2014-09-12 13:36:20 更新


<22話-1>



 雪姫のコスプレやら『キライメール』やらで、どたばたと忙しかった日から一夜明けて。

 講習を終えて天文部の活動時間になった今、新入部員が計佑たちに挨拶をしていた。


「新入部員の須々野硝子です。みなさん、宜しくお願いします」


 硝子がペコリと、天文部のメンバー5人に頭を下げた。


「天文部へようこそ、硝子ちゃん!!」

「……ありがとうございます、白井先輩。よろしくお願いします」


 雪姫がニコニコと話しかけて、硝子がどこかぎこちなく礼を口にした。


「ていうか、ちょっと遅かったくらいだよね?

硝子ちゃんなら、すぐにでも入ってくれるんじゃないかと思ったんだけど……」

「いやー、最近硝子ちゃんとゆっくり話す機会がなくて。うっかり誘うの忘れちゃってたんですよねー」


 雪姫の疑問に、まくらがテヘヘと笑ってみせた。

 そんな女子3人の会話を他所に、茂武市が計佑に話しかける。


「おい計佑、アリスちゃん除いてもこれで五人じゃん。もう正式に部に昇格できるんじゃないか?」

「ああ、それなー。うんまあ、今日はそれについての会議みたいなもんだな」


 今日の昼食は、久々にまくらや硝子との3人でとった。

その時に『天文部に白井先輩も入っている』という話が出ると、突然硝子も入部したいと言ってきて。

 まくらが「情けない計佑に代わって、私が誘ったんだよー」と自慢げに話した瞬間、

硝子が何故か愕然とした顔つきになって。

次に一瞬、苦虫を噛み潰したような表情も見せたりしたのだけれど──

ともかく願ったりかなったりな訳で、勿論入部してもらう事になって、すぐに職員室に足を運んだ。

そこで正式な昇格についての条件を2つほど出されたので、今日はそれについて話し合うつもりだった。


「わ……ホントにカワイイね~、アリスちゃんって」

「なっ、撫でてんじゃねーよー!! 初対面のくせにっ、なに馴れ馴れしくしてんだよっ」

「あはは、ホントに突っ張っててカワイイんだね~?」


 いつの間にやら、硝子が屈んでアリスの頭を撫で始めていた。


「あ~須々野さん、一応わかってると思うけど、そいつ中二だからさ……あんまり子供扱いは」


 アリスが内心ビクビクしているのを察した計佑が、助け舟を出した──自分の事は棚にあげて。

 その計佑の言葉に、硝子が手を止める。

その隙に、アリスがささっと計佑の後ろに隠れた。

その様子をじっと眺めていた硝子だったが、スッと目を細めて。


「へ~……そのコを子供扱いしていいのは自分だけってことなのかな、目覚くん?」

「なっなんの話だよっ?」

 

 ギクリとした計佑が、


「まくらから、もう色々聞いてるんだけど?」


 硝子の一言に顔をしかめた。

 まくらを睨みつけるが、その相手はあらぬ方向を見て、吹けもしない口笛を試みていた。


「なんでも、抱っこしたり口説いたりと、随分仲がいいそうじゃない?

目覚くんがそっちの趣味だったなんて意外だったけど」


 言いながら、ちらりと雪姫のほうを見る硝子。

──雪姫は珍しく茂武市と話していて、それには気づかなかったが。


「そっちの趣味ってなんだよ……須々野さんまでそういう目で見るの?」


 昨日、雪姫にもキツく責められたのだ。流石にちょっとうんざりしてしまう。


「けっけーすけ……なんかコイツこわい……」


 後ろからアリスが裾を引っ張ってきた。


「だいじょぶだいじょぶ、

……このおねーさんがコワくなるのは基本オレに対してだけだからさ。お前は大丈夫だよ」


 途中からは硝子に聞こえないように耳打ちしながら、アリスの頭を撫でてやった。

──以前なら、『硝子は誰にでも優しい』と言い切れたが、

先日の旅行以来、計佑の硝子への印象は結構変わってしまっていた──

 アリスは計佑の手にちょっとくすぐったそうにしたが、それでも何も言わず、ほんのりと頬を赤くする。

その様に、硝子が目を丸くして。また雪姫のほうを、今度は凝視した。


「……ん? どうかした硝子ちゃん?」

 

 流石に今度は気づく雪姫。


「……あ、いえ。なんでもないです」

 

 硝子が不審そうな顔つきをして、顔をこちらに戻してきた。


「……おかしい……先輩が、この様に余裕なんて持てるハズは……」


 ブツブツと呟く硝子がいきなり、ハッとした顔になった。

そして目を吊り上げて、ギラン!! と計佑を睨んでくる。


「ひっ!? やっやっぱコイツ怖いよっ、けーすけ……!!」

「だっ大丈夫大丈夫っ、お前は大丈夫だからさ……!!」


 計佑も、内心怯えが入っていたのだが、アリスの手前どうにか強がってみせた。


「昨夜のうちに、もう何かやらかしてみせたのね……!!

また新しいコをひっかけておきながら、何てそつの無さなのっ……!!

この、天才女ったらし……!!」


 やっぱりボソボソと呟く硝子の剣呑な雰囲気に、もはや計佑は冷や汗を流す事しか出来なかった。


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「えー、須々野さんという新入部員を得て、この天文部はアリスを除いても五人を越えました。

