2015-08-15 19:41:23 更新

概要

間宮アイス争奪戦の完結編です。

1話 http://sstokosokuho.com/ss/read/2666
2話 http://sstokosokuho.com/ss/read/2672
3話 http://sstokosokuho.com/ss/read/2679
4話 http://sstokosokuho.com/ss/read/2734
5話 http://sstokosokuho.com/ss/read/2808
6話前編 http://sstokosokuho.com/ss/read/2948
6話中編 http://sstokosokuho.com/ss/read/2975
6話後編 http://sstokosokuho.com/ss/read/2977


前書き

今回、あんまり笑いどころはありません。


第五試合(決勝):扶桑 VS 赤城


扶桑さんは開始線を挟んで赤城さんと対峙しました。


射抜くような扶桑さんの視線を、赤城さんは涼しい顔で受け流します。その表情は余裕そのものです。


扶桑「いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていたわ。あなたが私の前に立ちはだかる、そんな日がね」


赤城「そんな大袈裟な。私たちはただ、間宮アイスを食べたいだけじゃないですか、もっと気楽に行きましょうよ」


扶桑「ふふ、よくそこまで心にもないことを言えるわね。気楽にだなんて、これっぽっちも思ってないくせに」


ピリピリとした緊張感が辺りに漂います。


まるで果たし合いのような雰囲気です。その実は単なるアイスの奪い合いのはずなのですが。


隼鷹「やっべー緊張するなあこれ。なあ金剛、どっちが勝つか賭けないか?」


金剛「ふん、扶桑が負けるに決まってるネ! あんな違法建築戦艦が一航戦に勝てるはずないデース!」


山城「負け犬で老朽戦艦の金剛さん、静かにしてくれませんか?」


金剛「ぐぎぎぎぎ……」


2人の醸し出す緊張感は見ている私たちにも伝わっていました。


扶桑さんと金剛さんの試合開始前にも殺気立った雰囲気はありましたが、それとはまた異質な、もっと研ぎ澄まされた殺気が漂っています。


扶桑「じゃ、始めましょう」


赤城「ええ。電さん、合図を」


電「あ、はい。それでは……始め!」


合図と同時に、両者とも構えました。赤城さんは今までどおり中段の構えを取ります。


対する扶桑さんの構えは、右足を前に出しながら左肩を引き、半身を開いて竹刀を内側に向けて寝かせるように持つというものでした。


赤城「……なんて構えでしたっけ、それ」


扶桑「答える理由はないわ」


赤城「そうですか」


短い会話を交わした後、互いに動きを止めました。どちらも仕掛ける様子はありません。


どちらも明らかに、相手が動くのを待っています。先に動けば不利になるという予感を、互いに感じているかのようでした。


赤城「遠慮なさらず、そちらからどうぞ」


扶桑「結構よ。あなたからいらっしゃい」


赤城「やめておきます。嫌な予感がするので」


扶桑「そう。私はあなたが仕掛けてくるまで、動く気はないから」


先手を譲り合うという奇妙なやりとりです。これも心理戦の一種でしょうか。


会話が途切れた後も、まったく動く気配がありません。扶桑さんは本当に、赤城さんより先に動く気はないようでした。


赤城「……いいでしょう。ここは私が折れます」


独り事のように赤城さんはそう漏らしました。それから、中段に構えた竹刀をゆっくりと持ち上げます。


上段……いえ、違います。竹刀を垂直に立て、顔の横に持ち手を置く、あの構えは……


隼鷹「あれって……まさか示現流の蜻蛉の構え?」


山城「……! お姉さま、初太刀を避けてください! 絶対に受けちゃダメです!」


赤城さんの構えを見ても扶桑さんは微動だにせず、山城さんの声が聞こえたのかすら定かではありません。


1歩、赤城さんが間合いを詰めます。2歩、3歩。あと1歩のところまで迫られても、扶桑さんは動きません。


赤城「後悔してませんか? 私に先手を譲ったことを」


扶桑「別に。さっさといらっしゃいな」


赤城「……ふふ」


赤城さんはにっこりと扶桑さんに笑いかけました。まるで友達に笑いかけるような、親愛に満ちた笑顔です。


直後、空気が激変しました。静が動へ移り変わるその瞬間。放たれた圧力は、まるで殺意の爆発。


赤城「キェエエエエーーー!!」


繰り出されたのは伊勢さんとの試合で見せたものより更に速い、二の太刀要らずの最速の振り下ろし。防御も回避も許さない全身全霊の一撃。


扶桑さんはそれを防ぎも躱しもしません。応ずる動きは突き。横に構えた竹刀を下段から斜め上に真っ直ぐ突き上げました。


その突きは振り下ろされる竹刀の軌道を逸らし、そのまま赤城さんの喉へと迫ります。


赤城「ちっ!」


ギリギリで身をひねり、赤城さんがそれを躱しました。扶桑さんが踏み込みます。突きを引かず、左手を竹刀の背に当てました。


扶桑「はあっ!」


そのまま竹刀を押し込むようにして、赤城さんの首を狙いました。赤城さんは辛うじて竹刀で防ぎ、鍔迫り合いの形になります。


しかし、カウンターを無理に躱した赤城さんは体勢を立て直せていません。扶桑さんを押し返せず、首筋に竹刀が迫ります。


山城「やった、行ける!」


隼鷹「うおお! 決まるぜこれ!」


それは扶桑さんに取って最高の展開だったに違いありません。


先に赤城さんから仕掛けさせ、タイミングを合わせたカウンターの突きを放ち、体勢を崩させた状態で鍔迫りに持ち込む。


今回のルールは竹刀が相手に触れさえすれば勝ちとなります。このまま竹刀を押し込んでしまえば勝利は必定です。


しかし、1つだけ最悪なことがあります。それは相手が、赤城さんだということです。


扶桑「あっ!?」


瞬間、扶桑さんの頭が後方に弾けました。


隼鷹「なっ、頭突き!?」


山城「こんなっ、卑怯です!」


状況を変えたのは赤城さんの頭突き。不意打ちだったのでしょう、扶桑さんの体が大きく仰け反ります。


これが剣道の試合なら重大な反則ですが、先の金剛さんとの試合のように、この戦いに反則は存在しないのです。


扶桑さんは素早く体勢を立て直しますが、そこに赤城さんが踏み込みます。突き出されたのは竹刀ではなく、左手。


その手は扶桑さんの袖の下を掴み、同時に赤城さんの下段蹴りが脚を刈りました。


扶桑(これはっ、柔術!?)


