2014-09-13 01:29:10 更新

25話-2



 映画館を出た二人は、まず喫茶店に入って。

予想よりずっと面白かった映画について、ひとしきり語り合った。

といっても、雪姫は結果的に二度も見た形なのに、

二回とも後半からはまともに見ていなかったので、計佑にあらすじを教えてもらったりして。


「やっぱり、最後までいい映画だったんだね。……じゃあDVDが出たら、また一緒に観てくれないかな……?」


 そんな雪姫のおねだりに、計佑が逆らえる筈もなく頷いたり。


 それからファンシーショップへ向かって、雪姫とアリスへのプレゼント選び。

計佑としては、本命である雪姫の物は後回しにして、先にアリスへの物を選んでしまおうと考えていたのだけれど、


「最初は私の! 絶対わたしのっ!! とにかく私のっっ!! じゃなきゃダメなのっっっ!!!」


 雪姫が全力で主張してきて、その必死さに微妙に引いたりしつつも、

特に逆らう理由もないので望む通りにしてあげて。

……もっとも、

『先輩って、好きな食べ物は最初に食べる派?

にしても順番なんかに拘ったりして、やっぱ意外とコドモっぽいなぁ』

などと考えていたりする少年は、『初めてに拘る乙女心』などカケラも理解できない、

相変わらずのズレっぷりと鈍感ぶりだったり。


 バイトでしっかり稼いだ事もあって、雪姫の部屋にあるどれよりも大きい

クマを贈ろうと考えていた計佑だったが、雪姫が希望したのは50~60センチ程度の大きさの物で。

「せっかくだから、もっと大きい物でも」と計佑が提案するも、

「いいのっ、これ以上大きいと持って帰れないもんっ」と子供みたいな笑顔で雪姫が答えて。

「え? 宅配にすればいいじゃないですか」と疑問を投げかければ、


「……ヤだ。絶対、自分の手で持って帰りたいんだもん……」


 選んだくまモンを抱きかかえて、口元をぬいぐるみの後頭部で隠しながらの上目遣い。

飛び抜けた美少女による、普通の男なら悶絶するだろうこの仕草、

しかし日本でもトップクラスであろう朴念仁は、

『……そりゃこのサイズなら持って帰れなくはないだろうけど……荷物になるだけなのになぁ』

などと首を傾げて、

『好きな人からのプレゼントなのに、他の人に運ばれたりしたくない』

という乙女心を、やっぱり、さっぱり理解出来ずにいたり。


 その後、アリスの分を選ぶ段になって、


「アリスって、背伸びしたがるっていうか、やたら大人に憧れてたでしょ?

だからそういうアクセサリーとかどうかなーって思って。

ただまあアイツはあんな容姿だから、あんまり浮かないような、

ちょっとだけ大人っぽいモノとか贈ってやろうと思ったんですけど──」


──でもオレにはそんなのを選ぶセンスなんてないし、選ぶのは先輩にお願いしたいんですけど。


 そう続けようとして、膨れている雪姫に気づいたり。


「……ふーん……アリスにはアクセなんだ……

それに私のはあっさり決めてたっぽいのに、アリスの方だと随分と色々考えてあげてるんだね……」


 またまたアリスに妬いている雪姫に焦りながら、


『ついさっきまでご機嫌だったのにっ、相変わらずコロコロと忙しい!!』


 そんな内心の声は隠して、


「ちがっ、最後まで聞いてくださいよ!? オレじゃあ分かんないから、先輩に考えて欲しいって──」


 さっき言いかけた事を改めて口にすると、ちょっとだけ機嫌を直してはくれたが、


「……じゃあコレ」


と雪姫が選んだアイテムは────ドクロのネックレス。


「……セ、センパイ……?」


 いくら計佑とて、それがベストチョイスだなどと騙される筈もなく。頬を引きつらせていると、


「いいのっ。あんな悪魔みたいなコには、こんなんがお似合いだもん!」


 プイっとそっぽを向きながらのそんなセリフ。


『……ええ~……? ……いや。なんかツッパってたりするアイツだから、意外とこんなんでも喜ぶのか……?』


 半信半疑ながらも、計佑がそれをレジに持っていこうとすると、


「……えっ!? まっまって待って計佑くんっ、本当にそんなの買ったりしちゃだめだよっ!?」


 拗ねては見せても、本当の悪者には決してなれない雪姫が慌てて止めたり。


 そんな風に、デート──といっても、計佑のほうにはそんな意識はなかったりする──を

楽しんだ二人は、最後にレストランへと向かって。

 雪姫が選んだそこはお洒落な店で、

今までしてきた外食といえば基本ファミレスだった計佑にはちょっとばかり敷居が高かったりしたけれど、

ファミレスとははっきりと違う美味しさに目を見張ったり。

 そんな風に舌鼓を打ち、デザートが運ばれてきたところで、


「……ねえ、計佑くん。ところで、今日は聞いてほしい話があるって言ってたけど……それって何かな……?」


 デザートには手を付けずに、もじもじとしながら、上目遣いの赤ら顔で雪姫が尋ねてきた。


「……あ!! そ、そうでした……!」


 すっかりその事を忘れていた。──大事な話なのに。

ちゃんと話をするために、計佑は手にしていたスプーンを戻して、


「実は──」

「うっ、うんっ……!!」


 背筋を伸ばして、目を見開いて、ゴクリと喉を鳴らす雪姫へと、

















「──まくらのコトなんですけど……」


 話を切り出した。

そう、雪姫との時間が楽しすぎて、すっかり頭から抜け落ちていた話。

危なかった。雪姫が切り出してくれなかったら、最後まで忘れていたんじゃなかろうか……

そんな風に感謝しつつ始めた話題だったが、途端、雪姫の首がガクンと倒れ、肩も落ちて、背中も丸まった。


「……だよね~……計佑くんだもんね~……結局、いつも通りのパターンに決まってるよね~……

……私も、いい加減学習しないかな~……」


 力ない声で、雪姫がつぶやいて。


「……あの、先輩? どうかしました……?」


 いきなり萎れてしまった雪姫に戸惑っていると、やがて苦笑を浮かべた雪姫が顔を上げてきた。


「まあ、今日はとっても楽しかったし。これ以上贅沢言えないよね。……長期戦なのは、覚悟してたんだしっ」

「……はあ……?」


 計佑には意味のわからない内容だったけれど、言い切った雪姫は苦笑から苦味を消し去ると。


「それで……? まくらちゃんがどうしたの?」

「あ、はい。実は──」


──まくらが引っ越すこと。

──最近の自分の態度、特にアリスに対するそれに関して、不満があったらしい事。

──自分たちとの生活に『疲れた』などと口にしたこと。


 それらを雪姫に語った。

 自分ではどうしても分からない事がある。

けれど母は教える気はないといい、硝子なら理解るのではないかとも思うのだが、

『合宿から帰ったらすぐに話す』という約束を破ってしまった以上、どうにも聞きづらい。

 あの日には、硝子からも計佑の体調を心配するメールが何度か届いていたし電話だってあったくらいだから、

事情はわかってくれているだろうし、怒ってもいないだろうとは思いたいのだけれど。

 茂武市は意外と頼りにはなるが、あの友人では女心を探る話にはイマイチ心許ないし……

そういう訳で、計佑が相談できる相手はもう雪姫しかいないのだった。


 まくらの引越し話など初耳だった雪姫は、まず目を丸くして驚いて。


「……そんな。せっかく仲良くなれたのに……」


 そして悄然としてしまった。

 そんな雪姫につられるように、計佑もまた今朝の落ち込んだ気分を取り戻してしまって。

無言で俯いていたら、雪姫がハッと我に返って、


「……あっ……! ごめんね、相談してくれたのに私のほうが落ち込んじゃったりして。

……そうだね、私が力になれるか自信はないけど、一緒に考えてみよう?」


 そんな風に計佑の顔を覗きこんで、力づけてきてくれた。


「……ありがとうございます。なんか合宿の時から、先輩にはお世話になりっぱなしですね」

「……そんな。こんなの全然だよ。私が計佑くんにもらってきたものに比べたら……」


 面映くて、頭をかきながら礼を口にすると、雪姫もまた照れくさそうに笑って。

二人の間から、重い空気は一掃されるのだった。


─────────────────────────────────


「……でも、まくらちゃんもアリスに対して妬いてる部分があったんだね……その点に関しては、私にもわかるなぁ」

「え。……いや、先輩の場合は……」


 雪姫が遠くを見るような目で、まくらへの共感を口にしたけれど、

"雪姫の嫉妬とまくらの嫉妬では、その意味合いは全然違うのでは……?"

計佑としてはそういう疑問が湧いてしまって、そして計佑のそんな考えは察した雪姫が苦笑しながら、


「そりゃあ、私とまくらちゃんじゃあ出発点は違うのかもしれないけど。

面白くないって気持ちは同じようなものだと思うよ?」


 尋ねるように語りかけてきたが、はあ、と生返事しか返せなかった。


「……うーんと。あのね、計佑くんは……程度の差とかはあっても、

まくらちゃんもアリスのコトも、どっちも妹みたいに思ってるんだよね?」

「あ、はい、それは確かに」

「うん、でも、まくらちゃんとは、長年の付き合いとか、歳が同じってコトもあって、

その……ちょっと乱暴に扱ったりしてるよね?」

「……まあ……あんまり優しくしてやってはないかもですけど……」


 そういう、乱暴な扱いに不満が溜まっていっての今回の事なのだ──と責められてるような気がして俯いたら、


「あ、違うの違うの! 計佑くんは、まくらちゃんにだってすごく優しいよ!?

