一色いろは・被害者の会4~策謀篇(中間)~
いろはすSSです。三年になった八幡が生徒会であれやこれやする感じで進行しています。
→更新が遅れてごめんよ!しかもくっそ長くなっちゃった上に、収まらなかったのでまさかの中編だよ!脱力して読んでね!
シリーズものなので、初めての方は↓からどうぞ。
一色いろは・被害者の会 ~黎明篇~
※※※※※※※※※※※※
~前回までのあらすじ~
一色いろはの暴走により混迷を深める総武高校。
その乱世に終止符を打つべく、八幡・戸部・副会長は『一色いろは・被害者の会』を結成した。
職場見学会の廃止に向けて、精力的に活動を行う一色。
皆の要望に応えるその行動は、しかし本人も気付かぬ内に不調となって表れた。
綻びを察知した八幡は、何を思ったか一色の阻止に動き出す。
かつて交わした契約を、そして自らの尊厳を守るため――
熱く、激しく……今、被害者の会が暗躍する!
前回 一色いろは・被害者の会4~策謀篇(前半)~
※※※※※※※※※※※※
既に日はほとんど暮れかけている。間もなく空は宵の紫紺へ染められていくのだろう。
テスト前であることに加えて、部活の規定時間も大幅に過ぎているため、校内で明かりの付いている部屋は、職員室と、ここ被害者の会の本部のみである。
黒板の前に立つ俺を怪訝な顔つきで窺うのは、戸部、副会長に加えて、書記ちゃん、会計くんの四名だ。
つまり一色以外の生徒会メンバーが全て集まったことになる。
「えーと……んでヒキタニくん、これなんで呼ばれたん?」
「ああ、すまんな……折角部活が終わったってのに」
「や、そりゃいいんだけどさー……」
「ちょっと、これからやることで話を聞いてもらおうと思ってな。生徒会に関わる重要な事だ」
俺の言葉に戸部は首を傾げ、隣にいた書記ちゃんは不機嫌そうにプイと目を逸らす。
それを不思議そうに見ていた副会長だったが、やがて合いの手を打ってくれる。
「……それって会長が動いてる、例の職場見学会廃止の件か?」
察しのいい副会長に、俺は頷いて応える。
「職場見学……あー、去年やったやつ……って何それ!?廃止って……いろはすってば、そんなことやってるん!?」
「そうだ。知ってる者も多いだろうが、あいつは今、職場見学会を廃止するために裏で色々動いている……そこで早速なんだが『被害者の会』は一色の阻止に動こうと思う」
「……はぁ……阻止に動く……はいはい、要するに、いつも通りちょっかいかけるってことね」
などと勝手に纏める戸部。
その言い方だと、俺が毎回毎回一色の邪魔をしているように聞こえるのでやめて欲しいの……
なんか好きな子いじめて喜ぶ小学生みたいじゃないですか……
「そ、そういうわけで、今日集まって貰ったのは他でもない、俺に賛同してくれるって奴がいたら手伝って欲しいんだ」
「えーと、比企谷……その前に理由を聞いていいか?お前が職場見学会を存続させたいのはどうしてだ……?」
さすが副会長、実に常識的な質問である。
「あー、そうだよな……えーと、理由はこうだ。まあ?生徒たちが進路を決めるにあたって?モチベーションっつうか?なんつーか、そんな感じのもののために必要な行事かなー?……みたいな感じだな」
「……なんか、今考えたっぽいんですが……」
いかにも空々しい俺の理由に、適当だなーと書記ちゃんが肩を落とす。
……当然、皆も納得していないご様子だ。呆れや猜疑を含んだ視線を俺に向けてくる。
何、この子たち……反抗期なのかしら……?
そんな中、戸部は皆の顔色を窺うようにぐるりと見渡すと、両手を頭の後ろに組んで聞いてくる。
「ヒキタニくん『被害者の会』でっつったけど、……例えば俺とか副会長が拒否しちゃってもいいの?」
「ああ、もちろんだ。お前もサッカー部の練習で忙しいだろうし、一色を応援したいってならそれでもいい」
「えー!そ、そんなんでいいわけ!?」
戸部だけでなく呆気にとられる面々。
依然、その顔にはありありと猜疑心が滲み出ている。
「うーん……要は、俺たちにここで旗色を明確にしろってことか?会長に付くか、お前に付くか……」
「まあ、そんな感じだ……書記ちゃん、どうだ?」
さっきから不機嫌な書記ちゃんに水を向けてみる。
「……私は、フィフティー・フィフティーです。比企谷先輩には元々この件でお願いした身ですし、でも、いろはちゃんのことも手伝ってあげたいし……」
「書記ちゃん自身はどうなんだよ。存続なのか、廃止なのか……意見はないのか?」
「そ、それも、まだわからなくて……」
「ちなみに、これは顧問の話だが……学校側、つまり先生達は廃止に賛成してるのが圧倒的多数だそうだ。さらに先生の見立てによれば生徒側もだいたいは廃止に付くんじゃねぇかなって」
「……それって……」
「廃止はみんなに望まれていると見ていい。一色はそのために動いているんだろうな……多分、知らんけど」
「それって、良いこと……じゃないですか?」
「悪いことじゃねぇわな……さあ、どうする?」
……と、我ながら意地が悪いが、急かすように書記ちゃんに答えを迫る。
すると、さっきからずっと黙って聞いていた会計くんが、割りこむように手を挙げた。
目だけで促すと、特に表情を変える事もなく訥々と口にしだす。
「比企谷、悪いけど、僕は今回は会長に付くよ」
「……理由、聞いてもいいか?」
「ずっと考えてたんだけど……あの行事は、はっきりいって形骸化してる。この学校から就職に出る生徒もここのところほとんどゼロだし、実際あまり意義のあるもんじゃないと思う……今、廃止できるなら、そうすべきだ」
……なんとも明快な論旨。
たいして知った仲ではなかったが、為人が垣間見えるようだ。
シンプルに考え、シンプルに動くのが信条なのかもしれない。
「ん、了解。……すまんな、こんな遅くまで。まだ長引くかもしれんから先帰ってくれていいぞ」
「遅くなるのは全然構わないよ……ただ、この先、比企谷に協力はできない……そういうことでいいんだよな?」
「おう」
俺の返事に、会計くんは何を思ったのか視線をついと上に向け、考え込む挙動を見せる。
……が、それも一瞬のことで、やがて鞄を肩にかけると帰り支度を始めた。
「……じゃあ僕はもう帰るよ。みんな、また明日」
「え、えーーっ!?ちょ、ちょっと会計さん!?」
ピッと手を上げて別れを告げる会計くんに、書記ちゃん以外の面子は、おつかれーと掌をひらひら振ってそれに応える。
すっぱり断られてしまったが、印象はむしろ好意的に書き換えられた。
……あの様子だと、もしかしてこちらの意図をある程度察知しているのかもしれないな……
まあ、そうだとしても、たいして問題があるわけでもないのだが……
「……さて、どうだ?お前らの方は……会計くんみたいに気楽に答えてくれたらいいんだが……」
戸部と副会長にも振ってみる。
しかし、書記ちゃんは納得がいかないようで、考えこむ二人の前に立ち、俺に非難の声を上げた。
「おかしいですよ、こんなの!なんか無理に対決してるみたいで……こういうのは、ちゃんといろはちゃんも交えて、まずは普通に話しあって、それから生徒会の意見をまとめましょうよ……それじゃダメなんですか?」
「この案件、一色はもう生徒総会で決を採るところまで話を進めてる。だったら生徒会で意見合わせる必要なんてないんじゃねぇの」
「そ、それは……そうかもしれないですが……」
生徒総会で事が決まるのであれば、必要なのは生徒会の一致した意見などではなく、生徒のために判断材料を提供することだ。
この場合は、廃止派・存続派、それぞれの主張を生徒に分かりやすく紹介するのが理想である。
生徒会主導でなあなあで進めてしまっては、かえって論点がスポイルされることもあろう。
もちろん、生徒に問う前に生徒会で会議を行い、争点を出していく……というのであれば悪くない。
むしろ今後、生徒会のメンバーが円滑に仕事をしていくためには、そちらの方法こそ妥当なのかもしれない。
だが、今回に限っては、その一般論に俺は与しない。
……先日、一色と二人で帰った時の会話が脳裏をよぎった。
――先輩は……まだ、本物が欲しいですか?
――私は欲しいです。――きっと、ずっと欲しいです
そうであるならば。
一色に伝えたい事がある。伝えなければいけないことがある。
そして、それは話合って通じるものではない。言葉ではきっと分からないことなのだ。
「私は、そんなにすっぱり決められません……だから、話し合いたい……」
「……まあ、それでもいいんじゃねぇかな。じゃあ書記ちゃんは保留ってことにしとくか」
髪をガシガシと掻いて適当に返事をすると、書記ちゃんはいよいよ恨めしげにこちらを睨んでくる。
珍しいことに、その表情には怒気が孕んでいる。
……無理もない。
先日、彼女は一色の暴走とも言える行動を諌め、その時もまず最初に話合いの場を望んでいた。
俺はといえば彼女の願いを安請け合いした上で、今、その方針をこれ以上ないぐらい軽んじているのだから、不満を抱くのは当然のことだ。
「……比企谷先輩が、何を考えてるのか分からないです」
ぷいと顔を逸らすと、書記ちゃんも自分の荷物をまとめて出口に歩を進める。
「……お邪魔はしません、でもお手伝いもしません」
少し拗ねたような声で言い残し、扉をパタムと閉める。
不謹慎ではあるが普段は見せないその態度を、少し新鮮な気持ちで以って見送った。
書記ちゃんまで帰ってしまうと、取り残されたのはいつもの被害者の会メンバーだ。
「……なんか……ヒキタニくん、わざとやってね?」
戸部のくせに鋭いことを言うので、内心少し動揺してしまう。
「ん、んなこたぁねぇよ……それよりお前らはどうする?さっきも言ったが、今回は無理に付き合う必要はないぞ」
言うと、二人は顔を見合わせたのち、苦笑を浮かべて、再びこちらに顔を向ける。
「……まあ、俺はヒキタニくん手伝うべ!それにこれ……どうせいろはすのためっしょ?」
「……い、いや、それは……」
戸部の分際で、またもや見透かしたような事を言うので、内心少し狼狽えてしまう。
そんな俺に、副会長も呑気そうな笑みを浮かべて続く。
「まあ、その辺はあとで聞かせてもらうよ。……協力するさ、俺たちは『一色いろは・被害者の会』だし、お前はその会長なんだから……」
副会長の言葉に促されるように、俺達は黒板に書かれた被害者の会、三箇条に視線を移した。
一、一色いろはの被害者を救済する。
一、一色いろはによる被害を今以上に拡大させない。
一、一色いろはには、魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教える方向で。
……いつ見ても訳がわからない行動方針だが、それでも俺達は、この三箇条を奉じてこれまで行動を共にしてきた。
被害者の会が、実は一色の思惑により作られた生徒会の下部機関であったとしても、この指針は揺るがない。
「今回のミッションで被害者に当たるのは、生徒全般……ってことになるのかな?それとも存続派の生徒……?」
「……いや、どっちも違う」
「ん?じゃあ誰なんだよ?」
すげなく否定する俺に、怯んだ様子もなく無邪気に問いなおす副会長。
そのまっすぐに向けられた視線が少し面映く、思わず視線を逸らしてしまう。
「……戸部の言うとおりだよ、今回の被害者は一色……あいつ自身だ」
「あー、やっぱそうなん……まあヒキタニくんって、なんだかんだでいろはすにダダ甘…………あっ、ふーん?」
何を察したのか、嫌らしくニヤついている戸部。
その卑しくも賢しらけな視線が少し鬱陶しく、思わず殴り飛ばしたくなってしまう。
「……それを書記にも言ってやれば良かったのに……味方してくれたかもしれないぞ?」
副会長が苦笑しながら漏らす。
……ただ、実のところ、俺は誰の協力も必要とはしていなかった。
今回、生徒会メンバーを集めたのは、俺が一色と対立するのを皆に表明するのが第一の目的だった。
自分から集めておいて、追い返すような真似をしたのはアレだが、俺が一色に敵対する意志と時期……それを皆に強く印象付けたかったのだ。
だから、こいつらも適当に追っ払おうと思っていたのだが……
「……今回のミッションは、かなりヘビィだぞ」
「うーん……ま、言ってもいろはすの邪魔するとか、いつも通りって感じするし……」
「一色と戦う覚悟だけじゃない、周到な準備……そして何より疾さが必要だ……」
「覚悟の上だよ!……それに俺だってブラックな生徒会長にギャフンと言わせたいと、いつも思ってるんだぞ?」
副会長の言葉に、思わず三人して吹き出してしまう。
「あるわーそれ!俺もこの前さー、ちょっと買い物間違えただけで、いろはすに説教されてさー……今すぐ階段から飛び降りろ!とか言われてマジ酷ぇんよ……」
「そ、そうか」
相変わらず俺の知らないところで、ブラック主従な関係を築いているようで何よりである。
「エアサロンパスと整髪料間違えただけでさ?ほんっと、いろはすってばブラックだわー!」
それは普通にとべっちが悪いんじゃ……と思わなくもなかったが、それにつけても、こいつ一色に甘すぎるんだよなぁ……
もう普通にパシらされてるし……
人間ここまで堕ちたくないものである。
「ま、まあ、それはともかく、ヘビィでもなんでも構わないさ」
「そゆこと!ヒキタニくん、任せとけって!」
「お前ら……」
協力を縋るには、俺にはいろいろと必要なものが足りていない。まずもって誠意を示せていない。
……にも関わらず、この二人は俺に付くという。
信頼と呼ぶには大げさで、慣れ合いというほど気安くもない。
それでも、そんな言葉では括れない奇妙な関係性が、いつの間にか俺達の間に芽生えていたのかもしれない。
しかし、あえて事情を深く聞いてこない二人に、ただただ甘えて取り縋るというのも落ち着かない。
「……まあ、あの、なんだ、今回のはなんつーか、俺の都合というか、ワガママというか……あの、あれだ」
相応の仁義を示したいが、さりとて言葉は見つからず。
「……あいつには、ちょっとばかし恩があるんだよ。それを返してやりたい。……だから悪い、協力してくれ」
結局、口から出てくるのは、取ってつけたような当り障りの無い言葉ばかりだった。
しかし、頭を下げた俺に、副会長は肩を横からぽんと叩いて、いつもの優しげな笑顔で応える。
一方の戸部は襟足をバッサバッサと掻きあげて、ズビシとサムズアップを決めた。
咄嗟に捻りだした、空虚なはずの建前。
しかしこれも案外、自身の本音だったのかもしれない。
……あいつに伝えたい事は、きっと一つだけではないのだろう。
心なしか、二人の目に光が灯ったように見えた。
「……っし!アガってきたわー!じゃあよ、今日はどーんとラーメンでも食って明日からの英気を養っちゃう!?」
「そうだな!対策は早速明日にでも集まって……」
「……それなんだがな、今日集まってもらったのは他でもない」
「……」
「……」
「それ……最初の方も聞いた気がするんだけど……」
何かを察知したのか、二人は顔を引き攣らせている。
そんな二人に、俺はクリアファイルから取り出したB4用紙を広げてみせる。
「……それは生徒会だより……?お前、まさか……」
「もしかして、今すぐっすか……?」
心なしか、二人の目が急速に冷めていくのを感じる。
いるよね、帰ろうとしたら、そのタイミングを見計らって仕事押し付けてくる上司!
