2017-03-14 13:02:59 更新

概要

アイドルマスターシンデレラガールズより、
佐久間まゆ×P(プロデューサー)純愛もの。 オリ設定含。


前書き

原作執筆時期 2013年11月21日


「全くもう・・・プロデューサーさんは自分を蔑ろにしすぎなんですから」

段々と寒々しくなってきた中秋の終わり頃。

私たちは温泉街で撮影を行うこととなり、プロデューサーさんと共に

日本有数の某温泉都市へとやってきていました。

撮影は明日決行とのことで、今日は一日中プロデューサーさんと旅行気分で

色々な場所を観光して、立派な旅館に泊まることになりました。ですが・・・・

「今日は女風呂が露天風呂の日・・・・、男の人は部屋風呂のみ。

これって、私達を気遣ってスケジュール調整したんですよねぇ・・・」

温泉の配置は明日の夕方を待たなければ変わらず、

プロデューサーさんは一人部屋の狭い風呂に入ることしかできない。

僅かな間だったが、私が夜の露天風呂で見た風景は美しかった。

朱く色づいた紅葉、秋めいた夜空、風に流されヒラヒラと舞う落葉。

折角の温泉地でのロケだというのに彼はそれを楽しむことができない。

きっと自分のことは他所にやり、私達のことだけを考えて日程を組んでくれたのだ。

それを良しとしてしまう人だから。・・・・だから。

「うふふ・・・♪プロデューサーさん、この日のためにまゆは特別な準備をしてきたんです・・・

だ・か・ら...綺麗な温泉の代わりに、まゆがとーっても素敵なものをあげます・・・」

今私は露天風呂をあとにし、フロントで申請して手に入れたマスターキーを片手に

あの人の部屋を目指している最中なのだった。

カードキーを読み込む式のロックは*****が使えないから手間である。

プロデューサーさんは今別室の会議室を借りて、明日に備えてディレクターさんや

撮影班さんの方達と会議をしている最中で、今あの人の部屋にはいないはずだった。

マスターキーを翳し鍵を外した後、ゆっくりとドアを開く。

「失礼しまーす・・・ふふっ♪やっぱり誰も居ませんねぇ。

あ、プロデューサーさんの鞄・・・・個室だからってこんな分かりやすい場所に置いておくと

危ないですよ・・・誰かに盗まれたりでもしたら♡」

試しに開けてみたロッカーには何も掛かっていない。着崩さず今でもワイシャツの上に

スーツという正装で会議をしているのだろう。それも、彼らしいといえばらしい。

布団は折り畳まれたままで、バスケットに入っている菓子にも手をつけた痕跡はない。

唯一机とその周りからは幽かにあの人を感じる。ずっと座って作業をしていたのだろうか。

「はっ・・・いけないいけない。ここでゆっくりするのもいいけど、

プロデューサーさんが帰ってくる前に準備を終えなくちゃ・・・・」

そう言って迷いなくスカートの留め具を外し、するりと落とす。

風呂あがりに着用していたほんのりと湿った部屋着を脱いでいき、

やがて下着も脱いで全裸になった後、それらを一枚一枚丁寧に折り畳んで隅に置く。

マスターキーと同じくフロントで拝借した未使用のバスタオルを身体に巻いて、

そのままプロデューサーさんの部屋風呂の扉を開けた。

「プロデューサーさんは、露天風呂で美しい景色を見ることはできませんけど・・・

その代わり、いつもと違うまゆが見られますよ・・・♪」

部屋風呂は外風呂に比べると大分狭いが、それでも湯船に2人が浸かるには

十分なほどのスペースがあった。窓の外からは暗くてよく見えづらいものの、

紫がかった紅葉の景色が覗いている。部屋風呂内にも造花ではないらしき

もみじの木が生えており、檜木で作られた浴槽と合わさって雅で幻想的に思えた。

源泉から汲み取っているという熱い乳白色の液体が

絶えず流れて水音を奏で、もみじを運び、その嵩を増やしていっている。

「部屋風呂も和風でとっても素敵ですねぇ。

こんな狭い空間で2人きりで密着して・・・

今夜は本当にまゆとプロデューサーさんの特別な一夜になっちゃいそう・・・・♪」

掛け湯をした後、温泉に浸かる。41度くらいの少し熱めの温度だ。

お湯にまゆが溶け出していく。プロデューサーさんがこの湯に入れば、

プロデューサーさんはまゆに包まれてまゆを感じる。

そうしたらお湯にプロデューサーさんも溶け出して

まゆはプロデューサーさんに包まれてプロデューサーさんを感じる。

2人の距離はどんどん近付いて・・・誰にも邪魔されないで・・・・

きっと素敵な一夜になる。忘れられない日になる。そんな予感があった。

願掛けのリボンをタオルでギュッと結んでこれでまゆの準備はバッチリ。

あとは、プロデューサーさんを待つだけ。



「はぁ・・・・はぁ・・・、プロデューサーさん、まだかな・・・・。

いつもだったらそろそろ会議が終わっている時間なのに、何かあったのかな・・・?