寝込んでたまくらちゃんの為に色々頑張ったりとか、そういうの、ちゃんとまくらちゃんわかってるよ。

……だって、まくらちゃん、 計佑くんのコトを

『私の、自慢の兄なんで』って、私に言ってくれたコトだってあったもの」

「……え……アイツ、そんなコトを……?」


 家族が、陰でそんな風に自分を褒めてくれていた──その事実は気恥ずかしくて、顔が熱くなった。

それを見た雪姫が微笑を浮かべて、


「そうだよ。まくらちゃん、いつもニコニコして計佑くんの傍にいたじゃない。

大好きなお兄ちゃんじゃなかったら、あんな風に過ごしてないよ」

「……は、はあ……」


 第三者に自分たちの仲の良さを肯定されるのは、なんとも面映かった。

 これが、昔からあった「お前ら付き合ってんじゃねーの?」

という類のからかいだったらもう笑っていなせるのだけれど、

こんな風に、真正面から自分たちの兄妹仲を認めてくれる人は殆どいなかったのだ。

 それでどう答えたものかと戸惑っている内に、


「あ、それで話を戻すとね。

計佑くん、アリスに対してだと、まだ付き合いが浅いとか、見た目が子供だとかいうコトもあって、

随分優しく接してあげてたでしょう?」

「……そうですかね……? 自分ではそんな意識して使い分けてるワケじゃないので……

それに、出会ってすぐにアイツのコトおちょくったり、

まだそんな経ってないウチにデコピンかましたりもしたし……」


 そんな風に答えつつも、思い返してみれば確かにまくらとは随分と接し方が違った事に気付いた。

少なくとも、まくらのコトを抱っこしてやったり、髪とか褒めてやったりした覚えは全くなかった。


「……そうですね。確かにまくらとアリスでは、接し方違いましたよね……」


 腑に落ちてそんな風に呟くと、意を得たとはがりに雪姫が軽く身を乗り出してきた。


「うん。それじゃあだよ?

同じ妹って立場にいるハズなのに、向こうは優しくされて、こっちはちょっと扱いが雑──

ってなったら、面白くはないっていうまくらちゃんの気持ち、わかるよね?」

「……あ……」


 言われてみれば、当然の話。それは、不愉快になるのが当たり前な事だった。


 幼少の、まだまくらが目覚家で世話になりだして間もない頃。

 まだ半分 "客" 扱いだったまくらを、由希子は随分と可愛がってやっていて。

母の自分への態度との違いに、かなり不満を覚えていた事を思い出した。


──……そっか……そうだよ。そういう気持ち、オレだって知ってるハズなのに……


 そして、思い出した。

『最近はアリスちゃんとかばっかりじゃない……私のコト、妹としてすらほったらかすようになったクセに』

まくらがそう叫んだ日の事を。


──……そうか……あの時のアイツの怒りって、そういうコトだったんだな……


 遅すぎる理解に、気持ちが沈みかけた。……けれど、雪姫の話はまだ続いた。


「そしてね?

……まあここからは、大分わたしの想像とかになるんだけど……

合宿の頃には、計佑くん、アリスにもう全然遠慮がなくなってたよね?」

「……え? そ、そうですか?」


 自分ではやっぱりわからなかった。首を傾げていると、雪姫の目がジトっとしたものになった。


「何とぼけてるのっ? ……って計佑くんの場合、自覚はないんだっけ……はあ。

あのね、ちゃんと思い出してっ。計佑くん、最初からアリスに気安かったけど、

それでも最初の頃だったら、いくらなんでも自分の身体の上にアリスを寝かせたりはしなかったでしょう!?」

「うっ……!? そ、それは……!」


……正直、自分の場合、出会った当初でもあまり気にせずそれくらい出来たような気もした。

──が、馬鹿正直にここでそんな事を口にすれば、どうなるか──それくらいは鈍感王でも予想できた。


「そ、そうですね! 確かにそこまでは出来なかったでしょうね!!」


 冷や汗をかきながら追従に入ったが、どもった計佑に雪姫の目が更に細くなった。


「……ちょっと計佑くん……? まさか……」


 不審そうな声。……まあ当然ではあったけれど、その先を大人しく待つ訳にはいかない。慌てて、


「せ、先輩!! 話を元に戻しましょう!!

もうまくらの引越しまで時間ないんです、

別れるにしてもせめて仲直りはしておきたいから、早くアイツの気持ちを理解したいんですよっ」


 そんなセリフを口にすると、雪姫も「うっ」と怯んで。


「そ、そうだったね……今はヤキモチ妬いてる場合じゃなかったよね……んっ、コホンっ。

で、合宿の時のことだけど、

私の場合、アリスに優しすぎるトコロに『ちょっとだけ』ヤキモチ妬いちゃったんだけど、まく──」

「ええぇ!? あっあれで『ちょっとだけ』!!?」


 雪姫の言葉を、思わず遮ってしまっていた。


──だって、あの二日間の雪姫の嫉妬ぶりには、随分翻弄されてしまったのだ。

──あれほどバタついてみせておきながら、雪姫の中では『ちょっとだけ』な話だというのか。

──だとしたら、雪姫にとってのMAXとは一体……!?

  

 そんな風に戦慄してしまって、驚きのツッコミを入れてしまった瞬間、雪姫の顔がカッと赤くなった。


「もっ、もおおおお!! だからなんでっ、いつもいつもいつもそういうトコをつついてくるのっ!?

ちょっと見栄張っただけなのにぃぃ!!」


 キーッ! と雪姫が喚いて腰を浮かせかけたが、


「せっ先輩!! 周りの目がありますからっ……!!」

「……あ……!」

 

 慌てて宥めると、ハッと我に返って。周りを見回して、どうにか落ち着いてくれた。


──ホッ……そっか、それにしてもよかった。

  先輩だって、あれで "ちょっとだけ" なんて思ってないんだな……

  だったら、あれよりスゴイのなんて、やっぱりそうそうないんだよな?


 少年が安堵しつつ、そんな事を考えていたけれど。

 雪姫の場合、あのクラスの嫉妬が通常値であり、

かつ簡単にあそこまで燃え上がってしまうという事こそが大変な訳なのだから、

今後も苦労させられるのは確実なのだけれど……

 その事には気付かずに、爆発しかけた雪姫を沈静出来た事と合わせて、

二重の意味で計佑がため息をついて安堵していると、まだ頬に赤みを残した雪姫は「う~っ」と唸って。


「……計佑くん、本当はそういうの、ワザとやってたりしない……?」


 ジトリとした疑いの目を向けてきた。


「ええ!? まっまさか!! そんなワケないですよっ!?」


 まさかの疑惑に大いに慌てたが、雪姫の目つきは変わらない。


「……天然だったら許されるってものでもないんだよ……?

やってるコトは、アリスが私を弄ってくるのと大差ないじゃない……」


 不満そうな顔でブツブツと呟いてきたが、やがてため息をつくと。


「……えっと。今度こそ話を戻すね?

