一色いろは・被害者の会3 ~雌伏篇(前半)
いろはすSSです。三年になった八幡のオリジナル展開です。今回は被害者の会と生徒会の日常をダラダラお届けします。
シリーズものなので、初めての方は↓からどうぞ。
一色いろは・被害者の会 ~黎明篇~
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~前回までのあらすじ~
暴虐非道の王・一色いろはが君臨する総武高校は、朝餉の煙も立たぬほどに困窮していた。
貧困に喘ぐ生徒を救うため、八幡・戸部・副会長は『一色いろは・被害者の会』を結成する。
そんでいろいろあって他校の生徒会同士で交流会なんかもあったりして
総武高からスピーチする人を出すことになったんだけど、
嫌がる一色が他人に押し付けようとするもんだから、逆に無理矢理やらせてみたら、
いろいろ嫌なこともあったけど、なんやかんやで上手くいったのであった。
前回 ~一色いろは・被害者の会2 ~野望篇(後半)~
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大事の前の小事という言葉がある。
大業をなす時は取るに足らない小事のことなど、いちいち構っていては事を仕損じるというのだ。
だがこの言葉には逆の意味もある。
大きな事を成さんとする時こそ、小さな事を疎かにしてはいけない、という意味でも使われるのだ。
大事は細より生ずるなどとも言うので、つまりは抜かりなく先に小事を片付けてしまえというのだろう。
同じ言葉でありながら、まったく逆の意を持ち、そしてどちらも正しい。
しかし、どちらも正しいが故にこの言葉には欺瞞がある。
例えば誰かに仕事を任される時、「君、大事の前の小事というからね、この言葉を肝に銘じて臨み給えよ」などと言われるも、力及ばず大失敗に終わったとする。
小事にかまけて失敗しても、小事を後回しにしたから失敗したとしても、
「き、君ィ!だから私はあれほど言っただろう!大事の前の小事だと!」
などと言って、この言葉一つで、任せた側はまんまと責任を回避することが出来るのだ。
捨象するに、大事・小事の区別など元より意味がなく、あらゆる事象を、目についた順に片っ端から手を付けなければいけないのが厳しい現実であり、無論そうしたからといって成功の保証など何処にもないという絶望的な帰結しか残されていないのである。
畢竟、あらゆる事象をスルーし、なにもしないのが大正義であり、絶対に働かないというのが唯一無二の真理ということになる。
今回はそんな境地に至れず、小事と大事に振り回される、ある哀れな男の話をしようと思う。
それでは現場にいるリポーターの八幡さん、どうぞ!
※※※※※※※※※※※
生徒会の交流会も無事終わり、スピーチを大成功の内に収めた一色。
名声は満天下に知れ渡り、その勢いたるや天を突くほどに盛り上がっていた。知らんけど。
ネットを見ると、なんちゃら学生会とやらが、早速交流会の様子をサイトにまとめているようで、壇上に立つ一色の勇姿がトップページにでかでかと載せられている。
一色の内面は甘ったるかったり、スパイシーだったり、おどろおどろしいもので溢れていたりするのだが、ルックスのみにフォーカスするならば決して悪いものではない。
むしろ可愛い部類に入るのではないだろうか。知らんけど。
そこに、ほとんど原稿のおかげであることは論を俟たないが、なかなか上手く読み上げたのが評価されたのであろう。
サイトでは本年のメインのような扱いを受けており、大きく取り上げられた本人は至ってご満悦だった。
「んー、でもこの角度だとー、私の魅力の半分も伝わって無いような気がするんですよねー」
知らんがな。
写真は内面を写さないだけ有難いんじゃないですかねぇ……
などと心の中で毒づきつつも、今日も今日とてベストプレイスで二人して昼食を摂っている。
まだ夜などは肌寒いが、昼間は上着が暑く感じる季節ごろ。
一色もブレザーは傍らに置き、薄いピンクのカーディガンだけで過ごしている。
しかし、そんな初夏のほの温かい暖気など我関せずとばかりに、一色の座る位置が日に日に俺に近づいている気がする。
「ほらー、先輩もそう思いません?」
今日などは極めつけで、どこから持ってきたのかタブレットを、どうよどうよ、おら見ろよと俺の視界に押し付けてくるものだから、腰などはほとんど密着しており、肘やら二の腕やらがピタピタと俺の体に当たっている。
ち、近い……近いのだけれど……!
お前の座る位置も、タブレットの位置も……!
「やっぱり一生懸命やって良かったですねー、まさかこんなに好評だなんて……」
「いや、お前……最初は誰かに押し付ける気満々だったじゃねぇか……」
「そうでしたかねぇ、あんまり覚えてないんですが……でも、あれですねー、こうして評価されるとやる気が湧いてくるというか、これまで以上に生徒会活動を頑張ろうかなって気になりますねー!」
柄にもなく、ぐっと両拳を握ってやる気をアピールしてらっしゃる一色さん。
「ほー……そりゃ感心じゃねぇか」
一色にとってはスピーチ前の、被害者の会との攻防など小事もいいところだったのかもしれない。
それにつけても、いろいろ突っ込みどころのある発言だったが、ここはあえて呑み込んでしまおう。
思うに、こいつは豚もおだてりゃ木に登るタイプだ。
だいたい被害者の会結成からこっち、舞い込む仕事と言えば、書記ちゃんへの丸投げ、スピーチの身代わり等々……
言うなれば、こやつの怠慢に起因するところがほとんどだ。
いい気分にさせて、仕事を誠実に取り組んでくれるなら、それに越したことはない。
そうなれば、彼女の更生のために結成された『一色いろは・被害者の会』も暇になって大変結構なことだ。絶対に働きたくない。
でもね、いい?生徒会長っていうのはやる気を見せる仕事じゃない、やる気にさせる仕事なの!
それをよーく自覚しなさい!
と、念を押したところで(心中で)一色の決意表明も終わり、鑑賞会も一区切り。
上機嫌な様子でパクパクと弁当に舌鼓を打つ一色を、俺は生温かく見守っていた。
ただ、もうちょっと、その、離れた位置に座っていただけませんかね……困る……
一色は以前から、何かと人の体にペタペタ触ってくるビッチ体質の持ち主ではあったのだが、交流会の前後から距離のタガが一層外れてしまったような気がする。
こいつにしてみれば、これもまた些細な事なのかもしれない。
しかし、もし他の誰かにこんな姿を見られようものなら、変な誤解を受けることは避けられまい。
そうなると一番困るのは、他ならぬ一色ではないかと思うのだが……
そんな懸念を抱きながらも、押し付けられたタブレットを脇に置き、ほとんど手付かずだったパンを片付けようとすると、不意に天使の歌声のような旋律が、俺の耳に優しく鳴り響いた。
「……あっ八幡!今年もここでお昼食べていたんだね!」
声の主を辿ると、そこにはラケットを持った戸塚が、こちらに咲くような笑顔を向けて立っていた。
「あ、それに……一色さん?」
可愛く目をパチクリさせる戸塚。いかにも変わったものを見たというご様子だ。
――はっ、と俺は浮気の現場を押さえられた亭主のごとく狼狽える。
「ち、違うんだ、戸塚、こいつのこれはアレのことだから、ナニというわけじゃないんだぞ!?」
べったり一色とくっついて昼食を取る様は、傍から見るとまるでバカップルのそれである。
そんな誤解を、戸塚には、戸塚にだけは受ける訳にはいかない。
……が、はたと気づくと、一色は少し離れた位置に座り直していたようで、平然とした顔でお弁当を食べている。こやつ、いつの間に……
「こんにちはー、戸塚先輩♪今日は自主練ですかー?」
きゃぴるん☆と養殖感満載の一色の笑顔に対し、戸塚は天然記念物クラスの笑顔で返す。
八馬身ぐらいの差をつけて戸塚の方が可愛い。つまり、とつかわいい。
「こんにちは、一色さん!……そうなんだ、僕達も最後の試合が近いからね、お昼休みにご飯を食べるだけなのは、惜しくなっちゃって……」
この世のものとは思えない無類の可愛さを誇る戸塚だが、しかし、そこは体育会の部長さんである。
テニス部もいよいよ佳境。葉山たち同様、最後の試合に向けて気合を入れているようだ。
「そっか……頑張れよ。俺達の方が邪魔ならいつでも言ってくれ。見られてやりにくいって事もあんだろうし……」
「あはは、やだなぁ、それは絶対ないよ。好きなだけ居てね、八幡!」
ニコッとおどけるように笑う戸塚
おぉ……その背後に、後光のようなものが見えた気がした。
それに捨象すると、さっきの発言はほとんど愛の告白と言って良いんじゃ……
「それにしても……二人は仲良しさんなんだね。八幡がここで誰かと昼食を取るなんて、僕今まで見たことなかったから、びっくりしちゃったよ」
ぼふぅっ!
