2021-07-17 23:04:12 更新

概要

第一話「終戦と言う名の始まり」の続きです。


[第二話 回り始める歯車たち]



日本艦隊横須賀基地の執務室のデスクで仕事をしている湯原の元に、榛名からまた復帰願の艦娘の書類が届いた。

これで何人目だ、と不思議に思いながらも、復隊を求める彼女達が出した各種書類を精査する。


《私は世界の平和と秩序を護る事を常に自覚し、規律と法の掟を遵守し、常に自己の精神と心身を磨き、政治的活動に関与せず、自らに与えられし任務に対し常に精力と責任を持って挑み、事に当たる時は危険を鑑みず、その身をもって自身の使命を果たす事に努め、人類の明日の為に尽くす事をここに誓う》


書類の最後に締めくくられる入隊の誓いの言葉の下に、復帰した各艦娘のサインがしたためられている。

復隊希望はそれぞれだが、そうじて皆戦後の世界に馴染むことが出来ず、平和と自由な世界を捨てて規律と掟に縛られる世界の軍に戻る事にした様だ。

戦争が終わっても、その戦後の世界に馴染めないまま元の汚れ仕事世界に戻る話は昔からある事だ。結局、戦争に心を奪われた者は、戦場でしか居場所がなくなってしまう。

深海棲艦との戦争さえなければ、彼女達もこんな人生を歩む事は無かっただろう。いや戦争の長期化と軍拡に伴う入隊希望者の増加は、結果的に艦娘以外の軍人を増加させたから復隊願を出す艦娘以外にも、復隊届を出している元軍人は少なくない。

トレース提督も復隊し、今は兵站管理部隊に配属されている。

「戦場以外に居場所が無い人間ほど、悲しい事は無いな」

深いため息を吐きながら精査した復隊願の書類に認可のサインを入れる。

しかし、深海棲艦と言う敵相手の為の艦娘は当の深海棲艦がもう人類の敵ではない今、軍の戦力として活用する場所などもう無いに等しい状態だ。

はっきり言えば持て余してしまう存在である。世界的軍縮が進む中でも海軍はその役割を大きく減じており、沿岸警備、海賊や密猟業者の取り締まり、海上救難等程度の任務しかもう出番が見込めない状況だ。

寧ろ今の国連軍の主流は、深海棲艦との戦争で棚上げになっていた人類間での争い事の整理に当たる地上軍や航空部隊だ。

深海棲艦と言う敵の消滅と共に海軍の使命も終わったようなものだ。

戦後復興の為にも、予算は減らせるに越したことがない。実際、戦争終結後に大きく軍縮をした海軍はその予算を大きく減じされているし、艦娘への予算も大きく減らされている。

中には今でも艦娘籍にある艦娘の全面退役と、残っている艤装の解体を行うべきだと言う声も出始めていた。

艦娘不要論に関する理由は様々だ。

単純に一兵士あたりのコスパが極めて悪い事、艤装の各種予備部品の供給ラインが閉まったため自ずと整備維持不能になる事、減じられた予算内で養っていくのは大変だという事。

艦娘の艤装は駆逐艦でも軽装甲車輛一台分のコストがかかっているし、戦艦クラスとなればその維持管理等の経費は国連軍の主力戦車一台と同額だ。

一兵士あたりにかける維持管理費として見れば、艦娘は非常に手間がかかる存在なのだ。

軍は身寄りのない人間の養護組織では無い、と切り捨てする事を求める声もある。


その一方で「深海棲艦にしか対抗できなかったと言う自分達の存在意義の乱用」を危険視する声もある。


実際その通りではあった。

通常兵器で対抗困難な深海棲艦に対抗する為の艦娘。それは即ち艦娘に対しても通常兵器での対抗は同意義になるという事なのだ。

もし、「反乱」等起こされたらこちらとしては打つ手がない、と言う恐れからの全艦娘の早期全面退役と艤装の解体処分。


しかし突如として現れた深海棲艦と同様に、また未知の敵が現れたた時対応できる戦力はある程度遺しておくべきだという反対意見から、艦娘の全面退役と艤装の解体に反対する声も少なくない。