のぼせないように、足だけ浸かっておこうかしら・・・・」

頭が少しくらくらしてきた。扉の外を窺ってもプロデューサーが部屋に

戻ってきた様子はない。湯船のへりに座ってあの人を待つが・・・中々来ない。

少し早く入りすぎたと後悔しても何も変わらない。

部屋風呂に時計はないので正確ではないが、恐らく既に30分は経過しているだろう。

把握していた会議のスケジュールではもうとっくに終わっている筈だった。

何かあったのかと心配する気持ちと、いつ来てくれるのだろうという

高揚感にも似た気持ちが心の中で半々に分かれて脈を打つ。

待ち時間はあの人との妄想で頭がいっぱいだった。少しも退屈な時間などない。

段々と純粋なプロデューサーへの好意のみが脳内を占有していく。

それしか考えられなくなってくる。

「はぁ・・・ふぅ・・・まゆ、ちょっと早く入りすぎちゃったかしら・・・。

カラダが・・・アツくて・・・・プロデューサーさんのことを思うとまたアツくなっちゃって・・・・

火照っちゃって、倒れちゃい、そう・・・・はぁ・・・はぁ・・・・」

全身から汗が流れ出す。身体の危険信号が警鐘を鳴らす。

思えば露天風呂の温泉に入ってきたあと、そのままの状態で

大した水分も取らずにここに来てしまったのだ。熱が下がらずに全身を支配し始める。

身体が熱くて、アツくて、堪らない。全身の血液が沸騰するような温熱。

段々と息が荒くなって、思考と目の前がぼんやりとしてくる。

気付いた時には思うように動くことが出来なくなってきた。

朦朧とする意識の中で視界が電脳の陽炎に揺れる。


「プロ・・・デュー、サー・・・さ・・ん・・・」


そのまま、電源の落ちたコンピュータのように視界はブラックアウトした。

見える範囲の周り全てを囲むような真っ暗な世界。


「・・・・・・・・・・」


何も見えない。何も聴こえない。辺り一面の闇。

その中で私は一人きり。誰もいない、その世界で、一人きり。

誰も来ない。私だけが、違う世界に隔絶された存在。

まるであの頃のように。


「・・・・ゆ、・・・・っ!?

・・・・・ま・・・、ゆ・・・・、まゆ・・・・っ!」


「・・・・・・え?」


──不意に。沈みかけていた意識を誰かが覚醒させてくれた。

聞き間違える筈もない、その声は・・・・


「まゆ!あぁ、良かった意識はあったか。心配させやがって・・・・」


あの人の、ものだ。



「う・・・ふふ・・・まゆ、プロデューサーさんが来てくれるって信じてましたから・・・

ずうっと待ってたんです・・・・やっとプロデューサーさんと、2人きり・・・・

でも・・・まゆ・・・アツくて、アツすぎて・・・・溶けちゃいそう・・・・」


長引いてしまった会議から帰ると、部屋の入り口に見覚えのないスリッパを見つけた。

アイドルの誰かが中にいるのだと思って部屋中を探り、その少女を発見した。

トレードマークのリボンを結んだ茶髪で小柄な少女、佐久間まゆを。

自分の担当するアイドルの姿を。

どうやって入ったのかは不明だが、彼女は俺の部屋風呂へ入っており

裸体にバスタオルを巻いて湯船の縁に蹲るように座っていた。

意識を失っているのかと思い、何度もその名を呼び掛けたところ

無事が確認できた。が、返事こそしっかり返ってきたものの

まゆは見るからにのぼせており、今にも倒れてしまいそうほどに身体が揺れている。

「取り敢えず、部屋に運んだ方がいいよな・・・!?

