2020-04-29 19:59:31 更新

前書き

とても書きたかった内容です。


僕は穏やかに死にたい、歪んだ欲望だというのは分かってはいる。だが、僕は実際そう思っている。

例えば海だ。僕の考える海というのは、穏やかで、暖かく、心地いい場所だった。

…数年前までは、の話だが。

数年前、深海凄艦と呼ばれる生物が世界中の海に発生した。おかげでその時から、海というのは危険な場所と化した。僕はそんな海が嫌だと、そう思い艦娘の艦隊司令官を志した。理由が馬鹿馬鹿しいが、結果として今僕は周囲の艦娘から提督と呼ばれる立場となった。結果さえ出せればいいという考えのこの業界は僕にとって生きやすい環境だ。




穏やかな海で死ぬことを今でもよく考える。どんな感覚なのだろうかと考える。

海で穏やかに…つまり津波とかの災害や映画のように人喰い鮫に喰われるような死に方ではない。水中で揺蕩いながらひっそりと息を引き取ることだろう。

…まるで潜水艦のようだ。

そうなると次に考えることは潜水艦の艦娘達の視界だ。彼女たちの目にはどのような世界が広がっているのだろうか。もちろん出撃場所によって異なるだろうが、例えばオリョール海は?この鎮守府前の海とはどのように違うのか?

「提督!起きるのね!」

…このことを考えているといつの間にかに寝てしまう。

「ん…ごめん…寝てた…」

「全く提督はイクがいないとダメなのね!」

報告に来ていた潜水艦の伊19、彼女が当鎮守府の唯一の潜水艦だ。

「そんなダメな提督の秘書艦にはイクが適任なの!」

「…考えておくよ。とにかく当分の秘書艦は浜風だ。」

「提督もむっつりスケベなのね…」

「何故そうなる…」

「知らない!」

そう言って伊19は執務室を出て行ってしまった。

「…潜水艦ねぇ。伊19以外の潜水艦もそろそろ派遣されて来てもいいはずだが。」



執務を終えると基本的に何もすることがなくなる。そうなると待機時間として執務室で暇をもてあますことになる。流石に秘書艦も付き合わせるわけにもいかないから施設内待機を命じた。

「最近書類仕事も減って来たな…」


軍部省のお話では艦隊各所で横暴な艦隊運用や個人的な命令を出す、いわゆる『ブラック鎮守府』や逆に会話などのコミュニケーションも何もない『静かな鎮守府』が増えて来ていると言う。そのような報告を多数受けた軍部省は書類仕事を減らし、適度なコミュニケーションを艦娘ととらせることでストレスを減らし、健全な関係を築かせようとしているらしい。まぁ仕事が減る分にはなんでもいい。



「提督!仕事終わったの⁈」

扉が開かれるや否、伊19が僕に問いかけて来た。

「イクか…執務は終えたけど今は待機時刻だ。悪いが…」

「なら間宮さんのところ行くの!前に提督からもらった券が2枚残ってるの!」

…2枚もか。普通、間宮さんの券はあげたらすぐに使うものだと思っていた。特に伊19のような子は…

「…女性に財布を出させるのは男としての恥だ。チケットは自分のために使いなさい。」

「やったのね!提督は紳士なのね!」




ひさびさに間宮さんの所に来た気がする。いや、間宮さんの所だけじゃなくて執務室と自分の部屋以外、最近行っていなかった気がする。

「あらイクちゃん、いらっしゃ…提督!提督もご一緒だったんですか⁈」

「…久しいですね間宮さん。」

「イクが連れて来たのね!」

「イクちゃんが?よく提督が誘いに乗ってくれましたね…」

「まぁ、たまにはね。」



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楽しかったのね!提督との久しぶりのデート!提督はムッツリさんだからイクから誘わないと何もしてくれないのね。


…いつからだろう。提督を意識し始めたのは。いつ見ても無愛想に見えて何考えてるかもわからないような人のどこに惹かれたのだろう。イク自身、よく分かってないの。でもどこか、なんだろう、本能的な何かを感じてるのかもしれないのね。それと多分、あくまでも多分だけど、イク以外にも提督のことが好きな娘がいると思うのね。