と何処かで音がしたので、そちらに目を向けると、一色が紅茶を盛大に吹き散らかしたようでゴホゴホむせかえっている。
「……何してんの、お前……」
「あ、いや、ゴホッこれは違うんですよ、戸塚先輩。生徒会の打ち合わせっていうか、哀れで惨めなぼっちの先輩への救済事業というか……」
明かされる衝撃の事実に震撼する俺。でもその二つ……全然違うんですけども……
それに生徒会の打ち合わせなんてしたことないですし……救済されたこともないですし……
「生徒会といえば……そうだ、一色さん、聞いたよー?なんでも凄く良いスピーチだったって!同じ中学だった子から電話があってさ……」
「あははーいえいえー、とんでもありませんよー……私なんてー」
てへりこてへりこしながらも顔を綻ばせ、もっと褒めて!というオーラを発散する一色。
も、もう、本当に頭悪そうなんだから……この子ってば……
しかし噂は戸塚の耳にまで届いていたようだ。余程の評判だったのだろう。
「この前から八幡がいろいろ動いてたのは、そういう事だったんだね……一色さん、もしかしてスピーチの原稿書いたのも八幡じゃない?」
「確かにそうですけど……ど、どうしてそれを……?」
「友達に紹介されたサイトにさ、あ、このタブレットの、そうそうこのサイトだよ」
言いながら、戸塚は脇に置いてあったタブレットを拾い上げるとヌルヌル……くぱぁと操作する。
「ほら、これって八幡でしょ?」
どらどらとタブレットを覗き込むと、それは先ほどまで一色と一緒に見ていたサイトだ。
その中には交流会の様子を収めた写真が数多く掲載されているページもあったようだ。
戸塚が指差すその中の一枚を見ると、スピーチを皆が真剣に聞き入ってる中、腕を組みながら、下卑た笑みを浮かべて壇上を眺めている俺の姿が激写されていた。
わあ……俺、ちゃんと下卑た笑い出来てたんだー……
思ってたのと違うけど……もうちょっと、こうニヒルで陰を含んだ、格好いい感じだと思ってたんですが……
「――ぷぷ……!これ……先輩、完全にストーカーの目ですよ……!ププ……」
後ろから覗きこんでいた一色はバカ受けのご様子で、俺の肩に顔を伏せながら、腕をバンバン叩いてくる。
……よ、喜んで頂けたようで何より。
「ここに八幡が映ってたからさ、きっと関わってるんじゃないかなーって」
嬉しそうに微笑む戸塚。
しかし、こんな数ある写真の中から俺の姿を識別する辺り、戸塚の俺に対する愛の大きさを実感せざるを得ない。
「こ、これ、私、プリントして後で持ってきますね、ププ……」
「いらんわ」
絶好の嫌がらせネタを仕入れて涙ぐんで喜ぶ辺り、一色の俺に対する愛の乏しさを実感せざるを得ない。
本当になんなの……この後輩……
「でも一色さん、どうだった?八幡は頼りになったでしょ?」
「……え」
よっぽど可笑しかったのか、興奮冷めやらぬという感だ。
顔を赤く染めたまま一色は答える。
「ま、まあ、そこそこに。ほんのちょっとですけど、はい」
「……そっか、良かった。一色さん、八幡をよろしくね。それによろしくするだけじゃなくて、どんどん頼るといいと思うよ!」
「はーい!わかりましたっ!」
「ちょっ!お、おい、戸塚……あんまりこいつを甘や……」
「あははっ、じゃあね!僕練習しないと!」
たったかとコートに向かって駆けていく。まもなくポコンポコーンと壁打ちを始めた。
初めて見た時より何倍もフォームは力強く、動きにもキレがある。素人目にも凄みを感じた。
去年、奉仕部を訪れた時とは雲泥の差である。
あぁ、なんかマジですげぇな……って、それは良いのだが……
「戸塚先輩って素敵ですよねー……」
褒められて気を良くしたのか、ほうっと戸塚を眺める一色。
ふん、まあ、お前には絶対に渡さないけどな……!
何か重大な錯誤があるような気もしたが、戸塚の練習を眺めながら俺達は昼食を再開する。
上機嫌もここに極まれりといったご様子でお弁当をパクつく一色。
「先輩って、去年もずっとここで昼食とってたんですねー……」
「去年どころか一年からだ。お前とは年季が違う」
「ずっと独りでですか?結衣先輩とも?」
なんでそこで由比ヶ浜が出てくるのか、いまいちわからないのだが……
「……るせぇな、ずっと独りだ。文句あんのか」
「へー」
「興味ないなら聞くなよ……」
ガクリと肩が落ちる。
また一つ、無駄に心を抉られてブレイクンハートの俺だったが、一色は依然ご機嫌な様子で、脈絡も何もない会話を続けていく。
「……あ、そうだ、先輩、携帯の番号とメアド教えて下さいよ」
「え?なんで?」
「いや、そこは、喜んで教えるところじゃないですかね……」
「必要性が分からん」
「必要性ならありますよー!もし私が昼ここに来れなくなったら、先輩一人でご飯を食べることになって可哀想じゃないですかー?でも番号知ってたら、私が前もって知らせたりできますし……」
「いや、全然問題ないぞ。そもそも待ってないし。むしろ無断ぶっち推奨まである」
言うとこれまでの上機嫌は何処へやら、頬をぷくーと膨らませる。
うん、俺的には一色さんってこっちの方がデフォって感じなんですよね……
「……逆にー、先輩がここに来れない時、私が一人で待ってたら可哀想じゃないですかー?」
「……む」
別に一色など可哀想でもなんでもない。勝手にこいつが来ているだけなのだが……
しかし、そうだとしても、確かにそれは人としてどうかと思わなくもないこともない。
まあレアなポケモンという訳でもないのだ、俺の番号ぐらい教えてやろう。
ふうと息をついて、スマホごと一色に手渡してやる。
「……ん、電話帳周りの機能は良く分からんから頼むわ、ほれ」
「え、わ、私が打つんですか……?別にいいんですけど、迷わず人に携帯渡せるって凄いですね……」
「見られて困るもん無いからな……妹とアマゾンとマックからしかメール来ないし」
「わ、本当ですね……アマゾンばっかり……」
ほっとけ。
心底呆れたような顔で俺のスマホを受け取った一色だが、ぬるぬるくぱくぱと超スピードで何やら打ち込み始める。
由比ヶ浜の打ち込み速度もさるものだったが、こやつの速度も負けていない。
だが褒めると、何故か倍返しで心を抉られるような気がして、俺はパンをモグモグしながら戸塚の練習する様を眺めていた。
……ああ、そうだ、確か指が退化とか、なんかそんな方向で罵られるのだ……く、悔しい……
「なんか変な感じです。人様の携帯で自分のアドレス打ち込むとか……普通渡さないですよ……」
「んーまあ、特にお前はなぁ……それ以上に恥ずかしいところ見られてるからな……今更こんなもんじゃ、どうにもならんわ」
俺がそう返すと、一色はスマホを打つ手を止めて、こちらをぼうっと見ている。
「……」
「なんだよ」
「……え!?あ、いや、なんでもないですけど……」
言って、不機嫌そうな顔で操作に戻る。
何がお気に召さないのか、頬を赤く染めてご立腹の様子である。
「あ……でも平塚先生からも、ちょいちょいメール来てますね……わー、電話帳人少ないですねー……お母さんに妹さんに結衣先輩と……戸塚先輩……川崎……大志、誰かな?それに材木……業者?」
業者じゃねぇよ。
あと、よくわかんないんですけど、登録するのに受信メールとか電話帳の中身って確認する必要あるんですかね……
「あ、先輩、ラインも入れときますからパスワード打ってくださいよ、ほら、ここです」
えー、もうなにー、面倒くさいー……
ここ、こーこ!と指差す一色だが、またも距離感が決壊したのか、頭を必要以上に寄せてくる。
亜麻色の髪から、ふわっと何やらいい香りを漂わせる一色。
うーん……なんで女の子って、こんなに生きてるだけでいい匂いがするんでしょうね……
なんかほとんど例外なくいい匂いさせてる気がする……
昆虫に通じるものがあるな……などと思いつつ、余裕で理性を保ちながら、言われた通りにパスワードをぬるぬる打ち込む。ふ、ふわぁ……
「スマホ持ってるのにライン入れてない人、初めて見ました……」
だからほっとけ。
こういうコミュニケーションツールは、ぼっちの俺と対局にある存在だ。
見やると一色は意地の悪そうな顔で微笑んでおり、おそらくそれを知っていながら心を抉りに来ているのだと思うと戦慄を覚える今日この頃。
ひとしきり操作すると、やがて両方の携帯がブブブと振動する。一色は満足気に頷くと、きゃぴろるん☆と小首をかしげて俺に携帯を返してきた。