無下に放り出すと言う恩知らずな行いは如何なモノか、と憤慨する軍関係者もいる。

まだ流動的な艦娘の今後である事を復隊してきた彼女たちは理解しているのだろうか。湯原はそう思う時がある。

今でも現役の艦娘達も軍に残る事を決めたとは言っても、自分達が今後どう扱われるか全く分からないままだ。

処遇を決める世界が艦娘達には無いだけに、どうしても起きる不安事項だ。そしてその処遇を決める者達の意見はバラバラで統一される様子が無い。

「何とかしないとな……」



久々に戻った駆逐艦寮は今でも日本艦隊に在籍している駆逐艦娘全員が集められていた。

夕雲型の寮に夕雲型以外の駆逐艦のメンツの顔ぶれを見つつ、村風は自室で一人これからやっていく事の準備を始めていた。

取り敢えず仕舞い込んでいた夕雲型の制服に袖を通して、終戦前の夕雲型駆逐艦村風の姿として完全復帰する。

しっかりと制服のボタンを留め、身だしなみを整える。昔と全く変わりの無い、ルーチンワーク。

ベッドのシーツもしっかりと張り、自分がいない間に溜まっていた埃を徹底的に掃除して取り除く。

「よお、村風。相変わらず精が出てんな」

換気の為に開けていた自室のドアから部屋に入り込んできた朝霜の変わらないタメ口が叩かれる。

雑巾がけの手を止めて、軽く額の汗を拭いながら村風は朝霜の顔を見て聞く。

「朝霜姉さんこそ、掃除はしっかりやっていますか?」

「あたいがさぼったら、後で岸波にボコボコにされるから手は抜けねえよ」

苦笑交じりに返す朝霜に大丈夫そうだな、と確認すると掃除の続きを始める。

「なあ……聞いてもいいかな」

「何でしょう?」

「どうして戻って来たんだ?」

さっきとは違う真顔になって尋ねて来る朝霜の言葉に、村風は即答しなかった。

掃除を続けながら考え込む村風に朝霜は続ける。

「岸波も気にしてたぜ。別にお前が選んだ道だからお前の考え合っての事だろうけど、あたいと岸波には気になるんだよ」

本気で気にしている姉の言葉に村風は掃除を続ける手を止めずに、考え込む。

直ぐには答えが返せる話では無いのは朝霜も分かっている。それでもこの場ではっきりと確認しておきたかった。

なぜ戦争とは程遠い自由を捨ててまで軍に戻って来たのか。平和を、安寧を捨ててまでこの世界に何故戻ったのか。

自分にも岸波にもある疑問。

村風だけではない。ここ最近艦娘が少しずつ海軍に復帰して来ていた。大量と言う訳でないし復帰していない艦娘もまだまだいる。

しかし例え復帰しても、艦娘が今後軍内部でどう扱われていくかは極めて流動的だ。今後も軍の一戦力として扱われるのか、きれいさっぱり首にされるのか。

目の前で自室の掃除を続ける妹は、自分より確かな目がある。その目が曇っていなければどう扱われる事になるのかくらい見える筈だ。

中々帰らぬ返事を待っていると、本棚の埃を綺麗に取り除いていた村風が顔にかかったセミロングの髪を掻き上げ、朝霜に振り返って応えた。

「……そうですね……複雑な答えもない、単純に娑婆の空気が結局肌に馴染まなかった、ってところでしょうね」

「ほへえ、お前にしては珍しい例え方だな」

驚く朝霜に村風は微笑を浮かべると、床に向かって指を刺した。

「ここ(海軍)が私の故郷みたいなものですよ」

「……結局それだな、みんな同じだよ。ここしか居場所が無い」

振り向けられる微笑に苦笑を返す朝霜は頷くと部屋から出て行った。


「結局……みんな帰る場所なんて無いんですよ。どこにも……」


分かりますか、朝霜姉さん?


胸中で部屋から出て行った朝霜が閉めたドアを見つめながら村風は微笑を吹き消した表情で問うていた。



「また同じ職場に戻って来られるとは」

「いやあ、やっぱり軍に直接身を置いておいた方が記録の回収が捗るなあって」

半部驚き、半分呆れた様な表情で自分を見る榛名に青葉は頭を掻きながら笑い返す。

「回顧録書くなら、軍籍に戻っておいた方が手続きを色々と省けるんですよ。民間人の身になるといちいち元軍人であることを証明する書類を見せたり書いたりしなくちゃいけないモノで」

