Ocularly_Murder
P×佐久間まゆ
ヤンデレ要素多め オリジナル設定を繭の糸くらい含むので注意
原作執筆時期 2017年5月28日
ここはアンダーワールドのワンダーランド。天上から吊るされた
蜘蛛の糸を手繰って人々が紡ぎたてる三流悲劇。人間愛憎劇。
機械仕掛けの傀儡人形は踊り続ける。その生の意味に気がつくまで。
全ての始まりはそう、何年前だったか。私が親と見た一つのバレエ作品にあった。
それは、ロマンティックバレエ。中世を舞台とした幻想的な恋愛物語。
今でもストーリーの細部まで鮮明に思い出すことができる。
まゆを構成する上で外すことのできない、私にとって、大事なピースの一欠片なのだ。
主な登場人物は三人だ。
森のほとりにある、貧しい村で母親と二人でひっそりと暮らす踊り好きの美しい村娘。
そんな彼女達の幸せの手助けをしたいと願う森番の村男。
そして身分を隠して村に住んでいる貴族の青年。
村男は母娘の生活を案じて食糧を獲ってきたり雑事の手伝いもしていた。
下心がないと言えば嘘になるだろう。その奉仕の見返りとして、森番は
彼女からの愛を求めていた。彼の献身は、村娘のことを愛するが故の行動だった。
しかし人の想いというものは残酷である。村娘は森番よりも
見目麗しい貴族の青年に惚れていたのだ。村娘は知らない。村人風の服を纏った青年が
伯爵であることを。自らに愛を囁く男には相応しい婚約者がいることを。
貴族と村娘─────この恋は、赦されざる関係であることを。
村男は時折怪しい挙措を見せる青年を訝しみ、その正体を探ろうとする。
そうしてとうとうその秘密は暴かれることとなった。考え得る限りの最悪のタイミングで。
貴族の青年は剣をもってその口を塞ごうとする。自らの恋路を邪魔させないために。
だが村男の身のこなしは流石だ。剣をひらりとかわして村娘を説得する。
だが娘の想いは揺るがなかった。そして。貴族の青年・・・・その婚約者が。
村娘と互いに恋愛情事を語り合っていたお姫様が、貴族の家同士が取り決めた
伯爵の青年の婚約者だということを知らされ彼女は正気を失ってしまう。
村男は叫ぶ。お前を絶対に幸せにしてやると。愛のままに彼女の名を呼ぶ。
その叫びに目覚めた娘は・・・・・しかし、森番の男の元へ行くことなどなく。
彼女が愛した貴族の青年の元に駆け寄り。間もなくして息絶えた。
貴族の青年は酷く激昂する。貴様が心臓の弱い彼女をショック死させたのだと。
その罪を命をもって贖えと。悲しみのあまり半狂乱のごとく襲いかかる。
しかし村男は反論する。村人達も反論する。殺したのはお前の方だと。
婚約者のいる身で新しく女を見初めて弄んだのは青年だと言い放ち、村を追放した。
物語の第二部の幕が上がる。
神秘残る時代、妖精の棲まう大陸。村男は娘の墓へと供養を捧げに行こうと考えるが
精霊の不気味な鬼火が辺りを飛んでいてすっかり怯えてしまった。
まるで自らを冥府が誘っているようなその死の象徴を見て村男は退散した。
彼の予感は正しかったと言えよう。精霊は最早悪霊と言っていい呪いの存在だった。
婚礼前に死した娘の慚愧の念の集合体。『彼女』達は男を捕まえては
息絶えるまで踊り狂わせ、その死に様をもって自らを慰める亡者の悪性。
少し遅れて、貴族の青年も一輪の白百合を携えて墓へ訪れる。
娘は霊体となり後悔に苦しむ貴族の青年に顔を表す。しかし、同時にこの場所の危険さを
知らせて青年を遠ざけようとした。その時、丁度村男が精霊達に操られた状態で
狂ったように走り込んで来た。男は必死に許しを乞う。だが精霊の怨念は止まない。
彼女達にとっての喜劇は終わらない。終わらせない。甲高い笑い声が響きあう。
そうして、散々玩具として弄ばれた後・・・・・男は沼へと突き落とされた。
既に腕も足もまともに動く状態ではなかった。酸素の泡がいくつか水面に浮かんできただけで