もう本当にごめんね、とべっち……でもこれ早くやらないとだから……
「早速、存続工作を開始するぞ。明日の朝のHRまでに間に合わせたいから……そうだな、今日中に原稿を完成させて、朝一に印刷すりゃ間に合うだろ」
「ちょ!俺、明日朝練あるんですけど!」
「言っただろ、今回のミッションはヘビィだって」
「今日からとは思わないだろ!?それに原稿も無理だって!出来っこないぞこんなの!」
「周到な準備と疾さが必要っていっただろ。……それに出来ないっていうのは、あれだぞ嘘吐きの言葉なんだ。途中で止めてしまうから無理になるんだよ」
「なんかヒキタニくんが、ブラック中間管理職みたいになってんだけど……」
戸部が肩を落としながらボツりと呻く。
経営者ではなく中間管理職という辺りに、妙なリアリティがあって嫌だった。
「い、いやー俺さー、ちょっと腹減っちゃってさー……今日の所は……」
「心配すんな、人間その気になれば『ありがとう』だけで生きていけるもんだ」
「もうそれ完全に犯罪だから!お前、ちょっと会長に似てきたんじゃないか!?」
突っこむ舌鋒も鋭く、皆テンションが高くなってきた。にわかに活気づく被害者の会本部。
さあ集めよう……沢山のありがとうを……!
家族のような雰囲気の同好会ですっ!
「詰め込み過ぎっしょ!」
※※※※※※※※※※※※※※※
「八幡、おはよっ!」
「……お、おお!戸塚か、ととっ!」
突然、セイレーンを思わせる美しい歌声のような呼びかけに、思わず足がたたらを踏んでしまう。
さらには視界に入った戸塚の余りの可愛らしさに目が眩み、抱えていたプリントの山がぐらりと揺れた。
「わ、わあっ!?ごめん、八幡ッ!」
慌てて駆け寄った戸塚が、身を挺して崩れかけたプリントを支える。
おかげでなんとか立て直し、ほうっと二人で息をつく。
危機を脱すると、プリントを持つ手が重なっている事に気づき、少し胸が跳ねる。
――廊下には柔らかな朝日が窓から差し込んでくる。
触れ合う手と手、心と心。
山の様に積み上がったプリントだけが、二人の間を隔てている。
……ドクン
「これって……生徒会だよりだよね?ふーん……へぇー……こんなことやってるんだねぇー」
などと内心で大盛り上がりを見せていた俺だが、戸塚は積み重ねられたプリントの内容の方に興味をお持ちのようだ。
可愛らしくうーんと唸りながら、ちょうど顔の高さにあるプリントに目を通している。
っぶねぇわー、思わずプリントほっぽらかして抱きつくとこだったわー……
……ちなみに俺が運んでいたのは、つい先程、印刷し終えた会報誌の山である。これを職員会議が始まるまでに教師たちの机に置いて回らねばならない。
「……あっ、ここだけ手書きなんだね……それに八幡の名前が書いてあるんだけど……?」
「ああ……生徒会の仕事でコラムを書いたんだよ……内容についてはでっちあげなんだが……皆には内緒にしといてくれ」
小首をかしげて俺を見つめる戸塚だが、やがてプリントを山から半分取り去ると、目的地である職員室まで同行してくれる。
……その自然に溢れ出す優しさ。俺に対する愛の深さを実感せざるを得ない。
「ふふ、またいろいろやってるんだね。こんな朝早くから八幡が学校にいるなんて……」
「お前も朝練だったんだろ?それに比べりゃどうってことねぇよ」
体育会の連中に比べれば、本当にこんなのはなんでもない事だ。
印刷と書類の運搬に奔走し、サッカー部の朝練にまで参加し、かつパンとジュースを駅前のイ○ンまで買いに走ってくれた奴がこの学校にはいるのだ。
そんなロン毛に比べれば、本当にこんなのはなんでもない事だ。
しかし塩パンを頼んだのに、白パンを買ってきたのは大変遺憾である。あとで制裁を加えねばならないだろう。
「……ところで、俺の書いたとこ、目立ってたか?」
「え?……うん、そうだね。思わず目が行っちゃった……かな。他のは綺麗に印字されてるのに、八幡のところだけ手書きなんだもん」
「狙い通りだな。これでちょっとは眼に止まりゃいいんだがなぁ……」
「う、うん……でも八幡、何をしようとしているのかは分からないけど……」
目を伏せて、戸塚がポツリと呻く。
「……前みたいなのは、ダメだよ?」
そう言って、心配げにこちらを窺う。
……なんともバツが悪い。後頭部を掻きたくなるが、あいにく手は塞がっている。
「心配すんな、去年よりかは爽やかなオチになるはずだ」
「だったらいいんだけど……」
実際、前のように不特定多数の生徒からヘイトを一身に集めるという展開には……多分ならない。
影響があるとすれば、被害者の会……もとい、俺と一色いろはの関係に限定されるはずだ。
「今回のはあれだ……まあ、つまりは自己満足だな」
「?」
さすがに伝わらなかったのか、再び首をかしげる戸塚。
伝わらなくて当然かもしれない。だいたい、これまで俺のしてきたことで、自己満足以外のことなどあっただろうか……?
思わず自嘲めいた笑みがこぼれる。
なおも不思議そうな顔をしている戸塚だったが、それでひとまず信用してくれたのか、それ以上聞かれることはなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「よーしHRを始めるぞー。全国模試の案内と、生徒会から会報が来てるから目を通しておくように」
朝のHR。予定通り前から紙が回ってくる。
昨夜から今朝にかけて、突貫で完成させた生徒会の会報誌だ。
本来なら来週発行の予定だったが、副会長権限により前倒しさせてもらった。
だがそんな事情など、級友たちの知るところではない。そもそも会報に興味を持つ者がほとんどいないのだ。
ちらりと見渡す限りでも、手に取っているのは一緒に回ってきた模試の案内ばかりで、生徒会の会報などほとんど誰も読んでいなかった。
当たり前の話だ。かくいう俺もこれまで目を通した記憶が無い。
だからして、読んでもらうにはちょっとした工夫が必要なのだ。
そろそろ時間のはず……
ちらりと教室の時計を窺うと、間もなく黒板の上部に取り付けられたスピーカーから、放送を知らせるメロディが流れる。
――ピンポンパンポ~ン
『え、えーと……せいとかいですー、ほーむるーむ中、しつれいしますー』
聞き覚えのある間の抜けた声が、教室に流れる……どころかおそらく全校に響いているのだろう。
予定通り、副会長が放送室から作戦を開始したのだ。
もちろん学校側には既に話を通しているため、担任は口に指を当てて皆に話を聞くように促す。
『えーと、けさはですねーお手もとにー、せいと会のかいほうがまわっているかと思いますがー、すみません、一部内容にあやまりがありましたー」
副会長は普通の場では普通に話せるのに、少し悪巧みのエッセンスが交じると、良心の呵責から途端に頭が悪そうな喋り方になる。
しかし、いつもなら脱力してしまうそのトーンも、今回のようなケースではかえって有効に働く。
皆、副会長のお間抜けな声をクスクス笑いながらも、放送に聞き入っている。
『行事の日程のコーナーでー、職場見学会の日取りの箇所に誤りがありました。今年は去年より先にずれ込んでいます。正しくは期末テスト明け、7月上旬を予定していますので、二年生は訂正をよろしくお願いしますー』
皆に会報を読んでもらうための、次なる燃料投下である。
放送を聞きながら、皆は模試の案内から会報誌に持ち替えて、誤りの箇所はどこかと目を通し始めた。
……ここまで全て、狙い通りの動きである。
人間というのは溺れた犬を棒でボッコボコにどつきまわす残酷な習性がある。
拙いものを見たり聞いたりすると、他にも叩くところはないだろうかと、目を皿に、耳をダンボにその神経を研ぎ澄ますのだ。ソースはWeb!
普段はHR中も私語をやめない女子のグループが、今日ばかりは少し嫌らしい笑みを浮かべながら、各々副会長の放送に耳を傾けつつ、食い入るように会報内の誤植を目で追っている。
『……それについては、今月末に生徒総会がありますので、詳細はそこでおって連絡しますねー』
『他にも誤字とか、たくさんあってすみませんでした。これに懲りず次回も読んでください、よろしくお願いします……以上、生徒会からでした……』
そして一旦、会報を手に持ってもらえばこちらのものだ。
俺のコラム執筆部分は手書きで作られている。戸塚がそうだったように、データの中に手書き文字があると自然と目を惹いてしまうものだ。
これは本屋や図書室、コンビニなどで目にするポップと同じ原理である。
なお、その文字も程よく下手糞に書かれてあると、なお目に止まりやすい。決して俺の字が汚いわけではなく、これはわざと崩して書いてあるのだ。
小細工もここに極まれりという感じではあるが、しかし効果はあったようだ。
普段はほとんど誰も読んでいないであろう会報だが、今日に至ってはこの教室だけでも八割ぐらいの生徒に読まれているのではないだろうか……?
