艦隊これくしょん 「私達の戦争」
⚠:今作は考えの違いから始まる艦娘対艦娘と言う艦娘内戦物語となります⚠
轟沈描写=戦死描写が当たり前に起きます。
艦娘は人間解釈の世界観で、骨肉相食む悲しい展開となります。
勧善懲悪を極力廃した物語展開です。
⚠ハーメルンにて作者名・空衛命自(そらまもり・めいじ)としても連載中⚠
当サイト初投稿作品です。(_ _)
[第一話 終戦という名の始まり]
太平洋のミッドウェイ島で、一つの歴史が終わりを告げようとしていた。
鈍色の軍艦数隻が焼けただれた建物しか残っていない、無人のミッドウェイ島の沖合に停泊していた。
その中の一隻である揚陸艦「トゥルース・オブ・レコンシリエーション」の艦上で、ミランダ・クラコフ国連事務総長や副事務総長、国際連合軍統合参謀本部議長デスモンド・エバレット大将以下国連陸軍参謀長、国連空軍参謀長、国連海兵隊総司令官、国連海軍作戦本部長などの軍高官らが、長年自分達人類と敵対して来た相手と「終戦協定」を締結する式典を行っていた。
敵対して来た相手。それらを人類は「深海棲艦」と呼んでいた。
一五年前に突如人類の前に現れた深海棲艦は、人類の船舶を無差別に攻撃し、海上交通路を遮断。世界中の制海権を奪い海と言う海を支配していった。
海の自由をすべて奪った深海棲艦は、やがて地上にも進出し、人類の故郷を、版図を奪って行った。
人類はその深海棲艦を相手に、国家、国境の境目を越えて国連の名のもとに結束し、世界各国の軍を統合した国連軍を編成し世界中で深海棲艦との戦争を始めた。
一五年に渡って続いた戦争は人類が深海棲艦に奪われた全ての土地と海を自らの手に奪還すると同時に、深海棲艦の生き残りからの「共存・和平」の申し出を受諾する事で終わりを迎える事となった。
始め深海棲艦と人類との間に、対話の場、コミュニケーションの場は無かった。
どこの国とも国交も交流も無い、いわば海のテロリスト集団だった深海棲艦とチャンネルを持つ人類はどこにもおらず、対話も講和の機会も一切ないままお互いの生命の存続をかける勢いの総力戦の体を為した。
国連軍として深海棲艦との戦争で主力となったのは海軍だ。主戦場が海だったから海軍が主体の戦争になったのは当然と言えるだろう。
しかし、従来の艦艇の砲熕火器では人型サイズが主な深海棲艦には追随が困難であり、ミサイルなどの誘導弾は深海棲艦を相手には誘導力がうまく機能せず、国連海軍は深海棲艦を相手に苦戦を強いられた。
多数の艦艇や将兵が命を落としていく中、人類が繰り出した新たな深海棲艦への対抗策が、終わりなき戦争に見えていた深海棲艦との戦いに終止符を打つきっかけとなった。
「艦娘」
人類の中から海上重装歩兵としての適性を見出され、厳しい訓練を受け、艤装と呼ばれる装備を身にまとい、かつての軍艦の名前を名乗る女性兵士達の事だ。
艦娘のサイズが深海棲艦と相手するにはちょうど良く、また誘導弾に頼らない砲熕火器が主武装だった為、深海棲艦に対抗できる国連軍の事実上唯一の手段、主戦力として艦娘は艦隊を組み、深海棲艦と戦争を繰り広げた。
世界各国で編成された艦娘の艦隊は深海棲艦に対抗する要として、英雄として扱われ、彼女達も自らの正義を、人類が求めたモノを実現する為に命を賭して戦った。
一五年に渡る深海棲艦との戦争で人類を勝利に導いた彼女達だったが、その間に多くの尊い犠牲者を払う事ともなった。
ある艦娘は戦場の海に消え、ある艦娘は戦場で負った傷により陸で息を引取った。
最前線で仲間を一人また一人と失いながらも深海棲艦と砲火を交えて行く中、艦娘の中から独自に深海棲艦へ平和への呼びかけと共存を持ちかける者が現れた。
するとそれに呼応する深海棲艦達が独自の対話の手段を探り出す者が現れた。
長く続く戦争は艦娘達に、また深海棲艦にも疲弊を生み出しており、平和と共存の道を望む声が出ていたのだ。
どんな事にも始まりがあれば、終わりがある。無限は存在しない。
国連軍内部では深海棲艦との和平などもっての外、根絶やしにしてでも勝利しなければならない、と猛反対する声が少なからずあった。
今までに人類が流された血と涙は一体何だったのか、白旗を認めてやる事は先に逝った者達への手向けになると言うのか、と。
全ての深海棲艦を滅ぼさねば、滅ぶは人類。人類が生き延びる為にも深海棲艦は滅さねばならない。その殲滅思想が軍内部の主流であり、艦娘達にもあった。
しかし、その声も地道に進んでいく講和の流れに説き伏せられていき、鎮められていった。
武力による報復は結局何も生まない、ただ失い続けるだけなのだと。
反対派の多くを鎮め、軍内部での主導権を握った講和派は降伏と和平を望む深海棲艦とミッドウェイ島で終戦協定を結ぶ事を決定した。
代表団を載せた「トゥルース・オブ・レコンシリエーション」が護衛の艦娘や軍艦と共にミッドウェイ島に進出し、そこで待っていた深海棲艦側の代表役戦艦レ級、空母棲姫、空母ヲ級、重巡ネ級の四人と歴史的対面を果たした。
多くの軍人、文官、報道陣、それに「トゥルース・オブ・レコンシリエーション」に乗り込んでいる海兵隊が見守る中、クラコフはかつて人類と敵対して来た「深海棲艦」の代表役の戦艦レ級と共に、終戦協定の握手を交わした。
「長い間私達はあなた方と戦争を続けました。多くの血、涙が流され、怨嗟と報復の繰り返しが果てしなく続くところでした。
しかし、お互いの対話、平和、共存の思いが実り、今こうして私達とあなた方は手を携える事が出来る様になりました。