まゆ、自分で立てるか・・・いや、無理そうだよな・・・・。

おんぶか・・・・?でもそうしたらまゆの身体が・・・・」

部屋風呂に入った瞬間は驚きと心配で頭がいっぱいだったが、

少し頭が冷静になってくると、意識せずにはいられなかった。

バスタオルで患部は隠れているものの、多くが露わになっている玉のような白い肌。

女性的な体のラインがはっきりと見える姿。無防備な表情。

脳が蕩けそうになる甘いソプラノボイス。

それらを振り払って、機械的に思考を巡らす。

背負う場合は、自身の背中にまゆの胸がどうしても当たってしまう。

健常な世の一般男性からしたらそれはご褒美だろうが、まゆにとっては辱めになってしまう。

どう彼女を運び出せばいいと悩んでいると、か細い声でまゆが囁いてきた。

「プロデューサーさん・・・・お姫様・・・だっこ・・・♪」

「・・・・!」

お姫様だっこ・・・・確かに、それならば。まゆのどのアウトな身体の部分に触れることなく、

安全かつ迅速に彼女を運ぶことが出来るだろう。多少の気恥ずかしさはあるが。

というか人生初のお姫様抱っこである。後にも先にも一度きりの経験の可能性すらある。

「いや、これは立派な人命救助!許されるはず・・・・!持ち上げるぞまゆ!」

「はぁい・・・・」

会議帰りのスーツ姿で靴下も脱がずに部屋風呂へと入っていく。

そんなことを考えていられる余裕はなかった。半ば混乱気味のまま

ぐったりしているまゆを持ち上げ、そのまま速やかに部屋の廊下まで運び出す。

幸い部屋風呂から続く床はフローリングであり、まゆの全身から滴り落ちる水で

濡らしたとしても下の階層に染み込む前に拭けば何とかなりそうだった。

尤も薄寒くなってきた秋の中頃、このまま彼女を放置していては

間違いなく風邪をひいてしまうであろうことは明白だが。

「まゆ、自分で身体を拭くことは出来るか?

