ポッキーゲーム?
ポッキーゲーム……ちょっと憧れる……
「ポッキーゲーム?」
廊下で会うなり声を掛けてきた神通の口からでてきたのは、およそ彼女らしからぬ言葉だった。
これが那珂だったらファッション誌とかで知識を得るのであろうが、神通がそれを読んでいる姿は想像もつかない。
川内の疑問に対する回答は神通本人によって齎された。
「二水戦の陽炎ちゃんと不知火ちゃんが話していたんです。スティック状のお菓子の両端をそれぞれ咥えて、お互いに食べ進めていくゲームだそうで、先に離してしまった方が負けなんだそうです」
なるほど、と頷く。確かに神通麾下の駆逐隊の子たちならその手の話題がでるのも納得できる。というより、そのテの知識に関して神通が駆逐艦以下しかないという話なのだが。
「ふ~ん。面白そうだけど私にはできないかな」
相手もいないしね、と笑う川内に、それならと神通が差し出したのは一つの細長いタッパーだった。神通が蓋を開けると、中には3本の海苔巻きが収まっている。ただし、切られていない状態で。
一本あたりだいたい20センチほどだろうか。
真っ白なタッパーに3本の黒々とした長い海苔巻きが並んでいる姿はなかなかにインパクトがある。
「恵方巻にはまだ早いですけど、三人で食べようと思って作ってみたんです。でも那珂ちゃんが提督のお使いにでてしまって…」
つまるところ、お使い帰りに食事を済ませてくるとのことで一本余ってしまったのだという。たしかに余るが…
「えっ、なに?海苔巻きでポッキーゲームやんの?」
川内の当然の疑問に神通は神妙な顔で頷いた。
「ポッキーではすぐに決着がついてしまいますし、食べている間相手を見続けることで心理戦の訓練にもなると思うんです」
(酔ってたりしないよね、この子)
言動の怪しさに酒に酔ってるのかとも思われたが、そもそも昼間から飲酒するような子ではないと思い直す。
(せっかく神通が誘ってきてくれたんだし、付き合ってあげよっかな)
承諾の旨を伝えると、彼女は川内と連れ立って自分たちの部屋へと向かった。
物陰からそれを見る、一組の視線に気づかないままに。
視線の主は2人が立ち去るや否や素早く何処かへと走り去っていった。
この鎮守府では、基本的に同型艦は同じ部屋に住んでいる。
長良型軽巡や駆逐艦など、姉妹が多い場合は分割されるが三人の川内型は全員同室である。加えて、今は末の妹の那珂が留守にしているためこの部屋には2人しかいない。
「では、早速やりましょう」
2人分のお茶を用意してきた神通が川内の真正面に座る。ゲームの性質上、お互いのヒザがつく距離で座っているため顔が近い。
(神通…近くでみるとやっぱり美人なんだよね)
川内にまじまじと見つめられ、神通の顔に朱が射した。彼女の姉も妹に劣らぬ美女ではあるが、それ以上に秘めた想いの方が彼女の鼓動を高鳴らせていた。
姉にバレぬようにと必死に抑えたが、朱く染まる頬までは誤魔化すことはできなかった。
「…なんだか、面と向かうと恥ずかしいもんだね。早く始めよっ?」
姉の言葉でハッと我に返った神通は慌てて件のタッパーを開ける。そこには先ほどと変わらぬ3本の海苔巻きが鎮座していた。
「両端をお互いが咥えた時点で開始です。お互いに食べ進めていって、先に口を離してしまった方の負け。食べ進める際は、誤嚥防止のため必ず全部飲み込んでからにしてください。また、ゲーム中はお互いの目を見ながら食べなければならないので、目を逸らした場合も負けとなります。いいですか?」
「オッケーオッケー!」
それでは、と神通の声に合わせ、2人同時に1本の海苔巻きの両端を摘まむ。そのままゆっくりお互いの真ん中まで運ぶと、ほぼ同時に海苔巻きを咥えた。
ゲームとはいえ、神通が作ったものだからしっかり味わいたい。そう思った川内は海苔巻きを唇で挟んだまま一口分を噛み切って咀嚼する。
まずはじめに感じるのはきゅうりのぽりっとした食感だった。それも、どうやら短めな千切りにしたものを胡麻和えにしてあるらしくゴマの風味が広がってくる。
中身が小さく切られているので噛み砕くのにそれほど労を要さないのは彼女の心配りなのだろう。
相変わらずすぐ目の前に妹の顔がある状態ではあるが、まだ川内にも余裕があった。
(うわ、このきゅうりおいしい!大鯨さんとこの畑かな?後で私も貰おっと)
そのまま十数秒。
しっかりと味わった川内が飲み込み、二口目にとりかかると神通も同時に進みでた。
次のゾーンはまた具が違う。今度はマグロの醤油漬けのようだ。さすがに近海で獲れるようなものではないし市販品だろうが、漬け具合がちょうどいい。
だがそれよりも……
(近い近い近い!神通めっちゃ近い!!)
お互い同じくらい食べたとすると、一度に計4センチ距離が縮まる計算になる。
もう一度言うが、海苔巻き1本は20センチだ。
二口目にして、川内と神通の距離は残り12センチになっている。もはやこの距離では相手の瞳に映る自分自身までもが鮮明にわかってしまう。
川内の焦りを知ってか、神通が微かに笑った。
(姉さん、もう降参ですか?)
そんな風に語りかけるような視線は、しかし川内の焦りを鎮めた。
(冗談!この程度で負けるようじゃ、三水戦の名が廃るよっ!)