私の場合は、さっき言ったような理由だったけれど。

まくらちゃんの場合、計佑くんからアリスへの遠慮が全然なくなってたのが

気になったんじゃないかなあ、って思ったんだよね」

「……え、どういうコトですか?」

「うん……あの2日目の晩、計佑くんはイタズラばかりのアリスに対して、

馬乗りになって、こめかみをグリグリ~っとかやってたよね?」

「……え~と。確かにやってましたね……」

「でもああいうのって、その……私から見たら、

まくらちゃんに対する時の計佑くんと同じ感じにも見えたんだよね?」

「……え……」

「あの時は、私、動揺しちゃってて周りのコト考えてなかったけど、

あれだけ騒いじゃってたら、まくらちゃん達にも気付かれてただろうとは思うんだよね。

それでもって、ああいう……自分に対するのと同じようなコトをアリスにしている計佑くんを見て、

差別に対する不満とは違う種類のヤチモキ妬いちゃったんじゃあ、とか思ったんだけど……」

「……あ……!!」


 今朝の、まくらとの会話中に気付いたことを思い出した。

──突然、『ワシャワシャ』をやれと言い出したまくらの事。

『あれは私だけの……!!』そんな風にキレてきたまくら。今の雪姫の話で、改めて理解できた気がした。


──……そっか……差別されるのも面白くないけど、

  全く同じように扱ってるところも、それはそれで腹立たしかったんだな……


 まくらへの態度は粗雑だったかもしれないけれど、それは長年の絆という下地があっての事。

 なのに、まだ短い付き合いしかないアリスに対してもまくら同様に接している姿を見せてしまえば、

まくらの立場からは面白かろう筈もなくて。

……ましてや、あの日の午前中には、

まくら曰く『私だけの……!!』というワシャワシャをアリスにやっていたところを見られているのだ。

 加えて、まくらからの要求には答えなかったのだから、これはもうまくらとしてみれば、

妹としての立場は完全に奪われてしまったと考えたのも、無理はないのかもしれなかった。


「……そっか……本当にそんなつもりは全然なかったんだけど……

アイツがそんな風に思うのも当然だったんだな……」


 雪姫が心配そうに見つめてきている事には気づいていたけれど。

それでも、肩を落としてそんな風に呟いてしまう事は止められなかった。


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 デザートが運ばれてきて、随分時間が経っていた。

話が一段落した事もあって、二人はしばし食事へと戻って。

 雪姫の解説で一度は気落ちした計佑だったが、ここまでの話──まくらの嫉妬について──は、

朝のまくらとの話し合いの間にもある程度は理解出来ていた事だったから、引きずらずにすぐ立ち直る事が出来た。

 やがてデザートも食べ終わって、それでもまだ話は残っていたので、ドリンクを注文して。


「でも、『疲れた』かぁ……そっちの話は難しそうだね……」

「そうなんですよね……そっちは、オレにもさっぱりわかんなくて」


 相談に戻ったのだけど、こちらについては、雪姫にもよくわからない様子だった。


──本当は、もう一点。

雪姫に対しても、まくらは何やら思うところがあったらしいという疑問もあったのだけれど、

これは流石に雪姫本人には言いづらかったので、割愛させてもらっていた。


 お互いに黙りこんで、ひとしきり考えこんでいたのだけれど、やがて雪姫がポツリと口を開いてきた。


「……もしかして、だけど。

『疲れた』って、計佑くん達との生活っていうよりも、お父さんに対しての話、だったりしないかな……?」

「……へ……?」


 全く意味がわからずに、きょとんとしてしまった。


「……え? いやだって、そっちに疲れたっていうんなら、尚更オレ達との生活を続けたいってなるんじゃ……」

「あ、ううん。そういう意味じゃなくてね……」


 計佑の疑問を遮った雪姫が、


「……えっと。まくらちゃんって、お父さんのコト大好きなんだよね?」

「あ、はい。それは間違いなく」


 尋ねてきたことに即答して。


「でも今までだと、まくらちゃんはお父さんとの時間、殆どとれてなかったんでしょう?」

「……はい」

「だったら、その……お父さんと一緒に過ごせない事の不満が募って、その事に『疲れて』。

それで、新しい環境……お父さんとの時間がとれるかもしれない方に行こうとしてるって事は……ないかな?」

「……え……」


──そう言えば……あの時のアイツ、『今の暮らしに疲れた』って言っただけなんだよな……

  俺達との、なんて言葉はついていなかった……


 雪姫のその言葉は、眼から鱗だった。

 てっきり、自分たちに対する不満からくる言葉だとばかり思い込んでいたけれど。

確かに雪姫の言うような考え方もある事に、今初めて気がついた。


「すごい、先輩……!! 確かに、それだったら全然納得出来ますよ!!」

「えっ、そっそう? 私の勝手な予想で自信なんかなかったんだけど……うん、

計佑くんもそう思ってくれるんなら、的はずれな意見じゃなかったみたいだね」


 意気込む計佑に、雪姫が微笑を返して。


……そう、必ずしも間違った考え方ではなかった。

確かに、今雪姫が披露したような考えも、まくらの中にはあった。

けれど、硝子のようなずば抜けた洞察力や由希子のような年の功がない二人では、

まくらの本当の胸の内を──察する事が出来ないのも、無理はなかった。


「そっか……おじさんが向こうでどうなるかは聞いてなかったけど。

時間がとれるようになるっていうんなら、確かにまくらの場合大いにありそうな話だもんなぁ」


 ようやく腑に落ちた計佑が、独り言のように呟いて。

それから、優しげな微笑を浮かべている雪姫へと礼を伝えた。


「ありがとうございます、先輩。先輩のお陰で、ようやくスッキリ納得出来ました」

「ううんっ、全然そんなっ。計佑くんの力に少しでもなれたんなら、私も嬉しいよっ」


 お互いに笑顔を浮かべて。そして、少年が浮かれた気分に押されて雪姫を褒め称えた。


「やっぱり先輩って、スゴイ頼りになる大人ですよねっ」

「ちょっ、そんなっ。大げさだよっ」


 雪姫が赤い顔で恥ずかしそうに手を振ったが、本当に感謝している少年がそんな謙遜は認めずに、


「いやいや、ホントに! 先輩は完璧ですよっ、オレの事に関しては酷い駄目っ子になるだけでっ」


 ニコニコとしながら──お約束の、余計な一言を付け足した。


……当然、雪姫の顔がピキリと引きつって。


「だ、だめっコ……? ひどい、ダメっこ……?」


 ピクピクと雪姫の頬が痙攣して。その様に、ようやく少年が失言に気付いた。


「あっ!? ちっちが! 先輩は、そういうダメなトコも可愛いっていうか──!!」


 その言葉は決して嘘ではない。

計佑としては、雪姫のそういう所に可愛さを感じているのも事実で。

──とはいえ、今までは計佑からの褒め言葉にはコロリと騙されてきた雪姫だったけれど、

今回の流れでは、いくらなんでも堕とされてはくれなかった。


「ばっ、バカにしてえっ! やっぱり、本当はワザと私をいじくってるんでしょお!!」


 とうとう、雪姫が人目もはばからずに爆発して。


──やっぱり最後は締まらなかったりもするのが、この少年のクオリティなのだった。



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『……はい、まくらです』

「あ、まくらちゃん……久しぶり、だね」


 計佑とのデートを終えて、しっかりと計佑に自宅まで送ってもらった雪姫は、今まくらへと電話をかけていた。

 

 理由は勿論、


「……計佑くんから聞いたよ。引っ越しちゃうんだってね……」

『……はい。話すのが遅くなってごめんなさい……』


 まくらの引越しについてだった。

 スピーカーから聞こえてくるまくらの声は、

いつもの元気な響きがまるで感じられなくて、雪姫の気持ちも改めて沈み込みそうになった。

 こんな話題で明るく振る舞うなんて難しかったけれど、


「ううんっ、謝ったりなんかしなくていいんだよ。そういう話、切り出し辛い気持ちも当然だとは思うから」


 自分の方が落ち込んでいては、まくらだって気に病むかもしれないと明るい声を出してみせた。


「……それでね、まくらちゃん。こうして電話したのは……よかったら、

本当のまくらちゃんの気持ち、聞かせてほしいって思ったからなの」

『えっ……!!?』


 突然、まくらの声が跳ね上がって。雪姫の方も驚いた。


「え、あの……そんなに変なコト、聞いちゃったかな……?

……まくらちゃんが、引越しを決めちゃった本当の理由……っていうのかな。

"親の転勤だから" っていう前提とか、外側の理由だけじゃない、まくらちゃんは本当はどう思ってるのかな、

みたいな、そういうのを聞かせてもらえたら、って思ったんだけど……」

『……あ……あははっ、そ、そうでしたかっ。ごめんなさいっ、急に大きな声出しちゃって。

素直な雪姫先輩が裏を探りに来るなんて、さては計佑にどんな変な話でもされたのかって

ちょっと焦っちゃいました……!!』

「え、えー!? う、裏を探るって……そ、そんなつもりじゃないよっ!?」


 まくらの焦った声は、それこそ探られたくない "裏" を誤魔化す為のものだったのだけれど、

今まくらも言った通りの素直な少女は、そんな事には気付かずに慌ててみせた。


「あのねっ、そんなつもりじゃないんだけど……でもね、今日計佑くんから色々と話を聞いて。

……それで、計佑くん、まくらちゃんと喧嘩みたいになっちゃったコトすごく気にしてたの。だから──」


 雪姫がまくらへと電話した理由──その1番の理由は

"二人をちゃんと仲直りさせてあげたい" というものだった。

 先ほどの相談で、"尤もらしいまくらの気持ち" に辿りつけたとは思う。


……でも、もしそれが間違えていたら?

計佑が、その間違った答えを元に行動して、結果まくらとの仲がよりこじれてしまったりしたら?

せっかく自分の事を頼りに相談してくれたのに、顔向けなんて出来なくなってしまう。

 それに、まくらには色々とお世話になってばかりだった。

1つの恩返しも出来ないままでお別れなんて、まくらにだって申し訳なさ過ぎて。

 だから、二人を仲直りさせるべく──まずは今日の "相談" で出した答えが間違っていないかを確認して。

また、計佑からは聞きにくい話でも、部外者である自分だから聞ける話だってある筈だからと、

そんな風に考えて電話をかけたのだった。


『……ごめんなさい、雪姫先輩。先輩にまで色々と心配かけちゃったみたいで……』

「えっ、そんな! むしろ私こそごめんね!? なんか、余計なお節介かもなのに……」

『……いえ、そんな事ないです。こうして、素直で優しい雪姫先輩と話してたら……やっぱり、

私の判断は間違ってなかったなって。安心して向こうに行けるなって、改めて思えましたから』


 そこで、お互いの声が途切れて。しばしの沈黙を挟んでから、


『……雪姫先輩。私、お父さんのコト、大好きなんです』

「……うん」

『今度のところに一緒にいけば、お父さん、結構時間がとれるようになるっていうし。

やっと、ゆっくり一緒に過ごしたりできそうなんです』

「うん……」


 計佑との話で出した予想が当たっていたようだと、軽く安堵していると──


『……本当はっ……!』


 突然、まくらの声が大きくなった。


『本当は私だってっ、お別れなんてつらいっ……!! でも……っ!』


 まくらの声が涙声になっていた。つられて、雪姫も鼻がツンとなった。


『でも私はもうっ、一人なんて耐えられない……!! お父さんはっ、お父さんだけはっ、

絶対に私だけを見ていてくれるからっ、だからっ、わたしは……っ』

「……っ……」


 自分もつられて泣き出しそうで、息の音しか返せないでいたら、


『……ごめんなさいっ、雪姫先輩っ……先輩と、計佑のコト応援するって言ったのに、

最後までちゃんと出来なくてっ……でもっ、でも私もうっ、つらくて……っっ!!』

「いっ、いいんだよっ、まくらちゃんっ。そんなの、もういいんだよ……!」


──まくらの謝罪の "本当の" 意味には決して気付けない少女が、感謝と慰めの言葉をかける。


「ま、まくらちゃんは、もう一杯、いっぱい私のコト応援してくれたよっ!