それで正式に部に昇格出来ないかと思ったんですが、一応2つほど決めなければならないことがあります」


 ひとしきりの雑談を終えて、計佑が今日の活動について切り出した。


「ふーん、どんなこと?  めんどくさい手続きとかなんかいるの?」

「1つは部長を決めること。もう1つは具体的な活動内容についての報告かな。

とりあえずは夏休みの予定についてってことになる」


 まくらの疑問に計佑が答えた。


「部長は計佑、おまえに決まりだよな」

「えっオレか!? なんで決まりなんだよ」


 茂武市がニヤニヤと決めつけてきて、計佑はそれに慌てた。


「だってお前が言い出しっぺだろ? 星に詳しいのもお前なんだし」

「そりゃそうだけどさ……詳しいのはお前も一緒だろうに……」


 困った計佑が、つい雪姫を見つめてしまう。


「……えっ、私は無理だよ? いつも来れる訳じゃないし、

直に引退の三年なんだから、どっちにしろ計佑くん達の中から選んでおかないと」


 雪姫が困ったように笑ってみせて、その正論で、流石に雪姫については諦めるしかなかった。


「そりゃそうですよね……でもオレもガラじゃないと思うんだよな。……茂武市、やっぱお前がやらないか?」


 普段はおちゃらけているが、実は結構しっかりしている友人。

メンドくさがりではあっても、責任感がない訳でもない。

こういう柔軟な人間のほうが、意外と向いているのではと思ったのだが……


「うーん、反対っ!!」

「それだけはないよ、目覚くん」

「ヘンタイメガネが部長なんてダメに決まってるだろっ」

「……やっぱり茂武市くんも言ってた通り、計佑くんがいいんじゃないかな?」


──女子全員から否定されてしまった。


「……どーせオレなんか……」


 茂武市が、ガックリと項垂れた。

茂武市は表面上だと、ただの女好きにしか見えなかったりするので仕方なくもあるのだけど、流石に可哀想になった。


「わっ、わかりました!! オレが部長をやらせてもらいます。それじゃあ次は活動内容について──」


 慌てて話を切り替えようと、計佑は観念して部長を引き受けたのだった。


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「高いたか~い……流石にホタルよりは重いな、お前。まあアイツは今、6歳くらいだろうから当たり前だけど……」

「こっこら~っ!! これは子供扱いがすぎるぞっ、けーすけ!!」


──活動内容についての話し合いは、結局保留になっていた。

本来なら、天文に詳しい計佑と茂武市で進めていくべき話だったが、

すっかりふてくされてしまった茂武市は、まともに話し合いに参加してくれず。

 流石に悪いと思ったのか、今はアリス以外の女子3人が茂武市を慰めにかかっていた。

まあ女子3人に囲まれれば、茂武市の事だからすぐに機嫌は治るだろう。


──先輩だけは、別にキツイ事は言わなかったんだから加わる必要ないのに……


 などと微妙に面白くない気分もあったが、

取り残された計佑はアリスといちゃつき?  始めていたのだった。


……ついさっき、硝子に対して『あまり構い過ぎるな』などと口にしておきながら、この体たらく。

雪姫や硝子の怒りも、尤もな少年だった。


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──これで二回目、だね……


 雪姫が心の中でカウントを重ねた。──計佑がアリスといちゃついた、その回数を。

本日の一度目は頭を撫でてあげた事。そして二度目が、今の『たかいたかい』だ。

 計佑とアリスの親しさに関しては、

昨夜の一件のお陰であまり焦燥を感じなくて済むようにはなっていたが、かといって全く気にならない筈もなく。


──昨日の約束通り、ちゃ~んと後で私も構ってもらうからね、計佑くん……


 計佑はしっかり拒否してみせた

"アリスと同じ分だけ私も愛でなさい" という話だったが、雪姫の中では決定事項なのだった。

──そうして、時々計佑たちを見やる雪姫を、これまた硝子がそっと観察していた……


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──口ではぎゃいぎゃい言うけど、実際には大人しくしてるんだから、ホント可愛いもんだよな……


 アリスを抱え上げながら、そんな事を思う計佑。

 アリスは口では罵ってきながらも、実際には何の抵抗もしない。

顔を真っ赤にして怒鳴りながらも、計佑の為すがまま。

 ホタルが四六時中じゃれついてくる子犬なら、

アリスは威嚇こそしてみせるが、実際はこちらの思うがままに愛でさせてくれる子猫といった感じだろうか。

 そんな比喩を思い浮かべながら、少年はふと気づいた疑問を口にした。


「そういえばお前は、あんまりくすぐったがらないな……先輩は敏感だったのに」


 アリスの脇を抱えてしまう事はこれまでにもあったし、

今だって脇腹を抱えて上げ下げしているのに、まるで苦にしていない少女。

 その様に雪姫との違いが思い当たり、そんな事を口にしてしまったのだった──愚かな事に。


「……ちょっと待って目覚くん。どうして『白井先輩は敏感だった』なんてコトが言えるの?」


 茂武市を慰めていた筈の硝子が、ギラリとこちらを睨みつけてきていた。

──ここでこそ、いつも通りの初心で鈍感なキャラを貫いて、

「いや、たまたま脇腹を掴んじゃったことがあってさ」

とさらりと言えていれば──傷は浅かっただろう。


 しかし、硝子の指摘であの時の出来事──雪姫が、

自分の体の上でのたうって、嬌声を上げた──を詳しく

思い出してしまった少年は、顔を赤くして「あ……う……」と口ごもってしまった。


──そして、そのミスで決定的に空気が変わった。

 硝子が、チラリと雪姫の様子を確認した。雪姫も、耳まで赤くして俯いてしまっている。


「…………」


 無言で、ガタンと硝子が席を立った。


「……この手を離せ」


 さっきまで、大人しく計佑の為すがままになっていた筈のアリスが、

いきなりパンッ!! と計佑の手を払いのけてきた。


「「…………」」


 まくらと、茂武市までが席を立った。


──鈍すぎる少年でも、流石に今の空気の危険さは理解できた。


「ちょっ、ちょちょ!! 違うって!!

別に変な事したとかじゃないよ!?  せっ、先輩からも言ってやってください!!」


 慌てて両手をバタつかせ、雪姫に助けを求めた。

その求めに応じて、俯いたままの雪姫が


「計佑くんは……私が悶えて悲鳴を上げても、離してくれないでもっと私の事を……」

「ちょっとぉぉお!? 先輩ぃぃぃ!?」


──見事に裏切ってくれた。

いや、確かにあの時自分は、身を捩り悲鳴を上げる雪姫に、身体をすぐには離さず力んだりもしてしまいはした。

だから雪姫が言ってる事は必ずしも嘘ではないけれど、

俯いて、恥ずかしそうにしながらのその言い方は絶対……!!


