【えりうみ】本屋の園田さん。
μ'sとはまったく関係ない世界です。
大人の園田海未と、大人の絢瀬絵里が本屋で出会ったら。
タバコ吸う描写がありますが2人ともアラサーくらいです。
雷が少し鳴っています 空が曇って 雨でも降りませんか あなたを引き留められるから
雷が少し鳴ってるわね 雨なんか降らなくたって 私はここにいるわ あなたが居て欲しいと言うのなら
一度雨が降るたびに涼しくなって、寝間着を間違うと鼻が詰まる季節。あの木のどこかで鳴いている蝉はあと何日生きるのだろう、吸っている煙草のせいで鼻があてにならないけれど、一雨降りそうな湿った匂いがする。いつ生まれたか知らないけれど、行き遅れたあの蝉は秋雨に打たれて死ぬかもしれない。
久々の休日、昼過ぎに起きて小銭入れと携帯だけ持って散歩。いい歳して何をしているのかと馬鹿にする自分と、気ままに生きる事を良しとする自分がいつまで経っても喧嘩を止めない。鬱陶しい脳内を煙で燻しながら、僅かな小銭をどう浪費するか考える。
コンビニで酒を買うには勿体無いか。煙草のストックはまだある。確か柔軟剤が無くなりそうだったか。そういえば職場の同僚がゲーム機を買った。小綺麗な先輩は婚活用のドレスを買った。電話対応の後輩のデスクにあるプラモは毎週違うものになる。
「……800円か」
もちろん一人暮らしに困らない程度の貯金はある。持ち歩くと無駄遣いしがちだから、と小銭入れを持ち歩くようにしているだけ。近所のカフェでランチでも、と思ったもののランチタイムはとうに過ぎ、コーヒーを飲むにも手持ち無沙汰なため却下。
公園で煙草吸って柔軟剤買って、それで私の休日終わらせてたまるかと灰皿に捻り付けて火を消す。思えばこの町に来て数年経つけれど、この町の歩き方を私は知らない。駅の向こう側とか、あのビルのテラスとか、そこの歩道橋の先とか。
帰路についているであろう車の波を尻目に、初めてこの歩道橋を登る。下りた先に何があるのか知らないけれどまぁ、なんかあるでしょう。
「……へぇ…」
歩道橋の向こうは商店街に繋がっていたなんて知らなかった。量販店より幾分お高い、型落ちばかり並ぶ電気屋、活気だけはある魚屋、八百屋。このボロ家は酒屋か。こんなところに手芸屋も。あまり目を合わせると押し売られそうで、影を眺めて歩く。持ち合わせないんで、すいませんね。
視界の先にコンクリートの箱が見えた。いや、建物なのだけれど、のっぺりとした灰色のコンクリートむき出しのそれはまさに箱だった。気になってふと足を止めると同時に、何やら怖い団体の集会所とか事務所だったらどうしようと脳が回る。目に入ったのは、別にお洒落でもなんでもない、きっと一晩寝たら忘れそうなほど平凡なデザインの看板。
【BOOK STORE ソノダ】
何故そこだけカタカナなのだろう。逆に何故そっちは英語にしたんだろう。こんなのっぺりした外観なんだから、もうちょっと華やかな看板にしたほうが。
入るか否か逡巡したけれど、本一冊くらいなら小銭で事足りるだろう。家に帰って読めば有意義な休日を取り戻せそうだし。
怖いお兄さんがいたら逃げよう、と身構えて入ったけれど、ボロいカウンターに座っていたのはお人形みたいな美人だった。薄暗い店に溶け込むような青黒い髪、色素の薄い瞳、肌。彼女の発するいらっしゃいませの一言は鈴が鳴ったと思うほど、凛と綺麗に響いた。
煙たいバニラみたいな匂いのする日本人形、それが第一印象。
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煙たいチョコレートの匂いのする外国人が来た。それが第一印象。薬剤で染めたのではないと素人目にもわかるほど美しく、鮮やかでいて上品な金髪。ラムネの瓶を溶かして嵌めたような青い目。透けるような肌は色素が薄くて不健康な私のそれとは違う。静謐な本棚の合間、薄暗い店の中で彼女の存在だけが浮いていた。
ふらりと迷い込んだこの美人はどんな本を読むのだろう。彼女の脳はどんな本で形作られているのだろう。ふらふらと本棚の合間を行き来する彼女と目が合うまで、下品に見つめている事に気が付かなかった。悟られぬよう緩やかに視線を外す。
あぁ、そこで足を止めますか。そこ恋愛小説ですよ。あんまり目線上げないでください、そっち官能小説です。ほら、後ろの雑誌コーナーとかどうです。そのマガジンラック、私が作ったんですよ。あぁそんなまじまじと恋愛小説をいつまでも。
ていうか、日本語読めるんですかあなた。
