゃんは知らないか。超長寿の超人で色褪せた元色男として名高いお爺さんなんだよ」

「私も久々に御尊顔を見たいな。ひとつ、皆んなで行ってみるか」

思い付きとその場の流れで縄爺の邸宅にお邪魔する事になった。そうと決まれば早速外出の準備に各々が取り掛かった。

LさんとOは洗面所や鏡台に向かったがVは待機組に加わっている。これが正しいのかなんて野郎には終ぞ解るはずない。

ひと足早く化粧を終えたLさんが車の鍵を人差し指を軸にクルクルと回して、「乗りな」と得意げに顎で合図する。それに従って私とVが後部座席に乗り込んで、後からやってきたOは消去法で助手席を担った。

女性三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、事実道中の陽気なことには耳が聾になるかと思うほどだった。猫の余裕もなんのそので猫可愛がりされた挙句に疲れ果てて幾らか弱っていた気さえする。

縄爺の邸宅前には門構えがあり、萎縮しつつも潜って行くと曲がりくねった松やら池に錦鯉が遊泳してるやら、果ては本家に着く前に茶室まで建てている桁違いの造りだった。

飛び石通りに進む外は全体が青々した苔が敷かれていて、不可侵の心理を働かせる。

漸く本家に辿り着いて呼鈴を鳴らすと手伝いと思しき人物が黒いスーツを着込んで出てきた。

「はい、どちら様でしょうか?」

「すみません、幼い頃にここらに住んでいて、近々に帰ってきたのでお変わりないかとお見舞いに伺った次第です」

「そうでしたか、ではどうぞ」

そう言って黒服の人は玄関を全開にして手で奥を示した。

「「「「お邪魔します」」」」

廊下は天井が木造りで建物の中央に京都式の小さな庭があり、窓硝子は旧時代の割れやすいもの様だ。要所に小さな墨絵や写真が飾ってある。

居間へ通されると籐家具の長椅子に横たわった縄爺がのっそりとこちらを向いた。

「おひさしぶりです。お元気ですか?」

「んん?こりゃあまた両手に花々の懐かしい小童が来たなぁ。これ、黒、客人にあれを持て」

「はい、少々お待ちください」

すっかり時代劇の太っ腹の大金持ちの振る舞いだ。昔っから変わらない。

「黒ってあのお手伝いさんの名前ですか?」

「うむ。忠実忠実しく働いてもろうとるわ」

縄爺は長く伸びた髭を摩りながら重厚な湯呑みで茶を啜った。

部屋を見渡す。机は黒檀製で重いために四足それぞれに小さな綿を詰めた敷物が噛ませてあり、天井は網代で職人の超絶技巧が光っている。日本庭園で蚊が湧きやすい為か蚊遣りの伽羅が香る。壁の掛け軸には「天照大神」と肉太に書いてあり、その前には翡翠で作ったであろう花瓶が中の百合の花を抱いていた。

「さて、遊びで来たようだが実のところは仕向けられておるらしいな。特にお前がいかんな○...じゃったか?」

縄爺の金歯がのぞく。

「私ですか?」

「うむ。お前は病でもあるが役目も負っておるし生まれ変わる前でもある」

縄爺が何を言いたいのか分からない。もしかしたらこれが呆けたって事か?

「えっと、どういう意味でしょうか?」

「まあまあ、間近く寄って取り敢えず足を崩せ。それよりもその娘らは何処の誰じゃ?」

「えっと、全員最近会ったんですが、元同級生の元婚約者のLさんと、海外から引っ越して来て両親が忙しくて面倒を見たり見られたりしてるVと、同級生だった秀才のOです」

「ふむ...。ときに皆、儂のこの暮らしをどう思う?」

「また藪から棒ですねぇ。贅沢三昧だと思います」

V「凄いと思います」

O「同じく」

L「アタシは幸運だなぁと思う」

「そうかそうか、だが事実、御前らの暮らしと大差は無いぞ?。儂は苦労をした試しがない」

(言い切っちゃったよこの老爺)

私「はあ。でも私はこんな高級品なんか使ってませんよ?」

「では使うが良い。お前はそういう状態にある。欲しいものを欲しいままに出来るわけじゃ」

思わず一笑した。

私「いや、そんな荒唐無稽な話あるわけがないじゃないですか」

「有るんじゃよ。同病の儂が言うからには相違無いぞ」

私「でも貴方と違って最近まで苦労してましたよ?」

「それはお前が望んだからじゃ。大方、周囲にとやかく言われて強く欲したんじゃろ」

血の気が引いた。ドンピシャの推理だったから。

私「で、でもそれじゃあ会社も辞めたかったからクビになったと?」

「うむ。望めばその通りになったろう?」

私「そうだ、電話!電話してないのにコッチに連れてこられたのは望んでないですよ?」

「それが難しい所じゃと言うておる」

突然襖が開いて黒が何やら重そうに氷柱を抱えて来た。

「旦那様、これはどちらに」

「近くに置いてくれ、それから話が長うなっておるから昼餉の支度をせよ」

「承知致しました」

金盥に置かれた氷柱はよく見ると幾輪かの花が封じ込められている。

私「これは...花氷ですね?」

「うむ。この時期にこの猛暑じゃからな、早めに作らせておったんじゃ。空気を入れないのが難しくて時間もかかるからな。さて、話を続けようか」

私「はい」

「今も申した通りにそれは率直に言ってお前が望んだからに他ならん。恐らく独り身を嘆きでもしたんじゃないのか?」

私「ぐ」

O「えっ、そうなの?」

私「...」

L「図星だねぇ」

私「でもそれでいくと三人はおかしくないですか?」

「何故じゃ?妻が一人じゃなければいかんのか?」

私「えぇ...」

「それと、何かしらの役目を負うておるようじゃから都合が良かったんじゃろうな。まずO、家系図を調べればすぐに分かろうがお主の先祖は元々炎帝を祀る一族だったはず」

O「えんてい?ってなんですか?」

「簡単に言えば太陽じゃ。そしてL、お主は政の際に吉凶を占う役目を帝から請け負った一族じゃ。最後にVは月天子を祀る一族が両親のどちらかにおるはずじゃ」

私「じゃあ私は?私はもう必要性が見当たりませんよ?」

「お前の母方はこの地に命からがら移って来た名のある一族の将じゃったわい。それで父方はその一族を受け入れた原住の民じゃ。つまり繫ぎ止めるという仲人の様な役割がある」

O「○君、さっきから何の話をしてるの?これ」

私「いや、私も分かる部分とそうでない部分がごちゃ混ぜになってて全容が掴めない」

「役割をそれぞれ演じるために使われておるだけじゃからそう難しく考えずとも良い。じゃから思いつきでお前の母親は湯治を模しておるのじゃ」

私「なんで知ってるんですか!?」

「歴史をなぞっておるだけじゃ。騒ぐな。それとお前の病じゃが、過去に会ったな?」

私「それって、あの子供の私の事ですか?」

「うむ。そのお陰で今のお前の欲のままになされる羽目になっておる」

私「どうやったら治るんですか?」

「治したいのか?」

私「...それはっ...」

正直なところ便利だと思っている。もしも本当にそうなら目の前の贅沢が私の手中に収まるのだから。

「儂は治さなかった。だから今の生活がある。答えが出ないなら今はまだ甘んじておくが良い。さて、呆け老人の与太話は退屈じゃったろうお嬢さん方。詫びに昼食をあがって行かれるといい」

O「いや、そんな悪いですよ!」

V「そうですよ。お見舞い来たのに」

「そうか...では今頃台所で捌かれておる魚は食べきれんから捨てるしかないのぉ...」チラッ

V「うっ...それは勿体ない気が...」

「それじゃあ助けると思って食べておくれ」

L「仕方ないよねぇ。いただいていこっか」

丁度廊下から足音がして黒さんが襖を開けて入ってきた。手には大きなお盆が持たれていて蒔絵の施されたお重が乗っていた。

「おぉーきたきた、これが楽しみで二世紀近く生きておるんじゃ。客人を優先しなさい」

「かしこまりました」

V「うわぁ、何ですかこれ?」

「開けてからのお楽しみじゃ、といっても匂いでもう分かるかな」

L「これは...鰻ですか?」

「御名答。これだけはやめられん」

私(髭にタレがいっぱい付きそうだなぁ)

それから何回か黒さんが去来して配膳が整い、漆塗りの箱を一斉に開けるとあの甘い匂いが部屋にいっぱい広がって垂涎せずにはいられない。

ふと花氷に目をやると暑さのために潤んでいた。

舌鼓も存分に打ったあと、御土産に香油や紅や櫛や簪などを銘々貰って車に揺られた。

どんなに古狸でも所詮は赤銅色の田舎のお爺ちゃんで何かの餞別かもしれないけれど、それを受け取ったところで有り余る財は布石とも思えなかった。

家に一旦帰ってから皆好き好きに体を休ませた。時間をありったけ使ってだらだらするだけなのに、一人じゃないだけで悦に入る私がいる。ラフな格好で時折麦茶を飲むLさんや目を上下させて愛読書をめくるOや昼寝に興じるVや、なによりもこの光景を鑑賞できる私の現在が鳩尾の辺りから底抜けに幸せにしてくれた。