「はいっ良かったですね!可愛い後輩のアドレスその他諸々ゲットですよ!」
画面には『☆★いろは★☆』などとデコレートされたニューフェイスが、電話帳の一覧に新たに加えられていた。
由比ヶ浜と言い、こいつと言い……メール来てもDMと間違えて捨てちゃいそう……
「はいはい、あざといあざとい」
「こ、こんなの普通ですよ!あざとくないですし!それならさっきの先輩の方がずっとあざといですし!」
ていうかあざとくないですし、普通に一色の方があざといですし……
それに自分で自分を可愛いって言っちゃう女は絶対可愛くないんだよなぁ……
「先輩、浮かれて授業中とかにメールしないでくださいね、私のとこ担任が厚木先生なんで五月蠅いんですよー」
謎の方言を使う教師を思い出す。たしか去年の文実を担当してくれた体育教官だ。
悪い人間では無いのだろうが、先だっての野球部顧問同様、あまり俺的にはお近づきになりたくないタイプだ。
うん、それに、浮かれてなんかいませんからね……断じて浮かれてない。
「まあ心配せんでも俺からすることは滅多にないと思うぞ……それにしても担任は厚木か……そりゃご愁傷さんだな」
「まあ去年からいろいろお世話になってるので、あれの扱い方は大分わかってきましたけどねー……」
などと不敵に笑う一色に震撼せざるを得ない今日この頃……もう全米並に震撼しちゃってるな……俺……
それにしても、こいつ俺の携帯なんか知って何がしたいのやら……
取ってつけたような建前ではなく、その真意が知りたい。
……しかし考えるだに、どちらかというと良くない予感が先走ってしまう。
期待とも不安ともつかない漠然たる思いに囚われる、そんな昼休みのこと。
※※※※※※※※※※
少し進んで、放課後。
今日は『一色いろは・被害者の会』の活動日だ。
新たなルーチンもようやっと体に馴染んできたらしい。
てくてくと同好会の本部を目指して歩いていると、階段から見知った顔が降りてくる。
だが例のごとく名前がパッと思い浮かばない。そう川……なんとかさんだ。
向こうも俺に気付いたようで、あわわ出逢っちまったよという表情だが、互いに足は止まらない。
このペースだと数秒後には声を掛け合わなければいけない間合いになる。
た、たいへーん!早く名前思い出さないと……!
脳をフル回転させる。……そう、こいつの妹は知っているのだ。
ほっぺたの柔らかさに関しては定評のある幼女、けーちゃんこと川崎京華だ。
あのほっぺの突っつき合いは今も脳裏に焼き付いている。夢に見るほど柔らかかった。気持ち悪いな俺。
えーと、そうすると、こいつは……こいつは……
「よう川崎」
「あ、おはよ……」
ふーーう……今日もなんとかなった……
っていうか、あれだな。なんとかこいつの弟妹をフックに記憶を手繰っているが、やがて限界が訪れよう。
今年はクラスが離れてしまったとは言え、かように教室外で会うことも、今後幾度と無くあるだろうことは想像に容易い。
ストックが必要になるのは自明の理だった。
「なぁ川崎……今度、暇な時でいいからお前の両親を俺に紹介してくれないか?」
「―――――――○△X○○◇!?」
顔を真っ赤にして、言葉にならない声を発する川崎。
この子時々こういう真似をするのよね……なに、超音波なの?
しかし何をそんなに慌てているのだろう……?相変わらずこいつのことはよく分からん……
それとも俺は何か変なことを口走ってしまったのだろうか?
自らの発言を思い起こし、その糸口を辿ろうとすると……
「せ~~~んぱいっ!」
どがしと誰かに体当たりされ、思考はバラバラに弾けてしまう。
「ってぇな誰だよ。って一色か……」
というよりも、俺に体当たりをかましてくる不遜な後輩なぞこいつしかいない。
そのまま次の技に移行しようとしていたのか、両手で俺の腕を取っていた一色だが、川崎が居ることに気付くと、ぱっと手を離して距離を取る。こういう分別はできる子なのだ。
「川……っくしょん!……すいません、先輩もこんにちはー」
「あんた……一色……おはよ」
顔を赤く染めたまま、放課後なのに朝の挨拶をする相変わらず残念な川崎。
それに一色さん……あなた、また凄い誤魔化し方しましたね……尊敬すら覚えるわ……
思いつくまではあるとしても、実行に移すのが本当に凄い。
だが川崎はその偉業には触れず、はたと何か気付いたような素振りを見せて、珍しいことに自分から一色に声をかける。
「そういえば……聞いたよ、スピーチのこと」
「え、え!?……あ、はい、結局私がやることになりましてー」
「いいスピーチだったって聞いた。良かったよ、気に……してたから」
「え!?あ、そうなんですね……」
珍しい絵があったものである。川崎がこんなことを言うなんて……
一色も同じく思ったのか、目を丸くして驚いている。
……それにしても総武高において、この俺とぼっちの双龍と並び称される川崎にまで、一色の名声が及んでいたとは……これはよっぽどの事じゃないでしょうか……
「あ、あんたなら、上手いことやると思ってた」
「ありがとうございますー!あの時はすいませんでした、無理なお願いしてー」
ペコリと頭を下げて謝意を述べる一色だが、顔にはまだはてなが浮かんでいる。
「……でも、なんで私なら上手く出来ると……?」
「あ、いや、それは……それが、推してたから」
川崎は頬を赤く染めたまま俺を指さす。
「おい、お前な……」
それじゃないですし……別に推してないですし……
あんまりな無茶ぶりに、一言申し上げておこうと咳払いすると、川崎は両手を横にバタバタ振って遮ってきた。
「あ、いや、それじゃ、あたし行くから!」
言うやいなや、素晴らしいフォームでバヒュンと階段を駆け上がっていく。
この時間に一体どちらに行くんでしょうねぇ……っていうか、あなたさっきそこから降りてきたんじゃ……
呆然とその姿を見送っていると、踊り場の辺りでスカートの裾がチラチラしていたので、見ないように目を逸らす。
紳士たらんとする俺のことだから、階下から女子のスカートの中を覗き見るような趣味など断じてない。
本音を言うと、俺も男なので残念な気持ちは無きにしもあらず……という可能性については否定しないが……
「せんぱい、せんぱい」
一色にちょいちょいと袖を引かれ、我に返る。
「黒のレース」
「……は?」
虫を見るような目を向けられ、今度こそ我に返る。絶対に見えてなかった。
「どうした一色、用があったんじゃないのか?」
「……は、はあ、いや、川……川島先輩って結構良い人だったんですね……」
はぁー……と川島が去っていった跡を見上げながら一色がそんなことを言う。
一色の適当なお願いを、ここまで気にかけていた事を言っているのだろう。
……うん、まあ、君よりはだいぶ良い人ですよね。
なんせお前、名前覚えてないからな……もう本当いろはす最低だわ……
っていうか、この子なんで無理して川島の名前を言おうとするんだろうなぁ……俺みたいに「先輩」で済ませりゃいいのに……
「まあそうかもな……で、俺には何の用なんだ?」
「あ、そうだ、それを言いに来たんですよー先輩は今日、同好会の日ですよね?」
「これから向かうところだ」
「じゃあ、終わったらで良いんで、生徒会室にも来てくださいよ!相談があるんです」
「お前なぁ……それこそ葉山に相談すりゃいいだろうが……」
「へ!?あ、いや……まあ、そうなんですけど……」
ん?なんだろう、この反応は。
目を見開いた後、誤魔化すように視線を横に流す。
見たこともないような表情に、何か違和感を覚えてしまう。
「……今サッカー部って三年は引退を賭けた試合の真っ最中なんです。さすがにこんなことでお願いできないっていうか……」
「へぇ……」
「ウチは強豪校じゃないから、三年生の引退ってすごく早いんですよー!今予選やってるんですけど、負けたら即引退って感じでやってるんです!みんな悲願の一次予選突破を目指して頑張ってるんです」
珍しくサッカー部の事情を熱弁する一色。
……なるほど、そゆことね……
葉山の引退など俺には死ぬ程どうでも良い。ごくごく瑣末なトピックなのだが、一色にとっては大事にほかならない。まあ、そんな事情があるなら仕方がないですね……
「わかった、前向きな方向で善処するよう検討しとくわ」
「……迎えに行きますんで」
こやつ、俺の動きを読んだ……?