む、無理だと言うなら俺が・・・・やらなくも、ないが」

我ながらなんて提案をしているんだと問い詰めたくなる台詞だが、

決して邪な思いはない。飽くまで真面目に聞いているだけである。

「うふふ、プロデューサーさんにそうしてもらったらまゆは嬉しいけど・・・

・・・・。いいえ、でも大丈夫。自分で・・・やりますから。

よい・・・しょ、あら・・・?」

やんわりと提案を断ったまゆに差し出したバスタオルが宙を舞う。

まゆの細い指で掴まれていたそれがするりと指の間をすり抜けて床へと落ちた。

その後も上手く拾えないらしく、暫くまゆは床に敷かれたタオルと悪戦苦闘をしていた。

「大丈夫・・・大丈夫ですから・・・・っ」

頑なに止めようとしないまゆ。それを何回か繰り返した辺りで。

「分かった、大丈夫だ。・・・・まゆには悪いが身体を拭かせてもらうぞ。

このままお前に風邪をひかれて辛い思いをさせるのは絶対に嫌だからな」

今のまゆでは自分の身体を拭くのに時間がかかりすぎる。

あまり長い時間裸でいては、湯冷めしてしまう。

見かねた俺はバスタオルを自らの手で掴んでまゆにそう語りかけた。

「・・・・っ」

すると気恥ずかしさからか、まゆは俯いてしまった。

プロデューサーをしていても流石に今までしたことのない作業を前に、

緊張と動悸で身体が硬直する。うまく腕が動かない。

自分の身体より数倍柔らかいまゆの肌を丁寧に、しかしあまり時間をかけずに拭いていく。

その間、まゆは俺の持ってきたペットボトルの水をゆっくりと飲んで少しずつ熱を取り払っている。

・・・自然と漏れる息がまるでイケナイコトをしているかのような気分にさせる。

針を刺されて弄られたように脳神経が麻薬のようなもので浸されていく。

締め付けてくるような感情を押さえ付ける。理性で封殺する。

────だが、いよいよ腕を拭く時になり、彼女が顔を伏せている本当の意味が分かったような気がした。

近くでよく見なければ絶対に分からないが。

荒れている肌一つない腕の先。手のひらと腕とを分ける左手の手首のところに

そこだけ不自然に膨らみ、紅く炎症した線が何本も重なっているのが見えた。

線は一本一本辺りはそれほど太くないものの、絡み合って重なりあった傷痕が

周りの健常な肌の中で紅色に異質に存在感を放ち輝いていた。

ここ最近でついたものではない爛れた古い刻印。

・・・・それが、何を意味しているのかは俺にはすぐ分かった。

「まゆ、お前・・・・」

顔を伏せたまま、泣きそうな掠れ声でまゆが呟く。

いや、顔は見えないがもう既に泣いていたのかもしれない。

「・・・・プロデューサーさんには、出来るだけまゆの暗い部分は見せたくなかったんです。

綺麗なまゆを、見てもらいたかったから。

過去の姿じゃなくて貴方にプロデュースしてもらった現在の私を見せたかったから。

・・・・でも、駄目ですよね、私にはカクシゴトをしてほしくないのに

私はこれを隠していただなんて。・・・・とんだ、傲慢な考え。まゆは、悪い子です」

『ソレ』は彼女にとっての罰だったのか。それとも犯した罪だったのか。

束の間の楽しい時間は空気に溶けるように過ぎ去って、

意識が回復してきたまゆもふらふらと立ち上がって去ろうとする。

この場から一刻も早く逃げたいと、状況に堪えられないと、俺から離れようと。

そんな彼女を、俺は─────

「・・・・ごめんな」

「あ・・・・」

気が付くと、俺の腕は自然にまゆの肩へと伸びて彼女を抱き留めていた。

自分でも分からないほど目から涙が流れ、視界が真っ白にぼやけていた。

霞のような視界に驚きに見開かれた目で此方を見ているまゆの顔が映った。

それに呼応するかのように口から言葉が溢れだした。