「青葉さんの持っている資料って結構あると思っていたんですけど、まだ足りないんですか」

「艦娘達の足跡を全て綴るには、青葉の手持ち何て氷山の一角ですよ。まるで足りません」

笑みを吹き消した真顔を青葉は榛名に向ける。

あまり見る事の無い青葉の真顔に冗談抜きの話だと察した榛名は黙って先を促す。

「先の戦争を戦った艦娘達の足跡を綴るには、たった一人の艦娘が持っている記録だけでは駄目なのです。

その時何があったのか、何を見たのか。当事者の言葉を知り、理解し、それを纏め風化による忘却で失われない為に記録して形にする。

一人の艦娘が持つ記録だけで全てを知った様な口で艦娘の戦いと存在した事を語るのは、青葉にとって先に逝った仲間達への冒涜にもなる」

「私達が存在した事を後世に伝え続けていく為の記録造りですか」

「榛名さんの金剛型姉妹の記憶も詳細に纏めたいです。

辛い気持ちもあるとおもいますけど、後世に金剛さん、比叡さん、霧島さんが人類の明日を信じ、戦い、命を散らした事を伝え遺す為に」

「ご協力いたしますよ。お気遣いありがとうございます」

軽く一礼する榛名を見つめながら、青葉は回顧録の完成までの期日を頭の中で計算していた。

なるべく早く完成させ、誰の手にも削除されない軍の重要記録サーバーにインストールしておきたかった。

生き残っている艦娘全員への取材と、そこから得た記録の編集、回顧録の執筆。

ハードスケジュールになりそうだ。

自分達艦娘の処遇が流動的なだけに、一カ月後には強制退役を宣告される可能性もある。

それ以外の大きな理由もあるが、焦らず、急いで、正確に行わなくてはならない。

ミスをするわけにはいかなかった。



脳内に響き渡る悲鳴。脳裏に焼き付く血に塗れた姉の姿。荒い息をしながらそれを見つめている自分。


「なぜ……⁉」


そう問う姉に自分はこう答えた。


「姉さんのせいよ」



はっと目を見開き、彼女は身を起こした。

あの時と同じように荒い息をしている自分。額に手をやるとびっしょりと汗で濡れている。

ため息を吐きながら寝床から起き上がり、水差しの水をコップに注ぐ。

外と部屋の中は熱くなっている自分の額と違って寒々と冷え込み、雪も不定期に降っていた。

コップに注いだ水を飲みながら、あの時の光景を思い返す。

自分のやったことが結果的に妹を更に苦しませ、病ませてしまった事が自分にとって大きな誤算だった。

だが、自分とてこの流れを望んではいなかった。大切な姉妹たちの命を奪った先の戦争。それをこんな形で終わらせて良いのか。

確認したかった、理解したかった。姉の本意と言うモノを。

姉に聞いて自分はその時何を思ったのか、もう自分でも思い出せない。

気が付くと、ああなっていた。


戦争が終わってすぐ、自分は今の世界へ逃げた。妹から姿をくらます様に。

罪悪感はあった。いや無かったら今こんな夢に毎日悩まされる訳が無い。

自分のした事を妹に全て話さないまま、ここまで来てしまった。


自分がいるこの地の名はシュヴァングラード。

ロシアのカムチャッカ半島にある廃都市。

ロシアとドイツ主体のEUが共同出資して作った経済特区。

カムチャッカ半島にある油田鉱脈を開発する都市だったが、深海棲艦の侵攻を受けて廃墟と化し、港湾棲姫が終戦まで居座っていた地だ。

今では自分の様な流れ者ばかりが行きつく廃れ切った街だ。

住む者は皆訳アリだが、お互いの事情を尊重し合い、居場所がもはやなくなった者たち同士のコミュニティを維持する事と崩壊したインフラの再整備に細々と従事していた。

国連はシュヴァングラードの再開発を目指しているが、他にも復興しなければならない重要地は多く、またシュヴァングラードに住む者達が国連の介入を拒み、自衛の構えを取っている為、油田鉱脈がある地として治安が良いとは言えず全面的な経済特区としての再開発は進んでいなかった。


これでいいのだ。

彼女はそう思いながら寝床に戻る。

この「白鳥の街」は今では未来ある者達の地はなく、明日の世界を失った者達が終わりを迎えるまでの余生、隠遁、隠居の為の地なのだ。

世界に馴染む事が出来ないまま、流浪の果てにたどり着く終焉の地。この世の果ての様な世界。

街には所謂ならず者もいるにはいるが、そのならず者もこの街では治安と秩序を保っている。

武器を持つならず者はこの街の用心棒として自警団となり、国連が介入を目論んで送り込むPMCを撃退している。

ここに住む者は皆世界から拒絶された者。世界から手を伸ばして貰うと言うのは今更烏滸がましいモノだ。


朽ちた街で静かに朽ち果てたい。


それがこの廃都市シュヴァングラードの住人の共通意識だった。



自分もシュヴァングラードの住人としてでなく、この街を外からの介入を拒む自警団の一員として過ごしている。

国連はここから南にあるシェルドグラードを拠点にPMC部隊を送り込んで来る。

シェルドグラードもシュヴァングラードと同じいきさつで出来た都市で、こちらにも一時期港湾棲姫が居座っていたが艦娘の攻略作戦で港湾棲姫が撃滅され奪還された。

こちらは近辺にロシア軍も使う大規模な空港があり、雪もシュヴァングラード程酷くなりにくく、寂れた港と排雪の進まない高速道路、鉄橋を深海棲艦に破壊されてそのまま廃線になった鉄道以外流通インフラが無いシュヴァングラードより復興が進んでいた。