あなた方にも複雑な思いはあったでしょう。中々取り除くには難い不和もあった事でしょう。それらを鎮めこうして共に歩む道を選ぶことを決めてくれた事に、人類を代表して感謝いたします」
背の低いレ級に少し屈むような姿勢でクラコフは語り掛けると、レ級はネイティブで丁寧な英語で応えた。
「我々も長きにわたる戦争で多くの同胞を失いました。同じように多くの人類の命を殺めました。
生きる為に、生き延びる為に、自分達の新しい世界を護る為に。引かれた引き金の分の引き金を引きました。
でも共に生きる事が出来る、共に歩むことが出来る存在だと分かった時、我々には戦う必要などないのだと理解しました。
だから、クラコフさん、あたなの力で我々は平和の努力の実を結ぶ事が出来た事に、深海棲艦を代表してお礼申し上げます」
一礼するレ級は同じく一礼するクラコフと共に硬く手を握った。
二人が両手でがっしりと握手を交わす場を多くの報道陣がカメラに収めた。
自分達に向けられたカメラのレンズにクラコフは顔を向けると、声高に告げた。
「平和が今、実現致しました! 一五年に及ぶ戦争は今終わりました!」
「終わったのですね……提督」
列席する国連軍の軍人の中に立つ国連海軍の制服を着て大佐の階級章を付けた女性将校が、傍らの提督と呼ぶ男性に問うた。
「ああ、終わった、終わったんだよ榛名」
女性将校に提督と呼ばれた男、湯原真一海軍大将は静かに女性将校、金剛型戦艦艦娘の榛名に返した。
「全て終わったんだ。これで……何もかも……な」
榛名に答えがら湯原は深々と溜息を吐いた。一五年に及ぶ戦争分のため息を吐いている気分になった。
多くの海軍将兵が命を落とし、自分も乗艦や仲間を失った。
人材不足を補うために戦時昇進を繰り返し、今では大将に上り詰めている自分。
そしてその間に出会った艦娘達と失った艦娘達。
自分が看取ってやる事が出来た艦娘もいれば、遺品を受け取る事しか出来なかった艦娘もいる。
無念の涙を流す艦娘達を慰め、寄り添い続けた日々。
それも今日で終わりを迎えたのだ。
終戦協定締結式典の為に、日本艦隊の司令官として出席した湯原に付き添いと言う形で榛名は式典会場に出席していた。
「何と言いますか、榛名にはまだ実感がありません。この終わり方にどこか違和感を覚える自分も感じます。
榛名にとって深海棲艦は……本当は……金剛お姉さまや霧島、比叡の仇です。許せないです」
クラコフとレ級を見つめながら硬い表情になる榛名に、湯原は「榛名……」と静かに声をかける。
そうすぐには取り除き難い不和はやはり榛名の心にも残り続けるのだろう。しかし、終わらせたモノをまた再燃させたら、また自分達は失い続ける日々を繰り返さなければならい。
案じる湯原の言葉にスッと硬い表情を吹き消した榛名は、代わって薄っすらとした笑みを口元に浮かべ見返し来る。
「でも、その気持ちをいつまでも持っていても始まりません。憎しみは何も作り出しませんし、導き出しれもくれない。
彼女達(深海棲艦)は自分達の過ちを認め、共存と言う形での償いの道を歩むことを選んでくれた。
ならば私達もその意思を汲んで、一緒に歩きながら考えるべきなんだと榛名は考えています。
もう、榛名は誰も失いたくありません。金剛お姉さまや比叡、霧島を含め榛名達は余りに多くの仲間を失いました。
終わらせることが出来るのなら、ここできっぱりと終わらせる。それで先に逝ってしまった皆の心が報われるなら榛名は受け入れましょう」
そう語る榛名の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
金剛型戦艦三番艦榛名として着任した榛名は日本艦隊の主力戦艦として各地の海で、深海棲艦と戦った。
数々の戦いを繰り広げる中、長女金剛、次女比叡、四女霧島は砲火に倒れ、帰らぬ人となった。
榛名も幾度となく死と隣り合わせの場を迎えた。何度となく大怪我を負い、何度も死を覚悟した。
そして、行き延びた。まるで四人の姉妹艦の中で生きる事を認められたかのように。
正直、湯原に告げた通り、本心ではまだ深海棲艦を許せない、度し難い存在だと思う自分はいる。
この結末を認める事は果たして先に逝った三人の姉妹や多くの仲間達に、本当に顔向け出来る話なのかと思う自分はいる。
ただ、今ここで一つの区切りをつける事で、自分と生き延びた他の仲間達は新しい明日へ踏み出す一歩を探す事が出来るとも考えていた。
湯原に言った通り、きれいさっぱりここで終わらせ、これ以上色々なモノを失う事がなくなるのなら、それもそれでいいのだろう。
世界を変えるのは相手を信じる事から始まる、と昔榛名の上官は語った。
信じあえば憎悪は生まれず、理解しようとする心からお互いは歩み寄り、平和を、新しい明日を歩く道を探す事が出来るのだと。
それを実現する事が出来て初めて人は争う事を捨てる事が出来る。
これも一つの……答え、なのですよね? 金剛お姉さま……比叡……霧島……。
いると知らず澄み切った太平洋の青い空を見上げて、榛名は心の中で今亡き姉妹の名を呼んだ。
目に浮かんでいた涙が頬を伝った。
終戦を迎える場となった揚陸艦「トゥルース・オブ・レコンシリエーション」の艦上に、そしてそれをテレビやSNSを介して見つめていた世界各地で割れんばかりの拍手と歓喜の歓声が沸き上がっていた。
こうして人類と深海棲艦との一五年に及ぶ戦争は幕を閉じた。