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有線放送もなく、外の喧騒と私の足音が本棚に跳ね返る。ずらりと並ぶ本棚のあちこちに、本屋らしい手書きのポップが貼られていた。が、色画用紙に毛筆でさらりと書かれた文字はさらりと読めず、解読するのにしばし時間を要する。看板といいやはりあの美人、変人か。普通カラーペンとかでしょうよ。
のっぺりした外観に古臭い内装だけれど、最近の話題作や漫画の最新刊も揃えてある。漫画すら、もう随分読んでいない。ワゴンに平置きされた100円セールの文庫本、申し訳程度の文房具。背の高い本棚は迷路。
本の多さと狭さに足を止めた棚は、毛筆いとおかしフォントのポップが一枚もない、ただ綺麗に、無機物的に恋愛小説の並ぶ棚だった。ポップが無いということは、読んで見どころやおすすめのポイントを書かないということは。
あの美人、顔に似合わず初心なのかもしれない。
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「きゃ、Can you speak Japanese?」
「…?……はい」
死にたい。
「……っ…日本語じょうず、ですね」
「あの、日本人です…クォーターですけど…」
「あぁ…そうなの、ですね、すみません」
ごめんなさい。でもどう見ても日本人じゃないですよ、あなた。
「…円になります」
チョコレートみたいな煙草の匂いの裏に、なんだかドキドキするほどいい匂いがする。ような気さえする。顔を、上げられない。
「…円のお返しです」
…さっき恥をかいたからでしょうね。女同士何を思っているのやら。
「ポイントカード、お付けしておきます。ありがとうございました」
すっと頭を下げた時に目に入った、彼女の大切な指に嵌った指輪が私の脳を貫く。けれど。また会いたいと思った。また来て欲しいと思った。
またのご来店、お待ちしてます。
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よくある話だ、と本を閉じる。こういう安っぽい恋愛劇が面白く無いのか、はたまた私という人間そのものが面白く無くなったのか。物語のような恋をしたいと考えていたのは学生服を着ていたあたりまでで、男よけの安い指輪を嵌めるほどに、色恋に関しては面白みの無い生活に堕ちていた。
せめて物語の中だけでも、と思ったけれど駄目だ。きっとそういうキラキラしたものを感じる器官が錆びて煤けて、使い物にならないのだろう。
またあの本屋に行こう。店員さん、可愛かったし。ポップの字が私には読めなかったから、彼女の好きな本を訊いてみよう。ポイントのつけ方が1冊1スタンプとはシビアだけど。
「……柔軟剤、わすれたなぁ………」
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「グルグルコミック10月号よやくしてた、たなかです」
「はい、いつもありがとう」
毎月やってくる数少ない常連の子。今月の付録はレアカードがどうのこうので、これからでゅえる?をしにいくと息巻いている。
「あとみぞれあめ、ください」
「はいはい、何味がい」
「メロンのやつ!」
まぁこれ全部砂糖味なんですけどね。色ついてるだけで。
「あ、ポイントカード、あと一個で埋まるよ?」
「11月号もよやくしたらさ、なんかもらえるの?」
「うん、図書券。千円分」
キミぐらいなものですよ、ポイントカードちゃんと使ってくれてるの。来月までに図書券買ってこないと。
「じゃよやくします、またねおねえさん」
「はい、またね」
……よりにもよって今来なくてもいいじゃないですか。何ですその顔、いいじゃないですか近所の子ども可愛がったって。
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あの人、あんな顔するんだ。あんなふうに笑って、あんなふうに話して。子どもの前だとああなるのか。超可愛いんですけど。
「…い、いらっしゃいませ」
「…可愛い常連ですね」
「え、えぇ毎月……来てくれるんです」
話すきっかけとして丁度良かった。彼女はまだばつの悪そうな顔をしているけど、そのままおすすめの本を尋ねる。
本棚の前で彼女が読みやすい本を探してくれている。そういえば立った姿は初めて見る。意外に小さくて、髪は思っていたより長かった。