掴んだ袖が引かれ、扶桑さんは嘘のようにあっさりと倒されました。仰向けの扶桑さんに向けて、赤城さんは竹刀を逆手に持ち替えます。


赤城「死ね」


心臓を串刺しにせんと迫る竹刀を、扶桑さんは辛うじて転がって避けました。そのまま起き上がらず、扶桑さんは両足を赤城さんの脚に絡めます。


隼鷹「おおっ、足緘(あしがらみ)か!?」


山城「やった! このまま寝技に持ち込め……きゃああっ!?」


山城さんが悲鳴を上げたのも無理はありません。扶桑さんの関節技を外すために赤城さんが選んだ行動。それは踏みつけでした。


迷いなく頭部を踏み抜こうとする、相手の生死すら念頭にない一撃。扶桑さんは技を解いて躱すほかありません。


再び転がって距離を取り、立ち上がった扶桑さんに、容赦なく赤城さんは間合いを詰めます。


赤城「カァアアアッ!!」


扶桑「くっ!」


竹刀が弾けたかのような大音響。その猛烈な打ち下ろしを、扶桑さんはどうにか防ぎました。


しかし今度は鍔迫り合いにはなりません。次に赤城さんの取った行動は、肩口からぶつかるような体当たりです。


まともに食らった扶桑さんが再び地面に手を着きます。さらに踏み込んだ赤城さんは、首斬り処刑人のごとく竹刀を高々と掲げました。


赤城「キェエエエエエーーー!!」


三度目の赤城さんの咆哮。渾身の一撃が扶桑さんの骨肉を砕かんと振り下ろされました。


その絶体絶命の瞬間、扶桑さんはチャンスを見出します。防ぐでもなく、躱すでもなく、扶桑さんは前へと飛び込みました。


赤城さんの懐の下。そこは刃が及ばない安全圏であり、扶桑さんの得意とする寝技への入り口です。


振り下ろしを凌いだ扶桑さんはそのまま胴タックルへと繋ぎ、テイクダウンを取って寝技を仕掛ける……はずでした。


赤城「甘い」


扶桑「がふっ!?」


扶桑さんの頭がガクンと跳ね上がりました。顔面からは血しぶきが飛び散っています。


扶桑さんを襲ったものの正体は、膝。赤城さんの放った痛烈無比の膝蹴りは顔面を捉え、扶桑さんに深刻なダメージを与えました。


山城「お姉さま、逃げてぇ!」


ふらつく足で扶桑さんが後方に飛びます。赤城さんがそれを逃がすはずもなく、追いすがるように前進します。


追撃を牽制するように突き出された扶桑さんの竹刀と、赤城さんの竹刀が一瞬、交差しました。


ほんの一瞬。交差した赤城さんの竹刀が、くるりと扶桑さんの竹刀を「巻き取り」ました。


扶桑「しまっ……!」


扶桑さんが顔色を変えたときには、すでにその技は完了していました。ひゅん、と赤城さんが竹刀を跳ね上げると、宙に扶桑さんの竹刀が舞いました。


金剛「What the fuck!?」


隼鷹「巻き上げ!? あいつ、あんな器用な技までできるのかよ!」


もはや扶桑さんは無防備でした。とどめを刺すために攻め手へと転じるごく一瞬、赤城さんに隙が生じました。


扶桑「はああっ!!」


竹刀を失っても、扶桑さんにはまだ戦う術が残っています。繰り出したのは右のハイキック。


躱し損ねた赤城さんは左腕を上げてガードせざるを得ず、防いだ蹴りの衝撃はわずかに赤城さんの動きを止めました。


扶桑さんが大きく後方へ距離を取り、赤城さんも深追いはしません。


かしゃん、と跳ね上げられた竹刀が地に落ちます。息もつかせぬ攻防は、ようやくここで休止しました。


扶桑「はあっ、はあっ、くっ……」


膝蹴りによる鼻血を拭う扶桑さんの姿には、明らかにダメージが色濃く残っています。


対する赤城さんは汗ひとつ掻いておらず、息も切らしていません。


赤城「……思い出しました。最初の構え、天然理心流の平青眼ですね?」


扶桑「……さあ、どうだったかしら」


赤城「いやいや、私は感心しているんですよ。最初の虎逢剣、そこから繋ぐ変形の三方當二階下の流れはすごく良かった」


赤城「たぶん、あの流れで10回中2,3回は私を倒せるんじゃないですかね。もっとも、今回はその7,8回の目が出たんですけど」


扶桑「……そう。でも、あなたの戦い方は最悪だったわね」


赤城「へえ、どこがですか?」


扶桑「頭突き、体当たり、踏み付け、おまけに膝蹴りまで。これが誇り高き一航戦の戦い方なのかしら?」


赤城「ずいぶんと甘いことを言うんですね。そうですよ。勝つためなら何でもする、それが一航戦の戦い方です」


悪びれることもなく、赤城さんは堂々と言い切りました。


赤城「誇りとは勝ってこそ守り通せるもの。負けても守れる誇りなんて、犬に食わせておけばいいんです」


赤城「さあ、どうしますか。続けます? それとも、ここらへんで降参してくれてもいいですよ」


扶桑「降参? 何を寝ぼけたことを言っているのかしら」


赤城「強がらなくてもいいですよ。本当はわかってるんでしょう? もう、私に勝つ見込みがないってことを」


扶桑「勘違いも甚だしいわね。ここからが本当の勝負よ」


赤城「そう、状況が振り出しに戻ったここからが本当の勝負。だからこそあなたに勝ち目はない」


赤城さんは静かに微笑みます。扶桑さんの呼吸は未だ乱れたままで、その手に竹刀はありません。


赤城「別に、あなたのダメージや徒手になったことを言っているんじゃないんですよ。さっきの攻防は、私が先手を引き受けたからこそです」


赤城「私の技量はあなたの遥か上を行く。あなたの手口はだいたいわかりましたし、もう後の先は取られない。私は慎重かつ丁寧に、あなたを壊します」


扶桑「……っ」


赤城「妹さんの前で、そんな姿は晒したくないでしょう? 山城さんだって、もうやめてほしいと思ってるんじゃないでしょうか」


山城「あっ……」


扶桑さんがちらりと山城さんを見ます。山城さんは震えていました。扶桑さんが壊されるかもしれないという、恐怖で。


そろそろツッコんでいいですか。これ、間宮アイスの奪い合いなんですけど。


扶桑「……いえ、続けるわ。まだ私に勝機はある」