経済とインフラにおいていかに復興面での遅れの分かれ方が出たかが分かるのがこの二つの都市の特徴だ。

もっとも、と彼女は軽くため息を吐く。

シェルドグラードに近郊にはロシア軍のICBMサイロがある大規模な軍事基地があるから、国連として放っておくわけにもいかない場所だ。

軍事的にも重要な地だからシュヴァングラードと比べてシェルドグラードは優先的に復興が進んだ。

取り残されたシュヴァングラードはそのまま寂れただけだ。

かつて五万人もの人口があったこの街は正確には不明だが、自分が知っている限りその十分の一程度しか今は住んでいない。

これから増えるかもしれないが、減る速度も速いのであまり変わらないかもしれない。

明日は近所の仲間と漁に出るから寝ておかないと、と毛布を掛け直すと彼女はまた眠りに落ちた。



複数の艦娘が戦後の海軍に復帰してくる中、国連海軍は終戦後初の観艦式を日本で実施する事を決定した。

世界各国の艦娘も集めて通常艦艇と合同で行う大規模な国際観艦式であり、決定から程なく日本艦隊横須賀基地には世界各国の艦娘が集まり始めた。

復帰して来ても尚人気が寂しかった日本艦隊の艦娘寮は、世界各国の艦娘が入る事で賑やかさを少しずつ取り戻し始めていた。


賑やかになって来たな、と海外艦娘が入って来た事で多少騒がしさも増している様にも思える艦娘寮を見て朝霜が微笑みを浮かべている中、村風は生硬い表情のままだった。

喜ぶ表情も素振りも見せない村風に心配になる朝霜だったが、村風は姉の心配に「何でもないです」と素っ気なく返すだけだった。

何でもないと言われても、何か考えている節があるのは明らかだったが、村風は教えようとしなかった。

不思議に思う中、朝霜はある日人気のない所で村風が一人の提督と話し込んでいるのを見かけた。

トレース提督だ。

兵站部隊の提督として復帰していたトレースは観艦式実施に際して、その観艦式参加艦艇の支援の為に日本に来ていた。

朝霜自身もトレースと面識はあるから声をかけに行こうとしたが、村風と案件があるらしいトレースを見ていると今は止めておこうと言いう意識が働き、その場を通り過ぎた。

ただ一つ気になったのは人気のない場所でなぜ二人が話し込んでいるのかだった。

深い付き合いがあると言うのは聞いていないし、村風もトレースの事に関して復帰してからこっち言及していなかった。

何だろうか、何かサプライズ企画でも考えているのだろうか。後で聞いてみるとしよう。



埠頭に入港して来る一隻の大型艦を湯原は横須賀基地の施設内から眺めていた。

大型艦娘支援艦「リトリビューション」。ワスプ級強襲揚陸艦をベースに建造された艦娘の洋上作戦中前線基地となる支援艦の一隻だ。

戦後、艦娘の運用が大幅に縮小されて以降、艦娘支援艦は揚陸艦に改装されていく中「リトリビューション」は尚も現役を続けている。

今回の観艦式に当たりアメリカからはるばる回航されて来た艦だ。

微速で港湾部へ進入して来る「リトリビューション」を見る湯原を誰かが呼んだ。榛名だ。

「何か?」

「観艦式に参加する艦娘の皆さんの名簿が出来上がりました」

「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」

自分のデスクの上に置くよう指示する湯原に、名簿を言われた所に置きながら榛名は話しかける。

「艦娘寮は観艦式実行が決まって以来、賑やかになって来ましたよ。良くも悪くも、定員割れの量が定員を満たして来た、って感じです」

「旧友との再会に喜ぶ者もいるんじゃないかな。なんにせよ、賑やかになるのは良い事だ」

「ええ。シェフィールドさんが毎食作る料理に皆がニコニコする様になりました。料理上手な方です」

「彼女、料理の事となると饒舌になるからな」

クールビューティーであまり賑やかなタイプとは言えない性格のシェフィールドだが、料理の事となれば中々饒舌になる料理好きだった。

教えるのも好きな艦娘で磯風はシェフィールドの教えもあって、失敗分野だった秋刀魚料理が上手くなっている。

「今度私も彼女の料理を頂いてみようかな」

「提督はシェフィールドさんの料理はまだ頂いたことが?」

「作り置きのクッキー程度ならね。本格料理は経験していない」

「そうですか。では榛名から今夜の提督の料理はシェフィールドさんに頼んでみますね」

「うん、頼む。彼女が来てから鳳翔もだいぶ楽になったんじゃないかな」

「一息付けやすくなった、って喜んでいますよ」

そう答える榛名に湯原は微笑を浮かべた。

艦娘の食事情は、艦娘関連の支援や手当が縮小されて以来、艦娘自身でこなす事が増えていた。

終戦後も海軍に残っていた鳳翔は、元々一線から下げられた状態の空母艦娘から、完全に日本艦隊の艦娘の食事場を全て預かる役に回っていた。

戦争で多くの艦娘が戦死し、補充の予定は全くない艦娘艦隊は今いる者達だけで縮小された自分達の扱いの不足分を自分達の手で補っていた。

戦艦艦娘が駆逐艦娘の寮の廊下掃除やゴミ出しは今では当たり前だし、その逆もしかりだ。

人手不足はお互い艦種を越えた助力で補っている。

そんな中の観艦式実施ともあって、人手不足の日本艦隊の寮内もそれが少し補われている形だった。