 愕然として見つめる計佑に、雪姫は顔を上げると、チロリと舌を出してみせた。


──こっ!! ここでそれをやるんですかっ!? ていうか、なんでそんなに変わり身が早いんですかっ!!!!


 直前まで、自分同様、耳まで赤くしていた筈なのに。

相変わらずの態度の翻りぶりに、もはや口をパクパクさせる事しか出来なかった。

 そして、


「本当に何も変な事をしていないというのなら、なんでさっき赤い顔をして口ごもったのかしら?」


 相変わらず厳しい硝子の追求に、完全にトドメを刺されてしまった。

ゆらりと、硝子、まくらが近寄ってくる。

完全に手玉にとっていた筈のアリスからですら、今はとてつもないプレッシャーを感じる。


──……くっ!! もはやここは──!!


 計佑が、脱走を決め込んだ瞬間。

ガシリと後ろから羽交い締めにしてくる人物がいた──茂武市だ。


──なっ!? いつの間に!?


 女性陣からのプレッシャーにばかり気を取られていて、茂武市の事を完全に失念していた。


「なっなんだよ茂武市っ!? ちょっ、離してくれよ!! なんでお前まで敵に──」


 全力で藻掻くが、振りほどけない。訳が分からず、振り返って喚くと、


「なぁ計佑クン……キミは、ついこないだの旅行の時には『ボクまだ何もわかりません』

みたいなコト言ってたと思うんだが……いつの間にそんなに "オトナ" になっちゃってたんだか、教えてくれませんかねぇ?

それともとぼけてただけで、もうあの時にはとってくに "オトナ" になってたんですかねェ?

……冷たいなァ、親友のボクにも内緒にしとくなんてなァ……」


 茂武市がヘビの様な目つきで、計佑の目を覗きこんできた。


「違!? ホントにそんなんじゃないって!! あっ後でちゃんと教えてやるからっ、今はとにかく離して──」

「いいえ。そのまましっかり捕まえておいてちょうだい、茂武市くん」


 硝子の声が、随分と近くから聞こえた。

慌てて顔を前に戻すと──硝子、アリス、まくらの3人が至近距離で立っていて。


「ひっ!?」


 思わず、情けない悲鳴が口をついてしまった。まくらはまだしも、硝子とアリスが本気で恐い。


「……アリスちゃん、まくら、手を貸してくれるかな?」

「……喜んで貸すぞ、硝子センパイ」

「…………」


 腕を持ち上げる3人に、


「ホントにちが──!!!!」


 計佑がまともな言葉を口に出来たのは、それが最後だった。


『あ゛あ゛あ゛あ゛あ~~~……』


──文化部の部室棟に、少年の悲鳴が響き渡った。


─────────────────────────────────


 結局、計佑が散々な目に遭った後すぐに、この日の部活は解散となった。

茂武市が真っ先に帰り、硝子は日課だという図書室での勉強へ向かい、

雪姫は帰る直前、何か計佑に言いたそうにしていたが──結局、何も言わずに帰ってしまった。

そしてアリスも雪姫と一緒に帰って。


 今、天文部室には、計佑とまくらの二人だけが残っていた。


「くそっ……ホントに誤解だってのに、なんでこんな目に……」


計佑が悪態をつきながら、ついさっきのドタバタでとれてしまったシャツのボタンを縫い直していた。

──本当に散々だった。

くすぐられ、髪もぐしゃぐしゃにされ、ひっかかれ、乱暴にシャツを剥がされて。

つねりあげられ、ペタペタ触りまくられて、その上、なんか変な所まで触られたような……

終いには、ズボンまで脱がされそうになったところで、雪姫が止めてくれた。


──まあ雪姫の本心としては助けたというより、

けしかけておきながら、女の子に群がられている姿に嫉妬したというのが本当のところだったが──


「まくらっ。大体お前はホントの事知ってただろーが……なんで一緒になって好き勝手やってくれてるんだよっ」

「いやあ。つい場の空気に乗せられちゃって、さ」


 テヘリと舌を出してみせるまくらに、いつもだったらゲンコツの1つもお見舞いしてやるところだが、

まくらは今、窓枠に腰掛けていて、手が届く距離ではなかった。

もう立ち上がるのも億劫だったので、今日のところは勘弁してやる。


「……たく……ズボンまで脱がそうとしてたヤツいたんだけどな……?」

「やっ!! それは流石に私じゃないかんねっ!?」


 計佑のジト目に、まくらが慌てた様子で両手をバタつかせる。そうすると後は硝子かアリスの二択なのだが……


「……まあいいか。ただまあ、誤解は一応解いておかないと気が済まねーんだよな。

アリスの誤解は先輩が解いておいてくれるだろうけど、茂武市と、須々野さん……

須々野さんにはお前から言っておいて欲しいんだけど、須々野さんならなんか、

『……なんでまくらがその事について詳しいの?』とか追求してきそうだよなぁ……」

「あはは……」


 硝子の口真似をしてため息をつく計佑に、まくらが苦笑してみせた。

 今日も、相変わらずの鋭い追求ぶりだった。

『計佑からの又聞きだよ』とまくらが言ったところで、あっさり見抜いてしまうだろう。

……本当に、旅行以前の硝子とは別人のような気すらする。


──いじられるのは、先輩だけでお腹いっぱいなんだけどな……


 はあっ、ともう一度大きくため息をついてみせる計佑に、まくらがまた苦笑して。


「まあまあ。今日のは、悪い気もしなくはなかったんじゃないの? ちょっとしたハーレム状態だったじゃない」


 最後にはニヤニヤ笑いへと表情を変えたまくらが言ってきたが、


「バカ言え、いじられて嬉しい相手なんて先輩しかいねーよ」

「……え」


 計佑の答えに、まくらが表情と声を固くした。


──な、何急に変な顔して……あ!?


 そのまくらの反応で、今の自分の言葉が変な意味にも取られる事に気づいた。

──先輩にだったら、自分の身体をまさぐられても嬉しいと言っているような──


「あっいや!? 別にそんな変な意味じゃねーぞ!?