まくらちゃんがいなかったら、わたし天文部にだって入れなかったしっ、

ア、アリスのコトでだって、もっともっとストレス溜めちゃって、もっとすごい爆発しちゃってたかもしれない……!!

ほ、本当に、本当にありがとうっ……」


 ついには自分も涙声になりながら、どうにかそんな風に気持ちを伝えていく。


『……雪姫先輩……っ』

「家で一人きりで寝るコトも多いとか、そ、そんなのつらいに決まってるよ……!!

わ、私だって、そんなのだったら寂しくて寂しくて耐えられないに決まってるよ……!!」

『ぐすっ……雪姫先輩、ありがとうございます。でも……』


 雪姫まで泣きだしてしまった事で、まくらのほうは落ち着いたようだった。

一度だけ鼻をすすった後は落ち着いた声で話しかけてきて、


『……でも先輩の場合、『寂しい』じゃなくて『怖い』じゃないんですか?』

「……ふぇ? ……ままままくらちゃん!?」

『あははははっ。"ま" が3つも多いですよっ、雪姫先輩!!』


 まくらが、突然明るい声で笑い出して。からかわれている事に気がついた。


「もっ、もおお!? まくらちゃんっ、私は真剣に……!!」


……確かに、自分の場合『寂しい』より『怖い』の方が上位にくるのだろうけれど。

だからと言って、真面目に話していたところにからかいで返されてしまっては堪らない。

流石にちょっと怒ろうとしたところで、


『えへへ、ごめんなさいっ雪姫先輩。

でも、こないだのアリスちゃんの気持ちもちょっとわかったかも。先輩、からかうとすっごくカワイイんだもの』

「ま、まくらちゃあん……」


 追い打ちをかけられてしまい、結局萎れる事しか出来ない少女。

ガックリと項垂れてしまったところで、


『……まあ、そんなに湿っぽくなる必要なんかないんですよっ、先輩!!

今生の別れってワケでもないんだしっ、

冬休みにでもまた合宿とか計画して、そしたら私参加しに行ったりしますから!!』

「……あ……」


 そのまくらの言葉で、ようやく気付けた。

 湿っぽい空気を吹きとばそうと、泣きだしてしまった雪姫を慰めようと、

ワザとこちらをからかうような真似をやってみせてくれたのだと。


──……本当に……まくらちゃんは凄いよ。計佑くんに、ちょっと似てる……


 計佑の優しさは "天然" という感じだけれど、まくらのそれは "自然" という感じで。

2つとも意味は同じようで、でもちょっとだけ違う気もするような。

 まくらが今、電話口の向こうで、ニコニコと笑みを浮かべている姿が想像できて──

つられるように、雪姫の顔にも笑みが浮かんでいた。


「……うん。そうだね。絶対、絶対また遊びに来てね?

わたし、まくらちゃんには、まだまだ全然恩返し出来てないんだから、ね?」

『ええー? 別に恩なんて貸した覚えはないんですけど……あっ、でも、それならですねっ』


 そこでまくらが、一旦言葉を切って。


『……それならっ。雪姫先輩はっ、計佑と──ううん、私の……おにいちゃんと。

ずっとずっと一緒にいて、私のお兄ちゃんのコト幸せにしてあげてください!!

……それが、私への恩返しってコトでどーですか?』

「……っ……!」


 どこまでも優しいまくらの言葉に、改めて涙が出そうになった。


「……うんっ……うん!

わたし、計佑くんに甘えてばかりで、何が出来るか自信ないけどっ……

計佑くんと一緒にいられたら、嬉しくなれるのは私ばっかりかもしれないけどっ……

でも、でもっ、計佑くんにもそう思ってもらえるように、わたし精一杯頑張るからっ!!」

『はいっ、先輩いつもめちゃ頑張ってたからその点は全然心配──心配……あれ? ……あははは!!』

「えっ!? なっ、なに、まくらちゃん!?」


 まくらが、言いかけた言葉を訝しげな声で中断した後、いきなり笑い始めて。驚いて何事かと尋ねれば、


『あはははっ、い、いえねっ、雪姫先輩の場合、頑張りすぎてしょっちゅう暴走しちゃってるから!!

むしろ頑張らないくらいのほうが、上手くいくんじゃないかなあって思って!!』

「ええぇっ!? ちょ、まくらちゃあん!? ひ、ひどいよぉお!!!」

『あははははは!!! ご、ごめんなさいっ雪姫先輩……!!』


──そんな風に、また笑われたりしながら。


 雪姫とまくらとの、最後の会話は終わっていったのだった。



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──8月29日。


 あっという間に迎えてしまったこの日、

まくら達の見送りに来ているのは、計佑、硝子、由希子の三人だった。

 まくらは「かえってお別れがつらくなる」と、目覚家以外のメンバーは固辞しようとしていたのだが、

硝子だけは頑として聞き入れず、こうしてこの三人で見送りにやって来たのだった。


 そして今ホームでは、まくらは硝子と、由希子はまくらの父と話し込んでいて。

計佑だけが一人ぽつんと、少し離れた場所で立ち尽くしていた。

 硝子が時折『何してるのっ、目覚クン!!』という目で促してくるのだが、

まくらの方が、頑なにこちらを見ようとしない事もあって、なかなか動けずにいた。

 けれど、やがてとうとう電車が到着する時刻になって。

ついに意を決して、まくらへと歩み寄っていく。それに硝子が、下がっていってはくれた。


……『遅いっ、遅すぎるくらいだからっ!!』という目で睨みつけてきながら、だったけれど……


──うあ~……後で説教でもされるんだろうなぁ、これは……


 また "鬼の硝子" に叱られる未来が幻視出来て、ため息が漏れそうになる。が、今は──


「……ん。これ、やるよ」

「……え……」


 俯いているまくらへと、ずっと手にしていた紙袋を押し付けた。


「……なに、これ……?」

「グローブだよ。餞別にな」

「…………」


 両手で抱えた紙袋をじっと見下ろすまくらへと、あえて偉そうに言葉を続けた。


「まー、バイトでちょっと潤ってたからな!! 奮発して、随分と高いヤツ買ってやったんだぞ?」


 恩着せがましく、厭味ったらしく──まくらがツッコんで来やすいようにと、

ワザとそんな風な物言いをしたのだけれど、


「……そっか。ありがとね、計佑。……大事に、大事にとっておくね」

「……いや、あの。使ってくんなきゃ意味ないだろ、それ……?」


 静かに微笑んだまくらにそんな風に返されて、こちらがツッコむ羽目になってしまった。


「……エへへ。計佑からの……最後のプレゼントだもの。使ったりなんて出来るワケないよ」

「……最後って……いや、お前……」


 はにかんだまくらが、大事そうに紙袋を抱きしめなおしたけれど。


──最後ってなんだよ……会おうと思えば、いつだって逢えるんだぞ?

  実際、冬休みにはまたこっちにだって来てくれるんだろ?


 雪姫からは『冬休みに、また合宿でも──』みたいな話をしていたと聞いている。

 確かに距離を思えば、もうそうそう会うことは出来ないだろうけれど、

それでも、決してもう会えなくなる訳ではない。

これからだって、会おうという意思さえあれば、まだまだいくらだって会うことは出来るのだ。

 プレゼントだって、何だったらまたお前の誕生日にでも贈りに行ってやるよと──

そんな風に思ったけれど、それは口には出さなかった。

 今、まくらに1番に伝えたい事は──


「……あのな、まくら」


 ポン、とまくらの頭に手を置いた。

まくらが、驚いたように軽く目を見開くのを確認して。


……そして、ゆっくりとまくらの髪をかき回しはじめた。


 あの合宿の朝には出来なかった "ワシャワシャ" を、

ゆっくりと、──丁寧な手つきで、今まくらの頭へと繰り出していた。


「……ちっとくらい距離が離れたトコロで、何も変わらないよ。俺達は、物心つく前からの付き合いで。

……お前の親父さんだけじゃない、オレ達だって、もう間違いなくお前の家族なんだ。

だから──もし何かあったりしたら、遠慮なんかしないで連絡してこいよ?

すぐにでも駆けつけて、何とかしてやるからな」


──オレなんかに何が出来るんだよ。

──まくらは、もうオレなんかよりずっとスゲーやつになってるんだぞ?