夏の午後に運のいい男が一人、頬杖をついてうつらとろりとし始める。

耐え切れずに雑魚寝然として夢中に飛び込んだ。

また私が出てきたが、今回は変があった。少年は成長して立派な青年間近までになっていた。

相手の私が言う。

「僕は僕に取って代わるよ。もう僕は十二分に苦しんだ。僕の為に僕が悲しむのはもう嫌だから」

私が言う。

「えっと、昔の私が私の代わりになるのかい?」

相手の私が言う。

「そうさ。社会って奴は蛇の執念で一匹も逃すまいと虎視眈々しているのさ。そこで僕が僕の代わりに奴に喰われてやるのさ」

私が言う。

「そうしたら僕はどうなる?」

相手の私が言う。

「お幸せに。バイバイ」

闇の足元が瓦解して私が私と落ちて行く。


「...さ....ん.....○..........ん.....○さん!!!」

声に驚いて目を開けるとVが懸命に私を起こしていた。その背後にはLさんとOが心配そうにしている。

「なんだ、何かあったのか?」

「何かあったかじゃないですよ!悪夢なのかは知りませんが泣くほど魘されるなんて」

「泣く?私が?」

目元に指先を這わせると湿った。自分でも分からずに涙が一筋、また一筋と頬を伝って顎に集まり膝に落ちていく。

茜色の夕がまだ名残惜しげにな蝉を徐々に沈めて、柱時計が六つ、二 つ 持ちと別れを告げた。

皆んなの気分を一変させる為に電気を点けて、自分は大丈夫だといって笑顔を見せた。

立ち上がってディナーの支度を始めると戸惑いつつも手伝ってくれた。そのうち段々と元の調子に戻って何気なくテレビで笑う程にはなった。

献立はゴーヤーチャンプルと素麺を野菜と炒めたもの、にお吸物と中々の出来栄え。

流石に縄爺には敵わないけど安心する味だから引けは取らない。

すっかり夜が更けて月魄が漂い始めた頃、はたと思い出して呼びかけた。

「そういえば花火まだやってなかったよね?」

O「そうだったね。Lさんが来ててお流れになってたね」

「うん、アタシもやりたい」

「そうだった!確か買い出しに一人で○さんが行っちゃってたんですよ!」

O「なにそれ酷〜い」

「一緒に行けば良いのに〜」

「全くですよ〜」

結束力があるのは良いことだけど悪用するのはいかがなものか。

「それじゃあ今夜しますか」

「「「賛成」」」

少し凹んだバケツに水を汲んで、蝋燭に火をつけて溶け出る蝋を適当な岩に垂らしてその上に燭を置いて固定する。こういうのがVには新鮮に映ったらしく原理を訊かれたが説明したのはOだ。

それからLさんが三本点火して振り回したり鼠花火に驚いたり、Oが線香花火の大玉を作ったりと燥ぐ大人は子供じみていてすっかり花火を尽くしてしまった。じゅうじゅうとバケツに燃え残りを突っ込んで消火する。

(西瓜に花火もやったから次は何をしようかな)

わくわくが止まらなくてつい飲めない酒を少しばかり飲んだ。案の定酔っ払いが出来上がって頻りに何かくっちゃべったのだが記憶する余裕は無かった。

Lさんに肩を担がれて転がされた布団の気持ちの良いことには筆舌に尽くしがたい柔らかさ。雲海に泥む。体は鉛で頭がシャボン玉。

(はてな、氷雨でも降ったか)

首元にひやりと冷たいものがある。それもやがて火照った私にあてられて温もっていく。それは蠢いて背中へと入っていく。

(まずい、服に入ったか...?)

肩甲骨を縁取りながから背骨を逆撫でしてみたり、脇の付近へ来た所で幽かな息遣いと共に逃げて行った。


闇から覚めて浄闇。鈍い銀色の中で轡虫を筆頭に虫時雨が霏々としている。庭の月下美人が花弁を広げて、夜明けを憂う様が蚊帳の網目越しに望めた。

沈黙が犇いて無機質な高音が煩い。布団を剥いで熱が抜けると俄かに催してくる。尿意を解消すべく四つん這いで蚊帳を潜ってトイレを目指した。

便所の電気をパチリと点けて小便を済ませて手を洗ってトイレを出る。

寝所へ戻る道程に、背後からの灯りに照らされた足が二つ。無駄に血圧が下がった。

寝ぼけ眼で持ち主を見るとVだった。

「どうしたんだ?V」

発した声色が予想以上に濁声で意表を突かれた。

「私もトイレに起きたんです」

「そうか、待たせて悪かったな」

「いえ、今さっき起きましたので」

すれ違って布団へ潜り込み目を瞑ったが、意識はだいぶ冴えている。

(もう朝までこのままだろうな)

水洗の音の続いてひたひたと聞こえる。鋭敏になった聴覚が妄想を掻き立てる。

(もしもあれが近寄ってきたら?法や道徳が許容して本人が望んだら?)

膨らむワンダーランド。

(それじゃあ躊躇しなくて良い相手だったら?例えば、そう、Lさんとか、Oとか...。相手にならないか!)


寂静を破って鼓膜に捉えたのは畳を擦った音。呼応して心臓が早鐘を打つ。筋肉が硬直してじわりと手に汗握る。

((欲しいままになる))

脳内を縄爺の台詞が駆け回る。

薄く目を開けると蚊帳が揺れるのが見えた。布団が引かれる触感がして圧迫感が背後に居座った。ゴクリと喉を鳴らすと気配はフフッと息を漏らした。

極まりを知らない緊張が私の頭を敷き詰めて行く。ゆっくりと振り向くとVが座っていた。太腿は脹脛と合わさって行き先を変えた肉が横に広がって、臀部は地に着いておらず重心を追い求める足の甲は不揃いに骨を浮かべては消しを繰り返している。避暑を狙った薄着が矮躯の端々を露出して、それを見る私の瞳孔はいつしか暗闇に助けられて大口を開けているに違いない。

自分の体を凝視されているというのにVの口許は笑みを浮かべ、私の狼狽える様子をジッと情を込めて観察している。

風前の灯然とした私の理性が暴れている肉欲に獅子奮迅の働きをしているが、いったいいつまで保つのかたかが知れているのは言うに及ばず。

言語野を叩き起こす。

「V、何か用か?」早く去ってくれ。

「ねえ○さん、覚えてますか?私が前に言った素直になるってやつ」

「ああ」

「その舐め回すような視線、流石の私でも分かりますよ?」

「す、すまない。そういうつもりじゃないんだ。後日改めて謝罪する」

「そうじゃないんです。そういうコトって実は少し興味があって、それを確かめるのは今しか無いと思いまして。だって人目が多いから」

「そういうコト、というのは?」危ない。

「フフッ、惚けるって事は疚しいと思っているんですね?大丈夫です。誰も咎め立てしませんし、誰も知りません。勿論私だって罪に問うなんて野暮はしないですよ?」

「Vはまだ子供だから興味が湧くのは自然な事だ。だが相手を求めても私は駄目だ」

「何故ですか?」

「法律上禁じられている」

「法律は唖で聾で瞽です。今は」

「だとしても駄目だ」

「まだ何か?ああ、罪悪感ですか?LさんやOさんに対して申し訳無いんですね?アハハ、大丈夫です私は何人と何を如何しようが構いません」

「そういう問題じゃない!」

「じゃあどういった問題でしょう?」

「Vは本心からそういうコトを望んでいるのか!?」

「ええ、神に誓って」

確かめようなど無い。駄獣が、野性が鎖を噛み砕いて行く。

「もっと健全な関係でいいじゃないか」

「健全でしょう?愛し合う男女が交わるだけです」

そんなの分かってる。

「後悔とかしないのか?」

「する訳ないじゃないですか。私だって大雑把に選んだ訳じゃありませんよ?誰よりも魅力的だから誘ってるんです」

甘言と誉め殺しには滅法弱い。自尊心が高いから。

「シた後に捨てるかもしれないぞ?」脅す

「構いませんよ。出来ないの知ってますし。面倒だから言っときますけど、○さんの保険全てが適応されます。これで後は好悪の問題ですよね?」

不敵に笑うVは猫を被るつもりはなさ気。

「ほら、早くして下さいよ。二人が起きちゃうじゃないですか。それとも魅力が無いでしょうか?結構イケてると思ってたんですが...」

「そんなことは!、無い...」口走りが墓穴を掘る。

「アハハ、じゃあ大丈夫ですね。正直もう我慢出来そうにないんですよ。嫌なら抵抗して下さい」

そう言い残すとVは掛け布団を無理に剥いで私に跨って動きを封じた。腹上に股を強く押し当てて功笑を一つ浮かべると前後に擦り付け始めた。

「抵抗、しないん、ですね?」クスッ

勝ち誇った様子で力を強めるVは、次第に嬌声を上げだして熱帯夜をより一層苛烈に燃え上がらせて行く。

目眩のするような光景に胸中は業火に溢れ、しかし思考は軈て玉虫色から猩々緋へと塗り替えられて下腹部には悪感情が鎌首を擡げて毒素を吐き出そうと脈打っている。

腹上の熱に湿り気が感じられてくると、Vは私のシャツを脱がせて自らもまた上着をかなぐり捨てた。正体を暴かれたような恥辱とまた若い身空をさらけ出しているVの嬌態が奮い立たせた乱心は、一等の毒牙を剥かせるには有り余る神秘だった。

矢庭に飛び起きて均衡を失ったVを組み敷くと、露わになった未成熟な丘陵が頂を主張して切なくしている。息切れしたVの口はやはり三日月が浮かんでいて、青かった目は墨染の硝子玉へと変貌していた。手首の拘束に力が入って口唇を合わせると、唇の端からぬるりと舌尖が侵入してきた。忽ち目を白黒させているとVは調子付いて口蓋から舌根を奇襲し、奥歯、犬歯と跋扈し、抵抗して舌を押し返せばそれを含んで犯し続けた。

手を伸ばして丘陵を持ち上げると途端に舌の動きが斜陽気味になり、得意になって頂きを或いは摘んだり或いは擦ったりしながら苛めると声が色めいて白魚の如く半裸体を捻らせる。

丘陵の尾根から指先を滑らせて肋骨、臍、鼠蹊部へと進み、そのなだらかな落ち込みを覆う布へ忍ぶと僅かばかりの林が有って、クレバスが感じ取れた。従順に割れ目を往来させると花弁の奥が怪しく蠢いて、押さえきれなくなった性感が声として聞き手の私を理性から遊離させて、それに打ち震えながら穏やかに刺激を続けた。

もどかしくなり覆いを取り去ると雛先が半分包皮から出現し、珊瑚色のそれはテラテラと輝き、耽溺を禁じ得ないつぶらな様相だった。

私も全裸になると互い違いになって寝転がり、唇で触れるか触れないかの加減を保っていじらしくそれを愛撫した。

絶え間無い享楽に足を、手を、腰を、頻りにくねらせて口を開かずに喉元や鼻腔に声を閉じ込めているが、緩急や強弱をつけると耐えかねて声を漏らしす。勝鬨を心中で上げて、しとどに成り行く秘部を口形を七変化させて悦ばせた後、指先で包皮をゆるりと押しやってさらに丹念に愛でていく。Vは骨の髄まで怒涛のように染み込む悦楽に全体を欣喜雀躍と乱高下させた。