再び赤城さんを見据えて、扶桑さんは素手のまま静かに構えました。ツッコミを入れる空気では到底ありません。


赤城「……やれやれ。あなたも相当な食い意地ですね。私が言うのもなんですが」


扶桑「あなたと一緒にしないでくれるかしら、人型ポリバケツさん」


赤城「……なんですって?」


扶桑「そんなにアイスが食べたいなら、冷蔵庫に張り付いた霜でもかじっていればいいのよ。あなたに間宮アイスなんて勿体無いわ」


赤城「……ふふ、減らず口が叩けるのは元気がいい証拠ですね。いいでしょう、竹刀を拾ってください。それくらいは待ってあげます」


扶桑「いらないわ。このままでいい」


赤城「……はあ? 聞き間違いですかね。今、クソ舐めた発言が聞こえたんですけど」


扶桑「竹刀はいらないって言ったのよ。このままであなたを倒すわ」


赤城「はあ……そうですか」


赤城さんが竹刀を構え直します。その表情は穏やかに見えて、明らかな殺意がみなぎっていました。


赤城「なら、望み通りぶち殺してあげますよ」


赤城さんの発した怒りと殺意は、見ているこちらまで息が詰まるほどでした。


再び蜻蛉の構えを取り、赤城さんがすり足で扶桑さんに迫ります。扶桑さんは手を八の字に構え、にじり寄る赤城さんを待ち構えました。


山城「お、お姉さま、ダメ……!」


隼鷹「扶桑のやつ、素手で赤城に挑むなんて……殺されるぞ!?」


なんでアイスを賭けた勝負で殺されるなんて言葉が飛び出すんでしょうか。もう訳がわかりません。


赤城さんはすでに間合いまであと一歩のところまで、扶桑さんに迫っています。


扶桑さんに後退する様子はありません。本気でそのまま、赤城さんを迎え撃つつもりです。


間合いに入る寸前、赤城さんが足を止めました。構えた竹刀をゆっくりと降ろし……そして、脇へ放り投げました。


怒りを引っ込めた赤城さんがにこりと笑います。扶桑さんに動じる気配はありません。


赤城「冗談です。素手の相手に武器で襲いかかるなんて、一航戦の名が廃りますからね」


赤城さんが両の拳を握ります。それを静かに顔の前に掲げ、ファイティングポーズを取りました。


赤城「あなたの意地に付き合ってあげます。対等な条件で負かされるほうが、あなたも納得がいくでしょう?」


扶桑「……ふん。さっさとかかってきなさい」


赤城「ええ、そうします」


再び赤城さんがにじり寄ります。竹刀の間合いではなく、今度は素手の間合いへと。


1歩ほど距離を詰めたところで、再び赤城さんが口を開きました。


赤城「始める前に、あなたの敗因を教えてあげましょうか」


扶桑「安い挑発ね。動揺させるにしたって、もっとマシなセリフを選んだら?」


赤城「別に動揺してくれなくたっていいですよ。事実を言うだけですから……扶桑さん、あなたは悪手を選んだんですよ」


赤城「剣術勝負に勝ち目は薄い、ならば格闘戦に望みを賭ける。その選択こそがあなたの犯したミステイクです」


微笑みながら、赤城さんは胸の高さにあった両腕を、顔の横に構え直しました。


赤城「私、苦手なんですよ。剣術って」


扶桑「は?」


それは直後に起こりました。何かを叩きつける音が鳴り響き、扶桑さんの体が大きく左へぐらつきます。


隼鷹「な、何だ!? いま、赤城のやつ何をした!?」


山城「キックだわ……右のハイキック、それもとてつもなく速い……」


赤城さんの放った蹴りは、扶桑さんをガードごと打ち砕かんばかりの威力を持つ凄まじいものでした。


扶桑さんは防ぎはしたものの、動揺を隠しきれていません。それは彼女の思い描いていた勝機が、その一撃で消え失せたことを意味していました。


扶桑「あなた、今の蹴り……!」


赤城「どうしました? まだほんの序の口ですよ。ほら、次の一撃が来ます。ちゃんと防いでくださいね」


じりじりと赤城さんが迫ります。構えを取り直す扶桑さんは、まるで下がりたいのを必死に堪えているように見えました。


赤城「さあ、次は何が来ると思います? 蹴り? それとも……」


一閃。稲妻の如き右のストレートが扶桑さんの顔面へ放たれます。


扶桑「くっ!?」


辛うじて捌いたものの、その拳はわずかに頬をかすめました。かすった部分が切り傷となり、血の雫が扶桑さんの頬を伝います。


赤城「パンチでした。さあ次に行きますよ。蹴りかな、パンチかな?」


扶桑「!?」


赤城さんの初動を見取った扶桑さんは、咄嗟にガードを上げて頭部を守りました。


それもまた悪手。赤城さんの足は空中で軌道を変え、振り下ろすようにして扶桑さんのボディを完璧に捉えました。


扶桑「がっ……!!」


扶桑さんは苦しそうに体を折り曲げながら、追撃を逃れて大きく下がります。その姿はもはや避難に等しいものでした。


赤城「残念、今度はミドルキックでした。ちゃんと見極めないとダメですよ? 上段、中段、下段蹴りは見分けにくいですからね」


扶桑「な、舐めないで……!」


赤城「はいはい。じゃ、そろそろギアを上げて行きますから、苦しくなったらいつでもギブアップしてくださいね」


赤城「ギブアップはなるべく早めに、わかりやすくお願いします。でないと……殺しちゃうかもしれないので」


まるで今までの攻撃はウォーミングアップだったとでも言わんばかりの、赤城さんの猛攻が始まりました。


左ジャブ、右フック、左ストレート、アッパー、肘打ち、ローキック。矢継ぎ早に繰り出される攻撃は、その回転の早さに反して一つ一つが重い打撃です。


扶桑さんは両腕で顔面をブロックする、完全な防御の構えに入りました。もはや反撃する余地はなく、耐え抜くことだけが唯一残された手段でした。


ダウンに直結する顔面、頭部を守り切ることができても、ボディやローへの攻撃は防ぎ切れません。


いずれダメージが蓄積され、扶桑さんが倒れるのは時間の問題でした。


扶桑(こいつ……ここまで打撃ができるなんて! このままじゃ赤城のスタミナが切れる前に、私の限界が来る……!)