ただ、先輩からのいじりにはもう慣れてきたとか、それだけの事で!!

精神的な話をしたんであって、身体をいじくり回して欲しいって意味なんかじゃ──!!」


 必死に弁解する。

それにまくらが、表情を消して。じっと探るような目つきになった。

……そんなまくらの顔を見ていられなくて、目をそらした。


「……ねえ計佑」


 その声に、何かイヤな予感がした。逃げようと、席を立ちながら──


「あっ、オレ今日図書室に寄るつもりだったんだよな!! じゃあオレはこれで──」

「ホントは、もう自分の気持ちわかってるんじゃないの?」


──しようとした別れの挨拶は、核心をついたまくらの言葉に遮られてしまった。


 椅子から半分腰を浮かせた状態で、固まってしまう。

まくらが、じっとこちらの顔を注視しているのを感じる。

けれどやっぱり今、まくらの目に視線を合わせる事が出来なかった。


「……計佑……」


 まくらの静かな声に、ついに降参した。再び腰を下ろす。

まくらが窓枠から腰を上げて、こちらに歩み寄ってくる。そして、計佑の向かいに座り直した。


「…………」

「…………」


 沈黙が続いた。

しかし、まくらの視線は全くブレる気配がない。

……完全に観念して、まくらと視線を合わせた。


「……絶対、内緒に出来るか?」

「……うん」


 計佑の確認に、まくらがコクンと頷く。


「……お前のおふくろさんに誓えるか?」

「……っ!! ……うん、わかった。誓って誰にも言わない」


『母親』の事まで重しにしてきた計佑に、まくらも神妙な顔つきになって。


「はぁ~~っ……」


 計佑が大きなため息をついた。またまくらから視線を逸らし、ガリガリと頭を掻いてから──








「先輩の事、好きだと思う」








──そう、口にした。


 その瞬間、まくらが小さく息を呑んで、痛みを堪える顔つきになったが、まくらから視線を逸らしていた少年は気づかなかった。

 そして、両肘をテーブルについて、両手で俯いた頭を抱えた少年が、


「好きだと思う。好きだとは思うんだよ……でも……その……うーん……」


……何やらごね始めた。

 その様に、まくらが苦しそうな表情から「……ん……?」と不審げな顔つきになった。


「……なに、その『だとは思う』って……『でも』とか『その』とかも、一体なんなの、それ……?」


 不審そうな顔つきから、もはやはっきりと咎める顔つきに変わったまくらの責めに、「うっ」と呻く少年。

両手からそっと顔を上げて、上目遣いでまくらの顔に視線を戻した。


「……いや、好きだとは思う、としか……言えないんだよな、その……

あんなにドキドキさせられる人はいないし、昨日は嫉妬だってする事も自覚させられた。

……でも、でもだぞ?  あんなにキレイでカワイイ人、他にはいないし、ドキドキするのは当たり前じゃないか?

嫉妬だって、例えばお前に彼氏とか……って考えても、これもやっぱりムカつく気がするし。

──いや、これは兄貴としての感情かもしんないけど……ともかく、そんな風に考えていくと、

この感情って本当に恋愛のそれなのか? っていう疑問が拭いきれなくてだな……」


 上目遣いのまま、言い訳がましく言葉を並べ立てる少年に、まくらが大きなため息をついた。


「……あのねぇ、計佑。難しく考えすぎ。恋愛って、結局理屈じゃなくて感覚とか感情でしょ?

『この人と二人っきりでいたい』とか、

まあ男の子だったらその……『キスしたい』とか『もっと先までいきたい』

とかなんかそんな感じの……って何言わせんのよ!!」

「ええ!? お前が勝手に言い出したことだろ!?」


 顔を赤くしつつのまくらの怒りに、納得がいかない計佑がツッコむ。

──少年の犯罪的な程の鈍さに端を発している話なのだから、まくらの怒りも強ち理不尽ではないのだけれど……


「……まあとにかく。

そういう『感情』があれば、もうそれで『好き』って言ってもいいと思うんだけど。 ……どうなのよ?」


 気を取り直したまくらからのその質問に、


「……うー、んん……?」


 腕組みをして、やっぱり難しい顔をする計佑。


「……いや、やっぱりよくわかんねー……二人きりでいたら嬉しい気持ちはある。

……でも、積極的に二人きりになりたいかっていったら、そこまででもない気がする……

先輩含めてみんなと一緒にいる時でも、十分楽しいと思えるし。

……その、えっと……キス、とか……なことも同じだ。

そういう事、事故とかでもあったりしたけど……『嬉しい』って感情は、それはあったけど、

自分からそういう事がしたいかって言うと、これもなんか違うし……」


 ブツブツとつぶやくような少年の答えに、まくらの首がガクンと倒れた。


「……計佑……あんた、いくらなんでもお子様すぎない……?

16にもなってそれって……本気で計佑の将来が心配になってきたよ……?」


 顔を上げたまくらは、憐れむような顔つきすらしていて。それにムッときた。

……まあ、正直自分でも酷いという自覚はうっすらあるのだけれど、まくらにバカにされるのは何よりも悔しい。

それに色恋に関しての話なら、実はまくらだってそう偉そうなことは言えない筈なのだ。

その事を指摘しようと、


「お──」

「先輩だって、いつまでも待たされ続けたら愛想つかしちゃうよ?」


──したところで、ドスンとやられてしまった。反撃しようとしていた意志も、完全に萎える。


「……それは言うなよ~……」

 