他の教室もそうであってくれればいいのだが……
とまれ、俺は放送室にいる副会長に、労いの思念を送った。
昨夜、この作戦の決行には随分と渋られてしまったが、今ごろは俺に感謝さえしているのではないだろうか。
あるよね……困難な任務を終えた後の、あの達成感……
『あー……終わり終わりと……』
すっかり、リラックスした副会長の声がスピーカーから漏れ出て、皆は何事かと目を向ける。
やだ……あの人もしかして、スイッチをOFFにし忘れるとか……そんなカビの生えたベタな真似をなさっているんじゃないでしょうか……
『…………ふー、緊張した……比企谷め……苦手だって言ったのにこんなことやらせやがって……』
『さて、パンでも食べてから教室に戻るかな。マッヨタマタマ~マッヨタマタマ~♪……あっ、スイッチ消すの忘れてt』
――ピンポンパンポーン
「……」
「……なんだ今の……」
「……パン?」
副会長のささやか過ぎる不良行為に教室中が騒然となっている。
さすがだ、副会長……ただでは終わらない男よ……
緊張から開放されてテンション高くなっちゃったんだろうなぁ……
ざわめく教室に、担任は取り繕うようにポンと手を叩いて、皆の注意をひく。
「えー、とにかくそういうことだ。職場見学についてはお前ら三年は関係ないが、進路講演会の日取りや場所も書いてあるから、会報にはよく目を通しておくようにな~」
だが、皆は担当の話なぞ聞いておらず、会報のある箇所についてヒソヒソと会話をしている。
「このヒキタニって奴、三年かな?馬鹿なこと書いてるな~……ププ」
「去年の話だろ?あったよなー職場見学会。俺達のグループもさー、ヒキタニくんじゃないけど展示物壊しちゃったアホが居てさー」
「どこのクラスの奴だろうな?ドヤ顔で書いてるのが目に浮かぶわー」
「お前もあそこのメーカー行ったの!?案内の人めっちゃ怖かっただろ!?」
「なんだよそれー!俺も外資系にすりゃ良かったよー!」
懐かしげに、去年の職場見学会の思い出話に花を咲かせる級友たち。
誰一人、俺の名前を認知していないことに戦慄を覚えなくもなかったが、ま、まあいい……そんな事を気にする俺ではない。マジでなんとも思ってない、いや本当に。
とにかく……少なくとも我がクラスにおいては、これ以上ないぐらいに職場見学会を印象付けられたようだ。
苦心して原稿を作り上げた甲斐があったというものだ……
目を閉じて、俺は昨日の夜のことを思い出していた。
さあ、ここから回想ですよ!
※※※※※※※※※※※※※
先日、俺たちは会報の原稿を作る前に、一色と戦う上での基本戦略を練っていた。
俺達三人が被害者の会として過ごした期間は、一ヶ月と半分ほどだ。決して長いとはいえない。
……だが重要なのは、時間などではない。
例え一緒に過ごした期間は短くとも、俺達の関係性には密度がある。
まるで生死を共にした数年来の戦友同士のように、顔を突き合わせ、心の壁を取り払い、思いの丈を熱く語り合う。
「それにしても比企谷……存続に持っていくって言っても、具体的にはどうするんだ?廃止が多数派らしいが、そうだとしたら今からそれを覆すのは難しいと思うぞ」
「それに会報誌で何かやるつってたけどさー、そもそも誰も読んでねーと思うし……つまんないべ?これ……」
「そ、そういうなよ……俺達だって毎号気合入れて作ってるんだぞ。だいたい戸部は読んだことあるのかよ」
心ない一言にカチンと来たのか、副会長が戸部をギロリと睨みつける。
「は?」
「あ?」
少し熱くなってしまったのだろう。
メンチを切りあう二人をまあまあと宥めつつ、俺は話を続ける。
仲良く……二人共仲良く……ね?
「……まあ会報を読んで貰う方法はいくらでもある。それは後で説明するとしてだ、問題なのは存続させる理由の方だな……しっかりした戦略を考えて皆で共有しておきたい」
「んー……よーするにさぁ、職場見学会の良いところ、面白いところを挙げていけばいいんじゃね?」
「……うーんそれなら直球……正攻法がいいんじゃないか?やっぱり就職を意識すると、勉強に身が入るし……素直にそういうところをアピールしていけばいいんじゃないかな!」
ドヤ顔で提案する副会長だが、あまりよろしいアピールとは思えない。
副会長の心にはヒットするのだろうが、こいつぐらい真面目気質の生徒など全校生徒の一割にも満たないだろう。
ないわー……と二人して手を横に振る。
だめだめだめ!却下!
「副会長ってば、ほんっと真面目ちゃんだからさー……でも?それじゃ?人の心は掴めないっていうか?」
落ち込む副会長に、大仰な身振りと口振りでDisり始める戸部。
うわー……ウザいなぁーとべっち……
「じゃあ戸部は何かいいアイディアあるのかよ!代案を出してみせろよ」
戸部の態度に、副会長はあからさまに苛立った様子で言い返す。
だが戸部にも考えがあったのか、チェケラッ!の挙動で俺達二人を同時に指差した。
そのウザい仕草が、さらに俺達の神経を逆撫でる。
「……あるんだなーこれが……二人ってさー?ああいう課外活動の醍醐味って、考えたことある?」
「うーん、そうだな……終わった後でグループの連中とサイゼで飲み食いするとか……さしずめ、そんなところじゃないか?」
「……う、うん……そ、それな」
得意気に語りだした戸部だが、言わんとしていたことを一発で副会長に当てられ、トーンが見る間に落ちていく。
気まずそうに視線を逸らす戸部を見て、副会長はため息をつきながら頭を振った。
「……浅はかだな。そんなのアピールしてもしょうがないだろ。だいたい、それ行事自体はつまんないですって言ってるようなもんじゃないか」
「そ、そりゃそうかもしんねーけど!あ、浅はかとか、そういうこと言う!?」
「いいよ、戸部に頭脳労働なんて最初から期待してなかったしな」
「は?」
「あ?」
も、もう……!また……!!
「お前ら落ち着けって……ブレインストーミングは相手の意見を否定しないんだ。議論を発展させて、すぐに結論を出しちゃダメなんだよ……だからお前らはダメだ」
ガンを付け合う二人をまあまあと落ち着かせる。
……っていうか、なんでこいつら今日に限って、こんなに仲悪いの……?
いつもはもっと仲良しなのに……
とまれ険悪になってしまった場の雰囲気を和ませなければいけない。ここは俺がズバッと意見を提示して流れを作ったほうが良いだろう。
本当にこいつらしょうがないなぁ……話し合いの一つも満足にできないのかよ……
「……まあ、二人共はっきりいって、ちょっとピントがずれてるんだよなぁ……センスないっつうか」
「……」
「……」
「いいか、こういうのはもっと廃止に傾くような奴の心理を考えてやらないとダメだ。お前らはただ一方的に自分の良いと思うことを言ってるだけなんだよなぁ……小児病的っつうかさ……まあいいや、今から俺の案を言うぞ……ん?どうした、そんな顔して」
「……比企谷、お前さ、最初から案があるなら言ってくれないか?今何時だと思ってるんだよ」
「そうそう、もったいぶってさー!ヒキタニくんって前からそういうとこあるよなー?なーんか、ねちっこいつうかさー」
……なんなのこいつら……一体何をプリプリしているのか……
それにさっきの言葉は看過できない。ねちっこいとか、そんなことあるわけないのに……
なんか、さっきから戸部のくせに生意気なんだよなぁ……
ここは軽く注意してあげたほうがいいだろう。後々、きっとこいつの財産になるはずだ。
「あ?お前に何が分かるってんだ。あったま悪いくせに、ちょっと最近調子乗ってねぇか?」
「何それ、聞き捨てなんないんですけど……」
「は?」
「あ?」
「おい、二人共やめろよ、やめろって」
「痛っ、ちょっ!……副会長、いま俺の顎に手ぇ当たったべ?」
「あーすまん、わざとじゃな……あいてっ!……ちょっ、お前こそ何してんだよ」
「おい、やめろってお前ら……あつっ、ちょ、戸部、今お前のゲンコが鼻に当たったぞ」
「いやヒキタニくん、本当これちょっとダメな流れだから。俺が副会長小突いて、それで終わりにしよ?ワンチャンあるべ?」
「何言ってんだアホかお前、それだと俺だけ殴られ損じゃねぇか!」
「いや、もう本当そういうのやめよう、終わんないから」
「いやいや、副会長それずるいっしょ?自分だけ、まだ一発も被弾してねーし!」
「ずるいのはお前だろうが!ほらここ少し赤くなってんじゃねぇか……親父にだって殴られたこと無いのに」
「じゃあさじゃあさ、互いに一発ずつ喉仏に貫手かますってどう?」
「いや、もう本当に終わんないから」
議論は白熱した。
胸襟を広げ、忌憚なく主張をぶつける以上、そこには避けられない衝突というのが、どうしても生まれてしまう。
「いや、だから今江がいなくなったらサブローの後釜どうすんだって話だろ。だいたい生え抜きを軽視しすぎなんだよ、お前らは球団経営っていう視点が欠けてる」
「あんなの年俸吊り上げた挙句に失敗しただけっしょ!心配してるのヒキタニくんだけじゃね……?」
「戸部こそ何言ってるんだよ、あの人がそんな駆け引き出来る訳ないだろ?……彼はゴリラなんだ」
時には相手の誤りを容赦なく指摘し、
時には抑えきれないまま感情を露わにする。
高度な心理テクニックなども交えつつ、議論はさらなる深まりを見せていく。
「だいたいズルいっしょ!副会長ばっかり書記ちゃんに誘ってもらって、自分からはまだ何もしてねーし!男の風上にも置けねーわー」
「そうだぞ副会長、おい聞いてるのか、早く爆発しろ」
「そんなの人それぞれだろ!そりゃ俺だって行くときは行くさ、でも男から誘わなきゃダメってのはちょっと保守的過ぎるんじゃないか……?」
「黙れ、いいから爆発しろ」
時には嫉妬の嵐が吹き荒れて、話が脱線しかけたこともあった。
だがそんな白熱した議論を乗り越え、俺たちは次第に意見を集約するに至る。
「ハァ、ハァ……」
「要するにだな、廃止に票入れるような奴らは、おちゃらけた心理からそう言ってるだけで、たいして深く考えてない……ここまではいいか?」
息を切らせながら、二人はコクコクと頷く。
ここまで本当に長かった……ほとんど何の関係も無い話ばかりしていた気もするが……
「例えば仲間同士で職場見学会の存否について話し合っていたとする……その時に、廃止か存続か面と向かって聞かれたら、大概のやつはおちゃらけて『廃止』と答えるんだ……違うか?戸部」
「んー……まあ、あんま真面目ぶると引かれっからさー……なくはないかな?」
「だろ?……今の時点で廃止派が多いのなんて、その程度の理由なんだよ。……逆に、そこに俺達の付け入る隙がある」
「……たいした考えを持ってないなら、ひっくり返すのも簡単ってことか?」
「……その通り。要するに、こんなのみんな空気で決めてんだよ。周りが白って言ってたら白だし、逆に黒なら黒になる。そしてその空気を決めるのは、一部の声の大きなコミュニティだ……!」
それは去年のクラスで言えば、葉山達のグループがまさに典型といえるだろう。
彼らが教室内で職場見学の話題で盛り上がっていれば、周りの連中も自然に存続を支持しだす。
逆にこいつらが乗り気でなく、行事を話題にしなければ「何となくの理由」で廃止に傾いてしまうだろう。
キーとなるのは、クラスでオラついているリア充共なのだ。
「や、まあ、そうかもしんねーけどさぁ……ほんじゃ、その空気を変えるのはどうすりゃいいのよ……?」
「話題になるように持っていくんだよ。クラスのお調子もんのたった一人にでも刺さればいい……そんなコラムを書く」
「……具体的にはどうするんだ?」
期待の顔を向ける二人を前に、俺はエア肘かけに両腕を置いた。そして懐かしむような遠い目を向けつつ息を吐く。
「……ふぅ……俺も思えば……若い頃はやんちゃしたもんだぜ……」
「……」
「……」
まさかのネグレクト。
二人は虫を見るような目を容赦なく俺に向けていた。やだ……恥ずかしい……
けぷこむと咳払いして、仕切りなおすと説明を続ける。
「……あ、あれだ、要するに武勇伝だ」
「武勇伝?」
「戸部とか去年よくやってただろ。お前がバカな失敗談を披露して『あーないわー!ワンチャンあるべ?ジューシィポーリィイェーイ!』とかなんとか言って、いつも盛り上がってたじゃねぇか」
「ひ、ヒキタニくんは……一体俺をどういう目で見てるんでしょうね……?」
などと言っておりますが、教室で寝ているふりをしつつも、長年リア充どもの会話に耳を傾け続けた俺がいうのだ。
あいつらの会話が盛り上がる時と言ったら八割方こういう構成である。まず間違いない。
「……まあ分からなくもないよ。リア充じゃなくても……自慢のような、自爆のような……そういうのが話を盛り上げるきっかけになったりするよな」
「あー……ウチのOBとかもよく言ってるわ……麻雀負けてバイト代すっちまったとか、バイクでスピード違反してお巡りさんに捕まっちゃったとか……そういうノリのこと?」
コクリと首肯する。
世の中に毒より旨いものはない。人間というのは、思わず悪ぶったものに心を惹かれる側面があるのだ。
逆に、正しいこと、素晴らしいこと、美しいとされるものには、警戒感さえ覚えてしまう。
人はあまりに美しいものを見た時、心の何処かで得体のしれない恐怖を覚え、時には薄気味悪ささえ感じることがあるのだ。
つまり俺が周りから薄気味悪がられているのも、この美しさ故であることは論を俟たない。また一つ真実が明らかに……大変なことですよこれは……
話が逸れた。
ともかく、人が周りにおちゃらけて見せる時……それは正しさを受け止めきれない、心の弱さゆえの反応なのかもしれない。
逆も然り、人が悪さに惹かれるのも、根を同じくする心理から来るものではないだろうか……?