自分がいなくなった間に随分足りないものが増えたモノだ、と日常業務の作業リストをめくりながら村風は溜息を吐く。

備品も補充が止まった物もある為、今ある物でやりくりするしかない。艦娘の人手も艦娘自体が減った分個々の負担は増えている。当然村風がこなす業務も増えている。

リストに目を落としたまま村風が歩いていると、背後から朝霜が呼び止めた。

「おい、村風」

「はい?」

振り返る村風に朝霜は先ほど見かけたトレースとの会話の事に付いて尋ねる。

「トレース提督と何話し込んでたんだ? 人気の少ないとこで二人っきりとかよ。なんか観艦式でサプライズ企画でも立ててんのか?」


拙い、あの場を見られたか。少しばかり村風に緊張が走る。確かにトレースとの打ち合わせを行っていたが朝霜が思っていた事とは違う事を話していた。

人気の少ない場所は艦娘が減ってから割と増えていただけに、少し楽観的に見過ぎていたか。

ただ朝霜の態度的に自分の計画に感づいている様子はない。単に自分とトレースとの場を見かけただけなのだろう。

自分の質問に緊張している事は分かっても、その緊張している理由を当の朝霜は勘違いしている様だ。

「トレース提督は後方支援部隊の指揮官ですから。勿論サプライズ企画ですよ。でも朝霜姉さんには明かせませんね」

「まあサプライズ企画だもんな。ネタバレは良くねえけど……あたい位には教えて貰えねえかな?」

朝霜とて馬鹿な艦娘ではない。改二が実装され尚且つ先の戦争を生き延びた数少ない艦娘だ。出来れば今後の計画上「敵には回したくない」艦娘でもある。

下手な嘘を吐くのもあまり得意ではないし、かといって変にはぐらかせば後でどうなるか分からない。ここはだんまりと行くしかない。

「朝霜姉さん相手でも、ネタバレはダメです」

「ちぇー」

口を尖らせる朝霜に村風は別の話題を振る。

「そうだ、朝霜姉さん、今暇ですよね? ちょっとこの仕事の手伝いお願い出来ます?」

「んー、まあお前の頼みならやるよ」

すんなり引き受けてくれた朝霜に仕事内容を書き込んだリストの一部を渡しながら、次の会合の場を変えておく必要がある、と村風は別の事に考えを向けていた。

渡されたリストを捲る朝霜が口笛を吹く。

「お前こんなに沢山頼まれてたのかよ」

「私がいなくなった間、他の皆はもっと沢山やっていた筈では?」

「いや、観艦式の予告が来るまで軽食片手に書類仕事やれるくらい暇だったぜ。あたいのとこに回ってくる仕事が少なかったのかも知れないけどな」

「確かに改二になれた朝霜姉さんを書類仕事が見過ごす訳がありませんね」

微笑を浮かべて言い放つ村風に、朝霜が苦笑と共にこの野郎と村風の肩を叩いて先に歩き出す。

その後に付いて歩き出す村風の口元から笑みは直ぐに消え去っていた。



復帰して以来、休みなしに艦娘の回顧録製作活動を続ける青葉の努力は、陽炎型の雪風へのインタビューで日本艦隊の記録回収は終わろうとしていた。

一対一で雪風からありのままの事を聞き出し終えた青葉はレコーダーと手帳をしまった。

「よし、雪風さん。今日はありがとうございました。お陰で日本艦隊の艦娘達の記録のパズルのピースが集まりました」

「雪風にも役立つ事が出来て光栄です」

穏やかな、しかしどこか寂しげな笑みを浮かべる雪風に青葉は一つ尋ねた。

「そうだ、最後に一つ。雪風さんは『浮沈艦』『幸運艦』の異名をお持ちですが、そう呼ばれる身としての感想はありますか?」

そう問われた雪風は笑みを消し、真顔になって少し視線を落とす。青葉は何も言わずに目の前の雪風からの答えを待った。

そっとスカートの端を握りしめ、思いつめた表情になる雪風は軽く瞑想するように目を閉じた後、青葉の目を見て答えた。

「『浮沈艦』『幸運艦』と言うのは戦場で死に損なった臆病者への過大評価ですよ」

「……青葉と見方は似ていますね。でも臆病者と言う訳ではないでしょう。雪風さんは単に運が良かった。青葉も単に運が良かった。

だからお互いあの戦争を行き延びた。それだけですよ」

「でも……皆沈んじゃいました……逝ってしまいました……生きに残れたのは雪風と陽炎、磯風、浦風、野分だけ……皆、皆……」

語尾が震え出す雪風に青葉は席を立つと雪風の隣の席に座ってその小さな体をそっと抱いた。

「もういいですよ。もういいんです……青葉も失いました……『皆』を」

お互い、多くの仲間を失った仲だ。傷の深さと辛さは良く理解している。

優しく青葉に撫でられる雪風が目の淵を制服の袖で軽く拭う。

「ありがとうございます、青葉さん。もう雪風は大丈夫です」

「こちらこそ、失礼しました」

流石に古傷を過度に刺激したか、と青葉が軽く後悔した時雪風が真顔で尋ねて来た。

「青葉さん達は何か企んでいませんか?」

「な、なんですか急に」

何のことだと驚く青葉に雪風は畳みかける様に続けた。

「青葉さん達が何故、海軍に戻って来たのか。雪風は気になっていたんです。結局雪風は海軍以外に居場所が見つけられなくて戻りました。

でも青葉さんや鹿島さん、村風、磯風、最上さんと戻って来る艦娘は皆共通の目的をもって戻って来ている。雪風には分かります、単に海軍しか居場所がないと言う理由じゃないですね。