「…現状維持が一番いいのね。」


-----------------------------------------------------





ひさびさに間宮さんのところ行ったな。時間はあったのに…今思えば仕事が減った後の定時までの時間は艦娘とのコミュニケーションに回せばよかったのかもしれない。軍部省もそれを推奨していたのだし。これも仕事の一つとして割り切ればいいんだ。

「…明日からそうしよう。」

そう僕は呟いて眠りについた。






翌朝、起きて10分ほどした頃に駆逐艦寮長から内線が入ってきた。内容は浜風が体調不良だと言うことだった。僕は1日の休養を命じておいた。しかしここで問題となるのは秘書艦の引き継ぎだ。誰を臨時秘書艦に命じるか…



「提督!おはようなのね!」

結果として僕は伊19を命じた。まぁ昨日の件もあったし、声がかけやすかった。

「…」

「提督?」

「…」

「て〜とく‼︎」

「んあっ!

…イクか、ごめんね。こうも暖かいとどうも眠くて眠くて…」

「やっぱり提督にはイクが付いてないとダメなのね。これを機にイクを秘書艦にしないの?」

「まぁ、考えておこう。」







…夢を見た。この夢の内容は…おそらく伊19を秘書艦にしたせいだろうか。液体の中でプカプカ浮かぶ夢。暗いが、不快ではない、むしろ安心できるような暗さ。冷たいが、なぜかどこか暖かく感じる温度。そんな中に僕は浮かんでいた。

「悪くない夢だった…まるで…」

あれは『死』をイメージするよりも『生』をイメージさせられた。まるで赤ん坊が胎盤で羊水に浮かんでいるかのような…生と死はまるで紙一重のような…

「…着替えるか。」





朝の食堂、相変わらず混んでいる。長期遠征に行っている艦娘以外がこの時間に集まるのだから、当たり前のことだ。

そんな中に自分のような上官が入ると彼女らに妙な圧を感じさせてしまうのではないだろうかと考え、僕は執務室で一人で朝食をすませるようにしている。

「?」

間宮さんに頼んで別に用意してもらっているはずの朝食トレーがない。赤城あたりが食べたのだろう。

しかし、この時間帯は特に混んでいる。間宮さんも忙しいだろう。ピークから少し経ったら、またここに来てみよう、そう思いながら僕は執務室へ向かうことにした。



執務室の扉に手をかけると、いつもは夜の間に冷えているはずの金属製のドアノブが仄かに温かい。

(珍しいこともあるものだ…)

そう思い扉を開けると、そこには伊19がいた。

「…おはよう、朝食はどうした?」

「おはよう提督!ここで一緒に食べるつもりだったのね。」

彼女の座っている席と私の席にトレーが置かれていた。

「僕の分を君が持って来てたのか…」

「ふふ〜ん!秘書艦の務めなの!」

「僕はてっきり誰かが食べたのかと勘違いしたよ。まぁ、そうだな…ありがとう、イク…」

「どういたしまして!」



〇九〇〇、僕は朝食を食べ終えたすぐ後にココアを飲む癖があった。前まではコーヒーだったのだが、駆逐艦や海防艦の子が多くなってくると、なぜか彼女らの要望のココアに合わせてしまった。

「あー!イクに内緒でココア飲もうとしてるのね!」

…トレーを戻しに行っていた伊19が気付けば戻って来ていた。

「君の分も用意してある。僕がそんな意地悪なわけないだろう…」

さて、騒がしい彼女との1日が、この一杯のココアを飲み終えたら始まる。








あれから数日したが、伊19は意外と…いや、かなり優秀だということに気付かされた。僕が指示しようとしたことは既に終えていたり、僕が気付けなかったミスをフォローしてくれていたりもした。前から彼女は秘書艦にしないかとアプローチして来たが、正式に登用してもいいかもしれない。


結果として、僕は伊19を秘書艦に正式任命した。理由は前も述べた通り、純粋に有能だったからだ。ただ有能なだけではなく、彼女はとてもいい子でもあった。今までアプローチしていたとはいえ、急な業務命令にも嫌な顔せずに応えてくれた。今まではどんなにアプローチされても秘書艦にしなかったのに急に任命、てっきり少しは不貞腐れたり不満をぶつけられるものかと思っていたのに彼女は