扶桑(組むしかない! 組み付いて、テイクダウンを取る! グラウンド勝負じゃなきゃ勝ち目はない!)


ハンマーを叩きつけるようなボディブローがみぞおちに入り、扶桑さんが悶絶します。それでもまだ、彼女の目は死んでいません。


続けてコンビネーションで放たれたフックを、扶桑さんはダッキングで躱しました。


赤城「あっ」


扶桑(ここっ! ここで組み付ければ……!)


待ち兼ねたように扶桑さんが踏み込みます。打撃においても安全圏であるはずの、懐へ。


その両手が赤城さんの襟を掴み、クリンチの状態になります。これならパンチもキックも撃てません。


扶桑(やった! あとは膝にさえ気をつければ……)


山城「お姉さま、組んではダメッ! そいつの格闘技は……ッ!」


扶桑「えっ?」


扶桑さんの上半身が崩れるように右へ傾きます。そのよろめきは、打撃が完全に頭部へ入ったことを意味していました。


組み付いた密着状態から扶桑さんを襲ったもの、それは至近距離で放たれることは有り得ない、右のハイキックです。


折りたたまれた脚がほぼ垂直に蹴り上げるその様は、まるでバレリーナのしなやかさを思わせながら、それでいて優雅さの欠片もない異様なものでした。


赤城「はい終了」


扶桑「……ッ!!」


その追撃を防げたのは僥倖でした。咄嗟に上げた腕が飛んできた攻撃をたまたまガードしたに過ぎません。


辛うじてガードされた攻撃は肘。当たっていれば確実に終わっていたでしょう。近間でもなお、赤城さんの打撃が猛威を振るいます。


扶桑「がはぁあっ!」


赤城さんは攻撃の手を緩めません。今度は膝がボディに突き刺さり、扶桑さんの喉から苦悶の声が絞り出されます。


しかし、それも僥倖だったと言えるかもしれません。ボディを打たれた反動で、扶桑さんは後方への退避へと成功します。


退避、まさに退避です。攻撃を防ぐことも躱すこともできないなら、届かない場所に逃げるしかありません。


どうにか距離を取った扶桑さんは、すでに立っているのがやっとのように見えました。息は絶え絶えで、表情にはダメージが色濃く現れています。


扶桑「今の蹴り……まさか、ムエタイ!?」


赤城「あ、バレました? でもまあ、これでわかったでしょう? もう扶桑さんに勝ち目がないってことが」


扶桑「くっ……!」


ぎりりと扶桑さんが歯噛みします。もう言い返す言葉すらないかのようでした。


山城「や、やっぱり……! これじゃ、本当にお姉さまの勝てる手段が……」


電「あ、あの……なんでムエタイだと勝てないんですか?」


状況についていけず、たまらず傍らの隼鷹さんに質問します。隼鷹さんは私を見ようともせず、試合から目を離さないまま答えました。


隼鷹「ムエタイってのはね、キックボクシングと同じように見えるかもしんないけど、まったく違うところがある。それは首相撲からの打撃だ」


電「えっと、首相撲って?」


隼鷹「まあクリンチ、密着状態だと思えばいいよ。キックボクシングじゃそういうのは禁止だけど、ムエタイは技術として認められてる」


隼鷹「むしろ、首相撲の技術こそムエタイの真髄なんだ。ムエタイにはそこから相手を沈める打撃がいくつもあるだよ」


隼鷹「肘打ちに膝蹴り。それと、さっき見せた超至近距離のハイキック。首相撲の状態から、すねで相手の頭を蹴るんだ」


電「なんで赤城さんはそんな格闘技を身につけてるんですか!?」


隼鷹「さあ……? でも、これで扶桑は唯一の勝機、寝技に持ち込むっていう作戦が取れなくなった」


隼鷹「組付けば蹴りと肘、胴タックルにいけば膝蹴りが来る。『懐に入れば極楽』なんて書いてる兵法書もあるけど、赤城の懐には地獄が待ってるぜ」


なんだか半分くらいしか理解できませんでしたが、赤城さんが訳のわからないほど強くて、扶桑さんの勝つ手段が残ってないことだけはわかりました。


赤城「ほら、降参するタイミングを作ってあげましたよ。遠慮せずどうぞ?」


扶桑「だ、誰が……! 降参なんて、しない……!」


赤城「困った人ですねえ。私、弱い者いじめは好きじゃないんですけど。どうしてそこまで意地を張るんです?」


扶桑「西村艦隊は……降参なんて、しないのよ……! 勝利を信じ、最後まで戦う……!」


赤城「ああ、そう。西村艦隊の誇りってやつですか。わからなくもないですけどね。そんなあなたに、ためになる金言を送ってあげましょう」


休憩は終わりとばかりに、赤城さんが腕を上げます。その表情にはすでに笑顔は欠片もありません。


赤城「……誇りでメシは食えないんですよ」


厳かなその言葉は、まるで死刑執行の合図でした。再び赤城さんの打撃地獄が扶桑さんに襲いかかります。



―――戦艦扶桑は、日本海軍の悲願であった初の純国産超弩級戦艦として1912年に起工、1914年に進水した。その「扶桑」の名の意味するところは古代における日本そのものであり、それは後の戦艦大和と同じく、戦艦扶桑が日本の国力と技術、そして威信を賭けて建造されたことを表している。その期待がどれほど大きなものであったかは想像に難くない。