「ごめんな、不甲斐ないプロデューサーで。俺は、お前のプロデューサーで

ありながらお前の苦しみを、痛みを理解ってあげることすらできなかった。

まゆの、痛みを分かち合える理解者になってやれなかった。まゆが気兼ねなく

相談出来るような『理解者』としての資格が、俺にはなかった・・・!」

「違いますっ!!・・・・違います・・・。

だって、それだってまゆがいけないんです。プロデューサーさんに話さなかったのも

全部全部私が自分で判断したことなんです。私が弱いからいけないんです。

・・・・・だから、プロデューサーさんは悪くないんです」

一瞬語気を強めたまゆだったが、直ぐ様言葉の端は弱々しくなり

心なしかその綺麗な深緑色の両目は虚ろになっている気がした。

普段のまゆとは少し違う印象を受ける。

自嘲するような口調、右手で隠された消えない傷痕。

一度や二度ではつくことのない夥しい量の赤い筋。

或いは、隠していたこっちが本当のまゆなのか。

「そうやって、いつも自分一人で抱えてきたのか?」

「っ!!!」

「苦しくなって、どうしようもなくなって感情の処理に困って。

他人に当たることもせず物に当たることもできずに、

自分の中で『傷付けても良い自分』を作り出してそれを傷付けるしかなくて。

それでずっと痛みに耐えてきたんだ。自分を傷付けて、傷付けて。

決して、誰も傷付けずに今まで生きてきたんだろ」

それはとてつもなく辛く、苦しく、難しいことだ。

全ての痛みを悩みを苦しみを一人で抱え込んで処理すること。

決して他人の迷惑にならないよう常に周囲に気を遣って生きていくこと。

心が弱ければ、すぐにでも精神が押し潰され発狂してしまうだろう。

感情のまま他人や物に当たることなど簡単で一瞬で出来てしまう。

仮初めの処置でも、それで楽になることもあるだろう。

それに目の前の少女は耐えてきた。茨の道を進んできた。

「でも・・・そんなの、普通じゃないじゃないですか。

守れない方がおかしい『普通』のことじゃないですか・・・

自分でも分かってます。傷痕(これ)が・・・異常なんだってこと。

私が・・・まゆが、おかしいんだってこと・・・っ!」

「何言ってるんだ、まゆ。そんな『当たり前とされている』ことでも、

守れない人間だっている。抗おうとしても負けてしまった子だっている。

でも、お前は違う。頑張ってそれに打ち克ってきたんだ。

当たり前のことを当たり前にできるって、褒められるべきことなんじゃないのか。

俺は素直に尊敬する。まゆは本当にとても強くて優しい子なんだな」

「・・・・・?」

今度こそ、本当に意味が分からないといったような顔でまゆが視線を上げる。

たった今自分を褒めてくれた俺の言葉が不思議でたまらないと、

誉められる理由がないと、疑問符を浮かべるまゆに俺はそれを言い放った。

「そうだろ?だって今のまゆは凄い輝いてる。

まるで暗くて陰鬱としたような道なんて歩んで来なかったかのようだ。

でも、実際はそうじゃない。楽な道を歩いて来たんじゃない。

まゆは茨の道を乗り越えて、その上で立派にアイドルをしてるんだ」

「・・・・・」

「お前の一番近くに居なきゃならない俺すら気付かなかった。

だから、まゆがそんな大変なものを抱えているなんて皆気付いていない。

それは今までずっと一人で戦ってきたって証拠なんじゃないのか。

簡単なことなんかじゃない。まゆはとても誇れることをしてきたんだ。

お前は、胸を張って良いんだよ」


───暫く、まゆは溢れる涙を隠すように俯いた。

まゆは手で涙を拭った後、三度視線を上げて俺と向き合う。

そこにはいつも見る『佐久間まゆ』の姿があった。

「プロデューサーさんは・・・私が、好きですか?