世界各地に散り散りになりながら潜伏していた深海棲艦は代表団役のレ級らを介して矛を収める意思を受け入れ、国連が定めた「深海棲艦特別地」に住むことを許された。
その深海棲艦特別地がこのミッドウェイ島だった。
一か月以内に国連はこの地に新たな世界を構築して、それを深海棲艦に提供し、深海棲艦はその中に身を納めて人類と共存の道を歩んでいくことになる。
一五年に渡った深海棲艦と人類との戦争。
しかしその深海棲艦には謎が多い。
何故人類の前に現れ、人類を攻撃し、人類の世界と版図を奪ったのか。一体深海棲艦とはどのような生き物なのか。
深海棲艦の生物的な調査はこれから判明していくことになるとして、何故深海棲艦は人類を攻撃して来たのか。
これに関しては恐らく永遠の謎に終わる可能性があった。何故なら人類と終戦を結んだ深海棲艦達に聞いても、当の本人達も理由も分からぬまま戦争をしていたのだ。
ただ、生み出された自分達を攻撃して来る人類を撃退し、奪われた自分達(深海棲艦)の土地を取り返す為の戦いをしていたのだと。
自分達を攻撃して来る存在を迎え撃って自分達の世界を取り返すと言う構図は深海棲艦も人類も共通していたのだ。
ただそのきっかけを作った最初期の深海棲艦、あるいはその記憶がある深海棲艦が一五年の間に全て失われ、始まりを知る事は出来なくなっていた。
始め人類の言葉を理解していなかった深海棲艦。故に対話の窓口を作る事から和平と講和の道始まったと言っていい。
そんな言葉も通じない深海棲艦と世界で初めてファーストコンタクトを成功させた艦娘が誰なのかは、人類側でも不明だ。はっきりとした記録が残されていない。
気が付けばどちらともなく対話のチャンネルを持っていたと言ってもいいだろう。
日本艦隊でもそのチャンネルを持つ事が出来た艦娘がいた。
夕雲型駆逐艦二〇番艦妙風。
北方棲姫を窓口とする事に成功した彼女の尽力のお陰で、日本艦隊は独自に深海棲艦との和平交渉のチャンスを探す事が出来た。
このチャンスを世界各国の艦娘が繋いだ対話の窓口として共有する事で、平和と講和の道へ繋ぐことが出来た。
しかし、妙風がこの平和の実現を見届ける事は無かった。
何故なら彼女は終戦協定締結前日に何者かによって殺害されたからだ。
犯人はいまだ不明。外部から侵入者の疑いや深海棲艦にやられた可能性もあったが、証拠となるモノが何も残っておらず、真相究明は暗礁に乗り上げた形で終わっていた。
「トゥルース・オブ・レコンシリエーション」の艦上から聞こえる歓声に彼女は唾を吐いてやりたい衝動にかられた。
何が平和だ。何が対話だ。
何で仲間達を、姉妹たちを大勢殺した奴らを根絶しないまま、この戦争を終わらせてしまったのだ。
腹立たしさ、腸が煮えくり返る気持ちで一杯だった。
出来るなら、今持っている主砲で代表役として来ている深海棲艦を殺してやりたいところだ。
だがそれは認められていない。終戦協定が結ばれた今、自分がしようとする事は国際法に抵触する大罪行為。
度し難いモノが残る。許し難いものがある。
しかし、軍人である自分はそれを粛々と受け入れなければならない。
法を無視してはいけないのが軍人だ。定められた法にしがたい、上官の命令に服従して初めて軍人は成り立つ。
悔しいモノだった。こんな結末を姉妹達は望んだだろうか。
だが、受け入なければならない。自分達は余りにも多く失い過ぎた。
戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦と多くの艦娘を失った。日本艦隊の艦娘で終戦を迎えられた者は、日本艦隊に艦娘が在籍していた最盛期の三分の一以下だ。
自分は反対した。他の艦娘達も同じ考えの者は断固反対した。
しかし、妙風は和平を唱え、艦娘達を説得して回っていった。裏切り者と罵られても「これ以上失い続ける戦争を続けてはいけない」と言う強い彼女の信念は揺らぐ事はなく、多くの艦娘が妙風の説得を受け入れて行った。
自分も妙風に説得される形で受け入れはした。しかし、その妙風は殺された。
無残にも終戦を誰よりも臨んだ彼女は終戦を見届けることなく、殺害された。
彼女の死が自分の和平への考えをひっくり返したと言ってもいい。
謎が多い深海棲艦が、和平を認められない向こうの一派が妙風を殺したのではないか? そう考えるとしっくりしてしまうモノもある。
いやそう考えないと我慢できない自分がいる。
ふと袖口に付いている大尉の階級を示す袖章が目に留まった。
こんなものをむしり取って、地面に叩き付け、ラダーヒールで踏みにじってやれる立場だったらどんなに楽だろう。
「……許せない……」
消す事が出来ない憎悪を滲ませた声を夕雲型駆逐艦村風はその口から絞り出した。
戦争の終わりは世界各地に直ぐに効果を現した。
まず現れたのは経済だった。
海上交通路の安全が約束された事で海運会社の株価は安定、海上油田企業も株価の上下に悩まされる事は無くなった。
喪われた貨物船やタンカーを建造する造船会社、沈没した軍民問わずの船舶のサルベージ会社の株も売れ行きが高まる一方で、軍需企業は戦争の終結とともに需要を失い、緩やかに業績を落とし始める事となる。
また戦災復興による経済効果も大きく出始めた。
深海棲艦に破壊されたライフライン、インフラの再整備や復旧作業が進み始め、再び人類が戻った土地の再興が進んだ。
国連軍は戦争の終結と共に軍縮へと舵を切った。