そして今回はその弱さを突く――
「要するにバカ話で話を盛り上げようってことだな。うん、悪くないんじゃないかな」
そ、そんな簡単にまとめないで欲しいのだけれど……
しかし副会長の言うとおり、実際にそれだけの話だった。
「リア充が盛り上がれば、それを核に他の生徒にも伝播する。みんなが職場見学会を意識する……それがもっとも重要なんだ。……要は『話のネタ』になることだな」
「なんかさっきから、ヒキタニくんの偏見が炸裂してる気がすんだけど……」
「だけど、謎の説得力があるんだよな……」
「まずは大きなところから手を付けよう。ターゲットはリア充……真面目ぶると引かれるのなら、職場見学会を徹底的に『ふざけたもの』に変えてしまうんだ」
……それだけで、おそらく流れはこちらに傾くはずだ。
両極に当てはまらない有象無象の雑魚どもは、自然とリア充に追随する。得てして世の中そういうものである。
オラついたリア充を軸に、三年生は昔を懐かしみ、過去を美化する。
一年・二年はまだ見ぬ行事に、期待で胸を膨らませるだろう。
シナリオ通りに行けば良し、少なくとも場を温めるぐらいの効果はあるだろうし、そうなればまた付け入る隙も出てくるだろう。
「とりあえず……
『職場見学会で、展示物を壊しちゃったぜ!』
『疑似体験でピント外れな質問しまくって、進行役の社畜に咎められちゃったぜ!』
『あとでサイゼでダチにからかわれちゃったぜ!』
……みたいな感じの話を、適当にでっちあげてコラムに書こう」
「ふむ……生徒たちへの反面教師って形で紹介すれば生徒会としての体裁も保たれるし……よし、それで行くか!……だけど、誰の名義でそのコラムを書く……?」
「それは俺が一番ふさわしいだろうな」
「……したっけ、そのココロは?」
「誰も俺のこと知らないだろうからな。捏造しても顔が割れない」
「理由が悲しすぎる……」
その後、俺たちは会報を皆に読んでもらうための策も練り、合意を経た後に原稿に着手したのであった。
手始めにリア充の心に刺さるコラム。そして同時にこれは一色への先制パンチでもある。
さて、あいつめ……一体どう出てきますやら……
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
昼休み、俺達は成果の報告をするためにベストプレイスに集合していた。
「どうだった、戸部、お前のクラスの反応は……?」
「それがさー!もうほとんどヒキタニくんの狙い通りって感じ?マジビビるわー!策士だわー、ほんっとヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケだわー」
えーと……ご、ごめん、誰ンハルトかな?
戸部の喩えはよく分からなかったが、とりあえず上手く行ったのは分かった。
「俺は教室に戻ったら、みんなにからかわれちゃったよ……」
落ち込む副会長。うん、まあ、君はそうでしょうね……
HRサボって食べるマヨタマサンドは旨かったか?とか訊かれたんだろうなぁ……
「でも休み時間とか、みんな職場見学会の話をしてたな。さっそく影響されて武勇伝を周りに吹いてる奴も居たよ」
「ふむ……結果は上々というところかな……」
あのあと、大志にメールで聞いてみたところ、彼奴のクラスもしばらく行事の話題で持ち切りだったようだ。
ただ、さすがに不慣れな一年は怖気づくケースも合ったそうで、一年生への効果は限定的だったかもしれない。
リア充だけでなく、いわゆる草食系の皆さんへのアプローチも考えなければいけないな……
ともあれ、まずは上々といえる戦果を、互いに称え合う。
「しかし、会長は会報誌……ちゃんと見てくれたかな……?」
フムンと思慮深げに副会長がそんなことを口にする。
「いろはす見てなかったら意味ねーもんなぁ……」
確かにそうなのだが、あれだけ目立つことをしたのだ。勘付かないはずがないと思うのだが……
だが噂をすれば影、一色の噂をすれば一色が現れる……乱世の到来を告げるように、パタパタと聞き慣れた足音が近づいて来る。
「せんぱい……!」
現れたるは、思った通り一色いろはである。
副会長の心配はどうやら杞憂だったようだ。その顔は常より少し暗く沈んでおり、俺を見る目はあくまで恨みがましい。
視線がかち合うと、一色はキッと眉を吊り上げて俺を睨みつけてくる。
……実にいい表情である。
とりあえず、俺は何事も無いかのように装って、いつものごとく適当に挨拶する。
「……よう」
「いろはす~!ウェー……」
だが俺の後ろにいる二人の姿に気付くと、目を見張って驚いた顔を見せる。
「……ーイ……?いろはす?」
「……なんで戸部先輩と、副会長がここに……?」
「……ん?なんでって……なんだよ、いちゃ悪いのか?」
予想外の第一声に、早くも気が削がれてしまう。
「だって、ここは先輩と……の場所、なのに……」
消え入るような声で、地面に向かって何かぼそぼそと呻いている。
肩透かしを食った俺だが、その声を拾おうと一色に近づく。
「おい、一色……」
だが顔を伏せていたのもわずかな間で、再び一色は顔を上げ、俺を射抜くように真っ向から睨みつけてくる。
それ以上寄るなと言わんばかりの迫力だ。
そして鞄からゴソゴソとB4紙を取り出すと、俺の前にびっと突きつける。
「……これ、見ました。なんのつもりか知らないですけど……どーして私の邪魔をするんですか!」
邪魔と断じた。
……ということは、俺達のクラスと似たような反応が、一色の教室でも起こったことが窺える。
上級生のアホな武勇伝に、クラスのトップカーストが沸き立ったのだろう。
そうするとこいつの事だ。手の込んだ俺達の小細工の数々に、もうほとんど意図を察しているのだろう。
俺は白々しく、ニヤつきながら返事をする。
「邪魔……とは限らねえだろ。みんな実は行事を楽しみにしてるってことなんじゃねぇの」
「嘘ですよ!こんな方法で楽しい行事に思わせたって……そんなの偽物じゃないですか」
「……む」
いきなり核心をついてくる。
……全くもってその通りだ。よく分かってるじゃないか……
「……どうして手伝ってくれないんですか?いつも助けてくれるじゃないですか……?」
「そんな決まりはねーよ。お前の意見に賛同できないから……まあ、そうだな邪魔してる。それだけのことだろ」
「……!」
気張っていた顔が一瞬緩み、泣きそうな顔を俺に向けてくる。
さんざんこっちからふっかけておいてなんだが……その顔は、正直、少し堪えてしまう。
「……話が違うじゃないですか」
「……何の話だよ、そんな話したことあったか?」
すげなく応じた俺に、一色は声を張り上げる。
「――先輩が!」
「……」
「……先輩が……」
しかし続く言葉はなく、ついと目を横に逸らしてしまう。
「一色、どうしたよ……俺がなんだって?」
「……先輩と……」
「……」
少し末尾が異なったような気がしたが、やはり続きの言葉は出ないようで、そのまま黙りこくってしまう。
何を考えているのか。何を思っているのか……
俯いた顔は髪で隠れ、その表情は窺い知れない。
だが、今この時だけではない。そもそも俺がこいつを本当の意味で理解したことなど、ただの一度もない。
――俺と一色には、少しズレがある。
きっと進めば進むほどに、その距離は大きく離れていくのだろう。
それは根本的に相容れない価値観の相違から来るものだ。
物事の見え方が違う。行動するための動機が違う。想いを発する原理が違う。
だから考えがわからない。心が交わることもない。
……それでもひとつ俺に分かることがある。
それは今、一色が行おうとしていることが、こいつのいう『本物』の何処にも繋がっていないということ。
依然変わらず、それだけだ。
「おい、一色……あのな」
「……もういいです。先輩なんか、いなくたって……」
いつもの虚飾が剥がれ落ちている。
俺を見るその目には、いつものからかうような色が些かも感じ取れない。
見たこともないような冷ややかな視線に、内心で怖気が走っていた。
「ひ、ヒキタニくん……これ、ちょっとまずくね?……謝る?謝っちゃう?」
「お、おい、比企谷……だだだ大丈夫なのか?俺達も一緒に土下座する用意があるぞ……!」
……な、なんか後ろでお二人が必要以上にオロオロなさっていますが……
しかしこんなのは、とっくの昔に想定している。……むしろ、こうでなければいけないのだ。
腰に手を当て、びしょりと掻いてしまった手汗を密かに拭うと、俺はニヤリと悪い笑みを一色に向けてみせた。
それを受けて一色は怯んだ顔を見せる。
「……わ、わっ!ちょ、ちょっとキモイですよ、その顔は……」
……そ、そう……おかしいな……我ながら、ちょっと格好いい感じだと思ってたのだけれど……ニヒルな感じ、出てなかったかな?
なんとなく締まらない空気が流れるも、一色はすぐに立て直す。
そして常より僅かにぎこちないものの、負けじと悪い笑みを返してくる。
「……これって勝負ってことですよね?生徒総会は月末にあります。職場見学会の存否については、そこで決を採りますから」
「知ってるよ。こっちは当然、それまでお前の阻止に動くからな」
「先輩なんかに負けないですから」
「おう、せいぜい足掻いてみせろ。格の違いをみせてやるよ」
「……」
「……」
しばらく無言で睨み合うが、やがて弾けるように、互いに体ごと目を逸らす。
遠ざかる一色の足音が聞こえなくなると、俺は定位置にどっかと座り込み、怪訝そうにこちらを窺う二人に声をかけた。
「……なんだよ、昼飯食わねぇの」
「ひ、ヒキタニくーん……思ったより険悪ムードで、正直ドン引きなんすけど……」
俺達のやり合いに肝を冷やしたのか、アワアワと取り乱す戸部。
あれほど怒るとは、思わなかったのだろう。
しかし、こいつと一色の関係は今回の件が終わっても続いていく。その辺も考えて動いてやらんとな……
「まあそう心配すんな。……事が終わったら、お前と一色は引きずらねぇようにするからよ」
「い、いや、そんな心配してんじゃなくてさー……って、え……?それってどういう……」
「それより副会長、お前はいつまでここにいるんだよ。今日は書記ちゃんが弁当作ってくれるんじゃなかったのか?」
口に手を当て、物憂げに考え込んでいた副会長だったが、俺が水を向けるとバツが悪そうに頬を掻く。
「……いや、それがさ……あの娘、昨日から電話しても出てくれないんだよな……」
「そ、そうか……」
戦火は既にそこまで及んでいたのか……ってことは書記ちゃんは一色側に付いちゃうんだろうなぁ……これ……
彼らのことも考えて動いてやらんとな……
「ま、まーまーまー!なるよーになるべ!とにかく今は集中しねーと!」
「ああ、次は草食系にもアプローチしねぇとな……来週からもどんどん手を打っていくぞ」
「……来週明けはテストだけどな」
やさぐれている副会長が、盛り上がりに水を指す。その言葉に俺と戸部は二人してはっと顔を見合わせた。
そ、その辺も考えて動いてやらんとなぁ……
目前のテストに頭を抱え込む戸部。
弁当を逃し、侘びしくパンを齧る副会長。
そしていよいよ対立が鮮明になった一色……
……なかなか考えることが多くて、難儀なことである。
ふと、俺は何気なく空を見上げる。
見上げた先には、落とし所を求めて一枚の葉がひらりひらりと宙を舞っている。
すると、ちょうど潮目が変わったのか、海からの新しい風が頭上に吹いた。
他に幾つか舞っていた花びらが煽られて飛んでいく中、その葉だけは上手く風に乗れなかったようで、弾かれるように叩き落とされてしまう。
ヒョロヒョロと俺の手元に舞い落ちたそれを拾い上げると、葉柄を摘んでくるくると回す。
「……へったくそだな……」
自分のやり方は、きっと拙いのだろう。
……あるいは、いつかのように性懲りもなく、俺はあいつに理想を押し付けているだけなのかもしれない……
だが、それも厭わない。
傷つけても、傷つけられても、
――伝えたいと、あの時、確かにそう思ったのだから。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
週も明けると中間考査が始まる。
物憂げな期間……と思いきや、そうでもない。
推薦など最初から望むべくもないし、センターを受ける気もまったく無い俺としては気楽なものである。
理数系の教科は赤点さえ取らなければそれでいいし、他の教科はなんだかんだで毎日受験勉強しているし……
クラスにも、俺の他にそんな手合が多くいるようで、去年と違ってどことなく緊迫感に欠けている。
私立文系コースを選んだ受験生の定期考査など、こんなものなのかもしれない。
そんなわけで、今日もテスト対策などしないで、いつも通り受験勉強に励みましょうかね……
考査期間中はさすがに同好会の活動をするわけにもいかない。
その日の試験を終えると、受験教材を補充すべく、早速図書室に足を運ぶ。
おもむろに受験生用のブースに赴くと、綺麗に区分けされたラックの中から手際よくM大向けのプリントを抜き取った。
見やると、他の生徒が何人もブースを利用しており、少し見ない間にすっかり人気コーナーになっているようだ。
プリントの更新も早速行われているようで、教師たちのやる気が窺える。
ささやかながら、一色生徒会による成果の一つだ。
得意げな顔でふんぞり返っていた一色を思い出し、少し頬が緩む。
……この仕事と、今やってる職場見学会廃止に向けての動き……同じく一色の仕事だが、その違いはなんなのだろうか?