「ハッ、ハァッ、ハァッ」

ぐったりとしているVの吐息が闇に木霊するようで、果てた時の絶叫は近隣の八百八町から津々浦々にまで響んだかと鼓膜にしかと灼きついた。

「意外と、乗り気、じゃない、ですか」

「紐解くだけ野暮だよ。さあ、覚悟しろ」

犬神を作る為の飢餓状態で埋められた犬のようにお預けをくらった悪辣な屹立は、目前の耽美に垂涎し、歯噛みの音が聞こえるようだった。

体勢を整えて、まだ自由の効かないのを良いことにか細い足を左右に開かせてその切っ先をあてがうと好奇に満ちた視線が私を貫かんばかりになっていて、急かすヒクついた肉壺へゆっくりと挿し込んでいった。

萬の吾妻型を用いてしてもこの絶品には遠く及ばない。そう確信する程に局部に纏わりつく肉壁が余分を残した先を迎え入れてもてなしている。Vは口を覆ってもう片手を秘部へ伸ばしている。気後れして侵入を止めると「やだ」と一言零した許可に任せて更に波状に収縮する叢叢とした秘境へ突き進んでった。

頭身が全て巣窟へ抱かれてVを見ると口を綻ばせて数滴の涙を流していた。下腹部をそのままに上体を倒して口付けを幾度も交わした。懐中には獰猛さと情愛が逆巻いてそれを唾棄する為に重ねて灼熱のキスをした。

Vの求愛が沈静化したのを合図に上体を起こして、刀身を入口まで引き戻し腰部をしならせるようにまた最奥まで挿し入れる。これを中を探りながら緩やかに繰り返すと壁が全体を締め上げては離し、うねり、怒張を一層引き立てて虜にしようとする。

汗なのか涙なのか分別の付かない露が迸って水気の多い破裂音は、徐々に間髪を狭めて双方に言い知れぬ快感を打ち込んで行く。野性は肉体の限界を超えてVを味わい尽くそうと勢いを増して齧り付く。幾多の中の一突きに反応が激しくなったのを目敏く見つけて急所を執拗に責め始めると、声は高鳴り、それが呼び水となって互いの天井を早くも近づけてきた。

終点を間近に捉えて一気に畳み掛けるとVの喘ぐ余白はもう無くなり、二人は淫らに絶頂を迎えた。白濁液は直にVに注ぎ込まれ、体内に混じり気をおびた。

痙攣するVと私はもう後退りは出来ない。


満ち足りた醜悪をずるりと引き抜くと、栓が効かないのか毒が氾濫を起こして、燃え残った夢の薔薇色が清濁を一に今しがた純潔を断ち切った事をまざまざと見せつけた。

残存の力を振り絞ってVは私に抱擁を求めて、それに応えるべく再び倒れ込み華奢な体を抱き寄せた。耳元で些細なことを囁き合う。乱した息は整い始めて、自らのしでかした事を理性的に考え始めた。

(二人になんと説明してよいものか。きっと大声を出したから気付いているに違いない)

部屋の片隅は白みだして、訪れた朝日は全てを白日の下へとした。

取り敢えず身なりを整えて布団を洗濯機へ入れて、その後二人して面映くなってまともに目が見れなかった。

先に起きて来たのはLさんで仕草に変調は見られないが、いつもより口数が少ない。それを追うようにOが起床した。朝食の用意を淡々とこなしてそれぞれ無言で食べていると号砲を鳴らしたのはLさんだった。

「あー、あのさ」

「「はっ、はい」」返事が揃う。

「昨夜の事、というか今日の朝方の事なんだけど、もしかしなくてもシちゃってたり、する?」

「ッはい」

「ああ、そっか、うん。それで、それはお互い合意の上なんだよね?」

「はい」

「だったらアタシは何も言わない。自然な事だと思うよ。逆に遵守し過ぎてもアタシみたいな人間を生むだけだからそういう事は早い方が良いんだよ、きっと」

「...」

私は受け入れられた安心感と身の内に巣食う幼心に刻まれた道徳が、自縄自縛を体現している。

「あの」Oが続く。

「私も賛成です。それから○君!」

「はい!」若干裏返る。

「ずっと前から好きでした」

「へ?」

「I love you」

「あ、え、はい」

「返事は今じゃなくていい。別に妾が何人いようと構わない、だからもう何処へも行かないでください」

フラッシュバックする記臆は道すがらの雑談((最近良い事が有ったからどっこいどっこいかな))。

「善処するよ」

「いや〜、丸く収まって良かったですよ。気まずさで吐くかと思いました」

「私も警察呼ばれたらどうしようかと生きた心地がしなかった」

「んで、どうだったの○○君、Vちゃんの感想は」

「ちょっ、ちょっとなに訊いてるんですか!○さんも止めて下さいよ!」

「極上でした」キリッ

「答えなくて良いんですよ!」

「○君、今宵私の全てを攫って!」

「お〜、Oちゃん積極的」

「冗談になってないですよ、本気?」

「もう我慢しないから」

優等生の行動力は凄まじいと思う。

今日は朝のテレビを点けなくても盛り上がって、しかし四人ともこれによって同姓同名の〇〇の自殺報道を見る事は無かった。日射に当たって蒸発したのかもしれない。

朝食を済ませた後、Lさんに頼み込んで薬局へ行って色んな商品を買った。

Lさんはいいと思うとは言っていたが、しかしこの状況で居心地が悪いだろうと気の毒に思う。でもどう切り出していいか分からない。まだ精神は童貞のままだと思い知らされる。

(関係無いか)

これが猫が窮鼠に噛まれた境遇なのかもしれない。圧倒的な欲の化身に世界が小さな前歯を立てて、それでも結局猫が鼠を咬み殺すのだ。

ハンドルを切るLさんに天気の話題から振り撒いて行く。

「今日もかんかん照りですね」

「そうだね。連日こうだと皆参っちゃうよ」

「洗濯物は乾きやすいから良いですよ」

「確かにねぇ。でもすぐに汗かいちゃって鼬ごっこになるだけだよ」

「Lさんは夏は嫌いですか?」

「不都合が無くなれば嫌いな季節なんて無いよ」

「それもそうですね」

「ところで、薬局で何を買ったの?」

「ピルとゴムと風邪薬です」

「あ〜、確かに大事だね。子供が欲しいってんじゃないんだ?」

「幸せにできない以上は欲しいとは思いません」

「何故幸せにしてやれないの?」

「社会人になれば誰もが艱難辛苦が普通だと叩き込まれます。でもそれは自然と生まれた子供に背負わせるにはあまりに酷な未来でしょう?それで幸せになった子供を一人も見た事がないですし」

「何となくわかるよ」

「なんか暗い話ですみません」

「真実は曲げられないよ」

「それと、ゴムは感染症の有る無しに関わらず予防にもなりますから避妊具と捉えるのは誤りです」

「そうだったね。それで、Oちゃんを躊躇なく抱くわけだ」

「いや、そんなわけではないですが...」

「責めてる訳じゃないよ。一途に想われて嬉しいのは男女問わないだろうから」

「免罪符を買い込む毎に罪悪感が増す装置みたいですよ」

「アッハッハッハ、生殺しだね」

「生殺しです。Lさんは居心地悪かったりしませんか?」我ながら急カーブ。

「ん〜、悪くないって言えば少し嘘になるけど言ってしまえば、無法地帯だからこその寄せ集まりみたいな感覚でもあるからね」

「無法地帯ですか...」言い得てる。

「そう。だからアタシが襲われても文句言えないってわけだ」

「お戯れを」

「好きか嫌いかでVちゃんとOちゃんは動いてるみたいだけど、正直なところアタシは楽だからそこにいるって感じなんだ」

「楽ですか」

「うん。みんなで花火やったり西瓜食べたり川で遊んだりして。それがあの家に無いものだからついつい居座ってる次第なんだよ」

「私もそれは同意です」

「だからこそ○○君を好けばもっと楽しいんじゃないかと思ったりもする。でも好きだって感情は元婚約者含めそうだけど実感できた事が無いんだ。だからそれが達成出来るまでは絡んでいようかと思ってる」

「いつまででも居て良いんですよ?」

「そうか。じゃあそうしようかなぁ?」

「何なら御家にhappyを撒き散らしに行きますよ!」

「それいいな。うん。じゃあ〇〇君のお母様が帰ってきたら移るとしようか。勿論二人の意見も聞いてからだけど」

「はい。楽しみですね」

車は利器たる所以を遺憾なく発揮して自宅へとものの数分で着いてしまった。Vに薬を渡して飲ませた後、車内の対話を掻い摘んで説明したらあっさりと了承が示された。




いいないいな羨まし、恋に愛を振りかけて、白馬の王子に抱かれる。胃の腑へ落ちる夏の幸、その下からは駄々っ子が、商品棚を指差して、取ってくれろと泣き叫ぶ。嘘よ嘘嘘そんな事、大人のアタシが言うなんて、不思議な注射を打たれても、口が裂けても有り得ない。

例えばもしも海原の、向こうに恋の国があり、そこへ船で渡ったら、血が恋になるかしら。

それとも今の葛藤が、恋に恋だと言うならば、何故彼はこんなにも、無口で冷たい人なのか。

右の蕾は散らされて、今宵は左の牡丹崩。

残すは真ん中アタシだけ、萼を乗っけた茎だけの、草とも木とも分からない、奇々怪々のアタシだけ。

急かさないでください。いつもの後部座席の猫みたいに眠らせて。花園が見えないの。咲く百花が見えないの。嗚呼なんて悪い夢、早くさめて、凍える前に。


幸せと 百回書いて 呪うのよ






さあ、火急の用事も済ませたからどんどん暇になっていくのが定型化してきた。どうしたものか。まだ楽しんでない夏のイベントといえば...。

(怪談?)