「やっとイクの良さがわかってくれたのね!」

と笑顔で喜んでいた。その笑顔を向けられた僕は逆に罪悪感のようなものを彼女に抱いてしまった。



伊19を秘書艦に任命してから仕事はうまく進んでいるかのように思えた。周囲の艦娘からも今まで以上に評価をもらうことも少なくなかった。そんなこともあり、僕の中に多少の『慢心』が芽生えていたのだろう。僕たちの艦隊から一隻、還らぬ艦娘となってしまった。作戦概要は完璧だったはず。あの海域の予想出没敵から予想外戦闘まで全て考慮していたはず。いや、違う。作戦どうこうというよりも現場の話を聞く限りあれは事故だった。しかし、作戦時の統括責任者はこの僕だ。事故当時に僕が的確な指示を出せていれば…と、悔やんでいる。

周囲からは「あれは提督が悪いわけではない…不幸な事故だったんだ。」と言われた。しかし姉妹艦からはひどく非難される。当たり前だ。彼女らは艦娘という『兵器』でありながら、心を持つ『人』でもある。そんな彼女らの『姉妹』を僕は殺してしまったのだ。


「提督は何も悪くないのね…」

僕の隣にいてくれている伊19はずっと励ましの言葉をかけてくれている。

「…わかっている。」

これは断じて開き直りの『わかっている』ではない。今後、このような事故を起こさないように、より一層の覚悟と責任感を持って指揮に徹しなければいけない。そうなると今の精神衛生のままではうまく行くものもうまくいかなくなってしまう。もう一度立ち上がるために、敢えて『もう気にしていない』自分を演じなければならなかった。

「なぁイク…」

僕は『とある願望』に関することを彼女に聞いてみることにした。

「彼女が沈んでしまった海は…いったいどんな感じだったのだろうか…」

「どういうことなのね?」

「彼女が沈んでしまった場所は…穏やかとは程遠い場所だっただろう…彼女はどんな気持ちで…」

「…彼女は艦娘なのね…だから…自分の居るべき場所で沈めて…むしろ幸せだったのね…」

「…むしろ幸せ、か。」

自分自身の願望だけではなく、彼女のためにも海の平和を取り戻さなければならない。改めて実感させられた。




それから僕は改めて姉妹艦に謝罪をしに行った。彼女らは「もう気にしていない…」と言っていたが、あくまでも表面上そう言っているだけなのだろう。

そして作戦立案時は今まで以上に慎重に立案をするようにした。当たり前のことだが、ここが一番大切だということに気付かされた。作戦参加する艦娘たちも沈んでしまった彼女の弔い合戦だと言わんばかりに次々と海域を攻略していってくれた。

僕は彼女らに感謝しなくてはならなかった。起因は誉められたものではないが、それでもあの事件が触媒となってくれている。きっと、彼女が沈んでしまったあの海域は今頃『穏やかな海』になってくれているだろう。これが僕なりの彼女への手向けの花だ。


しかし、僕が特に感謝せねばならなかったのは秘書艦の伊19だった。例えばどんなに遅くまで作戦立案をしていても、彼女は最後まで付き添ってくれた。例えば僕が多少無茶をしていたら、彼女は僕をサポートしてくれた。例えば僕が…なぜ彼女はここまでしてくれているのだろうか。幾ら秘書艦とはいえここまで業務を押し付けていいのだろうか。それとも単純に、彼女がそこまでのいい娘なのだろうか。

(理由を聞くのも野暮だろう。)