口内の物を全て飲み込んだ川内が、先ほどまでより大きく海苔巻きを齧る。
その動きに呼応して神通も先に口を進めるが、こちらは今までと同じ量しか食べ進んでいない。
川内が目だけで笑ってみせると、神通は一瞬虚を衝かれたがすぐに真剣な表情で川内を見つめた。
(さすが姉さんです。でも…私も華と謳われた二水戦の旗艦……負けません……!)
海苔巻きを咥えた2人の間に不思議なバトルが繰り広げられる。
それを見守るのはこの部屋だけ……否、もう一組の視線がことの成り行きを見守っていた。
(どうも、青葉です!突然ですが、今青葉は押入れの中にいます!)
さっき、廊下で川内さんと神通さんの会話を聞いてしまい、面白そうだったので先回りしてみたんですが…いやはや想像以上に面白いことが起こっています!
あの神通さんが姉である川内さんを誘ってポッキーゲームをやる日が来るなんて…それだけでも特ダネ大スクープなんですが、
記者としてその場面はぜひカメラに収めなければ!
青葉はどうせお2人がいる間はここから出ることもできないですし、あとでじっくりと取材させていただきましょう!
おやっ?お2人に更なる動きがっ!?
桜デンブとかんぴょうのエリアが終わり、次のエリアに進む。
残りの距離は凡そ6センチといったところか。今と同じ食べ方をしてしまえばこれで終わりになってしまうだろう。
2人とも示し合わせたように最初と同じだけ食べる。
今度はふんわりとした食感がたまらない出し巻き玉子が入っている。一口ごとに具材の食感を変えているので食べ続けても飽きない、ニクい心配りだ。
しかし、もはや川内にその味を楽しむ余裕などない。
目前に迫ったゲームの終了がどのような結果になるか…それのみが脳内を支配している。
彼我の距離は約2センチ。
もはや、センチメートル単位で食べることはできない。少しずつ刻んでいくことしかできないだろう。
(なんで神通が突然こんなことやろうって言いだしたのかわかんないけど、最近なんか悩んでたみたいだし気晴らしになるんならいっか)
口の中を空にした川内は目の前の神通に意識を向ける。もはや鼻息がかかるほどの至近距離。
神通のまつ毛が見えるが、近すぎて若干ぼやけて見える。
彼女の潤んだ瞳と目が合うと、なんだか気恥ずかしい。神通もそうだったのであろうか、頬を朱に染めていた。
そのまま彼女の瞳はゆっくりと閉じられ…
(……っ!?)
その唇が川内の物と重なった。
(ちょっ…何やって…って!?)
慌てて後ずさろうとする川内だが、その頭をしっかりと抱え込まれていたため適わなかった。
最低限の咀嚼だけで海苔巻きを飲み込んだ神通は、小鳥が啄むような口づけを続ける。
その体は小刻みに震えており、彼女を無理やり引きはがすことなどできなかった。
実のところ川内は、妹が自分に恋慕の情を抱いていることには気づいていた。
彼女の想い自体は嬉しいものではあるが、女同士だしなにより姉妹であることからいずれは諦めると思いなにも言ってこなかった。
その結果としての今である。
(…全く、こんなに震えちゃって)
彼女の背中をゆっくりと擦る。一度大きく震えたが、あとはされるがままに擦られていた。
そのまま十数秒ほど経っただろうか。
神通の手が緩んだところで、ゆっくりと離れる。
今にも泣きだしそうな顔で真っ赤になって震える神通の様子に、川内は小さくため息をつく。そして…
「神通っ!目ぇ閉じて歯を喰いしばる!!」
「は、はいっ!!」
反射的に目を閉じる神通を確認し、先ほど自分がやられたように彼女の頭をしっかりと抱える。
そのまま川内は、彼女の瞼に軽いキスをした。
「…………えっ?」
恐る恐る神通が目を開けると、目の前の姉は穏やかな笑みを浮かべていた。
「思ってること、ちゃんと口に出して言わないと伝わらないじゃん!それもしないで無理やりなんてのはダメだからね?」
「あ……その、すみませんでした…」
「うんっ!ちゃんと謝ってくれたし、もういいよ!最近ゆっくり話してなかったしね」
ニカっと笑った川内はその場で立ち上がり、神通の手をひいた。
「鳳翔さんとこでお味噌汁作ってもらってさ、ゆっくり食べながらいっぱい話そう!神通の気持ちとかもしっかり聞かせてもらわないとねっ」
「あ、あぁ……っ、姉さん、それはっ!」
「ほら早く早くっ!」
それまでの空気が嘘のように一瞬で騒々しくなった部屋は、同じく一瞬で静まり返った。
そして無人になった部屋の押し入れからはようやく解放された青葉がのそのそとはい出てくる。
「ふぅ~…まさか神通さんがあんな行動に出るとは意外でしたね~」
視線を手元にやると、そこには押し入れからの光景を撮影していたデジカメが握られていた。
これを使えば青葉新聞に特ダネを掲載できるだろう。
「…ふむ」
数秒考えた後、彼女はデジカメのボタンを数回押す。モニターに「全ての画像を消去しますか?」の文字が表示されると躊躇わず「はい」を選択する。
「さて、あの二人が戻ってくる前に退散しますか」
窓を開け、素早く屋外に脱出した青葉はそのままドックの方へと歩いて行った。
「あ~あ、どこかに特ダネが転がってないですかねぇ~」
青葉さんはいい人
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