 言いながら、テーブルにずるずると上半身を侍らせる。


「……わかってはいるんだよ~……

あんな凄い人がオレの事を好きになってくれただけでも奇跡で、そんな奇跡がいつまでも続くもんなのかってのはさ~……」


 べちゃりと上半身をテーブルに預けたまま、まくらを見上げて。


「……でも、先輩にはとにかく誠実でいたいんだよ。

自分の中で確信出来ないウチには、中途半端な返事とかしたくないんだよ……」


 訴えるように、そう口にした。見下ろすまくらが、ふぅっと軽くため息をついた。


「そんなに固く考えずに、とりあえず友達から、とかだけでも伝えてみたら?」

「友達なら、もうなってるだろ?」


 何をバカな、という気持ちで答えたのだが、まくらがやっぱり呆れた顔になって。


「それでも、あらためて伝えてもらうだけでも全然違うんだよ。

それに、計佑たちなら、その『とりあえず』からでも、すぐに本物になれると思うんだけど」

「いやっだから……そういうのがイヤなんだって。

『とりあえず付き合う』とか、それこそ先輩に失礼すぎるだろ。

いい加減に応えて、あとで先輩をもっと傷つけるかもなんて可能性は。……絶対にイヤなんだ」


 身体を起こして。この答えに関しては、強く言い切った。


「……そこまで思えるなら、もうそれって好き以外の何物でもないと思うんだけど……」


 まくらがつぶやくが、計佑もやはり折れなかった。


「……もう1つ、ちょっと理由あるんだよ。……自惚れっていうなよ?

……一昨日、昨日でなんかわかってきたんだけど……

その、なんか先輩って……ホントに俺のこと好きみたいなんだよな……」


 ガリガリと頭をかきながら恥ずかしそうに言う計佑に、


「……は……?」


 まくらがポカンとなった。


「え……? なにそれ……今さら何言ってんの……?」


 まくらの、『この生き物、一体何語話してるんだろう……?』みたいな顔つきに、

やっぱり言うんじゃなかった……とも思ったが、ここでやめるのはもっと気まずかった。


「いやだからさ、『なんでオレなんか?』ってのはやっぱりよく分かんないんだけど。

それでもまあ、どうもオレの事をかなり好きでいてくれてるらしい……

ってことが、一昨日昨日でわかってきたって話でさ」


 そう付け足した計佑に、


「いやいやっ、ちょっと!? 一昨日昨日!?

……計佑っ、あんたホントにまともな脳味噌ついてんの!?

雪姫先輩があんたをチョー好きだなんて事、島に行った日に分かりきってた事じゃないのっ!!?」


 まくらが怒鳴りつけてきた。その眼尻は釣り上がっていて、かなり本気でキレかけている姿に、


「……いや、お前までそんな風に言うのは勘弁してくれよ……昨日、その事でさんざん先輩には怒られたんだからさ……」


 そう萎れてみせる計佑だったが、


「怒られるに決まってんでしょお!? ていうか、あんたもうホントにいっぺん死んできたら……?

もう失礼とかなんてもんじゃないよ……ホント死刑もんでしょ、それ」


 あまりの言われように、流石に口を挟む。


「……いや、それは流石に言い過ぎ「なワケあるかっ!!!!」


 グワっとまくらが噛み付いてきて、最後まで言わせてもらえなかった。


「……も~~~っ……ホントなんなのあんたはぁ……

一昨日って、あんたがアリスちゃんとイチャつきまくって、雪姫先輩を弄んだ日でしょお?

私の必死のフォローも台無しにしてさぁ……

そして昨日って……あ!? 部活の時に、先輩がすっごい怒ってたのはそのことなのっ!?」


 計佑を『目覚くん』呼ばわりしていた雪姫の事を思い出したらしいまくらの言葉だったが、


「……いや、その……それはまだ前の……またちょっと別口というか……」


 口ごもりながら答えた計佑に、まくらが『ガンッ!!』とテーブルに額をぶつけた。


「べ、別口……? あんなに怒らせてたのに、そっからまた更に

『先輩の気持ち、昨日までわかってませんでした』とか言っちゃったワケ……?」


 テーブルに突っ伏したまま、やはりテーブルの上に置いた拳を震わせながら訊いてくるまくらに、


「……い、いや、まあその……はい」


 思わず敬語で答えてしまった。

それにまくらがガタンッと勢い良く立ち上がり、

そして間髪入れずに、計佑の顔面にグーパンチを打ち込んできた。

ガツン!! と結構派手な音がして。


「いてェエエ!? なっなにすんだよっ!?」


 まくらからの暴力は昔からそれなりにはあったが、いくらなんでもこんなに重い顔面パンチは初めてだった。

頬を押さえて、流石に声を荒げたが──


「うっさい!!! 今のは世の中の女のコ全員からの一撃だ!!!! オマエみたいな男は、ホントもう存在すんな!!!!!」


──仁王立ちで、般若のような顔をしたまくらの迫力に、金縛りになってしまうのだった。


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──体感時間では1分ぐらいにまで感じた、長い十秒が過ぎた。


 その間、ずっと般若状態だったまくらが、ようやく表情を変えて──今度は涙を滲ませた。


「……雪姫先輩が不憫すぎるよぉ……あんた、一昨日からどんだけ先輩を虐めれば気がすむのよぉ……」


 両手で顔を覆ったまくらが、崩れるように椅子に座り直した。

 まくらのその様に、漸く金縛りが解けて。慌てて、身を乗り出して弁解を始める。


「いやっ、先輩にも言ったけど!! 虐めてるつもりなんか全然ないんだって!?