まゆは大好きです。愛しています。貴方のことを、言葉なんかじゃ言い表せないくらいに。

あの日、運命的に出逢ってから貴方への愛が止まらなくて。

最初はそれを理由に、貴方ともっと触れ合うために貴方のことを知るために

親を説得して、読モを辞めて事務所を探しだして、アイドルになりました。

トップアイドルを目指すのも、アイドルとして頑張るのも貴方に振り向いて

私のことを見てもらいたい、褒めてもらいたい、その一心からでした。でも、

段々と私の中で『アイドル』が大きくなっていって。私にとってのアイドルは

ただそれだけの『手段』ではなくなりました。私の夢の一部となっていったんです。」

「....読モを辞めたのは・・・・」

普段は口を閉ざし過去を語りたがらないまゆも、

この時ばかりは口を開いた。彼女の抱えるブラックボックスが開け放たれる。

「・・・・良い人でしたよ。前の事務所のディレクターさんも。

こんな私を読者モデルとして上らせていきたいって。この傷のことも知った上で

衣装のコーディネートや撮影の角度なんかを調整してくれて。

・・・・ただ、彼の推していきたいキャラと私の想いとが少し合わなかっただけで」

「・・・・・」

まゆが含みのある表現で終わらせたので俺の勝手な推測になってしまうが。

きっと、それは仕方のないことだったのだろう。

自らの手首を傷付けたことがない者は自らの手首を傷付けた少女の気持ちを

汲み取ることはできなかった。当然と言えば当然かもしれない。

痛みを経験したことのない人間には、その痛みを理解することはできないのだから。

「まゆは貴方と出逢って、比喩でなく生まれ変わりました。

今まで鉛色の凡庸悲劇にしか見えなかったこの世界に初めて、一つの色が差したようでした。

だから、私の中にこびりついていた自傷癖もあっさり棄てることができました。

アイドルになってから一切辛いことがないわけじゃありませんが、

お仕事も楽しいし事務所の皆は優しくて、・・・何より貴方に嫌われたくなくて。

プロデューサーさんへの愛で満たされたらまゆは幸せになれるから。必要なくなりました。

でも・・・それでも時折苦しくなることがあります。

卒業しなきゃいけないのに、抑えなきゃいけないのに胸の内が叫んできて。

これは昔のとは性質が違うんです。・・・・きっとこれは愛の苦しみなんです」

まゆの俺に向けられる愛はいつでも本気のものだった。

だからこそ、軽々しく扱うことはできず結果として想いに応えられずにいた。

それがきっと少女を苦しめてしまうものだと分かっていても変えることは出来なかった。

言い換えるならばそれは俺の『罪』だ。

俺は彼女の気持ちを知っている。知っていて、どうすることも出来ないでいる。

「・・・・返事は、どっちですか?」

彼女は泣いている。絶え間なく白い滴が頬を流れ落ちている。

それでもその目には強い意思と覚悟が灯っていた。どんな返事でも受け入れると。

例え今の想いを破滅させてしまうような返答を貰っても私は大丈夫だと。

それが、今の『佐久間まゆ』を正に象徴する姿だと思った。

まゆは心の底からの本心を語ってくれた。

そんな彼女に返す言葉が打算的なもので良いわけがない。


「ああ・・・・・」

頭に過ったまゆとの思い出。過ごした永遠にも似た黄金の日々。

そしてそれらを全て押さえつけて煌めく、最も脳裏に鮮明に刻まれている記憶。

───初めから、答えなど決まっていたのだ。最初にあの顔を見たときから。

・・・・あの目を見た時から。

俺も、真っ赤な糸に導かれて運命的に出逢ったのだと思ったのだから。

「俺もまゆが好きだ、・・・・愛している」

「・・・・・・!!」

ただ、ずっとその気持ちから目を背けていただけ。

アイドルとプロデューサー、その関係を壊さない為に、

それぞれの夢へと突き進むシンデレラたちに魔法を掛けていく為に。

そして何よりも、まゆとの絆が大事だったから。壊したくなかったから。

一歩踏み出せば全てを失ってしまうような気がして怖かったから。

俺は彼女の好意からも、自分の本当の想いからも逃げ続けていた。

俺の弱さ故に彼女を苦しめていた。でも、それも今日で終わりだ。

抑える必要はない。隠す必要はない。全てをさらけ出せばいい。

「初めてまゆと会ったとき、・・・・なんというか惹かれたんだ。

一目惚れだったと言ってもいいかもしれない。

その後、ずっとずっとお前の想いを聞かされて・・・いつもドキドキしていた。

それと同時に悩んだ。まゆから伝えられる愛はとても一途で綺麗な色を

しているのに、俺にはまだそんな愛を持つことが出来ないからだ。

お前はそれでも良いと答えるのかもしれないが・・・俺が、自分自身を許せなかった。

だって、俺みたいなお前の愛に対して責任の持てないような人間が、

こんなに純真で尊い者に愛されて、愛されるがままで良い訳がない」

「・・・・っ。・・・」

恐らく、『それは違う』と否定の台詞を言いかけたのであろうまゆは、

だがしかし俺の返事がまだ終わっていないと言葉を飲み込んだ。

俺の意見を全て聞こうと。自分が話していいのはその後だと。

一秒たりとも視線を外さずに俺の目を真っ直ぐ見つめて、続きを待っている。

そんな彼女の覚悟に応えなければならない。伝える、一切を。

「俺は弱い人間だ。真の愛を知らない人間だ。だが、このままで居るつもりもない。

・・・・もし、俺が自分にまゆと結ばれる資格があると心の底から、

自信をもってお前を幸せにしてやると、できると!言えるときが来たなら

その時は・・・・・俺と結婚してくれ、まゆ」


─────────。

悠久かと思える長い間、二人きりの客室は沈黙に満たされた。

呼吸を忘れて鼓動の音すら聴こえない静寂。無反応と見紛うような鎮静。

だが、次の瞬間。

塞き止めていたものが溢れだすようにまゆが泣きながら崩れ落ちた。

「本当に・・・・本当にいいの?まゆで・・・、こんな私で・・・・っ。

私、こそ・・・貴方には相応しくないのに・・・。

プロっ、デューサー、さん・・・反故は、ダメですよ・・・っ?」

喜びの涙で嗚咽しながら震えるまゆを、再び強く抱きしめた。

とても華奢で小さく、繊細な身体。

それでもこの身一つでこの世の理不尽と戦って、抗って

今までも、そしてこれからも生き抜いていけると信じられる強い少女を。

「ああ、約束だ。必ずお前を幸せにできる人間になる。

無責任な話だがどうかそれまで待っていてほしい。

婚約指輪も結婚も一旦お預けだが、俺の気持ちや俺のまゆへの愛が変わったり

減ったりすることはない。絶対にだ・・・・あ、でもスキャンダルには注意してくれよ?

お前のトップアイドルへの道を、こんな俺のせいで台無しにしてしまう訳にはいかないからな」

「分かってます・・・よ。・・・・・まゆ、とっても嬉しいから。

どんなこと、だって・・・・出来ちゃいます。トップアイドルだって。

うふ、ふ・・・ねえ、プロデューサーさん・・・・?