それにしても、そんな連絡、それこそさっき交換した番号なりメールで済ませたら良かったんじゃ……
などとも思ったが……
頬を膨らませてジトリと睨めつける一色は、見飽きるぐらいに普段通りで、これ以上を口に出すのは憚られた。
はい、本当怖いですね……一色さん……なんか全然後輩って感じしないんですけど……
※※※※※※※※※※※※※※※
一色とは生徒会室の前で別れ、一つ向こうの教室の戸を開く。
「……うす」
「やぁ、比企谷」
「ヒキタニ君、ちょり~~~~っっす!」
戸部と副会長に、いつものように適当に挨拶を交わす。
交流会のスピーチ作りで、二泊三日を共にした仲だ。
なんとなく気心知れた仲になったような、そうでもないような気もするが、少なくとも最初の方にあった緊張感のようなものは消え失せている。
席に向かう途上、ふと違和感を覚え黒板の方を見る。
そこには、一色のスピーチ時の写真がマグネットで貼り付けられていた。
昼間に見たのと同じものだ。写真の上にはチョークで「一色いろはちゃん(はぁと)」などと書かれている。
その筆致にはなんとなく覚えがある。おそらく一色自身が書き添えたものだろう。
自分で自分をちゃん付けする女はろくでもないアホだという持論を、俺は確信に変えた。
その横には「ストーカー注意!」という文字を添えて、俺の下卑た笑みを拡大した写真が貼り付けられている。
き、きー!
これにはもう、さすがの私もカッチーンと来ましたね、ええ。
それにしても昼にあった事だというのに、いろはすの疾きこと風のごとしである。
「ああ、それは会長が俺達が来る前に貼っていったみたいだね」
「それ笑っちゃったけどさー、でもヒキタニくんって普段からそんな感じだべ?よく撮れてるっしょ!」
「ははっ、そうだな比企谷らしいよ」
「……え?」
え、なに?この自分にとっては甚だ不本意なのに、周りにとってはそうでもないみたいな反応……
戸部はともかく、副会長まで悪意の無い感じで言ってるし……
もしかして俺、普段からこんな感じなの……?それを知らないのはこの世で俺だけなの……?
余は信じぬ、信じたくない!オオオ……!
……と内心、恐慌状態に陥るが、しかし、世の中そんなものかもしれない。
自他の認識にはマリアナ海溝より深い溝があるのだ。
素早く建てなおすと、俺は一色の写真の横に「←ビッチだけど☆あざとく頑張りました♪」とだけ書き足して、大人しく自分の席についた。
……言えないことのほうが多いから、人は書くのだと思う。
さて、いつもならここで一心不乱に文庫を開くところだが、今日は思うところもあり机の上に英語の参考書と問題集を広げる。
「……うぉ!ヒキタニ君、受験勉強すんの!?」
「……まあ、受験生だからな」
副会長もほえーと、興味深げにこちらに寄ってくる。
我ながら安易だとは思うが、先日のM大訪問が大いに刺激になってしまった。
このアホみたいな同好会の活動を勉強に充てられるのなら、いくらかは有意義な時間になろう。
「うわー……それやられるとこっちもプレッシャーになるわー……」
「お前みたいな体育会系は根性あるからな……いざ、やりだしたら伸びるだろ。俺みたいなぼっち系は、周りとの差もよくわからんから、こうやってチクチク今のうちに進めとくんだよ」
「よくわからん理屈だが……そういうものなのか……?でも俺も帰ったら、ある程度はやっとかないとな……」
などと殊勝なことを言う副会長だが、生徒会活動を自分から進んでやっちゃうような奴にも、おそらく体育会系と似たような特性があるだろう。
材木座の未来予想図ではないが、今から始めても優位とは限らない。
M大の英語は結構難易度が高いとも聞く。ちくちく実力を身につけておかねば……
「……あ、そうだ比企谷、先日から図書館に三年生用の受験教材を置くようになったんだ。教科別に先生たちが問題集のプリントを作ってくれて……先輩たちの話によれば、これが結構役に立つんだとか……」
「へぇ……」
と相槌を打ちつつ思い出す。ぼっちプレイスのひとつだということもあるが、俺は結構図書館を利用する系の生徒なのだ。
去年、一昨年の記憶を辿ると、そういえば、この時期から受験生用にスペースが設けられていたような……
ただあまり盛況という感じでもなかったのだが……そんなにいいのん?
「大学の傾向とかを先生たちが分析して、それぞれにプリントを作ってくれてるんだ。去年合格した先輩が言ってたんだが……」
「そうなのか……?でも、あれって教科別にざっくり置かれてるだけだったような気がするんだが……」
「……む、そうだったかな……あれは例年通りに生徒会が置いたんだが……ふむ……」
言うと副会長は口に手を当てる。なにか考えておられるようだ。
「まあ、サンキュな。今度見てみるわ」
「ん?あ、ああ、役に立つのは間違いないと思うんだ。知る人ぞ知るって感じではあるが、本当に出来は良いらしいぞ」
「……うっわ、もしかして二人共……頭いい系?」
そんな俺達のやり取りに、……っべー……っべー……などと呻きながら、危機感を露わにする戸部。
俺がカリカリとシャーペンを無駄に走らせていると、戸部はますます焦ってきたようで、どんどん落ち着かなくなってくる。
っべー……の頻度も高くなってきた。
……なに、こいつ面白い……もっと走らせよう……
「なぁ、副会長?最近のいろはすってどうよ……?あいつちゃんとやってる?」
ノートが真っ黒になるまで焦らせていると、何を思ったか戸部が副会長にそんなことを聞く。
いや、まあ、確かにあいつ普通に勉強の邪魔してきそうだもんな……
すかさず一色に結びつける辺り、戸部は被害者の会メンバーとして極めて意識が高いといえよう。
「それがさ……結構真面目に取り組んでるんだよ」
「マジで!?」
ここで驚愕される一色って……
しかし、スピーチの成功で気を良くしたのは本当なのだろう。
生徒会活動に精力を上げている節があるのは、昼食時の会話からも窺えた。
「あー、でもサッカー部のマネージャーの方は、あんまり顔出してないかもしれないべ……いろはす、あんま見ねーかも……今はちょうど俺らの部って佳境なんだけどなー」
一色もそんなことを言っていたな……
……でも、そんなら、お前はここで一体何してるんでしょうね……?