オレなりに、先輩のことは想ってるつもりで行動してるだけで!!」

『ゴッ!!!!』

──まくらの放ったマッハパンチが、全く反応できない少年の顔のど真ん中に突き刺さった。


「想ってそれとかなお悪い!!! そんなんで言い訳してるつもりか!!?」


 再び般若と化したまくらが怒鳴ってきたが、今の少年に出来る事は、鼻を押さえてのた打ち回る事だけだった……


─────────────────────────────────


 その後、どうにか痛みが引いてきた計佑が、おそるおそるまくらに視線を戻した。すると──


「……オマエ。今すぐ先輩のとこ行って、告白にお断りの返事をしてこい」


 完全に目が据わっているまくらから命令が飛んできた。


「はぁっ!? なっなんで!? いやっ、オレは応える方向で考えてるって──」

「オマエに先輩と付き合う資格なんてない。ていうか、オマエのような男は一生誰とも付き合うな」


 腕組みをしたまくらからの、生涯に渡る命令。

しかし、そんな命令に従える筈もない。正直、今のまくらは怖かったが、


「……いやだ。そもそも、先輩との事をなんでお前に命令されなきゃなんだよ……」

「あァ!?」


 ぼそぼそとした抵抗に、ドスの効いた声が返ってきた。

ビクっと身体が震えてしまったが、それでも。


「だっ、大体……先輩は一応許してくれたんだ。

……そうだよ、だからお前がなんて言おうと関係ないんだからなっ!!」


 途中で、自分のほうに理があることに気付いて、最後には声に力が戻った。

それは今のまくらも認めざるをえなかったのか、「ちっ」と舌打ちをして。


「雪姫先輩、心広すぎでしょ……なんでそこまでされて許せるのかな……」


 ぶつぶつとつぶやいたまくらが、ガリガリと頭をかきむしって。いきなり、ガタン!! と席を立った。

またも、ビクッ!! と情けなくも身体を震わせてしまった計佑を尻目に、


「あ~~も~~!! 落ち着いて話すとか、もう今は無理!! この話の続きは帰ってからにする!!」


 言い捨てて、まくらがドスドスと部室を出ていった。


──……た、助かった……


 計佑が、ズルズルと椅子から半ば滑り落ちた。そして、妹分に本気で怯えていた情けない少年は、


──……なんでアイツ、あそこまでキレるんだよ……

  そりゃあ問題あったとは思うけど……でもそこまで悪くないよな、オレ?


 まくらに知られたら、マウントでボコられそうな事を考えていて。──本当に、救いようがない少年だった。


─────────────────────────────────


 天文部室を後にして図書室を訪れた計佑は、そこで──


「ぁっ……目覚くん……」


──硝子に遭遇してしまった。


──し、しまった……須々野さんがいる事はわかってたハズなのに……!!


 まくらとの慌ただしい会話をまだ忘れられなかったせいで、ついうっかりしていた。

 今日は、硝子には徹底的にやられてしまった。

そして、まだ誤解を解いていない以上、硝子がまだ怒ってるだろうと考えた計佑は、つい怯んでしまう。

 しかし、機微に敏感な硝子がそれに気づかない筈もなく……表情を歪めた。

その表情から、また気を悪くさせてしまったと考えた計佑が、慌てて──


「あっ……!? ご、ごめ──」

「ごめんなさいっ、目覚くん……さっきは、つい調子に乗ってやりすぎちゃって……本当に、ごめんなさい……」


 謝ろうとしたところに、涙を滲ませた硝子の方が先に謝ってきた。


──……え……?


 予想外の硝子の反応に、思考が一瞬止まった。てっきり、まだ怒っていると思ったのに。

しかし頭を下げてきた硝子は、ずっとその姿勢のままだった。

 やがて我に返った計佑が、


「えっ、あっ、やっ!? 別に怒ってないから!! ちょっと、もう顔をあげてよ」


 そう言うと、硝子はそぅ……っと顔を上げて。


「……本当に……怒ってない、の……?」


 上目遣いで、不安そうにそう問いかけてくる。


──……あれ……?