世界の平和の維持に必要な量と認められた国連軍の戦力は戦災復興を、または深海棲艦との戦争中も続いていた世界各地での紛争の停戦監視軍としての任務に就く事となる。
戦後の世界は、深海棲艦が現れる前の世界と変わらない姿へと戻り始めていた。
変わったところと言えば、国家間の垣根が大きく下がり、世界のグローバル化が更に進んだ事だろう。
一五年に続いた戦争は国境によって作られていた「境目」を少しずつ下げ、埋めていた。
境目の無い世界が新しい世界を作り出し、人類はその世界を歩んでいた。
唯一の境目となる深海棲艦と人類と言う違い。
これもいつかいつの日にか無くなっていくと楽観的に見積もる人間もいれば、人類と深海棲艦は永遠に違いを持ったまま共存するだろうと言う人間もいた。
人類と深海棲艦がこの先どうなるのか。
その答えを知る者はまだいない。
終戦から半年が過ぎたその日も、マシュー・トレースのする事は変わらない。
昔からのクセでついた早起きを生かしてまだ薄暗い早朝に起きると、手早く自分の朝食を摂り、身だしなみを整えると自分の故郷の港町に開いた小さなレストランの開店準備に取り掛かる。
何時もの様に埃一つ落ちていない程に店の中を隅々まで掃除をして、レストランとして出す食事の準備を終えると時間通りに開店する。
そしていつもの様に、まだ朝早い時間帯からも彼の店には客が入る。
大して大きい訳でもない港町のこの小さな店に、毎日顔馴染みの漁師が朝の腹ごしらえの為に訪れる。
漁に出る為に、深海棲艦に怯える必要になくなった漁に出る前に腹ごしらえする漁師たちで朝の店内は一杯になる。
昼は老人が数人散歩の途中に立ち寄り、自分はその話し相手になる。夜になれば漁から戻った漁師たちが夕食と酒を求めてまた訪れる。
トレースのする仕事は客相手にこの店なりの食事とサービスを提供する事だ。
今の仕事は前から考えていた自営業の仕事だった。戦争が終わってしまえば、前の職からはいずれ去る時が来る事は分かっていたから。
トレースはかつて国連海軍の提督だった。最終階級は少将である。
アメリカ艦隊の艦娘や海軍将兵を取り仕切る艦隊司令部の艦隊参謀の職務を務めていた。華やかなキャリアに見えたが、司令部全体のミスからの犠牲者に心を痛め、昇進の機会を固辞した事もあった。
戦争の終結と共に彼は自ら辞表を出して軍を去ると故郷の港町に戻り、小さなカフェを開いた。
ひっそりとした隠居生活に入る彼は、まだ四七歳。将官級の軍人としては若い方だ。
キャリアを伸ばす機会もあったし、周りの人間からも残って欲しいと言われたが、戦争後の軍に自分の居場所を予感できなかった彼は終戦の翌日に軍から引退した。
馴染みの漁師が腹ごしらえを終えて出て行った後、客のいなくなったトレースの店は静かになった。
一息入れるか、と店の奥に戻って自分のコーヒーを入れていると、店のドアが開いた。
「こんにちは」
入って来た女性の声とコツコツと言う足音が店内に響く。
来客に急いでカウンターへと戻る。動きの素早さは海軍時代から全く変わっていない。
「いらっしゃい……あ」
カウンター越しに訪れた客の姿を見てトレースは驚いた。
見覚えのある銀発のポニーテイルが特徴的な小柄な女性が店内に立っていた。忘れようの無い容姿の女性。海軍提督時代のトレースの部下だった事もある女性だ。
懐かしさから自然とトレースの顔に笑みが浮かぶ。
「久しぶりだな……村風」
店を訪れた女性、元日本艦隊夕雲型駆逐艦娘村風は「ご無沙汰しております、トレース提督」と軽く一礼した。
久しぶりに会う村風にトレースは彼女が好きだった紅茶を淹れた。
「君が好きだった味はまだ維持できているかね?」
受け取った紅茶を飲む村風に聞くと、彼女は静かに頷く。
「変わりのない提督の紅茶の味です」
「私はもう提督ではないよ。ただのレストランのオヤジだ」
苦笑交じりにトレースが返すが村風は笑わなかった。思い詰めた表情で紅茶の表面を見ている。
笑わない彼女の姿を見て、トレースは小さく溜息とも唸りともつかない声を出す。
そうか、お前の心の中ではまだ終わりが付けられていないのだな……と直ぐに村風の心境を察した。
この店にはかつて艦娘だった者は何人か訪れている。
皆、心の奥底では終わりを迎えた戦争に納得し切れていないモノを持っていた。
村風の顔を見ればわかる。彼女も、彼女の心の中ではまだ戦争は終わっていない、と。
「提督、いえ、トレースさんには先の戦争の終わり方に納得は出来ていますか?」
「……そうだな……」
直ぐには返せない自分の本心を突く村風の問いに、トレースは今度こそ深い溜息を吐いた。
「……まあ、本音を言えば納得は出来ておらんよ。私達は余りにも多くのモノを失った。
奴ら(深海棲艦)に奪われた。返ってくるモノは返って来たが、戻って来なかったものはある。
特に死んだ人間は戻らない。死んでしまったら、それで終わりだ。君ら艦娘達を含め、国連軍は多くの将兵を失った。
本来護るべき市民すら護り切れず犠牲者を出してしまった事もある。
私達から奪って行った深海棲艦……まだ生き残りはいる。ミッドウェイ島の特別地に、な」
「トレースさんは奴らを許せますか?」
再び静かに問う村風に、暫しの間を置く。適当な返事をして納得する娘ではない。
艦娘だった村風には出鱈目な返事をしてしまったら、却って彼女を傷付けるだけでしかない。
「許せるものは無いな。私が指揮を執っていた部隊でも、艦娘の犠牲者は防ぎきれなかった。