「……で、こちらは伏線の畳み方が心地よくてですね……」
本を買うためというより、彼女に会うためにここに来た事に気づく。真剣な眼差しで、それでいて楽しそうに説明する彼女を目の前にして。それはなんの疑いもなく、なんの抵抗も無くすとんと腑に落ちた。
「……それで、この中だとどれが好きですか?」
「へ、あ……心地いい、やつで」
ごめん、途中から聞いてなかった。
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スタンプカードに絢瀬絵里の文字。彼女らしい、凛々しい字だった。本当に日本人なのか、とふたつ目のスタンプを捺す。
「こちらお返しいたしま、す……?」
外をぽかんと見つめる彼女の目線を辿ると、土砂降りだった。そういえば午後からにわか雨とは言っていた気がする。にわかどころじゃないですよこれ。
「す、すみません私…つい長話を」
「いえそんな、ありがとうございました…本当に本が好きなんだなぁって」
「すみません……足元お気をつけて」
「……あの、しばらく居ていいですか?傘持ってなくて」
「え…えぇどうぞ、そこ座ってください」
どうしよう、まさかこんな事になるなんて。私の傘を貸そうか、いやせっかくゆっくりお話できる機会だし。
そういえばこの間の恋愛小説はどうでしたか。クォーターって仰ってましたね、どこなのですか。お宅は遠いのですか。お煙草吸われるのですか。ご結婚、なさってるのですか。
「あの……お茶でも入れますね」
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部屋着にパーカーを羽織る時分になった。自動販売機の赤いボタンが見るたびに増えていき、古びた商店街に、まだかぼちゃ飾りの生き残りがいた。
「海未ぃ、私が来るたびに雨降ってない?」
「なんで毎回傘持ってこないんです?」
齧り跡のあるトマトマークでおなじみの最新型PCから1ミリも目を離さない。なんでも最近通販を始めたらしく、そちらの売り上げは好調らしい。
「……絵里、一応そこ入り口なので、人来たら脚退けてくださいよ」
「うん」
ボロいカウンターの向かいに置いてあった長椅子はすっかり私の居場所になった。買った本をここで読んでいると飲み物が出てくる。可愛い話し相手もいるし、外に行けば煙草も吸える。駄菓子食べ放題。文庫本1冊700円余りで休日1日心地よく過ごせるのだから文句ない。
「……虫歯になるわよ、海未」
「脳には糖分がいるんです。ところでそのガム、舌緑色になりますよ」
本当だ。何このガム。
ぺりぺりと包装を剥がし、4つ目の飴玉を口に放り込む。片方だけ膨らむ頬が愛おしかった。でも飴玉はコーヒーの砂糖の代わりにはならないわよ。
「……海未の本、貸して」
「…っ、はい?」
キーボードを叩く音が止まる。あぁ、やっとこっち見てくれた。
「海未がわざわざブックカバーかけて読むやつ。1冊、貸して?」
「……ちょっと、待っててください」
「あとこれも買っていくわ」
「あぁ、ありがとうございます」
この日、ポイントカードが二枚目に突入した。
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早足に秋が終わるように、気づいたら絵里と呼び捨てにする仲になっていた。友達、と表すのも不思議な仲。きっと絵里は私が恋してるなんて知らないで、平気な顔してクリスマスの予定が埋まらないなんて言ってくる。
「薬指にそんなものつけてるからですよ」
それ、ずっとつけていてください。私のものにならなくていいから、誰かのものにならないでください。
雨の多い秋でした。あなたが来る日は決まって雨で、傘が無いって雨宿りして。お茶飲んで喋って、止まなかったら私の傘で帰って。しょっちゅう雨だったから、なんだかいつも一緒にいる気分でした。嬉しくて、にやにやした顔を見られたくなくて、パソコンに顔を埋めたきり上げられなくなって。
「海未がわざわざブックカバーかけて読むやつ。1冊、貸して?」
私にとっては、あなたが欲しいとさえ言われているようで。七夕飾りで余った短冊にさらさらと筆ペンを走らせる。
…ちょっとクサいでしょうか、まどろっこしいでしょうか。それでもきっと、あなたなら拾ってくれるでしょう。
明日も、雨ですって。
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ああいう言い方をすれば、きっと海未は大切な本を貸してくれると思った。彼女の根源を形作る本、読み解けば、あなたをもっと深く知れる。そう思った。