ふと、そんなことを考える。
前者は逃げるのも忘れて感心してしまったが、後者については最初から違和感が纏わりついていた。
その理由が、今なら朧気ながらも推測することが出来る。
一つに、対象の顔が見えるかどうか、という点が挙げられるだろう。
葉山や戸部。三浦に海老名さん。そして奉仕部の面々に、副会長や会計くん……きっと他にも居るのだろうが、一色は上級生とも活発に交流している生徒といえる。
年上好きと本人が言っていたような気もするが、実際、先輩が相手でもあまり気負いなく付き合うことができる性格なのだろう。
おそらく、一色はそんな気安い先輩達の顔を思い浮かべながら、ブースの改良に着手したのだと思われる。
対して、今回の職場見学会はどうだろうか?
関わる者の多さ、扱う事の大きさ……それが顔を見えなくしているのではないだろうか。
なんとも曖昧なイメージしか湧いてこない。
『みんな』
そんなものが、あいつの動機足り得るのだろうか?
かねてより抱いていた違和感は、そこから生じていたのだと思う。
……いや、もちろん、これは俺の勝手な決め付けでは有るのだが……
しかし、先日の一色の言葉が頭をもたげる。
『話が違うじゃないですか……』
『先輩が――!』
一色はあの後、なんと続けようとしたのだろう。
思い当たるところはあった。
……もしかしてあの時、図書室で炊きつけたのが良くなかったのだろうか……?
あるいは同じ日、自転車で共に帰った時か……
いや、もっとその前……あの時、奉仕部の前に偶然一色が居合わせた時から……
なんとなくモヤモヤとした想いが立ち昇り、それを頭を振って追い払う。
手にとったプリントをいい加減な位置で折りたたむと、乱暴に鞄にしまう。
さあ、帰宅だ帰宅!帰宅してしまえば何もなかったかのように振る舞えるのが俺だ。超格好いい。
些かやさぐれた気分に陥りつつも図書室を後にして昇降口に向かう。
……が、その途上、偶然にも職員室の前に居た一色と鉢合わせてしまう。
いつもながら脅威のエンカウント率である。
「あ……せんぱ……」
「お……ぅ……」
一色もこちらに気付いたようだが、俺と目が合うと、気まずげにぷいと視線を逸らした。
……俺は俺で、素早く回れ右をして、大きく迂回して昇降口に向かうハメに……
「……」
後ろ髪をガシガシと掻きむしる。
まったくもってアホらしい。俺は一体何をしているのだろう……?
自分からふっかけた喧嘩なのだから、堂々としていればいい……とは思うのだが、今の精神状態では一色の前で泰然としてはいられないだろう。
チキンなマイハートを自省しつつ、廊下をとぼとぼ歩いていると保健室の表札が目に止まる。
ここは生徒会兼、我らが同好会顧問の養護教諭が普段根城にしている部屋である。思うところがあり、ノックをして保健室に足を踏み入れた。
「……失礼しまーす……」
と挨拶をするのだが、養護教諭はこちらに気づいた様子がない。
事務机に向かって読み物をしているようだ。何が可笑しいのか、時折肩を震わせて一人クスクス笑っている……
あー、これはあれですね……婚期が遅れる人の挙動ですね……
あの人も美人ではあるが、いろいろと残念な人だった。……この顧問にも似たようなところがあるのかもしれない。
不思議と婚期の遅い独身女性に共通する深い闇を察知し、一瞬躊躇しかけたが、気を取り直して声をかけなおす。
「こんちわーす」
「クフフフ……って、おお?比企谷くんじゃないー!どうしたの何か用があったかな?」
「いや、すんません、何ってんじゃないんすけど……」
「いやいや、ここに来る理由なんて一つだよね。うん、これは典型的な風邪の症状だ……目の淀み方が尋常じゃないよ……おぞましい……さあ寝て寝て!」
「いや、そういうのいいんで……あと、そのネタもう三回目なんで……」
指摘してやるが、何を言っているのか分からないという顔で小首をかしげる。
何そのあどけない顔……
やだ……じゃあこの人、これまでずっと素で言ってたって事なのかしら……?
お、おぞましいって……今さっき言ったよね……(震え声)
「テスト期間中だから疲れが溜まってると思ったんだけどなぁ……あ、それはそうと……これ、君が書いたんだよね?」
言って、養護教諭は生徒会だよりをちょいちょいと指差す。
これを見て笑っていたのか……他に楽しいことないのかな……この人……
「……まあ、そうすけど……」
「一色さんに対抗したって訳だ……面白いこと考えるねー……ってこの場合、実際に行動に移しちゃうのが面白いのかな?」
それを俺に言われても困るのだが……
接しやすい人だとは思うが、どこか一癖あるようで、相対すると自分のリズムが保てない。
「いや、話ってのはそのことで……職場見学会について、何かあれから生徒の話って聞いてないすか?」
「……あー、なるほどそれを聞きに来たの……うん、あれからもちょくちょく聞くようにしてるんだけどさ……驚いたことに先週ぐらいから廃止と存続で6:4ぐらいに盛り返してるんだよねー……」
ほう……確か前に聞いた時は8:2ぐらいだと宣っていたので、ものすごい勢いで存続派が盛り返している事になる。
サンプリングが非常に怪しいので100%信用する訳にはいかないが……
「この会報誌の効果なのかなぁ……こんな紙切れ一枚で、たいしたもんだよねー、なんか他にも色々策を巡らせていたようだけど……」
言って、先週の放送を思い出したのか、またも一人でクスクスと笑う。
「ま、まあ軽薄な理由でなんとなく廃止って言ってるのが大半でしょうから……存続に鞍替えするのも、やっぱり軽薄な理由でしょ」
照れ隠しもあって、そんなことを言う。
「でもこれ一色さん怒ってるんじゃない?彼女、結構一生懸命やってたみたいだから」
「えらい怒ってましたよ」
「そんで、彼女も対抗してくるんじゃないかな。結果はまた覆っちゃうかもね」
「それはそれでいいんじゃないすか?……なんとなくで決まるよりずっと良いでしょ……」
「そうかもしれないけど……そのせいで一色さんと険悪になっちゃうんじゃない?君ら仲良しだったのに」
「これで険悪になるなら、その程度の仲だったってことでしょ」
むしろ、この対立は俺が望んで引き起こしたことだ。しかし、仲良しとか……この人はそんな風に見ていたのか……
「……ふーん、全部織込済みってことかー……うん、君はあれだね、実に人の心理をよく理解してる」
「……んなこと無いでしょ」
「でも、私から見れば、まだ考えを尽くしていないかな……それともわざと目を逸らしてるのかな……?」
偶然なのか、そうでないのか、いつかの誰かと同じようなことを口にする。
……驚くと同時に、少しそれが鼻についてしまう。
その言葉は、俺とあの人の関係性の中でこそ通じるものだ。相互の理解なくしては、同じような言葉でも心に響かない。
それどころか、分かったような口ぶりに少し腹立たしささえ覚えてしまう。
「……きちんと考えてるつもりなんすけどね」
それに、今回に関しては自分の気持ち……一色の気持ち……なるべく多くのことに考えを張り巡らせたつもりだ。
……あの頃とは、もう違う。
不機嫌な心持ちが、そのまま顔に出ていたのだろうか。顧問はおどけるように肩をすくめる。
しかし実際には全く怯んではいないようで、俺の目を覗き込んで悪戯気に笑う。
「違うよ、君が考えてないのは……そうだね、例えば、もっと先のこと……」
「……先の……?」
「君が考えてる区切りみたいなもの……それは残念ながら君が思うタイミングでは終わらないよ」
少し目を細めると、いつもの、のほほんとした雰囲気が鳴りを潜めた。
「消えたりなんかしないからね、人の想いってのは」
「……それは、どういう……」
「……消えたように見えても、ずっとくすぶり続ける。忘れたと君が思っても、実際には無くなってなんかいない、そこにあり続けるんだよ……相手もあることだし、物事は君だけの都合で動いてなんかいないからね」
……少し動揺してしまう。
どこまで分かって言っているのだろうか、この人は。
「私が考えを尽くしてないって言ったのは、だからもっと先のこと。可能な限り、未来を見据えて欲しいんだよね。今君が思ってる結果なんて、君が決めたことでしか無い……それを忘れないでほしいなぁ」
いつの間にか不機嫌さはどこかに吹き飛び、代わりに言葉の数々が心を揺るがせる。
素直に受け取れば、今自分が考えている枠組みを見なおせと、もっと先を考えろと、そう言っているのだろうが……
俺が今回描いた筋書き……それよりも、もっと深い所まで見透かされているような……
居心地の悪さに、思わず視線を逸らせてしまう。
「……差し当たっては、君、本当にそこで一眠りしていきなよ。……本当に疲れてるように見えるよ?」
優しげな笑顔を浮かべ、椅子から立ち上がって俺の手を引く。
「いや、お、俺は別に疲れてなんかないっすよ」
「考えこんだり、自己啓発の本を百冊読むよりも、寝て上手く行くことの方が世の中多いかもしれないよ」
促されるままに、保健室に備え付けられたベッドに横たえられてしまう(意味深)
「人間ってのは七時間は寝ないと、ちょっとずつ壊れていくんだよねー……それじゃお休み」
「……普通の社会人で七時間睡眠は、ちょっと無理っぽいすね。やっぱり人間、働かないのが一番なんでしょうね……」
「何言ってるんだろうね……この子は……」
普通に呆れられると、カーテンをさっと閉じられてしまう。
それだけで、外界から遮断されたような錯覚に陥り、どこか呆けた気分になりつつも、自然と頭は思索を巡らせる。
さっきの話に出てきた一つの言葉が、頭を捉えて離さない。
「想いは消えない……か」
その言葉が意外なほどに自分の中で反芻されている。
……いつしか重ねて見るようになっていた。
事ある毎に見比べて、今の自分や周りの気持ちを測っている。
そうして比較しているということは、基たるものが消えずに俺の中に残っているということだ。
俺が一色に伝えたいこと。
俺が一色に失わせたくないもの。
何故伝えたいのか、何を失わせたくないのか。
今の俺の原動力になっているもの……それは俺の『消えない想い』から生じているのかもしれない。
……ぼんやりと、そう思い至る頃には、俺はもう眠りについていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
あっという間にテストも終わり、生徒総会も来週末に控えている。
テストを挟んだが、風向きは依然こちらにある。だが俺たちは追撃の手を緩めること無く、次なる一手を打つ。
次のターゲットはリア充とは対をなす、もうひとつのマジョリティ・草食系である。
そしてリア充も草食系も、コミュニティの有り様はいろいろ異なる点もあるが、基本構造においてはそう大差ない。
やはり彼らの中にもオピニオンリーダーがいて、そいつらを核に話が広がっていくのだ。
やることはリア充に対して行った策とほぼ同じである。
そしてリア充の心に突き刺さるのが「武勇伝」なら、草食系の魂に響くのは「自虐ネタ」である。もう絶対に間違いない。ソースはWeb!
俺はこうしたネタを考えるのは、あまり得意な方ではなかったが、たまたま俺の友達の友達が中学時代に炸裂させた黒歴史を援用することで、スムーズにそれらしい原稿を作り上げることが出来た。
「……うん、比企谷の心中を察するに心苦しいが、このネタで草食系生徒の心も掴めるんじゃないかな……」
「いや、だからこれは俺の話じゃないと、さっきから言ってるんだが」
「ヒキタニくんって昔から空気読めない子だったわけね……」
う、うん、だからね……これは別に俺の実体験を元にしたわけじゃないっていうか……聞いてるのかな……?