たとえ相手が虫の息であろうと、赤城さんに容赦はありません。拳が、肘が、膝が、蹴りが。扶桑さんの全てを破壊するために繰り出されます。


扶桑さんはひたすらガードを固めますが、やはり防ぎ切れません。カウンターを取る余地もなく、もはや組み付くこともできないのです。


それはまるで、コンクリートの壁に鋼鉄のツルハシを打ち付けていくような、残酷な光景でした。


一度目より二度目。二度目より三度目。穿たれた小さな孔は確実に数を増やし、深さを増し、ヒビとなって壁そのものを壊していきます。


次の瞬間に扶桑さんの体が崩れ落ちても、何の不思議もない有様でした。



―――当時はまだ戦艦の建造技術が確立しておらず、戦艦扶桑は就任当時から次々と問題点が露呈した。爆風が艦体に影響を及ぼすほどの砲塔の過剰搭載。全体の5割近くが被弾危険箇所となりうる防御能力の低さ。他の日本戦艦と比べた航行速度の遅さ。それらの欠点から、姉妹艦である戦艦山城は建造中止さえ検討されたたが、任務の上での同型艦の必要性から、止む無く欠点をそのままに建造されている。



扶桑(まだ、まだよ! まだ私は倒れてない、なら勝機は必ずある!)


扶桑(打撃にカウンター……いえ、無理だわ。打撃の回転が早過ぎる! 下手にカウンターを狙えば直撃をもらってしまう!)


扶桑(やっぱり組み付いて……ダメよ、あいつには蹴りも肘もある! 至近距離であれほどの打撃が来たら、今度こそ躱せない!)


扶桑(膝をガードしつつ胴タックルにいけば……いいえ、そしたら倒す前に抱え込まれる! そのまま膝の連打を受けたら……!)


扶桑(どうしたら良い!? どうしたらこいつに勝てるの!? もう、本当にやれることがない……!)



―――太平洋戦争に至るまでの間、戦艦扶桑は2度に渡る大きな近代化改修を受け、その異様な高さと造形を持つ艦橋もこのとき生まれている。改修によってある程度の欠点は改善されたものの、速度は当時の日本戦艦の中で最も遅いままであり、水平防御への不安も抱えたままだった。建造当初から決して優れた戦艦ではなかった戦艦扶桑は、時代の進んだ太平洋戦争時において、明らかに時代遅れの旧式艦と化していた。



山城「お……お姉さま、もうやめてっ! もういいです、降参してください!」


山城「山城は間宮アイスなんて欲しくありません! お姉さまが無事ならそれでいいです! だから、もう……!」


その悲愴な叫びは、少なくとも赤城さんには届いたでしょう。しかし、その打撃は止む気配はなく、扶桑さんもひたすらそれを耐え続けます。


山城「お願いです、やめてください! お姉さま、お願いですからぁ!」


地面に血が飛び散りました。扶桑さんの鼻が折れたのか、肘で顔を切ったのか。あるいは両方かもしれません。


すでに扶桑さんは血みどろでした。目に血が入ったのか、もう打撃を捉えきれていません。何発も顔面に入っています。


扶桑さんがなおも攻撃を耐え続けているのは、赤城さんのスタミナ切れを狙っているからかもしれません。


ですが、その希望はないように見えます。赤城さんは変わらずスピードを維持し、絶え間ない打撃を繰り出し続けています。



―――戦時において、戦艦扶桑に確たる戦績はなく、旗艦を務めたことすらない。真珠湾奇襲には後詰めとして参戦してはいるが、結局交戦はないまま帰投し、その後は実戦から外され、演習用艦として使用される日々を送る。日本軍が陥った空母不足を受けて、扶桑型、伊勢型の戦艦を航空戦艦に改装する案が出されたものの、改造は伊勢、日向のみに留まり、航行速度の遅さから扶桑、山城の改造計画は破棄された。



扶桑(山城……何て、言ってるの……? よく聞こえないわ……)


扶桑(あの子が見てるのに、こんな……私はまた、格好悪い姿を……)


扶桑(勝たなくちゃ……勝って、あの子に見せてあげないと……)


もう扶桑さんの脚は完全に止まっています。打撃を食らったときにふらつくだけで、攻撃の躱すためのフットワークはすでに死んでいます。


それは何度も脚に打ち込まれたローキックのせいでもありますが、何よりも、扶桑さんの限界が近いことを意味していました。



―――太平洋戦争後期の1944年。戦艦扶桑は姉妹艦の山城とともに、ビアク島守備隊への援軍を主目的とした渾作戦に出撃する。性能に劣る扶桑と山城が作戦に抜擢された理由は、単純な日本軍の戦力不足に他ならず、その特異な前檣楼を高々と掲げながら南方戦線へと出撃していくその艦影は、日本軍の末期を物語るような哀愁があったという。



山城「電さん、お願いです! 試合を止めてください! もう赤城さんの勝ちでいいですから!」


電「は、はい! 2人とも、試合終りょ……むぐ!?」


山城さんに言われるまでもなく、もう試合の趨勢は決しています。中止を宣言することに何の躊躇いもありません。


試合終了の声を上げようとしたとき、誰かが私の口を抑えました。


金剛「待つネ! まだ続けさせるネ!」


山城「こ、金剛さん!? あなた一体何のつもり!? 負けた腹いせにしても程が……」


金剛「勘違いするんじゃないネ! あいつ、まだ諦めてないのがわからないデースか!?」


電「むぐぐう!?」


私の口を塞いだのは金剛さんでした。私を羽交い絞めにしたまま、山城さんと激しく言い合っています。苦しいので離してください。


金剛「扶桑はまだ負けを認めてないデース! それなのに、妹のお前が勝手に負けにしてどうするデースか!」


山城「だ、だって……だって! もう私、お姉さまが傷つく姿を見たくない!」


―――扶桑、山城は敵軍の分散を目的としたレイテ湾同時突入作戦のため、重巡洋艦の最上、駆逐艦の満潮、朝雲、山雲、時雨らと共に「西村艦隊」を結成する。これら7隻は統一訓練すら行っていない寄せ集め艦隊の側面が強く、実戦に投入されれば生還の見込みはなかったとされる。事実、この西村艦隊の負う役目は敵を引き付ける囮であった。