流石のお化けも真昼間から語られたんじゃ形無しだと思う。取り敢えず丸投げる。

「えっと、みんな何かしたい事ある?」

「ハイハイッ!カブトムシ捕りたいです!」

「カブトムシってのは山奥に居て、道中は藪だぞ?」

「分かってますよ!そのくらい」

「他に案が無ければ、賛成二票で可決だぞ〜?」

「○君も賛成なんだね...。じゃあ私も賛成」

「Lさんは?」

「装備が必要ね!」

「満場一致で可決されました。これにて閉会!」

田舎の農作業着の防御力は類を見ない高さを誇る。虫とか全然入ってこない。

長靴に長靴下に帽子に長袖長ズボン、手袋と網とケースと腰には蚊取り線香を括り付けて完成。

それが四人並ぶと不審者が出来上がる。

「ん?今気付いたけど捕ったカブトムシどうするんだ?」

「海外では食べるとか」

「そういう博識は要らないから」

「蝉も同様」

「昆虫食はまだ慌てる時期じゃない」

「真面目に答えるとキャッチアンドリリース方式で行こうかと思ったんですが」

「よし、それで。LさんもOも良いよね?」

「「賛成」」

裏山にがさがさと草を踏み分けて登って行く。落ち葉が腐葉土となって生物の温床となっているのは長年の経験から見るに及ばない。雑木林特有の臭いが鼻を打って、郷愁が誘われる。ここが故郷なんだけどね。

蝉のドップラー効果があちこちでさんざめいて耳が遠くなるのは嫌だけど、これが無いと夏休みの感覚がしない。宿題は昔もやらなかったから大人になってもしない。

早速樹液を発見して辺りを手分けして探し始めると、数十年だれも着手しなかった為かうじゃうじゃ出てきた。個人的には赤みがかった色がいてちょっと得した気分にもなった。

「カブトムシって闘わせて遊ぶんですよね?」

「改めて聞くと酷い話だな。うん。今でも大会が有るくらいそれが定着してるな」

「やってみたいです!」

「だったら組み合わせは雌以外なら何でも良いから向かい合わせてみな」

「あれ、逃げましたよ?」

「無駄な争いは避けるのが長生きの秘訣だからな。気性の荒そうなやつでやってみるといい」

小さく爪を木に引っ掛ける音や、パキパキと乾いた外殻を痛め付ける音がしてカブトムシがクワガタ虫を宙に浮かせて後脚だけで踏ん張って投げた。

「力量は相撲と一緒で階級制じゃないからな。がたいの良いカブトムシが大体勝つよ...」

「厳しいですねぇ...」

「食べる?」

「Oってそんなに偏食だったっけ?」

「魚を食べると頭が良くなるの思想で食べさせられたもんだよ」

「古式ゆかしいな...。あれ、Lさんは?」

「あっ、そういえばいない」

「○さん!あれ!」

野苺食べてる。

「きゃわいい!」

「私と反応が違うじゃん」

「虫とストロベリーは格が違うんだよ。おーい、Lさぁん!そろそろ帰りますよぉ!」

振り向いたLさんは手を振って応えた。

元来た道を行って家に帰ったら皆一斉に密閉率の高さからかいた汗を流そうと、風呂に我先にと押し入っていった。

当然私が一番最後。待ち惚けは慣れっこだけど、響いてくる声に想像を禁じ得ない真綿で首。

「あー、さっぱりした〜」とLを先頭に家鴨式に出て来たので入れ違いに風呂へ飛び込む。

(臭い嗅いじゃうよね?)

それから気が早いけど今後を考えて体を少し入念に洗った。予め知っているだけでこんなに違うものか。

風呂から上がるとテレビに三人共張り付いていて今年初めての早めな台風が近づいているとキャスターが話していた。これも矢張り風物詩だ。

その後お昼の時代劇が有ってクライマックス直前で終幕。

「「「「ええ〜」」」」と不満を漏らす。

軽くなった腰を上げて大量に余っている素麺の束を取り出して湯がき始める。偶に聞く宅急便のトラックの音がして、呼鈴が鳴った。Oに火の番を任せて急いで出ると愛想の良い筋肉質のお兄さんが二人がかりで大きな段ボールを抱えていた。急いで通り道を空けて玄関へ置いてもらって受け取りのサインをした。

Vが駆け寄って来て物珍しそうに観察を始めた。私も小さい時分には好奇心で胸が高鳴ったものだ。

「開けて良いよ」と言うと嬉々と鋏を持ってきてテープに入刀した。中は立派な信楽焼の狸だった。送り主欄には母の名前。

買う人間なんていないだろうと思ってたのに、いざ身内が買うと情けない限りだ。

「どうするの、これ...」

「どうしましょうか、これ」

台所では素麺が水にさらされて水気を切られている音がする。

「Lさん、要ります?」

「玄関の横に置いたらいいんじゃない?」

「そうなるかぁ...。ちょっと運ぶの手伝ってくれます?」

「いいよ〜」

狸を持ち上げて玄関の外へ運び出して、引き戸が当たらないように留意して隙間合わせで設置した。出っ腹に笠に酒瓶を吊り下げた笑顔は納得いく見た目だ。

「ご飯ですよー」

Oの呼声。

「はぁい」

(海苔かな?)

一仕事終えた心持ちで食卓へ向かうと、素麺の他にサラダと漬物が添えてあってツユには薬味が浮かんでいた。こういう気遣いは私にはできない。

手を合わて美味しく頂いた。

人心地ついて食器を片付け、習慣になりつつある昼寝でもしようかと横になると目の端にLさんが頬杖をついて何某か思い詰めているような具合に映った。

「Lさんどうかしたんですか?」

「ん?どうもしないよ?」

「そうでしたか。じゃあ何でもないです、お休みなさい」

「良い夢みなよ〜」

送り出されて寝るというのは初かもしれない。乙なものです。

夢を見た。

蜜蝋で出来た縄爺が巣房を目と口にしてぱちぱちぱくぱくさせて必至に何かを伝えようと身振り手振りするが、皆目わからん。指差す先は平野になっていて、そこには竜田姫と名乗る身分の高そうな女性が哀しみを表情に湛えて助けを求めるが、どうしたら良いかは黙り込んでしまって八方塞がりになってしまう。

途方に暮れていると蒼天から筒姫と名乗る少女と、風に乗って現れた白姫と名乗るこれも豪華な装飾品を誂えた女性がやってきて、竜田姫を慰めるように歌や偈文を朗々読んだ。

それが終わると最後には竜田姫は小さな犬になってしまって映像は暗転していった。

(不思議だったなぁ)

柱時計は午後三時を指している。睡眠時間は約二時間くらいのようで、体感とのずれに悶々としながら冷蔵庫の中の麦茶を飲んだ。食道を落ちて行く実感が元々鈍い頭を呼び覚まして、脳内やる事リストの怪談の項目から「江島屋怪談」を総浚いして適当な時刻を待った。

時は金なりとか言うけれど先人の忠告は一切無視して暇をジェンがで潰した。

針は進み、黄昏時になった。

「なあV、百物語というのを知ってるか?」

「なんですか?それ」

「怪異譚を語っては蝋燭を吹き消して、それを100本分繰り返すと何かが起こる、という魅惑の文化だ」

「何か、とは?」

「それはやってからのお楽しみだ。どうだ、するか?」

「OもLさんもしませんか?」

「百本当にやるの?」

「いや、ミニチュアにして十物語くらいにしようと思う」

「じゃあやる」

「アタシは聞くだけで。実は怪談はあんまりネタを持ってないんだよ」

「そうですか?じゃあ蝋燭持ってくるから雨戸閉めといてくれます?」

「了解」

「え、暗くするんですか?」

「雰囲気演出には余念が無いぞ」

「あ〜、やっぱりやめときます」

「なんだ怖くなったか?」

「いえ、そんな事はないんですが、しかし何というか蝋燭が無駄になるかな〜、なんて?」

「案ずるな、五百はある」

「なんでそんなに有るんですか!」

「この季節は停電が多いから事前に買い込んでおくんだよ」

「停電が多いって!?」

「そうだ。だから遠慮しても後で鱈腹味わえるぞ」

「嬉しくないんですが」

「Vちゃん?高々10回だから大層な事は起きないよ、多分」

「多分?、多分という事は万が一が有るんですね?」

「私は経験者だからね」

「あーあー、聞こえない聞こえな〜い。Lさんヘルプですッ!!」

「一緒に聞く?」

「くっ、退路を断たれた!」

ガラガラガラガラ。ガラガラガラガラ

「うぇああ、暗いクライcry!」

「おお、イントネーション抜群」

死なば諸共の結論でVはLさんにしがみついて聴衆に回った。流れで演者は私とOに相成った。

燐寸を擦り点けて蝋燭を灯す。暗がりにボッとオレンジ色が円を描いて辺りの影を嫌に伸ばした。一話、また一話と語り終えては火が消えて行く。最後の一本になった時はもったいをつけて存分に恐怖心を植え付けて、終に灯を消した瞬間、Vの断末魔とパニックが部屋に満ちた。

吹き出したのは私とOで暫くの間腹をよじらせた。

その後雨戸を開けたらすっかり仄暗くなっていて、Vは半べそをかいて暫く一人で行動出来なかったので可愛いやら困るやら。

やっと離れて貰った時にOに袖を引かれた。

トクントクンと心臓が種々の心を一手に引き受けてごった返した気分。

弱い力で引かれるままに個室へと誘われて、私を先にやってOが後からカチャリと鍵をかける。振り替えれずに固まっていると背中にOが密着してきた。

細やかな吐息が背中にかかって擽ったい。

「○君」

声が夥しく震えている。

「はい」

「時が満ちたよ」

「はい」

「勉強が出来てもコッチは素人だから、もし不手際があったら御免」

声が時折うわずる。

「私もまだ初心だよ」

「悪い人、嘘が吐けるようになって」




夢にまで見た背中に今触れている。止めどなく脳汁が滲んでいるのか全身が小刻みに震えて仕方ない。幾度も観想した。予習だって今の今までやってたんだ。落ち着いて、そうすれば上手く...否、楽しみたい。髪を切った日にもまだ断ち切れなかったこの恋慕を、ただこの有り体をぶつけられる好機を一生の思い出として独りで生きようとも全身全霊で伝えたい。