 そんな自嘲の声が、心のなかで響いていたけれど。

雪姫や硝子との話で、どうにか気付けた──まくらの望んでいた事を思い出して、

どうにか以前のように兄貴ぶってみせた。

 そしてまくらが、驚愕の顔つきから、ゆっくりと微笑へと表情を変えていって。

己の頭へと乗せられた、計佑の右手へと自分の右手を持って行って──


「ううん。もう計佑には、連絡なんてしないよ」


──そんな言葉と共に、計佑の右手をゆっくりと己の頭から下ろしてみせた。


……逃げるでもない、受け入れるでもない、払いのけるでもない──ただそっと手を下ろすだけという、

初めてみせるまくらのリアクションに、一瞬思考が空白になって。

その言葉の意味がわからなかった。


「……はぁっ!? お、お前何を──」

「──もう、計佑とは会うことも話すこともない。……わたし、計佑からは完全に卒業するよ」


 ようやく理解が追いついて問いただそうとした瞬間、笑顔のまくらに割り込まれた。


「────」


 思ってもみなかった、まくらからの完全な別離宣言。


 今度こそ完全に思考が空白になって、立ち尽くしている間にまくらは身を翻しながら、


「じゃあねっ、計佑。──さようなら!」


 言い捨てて、硝子や由希子にも声をかけると、──もう振り返る事もなく、電車へと乗り込んで。

 暫くの間呆けてしまっていた計佑だったが、やがてハッと我に返ると、


「……ちょ、ちょっと待てっ、まくら!! 一体どういう──」


 声を荒げながら車内に駆け込もうとして、由希子に腕を掴まれた。


「ちょっと計佑!! アンタ何やってんの!?」

「離せよオフクロ!! オレはまだ、まくらと話が──」


 振りほどこうとして、──もう、とっくにベルが鳴り出していた事に気がついた。

そしてすぐに、ドアは閉じてしまって。


……これが、ずっとずっと一緒に育ってきた、幼馴染との別れだった。


 夢にも思わなかった形での別れに、少年はただただ呆然となって。

あっという間に電車が走り去っていった方角へと、唖然としたまま視線を送り続けることしか出来なかった。



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「……ふざけやがってっ……!! アイツ、どういうつもりだよっ!!!」


 怒りのあまり、計佑は携帯をベッドの上へとぶつけるように投げ捨てた。


──まくらとの別れの後、計佑はすぐにまくらへと連絡をとろうとした。

まくらの最後の言動に、まるで納得などいかなかったからだ。

 まだ車内だろう事を考慮して、メールを送って。

もうとっくに到着しているだろう時間になっても返信はなかったが、

まだ何かと忙しい筈だからと我慢して──夜まで待ったが、結局返事はない。

 流石に頭に来て、電話をかけてみたところ、返ってきたのは着信拒否のメッセージで。

それに頭にきての、たった今携帯を投げ捨ててしまったところだった。


──そうかよっ……そっちがその気だってんなら、もうこっちだって知るかよっ!!


 計佑としては、精一杯の歩み寄りを見せたつもりの別れだった。

なのに、完全に拒絶するような態度を見せられては、腹に据えかねた。


……この日は、まくらへの怒りで意識が一杯で、雪姫からのメールにすら返事を出来なかった。


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 それからの二日間、計佑は特に変わりない日常を送った。

 引越し直前の頃には、もうまくらが目覚家に食事をしにくる事もなかったし、

忙しいだろう事もあって目覚家で過ごす事もまたなかったので、

その流れのままという感じで、特に変化は感じなかった。


 しかし新学期が始まって、休み明けの実力テストが始まる頃になると、流石に違和感が気になり始めた。

食卓で、気がつけばまくらが使っていた席を見つめてしまっていたり。

事ある毎に、ついまくらの名を呼びそうになってしまっていたり。


──そんな自分を、ふと客観的に振り返って。

やはり自分は、随分と寂しがっているのだと気がついた。

 そしてそんな自覚を持ってしまうと、もうまくらへの怒りなんて抱き続けてはいられなかった。

相変わらず、まくらからの連絡はなかったけれど、それでももうこちらから折れようと、電話をかけて。


──前と変わらず、着信拒否状態だった。

 まだ何か怒っているのかと、溜息をつきたくなったが、とにかく仲直りをするにも話が出来なければ。

携帯が駄目ならと、固定電話のほうにかけてみた。


『はい、音巻です』


──数日ぶりでしかない筈なのに、随分と懐かしく感じる声。

そのまくらへと、つい弾んだ声で話しかけた途端、──切られてしまった。


 流石にそれには、改めて怒りが湧いて、けれどすぐに凹んでしまって。


……そして、次の日を迎えて立ち直ると。

 また改めて──何度も電話をかけ直した。……けれど、一度も繋がらなかった。


 また次の日。もう半ば意地になって、またまた電話をかけ続けて──やがて、ついに相手が電話に出た。


「──おい、まくらっ、一体──」

『──計佑君かい?』


 声を荒げようとしたところで、落ち着いた男性の声が聞こえてきて。息を呑んだ。


「……え……え、隆おじさん……?」

『うん、そうだよ。……でも嬉しいな、私とはあまり話した事もないのに、すぐにわかってくれたんだね。

……あ、いや見送りきてくれた時に話したばかりだったし、そもそもここは私の家だしね』


 電話口の向こうで、まくらの父が軽く笑ってみせた。けれど、計佑としては戸惑うばかりだ。


「えっ……な、なんでおじさんが……」


──こんな時間に家に? そんな疑問が浮かんだが、考えてみれば別におかしな事ではなかった。

転勤先では、時間の余裕が出来るという話は聞いていたのだから。

以前とは違い、落ち着いた様子で自宅にいる事だって、もう当たり前の話だった。


「あっ……!! こ、こんばんはっ、おじさん。あ、あのっ、オレまくらと話をしたいんですけどっ……」


 少し考えてみればこんな展開は予想できていて然るべきだったのだけれど、

まくらと話すことだけで頭が一杯だった少年はすっかりその可能性を失念していて、

予想外の人物の登場に余裕をなくした。

 それでも、どうにか一言挨拶を入れて、要件を口にしてみせたのだけれど、


『……う……ん。その事なんだけどね……』


 隆の口調が、急に歯切れの悪いものになった。


『……もう、まくらに連絡をとろうとするのは、やめてもらえないかな……?』

「……え……?」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。──いや、わかりたくなかった。


「……え……え、な、なんでですか? ど、どうしてそんな……」

『……まくらは、計佑君とは話したくないって言ってるんだよ……』


──それは。それは一応はわかってる。ケータイだって着拒されてるのだから。

──でも。まくらが何かまだ怒ってるというのなら、尚更話をしないと。

──何も話が出来ない状態では、いつまで経っても状況は変わらないじゃないか。


 そんな風に言いたいことはあったけれど、

まくらの保護者からも拒絶されるという事態に、もう上手く言葉も紡げなかった。


『……すまないね、計佑君。そういうワケだから──』

「ま! 待ってください!!」


 電話を切られそうな雰囲気に、どうにか金縛りが解けた。


「な、なんでまくらはそこまでオレにキレてるんですか!?

オレ、そこまで何かやっちゃってたんですか!?」


 動揺したまま、縋るように尋ねていた。


──後で落ち着いて考えてみれば、硝子や由希子や、

他にも回答を教えてくれそうな人間はいたのだけれど、

この時は動揺していた事もあって、まくらの父から聞き出せなければもう終わりのような気がしていた。


『……いや、その……計佑君が悪いワケじゃあないんだよ。

親としては、確かに腹立たしい部分もあるんだけど、でも同じ男としては……責められないというか……

……うん、やっぱりどちらが悪いという話じゃないんだよ。

ただ強いて言えば、まくらと計佑君、どちらにも責任はあるとは言えるのかもしれないけどね……』


 隆がそんな風に諭してきたけれど、まるで理解出来なかった。だから、


「お願いですっ、おじさん!! 一度だけ、一度でもいいから、ちゃんとまくらと話をさせてくださいっ」


 もう一度そんな風に縋ってみせたのだけれど、


『……本当にすまないね、計佑君。とにかく、しばらくの間はそっとしておいて欲しいんだ。

……電話がある度に、まくらが震えるんだよ。……流石に、もう見ていられないんだよ』

「……そ……んな……」


 自分の行動のせいで、まくらが苦しんでいる。


──そんな話を聞かされては、もうこの少年では我は通せなかった。


『……こういう問題は、時間が1番の特効薬なんだよ。

いつかは、ちゃんとまくらも落ち着けると思うから、とにかくしばらくは我慢してほしい、計佑君』


 多分、それが向こうの最後の言葉だった。

気がついたら、受話器からはツー、ツー、という音が聞こえてきていて。


 いつ電話が切られたのかには、全く気が付かなかった。



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 実力テストが終わって、教師からの採点・返却も済んで。

一段落した計佑たちは、今日から天文部の活動を再開する事にした。


──といっても、今部室にいるのは計佑と硝子だけだ。

雪姫は委員会活動で、

茂武市は『こないだナンパしたコから連絡が来た! というワケで今日はパス!!』と、

アリスは一応顔を出したのだけれど、硝子が未だに怖いらしく、早々に早退していった。

──まあ、硝子と二人っきりという訳でもないのだから、

計佑がしっかり相手をしてやっていればアリスは逃げ出したりはしなかった筈なのだけれど、

今日の計佑はアリスがじゃれついてきても生返事ばかりで、ろくに構ってはやらなかったのだった。


「…………」

「…………」


 二人共ずっと無言のままで、

室内に響く音は掛け時計の秒針の音と、硝子がノートに走らせるシャーペンの音ばかりだ。

そんな静かな空間の中、硝子は黙々と今日出された課題を片付けていたのだけれど、突然その手を止めて。


「……目覚くん、今日は随分腑抜けちゃってるみたいだね」


 顔は上げずに、ポツリと計佑に話しかけてきた。

 特に何をするでもなく、ただ椅子に腰掛けてボ~っと天井を眺めていた計佑だったが、

しばらく間を空けてからようやく、話しかけられた事に気付いた。


「……あ。ご、ごめん須々野さん。なんか言った……?」


 我に返って硝子に尋ね返したが、

硝子はチラリと一度目線を上げてきただけで、またノートへと向かうとシャーペンを動かし始めた。


「……えっと……」


 なんとも気まずい。

呆けていて気付かなかったが、どうやら今日の硝子は機嫌が悪いようだ。

 メンバーは全然集まっていないし、自分も呆けてばかりで何の活動もしていない。

もう今日はお開きにしようかと考えた所で、


「まくらの事でも考えてた?」

「えっ!? ……い、いや、そんなコトないよ?