金剛「だからって、そんなことは許されないデース! 扶桑が諦めてないってことは、まだ勝ち目があるってことネ!」


山城「で、でも……これ以上やったら、お姉さまが……!」


金剛「扶桑は絶対勝つネ! 扶桑が負けるなんて私が許さないデース!」


電「ぷはっ! こ、金剛さん。さっきは扶桑さんが勝てるわけないって言ってませんでした?」


金剛「そんな昔のことは忘れたネ! とにかく、扶桑が諦めるまで試合を止めることは許さないデース!」


電「でも、このまま戦っても扶桑さんは……」



―――レイテ湾南沖のスリガオ海峡に進入した時点において、西村艦隊は敵艦隊に捕捉されており、扶桑に至ってはすでに空襲により艦内施設の一部が焼失し、艦体が傾斜するほどの損害を受けていた。さらに同時突入予定だった栗田艦隊は敵の航空攻撃により進撃が6時間余り遅延しており、西村艦隊はわずか7隻で、敵艦79隻が待ち伏せる海域への自殺的な単独突入を余儀なくされる。



誰が見たって、ここから扶桑さんの逆転の目がないことは明らかです。


もう扶桑さんは立ってるのもやっとです。また強烈なフックがレバーを叩き、ストレートが顔面へもろに入ります。


よろよろと力なく仰け反る扶桑さん目がけて、赤城さんはさらに蹴りを放ちます。すねが脇腹に叩き付けられ、扶桑さんはまたよろめきます。


それでもなお、赤城さんは拳を振り上げました。倒れない限りは打ち続けるとでもいうように。


―――1944年10月25日、西村艦隊はレイテ湾入り口にて、丁字陣形で待ち構える敵艦隊と接敵。戦艦扶桑は果敢に砲撃で応戦するも、敵魚雷艇部隊が放った30本にも及ぶ魚雷の内1本を受けて右舷大破、さらに2本目の命中で電源が破壊され、扶桑は戦闘能力の大半を喪失。弾薬庫の誘爆により艦体が真っ二つに割れ、沈没。西村艦隊において最初の轟沈艦となる。


隼鷹「お、おい……どうなってるんだ、これ……」


山城「お……お姉さま……」


その頃になって、ようやく私たちは異常なことが起きていることに気付きます。


扶桑さんが、倒れません。


もう何発打撃をまともに受けているのでしょう。足やボディだけでなく、顔面にまでクリーンヒット性の打撃がいくつも入っています。


どうにかハイキックが側頭に入ることだけは避けているものの、頭部を揺らす顎へのパンチはすでに十数発は決まっています。


もう立ってること自体おかしいのです。それなのに、扶桑さんが倒れない。顔面を血で真っ赤に染めながらも、まだ2本の足で立っています。



―――扶桑に続いて山雲、満潮、朝雲が雷撃により轟沈。山城も被雷によって速力を大きく削がれる。西村艦隊は残された3隻でさらに北上。山城は敵の砲撃により艦橋が崩れ落ちながらも反撃を続け、間もなく力尽きて沈没する。最上、時雨は戦線離脱に成功したものの、途中の爆撃で最上が大破。時雨だけを残し、ここに西村艦隊は壊滅した。


赤城(なぜだ? なぜ、まだ立っていられる?)


赤城(もう何発も顎にいいのを入れてやったのに。脚だって感覚がなくなるくらい蹴りが入ってるはず。なのに、なぜ?)


休みなく打ち続ける赤城さんの表情にも、戸惑いの色が現れ始めています。誰よりも彼女こそが、その異様さを感じ取っているはずです。


とっくに倒れているはずなのに、扶桑さんは未だ赤城さんを見据えて立ち続けている。


そのとき、立っていることすら危ういはずの扶桑さんが、前へと踏み込みました。


赤城(なっ!?)



―――作戦目的は果たされず、敵艦隊の損害は皆無。数千人に及ぶ乗組員のうち生存者はわずか10数名という、それは海戦史上最も凄惨たる敗北であった。かつて日本海軍の期待を一身に受けて生み出された戦艦扶桑は、こうして武勲もなく、勝利もなく、惨めな敗北だけを戦歴に加え、その身を砕かれて海底へと没した。



咄嗟に赤城さんが前蹴りを放ちます。まるで扶桑さんに近づかれるのを嫌がるかのようでした。


前蹴りをみぞおちに受けて、扶桑さんは苦しそうに前のめりになります。すかさず、がら空きの顎を赤城さんのアッパーが捉えました。


山城「ああっ!」


がくんと頭が跳ね上がり、赤城さんは追い打ちとばかりにハイキックを繰り出します。しかし、扶桑さんはそれを腕でガードします。


少しだけよろめいた後、再び扶桑さんは前に出ました。


赤城(な、なんで!?)


そのとき初めて、赤城さんが下がりました。まるで扶桑さんに近づかれるのを恐れているみたいに。


まるで立場が逆でした。それは一方的に打たれ続けている扶桑さんが、赤城さんを追い詰めているかのような光景です。



―――しかし、それでもなお戦艦扶桑は沈まない。たとえその身が砕け、名が忘れ去られても、宿った魂だけは永遠にそこにある。苦渋に満ちた敗北を、無念に散った戦士たちを、扶桑は決して忘れはしない。



赤城(……どうせ反撃する術はないんだ。こうなったら、徹底的にやってやる)


赤城(悪いね扶桑さん。その頭、砕いてやる!)


しかし、それで怖気づくような赤城さんではありません。むしろ次の瞬間、その表情には明確な殺意がありありと表れていました。


倒せないなら、完全に破壊する。扶桑さんは立ち続けることによって、とうとう赤城さんをその気にさせてしまったのです。


完膚なきまでに扶桑さんを破壊するため、更なるスピードで赤城さんが踏み込みました。


赤城(死ね!)



―――今このとき、戦艦扶桑は息を吹き返す。内燃機関は轟々と燃え上がり、朽ちた艦体は鋼鉄の輝きを取り戻した。その勇ましい前檣楼を誇らしく掲げ、戦艦扶桑は再び浮上する!