貴方の為だけに今日まで堅固で鉄壁な要塞を築いたの。

愈々今日は凱旋で晴れの舞台に相応しく一日千秋の久遠からの閂を抜いたわ。

鬱然とした城内に眩い太陽光線が突き刺さって、

艶然とした城主は甲冑を脱いで

王の帰還に小鳥のように打ち震えているわ






「昨日の喘ぎは正直羨ましかったよ。そんなに愛して貰えたんだって。今だって友情を片隅に押し込んで嫉妬が再燃してる」

「やっぱり聞こえてたんだな」

「あれだけ大きければね。○君、こっち向いて」

振り返ると頬を紅潮させたOが真っ直ぐに少し険のある双眸に私を映している。凛とした表情に可愛い小さな鼻がついていてその下には高貴ささえ醸し出す薄い唇が寂光を受けて淡く牡丹色になっていた。

肌の透ける程薄い天色のワンピースで胸元と生地の末端にフリルが少しついていて、こよなく美しい山々となだらかな曲線美が俯瞰と注視両方で思い知らされる。

一種の咫尺時の如くに見惚れていると、幽鬼でもあるかのように僅かな衣摺れと共に静かに両手で顔を引き寄せられた。唇が触れ合ってその軽やかさに圧倒されていると、引くどころか反って怒涛の勢いで押され続けて上にOを乗せたままに横になってしまった。

一旦唇を離したかと思えばまた重ねる。最初は長く深い物だったが、覚られない程に徐々に感覚を短くされていった。回数は増して、間隔は狭まり、とうとう耐えかねて自ずから立ち向かうと下腹部を刺激され、気を取られると立ち戻る。被虐嗜好の片鱗が見え隠れしてうかうかとしていると、今度は指で首筋や手の甲を触覚の限界値であろうまで弱めて表面のみをしつこく撫でていく。触れられた箇所は微弱な痺れを来して精神を着実に蝕み、軈てビクとも出来ない状態まで追い詰められていた。

なお以ってOは状態を起こし、胸や脇腹や頤を撫で付けてそれに屈服するように軌跡は熱を帯びて浸透して行く。片手から両手への変化によりこの刺激は聳え立つ下にまで範囲を広げ、ここと思えばまた彼方と縦横無尽に移りいく。自然と目を瞑ると充当分が増えた触覚が鋭敏さを高め、速度を上げて身を焦がしていった。

矢庭に唇に深い接吻を食らったために全身の神経を名状し難い快楽が駆け巡って、目を開けるとOはその様をいじましく愛でているのだった。未知の悦楽を覚えた私の体はいつしか従来の物と一遍に感じたいと象徴を切なげに跳ねさせて、それに呼応するかとみえてOは私のズボンを下ろしてその張りを明らかな作為を持って責立て始めた。

何度でも新鮮に思うのは女性特有の掌の柔らかさにあって、脳の作りからして別種なのだと言われれば成る程実感出来る。一段とそそり立つそれを遠慮がちに握して付け根から先端まで上下運動をさせて行く。一つ身震いをして背面に傾注している隙を突いて、最後の純情に手を伸ばして曲がりに沿って布の上から仕返すように撫で始めた。

Oは気恥ずかしさにこちらを向かないままに続けているがその実、注力が弱まっているのが明瞭に伝わって来ている。いい気になって子安貝の割れ目や両端を摘んだり擦ったりしていると、布がじっとりとしてきて咳払いめいた歓楽が声帯を震わせた。それを切っ掛けに手先を速めてあやし、互いの身にしんしんと気持ち良さを送り込んで行く。

Oはまったく無気力を訝る具合になってしまって、それでも弓手で太腿を、馬手で秘部を捕まえて弄る事を止めない。声は語気を強め、次の瞬間、被雷したようにさも嬉しげに腰を躍らせた。

その姿をみて愈々歯止めの効きそうにない昂りがOを手繰り寄せて一糸纏わぬ姿へしてしまうと、連山は凄艶を暴露されて未曾有の辱めを持ち主へ報せる。

耳朶、端正な唇から鎖骨の窪み、鼓動の強さを表皮まで伝える喉元の血管、全てにおいて精巧に作られた風体は今しも魔手にかかった。

玉響の愛を囁きかけつつ、英を回すように揉み込むやらはたまた尖端を囲むようにして指で挟み込んで緩やかに引いたり摘んだりしていく。

堪らず玲瓏な音で啼くOは私の首に腕を回して漲る情欲に惑溺していった。

部屋中に甘い匂いが漂って間近でそれを吸収している私の脳も異常に一炊の夢幻を貪る。

二幕目の物狂おしい有頂天を終えて力なく抱き着いてくるOを布団へ横たわらせて、自分の張り詰めている楼閣を花籠から見放された双葉の汀

へと吻合させて目で口程に物を言う。

静かな相槌を受けて段々に埋蔵させていく。

苦悶と志の混じった警笛が肉を掻き分ける度に鳴らされるので、蚤の心臓を叱りつけて燦然としている裸虫にある種の嗜虐心を奮った。

全て収まりきって深く息を吐くと手を広げて導かれ、萎えきった腕でかたく抱き締められ、長い長い口づけをした。その間もしかし不可抗力のうねりが建物全体を縊る程に縛っている。

暫時休憩を置いて、「もう大丈夫」と枷を解かれるとゆっくりと覆い被さって基盤を遠のかせて、再び城壁を擦りながら出入を反復していく。

英と並行して刺激すると蕩けた嬌声が小さく漏れ始め、潤滑が良くなって相対的に速度が増して行く。

それに準じて前とは別口の肉質が激しく蠢き、張りを一層強固にして最奥までの轍を短くする。片手を下まで伸ばして雛先も同時に捏ねるといっとうの反響をしてけたゝましく啼いた。

躍動する肉襞は幾度も全体を扱きあげて、導火線は燃え尽き、終には烈火の熱愛で心奥にも届かんばかりの白濁液を略取した。その感覚を反射しながらも慈愛の面持ちで堪能するOは積年の極地を垣間見たのだ。

雪解けの空間に儚くセピア色の寂寥と金色の幸が満ち満ちて、二人の時間を止めて心身を深く絡ませて行く。

ズルリと引き抜いたそれをOは丁寧に舐めとって、懸命に嚥下した。ふと局部を見ると敷いてある布団を微かに紅く染めている。

動けないOに服を着せて薬を飲ませ、鍵を開けて肩を組んで食卓へと歩いた。

二人は既に食後でテレビを見ていて、こちらの様子を見たVはOを「おめでとうございます」と言祝いでいた。女性って分からない。

冷めてしまったご飯をレンジで温めて食べた。美味しい。

それから後片付けをして個室に新しい布団を敷いて洗濯機を回し、自分の部屋に戻って寝た。

もう前ほどの罪悪感は無くなって、代わりに人肌を欲する感情が強くなっている。

(このまま行ったらどうなってしまうのか...)

弁じ難い懊悩を抱えたまま疲労に押し負けて眠った。




あー、起きちゃいましたよ...。体を堅めに寝たのが悪かったですかねぇ。

(!ッこれはッ!?尿意!!!)

また寝てしまえば...無理無理無理、尿道が短いってのは神的理不尽なセクハラじゃないんでしょうかねぇ...?

いや、別に幽霊なんて居るわけがないんですよハハハ。南無阿弥陀仏なんてナンセンスな呪文なんかに怖気付くほど私の肝っ玉は痩せ型じゃないですよ!

ゴソゴソ

そうだ!道中にOさんの喘ぎ声を思い出しながら行きましょう!我ながら賢い!

((〜♪〜♡〜〜〜ッッッ〜〜♪〜♡♡♡〜))

ふっふっふ、流石の幽霊も喘ぎ声では出難いようですねぇ〜。いや、そんなものいないんですけどね?

ジャー

いや〜スッキリしましたよ!さ、手も洗いましたしとっとと逃げてしまいますね。

ギイィィィ

(ッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!)

上半身の血の気が全部下半身へ失せてしまって声が出ない。長い髪を顔にまばらに垂れ下げて猫背の、女性と思しき人間が腕をダラリとさせてゆらゆらと揺れている。

ひた...ひた...ひた...

それはゆっくりとこちらに背を向けて角を曲がって何処かへ行ってしまった。

追いかけるという選択肢を打ち捨てて急いで○の布団へと潜り込んで、布団を奪って震えているうちにうとうとしてきてそのまま眠ってしまった。






違和感で起きだした。被ってた筈の布団を蹴って退かしたのかと手を方々に這わせたが空を切るばかりで、嫌々目を開けると大分先の方に布団がこんもりとなっている。体をのっそりと動かして布団を捲るとVが胎児に似た具合に縮こまって眠っている。

私の布団を剥ぐとはいい度胸になったもんだ。可愛さ余って憎さ百倍とはこの事か。

敷布団を畳んでいるとVが目覚めたらしく辺りを不思議そうに見渡して私を見つけると、何を勘違いしたか抑揚の少ない声で「変態」と濡れ衣を着せた。

「阿呆」と切り返して朝食を作りに台所へと立った。冷蔵庫から野菜を取り出してしりしりと味噌汁と魚の干物焼きを作り始めた。

(もっといい食材があればいいのになぁ)

贅沢な朝食に憧れる。

早々とLさんが起きて来て手伝ってくれた。こういう所に惹かれるのは数多ある弱点の内の一つ。

(そういえば、Oは大丈夫だろうか...)