今日は人も来ないし、もうお開きにしようかなーって、そんな事を──」


 直前の瞬間に考えていた事 "だけ" 口にして、出来るだけウソをつかずに誤魔化そうとしたのだけれど、


「ふうん。今日は一日中ずっとぼんやりしてたみたいだけど、

その間ずっと『早く家に帰りたい』なんて考えてたんだ?」


 硝子には簡単に看破されている様子だった。


──……まあ、須々野さん相手に誤魔化せるワケもないか……


 諦観のためいきを軽くついたところに、


「まくらに避けられてるんでしょう?」

「……っ」


 直球で追い打ちをかけられた。


「す、スゴイね……相変わらず……なんでそんなコトまでわかるの?」


 相変わらずの超絶的なカンの冴えに驚愕していたけれど、


「別に。これは単にまくらから聞いただけの事だよ」

「……あ。そ、そうなんだ……」


 今日の硝子は、読みの鋭さだけでこちらを驚かせてきた訳ではなかったようだ。


「そっか……須々野さんとは、ちゃんと連絡とってるんだね、アイツ」


 まくらが避けているのは自分だけ──わかりきってはいたけれど、改めて思い知らされる事実はやはり苦しかった。


「……なのに、オレの事はシャットアウトか」


 溜息をついて、その先を呟いた。


「……薄情なヤツだよな……」


──本気で、そんな風に思っていた訳ではなかった。

いや、昨日までは確かにそんな気持ちもあったと思う。

 それでも、昨夜まくらの父から話を聞いた後では……もうそんな風には思っていなかった。

けれど今、愚痴ろうとする為に口にする言葉には、

どうしてもそんな五文字の単語が含まれるのは避けられなかったのだ。


……そして、半ば覚悟していた通り、


「……薄情、ですって……!?」


 硝子が一気に怒気を膨れ上がらせるのがわかった。

それでも、多分そうなるだろう事は覚悟出来ていた事もあって、ただ項垂れて硝子の罵倒を待ち受けていたら──

硝子が大きくつく溜息の声が聞こえてきた。

 その溜息に乗せて怒りを吐き出しているのか、硝子の怒気がみるみる萎んでいくのを感じて。

のろのろと顔を上げると、硝子が苦い笑みを浮かべてこちらを見つめてきていた。


「……目覚くんも、随分苦しんでいるみたいだね。

わざと私を怒らせて、自分の事を叱らせようとでもしたの?」

「……そんなんじゃない。本気で、そう愚痴っただけだよ」


 そう、もうどうしたらいいのかわからなくて……半ばヤケになって愚痴っただけ。

そんな、硝子の言うような気持ちなんて、決して──


「……まくらが……怒ってるっていうんなら、まだよかったんだ」


 独白のように、口を開いた。


「……でも。昨日オヤジさんに話を聞いた感じじゃあ……オレのせいで、アイツはなんか苦しんでるみたいなんだ」


 自分がまた何かバカな事をして、まくらを苦しめてしまっていたというのなら。

それをはっきりと叱ってくれるだろう相手は、硝子しか思い浮かばなかった


──そうだ。口にしてみて、自覚できた。

確かに自分は今、硝子に叱ってほしかったのだ。

 まくらを苦しめてるなんて全然気付かずに、嫌がらせのような真似まで続けていた自分を、

罰してほしかったのだと──


「……だから、『後悔する』って言っておいたのに……」

「……え?」


 硝子の呟きは、辛うじて聞き取れたのだけれど。

何の話かは咄嗟には思い出せなかったし、意味もよくわからなかった。


「ねえ、須々野さん。オレは……何を間違えたっていうの?

見送りの時、オレはちゃんと兄貴ヅラしてふるまったハズなんだよ。

合宿の時に須々野さんがくれたアドバイスも、そういうコトだったんだろ?

それが、まくらが望んでたコトで合ってたハズだよね?」


 訴えるように尋ねたら、硝子が困った顔になった。


「……それは……」


 そして、ため息を挟んで。


「……何もかも遅かったんだよ、目覚くんは。

どの道ムリだったかもしれないけど、でも間に合うとしたら、合宿から帰った日がリミットだったのに」

「……それは」

「──ごめん、わかってる。

あの日の目覚くん、普通じゃなかったもんね……電話越しでもはっきりわかるくらい。

何言っても怒鳴りつけても、生返事すらろくになかったもの……

体調の事だったんならどうしようもないって、わかってるんだけど。

……でも。どうしてあんなタイミングで、って思うと……やっぱり……」


 硝子が唇を噛み締めて俯いて。

それに関しては計佑とて全くの同感ではあったけれど、何も言えなかった。


 しばらくの間お互いに無言で過ごして、ようやくまた計佑が口を開く。


「……須々野さんなら、わかってるんでしょ? まくらが何で苦しんでるのか、って」

「…………」


 無言で視線をそらすその仕草は、肯定を意味していた。


「合宿の時にもこんな話したよね。この話題も……やっぱり、まくらを怒らせちゃうとか?」

「…………」


 貫かれる無言。──つまり、また肯定。


「……そっか。じゃあやっぱり聞くわけにはいかないね」


 自分の不始末で、硝子に迷惑をかける訳にはいかない。

諦めて、もう帰ろうと椅子を後ろに引いた所で、


「──待って、目覚くん」


 硝子が俯いていた顔を上げて、こちらをまっすぐに見つめてきていた。


「目覚くんは。……知りたいって、本当にそう思ってるんだよね?」

「……そりゃあ……知りたいけど、でも──」


──『でも、須々野さんに迷惑かける訳には』

そう続けようとしたところで、硝子が首を左右に振った。


「ううん、いいの。

……だって、本当は私だって目覚くんにはちゃんと知ってほしいんだもの。

……そう、ちゃんと知って、 なんで目覚くんも今苦しいのか、

その本当の理由を……自覚してくれなきゃ、むしろ許せない気もしてるから」


 そう言い切った瞬間、硝子の眼光が鋭くなった気がした。

けれど、この時は計佑も怯んだりはせずに。


「うん……わかった」


 居住まいを正した。そして、


「結論から言うと、まくらは目覚くんの事が好きだったの」


 硝子のその言葉に、


「……は?」


 間の抜けた声しか返せなかった。


「……ん? ああいや、そりゃまあ長いコト上手く家族やれてたし、

それはわかってるつもりだけど。でもそれが──」

「とぼけないで、目覚くん。そういう意味の『好き』じゃない事くらい、わかってるでしょう?」


 繰り返されて、そして硝子の言いたい事を理解して、──その瞬間、失望した。


「……またそれかよ……」


 溜息が出た。

こちらは縋る思いで尋ねたのに。

なんでそんな馬鹿げた答えを返すのかと呆れて、今度こそガタンと立ち上がった。


「オレはもう帰るよ、須々野さん。つまんない話に付き合わせて悪かったね」


 そして硝子の返事も待たずにもうドアへと向かって歩き出して、


「まって!! 待ってよ目覚くん、最後までちゃんと話を聞いて!!」


 硝子が立ち上がる音も聞こえたが、歩みは止めなかったし振り返りもしなかった。

ドアに手をかけた所で、


「お願いだから、逃げないでちゃんと聞いて!!」


 反対側の手を硝子に掴まれた。


「……手、離してくれないかな」


 振り返って、目を合わせた瞬間。硝子が息を呑んだのがわかった。


──まあ、それも当然かもしれない。

今の自分は、多分ソフト観戦の時の──硝子を冷たく無視して、

泣かせてしまった時と同じような──目で見下ろしている筈だから。


 一瞬、申し訳ない気持ちも湧き上がりかけたけれど、今の自分にはあの時同様、余裕はなかった。

そんな所に、またバカな話を繰り出されてはどうしても平常心は保てなくて。

冷たく見下ろし続けていると、硝子はそれにブルッと震えて、……それでも、手は離さないままに、


「め、目覚くんが怒るのも仕方ないと思うけど、でもちゃんと聞いてほしいの!!」


 震え続けたまま、そんな風に懇願してきた。


「目覚くんがそんな風に頑なだから、まくらは苦しむ事になったの!!

だ、だから、ちょっとの間でいいからっ、先入観を忘れて、私の話をき、きいて……」


 俯いて、ついには涙声になって。

……そうなっては、流石にもう冷たくし続ける事も出来なくて。


「……わかったよ、須々野さん。ちゃんと聞くから、だから泣き止んでよ……」


 今度はこっちが懇願するかのような声を出すと、それでもう逃げはしないと安心できたのか、

硝子がぐすっと鼻をすすりながらもこちらの手を離して。

俯いたまま眼鏡を外すと、眼鏡に零れた涙をメガネ拭きで拭き取り始めた。

 計佑もまたハンカチを取り出すと、硝子の頬の涙を拭ってやる。


──と。

硝子がいきなりギシっと硬直して。やがてギギっと目を見開いて、こちらを見上げてくる。


「……え? な、なに? どしたの須々野さん……?」


 いきなり妙なリアクションをとる硝子に困惑したが、少女の顔は赤くなっていく一方だ。

そしていきなりグルっと後ろを向くと、


「め、目覚くんのハンカチが汚れちゃう……!! そ、そんな事してくれなくていいから!!」

「ええ? 涙くらいで何言って──」


 硝子の前に回りこもうと動きかけた瞬間、


「いいからッ!!! もうそういう事しないでよっ、こんな時なのにぃ!!!」


 金切り声で叱られて、金縛りにあってしまった。


──空気を読まない天然たらしっぷりは、もはや芸術の域へと達しそうな少年だった。


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 やがて硝子は何度か深呼吸を繰り返すと、またこちらへと振り返ってきた。