山城「―――負けないで、お姉さまっ!」


瞬間、倒れこむように扶桑さんの体が沈みました。


その動きは直前に放たれていた、赤城さんの右ストレートをくぐり抜けるように回避しました。


赤城「えっ?」


赤城さんは確実に当たるはずだったパンチを完全に空振りし、大きく体勢を崩します。


同時に、沈み込んだ扶桑さんの体が浮上します。無数の打撃を受けて赤黒く腫れ上がった腕が振り上がりました。


満身創痍であるはずの扶桑さんが繰り出した右フックは、吸い込まれるように赤城さんの顎を捉えました。


赤城(あっ―――)


その拳は完璧なカウンターとなって脳を揺らし、赤城さんの平衡感覚を奪います。脚は立つべき地面を見失い、がくんと膝が落ちました。


崩れる赤城さんを抱き止めるかのように、扶桑さんが両手を伸ばします。その左手は袖を、右手は襟を掴みました。


それはまるで、断ち切れたはずの回路が息を吹き返し、止まった内燃機関が轟々と燃え上がるかのように。


腰をひねり、襟袖を引いて赤城さんを背負う一連の動きは信じられない程の速度で行われました。


それは柔道において最もポピュラーでありながら、わずかな差異で必殺となり得る最強の投げ技。


タイミングを遅らせ、全体重を乗せて頭を地面に叩きつける。


その技の名は「背負い投げ」。


赤城(う、受け身が取れな―――っ!?)


骨の軋む、鈍い音が響きました。


投げはお手本のようにきれいに決まりました。赤城さんは頭頂から地面に激突し、糸の切れた人形のように、力なく地面に手足を投げ出します。


それから、もうぴくりとも動かなくなりました。


電「……え?」


隼鷹「や……やりやがった」


金剛「Unbelievable……!」


顔面から血を滴らせ、肩で息をしながら、扶桑さんは投げ落とした赤城さんの前に立っています。


一方が横たわり、一方が立っている。どちらが勝ったのか、異論の余地はどこにもありません。


扶桑「……ほら、言ったでしょ? 山城」


山城「……え?」


放心したように立ち尽くす山城さんに、扶桑さんはかすれた声で語りかけました。


扶桑「どんなことがあっても、最後まで諦めずに戦い、そして勝つ」


扶桑「これが……西村艦隊の誇りよ」


山城「お…お姉、さま……」


血まみれの顔で微笑みかける扶桑さんに、山城さんは返す言葉すら思いつかず、その瞳から一粒の涙を零しました。


私も信じられない思いです。あそこまで追い詰められた展開から、本当に逆転してしまうなんて……


扶桑「そんな顔しないの、山城。まあ、ちょっと苦戦しちゃったかしら。ふふ……」


山城「……お姉さま、危ないっ!!」


扶桑「えっ?」


その光景を例えるなら、交通事故。目にも留まらぬ何かが扶桑さんの頭をなぎ払い、その体は勢いをつけて地面に倒れました。


扶桑さんの倒れた、その背後に立っているもの。それは、もう絶対に立てないはずの、赤城さんでした。


赤城「ハァ……ハァ……ふぅううう……」


扶桑さんを背後から襲ったものは、赤城さんのハイキック。それだけは食らうまいと必死に避け続けていた必殺の蹴りが、ここにきてとうとうヒットしたのです。


隼鷹「な……なんであいつ立ち上がってんだよ! 頭から落とされたはずだろ!?」


金剛「手……あいつの手を見るネ……」


隼鷹「あ? 手? 手がどうしたって……!?」


電「ひぃいいい……!」


隼鷹さんが息を呑む気配が伝わってきます。それは私も同じでした。


赤城さんの右手、正確には指先から血が滴っています。その人差し指の爪は、見るも無惨に剥がされていました。


金剛「あいつ、自分で爪を噛み千切ったのデース。投げ落とされたダメージから立ち上がる、気付けのために……!」


隼鷹「そ……そこまでするかよ、普通……!」


そう、普通じゃありません。完全に狂っています。食い意地がどうとかの次元じゃありません。


この人、自分で生爪を剥いでまで間宮アイスが食べたいっていうんですか?