集団の上に立つ立場の人間として、部下を大勢失うという事程、悲しい事ない。皆私の仲間、私の家族だ。
私からすれば、艦娘は娘の様なモノだ。だから出撃の度に『全員生きて帰って来い』と厳命した。戦果など良いから生きて帰って来いと。
生きていれば、また戦う事が出来る。生き延びる為に戦う事は出来るのだと」
「悲しい事です……家族を失う事は。姉妹を失う事は……私のせいで……」
紅茶のティーカップを持つ手が軽く震える村風にトレースは慰めるように続ける。
「自分を責めないでくれ。戦術的な誤算はどうにもならない。寧ろ責めを負うのは私のような立場の人間だ」
村風と自分には元軍人として切れぬ辛い過去が残っている。
未来永劫背負っていく責めを、断ち切れない未練を、一生背負っていくしかない。
艦娘の艦隊司令部の参謀を務めていたトレースはある作戦、日米の艦隊による統合作戦の作戦指令参謀として一時期日本艦隊と深い縁を持つ事となった。
統合作戦ではトレースは自分と他の参謀、提督が考案した作戦の指揮に当たったが、深海棲艦の想定外の立ち回りに対応しきれず、結果艦隊全滅を防ぐ事には成功したが、轟沈犠牲者を何人も出してしまい、自責の念から艦隊司令参謀の職を辞した。
村風とはその時の戦いで彼の指揮で脱出させる事が出来た艦娘の一人と言う縁がある。
彼女の姉妹艦と僚艦は次々に討たれ、艦隊旗艦まで沈んで僅かな生き残りと共にどうにかこうにか撤退した。
退却して来た艦隊を出迎えた提督にドッグタグの束を突き出した村風の姿をトレースは忘れていない。
「死んでしまった仲間全員分はありません」
ぶつけようの無い怒りと涙を湛えた目で自分達を睨みつける村風の眼光と吐き捨てるような言葉は、今でも脳裏から離れない。
冷めないうちに紅茶を飲んだ村風は、飲み欲した後静かにため息を吐くと静かにティーカップを皿に戻した。
「開業されてから、この店に訪れた艦娘は何人いましたか?」
「鹿島、青葉、シェフィールド、長門、雪風、霞、ジョンストン……まあ、沢山って訳ではない。この小さな港町にはるばるやって来る艦娘は少ないし、私が君達(艦娘)の上官を務めていた時期など、一夜の出来事みたいなものだ」
どこか遠い目になるトレースに村風は「なるほど」と呟く。
呟く口ぶりに何か考えているモノを感じ取ったトレースだが、敢えて聞かない事にした。
「他に何か食っていくかい? 朝のメニューならまだやっている時間だが」
「頂きます。食事しながらお話したいことがあるので」
「ほう。待っててくれ」
何を話したいのか、気になったトレースはにこりと笑うと厨房へと入った。
横須賀の海が良く見える高台に、深海棲艦との戦争で命を落とした日本艦隊の将兵の名前が刻まれた慰霊碑がある。
膨大な数の死者の名が刻まれた慰霊碑には、轟沈、戦死した艦娘の名前も記されていた。
灰色の石碑に刻まれる名前を一つ一つ見つめる一人の女性の脳裏で、あの時の記憶が甦る。
必死に救援を叫ぶ姉の声。息絶える仲間の声と錯乱する仲間の声。
自分は何もしてやれなかった。何も出来なかった。自分達は何をしてやることもする事も出来なかった。
見殺しにしてしまった罪悪感と、嬲り殺しにした敵、深海棲艦への消す事の出来ない憎悪。
今なお自分の心の中では深海棲艦への激しい復讐心が残っている。
「香取」
慰霊碑に刻まれるその二文字の名前を凝視していた元香取型練習巡洋艦艦娘鹿島は、両手の拳に力が入る。
「またここに来ていたんですか、鹿島さん」
背後からかけられた言葉に、鹿島は顔を上げて振り返る。
グレイッシュピンクのポニーテイルが特徴的なスーツ姿のかつての同僚がそこにいた。
「ここしか、香取姉さんがいない気がしてしまうので……私にはここが唯一の居場所にも思えて来るんですよ」
「……同じような感じですね」
そう言いながらかつての同僚、元青葉型重巡洋艦艦娘青葉は自分の隣に立つと、抱えていた花束を慰霊碑の前に置いた。
「青葉にとっての《六》の目印は、ここにしかありませんから」
青葉は慰霊碑の前で目を閉じ、そっと手を合わせた。
彼女の言う《六》とは、青葉が所属していた第六戦隊の事だ。青葉は第六戦隊に古鷹型重巡洋艦艦娘古鷹、加古、青葉型重巡洋艦艦娘で妹の衣笠と共に在籍し、各地で戦っていた。
血の繋がりは四人ともなかったが、実の姉妹の様に仲の良い四人として艦隊では知られていた。
青葉も衣笠の事は実の妹の様に可愛がっていた。
楽しく、少し騒がしく、しかし優秀な第六戦隊の四人。
だが戦争が終わる三年前、青葉は一人ぼっちになった。一五年前建設中に深海棲艦に占領されて以来そのままだった太平洋の軌道エレベーター建設地奪還作戦、「オペレーション・ライトハウスフリーダム」で第六戦隊は先遣隊として派遣され、そこで深海棲艦の待ち伏せを受けた。
本隊到着後に辛うじて軌道エレベーター建設地の奪還作戦は成功した。しかし青葉は瀕死の重傷を負い、古鷹、加古、衣笠は帰らぬ人となった。
それだけでなく、先遣隊唯一の生き残りとなった。
瞬く間に蹂躙されていく仲間達、目の前で成す術もなく砲火に倒れる六戦隊の古鷹、加古、衣笠。
必死に抵抗する自分にはどうする事も出来ないまま、殺害されていく三人と先遣隊を構成していた第二駆逐隊第一小隊の村雨、五月雨達。
潜水艦の待ち伏せ攻撃を受けて動けなくなる加古に容赦なく砲撃が浴びせられ、助けに入った古鷹は庇う様に、そして古鷹の後を追う様に加古も戦死した。