 ついさっき、何故叱られたのかはさっぱり理解出来ない計佑だったから、ついビクリとしてしまったけれど。

硝子の顔には何やら赤みは残っていても、怒っている雰囲気はなさそうだったので、とりあえずは胸をなでおろした。


「……話を戻すね、目覚くん。

目覚くんが、こういう話についてどうしてそこまで拒否反応を示しちゃうのか、本当の所は私にはわからない」

「そんなの……」


──馬鹿馬鹿しい、ありえない話だからだ。

心の中でそう続けたけれど。ちゃんと聞くと約束した手前、とりあえずは口を噤んだ。


「……でも、それでも1つ『こうなんじゃないか』って理由は思いついたんだ」

「え……? なにそれ?」


 思わずきょとんとしてしまう。

正直、自分では『馬鹿馬鹿しい』というモノしか自覚していないのだけれど、

硝子にはもっと別のものが見えているのか──


「目覚くんとまくらって、小さい頃からずっと一緒にいて……冷やかされる事も多かったんでしょう?」

「……そりゃ、まあね」


──確かに、それはうんざりする程だ。それで気まずくなって、疎遠になりかけた事だってある。


「それで不愉快な思いをする事も多かっただろうし、

もしかしてまくらと疎遠になりかけた事だってあったかもしれない。

……そうして、そういう話に嫌気がさして、だからもう『そういう事は一切考えたくない』って、

『恋愛感情の話なんか混ざると、まくらと一緒にいられなくなる』って、そんな風に思うようになって、

今みたいに頑なになっていった部分……あったりしない?」

「……そんな事──」


──ない。とは言い切れなかった。

硝子の言葉に、何故かドクンと心臓が驚いていたから。


 そして硝子は、果たしてそんな計佑の動揺を見抜いたのかどうか、言葉を続けてきた。


「……そしてね、まくらも、もしかしたら同じように思ったのかもしれない。

 ……でも多分、まくらの方は目覚くんとはちょっと違ったんだと思う。

まくらはただ何も考えずに目を逸らしたんじゃなくて、ちゃんと自分の気持ちを自覚した上で、

気づかないフリをしたんだと思うの……」

「…………」


──"まくらがそんな難しいこと考えるハズは……" そんな風に考えたけれど、何故か口には出せなかった。


「……だって、目覚くんの方はそんな風に完全否定して、

頭ごなしにその可能性を切り捨てるような態度とってたら。

……それはまくらだって、そんな態度は表に出せる筈ない。

気持ち悪いとか思われるんじゃないかって、

家族としてすら見てもらえなくなるんじゃないかって、そんな風に不安になるのは当たり前だと思う……」


──なんだそれは。そんなもの、結局は須々野さんの想像だろう。証拠でもあるのか──

そんな風に否定の言葉が脳裏を駆けたけれど、やっぱり口には何も出せなかった。

 そうやって黙りこんでいる自分がどんな顔をしていたのかはわからなかったが、

硝子はしばらくの間、こちらの顔をじっと観察するように見つめてきて。やがて、


「……うん、一応は凝り固まってた先入観は揺らいでくれたみたいだね……

固いままのところにいきなりこれを聴かせるのは、流石に厳しすぎるかなって思ったんだ」


 そんな言葉を口にしながらケータイを取り出すと、何やら操作をしてから計佑へと手渡してきた。


「聞いてみて、目覚くん」

「……え……何を……」

「まくらが引っ越す前に、私と電話で話した時の音声だよ。

……こんな事をして、まくらにはもう許してもらえないかもしれないけれど。

録音しておいたんだ……」


 液晶画面を確認すれば、あとは『再生』待ちの状態。


……それでも、受け取った後、何も行動を起こせなかった。


 だって、ここまでの流れから考えれば、聞かされる会話がどんなものかなんて──

どんな鈍感な人間だろうと、想像出来ない筈はなくて。ただ呆け続けていたら、


「目覚くん。知りたいって言ったのは目覚くんだよ。

……それにこのままじゃあ、ずっとまくらの苦しさの理由はわからないままじゃあないの?」


『まくらを苦しめたまま──』……その言葉には、急所を突かれた気がした。


「…………」


 無言のまま、のろのろとした動きでケータイを耳に当て、再生を始める──



─────────────────────────────────



『──ねえまくら、本当にこのまま何も言わずに引越しちゃっていいの?』

『え……何の話、硝子ちゃん?』

『まくらの、目覚くんへの気持ちに決まってるじゃない……!!』


──予想していた筈の話だったのに、ドクンと心臓が強く震えた。


『んー? 私の計佑への気持ちって?

……ああ、"今までお兄ちゃんとして色々とありがとう" とか、そいうコト?

……改めてそういうの伝えるとか、照れくさいんだけどナ~……』

『……まくら……!! わかってるんでしょう!?』

『え? チョット何言ってるかワカンナイですね』


──まくらが、あるお笑い芸人の口真似をしてとぼけた瞬間、硝子の怒気が大きく膨れ上がったような気がした。


『……そう、わかった』


──やはり、気のせいではなかった。硝子のその声は、時折計佑に向けて発する時のような低い声へと変わっていた。


『だったら、私から目覚くんに話すよ。……ああ、

"どうせ計佑ならそんな話信じるワケないよ"

なんてタカはくくらないでね? 私なら、どんな朴念仁にだってちゃんと理解させてあげられるから。

だから安心して──』

『──絶対やめてよね……』


──ゾクリとした。聞き慣れた筈のまくらの声だったのに。

ここまで冷たいまくらの声なんて、数回聞いたことがあるかどうか……


『……許さないよ……たとえ硝子ちゃんだろうと、そんな話を計佑にしたら絶対許さないからッ……!!』

『……ごめんなさい、まくら。本当にごめんなさい……』


──まくらの鬼気迫る声に、硝子はいつもの声に戻るとすぐに謝って。


……この時の硝子は、色々な意味で──まくらを挑発するような真似をした事、この会話を録音していた事、

つまりは結局計佑に話すつもりだった事などを──まくらに謝っていたのだと、随分後になってから気が付いた。


『……ねえまくら。どうしてなの? どうしてそこまで……

目覚くんに話せないっていうのなら、せめて私にだけでも教えて。

私には、この期に及んでまで隠し通したいって気持ちはよくわからないの』


──硝子がそんな風に尋ねると、まくらがふうっと溜息をついて。


『……そんなの。気まずくなるに決まってるからだよ』

『どうして? どの道、引っ越しちゃうんでしょう? だったら気まずくなるも何もないじゃない。

ダメ元で、気持ち伝えたって──』

『──硝子ちゃんはさ。誰か大事な人を突然なくしちゃったコトってある?』

『……え……?』

『私のお母さんはさ。病気で弱っていたけど、最期は突然の事故だった』

『……あ……』

『……同じように、お父さんも逝ったりしないなんて保証はどこにもない。そして──』


──まくらが、一旦言葉を切った。


『万が一そんな事になった時。私が家族って呼べる人は、もう計佑たちしかいないの。つまり──』

『保険、って事……? 

今はお父さんの方についていくけれど、万が一の事態になった時の家族を残しておく為に……

その為に、気まずくなるなんて事態は、避けておきたいって事なの……?』

『さっすが硝子ちゃん、理解がはや~い!!

……そうだよ。こんな黒い話、ドン引きだよね?

……でもね、これが硝子ちゃんが知りたがった私の本音なの。

私は、一人で寂しく生きていくなんてコトだけは、絶対耐えられないんだ』

『……そんな……』


──なんて黒い。天真爛漫に見せている癖に、本当はそんな計算高い事を。

──他人から見たら、そんな風に思うかもしれないまくらの考え。


……けれど、計佑にはむしろまくららしい気がしていた。


 まくらが、誰よりも孤独を嫌う事をよく知っていたから。

その点だけは、まくらの父親よりも、由希子よりも自分こそが1番知っていると自負していたから──

まくらが寂しさから逃れようとする考えを誰にも否定はさせないと、そんな風に思う計佑にとっては。

硝子の声に、僅かとは言え責めるような響きが含まれていた事が、

その事のほうがまくらの計算高い言葉よりよほど腹立たしかった。


『……そんなの……でもっ。

目覚くんなら、ちょっとくらい気まずくなっても、絶対まくらのこと見捨てたりしないでしょうっ!?

目覚くんはっ、鈍い所はあっても度量は広い人だもの……!』

『ええー……? うーん、どうかなぁ? 最近の計佑、ちょっと微妙な気もするんだよねぇ……』


──凹んだ。

……まあ、最近の自分の色々を顧みれば、認められる筈もない事はわかっているつもりだったけれど。


『そっ……それは!! それはそうかもしれないけどっ、でも!!

あの人の犯罪的な鈍さを考えてみてよ!?