・・・・数秒後、音も立たずに一つの生命が終わった。
娘は焦燥に駆られて青年を守らんとする。だがしかし精霊は無慈悲な追跡を繰り返す。
とうとう青年も精霊達に捕まり、マリオネットのように青年も踊らされる。
娘は泣き叫んで精霊の女王に懇願する。この青年は見逃してやってほしいと。
女王は聞く耳を持たない。惜念をぶつけるために男達を苦しめる。それこそが我々の
唯一の存在証明であると青年を踊らせ続ける。やがて沼地へと追いやっていく。
娘は必死に抵抗する。青年は尽きかけた最後の力を振り絞って何とか耐える。
青年の最後の力も正に尽きようというその時。
───夜明けを告げる鐘の音と共に、亡霊達の時間は終わりを迎えた。
朝陽の到来により精霊は霧散していく。妖しい森は豊かで美しい雰囲気へと変わっていた。
霊体となった娘は安堵した。貴族の青年は一歩踏みとどまり、生還することが出来た。
同時に、これが最後の対面だとも思った。再び夜が来てしまえば今度こそ精霊は
青年の生存を許さないだろう。確実にその生命を摘み取ってしまうはずだ。
だから、これが最後と。さようなら我が愛する人。私は貴方を救えただけでも
十分幸せでしたと言い残して、彼女も消えた。一人残された青年は淋しい森から去っていく────
そんな、大衆が賛美する二人の愛の力が起こした最高のハッピーエンド。
・・・・・の筈だった。
「どう、して・・・・・?」
たった一人の少女に拒絶されるまでは。
少女は両目に涙ではなく、寧ろ絶望的に暗い感情を宿していた。
今まで自分が正しいと思っていたものを真っ向から否定されたような気がしたのだ。
少女は、私は、まゆは─────そんなの認められなかった。
「どうして、アルブレヒトは許されて、ヒラリオンは許されなかったの?」
ジゼルはアルブレヒトを愛していた、そして選んだ。ヒラリオンは彼女に選ばれなかった。
ここまでは少女とて理解している。村娘(ジゼル)の愛は徹頭徹尾、貴族の青年(アルブレヒト)に向けられており
森番(ヒラリオン)には一切注がれてはいなかった。ヒラリオンは片想いで、アルブレヒトは両思いだった。
その差が二人の運命を分け、ヒラリオンは片思いに敗れたのだ。
祝福すべきはジゼルとアルブレヒト、その二人に他ならない。
が、何故この悲劇としか呼べないような結末を見て皆は拍手を送れるのだろうか。
彼のジゼルへの愛は正しく本物であった。同時に、とても純粋であったのだ。
それを否定された。報われない恋だとしても、賞賛を浴びるだろうと思っていたヒラリオンに
ぶちまけられたのは、『自分勝手な恋の末路』という謗りだった。
「....おかしい」
ああそうだ。おかしかった。私は、尊いと思ってしまったのだ。そうとしか思えなかったのだ。
そのバレエだけじゃない。私が見てきた、どんなお話にだって思った。
私は、愛のためなら何をしたって良いと致命的なまでに思っているのだ。
何だってしたいと本気で願えるのだ。叶えるために努力を惜しまずにいられるのだ。
例えそれが略奪だろうと、愛憎だろうと。不義だろうと、不貞だろうと。
どんな愛のカタチだって美しく、綺麗に見える。
愛から始まることならそれは全て尊いのだと思ってしまうのだから。
『そんなわけがない』
相反する思考が私を私と切り離す。今まで親に社会に人々に教えられた事から外れている。
きっとこのことを話したら親にだって理解されない。拒絶されたくはない。
嫌われたくはない。だから自分で自分自身を誤魔化そう。
この身は自分で作り上げた物ではなかった。総てを誰かに与えられてきたもので
構成されているだけの骸にしか過ぎない。
私の身体だと思っていたものは誰かの借り物で、私の心とされているものは誰かの譲り受け。
・・・・だったら、『私』は何処に居るのだ?