敵弾が頭部に命中して動けない村雨と、空爆で負傷し航行不能にされた衣笠を五月雨と共に抱えて撤退しようとする自分の前に立ちはだかる深海棲艦の艦隊。
あの時の絶望は今でも頭から離れない。
古鷹、加古を失い、村雨、衣笠も重傷の中、何とか五月雨と共に守って後退を図る自分達をあざ笑うかのように猛攻を加えて来る深海棲艦。
大破、重傷を負い動けなくなる青葉の前の前で最後の一人になっても戦っていた五月雨が一瞬で轟沈した時の無力感。
気が付けば、生きていたのは自分だけだった。抱える腕の中で衣笠は息絶え、自分も航行不能。
全滅を覚悟した時、到着した戦艦長門率いる本隊。
あの戦いを生き延びた青葉は、独りぼっちの寂しさ、虚しさ、そしてPTSDで戦線離脱を余儀なくされた。
「もう涙も枯れて久しいですね……古鷹、加古、ガサ、村雨、五月雨、みんな、みんな……」
「香取姉さん、舞風、那珂も」
「ええ。青葉達は余りに沢山のモノを失いましたよ」
悲しげに言う青葉に鹿島は頷いた。
鹿島の姉香取は民間船の救出作戦中、深海棲艦に襲われた。
事前情報とは違う数の敵を前に香取と共に派遣された舞風、那珂は撤退も投降も出来ない状況、敵を前に懸命に抵抗し、戦死した。
救出に向かった民間船も沈み、民間人にも多数の死者を出す事にもなってしまった。
あの時の、香取から入った無線が鹿島の脳裏に響く。悪夢の様に甦る。
想定外の大艦隊に襲われ救援を求める香取、民間船共々包囲され撤退できない事を叫ぶ舞風、魚雷を撃ち尽くし、砲弾の残弾も残り少ない艦隊の悲痛な状況を報告する那珂。
早く救援をと嘆願する鹿島と、二次被害が出る事から民間船共々救援を断念する艦隊司令部。
「私達は……見捨てられたのですね」
ヘッドセットから絶望した震える声で遺した香取の最期の無線。直後響く砲声と無線途絶の雑音。
「断じて許せない……」
「その『許せない』と言うのは誰の事ですか?」
震える声で呟く鹿島に青葉は確かめるように問う。彼女が心の中に抱える憎悪。
その対象が誰に向けられたものかで、彼女がこれから送る人生にどれ程の影響が出るかが変わって来るだろう。
「当時の艦隊司令部の人達と……何より深海棲艦が……絶対に私はあいつらを許せない」
「青葉も同感ですね……。司令部の人達の事は、青葉は許しましょう。現場レベルでの誤算はどうにもなりませんから。
でも許すと言っても忘れはしません。司令部も、六戦隊のみんなや、村雨、五月雨を殺した深海棲艦も」
静かに告げる青葉の口調にも自然と力が篭る。
そう自分は前に進む為に許しはしたが、忘れはしない。
忘れると言う事は、先に逝った仲間達の冒涜行為だ。もういない者たちの記憶を引き継ぎ、語り継げるのは今を生きている自分しかいないのだから。
艦娘時代から何かと取材や記録癖があった青葉は、今は艦娘時代の記録の編集と整理、各方面への戦時記録の取材、それに基づく回顧録を執筆する日々を送っていた。
記録癖がある自分にしかカメラに残せなかった仲間達の日常の記憶。先に逝った艦娘仲間達との大切な日常の記憶と言う遺品を護っていくのが、今の自分の余生の仕事となる。
「二人とも、またここに来ていたのね」
青葉と鹿島が見つめる慰霊碑の場に、また一人訪れた人物が二人の背後から声をかけた。
振り返られる前に青葉と鹿島の隣に歩み出て、持って来た花束を青葉の手向けた花束の隣に置いた人物はそっと手を合わせて黙祷を捧げる。
暫しの黙祷の後、慰霊碑の横に元朝潮型駆逐艦艦娘霞は座った。
「もう半年になるのね……」
「半年も過ぎてしまいましたね」
ぽつりと呟く霞に、青葉は頷きながら返す。
昔の強気で鬼軍曹染みた厳しさが嘘の様な程、今の霞は静かな性格になっていた。
少しからかいもすれば、また昔の様な「ツンデレ」の姿になるが、それが止むとあっという間にいつも寂しげな表情の霞になってしまう。
自分らしくないと青葉に励まされても、もう変われないとため息交じりに霞は返す。
戦争を生き延びた朝潮型は霞ただ一人。
長女朝潮や次女大潮を始めた姉妹艦は、長い戦争の間に一人、また一人と命を落とし、終戦を迎えられたのは九女の霞ただ一人だけだった。
独りぼっちになった悲しみと寂しさ、無力感から霞のかつての威勢は失われてしまった。
駆逐艦としての意地と栄光に溢れていた往時の姿はもうない。今の霞は昔を振り返る時、必ず憂いた表情になってしまう。
強気で自分にも周りにも厳しいその性格が祟って周囲とよく喧嘩もしたが、喧嘩相手が困っていたら直ぐにあれこれ世話を焼き始める霞だったから、仲直りも早かった。
何だかんだで賑やかな駆逐艦艦娘の一人の霞も、終戦を迎えたら独りぼっちの寂しさに押し潰されていた。
青葉も鹿島も霞のその思いが分かる。大切な仲間を失い一人生き残った者が迎える事となる、長い、長い一つの終わりから新たに始まる道を共に歩んでいく存在同士。
「ねえ、二人とも今は何をしているの?」
座って慰霊碑を見つめながら霞は青葉と鹿島に聞く。
「青葉は艦娘時代の記録の整理と各方面へ取材して記録を集めて、それを基にした回顧録を書いています」
「私は海軍年金で隠居生活です。居場所が……ここしか感じられなくて。馴染めないんです、戦争後の世界が」
「鹿島さんと私は同じね。青葉が羨ましいわ、自分の居場所をちゃんと持つ事が出来ているのだから」
「霞さんが言う程確かない場所と言う訳でもありませんよ。きれいさっぱり整理が終わってしまったら、青葉のする事はありません。
海軍からの年金を受給しながら細々と鹿島さんや霞さんと同じように隠居生活です」