「でもこの山本って子も酷いよなぁ……クリスマス会のプレゼントを黒板に貼り付けて晒し者にするなんて……」
「こりゃかなりキテるっしょ……性格腐ってるべ!」
「お前らもそう思うか……しかもこいつ卒業式にまで同じ手を使って来てな、俺の第二ボタンを要求してきたからにべも無く断ってやったんだが、式の後、クラスの連中がこぞってファミレスに行く中、俺が一人教室に戻ってみると、案の定、黒板にはデカデカと俺の肖像画が描かれていたんだ……第二ボタンの部分がぽっかり空いた肖像画がな!フッ……最後の最後に空砲を撃たせてやったって訳だ……あいつらファミレスでさぞ悔しがっていたことだろうよ」
「……やっぱりお前の話なんじゃないか……」
「でもさー、ヒキタニくん、せっかく原稿作っても、どうやってこれを草食系の人に届けるわけ?」
「生徒会だよりはもう発行しちゃったから……肝心の、生徒に届けるパスが無いぞ?」
「それなんだがな……ネットを使って広めようと思ってんだ……ちょうど詳しい奴がいる。よし!もう入っていいぞ材木座!」
俺がパンパンと手を叩くと、それを合図に被害者の会の教室に材木座が入ってくる。
「……うむ、ようやく我の出番のようだな……忘れ去られたのかと心配してしまったぞ……いや、ほんとマジで……」
「うぇーい!ザイモクザキくーん!」
「……お前……ずっと彼を外で待たせてたのか……最初から一緒に来ればよかったのに……」
などと情緒を理解しない副会長はさておき、俺はこんなこともあろうかと、パソコンの大先生(笑)である材木座をゲストとしてお招きしていたのだ。
草食系へのアプローチは、やはりネットが有効だ。
総武高校関係のSNSでメインストリームを牛耳っているのは、これまたリア充達なのだが、その外郭には草食系のコロニーがキラ星の如く多数形成されている。
彼らにアピールするには、通常のアクセスでは不可能だ。
専門家の力が必要なのは自明の理なのだが、こんな時、意外に役立つのが材木座なのである。
「話は既に聞いておる……我に任せろ。総武高校の草食系アカウントは、先の生徒会選挙で行った情報操作の際、概ね把握している……」
「ちょ、おまっ!」
「……情報操作?」
副会長はきょとんとした顔で首をかしげる。
いっけなーい!とばかりに材木座が自らの両手で口を塞ぐが、全く可愛くない。むしろ殺意が湧いてくるほどである。
「い、いや、なんでもない!気にするな、こいつはちょっといろいろアレなんだ……そんなことより材木座、そういうわけだからこの原稿をネットで拡散したい」
「ぞ、造作も無いことよ。電脳世界は我の庭のようなもの……原稿と基本方針があるのなら今日からでも取りかかってやろう」
「よし、頼むぞ」
「……いつも済まないな、ちょくちょく生徒会を手伝ってくれてるし、今回も頼ることになるが……ありがとう材木座」
「う、うむ……何、この程度のこと……」
戸部には警戒感を剥き出しにする材木座だが、副会長とは波長が合うのかもしれない。
割合、人見知りもせずにスムーズに事が運んだ。
……まあ、今回に限らず、こいつは妙に付き合いの良い一面がある。
川崎の一件にしても、文化祭にしても、体育祭や、なんか訳のわからん柔道大会、生徒会選挙、マラソン大会……そして今年に入ってからは生徒会活動の諸々……改めて挙げると扱き使いまくりなんですが……
しかし意外と情が深いというか、懐が深いというか……これで案外、器の大きいひと角の人物なのかもしれない……
「だが、もし窮地に陥れば容赦なく貴様らのせいにして我はトンズラをこくからな!そこのところだけは予めご了承いただきますようお願い申し上げます」
「お、おう……」
「わ、わかったよ……」
うん……やっぱりこいつ情も懐も全く深くないわ……器もお猪口の底ぐらいしか無いわ……
いやまあ、その分、気安くお願い出来るから良いんですけども……
とまれ、こうして材木座の手も借りて、俺たちはWeb上でも存続のムーブメントを着々と作り上げていった。
ここまで、ここまでずっと俺のターンである。
いかん、我ながら常勝すぎる……あー、もういろいろ飽きてきちゃったな……
……早く敗北を知りたい……
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
さらにさらに、数日が過ぎた。
朝、教室に赴く前に、いつものように保健室に立ち寄る。
「……うす、どうすかね……?経過の方は」
「おはよう比企谷くーん!や、それがね、廃止・存続で5:5とほとんど拮抗してるんだよねー!」
「そうっすか」
「ものすごくがんばったのね!」
顧問から戦況を聞くのが、ここのところの日課となっていた。
……で、この人はこの人で、日々生徒たちから意見を収集しているらしく、毎朝律儀に応えてくれる。
なんかポケモンで努力値を教えてくれるお姉さんみたいになってるんですが……
……とまれ経過は順調のようだ。当初8:2だった勢力図を、ついに5:5にまで持っていったのだ。
あの後、作戦は滞り無く行われ、材木座の報告によれば、ネットでのアプローチの手応えは良好らしい。
草食系の各コロニーでは、それぞれ三年生による職場見学会にまつわる黒歴史の披露が行われ、大変な盛り上がりを見せているとのこと。
それを見た草食系下級生達は期待に胸を膨らませ、自分たちもきっと思い出に残るトラウマを……と歪んだ情熱を燃やしているそうな。
一体何が楽しいのだろう、俺にはさっぱりわからないぜ!
そんなわけで顧問の話と合わせれば、存続派の支持に勢いがあるのはまず間違いない。順風満帆とは、まさにこの事だ。
……しかし気になることもある。
ここまで、一色の動く気配が全くないのである。
副会長は相変わらず生徒会室を自由に出入りしているのだが、一色は彼の前では職場見学会の話をおくびにも出さないそうだ。
おそらく裏でいろいろ手を回しているのだろうが……さてあいつめ、一体どんな手を打ってくるのやら……
教室に入り、独り机に座ってニヤニヤしていると、隣に座っていた氏名不詳の女子(可愛い)と目があった。
視線が合うと、ぎょっとした顔を向けて、腕をさすりながら目を逸らしてしまう。
……なんでこの子いつも見てくるんだろう……俺のこと好きなのかな……?
などと哲学的な思索に耽っていると、いつの間にか朝のHRが始まっていたようで、担任の声とともに前から紙が回ってくる。
ほとんど無意識に一枚抜き取って、残りの束を後ろに回す。
抜き取ったB4用紙を、なんの気なしに広げて、俺は思わず目を見張ってしまった。
間髪入れずに、担任教師の声が教室に響く。
「いま回したのは、生徒会から配布された『生徒会だより・号外版』だ。前回の会報誌が間違いだらけだったので、改めて作ってくれたそうだからー、みんな目を通しておくようにな~!」
今日は他にプリントが無いようで、手持ち無沙汰な級友たちは、皆ビラビラと机の上に会報誌を広げている。
号外……だと……?
中を見ると、誤りのあった部分を訂正しているだけで、前回俺達が配布したものと殆ど違いはない。
だが一箇所、コラム部分だけがごっそり入れ替えられている。
そこには、いかに職場見学会が意義のある行事なのか――
勉学に励むモチベーションに繋がるのか――
働くことの尊さ、厳しさ、美しさ――
大学選びの重要性――
そしていかに福利厚生が充実して、給料の良い会社に務めることが結婚において重要な要素なのか――
そんな白々しいことが、あざっとい丸々とした字で書き込まれていた。
なんか最後のだけ、私見丸出しなんですけど……
……とまあ、それはさておき、ついにあいつの反撃が始まったのだ。
思わず口の端が釣り上がる。
やってくれるじゃないか……一色……!
などと超格好良い感じで内心呟いていると、突如教室に据え付けられたスピーカーから放送の開始を告げるメロディが流れる。
――ピンポンパンポ~ン
『おはようございまーす☆生徒会長の一色いろはでーす!』
きゃぴるん☆とした声が教室……どころかおそらく全校に響いているのだろう。
『えーとぉ、この前の生徒会だよりなんですけどー、もうほんっと間違いだらけで、すみませんでしたー』
『今回のは号外って書いてますけどー、間違ってた箇所を全部訂正した、いわば決定版です!前の会報誌をまだ持ってる方はポイーしてくださいねっ!』
『あとー、コラムの部分については、前回は公序良俗に反した内容だったので全面的に書き換えましたっ!変な人にコラムを任せたのが失敗でしたね……そういうわけで皆さん改めて目を通しておいてくださいねー♪』
『それでは以上、生徒会の、あなたの一色いろはからでしたー!』
……などと、あざとく決めた一色の連絡が終わると、ざわざわと、級友たちが早速『生徒会だより・号外版』の論評を始める。
「あー、なんか思えばウザったい行事だったよなー」
「現実引き戻されたなー……めっちゃ鬱だわ……なぁ、お前大学どこ志望してんの?」
「モチベーションつってもなー、今思えば、会社選んで就職できるご時世じゃないしな……あんな大企業勤められるのかな……」
「外資は無いわー……ああいうとこの株主って千葉と埼玉の区別が付いてなくてさー、黒字だった千葉の営業所もまるごと一緒にリストラされちゃったらしいぜ」
皆さん若いのに、なんて冷めた物言いをなさるんでしょう……
……あと、最後のはなんなの……お前は一体何を知っているの……?
しかし先週盛り上がったのが嘘のように、職場見学会についてネガティブな評価が教室を飛び交っている。
いわずもがな、一色が書いたコラムの効果なのだろう。
前述したが、人は正しいもの、素晴らしいもの、美しいものを目にすると警戒感を抱いたり、時には不快になったりする。
これはスカッとジャ○ンを見ていると、まともな感性の持ち主なら鳥肌が立ってしまうのと同じ原理である。
……や、やってくれるじゃないか一色……思わず口の端が引きつってしまう。
完全に俺達のやり方をミートされてしまった……
ミート戦略……追従策とも言うが、要するに真似をされてしまったのだ。
弱者は弱者なりに、日々工夫を凝らして戦っている。弱者が強大な相手を出し抜くには、一般に行われている戦略とは全く違うアプローチを考えなければいけないからだ。
だがこれは逆説的に、一つの残酷な真理を示唆している。
そう、まったく同じことをした場合、勝つのはパイオニアではない。「元から強い奴」……つまり地力のある方が勝つに決まっているのだ。
今回の事例に当てはめるなら、先だってのスピーチで名声を高めた『生徒会長・一色いろは』が、どこの馬の骨ともしれない生徒会メンバーが作った会報を完全に上書きしてしまったという訳だ。
そうでなくても、こういうのは後出しが圧倒的に有利。料理漫画の対決がだいたい後攻が勝つのと同じ理屈である。
誤字を印象づける手法も……
手書きのコラムも……
アホっぽい放送も……
すべて真似され、そして上から塗りつぶされていく……
―― 一色いろは……抜かりのない女よ!
『ふぃー……終わった、終わったー……』
終わったはずの放送から一色の声が漏れている。皆何事かとスピーカーの方に目を向けた。
『放送室なんて初めて使うから緊張しちゃったー、それにしても、先輩ってよくこんなひねくれたこと思いつくなぁ。性格がそのまま出てるんだろうな……はぁー……』
……いろ……はす?
『ねぇ、書記ちゃーん、まだ時間あるし教室戻るのはパン食べてからにしようよ。マッヨタマタマ~マッヨタマタマ~♪……あ、スピーカーの電源切り忘れt』
――ピンポンパンポーン
「……」
「……なんだ今の……」
「……パン?」
引き続き、ささやか過ぎる生徒会の不良行為に、教室が騒然となっている。
……そ、そこは真似しなくていいと思うんですけどねぇ……
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
……さて、昼休みである。
今日も今日とて、ベストプレイスで独りモグモグとパンを頬張る。
それをマッカンで流し込みながら、朝あったことを思い出していた。
一色の鮮やかな反撃……
クラスの連中を見るに、おそらく他の教室でも同様のリアクションがあったのではないだろうか?
俺達が職場見学会を軽んじることで、逆に存続への支持を集めていたのに対し、
廃止を目論む一色は、行事が持つ本来の意義を生徒に突きつけることで、かえって反感を買うように仕向けたというわけだ。
なんだか随分錯綜しているような気もするが、これまで俺達の手が有効だったということは、逆説的に一色の手も有効であるに違いない。
あいつめ、どんな手で来るのかと思っていたが……予想を上回る見事なお点前である。
ニヤケ面が止まらない。
きっと今、自分はアホみたいな顔をしているのだろう。
……特に誰が見ているわけではないが俯いて表情を隠す。
そうして俯きながらプルプル震えていると、後ろから足音が近づいているのに気付く。はっと振り返るとそこには意外な人物が立っていた。
「……こんにちは、比企谷先輩」
「書記ちゃんか……」
「ひ、ひいっ!?……な、なんですか……その顔……き、キモイ……」
にやけ面が収まらないまま振り向いてしまったので、書記ちゃんが若干引いてしまっている。
ごめんね……気持ち悪くて……でも、キモイって言う時はもっと強い語調で吐き捨てるように言って欲しいの……
その言い方だとまるで心の底から吐露しているようで、うっかり自殺しそうになってしまう。
「い、いえ……すみません、気にしないでください……比企谷先輩らしいと思います……」
なにか追い打ちをかけられたような気がしたが……それにつけても珍しい顔である。
はて何の用かしら……?と怪訝な顔で迎えてやったのだが、全く意に介した風もなく近づいてくる。
そして隣にちょこりんと腰掛けると、可愛らしいお弁当を広げ始めた。
えーっと……ここで食べるのん……?