「そうなのか……そういえば最近はこっちに居ることが多いな……」
ふむんとペンを顎に当てながら副会長は黒板をじっと眺める。壁の向こうにある生徒会室に思いを馳せているのだろう。
……まあ、そういうものなのかもしれない。
さすがの一色も両立は大変ということなのだろう……
生徒会に気合を入れれば、自然とサッカー部に割く時間は削られる。
逆もまた然りだが、今は生徒会にウェイトをかけているのだろう。
一色ならば、両方をバランスよくやってのけることも出来るだろう、実際ここまで上手くやって来たような気もする。
しかし、少し気になってしまう。
一色の部活と生徒会の両立については自分が薦めたことでもある。これが軋轢を生んだり、あるいは彼女の大きな負担にならなければ良いのだが……
いつの間にか、問題集を解く手が止まっていることに気付く。
う、うーん、あまり勉強に適した環境ではないのかもしれない……
こんな程度の事でも、かように両立というのは難しい。
※※※※※※※※※※※※※
受験勉強も一区切り。
戸部はとっくにサッカー部に戻り、副会長もなにやら私用があるとかで帰宅してしまっていた。
被害者の会と言っても、依然、実態は何やってるか自分たちでさえよく分からない有り様なので、この辺は適当極まりない。
しかし副会長まで帰ってしまうと、鍵は俺が返すしか無い。うん、もう……面倒ねぇ……
後で隣の生徒会室にいるであろう書記ちゃんに渡してしまえばいいか……そんな事を考えていると、にわかに廊下が騒がしくなる。
聞き覚えのある二人の声だ。あーだこーだと少し普段より姦しい声音で、聞きようによっては言い争いでもしているかのようなトーンだ。
そのまま部屋に近づいてくると、例のごとくノックも無しに、扉がすぱこーんと開けられた。
「こんにちはー!皆さんお待ちかねの私が来ましたよー!ってあれ、先輩一人ですか?」
「こんにちは、比企谷先輩」
予想通り来たのは一色だが、今日は珍しいことに書記ちゃんも一緒だ。
そういえば今日は相談があるとかどうとか言ってたな……折り悪く、俺が帰る前に来てしまったようだ。
あと、誰一人、君なんか待ってませんね……ええ……
「……まあいいや、あの二人居ても役に立たないだろうし……ちょっと先輩ー聞いてくださいよー!」
看過してはいけない前置きがあったような気がしたが、突っ込む間もなく、一色がぐぐいと顔を近づけてくる。のっけからの剣幕に俺は少し引いてしまう。
とはいえ、一色が俺にかかってくるのはいつものことだ。……今日はどういう訳か、書記ちゃんまで物言いたげに、俺に視線を向けている。
こうして二人、可愛くない後輩と可愛い後輩が相談しようというのだから、こちらとしても先輩冥利に尽きないこともない。
だがしかし、与えてやるだけが愛ではない。今日はこの身を懸けてそれを教えてやりましょうかね……
「どうした……悩みごとなら、聞いてあげられないぞ……?」
「そ、そんなこと、わざわざ明言する年上の人を初めてみました……」
肩を片方だけガクリと下げて、書記ちゃんが早速呆れた様子で突っ込んでくる。
「それは先輩バイアスだな。よく出来た後輩ほど陥りやすい罠だ」
「せ、先輩バイアス……?」
そう、数ある認知バイアスの一種である。
警察官が犯罪者を取り締まっている内に、所轄する地域の治安が実態以上に悪いかのように錯覚したり、
ケースワーカーが、だらしない生活保護者に注力している内に、生活保護者は全員クズばかりだと思ったり、
経営者がコンサルタントの言うとおりにしても、まったく業績が上がらないものだから、あんな奴ら九割クズだゴミカスしねと思い込んだり、
あるいは編集者が締め切りを守らないライトノベル作家と接している内に、あいつら全員に人間のゴミばかりだと、あってはならない誤認をしたり、
果ては千葉周辺のサイゼのお手拭きが乾いているものだから、日本全国、何処に行ってもサイゼのお手拭きとは乾いているものなんだと信じて疑わなかったり……
そうした職務上、出会う人の偏りによって生じる認知の歪み……なまじ専門家であるほど、陥りやすい錯誤があるのだ。
「最後のは職務一切関係ないですよね……」
などと書記ちゃんが言っておりますが、彼女ときたらそれはもう愛くるしい性格をしているので、おそらくかつて周りにいた先輩などは異性同性の区別なく、蝶よ花よと愛でてくれたに違いない。
もう本当に実際可愛いですからね……この子……
そういう訳なので書記ちゃんは、年上といえば後輩の頼りを待っているものだと思い込んでいるに違いない。
「え……あ、いや、確かに今まで先輩方には恵まれた方だと思いますけど……」
やはりそうか。
だが……その錯誤を、認知の歪みを、この俺が打ち崩す……!
「書記ちゃん、俺今から帰ろうと思ってたんだ。すまんけど今日も鍵頼むわ。じゃあな、相談には乗ってやれないけど、なんとか頑張れよ。俺は帰るわ、絶対に働きたくない」
「わー……清々しいほどダメな人だ……」
この反応からして、書記ちゃんの持つ先輩への幻想は良い感じに打ち砕けたと思う。
自分も心苦しいが、これも一つの愛の形なのだ。いつか俺に感謝する日も来るのではないだろうか。
「それがですねー、先輩、ちょっとこの行事についてなんですけどねー?」
しかし、一人この場にお構いなしに喋り続けるアーパーが居た。
どっちかというと君向けに送ったメッセージのつもりだったんですけどね……
「待て一色、俺はもう帰ると言ってるんだが」
「ボチボチ考えないといけないんですけどー、そもそも、この行事やる意味あるのかな?って話なんですよねー」
「……あ、あの一色さん?」
「だいたい、企業への手続きが生徒会の仕事って、おかしくありませんかー?これ完全に先生方がやるべき仕事を押し付けてるだけのような気がするんですけど……」
ん?どういうことだろう。
「あー?なんだ教師の仕事を、お前らが押し付けられてんのか?」
「そーなんです!こんなの普通子供にやらせないですよね!?」
「比企谷先輩……相談に乗らないんじゃ……」
「あのな、なんか知らんが、そんなもん、やらんかったら良いんだぞ。責任は自動的に任せた奴が取ることになるからな、後でごめんごめん言っときゃ収まるわそれ。頼んだほうが悪い。絶対に働きたくない。」
「そーですよねぇ!だいたいウチって進学校ですからー、こういう行事って全然意味ないんですよね!」
一方的に畳み掛けてくるので、さっぱり話が掴めなかったが、ようやく得心が行く。
確かこの時期にやる行事といえば……
「あぁ、職場見学会のことな……あれ嫌だったな……三人一組でグループ作らされてさ……ぼっちの俺には忌々しいイベントの一つだったわ……あぁ、それに去年は戸塚とせっかく一緒のグループだったのに、葉山のせいでなんか有耶無耶になっちゃったし……」
「やっぱり先輩もそう思いますよねぇ!」
「わー……いろはちゃんに弱いなー、この人……」
「決めたっ書記ちゃん、やっぱり私、この行事廃止しちゃうっ!」
「だ、だからー!そんなの無理だって!せめて生徒会で会議してみんなの意見も……」
「会議もします!でもとりあえず、今から先生にジャブ打ってくるね!」
バンバン!と一色は意味なく俺の肩を叩くと、ふすーと鼻息も荒く、そのまま勢い良く教室から出て行ってしまった。
台風一過のような様相に、残された俺達は呆然と顔を見合わせる。
俺に関しては未だに状況を把握しきれていないのだが……
「……で、なんの話だったんだ?あれ……」
「わからないで会話していたんですか……」
適当だなーと心底呆れた感じの書記ちゃんだが、俺が促すと説明をしてくれる。
聞けば、一色は近く行われる二年生の行事、職場見学会の主旨そのものに、突如、疑問を抱き始めたらしい。
この行事に関する生徒会の仕事を確認してる内に、廃止の必要性を強く主張し始めた。
しかし、たかが生徒会が行事の廃止に動くというのも大層なことだ。
なかなか穏やかではない話に、書記ちゃんとしては再考を求めたのだが、妙に頑なに廃止を訴える一色と、軽く口論のような感じになってしまったのだという。
「比企谷先輩も、職場見学会は無くした方が良いと思いますか……?」
「いや、良いか悪いかはよくわからん」
「さっきのやりとりでは、そうは聞こえなかったんですけど……」
などとジト目で睨めつける書記ちゃんですが、さっきの言はごくごく個人的な見解に過ぎない。
「……うーん、俺にとってはたいして身にならんかったってだけで、存在自体を良いか悪いか言われるとなー……」
メカコーナー楽しかったしな。
「そうですよね……私個人としても分からないでもないんです、いろはちゃんの言うこと……でも、ちょっと話が大きすぎて……怖くなっちゃって……」