固定観念ごと崩れていく思考の瓦礫が落下する。ひび割れた脳は悲鳴を上げる。
脳内物質が必死にそれを修復しようとして得体の知れない成分を分泌し出す。
最終的に私が選んだのは、それに蓋をするという逃げの道だった。
────"普通"以外普通じゃないの?私以外の普通は何処にあるの?
聞かせてほしい。言わせてほしい。答えてほしい。終わらせてほしい。
信じられるのは自分だけ。そうやって今まで生き延びてきた。
歪なまま封じ込めて、それが解き放たれる時が来るまで待っていた。
そして、その答えは。
『────見つけた』
一つの出逢いがもたらしてくれた。
日本国首都、東京。約1300万人の都民が狭い土地に居を構えて生活し、
昼間は労働者達が更に集まってくる世界有数にして日本最大の都市である。
張り巡らされた視線はナイフ。向けられたそれらは私を突き刺してくる凶器。
憎悪、嫉妬、軽蔑、憐憫、恐怖、瞳に宿った獣性が私を殺してくる。
ざわめく音響は私を引き千切る不協和音。
.....兎角。数が多いというのは怖ましく気味が悪い。雑踏とは畏怖の対象でしかない。
人が多いというのは苦手だった。誰かと絡むというのはもっと苦手だ。
何を考えているのかも分からない相手と対話をするなど、正気の沙汰とは思えない。
そもそも、私には風景にしか感じられないのだから。よくも規則正しく動いていられると。
歯車で生きていくことに、抵抗する気さえないのはほとほと呆れ果てる。
今この瞬間だってそうだ。この都会の喧騒で何かに追われるように生き急いでいる。
....ふと、人の行き交うとある市街地の光景が目に留まった。
脳が覚えている。ここは、読者モデルとしてまゆが一番最初に撮影をした通りだ。
「・・・・・・」
覚えている。読者モデルからアイドルへ転校したその折。その破局が、どんなものであったか。
『読者モデルを辞める!?なんで、なんでさまゆちゃん!
下積み時代を乗り越えて、大手の雑誌の一コーナーを貰うまでになったんだよ!?
このままいけば単独で表紙を飾ったり、そもそも個人で雑誌を作れるまでになるって
僕は本気で思ってたのに・・・・まゆちゃんなら出来るって信じてたのに・・・』
『.....ディレクターさん』
あの時の必死の形相は、記憶に焼き付いて一生忘れないものになっただろう。
あの男はまゆだけを担当してあの地位にまで登り詰めたのだ。
ここで私を手放せば、今後も同じ椅子に座り続けられるとは限らない。
何より、いきなりすぎて納得がいかなかったのだろう。急にアイドルになるなどと。
無論それを言われても返事はとっくに決まっている。まゆの意志は固い。揺らぐことなどない。
だからまゆにとっては何の価値もない、すさまじく無駄な時間だ。
それでも邪険に扱わなかったのは感謝の念があるからだ。彼が読者モデルとして
売り出してくれなかったら、"あの人"と出会うこともなかったかもしれない。
だから真摯に対応するつもりだった。
『そんなの無謀だよ!だって、まゆちゃんの左手首のこと....絶対理解されないよ!?
僕とだったからこそ上手くやっていけたんだよ!?
僕だって関係者に説明したり説得したり色々と大変だったんだから!』
────そのときの眼を、覚えている。紛れもなく私を見ていたその瞳を。
他の人と同じ。まゆを刺し殺してくる凶器を。
『.........』
その時、知ってしまった。その男は本当に理解したつもりではなかったのだと。
ただ、許せただけ。私の"色"に、寛容になれただけ。理解を示したわけではなかった。
それこそ、真反対だった。ディレクターの目には下らない優越感が存在していた。
刺された。お腹の辺りに、悪意のナイフがずぶずぶとめり込んでいるのを感じる。
痛い。胃液が逆流して吐き出しそうになる不快感が催した。
その瞬間からまゆの中で、彼のことなどどうでも良くなった。その他有象無象と一緒。
そんな石ころに向ける感情はなくなっていた。あれは階段(ステップ)だ。
踏み越えなければならなかっただけのオブジェクトだったのだ。
「──────」
いつかの情景を思い浮かべながら歩いていた私の目は、一つの影に留まった。
その他の"風景"とは少し彩度が違う、鮮やかな綺麗な色。
私もよく知っている同僚のアイドル。表すなら・・・・燃え盛る蒼か。
何の闇も抱えてない純粋な蒼。美しすぎるその色は、まゆの深紅とは相容れない。
「あら凛ちゃん、こんなところでどうしたんですか?