皆さんで一体何を考えているんですか、何を企んでいるんですか?」

「青葉は何も知りません。生憎ですが」

頭を振る青葉が立ち上がろうとすると、雪風は青葉のセーラー服の袖を引っ張って制する。

教えてくれ、と懇願する目の雪風に無理だと目で返しながら立ち上がろうとすると、足に痛みが走った。

雪風が青葉のローファーを自分のブーツのソールで思いっきり踏みつけていた。

「話してくれないなら、今度はラダーヒールで踏みますよ」

低い声で雪風は青葉にもう片方のブーツの踵に付いているラダーヒールを威嚇するように見せる。

高さ約六センチのほぼ長方形のラダーヒールは雪風の全体重をかければ、青葉の爪先をローファー事切断しかねない。

艤装とは違う隠れ凶器にがっつりと足を踏まれていては青葉も降参せざるを得ない。

大事にしたくはないし、どの道とぼけても雪風を振り切れそうにはない。自分を見る雪風の目はある程度勘づいている様だ。

この際、計画のことを話して雪風を引き込んでおくのもありかも知れない。「敵」に回したら恐ろしい艦娘だ。そうなる前に逆に引き込んでおくのアリだろう。

「……あとはありませんよ?」

「その覚悟を持って青葉さんに聞いているんです」

そう返す雪風に、青葉は深く溜息を吐いてから計画を打ち明けた。



「次でチェックメイト」

そう告げながらナイトを進めて来たアトランタにシェフィールドはなるほどと頷く。

「君の選択、面白いね。でも、惜しかったね。チェックメイトよ」

クイーンをアトランタのキングの傍に置いたシェフィールドにアトランタは軽く舌打ちしてそっぽを向いた。

「これで二戦連続あんたの勝ちね」

「チェスは得意よ。こう見えても」

「ポーカーならあたしは負けないけど」

「どうかしら。勝率はプリンツと五分五分じゃなかった?」

「うっさい」

再び舌打ちしながらアトランタはチェスボードの駒を並べ戻す。

椅子に深々と腰掛け直しながらその様子を少し得意気にシェフィールドさんは見る。負けた上に得意気になる相手に余計に苛立つものを感じるが、黙って綺麗に並べ直した。

「もう一戦やる?」

「いい。あんたとやっててもつまらない。へっぽこチェスがやれる相手がいいわ。この基地の連中なら将棋の方が寧ろいいか」

「ルールはチェスに似ているけど、駒は自分にモノとして逆利用できる分戦略の幅は広いわよね」

「まあね。でもそれは駒をたくさん取り込められたらの話だし、駒が多ければいいってもんでもないでしょ。

プレーヤーの判断力如何で寡兵で王手を決められる。そこもチェスと同じでしょ」

将棋とチェスの共通点を語るアトランタにその通りだ、とシェフィールドは頷く。

軽く腕を組んでチェスボードに目を落とし、次いで二人がいる談話室を見回したアトランタは静かに溜息を吐いた

「静かになったもんだね、ここもさ。前ここに来た時は暁や夕立とかが煩くて仕方なかったよ……あいつらホント煩かった……今じゃそれが恋しいけどさ」

忌々しそうながらそれが今となっては言葉通り恋しいという表情になるアトランタに、シェフィールドは静かに返す。

「夕立は逝ったのよね……確かソロモン戦線で」

「深海の奴らを沈めに沈めまくって、あいつまで沈みやがった……バカじゃないの、死ぬなんて……あたしにまた遊ぼうとか言っときながら死んじゃったんだよ。

死んだらあたしにちょっかい出す事も出来ないじゃん……なんで死んだんだよアイツ……」

語尾を震わせるアトランタにシェフィールドはふと思い出した暁の近況を教えた。

「青葉から聞いた話だけど、暁は退役して今は旦那さん持ちよ」

「あいつ、結婚してたんだ」

「退役して直ぐに一般人男性と結婚したんだって。妊娠一か月らしいよ」

「ゴールインとか、あいつマジでレディになったのかよ」

口調は粗野だがどこか羨ましそうなものを漂わせるアトランタにシェフィールドは夕食の支度の手伝いがある事を告げて椅子から立ち上がった。

談話室から出かけたシェフィールドの背中に向かってアトランタは「いつだっけ」と尋ねる。

ドアノブに手をかけたシェフィールドは振り返らずに答えた。

「もうじきだよ」

そしてそのまま振り返らずに談話室を後にした。



観艦式実施に合わせて海兵隊の人員も一部動員される事が決まった。

陸戦部隊である海兵隊の部隊も動員するという話に湯原は少し意外に思ったが、戦後初の艦娘と通常艦艇と合同の大規模観艦式に海軍と共に戦った仲である海兵隊も顔を添えておきたいものがあるのだろうを考えて、あまり深く気にしない事にした。

海兵隊の参加に当たってエドワード・ハメル少将が指揮を執ると言う伝達が榛名経由で送られてくる。

「ハメル少将か」

国連軍海兵隊第一海兵師団師団長、海兵隊特殊作戦コマンド司令官を経験した海兵隊の将軍。深海棲艦との戦いにも従軍してハワイ奪還作戦にも参加している。

深海棲艦との戦争が始まる前は海上自衛隊の二等海佐だった湯原は、深海棲艦との戦争が始まった後の人材不足を補う為に戦時特例昇進を重ねて今の海軍大将の座についているが、ハメルは戦時特例昇進無しにアメリカ海兵隊少尉として任官されてから少将まで自身の実力で昇進した実力派だ。

何度か湯原も統合作戦の折に顔を合わせた間である。

階級は湯原が上だがハメルの方が年上である。海兵隊の猛者を率いて来ただけにオンの時は海兵隊の一員らしい顔を見せるが、オフの時は穏やかな海兵隊員を思わせない物腰柔らかな顔を見せる。

艦娘を「戦友」と見なしてよく気を使ってくれただけでなく、階級の隔たりなく気さくに接してくれた。それだけに艦娘からも一定の人気があった。


基地業務関連の仕事を一通りこなした湯原が一息入れていると、榛名からハメルが訪ねて来たことを知らせて来た。

通す様に伝えると、簡単に出迎えのコーヒーと菓子を揃える。

部屋のドアがノックされ「ハメル少将です」と名乗る声がドア越しに響く。

「どうぞ」

「失礼します」

海兵隊の略装と略帽姿のハメルが入室して来ると湯原は「ご無沙汰してます、ハメル少将」と一礼した。

「お久しぶりです湯原提督。観艦式前に挨拶の一つを入れておかねばと思いまして」

「ありがとうございます」

戦争終結後暫く会って無かったハメルの顔は知らずとくたびれたモノを窺わせていた。

そう言えば戦争終結後はどうしていたのだろうか、とふと気になった湯原はハメルにソファを勧めながら尋ねた。

「深海棲艦との戦争後も海兵隊におられたのですね」

「退役も考えていましたが、任期を全うするまで残る事にしました」

ため息を吐きながらハメルは勧められたソファに腰掛ける。向かいのソファに座りながらコーヒーを入れたカップをハメルの前に置く湯原はその顔から軍役を続ける理由をなんとなく察した。

「ご家族は?」

「妻は今年先に逝きました。家には……私しかおりません。深海棲艦との戦争で息子達は皆死にました……」

「奥方の話は初耳でした。遅まきながらお悔やみ申し上げます」

軍役を続ける理由とくたびれたモノをたたえる顔の理由に、湯原は最近復帰して来る艦娘達にも共通するものを感じた。

出されたコーヒーに口を付けて一息を入れながらハメルは続けた。

「アレは先に逝った息子達の事が気がかりだったのかもしれませんな。私が軍人だったから息子達も後を追う様に軍に入って来た。

長男は太平洋で駆逐艦と一緒に沈み、次男は飛行機と共に灰になりました。妻も私も息子達の選んだ道を尊重しています。

ですが、親が子を葬るのは、本来あってはならない順番です」

「分かりますね。私は独り身ですが、仲間の中にはハメル少将と同じ境遇の者も少なくない」

皆ここ(軍)しか居場所がない者同士だ、と思いながら湯原は自分のコーヒーカップのコーヒーを飲む。

ずっと独身の立場の自分だが、榛名と言う艦娘が半分パートナーとも言えなくもない。戦争が終わってからも海軍に残って自分の下に付きサポートに付いてくれている榛名に湯原は多少なりとも特別な感情を感じてはいた。