もう一度、まゆのこと・・・愛してるって言ってくれませんか?」

一回でいいのか?と無言で尋ねると、まゆは肯定の微笑みを返した。

人は見えないものが不安になって、カタチとしての肉付けを望む。

例えばそれは感情であり、友情であり、愛情なのだろう。

新婚の夫が、子育てに追われる妻との肉体的接触の機会の減少から

愛情不足欲求不満になり不倫に走ってしまうという話は有名だが、

温かい食事を作ってくれることも掃除洗濯をしてくれることも

家に帰るとそこに居てくれる、ただそれだけで幸せなのに、それが当たり前となってしまうと

人間は欲が出て物足りなくなってしまう。愛情を感じられなくなってしまう。

それを人は無責任だと非難するかもしれないが、気付かない間に自分も陥っている可能性のある

言わば性みたいなものである。絶対的に切り離すことはできない。ならば。

「愛しているよ、まゆ・・・。その証をここに、カタチにしよう。

その創は───まゆにとっての枷だったかもしれない。

俺に覚えておいて欲しくない刺青の痣だったかもしれない。だが、俺はこう考えたい。

この創も含めて俺が好きになった『佐久間まゆ』なのだと。

強さも弱さも過去も現在も、ひっくるめて全部が愛おしいんだ。

その創が二人が結ばれたという確かな証が刻まれた・・・・深紅の絆だと」

成程それは傍から見ると確かに歪な要求かもしれない。

自らの病める傷を、かつて苦しみの種だったものを愛の印とするというのは。

それでも、二人にとってはかけがえのない契り。二人だけの秘密。

互いの愛を伝え合い受け止めた眞紅の誓い。

「深紅の・・・、絆・・・・。

まゆとプロデューサーさんが愛を交わしあった約束・・・・。証・・・。

・・・ふふ、そっかあ。まゆ、バカみたいですね・・・・

一人で勝手に抱え込んで、一人で勝手に決めつけて。貴方を失望させてしまうと思って。

これはきっと実らない恋なんだって思っちゃってました・・・・。

だから、せめて離したくないって、貴方の中に私を残してほしいと思ってずっと

苦しんでました。『貴方のアイドル佐久間まゆ』としてやってきました。

でも、そんな必要なかったんですね」

自嘲気味に呟くまゆだが、その表情は寧ろ明るかった。

晴れやかな未来を見据えるように左手首を見つめている。

忌まわしいだけだった筈の彼女の傷跡はいつの間にか、

綺麗な運命の真っ赤なリボンへとそのカタチを変えていた。

「無理にその傷を話さなくてもいい。事務所の皆は大丈夫だろうが・・・

情報漏洩もあり得るし万が一ということもある。だが、これだけは忘れるんじゃないぞ。

俺は本当は全部を理解ってないかもしれない。知らない内にまゆを傷付けてるかもしれない。

どうしても俺には隠しておきたい秘密があるかもしれない。

それでも俺はお前の悩みを、苦しみを、痛みを全部受け入れてやる。

頭ごなしに否定したり説教せずにお前の話を聞いてやる。分かち合う。

そういう人が、まゆには居るんだと・・・そう覚えておいてくれ」

どこかの普通を掲げるお偉い学者達は、

客観的多数に支持された世間一般論とやらで口々に語るのだろう。

この愛はとても依存的な愛。この関係は則ち『共依存』だと。

歪んでいると言われるかもしれない。間違っていると蔑まれるかもしれない。

見当違いの憐憫の同情を向けられることだって、あるかもしれない。

それでも俺達はその道を歩む。歩んでゆくと、決めたのだ。

「『理解者』─────そうですね、もう迷いません。

私は貴方に強くて綺麗で明るい部分だけを見せるつもりでしたけど、

でもそれって本当の絆とは呼べませんよね。暗いところも、苦しいところも

醜いところも・・・痛みも悲しみも喜びも楽しさも、全部分かち合う・・・・。

互いの全部を知って、歩み寄って理解して。時には間違ってると訂正させて、

悪いところは直すよう努力して、良いところは誉めあって。

時には意見の相違から喧嘩して、それでごめんなさいを言って和解して。

相手に言えないことがあるときは、強制せずに話せるようになるまで待ってあげて。

それでも話せないなら支えてその苦しみを一緒に背負ってあげて。

いつまでも、いつまでも・・・・寄り添って歩み続けて。

そんな関係を・・・・本当の絆って言うと思うんです」

互いの小指が解けないぐらいきつく、密接に交わり合って環を作る。

それは約束であって、誓いであって、契りでもある。

「誓います。私は・・・・まゆは貴方に永遠よりも永い愛を捧げると。

どんなことがあっても貴方の傍にいて貴方を愛し続ける者であると。

二人は深紅の絆で結ばれて離れることはないと」

「・・・・約束しよう。俺はまゆとずっと歩んでいく。

必ずまゆに相応しい男になる。そして絶対にお前を世界一幸せにしてやる。

この想いは、決して変わることなどないと」

二人の愛の形。お互いの愛を一身に感じながら時だけが流れていく。

どれだけの時間抱き合っていたのかは覚えていない。

ただ、一つだけ明白なのは。まゆは俺に思いを伝え俺はまゆに誓ったということ。

斯くして。俺とまゆにとって忘れられない───大切な一夜は幕を下ろした。



「そ・れ・で?何があったかは知らないですけど

まゆちゃんと二人して風邪を引いてしまったというわけですね?」

あのやりとり中、ずっと半裸の状態だったまゆとずぶ濡れのスーツのままだった俺は

翌日、二人して予定調和の如く風邪を引いてしまっていた。

特に俺に至っては38℃以上の高熱を発して倒れてしまい、

現場でしなければいけないプロデューサー業務の続行が不可に。

こうしてちひろさんをヘルプでロケ地に呼び出した次第である。

ちひろさんの心の奥で笑っていない薄く張りついた笑顔が恐ろしい。

「すみません・・・ちひろさん・・・・」

「・・・まあ幸いまゆちゃんは微熱で市販薬で熱が下がったから

ちゃんと撮影を出来たものの、プロデューサーさんはダウン、と。

全く、自分がどんな立場かちゃんと弁えないと駄目ですよ?