そう思い、僕はただただ彼女の行動に甘えることにした。




「提督、大切な話があるのね。」

いつになく真剣な眼差しをした伊19が僕にそう話しかけて来たのは業務時刻終了に差し掛かった頃だった。

「なんだい?」

「その…イクのお願いを…聞いて欲しいのね…」

こんなしおらしい伊19は珍しい。それほど大ごとなお願いなのだろうか。

「イクはいつも頑張ってくれているんだ…僕にできることなら君のお願いも聞いてあげなくては…」

本心だ。

「あのね…イクもそろそろレベルが最上限に行っちゃうのね…」

…彼女がここに来て、もうそんなに時間が経っていたのか。

「それで…あの…もしイクがレベル上限まで行ったら…ケッコンカッコカリして欲しいのね!」

「…あぁ、わかった。受け入れよう。」

なるほど、彼女は自ら戦力補強をしたいのか。こんな熱心な部下を持てて僕は…

「ただのケッコンカッコカリじゃないのね!それと一緒に!一緒に…」

「…一緒に、なんだい?」

「イ、イクとお付き合いして欲しいのね!」

…予想外だった。まさかこの僕が告白されるとは。

「答えは…今すぐじゃないといけないのかな?」

予想外だった分、今すぐ答えを出せるわけではない。僕たちは上官と部下にあたる。一般社会の職場恋愛というわけにもいかない。

「答えくれるまで待ってるのね…」



今までなぜ彼女が献身的に仕事をしてくれていたのかがやっとわかった気がする。今更気付いた自分自身の鈍感さを憎みながらもどうするのが一番良いのかを自分なりに考えてみた。

たしかに彼女はいい娘で、僕なんかにはもったいない。しかし、今まで彼女の行為に甘えていて、いざ告白されて「僕たちは付き合えないよ」と言える自信はなかった。建前として『部下と上官である』という理由はあったが、果たして僕が彼女の告白を断る理由が他にあるのだろうか。逆に僕の本音はどうなのだろうか。とても上から目線な言い方だが「付き合ってもいい」というのが僕の本音なのかもしれない。それが彼女にとっても、僕にとってもプラスに働くことが多いだろう。




僕はまた夢を見ていた。この夢は僕にとってあまりにも都合の良い夢だった。まるで僕がこうであって欲しいと願っていることが夢として具現化したかのような…

あの事件で沈んでしまった艦娘が夢に出て来た。僕は必死に彼女に「許してくれ…」と謝り続けていた。すると彼女は「提督のせいではない。私のことは忘れて欲しくはないけど・・・・・・」と言っていた。最後の方は何を言っていたのか忘れてしまった。夢というのは一番重要な部分で起きてしまったり、そこを忘れてしまったりするものである。

「…昨日の今日だが、ああいう返事は早めに出すほうがいいだろう。」

長々とした独り言を言うと、僕は着替え始めた。



相変わらず執務室の扉のドアノブは仄かに暖かい。

「おはようなの…」

いつもより元気なさげな伊19の挨拶が聞こえる。

「あぁ、おはよう…」

僕は彼女が運んで来てくれたプレートが乗っている机へと足を運ぶ。

「「いただきます」なの…」

いつもなら談笑しながらの朝食も、今日は彼女から話しかけてくることがないからか静かだ。

「…」

「…」

「…イク、食べ終わったら、大事な話がある…」

「…!わかったのね…」

今すぐここで返事を出さないあたり、僕はやはり臆病なのだろうか。いつも大切なことを先延ばしにしてしまっている、そう最実感させられた気がした。


お互い、いつもより少し時間をかけて朝食を終えた。いつも通り、彼女はプレートを食堂へ戻しに、僕は二人分のココアを入れていた。

「ふぅ…どう話に入ればいいのだろうか…」

返答内容は考えていたものの、いざ本番となるとどう切り出せばいいのかがわからない。

「ただいまなの。」

あれこれ考えていると彼女はもう戻って来た。

「イク、そこに座ろうか。」

僕はいつも座るワークデスクではなく、応接用のソファーを指差した。

彼女が腰掛けたのを見て、僕は2つのマグカップを持って近づく。

「あのね、イク…昨日のお願いについて僕なりの答えを出したんだ…」

「…」

「僕たちは…上官と部下なんだ…」

そう言った途端、彼女は下をうつむき、今にも泣き出しそうになっていた。

「だから…」

「もうそれ以上言わないで欲しいのね…」

「最後まで聞いてく…」

「もう言わないで!」

そういうと彼女は顔を手で覆って泣き出してしまった。

「…だから…その…あのね…節度を持ったおつきあいをしましょうと…」

「ヒグッ…ウェッ…


…え?」

彼女は泣いたせいで赤くなった顔を上げた。

「だからね、イクのその告白を僕なりに受け取ることにしたんだ…君が僕のどこに惹かれたのかはわからないけど、僕は僕で、君に惹かれていたんだ。」

「ヒグッ…て、て〜とく〜!うわぁぁぁん!」



ココアが完全に冷え切った頃、伊19は泣き腫らした顔のまま、笑顔でデスクワークをしていた。出撃準備報告に来た艦娘達からは「提督が何かやらかしたのだろう。」という顔で睨まれたが、艦隊運営には支障はなかった。おそらくすぐに噂になるのだろうから言い訳しても無駄だと悟った。