「家が寂しいですよ。私が最後になるとは思ってもみなかった……。

先の戦争で我々は結局何を得たのか。

人類に平和をもたらす事には成功した、しかし私は自分の家庭に平和をもたらす事は出来なかった。

情けないモノです。戦争には勝ったはずなのに私には今喪失感しかない」

「同じ思いの者はこの基地に沢山います。彼女(艦娘)達もそうです。血は繋がっていなくても姉妹艦としての仲を誓った同士。

失った痛みは皆大きく抱えています」

「艦娘の皆も私達と同じ人間。感じる痛みは同じですな……」

再び溜息を交えながら語るハメルに頷きながら、あの戦争で結局人類は何を得たんだろうか、と言う疑問が湯原の中に沸いた。

復帰して来る艦娘は皆、先の戦争で本当の家族も友達も故郷も失い、艦娘としての姉妹艦や仲間をも失った。

何もかも失いながらようやく掴んだ終戦。しかしそれは人類の全面勝利と言うのではなく、深海棲艦との和平締結と共存と言う道。

自分達から全てを奪った様な相手を生かし、共存すると言う今の世界に対して艦娘達の中には受け入れがたいものを感じているだろう。

実際それが出来ないから軍に復帰して来ているのだろう。戻るべきところ、帰るべきところを失い、軍と言う場にしか居場所を見いだせない。

考えてみればハメルの言う通り自分達は多くの犠牲を払った末に一体何を得たのだろうか。

虚無、の二文字が湯原の脳裏をよぎる。

「海兵隊も艦娘と共に多くの犠牲を払いました。《常に忠実であれ》と先に散った仲間の胸に手を添え、海兵隊のモットーを唱える。

たった一日の間に三〇〇〇人もの部下が死体になった事もありました……世界はそれを外から見ていただけだった」

「戦争なんて失う事しか出来ませんよ。掴めるのは政治屋の決めた線引き世界です。ですがそこに我々軍人が口をはさむ余地はない」

「先に死んだ仲間、部下がその線引き世界に納得してくれるのか。後に遺された上官としてそれが気がかりで仕方が無い」

まったくだ、と話している間に老け込んでいくように見えるハメルを見つめながら湯原は頷いた。



停泊中の支援艦「リトリビューション」の艦内を見て回る村風を怪しむ者は誰もいなかった。

観艦式で利用する相手だと分かっているのもあるし、乗員内に「同志」も混じっているから咎める声も無い。

艦内を一通り見て回り、観艦式に備えて艦の準備が万端である事を確認し終えると一人満足げに頷く。

フライトデッキに出て日本艦隊基地の風景を眺める。世界各国の艦娘が集まって来ているだけに基地もある程度賑やかになっている。

「村風」

ふと自分を呼ぶ声がして振り返ると、艦橋の下のハッチからトレースが雪風と共に自分の元へ出て来るのが見えた。

自分に向き直って敬礼する村風に答礼しながらトレースは村風に雪風を紹介した。

「雪風も計画に参加する事を志願してくれた。その事を伝えておこうと思ってな」

「雪風さんも?」

軽く驚く村風に雪風は軽く一礼すると確かな意思を持った目で村風を見る。

「雪風もお供させていただきます村風さん。宜しくお願い致します」

「……どこでこの計画を? 提督が?」

「青葉さんから引きずり出しました。皆さんが何か企んでいるのは雪風には何となく気が付いていました。覚悟は決まっています」

青葉か……口が堅い性格の筈だが、雪風は中々しぶとく食い下がる時もあるだけに折れたか、折り曲げられたかのどちらかだろう。

雪風も口は堅い方だと記憶しているが、他の人間に喋ってはいないだろうか、と言う懸念が出る。

するとそれを読んだように雪風は変わらない表情で続けた。

「誰にも言ってません。寧ろ間違っていると思ったら即提督に報告していますよ」

「知ってしまたからにはもう後には引けませんよ。分かっていますね?」

真顔で問う村風に雪風も同じ表情で頷いた。


賛同メンバーが少なくなかったのは有難かった。海軍、海兵隊、それに陸軍や空軍にもメンバーを作る事が出来た。

計画を実行する場所は当に決まっている。後は実行に移すだけ。


「クオークマンから暗号通信が先程届いた。

『エッグパック』を確保したとの事だ。数は二つ」

「二つですか。上手く手に入りましたね」

「戦略軍団の同志が上手くやってくれたよ。既に予定地へ貨物船で移送中だ」

「《グングニル》の方は?」

「既にそちらの方も準備が進めているが、最悪一戦交えるかもしれん」

「……出来れば流血は避けたいですね……善処を」

「分かっている。そう、今日クラコフ事務総長が特別地を訪れたよ。深海棲艦代表と対談したと」

そう語るトレースに村風は無言を返した。

湾外へ視線を向けた村風は何かを見据えるような視線で水平線の先を見つめた。

あの向こうに、あの向こうで……。

無言の胸の内を表すかの様に少し強い横風が吹き、村風の髪をなびかせた。

「……偽りの平和など、私達が求めた結末ではありません」

低い声で告げる村風にトレースと雪風は頷いた。

「同感だ」

「そうですね」



一週間後に観艦式が執り行われると言う通達が日本艦隊基地に行き渡ると、観艦式前の賑やかさも大分盛り上がりを見せていた。

そんな中で艦隊編成の組み合わせが発表され、各艦隊にブリーフィングが実施された。

トレースの裁量で組まれたトレース直属艦隊に村風は配備された。

艦隊指揮官をトレースが務める艦隊には、


戦艦ワシントン(米)

重巡洋艦青葉 プリンツ・オイゲン(独) 

軽巡洋艦シェフィールド(英) アトランタ(米) 

練習巡洋艦鹿島

駆逐艦陽炎 雪風 磯風 秋月 電 村風 アクティブ(英) フライシャー(米)