かくして妙な雰囲気に包まれたまま、二人して昼食を摂る。
前回、彼女にとっては不愉快な別れ方だったはずだ。副会長にも余波が及んでいるようだし、いろいろと気にはしていたのだが……
……とにもかくにも会話をしなければ、会話、会話……やだ、私ったら緊張してるの……!?
「今日のはなかなか見事な作戦だったな、考えたのは書記ちゃんか?」
「……いえ、アイディアは全部いろはちゃんです。段取りとか、細かいところは会計さんで、私はあまり役に立ってないんですが……」
口火を切ると、ほんわかとした微笑みを返してくれる書記ちゃん。
……その笑顔に、今日は仲直りをしに来たのだろうと、なんとなく察する。
しかし、やはり主導的な立場にいるのは一色か……その様子がありありと目に浮かんだ。
書記ちゃんは謙遜しているが、彼女もおそらく、いつものような細かな気配りで立案や実行を影で支えたのだろう。
ほとんどコントのようなノリで進行している『被害者の会』の会議より、よほどスムーズに行われているに違いない。
ただ一つ、気懸かりといえば気懸かりなことがある。
先週の一色が見せた、あの泣きそうな顔。冷たい瞳。……そんな顔が思い浮かぶ。
「……あいつはどんな感じだ?……もし雰囲気悪かったりしたら、それ俺のせいだからよ」
「え……そんなことないですよ?っていうか、いろはちゃん、むしろこれ以上ないぐらい絶好調なんです。気合が入っているというか、目が輝いているというか、とにかくノリノリな感じです」
……そ、そう……
まあ、なんかマヨマヨ歌ってたからな……
あの子ったら、よっぽど俺を敵に回すのが楽しいんでしょうかね……?
「いろはちゃんはやっぱり凄いです。比企谷先輩がどんな意図で動いてるのか……どうすればみんなが廃止に靡くのか……どんなやり方ならみんなに届くか……全部自分で考えて……」
「ああ、ありゃ実際たいしたもんだな……見事にこっちがやって来たことを倍返しされちまった……」
言って、自嘲めいた笑みを書記ちゃんに向ける。
他の書類が無い日を選んだり、目立つように「号外」と銘打って配布したり……なかなか芸が細かい。
単なる主旨返しではない。この娘や会計くんのフォローもあるのだろうが、俺達が送りつけたものに、さらに立派な熨斗をつけて返してきたのである。
「……でも、本当に凄いのは比企谷先輩です」
「……あ?」
「比企谷先輩に対抗する形で、私達作戦を練ってたんですけど……その時気付きました。実は私ってそれまで、廃止する理由も存続させる理由も……真面目に考えたことなかったんだなーって……こんなことじゃいけないんでしょうけど」
思わぬ言葉にぽかんと口を開けた俺に、書記ちゃんはおどけるように、ぺろりと舌を出す。
「先輩の狙いは何なんだろう?どうやったら廃止に回ってくれるんだろう?どんな工夫をしたらみんなは聞いてくれるんだろう?……って、これでも私達、大真面目に考えたんですよ? ……結局、比企谷先輩の真似をするのが一番って結論になったんですけど」
「いや、今日のはなかなかいい手だったと思うが……」
「話し合いだけが分かり合える方法だって思ってたんですけど……そうじゃないんですね。こうやってぶつかり合っても理解し合える……有効な手立てが打てる。それが言いたくて、比企谷先輩は前にあんなことを私に言ったんですね」
「……」
「……」
「……そ、そこに気付くとは……な、なかなかやるじゃないか……」
「……違うんですね……」
虫を見る目で俺を睨む書記ちゃんだったが、コホンと咳払いをして話を続ける。
「いえ、あの、それはいいんです……言いたいのはそんなことじゃなくて……」
なんとも格好の付かないやりとりだが、書記ちゃんは話を続ける。
あーもう、本当にびっくりするわ……何言い出すのかしら、この娘ったら……
「だからあの時の比企谷先輩の質問なんですけど……私自身は、今は職場見学会は存続した方がいいと考えてるんです」
「……そうなのか?」
「でも、今回はいろはちゃんと一緒にやります。そうした方が、もっとみんな分かり合えると思うから……」
「もちろん、私達だけ分かり合ってもしょうがないから、これから、なるべくたくさんの人にこの件で考えてもらうつもりです。……勢い任せもいいところですけど、いい機会だと思うので……」
「そうやって、みんなが話し合ったり、真剣に考えてくれることに価値があると思うんです。……その上で決まったことなら、もうどっちでもいいかなって……廃止でも、存続でも……」
ゆっくりと、自分に言い聞かせるように書記ちゃんが考えを述べる。
そのことに、少々驚いてしまう。
しばらく会わない間にも、書記ちゃんはここまで考えて動いていたのか……
「これまで、ぼんやり思っていたことなんですが、今回のことではっきりしました……きっと私は、こういうのがしたくて生徒会に入ったんだなーって」
そういって、気恥ずかしそうに微笑む。
普段より少し意志を含んで称えられたその笑顔は、強さと包容力を備えているように感じられる。
……それを見て思う。多分、生徒会はこの先もずっと大丈夫なのだろうと。
「……だから、ありがとうございます、比企谷先輩」
「いや……あのな、俺はそこまで考えてねえって」
「私はそんなわけなので、今とても楽しいです。……いろはちゃんもきっと楽しいんだと思います」
食べ終えたお弁当を仕舞いこみ、書記ちゃんは立ち上がってスカートをぽむぽむと叩く。
「……それはきっと、比企谷先輩とこうしてやり合っているからなんだと思いますよ」
「……いや、それは違うだろ」
「ふふ……今日はそれだけ言いに来たんです……じゃ、じゃあ、生徒総会が終わるまでは、またちょくちょく来ますからっ!」
言って書記ちゃんはパタパタと走り去っていく。
その後姿に、俺は大きな声で言ってやる。
「いや、来なくていいから!それより副会長に弁当作ってやれ、あいつ残念そうにしてたぞ!」
それを受けると、書記ちゃんはぎょっと体ごと振り返り、顔を真っ赤にして手をバタバタと横にふる。
下卑た笑いを向けてやると、少し怒ったような顔をして、今度こそ何処かに走り去ってしまった。
うむ、実に可愛らしい……ほんと爆発しないかなぁ……副会長……
だが、彼女の為人を知ることで、より確信が強まる。
あの子がいれば……いや、書記ちゃんだけではないのだろう。
副会長が、会計くんが……そして戸部……はまあ、居ても居なくても、そう大差ないだろうが、とにかく彼らがいれば生徒会は十分に機能する。
あいつの想いを実現するための土壌は、既に用意されているのだ。
一色の“本物”は、きっとその近くにあるのだと思う。
……だからこそ、俺はあいつに伝えなければいけない。
決意を新たに、拳を強く握りこむ。
偽物なんかにかかずらっているのは、あまりにもったいないではないか。
※※※※※※※※※※※
そこから崩れるのは早かった。
燎原の火の如くとは、こういうことを言うのだろう。
一色の反撃は、俺達が手を付けた場所の悉くに及び始めた。
SNSで総務高校の草食系コロニーを中心に世論誘導を行っていた俺達だったが、主に実行班を務めていた材木座から、悲鳴のような報告が入ってくる。
『八幡よ、不味いことになってきたぞ……なんか流れが変わってしまったぞなもし……』
『八幡……我だ、今囲まれている……馬鹿な、我の捨アカを察知している……だと?』
『は、八まーん!ここは食い止める……我に構うな……!お前は先にいけーッ!』
『ククク、八幡、何処を見ている……残像だ……』
材木座から矢継ぎ早に送られるメッセージを次々と削除しつつ、なんとなく戦況の不利を悟る。
聞けば、一人のアカウントの登場によって、順風満帆だった活動に陰りが生じてきたというのだ。
材木座から送られたログを見ると、確かにその人物の出現で明らかに流れが変わったのが分かる。
この新参はいわゆる「ウザイ存続派」で、初めは仲間だと思われていたのだが、次第に口汚く廃止派を罵り始めた。
だがその罵詈雑言は隙だらけで、反論してくださいと言わんばかりの穴だらけの論説内容なのである。
悪目立ちした新参は、次第に皆から叩かれるようになり、アホと一緒にされたくない存続派も嫌気が差して、次々と廃止派に転向していく。
いわゆる「無能な味方」メソッドである。
『こいつが各コロニーで猛威を奮っておってな……最初は単なるおとなしい奴だったのだが……慣れてくると途端に牙を向き始めたのだ……』
というのは材木座の弁。どうもこの新参者からは、一色のオーラがうっすらと滲み出ているような気がする。
おそらく会計くんと組んで、ネットも抑えに回ったのだろう。
『次なる手を!八幡よ!……あの新参を止めねば、ネットでの趨勢は廃止に傾く一方だぞ!』
そう訴える材木座だが、俺は作戦の中止を材木座に言い渡した。
「……いや、これ以上は逆効果だろ。ここいらでネットでの活動は停止しよう」
『……え?もう諦めんの?……諦めたらそこで試合終了ですよ?』
電波の向こうでドヤ顔をしているであろう材木座を思うと、ムカつきの余り殴り飛ばしたくなるが、そこはぐっと堪えて応じてやる。
「……かまわん。すまんかったな、またなんか奢るわ」
『そんなのは構わんのだが……本当に良いのか?ここで終わってしまっても……大事なことなのであろう?』
「……いや、十分だ。当初の目的は達しているからな」
『……ふむ、何か考えがあるようだな……』
「……とにかくあんがとな。ここまで付き合ってくれて」
『む、あ、いや……この程度で礼を言われるのは……ほむん……では奢りの品はサイゼのフォッカチオで良いぞ、失敗しただけにあまり高価なものをたかる訳にもいかんからな……』
「お、おう……」
うん、まあフォッカチオが手切れ金なら安いものですよね……
……こうしてリア充に引き続き、草食系コミュニティも一色の手に落ちてしまったのである。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※:
数日が過ぎ、週も開けた月曜日。
いよいよこの週末に生徒総会が行われる。決戦の日は間近だ。
戸部と副会長は、昼食のパンを齧りながらも如何ともし難い戦況に頭を抱えていた。
なんかもう、俺のベストプレイス……最近すっかり溜まり場みたいになっちゃってるんですけど……
「ヒキタニくーん!なーんか、不味いことになってんべ……」
「完全に流れをひっくり返されてしまったな……俺の観測範囲でも、みんな廃止に傾いてきてる……」
ちなみに養護教諭からも同様の報告を受けている。廃止・存続の構成比は7:3にまで巻き返されていたのだ。
「それに加えて今朝のアレっしょ!?いろはすってば、やっぱエグいわー……悪女だわー……」
俺もウムウムと戸部の言に深く頷く。うん、もう本当悪女。
ちなみにアレというのは、今朝行われた全校集会で、生徒会により行われた報告のことだ。
生徒総会で職場見学会の存否について採決することを、一色はついに生徒たちに公表したのである。
生徒会と被害者の会の戦火の余波もあり、既にかなり多くの生徒が噂をしていたことではあるのだが、ここに来てついに正式なお触れが出たのだ。
その際に廃止・存続それぞれの論点についてまとめられたレジュメが全校生徒に配布された。
内容はなかなかフェアなもので、廃止・存続のそれぞれのメリットだけでなく、いつの間に集めたのか、生徒たちの意見などもバランスよく併記されている。
だが、趨勢が廃止に傾いた今、これらのまとめも廃止派の持論を強化する方にしか働かない。
両論を見せつけられても、結局人は見たいものしか見ないのだ。
……当然、これらは一色の計算によるものだと思われる。実に効果的なタイミングで俺達に止めを刺しに来たというわけだ。
顧問の言葉ではないが、実に人の心理をよく理解した行動といえる。
俺などよりすっと、一色はこういうことに長けているのではないだろうか……
先週までの勢いはどこへやら、一気に敗色ムードが漂う被害者の会。
暗い雰囲気に陥っていると、噂の人物がベストプレイスにやってきた。
「んふふー♪」
振り返れば奴がいる……
意気消沈の俺達に、ドヤァ……と得意げな顔を向けているのは、誰あらぬ生徒会長・一色いろはである。
「こんにちはー、せんぱいっ……んふふー」
書記ちゃんが言っていた通りだ……先週見せた落ち込みぶりはどこへやら。
実に楽しそうに俺達を見下している。
「げ、げぇっ!?いろはす!」
「ゲーーーッ!会長ーッ!」
なんか二人が、伏兵に急襲された乱世の奸雄と、どこぞの超人の従者みたいな反応をなさっているのですが……
それはさておき、一色はニヤニヤと意地の悪い顔を浮かべながら、こちらに近づいてくる。
「もう勝負はついちゃったんじゃないですかねー?今更何をやっても、あんまり意味が無い気がしますけど……」
「馬鹿言え、まだ総会まで日にちがあるだろうが」