とうとう地に伏した扶桑さんのそばで、赤城さんはうつろな目をしながらも立っています。その口から、地の底から湧き上がるような声が響きました。


赤城「……強かった。本当にあなたは強かったですよ、扶桑さん。この赤城がここまで追い詰められるほどにね」


赤城「あれだけ私の打撃を受けていながら、これほどの力を残していたなんて……西村艦隊の誇り、感服いたしました」


赤城「しかし、それでも。この一航戦、赤城には届かない。あなたほどの強敵を打ち倒して手に入れる間宮アイスは、さぞかし美味でしょう」


動かなくなった扶桑さんを見下ろしながら、赤城さんはぞっとするような笑みを浮かべます。とても同じ艦娘とは思えません。


山城「お姉さまぁ! しっかり、しっかりしてください! お願い、目を開けて!」


赤城「頭を打って気絶してるだけですよ……すぐに気が付きます。扶桑さんが起きたら、よろしく言っておいてください」


扶桑さんにすがりつく山城さんを尻目に、赤城さんは歩き出します。ほかならぬ、私の元へ。


赤城「……電さん」


電「はっ、はいいいいっ! な、なんでしょう!?」


赤城「これで文句はないでしょう。間宮アイスを受け取りに来ました。さあ……!」


電「わ……わかりました」


こうなってはもう、どうしようもありません。間宮アイスの存在が赤城さんに知られた時点で、この結末は決まっていたのかもしれません。


私はクーラーボックスを肩から降ろし、その蓋を開きました。


中身は空でした。


電「へっ?」


赤城「ああ?」


伊勢「えーそんな、恥ずかしいよ。もう、しょうがないなあ。あ~ん……」


呆然とする私たちの耳に、誰かとイチャつくようなピンク色の声が入ってきます。


いつの間に近くに来ていたのか、その声の主は伊勢さんでした。


手にあるものは紛れもない間宮アイスです。あーんと言いながら、自分でスプーンを使ってアイスをすくい、口へと持っていきます。


赤城「……伊勢さん? あなた、自分で何をやっているのか理解して……」


伊勢「きゃー美味しい! じゃあ、お返しよ、日向? はい、あーんして。もう、恥ずかしがらないの。あ~ん……」


再び伊勢さんがアイスをすくい、スプーンを誰もいない目の前の空間に差し出します。


スプーンが傾けられ、アイスが地面にポトリと落ちました。


瞬間、私の隣から特大の殺意が噴き出しました。


赤城「きっ……貴様ァァァァァ! 間宮アイスに対するその不敬! 万死を持ってしても償えると思うなァァァァァ!」


電「ひぃいいいいいっ!?」


怒りが頂点に達した赤城さんは、もう人の姿にすら見えません。


其は天地を喰らい、大海を飲み干す者。空を覆い尽くす暴食の化身。アカギドーラ=チャクルネ様、降臨の瞬間でした。


弾かれたように伊勢さんがこちらを振り向きます。完全な無表情で赤城さんを見た後、そのまま間宮アイスを抱えて脱兎のごとく駆け出しました。


赤城さんはすぐにはそれを追わず、地面へ倒れこみました。やはりダメージが……と思ったのも束の間、地面に落ちたアイスを食べているだけでした。


暴食の大邪神、ご乱心の光景です。いや、むしろこれは面目躍如なのでしょうか。


赤城「ぐおおお……足りぬ、足りぬ! 必ずその間宮アイスを奪え返し! 貴様の命ごと食らってくれる!」


赤城「その腹わたを掻っ捌き! ドタマをかち割って! 内臓と脳みそを啜り尽くしてくれるわァァァ!!」


電「ひぃいいっ! お許し下さいアカギドーラ様! 怒りをお鎮めください! どうか命だけは! 命だけは……あれ?」


あまりの恐ろしさに瞑っていた目を開くと、すでに赤城さんはいませんでした。


よく見れば、遠くに走り去っていく姿がかすかに見えます。きっと伊勢さんを追いかけに行ったのでしょう。あんな戦いの後なのに、すごいスピードです。


このままだと、伊勢さんが相当に惨たらしい最期を迎えることになりますが……すみません、ちょっと今、何かする気力が湧きません。


まあ伊勢さんなら、なんやかんやで大丈夫なんじゃないでしょうか。たぶん。


扶桑「……私は、負けたの?」


か細く、消え入りそうな声が聞こえました。気を失った扶桑さんが意識を取り戻したみたいです。


もう限界なのでしょう。指一本動かせない様子で、傷ついた体を山城さんの腕に預けています。


山城「お姉さま、大丈夫ですか!? いまドックに運びますから!」


扶桑「……そう、負けたのね。ごめんなさい、山城……間宮アイス、食べたかったでしょう」


山城「そんなこと……私は、お姉さまが無事ならそれでよかったのに。どうしてあそこまで……」


扶桑「だって……私はあなたの、お姉さまだから……」


山城「え……?」


扶桑「私もたまには姉らしく、山城に格好良いところを見せたいじゃない……?」


山城「そ……それだけのために、ここまで……?」


扶桑「そうね、もしかしたら……単に負けたくなかっただけなのかも。結局負けてしまったけどね」


扶桑さんはその傷ついた顔に、見ているほうが辛くなるような寂しい微笑みを浮かべました。


扶桑「結構惜しいところまでいったのに、情けない……」


山城「そんなことありません」


答える山城さんは、もう泣いてはいません。暖かい笑顔を浮かべ、涙の乾き切らない瞳で扶桑さんを見つめています。


戦いを制したのは赤城さんだという事実は否定のしようがありません。今は賞品の間宮アイスすら行方知れずのようなものです。


それでも、決して揺るがないことがあります。


山城「最高に格好良かったです、お姉さま」


小さな拍手の音が聞こえました。その主は隼鷹さん、金剛さん。気が付けば、私自身も扶桑さんに拍手を送っていました。


隼鷹「ナイスファイト! すげえや扶桑、無茶苦茶カッコよかったぜ!」


金剛「なかなかやるデスねー扶桑! まあ、私に勝ったからには、これくらいはしてくれないと困りマース!」


電「本当に格好良かったのです、扶桑さん。尊敬してしまいます」


扶桑「みんな……」


実力において遥か格上の赤城さんを相手取り、絶望的な状況においても決して諦めず、逆転勝利寸前まで追い詰めた、その気高い戦いぶり。


ボロボロになるまで戦い抜いた扶桑さんの姿は、ほかのどんな戦艦よりも美しく、輝いて見えました。


山城「ほら、皆さんだってもう知ってます。お姉さまがすごいって」


山城「私だって、今までよりもっとお姉さまのことが好きになりました。大好きです、お姉さま」


扶桑「山城……ありがとう。嬉しいわ、すっごく……」


少しだけ満足そうに呟いて、扶桑さんはそっと目を閉じます。


きっと疲れてしまったのでしょう。そのまま山城さんの腕の中で、安らかな寝息とともに眠ってしまいました。


お疲れ様でした。今はどうか、傷ついた体を癒してください。


おやすみなさい。世界最高の戦艦、扶桑さん。




続く


後書き

戦艦扶桑:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E6%A1%91_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
扶桑:艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki
http://wikiwiki.jp/kancolle/?%C9%DE%B7%AC

以上を参考にさせていただきました。


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2016-02-01 08:54:57

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2016-01-23 23:34:52

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4件コメントされています

1: SS好きの名無しさん 2015-08-17 18:48:35 ID: pzKeeIN0

武道を嗜む者の端くれとして、素直に感動した
どんな創作であっても不屈の大和魂は日本男児の胸に響く

2: SS好きの名無しさん 2015-10-04 04:43:42 ID: dxPObBDy

このシリーズにあるまじき感動

3: おるのあちゃん 2015-10-05 16:36:18 ID: pLGxI76c

鎮守府内の空気が最悪(大嘘)
鎮守府内の空気最高やんけ!!

4: SS好きの名無しさん 2017-07-10 22:32:21 ID: Q4qiBj5l

馬鹿な……このシリーズで感動している、だと……!?(失礼)


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