まだ平日の昼間ですから学校とかあるんじゃないですか?」
ふふふ。分かりやすい反応を返してくれた。凛ちゃんの途端に目付きが変わった。
先制攻撃気味に繰り出した言葉は、功を奏した。
『そう言ってるまゆこそ、学校はどうしたの』とでも言いたげな表情だ。
何かを疑うような視線。疑心暗鬼に囚われた顔。なんて初々しい反応なのだろう。
思わず、人生の先輩としてご教授したくなる欲に駆られそうになった。
「私はただ、プロデューサーの見舞いに行こうと思ってただけだけど。
ねえまゆ、一つ聞いてもいいかな?」
「....なんですか♪」
「.....プロデューサーの家には"誰も居なかった"。
よく考えたら病気だって皆に説明したのはまゆ、アンタだけだったよね。
それに、これまでとは違うアンタの雰囲気.....確信した。
まゆ、プロデューサーを何処にやったの?いや、何をするつもりなの。答えて」
見る人が見たら、まるで狂犬だと思うかもしれない切羽詰まった険しい眼光。
でも、私には必死に虚勢を張っているチワワのような愛らしさしか感じなかった。
妙に嗜虐心が疼いてしまった。一度生まれた感情は押し殺すなんてできない。
まゆは何処にでもいるような女の子。弱い子。戦えない子。それでも、
自らに与えられた"武器"と頭を使えば、愛の力を借りれば、きっと神だって殺せる。
目の前の少女一人なんて、造作もないことだろう。
「凛ちゃん」
でもまゆは優しいから。"仲良くする"のは楽しいことだから。あの人の為にならないから。
その選択肢は使わない。代わりに、意地悪に限りなく穏便に済ませる。
「.....っ!?」
音も立てずに三歩、一瞬で凛ちゃんが居る方に身体を寄せる。顔と顔は極限まで近付き、
お互いの吐息が当たるような距離だ。そうすると少女の顔がよく見えた。
さっきまで強気一辺倒だった表情は、うっすら顔面蒼白になって口が震えていた。
疑いを向ける目も弱くなって、思わず三日月を裂いた笑みが溢れる。
彼女は身構えながらも怯えている。不安で呼吸が乱れている。
小動物じみていて、とても可愛らしい。私に何をされる想像をしたのだろうか?
「安心して下さい、凛ちゃんに何か危害を加えるつもりはありませんよ。
ただ、そうですね....今日のことは、全部忘れてもらわないといけないですね♪」
「ふっ....ふざけないで!そんな誤魔化しで、みんなが納得するはず無」
「───大人しく従ってくれないんですか?それなら仕方ありません。
多少乱暴なことをしてでも、まゆとあの人の幸せを守らないと....ね?」
そう言って、まゆは胸ポケットから一つの透明な容器を取り出した。中には溢れそうなくらい
たっぷりと、白く濁った色をした液体が波を立てて入っている。
凛ちゃんはどうしたのだろうか。まるで足がリボンで縫いとめられたかのように、
逃げようとして必死に歪な挙動を取っている。でも足が動かない。まゆから逃げられない。
いや、逃がさない。逃げられなどしない。邪魔なんて、させない。
説得する選択肢なんてない。この場でどう約定を結んだところで、結局人は裏切る
生き物だとまゆは誰よりも知って実感している。
「あ....っ...ぁ」
やがて、三度目線が合った。空いた距離は縮まる。少女の身体へと迫り。
────容器の蓋が開けられる。うふふふふ。うふふふふふふふ。
「あ、目が覚めましたか?プロデューサーさん♪」
最初に感じたのは、手足が思う通りに動かないということ。
喉が渇いている。何処か身体が重く感じるその気だるさはまるで、
今の今まで眠っていたことによる症状に近いと感じる。
だが重いだけでは、ここまで身体を動かせないということは有り得ない。
少し遅れて、それがロープで縛り付けられているからだと気付いた。
運動会の綱引きに使うような綱という程度の代物ではない。
椅子に厳重に繋がれた荒縄は、人力ではまず外すことは不可能なレベルだった。
腕も足も塞がれた状態では姿勢を変えることさえ難しい。
そしてこの一連の所作をこなした犯人としか思えない人物が、目の前にいた。
此方を見て薄く笑みを浮かべているリボンの少女、佐久間まゆが。
「はは・・・・まゆ、これは一体何の冗談なんだ・・・?