得意げな一色に、こちらもあくまで徹底抗戦の意を示す。
そんな俺の態度に、一色は頬を膨らませて不満気な顔を見せるが、すぐにいつもの小悪魔な顔を取り戻す。
「まあいいですけど……私の勝ちは動かないと思いますけどねー」
「……言ったろうが、格の違いを見せてやるってな」
「ふーん……そんなに自信があるなら、先輩……今回の勝負、何か賭けませんか?」
「いい度胸じゃねぇか。何を賭けるんだ?」
「私が勝ったら、先輩に何でも一つ言うことを聞いてもらいます」
ニタリと、下卑た笑みを浮かべる一色……
やだ怖い……何をするっていうのかしら……あと、なんか誰かに似てきた気がするんだよなぁ……こいつ……
「……お、おう、いいぞ、んで俺が勝ったらどうすんだ?」
「先輩が勝ったら……まあ無理なんですけども、そうですね……ラーメン一緒に食べてあげます」
え、えーと、それだと俺に一切のメリットがないんだけど……アホなのかな……この子……
「ふざけんな、お前もなんでもいうこと聞けよ!」
思わず気色ばむと、一色は貞操の危機を感じたのか、両手で自分の肩を抱きながら一歩後ずさる。
「……え、なんですか、ちょっとエロいこと考えてませんか?」
「……ちげぇよ……」
アホなのかな……この子……
なんか緊張感なくなってきたし……真面目に考えるのが馬鹿らしくなってくる……
……と、以前の俺ならそう考えていただろうが……
この程度なら、俺も察しがつくようになっていた。
これは一色の処世術とか……あるいは気遣いとか、そういう類のものなのだ。
それが分かってしまう。
一色は一色なりに先のことを考えている。今回の生徒総会で決着がついても、俺達との関係を良好な形で継続していきたいのだろう。
あるいは単に、先週から気まずくなっていた雰囲気を元に戻したかったのかもしれない。
だからこんな提案をする。
……そして、だからこそ俺はそれに乗ってやる訳にはいかない。
少なくとも俺だけは……
「まあ、いいだろう……乗ってやらんでもない。この二人、好きに扱ってもらって構わんぞ」
「比企谷……勝手に決めないで欲しいんだが……」
「っていうか、何かさらっと自分だけ逃げてるし……」
「……先輩もですよ!……だいたいこの二人は賭け事なんかしなくても、何でも言う事聞いてくれますし……」
「えー……」
「それはちょっと……」
あんまりな発言に愕然とする二人だったが……これはこれでいいのかもしれない。
「まあ何でも良いんだけどよ……一色、一つ聞いていいか?」
仕切りなおすように、俺は一色に問いかける。
「お前は今回の件、なんでこんな一生懸命動いてんだ?」
今更のような問いに、一色は少し驚いたような顔を見せると、指を口に当てて何やら考えこむ仕草を見せる。
「……それは……それは、廃止をみんなが望んでるからです!先生方もずっと前から、この行事を疎ましく思ってたようですし……生徒側にしてもそんなに楽しい行事じゃないですし……みんなのための改革です」
「改革ねぇ……」
ふむ……まあそんなとこなんだろうな。
そして、それは悪いことじゃない。みんなのためになることが、悪いことであろうはずがない。
俺にしても、実のところ廃止だろうが存続だろうが、そんなのはどうでも良かった。
一色以外の、俺の全く知らない人間が生徒会長だったとして、今回同様に廃止に向けて動いたとしても、特に何も思わなかっただろう。
去年、一昨年の俺であれば、七面倒な行事が省かれて拍手喝采していたかもしれない。
しかし、目の前にいる生徒会長は一色いろはである。
ならば断じて、受け入れる訳にはいかない。
いかにも失望しましたという体で肩をすぼめ、これみよがしに鼻でせせら笑う。
「糞食らえだな、そんなもん……俺は絶対に肯定しない。この先もずっとだ」
関係の修復に歩み寄ってきた一色を、突き放すように言い放つ。
「……!」
「お、おい比企谷、そんな言い方は……」
フォローに回ろうとする副会長を手だけで制して、一色に視線を向ける。
見ると、虚飾は再び剥げ落ちて、先週にも見せたような冷たい視線で俺を睨みつけている。
「……そういう言い方するんですね」
「気に障ったか?」
「別に……元々先輩は気に障る人ですし……ちょっと何考えてるかわからなくてキモいかなーって」
会話を交わすごとに、距離が離れていくような気がする。
……これ以上離れるのは、今は望ましくない。
視線を躱すように、俺は校舎に沿って備え付けられている花壇の前まで歩を進め、その場に座り込んだ。
ふと、花壇の中に見覚えのある花が目に止まる。
鮮やかな赤に彩られた花弁は、強さと脆さ、相反する二つの印象を見る者に植え付ける。
「……お前、これ何の花か知ってるか?」
「……な、なんですか急に……知らないですけど」
「アザレアだ。花言葉は『お体大切に』なんだとよ……」
『for me』と続くらしいが、それは伏せておく。
「……興味無いです。それよりさっきの約束、忘れないで下さいよ!」
言い残し一色はその場を去ってしまう。
ふむ……もう少し言いたいことがあったのだが……まあ仕方がない。
戦いに明け暮れ、花を愛でる気持ちのゆとりもなくなった生活が、一色の叛骨を大きく育てたか……
「いや、比企谷……それゼラニウムだぞ……」
「……え?」
あれ、そうなの……?さっきあんなに得意気に言っちゃったのに……
や、やだ、恥ずかしい……!
「アザレアって要するにツツジだべ?全然違うし……」
とべっちまで……
なんだ、こいつ花って面かよ。エラっそうにしやがって。
「ま、まあそんな事はどうでもいい。今は花なんかに構ってる場合じゃないだろ、俺たちは一色と戦っているんだ」
「……なんか釈然としないんだが……それよりどうするんだよ、これから……」
「ヒキタニくん、なんかさっきも、いろはすに大きい口叩いてたけど、なんかいい案あんの……?」
「もう週末には決を採るんだ。何をするにせよ早く動かないと……」
先ほどの一色との対峙で、ますます焦りを強める二人に、俺は悪い笑顔を向けてやる。
「……まったく問題ない。ここまで全部予定通りだ」
「……へ?」
「……え?ちょ、ちょっとちょっと、いや、全然上手く行ってないっしょ!?」
「そうだよ、このままじゃ勝ち目はないぞ!?職場見学会を存続するんじゃなかったのか!?」
「……ん?ちょっと待て、俺は一色の阻止に動くとは言ったが、職場見学会を存続させるとは言ってないぞ」
「……え?」
ぽかんとアホみたいに口を開ける二人。
……あれ……おかしいな、ちゃんとその辺言ってたと思うんだけど……
「別に職場見学会が廃止だろうが、存続だろうが、俺はそんなのどっちでも構わん」
「ちょい待ち、ちょい待ち!そんじゃ俺らが今までやって来たことって何だったの!?なんもやらなきゃ良かったじゃん!」
「意味ないって何だよ。廃止か存続か……皆に職場見学会について考えてもらうきっかけになったし……それに、俺達がはっきりと一色に敵対する意志を示せた……どれも大事なプロセスだ」
「存続が目的じゃないって……比企谷、お前この話を何処に持って行きたいんだ?そろそろ教えてくれないか?」
「最初からそんなものは目的じゃなかっただろ……副会長が言ったんだぞ、俺らは『一色いろは・被害者の会』で、今回のターゲットは……」
「ターゲットはいろはす……いや、そういう話したかもしんねーけど!」
「さっきも言ったが、俺は別にどっちに転んでも良かったんだって。一色が真面目に張り合う以上、こうなることは分かってたしな。……多分、最初から廃止に決まるようになってたんだろ」
「これまでの事は、すべて会長に喧嘩を売るポーズだったってことか……?」
「ってかさぁ、何かいろはすと喧嘩するのが目的みたいになってね?」
「……」
戸部は時折、鋭い。
言われて気付いたことだが、結構それが実態に近いのかもしれない。
「まあ、そのポーズ……存続工作もこれでお終いにするが……まだ作戦そのものは終わってない」
二人はまだ何か聞きたそうな顔をしていたが、顔を見合わせると続きを促してくる。
「あいつは今、厄介な思い込みに囚われちまっている。そのせいで、どの仕事もグダグダしてる。今回の件が終わっても、この先ずっと引き摺っていくだろうと思う」
「だからその思い込みを取り除くのは、サッカー部にも、生徒会にも、何よりあいつ自身のためになる」
「いや、違うな、大部分は俺のワガママなんだが……」
「だからすまん、もうちょっとだけ付き合ってくれ。……この作戦は、詰めの部分が肝心なんだ」
「……比企谷」
「ヒキタニくん……」
頭を下げて二人に頼み込む。なんとも格好の付かない懇願に、きっと顔は羞恥で赤くなっていることだろう。
「いいって、最初に言ったべ……付き合うっしょ!こうなったら最後まで!」
「……すまん」
「……そうだな、俺たちは『一色いろは・被害者の会』なんだから……!」
「……助かる」
今回、問題が起こったその原因は、俺と一色の関係性から生じたものである。
こいつらも薄々勘付いていたはずだ。しかし遂に二人がそれを追求することはなかった。
それを申し訳ないとも思うし、有難いとも思う。
だから、もし彼らが他のことで苦境に陥るようなことがあれば、あるいは望むものがあるのなら……
俺は深く問うことをせずに、協力してやろうと思う。
それを友誼というのかもしれないが、面倒なので言葉で定義するのはやめておこう。
「――さあ、これから何をするんだ?教えてくれ」
副会長の言葉に顔を上げると、俺は当ミッションの最後の筋書きを二人に説明する。
いつものように話は迷走する。
必ず誰かがアホを言い出し、議題は明後日の方向に飛んで行く。
その都度話を戻し、やっとこ元のレールに収まったと思ったら、誰かが勝手に分岐のレバーを引いてしまう。
苛ついて、呆れて、苦笑して……
そんないつものやり取りが、少し名残惜しい。
短い昼休みに行われた、このどうしようもなくしょうもない会議を噛みしめるように進行する。
もう、こういう形で俺達が顔を合わせることは二度とない。
おそらく次の総会が『一色いろは・被害者の会』の最後の舞台となるだろう。
※※※※※※※※※※※※
一色いろは・被害者の会4
策謀編・中盤 【了】
次回、決着……!次は割と早く更新できると思う……!多分……!
続き↓
おもろいやんけ
待ってたぜぇぇぇ!
でも続きが気になるやないかあああ
今回も面白かったほんとにキャラが生き生きしてるんだよなぁ
落日篇までやってほしい・・
待ってたー!!
次回も楽しみにしてます
待ってました!
いろはすほとんど出てないのに可愛さの破壊力はんぱない…!
>>5
いわれて見れば確かにあんま出てへんねw
でもちゃんといろはすSSとして成立してるという!
このキャストでよくこんなに展開できるわって思う
顧問の先生でさえキャラが立ちだしてるし
今一番楽しみにしてるssですがんばってください!
いやー今回も楽しく
読ませてもらいました!
次回も楽しみです!
今江wwww
いろはす〜
このシリーズほんとオモロイ!
続きはよっす!\(^o^)/
男子の会話が面白すぎて吹き出しました! 本当に面白いです。
また面白さと同時に今回は前回よりもさらにシリアスな状況になりました。なんというか八幡は自己犠牲的であり、同時にひどく独善的な人物だと感じました。というより自己評価が低すぎる。もっと自分の価値を理解してほしいです。なので後編では誰かこの主人公である自意識の化け物を見事に倒して、ハッピーエンドにしてほしいです。
あと次回が最終回じゃないかと冷や冷やとしています。どうか終わりませんように。
このシリーズをまとめて一晩で読んでしまいました。
先々への興味が強すぎて読む手が止められませんでしたね。
策謀編の後編、更新を楽しみにしています。
期待して待ってます!お身体気をつけてくださいね!
自意識の化け物感うまく出てるよね
喧嘩おっ始めるとこもワロてもうたし
バランスが取れとってもうほんとすこ
何年間かかってもいいから落日まで読みたい…
応援しています
なンだ、なンだァ、このSS!
素晴らしいじゃねェかよォ!!
は?
あ?
のくだりが最高に笑いましたw
文才すごいですね!続き楽しみにしています!
なんとなーく今まで読まなかったのを
激しく後悔しましたw
原作とはちょっと違うはずなのにテイストがよく出てて
どこがと言うんじゃなくて読んでるだけで楽しい
野望編からもう止まりませんでした
次回も楽しみにしてます!
おもしろいのよー
>戦いに明け暮れ、花を愛でる気持ちのゆとりもなくなった生活が、一色の叛骨を大きく育てたか……
ここ声だしてワロタw
>>1-20
読んでくれてサンキュー!
いやもうほんとマジで励みになります。
後半をアップしたので、ぜひ読んでください。
>>20
魏延やな
三国志ネタ多いww