Vは何ともなかったらしいがだ、からOもとはいかない。昨日の今日だし個体差がある。

「気を揉むくらいなら行って来なよ」

「え、いやでも...」

「人の見せ場を潰す程無粋じゃないつもりだよ?」

「ありがとうございます。じゃあすみませんけど後はお願いします」

調理具を投げ打ってハラハラながらにドアを三回ノックする。

「はい」

部屋から声がして寝癖の付いた頭のOが出てきた。

「おはようO、その、腰は大丈夫か?」

「あ、ああ、うん大丈夫だよ。もう違和感だけで痛みはないから」

しきりに寝癖を抑えている。

「そうか良かった。朝御飯がもうすぐ出来るから。失礼するよ」

それから食卓を囲んでいるとVが昨夜幽霊を見た、と取り留めのない訴えを盛んに主張した。

唯の講釈でここまで行くと流石に悪い気がしてきた。

テレビは地方の祭り開催を和かに伝えていた。

(もうそんな時期になってしまったのか。確か小人の貴族が参加を求めてたっけか)

「お祭りに行こうか?皆で一緒に」

「台風大分近いみたいですが開催するんでしょうか?」

「大丈夫でしょ。風が吹いても花火がズレるくらいで、屋台出す人達は破格で売りつけても文句言われないから」

「商魂逞しいですねぇ」

「アタシは見送らせてもらうよ」

「えー、行きましょうよ〜。きっと○さんが屋台ごと買ってくれますよ?」

「それは無い」

「あんまり気乗りしないんだよねぇ」

「そうだ!気分を上げる為に浴衣買いに行きましょうよ!」

「それいいね。○君抜きで」

「え、なんで?」

「お披露目の瞬間ってのが大事なんだよ?」

「そんなものか?」

突然呼鈴が鳴る。

出ると黒さんだった。

「何か御用ですか?」

「旦那様が余ったのでこれを、と」

差し出されたピザ用の箱みたいに平たく四角い箱には浴衣が数枚、刺繍を見る限り友禅に似てる。

青地に錦鯉や黒字に白百合、赤字に手毬と桜等々着物宛らの工夫が最早金銭感覚など伺わせない。遠慮のしようがない。

「それともう一つ、これも」

スーツの中から何故か分厚い熨斗袋を三つ。開封すると札束が圧巻の存在感で有った。

「なんですかこれ?」

「祝いの品だと仰ってましたが?」

「卒業祝いですか?」

「?委細は知らされておりません。あともう一つ、皆様を会場まで送るようにとの仰せでした」

(本当にお迎え来ちゃったよ...)

「分かりました。少々お待ちいただけますか?」

「かしこまりました」

早速とんぼ返って事の次第を伝えるとLさんは渋々の合意だったが残る二人は早速互いに浴衣を見立てあっている。

浴衣ってユカタン半島に似てる。

前に貰ってきた髪飾りをつけるやら髪を上げるだの結い方だの、侃侃諤諤のおメイク時間は大いに待たされた。

漸と三人ともが綺麗になった。お金って凄い。

それから黒さんの車に乗り込んで会場へ向かった。地方だというのに外からやってきた人混みで駐車にも一苦労のありさまで、不思議な気分になった。

なんとか駐車場に漕ぎ着けて車から降りるとちょっと自分が世間からずれたのだと確信した。両手に花々を抱えて自慢げに闊歩する優越感ったらない。アニメなんかで見た型抜きやあんず飴ってのはお目にかかった事は無いけど、充分に活気付いて尚且つ今の私ならどこへ行ったって無敵だと思う。

独特の甘い匂いと祭囃子の引力は凄まじく、ふらふらと引きつけられて行く。屋台の食べ物は全てにおいて摩訶不思議だと思う。家庭用で作っても同じ味がしないから、結局高くても買っちゃうんだろうけどなんとかしたい。

一旦熨斗袋の金を各々に渡してバラけて回る事になった。

Lさんが気になる。憂いを帯びた横顔は美人だったけど。

探し歩いていると会場より少し離れた暗がりに珍妙な姿の童が一人、こちらを真っ直ぐに見つめている。

目と目が合っても惚れなかった。

近づいて話す。

「妖怪か?」

「いえ、妖精です。怪しいモノでは御座いません」

「名乗れるか?」

「はい。山彦、木霊、呼子などと呼ばれております」

「それで、何か用なのか?」

「お連れさんが一人、病にかかっておいででしょう?」

「いや?そうなのか?」

「ええ、その筈です」

「誰か分かるか?」

「はい、L様と申される女性の方とうかがっております」

「一体何の病なんだ」

「少々説明に手間取りますがよろしいでしょうか?」

「構わない。頼むよ」

「これは月天子様と炎帝様が人間ではもう大昔に感じる時分に、L様の御先祖に当たる方が政の吉兆を占われまして天啓をお下しになったのですが、その行方が芳しくなかったのでしょう。当時の王妃とその御先祖は恋仲でありましたから、悲しい思いをさせまいと嘘を申されたのです。そうしますと国は忽ち戦、病、飢えが充満し、それはそれは酷い事になりました。

そこで公開した御先祖は月天子様と炎帝様に自らの過ちの根であった恋を捧げて災いを鎮めたのです」

「恋を?」

「はい。ですので王妃様と不仲になられて結局は別れられました。然し王妃様はお腹に子を宿されていて系譜だけは続いたのです」

「で、その病は恋を奪われた状態の事か」

「正しく。一旦は捧げてしまったのですがそもそも人を幸せにする為に祀られているので、それに沿うようにお二神とも返す日どりを今日この時と思し召したのです」

「それで私を呼んだわけか」

「はい。なにせ放って置きますと夜中に歩き出すという奇病を患って、最後には体が休まらないのだとか」

夢遊病みたいなものか?...ああ、そういえばVが便所からの帰りしなに幽霊を見たとか言ってたな。だとしたら悪い事したな。

「悪いが私も今Lさんを探してるところなんだよ」

「問題ありません。近くにお二神を祀った小さな神社があるのはご存知ですか?」

「うん、異様に階段の横幅が広い所だろ?」

「はい。そこへ知ってか知らずか向かわれております」

「じゃあ待ってれば良いのかな?」

「いえ、二人分の恋ですのでそれでは孤悲になってしまいます。是非とも連れて来るようにと大臣に仰せつかって参った次第なのです」

「あのチビ貴族か」

「はい。優秀なのに自分で動かないんですよ...」

「心中お察し申し上げる。時に、差し詰め私は占い師役になるんだろう?」

「まあそうなりますね」

「何で私なんだ?縄爺は繋ぎ止める役だと言ってたが?」

「無作為に選んだ訳ではありませんよ。本来はE様がお務めになられる筈でしたが、他の女性に心惹かれて資格を失くされたので事故って死にました」

「神様でも事故は分からないんだな?」

「いやぁ、仕方ないですよ。なんせ事故ですからね」

「何か隠してない?」

「いえ?何も隠し立てしておりませんよ?あれは事故なのです。良いですね?例えるなら、そう!バタフライ効果みたいな感じです!」

「何だそれめっちゃ怖いな。でもそれを言ったら私だってもう二人に手を出しちゃってるよ?」

「○様はお三人をお捨てになるのですか?」

「まさか。あっちから離れたいなら止めないけど、こちらからはまずもって有り得ない」

「でしょう?」

「でもそれを言ったら他の人間だってあんな美人放っておかないでしょうよ?」

「万事問題ありません。恋心を失くされているからあてがわれた役と結ばれる訳ではなく、本来の好みをちゃんと選出しております」

「こんなんで良いの?本当に?」

「○様はお金が有って無償の愛も有ったら他に何か欲しいですか?」

「いや、全然」

「俗に縄爺と呼ばれる人間は財物さえあれば幸せなのです」

「それは私もだぞ?」

「お金を使う方向の問題ですよ。例えば今朝御所望された高級な朝食、あれは皆んなが居なくても欲しいですか?」

「それはやだなぁ」

「ですがあの爺は我欲尽くしであの仕様なのです。ですからそれぞれの希望が叶えられて、且つしっかりと幸福である状態が保たれているわけです」

「VもOもか?」

「無論です。○様は社会で常識を教え込まれたのでしょうが、それは本来我々が望む姿ではありません。働かざる者食うべからず、などと言いますがでは何故人間は募金を美徳とするのですか?」

「貧しい状況から救おうとしてるんじゃないのか?」

「そうです。ならお金を食べますか?」

「食べないよ」

「労働を食べますか?」

「いや」

「徳を食べるでしょうか?」

「無理だ」

「我々神々に使える者は神々の幸せが幸せなのです。そしてその神々の幸せとは美徳を重んじ、満ち足りた人間達が更に増える事にこそあるのです。その方法手段はお金を今は利用していますが、軈ては無くし、自然な人間として満ち足りた後、叡智を高める方向へと舵を取らねばなりません」

「怠ける人間はどうなる?」

「人間は幾らで怠けようとも、例えばV様のようのカブトムシを獲ったり、成人へ向かったりする様に知識欲は衰えを知りません」

「知識欲の赴くままに探求していけば良いのかな?」

「それは分かりかねますが、少なくとも憂いは無くなるでしょう?」

「まあな」

「長くなりましたがそういった面で進んだ知性をお持ちの○様でなければならないのです。象徴の役目も有りますし」

「よく分からんが分かった。では急いで向かうとするよ」

「お気をつけて〜」

うろ覚えの道のりは不安だったが運良くLさんを見つけた。急に走ったものだから息が切れる。

「Lさん、良かった、ちょっと、待って」ゼエハア

「どうしたの?」

「近くに神社があるんで、そこに行きましょう!」

酸素の行き届かないお陰で、手を繋ぐ緊張感は幾らか軽減されて助かった。

(何だこれめっちゃやわっこい手)

こんな事なら早めに繋いでおくんだった。そんな勇気無いけれど。

階段をLさんを気遣いながら登っていって、大きな朱塗りの鳥居を潜ると、Lさんには見えていないがチビ貴族が賽銭箱の上で待ち構えていた。

「やれやれ、随分と遅かったの〜。喋らずとも良い。ただ儀礼をする故見ておれ」

(相変わらず偉そうだなぁ...)

小さいために歩幅が狭くて、神前に行くまで十分くらいかかった。Lさんは不審がって狼狽えている。

「ええっと○○君、ここで何かするの?」

「すみませんLさん、もうちょっとこのまま待ってて貰えますか?」

「うん。良いけど?」

少し曇ってるとはいえ夏なんだから早く済まして欲しい。

突然、チビ貴族の召使いが一斉に雅楽を奏し始めて、大臣が舞い始める。何か歌いながらのようだが能か敦盛辺りだろうか。

大臣が小さくトンと跳躍して踏み鳴らすと俄かに空が曇って来る。

雨は降らないが雷鳴が響いて突風が吹いて来る。

厚い黒雲が一箇所だけ穴を開けて、そこから太陽光が一直線に降り注いだ。

演奏は凄みを増して行き、最高潮になるとピタッと止まると辺りは音という音が一切静まった。その寂静の世界に殷々と妙音が響き、それは事態を把握出来ないでいるLさんにも聞こえたらしい。


「かわいや吾が子、吾が地の子。

今は昔の捧げ物、青人草を安らかす。

月輪の余と、逆さまの

日の炎帝が、思いなす

産みの子の末、かわいかな。

やれ嬉しやの、きょうの折

下ろして取らす、たなごころ

中の玉をば、賜れよ。

はたのみちのく、これ近し

よその細道、これ遠し。

ゆかし想いの、良き事は

天璽瑞宝

これに劣らぬ、さやけさよ」


(訳が分からないよ...)