以上の一四隻が編入され、受謁艦隊第二群T(タンゴ)部隊と呼称される事となった。

T部隊のTは艦隊指揮官のトレースのイニシャルであるが、もう一つの意味も込められていた。その意味を知っているのはT部隊に配属された艦娘だけだった。

アクティブは英国艦隊からシェフィールドと姉妹艦アローと共に派遣されて来たA級駆逐艦艦娘で、フライシャーはワシントン、アトランタと共に編入されたフレッチャー級駆逐艦艦娘である。


「リトリビューション」のブリーフィングルームの一つにトレースとハメルなど複数の陸海空海兵隊の将校が一四人の艦娘と共に集まった。

自信が率いる事になる「T部隊」のメンバーとその同行メンバーを前にトレースは観艦式に関する説明ではなく、計画の最終確認を行った。

監視カメラは掌握済み。防音構造なのでブリーフィングルーム内部の音や声が外に漏れる心配もない。

全て計画は順調に進んでいた。

「最後に一つ言っておく。この計画を起こせば我々は『反逆者』の烙印を付けられる。全員理解しているな?」

確認しておきたい、と言う思いからのトレースの問いかけに無言の頷きが一同から返される。

躊躇い、迷いを断ち切った、「反逆者」となる者達の覚悟を決めた視線。自分もその一人だ。

「明日、決行する。以上だ、解散」



ブリーフィングを終えた後、花束を抱えて村風は慰霊碑に元を訪れた。

生憎の雨が降る中、傘もささずに制帽を被って慰霊碑へと赴いた村風は石碑の前に花束を静かに置いた。

「皆がいないと寂しいですよ……」

慰霊碑に向かってそっと語り掛ける。


「やらなければならない事がある……私は、皆の望むであろう未来の為に頑張りました。でもそれが報われる事は無く、偽りの平和が訪れた。


こうなれば決行するしかありません……どんな事があっても……」


語り掛けながら村風は上着のポケットから以前授与された海軍銀星章を出し、慰霊碑の前に置いた。


「どうか、軽蔑しないで下さい……行きつく先は同じになれませんが、例え違っても……私の思いを理解して下さい」


花束の下に銀星章を置いた村風は最後慰霊碑に向かって敬礼をし、踵を返すと二度と振り返らずその場を去った。



生憎の雨ではあったが、霞の慰霊碑に向かおうと言う意思は変わらなかった。

艦娘時代海上を歩いていた時に付いていた癖で、水溜りにもろにハイヒールを履いた足を突っ込みながら片手に花束を抱え、片手に傘をさして慰霊碑を訪れた。

既に誰か来ていたらしく花束が置かれていた。戦死した艦娘をメインに刻まれた慰霊碑の前だからきっと戦死した艦娘の遺族が置いて行ったのだろう。

その横に持って来た花束を添えた時、先に置かれていた花束の下に何かが置いてあるのに気が付いた。


銀星章


海軍でも輝かしい功績を上げた者に送られる勲章だ。


「誰が置いて行ったのかしら……」

ふと気になって拾って裏側に刻印されている名前を確認する。


[JFG YUGUMO Class DD MURAKAZE]


「村風……」

かつての同僚の銀星章だ。何故ここに?

訳が分からないまま霞はその場で手にする村風のモノだった銀星章を見つめていた。





昼食から帰って来た彼女の家の前に二人の男が立っていた。知らない顔だ。シュヴァングラードの街の顔全員を覚えている訳では無いが、外から来た者だという事は分かる。

嫌な予感がして彼女は一旦離れた。が、数十メートルと行かずに別の二人の男に捕まった。

引き返そうと思った時には家の前にいた二人も来て自分を囲んでいた。

「アリサ・キリザワだな。元日本艦隊夕雲型駆逐艦艦娘清風」

無言で四人を睨む彼女に対してリーダーらしき男が尋ねる。

「私に何の用だ」

イエスともノーとも答えない彼女の背後から電子音声の《声紋一致・夕雲型駆逐艦清風と認証》と言うボイスが入る。

後ろにいる仲間が音声認識デバイスで自分の声を認証させていたようだ。

逃げようの無い彼女、夕雲型駆逐艦艦娘清風にリーダーらしき男は手錠を出して詰め寄った。

「夕雲型駆逐艦艦娘清風。駆逐艦艦娘妙風殺害の疑いで貴官を逮捕する」



観艦式前の調整で戻るのが遅くなった湯原が自分のオフィスに戻った時、時計が深夜零時を示した。

随分遅くなってしまったな、とブリーフケースをデスクの上に置きながらネクタイを緩めていると性急に部屋のドアをノックする音が響き、湯原の許可も待たずに榛名が飛び込んできた。

「提督、今日『リトリビューション』に出港等の予定はありませんよね?」

「ああ、ないけど。どうかしたのか?」

きょとんとする湯原に榛名は切羽詰まった表情を浮かべた。

「T部隊と海兵隊一個中隊を載せて『リトリビューション』が無断出港しました。事前届けがありません」

「なんだって?」

思わず聞き返した時、港で爆発音が次々に響いた。



追手や計画の邪魔になるであろう艦艇のスクリューに仕掛けた爆薬が爆発するのが夜中の港に響き渡り、怒声がそれに混じって聞こえて来る。

サイレンが響き出す日本艦隊基地を後にする「リトリビューション」のフライトデッキから、村風はもう帰って来る事は無いであろうかつての我が家を見届けた。


「……さようなら……」


夜月が照らす中、村風の頬を一筋の涙が伝った。[link_ssmatome: SSまとめ速報作品URL ]


後書き

色々モチベやハーメルンとの兼業状態、艦これ春イベント、リアル生活等とにかく色々な事情あって投稿がかなり遅れました。
申し訳ありません。


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