「て〜とく!今夜はどこに行くのね⁈」

一応、お付き合いしているのだから名前呼びでもいいと伝えたが、やはりこの呼び方の方がしっくりくるのだろう。前より少し甘えたような呼び方をしてくるようになった。

「付き合い始めた記念日だからね…せっかくだからそれなりのレストランに行こうか…」

僕もこう見えて軍の中級幹部だ。接待などでそこそこのレストランも多く知っている。

「レストラン!イク、フレンチ食べたいのね!」

「そうか、なら今から予約しよう…しまった、携帯の充電がない…」

「ならイクの携帯貸すのね!

…あ、部屋に忘れて来たのね…」

「いいよ、施設電話から予約してくるよ。少し一人で作業しててくれ。」

「わかったのね!」



執務室から出て歩いていると、噂を嗅ぎつけたのか面倒くさい艦娘に絡まれた。

「提督〜!イクさんのことを泣かせたって本当ですか〜?」

「…聞こえが悪いな青葉。あれは嬉し涙だ。」

「お!嬉し涙!ということは何か特別なことがあったんですか〜?」

「プライバシーだ。これ以上は何も言わんぞ。君も早く持ち場に戻りなさい。」

「ぶー!出撃準備に戻りますけど今度ちゃんと話してくださいよね!じゃっ!」

嵐のようなやつだ。しかし電話まで付いてこられなくてよかった。


施設電話なんて使うのは久々だな、そう思いながら僕は公衆電話機に10円を数枚投入した。

「…あ、δδδの電話番号でお間違えないでしょうか…えぇ…はい…」




誰かに聞かれることもなく無事に電話も終えた僕は伊19の待っている執務室へ戻ることにした。付き合い始めたのも本当についさっきのことで実感が湧かなかったが、電話を終えるとなぜかいきなり、付き合っているということに実感を持ちはじめた。執務室へ戻る足が不思議と軽やかなのはそのせいだろうか…今日の夜が待ち遠しい。







いつも通り、仕事を終えると僕も伊19もソワソワとしていた。

「じゃ…じゃあイクは着替えて来てくれ…」

「て、て〜とくは着替えないのね?」

「あ、あぁ…そうだな…軍服っていうのはアレか…」

「そ、そうね!」

「あ、あ、じゃあ…30分後に駐車場で…」

「わ、わ、わかったのね!」

なぜだろうか、仕事中は円滑なコミュニケーションを取れていたはずなのに終わった途端、お互いに吃り始めてしまった。


彼女が執務室を出て行った後、僕も付いて行く形で自分の部屋へと着替えるために戻った。

しかし30分もあるのだ。女性と違って僕は着替えるだけでいい。5分前に着くとしても十分時間がある。

「シャワーでも浴びるか…」



シャワーを浴び、髪型も整えてワイシャツとベスト、ジャケットを着た。初デートであり、高級レストランとなるときちんとした格好の方がいいだろう。きっと彼女もドレスコードは理解しているはず。

「…さて、今から向かっても十分間に合う。向かうとするか。」


部屋を出て駐車場へ向かう道へ進んでいると、とある艦娘が立っていた。鎮守府内だから誰がいてもおかしくないが、彼女は僕に気づくやいなや、近づいて来た。半ば僕の進行ルート塞ぐようになっている。まるで僕を待ち伏せていたかのようだ…