 その硝子の様子に、なんだかデジャヴを感じた。

なんだか、そういう言動をする人物がもう一人浮かびかけたが、とりあえずその事は深く考えずに硝子に声をかけた。


「うん、本当に。別に気にしてないから」


 そう言って笑顔を浮かべてみせると、硝子がほぅっと溜息をついて、完全に身体を起こした。


「よかった……もう完全に嫌われたかと思った」

「ええ!? あんなんくらいで、嫌いになんかならないよ……」


 大袈裟な硝子の言葉に、軽く呆れてしまう。

 けれど、計佑の言葉に硝子は微笑むと、


「あんなのくらい、ね……そう言えちゃう目覚くんは、やっぱりすごいね……」


 そう言って、なんだかうっとりとした表情で見つめてきて。


「……は、はぁ……?」


 部活の時との極端な態度の違いに、戸惑ってしまう。


「……まあ、それでもノーダメージとはやっぱりいかなかったよね……目覚くん、さっき私の顔みて明らかに怯えてたものね……」


 苦笑を浮かべる硝子に、


「うん、まあ正直今日の須々野さんはめちゃ怖かった」


 バカ正直に告げる計佑。硝子の首がカクンと倒れた。


「……ごめんなさい……」


 またも萎れた硝子に、計佑はフォローよりも先に、


──……あ、やっぱりそうだ……この感じは……


「……なんか白井先輩みたいだ……」


 さっきチラリと感じたデジャヴの正体に気付いて、そう口にした。


「ええっ!!??」


 計佑の呟きに、しかし硝子は随分と過敏な反応を示して。


「うっ……嘘!? どっ……どこが!!?」


 ぐっと計佑に詰め寄ってきた。

その硝子の表情には、驚き、苦々しさ、喜び、色々な感情がミックスされていたのだけど。

それらを読み取れる筈もない少年、いきなりの至近距離に驚いたまま、


「えっ!? 打たれ弱──じゃなくてっ、傷つきやすいところ?」


 馬鹿正直に口にしかけて、慌てて言い直した。──つもりだったが、またも硝子はガクンと頭を垂らして。


「……そこまで言ってから言い直しても、手遅れだからね目覚くん……」


 尤もなツッコミを入れてきた。


「ご、ごめん……」


 謝る計佑に、


「……やっぱり、私が先輩に似てるとこなんて、そういう所ばっかりなんだよね……」


 計佑から距離をとりながら、硝子が寂しそうに呟いた。


「え?  ごめん、よく聞こえなかったんだけど」


 計佑が聞き直したが、顔を上げた硝子は苦笑を浮かべた。


「なんでもない。それより、今日は図書室に何の用なの?」


─────────────────────────────────


「あっ!! あったよ目覚くん……やっぱりこの辺だった」

「わっ、ホントだ……すごいな須々野さん!! ホントありがとう、手間かけさせちゃって」


──今、計佑と硝子の二人は天文の入門書の類を探していた。

計佑の今日の目的──それは自分と茂武市以外の天文部4人の為の本探しだった。

それを硝子に伝えると、案内を申し出てくれて。迷うことなく、一発で計佑を導いてくれたのだった。


「別に手間でもなんでもないよ。私だって部員なんだし。

それにいつも図書室で勉強とかしてたから、なんとなく本の場所とか覚えちゃっただけの話だよ」


 照れくさそうに笑う硝子は、脚立を置くとそのまま上り、本棚の最上段にある本へと手を伸ばした。


──……あ……このシチュエーションって……


 今日の誤解の元になった、雪姫の脇を抱えてしまった時の事。それを思い出した。


──そういや、須々野さん達の誤解だけは解いておきたいって思ってたんだよな……


 図書室で顔を合わせた途端の、予想外の硝子の言動などですっかり忘れていた。

そこでイタズラ心も芽生えた。……あの時同様、無言で両手を伸ばして──


「とりあえず4冊くらいでいいかな?  4人それぞれで一冊ずつってことで──」


 4冊の本を手にした硝子が振り返ってきたところで、

「掴まえるよ」一声かけて、ほぼ同時に硝子の腰をガッと掴んだ。


「ふぇっ!?」


 硝子が軽く悲鳴を上げたが、無視して軽く持ち上げて──ストンと床に下ろした。


「……ぇっ……な、なに……」


 振り返ってきた硝子が、目を白黒させていた。


「今日の部活の、誤解の元。先輩に何したんだっていう話だよ。

なんか変な誤解されたけど、今のと同じ事をやっちゃっただけだから。

誤解されたまんまはイヤだったんだよね」


 硝子の反応に満足して、ニヤつきながらそう口にした。

──今日の硝子達からの『罰』は、やっぱり正直厳しすぎだったと思う。

さっき硝子に言った通り、怒りというほどの強い感情は残っていないが、

それでもちょっとした仕返しも兼ねて、計佑はあの時と同じ事をやらかしてみせたのだった。

……まあ、あの時の教訓を忘れた訳ではないし、

ほぼ同時とはいえ、一応一声かけるというアレンジは加えさせてもらったのだが。

 そんな考えでニヤついていた少年を前に、

硝子はじわじわと顔を赤くしていったのだが──突然、クルっと後ろを向いて。


「……白井先輩の時と、同じ事、ね……」


 つぶやくように、そう言ってきた。

その声は少し弾んでいるようで、それに計佑も『完全に誤解は解けたかな』と気を良くして答える。


「そうそう、これだけのことだよ」


 硝子に見える訳はないのだが、大袈裟に頷いてもみせた。


「……ウソでしょう」


……なのに、次の硝子の声は低くなっていた。ビクリと震える計佑の身体。

その声は──硝子が、計佑を追い詰める時の声色だったから。


「……先輩の時には……どうせ、声なんてかけずにやったんでしょう」

「ぅえっ!?」


 ズバリ本当の事を見抜かれた。


「……そして、そのせいで何かしらのトラブルがあった。……それも、なんかHな事」

「なん──!?……!!」


──カマかけてきてるんだ!! だって、そんなっ、わかるワケないんだ──!!


 そう考えて、なんとか途中で言葉を呑み込んだ計佑だったが、


「……カマをかけられてる……とか考えてる?」


 さらに、計佑の心を読んだかのような硝子の声が襲いかかって。


──なっ、なっ……何なんだ一体……!! なんでそこまで読めるんだよ……っ!!


 戦慄する計佑に、硝子がゆっくり振り返ってきて。


「……ふふ。いかにも目覚くんのやりそうな事だよね。

こんなサプライズ仕掛けられなくても、そんな事だろうとは最初からわかってたんだよ?」


 眼鏡の奥の瞳を細めて、硝子がうっすらと微笑んだ。

 その頬にはまだ赤みが残っていたし、

硝子としては嬉しさに微笑んでいたのだけれど、もはや計佑には悪魔の笑みにしか見えなかった。

 思考まで凍りついてしまいそうな少年だったが、しかしこの時はギリギリで反撃の糸口を見逃さなかった。


「……え? ちょっと待って……最初っからわかってたって……ええ!?

じゃっ、じゃあさっき、なんでオレはあんな目に遭わされたんだよ!?」


 誤解ゆえの暴行だと思ったから、まだ納得出来たのに。

わかっていた癖にあそこまでしてきたというのなら、それは流石に温厚な少年だって許せるものではない。

 その計佑の言葉に、硝子がしまったという顔になって。


「あっ、そのっそれは……!! チャンス──じゃなくて!!

……Hな事があったのは確かなんでしょう!? それ自体が、もう許せなかったの!!」


 けれど、最後にはしっかり取り繕って、きっちり計佑を責めて来る。


「いっ、いや確かにちょっと変なコトはあったけどさ……

でも、やっぱりそれに対する罰にしては、さっきのはあまりにもさぁ……」


 それでも、やはりちょっと納得いかない計佑が頭を捻るが、


「し、白井先輩は私の憧れの人だって言ってあったでしょう!?

そんな人にちょっとでも変な事なんかされたら、それは私としてはどうしても許せなかったの!!」

「うっ……そ、そう言えばそうだったね……」


 温泉に行った時、そう言って釘を刺された事を思い出した。


「けど……そっか、やっぱ須々野さんから見たら、

オレなんか相変わらず先輩には全然不釣り合いとしか思えないんだよね……」


 あの時にも、そんな風に責められた事を思い出して。

その時には苦笑でやり過ごせたけれど、今、この時の計佑は落ち込んでしまった。

 あの頃と違い、計佑の気持ちは雪姫に応える方向へと随分進んでいる。

──将来、もしも雪姫と付き合うような事になった時。

友人の硝子には祝福してもらえないだろうかと考えて、凹んでしまったのだった。

 けれど、そんな萎れた計佑を見た硝子が慌てた。


「えっ!? ちっ違うよ!! 目覚くんは全然『なんか』じゃない、凄い人だと思ってる!!

釣り合ってないのは、し──とっとにかく!!

私はただ、目覚くんの口説き方というか、女ったらしなとこが引っかかってるだけで……」


 その硝子の言葉に、俯いていた計佑が顔を上げた。


「お、女ったらし……?  俺が……?」


 昨日、雪姫にも言われた事だった。

全然納得出来ない非難だったのだが、硝子にまで言われては流石に無視出来なかった。


 「……ねえ、一体オレのどこが女ったらしだっていうの?