「お二人は軍に戻る道を考えた事はありますか?」
そう尋ねて来る鹿島に、青葉と霞は無言で首を横に振った。
「居場所が感じられなくなったから、青葉は艦娘としての籍を退きました。霞さんも鹿島さんも同じでは?」
「青葉の言う通りよ……今の海軍に私の居る場所はない。皆いなくなってしまった朝潮型として艦娘をやっていく理由が私には見つけられないわ……」
「私には海軍はおろか帰るべき故郷すらありません……何もかも深海棲艦に奪われました」
姉妹も怒りも失いしんみりとした顔で返す霞と、今なお消えない恨みと怒りを湛えた鹿島。
自分達は同じ存在同士だ。同じ艦娘であり、同じ世界でしか生きられない存在であり、帰る場所も居るべき場所も分からなくなった人間だ。
このまま残る生涯を共に傷をなめ合いながら生きて行くしない。
もう自分からする事が出来なくなった自分達には、先に逝った仲間達、姉妹たちの分の今を生きる事しか無い。
それがせめてもの死者への手向けとなるなら、それだけだ。
慰霊碑の場へ港を出港していく駆逐艦から、戦没者へ敬意を払う汽笛が鳴り響いた。
「君は、それは本気で言っているのか?」
まじまじと村風を見つめながらトレースは尋ねる。
食事を終えた村風はナイフとフォークを置き、ハンカチで口元を拭うと無言で頷く。
一切の揺らぎの無い感情を湛えた瞳に見つめられるトレースは腕を組んで唸る。
「君が言う、いややろうとしている事はただでは済まされん事だ。私達は法を犯してはいけない事を誓って軍人になった。
その誓いは軍役を退いても決して変わる事は無い。
いや、法を犯しては軍人以前に人間として間違っている事だ」
「ではトレースさんはその法を護ってでも、仲間の無念、無残な死を見過ごすと言うのですか?」
「そうは言わん。深海棲艦との戦争で死んだ部下達の死を私は忘れんし、その命を奪った深海棲艦への怨念は忘れん。
だが一人の人間の深海棲艦への怨念から始まった私刑行為は、元軍人として例え法を犯してでもやってはいかん事なのだ。
例え……どんなにそれが、自分の心の中では『報復』と『私刑』を叫ぶのだとしても……だ」
厳かな表情で村風に告げるトレースだが、彼女が自分の考えを曲げる様子はない。
確かな決意が村風の心の中にあった。
この娘……知らん間に急に成長したな。
驚きと感心を覚える一方で、村風の言葉に賛同したい自分がいる事にトレースは気が付いていた。
本当にこのまま終わらせて良いのか? そう自問自答を繰り返した退役前の日々。
和平が決まった時、自分と同じ考えの仲間はいなくなっており、人知れず職場で孤立していた自分。
そう、だから終戦と同時に自分は退役する道を選んだ。同じ考えの人間がいない場に、自分の居場所を感じられないから、自分から身を引いた。
分かってはいた。こんな結末を認める事は出来ないと。しかし一度終わらせられるのなら終わりにしなければいけないのだと。
どれ程辛く、苦しく、悔しくても、訪れた終結を迎え入れなければ人は前に進めないのだと。
自分に何度もそう言い聞かせて、納得した筈だった。
しかし、今トレースの心は揺らいでいた。村風と言うかつての部下が自分の元に訪れた今を境に、強引に押し込めていた本当の自分の考えがゆっくりと表に現れようとしていた。
自分がしたいと思っている事は決して許される事ではない。だが、自分の行いを「許さない者」とは今の世界を、あの戦争の終わり方を認め、受けいれた人間だ。
同じ考えの人間はいるだろう。自分や村風同様に本心を押し殺してこの結末を迎え入れた者達もいるだろう。
それでも最後の人間としての理性がトレースを押し止めていた。村風の持ちかけた話に乗ってしまえば、もう退く事は出来ない。
この計画に退路はない。その果てには先もない。一人の人間の怨念から来た私刑行為の果てには何もない。
それは村風も分かっていた。分かっているからこそ彼女の心は、腹の中は決まっていた。
自分の命を賭してでも、村風は自分の計画を実行しようとしていた。
トレースにはそれを止める事が出来る。止めようと思った。
だが村風の話す事、考えている事に同意する自分がいる。
「トレースさん、いえ『提督』。どうかあなたの力を貸して頂きたい。
この本来受け入れるべきでは無かった終わり方を受け入れ、終わらせてしまった世界に、その無念を押し殺し続け、苦痛にも等しい痛みを噛み締めて生きることになった人間がいるという事を知らしめなければいけないのです」
「君は何故そこまでしてこの計画に執着するのかね? 君の意思、本心を聞いておきたい」
真顔で問いかけて来るトレースに村風は一切の心の揺らぎも迷いもない、確かな決意を持った目で見返しながら答えた。
「夕雲型駆逐艦二二番艦、末っ子として着任した私。私と二一人の『姉妹』の誓いを交わした艦娘達。
その姉妹の誓いを交わした一七名を深海棲艦に殺され、一人が謎の死を遂げた。殺された私達姉妹の仇を討つ事も許さず、惨い死を遂げた私達たちの無念を闇に葬って、『平和』をのたまう人間達への復讐です。
歴史は勝者と呼ばれる者達が好き勝手に記した美談で成り立っています。悲しい事、無残な事、自分達に不都合な事、みすぼらしい事は全て闇の中へ葬り、傍目からすれば美談と涙が貰える話で満ちた創作で作り上げたのが人類の歴史です。
私達艦娘、いえ軍人の本当の想いを隠して成り立った歴史。提督はこの結末を許せますか? 自分の本当の想いを殺してまで認められますか?