……なるほど。
「いろはちゃん、もしかして疲れてるのかなー……って」
顔を伏せながら不穏な事をいう。それは俺にとっても穏やかではない話だ。
「……なんだ、あいつ無理してやがんのか?」
「あ、いや、そういうわけでも……無いですね。これ以上ないぐらい伸び伸びやってるような気も……」
「そ、そうか」
少なくとも俺の前では、疲れているような兆候は見て取れない。むしろ傍若無人に磨きがかかっているまである。
まあ、それに楽したいから行事を廃止しよう……などと考えるのはいかにも一色らしいような気もする……。
書記ちゃんもいまいち掴みきれていないようで、断定するには至らないようだ。
一色の動機が読めず、うーんと二人して考えこむ。
「比企谷先輩、いろはちゃんのこと……ちょっと気にかけておいて貰えませんか?」
そんな事をお願いしてくる。……そう言われてもなあ……
「……お、おう……でも、あんま期待はすんなよ……」
一色は以前からあまり人の話を聞かない、少し頭が可哀想な一面がある。
これまでも一色に対しては、人生の先輩たる俺が含蓄のあるアドバイスを惜しみなく与えてきた。
素直に聞くこともあるのだが、しかし理解がなんとも大雑把なところが過去に幾度と無くあった。
なので今回も、行動原理そのものは極めて単純なような気がするのだが……
「いろはちゃんのことですから……困ったときは大騒ぎして、みんなに助けを求めるでしょうし……大丈夫だとは思うんですけどね」
苦笑してしまう。その点に関しては、俺も全くの同感だった。
「比企谷先輩にも求められるかもしれませんが……あ、その時は私もきちんとお手伝いしますので!」
「……ぜひそうしてくれ」
以前、副会長にも同じような思いを抱いたが、常識を重んじ、きちんと諫言してくれる同僚がいるのは、一色にとって、おそらく良いことなのだろう。
……そればかりでなく、ここまで心配してくれる書記ちゃんを、俺は安心させたかったのかもしれない。
「まあ、大丈夫だろ、多分。……一色だし」
おどけた調子でいってやる。
そんな無責任な言葉に、安心したのかどうかは分からないが、書記ちゃんは俺を見て少し顔を綻ばせた。
※※※※※※※※※※※
書記ちゃんと二人、とりとめもない話をしていると、やがて首尾は上々だったのか、上機嫌で一色が被害者の会に戻ってくる。
「さて、じゃあもうすっかり遅くなってしまいましたし、私達も帰りましょうか」
「お、そうか?じゃあ書記ちゃん、悪いが鍵を……」
「自分で返してくださいよー!」
書記ちゃんとの間を遮るように体を入れて、一色があざとく膨れ上がる。
一色に叱られ、書記ちゃんには苦笑いされ……これ以上は非常に頼みにくい雰囲気である。
「ちっ、先に帰ってりゃ良かった……」
仕方なく、ポケットに鍵をしまうと、一色はニヤリと悪い笑顔を浮かべる。
「あ、先輩、悪いんですけどー、ついでに生徒会室の鍵もよろしくお願いしまーす!」
「ちょ、おま、それはねーだろうが!」
いつの間にか一色は生徒会室から自分と書記ちゃんの荷物を持ち出したようで、そちらは既に帰る準備が出来ているようだ。生徒会室の鍵を指でクルクル回している。
してやったりと、嫌な笑顔で、嫌なお願い……絶対狙ってやってるんだよなぁ……これ……
こんな時間まで同僚を待たせたのを気遣ったのだろうが、俺には気遣うどころか、躊躇なくこき使う有り様である。なんなのこの後輩……
まあ、こんなやつだから俺は心配など全くしてやらないのであるが……
「……しゃあねぇ、今日はお前に会ったのがすべての不幸の始まりだと思うことにするわ……」
「もう、なんですかーそれー!」
言いつつも、俺が差し出した手に一色は慣れた感じで鍵を乗せた。
※※※※※※※※※※
後輩たちをとっとと教室から追い出し、二本の鍵を返しに職員室に向かう。
生徒会兼、わが同好会の顧問に労われて部屋を後にすると、もう日はすっかり暮れていた。
……なるほど、生徒会業もなかなか楽ではないようだ。
人気の無い薄暗い廊下をトボトボ気怠げに歩いて昇降口まで行くと、一色と書記ちゃんが立ち話をしている姿が見えた。
なんだ、あいつら……もしかして俺を待ってたりしたんだろうか?
「おう、お前ら待ってたのか?先に帰ってよかったんだぞ……」
声をかけると、まだ話の途中だったろうに一色がくるぱと振り返る。それを眺める書記ちゃんは、なぜだか可笑しそうに口を緩めている。
「え?あ、いや、待ってたというか、書記ちゃんと話してたら、なんとなく……なんですけども」
「……そうかな?」
同調しない書記ちゃんに一色が拳を軽くぶつける。何をはしゃいでいるのかは知らないが、きゃいきゃいと二人共楽しそうである。
「……まあ、なんだ……悪い。でも俺自転車だからな……校門出たらお前らをぶっちぎるぞ」
「は?いや、知ってますけど……」
あざとく頬を膨らませて、俺をジト目で睨めつける一色。
なら尚更待たなくて良いだろうにと反射的に考えてしまうが……今しがたのやり取りに、俺は既視感を覚えていた。
……こういうのは知っている。多分そう考える自分の方がおかしいのだ。
「……ん、まあ、ありがとです」
詫びる気持ちもあってか、――おそらく彼女が望む通り、三人して昇降口から駐輪場に、そして駐輪場から校門までのわずかな道程を、出来る限りゆっくり歩く。
道すがら昼休みから今までに起こった他愛のない事柄を語らい合う。
いつもの、からかうような言い草には苦笑で応え、
時折見せる隙に、皮肉で返してみせる。
すっかり、こなれたやり取りだ。
思えば今日一日、かなり多くの時間を一色と過ごしていたことに気付く。
そしてそれは、意識しないと気付かないほどに、俺の日常になっていた。
依然、こいつは何が楽しくて、俺などを連れ回すのか、俺などに付いて回るのか、さっぱり分からないのではあるが……
思わず湧いた笑みを見られたくなくて、避けるように顔を上げる。
紫紺に染め上げられた空は、既に夜の気配を漂わせており、いくつかの星が遠慮がちに広がっている。
あの星は確かなんと言っただろうか……名も朧気な星は、訝しむ俺に応えるように、キラリと控えめに瞬いた。
※※※※※※※※※※※※※
GW、特に何事も無く明けて、その翌日の昼休み。
休みボケと五月病発症のシーズンだが、この時期になると、教室内のコロニーはほぼ固定化されている。
気怠げな時期を、新たに生まれた気安い仲間と過ごして乗り切ろうというのだろう。
俺が突っ伏しているこの机も、昼限定で誰かのものになるやもしれぬ。
クラスの輪を乱すのも申し訳ない、さて、俺もベストプレイスに行こうかしら……と顔をあげようとすると、入り口から聞き慣れた声が教室中に響きわたる。
「ヒキタニく~~~ん!」
大きな声にクラスの連中の何名かが、何事かと顔を向ける……のを気配で感じる。本当便利、この能力。
悪意はないが無遠慮な声の主は、確認するまでもない。戸部だ。
ずかずかと、やはり無遠慮に教室に入り込み、うつ伏せの俺の肩をとすとすと叩くと、必要以上に大きな声で俺に話しかけてきた。
「あっれ~!ヒキタニくんってば相変わらず独りなん?せっかくのランチタイム、みんなで楽しく食べないともったいないっしょ!これじゃ去年と同じだべ?」
戸部……貴様……
再三に渡り、俺のプロフィールを級友に説いて回る来訪者達。
君たちの中で、俺を貶めるための何かノルマでもあるんでしょうか……?
由比ヶ浜の地雷探知ぶりもさるものだったが、こいつらは人数で拡声器のように攻めてくるから性質が悪い。
とは言え、戸部が俺のクラスに訪れるとは珍しいこともあるものだ。
クラスメートの痛ましい視線も気になったが、俺は顔を上げて目だけでその意を問う。
「ん?ああ、ほら、俺達の『一色いろは・被害者の会』のことで相談があってさ~!」
これまた必要以上に大きな声で、自らの怪しげな所属を名乗る戸部。
クラスメートたちの痛ましい視線が、なにやら怪しげなものでも見るかのように変わっていく。
ちょ、ちょっと、とべっち、声大きい!
……もう、本当ウザいわこいつ……今度下駄箱に噛み終わったガムでも突っ込んでやろうかしら……
「……場所変えるぞ。俺がいつも食ってるところ……」
「あ、そんじゃ俺もそこで食うわ!パン買わねーとだから、ヒキタニくん、場所教えて?おなしゃす!」
パンっと拝む戸部に、場所を適当に教える。
なんか、どんどんと侵されていくな……俺のベストプレイス……
※※※※※※※※※※
ベストプレイスに訪れると、例のごとく既に一色が訪れていたようだ。
「……うす」
後ろ姿にいつもの様に適当に声をかけるが、しかし返事がない。ただの屍なのかしら……?