貴方はあの子達のプロデューサーさんなんですからね。

健康には気を付けないと、彼女たちの仕事にも支障が出かねません」

と、ちひろさんの言うようにまゆはスーパーの市販薬で幾分か回復し、

今は予定通りに撮影を滞りなくこなしている。少し熱を帯びた表情が

より一層まゆの魅力を引き出し、寧ろ好評なようだった。

対する俺はというと・・・・てんで駄目。

市販薬では効き目が薄いため、この撮影後東京へ戻ったら、

かかりつけの病院に直行しなければならないだろう。

「面目次第もございません・・・・。

とっとと治して早く復帰します。通常の作業の為にも」

真面目に反省しながらただ繰り返し頭を下げる。

するとちひろさんが何故か怪訝な顔になって、此方をじっと見てきた。

「・・・・プロデューサーさん、やっぱ何かありました?

風邪を引いたって言うのになんだかすっきりした顔をしてますよ。・・・いえ、

そういえばプロデューサーさんだけでなくまゆちゃんもすっきりした顔してましたね」

核心を突いてくるような指摘にギクリと顔が強張る。

俺が無意識の内に顔に出していたのか、或いは女の勘というやつだろうか。

何れにせよ、まだ表沙汰にするわけにはいかない。

上手くその場をやり過ごすために熱で回らない頭を必死で回転させる。

「あ~・・・その、えっと。

時が来たら皆にも・・・・勿論、ちひろさんにもちゃんと話すので、

今は詮索しないでおいてくれませんか?」

「うーん・・・そうですか。『それ』が何なのかは見当もつきませんけど

・・・・まあ、プロデューサーさんがそう言うのでしたら

そうしておきましょう。変に突っついて困らせてしまうのは良くないですし。ね♪」

ありがとうございます天使様ちひろさま。

時折見せるニッコリ笑顔が腹黒いとか思っててすんませんでした。

心の中で三跪九叩頭の礼を捧げる。多分土下座の上位互換的なやつである。

そんなこんなで暫く安静にしていると、駆け寄ってくる少女が視界に入ってきた。

撮影を終えたのであろう、赤を基調とした艶やかな浴衣の衣装に身を包んだまゆが

栗色の縦ロールを尻尾のように揺らしながら俺の前で立ち止まった。

ちひろさんはスタッフとの打ち合わせに席を外しており、二人きりだ。

「プロデューサーさん、OK貰えましたよ、うふふ♪撮影現場には立ち会えなかったのは

残念ですけど、後でちゃあんとまゆの写真...見てくださいね?」

「ああ、勿論だとも。ちひろさんから聞いたぞ。

熱が下がったとはいえまゆだって風邪気味なのによく頑張ってくれたな。

東京に戻ったら無理をせずにゆっくりと身体を休めてくれ」

「それを言うなら・・・・」

突然、脈絡もなく言葉を切ったまゆはどんどん顔を近づけ───

俺の頬に口づけをした。まゆの繊細で柔らかな唇が触れる。

「プロデューサーさんも自愛しなきゃ駄目ですよ?

だって・・・・未来の旦那さん、なんだから♪」

「・・・・っ!」

不意を突かれた俺は高熱が更に上がりかける思いだったが、

した本人も頬を紅潮させて挙動不審がちになっている。

顔を赤らめ、慌ただしく手を振って恥ずかしさを誤魔化しているようだ。

「うふ・・・ちょ、ちょっと大胆すぎちゃったかしら・・・。

あ!スタッフさんへの挨拶回り行ってきますね・・・・!」

「あ・・まゆ・・・っ!・・・・行っちまったか。

....未来の旦那さん、か・・・・」

小走りに去っていく少女の後ろ姿を見ながら、これからのことを考える。

・・・・これで何もかも終わったわけじゃない。寧ろ始まるのだ。

不安なことも心に引っ掛かっているモノもある。

だが、何も心配する必要はないのかもしれない。

既に俺とまゆは───深紅の絆で繋がっているのだから。


後書き

初めましての方は初めまして。久し振りな物好きな読者様はお久し振りです 欠星光月です
本作品は過去に某所において公開していたSS(現在は諸事情により削除済)を多少の手直しを加えて復元させたものとなります
懐かしいですね、設定とか公開されている情報が少なかった時期です
一応、第一作目で続編があったり三部作構成だったり・・・まったりとお待ち下さい
感想その他意見要望等は、@moongazer_ccc までどうぞ ー


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SS好きの名無しさんから
2017-05-24 17:38:27

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2017-03-03 12:38:56

金属製の餅さんから
2017-02-15 06:21:11

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2017-02-15 06:21:12

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