いや、冗談でも・・・・度が過ぎてるぞ・・・・?」
その目は、今だかつて見たことのないほど楽しげで冷酷な色を宿していた。
鴨羽色の瞳は少し濁って鉄色に染まっている。
左腕いっぱいに巻き付けられている赤いリボンが白熱灯の光を浴びて
妖しげにその赤を魅せる。小指には可愛らしく蝶々結びが止められていて、
今まで一回も見たことのない、露出の多い私服姿だった。
彼女は、いつもと変わらぬような口調で疑問に答える。
「冗談....なんかじゃありません♪準備もしてきましたし、覚悟もしました。
もう、まゆは止められないですし止まる気もありませんよ?うふ...」
つまり。とあるプロダクションでアイドルのプロデューサーをしていた自分は。
その担当アイドルの一人、佐久間まゆの自室と思わしき場所に監禁されているのだった。
思わしき・・・・と言うのはまゆの自室など一度たりとも来たことがないからであり、
何処か他人事のような説明口調になってしまうのは、自分自身ここに至るまでの記憶がないからである。
「・・・・・・」
時間感覚も曖昧で、カーテンの隙間から差し込む光が見えないことから
恐らく時間帯は夜から夜明けといったところだろうが、日付に関しては手掛かりがゼロの状態だった。
目覚めたばかりだと言うのに、微睡み始めようとする頭をどうにか動かして
必死に直近の記憶を辿る。靄がかかった向こう側の景色を見る。
こうなる前の最後の記憶。どうしてここにこうしているのかの過程を。
「俺は、確か・・・・夜に一人残って事務所で書類作業をしてて・・・・
その後───そうだ、仕事は!?今日は、小さいけど・・・ライブハウスでソロLIVEがあった筈だ!」
「心配しなくても、業務は全部ちゃんとまゆがやっておきました。
プロデューサーさんの穴埋めもして、代理人もしっかり立てて、プロデューサーさんが感染症に罹ってしまって
暫く事務所に顔を出すことが出来ないって届け出も出しておきましたから」
つまり、プロデューサーがプロダクションに来れないことも全て口実づけて
まゆは事務所の人間を言いくるめてしまったらしい。それも、全員を。
最低でも三日間、その消息は誤魔化されてしまうものだと覚悟した方が良いだろう。
「凄いですよねぇ、一種の才能とさえ呼べるかもしれません。
皆さん、まゆの言うことを疑わずにすんなりと信じ込んでくれました。
まゆには絶対無理なことなので素直に尊敬します♪」
「まゆ・・・・」
どうしてだ。そんな言葉が出かかって唾液と共に喉の奥へと消えていってしまった。
まゆが時折見せる黒い敵愾心は自分とてちゃんと把握していた。
しかし、彼女のその感情の矛先は自己嫌悪....内向的なものであって
他者を排除したり軟禁に出たりするようなものでは無かったはずだった。
だから安心して放置していたのだ。競争意識は激しくとも、ギスギスするまでの空気を
まゆが率先して作ることはなかった。病的な愛はあれど、
物事の分別がついた16歳の少女だった。秩序を乱す獣ではなかったはず、なのに。
「えぇ、勿論。事務所の皆さんは優しいですしまゆに良くしてくれますし、
まゆも皆さんと仲良くなりたいと思ってます。でも、プロデューサーさん。
永遠に続くものなんて無いんですよ?友情なんて、いつかは壊れてしまうものなんです」
────その姿を見たとき、胸を焼かれるような焦燥が沸き上がってきた。
自分は、見誤った。正にその表現が正しい。
少女の抱えていた深淵をきちんと理解できていなかった。
そんな筈はないのに、目の前にいる少女がまるで別人のようだとしか思えなかったのだから。
「小学生の時ですね、あんまり親密な友達が居なかったまゆにもたった一人
親友と呼べるような子が居ました。誕生日に招いたり招かれたり、
お昼休みに一緒に話したり総合授業で同じグループになったり。本当に仲良くやっていました。
けれど、高学年の時にその関係はあっさりと壊れました。
・・・・原因は何だと思います?ふふ、なんてことはありません。