私は出来ません。どんな事があっても決して。
私の行いが法を犯しているのなら、私は法を犯しましょう。人間として間違っているのだとしたら、私は人間であることを止めましょう。
全ては、殺された者達の無念の救済の為に」
後戻り出来ないと言う覚悟を決めた人間の目だ、と理解したトレースは自分のコーヒーを飲むと一旦目を閉じて考え込む。
暫し村風が見つめる中、瞑想するかのように沈黙したトレースは閉じていた目を開けると彼女に向き直ると自分の考えを伝えた。
「明後日、また私の元に来て欲しい。一日時間をかけて自分自身と相談をして決めたい。
今この場で君に説得されて直ぐに決められる話ではない。君も、この後戻りのできない話に至るまでに時間をかけたのだろう?」
「はい。長い時間をかけました。一日や一週間と言う時間では無い、それこそ寝ても覚めてもな程考え続けました。
自分の求める答えを探す為に、世界中を旅しました。世界中を旅して、世界中で見た光景を目に焼き付け、考え、そして決断しました。
私の心に迷いの吐息を吐くモノはありません」
「分かった。では明後日また会おう」
「ありがとうございます、提督」
席を立った村風は踵を揃え、全く乱れの無い海軍式の敬礼と共にトレースへ礼を述べた。
店を出た村風は一枚の写真をポケットから出した。
自分と亡き妙風、それと自分の一つ上の姉である夕雲型駆逐艦二一番艦清風がカメラに溢れんばかりの笑みを浮かべて写っていた。
艦娘だった頃、青葉に頼んで撮って貰った写真だ。
思い返せばまだこの時は、自分と妙風では深海棲艦への考えに大きなすれ違いは無かった。
共に戦い、喪った。戦争が激化していく中、夕雲型駆逐艦は一人、また一人と命を落とした。
夕雲型駆逐艦の長女夕雲も戦死し、いつの間にか駆逐艦艦娘の部屋は閑散としていた。
姉妹が減っていく中次第に妙風の中で深海棲艦への考えが変わり、和平を求め始めた。
命を落としていく姉妹を見て、徹底抗戦と報復を求める自分と妙風の間に生まれていく溝。
しかし自分は妙風を姉として慕ったし、妙風も自分を妹として大切にしてくれた。だから考えの違いからの喧嘩も増えた。
清風はそんな自分と妙風との喧嘩をいつも仲裁してくれた。夕雲型駆逐艦の長女夕雲と共に一緒に悩み、考え、寄り添ってくれた。
姉妹が戦死した時は三人揃ってその死に涙を流した。夕雲が戦死した時、自分は声を上げて泣いた。
出撃命令が出なくなるまでの間、夕雲型駆逐艦で生き延びたのは自分を除くと妙風、清風、岸波、朝霜だけ。
二二人もいた夕雲型駆逐艦はたった四人しか生き延びられなかった。
深海棲艦との終戦協定締結が決まった日、妙風と言う姉を慕っていた自分の中で何かが崩れた。
協定締結の知らせを聞いて茫然とする自分。言い知れぬ無力感と失望、罪悪感に苛まれる中入った妙風の突然の死の知らせ。
終戦後、清風は忽然と自分の前から姿を消し、以来ずっと連絡が取れていない。
軍から除隊する道を選んだ自分を、海軍に残る事を決めた岸波と朝霜は引き留めなかった。二人とも、別の道を歩むことを選んだ自分の意思を尊重してくれた。
除隊後、実家に帰らずトレースに語った通り、村風は世界中を旅した。
自分達が、艦娘達が命を賭して護った世界を確かめる為に。
旅をする中目に入る戦後の世界の風景。そしてそれを見ていく中、心の中で固まっていく自分の考え。
こんな世界の為に私達は終戦を受け入れたのか。本当にこの終わり方とその後の世界にかつての仲間達は納得出来るだろうか?
その死に釣り合う終わり方と言えるだろうか? 満ち足りているのだろうか?
そうは思えなかった。これは「私達」が本当に望んだ平和等ではない。
醜い搾取の精神を持つ人間達が、妙風の望んだ平和な未来を自分の思い通りに書き直した、本来あるべき平和とは違う偽りの平和だ。
こんな平和等妙風が生きていたら許しはしないだろう。妙風自身が望み、求め、村風と仲違いをしてまで探した平和では無いと。
この世界に、この世界の人間達に、自分達の意思を示さなければならない。
深海棲艦との共存と言う道を選んだ人類に、同胞へ真の答えを見せつけなければならない。
これは、「救済」だ。戦死した艦娘と軍将兵全てへの鎮魂の「救済」。
それをする為の主導者が必要だ。誰が良いか、誰がなるべきか。
率いるべき立場の人間を考えた時、自分しかいないと分かった。これは自分にしか出来ない役割だと。
やってみせる。この計画を、戦死した艦を含む軍将兵への救いと、仇名す敵への報いの為に。
深海棲艦と人類との長い戦争は終わった。しかし、姉妹を、家族を失った艦娘達に「終わり」は来ない。
終わりと言う名の始まりが新たに訪れただけなのだ。
その始まりは艦娘によってそれぞれ。戦後の世界をそれぞれの歩み方で歩んでいた。
違いはあった。しかし一つ共通しているのは、「戦争で負った仲間の死と言う傷」だ。
この傷を共有し、慰め合うのが艦娘達に世界が与えた余生だった
そんな終戦から半年が過ぎ、世界各地で細々と生きる彼女達に、また一つ新たな始まりが訪れようとしていた。
後に世界が戦争後の艦娘達に与えた余生に艦娘自らが抗う「叛逆の物語」とも、「救済の物語」とも呼ばれる艦娘達が独自に「歴史に刻むべく起こした行動」。
一体その先に何が起きるのか。その果てにあるモノは何なのか。
答えを知る者はまだ誰もいなかった。
序章の第一話を投稿させて頂きました。
内戦物語故にこれから艦娘同士が己の譲れない思いからの、撃ち合う展開になって行く事を予め予告致します。
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