「提督さん!」

やはりとでもいうべきか、目の前の少女は僕に声をかけてきた。

「な、なんだい?」

謎の圧を感じながらも、僕は少女に問いかけた。

「提督さん…イクさんとお付き合いし始めたって本当ですか?」

…どこでわかったのだろうか。いや、情報源は分かりきっている。

「…青葉からかい?」

「はぐらかさないでください!」

「…あぁ、そうだよ。今朝からお付き合いすることになった。」

「そ…そんな…」

少女はまるで絶望したかのような表情を浮かべた。

「その格好…今からお出かけですか…?」

「あぁ、イクと食事に行くんだ…」

「そうですか…行ってらっしゃい…」

少女はひどく暗い顔をして道を開けてくれた。

「あぁ…行ってくるよ…お土産とか買ってこようか…?」

「…いらないです…」

「そ…そうか…」

気まずいが、そろそろ向かわないと少し遅れてしまうかもしれない。そう思い、僕は歩き始めた。


「提督さん!」

数歩歩いたあたりで少女は再度、僕に声をかけてきた。

「非常識なお願いなことはわかっていますけど!イクさんの代わりに私を連れて行ってはくれませんか!」

少女の言葉通り、かなり非常識なお願いだ。

「それは…少し無理かな…」

「私は…!いや…私も!私も提督さんのことをお慕いしています!私じゃダメなんですか⁈」

…ダメなのだろうか。そう聞かれると答えに困る。伊19と付き合い始めたとはいえ、本当に僕は伊19が好きなのだろうか…しかし今言えることは…

「少なくとも、今僕が言えるのは『ダメだ』ということだよ…君の気持ちは嬉しいけど、僕はイクとお付き合いしている。」

「…そうですよね。私…自分のことばっかり…わかりました…私!提督さんとイクさんが上手くお付き合いできることを願ってます!」

そういうと少女は走り去って行った。



「待たせてしまったかな?」

少し重い足で駐車場に向かうと、伊19は僕のことを待っていた。

「て〜とく、少し遅いのね!」

「ごめんね…でも時間には間に合っただろう…じゃあ、行こうか。」

こんな重い気持ちで僕は初デートに臨まなければならないのか…




レストランに着くと、僕たちは運がいいのか、かなり景色のいい席へと案内された。

「本日はご利用有難うございます。当店のご利用されたことは…」

「えぇ、何度かは。」

「失礼致しました。ではご予約いただいたコースで…お客様、お飲み物はどうされますか?」

帰りの運転もある…ここはワインとか飲みたかったが…

「白ワインとお水くださいなの!」

「かしこまりました…少々お待ちくださいませ…」

そういうとウェイターは下がっていった。

「…イクも白ワイン飲むのか。意外だね。」

「ん〜ん!これはて〜とくの分なの!帰りはイクが運転するから安心して欲しいのね!」

「しかしせっかくのディナーだ。君もワイン飲みながら堪能したいだろう?僕のことはいいから…」

「て〜とく、最近あまり休んでないのね。だから…この時間だけでも…」

そうか、これは彼女なりの気遣いだったのだろう。

「…じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。」

「甘えるべきなのね!」


楽しい時間というのはいつでもあっという間に過ぎてしまうものである。残念ながら、このディナーも例外ではない。食後のデザートも食べ終え、コーヒーを飲みながら少し雑談をしていた。

