風邪っぴき川内
秘書艦だって風邪をひくことくらいあるよね?
「川内が風邪?」
定時になっても現れない秘書艦、川内にかわりやってきた妹の神通の報告に、俺は思わず聞き返してしまった。
…いや、たしかに思い返せば昨夜は随分と静かだったな。
ということは、昨日から調子が悪かったのか
「昨日の夕食後から頭が痛いと言ってましたので、薬と氷嚢を使っています。昨日より熱は下がっているのですけど…」
提督にうつしてはいけませんし、と申し訳なさそうに言う神通を制しては見たが、由々しい問題だな。
今週一杯は龍田と神通、夕張が遠征艦隊旗艦となっている。他は那珂が駆逐艦指導教官となっているが……ふむ。
「悪いけど、那珂を呼んできてくれないか?彼女に臨時で秘書艦を頼む。駆逐訓練は他の子に頼むよ」
わかりました。と言って部屋を出ていく神通を見送ったはいいが…やはり心配だな。
とりあえずは仕事を片付けてしまったら見舞いにでも行ってくるか
0825 執務室
「那珂ちゃん、現場入りま~すっ!遅れてゴメンね提督」
「いや、予定変更させてしまったんだ。来てくれて助かるよ」
本来の業務開始時刻からはたしかに遅れている。だが急に秘書艦を頼んだ彼女に遅刻を責めるなど筋違いもいいところだ。むしろ来てくれただけでもありがたい。
彼女を待っている間に書類の仕分けなどは済ませてあるし、早いところ終わらせて見舞いに行かなくてはな。
「とりあえず急ぎの書類から済ませてしまわないとな。先日の観艦式が終わってからというもの
書類が多くて敵わないよ」
「あれだけ派手なことしたんだもん、ちょっとくらい頑張らないとね、お義兄ちゃん?」
那珂にからかわれる日が来るとはな…。
ただ、言われてみれば那珂と神通も義理の妹になったようなもんなんだよな…不思議なもんだ
「そ・れ・で~、川内ちゃんとはどこまでいったのか、かわいい妹に教えてちょーだいっ?」
「とりあえずは間宮さんとこくらいだな。まだやることがいくつも残ってるから2人の時間なんて望むべくもない」
手伝ってくれてもいいんだぞ?という俺の言葉を華麗にスルーした那珂が書類に向かうのを見て苦笑いしか浮かんでこない。
この方が那珂らしくていいけどな。
さて、それでは俺も書類に向かうとしようか…
「……だからね?…って、聞いてる?」
……ん?
「悪い、聞いてなかったよ。なんか言った?」
書類から目を離し那珂の方を向けば、呆れたような表情で種類の束を指差す彼女の姿が目に入る。
目測だが30枚ほどだろうか。隣には3枚ほど、別の書類がまとめられている。
「これ、全部やり直しなんだよ。提督が川内ちゃんのことばっかり考えてるから」
「……本当か?」
うん!といいながら渡された一枚を受け取って確認して見る。
…うん、たしかにやり直しだ。水雷戦隊に関する書類なのに編成が空母のみで書かれてる。
「他にも色々あるから、ちょっと早いけどお昼にしよっ?それで午後からは休んで川内ちゃんのお見舞いに行くこと!」
さすがに半日も休んだら仕事が終わらないのだが…と言おうとしたが、今日の提督じゃ一日なにもしてくれない
ほうがまだマシだよ!とまで言われては引き下がらざるを得まい。
「…悪いな。この埋め合わせは必ずするから」
「そんなこといいよ~。鳳翔さんにおかゆお願いしてあるから、それ持って川内ちゃんのところ行ってあげてね?」
那珂の、笑顔だけど目が笑ってない表情に後押しされて部屋を出る。
……今度間宮にでも連れてってやらないとな。
ともあれ、これで時間ができた訳だし川内の見舞いに行くとしようか。
『舵機室付近に被弾!!舵が利きません!!』
『後部甲板にて火災発生!消火急げぇっ!!』
『敵艦隊より更に発砲炎確認!回避運動をとれ!』
耳を塞ぎたくなるような報告が飛び交う。
せっかくの夜戦なのに…水雷戦隊の力を見せられる絶好の機会なのにっ!