その子は私を疎んでいた子達と話していくうちに仲良くなって、まゆを"切った"んです」
・・・・・そのことを語るまゆの目はうっすらと涙ぐんでいるように見えた。
まゆにとって本当に大切な記憶を語って聞かせているのだろう。
初めて会ったときに目にした、その瞳。
およそ16歳の少女が内包してはいけない程の深い闇と病みを抱えたその双眸は今
より一層、濃さを増している気がした。
「うふふ、笑っちゃいますよね。ずっとずっと親友だと思ってたのはまゆだけで、
あの子にとってのまゆはその程度の存在でしかなかったわけです。
信じてたのはまゆだけで、裏切りなんかじゃなくて最初からまゆの自意識過剰だっただけなんです。
そうやって、まゆの側にはいつしか誰も居なくなってしまいました。
あれだけ頑張って作った、友達だったのに。あれだけ楽しかった毎日だったのに。
唯一の友達でした。まゆと同じ意見を持って、理解してくれる人は少なかったから。
だからまゆは決めたんです。まゆと関わってくれる子皆と目一杯仲良くしよう、楽しくやろう。
いつかは終わるものだと思っていればいい。必ず終わりが来ることだと覚悟しておけばいい。
そうやって期待しなければ傷付きませんし、踏み込まれなければ失うものだってありませんから」
最初から何も求めなければ、何を求められることもない。例え求められても、無視すればよい。
単純な話だ。要は高望みしすぎなのだ。溺れるほどの重い理想を抱き続けて、
誰かから助けてもらえると思って泳いでいるから見放されて、溺死してしまうのだ。
他人の考えていることなんて分かるはずもないのに、勝手に脳内で想像して
都合の良い"あの子"を造り出してその形を押し付けるから齟齬が生じるのだ。
だから少女は信じることをやめた。裏切られることが前提として付き纏って、いずれ確定的に
裏切られるくらいなら最初から信じないのが賢い判断だ。
「よく言われました。"お前は普通じゃない"って。話を合わそうとしても、何処かで絶対にずれて。
普通の女の子が喜ぶこととまゆが喜ぶことは、同じようで違っていて。
まゆは、自分が間違っているだなんて思えなかったからずっと苦しい思いをしてきました」
それで途中からは諦めた。相互理解など出来ないものとして放棄した。
手を差し伸べてくれる人がいた。でも結局まゆを気味悪がって離れていった。
同情を示してくれる人がいた。だがそれはまゆを利用していただけだった。
理解してあげられると言ってくれた人がいた。しかし本当はまゆを理解してくれていなかった。
その内、人から寄せられる視線が厭になった。そしてその不快感からも逃げた。
心に予め不可侵の壁を作っておけば、平気なんだと気付いたその時から。
「でも、まゆには出来ました。信じてもいいって人が、生まれて、初めて!
あの日運命に出逢って....あんな感覚初めてで。嬉しくて。
ずっとずっと独りで生きてて、でもそんなのはやっぱり心細かったんです。
だから貴方なら信じられると思って、心の底から全部打ち明けてもいいと思って、
私を理解してもらえると思って.....。
まゆ、貴方の為にずっとずっとずっとずぅーっと....頑張ってきたんです。だのに」
声のトーンが下がる。汗すら凍てつかせるような殺人的に冷たい声が、
目を見開いたまゆの口から紡がれる。
「───プロデューサーさんがいけないんですよ?」
「・・・・・っ!?」
明確な悪意が、鋭利な刃物となって喉元に突き付けられた。
全身を巡る血液が、一瞬冷たい死人のそれになったような錯覚すらした。
それまでここには居ない第三者に向けられていた憎悪は、今間違いなく此方に矛先を変えた。
「まゆはプロデューサーさんの為なら何だってするし、どんなことだって頑張れるの。
貴方が望む通りに従って、貴方に好かれるために努力したいの。
だからまゆ、貴方の本心を聞きたくてずっとずっと待ってたんです。
他の子なんて気にならない。貴方だけを信じて生きたい。貴方になら染められたい!