見やると、まだ広げていない弁当を膝に載せたまま、ぐーすかと眠っている。
一色がぐーすか寝ているところは、これで二度目だ。もはや珍しくもない。
なんか昨夜は遅くまでメール送ってきてたからな……夜更かしでもしてたんでしょうかね……
起こそうかとも思ったが、深く寝入っている様子にそれも躊躇われる。
「お待たせー!ヒキタニく~ん!」
などとテンション高く駆けつけた戸部に、しっと指を立てる。
普段とは少し離れた場所で、俺達は昼食を摂ることにした。
「念願のランチタイムだべ!やっぱアスリートは食べないと駄目っしょ!」
言いながら取り出したパンは、茶色を挟んだものが多く、五個も六個も袋から出てくる辺りは、さすがに体育会系だ。
「……んで、どうしたよ?」
互いにパンをかじりながら話の続きを行う。
「あー、それなんだけどさー、同好会って明日じゃん?それを今日に回してくんないかなーって頼みに来たんよー」
「えーと、あ、そうか明日はもう金曜なんだな」
連休明けで曜日の感覚がいまいち希薄だが、被害者の会の活動日は毎週、火曜と金曜ということになっている。
今日は木曜日なので、一日前倒ししたいということなんだろう。
「まあ、そりゃいいんだがよ……前から言ってるけど、お前の活動実態なんていくらでもでっち上げとくから、テキトーでいいんだぞ?」
「いやいや、そりゃ仁義にもとるっていうか?俺も創成期メンバーだから、そこはきちっとやっときたいわけよ!っていうわけだからさー、ヒキタニくーん?お願いできね?」
謎の義理人情。リア充ってそういうものなのかしら……
「……まあ、俺は構わんけどな。しかし副会長にも知らせとかんと……」
「あ、それも大丈夫!副会長には俺がラインいれとくから!」
え……何?君たち既にそういうの交換してるの……?俺、聞かれてないんだけど……
などと暗鬱な気分になりかけるが、よく考えるといつものことなので二秒で立ち直る。
電話帳を戸部の名前で汚したくないですしね……
「なら問題ねぇな……わかった、じゃあ今日が活動日な」
「助かるわー!いや~、実は明日はウチの部、紅白戦でさ~、最初から練習出ときたかったわけよ~!」
「試合近いんだろが……そっち集中しとけよ、こっちはどうにでもなる」
実際、この同好会はお取り潰しになっても、誰も何も困らない。戸部にとっての大事はサッカー部であるべきだろう。
ただ、俺としてはサッカー部の動向についても心底どうでも良かったので、適当に話を切り上げ、昼食を続行する。
「あー……ここ結構良い風吹いて快適ですわー……何?これってヒキタニくんのベストプレイスって感じ?」
「お、おう……」
戸部と似たような語彙であることに、内心、恐慌状態に陥りつつも頷く。
ショックだわー……戸部と同じボキャとかやべーわ……、マジないわ……っべー……
「それにしてもヒキタニくん?いろはすと、いつもここで昼食べてるん?」
「ん?ああ、まあ学年変わってからだけどな」
「へー……いろはすってば、クラスで喰ってるイメージだったけど …………あっ、ふーん?」
「おい、なんだその間は……何を察したか言ってみろ」
聞いてみるが、勝手に何かを結論づけたらしい。
目尻を細めてうぷぷ……とニヤけながら、少し離れた一色と俺を交互に見やる。
殴りたい、この笑顔……
とは言え、こんなところで隠れるように二人食べてるとか、完全にアレですものね……いつまでも続けていると、一色にも良くない噂が流れてしまうかもしれない。
というか戸部が発信源になるような気もする……なんか適当に脅迫して、口封じの策を練っておいたほうが良いだろうか?
そんな爽やかな事を考えながら、マックスコーヒーでパンを流していると、戸部は昼食を済ませてしまったのか、パンパンと腰を叩いて立ち上がる。
「邪魔しちゃ悪いべ!ほいじゃヒキタニくん、また放課後!」
ぺちこーんとウィンクをかまして、たったか去っていく。
途中、ちょうどやってきた戸塚と鉢合わせたようで、なにやら大袈裟に挨拶を交わすと、そのままいずこかへと消えていった。
俺の存在にも気付いた戸塚は、ラケットを大きくこちらに振ってくる。俺が手を振り返したのを確認すると、ポコンポコーンと壁打ちを開始した。
……そろそろ一色を起こしてやった方がいいだろう。しかしそんな落ち着ける場所でもないだろうに、熟睡といって良いほどよく眠っている。
見やると口元から、たらりと一筋、光るものが垂れている。
……やだ、この子ったら、ガチ寝するとガンガンよだれを垂らしていくスタイルなのかしら……
普段では、まずお目にかけない、あどけない顔は可愛いらしく見えなくもないが、一方で落ち着かない気分になる。
キョロキョロと周りに人が居ないか確認する。
先日のようなアウェイ環境ならどうということもないが、ここはホームだ。一色を知る者は多い。
この顔を誰かに見られてはいまいか、何故かこちらが気になってしまう。
涎をハンカチで拾い、肩を少し乱暴に揺すって起こしにかかる。
「う、うーーん、……ふぇ?」
「おはよう一色さん」
「……ん?あ、どうもです」
ぼんやりしていた一色だが、時計を見ると一瞬で顔色が変わり、非難がましく俺を睨みつける。
「……って、えっ、あれ!?もうこんな時間じゃないですか!来てたんなら、どうして起こしてくれなかったんですかー!?」
「……いや、かなりガチで寝てたからなお前」
「え……あ、な、なんか寝ている間に嫌らしいことしてましたか!?さっきのも、もしかして押し倒そうとか……」
「いや、してねーから……」」
わずかに乱れたカーディガンの肩を抱きながら、猜疑の目を向ける一色。
よだれ垂らしているところを激写しなかったのが悔やまれる。
次の機会があれば、躊躇いなく押そう(シャッターを)
「先輩は連休中もずっと家に居たじゃないですかー?私はなんか、ずっと部活と生徒会で学校ばかり居たんですよね……なんかあんまりGWって感じじゃなかったです……」
もそもそとお弁当を食べながら、そんな事を言う。
うん、勝手に人の連休の過ごし方を決めつけるのやめようね……?間違ってないけどね……ええ、一歩たりとも外に出ませんでしたけども……
「そりゃ不憫だったな。まあ、でも部活漬けなら、たっぷりアピールもできたんじゃねぇの?」
「むー……」
あら?何やら浮かぬ顔……まあ葉山とこいつの進展なんて心底どうでもいいのだが、何か失敗でもしたのかしら……?
目で続きを促すも、会話を続けたくないのか、視線を合わせてくれない。
失敗といえば、こいつと会話してると七割ぐらいはこうして不機嫌な顔をなさっている気がする。
選択肢ほとんどバッドコミュニケーション選んでんだろうな……どうでもいいけど……
「まあ元気だせよ。押して押して押しまくられて、そんで悪い気する男はいねぇからな。失点だと思ってるものが、あとで加点になったりすんだよ」
「……信用出来ないですよ、それ」
依然俺と目を合わせないまま口をすぼめる。
まあ……なに?この子……反抗期かしら……?
「信用しろ。反応無いように見えて、内心じゃ歓喜に沸き上がってるもんだ、男心はアホほど単純なんだよ」
「だといいんですけど……めんどくさいなー……」
「何言ってんだお前……いったろ単純だって、面倒くさい男なんていねーよ」
「いや、先輩ほどめんどくさいのはなかなか稀だと思いますけど……」
やっとこっちに向けた顔は、やっぱり不機嫌な顔だった。
「……先輩も沸き上がるんですか?」
「あ?あーそりゃもう超沸き立つ。何なら食堂で背中を押しまくられて列から追い出されても沸き立つレベル」
「へー」
聞く価値なしと判断したのか、再び、ぷいっと顔を背けてしまう。ご立腹の様子である。
Oh……バッドコミュニケーション!
ちょっと今のはマゾっ気出し過ぎちゃったかな……
しかし、こいつってば本当に何が楽しくて、毎日こんなとこで俺と飯食ってるんだろ……
何かしら目的があるのだろうが、そのリソースをもう少しばかり葉山に割けばいいのに……
なんだかなぁ……
※※※※※※※※※※※※※※
放課後、同好会の本部に一旦荷物を置くと、俺はすぐに図書館に足を運んだ。
先日副会長の言っていた、受験教材を早速仕入れようと思ったのだ。
見やると確かにそれらしいプリントが並んでいる。ただ、やはり盛況とは程遠く、せっかく大きく設けられた受験生用のスペースだが、居るのは俺一人である。
どれを選んでいいか分からず、適当に英語と日本史・世界史から何枚かを抜き取る。まあ片っ端からやっていけば実力も付くのかな……?
目的のブツも手に入れ、本部に戻るその道すがら、パタパタとジャージ姿で廊下を走る一色を見かける。
どうやら今日はマネージャーの日らしいが、校内に何か用事でもあるのだろうか?あるいは生徒会の急用でも出来たのかもしれない。
それにしても脅威のエンカウント率である。こいつの学校における行動範囲の広さというのもあるのだろうが……
とまれご苦労なことだ……しっかり働き給えよと、うむうむ心中で頷くものの、ふと先日の、部活と生徒会の両立の話が頭をもたげる。
生徒会の仕事とは、とどのつまりは雑用である。
先だってのスピーチなどは例外中の例外で、割り振られる仕事は、椅子並べ等の会場の設営だったり、その段取りだったりが大半だ。
そしてこの雑用、おろそかに行っても、それなりに回ってしまうのであるが、逆に気合を入れようと思えばいくらでも入れられる。
この辺り、俺の目指す主夫業にも通じるものがあるが、去年の体育祭などは好例として挙げられよう。
あくまで裏方であったとしても、生徒会のスタンス一つで、行事の彩りはガラリと変わるのだ。
城廻政権は皆に愛され、好評の内にその幕を閉じたが……
はたして一色は、生徒会をどのようにしたいのだろうか……?