側のLさんは呆気に取られて茫然自失の様子だった。これは仕方ないと思う。

再び演奏が始まると風が戦いで、雲を遠くへ流していった。

「ふう、終わったぞ。そちら、もう何処へとも行くが良い」

神輿にどっかりと寝転がって大臣が扇子で自分を扇いでいる。扱いが気に入らないが、ここに居てもLさんが困るだろうから手を引いて会場に程近い備え付けのベンチまで連れていった。

「Lさん、ちょっと待ってて貰えますか?」

「うん...」

有り余った金で焼きそばとタコ焼きとチョコレートクレープと、自動販売機で水を買ってベンチに戻り「お好きなのどうぞ」と広げた。

「さっきのなんか凄かったね...」

「そうですねぇ。あっ、たこ焼き食べますね」

「どうぞ。じゃあアタシクレープ食べるね」

(本当にチョコレート味好きなんだなぁ)

無言でモグモグやってるとOが通りかかってこちらに歩いてきた。

「お二人さん、楽しんでるかい?」

「ボチボチね。Oはどうなの?」

「トントンよ。第一○君が居なきゃつまんないし」

「そいつはすまなんだ」

「ん?Lさんなんか雰囲気変わってない?化粧直しでもされました?」

「いいえ?何か変?」

「うーん、何というか、こう、雰囲気が幾分か柔らかい感じがします、多分」

「そう?」

「別にあんまり変わってないでしょ」

「え〜、そうかなぁ?」

何回か変わった変わってないの押し問答をした後に、取り敢えず三人で遊び歩いた。周囲の目が物珍しい光景のようで痛かったがこれは嬉しい痛さ。

段々風が強くなってきたので買いたい物を買ってVを回収して、黒さんの車で自宅へ帰った。

自宅には見慣れた車が止まっていて、それは母の帰還を示していた。

お互いに手土産を渡して送ってきた信楽焼の狸の処遇を訊いたが、結局そのままにするという意見に押されてしまって見事に地位を獲得した狸は心なしかいつもよりほくそ笑んでいた。

序でに三人との関係を訊かれたがひた隠した。バレたらまずいでしょうよ。法律とかね?

それから予め示し合わせた通り諸道具を持ってLさんの家へ避難した。

少し生活感が薄れていた大きな家に声が響くと、何となく無象のものが逃げていった気がした。誇大妄想楽しい。

各自部屋を決めてそこに自分の荷物を置いて、いつも通り暇になる。この時間とする事が決まって皆んなで動く時間が凄く楽しくて貴重だと思う。家自体が転々としている心地がする。

取り敢えずVにお化けの件を謝罪すると、Lさんが夢遊を心配していたが適当に嘘をでっち上げて誤魔化した。心配する年上可愛い。

屋外の風は圧力を増して町全体を所狭しと吹き荒んで、ついには篠突く雨を伴って人々を心細くさせた。

テレビを点けてみると台風は円の端に丁度私達の住所を掠めて動きを遅めている。

急いで雨戸を閉めてジッとして携帯を暇潰しに待機する。Vは少しそわそわしている様子で、その訳はきっと幼少の記憶にあるように何かに突き動かされるような力にあふれる心境なのだろうと察する。

これは誰でもそうなるんだと思うが、こうする事が無いとお腹が空いていなくとも食べ物の手が伸びるもので、対策としてはなるべく落花生やスルメイカを中心に無理なく食べる。

時間は早くノロノロ進んで、早くも夕刻になっていった。

(時間体感を遅めると寿命が伸びるとかは無いのだろうか?)

伸び一つすると退屈していた骨子が乾いた音で稼働した。







帰ってきてから体調が変だ。○○の一挙手一投足がアタシに向く度に心臓が喧しくて、鳩尾が痛いほど締め付けられる。懐中の薄氷が溶けたのに、また新しい穴が空いて茨の蔦が絡み付いて喉奥に落し蓋がされた気分になる。

結露が伝って乾いてひび割れた胸に染み入って行く。痛くて苦しくて堪らないのにその一々が愛おしくて小袖に雨が降る。

欲しがった心はこんなものだったのか。こんなに鈍重なものを皆抱えて生きたのか。

早くこの感傷を癒したい。猫の欠伸が済む間でいいから。





Lさんが夕飯を少し残した。流石に連れ回し過ぎただろうか?

Lさんは早々に支度を整えて自分の部屋のこもってしまった。残った三人でそっとしておこうと話し合って、食器を片付けて床についた。

カタリピシリと雨戸が鳴って、魔物が吠えるような風切り音が息を飲ませる。

夢は見ない。

次の朝、まだそぼ降る雨が残っていたが確実に野分の威力は弱まっていた。

まだ静かだった廊下に足音が聞こえて障子の木組みが三回叩かれた。

「○○君、起きてるかな?」

「はい、起きてます」

声は自然に潜まっている。障子が開いてLさんが入って後ろ手に閉められる。

「ごめんね朝早くに」

「いえいえお構いなく。それで、どうかされたんですか?」

「実は相談なんだけど、今から変な事訊くかもしれないから分からなかったら流してくれていいからね」

「はい。珍しいですね」

「そうかな?」

「はい。全部お一人で出来るイメージです」

「アハハ、そうかもね。それで訊くけどさ」

「はい」

「誰か特定の人に話しかけられて苦しくなった事はある?」

「昔の上司にキミと言われたら血相変えたもんですがそうではなく?」

「んー、ちょっと違うかもしれない」

「知らない人に自分が無職って言う時?」

「それも違うような...」

「でしたら分かりかねます」

「そう...」

「三人寄れば文殊の知恵と申しますし、O辺りにも訊けば何か分かるかもしれません。物知りですし」

「そうだね。そうするよ」

「お力になれずすみません」

「大事無いよ。失礼する」

外が微かに明るくなっていて敷いていた布団を畳んで、朝ご飯を作り始めた。人の家の物だから使い勝手が違って手間取ったが、自宅よりは良いものが作れた。

Vと食卓を囲んで天気予報と睨めっこしていると、恐らく相談事で遅くなっていた二人がいつになく真剣な面持ちでやってきて「ちょっと来て」と食べかけで個室は連れられた。

(何か悪い事をしただろうか?)

数あるうちのいくつかに弁明を貼り付けて、言い逃れの準備を進めた。

正座で主文を読み上げられる被告人の心持ちで、事態の進展を待った。

漸く口を開いたのはOだった。

「○君も今朝相談を受けたんでしょ?」

「うん」

「その答えを個人的に考えてみたんだけど、これは恋愛感情じゃないかと思う」

「そうなの?」

「だって私も同じ気持ちを経験した事があるから」

「それは根拠になるか?Oの脳が些かハッピーに出来てるだけかもしれないじゃん」

「それも考慮してちゃんとQ &Aしたよ。主観的な心情も踏まえてこういう仮説を立ててるんだよ」

「そうか。おめでとう?」

「対象者は○君だよ?あと私の脳が些かハッピーってのはどういう意味だコラ」

「冗談ですがな〜。んでLさんのそれは仮に恋愛感情だったとして、それを知らせてどうするんだ?」

「私は○君を抱いて満たされてるけど、Lさんの場合はどうしたいかがいまいち謎なんだよ」

「私は抱かれたのか...。ん〜、でもそう言われたってなぁ...」

「そこで私の提案としては結ばれるという事象がいいと思うんだよ」

「そうか?」

「そうです!」

「具体的は?」

「スキンシップとか?」

「Lさんはどんなスキンシップが良いですか?」

「え?えーっと...手を繋ぐ、とか?」

(きゃわいい)

「きゃわいい」

「賛成多数でこの事象はキャワイイと判決します!以上!閉廷!」

「早く手繋げよ」

「冗談ですやん。Lさん、お手を」

「なんでちょっと声変えるんだよ」

「雰囲気が大事だからだよ」

おずおずと手を伸ばしてくるLさんを見て若干の加虐心が湧く。ピタリと合わせた手は矢張り柔らかい。

「どうです?」

「とっても、恥ずかしいです」

「そう言われるとこっちも恥ずかしい」

「これで満たされます?」

「もう少し何か決め手が欲しい、かも」

「ん〜、○君何か案を出して」

「丸投げですやん。あっ!このあいだ読んだいかがわしい雑誌に歯磨きをすると良いとあったぞ」

「何それ...」

「物は試しって言うじゃん。どうですか?Lさん」

「んー、意味不明だけどやってみようか。相談してる身だし」

雑誌曰く、口腔内を見せるというのは相当気を許した相手でないと心理的にキツイらしい。

洗面所から歯ブラシを取ってきてLさんを膝枕の要領で横にさせた。

「ではLさんお口を開けてください。痛かったら言ってくださいね」

「うん」

Lさんは遠慮がちに口を開けてこちらをみていた。奥歯から順に磨いていく。少し前のめりになるとLさんの鼻息がお腹に当たって擽ったい。

時々首筋に力が入るのが分かって膝の上でピクピクするのが不安と興奮が入り混じる。

犬歯や前歯の裏も入念に磨いていく。

舌の裏も優しくマッサージのつもりでブラシを当てていく。歯ブラシにネットリと絡みつく舌が異様に扇情的。

「さ、終わりましたよ」

Lさんに嗽をしてきてもらって手繋ぎと同様に感想を訊く。応答は赤面ながらの「良かったです」と好評を博した。どうやら相性が良かったらしい。

それで一旦気持ちの整理をつけてもらって、また何かしたくなったら声をかけるという事でお開きとなった。

朝御飯中も矢張り悩み抜いた様子だったが、残しはしなかったので前向きな悩みなのかもしれない。こういうバロメーターは有難いと思う。

行動を観察していると、今度はVに何やら訊いて部屋を去った後、またOの部屋に入って暫くして出てくると急いで自室にこもってしまった。

私はそれを見てLさんの安寧を祈りつつ読書に励んだ。頁を二十ほど捲った辺りでVがやって来て「暇です」と言った。

「そう言われてもなぁ...」

「何か無いもんですかね?」

「んー、落語でも一席やるか?」

「出来るんですか?」

「出来る話は二つだけだけどね」

「じゃあ是非拝見したいです!」

演目は「つる」。

やってみると意外と興が乗って熱演するとこれが割とウケた。

(やりぃ)