貴方になら"私"を預けられる!貴方だけの、まゆになりたいって!
なのに、今ではもう、貴方のことも信じられなくて....」
少女の声は段々強くなる。込められた情念に比例して。
声量は増していき、彼女の音が狭い部屋いっぱいに響き出す。
募り深まっていく愛情と狂気は最早、止まることを知らない。
少女を縛っていた枷は外され、
その枷は鎖であったはずのプロデューサーにつけられているのだから。
「どうしてプロデューサーさんは、本当の気持ちを言ってくれないんですか?
何で、誤魔化して....逃げて、逃げて、逃げて、解答を先延ばしにしようとするんですか?
言ってください、どんなまゆがいいのか...どんなまゆだったら好きになってくれるのか。
まゆを導いてください。貴方のお好きなように。
だって、プロデューサーさんはまゆの手を取ってくれたじゃないですか」
「.....なあまゆ、いい加減ここから出してくれないか?
こんなことしたってムダだ。俺はお前の物にはなれない。その内事務所の皆や警察が来る。
そうしたら、お前の人生も終わりだ。分かってんだろ、な?」
「いやですねぇ、まゆの人生は貴方のものだと言ったじゃないですか。
そう・・・・たった一人。たった一人でいいの。私の見えてる世界は貴方とまゆの二人きり。
まゆの求めているものは・・・・きっと、貴方にさえ見てもらえればまゆはそれで満足だから」
以前にも似たような言葉を言っていた。彼女にとっては、事務所の皆と行ったパーティーも
二人きりの光景として映っているらしい。....静かに、長い溜め息を吐いた。
「それだよ。それを止めて欲しかったから今までまゆを避けてきたんだよ。
運命なんて意味わかんない言葉使ってないで、普通に言えよ!一目惚れだったって。
なんでそんな変な風に振る舞うんだよ、お前は。
そうやってわざと怖がられるような言動をして。キャラ作りにも程があるぞ」
「─────!!」
「今まで同僚のみんなと仲良くやってこれたじゃないか。まゆに必要なのはより多くの
人と人との関わりだろうから、敢えて俺が介入しなかったんだ。
第一今回だって、何処かで切り上げるつもりなんだろ?
俺は知ってるぞ。お前はいつだって意味深に仄めかしてきたが、今日のもその一環だろ?
だったら、なるべく早く解放してくれないか?
小規模とは言え、まだまだLIVEの書類仕事が山のように残ってるんだからさ」
グチャリ。ヒューヒュー。ズブズブズブ。....内蔵が潰れる音がした。ナイフがぐさり刺さる致命傷。
喉の奥から込み上がってきたのは錆び付いた鉄の匂い。見えない傷口。
少女の瞳は暫く驚愕に見開き、苦痛を宿していた。だが、やがて。
「そう───、貴方もまゆを『見』てくれないんですね」
一切の光が消えた状態で、固定された。
「.......うふふ、そうですよねぇ。そう来なくちゃ、この世界じゃありません。
それをはっきりさせるためにここに呼んだのに。あー......本当、何を希望を持ってしまっていたんでしょう。
でも、もう大丈夫。まゆはもうこの世界に"求めない"って決めましたから」
ガチリ、と。少女の中で認識が目まぐるしく変わっていく。
ウフフ。神様なんて居ないと嫌ったこの世界に、たった一つ残していた最後の希望。
それが完全に打ち砕かれていく音がした。世紀末のラッパの狂音が鼓膜の内側から聞こえてくる。
ああ、ああ、そうなんだ。怯えるだけの目の前の矮小な愛らしい人間を見つめる。
結局、愛する人の頭の中身は分からず終いだった。信じることは出来なかった。
でも愛することを止める気は毛頭ない。貴方を信じたい。
唯一の理解者でいてほしい。だったら、やるべきことは一つしかないだろう。
「うふ....うふふふふ.....」
カン、カン、カン、カン。何処からか乾いた音が連続する。
熱い鉄を金槌で打っているような、木製の棒を地面に叩きつけたような、そんな耳鳴りが。
「プロデューサーさん....まゆ、人形が好きなんです」
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ。音は段々と鮮明になっていく。
まゆの部屋には何もない上に誰も居ないが、音は鳴りやむことなく、