『司令!回避運動中の白露と五月雨が衝突!両艦ともに被害が……うわあぁぁぁぁぁっ!!!』
ち、直撃!?被害状況はっ……機関停止!?
『司令官、退避を!時雨を接舷させるんだ!!』
『通信は送っていますが応答なし!繰り返し呼びかけます!』
無理だよ!こんな状況で接舷なんてしたら時雨も巻き添えになっちゃう…って、あの駆逐艦私を狙ってる!?
冗談じゃない!こんな駆逐艦ごときが……舐めるなぁっ!!
『魚雷発射完了!!残りは海洋投棄だ!誘爆するぞ!!』
これでこっちの武装は主砲と機銃だけか…敵に航空隊がいないのだけが救いだね
『本艦の魚雷、敵駆逐艦、艦尾に命中!』
おっと、久々に戦果の報告が来たね。退避命令も出されたし、悔しいけどここまでか
妙高さんたち、うまく脱出できればいいけど…
『機関室より、応急修理完了の報告!機関、動かせます!!』
…よし、これでまだ戦える!他の子たちを離脱させてっ!
私はここで迎え撃つよっ!!
弾薬抱えたまま沈むなんて、絶対しないんだから!
舵が故障しているから円運動しかできないけど…それでも主隊が撤退する時間くらいは稼いでみせる
このブーゲンビルの海から一人でも多く…帰してあげるんだ!!
『雷跡8!!回避、間に合いません!!』
凄まじい轟音と物凄い衝撃が私を襲う。
なにが起こったのかすぐにはわからなかったけど、お腹が引き裂かれた痛みで理解できた
魚雷、かぁ。実際喰らうとこんなに痛いもんなんだね…
あはは…もう全然速力でないや…
あーあ……でも、夜に沈むのなら、それも悪くないかもね
甲板で燃え盛る炎の勢いは衰えない
ギギギィッという音が聞こえたと思ったら、カタパルトが根元から折れて海に落ちていった
後部マストも飴細工みたいに歪んでいるし、さっきの衝撃で魚雷管も壊れているみたいだ
浸水も徐々に増してるし、応急修理…無理そうか
…神通、どうやら私も、そっちへ行けそうだよ。
那珂だけ残していくのは寂しいけど、あの子も直に…いや
あの子くらいは生き延びてほしいな……
主隊は…まあ、落伍した子もいるけど大体抜けれたみたいだし
……あ、もう時間かぁ
ゆっくりと右舷に傾いていく
最期の時がこんなにあっけなくやってくるものだとは思ってなかったな
これから、この冷たい海の底まで落ちてゆく
光の届かない…真っ暗な水底へ…
二度と戻れない……深海へ……やだ。
イヤだ…まだ沈みたくない!
もっと働ける!
もっともっと敵艦を沈められるし、船団護衛だってできる!