鈍感だし、自分でいうのも何だけど、相当奥手で初心な方だと思うし……

もてるヤツがやるような事なんて、全然やった事ないと思うんだけど……?」


 だから、疑問を硝子にぶつけてみた。

すると、硝子はしばらく無言で計佑の表情を見つめて。はぁっと溜息をついた。


「……あのね、目覚くん。目覚くんの場合、

『自分なんて、モテるやつとは全然別人種だし』

みたいな事思い込んで、そして開き直って奔放に振舞ってる事が問題なの」

「…………???」


 硝子の指摘は、さっぱり理解出来なかった。


 首を傾げるばかりで、微塵も理解できていない様子の計佑に、今度は硝子が質問を飛ばす。


「……あのね、目覚くんって『自分なんて女のコにモテる訳ない』とか思ってない?」

「うん、だってそうでしょ」


 コクンと頷いて、即答してみせる計佑。

その『何当たり前の事を???』みたいな表情でキョトンとしている少年に、硝子がげんなりとした顔つきになる。


「……わかってたつもりだけど、本当に100パーセントそう思い込んでるんだね……

この質問に、そこまできょとんとした顔できるんだ……」


 硝子はもう一度「はぁ……」とため息をつくと、表情を戻して。


「あのね、つまり──」


 また説明を始めようとしたところで、口を噤んだ。


「…………」


 そして無言になった硝子は軽く俯き、口を片手で覆って。何やら考えこみ始めた。

やがて、視線を計佑に戻してきた硝子は、


「……やっぱり、教えてあげるのはやめておくね」


 そんな事を告げてきた。


「えっ!? なっなにそれ!? 言いかけたんなら最後までちゃんと教えてよ!!

これじゃあ何もわからないよ!?」


 計佑が慌てるが、硝子は落ち着いた眼差しで。


「あのね、目覚くん。よく考えてみたら、この事はちゃんと理解しちゃうと、

目覚くんの場合……悪化する可能性がある事に気付いたの」

「えっ!? そっそうなの!?」

「そうなの。まだ無自覚だから今の程度で済んでるけど……

本物の女ったらしになんて、目覚くんだってなりたくはないでしょう?」


──『自覚のある』『女ったらし』。

イメージされるのは、チャラい格好をして、軽薄な言動を繰り返しては、次々と女のコをひっかけていくような。

……それは確かに本物の──それも最悪の女ったらしだ。


 そう考えた計佑が、コクコクと頷く。


「そうでしょう?  だからいい?  目覚くん。

この事については、他の人にも話を聞いたりしちゃ駄目。

これまで通り、意識しないで自然体で振る舞ってね?

……それが、一番傷は浅い筈だから」

「わ、わかった……絶対、この事は追求しない。これまで通り、普通にしてればそれでオッケーなんだね」


 硝子の『策』を、微塵も疑う事なく信じた少年が、何度も頷いて。


──完全に騙されてくれている少年の真剣な表情に、硝子が満足気に微笑んだ……


─────────────────────────────────


 借りた本を部室に置いたら、今日は帰宅すると言う計佑に、硝子も

「……じゃあ、私も今日は帰ろうかな」と連れ立って。

二人は今、談笑しながら校門へと歩いていた。


「……でもさ、須々野さんって最近本当に感じが変わったよね……旅行前とは随分印象違うよ」


 計佑がなんとなく切り出した話題に、しかし硝子は顔を強張らせて。軽く俯いた後、伺うように計佑に問いかける。


「……やっぱり……キツくなったって思う?」

「うん」


 その不安そうな問いに、バッサリと即答する計佑。硝子がグッサリと傷ついた顔をして、ガクリと俯く。


「……そこは嘘でもいいから、『そんなことないよ』とかフォローしてくれる所じゃないかな……」

「えっなんで!? どうしてヘコむの? 別に悪い意味で頷いた訳じゃないのに」


 凹む硝子に、計佑が慌てる。


「……どう考えたって悪い意味しかないじゃない……何言ってるの目覚くん……」


 うらめしそうに見上げる硝子。けれど計佑としては、本当に悪く言ったつもりはなくて。


「いや、本当に。むしろいい事だと思ってるんだけど」

「……酷い。そんな無理ある嘘ついて……」


 いよいよ本格的に拗ね始めた硝子に、しかしこの少年は、


「いや、だってさ。

今まで見せてくれなかった一面を晒してくれるってのは、それだけ打ち解けてくれたって事でしょ?」


 そう、逆に尋ねてみせて。


「……そ、それは……そうかもしれないけど。

でも『キツイ』なんて悪い一面でしかないじゃない……実際、今日だって私に怯えてみせた癖に」


 計佑の言動を拾い上げて、硝子が責めてくる。しかしそれでも──


「いや、確かにその瞬間は恐いと思うよ。でもそんなのその瞬間だけでしょ?

それで、その時とのギャップっていうのかな……

いつもの優しい須々野さんって、本当に癒し系なんだよなぁって実感するようになってさ。

だから少なくともオレは、前より須々野さんの事、ずっと好きになってるんだよ?」


──そんな言葉と共に、笑いかける少年。

そして、想いを寄せている少年から、

笑顔と共にそんな言葉をかけられてしまっては、いくら腹黒策士の少女といえど──


「……なっ、なっ……」


 言葉に詰まって、ぐるっと顔を背ける事しか出来なかった。

その顔も、どんどん赤くなっていって。

そんな硝子が、突然早足になって計佑から距離をとり始めた。


「えっちょっと!? どうしたの須々野さんっ」


 計佑が慌てて呼びかけるが、


「……落としてから、持ち上げてみせるなんて……!!

 こんなっ、これも目覚式の手管の1つなのねっ……!?

 本っ当、本当……!! なんって凶悪な人なのっ……!!!」


 呟きながら、真っ赤な顔のまま、硝子はどんどん計佑から逃げていくのだった──



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