それから今度は「外郎売り」を諳んじるという古典的な遊びをさせて、早さ比べで大人気なく勝った。

外に出られればもっと楽しませてやれるかもしれない、と考えていると足音が聞こえてLさんがやってきた。

「少し良いかな?」

「私はお邪魔ですので、退散致しますね」

「ごめんね?」

「お互い様ですよ」

なにかと気遣いのできる御ませだと思う。Vが去った後、Lさんが淡々と話し出した。

「あのね、VちゃんとOちゃんにも相談して決めたんだけどアタシを抱いてくれない?」

「それは興味本位ですか?」

「そうかもしれない」

「だったら後悔してしまうかもしれませんよ?」

「それもちゃんと考えてる。だから証文でも何でも書いていいからそれを体験したいの」

「それは手段を変えられないんですか?」

「今のアタシはそれでないと駄目な気がする」

「本当に無責任に手加減なんてしないかもしれませんよ?」

「それでもこの心の正体を知って認めたい。もしかしたらずっと求めた物かもしれないから」

「そこまで仰るなら及ばずながら微力を尽くさせて貰います。お薬は飲まれましたか?」

「飲んだよ。それからゴムだってしなくていい」

「それは...」

「二人にはそうしたんでしょ?」

「ええ、でも」

「○○君の保険は全てかかってるから」

「...。分かりました。お部屋はどうしますか?」

「ここで良い」

「ではこちらへどうぞ」

障子を締め切って畳んだ敷布団を広げて空気を張り切る。

お互いに向かい合って座って、じっと見つめ合う。黒い目が仄明かりに照らされて潤み加減がみて取れた。肩に手を置くと緊張の所為で少し跳ねた。目を瞑って受け入れの様相を見せた唇に優しく一つ口付けた。そこから何度も交わす内に相手の方から舌をこちらの口内へと滑り込ませてきた。恐らく入れ知恵が有ったのだろう。口内で迷っている舌を絡め取って舐ったり或いは唇で挟んだりして徐々に興奮を高めていく。口を離すと七宝を散らすよりも強く光った糸が絢爛に輝いた。

こちらが上着を脱ぎ始めるとLさんも自分から上着の釦を外して行った。

手で隠してもなお豊満な砂丘は美しく名状しがたい曲線を描いており、絶対的な不朽さえ醸し出している。再びキスをして啄むように首元から下まで慣らして行く。その解いた警戒が固まらない内にその豊満を持ち上げるようにして刺激し始める。

Lさんの手は口を覆って息を荒くしていたが、軈て脱力して手を退かしてしまうと、魔性の囀りが唐紅の喉から飛び出て行く。

全体から突起に集中して爪先で弾き、優しく指の腹で撫ぜたりして変調させて行く。

段々と汗ばむLさんに偏執的な魅惑を覚えて一層深く疎らに刺激して行った。

吐息は増して雨に閉じ込められた二人の影が怪しく動く。

形を確かめるように片手を滑らせて肩甲骨や首筋や鎖骨を味わって睦言を融かし掛けて、括れから腸骨から大転子まで流して行き、鼠蹊部に手を置いて目配せした。

Lさんの点頭を確かめるとゆっくりと逆さの扇状地に手を忍ばせた。布は既に幾らかの湿気を帯びていて、上から撫でるようにすると両耳を真っ赤に火照らせて、動かす私の手首を握った。

少し掻くようにしたり周りの太腿を撫でたりして刺衝していくと妖麗な唸りが漏れて下腹部に熱い劣情がぐらぐらと煮えてくる。

浸したように湿った布を取り去る為に指を隙間に入れて背後に回し、ゆっくりと下ろして行く。

Lさんは片手に体重を任せ、膝を立てて臀部を擡げた。その姿が妙な背徳を宿して脳裏に焼き付いた為にわざと通過を遅めた。

すっかり取ってしまうと整って林立した墨染の野っ原に、先刻しとどになっていたアケビがチラリと見える。

そこに指を這わせながら口付けをするとLさんがこちらの下着も皆取り去って足を背中へ絡ませてきた。

額を突き合わせながら二枚貝を愛撫する様を二人で見つめる心中は想像の範囲を超えている事だろう。

矢庭Lさんが手を伸ばしてこちらの松の幹をぎこちなく握って上下に動かす。

水気の多い音と淫らな声が混じってきて、その双方が速さを増長させて堪らず指を奥の方へ入れると、握力が一瞬弱まったかと思うと今度は強くなって上下運動は不規則になり、それが仇となってLさんの少し日に焼けた肌に邪を吐き掛けた。

強く抱き合って互いの動きが痙攣と共に止まった。

暫くしてその白液を拭き取って、それからLさんを横たわらせた。魔窟に鋒を当てがってもう一度目配せをした。Lさんは頷き、それを合図に張り肉張り型を埋めていく。またしてもLさんはこちらの腰に足を回して、それに押されていつもより早く掘り進んで行く。全身が入った時には洞穴は龍が水を得たように激しくうねって耐え難い快楽を植え付けた。

気遣ってじっとしているとLさんが両手を広げてくるのでそれに応じてキスをした。

拍動に合わせて中で凶器が跳ねている。

駆り立てられた獣を制する楔はあまりに脆く、遂には動き始める。

自由な色魔は格別の饗宴を意のままに貪って、猛る脳髄は極上の肉質に酔いしれている。片手手で再び砂丘を揉みしだき、もう片方で雛尖を弄った。嬌声は増し増して嘶きとなり、炉の如く熱を帯びた二人の肉塊は繊維かと思われるほどに絡み合って、単調にしか動けない身の作りを烟たがった。

軈て一等の衝天が癲狂する程の享楽を二人にもたらして、千紫万紅の楽園に爛れた冒涜が激流となって混濁した。

Lさんと私は冷めやらぬ反射をそのままに、精根尽き果てて繋がったまま泥むように眠った。

夢を見た。

もう何者にも縛られずに解放されて、大人になったもう一人の私も天高くで微笑んでいる。

三人の恋人がいて、誰よりも幸せなんだと自慢げに話すと、周囲からは拍手喝采が起こって知人はおろか、知らない人まで祝福の言葉をかけてくれる。

安住の地に腰掛けて三人に優しくキスをする。

(こんな夢を見たのは初めてだ。他の人もそうなると良いなぁ...)

薄っすらと目を開けると朝日が照っていて降り続いた雨音もすっかり消えている。

雀が鳴いていて、それを聞いている私の目の前にはLがいる。

布団をVとOのどちらかが掛けてくれたようで細やかに暖かい。Lを抱き寄せて額にキスして、三人に私の決意を伝えようと決心した。








誰かに呼ばれて意識を覚ますと目の前に○○君が居た。一目見て確信めいて理解した。この人が好きなのだ。

アタシにはもう一生分からないと思っていた恋心はこれなのだと、理屈抜きでちゃんと分かる。

額にキスをされると冬場の鳥みたいに総毛立って、無尽蔵に溢れる好きという思いがどうにも文字に起こせない程超越的で困ってしまう。


唄を忘れた金糸雀は、象牙の船に金の櫂

月夜の海に浮かべれば、忘れた唄を歌い出す


だったっけ?

淡い春先の夢でも良いからこの想いを伝えたい。

不幸だと 千回書いても 幸せよ





Lさんをそっと起こして事後処理をして、シャワーを浴びて気合を入れた。

Lさんの入浴も手伝って、肩を貸しながら居間へ行って朝食を食べた。

VとOは「おめでとうございます」と言ってLさんを囃し立てた。

食べ終わってから三人に集まってもらって話をした。

「今日はちょっと聞いて貰いたい話があるんだ」

「何ですか急に改まって」

「ちょっと気色悪いよね〜」

「まあ聞けよ。皆んなとの関係について少し考えたんだ。この国の法律では重婚は出来ないようになっている」

「ケチだよね」

「そうだな。そこで皆んなに考えて貰いたいのはこの国の社会的な結婚から離れる、謂わばある種の「離婚」の状態を持とうと思う」

「んん?えーっと、とどのつまりはどういうことだってばよ?」

「結婚から離れる、という意味の離婚をするわけでしょ?」

「そうだ。だからもし結婚式を挙げたかったら海外に行こう。勿論皆が私を好いていてくれる間でいいと思う。どうするかは任せるよ」

「責任取らなくっても良いって言ったのにそうするんですね」

「これは私がそうしたいからするのであって、別段責任を負いたいが為の提案じゃない。だから絶対的な幸せが約束されないうちは、子供だって作らないつもりだ。どうだろうか?」

「アタシは良いと思うよ。賛成する」

「私も。○君が居ないと正直辛い」

「私も賛成です。自由にしてたいですし」

「よかった。じゃあ、改めて、これからも宜しく」

「「「こちらこそ」」」


普遍的な幸せを持つ必須条件は第一に衣食住が揃って、第二に知性が優れている事だと思う。

四人いればきっとこれらは全て満たされるに決まっている。

まだまだ暑い夏の日に生まれ変わった私は、陽炎のように世間から消え失せても、誰も気付くことはなかった。

夏生まれの私と三人は両親を説得してそのまま南国へ移住した。こんな天国に生きている私だが、罪悪感なんてもう跡形も無い。

幸せに暮らして、人を幸せにして、幸せに死ぬに違いない。


終わり


後書き

皆様がゴロゴロしてても衣食住が揃って叡智を高められる環境が整えば良いと思います。そうなれと思って書きました。
前作のニート推奨と遜色はないかと自覚しております。
早く科学で食べ物が作られてロボットがそれを生産して、社会にその恩恵が満ちる事を夢見てます。


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