寧ろ何処からか音源が近づいてさえいるような感覚に陥る。
急かすように振り下ろされている。音と音の間隙にある無音地帯は次第に狭まる。
「だって、人形は私が管理できるから。決して二人の仲を引き裂かないから。
例え強く触って乱れて、壊してしまうことがあっても─────
二人だけの世界に、愛を阻む者は誰も居ないでしょう?」
「ま....ゆ....?」
まゆの右の手のひらが掴んでいる女の子のお人形は、年季が入っていた。
結構古いものなのだろう。しかし、人形には目立った外傷一つなく
新品同然の綺麗さを保っていた。潔癖すぎる程に。
しかし、人形を持つ反対の腕に握られている『ナニカ』は正しく認識することが出来なかった。
だから反応が遅れた。いや、そもそも逃げることなどできない状況なのだ。
遅れも遅れ、周回遅れ。・・・・或いは最初から手遅れだったとでも言うべきか。
カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン。
「でも、大丈夫ですプロデューサーさん。まゆが救ってあげます。
まゆと一緒に行きましょう、二人だけの愛の世界に」
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ!!!
「貴方を....まゆだけのものに.....。大丈夫です。
痛いのは、一瞬だけですかラ@*&#%♪───────」
ピアノ線が弾けた。不協和音は調律されていく。
歯車はカチカチと音を鳴らして、ねじ巻いてオーバーラップした。
共謀共愛共存。堕ちていく意識が段々、段々....心地よくなる。
雑音(ノイズ)が聞こえなくなって、調和で満たされ身体は純化されていく。
衆生済度の経が鳴り響き、救世主の讃美歌が木霊する。そして。そして─────。
「プロデューサーさん、はい♪夕飯は貴方の大好きな玉子焼きを多めにしてみました。
今日もまゆが食べさせてあげますね。はい、あーん....んっ♪
美味しいですか?え、ちょっとしょっぱい....?....そうですよね、プロデューサーさんも
塩分とかが気になる歳ですもんね。ごめんなさい、次はちゃんと貴方好みに作ってみせますね♪」
「・・・・・・・・」
それから時は滔々と流れ続けた。隔絶された世界で二人は時を刻む。
有り得ない事象、と言うべきか。男がアイドルのプロデューサーで佐久間まゆがアイドルである限り、
忽然と社会から姿を消すことなど出来ない筈だった。だったのだが。
その答えは彼女だけが知っている。なれば"たかが世界"ごときに分かる筈もないだろう。
「貴方の魂は片時もまゆから離れたりしない....ずっとずっと、一緒。
うふ、やっぱりプロデューサーさんはとっても素敵です。貴方のこと、いつまでも信じてますからね....♪」
凍った花に、赤い蝶は微笑む。永遠に二人だけの時間が流れ続ける。
暗い夜が明け、朝陽が昇った。蝶の少女は初めて、優しい笑顔を見せた。
リクエスト作品。に応えられたかどうかは不安な趣味全開な作品に仕上がりました
お題は『自分しか信じられない程の人間不信まゆ』。中々面白い命題だと欠星は思うのです
今回は、いわゆる『深紅の絆』シリーズのプロデューサーとは異なるプロデューサー、世界線です
コンセプトとしましては"もし佐久間まゆとBAD ENDを迎えるとしたらどんな形か"というもの。
佐久間まゆという女の子は、あれでいて非常に扱いやすい子で
他のアイドルと比べてもBAD ENDになる要素が少ない子だったりします
しかし、なりにくいだけでBAD ENDが無い子でも決してありません 今回はその一例を描いてみたわけです
まゆは導いてあげる分には困りませんが、もし導くことを放棄してしまえば・・・・?
彼女は紛れもない、彼女の信念に基づいて行動してしまうのではないでしょうかという流れ
つまり、プロデューサーから成るべき姿を見出だせなかったまゆという感じです
なお、BAD ENDというのはプロデューサー視点の話であり、まゆから見た場合一つのHAPPY ENDと言えるでしょうね
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