「イク、て〜とくとお付き合いできて嬉しいのね。」

「…あぁ、僕もだよ。」

そう言いながら僕はふと、ディナー前の少女からの告白を思い出してしまった。

「だからイク、て〜とくとずっと一緒にいたいのね…」

「あぁ、これからも一緒にいよう…」

「ちょっと湿っぽくなっちゃったのね…て〜とく、そろそろ帰るのね!」

「あぁ、そうしよう…」

「えっと…伝票は…」

「…女性に財布を出させるのは男としての恥だ。ここは僕に任せなさい。」

「ふふっ、て〜とくは紳士なのね。」



僕たちは会計を済ませ、車に戻った。僕が運転するわけにもいかないため、彼女に運転席に座ってもらった。

車は走り始めたが、彼女はなに一言も話してこない。運転中は慎重になるタイプなのだろうか。

そんな静かな時間を切り裂くように、彼女は突然問いかけてきた。

「て〜とく、あの娘から告白されてたのね。」

「え⁈

…聞いてたのか?」

「聞いてたのね。」

「そうか…でも断ってしまったよ…」

「それは嬉しかったのね…」

そう言うと、彼女はまた黙り始めてしまった。


「なぁ、イク…こっちは鎮守府への道じゃないようだけど…?」

彼女が運転する車は鎮守府とは反対の、遠ざかる方へと走っているようだった。

「て〜とく、あの鎮守府にはイク以外にもて〜とくのことが好きな娘が多いのね…」

「…意外だね。僕はそんなに慕われていたとは思わないけど。」

「それはて〜とくが鈍いだけなの。」

「そ、そうだったのか…それはそれとて、イク、君はどこに向かっているんだい?」

「せっかくのデートなの。綺麗な景色でも見に行きたいのね。」


更に車は走り続け、20分ほど走ったのだろうか。周囲を見る限り、人気のない場所までやってきたようだ。

「て〜とく、潮風が気持ちいいのね。」

伊19は扉を開けながら僕にそう言った。

「イク、夜の場合は潮風じゃなくて陸風だよ。」

「どっちでもいいのね…潮風の方がロマンチックなの。」

外に出ると酒で火照った頬を程よい冷たさの陸風が撫でてくる。

「鎮守府で感じる陸風とは違うね…」

「て〜とく、海辺に行くのね。」




海辺に近づくと、月の光が直線上に反射していてとても綺麗だと気づいた。

伊19はおもむろにヒールとストッキングを脱ぎ、

「夜の波は冷たくて気持ちいいの。」

と僕の手を引きながら海辺へと更に近づいた。

「ちょっと待ってくれ…」

僕はそう言って自分の靴と靴下を脱いで彼女の手を取り直し、導かれるように海辺へと近づく。


なるほど、夜の海は冷たいがそれがまた心地いい。

「もうちょっと深いところまで行くのね。」

そう言いながら彼女は更に進もうとする。

「待って、これ以上は服が汚れちゃうよ。」

「そんなのはどうでもいいのね…て〜とくも『今』を楽しんだ方がいいのね。」

…なるほど、彼女の言う通りかもしれない。ここは彼女についていこう。


「もう少し先まで行くのね。」

水面が膝あたりまできても彼女は歩みを止めない。心なしか繋いでいる手の力が徐々に強くなってきている気がする。


気づけば水面は腰まできていた。

「もう少し…もう少し…」

彼女はナニカに取り憑かれたように先へと進んで行く。流石に危険に感じた僕は踏ん張るように立ち止まった。

「イク!しっかりしろ!これ以上は流石に…」

そう言うと彼女も立ち止まり、こちらに振り向いてきた。そんな彼女の瞳には光がない。夜だからだろうか…いや、そんな理由ではない。僕は何か、危険さと怖さを感じた。

「ほ、ほら…戻ろう…明日も仕事があるんだからさ。」

「て〜とくはイクと仕事、どっちが大切なの?」

光のない瞳で僕を真っ直ぐ見つめてくる。

「…それは、君の方が大切だよ。」

「嬉しいのね…」

そう言いながら彼女は僕に抱きついてきた。

気をつけの状態で抱かれてしまったせいで僕から彼女を抱くことは出来そうにない。

「少ししゃがんで欲しいのね…」

彼女の言うことを聞き、僕は少ししゃがんだ。すると彼女は口を僕の耳元に持ってきて囁き始めた。

「イクはて〜とくのことが大好きなのね…ずっとずっと一緒にいたいくらい好きなのね…」

「僕もイクのことが好きだよ…だから早く帰ろうよ…」

「だから他の娘たちがて〜とくのことを異性として見てるのに耐えられないのね…」

「なぁ、そろそろ本当に帰ろうよ…君の気持ちはよくわかったから…」

僕の心の中は早く帰りたいと言う気持ちでいっぱいになった。

「帰れないのね…」

そう言いながら、彼女は僕に足を掛け、転ばせてきた。

人というのは水深数十cmもあれば溺れてしまうらしい。腰までの深さともなると…

必死にもがいても伊19が抱きついているせいで浮かぶこともできない。

「(ここならずっと一緒にいられるのね…あの世でもずっと一緒なのね…)」

潜水艦だからだろうか、水中でもなぜか彼女の考えが僕の頭の中に入ってくる…


意識が遠くなって行く中、僕はあることに気づいた。これは僕の望んだ死に方ではないのではないかと。あの日、夢で見た羊水のような液体は伊19に抱かれながらのこの海だったのではないかと…

(こんな穏やかに死ねるのなら、本望なのかもしれないな…)

最後に『むしろ幸せ』という過去の彼女の言葉を僕は思い出しながら息を引き取った。


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