目覚くんならっ、一時的に気まずくなったとしても、

どうせその内綺麗に忘れて、のほほんとした態度をとるようになるに決まってるよ!!』


──ますます凹んだ。

……硝子はこれで、本当にフォローしてくれているつもりなのだろうか。

 確かに自分は激鈍だとは思うけれど、

まくらがそんな気持ちだったと知ってまでのほほんとなんて、いくら何でも出来ないと思うのだけれど──


『……え、ええ~……? し、硝子ちゃんもキッツいね……いくら計佑でもそこまでなんて……なんて……

……んんん? ……言われてみれば、確かにそんな気もしてきたかも……?』


──一瞬は否定してくれようとしていた筈のまくらまで、結局は同意。

今度こそ、完全に項垂れて。

つい、ジトリと硝子を見上げてしまった。


……その視線で、今どの辺りの会話を聞いているのか察したのだろう。

硝子は『あっ……』と小さい声を出すと、気まずそうに視線を逸らした。


──けれど、まくらと硝子の会話はまだ続くようだ。

仕方なく、どこか納得いかないながらも意識をそちらに戻す。


『……ていうかさ……どうして硝子ちゃんはそこまで拘るのかな?」

『えっ……!?』

『私が計佑の事をどう思ってようと──』


──そこで、まくらが息を呑むような音を挟んで。


『……ねえ、硝子ちゃん? もしか──』


──またも言葉が途切れた。


……といっても、今度のはまくらが言葉を切ったというよりも、

録音そのものがいきなり止められたかのような不自然な感じだった。

 まさかこれで終わりなのだろうかと硝子に目をやったが、硝子は相変わらず気まずそうに視線を逸らしたままで。

はっきり尋ねようかとした瞬間、


『確かにわたしは、計佑のコトがずっと大好きだったよ』


──完全に不意打ちだった。


 いや、ここまでの会話で、一応はもう察していた事だけれど。

はっきりと口にされてしまった言葉には、やはり衝撃があった。


……直前には、二人がかりでこちらを罵倒するという、油断を誘う展開も挟まれていただけに尚更だ。


『……しばらく前に。初めて計佑に「カワイイ」なんて言われたんだ……』


──ドキリとする。自分がシスコンだと自覚した時の──あの夜の事か。


『……すごく嬉しかったんだよねー……だって初めてだったんだよ? 計佑がそんなコト言ってくれるなんて。

……だからつい、"まさか!?" ……な~んて、バカな期待まで一瞬しちゃってさぁ……』

『……まくら……』

『……勿論、すぐに "妹として" って、しっかりきっぱり釘さされて、ついキレちゃったりしたんだけどネ』


──あはははは、とまくらが笑う声が続いたけれど。


……無理して笑ってみせている事くらいは、流石に理解出来た。


『ひっさしぶりに応援しに来てくれるっていうから張り切ってみれば、思いっきりシカトしてくれちゃうし。

次の日になってみれば、アリスちゃんとの仲がますます進展しちゃってるし。

私にするみたいに乱暴なコトしてるかと思えば、私の時よりず~っと優しくもしてるんだもの。

……せめて妹としては1番の筈って思おうとしてたのに、そんなの心折れるに決まってるよね~……』


──雪姫との相談で導き出せた答え。それ自体はやはり正解ではあったけれど。

……でも、今となっては。

……まくらの本音がわかってしまった、今となっては……


『……前はよかったな~……計佑の周りにいる女の子なんて私しかいなくて。

計佑はずっと女のコになんて興味なくて。だから、妹でも全然よかったんだけどなぁ。

だって、妹の私が計佑に1番近い女のコだったから。

……でも雪姫先輩が現れてから、すっかり変わっちゃった』


──まくらが、大きく……大きく、溜息をついて。


『……そう、結局のトコロ、雪姫先輩のお陰だったんだよね。

ちゃんと計佑と離れる決心つけられたのは、さ。

"雪姫先輩みたいなスゴイ人が相手なら、すっぱり諦められる" ────そんな風に思ってたクセに、

わたし、ずるずると引きずりまくっててさぁ……ホントみっともないなあって思ってたんだけど──』

『──違う、違うんだよまくらっ……あの人は、白井先輩はまくらが引け目を感じる必要なんかない人だよ……』


──違和感を覚えた。……硝子が雪姫を否定してる?


 けれど、まくらはその硝子の言葉を聞いていないかのように独白を続けて。

そちらに意識を傾ける計佑も、その違和感について深く考える事はなかった。


『──合宿の夜、計佑が雪姫先輩にしがみついて、ワンワン泣いててね?

それ見た時さ……ずぅっと一緒だった私にだって見せてくれたコトない、

あんな風に全部委ねてさらけ出した姿、雪姫先輩には見せられるんだ……って、そう思った時。

私、ようやくわかったんだよね…… "妹でもいいから傍にいたい" なんて大嘘だったんだって。

結局のトコロ、計佑のことが好きで好きで、

諦めなんかつかないからそんな風に自分を誤魔化そうとしていただけなんだって。


……初めて、雪姫先輩のコト憎いって思っちゃった瞬間、ようやく気づいちゃったんだぁ……』


『……まくら……』

『……そんなのに気づいちゃったらさ? もう一気にキツさが限界超えちゃって。

そしたら、お父さんから引越しの話を聞かされて。

……まあ、これで都合よく逃げられるし、ちょうどよかったかなぁって』


──また、まくらが笑ってみせる。けれど、笑ってる筈のその声は、もう……


『だ、だからもう、計佑の傍にはいられない。

す、少なくともっ、本当にただの家族としか思えなくなるまではっ、連絡だってもうしないっ……!!』


──グスッ、とまくらが鼻をすする音が聞こえて。


『……エへへっ、まあでも、お別れの時にはキッツいコトの1つでも言ってやろうかとも思ってるんだ~?

最後まで鈍感王だったオバカなおにーちゃんへの、ささやかな復讐としてネ!!』


──そして、まくらを呼ぶ声──多分まくらの父親だろう──が漏れ聞こえて。

まくらが通話口を押さえてから『はーい!!』と大きく返事をしただろう様子も漏れ聞こえてきた。


『……じゃあねっ、硝子ちゃん! 計佑と雪姫先輩のコト、よろしくね。

計佑はオバカでヘタレだし、先輩は先輩で暴走しがちだし、

周りで誰かがフォローしたげないと、なんかしょっちゅうトラブル起こしそうだからさっ!!』


──そんな風に告げたまくらは、最後には愉快そうに笑って。


……そして、録音再生はそこで終わりだった。


─────────────────────────────────


「……どうだった? 目覚くん」

「……え……? ……あ……」


 いつの間にか再生が終わっていたケータイは、もう硝子の手に戻っていた。


「…………」


 硝子がじっとこちらを注視している。

それでも、何も言えずにただ立ち尽くしていた。


「ねえ、目覚くん。目覚くんとまくらがいつも言っていた『兄妹みたいなもんで、そんなんじゃない』

……少なくとも、まくらのほうは否定したよ。

もう、『そんなコト、ありえない』なんて言えなくなったよね」

「…………」

「目覚くんにとって、本当にまくらはただの家族でしかなかった?」

「当たり前だよ。それ以外の何でもない」


 意識しなくても、何度も繰り返してきたセリフは勝手に口をついた。

けれどその瞬間、硝子が顔を歪めると。


「……その思考放棄が元凶なんだって……! もうわかってるでしょう!?」


 押し殺したような声と共に、こちらの肩を突いてきた。

決して耐えられない強さではない、細腕に押されただけの事だったのに、何故か踏ん張れず蹌踉めいて。

背後にあったドアに、背中をぶつけて。


──もう真っ直ぐ立てる気がしなくて、そのまま寄りかかり続けた。


「白井先輩といる時でも、まくらの事が気になったりしなかった!?

私が先輩との事内緒にしておくって言った時、

『誰であっても言わないで欲しい』って言ってたけど、1番知られて困る相手はまくらじゃなかった!?

先輩に告白されて一ヶ月以上経つのに、いつまでも答えが出せないのは本当に鈍いせいだけだった!?」


 矢継ぎ早に畳み掛けられて。ようやく……ゆるゆると、考え始めた。


──雪姫と一緒にいる時でも、まくらが気になった事は確かにあった。

  ……霊状態のまくらが心配だっただけだと思っていたけれど。


──添い寝を見られた、次の日の朝の事か。

  ……確かに、あの時1番知られたくなかった相手はまくらだった気がする。

  ……そうだ。島で療養所に入る直前、まくらが何やらアドバイスをしてきた時。

  あの時の自分は、昨夜の雪姫との一幕をまくらに知られるのはまずいと──確かに考えていた。


──いくら何でも答えを出すのが遅すぎると言われれば、それは確かにその通りだとは思う。

でも、雪姫の気持ちをちゃんと理解出来るまでにだって、自分の場合は時間がかかってしまったし、

それがわかってからだって、合宿だ、バイトだと忙しくて、ゆっくり考える時間はあまりなかった。

……けれど。

それが1番の理由だと思っていたけれど、それでも。

雪姫への気持ちにいつまでも確信が持てなかった理由は、本当にそれだけだったのだろうか……?


 一度気になり始めたら、連鎖的に思い出されていく事はまだまだあった。


──まくらに雪姫との "事故" の数々を知られて、嫌われたと思った時。

  ……雪姫と一緒にいても、まるで気持ちは上向かなかった。


──まくらに雪姫の事をからかわれたりした時。やたらと居た堪れなかった。

  ……あれは本当に、家族からのそれが恥ずかしかっただけだろうか。


──まくらに好きな男がいたと知った時。

  あの異常なまでに燃え盛った嫉妬の炎は。

  ……本当に、妹分に対するものだけだっただろうか……?


「……もう一度聞くよ? 目覚くんにとってまくらは、本当にただの妹みたいなものだった?」


 硝子が、今度は静かに問いかけてきた。

その顔には、色々な感情が混ざり合っていたけれど、俯いたまま呆けている少年は全く気づく事もなく。


「……まくらは妹みたいなもんだよ。それは変わらない」


 口にした答えは、さっきと変わらなかった。


……けれど。


 すぐに、たった今気づいたばかりの『真実』も付け足した。


「うん、妹みたいなものだったけど。

……でもそっか。

それだけじゃなくて、俺、まくらのコトを女の子としても、ずっと前から好きだったんだな……」


 少年が、ようやく腑に落ちたという顔でそう口にした瞬間。

硝子は唇を噛み締めると、つらそうに俯いて。そして、
















 ドア一枚隔てた廊下には、その『答え』を聞いてしまった雪姫が、呆然と立ち尽くしていた──


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