どのような想いを持って、日々の生徒会に取り組んでいるのだろうか……
――思えば、一色のことばかり考えている自分に気付く。
いつの間に、俺の中でこんなに存在が大きくなっていたのか。
このところ、一緒にいる機会が激増したせいなのか、あるいは、書記ちゃんの相談を受けたからなのか……
一旦それを自覚すると、悶えるような感覚に胸が騒ぎ始める。
それはむしろ苦痛に近く、自然と胸のあたりを掴んでしまう。
額に滲む汗は焦燥なのか、喉の奥になにか引っかかるような異物感を覚え、それもまた次第に痛みに変わっていく。
正体の分からない感情に苛まれつつも、胸の中には一つの言葉が、繰り返し、繰り返し、呪いのように駆け巡る。
……一色、……一色!
「おう、一色!ええとこに通りがかったわい」
「はいー、こんにちはー」
見やると体育教官の厚木が、一色を呼び止めて、ちょいちょいと上を指差している。
「そこの廊下の蛍光灯のタマが切れかかっとっての、取り替えるよう手続きしといて欲しいんじゃい」
「えー!嫌ですー」
「え……?」
凄い断り方を見た。
「ちょ、おま……!せ、生徒会長じゃろうが!それぐらいやってくれてもええだろう!」
「そんなの先生方でやってくださいよー、私達がやると後で先生に確認とらないといけないしー、一手間増えちゃうじゃないですかー?」
「城廻はこれぐらい頼んだらやってくれたんだがのう……」
「城廻先輩は城廻先輩、私は私ですのでー。それにー私もマネージャーで忙しいじゃないですかー?」
「う、うう……も、もうええわい、部活なんじゃろ?仕事に戻れ……」
肩を落として、しっしと手を払う厚木。トボトボと歩き去る背中には哀愁が漂っていた。
やだ……可哀想あの人……
しかし、あれだな。うん、これ全く心配いらないわ。
胸とか喉も全然痛くなかった。気のせいだった。さっきまで、ウダウダ長ったらしく考えてたこと全部無駄だったな!
呆れを通り越して、いっそ清々しい気分になっていた俺の姿に、一色も気付いたのかポテポテ走り寄って来る。
「あれ?こんなとこに……こんにちはー、先輩はなんで居るんですかー?」
その言い方だと俺の存在そのものに疑義を呈しているように聞こえるから、やめようね……?
「おう、今日は同好会をやることになってな」
「え、ええっ!?そんなの私聞いてないんですけどー!」
言って袖を掴んで抗議してくる。
いや、なんでお前に話通さないといけないの……?と逆に質問したかったが、あまりの剣幕に呑み込んでしまう。
「いやお前らのところ……サッカー部って、明日紅白戦やるんだろ?戸部がそれに出ときたいから急遽今日やることになったんだよ」
「そ、そうだったんですか……戸部先輩が……ちっ、勝手な真似を……」
目の前にいる後輩が怖すぎた。
胸のあたりもズキズキと痛い。ごめんねとべっち……
「今日はもうしょうがないですけどー……次からは事前に私を通すようにしてくださいね」
「はい、すいませんでした」
などと、反射的に謝ってはみたものの、その必然性が依然全くわからない
いくらなんでも、これは理不尽が過ぎるのではないか……?俺達のスケジュールにまで物言いをつけてくるとは……
相変わらずぶーと頬を膨らませて睨めつける一色。これはマジなやつですよ……
……そこでふと、俺はいつぞや戸部が言っていたことを思い出した。
ここから回想ですよ!
――戸部、今日あいつはマネージャーか?
――へっ!?俺知らねーんだよなぁ……いろはすってば、俺のスケジュールは管理してるっぽいとこあるけど、自分の予定は教えてくれねーべ……
――えてくれねーべ……
――くれねーべ……
はい、回想終了
もしかしてだけど……もしかしてだけど……
一緒にいたのと思っていたのは、管理されてたんじゃないの……?
その推論は、恐ろしいぐらいストンと腑に落ちた。
なんということでしょう……
くそ、最近というもの、何かとちょこちょこ付いて回るもんだから、あれ?もしかして、こいつちょっと可愛いくね?慕ってくれてんじゃね?……ぐらいにまで思っていたのに……
あっぶなーい、八幡ちょっと勘違いしかけてた!
途端にぞわっと背筋に悪寒が走る。
一旦そう考えると、目の前に居る後輩に恐怖だけではない、薄気味悪ささえ覚えてしまう。
「それじゃー、とにかく次回からはお願いしますよ!」
「お、おう」
ぷんぷんと最後にもう一度念を押して、一色は俺に背を向け去っていく。
移動しながら一色はスマホを取り出すが、ここはすぐ近くに職員室がある。
有名無実な校則だが、さすがに生徒会長がこの場所で堂々と電話するのも憚られたのか、一色は昇降口まで折り返す。
思うところがあり、俺は気配を殺して、去っていく一色の後を追うことにした。
しばらく進むと、一色は携帯を取り出し、誰ぞと話を始める。
すかさず俺は特殊スキル『ブレッシング・フラット』を発動。
これは汎用性の高い万能スキルで、相対する人間から完全に印象を抹消することが出来る。
スキル発動中の、その印象の希薄さたるや八冊目でやっとこ表紙を飾るほどである。
唯一の欠点があるとしたら、やはり自分の意志で状態を解除できないことぐらいであろうか。
人と面と向かって話をしているのに、後ろに知り合いが通り過ぎたら、会話を強制中断して大声で挨拶する奴って、本当になんなの……?風邪引けばいのに……
とまれ、今季一番の冴えないぼっちと化した俺は、近くの柱に身を隠しながら聞き耳を立てる。
うん、どう考えても薄気味悪いのは俺の方だな……あと怖い。
「あ、書記ちゃんー?私、うん、明日の件なんだけどー、予定が狂っちゃったっていうか……」
電話の相手は書記ちゃんのようだ。
「……うん、うん、そうなの、戸部先輩がいらないことしてー、うん、そうなの本当に使えないよねー、うん、だよね、なんでいるのかな……あの人……」
戸部も、その存在意義を否定されかけていた。
あと何気に書記ちゃんの発言も気になる。どう会話すれば存在意義を否定するような相槌を引き出せるのかしら……
「うん、そうだよね、扱き使……手伝って貰う予定だったのに……うん、しっかり手綱握っとかないとね……書記ちゃんの言うとおりかも、ちょっと甘くしすぎたのかなぁ……」
……怖っわ!いろはすこっわ!
あと、何言ってるか知らないけど書記ちゃんもこっわ!
「あとでその辺もう一回見直そうか?うん、そういうことだから、じゃあね」
ふーと会話を終えると、一色は若干苛立たしげに携帯をしまう。
そして、ぐるっと突然こちらを振り返った。
……うおっ!っぶねぇ……!急いで顔を引っ込める。柱に身を隠していたおかげで、事なきを得たようだ。
一色はしばらくキョロキョロと辺りを見渡していたが、小首をかしげると、やがてタッタカとどこかに去っていく。
うーん……あの子ってば時々、勘が鋭いところがありますね……
一色いろは……つくづく危険人物である。
前にも俺の特殊スキルをかいくぐったことを思い出す。外面を気にする分、視線や気配に敏感なのかもしれない。今後はもっと上手く気配を殺して隠密行動を取らないと……
一色へのスニーキング戦略も根本から見直すべき時期が来たのかもしれない。
うん、危険人物はどう考えても俺の方だな……
とまれこうあれ、これで確定である。
間違いない……俺は、一色に管理されつつある……!
本日の『一色いろは・被害者の会』の議題が決まった。
目指すは、この支配からの卒業……!
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一色いろは・被害者の会3
雌伏編・前半 【了】
可愛いな、いろはすもだけど
八幡も
書記ちゃんがだんだんキャラ濃くなってきたな。いろはすの八幡へのスキンシップもだんだんレベル上がってるし。今回もニヤニヤできました。続き期待しています。
続き待てない