「……ん…」
阿呆みたいな声が出るほど、繊細で難解な詩集だった。一編一編、緻密に計算された仕掛けや意図があって、それに気づくと面白いのかもしれないが、私が出せる感想は「それで?」しかなかった。半分も読めず栞を探してページを飛ばす。
何も書かれていない真っ白なページ。水色のリボンが結われた画用紙。彼女の事だから「あなたの眼と同じ色に」とでも言うだろう。ごめんなさい、せっかく借りたけれど読めなかったわ。 手に取った栞に、見覚えのある字。あの、ポップの字だ。
「…神の 少し…みてさし…り 雨さへ…れや 君は………らむ」
「…読めない……」
過ぎたるは及ばざるが如しというもので。お家がそういう家系とは聞いている。けれど、読めませんわよ達筆すぎて。
詩集も栞も、何もかも読めなかったなんて彼女には言えない。私の思っていた以上に、あの可愛い変人は奥が深かった。
このまま明日、返しに行きたくないなぁ。
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雨だけれど、あの人は来なかった。コーヒーは飲んでも、飴玉を食べることは無かった。通販の発送も終えて、売上表をぼんやりと眺める。そういえば私は、彼女のシフトも住所も電話番号も、何も知らない。
「……作者まとめ売りは捌けますねぇ…」
店、閉める前に煙草でも。ほんとうは、閉める直前まで彼女を探していたかった。水の溜まったブリキ缶の隣にしゃがみ、彼女の家があるであろう方向にライターを構える。
「……ぐ、ぅえほっ、はっ、」
吸ったことのない、気管を一瞬で煤けさせるような重い煙だった。むせて吐き出した煙は、彼女の匂い、チョコレートの味。そういえばこの間1本ねだられたか。きっといつの間にか、彼女のをこっそり返してくれたのだろう。
「…なんてもの吸ってるんですか……」
あまりの重さに身体が受け付けない。自重できず溜まった唾を吐く。もしかしたら今、彼女も吸っているのかもしれない。そう思ってちまちまと吸い縮める。紫煙は脳をも煙に巻き、アルコールのように思考を奪う。半分も行かず限界がきた。
駄菓子コーナーにチョコレート、入荷しましょう。
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半日勤務が終わって、本を読みふける。ここ数日、彼女の店には行っていない。借りている以上返しにいくけれど、読めないまま返すことがひどく失礼に思えた。職場近くの本屋は100円ごとに1スタンプくれるけれど、ここで本を買うつもりは無かった。
何度読み返しても詩集は読み解けず、何度見返しても栞は解読出来無かった。現実逃避の立ち読み、逃げの一手。何かを読み解こうとする意欲が無いからか、珍しく漫画を手に取る。学級文庫とかにあったなぁ、こういうの。「漫画で読めるシリーズ 万葉集 文豪出版」いちいち振り仮名が散りばめてあることにも慣れた頃に、私の眼が流し読みを止めた。
「鳴神の 少し響みてさし曇り 雨さへ降れや 君は留まらむ」
……小宇宙みたいなアレは「響」だったの?
そんなことより。彼女が手書きでこれを書いたとするならば。本当に、なんて可愛らしいのだろう。
こんな面倒でお洒落な方法で、あなたって人は。
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「どうでした?この本」
「私には早かった」
「あぁ……すみません、小説の方が良かったですかね」
外してしまいましたか。残念。こんなかっこつけた演出までして滑った挙句、彼女は雨の日に来るものだと美談めかしていたら晴れの日にのこのこやってきたわけで。
彼女がふらふらと本棚に消えていった事を確認して、帰ってきた本をめくる。持ち歩いたのだろう、何度か読んでくれたのだろう、端が少し曲がっていた。特に読んで欲しかった
ページは読んでもらえただろうか、そういえば栞はと手繰ると。
「鳴る神の 少し響みて降らずとも 我は留まらむ 妹し留めば」
彼女の凛々しい文字。
だから晴れの日にきたのですか。ずるい人ですね、わかってるくせに、私から誘わせるのですね。
「……あの…あの、絵里っ」
「…んー?」
「……お茶、飲んで行きません?
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