対潜戦闘も対空戦闘もできる!だから……
『川内っ!』
おかゆを持って川内の部屋に入ると、彼女はうなされていた
熱が上がったのだろうかとおかゆを置いて彼女の傍によるがどうにも様子がおかしい
顔が真っ青だし呼吸も荒い
手は痕が残るほどの強さで自分自身をかき抱いていた
「おい、大丈夫か!?川内っ!」
「…………っ!!」
バネのような勢いで跳ね起きた川内。だがその瞳は虚空を睨み焦点があっていない。全身を震わせた彼女の姿はいつもの彼女とは似ても似つかない。
いや、そんなこと言ってる場合じゃない。彼女を落ち着かせないと…
「川内、落ち着け」
彼女の体を少し強めに抱きしめ、なるべくゆっくり、ハッキリと耳元で声をかける。
ひと際大きく震えた彼女が怯えた目つきで俺を見るが、構わず抱きしめ続ける。
「…て、てい……と…く…?」
「ああ、提督だ。大丈夫、落ち着くまでこうしておいてやるから心配するな」
ゆっくりと背中を撫でてやる。最初は震えていた川内も徐々に落ち着いてきたようで、こちらに身を預けてきた。
「……ん、ありがとね」
5分ほど経っただろうか。呼吸の乱れもなくなり落ち着いた川内の言葉に、俺は手を緩める。
うん、血色もよくなったし上々だ。
「鳳翔さんがお粥を作ってくれたんだ。食べれるか?」
「え、あ…うん。大丈夫だよ」
「わかった。ならテーブルまで行こう。手はいる?」
へーきへーき、と起き上がった川内は、ゆっくりとした動きではあるがベッドから起き出して、土鍋の待つテーブル…というよりちゃぶ台へと向かう。
彼女が座ったのを確認して持参したおしぼりを渡してやると、それで豪快に顔を拭く彼女に苦笑してしまう。
…あとで神通にでもお湯とタオル持ってきてもらおう。
少々時間は経っていたが土鍋の保温効果は優秀だった。
蓋をあけるともわっとした湯気が鍋から飛び出してくる。
湯気が弱まると同時にほんのりと漂ってくるのはごま油の香りだ。
ふわふわ卵の入ったシンプルなお粥に、小皿に用意された青ネギや梅干しといった薬味が細やかな華を添えている。
これは……さすが鳳翔さん、こりゃもう堪らないな。
川内は…言うまでもないって感じか。
苦笑しつつ、大き目のレンゲで茶碗に軽めによそう。
それを彼女の前に置き薬味の小皿を差し出すと、そこにのっていた小さなスプーンでネギをふりかけた。その眼はキラキラと輝いている。
「薬味はそれでいいか?それじゃ、ちょっとスプーン貸して?」
「は~い、ちゃんと冷ましてね」
そのくらいわかってるさ。というか、冷まさなきゃ間違いなくヤケド案件だ。
軽くスプーンに掬いふーふーと冷ましてやる。これだけでも香りが広まって食欲をそそられる。
川内も同じだったのだろう、ゴクリと唾を飲み込んだ。
このまま焦らしてみたい衝動はあるが病人だしな。
「ほら、あ~ん」
「あ~んっ……うん、すっごく美味しい!」
「そりゃ鳳翔さん特製だからな。俺も腹が減ってきてたまらないけど…」
そう、実際腹ペコなんだ。執務室を抜けてすぐに厨房へ向かい、お粥の入った土鍋一式を受け取ったその足で
この部屋まで来てるんだ。昼飯など食べてる時間はなかった。
そこへきてごま油の強烈な香り…もはや俺の胃袋が鳴きだすのも時間の問題だな。
「…あっ、だったらスプーン貸して?」
言われるがままにスプーンを差し出す。受け取った彼女はそのままお粥を掬うと、たった今俺がしたように
ふーふーと息を吹きかけて冷ます。
「はい、あ~ん」
「ん、あ~ん」
やばい…美味しいというより幸せが勝ってる。
鳳翔さんのお粥は確かに絶品だったが、それ以上に川内に食べさせてもらう幸福感が勝ってる。
幸せすぎて世界が輝いて見えるようだ。
目の前でこちらを向いて満面の笑みを浮かべる川内も
窓越しに見える紅葉しだした木の葉も
開け放たれたドアの向こうでこちらを見て硬直する那珂も……って。
「おい那珂、ドアを開けるときはノックくらいしなさい。マナーだぞ?」
「ん?那珂ならいいんじゃない。おんなじ部屋なんだし。そんなところにいないで入ってきなよ」
川内の声に、那珂はゆっくりと部屋に入ってくる。
が、その足取りは心なしか重い気がした。
そのことについて問いただしたが
「お部屋に戻ってきたら自分の姉が上司といちゃいちゃしていたときの心境なんてわかんないと思うな……」
とか言われてしまった。
「那珂ちゃんはまたお仕事戻るから、川内ちゃんのことよろしくね?」
よろよろとした足取りで部屋を後にする那珂の後ろ姿を見送っていると、ふいに袖を引っ張られるような感じがした。
振り向けば、おかゆを掬ったスプーンを満面の笑顔でこちらに差し出す川内と目が合う。
あぁ…今日の昼飯はなんと美味いのだろう
ちょっと書き方かえただけで思うようにいかないですね…精進します
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